大福 りす の 隠れ家

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辰刻の雫 ~蒼い月~  第61回

2022年05月09日 22時24分09秒 | 小説
『辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~』 目次


『辰刻の雫 ~蒼い月~』 第1回から第60回までの目次は以下の 『辰刻の雫 ~蒼い月~』リンクページ からお願いいたします。


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辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~  第61回



遠くからマツリと杠の様子を見ていた。 四方が何を言ったのかは知っていた。

「ああ、やはりこちらに居られましたか。 朱禅殿」

朱禅が振り向く。

「御文で御座います」

「ああ、有難うございます」



眼下で馬が三頭走っている。
後ろを走る瑞樹が紫揺の馬に横付けをした。

「如何なさいましたか? ご気分が優れられない様でしたら一旦止まりましょうか?」

「いいえ、大丈夫です。 何でもありませんから」

前を走る百藻は蹄の音で瑞樹が紫揺の横に付いたのには気付いていたが、会話は聞こえてはいなかった。
紫揺の後姿を見ていた瑞樹。 今までは背筋を伸ばし、真っ直ぐに前を見ていた姿勢が今日は背を丸くし下を向いている。
瑞樹が一度後ろを振り向く。 後方に何もないことを確認する。 そしてそのまま百藻の横に付けた。

「いつ紫さまが馬から落ちられるか分かりません。 紫さまは何でもないと仰っていますが」

「前後を変わる」

百藻が斜め横に走ると馬のスピードを緩め紫揺の後方についた。 瑞樹がそのまま紫揺の前を走る。
たしかに、瑞樹の言うように紫揺の身体が初めて馬に乗る者のように揺れている。
馬から落ちられては見張番としての責務を問われる。
百藻が紫揺の馬の横に己の乗っている馬をつける。

「紫さま、一度馬をお止め下さいませんでしょうか?」

「え? どうして?」

「馬の様子がおかしいので」

「え?」

気付かなかった、と思う紫揺だが、馬の様子がおかしいのではなく紫揺のお様子がおかしいのだ。

瑞樹の話からすると紫揺の様子がおかしいが、紫揺は何でもないと言っていたということだ。 そうならば単に馬を止めるようにと言っても止めないだろう。 だから紫揺の矜持に触れないよう馬の様子がおかしいと言った。
この辺りに稀蘭蘭(きらら)が惚れたのかもしれない。

紫揺が手綱を引いて馬を止める。
後ろの様子を気にしていた瑞樹が方向を変え紫揺の元に馬を走らせる。

「如何いたしましょう」

「降りてくれ」

「御意」

キョウゲンが滑空するとマツリが跳び降りた。

「どうした」

縦に回ったキョウゲンがマツリの肩に乗る。

「マツリ様、申し訳御座いません。 蹄に土がこびりついたようで」

既に馬から降りている百藻が言うと続けて、おい、と言って瑞樹に目を送る。 瑞樹が馬を降ると腰に付けていた道具を出して既に下馬していた紫揺の馬の足を上げさせ蹄の中の土をかく。

瑞樹は百藻が言わんとしていることは分かっていた。 だから土をかくのは真似程度のことである。
馬の手入れはきちんとしている。 宮を出る前にも蹄の中の土はかいている。 この程度走ったくらいで蹄の中の土がどうのこうのということは無い。
馬のせいにして紫揺を止めた、そういうことだ、と。
四肢の蹄の中をかく間に落馬をすることの無いように百藻が話をするだろう。 そう思いながら馬の足を上げさせ蹄の中をかいている。

自分の乗っていた馬の首を撫でている紫揺。
馬に心を寄せる。 馬はなんの訴えもしていない。 紫揺が馬の首に抱きついた。
蹄の裏をかいていた瑞樹が「あ・・・」っと声を上げ、馬の足を下した。
マツリと百藻が紫揺を見る。

「ごめん」

瑞樹が百藻を見たがマツリと共に紫揺を見ているだけだ。

「ごめんね、要らない迷惑かけたね。 重かったよね。 今度はちゃんと乗る」

首を羽交い絞めにされた馬がじっと紫揺の声に耳を傾けている。

「紫さま・・・?」

瑞樹が紫揺に声を掛ける。

「すみません。 いい加減に乗っていました。 ちゃんと乗ります」

愛馬のお転婆ならとうに不服三昧であっただろう。
まだ四肢全部の蹄の土をかいていないのに紫揺が馬に乗った。

「お願います」

百藻がマツリを見る。

「お元気になられたようで」

「そのようだな」

・・・そのようだな。 全く以ってそのようだな。
だがここで疑問を持ってはいけないのだろうか。
以前、紫揺はキョウゲンが昼日中を飛ぶことに暗色を見せていた。 暗色では治まらない事も言っていた。
今はその昼日中。 なのにキョウゲンに労わりの言葉がない。

