『辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~』 目次
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辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~ 第170回
武官所では青翼軍六都武官長が渋い顔を作っていた。
「何名動かされますか?」
「百二十七名を捕らえる、か」
六都武官長宛には、杠の意見を取り入れるようにと書かれていた。
武官長が腕を組んで顔を上げたが、その目は閉じられている。
これが冬なら悪さをする者も少ないが、運悪く蒸し暑さもなくなって過ごしやすい。
「一気にその人数ではありません。 明後日、陽が昇り始めてから徐々にです」
確かに六都武官長宛の文にもそう書かれていた。 武官長がゆっくりと目を開いて顔を戻す。
「ご提案で御座いますが、自警の群を朝から動かすというのはいかがでしょうか」
「自警の群を?」
「何名動かせるかは分かりませんが、少なくとも今まで登録された者は動かせましょう」
「たしか、六十余名だったか・・・」
「はい、その者たちは一度も問題を起こしておりません」
武官長がぎろりと杠を見た。 自警の群をそこまで信用していいのかという目だ。
「仮に自警の群を動かすとして・・・自警の群の三人で武官の一人分だろう、武官二十名が浮いてくるだけのことだ」
「二十名が浮くだけでもたいしたものです。 ですが自警の群二人で武官殿お一人分の仕事は出来ます。 相手は自警の群もよく知っているゴロツキどもです。 それこそ自警の群は今までそのゴロツキだったのですから、ゴロツキが何を考えるかくらいわかるでしょう。 ドスの入った者が居れば別ですが、六都にはドスの入った者はおりません。 下手をすれば武官殿お一人分の仕事も出来ましょう」
簡単に武官と自警の群が同じレベルだという言い方は出来ない。 それは武官をコケにしていることになる。
「長々とよく言ってくれたものだな」
「失礼をいたしました」
「何かあった時にはどうするつもりだ」
「ある、と思っておりましたらご提案は致しません。 百二十七名に対して六十余名の武官殿がおられれば十分かと」
徐々に入ってくると言えど、捕らえた者を速やかに三都の武官所に連れて行かねば、叫びでもされれば次に入ってこようとしていた者が引き返すかもしれない。 単純に捕まえる為の人数ではない。
武官長が何度も口を開いては閉じる。 そしてとうとうその口から声を発した。
「他翼武官長がそろそろ来るだろう。 こちらの文には杠官吏の意見を取り入れるようにと書かれていた」
他翼武官長に提案してもいいということである。
まだ陽が昇る前に馬を駆らせた。
少しでも早く杉山に居る四十余名を六都の中心に入れなくてはならない。 それに本当に問題を起こしそうにないか京也に確認をとりたい。 そのあとには戸木に行かなくてはならない。
夕べの巡回は二十名が行っていた。 その者たちの足止めは武官がすることになっている。
杉山までやって来た頃には陽が半分顔を出していた。
宿所では男達が次々と出てきて朝の準備をしている。 それを見張るように遠巻きから見ていた武官が蹄の音に顔を上げた。
「あれは・・・杠官吏」
さすがにマツリ付の官吏だ、見事な手綱さばきである。 前には文官として文官所に居たと文官から聞いていたが、文官で治まる器ではなかったようだ。
「ご苦労で御座います」
馬から跳び下りた杠が言う。
「お早うございます。 馬にお乗りになれるのですね」
普通、文官は乗ることが出来ない。
「マツリ様に教えていただきました」
そう言えば宮都からの応援に来ていた朱翼軍の二人から聞いた、体術にも長けていたと、緑翼軍でも腕の立つ武官が杠に負けたと。
「本日より明日、六都武官殿六十名が六都を出られます」
「え?」
まさか有り得ない。
「それにより、自警の群によって武官殿の代わりに巡回をさせるようにと、六都武官長から命が出ております」
四翼軍武官長それぞれの名が書かれた文を手渡す。
「ですが自警の群が武官殿の代わりになるか、疑いが無いかを見てくるように仰せつかりました」
その事を武官長たちからは言っていない。 杠から言い出したことだった。
