大福 りす の 隠れ家

小説を書いたり 気になったことなど を書いています。
お暇な時にお寄りください。

辰刻の雫 ~蒼い月~  第88回

2022年08月12日 21時10分09秒 | 小説
『辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~』 目次


『辰刻の雫 ~蒼い月~』 第1回から第80回までの目次は以下の 『辰刻の雫 ~蒼い月~』リンクページ からお願いいたします。


     『辰刻の雫 ~蒼い月~』 リンクページ




                                  




辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~  第88回



「それで? それで、葉月ちゃんは何て言ったの?」

ふふ、っと笑って紫揺から目を離して前を見た。

「塔弥ったら、此之葉ちゃんと私の幸せが紫さまの幸せに繋がるって言うの。 紫さまのお幸せの中に私の幸せがあるって。 これってプロポーズじゃなくて脅しに近いでしょ? ルール違反もいいところ恐喝よ」

「まさか・・・まさかそんな返事をしたんじゃ・・・」

顔から血の気が引いていく。 もしそんな返事をされていれば、塔弥はどれほど傷ついただろうか。 塔弥を煽ったのは紫揺自身だ。 謝って済むものではないほどに傷ついているかもしれない。

「もちろん、そう言ってやりました」

目眩がする。 このまま後ろに倒れてもいいだろうか。 ああ、でも薬膳は嫌だ。

「塔弥さん、傷ついてた?」

敢えて訊こう。 一縷の望みを持って。

「笑ってました」

は?

「恐喝や脅しに屈する葉月じゃないだろう、って」

あの塔弥が? そんなことを? 阿秀と同じく朴念仁だと思っていた塔弥がそんな言い回しを? 言い方によっては、聞き方によってはキザったらしい台詞ではないか。 最後にbaby? と付いても可笑しくないではないか。

「だから売られた喧嘩は買うって言いました」

「え・・・あ? え?」

喧嘩?
プロポーズを受けたということなのか? YESと言ったということなのだろうか? それともそのキザったらしい言い方の喧嘩に乗ったということなのか?

「でね、その塔弥から聞いたんだけど、塔弥が私に言うのと交換に紫さまも塔弥に何かを言うって」

何か。 塔弥からは紫揺の憂いのことだとは聞いていたが、それは伏せておいた方がいいだろうと思い、何かと言った。

「ちょ、ちょっと待って。 あの、その、結局、葉月ちゃんは塔弥さんのプロポーズを受けたの?」

「あれ? 言い方がまずかったですか? はい。 受けました」

あの朴念仁が冗談のきかない塔弥が、さっきの葉月の返事を正しく受け取ったのだろうか。 紫揺の心配をよそに葉月が続ける。

「此之葉ちゃんの結婚を見てからだといつになるか分からないから、今は先のことなんか分かりませんが」

塔弥は此之葉と阿秀のことを葉月に言っていないようだ。 下手にここで紫揺が言ってしまうと、どうして言ってくれなかったのかと、塔弥が葉月に迫られるかもしれない。 此之葉と阿秀のことは言っていない事にしておくのがいいだろう。

「ってことで、塔弥から言われた私からの報告は終わり。 で、塔弥を呼んもいいですか?」

「あ、うん・・・」

約束をしてしまったからといって簡単に話したくない。 でも訊きたいことはある。

「あんまり乗り切じゃなかったら明日にでもしてもらいましょうか? そろそろ戸の向こうで待ってると思いますから私から言いましょうか?」

「え? 居るの?」

「紫さまをお待たせすることは出来ませんから」

逡巡にいくらか要した。 だが明日に伸ばそうが明後日に伸ばそうが、何が変わるわけではない。

黙って紫揺を見ていた葉月。 憂いは簡単に人に言えるような事ではないようだ。
我が姉、此之葉には悪いが、紫揺と塔弥は見えない糸で繋がっているような気がしている。
紫揺が落ち着いた時に塔弥の両親と弟、親戚筋には会わせている。 紫揺の祖父であり四代前の塔弥は当時まだ独身だったため、直系に繋がる血縁関係はいないが、それでも紫揺には親戚がいる、天涯孤独でないことを知ってもらっている。

