『国津道(くにつみち)』 目次
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- 国津道(くにつみち)- 第21回
コラム式のギヤが入れられるとアクセルが踏まれ、ステアリングが軽く右に回される。
「兄さんもお嬢さんもこの土地の人じゃないですよね。 出身でもないですよね?」
この土地出身であるのならば家の者が車で迎えに来る。 そしてこの土地でない者がタクシーに乗る行き先は病院や学校と殆どしれている。 だがこの二人はそのしれている行き先ではない山に行くと言う。 それも山道の途中で車を停めるようにと言う。
この田舎の土地の人間ではないことは確かなのだが、どうして山なのだろうか、どうしてあの山なのだろうか。
浅香と詩甫が目を合わせる。 二人にはそれなりに人に言えないことがある。
「はい」
浅香が答え詩甫が頷く。
「それなのにどうしてあの山に? ああ、答えたくなければいいですよ」
客のあれこれを無理矢理訊くことは、己の運ちゃん道から外れているからと付け足す。
だが浅香は答えた。
この運ちゃんは『この土地の人じゃないですよね』 とさっき言った。 と言うことは運ちゃんはこの土地の人間であろう。 であれば社に関して何か切っ掛けのようなものを知っていればと思ったからだ。
「あの山の中にあるお社に行ってるんです」
「社?」
運転手がルームミラーに映る詩甫を見るとその詩甫が頷いている。
「社に・・・何をしに? ああ、いや、お参りですか?」
『お参りですか?』 それはどういうことだ、あの社にお参り? 神が祀られているのではないのに。 ああいや、それを今のこの土地に住んでいる者が知っているはずはない。 社とみれば神様が祀られていると思ってもおかしくはないだろう。 だから社と言えばお参りと思うだろうが、知っていればあの朽ちた社をどうにかしていてもいいはずなのに。
だがそう考えるとおかしい。 どうして最初に『何をしに』 と訊いたのだろうか。
「ええ、まあ」
「この土地でない者があの社に行って、どんなご利益があるかなんて訊きませんが、何があるんです?」
訊かないと言っておきながら訊いている。
「運転手さんはこの土地の人ですか?」
浅香が運転手の問いに答えることなく反対に問い返した。
浅香が何か情報を集めようとしているのかもしれない。 この場は浅香に任せようと詩甫が浅香を見て頷く。
「ええ、ずーっとここです」
社のある山の裾野から少し離れた駅。 この運転手の家が何処にあるのかは分からないが、この土地の人間だということはそう離れてはいないだろう。
運転手の言う『ずーっと』 とは、この運転手だけのことか、それとも先祖代々ということか。 だとしても先祖代々が住んでいたのは千年以上も前からではないかもしれない。 だが社のことを知っている。
山の中に入り社に行くまでには草がぼうぼうに生えていた。 それはそこに誰も足を踏み入れていなかったということ。 社のことを知っていて社に行かなかったということ。
「社のことを御存知ですよね?」
さっきの言いようでは社があるのを知っていると言っていたようなもの。 否、とは言えないだろう。
「ええ、まぁ・・・」
どうして濁すのだろうか。
「紅葉姫社、っていうのもご存知ですか?」
「はぁ・・・」
「社には神ではなく朱葉姫が祀られていることも?」
驚いてルームミラーを見るが、そこには詩甫しか映っていない。 その詩甫は俯いている。
朱葉姫の名前が書かれたものは、風雨でもぎ取られて既にないだろうと聞いている。 それは何十年も前からなのか、それ以上前なのかは知らない。 運転手さえ、運転手の祖父母さえそれを見たことが無いのだから。
「お客さん、どうしてそれを?」
知っていたのか、神ではなく朱葉姫が祀られていると。 何百年と誰も足を運ばなかった社なのに。 どうしてなのだろうか。
「色々あって知っているだけです」
質問をすぐにも続けたかったが、さっきの運転手の質問に答えなかった。 運転手の受け答えがおかしい。 あまり答えることなく質問ばかりしても運転手のストレスになるだろう。 そうなれば訊きたいことを教えてもらえないかもしれない。