遅れてやって来た武官長たちは渋った顔をしていたが、最後には『杠官吏の意見を取り入れるように』と書かれた文に目を落とした。
『明日早朝、杉山に行って様子を見て参ります。 引っかかる者がいればその者を省きます』そう言ってきたのだ。
「武官殿からご覧になって如何でしょうか」
「是とも否とも。 ですがもう咎人以外の見張は必要ないかと」
「中の様子を見ても宜しいでしょうか?」
「どうぞ」
付き添おうとした武官を止める。
「お役にご迷惑はかけられませんので」
「承知いたしました。 何か御座いましたらお呼び下さい」
その様子を陰から見ていた京也。 さて、どこで接触をしようか、などと考えていると、自警の群で顔見知りになった者たちに声をかけながら杠の方から歩いて来た。
「あなたは自警の群で見かけませんね」
(そうきたか)
「ああ、官吏さん。 そいつはオレらを牛耳ってるんだ」
「え?」
男の方に顔を向ける。
「牛耳ってるだって? 人聞きの悪い」
「だってそうだろ。 中心に行けって声をかけてくんのは力山だろう」
「それを牛耳るって言うのかよ」
「見てりゃわかるさ、危ない奴が行こうとしたら止めてんだろが」
「危ない奴? さきほど武官殿からはその様な話は聞きませんでしたが?」
見張がもう必要ないくらいだと言っていた。 男から京也に顔を戻す。
「いや、争いごとは起こしませんや。 だが中心に行ってそそのかされるかもしれませんから。 せっかくここで働いてるのに、咎人にしたきゃないですからね」
「そういうことですか。 では少しお伺いしても宜しいでしょうか?」
「なんなりと」
正面からきってくる、マツリと全く違うな、と思いながら取り繕った顔をしている杠を見ている。
「自警の群なのですが、今日明日と武官殿に代わって六都の巡回をお願いしても何ら支障は御座いませんでしょうか」
自警の群と聞いて男たちの手が止まった。
「え? どういうこって?」
「六十名の武官殿が二日間、六都を出られます。 登録されている六十三名、その方々に巡回をお願いしたいのですが・・・タガが外れるようなことは」
『タガが・・・』 そこは小声で言ったが、聞こえる者には聞こえている。
「おいおい、官吏さんや。 オレらを信用してないってか?」
他の者も口を開けようとしたが、その前に杠が口を開いた。
「いいえ、今回武官殿に代わって自警の群を推したのは私です。 武官長殿に確認をするように言われただけです」
「そういうこって。 ああ、信用して下さいや。 なぁ!」
杠から目を離して周りにいる者たちに声をかけた。
「おーさ、まだ馬鹿をやってる奴を目覚めさせてやるだけだ」
あちこちから声がかかる。
「有難うございます。 ではご協力をお願い致しま・・・杉山の仕事は宜しいでしょうか?」
「一日二日、何人かいなくなったからって、何ともないだろう、な? 残ってる奴で出来るだろう?」
「ああ、そうだな、杉山に上るのは厳しいか。 下でチマチマやっとくさ」
少人数となる。 切った杉を下ろしてくるのが大変になってしまう。 薪でも割っておくということだろう。
咎人にはしっかりと杉山に上ってもらうが。
『信用してくださいや』 と言ってから京也は一言も発していない。 いつもこうやって自発的に話すこと、動くことを促しているのだろう。
京也の言葉は聞けた。 もう用はない。
「では申し訳ありませんが、朝餉を食べられたらすぐにこちらを出て頂けますでしょうか。 武官殿は昼前に六都を出られますので」
「分ったよ、まかせな」
「中心に行かれましたら武官殿から指示があります。 武官殿と自警の群の混在で組を作ることになります。 皆さんの力を武官殿に見てもらって下さい」
あ、力み過ぎないように、と追加をする。
周りから笑いがおきる中、一人の男が声を出した。
「あ、おい、官吏さんや」
「はい?」
「將基と金河が戻って来てねーんだけど」
「はい、宮都に出向いて頂いております」
「それは知ってっけど、まだか?」
「あちらで待たされているようです。 まぁ、何不自由なくしているでしょう」
「・・・それならいいんだけどよ」
「ご心配は要りませんよ。 ご心配されておられると文を出しましょうか?」
「いっ、要らねーよ!」
ニコリと笑うと「それではよろしくお願いいたします」と言って深々と頭を下げ宿所を出て行った。
京也がふーっと息を吐いた。 上手いもんだ、と。