大きくなったキョウゲンに跳び乗ったマツリ。

「時を無駄にした。 悪いな」

夜行性のキョウゲンが、この昼日中に飛んでいるのだから。

「ご心配なきよう」

眼下の三頭が再び走り出した。

後ろを走る瑞樹が納得するように頷く。 紫揺が今まで通り馬に揺られることなく、背筋を伸ばし馬の揺れに身体を合わせている。
ただいつもの覇気は感じられない。

何もない土地を走り続け岩山を上る。 ここでは馬を歩かせるが、馬の足元に注意しなければ拳ほどの大きさの石がどこに落ちているか分からない。
落ちていれば前を歩く百藻が注意を促すだろうが、後ろを歩いている瑞樹にしてみれば先ほどのことがある。 今はしっかりと馬に乗ってはいるが気が気ではない。

上空を旋回するキョウゲンの背から岩山を見ると怪しい影など見えない。 キョウゲンが見張番の居るところに滑空をしマツリが跳び降りた。

キョウゲンを見ていた見張番が既に剛度を呼んでいる。

「今朝がたはご迷惑をお掛けしました」

剛度は見張番の長である。 部下が地下の者と繋がっていたということも勿論だが、武官から逃げマツリに多大な迷惑をかけた。

「気にするな。 皆は知っておるのか?」

「ここに居る者には言いました。 来るはずの者が来ないんですから。 それにすぐに分かることですんで」

「そうか。 人数の調整が必要だな」

四人が捕らわれた。 もともと新しく入った二人は必要ではなかったが、もう二人は以前から居た者だ。 二人の補充が必要だろう。
剛度が顎に手をやり髭をかくように指を動かす。

「今のところはいいです。 この人数でやっていきます」

元々は十六人いた見張番が十八人になったのだ。 それから四人抜け、今日から十四人になっている。 その十四人が朝と昼からの二交代制に分かれる。 ということは、朝と昼で見張番が立つのは七人ということになる。

「だが西の五色が来ては人数が足らんだろう」

西と北の五色は五人。 北の五色は馬に乗れるが西の五色は馬に乗れない。 今回の紫揺のように五色だけで来るということは本来有り得ない。 五色につく “古の力を持つ者” と領主が必ず一緒だ。
西の五色が本領に来ることがあれば、五色と “古の力を持つ者” と共に馬に乗る見張番六人と前後に付く者二人、合わせて八人が必要になってくる。
それに此処を留守には出来ない。 残る者も必要だ。 今まで十六人体制の時には剛度が上手くやりくりをしてきたが、十四人ではどうにもいかないだろう。

「もともと領土からは、滅多に誰も来ません。 西も北もそうです。 それに座生(ざおう)と金治(きんじ)が、息子の不始末を補いたいからって、いつでも手を貸すって言ってきてますんで。 ただ働きで」

最後の言葉を言いながらニヤリと笑っている。
座生と金治というのは、技座(ぎざ)と高弦(こうげん)の父親であり、元見張番でもあり、年下である剛度の部下でもあった。

「そうか、だが必要な時はいつでも言ってくれ」

「有難うございます」

「百藻と瑞樹には何も言っておらん」

見張番の大捕り物があった時には百藻と瑞樹は地下の入り口で紫揺と杠の乗っていた馬の番をしていた。 ついでにそのまま武官に使われ、何十頭もの馬の番までさせられていて知る由もなかった。

「分かりました。 おっ、来られたようです」

マツリが首をまわすと百藻が岩山から姿を現した。 続いて紫揺が姿を現す。 落馬も何もなかったようだ。

「苦労であった」

そう言うと百藻に腕を伸ばす。 百藻が下馬し袈裟懸けにしていた袋をマツリに渡す。

「借りていたものだ。 急なことで悪かったな」

袋を剛度に渡すと剛度が袋の重みに気付いた。

「ほんの礼だ」

袋の中には紫揺が来ていた服と履き物。 そして金貨が入っている。

「有難うございます。 頂きます」

この袋だけでも民が持てるような生地では無いのに。 女房が喜ぶだろうとホクホク顔で受け取る。
普通なら台が用意されるところをそれを必要としない紫揺が下馬をした。 待機していた見張番が手綱を受け取る。

杠はまた逢えると言っていたが紫揺に気を使っただけだろう。 この岩山に来ることはもう無いだろう。
会うことはもうないだろうと、本領に来ては付いてくれた百藻と瑞樹によくよく礼を言うと、マツリと話している剛度のところに来た。
突然にお願いした事を再び詫びポケットに手を入れる。
このポケットは東の領土で付けてもらっていたものだ。 中の物が落ちないように、ボタンの注文まで付けてあった。