「色々・・・?」
「ええ、ネットで調べたり」
そういう事か、と運転手が得たように頷く。 今どきはそういう手があることは知っている。 自分は出来ないが。
「ふーん、調べて・・・社に来たと? またどうして?」
「僕たち大学の頃に社サークルってのに入っていまして。 ここに来るようになった切っ掛けは在学中の後輩から此処のことを聞いたんです。 後輩が色々調べたらしいんですけど何も分からないと言っていまして。 で、僕が興味を持って何度かここに来ていた時に彼女と卒業以来に出会いましてね、若かりし頃を思い出してサークルの続きをやらないかと誘ったんですよ」
よく次から次に作り話が出てくるものだと驚いた顔をしたかと思うと、次は笑いを堪えるのに唇をぎゅっと結んだ詩甫である。
今の浅香の話では、高卒の詩甫は大学に入っていて、社サークルという所に所属していた。 そして多分、詩甫のことを後輩とは言っていないが、浅香が先輩だということであろう。 運転手と何かを話した時に話を合わせねばならない。 頭の中にその偽情報を書き込む。
「若かりし頃って、わたしから見ればまだまだ若いと思いますがねー」
社サークルという怪しい文言には引っかからなかったようだ。
「ま、運転手さんよりはね。 でも当時のフットワークはありませんよ。 あちこちに聞きに回るということが出来なくて調べるのはここに来る以外はネットです。 色々検索をかけたんですけどね、今分かっている以上のことが分からなくて。 運転手さん何かご存知ですか?」
「まぁねぇ、お社ですからねぇ、粗末には出来ないと思うんですけどね。 それでもみんな昔語りを信じているようなところがありましてね、まぁ、分からなくもないんですよ。 どこの家の子も祖父母と両親から、社には行くなときつく言われてますから」
社に行くな? どういうことだ。
今にも突っ込んで訊きたいことはある。 だが焦って運転手の口を重くさせてしまっては元も子もない。
「運転手さんは行ったことは?」
お社だから粗末には出来ないと言っていた。 一度でも見に行ったのだろうか。
運転手が首を左右に振る。
「産土(うぶすな)神社にお参りするだけです」
運転手がこの地域の何処で生まれ何処で暮らしているのかは分からないが、少なくともこの運転手の地域には神社があるらしい。 どの時代に建てられたのかは知らないが。 だが産土神社にお参りすると言うのに『粗末にできない』 と言った紅葉姫社には行かないと言う。 それはどうしてだろうか。
運転手は最初、詩甫と浅香二人だけをタクシーに乗せた。 それもあの社がある山の中に入るような服装ではない姿の時に。 次には祐樹が居た。 祐樹が詩甫のことを『姉ちゃん』 と言っていた。 彼氏に姉を取られまいとでもいうように。 そして今回が三度目。
ふと運転手が考えた。
この兄さんは遺跡や神殿、仏閣、そんなものを研究しているようには見えない。 これは兄さんの趣味なのではないであろうか。 社サークルとかいう延長上に居るだけ。 大学時代の事に息を吹き返しただけだろう。
それを切っ掛けに彼氏彼女になった彼女であるお嬢さんが付き合わされている。 いや、無理矢理ではなさそうだ。 卒業以来に出会ったと言っていたが、それはきっと兄さんの卒業以来なのだろう。 このお嬢さんは後輩なのだろう。 この彼女も・・・いや、彼女と決まったわけではないのだった。 このお嬢さんもそのサークルに入っていたというのだから。
同じ趣味を持った二人が神社を調べて親交を深めていくのだろうか。 その手助けをするのはやぶさかではないが、それにしても他の神社にすればよいものを。
「では今のあのお社のことはあまりご存じない。 その昔語りというのは?」
「・・・そうだなぁ。 昔語りと言っても、これは昔話し過ぎて信じられないかもしれないけど・・・」
「教えてください」
運転手がルームミラーを見ると、詩甫が顔を上げたのが見えた。
