大福 りす の 隠れ家

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ハラカルラ 第67回

2024年05月31日 20時36分14秒 | 小説
『ハラカルラ 目次


『ハラカルラ』 第1回から第60回までの目次は以下の 『ハラカルラ』リンクページ からお願いいたします。


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ハラカルラ    第67回




オートロックの杏里のマンションを出て暫く無言で歩いていたが、征太がポツリと言う。

「虚しさ感じてるの俺だけ?」

「・・・」

「村から親から勉強勉強って言われて、次には水見がやってきたことを研究しろって言われ―――」

「仕方ないだろ、それにそのお陰で大学も卒業出来て院生にもなれてんだから」

「それはそうだし今さら変えられないけど、それって俺らの青春を村に売ったことにならないか? 青春どころかこれから先も」

「・・・」

「杏里、生き生きしてたよな」

杏里が言ったように村に居た頃は小学校中学年までしか遊んでいなかったが、それ以降杏里を見かけなかったわけではない。 高校を卒業し、村を出て大学に通うようになるまでは話すことこそ無かったが見かけてはいた。 あの頃よりも生き生きとしていた。

「化粧がそう見せてんじゃないか」


勝彦のマンションを訪ねていた三人も駅に向かって歩いていた。

「俺ら大学院卒業したら村に戻るんだよな」

「そしたら先に卒業してる時雄さん達と研究、か」

「院生の中じゃ、和夫が一番だな」

「出してくれた金分は働いて返さなきゃな」

「・・・で? そのあとは?」


「そうか、分かった」

通話を切った。 息子である玲人からであった。

「まったく、曖昧な情報を流してきおって」

長への報告は明日でいいだろう、今日はもう遅い。


玲人が手の中でスマホを弄んでいる。

「まるで村の狗(いぬ)だな」

父親である啓二は長の腰巾着。 それは玲人が小さな頃からだった。 そんな父親を見るのが嫌だった。 それに長は考えが浅い。 その長に諂(へつら)って何十年。

「何が楽しいのやら」

そうであるのならば自分はどうなのか。 村の狗ではないのか、それは長の狗でもあるということではないか。
村の者が黒門の者たちを殴打したことには驚いた、そしてあの時に初めて水無瀬を見た。 その水無瀬と二度話したことがあった。 その二度目に自分の口から発した言葉。

『俺からの助言としては諦めることだな。 諦めた方が楽しく暮らせる』

でも水無瀬は呑まなかった。

『この山ん中で楽しく? それもしたくないことをしながら。 あなたたちは白門としてのプライドはないんですか、ここで生まれ育ったんでしょうが。 守り人が何をするか、門の人間がどうあらねばならないかを分かってるでしょう、代々教えられてきたんじゃないんですか』

そして玲人もまた水無瀬から発せられた言葉を呑まなかった。

『プライドかぁ・・・それって黒門で教えてもらった? 黒門はそんな風に考えてんのか。 まぁ、門それぞれが同じ考えとは限らない、それに時の流れってやつがある、時代に合わせないと置いてかれるだけだぞ』

いつの間にか弄んでいたスマホが手の中に納まりじっとしている。

「俺はいつ諦めたんだろうか」

それに門の在り方というものを聞かなかったわけではない。 幼い時、小さな小さな声で曾祖父から聞いた話を覚えている。

『いいかい玲人、白門の村はハラカルラを守り、ハラカルラを守ってくれている守り人の手助けをせにゃならん。 宗太郎も啓二も何も分かっちゃない。 玲人だけは大爺の言うことを分かってくれるか?』

日頃から大爺が玲人の祖父を宗太郎、父親を啓二と呼んでいるのは知っている。

『うん』

『そうか、いい子だ。 だがこの話は誰にもしちゃならんぞ』

『爺ちゃんとお父さんにも?』

『そうだ、玲人の心の中にだけ置いておく。 分かったな』

あの時には理由が分からなかった誰にも言ってはいけないという言葉。 今その理由は分かっている。 理解したのは今ではない、小学校中学年の頃にはもうわかっていた。 村の中に漂う空気感、村の外に出て勉強を積み重ねた者が帰ってきて村で研究を重ねていたその存在理由。

時の流れに乗るということは必要なことでもある。 但しそれが正しければ、そしてそれに納得していれば。 納得もしていないのに乗り遅れたところで何の支障があろうか。

「俺は」

いつプライドをなくしたのだろう。



「のぅ、オマエ、いつまでスネておる気だ」

「うるさいわい・・・」

まるで小学生のような返しである。

「あっさり雄哉に教えていけばそれでいい話だろうが」

烏たちの会話を聞きながら不思議に思うことがある。 烏たちはどうして言葉や文字を教えるのだろうか。
そして烏たちはハラカルラを守るために存在している。 そのハラカルラが涙してまで我慢していることがあるというのに、そこに積極的にかかわろうとしない。 ハラカルラに言われるまで待つという手段を取っている。

文字こそハラカルラが認識しているわけではなく、ハラカルラの流れを烏が文字にしただけでありハラカルラは直接関与してはいないのだから、烏が勝手に教えても何の不思議はないが、初めて言葉を教えてもらった時、ミニチュア獅子に印を入れた時にハラカルラは言葉を守り人に教えろとは言っていないと聞いた。 それなのに烏は守り人に言葉を教える。 どうしてなのだろうか。



「そうか、怪しげなことは無いということだな」

「はい、そのようで」

「それに越したことは無いが・・・村を出た者が集まっているというのが気に食わん」

「御尤(ごもっと)もで」

「この間も木更の彩音が来ていたというが、その前は何年も前だろう」

「そう聞いています」

啓二の返事に舌打ちをしたくなる。 どうして先を読んでその返事が出来ないのか。

「何をしに来ていたと?」

一つ一つを質問しなければ分からないのか。 よくこんな男から玲人のような息子が生まれたものだ。 まさに鳶が鷹を生む、だ。

「いえ、とくには聞いていませんが、いわば単なる里帰りではと」

「玲人には調べさせておいてお前は調べていないということか」

「・・・すぐに」



「あの、烏さん、どうして文字や言葉を教えてくれるんですか?」

「ハラカルラのか?」

黒烏、当たり前なことを訊くな的なことを以前言っていたよな。

『そろそろ文字も教えるかのぅ』

『え? ハラカルラの?』

『それ以外に何がある』

それもどこかバカにしたような目をして。

「そうです」

それ以外に何がありますか、などと言ってしまえばまたスネてしまうかもしれない。 黒烏がスネると、どこからともなく小さな呻き声が聞こえてきたり、溜息が何度も吐かれたりと穴の中の雰囲気がじめっとする。 これ以上それは避けたい。

「文字はテン、テン、テン・・・テンプラ?」

どうして烏が天婦羅を知っている。

烏がチラリと水無瀬を見る。 合っているかということだろうが、絶対に天婦羅ではないはず。 だが何を言いたいかが分からない。

「なんでしょうか」

分からないということを示すように小首を少し捻ってみせておく。 これで水無瀬の返事に対しての機嫌は損ねないはず。

コホンとわざとらしく咳払いをする黒烏。 ちゃんと羽を嘴の元に持ってきている。 水無瀬が分からないということを示したことに元来のエラそばる黒烏が戻ってきたようだ。

「定型があっての」

定型・・・テンプレートのことだったのか。 この黒烏、器用に微妙にどこかはずしてくる。
テンプレート、ライが言っていた。 それに長が矢島達に受け継がれているとも言っていた。

黒烏がハラカルラの言葉でその定型を口にする。

「意味は言わずとも分かるだろう」

『扉を開けよ、閉めるでない 誰が為(たがため)のものか 扉を放て、作るでない
さすれば桎梏(しっこく)の環が解き放たれ、万水の縁由(えんゆう)を以ちて穢れ罪、塵埃芥ぞ祓われり』

水無瀬が頷く。
長がこの定型を読んだ時 “作るでない” までだった。 そして続きがまだあると言っていたが、それがこれだったのか。

『さすれば桎梏(しっこく)の環が解き放たれ、万水の縁由を以ちて穢れ罪、塵埃芥ぞ祓われり』

「これはの、ハラカルラが一番言いたいこと」

「え?」

「鳴海たち人間の世は枷で繋がれておる。 それを外せば重なり合っているハラカルラの水で穢れが祓われるということ。 それを守り人に聞かせるために言葉と文字を教えておる」

「だから今までの守り人には今コヤツが言った以外の言葉も文字も教えておらん。 まぁ、それ以上となると普通の人間なら頭が爆発するだろうがな」

普通でなくて悪ぅ御座いました。

だが確かにそうだろうと思う。 それは物理的に爆発するのではなく、一言一文字教えられる度に、頭の中に一筋の細い雲が出来る感じを受ける。 そしてそれが増えていくと頭の中が朦朧(もうろう)とし、その雲が幅を利かせて爆発しそうに感じるという感覚であった。

