大福 りす の 隠れ家

小説を書いたり 気になったことなど を書いています。
お暇な時にお寄りください。

国津道  第21回

2021年03月29日 22時25分43秒 | 小説
『国津道(くにつみち)』 目次


『国津道』 第1回から第10回までの目次は以下の 『国津道』リンクページ からお願いいたします。


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- 国津道(くにつみち)-  第21回



コラム式のギヤが入れられるとアクセルが踏まれ、ステアリングが軽く右に回される。

「兄さんもお嬢さんもこの土地の人じゃないですよね。 出身でもないですよね?」

この土地出身であるのならば家の者が車で迎えに来る。 そしてこの土地でない者がタクシーに乗る行き先は病院や学校と殆どしれている。 だがこの二人はそのしれている行き先ではない山に行くと言う。 それも山道の途中で車を停めるようにと言う。
この田舎の土地の人間ではないことは確かなのだが、どうして山なのだろうか、どうしてあの山なのだろうか。

浅香と詩甫が目を合わせる。 二人にはそれなりに人に言えないことがある。

「はい」

浅香が答え詩甫が頷く。

「それなのにどうしてあの山に? ああ、答えたくなければいいですよ」

客のあれこれを無理矢理訊くことは、己の運ちゃん道から外れているからと付け足す。
だが浅香は答えた。

この運ちゃんは『この土地の人じゃないですよね』 とさっき言った。 と言うことは運ちゃんはこの土地の人間であろう。 であれば社に関して何か切っ掛けのようなものを知っていればと思ったからだ。

「あの山の中にあるお社に行ってるんです」

「社?」

運転手がルームミラーに映る詩甫を見るとその詩甫が頷いている。

「社に・・・何をしに? ああ、いや、お参りですか?」

『お参りですか?』 それはどういうことだ、あの社にお参り? 神が祀られているのではないのに。 ああいや、それを今のこの土地に住んでいる者が知っているはずはない。 社とみれば神様が祀られていると思ってもおかしくはないだろう。 だから社と言えばお参りと思うだろうが、知っていればあの朽ちた社をどうにかしていてもいいはずなのに。
だがそう考えるとおかしい。 どうして最初に『何をしに』 と訊いたのだろうか。

「ええ、まあ」

「この土地でない者があの社に行って、どんなご利益があるかなんて訊きませんが、何があるんです?」

訊かないと言っておきながら訊いている。

「運転手さんはこの土地の人ですか?」

浅香が運転手の問いに答えることなく反対に問い返した。
浅香が何か情報を集めようとしているのかもしれない。 この場は浅香に任せようと詩甫が浅香を見て頷く。

「ええ、ずーっとここです」

社のある山の裾野から少し離れた駅。 この運転手の家が何処にあるのかは分からないが、この土地の人間だということはそう離れてはいないだろう。

運転手の言う『ずーっと』 とは、この運転手だけのことか、それとも先祖代々ということか。 だとしても先祖代々が住んでいたのは千年以上も前からではないかもしれない。 だが社のことを知っている。

山の中に入り社に行くまでには草がぼうぼうに生えていた。 それはそこに誰も足を踏み入れていなかったということ。 社のことを知っていて社に行かなかったということ。

「社のことを御存知ですよね?」

さっきの言いようでは社があるのを知っていると言っていたようなもの。 否、とは言えないだろう。

「ええ、まぁ・・・」

どうして濁すのだろうか。

「紅葉姫社、っていうのもご存知ですか?」

「はぁ・・・」

「社には神ではなく朱葉姫が祀られていることも?」

驚いてルームミラーを見るが、そこには詩甫しか映っていない。 その詩甫は俯いている。
朱葉姫の名前が書かれたものは、風雨でもぎ取られて既にないだろうと聞いている。 それは何十年も前からなのか、それ以上前なのかは知らない。 運転手さえ、運転手の祖父母さえそれを見たことが無いのだから。

「お客さん、どうしてそれを?」

知っていたのか、神ではなく朱葉姫が祀られていると。 何百年と誰も足を運ばなかった社なのに。 どうしてなのだろうか。

「色々あって知っているだけです」

質問をすぐにも続けたかったが、さっきの運転手の質問に答えなかった。 運転手の受け答えがおかしい。 あまり答えることなく質問ばかりしても運転手のストレスになるだろう。 そうなれば訊きたいことを教えてもらえないかもしれない。

「色々・・・?」

「ええ、ネットで調べたり」

そういう事か、と運転手が得たように頷く。 今どきはそういう手があることは知っている。 自分は出来ないが。

「ふーん、調べて・・・社に来たと? またどうして?」

「僕たち大学の頃に社サークルってのに入っていまして。 ここに来るようになった切っ掛けは在学中の後輩から此処のことを聞いたんです。 後輩が色々調べたらしいんですけど何も分からないと言っていまして。 で、僕が興味を持って何度かここに来ていた時に彼女と卒業以来に出会いましてね、若かりし頃を思い出してサークルの続きをやらないかと誘ったんですよ」

よく次から次に作り話が出てくるものだと驚いた顔をしたかと思うと、次は笑いを堪えるのに唇をぎゅっと結んだ詩甫である。

今の浅香の話では、高卒の詩甫は大学に入っていて、社サークルという所に所属していた。 そして多分、詩甫のことを後輩とは言っていないが、浅香が先輩だということであろう。 運転手と何かを話した時に話を合わせねばならない。 頭の中にその偽情報を書き込む。

「若かりし頃って、わたしから見ればまだまだ若いと思いますがねー」

社サークルという怪しい文言には引っかからなかったようだ。

「ま、運転手さんよりはね。 でも当時のフットワークはありませんよ。 あちこちに聞きに回るということが出来なくて調べるのはここに来る以外はネットです。 色々検索をかけたんですけどね、今分かっている以上のことが分からなくて。 運転手さん何かご存知ですか?」

「まぁねぇ、お社ですからねぇ、粗末には出来ないと思うんですけどね。 それでもみんな昔語りを信じているようなところがありましてね、まぁ、分からなくもないんですよ。 どこの家の子も祖父母と両親から、社には行くなときつく言われてますから」

社に行くな? どういうことだ。
今にも突っ込んで訊きたいことはある。 だが焦って運転手の口を重くさせてしまっては元も子もない。

「運転手さんは行ったことは?」

お社だから粗末には出来ないと言っていた。 一度でも見に行ったのだろうか。
運転手が首を左右に振る。

「産土(うぶすな)神社にお参りするだけです」

運転手がこの地域の何処で生まれ何処で暮らしているのかは分からないが、少なくともこの運転手の地域には神社があるらしい。 どの時代に建てられたのかは知らないが。 だが産土神社にお参りすると言うのに『粗末にできない』 と言った紅葉姫社には行かないと言う。 それはどうしてだろうか。

運転手は最初、詩甫と浅香二人だけをタクシーに乗せた。 それもあの社がある山の中に入るような服装ではない姿の時に。 次には祐樹が居た。 祐樹が詩甫のことを『姉ちゃん』 と言っていた。 彼氏に姉を取られまいとでもいうように。 そして今回が三度目。

ふと運転手が考えた。
この兄さんは遺跡や神殿、仏閣、そんなものを研究しているようには見えない。 これは兄さんの趣味なのではないであろうか。 社サークルとかいう延長上に居るだけ。 大学時代の事に息を吹き返しただけだろう。

それを切っ掛けに彼氏彼女になった彼女であるお嬢さんが付き合わされている。 いや、無理矢理ではなさそうだ。 卒業以来に出会ったと言っていたが、それはきっと兄さんの卒業以来なのだろう。 このお嬢さんは後輩なのだろう。 この彼女も・・・いや、彼女と決まったわけではないのだった。 このお嬢さんもそのサークルに入っていたというのだから。

同じ趣味を持った二人が神社を調べて親交を深めていくのだろうか。 その手助けをするのはやぶさかではないが、それにしても他の神社にすればよいものを。

「では今のあのお社のことはあまりご存じない。 その昔語りというのは?」

「・・・そうだなぁ。 昔語りと言っても、これは昔話し過ぎて信じられないかもしれないけど・・・」

「教えてください」

運転手がルームミラーを見ると、詩甫が顔を上げたのが見えた。
やはりサークルに入っていたというだけあって、お嬢さんも大きく興味があるようだ。 ん? と一瞬疑問に思った。 社サークルって・・・具体的に何だ? 何をしているんだろうか、とは思ったが口がもう開いてしまっていた。

「あの社には大蛇が居ると言われているんですよ」

「大蛇?」

蛇は神の化身とも言われているし、遣いとも言われている。 蛇が龍の姿になっている神社もある。
龍は川の流れでもあるのに蛇とごったにされている所もある。

運転手が苦い顔を作る。

「運転手さん?」

「ああ、いや。 何でもありません」

「その大蛇が居るから誰も社にはいかないんですか?」

そんなことを訊きたいのではない。 その大蛇とは何か、それを訊きたかったが、迂遠に訊くのが良いだろう。 タクシーに乗っている時間には制限があるが。

「昔語りですから」

逸らされた。

「その昔語りを教えて頂けませんか? 彼女もあの社を気にいってまして」

あと少しで山道に入る。 運転手がルームミラーで詩甫を見る。 その詩甫が運転手を見て微笑み頷いた。
垢ぬけてグラビアで見るような別嬪(べっぴん)さんなら、その笑みにイチコロで全ての問いに答えるだろうが、特に別嬪さんではない。 だが・・・菩薩のような雰囲気を持っている。

「あの社は・・・」

覚悟を決めたように運転手が口を開く。
あの社に禍々しい蛇がとぐろを巻いていると。
運ちゃんが大きく左にハンドルを切る。 これから山に入る。

「大蛇と言うのは、どうかと思うんですけどね」

「どういう事でしょうか?」

「あくまでも昔話、昔語りですからよくは分かりませんが・・・」

運ちゃんの祖父母の代から言われている昔語りであった。 いや、祖父母の代よりずっと前からだと言う。
社には大蛇がとぐろを巻いて社に手を合わせようものなら睨みつけられる。 社を修繕しようものなら不幸が起きる。

祖父母の時代に何を見て何をされたわけでもない。 その時代には既に昔語りとして言われていて祖父母もあの社には行っていないという。 だから祖父母も両親も自分も何をされたわけでもない。 もちろん話し伝えた子供も孫も。

「社にとぐろを巻いているって言うんですよ? それも大蛇が。 そんなものを目の当たりにして誰が手を合わせます?」

言われればそうだ。
手を合わせるどころか、大蛇に睨まれる前に退散するだろう。

「だから “例え” そうじゃないかと思うんですよ。 睨まれる気がする、それを蛇の目、社にとぐろを巻く大蛇、そう例えたんではないかと思うんですよ」

「社を修繕しようものなら、っていうのは?」

「それを大蛇のせいにするのもどうかと、ね。 昔語りですから、何がどうなってなんてことは分かりませんが、何度も修繕しようとしたわけじゃなく、一度か二度やってみて不幸が起きたってとこじゃないですかねぇ。 偶然じゃないのかなぁ、ってね」

「その大蛇っていうのに対して何か謂(いわ)れはないんですか?」

「・・・お婆、っていうのが昔に居たって話です」

「お婆?」

浅香がわざと声に出した。 対面に座っていれば、頷くことで終わっただろうが、浅香は助手席の後ろに座っている。 頷いたところで運転手には見えない。 だがそれが良かったのか、運転手がお婆の説明をしだした。

「何時の時代かは分かりませんがね、お婆が言うには女が睨まれる、そう言っていたそうですよ」

詩甫と浅香が目を合わせた。
あの社で怪異なことがあったのは・・・視線を感じたのは詩甫だけである。 ましてや意味不明な出血もあった。

「睨まれるのは女性だけということですか。 それはどうしてでしょう」

「そこまでは知りませんけど・・・。 その大蛇ってのが元女だったんじゃないですか? ほら、昔話で女が蛇に化身するってのがよくあるでしょ? それと同じなんじゃないかな、ってね」

車一台しか走れない、適当に敷かれたアスファルトの道を走る。 時おり道幅が広くなる、そこが対向車とのすれ違いの場所。

「情念ですか」

恋焦がれた男。 その男に他の女を寄せ付けない、その為に蛇になった。

「さぁ、そこまでは分かりませんけどね。 だがあの社は紅葉姫社。 祀られているのは朱葉姫。 それを思うとその大蛇が元女としたら、どんな情念があったのかは分かりませんね。 どうして元女が姫の祀られる社にとぐろを巻いているのかもね」

姫でなく殿が祀られているのならその殿に恋をしていた女だろう。 殿を誰にも渡したくないと、参りに来て手を合わせた女を目の敵にさえするだろう。

だが・・・祀られているのは殿ではない。

それに今の話しようでは方向を変えて見ると、社にとぐろを巻いた大蛇は社を守っているようにも聞こえる。
社を守る朱葉姫が大蛇と間違えられているのだろうか。 いや、朱葉姫が誰かを睨むようなことは無いだろう。

「あの社で祭りがあったなんて話はありませんでしたか?」

祭りの話しが伝えられているのならば、この昔語りと言うのは百年や二百年ではなくかなり前になるはず。 それこそ瀞謝より前になる。

「え?」

運転手の『え?』 は、どう思ってのことだろうか。 取り敢えず言い訳をする。

「あ、ほら、僕たち社サークルですから、社と言えば祭りですから。 祭の内容から色んな年代が分かったりしますので」

「ああ、そういうこと。 ビックリしたよ、兄さんが調べてあの社で祭りがあったのかと思っちゃった」

「では昔語りには無いと?」

「無いね」

ブレーキがゆっくりと踏まれる。 山に上がる道についたのだ。
運転手の話は山に入る少し前から始まった。 大体、いつも十分ほど乗っている。 十分間の会話だったのか、それとも今回は運転に集中できない話もあってスピードを緩め、それ以上乗っていたのか。 それでもせいぜい十五分だろう。

詩甫がチラリと浅香を見る。 話を終わらせていいのか、と言う目だった。
ドアが自動で開かれる。 浅香が詩甫に軽く頷いてタクシーを降りた。 タクシーの運ちゃんは浅香の頷きを払っておいてくれと受け取ったようだ。

「ちゃんと順番にしてるんですね」

「運転手さんが言って下さったお蔭です」

後ろから詩甫によって差し出された札を運転手が受け取り、お釣りを数えながら詩甫に話しかける。

「お嬢さん、睨まれなかった?」

微笑んだ詩甫が首を縦に振り「はい」と答えた。

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国津道  第20回

2021年03月26日 22時23分07秒 | 小説
『国津道(くにつみち)』 目次


『国津道』 第1回から第10回までの目次は以下の 『国津道』リンクページ からお願いいたします。


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- 国津道(くにつみち)-  第20回



午後七時。

そろそろ詩甫に連絡を入れようかとスマホを持とうとした時、スマホの着信が鳴った。 画面には『野崎さん』 と出ている。
詩甫からの連絡である。
浅香から詩甫に連絡しようとした時に詩甫から連絡がきた。

どんなことを話されるのだろうか。 自分が出勤の間に詩甫が社に向かっていたのだろうか。 いや、そうなら曹司からそれなりのことがあったはず。
色んなことを考えながら少しの間、手にしていたスマホを見ていたが、すぐに時が経っていることに気づいて電話に出た。

「浅香です」

「あ、野崎です」

「こんばんは」

「こんばんは、今、大丈夫ですか?」

「ええ、がら空きです」

スマホの向こうで詩甫が笑ったのが分かる。 笑わせるつもりなどなかったのに。

「どうです? あれから何か身体に異常とか、おかしなことなどないですか?」

「いいえ全く何も」

「視線も?」

「はい」

敵も落ち着いたということだろうか。

「曹司から何か連絡はありましたか?」

最初に “曹司さん” と詩甫は言ったのだが、浅香が “さん” は付けなくていいです、と言ったのだ。

「全くありません。 もう来ないようにと言われたんですから、そうなるでしょうね」

先ほどまでは情報くらい寄こせと思っていたが、詩甫と話してみて冷静に思うことが出来る。
詩甫からの返事がない。

「あ、すみません。 冷たい言い方でしたね」

「そんなことはありません。 ・・・あの」

「はい」

「“怨” って仰ってました、よね?」

「はい」

「それは・・・誰に向けてとは、朱葉姫は仰ってなかったですか?」

まさかそこを突かれるとは思ってもいなかった。
どうしたものか・・・。
素直に朱葉姫に向けられていると言ってしまえば、朱葉姫のことを想っている詩甫がどう動くか分からない。 だが詩甫に、と言えば、自分が我慢すればそれで済むことと考えるかもしれない。

