大福 りす の 隠れ家

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辰刻の雫 ~蒼い月~  第137回

2023年01月30日 22時07分28秒 | 小説
『辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~』 目次


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辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~  第137回



「紫がどんなに我を嫌っていようとも、想っておらなくともな」

「だっ、だれも想ってないなんて言ってないっ」

「では? 想っているということか?」

「そっ、そんなこと言ってないっ」

「そうか、 ではなんと、などとはもう訊かん。 我は決めたのでな。 紫に嫌われていようがどうであろうがな」

「嫌いだなんて言ってない」

マツリの様子が、話す声音(こわね)が違ってきた。

「そうか。 茶を一杯貰おう、それから本領に戻る。 葉月、悪いが茶を淹れてくれるか。 紫も喉が渇いたであろう」

一瞬飛び上がりかけた二人。 襖に耳をくっ付けていたことがバレていたようだ。 塔弥の顔を睨んで腹立ちまぎれに立ち上がると「ただいま」と返事をしながら、塔弥の頭をもう一度ペチンと叩いて台所に向かった。
もしこれをマツリが見ていたら、拳よりましだろう、まず音が違う、と言っただろう。

「シキ様・・・ややは?」

唐突に紫揺がシキの話をする。 だがそれを否定することなくマツリが答える。

「元気なややらしい」

元気ということは男の子だろう。 お腹もよく蹴っていた。
だが、・・・らしい? それはどういうことだ。

「見に行ってないの?」

「ああ」

「どうして?」

「今日は久しぶりに宮に戻ってきたが、姉上の所に行く時が無かった。 先の刻の祭の時にも宮に戻ってはいたが、それも致し方なくだ」

「どこかに行ってるの?」

シキのところにも行っていないのに東の領土に来た?

「ああ、少々長引く。 あまり来られないと言っておったであろう」

「じゃ・・・今日は・・・」

「我が来ると言ったから来た。 ここに来る前のことで思いのほか時が取られてこんな刻限になってしまったが。 紫の返事を聞きたかった、それだけでやって来た。 まぁ、ちゃんとは聞かせてもらえなかったがな」

胡坐ではあったが背筋を伸ばして座っていたマツリが手を後ろに置いて姿勢を崩す。

「このあと、またどこかに行くの? その、宮に戻らないの?」

「ああ。 あまり目を離したくない」

「それなのに来た、んだ」

マツリの片眉が上がる。

「言ったであろう、我が言ったから来たと。 安心するがいい、これ以上は何も言わん。 茶を飲んだら戻る」

「・・・前にも言った」

なにを? という顔を返す。

「シキ様に会いに行ってくれって・・・安心しろって。 マツリは顔を出さないって」

そのことか。

「ああ、言った」

確かに今もあの時も言った。 それがなんなのだろうか。

「・・・安心なんか。 出来るは・・・」

紫揺の言葉が止まったが、再び口を開いた時には違う言葉から始まった。

「・・・だから」

襖の向こうで葉月が様子を伺っているのが分かる。 茶を出す機をうかがっているのだろう。 喉が渇いた。 茶を飲みたいが今は紫揺を待つしかない。

「どうしてなんにも言わないの」

何故だろう、聞き手に回っているだけなのにマツリが睨まれる。

「紫の言いたいことを聞いているだけだ。 俺は俺の言いたいことをもう言ったのだからな」

「だから・・・マツリの言いたいことって、マツリが嫌われてるとか想われてないとか。 そんなこと言ってない。 えっと、もしかして前には言ってたかもしれないけど・・・」

「葉月、茶を」

再度紫揺がマツリを睨む。 どうして聞いていると言いながらその態度なのか。

驚いた葉月だったが、そっと襖を開けると座卓の上に新しい湯呑を置く。 お替わりが出来るように盆の上に茶器も置いている。
葉月が下がるより早くマツリが一気に飲み干す。 すぐに葉月がお替わりを淹れていると、対抗するかのように紫揺も一気に飲み干す。
どうしてこんなことで張り合うのかと溜息をつきたいのを我慢して紫揺の分も淹れる。

「俺が愚かだった時にはそのようなことを聞いた記憶は・・・ある、か」

なんと言っていたか・・・とポソリと言う。
先に使っていた湯呑を下げた葉月が襖を閉める。

「だから・・・その時は。 私も悪かった。 私も考えが浅かったし感情的になり過ぎてた」

マツリが湯呑を手にすると一口飲む。

「その、マツリが居なかったら初代紫さまとお話しも出来なかっただろうし、五色のことも・・・紫の力の事もマツリが教えてくれた。 それに・・・私が熱を出した時、マツリ居たよね?」

両の眉を上げて見せると、もう一口飲む。

「塔弥さんも誰も教えてくれないけど・・・。 絶対に居たよね。 無理矢理、薬草を飲ませたよね?」

「薬草は草だ。 草を飲ませてどうする。 俺が飲ませたのは本領の薬湯だ。 東の領土の薬湯では熱が下がらなかったそうだから、本領の薬湯を持ってきた。 本領の薬湯の呑ませ方を此之葉は知らん。 だから俺が飲ませた。 塔弥に口止めしたのは俺だ。 あんな時だったからな」

あんな時。
紫揺が首筋に手を置く。

(分かりやすい・・・)

あんな時、と言ったのを正しく理解したようだ。

「・・・マツリのこと嫌いじゃない」

マツリが茶を飲み干す。
紫揺がお替わりを淹れる。 茶を飲んだら帰ると言っていたのだから。

「安心しろって・・・そんなこと言われて。 本領に行って澪引さまが迎えてくれたけど・・・。 マツリ、居なかったじゃない」

居ないから安心しろと言った。

「今だってそうじゃない。 どうして話の途中なのにお茶を飲んだら帰るって言うの」

紫揺が口を噤んでしまったからだろう。 だから手法を変えただけの話。

「・・・どうして」

もう喉は潤った。

「どうして・・・どうして。 ・・・どうして蛇は脱皮するの」

塔弥と葉月が呆れたように口を開ける。 どうして? どうしてとこっちが訊きたい。 どうして今その話なのか? 蛇の脱皮なのか? いや、脱皮でなくとも違うだろう。
だがマツリは何ともない顔をしている。 それどころか淡々と答える。

「人で言うところの身体の皮はゆっくりと伸びていく。 だが蛇はそうではない。 皮が一気に剥がれ落ちそれを繰り返し徐々に大きくなっていく」

それくらい知ってる。 だがそれを足掛かりに次を言いたい。

「じゃあ、どうして亀は脱皮しないの」

「亀も脱皮をしておる。 甲羅の甲板が剥がれ落ちる。 頭や手足も鱗だから脱皮をしておる。 痒そうにしているのを何度か見たことがある」

「え? 脱皮するんだ」

元飼育委員、知らなかった。 いや、気付かなかったのか。 甲羅の脱皮、見たかった。
実際は池の中に脱皮後の甲羅がプカプカと浮いていたが、それが甲羅だとは気づいていなかった。

「じゃ、どうして太鼓の音が鳴るの」

「太鼓を叩くことによって張られた皮が振動する。 それが周囲の空気を動かし、その密度に粗雑や精密であるものを作り出す。 それが周りを伝わり耳の中を振動させ音となる」

意外な答えが返ってきた。

「もっと詳しくか?」

思わず首を振る。

紫揺が太鼓などと言ったのは、今日が紫揺の誕生の祭だったからだろう。 そこで太鼓が鳴っていた。 何か理由があって訊いたわけではないだろう。
そう思いながら湯呑に口をつけ、一口にもならない僅かな量だけを飲む。

「どうして訊いたことに答えるの」

「訊かれたからだ。 知っておれば答える。 知らなければ知らんと言う」

杠が言っていた。 紫揺の知らないことを教えてくれる人、なんでも答えてくれる人と。

「シキ様に会いに本領に行った時・・・マツリがいなくて寂し・・・かった。 杠もいなかったし」

おまけを付けられてしまった。

「杠も忙しくしておる」

「・・・そこじゃない」

「ちゃんと聞いておる」

マツリがいなくて寂しかったと。

「なんでだか、マツリが居なかったら寂しいと思った。 マツリのことは嫌いじゃないし、それに何でも教えてくれる、それをよく知ってる。 葉月ちゃんにも色々言われて気付いた事もあるし。 悔しいけどまだ教えて欲しいこともある」

どうして悔しいと付けるのか。

「これが今の私の気持ち。 だから、ちゃんと言ったから、やめて。 ・・・マツリとは一緒にいられない。 お願いだから実力行使とか・・・やめて」

どうしてそこまで拒まれるのか。

残っていた茶を飲み干すと「美味かった」と言って湯呑を置いた。 マツリが帰るということだ。
実力行使をやめて欲しいと言ったことに返事を貰えていない。
マツリが腰を上げかけたのを止めるためになのか、ここまで吐露した心の内が緩んだのか俯いた紫揺が口を開く。 それは紫揺にとって一番大切なこと。

「・・・私は・・・お父さんとお母さんを殺したから」

葉月と塔弥が驚いて目を見合わせた。
マツリが一度目を伏せ、ゆっくりと開ける。

「そのようなことはない」

頭を下げていた紫揺が首を振るが、詳しい話はシキから聞いている。

「殺した。 ・・・だから・・・領土のみんなと一緒にいる以外に幸せになっちゃ、いけない」

そんなことを考えていたのか。

「姉上と話したことをよく思い出せ。 そうではなかろう」

シキは紫揺から話を聞いてコンコンと言いきかせた。

『責めるのではないのですよ。 紫のせいではないではないでのすから。 その様に思っていては、紫の父上も母上も悲しまれます』

紫揺が首を振る。

「・・・好きな人と・・・一緒に幸せになっちゃいけない。 私はそれをお父さんとお母さんから取り上げたんだから」

もしかして杠もそう考えているのだろうか。 だから女房をとらないと言っていたのだろうか。

「紫の父上と母上がそんな風に思っておられるというのか? 紫の幸せを願われていると思わんのか?」

あの日、あの幼い日に杠が叫んでいた時のことを思い出す。 紫揺も杠もあの時と同じように今も心の中で叫んでいるのだろうか。

「・・・」

「父上と母上の願いを叶えんか?」

「そんなのは・・・偽善」

「では父上と母上が紫と共に過ごした時、紫を憎むことを仰られたか?」

「そんなことない!」

大切にしてもらっていた。 母親である早季は紫揺の怪我一つに心配をし、父親である十郎は紫揺の自由を尊重してくれた。

「・・・そんなことない。 お父さんとお母さんは・・・大切にしてくれた」

紫揺に考えさせるようにマツリが間を置く。
そして言う。

「大切に思う者に、幸せになってもらいたいと思うだろうと言うのは偽善か?」

紫揺が膝を抱える。

「我が紫の父上と母上の想いを継いで紫を幸せにする。 紫の父上と母上が居なくなられた今、紫を幸せに出来るのは我だけ、そう思わんか?」

他に居るか? マツリが問うている。

「マツリが・・・お父さんとお母さんの何を知ってるって言うの!」

「紫を想われていたと知っておる」

こんな紫揺だ。 どれほど心配をしていただろうか。

「その!・・・その! お父さんとお母さんを私が殺した!」

「そのようなことは無い」

「私が殺した! お父さんとお母さんを私が殺した! 私は!・・・誰かと幸せになっちゃいけない!」

抱えていた足に顔をうずめる。
空気の動く感覚があった、そしてふわっと包まれた。

―――なにに?

「殺めるというのは最初に心に刃(やいば)を持つこと。 それを形に変えて命を奪うこと」

紫揺が首を振る。 心に刃など持ったことなどない。

「避けられなかったこと。 馬車同士がぶつかったのがどうして紫のせいとなる。 父上と母上を想い物見遊山に招いただけであろう」

塔弥と葉月の今にも張り裂けそうになっていた心臓がゆっくりと落ち着いていく。
そういうことだったのか。

マツリは今、馬車同士と言ったが、きっと紫揺がわかりやすいように言っただけなのだろう。 馬車同士がぶつかって人が死ぬことなど、あの日本ではまずない。 日本で馬車に乗れるのはテーマパークや乗馬体験が出来るところ、他にもあるかもしれないが、どこにせよ安全には万全を期しているはず。
そして物見遊山と言った。 きっと馬車ではなく電車か車かバス。 紫揺の日本での生活はお付きたちから聞いている、それを考えるときっとバス。 バスツアーだったのだろう。 招いたということは、紫揺がプレゼントしたのだろう。 そこで事故に遭った。
知らなかった。 そんなことがあったなどと。 紫揺が心を痛めていたなどと。

葉月が自分を責める。 知らなかったでは済まない。 自分が紫揺に言ってきたことは紫揺を責めていただけなのだろうか。
葉月の目からポロリと涙が落ちた。

「葉月・・・」

「・・・塔弥は知ってたの」

塔弥が首を振る。

「亡くなっておられたとしか聞いていなかった」

葉月が目を伏せた。 まだ瞼に残っていた涙が先に落ちていった道筋を追う。 塔弥が手を伸ばして葉月の頬を覆うと親指で拭いてやる。

「塔弥・・・」

塔弥のもう一本の手が伸ばされた。 両手で頬を包む。

「葉月はよくしてくれている。 葉月が泣くことはない」

そっと一部屋の戸が閉められた。

シキの手ではない手に抱きしめられた。 シキのように優しくはない。 柔らかくもない。 でも・・・ずっと大きい。

「父上と母上はお幸せだった。 違うか? お幸せだったのに今の紫を見て心配をしておられんか?」

『―――守っているから。 見ているから。 ―――ね、紫揺ちゃん』

涙がどんどんと溢れてくる。
泣いて泣いて泣きつくしたはずなのに。

「紫・・・其方が幸せにならんでどうする」

丸くなっている紫揺を抱きかかると立ち上がった。
驚いた紫揺が抱えていた足から手を離しマツリを見上げる。

「民の為にも・・・と言わなければいけないだろうが・・・。 今の我は広量にはなれん。 我の為に幸せになって欲しい。 我が幸せにする」

紫揺の目からとめどなく涙が溢れる。

「お父さん・・・お母さん・・・」

マツリの胸に顔をうずめて声を上げて泣いた。

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辰刻の雫 ~蒼い月~  第136回

2023年01月27日 21時01分06秒 | 小説
『辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~』 目次


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辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~  第136回



風呂から上がって此之葉と話していた時だった。 そろそろ布団を敷こうと此之葉が腰を上げた時、襖の向こうから声がかかった。
「此之葉、いいか」 と。 声の主は阿秀であった。

諦めきれず塔弥が空を見上げているとキョウゲンの影が月夜に映った。 すぐに紫揺の家に走り、お付きたちのいる部屋で寛いでいた阿秀を呼んだ。
阿秀には事前に、マツリが来たら此之葉をどこかに引き留めていてほしいということを塔弥は伝えていた。 マツリの姿が目にとまらない所に。 そして此之葉の代わりに葉月を紫揺の部屋の外に座らせておくからと。
本来ならその役目は此之葉である。 だが此之葉を押しのけて葉月が座るわけにもいかない。 それとなく此之葉を座から外させるためだった。
塔弥もまた、葉月からその話を聞かされていた。
『マツリ様が来られたら私が座るから、塔弥は此之葉ちゃんをどこかに連れて行っておいて』 と。

葉月が何を企んで・・・考えているのかは分からないが、今の紫揺の事・・・紫揺とマツリのことを一番分かっているのは葉月だ。 此之葉は紫揺とマツリの間に何があったかを知らない。 紫揺のことは葉月に任せるしかなかった。
たとえ紫揺がこの領土から居なくなることになっても。


マツリが持ってきた袋を一つずつ座卓に置く。 綺麗な紙の包みに入って上で巾着のように可愛らしい紐で括ってある。 座卓にはすでに葉月が茶を置いていたが、マツリは吞み干している。

「母上の従者から、元姉上の従者から、これは彩楓たちから」

合計三つの袋が座卓の上に置かれた。 一つ一つは紫揺の両手に乗るほどのサイズである。

誰から聞いたのか、問題はなかったが少々手間取った秀亜群から宮に戻り、僅かな時にしかならないがキョウゲンの羽根を休ませていると、もう公舎に戻っていたはずの女人たちがマツリの部屋にやって来て、紫揺に渡して欲しいと持ってきたのだった。
彩楓たちならまだしも、今までにマツリの部屋を訪ねてきたことのない、澪引の従者と元シキの従者たちまでも。 いったい何が起きたのかと、その時に目を丸くしたものだった。

「へ?」

「渡して欲しいと頼まれた」

「開けていいの?」

「紫のものだ」

紫揺が手を伸ばして、まずは澪引の従者からといわれた袋の紐を解き中を開ける。

「あ・・・」

二つ目三つ目と開ける。

「・・・やっぱり」

中に何が入っているかはマツリが見ることはなかったが、開けた途端に香ってきた匂いで分かった。

「今日はやめておく方がいいだろう」

「見たの?」

自分より先に覗き見たのか?