やはりサークルに入っていたというだけあって、お嬢さんも大きく興味があるようだ。 ん? と一瞬疑問に思った。 社サークルって・・・具体的に何だ? 何をしているんだろうか、とは思ったが口がもう開いてしまっていた。
「あの社には大蛇が居ると言われているんですよ」
「大蛇?」
蛇は神の化身とも言われているし、遣いとも言われている。 蛇が龍の姿になっている神社もある。
龍は川の流れでもあるのに蛇とごったにされている所もある。
運転手が苦い顔を作る。
「運転手さん?」
「ああ、いや。 何でもありません」
「その大蛇が居るから誰も社にはいかないんですか?」
そんなことを訊きたいのではない。 その大蛇とは何か、それを訊きたかったが、迂遠に訊くのが良いだろう。 タクシーに乗っている時間には制限があるが。
「昔語りですから」
逸らされた。
「その昔語りを教えて頂けませんか? 彼女もあの社を気にいってまして」
あと少しで山道に入る。 運転手がルームミラーで詩甫を見る。 その詩甫が運転手を見て微笑み頷いた。
垢ぬけてグラビアで見るような別嬪(べっぴん)さんなら、その笑みにイチコロで全ての問いに答えるだろうが、特に別嬪さんではない。 だが・・・菩薩のような雰囲気を持っている。
「あの社は・・・」
覚悟を決めたように運転手が口を開く。
あの社に禍々しい蛇がとぐろを巻いていると。
運ちゃんが大きく左にハンドルを切る。 これから山に入る。
「大蛇と言うのは、どうかと思うんですけどね」
「どういう事でしょうか?」
「あくまでも昔話、昔語りですからよくは分かりませんが・・・」
運ちゃんの祖父母の代から言われている昔語りであった。 いや、祖父母の代よりずっと前からだと言う。
社には大蛇がとぐろを巻いて社に手を合わせようものなら睨みつけられる。 社を修繕しようものなら不幸が起きる。
祖父母の時代に何を見て何をされたわけでもない。 その時代には既に昔語りとして言われていて祖父母もあの社には行っていないという。 だから祖父母も両親も自分も何をされたわけでもない。 もちろん話し伝えた子供も孫も。
「社にとぐろを巻いているって言うんですよ? それも大蛇が。 そんなものを目の当たりにして誰が手を合わせます?」
言われればそうだ。
手を合わせるどころか、大蛇に睨まれる前に退散するだろう。
「だから “例え” そうじゃないかと思うんですよ。 睨まれる気がする、それを蛇の目、社にとぐろを巻く大蛇、そう例えたんではないかと思うんですよ」
「社を修繕しようものなら、っていうのは?」
「それを大蛇のせいにするのもどうかと、ね。 昔語りですから、何がどうなってなんてことは分かりませんが、何度も修繕しようとしたわけじゃなく、一度か二度やってみて不幸が起きたってとこじゃないですかねぇ。 偶然じゃないのかなぁ、ってね」
「その大蛇っていうのに対して何か謂(いわ)れはないんですか?」
「・・・お婆、っていうのが昔に居たって話です」
「お婆?」
浅香がわざと声に出した。 対面に座っていれば、頷くことで終わっただろうが、浅香は助手席の後ろに座っている。 頷いたところで運転手には見えない。 だがそれが良かったのか、運転手がお婆の説明をしだした。
「何時の時代かは分かりませんがね、お婆が言うには女が睨まれる、そう言っていたそうですよ」
詩甫と浅香が目を合わせた。
あの社で怪異なことがあったのは・・・視線を感じたのは詩甫だけである。 ましてや意味不明な出血もあった。
「睨まれるのは女性だけということですか。 それはどうしてでしょう」
「そこまでは知りませんけど・・・。 その大蛇ってのが元女だったんじゃないですか? ほら、昔話で女が蛇に化身するってのがよくあるでしょ? それと同じなんじゃないかな、ってね」
車一台しか走れない、適当に敷かれたアスファルトの道を走る。 時おり道幅が広くなる、そこが対向車とのすれ違いの場所。
「情念ですか」
恋焦がれた男。 その男に他の女を寄せ付けない、その為に蛇になった。