「ええ、聞いていません」

こんな返事でいつまで逃げられるかは分からないが、今はこれしか言えない。
だがどうしてそんなことを訊くのだろうか。 単純に考えて被害に遭ったのは詩甫だけだ。 そんな時に “怨” と聞かされればその標的は自分だと思うだろう。

(いや、心当たりが無さ過ぎか・・・)

土地に心当たりがあると言ってもそれは瀞謝の頃。 その頃にも心当たりがないと言っていたし、詩甫としての生ではあの土地に行ったことも無いのだから。
心当たりが無いのにあんな目に遭わされて “怨” が誰に向けられているか気になったのかもしれない。

「・・・そうですか」

「気になりますか?」

「・・・浅香さんが聞いていらっしゃったらと思っただけです」

「知ってどうされるおつもりですか?」

「いえ・・・知ってらっしゃったら教えて頂きたいと思っただけです」

「まさか社に行こうなんて考えていませんよね?」

直で朱葉姫に訊きに行くつもりだろうか。 そうであれば、さっきの自分の返事は失敗だ。

「はい。 社に行くようでしたら、ちゃんと浅香さんにお願いします」

「ええ、そうして下さい。 いや、社に行くことを勧めているわけではありませんが、絶対に一人で行かないように。 それだけは約束してください」

「はい」

詩甫がスマホをタップし、通話が切れた。

浅香が訊いてきたように詩甫に異変はみられない。 あの嫌な視線は社に居る時だけあった。 だが誰かが近くに居てくれれば視線は感じなかった。 そして社からの帰りの電車の中での出来事。
あれらは全て “怨” を持つ者の仕業だったのだろう。

そしてあの電車の中での出来事は今までと全く手法や周りの状態が違っていた。 電車の中では祐樹も浅香もいたのだ。 たしかにずっと祐樹と浅香が見てくれていたわけではなかったし、詩甫に気を付けていたわけではない。
だが・・・“怨” を持つ者が苛立ってきているのではないのだろうか。

それならばと考えた。 朱葉姫に言われた社を閉じる気を失くしたわけではない。 だがまずは “怨” を持つ者に対峙しようと。

“怨” を持つ者は社に心を向けている者、その者に何かをしようと思っているのではないだろうか。
それは今のところ社を清潔にし朱葉姫と約束をした詩甫に。
ということは原点は社に向けられているのではないだろうか。 紅葉姫社。 それとも社自体ではなく、紅葉姫社で祀られている朱葉姫。

朱葉姫が誰かから恨まれるというようなことがあるなどとは考えたくはなかったが、今もこうして生活をしている詩甫に何の異常もない。 もちろん視線も。 そうなると答えは一つしかなかった。

その事を浅香に確認したかったのだが、浅香は聞いていないらしい。 朱葉姫とて分からないのかもしれない。

このまま何もしなければ時ばかりが過ぎていく。 時が過ぎて行けば社が朽ちていく。 朱葉姫の悲し気な顔が目に浮かぶ。
浅香が言っていた。 今のままが朱葉姫にとって辛いことだと。 朽ちていく社を見なければならないのだから。

そうと分かっているのだから朽ちらせたくなどない。 何をどうしていいのかまだ具体的には分からないが、まずは “怨” を抱いている相手が誰なのか、誰を何をどうして怨むのか。 想像だけではいけない、そこをはっきりと知らなければ始まらない。

祐樹は今日来ていない。 祐樹を危険に巻き込みたくない。 明日、社に行って朱葉姫に会ってみる。 そして出来れば “怨” を持つ相手にも。

スマホを座卓に置こうとした時に音楽が鳴った。 それは着信音である。 画面を見ると『浅香さん』 と出ている。
さっき切ったばかりなのに。
画面に指を置く。

「浅香さん?」

「明日お暇ですか?」

「え・・・」

「社に行きませんか?」

「え?」

「いつも通りの電車で。 寒いですから着こんで来て下さいね、それじゃ」

通話が切られた。
考えていたことを読まれたのだろうか。


ウールのコートを着て、いつも通り社に行く時に履いているちょっとお洒落なウォーキングシューズを履いて玄関に置いてある姿見を見る。 するとスカートにはかろうじて合うが、ウールのコートにウォーキングシューズは痛い。 これがウールのコートではなく、ジャケットとかダウンコートなら合ったのだろう。 だがそんなものは持っていない。

学校時代の体操着のジャージ以外では生まれて一度もズボンを穿いたことは無い。 だから家着もいつもブラウスやセーターとスカート。 社に行く時もそうである。 ズボンを穿く勇気がない。
母親は詩甫にスカートしか着せなかった。 母親が離婚をした後は母親と一緒に祖父母の元に戻ったが、祖父母もそうであった。
そんな服装だから自然とウールのコートになってしまう。

「・・・どうしよう」

事前にその姿が想像できていれば、中身はどうあれ安物でもダウンコートでも買っていたのに。
一緒に電車とタクシーに乗る浅香に恥をかかせるのだろうか・・・。
だが何を言っても思ってもこれしかない。 オフィスシューズを履くと山の階段や坂を上るに時間がかかって浅香に迷惑をかけてしまう。
そう思った時、あ、っと閃いた。 手提げの紙袋があった。


浅香と社に行く時にいつも乗る電車に乗り込む。
ラインもメールアドレスも教え合っていない。 教え合っているのは電話番号だけ。 ラインを組んでいれば『今電車に乗りました』 などと送れるのだが。

「必要ないか」

もし浅香が寝坊していたとしても、詩甫はいつものこの電車で社に行く。 そして詩甫自身は寝坊などしない自信がある。

浅香が乗ってくる駅に着く。 扉が開かれる。

「お早うございます」

いつもの車両、いつもの席。 浅香が扉から姿を現した。

「お早うございます」

座席を見るといつも詩甫の隣に座っている祐樹の姿はない。 この時を詩甫が選んだのか、他に理由があるのか。 その事についてはあとで訊くか話している内に分かるだろう。

土曜日の朝早い電車。 座席は空いている。 浅香が詩甫の隣に座る。

「ん? 荷物多くないですか?」

いつもの荷物より一つ紙袋が増えている。

「秘密兵器です」

思わず浅香が笑う。

「それは楽しみだ」

そして年末休みのことを訊いた。

「今日からです。 今年は年末年始を合わせて十二日のお休みとなりました」

超ロングだ。 浅香にはあり得ない。

「うわぁ、羨ましい。 どこかに行かれるんですか?」

詩甫がニコリと応える。

「修行に」

「は?」

滝にでも打たれに行くのだろうか。 いやこの季節にそんなことをすれば、完全に心臓麻痺だ。

「あの、浅香さん・・・」

今までの会話の雰囲気を一掃するような顔つきになって、言いかけた言葉が止まってしまった。
自分の考えに浅香が言わずとも付き合ってくれた。 そう言いたかったが、言葉が途切れてしまう。

「今日は僕の我儘です。 デートのお誘いではありませんけどね。 身に危険を感じたらすぐに言って下さい」

まるで詩甫の言いたかったことが分かったかのように浅香が言う。

「あの・・・」

「はい?」

「・・・どうして分かったんですか?」

詩甫が一人で社に行こうとしていたことを。

浅香が笑う。 声は無く。
せっかく話を逸らそうとしたのに、それに気付いていないのか、どうしても知りたいのか。
どちらでもいいか。 浅香が口角を上げる。

「自覚がないみたいですね」

「え?」

「僕もすぐには分からなかったんですけど、野崎さんと電話で話していて違和感を持ったんです」

「違和感?」

「はい。 通話を切ってから少し考えて気が付きました」

さっき浅香は自覚がないのかと言っていた。 心にやましいことは確かにあったが、違和感を感じさせることは言っていなかったはず。

「野崎さんは、僕が質問すると答えにくくされていました。 間があったと言っていいかな」

浅香が言うに、浅香が質問をすると答えにくくしていて間を置いて答えていたらしい。 それが社に行くのかと問うた時には即答だったという、ましてや念を押すようなことを言ったらしい。 社に行く時にはちゃんと浅香に連絡をすると。
その後に浅香が一人で行かないようにと約束をしてほしいと言った時にも、迷うことなく即答『はい』 と言ったと言う。

「これって、完全に一人で社に行くってことでしょう?」

そんな失敗をしていたのか・・・。

「すみません」

「謝ることじゃないですよ」

「でも・・・」

嘘をついた。 社に行く時には、必ず浅香にお願いすると言っていたのに。

「同志と考えませんか?」

「え・・・」

「朱葉姫と野崎さん。 曹司と僕」

どういう意味だろうか。

「朱葉姫の問題・・・問題って言っちゃいけないか。 まぁ、そこはグレーに。 そこに曹司もいるんです。 話しましたよね? 僕は曹司でもあるって」

詩甫が頷く。

「曹司は朱葉姫の為だけに生きているんです・・・あ、死んでるか。 まぁ、そこもグレーに。 今の曹司の存在は朱葉姫がいてこそなんです。 僕の存在の意味もそうなるんです。 曹司は朱葉姫の想いを叶えたいと思っています。 朱葉姫の願いは野崎さんだけのものではないんです」

詩甫が息を飲む。 そんなことを言われるとは思ってもいなかった。

「とは言っても “怨” を持つ者、敵と言っていいのか相手と言っていいのか、その者の矛先は野崎さんに向いています」

詩甫が静かに頷く。

「昨日、僕は嘘を言いました」

「え?」

だからお互い様ですよ、と笑いながら言って浅香が続ける。

「曹司から “怨” を持つ者は誰に対してか。 野崎さんに訊かれた時、聞いていないと言いました」

再び詩甫が頷く。

「曹司から送られてきたこと・・・。 映像を見さされたって言うか、音声付きで。 前に言いましたよね? 僕の身体を動かすに運転席とか助手席とかって」

「はい」

詩甫の返事に今度は浅香が頷く。

「それと反対の事とまではいきませんが、似たようなものです。 僕が曹司の助手席に座って、あの時朱葉姫が何を言ったのか全て聞きました」

何故、浅香が黙っていたのか、聞いていないと嘘をついたのか。 その答えに想像がついてしまった。 詩甫が唇を噛む。

「朱葉姫が言っていました『わたくしが憎いようです』 と」

浅香の声に弾かれたように下を向き、両手でコートを握って拳を作った。
想像していたことだ。 それに確認印が押されただけ、昨日もらえなかった印を押されただけ。

「野崎さん」

「すみません・・・」

「大丈夫ですか?」

詩甫が頷く。

「ですが矛先が野崎さんに向いています。 その危険を回避しなければいけません。 朱葉姫も曹司も・・・僕もそう考えています。 そう考えて野崎さんに社に行かないようにと言いました」

詩甫が何度も頷く。

「でも・・・、そんな中途半端では終われませんよね」

詩甫の頷きが止まった。

「僕も野崎さんも」

詩甫がゆっくりと浅香を見る。

「浅香さん?」

浅香が詩甫を見てにこりと笑う。

「さっき言ったでしょ? 僕は曹司だって。 曹司が誰を想っているかって」

「それは・・・今日来ることに無理矢理にこじつけて・・・」

「僕はそこまで出来た人間じゃありませんよ。 それどころか、これは僕の過ぎた我儘です。 野崎さんを危険に晒すことになるんですから。 それになにより、野崎さんが見つからなければ僕がすることになっていたんですから」

そうだった。 最初にそう聞かされていた。
詩甫が見つからなければ、浅香が社のことをするということになっていたということだった。

「言っときますけど、朱葉姫の願いは野崎さんだけのものではないということと、野崎さんが見つからなければ僕がすることになっていたっていうのを忘れないで下さい。 野崎さんがやらなければ僕が社を閉じます。 何があっても。 だって僕は曹司ですから」

「浅香さん・・・」

「だから同志です」

降りる駅に着いた。 ドアが開かれる。

電車から降りると乗り換えをし、少し歩いて別の線に乗る。 その間、詩甫も浅香も無言であった。
浅香の言いように詩甫が何か話さなければ、何か訊かなければと思ったが、それが言葉に出来ない。 いいや、それ以前に頭でまとまらない。 浅香が言ったことはまさに詩甫が思っていたことだったのだから。

浅香がずっと無言の詩甫を見る。 詩甫はまだ思考の中を彷徨っているのだろう。 そんな詩甫に何かを言うことはしなかった。

電車を降りるとタクシーに乗る。 座席に座るとすぐにタクシーの運ちゃんから声がかかったが、それは行き先を問うものではなかった。

「お久しぶりで」

えっ? っと小さく浅香と詩甫が声を上げた。
運転席の後ろに座った詩甫がルームミラーを見る。 するとそこには覚えのある顔が映っていた。

「あ、あの時の」

詩甫の声に助手席の後ろに座っていた浅香が運転手を覗き見る。

「わっ、あの時の運転手さん!」

自動的にドアが閉まる。
このタクシーの運転手は二度目にこの二人を乗せた時、二人から自分が払うからと二本の腕に札を出された。 だからタクシー代は順番に払えば? と提案した運転手であった。

「行き先は同じ所で?」

「はい、お願いします」

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国津道  第19回

2021年03月22日 22時01分07秒 | 小説
『国津道(くにつみち)』 目次


『国津道』 第1回から第10回までの目次は以下の 『国津道』リンクページ からお願いいたします。


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- 国津道(くにつみち)-  第19回



季節が寒くなってくると気温の差が大きくなってくる。 昼間は温かくても朝夜は冷える。

朝、夜中の洗面所やトイレ、朝刊を取りに家の外に出たりゴミ出しに出たりすると、血管の状態が大きく変わり、倒れる人、状態の悪くなる人が多くなる。 それにより救急車の出動も多くなる。
今日も浅香は一日に数度出動した。

午前七時過ぎ患者を病院に運び出張所に戻って来た。

「例年になく、多くないっすか?」

「うーん・・・そうみたいだな」

「温暖化って言われてるのって嘘っぽい」

「いや、それは無いだろう」

温暖化と言われても日本には四季があるのだから。 暖かい環境で暮らしていて、温暖化と言われていてもそれなりに寒くなる。 部屋の中と外、寒暖差が激しくなれば血管の収縮も激しくなる。

「って、浅香、最近マシになってきたと思ってたのに、軽すぎるってよ。 それどうにかしろよ」

「えー? 最近って、どういう意味ですか? 患者の前では、ちゃんとしてるつもりですけど?」

「ま・・・患者の前ではそうかな。 けど?」

「けど? なんすか?」

横目で見られた。

「何?」

視線が不気味だ。

「ここのところ・・・無いな」

「は? 何が無いってことっすか?」

「お前が人並みな話し方をするってこと」

「だぁー! 僕ちゃんと人並みに話してますけど?」

「いや、ここのところ和菓子がない」

「はい?」

「お前が和菓子を持って来た時には、人並み」

「はぁ?」

「和菓子が無ければ、お前は軽~い、そこらの兄ちゃん」

横目で見られた相手に、横目でにらみ返す。

「和菓子が食べたいんですか?」

「ほら、和菓子のことになると、ちゃんとした言葉で話すだろう」

「意味分んねー」

「だから、それやめろって」

先輩に和菓子のことを言われた。 その和菓子とは、詩甫が供え物にしている和菓子のことだ。
『ここのところ和菓子がない』 と言われた。 決して供え物の一箱を全て一人で食べているわけではない。

曹司からのことがあり、詩甫が襲われるかもしれないということから、あれから社には行っていないのだから、供え物も何もあったものではない。

社のこと、まずは詩甫から連絡を受けていない。 連絡を受けていなくとも、詩甫一人で社に行っていないはずである。 あんな経験をしたのだから。

浅香の眉がピクリと動く。
行っていないだろうか・・・朱葉姫と話をした詩甫が。

その朱葉姫がもう来ないようにと言った。 “怨” を持つ者のことがあるから。 詩甫に命の危険が生じるかもしれないからと。

浅香は詩甫に“怨” を持つ者のことを言ったが、それは朱葉姫に対して向けられているものだとまでは言っていない。
だが実際の話としてその対象は詩甫にきている。

詩甫が社に行ってはいないだろうか、そのことを毎日考えていた。 二十四時間体制で一日おきの非番。 その非番明けの出勤の日には、早目に部屋を出て詩甫のコーポの前に行っていた。 詩甫が一人で社に出かけることがないかを見る為に。

