大福 りす の 隠れ家

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辰刻の雫 ~蒼い月~  第138回

2023年02月03日 21時08分00秒 | 小説
『辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~』 目次


『辰刻の雫 ~蒼い月~』 第1回から第130回までの目次は以下の 『辰刻の雫 ~蒼い月~』リンクページ からお願いいたします。


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辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~  第138回



「お帰りなさいませ」

もうとっぷりと夜が更けているというのに、マツリの宿の部屋の前に杠が座していた。

「こんな刻限になっているというのに」

一度六都を出て戻って来てからは杠もマツリと同じ宿で隣の部屋に泊まっている。 杠の出現に例の文官は諦めたようである。
マツリと杠は同じように行動していたが、たまに杠がどこかに行くことがあった。 そんな時には殆ど杠の戻ってくる方が遅かったのだが、稀にマツリの方が遅くなった時にはいつもこうして待っている。

「夕餉は摂られましたか?」

「ああ、宮で食べた」

「では己はこれで」

マツリの部屋の戸を開けるとマツリが部屋に入り、杠が閉めかけた戸に背中を向けたままマツリの口が開く。

「いつかゆっくりと話をしたい」

杠の手が止まる。

「いつでも」

「六都のことが落ち着いた時に」

「承知いたしました」

パタンと戸が閉められた。



「で? マツリ様は何と仰っておられたと?」

胃の辺りをさすりながら領主が問う。

「いえ・・・特には」

葉月を連れてくればよかったと今更後悔しても遅い。
マツリが来たことを塔弥は言うつもりはなかったのだが、阿秀が報告したようだった。 ただ、此之葉には知られたくないと言い添えてくれていた。
塔弥から此之葉にマツリが来ていることを知られたくないと聞かされていたのだから、それも尤もだし、お付きとしてマツリが来たことの報告を領主にするのも尤もである。

「お怒りにはなっておられなかったか?」

「え? その様なことは全く」

領主と秋我が顔を見合わせる。

「その、塔弥、言いにくいんだが、訊かれたんだ。 紫さまに」

塔弥が首を傾げる。

「拳で殴られたらどう思うかと。 その前にも平手で叩いてと。 紫さまと本領に行く前に訊ねられた」

平手のことも拳のことも紫揺から聞いている。 だがその理由は言えない。 秋我が聞いてしまったのならば仕方がない。 すっとぼけるに限る。 それも何の心配もないという言い方で。

「ああ、その事ですか」

いともあっさりと当たり前のように応える塔弥。 なかなかの面の皮である。 葉月に頼る必要はないかもしれない。

え? と領主と秋我が声を揃えた。

「ええ、紫さまがマツリ様に拳を上げられたようです」

「・・・やはり。 いたたた・・・」

領主が前屈みになって胃をさすっている。

「え? でもそのことでマツリ様はお怒りになっておられませんが? 夢うつつと言うか・・・紫さまも記憶のないままだったそうで」

これは事実だ。 だが平手のことはどう言おう。 このまま安心して忘れてくれるといいのだが。

「痣が残るほどとも言っておられたが?」

「はい。 紫さまも言っておられました。 その痣を見て初めて知られたと。 それでお謝りになられたそうです」

「え? 謝られたのか?」

「いくらなんでも、あの紫さまでも、あ、いえ。 はい、しかと謝られたと。 マツリ様もそれを受けられたと」

「・・・ということは、先の平手のことも含めてマツリ様は紫さまからの謝罪を受けられたということか?」

忘れてはくれなかったが、纏めて考えてくれたようだ。

「はい」

領主が呆気にとられた顔をしている。

「父さん・・・もっと早くに塔弥に聞いておけばよかったですか・・・」

領主が長卓に突っ伏した。
あまりの安堵からか、これ以上マツリが来たことを訊かれることは無かった。



あちらこちらで学び舎が建ち始めた。
まずは幼い時からの教育が一番と考えている。 この学び舎で徹底的に道義を教え込む。 親の背を見て同じことをさせないために。
既に五歳から十歳までの子供の一覧は作らせていた。 住んでいるところの一番近くの学び舎に通わせる。 親が簡単に子供を家から出すかどうかは分からないが、少々脅してでも出させるつもりだ。