「香りで十分に分かる。 もうこんな刻限だ。 菓子など食べる時ではない」

それにしてもどうして誰も彼もが菓子なのか? マツリに疑問は残るが紫揺には心当たりがある。
マツリに言われたからではないが、確かにこんな時間に食べると胃もたれを起こすかもしれない。 紫揺が袋を閉じ直す。

「それで?」

袋を閉じる手が一瞬止まったが、続けて袋を閉じていく。

「紫の気持ちとやらはどんなものなのか?」

「・・・」

グルグルグルグル。

マツリが紫揺の手元に目をやった。

「そんなに縛っては菓子が潰れるであろう」

括ってあった紐を何重にも巻いている。 それもキッチキチに。

襖の外では塔弥が小声で葉月に言っていた。

「葉月、盗み聞きなど」

その葉月は襖に耳をくっ付けている。

「黙っててよ。 聞こえないじゃない」

「だけど!」

葉月が襖から耳を外して塔弥を睨む。

「それくらい私のことを心配したらどうなの!? もう! 塔弥なんてあっちに行ってて」

「葉月・・・」

マツリが菓子の袋と紐に手を伸ばす。

「あ・・・」

「我がする」

マツリが紐を結んでいく。 あっという間に三つの袋が括られた。 それも仕上がりが美しい。

「以外・・・器用なんだ」

マツリが袋から目を外すと紫揺を見る。

「で?」

「・・・」

「我は紫の問いに答えた。 今度は紫の番であろう?」

「・・・誰が順番って言ったのよ」

マツリが両の眉を上げる。

「紫の気持ちを考えなければいけないのだろう?」

『こっちの気持ちって考えないの』 そう言ったのは紫揺だ。

「・・・だから。 東の領土に居るってこと。 ずっと」

「そうか、分かった。 では問い直す」

「二つも訊くってどういうこと? 私はマツリに一つしか訊いてない」

「では、いくらでも訊くがよい。 我は全てに答える」

「何も訊くことはないから。 ・・・もう答えたから。 帰って。 マツリとこれ以上話す気はない」

「話したくなければ、答えてくれるだけでいい」

「マツリが出て行かないんなら私が出る」

紫揺が腰を浮かせたが、その時、襖の向こうから声がかかった。

「葉月に御座います」

「え? 葉月ちゃん? あ、どうぞ」

襖が開けられた。 葉月が手をついて頭を下げている。

「葉月ちゃん、そんなことしなくてもいいよ、マツリなんだし。 なに? どうしたの?」

“マツリなんだし” その言葉に、頭を下げたままの葉月の顔が歪んでいる。

「マツリ様、紫さまにお話ししたいことが御座います。 宜しいでしょうか」

「葉月ちゃん・・・」

「良い。 我が居ると邪魔か?」

「いいえ、マツリ様にもお聞きいただきたいと存じます」

マツリが両の眉を上げる。 どういうことなのだろうか。 それに・・・葉月と言った。 塔弥から葉月の名前は聞いていた。 一度話してみたいものだとも思っていた。

「入るが良い」

葉月がやっと頭を上げて部屋の中に入ってきた。 襖を閉める前に「葉月」と塔弥の声がしたがそれを切るかのように葉月が襖を閉めた。
そして・・・紫揺の横に座る。

「葉月ちゃん、どうしたの?」

紫揺に話しかけられたが、葉月が俯き加減にしてマツリに問う。

「マツリ様、マツリ様の御前に失礼であることは重々承知しております。 それでも・・・紫さまと日頃と同じようにお話しをさせて頂いて宜しいでしょうか」

「ああ、構わん」

東の領土でそうならばそれでいい。 ここは本領ではないのだから。
葉月が顔を上げ横にいる紫揺に向かい合った。
本領発揮。 出発進行。

「紫さま!」

葉月の叱責する声にマツリが驚いた顔をする。

「あ・・・はい」

「何度も何度も言いましたよねっ?」

「え?」

「東の領土の民は紫さまのお幸せだけを考えていると!」

「・・・うん」

「紫さまのお幸せは何ですかっ!?」

「えっと・・・東の領土でみんなと居ること。 みんなで幸せにいること」

「えーえー、そうですね、そうお答えいただきましたっ。 では、マツリ様のことをどうお考えですかっ? どう想っていらっしゃいますかっ?」

マツリが驚いた顔のまま止まっている。

「分んないって言ったよね?」

「はい、お聞きしました。 ですが、お嫌いですか、と、お訊きした時にはきちんと答えていただけませんでした」

葉月と紫揺のやり取りに目を丸くしていたマツリだが、いま葉月は大切なことを訊いている。

「お嫌いですかっ!?」

改めて葉月が問う。

「・・・」

マツリの眉がピクリと動く。

「紫さまは東の領土に居られたい。 ですがマツリ様の奥になられると東の領土に居ることは出来ない、そうお考えじゃないんですか? 寂しいと仰っておられましたね? 民と離れるのが寂しいと」

「・・・だって。 ・・・だって、何も分からない私をみんなが受けとめてくれた。 受け入れてくれた。 嬉しかった。 ・・・不安だった。 ・・・誰も居ない。 お父さんもお母さんも居ない。 ・・・一人だもん」

マツリがシキから聞かされたことを思い出した。 忘れていたわけではないが、改めて紫揺は杠と同じ境遇であったことを思う。

「一人じゃないです」

「・・・」

「私も塔弥も民も居ます。 マツリ様もおられます」

「・・・お婆様と約束したもん。 東の領土を守るって」

「マツリ様をお嫌いですか?」

「・・・葉月ちゃん」

「マツリ様を想っておられますね?」

「・・・」

「マツリ様を想い慕っては、東の領土から離れてしまうと思っておいでですね?」

「・・・」

数分ほどの静かな時が流れた。
葉月がマツリに向き合って手をついて頭を下げる。

「お邪魔をいたしました」

葉月が立ち上がろうとしたのを紫揺が止めた。

「葉月ちゃん・・・どうして?」

どうしてマツリを前にそんなことを言ったのか?

「紫さま?」

いつも生き生きとしている葉月の双眸なのに、今は慈愛に満ちている。

「民は・・・私も。 紫さまのお幸せだけを願っております」

「だから・・・私はみんなと居るのが幸せだって・・・」

「お心に蓋をしないで下さい」

「そんなことない、し」

暫しの沈黙があった。 その中にマツリの声が響く。

「葉月といったか」

葉月が慌てて手をついた。

「改まることはない。 塔弥から其方のことは聞いておる」

塔弥のヤロウ、どんな話をしやがったのか・・・。 下げている顔が歪む。

「我も知らぬニホンのことをよく知っておるそうだな。 紫の良き話し相手となってくれておると聞いておる」

塔弥から聞いた話では、ほぼ通訳ということであったから、若干違うが広い目で見ればそうなのだろう。
マツリ自身も紫揺との語彙(ごい)の違いを時折感じている。
頭を下げていた葉月が溜飲を下げる。

「今の話、礼を言う」

襖の向こうでは、ずっと塔弥が襖に耳を付けていた。 ちょっと前に同じことをしていた葉月に苦言を呈していたというのに。

「紫」

マツリが紫揺を見る。

「・・・なによ」

「我は言ったな?」

「なにを」

「我には紫しかおらん。 紫だけを想っていると。 紫以外を奥にとるつもりはないと、言ったな?」

「・・・」

「我は紫から東の領土を取り上げるつもりはない」

「・・・」

「父上に何と言われようとも」

「・・・そんな事って有り得ないし」

二兎追うものは一兎も得ないだろう。 あれ? この場合、二兎は追ってないのか?

葉月がそっと部屋を出る。
マツリが紫揺に言っていたことをしっかりと耳にした葉月。 襖の外で座している塔弥が憎々しい。 苛立つ気持ちを掌に込めた。
ペチン。
葉月が座している塔弥の頭を叩いた。 東の領土ではあるまじきことであったが、葉月が何を言わんとしているのは、さすがの塔弥にも分かった。

「我と婚姻したとて、どうして紫が本領に来なくてはならん」

「え?」

それでは・・・婿養子ということか? そんなこと有り得ないだろう。

「そんなことも考えていないと思っておったのか?」

「・・・」

「問い直す。 紫は我のことをどう想っておる」

「・・・」

強情だ・・・。

「答えにくいのであれば、先ほど葉月も言っておったが、我のことが嫌いか」

「・・・」

「東の領土の祭に来た我に顔を見せない程、我のことが嫌いか」

「・・・」

「包みの中が菓子だと、見ずとも言った我のことが嫌いか」

「・・・」

「紫より早く、夕餉を食べてしまう我のことが嫌いか」

「・・・」

「米が潰れると言った我が嫌いか」

「・・・もっと」

下を向いていた紫揺の口がポソリと開いた。
反対に次を言おうと開きかけていたマツリの口が閉じる。

「・・・もっと違う言いようがないの?」

それでは幼稚園児に訊いているようではないか。

「その言いようとやらを教えてもらおう」

「上からの物言い、偉そうな物言い、リツソ君を虐める、なんでも分かってる顔をしてる、それに・・・どうして私の考えてることが分かるのよ・・・」

やっと口を開いてくれたか。

「上から、偉そうな物言いというのは我の立場を考えれば言わずとも分かるはず。 紫とて民に頭を下げることが出来んであろう、言ってはならぬことがあろう。 我は紫より上の立場にある。 だが、最初はそうであったが・・・」

最初・・・、本当の最初。 紫揺を初めて見た時、北の領土で・・・。
あの時・・・息が止まった。

(え? 俺は・・・俺はあの時に紫のことを・・・)

一目惚れだったのか・・・。
マツリが頭を振る。

紫揺が怪訝な顔をマツリに向ける。 言い訳がましいことを並べておいて途中で止まったのだから。
マツリの口が再び開く。

「最初はそうであった。 だが姉上から紫のことを聞かされてからは紫も言っておったであろう、我の話し方が違ってきたと。 何でもわかっておる顔といわれても、この顔は生まれつきだ、変えることなど出来ん。 紫の考えていることは紫を想っておるから分かる」

紫揺の単純な頭の構造では何を考えているかなど、マツリでなくとも誰にでも分かるとは思っているが、ここではあくまでも自分しか分からないと言っておく。

「リツソを虐めてなどおらん。 ・・・あの時以外はな」

「あの時?」

どの時?

「いま話していて気づいた」

紫揺から目を外した。 呆れる、と漏らしながら。
波葉が言っていたことがよくよく分かった。 今にして腑に落ちた。

『紫さまを初めて見た時、慧眼の目ではなく、紫さまに見入ったのではないですか?』

マツリが紫揺に視線を戻す。

「始めて紫を見た時、我は息が止まった」

心筋梗塞でも起こしかけたていたのか? そんな風には見えなかったが。 いや、反対に紫揺の方が息を詰まらせていたくらいだ。

「我はあの時から紫のことを想っていたようだ」

「はぁい?」

「今気づいたのだがな。 だがその時の我はそうとは気付かなかった。 無意識に・・・リツソに八つ当たりをしていたようだ。 それに紫に喧嘩ごしに話していたのもそうだ。 紫のことを想っていてそれに気付かなかった。 紫にも八つ当たりをしていたのだろう。 紫に言われても仕方のないこと。 それは認める。 愚かだった」

簡単に認めてもらったら、それはそれでやりにくい。

「他には」

「え?」

「言いようとやらだ。 先ほど紫が言ったことに我は今答えた。 我の立場からそのような事情がある。 愚かだったことも認める。 他には」

「・・・急に言われても」

「嫌いな者に対しては簡単に嫌いな理由は分かろう。 その理由があるから嫌いなのだから」

「・・・」

これでは埒があかない。 日を改めるか・・・手法を変えるか。
いや、日を改めても同じことか・・・。 それに次はいつ来られるか分からない。

「紫が口を開かぬのなら、我の思うようにするが?」

紫揺がチラリと上目遣いにマツリを見る。

「実力行使、それで良いか?」

「・・・実力行使?」

「我は紫を想っておるから、紫の想いに添いたいと思っておる。 だがそれは紫も我のことを想っているという前提においてだ。 紫が我のことを想っておらんのなら、嫌っておるのなら、紫の想いに添う必要はない。 ずっと我の横に居てもらう。 紫がどんなに東の領土を想おうと、泣こうと、我の隣にいてもらう」

「なにそれ? 本領の権力を振りかざすって言うの?」

「何も話さぬのだからそうする以外にない。 そうしてもよいであろう?」

「そんなの・・・人権蹂躙(じんけんじゅうりん)」

「本領にはその権利がある。 それが嫌なら紫が話せばよいこと」

「言ってもさっきみたいに言うじゃない!」

「紫が誤解をしておるからだ。 愚かだったところは認めた。 それに言ったであろう、我は紫のことを誰にも渡さんと」

廊下に座して襖に耳をくっ付けていた二人。
葉月が塔弥を睨む、これくらい言えないのかという目で。 塔弥がシュンとしたように下を向くとその塔弥の耳に葉月の溜息が聞こえてきた。

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辰刻の雫 ~蒼い月~  第135回

2023年01月23日 21時01分18秒 | 小説
『辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~』 目次


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辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~  第135回



四方が口に入れたものを咀嚼する音が聞こえる。

マツリの頭の中を一周し終えたであろう四方の声がやっと落ち着いて納まる場所を見つけた。

「え“え”―――!!」

すごいタイムラグである。

顔をしかめた四方が、わざとらしく箸を持っていない方の手で耳を押さえる。
給仕をしていた女官も驚いた顔をしている。 こんなに間の抜けたマツリの大声を聞くことなど今までに無かったのだから。

「そんなに驚くことはなかろう。 ああそうだった、リツソだったか」

「え? あ、いや、その。 シ、シグロが? ハクロの仔を?」

「他の狼では有り得んだろう」

「ま、まあ、そうですけど・・・」

まさかハクロに先を越されるとは思ってもみなかった。

「ハクロが・・・父親・・・」

「いつまでも何を言っておる。 リツソだ。 あ、いいや、発端は父上か」

ハクロがやって来た時にはマツリは居なかったが、偶然にも四方を見つけた。 そこで四方からシグロを本領に帰す許可をもらったのだが、運悪く四方の隣に四方の父上であり、リツソのジジ様であるご隠居とリツソが居た。


『ではハクロ、寂しかろう』

リツソが言う。
そんなことはないと言いかけたハクロより先にご隠居が口を開く。

『おお、リツソは何と優しいことか』

『ジジ様、我がハクロの相手をしてやります』

一瞬にして青ざめたハクロ。 その様なことは無用と口を開きかけた時に、再度ご隠居が言った。

『おお、おお。 そうか、そうか。 リツソは良い子じゃ、優しい子じゃ。 ハクロ、そうせえ。 そうじゃな、宮に長逗留は考えものじゃ。 わしの所に居るといい。 リツソ? 毎日ジジの所に来るか?』

『はいっ!』


「ということでな、リツソは毎日、父上の所に行っておる」

「あ? ではリツソは今もお爺様の所に行っているということで御座いますか?」

四方が苦い顔をしてみせる。

「毎日、ハクロに跨ってあちこちを走っておるらしい」

狼が走っていると民から苦情が殺到しているという。 苦情もそうだろうが、それ以前に考えなくてはいけないことがある。

「それでは北の領土のことはどうなります」

茶の狼たちだけでは的確に動けないだろう。

「わしも言ったのだがな、父上はリツソのこととなると・・・ああ、澪引のこともか。 とにかく聞く耳を持って下さらん」

マツリが大きな溜息を吐いた。

「我がリツソを連れ戻し、ハクロを北に戻します」

北の領土に何かあってからでは遅い。

「マツリの言うことなら父上も聞いて下さるだろう。 頼む」

その後は四方の話す宮都の様子をマツリが聞いていた。

四方との話を済ませると、秀亜群に飛ぶ前にまずはご隠居の所に行かねばならなくなった。 キョウゲンには戻ってきてから飛んでもらわなくてはならない。 巣で休ませたまま馬を走らせた。
屋敷の呼び鈴を鳴らすと、戸口の中に立っていた戸守男が木戸を開けた。

「これは、マツリ様」

「リツソは居るか」

「はい、先ほど丁度戻ってこられました」

腹が減って昼餉を食べに戻ってきたのだろう。
戸守男がマツリから手綱を預かると馬を中に入れ手綱を手綱木に引っ掛ける。

「ハクロは」

「こちらに」

戸守男が陽のあたらない所に案内をした。 そこにぐったりとしたハクロが身体を伸ばして横たわっている。
本来なら夜に動く狼。 それを朝から昼から走らされては身体が持たないだろう。 それにここは冷える北の領土ではない。 寒い所ならいざ知らず、こんな平地で過ごすには暑かろう。

「ハクロ」

かったるげにハクロが顔を上げた。

「マ、マツリ様!」

驚いて体を起こし身を正す。

「悪かったな。 我が居ぬ間に」

「・・・そのようなことは」

あります、めっちゃあります。 などとは言えない。
だが言わずともマツリには分かっている。

「今から北に戻る体力は残っておるか」

「はい」

「では戻って北のことを頼む」

「有難うございます」

承知しましたではない。 心の声なのだろう。

戸守男がハクロの先を歩くと木戸を開けて馬を遠ざける。 ハクロ達は北の領土と宮を行き来している。 見張番の馬は多少臭いには慣れているが、マツリの乗ってきた馬にその姿を見せて暴れさせてはいけないからだろう。 その間にマツリが家の中に入った。

「な~ご」

ジジ様の供である山猫が迎えに出てきたのか、偶然そこに居たのか。 マツリが履き物を脱ぐと山猫が案内するように先を歩く。
客間の襖の前で山猫が止まる。 マツリを振り向くと何もなかったように戻っていった。
襖の前にマツリが座す。

