大福 りす の 隠れ家

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辰刻の雫 ~蒼い月~  第112回

2022年11月04日 20時34分04秒 | 小説
『辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~』 目次


『辰刻の雫 ~蒼い月~』 第1回から第110回までの目次は以下の 『辰刻の雫 ~蒼い月~』リンクページ からお願いいたします。


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辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~  第112回



あの時、すれ違う者達には何とか見られず誤魔化して過ごせたが、とは言っても奇異な目では見られていた。 いつも上げている前髪を左の頬にかかるように垂らしていたのだから。 それでもすれ違う程度の相手である。 立ち止まって話し込む相手ではない。
話し込む相手、四方と澪引などは見てはいけないものを見てしまったように、見ていないという風を装って目も合わせてこなかった。 リツソにおいては口を開きかけた時点で拳骨を落としておいた。

「そのように。 して、これから忙しくなりますが、まだすぐというわけでは御座いません。 己は明日から動きますが、マツリ様は一度、紫揺の様子を見に行かれてはいかがですか?」

「もう身体も戻ったことだ、よかろう」

「当分お会いできなくなりそうなのに?」

「・・・」

「紫揺には、はっきりと言ってやらねば伝わりません。 少なくとも当分は訪ねられないと言っておく方がよろしいのでは?」

「そうか」

はっきりと言う。
『我の想い人は、紫ただ一人』 東の領土の山を下りた時に言った。 あながち間違ってはいなかったようだ。

「まあ・・・そうだな。 それにあの時は東の領主に紫のことを言うつもりで行ったが、言えずじまいに終わってしまったか」

「今度こそ東の領主に仰るおつもりで?」

「・・・延期にするか」

紫揺がどこの誰とも分からない者を領主に紹介する前にと思っていたが、紫揺も当分はそれどころでは無いだろう。 よく分からない紫の力を有したまま誰彼と、などと考えられないだろう。

「だがそうだな、紫のところへは一度行っておく、か」

「それが宜しいかと」

「そうだ、紫と言えば面白い話がある。 今日、地下に行ってきた」

地下と言われれば紫揺とのことを思い出す。 印象深いことが沢山ある。 紫揺が初めて抱きついてきたのも地下だ。

「如何で御座いました?」

だから、御座いましたはやめろ、と言ってから続ける。

「共時が動いておやっさんのようにまとめていくと言っておった。 宇藤が共時の手足となってよく動いているようだ。 それと隠れ手下か? それらも宇藤がしっかりと掴んでいるみたいだ、当分心配は要らんだろう。 それでな、面白いことを訊かれた・・・」

マツリが時折地下を歩いているのは宇藤もよく知るところである。 そこで紫揺のことを知らないかと訊いてきたというのだ。 どう考えても不思議でならないと。

「で? 何と仰ったんですか?」

「あれは偶然入ってきた女人だ、坊ではない。 その一言だけで目を丸くしておった」

杠が腹を抱えて笑い出した。

「これは、これは、良い笑い種を頂きました。 当分あの時の紫揺を思い出しながら六都で暮らせそうです。 ククク・・・。 己も坊と思っていましたし、それに歳を聞かされた時には驚きました」

坊の衣装を着た紫揺を思い出す。 本当に坊にしか見えなかった。
紫揺の指示で紫揺が塀を跳ぶ手伝いをした。 屋敷の中では合図を送ってきていた。 二人で地下を走った。 ほんの僅かな時しか一緒に居なかったのに、思い出すことは山ほどある。

