大福 りす の 隠れ家

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辰刻の雫 ~蒼い月~  第33回

2022年01月31日 22時23分21秒 | 小説
『辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~』 目次


『辰刻の雫 ~蒼い月~』 第1回から第30回までの目次は以下の 『辰刻の雫 ~蒼い月~』リンクページ からお願いいたします。


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辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~  第33回



マツリの視線に波葉がもしや、と感じた。
シキからは紫揺が目を覚ます際(きわ)に、マツリが紫揺の腰をさすっていたと聞いた。 そしてさすられていた紫揺はその時、トウオウがさすってくれていると勘違いしていたとも。

「トウオウをご存知のようで?」

「・・・はい。 北の五色です」

マツリが波葉から視線を外して酒杯に目を戻す。 酒杯を掴み一気に喉に流し込む。 先程、波葉がなみなみと注いだところなのに。
置かれた酒杯にもう一度波葉が酒を注ぐ。

「姉上から聞いておられないのですか?」

「薬草師が紫さまをお抱えしたそうですね。 紫さまが倒れられたおり」

これもシキから聞かされていた。

質問に答えが返ってこない。 話が見えない。 マツリが眉根を寄せる。

「ご存知ではありませんでしたか?」

そう言うと波葉が酒杯を持ち一口飲む。

「何を仰りたいのでしょうか」

「いえ、その時のことをマツリ様はどうお考えなのかと」

「己の浅慮とは分かっております」

マツリも一口飲む。

「いいえ、その様なことでは御座いません」

また一口飲むとことりと座卓に酒杯を置いた。

「では?」

「許嫁でもなければ何でもない者が女人を抱えるということをです」

マツリの酒杯を持つ手がピクリと動く。

「あの場合にそんなことを言ってはおられないでしょう」

それに己も紫揺を抱えて場所を移動した。 あれも仕方のないこと。
そうですか、と言うと波葉がまた話をかえる。

「ああ、そうでした。 トウオウ・・・五色様であるトウオウ様のご説明がまだで御座いました。 シキ様からはトウオウ様が紫さまの腰をさすったとしかお聞きしておりません」

「え?」

初耳だ。 そんなことは聞いていない。

「マツリ様が紫さまの腰をおさすりされていた時には、紫さまはまだはっきり目が覚めておられなかったのでしょう、その時と一緒になって、トウオウ様がさすってくださっているのかと思われたそうです。 それがマツリ様だったと知り、それはそれは驚いたそうです」

マツリの目が大きく開く。

「五色様と言うからにはトウオウ様は女人で御座いましょう。 マツリ様がお気になさることは御座いませんでしょう?」

マツリが真っ赤な顔をした。 シキの言っていたことは間違いないようだ。

(なんとも分かりやすい)

波葉がマツリから顔をそむけ酒杯を口に運ぶ。
いったん話を戻してマツリからの疑いの目を外そうとしただけなのに。 その後にまだシキから聞いていた話を元に探りを入れようと思ったが、その必要もなさそうだ。 とは言え、可哀想だが念を押さなくてはシキに何を言われるか分からない。

(あ・・・熱い)

ショウジと話していた時と同じだ。 思わず腕を額に充てる。

「先ほど一気に飲まれましたから回ってきたのでしょう。 大丈夫で御座いますか?」

あまりの顔の赤さに同情さえ感じる。 逃げ道をこちらから作ってやろうと酒のせいにする。

「あ、ああ。 そうか。 そうで御座いました。 一気に飲み過ぎました」

そう言って酒杯を口に運び、また一気飲みをする。
完全に訳が分からなくなったようだ。

「マツリ様、今日は見張番と祝杯を上げにいらしたのでしょう? そんなに何度も一気に呑まれませんよう」

「あ、ああ。 そうだった」

いつもなら “そうでした” のはずが、ボロボロになりかけているようだ。
波葉が湯呑に酒ではなく、水を注ぎながらマツリに問う。

「最初のお話に戻りますが、シキ様はマツリ様が初めて紫さまと会われた時、きつい慧眼を送られたと思っておられるようですが?」

「ええ、そのようです。 ですがそんなことは無いはずです」

紫揺の顔が頭に浮かんだ。 顔の赤みが引くどころか留まってしまっている。 いや、これは酒のせいだと波葉が言っていた。

「水で御座います。 どうぞ」

波葉がマツリに水を勧める。 勧められるままにマツリが飲んだ。 よく冷えていて旨い。 これで顔の熱が引くはずだ。 マツリが湯呑を凝視する。 今、ショウジと話しをしていた時と同じ状況ではないと考えながら。

波葉が時を置く。 マツリの表情やそれこそ顔が赤くなる様子をもう一度見極めるために。
マツリの顔からどんどん赤みが引いていく。

「あ、何だったか・・・」

独り言のように呟く。
いつものマツリなら波葉を見て “何でしたでしょう” だ。 だが今はボロボロになり、全くわけが分からず素のままである。

「マツリ様が紫さまに慧眼の目を送られたお話で御座います」

波葉の声が耳に入った。
ああ、そうだった。 波葉と話していたのだったと現状を思い出す。 頭がクリアになってきた。 波葉を見る。

(そうだ、その話だった)

マツリの目がいつも通りに戻る。

「ええ、そんな筈は無いと思うのですが、どうしてかあの後、怒りを覚えたのです。 ですからあまりはっきりと覚えておりませんで」

「私はシキ様の仰られるように、その時のマツリ様の目が慧眼だとは思わないのですが?」

「え? どういうことでしょうか?」

「マツリ様も仰られましたでしょう、そんな筈は無いと」

「はい・・・」

だが他に心当たりはない。

「マツリ様は “恋心” を読まれたそうですね」

マツリが眉根を寄せる。 また話が飛んだ。

「あれはよろしいですね」

「え?」

「私も読みました。 あれを参考にシキ様に・・・」

波葉が僅かに頬を赤くした。

「義兄上が?」

「ええ、あれが無ければシキ様に近づくことも出来ませんでした。 “恋心” は人としての感情を教えてくれますし、恋の勇気も道先案内もしてくれます」

幼き時、マツリが苦手とした分野は人の感情であった。 どれだけ本を読んでも、弱い心や逃げる心が分からなかった。 それを四方に相談した。
そのマツリに四方が “恋心” を渡した。 それはあくまでも恋をするために渡したものではなかった。 弱い心があって悪いわけではない、逃げることがあってもいい、引くという事が必要な時もある。 人が人を愛すということを分からせるためのことだった。
それが人の基本、民を見る基本でもあるのだから。

「はい、あれを読んでリツソが紫に恋をしていると分かりました」

波葉が持っていた酒杯を置いてマツリを凝視した。

「義兄上?」

「“恋心” に書かれていたことを思い出して下さいませ」

波葉に言われるまでもない。 “恋心” だけではない、全ての本のことは覚えている。 端から端まで。

「なにを? どの部分でしょうか?」

己が読み落としているはずは無いと思うが、こう言われてしまっては訊き返すことしか出来ない。

「“一目惚れ” という章です」

しっかりと覚えている。 リツソのことがあって読み直したくらいなのだから。

「ああ、そこでしたらリツソがぴたりと当てはまりました」

「だから、リツソ様が紫さまに恋をしているとお知りになった?」

「ええ “恋心” に書かれている典型的な一目惚れでしたので」

「それはマツリ様には当てはまりませんか?」

「・・・は?」

「紫さまを初めて見た時、慧眼の目ではなく、紫さまに魅入られたのではないですか?」

「そんなことは・・・ああ、そう。 あれは見入るほどの者ではありません」

どうも単に見たという風に誤解をしているようだ。 言葉を変えよう。

「マツリ様がどのような方に魅了されるのかは私の知るところでは御座いませんが、シキ様もリツソ様も紫さまには魅了されておられます」

「ええ、あのような者にどうしてかと・・・」

マツリが紫揺の顔を浮かべた途端、また顔が赤くなった。

(どうしてだ! 何故こんなに顔だけが熱い!)

言葉を途中にし俯き顔を赤くしたマツリに波葉が言葉を添える。

「マツリ様、私と男同士のお話をいたしませんか?」

顔を赤くし俯いていたマツリが顔を上げ波葉を見た。

「私がマツリ様の疑問を・・・紫さまに対しての疑問を全部紐解きましょう」

最初はシキに言われてマツリと話したが、今は同士だと考えている。
波葉も恋は遅かった。 文官として忙しかったからだが、その中でシキを見た。 それは一目惚れだった。
シキの伴侶として見合うのは、本領領主の娘に見合うそれなりの地位を持つ者だ。 先祖を辿った本領領主の親戚以外ない。
それに単なる民ではなくとも官吏というぐらいでは、シキの結婚相手にはならない筈だった。 ましてや波葉は官吏と言っても文官であって武官ではない。 力でシキを守ることも出来ない。

「私はシキ様を誰よりも想っています。 マツリ様のお力になれると思います」

波葉はマツリを看破した。 マツリは恋をしている、だがそれを分かっていないだけだと。

「マツリ様の思い当たることをお話しください。 私がそれを紐解きます」

意味が分からないと思っていたマツリの眉間の皺が解放される。

「さっき怒ってらしたというのは、紫さまに何やら拒まれたり、言われたりしませんでしたか? それとも、紫さまを想うリツソ様のことが頭にあり、紫さまとリツソ様を許せなくなったとか」

歪んだ愛情もあり得る。 リツソに厳しいマツリだが、それはリツソのことを心配してのこと。 紫揺の事はマツリの方がリツソのあとに知った。 紫揺を想うリツソのことが許せないとは思わないだろう。 思ったとしても思わないようにするだろう。 それが形を変えて出てきてもおかしくはない。

「拒む・・・」

『黙りなさい。 早い話うるさいって言ったのよ』

そうだ。 あの時そう言われた。 ハクロとシグロを呼んで紫揺がどういう感覚をしているのかと怒鳴った。

「お心当たりがおありですか?」

「・・・はい、紫がリツソを庇って・・・黙りなさいと言われましたが・・・」

「はて? リツソ様をどうして紫さまが庇ったのでしょうか」

「我がリツソに、お前はまだその程度だ。 己を知ることだと言ったからでしょう。 いや、正確には最後まで言わせてもらえませんでしたが」

「どうしてその様なことを仰られました?」

マツリが眉を顰めて首を傾げる。 考えているようだが、多分分からないだろう。

「リツソが余りにもいつもと態度が違っていたからでしょうか。 我に食って掛かってきました。 それで我に一喝されて動けなくなったようです。 ・・・。 そう、それで紫にしがみ付いて・・・。 だからその時に我が言ったのですが」

段々と思い出してきた。

「そういうことで御座いますか。 では “嫉妬の章” をお読みされることをお勧めいたします。 ちなみに薬草師とトウオウ様に対しても同じで御座います。 その章に当てはまりましょう」

マツリが思い出すように下に目を這わしていた顔を上げ波葉を見た。

「私もマツリ様と同じです。 リツソ様は我らより早く恋を知られたのかもしれませんね」

波葉がマツリを宥めるように笑った。 その笑いは真実のものであった。

「リツソ様のことを気にされず、思われたことをお話しください」

「そう言われましても・・・」

「男同士のお話しです。 紫さまのことを考えると心が熱くなったり、刺したりするものは御座いませんか?」

ショウジと同じようなことを言う。

「・・・」

棘のような物に刺されたことを思い出す。

「思っただけで心が刺されます。 ええ、私もそうでした。 シキ様のお姿を拝見した時には、心の臓の音が他の者に聞かれるのではないかと思う程大きくなったりもしましたし、お姿を拝見できなかった日には、シキ様を想うだけで何かに刺されるような痛みがあったり。 恋をすれば皆同じです。 不思議で御座いますねぇ」

ですから、分ちあえます。 そう言うと、酒杯を手にした。


朝餉の席の前に眠たい目をこすりながら波葉がシキの部屋を訪ねた。
これが婚姻前なら昌耶を通さねばいけなかったが、今シキは波葉の奥である。 そんなことは必要ない。 とは言え紫揺もいる。

「もう昌耶はシキ様のお房の前に居るだろうか」

昌耶と従者はシキが目覚める前にシキの部屋の前で座って待っている。 シキの着替えを手伝うためだ。
角を曲がるとズラッと並んだ女人が見えた。 もう待ち構えているようだ。
波葉に気付いた昌耶とシキの従者が手を着いて頭を下げる。
宮育ちではない波葉にはこれが重い。 末端に座る従者に中の様子を訊こうとすると昌耶に呼ばれた。

「波葉様、どうぞこちらに」

かしずく女たちの前を歩きにくそうに歩きながら、波葉が昌耶の元まで来た。

「シキ様はお目覚めになられておられるようで御座います」

シキが起きているのに昌耶がここに居るということは、紫揺が起きていないということか。

「シキ様にお話があるのですが」

「お待ちくださいませ」

昌耶がそっと襖を開けると中に入り、奥の襖に僅かな隙間を開けまだ寝ている紫揺を起こさないように声をひそめる。

「シキ様、波葉様がお見えで御座います」

波葉とシキの暮らす邸では波葉のことを “お館様” と呼んでいるが、ここではそう呼べない。
呼ばれたシキ。 紫揺とは今日が最後になってしまうかもしれないのだ。 紫揺が起きるまでずっと横に添っていたいと思い、起きてはいたが紫揺の横を離れなかった。 だが昌耶の声にそっと紫揺から離れた。 それ程に波葉からもたらされる情報を聞きたかった。
紫揺を起こさないように、ゆっくりと奥の間の襖を閉めると昌耶に頷く。

襖が開き、襖の前に立ててあった衝立を避け波葉が部屋に入ってきた。
波葉としては朝餉後でも良かったのだが、シキから聞いていた色んなことがある。 そこを加味して朝餉前にやって来た。

「何か分かりまして?」

シキが椅子に座りながら言うと波葉も椅子に座った。
こんな時に襖内に昌耶は入ってこない。

「結果から申しますに、マツリ様は紫さまに恋をしておいでと私は思います」

「まぁ!」

シキが美しい指を持つ二つの手を口元にやった。
だがすぐに冷静になる。

「それはわたくしも、もしかしてとは思っておりました。 ですから波葉様にお頼みしましたのに、マツリがはっきりとそう言いませんでしたの?」

一瞬喜んだ手は既に下にさげられている。
シキの知り得る情報を波葉に渡したのに、はっきりとマツリの想いが訊けなかったということだ。

「まずまず間違いないと思いますが、マツリ様はお認めになりませんでした。 ですが、私の言ったことを全てわかってもらえたと思います。 マツリ様の感じられたこと、思われたことに私が全てお答え致しました。 それは恋だと。 ですが表面的にお認めにならなかった。 心の中のどこかでは分かっておられると思います。 ですからまだご自身で整理ができておられない状態、そういう方が当てはまりましょうか」

「ではマツリが紫に恋をしているということは間違いないのですね?」

「はい。 あとはマツリ様がそのお心に気付かれるかどうか、認められるかどうかで御座います」

「・・・マツリが認めるかどうか」

シキが眉根を寄せる。 それは難しい話かもしれない。

間をおいて波葉がシキを呼んだ。

「はい?」

難しい顔をしていたシキが波葉を見る。

「今のお話ですが、最初はシキ様のお力になればとマツリ様とお話しておりました。 ですが、マツリ様のご様子をうかがっている内に男同士のお話をしたくなりました」

「男同士?」

「はい。 マツリ様を見ていると、私を見ているようでマツリ様のお力になりたくなったのです。 ですからこのお話は男同士のお話であって、シキ様から問われたお話とは違います」

波葉の言っていることが分かった。 男同士の話をシキに漏らしたということを口止めしているのだ。 口止めはしているが、シキの役に立ちたくてシキに言っている。 それも分かる。

「波葉様、どうして紫の時にそのようにお話しくださらなかったのですか?」

「あ・・・」

マツリが言っていた。 波葉は文官なのだから四方に逆らえないと。 だがこうして内密に話してくれればよかったのに。

「お伝えしたかった。 紫さまのことはシキ様からよくよくお聞きしていましたので。 ですが、シキ様にお話しますとすぐにでも紫さまに会いに行かれたでしょう。 私が義父上からお聞きしたのは紫さまがお倒れになった後の事でした。 そのような悲しいことを、シキ様にお伝えなどしたくはありませんでした」

「・・・波葉様、どうしてあの時にそう言って下さらなかったのですか?」

「シキ様を・・・シキ様の悲しいお顔を見たくなかった。 私の我儘で御座います」

「波葉様・・・」


布団の端をギュッと握り締める紫揺。

(良かった。 シキ様と波葉様との仲が戻ったんだ)

紫揺が目覚めたのはマツリの話し以降であった。

運動不足、身体が鈍(なま)る。 本領に来た時には馬にも乗ったが、それ以降は倒れてしまい眠りから目覚めてからは身体が鈍って仕方がなかった。
寝入りはいいが身体を動かしていない分、夜中に目を覚ましてはシキの寝顔を見ていた。
退屈この上ない。 身体を動かせない日はいつもそう思っていた。
だが今日は、今朝は、シキと波葉の愛で包まれそうだ。

「今日帰るんだもん」

帰ったらまずはお転婆に乗ろう。 紫揺の愛馬に。
でも・・・その前に気になる。

「マツリ・・・俤(おもかげ)さんと会うんだろうかなぁ」

それが危なくはないのだろうか。 マツリは急いでいないと言っていたが、あの何をも見ない目。 あれは俤からの情報を欲しがっているのではないのか?
だがマツリからは今は四方を固めていると聞いた。 今はマツリも動けないのだろう。 だから何も知らない紫揺が動いてはマツリに迷惑をかけるだけだ。 これは推理ドラマでもゲームでもないんだ。

「私は・・・。 私がどう動けば役に立つ?」

リツソを二度と攫われたくなどない。

どう動けばマツリの役に立つ?

