大福 りす の 隠れ家

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虚空の辰刻(とき)  第99回

2019年11月29日 21時52分42秒 | 小説
『虚空の辰刻(とき)』 目次


『虚空の辰刻(とき)』 第1回から第90回までの目次は以下の 『虚空の辰刻(とき)』リンクページ からお願いいたします。


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- 虚空の辰刻(とき)-  第99回



―――セキ

トウオウが口にしたと同時に紫揺が椅子をはね飛ばし部屋から出て行った。

ほんの数分前にアマフウが何をどう考えてセキと接しているのかを説明したのに、それがすっ飛んでいたようだ。
懸念など必要なかった。 簡単に罠にかかってくれた。
フッと鼻から息を吐くと片方の口元を上げる。

「簡単に乗ってくれちゃって。 にしても、ちょっと予定より時間がかかったな。 アマフウのヤツ上手くやってるかな」
そう漏らすとすぐに紫揺の後を追った。

「セキちゃん、セキちゃん無事でいて!」

階段の手すりを一気に滑り降りると、すぐに折り返してまた手すりを滑る。

「しまった、場所を訊かなかった」

手すりを滑りながら考える。

「でも、トウオウさんは同じシチュエーションって言ってた。 じゃ、あの場所?」

最後の手すりを滑って飛び降りるとすぐに食堂を通過してその奥に走る。 一番奥のドアのドアレバーを下ろす。 ドアを開け中に入ると更に二つのドアがある。 真正面に見えるドアを開ける。 このドアは外に通じるドア。 この先にセキが居るはず。
勢いよくドアを開けた。

膝まづいていたセキが驚いた顔で紫揺を見た。

「シユラ様・・・」

「セキちゃん!」

ドアを飛び出ると少し離れた所にアマフウがいた。

「邪魔しないでもらえるかしら」

疑問符がついていない。 アマフウが怒っているんだ。

「セキちゃんが何をしたって言うんですか!?」
すぐに膝まづいているセキを抱えた。

「何をした? 笑わせるんじゃないわよ。 そこに居るだけで邪魔なのよ」

「だって、此処は洗濯物を干すところ! 此処に来るアマフウさんが悪いんでしょ!」

「こんな所に来たくはないわよ。 致し方なく来たら」
そう言ってセキを睨んだ。

「私の前に姿を見せるんじゃないって言ったわよね。 それを覚えていないってことね」

セキは震えて下を向いている。

「いい加減にしてください!」

「いい加減にしてほしいのはコッチよ。 アナタ、そこをどきなさい!」

アマフウの右手が左肩近くに上げられた。 その右腕を前に伸ばすとセキが切られると思った。
セキを守りたい、ニョゼが自分を守ってくれたように。

「いい加減にしてって言ってるでしょ!」

アマフウに切られてもいい、セキを守ろうと左手でセキをギュッと抱え込み、まるでアマフウの力を自分が受けるという具合に伸ばした掌をアマフウに向けた。 この手が飛んでもいい、指がなくなってもいい。 セキを守りたい。 ニョゼが居てくれたようにセキの姉のようでありたい。 真っ直ぐにアマフウを見る。 顔なんて伏せない。

前までの紫揺なら、そこでセキを抱え込んで自分の顔も一緒に伏せていただろう。 だが今は違った。 顔を真っ直ぐにアマフウに向けていた。

「キャア!!」

アマフウが顔を覆った。

アマフウの顔に火がかかる寸前に大きな炎が火を飲み込んだ。 火を操る力は赤の力。 右目が赤色の瞳を持つトウオウから放たれた炎だった。 それは紫揺の発したものとは比べ物にならないほど大きく、紫揺が発した火が炎に飲み込まれたのだった。
飲み込まれた火は明らかに紫揺の掌から出ていたのを誰もが見た。 もちろん紫揺自身も。

「ふっ、シユラ様、まだまだだな」

トウオウが前に出していた手首を回転させ手を握るとその炎が消えた。

(アマフウさんに火が飛んだ。 自分の掌から・・・)

「けど、指先じゃなくて掌から飛んだのには向上が見えるな」

固まっている紫揺。 トウオウの声が遠くに聞こえる。

「分かったか? シユラ様に力があること」

トウオウが紫揺に近づきセキを抱えている手を解いた。 ついでにずっと前に出されていた右手を下に降ろさせる。

「シユラ様、立てる?」

「・・・」

「シユラ様・・・」

紫揺に抱えられていたセキが細い声を向ける。

「・・・セキ、ちゃん?」

視線はアマフウにあったが、その目はアマフウを見ることなく空(くう)を見ていた。 そして目をゆっくりとセキに転じた。

「シユラ様、大丈夫ですか?」

「何ともないさ」

二人の会話にトウオウが割って入った。

「シユラ様、立てるだろ?」

「ちょっと! トウオウ! ソノコじゃなくて私の心配をしなさいよ!」

「どうってことないだろ? シユラ様のあのヘボッコ炎はオレが消したんだから。 顔を燃かれてないだろ?」

「どうしてもっと早く来なかったわけ!?」

「いや、シユラ様って階段を降りるのが早いんだよな。 追いついたと思ったら、ギリセーフ」

「トウオウ! 私は顔も命もかける気はないわよ!」

「分かってるって。 悪かったよ」

アマフウとトウオウの会話の中で紫揺の小さな声が聞こえた。

「・・・ヘボッコ?」

その小さな声にトウオウが振り向き口角を上げる。

「そう、ヘボッコだ。 シユラ様、そのヘボッコの炎を自分が出したのを見ただろ?」

アマフウとの会話を止めて、苦笑しながら言った。

「・・・」

「ヘボッコを出したよね? ちゃんと見ただろ? な、認めなよ」

「・・・そうかもしれません」

「かもしれませんって・・・。 ホント、強情だな。 んじゃ、説明止(や)める。 強情さんには説明が通らないからな。 それでいい?」

「・・・説明はお願いします」

「どんだけワガママなんだよ。 シユラ様、アマフウとそう変わらないな。 んじゃ、どの説明が欲しい? 色々あるんだけど?」

「・・・ヘボッコの」

「ああ、それね。 シユラ様の出した炎はオレの右目の赤と同じ力を持っている。 でも、オレは赤の本来持つ力の半分しか持っていない。 ちょっと変な異(い)なる双眸だからな。 でも、オレは今のシユラ様より大きな炎を扱うことが出来るよ。 オレの左目、薄い黄色は白の力を持ってる。 こっちも隻眼だから力は半分しかない。 そのオレの半分しかない力でもシユラ様の発した炎を飲み込めるほどの・・・ヘボッコ炎だってこと」

トウオウの異なる双眸は本来、五色の持つ異なる双眸ではない。 本来の異なる双眸は半分の力などではない。

本来トウオウは白の力を持つ薄い黄色の瞳を両眼に持っていなくてはならなかった。 だが祖先からの血が悪戯をしたのか、そういう運命だったのか隻眼になってしまっていた。 力もそれと同じように半分しか持ちえなかった。

「シ・・・シユラ様?」

座り込んでいたセキが紫揺を見上げる。

「セキちゃん、大丈夫? どこか怪我をしなかった?」

トウオウの言うことをまるで雲の上で聞いていた紫揺がセキを覗き込む。

「してないよ。 心配することはない」

どうしてかトウオウが言い、セキを見て続けて言った。

「仕事に戻るといい」

セキがどうしたものかと紫揺とトウオウを何度も見る。

「聞こえなかったか?」

トウオウが低い声で言った。

「セキちゃん、セキちゃんがどこも怪我してなかったらいい。 私のことはいいから」

紫揺の言いたいことが分かった、今は自分が邪魔なのだと。 コクリと頷くと乾いた雑巾の入った籠を持ってドアを開け中に入っていった。

紫揺とトウオウがセキを見送り終えたところでトウオウが言う。

「どう? シユラ様の力を見ただろ? これは否定できないよな?」

「・・・」

「無言って、シユラ様それは無いと思うよ。 言ったよね、やってみて出来なければシユラ様に力がないとしよう。 シユラ様に力がないとオレに証明してくれる? って。 でも、力があったよね? シユラ様も見ただろ?」

「・・・」

「あれ? 無言を貫くの? それってルール違反じゃない?」

「トウオウ!」

振り向くとすぐ後ろにアマフウが歩いてきていた。

「あらま。 アマフウのお出まし?」

「コノコには自覚が一切ないのよ。 何を言っても無駄! 私の顔を燃やそうとしたことも誰かのせいにして自分のしたことから逃げてるだけよ!」

「・・・そんなこと」

「そんなこと? そんなことあるでしょ! アナタが今、私の顔を燃やそうとしたでしょ!」

「アマフウさんの顔を燃やそうなんて思ってません! ただ、セキちゃんを守ろうとしただけで―――」

「守るのは攻撃だよ?」

アマフウと紫揺の会話にトウオウが割って入って来た。

「え?」

「攻撃しなくて守れる?」

「・・・」

「トウオウの言う通りよ。 アナタが私に掌を向けた。 アナタはその掌で私に攻撃をした」

「・・・それは無我夢中で意味なんてないです」

「意味なんてない? 無我夢中? 笑えるを超してるわ。 馬鹿も休み休み言いなさい! 意味があるからアナタがそうしたんでしょ!」

「・・・」

確かにセキを守りたいと思った。

「ああ、今は意味の有る無しなんてどうでもいいわ。 アナタは自分の目でアナタの力を―――」

「アマフウ、もういいだろ」

紫揺の腕を取っているトウオウが言う。

「コノコはまだ何も分かっていないわ!」

「シユラ様は分かってるよ。 アマフウ部屋に戻ってな。 オレはシユラ様を部屋まで送るから」

「トウオウ!」

「見てるぞ」

目で後ろを示す。

「オレはあんなややこしいのはごめんだからな。 アマフウが相手しな。 シユラ様行くぞ」

紫揺を立たせると、玄関の方に行かずセキが戻って行ったドアに向かった。

アマフウが前を見据えている。 トウオウと紫揺の姿を見送ったアマフウ。 瞼を閉じるとゆっくりと開けた。

「隠れていないで出て来なさい」

回廊にある丸い柱から姿を現したのはセイハ。

「あら、別に隠れてないわ。 誰かさんの失態を見てしまったのを気の毒に思って身を隠しただけだけど?」

チッ、アマフウが舌打ちをした。
部屋に戻る為にもセイハの横を通らねばならない。 歩を進める。

「一度ならず二度もねぇ・・・。 ゴメンナサイ、一度目は聞いただけだけど、今回は見ちゃったわ」

満足そうな笑顔で気のない詫び言を述べる。

「セイハ、アナタの考えいてることは分かってるわ。 諦めなさい」

「何のことか分かんないんだけど?」

「そう、それならいいわ。 ・・・あとで泣きっ面を見せるんじゃないわよ」

あと二歩でセイハとすれ違う。

「八つ当たりもいいとこ」

「今のうち好きに言ってなさい」

セイハが目の端にも見えなくなった。 アマフウはそのまま歩を進めた。



パタン。 紫揺の部屋のドアが閉められた。

「さて、話そうか」

トウオウが椅子を引いて紫揺を座らせ、その向かいの椅子を引き自分も座った。

「言っとく、無言はやめてくれよな。 オレそれって一番うざいから」

「・・・はい」

「よし。 ヘボッコを認めるよな?」

「・・・」

「オイ! 今言ったとこだろう!」

「でも・・・」

「ああ、でもも、だってもいいよ。 無言よりはマシだよな。 だけど、そればっかり言ってても話が進まないのは分かるよな?」

「・・・」

「またかよ。 って、そうだな・・・返事が出来ないんだったら、力ずくで認めさせるのもいいかもな。 ああそうだ。 うん、いい考えだ」

「・・・え?」

「何もアマフウに限らなくてもいいんだ。 オレがオレの力でシユラ様を痛めつければ、その内さすがのシユラ様だって反撃するだろ? それを何度も繰り返せば否が応にも認めるんじゃないか? うん、それいい。 何で今まで気づかなかったかなぁ」

言うと椅子から立ち上がり、後ろに下がると紫揺との間をあけた。

「え? ・・・待って下さい。 トウオウさ―――」

言いかけたが既に遅かった。

トウオウが前に突きだした右手の手首を返すと、掌をテーブルに向けた。 掌から赤い筋が見えたと思ったら、激しい音と共に一気にテーブルに炎が立った。

「ワッ!」

思わず椅子から転げ落ちた。

「さて? どうする?」

テーブルからはメラメラと炎が立っている。

「覚えてる? さっき言ったよな? シユラ様の瞳は黒。 黒の力は冬であり水を操ることが出来るって。 その火を消してみな」

「そんなことっ!」

「出来ないってか? 出来るんだよ。 やってみなよ。 シユラ様が消さないと火はどんどん増えるよ? んじゃ、次はその椅子に向けるよ」

さっきと同じように手首を返すと椅子に向けた。

「やめて! やめてください! 火事になってしまう!」

「なら、その炎を消せば? それかシユラ様がオレに打てば?」

言うと容赦なく椅子に向けられた掌から赤い筋が見えた。
ボン! という音と共に一気に椅子を焼き尽くしてしまった。 一瞬にして椅子が炭となった。

「あらら、ちょい力んじゃったか。 椅子は終わったみたいだね」

テーブルはまだ燃えている。

「次はなんにする? あの奥にあるベッドにしようか?」

ズカズカとベッドに向かって歩いて行く。

紫揺は今も燃えているテーブルとベッドに向かうトウオウを何度も交互に見た。

「トウオウさん! お願いします、やめてください! 話します、ちゃんと話しますから!」

ベッドに向かっていたトウオウが歩を止めて顔だけ振り返った。

「それはもう遅い。 いい? 取り返しってつかないんだよ。 オレは言ったはずだ。 無言はやめろって。 一番うざいって。 それなのに返事をしなかったのはシユラ様だ。 それはシユラ様が選んだことだろ。 だからオレは次のシユラ様の返事を待ってるだけだ」

顔を元に戻すと歩き始めた。

「そ! そんな無理、言わないでください!」

だが返事はしてもらえなかった。 ベッドの近くに立ったトウオウが右手をつきだした。
紫揺の顔が引きつる。

「やめてください!!」

見たくないという思いから、その場に座り込み両の拳をゴンという音がする勢いでこめかみに当てると両目をきつく瞑った。

「やめて! お願い!!」

爆風と共に耳をつんざくような音がアチラコチラから聞こえた。

「ウワッ! バカ!」

腕に一筋熱いものを感じた。 誰かにフワリと抱え込まれた。

「グッ・・・」

頭の上でトウオウの声が聞こえた。
パラパラと何かが落ちる音が聞こえる。

「火・・・火を消せ」

「え? なに?」

優しく強く感じていた温かいものが崩れ落ちていく。

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虚空の辰刻(とき)  第98回

2019年11月25日 22時12分40秒 | 小説
『虚空の辰刻(とき)』 目次


『虚空の辰刻(とき)』 第1回から第90回までの目次は以下の 『虚空の辰刻(とき)』リンクページ からお願いいたします。


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- 虚空の辰刻(とき)-  第98回



訊きたい事というのが、トウオウからの質問である北の領土のことであろうとなかろうと、トウオウは答えてくれるはず。

「ア、アマフウさん・・・」

「へっ!?」

どんな質問にも答える気でいたが、それにしてもアマフウの事? 思わず間の抜けた声が出ても仕方がない。

「アマフウが? なに?」

組んでいた足を解いて両肘をテーブルに乗せ手の指を組むと、その上に顎を乗せた。

「ア・・・アマフウさんはどうして・・・じゃない、アマフウさんって気に入らなければすぐに切るって・・・あっちに居る時に、ヒオオカミが現れればその身を二つに切るだろうなとか、それまでにも馬とか野犬とか切ったって・・・」

