大福 りす の 隠れ家

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辰刻の雫 ~蒼い月~  第24回

2021年12月31日 20時51分51秒 | 小説
『辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~』 目次


『辰刻の雫 ~蒼い月~』 第1回から第20回までの目次は以下の 『辰刻の雫 ~蒼い月~』リンクページ からお願いいたします。


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辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~  第24回



紫揺がちらりと正面を見るとキョウゲンの止まり木がある。 だがそこにキョウゲンはとまっていない。 下に置いてある巣箱の中にいるようだ。 その巣箱はこの部屋にとても不自然に置いてある。 きっといつもは隣の部屋に置いてあるのだろう。

「紫の力を使ったのを憶えておるか」

紫揺が頷く。 匙の中のポテトサラダもどきを口に入れる。 やはりフェイントだった。 美味しい。 というか、これはどうも薬膳ではないようだ。 最初に飲んだ薬湯で薬関係罰ゲームは終了しているようだ。 それならば安心して食べられる。

「リツソ君の頭の中に、どす黒い緑っぽい・・・渦が見えたから」

「・・・そうか。 リツソは薬湯を盛られ眠らされていたが、その薬湯には身体に見合う以上の薬草を使われたようだったから、その様な形で残っていたのかもしれん」

「盛られた?」

「ああ、それはこの本領の事情だ。 紫が知ることでは無い」

つい口が滑ってしまった。

「なにそれ・・・」

眉間に皺を寄せる。

(先ほどまで大人しく頷いたり、首を傾げていたりした時は可愛げがあると思ったが、やはりコイツは・・・)

「紫、お前はまだ領土のことは分かっておらん。 領土には領土の矜持がある。 それと、声を荒げるな。 説明はまだ終わっておらん」

「荒げないわよ。 でもこうしてかかわった者に、その盛られたって説明が無いのは納得できない」

「リツソを救ってくれたことには礼を言ったはずだ。 それにお前がすすんで本領に来たのではなかったか? 俺はお前にリツソを救ってやってくれなどとは言っておらんはずだ。 言ってみればお前が勝手にかかわったということだ。 それを脅すように説明しろとはおかしなことだ」

たしかにマツリは来いとは言っていなかったし、それどころか民のところに戻るようにと言っていた。 自分から押し掛けたようなものだった。 勝手に自分でかかわっておいて、説明しないと納得できないとは勝手もいいところだ。
匙でおじやをすくう。
眉を上げてそれを見ていたマツリが続きを話す。

「リツソが僅かだが意識を戻した時、紫の力の限界を超えたお前が倒れた。 身体がついていけなかったのだろう」

紫揺の手が止まった。 目は手元を見たまま。

「これ以降、限界を超えるような使い方をするのではない。 力とは徐々につけていくもの。 今の己の力を分かっていくよう」

(そうだ。 リツソ君が私の名前を呼んでくれて・・・目の前が真っ暗になってふわっと浮いた感じがしたんだ。 あの時に倒れたのか)

一応、マツリにはコクリと頷いて返事をしておいた。 小さく息を吐くと再び手を動かす。

(私は何度倒れたら気が済むんだろう・・・)

「彩楓と紅香、世和歌、丹和歌のことは覚えておるか」

コクリと頷く。

「あの者たちがずっとお前についてくれておった」

紫揺の視線が上がった。

「お前の身体の調子を視て身体をさするようにあの者たちに頼んだ。 あの者たちが居なければ、お前は三日間は眠ったままだっただろう」

「さっき、眠ってたって・・・」

「ああ、一日半眠ったままだった」

それはさっき聞いていた。 そうでは無く、身体を起こした時に筋肉のこわばりを感じなかったのはそれでだったのか。

「先ほどは言い過ぎた」

「え?」

思わずマツリを見てしまった。 すぐに顔を戻し匙を動かす。

「お前が勝手にかかわったと言ったことだ」

「・・・」

胸にある嫌なものを飲み込む。

「紫の怒りを止める為だとしても不義な言い方をした」

匙を豆腐のような物に伸ばしながらマツリをチラッと見るが、目線を少し下げているマツリとは目が合わなかった。
そして少しの間をおいて続いて話し出す。
その間は何だと言いたくなる。

「俺はお前から北の者を紫の力を使って治したと聞いていたのに、心に添いたい、それが紫の力の元なのだろうかと聞いていたのにリツソに会わせてしまった。 俺の浅慮だった。 悪かった」

そういう間だったのか。 二つのことを区切って言う為の間だったのか。 それなら「それから」 とか「and」 とかと言えばいいのに。

言い終わったマツリが手を足の上に置くと、軽く頭を下げた。

僅かに開かれていた襖の向こうで、四対の目が大きく見開かれる。

リツソを目覚めさせたことに礼を言う、といった時には手の位置を変えただけだった。 だが今回は軽くだが頭を下げた。

(マツリ個人のことだから頭を下げた? マツリの浅慮が招いた結果だから? じゃ、リツソ君のことは、兄として個人的に言ったことじゃないっていうこと?)

本領からの礼とするならば、マツリの立場の者が迂闊に頭など下げるものでは無いのだから。
マツリがちゃんと型にはまったことをした。 それならこちらも応えるべきなのだろう。

「・・・マツリが言ったように、私が勝手にしたことだから」

マツリが息を吐く。 紫揺なりにマツリの言うことを理解してくれたようだ。

「お前はまだ姉上の所に行っていることになっておる。 彩楓と紅香もだ。 このままにしておくと外にも出られん、不便であろう。 朝一番に帰ってきたことにする。 彩楓と紅香には頼んでおくがお前もそれなりに振舞ってくれ」

「分かった」

「東へ戻るのは、紫の様子から明日はやめておいた方が良い。 明後日と明々後日、我は出なければならん、紫を送って行けない。 我の都合で悪いのだが東に帰るのは控えて欲しい。 悪いのだが明々後日の翌朝まで待ってほしい」

「大丈夫、一人で帰れる」

「それはやめてくれ。 お前に何かあれば本領が困る」

「何にもないわよ。 岩山に着くまでは前後に見張番さんが付いてくれるし、あとは東の領土に帰るだけだから」

リツソが宮に戻ってきたのだ。 官吏が関わっているということは、シキが紫を可愛がっていたということが知られているかもしれない。 万が一にも紫揺に手を出されては困る。 まだ見張番が何人、地下と繋がっているのかが分かっていないのだから。

「ならば、明々後日まで待ってくれ」

夜の山の中を歩く方が随分とマシだ。

「何てことないって」

この強情者めがっ! っと、怒鳴りたいところを抑え、口を歪ませて腕を組む。
そんなマツリの様子を肌で感じながら紫揺が口を開いた。

「・・・訊きたいことがある」

匙でおじやをすくいながら言う。 目はおじやをすくう匙を見ている。

「太鼓橋」

すくっていた匙を椀に戻して、おじやをグルグルかき回す。

「は?」

歪ませていた口から出たのはその一言。

「太鼓橋の上に私が座ってた時」

「ああ」

あの時のことか。

「あの時からおかしいんだけど」

「なにが」

「・・・マツリの態度」

しっかりと心当たりがある。

「さっきだって謝った。 有り得ないんだけど」

「お前・・・俺が謝ることを知らないとでも思ってるのか」

「・・・」

ぐるぐるぐるぐる。

「俺は己が悪いと思えば謝ることくらいする」

「初めて北の領土で会った時と、太鼓橋であった時と違いが大きすぎる」

ぐるぐるぐるぐる。

「初めて北で会った時?」

「リツソ君を頭ごなしにして、私には上からものを言ってた」

ぐるぐるぐるぐる。

「・・・気のせいだ」

「ほら、そんな風になんて言わなかった」

手を止め、マツリを見上げる。

「米が潰れる。 そんなことをしておらんで口に入れろ」

「・・・」

ぐるぐるぐるぐる。

紫揺の態度に大きく息を吸うと長い溜息を吐いた。

「・・・姉上に聞いた」

なんのことかと再度手が止まる。

「俺が九の歳だったときだ」

何を言うのかと紫揺がマツリを見た。 マツリは正面を見ていたが、その目には本棚も何も映っている様子はない。

「五の歳の童が父と母から川に近づくなと言われていたのに、魚を追ってしまって川に落ちて流された。 魚を獲っていた父と母が助けようとしたが、母はそのまま流されてしまった。 父がようやく童を岩場に上げたが父も流された。 川の向こうには滝がある。 二人とも滝に落ちてその先の川べりに母、父は岩に引っかかっていた。 二人とも息は無かった。 キョウゲンに童を運ばせて父と母に別れを告げよと言った」

そうしたら

『オレが・・・オレが。 オレがおとととおははを殺した・・・。 オレが殺したー!』

「長い間叫んでおった・・・今でも耳に残っている」

正面を見ていた顔を寂しそうに、辛そうに下げた。

紫揺が下を向き、匙をおじやの椀に入れたまま手を下した。
そういうことか。 シキに話した、自分自身のことを。 自分が両親を殺したと・・・泣き叫んだと。
マツリはその童と紫揺を重ねたのだろう。

「思い出させて悪かったな」

紫揺が首を振る。

「その子はどうなったの・・・」

「あとになって父上から郡司が里親を見つけて預けたと聞いた」

「五歳・・・五の歳だもんね。 辛かっただろうな・・・」

マツリが目だけを動かして紫揺を見る。

「その子、名前は?」

「杠(ゆずりは)」

「ユズリハ? 可愛い名前。 どんな字を書くの?」

マツリから字の説明を受ける。

「杠君か。 五の歳は辛かっただろうな。 何も分かってないんだもん。 私なんて十八の歳だもん。 もう何もかも分かってる歳だった・・・」

「もういい。 この話は終わりだ。 冷めてしまう、食べろ」

十八の歳から一人だったのか。
もう一度腕組をして木戸が閉められている窓の方に目を移した。

紫揺にしてみればマツリが何か偉そうに言えば、そういう態度が上からっていうのよ! と言うつもりだったが、五歳の少年の話を聞かされてしょぼくれてしまった。
匙を持つと残っていたおじやとおかずを黙々と食べた。

食べ終えた紫揺を見たマツリ。

「頼むから、東に戻るのは明々後日の次にしてくれ」

と言って茶を出す。 薬湯ではない。

と、その時、襖がパンと開けられた。
驚いた紫揺が右を、マツリが後ろを振り向くと四人が並んで手を着いている。

「紫さま、是非とも明々後日まではこちらにいらして下さいませ」

「わたくしたちは、紫さまのお世話をしとう御座います」

「今度いつ、紫さまとお会いできるかが分かりません」

「わたくしたちに、時を頂けませんでしょうか」

下げていた頭をより一層下げる。

「あ・・・」

呆気にとられる紫揺。
マツリの口角が上がった。



男三人で朝餉を終えた。
リツソはそのまま四方の従者三人に左右後方を固められ、宮の下働きの者たちに “御免なさい行脚“ に行くこととなった。 四方は少しでも仕事を進めると言ってそのまま執務室に向かった。

「お珍しい・・・」

澪引が朝餉を一緒にとらなかった。 そうであるのならば澪引のことが気にかかり澪引の様子を見に行く筈なのに。

一人残ったマツリが茶をすする。

紫揺のことはあの四人がシキのところから帰って来たように上手く進めてくれるはず。 その後もマツリから言わせれば、勝手に東に帰ることの無いよう見張ってくれているはず。
今日は昨日見た文官がどこの者か見に行くくらいしか出来ないか、と思いながら深夜の紫揺との話を思い出す。
北で初めて会った時と言われ気のせいだと言ったが・・・。

「あの時、怒髪しかけた。 どうしてだったか・・・」

・・・そうだ、あのあとにも同じことを考えたが分からなかった。

紫揺は九州から来たと言った。 それはどこにあるのかと訊いた。 紫揺はマツリに知らないところがあると言った。
それは今なら分かる。 あの時紫揺は九州とも言ったが日本とも言っていた。 あの時は北の領土と日本を繋ぐあんな洞があるとは知らなかったのだから。

紫揺がマツリのことを “アナタ” と言った。 マツリは名乗っていたのに。

リツソがマツリに突っかかってばかりしてきたからリツソを睨み据えた。 リツソが口を閉じると、お前はまだその程度だと言ったら、紫揺が黙りなさいと言った。 そして

『黙りなさい。 早い話うるさいって言ったのよ。 これだけ頑張ってるのに、そんな子になんてことを言うのよ。 アナタ・・・マツリって言ったっけ、アナタの弟でしょ!? これだけ頑張っている自分の弟をどうして認めないの!? リツソ君の兄上なんでしょ、頑張ってるリツソ君を馬鹿にするようなことをどうして言うの!』

「よくもまあ、細かに覚えているものだ・・・」

呆れたように己に感心する。

「それをアイツも覚えていたということか」

フッと息を吐くと、腹の底の疑問が一つ解決できたような気がする。 ほんの欠片だが。
丸の中に四角が入り、収まりの悪かった部分が収まるような感じがする。 四角かったものが角を丸くし、全体が丸い形をとったからなのだろう。
具体的にそれが何なのかは分からないが。

「・・・様?」

湯呑を両手で覆う。

「アイツの言いようじゃあ、かなりいい印象ではなかったみたいだが」

「・・・ツリ様?」

「まあ、そうだろうな」

その先を思い出す。
あの時は狼からの報告で紫揺に会う前からリツソが恋をしていたと気付いていた。

紫揺のことはシキにしか分からないと思った。 だから迷子と言っていた紫揺の四方への報告は、東の領土に出ていたシキが帰ってからで良いか、それまではリツソの好きなようにさせてやろうか、それとも協力してやってもいいか、などと一考していた。

本来なら領土以外の者がその領土に居るなどとあってはならない事。 すぐにどこからどうやって来たのか調べねばならない事だったのに。

「どうして俺はあの時あんなに悠長に構えてしまったんだ」

・・・それなのにどこかで苛立っていた。

「どうしてだ・・・」

「マツリ様?」

「え?」

隣りに立っている女官を見た。 手には茶を継ぎ足す器を持っている。

「如何されましたか?」

「え?」

「もう空の湯呑で御座います。 それをお持ちになって、何やらお独り言を・・・」

これが若い女官であればこんな風にマツリに話しかけるなどとは出来なかったであろうが、この女官はそこそこの歳嵩である。 マツリを小さな頃から見ている、こうして茶も入れていた、若い女官のように無用にマツリを怖れる理由など無かった。

「あ・・・」

頭の中で考えていたつもりだったが口に出していたのか。
湯呑を覗き込む。

(いつの間に飲んだんだ・・・)

食事を終わらせた後に長々と食事室に居たみたいだ。

食事室を後にしたマツリ。 朝餉の席で四方に言うことが出来なかった夕べ見たあの文官を確認に行こうとしたが、日頃文官たちの居る所に近づかない己がウロウロするのも不自然か、と回廊で足を止めた。
と、その時、門番が走って行くのが目の端に映った。

「なんだ?」

勾欄に手をかけその先を見ると四方の執務室か、文官たちの居る方向に走っていると分かった。

「なにかあったのか?」

何かあったかもしれないが、それに乗って文官たちの居る方に疑われることなく、己の足を向けられる。
門番の走る方に足を向けた。

右に左に曲がる回廊を走るマツリより、真っ直ぐに走ることの出来る門番がマツリより随分と早く目的地である四方の執務室についた。
そして末端に座る四方の従者を呼ぶと耳打ちをした。 従者から側付きに伝えられ、それが四方に伝えられる。

「なんだと!?」

「門番が言うには憤慨のご様子で・・・」

側付きが続いて伝えた。

門番を追っていたマツリだが、門番が四方の執務室方向に走って行ったのを見て、文官の居る所ではなかったのかと途中で足を止めた。

一方で四方が筆を置く。

「お迎えに上がられますか?」

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辰刻の雫 ~蒼い月~  第23回

2021年12月27日 22時12分54秒 | 小説
『辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~』 目次


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辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~  第23回



襖が開いた。

「おさすりが終わりまして御座います」

今度はちゃんと手を着いて頭を下げている。
考え込んでいた肩がビクッと上がった。

「あ、ああ」

マツリの反応がいつもと違うように見受けられる。

「マツリ様?」

「・・・ああ、一度視てみる」

立ち上がり開かれた襖の中に入る。
頭に手を添える。 ここからして随分と違う。 血流の良さを感じる。 顔を見ただけで頬に赤みがさしている、だからそれだけでも十分かとも思ったが、布団が腹まで下げられている。 一応、腕から腹の下までを視た。
手を添え終える。

「あのあと指はどうだった?」

「暫くはピクピクと。 ですがお背中をおさすりしている時には、もう動かされておられませんでした」

「両手か?」

「はい、こちらのお指も動かされておられました」

「他に変わった様子は?」

「特には・・・」

二人が目を合わす。

「そうか・・・明日の朝まで待たずともよいだろう」

「え?」

二人の目がマツリに向けられる。
閉められた襖の向こうで回廊側の襖の開く音がした。
マツリが立ち上がろうとした時

「わたくしたちよ」

コトリと何かを置く音とともに、世和歌と丹和歌の声がした。
立ち上がったマツリが襖を開ける。

「まぁ、マツリ様、そちらに居られたということは」

「紫さまのお指が動かれたの」

立っているマツリの下から顔を覗かせて紅香が言う。

「え?」

世和歌と丹和歌が部屋の中に雪崩れ込んできた。
否が応でもマツリが襖から弾き飛ばされる。
この四人は紫揺の事となるとマツリの事は眼中にないようだ。

「明日の朝まで待たなくてもよいだろうって、マツリ様が仰ったところよ」

「まぁ!」

座卓の上に膳が置かれている。 彩楓と紅香の夕餉を世和歌と丹和歌が持ってきたのだろう。

(良く付き合ってくれているものだ)

本人たちは紫揺に付けて喜んでいるようだが、それでも身体に無理があるだろう。
紫揺がリツソを目覚めさせている間もずっと作業部屋で見守っていた。 それどころか、煙を出すからと紫揺より先に作業部屋に入ったと聞いた。 睡眠をとるように言っても仮眠程度だ。 その状態で紫揺の身体をさするのも疲れが積もるだろう。

たぶん紫揺は明け方頃か、もしかすると夜中に目覚めるかもしれない。 おおよそ一日半眠っていたことになる。 そんな時分に厨はあいていない。

「薬草師に何か身体に良い茶でも頼むか」

そのついでに動きがあれば今晩だろう。

「キョウゲン」

声を掛けると、マツリが部屋を出て行った。



「澪引、そうヘソを曲げることは無かろう」

澪引が四方に背を向けている。
澪引の側付きも従者も、四方の従者ももう居ない。 それぞれ戻っている。 四方の側付きだけが回廊に座している。 その側付き、まだ顔色を悪くしている側付きが、外に漏れてくる声に何度か口元をほころばせていた。