「え? マツリの役に立つ?」

紫揺が目を見開いて布団をはね飛ばし起き上がった。

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辰刻の雫 ~蒼い月~  第32回

2022年01月28日 21時42分03秒 | 小説
『辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~』 目次


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辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~  第32回



「嘘じゃねーだろうな」

薄暗い地下に光石が点灯している。

「本当でさぁ、共時(きょうじ)に嘘なんかつくもんか」

目の前にいる男を共時と呼んだ男は若かった。 共時が城家主の屋敷に居る時に一緒に居た男だった。 その共時は城家主の屋敷に居る時には若い者から頼られていた。
そして屋敷を出た後は城家主の触手として動いていたが、その共時を慕うものは決して少なくはなかった。

「俺も地下に入った時には助けてもらった。 あれは・・・忘れねぇ」

共時の目が怒りと共に策を走らせようとした。 だが策など簡単に浮かぶものではない。

「くそ!」

もっと話しておけばよかった。 拳を空に打ち付けることしか出来ない。

「共時・・・。 仲間はいまさぁ」

「あん?」

「見離されたと思ってここに来たのに、奴に手を差し伸べられた奴らが居る」

「お前・・・」

「共時の為なら動ける奴もいる。 アイツが手を差し伸べた奴らより少ないっすけど」

「お前が城家主に睨まれるだけになるんだぞ」

「おれ一人くらい知れたこと。 俺なんか―――」

「それを言うなと奴が言ったんじゃねぇのか? お前はお前だ、お前しかいない、ってな」

「共時・・・」

城家主の屋敷の中は分かっている。 以前は屋敷の中に居たのだから。 地下に通じる階段も知っている。
だが今の城家主の屋敷に残っている者の中で共時に手を貸してくれる者は半分もいない。 失敗するかもしれない。 いや、その可能性がほとんどを占めている。 手を貸してくれた者たちを痛い目に遭わせるわけにはいかない。 それに痛い目で終るかどうかも分からない。

「なぁ、アイツから何か聞いてねーか?」

「何かって?」

「なんでもいい」

「さぁ、アイツあんまり話さねーからなぁ。 ああ、そう言やぁ、いつ頃だったかアイツがどぶ板をひっくり返してたって聞いたっけか」

「どぶ板?」

「失せものか? って訊いたら、いや、赤茶のネズミ探しだって言ってたそうで」

「赤茶のネズミ? そんなのがいるのか?」

「同じことを訊いたら、そしたら珍しいから探してんだって。 城家主に売りつけようって考えてるって言ってたそうでさぁ」

「ふっ、アイツも脳みそも洗った方がいいかもしんねーな」

「脳みそ?」



夜の酒処 ≪馬酔亭≫ にやってきたマツリ。 キョウゲンはどこかの木に止まって待つのであろう、マツリの肩に止まることなく飛んで行った。

店先には剛度が立っており、片方の口端を上げてマツリを迎えた。

「全員集まっております」

十八人全員。
剛度の目を見て頷く。

店の中に入ると座っていた全員が立ち上がり、その中から一人が歩いてきた。

「まさかマツリ様にいらしていただけるとは思ってもいませんでした」

「偶然に剛度(ごうど)に聞いてな。 てっきり百藻(ひゃくも)は嫁をもらわないと思っていたから驚いた」

「俺もそのつもりだったんですけど・・・。 その、稀蘭蘭(きらら)がどうしても・・・」

頭をポリポリと掻く仕草を見せる。

「え? 惚れられたということか?」

有り得ない・・・。

「マツリ様、その仰りようは百藻に悪いですよ。 まあ、確かにみんな同じことを思いましたが」

照れている百藻を前に百藻と共に毎回紫揺に付いて走っていた見張番が言うと全員がそれに大笑いをした。
いや、全員だろうか。 腹の底から全員が笑っているだろうか。 きっと所業に影を持っているものはマツリに腹の中を探られないか気が気ではないはずだ。 だがここで全員の顔色を見るわけにはいかない。

剛度がマツリに奥に座るよう促した。
奥に座ったマツリの前に剛度が二人の男、見張番を連れてきた。

「マツリ様、百藻の事の前に新しいのを紹介させてください」

「こっちが先に入った蕩尽(とうじん)、あっちが最近入った小路(こうじ)です」

二人がマツリに頭を下げる。

「蕩尽か、今までは何をしておった」

どう見ても三十をゆうに越えているだろう。 今までどこで働いていたのか、何処からやって来たのか。

「宮都の中で官吏の手伝いをしておりました」

宮都の中でという事は宮都内をあちこち移動させられていたのだろうか。

「官吏見習いか何かだったのか」

あまり目を合わせようとしない。 剛度もそれに気付いているようだ。

「いいえ、官吏の下で働く使い走りです」

「早馬ということか」

見張番に来るくらいだ、馬の扱いになれているのだろうから。 だがそれも武官による正式な早馬ではなく、ちょっとした遣いというところだろう。

「マツリ様ちょいと宜しいでしょうか」

見かねた剛度が割って入ってきた。

「なんだ」

「いえ、蕩尽にちょいと」

マツリに向いて言うと続けて蕩尽を見て続ける。

「おい、言ってるだろ。 見張番は相手の目を見て話さなきゃなんねえって」

「ですが、マツリ様お相手にそのようなことを・・・」

「官吏の中にいたんだからそう思うかも知れねえが、見張番とマツリ様はそんな間柄じゃねえよ」

「剛度の言う通りだ。 四方様もだが、見張番と領主は代々近しくしておる。 官吏たちのように我を特別に思う必要はない」

「はぁ・・・」

キョロキョロと動かしていた目を恐る恐るマツリに合わせた。 それを見てマツリが頷いてみせ話を戻す。

「早馬で走っておったのか」

「それありますし、雑用も」

「そうか、ふむ。 あまり見たような記憶が無いのだが、長く居たか」

あまり長く話していては不審に思われるが、今やっとまともに目を合わせたところだ。 まだ目の奥の禍つものが視えない。 大きく悪ごとを思っていればすぐに分かるが、すぐに視られないということは、それだけ禍つものも小さいということ。

「わたしらみたいなのは表に出ませんから、マツリ様とお顔を合わすようなことはありませんで」

「そういうことか。 このような場で何なのだが、少し訊きたい」

なんのことかと、蕩尽が身体に緊張を走らせる。

「ここのところ官吏・・・文官たちが忙しいと聞いておるが、蕩尽から見て官吏の人員不足が考えられるか」

そういう話かと、蕩尽がいつの間にか上がっていた肩を下す。

「それはどうでしょうか。 わたしらみたいなのには分かりませんが、話にもならない厄介ごとが多すぎるだけじゃないんでしょうか」

「話にもならない厄介ごととは、例えば」

「あっちで誰かが喧嘩した、こっちで誰かが物を盗られたとかって、どうでもいいことをいちいち上げてくるもんで。 私らはそれで走らされていましたから」

「ああ、そういうことか。 そう言えばそのような事を文官も武官も怒っておったか。 では忙しくしておったのだな。 それでは見張番は退屈であろう」

「今までが忙しすぎましたから、身体休めに良いかと」

「おい、それは無いだろう。 それでは俺らは給金泥棒になってしまう」

そんな風に聞いてマツリが何かを思うはずがないとは分かっているが、さすがに聞き捨てならず剛度が突っ込んだ。

「そういう意味で言ったわけでは」

後頭部を掻きながら剛度に言う。

「正直ということで良いではないか」

マツリがその隣に居るもう一人を見た。
マツリが蕩尽を視おえたということだ。 剛度が僅かに表情を動かした。

「小路か、数日前に会ったな」

「はい」

「小路は今まで何を」

こちらは三十前後であろうか。

「馬番でした」

「馬番? どちらの」

宮の中の馬番は顔を知っているが、この小路の顔には見覚えがない。

「四都(よと)の官所(かんどころ)です」

官所とは役所である。

「四都に居たのか」

「はい」

この男は先日視終えている。 これ以上見る必要はない。 百藻の祝いの場をこれ以上邪魔する必要はないだろう。

「そうか、では馬に慣れているという事だな。 では二人ともこれからも洞を守るよう、力を尽くしてくれ」

二人を視終わったマツリが言う。 蕩尽と小路が解放された。

剛度がまだ立ちっぱなしだった百藻にマツリの隣りに座るよう促す。

「いや、それは・・・」

あまりに失礼だという目を剛度に向ける。

「何を言ってんだ、今日は百藻の祝いだ。 ねぇ、マツリ様」

「ああ、それとも我が下がらねばならんか?」

「滅相も御座いません」

「ほら、マツリ様もこう言っておられる。 なかなかマツリ様の隣に座れることなんてないんだ。 遠慮せず座らせてもらえ」

それは剛度の計らいであった。
これから一人づつ百藻に言祝ぎを述べに百藻の前に立つ。 そうすれば嫌でも隣に座るマツリと話さなければいけなくなってくる。 まぁ、嫌と思うのは地下に繋がっている者だけだろうが。
剛度の計らいは間違いなく行われた。
一人づつが百藻に言祝ぎを述べに前にやって来た。 そしてマツリがその者達に話しかける。

朝の見張番のことがある。 次の朝は早い。
剛度が内々の祝いに解散を告げる。

マツリが視たかったものは最初の言祝ぎの時に全て視ることが出来た。 だが剛度の解散を告げるまで座を立たなかった。 中座すると不自然に思われる。 だからと言って理由なく最後まで居るのも疑われる。

居ることが不自然にならないよう、疑われないよう色んな話をした。 そして祖父と思えるような百藻に稀蘭蘭がなぜ添いたいと思ったか、それをどうしても訊きたかった。 本心からそう思っていたのもあるが、それも利用することにした。

「マツリ様、それは愚問で御座いますよ」

百藻は顔を赤くしているだけだ。 他の見張番が答えてくる。

「いや、この問いは百藻には悪いとは分かっておる。 だがどうしても分からん」

「稀蘭蘭は百藻の心に惚れたんですから」

「心?」

「ええ、百藻は一筋の心を持っています。 それはマツリ様もお分かりでしょう。 そこに稀蘭蘭が惚れたんです」

「だがこの見張番の他の者も同じように一筋の心を持っていよう」

四名を除いて。

「そりゃそうです。 ですが稀蘭蘭は百藻を選んだんです。 これは稀蘭蘭が他の者を知らなかったからでしょうが」

と言うと、オイと百藻から苦情が入った。
こりゃわるかったな、と百藻に向かって言い、マツリに向き直った。

「まぁ、それ以上に稀蘭蘭は百藻のことを分かったんでしょう」

「分かった?」

「ええ、百藻の優しさを」

「泉のように澄んだ深い優しさ~」

誰かが微妙な音程にのせて歌った。 マツリに話しているのを聞いての事だろう。

「またしちゃあ稀蘭蘭がそう言うんです」

マツリに話していた見張番がマツリから目を離し、なぁ、と百藻を見て言う。 百藻がまた赤くなり、ポリポリと後頭部を掻いている。

たしかに百藻は優しいと思う。 見張番の厳しい目を必要とする時には厳しくはなるが、その厳しさの底に優しい目を持っている。 その優しさは決して曲がったものではないし、曲げることなど出来ないものであるはず。
だから紫揺がこの本領に来た時に紫揺に付く見張番に百藻を許した。 それにこの百藻に影など無いと視たからだ。

「稀蘭蘭とはどのような娘か?」

マツリが次々と百藻に稀蘭蘭への疑問を投げかける。
マツリと他の見張番の会話に聞き耳を立てていた技座と高弦がホッと胸を撫で下ろす。 百藻に言祝ぎを伝えると次にマツリと相対して会話をした。 婚姻後どうだ? とマツリから訊かれ、それなりに答えた。 その間に魔釣の目が向けれられているのではないかと思っていたが、そうでは無かったようだ。 それならば今すぐにでも、魔釣られるはずなのだから。


剛度の解散を告げる声を聞いてマツリが腰を上げた。
剛度に己の視たことを話さねばならないだろうが、ここでグズグズと残っているのも不自然に思われるだろう。 それに己が一番にここを出なければ誰も出ることが出来ないのだから。

百藻に「大切にしてやれよ」 と言葉を残して店を出る。 剛度も分かっているのだろう、今はマツリと必要以上に話すことは避けた方が良いと。 店の外までマツリを送らず、他の者に見送りをさせた。


宮に戻るとすぐに四方に報告をしたかったが、もう四方は寝ている刻限だ。 明日の朝にするしかない。 だが紫揺のことは確認したい。 寝ていればそれでいいが、万が一にも東に帰ってしまっていてはシャレにもならない。 着替えるとすぐに自室を出た。

紫揺に付いて岩山を下りて来た見張番は本来なら紫揺が動くまで宮に居るはずだった。 一昨日はうっかりとしていたが、今日見張番と会って思い出した。 見張番が居るかどうかを見れば紫揺が帰ったかどうかが分かることだった。
だが今日その見張番は今日の百藻の祝いに出席している。 ましてやその見張り番の一人が当の百藻だ。 見張番無しで紫揺が帰るとは思えないが、あの紫揺のすることだ。

「・・・義兄上はまだ起きていらっしゃるだろうか」

紫揺がまだ帰っていなければ波葉はまだ客用の間に居るはずだ。 一昨日のように上手く逢えないだろうか。
足を進めるマツリ。 回廊に光石が灯る。

一昨日波葉が顔を出してきた客用の間の前まであと数歩と言う時に襖が開いた。

「お帰りなさいませ」

波葉だ。

「ただ今戻りました。 義兄上がここにいらっしゃるということは、紫が姉上のお房に居るということでしょうか」

波葉が頷く。
これで今日の心配事が終わった。

「マツリ様、お話を宜しいでしょうか?」

「え?」

シキとのことでまだ気づまりがあるのだろうか。

「姉上がなにか?」

「いいえ、そういうことでは。 一昨日のように呑みながらでもお話のお相手をお願いできませんか?」

シキが何か波葉の気に障ることでも言ったのだろうか。 それならシキに波葉のことを考えるように言った己が謝らないといけないか、いやその前に話を聞くだけでも聞かなければ。

「ええ、こちらこそ」

波葉が大きく襖を開けマツリを迎え入れた。


夕餉の後、シキに招かれ波葉がシキの部屋に入った。 笑みをたたえて波葉を迎え入れたシキの顔を見て許してもらえたと思った。 この刻限から邸に帰るわけにはいかないが、それでも今日一晩を宮で楽しく過ごし、明日には邸に戻れると思っていたのだが、話は思わぬ方向に飛んでいった。

『一昨日、マツリとお呑みになっていたそうですわね』

斜め前に立っているシキが肩越しに言った。
呑んでいたことを責められるのだろうかと思った波葉。

『え、ええ。 男同士の話しとでも言いましょうか』

『男同士?』

向き直った美しい目がジロリと波葉を捕らえる。

『マツリが何か言っておりまして?』

男同士ということでなにか紫揺に関することを話したのだろうか、とシキが訊くが、そんなことは知らない波葉である。

『特には。 ああ、そうそう、今マツリ様が行っておられる、祝いの席でのお二人のことなどを話しておられました。 歳が離れていても平気なのだろうか、とか。 ですがそんなことより私の心配をして下さっていました』

そう、だから二人の話しに戻したいのだけれど、と遠回しに波葉が言っている。

『紫のお話は御座いませんでしたでしょうか?』

『紫さまの? いいえ? どうしてで御座いますか?』

『そうで御座いますか・・・』

紫揺の話をしていたのではないのか。

『では、波葉様? お願いが御座います』

そうシキに言われたのだった。
そしてついでのように『お仕事はいかがでした?』 と訊かれたくらいで許してもらえたという感触は感じなかった。 それだけにシキから言われたことには遺漏なくマツリに訊かなければならない。


「昨日の朝はシキ様と紫さまの三人で、時を過ごされたとお聞きしましたが」

「はい、義兄上と姉上の時をお取りして、申し訳ございません」

温厚な顔を向けながら波葉が首を振り、マツリの酒杯に酒を注ぎながら話し始める。

「シキ様が気にされておられたのですが・・・」

紫揺とマツリが初めて会った時にマツリが怒っていたという話と、その時にリツソに言った言葉をシキから聞いたという。

「姉上が?」

手にした酒杯を一口飲む。
今のこのシキと波葉の状態でそんな話をしたのか、ということは、シキが波葉を許したのかと思う一方で、己が整理できていないのに要らないことを言ってくれたとも思う。

「姉上と仲が戻られましたか?」

「あ、ええっと。 少しですか。 そんなに簡単には全面的に許してもらえそうにありません」

「ですが、その様なお話をされたのですよね?」

また一口飲んで座卓に戻す。

「あ、はい。 まぁ、それはそれで」

どういうことだ? と、マツリが首を捻る。

「まあまあ、そんなことはお気にされず」

波葉がマツリの前に置いてあった酒杯に継ぎ足しながら言う。

「シキ様のお話では記憶にないと仰っておられたようですが?」

「・・・はい」

「それは最初に紫さまに慧眼を送られたことと関係がありましょうか?」

そこも言っているのか、と頭を巡らせる。 多分あの時シキと話したことを全て言っているのだろう。
波葉は先程少しだけ仲が戻ったと言ったが、これでは全面的に戻ったのではないのか? それでは己は必要なかろう。
それにこんな話をするくらいなら己の房に戻りどうやって俤と接触するか考える時を持ちたい。 早々に話を切り上げよう。

「姉上にも申しましたが、紫の勘違いでしょう」

「トウオウ」

マツリが酒杯を手にしようと下を向いた時に波葉が言った。
マツリの手が止まった。 ゆっくりと酒杯から波葉に視線を移す。

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辰刻の雫 ~蒼い月~  第31回

2022年01月24日 22時26分59秒 | 小説
『辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~』 目次


『辰刻の雫 ~蒼い月~』 第1回から第30回までの目次は以下の 『辰刻の雫 ~蒼い月~』リンクページ からお願いいたします。


     『辰刻の雫 ~蒼い月~』 リンクページ




                                  




辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~  第31回



「シユラがそう言うなら・・・」

だが口を尖らせるだけで動こうとしない。

「なに? どうしたの?」

「シユラは我とカルネラと、どちらに会いたいのだ?」

「え? どういうこと?」

「我がカルネラを探しに行けばその間シユラは我と会えなくなる。 それでもいいのか?」

マツリが半分ほど瞼を伏せた。 それだけの動きなのに、シキがマツリの様子の違いに気付く。
何かを考えるように半分伏せた瞼を最後までおろすと、三つほど数えてから瞼を上げた。

紫揺にすればリツソもカルネラも可愛い。 そのリツソがまさかそんなことを言うとは思ってもいなかった。 紫揺が返事に困っているとマツリの声が割って入ってきた。

「さっさと探しに行け。 ほんの僅かな時でも離れるのではない」

いつもなら怒鳴っているところなのに、どうしたことかとシキが首を傾げる。

リツソが更に口を尖らせる。
するとなぜか昌耶が襖を開けた。 お出口はこちらです、とでも言うように。
しぶしぶ部屋を出たリツソ。 その姿を見送った紫揺が振り返ってマツリを見た。

「マツリの言ってることは分かった。 でもそれじゃあ、余計と情報屋さんの話が必要なんじゃないの?」

「すでにいくつか情報はもらっておる。 今はそちらを固めておる。 次の情報は今すぐでなくともよい」

「私・・・。 馬にも乗れるし、そこそこ身体も動かせる。 必要な時には言って欲しい」

「・・・そんなにリツソが心配か」

おや? と、シキが眉を上げる。 本領のことだから紫揺には関係の無いこと、とは言わないのか?