「それが何?」

「・・・それって本当なんですか?」

「ふぅーん、オレが嘘を言ってるってか?」

組まれた手の上に乗っていた顎を傾げる。

「いえ! 決してそういう意味じゃなくて・・・あの、セキちゃんが・・・」

「セキ?」

「はい、その・・・」

「どうしてここでセキの名前が出てくるのかな?」

「え? トウオウさんはセキちゃんを知っているんですか?」

「勿論。 領土の人間だからな、知ってるよ。 ついでにアマフウもね」

「え? アマフウさんはセキちゃんのことをよく知らないみたいだったけど・・・」

「そんなことはないだろ。 セキが小さい時に野犬に喰われそうになったのを助けたのはアマフウなんだから」

「え?」

「その時に野犬を切った。 その血を浴びてしまったセキの身体をすぐに洗ったのもアマフウだし。 まぁ、そのお蔭でっていうか・・・アマフウが冷血漢の鬼のように言われるようになったんだけどな」

「セキちゃんを助けたのに?」

「うー・・・ん。 人それぞれなんだろうね。 ほら、シユラ様は今の話を聞いてアマフウのことを冷血漢の鬼とは思わなかったから、そうやって言うんだろ? まぁ、現場に居合わせたかどうかで違ってくるのかもしれないけど。 ほら、狩りって男が行くだろ? それは分かるよな?」

「バカにしてます?」

「してない、してない」

組んでいた手を解くと片手を軽く振って続ける。

「じゃさ、そう考えると分かんない?」

紫揺が首を傾げるのを見て小さく笑う。

「女が見るのは狩りをしてきた後の血抜きをされた息のない動かない鳥だったり獣だったりだろ?」

トウオウが何を言いたいのかまだ分からず、返事の代わりにコクリと小さく頷くだけ。

「さっきセキが小さな時だって言っただろ? ってことは、女たちが周りにいた。 どんな年齢層が居たかまではオレも知らないけど、野犬に襲われるってことは外に居るわけだよな。
北の領土の中心では女たちが外仕事をしている時は、こっちで言う小学校低学年くらいが小さな子の面倒を女たちの近くでまとめて見てるんだ。
その輪からセキが離れたのかどうかまでは知らないけど、目の前で獣が真っ二つになるところを見てごらんよ、どう思うか分かるだろ? 女たちも子供たちも男たちが狩りをしてきた動かない生き物しか見ないんだから、それに真っ二つになんてなってないし、血を出し切って蔵物も出してある。 それだけでも刺激が大きいのに、それだけじゃなく、獣そっちのけでセキを抱えて井戸まで洗いに行ったんだから、冷血漢と思われても仕方がない」

にわかに納得できないが、これ以上、贓物とか真っ二つとか聞きたくない。 犬のことは分かったことにする。

「じゃ・・・馬の時は?」

「馬? ああ、あの時は放牧されてた馬が何か良からぬものを食べたみたいだったんだ。 それを偶然見ていたアマフウがその馬を注視してたら、馬が暴れ出して馬番を蹴りそうになったから切った」

「良からぬもの?」

「うん、外に出てないんだったら分からないだろうけど、あっちって色んな茸や草が生えてんだよね。 こっちで言うところのいい気持にさせるものとか、凶暴にさせるものとか色々。 ヤクってやつの元ね。 馬にも影響を与える草もあるわけ」

「・・・」

「他に訊きたいことは?」

「・・・」

「無ければ話を戻していい?」

「・・・アマフウさんは」

「うん?」

「誤解を受けているんですか?」

「誤解? 誰から?」

「少なくともセキちゃんから」

それどころではない。 五色も北の領土の人々から誤解を受けているのではないだろうか。

「うーん、ま、あんなアマフウだからね。 誤解も本当だったりするんじゃないか? それにあったことは一つでも、理解する人の数だけ事は運ばれるだろ? 二人が同じものを見ても理解の仕方で、ことは二つに分かれるだろ? それが極端だったら正反対に理解される」

そういう事じゃない? と、首を傾げながら眉を上げる。

「納得できません」

「そう言われてもなぁ」

「アマフウさんはそれでいいんですか?」

「いいんじゃないか? いいから放っているっていうか。 そうだな、少なくとも今はいいんだと思うよ。 アマフウが分かっていて欲しいって人間は分かってるから」

「トウオウさんだけじゃなくて?」

「ここじゃ、セノギもアマフウのことを分かってるよ」

「え? でもアマフウさんが外に居るとセキちゃんに動かないようにって、角を曲がるとアマフウさんが居るからジッとしているようにって・・・」

セキからそう聞いた。

「ああ、あれはアマフウが居る自体を言ってるんじゃなくて、どっちかって言えばセイハだよ」

「え?」

「セイハがアマフウにちょっかいをかけてくるから、それに巻き込まれないようにってこと」

「え?」

「ついでに言うと、アマフウが必要以上にセキにキツク言うだろ? 目の前に出るなとか。 あれってセキに甘く言うと、セキがセイハに必要以上にやられることを懸念してるわけ」

言ってから、これからのことを思うと言い過ぎたかと思った。 失敗した。 アマフウから言われた増えた願い事を潰してしまうかもしれない。

「それじゃ! 余計にセキちゃんの誤解を!」

今にも席を立ち上がろうとする勢いで言うのを、背もたれにもたれながらトウオウが応える。

「いいんだよ。 いつかは分かる事かもしれないし、分からないかもしれないけどアマフウがそれでいいんだから」

あ、これも失敗かと、言葉を継ぎ足した。

「それにさ、あんなアマフウだろ? いつヘソを曲げるかわかりゃしないしね。 そこんところもセノギは分かってるからじゃない?」

「そう言われれば分からなくもないですけど」

心当たりが無いわけではない。 だがそんなことを聞けば、アマフウはいきり立つだろう。

「なに? アマフウのことがそんなに心配なの?」

「いえ、そういうわけでは・・・」

「あら、残念」

おちょくるように言うと腕を組み、最初と同じように足を組んだ。

「他に質問は?」

「・・・今のところは」

急に言われて思い出すことも難しい。 宿題じゃないけど、いついつ質問を受け付けますから、それまでに質問をまとめておくこと。 などと先触れを出していて欲しかった。

「んじゃ、オレの話していいかな?」

「・・・はい」

何を言われるのだろうと、眉根が寄る。 それを見たトウオウが薄く笑うと一呼吸置き、さっきまでと声音を変えて口を動かした。

「単刀直入に言う」

異なる双眸が紫揺を捉える。

「シユラ様、まだ自分の力を分かってない?」

「え?」

「今日も花を咲かせたよな?」

「え、だって・・・それは―――」

単刀直入とは言われたが、余りにも唐突な話。

「シユラ様が咲かせたんだよ。 花を咲かせたのは、今回だけじゃないのは分かってるよな?」

その問いにハッキリと言い返せない。 枯れた色の芝生が緑を増したり、花を咲くところを少なくとも二度は見たのだから。

「・・・花が咲いたところは見ましたけど、私が咲かせたとは限りません」

「シユラ様が咲かせたんだよ。 それはね、シユラ様の青の力なんだ」

「青の力?」

何のこと?

「アマフウって、白目じゃないだろ? 白目が青だろ? それと、セイハの瞳が青だろ? セイハが風を操れるのも、アマフウが破壊を操ることも、その青の力があるから。 そしてシユラ様も同じ青の力を持っている。 青だけじゃないんだけどな」

何を突然に言うのか? たしかに、再度思うが単刀直入とは聞いた。 だが意味が全く分からない。 前置きか何かをしてもらいたい。

「待って下さい。 意味が全然分かりません。 何の話ですか?」

「シユラ様が花を咲かせたって話」

「私がそれをしたっていうんですか?」

「そう。 だからこうして話に来てる」

「それって有り得ないんですけど・・・」

次の言葉が出てこない。

「有り得なくってなに?」

「いえ・・・」

トウオウの言うことを否定したい。 だからまずトウオウの話す事を飲もう。 そして否定しよう。

「もし、もしその青っていう力で私が花を咲かせたならば、同じ青の力を持つセイハさんの風を操れるとか、アマフウさんの破壊とかとはかけ離れています」

「青の力はね春なんだよ。 春であり雷であり風であり破壊である。 ね? セイハは青の力で風を操ることが出来る。 アマフウは雷も風も破壊も操ることが出来る。
ちなみに言うとアマフウの瞳は黒だ。 黒の力は冬であり水を操ることが出来る。 シユラ様の今の瞳と同じだね。
話を戻すよ。 セイハやアマフウと違って、シユラ様の青の力は春を持っているって分かる?」

「・・・分かりません」

「強情だね」

「私にそんな力なんてないんですから」

「さっき、単刀直入に言うって言ったよな?」

「はい」

「シユラ様には力があるんだよ。 シユラ様にはオレ達五色を・・・五人を合わせた力を持ってるんだよ」

「は!?」

セイハと表現は違うが、同じことを言っているのだろう。
セイハは
『自分に力があるのを認めないってことよね? 言い変えれば自分の力を認めたってことよね?』
セイハだけならず、アマフウにも似たことを言われていた。

「どうしてそうなるの・・・」

何度も否定していた思いながらも、セイハの言葉が頭に浮かぶ。

『 「シユラは・・・理解できないかもしれないけど、シユラはムラサキなの。 あ、シユラはシユラよ。 でもね、ムラサキの血を引いているの。 ムラサキの力をね」
「シユラの知らない血がムラサキにはあるの。 シユラが理解できないことがあるかもしれないけど、それはムラサキの血のなせる業。 それは・・・ムラサキが受け継ぐ者に伝えなければいけなかったんだけどね」 』

そう言っていた。

セイハの言ったことを信じるわけでもないし、信じたいわけでもない。 だが、ここにきてトウオウも同じようなことを言う。

「シユラ様に力の有ることを自覚してもらわなくっちゃ困るんだけど?」

「・・・前にもそんなことを言われましたよね」

「うん。 言ったよ。 困るから」

「もし私に力があるとして、どうしてトウオウさんが困るんですか?」

「だよね。 そう思うよね。 でもよく考えてみろよ。 他から見て芝生しかなかったところに花が咲くって、当たり前?」

「・・・あ」

「さっきまで枯れた芝生だったのが緑を取り戻すって、どう?」

「・・・でも」

「でもじゃないよ。 芝生しかない所に花を咲かせたのも、枯れていた芝生を青々とさせたのもシユラ様の力だよ。 春の力を使ったんだよ」

「そんなことを言われても・・・」

「今のシユラ様は自分では分からないって言いたいよな。 でもこれは間違いなくシユラ様の力。 そしてさっき言った青の力は春だけじゃない。 雷であり風であり破壊である。 覚えてる?」

「・・・はい」

「シユラ様はその力を持ってるんだよ。 自分で制御できなきゃ、後々困ることは目に見えてる。 春の力で花を咲かせて人を癒すはいいよ。 その種明かしをしてほしいと言われても、何なりと考えられるだろう。 でも雷と風は違う。 分かる?」

「・・・」

「シユラ様から発せられる破壊がシユラ様の自覚なしにアチコチで力を発せられたら、一番に困るのはシユラ様でしょ?」

誰もから 『自覚』 と言われたのがコレかと、今更にして分かった。 が、分かりたくない。

「・・・トウオウさんの言うそれって、私の事じゃない―――」

「シユラ様のことだよ」

「・・・どうしてそんなことを言うんですか・・・」

トウオウになら訊ける。

「シユラ様、シユラ様はまだ未開なんだよ。 でも、シユラ様にはオレ達五人の力がシユラ様一人の力にあるんだよ」

「・・・そんなことって。 ・・・ない! 絶対ない!」

「言い切れる?」

紫揺が頭を下げる。

「花を咲かせたよね・・・心当たりがあるだろ?」

「でも!―――」

「シユラ様。 諦めようよ。 オレたちの運命としようよ。 ね、心当たりがあるならハッキリ言って欲しい。 その対処をしなくちゃ・・・力の使い方を覚えなくちゃ、北の領土以外では生きていけないよ」

「え?」

「力の使い方も勿論だけど、一番に自覚を持ってほしい。 でなきゃ、これからシユラ様の周りで起こることは自分には関係ないと思ってしまうかもしれない。
シユラ様が誰かに怒ってカッとした時、その人に雷が落ちたらどうする? 自覚が無いと自分のせいではない。 自然現象だからで終らせるだろ。
誰かがカマイタチのような傷を負った。 へぇー、カマイタチって本当にあるんだ。 って、それでいいのか? それは全部シユラ様の力なんだよ。 シユラ様がやったことなんだよ」

「・・・有り得ない」

「有り得るんだよ。 シユラ様の力を自覚してほしい」

「・・・」

「まずは実践してみないか?」

「・・・?」

「春の力は充分に見ただろうから、一番分かりやすい赤の力を試してみないか?」

「・・・赤の力って?」

「アマフウの袂を燃やしただろ? あれだよ」

「・・・私じゃない」

「んじゃ、やってみて出来なければシユラ様に力がないとしよう。 どう? 挑戦してみる? シユラ様に力がないとオレに証明してくれる?」

「・・・今ですか?」

「今すぐ」

「どうやって?」

「あの時と同じシチュエーションが良いな」

「どういうことですか?」

「おあつらえ向きに、此処に来る前にアマフウがあの使用人を睨みつけてた。 虫の居所が悪いみたいだね」

さっきは言い過ぎた。 その事に気付いて話に乗ってこないかもしれないが、アマフウと段取りをつけた以上は言ってみるしかない。

「えっ!?」

「洗濯女の子供・・・セキ」

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虚空の辰刻(とき)  第97回

2019年11月22日 22時00分58秒 | 小説
『虚空の辰刻(とき)』 目次


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- 虚空の辰刻(とき)-  第97回



「ハンの様子はどうじゃ」

誰もいない部屋でショウワが言う。
部屋の隅にドロリと影が現れた。 その影が片膝と片腕の拳を床につけている。

「はい、徐々に回復してきております」

「カミか。 ハンから離れてよいのか?」

「今はダンが見ております」

「そうか。 セノギの様子は」

「先程セノギの様子を見に行きましたが、ハンほどの回復は見られません。 セノギ自身は筋肉の衰え、疲れと見ているようです。 確かにそれもありますが・・・」

「ヒトウカの力にあたったという自覚が無いという事か」

「おそらく」

「ゼンとケミはどうしておる」

「まだ連絡がございません」

「ムラサキ様も勿論の事、ハンのことがあるからのぅ・・・。 お前たち二人でムラサキ様とハンを見てもらわねばならん。 どちらかを北の領土に送ることも出来んか・・・」

ダンもカミも夜、紫揺が部屋に入るとその場を後にしている。 その後に窓から部屋を出て行っているなどという事は知らなかった。
紫揺の個人的なことを犯すのではないと言われていたからだ。

「領主のことがお気になられるようであればダンか吾が向かいます」

「いや、構わん。 ムロイにはゼンとケミがついておる。 連絡がないという事は少なくともムロイに生死の疑いが無いという事なのだろう。
お前たちは主にセノギとハンに付いてくれ。 ヒトウカの冷えにあたるという事は人間には簡単に耐えられるものではないからな」

「主にと申されますと?」

「ムラサキ様においてはムロイから守るという事が第一。 そのムロイが居らぬのであれば今は・・・よかろう。 何か不信を感じた時に付くだけでよい」 

「仰せのままに」

言うとドロリと姿を消した。



「セキちゃん」

セキと紫揺に挟まれて真ん中にガザンがいる。 ポジションが変わった。

「はい、何ですか?」

「私・・・セキちゃんには本当に感謝しているの。 ガザンとお友達にしてくれたこともそうだけど、それ以外のところでもセキちゃんに感謝してるの」

「シユラ様とガザンがお友達になったのは私には関係ありません。 ガザンがシユラ様をお友達と選んだんです」

「そっか・・・。 そうだよね。 ガザンは良くしてくれる。 でもそれはセキちゃんが居てくれたからこそ・・・なのにセキちゃんにお別れを告げなければならないかもしれないの」