「お爺様、マツリで御座います」

ひっ! という声が襖の向こうから聞こえた。 リツソの声だ。

「マツリか、入れ」

客間ではリツソに膳を出し、リツソの食べる様子を嬉しそうにご隠居が見ていたようだ。 ご隠居はいつも決まった時間に食べる。 既に食べ終わっていたのだろう。 リツソが箸を持ったまま固まっている。

「父上からお聞きいたしました。 リツソが毎日お伺いしているそうで」

「おおそうじゃ。 毎日ハクロと民を見まわっておる」

うんうん、と何度も深く頷いてご満悦だ。
四方の元に苦情が殺到していることなど露ほども知らないらしい。

「ほぅ、そうでありましたか。 そのような事とは知らず、今しがたハクロを北の領土に戻してしまいました」

「え? どうしてじゃ」

どうしてじゃ、とは・・・。 本来狼は北の領土を見張っているものだろう。 リツソの玩具ではない。

「北の領土は少々不安材料が御座いまして、領土が今少し落ち着くまではハクロの目が必要かと」

「北の領土で何かあったのか?」

無くとも狼は北の領土を見ねばならないだろう。 隠居をしてすっかり北の領土のことを忘れてしまったのかと疑ってしまう。

「五色の・・・白の力を持つ者が先だって身罷りました。 代わりに本領から行きました五色はまだ歳浅い者で御座います。 それに領土に水害も出ておりますので」

火が出ていると言えば何か疑われるかもしれない。 沢を操る力を持つ白の力が必要となってくる水害が無難だろう。

「・・・そうか。 それでは民も不安であろうか」

「はい」

「では致し方ないか」

「はい。 して、お爺様。 リツソは朝から夕までこちらに伺わさせて頂いているようですが、勉学が滞っていると師が心配をしておりまして」

「勉学とな?」

「はい」

「ああ、それではわしが見てやろうか、のう、リツソ」

マツリがほくそ笑む。

未だ固まっていたリツソだったがご隠居に声をかけられ、ましてや勉学と聞かされ急速に解凍した。 これは都合が悪い。

「あ・・・、いえ、いいえ、そのような。 勉学は師からこいますのでジジ様はご心配なく」

ご隠居の所に来るのは殆ど逃げ込みに来るのだから、そんな所で勉学を教えてもらっては逃げて来た意味がないし、師から逃げることは出来ても、ご隠居から逃げるとあとあとマズい。

「リツソ、師が待っておられるがどうする」

「あ・・・」

「昼餉を頂いてから戻るか」

「・・・はい」

マツリがふと気づいた。

「カルネラは」

「えっと・・・怒って・・・木で休んでいると・・・思います」

怒ってとはどういうことだ。 気にはなるがとにかく今はさっさと食べさせて、とっとと宮に戻し、ちゃっちゃと秀亜群に行かねばならない。

「そうか。 ではせっかく作って頂いたのだから美味しくいただけ」

マツリに見張られ、これから宮に戻されるかと思うと美味しくなんて食べられるわけがない。

「そうじゃリツソ、マツリの言う通り。 美味しかろう、リツソの好きなものばかりが入っておろう? ジジがしっかりと言っておいたからな」

見事に偏った食事。 溜息を吐きたいのを堪える。
ご隠居がリツソを見ていた目をマツリに向ける。

「六都に出向いておるそうじゃな」

「はい」

「どんな具合じゃ」

ご隠居になにも六都のことを隠すことはない。 かといって全てを話して頭に血を上らせてもらっても困る。 突っ込まれ話が長引いて、リツソが食事を終えても話さなければいけなくなるだろうし、ポックリ逝かれても困る。
いま男達にさせていることを話すのが無難なところだろう。

「そうか、あの六都の者どもが汗を流しておるのか」

「疲れて悪さをする体力も残っていないようで、今のところ以前ほどの問題は起きておりません」

「六都といえど、所詮は金に釣られるか」

「食べ逃げをするのに食べながら店主の様子を見ているより、堂々と食べたほうが美味いということを知ったのでしょう」

話をしている間にリツソが食べ終えた。 必要以上に時がかかったのはマツリの気のせいではないだろう。

「ジジ様、ご馳走様で御座いました」

「おお、よう挨拶のできる良い子じゃ」

リツソの頭を撫でている。 それを白い目で見ているマツリ。 リツソはもう十六の歳になっているというのに。

「お爺様にお暇(いとま)の挨拶をして、カルネラを連れてくるよう」

不承不承という顔をしたリツソがご隠居に挨拶をする。

「ジジ様、有難うございました。 ハクロが居なくてもまた来ます」

「うんうん。 いつでも来るがいい」

リツソが立ち上がり部屋を出ようとした時、リツソだけに聞こえるようにマツリの低い声がした。 「逃げるなよ」 と。
背筋に怖気が走るような声だった。

「では、お爺様、これにて失礼をいたしますが、屋敷でリツソが世話になった者に礼を言ってから―――」

「よいよい。 わしからくれぐれも言っておく」

「なにからなにまでお世話になります。 では失礼をいたします」

「ああ、リツソを頼む」

パタリと襖を閉めたマツリ。 大きく溜息を吐きたいが、まだリツソを宮に戻さなくてはいけない。
そのまま玄関に向かって歩いて行くとカルネラの声が聞こえてきた。 玄関の戸は開けっ放しである。

「リツソ、オベンキョ、ベンガク! オベンキョシテネ、カルネライイコ、シユラスキ、リツソオシッコモラスー!」

カルネラがリツソの頭に上りリツソの頭をポカスカ叩いている。
カルネラが怒っているというのはそういうことか。 それにしても。

「も! もう漏らしておらん!」

マツリが堪らず溜息を吐き額に掌をあてた。

宮に戻るとリツソを師に預け、尾能に言って四方の従者を四人まわしてもらうと、窓と襖に二人づつ見張として立たせた。

「良いな、夕餉までしかりと励め」

「えー!? 夕餉までー!?」

「よろしく頼む」

師が恭しく頭を下げるとマツリがリツソの部屋を出て行き、自室に戻って狩衣から他出着に着替えるとキョウゲンに跳び乗った。
ちょうど外の空気を吸いに出ていた四方が飛び去るキョウゲンを見た。 六都からは馬でやって来たと聞いていたのに。

「マツリは六都に戻るのではないのか?」

後ろに控えている尾能に訊ねる。

「秀亜群の様子を見に行かれると仰っておられました」

四方に聞かせるのはどうかと思ったが、マツリの気持ちを伝えたかった。

「・・・そうか」

昼餉のときにはそんなことを言っていなかったのに。

「茶をお淹れいたしましょう」

「・・・ああ」



再び櫓が建てられ、紫揺の誕生の祝いである祭が行われていた。
紫揺も櫓の周りに輪を作っている民の中に入って一緒に踊っている。 櫓の上では祭の時と同じように楽の音が響いている。
笑顔を民に振りまいている紫揺だが心の中は泥沼状態だ。 それでも紫揺が憂いていた時のように民が気付かないのは、あの時ほどではないからであろう。
チラチラと月明かりに照らされる夜空を見上げる。 何度見てもキョウゲンの姿はない。

(来るならとっとと来なさいよ。 って? あれ? もしかして中止かな? マツリ、忙しそうだったからな)

当分来られないと言っていたのだから。

(んじゃ、気にすることないか)

「紫さま!」

「あ、朋来(ほうらい)、どう? 奈野(なの)のお熱は下がったの?」

やっと “ちゃん” や “君” 付けをしなくても気にならなくなってきた。 この領土では、本領もだが、そんな風に呼ぶことが無いのだから。 葉月が此之葉のことを “此之葉ちゃん” と呼んでいるのは日本に影響されたらしかった。

この朋来は、まだ紫揺が東の領土に来ることを決めていなかった時、そんな中、一度やって来た東の領土。 その紫揺の後ろを忍びながらお付きたちが紫揺の後を尾けていた。 その時に梁湶に声をかけ、驚いた梁湶がウワァ―っと声を上げかけ、壁にへばりついていた身体をより一層壁に引っ付けさせた、あの時の張本人だ。
あの時は丸い頬をした四歳だったが今では九歳になり、七つ離れた妹もいてしっかりとお兄ちゃんをしている。

「はい。 でも今はまだ家にいます」

楽の音がある。 互いに声を張り上げて話さなくてはいけない。

「うん、無理しない方がいいからね」

「これっ」

後ろ手に隠していた差し出された手には花束が握られている。

「わっ、ありがとう!」

「また家に戻って奈野の様子を見るから」

誕生を祝う祭に参加できないからということだろう。 その代わりに花束をくれたのだろう。

「うん。 奈野が寂しがるからね」

奈野はお兄ちゃん子である。 紫揺もそれをよく知っている。

その様子を見ていた湖彩がそっと紫揺に近寄る。 朋来が立ち去っていくのを見てから花束を預かる。 花がしおれていくのを紫揺が見たいと思っていないのをお付きたちは知っている。 湖彩が此之葉に渡すと器に水を入れ紫揺の部屋に飾った。
祭は佳境にかかってきた。

「マツリ様、来られませんね」

夜空を見上げながら秋我が言う。

「ああ・・・あの時にこちらから訊けば良かった。 もうこれ以上は・・・胃の腑が持たん」

「もし来られなかったら私から訊きましょうか?」

領主がチラリと秋我を見る。 いつの間にか背は抜かれていた。 辺境に行っている間に抜かれたのだろう。 細かった身体も今は領主によく似てしっかりとしている。

「もう・・・秋我に領主の座を譲ろうか・・・」

「何を仰ってるんですか」

ちょっと塔弥に相談すればわかることだが、まさか塔弥がこの事を知っているとは思ってもいない二人である。

そろそろ祭が終わる。
塔弥が夜空を見上げる。 だがキョウゲンの姿はどこにも見えない。

「みんなー! ありがとうー!! 皆さんが健康で、そして領土が安泰でありますようにー!」

紫揺が締めくくりの声を上げると喝采が起きた。
紫の誕生の祝いの祭が終わった。

「お疲れ様で御座いました」

此之葉が茶を出す。

「あ、お花生けてくれたんですね」

朋来から受け取った花束が飾られているのを目にする。

「萎れてしまってはいけませんので」

「うん、ありがとうございます。 奈野お熱が下がったみたいです。 わざわざ朋来が持ってきてくれました。 すぐに家に帰っちゃいましたけど」

「妹想いの朋来ですから気になるのでしょう」

「うん、そうでしょうね」

「マツリ様、来られませんでしたね」

「来なくていいから丁度良かった」

マツリが来る理由を紫揺は知っているはずだ。 それを言ってはもらえないが。

「湯浴みの用意が整っておりますが、休憩されてからお入りになりますか?」

「あ、じゃ、すぐに入ります」

ここはボタン一つで追い炊きが出来るわけではない。
飲み頃に淹れられていたお茶を一気に飲み干す。
夕餉は祭の前に食べ終わっている。 風呂にさえ入れば今日一日が終わる。
そう、無事に終わるはずだった。
それなのに・・・。

いま紫揺の目の前にマツリが居る。

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辰刻の雫 ~蒼い月~  第134回

2023年01月20日 21時29分02秒 | 小説
『辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~』 目次


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辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~  第134回



「いったい何を話してんだ?」

塔弥と紫揺の馬が並んで歩く前に紫揺から言われていた。
『塔弥さんと話があるから・・・ちょっと離れててもらえます?』 と。

「野夜、塔弥に関わるなよ」

阿秀が冷たい視線を野夜に送る。

「いや、阿秀。 葉月が今度はどんな技をかけるか見られるチャンスかもしれませんよ?」

「ホンット見事だったな」

「あの時の野夜は笑えた」

「うるさいわ!」

「葉月は彼の地で、男相手にプロレスの技をかけて練習していたそうだからな。 それも相手は漁師だ。 野夜なんぞ簡単にやられる」

そう、葉月が練習相手に選んでいたカクさんは漁師であって屈強な身体を持っていた。

「そういうことは早めに言ってくださいよ・・・」

「最初っから塔弥をからかうなと言っていただろう」

「それとこれとは別で・・・」

「あん? なんだ? 塔弥が下がってきた」

話が終わったということだろう。 阿秀が速歩で紫揺の元に行く。 他の者たちもそれに続く。
阿秀とすれ違いざま塔弥が言った。
「戻ったら此之葉を留めておいてください」 と。
阿秀が目で応えた。


「今日はスッキリとしましたか?」

お転婆で走りまくった紫揺の前に此之葉ではなく、そして前でもなく横に葉月が座っている。

「久しぶりね、葉月ちゃん」

座卓の上には葉月の淹れた茶が置かれている。

「塔弥さんのことを置いて、音夜ちゃんのところにばっかり行ってたら塔弥さん寂しいよ? って、塔弥さんが悪いんだけど」

「紫さまも音夜の所に行ってるじゃないですか」

「ま、まぁ、そうだけど。 ・・・でも、葉月ちゃんには塔弥さんがいるじゃない」

「その塔弥から言われました」

こんな時ばっかり、と葉月が漏らした。

「なにを?」

「マツリ様が来られるそうですね」

「あ、うん」

「塔弥に言ったそうですね、イイ男探すって」

「・・・うん」

「紫さまにとってイイ男ってどなたですか? どんな男ですか? どんなヤローですか?」

微妙、クレッシェンドがかかっている気がする。

「あ・・・葉月ちゃんキレてる?」

葉月が半眼で紫揺をとらえる。

「紫さま! もーちょっと、お心に素直になってはもらえませんか?」

「はい?」

「私は塔弥を想っています。 塔弥がどう想おうと。 私を忌とんでいても」

「いや、そんなことはないし」

「紫さまもそこまで想えません? マツリ様のことを」

「・・・え」

「お心を自由にお持ちくださいませ。 民はそれを願っています。 紫さまのお幸せだけを」

「・・・だって」

“だって” じゃない。 “だって、それは” でもない。
想う想わない以前にマツリの言ったことに乗ってしまえば東の領土に居られなくなる。
民は紫揺を見て、紫の姿を見て歓喜した。 祖母から言われた。 “東の領土を頼みます” と。
それに・・・。

『紫さまにおかれてはあの忌まわしいことから数十年待ち、やっと領土に帰ってきていただきました。 民が望んだ紫さまで御座います』

シキの婚姻の儀の折、澪引が領主に紫揺をリツソの許嫁にと考えている、領主にも考えて欲しいと言った時に領主が澪引にそう返事をした。
遠回しに断っているが、真実それが領主の考えなのだろう。
それにそれだけじゃない、一番大切なことがある。 気のせいかもしれないけど、杠の言っていたことが分かってきたような気がする。

「・・・無理」

自分が何をしなくてはいけないのか分かっている。 何をしちゃいけないのかも。

「葉月ちゃん、ゴメンね。 イッパイ言ってもらったけど・・・。 無理」

「でも分かってはもらえました?」

紫揺がマツリをどう想っているのかを。

「・・・こんな言い方をしたら葉月ちゃんに悪いんだけど・・・。 マツリはハッキリ言ったの」

マツリには紫揺しかいないと。

「でも・・・寂しいの。 今の葉月ちゃんと一緒なの」

「紫さま・・・」

「なんだろね。 寂しいっていやだよね」

紫揺には肉親はいない。 ましてや彼の地、日本から何も分からないこの地に来た。 この地の民が紫揺を受け入れてくれた。 それに応えたい、民たちと離れたくない。 民と離れると思うと寂しい。

「それを・・・その寂しさをマツリ様は埋めてはくれませんか?」

今までに見たことのない笑みで紫揺がフッと笑った。

「いいの」

「いいのって?」

「私はここに居るの。 この東の領土に。 みんなと一緒にいるの」

「紫さま・・・」

シキがマツリは紫揺のことを考えていると言った。 でも紫揺が望むことを叶えるのは不可能なこと。

「お聞かせください・・・紫さまはマツリ様のことをどう想っていらっしゃいますか?」

「・・・分かんない」

「お嫌いですか?」

「・・・マツリを・・・殴ったみたいなの。 塔弥さんから聞いてるでしょ?」

葉月がコクリと首肯する。

「記憶にないんだけど。 それほどマツリを許せなかったんだと思う。 許す気もなかったし」

それは紫揺の首筋に口付けをしたことなのだろうと、葉月が静かに聞く。

「マツリが・・・何度でも殴られるって。 でも無かった事にはしないって。 意味分んない」

支離滅裂に紫揺が言う。

「紫さま、東の領土の民は紫さまのお幸せだけを願っております」

だからマツリのことを考えて下さい。

「・・・」

いっぱい考えた。 だが、どれを取っても、

「紫さまのお幸せに―――」

「血は残す。 残すよ。 それに・・・子供が、私の産んだ子が紫の血を引くかどうかは分かんないけど。 もし血を引かなかったら、その子が大きくなって子供を授かるまで私が東の領土を守る。 紫が生まれるまで、私が生きている間、死ぬまで東の領土を守る」

「・・・紫さま」

「それが紫に与えられた義務・・・責任だから。 本領から新しく五色を迎えるなんてこと有り得ないんだから。 紫と言う名はこの東の領土において絶対的なもの。 それを私が受け継いだんだから」