「さっきも言ったけど私も攫われた経験があるから。 何も分からないっていうのは不安でどうしようもないから。 あんなことをリツソ君に味あわせたくないから」

リツソのことを心配かと訊いた。 返ってきた答えはマツリが訊いたことに対する答えでは無かった。 マツリは攫われた者の不安を知らない、であった。

「リツソがさっき言っておったが・・・リツソと会っていたいか」

紫揺が眉根を寄せて首を傾げる。 どうして今ここでその質問なのか。

「どういうこと?」

「先ほど、我が話を中断させてしまったから、どうなのかと思っただけだ。 いや、いい。 リツソが居ないのにそんな話を訊いても詮無いことだ」

そう言うとシキに向いた。 じっとマツリを見ていたシキが目を踊らせる。

「では、義兄上のこと、お忘れになられませんよう」

「え? ええ、勿論よ」

すっかり忘れていた。

昌耶の手によって襖が開閉された。


足を進めるマツリ。

(我はどうしてあんなことを訊いた・・・)

リツソのことが心配なのかと、リツソと会っていたいのかと。
紫揺と話していて己の中に分からないことが多々あった。 刺すような痛みもそうだ。

(どうして・・・)

下げていた頭を上げる。

(アイツ・・・トウオウと言った)

小声だったが確かに聞いた。 

(我がその前にトウオウの名を言ったからか。 いや、それにしてもあの様子はおかしかった)

それに紫揺が目覚める前、トウオウと言っていた。 あれも確かに聞いた。
パンと頭の中で紫揺が倒れるシーンが頭に浮かんだ。 紫揺の身体を薬草師が抱えるところを。 あの狭い部屋の中で。

(見てもいないのに、どうして・・・)

マツリが頭を何度も振る。
その頭の中に己の声がこだまする。

『民がどれ程、五色を愛するかだ』
五色を愛するかだ、愛するかだ、愛する、愛する・・・。

大きく頭の中に鐘のように響いて聞こえてきた己の声が段々と小さくなっていく。

(なんだ! どういうことだ?)

己はおかしくなったのか。 思った途端、胸に何本もの棘が刺さったような痛みを覚えた。
身体がよろめいた。 勾欄に身体を預け無意識に胸を押さえる。

その様子を見るともなしに回廊を歩いていた文官。 マツリの異変に気付き回廊を走ってきた。

「マツリ様! 如何なされました!」

胸に手を添え頭を下げ、勾欄に身を預けているマツリの顔を下から覗き見た。 身に触れることは畏れ多い。

「あ・・・、ああ、何でもない」

顔を上げたマツリ。 文官の顔を見た。

(帖地・・・)

見張番を増やした文官。

「少しふらついてな」

己の体調を気遣っているのは、己が体調を悪くしているのかどうかを確認しているのか、それとも他に目的があるのか。

「ご無理をされておられるのでは?」

「いや、そういうことではない」

身体を立て直す。

「シキ様が宮を出られてからはマツリ様が各領土に出られております。 それに本領も見られて」

本領か、地下とは言わないか、とマツリが考える。

「ああ、だが今日はゆるりと出来ておる。 気が緩んだのだろう」

どうして己はあのようなことに陥った、と考えながらも帖地の言を聞き目を視る。

「少し休まれてはいかがですか?」

「父上ほどに忙しくしておらんからな。 それは怠惰というものだろう」

「たしかに四方様もお忙しくはされておられますが、四方様と違ったお疲れがマツリ様には御座いましょう」

何が言いたいのかは分かる。 だが問い返す。

「父上以上に疲れることなどないが?」

「・・・地下を。 地下を見ておられましょう」

「ああ。 だが、時折まわっておる程度だ」

帖地がマツリを見ていた目を外した。

「・・・地下に異変は御座いませんでしょうか」

マツリが目を眇める。

「地下のことだ、無くは無いが?」

「そうで御座いますか。 ・・・とにかく、マツリ様の御身をお考え下さい。 ご無理をされませんように」

そう言い置くと帖地がその場から逃げるように去って行った。
高く結んでいた銀髪。 ハラリと横髪が落ちてきた。 丸紐が緩んでいたようだ。

「禍(まが)つものが視えなかった・・・」

どういうことだ。 四方からは帖地が見張番を増やしたと聞いている。 それなのに帖地には禍つものが視えなかった。
有り得ない。 己の目がどうにかなったのか、それとも・・・。 それ以外に考えられることは一つしかない。
銀髪を括り直す。

「もう一人の文官を父上に限定してもらわなくては」

何度も言い損ねていた馬で走っていた文官。 名を知らず顔に覚えがあるだけだが、その者を視なくては。 そして帖地と同じ結果であるのなら・・・。
俤のことが気になる。

「無茶をしていなければいいが・・・」

まだ始業の太鼓はなっていない。 四方は自室にいるだろう。 今のことと、以前に見た文官のことを四方に報告すべく四方の自室に足を向けた。


マツリの最後の言葉を聞いた紫揺。

「シキ様? 波葉様と何かあったんですか?」

朝食の席で何かあったのだろうか。

「え? いいえ、何もないわ」

それより、とシキが紫揺に問いかける。

「北の領土の五色、トウオウのことを聞かせて欲しいわ」

「え?」

どうしてトウオウのことを訊かれるのか?


「もー、カルネラはどこに行ったのか!」

リツソがカルネラを探している。

「カルネラ―! カルネラ―!」

リツソがあちこちの庭を歩きながらカルネラを呼ぶがカルネラが姿を現さない。

「シユラが呼んでいるぞー! カルネラ、出てこいー」

そう言った途端、カルネラが遠くから走って来たのが見えた。

「おお、やっと聞こえたか」

カルネラがリツソの足元から肩に上がる。

「シユラ、ドコ? シユラ、ワレヨンダ?」

リツソが眉を顰める。

「我の次にカルネラを呼んだんだ」

「シユラ、ドコ?」

「姉上のお房に居る。 今から連れて行ってやる」

「アネウエ? ワレ、カルネラ」

「だから、連れて行ってやる」

スルスルスルとリツソの身体を降りるカルネラ。

「カルネラ?」

「シユラ。 ワレ、カルネラ。 アネウエ、オボウ」

そう言うと小さな身体で走り出した。

「カルネラ!」

リツソが叫ぶがカルネラには聞こえないのか、足を止めることは無かった。
リツソがカルネラの後を追って走った。


「トウオウさんは・・・」

紫揺が言いかけた時、襖の外で叫ぶ声が聞こえた。
紫揺とシキが襖を見た。 勿論、昌耶も。 その昌耶が僅かに襖を開けると、その隙間から毛玉が飛び入ってきた。

「ひい!」

仰け反り声を上げた昌耶。 今日はこれで二回目だ。 心臓が幾つあっても足りない。 シキがこの部屋を出てから部屋に何かあったのだろうか、と疑いたくなる。

「シユラ!」

「わあ! カルネラちゃん!」

手を出した紫揺のその手からカルネラがスルスルと紫揺の肩に上がり、紫揺の首筋に短い手をまわすと頬を寄せた。

「ワレ、カルネラ」

「うん、知ってるよ。 可愛いカルネラちゃん」

紫揺が目を細めて人差し指でカルネラの頭を撫でてやる。

シキが溜息をついた。
供は主に共鳴する。 それは知識であり、想いである。
カルネラがここまで紫揺に懐いているのはリツソが紫揺を想っているからかもしれないが、普通はこんな事には、こんな風な共鳴の仕方はしない筈。

もし紫揺がマツリの奥になったとすればリツソはどう思うのだろうか。
リツソは可愛い。 そのリツソの悲しむ姿を見たくない。 だがマツリはどうなのだろうか。 マツリは紫揺のことをどう思っているのだろうか。 そしてリツソのことを。
紫揺と話している時のマツリはときおり解せない時があった。

(マツリは、リツソに遠慮をしている?)

いや、それもどうだろうか。 マツリは恋をする時など無いと言っていた。
紫揺を見ないで前だけを向いて話していたのも気になる。

(紫のことを無視している風ではなかったし)

「カルネラちゃん? リツソ君と会わなかった?」

「リツソ・・・。 ワレ、ヨンダ。 シユラ、ワレ、ヨンダ」

リツソがカルネラを呼んだのだろう。 紫揺がカルネラと会いたいと言ったから、それなりのことを言ったのだろう。

「そっか。 じゃ、もうちょっとしたらリツソ君が来るね」

カルネラが首を傾げる。
それを見たシキ。
カルネラがリツソのことを分かっていない? リツソのことを何もかも知るはずの供が。
何もかもを知る?
キョウゲンの目を思い出した。
キョウゲンの目には紫揺は映っていなかった。 いつも淡々としていた。 それはマツリでもあった。

(万が一にもマツリが紫に恋をしていたとして、マツリは恋をしていることに気付いていない?)

だからキョウゲンがそれに気付いていないのか?
いや、そうであっても、供ならマツリの心の動きが分かるはず。

ロセイもどちらかと言えば淡々としている。 だがシキの心の内は分かっている。 だから東の領土の民たちの前でもシキの先手先手を打って動いていた。 そして何より思ってもいないのに、シキが波葉と居る時には身を引いたりしていた。
一度キョウゲンに訊いてみるしかないか、とシキが目を据えた。

そしてほどなくリツソが部屋に入ってきた。
何故かその後に澪引もやってきて、ほぼほぼ、女三人で話がはずんだ。 リツソは話の訳が分からず、声の出る方、右に左に正面に首を振りながら話を聞いていただけであった。 澪引もシキも互いの伴侶の苦情を言っていたのだから。 そして、どう思うかと訊かれ、それに答える紫揺も見ながら。


翌日も女三人にリツソが加わるという図となった。 澪引はリツソの現実を知り勉強を諦めたようだ。
シキがなんとかマツリとのことに話を持っていこうと思っていたのだが、リツソが居てはそれも叶わない。
夜な夜な話にかけるしかなかった。


数日前の事、秀亜郡に向かっていた武官から知らせが入った。
秀亜郡で焼かれた家を確認したということ、そして死者が出ていたということは事実であったと。
すぐに下三十都都司を宮都に呼んだ。

後日やって来た下三十都都司は身に覚えが無いという。
だが火をつけたところを見た秀亜群の民が、下三十都の官所(かんどころ)で働いている者を見て、この男達に間違いないと言っていたと、報告に聞いている。

『たしかに秀亜群を下三十都に入れようとはしました。 宮都へのご報告は郡司の許可を取ってから、郡司も納得してからと思っておりました。 郡司にもそう話しました。 ですが家を焼くなどと。 そんなことをするわけが御座いません。 官所の者がやったというのなら、その者を都司として責任をもって宮都に連れてまいります』

刑部でそう話たという。
このクソ忙しいのに、と腹の中でブツブツ言いながら四方が門を潜り刑部省に向かった。


シキが紫揺の前髪を上げた。

「明日には帰ってしまうのね」

シキの隣で眠る紫揺。
紫揺との話を思い出す。
シキに訊かれたトウオウのことを夜な夜な話の中で紫揺は話した。 包み隠さず。 紫揺がトウオウに傷を負わせたことも何もかも。

『トウオウさんは、ずっと優しかったんです』

『ずっと?』

『はい。 それに気付きませんでした』

もっと早く気付いていれば何かが変わっていたかもしれない。 そう言った紫揺だった。
そしてトウオウとの別れの時のことを話した。

『え・・・』

思わずシキが息を飲んだ。
本領に限らず各領土でも、伴侶になっていない者が頬に唇を重ねるなど考えられないのだろう。 それも同性同士で。

『日本ではそんなに当たり前の事じゃないんですけど、海外では当たり前みたいです。 トウオウさんは海外に出ていたみたいですから』

『かいがい?』

うっかりシキが言ってしまったが、領土以外のことを訊くのは是と思ってはいない。 今の紫揺の言いようでは “かいがい” というのは日本以外の所であるようだが、そことて領土ではない。

『ああ、いいわ。 訊いていてごめんなさい』

シキの言わんとすることは分かっている。

『分かっています、気にしないでください。 まだ私が日本と此処を区別できていないだけですから』

『区別だなんて』

『いやな言い方ですね』

紫揺の中にまだ日本の生活が残っているのか。 だがそれは仕方のないこと、生まれ育った地であるのだから。 日本に居た長い時と比べるとまだこの領土に来ていくらも経っていない。 紫揺の言うように “区別” という方法をとらなければいけないのだろう。
『そんなことはないわ』 と言いながら頭を切り替える。

『それで紫はトウオウのことをどう思ったの?』

『トウオウさんは・・・』

馬車に揺られて腰を悪くしたことを話した。

『紫の腰をさすってくれたの?』

『はい。 とても暖かい手でした。 日本に伝わる “手当て” を感じました』

『てあて?』

『はい、痛い所に手を当てる。 そうすれば痛みが引いていく。 迷信みたいなものですけど実際に痛みが引いていきました』

そこまで言うと、マツリのことを思い出した。

『私が今回倒れてからまだ目覚める前、っていうか、その際(きわ)なんですけど、その時のことを思い出したんでしょうね、トウオウさんが私の腰をさすってくれていると思ったんです、錯覚してたんです。 腰が痛かったから。 そしたらマツリでした』

『え?』

『マツリが私の腰をさすってくれていました』

『マツリが?』

『どうしてマツリが腰をさすってくれていたのかは記憶にないんですけど』


マツリが紫揺に恋しているとするならば・・・。
シキがもう一度、隣で眠る紫揺を見た。

「ややこしいわね・・・。 それでも紫はマツリのことを認めてくれているのよね」

マツリに自覚があればいいものを。 それに紫揺は最終的にマツリのことをどう思っているのか。
遠まわしに訊いてはみたが、紫揺はあっさりと答えた。

『マツリのことですか? うーん・・・。 リツソ君の兄上ですね』

『リツソのことを外してもらえない? マツリだけのことをどう思っているのか訊きたいの』

そう言うシキに小首を傾げた紫揺だが何度考えても分からない。 だから正直に言った。

『最初は腹が立つしかありませんでした。 でも今はそうでもないです』

『どうして?』

『マツリって、けっこう色んなことを考えているっていうか、人非人とさえと思っていたのに、違ってたって分かりました』

“最高か” と “庭の世話か” の功績が大きいのかもしれない。

『それで?』

『え? それだけです』

そう言われてしまった。
だが少なくとも紫揺はマツリに対して印象を変えた。 それも良いように。 そしてマツリはきっと・・・紫揺のことを想っているだろう。
それは女の勘であるが、女の勘というものは捨てたものではない。
柳眉なシキの眉が動いた。

「明日の朝、紫が出るまでには無理ね。 でも・・・」

あまり長く時はおけない。 紫揺が東の領土でどんな生活を送っていくのかが分からない。 東の領土で想い人が出来るかもしれない。

「再々、紫を本領に呼ぶしかないのかしら」

そう思うとどうしてもう少し婚姻の儀を伸ばさなかったのかと、少なくともこの今の時より少しでも後にしなかったのかと後悔する。 そうすれば己が東の領土に飛べていたのに、理由を付けて紫揺を呼べることも出来たのに、と美しい唇を噛んだ。

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辰刻の雫 ~蒼い月~  第30回

2022年01月21日 21時00分44秒 | 小説
『辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~』 目次


『辰刻の雫 ~蒼い月~』 第1回から第20回までの目次は以下の 『辰刻の雫 ~蒼い月~』リンクページ からお願いいたします。


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辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~  第30回



最後まで黙って聞いているつもりであったがこれでは埒があかないだろうし、こうして二人の喧嘩が始まるのだろうと分かった。 それにマツリの様子も十分に見ることが出来た。

「姉上! 父上からある程度聞かれておられるのでしょう!」

珍しくマツリがシキに対して声を荒げたが、シキは余裕で微笑んでいる。

「ええ、でも紫は引かないわよ。 マツリもそれは分かっているでしょう? 少なくとも事情を話せばどう?」

シキの落ち着いた口調に少しは冷静さを取り戻したマツリ。 先ほどの荒声にしまったと思ってももう遅い。 「申し訳ありません」 とシキに一言いって続ける。

「それは本領の中の事です」

「だから、そう言って終わろうとするから、紫がああ言っているのでしょう? 紫が本気ということはマツリにも分かるでしょう」

ブスッとむくれたような顔を見せたマツリ。 仕方なく真っ直ぐに明後日を見ながら口を開く。

「カルネラに頼もうとしていたことはリツソとは関係はない。 それにまず、地下というのは・・・」

地下がならず者のたまり場だと聞かせた。 命の保証のない所だと。 そんな所であるのだから女が一人で入ることなど出来ないと。 そしてカルネラには地下に居る情報屋から話を聞いてきて貰いたかっただけだと告げた。

「今までは誰がその情報屋さんから話を聞いてたの? それが、その情報屋さんが俤(おもかげ)って人?」

俤の名前まで聞かれてしまっていたのか。 あの時、あまりのカルネラの覚えの悪さに、つい周りが見えなくなってしまっていた。 己の間抜けさに溜息が出る。

「俺が訊きに行っていた。 いいか、俤の名は二度と出すな」

紫揺の眉が上がった。 ここは触れてはいけないところだったのだろうか。

「じゃ、どうして今回はマツリが行かないの?」

マツリが大きなため息をついた。 ここでリツソが関係してくるからだ。

「リツソが具合を戻してそんなに日が経っていない。 そんな時に地下をウロウロしていては地下の者がどう考えるか分からない」

「ふーん、そうなんだ。 ・・・さっきも聞いたけど、その情報屋さんの情報は急いでいるのよね?」

「急いてはおらん」

「カルネラちゃんに頼むくらいなのに?」

俤から言い切れなかったという話が気になることも確かだが、あの時、俤からの情報は数があった。 それなのにまだ言い切れなかったことが一つ残っているということは、もしかしてその事に関する何かを突き止めようと無理をして動いているのではないだろうか。 城家主に捕まってはいないだろうかと案じてカルネラを走らせようとしていた。

「当分行けそうにないからだ。 これで全て話した。 紫は明日までこの宮で大人しくしておくよう」

「大人しくって・・・塔弥さんみたいなことを言う」

東の領土のお付きの中で時折、紫揺に意見をする者がいる。 それが塔弥だ。 塔弥以外は全員日本に居る時に紫揺のトンデモを目にしていたが、塔弥も紫揺のお付きとして東の領土で一緒に居るようになりそれを知った。

最初は他のお付きから紫揺に注意をしろ、とか、何事においてもお前が言え、という目を送られてきてしぶしぶ言っていたのだが、その内に言われずとも視線を送られずとも塔弥の判断で言うようになってきていた。

切っ掛けは紫揺が愛馬である “お転婆” に乗っている時、急に鞍の上に立ち上がったことだった。
紫揺曰く、遠くを見たかった、ということらしかったが、それからというもの、紫揺が何かをしようとしかけた時には、事前に大人しくなさって下さいませ、と言うようになったのである。

「トウヤ? ・・・北の五色のトウオウではないのか」

紫揺を見た。

「へ? どうしてここにトウオウさんが出てくるの?」

「・・・」

マツリの表情が動かない。

「塔弥というのは、東の領土で独唱に付いていた者ね」

さり気なくシキがマツリに説明する。 シキを見たマツリ。 トウヤという者が東の者の事かと分かった。

マツリは紫揺が本領に来るまでに東の領土で馬を走らせていたことを思い出した。 守られながら走っていたにも関わらず一人飛び出して走り出したことを。
トウヤというのが誰かは分からない。 あの中にいたのかも分からないが、いつもあのようなことをしているのだろう。 だから大人しくしろと言われるのだろう。

「大人しく出来ておらんのか」

視線を明後日に戻す。

「そんなことない。 塔弥さんが大袈裟なだけ」

これを東の領土で言っていれば、どこがだ! と、何処からか聞こえてくるだろう。

二人の会話が始まりシキがトウオウを思い出そうとした。 年に一度、祭の時にしか会わないし、そうそう話もしない。
北の領土の五色、白と赤の力を持つ、異(い)なる双眸を持つ者。 だが本来なら白の力だけでなければいけなかった者、だったかと思い出した。 そしてその容貌も。

(単なる聞き違いではないはず・・・)

今も真っ直ぐに前を見ているマツリを横目に見た時、襖の向こうがやけに騒がしくなった。

昌耶が眉を顰め、そっと襖を開けようと手を伸ばした時、外からバンと襖が開けられた。

「ひえ!」

思わず昌耶が声を上げて仰け反る。

シキもマツリも紫揺も襖の方を見た。

「やっぱり!」

襖の向こうに立っていたのはリツソであった。

「姉上、これはどういうことで御座いますかっ! 我に勉学をしろと言っておいて、紫揺と姉上と兄上で遊んでいるので御座いますかっ!」

“遊んでいる” その言葉に誰もが情けなくなる。 今はまだ襖が開けられている。 襖の外に居るシキの従者にも “最高か” にも “庭の世話か” にも十分聞こえている。
“最高か” と “庭の世話か” が互いに顔を見合わせる。 分かってはいたが、やはりリツソは却下だと。

リツソが部屋の中に入ると昌耶が障子を閉める。 “最高か” と “庭の世話か” の四人が今にも舌打ちをしそうな顔を見合わせた。

シキにとってはいい具合にマツリと紫揺を見ていられたのに、とんだ邪魔者が入ってきたという様子だ。

(あら、これもオジャマムシというのかしら?)