「リツソが元気になったのだから、それで良かろう」

「わたくしからリツソを取り上げておいて、よくもそんなことを仰いますこと」

「いや、だからそれは、リツソを医者と薬草師に任せねばならんことだったから・・・」

「医者と薬草師が何をしていても、わたくしが横に居ても良かったのでは御座いませんか?」

「それは、その・・・」

完全に澪引がキレ、四方が尻に敷かれているようだった。
死法はどこへ行ったのやら。



「なんだって!」

手下(てか)が亀のように首を身体の中に入れるのではないかというくらい、首をすくめた。

「その、官吏がそう言っていたそうで・・・」

城家主の屋敷である。

リツソが見つかったのはこの日の午前中であった。 文官が宮内に来て仕事をしていた時である。 その後に刑部の前にリツソが出たが、リツソが見つかったことは宮内に知れ渡っていた。 地下に通じる官吏である文官もその話を耳にしていたが、仕事が終わるまでは地下に知らせることが出来なかった。

「くそっ!」

いつ武官が来るか分からない。 手下たちから見てこれからのことを考えているかのようにしてみせ、己一人だけで逃げる算段を頭に描く。
だがその算段が無用であることを手下が言う。

「官吏が言うに、あのチビは何も言わなかったそうで」

「あー?」

「珍しい蛇の話を聞いて、宮を出て左に曲がって真っ直ぐ行って右でくるっと回って、とか民に茶を貰ったとか、高い所から跳び下りて歩いた、などと言っていただけのようです」

「なんだそれ?」

「その、ですから、地下のこともこの屋敷の事も一切言っていないそうです」

城家主が頭に描いていた算段を止める。

「本領から武官もなにも来ないってーことか?」

「城家主の屋敷どころか、地下が関係していることさえも、あのチビは言っていないようです。 それだけが書かれていたと。 マヌケなことを刑部の前で言っただけのようで、間違いないと言ってました」

城家主が大きく息を吐いた。
人質は取り逃がしたようだが我が身に災いは起きないようだ。
だが

「くそ、あのチビ! そんな馬鹿がここから逃げ出したとはなっ!」

手下を一睨みする。

「お前ら分かってんだろーな」

「へ! へい! 地下牢からは絶対に同じようなことは・・・」



キョウゲンの背に乗っているマツリ。

「あの官吏だったか」

馬道を走り山を抜け、地下に通ずる洞に入って行った。 それは帖地(じょうち)ではなかった。
顔は知っているが、名もどんな仕事をしているかもマツリは知らない。  下位の文官であった。

「父上にお伺いするしかないか」

俤がどんな情報を手にしているのか、未だ手にしていないのかも分からない。 このまま地下に入りたいがリツソが見つかった今、地下に入っては何かを疑われるだけだ。
暗い空の下、キョウゲンが宮に戻って行った。

官吏を確認し終え回廊を歩いていると、厨の者がマツリの夕餉を運んでいるところだった。
マツリの座る前に膳を置くと「女たちのように上手くは出せませんが」 といって一つ頭を下げた。 給仕をすると言うことだ。

食事の時にはちゃんと誰かが付いているが、あまりに遅くなれば食事室に膳が置かれているだけである。 マツリがそれを望んだ。

その盆には少々の時ならば冷めない石が使われ、もちろん食器にもその石が使われており、布が被せられている。 厨の者が偶然にそれを食事室に運んできていたのだった。

「美味かった」

マツリが言う。 茶を淹れた厨の男がマツリの言葉を聞いて頭を下げる。
ふと、マツリが思い立った。

「悪いが」

厨の者が下げていた頭を僅かに上げた。



「ん・・・」

襖の向こうで僅かな声が聞こえた。 それは “最高か” でもなく “庭の世話か” の声音でもない。
マツリが腰を上げる。
止まり木にとまっているキョウゲンが何度か瞬きを繰り返してマツリを見送る。

襖を開けると、とうとうまいってしまったのか “最高か” と ”庭の世話か” が横になっていた。
マツリが四人から目を離し紫揺を見ると苦しそうに寝返りを打とうとしている。
紫揺の横に座る。

「紫、苦しいのか?」

紫揺が眉間にしわを入れる。

「紫、我の声が聞こえるか?」

紫揺の瞼がうっすらと開いた。

「紫・・・」

「・・・だ、れ」

何度も眉間に皺を寄せると身をよじった。

「紫!?」

「イッター!」

ここで「痛い」 と殊勝に言えば可愛げもあるものだが、イッターとはなんたるものか。

「どうした!?」

「こ、し・・・腰、が・・・」

「腰? さすってやる、じっとせい」

身をよじる紫揺の身体を左手で止め、右手で腰をさすってやる。
さすられている紫揺、腰から温かいものを感じる。
あの時、トウオウがしてくれたように。
じわじわと手当を感じる。

「トウオウさん・・・」

瞼の裏にあの時の事が思い返される。 何故だかじわりと涙が瞼の裏を支配する。

(トウオウ? 北の五色、白と赤の異(い)なる双眸を持つ者・・・)

二十分ほどさすっただろうか、紫揺がゆっくりと瞼を上げた。
目の前に映るのは青い・・・。

(これなに? どっかで見たことがあるような気がするけど)

そしてよくよく自分の身体を感じると、背中に手が当てられ横向きにされている。 そして揺れている。

「へ?」

「ああ、目覚めたか、腰はどうだ」

聞き覚えのある声が上から降ってきた。

「どうだ?」

紫揺の目にドアップのマツリの顔が飛び込んできた。

「え? え、え? マ! マツリぃー!?」

思わずマツリが支えていた左手を紫揺の背から外し口を押えた。
コロンと紫揺が仰向けに転がる。

「今は夜中だ、静かにせい」

そのまま後ろを振り向くと四人は熟睡しているのか、起きる様子はない。

「良いか、大きな声を出すでない。 分かったか」

コクリと頷く。 頷くしかない。 今の状況が全く分からないのだから。
そっとマツリが紫揺の口から手を離す。

「説明の前に、まず腰の痛みはどうだ」

紫揺が黒目だけを上に向けて自分の腰の具合を感じ取る。

「痛みは引いたか」

紫揺が頷く。

「他に具合の悪い所は無いか」

そう言われれば、頭が少し痛むが軽いものだ。
またもや紫揺が頷く。

「起き上がれるか」

ゆっくり体を横に向けて手を着いて上半身を起こす。 腰以外にはそんなに強張りを感じない。 だが関節に違和感がある。 肘を曲げ伸ばし手首を回す。 肘を曲げて肩を回すと首を回した。 ゴギっと鈍い音が鳴る。 腰を左右に捻じってこれまた二度いい音を鳴らす。
投げ出していた足を曲げ伸ばしし膝を動かす。 脹脛を持つと背中を丸くして腰を引っ張る。 筋肉が引っ張られ背中まで気持ちよさが伝わってくる。 そしてボキ。

(コイツは・・・女人のくせにボキボキと)

最後に左右の指を絡ませ掌を上に向けて伸びのようにして、指の骨をボキボキボキボキ。 今度は手を下して内側に指を折り込みボキボキボキ。

とうとうマツリの眉がしかめられた。

ルーティーンが終わったように紫揺がマツリを見ると、何故か渋い顔をしている。

寝起きにポキポキいわそうと何をしようともそれは紫揺の勝手と心に言いきかせ、吐きたい溜息を飲み込み口を開く。

「説明をするが、ここでは」

そう言って後ろを顔で示す。

「あ・・・」

「みな疲れておる。 寝かせてやりたい」

「夜なんだ」

さっき言ったはずだ、と言いたかったが喧嘩になっても困る。 それにあの時はまだ頭がはっきりと覚醒していなかったのだろう。

「立てるか」

まだ両足を前に出したままだ。 マツリを見ると青い衣装で片方の足で立膝をしていた。 動いた様子は無かったと思う。 立膝で座っていたのか。 その衣装が目に入ってきたのか。

ゆらりと身体を動かす。 そんなに筋肉のこわばりを感じない。 関節もさっき動かした。 ただ頭がはっきりとしない。 最初は痛いと思っていたが、今はどちらかと言えば、ぼぉーっとしているようだ。
よろめきながら立ち上がる。

「隣の房まで歩けるか」

いつの間にかマツリが紫揺の手を取っていた。 紫揺の右手をマツリの右手で。 いつ紫揺がふらついてもいいように、マツリの身体は半身を紫揺の後ろにつけている。
紫揺が一歩二歩と歩き出す。 時々、身体が揺れる。 頭がぼぉーっとしているせいだろう。 マツリが紫揺の左上腕に手を回す。

隣りの部屋の座卓の前に紫揺を座らせる。 座卓の上には布を被せた何かが置かれている。
襖を閉めたマツリが隣の部屋を背に紫揺の右隣りに座る。 少ししてことりと湯呑を紫揺の前に置いた。

「薬湯だ。 まずはこれを飲むよう」

ここには火の元になる物などない。 日本のようにポットもないはず。 それなのに “湯” とはどういう事だろう。 ぼぉーっとする頭で馬鹿なことを考えながら、きっと冷めてるな、と思って湯呑に手を伸ばすとほんのり温かい。
目をパチクリとさせる。

「この本領には色んな石がある。 少々の時なら冷めないようにする石もある」

マツリが薬湯を用意していたところを見ると、蓋つきの壺のような物があった。 あれがポット代わりなのか。 そう言えば茶を淹れてもらっている時にこのポットもどきから注がれていたように思う。

薬湯・・・きっと薬膳と同じで苦い筈。 飲みたくは無いが喉が渇いている。 他の物を出してくれと言っても、このマツリだ、まずはこれを飲めと言ったのだから出してはくれないだろう。

「緑色・・・」

緑茶の緑ではない、グロイ。 一言漏らすと口に入れた。 やはり苦い。

「おおよそ一日半眠りについておった。 それを全て飲むよう」

不貞腐れて上目遣いで見ると、一気に喉に流し込む。 眠っていた胃がビックリしたように起きたが踊りはしなかったようだ。 良かった。

マツリが被されていた布を取り払う。 その下には膳が用意されてあった。 それぞれの椀に蓋がしてある。 その蓋を一つづつ取りながらマツリが話す。

「腹が減っただろう。 冷めてきつつはあるが、厨の者に消化の良いものを作ってもらった。 これから説明をする食しながら聞くよう」

おいしそうな匂いが漂ってきた。 起き上がった胃が匂いに空腹を思い出したようだ。
全ての蓋が取られた。

添えられていた匙を手に取るとおじやをすくった。 頃よく温かい。 下に敷かれているお盆も、もしかしてこの容れ物も蓋も、冷めない石から出来ているのだろうか、などと考えながら咀嚼する。

さっきマツリは一日半寝ていたと言っていた。 それならば、おじやには薬草は入っていないが、それでも残りのおかずたちには薬草が入っているはず。
たとえ美味しそうな匂いだと言っても臭いになど誤魔化されない。 これは明らかに薬膳のはず。 東の領土ならば臭いからして薬膳と分かるが、この本領では薬膳の臭いを誤魔化しているようだ。

おじやを二口食べると、こんもりと山のような形をし、そこにアンがかけられている卵に匙を伸ばす。 卵と一緒に、何やら緑のものも入っているようだが、これは絶対に薬草のはず。 苦みを覚悟で口に入れたが、苦みなど無く優しい味がする。 これは薬草フェイントなのだろうか。

もう一口入れようと手を伸ばした時、ふと気づいた。 マツリは説明すると言っていた。 それなのにマツリの声が聞こえない。

耳、イカレたか?

横を見る。 肘を卓に置き両手の指を組み、その上に顎を乗せている。 そしてこっちを見ている。
目が合った。

「何ともないようだな」

声が聞こえた。 耳がイカレていたわけではなさそうだ。
目を元に戻す。 匙を卵の山に差し入れた。

「お前はリツソに添うてくれた。 覚えておるか?」

組んでいた指を解き、卓に腕を乗せながら言う。

卵の山のおかずが載った匙を口に入れたまま首を傾げる。 マツリに目は向けていない。

「紫の力を使ったことは?」

匙を口から引いて僅かに首を反対に傾ける。
なにがあった?
憶えていることを思い出さなくては。 目の前の膳に視線を落とす。

最後の記憶は・・・。 口の中のものを飲み込む。

そうだ、リツソだ。
リツソが弱弱しく自分の名を呼んだ。
ちがう、もう少し前。
だんだんとテープを巻き戻すように思い出してきた。 

昏睡状態と聞かされた。 今日の夕刻で丸三日になると。

リツソが煙の中に横たわっていた。 リツソの名を呼んだ。 目を開けてといっても目を開けてくれなかった。 自分の名を言っても開けてくれなかった。 一緒にお勉強しようといっても・・・。
そしてリツソの頭にどす黒い緑の塊が視えた。
手を添わせた。

「あ・・・」

ゆっくりと視線が上がる。

「思い出したか」

「リツソ君は!?」

「大きな声を出すのではない」

目で後ろの襖を示す。

「あ・・・」

「リツソなら、あの翌日の朝に目が覚めた。 もう体調も戻っておる」

ほっと一息つくように匙を置く。

「今回のリツソのことは紫のお蔭だ。 礼を言う」

卓に乗せていた腕を足に下した。
マツリが礼? 礼を言う? それも姿勢を正して? 紫揺が珍しいものでも見るかのようにマツリを見る。

「ゆっくりでよい、食べていくよう」

すぐにまた腕を卓の上に戻す。

マツリの声に、そーだそーだと胃が訴える。
仕方なく匙を手に持ちポテトサラダのような物をすくう。 色んな野菜が入っているのだろう、彩りが綺麗だ。 それに盛られているてっぺんにあるのは、食用の花びらだろうか、鮮やかなピンクの花びらが乗っている。
だがこれらの野菜も花びらも薬草なのだろうかと思うが・・・いや、きっと薬草フェイントのはずだ、きっとそうだ。 でなければ、そう思わなければ食べる気になれない。

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辰刻の雫 ~蒼い月~  第22回

2021年12月24日 21時46分53秒 | 小説
『辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~』 目次


『辰刻の雫 ~蒼い月~』 第1回から第20回までの目次は以下の 『辰刻の雫 ~蒼い月~』リンクページ からお願いいたします。


     『辰刻の雫 ~蒼い月~』 リンクページ




                                  




辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~  第22回



今日は一つを置いてもう何もすることがない。 いつもならこんな時は本領の中を馬で走っているが、紫揺のことが気にかかる。

四方と昼餉を済ませると自室に戻った。
世和歌と丹和歌が抜かりなく “最高か” の昼餉を用意して、今はその世和歌と丹和歌が奥の部屋で軽い睡眠をとっているらしい。

ここで誰かに襖を開けられれば居るはずのない “最高か” が見つかってしまうが、マツリの部屋の襖を勝手に開ける勇気のある者はこの宮にはいない。

そのマツリが部屋の中にいる。 マツリの部屋だから当たり前であるが、普通なら同じ部屋に居る者は落ち着けるものではないがこの四人は違う。 紫揺のことを想っているのだ、マツリから色んな話を聞きたい。
が、話は違う方に向いていった。

「祖父と呼べる歳の者の嫁になろうと思うものか?」

彩楓(さいか)と紅香(こうか)が目を合わせた。

「如何なさいました?」

紫揺の話しならともかく、そうでない話に勇気を振り絞って彩楓が訊ね返す。

「いや、今日そんな話を聞いたものでな。 四十二の男と十八の女人が婚姻するらしい」

「まぁ」

二人が声を合わせ目を丸くした。 そして声を合わせて言う。

「それはお目出度いことで御座います」

「え? ・・・ああ、そうか目出度いか」

そう言われても何か腑に落ちない。

彩楓と紅香がまた目を合わせる。

「マツリ様、歳などは関係御座いませんわ」

彩楓が言う。

「だがあまりにも離れ過ぎてあろう、孫ではないか。 嫁をもらうと聞いて我はてっきり、どこかにいい後家を見つけたのかと思ったのだが」

「歳だけを見て孫と言われてはそれまでですけれど、その女人がその方を想っておられるのならそれが一番ではございませんか」

「ええ、いくらその方の近くに似た歳の女人が居ても、その女人より想いが薄ければね」

マツリに向いて言ったのではない、彩楓の方を向いているがマツリに言っているのは分かる。

「・・・想いか」

「はい。 想ってもらえなければその方は幸せにはなりませんわ。 そしてその女人も同じです」

「そうか。 そんなものなのか」

「リツソ様が紫さまにお心を寄せていらっしゃるとお聞きしましたが」

「ああ、そうだが・・・。 ん? どうして知っておる?」

「わたくしたちは紫さまの事でしたら何でも」

「それこそ紫さまを想っておりますので」

何だこの二人の胸の張り方は。 だがいい機会だ。

「それが不思議だった。 何故だ? 紫がこの本領に居たのはほんの僅かの時だ、それなのに」

「わたくしは紫さまが初めて本領の衣装にお手を通される時、お着替えをお手伝いいたしました。 とても無邪気で可愛らしい方で」

両手を広げて衣裳を見せた時のことを思い出したのか、笑みを零している。

「ええ、わたくしは紫さまの裾をお持ちしました。 その時には裾をお持ちするのがわたくしのすべきことと思っておりましたが、シキ様の可愛がっておられる紫さまにお付きするのも良いかと思うようになりました。 ですがその思い以上にあまりに紫さまが可愛らしく、正直でいらっしゃるので」

そして丹和歌は淹れた茶をすごい、と言ってもらったと言うが、それだけではない。 やはり素直に話す紫揺を気に止めたという。
世和歌は紫揺のことを、とっても純粋なお方でシキ様とは違ったお慕いを想うと言っていたという。

唱和とニョゼが本領に来た時に北の者の案内役として世和歌は先を歩いていた。 その時に紫揺がニョゼの腕に飛び込んで唯々泣いていたのを見ていた。 その時のことを綺麗な涙を流されていたと言っていたという。

それにこれは従者の殆どが見ていたが、唱和とニョゼがこの本領の上空に見えた時、此之葉が顔を真っ青にしていた。 その頬に紫揺が手を添えるとほんのり桃色にさえなっていた。 無言のどよめきのさざ波が起きたという。

