大福 りす の 隠れ家

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辰刻の雫 ~蒼い月~  第82回

2022年07月22日 22時01分15秒 | 小説
『辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~』 目次


『辰刻の雫 ~蒼い月~』 第1回から第80回までの目次は以下の 『辰刻の雫 ~蒼い月~』リンクページ からお願いいたします。


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辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~  第82回



その日の夕餉にシキと波葉の姿はなかった。 シキが澪引と昼餉を済ませて邸に帰ったようで、澪引がしきりに寂しいと言っているのを四方がなだめすかしていた。

リツソは何を思っているのか、ボォーっと食べていたが、その肩にカルネラが乗っていた。 そのカルネラがしきりにリツソに話しかけていた。

「リツソ、オナカイッパイ、オベンキョ。 オネガイネ。 オシッコモラス。 イイコ。 ヤレバデキルコ。 シロキ、オトウト。 イッショにオボエテネ。 シロキ、イモウト、サネ」 等々と。

色んな言葉が混在しているようだ。
ここに紫揺が居ればカルネラを正すのだろうが、今は紫揺同様、開け放たれた自由とでも言っていいのだろうか、カルネラが得た知識を爆発させている。 紫揺が体力を爆発させるように。

そんなリツソにもカルネラにも澪引にも四方にも、溜息をつきながらマツリが夕餉を終えた。

夕餉が終わり少し腹が落ち着いてから、宮の庭でマツリと杠の手合わせが始まった。

出来れば夕餉前が良かったのだが、夕餉ギリギリまで立ち合いがある。 刑部の文官たちが残業をしているのである。 残業をしてまでこのことを早く終わらせたいのだろう文官たちのことを思うと、立ち合いを早々に終わらせることなど出来なかった。

丸首長袖の上衣に帯をし、筒ズボンを穿いた二人の手合わせ。
マツリは珍しく白色で固め、スッポリと被って着る形の丸首には、青緑黄の幅の広い三色が入っている。 帯は青。 対する杠は、尾能が用意した水色一色に、濃い灰色の帯を巻いている。

その二人の手合わせを回廊から見ている者がいる。
“最高か” と “庭の世話か” であった。 他にもまだ宮の仕事が残っている下働きの者も目にしていた。

「マツリ様と杠殿、どちらも華奢でいらっしゃるのに気迫が凄いですわね」

「ええ、武官や四方様のようなお身体ではないのに」

「でもどちらかと言えばマツリ様の方が華奢でいらっしゃったのね」

他出着や直衣、狩衣ではあまり身体の線が分からないがこの衣はよく分かる。

「姉さん、どう? 杠殿はいかが?」

「え? ・・・なにを、何を言うの」

赤面した世和歌。

「姉さん・・・」

呆れたように丹和歌が言う。

「姉さんの歳になってもまだ何も知らないなんて。 いつ誰の奥になるというの?」

「そ、それは・・・。 え? 丹和歌、どういうこと?」

「あら、世和歌はまだ何も?」

彩楓が丹和歌に問う。

「そうみたいですわ」

「それはいけないわ。 官吏の中にいい人がいなかったの?」

紅香が世和歌に問う。

「え? え? ・・・あの、皆さま・・・」

「当たりですわー」 世和歌の欠けたトリオの声が響いた。

澪引とシキの従者は童女の頃からずっと宮に居る者もいれば、年頃になり行儀作法の一つとして新しく入って来る者もいる。
童女などは宮から出ることなどついぞ無い。 年頃になってくると目の前にいるのは官吏だけである。 武官と文官。

文官の仕事場の一部は宮内にある。 本来仕事をする建物は門を挟んで違うところであるが、四方の執務室は四方たちの私室のある宮内の中にある。 よって執務室を訪ねてくる文官を見ることがあるし、一部の文官の仕事部屋も宮内にある。 そして武官は巡回をしている。 もちろん、四方たちの私室がある宮内も目立たないように巡回している。

そうやって文官、武官共に宮内に入ってくるときがある。 宮の女人と文官、武官が知り合う切っ掛けでもある。 それは四方も先代のご隠居も、そのまた上も暗黙の了解であった。
ある程度になれば官吏の中にいい伴侶を見つけて宮を去ってもらわなければ、宮の中の女人の従者や女官が年寄ばかりになってしまうのだから。

文官、武官共に宮での仕事が終われば宮の外にある家に帰るが、それまでに宮内で澪引やシキの従者、または女官と目を合わせたりすることがある。
男達は帰った家の近くで見る民の娘とは違って、綺麗に着飾った美しい従者や女官は瞼の裏にくっきりと残っている。 その美しい女人と文の交換から始まることを夢見ている官吏は多い。

そして “最高か” と紅香はしっかりと文の交換からその先に発展している。 だがその相手を今まだ一人に絞っているわけではない。

「え? どういうこと?」

「色んな方を知りませんと」

「ええ、ええ。 ご性格ももとより、わたくしたちに合うかどうかも」

「そうよ、姉さん。 逞しくても、学があっても、性格が良くても、豊かな暮らしが待っていても、私たちの考えに合うかどうかが必要よ」

「そうですわ。 丹和歌の言う通り。 紫さまのことになった時、お会いするお約束をしていても私たちは紫さまを優先します。 その時に会う時を約束していただろう、なんて仰る方はこちらから願い下げですわ」