「 “万水の縁由を以ちて” ハラカルラがどれだけの痛みを伴おうとも、そうするということ、そう選ぶということ」

「じゃが人間は何も分かっておらん」

「まぁ、それも仕方のないことだがな」

烏が言うには、あくまでの烏たちはハラカルラが望むことをするだけ。 そのハラカルラから文字や言葉を守り人に教えるようにとは言われていない。 自分たちで決めたということ。

「わしらに出来るたった一つじゃがな、ハラカルラを分かってもらうために鳴海たちに教えておる、それが答えじゃ」

黒烏の機嫌が直ったが、この日はしんみりとして終わることとなった。


以前、黒烏が初めて水無瀬に文字を教えた日、すっかり忘れていた矢島からのメモを思い出していたが、白烏が言ったように頭が爆発する前だったのだろう、穴から出て『グゥー、頭が爆発しそう』 と言ったのを覚えている、あれは間違いではなかったようだ。 そしてそればかりが頭に残って、矢島のメモのことをまたもやすっかりと忘れてしまっていたが、黒烏から聞かされ再び思い出し矢島の書いていたメモが気になってきた。 あのメモは長に渡してある。
村に入ると足を長の家に向けた。

「よう、水無瀬君お疲れだったな」

白門見張り隊ではないおっさんが声をかけてきた。

「あ、ただ今戻りました。 皆さんもお疲れ様です」

全てとは言わないが、ライの家で出される食事の食材を村のみんなが作ってくれている。

「うん? ライの家に戻らないのか?」

「ちょっと長に」

「そうかい、水無瀬君も忙しいな」

一つ笑ってみせると再び歩き出した。


「矢島の書いていた?」

「はい、見せていただきたいんですけど」

「もちろんだ、言ってみれば水無瀬君に持っている権利があるのだからな、待っててくれ」

長が水無瀬に気を使って「預かる」と言ったのは分かっている。 訳も分かっていないあの時の水無瀬に預ける、若しくは返すということが水無瀬の負担になると考えてのことだったのだろう。

「水無瀬」

振り向くとライが居た。

「ライ」

「おっさんが水無瀬が長のところに向かったって、ややこしいことだったら分け合えって言われた」

おっさん達が気を使ってくれたようだ。

「ややこしい話じゃないよ、ほら、矢島さんからのメモを見せてもらいに来たんだ」

「あー、そっか。 てっきり白門のことで烏から何か言われたのかと思った、っておっさんたちが言ってた」

朱門のみんなは世話好きなのか心配性なのか。
そこへ矢島のメモを持った長が玄関まで出てきた。

「おお、なんだライも居たのか」 そう言いながら水無瀬にメモを差し出すと、ゆっくりと水無瀬が広げる。 長とライがその様子を見ている。 するとおもむろに水無瀬がハラカルラの言葉を口にした。 目は矢島のメモを見ているのだから、それを読んでいるということ。

え? という目をしているのは長である。

水無瀬が口を閉じる。 最後の三文字も分かった。 二文字、それは矢島を表す印。 そして最後の最後の一文字、長はこちらの世でいう判子のようなものだと言っていたがそうではない。 それは誰かに矢島の印を聞かせた、聞かせた相手のその身に入れるという意味の言葉だった。

「すごいな、水無瀬」

この短期間に読めるようになり、ましてや簡単に発音できないハラカルラの言葉を口にしたのだから、ライが驚いても仕方のないことである。

「長、以前言ってらしたこの続きっていうのは」

またもやハラカルラの言葉で黒烏から聞いた言葉を紡ぐ。

「あ・・・多分その通り」

「なんだよ長、多分って」

「いや・・・わしが聞いたというか、覚えた話し方とは随分と違うから」

「水無瀬どうなんだ?」

「うーん、以前長に読んでもらった時には何も知らなかったからな。 でも烏たちには間違ってるとは言われてないし、どうだろ」

「んじゃ長、俺が聞いてやるから一度読んでみてよ」

水無瀬は烏じきじきに教えてもらっているのだ、恥をさらすようで読みたくはないが、ハラカルラの言葉を耳にしたことのないライが聞いてどれだけ違うのかを知りたい。
長が水無瀬からメモを受け取り声に出して紡いでいく。 そして口を閉じた。

「長・・・」

「・・・どうだった」

「何も知らない俺が聞いても明らかに違うんだけど?」

ライが言うように水無瀬もそう思う。 長から初めて聞かされた時は、はっきりと聞き取れない発音で言葉を紡いでいく、発していくではない、紡いでいる、そんな風に聞こえた。 だが烏に教えられたハラカルラの言葉は遥かにそれを超える紡ぎ方だった。 包まれ揺られるような、漂うような、まろやかな、そんな心地の良い言葉で紡がれていた。 聞いていて心地が良い、いつまでも聞いていたい心地の良さがあった。
長には悪いが、よくこの紡ぎ方で矢島の印を入れられたものだと思う。

ライの言葉に長ががっくりと肩を落としていた。



夕刻、啓二が長の家に入って行った。 その姿を玻璃が横目で見ている。

「やはり単なる里帰りだと?」

「はい、年の離れた従弟の智一が世話になっていると幾人かに土産を渡していたくらいなもので、久しぶりだからと一泊して帰ったと」

長が首を傾げる。 朱門と黒門からハラカルラのことを言われてから二か月と半月以上が経つ。 その間に村を出た者達が集まっているやら、この木更彩音の話やらと持ち上がってきた。 木更彩音が一度も村に来たことがないわけではないが、めったに来るわけではないのにこのタイミング。

「木更の彩音はどうして村を出たのだったか?」

「たしか・・・噂では色恋ごとだったかと」

「噂?」

「あ、はい、確かめてきます」

「今日はもう疲れてる、報告は明日でいい」

「・・・はい」



ハラカルラから戻ってくると着信ランプが点滅していた。 スマホを開けると雄哉からのラインで、半月ほどが経つが例の会社の件はどうする、といった内容であった。

「うわ、あの連絡から半月が経っちゃってたのか」

ラインの返事を打ちかけたその手が止まり、通話画面を開く。
五コールで雄哉が出てきた。

「やっほー」

「元気そうじゃん」

「空元気に決まってんだろ、クタクタなんだからな。 で? どう? 調べた?」

「ごめん、まだ調べてなかった」

「まぁ、水無ちゃんも忙しいからな、あれだ、決して急かしてラインしたわけじゃないから気にすんな。 単に高崎さんが今度の日曜日にハラカルラに行くって言ってたから、顔も合わせるだろうしなって思っただけだし」

「え?」

「久しぶりに穴に行くって言ってた。 俺も出来れば行きたいんだけどなぁ、長く行ってないし」

「雄哉は来られないのか?」

閃いたことがある、出来れば来てほしい。

「無理は言わないけど、来られそうにないか?」

「うーん・・・仕方ないか、水無ちゃんの頼みとあらば一肌脱ごう」

「脱ぎはしなくていい」

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ハラカルラ 第66回

2024年05月27日 20時42分42秒 | 小説
『ハラカルラ 目次


『ハラカルラ』 第1回から第60回までの目次は以下の 『ハラカルラ』リンクページ からお願いいたします。


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ハラカルラ    第66回




玲人から電話がかかってきた。

「なんだよ、こんな時間に」

「悪い、でも長からの話だ」

「長から?」

玲人が杏里たちを見かけた複数の場所を言い、そこに村出身の者達がたむろしているようで何のために集まっているのかを探るように言われたという。

「そんな暇あるわけないだろ」

「俺もそうだよ、だけど長命令には逆らえないだろう。 それとも征太(せいた)じきじきに長に協力しないと連絡を入れるか?」

大きな溜息がスマホ越しに聞こえる。

「他に誰が居る」

「大学生は卒論に忙しいから外す。 院生だけ」

大学院生、白門で大学院に通っているのは他に三人が居る。 白門ではこの五人に対して豊作と言った数年であった。

「祥貴は」

最初は大学院に行くと言っていたが、大学に残り教授の手伝いをすることにしたと聞いている。

「祥貴は俺らとは違うだろ」

祥貴は自分たちのように村からの援助で大学に行っていたわけではない。 祥貴の親が捻出した金で高校にも大学にも通っていた。 水無瀬のことに対しては協力していたが、自分たちほど村の言いなりにならなくてはいけない立場ではない。

「五人か・・・分かった」

通話を切ると玲人が溜息を吐いた。

「いつまで村々って言ってなきゃいけないんだよ」

父親に下手なことを言ってしまったと今さらにして思う。



ファミレスで時間をつぶしていたライと合流し村に戻った。

「来週の明日」

今日を含めて九日後。 だがすぐに零時になる。



「お早うございます」

「おお、今日は真面目に来たか」

「毎日真面目です」

「昨日は来んかっただろうが、よく言えたもんじゃわい」

「あー、ちょっと事情がありまして」

ここに居ると時間を忘れてしまう。 気が付いたら勤務時間を大幅にオーバーしてしまっていることなどざらにある。 あくまでも勤務時間など決まってはいないが。
そうなると、潤璃達と会うのに大幅に遅刻をしてしまうことになる、若しくは会えない時間になってしまっているかもしれないという危惧があったからであり、決して不真面目に休んだわけではない。