「あの時は涙を流された此之葉様に笑ってと、仰って」

「ええ、ええ」

マツリへの恐さなど忘れて、というか、そこにマツリが居ることさえ忘れて饒舌に二人が言葉を紡ぐ。

「新芽の輝きのような方ですわぁー」

胸の前で自分の手を握りながら、宙を見た二人が声を揃える。
呆気にとられているマツリを見た二人。

「あら、失礼をいたしました」

二人が袖で顔を隠した。

「リツソ様の、ええ、リツソ様のお話で御座いましたわね」

隠していた袖からそっと目を出す。

「え? あ、ああ」

不自然にならないように手を下ろすと話し始める。

「紫さまはこの一の年でリツソ様が頼れるようなお方におなりになられれば、お考えになるとお方様にお返事をされましたが、マツリ様はいかにお考えになられましょうか?」

彩楓が問う。

「そんなことを言ったのか?」

紫揺からは澪引に返事をしたとだけ聞いていた。 何を言ったかはマツリが澪引に訊けばいいと聞いていたが、訊いてはいなかった。

「はい。 お方様はリツソ様を鍛練されると仰っておられましたが」

「あの状態で一の年ではそう簡単には無理であろう」

「そうで御座いますわよね!」

紅香が言う。

「ですが、今回のことで猛省をされて猛勉学をされ、お身体も鍛え上げられるということも御座います。 お歳にして十六におなりになります。 伸び盛りでは御座いませんでしょうか。 お背も」

最後に怪しい言葉が付いた。

「まぁ、そうなれば母上の言うように話が進むかもしれんが」

「マツリ様はどうお考えで御座いますか?」

世和歌と丹和歌からリツソではなく、マツリと紫揺ではどうかと話しを聞かされ、無理なことだとは言ったが、こうして話してみると世和歌と丹和歌の言っていたことが分からなくもない。
リツソの話を聞いてマツリはどう思っているのかを訊こうとした。 そしてマツリは紫揺のことをどう思っているのか。

「どうと言われてもなぁ、母上がお決めになったこととしか言いようがない。 だがそれが叶うことは無いだろう」

「それはリツソ様がという意味で御座いますか?」

「いや。 東の領土が紫を離さないということだ」

「五色様でしたら、この本領からお一人東に行かれればよいのではないのですか?」

「東の領土はあの紫でないと納得できないだろう。 いや、納得しない」

どこがいいんだか、と言いたいがこの二人の紫揺話を聞いている。 とてもじゃないが言えたものではない。

「まぁ!」

「それでは紫さまは何があっても本領に来られないと?」

それではこの四人にしてみれば、リツソもマツリも存在の意味がないではないか。

「ああ。 それこそ本領が紫をリツソの奥にすると言えば東も諦めるだろうが、まず父上がそんなことをされるはずがないし、アイツもそんなことで納得するはずがない」

「あいつ?」

「あ、いや、紫だ。 紫は父上に食って掛かったそうだからな。 怖いもの知らずだ」

「あら、四方様に何か不手際がございましたのでしょうか」

「ええ、理由なく紫さまがその様なことをされるはずが御座いませんわ」

当たりである。 だが・・・。

「・・・そこまで紫を信じられるのか?」

「ええ、勿論に御座います」

「でも・・・」

「ええ、そうね。 偶然にも紫さまにお会いできることがありましたけど、この先紫さまとお会いできる保証は無いのですものね」

「東の領土が紫さまを離したくないというお気持ちは、誰よりもわたくしたちが分かってしまう事」

はぁー、と二人が肩を落とした。
シキにせよ紫揺にせよ、女人を引き付ける何かを持っているのだろうか。 その何かが分からない。 いや、シキには分かる。 あの様に美しくよく気がつき、優しく笑み、その姿には藤の花が舞うようなのであるのだから。 だが可愛いや無邪気などでそこまで想えるものだろうか。

「そろそろ紫さまをおさすり時が」

彩楓がどこか憂いの表情を見せる。

「そんなに気を落としてはいけないわ。 今は紫さまのご回復だけを願わなくては」

「ええ・・・そうね」

・・・なんだ。 この猿芝居は・・・。 マツリが思わずドン引いた。
それとも、本心から紫揺と会えなくなることを悲しんでいるのだろうか?
“最高か” が手を着いて頭を下げると襖の向こうに消えていった。


マツリが頭の下に腕を組みながら寝ころんでいる。

「リツソがアイツを想っておるか・・・」

そう思うと北の領土のショウジとの会話の一端を思い出す。

『その・・・マツリ様の、まわりに・・・マツリ様の、その・・・お気になるお方がいらっしゃるかと』

『気になる?』

『はい』

『それはどうすれば分かるのだ?』

想い人の話しになり、己が顔を赤くしたからだとショウジが言っていた。 そして

『その方を見ると・・・心が。 ・・・そう、心がはねます』

『心がはねる?』 そう問うと、

『そうですね、他の言い方では胸に何かが刺さったような思いをします』

『刺さった?』 そんな覚えなどない。

が、あの時

『・・・あ』

と思い出したことがあった。

「・・・あの時、何を思い出したか?」

心の中のいろんなものを探るが出てこない。

「ショウジはリョウを迎えられたのだろうか・・・」

ここのところ不規則な食事をとり、食事を抜くこともあった。 もちろんその上に心労も。 だが今日は朝餉はもちろん、遅くはなったが昼餉も食した。 夕刻を迎えるまで今は他にすることがない。 部屋に女人が居るというのに、そのままうつらうつらとしてしまった。



夕餉を終わらせたリツソがマツリの部屋にやってきた声で起こされた。 長い間寝ていたようだ。 女たちは気を利かせて襖の向こうで時を過ごしていたようだった。

リツソに紫揺を会わせてやる。 二刻(一時間)。 リツソはその間ずっと紫揺の手を握っていた。

リツソに己の部屋に戻るように言い、世和歌、丹和歌姉妹に夕餉を食べに行かせた。
時が来たからと “最高か” が紫揺をさすっていた。 マツリは回廊側の部屋に座している。

女達には気を使わせることになるだろうが、今日はこのまま紫揺の様子を見るつもりだ。 うっかりであったが昼間にぐっすりと寝ることが出来たのだから、なんということは無い。
キョウゲンも巣をこちらの板間に移動している。 フクロウと言えど雄であるのだから。

「紅香・・・」

「なに?」

「紫さまが・・・」

「・・・あ」

襖がバン! と開けられた。 とっても勢いよく。 
驚いたマツリが振り返る。 キョウゲンも大きな目を更に大きくしている。
そこに彩楓が何の遠慮もなく立っていた。

「マツリ様! 紫さまがっ!」

紫揺に異変でも起きたのかと、マツリが素早く立ち上がり紫揺の横に付いた。 腕をさすっていたのだろう、紫揺にかけられていた布団は胸までめくられている。

「何があった!」

立っていた彩楓がマツリの横に雪崩れ込むように座った。

「お指が・・・」

見ると僅かだが手の指が動いている。 異変ではなく、良い兆しが見えているということだった。

それならそうと、それなりの言い方があるだろうに。 それに指が動くだろうと言っていたのだから、もっと落ち着いた言い方とか、襖の開け方があるだろう。 大きく溜息を吐きたかったが、これまでこの女たちが頑張ってくれたのだから、そういうわけにもいかない。

何と言っても元の原因はリツソだし、浅はかにも紫揺を釣ってリツソに会わせたのは己である。

「あ、ああ・・・。 いい兆候だ・・・」

“最高か” が声を出さない。 身動き一つすることがない。
あと何を言えばいい。 この者たちはどんな言葉を期待しているのか。 何と言って欲しいのか。
・・・分からない。
祖父と思えるような歳の離れた男に嫁ぐ娘の気持ちも分からない。
女とは・・・。
何を考えているのか。

シーンとした空間。 空気の波打つ音さえ聞こえない。

手持無沙汰だ。
紫揺の顔を見ると前髪が乱れている。 手を伸ばし前髪を上げてやる。

「まあ!!」

静かな中に彩楓の声が響き、前髪を上げた手がビクッと震え心臓が飛び出しそうになった。

「まぁまぁまぁ!」

彩楓の声に紅香が目をパチクリさせている。 まるで急に眠りから目覚めたように。

「は?」

マツリが彩楓を見るが、彩楓はマツリの横から覗き込んで紫揺を見ている。

「あの、マツリ様いかがで御座いますか?」

まだ紫揺を見ている。

「ああ、だから良い兆候だと・・・」

「そうですわよね、そうですわよね。 紅香、あと少しで目覚められますわ」

「ええ! 是非ともわたくしたちの手で」

「ええ、勿論。 マツリ様、あちらに行ってらして下さい。 お背中がまだですので」

ずいっと彩楓が進んでくる。 マツリが押し出されるようにして紫揺から離された。
マツリにこんなことをしたのはきっと彩楓が初めてだろう。 だが彩楓の目には紫揺しか映っていない。

どうもこの二人は紫揺の指が動いたことで、余りの嬉しさにフリーズしていたようだ。 そしてマツリが手を動かしたことで、解除されたのだろう。

(・・・どれだけだか)

すごすごとマツリが畳の間を退室する。
襖を閉めその襖に背を向けて座り直した。 指を見る。 さきほど紫揺の前髪をかき上げた左手の指を。

「あ・・・」

ショウジとの会話を思い出した。
あの時、胸に何かが刺さったような、そう言われた。

『・・・あ』

『お心当たりが?』

『姉上が祝言を上げるようだ。 その話を聞いた時には・・・』

そう言った。
だが

「ちがう・・・そうじゃない。 あの時だ・・・」

北の領土でシキが領主を視た時だ。 マツリが探していた迷子の娘がシキが探していた東の領土の紫と分かったあの時だ。
北の五色が力を無くしていると北の領主が言ったのに対してシキが五色の力は民に愛されてこそその力が満たされると言った。 それを己が念を押すように言った時だ。

『民がどれ程、五色を愛するかだ』 そう言った時に胸に刺さるものを感じた。

「どうして・・・」

ショウジが言っていたのは、気になる者がいればそうなると言っていた。

「気になる者・・・」

その前に話していたことを思い出す。

『マツリ様には想い人がおられるのでございますか?』

『そっ、そのような者はっ!』

そう言った。 だがその時に

『―――熱い。 なんだこれは!?』

あんなことになったのは初めてだった。
そしてリョウの話をしていたのに急にショウジが言った。

『マツリ様の想い人とはどのようなお方ですか?』

『そのような者はおらんと言っておる』

『そうなのですか? 失礼ながら、想い人のお話をしました折、マツリ様はお顔を赤くなされましたが?』

『赤く?』

『はい』

『あ・・・熱くはなったが、赤くなどしておらん』

『お顔が熱くなったということは、お顔が赤くなったのです』

顔が赤く。
たしかにリョウの話をしたときにはショウジは顔を赤くしていた。 だから急に熱が出たのかと思った。

『して、マツリ様は想い人とはどうしておられるのですか?』

『だから、そのような者はおらん』

『では、先ほどどうしてお顔を赤くされたのでしょう?』

『・・・それは。 ・・・俺にも分からん』

『もしや? 想い人と意識をされておられない?』 

ショウジはそう言った。

「俺に想い人が居る?」

だから『民がどれ程、五色を愛するかだ』 そう言った時『愛する』 その言葉を口にしたときに胸に何かが刺さったように感じたということか? それならば・・・。

―――それはいったい誰だ。

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辰刻の雫 ~蒼い月~  第21回

2021年12月20日 22時06分25秒 | 小説
『辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~』 目次


『辰刻の雫 ~蒼い月~』 第1回から第20回までの目次は以下の 『辰刻の雫 ~蒼い月~』リンクページ からお願いいたします。


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辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~  第21回



着替えを済ませキョウゲンと共に部屋を出たマツリ。

「さて、剛度は岩山に出ておるのか、それともまだか・・・」

朝陽の番であるならば既に岩山に居る、夕日の番であるならばまだ家に居るはず。
部屋を出て回廊脇に置いてあった長靴(ちょうか)を履きながら考える。

「岩山では話せんな、剛度の家に行くか。 ・・・陽があるがいいか?」

馬番たちの居る前で話せる内容ではない。 剛度だけを呼び出して岩穴の外で話すのも不審に思われるだろうし、ろくでもないことをしている者達に要らぬ影響を与えるだけになってしまう。
家に居なければ明日出直すしかない。

「もちろんに御座います」

マツリの肩から勾欄に飛び移っていたキョウゲンが飛び立った。 長靴を履いたマツリが勾欄を蹴る。



「これは、マツリ様。 このようなむさ苦しい所に」

「少々話がある。 目立ちたくないのだが」

「お入りください」

何かあると察した。 返事は早い。
キョウゲンがマツリの肩から羽ばたき、土間に置いてあった背の低い棚の上にとまった。
女房が驚いた目を向けていたが「茶をお入れしろ」と言われ、我に返り慌てて湯を沸かしに台所に向かった。 「構わんでくれ」というマツリの声など耳に入っていないようだ。

家の中に入り長靴を脱ぐ。 剛度に案内されるまま奥の部屋に足を進めると、廊下から入った正面に、よく手入れされたちょっとした中庭が掃き出しの窓の外に広がっている。
「こちらに」という剛度の声に腰を下ろした。

「目立ちたくないと仰っても、キョウゲンに乗ってこられたのでしょう、充分に目立ちまさぁ」

職場ではないからか言葉が崩れているが、マツリとはそんな仲だ。

「離れた所で下りたが」

「マツリ様を見りゃあ、それだけで目立ちまさぁな」

「ではこの話、今はマズいか」

「野暮なことは言わねーで下さい。 見張番の事ですね」

話しの通りが早すぎる。 まだ見張番の “み” とも言っていないのに。

「心当たりがあると言うのか」

「まぁ、ここに来られただけで十分それとわかりますが、俺も不審な動きを何度か見てますから」

「単刀直入に言う。 地下と繋がっている者が最低でも三人いる。 一人は東の紫を連れてきた時、外に出ていた者、あの新しいという者だ。 剛度の話しからすると、もう一人も新しく入った者ではないかと思う」

「あとの一人は?」

「思いたくないが前から居る誰かだろう。 我はあの時の一人以外まだ誰の目も視ておらん」

「あの時、紫さまに付いた二人はどうでした?」

「長くは見られなかったが、目の中に禍(まが)つものは見えなかった。 だがやはり真正面から見んとなんともな」

「アイツ等はまずまず大丈夫かと。 俺の信用もありますし、アイツ等からも話を聞いてますんで」

そこにおずおずと女房が茶を出してきた

「手を煩わせるな、頂く」

すぐに一口を飲み湯呑を置いた。

「聞いているとは? さっき言っておった不審な動きのことか」

「マツリ様もご存知の通り、我らは陽が上ってから陽が落ちるまであの岩山におります。 季節で岩山に居る時が随分と違ってきます。 ですから交代の時も季節で変わってきます」

全て知っていることだがマツリが頷いて聞いている。

「朝陽の番、朝陽が上った時に番をしていた者が、陽が真上に上がり陽が落ちるまでの番の者と交代したら普通は家に帰るんです。 それが帰らないヤツがいます。 いや、一度家に帰ると見せてすぐに家から出てきたりもします。 夕陽の番の時も同じく、番が終わってもう暗いと言うのに、家に戻らずそのまま馬で走っているのを見かけました。 さっき言った奴らが何度かそれを見たんで俺に言ってきたんですが、それから注意をして見ていると、マツリ様が飛ばれた時には必ずそうしているようで」

マツリが飛んだ時と言うのは偶然が重なっただけで、単に呑みに行ったり、何かを買いに行っただけなのかもしれないが、と付け足した。

「それと・・・あれは何日前だったか。 俺が朝陽の番の時だったんですが、マツリ様が夕刻前に飛ばれた後、腹が痛いと新しく入ったヤツが途中で帰ったと聞きました」

「そうか」

東の領土の祭の日のことだろう。

「馬でどこへ向かって走っているかは分かるか」

「今のマツリ様のお話から分かりやすく言うと地下の方向です」

「それは何人だ」

「分かっているだけで四人です」

「四人?」

一人増えた。
マツリが溜息を吐いた。 十八人中、四人。 新しい者が二人となると、長く居た者、信用のある者が二人ということになる。 それも現段階で分かっているだけというオマケ付きだ。

「新しい者二人は間違いないな」

「はい」

「あとの者は」

「技座(ぎざ)と高弦(こうげん)です」

「技座と高弦が?」

剛度が頷く。
技座も高弦も三代続く見張番だ。 それがどうして。

「こう言っちゃあなんですが、最初は何でもなかったんです。 今更ですが、女房を貰ってから段々と変わってきました」

「どちらもか?」

「あの二人は同い歳で、女房も仲のいい女同士です。 たしか技座の女房が高弦に己の友だと言って、高弦の今の女房を紹介したと思います」

マツリが眉をしかめる。

「この女房二人が散財するんでさぁ」

「散財?」

「俺らにはそこいらで働いてる者よりずっといい給金が出ています。 あの女たちは最初っからそれが目当てだったのかもしれません。 夕陽の番だったときに何度か呑みに誘ったんですがね、段々と付き合いが悪くなって今じゃあサッパリでさぁ」

「地下と繋がりのある者は報酬をもらっているようなのだが?」

「あの二人がか・・・。 以前のアイツらなら考えられませんが、今ならそんな金に手を付けるかもしれません」

「その女房達はずっとここに居た者か?」

「いえ、違います。 えーっと、どれくらい前になるか・・・」

「十基(じゅうき)の生まれた時だから、六年前だよ」

突然、剛度の女房の声が入ってきた。 茶を置いた後に辞したはずだったのに、いつの間にやら廊下の端に立っているではないか。
十基とは剛度の何人目かの孫だ。 ちなみに剛度は現在四十三歳、結婚が早く子供もすぐに生まれていた。

「ああ、そうだったか。 六年前に四都(よと)から何人かで流れてきたみたいでさぁ」

「四都から?」

「アンタ、アイツ等の話をそのまんま飲み込んでどうすんのさ」

「それは?」

声の主、剛度の女房に顔を向ける。

「いえね、言葉に四都の訛りが入ってないんです」

女房が廊下に腰を下ろす。 最初は緊張していたようだが、マツリの気遣いに気を良くしたようだ。

「こいつぁー、四都の出で」

「十の歳までですけど。 それでも四都特有の訛りが無いのは分かります。 それにあの話し方は六都(むと)だと思います」

マツリとて民と話さないわけではないが、声をかける程度で話し込むわけでもなく、相手もマツリ相手という事で言葉に気を付けて話をしている。 特有の訛りと言われればどうだっただろうと考えてしまう。