「え?!」

「ごめん、理由とか方法とかは言えないの。 それを知ったらセキちゃんがしんどくなるから。 それにもしかして、五色やムロイさん達から何か言われるかもしれないでしょ? だからセキちゃんには何も言わない。 でもガザンが協力してくれる」

「ガザンが?」

「うん。 下見に行った時もガザンは私の身を案じてくれたみたい」

下見と聞いてどういうことだろうかと思ったが、さっき紫揺は理由も方法も言えないと言っていた。 訊くと紫揺が困るだろう。

「ガザンらしい・・・」

寂しい目をしてガザンを見、そのまま口だけを開く。

「・・・此処から出て行くっていう事ですか?」

「うん。 でも成功するかどうかは分からないけどね」

「・・・」

「セキちゃん・・・もし成功したら二度と会えないと思うの。 だから此処に居てる間、セキちゃんがどれだけ私の心の支えになってくれたのかを伝えたくて」

「・・・私、シユラ様に何もしていません」

ガザンを見ていた目を下に向けると、消え入りそうな泡の声で言う。

「そんなことないよ。 もしセキちゃんが居なかったら・・・底なし沼のどん底に沈んでいってたと思う」

「そんなこと・・・」

「無くないよ。 あるよ。 でね、正直に言うね」

セキが紫揺を見て何のことだろうかと小首を傾げた。

「本当はね、初めてセキちゃんと会った後、此処から脱出するにあたってガザンの協力を得ようと思ったの。 その為にはセキちゃんと仲良くならなきゃ始まらないって思った。 で、セキちゃんに近づいたのは隠しきれない本当の事。 利用しようと思ったことにはセキちゃんに悪いなと思ってる。 
でも、それだけじゃないの。 初めてセキちゃんと会った時、アマフウさんから守ってあげたいと思った。 アマフウさん勝手に一人で怒ってるんだもん。 セキちゃんがそんなとばっちりを受ける理由なんてないもの。 だから、ここに居る間はずっとセキちゃんを守りたいと思ってたのも本当。 でも改めて言うね。 利用してゴメンナサイ」

ペコリと頭を下げた。

「そ! そんな! 止めてください! シユラ様、お顔を上げてください!」

伏せをしていたガザンが頭を上げ、ノソリと立ち上がりかけた。

「も! ガザン、ジャマ! シユラ様が見えないでしょ!」

立ち上がるのを止めることなく、ガザンが一度セキを見ると次に頭を下げている紫揺にベロン。

「わっ!」

急にきたベロンに思わず声を上げた。

「・・・ガザン」

頭を上げた紫揺がガザンを見た。

「ね、シユラ様、ガザンも頭を上げてって言ってます」

「セキちゃん・・・」

「ゴメンナサイなんて要りません。 シユラ様は私を守って下さった。 そしてお友達にもなって下さった。 私の心にはいつもシユラ様がいらっしゃいます。 ガザンの心の中にも。 だから二度と会えないなんて言わないでください。 いつも心の中にいらっしゃるんですから」

「セキちゃん・・・」

鼻の奥がツンとしたと思ったら、目に涙がドバっと溜まった。

ガザンが場の空気を読んだのかどうかは分からないが、スッと三歩前に歩いた。 紫揺とセキの間にガザンは居ない。

「セキちゃん!」

手を伸ばしてセキを抱きしめた。

「セキちゃん、本当に本当にありがとう」

「・・・シユラ様。 シユラ様・・・私も抱きしめていいですか?」

「うん! うん!」

そっと・・・紫揺に手をまわした。 暖かい紫揺の体温を腕に感じる。 民の声を聞いてくれる紫揺の暖かさだ。

紫揺にとって、誰かに抱きしめられたなんていつから無かった事だろう。 心の中の嫌なものがなくなって空っぽになる。 そして暖かい何かが流れて来て充満する。

セキが紫揺の胸に顔をうずめたまま手に力を籠める。

「シユラ様、温かい」

と、こんな時、滅多に吠えないガザンがワン、と一声上げた。

「ガザンも仲間に入る?」

紫揺が顔を上げてガザンを見ようとする前に、セキの可愛らしい頭頂部を見た。 紫揺の胸に顔をうずめていたセキも顔を上げた。

すると。

辺りがまるで花畑のように小さな可愛らしい花が咲き誇っていた。

「・・・え?」

セキが声を漏らした。

「どうしたの?」

セキの顔に問うが、セキは前を見たまま固まっている。
セキの目線を追って紫揺もそちらに向く。

「え・・・また?・・・」

怪訝な顔色をして周りを見た。

紫揺の瞳が深い青色になっているのに紫揺はもとよりセキも気付かなかった。


「シユラ様は春の力が大きいようだな」

「でも春は・・・青は破壊でもある」

「アマフウの強膜と同じか。 って、そう言えばアマフウって、強膜が青のくせして春の面が出ないんだな? 」

「悪かったわね。 アノコみたいに悠長にしていないだけよ」

「それは、それは」

「でも私の袂を燃やした赤の力があるはずなのに、あの時以降出ていない。 いつも青の春の力だけ」

「そういや、一人で五色を持ってるのに、青の春の力は見るけど、あの時の赤のちーさな炎を一度見ただけだな。 黄、白、黒の力はまだ芽生えさえしていないのか? ついでに赤は完成されてないのか?」

「分からない・・・でもそろそろトウオウにお願いしなくちゃいけないみたい」

「うん?」

「お願い事が二つになっちゃったけどいい?」

「・・・いいけど? なに?」



食堂で昼飯を済ませたトウオウ。

食堂と言ってもレストランのようなもの。 常に給仕が居て料理も和洋中、ホテル並みの料理が並ぶ。 コック長はこの土地の者、あと二人のコックは北の民、コック長に仕込まれた使用人と呼ばれる者たち。

紫揺は屋敷に来た最初の日以降、食堂には来ていない。 悪いと思いながらも食事を自室に運んでもらっている。 ちなみに給仕は断っている。

「ごっそーさん」 言うと前に座るセッカたちを見た。

トウオウの横にはアマフウが座っている。 その前にセッカ、キノラ、セイハが座っている。

「あら? 早いのね」

「まぁね。 で、セッカお姉さま、セノギの具合はどう?」

「知らないわ」

「あら、冷たい」

「病院に居る間は心配もしたわよ。 でもここに来て筋肉痛って・・・セノギのことは使用人に任せているから、心配なら使用人に訊けば?」

「筋肉痛か・・・あのセノギが言うんだから相当なものだろうな」

「筋肉痛って普通、二、三日で治まるんじゃないの?」 キノラが言う。

「セノギが大袈裟なんだよ」 今度はセイハ。

五色はセノギがヒトウカの力にあたったことを知らないから自由に言う。 勿論、アマフウもトウオウも知らない。

「そうかな? セノギは自分の身を押してでも動くヤツだ。 領主が居ないこの時にヤワなことを言うはずないんだけど?」

笑みをセイハに向けるが、その異なる双眸の奥に嘲(あざけ)りの光がある。

「え? なに? 知らない。 そうなの? だってあんまりセノギと話したことないんだもん」

「そうだろうね」

片方の口角を上げると、席を立った。

「ふーん、アマフウを置いていくんだ」 セイハが小さく言った。

言われたアマフウは茶を啜っている。 今日は海賊の女性バージョン。 全体的に紅色で時折ポイントに白が入っている。

「アマフウ、置いてきぼり?」

セイハがアマフウに言う。

「うるさい」 茶をテーブルに置くとアマフウが静かに言った。

「なにそれ? 八つ当たり? イミ分んないんだけど」



コンコン。
ドアをノックする音が聞こえた。

「はい、どうぞ」

いつもより早く使用人と呼ばれる人が皿を下げに来たと思った。 が、入ってきたのはトウオウだった。

「トウオウさん・・・?」

「やっ、昼飯終った?」

「はい」

「入るよ」

「あ、はい」

テーブルの上にあった食べ終えた食器を重ねて片隅に置く。
食器のことなど気にする様子もなく、椅子を引くと紫揺の前に座った。

「あの・・・?」

「話したいことがあるんだけど、その前に北の領土はどうだった?」

背もたれに背中を預けて足を組んだ。 紫揺はちんまりとしている。 どちらが部屋の主か分からない。

ちんまりとしている頭の中は一瞬真っ白になった。 まさかそんなことを訊かれるとは思ってもいなかったからだ。 だがすぐに復活すると異なる双眸を見つめた。 話を作るわけにもいかず、正直な感想を言うしかない。 だからと言ってリツソや狼たちのことは言えない。

まずは二つの内の一つ。

「えっと・・・。 あまり外に出てないし、感想っていえば温泉があるからいいなってことぐらいでしょうか」

「気に入った?」

「温泉なんてそうそう入れませんから。 タダで」

金銭問題を付け加える。 決して裕福な生活ではなかったのだから、ここは外せない。

「そうだね。 こっちじゃ温泉地に行くまでも金がかかるし、旅館代だってかかるもんね」
他には? と目で問う。

少し下を向いて一度口を真一文字にしてから、もう一度トウオウの双眸に合わせる。

「あの、訊きたいことがあります。 その、教えて欲しいことがあります」

「なんなりと」

トウオウの口の端が上がった。

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虚空の辰刻(とき)  第96回

2019年11月18日 21時14分00秒 | 小説
『虚空の辰刻(とき)』 目次


『虚空の辰刻(とき)』 第1回から第90回までの目次は以下の 『虚空の辰刻(とき)』リンクページ からお願いいたします。


     『虚空の辰刻(とき)』 リンクページ




                                      



- 虚空の辰刻(とき)-  第96回



闇の中を足早に動く。 月明かりが味方。 別棟、使用人と言われる人の建物まで来た。 すぐに裏に回る。 が、春樹の姿が見えない。 それどころか明かりさえもなく、手探りでその奥に居るガザンの元に行くしかないという状況だ。 頼りは月明かりだけ。

「あの時は懐中電灯があったけど・・・」

迂闊だった。 ガザンと西小門を抜ける時には懐中電灯を持っていたが今は持っていない。

「やっぱり・・・先輩来てくれなかった」

それはそうだよね、って思える。 急にあの時の時間に此処に来てと言われて、納得できないだろう。 先輩が三年の時の一年生が何を生意気に言うのか、そう思って然るべき。 当たり前。
でも首など垂れない。 お父さんとお母さんの元に帰るんだから。 先輩の元に押し掛けるしかない。 その方法をガザンに訊こう。

ガザンの居る方に足を進める。 足元がはっきり見えなくとも、此処から真っ直ぐに歩けばガザンがいるはず。 それが何歩目か目を瞑って距離感を掴もうとした時、別棟の明かりが点いた。

「え?」

明かりのついた部屋は、春樹と会った時と同じ部屋の窓だった。
と、パタンとドアを閉める音が聞こえた。

「先輩・・・?」

そう思いながらも明かりのついた窓の下に隠れた。
少しすると春樹が辺りをキョロキョロしながら姿を現した。

「先輩!」

思わず声に出して窓の下から立ち上がった。

「わっ! もう来てたんだ」

「先輩、来てくれたんですね!」

「え? 朝、言ってたよね。 言われたら当たり前じゃない?」

いや、そんなことなど思っていない。 今にも浮足立ちそうだ。 自分が犬ならブンブン尻尾を振っていたことだろう。

「・・・先輩」

熱い視線を紫揺が春樹に向ける。

「あ・・・当たり前のことだから・・・」

熱い視線に耐えられなくなって目を逸らせ、頬をポリポリと掻く。

紫揺の熱い視線と春樹の思う紫揺の熱い視線の意味は、ちょっと違ってはいるが。 そこは二人とも分かっていない。

「先輩、教えて欲しいんです」

「え? 何?」

驚いて意味なく動かしていた指を止めた。
食いつくような紫揺の姿に春樹が腰を引く。 だって、春樹にとってはそんな段取りじゃなかったから。 具体的にどうのこうのとあったわけではないが、少なくとも教えて欲しいと言われる台詞は段取りには無かった。

「先輩、此処から出ようと思ったら船しかないって仰いましたよね?」

「日本海を泳げるわけもないからね」

台詞どころか段取りにない会話・・・。 でも、年上らしく冗談を交えて・・・。 ガンバレ俺!

「でも、泳ぐわけでもなく此処から出ようと思ったら、キノラさんが船の手配をしてくれる以外ないんですよね?」

「キノラ?」

「此処の―――」 まで言うと、春樹が 「ああ」 と言った。

「珍しい苗字だよね」

苗字か名前かは知らないが、今はそんなことはどうでもいい。

「・・・はい。 でもキノラさんがそう言ってたんですよね?」

「うん。 そう言われた」

「先輩・・・。 私、此処から出たいんです」

「え? じゃあ、キノラさんに頼めば?」 至極当然に言う。

「それが不可能だから先輩にお願いしたいんです」

「・・・どういうこと?」

「お願いしておいて詳しいことは話せないって、ルール違反なことは分かっています。 でも私はここから出たい。 その手助けをしてもらえないでしょうか?」

「はっ!?」

春樹にしてみれば、最初、こんなに大きな屋敷を持つ此処の娘かと思ったが、高校時代の情報収集が得意なクラスメートの話を思い出し、それは有り得ないと思った。 次にもしかして、考えたくはないが紫揺が結婚をし、その相手の屋敷かと思った。 それが一番無難な話だ。 だが紫揺が結婚をしたなどと考えたくはない。

「一つ訊いていい?」

「はい」

「・・・君、結婚した?」

春樹にとっては勇断といえる質問だった。

「はっ!?」

が、紫揺にとっては素っ頓狂な質問である。

「君の旦那さんが此処の―――」

もう、喋るしかない。 何を言っても喋るしかない。 でないと心がもたない。

「結婚なんてしてませんから!」

なんテンポも遅れて春樹がマメ鉄砲を食らったように口を開けた。

「・・・え?」

「此処の屋敷の主人は今は居ませんけど、私が詳しく知る人ではないです」

「・・・え? え!? そうなの?」

「先輩がどう考えていらっしゃるかは分かりませんが、ゴメンナサイ。 そこの誤解も解かなくてはいけないんでしょうけど、その、詳しいことは言えなくて。 でも一刻も早く私はここから出たいんです。 先輩の協力を頂きたいんです。 駄目ですか?」

セノギが伏せっている間、そしてムロイがいない間に。

春樹を見る紫揺の目。
いや、俺・・・その目に野垂れ死にそうなんですけど? が、そんな台詞は吐けない。

「君・・・どうしたの? どういうこと?」 

紫揺が眉を寄せた。

「先輩・・・」

「なに?」

「協力を願ってこんなことを言うのは、失礼にあたると思うんですけど」

「なに? 何でも言って。 お・・・僕、何が何だか分からないよ」

「君、って止めてもらえますか? 私は藤滝紫揺ですから」

代名詞だからいいのに、代を取った名詞に敏感になってしまっている。

「・・・え・・・じゃ、ふ、藤滝さん」

苗字を呼んだ。 頼む! 苗字じゃなく、下の名前で呼んでくれと言ってくれ! 紫揺と呼んで下さいとっ。

「そう願います。 さんも必要ないほどです」

言ってくれなかった・・・。
心の中で肩をガクンと落とした。

「・・・」

いま目の前に居るのは春樹が見ていた時のあの紫揺とは違う。 あまりに強すぎる。 いや、あの時も春樹の知らない所で強かったのだろう。 でなければあれ程、舞台に上がることは無かったはずだ。 だが今の紫揺はあの時の強さとは違うものを持っている。 仔パンダのようにじゃれ合っていない。

「じゃ・・・じゃあ、藤滝さん・・・君、変わったよね?」

「君じゃありません」

「あ、ゴメン」

「先輩、スミマセン。 此処に居ると・・・」

芯が強くなる、そう思った。 だがそれは春樹に言っても始まらない事。

「なに?」

「いえ、何でもないです。 先輩、さっき言いましたけど、お願いがあります」

「え? うん、何なりと。 聞ける範囲で聞きます」

どっちが先輩だか分かったものではない。

紫揺の言うことはこういうことだった。
キノラに言って春樹に本土に帰ってもらって、その後にボートなりでここに来てもらう。 西門に。 そのボートに乗って紫揺が本土に帰る。 それを話した。

「きみ・・・じゃなくて、藤滝さん」

呼び方に慣れない。 紫揺ちゃんならすぐに言えるのに。 頭の中で何度もそう呼んでいたのだから。

「その、どうして此処を出たいの? 此処は贅沢に色んなことが出来るのに」

テニスコートもプールも馬場もある。 それを言っているのだろう。 その気持ちが分からないわけではない。

「先輩、私は家に帰りたいだけなんです」

「悪い。 訊くのは悪いと思ってる。 でも、ハッキリとさせたい。 君は・・・藤滝さんは此処に居れば、誰もが持ちたいと思う生活を出来るわけだ。 なのに、どうして?」

今の時代に携帯電話すら持たせてもらえない生活に帰ろうとするのか?