とっとと二枚貝に向き合う。 終貝はなし、質の悪いものもなし、紡水はいま黒烏が見ているから心鏡の前に座り込む。
無言でルーティーンのように動いている水無瀬を二羽の烏が横目で見ている。

「矢島みたいだの」

ポロリと聞こえた黒烏の声。

「え?」

「矢島はいつもそうして無言で淡々と指を動かしておった」

「え? 俺、淡々としてます?」

「そうやって喋らなんだらな」

「話しかけたのは誰でしょう?」

「話しかけてなどおらんわ。 わしの独り言に鳴海が応えたのが始まりだろうが」

この大ジジボケ烏と疑問の塊の会話は聞いていて悪くはない。 そう思う白烏が羽を動かしていると思い出したことがあった。
水無瀬が黒烏に疑問を投げかけると『知る必要はなかろう』と返していたことがあったが、その疑問は解けたのだろうか。

その疑問とは、黒烏が矢島の印はあくまでも矢島の印であり、決して水無瀬の印ではないと言ったことから始まっていた。 それに対して水無瀬が、それを誰がどこで判断しているのかと黒烏に訊いた。 すると知る必要はなかろうと、明らかに面倒くさがって黒烏が返事をしていたのだった。

「鳴海」

「はい」

呼びかけられても指先を見て指を動かしている。 それは呼びかけた白烏も同じことであるが、声を発しながら水を宥めるのは容易なことではない。 それを水無瀬は早い段階からしていたのを白烏は見ていた。
白烏がチラリと水無瀬を見てから続ける。

「アヤツに訊いておったこと、分かったのか?」

「うん? 何を訊いてましたっけ」

「やはり鳴海はボケとるの」

下手に参加したがる黒烏である。

「矢島の印が鳴海の印ではないということを、どう判断しているかということ」

「あ、ああ、あれですね」

黒烏が半眼で水無瀬を見て「軽いのぉ」と言っている。

「ハラカルラが判断しているんじゃないんですか?」

あれはいつだっただろう、雨の音が強くしていた。 ああそうだ、ドッペルゲンガーかと思った夢を見た日だ。 ライに疲れているんじゃないかと言われ、ゆっくり寝るようにと言われた。 そのあと二階に上がり布団に横になると、強い雨の音に誘われるように頭の中が心地よく揺れたのだった。 暫くしてすっかり黒烏に訊いたことすらも忘れていたのに、ふとそれに気付いた。

『そうか』

ハラカルラが判断をしているんだ、そう思った。

白烏の羽が止まり、黒烏が水無瀬を凝視している中、水無瀬が続ける。

人間の世界でいうところの波長。 それは物理学などの分野では波の長さを表しているが、人間に当てはめて言われる事もある。 “考え方、感じ方が同じ” “一緒に居ると楽しい” それらを波長が合うと言われる。

一人の人間が長く呼ばれてきた名前を、ハラカルラはその人間の身体の周りにある水の流れで分かる。 水が体をまとうように触れると身体から発せられる微妙な振動(波)を感じ、それが身体の周りでの水の流れとなる。 その振動で長く呼ばれてきた名前を知ることが出来る。

一人の人間に沁み込んでいる名前という音の波なのか、名前がその人を形成し身体が振動を発しているのか、そこまでは水無瀬の知るところではないが、ハラカルラが誰かの名前を知っているのは、水で名前を感知しているということになるのではないか、だがそれだけではないと水無瀬は思っている。 嘘を言うと水がざわつくというのも、その辺りが影響しているのではないだろうかと言った。

「違いますか?」

「もう・・・わし、いや」

そしてこの日も水どころか、黒烏を宥めなくてはならない日となった。


「黒烏、スネ過ぎ」

挙句の果てに白烏が要らないことを言ってくれた。

『オマエは今回手を抜きすぎだからの、今回は数に入れん。 次の雄哉はオマエが教えろ』

『あんなのに教えるなどと、身が持たんわー!』

そう言ってまたスネだしたのだった。

「雄哉、酷い言われようだな」

とっとと水無瀬の力を受け取ればいいのにとは思うが、水無瀬が雄哉の立場であれば同じように簡単に受け取ることはない。
誰かがそれってプライドが邪魔をしているのではないのか? などと言えば、はっきりと首を横に振る。 もし雄哉を見ていなければ、小さなプライドがあったかもしれないと思ったかもしれないが、雄哉を見ていればそうでないことが分かる。

プライドなどというものではない。

小さなプライドは自分自身に対してというところが大きくあるだろう、そして大きなプライドは人の目を気にする、自分が優位に立とうとする。 だがそのどちらでもない。 自分の力を試すのでもなく、純粋に自分の力だけで努力をしたい。

プライドとはいったいどこから発生するだろうか。 自分の出来ることを頑張ろうとするが出来ない、その時に手を差し伸べられそれを断ればそれはプライドからなのだろうか。 人の手を拒み純粋に自分で頑張ろうとする、それとプライドとの線引きはどこにあるのだろうか。

プライドと自分が頑張ろうとする純粋な思いを同次元に考えるのは違う。 だがその線引きは曖昧。

雄哉は高崎がかけた日数を一区切りと考えている。 烏の言うことを聞いているときっと無理だろうがそれでも応援しよう、寄り添おう。



「玲人」

名を呼ばれ振り向くとそこに征太が居た。

「こんな時間に集まってるってか?」

「こんな時間だからだろうが、全員それなりに仕事か学校に行ってるんだからな」

「他の奴は?」

「違う場所を見てる」

目の前に建っているマンションに入って行くのを何度か見かけた。 今日も来るとは限らないが来たのならば偶然通りかかったふりをしてそれとなく話しかける。 今日会うことが出来なければ父親である啓二から聞いた杏里のマンションを訪ねる。 他の三人は違う人間のところを訪ねる。

「えー・・・そこまでするのかよ」

「いま波風が立つようなことは避けたんだと」

「波風立ててるのは村の方だろ」

水無瀬のことを知っているし、どうやって連れてきたのかも知っている。 そして村に襲撃があったことも。

「場所を変えよう」

少し離れるがマンションを見張れる喫茶店がある。 そこは玲人が杏里たちを見かけた時に居た喫茶店であった。



今日もまだスネていた黒烏を尻目に一日が終わった。

ハラカルラから出ると雨が降っていた。 朝は降っていなかったのに。 だがライからちょくちょく聞いていた、水無瀬がドッペルゲンガーかと思った夢を見た日から時々豪雨のような雨が降っていると。 『今あちこちでゲリラ豪雨だってさ、夕立のような風流さがないよな』 などと言っていた。

「濡れて帰るか」

今はまだハラカルラとの境でそんなに雨は感じないが、先を見ただけで雨粒が激しく当たれば痛そうである。

「水無瀬くーん」

え? っと思ったら、ライの母親が傘を三本持って木の陰から出てきた。 一応、雨宿りをしていたのだろう。

「はい、傘」

三本のうち一本を差し出された。 あとの二本はライとナギの分なのだろう。

「ライたちはまだ?」

「うん、そろそろだと思うんだけど」

「じゃ、俺が待ってます。 おばさん忙しいでしょうから」

決して夕飯と風呂の用意をしておけと言っているわけではない。

「やだー、気にしないで、お風呂は沸かしてきたから帰ったら先にお風呂に入ってて」

毎度のことであるが、今日は背中ではなく腕をバンバンと叩かれる。 それに心の中を読まれたのだろうか。

「ん? あれ? おばさん、雨がやんできてるみたい」

え? と振り返った母親。

「きゃー、ほんと」

またバンバン叩かれる。 今度は胸板を。

「お母さんうるさい」

後ろを振り向くとライとナギ、そのほかに何人もが歩いて来ている。 今日の白門見張り隊のご帰還と言ったところだろう。

「あーら、せっかく傘を持ってきてあげたのに、その言い方ってないと思うわー、ねぇ、水無瀬君」

本当に明るい人である。 この母親を見ていてどうしてナギのような育ち方をするのだろうかと思ってしまう。



チャイムが鳴った。 立ち上がりモニターを見ると久しぶりに見る玲人が立っていて、その横に誰かの髪の毛が見える。 少なくとも玲人と他に一人ということ。 それ以上でないことを祈りながら通話ボタンを押す。

「あれ? え? 玲人?」

白々しく言えているだろうか。
潤璃の家に居る時、父親から連絡があったが、翌日また連絡がきた。 杏里の住所を訊かれたということで、一人暮らしの娘の居所など教えたくないと言ったのだが、それが通らなかったということであった。 このことは既に今回動くネットワークの人間たちは知っている。

