大福 りす の 隠れ家

小説を書いたり 気になったことなど を書いています。
お暇な時にお寄りください。

みち  ~道~  第231回

2015年08月28日 14時34分07秒 | 小説
『みち』 目次



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『みち』 ~道~  第231回



それからはワインを飲みながら オードブルを食べ色んな話をしていたが急に暦が

「ねぇ、ところで そっちの・・・動物とのお話? よく分からないけど進んでるの?」

「あ、そうそう。 どうなの?」

「う・・・ん。 何とも言えない」

「なにそれ?」 文香が言うと

「どう言えばいいのかしら。 何となくは分かるみたいなんだけどお話は出来ないの」 そして加藤玲が連れていた犬から感じた、見えたことを話した。

「へぇー 感情が伝わってくるんだ」 暦が不思議そうに言うと

「うん、でもその先なのよ。 だからどうすればいいのかっていう事。 何をして欲しいのか、どうしてほしいのか。 それが分からないと・・・」

「難しいのねぇ・・・私には皆無の世界だわ」 二人の会話を聞いていた文香が

「いいなぁ、そんな事ができて」

「文香ったらまだそんな事を言ってるの?」

「なに? 文香さんもそんな道に進みたいの?」

「暦、違うのよ。 文香は不思議パワーに憧れてるのよ。 私のしていることは不思議な事じゃないのにね」

「何言ってるのよ! 充分、不思議よ。 ねぇ、暦さんもそう思わない?」

「不思議といえばそうだけど・・・どっちかって言うと 私には難しいっていう感じかしら。 言ってみれば、私にはその力を欲しいと思う時がないって言うの? 必要性を感じないのね。 だから難しいと思うのかなぁ?」

「えー、必要性とかそんな事じゃなくて 全然こういう事に憧れないの?」

「憧れ? 残念ながらないわ。 その人その人に必要な色んな力が備わっているから それだけでいいんじゃないかしら? 
だから私にあるものは琴音にも文香さんにもなくて、琴音にあるものは文香さんにも私になくて、文香さんも独自の物を持ってて、私はそれでいいわ」

「そんな物なのかなぁ? その人その人に必要な色んな力が備わってるって・・・暦さん、大人の言葉ねー」

「文香が子供過ぎるのよ」 冷たくあしらう琴音の言葉に続いて暦が話を戻した。 

「でもその犬、なんなの? 山の中とか引っ付き虫とか」 それを聞いて文香も

「うん。 私もそれは不思議だわ」

「それがね、信じられないわよ」 そう言ってどうして山の中で発見されたか、そしてフードの事を話すと

「えー!」 二人が声を出して驚いた。 

文香が

「今まで飼ってたのにどうしてそんな事ができるのかしら!」 怒りが隠せないようだ。 

それを冷静に聞いていた暦が

「でもそれって そのレスキューの人の想像でしょ? 本当に飼い主がフードの処理に困って一緒に置いて帰ったかどうか分からないんじゃないの? それにそのフードだってそのワンちゃんのものとは限らないんでしょ?」

「そりゃ、そうだけど・・・でも色んなワンちゃんの色んなシーンを見てきた人よ。 判断は付くと思うわ」

「まぁねぇ、私達と比べられないほど 色んな状況の場数も踏んでるんでしょうけど」 

「何においても 山の中に捨てるなんて許せないわよ。 どんな事が待ってるか分からないのに! 今まで可愛がっていてよくそんな事が出来ると思うわ。 信じられない」 文香が割って入る。

「でしょ? それにね」 今度は加藤玲から聞いたもう一つの話、捨てる前に異様なほど食べさせた話だ。

「なにそれ!」 二人が声を合わせて言った。 

そして文香が先に

「心があるのかしら!」 そう言うと暦も

「ちょっとそれは酷いわね。 それだけ可愛いんだったら捨てなきゃいいのに。 誰かに貰ってもらうとか他に方法がなかったのかしら?」

「でしょ? 私もその話を聞いてお腹からイラっとするものを感じたくらいよ」

「自分勝手もいいところじゃない」 また文香が言うと今度は暦が

「琴音が珍しいわね」 唐突に言い出した。

「なに?」

「そんな事でイラってするなんて」

「そんな事って! 暦はこの話を聞いてなんとも無いわけ?」

「そうよ。 暦さんは腹立たしく思わないの?」

「そりゃ、腹立たしいわよ。 でもそういう意味じゃなくて。 こんな話を聞いた時の琴音だったらイラって感じてなかったはずじゃないの?」

「どういうこと?」

「その人間に対して感情を持つんじゃなくて、動物の方に感情が向いてたんじゃない?」

「え?」

「ほら、どっちがって言えばそんな話を聞いたら 動物の方の身体を心配したりしてたんじゃない?」

「あ・・・そう言われればそうよね」

「その時に何かあったの?」

「分からない。 でもそうだったわ。 あの時にお腹の中に感じるイラっとした気持ち・・・初めてだったような気がするわ」

「でしょ? 私も初めて聞いたと思う。 自分の気持ちも分析できないようじゃ 動物が何をして欲しいか分かるまで まだまだ正道さんの元で修行が必要ってことなんじゃない?」 暦、良くぞ言ってくれた。

「わぁ、そうかもね・・・まだまだなのね」 それを聞いていた文香が

「そっかー。 さっき琴音が言ってた意味が分かったような気がするわ」

「え? なに? 私何か言った?」

「暦さんの頭がきれるっていう事」

「え? 今の話で?」

「うん。 今、暦さんに言われてみればそうだもん。 琴音の日頃を知ってるのにその時の話に乗っちゃって、琴音の事を見られていない自分がいたのよね。 
暦さんは話をしながら琴音をちゃんと見ていたのよね。 あー、これだけ知ってる琴音を見られてなくて ちゃんと人を見ていけるのかしら。 これから仕事やっていけるのかしら。 自信がなくなってきたわ」

「何言ってるのよ。 暦をその辺の人間と同じに考える方に無理があるのよ。 何たって暦お婆ちゃんなんだから」 その言葉を聞いて暦が

「え? 今なんて言った?」

「暦お婆ちゃん って言ったの」

「どうして私がお婆ちゃんなのよ」

「何でも知ってて 何でも考えられるから」

「えらく高く買ってくれてるのね。 そんな事ないわよ。 単にうちのお婆さんが物知りで色々聞かされてただけの話よ。 それに暦お婆ちゃんは止めてよ。 聞いただけで顔中に皺が入りそうだわ」 顔の皮膚を思わず伸ばした。