「六都?」

マツリが眉をしかめた。
六都の民は良いとは言い切れない。 それどころか問題ばかり起こしている。

「お前、なんだって今まで黙ってたんだ。 六都なら四方様に報告しなきゃなんねーだろーが」

「アイツ等は四都から来たって言い張ってるんだよ。 それをあたしが勝手にアンタに言えるわけないだろうさ」

「だからって―――」

「四方様に上申して間違えでしたでは済まないだろう」

「だからって、今ここで―――」

「黙んな。 マツリ様、アイツらは親の代からとんでもなく金遣いが荒いんです。 あたしも何度も技座に言ったんです。 なんたってうちの人の下で働いていた者の子なんで。 でも技座があの女にことのほか惚れちまってて嫁にしちまったんですよ」

剛度の下で働いていた技座と高弦の父親達は息子に代を譲って、今はコツコツと貯めた金でゆっくりと生活しているはずだった。
だが、息子たちの女房がすり寄ってきて、父親達からも金を出させているらしく、息子達はそれを気にしていたと、剛度の女房が言う。

「おい、なれなれしく話すんじゃねーよ」

「構わん」

剛度に言うと女房を見て「気にしないでくれ」と付け足した。

「何人くらいで流れてきたか分かるか」

「そうさねぇ」まで女房が言うと「おい!」となれなれしく話し出した女房に、再度剛度の声が飛んだ。

「はい、はい。 三家族で十二・・・いえ、十三人でした」

「技座の女房ということは、二十の歳ほどか。 その六年前というと―――」

技座はマツリとそんなに変わらない歳だったはずだ。

「二十じゃありません。 十七の歳です。 ここに流れてきた時には十一の歳でした」

「え?」

「技座が二十一、女が十六の時に一緒になりました」

女房の言葉にがっくりと肩を落として溜息を吐く。 技座といい秋我といい、この剛度もだ。 何故そんなに早く結婚をするのか。

「お前はもういいから、あっちへ行っときな」

「分かったよ、でもまたアンタが間違ったことを言ったらいつでも口を挟むからね」

「っとに、口だけは達者なやつだ」

「なんだって!」

ビクッと肩を震わせた剛度。
剛度が女房の去った後を見て言ったが、しっかりと聞こえていたようだ。

「なんでもねーよ」

マツリが気の毒そうに剛度を見る。

「こんなこたぁ毎日でさぁ。 それよりこれからどうされます」

「今すぐどうこうということはしたくないが、はっきりした人数とそれが誰なのかを知っておきたい」

「俺の方で洗ってもよろしいが、いや、それが俺の仕事です。 ですがマツリ様に視て頂くほどの確実性はありません。 暫く大人しくしていればいい、なんてことをされたら分かりませんで」

尤もな話だ。
マツリが腕を組み剛度から目を外す。 ずっとキョウゲンで岩山を飛んでいただけなのに、急に己が行って一人ずつと話すなど不自然極まりない。 何か手はないだろうか。

「材料がなくはないです」

マツリが目を剛度に戻す。

「近く内々で祝いがあるんです。 百藻(ひゃくも)が女房を貰うことになりまして」

「百藻が?」

もう嫁をとらないかと思っていた。 心根の良い後家でも見つかったのだろうか。

「へぇ、相手が稀蘭蘭(きらら)って変わった名で十八の歳です」

「じゅ、じゅうはちー!?」

「へぇ、孫みたいなもんでさぁ。 で、四十二になっての嫁貰いですから、見張番で祝いをしようって話になってまして、その席に同席されてはどうですか」

目眩がおきそうだ。 うずくまりたい。 だが今はそんなこともしていられない。 宮に戻ってから十分にしよう。
それに孫のような歳の娘を嫁にする百藻の気持ちも分からないが、女の考えることはもっと分からない。 どうして祖父と呼べる歳の者の嫁になろうとするのか。 宮に戻って女人たちに訊いてみようか。

「今日マツリ様がここにお見えになったのは、もうみんなの知るところです。 ここに来られたのは、東の領土の五色様をお連れになってこられた時に久しぶりにお話ししました。 懐かしくなって俺を訪ねてこられた。 そして百藻の話を聞いたってことで」

その線で行けばどうかと目が問うている。
マツリが頷く。
何もかも段取ってくれるのは楽だ。 頷くだけでいいのだから。

それにしても百藻が・・・。 頭から離れない。

出来れば早急に、今日にでも分かれば良かったのだが、見張番の動きは己が飛ばなければそれでいい話。
内々の祝いは明々後日と聞いた。 「いや、ギリギリでしたな」と剛度が言っていたが、紫揺が東の領土に帰る時には送ってやらねばならないだろう。 明日には目覚めるだろう。 なんとか明々後日までは居てくれないものだろうか。

「六都の話しは驚きましたなぁ」

己の女房のいる方をチラッと見るようにして言う。

「ああ、全く知らなかったが、女房から六都と聞いていれば父上に報告していたであろうな。 まぁ、あくまでも剛度の女房が言う話だけであって、本当に四都かもしれんが」

「お調べになられるおつもりで?」

「・・・我には無理だな。 官吏に訊けばいいだろうが、今はそれもままならない。 と言っても父上にこれ以上仕事を増やさせては申し訳ない。 報告はするが時を改めてからの事になるだろうな」

各都から居を移す時には各都にある官所に出向き異動書を出さなければいけない。 辺境から各都に入って来る時には入都書を出さなければいけない。
マツリはデスクワークを一切していないのだから、それこそ書類がどこにあるのかも知らない。
茶を飲み干すと剛度の家を後にした。



遅い昼食を四方と摂る。 今回も人払いをしてある。
四方は文官との仕事があるため、常なら太鼓が鳴れば昼休みを取りその時に昼食をとるのだが、今日は昼休み返上でやりかけていたことを止めずようやく終わらせたようだった。
その昼食の場はマツリの報告の場となった。 男だけになると食事の時であっても仕事の話になるようだ。

「では、明々後日には、はっきり分かるということだな」

「まずは。 剛度が言うには全員出席のようですから」

「それにしても技座(ぎざ)と高弦(こうげん)がなぁ・・・」

四方にすれば技座も高弦も幼いころから知っている。

「だが裏が複雑でなく良かったということか」

単純に金に目がくらんだということなら、それまでである。

「見張番の事はそれで良しとして、あとは官吏か」

「その前に」

「なんだ」

「技座と高弦の女房二人ですが、四都から来たと言っているそうなんですが、剛度の女房が言うに、四都特有の訛りが無いと」

「訛り?」

「はい、剛度の女房は十の歳まででしたか、四都にいたそうなんです。 女房が言うにはあの話し方は六都だと言うんです」

「六都!? 六都から流れてきたと?」

「あくまでも剛度の女房が言っていることです。 剛度は気付かなかったようですし、本人たちも四都と言い切っているそうで」

四方が箸を置き腕を組む。

「六都なら見過ごせんな」

「六年前に流れてきたそうです。 三家族で十三人。 技座の女房が流れてきた時には十一の歳だったそうです」

マツリの報告にどんどんと四方が渋面を作る。

「官吏のことが分かってから、このことは文官に任されればどうでしょう」

「悠長にはしておられんが、六年も経っていれば今更か」

「はい、それに六都と決まったわけではありませんから」

「リツソはどうだ」

組んでいた腕を解いて箸を持ち、最後に残っていた含め煮の残りを食べ始める。
四方の話しが飛ぶのは分かっている。 驚くこともない。 話が終わったと思えば、次に必要なことを訊いてくるのだから。

「夕餉が終わるまで母上のところに居るように言っております。 夕餉が終わってから紫にもう一度会わせます。 紫のあの姿を見て己の軽挙を反省・・・考え直してもらわなければなりませんので」

「紫はどんな様子だ」

「先ほども見て参りましたが順調です。 早ければ明日の朝くらいと思っておりましたが、その前に気付くかもしれません。 四人の女人が頑張ってくれております」

「堂々とはいかんが褒美が必要か」

「そうお考えで下さいますなら、医者と薬草師にも」

「ああ、そうだったな」

マツリが立ち上がり茶を淹れ、四方の前にも置いた。

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辰刻の雫 ~蒼い月~  第20回

2021年12月17日 21時08分12秒 | 小説
『辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~』 目次


『辰刻の雫 ~蒼い月~』 第1回から第10回までの目次は以下の 『辰刻の雫 ~蒼い月~』リンクページ からお願いいたします。


     『辰刻の雫 ~蒼い月~』 リンクページ




                                  




辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~  第20回



「った! 兄上! 離して下さい!」

リツソが何と言おうと、どう暴れようとマツリがリツソを引きずっていく。


四方が大きく息を吐く。

「お疲れ様にございました」

幾分か顔色は戻ってはいたがまだ顔色を悪くしている側付きが四方の机の上にあった物を片付けようとしたが、そこには何も書かれていない白紙の紙が広げてあっただけであった。


「あーにーうーえー!!」

マツリが握っている指を一本づつこじ開けようとするが、マツリの指はびくともしない。

庭に居る誰もが振り返って回廊を歩くマツリとリツソを見る。 みなリツソを探していたのだ、大体の想像がつく。 ため息とともに顔を戻し手を動かす。

マツリの足が止まった。 リツソを振り返る。

「ひぇ・・・」

こじ開けようとしていた手が止まる。

「いい加減に黙れ。 それほど話せる元気があるのならば飯は食わんでよかろう」

「そんなっ! 我は腹が減っておるのですー!」

「では黙れ。 次に声を出せば今日も明日も飯は食わせん」

「ええー!!」

叫んだあと思わず片手で口を押え、今何も言いませんでしたと言うように首を左右に何度も振る。
そのリツソをひと睨みしまた歩き出す。 いつ逃げるか分からない。 手は離していない。

マツリの部屋の前に来ると襖を開けリツソを中に入れた。
するとなんと、マツリの部屋に女人が居るではないか。 それも二人も。 マツリが襖を閉める。
紫揺を自分の部屋に招き入れた時、女人が居る時には襖を閉めてはならないと教わった。 だからリツソが何度も首を振る。

リツソが何を言いたいのか分からないマツリ。

「小声で言うのなら許す」

片手を離すとぱふーと息を吐き、すぐに詰問するように言う。 だが飯は食いたい。 しっかりと小声である。

「女人が居る時には襖を閉めてはならないというのに、なぜ襖を閉められるのですか!」

いっちょ前のことをと、世和歌と丹和歌が笑いを堪える。

「そんなことは今は良い。 座れ」

「ですがっ」

「いいか、今から話すことに反問もなにも許さん。 黙っておれ。 座れ」

マツリの出す恐いオーラにリツソならず、世和歌と丹和歌、そして障子の向こうでも “最高か” が背筋を凍らせている。

しぶしぶリツソが座る。

「今から言うことに一切口を挟むな。 一切声を出すな。 よいか」

何度もリツソが頷く。 思わず丹和歌も頷き世和歌に白い目を送られる。

「さっきお前が言っておった、茶を飲んだと」

リツソが頷く。

「その茶には薬湯が入っておった。 眠らせる薬草からとったものだ」

リツソがキョトンとする。

「その茶を飲んでお前は攫われた。 ここまでは分かるか」

そんな自覚は無い。 眠らされていたのだから自覚も何もあったものではないが。
首をかしげる。

「お前に憶えがないのは当然だ、眠らされておったのだからな。 だがここまでの話の意味は分かるか」

小さく頷く。

「お前を攫ったのは地下の者だ」

リツソが再度首をかしげる。

「お前は地下という所を知らんが地下の者はずっとお前を狙っておった。 目を光らせてはいたが、どうしても我が東の領土に出なくてはいけなくなった。 その時にお前が攫われた。 東の領土から帰ってきてお前が居ないのを知った」

曖昧にリツソが頷く。

「お前を攫った者の手からお前の身を宮に運んだ。 お前は眠らされたままだったが、攫った者にはお前が一人で抜け出たと思わせる証拠を残してきた。 ここまで分かるか」

リツソが上目遣いに見る。

「分からないことがあれば小声で言え」

「我はどうして眠ったままだったのですか? 起きなかったのですか?」

「お前の身体に見合う以上の薬湯を飲ませたらしい。 お前の身体に見合うように薬湯を飲ませておれば、我が忍び込んだ時にはお前は目覚めているはずだった。 お前を攫った者がそう言っておった」

リツソが口を尖らせながら頷く。

「宮に戻ったお前は攫われたと分かってから三日と半、医者と薬草師が手を尽くしたが眠りから覚めなかった。 だがそれを助けたのは紫だ」

紫と聞いて背筋を凍らせていた世和歌と丹和歌の瞳が輝く。

「ムラサキ?」

紫揺の事を誰もが紫と呼んでいるのは知っていたが、ここにきて紫揺の名を聞かされるとは思ってもいなかった。 紫と聞き、すぐに紫揺と結びつかなかった。

「・・・お前の言うシユラだ」

「シユラ!?」

「声を抑えろ。 でなければ飯を抜く」

リツソが口を押えなかった。

「シユラが我を!?」

「声を抑えろ。 ・・・でなければ紫に会わせん」

リツソが口を押えた。

「紫は己の身をかまわずお前を眠りから覚まさせた」

「シユラが・・・」

「紫がお前を目覚めさせたあと倒れた」

「え・・・」

「そのまま目覚めん」

「・・・シユラが?」

「先ほど父上が言っておられただろう。 お前の軽挙で紫が倒れた。 それを肝に命ぜ。 分かったか」

いや、正しく言えば軽挙だったのは己自信だ。 それは十分に分かっているが今は、リツソには、こう言わなければならない。 これからのことも含めて分からせなければならない。

「我が・・・我が茶を飲んだから・・・」

マツリが溜息を吐いた。 リツソは茶を飲んだことだけを言っているのであるのだから。

「リツソ、お前の立場をもっと考えろ。 お前は本領領主の血をひく者なのだぞ。 もっと色んなことを深く考えよ」

「・・・シユラ」

リツソの目に涙が溜まってきた。

「泣くでない。 声を出すな。 紫の事は内密の事だ」

マツリが世和歌と丹和歌を振り返る。 心得たとばかりに丹和歌が襖を開ける。

「今から紫に会わせる。 立て」

リツソがボロボロと涙をこぼしながら立ち上がる。

「こちらに御座います」

世和歌がリツソを誘(いざな)う。
襖の奥に足を入れたリツソ。 そこに紫揺が臥していた。 その横に “最高か” が付いている。

「シユラ!」

「声は抑えよ」

すかさずマツリが言う。

「シユラ! 我だ、リツソだ! 目を開けぬか!?」

紫揺の横に座り込むと身体を揺する。

「声を抑えられぬのであればお前をここから出す」

「・・・シユラ」

マツリの声が聞こえたのか聞こえなかったのか、リツソがそれっきり声を出さなくなり、紫揺を見つめている。
目から涙は次々と流れているが鼻汁は流れてこないようだ。

「リツソ、よく知れ。 お前の軽挙でこういうことになった」

「シユラは・・・シユラは目覚めるのですか?」

マツリを見ることなくマツリに問う。 リツソが見ているのは紫揺だけ。

「紫が目覚めるかどうかは分からん。 だがお前のせいで紫がこうなった」

世和歌と丹和歌 “最高か” が伏せていた顔を僅かに上げた。

「お前が態度を改めんと紫のみならず、いずれ母上もこうなる」

リツソがマツリを見た。

「我が? 我がシユラと母上を?」

「そうだ」

「・・・」

下を向くと歯を食いしばり唇を震わせ・・・鼻汁を垂れた。

「紫の事はこの女人たちが見ておる。 お前はこれ以上紫と母上をこのようなことにならせぬよう、腹の底から考えよ」

「シユラ・・・我のせいで。 シユラ、シユラ・・・」

鼻提灯が膨らむ。

床に臥す紫揺の腕を取って泣き伏せる。
鼻提灯が破裂するが、一瞬その前に彩楓がリツソと紫揺の腕の間に手巾を放った。 その手の動きの素早さ、命中率はほぼ神業であった。

ひとしきり泣いたリツソ。 と、マツリからは見えるが、リツソはまだまだ泣いてもおさまらない。

「リツソ、母上の所に行く」

「ですが・・・シユラが・・・」

「母上が泣いて暮らしておられる」

「母上が・・・」

「行くぞ」

マツリが歩を出すがリツソの立ち上がる気配がない。
マツリが振り返る。
未だにリツソが紫揺の腕を取り座ったままだ。

「リツソ」

「母上には父上が居られます。 我は・・・我はシユラに付いております」

(母上より紫を選んだか・・・)

「それを浅慮という。 お前が態度を改めなければいかぬところだ。 今までお前のやってきたことをよく考え、お前がこれからせねばならぬことを考え行え」

「・・・」

「そのようなままでは紫も守れん」

リツソの顔が上がった。

「ついてこい」

リツソがゆっくりと立ち上がる。 紫揺の腕から指先まで己の手に乗せていく。
とうとう紫揺の手が布団に落ちた。

「シユラ、すぐに戻ってくる」

マツリが目だけを動かして後ろを見ると歩を出した。 その後にリツソが続く。

彩楓が放った手巾にはリツソの鼻汁がべったりと付いていた。


「丹和歌、無理なお話よ」

襖を閉じた丹和歌に彩楓が言う。
短い睡眠から目覚めた “最高か” は世和歌と丹和歌の話を聞いていた。 リツソではなく、マツリを紫揺の結婚相手にと推薦することを。

「ええ、ええ。 あのように恐いマツリ様に紫さまに添って頂くなどと」

紅香も彩楓の言うことに頷く。
世和歌、丹和歌姉妹が目を合わせる。 マツリが恐いことは知っている。 それに先程のマツリには己らもそう感じた。 マツリがリツソに話していた話さえまともに耳に入らなかったほどであったのだから。

「でも気を許された時にはお優しいし、お気遣いがお出来になるわ」

「それを紫さまにお向けになられているの?」

そうならば、とうに紫揺とマツリが許嫁になっていてもおかしくはない。 リツソが出てくるはずなどない。

「マツリ様と紫さまの仰り合いを、あなたたちは聞いていなかったかもしれないけど」

「ええ、それは大変なものだったのよ」

四方もシキも初めて聞いたマツリと紫揺のけなしあい、喧嘩腰の言い合い、それを “最高か” は聞いていた。
どういうことかと世和歌と丹和歌が目を見合わせた。


「リツソ!」

「母上!」

澪引がリツソを抱きしめるとリツソも澪引に手を回した。
側付きが気を利かせて部屋をあとにする。

「ご心配をお掛けしました」

「何ともないの? もう大丈夫なの?」

「はい、何ともありません」

(ほぅー、腹が減ったとは言わんか)