『久しぶり』

「なに? どうしたの? ってか、すぐにドアを開けるね」

オートロックであるマンションの扉が開かれた。 エレベーターで五階まで上がり再びチャイムを押すとすぐにドアが開かれた。

「良かった、まだお化粧落としてなくて。 久しぶりね、入って。 ん? 征太?」

横からヒョイと顔が出てきた。
朱門もそうだが白門も基本、三、四年違いだけであれば男女問わず互いに呼び捨てである。 だが五年、六年と違ってくると下の者は “さん” を付け始める。

「キレイになってるじゃん」

「なにそれ、元が悪かったみたいに聞こえる。 それより早く上がって」

「玄関先でいいよ、ちょっと訊きたいことがあるだけだから」

「そうそ、それにこんな時間に男が訪ねてきて家に上がり込ませてどうすんの」

「そんなこと考えなきゃなんない相手じゃないでしょ」

「うわー、俺ら男として認められてないみたいだぜ、玲人」

さっきまでグズグズ言っていたというのに、この変わりようはどういうことか。 チラリと征太を見て口を開きかけた玲人より先に杏里が口を開く。

「そっか、うちのお父さんにここを訊いてきたのはどっちかのおじさんってことだったのか。 お父さん誰かまでは言ってなかったから」

父親が娘の居所を訊かれてそれを娘に話さないわけがない。 あまり白々しく何も知らないという態を取っていては余計に怪しまれるだけ。
実際に杏里の父親に訊いたのは玲人の父親でも征太の父親でもない。 そのことを玲人は聞いているが杏里は何も知らないらしい。

「訊きたいことは」



「よう、勝彦、久しぶり」

ドアを開けると芳宗(よしむね)が立っていた。

「うわ、どした?」

こちらはモニターも何もなく単なるドアチャイムだけであった。

「他にも居るぜ」

親指だけを伸ばして横を指す。 ドアを大きく開けるとそこに和夫と大地が居た。

「なにー? 久しぶりー。 嬉しいな、上がれよ」

「悪いなこんな時間に」

狭い玄関に男の大きな靴が次々と脱がれていく。 通された和室は六畳で部屋数としては2DKである。

「いいとこに住んでんじゃん」

この三人は水無瀬ほどのボロアパートではないが、間取りとしては水無瀬と同じく2Kである。 大学時代も大学院も忙しくてまともにバイトなど出来ない、従って贅沢な暮らしは出来ないということである。

「高卒だと言っても社会人だしな、それなりに働いて儲けてる。 ま、杏里のマンションほどじゃないけどな」

三人が一瞬目を合わせた。 それを見逃してはいない、わざと杏里の名を出したのだから。

「へぇー、杏里か。 杏里とよく会ってるのか?」

白々しい質問だ、今の話の流れでいうと杏里のマンションがどれほどのものかを先に訊くだろう。 第一、杏里との事を訊きにやって来たのだろうが、と言いたいが言えるものではない。

「よくってほどでもないけど、たまに何人かで飲んだり食べたりしてるくらいだな。 メンバーはその時々で入れ替わりだけど。 で、そのまま誰かの家に行って朝までドンチャンって日もあるな」

「メンバーって?」

「簡単に言えば里友会、村を出たやつらで時々集まってんだ。 やっぱ村を出てすぐに働いてってなると、村の生活しか知らなかったから良いことも悪いことも色々あるわけよ。 で、色々話すけど最後には昔話なんかで和むって感じ。 お前らも村を出て大学に通い始めた時、村と町との違いをまざまざと感じただろ?」



「うん、そう」

「飲み食いカラオケ・・・そしてたまに泊り。 それも男女関係なくって・・・」

「小さな頃から一緒に遊んでたんだから、男とか女とか以前じゃない。 あ、そっか。 玲人も征太も勉強漬けだったから、小学校中学年くらいまでしか遊んでないか」

廊下の向こうである、きっとリビングだろうところからスマホの着信音が響いてきた。

「あ、ちょっと待ってて」

「いや、いい。 こんな時間に悪かったな、帰る」

「やだ、せっかくの久しぶりなのに。 いつでも来てね、みんなも呼ぶから」

二人が出て行きドアが閉められると背を壁に預け大きく息を吐く。 そしてそのまま膝が折れていき座った状態となった。

「上手く言えたかなぁ」

もう一度大きな息を吐いた。

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ハラカルラ 第65回

2024年05月24日 20時36分31秒 | 小説
『ハラカルラ 目次


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ハラカルラ    第65回




「え? 杏里?」

丁度夕飯を終わらせた時間に玲人の父親が訪ねてきた。
杏里の母親が後ろを振り返り杏里の父親を呼ぶ。

「お父さん、啓二さんが杏里のことで何か訊きたいって」

杏里の父親と玲人の父親である啓二は歳が同じである。 従って玲人と杏里も歳が近く、小さな頃はよく一緒に遊んでいたが、大学に進んだ玲人と違って杏里は高校を卒業すると村を出ていた。
玲人が街中で杏里を見かけた時には垢抜けていて驚いたが、それでも高校生の頃の面影を残していてすぐに杏里と分かった。 だが声をかけることは無く、時々見かける程度であった。

「おう、啓二、なんだ?」

「明彦、お前、最近の杏里の様子を知ってるか?」

「そりゃ知ってる、一人娘だからな、毎日連絡を入れるように言ってる。 元気にしてるさ」

一人娘と言っても一人っ子ではない。 杏里の兄である智則(とものり)は高校を卒業した後は村に残っている。

「ラインで元気よ、ってくらいですけどね」

生死を確認している程度の様子である。 それならば訊きたいことは知らないのであろうか。

「村を出た誰かと会っているとかって聞かないか?」

「聞いたことあるか?」

明彦が杏里の母親に聞く。 そんなところは女同士で話しているだろうという感じの訊き方である。

「えーっと、せっちゃんとはよく会ってるって聞くかな」

「矢川の節子か」

節子と杏里もまた、そんなに歳は変わらないが節子の方が上である。

「そう、良くしてくれているみたい」

節子がどれだけ良くしていようとも今そんな話は関係ない。 間髪入れずに次を訊く。

「他には?」

「うーん、聞かないかなぁ」

「まぁそれでもどこかで村出身の連中と会うと話の一つもするだろうがな」

「杏里はどうして村を出たのか、親なんだから聞いてるよな」

「単純に化粧をして仕事をしたいってさ。 農作業じゃない仕事ってな、呆れるだろ」

玲人からは垢抜けて奇麗になっていたと聞いている。 村を出た理由を実践しているだけのことなのだろうか。 だが玲人は複数人の中に杏里が入っていたと言い、それを何度か見かけたと言っていた。 今、明彦が言ったように単に村出身の者の家なりマンションなりに訪れ、昔話でもしているだけなのだろうか。

「そうか、夕飯時に悪かったな」

「いやいや、玲人は勉強が進んでるようか?」

「そうなんだろうな、だが俺の分からん話をされてもチンプンカンプンだ。 邪魔したな」

「そんなことはない、おやすみ」

ガラガラと戸が閉められ、硝子戸に映っていた啓二の姿が徐々に消えていく。

「おい」

声を押し殺して言っている。

「はいはい、分かってますよ」

そう言って台所に入って行くと、続き間でテレビを見ていた杏里の兄に呼びかける。

「智則、夕飯の片づけ手伝ってちょうだいよ、天ぷらの後は大変だから」


その後も玲人が見かけたという親たちの元を訪ねたが、どこも同じような反応であった。 だがそれが可笑しい。

「どうしてだ」

「一人くらい村を出た連中と賑やかにしていると言っていてもいいはずです」

「それはそうか」

村を出ているのだ、それこそ一揆などという心配はないが、高校生たちや農作業で怪我をした者たちがハラカルラに入ると、朱門と黒門に見張られ縮こまっている状態だと聞いている。 そんな不安定な時に不穏な空気は払拭しておきたい。

「玲人たちに探らせますか?」

村を出て大学や大学院に通っている者たちに。

「そうだな」


時間は少し遡り、啓二が明彦の家を出たあとになる。
ライが言ったようにラーメンを食べ、腹ごしらえを済ませた水無瀬が潤璃の家を訪ねていた。 遅れてくる者も居るということで、すでに揃っていたメンバーたちに水無瀬を紹介したあと、一人ずつの紹介が始まった時であった。

「あ、ごめんなさい」

着信があったようで、一人の女性がスマホを持ってリビングを出たがすぐに戻ってきた。

「お父さんからだった。 啓二さんが怪しんでるみたい」

集まっていた誰もがその女性を見る。 もちろん水無瀬も。 その水無瀬に向かって「下坂杏里と言います」 と言ってから潤璃に向き直る。

「村を出た誰かと会っているかっていうのと、私がどうして村を出たかの理由を訊いてきたって。 理由は農作業以外をしたいからって言って、お母さんがせっちゃんと会ってるって言ったくらいらしいけど」