ひとしきり笑い終えた杠にマツリが酒杯を口にして改めて問う。

「どうだ? あの六人の感触は」

「マツリ様が選ばれたのです、間違いはないでしょう」

「巴央は少々やっかいだが、いけるか?」

「似た歳ですのでやりにくい所はありましょうが、その分やり甲斐があるというものです」

ましてや杠の方が歳下だ。

「頼もしいことだな」

「六都は長い間まともではなかったですから、根こそぎとはいかないでしょうが」

「ああ、どこの都も全く争いごとが無いということではないからな、そこまでは無理だろう。 六都はまず民の性根の叩き直しだ」

下手をすればこれからの地下より性質(たち)が悪いかもしれない。


「杠殿」

早朝、宮を出ようとしていた杠に後ろから声がかかった。
振り向くとそこに朱禅が立っている。

「これは朱禅殿」

「六都に赴かれると伺いましたが」

「はい、これから宮を出ようかと」

「そうですか・・・ほんの少しの時をいただけませんでしょうか?」



「おかしい・・・」

夕刻の空を眺めながらポツリと塔弥が漏らした。
塔弥の勘ではとっくにマツリが来ていてもおかしくないはずだった。 紫揺が本領から戻って来て何日も経っている。 いやそれどころか一ヵ月以上経っている。
とうとう紫揺を部屋の中に括ることが出来ず、朝から昼から放牧状態だ。 あれほど退屈だのなんだのと言っていたお付きたちが、毎晩バタンキューと寝床に潜っている。

塔弥も例外ではないが、少々、野夜には恨みがある。 野夜が一番に寝床に入った時には、他のお付きたちに教えてもらった4の字固めをお見舞いしてやった。 教えたお付きたちが疲れを見せながら笑っていた中、意趣返しは成功した。 野夜が眠りの中から悶絶の叫びを起こしていた。

「どうしてだ」

もし東の領土の山を下りた時にマツリが紫揺に言ったことを聞いていれば、塔弥の勘も違っていたかもしれないが、残念ながら紫揺から聞くことは無かった。
ただ、葉月から聞かされたことだけは、部屋に括っておいた成果が出たと感じている。


マツリの良い所を書いた紙をずずい、と葉月の前に差し出した。

『え? これだけ? ・・・ですか?』

毎日紫揺を訪ねてきている内、大分と言葉が崩れてきてしまっているのを感じていた。 このまま頭に乗っていると此之葉から雷が落ちそうだ。
“力の事を教えてくれる” 紙にはそう書かれていた。
でも考えようによっては最大かもしれない。 紫揺に一番必要なのは紫としての力の事だ。 この領土の者は誰一人として紫の力の事は知らない。
代々もそうであったが、代々の紫はこの地で生まれ育っている。 肌で分かることがある。 だが紫揺は違う。 この地に来てからも、紫の力を知ってからもまだ三年も経っていない。

葉月の問いに小首を傾げる。

『ん? 他にあるんですか?』

『分からないの』

『どういうことですか?』

『マツリが分からない』

『紫さま・・・』

葉月が言うには、心のどこかでマツリへの恋心に気付きだしたということであった。 だがそこにはまだ壁が立っている。 その壁に気付いただけ上等だ、ということであった。

『じゃ、今度マツリ様が来られた時に訊きたいことを書きだしましょう。 安心してください、私は見ませんから。 紫さまの想いを自由に書いて下さい。 それをマツリ様に訊いて下さい』

『訊きたいこと?』

『はい。 何でもいいですから』


「マツリ様が来て下さらなければ始まりもしない」

それに紫揺がせっかく考えたであろう事柄が褪せていってしまう。 紫揺がマツリに冷めていってしまうかもしれない。
恋をしていると分かっていれば、募る想いもあるだろうが、まだはっきりと意識できていないのだから想いへの意識が薄い。
今日も見上げる夕刻の空にキョウゲンの姿が映ることは無かった。 顔を下ろすと独唱の家に足を運んだ。



「杠と申します。 宜しくお願い致します」

六都の官所(かんどころ)に入った杠が名乗り頭を下げる。 帯門標は宮以外では必要ない。 見せることなく名乗るだけで終る。

六都は都司がコロコロと変わる。 あまりに荒(すさ)んでいるから、やってられないという具合だ。
都司は官吏ではない。 通常その都の豪族が都司となっているが六都は例外である。 いつからか豪族が退き、読み書きのできる者が都司となっていたが、それでもコロコロと代わっていた。