詩甫は週休二日制。 月曜日から金曜日まではちゃんと会社に出勤していた。 有休を取ることなく。
土曜日は時々出勤はしていたものの、社には行くことは無かったようだ。 だが毎日見ていられるものではない。 浅香も二十四時間体制で出勤しなくてはならないのだから、確認は完全には出来なかった。 だがもし、詩甫が社に行けば、すぐにでも曹司から知らせがあるだろう。 その曹司からの知らせは無い。

「浅香?」

話していた視線を下げ、一人寡黙と化していた浅香に声がかかった。

「え?」

「え、って、お前・・・。 甘い物のチャージが無くなったのか? 脳、動いてる?」

浅香が親指を立ててみせる。

「和菓子じゃないけど、ちゃんとケーキを食べてきましたから、糖分バッチリ」

「お前、長生きするわ」

大きな息を吐く。

「おお、市長から何か貰えるかもしれないっすね」

二十四時間勤務が終わり、まるで帰途につくように詩甫のコーポが見える隅に来た。 詩甫の部屋を見る。 出勤前に来た時と変わらない。 気が変わって社に行った様子はないようだ。 とは言っても、直行されていては分からないし、こうやって部屋の外から見て何が分かるわけでもない。 だが詩甫がビジネススタイルであったことは確認している。

浅香が出勤前に来た時、隅に隠れて見ていると、少しして詩甫が外階段を降りて来る。 ビジネススタイルである。
そのまま詩甫の後を追う。 詩甫はちゃんと会社のある駅のホームに立った。
その姿を確認し、出勤をしていた浅香。
詩甫の部屋の確認をすると、今度こそ帰途についた。

部屋に戻るとすぐに部屋を暖め風呂の用意をする。
仕事前も後も詩甫の後を追うのは気楽なものではない。 だがそれをしなければ、一日中檻の中の熊のようになってしまいそうだった。 イライラすることを思えば、寒い中に身を置いて詩甫の動向を見る方がいくらかマシであった。

「あっと・・・明日は野崎さん休みか」

年末最後の土曜日であるが、そのまま年末休みに入るのだろうか。 それとも数日出勤してからの年末休みに入るのだろうか。
年末年始、長期間の休みになる。 そうなれば社に行くかもしれない。

「いや・・・、あんな経験をしたんだ」

不安や苦しさも味わい痛さも味わった詩甫。 朱葉姫からの言葉もある。 いつもそう思いながらも詩甫のコーポに行ってしまっていた自分だが。
朱葉姫と直接話をした詩甫だから、朱葉姫の想いをよく分かった詩甫だから、詩甫自身の苦しみや痛みを横に置いておけるかもしれないと思ってしまうからだった。

「あー、また同じこと考えてるしっ!」

堂々巡りの思考。
そんな時に粗末な音楽が鳴った。 続いて声が聞こえる。

『お風呂が沸きました』
今どきは機械的な声ではなく、優しい女性の声で風呂の湯が張れたことを教えてくれる。

「とにかく風呂・・・」

湯に浸かって身体を芯から温め、身に付いた何もかもを洗い流したい。 身に覚えのある疲れはあるが、身に覚えのない疲れも感じている。

エンパスではない。 だがどうしても負のエネルギーを受けてしまう。
患者全員が強い負のエネルギーを持っているわけではないし、救急搬送に対してのそれではない。
元々に持っているもの。

例えば、嫁が救急車を呼んだ。 義父が倒れたから。 嫁は生死にかかわるかと、心底心配をして救急車を呼んだのだが、だが日頃の生活はそうではない。
義父に冷たく当たっていた。 だが死んでくれとまでは思っていなかった。

冷たく当たる嫁に対して義父は許せない思いだった。
苦しんでいる義父がストレッチャーで運ばれる。 その時に嫁のことなど考えていない。

だが患者に触れると、身の内に仕舞われているものが、負の想いが浅香の中に入ってくる。
それが浅香にとって疲れとなって現れる。 それは曹司と会ってから始まった事であった。

絶対、曹司のせい・・・。 そう口に出しかけて、ついうっかり言いかけた口を閉じる。
曹司の存在があるから、そういうものを身に受けてしまう。 そう思うが、言ってみれば曹司は我が魂でもある。 曹司のせいには出来ない。

「おーっと、湯が冷めちまう」

洗面所に足を向け、着ていたものを洗濯籠に入れると風呂場の戸を開ける。
冷えている身体に掛湯をしてすぐに湯船に飛び込む。

「くぅー、身に沁みるぅー」

冷えていた皮膚がチリチリと熱い。 だがそれもすぐに慣れる。 設定温度が高いわけではない。 一時のこと。 すぐにジワリと温かくなってくる。

湯船につかり、今日一日で受けた色んなものを無かったものにする。 浄化とまでは言えない。 それにそんな知識はない。
身体を温めた後に身体を洗えば、受けたものを洗い流せると思っている。 俗にいう清めがそれだと思っている。
塩で清めるではないが、石鹸で洗いシャワーで流すと清められると。

―――信ずればそれなり。

そんなことを今まで考えもしていなかった。 そう考えるようになったのは、これもまた曹司と出会ってからである。

“霊” という存在、そこからの “想い” と言うものを考えるようになった。
だが良い “想い” だけで終われはしないだろう。 そこには “怨” “念” というものもある。 人の形をとろうがとるまいが気持ちというものがある。

気持ちといっては優しく聞こえるが、その気持ちが増幅すると他者から見て姿を変える。
そう思うようになってから、患者や家族、患者と共に居た者達に向き合うと、その者達から負のエネルギー、念を受けるようになってしまっていた。

患者には、指先一つに機器を付けるだけでその体に触れる。 最近はそれだけですぐに受けてしまう。

湯から上がると、エアコンによって部屋の中は充分に温められていた。
まだ髪は濡れている。 スウェット姿の肩にかけられているスポーツタオルで無造作に髪の毛を拭きながら、斜めにソファーに座るとテレビのリモコンを手に取りスイッチを入れた。 斜めに座ったのはソファーの正面にテレビがないからだ。

そのテレビに映し出されたのは朝のワイドショー。 芸能人が麻薬で捕まったということを話している。
チャンネルを変えるがワイドショーはどこもその話題ばかりだ。
土曜日ならアニメがあったのに。
諦めて地方チャンネルに変える。 通販の番組であった。

「おっ」

映し出されていたのはEMS機器である。
ムキムキになりたいとは思っていないが、華奢な浅香にとっては逞しく腹筋が割れているのは憧れである。

スポーツタオルで頭をガシガシと拭きながらテレビに見入っていたが、購入しようとは思っていない。 長々と似たようなことを繰り返すテレビを点けたままキッチンに行くと、電気ケトルで湯を沸かす。
仕事の帰りにコンビニで買ってきていたサンドイッチとお握りをコンビニ袋から出すと、食器棚から椀を取り出した。 置いていたみそ汁の元をその椀に入れる。 箸とサンドイッチとお握りを手に持ち、テレビの前に置いてある座卓の上に置く。
その作業をしている間に電気ケトルの湯が沸いた。 湯を椀の中に入れ座卓の前に持っていく。
それが浅香の朝食である。

以前はコーヒーであったが健康を考えてみそ汁に変えた。 みそ汁は思いの外、サンドイッチに合わなくもない。

座卓の前に座り込んでみそ汁を啜りながらテレビを見ると、いつの間にか時代劇に代わっていた。 通販の終盤にチャンネルを合わせたようであった。
リモコンを手にして録画していた仮面ライダーゼロワンに切り替える。

「あ・・・これ見たんだった」

録画一覧に戻りアニメに切り替える。
何度も聞いた曲が流れた。 聞き覚えのある声。
ボォーッとしながらサンドイッチを口に運ぶ。
映し出されたテレビでは『鬼太郎』 と猫娘が鬼太郎を呼んでいる。

「妖怪か・・・」

河童は実在すると信じている。 先輩が見たと言っていたから。

『ホントなんだよ! 池の水が揺れてさ、波紋が立ったとおもったら、そこから顔を出したんだよ』
『全然疑ってません』
『浅香、お前の目・・・完全に馬鹿にしてるだろう』
『この目は生まれつきです。 権東さんが言うんですから、河童は実在すると思います。 僕、権東さんのこと疑っていませんから』

そしてこの日から徐々にこの先輩に対してだけ口調を変えた。 いや、消防にも一人居る。 二人ともに、親しみを込めたつもりであった。
だがその二人ともが『軽すぎるんだよ』 と言う。 それは浅香が二人ともに対してどう思ってなのかを分かってくれている口調であった。

妖怪であれ河童であれ、世に言われる人間や動植物以外がこの世に居ないとは元々考えてはいなかった。
それは今から思うに霊に繋がるのかもしれない。
曹司に会う前から、曹司をどこかで分かっていたのかもしれない。

「うん、だよな」

どうして人間や動植物以外の姿を持った者が、この世に居てはおかしいのか、有り得ないのか。
それは未知だけなのではないのか。
新しい深海魚が、新しい微生物が見つかった。 それは受け入れられるのに、どうして人間に姿が似ている生き物は受け入れられないのか。 人間の目に見えないモノは受け入れられないのか、紫外線を認め人間に聞こえない高周波は認めているのに。

録画が終わった。

サンドイッチを一口しか食べていなかった。 どうして猫娘が鬼太郎を呼んでいたのだろうか。

「くっそ!」

テレビのスイッチを切る。
サンドイッチとお握りを口に運び、みそ汁を一気に飲む。
どうしてこんなにイライラするのだろうか。

「・・・曹司」

あの日を最後に曹司から何も言ってこない。 朱葉姫はどうなったのだろうか、曹司は今どうしているのだろうか、詩甫はどう考えているのだろうか。
朱葉姫も曹司も詩甫も、それぞれがそれぞれの感情で動いている。 だが自分はどうだ。 詩甫の動向を陰で見ているだけではないか。

「曹司のヤロー」

何でもいいから社の “怨” を持つ者の情報くらい寄こせ。 そうでなれば、詩甫を陰から見る以外の浅香の考えで動ける情報をよこせ。
それが何もない。
曹司が何を考えているのかは分からないが、同時に何の動きも見せない詩甫。

「野崎さんは、何を考えているんだろうか」

浅香が見ている限り社にはピタリと行くことが無く、余りにも詩甫が大人しすぎる。 朱葉姫の心を聞いたはずなのに。 それに応えたいと思っていた詩甫のはずなのに。

「ああ・・・俺ってまた正反対のことを考えてる」

不安や傷を負い、朱葉姫の言葉を聞いた詩甫だから社に行かなくなった。 そう考えるのに、朱葉姫の心を聞いた詩甫だから社に行こうとするはずだ、と。
堂々巡りがまた始まったようだ。
時計を見る。 十一時三十分。

「今晩あたり連絡するか・・・」

首にあったスポーツタオルを外すと、暖房で半乾きになっていた髪の毛を乾かしに洗面所に向かった。

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国津道  第18回

2021年03月19日 22時45分34秒 | 小説
『国津道(くにつみち)』 目次


『国津道』 第1回から第10回までの目次は以下の 『国津道』リンクページ からお願いいたします。


     『国津道』 リンクページ




                                   



- 国津道(くにつみち)-  第18回



翌日、詩甫の部屋をあとにした祐樹、その時フッと気付いた事があった。
駅に向かい電車に乗る。 電車を降りるとそのまま図書館に向かったが、残念なことにもう閉まっていた。

図書館には小学生のコーナーがある。 そこには結構色々な本が揃っていることは知っていた。 だが目的の本があるだろうか。

出直した翌日、図書館に向かうと片っ端から棚の本を見て回った。 


詩甫はデスクについていた。
週末、金曜日に出荷された品々の伝票をパソコンに打ち込んでいた。

「うん?」

在庫も含めて入荷以上の出荷がある。 それも桁違いに。 完全に書き損じだろう。
伝票発行蘭の横にある伝票確認のサインを見ると、よくよく顔見知りの相手だった。

(そうだ)

思い出したことがあった。
詩甫の手が止まっているのを隣に座っている五歳上の社員が気付いた。

「なに? 伝票ミス?」

「みたいです。 確認をとってきます」

「しっかりやれって言っといて」

「はい」

半分笑いながら詩甫が席を立つ。 三階から一階の現場へ階段を下りて行く。

会社の敷地面積は六十坪くらいであろうか、そんなに大きな会社ではないが、一応オフィス街ではある。 オフィス街としては、そのビル一つが一つの会社というのは、オフィス街の異色として建っている。 ましてや入荷出荷をする現物を扱っていることも異色であった。

「願弦(がんげん)さん居ませんかー?」

目的の人物の担当する棚の立ち並ぶ方に向かって、両手を口の横に充てて願弦と言う名の男を呼んだ。

「弦さーん、呼ばれてますよー」

どこかの棚から中継ぎをするような声が聞こえた。
ほーい、と間の抜けたような、愛嬌のある返事が棚の中から聞こえる。

「野崎です! 伝票のことでお伺いしたいことがあります!」

今度も両手を口の横に充てて棚の間に聞こえるように言った。 こう言えばどこに姿を現せばわかるだろう。

少し経つと棚の間から願弦が出てきた。

「伝票? 詩甫ちゃんで良かった、なんかミスった?」

三十の歳を過ぎた、熊のような体躯と面差しだが柔和な物腰で詩甫の前に立つ。

「この伝票ですけど」

詩甫が見せた伝票を手に取るとすぐにその意味が分かったようだ。

「ったー・・・小数点を付けるのを忘れてたか」

それで桁違いが生まれたのか。

「いや、そのね・・・色々あって」

ようは、こういうことらしい。
この商品は小さいがため百単位で売る商品である。 その百の桁が伝票上は一の桁となる。 だが相手先が色を付けてほしいと言った。 こういう取引は当たり前にある。 値引きをするか商品を多めに納めるか。 今回は色を付けてほしいということで、百単位で売るところを百に対して百二十ということになったらしい。

簡単に言うと伝票上が1.2ということになる。 それが千売れれば12、万売れれば120。 今回は現物的に二万四千五個出荷されたようだった。

何だよ、その五個は、と言いたくなる。

単純に伝票上は240.05になるが、その小数点を書き忘れていたということだった。 伝票には24005と書かれていた。 在庫的に有り得ないし、伝票に小数点を入れることは基本禁じられている。 致し方ない時にはその旨を事務所に言わなくてはいけなかった。

「ちょっと言って下さればよかったのに」

それくらい処理できるのに。

「いや、ごめん、ごめん」

願弦が自分の首の後ろを二度叩く。
まるで願弦が自分のミスのように言っているが、そうでないことを詩甫は分かっている。 願弦の部下のミス。 その部下が伝票を書いたのだから。
だが願弦から言わすと確認欄にサインをしたのは自分だから、それは自分のミスだというらしいが、何百枚もの伝票である、気付かなくてもおかしくはない。

「じゃ、その様に処理をしておきます」

「頼む」

「あの、願弦さん?」

「ん? なに?」

「ご実家、神社でしたよね?」

「あー、・・・うん」

そんなに大きな神社ではないとは聞いてたが、次男であり予備軍として跡を継ぐに神職の大学を出たと聞いている。
神社は長兄が継ぐらしい。 願弦はあくまでも予備軍、兄が継ぐならそれでいい。 それに本心は跡を継ぎたくないということらしく、神社に身を置かずこうして一般で働いている。 三男である末弟の弟にはハナから継がせる気持ちがないらしく、次兄予備軍の権限として神職の学校も出させていないらしい。

「教えてほしいことがあるんですけど」

「ん? なに?」


図書館で思いの本が見つかり、ホクホク顔で本を胸に抱いて家に戻ってきた。

「ただいまー」

戸を開けて玄関で靴を脱ぐとすぐに母親が迎えに出てきた。 いつも通りだ。

「お帰り、今日は遅かったのね」

「図書館に寄ってたから」

「そう、宿題かなにかで?」

また宿題か。 嫌気がさす。 だがそういう事にしておけば母親の機嫌がいい。

「うん、そう」

祐樹が胸に抱いている本をチラッと見る。

「あら? なに? その本」

図鑑でも地図でもなさそうだ、それ以外でも。 自由研究の参考になる本とも思えない。
母親が本に手を伸ばしかけたが、祐樹がそれとなく遮る。

「社会の宿題の参考に借りたんだ」

自由研究ではないようである。

「社会の宿題が出たの?」

「班で調べてまとめるって宿題が出てるから」

嘘だ、そんな宿題は出ていない。

「そうなの、四年生にもなれば宿題も変わるのね」

「うん」

「お姉ちゃんの時とは時代が違うのね」

詩甫と祐樹は十年も離れている。 学校の様相が変わっていてもおかしくない。

(姉ちゃんもずっとこうして、お母さんに見張られていたんだろうか・・・)