と、紫揺に教えてもらったお邪魔虫と言う言葉を頭に浮かべた。

「母上と勉学をしているのではないのか」

「母上が飽きられました」

それは澪引が飽きたのではなく、呆れたというのが正解だろう。 リツソは呆れられたのだろう。

いつもの紫揺ならリツソ君、お勉強してたんだ、などと言うだろうが、澪引から聞かされた話がある。 
あまりリツソを煽(おだ)てたくはない。

リツソが紫揺を見た。 目が合った。

「シユラ、もう身体はいいのか?」

「うん、元気。 心配かけたね、ゴメンね」

「そんなことは無い。 シユラは我を助けようとして倒れたんだから」

歩み寄ってきたリツソが紫揺の片手を取る。

「礼を言い損ねていた。 シユラ、我の為にシユラの身体を意ともせず、我を呼び覚ましてくれた。 ありがとう」

リツソが取っていた紫揺の手に頬を寄せる。

さっきマツリがトウオウと言った。 あの時のトウオウとのことがフラッシュバックする。
トウオウが紫揺の左頬に右手を当てた。 そして紫揺の頬に唇を重ねた。
『合格だね』 頬から離した唇が耳元でささやいた。

残っていた片手を自分の頬に寄せる。
「・・・トウオウさん」 呟いていったのは、小さな小さな声だった。
だがマツリがピクリと眉を動かしたのをシキは見逃さなかった。

目を細めたシキ。 “トウオウ” これはキーワードになるかもしれない。 マツリと紫揺に確かめる必要があるだろう。

「シユラ? どうかしたのか?」

どこかボォーッとしている紫揺にリツソが問う。

「あ、うううん。 そんなことないよ。 リツソ君が元気になってくれて嬉しい」

『そんなことない』 とはどういうことなのだ?
『我の為にシユラの身体を意ともせず』 リツソが言ったそこにかかっているのか、それともトウオウと言ったことにか。 リツソではなくマツリが思う。
そのマツリをシキが見ている。

「どう? もう何ともない?」

「ああ、我は勉学も出来るほどに回復した」

リツソの言うところの勉学である勉強が素晴らしく出来ていないことを紫揺は知っている。

「そうなんだ。 じゃ、もっと励まなくちゃね」

「あ・・・えっと。 その、休憩だ。 母上もお疲れになったようなのでな。 で? シユラはどんな遊びをしておったのだ?」

「遊んでないよ。 お話をしてたの、大切なお話」

再々聞く “遊び” と言う言葉に、マツリがゲンナリとした表情を見せる。 もうこの場を辞そうと思った時、とんでもないことをリツソが言った。

「我が地下の者に攫われた話か?」

「リツソ!」

思わずマツリが言ったが同時に紫揺がマツリを見た。

「どういうこと? リツソ君の話しと情報屋さんの話は違うって言ってたわよね」

マツリが口を歪めながら返答する。

「ああ、違う。 地下ということが同じなだけだ」

「じゃ、どうして今リツソ君を諫(いさ)めたの?」

「お前が地下という言葉でリツソの事と情報屋を結びつけないためだ」

(へぇー、お前ねぇ)

完全にマツリが焦っているのが分かる。 マツリから目を離すとリツソに向き合った。 リツソは未だに紫揺の手を取っている。 紫揺がその手をそっと外す。

「ね、リツソ君。 リツソ君は地下の人に攫われたの?」

「紫! そのような話は必要ではない!」

紫揺を見て言ったかと思うと、次にリツソに向かって言う。

「リツソ! 姉上の房から出ろ!」

どうしてそういう話になるのか、紫揺とリツソがマツリに白眼視を送る。

「どうして兄上にそのようなことを言われねばならないのですか」

リツソが言った後に紫揺が続く。

「リツソ君がシキ様のお部屋・・・お房から出るのなら私も出る。 リツソ君と話をする」

己のことを想って言ってくれたと、リツソが紫揺に熱い眼差しを送る。
だが残念なことに紫揺はそういう意味で言ったのではない。

マツリが口元を大きく歪めた。 このとんでもない二人で勝手に話を進めてもらってはどこに行くか分からない。
「勝手にしろ」 と言い置くことしか出来ない。
このリツソの考えの無さ、その考えの無さに乗ってしまうであろう紫揺。 その紫揺は何をするか分からない。 見えないところで事が運ばれては困る。

それに・・・。 チクッとまた何かが刺していた。
ショウジの言葉が浮かぶ。 ショウジは気になる者がいると胸に何かが刺さったような思いをすると言っていた。
紫揺が先程小さな声でトウオウの名を呼んだ。 その時に刺さった痛みがあった。 そして今それを思い出した時にも。

(どういうことだ?)

マツリの瞳が微妙に動く。

それをじっと見ているシキ。

(マツリは今何を考えているのかしら・・・)

マツリから『勝手にしろ』 と言われた紫揺。 マツリをひと睨みしてからリツソに問う。

「リツソ君? 地下の人に攫われたの?」

「兄上からそう聞いた。 我は眠らされていて何も分からないけど」

後半のリツソの言いように紫揺が笑みを零す。 リツソには正直に居て欲しい。

「眠らされてたっていうのは・・・」

「薬が効きすぎたらしい。 それでシユラが助けてくれた」

攫われたというのは今回の話か。

「だよね。 眠らされていたんだから、リツソ君が知らなくても当たり前だよ」

リツソが紫揺を見て満面の笑みを零す。

「うん、知らないのは当然だ」

なぜに腰に手を当て胸を剃り返らせるのか。

「でもどうして眠らされたの?」

「眠り薬を飲まされたみたいだ」

うん、と頷きながら至極当然に返答をするが、紫揺が聞きたかったのはそういうことではない。 質問の方法を変えよう。

マツリが卓に肘を置きその手に額を置いた。 そしてついでに大きな溜息を吐く。

「じゃ、どうしてリツソ君が攫われたのかな?」

「え?」

紫揺に言われほんの数舜、考えたが分からない。 リツソがマツリを見るがマツリは目を合わせようともしない。

「兄上?」

リツソが言うが、けんもほろろにマツリが返す。

「リツソと紫の話しだろう」

そこにカッチーンときたのが紫揺だ。

「なにそれ? またリツソ君が攫われるかもしれないのに! それってなに?」

「紫には関係の無いことだ」

「それって、マツリの言う本領って話よね。 でもリツソ君のことは違うわ。 またリツソ君が攫われてあの時みたいになったらどうするの!?」

「今回のことで分かった。 万が一にもそのようなことがあれば本領の五色を呼ぶ」

紫揺とこの本領に向かって歩いていた時に紫揺の紫としての力の話を聞いた。 この本領にはそんな力を持つ者はいない。 だが言い切らなければ。

「あん? それってなに? 私は必要ないって言ってるの?」

「ここは本領だ。 お前は東の五色だ」

「お前って・・・」

そこで火がついたのだろうか、それともリツソを攫った者が許せなかったのか、本領のことだと言い切られたからなのか、今の段階でそれは誰にも分からない。
紫揺が一言文句を言うと続けて言った。

「リツソ君を攫った奴を打ちのめす!」

「は?」

マツリが間の抜けた声を出す。

「二度とリツソ君を攫わせない」

「お前―――」

何を言っている、そう言いたかったが言い終える前に紫揺に遮られた。

「私、北の領土の人に攫われた。 ・・・日本に居るとき。 訳も何も分からなかった。 気付いた時には着替えさせられていたし、知らない言葉を聞かされたし。 それがどんなに不安だったか。 マツリにはそれが分からないでしょう!」

己が見ていた北の領土のことだ。 紫揺が言うのは己の手落ちであるのは隠しようもない事実だ。 隠す気など無いが。

「北のことは我が悪かったと思っておる。 だがリツソのことは違う」

「チガウくない。 理由や環境や状態がどうあれ不安は同じ」

リツソは眠っていたのだ、不安など無かった。 だがこの先どうなるかは分からない。 と言っても紫揺の言葉に乗るのは賢明ではない。

「さっきも言った。 二度とリツソを攫わせないと」

「その保証がどこにあるの?」

「それを作っていくために、いま四方を固めている」

「その一つが情報屋さん?」

「・・・」

まさかこのタイミングで、俤のことが出るとは思っていなかった。

「詰まるんだ。 それ程に情報が必要なんだ」

「思い違いだ」

「へぇー、似たようなことを言ったよね」

マツリがなんのことかと眉根を寄せる

「覚えてないんだ。 初めて北で会った時のことを言ったら、気のせいだって、言ったよね?」

「・・・覚えておる」

その後にシキから聞いた話をした。 バツ悪そうにマツリが答え、そして続ける。

「あの時と今は違う」

「チガウくない。 今はリツソ君の命がかかってる。 リツソ君が地下の人に攫われたってことは、マツリ言ったよね、地下では命の保証なんてないって」

これ以上顔を歪めることが出来ない程にマツリが顔を歪めた。 この紫揺相手にあんな話をするのではなかったと。
だが後の祭りだ。

「リツソ君を危険な目に遭わせたくない。 その地下の人に直談判する。 それで駄目なら打ちのめす」

打ちのめすとはどうするのだ。 それに直談判とは・・・。 マツリが何度目かの息を吐いた。

「なにそれ?」

マツリが息を吐いたのが許せない。

「紫、お前は地下のことを何も分かっておらん。 それは当然だ。 お前が我から何を聞かされようとも地下の真実は分からないのだからな」

シキが眉をひそめる。
シキはもう、お役御免となったのだ。 本領のことはシキの考えることではない。 だがシキの知らないところでマツリ一人で手をこまねいているのかと思うと居ても立っても居られない。

「マツリ、どういうこと?」

思わぬ所から声が聞こえた。

「リツソが攫われたと父上からは聞いたわ。 でもわたくしが聞いたのはその後の事。 リツソは地下の者に攫われたの?」

どうしてここでシキの参戦が入る。 マツリがとことん嫌な顔を見せる。

「姉上は義兄上の事だけをお考え下さい」

「言いたいことは分かるわ。 わたくしはもうお役御免になったのですから。 ですがマツリ一人が何もかも背負っているのを見ていられるほど無責任ではないわ」

「姉上・・・」

下を向いて大きく息を吐くと続けて言う。

「我一人では御座いません。 父上と剛度・・・見張番の長が手を貸してくれています。 これは急に何かを動かせることでは御座いません。 いえ、急に動かすと後に難事が出来てしまいます。 ですから」

そこまで言うとシキを見ていた目を紫揺にかえた。

「我が明日出るのは陽が落ちてからだ。 言ってみれば、その前に紫を送って行くことは出来る。 だがそうしないのは今進めていることがあるからだ。 明日出て、そこで確認を行ってからでないと我は安易に各領土に飛ぶことが出来ん。 そこは分かってくれ。 今までやって来たことを潰したくはない。 そして紫はリツソのことが気になるのであるならば、潰すようなことをするのではない。 よいな」

今まで特に何をやってきたのではない。 地下の様子は見ていたし、リツソがいつかは狙われるということも考えてはいた。 だが己から何も働きかけてはいなかった。
リツソが攫われてから拍車がかかっただけだ。 それもまだ俤からの情報だけであるが。 だがこう言ってしまう方が説得力があるだろう。

プクッと頬を膨らませた紫揺だったが、マツリの言っていることは尤もかもしれない。

「分かった・・・」

「シユラは我のことをそんなに考えてくれておるのか?」

紫揺がリツソの頭を撫でてやる。

「カルネラちゃんは?」

「我が勉学を始めて退屈になったのだろう。 窓から出て行ったきりだ。 どこかの木にでも登っているのだろう」

そのカルネラを捕まえてマツリが訊いたのだ。

「カルネラにも勉学を聞かせよ。 いつも同じ時に居ないでどうする」

だからあの程度で止まってしまうのだ。

「うん、探してきてもらえる? 私もカルネラちゃんに会いたいから」

あら、とシキが目を丸くする。 紫揺がマツリの言うことに賛同したのが珍しい。 それとも単にカルネラに会いたいだけなのだろうか。

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辰刻の雫 ~蒼い月~  第29回

2022年01月17日 22時14分12秒 | 小説
『辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~』 目次


『辰刻の雫 ~蒼い月~』 第1回から第20回までの目次は以下の 『辰刻の雫 ~蒼い月~』リンクページ からお願いいたします。


     『辰刻の雫 ~蒼い月~』 リンクページ




                                  




辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~  第29回



「北の狼からリツソと紫の話を聞きました。 北の狼からの話しからするにリツソが紫に恋をしていると分かりましたので」

「狼からの話しで? それ迄にマツリは紫と会ったの?」

「いいえ、会ってはおりません」

シキが柳眉な眉を上げた。

「では何故、そう思ったの?」

「“恋心” にそう書かれていましたので」

「“恋心”?」

「はい。 父上から頂いた書で御座います」

「書?」

「ええ、我は勉学に励みましたが、どうしても分からないところがありました。 それを父上に尋ねますと “恋心” を頂きました。 狼から聞いたリツソはその中に書かれていることと全く同じでした。 ですからリツソは紫に恋をしているとすぐに分かりました」

そうか。 そういうことか。
では・・・マツリはまだ恋を知らないということなのだろうか。
そこがミソかもしれない。

「マツリは恋をしたことがないの?」

「特には」

北の領土の薬草師であるショウジと話していて己には想い人が居るのかもしれないと気付かされた、考えた。 だが、どうにも心当たりがない。

「どうして?」

「どうしてとは。 何故に姉上はその様な問いをお考えになるのでしょうか? 我はつい先日まで姉上のお力をお借りして南と東の領土を見て頂いておりました。 父上は若き頃、お一人で東西南北の領土を見ておられたのにもかかわらず、我は姉上に頼っておりました。 これからは今まで以上に励まなくてはならないと思っております」

ご隠居である四方の父上が本領を見ていたころの話しだ。 その時には四方が東西南北の領土を一人で見て回っていた。 マツリはそれを言っているのだ。

「マツリ、それは違うわ。 マツリは北と西の領土を見ていました。 分かっているのよ、南と東の領土とは比べ物にならないくらい北と西の領土を見なくてはならないことは。
それにマツリは本領も見て回っているわ。 父上が東西南北の領土を私たちに渡す少し前から北と西の領土は荒れだしてきていたわ。 そしてお爺様の見ておられた時より本領の中も状況が悪いことは父上も分かっておられるわ。 マツリ、一人で考えないで」

「姉上・・・」

四方には西の領土が安定していると報告していた。 だが実際は西の領土にはマツリが手を添えている所が多々あった。
シキは西の領土の祭に来た時にそれに気付いていたのかもしれない。

それにシキの言うように本領での争いごとが多々起きていることも隠しきれない。 それだけに四方が忙しくしているのだから。
そして地下のこともある。

「姉上、我は答えました。 いえ、我は答えたつもりですが、姉上から見て答えになっておりませんか?」

「あ・・・ええ、よく分かったわ」

忙しくて恋などしている暇も無いということだ。

「では義兄上と―――」

マツリが言うのをシキが遮る。

「まだよ」

「え?」

「紫・・・まだ紫が紫と分からなかった時、迷子の娘とマツリが言っていた時に紫と会ったわね?」

「・・・はい」

シキは何が言いたいのだろうか、何を問いたいのだろうか。 そう思いながらもシキの問いに応える。

「どうして紫を魔釣ろうとしたの?」

「魔釣ろうなどとはしておりません。 あの時は北の領土に厄災をもたらす者ではないかと思いましたので紫の瞳を見ただけです」

そういった途端、そうだったか? 瞬時にして疑問が浮かんだが、それすらも瞬時にして消え去った。

「どうして? それ以前にリツソが紫を想っているのを知っていたのに」

“恋心” で。

「リツソが想っていましてもそれは別の話しでありますし、リツソの想い人なら余計です」

マツリの言いたいことは分かる。 尤もだろう。 だが

「マツリは初めて紫を見てどう思ったの?」

「はい?」

「紫が言っていたわ。 マツリから慧眼の目を送られたと」

「まさか・・・」

己がそんなことをするはずはない。
魔釣る相手であるかどうかを見極める時には慧眼の目を向ける。 あくまでもその疑いが濃い相手にである。 誰彼にでも向ける目ではないし、それは相手に覚られないようにしている。

「ということは、マツリが無意識だったということね」

「姉上、そんなことは御座いません。 紫の思い違いでしょう」

シキが一つ何かを考えるような仕草を見せた。

「姉上?」

「その時リツソに、リツソはその程度、己を知れなどと言ったそうね」

「は? ・・・紫が? 紫がその様なことを言いましたか?」

話の流れから紫揺がシキに言ったのだと簡単に想像できるが、思わず確認をしてしまう。

「誰が何を言ったのかは関係ないの。 わたくしはマツリのことを知りたいの」

マツリがちょっと考えるような様子を見せる。 それはわざとらしくはなく、本当に考えているようだ。

「言ったかもしれません」

「かもしれない?」

「あの時は怒りに任せていたので」

現場を知らないシキからしてみれば、この時すでにマツリと紫揺のバトルが始まっていたのかもしれないと思う。

「怒り? どうして怒っていたの?」

「・・・何故でしょうか。 記憶にはありません」

「・・そう」

嘘を言っているのでないことは分かる。 真実そうなのだろう、そう思えばマツリ自身の心中でのバトルが始まっていたのかもしれない。

「最後に一つ」

美しい指を一本立ててシキが訊く。

「朝餉の席でリツソに鍛練のことを訊いたわよね? 母上が仰っていたって」

「はい、そう聞きましたので」

“最高か” から。

「それでは紫があと一の年を待って、その時にリツソが頼れる者になっていればリツソのことを考えると言ったのも聞いたわよね?」

「はい」

「あの時、どうしてそれを言わなかったの?」

「それは・・・、あの席では必要のないことで御座いましょう。 それにいくら紫のことを餌にして釣ろうとも一の年でリツソが変わるとは思えませんし、まず東の領土が紫を離しません。 それは姉上が一番ご存知でしょう。 期待を持たすのも可哀想なだけです」