都司を補佐するために派遣されるのは官吏である文官。 それは文官所長と兼任である。
今、補佐でもなく文官所長でもなく、六都官所の一人の文官として杠は居る。

「何か分からないことがあったらヤツに訊けばいい」

文官所長が言った。
“ヤツ” 文官が言う言葉ではない。 それに “ヤツ“ と言われた男は、怪しげな口元をしている。
思ったように官吏である文官がまともでないようだ。
だが同じ官吏でも武官の方は、四色の武官六都長が居る、四人も居ればそうそう何かを自由には出来ないし、武官が誤魔化して何かを自由にしようと思っても、せいぜいロクでもない民が何かをした時に、見ていなかったこととして金をせしめたりするくらいだろう。 武具を横流しにしたりすればすぐに露呈してしまう。
それでも文官が何かをするよりは小さなことだ。 文官はもっと大きなことを動かすことが出来る。

「はい、宜しくお願い致します」

“ヤツ” と言った文官所長は、ここで必要以上に幅を利かせているのだろう、 そして “ヤツ” と言われ、怪しげな口元をしたのがその配下だろう。
だがこの二人だけとは限らない。
まずは誰が何をし、宮にどう書類を上げているか。
そこでどれ程、税を誤魔化すために目減らしをしているか。 私腹を肥やしているか。 他に何があるか。

「何も分かりませんのでご享受願います」

“ヤツ” が口の端を上げた。


薄闇がより濃くなった官所に一人の影が動いた。
二重帳簿があるはずだ。

文官所長が誤魔化しを一人でしていれば、杠が来た時に「何もせんでいい」と、頭ごなしに口頭で済ませるだろう。
だが “ヤツ” と呼ばれた者がいた。 ロクでもないことをしているのは文官所長一人ではないらしい。 少なくとも手駒に “ヤツ” を持っている。 簡単な誤魔化しでは賄えきれない程の裏の俸給を与えているのだろう。

文官所長が粗忽者であり、一人であれば徹底的に頭ごなしにして私腹を肥やしていただろうが、そうではない。 そうなると帳簿が必要になってくる。
本領に提出した書類と同じ数字を書き誤魔化した帳簿と反対に、現にあった金の流れを書いた裏帳簿があるはず。
それとも文官所長は何も知らないで、単に “ヤツ” に任せているだけの可能性も捨てきれない。 “ヤツ” と言ったのは、この六都に暮らしていて口が悪くなっただけかもしれない。

「まぁ、あの顔からは殆どそんなことは無いだろうがな」

小さな光石を手に持ち、まずは帳簿が並ぶ棚にかざした。



この数日シキからの痛い視線を受けながら夕餉を終え、ことりと湯呑を置いた。

「どういうことで御座いましょうか?」

「あ、や、・・・ですから、なにも案じず、ややのことだけを案じて欲しいと杠が・・・」

杠が宮を出たと聞いた数日後。 これ以上は誤魔化せないと、波葉がシキに現状を話した。

「それはマツリが東の領土に行けないということでしょうか?」

マツリが大きなことで動き出すと言った。

「・・・そうなるやもしれません」

いや、完全にそうだと杠から聞いている。
シキが大きなため息をついた。

「紫のことをどうするつもりなのかしら・・・」

東の領土で泣いていた紫揺。 その紫揺を抱きしめた。 その後、紫揺が倒れたと聞き、この本領にマツリが連れて来たと聞いてすぐに宮に戻った。
なかなか会えない紫揺にようやっと会えたと思ったら紫揺が泣いていた。 その後、マツリが添うて紫の力の事を教え、紫揺がそれを知ったとは聞いたが、あまりに事の展開が早く大きい。 紫揺はついていけているのだろうか。
心配はどんどん募るだけ。 その中で杠も宮を出たと聞いた。 宮内でマツリと紫揺の間のことで意見できるのは杠だけ。 その杠が宮から居なくなったのはイタイ。