「母上こそ、お薬を飲んでおられましたか?」

驚いた澪引がリツソから体を離した。

「え? ええ、ええ。 まぁ、リツソはわたくしのことを心配してくれるの?」

「そ、それは、それは当たり前です!」

リツソ、と言ってもう一度澪引がリツソを抱きしめる。

(それなりに考えているということか・・・。 いつまで持つかは分からんが、紫のことが大きかったのだろうな。 まぁ、期待をしておこうか)

「母上、落ち着かれましたらリツソに湯浴みを」

「ええ、ええ」 とは言うが、リツソを離す様子がない。
リツソのことを考えると “母上、リツソはもう十五の歳です” と言いたいが、澪引を想うとそれが言い出せない。

「リツソ、母上のお気がお済になったら湯浴みをするよう。 その後は母上とこちらで食をとれ。 夕餉まで母上と共に居るよう」

「え・・・」

澪引に抱きしめられながらリツソが顔を上げる。

「夕餉が終わってから我の房へ来い。 分かったな」

それは夕餉が終わるまで紫揺と会えないということ。

「ですが・・・」

「己のやってきたことをよく考え、これからせねばならんことを考え行えと言ったはずだ」

「・・・」

しゃがんで抱きしめている澪引の肩に顔をうずめた。

「我は出る。 よいか、我の房に勝手に入るでないぞ。 あの者たちが見ておる。 案ずることもない。 分かったな」

うずめている顔が僅かに頷く。

澪引の部屋を出ると側付きにリツソの湯浴みと食のことを伝え、いったん部屋に戻った。



「四方様、郡司から書簡が届いております」

側付きから丸められた文を手に取るとザッと広げる。
眉根に皺が寄る。

「下三十都(したみそと)の都司(とつかさ)が、辺境の郡司(ぐんじ)を脅しておる?」

どういうことだ?
辺境を治めるのが郡司である。 その辺境は広くいくつかに分かれている。 分かれている分だけ郡司が居る。 その内の一つの郡司からの書簡であった。
地位的に言うと都司の方が郡司より上である。 よって脅すということは単純に考えて必要ではない。 それなのにどうして。
書簡を読み進める。

「は?」

思わず四方の口から出てしまった。
六都のことで足を引っ張られているというのに、下三十都の都司・・・何をするのか。 やめてくれ。 心の中でそう言い額に手を充てた。

書簡にはこう書かれていた。
下三十都都司より土地を広げると言われた。 早い話、この郡司の守る辺境の土地を吸収するということであった。
そんなことはたとえ都司といえど勝手に出来るものではない。

「ふむ・・・秀亜群(しゅうあぐん)か」

脅されていると書簡を送ってきたのは、辺境の秀亜群の郡司からであった。

遠い記憶が蘇る。
まだ若かりし頃、供の山猫に乗り走っていたころだ。
女人が薬草の中で足元がおぼつかない様子で朦朧としていた。

『どうした!?』

薬草の藪の中から女人を抱え上げ郡司の元に走った。
あとで聞いた話だが、その藪は薬草は薬草でも毒草の藪で長くその場所に居てはならない時季であったらしい。
あのまま四方が気付かずにいれば女人は死んでいたところだったと、郡司から何度も頭を下げられた。

過去に想いを馳せている時ではない。 書簡に目を走らせる。

差出人は秀亜群郡司、基調(きちょう)となっていた。
秀亜群は下三十都に隣接している辺境の地であるが、豊富に薬草が採れる場所を有している。 辺境というわりにこの地では生活に疲れることなく、完全自給自足でゆっくりと質素な暮らしをしていた。

薬草の地を有しているとはいえ敢えて育てることをせず自生のままに任せていて、薬草が欲しいと買いに来る者に売っていた程度で自ら売りに歩くということも無かった。
集落は大きく、離れた所に点々と点在する家もありその数も多いが、争いごとも無ければ天災の前例もなかった。 それ故、五色を配していない。

もしこの話が本当であれば、豊富な薬草の地が欲しいのかもしれない。

「それにしても、このようなやり口・・・」

読み進めていくうちに更に眉根が寄る。
郡司が応えを渋る度、民の家を焼いて回っているということであった。 最初は昼間に堂々とだから民が逃げることが出来たが、その内に夜にも。 その結果、死者が出たということであった。

辺境には五色どころか武官も配してない。 ましてや四方の子飼である百足も。
まずは下三十都の武官に言えばいいところだろうが、相手が下三十都都司。 武官に言うには都司を通さなければならない。 到底通る話では無いと踏み直接四方に訴えてきたのだろう。

だが郡司からの書簡を一方的に信じることは出来ない。 まずは裏を取らなくては。
宮都の武官を秀亜群に向かわせる。 万が一にも民の命がかかっているかもしれない。 すぐに武官長を呼ぶように言った。



マツリが紫揺の身体に手を添わせ終わった。

「ふむ、よくやってくれておるようだな、かなり良い」

紫揺の足元に “最高か” が、そして襖の際に ”庭の世話か” が座している。 かなり良いと聞いたのに、それぞれの表情が何故か硬い。

「マツリ様」

彩楓が口を開いた。

「なんだ」

紫揺に異変があったのだろうかと、厳しい目で彩楓を見る。
その視線に一瞬怯みかけた彩楓ではあるが紫揺のことを訊きたいのだ、尻込みなどしてはいられない。

「先ほどリツソ様に、紫さまが目覚めるかどうかわからないと仰られましたが・・・」 

「ああ、あのことか」

視線と口元を緩め続けて言う。

「気にするな。 あれはリツソに分からせるために言っただけだ。 紫は順調に回復しておる」

ほぅ、っと四人が安堵の息を吐いた。

「そうか、それで気をもんでおったのか、悪かったな」

「いいえ、そのようなことは。 では早くとも明日の朝と仰られていたのは」

「ああ、間違いないが、逆にそれより早くなるかもしれん」

「え?」

「思った以上に回復してきておる。 よくさすってくれているからだろう」

「では! では、もう少しおさすりするのを増やしてもよう御座いますか?」

彩楓がずいっと前に出てくる。 それに続いて他の三人も。
一瞬驚いたマツリだったが相好を崩した。

「えらく紫にご執心だな」

「もちろんに御座います」 久々のカルテット。

「だがそれはやめておけ。 前にも言ったが、お前たちが身体を崩してはどうにもならん。 紫が目覚める前にお前たちが倒れてしまっては元も子もないだろう。 安心せい、紫は順調に回復してきておるのだから焦ることは無い」

四人が眉尻を下げると反対にマツリの眉が上がる。
どうしてここまで紫揺のことを想うのだろうか。 確かに腰を揉むなどと紫揺が言ったということは聞いていたが、それくらいのことでここまで想えるだろうか。 それに紫揺とはいくらも会ったことがない筈なのに。

以前はシキの従者で、あれほどシキに付いていたはずなのに。
シキの従者は側付きの昌也を筆頭に、誰もが心からシキのことを想っている、それをマツリはよくよく知っている。

「紫が目覚める前に指が少しでも動くはずだ。 さすっている時によく見ておけばよいだろう」

それは励みになるだろう。
四人が下がり気味だった顔を上げマツリを見た。

「有難うございます」

彩楓が手を着いて頭を下げる。 他の三人もそれに続く。 マツリの気遣いが分かった。

「リツソには母上のところに居ろと、ここに来るなと言ってはおるが、アレの事だ、我が居なくなれば何をするか分からん。 かなり言い含めてきたから来ぬとは思うが、万が一来たならば追い返し・・・いや、一度は紫の顔を見せてやってくれ。 一分(いちぶ:三分)も見せてやれば十分。 その後は何なりと言って追い返してくれ」

マツリが立ち上がりながら話し、今はもう襖に手をかけている。 もう一方の手には他出着が持たれている。

「承知いたしました」

襖際に居た世和歌が返事をし、手を着いている。

とまり木に止まっていたキョウゲンが羽ばたきマツリの肩に止まった。

「では後を頼む」

「行ってらっしゃいませ」

四人が声を揃え襖を閉めた。
マツリは他出着を持っていたのだ。 着替えて出掛けることは分かっている。

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辰刻の雫 ~蒼い月~  第19回

2021年12月13日 21時36分01秒 | 小説
『辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~』 目次


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辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~  第19回



「見張番の一人は東の領土から戻ってきた時、最初に俺に話しかけてきた奴だったか?」

「然に。 もう一人は見えませんでした」

「たしか、剛度は新しい者が二人と言っていた。 一人は随分と前だったそうだが。 だが俤からは三人と聞いているし、今のキョウゲンの話しからも三人であることは間違いない。 一人は分かっているし、キョウゲンが見えなかった者が新しい一人だとしても、今まで働いていた者が残る一人か」

分かってはいたが確信のあるものではなかった。

それに四方も言っていたように見張番には信用のある者しか置いていない。 怪しい官吏が二人増やした者は今は置いておこう。
信用のある者が地下に寝返った、こちらの方が問題だ。

「それと・・・」

「なんだ?」

「文官と見張番が居なくなってすぐに飛ぶのはどうかと思いまして、そのまましばらく待っておりましたら、リツソ様の泣かれる声が聞こえてきました」

マツリが額に手をやる。
泣いて止まってしまったのか・・・。

「出過ぎたこととは思いましたが様子を見に行きましたら、何故かカルネラがリツソ様の頭の上に居りましたので、カルネラを掴んで森の外に出しました。 塀沿いに走りリツソ様が森の中にいらっしゃると言って誰かを案内して来いと言っておきました」

「・・・世話をかけたな。 それが一番だろう。 ・・・カルネラは森という言葉を知っていそうだったか?」

「何度か教えました。 最後には『リツソ、モリ、ナイテル』 と言えました」

溜息しか出ない。

崩れるように畳に手を着き、その場に大の字になって寝ころんだ。
今朝思った要らぬ疲れがまとめてドッと出たような気がする。 もう何も考えたくない。

十分くらいそうしていただろうか、取り敢えずリツソはもう見つかるはずだ。 こうしていても事は進んでいる。 着替えだけは済まそうと立ち上がった。 着替えはマツリの部屋にある。

リツソがこの部屋に戻ってくるのは分かっている。 湯浴みをさせて誰かが着替えをここに取りに来るだろう。 その時にキョウゲンの止まり木と巣があっては困る。 マツリが弟淋しさに弟の部屋で寝ていたなどと思われたくない。

一旦マツリの部屋に戻すしかない。 だからと言ってマツリが持って出ているところを誰かに見られれば不審がられる。

「世和歌か丹和歌が起きていてくれればいいが・・・」

“最高か” はシキの所に行っていることになっている。 人目に出ることは憚られる。 二人の内どちらかに頼むしかない。
また大きなため息が出た。

部屋に戻るとラッキーにも世和歌と丹和歌が起きていた。 “最高か” は障子の向こうで仮眠をとっているらしい。

取り敢えず一番に畳の間にある直衣を持ってきてもらい、その後にリツソの部屋に向かってもらった。
二人が居なくなると急いで着替えを済ませた。

キョウゲンの止まり木と巣を持って戻ってきた二人。 定位置に置くと何やら外を四方の従者が走っていたと言う。

(やっとリツソが見つかったというのか・・・)

遅すぎるが、それでもこれから探しに行くふりや、まだ見つからなくては実際に探しに行かなければならないことを思うと随分とマシだ。
ふと思い立った。

「官吏が誰か出ていなかったか?」

隣では二人と紫揺が寝ている。 声を潜めて問う。
俤からは官吏は最低でも二人と聞いているが、それ以上かもしれないとも聞いている。

世和歌と丹和歌が目を合わせる。

「チラッと見えたのは、文官かしら?」

世和歌が丹和歌に言う。

「多分。 でもすぐに連れ立ってどこかに行ってしまいました」

問われた丹和歌がマツリに答えた。

「一人ではなかったということか?」

「はい、二人に見えました」

その二人が俤の言っていた二人なのだろうか、その内の一人が四方が目を付けた文官の帖地なのだろうか。
いずれにしても、もしその二人が地下と繋がっているものならば互いを認識しているということだ。 二人ならばもしかして保身のために地下と繋がっていることを互いに言っていない可能性があると思っていたが・・・。
いや、その二人が地下と通じているのかさえも今は分からない。

「マツリ様?」

「あ、ああ。 宮で何か起こったのかもしれん。 見てくる」

腰を浮かすと二人を見た。

「紫の具合はどうだ?」

「あれから一度おさすりしましたが、特に何かあるということは御座いませんでした」

「そうか。 さするのも大変だろうが頼む」

「そのようなことは。 わたくしたちの腰を揉むと仰って下さった紫さまのお身体をさするくらい、なんとも御座いません」

「ええ、あの時にはどんなに驚いたことでしょう」

「何のことだ?」

すると二人がさも誇らしげに四方に挨拶を済ませた後、シキの所に行くように見せかけ、その後リツソの居る作業所に行くまで床下を腰を折って歩いていた時のことを話した。
ついでに自分たちは彩楓と紅香に声を掛けられ、シキの所に行くように見せかける時から紫揺と行動を共にしているということもしっかりと話す。

「ご自分より背の高いわたくしたちの腰をご心配されて、後で揉むなどと仰っていただきました。 もったいないお言葉で御座います」

「本当に、紫さまはお優しくお心遣いの出来るお方で御座います」

「へぇー・・・アイツがねぇ」

「はい?」

世和歌と丹和歌が声を揃えてマツリを見る。
それだけ己にも気を使ってほしいものだ、とは言えない雰囲気だ。

「ああ、いや。 では後を頼む」

マツリが部屋を出て行くと世和歌と丹和歌が目を合わせる。

「マツリ様もお変わりになったわね」

「あら、姉さんもお気づき?」

「ええ、お話し方が」

「そうよね、今までは恐かったけど、楽に話せるわ」

「それにこれほどお気の付く方だとは思っていなかったわ」

「ええ、それは本当に驚き」

二人がもう居ない襖の向こうのマツリを見るように襖を見た。

マツリは誰かと話す時、基本四方と澪引、シキ以外には疑問符を付けて話さない。 それがここにきて世和歌と丹和歌と話している時、疑問符を付けて話していた。 かなり慣れてきたということなのだろうか。 それとも疲れてきたのだろうか。

そしてマツリの気遣いは宮の者は誰も知ることは無かった。 誰もがマツリとあまり話すことも無ければ、共に居ることもなかったからである。
隣りに寝ている者のことを考えて声をひそめたり、労いの言葉を言ったり、紫揺のことを気に留めていたり、そんなことを思うマツリとは思ってもいなかった。

「マツリ様っておいくつになられるのでしたっけ?」

「たしか・・・二十五か二十六の歳におなりになるんじゃなかったかしら」

「リツソ様は十六の歳におなりになられるのよね」

「ええ、それでやっと水干をお脱ぎになるわ」

「でもまだ二つ名を頂いておられない」

「それは禁句よ」

「違うのそういう意味じゃないの。 マツリ様は二十五か二十六におなりになるのよ」

「ええ、だから?」

「十六にもなろうとしているのにまだ二つ名を頂いておられないリツソ様より、ずっとマツリ様の方が紫さまにお似合いってこと」

「まっ!・・・」

思わず世和歌が片手を口に充てる。

「今までのマツリ様ならそんなことは思わないわ。 怖いだけでしたもの。 でもこうしてマツリ様のお傍に居て良い所をお見受けしていると・・・」

「・・・いい所に目を付けましたわ。 いくら紫さまに本領に来て頂きたいと思ってもリツソ様に添われるにはあまりにもお気の毒なお話」

二人の目が輝いた。


回廊を歩いていると四方の従者が何人も庭を走っているのが見える。

「リツソが見つかったそうだ。 と言っても、まだカルネラの話しの上でだが」

振り向くと後ろに四方が立っていた。 四方に向き合う。

「それでは間違いないでしょう」

カルネラがリツソの元まで案内できるかが問題だが、リツソよりカルネラの方が方向感覚は良いであろうし、リツソの大泣きの声が聞こえるだろう。

「今回はリツソを糾問せねばならん」

マツリの横に立って走り去る従者を目で追っている。
既に十五の歳を迎えている。 そして何日も宮の者を探しにも出させてもいる。 前回、ハクロと宮の床下に居た時のような阿保らしい理由の迷子程度の扱いでは終わらせられない。 宮の外から戻って来たのだ。
それに怪しいものを吊り上げる切っ掛けも作れよう。

マツリも向きを変える。

「ある程度は言っておきましたが、それが頭に入っているかどうか・・・」

「ああ、それにどんな間抜けなことを言うかもしれん。 マツリも同席してもらう」

リツソに睨みを利かせておけということだ。

「承知いたしました」

「いっそのこと、リツソに城家主に攫われたと言わせれば一気にカタがつくのだがな」

「リツソは城家主のことも何も知りませんから不自然でしょう。 それにリツソが居なくなったのは夜の内と城家主は考えていると思います。 暗闇の中、屋敷の全貌を見ることは叶わないでしょう」

「回りくどいのぅ」

「父上・・・」

「分かっておる」

四方の言うようにリツソが城家主に攫われたと言えば、城家主をひっ捕らえることが出来る。 そこから官吏や見張番のことを吐かせれば簡単にすむことだが、たとえ出来損ないの城家主といえど、地下をある程度はまとめている。 まとめる者が急に居なくなっては地下が荒れ放題になるだろう。 次代が芽を出すのを待たなくてはならない。 そう持っていかなくてはならない。

「俤はなんと言っておる」

「まだまだそれらしい者は出て来ておらぬようです。 百足(むかで)は何と?」

百足とは四方が散らしている四方の子飼いである。 その百足のお蔭でいくつもの問題が未然に防げている。 そしてもちろん地下にも散らしてある。

「・・・連絡がない」

「え?」

思わず四方の顔を見た。

「捕まっていなければよいが」

俤と違って百足は地下を出て来て四方に連絡を入れてきていた。

「まだなんの褒美かは分かっておりませんが、最近、城家主から手下に褒美が出たそうです」

四方が顔を歪める。

「百足は俤のような素人ではありませんから大事は無いと思いますが」

「それだけに無茶をするだろう」

「もしかして・・・何かを探るに深入りしたのでしょうか」

「考えられる。 それ以外のこともあるかもしれんが」



刑部省(ぎょうぶしょう)の文官三名がリツソの前に座っている。 四方はその後ろ、一段高い所に座している。 いずれも机を前に椅子に座っている。 マツリはリツソの斜め後ろになる壁際に椅子を置いて座している。 机は無い。

リツソが宮に戻って来るとそのままこの場を持った。 これが民であるのならばおかしな話ではないが相手はリツソである。 一日二日後で良かったはずだが、四方がとっとと終わらせたかったのだろう。