「そう・・・。 分かったわ」

「では、義兄上のことを、許して頂けますね?」

「約束だもの、仕方ないわ」

と、その時、襖の外から声が掛かった。 昌耶がそっと襖を開け、外に居たシキの従者から紫揺が来たことを聞いた。
シキとマツリの会話も丁度終わったところだ、声を掛けやすい。

「紫さまがお越しで御座います」

シキにしてみればグッドタイミングだったが、それにしても遅かった事だ。 シキが紫揺を入れるように頷く。

「それでは我はここで。 義兄上にお会いいたしましたら我からも姉上のことを言っておきますので」

マツリが椅子から立ち上がったと同時に紫揺が部屋に入ってきた。

「あ・・・」

ここに来るまでに “最高か” から聞かされていた話があった。 その話しでシキのところに来るのが遅くなったのだが、話の中心人物が目の前にいるではないか。
マツリが振り返り紫揺を見た。

「頭の方はどうだ、もういいのか」

「うん」

「東に帰るのは待ってもらえるな」

「シキ様もいらっしゃることだから、そうする」

何を言うこともなくマツリが頷く。
マツリが襖に目先を移し一歩を出そうとした時、紫揺がそれを止めた。

「訊きたいことがあるんだけど」

マツリが紫揺を見る。

「まあ、なんのお話かしら。 マツリ、座り直せばどう?」

思わずシキの目が輝きマツリを引き留める。

今日は良く訊かれるようだ、と心の中で思いながら紫揺に問い返す。

「長い話か」

「長いかどうかは分からないけど、シキ様も仰ってくださってるから座れば?」

一度眉を寄せると椅子を引きいつも通り背筋を伸ばし前を向いて座った。

(あれ? 素直。 シキ様の前だとこうなのかなぁ)

覚られないように口角を上げたシキが紫揺にも椅子に座るように促す。

「シキ様、遅くなってすみませんでした」

「いいのよ、気にしないで。 今までマツリと話していたから退屈もしなかったわ。 それで? マツリに訊きたいというのは何なのかしら?」

己の目の前で訊きたいことがあると紫揺が言ったのだ。 己がここに居てもいいだろうと思いシキは椅子に腰をかけたままである。

「はい」

シキを見ていた目線をマツリにかえる。

「結局カルネラちゃんは使えるの?」

思わずマツリが厳しい顔を紫揺に向ける。

「何故、知っておる」

「偶然、彩楓さんと紅香さんが耳にしたって」

“最高か” の名を出しても二人を責めるマツリではないだろう。

マツリがシキの部屋に来る前、リツソの部屋の裏にあった木の根元でマツリがカルネラに話していたのを “最高か” が聞いていたのだった。

それはカルネラを使って俤(おもかげ)が伝えきれなかったことを聞きに行かそうということであったが、やはりカルネラは知る語彙が少なすぎた。 それにマツリを見て怯えるばかりで、到底パイプ役にはなれなかった。

迂闊だった。 最初は人がいないか気にしていたが、あまりにもカルネラの反応が悪すぎて周りに気を這わせていなかったようだ。 他に漏れてはいないだろうか。

「彩楓と紅香以外に聞いた者、知っている者がいると言っておったか」

視線を紫揺から外した。

「さあ・・・聞かなかったけど。 いたら彩楓さんと紅香さんが言ってたと思う。 いま念を押して訊こうか?」

「ああ、そうしてくれ」

心得たとばかりに昌耶が襖を開け “最高か” を呼ぶ。 襖の前に手を着いて座した “最高か”。
紫揺が椅子から降り、その前に座る。

「まず、頭を上げてください」

“最高か” がゆっくりと頭を上げる。

「さっき教えてもらったお話ですけど、彩楓さんと紅香さん以外に誰か聞かれてました?」

二人が目を合わせると紫揺を見て首を振る。

「わたくし達しか居りませんでした」

「あのお話は私以外の誰かにお話されました?」

「いいえ。 わたくしたちは紫さまにだけマツリ様のことをお話いたしますので」

紫揺とマツリがどういう意味だろうかと心の中で首を傾げるが、一方で味方と言う水を得たのはシキである。

“最高か” と ”庭の世話か” は、マツリから東の領土が紫揺を離さないと聞かされた。 そしてその気持ちは自分たちが誰よりも分かると思っている。 とは言っても希望だけは持ちたい。 紫揺がマツリに心を寄せてくれないだろうかと、マツリの話であればなんでもするようにしていた。

「分かりました。 じゃ、そのお話は他言無用でお願いします。 有難うございました」

此之葉に辞儀はするなと散々言われているが礼ならいいだろうと二人に頭を下げる。

「もったいない!」

“最高か” が慌てて頭を下げる。

マツリは背中を見せているからその姿を見ることは無かったが、シキはしっかりと見ている。
それにマツリがああ言っただけでこの二人に他言無用と念を押すあたり、よく気をまわしたものだ、などと考えている。 そしてやはりこの二人は似ている、とも。

「では、お閉め致します」

昌耶が言うと襖をそっと閉めた。 頭を上げた紫揺が昌耶にもぺこりと頭を下げ、立ち上がると椅子に座り直した。

「で? どうなの?」

どこからどこまで話しを聞かれたのかは分からないが、あの最初の訊き様ではそれなりに話の内容が分かっているのだろう。 しらばっくれるわけにはいかないようだ、答えるしかない。

「カルネラでは不可能のようだ」

「ふーん、私が行こうか?」

「は?」

思わぬ台詞にずっと前を向いていた顔を紫揺に向けた。

「話を聞いてくるだけでしょ?」

簡単に言ってくれる。 地下のことを何も知らないから言えるのだろうが、あんなところに紫揺を送り込むなど出来るはずがない。

「それはよい。 別の手を考える」

また前を向いた。

(マツリったら、人の話を聞く時には必ず相手の目を見るのに・・・)

二人の様子をじっと見ているシキ。 口を挟むつもりはないがその分あれやこれやと頭の中を動かしている。

「でもカルネラちゃんに頼むくらいなんだもん、急いでるんじゃないの?」

「よいと言った」

紫揺が腕を組みちょっと頬を膨らませてマツリを見る。

「私、ただ飯食べさせてもらうっていうのがホンットにイヤなんだけど」

北の屋敷に居た時も北の領土に居た時もそうだ。 何もしていないのにのうのうとご飯を食べさせてもらっていた。 あのまま日本に居れば有り得ない事だ。

「どういう意味だ」

「何もしていないのに、働いてもいなければ何も生産的なことをしてないのに、ご飯を食べさせてもらっているということ」

「何もしておらなくはないだろう。 リツソを目覚めさせ、こうして姉上の話し相手もしておる」

決してシキの話し相手が嫌とは言わないし、五色の勉強になることも教えてくれる。 だがあまりにも優雅すぎるし、リツソのことは終わったことだ。 それにその後で紫揺自身が迷惑をかけた。
それに、なにより身体が退屈なのだ。

「地下って何処にあるの? 馬で行ける?」

久しぶりに馬にも乗りたい。

「馬鹿なことを言うな、紫が行く必要などない」

「マツリが教えてくれないんだったら他の人に聞く」

「やめろ、さっき彩楓と紅香に他の者に言うなと、紫自身が念を押したところだろう。 今は地下の地の字も口に出してはならん。 それに紫は本領の者ではない。 これは本領の問題だ」

「それって・・・もしかしてリツソ君に関係してる? 盛られたって話に」

マツリが眉間に大きく皺を寄せて紫揺を見た。

「言ったはずだ。 それは本領の問題だと」

「聞いたわよ」

「ではこの話もその話も終わりだ。 訊きたいことがあるというのは終わったな」

また紫揺を見ず前を向いた。

「リツソ君をあんな風にした奴を野放しにしておくの?」

「その話は終わったはずだ」

「んじゃ分かった」

マツリが片眉を上げる。 全く分かっていないのは明白だ。

「要らぬことをするのではないぞ」

「しない。 今日帰る」

「は?」

マツリが紫揺を見た。

「マツリが出掛けてから帰る」

「おま・・・」

「お前って言ったらアンタって言うからね」

くすくすと笑い出したシキ。

「マツリの負けね」

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辰刻の雫 ~蒼い月~  第28回

2022年01月14日 20時10分44秒 | 小説
『辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~』 目次


『辰刻の雫 ~蒼い月~』 第1回から第20回までの目次は以下の 『辰刻の雫 ~蒼い月~』リンクページ からお願いいたします。


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辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~  第28回



シキが来たからには紫揺のことを任せておけばいいかと、今日は夕刻から本領の中を飛んでいた。

四方にあの文官のことをまだ話せず気にはなっていたし、俤と接触をしたかったが、リツソが見つかったのにいつまでも地下を歩くのは不審に思われる。 それに六都(むと) のことも気になっていた。 この三つの中で今の己に急ぎ出来ることは六都の事。

だが六都の都司を訪ねたが六年前のことは知らないということであった。 六都はしょっちゅう都司が変わる。 それにやる気がない。
そして民は逆らう目をしている。 六都では夜遅くまで民が酒を吞んでいる。 六都がある程度寝静まるまで見ていたが、結局なんの収穫もなく戻ってきた。 

あとは紫揺の事が気にかかる。
夕刻まではシキと楽しんでいた姿を目にしていたが、頭がスッキリしたとでも言って、万が一にもその後に東の領土に帰ったということは無いだろうか。

もう宮で起きている女官や従者は居ないだろう、問う相手が居ない。 どうしたものかと着替え終わると偶然にでも女官か従者に会わないかと回廊を歩いた。

「こんな夜中にうろついている女官も従者もおらんか・・・」

自室から客用の寝泊まりする部屋に来たがここまで来ても誰一人として会わなかった。
己の衣装を見る。

「着替えずあのまま東まで飛べばよかったか」

そうすればキョウゲンの目で万が一にも紫揺が下を走っていれば見つけられたのに。 踵を返そうとした時、一枚の襖が開いた。

「どなたかと思えばマツリ様」

声にしていたマツリの独り言が聞こえたようだ。

「これは、義兄上」

襖の中から顔を出してきたのは波葉だった。

「どうしてこのような所に? 姉上の房で休まれておられなかったのですか?」

ここは客用の泊部屋、どうしてその部屋に波葉が居るのか。 波葉の立場を思ってシキの部屋で休んでいたのではないかとは言いはしたが、宮帰りをしているシキを置いて帰ったと思っていた。

「かなりシキ様がおかんむりのようで御座いまして、義父上にお願いしてこの房を使わせて頂いております」

シキと波葉の新しい邸に一人で帰ったのならば、シキの怒りが増幅するだろうと思っているようだ。
そしてそれは間違いなく、正鵠を射ているだろう。

「あのままで御座いますか・・・」

己も波葉の加勢をしたが、その後に澪引と四方の夫婦喧嘩に巻き込まれそうになったのでさっさと退散した。 だからあの後どうなったのかは知らなかった。

「ええ、紫さまがシキ様のご機嫌を取って下さっていると良いのですが」

「え? 紫で御座いますか?」

「ええ、まだお二人でお話をされていると思います」

以前シキに聞いていた。 初めて紫揺と会った日に紫揺を気に入り、その日からずっと客用の間ではなく自分の部屋に招き入れ夜な夜な話しをしていたと。
マツリにしてみればひょんなところから紫揺の居所が分かった。

「そうですか。 お起こししてしまったようで申し訳ございませんでした」

「いいえ、寝られそうにありませんでしたので」

波葉はどれほどシキのことを想っているのだろうか、とそんなことを考え思わず笑みがこぼれた。 そんなマツリの表情に心が安らいだのだろうか、波葉がマツリを誘った。

「マツリ様、宜しければ一献お付き合いいただけませんか?」

「もちろんで御座います。 二献でも三献でも」

紫揺の居所が分かったのだ、もう何の心配もいらない。
今は己の連れてきた紫揺が原因で夫婦喧嘩となってしまった波葉に付き合い少しでも罪ほろぼしをしよう。



朝餉の席で足をブラブラさせたリツソが目だけを動かしている。
昨日の昼餉も夕餉も家族全員がそろわなかった。 リツソは澪引とシキと三人で食事をした。 それは楽しい食事だった。

そして今、朝餉の席。 今までなら親子五人の朝餉の席だったが、今では波葉も家族となっている。 初めてのシキの宮帰りであるから、波葉を入れた六人での朝餉の席は初めてであった。
それなのに。 昨日の昼餉も夕餉もあんなに楽しかったのに。 この静けさは何だろう。 ことりと食器を置く音。 その音しか聞こえてこない。

それによく見ると波葉がチラチラとシキを見ている。 当のシキはそれに気付いているはずなのに波葉と目を合わせようとしていないし声もかけない。
そして澪引も完全に四方を無視しているように見える。 それに対して四方が怒っている様子は見せず、どこかで溜息をつきたそうに見える。

「兄上」

とうとう我慢しきれずリツソがマツリに小声で話しかけた。
マツリがリツソを一瞬見る。

今までは長四角の卓の正面に四方と澪引が座り、対面にシキ、マツリ、リツソと座っていた。 だが波葉が増えたということで、マツリが一つ左にずれ、リツソが短い方の一辺に座っていたので皆を見渡すことが出来ていた。

「様子がおかしいのですが?」

「そんなことは良い。 お前は鍛練をしておるのか? 母上がそう仰っておられたそうだが」

マツリがリツソの小声に堂々と声を出して応える。
マツリの声にシキと澪引が思わず目を合わせる。

「へ?」

「紫が居なくなってからというもの、勉学をずっとサボっておったがその後はどうなった」

「あ・・・ええっと」

今更、一年以上前の話を持ち出されても、とリツソが思うが、マツリは度々言い、リツソの勉学の師から逃げられてばかりだと聞いていた。

「言ったはずだな、腹の底から考えよと、態度を改めよと。 今までお前のやってきたことをよく考え、お前がこれからせねばならぬことを考えよと」

「はい・・・」

「その中に勉学や鍛練は入っておらんのか」

藪蛇だ。 そんな話になるとは思っていなかった。

「えっと、じゃあ、今日シユラと一緒に勉学を―――」

「あら、リツソ駄目よ」

マツリとリツソの会話を聞いていたシキ。 丸一日紫揺と居られるのは今日と明日しかない。 リツソに邪魔をされたくはない。

「え?」

リツソが声の主であるシキを見た。

「今日、明日と紫はずっとわたくしと居るの」

「だって、昨日もずっと姉上と居たではありませんか。 それに波葉を放っておくのですか?」

「リツソ、お呼びの仕方に気を付けろ」

マツリの隣りで波葉が軽く頭を下げる。 リツソが言った波葉の呼び方にマツリも顎を引くように頭を下げる。

「昨日はリツソが皆に謝って回っていたから、紫と共に居る時が無かったのではなかったかしら? それに波葉様はこれからお仕事よ」

「ええ、四方様もね」

完全に嫌がらせで澪引が言っているのが分かる。 たしかに昨日の昼餉も夕餉も澪引と顔を合わせられなくて仕事にかこつけて席を同じにしなかった四方である。
それにすらも怒っているのだろう。
では、どうしろと言うのだ。 何を言っても返事もしなければ目も合わせないというのに。 四方の言いたいことは山ほどある。 だが

「澪引・・・もう許してはもらえんか?」

「あら、何のことで御座いましょうか。 波葉も四方様もお仕事でお忙しいと申しましただけで御座います」

シキが嫁ぎどこか寂しい思いを感じていた。 母親としてそんなことを思ってはいけないと分かっていたのに、それでも寂しかった。 そんな時にリツソが行方不明になり、戻ってきた時には目覚めない状態だった。 そしてそのリツソを取り上げられた。
忙しくしているマツリが気を使ってくれた、それはよくよく分かっている。 だが心の中は涙で溢れかえっていた。

目覚めないリツソの手を取りたかったのにリツソと引き離された。 一日千秋の思いでリツソが我が腕に戻ってくるのを待った。 そのリツソが目覚め澪引の腕の中に戻ってきた。 その上、昨日などはリツソと嫁いだシキとも共に食事をした。

リツソとシキの存在が澪引の精神を安定させ、肉体をも安定させたのか口が達者である。

だが澪引はリツソと引き離されたことにまだ怒っているし、紫揺のことも聞いていなかった。 そうそう四方を許せるものではない。

そして波葉も四方と同じように、仕事にかこつけて食事の席を同じにしなかったのだ。
四方が申し訳なさそうな目で波葉を見る。 波葉も眉尻を垂れそれに応じた。

シキと澪引が何かしら怒っているようだ。 そして波葉と四方がそれに相対しているようだ。 それもかなり立場が弱く。
マツリに言われたことなど忘れてリツソがワクワクする。

「母上、何か御座いましたか?」

澪引の言いようにマツリが訊いたが「いいえ」とマツリに答えると次にリツソを見た。

「リツソ、先程マツリが言ったように、勉学や鍛練はどうなっているの?」

「え?」

まさか澪引からそんなことを言われるとは思いもしなかった。

「母上? 何か御座いましたか?」

思わずリツソもマツリと同じように訊き返した。

「え? いいえ? 当たり前のことを訊いただけよ?」

シキが笑いを噛み殺して下を向く。 波葉がどうしたのかとシキを見ている。

澪引は紫揺にリツソを鍛練させると言ったがシキがそれに異を唱えた。 そして紫揺にはリツソではなくマツリを推した。 澪引はそれが頭にあるのだろう。 昨晩ずっと考えていたのかもしれない。

リツソのことを可愛がっている澪引。 リツソの想いを叶えてやりたいと思っていても、シキに言われてリツソが一年以内に紫揺が言うところの、頼れる男になるとは思えなかったのだろう。 それにシキが紫揺にリツソが変わるのは不可能と言い、それを分かっていて言ったのね? と訊いた。 紫揺自身が言ったように、リツソのことは弟以外に見られないのかもしれない。

だがそれを置いても今回のことがある。 シキが言ったように勉学も、まだまだ深く物事を考えるということがリツソには出来ていない。 また攫われてはどうするのか。 リツソには少々考えてもらわねばならない。 紫揺とのことだけではなく、その為にも勉学や鍛練は必要だ。