「暦さんヤメテー! その顔、笑えるー」

「自信がなくなってきた人が笑っててどうするのよー。 文香飲みすぎじゃないのー?」 

「だってすごく楽しいんだもの。 私たち前世で絶対に知り合いだったんじゃない?」

「前世?」 暦が聞くと

「そう。 前の人生。 こんな風に一緒に笑ってたんじゃないかしら?」

「文香ったら 何を根拠に言い出すのよ」

「だって楽しくない?」

「ま、まぁ楽しいわよ。 だからってそれはどうだか分からないじゃない?」

「ちょっと考えてみようよ。 記憶が蘇るかもよ」

「記憶の蘇りなんて有り得ないわよ。 でも そうね、強いて言えば 友達って言うより文香が末っ子、暦が長女の三人姉妹とか?」

「どうして私が末っ子なのよ」

「私の長女の理由も聞きたいわね」 

「暦さんは間違いなく長女よ」

「えー! どうしてー」

「暦、考えてみてよ。 文香が長女だったらどうするのよ。 私たち、とんでもなく手がかかる姉を持つ事になるのよ。 末っ子で好き放題遊ばせておいたほうがいいじゃない」

「ちょっとそれどういう事よ。 言っときますけど、今の人生で一番稼いでるのは私よ。 その時代もしっかりと働いてたに違いないわよ」

「あ、そこのところは琴音も私も言い返せないわね」

「そうねぇ・・・それじゃあ 文香がお父さんで暦がお母さん。 私が子供っていうのはどう?」

「えー! 今の時代でもお母さんしてるのに、その時もお母さん? いやだぁー」

「私も。 今も昔も働きづめなんて嫌よ。 それに暦さんは頭が切れるから、私と琴音の学校の先生だったかもよ」

「あ、それもいいわね」

「駄目よー。 私学校のお勉強嫌いだもの。 それに琴音の方が成績よかったじゃない」

「似たようなものじゃない」 琴音と暦の学校時代の話を聞いて文香が

「そういえば 琴音の入社試験の結果よかったものね」

「え? 入社試験の結果って・・・どうしてそんな事を文香が知ってるの?」

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みち  ~道~  第230回

2015年08月26日 00時26分29秒 | 小説
『みち』 目次



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『みち』 ~道~  第230回



「初めまして、暦さん?」

「初めまして。 文香さんね。 お仕事大丈夫だったのかしら? どうぞこっちに座って」

「部下に擦り付けてきたから全然大丈夫」 和室に歩き出した文香を見て

「文香、この袋はどうするの?」

「あ、忘れてた」

「この一瞬に忘れる? ね、暦 文香って天然でしょ?」

「こっちに誘ったのは私だから・・・でも、そうかも」

「琴音ったら、何をいらない事を話してたのかしらね」 そう言って紙袋の横にしゃがむと

「夕飯買って来たんだけど、どう?」 そう言って紙袋から中のものを出し始めた。

「え? 買って来てくれたの? どこかへ食べに行こうかって言ってたんだけど」

「外に行くと声のボリュームも遠慮しなくちゃいけないじゃない。 それならこっちで食べる方が何の遠慮も無くていいじゃない?」 並べられた物を見て

「なにこれ? オードブル?」

「結構頑張っちゃったわよ。 この部屋にはお世話になったんだから、最後の夜くらいは感謝を込めて贅沢にいかなくっちゃね」

「へぇー、コンビニ弁当じゃないんだ」

「特別に作ってもらったんだから美味しいわよ」

「仕事関係の知り合い?」

「そう。 今お話させてもらってる関係の方が経営しているレストランで作ってもらったの」 和室から暦が出てきて覗き込むと

「わぁ、ステキなオードブル。 ファミレスくらいしか行かないから、こんな贅沢したら口が腫れるんじゃないかしら」

「ふふ、有難う。 食べてもらえる?」

「喜んで。 琴音、和室に運ぼう」 紙袋から次々と出される 料理を和室に運んだ。

和室に全部並べると暦がそれを見て

「わぁ、それにしてもすごいわ。 すごいお洒落。 私の田舎弁当とエライ違いだわ」 それを聞いた琴音が

「暦のは暦のよ。 お袋の味よ。 でも本当ね、すごくお洒落」 最後にキッチンから歩いてきた文香が

「でしょ? 張り切って作ってくださったのよ。 牛と豚のお肉は入れないでって言っておいたから大丈夫よ。 それとこれ」 両手にはワイ
ンを持っている。

「ワイン付きなの?」

「いや~ん。 お洒落ー。 主婦には遠い話じゃないー」 

「ちゃんとオープナーも持ってきたからね」 

「へぇー、文香にしては気が利いてるじゃない」

「何言ってんのよ、当たり前じゃない。 さ、座ろう」 それぞれが座ると

「せっかくのワインとオードブルなのに地べたって、ちょっと雰囲気壊しちゃうわね。 ゴメンね」 

「気にしない、気にしない。 楽しく飲んで食べられたらそれでいいじゃない」 そう言ってワインを開け いざ注ごうとした時

「あ! グラスがない! うっかりしてたわ! どうしよう」 それを聞いた琴音と暦が大笑いをした。 

そして暦が袋から紙コップを出してきて

「こんなので雰囲気ぶち壊しだけど これで飲まない?」

「あ、充分、充分。 飲めればいいよね」

「ね、暦 もうこれで充分、文香の天然が分かったでしょ?」

「何よー。 失敗くらいあるわよ。 人間なんだから」 紙コップにワインを注ぎながら文香が言うと

「悪い意味で言ったんじゃないんだって。 二人が気楽に話してもらえたらそれでいいの。 ほら、バリバリ働くキャリアウーマンだと思ってたら 暦もどこかで線を引くかもしれないじゃない。 ね、暦。 こっちの文香を知っている方が気楽でしょ?」

「うん、そうね」 その暦の返事に安心して言葉を続けた。

「あ、文香は暦と話す時は緊張しなさいよ」

「やだ、それってどういう意味よ。 私が意地悪な主婦とでも言いたいわけ?」

「違う、違う。 主婦だと思って甘く見てると、とんでもなく切れる人だって事」

「え? 暦さんってオコリンボさん?」

「バカね、違うわよ。 ね、暦。 やってられないくらいでしょ?」

「そうね、私の周りには居ないわね。 新鮮でいいかも」 また二人で笑い出すと

「ちょっと何なのよ、琴音がキレるって言うからじゃない」

「切れるの意味が違うわよ。 頭の回転がいいって事よ」

「あ、そうなの? 暦さんって頭の回転がいいの?」

「そんな事ないわ。 琴音ったら何を言い出すのよ」

「ま、話していると分かってくるわ」 全員のワイン入り紙コップががその手に渡った。 文香が持っていたワインボトルを横に置き

「それじゃあ、乾杯しようか」 文香がそう言うと琴音が

「何に?」 

「決まってるじゃない。 琴音のこれからによ」 それを聞いた暦が

「今日の出会いにも乾杯しない?」

「あ、いいわね。 それじゃあ」 文香が音頭を取るようだ。

「琴音のこれからの成功を願って! そして 今日のこの日の出会いに乾杯!」

「乾杯!」 三人で紙コップを合わせると何とも言えない気の抜けた音がなる。 

「ここでグラスを合わせる音が聞きたかったわー」 琴音が言う。

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みち  ~道~  第229回

2015年08月21日 14時30分19秒 | 小説
『みち』 目次



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『みち』 ~道~  第229回



ドアチャイムが鳴りドアが開けられた。

「お早う!」 暦だ。

「お早う。 ホントにお泊りしてよかったの?」 今晩、マンションの最後の夜に暦が泊まりにきたのだ。

「大丈夫、大丈夫。 全部用意してきたから自分達でするわよ」 部屋に入ると周りを見渡し

「キャー、見事に全部なくなってるわね」 いつもならテーブルに荷物を置いたり椅子にかけたりするが、それができなくて少し戸惑っている。

「うん。 ちょっと寂しいでしょ。 座布団も机も無いけど和室に座って」 そう促され紙袋を和室の隅に置き、畳の上にペタンと座った。

「カーテンはどうするの? ゴミに出すのなら 明日私がもって帰ってゴミに出そうか?」 窓のカーテンが揺れている。

「うん、いい。 実家に持って帰ってゴミに出すから。 それより何か飲むでしょ? 冷蔵庫がないから冷えてないけど お茶とコーヒーならあるわよ」 シンクの上に置いてあったペットボトルを見せた。