宮都からの応援の武官も戻ってきている。 まずは目の前に建っている学び舎から始める。
マツリと武官が一軒一軒回って二十人を超えた子供たちを集め学び舎の中に入れた。
新しい建物に目を奪われた子供達が、目を輝かせて学び舎の中を見て回っていた。 それはマツリにとっては計算外だった。

「いかがいたしましょう」

「ふむ・・・。 まあ、今日は気の済むまで見させるか。 それで気を引けたらそれに越したことは無い」

と、一日目はこれで終った。
そして二日目には家の前で子供たちが待っていた。 子供が学び舎に行くことを良しとしない親はここにはいなかったようだ。 どちらかと言えば居なくなって煩(うるさ)い声から解放されて清々しているようであった。

この日から長卓の前に座り、以前マツリにくっついていた文官が道義を教えることとなった。
この文官、子供を相手に興味を引くように上手く話す。 後ろで聞いていたマツリも「へぇー、意外だったか」 と漏らしたほどだった。
大人の接待は不得意でも子供の接待はよく出来る様である。

「それでは明日からはお迎えにはいきません。 自分たちでこちらに来るように。 よろしいですね。 それと今日は良いものがあります。 毎日とはいきませんが、時々このようなものもありますからね」

そう言うと、部屋を出て行く子供たち一人ずつに菓子を持たせた。 まさに飴と鞭で動かそうと思っていたが今のところ鞭は必要がないようだ。

「上手いものだな」

「あ? そうで御座いますか? 恐縮で御座います。 その、私の下には妹や弟が沢山居りますので、それが功を奏したのでしょうか」

「一番上か?」

「はい。 母が十五の歳の時に私を生んでおりますので、末弟が今はまだ九の歳で御座います」

「え・・・」

「まぁ、下にいくほど数度しか会ったことが御座いませんが」

「帆坂はいくつになるのか?」

帆坂とはこの文官の名前である。

「二十九の歳になります」

「に・・・末弟とは二十も歳が離れておるのか・・・」

十五で初産を経験したというのも驚きだったが二十の歳の差の弟・・・。 息子と言ってもいいのではないだろうか・・・。

この帆坂。 日を追うにつれ紙芝居も作り出した。 そしてその話口調がまた子供の興味を引くような抑揚あるものであった。
そしてまた、子供の数が増えていっている現象も出てきた。 子供たちは一人も休むことなく毎日来ている。
出欠をとってもらうのも嬉しいらしい。 帆坂が必ず一言添えるからだろう。

飴と鞭で動かそうとしていたが、それだけでは上手く動かなかったかもしれない。 他の学び舎を始動させるにあたって、帆坂のような者を探さなくてはならなくなってしまった。

「ああ、それでは弟を呼びましょうか?」

「え?」

「給金が出るようでしたら、ということですが」

これ以上、宮都に借りを作りたくはない。 学び舎に通うに金を取るわけにもいかない。 そんな事をすれば完全に親が子供を出さない。 子供を無理に通わせて金を取るのか、と当然言われるだろうし。
うーむ・・・。 マツリが腕を組んで考え込む。

「そんなに悩まれるほどは要りません。 私もここの官吏です。 金の流れは分かっております。 弟は・・・気はいいのですが足が悪いのです。 それで仕事の口が限られておりまして。 いくらにもならない仕事にしか就けませんで。 私のような文官でもずっと座っているわけにはいきませんし」

座ったままの仕事は女がするだろう。 手先の職人でもない限り基本男は力仕事に就いている。

「職人になろうとは思わなかったのか?」

「なれれば良かったのですが、生憎とそういう機会にめぐり合いませんでした」

「自ら飛び込んではいかなかったのか?」

「職人と言うのは頑固でして融通など利かせてくれません。 まずは下っ端からです」

「ああ・・・」

そういうことか。 まずは使い走りからということか。

「弟は使えると思いますが?」

どうしたものかとマツリが再度悩む。 仮に一人はなんとか出来てもそれで終わることではない。 まだ学び舎はあるし子供たちもまだまだ居る。

「マツリ様、官吏が子供たちを教える以外はどうしても金が要ります。 今居る六都の文官に子たちを教えられる者はいないでしょう」

それはそうだが・・・。 こんな所で迷うとは思ってもみなかった。 武官なり文官なり手の空いているものに・・・手を空けさせてやらせるつもりだった。

「官吏と同じも要りません。 いえ、半分も要りません。 半分でも弟にすれば大きな金で御座います。 それくらいなら都庫から出るでしょう」

(半分でも大きな金・・・。 足が悪いだけでそうなってしまうのか)