名の重みを知ったのだから。

「私はまだまだだけど、でも紫の名に恥じないように・・・東の領土で生きたい。 初代紫さまに、お婆様に応えたいの」

「紫さま」

「葉月ちゃんごめんね」

男はマツリだけじゃない。
それに・・・マツリには応えられない。 応えちゃいけない。



六都文官所に居た杠は移動先がマツリ付ということになったということで、宮都から六都に官吏としてマツリと共に戻ってきていた。

「今宵が満の月ですか」

朝陽が顔を出したばかりの曇天の空を見て杠が言う。 今宵は東の領土で紫揺の誕生の祭がある。

「ああ、悪いが東の領土に飛ぶ」

「お気になさらず」

マツリと杠の間には今も四方と朱禅のことが頭の片隅にある。
あれからどうなったのだろうか。 すぐに六都に戻るべきではなかったのだろうか。 だが己が手を入れた六都を放っておくわけにはいかなかった。

マツリと杠が六都に戻ると、監視の目であった宮都の武官が減っていてもマツリたちの募集した人足の民は働いていた。 日中に発散した汗と共に肉体は疲れ、夜には寝ていたようだ。
人足たちは特に何の問題も起こすことなく、日々を過ごしていたと享沙から聞いた。 ただ、いまだにかっぱらいや、暴れたりしている者はいるということだが、武官が捕らえては官別所に入れているということであった。

宮都から戻ってきたマツリが官別所に入れられた者たちの罪状を見て、無償労働他、軽いものには灸を据え、今までと同じように人足として働かせた。

「こんな時に・・・」

どうしてあんな伝言を言ってしまったのか。 東の領土に。
そう考えていた横から杠の声が聞こえた。

「己が自害して・・・」

え? 何を言い出すのかと、思わず杠を見た。

「マツリ様にお子がおられたとして、己が自害したからといって、そのお子が幸せをすくおうとしていた手を止められたら・・・。 なんと思われますか?」

杠が自害をしたからと言ってマツリの子供には何の関係もない。 朱禅、四方、マツリとの関係を置き換えて考えてほしい。

寸の間、驚きに止まっていた表情筋が弛緩する。

「・・・そうだな」

まだ子供などいないが居なくとも分かる。

「驕(おご)ったことを申してしまいました」

マツリと杠の関係を四方と朱禅の関係に置いたのだから。

そんなことはないとマツリが首を振る。

「宮に寄ってから東の領土に行く。 早めに出ても良いか?」

東の領土の祭は月が出てからである。

「一日くらいで何が変わることも御座いませんでしょう」

水面下で状況を見ている享沙や他の者たちからも怪しい報告はない。 ちなみに絨礼と芯直も似ていない双子として井戸端を聞く役割に復帰している。
柳技はとうに紙屋を辞めた巴央と共に人足に混じって力仕事をしながら、男たちの間に不穏な動きがないかを見ている。 柳技に関してはまだまともに力仕事は出来ないので、アレを持って来いと言われ取りに走ったりと、使い走りのような事をしているのだが。

「そうだな・・・」

止まり木にとまるキョウゲンを見た。

「キョウゲン、宮に戻った具合で秀亜に飛び、また宮に戻ってもらえるか?」

「造作も御座いません」

今日は曇天のようだ。 快晴の中を飛ぶことを思えば少しはマシだろう。

「宮には馬で戻られますか?」

辺境の秀亜群に行くには馬では時がかかり過ぎる。 仕方なくキョウゲンに頼むが、曇天といえど、可能な限りはキョウゲンを飛ばしたくない。

「ああ、そうする」

「用意してまいります」

宿を出て官所の厩に向かった。


馬で宮に戻ってきたマツリが回廊を歩いていた。 取り敢えずは着替えようと自室に向かっている。

「お帰りなさいませ」

マツリを見かけた庭師たちが声をかける。
部屋で着替えをしている間に門番から聞いたのであろう。 着替え終わり襖を開けると尾能が座していた。

「お帰りなさいませ」

手をついて頭を下げている。

「父上のご様子を訊きたい」

部屋の中に入るよう促す。
部屋に入ると襖を閉め、そのままその場に座った。 マツリは座卓の前に座している。

尾能の説明はこうであった。
すぐに秀亜群に戻った秀亜郡司に早馬を走らせた。 秀亜郡司は馬車で戻っている。 その為、秀亜群に着くずっと前に道中で会ったということだったが、早馬がその秀亜郡司からの文を持って帰ってきた。
そこには野辺送りは秀亜群で行いたいと書かれていた。

涙にくれている朱禅の甥である若い薬草師が静かに見送る中、馬車で朱禅の遺体を運んだが、朱禅の横に四方がついていたということであった。 四方はそのまま秀亜群での野辺送りに参列し三日間帰らなかった。
帰って来てからは二日間、喪に服していたという。
秀亜群では尾能だけが四方に付き、他の従者は宮に残していたということであった。

「ご心中はまだまだで御座いましょうが、今は何事も無かったかのように過ごされておられます」

ポロリとこぼしたという。 咎を下した時にすぐ秀亜へ戻していればこんなことにはならなかったのだろうかと。
すかさず尾能は言ったという。

『万が一にも、そのようなことをされておられましたら、朱禅殿は今までの時を悔やまれたと存じます。 四方様が朱禅殿をかわらずお傍に置かれました。 朱禅殿はお幸せで御座いました』 と。

朱禅の最後の文にもそう書かれていた。

話を聞き終わったマツリが顔を下げ深く息を吐いた。

「失礼を承知で申し上げます。 私が四方様にお付きしております、マツリ様のご心配はご不要かと」

六都の話を尾能も知っている。 心配せず六都のことに専念しろということだろう。

「・・・そうか」

気を使ってもらっている。 こんな時にはそれを受けるのが一番だ。

「一度、秀亜群を見に行こうと思っているのだが、あちらはどんな具合だった」

「あの時は誰しもが悲しみに暮れておりました。 秀亜群から出た初めての官吏で御座います。 その上、四方様の従者となられた。 秀亜群の誇りでもあったでしょう。 事の次第を聞いた民は、その命を自分たちが取り上げたとすら思っていたようですから」

そこまで言うと一度大きく息を吸ってゆっくりと吐き、そして続ける。

「四方様の出された咎に不服を言うどころか、感謝をしておりました。 今頃は落ち着いているのではないでしょうか」

「そうか・・・承知した」


「六都はどうだ」

マツリと四方だけの遅い昼餉である。

「いまのところ問題なく。 荒者たちには朝から体力を使わせ、夜に暴れる体力を残させておりません。 文官所からの報告はいかがでしょうか」

前日に受け取っていた文官所からの書簡を携えていた。
四方が眉を上げる。

「文官所には行っておらんのか?」

マツリの箸が止まる。

「杠が厩番に一人置いておりますが、下手な動きは無いということです。 文官の仕事は新しい文官に任せておりましたので。 何か御座いましたか?」

そういうことか、と言って首を振った。

「いや・・・何と言おうか。 あの時、捕らえた後に調べた報告が上がってきたが、あとになってまだまだ続々と上がって来ておる」

マツリが箸を再び動かす。

「続々とは?」

「捕らえた者たち以外にも。 ああ、もう移動をして六都には居ない文官だが、ちょくちょく誤魔化していたようだ」

「では以前からそのようなことがあったということですか?」

「ああ。 誰だったのかをいま調べさせておるようだ」

どこに移動したか、後を追わなければいけない。

「六都の民だけではなく、そういう色がついた分官所でしたか」

「ああ、文官がそのようなら民もいい加減になろう」

「戻りましたら文官所に顔を出してみます。 それと、六都と辺境の境にある杉の山なのですが、伐採してもよろしいでしょうか?」

あの時、文官にここから杉山まで徒歩でどれくらいかかるかを訊いた。 キョウゲンに乗って飛んでいると徒歩での時間感覚が分からない。
文官が難しい顔をしたので、手っ取り早く話した。
学び舎を建て終わったあとの事を考えていると。 毎日あの杉山に通い木を伐り山のふもとに運ぶ。 伐った木は他の材料として他都に流通させる。 木材として成り立たないものは薪としてでも加工なりなんなりすると。
文官がそういうことかと手を打って納得をした様子を見せると、通えなくはないが、往復だけで時を取られるのではないかと言った。
それは好都合、疲れてもらうに越したことはない。

「そういうことか。 あの山は六都の管理にあるのか?」

誰かが持っている山では困る。

「はい。 文官に調べさせました」

マツリに引っ付いて離れなかった文官である。 文官の勘違いでは困るのでちゃんと調べ直させた。

「では宮都から何を言うこともない。 いま六都は都司、文官所長不在だ。 マツリが回すがいいだろう。 手続きは怠るな」

「承知しました」

「だが・・・行って帰るだけで時がかかるということは、一日の労働がさほどの金にならんということか・・・」

一本を流通させるだけで何日もかかるということ。

「泊まり宿でも建てればいいのでしょうが、それは追々」

今は疲れさせるのが何よりも先決だ。

四方が伸ばした箸の先を見ていた目でチラリとマツリを見る。
言いたいことは分かっている、労働賃金のことだ。 今の賃金は宮都から出ているし、学び舎を建てる為の材料費もだ。

「都司や文官所長、手を染めていた文官たちからいくらか入りませんでしたか?」

咎を言い渡し、誰がどれくらい横領していたか分かった後に家に踏み込み、残った家族が多少のあいだ生活できるほどをおいて、金を取り上げ金になる物は没収し金に換えた。

「多少はな。 だが今まで横流ししていた程もない。 入った金は一旦、六都の都庫に入れておるが、宮都からの貸しはいずれ返してもらうぞ」

「承知しております。 まともに動き出せば少しずつでも返していけましょう。 それに宮都への税もきちんと納めていけます」

「まともにとは・・・いつの話になるのか」

我の目の黒い内には、と言いかけて口を噤んだ。 冗談でも今そんな話は出来ない。

「我が居なくなって少しはリツソは変わりましたでしょうか」

「リツソにわしの跡は取らせんからな」

四方に睨みつけられたマツリが口に入れかけた芋を落としそうになった。 何を急に言うのか。 リツソに少しは責任感がわいてきたのかどうかを尋ねようとしただけなのに。

「いえ・・・そういうことでは」

「全く・・・父上がお甘やかしになるから」

「なにか・・・お爺様とリツソが?」

なにかとってもイヤな気配がするのはどうしてだろうか。

「北の領土からハクロが来た時に父上も宮におられてな」

「ハクロが? 北に何かありましたでしょうか」

羽音に何かあったのだろうか。 それとも民に。

「いや、そういうことではない。 シグロを本領に戻したいということであってな」

北の領土でヒオオカミと呼ばれている狼たちは元をただせば本領の狼である。 北の領土のように狼たちの力の元となるヒトウカは居ないが、どの領土よりも高い山がそびえている。 そこで暮らしていれば何ということはない。
狼たちの言葉が分かるのは本領の一部の者だけという理由はそこにあった。

「シグロを?」

「ああ。 もう既に戻っておる。 今日が満の月か。 次の満の月を過ぎていくらか経つと産む頃合いではないかな」

「あ? え?」

「ハクロの仔だ」

マツリの時が止まった。

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辰刻の雫 ~蒼い月~  第133回

2023年01月16日 21時22分32秒 | 小説
『辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~』 目次


『辰刻の雫 ~蒼い月~』 第1回から第130回までの目次は以下の 『辰刻の雫 ~蒼い月~』リンクページ からお願いいたします。


     『辰刻の雫 ~蒼い月~』 リンクページ




                                  




辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~  第133回



まずは三人の証人が問われた。
何を耳にしたかと問われると、三人の証人が互いに目を合わせると意を決したように一人の男が口を開いた。

「は、はい。 官所で働いていた・・・その、死んだ三人から都司から金を貰ったと聞きました」

「金など! 誰にも金など渡しておらん!」

都司が前に座る刑部官吏に叫ぶと次に視線を証人に向けて叫ぶ。

「何を言うか!」

都司の怒声に証人たちが肩をすぼめ目をつぶる。

「己(おの」らが問われることではない。 知っておることを話せ」

四方が言うのを聞いて証人たちがそっと目を開けていく。

「あ・・・あの、おれの知ってる・・・死んじまったけど」

他の二人に目を合わせると二人が頷く。

「アイツが言ってた。 都司から金を貰ったって。 えっと・・・都司が言った家を燃やせって言われたって」

「馬鹿が! 何を言っている!!」

都司が叫び証人に食って掛かろうとしたのを武官が抑える。 椅子のひっくり返った音が響き証人たちの耳をつんざく。

「ひえっ・・・」

三人の証人が声を上げ互いに身を寄せ合っている。

「気にせず話せ」

危険はない、と四方が言う。 三人がもう一度目を合わせ頷き合うと、意を決したように一人が口を開いた。

「アイツ・・・馬鹿だから」

もう一人の証人が言うと他の二人が頷く。

「悪いやつじゃないんだけど・・・。 いや、悪いか。 都司から言われておれらに相談してきた。 ・・・してきました。 おれらは反対したんだけど・・・金が入るからって・・・。 それでもおれらはアイツを止めた。 だから、アイツも分かってくれてたと思ってた」

だが他の二人に言いくるめられてやってしまった。

「馬鹿を言うな!!」

都司の叫び声に、唐突に違う音声(おんじょう)が場を引き裂いた。

「言ったんだ! お前は言ったんだ! ヤツが言ったんだ!」

都司を睨みつけていた秀亜群の民である四人のうちの一人が言うと、もう一人も叫んだ。

「割に合わないと不服を言ってたんだ!」

「割に合わないとはどういう事だ!」

秀亜群の民に都司が言い返した。

「秀亜の民を殺すに、家を焼くにその金では割に合わないということではないのかっ!」

秀亜群の四人の民が都司を睨み据える。

「な・・・何を言っているのか・・・」

都司が後じさりしようとするが、四方がそれを止める。

「下三十都都司、行司(ぎょうじ)」

名を呼ばれ行司が四方を見る。

「不当に毒草を持ち、そして秀亜群の民の家を焼き秀亜の民を殺したのか」

「なっ! なにをっ! 何を仰います!」

都司はシラを切り通そうとしたが、証人たちや秀亜の民が言い切った。 都司が何を言おうとも、七人の者たちがそれを遮り証言をした。
いまの日本のように物的証拠があるに越したことはないが、ここでは必ずしもそれを必要とはしていない。

「何が悪いというのかっ! 私は都司だ! あの地の豪族だ! 誰に何を言われなければいけない! 民は私の僕(しもべ)だろう! 私のために働いて何が悪い!」

出口を失い開き直った都司が言う。

「では民に命令したというのか」

「命令? 命令ではない! 奴らは金を受け取ったんだ! 奴らが金を受け取って勝手にやったことだ!」

「刑部、進めよ」

四方の冷たい声が発せられた。
あとは刑部が追い詰めていくだけである。

そして翌々日。
下三十都都司が居た席に、四方の目の前に朱禅が座っている。

「申し訳御座いません」

朱禅が深々と頭を下げた。

「秀亜郡司に毒草の詳しいことを教えたのは私で御座います。 咎をお受けいたします」

静かに言った。

「朱禅、秀亜郡司から聞いておる」

秀亜郡司を出頭させていたこの前日、郡司が涙ながらに話した。

『朱禅から何度も何度も止められる文を貰いました。 早まるなと。 ですが・・・どうしても、どうしても許せない。 何の罪もない民がどうして焼き殺されなくてはならないのです! 民が何をしたというのです! 秀亜はゆるりと生きていただけです。 その地に薬草が生えているだけです』

そして毒草も。

『何度も文を出しました、毒草のことを教えて欲しいと。 ですが朱禅からの返事は毎回教えてくれるようなものではありませんでした。 ですから朱禅の手を振り切ろうとしました。 もういいと、そう文に書きました。 すると朱禅が・・・』

〖では、大萬(だいまん)の毒草を知っていますね、秀亜の土地に生えているものです。 その毒草をお使いください。 大萬は薬効が急速ですが、即、死に至ることはありません。 嘔吐、下痢の症状が続きますが、年寄で六日ほどは持ちます。 解毒の薬草は夾濡(きょうじゅ)ご存知ですね。 煎じて下さい。 煎じて下さい。 お願い致します。 どうぞ、どうぞお願い致します〗

『そう書いてきました』

文には濡れた跡があった、朱禅が涙ながらに書いたのだろうと秀亜郡司が言った。 己が朱禅を苦しめたと。

朱禅が静かに口元を緩める。

「罪は罪で御座います。 咎を・・・」

下三十都都司には一生の労役。 秀亜郡司は毒草を使ったが、宮都から許可が下りている。 毒草が生える地なのだから当然である。 だがその使いようが問われるところだが、情状の余地がある。
毒草の薬効が頂点を治める前に、解毒の薬草を煎じて苦しむ下三十都の民に飲ませている。 それにこの状況で郡司を捕えてしまっては、秀亜群の民が荒れるかもしれない。 散々な小言だけで終わり、刑部に残されることはなかった。

そして朱禅。
朱禅は主犯である。
だが真実は秀亜郡司が方法を朱禅に問うただけであって、秀亜郡司が主犯・実行犯である。
だが朱禅が言い切った。 指示をしたのは己、朱禅であると。 郡司は己に言われてやっただけであると。
その朱禅に秀亜群の民全員から嘆願書がきていたことを朱禅は知らなかった。