「先輩、此処は私にとっての場所じゃないんです。 私の家に帰りたいだけなんです」

「ゴメン。 確認する。 藤滝さんは藤滝さんの家に帰りたいだけってこと? それだけ?」

「はい」

「これだけ贅沢な此処を置いて?」

「私にとっての贅沢は父と母と過ごした家に帰ることです」

(イミ分んないよ・・・)

働いている風にも見えない。 なのにこれ程に贅沢なことはない筈なのに、どうしてそれを蹴るのか。

「何度も訊いてゴメン。 でも、協力するにあたって、お・・・僕の中で納得したいことがある」

「はい」

刺すような視線を春樹に送ってくる。

(や、やめてくれよその目。 あのパンダが団子になっている時の目をしてくれよ)

高校時代の屈託ない紫揺の目を思い出しながら、心の中で呟き僅かに瞳を上に上げた。

「藤滝さんは此処で働いてないの?」

「はい」

「という事は・・・何処で寝泊まりしてるの?」

この別棟は使用人の住まいと、春樹のような人間の寮だと聞かされていた。 働いていないのならばどこに居るのか?

「あの屋敷の三階に居ます」

「え!?」

屋敷に居るという事は、やはり此処の力のある何某なのではないのか?

「私は・・・働いてもいませんし・・・」

何か説明をしなくてはと思うが、それ以上何も言えなかった。

「そ・・・そうなんだ」

そうなんだ、と何を納得したのだろうか。 だが、少なくともこの屋敷の人間に嫁いできたわけではない。 では何故、働きもしていないのにこの屋敷に居るのか?

「先輩! お願いします! 此処から出る為の協力をして下さい!」

「うん・・・。 君がそう言うなら惜しむことはないけど」

何がどうなっているんだ?

「先輩、さっき言いました。 私は君ではないです。 藤滝紫揺です」

「あ、ハイ。 藤滝さんだよね」

分かってはいた。 だが敢えて君と言った。 何故なら、紫揺から紫揺と呼ぶようにと言って欲しかったからだが、またもやフルネームで言われてしまった。

(俺って、心狭ぇー) 思いながらも紫揺の話を聞く。

「先輩、此処に来て間がないことは分かっています。 そんな時にこんなお願いをするのは申し訳ないんですけど、一日でも早く家に帰りたいんです」

来て早々、本土に帰るから船を出せなどと・・・。

「いや、いいよ」

少しでも渋ると思っていた。 なのに軽く返事が返って来た。

「え?」

「でも藤滝さんの言うやり方ではなく、専門学校の時の友達に親父さんが船舶の免許を持ってるヤツがいてさ、今は実家に帰ってるはずなんだ。 たしか実家が福井って言ってたと思う。 ここからそんなに遠くないしさ、そいつに頼んでみる。 藤滝さんには悪いけど、さすがに来て間なしの俺・・・僕がキノラさんに頼むのも言い辛いしね。 それと親父さんの都合もあるから、明日、明後日と言われたら無理と思うんだけどそれでもいい?」

喫煙も携帯も禁止されていたが、どちらも簡単に違反していた。 来て早々、アンテナが立っているのも確認していた。 だからと言って禁止されている携帯。 此処に来て今まで何処に連絡を入れたわけではないが連絡はつくはずだ。

「・・・先輩」

とーっても感謝されてる熱い視線を感じる。 出来ればその感謝を胸に刻んでおいて欲しい。

「先輩、僕じゃなくて俺でいいです」

「・・・はい」

一日でも、一時間でも早くお願いしたいと言い残した紫揺。 だが、脱出は夜にしたいとしっかりと言った。 セノギとムロイが居なくともあのお婆さんと五色が居る。 目立つ昼間にはしたくない。

翌日もまたこの時間に此処で、と約束して春樹は部屋に戻り紫揺はガザンの元に向かった。

「何がどうなってんだよ・・・」

部屋に戻った春樹が後ろ手に戸を閉めるとその場で言った。

「と、とにかく連絡」

部屋に入ると隠しておいた携帯を手に取った。



「悪い。 新しいリストだ。 これでいってくれ」

何枚ものコピーを渡した。

「阿秀・・・大丈夫ですか?」

阿秀から手渡されたメモを受け取ると野夜が言った。 阿秀の顔色が悪い。

「ああ、何でもない」

「此処からは俺らが動きます。 阿秀は休んでいてください」

「ああ。 悪いな。 最初に渡したリストで残っている所には★マークを付けておいた。 前のリストは捨ててくれていい」

「分かりました」

「★マークは福井方面だが、新しいリストは更に北を書いている。 前に探したより南は有り得ない気がしてきた。 だが、先に★マークから探してくれ」

「阿秀・・・訊いていいですか?」

訊きたくないが訊かずにはいられない。

「なんだ?」

「日本から出たとは考えられませんか?」

阿秀が悪い顔色を更に悪く変える。

「醍十が言っていました。 日本から出てしまってはどうにもならないと」

阿秀を責めて言っているのではない。 真実を知りたいだけだ。

「・・・私には分からん。 だが、可能性のある所から潰していく。 それは何の情報もない今の状況で考えられる範囲での近場からだ。 お前たちには無駄足を多く踏ませているのは分かっているが、それでも今はその方法しかない」

「・・・分かりました」

阿秀も日本から出たのかもしれないと考えているのだろう。 でも希望をもって洗いやすい日本の島や海岸沿いの場所をリストに起こしている。
阿秀も分かっていると思う。 海岸沿いとは限らない事と。 船を降りて車なり飛行機で移動したかもしれないと。 

だが阿秀には独唱や此之葉の足元にも及ばないが、古(いにしえ)の力が僅かにある。 阿秀の先祖に古の力を持つ者がいたからだ。 阿秀自身は鼻が利くとか目が利く、感が利く程度のものだが。 その力を集中させてリストを作ったのだろう。 疲れても仕方あるまい。

リストを持ってホテルを出ると待っていた者達に手渡す。

「まずは★マークからあたってくれ。 今まで洗ったより南には居られないような気がすると阿秀が言っていた」

野夜から渡されたリストを見て各々口々に言う。

「更に北ってか?」

「最北は佐渡島?」

「★マークって前のリストにもあったよな」

それぞれに言いたいように言わせる。 そして間をおいて

「★マークは前のリストにもあって、まだ調べられていない所だ。 阿秀はそこからあたってくれという事だ」

「★マークは京都と福井か・・・」

「島は緯度経度で探せば見つかるはずだ」

リストには河岸沿いには住所、島には緯度経度が書かれていた。



ムロイの手が動いた。

「領主!」

ずっと横に居た薬師が思わず叫んだ。

「領主! お気づきですか!?」

「うぅぅ・・・」

北の領主であるムロイが眉間に皺を寄せ、喉から声を出した。

「薬草を塗ってはおりますが身体の痛みはまだあると思います。 ですが気を確かに持ってください。 さぁ、この粉薬を」

そう言うと、匙で粉薬を取り口に入れる。 その後に水を飲ませる。

「これで痛みは少々楽になるかと思います」

ムロイの姿は沿え木が肩と足に、そして不自然に鼻にも当てられ、その顔も打撲で青じんでいたり腫れたり切り傷があったりしている。 手足や身体にも打ち身の後がある。

「ご安心ください。 マツリ様が領主のお身体を診てくださいました」

マツリと聞いて瞼の腫れている領主の目が僅かに開いた。

「マツリ様からのご伝言です。 待つ、と仰っておられました」

それを聞いたムロイ。 薬師から見て全身の力が抜けたように見えた。 ムロイはそのまま、また眠りについた。

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虚空の辰刻(とき)  第95回

2019年11月15日 22時23分29秒 | 小説
『虚空の辰刻(とき)』 目次


『虚空の辰刻(とき)』 第1回から第90回までの目次は以下の 『虚空の辰刻(とき)』リンクページ からお願いいたします。


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- 虚空の辰刻(とき)-  第95回



セイハの言うムラサキ、それは紫揺の祖母である紫のことなのだろうか?

「お婆様の?」

「お婆様かどうかは私は知らないけどその血を引いているの。 シユラの知らない血がムラサキにはあるの。 シユラが理解できないことがあるかもしれないけど、それはムラサキの血のなせる業。 それは・・・ムラサキが受け継ぐ者に伝えなければいけなかったんだけどね」

「どういうことですか? お婆様が私に伝えなかったという事ですか?」

「そうね」

「私が生まれる前にお婆様は亡くなっていました。 もしその話が本当だとしても、お婆様が私に伝えることなど出来ません」

「ムラサキの命(めい)はそんなに簡単なものじゃないわ。 勿論私たち五色もね。 命は受け継がれなくてはいけないのよ」

どういうことだ。

「シユラが生まれる前にムラサキが亡くなったとしていても、誰かがムラサキの命を聞いて受け継いで、シユラに聞かせなくちゃいけなかったのよ」

シユラはそれを聞いていないんでしょ? と言いたげに紫揺を見る。

「・・・お婆様のお話は母から聞いていました。 でも・・・」

「ムラサキの力の話は聞いていなかったってことね」

「そんなこと・・・」

「何のお話かしらっ? うるさくて集中できないんですけど?!」

気が立っているキノラが階段から降りてきた。 相変わらず手にはファイルを持っている。

「あら、お姉さま。 春樹はどうですか?」

「・・・どうして新人を知っているの?」

「あらやだ、お姉さま方が新人の面接に行ったことは知ってますよ。 それで初目の顔を見たら新人って分かるし、ネームプレートを見れば名前も分かるってこと」

「セイハ、貴方は仕事に関係ないの。 新人にちょっかいを出さないでちょうだい」

「あら、やだ。 ちょっかいだなんて。 でも、紹介してほしいな。 彼、イケメンだし、一度話したいから。 ね、キノラお姉さまいいでしょ? 紹介して」

「馬鹿を言うんじゃないわよ。 この地の人間と話すなんて」

「お姉さま、この地なんて、シユラが居てるんですから控えてもらわなくっちゃ」

セイハの言いように紫揺もキノラも眉を顰めた。

「もう、分かっているわよね?」 キノラが紫揺を見る。

「はい・・・」

この地と北の領土という地の違いは分かっていた。

「え? シユラ、そうなんだ」

「当たり前でしょう」

紫揺ではなくキノラが答えた。
北の領土の文化が此処、この地と全く違うのだから、そこから何らかのことが分かっているはず。

「シユラのことは今はいいから、ね、キノラお姉さま? 彼を紹介してくれない?」

「馬鹿も休み休み言いなさい」

そう言うとサッサと一階にあるムロイの仕事部屋に足を運んだ。

「なにアレ? サイアク。 ねぇ、シユラ」

紫揺を見るが紫揺はセイハを見ていない。


セイハの言った言葉

『シユラ様が生まれる前にムラサキが亡くなったとしていても、誰かがムラサキの命を聞いて受け継いで、シユラに聞かせなくちゃいけなかったのよ』

それは亡くなる前、紫揺の母親、早季が言ってたことなのだろうか。

『紫揺ちゃん・・・紫揺ちゃんが二十歳になったら話そうと思っていたことがあるの。
でももう、紫揺ちゃんに話したほうがいいかもしれない。 お父さんとお母さんが旅行から帰ってきたら話すわね。 その時にお母さんの名前の由来と紫揺ちゃんの名前の由来も話すわ』

そう言っていた。
それがそうなのだろうか。

「シユラ?」

セイハが紫揺を覗き見る。

「あ・・・」

「何か思い当たるところがある?」

「ない。 ないです」

母親である早季の手落ちなどと思われたくない。

「ふぅーん・・・。 まっ、ムラサキは特別―――」

「お黙りなさい」

聞き覚えのある声がした。
紫揺とセイハが声のした後方を振り返る。

やっぱり、しっかり、そこに腕を組んだアマフウがいた。
今日のコスチュームは制服だ。 それはセーラームーンのように超ミニではない。 膝下まであるワンピース。 分かりやすく言うと、今にも聖歌を歌いそうな清純な制服。

「なに? ここでアマフウに入ってほしくないんだけど」

「セイハ、アナタの考えていることに、コノコを当てはめるんじゃないわよ」

「はっ!? なにそれ?」

「コノコから退きなさいと言っているの」

「イミ分んないんだけど」

「意味が分からないのなら、今すぐここから消えなさい」

セイハとアマフウの睨み合いに、アマフウ曰くの紫揺がドヘドを吐きたくなる。

(なに、コレ。 ガザン助けてよ)

助けを求められたガザンは遠くで大イビキをかいて寝ている。 スーパーマンならず、スーパーガザンにはなれないようだ、

心でガザンに助けを求めても返事はない。 当たり前か・・・。 紫揺が大きく息を吸った。 そして長く息を吐いた。
セイハに母親である早季の手落ちとは思われたくない。 セイハがそう言いたかったのかどうかは分からないが。

「セイハさん!」

思ってもいない大声になってしまった。
紫揺の声に言い合っていた二人が驚いて紫揺を見た。 紫揺もこの大声に自分でさえ驚いた。
だが、そんなことは言ってられない。 ゴクリと唾を飲んで紫揺が続ける。

「私には時間がなかった。 お母さんにもお婆様にも。 誰も私に伝えることは出来なかった。 でもそれはセイハさんの言うことが前提であって・・・」

前提じゃない。 ちゃんと母親である早季は旅行から帰ったら話すと言っていた。 でもその旅行先の事故で亡くなってしまった。

セイハの言う事と、早季の言うことが同じなのかそうでは無いのかは分からないが・・・でもきっと同じだろう。 そう感じずにはいられない。 セイハの言うところの、ムラサキの力のことだったのだろう。