母親が同級生の母親と宿題の話をしてしまえばすぐに嘘だと分かってしまう。 だがこの母親は同級生の母親と宿題のことなど話さないだろう。 祐樹と父親のことしか考えていないのだから。 ・・・いや、母親自身のことしか考えていないだから。 父親のことはどうか分からないが、祐樹のことは・・・ある意味道具としか考えていないだろう。
そうであっても、そんなものは悲しくない。

「ね、今日はお父さんが遅いらしいの。 一緒にその宿題をしましょうよ」

『祐樹? クッキーを焼いたの』
『祐樹? 美味しいジュースがあるの』

母親の声が部屋に閉じこもる祐樹の背にいつも聞こえていた。
自分のことを母親がどう考えていようが、詩甫が居るから悲しくなんてない。

「班の宿題だから一人で集中したいから」

「どうして? お父さんが遅くなるのに? お母さんが一人になっちゃうのに?」

話しが変わっている。

「・・・宿題をしてくるから」

足を階段に向けて歩き出す。

「そう・・・、すぐにおやつを持って行くわね」

母親の声が祐樹の背を追ってくる。

階段を上がり、二階の自分の部屋に入ると戸を閉める。 ランドセルを下ろすと、勉強机に向って椅子に座り、胸に抱きしめていた本を机の上に置く。

本のタイトルは『神様とお話し』 であった。

祐樹から見て朱葉姫は神である。 その朱葉姫と話は出来る、はず。
詩甫が朱葉姫と話したのだから。
ハードの表紙をめくると何も書かれていない頁。 それをめくると目次が書かれていた。


「社の解体?」

願弦が詩甫の言ったことに疑問符をつけて復唱した。

「社を閉じる? その祝詞?」

詩甫が頷いたが、願弦がどういうことかと訊き返す。

「神主が居るだろ?」

「えっと・・・お社と言っても、神様が祀られて居るところではなくて、それに昔々のお社で神主さんなんかいなくて」

「はぁ?」

「ですから・・・祝詞を教えて欲しくって」

「神が居ない社にか?」

「はい・・・」

神道は八百万(やおよろず)の神である。 仏教のようにどこどこの寺に何某かの仏像がある、有難い、というわけではない。
だがまぁ、神社神社で祀られている神は違うが。

八百万の神々は歩いている道の曲がり角にも居られる。
敢えて願弦は神がいない社なのか、と問うた。 だが八百万の神はそこに居られる。 とは言っても社にも神社にも祀られている神様がおられる。

「解体清祓(かいたいきよはらい)か」

「え?」

家屋の守り神である屋船久久遅神(やふねくくのちのかみ)と屋船豊受姫神(やふねとようけひめのかみ)に対して、これまで長年にわたり、何事もなく無事に過ごさせていただいた感謝の気持ちを表すとともに、取り壊しの奉告をし、また、お許しをいただき、解体工事がすみやかに無事終了するように祈願する祭りである。

「まずは土用を避ける」

祝詞ではなく詳しく話してくれた。

「土曜日ですか?」

フッと願弦が笑んだ。

「週休二日制の土日の話じゃないよ」

立春・立夏・立秋・立冬のそれぞれの前十八日間を土用と言う。 “用” というのは “働き“ のことである。 この期間中は土を動かしたり、土木工事に着手すること、壁を破ることは大凶であるが、例外として、土用期間中でも行って良い日がある。 春は巳・午・酉の日、夏は卯・辰・申の日、秋は未・酉・亥の日、冬は卯・巳・寅の日。 この日にお祭りをして工事に着手すれば良いとされている。

「用意する物は米、酒、水、塩」

降神、献饌の言葉を上げ、ようやく祝詞奏上となる。

「此の處を暫の間 巌の、で始まって、守り恵み幸へ給へと恐しみ恐しも乞い願い奉らくと白す。 で終わる」

願弦が軽く祝詞を口にした。
家屋の四方や樹木などにお祓いをし、塩を撒き、御神酒を捧げ、玉串拝礼。
その後にお下げするという儀式。

「ってこと」

思っていた程に簡単ではなかったようだ。 単に祝詞を上げればいいだけかと思っていた。 祝詞を教えてもらえばいいだけだと。 下手っぴでも、心から唱えればいいと思っていた。

「それって・・・省いちゃいけないんですか?」

願弦が眉を上げた。


“神様は、願い事を聞いて下さるわけではありません”

「んん?」

そんな筈はない、 神社の前に行って鈴を鳴らし、賽銭をして手を合わせ、願い事を言うとそれが叶うはず。

「あ・・・叶ってないか・・・」

小学校に入る年の初詣で勉強が出来ますように、と願った。 すると間違いなく成績は良かった。
だがその年の後からは、詩甫と一緒に暮らしたいと願ったのに、それは叶えられなかった。
何度も何度も願ったのに。

“神様は願いを叶える道具ではありません”
そんなことも書かれていた。
もちろん道具などとは思っていない。 だがそうなってくると神様って何だ? そんな疑問が浮かんでくる。

「朱葉姫って・・・」

詩甫が言っていた。 朱葉姫は昔々の人だと。

「神様じゃなくて・・・幽霊、なのか・・・?」

朱葉姫を神格化していた祐樹だが、ここにきて朱葉姫が神ではないことに思い至った。
それでも・・・朱葉姫を幽霊とは考えられない、思えない。

本には他にも書かれていた。
神道では、亡くなった人は地上に留まって守護神となると考える。
その中で菅原道真が神格化されている。 天満宮がそうであるが、それは時の朝廷が菅原道真の怨霊を鎮めるために神としてあがめるようにしただけである、と。

自分達がしてきたことを贖(あがなう)う為に。 いや、贖うと言ってしまえばそうではない。 贖うとは罪の償いなのだから。 償いなどない。 自然災害が菅原道真の怨霊が起こしたものと考え、それから逃げるだけである。
それでも現代人は、頭がよくなりますように、受験に合格できますようにと、勉強の神様のように天満宮にお参りする。

祐樹が首を振る。
そんな時の朝廷とは違った意味で、朱葉姫を幽霊とはやはり思えず神と思う。

「きっと・・・優しい神様」

詩甫が心を寄せるのだから。

朝廷の勝手とは別に、神には天津神(あまつかみ)と国津神(くにつかみ)がおられると書かれている。

天津神は天からの神。 高天原(たかまがはら)に居られる神々。 俗にいう、天岩戸の話があるが、少なくとも、そこに居られた神々は天津神となる。
天岩戸に隠れられた天照大御神(あまてらすおおみかみ)。 伊勢神宮のご祭神は天照大御神である。 伊勢神宮に我が国の天皇家が行かれるのは、天皇家が天照大御神の子孫とされているからである。

国津神は、葦原中津国(あしはらなかつくに) からの神々。 出雲大社のご祭神である大国主大神を始め、天孫降臨の際に道案内をした猿田彦命などが有名である。 (日本書紀、古事記、風土記などで神名に違いはある)

朱葉姫を神と考えた時にどこに属するのか。
天津神でも国津神でもない。 時の朝廷が考えた怨霊を鎮めるために神という名を与え祀った神でもないし・・・守護神でもないだろう。

(武器なんて持ってないはずだし・・・)

詩甫からそんな話は聞いていない。

祐樹の頭の中で守護神は守るための戦う神のようだ。

昔々の人達が朱葉姫を慕い、今は詩甫と祐樹のただ二人の神様。 優しい神様。
この本に書いてあるように、願い事を叶えてくれる神様でもなく、決して道具などでもない。
詩甫から朱葉姫のことは聞いていた。 民のことを想っていたと、民が微笑んでいるのが嬉しいと。

「朱葉姫は・・・朱葉姫のことを想っている人に微笑んでくれる神様」

ドアの向こうから声がかかった。

「祐樹、美味しいおやつとジュースよ」

祐樹がパタンと本を閉じた。


部屋に戻った詩甫。
座卓に両腕を預け突っ伏している。
思ってもいなかったことを願弦から聞かされたからであった。
社に居る朱葉姫の事だけでは終わらないということ。 社が建っていた土地神にも、礼を尽くさなければいけないということ。

「言われてみればそうだけど・・・」

考えもしなかった。

もし地鎮祭でも経験があれは、建物を建てるに土地神様に祝詞を奏上することを知っていたかもしれない、そう思うと建物を閉じる時にも同じように、神様にご報告をしなければならないということを想像できたかもしれない。 だがその経験がなかった。

「いや、そうであっても、単に祝詞を唱えればいいみたいだけど」

それでもちゃんとした儀式があるようだ。
そんなことが素人に出来るはずがない。
だからといってどこかの神主や願弦にも頼めるはずはない。 浅香が言っていた話では、朱葉姫が人死にがあるかもしれないと言っていたと言うのだから。
“怨” を発する者は、祝詞を唱える神主であっても何かをするかもしれない。

時計の秒針が動いている。 秒針が時計を一回りして分針が動く。 その分針が何度目かに動いた時、ようやく詩甫の手が動いた。
座卓に預けていた腕を引いて、突っ伏していた額に両掌を合わせる。 ゆっくりと顔を上げる。

「とにかく・・・」

今出来ることをしよう。

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国津道  第17回

2021年03月15日 22時05分40秒 | 小説
『国津道(くにつみち)』 目次


『国津道』 第1回から第10回までの目次は以下の 『国津道』リンクページ からお願いいたします。


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- 国津道(くにつみち)-  第17回



「姫様・・・」

辺りを見回していた朱葉姫が振り返る。

「此処には居ないようですね、今は」

“今は” それ程に移動できるのか・・・。 それは容易いことではない。 だが有り得ることが浅香からもたらされた。

曹司から浅香への情報は曹司がスイッチをオンにすればいいことだし、切りたければオフにすればいいのだが、反対に浅香からは伝えたくてもスイッチは無い。

だが浅香がスイッチを入れなくとも曹司が浅香に気を向ければ、浅香の状況を感じることができるし、曹司は特に何かをしている以外の時は常に浅香のことをぼやりと感じるようにはしていた。

浅香の言う助手席の話から車で例えると、曹司の乗る車での運転席で半クラ状態と言っていいだろうか。 そこで気になることがあればクラッチを繋ぐ、スイッチをオンにするということである。

それは浅香と曹司の間で曹司からの一方通行であり、浅香にそんな芸当は出来ない。 早い話、どんなスイッチも浅香は持ち得ていなく、気を向けたところで近くに居れば曹司の存在を感じる程度しか持ち得ていなかった。

「瀞謝に異変があったようです」

朱葉姫の身体が強張った。


浅香が席を立ち詩甫の前に回りこむ。
電車の中は空いていたが、それでも数人が座席に座っていた。 祐樹の『姉ちゃん!』 と言う大きな声で何人かがこちらを見、その後すぐに浅香が回りこんだのを見たが、興味なさげに手の中にあるスマホに目を戻していた。

「祐樹君、大丈夫だから手を離して」

動転している祐樹を宥めると、しゃがんで顔を伏せている詩甫を覗き込もうとしたが、その前に祐樹から声がかかった。

「浅香、姉ちゃん助けて・・・」

「分かってるよ」

まるで重病では無いという風な顔を向けて祐樹の目を見て言うと、詩甫の顔を覗き込む。

「野崎さん? どうしました?」

ヒュッと音をたてて詩甫が息を吸うと深い息を吐いた。

「野崎さん?」

祐樹が今にも泣きそうに詩甫を見ている。

一つ二つ三つ、いくつ数えただろうか、固く握られていた左手を取り脈をとった。 脈が速い。 だが今の状況ではそうだろう。 どんな病気の可能性・・・いやきっとそうではないだろう。

ようやっと詩甫が浅香に応える。

「・・・すみません、もう何ともありません」

胸元に置いていた手を離し身体を起こす。 浅香と目が合う。

「どのような状態でした?」

「・・・」

それは有り得ないような事。 言っていいものだろうかと思うが、病気は急に起きることもあると聞く。 心臓の血栓関係の病気だろうか・・・。

「祐樹君も心配をしています。 話してもらえませんか?」

祐樹に心配をかけるかもしれない。 だがここで黙っている方が余計と祐樹に心配をかけてしまうことになるのだろう。 そして浅香にも。

「・・・心臓を」

「はい」

「・・・鷲掴みにされたような、握り潰されるような・・・それで痛くて、息がしにくくなって」

「今までにそのような事は?」

詩甫の迷いに関係なく浅香が訊く。
個人で色んな表現がある。 心筋梗塞、狭心症、他に色々と考えられるが、詩甫はまだ若い。 今の時代、若いからと言ってその病気に当てはまらないとは言えないが、様子がおかしかった時間もそんなに長くはなかった。 なによりもそれ以外に一番濃い原因が考えられる。

「ありません」

「浅香・・・」

浅香は真剣に応えてくれた。 それがどこか祐樹に安堵をもたらす。
不安な目をしてその目から今にも大きな涙の粒を落としそうな祐樹が浅香を見ている。

浅香が一旦祐樹を見て微笑むと再度詩甫を見る。

「一度検査をしてもらう方が良いとは思いますが、それだけでは無いかもしれません」

「え・・・」

「浅香・・・どういうこと?」

浅香の手が祐樹の震える手に伸びる。 手を覆ってやる。 手と目は違う方向を見ている。

「僕はそちらの理由の方が濃いかと思います」

「・・・どういうことですか?」

震える声を押さえるように詩甫が言う。

「そのお話しを野崎さんの部屋でしましょう。 どうですか? もう何ともありませんか? 息をするのが苦しいとか、まだどこかに痛みがあるとか、どこかに違和感はありませんか?」

詩甫が首を振る。


カラリと氷の音がしてリビングの座卓に布製のコースターを敷き、その上にガラスのコップが置かれた。 ストロー付きである。
秋が終わろうとしている山の中ではとても寒くて飲めたものではないが、この街中では時折こうして冷たいものが飲みたくなるような気温になることがある。

「インスタントしかなくて」

それはコーヒーであった。 可愛らしい花柄の入ったコップに入っている。
今詩甫はインスタントと言った。 浅香が来てから新たに作っている様子はなかった。 きっと自分で何杯か作り置きをして冷蔵庫に入れているのであろう。

「いえ、豆をひいたのは、あまり好きではありませんので、僕もインスタント派です。 いただきます」

フレッシュとシュガーを幾つか小皿にのせて一緒に置いていたが、浅香はそれを使わなかった。 インスタントではあるが、ブラックのようだ。
一口コーヒーを飲むと、職業柄なのか再度詩甫の身体を気づかう。

「どこか体に変調はありませんか?」

「はい、どこも何ともありません」

祐樹が黒い瞳を左右に振っている。 その祐樹の前にはジュースが置かれている。

「どこかに痛みもありませんか?」

「はい」

此処は詩甫の部屋。 この部屋に来るまで詩甫の手を取り、何度も詩甫を見上げ「姉ちゃん、大丈夫?」 と訊いていた祐樹。 その祐樹が今は口を噤んでいる。

「えっと、足を崩してもいいでしょうか?」

浅香は正座をしていた。

「あ、気付かなくて、どうぞ崩して下さい」

祐樹が自分の足元を見る。 祐樹も知らず正座をしていた。 いつもなら足を投げ出していたのに。 それ程に詩甫の身を案じ身を固くしていた。
浅香が胡坐をかいたと同時に、祐樹も足を崩す。

「すみません、正座が苦手でして」

詩甫がフッと笑みをこぼし、そのままきちんと座ると自分の前にもコーヒーを置きフレッシュに手を伸ばす。

「検査を受けた方がいいんですよね?」

詩甫の言いように、祐樹が不安な目を詩甫に目を向ける。

「救急隊員としては一応」

「それだけではないと言うのは? 浅香さんが他の理由の方が濃いというのは、どういうことでしょうか?」

俯いた浅香の目が閉じられた。 それは今の詩甫の質問を拒んでいるわけではない。 詩甫を傷つけることなく、不安にさせることなく、どう話し始めればいいかと考えたのだが、詩甫の部屋に来るまでもそれは何度も考えていた。 だが正解を得られなかった。 今もだ。 だからと言って黙っているわけにはいかない。
浅香の瞼が上がり、一拍遅れて俯いていた顔が上がる。