紫揺は日本では親戚というものがいなかったから、いや、正確には付き合いがなかったからと喜んではいたが、やはりどこか塔弥との接し方と違っていた。

紫揺と塔弥の関係は、紫揺が一方的に塔弥のことを血縁、遠い親戚と思っているだけではなく、塔弥も紫揺のことを思っているはず。 塔弥がずっと気にしていた曾祖伯父の存在があったのだから。 忘れ去られようとしていたその存在が、何処に行ったか分からなかった存在が紫揺の祖父だったのだから。

本来なら紫である紫揺には、此之葉が繋がっていなくてはいけないのに・・・。 それだけに塔弥の存在は大きい。

(塔弥、責任重大だからね)

逡巡している紫揺を見ながら心の中で思う。

「・・・入ってもらって」

以前阿秀は女が誰も居ない部屋でたとえお付きといえど、紫揺と男が二人っきりになることは許されないと言っていたが、誰の目からも塔弥だけは許されていた。 もちろん阿秀からも。

戸の外に座していた塔弥と入れ替わるように、戸から離れた廊下に葉月が座する。 戸の近くに居ると中の会話が聞こえるからだ。 紫揺に対しての話し方は此之葉にお叱りを受けるが、こういうところはちゃんと心得ている。

「葉月ちゃんに言ったんだってね」

口が綻びそうになったのを抑えた塔弥が頷く。

「で? 返事はどうだったの?」

塔弥は間違いなく葉月の返事を受け取っているのだろうか。

「売られた喧嘩は買うと言われました」

いや・・・だからそれは分かってる。 それをどう理解したかを聞きたいから訊いてるのに。

「それは葉月ちゃんから聞いた。 塔弥さんはどう理解したの?」

「え? 言葉そのままでしょう?」

理解していないのか?

「悪いけどYesかNoかで答えてくれる?」

「いえすかのぅ?」

・・・塔弥には英語が通じなかったのだった。 それどころか日本のあれこれも通じないのだった。 お付きもそうだが、葉月とは言葉選びをすることなく会話が出来ていたから、つい気が緩んでしまっていた。

「あ、えっと。 葉月ちゃんの返事をどう受け取ったの? 簡潔に教えて。 葉月ちゃんは塔弥さんの気持ちを受け取ったの?」

紫揺の言葉を聞いて塔弥が耳まで赤くした。
Noであれは、蒼白になるだろう。 紫揺が期待を込める。

「葉月は此之葉と違って自由奔放な元気な女人です。 葉月らしい返事だと思っています。 葉月が受けてくれたと思っています」

分かってたんだ。 あの返事で。 この朴念仁が。 だが思っていますと言うのは少々不安が残る。 念を押そう。

「うん。 葉月ちゃんが受けたって言ってた」

「知っておられたのに・・・」

どうして己に訊いたのか、そう言いたかったがその先を口にすることは無かった。 その代わり

「言葉は難しいと思います」

「え?」

「言葉は大事ですけれど、思っただけでは通じないことを言葉が伝えてくれます。 その言葉をどう理解するかによって、変わることもありますが」

一つ息を吐いて続ける。

「葉月の返事をどう理解するか。 色んな捕らえ方があります。 ですが己は諾と受け取りました。 それは葉月を見て、葉月の目を見て、葉月の表情や声音を見て聞いて分かりました」

目を見て表情を見て声を聞いてその真意が分かる、塔弥はそう言っている。
日本に暮らしていて、目や表情を見て何かが分かるようなことがあっただろうか。

『だからぁー、シユって天然過ぎにも程がある。 タイミングとか空気感とかってあるじゃん。 どうしてあのタイミングであんなこと言うのかなぁ』

あれから何日後だっただろう。 そんな風に言われた。
あのタイミング。 あの時はお昼のお弁当を食べ損ねていた。 どうして食べ損ねたのかは覚えていないが、六限目の授業が終わってすぐに “あのタイミング” と言われたことがあった。

空手部の咲綾(さあや)と佳乃(よしの)の喧嘩が勃発したのだった。 最初は口だけの言い合いだったが、咲綾が佳乃の鞄をはじき勢いよく机から落としたのだった。

これは事が大きくなると思ったクラスメイトたちが二人を止めようとし、近くの席に座っていた紫揺が巻き込まれないように “天然過ぎにも程がある” と言ったバスケ部が避難させた。

あの時、別にお腹が減っていたわけではなかった。 だがこれから担任がやってきてショートホームルームが始まればその後すぐに部活だ。 何かを腹に入れておきたかったし、せっかく母親が作ってくれたお弁当に手を付けず持って帰るのも嫌だった。