「あ、いいわよ。 私、冷たいお茶をもってきたけど冷たいのを飲む?」 紙袋から魔法瓶を出した。

「飲むー。 昨日から生ぬるいお茶ばっかりだったの」 暦が紙袋から紙コップを出して琴音の分を注ぎ手渡した。

そのお茶を一気に飲む。

「はぁー、喉がスッキリしたわ」 

「冷たいものはあまり身体によくないけどね。 どうしても喉がスッキリしないわよね」 琴音の紙コップにもう一度注いだ。

暦が自分の分も注ぎ、一口飲むと

「畳に直に置いてもいい?」 

「うん」 暦がコップを畳の上に置く。

「それにしてもよく一人で片付けたわね。 荷造りとか掃除とか大変だったんじゃない? 手伝いに呼んでくれればよかったのに」

「ずっと家にいるんだから、そんなに時間に追われることも無かったし それにほら、年末の大掃除に暦が来てくれて 徹底的に綺麗にしてくれたじゃない。 そのお陰でかなり楽だったわよ」

「そう? それは良かった。 お手伝いした甲斐があったわ。 で、大きな荷物は正道さんのところへ入れたの?」

「うん。 見事に何もかも。 捨てるのはこのカーテンくらいに収まって良かったわ」

「エアコンは貰ってよかったの? 正道さんのところで使わないの?」

「うん。 部屋の大きさも合わないから使えないと思うわ」

「そう、それじゃ遠慮なく貰うわね。 寝室のエアコンが調子悪くて、今年の夏が最後で買い替えって言ってたから助かったわ」

「こっちこそ、去年買った所だから捨てるなんて考えたくなかったから有難かったわ」

「ねぇ、ところで 今日、文香さんも来るかもしれないの?」

「うんそう。 仕事の都合でどうなるか分からないけど、一度暦と会いたいって言ってたから何とか終わらせてくるんじゃないかしら?」

「ふーん。 話しか聞いてないからどんな人か楽しみだわ」 暦の言葉を聞いてクスッと笑う琴音。

「今はバリバリのキャリアウーマンだからね。 あの天然がどうして仕事が出来るか分からないわ」 横を向いたかと思うと後ろに手を置き、足を投げ出す。

「え? 天然さんなの?」

「ド天然。 どっちかって言えば暦の方がキャリアウーマンよ」

「私? 私は仕事なんて出来ないわよ」 コチラは正座から横座りに足を崩す。

「何言ってるのよ。 主婦業が長いからそう思うだけで、暦に仕事をさせたらすぐに昇進するわよ」

「ナイナイ、あり得ない。 家の用事だから出来てるだけ。 それこそPCも触れないんだから無理よ」 全くの機械音痴である。

「暦ならすぐに覚えるわよ」

「この歳になると新しい事なんて覚えられないわよ。 その上に意味も分からないPCなんて御免よ」

「ああ・・・歳ねぇ・・・本当に考えさせられるわ。 身体は正直よね」 投げ出した足を胸元に引き寄せ、膝におでこを乗せる。

「なに? どこか具合の悪い所が出てきた?」

「目」 

「目?」 おでこを乗せたまま、暦を見る。

「老眼が入ってきたみたい」

「え? そうなの? まぁ、琴音は目がいいから顕著に現れるのね」 その言葉に思わず暦に向き直る。

「え? 暦はまだよく見えるの?」

「ほら、私って近視でしょ? 近視は老眼が遅いって聞くけど、まだバッチリ見えるわよ」

「あー、いいなぁ。 もう、小さい字が読みにくくて。 気付かない間に手を伸ばして読んでるのよ。 この不便さどうにかならないかしら」

「まだ見えるだけいいじゃない。 私なんてコンタクト外したら何も見えないんだから」

「うーん・・・それも不便よね」

「でしょ? 裸眼でいられるんだからいいわよ。 それにこれからは事務職じゃないんだからそんなに小さな字を見ることも無いんでしょ?」

「まぁね。 でもこれから身体のあちこちに 歳を感じるところが出てくるんだろうなぁ」

「諦めるしかないわよね」 その時、琴音の携帯が鳴った。

「あ、文香だわ」 少し話して切ると

「何も無ければ 夕方に来られるって」

「そう。 楽しみだわ」

「お昼ご飯は二人分作ってきたけど、夕飯までは傷んでもいけないから作ってこなかったんだけど・・・どこかに食べに出る?」

「そうね。 そうしようか」 それからは文香が来るまで暦の手作り弁当を食べながら話に花を咲かせた。


夕方。 文香がやってきた。 

玄関に立っていた文香の手は大きな袋を抱えている。

「わ、何?」

「ごめん、ドアもっと開けて」 琴音がドアを全開にすると、袋が引っ掛からないようにソロっと入った文香。 

キッチンにソロリとそれを置き和室を見た。 暦が立っている。

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みち  ~道~  第228回

2015年08月18日 15時03分18秒 | 小説
『みち』 目次



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『みち』 ~道~  第228回




電話が鳴った。

「あ、社長!」 悠森製作所の社長からの電話だ。

「久しぶり、元気にしてるかい?」

「はい。 会社の方はどうなりましたか?」

「うん。 殆ど片付いたよ。 織倉さんが居なくなってからやっとみんなの腰が上がってね」

「そうですか」

「それでね、落ち着いてきたから ちょっと休憩の意味も込めて、前に言ってた最後の宴会ね、来週の月曜日に決まったんだけどどう?」

「あ・・・すみません。 その日は引越しの日になっていて・・・せっかくご連絡を頂いたのに残念なんですが」

「え? そうなの? 引越しするの?」

「はい。 実家に帰るだけなんですけど」

「ああ、そうなの。 それじゃあご両親も喜んでいらっしゃるだろうね。 前に言ってた友達の紹介の仕事が実家方面なの?」

「はい、実家からすぐの所なんです」

「そうなのか・・・みんな残念がるだろうけど仕方がないね。 それ・・・と」

「はい」

「織倉さん・・・何かあった?」

「え? 何かって・・・思い当たる事はありませんが・・・」

「あ、そうなの? あ、イヤ 気にしないで。 なんて言うかな・・・明るくなったって言うのかな そんな気がしたから何か良い事でもあったのかなと思ってね。 それじゃあ、元気でいるんだよ」

「はい。 有難う御座います。 社長もお元気で、皆さんに宜しくお伝えください」 電話を切った。

「私って明るくなったのかしら。 でも確かに動物のことが少しずつ分かってきた気がして嬉しい事は確かだけど。 
あー、それにしても残念だわ。 結局みんなはこれからどうするのかしら。 
そんなお話も聞きたかったのにぃ! もう、お母さんのせいなんだから!」 ブツブツと言いながらも引越しの準備を始めだした。 