「お社の状況が変わったようです」

「え?」

「曹司から、野崎さんの健康が損なわれるかもしれないと聞かされました」

それは曹司が言ったことではない、朱葉姫が詩甫に危険が生じると言ったことからである。 だが敢えて曹司からと言った。

「・・・」

浅香が他の理由と言った時に、社でのあの視線の事ではないかとは思っていた。 だが健康を損なうまでとは考えていなかった。

「野崎さんのお気持ちを考えると言いにくいのですが、お社のことは無かった事にしてほしいと朱葉姫が仰っていたそうです」

直球であった。 どれだけ頭を捻っても、詩甫を傷つけることの無い言葉をチョイス出来なかった。 だが溺れる者は藁をも掴むではないが、全てを曹司から聞いたことにする。 それで少なくともワンクッションは置けるだろうと。

「・・・どういうこと、ですか?」

詩甫の不安を祐樹が感じる。 詩甫と同じような目を浅香に向ける。
祐樹は浅香と曹司のことも、朱葉姫のことも知っている。 だがその朱葉姫が詩甫に何を頼んだのかは知らない、いや、詩甫が頼まれたという事実さえ聞かされていなかった。 それは浅香にしても詩甫にしても、故意ではなかった。

「まずは・・・いや、第一に野崎さんの健康が一番です。 それを朱葉姫が望んでいます」

詩甫が首を振る。

「そんなことは訊いていません。 どうしてお社のことが無かったと? それでは長年の朱葉姫の想いが終(つ)いえてしまいます。 朱葉姫がどうしてそんなことを言ったんですか?」

そうだろう、そう思うだろう。 詩甫は朱葉姫と直に話したのだから、その朱葉姫の想いを重々に受け取ったのだろうから。

(くっそっ、曹司のヤロー、こんな時には知らぬ存ぜぬかよ)

電車の中で既にスイッチは切られていた。 あちらでどんなやり取りをされているのかは、浅香の知るところではない。
“僕にもよく分からないんです” そんなことを言ってしまえば一番楽だろう。 だがそれを選ぶことが出来ない。

(うわぁ、俺って面倒臭い奴だったんだぁ・・・)

改めて己を知った。

瞼を閉じ二呼吸、そして瞼を開ける。

「曹司が感じた事、それと聞いたまま、見たままをお話しします」

だがそれは責任転嫁であるのではないかと思った。 曹司のように。 それでも選ぶのは詩甫にあると思った。 それも責任転嫁であるのかもしれないが。
曹司から見聞きしたという浅香の話を聞いた詩甫は冷静だった。 反対に祐樹が顔色を青くしている。

「その、誰かは分からない怨? その怨を持った人が私に何かをすると?」

全てを言ったわけではない。
根本は朱葉姫にあるとは告げなかったし、もちろん詩甫にあるとも言わなかった。 そんなことを言ってしまえば詩甫がどれだけ朱葉姫のことを心配するであろうか、それに思いもしない行動に出るかもしれないという懸念があった。 だから漠然と怨を持つ者という言い方をした。

怨を持つ者の標的は肉体を持つ者に向かう。 それは色んな情報から分かっていることだ、詩甫もテレビや雑誌を見て知っているだろう。

「朱葉姫はそう考えているようです。 事実、野崎さんに異変がありました。 救急隊員がこんなことを言ってはいけないとは思いますが、電車の中であったことは病的なことでは無いと思っています」

浅香の台詞に病気ではなかったのかと、どこか安心ができる。 特に死にたくないとは思っていないが苦しむのは受け入れがたいし、入院などということになれば母親がどう思うか。

「それに雑草で指を切られましたが、あれ程に出血するのは有り得ないかと。 僕もあそこの雑草は抜いていましたが、あそこまで出血するような指を切らなければならない雑草は無かったと思います」

詩甫を不安にさせることばかりを言っている。 不安にさせたくないと思っているのに。

(くっそ、俺の馬鹿野郎!)

だが知って欲しい。 知って身を引いて欲しい。 他の方法が見つからないのだから言うしかなかった。

「私が浅香さんの手をお借りして、お社を閉じるということにも何かがあると?」

「朱葉姫は人死にがあるかもしれないと言っていたそうです。 それが野崎さんなのか、関わった他の人なのかは分かりません」

昔からいわくつきの所に、道路を作ろうとか開発をしようとして、ことごとくに関わった者が病気になったり命を落としたという話を聞かないわけではない。 その状況がもたらされるということなのだろうか。

「・・・」

詩甫が顔を下げる。
自分だけならともかく、自分が起こしたことを切っ掛けに、見も知らない人に厄災がおきることなど許されるものではない。
その思いは朱葉姫と同じだった。

「・・・浅香?」

詩甫はまだ顔を下げている。 詩甫の様子を伺うように祐樹が浅香をそっと見る。 今なら訊けるだろう。

「ん?」

「お社を閉じるってどういうこと?」

「ああ、そうだった言ってなかったか」

そこでかなり端折って説明をした。

「あのお社・・・潰すの?」

祐樹が戸惑った顔をしている。

「だから・・・潰す前に綺麗にしてたってこと?」

浅香が今までになくどこか寂し気な笑みを返事とした。 祐樹が顔を下げてしまう。

「お社は・・・」

今の祐樹と浅香の会話を聞いてではないだろうが、詩甫が意を決したように顔を上げる。

「はい」

「お社は私が、私自身が閉じます」

浅香と目を合わせる。

「野崎さん!」

祝詞を上げなくてはならないのだろうか、でも祝詞など知らない。 建物を潰すというのはどうしたらいいのだろうか、そんな手順は知らない。 社を終わらすにどんな手続きが・・・。 何も知らない。

「何も知らないです、何をどうしていいのかは全く分かりません。 でも私が閉じます。 私自身の手で」

「野崎さん! 相手の力は野崎さんが一番よく分かっているでしょう」

指先から血を流し、今回は心臓を鷲掴みにされたのだ。 それは病的なことではない、朱葉姫を怨む者の力。

(姉ちゃん、浅香の言う通りだよ)

祐樹がそう口を挟みたかった。
ついさっきは社を潰すと聞かされ、寂しさに口を噤んでしまったが、そうだった、詩甫は今日大変な目に遭ったのだった。 またそんなことがあるかもしれないと浅香が言っていたのだった。 だが詩甫の気持ちがそうでない。 言いたくても言えなかった。

「浅香さん」

「はい」

「あのお社を閉じるのにどんな手続きが必要なんですか?」

「野崎さん・・・」


結局、詩甫を説得することが出来なかった。 挙句に、何の手続きも要らず、あの社を閉じるに際して山の持ち主にもう話はつけてあるということを言ってしまった。
それは社としても、建物としても登録のされていない社を勝手に潰すことが出来る。 言い方は悪いが小屋を潰すようなことであった。 それで終わりということを言ってしまったと同じだった。

「あぁぁ・・・俺の馬鹿ぁ・・・」

電車の中で一人悶絶をし、頭を抱える浅香であった。


浅香が詩甫の部屋を出た後、詩甫がコップを洗っていると水切りに入ったコップを手にし布巾で拭き始めた祐樹。
この義弟はこういうことをよく手伝ってくれる。

「・・・姉ちゃん、再来週どうするの?」

詩甫が祐樹を見て最後のコップを水切りに入れながら微笑む。 タオルで手を拭く。
祐樹が拭いたコップをテーブルに置いていた。 それを詩甫が食器棚に戻していく。

「お姉ちゃんってね・・・頑固なの」

「そんなことないよ?」

優しい姉だ、頑固だなんてことは無い。

水きりに入れられた最後のコップを拭きテーブルに置いた。 布巾を布巾かけに戻す。 詩甫がテーブルに置かれた最後のコップを食器棚に戻す。

「約束は守りたいの。 それに単なる約束じゃないから。 朱葉姫の想いがよくよく分かっているから。 瀞謝として朱葉姫の紅葉姫社を知った時から、この事は始まっていたのかもしれないから」

祐樹が俯く。 そんなことを言われれば、どう言っていいのか分からない。

「ね、状況は変わっちゃった。 この事で祐樹が怪我をしちゃったら、お姉ちゃん悲しくなるから祐樹はお社に行かないように―――」

「行くよ!」

俯いていた顔を上げて真正面から詩甫を見てはっきりと言った。

「姉ちゃんを一人にさせないからっ」

「祐樹・・・、お願い」

「オ、オレは強いんだから! そいつが出てきたら、い、石を投げてやるんだから!」

詩甫が電車の中で苦しんでいる時に自分は何も出来なかった。 浅香に頼るしかなかった。 今回だけじゃない。 いつもいつも浅香に頼ってばかりいる。
浅香に頼ることに厭う気持ちはない。 大人として、大人にしか出来ないことをしてくれている。 それに詩甫のことをよく見ていてくれているとも思っている。 大切な姉のことを。 でも自分で出来ることは自分でする。 相手は幽霊だ、怖いかもしれない、でも怖くても石くらい投げられる。

「幽霊に石を投げても、ぶつからないで通っていくと思うよ?」

「う・・・」

・・・他の方法を考えよう。

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国津道  第16回

2021年03月12日 22時01分01秒 | 小説
『国津道(くにつみち)』 目次


『国津道』 第1回から第10回までの目次は以下の 『国津道』リンクページ からお願いいたします。


     『国津道』 リンクページ




                                   



- 国津道(くにつみち)-  第16回



社の中から詩甫たちを見送った朱葉姫。

「無事に終えてくれたようですね」

朱葉姫の心痛が手に取るようにわかる。 どうしてここにきてそうなるのか。 今までそんな心配事は無かったというのに。 それに長い星霜が過ぎてしまっている、朱葉姫が寂しく思う星霜が。 一夜が俯けていた顔を上げる。

「姫様・・・」

一夜のそれだけの言葉の中に一夜の言いたいこと全てが分かる。 朱葉姫を煩わせたくない。 それは社をあとにして、帰るべき所に戻るべきだということが。

「一夜・・・ごめんなさい」

「そのような事は・・・」

「民が・・・民が建ててくれたの」

「・・・はい」

「朽ちることだけは避けたいの」

「・・・分かっております。 要らぬことを申し上げてしまいました」

分かっている。 朱葉姫が何を一番に思っているか。 朱葉姫を想い、この社を建てた民のことを思うとこの社を朽ちらせて終わらせたくないと。 心ある者の手によって終わらせたいと。

朱葉姫の後ろに座っている数人の者たちがここに来て良かった、朱葉姫の心を聞けて良かった、朱葉姫の心を知れてよかったと、分かってはいたが、朽ちていく社のことを聞く度に想いを熱くしていた。

「・・・曹司は?」

この場に曹司が居ない。
朱葉姫が社を出る前は曹司が山を見回っていたが、朱葉姫が社を出てからは曹司は朱葉姫についていた。 その曹司が居ない。

「気になると申しましてお社を出て行きました」

後ろに控えていた四十前後の一夜より四歳か五歳ほど若い。 朱葉姫と共に当時の曹司を可愛がっていた女である。


『曹司、そんなことをしては、朱葉姫様が悲しまれますよ』

幼い曹司が井守の尻尾を片手に持ち、目の前で左右に振っていた時であった。 当時の曹司は動くもの全てに興味があった頃である。

『姫ちゃま井守いや?』

『そういう意味ではありません。 井守が苦しそうにしているでしょう?』

曹司が井守を見たが、井守の苦しむ表情など分からない。 口を尖らせ顔をしかめる。

女・・・薄(すすき) が微笑んで曹司の手を取り、井守を地に置いてやった。 井守がサササと手足を動かし井戸に向かって行く。

悲しみを乗り越えるにはまだ幼い歳であったが、朱葉姫が曹司を包んでいた。 それを補佐していたのがこの薄であったが、薄自身も曹司を可愛がっていた。

村で流行り病が起きた。 当時の朱葉姫の祖父がすぐに動いた。 村人の中で患った者と、まだ患っていないものとをすぐに隔離した。 まだ患っていない者は既に伝染していてこれから患うかもしれない。 一人一人を小屋に隔離した。

曹司の両親が疫病に罹り、曹司もすぐに両親と別々に隔離された。 曹司の両親は亡くなってしまったが、隔離するのが早かったからなのか、幼いながらも曹司に体力があったからなのか、曹司は流行り病を患っていなかった。

曹司は親の顔を薄っすらとしか覚えていなかった。 その曹司を朱葉姫の父が引き取った。 もちろん朱葉姫の父親も家族も曹司を疎んじることは無かった。


「気になる、と?」

「はい」

曹司が気にしているだろう朝の出来事が脳裏に浮かぶ。
社の中の朱葉姫が立ち上がりその姿がふっと消える。

「姫様・・・」

朱葉姫の斜め後ろに居た一夜が漏らした。


曹司の横に姿を現した朱葉姫。
そこは社の裏であった。

「姫様・・・」

朱葉姫がチラリと曹司を見たかと思うと、姿を変えた竹箒を見る。

「朝に見た時より、穂が抜かれているようですね」

穂は抜かれていたが、残った穂を針金できつく縛ってあった。 それは浅香がしたことではあるが、朱葉姫が早朝見た時より、竹箒の穂が随分と抜かれている。
早朝朱葉姫が見た後に “怨” を持つ者が、穂を抜いたのであろう。

朱葉姫が残された気に気を合わす。

早朝、朱葉姫が見て回ったからと安心していたのだろうか、次に朱葉姫が回る明日の朝までに気が薄れるとでも思ったのだろうか、ひた隠しにしていた気、怨、念、全てが残っていた。

“邪魔するものは壊してしまえ” と。 物には破壊を、人には血を。 修羅のように。

「怨みが・・・知恵を与えたようです」

朱葉姫は残された気を、細分化して感じようとしているようだ。

「・・・知恵?」

「ええ、大きな力を・・・」

朱葉姫が終わろうとしている秋の空を見上げる。
朱葉姫は民によって祀りたてられた。 朱葉姫がそれに応えた。 残してきた民に幸せになって欲しかったからである。

その民が子々孫々朱葉姫を祀った。
子々孫々が紅葉姫社の前で手を合わせる。 その合わせた手の中から日々の楽しいことを感じ取れた、語ってくれた。

それだけで幸せであった。
この地を守りたい。
それだけなのに。
誰が・・・。

「姫様・・・」

もう守りたいと思った民はいない。
今更何を想うのか。
この地に守りたい民はもう何百年と居ない。

「社を守ることは、もう必要ではないのですね」

そんなことは何百年と前から分かっていた。 守りたい民が居なくなっても、その民の意を汲みたくてここまで社を守ってきた。 だが千秋が経った、経ち過ぎた。 朱葉姫の力も自然の力には向き合うことが出来なくなってきていた。 社が朽ちて行くのを止めることが出来なくなっていた。

いつの間にか上げていた顔を下ろしていた。 その瞳には姿を変えた竹箒が映っている。

「姫―――」

「わたくしが・・・憎いのでしょう」

唐突に朱葉姫が言った。

「え・・・」

「ここに残る念・・・怨」

朱葉姫が地を見たかと思うと宙を見、哀しげな顔を見せる。

「わたくしが生きていた頃でしょう」

そんなことがあるはずはない。 もう朱葉姫は千年以上前の人物である。 その朱葉姫を憎んでいるのならば、その人物も先年以上も前に生きていた者になる。 その者が朱葉姫に憎しみを覚えていれば己が何か気付いたはず、手を打ったはず。 だがその様な者を見ることなど無かった。

どういうことだ、己の目がくすんでいたのか。

それに今は千年以上も経っている。 朱葉姫に頼り己らはこの世に肉体を持たなくなっても、朱葉姫と共に居ることが出来ている。
だが朱葉姫を憎む相手は朱葉姫に頼ることなど無かった。 なのにどうして肉体を失くしてからも力を持ち千年以上も居ることが出来るのか。

朱葉姫がこの社に残っているということは、肉体の無い者には分かっていたはずだ。 千年も待たず、死してすぐにここに来てもよさそうなことだ。
ここに来ていれば朱葉姫がすぐに気づいたはず。 だがそれが無かった。 朱葉姫からそんな話は聞いていない。