「腹が減ったのに、どうしてこんな所に来ねばならないのですか!」

「リツソ!」

リツソが首をすくめる。

刑部省の三人がこの為のマツリかと納得をする。 己らではこのリツソを抑えきれない。 それにまず、本領領主の息子の罪を裁くなど前代未聞である。

「お前はもう十五の歳ということを分かっておらんのか。 いつまでも甘えたことを言っておるのではない。 刑部にあったことを詳しく話さんか」

「あったことって・・・」

「己の足で宮の外に出たのか」

キョウゲンに掴まれて出たなどと、とぼけたことを言うのではないぞ、というマツリの視線を斜め後ろからヒシヒシと感じる。
それでは他に思い当たることといえば・・・。

刑部の三人が目を合わせる。 このままマツリに進行してもらおうという目だ。

「えっとぅ・・・珍しい蛇が冬眠から出てきたと聞きました・・・」

マツリが刑部の文官を見て頷いてみせる。 せっかく預けようと思っていたのに返されてしまった。

「それで宮を出られたと?」

真ん中に座っていた一人が問う。 端に座っていた一人はリツソの言うことを書き記している。
コクリと頷く。

「どちらに行かれましたか?」

「宮を出て左に曲がって真っ直ぐ行って右でくるっと回って・・・えっと・・・」

一段上の四方が肘置きに置いた手を額に充て、書き記していた官吏がどう書いていいものかと頭を悩ませる。

「周りに何がありましたでしょうか?」

「細い川」

刑部の三人とマツリが何となくその場所にあたりを付ける。

「それからどうされましたか?」

「えっと・・・」

どうしてか記憶に薄い。

「あれぇ? どうしたっけかなぁ」

「リツソ様お一人でしたか?」

「一人? ・・・ああ、思い出した! 茶を貰った」

「どなたに?」

「知らん。 民じゃ」

「お話が戻りますが、リツソ様お一人で宮を出られたのですか?」

「当たり前じゃ、もう十五にもなっておるのに誰と出ると言うのじゃっ!」

「リツソ! 必要なことだけ答えろ」

リツソが口を尖らせる。

「兄上、我は腹が減りました」

座っていた椅子の背もたれを掴んで上半身だけで斜め後ろを振り向く。

「では今すぐ話を終わって刑部省に連れて行ってもらえ。 獄の飯を食うがいい」

「兄上っ!」

「それが嫌ならしかりと答えよ」

マツリが刑部に目を移すとまたもや頷いてみせる。

「お話を元に戻します。 知らない民から茶を貰い、その後はどうされましたか?」

「民に蛇の話を聞かせてやった」

「それから?」

「うん? それから? それから・・・。 どうした? 我はどうした?」

刑部に訊き返すという荒業に出た。

「そう言われましても。 リツソ様の事でありますから」

ゴホン、とマツリがわざとらしく咳払いをする。
リツソが頬を膨らませ下を向く。

(思い出さんか、この馬鹿者がっ!)

下を向いたままリツソが顔を上げようとしない。
刑部たちの後ろ、一段高いところに居る四方は既に両手で額を押さえている。
どうしたものかと刑部たちが見合い、最後にマツリを見る。

「少し伺いたいのだが」

仕方なく文官を見たマツリが言う。

「はい、なんなりと」

「リツソが見つかった時、誰かに連れてこられたと聞いたのだが?」

「はい、下働きの者です。 リツソ様のお供がリツソ様が泣いておられるとお探ししていた下働きの者達に言いまして、大声でそのことを他の者に伝えましたら二人がお供の道案内でリツソ様の所に行ったそうです。 森の中に入りましたらリツソ様が泣かれておいでだったと聞いております」

頷くと文官から目を外しリツソを見た。

「リツソ、こちらを見よ」

頬を膨らませたまま、先程のように背もたれに手をかけ上半身だけでマツリを振り返る。

「しかりとこちらを見よ」

仕方なく上半身だけではなく、尻を回し椅子の座面を横無きに座るとマツリを見た。

「お前が森で下働きの者に見つけてもらう前、泣く前はどうしておった」

要らぬことは喋るなよと、眼光を飛ばす。
口を尖らせたリツソが下を向く。

「お前がはっきりとものを言わねば母上にも会えんぞ。 さぞ母上が泣かれるだろう」

「母上が・・・?」

「ああ、お前が母上を泣かせたことになる」

「わ! 我は母上を泣かせたりしません!」

「では、考えて、思い出して答えよ」

その同じ台詞を言った時のことを。

「・・・えっと。 ・・・おお、そうじゃ、高い所から跳び下りて歩いた。 そうじゃ、そうじゃ」

椅子の上で足をバタつかせながら、己はなんと物覚えが良いのかと手を叩いて喜んでいる。
書き記していた官吏がようやくまともなことがかけると筆を走らせる。

「もういい、前を見よ」

リツソが椅子の上でくるりと九十度尻を滑らせる。

「高い所から跳び下りて歩いてこられた、で御座いますか?」

「そうじゃ、あとは知らん」

「知らんといわれましても・・・。 そこはどこで御座いましたか?」

「知らんと言っておろうが。 我は三日も歩いておったのじゃ。 どこかなど分かるわけ・・・あれ、四日だったか?」

医者が言った三日と半眠っていたと聞いていたのが、どうしてか頭の中で擦りかえられ “眠っていた” が “歩いていた” になったが、この事に気付いたのはマツリだけであった。
どちらにせよ、吉と出た。

「ずっと歩いておられたと? 蛇を探しに行かれ、民と話したところではなかったのですか?」

「たわけたことを言うでない! そんなところならすぐに宮に帰られるであろうがっ」

全くわけが分からないといった風に文官が頭を抱える。 暫くしてマツリを見るがマツリも諦めた顔をしている。 作っている。

真ん中に座っていた文官が四方を振り返る。
やる気の無さそうな四方の顔。 これ以上は無駄といっているのであろう。 これが民ならばそんなわけにはいかないが、あくまでもリツソは領主の息子である。 これ以上追及することは刑部としては避けたい。

「四方様、いかがいたしましょう」

「そうだな・・・」

というと、身を正してリツソを見た。

「リツソ!」

四方の声が部屋中に響いた。

「ひぇ!」

思わずリツソが耳の穴に指を突っ込む。

「お前の軽挙で宮の者に手間を取らせ、ましてやその間に出来ること全てが止まった。 それを何と考える」

耳に指を突っ込んでいても四方の低くよく響く声は聞こえる。

「なにって・・・言われましても」

何を言われているのかさえ分からない。 取り敢えず耳の穴から指を抜く。

「分からんというのか」

「・・・はい」

「“ごめんなさい” は覚えておろう」

「はい! それはそうです! シユラが教えてくれましたから!」

この態度の違い、マツリが情けない溜息を吐く。

「では、宮の者、お前を探しに出ていた者全員にその “ごめんなさい” を言って回れ」

「は?」

「かなり緩いが、刑部、これで許してもらえんか」

「何を仰います。 十二分で御座います」

とっとと終わらせたいのだから。

「では、これにて決定といたします」

いつもならもっと言うことがあるが、何も書き記していない机の上に広げていた物をさっさと片付け、四方とマツリに一礼すると部屋を出て行った。

呆気にとられていたリツソが我に返った。

「父上! どういうことですか!?」

「マツリ、あとは任せた」

嫌なことを任せてくれる。 だが最低限見せなければいけないことがあるし、澪引にも会わせなければいけない。 椅子から立ち上がる。

「明日、父上の従者を三人付かせて回らせてもよろしいでしょうか」

「・・・仕方あるまい」

ゆるりと椅子から立ち上がる。

マツリが襖を開け外で待機している四方の側付きに目を合わせる。 頷いてみせるとすぐに側付きが中に入ってきた。

「父上!」

「マツリから話をよく聞け。 そして少しは己でよく考えろ」

「兄上から? どういうことで御座いますか!」

「マツリ」

連れて行けということだ。

「では、失礼いたします。 リツソ、来い」

リツソの横に来ると手を引っ張って歩き出した。

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辰刻の雫 ~蒼い月~  第18回

2021年12月10日 21時45分32秒 | 小説
『辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~』 目次


『辰刻の雫 ~蒼い月~』 第1回から第10回までの目次は以下の 『辰刻の雫 ~蒼い月~』リンクページ からお願いいたします。


     『辰刻の雫 ~蒼い月~』 リンクページ




                                  




辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~  第18回



すっかり忘れていたカルネラがマツリの懐でリツソの声に気付いて懐から出てきた。

「リツソ!」

一言いうとマツリの胸元からリツソの肩に飛ぶ。

「これ以上宮の者に迷惑をかけるな! 今俺が言ったことを言ってみろ!」

「・・・高い所から跳び下りて歩きました」

「・・・」

リツソに合うように短くして言ったつもりだったが、それでも長かったようだ。 だがリツソの頭を考えるとこの方がリツソらしいか。
どこをどう歩いたなどと問われても本人は歩いていないのだから答えられよう筈がない。 だがしかし、一つだけは念を押さねばならない。

「お前が医者と薬草師、俺と居たことは誰にも言うな。 宮に居たことも。 お前はずっとどこかを一人で歩いていただけだ。 それだけは忘れるな。 父上に迷惑をかけるだけだからな。 強いては母上にもだ」

母上といえば分かるだろう。

「・・・母上?」

「ああ、お前が宮に居るのにそれを隠して宮の者達を三日間も探しに出しておる。 そして今日で四日目だ。 お前ならどう思う、宮に居たのなら探す必要もなかったのにと思わんか。 それを父上に訴えんか? 父上が困られれば母上が泣かれる」

「母上がお泣きになる?」

「ああ」

澪引にリツソ効果は絶大であると同じく、リツソに澪引効果は絶大だ。

「これ以上宮の者をお前探しに手を割かすわけにはいかん。 お前はずっと何日も訳も分からず歩いていた、良いな。 ここから一人で歩いて行け。 誰かに会ったら腹が減ったことは正直に言うがいい」

「一人で?」

「そうだ。 お前は目が覚めた時、知らないところに居た、一人で知らない房から出て一人で歩いてきた。 俺が居てはおかしいだろう」

「目が覚めたのは宮の中です・・・」

「だから宮の事は言うな。 母上がお泣きになると言っただろう。 お前が目覚めたのは知らないところだ。 宮の中の事、医者や薬草師と俺のことは絶対に言うでない。 一言でも言えばお前が母上を泣かせたことになる。 肝に置け」

「我は母上を泣かせたりしません」

「では言うなと言われたことは言うな。 カルネラと一緒なら一人ではないから歩いて行けるだろう」

リツソの進行方向を決めてやり、お尻をポンと叩く。

「必ずこのまま真っ直ぐに歩いて森を抜けろ。 そうすれば宮の者の目につく」

森と言っても馬道以外も手入れをされている。 雑木などが生い茂っていることは無い。

一度振り向いたリツソの目に涙が溜まっていた。 不安なのだろう。 それでも言われたように二歩三歩と歩いて行く。
悪戯をする時には一人になっていても笑っているのに。

リツソに攫われていたなどという情報は入れなかった。 現状は何も知らない方がいいのだから。

「さて、俺はどうやって宮に戻ろうか」

狩衣姿でキョウゲンに乗っていては疑う者は疑うだろう。

「キョウゲン、どこかで小さくなれるか?」

「このまま進んでみます。 どこか広がったところがありましょう」

馬道など飛ぶことがない。 どんな様子かは分からないが、取り敢えず飛んでみるようだ。 馬が通れるように下の枝は枝打ちされているが、上の方はされていない。 縦に大きく回ることが出来ない。 馬道で回れなければ、このまま森を出ればすむ話と考えているのだろう。

「では我は塀を跳び越えるが、誰にも見つからんようにな」

「御意」

キョウゲンはリツソと九十度違う方向に、マツリはキョウゲンと反対方向に進んだが歩き出してようやく違和感に気付いた。 足元をよく見てみると履き物をはいていなかった。

十分ほど歩き並の高さではない塀を乗り越える。

キョウゲンはまだ戻って来ていない。 もうリツソが居るわけではないから作業所に居ても不都合があるわけではないが、マツリ自身が用もないのに作業所に居るのは不自然である。 素早く動き回廊に上がる。 履き物を履くのを忘れていたので小階段の下で足の裏をパンパンと叩くことを忘れなかった。

「さて、紫の様子を見に行かねば」

四方へのリツソの報告は後でもいいだろう。

回廊で忙しく動き回る下働きを目に回廊を進み自室の前に来ると襖を開けた。 部屋に入ると襖を閉める。 内の襖の向こうで女四人が誰が入ってきたのかと不安になっているだろう。

「我だ。 安心せい」

襖の向こうで光石が灯った。 窓は万が一にも誰にも見られないように木窓を閉めていたようだ。 光石で明るさを取っていたが、襖の開く音ですぐに光石に布を被せたのだろう。
襖が半分ほど開けられた。
紅香が手を着いて頭を下げている。

「一度視てみる。 良いか」

頭を上げた紅香が襖一枚分を開ける。

心得ているようで紫揺の布団は腹の下まで下げられていた。 三人が紫揺の足元に座している。
横たわる紫揺の横に座ったマツリが紫揺の頭から順に手を添わす。 確実に先程より体温が上がっている。 単純に温かさが掌に感じる。 五臓六腑の活動も感じられる。 血液が良く流れている。 筋肉の頃合いの良い弛緩も感じられる。 なにより下腹に胆力を感じる。

「ふむ」

マツリが手を下す。

「良い兆候だ。 先程より随分と良い」

四人の顔に喜びが浮かんだ。

「では、このまま紫さまのお身体をおさすりすれば、よろしいのでしょうか?」

「急にというのも考えものだ。 ゆっくりと時を置いて・・・そうだな、先ほどは変化を視たかったから二刻と言ったが、三分(さんぶ:九分)ほどさするようにしてくれ」

「ゆっくりと置く時とはどれくらいでしょうか?」

「ふむ・・・」

女たちも疲れているだろう。 きっと一睡もしていない筈。 体力を使わせるのも考えものだ。

「二刻・・・いや、一辰刻(いちしんこく:二時間)おきでいいだろう。 それだけでも随分と変わるはずだ。 明後日などではなくなるだろう。 上手くいけば明日の朝には気付くかもしれん」

そして世和歌と丹和歌には朝餉を食べに行き、上手く彩楓と紅香の朝餉の分をここに持ってきて二人が食し、睡眠を交互にとるように言い置き部屋を出て行った。

リツソの部屋を覗いたが、キョウゲンはまだ戻っていないようだ。
キョウゲンが入れるようにそのまま襖を開けておく。

四方の部屋の前に行くと既に従者がズラリと座っていた。
着替えも終わっているのだろう。

「父上にお目通りしたいが」

末端に座していた者に言う。

「お待ちくださいませ」

そう言うと襖の前に座していた従者の一人に目顔を送る。

「マツリ様に御座います」

従者が言うと中にいた側付きが四方に伝える。

「入れ」

四方の声が聞こえた。

「どうぞ」

襖の前に座していた従者が襖を開ける。
居並ぶ従者の前を歩き部屋に入ると襖が閉められた。 丁度、側付きに最後の一枚を後ろから広げられているところだった。 四方が手を通しながらマツリを見る。 マツリが四方に近寄り外に漏れないよう小声で言う。 もうこの側付きを疑っていないということだ。

「完全に目覚めまして先程、裏の森に放ちました」

四方が頷く。
側付きが襖の方に下がり座す。

「もう一方は良きように運んでおります」

紫揺の事である。
もう一度四方が頷く。

「すぐに誰なとが見つけるとは思いますが、母上にはどう致しましょう」

「澪引か・・・」

通した手で顎をさする。

「マツリのお蔭で食することも出来たからな。 こうなっては急ぐこともあるまい」

言わなくてもいいということだ。
常なら考えられない事である。 愛する我が奥、澪引にそんなことを言うなどと。 だがそう考えるのは四方である二つ名の “死法” の考えるところなのかもしれない。
リツソがまだ見つかってもいないのに、澪引が喜んでしまっては困る。 澪引には自然体でいてもらおう、四方はそう考えているのだろう。

「承知いたしました。 母上の様子を見て参ります」

「そうか、頼む」


澪引の部屋の前にも従者が並んでいた。
側付きが見えないということは中に入っているのだろう。

「入っても良いか」

四方の時のように末端に座っていた従者が襖の一番近くに座っている従者に目顔を送る。

「マツリ様に御座います」

襖をそっと開けると下を向いて言う。

「お方様、マツリ様に御座います」

中にいた側付きが澪引に伝える。

「マツリ? ・・・入って」

澪引の声が小さく聞こえる。
襖の外に居た従者が襖を開ける。
頭を下げている従者の女達の前を歩き、開けられた襖から部屋に入る。

澪引は椅子に座っていた。 布団の中ではない、少しでも調子が戻ってきたのだろうか。

「母上、お加減はいかがですか?」

側付きが身を下げる。

「ええ、随分とましだけど・・・」

頬に残る涙の筋はマツリが来たからと、慌てて拭いたのだろう。

「立ってないでお座りなさい」

頷いたマツリが澪引の横の椅子に座る

「朝餉はお食べになりましたか?」

コクリと澪引が頷く。

「お薬は?」

「喉を通り辛くて・・・」

「すぐに用意を」

側付きに言う。
側付きが用意していた薬の入った包みと水差しから入れた湯呑を卓に置く。
マツリが包みを開け澪引の手に持たせる。

「さ、母上、お飲みになって下さい」

「でも・・・」

「飲まれなくては良くなるものも良くなりません」

澪引が諦めたように溜息をつくと、そっと包みの中にある粉薬を口に入れた。 湯呑の水を口に入れると飲みにくそうに眉を寄せる。 だがそれも美しい。

コクリと喉を通した。
ほぅ、っと息を吐く。
側付きも安堵した表情を見せマツリに頭を下げている。

「たまには外にお出になられませんと。 中にばかり居られては気が沈んでしまいます」

「・・・リツソのことを考えると外になど」

あまり澪引にリツソのことを話されては困る。 宮に戻ったリツソを医者が治療をするためにと澪引から離したが、側付きたちにしろ従者達には、リツソは行方不明ということになっているのだから。 だがそれを知らない澪引である。