「今回の事ではわたくしは身が裂ける思いでした。 もうあのようなことは嫌なの」

「勉学をしても攫われる時には攫われます」

何故かきっぱりと貴公子ぜんとしてリツソが言うのは、どうなのだろうか。

「鍛練はどう? 鍛練をしていれば、攫われるということは無いはずよ?」

「・・・鍛練は・・・。 疲れるではありませんか。 痛いし」

「お前は・・・。 あの時に言ったことをもう忘れたのか」

マツリが怒鳴る気にもなれずに言う。

「あ! そうだわ」

なにか閃いたようにシキが頭を上げた。

「リツソ、母上と勉学をすればどうかしら? 母上、如何で御座いますか?」

そうすれば澪引にもリツソの状態が少しでも分かるだろう。 リツソは紫揺に頼られる男になる、ならないの状態ではないということが。

シキは波葉と結婚をして少々シビアになったようだ。

「姉上! それは完全にシユラを独り占めしようとしているではありませんか!」

「あら、それとこれとは違うわ」

ニコリと笑った美しいシキにリツソがすぐに言い返せなかった。


いつもより長くかかった朝餉の時が終わった。 シキが自室で紫揺が来るのを待ちながら考え事をしている。

昨日、紫揺はマツリのことを見直すところがあると言っていたし、マツリのことを継続して怒っていないということが分かった。
これは大きな収穫だ。

あとはマツリの慧眼、魔釣の目。 どうしてそんな目を堂々と紫揺に向けたのか。
その後に、リツソはその程度、己を知ることなどと。 そんなことを言って何故リツソに対して怒ったのか。

そしてマツリらしくない言(げん)。 紫揺が謝ったのに、それを受けることなくリツソを責めた。 あの時は紫揺の言葉を聞いても己の言いようを優先した。 マツリは己の言葉、言いようが間違っていると分かっていたはず。 それなのに何故。

(マツリはいつリツソが紫のことを想っていると知ったのかしら)

それに朝餉の席のことを思う。
マツリが澪引の話したことを知っていたとは思いもしなかった。 だから鍛練をしていないのかと、澪引が言っていたというのを聞いた時には驚いた。

澪引がリツソに勉学や鍛練をさせるとは聞いていない筈。 リツソが一年後に頼れる男に変わっていれば、紫揺がリツソのことを考えると言ったことも知っているはずがない。
それなのに・・・知っていた? では、どうしてマツリはあの時そのことを言わなかったのだろう。

「ああ、いくつも分からないことがあるわ。 もう、マツリったら何を考えているのかしら」

マツリにはいつでも訊けると思っている。 だが紫揺には訊くもなにも、同じ時を過ごせることさえ限られている。 だからマツリには後で訊けばいいと思っていたが、マツリへの疑問を解消しない限り先に進めそうにない。

「はい?」

シキの側付きの昌耶が振り返ってシキを見た。

「何か仰いましたでしょうか?」

うっかり声に出してしまったことに己を咎めながらも違うことを言う。

「ええ、マツリとお話がしたいの。 マツリを呼んでもらえるかしら」

「紫さまではなく?」

「ええ、マツリ。 マツリに訊きたいことがあるの」

「お待ちくださいませ」

シキに頭を下げるとシキの部屋を出て行った。

昌耶自身が呼びに行くのか、他の者に行かせるのかはシキの知るところではない。
もう少しすれば紫揺がこの部屋に来るはずだ。 もしここでマツリと紫揺が鉢合わせをしたらしたで何なりと話すことがあるだろう。

「あら、どんなお話をしようかしら」

何なりと話すことがあると思ったが、具体的に考えると何も案が見えてこない。

「その時になれば、それなりにあるかしら」

今までのシキなら行き当たりばったりということは無かった。 婚姻を済ませてシキは変わったようだ。 これが結婚をした女の度胸なのだろうか、それとも少なからず紫揺の影響を受けたのだろうか。
前者であることは色濃いし、後者であるならばシキは紫揺のことをよく見ているということになる。
ある意味、どちらも救いがたいが。

少々時を待ち紫揺ではなくマツリがやって来た。

その少し前にマツリを呼びに行ったシキの従者が戻ってきていた。

「遅いではありませんか」

昌耶が従者に言っているのが聞こえた。 昌耶がマツリを呼びに行ったようではなかったらしい。

「申し訳ございません。 マツリ様がお房におられませんでしたのでお探ししておりました」

この従者は、マツリを探している時に “最高か” に会い、マツリがリツソの部屋の裏に居たと聞きやっとマツリに会えたということであった。

マツリをシキの部屋に入れると襖を閉めた昌耶。 しっかりと襖の中に入っている。
シキが一言いえば昌耶は部屋の外に出るがシキは言わなかった。

「姉上、お話があると伺いましたが」

朝餉の席で話は終わっていたと思っていたマツリが問う。

「ええ・・・。 分からないことを教えて欲しいの」

「どういう事でしょう、姉上に分からないことなどと」

座って、と言うシキを見ながら椅子を引き座る。
波葉の事かとマツリが警戒した。 夕べは波葉と一杯でもなく二杯でも三杯でもなく、それ以上に呑み語り明かした。 波葉がどう考え何を思っているのかは知ったつもりだが何を訊かれるのかには構えてしまう。

「マツリはリツソがいつ紫に想いを寄せていたと知ったの?」

「はい?」

構えていたことと違うことを訊かれた。 思わぬ問いにマツリがとんでもない顔をしているが昌耶に至ってもそうだ。

「大切なことなの。 教えてもらえないかしら?」

「義兄上のお話しではないのですか?」

「波葉? 波葉のことは今はいいわ」

さも関せずというようにシキが言う。

「姉上、お呼び方を・・・」

今のシキはリツソと同じではないか。

「今はそんなことはどうでもいいの。 わたくしが訊いているのは、マツリはリツソがいつ紫に想いを寄せたのかを知っていたのかということ」

どうしてそんな話が出てくるのか。 今シキは波葉のことを考えねばならない筈なのに。

「姉上、もう少し義兄上のことをお考え下さい」

あの朝餉の席でどれだけ波葉が小さくなっていたことか。 それに夕べ波葉と話したこともある。

「波葉はわたくしより父上の言うことを選んだのよ。 そうそう許せるものではないわ」

「義兄上は官吏です。 父上に逆らえるものでは御座いませんでしょう」

「あら、マツリはあくまでもわたくしが悪いと言いたいのね」

「そんなことは申しておりません。 ですが、義兄上も心を痛めておられます」

夕べ波葉の心の内を聞いた。

「マツリ、さっきも言ったわ。 波葉のことはいいの。 わたくしの問いに答えてもらえないかしら?」

そう言われマツリに思うところができた。

「では姉上の問いにお答えします。 我がお答えすれば姉上も義兄上のことをお許し願えますか?」

「波葉のことを?」

「姉上、お呼びの仕方を・・・」

「ええ、分かったわ。 幾つかを真を持ってマツリが答えてくれたら波葉のことを許しましょう」

「幾つか真を持って?」

一つでは無いのか?

「まずは一つ目に答えてもらえる? マツリはリツソがいつ紫に想いを寄せていたと知ったの?」

「それは・・・」

遠い目を送る。 二年には満たないがそれほどにも前のことだ。

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辰刻の雫 ~蒼い月~  第27回

2022年01月10日 23時18分24秒 | 小説
本回もお読みに来て下さりありがとうございます。

最初に

申しわけありません。

タイトルですが、今まで『刻の雫』 となってなくてはいけないところを『刻の雫』 としてしまっておりました。

とても大切なタイトルの漢字の間違えに今まで気付かなかったという、情けない状態でお恥ずかしい限りです。

今までのものは全て書き換えました。 (・・・つもりです)
本当に、ややこしいことをしてしまい申し訳ありません。


タイトルの漢字が変わり、またこの腑抜けにお付き合いいただき、これからもかわらずお読みいただけましたら幸いです。



        



『辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~』 目次


『辰刻の雫 ~蒼い月~』 第1回から第20回までの目次は以下の 『辰刻の雫 ~蒼い月~』リンクページ からお願いいたします。


     『辰刻の雫 ~蒼い月~』 リンクページ




                                  




辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~  第27回



シキが婉然な笑みを紫揺に送る。 そして紫揺の心の中を探る。

「紫? 紫には今まで想い人はいなかったの?」

「オモイビト?」

―――重い人?

一瞬考える。 東の領土に居ても日本との言葉の違いをちょくちょく感じる。 この本領にしてもそうだ。

だが紫揺は気付いていない。 話の前後から背景を考えると、日頃自分が使わない言葉だとしてもその言葉を理解できるはずである。 伝わらない言葉というのはカタカナを使う言葉や、カタカナを使わなくとも紫揺から発した言葉くらいである。

「どなたかを慕ったことは無いの?」

「シタッタ?」

―――滴った?

シキは紫揺がほんの二年ほど前まで、生まれ育った日本で暮らしていたと聞いている。 そして本領のことも、領土のことも知らなかったということも聞かされていた。 もちろん紫揺の五色としての力の事を知らなかったことも。

紫揺が訊き返してくる。 話が通じないことは無いようだが、それでも少しの言葉の違いがあるのだろうか。

「・・・そうね。 なんて言えばいいのかしら。 ・・・例えばわたくしが波葉のことを想ったり、波葉がわたくしのことを想ったりと同じようなことを紫は誰かに想ったことがないのかしら?」

ああ、誰かを好きになったことが無いかと聞いているのかと分かった。

「うーん・・・、そうですねぇ・・・。 無くはないです。 でも今から思えばそれは憧れなのかな? あんな風に跳べる人に憧れただけかもしれません」

高校時代、試合会場で女子とは比べものにならないくらいの跳躍を見せていた関東の男子。 そしてその技のすばらしさ。 それに鉄棒も水が流れるように美しかった。 その姿が当時の紫揺の目に焼き付いていた。

“アコガレ” はシキのワードには無い。

「え? 飛べるのを “あこがれ” と想ったの?」

“アコガレ” も分からなければ “跳ぶ” を “飛ぶ” と理解している。

「はい、でも今から思うと勘違いでした」

「待って “あこがれ” ってどういうことかしら?」

ここでも語彙(ごい)の違いがあるのかと頭を巡らせる。

「言ってみれば、その人のようになりたいということもありますけど、その人に近づきたたいということもあります。 色んな意味がありますけど、今から思えばあの時の私の場合は、その人のようになりたいと思っていたのに、勘違いしてその人に恋していると思っていたようです」

ここまで言って “恋” が通じないかと思い「好きになったと勘違いしました」 と言い添えた。

シキが大きく目を開けた。 “好き” が通じたようだと紫揺が思うが、シキが目を大きく開けたのは “恋” の次に念を押すかのように “好き” と言ったからである。 この本領で “好き” と言うのは、子供の言葉である。

一呼吸おいて冷静になり紫揺に問いかける。

「紫はその者を好きになったのね。 今もその者を好きなの? その者に恋をしているの?」

“恋” で通じていたようだった。

「全くもってないです」

自分がその男子がしていた技に近いものを跳んだ時に勘違いと分かったのだから。

「シキ様? 何を仰りたいのでしょうか?」

「・・・紫は想い人と言う意味が分からないみたいね」

「オモイビト? あ、オモイビト・・・」

それは

―――想う人?

紫揺が納得したような目をシキに送る。

「それがどうしたのでしょうか?」

日本に想い人を残してきたのかとシキは問うているのであろうか。

紫揺の視線から “想い人” の意味を察したと分かる。

「今の紫に想い人はいないの?」

今と言われれば日本でのことではないだろう。 本領では日本でのことは無かった、暗黙の了解でそうなっている事は感じている。
それは尤もだ。 この地に来てしまったのだ、いや、自分で選んできたのだ。 日本のことを引きずっていては今が前に進めない。 紫にもなり切れない。
それに日本に好きな人など居はしないし、東の領土にもだ。

「いません。 東の領土であちこちに出向くのが今の私のしなければならない事です。 それどころではありません」

紫揺は東の領土で走り回っているのか。 東の領土を見ていたシキにとってはこれ以上に無い喜びである。 民がどれ程に紫揺を見て喜んでいるだろうか。 あの悲しんでいた民が。

「紫、あなたは五色。 五色のお役目を領主から聞いているかしら?」

「はい、民の力になったり、添うたり、災害から守ったりすることです。 民を幸せに導く・・・それは私には難しいですから民とお話するだけですけど」

シキが首を振る。

「シキ様?」

「紫は民に添ってくれているのね。 それは貴いこと。 でもね、紫一人では何十年も民を見ることは出来ないのよ」

「え?」

「紫の力を残さなくてはならないの」

シキの婚姻の儀の時を思い出す。 南の五色の誰が言っていただろうか、跡のことも考えなくちゃ、と。

『跡取り?』 思わず訊き返した。
『早く婚姻して子を残さなくっちゃ。 私たちにはその命もあるからね』 そう言われた。
そう言えば、ムロイがセッカと結婚するのもそんな理由だったとセイハから聞かされたっけ、と、もう過去の話となっている北の領土に居た時の話しを思い出した。

「東の領主は、紫の想い人が誰なのだろうかと思っているはず筈よ」

・・・納得できない。

自分が何十年、何百年と東の領土を守ることは出来ないとは分かっている。 だけど自分は、紫生産の機械でもなければスタンプでもない。
領主からそんな話は聞いていないが、だがこう言われれば分からなくもない。 納得出来なくとも、認めたくなくとも。

・・・だが認めなくてはならない現実、それは分かる。

「はい・・・」

「無理矢理に誰かとは東の領主は考えていない筈よ。 だから紫に想い人が居ればと思ったのだけれど? ほんの少しでも心当たりの者が居なくて?」

「・・・はい、居ません」

「紫は明後日まではいるのよね」

本領に、この宮に。

「はい」

明後日は一日中居る。 そして翌日の朝には東の領土に戻る。 少なくとも明日、明後日だけでマツリとの間をどうこうというのは難しい。 だが今の紫揺に想い人はいないことは分かったし、マツリの力を認めていることも分かった。 マツリの性格に対してどうこうは呼び捨てにするからには・・・。 ここは聞けていない。

いや、待て。 さっき紫揺は言っていたではないか。

『でもあの時はリツソ君に対しての態度。 マツリ・・・が許せませんでした』 と。 マツリとの仲が険悪なのはそれが原因だろうか。

「ね、さっきリツソに対してのマツリの態度が許せなかったって言っていたわね?」

「はい」

話がよく飛ぶな、と思いながら返事をする。

「それってどんな風だったの? ああ、今でも許せないの?」

紫揺が一度口を歪めてから答える。

「あの時もそうですけど、シキ様がいらっしゃったときもマツリはリツソ君に頭ごなしでした。 あの時は私が悪かったのに」

マツリがリツソに何度も黙れと言っていた。 それなのに紫揺がリツソを抱きしめすぎて、リツソが苦しいと言った。 それに対してマツリが怒鳴ったのだ。

「たしかにあの場でのリツソは礼にも欠けていましたし、マツリに一度言われたのにまた声を出してしまいましたからね、マツリが叱責したのも分からなくはないわ。 でも誤解しないでね。 紫の言うことももっともよ。 それで、まだそのことを紫は許せないでいるのかしら?」

「まだって言われたら困ってしまいますけど、でもまた同じ場面を見たら怒ってしまうと思います」

ということは継続して怒っているわけではないということか。

「紫が最初にマツリのことを許せないって思ったときマツリは何を言ったのかしら?」

「北に居た時です。 北の領土で私が迷子状態だった時、リツソ君がマツリを連れて来て・・・」

マツリがどこから来たかと訊いてきた。 だから日本の九州と答えた。 マツリは九州も日本も知らなかった。 リツソがマツリの知らない所もあると加勢してくれたのに、マツリがリツソを直視してお前は黙っていろ、と言い、睥睨する恐ろしい目がリツソを捕らえた。

マツリが紫揺のことをリツソからシユラと聞いていたと言った。 だからマツリがシユラと呼んだ。 するとリツソがシユラのことをシユラと呼ぶのは、まで言って口が開いたまま止まってしまった。

炯炯たる眼光を向けられたからだった。 シキに劣らず眉目秀麗であるマツリだが、氷のように冷たく恐ろしいものがある。

チビが、黙っていろ、声音静かにマツリが言った。 リツソがピクリとも動かなければ反論する様子もない。 訝しく思った紫揺がリツソに声を掛けたが返事がない。 リツソの肩にそっと手を充ててこちらを向かせた。 素直に従ったリツソが紫揺のぺったんこの胸元に顔を伏せしがみついて来た。

紫揺とリツソの姿を見て、そして今までのリツソの態度に対してマツリが吐いた。

お前はまだその程度だ。 己を知ること、だと。

「だから・・・マツリが言い終わらない内に、黙りなさいって言いました。 その後もいっぱい言いたいことを言ってやりました」

いっぱい言ったことは想像できる。 シキや四方の前でも言っていたのだから。
シキが眉根を寄せて小首をかしげている。

「シキ様?」

「あ、ええ。 ・・・どうしてかしら」

「はい?」

「どうしてマツリはその時にそんなことを言ったのかしら。 リツソがその程度などと。 己を知ることなどと」

軽く曲げた美しい人差し指を可憐な唇に添え考えている。

(キレイ・・・美しい人は何をしてもキレイなんだぁ)

今更だが改めて思う。

暫く考えていたシキだが今は思い当たるところが出てこない。 指を下して紫揺を見る。

「その時の私たちは、二ホンもキュウシュウも知らなかったわ。 今も存在を聞いているだけで見たこともないわ。 でもマツリは自分の知らないことは知らないと認めることが出来るの。 だから紫が二ホンやキュウシュウと言ったことに対してマツリが何かを思ったわけじゃないと思うの。 どうしてかしら。 どうしてそんなにリツソのことを・・・、いいえ、リツソに対して怒ったのかしら」

水をこちらに向けられても困る。

「どうしてでしょうねぇ」 と言うしかない。

「そうね、マツリが何を考えているかなんて誰にも分からないものね」

おかしなことを聞いてしまった、とシキが言う。

紫揺が継続して怒っていないと分かっただけでも十分だ。 でもこのことは気になる。 改めてマツリに訊いてみようか、とシキが考えている前では紫揺もある考えを頭に巡らせていた。

シキはマツリは知らないことは知らないと認めることが出来ると言った。 そしてマツリは自分が悪いと思えば謝ることが出来る人間だということを、目が覚めてから知った。

「私、あんまりマツリのことをよく知らないのかもしれません」

当たり前だろう、会ったことなんて数えるほどなのだから。 だがそういうことを思ったのではない。

「え?」

「マツリはいっつも頭ごなしに言っていました。 あ、いつもじゃない。 北の領土で初めて会った時と本領で初めて会った時の二回だけだ・・・。 あとは・・・」

シキに話しかけていたのに、いつからか独り言のようになってしまっている。

「マツリがシキ様から聞いたって。 あれからマツリが変わったんだ」

「紫? なんのことかしら?」

やっとシキを見た。

「シキ様が私の両親のことを話されたってマツリから聞きました。 マツリの態度がおかしいから訊いたんです。 その、頭ごなしじゃないっていうか、喧嘩を吹っかけてこないっていうか。 最初はとぼけていたけど、マツリがそう言っていました」