琴音にしてみれば 8月中に引越しをしたかったのだが、母親が縁起が悪いと猛反対をしたのだ。



9月 引越し当日。

朝早く引越し業者がやってきて荷物を次々と運び出した。 トラックに載せ終わると

「それでは 向こうには他の者がいますから宜しくお願いします」 行き先は実家ではなく正道の元だ。 

捨てるにはもったいないが、実家に電化製品や棚を持って帰っても邪魔になるだけ。 そんな話を正道にしていると

「それでは戴けませんか?」 

「え?」 思いも寄らぬ言葉に琴音は驚いたが

「ここで使わせてもらいたいのですが 駄目ですかな?」 

「新しく建ったところに私が使っていた物なんて入れてもいいんですか?」

「寝泊りもする所です。 色んな電化製品があると助かります。 それと・・・『なんて』 という言い方は止めましょうな。 
琴音さんは・・・全ての生き物は『なんて』 という生き物ではありませんし、その琴音さんが使っていた製品が『なんて』 という物でもありません。 それに製品に失礼ですよ」

「あ・・・そうでした。 まだまだ言葉が身につきません」

「ははは、謙遜の中で暮らしているとそうなりますがな」

「それでは使っていただけますか?」

「助かります。 有難う御座います」 そんな会話があったのだ。

服や本、CD等は正道の元に行く度に実家へ持って帰っていた。 実家で必要なものは全て小さな物ばかり。 琴音の車に充分乗る。

空っぽになった部屋。 残っているのは和室のエアコンとカーテン。 あと2日マンションで寝るための布団と身の周りの小物、そして最後にもう一度掃除をするための掃除機と雑巾くらいだ。 

部屋を見回した。 

「はー、今までが終わった・・・」 キッチンから和室に入った。 

「この何年、ここに居たのかしら。 ・・・そう言えばその間、私は何をしてきたのかしら。 結局何も身についてないじゃない。 何も残ってないじゃない。 
更紗さんと会うまで無駄な人生だったのかしら。 ・・・うううん、そんな事はないわよね。 楽しかった日もあったわ・・・嫌な事もあった。 
・・・課長の事すっかり忘れていたわ・・・」 レースのカーテン越しの窓の外をじっと見た。

「毎日を大切に生きなきゃ。 ・・・それに文香と会えたのもここに居たからよね。 無駄な事なんてなかったわよね・・・」 暫し、部屋の中をじっと見ていた。

「さ、掃除しなきゃ」 重い腰を上げ掃除を始めた。

念入りに拭き掃除を終えると もう夕方になっていた。

「わぁ、もうこんな時間。 明日は暦が来るからサッサとお風呂に入って寝よう」 風呂の湯を入れて湯船に浸かると

「明日はきっと入らないだろうから このお風呂も今日が最後ね」 風呂場をずっと見渡して目を閉じた。 

すると何かが見えた。

(なに?) モノトーンの世界。 

そしてそれはゆっくりと右端から中央へ姿を現してきた。

(なに?) じっと見る。

(碇? どうして碇が? ペンダントトップなのかしら? でも碇のペンダントなんて持ってないわ) 琴音にしてみれば小さく感じたようだ。

琴音の見える中心で碇が止まった。 すると今度はゆっくりと左右に揺れながら下におりていく。

(何が言いたいの?) じっと見ていると微かに波紋が見えた。

(波紋? 水の中に入ったの? ペンダントトップを水の中に落とした? それともペンダントトップじゃなくて本物の碇?) そして碇はそのまま下へ沈んでいき目の前はただの暗闇となった。

目を開けた琴音は大きく息をして

「何だったのかしら・・・碇が水の中に落ちた・・・沈んでいった・・・」 考えるが分からない。

「本物の碇なんて私には関係ないから、きっとペンダントトップよね。 そのうちに碇のペンダントを買って それを水の中に落とさないように注意しなさいっていう事かしら?」 残念ながら全然違うよ。

「それとも誰かがプレゼントしてくれるとか?」 誰がくれるって言うんだい。 

仕方ないな。 教えてあげようか? 

そこに碇を下ろしなさいという事だよ。 やっと碇の下ろせる所へきたんだよ。 正道の元に。 

そしてよく考えてごらん。 怒らなかったかい? 怒りの念が発する大きさはこの上ないんだよ。 正道からも教えられているだろう? 
その怒り(碇)を静め(沈め)なさいという事でもあるんだよ。

「とにかく・・・寝て待て方式でいこうっと」 それじゃ駄目じゃないか。 気づけるようになるのはいつの事だろうね。

風呂から上がると 実家から持って帰ってきたパジャマを着て何気なく洗面所の鏡に映した。

「あーあ、実家に帰るとあのピンクを着なきゃいけないのよねぇ、クマさんの柄の。 これはピンクじゃないけどオレンジのワンちゃんの柄だし、いったいお母さんって・・・えっ?!」 やっとパジャマに気付いた。

「うそ?」 鏡に映ったパジャマから 琴音が着ているパジャマに目を移し、よく見てまた鏡に目を移した。

「今まで全然気付かなかったわ・・・」 パジャマの犬は胸元に三匹が並んで描かれていた。 

鏡に映った犬を見ながら

「ヨークシャテリアとトイプードルが両端に・・・真ん中にその両方が混ざったワンちゃん・・・ヨープーよねきっと・・・トイちゃんといつか暮らすって、ここに描かれていたの?」 そうだよ。 毎晩着ていたのに気付くのが遅いよ。 

「はぁー、まだまだ何にも気付けてないってことね」 

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みち  ~道~  第227回

2015年08月14日 14時48分57秒 | 小説
『みち』 目次



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『みち』 ~道~  第227回



「違います。 ごめんなさいね」 細い指で涙をスッと拭き、一歩前に出て屈んだ。 

目の前に居る犬の身体をさすりながら言葉を続けた。

「この仔ね、山の中で拾われたんです。 犬が山の中に居るって数人の目撃情報があったらしいんです。 
ドライブウェイもあったらしくて 道路に出てしまったらどうなっていたか・・・何日かかかってやっと保護されたらしいんです。 
それで保護したものの管理センターに連れて行くのも・・・という事で色んな人の手を渡って私どものところに来たんですけど 
保護した時には引っ付き虫だらけだったそうなんです。 肉球の間にも入り込んでいてビッコをひいてたらしいんです」

「そうだったんですか」 琴音の返事も聞いていないかのように、加藤玲は何度も何度も犬の身体をさすりながら犬に話しかけた。

「そうなのね・・・山の中を覚えていたのね。 とても寂しかったのね・・・きっと今でも寂しいのよね。 
分かっていたつもりだったのに・・・気がついてあげられなくてごめんね。 
いいのよ、山の中のことは忘れていいのよ。 
これからは温かい場所が待っているんだからね。 寂しくなんてないのよ。 
引っ付き虫も、もうどこにも付いてないのよ。 痛くないのよ。 安心していいのよ」 そして犬をギュッと抱きしめた。 