「さぁ、そこまでは分かりませんけどね。 だがあの社は紅葉姫社。 祀られているのは朱葉姫。 それを思うとその大蛇が元女としたら、どんな情念があったのかは分かりませんね。 どうして元女が姫の祀られる社にとぐろを巻いているのかもね」
姫でなく殿が祀られているのならその殿に恋をしていた女だろう。 殿を誰にも渡したくないと、参りに来て手を合わせた女を目の敵にさえするだろう。
だが・・・祀られているのは殿ではない。
それに今の話しようでは方向を変えて見ると、社にとぐろを巻いた大蛇は社を守っているようにも聞こえる。
社を守る朱葉姫が大蛇と間違えられているのだろうか。 いや、朱葉姫が誰かを睨むようなことは無いだろう。
「あの社で祭りがあったなんて話はありませんでしたか?」
祭りの話しが伝えられているのならば、この昔語りと言うのは百年や二百年ではなくかなり前になるはず。 それこそ瀞謝より前になる。
「え?」
運転手の『え?』 は、どう思ってのことだろうか。 取り敢えず言い訳をする。
「あ、ほら、僕たち社サークルですから、社と言えば祭りですから。 祭の内容から色んな年代が分かったりしますので」
「ああ、そういうこと。 ビックリしたよ、兄さんが調べてあの社で祭りがあったのかと思っちゃった」
「では昔語りには無いと?」
「無いね」
ブレーキがゆっくりと踏まれる。 山に上がる道についたのだ。
運転手の話は山に入る少し前から始まった。 大体、いつも十分ほど乗っている。 十分間の会話だったのか、それとも今回は運転に集中できない話もあってスピードを緩め、それ以上乗っていたのか。 それでもせいぜい十五分だろう。
詩甫がチラリと浅香を見る。 話を終わらせていいのか、と言う目だった。
ドアが自動で開かれる。 浅香が詩甫に軽く頷いてタクシーを降りた。 タクシーの運ちゃんは浅香の頷きを払っておいてくれと受け取ったようだ。
「ちゃんと順番にしてるんですね」
「運転手さんが言って下さったお蔭です」
後ろから詩甫によって差し出された札を運転手が受け取り、お釣りを数えながら詩甫に話しかける。
「お嬢さん、睨まれなかった?」
微笑んだ詩甫が首を縦に振り「はい」と答えた。
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コラム式のギヤが入れられるとアクセルが踏まれ、ステアリングが軽く右に回される。
「兄さんもお嬢さんもこの土地の人じゃないですよね。 出身でもないですよね?」
この土地出身であるのならば家の者が車で迎えに来る。 そしてこの土地でない者がタクシーに乗る行き先は病院や学校と殆どしれている。 だがこの二人はそのしれている行き先ではない山に行くと言う。 それも山道の途中で車を停めるようにと言う。
この田舎の土地の人間ではないことは確かなのだが、どうして山なのだろうか、どうしてあの山なのだろうか。
浅香と詩甫が目を合わせる。 二人にはそれなりに人に言えないことがある。
「はい」
浅香が答え詩甫が頷く。
「それなのにどうしてあの山に? ああ、答えたくなければいいですよ」
客のあれこれを無理矢理訊くことは、己の運ちゃん道から外れているからと付け足す。
だが浅香は答えた。
この運ちゃんは『この土地の人じゃないですよね』 とさっき言った。 と言うことは運ちゃんはこの土地の人間であろう。 であれば社に関して何か切っ掛けのようなものを知っていればと思ったからだ。
「あの山の中にあるお社に行ってるんです」
「社?」
運転手がルームミラーに映る詩甫を見るとその詩甫が頷いている。
「社に・・・何をしに? ああ、いや、お参りですか?」
『お参りですか?』 それはどういうことだ、あの社にお参り? 神が祀られているのではないのに。 ああいや、それを今のこの土地に住んでいる者が知っているはずはない。 社とみれば神様が祀られていると思ってもおかしくはないだろう。 だから社と言えばお参りと思うだろうが、知っていればあの朽ちた社をどうにかしていてもいいはずなのに。
だがそう考えるとおかしい。 どうして最初に『何をしに』 と訊いたのだろうか。
「ええ、まあ」