どういうことだ。 朱葉姫が今まで気付かなかったということは、怨念はここに無かったということになる。 今までその思念はどこにあったというのか。

「わたくしの一番大切に想うことが、瓦解するのを待っているようです」

朱葉姫の一番大切に想うこと、それはこの社が自然のままに朽ちてしまうのではなく、心ある者によって閉じられるということ。
それは社が朽ち終わらないということ。

「社が朽ちるのをずっと待っていたのでしょう」

千年以上も。

「姫様・・・」

曹司の口からはそれしか出なかった。 誰がこの朱葉姫の想いを邪魔しようとしているのか。 あれだけ民に愛され、民の為に生きた朱葉姫なのに。
それなのに・・・。
今、朱葉姫は曹司には計り知れない悲しみを覚えているだろう。

「力があるようです。 きっと積年の怨みが積もった故の力なのでしょう、物を動かすことが出来るでしょう」

霊として存在していても、簡単に物を動かすなどということは出来ない。 曹司にしても容易ではなかった。
物を動かす・・・。 それは詩甫たちが用意していた掃除道具を壊すことも出来るということ。 動かす程度ではなく壊すことまで。 そうであれば、その力の大きさが容易に知れる。

その力の源が “怨”。

それはこの社を磨く詩甫を睨んでもおかしくない。 それとも朱葉姫と瀞謝との間に交わされた朱葉姫の願いごとを知って睨んでもおかしくない。 睨む力を生きている人間に分からしめるほどに。
そうであるのならば瀞謝から聞いた話の辻褄があう。 起因は瀞謝ではなく朱葉姫に対してだったのか。

「わたくしが生きていた頃の間違いが今にして・・・」

それが誰なのだろうか。 分からない。 “怨” を持つ気を感じることは出来るが、そのような気に心当たりなどない。

「そのような事は!」

曹司・・・朱葉姫が振り返り曹司の名を呼ぶ。

「はい」

「瀞謝に伝えてちょうだい。 力の有る者です、瀞謝に危険が生じるかもしれません。 この社にもう来ないようにと」

“怨” を持つ者がたとえ油断していたとしても、相手の持つ “怨” の大きさが十分に分かった。 いつどんなことが詩甫に降りかかるかも分からない。
曹司は詩甫の気持ちを聞いていた。 どれだけ詩甫が残念に思うだろう。 それに毎回、社の中から詩甫を見ていた朱葉姫も。

「・・・はい」

「瀞謝が社を閉じるに取り計らってくれたとしても、失敗に終わるかもしれません。 もっと早く気付くべきでした」

「え・・・」

どういう意味だろうか。
曹司の目を見て話していた朱葉姫の目が宙を見る。

「この社が朽ちて瓦解するのを望んでいるのです」

さっき迂遠に言っていたが、それは聞いた。 同じことを言われた、だから・・・どういうことなのだろうか。

「瀞謝がこの社を閉じるよう計ってくれたとしても、相ならぬでしょう」

曹司がぐっと喉を閉める。

「それは・・・」

「具体的には分かりません。 ですが瀞謝の取り計らいが成功には終わらない。 ・・・人死にがあるやもしれません」

それ程に強い力を持っている。
朱葉姫にとってそれは受け入れがたいことである。 言ってみれば自分の我儘で誰かが命を絶たれるのかもしれないのだから。

「・・・わたくしの願いは無かった事として伝えてちょうだい。 瀞謝に会えて嬉しかったと、それだけで十分ですと」

「姫様・・・」



揺れる電車の中で、前屈みになっていた浅香がパッと顔を上げた。

(嘘だろ、おい)

そんなことをどうして詩甫に伝えられると言うのか。 あれ程に社のことを、朱葉姫のことを想っている詩甫に。

(くっそ、曹司のヤロー)

責任転嫁もいいところだ。
だが詩甫の命には代えられない。

曹司は朱葉姫が言ったことを浅香に言ってきたのではない。 朱葉姫が詳しく話し出した時から、言ってみれば浅香と曹司の間のスイッチをオンにしていた。
曹司が目に耳にした事が浅香の頭に伝わっていたということである。 簡単に言うと、スイッチをオンにされた時から、朱葉姫と曹司の会話を浅香は聞いていた。 それは朱葉姫が『瀞謝に伝えてちょうだい』 と言ったところからだった。 その前の会話は見聞きすることは無かったが、曹司の思念を受けていた。

「浅香? どうした? 曹司が何か言ってきたのか?」

浅香が祐樹を見て口の端を上げる。 余裕などない、だが祐樹にはこう見せるしかなかった。 そして祐樹の頭をグリグリと撫でると視線を詩甫に送る。

「痛って! なんだよ浅香!」

頭上の浅香の手を弾き浅香を見上げると、その浅香が詩甫を見ている。

「おい、どうしたんだよ」

浅香の視線が祐樹に戻る。

「曹司から緊急警報が届いた」

「は?」

何事があったのかと、詩甫が驚いた顔を見せている。
浅香は次の駅で降りねばならない。 詩甫に視線を転じる。

「ちょっと込み入った話があります。 僕の部屋か野崎さんの部屋で話したいんですけど」

どこかの店では話しにくい。 誰が面白がって聞き耳を立てるか分からない。

「あ、では私の部屋でもいいですか?」

浅香が翌日出勤ということは分かっている。 これが深夜なら浅香の部屋で話した方が浅香に無駄な時間をとらせないだろうが、まだ夕刻にもなっていない。

「じゃ、このままお邪魔しちゃいます」

浅香にとって詩甫の部屋は初めてではない。 それは救急隊員としてであって個人的には初めてだが、今の浅香にそんなことをツラツラと考える余裕は無かった。 曹司からの情報をどう詩甫に聞かせるか、どう説得するか、それだけしか考えられなかった。

「浅香」

祐樹が浅香を呼ぶ。 浅香が祐樹を見る。

「うん?」

「曹司からとか言って、姉ちゃんをたぶらかそうとしてないだろうな」

緊張した面持ちの浅香の顔に笑みが浮かぶ。

「それなら楽だろうな」

「どう言う意味だよ」

まだ小学生の祐樹には、この切羽詰まった浅香の表情が読みきれないようだ。
二人の会話を聞いていた詩甫。 祐樹と違って曹司から重大な事がもたらされたのだと分かる。 

その時、思わず心臓辺りに右手をやった。

―――イタイ。

何かに心臓を鷲掴みされたような痛さを感じた。 右手に続いて左手が右手を覆う。
知らずグッ、と呻き前屈みになる。
詩甫の異変に気付いた浅香。

「野崎さん?」

二人の間に座り浅香を見ていた祐樹が詩甫に振り返る。

「姉ちゃん!」

祐樹が前屈みになった詩甫の背中に手を回す。
浅香が辺りを見回す。 だが何か不審なものを感じることは無い。 とは言っても朱葉姫以下、曹司以下の浅香である。 何かがあったとしても、その何かを感じるのは無理があったであろう。

(嘘だろ、奇襲か?)

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国津道  第15回

2021年03月08日 22時39分56秒 | 小説
『国津道(くにつみち)』 目次


『国津道』 第1回から第10回までの目次は以下の 『国津道』リンクページ からお願いいたします。


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- 国津道(くにつみち)-  第15回



『瀞謝!』

『なに? 母さん』

『あんた、またどこかに行ってたね』

『ちゃんと家のことはしたよ?』

弟や妹のことも。

『言われんだよ、言われたんだよ! あんたがウロついてるって』

『そんなこと、ない・・・』

母親の言うウロついているというのは、紅葉姫社の事だろう。
瀞謝の家族は流れ流れてこの地に落ち着いた。 昔から居たわけではない。 母親が朱葉姫のことを知るはずなど無かった。
母親に何と言われようともそれでもいい。
紅葉姫社、社を掃除できる、それだけでいい、それが嬉しい。

水の流れを見ながらそんな記憶を甦らせていると、ふと祐樹の声が耳に入った。

「ったく、浅香は低学年過ぎるんだよ」

その言葉で締めくくられたようで、祐樹が小川に手を入れてジャブジャブと洗い出す。

「だからお兄さんだって」

浅香が祐樹に続いてしゃがんで手を洗い出すと詩甫も浅香に続いた。 浅香は爪の中にまで土が入り込んだようで、かなり念入りに洗っている。
詩甫も屈んで小川の中に手を入れた。

着物を着た女の影が薄っすらと見える。 黒く長い髪をゆるりと首の下辺りで括っている。 その女が足も動かさず、スッと前進している。
軽く肩越しに振り返ったその目は切れ長で唇には笑みをはいている。 その視線のずっと先には詩甫がいた。


「曹司」

社の中から格子越しに外を見ていた朱葉姫がゆっくりと振り返る。 その先には社に戻って来ていた曹司が居る。

「はい。 ・・・居りますか?」

「ええ、そのようです」

「お出になられますか?」

この社から。
そしてこの山を乱す者を導くのだろうか。 以前のように。
二人の会話を聞いていた一夜が眉根を寄せる。

「曹司、姫様は―――」

「一夜、いいのよ」

一夜に言われなくとも曹司もここに居る誰もが知っている。 朱葉姫の力が削がれていることを。
単純にこの社が千年以上も持つはずがない。 当初は朱葉姫を慕う者達、その者たちを先祖に持つ者たちが修理をしてきたが、それで追いつく年数ではない。 もう誰も来なくなって何百年と経つのだから。

この社を作った者達の気持ちを汲んで、朱葉姫がここまでもたせていた。 そして戦によってこの山に遺恨を残す者たちも導いてきた。 木々に火を放たれたこともあった。 だが炎からもこの社を守った。
ずっと社を守り清浄にしてきた。 だがもう限界であることは分かっている。

「力が及ばないかもしれません。 それでも・・・瀞謝にお願いしたのですから、それまでは守りたいの」

朱葉姫がスッと立ち上がった。



帰りの電車の中で次の予定を組んだ。 それは来来週。

「祐樹? 付き合わなくてもいいよ? お友達と遊びたいでしょう?」

祐樹がムッとした顔を詩甫に返す。

「だから姉ちゃん、オレが邪魔なの?」

右隣りに座る詩甫に言うと、次いで左隣を見る。 何故かそこに座る浅香が睨まれた。 何のことかと浅香が眉を上げたが、すぐに詩甫からの返事で祐樹が再度詩甫を見る。

「そんなことないって」

「絶対一緒に行くから。 浅香なんかに姉ちゃんを預けられないんだからな」

「おーっと、どうして姉弟の会話の中に僕が出てくるのかなぁ」

祐樹が浅香をもう一度睨む。

「な、なんだよ」

「浅香、お前・・・」

「なに?」

「姉ちゃんを誘惑しようと思って無いだろうな」

祐樹の矛先がかなり変わったようだ。

「祐樹! 何てこと言うの!」

「あ、否定されます?」

「え?」

目を大きく開けた詩甫だが、すぐに次の浅香の答えについ笑ってしまった。

「冗談です」

屈託のない笑いを詩甫に見せる。

「浅香! お前! 姉ちゃんをからかうのか!?」

「おーい、祐樹君、これは男子として必要な言葉だぞ。 もし今、そんな気はないなんてすぐに言ったら、女子は傷つくんだぞ」

「へ?」

「うーむ、お兄さんとしては、祐樹君には男子の心構えとやらを教えてやらねばならないか」

「ふん、彼女もいないくせに」

「そこを突かれたら困るんだけどな」

頭を掻きながら困り顔を作ってはいるが、本心から気にしている様子は見かけられない。
その浅香としては、曹司や朱葉姫から頼まれたあの社のことで詩甫と詳しいところを話したかったが、祐樹が居てはそんな話はままならない。

一番訊きたいことは社を閉じるにどこの神主に頼むか。 詩甫に知り合いの神主が居るのか、それともよく知った神社があるのか。

詩甫からは、あと一年は社を置いておきたいと聞いている。 今までもったのだから、今年の台風の季節も回避できるだろう。 だからあと一年は社に花と供え物を供えたいと、そして綺麗に拭き掃除をしたいと。

瀞謝の頃に供え物を供えられなかった、生きていく上でそんな余裕などなかったのだから。 花は添えられたが、だがそれも道々手折ってきた雑草であった。 そのことを思い出したと言っていた。 だから一年の猶予が欲しいと。

だが浅香にすれば詩甫の言うあと一年ではなく、すぐにでも整えたかった。 曹司の僅かだが焦りを感じていた。 曹司に余裕が無いのだろう。 浅香から見てもあの社があと一年もつとは安易に考えられなかったこともある。

「ん? 浅香? どうした?」

「ああ、なんでもない」

そう言った切り、浅香が真顔になって下を向いてしまった。 何かを考えているような、聞こえない何かを聞こうと、見えない何かを見ようとしているような姿である。
詩甫の考えを一瞬頭に浮かべた後、すぐに曹司の何某かを感じたのだった。

祐樹が詩甫に顔を向けると詩甫が人差し指を口に充てる。 詩甫がこういうことをするのは、きっと浅香が曹司と向き合っている、それとも曹司との間で何かがあるということは、ほんの僅かの経験からではあるが分かる。

(浅香・・・大変だな)

心の中で呟くと憐憫な目を俯いている浅香に送る。

(朱葉姫が社を出たか・・・)

曹司からの知らせであった。
そこで何か分かることを期待したが、朱葉姫が山の中を探しても何も分からなかったようだった。
浅香が閉じていた目を開き顔を上げた。



詩甫は視線に立ち向かおうとしているのか、完全に隔週で社に向かっていた。 その隣にはいつも祐樹が居た。

浅香は壊されたバケツに代えて、シリコン製の伸縮自在なバケツが入った袋を手に持っている。 今は縮めた状態で平面になっている。 それをビロビロと伸ばすと立体的なバケツになる。 雑巾は持ち運びに困るものではない。 バケツと雑巾は置いておくのではなく持ち歩くことにした。 ここに置いておかなければ壊されたり切り裂かれることはない。
浅香が不気味な笑いを上げたのは、こういうことであった。

浅香が秋の台風のことを気にはかけていたが、いつしか秋が終わろうとしていた。 神の計らいなのか、この地に大きな台風が訪れることは無かった。

詩甫にはいつも祐樹か浅香が付いていた。
その詩甫からは誰かに見られているということは聞かなくなっていた。

緑豊かだった山の中に茶色く色を変えた落ち葉が目立っている。 ビュッと風が吹けば落ち葉が舞うだろう。
その風が吹いた。 ザンと木々の梢が音を鳴らす。

「わぁー! せっかく集めたのにぃ!」

見事なくらい、落ち葉が宙に舞った。
落ち葉をひと所に集めていた祐樹が叫んだ。
祐樹の集めていた落ち葉が宙に舞っている。

「綺麗・・・」

祐樹の叫びに振り返った社の格子を拭いていた詩甫が思わず口にしたのだ。
宙に舞う落ち葉、その様が幻想的であった。
だが現実的に詩甫が言ったことを祐樹が聞けば頬を膨らませたであろう。

もう草が生き生きとする季節ではない。 浅香は雑草抜きをしていない。 詩甫と共に詩甫の手が届かない格子の上の方を拭いていた。

「祐樹君の努力が水の泡ですね」

浅香も宙に舞う落ち葉を見ている。
詩甫が隣で格子を拭いていた浅香を見る。

「竹箒・・・」

「ええ」

祐樹が握っている竹箒の穂が、来る度に一本二本と引き抜かれていた。 そして今日は一本二本ではない、もう箒として限界であった。

何かある。

詩甫に対しての視線は無くなったが、最初にバケツと雑巾が壊され、その時には竹箒には至らなかったが、壊そうとした跡が見られていた。
それから数か月を経て、竹箒が徐々に壊されていった。 今日は特に酷い。 ほぼ箒と呼べない状態になっていたが、いつかこうなるような気がしていて浅香が針金とペンチを毎回持ってきていた。 そのペンチを使って針金で穂を止めたのだが、もう限界であろう。

「今日はこれまでにしましょうか」

社の格子を拭き終える。

「葉が舞うのは仕方ありませんから」

「はい」

枯れ葉が舞う中、祐樹を呼ぶと不服顔でやって来る。

「サイアク」

「そんなことないよ? 祐樹がちゃんと掃除をしてくれたって分かってくれてると思うよ」

「・・・ならいいけど」

納得できないと言った風に祐樹が答える。

「今日はもう帰ろうか」

あの竹箒だ、祐樹が手をこまねくことは分かっていた。 浅香と詩甫で供養石の拭き掃除は終わらせていた。

花束と供え物を置くと、三人で小川に行き雑巾とバケツ、手を洗う。

小川の中では川藻が姿を消し、流れに映ってキラキラと光っていた陽の光も弱弱しく感じられた。 幾枚もの枯葉が小川の中を漂っていく。 その小川の水はもうかなり冷たく感じる。