「朱禅、秀亜の民から届いておる」

一段上から四方が何枚もの紙を見せた。 字など書けない民が精一杯頑張って書いたであろう紙を。

「秀亜郡司を説得したのであろう?」

「己の力不足で御座います。 力不足は何の役にも立ちません。 何もしなかったと同じで御座います。 ましてや毒草の指示をしました。 咎を問われるに十分で御座います」

「秀亜の民の心を踏みにじるというのか?」

「・・・私にその価値は御座いません」

「相変わらず・・・」

頑固だ。
外目には柔らかい。 外目どころか接しても柔らかい。 だが芯は頑固だ。
能吏として財貨省から刑部省に移って間もない頃だった。 まだご隠居が本領領主でいた頃だった。 四方が東西南北の領土、そして本領内を山猫であるカジャに乗って奔走していた時であった。

『四方様、私にお手伝いをさせていただけませんでしょうか』

女官からの手伝いこそ受けていたが、まだ従者を持っていない時であった。

『え?』

『お願いをいたします』

朱禅が深々と頭を下げた。

『どうして・・・』

『お手伝いをさせていただきたい。 それだけで御座います』

四方よりずっと年上の朱禅に頭を下げられれば断ることを戸惑われた。 四方は知らなかったが、あとで聞いて朱禅は一介の官吏どころか能吏であったという。

「昔話になる。 どうしてわしについてくれたか話してはもらえんか?」

あの時、朱禅が申し出た時、とうとうその理由を話してもらえなかった。

「・・・覚えておいででしょうか。 四方様が秀亜に来られた時、朦朧としている女人を助けられたことを。 四方様がやっと十五の歳におなりになったくらいだったと思います」

四方が記憶を甦らせる。
そう言われれば、この秀亜群と下三十都の話を聞いた時、秀亜郡司からの書簡を読んだ時に思い出したことがあった。
薬草の藪の中で朦朧としていた女を郡司のもとに運んだ。 女が朦朧としていたのは、薬草の藪の中であったが、それは薬草といっても毒草の藪であったと。
後で知ったことだったが、季節的に毒草が香りを放つ時期であったらしい。 あのままあそこに居れば毒草にやられていたかもしれなかったと。
四方が頷く。

「四方様が助けて下さったのは私の姉で御座います」

四方が目を大きく開けた。

「私は五都に出て、官吏になるべく勉学に励みました。 それと同時に薬草が生える土地に居ながら、毒草のことをよく知らなかったということを知りました。 官吏の勉学と共に毒草の勉学も致しました。 あの時四方様が助けて下さらなければ、姉は単に命を落とすどころか、もがき苦しみ顔も身体もただれて・・・見る影もなかったかもしれません」

朱禅が四方を見ていた頭を下げて再び四方を見る。

「姉のご恩をお返ししたかった・・・だたそれだけで御座います」

朱禅の姉は知能というものを母の腹に置き忘れてきていた。 そして後に生まれた朱禅は、姉が置き忘れてきた知能を持って、二人分の知能を持って生まれてきたような子であった。
それだけの才がありながら、能吏と言われた男が姉の恩を返すだけの為に・・・己に付いた。 付かせてくれと言った。

「・・・朱禅」

朱禅が四方の従者となった時、何度も返そうとした官吏の資格。 だが総省が受け取らなかった。 いつでも戻ってきて欲しいと言って。
朱禅への咎は、その官吏の資格を剥奪。
官吏の資格を剥奪ということは官吏にすれば大きなことである。 だが朱禅自身が返そうとしていたこともあり、今は四方の従者であり今後も。 よって必要なものではなかろうということで、咎はそれにとどまった。

郡司が解毒の薬草を煎じ下三十都の民に飲ませ死者が出なかったということ。 それを指示したのは朱禅であるということ。 嘆願書があったというところも大きい。
そして今も四方の従者としている筈だった。 明日も外堀を守るように。

朱禅に育てられた尾能。 その尾能が四方の従者に言った。 「朱禅殿のご様子を伺って来てくれ」と。


「朱禅・・・」

公舎、いわゆる側付きや従者たちが居する所である。 朱禅もそこで寝起きしていた。
その部屋で朱禅が息を終えていた。

『四方様 幸せで御座いました 身勝手をお許しください 朱禅』 そう書かれた文が置かれていた。

「・・・すまぬ、すまぬ」

四方が朱禅の身体を抱えた。



「え?」

「ですから紫さまのご誕生の祭にマツリ様が来られます。 その時まで待つと伝えて欲しいとのことでした」

「はぁ?」

「何を待たれるのかは、紫さまは知っておられると仰っておられましたが」

胃の腑を痛めている領主に代わって秋我が言う。
部屋の隅に控えていた此之葉が首を傾げる。

「はぁ!?」

「お心当たりが御座いませんか?」

殴った心当たりが。

「・・・マツリが来たら・・・追い返して下さい」

いや、それは困る。 紫揺が誰も殴っていなければそれでいいのだが・・・。
殴っただろう?

「そのようなことが出来ないのは紫さまも御承知のはず」

はい。 ご承知です。
紫揺が諦めるように息を吐く。

「・・・分かりました」

「では失礼いたします」

秋我が出て行くと入れ違いにガザンが部屋に入ってきて足元にすり寄ってきた。 ガザンの首に手をまわして抱きつく。

「ブフ・・・」

先ほどまで秋我が座っていた位置に此之葉が座る。 ヘッドロックを我慢して受けているガザンにお気の毒様、と言う目を送って口を開いた。

「何かお心当たりが?」

本領で誰かを叩いた、いや、拳で殴ったということを秋我は領主にしか言っていない。 領主もまた誰にも言っていない。 よって此之葉の知るところではない。

「あー・・・、まぁ・・・」

だが秋我や領主が考えることは大きな間違いである。 ある意味正解でもあるが、今回マツリが来ることに対してだけは、大きな勘違いである。

『紫の気持ちを考えないのかと言っておったな。 今度来た時にはその気持ちとやらを聞かせて欲しい』

「ブグググ・・・」

「あの、紫さま?」

「はい・・・」

何を訊かれようともこの話は此之葉にはしにくい。 此之葉が苦しむに決まっている。

(ああ、そんなことはないか。 マツリがあんなことを言ってたけど屁のカッパ。 マツリのことなんて嫌い。 とっとと東の領土でいい男を探すんだ、そう言えばいいだけの事か)

「ガザンが・・・」

「・・・え?」

腕を解いてガザンを見ると、今にも昇天しそうな顔になっているではないか。

「わっ! ガザンごめん!!」

戸の外から塔弥の声が聞こえた。 部屋に入ってきた塔弥が今日はどこに行くかと尋ねる。

「良い気候になりましたので辺境にも行けますが?」

此之葉がピクリと動き、ガザンの身体をさすりながら紫揺が考える。

「うーん・・・」

紫揺はガザンを見ている。 その隙にそっと塔弥に耳打ちをする。
紫揺の誕生の祭の時にマツリが紫揺に会いに来るとさっき秋我が言ってきた。 それまでに万が一のことがあっては大変だと。
辺境には行かない方がいいと言っているのだ。
塔弥が頷く。

此之葉に言われたこともあるが、塔弥が辺境と言ったのに、それに釣られてこない紫揺の態度がおかしい。 いつもなら辺境と聞いただけで紫揺にガザンのような尻尾があったなら、ブンブン振っているのに。
それにマツリが来ると聞いてこの様子だ。

「ああ、それとも・・・山菜の山を上りましょうか?」

「え?」

「結局、あの時には彰祥草を見られませんでしたから。 今は咲いているでしょうし」

「ああ、うん・・・。 でもあの香りでは物足りないって分かったし・・・」

老木がその映像を視せてくれた。

此之葉と塔弥が目を合わせる。 塔弥が仕方ないと言った具合に、一つ溜息を吐いて覚悟をするように言う。

「お転婆で出かけましょうか?」

「え? ・・・何処へ?」

「何処へでも。 今日は民をまわるのはやめましょう。 ですがっ、襲歩はお控えください。 それをお約束していただけるのでしたら阿秀に俺から頼みます」

「う、ん・・・」

お転婆でも釣れないのか、それとも襲歩をするなと言われたから気が乗らないのか。

「いかがされます?」

「うん・・・。 うん・・・今日はお休みさせてもらう。 お転婆で出る」

「お約束は?」

「・・・グルグル回るくらいならいいでしょ?」

襲歩で。

「勝手にどこかに行かないで頂けるのでしたら」

「うん・・・約束する」


塔弥と紫揺の馬が並んで歩いている。 少し離れてお付きたちの馬がぞろぞろとついてきている。

「葉月ちゃんとどうなった?」

「どうって仰られても」

「話し、ちゃんとしてる?」

「・・・」

「ちゃんと言わなきゃ」

「・・・」

「阿秀さんに言われたらしいね。 私を待つようにって」

前を向いていた塔弥が紫揺を見た。

「此之葉さんにも言ったけどそんな必要ないからね。 待ってたらいつになるか分からないから」

「紫さま?」

紫揺も塔弥を見る。

「阿秀さんはちゃんと此之葉さんと話してるよ。 色んなことを男の方から話さなくっちゃ。 あ、でも今言ったように待つ必要はないからね」

紫揺の様子に触れられたくないのか、それを言いたかったのか、それでもと塔弥が話の筋を変える。

「マツリ様が来られるらしいですね。 次の満の月の時に」

「マツリのことはいいから。 ちゃんと葉月ちゃんに話して。 葉月ちゃんを寂しくさせないでよ」

マツリは塔弥と違ってはっきりと言う。 マツリには紫揺しかいないと。 だから寂しくはない。
でも寂しいのは・・・。
え? と思って塔弥から視線を外した。
どうして今そんなことを思わなくてはいけないのか。 今でなくともどうしてそんなことを思ってしまったのか。

「紫さま?」

「ね、私も頑張ってイイ男探すから。 そのうち誰かと結婚するけど待つ必要なんかないんだから。 葉月ちゃんに上手く言えないんだったら、明日にでも葉月ちゃんと結婚してよ」

「無茶を言わないで下さい」

結婚とは婚姻の事。 他にも分かる言葉は増えてきている。 今までより随分とマシに紫揺との会話が出来るようになってきている。

「紫さま、マツリ様―――」

塔弥が言おうとしたことを紫揺が遮る。

「広い所に出たら襲歩していい?」

塔弥が大きく息を吐いてから「はい」と答えた。 葉月の努力は無駄になるのだろうか。

紫揺の額には “額の煌輪” が揺れている。 徒歩であろうと家を出る時には必ずつけている。

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辰刻の雫 ~蒼い月~  第132回

2023年01月13日 20時41分17秒 | 小説
『辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~』 目次


『辰刻の雫 ~蒼い月~』 第1回から第130回までの目次は以下の 『辰刻の雫 ~蒼い月~』リンクページ からお願いいたします。


     『辰刻の雫 ~蒼い月~』 リンクページ




                                  




辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~  第132回



満月を迎え東の領土の祭が行われた。
祭が行われる前にマツリが東の領土に入り、あちこちを飛び回ったようだ。 お疲れさんはキョウゲンである。

出された椅子に腰かけ祭の様子を見ているマツリ。 耶緒がマツリに茶を出すと音夜が生まれた事への言祝ぎを言った。

「有難うございます」

「見ておらなくてもよいのか?」

音夜はまだ外には出していないらしく、見ることは叶わなかった。

「女が見てくれておりますので」

そうか、と言うと、マツリが見てきた耶緒のいた辺境の話を聞かせた。

「飛んでおっただけなのでな、父御や母御の話は出来んが辺境でも祭を楽しんでおった」

と話し始めて、ある程度の様子を聞かせた。 マツリの気遣いと辺境の様子に耶緒が目頭を熱くしていた。
その後には耶緒と秋我の子供である音夜の話しや、秋我から問われ、シキが産んだ子の話、元気な男の子と聞いたとしか答えられない状態だったが、それでも耶緒も秋我もよく知っているシキのことである、我が事のように喜んでいた。

「この年、紫は二十四の歳になるか」

「はい。 お誕生を迎えられるのは今の月ではありますが、来の月に祝いの祭をいたします」

返事がない。
領主がマツリを見る。 そのマツリは見るともなしに、目の先で行われている祭の様子を見ながら半眼になっている。

「マツリ様?」

領主に名を呼ばれて我に返る。

「ああ・・・」

「如何なされました?」

マツリが来ていることを紫揺は知っているはずだ。 それなのに紫揺が姿を現さない。

「紫はどうしておる」

「毎日、民に寄り添って下さっています。 今は櫓(やぐら)を囲う中におられるかと」

日本的に言えば櫓を中心にして盆踊りのように輪が出来ている。

「そうか」

避けられているのか。
だがそれを認める気はない。
マツリが腰を上げた。

「良い祭だ。 東の領土は安泰であろう」

目の先に映る民の誰もが目を輝かせている。 辺境を見に行ったが、辺境は辺境なりに小さくとも祭を楽しんで行っていた。
領主が心の中でそっと安堵の息を吐く。
マツリは何を咎めることもなかった。 秋我から聞かされていた紫揺が本領の誰かを殴ったという話は無かった事にしてくれたのだろう。 それとも取り越し苦労でそんなことはなかったのかもしれない。
明日から・・・いや、今日からやっと安眠出来る。

「紫に言伝を頼む」

「はい」

マツリが来たというのに姿を見せない紫揺。 それは五色としてどうかと思うが、喧嘩をされたくないし、ついさっきまでの心配事もあった。 紫揺が殴ったのはマツリかもしれないと思っていたのだから。

「紫の誕生の祝いは次の満の月だな?」

この月に紫揺は誕生日を迎えるが東の領土の祭と被ってしまう。 よって、一月遅れになってしまうが四月に紫揺の誕生祝の祭がある。 そして東の領土の祭は満月の日に行われる。

「その時まで待つと伝えてくれ」

「はい? 何をでしょうか?」

「紫は知っておる。 次の満の月に来る」

席を立ったマツリがキョウゲンの背に乗ると見送った領主と秋我が目を合わせる。

「もしや・・・」

顔色を変えた領主の代わりに秋我が言う。

「紫さまが殴られたのはマツリ様で紫さまがまだ謝っておられない・・・?」

「それを紫さまの誕生の祝いまで待つとマツリ様が・・・?」

「お誕生の祭の時に、いや、それまでに紫さまが謝られなければ・・・」

マツリから言われる前に言っておけばよかった。 紫揺から謝らせておけばよかった。

「胃・・・胃の腑が・・・」

キリキリと痛む。
腹を押さえながら前屈みになっていく。

「と! 父さん!」


「紫さま、踊りがお上手で」

「そんなことないです。 めちゃくちゃです」

(マツリ・・・帰った)

満月の空にキョウゲンの影が映っていた。

『マツリは東の領土から紫を取り上げたりしないはずよ』
“はず” シキが紫揺に言ったことだ。 シキが適当なことを言う人ではないのは分かっている。 だが・・・。
『東の領土の紫はただ一人。 東の領土の民が言っていることにマツリが耳を寄せないはずはないわ。 それに紫の気持ちを一番に考えているはずよ』

(私の気持ちをマツリが考えている? それも一番に?)

紫揺が首を振る。

(ないし。 それに不可能だし)

犬が西を向けば東に尾が向く。 この時の西は本領。 そして尾が向くのは東の領土。

(あ、いや、何を考えてるんだろ。 そんな話じゃない)

紫揺がマツリの奥になれば東の領土に背を向けることになる、でもそんな話じゃない。
それ以前の話。

(・・・ あーーー! ムカツク。 せっかくのお祭なのになんでこんなこと考えなくちゃいけないのよ!)