「この土地でない者があの社に行って、どんなご利益があるかなんて訊きませんが、何があるんです?」
訊かないと言っておきながら訊いている。
「運転手さんはこの土地の人ですか?」
浅香が運転手の問いに答えることなく反対に問い返した。
浅香が何か情報を集めようとしているのかもしれない。 この場は浅香に任せようと詩甫が浅香を見て頷く。
「ええ、ずーっとここです」
社のある山の裾野から少し離れた駅。 この運転手の家が何処にあるのかは分からないが、この土地の人間だということはそう離れてはいないだろう。
運転手の言う『ずーっと』 とは、この運転手だけのことか、それとも先祖代々ということか。 だとしても先祖代々が住んでいたのは千年以上も前からではないかもしれない。 だが社のことを知っている。
山の中に入り社に行くまでには草がぼうぼうに生えていた。 それはそこに誰も足を踏み入れていなかったということ。 社のことを知っていて社に行かなかったということ。
「社のことを御存知ですよね?」
さっきの言いようでは社があるのを知っていると言っていたようなもの。 否、とは言えないだろう。
「ええ、まぁ・・・」
どうして濁すのだろうか。
「紅葉姫社、っていうのもご存知ですか?」
「はぁ・・・」
「社には神ではなく朱葉姫が祀られていることも?」
驚いてルームミラーを見るが、そこには詩甫しか映っていない。 その詩甫は俯いている。
朱葉姫の名前が書かれたものは、風雨でもぎ取られて既にないだろうと聞いている。 それは何十年も前からなのか、それ以上前なのかは知らない。 運転手さえ、運転手の祖父母さえそれを見たことが無いのだから。
「お客さん、どうしてそれを?」
知っていたのか、神ではなく朱葉姫が祀られていると。 何百年と誰も足を運ばなかった社なのに。 どうしてなのだろうか。
「色々あって知っているだけです」
質問をすぐにも続けたかったが、さっきの運転手の質問に答えなかった。 運転手の受け答えがおかしい。 あまり答えることなく質問ばかりしても運転手のストレスになるだろう。 そうなれば訊きたいことを教えてもらえないかもしれない。
「色々・・・?」
「ええ、ネットで調べたり」
そういう事か、と運転手が得たように頷く。 今どきはそういう手があることは知っている。 自分は出来ないが。
「ふーん、調べて・・・社に来たと? またどうして?」
「僕たち大学の頃に社サークルってのに入っていまして。 ここに来るようになった切っ掛けは在学中の後輩から此処のことを聞いたんです。 後輩が色々調べたらしいんですけど何も分からないと言っていまして。 で、僕が興味を持って何度かここに来ていた時に彼女と卒業以来に出会いましてね、若かりし頃を思い出してサークルの続きをやらないかと誘ったんですよ」
よく次から次に作り話が出てくるものだと驚いた顔をしたかと思うと、次は笑いを堪えるのに唇をぎゅっと結んだ詩甫である。
今の浅香の話では、高卒の詩甫は大学に入っていて、社サークルという所に所属していた。 そして多分、詩甫のことを後輩とは言っていないが、浅香が先輩だということであろう。 運転手と何かを話した時に話を合わせねばならない。 頭の中にその偽情報を書き込む。
「若かりし頃って、わたしから見ればまだまだ若いと思いますがねー」
社サークルという怪しい文言には引っかからなかったようだ。
「ま、運転手さんよりはね。 でも当時のフットワークはありませんよ。 あちこちに聞きに回るということが出来なくて調べるのはここに来る以外はネットです。 色々検索をかけたんですけどね、今分かっている以上のことが分からなくて。 運転手さん何かご存知ですか?」
「まぁねぇ、お社ですからねぇ、粗末には出来ないと思うんですけどね。 それでもみんな昔語りを信じているようなところがありましてね、まぁ、分からなくもないんですよ。 どこの家の子も祖父母と両親から、社には行くなときつく言われてますから」
社に行くな? どういうことだ。
今にも突っ込んで訊きたいことはある。 だが焦って運転手の口を重くさせてしまっては元も子もない。