涙が後から後から伝い落ちる。 その様子を何も言わずじっと見ている琴音。

(もっと何かを分かることが出来たら・・・) 歯がゆい思いが心の中に広がる。  

「ごめんなさい。 とんでもないところをお見せしちゃって」 立ち上がり、リードと共に持っていたタオルで涙を拭いた。

「あの それワンちゃん用のタオルじゃ・・・」

「あ! そうだったわ。 お化粧がついちゃった。 ゴメンねお化粧臭くなっちゃったかも」 またすぐに屈んで犬を撫でる。

「え? そっちですか?」

「たまにしかしないお化粧だから 匂いを嫌がってるみたいなんですよね」

「やっぱりそっちなんですね」 クスッと笑い

「何かしら・・・加藤さんって・・・」

「え? 何ですか?」

「とってもいいですね」

「え?」 立ち上がり琴音を見た。

「何故か分かりませんけど話しているととても楽です。 私、結構人見知りなんですけど 加藤さんとは楽に話せます」 波長が合うようだ。

「まぁ、嬉しい。 そう言ってもらえると頭に乗っちゃいそうです」 二人でクスッと笑い琴音が話を戻した。

「解決できるお話ならまだしも、要らない事を言ったんじゃないかしら」 自信無さ気に琴音が聞くと

「そんな事はないですよ! 今のこの仔の中にある記憶を教えてもらえて良かったんですから。 
記憶を塗り替えられるように頑張る励みになりました」 その返事を聞いて少し安心した琴音がポツンと言った。

「でもどうして山の中なんかに・・・」

「迷子の可能性もありますから色々捜してみたそうなんですけど、相当する迷子情報もなかったそうです。 
それに迷子の可能性が低い感じもしましたから。 多分、山の中に捨てられたんだと思います」

「捨て犬さんって事ですか?」

「多分・・・。 田舎の山の中ですから、迷子犬だとしたら村の人達が知っている犬のはずですが、どこの村の方に聞いてもご存じなかったそうです。 
それに山の中を探して歩いて下さっていた方が袋に入ったドッグフードや犬用の玩具を見つけたと仰っていましたから」

「それは? どういう意味ですか?」

「多分ですけど 捨てた時に玩具と余っていたドッグフードを袋ごと一緒に置いていったんでしょう。 それが沢に落ちていたみたいなんです」

「少しでもワンちゃんが寂しくないように、お腹を空かせないようにと考えたんでしょうか・・・」

「殆どありえませんよ。 あっても1割も考えていないと思いますよ。 余ったフードや玩具の処理が面倒臭かっただけだと思います」

「今まで飼っていたワンちゃんなのに?!」

「どんな捨て方をしようが 捨てた事には間違いないんですよ。 
仮にお腹を空かせないようにフードを置いていたとしても それは自分に対する言い訳みたいなものですよ。 
以前、箱に入って捨てられていた犬が異様なお腹をしてたんです。 何か想像できます?」

「異様なお腹って・・・お腹に赤ちゃんですか?」

「ブッブー。 私も初めての時はそう思ってすぐにレントゲンで見てもらったんですけど違いました。 
まるで今にも産まれそうなほどのお腹だったんですけどね。 
捨てる前に可哀想と思うんでしょうか。 誰かに見つけてもらえるまでお腹を空かせないようにって、異様なほど食べさせてから捨てたんです」

「ええ!?」

「信じられないでしょ?」

「なんて考えればいいのかしら。 その・・・お腹を空かせないようにと考えるのは分からなくもないです。 でもそんなに異様なほど食べさせるなんて」 

「でしょ?」

「それに可哀想と思うのなら どうして次の飼い主さんを探そうとしないのかしら!」

「でしょ、でしょ。 だから捨てる前に何をしても それは自分への言い訳に過ぎないんですよ」

「あー、どうしてそんな人がいるのかしら! 同じ人間として情けないわ! このお腹からくるイラっとした物は何なのかしら!!」 

琴音、注意しなくちゃ。 加藤玲の怒りの波動に同調してしまったんだよ。 怒りはいけないと正道にも教えられただろう?

波長が合うだけに色んな波動を貰いやすくなる。

後ろから声が掛かった。

「琴音さん?」 正道だ。

「あ、正道さん。 いつの間に?」

「たった今来たんですけど 珍しく琴音さんの大きな声が聞こえましたね。 こちらの方は?」

「あ、レスキューの方で・・・え? 正道さんとレスキューの方は お会いされてたんじゃないんですか?」 それを聞いて加藤玲が

「初めまして。 加藤玲です。 正道さんがお会いされたのは代表である私の兄の忍です」 それを聞いていた琴音が

「ああ、そうだったんですか。 え? お兄さん? でも正道さんがお会いされたのはたしか女性じゃありませんでしたか?」 正道の方を見て言うと

「そうです。 加藤忍さんと仰る女性の方で・・・お兄様ではありませんでしたよ」

「うふふ、忍の戸籍は男なんです」

「えっ?」 正道も琴音も驚いた顔が隠せない。

「ついでに言うと私もです」 片方の口元をイタズラっぽく上げた。。

鳩が豆鉄砲をくらう・・・正道と琴音の目は正にそうなっていた。

「そんなに驚かないで下さい。 ね、琴音さん 私一度も女性って言わなかったでしょ? それに兄も言ってないはずですよ」 琴音を見ていた加藤玲が正道のほうを見て言うと

「そう言われればそうですな。 ・・・琴音さん、思い込みほどいい加減なものはありませんな」

「はい。 そうですね」 琴音はまだ豆鉄砲状態だ。 だが正道がやってきたお陰で 怒りの波動が大きくなることなく消えた。

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みち  ~道~  第226回

2015年08月11日 14時27分10秒 | 小説
『みち』 目次



『みち』 第1回から第210回までの目次は以下の 『みち』リンクページ からお願いいたします。

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『みち』 ~道~  第226回



「正道さんが仰ってましたよ。 力があるけれど必要以上に謙虚だって」

「正道さんがそんな事を?」

「琴音さん、自信を持ちましょうよ。 それに、これからこの事をされるのでしたら人間世界の事は二の次にしましょう。 
犬の世界に謙虚はありませんから。 
レスキューされた仔達にはその仔の事を一番に考えてあげなくちゃいけませんよ。 
人間的な謙虚な心を持っていると犬の声が聞こえてきませんよ」 明るく冗談めいたその表情ががまた美しい。

「有難う御座います。 正道にも言われているんですけど、なかなか身につかなくて・・・」 

「一度なっちゃえばすぐ身につきますよ。 私なんて人から嫌われているくらいワンちゃん一筋ですよ」 お互いの目を見て笑った。 

そして連れている犬を見て琴音が

「このワンちゃんは?」

「この仔は保護されてきた仔なんですけど、身体の傷がまだ完治していなくて まだ譲渡会へ出せない状態なのでお散歩がてら連れてきたんです」

「ああ、それで元気のないオーラの色・・・」 

「え?」

「あ、何でもないです。 譲渡会ですか?」

「はい。 里親さん探しです」

「里親さん・・・新しい飼い主さんという事ですか?」

「そうです。 保護した仔、レスキュー後は元気な心と身体に戻してから・・・あ、心は完全にとはいかないんですけどね。 譲渡会や申し出で里親さんの下へ引き取ってもらうまで 預かりさんが預かってくださったり私どもの方で預かったりしてるんです」