あっ、と気付いた事があった。
マツリが急に態度を変えた。 その理由を聞いた。 あのマツリにも人の心が分かるのかと思った。 そして太鼓橋から下ろしてくれたことも。

紫揺が太鼓橋に座っている姿を見てはシキが卒倒してしまうと言っていたが、そこまでは思い出せていないようだが。

そうか。 マツリはそういう人間なんだ。

「最初に顔を合わせた二回が徹底的に悪すぎたんだ。 うん、うん。 マツリのことは見直すところもあるし、それに本領に来るまでに色んなことを教えてくれたっけ」

完全にシキを蚊帳の外にしている紫揺。 だが紫揺のしっかりと声に出ている独り言はシキの喜ぶところである。 紫揺の独り言に水を差さずしっかりと聞いている。

「最初の二回・・・。 どうしてあんなに険悪になったんだろ。 ちがう。 二回とも一方的にマツリがリツソ君を虐めてたんだ。 それで私が言っちゃったんだ。 そうよ、それに最初にあんな目をしてきたのはマツリなんだから。 だから怒りが増したんじゃない」

口を尖らせてフン、と言いかけた時にシキと目が合った。
シキといたのに完全に自分一人の世界に入ってしまっていたと気付いた。

「あ・・・」

気付いた後、シキを見る目が申し訳なさげに変わった。

「北の領土でのことね。 きっとマツリのその目は慧眼。 紫が厄災をもたらさないか見ていたのよ。 魔釣の目ね」

「え?」

「あんな目と言われれば仕方がないかもしれないけど・・・。 マツリったら、紫に油断したのかしら。 普通なら相手に覚られないようにそんな風に目を向けないのに。 紫に失礼なことをしたわ。 ごめんなさいね」

シキに謝られるようなことではない。

「そんなことありません。 あ、ってか、そうだったんですね。 私何も知らなくて」

「ええ、だからマツリのその目のことは許してやってちょうだいな」

紫揺が今にもブンブンと音がしそうなほどに何度も首を縦に振る。

「でも、そうね。 紫が言ったように最初の二回? ・・・う、んと。 二回目はこの本領でのことよね。 それはリツソの非礼を発端にマツリがリツソを叱責したのよね」

「でも、私が悪いからって謝ったのに、それを受け入れてくれませんでした」

「ええ、たしかに。 あれもおかしいわ。 いつものマツリじゃなかった」

「そうなんですか?」

「ええ、マツリは愛想こそないけれど、人の言(げん)は聞くわ。 相手がどう思っているかを考えてそこから己の言を言う。 それなのにあの時は紫の言を聞いても己の言を優先した。 マツリは己の言が間違っていると分かっていたはずよ。 それなのに何故・・・」

と、ここまで言ってあの時シキ自身が言った言葉を思い出す。
マツリと紫揺が似ていると言った。
何故そう思ったのか。 紫揺に愛想がないとは言えない。 それどころか言を吐かずとも可愛い。

これはシキと澪引に限ったことかもしれないが、シキにそんな意識はない。

(わたくしは、何を見てマツリと紫が似ていると思ったのかしら・・・)

シキが考える。 あの時のシチュエーションを思い出す。
そうだ、顔だ。 表情だ。 想いだ。 互いに誰かを思いやっていた。 それを似ていると思ったのだ。

あの時、マツリは紫揺のことをアチラコチラにウロウロする迷子としてシキを困らせていた相手として見ていた。
紫揺はマツリのことをリツソを虐める相手だと見ていた。

マツリはシキのことを想い、紫揺はリツソのことを想っていた。

シキの見たものに間違いはない。

だがマツリにはその中心に僅かな灯火のように、だが灯火のように寂しくなく陽の光のように暖かいものがあった。 だがだが残念なことにそれが怒りとして現れていた。

マツリが紫揺に対して怒ったのはそのせいでもあった。 しかしシキはそれを知らない。 もちろんマツリ自身も紫揺も。

視気の目で見れば簡単に分かったことだったが、領土の民を救うため以外にその目を使うことは無かった。

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辰刻の雫 ~蒼い月~  第26回

2022年01月07日 21時36分10秒 | 小説
『辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~』 目次


『辰刻の雫 ~蒼い月~』 第1回から第20回までの目次は以下の 『辰刻の雫 ~蒼い月~』リンクページ からお願いいたします。


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辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~  第26回



「え? シキ、どういうことなのかしら?」

「母上、わたくし先ほど閃きましたの。 リツソには頼れるなどとはほど遠い話ですわ。 ですが、頼れるという言葉を出したのは紫でしょう? マツリはそれに値いたしますわ」

「でも・・・」

たしかに、四方さえもマツリに頼っているところがあるのは知っている。 だがリツソの気持ちはどうなるのか。

「それに紫とマツリって似ていますの」

「え? 似ている?」

マツリと紫揺が?

そこでシキが己の感じたことを言った。
本領で初めて紫揺と顔を合わせた時に、マツリと紫揺が大きな口喧嘩をした。
その二人を見ていてシキが『仲がいいのね』 と言った。 そう感じたからだ。
そしてシキの部屋で紫揺が初めてシキと一緒に寝た時には、シキが話している間に紫揺が寝てしまった。
『物怖じしないところもそっくりね』 と声に出していった。

「紫もマツリも互いに対しての己のことが分かっていないと思います。 似た者同士ですから。 ですからぶつかり合うこともあるかと思います。 ですがそれが大切だと思いますの」

シキはこの一年足らずの生活で、波葉がシキの言うことに “否” とは言わなかったことを重ねている。
だがここにきて紫揺の話しになった時、波葉の目が泳いだのだ。
婚姻を済ませるまではそんなことは無かったのに。 いや、そんな題材が無かったから、波葉がシキの言うことに “否” ということが無かったのだろう。

そんな中で今回のことが持ち上がった。

波葉はシキに隠し事をしていたのだ、許せるものではない。 ましてや紫揺の事なのに。 だから暫くは波葉とは口を利かないと宣言した。
全てにおいて “否” ということは進めないが、だが必要なものではないのだろうか。

「ぶつかり合う?」

「はい、さきほど母上は父上に物申されましたが・・・わたくし、初めて聞きました」

「・・・そんなことは無いわ」

「え?」

「わたくしの我儘とは分かっていますが、四方様には困らせることを何度か言いました」

最初は記憶を辿るような表情を見せたが、幼女のような顔になり言った。

「そうなのですか?」

「ええ。 懐かしいわ。 あの時のわたくしは我儘でしたから」

「父上は母上のそれを可愛らしく思われたのでしょう。 きっと・・・」

澪引の若い頃を想像する。 それこそ澪引がどれだけ我儘を言おうとも、四方が目の中に入れても痛くないと思っていたはずだ。
そしてそれを祖父が許していたはずだ。 祖父、ご隠居も澪引のことを可愛がっていたのだから。 それに澪引自身が我儘と言っていても、きっと可愛らしいものであろう。

「ぶつかり合うことは必要と思います。 わたくしは波葉と婚姻をするまでぶつかり合うことは御座いませんでした。 波葉が我慢していたのかもしれません。 それを思うと、最初からぶつかり合っているのは、よいことではないでしょうか。 互いが我慢をしていないのですから。 マツリと紫は似ております。 道筋は違っていても同じ所に足を置くと思いますわ」

それに先程、紫揺が言っていた。 マツリから紫の力の限界を越したと、以降、限界を超えるような使い方をするんじゃないと、己の力を分かっていくようにと言われたと。 紫揺はそれを真っ直ぐに受け止めている。 ぶつかり合うところもあるが、受け止めるところもある。 それは相手を、マツリを認めているということ。

「・・・リツソはどうなるの?」

「母上、リツソは十六の歳になります。 未だ父上から二つ名を頂いておりません」

二つ名は十五の歳に領主、すなわち父親から貰う。 それは生まれ落ちた時から持っている子の力を見極めた父親が決める。 だからこそ大抵は十五を待たずしてその二つ名は決めている。

「こう言ってはいけませんが、わたくしもマツリも十の歳を待たずして父上が二つ名をお考え下さいました」

「ええ、分かっているわ。 シキもマツリも一人で大きくなってしまったもの」

澪引は言ってみれば “血” の外部の人間だ。
五色のことも身をもって知らないし、本領領主に流れる血のことも。 それは澪引も分かっている。 だが今、澪引が言っているのは、一人の母親としてのことだ。

「リツソもそうならなくてはいけなかったのです。 そこまでいかずとも、未だにリツソに力が見られません、ですから父上が二つ名をお決めになられないのでしょう」

「そのリツソには紫は許嫁になれないと?」

「・・・なれないとは断言しておりません。 リツソがどう変わるかですが、それは・・・一の年では見込めません。 それに紫にはリツソよりマツリの方が合っております」

「合っている・・・」

先ほどのシキの説明を思い出す。

「マツリは紫のことをどう思っているのかしら」

「紫もマツリも同じでしょう」

「どういうこと?」

「互いを認めているのに認めていない。 強情っ張りの二人ですわ」

「でもそれは恋心に結び付くのかしら」

「結びつけますわ。 必ず」

ぐっと美しい手で拳を握る。

シキに言い切られ澪引がリツソのことを一旦置いたが、未だに澪引の頭の中にはリツソのことがある。

(リツソの想い人・・・紫がマツリの奥になるとなったらリツソは・・・)

シキと澪引の会話が頭に入らなかった紫揺。 シキと澪引の声が聞こえなくなってようやく我に戻った。

「えっと・・・シキ様? 聞き間違えでしょうか?」

シキと澪引の間で話が進んでいた。 紫揺が頭をフリーズしていたなどとは知らないシキ、そして澪引。

「あら? どこの部分のお話かしら?」

平気に応えられ意味が分からなくなった。

「あれ? んっと・・・何だったっけ・・・」

この場面を阿秀が見ていたら、こめかみを押さえただろう。

何が何なのか分からなくなり「えっと・・・あ、取り敢えず」 と、明後日までは宮に居るようにとマツリが言っていて、その次の日に東に送ると言った、と話した。 明々後日と聞いていたのは深夜のことだ。 もう日は明けた。 それを聞いたシキ。

「それでは、わたくしも」

と、シキが宮に泊まることになった。 もちろん波葉に文句を言わせる気はない。
そして紫揺はマツリの部屋を出てシキの部屋で寝起きすることとなった。


シキがある場面を頭に浮かべた。 唱和のことで紫揺と此之葉、秋我が本領に居た時のことを。
澪引が食事の席に現れなかった時、リツソがサッサと食事を終わらせ紫揺に会いに行こうとした。 それをマツリが止めた。 紫揺たちも今は食事中だと言って。

マツリに止められたリツソは尻をモゾモゾとさせながら紫揺に会いに行けるのを待っていたが一度マツリに止められたのだ、マツリの許可が出ない限りリツソは席を立てない。
それなのに己らの食事も終わり茶が運ばれて来てもマツリがリツソに紫揺の元に行ってもいいと言わなかった。

だから

『マツリ、そろそろリツソを許してやってちょうだいな』 見かねたシキがそう言った。

マツリが軽くシキを見てから前を向いた。 いつものマツリはシキにそんな目を送らないのに。
それに宙に足をバタつかせてマツリを見上げているリツソの視線を感じていたはず。

マツリが茶をすすり四方も茶をすすっていたが、マツリの様子に片眉を上げていた。 『マツリ?』 思わず四方もマツリに声を掛けた。

マツリが片眉を上げて右を斜に見てまた前を見た。
『行ってよし』 ようやくマツリの許可が下りてリツソが走って出て行ったが。

(あの時のマツリはおかしかったわ。 父上もお気づきになっていた。 だから仰った)

『どうしたマツリ』

『何がで御座いましょうか』

『別にリツソをじらさんでも良かっただろうに』

『じらしてなどおりません。 一言いう前に茶を飲みたかっただけです』

(ええ、そう。 あの後、父上とわたくしが目を合わせたのですもの)

シキが柳のように美しい眉を寄せる。

(あの時のマツリはおかしかったわ。 父上もそれに気付いていた程に。 ・・でも今から思えば・・・考えられなくもないかしら)

「シキ様?」

紫揺の顔が覗き込んでいた。

「え? なあに?」

いつの間にか口元に指を寄せていた手を下す。

「先ほどから何度もお呼びしていたのですが、お加減が悪いのですか?」

「あら、ごめんなさい。 ちょっと考え事をしてしまって。 わたくしったら」

せっかく紫揺と居るのに、なんともったいないことをしてしまったのだろう。 シキが己を叱責する。

「波葉様の事ですか?」

「え、波葉様?」

すっかり忘れていた。 そう言えば己には波葉が居たのだった。 それに思い出してしまった怒り。

「波葉様とは暫く口を利きませんの。 ですから考えも致しませんわ」

「喧嘩でもされたのですか?」

それが原因で考え事をしていたのだろうか。
波葉へのシキの怒りは自分が原因であり、そしてまた今、シキが考え込んでいたのは自分が原因だとは微塵にも思っていない。

「紫は心配しなくていいわ」

「いいえ、そういうわけにはいきません」

何故かハッキリキッパリという。

「どうして?」

「ご夫婦には必要な喧嘩があるかもしれませんけどシキ様はまだご結婚・・・ご婚姻されて一の年も経っておられません。 なのにこうして私と一緒に居るなんて。 波葉様に申し訳がありません」

「あら? わたくしではなくて波葉の味方に付くの?」

澪引といた時もそうだったが、ついウッカリ以前の癖で波葉と呼び捨てにしてしまっている。

「そういう意味じゃありません。 これじゃあ、私がお邪魔虫になってしまっています」

「おじゃまむし? それはどんなものなのかしら?」

「あ・・・」

この言葉も通じなかったのか。

「えっと、私がシキ様と波葉様の邪魔をしている虫・・・なんて言えばいいのかなぁ」

紫揺が口元に人差し指を付け黒目だけで上を向く。

「きゃ! 可愛い!」

シキの声が聞こえた。 シマッタと思っても後の祭り。 指をそっとはなしシキを見る。

「虫です、小さな。 ノミやハエや蚊みたいな? そんな虫と一緒で、お二人の間を邪魔しちゃっている虫っていうことです」

日本と比べて、ちょっとしたところで通じないことがある。 でもノミやハエや蚊は、きっとここにも居るはずだと、この三つに絞った。
けれど、それで合っているのだろうかと不安になる。 敢えてお邪魔虫の定義など考えたことが無いのだから。

だがお邪魔虫と言うくらいだ、虫には違いないだろう。 昆虫の。 昆虫にそんなに大きなものはいないだろうが、例えてしまったノミもハエも蚊も自分がそれでは寂しいものがある。 せめてカブトムシとか、クワガタにしておけば良かった。

「まぁ、何を言うのかと思ったら、そんなことはないわ。 それにね、さっき紫が言ったように今回のことは必要な喧嘩なの。 波葉にはわたくしが何をどう思っているのかということは早いうちからしっかりと分かってもらわなくては後になって困るもの」

それにね、と続けて言ったのは澪引の事であった。

「澪引様が四方様に我儘を? お若い頃から?」

「あら、聞いていなかったの? ええ、母上がご自分でそう仰ったの。 母上は我儘って仰ったけれど、可愛らしいものだと思けれどね」

「はい。 澪引様が我儘を仰るなんて」

と言いながら振り返ってみると、それもあり得るかもしれないと思える節がある。 自分とリツソの事は澪引の我儘ではないだろうかと。 だがそんなことは言えるものではない。

急にシキが紫揺をまじまじと見る。 どうしたのか? といった目をシキに送る。

「マツリが紫の身体の具合が悪いのは、紫の力の限界を越したからって言っていたのよね?」

「はい」

「マツリの二つ名の事は知っていて?」

「はい。 北の狼に聞きました」

マツリは、祭であり魔釣であると。

「それを聞いて紫はどう思うかしら?」

「え? どうと言われましても」

何をどう答えればいいのだろうか。

シキがニコリと口元に美しい花びらを咲かせる。

「わたくしも二つ名を持っているのは知っていて?」

「え? 知りませんでした」

「一つは季節の四季。 祭と一緒よ。 マツリもわたくしも、各領土の季節の四季に合わせて祭に出るということ。 東の領土では春に祭が行われるでしょ? 各領土がそれぞれの領土に合った四つの季節に祭を行うの」

そしてもう一つは、と細く美しい人差し指を一本立てた。

「わたくしが視た方のお気持ちを視ることが出来るの。 視る気持ちと書くの。 視ようと思えば、その方が何を考えているかを視ることが出来るの。 領土を回る時にはこの視気の目を使うわ。 でなければ領土の民の心の中が分からないから」

「はい」

視気の目を使っていたとは知らなかったが、シキが東の領土のことを見ていたと、領主や秋我からよくよく聞いていた。 シキが民に添ってくれていたと、民の心をよくよく分かってくれていたと。
それは視気の目で視ていたからだったのか。

「あくまでも、視ようと思えばよ。 紫にそんなことはしないから安心して」

紫揺がコクリと頷く。

「お話を最初に戻すわね。 マツリが紫に、紫の力の限界を越したからって言ったのは、マツリには魔釣以外に他にも力があるの」

「え?」

シキが言うには、マツリは対象者の身体に手を添わせるとその者の体調が分かるのだという。 どこを害しているのか、そこから体調不良の原因が分かるという。

「あ・・・、だから私が、紫の力の限界を越したって分かった・・・」

「そう。 もし紫が倒れた時に薬草師が抱えなければ後頭部を打っていたでしょうね。 そうなっていたらそれも視ることが出来たわ」

シキはこの話を食事の時にマツリから聞いた。 別部屋で夕飯をとっていた紫揺においては “最高か” と ”庭の世話か” から聞いていた。

ちなみに紫揺のこの夕食時には、一緒に食べようと紫揺が四人を誘ったが、とんでもないと丁寧にお断りをされた。 その分というわけではないが、食事中の紫揺にこの四人は代わる代わる色んな話を聞かせてくれていた。

「ね、わたくしもそうだけれど、マツリの二つ名の魔を釣ると、手を添わすと体調が分かるというのを聞いて、紫はどう思うかしら?」

紫揺が答えやすいように、敢えてわたくしもそうだけれど、と付けた。
さっきの質問はそういうことか、と紫揺が得心する。

「うん、と。 どう思うかと訊かれれば困ります」

日本に居た時には有り得ない事なのだから。 もしあのまま日本に残りその力の事を聞かされれば、眉唾ものと眉間に皺を寄せたかもしれない。 でもここは、自分が選んだのは日本ではない。