だから席に戻って鞄の中から弁当を出した。 咲綾と佳乃の言い合いが止まり周りにいたみんなの動きも止まった。

“お弁当食べる“ そう言った。

『いくらお腹が空いてても、あんな場面で言う? まぁ、そのお蔭で二人の喧嘩が治まったには違いないけど。 でも空手部同士だよ? あの二人、本気全開モードの目をしてたじゃない。 シユみたいな小っちゃい体が下手して巻き込まれでもしてたらどうなってたと思うの。 完全、病院送りだったよ』

“本気全開モードの目” そう言ってた。 そう言われればあの時目なんて見ていなかった。

でも悲しい目は人一倍分かっているつもりだ。 だからリツソに人を慮(おもんばか)ることを知ってと言ったのだから。

だがいま塔弥が言ったのは葉月が嬉しい目をしていたのだろうか。 そんな動作を見せたのだろうか。
特に恋愛に関して経験はないが、そんな謎かけのような返事をされては「意味分らない、ハッキリ言って」 と自分なら言うだろう。 それなのにこの朴念仁は言わなかった。 それどころか確認をすることなく、葉月の返事を正しく受け取っていた。

―――どうして。

「紫さま?」

顔を下げてしまっていた紫揺。

どうしてもっとハッキリと言って欲しいと訊き返さなかったのだろう。 どうして目で声で判断できたんだろう。 思い上がりと思わなかったのだろうか。

「紫さま?」

訊き返すどころかハッキリと言われた。 それに首筋に・・・。 それが許せない。 一方的で・・・

「こっちがどう考えているか訊きもしない!」

急に紫揺が顔を上げ叫んだ。

「あ? え?」

「意味が分からない! なに? 自分の言いたいことだけ言えばそれでいいって言うの!? こっちがどう考えるか関係ないって言うの!? 自分勝手もいいとこ!!」

廊下に座していた葉月が驚いて顔を上げた。
紫揺の目の前で塔弥の顔が固まった。

この雑言、きっとマツリに対してだろう。 己の言葉の何が切っ掛けになったのかは分からないが、腹に据えかねて爆発したのだろう。
どれだけでも吐いて治まってもらえればそれでいい。 それで少しでもスッキリとするならば。 吐くだけ吐いてもらおう。
が、紫揺の声が止まった。 勢いを持って上げていた顔がまた下を向いた。

「紫さま?」

「ごめんなさい急に・・・」

「いえ。 お怒りがあるのでしたらいくらでも仰ってください。 口に出してスッキリすることも必要です。 紫さまは我慢をし過ぎです」

日本に戻れないことがどれほど紫揺の心にのしかかっているだろう。 それにこの憂いのことも。

「我慢?」

塔弥を見る。

「あ、誤解なく。 心の中での我慢です」

肉体的にはもっと我慢をして欲しいが、今この状況でここまで言ってはいけないだろう。

「我慢なんてしてないから」

再度下を向いてしまった。

「そうですか」

そう言うのなら認めよう、口だけは。

「あの、訊きたいことがあります」

「なんなりと」

「・・・」

紫揺の口が止まった。 いくらでも待つ。 紫揺の話したい時が来るまで。
誰かが家を出たのだろうか、それとも入って来たのだろうか。 玄関の戸が開いた音が聞こえる。 閉める音が聞こえない。

「・・・結納って分かります?」

勢いよく顔を上げた。

「は? ゆいのう?」

聞いたこともない言葉。 どうしてマツリとの諍いに、聞いたこともない言葉が出てくるのか。 東の領土といっても本領と言葉の違いはないはず。 もしかして日本の言葉なのだろうか。
その言葉は何なのか。 その言葉が紫揺の憂いの根源なのだろうか。