きっと杠は自分の言った『信用してくださいや』 それを聞きに来たのだろう。 それを男達の前で言わせた。 逆から見れば、男達に釘を刺したようなものだ。
それに京也でなくとも誰からでも、この者たちは信ずるに値すると言ってもらえれば、言われた者は誰でも嬉しいもの。
そうしておいて、心を緩ませておいて武官と自警の群の混在を言った。 初っ端からそんなことを言ってしまっては、自分達を信用していないのか、武官に自分たちを見張らせるのか、そんな文句も出ただろう。 それを言わせなかったどころか、笑わせていた。
(まったく・・・大したもんだ) そう思いながら無意識に頬を片手で撫でる。
杠の姿が宿所から消えると手を動かしながら杠の噂話となっていた。
もちろん、良い話である。
「なんだ、力山。 あの官吏の顔が羨ましいのか」
「あぁ?」
頬を撫でていた手が止まった。
「お前の顔じゃ太刀打ち出来ねーだろ」
しまった、無意識に頬を撫でていた。 今の男たちの話の流れから、自分の顔と杠の顔を比べた結果だと思われても仕方がない。
男達は杠の腰の低さや顔のことを言っていたのだった。
「へっ、あんな甘ちゃんな顔に負けるかよ」
紫揺好みの優しい顔立ち。 甘いマスク。
その顔で言うか、などとあっちこちから失笑に似た笑いがおきる。
「だがよー、女が寄って来るだろうな、あの顔。 羨ましいぜ」
「あんなのは寄って来ても最後には、いい万(よろず)相談屋になっちまうだけだろ。 あの性格、押しもしねーだろうし、男としての肉がねぇ」
これ見よがしに腕をまくって筋肉を見せる。
「まぁ、押しはなさそうだな。 押し倒されて終わりってな」
段々と杠への誤解の話になってきたようだ。
「おい、さっさと朝飯作って食え! 間に合わなくなるだろ!」
武官が口を挟む前に京也が喝を入れた。
杉山を出て馬を駆らせ戻ってくると、武官所の前に縄で縛られた男が六人意識なく転がっていた。 額に『紫さまを襲いかけた 其の一』 と紙が貼ってあり、それぞれに其の二、其の三と其の六まで続いていた。
百足の仕業だろう。 いや、百足は縄など縛らない、昏倒させて終りだろう。 こんな楽しい貼り紙まで貼るのは・・・好々爺しかいない。
百足が昏倒させた後に好々爺がしたのか、最初っから好々爺がしたのかは分からないが、いずれにしても夕べ紫揺が襲われかけたことは確実だ。
(武官所を出る前の頃だろうか・・・)
ここのところ夜襲の話は聞いていない。 偶然にも杠が宿を出て行ったのを見て、その後武官所から出てくる様子がない。 出来心で紫揺を襲いに来たのだろうか。
馬首を変えると宿に向かった。
宿には争った跡が見られない。 紫揺の寝る部屋の前で「紫揺」と声をかける。 返事がない。 そっと戸を開けると部屋が荒らされた様子もないし、紫揺もすやすやと眠っている。
ふと窓を見ると開け放たれたままだ。 さすがに締め切ってしまうと暑いから仕方がないが、不用心な、と呟いてしまう。
窓を閉めようと引き戸を持った時、窓の下に転がっている物が目に入った。
梯子。 この二階まで上がれる長さが十分にある。 ここから入ろうとしたのか。
危なかった・・・。
窓を閉め、そっと部屋を出て行った。
丁度その頃、武官所に出仕してきた武官が「なんじゃこりゃー」と叫んでいた。
道端で眠ってしまっていた男が目を覚ました。
夕べは順々に家の戸を叩き「ここに呉甚という者はおりませんか?」と訊いて回っていた。 そしてとうとう、応えがもらわれなくなった。 そのまま泥のように座り込んでいつの間にか眠っていたらしい。
見張っていた武官がこの男を捕らえようかどうか迷っていたが、男に呉甚を探させようとそのあとをずっと尾行(つ)けていた。
一方で二都の七坂での捜索が始まっていた。
呉甚を探す男。 その男が二都の七坂の大店の馬車に乗ってやって来たということは、七坂に柴咲が居るかもしれない。
男と柴咲を結び付けるものは呉甚を探しているということしかなかったが、それで十分だろう。 十分でなくとも間違っていても、柴咲を探す何らかの手立てが見つかるかもしれない。
捕らえる理由は上が無理矢理につけていた。
無断欠仕。
武官たちが似面絵を片手に動いていた。
泥のように眠っていた男が立ち上がると再び家の戸を叩いた。
高妃が虚ろな目をして顔を上げた。 高い窓から目に映るのは高い空。 そこから朝陽がさしている。 小鳥の声も聞こえる。