「紫さま?」

「はい?」

「あの・・・拳は危のうございます」

「え・・・」

何時からなのだろう。 握り締めた手を突き出していた。
拳も危険だが手刀でなくて良かった・・・。 と思った紫揺は間違っているのだろうか。
そう思った時、声が聞こえたような気がした。
『お前の手刀など簡単に受けられるわ』 と。

「くっそ! お前言うな!」

紫揺がバタバタと浮かんだ声に今度こそ手刀を繰り出す。

「む、紫さま!!」

慌ててやって来たお付きたちに取り押さえられた紫揺であった。
その取り押さえた中の一人、悠蓮が咄嗟に振り返った。 此之葉が阿秀と話していてこちらを見ていない。
他の取り押さえたお付きたちも振り返り、此之葉の姿を見てほっと息を吐いた。 この報告は見ていなかった此之葉にはしない。 “紫さまの書” に書かれたくない。
“紫さまご乱心” などと。



「お疲れ様で御座いました」

マツリの部屋に杠が姿を現した。 その手には盆を乗せている。
盆に乗っていた茶器から茶を淹れると湯呑をマツリの前に置く。
東の領土から宮に戻ってきたマツリ。 杠から話を聞くと公舎に走り、やっと戻ってきたところだ。

「四方様は?」

「まだ公舎におられる」

「そうで御座いますか・・・」

杠が何を考えているのか分かる。

「杠のせいではない。 もちろん父上のせいでもない」

杠が己を責めるということは四方を責めていることにも繋がってしまう、とも付け足して。
杠が小さく頷くのを見て前に出されていた茶を口に含む。
静かな時が流れた。

「紫とは会えなかった。 相当嫌われておるらしい」

「そんなことは御座いませんでしょう」

マツリが両の眉を上げると話を元に戻す。

「長くかかり過ぎた。 頭の硬い奴らだ」

東の領土に飛ぶ前に、宮都で下三十都と秀亜群であったことの咎の言い渡しがギリギリに終わったのであった。
宮都内のことであれば大きくない以上は朝議などにかけられないが、今回は宮都外であり辺境と都の二つを跨いでいる。
証人を宮都に連れて来て刑部で証言をさせてから、下三十都都司に令状を書くという段取りで進めると朝議で決まりかけたが、マツリがそれに異を唱えた。

『そんな猶予は御座いませんでしょう。 その間に都司がなにやら策を講じてはどうするおつもりか』

一度は刑部に呼ばれたのだ。 逃走を謀ろうとしていてもおかしくはない。

『マツリ様、杠の言うことを疑っているわけでは御座いません。 ですが刑部の立場というものも御座いましょう。 令状を書けと言われただけで書かなくてはならないとは、面目は丸つぶれで御座います』

『ええ、それにそれは越権行為にもあたりましょう』

次々と反対意見を出されてマツリの意見が通らなかったのだった。

「まぁ、無事に済んだことですから、良かったということで」

「都司は逃亡を謀ろうとしていたというではないか」

マツリが口を歪めて言うが、それより気になることを訊いておきたい。

「巴央はどうだった?」

あの時、あの一室での会話、己の受け答えで巴央は納得したのか、と訊いている。
巴央を杠の下に置くと考えたのはマツリだ。 巴央だけではないが、その中で巴央は灰汁が強過ぎる。

「マツリ様のご判断に納得したようです」

「杠には」

「まぁ、少々、でしょうか」

苦笑して応えると、マツリがフッと息を吐いた。

「まぁ、まだまだこれからとは思うが、アレは・・・巴央は真っ直ぐに生きておる。 真っ直ぐ過ぎるくらいに」

「はい。 ・・・分かっております」 

マツリの言いたいことは。 巴央を見ていればわかる。

「頼めるか?」

「充分に」

余裕で御座いますと、顔で応える。
このまま会話が続くはずだった、それなのに二人の会話が途切れた。 四方と朱禅のことがあったからだ。

「明日、六都に戻るか」

「・・・はい」



日は遡って、もう陽もとっぷりと暮れた頃、六都を出て宮に戻ったマツリと杠はすぐに四方を前に事の子細を話した。

「あのことが・・・」

秀亜郡司、基調(きちょう)からの書簡を受け取ったのは四方である。 たしかに早馬や武官文官を走らせたり、下三十都都司を宮都に呼んだりはした。
だがそこで終ってはいけなかったのか。 ・・・朱禅を巻き込んでしまったのか。

「父上、これは杠が居てこそ分かったことで御座います。 我も杠がおらねば分からなかった事」

四方のせいではないとマツリが言っている。

「偶然の駒から出たもので御座います」

マツリが何を言いたいかは分かっている。 マツリの言葉に杠がなおも添えた。 だがそれは真実。 絨礼と芯直が井戸端を聞いて報告をしてきたのが発端なのだから。
四方が腕を組む。 後悔していても始まらない、何の解決にもならない。 これからのことに目を向けなければならない。

「明日の朝議、マツリは勿論の事、杠も出るよう」

「はい」

「朱禅をおさえていた方が宜しいでしょうか」

「要らぬ。 逃げも隠れもせん」

翌日の朝議を終え、事はすぐに動いた。 この朝議でマツリが異を唱えたのだが、マツリ曰くの頭の硬い奴らに反対をされてしまったのだった。
宮都の武官が大勢六都にいる。 六都まで早馬を走らせ六都にいる数名の武官を下三十都に走らせた。 まずは証人の保護である。 保護をするとそのまま武官に守られ証人が宮都入った。
同時に同じく六都にいた武官数人が秀亜群にも走っていた。

証人の話を聞いた宮都の刑部が下三十都都司に嫌疑ありとして出頭命令を出した。
三名の武官が令状と下三十都武官長への書簡を持って文官と共に宮都を出た。
文官を乗せているのは馬車である。 武官が馬を走らせるように早々には着けない。
宿に泊まりながらもやっと下三十都に着くと、すぐに下三十都武官所に行き武官長に書簡を見せた。
書簡には都司のことが書かれており、協力するようにと指示が書かれていた。

下三十都官所の都司の部屋に武官が三名入った。 逃走を抑えるために戸の外に四名。 官所の外には宮都からやって来た武官と文官が居る。
都司の部屋には纏められた荷物があった。

「どちらかにお出掛けでしょうか?」

都司の部屋に入った武官がチラリと荷物を見てから言う。

「ああ・・・。 いいえ、整理をしていただけです」

「そうですか。 いえ、お出掛けでしたら、今すぐお相手様にお断りを入れてもらわねばなりませんので」

「どういう事でしょうかな?」

今回が初めてでもないのに今から何が起こるか分かっていよう。 それにその荷物は何だ、 整理だと? 白々しい。 とは思ったものの、口に出せるはずもなく、令状を都司に向けて見せるとそれを自分の方に向け読み上げた。

「嫌疑とは? どういうことで?」

読み上げ終わった武官が令状を丸める。

「いったい何の嫌疑だというのでしょうなぁ?」

「いま読み上げた通り。 詳しい嫌疑の内容は刑部にて聞かれるよう。 答申は刑部でされますよう」

「納得がいきませんが?」

「逆らうようであれば力づくで捕らえますが、どうされる。 心当たりがないのであれば具申されればよいだけの話」

「そうですか・・・。 分かりました」

これが初めてではない。 前回は “嫌疑” などではなく出頭命令だったが、さほど変わりはないであろう。 前回は上手くいった、何を怯えることがあろうか。
都司が官所を出た途端、数人の武官と文官が入ってきた。 これから官所を検める。 毒草探しも含めて。
同時に都司の家にも武官が入った。

「なにを! 何事ですか!?」 家人が悲鳴にも似た声を上げた。

武官が宮都刑部の令状を広げて見せると、書かれていることを読むではなく省略して言う。

「下三十都都司が毒草を持っているという嫌疑がかかった。 家の中を検めさせてもらう」

「ど・・・毒草・・・」

腰を抜かした家人の横を何人もの武官が走り抜ける。
毒草は家の中から見つかった。 官所の厨にも乾燥をさせた毒草の破片があったということであった。

「だからと言って? 私が毒草を使ったことにはなりません。 どうして私が官所で働く者に毒を盛ったと言うのですか?」

毒草が見つかるなどとは思ってもいなかった。 それどころか探されるとも思っていなかった。 どう回避していくか・・・。

「では、毒草を持っていたことは認めるのだな」

「まぁ、仕方ありませんか」

そう言った後に、濡れ衣と言えばよかった、と思ったが、言ってしまったことを元には戻せない。

「毒草はこの宮都で許可された者しか持てんと言うのは知っておるな?」

刑部官吏が問う。
四方が一段高い所にいてマツリは末席にいる。

「ええ、知っています」

「許可は持っておらんな」

「はい、持っておりません。 ですが私は都司です。 毒草は毒を以て毒を制する。 民に万が一のことがあってはと思い手にしていました。 そこに咎が出されるのであれば致し方ありません」

尤もらしく言う。

「民が流行り病に苦しんでいるというのに、己だけ、己の身の周りを整える者だけに解毒の薬草を買い、都庫の金を使わず民が苦しんでいるのを放っておいてか」

一段高い所から声がした。 その声が続けて言う。

「都庫の金が消えているのはどういうことか」

都司を捕らえた後、武官が入ったが、それは毒草を見つける為。 同時に入った文官は都庫の流れを見る為。

「え・・・」

目の前に座る刑部官吏から一段高い所に目を移す。
目の合った四方が一度睨み据えると横を見る。 四方の視線を受け、戸の横に立っていた下位の刑部官吏が戸が開けると、下三十都に住む三人の証人が入ってきた。 オドオドとしている。 その後に都司を睨みつけるように秀亜群の民の四人の者たちが続いている。

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辰刻の雫 ~蒼い月~  第131回

2023年01月06日 20時29分23秒 | 小説
『辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~』 目次


『辰刻の雫 ~蒼い月~』 第1回から第130回までの目次は以下の 『辰刻の雫 ~蒼い月~』リンクページ からお願いいたします。


     『辰刻の雫 ~蒼い月~』 リンクページ




                                  




辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~  第131回



「はぁ~」

座卓に顎を乗せて何度目かの溜息を吐いた。

「また溜息ですか。 そんなに辺境に行く理由がなくなったのが寂しいんですか」

殆ど呆れたように塔弥が言う。
紫揺の紫としての力で木々と話が出来た。 そのお蔭で辺境に行く必要が無くなったというわけである。

ちなみに此之葉はここのところ自分の部屋に籠っていることが多い。 今代 “紫さまの書” に次々と書き足したいのだが、何をどう書いていいのかが分からなくなってきていた。
此之葉には理解できない紫としての力のこともある上に、紫揺から歴代紫が行っていない辺境まで足を延ばしていたと聞いてそれが何処なのか阿秀に説明してもらうが、行ったことのない此之葉には想像だに出来ないのである。
よって、此之葉が部屋に籠るとこうして塔弥がやって来ている。 今日は朝餉の時に話していたことを書き留めたいと此之葉が家に戻ってしまっていた。

「違う。 そうじゃなくて、紫の力って底が知れないなって。 考えても考えても自分が出来たことが不思議でなんないんだもん」

木々と話が出来ただけではない。 花を咲かせることも、身体の具合を視て治せることも、自分の傷を治せることも。
コトリと、目の前に湯呑が置かれた。 湯気がほんのりたゆたっている。

「俺には分かりませんが、此之葉が言うには独唱様もかなり驚かれておいでだったと」

「そりゃそうでしょうね、木と話せるなんて。 塔弥さん達には聞こえなかったの?」

「聞こえるわけないでしょ」

けんもほろろに言われてしまった。

「で? 今日もお出掛けにならないんですか?」

昨日はべったりと領主の家にいた。 デレデレした顔をして。 今日もそうするつもりなのだろうか。

「寒いの苦手・・・」

塔弥が横目で見る。

「分かってます、分かってます。 寒くてもみんな働いています」

いただきます、と言って湯呑を手に取りコクリと一口飲む。

「最近どこに行ってなかったかなぁ・・・」

「蚕はどうですか?」

「こんな寒い時に有り得ないでしょ。 ってか、絶対嫌味で言ってるでしょ」

始めて行った時に逃げ出したのだから。 あの形体は日本に居る時から受け付けられなかった。 身体全身に毛が生えているバージョンのものも。

「うわっ、トリハダ・・・」

思い出しただけで駄目である。

「っとにもう、五色様たる方が蚕を見て逃げ出すなんて」

前代未聞です、と続けて言われた。 今日の塔弥は些細なことでも言いたいことを言ってくれる。

「生理的に無理なんだってば」

塔弥だけではなく、紫揺もかなり塔弥に対して言葉が崩れてきているが。

「冬野菜の収穫を見にいきますか? あ、今日はもう終わってるか」

質問をしておいて一人で完結している。 それにさっきのことと言い、どこかおかしい。

「もしかして、葉月ちゃんと喧嘩でもした?」

「・・・」

塔弥が止まった。
図星だったらしい。

「仲、取り持とうか?」

「結構です」

「いや、葉月ちゃんとの喧嘩でこっちまで火の粉被るの嫌だし」

「火の粉なんて飛ばしていません」

自覚がないようだ。

「今日はどこに行かれますかっ」

飛ばしまくりだし・・・言いかけたが思うだけで心に留めておいた。

「織物の郷・・・どれくらいかかったっけ?」

あまり長くここを空けたくない。 徒歩なら往復だけで時間がかかる。 馬で行く距離で近場と言えばここが無難な所だろう。

「音夜(おとよ)のことを考えてますね」

「あは、バレた?」

「毎日毎日足を運んでるんですから分かります」

音夜、無事に生まれた秋我と耶緒の子。 後継ぎと考えると残念ながら女の子であったが、それはそれは可愛い赤ちゃんであった。

「ホンットに、紫さまといい葉月といい」

秋我から葉月も音夜にベタベタだと聞いている。
そういうことか。 塔弥はやきもちを妬いているのか。 赤ちゃん相手にやきもち妬くか? これは仲を取り持つなどと言う話ではないな。

「んじゃ、サッサと結婚して葉月ちゃんに塔弥さんの赤ちゃんを産んでもらえばいいのに」

“結婚” も “赤ちゃん” も何度か紫揺から聞いていてその意味は分かっている。
塔弥が顔を真っ赤にした。 そして口をあえあえさせてからやっと声が出たようだ。

「だっ! 誰もそんな話はしておりませんっ!」

「はいはい、分かりました。 んじゃ今日は織物の郷に行きます」

「では、準備をしてまいります」

まだ顔を赤くしている塔弥である。

「着替えたらお転婆のことは自分でしますから」

塔弥が一礼をして部屋を出て行った。 これからお付きたちがドタバタと準備を始めるのだろう。

「シキ様も、もうお産みになってるはずなんだけどなぁ」

年は明けていた。 紫揺が最後にシキに会いに行った時点で八カ月だと聞いていた。 耶緒の方が少し早いくらいでそんなに変わらない。 音夜はもう生後二か月になっている。 いくらなんでももう産まれているはず。
本領に行ってシキに会って四か月は経っている。

「マツリとはどれだけ会ってないっけ・・・」

シキと会った時にはマツリはいなかった。

「杠・・・また逢えるって言ってたのに、居なかったし」

澪引の話しでは杠の方が早く宮都を出ていたということだった。 独り言を言いながら着替えを始めた。


東の領土の短い冬が終わり、ボォーっとしてさえいなければ寒さを感じない程である。
今年の三月の満月は月初めにあった。 三月の満月は東の領土の祭である。
既に櫓が建てられていて民の足も浮足立っている。

「去年の服・・・衣でいいって言ったのに」

祭用の服が新調されている。

「紫さまにはもう少し我儘を言って欲しいようです」

新調された服を広げながら此之葉が言う。

「身体つきが変わったわけじゃないんだから、もったいないだけなんだし」

「民が新しい衣を着られた紫さまを見たいんです。 どうですか? お気に召されましたか?」

基本の形は変わらない。 色合わせが変わるくらいである。 今年は柔らかく薄い空色が基本となっている。

「綺麗な色」

「はい、慎重に色を染めておりました」

こんな話を聞くと、つくづく寒いからと言って出かけるのをサボってはいけないと思う。
でも時々考える。 自分には他にすることはないのだろうかと。
紫揺があちこちをまわるのは “紫さまの書” で見た歴代の紫がそうしてきたからなのだが、紫揺ほど回っていた歴代はいない。 ただ、紫揺の場合はスタートが誰よりも遅い。 先(せん)の紫である紫揺の祖母などは、いくつにもならない時から領土を回っていた。 十年しかこの領土にはいられなかったが。

「ね、此之葉さん」

「はい」

「民は紫にどうして欲しいんでしょうか」

「どうして欲しい? ですか?」

「えっと、他の言い方をするなら、何を望んでるんでしょうか」

「紫さまにお幸せになって頂きたい、ただそれだけです。 そして紫さまのお幸せが民の幸せに繋がります」

「もし私に五色の力が無かったら?」

「お力が無ければ紫さまと言うお名は付けられませんでしたが、そうであっても、紫さまの血をお引きになっておられることは確かです。 お力があっても無くても、紫さまのお幸せを願い、お力が無いのであれば紫さまのお力になります。 それが民の幸せです」

そして、覚えていらっしゃいますか? と訊いてきた。
紫揺が初めてこの領土に来た時のことを。 民がどれ程喜んだかを。 あの時、領主は民に『紫さまが見つかった』と聞かせた。 だが民たちは五色の力を持つ紫が見つかった、と深く理解したわけではなかった。 紫の血を繋いでいる者が見つかったと理解していた。 と話し出した。

「紫さまは紫さまで御座います。 この東の領土の民の心のより所なのです」

初代紫の声を思い出す。 初代紫がここまで紫という立場を築いたんだろう。 自分とは雲泥の差だ。
自分は何をしていいのかも分かっていない。 何をすべきなのかも分かっていない。

「何をお考えですか? 今の紫さまを民は喜んでおります。 迷うことなど何もありませんのに」

「うーん・・・。 このままでいいのかなって。 他に私にできることはないのかなって、しなくちゃいけないことはないのかなって。 こうやって衣を作ってもらったり、食べさせてもらうばっかりだし」

「だからと言って、もう鍬を持って畑を耕そうとしないで下さいませね。 民が卒倒いたします」

短い冬が終わって冬野菜の収穫が終わった畑にやってきた紫揺。 民がこれから土をつくり直すのだというのを聞くと「手伝います!」と言って近くにあった鍬を持って振りかぶろうとしたのをお付きたちが慌てて止めたのであった。
近くにいた民は驚きに尻もちをつく者から、固まって動けなくなった者がいたと、あとになって阿秀から聞いた。

「紫さまは紫さまの思うようにされてよろしいんです。 あ、あくまでも、お付きたちや民が困ることのないことで、ということですが」

一瞬頭の端っこで喜んだが念を押されてしまった。

「じゃ、私が家に引きこもってもいいんですか?」

「はい。 それが紫さまのなさりたいことでしたら」

「お祭に出なくても?」

「はい」

一瞬あらぬ方を見て此之葉をもう一度見る。

「それが出来ないって分かってて言ってますよね?」

此之葉が返事の代わりにニコリと微笑む。 それが紫なのだから。 民の為にいようとするのが紫なのだから。

「此之葉さん・・・阿秀さんに似てきてません?」

「そ、その様なことは御座いません」

どうして顔を赤らめて言うのか。

「あれ? もしかして・・・チューしました?」

“ちゅー” のことは葉月から聞いている。 出来るだけ紫揺の言葉が分かるようにと、分からなかった言葉は葉月に訊いていたが “ちゅー” は葉月から先に聞かされた。
『此之葉ちゃん、紫さまがチューって言われたら、それは接吻のことだからね』 と。

「しっ! しておりませんっ!」

「なんか・・・塔弥さんにも似てきてるけど。 ・・・ふーん、此之葉さん、秘密を持つんだぁ」

「ひ、秘密などと」

「なんか悲しいなぁ。 此之葉さんに起きたことを教えてもらえないんだぁ・・・」

「あ・・・決してそのようなことは・・・」

「うん、いいんです。 誰にだって秘密ってあるし。 ・・・此之葉さんと私の間に秘密があってもおかしくないし。 ふーん・・・」

完全に話せと言っている。 チューをしただろと言っている。

此之葉にしてみれば、未だに紫揺の憂いのことを紫揺から話してもらえていない。 紫揺を見ている限りはすでにその憂いは取れたようだが。
此之葉が長い息を吐いた。

「阿秀が・・・」

「はい!」

元気すぎる・・・。
目を輝かせて座卓に身を乗り出してきた。

「紫さまがどなたかと婚姻・・・結婚をされたら私たちもしようと」

婚姻とは言わない、日本では結婚と言う。 それを思い出した。

「は!?」

チューの話しではないのか? それにどうして阿秀と此之葉の結婚の時期に自分がかかわるのか?