「運転手さんは行ったことは?」
お社だから粗末には出来ないと言っていた。 一度でも見に行ったのだろうか。
運転手が首を左右に振る。
「産土(うぶすな)神社にお参りするだけです」
運転手がこの地域の何処で生まれ何処で暮らしているのかは分からないが、少なくともこの運転手の地域には神社があるらしい。 どの時代に建てられたのかは知らないが。 だが産土神社にお参りすると言うのに『粗末にできない』 と言った紅葉姫社には行かないと言う。 それはどうしてだろうか。
運転手は最初、詩甫と浅香二人だけをタクシーに乗せた。 それもあの社がある山の中に入るような服装ではない姿の時に。 次には祐樹が居た。 祐樹が詩甫のことを『姉ちゃん』 と言っていた。 彼氏に姉を取られまいとでもいうように。 そして今回が三度目。
ふと運転手が考えた。
この兄さんは遺跡や神殿、仏閣、そんなものを研究しているようには見えない。 これは兄さんの趣味なのではないであろうか。 社サークルとかいう延長上に居るだけ。 大学時代の事に息を吹き返しただけだろう。
それを切っ掛けに彼氏彼女になった彼女であるお嬢さんが付き合わされている。 いや、無理矢理ではなさそうだ。 卒業以来に出会ったと言っていたが、それはきっと兄さんの卒業以来なのだろう。 このお嬢さんは後輩なのだろう。 この彼女も・・・いや、彼女と決まったわけではないのだった。 このお嬢さんもそのサークルに入っていたというのだから。
同じ趣味を持った二人が神社を調べて親交を深めていくのだろうか。 その手助けをするのはやぶさかではないが、それにしても他の神社にすればよいものを。
「では今のあのお社のことはあまりご存じない。 その昔語りというのは?」
「・・・そうだなぁ。 昔語りと言っても、これは昔話し過ぎて信じられないかもしれないけど・・・」
「教えてください」
運転手がルームミラーを見ると、詩甫が顔を上げたのが見えた。
やはりサークルに入っていたというだけあって、お嬢さんも大きく興味があるようだ。 ん? と一瞬疑問に思った。 社サークルって・・・具体的に何だ? 何をしているんだろうか、とは思ったが口がもう開いてしまっていた。
「あの社には大蛇が居ると言われているんですよ」
「大蛇?」
蛇は神の化身とも言われているし、遣いとも言われている。 蛇が龍の姿になっている神社もある。
龍は川の流れでもあるのに蛇とごったにされている所もある。
運転手が苦い顔を作る。
「運転手さん?」
「ああ、いや。 何でもありません」
「その大蛇が居るから誰も社にはいかないんですか?」
そんなことを訊きたいのではない。 その大蛇とは何か、それを訊きたかったが、迂遠に訊くのが良いだろう。 タクシーに乗っている時間には制限があるが。
「昔語りですから」
逸らされた。
「その昔語りを教えて頂けませんか? 彼女もあの社を気にいってまして」
あと少しで山道に入る。 運転手がルームミラーで詩甫を見る。 その詩甫が運転手を見て微笑み頷いた。
垢ぬけてグラビアで見るような別嬪(べっぴん)さんなら、その笑みにイチコロで全ての問いに答えるだろうが、特に別嬪さんではない。 だが・・・菩薩のような雰囲気を持っている。
「あの社は・・・」
覚悟を決めたように運転手が口を開く。
あの社に禍々しい蛇がとぐろを巻いていると。
運ちゃんが大きく左にハンドルを切る。 これから山に入る。
「大蛇と言うのは、どうかと思うんですけどね」
「どういう事でしょうか?」
「あくまでも昔話、昔語りですからよくは分かりませんが・・・」
運ちゃんの祖父母の代から言われている昔語りであった。 いや、祖父母の代よりずっと前からだと言う。
社には大蛇がとぐろを巻いて社に手を合わせようものなら睨みつけられる。 社を修繕しようものなら不幸が起きる。
祖父母の時代に何を見て何をされたわけでもない。 その時代には既に昔語りとして言われていて祖父母もあの社には行っていないという。 だから祖父母も両親も自分も何をされたわけでもない。 もちろん話し伝えた子供も孫も。