「少しでいいので我と回廊に出て外の空気を吸いましょう」

マツリが立ち上がり澪引の手を取る。

「でも」

マツリを見上げる。

「少しだけです」



「まったく、兄上は何を考えておられるのか」

「アニウエ? ・・・イウナ?」

さっきマツリがそう言っていた。

「・・・分かっておるわ。 しかし腹が減った。 カルネラ、何か食える実でも無いか?」

「・・・クエル」

カルネラが辺りの木に目を走らせる。

「クエルー」

嬉しそうにリツソの肩を降りると走って木に登った。 木の枝がガサガサと揺れカルネラが頬いっぱいに実を入れる。
リツソの元に戻ってきたカルネラ。 リツソがしゃがんで両手を広げる。 カルネラが頬に入れていた実をリツソの掌の中に出した。

「クエル、クエル」

それは到底リツソに食べられるものではなかったが、気休めに一つを口に入れ飴玉のように口の中で転がした。

「残りはカルネラが食べるといい」

掌に実を乗せたまま立ち上がる。 カルネラが上ってきてリツソの手に座ると掌いっぱいにある実を一つずつ食べ始めた。

「喉が渇いたなー」

真っ直ぐに歩けとマツリから言われているが、本当にこのまま歩いて森を抜けられるのだろうか。

森には一人でたった一度だけ入ったことがある。 北の領土に向かった時だ。 森の中で迷子にならないようにと、横を見ることなく真っ直ぐに前を見て歩いた。 誰に言って出てきたわけではなかった、誰の手を借りるつもりもなかった。 誰にも見つからないようにハクロの走った馬道は歩かなかった。 見つかるかもしれないから。

「腹が減ったし、喉が渇いたし・・・」

涙が頬を伝う。 手で涙を拭くが止まることがない。

「リツソ?」

リツソが口に入っていた実をプッと吐いた。

「オカワリ?」

カルネラが一つ手に取るとスルスルとリツソの手を上がっていき、手に持った実を無理矢理リツソの口の中に入れる。
リツソの鼻から汁が垂れる。

「リツソ?」

垂れてきた鼻汁がリツソの口の中に入った。

「シル、ウマイ?」

「び・・・」

「リツソ?」

「びえーん、びえーん」

とうとうリツソが泣きだした。 口から掌から実が零れ落ちる。
カルネラにしてみればリツソが泣くことなど慣れたものだし、泣けばいつも誰かが来てくれる。 だがここには誰も相手にしてくれる者がいない。

「ぶわぁーん、ぶわぁーん」

カルネラがちっちゃいちっちゃい脳みその外側に手を充てると中にあるちっちゃいちっちゃい脳みそをフル回転させる。
そして思い出した。

「カルネラ、イイコ!」

紫揺がカルネラに言った言葉だ。 いい仔と言って頭を撫でてもらった。

「リツソ! リツソ、イイコ!」

リツソの頭の上に上がり、リツソの頭を撫でてやる。

「リツソ、イイコイイコ」

「ぶわぁぁぁーーーんん!!!」



遅めの朝餉を終えたマツリ。 四方はとっくに食べ終えて執務室に入っている。 官吏たちも続々とやって来て皆仕事に就いている。

食べ終わったマツリが茶を前に腕を組んでいる。
下働きの男たちは既にリツソを探しに出ているのに、リツソが見つかったという話が耳に入ってこない。

(あの馬鹿、まだ森を出ていないというのか)

明るい内なのだから森の中くらい一人で歩けると思ったが、己の考えが甘かったのだろうか。
それに何度もリツソの部屋を見にいくがまだキョウゲンが戻って来ていない。 キョウゲンも気になる。

「如何なさいましたか?」

給仕の女官が声を掛けてきた。 茶を前に腕を組んで微動だにしていなかったからだろう。

「・・・あ、ああ、ちょっとな」

もう冷めた茶を一気に飲み干すと「美味かった」と言い残し席を立った。

女官にしてみればリツソに厳しいマツリではあるが、やはりリツソのことを心配しているのだろうと思った。 マツリが心の中でリツソに『あの馬鹿』 などと悪態をついていることなど知りもしないのだから。
眉尻を下げマツリが飲んだ湯呑を下げた。


見張番のことを調べに行きたいが、リツソのことを放っておくわけにはいかない。 それにリツソが見つからなければ、ウロウロと見張番のことも調べることさえ出来ない。 リツソを探すふりをしなければいけないのだから。
だがそのリツソがまだ見つけてもらえていない。 迷子になったのだろうか。 これは本格的にリツソを探さなければいけないだろうか。

考え事をしながら回廊を歩くその足はリツソの部屋に向いている。 キョウゲンが戻っているかどうかを見に行かなければ。
開け放たれた襖の手前に来ると丁度キョウゲンが飛んで入ってきた。

「やっとか・・・」

心配していた気を下げる。
奥の部屋、畳の部屋に置いてある止まり木に止まったキョウゲン。
襖を後ろ手で閉めるとキョウゲンの止まり木の前に座った。

「心配したぞ」

「申し訳御座いません」

時をとったのは自覚している。

「広い所に出られなかったのか?」

「いいえ、出られたのですが、そこで・・・」

馬道で木々の枝が少ない所を見つけ、身体を小さくしたすぐ後、馬が走って来るのが見えたという。 見つかってはいないかと心配になり、森の中に入って木に止まっていると、見張番二人が馬でやって来てその後を遅れて官吏一人が歩いてやって来て森の中に入り話しをしだしたという。

見張番は見張番用の衣装が決まっている。 衣裳だけで見張番とすぐに分かるし、官吏の方は私服ではあったが、口調や話の流れから文官だと分かったという。

「着替えることもせず見張番の姿のままとは」

誰に見られているか分からないというのに、呆れて開いた口が塞がらない。

「見張番の中で諍いが起きているようです。 一人を辞めさせ新しい者を増やすように文官に言っておりました」

「その三人の顔は見えたか?」

「残念ながら文官の顔は後ろを向いていたり枝の陰になって見えませんでしたが、一人の見張番は見えました」

森の中は外と違ってさほど明るくない。 ましてや秘密ごとを話すのだ、葉が生い茂った人目につかないところを選んだのだろう。 だがその程度ではキョウゲンの目で見られたということだ。

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辰刻の雫 ~蒼い月~  第17回

2021年12月07日 00時20分22秒 | 小説
『辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~』 目次


『辰刻の雫 ~蒼い月~』 第1回から第10回までの目次は以下の 『辰刻の雫 ~蒼い月~』リンクページ からお願いいたします。


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辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~  第17回



夜の回廊を怪しい影が動いている。

彩楓がマツリの前を歩く。 角ごとに先に歩き前方を確かめる。 後方は紅香が目を光らせている。 そしてマツリの腕には紫揺が抱えられている。

最初マツリが紫揺を抱き上げた時には “最高か” が顔を引きつらせていたが、板戸などに乗せて運んでは誰かが急に来た時に隠れられないではないか、とマツリに言われてしまった。
最善を尽くし紫揺の身体はマツリが紫揺を視た時に使ったシーツにくるんでいる。 そうすれば少なくとも直接肌に触れるものではなくなる。

なんとか誰に会うことなくマツリの部屋に入ることが出来た。 中では世和歌、丹和歌姉妹が待っていた。
部屋の中の襖で仕切られた右手奥の畳間の部屋の隅、外から襖を開けても見えないところに布団が敷かれている。 そこに紫揺を下す。 すぐにシーツを取って布団をかける世和歌と丹和歌。

「時々見に来るが、頼む」

四人が手を着いて頭を下げる。

巣と止まり木ごとキョウゲンが居ない。 すでにリツソの部屋に移動しているのだろう。
となると、他の者に見つからないように、リツソの部屋の掃除を世和歌と丹和歌に頼まなければいけないか。 弟恋しさに兄が弟の部屋で寝起きしているなどと、勘違いをされたくはない。 そんなことを考えながらリツソの部屋に向かった。

リツソの部屋に入るとカルネラは天下泰平の姿で巣で寝ていた。 キョウゲンは止まり木に止まってマツリを迎えた。


翌朝一番に真丈をリツソの部屋に呼んだ。 己の手伝いをさせるにあたり、本来の仕事を疎かにしているので、せめてリツソの部屋だけは世和歌と丹和歌にしてもらうと告げるためであった。

「悪いな、勝手に女官を使わせてもらって」

「とんでも御座いません、何なりと御用をお言いつけ下さいませ。 マツリ様は従者を持たれておられないのですから、ご不便なところが御座りましょう」

「よく気がついてくれるので助かる」

真丈が胸を張って頷く。 自分の教育に自信がある。

「今日はこのように早くからリツソ様のお房をお訪ねで御座いますか?」

「ああ、母上がリツソを恋しがっておられるから、何かお元気になってもらえるものは無いかと探しにな」

「まぁ、お手伝いをいたしましょうか?」

「いや、一人でゆっくりと探す。 気にしないでくれ」

「そうで御座いますか・・・」

「朝の忙しい時に呼びつけてすまなかった」

マツリが襖に手をかけたのを見た真丈が恭しく頭を下げるのを見て、リツソの部屋に滑り込み襖を閉める。 そして襖越しに真丈が歩き去る音を聞くとその場に座り込んだ。

「朝から疲れる・・・」

真丈はシキの側付きの昌耶(しょうや)とは違って女官たちを仕切っている。 マツリより随分と年上どころか、四方とそんなに変わらない歳である。

リツソさえこの部屋に戻って来られたら、リツソの守りということで堂々とこの部屋にキョウゲンと居られるものを。

「要らぬ疲ればかりしているのではないだろうか・・・」


まだ夜が明ける前にリツソの様子を見に行っていた。 じっと目を開けていたがまだボーっとしていた。
問いには応じるが、ボーっとしたまま僅かに首を動かしたり、短く答えるだけだったが、途中で目を塞ぐことなく何度か茶を飲むまでになり、昨日より随分と良さそうだった。


朝が始まっては簡単に作業所には来られない。 宮の者がリツソを探しているとは言え、探しに行くその前に宮の掃除や朝餉の準備など、やらなければならないことがある。 そこここに下働きの者達がいるし、ある程度になれば宮内に官吏もやって来る。

薬草師にはリツソがはっきりとしたら、己はリツソの部屋か己の部屋に居るだろうから知らせに来てくれと、もし己が居なければ己の部屋には紫と共に居た女官二人が居る。 その者に伝言を残しておいてくれと言いおいて作業部屋を出た。

リツソの部屋の中で視線を上げると襖の向こう、奥の部屋で巣の中にいるキョウゲンがすやすやと眠っているのが見える。 本来ならばこれからキョウゲンの睡眠時間が始まるのだ。 一時はキョウゲンにかなり無理をさせ北の領土に飛んでいた。
目を移すとカルネラが寝ている。

「まだ起きんか・・・」

キョウゲンの睡眠時間が始まると反対にカルネラの睡眠時間が終わるはずだというのに。
カルネラの一日の行動が分からない。

「いや、そんなことを考えるから要らぬ疲れになるのか」

カルネラはリツソの供なのだからマツリが介入する必要などない。
重く感じる腰を上げ立ち上がった。 紫揺の様子を見に行かねば。 襖を開けると自室に向かう。
リツソとマツリの部屋は遠く離れているわけではない。 すぐに自室の前に来た。 部屋の前には丹和歌が座していた。

「どうだ」

小声で訊く。
マツリの姿が見えた時点で既に中にいる世和歌にマツリがきたことを伝えている。

「お入りください」

丹和歌が襖を開ける。
中に入ると世和歌が座していた。 すぐに襖が閉められる。

「どうだ」

手を着き頭を下げている世和歌に、再び同じ言葉を姉妹の姉に問う。

マツリにしろリツソにしろ同じような部屋である。 襖を開けると正面の壁沿いに障子の付いた窓があり、その横には棚が並んでいる。
マツリの場合はそこに書をぎっしりと詰め込んでいるが、リツソの場合は水鉄砲や怖い顔をした自作のお面や、蛇や蜘蛛に似せたこれまた自作の簡単に言えば玩具が並んでいる。 ちなみにマツリの部屋は左を見ても書が並んでいるが、リツソの部屋はそこに壁があるだけである。

足元は板間でそこに座卓を置いている。 以前マツリが拳を二度入れて真っ二つに割った一枚板の檜の座卓は新しいものに替えられている。

中に入ると右手は襖で仕切られその奥に畳が敷かれた間がある。 板間の窓と同じ面には障子付きの窓がありその障子は閉められている。 窓の向かい面の隅、壁側に紫揺が寝かされている。
中央の襖の一枚だけが開かれている。

「お変わりは御座いません」 

肩の落ちる返事を聞かされた。

「様子を見てもよいか」

横たわる紫揺に近づいてもいいかということである。
世和歌が奥に臥している紫揺に付いている彩楓と紅香を見ると二人が頷いた。

「どうぞ」

身を引く必要がない広さだが、世和歌がマツリが通りやすく身を引く。
襖を抜けたマツリが紫揺の元に足を向ける。 彩楓と紅香が紫揺の身から離れる。

「起きる様子は無いか」

「残念ながら・・・」

「身体・・・指一本でも動いたか」

彩楓と紅香が目を合わせ、互いに首を振る。

「わたくしたちの目には映りませんでした」

「布団を胸元まで・・・いや、腹の下辺りまで下げてくれ」

「え・・・」

「再度視る」

“最高か” が目を合わせた。 『再度見る』 と言われても、紫揺の布団をめくるなど。
マツリが魔釣の目を持っているのは誰もが知っている。 だが他の目・・・他の手を持っていることなど誰も知らない。
マツリの部屋に来る前に、マツリが紫揺の身体に手を添わせていたのは知っているが、それが何かは分かっていない。

「ですが・・・」

「今は必要のあることをせねばならん。 あれこれと考える前に紫の状態を知ることが先だ」

“最高か” が一度頭を下げ互いに見合い小さく頷き合う。 彩楓が再度紫揺の横に座るとそろりと紫揺の掛け布団をめくった。
この絶妙タイミングで互いを見るあたり、世和歌と丹和歌姉妹には到底まだできないであろう。

マツリが紫揺の頭に掌をかざす。 そこから徐々に下げていく。 胸元まで来ると左右の腕にそして手を戻すと胸から腹に下ろした。 今回は足までは視なかった。

「ふむ・・・」

「紫さまは・・・」

「かなり腹に力が戻ってきておる。 足を視なかったから分からんが、これだけ腹に力が戻れば・・・遅くとも明々後日、早ければ明後日には回復するだろう」

“最高か” が瞳を輝かせた。 “最高か” だけではない、離れていた世和歌も重ねていた己の両手を握りしめて喜んでいる。

「だが」

マツリの声が飛んだ。

「それまで寝たきりというのは考えものだ」

三人が一瞬の喜びの光を消す。

リツソのように声を聞かせるなどという手法とは全く違う何か手は無いか。 前に視た時と何かが違うはずだ。
記憶を遡らせる。

(何が違う・・・)

違いを考えろ。 紫揺に添わせていた右手を己の口元にやる。
六十ほどを数えた時マツリの顔が上がった。

「温かみ・・・」

体温が上がってきている。 それは紫揺の身体に添わせた掌が感じていた。 それを思考が捕らえた。

「ゆっくりで良い、紫の身体を、手や足、背中をさすってやってくれ」

え? という顔をマツリに向けた三人。

「紫の身体を温めてやるのが一番だ。 それが紫の回復につながる」

マツリの言いたいことが分かった。

「まずはすぐに四人で二刻(にこく:一時間)ほど、そのあともう一度視る。 我はあちらに居る」

ほんの少し前に時を知らせる鐘が鳴っていた。 鐘は二刻ごとに時の数だけを鳴らし、その間の一刻(三十分)毎に一度だけ鳴らされている。

世和歌が襖の外を見張っていた丹和歌を呼び二人で紫揺の元に来た。
マツリが畳の間から身を引く。 板間の座卓の前に来ると畳の間に背を向け胡坐で座る。 手は組んでいる。 己に間違いが無いかと再度思考を巡らせる。
その後ろでは襖が閉められ四人が紫揺の身体をさすりだした。

それから十五分ほど経った時、襖の外からマツリを呼ぶ声が聞こえた。 薬草師の声だ。

「入れ」

襖が開けられ薬草師が入ってくる。 常なら入ることも開けた襖を閉めることもないが、内密の話しである。 襖を閉めると両手をつき頭を下げたまま言う。

「御前に進んでよろしいでしょうか」

「近くに」

マツリが声を殺して言う。

薬草師が立ち上がり、マツリから半身後ろにずらして横に座る。

「完全とはまだ言い切れませんが目が覚められました。 今、薬草入りの粥を食べて頂いております」

マツリが肩越しに薬草師を見る。

「完全ではないというのは」

「以前のリツソ様のようにということで御座います。 頭の中はスッキリとされ、身体の重みもなくなったと仰られておられます」

「以前のリツソに戻ってもらっては困る。 それでは人並みになったということだな?」

「然に」

「まさか今リツソ一人ではなかろうな」

「医者が付いております」

「あれが元に戻ると手が付けられん。 まだ下働きの者がウロウロしておるし・・・。 作業所の方はどうだ、職人が来ておるか」

「こちらに来る時には見かけることは御座いませんでしたが、リツソ様がお目を覚ませられます前には、作業房に入る者こそおりませんでしたが、朝餉の後には職人の幾人かが来ておりました」

一瞬考える。

「キョウゲンで飛ぶ。 リツソを作業所のキョウゲンが掴みやすい所に出しておいてくれ。 万が一職人が来た時には諦めて房に戻すよう。 リツソがぐずれば我の名を出せば黙るだろう。 今すぐに」

「承知いたしました」

薬草師が頭を下げるとすぐさま部屋を出て行った。

「誰か」

内の襖に向かって言う。
すぐに紅香が僅かに開けた襖から顔を出した。

「二刻過ぎれば手を止めよ。 我が視る気でいたが、ままならなくなった。 用を済ませたらまた視に来る。 ここには誰も来んはず、外に付く必要はない」

マツリが立ち上がる。

「承知いたしました」

紅香が手を着いて頭を下げる。
自室を出たマツリがリツソの部屋に戻った。
カルネラが腹を上に向けてボーっとしている。

「カルネラ」

マツリの声にキョウゲンが目を開ける。
ピィ! っと鳴いて180度向きを変えブルブルと震えているカルネラをつまむと懐に入れる。

「キョウゲン悪いが頼めるか」

キョウゲンが首を何度も傾げている

「キョウゲン?」

カルネラと一緒に居ておかしくなったのかと一瞬不安になる。

「そのお姿で、で御座いますか?」

下を向いて己の姿を見た。 夕べ湯浴みの後に着た狩衣姿のままだった。 飛ぶときの姿ではないし、これでは必要以上に風を受けキョウゲンが飛び辛くなるだけである。
おかしくなったのはキョウゲンではなく己のようだった。 着替えるという事を完全に失念していた。 マツリが口を歪める。