「・・・申し訳ありません、分かりかねます」

高校時代、歳の離れた友達の姉が嫁ぐことになった。 そこで結納が執り行われたと聞いた。
当時はお金の無駄遣いとしか思えなかったが。

「えっと・・・どう言えばいいのかな。 約束ごと?」

「約束は分かりますが・・・」

「そっか・・・。 だよね。 もっとこの領土のことを分からなくっちゃいけないか」

ということは日本の言葉なのだろう。

「葉月を呼んでも宜しいでしょうか?」

「え?」

「葉月なら紫さまの仰りたいことが分かると思います」

葉月に隠し事をしたいとは思わない。 もちろん此之葉にも。 だがこの事はどうしてか誰にも知られたくない。

紫揺が戸惑いを見せる。

「あ、では己が葉月に訊いて参ります。 紫さまのお言葉に度々部屋を出て葉月に訊いても宜しいでしょうか」

葉月をこの部屋に呼ばないと言っている。 戸惑いを見せた自分への塔弥の配慮。

「うん。 ごめん」

塔弥が部屋を出て行った。
改めて言葉のチョイス、選択、語彙の少なさを痛感する。

「私って呆れるほどに言葉知らずだったんだ・・・」

葉月から説明を受けたのだろう、塔弥が部屋に戻って来た。

「結納なる物は、この領土に御座いません」

「そっか・・・」

「領土は・・・民は心を通わすだけです。 領土には昔あったと言われる金は今は御座いませんし、馬や牛をお相手の家に差し出すこともありません。 この領土は基本、皆で協力し合って生きているので。 共同生活、葉月がそう言っておりました。 好き合った者は心を繋げたいだけで御座います。 親兄弟はそれを是とします」

『必ず “好き合った” って言うのよ、日本ではそう言うんだから』
領土で『好き』 と言うのは子供が使う言葉だったが、葉月にそう念を押されていた。

「そうなんだ・・・誰もみんなを信用してるんだ」

良いことだと思う。 この領土の民にとって。

「それはこの領土でのことだけ?」

「はい?」

「本領には違いがあるとか? 無いとか?」

(・・・やはりマツリ様か。 何を言われたのだろう)

「領土も本領も違いは御座いません。 日本では結納なる物があるらしいですが、各領土も本領もそのような物は御座いません。 本領の宮のことになると、どうなのかは分かりませんが、奥を取るにも奥の物は全て宮が用意すると聞きます。 特別、結納なる物は無いのではないでしょうか」

「そうなんだ・・・」

「紫さま?」

「・・・葉月ちゃんを呼んでもらえる?」

葉月を通訳にと回りくどいことはしたくないが、自分のボキャブラリーがあまりに乏しすぎる。 その上、この領土との語彙の違いに今は少々ストレスを感じてしまっている。 残念だが半分まで言えばすべてを分かってくれる葉月や他のお付きたちと違って、日本を知らない塔弥には通じにくい。

塔弥は日本を知っている葉月に聞かなければ分からないし、紫揺にしてみれば言いたいことを葉月に説明してもらわなければならない。 その度に塔弥が部屋を出て行くことは無駄な時でしかない。

部屋に入ってくるといつもなら紫揺の隣に座る葉月だが、いま自分は言ってみれば通訳的だと心得ている。 紫揺と塔弥との間の話しなのだから、紫揺の真横ではなく斜め後ろに座っている。

「えっと、いいんですか? 塔弥とのお話じゃないんですか?」

何故かその葉月と一緒にガザンが入って来た。 さっき玄関の戸を閉めなかったのはガザンだったのか。 足を拭き部屋に入ろうとしたのを、今まで葉月に止められていたのかもしれない。 そのガザンが紫揺の横に伏せた。 思わずガザンの頭を撫でてやる。

「うん。 そのつもりだったけど・・・。 言葉の壁って言うのを感じて」

ほんの少しの単語の違いだけなのに通じ合えない。

「葉月、悪い。 己は日本のことを知らないから紫さまの仰ることが、言葉が分からない時がある」

さっきの結納のように、と続ける。

ずっと独唱に付いていたのだ。 日本のことを知らなくても当然だ。

「あ、塔弥さんのせいじゃないから」

日本の言葉を知らなければと思ってはいたが、なかなか実践に繋がることはなかった。 それを今更ながらに悔やむが、あの時は食べ物のことに対する単語を葉月やお付きたちに教えてもらっていた。 憶えた単語と言ってもそれは食べ物の単語。 今のことに繋がらない。

頭を下げていた塔弥が紫揺を見る。

「その、結納なる物がなにか?」

「あ、うううん。 そっか。 結納代わりじゃなかったんだ・・・」

「・・・紫さま?」

「あ、うん。 話すって約束したよね」

塔弥が頷く。

紫揺が意を決して言う。

「チュー」

この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 辰刻の雫 ~蒼い月~  第87回 | トップ | 辰刻の雫 ~蒼い月~  第89回 »
最新の画像もっと見る

小説」カテゴリの最新記事