「ええ、その様な方には一生ついていくことも出来ませんわ」

「・・・まさに」

世和歌が言う。

「でしょ? だから姉さんも色んな方と時を重ねなくっちゃ」

「あ・・・でも。 そのような時は・・・」

「姉さん! そんなことを言っていてどうするの? いずれはその方の子を産むんですよ! 予行練習しなくてどうするんですかっ」

「よ、よ、予行練習?!」

世和歌が顔を真っ赤にした。

“最高か” と “庭の世話か” が何を話しているかなど知る由の無いマツリと杠。
汗を流し殆ど受け身でマツリからの攻撃を左右に流すだけに終わった杠。 攻撃は一切しなかった。

「どうして挑んでこん」

息が上がっているマツリに比べて殆ど息を乱していない杠。

「無理を言わないで下さいませ」

マツリに攻撃など出来るはずはない。
杠が言いたいことは分かっている。 マツリがフッと笑う。

「俺の攻撃を上手く逃がしていた。 避けるどころでは無かったな。 ・・・口惜しいな、我の攻撃がかわされたのが。 それに息も乱しておらんではないか」

「精一杯で御座います」

防御一点張りだと言うように杠は言うが、そうでは無いだろう。

「今日はこれでいい。 だが、明日から俺に攻撃を掛けなければ手合わせはせんからな」

「マツリ様・・・」

「当たり前であろう。 それが手合わせだ」

まだ歳浅かった時の杠が何度もマツリの前に現れた時、とうとうマツリが折れて杠を手足に使ってくれると言った。 その時マツリから体術を徹底的に教えられた。
何度マツリに挑んでも抑えられてしまう。 それを何度も何度も繰り返してようやくこの身に付けた。 それを力にして辺境に赴いたり六都に行ったりもした。 そしてとうとう地下に入った。
マツリに教えられた体術は相当に役に立った。

「・・・はい、では明日から」

杠も分かっている。 武官相手なのだから攻撃をかわすだけではいけないと。
それにマツリが言っていた『誰にも文句を言わせないために』 というのは、言ってみれば一発で相手に参ったと言わせるくらいでなければいけない。
攻撃をかわしてばかりで相手の息が上がり、かわされてばかりを嫌がり参ったと言うのを待つわけにはいかない。

「紫に言われた」

手拭いで汗を拭きながら小階段に座ったマツリ。 目顔で隣に座るようにと杠に促す。

立ったままで見下ろすことも考えものだが、隣に座ることも憚られる。 どうしたものかと杠が考える間もなく続けてマツリが言う。

「気にするな。 座れ」

「紫が何と?」

迷いを諦めてマツリの隣に座る。
いつまでもグダグダとしない杠のそんなところもマツリは気に入っている。

「キョウゲンに乗ってばかりで歩けるのか、とな」

「なんとも・・・」

笑いを噛み殺している。

「そこで笑うのは杠くらいなものだぞ。 笑うくらいなら俺の横に迷うことなく座れるだろう」

下を向いて手拭いで口を押えている。 笑う声が漏れないようにしているのだと丸分かりだ。

「紫の言う通りかもしれんな。 俺は息が上がった。 杠は平気な顔をしていた。 考えものだ。 俺ももう一度鍛練を積まねばならんな」

「そのような時はないでしょう。 いえ、己との手合わせだけは願いたいですが」

少なくとも武官との試験までは付き合ってもらいたい。

「ああ、それは必ず。 それ以降だ。 時が空けば俺に付き合ってくれるか?」

「もちろんで御座います」

時があるのであれば、紫揺の具合を見に行かなくてもいいのか、それを訊きたかったがマツリも相当に疲れているだろう。
マツリには悪いが杠の試験が終わるまでは、それは物事が片付くまでということ。 それまでは紫揺の話はしない方がいいかと思った。 今はマツリ自身が、紫揺のことを想っていると分かってくれただけでも御の字だ。

マツリと杠が小階段に座っている。

今は “最高か” も “庭の世話か” も居ない。 他の者も。 マツリと杠の手合わせは長かった。
だが一組だけ途中から見ていて、今も二人を見ている者たちが居た。 その一人がマツリから目を離すと口を開いた。

「な、そなたにはシキだけではないのだぞ? リツソも居よう、そしてマツリも。 そのマツリはこうしてここまで立派になった」

「・・・はい」

「その・・・シキとそなたのことは女人同士のこととは思うが、そなたにはまだおる。 シキだけではない」

「マツリは立派になってくれました」

「ああ、そうだとも。 そなたの身体の具合も心配しておる。 そなたが元気にしておればマツリも安心して政ごとに集中できよう」

澪引が四方を睨む。

「え? あ? なんだ?」

「その様なことは御座いません」

四方が意味が分からないといった目を澪引に向ける。

「わたくしはマツリの母です。 ずっとマツリに付いているわけにはいきません。 それにマツリにはわたくしは必要ありません」

「何ということを言うのか?」

澪引が何を言おうとしているのかが分からない。

「マツリは・・・マツリもシキもで御座います。 勝手に大きくなりました。 わたくしの手など要りませんでした」

「そんなことは無い。 勝手になど。 そなたのことを母と思っておるから、そなたの身を案じておる。 澪引、たしかにシキもマツリも本領領主の血を濃く引いたかもしれん。 それこそ、そなたが言うように勝手に大きくなったかもしれん。 だが―――」