「今から着替えても時がかかってしまうか、仕方ない悪いがこのままで行く」

「御意」

キョウゲンが開け放たれていた襖から飛び立った。 外に出て縦に円を描く、その間に身体を大きくしている。
部屋から出てきたマツリが勾欄を蹴る。

いつもの姿と違うマツリがキョウゲンの背に乗って飛ぶ。 青色の狩衣が風に煽られ、いつもなら首の下に括っている銀髪が、高く括り上げられた位置から風に乗る。

「作業所にリツソが居るはずだ、掴んでくれ。 その後はリツソを誰にも見つからないよう森の中に入ってくれ」

「御意」

作業所では誰かいないかはマツリが見なければならない。 こんな朝っぱらからではキョウゲンよりマツリの目の方が利く。

高く上がったキョウゲンが作業所の上空に現れた。 これが夜ならキョウゲンの姿は闇に隠れるが朝早くにあっては目立って仕方がない。 とは言え、朝の忙しい時、誰も上空を見上げることなどない。

マツリが作業所の周り、あちらこちらに目をやる。 作業所には誰もいないようだ。 建物の前にはリツソが立っている。 医者と薬草師が作業所に誰か来ないか見張っているのが見える。

作業所は宮内の裏側に二棟あってその間にリツソが立っている。 一棟が宮の裏にある森を背にし、互いに向かい合っている。 森に入るに一番人に見つからないであろう。

「よし、頼む」

「御意」

キョウゲンが滑空していく。 その足でリツソを掴むと足を曲げ、出来るだけその身の羽の中にしまい込む。
上空に飛ぶことなく作業所の屋根すれすれを飛んで塀を越えるとそのまま森に入り込んだ。
大きな身体が故、羽が木々に当たらないように、馬道に入り枝打ちされている木々の下を飛ぶが、それでも身体を斜めにして飛ばなくてはいけない。

「この辺りで」

マツリが跳んだ。
キョウゲンが片足を上げたまま舞い降りる。
マツリがリツソの身体を受け取りキョウゲンがリツソの身を足から離す。

下の枝こそ枝打ちがされているが、上の方には枝が伸び覆い被さっている。 この辺りで大きく縦に回れるところはない。 大きな姿で地面に居るしかない。

「兄上?」

よくぞキョウゲンの足の中で叫ばなかったことと思う。 これが完全に回復していれば叫びたくっていたであろう。

「医者か薬草師から何か聞いたか」

「えっと・・・、三日と半眠っていたと。 だから粥しか食べてはならないと。 ですが我は腹が減っております。 だから飯を持って来いと言ったのに、医者が大きな声を出すなと言うし、出て行ったと思った薬草師は戻って来て外に出ろと言うし! 腹が減っておるのじゃっ! って言ったら兄上のご命令と言うし、我は訳が分かりません!」

ちゃんと説明しろと言わんばかりの目をマツリに向ける。
良いのか悪いのか、この短時間にかなり回復してきたようだ。
あとで医者と薬草師に改めて謝らなければいけないかと思いながら、リツソの完全回復が目の前まできているのだと分かる。

―――だから

ゴン。

鈍い音が鳴った。

「イッテー!!」

リツソが両手で頭頂部を押さえる。

「たわけたことを言っておるのではないわ!」

マツリの懐でカルネラがピィと鳴いた。

「お前のせいでどれほどの者に迷惑をかけたと思っておるのだ!」

そんなことを言われても己から迷惑など掛けた覚えなどない。 言い返すことも出来なければ涙目で頭をさすることしかできない。

「毎日毎日、宮の者が宮の外までお前を探しに出ておる!」

納得しがたい。 己は宮の中にいたはずだ。 だから医者や薬草師が居たのだから。 何故その己を宮の外に探しに行かねばならないのか。

「今から言うことを憶えろ。 しかりと聞け」

未だに頭の上に両手を置いたまま涙目で上目遣いにマツリを見る。

「お前は気付いたらどこかの中にいた。 板を蹴破り、沢山転がっていた物を足場に天窓から屋根に出た。 そこは高かったが簡単に下に降り、誰にも見つからないよう囲いの外に出た。 あとは何日どこをどう歩いたのかは覚えていない。 これだけを憶えろ」

「腹が減って覚えられません」

ゴン。

再び鈍い音が鳴った。

「ッテー!!!」

間違いなく同じ所に命中した。
鏡餅が出来上がった。

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辰刻の雫 ~蒼い月~  第16回

2021年12月03日 21時18分21秒 | 小説
『辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~』 目次


『辰刻の雫 ~蒼い月~』 第1回から第10回までの目次は以下の 『辰刻の雫 ~蒼い月~』リンクページ からお願いいたします。


     『辰刻の雫 ~蒼い月~』 リンクページ




                                  




辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~  第16回



マツリが頷く。

「その帖地は商人の行程を知っているのですか?」

「いや、仕事では関わるものではないが、人の居ない時に行程を書いたものなど見られよう」

「そんなに簡単に見られるものなのですか?」

「執務房に入ってしまえば、どこに書類があるかさえ知っておれば簡単に見られる。 それに執務房に上がって来る前に見ることも出来よう」

四方のいる執務室に上げてくる前に、官吏たちが働く部屋で見ることが出来るということだ。

「帖地は執務房のその場所を知っているのですか?」

「普通で考えると知らんはずだ。 だが知っているものと通じていたかもしれんとも考えられる」

「その者が悪意なく帖地に教えたと?」

「可能性としては低いがな」

そんなに簡単に執務室内のことを誰も言わない筈だ。

「それでは可能性として、執務房に上げる前の方が怪しいということになりますか」

「仕事房にいる者すべてに言えることだがな」

マツリが何度も頷いている。
仕事部屋に入ることが出来る文官は限られている。

執務室と仕事部屋は宮内にある。 宮内とは言ってしまえば四方の自宅になる。 文官にしろ武官にしろ、勝手に官吏が四方の自宅に足を踏み入れることなど許されないことであるし、宮内に入るためには官吏が自由に行き交うことの出来る場所とは区切られている門を通らなければいけない。 その門には門番が居る。

帖地の話は分かった。 汁物を一口飲むと話を変える。

「母上には申し上げませんでしたが、医者が言うには遅くとも明日の朝には、リツソが目覚めるそうです。 はっきりと目覚めましたらリツソを動かして地下からは一旦手を引きたいと思っております。 そして見張番の方に集中したいと。 リツソを動かしてよろしいでしょうか?」

「ああ、無理がないなら任せる」

四方も食事を続けようと箸を手にする。

「はい。 それと・・・医者は大事ないと言っておりましたが、紫が倒れました」

「な! なんだと!?」

葉物の胡麻和えを箸でつまもうとしていた四方の手が止まった。

「紫の声ではなく、紫の力でリツソは目覚めたようです」

「紫の力?」

「三辰刻、リツソに力を施していたようです」

「三辰刻!?」

「まだ力の事を知って二年にも経ちません。 我が身体を視てみましたが、無茶をして身体の限界を超えたものと思います。 紫の力と言っても、名ではない五色の紫の力を使ったようです」

「五色の、紫の力? まだ二年にも経たんのに、紫の力を使えるというのか?」

二年足らず前、初めて会った時に青の力を暴走させ光石を割った。 まだ力がうまく使えないと言っていたというのに。

「そのようです」

紫揺にそのような力があったとは簡単に信じられる話ではないが、否定するに何の根拠もない話でもある。 それどころかその可能性が低くはない。 東の領土の初代五色は紫の力を有していたのだから。

「まさか、とはこのことか」

「知識や経験が少ない、それ故、体への負担が大きかったかと」

「ああ、そうだろう。 だがそれが何の言い訳になるわけではない。 この本領で東の五色の身体に何かあってはどうにもいかん。 それがリツソの為にしたことなどと。 ・・・目覚めないということは無いな?」

「体力が戻ればとは思いますが、それがいつになるかは」

四方が苦い顔を作る。

「紫の回復力に賭けるしかありません。 我の失敗でした。 リツソに声を掛けるだけと思っておりましたので」

ヒトウカの冷えからハンの話を聞いていたというのに。

「過ぎたことを言っても始まらん。 とにかく紫を手厚くせねば。 今どこに居る」

「医者房です」

「紫はシキの所に行っていることになっておるのだったな」

マツリが頷く。

「人の出入りが少ないのは今のところ医者房かと」

四方が腕を組む。 医者部屋では手厚いとはとても言えない。

「シキの房は・・・。 紫には二人付いておったな」

「今は四人になっております。 増えた二人には我の手伝いをしてもらっているということにしております」

「目立たぬようにシキの房に布団を敷こう。 その四人が常に紫に付いておれば良かろう。 二人は紫に付いてシキの所に行ったことになっておるのだから、シキの房にずっとおり、残りの二人をシキの房掃除の当番にさせればよかろう」

「・・・」

マツリからの返事がない。

「なんだ? 納得できんのか」

「四人の女官の気が休まりませんでしょう」

「ではマツリの房にするか?」

「は?」

箸でつまんだ芋を取りこぼした。

「マツリの房には誰も入らんし、まず用がなければ近づくことも無いからな」

マツリ付きが居ないのだからそうなるし、誰にも掃除すらさせていなければ、掃除道具や着替えなどは部屋の前に置かせ、マツリ自身が部屋の中に持って入っているのだから。 だがシキの部屋は掃除もすれば、今でもシキの従者であった女官が前をウロウロとしている。

マツリが自分でてんこ盛りにした白飯を口に入れた。 白飯を噛み砕くとゴクリという音がしそうなほどに飲み込む。

「姉上のお房で」

こんな時、シキが居てくれればと思う。 部屋の掃除当番のことなど、男がしゃしゃり出て言うものではない。

「・・・いや待て」

半日何も口に入れていなかったのだ。 少し口に入れただけで腹が次から次にと欲しがる。マツリが次々と白飯とおかずを口に入れている。

「冗談で言ったつもりだったが・・・。 そうだな、マツリの房にしよう」

次々と口に入れていた物が喉を詰めそうになる。 ウグウグ言いながらなんとか茶で流す。 四方の顔を己の口から吐いた物で汚すことは無かった。

「何を考えておる、マツリはリツソの房で寝るということだ。 紫の事が気になれば己の房だ、いつでも見に行ける。 それにさっき言った女官たちの気が休めんというのも解決できよう。 なによりマツリの房であれば紫が見つかることはない」

「父上・・・、常識というものがありましょう」

「紫に何かあってはこの領土が困る。 それくらい分かろう。 ましてやあの事情の中の紫だ。 それを常識と比べてどうする」

四方の言いように片肘をつくとその掌に額を乗せる。

「皆が寝静まった時に紫を移動させるよう」

―――本気のようだ。

残りの肘もついて頭を抱えた。

結局そんな話になってしまい問題の話しが出来なくなってしまった。 とは言え、話そうにもこれ以上手持ちの札がない。 俤から聞いたことを頭の中で整理し、組み立てていかねばならない。 だがそれは官吏の話。 四方が考える話である。 見張番の事は疑われないようにさえすれば魔釣の目で直接視に行けば分かる。


四方との食事を終えると医者部屋に来た。

「・・・ということだ」

四人ともが夕餉を食べたと聞いた後に、苦々しい顔で四方に言われたことの説明をした。
分かりきっていたことだが、四人の女が驚いた顔をしている。

「とにかく、寝静まったら我の布団をリツソの房に、我の房の見つかりにくい所に紫を横たえらせる布団を敷いてくれ。 紫は我が運ぶ。 彩楓と紅香はその時まで紫に付いているよう」

皆が寝静まった時になったとは言え、夜中にフラフラと起きてくる者もあるだろう、年寄など特にだ。 板戸など持って運んでいては、いつ誰に会うかもしれない。

一方的に四人に言い、リツソを見に行くと言って医者部屋から出ると大きな溜息をついた。

作業所(さぎょうどころ)にやって来ると、リツソが居た部屋は言った通りに開け放たれていた。

「マツリだ」

どの部屋に移動したのか。 一つ一つの戸を開ければいいが、声を掛ける方が早いだろう。 一つの戸が開いた。 薬草師が顔を出すとマツリに軽く辞儀をし、戸を大きく開ける。
部屋に入ると相変わらずリツソは寝ている。
リツソの横に座ると薬草師が戸際に座った。

「変化はないか」

「・・・はい」

「医者は」

「休んでもらっています」

「苦労をかけるな」

「いえ、そのようなことは。 あの、紫さまは・・・」

「リツソと同じくまだ目が開かん」

「私の力不足で紫さまが・・・。 何と申し上げてよいのやら分かりません」

「そんなことはない。 紫は五色だ。 五色の力を使ってリツソを目覚めさせたのだろう。 五色でない者にそんなことが出来るはずもない。 今回の事は紫にしか出来なかった事やもしれん」

そう言い終えたマツリが後ろを振り向いた。

「倒れる紫を抱えてくれたそうだな」

「咄嗟に・・・その、五色様に失礼を・・・」

「・・・そうか」

「・・・」

マツリの言葉をどうとって良いのか分からない。

「夕餉は食べたか?」

「いいえ、まだ」

「昼餉も食べておらんのだろう。 食べてくるがよい。 暫くは我がここに居る。 休憩も入れてゆっくりしてきてくれ」

「ですが・・・」

「薬草師が身体を壊しては宮の者が困る」

「・・・」

手を着いて頭を下げるとそっと部屋を出て行った。
戸が閉められた。

閉められた戸をじっと見る。
何故己は薬草師にあんなことを言ったのだろうか・・・。 紫揺を抱えてくれたそうだな、などと。
わけが分からない。 頭をブルンと振りリツソの身体に向き合う。

「さて、どうやって見張番全員と話そうか・・・」

目を見なければいけないが、マツリが魔釣であることは誰もが知っている。 無言で目を見た日には魔釣をしていることが丸分かりだ。 相手に警戒されず、とりとめのない話でもしなければならない。

「剛度(ごうど)の手を借りるか・・・」

剛度は見張番の長だ。
時をあまり取りたくない。 それに紫揺と東の領土から本領に入った時、岩山で剛度の目を見た。 間違いなく禍つものは無かった。

もともと剛直な人間だ。 金が無ければ我が子を救えないと分かっていても、目の前に釣られた金などで動くはずもない人間。

こんな時にシキの目があると随分と楽なのにと思ってしまう。 何もかも視えるのだから。

「疲れてきたか・・・」

シキの力を羨むなどと。

なによりも一番疲れたのは、紫揺をマツリの部屋に寝かせると聞かされた時だろうか。 それとも紫揺をこんな目に遭わせたマツリの浅慮にだろうか。
ああ、そう言えばと思い出した。 カルネラを連れて来てやれば良かったと。

「ん? カルネラは一日中なにをやっておるのだ?」

これがキョウゲンなら居ても立っても居られないだろう。

「・・・ぅん」

リツソが枯れた声とともに指を動かした。

「リツソ、聞こえるか」

うっすらと目を開ける。 目の前がぼやけている。 頭がボォーっとしている。

「リツソ、母上が心配しておられる。 はっきりと目が開けられぬか」

「は、は・・・うえ」

「そうだ母上だ」

何かを考えようとする。 何かを思い出そうとする。 だが頭がボゥーッとして考えられない、思い出せない。 身体が重い。 瞼すら重い。 ゆっくりと瞼が下がる。

「水が飲めるか」

傍らに置いてあった水差しから湯呑に水を入れる。 リツソの身体を起こしてやり湯呑を口に充てそっと傾ける。 僅かにリツソの口に水が入った。 湯呑を口から外すとゴクリという音をたて水を飲んだ。 もう一度同じことをする。 ゴクリと飲む。
喉が渇いていたのだろう。 何度か繰り返して湯呑に入っていた水を全て飲んだ。

「目が開けられぬか」

リツソの瞼がゆっくりと半分まで上がる。

「あに・・・う、え」

「そうだ、我だ」

「あた、ま」

「頭が痛いか?」

「ぼーっ・・・」

「はっきりせぬのか」

「か、らだ・・・お・・・もい」

「体が重いか?」

僅かに頷いたリツソの瞼が再び下がった。
マツリがそっと体を横たえてやる。 そしてそっと布団をかける。

湯呑一杯分の水分は摂れた。 リツソの今の状態も分かった。 何より問われて答えたのではなく、自分から話した。 これはかなりの前進だろう。

医者が言っていたように明日の朝には目覚めるだろう。 粥か重湯を作ってやっておかねばいけないか。 厨に何と言えばいいだろうか。

「何の心配をしてるんだ俺は」

自嘲気味に笑う。
いつも叱ってばかりいるが、やはり我が弟。 その健康が気になるのは当たり前だ。
リツソの背をもたれさせていた立膝を下ろすと胡坐をかいて座り直す。

「報酬を得ている・・・」

つい前、剛度のことを考えた。 万が一にも金が無ければ我が子を救えないと分かっていても、目の前に釣られた金などで動くはずもない人間だと。

「子供、若しくは家の者が病気にかかっている。 そんな官吏が居るのだろうか」

それとも単に金に目がくらんだだけだろうか。 リツソのことを考えると、まさか城家主に家の者が攫われて無理矢理・・・いや、それでは報酬など要らないだろう。

「他に何が考えられる」

刻々と時は過ぎる。

「マツリ様」

小さな声が外から聞こえ戸が開いた。 入ってきたのは薬草師。

「少しはゆるりと出来たか?」

「充分に」

「リツソが一度目覚めた」

薬草師の顔が一瞬、喜びと安堵に包まれる。 だが次には厳しい顔になる。
マツリがその時の様子を薬草師に聞かせる。

「ご自分から症状を言われたのですね?」

マツリが頷く。

「良い傾向で御座います。 頭がはっきりしない間は自分の状態も分かりません。 問われても分からない程です。 それにマツリ様と判断されたのも大きな進展で御座います。 多分まだ目はかすんでおいででしょうが、目と耳の両方から入ってきたものを認識できておられるということで御座います」

深くマツリが頷く。

「リツソ様の先が見えて御座います。 ・・・あとは紫さまが」

「我が視た限り体力が戻れば済むはずだ。 あれは並みの女人とは違う。 走り回るし馬にも乗る。 体力はあるはずだ」

「え? あの、五色様とお伺いしましたが?」

「ああ、五色だ。 五色が馬に乗るなどと信じられんと思うが、今回はそれで助かるところがあるかもしれん」

「あんなにお小さい五色様であられるのに馬に乗られるとは・・・」

「身体は小さいが、あれでも23の歳になるそうだ」

この月で23になると東の領主が言っていた。

薬草師が豆鉄砲を食らった。

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