「アナタ、何を言っているの?」 アマフウが言う。

「いや・・・だから・・・」

「言いたいことがあれば言いなさいって言ったでしょう!」

いや、それは馬車の中だけの話じゃないんでしょうか? と、アマフウの声に冷めてしまった紫揺が思う。

「アマフウ! シユラの話を最後まで聞いてあげればいいじゃない!」

「コノコの話を最後まで? 何日かかるのかしら?」

「ずっと待ってあげればいいでしょ?」

「気のないことを吐くんじゃないわよ」

「何を言うのよ!」

「アマフウ止めろ!」

セイハとアマフウの間にトウオウの声がした。

「何やってんだよ!」

アマフウの腕を取ると引っ張り、この場を後にしようとした。

「離してよ!」

「お前、頭を冷やせ」

アマフウに言うとセイハを睨みつけた。

「セイハ、頭に乗るなよ」

トウオウから向けられるオッドアイが深く冷たく光った。 これほど怖いものはない。
だがトウオウの目に凍えながらも言い返すセイハ。

「シユラに教えようと思っただけじゃない」

「それが大きなお世話って分かってないのか!」

「トウオウ・・・やめて」

そして小声で言った。 「そんな話じゃないから」と。

「アマフウ・・・」

「お願い。 もう少し待って。 堪えて」

「そっくりそのままアマフウに返すよ」

「なにそれ? 私は紫揺のことを第一に思ってるのに、トウオウとアマフウのラブラブを見せたいわけ? サイテー」

「アナタが第一に思ってるのはアノコの事じゃなくてアナタ自身の事でしょ!」

「やめろって」

トウオウがアマフウの肩を抱いて階段を上り出した。

「シユラ様、部屋に戻れ」

アマフウの肩を抱きながらトウオウが肩越しに紫揺に言う。

「なっに! ムカつく! 言うだけ言って、ハイそれまで? 馬鹿にしてんじゃないわよ!」

怒り心頭のセイハの後姿を見た紫揺。 セイハがどうのこうのではない。 母親の早季のことを思っている。

「シユラ! あの二人の悪口を語り合おうじゃない!」

未だに怒りが収まらなく振り返って紫揺を見た。

「セイハさんごめんなさい」

「はっ!?」

「一人で部屋に戻ります」

「トウオウの言うことを聞くっていうの? 私の―――」

「そうじゃないです。 誰のことを聞くっていう訳じゃないです。 ただ、考えたいだけです」

「ふーん・・・。 何を考えるの?」

針の目のような、猫の目のように紫揺を見る。

「分かりません」

何を考えたいかをセイハに言うと時間の無駄になると思った。

「分からない?」

「はい。 何もかもが分からないです」

正直な話だ。 今は何もかもがこんがらがっている。

「そう、じゃ、整理できたら話してね。 ここでは私とシユラが何もかも分かり合ってるんだからね。 いつでも相談して」

それってナニ? そう思いながらもニコリと応える。

「その時にはお願いします」

ああ、自分・・・悪魔になった。


部屋に戻っても考えることなどない。
いや、ある。 でも、ない。

何故か。

今更何を考えてもそれは過去の事。 花を咲かせたり、枯れた芝生を緑にしたり、アマフウの着ている着物の袂を燃やしたりなど、全ては過去の事。 それにさっきセイハが言ったムラサキの血や力を引いているという命を、誰かが伝えなくてはいけなかった。 確かに聞いていない。 でもそれは、旅行から帰ってきた母が話す筈だった。 絶対に。 だから何もかも過去の事。
今は前だけを見る。 あるのはこれからのこと。 この島からの脱出のことだけ。

「先輩・・・来てくれるかな」

朝会った時に一方的に言った。

『今日も昨日の時間にあの場所に行きます。 来てください』

「先輩の気持ち完全無視で言ったし、仕事で疲れてるだろうから、ウザったいって思われたかなぁ・・・」

キノラの苛立った姿を思い出すとそれがセノギに対してなのか、仕事に対してなのかは分からないが、もし、仕事に対してなのなら、春樹も忙しいだろう。

と、セノギのことを思う。

「今日も姿を見なかった・・・」

あのセノギなら筋肉痛などで、臥せっているはずはないのに。

「常人なら身体を痛めつけた後、一週間はシップ貼りたくりの世界だろうけど、セノギさんならシップに頼ることなく起きることが出来るはず」

気合で。

ましてやムロイがここに居なく、北の領土に残っているのだから。

「まだ起きられない?」

セノギがなんとか病院から出てきたものの、ヒトウカの冷えにあたってしまったことに対する回復はまだ十分ではない。
セノギがヒトウカの冷えにあたったことなど紫揺は知らない。 それにムロイも帰って来ない、と思う。

「オカシイ・・・」

いや、と自分を言い聞かす。

「そんなことどうでもいい。 私はここから出るんだから。 先輩から訊くしかないんだから」

セノギに恩は感じている。 自分の我が儘をいつも聞いてくれていたのはセノギだ。 でもそのセノギも自分を誘拐した一味の内の一人だ。 心を鬼にするしかない。 そうでないと自分は家に帰ることが出来ない。 父と母の遺骨はまだそのまま放置状態だ。

「お父さん、お母さん・・・お水も添えられなくてごめん。 喉が渇いてるよね。 お腹もすいてるよね」

炊き立てのご飯を何日添えられなかったのだろうか。 お水もどれだけ添えられなかったのだろうか。

「ごめんなさい。 でも、すぐには無理だけど、一日でも早くお父さんとお母さんの居る家に帰るから」

春樹に訊くしかない。 頼るしかない。 それを春樹が受け入れてくれるかどうかは分からないが、先のことは春樹に頼る以外にない。 そしてそこまでのガードはガザンに頼るしかない。
春樹とガザン。 二つ巴ではないが、今の紫揺にはこの一人と一匹しかない。 他に何もない。

「先輩が来てくれなかったら・・・嫌われてもいい。 押しかけるしかない」

紫揺が腹を括ったようだが、トンデモナイ。 春樹は両手を広げてカモーンと紫揺を迎える体勢だ。


夜になり帰って来る時の準備として窓の近くに掛布団を敷くと、窓から木に跳び乗った。 最初は履き慣れない靴で枝から滑って恐い目をしたが、今はもう慣れたものだ。

木の枝に跳びつくといつも通り隠している綱を下す。 そしてスルスルと幹から降りる。
トン、と足を地に着けた。

「先輩、居てくれるかなぁ・・・」

不安がありながらも、使用人と言われる人たちがいる建物に向かう。 そこの裏にはガザンもいる。
もし、春樹がいなければ、ガザンに会いに行ってガザンの意見を聞こうと思っていた。

ガザンが何を言いたいかはセキにしか分からない。 紫揺には分からないが、それでもガザンの考えを仰ごうと思っていた。

屋敷を仰ぎ見ると今日は何処の部屋にも電気は点いていない。

「みんな寝てる」

だが、そこで安堵できない。 充分に気を付けなければいけない。 此処に居て猜疑心が磨かれた。
陰に隠れて春樹との約束の場所に足を向ける。

「先輩、居てくれるかなぁ・・・」

再度同じ言葉を口にした。
出来るならば、押しかけなどしたくない。

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虚空の辰刻(とき)  第94回

2019年11月11日 21時45分11秒 | 小説
『虚空の辰刻(とき)』 目次


『虚空の辰刻(とき)』 第1回から第90回までの目次は以下の 『虚空の辰刻(とき)』リンクページ からお願いいたします。


     『虚空の辰刻(とき)』 リンクページ




                                      



- 虚空の辰刻(とき)-  第94回



「ガザン!」

ガザンの元に走りついた紫揺がガザンの首にギュッと両手をまわした。

「グブゥ―」

思いがけない歓迎ヘッドロックもどきであった。 喉が絞められる。

「あ、ごめん」

昨日の出来事でガザンと紫揺の間にあった溝が無くなった。 それはガザンにはない溝であって、紫揺が勝手に作っていた溝だった。

セキはそんなことを言わなかった。

ガザンを貸してほしいと言った時
『シユラ様はガザンのお友達です。 ガザンがシユラ様をお友達に選んだんですから。 ベロンってシユラ様のお顔を舐めました。 ガザンに用がある時にはシユラ様がガザンに言ってください』そう言っていた。

ガザンのことを誰よりも分かっているセキ。 セキのお墨付きのガザンは、紫揺との関係を紫揺より先にガザン自身が確立していた。

「ガザン聞いて! ここが何処なのか何となく分かったの。 でね、昨日ガザンが唸った人が居るでしょ? 今晩も来るから絶対に吠えないでね」

「ブフゥ」

不満げにガザンが言う。

「これからのことを教えてもらうの。 だからガザンが吠えたらそれが訊けなくなるから。 ね、お願い」

紫揺に背を向けてゴロンと寝転がった。

「ガザン・・・」

「あれ? シユラ様、お早いんですね」

セキの声がした。
振り向くとセキが居た。

「あ、セキちゃん」

ガザンの様子を見てセキが一言いった。

「あ・・・ガザン、おヘソを曲げていますか?」

さすがガザンのことを何もかも分かっているセキだと思う。

「・・・そうなの。 怒らせたみたい」

「シユラ様、ガザンは怒っていません。 おヘソを曲げているだけです。 お散歩に出たらご機嫌もなおります。 朝ごはんはとっくに終わりましたから、今からお散歩に出ても大丈夫です」

「あ、じゃ、一緒にお散歩に行ってもらえる?」

散歩は常にセキと一緒だ。

「ごめんなさい。 これからお洗濯物があるから・・・」

「あ、そうだよね。 こっちこそごめん。 じゃ、セキちゃんのお仕事が終わってから―――」

「その必要はないですよ」

「え?」

「待っていただくのは嬉しいですけど、シユラ様がガザンのお散歩をして下さって、ガザンのおヘソを真っ直ぐにして下さったら、私の手が空くまでにガザンのおヘソは真っ直ぐになります」

言いながら、今にも笑いそうな顔を堪えている。

「え? いいの?」

二人と一匹のお散歩でなくて・・・。

「ガザンのおヘソが曲がったままでは私も心配ですから」

「あ・・・うん! そうする! セキちゃん・・・有難う」

促してくれているのだ。

セキには感謝してもしきれない。 それは分かっているが、うーんと年上として考えさせられるところがあるのに、正直に『うん!』と言った自分に肩を落としてしまう。 自分はもう・・・いつの間にか二十歳になっていた。 でもセキはまだ子供。 そんな小さな子に二十歳にもなった自分が教えられ、それへの返事が『うん』だ。 情けなくもなるだろう。

「じゃ、行きますね。 ガザンをお願いします」

そう言ってセキが走って行った。

肩が再度落ちた。
自分は何もしていないのに、小さなセキがこの屋敷の洗濯物を母親と分担して一日中働いている。

「・・・情けないなぁ」

ベロン。

ガザンに顔を舐められた。


「ふぅーん、あれが紫揺ちゃんの言ってた土佐犬か」

窓越しに紫揺とガザンの散歩姿を見た春樹。

「春樹さん! 何をしているの! 席に着きなさい!」

セノギが未だに臥せっている。 ましてやムロイも居ない。 そのイラつきがあるのかキノラが声を荒げた。

「あ、はい」

窓から目を外して、我が席に着く。 その目の前にはコンピューターが二台、横にも一台ある。  起動させるとすぐに値動きを見る。 頭をフル回転させる。


「ガザン、夕べはアリガトね」

ガザンのリードを持ちながら紫揺が言う。

「ね、あの時、獅子が出たの? ガザンが追い払ってくれたの?」

問うがガザンは知らぬ顔。

「・・・だよね」

ガザンの散歩ではなく、紫揺がガザンに散歩をしてもらっている形の散歩だったが、ガザンの足の方向が変わった。

「え? あれ? なに?」

ノロノロと歩いていたガザンが四肢を大きく早く動かす。

「ちょ、ちょっと、ガザン!」

リードを引っ張るが、紫揺の力などガザンの足元にも及ばない。 足を踏ん張るがガザンに引っ張られていく紫揺。

「ガザン、落ち着いて! お散歩ならちゃんと付き合うから、ちょっと止まって!」

言う紫揺の声など聞こえていないかのようにガザンが進む。

「止まってってば!」

こんな時、セキならどうするのかと頭の中にそれが走るが、その答えを抽出できない。 リードを引っ張ることで精一杯だ。

「もう! ガザン!」

身体をそっくり返らせながら、リードを引っ張っていた紫揺が諦めて引っ張る手を緩め姿勢を元に戻した時、その目の前には西の小門があった。

「・・・え?」

門の向こうでグルゥゥという唸り声が聞こえる。
獅子だ。 獅子の唸り声だ。

「・・・あ」

一つ閃いた。
セキはガザンの朝ご飯はとっくに終わったと言っていた。

「・・・もしかしてそういうこと?」

紫揺がガザンを見ると思い込みかも知れないが、ガザンが呆れたといった具合に溜息を吐いたように見えた。

「ガザン、これから厨房に行くからお散歩なくて―――」

まで言うと、ガザンが走り出した。

「え! ウソッ!」

リードを持っている紫揺も全速力だ。

「ガザン待って!」

四足の疾走に二足が追いつくはずがない。 リードという命綱ではないが、それがなければ置いてきぼりを食っただろう。
必死にガザンの後を追うと、ガザンが使用人達の住む建物の裏に入っていつも居る自分の位置に戻ると涼しい顔をしてお座りをした。 運動不足の紫揺は肩で息をしている。

「ガザン・・・戻るならそう言ってよ・・・」

息が荒れすぎて吐きそうだ。 リードを持つ手はリードを木に掛ける元気もない。
ほぼほぼ倒れている紫揺にガザンのベロンが舞った。 そしてベロンでは終わらず初のベロベロ攻撃が始まった。


立ち直った紫揺が厨房に向かった。

「ライオンの、獅子の餌を上げましたか?」

厨房に居る人間に言った。

「・・・あ」

ガザンの朝ご飯はセキが催促にやって来るから、忘れることなどないであろう。 だが獅子の事は誰も気に留めていない。 それに餌自体が調理する必要のない生肉なのだから、ついうっかり忘れることもあるだろう。

領主も居ない、セノギも居ない。 それが数日続いた。 使用人と言われる人間の気が緩んできたのは当たり前だ。

「獅子がお腹を空かしているようです。 餌を与えてください」

「あ! はい!」

改めて厨房の人間の目を見た。 ムロイと同じ薄い灰色の瞳だ。 そしてセキとウダと、北の領土で見た人間と同じ瞳の色だった。

(この人達もあの領土の人達か)

そう言えばと、二人の瞳が浮かんだ。

(セノギさんとニョゼさんは他の人達より青味がかってる)

ニョゼは才女だということを聞いていた。 本人が言ったわけではないが、経歴を聞くと明らかに才媛。
そしてセノギにおいても、ムロイの秘書とは直接的には聞いてはいないが、それに比肩する仕事をしているのだろう。 でなければムロイが愚鈍な者を、平凡な者を手元に置くはずはない。 セノギも才子に違いない。

という事は、北の領土の人間の瞳は薄い灰色。 そしてぶっちゃけて言っちゃえば、頭のいい人、機転の利く人はその瞳に青味がかかっているのかもしれない。

(・・・だから、どう)

自分が何を考えねばいけないか分からなくなってきた。 まるでスクランブル交差点のど真ん中に立ち尽くしてしまったみたいだ。

テレビのコマーシャルで見ただけで行ったことは無いけど。

目の前でライオンの餌の準備をする姿を目に映しながら、その場を退いた。

「・・・ああ」

そうか。 やっと分かった。
ガザンは獅子の食事の心配をしていたんじゃない。 いつ紫揺が門から出ても安全であるよう、獅子の腹を満たせようと思ったんだ。 ガザンにとって獅子を黙らせることは出来るであろう。 でも万が一を考えたのだろう。

「なんで、すぐ気づかなかったんだろ」

ガザンが紫揺のことを思ってくれていることに、脱出計画に協力的であることに。 そして何にも気づいていない紫揺にガザンが呆れたという風に溜息を吐いたことが事実だったのだろう事に。