「あとは・・・歳の大きな子には武官などはどうでしょうか?」

「え?」

最初に武官に教えさそうと思っていたのを反対したのはこの帆坂だ。
マツリがそう思っているのを見透かしたような顔で帆坂が続ける。

「この歳の頃の子に武官は考えものですが、もう少し大きな子も範疇に入れられればいかがでしょうか?」

帆坂が言うには、十歳以上はもう手がつけられない状態にある子が多い。 その辺も正していけばどうかというものであった。 武官からの威圧で抑えれば何とかなるだろうと。
十歳といえばもう家の用事を手伝える歳になっている。 それこそ親が離さないだろう。 マツリが考えていたのはもっと幼少の者を対象にしていただけであった。

「親の手伝いと言ってもまともな親ならそれで良いのですが、どこどこの店のあれを盗ってこい、そんなことを言う親です。 それこそ武官の手で親から引きはがして学び舎に通わせれば良いのではないでしょうか。 もちろん、子が来たくないと言っても引きずってでも」

優しい口調と笑顔でえらいことを言ってくれる。
結局、帆坂の案を試してみようということになった。
弟への給金は文官所の都庫を預かる文官と相談の上となり、足の悪い弟には帆坂が書いた文を持って馬車を出すことになった。

帆坂の案はすぐに実行に移した。 まずは強面の武官が素行の悪い子たちをひっ捕らえてきて物の道理を説いて聞かせた。 勿論たまにはバンと卓を叩きながら。
帆坂は一日に三か所の学び舎を回り精力的に子供たちと接した。 やって来た弟も気のよさそうな顔をしていた。 確かに走ることは出来ないようで歩くにも足を引きづっている。
子供というのは時に悪魔にもなる。 特にこの六都ではその可能性が高い。

「足のことで傷つくことを言われるやもしれんが」

「今更で御座います」

簡単に返されてしまった。 そして帆坂からは学び舎の方はこれから自分と弟と武官で見ていく、何かあればすぐに報告をすると言われた。 早い話、学び舎が次々と建ち、あぶれてきた男たちが居るということを言っているのである。
マツリもそれは気になっていた。 巴央からその報告を受けていたからだ。
次は男達だ。

マツリにまとわりつくことがなくなった帆坂であるから、代わりに杠がずっと付くようになっていた。

「力山からの報告はどうだ?」

「まだ宮都からの文官が居りますので、今のところ文官所にはなにも起こってはいないようです」

厩番であるから文官所の中の細かいことは分からないが、今はまだ宮都からの文官が入っている不穏なことはないだろう。 どちらかと言えば文官所の外の方が不用心となっている。 そこに京也がいるのだから間違いはないだろう。

「淡月と朧は」

「ひっ捕らえられた者が多かったからでしょう、互いに疑心暗鬼になっているようで、あまり家から出てこないということです」

井戸端が無いということだ。 同じ所に住む文官たちが捕らえられたのだから。

「では・・・淡月と朧をそれぞれ別の学び舎に・・・いや、それはまだ無理だろうか」

まだ二人一組でないといけないだろうか。 三つ上の柳技も他人の振りをしているとはいえ、今は巴央と行動を共にしているくらいだ。

「そうですね、周りは手に負えない子が多いでしょうから。 慣れてから別にするか、二人で点々と移動させる方が宜しいかと」

「ではその様に。 明日からは力山を頭に杉の山に向かう」

厩番が居なくなるというのは気にもなるが今は致し方ない。 その分、享沙に動いてもらうしかない。 杠もそう考えているだろう。 それに力山である京也ならやさぐれ者を引っ張って行ける。

「承知しました」

すぐに踵を返した。 京也の前任の厩番はもう働き先を見つけているだろうか。 そうでないのなら、元に戻ってもらわなければ夢見が悪い。



木箱の上で膝を抱え夜空を見上げている。 もう日課になっていると言ってもいい。
あの時、塔弥が葉月の涙を拭いた。 あれからは少し葉月が丸くなった。
葉月にしてみればまだまだ合格のラインには遠いが、それでも塔弥の性格を考えると上出来かとあの程度でも譲ることにした。
結局両手で頬の涙を拭いてくれただけだったが。