節子の方を見ると節子も頷き、水無瀬に向かって「矢川節子です」と言った。

「まずい方に風が吹き出したかもしれませんね」

「私が時間をかけすぎたからだ、申し訳ない」

「いいえ、そういう意味で言ったのではありません。 それに慎重が第一ですから」

水無瀬の気遣いに一つ頷いてから続ける。

「取り敢えず誰が誰か分からないだろう、紹介の続きをしよう」

一人ずつの名を告げられるが、一度に覚えきれる数ではない。 ネットワークから広がった人数は総勢五十八人ということで、今このリビングに居るのがその内の十二人である。

玻璃から聞いた村の人数と合わせると、総勢百二十一人。 村の二十歳以上の総人数である三百人の中に玻璃たちは入っているが、この五十八人は入っていない。
総人数に五十八人を足して三百五十八人、この人数が最終的な総人数となる。 あくまでも当日、五十八人が参加できればの話であり、村の総人数は三百人オーバーだというから狂いは出てくるだろうが。

おおよそで考えた時、358分の121と考えて0.3379となり、33%強だがオーバーの分から、良くて33%。 玻璃たち村の中の者だけで考えた時の20%を大きく上回る。 そして五人に一人が同じ志を持つ者だったのが2.9586人となり、オーバーの分を考慮して四人から三人に一人とこちらもかなり数字が変わった。 その上ここに居る二十一人と、まだ顔合わせはしていないが四十六人、合わせて五十八人は、村の中の者たちよりも大きく主張するはずである。 そういう意味で考えた時の数字はまた大きく違ってくる。

一人一人紹介されたあと、各々が自分の考えを水無瀬に聞かせる。 やはり誰もがハラカルラを大切に思っている。 その言葉を直接聞くことが出来、改めて肚の中の納まりが良くなっていくのを感じた。 水無瀬自身気付かなかったが、少し前まで積み木をグチャグチャにして肚の中に入れていたような状態だったようである。

一人一人が話す中、時間差で何人かのスマホが鳴っていた。 それは通話であったりラインであったりそれぞれだったが、口を揃えて杏里と同じことを言っていた。
そして最後には潤璃のスマホが鳴った。 村の中をまとめている玻璃にも村の中で問われた全員が連絡をしていたということで、そちらも注意するようにと言われたという。

「こんな時間になって・・・いや、と言うことは杏里の家が一番最初だろうな。 ということはついさっき知って焦って訊いて回っているということか」

「でもお袋が聞いた限りでは、俺たちが意味あって集まっているとまでは知らないでしょう。 せいぜい何人かが一緒に居るところを見られたくらいなものじゃないですか?」

「そこを嫌っているのかもしれません。 今、白門は朱門と黒門に圧をかけられていますから、村の中を平成に収めておきたいといったところかもしれません。 杏里さんのお話ではどうして村を出られたかまで訊かれたということ。 村を出られた方々と言っても実家とご連絡を取り合っていらっしゃる、そこに不穏分子があっては困る」

「村を嫌って出た、と考えているってことか? まぁ、正解だが」

「可能性は大きいかと、それもハラカルラのことで。 朱門と黒門に色々言われましたから敏感になっていても可笑しくはありません」

「悠長に構えてはいられないな」

「そのようですね」

だが今から全員で白門に行くという話にはならないし、そんなことは出来ない。
話を戻して一人一人が話している間に数人が遅れてやって来ていて、最初の十二人以上と意見を交換し合うことが出来た。

「他のみんなも同じ考えだよ」

「うっぷんが溜まっていたことを盛大に吐き出してやりますよ」

「ええ、それもあるけど、その前に水無瀬君、本当にありがとう」

「え?」

「そうだな、潤璃さんから聞かなきゃ俺たちは誰一人として声を上げなかったと思う。 鬱屈した気持ちでネットワークを組んでいただけで終わっていた。 ありがとな」

「そうね、時々、腹の探り合いをしながらね」

誰もがくすりと笑っている。

「ネットワークの中ではこんな話は全くなかったんですか?」

「表立って話せる話ではないからね」

「たとえネットワークの中だと言っても、いつ誰が村の誰かに言うとも限らない、そうなれば実家が心配になるだけだから」

「その証拠っていうのもなんだけど、ネットワーク全員が参加をしているわけじゃない」

「ということは、声をかけていない人もいるってことですか?」

「ああ。 たとえ村に漏らさないとしても、ここに居る者たちほど強い思いがない人間には声をかけていない」

潤璃がどういう基準でそう判断したのかは分からないが、そこのところの選別に時間がかかったのだろう。 それを思うと潤璃に声をかけてから今日までにこの人数を集めたというのは最短なのではないだろうか。

「それでこれからの事なんだが」

「はい、僕は決して弁が立つわけではありませんし、小細工も出来ません、良策を考える頭も持っていません。 拙策にもならないほどになりますが、僕に考えがあります」

水無瀬の考えというのは、正面からストレートに言い、村の内側から崩していくということであった。 そこで村を出ている五十八人には悪いが、立場を忘れてはっきりと言ってもらうと言う。 わざわざ村に足を運ぶのだから、チャンスはこの一回だけ、誤魔化すことなくはっきり言ってほしいと。

「願ったりだね」

誰もが頷いている。
そして村の中の人たち、玻璃からの情報では六十三人だということだが、こちらには強制はしないと言った。 あくまでも村の中で生活をしているのである、その時の色んな立場、状態があるだろうからと説明をし、その場になり手を上げ声を上げるかどうかはその時次第で、水無瀬が遠回しな言い方をして手を上げるチャンスを作るということであった。

「人数が不確定ということか」

「はい。 ですが玻璃さんがかなり確実性を持っていらっしゃるようなので、そんなには変わらないと思います」

「うちの兄さんが手を上げないことは分かっているし、お母さんはどっちつかずだけど兄さんを選んで上げないわね、でもお父さんは必ず手を上げるわ」

杏里である。

「一人でも確実な人が居れば、つられて手を上げる人が出てきますよ。 それとお兄さんはどうしてですか?」

「いちおう白門では例のアレのことを村おこしだって言ってるの」

例のアレとはハラカルラの魚たちからエキスを作るということ。 はっきりと口にしたくないということである。

「村が儲かればそれで楽が出来ると思ってるの、我が兄ながら情けない話だけど。 そんな兄さんを未だに可愛いがってるお母さんだから、手を上げないのは分かってる。 でも私とお父さんの間には協力してくれてるの。 だからどっちつかず」

「じゃあ、ご家庭でこのことを知らないのはお兄さんだけってことですか?」

「そう」

「他の方たちもそんな感じですか?」

ネットワークの人たち全員ではないが、自分の家族の誰かが同じ考えを持っているのではないかと感じることはあったが、あえて話すことは無かった。 だが今回のことがあり、それとなく訊いたということで、それで輪が広がり玻璃にも情報を流したということを最初に聞いていた。 それまでは家族間、夫婦間や兄弟姉妹間でも一切そのことに触れてこなかったということであった。

「そうだね、たとえ親兄弟といえど村が決めたことに大々的に逆らうようなことは言えないからね、良くても、それとなくコソコソと話している状態だね」

それは家族としてどうなのだろうか。

「今更撤回する気はありませんが、ご家庭の中で軋轢(あつれき)など生まれませんか?」

「生まれる家もあるだろうね、だけどもうみんな肚はくくっている。 村の中でのこちら側の人間もそうだろう、いや、くくれていない者が手を上げない、といったところか。 水無瀬君の言ったようにそれはそれでいいとしよう」

「大きなご迷惑をおかけすることになるかもしれませんね」

「まぁ確かにそんな家も出るだろうが、水無瀬君が気にする話ではない。 ハラカルラを知る人間として人非人を作ってしまった白門のせいであり、一人一人が考えを改めるいい機会だと私は思っている」

水無瀬と共に潤璃によって集められたメンバーが、白門の村に出向く日が反対する者たちに改悟させる日である。

「五十八人が揃うことの出来る日が来週の明日でその日にお願いしようと思っていたのだが、村が気付いたということは早める必要がある、か」

どちらを優先すればいい、水無瀬が考える。 このメンバーは外したくない。 だが白門がどう動くかが見えてこない。

「僕が白門から逃げる時、よくは分かりませんでしたが争いごとがあったようなんです、怒号や凄い音が聞こえていて。 白門の村の方々は強硬に出ることがあったりするんですか?」

よく分からないどころかしっかりと分かっているし、白門の人間が黒門の人間を殴ったことも知っているが、こんなところでバカ正直になる必要は無い。

「いや、その話は私も玻璃から聞いているが、初めてのことだったということだ」

「俺も聞いたけど、親父たちは無理やりやらされたって。 っていうか、言われれば逆らえないって話ってことだけど。 でもその内相手が刀みたいなのを振るってきたから思わず手が出たとは言ってたな」

「ではこちら側が白門の村に行く前に、五十八名の方々が追及されることなどありませんか? 暴力付きで」

誰もが互いを見る。 “追及” で終わっていればそんなことには屈しないと言ったところだが、暴力という言葉を付けられては考えてしまう。 水無瀬が言った話は誰もが耳にしている。 到底今までの白門からは考えられない話だった。