「その様なことは申しておりません」

「は?」

「シキもマツリも勝手に大きくなりました。 たしかにそれは四方様の血があってのことで御座いましょう。 シキもマツリもわたくしのことを母と思っていてくれております。 わたくしのこの身体を案じてくれております。 それは分かっています。 ですが・・・今この宮に・・・わたくしの周りに心開ける女人がおりません。 血を分ちあう女人がおりません」

澪引の言う血を分ちあうというのは血族という意味ではない。 心からという意味である。

「澪引・・・従者が居ろうが。 そなたの側付きも」

「違います。 そうではありません」

四方の伴侶となり、宮に入った澪引にはすぐ従者が付けられた。 その中から側付きもついた。 澪引を可愛がったご隠居と四方が選んだだけあってよく気がつき、そつなくこなし、よくしている。 だがそうではない。
澪引が言いたいのは、もっと何もかもを差し引いた娘的立場の者がいない。 あたたかな、落度があっても笑って許せる相手が居ない。

いま澪引の周りに居るのは、落度の無い失敗などしない人間。 万が一にも落度があり、澪引が笑って済ませようと思っても、済まされない立場と考えている人間ばかりだ。
シキのように娘には到底なり得なく、生まれた時からシキに付いているシキの側付きである、昌耶とシキとの関係にもなり得ない。 澪引はそれが寂しくてたまらないのだ。

それを分からない四方。

元々、宮の者として育った者と、辺境に生まれ育ち、伴侶として宮に来た者との大きな気持ちのズレである。

「四方様は何も分かっておられない」

「そんなことは無い。 澪引・・・そなたには、わしだけではいかんのか?」

「え?」

「わしはシキに劣るのか?」

「そのようなことは・・・」

このシチュエーションで “・・・ある” とは続けて言えない。 母と娘の繋がりは、伴侶など小指の爪の垢ほどにもない。

「わしが居る。 そなたにはいつもわしが居る。 それを忘れんで欲しい」

澪引が若い頃・・・まだ十五の歳をちょっと越したくらいの頃を思い出した。
懸命に澪引に寄り添いたいという若き日の四方の姿が。 そして四方の父、当時の本領領主であった、今のご隠居までもが出て来て四方の奥にと言ってきた。

澪引には本領領主となる四方は遠い存在だった。 本領の遠き親戚でもなければ豪族でもない。
四方が供である山猫に乗って走りまわっていた辺境の単なる娘だった。

「四方様・・・」

「いつまでもずっとそなたを守る。 そなたに添う。 そなたを悲しませたくない。 悲しませる者はわしが払う」

とーっても大きなことを言っているし、大言壮語でないことも分かっている。

「ですが・・・四方様ではシキの代わりになりませんわ」

四方が精一杯言った。 マツリよりずっとマシな語彙を並べて。 なのに・・・そんなことを言われてしまった。
かなりショックだ。

「・・・それほどにシキにいてほしいか?」

「ええ」

―――即答された。

「では、呼び戻すか?」

キッと澪引が四方を睨んだ。

「どうしてその様なことを申されます」

「え? あ? そうでは無いのか?」

「シキは波葉に添うております。 それなのに呼び戻すなどと・・・」

「では・・・何を申したい?」

「四方様に何も申しておりません。 ただ心許せる女人が居ないと言っております」

先ほどまで小さな肩が震えていたようだったのに、今は挑むように四方に向き合っている。
女人の考えることに鈍感な男衆には何が何だか分からない。

「ああ・・・えっと、それはどのような・・・女人なのだ?」

「もう! 四方様は何も考えておられないのですね! わたくしのことを!」

「・・・いや、考えておる。 そなたのことはずっと・・・」

四方と澪引の見解の違いが明らかになった。

咎人の腕を折ったり恫喝する死法(四方)。 今の姿を誰が想像できようか。

静かな宮内に四方と澪引の声がたゆたっていたが、最後には澪引の四方を責める声がはっきりと聞こえた。
マツリと杠が目を合わせる。

「父上と母上が何か言い合っておられるみたいだな」

「そのようで」

杠の立場では何も言えるものではない。

「まぁ、こちらに何も回ってこなければそれでいいのだが」

四方はややこしいことになるとすぐにマツリに回してくる。 ややこしいイコール面倒臭いということだ。

マツリにすれば、まさか澪引が迂遠にマツリの奥のことを言っているとは思いもしなかったし、四方にしてもマツリの奥のこと、つまり紫揺のことを言われているとは想像もできなかった。

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