「すごく役に立ちました。 有難うございました」

光石を剛度に渡した。

紫揺が光石を持っていることを不思議に思っていたマツリだったが、それを問うタイミングを逃していた。 だがいま紫揺が言ったことで剛度が持たせたのか、と得心した。

「役に立ったんでしたら光石も喜んでいますでしょう」

ガハハっと豪快に笑うと懐に入れた。

「女房にもよくよく礼を言っておいてくれ」

剛度が袋を持ち上げ軽く顎を引く。

「行くぞ」

紫揺がハッとしてマツリを見た。 既に後ろを向き歩き出している。
杠なら優しい笑みで紫揺が動くのを待ってくれていたはずだ。

―――だけど。

杠とマツリは違う。 別の人間なんだ。 誰しもに杠のようにして欲しいと願うのは自分勝手なことだ。
走ることなく歩き出した。 距離は空いたまま詰めることはしなかった。
見張番たちの居た広いところを抜け、左手を岩山に添わせて下を向いて歩く。 右手は崖である。

ドン。

何かにあたって、二、三歩後ずさる。 右は崖だ。 左腕が引かれた。

「ぼぉっと歩いておるからそうなる」

マツリに当たったようだった。
紫揺の左手の手首を見る。

「もう治ったようだな」

マツリが湯殿で掴んだ左手首にはもう跡形もなく握った後は消えている。

「腕は」

見ると気分が悪くなるから見てはいなかった。 あの喜作の指形など。

「これに着替える時に世話歌さんが布を巻きなおしてくれてたから、まだじゃないかな」

包帯である晒し布の下には薬草で作られたシップのような物が貼られている。

「そうか」

手を離すと方向を変え歩き出した。
無言で岩山を上ると洞の前に出た。

「もうここでいいよ。 あとは洞窟の中だし山を下りる道も覚えてる」

「そういうわけにはいかん」

背中にかかる声に一瞬足を止めたマツリだったが再び歩き出す。
マツリが洞の中に歩いて行くとキョウゲンがマツリの肩から飛び立った。

紫揺からしてみれば別に気にするほどのことではないのだが、二人で居て無言の時というのはあまり歓迎したくない。 それに今は一人でいたいというのもある。
長い溜息をついてマツリのあとに続いた。

洞の中に入ったマツリは紫揺が来るのを待っていた。

「見張番が立ってくれているから、洞の中に何かがということはまず無いが、万が一のことがある。 離れるな」

いくら見張番が立っていてもシステムさえ知っていれば見張番の居ない夜には、大きめな光石を持っていると入り込むことが出来る。 そういうことの無いように、光石は簡単に流通させていないのだが、各領土から入ることは出来る。

西南北の領土が洞をどんな風に管理しているのかは知らないが、東の領土では洞には何もしていない。 システムさえ知っていれば入り込むことが出来るし、偶然に入り込むこともあるかもしれない。
ここで万が一があれば、マツリが責任を負わなくてはならなくなるのだろう。

紫揺にしてみれば捕まるなんてヘマをする気はないが、急に後ろから殴られれば逃げるも何もあったものではない。

「分かった」

マツリの後ろをとぼとぼ歩く。
少し歩くと眉間を寄せたマツリが後ろを振り返る。

「真後ろを歩かれるのは気分のいいものではない。 斜め後ろを歩け」

「なんで」

「お前は地下にいる時に真後ろを取られたらどんな気分になる」

取られたら、何という言い方だとは思ったが、マツリの言いたいことは分かった。 これは習性のようなものなのだろう。

「お前って言うな」

言いながら一歩横にずれる。
マツリが歩き出す。 その横一歩後ろを紫揺が歩く。

「杠はどうして紫と呼ばん」

何故か急なマツリからの質問にナンダ? とは思ったが、間を空けることなく即答する。 間を空けてしまっては負けたような気がするからだ。

「紫揺って呼んでほしいって言ったから」

「・・・ニホン・・・ニホンに帰りたいのか」

マツリにほんの僅かの間があった。 どこか勝ったような気がして気分がいいが、今の質問は帰りたいと言ったらどうするつもりだ。 洞は塞がれたのに。

「帰りたいって言ったら帰してくれるの」

「・・・それは現実的な話ではない」

「だったら聞かなきゃいいのに」

いったい何が言いたいのか。

「帰すとは言っておらん。 帰りたい気持ちがあるのかと訊いておる。 ニホンで呼ばれていた名を呼んでほしいくらいなのだからな。 ・・・それとも杠は特別か」

そういうことか。 それにしても間が多いな。

「杠は特別。 それは当たり前」

杠は特別。 当たり前に。
そう言われて頷く。 マツリも杠のことを気にかけてもいるし認めてもいる。 もしその杠のことを少しでも否定されれば、たとえ相手が紫揺だろうと訊問に近いものをしていただろう。
紫揺が続けて話す。