「塔弥にもそのように言ったそうです」

「はい?」

「もちろん、塔弥は言われずともでしたが・・・葉月が」

「え?」

「塔弥に怒ったそうなんです」

それはそうだろう。 自分たちの結婚が他の人間が結婚をするかどうかにかかわるなどと関係のないこと。 特にあの葉月だ。

「私は・・・その、阿秀から・・・接、吻を・・・」

「うぁ?」

話の筋が分からない。 思わず言葉にならない声が出てしまった。
此之葉が頬を赤く染めて続けて話す。

「葉月は・・・その、塔弥から・・・何も、いえ、何もではないのですが、一番欲しい言葉を言ってもらえていないそうです」

一番欲しい言葉。
それは人それぞれに違うだろう。
だがチューは大切なのではないであろうか。
チューの詳しいことは、種類があることは葉月に教えてもらった。 しっかりと覚えている。
此之葉が言うに、阿秀は此之葉にチューをした。 阿秀が言葉足らずということはないだろう。 その上でチューをした。
だが此之葉から聞く限り、あの言葉足らずの塔弥は葉月の一番欲しい言葉も言って無ければ、実力行使もしていないようだ。

「葉月は塔弥を諦めかけています」

「はい!?」

「ですが、塔弥への想いは冷めることはありません。 その方向を変えたようです」

「もしかして・・・音夜ちゃんに?」

「はい」

サイアクだ、サイアクだ。
紫揺が天を仰いだ。
元の元は自分だろう。 だがそれはそれ。 葉月の方向性を元に戻さなくては。 その為には塔弥を・・・あの頭の固い塔弥をどうにかしなければいけない。

「えっと・・・元凶は私ですよね」

「決してそのようなことは」

ありません! という顔をして此之葉が言う。
此之葉は阿秀に包まれているのだろう。
葉月の言っていた通りだ。 この東の領土では日本のように簡単にチューをしないようだ。 だが阿秀ならチューをするのだろう。 おまけで梁湶も。
とは言っても、阿秀も梁湶もそう簡単にはしないであろう。 押さえ所を知っているのであろう。
塔弥は押さえ所を知らない。 葉月も分かっているだろうが、塔弥は余りにも口下手すぎる。

(私には結構言いたい放題なのに・・・)

あれ? と思った。
葉月はそこまで馬鹿じゃない。 もしかして葉月は計算をしているのではなかろうか。 塔弥を振り向かせるための計算を。
やきもちを妬かせる計算を。

それはイヤラシイことではない。 日本に居たならば、それは浅ましく思えるかもしれないが、それでもそれが成り立つ日本だ。
紫が結婚しなければそのお付きが先に結婚などすることはない、と考える純粋な想いが此処にはある。
葉月は塔弥と違って日本の考え方を知っている。 結婚にまで行かずともその前のアレヤコレヤに、葉月がこういう手に出ても全然イヤラしくはない。 
アッケラカンとした葉月だ。 だがそう思うのは紫揺だけだろうか。

「葉月ちゃんのことはご心配なく」

葉月の味方をしよう。 塔弥の情報をどんどん流そう。

「え?」

「そっかー、阿秀さん、チューしたんだ」

此之葉が耳まで真っ赤にして下を向いた。

「私を待たなくていいですよ。 私を待っていたら結婚出来ないかもしれませんから」

「え?」

思わず此之葉が顔を上げると、紫揺が苦笑を作っている。

「って、血は残さなくちゃいけないんですよね」

「・・・紫さま」

何かを吹っ切るように紫揺が言った。
杠から色んな話を聞いた。 実感として湧かないが、杠が教えてくれたその人ではなく、その人の次、二番目の人と結婚する。 一番目は・・・許されないから。

「このお祭でいい人が見つかればいいかな」

紫揺が宙に目をやる。
その先に、目先にある人物が浮かんだ。 だがその人物は許したくない。 許すと言ったが・・・。 まぁ、もうその事はいいけど。 殴ったんだし。
どうしてその人物が目先に映ったのだろうか。

(杠・・・教えて)

『マツリを信じて? そして紫は誰を想っているのかに心を寄せてもらえる?』
『紫の心に誰かが居るはずよ』

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辰刻の雫 ~蒼い月~  第130回

2023年01月06日 20時28分51秒 | 小説
『辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~』 目次


『辰刻の雫 ~蒼い月~』 第1回から第120回までの目次は以下の 『辰刻の雫 ~蒼い月~』リンクページ からお願いいたします。


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辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~  第130回



「申し訳御座いません」

マツリを前にして杠が手をついて頭を下げている。
マツリの眉がピクリと動く。

「なにも杠から謝られるようなことはないはずだが? あれか? あの女人は杠が点々と置いているという女人の一人か?」

「はい」

「・・・杠があれ程の女人を置いているとは思わなかったな」

紫揺とは比べ物にならない程の超絶正反対だ。
懐かしく言うところの杢木誠也のボン・キュ・ボン。 あくまでもスレンダーな中に。 そして色香漂う容貌。

「己のことをよく分かってくれております」

「出過ぎず、訊かずか」

「はい」

「で? どうしてこのようなことになった?」

マツリに腰を取られていた女人が、道端に立っていた芯直の前まで案内してきた。 女人は芯直からマツリを連れてきてほしいと頼まれていた。

『どうしてもマツリ様にお願いしたいことがあるんだけど、文官さんが邪魔で話しができないんだ。 連れてきてくれない?』 と。

そしてその後、姿を消した女人から見えないように、マツリを少し先の店の中に入れたのだった。
そこで杠が姿を現したということである。

「巴央と享沙の同座をお許し願いたいのですが」

そういうことか。 杠一人ならばこんなことは要らなかったはず。 杠は巴央と享沙を同席させたくてこんなことをしたということか。
あの官吏がいるから宿を訪ねることも出来なければ、マツリが宿を出るとついて来るだろう、だからか。

「構わん」

杠がそう判断したのだから、それが必要なのだろう。
杠が合図らしきものを送ると、奥の襖が開き巴央と享沙が姿を現した。

(まだまだか・・・仕方がないか)

杠が出てくるまで、杠の気配は感じなかったが、杠が言う前から二人の気配は感じていた。
二人が座したままマツリに頭を下げると立ち上がり杠の後ろに移動しそこに座した。 享沙はいつものように端座していたが、意外にも巴央も胡坐ではなく正座をした。
杠が下三十都に巴央を連れて行ったことで、巴央の中で何かが変わったのかもしれない。 そうならば、あの灰汁の強い巴央をよくも短い間に手懐けたものだと感心する。
マツリが杠を見る。
杠が首肯する。

「分かったのか?」

「はい」

まずは以前目にしていた書簡のことを話した。
秀亜郡司が下三十都都司から、土地を広げると言われた。 早い話、この郡司の守る辺境の土地を吸収するという話であった。 それを断ると秀亜群の民の家が燃えた。 再度都司がやって来て同じ話をした。 断った。 また民の家が燃えた。
何度も繰り返すうち夜襲をかけられ民が死んだ。 燃え死んだ。 火をつけていたのは下三十都の官所(かんどころ)で働いている者であった。

「その話は父上から聞いておった。 大分してからだがな」

杠が首肯する。

「己も後になってのことですが、四方様にお付きして知ったことで御座いました」

「あの時か・・・」

官吏としての資格を得た後、四方に散々に使われていた時か。

「秀亜郡司から宮都に文が届きましたが、秀亜郡司の一方的な話だけを信じるわけにはいかず、四方様はすぐに早馬を走らされました。 共に武官も文官も動かされました。 秀亜群では家を焼かれ、民が亡くなったということを確認したと四方様は聞かれ、すぐに下三十都都司を宮都に呼ばれました。 都司は郡司に話したことを認めましたが、家を焼いたなどということは知らなかったと」

そして都司が己の責をもって、家を焼いたと言われる者を宮都に連れてくると言っていたが、都司が下三十都に戻るとその三人が自害していた。 その三人が秀亜群の家を焼いていたと秀亜群の民が証言をした。 そしてそれからは家を焼かれることがなくなった。
結局、家を焼いたのは自害した三人のやったことで、都司も大変なことになってしまったと、秀亜群を諦めたということになり、また都司は無罪放免となっていた。
だが杠たちはそれで終わらせる気などなかった。 調べに調べて証人を探し出した。

「自害した三人は都司の命令で家を焼いておりました。 下三十都に証人がおります」

「証人? 父上がお調べになられているときにその証人を見つけられなかったのか」

「武官殿相手では話し辛かったのではないかと」

屈強な武官を目の前にして知っていることを言えと言われても、なかなか言えるものではないだろう。

ついうっかりマツリが頷いた。 杠とだけであれば頷く必要さえないところだが、後ろにいる二人に聞かせる為に、その証人を抑えておるか、と聞くところだったのに。 杠がそれを見せるために二人・・・いや、巴央を呼んだというのに。
マツリの失敗に杠は気付いている。 マツリに敢えて受け答えしてほしいと思っていたのは杠なのだから。

「そして自害では御座いませんでしょう」

「宮都から戻った都司がやったと?」

「残念ながら証拠は御座いませんが、都司が宮都から戻った時には三人はまだ生きておりました」

「都司が毒でも盛ったか」

「官所の厨で三人とも血を吐いてこと切れていたということで御座います。 残っていたのは落ちて割れていた湯呑が三つ。 何を飲んだのかは分かりません」

「宮都で美味い茶の葉でも手に入れたとでも言ったのであろうな」

杠の眉が僅かに上がった。 マツリは話の間に言葉を挟むような人間ではない。 ましてや必要でない言葉を。 先の失敗を覆すように、後ろに控える二人を意識して言葉を挟んできている。 今マツリがどう考えたかということを分からせるために。 杠の考えが伝わっていたようだ。

「現段階で都司が三人に手を下したという証拠は一切ございません」

「ふむ」

「秀亜郡司は・・・許せなかったのでしょう」

己が守らなければならない民が殺された。 焼き殺された。
宮都に訴えた。 だが時遅しだった。 すでに民は焼き殺されていたのだから。

「宮都に訴えたあとに民には危険は及ばなかったものの、それまでに亡くなった民がおります」

「秀亜郡司が報復をしたとでも?」

「秀亜群では家を燃やしたのは都司が命令してやったことだと誰もが言っておりました、あくまでも民の憶測ですが。 ですがその根拠は亡くなった三人は家に火をつける前、都司から金を受け取っていたと話していたそうです。 割に合わないと不服を言っているのを聞いていた民がおりました」

多分、当時の武官か文官も同じ話を聞いただろう。 だが今の話では確たるものに欠ける。

「何をして金を受け取ったとは聞いておらんのだな」

杠が頷く。

「それではしかとした証言にはならんな」

郡司はその話を信じたのだろうか。 郡司が守るべき民が殺されたのだ。 感情的になれば確たる証拠証言が無くとも、その疑いが濃ければ行動に移すかもしれない。
もう一度杠が頷いて続ける。

「郡司は一度ひそかに下三十都に入りました。 その後に下三十都で流行り病が出ました。 ですが流行り病は大きくは広がらず、ある一定の場所でのみの発病でございます」

ひとつ間を置くと、ここからは己の推量で御座います、と言って続けた。

ある一定の場所と言うのは下三十都文官所とその周辺。 そして都司の住む家の周辺。 その二か所。 いずれも同じ井戸を使っている所で発病者が出ている。 考えられるのは井戸に何かがある。 郡司は下三十都に入ってこの二か所で使う井戸、早い話が都司が使う井戸に毒草の液を入れたと考えられる。
郡司はすぐに秀亜群に舞い戻り、まるで今の症状に苦しむに値する薬草を売る行商に来たという風に演じ、高値を付けて薬草を売ろうとした。 金が欲しいわけではなかった。 都司さえ苦しめばそれで良かった。 都司が毒草に苦しみ、そして都司が守らねばならない民が毒草に苦しんでいるのを見て、より苦しめばいいと。

だが都司は高値で薬草を買い求めたはいいが、それは都司自身と家族、働いてもらわなければ困る家で働く者たちの分しか買い求めなかった。
郡司が下三十都に身を置いて暫く待っていたが都司からの接触がない。 あの都司は己が守らねばならない民が苦しんでいるのを見ても何とも思わないのか、苦しむことがないのか。 それでは今の民のこの苦しみは何のためにある。
郡司が背にしょっている籠の中から薬草を出しそれを煎じると、苦しんでいる民に金を取ることなく配り始めた。

「薬草は解毒作用のあるものです。 苦しんでいる者は煎じることすら出来ない状態でございました」

「死人は」

「出ておりません」

「年寄りや赤子がいなかったということか」

「赤子はおりませんでした。 年寄もそれに近い歳の者はおりましたが、もし郡司があと二日でも民に配るのが遅くなっていれば死んでいたかもしれません」

「郡司はそこも見ていたということか」

「そう思われます」

「だがあの辺境・・・秀亜群はそこまで薬草、あ、いや、毒草に詳しいか?」

薬草はあるはずだが毒草がそんなにあっただろうか。 それに毒草が生ることは致し方ないが、その手に持つには許可が要る。 毒を以て毒を制す。 そういう意味で持つことを許される者がいるのだが、その者は宮都から許可が下ろされている者に限られている。
売る側の秀亜群では売る以上、秀亜群の代々郡司は毒草を持つ許可は宮都から得ているが、使いこなす知識があったのだろうか。

「秀亜群は薬草で知られておりますが、一部毒草も有るようで御座います。 ですが秀亜群自体は代々毒草のことは良く知らず、ただ生っているだけで宮都から許可が下りている者に売っていただけで、薬草だけを育てておりましたが、秀亜群から一人官吏になっている者がおります」

マツリの目の色が変わる。
辺境で暮らす者が官吏になるということは簡単なことではない。

「もともと頭が良かったのでしょう。 官吏になると言って秀亜群を出て五都で勉学に励んだようです。 秀亜群の出身です、元々薬草には詳しい。 そんな事もあって五都での勉学では毒草のことも学んだようです。 官吏になってからは能吏と呼ばれるほどに出来たようです」

「今も官吏をしておるのか」

「いいえ。 今は四方様に仕えていらっしゃいます」

「官吏から父上に?」

官吏から四方の従者になったのはマツリの知る限り一人しかいない。 今は他の従者のように四方に付くのではなく、遠目から堀を見て四方に危険が及ばないかをいつも見ている者。

「・・・朱禅」

唇を引いて杠が頷いた。

外堀であっても四方に付いている朱禅。 四方の抱える問題は全て目に通していた。 そんな時、秀亜郡司からの書簡を切っ掛けに秀亜で起きたことを知った。 すぐに郡司に文を送ると、事の真相を書いた文が返ってきた。

『・・・だが何の証拠もない。 これ以上、宮都も動けないという。 朱禅、都司に思い知らせてやりたい。 毒草のことを詳しく教えてくれ』

「朱禅殿のことです。 なんとか郡司を説き伏せようとされたはずで御座います」

宮を出て来た時のことを思い出す。 朱禅に引き留められた。 それは朱禅が言ったように僅かな時だった。

『マツリ様のこと、何事にも損じられる様なことは御座いませんでしょうが、マツリ様をお諫(いさ)めするのは杠殿のお役目でございます。 忌憚なく。 くれぐれもお忘れなきよう』

静かであり、心に残る言葉だった。

「結果として手を貸したのであれば問わねばならんだろう」

マツリの淡々とした言いように、巴央の下瞼がピクピクと動いている。 杠はマツリが都司を逃さない、許すはずが無いと言っていた。 それなのにマツリはそんな様子を見せることすらなく、杠と話している。

「我らが調べたのは以上で御座います」

ふむ、と言うと少しの間をおいて続けて言う。

「こと切れていた三人のことは都司を捕まえてからのことになるか。 家の中か官所のどこかを探せば毒草が出てこよう。 その毒草をどこから入手したのかも調べねばならんが、それは二の次として、下三十都の証人という者に都司が手を下すことはないのか?」

「無いとは言い切れませんが、口外すると身に危険が及ぶと言っておきました。 こちらに来るまで暫く金河が見ておりましたが、怪しい影を見ることは無かったということです」