だから退屈じゃない。 ああそうでは無い。 退屈という言葉さえも高妃にはない。
日々、絵や書を教えてくれる。 朝起きれば美味しい朝餉を持ってきてくれる。 眠れない日には童話を聞かせてくれる。
寂しくなったら面白おかしく挿話を聞かせてくれる。
でも誰も居ない。
高妃の心の中には誰も居ない。
『お力を持続なさいませ』
どうして。
『お考えにならずとも宜しい。 お力を失くさないように。 ほれ、水差しを倒してごらんください』
高妃が水差しに手を向ける。
杉山の者たちがやってくると武官の一人が武官長を呼びに走った。 今回の自警の群との合同巡回は、腕遊び(じゃんけん)で負けた六都緑翼軍武官長が責任者となった。
革鎧を着た無骨な武官長四人、まだ暗い中、腕遊びをしている図は部下には見せられない図であった。
杉山の者たちの前に姿を現した六都緑翼軍武官長。 杉山の者を射るような目で見渡すと口を開いた。
「協力を感謝する。 六都の不穏分子の暴走を抑えるべく、武官と共に隅々までの巡回を願う」
“協力を感謝する” これは杠に言われていた。 第一声はこの言葉からお願いしますと。
いつも偉そうな武官から、ましてや武官長から『協力を感謝する』と言われ気を良くした杉山の者たち。 先ほどの人を馬鹿にした射るような眼差しを水に流すことにする。
その後、武官から登録していた名前の確認をされ、これから動く朝当番と夕から動く夕当番の振り分けを聞かされた。 だいたいゴロツキは夕方から呑み始めて問題を起こす。 夕当番の方が断然人数が多かった。
「朝当番の者は今から巡回に回ってもらう。 武官と夕刻まで巡回するよう。 夕当番の者は夕刻から明日朝までとなる。 それまでに睡眠をとっておくよう」
「かぁー・・・。 オレ夕当番か。 目が覚めちまってるよ、寝られるかってんだ」
「オレもだ。 ちょいちょい仕事しながら夕刻が来るのを待つか」
「そうしようぜ。 自警の群の見回りでは寝てなんてねーんだからな」
仕事が終わり自警の群として見回る時には睡眠などとっていない。 杉山の労働でなら疲れ果て夜になれば寝るが、中心に出てきた時には杉山から運ばれてきた丸太を運んだり、丸太を買いに来た客の荷馬車に乗せたり、注文を受けた物を作ったりしているだけだ。 体力を使う杉山の労働とは比べ物にならない。 丸一日起きていてもなんのことは無い。
「では早速、邑途(ゆうと)」
邑途が手を上げる。
「相手は己だ。 よろしく頼む」
“よろしく頼む” これも杠から言われていた。
邑途が口角を上げると「こちらこそ、頼んます」と言いながら歩を出した。
その後に続いて順々と名が上げられていく。
「深緑(しんりょく)」
「あんたが俺の相手か?」
近づいた深緑が言う。
「いや、相手の武官はもう回っている。 案内する」
夕刻当番の武官たちが既に朝当番として一人で巡回している武官の元に、自警の群の者たちを案内していった。
その頃、六十名の武官がギリギリまで巡回をし、早い昼餉を終え、出立の準備を終わらせていた。 あとは馬に騎乗する者が厩に行って馬の準備をし、時が来るのを待つだけである。
「六都、三都の者に覚られんようくれぐれも注意するよう。 第一陣、出立!」
第一陣は隠れるように三十名の武官を乗せた馬車十台とその馭者台に乗る十名。 第二陣が二十名の騎馬。
今回の決起に参加する者たちに覚られてはならない。
六都と三都を繋ぐ川、玻璃(はり)の川の川上に戸木があるが、玻璃の川沿いに行くわけにはいかない。 遠回りになるが、三都に向かっているだけだという顔をして途を取らなくてはならない。
そして第一陣の馬車が三都に入る頃に、あとから馬で出発した第二陣が第一陣を追い抜いて戸木の案内役となっている三都の武官と合流をし、三都で決起を起こそうとしている受け側の者が、玻璃の川沿いに居ないかを確認した。
戸木は人里から離れているとは言え、決起を起こそうとしている者が何処に居るか分からない。 徹底的に調べた。
調べ終ると立入禁止の札を地から抜き、キラキラが目立つ飾り石を探し、目につく所に置いた。
大きな邪魔は入ったが、なんとか第一陣が来る前に終わった。
馬車でやって来た第一陣の武官が離れた所に馬車を止め徒歩でやって来た頃には夕刻を過ぎていた。 夏であるから夕刻と言ってもまだ明るいが、冬であったならもうとっぷりと日が暮れている刻限になっていた。