「そうなんですか」 

「あら? 琴音さんはご存じなかったんですか?」

「漠然としていて詳しくは知らなかったです」

「管理センターに連れて行かれた仔も 管理センターが何とか命を繋ごうと譲渡会をしてらっしゃるんですよ」

「正道の言っていた救われた命の仔たちですね。 管理センターの事は正道から聞いていましたけど、虐待目的で引き取る方もあるとか・・・」

「そうなんです。 管理センターも頑張ってくださっているんですけど・・・なかなか難しいですね。 
私たちも大切なワンちゃんをお渡しする以上、里親さんになってもらう方には面接も行って、時にはお宅まで伺ったりして色んなお話をお聞きしてから、ご自宅でお渡しするんですけど 
そのお話の間にはその方に嘘がないか必死で見てるんです。 
それで怪しいと思ったり、このご家庭では後々無理が生じるだろうと判断したらお断りするんですね。 
今のところ、私どもの里親さんの所では何もないんですけど、私も虐待を目的に里親になる話は聞いた事があります。 
いったい何を考えているんだか、命の重さをなんと考えているんだか! 腹立たしくてなりませんよ!」

「私も正道から色んな話を聞いたときにはあまりのショックに涙してしまいました。 あの・・・でも・・・」

「なんですか? 何でも言って下さい」 ニコリと微笑む。

「言いにくいんですけど 里親さん募集でお話を伺ってらっしゃる時に おかしいと思ったらお断りされるんですよね?」

「はい」

「もしその判断が間違っていて 里親になりたい方がとても愛して下さる方だったら? って思うことはないんですか?」

「その仔を愛して下さる方はこの世に一人だけじゃありません。 間違っていてもいい。 その方に恨まれてもいい。 100%、いえ、120%私どもで安心できる方にしかお渡ししません」

「すごい覚悟ですね」

「だから人に嫌われるんです」 クスッと笑った。

「私もそれくらいの覚悟をつけなくっちゃですね」 そして目先を犬に移した。

「ね、ワンちゃん。 ワンちゃん一筋に生きていかなくちゃなのよね」 屈んで犬の胸元を撫でると、琴音のその手をペロペロと舐めてきた。

「私の手は美味しいかしら?」 もう一方の手で犬の顔を撫でていると、耳の付け根に傷が見えた。 

そこは琴音が見てこの犬のオーラの色が良くない箇所の一つだった。

「あ・・・傷が・・・」

「まだ、手足にもあるんですよ」 琴音と同じように屈んで手の内側の傷を見せた。

「毛がなくなって・・・」 オーラの色は耳の辺りより悪い。

「深い傷だったんですけどこれでも大分よくなったんです」 それを聞いて琴音が手の傷の上を撫でようとすると、その箇所からは冷たいものを感じた。

犬はまだ琴音の片手を舐めている。

冷たいという事はエネルギーが欠けているという事。 そのことを分かっている琴音はこの手にどれだけ痛みがあるのかと思うと悲しくなった。 

だが悲しんでいるだけではいけない事も分かっている。 その冷たさに触れる悲しみをグッとこらえてその箇所に片方の手を当てた。 

短い時間手を当てたくらいでは治らない事も分かっていたが、そうせずにはいられなかった。

正道から言われている。 

「琴音さんのフィルターを通してはいけません。 治そう治そうと思ってはいけません。 その仔に感情移入をしてはいけません」 そう言われていたがそれはなかなか難しいようだ。