「それが何だっていうの、たとえ暴力付きでも口は割らない。 逆にそんな暴力を振るう村を作った今の村を変えなきゃ」

「そうよね、それに簡単に暴力には走らないと思うの。 走っても対峙するけどね、でも白門はもともと先に頭で考えるっていう傾向があるわ、一週間以内に暴力に走るっていうことは無い可能性の方が高いと思う」

「女性陣、強~」

「何言ってるの、肚くくりなさいよ、村を変えるんでしょ」

「分かってるって」

ライとナギを見ているようである。 こちらのナギの方が言葉は随分と上品だが。

「どうしますか? 僕としては全メンバーが揃って下さる方を選びたいんですが、何かあった時の当事者になるのはメンバーの方々ですから」

「そうだな・・・女性陣に負けていては男が廃るってものか」

「では予定通りということで宜しいですか?」

「みんな、いいか?」

全員が明るく応え反対はなかった。

「今日で準備を終わらせたということにしよう。 村の目がある、誰とも会わないようにしてくれ」


潤璃の家を出る前に訊かれたことがあった。

「玻璃は水無瀬君にまだ気付いていない様子かい?」

「はい、最後の連絡の時に、いったい誰なんだと訊かれました」

「そうか、玻璃も頭が固まってしまっているな」

ということであった。

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ハラカルラ 第64回

2024年05月20日 20時57分56秒 | 小説
『ハラカルラ 目次


『ハラカルラ』 第1回から第60回までの目次は以下の 『ハラカルラ』リンクページ からお願いいたします。


     『ハラカルラ』 リンクページ




                                  



ハラカルラ    第64回




烏に文字を習いだして二十日が経った。

「なんでじゃ?」

「え? なにがですか?」

「覚えるのが早すぎるだろうて」

早ければそれでいいではないか。 どうして疑問を持つのか。

「いやぁー、文字数そんなに多くありませんでしたから」

現段階で五十音より少なかったのではないだろうか。 言い換えれば五十音より少ないのだから、もっと早く覚えてもよさそうなものだが、日本語のように単純に一文字が一発音ではなく、一文字で二つ三つの発音となっている文字もあり、単に文字を覚えるだけとはいかなかった。

「そういえば、この文字って烏さんが考えたんですか?」

「うーん、ほじくるとそうではないが、ま、そんなところだの」

どんなほじくり方をすれば何が出てくるというのだろうか。 教えろという流し目を黒烏に送るが、それに気づいてそっぽを向いた。 教える必要がないというよりも、教えるに面倒くさがっているのが丸見えである。

あの時のハラカルラの悲しいという気持ちを、たった一歳だった水無瀬はどこから感じたのだろうかと考える。

(感じたのには違いないんだ)

一歳の水無瀬が悲しいや痛いというハラカルラの言葉を知るはずもないのだから。 日本語ですら怪しい年齢である。

(・・・あ?)

まだ思い出しきれていないことがある。 それは何だったのだろうか。

「鳴海、手が止まっておる」

「はい、はい」

黒烏が面倒くさがらずに教えてくれれば手が止まることもないのに。 口に出しても面倒くさがって教えないであろう文句を心の中で垂れておく。

「文字の方はまだ続きがあるんですか?」

文句を言われないように心鏡に指を動かしながら問う。

「うーん、主要なものはこれくらいか」

「主要なもの?」

「儀式用や、日ごろ使うことのないものはまだあるが、鳴海が知らねばならんことではないからの、ここまででいいじゃろ」

「それって守り人皆さんがここまでってことですか?」

「そんなわけあるまい」

どうしてだか白烏が半分怒りながら会話に入ってきた。

「ここまで教えたのは鳴海が初めて。 黒の最初の妹でもここまでは覚えきれなんだ」

え? どうしてだ? 黒烏が発音し、その発音で二枚貝に示されている文字を覚える、時にはその意味も含めて覚える。 たったそれだけのことなのに。

「今たったこれだけの事とかと思っただろう」

「いえ、そんな―――」

水がざわつき始めた。

「・・・思いました」

(ん? 水のざわつき・・・?)

「前にも言ったが、鳴海は―――」

「そうか!」

「うるさい!」

白烏にはたかれた。

(ゆらゆらゆら・・・俺はあの時、悲しい声が聞こえた後に水の揺れる揺らめきを見た。 あの時はゆらゆらと見えていたつもりだったが、違う)

「もしかして文字って、ハラカルラの水の揺れる形って言っていいのかな、そんな流れみたいなものを形にして文字としているんですか?」

単純な五十音もあるが、その文字自体に感情や意味がある文字もあるということ。 だから一文字で二つ三つと発音するものもある。
黒烏と白烏が驚いた目をした後に互いを見合う。

「もぅ・・・わしには鳴海は扱いきれん」

「え? どういう意味ですか?」

ここまで来て匙を投げるというのか。

「鳴海がアヤツの範疇を出ているということ」

黒烏の範疇? それはどういう意味だ。

「はい?」

「鳴海はハラカルラのことを教えられずとも分かっておるということ。 それはアヤツには教えることは無いということ」

「はいぃぃぃー?」



何かが聞こえた
何の音だろう
顔を巡らせる
キラキラと光るモノが見える
あの音は何処から聞こえてきたのだろうか
キラキラからだろうか
それともずっと続く広いどこかからだろうか
悲しい声が聞こえる
ゆらゆらゆら



白々しいセリフでなんとか黒烏を宥めて機嫌を取ることが出来た。 こんな時には単純な黒烏で良かったと思える。 白烏にはバレバレだったのだろう、白眼視を送られてしまっていたが。

「色んな意味で疲れたー」

部屋に入ってバタンキューである。

夕飯と風呂を済ませ部屋に入り、パソコンの前に向き合った時、通話を示す着信音が鳴った。

「一ノ瀬さんかな」

ポケットからスマホを出すと雄哉と表示されている。

「雄哉か」

スマホをタップし通話に出る。

「はいはーい」

『あ、水無ちゃんだ』

雄哉がかけてきたのだろう。 水無瀬が出ることは分かっていたはずではないのか。

「なに? どした? かけ間違い?」

『違う違う、久しぶりの水無ちゃんの声ってこと』

そう言えば長く雄哉の声を聞いていない。 雄哉と一緒に朱門の村を出てアパートに戻ったきり話していなかった。 一緒にアパートに戻ったのが五月の連休明け、そして今は六月が終わろうとしている。 高校で雄哉と知り合ってからこんなに長く雄哉の声を聞かなかったのは初めてである。

「はかどってる?」

『ぼちぼち』

「ぼちぼちじゃダメだろ、新幹線並みじゃなきゃ」

『うーん、んじゃジェット機並み』

「言ってればいいってもんじゃないだろ」

『取り敢えず頑張ってる。 そんな話じゃなくてさ』

以前、雄哉は青門の守り人である高崎と水無瀬の就職のことを話していたことがあったと言う。 高崎は営業職である関係から色んな企業と顔を合わすことがあり、時には営業職に限らず他の部署とも顔を合わすことがあるということであった。 そこで大きなお世話だろうが、高崎が良いのではないかと思えたところがあれば、水無瀬に紹介すると言っていたという。

「え? 紹介って?」

コネで入るということか?

『高崎さんが気に入った人が居て、そこの企業自体も悪くないからどうかって。 大企業で上場もしてるってさ、高給、昇進アリアリ。 どう? 一度会ってみる? ま、俺としては水無ちゃんはハラカルラの方が合ってると思うけど』

就職、それは人生を左右すると言っても過言ではない。 昭和時代の頃には転職などということは有り得なかった。 生涯雇用。 その雇用が保証されていた。 だがその保証が崩れてきている。 転職し自分に合った職種を探す者も多い。 住処を変えた田舎暮らし、全てとはいかないがある程度の自給自足。 そこで茶屋を出したりしている人もいる。 それも転職の一環。

生涯雇用の頃と比べると選び方は千差万別。 苦労を選んで金を得る、貯金はなくとも正社員でなくともその日が楽しければそれでいい、趣味が金になる、田舎に暮らして清々しい空気を吸えることが一番であればいい、時間に追われずゆとりのある時間があればいい、他にも選び方はたくさんある。 選ぶのはその個人が何を優先するのか、何を大切にしたいのか。 そして、どうしたいのか。

(どうしたいのか。 俺にはそれが欠けてる)

優先したいのは昔からの想いである高給・昇進。 大切にしたいのはハラカルラを知ってからはハラカルラ。 どうしたいのかが決められない。

「今は会社名だけ聞いておく。 調べてから連絡する」

『オッケー、社名は』


信じられない、こんなことがあるのか。 雄哉から社名を聞いた時に思ったのがそれだった。
以前、一ノ瀬から名刺をもらった時に偶然ではなくそれは必然である、そんな言葉が頭に浮かんだ。 それは大学の教授からランクを上げた会社だと勧められた会社と同じだったからだ。