その第一陣の武官たちが目をクリっと開いた。
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辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~ 第170回
武官所では青翼軍六都武官長が渋い顔を作っていた。
「何名動かされますか?」
「百二十七名を捕らえる、か」
六都武官長宛には、杠の意見を取り入れるようにと書かれていた。
武官長が腕を組んで顔を上げたが、その目は閉じられている。
これが冬なら悪さをする者も少ないが、運悪く蒸し暑さもなくなって過ごしやすい。
「一気にその人数ではありません。 明後日、陽が昇り始めてから徐々にです」
確かに六都武官長宛の文にもそう書かれていた。 武官長がゆっくりと目を開いて顔を戻す。
「ご提案で御座いますが、自警の群を朝から動かすというのはいかがでしょうか」
「自警の群を?」
「何名動かせるかは分かりませんが、少なくとも今まで登録された者は動かせましょう」
「たしか、六十余名だったか・・・」
「はい、その者たちは一度も問題を起こしておりません」
武官長がぎろりと杠を見た。 自警の群をそこまで信用していいのかという目だ。
「仮に自警の群を動かすとして・・・自警の群の三人で武官の一人分だろう、武官二十名が浮いてくるだけのことだ」
「二十名が浮くだけでもたいしたものです。 ですが自警の群二人で武官殿お一人分の仕事は出来ます。 相手は自警の群もよく知っているゴロツキどもです。 それこそ自警の群は今までそのゴロツキだったのですから、ゴロツキが何を考えるかくらいわかるでしょう。 ドスの入った者が居れば別ですが、六都にはドスの入った者はおりません。 下手をすれば武官殿お一人分の仕事も出来ましょう」
簡単に武官と自警の群が同じレベルだという言い方は出来ない。 それは武官をコケにしていることになる。
「長々とよく言ってくれたものだな」
「失礼をいたしました」
「何かあった時にはどうするつもりだ」
「ある、と思っておりましたらご提案は致しません。 百二十七名に対して六十余名の武官殿がおられれば十分かと」
徐々に入ってくると言えど、捕らえた者を速やかに三都の武官所に連れて行かねば、叫びでもされれば次に入ってこようとしていた者が引き返すかもしれない。 単純に捕まえる為の人数ではない。
武官長が何度も口を開いては閉じる。 そしてとうとうその口から声を発した。
「他翼武官長がそろそろ来るだろう。 こちらの文には杠官吏の意見を取り入れるようにと書かれていた」
他翼武官長に提案してもいいということである。
まだ陽が昇る前に馬を駆らせた。
少しでも早く杉山に居る四十余名を六都の中心に入れなくてはならない。 それに本当に問題を起こしそうにないか京也に確認をとりたい。 そのあとには戸木に行かなくてはならない。
夕べの巡回は二十名が行っていた。 その者たちの足止めは武官がすることになっている。
杉山までやって来た頃には陽が半分顔を出していた。
宿所では男達が次々と出てきて朝の準備をしている。 それを見張るように遠巻きから見ていた武官が蹄の音に顔を上げた。
「あれは・・・杠官吏」
さすがにマツリ付の官吏だ、見事な手綱さばきである。 前には文官として文官所に居たと文官から聞いていたが、文官で治まる器ではなかったようだ。
「ご苦労で御座います」
馬から跳び下りた杠が言う。
「お早うございます。 馬にお乗りになれるのですね」
普通、文官は乗ることが出来ない。
「マツリ様に教えていただきました」
そう言えば宮都からの応援に来ていた朱翼軍の二人から聞いた、体術にも長けていたと、緑翼軍でも腕の立つ武官が杠に負けたと。
「本日より明日、六都武官殿六十名が六都を出られます」
「え?」
まさか有り得ない。
「それにより、自警の群によって武官殿の代わりに巡回をさせるようにと、六都武官長から命が出ております」
四翼軍武官長それぞれの名が書かれた文を手渡す。
「ですが自警の群が武官殿の代わりになるか、疑いが無いかを見てくるように仰せつかりました」
その事を武官長たちからは言っていない。 杠から言い出したことだった。
遅れてやって来た武官長たちは渋った顔をしていたが、最後には『杠官吏の意見を取り入れるように』と書かれた文に目を落とした。