「だからと言ってそれが理由じゃない。 二十一年・・・十八年も紫揺って呼ばれてきた。 お父さんとお母さんが紫揺ちゃんって、ずっと呼んでくれてた。 友達もそう。 その名前で呼ばれたいと思うのは当たり前じゃない。 やっと紫って名前になれたくらいだもん」

十八年。 それは十八の年ということだろう。 紫揺から聞いた話ではその歳に両親を亡くしているということだったのだから。

「そうか」

訊ねておいて短い返事。 紫揺がマツリの背中を睨む。

「姉上に言われたこと・・・」

「へ?」

「・・・伴侶を探すのか」

「ああ、そのこと。 頑張るしかない。 領主さんが心配する前に目星はつけておこうと思う」

「・・・目星」

「塔弥さんみたいな人がいいかなって思うけどなかなか居ない」

「トウヤ? ああ、姉上が独唱付きと言っておられたか」

「うううん。 もともとは紫付きなんだって。 紫が居なかったから、紫を探している独唱様に付いていただけだって。 だから今は私付き」

「そのトウヤという者が良いのか」

「いいって言うか・・・。 一番気を使わないって言うか。 遠縁にあたるからかなぁ」

「遠縁なら他に探せば居よう」

「面倒臭いな」

「面倒臭い? ・・・杠はどんな風に言ったのか」

呆れるように言う。

「杠は悪くない。 杠にはちゃんと言われてる。 それも分かってる。 ただ・・・」

しばらくの沈黙が流れる。

「ただ、なんだ」

「・・・杠の言うような人が現れる気がしない。 いつかは現れるかもしれないけど。 でも・・・」

何を言いにくくしているのか、とマツリが思うが紫揺自身が分からないのだ。 当の本人が分からないのだから聞いているマツリに分かるはずはない。

「でも、なんだ」

「・・・領主さんを安心させてあげたい、が・・・一番かな」

マツリが足を止めた。

「どういうことだ」

どうしてこの話にそんなに食い付くのだろうか、と思いながらも日本との違いを口にする。

「・・・日本では二十三歳・・・二十三の歳で結・・・婚姻してなくても何も言われないけど、こっちって若くして結婚するらしいね。 南の五色が言ってた。 南の五色にはもう子供もいるみたいだし」

年齢を気にしているのかと、紫揺の言いたいことは分かった。 だからと言って。

「お前は、領主を安心させるために、伴侶を得るというのか」

「今度お前って言ったら、絶対アンタって言う」

マツリが溜息を吐く。

「婚姻を何と考えておる」

「結婚し・・・婚姻の儀を挙げるんでしょ? で、一緒に暮らす」

次の言葉を待つマツリ。 だが紫揺が何も言わない。

「それから」

「え? それからって。 ・・・子供が生まれて教育する。 その子が五色ならそれでいいし」

領土にはその他に何かあるのだろうか。

「子が生まれて・・・。 伴侶のことはどうなっておる」

「えっと・・・仲良くしてる。 もし喧嘩しても子供には喧嘩をする所を見せない、とか?」

何を訊きたいのだろう。 領土の婚姻たるもののイロハでも教えてくれるのだろうか。

「領主を安心させるために選んだ伴侶と仲良く居られるのか」

「それはそれなりに選ぶ。 そこまで馬鹿じゃないし。 ちゃんと手を繋がれても嫌じゃない人を選ぶ」

どんなに強くても喜作のようなやつは選ばない。

「手を繋がれても?」

何のことかと足が止まる。

「あ・・・。 チューは、しなきゃいけないか・・・」

マツリの足が止まったことは分かっている。  紫揺も足を止め顔を歪めた。顔を歪めた。

「ちゅー?」

僅かにだが肩越しにマツリが紫揺の方を見ると、紫揺がそれに気付いて目を逸らすように視線を落とす。

チューが通じないか。 だからと言ってどう説明しろという。 説明の難しさを感じるし同時に恥ずかしい説明ではないか。

「えっと・・・。 口と口がくっ付く」

下を向いて言うしかない。

「接吻か」

どこかで聞いたことがある。 ここではチューではなく接吻というのかと、頭の中にメモった。

「・・・でなきゃ、子供が生まれないもんね」

マツリに聞かせる為ではなく、ポソリと言った。

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