『社名は、株式会社Odd Number ちなみに高崎さんおススメが開発部部長だって』

株式会社Odd Number開発部部長、それは一ノ瀬潤璃。
何が必然なのだろうか。 それとも偶然は偶然でしかないのか。

「必然に、お膳立ては出来てるよって言われてるのか?」

そんな必然なんて居ないだろう。 それ以前に必然とは言葉であって、立ち居振る舞いが出来る存在ではない。 “居ない” というのは可笑しい。

「必然ってなんだよ」

必然とは、必ずそうなること。 それより他になりようのないこと。

「そんなことは分かってる」

雨の降る中、石に蹴躓(けつまず)いて転んだ。 そこには誰も居ない。 見て笑う者も居なければ助けに来る者も居ない。 転んだ人間だけが居る空間。 そこにどんな必然があるというのだろうか。 人が居て笑われる、助けに来てくれる、そんなことでもあれば次への展開があり必然と言われても納得が出来なくもない。

誰も居ないところで転んだ、それは下を見て歩けということ、注意を促されているということ、その注意力が次に繋がる必然である。 もしそんなことを言われてもその次はいつなんだ。 注意しながら歩いていると角を曲がった時にマンホールの蓋があいていてそれに気付けた、落ちなくて済んだ。 そんなことはそうそうあるわけではないが、それでもそれが今日なのか明日のか、それとも十年後なのか。

「雄哉みたいにインスピレーションで生きていければ楽なのに」



水無瀬の少し離れたところに水無瀬が居る。 その水無瀬が水無瀬の方を向き静かな視線を送ってきている。

(え? 誰・・・)

誰と思っても水無瀬自身であることは明白。 瓜二つ。

(・・・ドッペルゲンガー? いや、俺にはあんな静かな視線を誰かに送れない)

寂しい、悲しい、波立たない、冷たい、そのどれでもない。 静か、ただそれだけ。
その水無瀬が向きを変え水無瀬に背中を向け歩き出す。

(どこへ行く)

ドッペルゲンガーとは自己像幻視。 視覚のみに現れる現象であり、自己のアイデンティティや意図を持たない。 だが水無瀬の前に居た水無瀬は水無瀬が持たない視線を持ち、水無瀬が認識できない行動をとっている。

(ホートスコピー?)

アイデンティティを持った自己像。

(待て、どこに行く)

どうしてだ、声が出ない。

「うぅぅぅ・・・」

「おい、おい水無瀬」

「うわっ!」

揺り起こされ跳ね起きた。

「大丈夫か? 悪い夢でも見てた?」

「あ・・・」

「疲れが溜まってんじゃないか?」

「夢・・・」

夕飯と風呂を済ませ、久しぶりにテレビでも見ながら話そうと言っていた。 それなのにテレビを見ながらいつのまにか寝てしまったようだ。
ハラカルラに甘えてあまり睡眠をとっていなかった。 一日が終わると卒論に向かい合っていた。 ハラカルラに居るのだ、疲れが溜まるとか睡眠不足ということはないが、思い詰めるなどという感情面にハラカルラの干渉はない。

「疲れは溜まってない、溜まってないけど・・・思いがけない夢を見て、まぁ、悪い夢ではないのかな」

今の自分の心の中を見せられたのだろうか。 偶然も必然も関係のない自分の心に。 精神と心は違うものなのだろうか。
精神にも心にも色んな定義がある。 その一つに精神には理性があり能力を持っていると提言されているものもある。 だが心に能力などない。 ただただ嘘偽りのない本当の気持ち。 “心ない言葉” “心からの感謝” “心を奪われる” “心に触れる”
静かな視線の意味は何だったのだろうか。

「今日はゆっくり寝れば?」

「うん、そうするわ。 うん?」

雨の音がする。

「雨?」

「ああ、梅雨に全然降らなかったのに今さらの雨。 水無瀬が落ちたあと急に降り出してきた」

今年の梅雨はどこも空梅雨だった。 ライの言う通り今さらの雨の上、かなり強く降っている。

「カエルが喜んでるだろな」

ライがキョトンとした目をしてから微笑んだ。



潤璃から少し時間が欲しいというラインを受け取って十一日が経った。

『待たせて悪かったね、こちらの準備が整った。 一方的、且つ、急で悪いが明日メンバーと会ってもらえないだろうか』

グループトークに招待すると言っていたが、一足飛びにするようである。
潤璃は今の水無瀬のタイムスケジュールを知っている。 複雑なスケジュールではない。 日中はハラカルラ、戻ると卒論に取り組む。 たったそれだけであり、そのどちらも簡単に変更、キャンセルがきく。 それを分かっていてのラインである。 明日と指定してきたのは一日でも早くと思ってのことなのだろう。
ぶっつけ本番などとは考えていなかった水無瀬にすれば、顔合わせや意見を聞くことは願ったりである。 すぐに場所と時間を訊いた。

昨日から朱門の見張りの番である。 ライが見張に行くのであれば誰か他の人に送ってもらわなくては、水無瀬の運転ではこの山を水無瀬自身も車も無傷では下りられない自信がある。
ライの部屋をノックした。



「どんな自信だよ」

潤璃から聞いた時間は夜であるが、夜に村を出て間に合うわけではない。
今日会う全員が定時に仕事を終わらせたのち集まる時間を指定してきた。 全員は集まれないとは聞いているが、今日が一番多い人数が集まることが出来るということで、事前に一人でも多くを水無瀬を会わせたいと考えているようであった。

「オートマの軽だったら、どうにか運転が出来そうな気がするんだけどな」

山道は細い上にカーブもあり、時には太い木の枝が飛び出していることもあり、圧迫を感じ車の中で頭を屈めてしまうこともある。 それはあくまでも水無瀬だけであるが。

「水無瀬って完全なるペーパー?」

村の車に乗った時、何度もエンストをおこしていたと聞いているが、いま水無瀬はオートマならと言っていた。 その上で “気がする” とも。

「車持ってないからそうなるかな」

だが年内に一度だけだが車を運転している。 それもコラムで。 そしてライのバイクも運転したが、その話になると触れてほしくない部分が出てくる。 だから完全なるペーパーにしておく。 それに車もバイクも運転をしたと胸を張って言える状態ではなかった。

高速に乗ると陽がだんだんと傾いてきた。 今の季節であるからこの時間はまだ明るい方だが、これが冬なら既に真っ暗になっている。

「間に合う?」

「余裕よ。 ラーメン食う時間もある」



「長、玲人(れいじ)から連絡が入りまして」

玲人というのは、水無瀬を攫いに来た時の白門の男で 『こんにちは、水無瀬君』と声をかけてきた大学院生であり、水無瀬に言わせれば逆撫でしてきた相手でもある。 そしていま長と話しているのはその玲人の父親である。

「村を出た者たちが何やら集まっている様子だと」

「どういうことだ」

たまたま一度見かけた時は何も不審に思わなかったが複数回見かけた。 何を話しているのかは分からないが、マンションや一軒家に複数人で入って行くということであった。

「その村を出たやつらというのは誰だ」

村を出た者たちが集まっているという話は今までに聞いたことがない。 その家の者から何をしているのか訊けばいい。 今この白門の村で不測の事態ということは避けたい。

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ハラカルラ 第63回

2024年05月17日 21時01分34秒 | 小説
『ハラカルラ 目次


『ハラカルラ』 第1回から第60回までの目次は以下の 『ハラカルラ』リンクページ からお願いいたします。


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ハラカルラ    第63回




こんなタイミングで裏切りなどされては潤璃が言っていた村の中での繋がりが芋づる式に上がってきてしまう。 そこに玻璃も含まれるかもしれない。
後藤智一は水無瀬の返事を知りたくて今もスマホを凝視しているはずである。 とにかく返事を送らねば。

『今は特にないよ 後藤君は静観しておいて 絶対に動いちゃだめだからね ちゃんとこちらで動いているから安心して』

動いているのは水無瀬ではなく潤璃だが。

「どうする・・・」

潤璃に訊こうか。
手に握るスマホを見ていた目を外した時、着信音が鳴った。 画面には一ノ瀬玻璃とでている。 時計を見ると例の時間である。 連絡があるということは、少なくとも今現在は吊るし上げられていないということ。

「もしもし」

『潤璃から連絡は?』

「ここのところはありません」

『そうか。 今現在確実に分かっている人数は二十七人』

以前のことを思うとかなり増えているに違いない。 だから連絡を入れてきたのだろうから。 潤璃が徐々に電波で繋がりを作り、その情報から玻璃が村の中で動く。 だから確実という言葉が出てきた。