『明日早朝、杉山に行って様子を見て参ります。 引っかかる者がいればその者を省きます』そう言ってきたのだ。
「武官殿からご覧になって如何でしょうか」
「是とも否とも。 ですがもう咎人以外の見張は必要ないかと」
「中の様子を見ても宜しいでしょうか?」
「どうぞ」
付き添おうとした武官を止める。
「お役にご迷惑はかけられませんので」
「承知いたしました。 何か御座いましたらお呼び下さい」
その様子を陰から見ていた京也。 さて、どこで接触をしようか、などと考えていると、自警の群で顔見知りになった者たちに声をかけながら杠の方から歩いて来た。
「あなたは自警の群で見かけませんね」
(そうきたか)
「ああ、官吏さん。 そいつはオレらを牛耳ってるんだ」
「え?」
男の方に顔を向ける。
「牛耳ってるだって? 人聞きの悪い」
「だってそうだろ。 中心に行けって声をかけてくんのは力山だろう」
「それを牛耳るって言うのかよ」
「見てりゃわかるさ、危ない奴が行こうとしたら止めてんだろが」
「危ない奴? さきほど武官殿からはその様な話は聞きませんでしたが?」
見張がもう必要ないくらいだと言っていた。 男から京也に顔を戻す。
「いや、争いごとは起こしませんや。 だが中心に行ってそそのかされるかもしれませんから。 せっかくここで働いてるのに、咎人にしたきゃないですからね」
「そういうことですか。 では少しお伺いしても宜しいでしょうか?」
「なんなりと」
正面からきってくる、マツリと全く違うな、と思いながら取り繕った顔をしている杠を見ている。
「自警の群なのですが、今日明日と武官殿に代わって六都の巡回をお願いしても何ら支障は御座いませんでしょうか」
自警の群と聞いて男たちの手が止まった。
「え? どういうこって?」
「六十名の武官殿が二日間、六都を出られます。 登録されている六十三名、その方々に巡回をお願いしたいのですが・・・タガが外れるようなことは」
『タガが・・・』 そこは小声で言ったが、聞こえる者には聞こえている。
「おいおい、官吏さんや。 オレらを信用してないってか?」
他の者も口を開けようとしたが、その前に杠が口を開いた。
「いいえ、今回武官殿に代わって自警の群を推したのは私です。 武官長殿に確認をするように言われただけです」
「そういうこって。 ああ、信用して下さいや。 なぁ!」
杠から目を離して周りにいる者たちに声をかけた。
「おーさ、まだ馬鹿をやってる奴を目覚めさせてやるだけだ」
あちこちから声がかかる。
「有難うございます。 ではご協力をお願い致しま・・・杉山の仕事は宜しいでしょうか?」
「一日二日、何人かいなくなったからって、何ともないだろう、な? 残ってる奴で出来るだろう?」
「ああ、そうだな、杉山に上るのは厳しいか。 下でチマチマやっとくさ」
少人数となる。 切った杉を下ろしてくるのが大変になってしまう。 薪でも割っておくということだろう。
咎人にはしっかりと杉山に上ってもらうが。
『信用してくださいや』 と言ってから京也は一言も発していない。 いつもこうやって自発的に話すこと、動くことを促しているのだろう。
京也の言葉は聞けた。 もう用はない。
「では申し訳ありませんが、朝餉を食べられたらすぐにこちらを出て頂けますでしょうか。 武官殿は昼前に六都を出られますので」
「分ったよ、まかせな」
「中心に行かれましたら武官殿から指示があります。 武官殿と自警の群の混在で組を作ることになります。 皆さんの力を武官殿に見てもらって下さい」
あ、力み過ぎないように、と追加をする。
周りから笑いがおきる中、一人の男が声を出した。
「あ、おい、官吏さんや」
「はい?」
「將基と金河が戻って来てねーんだけど」
「はい、宮都に出向いて頂いております」
「それは知ってっけど、まだか?」
「あちらで待たされているようです。 まぁ、何不自由なくしているでしょう」
「・・・それならいいんだけどよ」
「ご心配は要りませんよ。 ご心配されておられると文を出しましょうか?」
「いっ、要らねーよ!」
ニコリと笑うと「それではよろしくお願いいたします」と言って深々と頭を下げ宿所を出て行った。
京也がふーっと息を吐いた。 上手いもんだ、と。
きっと杠は自分の言った『信用してくださいや』 それを聞きに来たのだろう。 それを男達の前で言わせた。 逆から見れば、男達に釘を刺したようなものだ。