「お力があるのがこの本領や領土では当たり前なんですよね。 それに私もシキ様には及びませんが五色の力があります」

そう、日本に居てはこの五色の力は誰にも理解してもらえない。 いつまでも日本を思っていては、比べていてはいけないことは分かっているが、まだ所々に出てしまう。

「シキ様のお力は民の為です。 民を思っての事です。 そのお力は・・・。 えっと・・・崇高だと思います」

敢えて付けた “わたくしも” にしか答えていない。 どうしてそこまでマツリの話をしたがらないのか、話の持って行き方をしくじったか。

「ありがとう。 そう言ってもらえればわたくしも安心だわ。 では、マツリはどう? 魔を釣るのよ? それに人の体調が視えるのは紫にはどう見えるかしら?」

直線を描こう。 不自然ではない筈だ。

「・・・マツリ」

と言った後に一拍おいて小さな声で付け加える。

「・・・さま、は・・・」

こちらは完全に不自然である。

「待って、紫。 もしかしてマツリのことをマツリ様と呼びたくなくて、マツリのことを言わないの?」

紫揺が口を歪める。 当たり前だろう。 マツリのことなど崇拝もしていなければ神とも考えていない。 それどころかリツソを虐めた相手だ。
シキと澪引には心から “様” を付けて呼べる。 四方にも言いたくは無いが本領領主、と回りくどく言うのも面倒臭くて無理矢理だが四方様と呼んでいる。 でも、マツリには無理矢理も付けたくない。

「いいのよ、わたくしと居る時はマツリのことをマツリと言って。 わたくしも紫といる時には波葉様と言わず波葉と言うのですもの」

最初はついウッカリ波葉と言ったが、その後は紫揺が相手だと気を許し波葉様ではなく波葉と言っていた。
それにシキは紫揺とマツリの口喧嘩をきいている。 紫揺がマツリのことをマツリと散々呼び捨てにしていた。 今更 “マツリ様” などと言えないだろう。 そしてあの口喧嘩の中で、今度、紫揺のことをお前と言えば、紫揺はマツリのことをアンタと呼ぶとも言っていたのを聞いている。 マツリを呼び捨てにするどころでは無い。

「あ・・・でも」

「そんなところに囚われていては進むものも進まないわ。 ね、マツリのことはどう思うかしら?」

進むものも進まないとはどういうことだろう、と思いながらもシキの言葉を聞き紫揺が腹をくくる。

「魔を釣る、狼から聞かされた時には恐かったです。 あの時はこの本領のことも領土のことも分かっていませんでしたから」

日本に居て何も知らず攫われただけだったのだから。

「でもあの時はリツソ君に対しての態度。 マツリ・・・が許せませんでした。 それでマツリに魔釣られるのなら、こっちだって魔釣ってやろうと思いました。 今思えばマツリみたいに力が無いのにあの時はそんなことを思ってしまいました」

「それはマツリが魔釣であっても、今の紫は意としないということ?」

「マツリが魔釣であっても何も怖くはありません。 それに今はそれがマツリのやらねばならないための力と思っています」

「ではマツリに人の体調が視えるというのはどうかしら?」

「皆さん、えっと以前シキ様に付いていらっしゃった方々。 その、さっきも一緒に居て下さっていた」

分かるだろうかとシキの顔を見る。

「ええ」

シキが頷く。

「その方たちに私が目覚めない間、マツリが細目に私の体調を視てくれてたって聞きました。 そのお話からすると私の持っている紫の力と似ていると思います。 こうしてシキ様に敢えて訊かれて気付いたくらいですけど、マツリには指南してもらいたいという気持ちがあるかもしれません」

正直に言った。
でも! 絶対に言いたくありませんっ! と、少し前なら言っていたであろう。 だが今はそんな風に思わなかった。 ただ、言い終えたかと思うとシキを見て「これは絶対にマツリには秘密です。 シキ様だけに言うのですから」 と付け加えた。

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辰刻の雫 ~蒼い月~  第25回

2022年01月03日 21時50分06秒 | 小説
『辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~』 目次


『辰刻の雫 ~蒼い月~』 第1回から第20回までの目次は以下の 『辰刻の雫 ~蒼い月~』リンクページ からお願いいたします。


     『辰刻の雫 ~蒼い月~』 リンクページ




                                  




辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~  第25回



怒りの理由に心当たりがある。 澪引にも背を向けられている。 これ以上は御免被りたい。

「ああ」

書類のズンと乗った机の前で立ち上がった。

従者の一人に四方の自室に来るようにと迎える相手に伝言を言いつけ、他の従者たちを払い、側付きだけを見張り役に回廊に座らせた。
そして迎える相手が四方の自室にやって来た。 

開口一番。

「父上! どういうことですの!? どうして紫が宮に来ているのに、わたくしに知らせが御座いませんの!?」

四方の従者たちが居並んでいないのを見てシキも自分の従者たちを払っていた。 四方の側付きから離れて座っているのは昌耶だけである。

シキの後ろで波葉が申し訳なさげに頭を垂れている。
・・・やはりか。 そこから漏れたのか。 だがそれは仕方のないことである、分かっている。 だが考えただけで気が遠くなってくる。 心の中で溜息を吐いた四方が影を薄くする。

「色々、事情があってな」

「事情!? 波葉様もそう言っておられました! ですが本領の事情とわたくしと紫の間のことは違いましょう!」

「いや、まぁ。 まあ、落ち着け。 事情は説明する。 シキにも協力してもらった形になるのだから」

「紫がわたくしの所に来たということになっているというのは、波葉様から聞きましたわ! ですから門番にはそのように見せかけてきました。 ご安心くださいませっ」

ご安心とは・・・シキの気に入っている紫がシキの邸に行き、一緒に宮に帰って来ているという形をとってきたと言っているのだろう。 だがその門番がシキの怒りに気付いたというのに、どういう了見で言っているのであろうか。

「とにかく座ってくれ」

「義父上・・・申し訳ございません。 私の態度をおかしく思ったシキ様に問い詰められまして・・・」

「いや、気にするな。 いずれシキにも言わねばならんことだったのだから」

そう言って、リツソが攫われたことから始まって、リツソを助け出したのはいいがそのリツソの目が覚めない。

医者から聞いた方法の一つを試そうとマツリが紫揺を連れてくることを提案した。 だがこれは紫揺にそうと知られてはならない。 リツソの為に紫揺を東の領土から出すことなどあってはならない事、それは本領の矜持に関わること。 マツリがどんな手を使ったのかは知らないが、あくまでも紫揺自らがリツソの為にこの本領に来たと仕向けている。 ここはしっかりとシキに口止めをした。

そこで、どうして紫揺が来たのにシキの所に行ったように見せかけたのかは、宮帰りをしたいと言っていたシキに、攫われたリツソのことを知られては困るから。 だからシキお気に入りの紫揺をシキの邸に行かせ、宮帰りを防いだということにした。 そうすれば紫揺が来た理由を付けられるし、その方がリツソが宮に居ないと思わせることが出来るからだと告げた。

そして最後に紫揺が倒れたことを言った。

「え・・・紫が?」

ずっとふくれっ面で聞いていたシキが最初に言ったのはこの台詞だった。

「シキ、紫の事より己(おの)が弟の心配が先だろう」

リツソが意識を失っていたと言った時には黙っていたというのに。

「どこにおりますの?」

「今はマツリに見させておる」

どうしてそうなる、リツソより紫揺なのかと呆れたような顔を向ける。

「どこにおりますのと聞いて御座います!」

と、そこに外から声が掛かった。

「父上、マツリです」

四方の側付きが間に入ろうとしたのをマツリが止めた。 相変わらず顔色が悪い。
それに中にいるのがシキだけなら二度手間は要らない。

「入れ」

襖を開け入ってきたマツリを見たシキ。

「マツリ! 紫は?!」

「姉上、声をお静め下さい。 先ほどのお声が外まで聞こえておりました。 他の者に聞かれます。 訳あってまだまだ宮内では気を許せない状態に御座います」

そしてお帰りなさいませ、と丁寧に頭を下げた。 波葉にも挨拶をすることを忘れない。 義理とはいえ我が兄となったのだから。

「紫は一日半、目が覚めませんでしたが深夜に目が覚めました。 今は我の房におります。 姉上の従者だった者に見させておりますので、ご安心ください」

走り戻る門番を止めシキが来たことを聞いた。 そこで四方の部屋に来る前に自室に寄り、女たちにシキが来たことを伝えた。 話がどうなっているのかが分からないため、このまま部屋に居るようにと告げてきたのである。

「今シキに全部説明したところだ。 ある程度波葉から聞いていたようで、紫と共にシキの邸から帰って来たように見せたということだ」

もう紫揺は人前に出てもいいということだ。 もちろん “最高か” も。

「紫の身体のほどはどうなの?」

「まだ少し頭がはっきりとしない部分があるようですが、至って元気にしております」

「そう、良かった・・・」

ホッとしたように下を向くとすぐに四方に向き直った。

「父上」

「なんだ・・・」

威厳よく腕は組んでいるものの目が泳いでいる。

「どのような事情が御座いましたかは存じませんでした。 ですが紫のことをわたくしに知らせないというのは承服いたしかねます」

「だがシキはもう波葉の奥となった。 宮のことは二の次、第一に波葉の事であろう」

波葉が苦い顔をして頭を下げる。

「波葉様も一緒になって、わたくしに紫のことを知らせなかったのですものね」

波葉を見てからツンと横を見る。

「シキ様、それは・・・」

「言い訳は結構ですわ。 暫くはわたくしにお話をしかけないで下さいませ」

「・・・シキ様」

「シキ、それは考え直してくれ。 波葉に口止めをしたのはわしだ。 シキが宮に来るようなことがあれば、それを止めてくれと言ったのもわしだ」

「ええ、よくわかりました。 波葉様はわたくしより父上をとったということですわね。 よーく分かりましたわ」

「姉上、それではあまりに義兄上に立場が御座いません」

「マツリ、わたくしの房に紫を連れて来てちょうだいな」

マツリが四方を見る。 四方が溜息交じりに頷いた。

歩を出しかけたシキが、あ、と言って四方を振り返った。

「それで、リツソはどうなりましたの?」

「・・・元気にしておる」

やっとか、という諦めに近い目で答えた。

マツリが襖に手をかけようとした時、外から声が掛かった。

「お方様に御座います」

四方の側付きの声だ。

「・・・澪引?」

四方が口の中で言う。
それをチラッと横目で見たシキ。

「お入りくださいませ」

四方に代わってシキが応えた。
側付きによって襖が開けられるとそこに澪引が立っていた。

「シキ!」

「母上、ご挨拶が遅れ申し訳ございません」

「元気にしていた?」

「はい」

「婚姻の儀の疲れはない?」

「母上、随分と経っておりますわ」

笑みを零す。
相変わらず美しいと、マツリがシキを見ているが、それにしてもあの優しく物腰の柔らかかったシキの先程の言いようは初めて聞いた。 思わず波葉の味方に立ってしまったほどだ。
と、マツリが四方を見ると、どこか様子がおかしい。

「父上、如何なされました?」

「ああ、いや、なんでもない」

右手の拳を口に充てコホンと咳払いをしたのに、拳をそのまま口から離さないでいる。

「では・・・姉上、姉上のお房に連れておきます」

「あら、どなたかがご一緒なの?」

襖に伸ばした手がまたしても止まる。

「あー、それはだなー、その・・・」

慌てたように四方が言う。

「紫で御座いますわ」

「まあ! 紫も一緒に来たの?」

シキがジロリと四方に目をやる。

「それはだなー・・・」

「母上、紫は数日前から宮に居たそうです」

「え?」

すぐに四方を見る。

「四方様、いったいどういうことで御座いますか? わたくしはそのようなお話など聞いておりませんが?」

先ほどまでシキと話していた声音ではない。

「ああ、えっと、そうだ、なぁ・・・。 マツ・・・」

マツリと呼ぼうとした時に襖が閉められた。

「四方様っ」

波葉が四方にお気の毒にという視線を送った。
同病相哀れむ。

四方がマツリの名を呼ぶことは分かっていた。 呼ばれる前に部屋を出てきたということである。 リツソに何かあった時に呼ばれるのは致し方ないが、澪引との間のことは勘弁願いたい。

「朝餉のあとの父上のご様子がおかしかったのは、母上とのことがあったということか。 それにしても・・・」

あんな風に澪引が四方に言うのを初めて聞いたし、あの優しいシキが波葉に結構な言い方をしていた。
婚姻とは女が強くなるのだろうか。

ついこの間もそうだったが、四方はその声一つで何者をも脅かすのに、その四方が何を言っても、あの弱い澪引が背中を向けて話を聞こうともしなかった事を思い出す。
剛度夫婦にしてもそうだった。 剛度が何を言っていても結局は女房に言い切られていた。

「婚姻をした女人とはそういうものなのか?」

―――計り知れない。

百藻(ひゃくも)の祝いの席で訊いてみようか・・・。
自室の前で足を止めると「我だ」と言って襖を開けた。


シキの部屋では澪引とシキ、そして紫揺が椅子に座り丸い卓を囲って団欒をしている。 シキの部屋の前には何もかもを知っている “最高か” と “庭の世話か” と何も知らないシキの側付きの昌耶と澪引の側付きが座し他の者は払われている。

久しぶりに宮に帰ってきたシキの従者たちが宮に残った元シキの従者たちとこちらも色んな話に興じている。

シキの部屋では先ほどの四方の部屋で見せていたものとは全く異なる空気が色を染めていた。

「それではリツソを救ってくれたのは紫なの?」

澪引が紫揺に問う。

「いえ、救っただなんて。 そんな大袈裟なことじゃありません」

「紫、力の使い方を分かってきたっていうことなのね?」

「少しずつですけど。 シキ様が教えて下さったから。 あの、とてもあの時のお話はお勉強になりました。 有難うございます」

ペコリンと頭を下げる。
ペコリン止まりにしておかないと、いつ異音を発するか分からないからだ。 これは何回もやってしまっていて勉強済みである。
だがそんなこととは知らず、そのペコリンが気に入った澪引とシキが笑む。

「でも、その、言われました」

さすがの紫揺も澪引やシキの前でマツリと呼び捨てにすることは憚られる。 怒り心頭の時にはシキと四方の前で散々言ってはいたが。

「あら、マツリかしら? なんて?」

マツリの部屋に居たのだからマツリだろう、と憶測してシキが問う。

「紫の力の限界を越したって、以降、限界を超えるような使い方をするんじゃないって、己の力を分かっていくようにって」

「ええ、それはそうね。 それで紫が倒れてしまっては困るわ。 それにそんなことを何度も繰り返すと紫の身体がどうにかなってしまうかもしれないわ。 マツリの言ったことをよく覚えておいてね」

紫揺の膝の上に置かれていた手にシキがそっと上から手を重ねた。
紫揺の身体を案じてくれているのだ。 紫揺が微笑み返す。

「でも今回のことは、紫がリツソのことを想ってしてくれたこと。 紫が力の限界を超えてまでリツソのことを想ってくれているなんて、わたくし・・・」

澪引の目が潤む。

いや、誤解をされては困る。 ここはしっかりと言っておかねば。

「あ、澪引様。 あの、あの時申し上げたように、あくまでもリツソ君のことは弟みたいに思っているだけですから」

「え? あの時って?」

「あ・・・。 その、シキ様の二日間の婚礼の儀が終わった後です。 澪引さまとお話をして」

話を大きくしたくないが説明するしかない。

「あら、わたくしだけのけ者でしたの?」

「そんなことはないです」

ブンブンと頭を振る。
婚礼の儀がまだあと三日続くというのに、のけ者も何もあったものではない。

「紫がね、あと一の年リツソを待ってくれるそうなの」

「まあ!」

「あの! シキ様誤解なく」

シキを見て言うと、シキと澪引を交互に見ながら続けて言う。

「あくまでも私はリツソ君のことを弟のようにとしか見てません。 ですが澪引様のお話から、それではあと一の年待って、その時にリツソ君が頼れるようになっていたら、そこから考えると申し上げただけです」

シキがその柳眉な眉頭を寄せた。

「シキ様?」

「紫、それは・・・不可能というものだわ。 分かって言っているのね?」

「あ・・・」

「シキ、何を言うの? そんなことは無いわ。 これからリツソに鍛練をさせれば紫もリツソを認めるはずよ」

「母上・・・。 残念ですけれど母上が思われる鍛練後のリツソは、他の者が思う頼れる者になっては御座いませんわ」

紫揺が心の中でシキに拍手を送った。

「まあ、シキ、なんてことを」

「わたくしも最初に紫に話した時、これからリツソは変わるでしょうと思っておりました。 ええ、母上もわたくしも」

「ええ、そうよ。 リツソはこの一の年程で立派になってきたわ。 随分と変わりました」

「母上・・・わたくしからはそう思えません」

「そんなことは無いわ」

「母上、リツソは可愛いですわ。 玩具のように可愛いですわ。 リツソが涙すれば拭ってあげたい。 いつまでも守ってあげたいと思います。 ですが、そう思わせるリツソはまだまだ童ということです。
そのリツソが一の年以内に、女人が頼れるような者になれると思われますか? 今回のことにしてもそうです。 宮の者であるのにもかかわらず供も付けず宮の外に出て攫われたのです。 いつでもどこかで誰かに守られていると思っているから、そういう軽挙に出たのでしょう。 勉学もそうですが、まだまだ深く考えるということが出来ておりません。 それを一の年以内だなんて」

シキが首を振る。

「ではシキは紫が義妹にならなくていいというの?」

「それとこれとはお話が違いますわ」

どこが違うんだ、と突っ込みたい紫揺ではあるが簡単に突っ込める相手ではない。

「わたくしは嫌よ。 義娘は紫でないと」

「あの・・・」

「なにかしら?」

シキと澪引が目を輝かせて紫揺を見る。
うっと、一瞬ひいてしまった。

「リツソ君のことはさて置き、その、はっきり言って、私は東の領土の五色の紫です。 東の領土を出るつもりはありませんから・・・その・・・」

「安心して。 紫が本領に来ると決まれば、東の領土には新しく五色を送るわ」

澪引もうんうんと頷いている。 それを受けて紫揺が言う。

「東の領土はずっと五色が居ませんでした。 本領からも新しい五色を迎えるようにと言われたそうですが、東の領土はそれを受け入れず紫を待ちました。 ですから・・・」

偉そうなことを最後まで言い切る力は持ち合わせていなかった。

「紫、その事は充分に分かっているわ」

シキが言うが、澪引は首を傾げる。
澪引は各領土のことを知る権利も義務もない。 四方の奥、この宮のお方様としてだけの存在である。 領土のゴタゴタのことなど知る由もない。
だがシキは紫の居ない間の東の領土の民の悲しみを知っている。

「東の領土が紫を失った悲しみ。 新しい五色を受け入れないとした決断。 紫を待ち続ける心。 わたくしは何年も全て視てきました。 だからこそ、東の民は紫の幸せを心から願っているのではないかしら」

意味が分からず紫揺がコキンと首を傾げる。 まだはっきりしない所が残っている脳みそがグワァ~ンと響いた。

「まぁ!」 「きゃ!」 と、紫揺のその仕草に澪引とシキが喜ぶ。
シマッタと思い、グワァ~ンとなっている脳みそを揺らさないように、ゆっくりと首を元に戻すが、それも珍しいのか二人が喜ぶ。
何か言わなければシキと澪引の視線が痛い。

「私の幸せは、東の民が喜ぶことです」

「まぁ、五色の鑑のようなお返事だわ。 東の領土の民も喜ぶでしょう」

「ですから・・・」

「ええ、だから紫には頼りになる、マツリの奥になってほしいの」

「は?」

紫揺の世界が止まった。

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