「ロセイと飛びましょうか・・・」

「それだけはおやめ下さい!!」

邸に入れてもらえていた波葉が声をひっくり返して叫んだ。



夜の月明かりが木々に話しかけるように、そしてそれに応えるように木々が葉を揺らす。 その中に独唱と塔弥の姿が光石に浮かんでいる。

「お加減はいかがでしょうか」

神妙な声で塔弥が言った。
独唱が首を横に振る。

とうとう唱和が臥せってしまった。 今、横たわる唱和の横には此之葉がついている。

「紫さまには感謝をしておられた」

「独唱様、お顔のお色が宜しくありません。 ご無理をされておられるのでは?」

訳も分からず、生死さえも分からず何十年と引き裂かれていた姉妹。 ひと時も離れたくはないのだろうが、年老いている独唱が唱和に付いていれば疲れもあるだろう。

「姉上のお傍におられることに無理などないわ」

それより、と声をひそめて言う。

「此之葉には ”古の力を持つ者” としてのことは、わしの知る限り全て教えたつもりだ」

何を言い出すのかと塔弥が眉をひそめる。

「だが、わしも知らん事がある」

それは何だろうかと、塔弥が静かにそして小さく頷く。

「紫さまのことは・・・五色様のことはわしも先代から教えてもらっておらん」

そんな時間など無かった。
先代はただただ、居なくなってしまった先の紫を探すことだけを教えていた。 その中に “古の力を持つ者” の手法が入っていた。 まだ小さな独唱であった、単に紫を探すだけの手法だけを教えたとてそれは単なる付焼刃にしかならない。 真に “古の力を持つ者” の手法、心の在り方を教えなくてはならなかった。
先代には時が限られていた。 老いていたこともあるが身体を悪くしていた。 “古の力を持つ者” として紫と共に居る為に紫のことを教える時はなかった。

「それにそれだけではない、今代紫さまは」

「どういう事でしょうか?」

「今代の紫さまは彼の地に居られた」

彼の地・・・それは日本。

「帰って来て下さった今代紫さまの道先案内をしなければならんのはわし。 だがそれが出来ん・・・」

独唱の言いたいことが分かった。
日本で育った紫揺は余りにもこの地の育ちと違っていた。

「わしは彼の地のことを何も知らん、東の領土の中で年老いた。 だから此之葉に任せた、僅かでも此之葉は彼の地を踏んだのだからな。 だがその此之葉も戸惑っておる」

たしかに独唱が紫揺を探すために座り続けたのは日本の地である。 だがそこは洞。 日本のことなど爪の先ほども見ていない。
塔弥が静かに頷く。

「塔弥から見て此之葉はこの先もやっていけそうか?」

「・・・此之葉は頑張っております」

紫揺と同じような年ごろの此之葉。 ”古の力を持つ者” としての才はあるが、対紫としての経験は浅い、紫揺が来てからだけである。
浅くとも五色がこの地に育っていれば何ということは無いはずだった。 だが紫の力を持つ紫揺はこの地で育っていない。
はっきり言って・・・ハチャメチャだ。 日本を見る目を眇めたくなるくらいに。

「そうか・・・」


二日後、唱和が東の領土の地から去った。 八十三年生きていて、生まれた東の領土で暮らしたのは十年にも満たなかった。 記憶に蓋をされ、北の領土の者として生きた年数の方が比べ物にならないくらい長かった。

唱和が葬送されるまではずっと独唱がついていた。
唱和の野辺送りは静かに行われた。

独唱のことを知っている民はたんと居るが、唱和を知る者はほんの一握り。 それでも領主から「“古の力を持つ者” 唱和の葬送」と言われれば、民は誰もが頭を下げた。
唱和は歴代 ”古の力を持つ者” の墓に順じて、先代 ”古の力を持つ者” の墓の横に埋葬された。

此之葉が塔弥の分も泣き崩れ、その塔弥が涙をのみ、一筋の耀く糸を失くした独唱が毅然としていた。

幼き頃に分かれた姉。 その姉と邂逅できた。 希望を捨てたわけではなかったが、思いもしなかった事だった。
その邂逅は紫揺が発端であった。
まるで雨上がりのあとの蜘蛛の糸に雨粒が輝いたような出来事だった。

「姉上・・・」

やっと人知れず独唱が涙したのは、それから半年ほどが経った頃だった。

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