それに京也でなくとも誰からでも、この者たちは信ずるに値すると言ってもらえれば、言われた者は誰でも嬉しいもの。
そうしておいて、心を緩ませておいて武官と自警の群の混在を言った。 初っ端からそんなことを言ってしまっては、自分達を信用していないのか、武官に自分たちを見張らせるのか、そんな文句も出ただろう。 それを言わせなかったどころか、笑わせていた。
(まったく・・・大したもんだ) そう思いながら無意識に頬を片手で撫でる。
杠の姿が宿所から消えると手を動かしながら杠の噂話となっていた。
もちろん、良い話である。
「なんだ、力山。 あの官吏の顔が羨ましいのか」
「あぁ?」
頬を撫でていた手が止まった。
「お前の顔じゃ太刀打ち出来ねーだろ」
しまった、無意識に頬を撫でていた。 今の男たちの話の流れから、自分の顔と杠の顔を比べた結果だと思われても仕方がない。
男達は杠の腰の低さや顔のことを言っていたのだった。
「へっ、あんな甘ちゃんな顔に負けるかよ」
紫揺好みの優しい顔立ち。 甘いマスク。
その顔で言うか、などとあっちこちから失笑に似た笑いがおきる。
「だがよー、女が寄って来るだろうな、あの顔。 羨ましいぜ」
「あんなのは寄って来ても最後には、いい万(よろず)相談屋になっちまうだけだろ。 あの性格、押しもしねーだろうし、男としての肉がねぇ」
これ見よがしに腕をまくって筋肉を見せる。
「まぁ、押しはなさそうだな。 押し倒されて終わりってな」
段々と杠への誤解の話になってきたようだ。
「おい、さっさと朝飯作って食え! 間に合わなくなるだろ!」
武官が口を挟む前に京也が喝を入れた。
杉山を出て馬を駆らせ戻ってくると、武官所の前に縄で縛られた男が六人意識なく転がっていた。 額に『紫さまを襲いかけた 其の一』 と紙が貼ってあり、それぞれに其の二、其の三と其の六まで続いていた。
百足の仕業だろう。 いや、百足は縄など縛らない、昏倒させて終りだろう。 こんな楽しい貼り紙まで貼るのは・・・好々爺しかいない。
百足が昏倒させた後に好々爺がしたのか、最初っから好々爺がしたのかは分からないが、いずれにしても夕べ紫揺が襲われかけたことは確実だ。
(武官所を出る前の頃だろうか・・・)
ここのところ夜襲の話は聞いていない。 偶然にも杠が宿を出て行ったのを見て、その後武官所から出てくる様子がない。 出来心で紫揺を襲いに来たのだろうか。
馬首を変えると宿に向かった。
宿には争った跡が見られない。 紫揺の寝る部屋の前で「紫揺」と声をかける。 返事がない。 そっと戸を開けると部屋が荒らされた様子もないし、紫揺もすやすやと眠っている。
ふと窓を見ると開け放たれたままだ。 さすがに締め切ってしまうと暑いから仕方がないが、不用心な、と呟いてしまう。
窓を閉めようと引き戸を持った時、窓の下に転がっている物が目に入った。
梯子。 この二階まで上がれる長さが十分にある。 ここから入ろうとしたのか。
危なかった・・・。
窓を閉め、そっと部屋を出て行った。
丁度その頃、武官所に出仕してきた武官が「なんじゃこりゃー」と叫んでいた。
道端で眠ってしまっていた男が目を覚ました。
夕べは順々に家の戸を叩き「ここに呉甚という者はおりませんか?」と訊いて回っていた。 そしてとうとう、応えがもらわれなくなった。 そのまま泥のように座り込んでいつの間にか眠っていたらしい。
見張っていた武官がこの男を捕らえようかどうか迷っていたが、男に呉甚を探させようとそのあとをずっと尾行(つ)けていた。
一方で二都の七坂での捜索が始まっていた。
呉甚を探す男。 その男が二都の七坂の大店の馬車に乗ってやって来たということは、七坂に柴咲が居るかもしれない。
男と柴咲を結び付けるものは呉甚を探しているということしかなかったが、それで十分だろう。 十分でなくとも間違っていても、柴咲を探す何らかの手立てが見つかるかもしれない。
捕らえる理由は上が無理矢理につけていた。
無断欠仕。
武官たちが似面絵を片手に動いていた。
泥のように眠っていた男が立ち上がると再び家の戸を叩いた。
高妃が虚ろな目をして顔を上げた。 高い窓から目に映るのは高い空。 そこから朝陽がさしている。 小鳥の声も聞こえる。
だから退屈じゃない。 ああそうでは無い。 退屈という言葉さえも高妃にはない。