「痛いね、痛かったね。 早く傷を治そうね」 琴音がそう話しかけると、犬が舐めていた口を閉じ、じっと琴音を見つめた。

琴音も犬の目を見る。 そして舐められていた片方の手をもう一方の手と同じように冷たく感じるその手に当てた。

琴音が犬から目を外し、その手を見ながら自分の手を当てている。

その様子を後ろから見守る加藤玲。


~~~既視感 ~~~

(・・・なに?・・・) 一瞬、今と同じように動物らしき物の足に手をかざしている場面が頭をかすめた。 

次いでどこかで同じ事をしていた感覚がよぎる。

(練習の時の感覚とは違う・・・)


「琴音さん?」 琴音の様子がおかしい事に気づいた加藤玲が後ろから声をかける。

「あ、ボーっとしちゃって」 手はそのままで顔だけ振り返り、後ろに立っている加藤玲を見ながらそう言うと、顔を戻し改めて犬の顔を見た。

「可愛いおメメね。 辛かったことは忘れようね。 そのおメメに優しい里親さんを映そうね」 両手で犬の傷の上に手を当てる琴音。 立ってその後ろ姿を黙ったままじっと見つめる加藤玲。 

暫くして

「え? 何?」 琴音が急に言ったのを聞いて

「どうしました?」 心配そうに加藤玲が聞いた。 

加藤玲の言葉は琴音の耳に入っていたが、その言葉にすぐ答えることなく暫くしてから


「今・・・なんて表現したらいいのかしら」 少し考えて

「白黒で見えたんですけど・・・えっと・・・林や森かしら? それとも山の中かしら? 木が沢山あります。 
そこで夜空を見上げる感じって言えばいいのかしら? 
周りに高い木々の枝や葉のような物があってその向こうに空が見えて それで・・・悲しい・・・あ、そうじゃないわ。 ・・・寂しい・・・そんな感覚を感じました」

「え!?」 加藤玲は驚いたがそれに反応することなく琴音が続けた。

「それと・・・生物らしきものかしら? 何なのかしら。 長丸で・・・棘みたいな物がいっぱい付いているのが見えたんですけど・・・これは何なのかしら?」 それを聞いていた加藤玲が

「・・・それは多分、引っ付き虫です」

「引っ付き虫? あの雑草のですか?」

「はい」 かざしていた手を離し、その形を思い出そうと空を見る。

「あ、ああ。 そうですね。 そう言われればそんな感じです」 また犬の方を見て身体を撫で始め続けて言った。

「色が付いて見えたら分かりやすかったんですけど 白黒だったから分かりにくくて」 犬を見ていた琴音が加藤玲のほうに視線を移すと、美しい顔立ちのその目から一筋の涙が頬を伝っていた。

「あ・・・すみません! 何か気に触ることをいいましたか?」 思わず立ち上がった

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みち  ~道~  第225回

2015年08月07日 14時26分58秒 | 小説
『みち』 目次



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『みち』 ~道~  第225回



「なに? ビックリするじゃない」

「あ、ゴメンゴメン。 あのね、実家に帰ったときに聞いたんだけど、暦のおばさんがうちのお母さんに山菜を採りに誘ってくれたって話し聞いてる?」

「え? 聞いてないわよ。 やだ、うちのお婆さんそんなことしてるの? おばさん迷惑じゃなかった?」

「迷惑どころか喜んでたわ。 でも直接その話じゃなくて、その山菜をとりに行った山なんだけどね。 おばさんがいつも行く山とは違って親戚さんが手放す山とかって聞いたんだけど、そんな話聞いてる?」

「うちの親戚?」

「うん、そうらしいわよ」 暦が少し考えて

「ああ、そう言えば聞いたわ。 そんなに大きくない山だって・・・えっと・・・何処だったかしら。 確かうちの家から裏道を走って何度か行ったことがある気がするんだけど・・・あ、思い出した!」 暦がそこまで言うと琴音がすぐに地図を出して地図上に指をさす。

「ね、ここがインターでしょ。 それでこの国道を走っていって・・・」 地図の上を指でなぞっていく。

「・・・で、ここの山なんだけど ちがう?」

「うちの実家のほうから考えると・・・えっと、ここの辺りが実家でしょ? で、この裏道を走っていって・・・あ、そこよ。 その山よ」

「いやーん、やっぱりー?!」 両手で頭を抱えてテーブルに肘を付き、前につんのめる。

「ちょっと、何!?」

「そこの山、売れたって聞いた?」 両手はまだ頭にあるが姿勢を戻し、暦に聞いた。

「うん。 長い間売れなかったのに思いもしないところで売れたって。 ・・・確か売れたのは去年の初めの話だったと思うわよ」 薄い記憶を遡る。

「決定ー!」 今度は座っていた椅子に仰け反った。 やっと手が頭から離れた。

「だから何!?」

「多分、その山を買ったのが正道さん」

「え? これから琴音が行くって言う?」

「うん」

「うっそー!?」

「ね、驚くでしょ?」

「狭い日本そんなに急いで何処行くのって・・・本当の話なのねぇ」 それからは正道との話や実家の話、勿論 引越しの話で盛り上がった。

暦が帰ってからは、引越しに対する意欲が湧き次々と片付けを始めだした。 



毎日コツコツと細かい物をまとめだしたが、いざ考えてみると

「冷蔵庫もレンジも洗濯機も・・・実家にあるじゃない。 それにテーブルも棚も何もかも・・・古いものは仕方が無いけど新しい物もあるのに、捨てるのはもったいないわよね・・・文香、貰ってくれないかしら・・・無理ね・・・高給取りは必要になったら自分のお気に入りを買うわよね」 ジャーの蓋を撫でながら物惜しげに見た。

それからは正道の元に通いながら 引越し業者に問い合わせたりと準備は徐々に整っていった。 


琴音の仕事が落ち着いたことを知って、野瀬からは時々連絡が入ってきていたが 更紗からは頻繁にメールや電話がかかってきだした。 

「更紗さんったら今までかなり気を使ってくださっていたのね」 他愛もないメールを読んでクスッと笑い携帯を閉じた。

「さっ、お片付け、お片付け」



琴音の片付けと共に正道の所でも次々と色んなことが進んでいった。


遠野奥様が連絡を進め、正道とレスキューの人間が会って話が出来たのだ。 

レスキュー側も正道の申し出を喜び、正道も細かなアドバイスを貰い、それに向けて着々と準備を整え始めた。

そしてメンバーも揃ってきた。 

正道の考えに賛同し、自分から申し出てきた人間ばかりだ。 

癒しの力を持っている者もいれば正道の弟子や獣医も居る。 結局、遠野奥様の手は借りず正道の知り合いからの紹介で獣医が来ることになった。 

父親が動物病院を開業している。 今まで父親を手伝ったりはしてきたが、まだまだ卵の獣医だ。 正道の考えに賛同し、どうしても手伝わせて欲しいと申し出てきたのだ。

一人揃い、二人揃いと段々と人間が増えてきた。 

その度に琴音は顔を合わせたが、誰からもとても素晴らしく包み込むような温かな気を感じていた。 

おっと、獣医からは少し違って真っ直ぐな情熱的な気を感じ取っていた。 

この獣医、かなりやる気があるようだ。
これからそのやる気に技術が伴ってくれればいいが、父親も少々心配なのであろう。 時々覗いてくれるという事だ。 

「琴音さん、これからは少しバタバタしますから お勉強の方はちょっとお休みにしても宜しいですかな?」 

「はい。 私もお手伝いをしますから指示をしてください」

「それではお願いしますな。 琴音さんのやりやすいようにするのも大切ですからな」 立場的に正道が所長であれば、琴音は副所長のようなものなのだ。



蝉の声が響く季節。 

この日は朝早くから正道と細かい事の打ち合わせをするため、琴音は前日から実家に泊まっていた。


早朝、琴音が正道の元へやってくると見知らぬ人間が敷地の中に居た。 その人間が持つリードの先には犬がいる。 

「あら? どなたかしら?」 そう思いながら通り過ぎプレハブ横に車を停めると、その見知らぬ人間が風景を見ていたかと思うと琴音の車に目を移した。 

エンジンを切りながらその様子をバックミラーで見ていた。

背が高くスレンダー。 フワリとした白の半袖ブラウスに赤いフレアーミニスカートと少し薄めの赤のヒールがよく似合う。

「わぁ、細~い。 それに綺麗な女性(ひと)」 鏡越しにも分かるほど、思わず見入るほどの美しさだ。

「此処の土地の人・・・じゃないわよね。 垢抜けしてるもの。 私もあんなに美人でスタイルがよかったら今までの人生違ってたのかしら・・・」 考えることは女心。 

だが、あくまでも『今までの人生』 としか考えられない。 『これからの人生』 は変えたくない。

ぼぉ~っと考えていると、いつのまにかその人間が車の近くまで犬と歩いて来ていた。 

その様子が目に入り我に返った。 慌ててシートベルトを外し車を出た。

「お早うございます」 車から出てきた琴音に挨拶をしてきた。

「お早うございます」 思わず琴音も挨拶をしたが