「いや、無理でしょ。 そこまで考えてくれる犬に会ったことないもん」

言い訳ではない。 現実的に、一般的にそうなのだから。 ガザンが特別なのだから。
考えながら歩を進めていた紫揺が大階段まで歩いてきていた。

「セキちゃんってすごいな」

ガザンが何を考えているかお見通し。 紫揺のように一般論から考えない。

「シユラ見っけ」

え? と下げていた頭を上げると目の前にセイハが立っていた。

「あ、お早うございます」

「オハヨ。 ね、ちょっと前に新人と喋ってたでしょ?」

「え?」

「知り合い? な訳ないよね?」

新人と言われて春樹のことだと分かる。 紫揺自身も春樹に挨拶をされて色んなことを考えたのだから。

「朝の挨拶をしただけです」

見られていた。 平静を装うしかない。

「ふーん、そうなんだ。 でもアイツかっこいいよね。 紹介してくれない?」

「え? 紹介って・・・。 今日初めて挨拶をしただけだから・・・」

「へぇ、そうなんだ。 でも顔繫ぎはしたよね? たしか、ネームプレートに春樹って書いてあったっけ?」

「・・・よく見ませんでした」

先輩は“春樹” という名なのだと知った。 夕べ自己紹介をされたが、あまりのことに頭に残っていなかった。

「私も朝すれ違ったけど、挨拶がなかったんだけどな。 どうしてだろうね?」

「他人(ひと)が何を考えてるかは私の知るところではありませんから」

「へぇー。 エラク哲学的なこというのね。 ふーん。 ・・・それより、芝生に花を咲かせたんだってね。 現場を見られなくて残念だったー」

「それは私のしたことじゃなくて―――」

「シユラがしたの」

さっきまでのお道化た顔から、まるで睨みつけるような表情に変わった。

「私、何もしてませんから」

尻すぼみになることなく、最後までハッキリと言った。

「それだけ言いきれるってことは、逆に自覚があるのよね?」

ずっと尻すぼみで話していた紫揺が言い切るのはそういうことだと、セイハが言う。

「え?」

「自分に力があるのを認めないってことよね? 言い変えれば自分の力を認めたってことよね?」

「セイハさん、何が言いたいんですか?」

「セイハの言う通り!」

階段からパチパチパチと拍手が下りて来た。 その拍手の主はトウオウだ。

「あら、アマフウと一緒じゃないの?」

アマフウを迎え入れる目など持っていないが、一応訊いてみたようだ。

「アマフウ? さぁ、見ないな」

よっ、と言って、最後の三段を跳び下りた。

「あら、珍しい。 喧嘩でもしたの?」

「喧嘩も何もしてない。 単に見ないだけ。 で? シユラ様は花を咲かせたのを自分がしたと思ってないわけ?」

「当前です」

「さっきセイハが言ったけど、その理屈、ビンゴじゃないのか?」

「理屈って・・・」

眉を顰めてセイハがトウオウを見る。

「・・・だから何なんですか? だったらどうなんですか? 万が一、私がそうしていたらどうなんですか!?」

ああ、キレるんじゃない。 抑えろ私。 紫揺が心の中で言う。
やっとこの島から出られる突破口としての春樹という人物、糸口が見つかったというのに、今問題を作ってどうする。 日本海にある島。 孤島と知ったが、どこかに何か脱出の方法があるはず。 それなのに今、こんなことで問題を起こして脱出の機会を失いたくない。

「ふーん。 前より自覚は出来たみたいだな」

「だからっ! そんなことは―――」

「トウオウ、どこかに行ってもらえない? 私は紫揺とだけ話したいんだけど?」

「それはそれは、失礼しました。 んじゃ、オレは消えるな」

言うと踵を返して屋敷のドアから出て行った。

「セイハさん、その手の話なら話す気はありませんから」

「・・・シユラ強くなったね」

「え?」

「ずっと・・・そこまでハッキリ言わなかったじゃない? いっつも尻すぼみに言ってたじゃない? 自分の言いたいことをハッキリと言わなかったじゃない?」

「あ・・・でもそれは、心当たりのないことを言われて、それで・・・」

「今は心当たりがあるんだ」

「それは・・・」

尻すぼみになる。

「シユラ、それってシユラに自信がないだけじゃないの?」

「え?」

「シユラに自信がないから、自分が何をしたのかの自覚が無いんじゃないの? 認めたくないと思ってるんじゃないの?」

「・・・でも」

人技ではないことを出来るなんて誰も考えないだろう。

「シユラは・・・理解できないかもしれないけど、シユラはムラサキなの。 あ、シユラはシユラよ。 でもね、ムラサキの血を引いているの。 ムラサキの力をね」

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虚空の辰刻(とき)  第93回

2019年11月08日 21時37分49秒 | 小説
『虚空の辰刻(とき)』 目次


『虚空の辰刻(とき)』 第1回から第90回までの目次は以下の 『虚空の辰刻(とき)』リンクページ からお願いいたします。


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- 虚空の辰刻(とき)-  第93回



『葵高校は、葵、つまりタチアオイの意味を込めて付けた校名であります。 タチアオイは上に伸びて行き、そして花は大きく色とりどり。 その様に生徒の諸君にもなってほしい。 諸君一人一人がいろんな色を持ち学び、空に大きく羽ばたいて欲しいと願いを込めて付けた校名であります』

入学式と卒業式の時に力説して聞かされる校長の決まり文句であった。


紫揺の後姿を見送った春樹。 パタンと後ろ手に自室のドアを閉めた。

「おい・・・ウソだろ」

さっきは平気な顔をして紫揺と話していたが、本当は心臓が今にも口から飛び出しそうだった。

恋をしていた相手、その紫揺が目の前に居て、話したこともなかったのにここにきて二人っきりで話した。 それも喧噪の街中なんかじゃない。 波の音が遠くに聞こえ、月明かりがあるこれ以上ないシチュエーションで。

ただ、内容は甘いものではなかったが。

高校を卒業した後もずっと紫揺のことを想っていたわけではないし、専門学校では彼女もいた。

今はもう別れたけど。

「相変わらずジャージ着てんだ」

やっと頬が緩んだ。

ドアに鍵をかけ靴を脱ぐと部屋の中に入る。 ポケットから煙草、ライター、携帯灰皿を出しテーブルに置いた。 どっかりとその場に座る。 フローリングの部屋にカーペットが敷かれてあり、その上に小さなテーブルがある。

家具は最初っからあったもので、春樹が持ってきた物ではない。 ちなみにワンルームでベッドも同じスペースにあり、簡単な台所は少し奥まったところにある。 風呂とトイレは共同で食事は一階の食堂で提供される。

「あ、あれ? でもどうしてここに居るんだろ・・・?」

それを訊かなかったと今更ながらに後悔した。

春樹と違って質問をするだけした紫揺。 最後に

『これ以上あっちに行っては土佐犬に吠えられますよ』そう言い残して戻って行った。

此処に来てほんの数日と言えど毎夜、禁止されている一服を吸うのが一つの楽しみであったが、昼間に此処に来たことなどない。 土佐犬がいることなど知らなかった。

ちなみに部屋で吸わないのは、部屋に臭いをつけてしまうことを敬遠したからである。

「え? ・・・犬? それも土佐犬? 闘犬?」

今更ながら紫揺の言ったことを思い出した。

紫揺の台詞を思い返す。
『グゥゥゥ・・・』という声が聞こえた。 だから
『え? 何の声?』と言った。 その声は腹の底からの声に聞こえた。
すると紫揺がすぐに言った。
『ガザン、大丈夫。 心配しないで』と。

その後にも何やら唸るような声が聞こえたが、今思えばその唸り声が犬のものだったのだろう。

「土佐犬? ・・・闘犬を言葉一つで吠えさせなかった?」

という事は・・・

「ここの娘?・・・」

プールやテニスコート、馬場もあると聞いていた。 そんな施設のある島一つがここの所有者の物・・・そこの娘?

「いや、違うだろ」

高校時代の話を思い出す。

自分が教室の窓越しに紫揺を見ていた時の事を。 自分の目線を追って島田が言った。

『ああ、サイ組か。 あの子はやめときな』
そのあと同級の山並が紫揺にフラれたという話を聞いたが、それだけでは終わらなかった。

『他の学校のヤツ。 本当なら違う路線なのに、わざわざあの子と同じ路線にかえて遠回りして学校に通ってたらしいんだ。 それで同じ車両に乗って何気に顔を覚えてもらってからラブレターを渡したらしい』

ラブレターと聞いて時代錯誤かと思い『ラ・・・ラブレター!? この時代にー!?』そう言ったのを鮮明に覚えている。
その男も山並みと同じ理由で振られたようだが。

『あの子、スマホを持ってない・・・』そう言っていた。
だから訊き返した。
『え? あの子スマホ持ってないの?』
返ってきた答えは
『らしいよ』だった。

その時は、この時代にスマホを持っていないなどと考えられなかった。
だが今思うに考えられることがある。

生活が厳しかった?

春樹自身がそうなりかけていた。 せっかく通わせてもらった専門学校なのに、就職もせずフリーターで過ごしていた。 そして生意気にも実家には頼りたくなかった。 なにより専門学校を出てからは親の仕送りがなくなったのだから。

チビチビと蓄えていた貯金もなくなり、ちょっと前から生活が厳しくなってきた今の自分。 とうとうスマホを手放すか、という域にまできていた。

「こんな状況だったのかな・・・」

ついさっきまでの自分の収入環境と紫揺の家庭が同じかと考える。
そんな時に此処の就職の話を聞いた。 今までのバイト代と比べると高収入だ。 だから未だにスマホは持っているが。

それを思うとスマホを持っていなかったということは、組合こそはないが娯楽施設があり、高給を出せる此処の娘とは思えない。

いや、それとも親が厳しくてスマホを持たさなかったのかもしれない。 が、それはまずまず有り得ないと思う。
なにより葵高校は九州にある。 そしてここは島とは言え石川県。 

「離れ過ぎだもんな」

そうなれば、いくら厳しい親であろうとスマホを持たせるはずだ。

それにスポーツに秀でた高校は石川県から九州に至るまで数多あるはず。 もしここが実家だったら、わざわざ九州まで来ないはず。 それに来たとしてもわざわざ学校から離れた所に住まないだろう。 島田が言うに、電車で通っていたというのだから。

「あ・・・もしかして」

結婚をしてその相手が此処の主人? 一番有り得る話だ。

・・・よそう。 それは考えたくない。

あまりに悲しすぎる。

紫揺に恋をしていたのは何年も前の話。 だが、その後には付き合った彼女はいるものの、誰にもトキメク恋はしなかった。

恋・・・今から思うと、紫揺に抱いた恋は純真な恋だった。
高校を卒業して彼女はいた。 お付き合いもした。 でもそれは恋とは違っていた。

「やけぼっくいに火・・・か」

もし自分が心の内を白状したことを島田が聞くと、そう言うだろうな、そう思った。 高校を卒業してからは島田とは連絡をとってないけが。
いや、言わないか。 自分の一方的な片思いだったのだから。

自嘲気味に笑った。 でも今はとにかく寝よう。 今日も頭をフル回転させていた。 その後に紫揺との再会だ。 疑問は山ほどあるが、紫揺がここに居ることは分かったんだ。 明日も明後日もその後もある。 焦ることなど無いんだ。 自分に言い聞かすとベッドに潜り込んだ。



「何か分かったか?」 ゼンがケミに問う。

「ああ、マツリ様が視られたようだ」

「マツリ様が!?」

「薬師によい見立てをしたと言われたそうだ。 あのままあそこに居てもいい、気になるなら中心に行ってもいいと言われたらしい」


シキは四季であり視気、つまり気持ちを視ることが出来る。 マツリは祭であり、魔釣である。 領土に災いを持たすかどうかを視ることが出来る。 そしてその他にもマツリは身体を診るということが出来る。 マツリとシキは民にはない力を持っている。


「あそこに居ても良いと聞いたならば、どうして移動をしているのか?」

「骨を三か所折っているらしい。 それによる発熱が気になるのだろう」

「発熱など、薬師の仕事だろうに」

「薬師はまだ若い。 不安があるのだろう。 で? 領主の様子はどうだった?」

「ピクリともしていない。 まるで深い眠りだ」

「そうか・・・骨を折った痛みさえも気付かずにか。 それでは薬師も不安になるわのう」

「だがある意味、救われておる。 痛みばかりを訴えられてはあの若さだ領主を宥めることなど出来んであろうからな」

ケミを見てフッと鼻から息を吐くと、片方の口角を上げた。 それに何かを感じ取ったのか、ゼンに何か言われる前にケミが口を切った。

「では、吾等も休みを取るとしようか」

「その前にケミ、吾の話を聞いて欲しい」

ケミの眉がピクリと動いた。

「止めてくれと言ったはずだ」

「吾のことだ。 お前に何かを訊くわけではない」

「だが! ―――」

それを聞かせて欲しくない、と言いかけたのをゼンが最後まで言わせなかった。

「ずっと、迷い・・・そうだな、どちらかと言えば疑問があった。 吾がどうしてここにこうして居るのか、それを考えると頭に痛みが走る。 考えなくてもいいこととは分かっているが、吾はどうしてここに居るのだ、そのことが全く分からない。 ショウワ様の影として生きていることに不服を持っているわけではない。 だが、吾は吾が分からない。 吾は吾の中で彷徨っている」

「・・・ゼン」

「お前がどう思っているのかは吾の知ることではない。 だが、お前も吾と同じように迷っているのではないか?」

「お前・・・先に吾に何かを訊くわけではないと言ったのに、吾に訊いておるな?」

年相応の可愛らしい顔をゼンに向ける。

「ああ、そうだったな・・・簡単に前言を覆そう」

傍から見れば歳の離れた兄と妹のような二人が互いに心中の氷を解かすように笑む。

「そうだ。 吾もそうだ。 ムラサキ様がお父母(ふぼ)様を亡くされたと聞いた。 ムラサキ様のお悲しみが胸に痛い。 最初はそうだった」

カミが言っていた事がこれだと分かる。

「だが今はムラサキ様がお母様(ははさま)を慕っておられるお姿を見たと同時に・・・吾にお父母・・・吾のお父母はどこに居るんだ、どんな方なのか、そう考えると頭が痛くなる」

「え?! お前も、頭に痛みが走るのか?」

「ああ」

ケミにも頭に痛みが走っていた、それは気になるところだが、次に口に出したのは違うことだった。

「・・・吾等のお父母?」

考えもしなかった。

「吾等は影だ。 それは分かっておる。 だが、影の吾等にもお父母が居られるはずだ。 お前の言うお前がどうしてここに居るのか・・・それはお父母がいたからだ。 だからお前がここに居る。 お父母がいなければ吾等は産まれてこなんだ」

「影と言えどか・・・」

「・・・ああ、吾等は人なのだからな」



四方がマツリに説明したことがあった。
『血を途絶えさせるわけにはいかなかった。 遠い血縁にあたるものを領主に置いた』そう言った。
北の領土の新しい領主には前領主の遠い血縁の領主がたてられた。 よって、新しい領主は詳しいことを知らなかった。
ショウワに古の力があることなど。
その古の力によって在る影。
影と言えど人。



ショウワの力が弱まってきたのは、前々からショウワの中にどこか迷いがあったのは確かだったが、ここにきてセノギにほつれの話をされた。 それが大きくひびいていた。
ショウワの弱まった力。 ゼンはケミが影として働くずっと前に影の存在に疑問を持っていた。  それはショウワが初めて迷いを感じた時であった。 そして今回『ほつれ』を意識した時、ずっと疑問を持っていたゼンとまだ歳浅いケミがいち早く反応したのかもしれない。



「そうだな」

そう言ったゼン。 そして続けて言う。

「そうだ、吾等にはお父母が居られるのだな」

「何を今更」

「いや、考えもしなかった」

「さっきも言ったであろう。 吾等は人なんだと」



「おっ、お早う」
春樹が紫揺を見つけて片手を上げる。 正しく言えば見つけたのではなく、探してやっと見つかったのだが。

「あ、お早うございます」

紫揺が慌てて周りを見る。

今からガザンの所に行こうと階段で一階に降りてきたところだった。 厳密に言うと階段の手すりを滑り降りてきたところだった。 さすがに日中に窓から降りることはない。


昨日、放心状態で布団に居た時、アマフウの言葉が頭に響いた。

『忠告よ。 アナタ、もっと自分の立場を考えなさい。 自分がどんな立場にあるのか詳しく知らなくとも、少なくとも屋敷の使用人と話すなんてしない事ね』
そう言っていた。
それが頭に響いてやっと我に戻った。

掛布団をベッドに引きずりながら考えた。 ベッドに掛け布団を乗せながらも、ベッドに入った後も考えた。
話の筋としては

『こっちが困るのよね。 アナタが甘やかすことで使用人が平気で私の前を歩いたりするようになったら―――』

その後はキノラに間に入られて、聞くことは出来なかったが、その後にキノラも言っていた。

『私たちが使用人と話すなどとは論外。 私たちは使用人たちとは別の存在なのですから』 そう言っていたが、もしかしてキノラの存在に気付いてアマフウが話の筋を変えたのではないだろうか?