「社にとぐろを巻いているって言うんですよ? それも大蛇が。 そんなものを目の当たりにして誰が手を合わせます?」
言われればそうだ。
手を合わせるどころか、大蛇に睨まれる前に退散するだろう。
「だから “例え” そうじゃないかと思うんですよ。 睨まれる気がする、それを蛇の目、社にとぐろを巻く大蛇、そう例えたんではないかと思うんですよ」
「社を修繕しようものなら、っていうのは?」
「それを大蛇のせいにするのもどうかと、ね。 昔語りですから、何がどうなってなんてことは分かりませんが、何度も修繕しようとしたわけじゃなく、一度か二度やってみて不幸が起きたってとこじゃないですかねぇ。 偶然じゃないのかなぁ、ってね」
「その大蛇っていうのに対して何か謂(いわ)れはないんですか?」
「・・・お婆、っていうのが昔に居たって話です」
「お婆?」
浅香がわざと声に出した。 対面に座っていれば、頷くことで終わっただろうが、浅香は助手席の後ろに座っている。 頷いたところで運転手には見えない。 だがそれが良かったのか、運転手がお婆の説明をしだした。
「何時の時代かは分かりませんがね、お婆が言うには女が睨まれる、そう言っていたそうですよ」
詩甫と浅香が目を合わせた。
あの社で怪異なことがあったのは・・・視線を感じたのは詩甫だけである。 ましてや意味不明な出血もあった。
「睨まれるのは女性だけということですか。 それはどうしてでしょう」
「そこまでは知りませんけど・・・。 その大蛇ってのが元女だったんじゃないですか? ほら、昔話で女が蛇に化身するってのがよくあるでしょ? それと同じなんじゃないかな、ってね」
車一台しか走れない、適当に敷かれたアスファルトの道を走る。 時おり道幅が広くなる、そこが対向車とのすれ違いの場所。
「情念ですか」
恋焦がれた男。 その男に他の女を寄せ付けない、その為に蛇になった。
「さぁ、そこまでは分かりませんけどね。 だがあの社は紅葉姫社。 祀られているのは朱葉姫。 それを思うとその大蛇が元女としたら、どんな情念があったのかは分かりませんね。 どうして元女が姫の祀られる社にとぐろを巻いているのかもね」
姫でなく殿が祀られているのならその殿に恋をしていた女だろう。 殿を誰にも渡したくないと、参りに来て手を合わせた女を目の敵にさえするだろう。
だが・・・祀られているのは殿ではない。
それに今の話しようでは方向を変えて見ると、社にとぐろを巻いた大蛇は社を守っているようにも聞こえる。
社を守る朱葉姫が大蛇と間違えられているのだろうか。 いや、朱葉姫が誰かを睨むようなことは無いだろう。
「あの社で祭りがあったなんて話はありませんでしたか?」
祭りの話しが伝えられているのならば、この昔語りと言うのは百年や二百年ではなくかなり前になるはず。 それこそ瀞謝より前になる。
「え?」
運転手の『え?』 は、どう思ってのことだろうか。 取り敢えず言い訳をする。
「あ、ほら、僕たち社サークルですから、社と言えば祭りですから。 祭の内容から色んな年代が分かったりしますので」
「ああ、そういうこと。 ビックリしたよ、兄さんが調べてあの社で祭りがあったのかと思っちゃった」
「では昔語りには無いと?」
「無いね」
ブレーキがゆっくりと踏まれる。 山に上がる道についたのだ。
運転手の話は山に入る少し前から始まった。 大体、いつも十分ほど乗っている。 十分間の会話だったのか、それとも今回は運転に集中できない話もあってスピードを緩め、それ以上乗っていたのか。 それでもせいぜい十五分だろう。
詩甫がチラリと浅香を見る。 話を終わらせていいのか、と言う目だった。
ドアが自動で開かれる。 浅香が詩甫に軽く頷いてタクシーを降りた。 タクシーの運ちゃんは浅香の頷きを払っておいてくれと受け取ったようだ。
「ちゃんと順番にしてるんですね」
「運転手さんが言って下さったお蔭です」
後ろから詩甫によって差し出された札を運転手が受け取り、お釣りを数えながら詩甫に話しかける。
「お嬢さん、睨まれなかった?」
微笑んだ詩甫が首を縦に振り「はい」と答えた。