「私、レスキューの者です。 加藤玲と申します。 一度こちらに伺いたくてドライブがてら来たんですけれど良い所ですね」 ニコリと微笑むその顔がまた美しいが、発せられた言葉が琴音に聞こえているのだろうか?

(わぁ、鏡越しより比べ物にならないくらい綺麗。 それに思ってた以上に背が高い。 ・・・私が極性チビに見えるんだろうな・・・) 女とはこんな所で卑屈になる。

「あの?」 琴音の顔を覗き込むように腰を屈め、リードを持っていない手で黒いロングストレートの髪を耳にかけた。

「あ、レスキューの方でしたか、失礼しました。 始めまして。 私、織倉琴音といいます。 正道さん・・・正道のお手伝いをしております」

「琴音さんですか!」 琴音の事を知っているようで、顔がパッと明るくなった。

「え?」 驚く琴音を他所に嬉しそうに言葉を続ける。

「琴音さんのことは伺っています。 これからお世話になりますが宜しくお願いいたします」

「こちらこそ、私はまだまだ未熟で何も出来ませんが ワンちゃんのお役に立ちたいと思っています。 宜しくお願いいたします」

「うふふ。 正道さんの言われていた通りの方ですね」 ニコリと微笑む。

「え?」

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みち  ~道~  第224回

2015年08月04日 14時46分07秒 | 小説
『みち』 目次



『みち』 第1回から第210回までの目次は以下の 『みち』リンクページ からお願いいたします。

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『みち』 ~道~  第224回



お昼前に暦がやって来た。

「お昼まだでしょ?」 玄関に立ちながら持っていた紙袋を少し上げてみせた。

「わぁ、またお昼作ってきてくれたの?」

「今日のは簡単に作ってきただけよ。 期待しないでね」 部屋に入るとすぐに持ってきた紙袋からタッパを出し蓋を開けだした。

「あー、美味しそうなサンドイッチ」 レタスやトマト、卵が彩りよくサンドされている。

「ハムもベーコンも入れてきてないから大丈夫よ。 ソーセージは魚肉ソーセージだから大丈夫でしょ? 鶏肉も大丈夫だったわよね?」

「うん」

「良かった、これは鳥の照り焼きサンドでこっちは竜田揚げ。 それとサラダ。 お昼にはちょっと早いけどもう食べない?」

「うん、食べる」

「はい、じゃあ召し上がれ」

「それじゃあ、コーヒーを入れるわね」

「あ、いいわよ。 スープも持ってきたから」 タッパが入っていた紙袋から水筒を出した。 だが、まだなにか紙袋をガサガサしている。

「え? スープも?」

「うん。 カップだけ出してもらえる? ・・・それとサラダ用のお箸もお願い。 割り箸を忘れてきちゃったみたい」 ペロッと舌を出した。 
紙袋をガサガサしていたのは割り箸を探していたようだ。

「お箸くらい出させてもらうわ」 暦が忘れ物をするなんて珍しいと思いながらも、ふと暦も普通の人間だったんだと思った自分に笑えた。

そんな思いを持ちながら箸とカップを用意する琴音の背に向って暦が続けて話しかける。

「コーンスープを作ってきたんだけど、琴音好きだったわよね?」

「うん。 大好き!」 コーンスープと聞いて満面の笑みで振り返る。 もう暦への思いは吹っ飛んでいる。

箸はタッパのフタを箸置き代わりにして置き、コーヒーカップを2つ出すと 暦が水筒の口を全開しカップに注ぎ入れた。 

「はい、どうぞ」

「ありがとう。 いただきまーす」 テーブルを囲んで二人で食べ始める。

「昨日 ご近所さんから食パンを沢山貰っちゃってね、うちでは消費しきれないから手伝ってもらおうと思ってサンドイッチにしたんだけどご飯の方がよかった?」

「うううん。 サンドイッチってここの所食べてなかったから嬉しいわ。 って言うか、この鳥の照り焼きサンドとか竜田揚げサンドって、朝から焼いたり揚げたりしたの?」

「うん、そう。 油の片付けとかしてたからちょっと来るのが遅くなっちゃった。 で、慌ててたから割り箸を忘れちゃったのかしらね」 朝から揚げ物とは琴音には信じられない。 
それをサラッと言ってのける暦。 

朝から忙しくしていたのだ、割り箸くらい当たり前に忘れるだろう。 
自分だったら下手をしたら作ったものを忘れてきそうだ・・・あ、いやいくらなんでもそれは無い。 そんなことがあるとしたらその張本人は文香だろう。
今までにも沢山の料理を作ってきてくれた。 この部屋で作ってくれた。 今更ながら本当に自分の友だろうかと思わず暦をじっと見た。

「え? なに?」

「あ、何でもない。 これ美味しいわ。 ホントに暦は料理上手ね」 引っ越してしまうと、こうやって簡単には逢えなくなるという寂しさからか、どこか感傷に浸ってしまったようだ。

「そんな事ないわよ。 でも、褒めてくれてありがとう。 沢山食べてね」 

「うん。 どれにしようかなぁ。 全部美味しそうだけど彩がキレイな野菜サンドからいっちゃおう」 野菜サンドを手に取り、パクッと口にした。 

その姿を見て暦が口を切った。

「で、早速だけど引越しの事ちょっとは考えたの?」 暦は卵サンドを一つ手にとって 口に入れた。

「うん・・・。 暦との電話を切ってから文香からも電話があってね、文香も早めに引っ越す方がいいだろうって言ってた」

「そうなの。 で、琴音自身はどうなのよ」

「二人に言われて段々とそんな気になってきたのもあるし・・・」

「ん? なに?」 スープを飲もうと思った手が止まる。

「えっとね、怒らないで聞いてくれる?」

「なに? どうして私が怒らなきゃいけないことがあるの? 言ってごらんなさいよ」 スープを口にした。

「暦に言われてあちこちの引き出しや机の中を見てみたのね。 そしたら結構要らない物が入ってたの。 で、それを整理してたら、このままの勢いでサッサと引っ越しちゃえって思ったりしてたの」

「ふーん。 で? その話の何処に私が怒るわけ?」 

「えっと・・・要らないものを沢山置いてたから・・・その・・・ちゃんと片づけをしてなかったから・・・」

「ちょっと待ってよ、どうしてそんな事で私が怒るのよ」 サンドイッチを食べようと開けた口が琴音に向いた。

「だって・・・いつも子供たちに片づけができてないって怒ってるじゃない」

「それは子供たちの話でしょ? 琴音は私の子じゃないでしょ? もう、いい大人が何を言ってるんだか」 溜息全開だ。

「そう? 怒られなくて良かったー」 こちらも安心の大きな息が全開だ。

「・・・違う所に怒りそうだわ」 眉間に皺が寄った。

「そんな事いわないでよ。 でもね、あの暦の言葉があって片付けをしだしたから、引越しを意識するようになったわ。 それまで漠然と頭では分かっていたけど、具体的には全然考えていなかったのよ」 

いつもの様に冗談めかして事を正す言葉のひとつも言いたいけれど、今は琴音のこれからのことを話さなくてはとその言葉を収める。

「その気になったのなら、まずは引越し屋に見積もりをとってもらいなさいね。 荷造りは可能な限り手伝いに来るから、いつでも言ってくれたらいいわよ」

「うん。 ああ、段々その気に火がついてきたみたい」

「家賃のこともちゃんと考えて日取りを考えるのよ。 あ、それと」 今度はバッグの中を探して

「はい、これ」 暦が広げて見せるとそれは数件の引越し業者の広告だった。

「どうしたの?」

「前に琴音の話を聞いてからいつかは引越しするだろうからと思って、新聞に挟まっていた広告を置いておいたの。 参考になるでしょ? それと少なくとも電話番号を探す作業がカットできるでしょ?」 

「へぇー。 色々あるのねぇ」

「業者によって色んなサービスパックがあるみたいだから琴音にとって都合がいいものをチョイスするといいわよ。 あ、私が持ってきたからって、他の所で頼むのは悪いかな、なんて考えなくてもいいわよ。 あくまでも参考に持ってきただけだからね。 他に良い所があればそこに頼むといいわよ」

「うん、でも当てがあるわけじゃないからこの中で決めると思うわ」 暦のサンドイッチを持っていた手が下がり、眉を下げ少し首を傾げながら間を置いて話した。

「普通ならね・・・友達が引越ししちゃうのは寂しいからこんなに言わないんだけど・・・」

「え? なにどうしたの? 急に」 だが今、寂しそうにしていた暦の顔の口角が上たった。

「行く先が琴音の実家で、私の実家の近くでもあるんだから安心だものね。 こっちも変なリキが入っちゃうわ」 少々、複雑な心境のようだ。

「そうよね、暦が実家に帰ってきたときに会えるものね」 暦の心が何を言いたいのか分かる。 だからこの返事が精一杯だ。

「あ、忘れてた!」 今の空気を切るように琴音が大きな声を上げた。

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