もしかしてアマフウは使用人と話すことによって、ここが島だと紫揺に知れることを回避したかったのではなかろうか?

それはどうして・・・。

それに、セイハ。

北の領土のムロイの家に着いた時、まだ気分を悪くしている紫揺に言った言葉。

『フネ』

あの時は気分を悪くし過ぎていてセイハが何を言ったのかを聞き取れなかったが、確かに 『フネ』と言った。

それは『船』ではないのか?

紫揺はその時のセイハの言葉を聞けなかった。 だがセイハはこう言っていた。

『ほら、シユラにも分かるでしょ? ここの寒さ。 それにここには何もないんだもん。 屋敷に行けば屋敷から船―――。 ほら、ここって何か辛気臭いじゃない。 それより、どう? 少しは落ち着いた?』
そう言っていた。 船―――で出れば、日本本土に上がれる。 そう続けるつもりでいたはず。

もしかしてだが、自分にここが何処かなのかを教えないために、使用人と言われる人たちと話さないようにと言っていたアマフウ。 そしてここからどこかへ行こうとした時に、船が必要だという事を教えなかったセイハ。

「仲の良くない二人が同じことを考えてた? ・・・うーん・・・有り得ない、かな」


いずれにしても、春樹と喋っていては目を付けられるかもしれない。 でも情報源は春樹しかいないことは分かっている。

「今日も昨日の時間にあの場所に行きます。 来てください」

そう言い残すとその場から去った。

置き去りにされた春樹。

「え・・・。 ウソ」

会話ができると思ったが拒否された形。 でも次の約束を紫揺から申し出た。 拒否の後の甘味。 その甘味はイチゴと思っていいだろうか。 初チューはイチゴの味と聞く。 付き合っていた彼女との間でチューは何度もしていたが、紫揺との初チューの味。

「あれ? サクランボだったっけ?」

ニヤケながら頭をポリポリと掻いた。 そして四階へ小さい方の階段を上がっていった。

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虚空の辰刻(とき)  第92回

2019年11月04日 21時28分00秒 | 小説
『虚空の辰刻(とき)』 目次


『虚空の辰刻(とき)』 第1回から第90回までの目次は以下の 『虚空の辰刻(とき)』リンクページ からお願いいたします。


     『虚空の辰刻(とき)』 リンクページ




                                      



- 虚空の辰刻(とき)-  第92回



西小門には特別な鍵などかかっていなかった。 だが特別の鍵など無くても、しっかりとしたものだった。誰しも獅子の餌食にはなりたくないと考えているからだろう。

紫揺が門扉に付いていた錠を開ける。
何故かガザンがその様子をじっと見ている。

小学校や中学校の裏門と同じ錠であった。 門に溶接された蝶番と同じ動きをするものの先についている鉄板に空けられた穴の中に、端の鉄柱にある突起物を入れるだけのものだった。
普通はここで突起物の方にも穴があり、そこに錠前などをかけるのだろうが、ここにはそんなものは無かった。 突起物の先には球体が付いていてしっかりとしている。 万が一にも獅子がガタガタと揺すっても簡単に錠が開くものではなかった。

「・・・ガザン。 いい?」

問われても座っているガザンは錠を開けた紫揺の手先から目を転じて前を見据えているだけ。 その前には獅子も誰もいない。

紫揺が門を手前に引く。 その音に気付いた獅子が腰を上げた。 ノソリと動く。 だが、門には遠い。

「ガザン、門の外に出たいの。 ついて来て」

門を閉め隙間に手を入れると錠をかけた。 その手元をまたしてもガザンが注視している。

紫揺がリードを持って走り出す。 ガザンもそれに従って走る。

屋敷から見えていたこの門の先は平らにならされた部分があり、その奥は屋敷を囲むように四方を木々に囲まれていた。

平らな土地は奥行き7メートルほど。 万が一にも誰かに見つかっては困る。 その7メートルほどを一気に走り抜けた。 そして次に見えていた木々の中に入った。 手にしていた懐中電灯をともす。

停電をした時用の部屋の片隅に置かれていたものを拝借してきた。 懐中電灯に灯された高い木々。 北の領土の中で見た領主の裏庭の喬木より高いのではないだろうか。

部屋からは木々が密集しているように見えたが、こうして下を歩いていると思ったほど密集はしていない。 十分に歩きやすい。 

と、次に長く続く数メートルの高さの岩壁が見えた。 1メートルほどの幅が空いている岩壁の間を歩く。 その岩壁にもいくつもの木々が立っていた。
三階の紫揺の居る部屋からは、この木が邪魔をして屋敷の向こうを見ることが出来なかった。

「此処であってるのかなぁ」

外に出ようと思ったら、東にある車が出入りすることの出来るあの門しかないのだろうか、と不安になる。

岩壁はいくらもしない内になくなり木々がなくなった砂面に足を踏み入れた。 途端、目の先にキラキラ光るものが見えた。

「なに?」

歩を進め目を凝らす。 先まで照らす力のない懐中電灯の光がやっと境目を捉えた。

「・・・波?」

波打ち際が照らされている。

足を止め波打ち際に立つ。 月明かりに照らされ海面がキラキラと光っている。 ずっと先は暗くて何も見えない。 屋敷に居た時より波の音が耳に大きく入ってくる。

左右を見ると建物らしきものは見えない。 それどころか、左右共に海辺がぐるっと後方に回っているように見える。 ずっと続くはずの波打ち際が見えない。

確かに波の音はずっと聞いていたが、海岸に近い漁をする土地か海辺に建つ屋敷だと思っていた。 だがどうも様子が違うようだ。

「もしかして、ここって・・・島?」

辺りを見回すが後方には今出てきた岩壁と背の高い木々、左右には伸びてその先が見えなくなっている海岸、前には海それだけしか見えない。

と、グウゥゥ・・ガザンの唸声が耳に入って我に返る。

「ガザン?」

辺りに獅子は見えない。

ガザンが屋敷に戻る道を辿る。 リードを持っている手がそのまま引っ張られる。

「ガザン、獅子が居たの?」

馬鹿な質問をしていると自分で思う。 獅子が居たとして、それに屈するガザンではないはずなのに。

紫揺が屋敷に来て初めてガザンと獅子の関係を知った。 それは間違っているのかもしれないが、ガザンが獅子を見据えると獅子が後ずさった。 それは確かだった。

餌を十分に貰っている。 すぐにそう思った。
ではと、獅子の生態を思う。 腹が空いていなければ肉の塊を襲うことはないだろう。 ましてやガザンに睨みを利かされているようなのだから。

『ガザン・・・獅子に勝てる?』そう思った。
だから、この計画に走った。
だが今、ガザンからの返事はない。 それにここに来てリードを引っ張る

「え? もしかして獅子を遠ざけてくれてるの?」

ガザンからの返事は全くない。

とにかく引っ張られるままに歩く。 岩の間を抜けると木々の中からガサリと音がした。 そして落ち葉を踏み拉く音。 それはまちがいなく四足歩行。 北の領土で聞いた音と同じ運び方の四足歩行の音。

(やっぱり獅子がいたんだ・・・)

その音が段々と遠ざかっていく。

ずっと一点だけを見ていたガザンが紫揺に振り返る。

―――さあ、これからどうする? もう一度行く? 戻る?
とでも言っているかのように。

紫揺がガザンの前に座り込み、ガザンの首に両手をまわして頬を寄せる。

「ガザン、ありがとう。 今日はもう戻る」

僅かにガザンの顔が動いたと思ったら、ベロン。 髪の毛を思いっきり舐め上げられた。


リードを木に掛け、ガザンに再度礼を言うと、またもや顔にベロンとしてくれた。 唾液は困ったものだが、こうされるのは嬉しい。 ちなみに髪の毛はまだ乾いていない。


一人で回廊を歩く。 来た時も此処を歩いてきたが同じ道とは思えない。 心がどんどん沈んでいく。

海だった。 ここは島かも知れない。 いや、もしかしてどこかの陸か半島の先っぽかも。 だがいずれにしても、あの獅子の居るところからは出ることが出来ないかもしれない。 いや、出来ない。 泳いでどこに行っていいのかもわからない。 それに波が荒かった。

帰ることが出来ないかもしれない・・・。

トボトボと歩いていた歩を止めると踵を返した。 僅かな時でもいい、ガザンに添い寝をしてほしいと思った。 ガザンがもう寝ていたら勝手にガザンにくっついて寝よう。

ガザンは裏庭にある使用人と言われる人たちが寝泊まりしている紫揺たちとは別棟の裏に居る。 そこは木々が何本も生えていて、夏場はそこが木陰になって気持ちいいだろうが、完全に北側になるが故、ガザンも冬は寒いだろう。 だがセキとセキの母親にしか慣れていないガザンを別棟の表に出すわけにはいかないのだろう。

別棟までやって来るとグルリと裏に回った。 と、すぐに赤い小さな光が見えた。 紫揺の目の高さより高い。 それがユルユルと動いている。

「え?」

建物の窓から洩れる電気に後姿の人影が動いた。 紫揺の声に振り向いたのは青年だった。 既に至近距離。

「あ・・・」

青年が急いで携帯灰皿でその火を消した。

(やっべ、見られた)

此処は禁煙であると、最初に言われていた。

紫揺が来た道へ走り出そうとした時「待って!」青年が殺した声で言うと、紫揺の手首をつかんだ。

「離して!」

「わっ! 馬鹿! 大声出すな!」

その声を無視して紫揺が暴れ出した。 すると咄嗟に、というか勝手に身体が動いた。 手を引き肘を入れる。 覚えのある背負い投げ。 背中に紫揺が乗った。 その時に気付いた。 こんな小さな人間を投げたことなどない、と。 握っていた手が緩んだ。 途端その手が引かれ、ドンと肩甲骨あたりに衝撃が走った。

右手を引かれていた紫揺。 青年が向きを変え、紫揺が背中に乗せられた時点で、もう一方の手は青年の肩甲骨あたりに置いていた。 そして、握られていた手が緩んだと感じるとすぐにその手を引き左手の平行に置き、勢いよく背中に乗せられたまま、その勢いを殺すことなく、青年の背の上でハンドスプリングをしたのだった。

かなり無理矢理のハンドスプリング。 美しくもない。 気に入らないと顔を歪めながら、着地する前には半分捻っていた。 青年と対峙する格好になる。

「え?」

何が起きたか分からない青年が、窓からこぼれる明かりに照らされた姿を見る。 目に映った紫揺の足元から徐々に上がって最後に紫揺の顔。

「あ・・・」

目が合った紫揺は、青年の側を通らなくては戻ることが出来ないわけではない、仕方がない、このまま大回りして戻ろうと踵を返した。

「えっ!?」

声を出したのは青年であった。

「待って!」

呼ぶが紫揺の足は止まらない。

「1年彩組、藤滝紫揺さん!」

声を殺して、でも紫揺に聞こえるように言った。

「え?」

出していた足が止まった。 驚いて振り返る。

「だよね?」

窓からの明かりに映された青年がニコリと紫揺に笑顔を送った。

「どうして・・・?」

「あ、言っとく。 ちゃんと彩(いろどり)って言う意味で、彩組(さいぐみ)って言ったよ」

サイさん、ゾウさん、キリンさんの意味で言っていないとキチンと言っておく。 そうでないと彩組は怒りだすのだから。

「・・・だれ?」

「葵高校。 君が一年の時、三年F組だった邑岬春樹(むらさきはるき)。 って、君は僕のことを知らないだろうけど」

グゥゥゥ・・・と、ガザンの唸り声がする。

「え? 何の声?」

あと少し歩けばガザンの小屋がある。

「ガザン、大丈夫。 心配しないで」

ここで吠えられてはたまったものではない。

グブゥ・・・とガザンの唸り声が止んだ。

「F組って言ったら―――」

「そう。 普通科。 君たちみたいな能力はないよ」

「でも今、背負い投げ・・・」

「ああ、軟弱柔道部に入っていたからね」

一年の時から困らせていて、卒業後のことで一番世話になったあの進学指導が顧問だった柔道部に所属していた?

「堂上先生?」

「わっ、懐かしい苗字を聞いた。 そう、堂上先生が顧問だった軟弱柔道部。 良く知ってるね」

困らせていたからとは胸を張っては言えない。

「進学指導の先生だったから。 でも、学年も違うのに、どうして私のことを知ってるんですか」

同じ高校に居たという事だけでまだ完全に信用しているわけではない。 軟弱柔道部の顧問の名前は? と訊けばよかった。 今更悔いても仕方がないが。

「そ・・・そりゃ・・・」

口ごもる。 やっぱり怪しい。 領主であるムロイが居ない、セノギもあの状態。 この邑岬と名乗る青年は自分を見張っていたのではないのか? こんな生活をしていては簡単に人など信用できない。

「何度、舞台の上に上がったんだよ。 自覚ない?」

「え?」

「大会がある度に、舞台に上がって表彰されてたろ?」

「あ・・・」

「葵高校で君を知らない奴はいないよ。 まぁ、君だけじゃなく、君以外にも居るけどね」

決して紫揺に気があったからとは言えないし、今言ったことも本当のことだ。 壇上に上がる紫揺に恋したのだから。

「本当・・・ですか?」

信じていいのだろうか。

「嘘ついてどうすんの?」

恋をしたと言っていない部分はあるが、嘘はついていない。

思い切ってカマをかけてみようか・・・。 青年を凝視する。

「なに?」

「えっと・・・ここを出たら海がありますよね?」

海を見てここが何処なのか、皆ひた隠しにしていると思った。 ついさっきまで、海がこんな間近にあるなんて思ってもいなかった。 この青年は何と答えるのだろうか。

「うん。 日本海だろ?」

「え?」

即答? 迷いナシ?