その日の朝の出来事であった。
社の前、朱葉姫の斜め後ろに曹司がついている。

あの日から朱葉姫は毎朝社から出ていた。 この日も辺りを見回すようにした後、両の手の指を胸元でぎゅっと合わせると目を閉じ軽く俯く。

気を追っているのだ。 それは毎朝のことであった。 だがい追い切れなかったり、何も感じなかったりしていたのだが今日は違っているようだ。

暫くすると朱葉姫がゆっくりと瞼を上げる。 長い睫毛が揺れる。

「怨(おん)・・・」

社に居る間はこの清浄な山に単に異なるものとして受け取っていたが、今ははっきりと感じる。
相手がこれほどまでに気を残していったのは初めての事であった。
相手に何かあったのだろうか。
ゆっくりと歩きながら、独り言なのか曹司に話しかけているのか分からない口調で話し始める。

「今まで、これほどに怨むような気はありませんでした」

「・・・」

どういう意味だろうか。
朱葉姫からは戦でここに根を下ろそうとした、執念のような気を導いていると聞いていた。 怨むなどとは聞いていない。 たしかに此処に根を下ろそうとした者は、戦で怨みを持っていたのだろう。 だが朱葉姫からそんな表現では聞いていない。

朱葉姫はまだゆっくりと歩いている。 その足先がある方向に向いている。 歩き続けると足が止まった。

「ここに強く気の痕跡を残しています。 曹司、分かりますか?」

そこは社の裏手であった。 バケツが壊され雑巾が破られたところ。 今は竹箒しかない。 その竹箒すらも穂を何本も抜かれている。

「・・・いいえ」

曹司が首を振る。
力を削がれたと言っても曹司より数倍の力を持っている。

「怨・・・」

再度、朱葉姫が言った。

「誰が誰に向けているのか・・・」

残されてあった気からは分からなかったようだ。 相手がひた隠しにしているのだろう。
だが朱葉姫が言った『誰が誰に・・・』 それは “誰が” は分からないが “誰に” は詩甫にであろう、と曹司が思う。

「瀞謝に何事も無ければ良いのですが・・・」

そう心配していた朱葉姫だったが、社に来れば常に祐樹か浅香が詩甫についている。 曹司が浅香に注意喚起をしてからは詩甫に異変は見られなかったし、視線も感じてはいないようである。

「瀞謝には亨が居ります」



曹司の期待に応えているわけではないが、その浅香は今日もピッタリと詩甫についている。
小川で掃除道具と手を洗い、雑巾で拭いて平らにしたバケツとキュッと絞った雑巾を袋に入れると社に戻り社の供え物を詩甫が下げる。 そこには浅香がついている。 祐樹が供養石の供え物を下げてくる。

その供え物を見て気付いた事があった。 曹司は朱葉姫か瀞謝のどちらかに関わる者と言っていた。
千年以上前ということを置いておくとして、もし朱葉姫に対してなら、小川に行っている間にこの供え物をひっくり返すことくらいするだろう。 出来るだろう、バケツに穴を空けたくらいなのだから。

と言うことは、瀞謝か詩甫に恨みを持つ者ということになる。 その上でこの地に関係する恨み。 この地でしか可笑しなことは起きていないのだから。
だが詩甫はこの土地を知らなかったというし、瀞謝の頃には根に持つような時代背景ではなかったという。

「ん? 浅香どうした?」

供養石から下げてきた供え物を詩甫に渡した祐樹が、難しそうな顔をしている浅香を見上げている。

「うーん、毎回供え物を持ってきてるからエライなぁーって」

自分が考えていたことを祐樹に言うわけにはいかないし、詩甫にしてもそうだ。 不安を煽るだけになってしまう。
浅香は供え物を毎回一箱貰っている。
供え物が入っている和菓子屋の紙袋を詩甫が差し出す。

「今日もいただきます。 高くつくでしょ? だからタクシー代は僕に払わせてください」

「それとこれとは別です。 それに浅香さんに貰ってもらわないと、祐樹と私じゃ食べきれませんから」

和菓子屋の和菓子である。 そうそう日持ちのするものではない。 捨てるのはあまり良い気がしないし、祐樹に実家に持って帰らせるにも、祐樹が詩甫の家に来る度に持って帰るのも可笑しな話になるだろう。 お下がりと分かっていて、浅香が貰ってくれることが助かる。

「あれ? そう言えば、浅香が一人で全部食べてるのか?」

「和菓子は好きだけど、さすがに全部は無理だな。 だから職場に持って行ってる」

視線を詩甫に変えると続けて言う。

「争奪戦です」

「え?」

「いやー、うちって甘い物好きが多くて」

「なんでだ? この箱の分じゃ足りないのか?」

そんなに多くの人間が居たか?
祐樹は浅香がどこの消防出張所に居るかを聞いていた。 そこは祐樹が訪ねたことがあった消防出張所であった。 そのときに曹司と言う人間が居るかと聞いて、居ないと言われていた。 浅香と曹司のややこしい関係をまだ知らない時であった。

「何を言うのかな、箱ごと持って行くわけないだろう。 しっかりと自分で食べてから余ったのを持って行くんだよ」

祐樹が浅香を横目に見る。

「何? その目?」

「ケチクサ」

「ダァー、美味しいものは美味しいんだから仕方ないだろ」

でもさすがに食べきれない。

浅香と祐樹の会話を聞いていて毎回祐樹の言葉遣いが気になるところではあるが、浅香はそれを許してくれているようである。 それなのに毎回祐樹に注意をして二人の間がギクシャクしては、せっかくの浅香の努力を台無しにしてしまうのではないかと思ってしまい、注意をすることが出来ないでいる。

「行きましょうか」

詩甫の考えていることなど露も知らない浅香が言うと、頷いた詩甫が歩き出した。

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国津道  第14回

2021年03月05日 22時10分44秒 | 小説
『国津道(くにつみち)』 目次


『国津道』 第1回から第10回までの目次は以下の 『国津道』リンクページ からお願いいたします。


     『国津道』 リンクページ




                                   



- 国津道(くにつみち)-  第14回



「あー、分かんねー」

黙々と雑草と戦っていた浅香の声に、驚いたように詩甫が振り返った。

「どうしました?」

「あ、いえ、何でも」

スコップをブンブンとふりながら答えたが、思い出したように続ける。

「えーっと、野崎さんって、ここに来る前にこの地を知ってました? 僕がお連れする前に来たことがあるとか」

詩甫が首を振る。

「遠方に出掛けるのは会社の慰安旅行くらいでしたから」

どういう意味だろうか。 慰安旅行とこんな所に来るのは全然世界が違うと思うが。

「そうですか。 じゃ・・・えっと、ここに何かまつわることを知っているとかは?」

再度、詩甫が首を振る。

「もしかして、私が言った視線のことを気にかけてもらっているんですか?」

「あ・・・はい」

そうだ、詩甫のあの出血のことを思うと、やはり詩甫か瀞謝が何か恨みを買っているとしか思えない。
詩甫が困った顔を見せる。 心当たりが全くないのだろう。

「瀞謝の記憶の時にはどうでした? ここに来ていたのは明白ですよね」

「はい」

「その時に何かなかったですか? ここに限らず里に居る時にでも」

「・・・」

「野崎さん?」

「・・・それって、瀞謝であった時に誰かに恨まれたりしなかったかということですよね」

この時代、色んな情報が流れている。 霊、魂魄、そのような番組が多々ある、本もある。 詩甫も浅香が何を考えているのかに気付いたのだろう。

「その、気を悪くされたらすみません。 でも前に来た時のあの出血はおかしいと思うんです。 あのようなことが二度と無いようにと思いますし、視線って気持ちが良いものではありませんですから」

「・・・はい」

「あの! えっと、ほら、言うじゃないですか! 知らずに傷つけ・・・あわわ、じゃなくて、今の世で言ったらストーカーとか、一方的に勝手にっていうのとか、瀞謝の美を妬んだ女とか、ああ、逆恨みとかも」

少し考える様子を見せてから、再再度詩甫が首を振ってから答える。

「知らずに傷つけてしまったことはあるかもしれませんが、でも小さな村でした。 それに今の世のように、心の中に思っているだけで外には出さないという時代ではありませんでした。 それは事にもよりますが、村の中の人間関係ということでは誰もが思ったことをはっきりと言っていました。 私怨などは考えられません」

しっかりと浅香が思っていたことに答えてくれた。 心がイタイ。

「そう、ですか。 えっと、一つ確認のために。 その視線はここ以外では?」

「ありません」

即答。
気弱そうに見えて結構しっかりしているのだろうか。

「さっき、慰安旅行以外出かけなかったみたいなことを仰いましたけど、それってどういう事ですか?」

高校生にでもなれば友達と出掛けるだろうし、幼い頃には親が連れて歩いていただろう。
そう思うと詩甫の記憶の無い幼い時にここに来ていたのかもしれない。 幼い時であるから、何があったのか分かっていないのかもしれない

少し遠い目をしてから詩甫が答える。

「私、母の連れ子って言ったのを覚えて下さっていますか?」

浅香が頷く。

「私が九つの時に両親が離婚しましたけど、母は私を十八歳で生みました。 高校時代に妊娠してたんです」

突然にそんなことを言われて浅香の顔が少々引きつった。 何と答えればいいのだろうかと。 だが浅香の合いの手を待つことなく詩甫が続ける。

父親は高校を卒業してからはそれなりに働いたようだったが、収入が支出に追いつかず、実家から援助を受けていた。 高校を卒業してすぐの母親にやりくりなど出来なかった。 そんな中で親子三人でどこかに行くということは無かった。

父親はいつまで経っても財布の紐を締めない母親に愛想をつかして、時折仕事から帰って来なくなった。 ましてやその内、給料も渡さなくなった。 そしてとうとう離婚をした。
その後は母親と共に母親の実家で暮らしていたが、せいぜい長期休みになれば、祖父母に近くのデパートの屋上に連れて行ってもらったくらいだけだったと言う。

そして詩甫が十二歳の時に祐樹の父親と再婚をした。 母親が働くカフェに客としてやって来て知り合ったという。
母親が祐樹の父親のことを言った時には既に母親の腹に祐樹が入っていた。 そして祐樹が生まれてからは祐樹中心だった。

当時身体が弱く病気がちの祐樹を外に出すことは無く、その内に父親が社内の派閥争いに巻き込まれ、会社から帰って来るのが遅くなってきた。 母親は唯一の話し相手の詩甫を離さなくなってしまった。

「小さな時にどこかに連れて行ってもらったということもありませんでしたし、友達とショッピングに行くこともありませんでした」

「あ・・・。 すみません、なんか嫌なことを訊いちゃったみたいで」

「いいえ、そんなことはありません。 浅香さんが心配して下さっているのは分かっていますから」

「念押しに、お母さんの実家ってこの辺りじゃないんですよね?」

「はい、鹿児島です」

ドン引きするくらい離れている。 ある意味海の向こうではないか。 飛行機か新幹線に乗らなくてはいけないではないか。

「義父が出張で来た時に出会ったそうです」

浅香が、はぁーっと息を吐いて天を見上げた。 どれだけ点を結ぼうとしても此処に繋がる線にはならない。

「すみません・・・」

「あ、いや、そういう意味じゃ・・・。 えーっと、ここでだけなんですから、ここのことが終わったら、もうここには来ないでしょうから、その視線も止むでしょう、し・・・」

え? どういうことだ? ここに来なかったら視線は止む・・・。
それは別の方向から考えると、ここに何かあるという事だ。
曹司は朱葉姫が常にここを清浄にしていると言っていた。

(根付かぬ者)

その者がここの何かにこだわっている?

(だがそれならどうして野崎さんだけに・・・)

尻切れに言い終わらせた浅香。 詩甫が小首を傾げる。

「浅香さん?」

「あ、いえ、何でもありません。 とにかく、どんな横やりにも負けず朱葉姫の願いを叶えましょう」

「はい」

「バケツと雑巾ですよね。 ふふふ、他愛無い」

「・・・」

どこか不気味だ。

「浅香―! なに姉ちゃんと喋ってサボってんだよ!」

祐樹が走り寄ってくる。

「サボってないよ、ズッコンあちこちに穴空けてるし」

社の正面は浅香の放った化学兵器ならず、手動兵器のスコップによって一応埋められてはあるが、掘られた穴の痕跡があちこちに見られた。 根こそぎ雑草を抜いていたのだから。

「おっ、キレイになってる」

デコボコはしているが、雑草は根こそぎ抜かれている。

「だろ? 雑草にはスコップ。 これ神」

と言ってスコップを高々と持ち上げた。
多分、浅香の中ではスポットライトが当たっているのだろう。

「ブルドーザーなら瞬殺だな」

どうしてそんなこと言うかな、と言いながら、高々と上げていた浅香の手が落ちる。

「それじゃお社が倒れちゃうわよ?」

「あ、そっか」

「はい、祐樹君の提案瞬殺ぅー」



朱葉姫が微笑んだ。
社の、格子の向こうでのやり取りが嬉しい。 たった三人ではあるが、人数の問題ではない。 民の幸せを感じる。 民が幸せであってくれるのが嬉しい。

「一夜?」

「はい」

「久しく暖かいものを感じます」

「それはよう御座います」

久しく・・・何百年ぶりだろうか。

「そろそろ茶の用意を致しましょうか」

後ろから声がかかった。 まだ若い。 二十歳をいくらか過ぎた容姿である。
朱葉姫は亡くなった時の姿をしている。

他の者は朱葉姫が亡くなっても生きていた。 時の流れに忠実に年老いていた。 だがここに居る時の姿は、朱葉姫が亡くなった当時の姿に戻っている。

曹司を除いて。

朱葉姫が十八歳で亡くなった時、その時には曹司はまだ十二歳だった。
朱葉姫の屋敷で働いていたが、小さな時から朱葉姫に可愛がられていた。 朱葉姫が亡くなった時には働くことを忘れたかのように、小さな身体をふるわせて毎日毎日ずっと泣いていた。
その曹司が天命を終え、朱葉姫の前に姿を現した時には十二歳の姿だった。 朱葉姫が懐かしむように曹司を見た。

『曹司、懐かしや』

曹司は朱葉姫が亡くなってからも、ずっと社に足を向けていた。 その曹司の成長し、年老いていく姿を朱葉姫も見ていた。
だが一番、手に触れ身に触れていた時の曹司が何よりも懐かしい。
朱葉姫が曹司を抱きしめた。

『・・・姫様』

声変りのしていない曹司から声が漏れた。
親のなくなった曹司はいつもこうして朱葉姫に頭を撫でられ、ギュッと抱きしめてもらっていた。
その曹司の身体が朱葉姫から離れると曹司の容姿が変わっていった。 心身ともに一番動くことの出来た二十七歳の頃の姿に。

『姫様をお守りします』

声変わりが終わり背が伸び、顔からは幼さの一つも残っていない。
十二歳だった少年が、二十七歳の青年の姿に変えていた。 それは奇しくも浅香とほぼ変わらない歳であった。 ほんの少し浅香より年上だけであった


「ええ、そうですね。 今日はどのような物を持ってきてくれたのでしょうか」

一夜の言いように朱葉姫がくすりと笑う。
供え物などずっとなかった。 いや、食べたいのではない。 その気持ちが嬉しい。 その気持ちを頂く。
一夜の言葉に頷いた若い男がこの場から居なくなった。 小川の水を取りに行ったのだろう。

「供養石にも供えてくれて嬉しいものです」

朱葉姫は花を供えて欲しいと言っただけなのに。

「ええ、誠に。 皆も喜んでいましょう。 瀞謝が来てくれてほんに、よう御座いました」

「曹司のお蔭ね」

その曹司はここのところ社に戻って来ていない。 ずっと社の周りを中心に山の中を見回っている。

風もないのに鬱蒼と茂っている下葉がガサリと揺れた。 目を凝らして見てみると薄っすらと人影が見える。 その姿は二十歳を七年ほど越えた直垂(ひたたれ)姿であった。
その男が辺りを見回す。