日々、絵や書を教えてくれる。 朝起きれば美味しい朝餉を持ってきてくれる。 眠れない日には童話を聞かせてくれる。
寂しくなったら面白おかしく挿話を聞かせてくれる。
でも誰も居ない。
高妃の心の中には誰も居ない。
『お力を持続なさいませ』
どうして。
『お考えにならずとも宜しい。 お力を失くさないように。 ほれ、水差しを倒してごらんください』
高妃が水差しに手を向ける。
杉山の者たちがやってくると武官の一人が武官長を呼びに走った。 今回の自警の群との合同巡回は、腕遊び(じゃんけん)で負けた六都緑翼軍武官長が責任者となった。
革鎧を着た無骨な武官長四人、まだ暗い中、腕遊びをしている図は部下には見せられない図であった。
杉山の者たちの前に姿を現した六都緑翼軍武官長。 杉山の者を射るような目で見渡すと口を開いた。
「協力を感謝する。 六都の不穏分子の暴走を抑えるべく、武官と共に隅々までの巡回を願う」
“協力を感謝する” これは杠に言われていた。 第一声はこの言葉からお願いしますと。
いつも偉そうな武官から、ましてや武官長から『協力を感謝する』と言われ気を良くした杉山の者たち。 先ほどの人を馬鹿にした射るような眼差しを水に流すことにする。
その後、武官から登録していた名前の確認をされ、これから動く朝当番と夕から動く夕当番の振り分けを聞かされた。 だいたいゴロツキは夕方から呑み始めて問題を起こす。 夕当番の方が断然人数が多かった。
「朝当番の者は今から巡回に回ってもらう。 武官と夕刻まで巡回するよう。 夕当番の者は夕刻から明日朝までとなる。 それまでに睡眠をとっておくよう」
「かぁー・・・。 オレ夕当番か。 目が覚めちまってるよ、寝られるかってんだ」
「オレもだ。 ちょいちょい仕事しながら夕刻が来るのを待つか」
「そうしようぜ。 自警の群の見回りでは寝てなんてねーんだからな」
仕事が終わり自警の群として見回る時には睡眠などとっていない。 杉山の労働でなら疲れ果て夜になれば寝るが、中心に出てきた時には杉山から運ばれてきた丸太を運んだり、丸太を買いに来た客の荷馬車に乗せたり、注文を受けた物を作ったりしているだけだ。 体力を使う杉山の労働とは比べ物にならない。 丸一日起きていてもなんのことは無い。
「では早速、邑途(ゆうと)」
邑途が手を上げる。
「相手は己だ。 よろしく頼む」
“よろしく頼む” これも杠から言われていた。
邑途が口角を上げると「こちらこそ、頼んます」と言いながら歩を出した。
その後に続いて順々と名が上げられていく。
「深緑(しんりょく)」
「あんたが俺の相手か?」
近づいた深緑が言う。
「いや、相手の武官はもう回っている。 案内する」
夕刻当番の武官たちが既に朝当番として一人で巡回している武官の元に、自警の群の者たちを案内していった。
その頃、六十名の武官がギリギリまで巡回をし、早い昼餉を終え、出立の準備を終わらせていた。 あとは馬に騎乗する者が厩に行って馬の準備をし、時が来るのを待つだけである。
「六都、三都の者に覚られんようくれぐれも注意するよう。 第一陣、出立!」
第一陣は隠れるように三十名の武官を乗せた馬車十台とその馭者台に乗る十名。 第二陣が二十名の騎馬。
今回の決起に参加する者たちに覚られてはならない。
六都と三都を繋ぐ川、玻璃(はり)の川の川上に戸木があるが、玻璃の川沿いに行くわけにはいかない。 遠回りになるが、三都に向かっているだけだという顔をして途を取らなくてはならない。
そして第一陣の馬車が三都に入る頃に、あとから馬で出発した第二陣が第一陣を追い抜いて戸木の案内役となっている三都の武官と合流をし、三都で決起を起こそうとしている受け側の者が、玻璃の川沿いに居ないかを確認した。
戸木は人里から離れているとは言え、決起を起こそうとしている者が何処に居るか分からない。 徹底的に調べた。
調べ終ると立入禁止の札を地から抜き、キラキラが目立つ飾り石を探し、目につく所に置いた。
大きな邪魔は入ったが、なんとか第一陣が来る前に終わった。
馬車でやって来た第一陣の武官が離れた所に馬車を止め徒歩でやって来た頃には夕刻を過ぎていた。 夏であるから夕刻と言ってもまだ明るいが、冬であったならもうとっぷりと日が暮れている刻限になっていた。
その第一陣の武官たちが目をクリっと開いた。