「郡司は」

「かなり憔悴しておりましたが秀亜群に戻って来ました」

「憔悴か・・・。 己の罪の重さを感じたか」

「報復など、どうして考えたのか」

「朱禅が止められなかったほどだ。 その時は怒りに任せてしまったのだろう」

分からなくもない・・・。 ポツリと言った言葉が巴央の耳に届いた。

「承知した。 あとの事は我がする」

「マツリ様が? 六都のことでお忙しいのに、宮都に任せられれば如何ですか?」

「今のところ六都は順調にいっておる。 しばらく続くであろう。 この事はその間に片付ける。 郡司のしたことを見逃すわけにはいかんが、簡単に報復などということで終わらせるつもりはない。 下三十都都司は逃がさん」

巴央が目を大きく見開いた。 杠の言った通りだ。

「必ず捕らえる」

巴央と沙柊が大きく頷き、それに応えるようにマツリも頷いた。

「まずは宮に戻る。 俤は我と共に宮に戻ってくれ。 子細を問われた時に我では答えられないところがあっては困るのでな」

杠だけは官吏である。 他の者の目の前に堂々と出ることが出来る。
杠が頷く。

「下三十都の都司のことは宮都で動かす。 沙柊と金河は力山と共に六都に留まり、馬鹿者が何か動きを見せないか見ていてくれ」

マツリと杠が居ない間の見張ということである。

「はい」

二人が声を揃えた。


「オレ、今日すんごい女人を見たんだ。 マツリ様がその女人の腰に手をまわして・・・いひひぃ~」

杠からマツリのもとに女人が行く、マツリがその女人についていくよう仕向けるようにと柳技は言われていた。

「けー! どれだけすんごいか知んないけど、オレらが見た女人以上はいないって、なー、絨ら・・・淡月ぅ~」

淡月と呼ばれた絨礼が頷く。

「なんだよ、お母か姉ぇちゃんになって欲しいって言ってた女人かよ。 いや、絶対に今日オレが見た女人の方がすごいはず、いいはず。 お母や姉ぇちゃんってんじゃないんだ。 なんかこー・・・ああ、どう言ったらいいのかなぁ」

自分で自分を抱きしめて身悶えする柳技。 それを白い目で見ている絨礼と芯直だが、三人が言っているのが同一人物だとはこの中で誰一人として知らない。


翌朝、杠とマツリが六都を出て宮に戻っていった。
馬に揺られるマツリの肩にはキョウゲンが乗っている。 六都に来てキョウゲンの出番は一度しかなかった。 文官の言った杉の山を見にいっただけであった。

「それにしてもあの文官は何をあんなに呆然としてらしたんでしょうか?」

杠は六都文官所を既に退いている。 身を隠してマツリを見ていた時のことだ。
マツリがいったん宮に戻ると言った時だった。

『は?』

『宮で事が終わればまたこちらに来る。 それまで武官たちと諍いがないか見張りをしておいてくれ』

『あ・・・でも・・・。 今、晩』

『ああ、今晩どころか今から出る。 宿の方は当分使わぬから断っておいてくれ。 また来た時に頼む』

『・・・』

この官吏が夕べマツリが居なくなったあと、あちこち女のいる店をまわったことをマツリが知るはずもなかった。

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辰刻の雫 ~蒼い月~  第129回

2023年01月02日 20時46分12秒 | 小説
『辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~』 目次


『辰刻の雫 ~蒼い月~』 第1回から第120回までの目次は以下の 『辰刻の雫 ~蒼い月~』リンクページ からお願いいたします。


     『辰刻の雫 ~蒼い月~』 リンクページ




                                  




辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~  第129回



巴央がピシリと戸を閉めて後姿を見せている杠に声をかけた。
巴央であるところの金河が杠である俤の居場所に姿を見せたのである。

「何か分かりましたか?」

振り返ることもなく訊く。 その姿を見ずとも巴央と分かっている。
秀亜群の片隅の空き家に杠は居を置いていた。

「郡司は解毒の薬草を持って出たようだ」

「解毒・・・」

視線を下に向ける。

「ああ、やっぱり俤の言う通りかもしれん」

“お前” ではない “俤” と巴央が呼んでいる。

「・・・そうでは無く、単に下三十都で解毒の薬草を欲しがったのかもしれません」

己の考えたことが間違いであってほしいと願っているのだから、嘘でもそう言ってしまう。
手をついて身体を巴央に向ける。

「いや、残念だがな、俤が考えた通りだろう。 その色が一番濃い」

それは最悪だ。 だが巴央の言う通り杠の考えた通りだろう。

何も知らず今の下三十都での流行り病に効く解毒の薬草をそう簡単に大量に持って出るものだろうか。
秀亜群には薬草が沢山生えていて、それをゆっくりと採りゆるりと暮らしている所だ。 ときおり薬草が欲しいと言われ、その時に売っているだけの辺境の地。
それが辺境から籠を背に担いで薬草を持って下三十都に入って来た秀亜郡司。 まずそこがおかしい。
どうして辺境に居る秀亜郡司が隣接していると言えど、下三十都の中心で起きている流行り病のことを知ったのか。 そして的確な解毒の薬草を持ってきたのか。 なによりも今まで売って歩くことなど無かったのに、ましてや郡司自らが辺境を出てきてまで・・・。

その薬草があまりの高値に薬草を手にすることが無かった下三十都の民。 
高値であろうと買い上げ、病から回復した下三十都都司。 秀亜郡司が持ち込んだ高値の薬草を個人的に買い上げ煎じて家族ともども快復した。
民や官吏はどんどん悪くなっていっているというのに、都庫から金を出し民や官吏に薬草を配ろうともしない都司。

「都庫から金を出す気がないみたいだったしな。 ・・・オレだって俤と同じように考えてる。 俤の思い違いであって欲しいってな。 だがな・・・」

この辺境にある秀亜群に来る前には、既に下三十都を調べていた享沙から色んな話を聞いてその上で巴央も動いた。 そして秀亜群に先に入っていた享沙が遅れて入った杠と巴央で互いに知った情報を交換し、享沙がまた下三十都に戻っていった。

「享沙が言ってただろ? 郡司はこれで下三十都に入るのは二回目だって。 まず俤の考えている通りに間違いないって」

享沙がそれを調べていて杠が合流した時にその話を聞かされたからこそ、疑ったところが大きかった。 そしてその後マツリに報告する為もあり、一旦六都に戻り再び下三十都に戻った杠が最初に調べたことがまた大きく事を裏打ちした。
それでも己の立てた憶測を信じたくなかった。

下三十都と秀亜群がどこかで繋がると考えるのならば、杠の中では一つしかなかった。 杠の知らない所でまだあるのかもしれないが、杠の知るその一つは間違いなく禍根を残しているはずである。


時は杠がまだ俤として地下に居る時であった。 リツソが地下の者に捕らえられ、その後マツリが地下からリツソを連れ戻したあとの事だった。
秀亜郡司、基調(きちょう)からの書簡が四方の元に届いた。

秀亜郡司が下三十都都司より土地を広げると言われた。 早い話、この郡司の守る辺境の土地を吸収するということであった
そんなことはたとえ都司と言えど勝手に出来るものではないが、あとになり都司が言うには、郡司が納得をしてくれれば宮都に話を持って行くつもりだったということであった。

秀亜群は色んな種類の薬草が豊富に採れる場所である。
辺境というわりにこの地では生活に急ぐことなく、ゆっくりと薬草を採って質素な暮らしをしていた。 ときおり薬草が欲しいという者に売っていた程度で集落も大きく、離れた所に点々と点在する所もありその数も多い。
争いごとも無ければ天災の前例もなかった。 それ故、ここには五色もいない。
下三十都都司はその豊富な薬草の地が欲しかったのだろう。

書簡によると、郡司が答えを渋る度、民の家を焼いて回っているということであった。 最初は昼間に堂々とだから民が逃げることも出来たが、その内に夜にも。 そして死者が出たということであった。
当時、四方はすぐに武官を走らせた。 そして事の真相を見た武官から知らせが入った。
秀亜郡で焼かれた家を確認したということ、そして死者が出ていたということであった。

すぐに秀亜群に武官と文官を走らせ下三十都都司を宮都に呼んだ。
後日やって来た下三十都都司は郡司に何度か話しこそしたが、家を焼くなどと身に覚えが無いという。 だが下三十都の官所(かんどころ)で働く者がやって来て火をつけたところを見た秀亜群の民は間違いなくいた。
それを聞かされた都司が驚いた顔をしていた。 そして官所の者がやったというなら、その者を都司として責任をもって宮都に連れてくると宮都の刑部で言ったが、下三十都に戻ると官所で働く三人の者が自害していた。 そしてその三人が秀亜群で火をつけて回っていたという。
それは秀亜群からやって来た数人の民が自害した者たちを見て証言した。 実際それ以降、火を付けられることはなかった。 結局、事の真相は闇に葬られてしまっていた。


「まだ郡司は戻ってきていませんよね?」

「ああ、見ていない」

杠が顔を伏せ顎に手を当てる。

「郡司に期待してる・・・のか?」

杠が手を下ろしゆっくりと顔を上げると巴央に目を合わせる。

「・・・一縷(いちる)の望みですが」

もし己の憶測が憶測でないのなら。
杠の考えを聞いた巴央、その巴央が横を向いてハッ! と声を共にして勢いよく息を吐いた。

「ほんっとーに、お前は!」

一度横を向けた顔を真っ直ぐにして杠を見る。

「俤は! 馬鹿だよ! オレ以上に馬鹿だ! 沙柊もだ!」

言い切ると本心からの笑みを見せる。
巴央の顔に杠が口の端を上げたが、すぐに巴央の後ろの戸に目を移した。 その様子に気付いていない巴央が続けて言う。

「郡司がまだ迷っているのなら下三十都に行って煽ってやるか?」

「その必要はない」

戸の外から声がしたと思ったら、戸が開き享沙である沙柊が入ってきた。

「随分と気配を消すことが出来るようになりましたね」

「ってことは、俤には分かっていたってことですか?」

「いえ、ほぼ寸前で分かりました。 充分です」

両の眉を上げて杠への返事としたが、享沙にしてみればまだまだということだ。
杠と享沙の話を聞いた巴央が呆れたように息を吐く。

「は? オレは全然分からなかったが?」

「沙柊は己と六都官所で働いていましたからね」

「ええ、俤の気配を消すことから、その身を隠すことから驚きだらけでした」

巴央が眉間に皺を寄せる。 二人の会話が気に刺さる。 それに己にはそんなことは出来ていない。 知りもしなかった。

「金河」

金河と言う名を持つ巴央がハッとして杠を見る。

「金河には金河の動き方があります。 沙柊と同じではありません」

巴央が鼻からフッと息を吐く。

(コイツは・・・俤は・・・どれほど狡賢(ずるがしこ)いのか。 オレは真っ直ぐに生きてきた。 それが狡賢い俤と同じってか。 笑える。 狡賢い俤とオレが一緒だなんて。 腹が立つ・・・でも・・・俤はまっすぐ前を見ている)

誰にも分からない横目で巴央を見た杠が話を続ける。

「で? 必要が無いということは郡司が動いたということですか?」

杠と巴央が下三十都から秀亜群に入ってきて互いに得ていた話を聞くと、またしても下三十都に戻っていた享沙だった。
享沙が満足したようにコクリと首肯する。

「郡司がやったってことか?」

念を押すように訊いた巴央に再度首肯した。

「俤!」

巴央が杠の名を呼ぶ。

「郡司はやってくれた! これで郡司は問われないな? そうだろ?」

杠が難しい顔をしてから答える。

「全てをマツリ様にお話しします。 郡司が問われるか問われないか、それは刑部の判断でしょう」

「どうしてだ!? 郡司は・・・この秀亜の民が殺されたんだぞ! その―――」

「報復は認められるものではありません」

「俤!」

「寂しいことではあります。 分かっています」

巴央は杠の言いたいことが分からないでもない。 だが訳も分からず死んでいった者はどうなる、郡司が守ろうとした死んでいった者たちへの想いはどうなる。
巴央が拳を握り締めた。

「都司はマツリ様が逃がしません」

此処にはどんな耳も無い。 マツリの名を出してもいいだろう。

「え・・・」

「証拠はありませんがマツリ様が許すはずはありませんから。 いえ、マツリ様に言われる前に・・・証拠が無ければ証人を探しましょう。 必ずどこかに居ます。 忙しくなりますよ」

今までは都司と郡司の方だけを追っていた。 杠の憶測通りなら郡司に過ちを起こして欲しくない。
その郡司が言わずとも過ちを犯すことなく動いてくれた。
次は都司がどうして先にそういうことをしたかの証人を探す。 杠が薄い希望で証拠を探したが残ってはいなかった。 それはそうだろう。 六都のように、帳簿云々の話しではないのだから。

巴央の拳が解けていく。
杠が享沙を見る。

「宮内の者のことは分かりましたか?」

再度享沙が首肯する。
それを調べに下三十都に舞い戻っていたのだから。

「その者は・・・」

享沙がその者がこの秀亜群の出だというところから話し出した。


「マツリ様!」

まだ坊と呼ばれる歳の二人が学び舎を建てている様子を見ていたマツリに走って来た。
マツリの片眉が上がる。

「これ、マツリ様はお忙しい。 あっちに行きなさい」

ここのところいつも・・・べったりと言っていいほどマツリの隣にいる文官が日本で言うところの少年二人を追い払おうとした。
マツリは六都官所が供した宿に泊まっていたが、何故だか、ある時からこの文官は家に帰らずマツリの泊まる部屋の隣の部屋を借り、マツリが寝るまでずっと起きていた。
ある時。 あの時から。

『徒歩(かち)でどれ程かかる』

『お! お役に立つのですか!?』

思いもしませんでした。 そうですねぇ、ここからは。 ああ、マツリ様、お掛けくださいませ。 と、椅子が御座いませんか。 すぐにお持ちいたします。 と、それからずっと付きまとわれている。

「ちょっとくらい、いいだろー」

一人の少年が文官の気を引く。

「マツリ様、六都に来られて混味(こんみ)を食べられましたか?」

「こんみ?」

混味と聞いて一人の少年を追い払おうとしていた文官が振り返った。

「え? マツリ様、六都に来られて、そこそこ経たれるというのに混味を食されていないのですか?」

「食べるものか?」

確かにいま絨礼は “食べられましたか” と言っていた。

「はい。 この六都では混味が好まれます。 ああ、わたしの落度で御座いました。 今晩、わたしがご案内いたします。 美味しい混味の店がありますので。 六都一で御座います」

ん? あ? と文官が変な声を上げた。
少年たちが居なくなっていたのだ。

「あれ? どこに行ったのでしょうか?」

「さぁ? それより、あの杉の山だが」

「はいっ!」

この文官は長くもなく短くもなく六都に居る。 早い話、中途半端。 六都に愛着があるわけでもなし、だからと言って突き放すでもない。 こんな六都なのに。 六都出身でもないのに、他の文官ならばとうに異動届を出している年数だ。

絨礼と芯直がマツリの前に姿を現した。 そして “混味” と言った。 その話を聞いた杉の山の話しからマツリにべったりと付いている文官が今晩店に案内すると言った。 その途端、絨礼と芯直が姿を消した。

(・・・杠か)

この文官が言うところの “美味しい混味の店” に行かねばならないようだ。


「こちらで御座います」

にこやかに文官が案内する。
こちらと言われた店には 『黒山羊』 と看板が下げられている。

「六都ではここの混味が一番美味しいと言われております。 ま、わたしも六都に来てあちこちの混味を食べましたがここが一番と思いますので」

ささ、どうぞ、と、戸を開ける。 「らっしゃい!」と店主の声が響いた。

「美味い・・・」

マツリが目を丸くした。
食べ方を教わったが、かき混ぜて食べるなど宮では有り得ない。 紫揺がおじやをグルグルかき回していたが、それとは違うだろう。
混味を食べているだけなのに紫揺のことを思い出した。 昼間は今目の前のこと、これからのことを考えているだけだった。 一人夜になれば今と同じように考えてはいたが、だが今目の前に文官が居るというのに。

「でしょう! ここの混味は六都一ですので。 迂闊で御座いました。 マツリ様に失礼のないように宿を整えることだけを考えておりました」

失礼など・・・そんな事を考えることなどない、そう言いかけたが、チラリと柳技の姿が見えた。

(やはり杠か・・・)

目の前に座る文官を見る。

(これが邪魔ということか・・・)

そうだろう、そうだろう、分かる。 マツリが宿の光石に布を被せ寝たふりをしても、隣の部屋のこの男は暫く起きている。
だが杠ならそんなことなど一蹴して姿を現すはずなのに。

(何があった)

「あら、イイ男」

マツリの後ろで朱唇が開いた。

「ね、兄さん、混味は美味しかったかしら?」

「こ! これ! 何を言っておる! この方は―――」

柳技は動いていない。

「よい」

「え?」

「今宵はこの女人と過ごす」

「だっ! そのようなことは!!」

マツリがわざとらしく眉を上げる。

「いかんか?」

「・・・あ」

「美味かった。 今日一日、苦労であった。 明日も頼む」

そう言い残したマツリが立ち上がり女の腰に手をまわす。
女がマツリの耳元に言う。
坊、と。

「そうか、それはどこか」

女がマツリを導くように歩きだす。

官吏が顔を伏せた。
こういう接待も必要だったのか。

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