「マツリ様こないね・・・」

「ああ」

葉月の隣に座る塔弥が頷く。

あの日、紫揺の泣く声が聞こえなくなり暫くすると部屋の中から葉月が呼ばれた。
葉月が入ってみると、抱きかかえられたマツリの腕の中で泣き疲れたのだろう、紫揺が眠ってしまっていた。
紫揺の泣く声はお付きたちの部屋まで届かなかった様でお付きたちからは何も訊かれていない。 そして塔弥も葉月も気付いていないが、この二人の関係も未だに言及されていない。

「・・・知らなかった。 紫さまがあんなに苦しんでいらっしゃったなんて」

「俺もだ。 誰もそうだ」

この事をお付きたちにも分かってもらわなければいけないが、それを言うにはどうしてそれを知ったのかを言わなければいけない。
到底言えるものではない。 マツリが領主に紫揺のことを言うまでは。

「葉月・・・傷つけたな」

葉月が塔弥を見る。

「俺が葉月に頼まなければ葉月が知ることは無かった」

塔弥は前だけを見ている。
葉月が顔を戻す。

「・・・傷なんかついてない。 ついてるけど。 でもこれは塔弥のせいじゃない。 それに私が居なかったらどうなってたと思う?」

「え・・・」

塔弥が葉月を見たと同時に葉月も塔弥を見た。

「紫さまは想い人を逃すところだった。 そうじゃない?」

紫揺がマツリのことを想っていると、よくよく分からせたのは葉月だ。 葉月が居なくともマツリが推し進めたかもしれないし、紫揺も遅ればせながら気づいたかもしれない。 でもその時には遅かった、ということになっていたかもしれなかった。 紫揺が男漁りをすると言っていたのだから。

「そうだな」

塔弥が僅かな笑みを見せると二人でもう一度夜空を見上げる。

「紫さまも頑張って下さってる」

まるで何も無かったかのように日々暮らしている。 以前のように憂いなど見せていない。

「マツリ様、仰っておられたね。 東の領土から紫さまを取り上げないって」

「ああ」

「どういうことだろうね」

「ああ」

葉月の眉がピクピクと動く。

「塔弥、なに? その気のない返事」

塔弥を睨みつける葉月を一度見ると前を見る。

「・・・気が無いわけじゃない。 俺だって紫さまのことを考えている。 でも・・・」

「でも、なに?」

「紫さまのことはマツリ様が来て下さらなければ、どうにもならない」

紫揺自身にもそうだが、塔弥は領主やお付きたちに言っていない事を未だに言うことが出来ていない。
阿秀にしてもそうだ。 あの日、何があったのかを訊いてこない。 以前、此之葉ではなく葉月に紫揺と話させる、そう言ったのを含んで分かってくれているのだろうが。

「でも・・・葉月のことは。 葉月が傷ついているんじゃないかってことは・・・」

「だから、それはさっき言ったじゃない」

塔弥が首を項垂れる。

「なに? 巻き込んじゃったとかそんな風に思ってるの?」

心外だ。
だったら・・・

「ご褒美ちょうだい」

褒美? 突然にどう言う意味だ? 塔弥が顔を上げて葉月を見る。

「さっき言ったよね。 私が紫さまの想い人を逃させなかったって」

塔弥が頷く。

「そのご褒美」

そう言って左の頬を人差し指で二度ツンツンとする。

「で、塔弥が私のことを巻き込んじゃったとか、そんな風に思って悪いと思ってるんなら心外。 それを謝って」

今度は右の頬をさっきと同じように二度ツンツンとした。
葉月が何を言っているのか・・・分かった。

「葉月・・・」

「どっち?」

夜空を雲が流れて行く。 上空では風があるようだ。

塔弥の右手が伸びて葉月の左頬を覆った。

右か・・・謝るのか・・・。 でも、それでも塔弥にしては上等ではないか。 頬に口付けるのだから。 催促しなければいけないというのは女子として少々悲しいが。
右の頬に・・・。
え・・・。
唇が離れた。

「どっちもだから」

「塔弥・・・」

夜の闇の中で二つの影が蠢いた。 その影が足音を消して足早に部屋に戻っていく。

「あ―――!?」

「どういうことだよ!」

「いや、だから、塔弥が葉月にキスした」

「どこに!」

「だから! 口に決まってんだろ!」

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