「え、って。 日本海ぐらい知ってるだろ?」

「し、知ってます。 じゃ・・・ここは?」

「石川県に入ってるけどここは島。 能登半島の日本海側。 そこの小さい島にこの建物がある。 大きな地図には載ってないような島だよ。 観光も娯楽も何もないみたいだよな。 小さい島だし。 どうしたの? ここに来る時、船で来たでしょ?」

「ふね?」

「立派な船だよね。 生まれて初めて乗ったよ」

「ま、待って下さい・・・。 その、えっと・・・。 もし、あなたが本当に葵高校の先輩ならですけど―――」

「へっ? そこを疑ってるの? 僕に嘘をつく理由なんてないんだけど? なんなら入学式と卒業式に必ず聞かされる校長の話をしようか?」

「葵高校と名付けた理由」 二人が同時に言った。

プッと噴き出したのは紫揺が先だった。

同じ高校であってもなくても、ここまであけすけにここが何処なのかを教えてくれたのに、疑う理由なんてないだろう。

「じゃ、先輩はどうしてここに居るんですか?」

「先輩か、いい響きだね。 ここに就職した、と言ってもまだ何日も経ってないけどね」

先輩と呼ばれて軟弱柔道部ではあったが、実績を残した紫揺に先輩と呼ばれれば、春樹自身が実績を残したように感じてしまう。 気分がいい。 それも恋焦がれていた紫揺に呼ばれるのだから。

先輩。 紫揺はクラブに入っていたのだ。 春樹が三年の時に紫揺が一年であるならば、春樹のことを先輩と呼んで間違いないのだが、春樹とは大きな齟齬(そご)がある。

だが勘違いというものは、害さえなくその者を幸せにするのならば放っておいても良いであろう。

「ああ・・・」

納得いった。

屋敷に戻って来た日の翌日、セノギから聞いていた。

『今から新人の面接に行ってきます。 セッカとキノラも留守にしますので』そう言って紫揺の部屋を訪ねてきたのだった。

「それって・・・株ってやつですか?」

屋敷に来た時、屋敷の案内をしたムロイが言っていた。

「うん、そう」

アッケラカンという。

「さっきここは島だって仰いましたけど、帰る時にはどうするんですか?」

「基本ここに寝泊まりしてるからそんなこともないだろうけど、説明を受けた時には、向こうに帰ることがあるようなら、いつでも船を出すって言ってたよ」

「やっぱり船がないと帰ることが出来ないんですよね」

「え? そんなこと訊くの? だって、島だよ? ここの周りは日本海なんだよ」

波の荒い。

「ですよね・・・」


部屋に戻った。 勿論玄関から入ったわけはない。 しっかりと木に登り窓から部屋に戻った。 ガザンとの添い寝は叶わなかったが、もう添い寝どころではない。 ここは日本海に浮かぶ島、船がなければ帰ることが出来ない。 それを言い切られてしまった。

窓際に敷いておいた布団の上に台上前転で降り立つと、そのまま身体を開けて放心状態になっていた。

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虚空の辰刻(とき)  第91回

2019年11月01日 21時26分39秒 | 小説
『虚空の辰刻(とき)』 目次


『虚空の辰刻(とき)』 第1回から第90回までの目次は以下の 『虚空の辰刻(とき)』リンクページ からお願いいたします。


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- 虚空の辰刻(とき)-  第91回



こまめに連絡をくれと言っていた。 そろそろ連絡があってもいいものなのにと、待ちきれず阿秀が連絡を入れた。

「どんな様子だ?」

東の領土のクルーザー上で野夜が電話に出ていた。

『それが、島に上がったのはいいんですが、まだ連絡がありません』

醍十を迎えに行っていて遅れていた野夜は、阿秀が手配したボートに乗ってクルーザーに乗り込んでいた。 その野夜は船舶免許など持っていない。 ボートに乗せてもらって東の領土の船に乗った。 その辺りも抜け目なく阿秀が手配をしている。
野夜が来た時には既に湖彩が島に上がって行ったと聞いた。

「何かあったわけではないな?」

『特に何も聞こえませんから、ゆっくりと動いているのかもしれません』

「という事は、そこに人が居るという事か」

『そう思います』

「待つしかないか・・・連絡を待っている」

『はい』



朝食を持ってきた者からセノギが目覚めたと聞いた。 すぐにセキに言いに行く。 あの時、セノギが救急で運ばれたと聞いた時、不安な顔をしていた。

もうベンチコートは要らない。 そのまま部屋から飛び出て手すりを滑って一気に滑り下りる。 踊り場に跳び下りてまた次の手すりに飛び乗る。 一階まで行くと一瞬どこに行こうかと迷う。 このまま屋敷を出て回廊を歩いて裏に回ろうか、それとも初めてセキとあったドアから行こうか。 右か左か。
左を選んだ。 初めてセキと会ったドアに向かう。
 
食堂を通過してその奥に走って行く。 一番奥のドアを目に留めドアレバーを下ろす。 ドアを開け中に入ると更に二つのドアがある。

まずは右のドアを開けてみる。 セキが居ない。

次に真正面に見えるドアを開けようとレバーを手に持った。 このドアは外に通じるドア。 セキが洗濯物を干しているならここに居るはず。

「あれ? シユラ様?」

後ろからセキの声が聞こえた。 振り向くとシーツを抱えたセキが立っていた。

「セキちゃん居た。 お早う」

「お早うございます」

「ね、セノギさんが目覚めたって」

「え? 本当ですか!?」

パッと顔が明るくなる。

「うん。 身体に異常は見られないから帰って来るって」

「良かったー」

やはり心配していたようだ。 だがどうしてだろう。

「そうね、良かったね。 ・・・ね、訊いていい?」

「何をですか?」

何のことだろうと、セキが小首を傾げた。

「セキちゃんから見てセノギさんって・・・恐い人じゃないの?」

「まさか! 領主や五色の皆様に知られないように助けて頂いてばかりいます」

助けてもらうとはどういうことだろうか。

「例えば?」

「えっと・・・簡単に言うと。 角を曲がったらどなたかが居らっしゃる時には、今はそちらに行かないように、って教えてくださったり、残り物だけどって、美味しいものも持ってきてくださったりします」

「・・・へぇー、そうなんだ」

「だからみんなセノギさんのことは好きなんです。 みんなに知らせてきてもいいですか?」

「うん」

右のドアを開けるとシーツを洗濯機に放り込んで手早く洗濯洗剤と柔軟剤を入れる。 ピッピッとボタンを押すと、紫揺の前を通って紫揺が開けようとしていたドアから走って出て行った。

そのドアが閉まる前に紫揺も外に出た。 セキを追おうとしているのではない。 ガザンの所に足を向ける。

決して今から作戦を遂行しようというのではない。 ただ単に毎日ガザンの所に行っているだけである。 それは決して遂行するにあたって、ガザンの機嫌を取っておこうというわけではない。 ガザンが気に入っているし、それにやることがないからだった。

ガザンの隣に腰かける。

「ね、ガザン。 セノギさんが無事って聞いたからそろそろと思ってるんだけど、どう思う?」

特にセキのようにセノギのことが気に入っているわけではないが、意識が戻らないと聞いてはそれなりに気になる。 一応、色々と世話になったのだから。

ガザンから返事があるわけではない。 知らない顔をして伏せっている。

「だよね・・・。 でもその時にはお願いね」

会話のキャッチボールなど無くてもいい。 こうしてガザンと座ってガザンの背中を撫でているだけでいい。 これを退屈とは言わないのだから。 

「あ、そうだ」

何かを思い出したと言わんばかりに紫揺がガザンを見た。

「謝らなくちゃいけないことがあったんだ」

伏せているガザンの目の前に座り込む。

「あのね、私最初ガザンに失礼なことを思ったの。 ガザンは土佐犬だから日本同士で分かりあえるっていうか・・・そんなことを思ったの。 どうしてそう思ったかって言うのは、もしガザンがピットブルなら、アメリカと日本じゃ無理って思ったの。 通じ合えないって。 どうしてそんなことを思ったんだろうね」

元飼育係。 犬の飼育もしていた。 ある程度の犬種の知識はある。

前足を前にだし、その間に顎を置き目を伏せていたガザンの目が開いた。 上目使いで紫揺を見る。 紫揺と目が合った。

「でもガザンがピットブルでもこうして通じ合えたと思う。 って、一方的に私が思ってるだけなんだけど。 でも、ごめんね。 ガザンを単に犬種で括ってしまって」

ガザンの瞼が再度下げられた。



馬車に揺られながら領主がゆっくりと馬車道を辿り中心に運ばれている。 その後に身を木々の枝に移しながらゼンとケミが追っている。

ずっと薬師がついているが故、未だ領主の具合は分からない。 だが、馬車で移動できるという事はそれなりなのかとゼンが言うと

「反対やも知れんぞ。 薬師ではどうにもならんで、無理矢理中心に向かっているのやもしれん」
からかっているのか面白そうに口の端を上げる。

「縁起の悪いことをいうな」

「ふん、吾等に縁起などあるものか」

馬車はゆっくりと進んでいる。 木々の枝に早くに移動する必要もない。 ケミの立つ枝に移動したゼン。

「なんだ、あちらの木に行け」

「話がある」

「話?」

「あれだけユルリと移動しているのだ、急ぐことはあるまい」

領主の乗せた馬車に視線を送る。

「何の話だ」

訝るようにしながらも、話を聞こうという態度をみせる。

「ふ・・・。 なぁ、ケミよ」

「だから、なんだ」

「お前・・・何を迷っておる?」

ケミが鋭い視線を投げつけた。

「何が言いたい」

「ムラサキ様のことか? それとも吾等のことか?」

「・・・」

顔を背けた。

「吾だけには話してくれぬか?」

「なぜお前に話さねばならん」

「そうだな、吾も・・・吾も迷っているからだ」

ケミが驚いた顔でゼンを見た。

「ずっと感じていた疑念をいつも飲み込んでおった。 それをケミが口にした。 まぁ、切っ掛けとなった言か。 とくにお前はハッキリと何かを言ったわけではない。 言ったのは“阿呆か” くらいだからな」

自虐するような笑みをケミに送る。

紫揺が領土から屋敷に帰る道程で、リツソのことが気になり夜な夜な狼たちに伝言を頼もうと、立ち寄った家から夜な夜な出て来ていた時のことだ。

領主についていたゼンが領主はもう寝たと報告をし、外で寝ている紫揺を目にした。 すると自分たちの仕事はここまで、領主が寝たのならば紫揺に何かすることもないのだからと、寒い中外で寝てしまった紫揺を放っておくと、ダンとカミが言った時に 『お前等は阿呆か!』と言ったのだ。

「お前が疑念を持っていた?」

「ああ、ずっとな。 ケミより長くな」

ケミは影の中で一番年下。 そしてゼンはケミより十歳上だ。 それだけ長く疑念を持ち続けていたという事である。

「迷いは吾らの持つものではない」

ケミがハッキリと言う。

「そうだ」

「だが・・・」

ケミの言葉が続かない。 視線を馬車に戻す。

「・・・吾から言おうか?」

「・・・」

「吾はどうしても思い出せないことがある」

驚愕に声を失いそうになったケミがゼンを見て声を絞り出す。

「ま、待て」

「吾のことだ。 お前が気に病むことはない」

「待て! それ以上は。 ・・・頼む」

「お前らしくないな」

どうしたというのだ、という事は口に出さなかった。
ゼンが前を見る。

「今日はここで止めるようだな」

下を向いていたケミが顔を上げた。

茅葺屋根の横に馬車を付けている。 中から男や女たちが出てきた。 馬車の歩みは遅かった。 領主のことが伝わってきていたのだろう。

「ここで薬師も飯をとるだろう。 その間に吾が領主の様子を見る。 お前は薬師が何か喋っていないか聞いてくれ」

もう辺りは薄暗くなってきていた。 今日はここで一泊するだろうとゼンが言っている。

「あ、ああ」

「出来るか?」

「・・・当たり前だ」

ゼンから向けられた声のない笑は冷嘲などではなく、哀憫(あいびん)を含んだものであった。
二手に分かれた。



夜になった。
島から人影が動くのが見えた。
湖彩(こさい)がクルーザーに戻って来た。

「どうだった?」

湖彩が居るはずのない野夜を見て驚く。

「野夜、来てたのか」

「ああ、阿秀が待ちきれないようだ。 どうだった?」

湖彩が首を振った。

「違ったという事か?」

「ああ。 バカンスを楽しむだけの島だった」

「なんてこった・・・。 此処だと思ったのに」

「俺たちもだ。 此処で決められると思った。 やっと紫さまとお会いできると思っていたのに」

「一から出直しか・・・」

時の猶予はない。 またいつ紫揺が北の領土に行くか分からない。 今回は帰って来たが、次に帰って来る保証などないのだから。

「野夜・・・」

頭を垂れている野夜に湖彩が声を掛ける。

「なんだ」

「阿秀に連絡」

「あ、ああ」

スマホを取り出し、耳に当てた。

待っている間に車で探している者から連絡を受けていた。 胸ポケットからリストを取り出す。 
殆どに×マークがついてしまった。 それを湖彩に渡す。

「阿秀に一から洗い直してもらわねばならないようだな・・・」



紫揺が腰高の窓を開けた。

夜とは言え少し前まで居た所、北の領土という所とは比べ物にならないほど暖かい。 Tシャツの上にトレーナーで十分だ。 手には軍手をはめている。 「軍手と綱、ですか?」と、セキに可笑しな顔をされたが。

既に窓の近くには掛布団を敷いている。

腰高の窓に足を掛ける。 次に目の前にある太い幹に飛び乗る。 手慣れた段取り。
そこから隠してあった綱を持って下に落とす。 その綱を持つとスルスルと木を降りる。 綱はずっとこの枝に括り付けてあった。 帰って来る時にはこの綱を持って木に登り、登り切った枝に立つと綱を引き上げる。 単純なことだった。

地に足を下した。

屋敷の部屋の明かりを見る。

「あれ?」

一部屋だけ薄く明かりが点いている。 それは四階。

「あそこって・・・」

そこはパソコンが並ぶ、ムロイ曰くの仕事の部屋。

「どうして?」

もう仕事などない筈の時間なのに。 それも、薄くついている明かり。

一瞬、眉根を寄せたが薄明り。 ここで自分が見つかることは無いだろうと思った。 足の向かう先はガザンの居る所。 走ってガザンの元に向かう。

「ガザン寝てるかなぁ」

毎日定刻にガザンの元を訪れていた。 だが今日はちょっと時間が遅くなった。 今までガザンを起こしたことなど無かった。 寝起きのご機嫌が分からない。 そのガザンを無難に起こせるかどうか作戦に無かった。

ガザンの姿が見えた。 姿と言っても月明かりにボウっと影が見える程度だ。

「あれ?」

その影が伏せっているのではなく座っている。

「ガザン、起きてるんだ」

こんな時間に起きているのはオカシイが、ガザンをどう起こそうかという心配がなくなった。 願ったり叶ったりである。

ガザンの元による。

「ガザン、ごめん。 付き合ってもらえる? もし、私の判断が間違ってたら、ガザンを傷つけるかもしれない。 そうなる前にガザンは逃げて。 いつでもここに帰っていいからね」

ガザンの目の前に膝を折り、頬を両手でさすると・・・ベロン。 唾液いっぱいのガザンの舌が紫揺の顔を覆った。

「ありがと」

プッと、笑いそうになったがここは押さえなくては。 見つかってはどうにもならない。 ガザンのリードを木から外す。

「お願いね」

リードを持ち歩き出そうとするとガザンが先を歩いた。

「え?」

まるで紫揺がどこに行くのか知っているように。

「ガザン?」

引っ張られたリード。 慌てて紫揺が歩き出す。

ノシノシと芝生の上を歩く。 こんなに堂々と芝生の上を歩くつもりではなかった。 もっと大回りをして、屋敷のどの窓からも見られないようにするつもりだった。

紫揺が横を見る。 あの部屋以外、何処の窓にも明かりはついていない。

夕方帰って来たセノギ。 いつもならセノギが起きているかもしれない時刻だが、意識は戻ったもののまだ足がふらついていた。 セノギ本人曰く、全身筋肉痛らしい。

筋肉痛による身体の疲れ度合を紫揺は知っている。 病院から貼り薬を山ほどもらってきて、今頃全身に貼って溶けるようにぐっすりと寝ているのだろう。 ホッと胸を一撫でする。

リードが緩んだ。 歩いていたガザンが止まった。 そこは西小門の前。 まさに紫揺がガザンに行ってもらおうとしていた場所。 更に言うとこの門の外にガザンについて来てもらいたい。

西小門の向こうには獅子が居る。 その獅子をガザンに抑えてもらいたい。 この屋敷を出るにあたってこの門にしか頼れない。

この門の先には獅子が居る。 だがムロイの話から獅子は一頭ではないかと思われる。

ムロイが話したその獅子の他にこの屋敷を警護しているのは、躾けられたドーベルマンだと聞いた。 そのドーベルマンが何頭もいたのを目にしていた。 何頭ものドーベルマンが、いや一頭でも獅子と同居など出来ないだろう。 ドーベルマンと獅子の間には柵なりなんなり壁が作られているだろう。 二者択一ではないが、屋敷からの脱出の第一関門どちらを選ぶか。 獅子かドーベルマンか。 この屋敷を突破するにどちらを選ぶか。 そんなことを考えていた時に、獅子をひと睨みして獅子を退けたガザンを見た。

だから獅子を選んだ。 それにドーベルマンはあの吠え声からすればかなりの数がいるはず。

ガザンに頼るしかない。 でもその前にガザンの主であるセキに近寄らねば。 と、当初はそう思っていた。 だが今はセキとガザンと触れ合い。セキをだましているようで、ガザンを利用しているようで、そんなことを思い始めていた。

そうではない、セキとガザンにはそれだけの思いじゃない。 それなのに結果的にそういう風に終わってしまった。 そして今目の前にその状況が来ている。

でもここから出たい。 自分勝手だということは分かっている。

「ガザン、お願いね」

ガザンが紫揺の計画を分かっているのかどうかは分からない。 でも、頼むしかない。

「今日は下見。 無理をしないでね」

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