「気のせいか・・・」

眉根を寄せると踵を返す。
その直垂姿の曹司を、離れた木の上から見ている双眸(そうぼう)があった。 それはついさっきまでそこに居た者の目。 今はまるで気配を押し殺すように曹司を見ている。



社と供養石の前に花と供え物を置くと三人で手を合わせる。

「姉ちゃん、小川で手を洗わない?」

祐樹が細目に雑巾を洗ってはいたが、それでも詩甫の手は汚れてしまっている。

「うん、手もそうだけど、小川を見たいな」

「綺麗な所だよ、行こ。 浅香はどうする?」

浅香が土まみれの手を見せる。

「でもまずは、この抜いた草をあっちに運ぶのを手伝ってくれないかな?」

祐樹が掃きまとめておいた枯葉の小山に。
浅香が抜いた雑草は、軽く振って根についた土を落としてはいたが、それでもいくらか根に土がついている。

「おっ、根っこの土が重石になって枯葉が飛んで行かないや。 丁度いいな」

祐樹が言うと浅香が土の付いた人差し指で、自分のこめかみ辺りをトントンと突く仕草をしてみせる。

「ここは使いようってね」

頭は使いよう、ということだ。

「げー、偶然だろ。 ってか、今オレが言ったから気付いたんじゃないのかー?」

「お兄さんがそんなことに気付いていないはずないだろう」

「だからっ、誰がお兄さんだって!」

二人でギャーギャー言いながらも雑草を運び出した。 もれなく詩甫も手伝う。


流れる小川の水の中に綺麗な石が沈んでいる。 その中で川藻が水の流れに寄り添うように、たゆたうっている。 澄んだ水は随分上を覆う木々の葉の揺れを縫うように降りおりてくる陽の光を受けとめ、キラキラと輝かせている。

「わぁー、綺麗」

祐樹が詩甫の手を取って小川までやって来た。
ちゃんと分っているのだ、と、浅香が祐樹を見て再度親指を立てて見せると、祐樹から同じように親指を立てた返事があった。

「ここにサワガニが居たの?」

祐樹と浅香の暗なるサインに気付かない詩甫が言うと、二人が目を合わせる。 浅香が頷きながら笑んでいる、祐樹の自由にしろと。

「そうだよ。 えっと・・・浅香が教えてくれたんだけど、石の下とかに隠れてる」

「そうなんだ」

詩甫が浅香を見ると浅香がコクリと応える。

「良かったね、教えてもらって」

「え?」 と、言ったのは、祐樹と浅香だった。

「えーっと、知っていることを言っただけですから」

「だよな。 浅香って・・・えと・・・」

「うん、生物が好きだよ」

「恐竜もだよな」

「生きとし生けるもの、それが好きなんだよなぁー。 恐竜の進化、進化しなかった恐竜がどうして絶滅したか。 あー、どうして絶滅したのかなー」

「イキトシ? なんだよそれ」

二人の会話を聞いていると漫才のようだ。 詩甫が笑いを堪えて小川を見る。
清涼、それ以外に言葉がない。

山の中であるが故、この小川を見て涼しさを感じてはいるが、清涼・・・爽やか、清々しいと感じた。 それは混ざり物がない。 流れるままに時が流れる。 反することなく、異を唱えることもなく。 不服に思うこともなく。

―――流れのままに。

それが幸せの原点。 そんな気がする。
流されるままも良しだが、時にはそこから何かに目覚めてあがき、流れに背いて水音をたてて飛沫を飛ばしたが故に苦しく辛い思いをしても、それも良し。 それでも流れの中に居るのだから。

瀞謝の時の流れの中にいる、そんな気がする。

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国津道  第13回

2021年03月01日 22時19分24秒 | 小説
『国津道(くにつみち)』 目次


『国津道』 第1回から第10回までの目次は以下の 『国津道』リンクページ からお願いいたします。


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- 国津道(くにつみち)-  第13回



山を登りきると祐樹が走って社の裏に回り掃除道具を出そうとしたが、その足が止まってしまった。

「え? なんで・・・」

呆然と立ち尽くしていたが、セミの鳴き声に代わっていたチチチという鳥の声を聞いて我に戻った。 社の裏から顔を出す。

「浅香! 来て! 早く!」

ゆっくりと歩いていた浅香と詩甫。 その浅香が祐樹に呼ばれどうしたことかと思ったが、詩甫を置いていくわけにはいかない。

「行きましょう」

二人で走り出した。
社の裏に回りこむとそこには引き裂かれた雑巾、重石に置いていた石をぶつけたのだろうか、横から穴が空けられたバケツがあった。 竹箒は無事であったが、穂を抜こうとしていただろう痕跡が見られる。

「どうして・・・」

詩甫が思わず口にした。

「祐樹君」

「なに?」

「お姉さんから離れないでいてくれる? ちょっと曹司と話してくる」

「あ・・・うん」

「絶対に離れないで」

「・・・うん」

祐樹にいつもの覇気がない。 不安に思っているのだろう、それはそうだろう。 だからと言って祐樹を気にかけるようなことを言ってしまえば余計と不安を煽るようなものだ。 だから仕事を与える。

「お姉さんを守っていてくれよ」

祐樹の口が一度一文字にひかれる。

「あ、当たり前だろ」

「ヨシ、頼むな」

前回来た時に曹司が “痴れ者” と言っていた、それに浅香が言ったように “物の怪” とも。 嫌な予感が走る。

社の前に立つと手を合わせ曹司に気を合わせようとしたが、そこに曹司が居ないことが分かった。

「ったく、こんな時にどこ行ってんだよ」

手を解くと辺りを見回したが曹司らしい気を感じられない。

「仕事放棄かい!」

ストライキかい、とも言いたかったが、ストライキをする要因などないであろう。 雇用主などいないのだから。 万が一にも朱葉姫を雇用主と考えても、千年以上も自ら朱葉姫に仕えているのだから、ストライキもへったくれもない。

「浅香?」

手を繋いだ詩甫と祐樹が社の前まで回ってきた。
きっと祐樹から手を伸ばしただのだろう。 詩甫を守るようにと浅香に言われたのだから。 その二人の繋がれた手を見て祐樹に親指を立てて見せると、口を一文字にしてソッポを向かれてしまったが、その口元がムニュムニュと動いている。 照れて喜んでいるようだ。

(ま、そういう微妙なお年頃だよな)

目を転じ詩甫に言う。

「曹司が居ないようです」

「え・・・」

祐樹の握っていた詩甫の指がピクリと動いた。

「姉ちゃん、大丈夫。 曹司が居なくてもオレも浅香もいるから」

浅香の眉が上がる。

(へぇー、自分一人だけじゃないんだ)

少しは昇格してくれたのだろうか。

「うん・・・」

「祐樹君の言う通りですよ。 僕たちが居ます。 って、曹司のヤロー、こんな時にサボリかい、って話ですよね」

「幽霊もサボるのか?」

「う・・・」

よくは知らない。

「あの曹司だからな、って、うわぁ!」

<あの曹司というのはどう言う意味だ>

曹司の気を感じ取ったと思った途端、ズンっと、曹司が入ってきた。 詩甫への説明を使うとすれば助手席に突然曹司が座ったということである。

「浅香? どうした?」

祐樹の問いかけに答えることなく、精神で会話を続ける。

<どこに行ってたんだよ!>

<見回っておった。 再度、良からぬ者の気を姫が感じられたのでな>

祐樹が棒立ちになっている浅香の姿を目にして、どうしたものかと詩甫を見る。

「大丈夫だよ。 曹司が帰ってきたのかもしれない。 曹司と話していると思う。 待ってよう、ね?」

「でも・・・」

「大丈夫。 浅香さんだから」

何もかも分かってくれている浅香だから。 そして曹司と繋がっている浅香だから。

「・・・うん」

祐樹と詩甫の会話など知らぬ存ぜぬの、曹司と浅香の会話が続いている。

<社を綺麗にするための掃除道具を壊されてたんだけど? だれかヤンチャが来た?>

<やんちゃ、とは?>

<あ、いい。 掃除道具を壊されてた、心当たりは?>

<無い。 だが姫様が再度感じられた時にあったのかもしれん>

<なんだよそれ、怠慢この上ないな。 ちゃんと見回ってるのかよ>

<お前にそのようなことを言われる謂(いわ)れはない>

<何言ってんだよ、お前は俺だろうがっ>

<・・・>

曹司が黙ってしまった。 言い過ぎただろうか。

<間違いを糺してやる。 よく肝に銘じておけ。 お前がわたしだ。 わたしがお前ではない>

間を持たせておいてそこかい。
話しの論点が完全にずれているではないか。
戦があったのどうだのと、曹司との話は少々考えさせられる。 これが本当に自分なのだろうか。 それとも時代がそうさせるのだろうか。
溜息をつきたいところを我慢して話を戻す。

<事実、掃除道具を壊されてんだよ。 この場所を、朱葉姫のお社と供養石を綺麗にする為の物をな。 なんかあるだろうよ、気付かなかったのか?>

<姫様が感じられた時には、あの道具は壊されておった>

<・・・そういうことか>

時すでに遅しだったということか。

<その相手に心当たりは?>

ヤンチャは入ってこなかったのだろう。 そのような者が入ってくれば、すぐに曹司が動いただろう。 残るのは・・・朱葉姫の言っていた “良からぬ者”。

<全くない。 姫様は常にこの地を清浄にしておられる>

<でも、良からぬ者を感じたってことだよな?>

<ああ、この地に根付かぬ者、通り過ぎる者に関しては、姫様は目を瞑っておられる>

<根付かない者?>

<亨も言っておったではないか、戦がありこの地で果てた者、その者がこの地にその魂(こん)を残すようであれば、姫様がお導きをされておった。 そういう者以外ということだ。 姫様は常にこの地を清浄にされておった>

<それは今もか?>

<今の姫様のお力は削がれてはおるが、戦がなくなってからは、この地に魂を残す者などおらん>

<ってことは、通り過がりの性ワルが掃除道具を壊したってことか?>

<いや>

<なんだよ、それ>

<瀞謝が感じた視線、そこに重きを置かなくてはならんと思っておる>

<・・・どういうことだよ>

<姫様の仰る良からぬ者、その者は通り過がりでは無い。 通り過がりであるのなら、姫様が何度もお感じになられるはずはない。 根付かぬ者・・・この地に根付かぬ者ではあろうが・・・>

<どういう意味だよ、ハッキリ言えよ>

<この地に怨みなどを残してはいない者。 であるにもかかわらず、去ることも無くこの地に居る・・・>

<だからー、はっきり言えよ。 それじゃあ意味が分からない>

浅香の言いように、曹司が助手席から横目で浅香を見た、ような感覚がする。

<姫様か瀞謝に関わる者>

<は?>

<見回っておってどんな気の痕跡も見つからなかった。 お力を落とされとは言え、姫様は常にこの地を清浄にされておる。 だが姫様が仰ってすぐにこの辺りを見まわったが、通りすがりにしても気の一つも落としてはいなかった。 それに、姫様があの様に仰り、瀞謝もあのようなことを言う>

確かに、と言っていいのだろうか。 あの詩甫の指先の血の流れはおかしかった。 だからといって・・・。

<瀞謝は何百年、朱葉姫はそれこそ千年以上も前だろ。 今更、誰がどうって言うんだよ>

そう言ってしまってから気付いた。 ということは、瀞謝ではなく詩甫が誰かに恨まれているということになるのだろうか。 それで睨まれ視線を感じたということか?

そう言えば、この曹司は詩甫のことを常に瀞謝と見ているのだった。 浅香自身、曹司と話す時には曹司に合わせて詩甫のことを瀞謝と言っている。

だが詩甫はこの地を知らなかったはず。 それこそ生まれも育ちもこの地では無いはず。 確認は取っていないが、此処に初めて連れてきた時に、初めて見るような目をしていた。
それに万が一にも詩甫に関係する者であれば、この地にこだわることなどないはず。 詩甫の様子からすれば、この地で、ここでのみ視線を感じているようなのだから。

<今はまだ分からぬ>

<しっかり働けよ>

見回っていたのだろう。 サボってはいなかったようだ。
ギロリと曹司が浅香を見た。

<なんだよ>

<亨、お前はこの己が御霊を分けたことを分かっておるのか>

<分かってるよ、おおよそ曹司の千年ほど前は、こんなじゃなかったって言いたいんだろ。って、怪しいもんだ>

曹司はその昔、浅香のようではなかったと言いたいらしい。

<笑止>

ユラリと曹司の気配がなくなった。

「何が笑止だよ」

「え? 浅香?」

「あ・・・ゴメン、急に曹司がやって来て」

「そうだろって姉ちゃんが言ってた。 曹司は何て言ってたの?」

「曹司が・・・ってか、朱葉姫が気付いた時には、掃除道具はあの状態になっていたらしい」

祐樹の顔を見てここまで言うと、すぐに詩甫の顔を見て真顔で付け足す。

「です」

律儀な。 こんな時なのに、詩甫が笑いを隠そうと俯いた。 口を堅く結んでいる。

「姉ちゃん?」

「ん、何でもない」

口を開いたことで声が漏れそうになったのか、拳を口に充てる。

「ま、箒は使えそうだし、破かれていたと言っても、千々にはされてないから雑巾も使えなくはないだろう。 掃除を始めようか」

「おっ、浅香も手伝うのか?」

「僕は雑草抜き」

二週間前にかなり抜いたというのに、またしっかりと伸びてきている。

「あー・・・、せっかくあれだけ抜いたのに、もう伸びてるもんな」

「ふふふ、今日は秘密兵器を持ってきたからな」

タラララッタラ~と、ドラえもんが道具を出す時の効果音を口にしながら、下げていた袋からスコップを出した。

「ん? 雑草抜きだろ? それでどうすんだ?」

「ブチブチ千切ってもすぐに伸びてくるから、根こそぎってやつよ」

「おお、浅香のクセによく考えたな」

「地道な作業になるけどね」

二人の会話を微笑みながら聞いていた詩甫。 いつしか不安が飛んでいってしまっていた。

「じゃ、お姉さんと待ってて。 道具をとって来るから」

祐樹が竹箒であちこち掃いている間、詩甫は小さくなった雑巾で格子を拭いている。 その間、詩甫から離れず浅香が社の周りの雑草と格闘していた。

バケツが無いが為、小さくなった数枚の雑巾が汚れると、すぐに祐樹が小川に洗いに行っていたが、やはり祐樹に変わった様子が降りかかることは無いようだった。

祐樹が鈍感であるという疑いを除外して考えると、やはり詩甫が何かの恨みを買っているのだろうか。 いや、そうならば、この場所に限られていることがおかしいし、出るなら詩甫の部屋で夜暗くなって出るのが幽霊の常套だろう。

それとも曹司には何百年も、それこそ千年以上も前に何かあったとしても、これだけの時が流れているのだから誰がどうなどととは言ったが、そうではないのだろうか。 幽霊に時など関係ないのであろうか。

瀞謝は言ってみればそのへんの民だと聞いている。 もし瀞謝に恨みを持つ者が居たとして・・・。

(友達同士の恨み合い? それとも恋愛による怨恨? 瀞謝が横恋慕をしたとか?)

いや、その程度で何百年はキツイだろう。

(って、そんな女、こっちが引くし)

朱葉姫のことも曹司から聞いている。 誰もが朱葉姫のことを想っていたと。 だが・・・そうだろうか。 万人に好かれるということは簡単なことではない。
それとも現代に生きているからそう思うのかもしれない。 昔の人はもっと純粋だったかもしれない。

でも今のネット社会を思うと、匿名無名で色んなコメントやスレッドを入れられる。 それは心の内を吐いたもの。 生活圏では表には出さないもの。
今の社会だからそれを文字として表せられる。 だがその昔はどうだったのだろうか。 皆が朱葉姫のことを想っていた。 その中で朱葉姫のことを快く思っていなかったと、誰にも言えなかった人間が居てもおかしくはない。

その時代、ハンドルネームで万人に発信できなかったのだから、はけ口が無かった人間が居てもおかしくない。 鬱積した心を持っていたかもしれない。

だからと言って、朱葉姫のことを快く思わなかった者が何百年と一千年と妬みをつのらせるだろうか。 そこまで執念深く思えるだろうか。
朝廷を恨む念は残っているかもしれない。 だがただ一人の、それも田舎の一人の姫をそこまで恨む者が居るだろうか。 一千年もの時を経てまでも・・・

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