「村は総勢何人くらいですか?」

『二十歳過ぎが三百オーバーってところか』

300分の27。 オーバーであるのなら9%に満たない。 おおよそ十一人から十二人に一人の割合。

「承知しました」

承知なんてできないが嘘でも増やせと言える話ではない。

「あの、木更彩音さんが村に戻っていらっしゃるんですか?」

『へー、村ん中に君の内通者が居るってことか』

しまった、下手を踏んでしまった。 少なくとも潤璃からの連絡はないと言っていたのに、木更彩音の行動を知っているということは、まさにそういうことになるではないか。

『安心しな、それが誰かは訊かない』

アナタの息子のオ友達デス。

「何用で戻っていらしたかをご存じありませんか?」

『さぁ、珍しく帰ってきたとしか聞いてない。 だが今回のことがあってから怪しむ相手ではないとは潤璃からは聞いている』

「そうですか」

電話の向こうから遠くではあるが「親父ぃ」と聞こえてきた。 誠が呼んでいるようだ。

『何か分かったらまた連絡する』

水無瀬の返事を待たずに通話が切られた。

「怪しむ相手ではない、か」

そうであれば、水無瀬の杞憂に終わればいいのだが。
それにしても木更彩音は何をしに村に行ったのだろうか。 後藤のラインでは何年かぶりにと書かれていた。 潤璃からは木更彩音は水無瀬の役に立ちたい、自分たちで村を変えたいとまで言っていたと聞いている。
考えようによってはその木更彩音の台詞は、必要以上に強調されているように聞こえなくもない。

「内通者」

先程の玻璃の言葉が浮かぶ。
村を出た者たちを見張る内通者。

「いや」

たとえネットワークに入っていなくとも、潤璃が繋がりを作っていることは知っているはず。 こんな危うい時に動くはずはない。 それに村の誰かに連絡をするのなら携帯で十分である。

「水無瀬、いいか?」

今日もライがアイスココアを持ってきた。 朝から夕方まで守り人として働き、戻ってからは卒論に向かい合っている水無瀬を気遣っているのがよく分かる。
水無瀬が部屋の戸に手をかけた時にどこかのドアが開く音が聞こえた。

「あ、ナイスタイミング」

水無瀬が戸を開けると、丁度ナギがライの両手に持つ片手からアイスココアを取り上げた時だった。

「おい!」

「ココアくらいもう一度入れればいいだろ」

捨て台詞を残すかのようにナギの部屋のドアが閉められた。

「もー、なら自分で入れろよ。 あ、水無瀬、はい」

片手に残ったアイスココアを水無瀬に差し出す。

「進んでるか?」

ライ、ナギよりよっぽどいいお嫁さんになれる。 だがその言葉は心の中だけに納めておこう。

「ぼちぼち、かな」


二日後、潤璃から連絡があった。
木更彩音が白門の村に入り、潤璃が作った相関図を玻璃に渡したということであった。
その相関図というのは、ネットワークの人間たちが今回のことで確実性があると思える実家に連絡を取り、村の方針への考え方を改めて聞いたということで、それを元に完全なる反白門と微妙なところの二系統を示したうえで、今では村を出た者と秘かに繋がっている者を示し、その親族関係を書いたものである。

あくまでもそれは玻璃が参考にするだけのものであり、相関図から分かっている関係性を結ぶものではなく、村の中では今まで通り互いが何を考えているのかを伏せておくということであった。

村で生活をするには親族関係というのは重要なものになってくる。 その上でどれだけ潤璃達と同じ方向を向いているのかが分かるというのは、村の中で動く玻璃にはかなり参考になることだろう。

一日でも早く玻璃に渡したかったのだが、急遽出張になってしまい木更彩音に頼んだということらしく、その木更彩音が今日遅くに戻って来たということで連絡が遅れたという。

きっと木更彩音は玻璃に渡した時点で連絡を入れていただろうが、潤璃にすれば木更彩音が無事に戻ってくるまで確信を得られず水無瀬に連絡を入れられなかったのだろう。

「上手く進んでる」

杞憂でよかった。

『考えすぎて馬鹿みたいに後悔するし』 雄哉に言われたことを思い出す。 今回のことで後悔などしていないが、この二日間は頭の中が疲れるほど無意識に考えてしまっていたのは確かである。 その証拠に目の前のパソコンの画面が二日前からさほど変わっていない。

「ああ、そうか」

相関図と考えた時に思い当たることがあった。 玻璃との電話の向こうで聞こえていた一ノ瀬誠の玻璃を呼ぶ声は木更彩音が訪ねて来た時なのかもしれない。

『親父、彩音さんが来てる』

『俺に?』

『智一が世話になってるからって土産を持ってきてくれてる』

たしかに後藤智一は時々夕飯の席を一緒にしたり、小さな頃から誠と一緒に可愛がってはいた。

『智一の親でもないのにか?』

そしてその時に相関図を受け取った。

ああ、また考えていると思いながらもライに言われたことを思い出す。
この村に来てハラカルラや守り人のことを知り、何度かライに考えすぎるなと言われた。 あの時も無意識に考えていたのだった。

「肩の力を抜かなきゃな」

そしてパソコンに映っている画面を変えなくては、進めなくては。 こっちは肩に力を入れなくては。


連日ハラカルラに行き烏たちとハラカルラの言葉で話すからか、頭で一周させてから口に出すということなく、何も考えずに話すことが出来るようになってきた。 何故かそんな水無瀬を見て白烏が何度も溜息を吐いている。

「そろそろ文字も教えるかのぅ」

「え? ハラカルラの?」

「それ以外に何がある」

もっと他に言い方があるだろう。

「・・・ですね。 ふーん、ハラカルラに文字があるんだ」

言ってから思い出した。 この世界に触れるきっかけになったのはその文字だった、すっかりその事を忘れていた。

「ハラカルラ自身は必要とはしておらんがな」

「吾らにとっては・・・というか、アヤツには必要だからな」

どういうことだろうと思っていると、白烏が隅に置いてあった終貝を羽で指し、水の道具や獅子のようなものを作るには、文字を刻まなくてはならないのだと説明をした。 勿論ミニチュア獅子にも刻んであるということだった。


「グゥー、頭が爆発しそう」

穴を抜けゆっくりと伸びをする。
早速今日から教えられた文字。 メモもペンもない中、どうやって教えられるのだろうかと思っていると、文字を教える専用である水無瀬の手のひらサイズの二枚貝を嘴(くちばし)でくわえてきた。 これも終貝を使って黒烏が作ったと言い、ここにも文字が刻まれているということだったが、見た目には何も見えなかった。

その二枚貝の片方に指をかざすと手本が写し出され、もう一方で書く練習をする。 やはりハラカルラは水の世界だからなのだろうか、その存在をすっかり忘れていた矢島から受け取っていた手紙と同じように、角がなく流れるような文字ばかりであった。

ミニチュア獅子に印を入れることから発声の練習が始まり、翌日からはハラカルラの言葉を教えられてから一か月が過ぎていた。 早い話、水無瀬はハラカルラの言葉を一か月と数日で覚えたということになり、そして次のステップを踏み出し始めたのであるが、横目で見ていた白烏が何度も溜息を吐いていた。


潤璃からネットワークを結んでいる全員が首を縦に振ったと聞いてから明日で半月になる。 半月の間に動いたことは玻璃が相関図を持ったということしか分かっていない。 その相関図は潤璃のネットワークの連絡から十一日が経った時であり、玻璃がその相関図を持ってから明日で四日になる。
潤璃が十一日で相関図を作ったのはかなりの早さである。 だが玻璃が相関図を参考に動くのは簡単なことではない、ましてや今日でまだたったの三日。

「俺はまだ動けないよな・・・」

9%に満たない白門の村人と村を出た人間が合わせて水無瀬を後押ししてくれたとしても、9%若しくは10%程だろう。 その人数では白門の在り方を動かせない。
明日で朱門と黒門が白門の見張りをしだして五十日になる。 ライは見張のことは気にするなとは言っていたが、単純にあと十日で六十日。 二か月になる。
なにかで聞いたことがある。 我慢の限界は三か月だと。

「うん? それ違うだろ」

「どういうこと?」

「呆れる、よくそれで数字関係の仕事に就きたいなんて言えたもんだ」

「ナギ、女の子が “だ” で言葉を終わらせない」

「わ」

「ナギ!」

賑やかな夕飯の席である。 今日もライたちの父親であるモヤは居ない。 ライが言うには夕飯はモヤの兄であるキリの家で兄弟水入らずで食べているということらしいが、水無瀬に気を使っているのかもしれない。

「それってトータル三か月だろ。 朱門と黒門が交代に見てんだから、単純に言って三か月なら各門一か月半。 でもって、水無瀬が言うのは連日の三か月ってんだろ? 一週間交代なんだから連日は一週間だけ。 その上、同じ人間が行っているわけじゃない。 俺とナギもこの間が初めてだったしな」

「あ・・・そっか」

かなり気が急いていたのだろう、時間軸だけでしか考えられなかった。

「水無瀬、就職先考え直した方がいいんじゃないの」

ナギの言葉の最後に “か” ではなく “の” が付いたことで母親が頷いている。

「だから気にすんなってば」


黒烏に文字を習いだして二週間が経った。 玻璃が相関図を手にして二十日弱になる。

「いや、正確にはまだ二十日にはなっていない」

あと三日待とう。 三日を経ったところで何が変わるわけではないだろうが、それでも急いてしまってはこの前のようにがんじがらめになって物事を柔軟に考えることが出来なくなってしまう。


三日が経った。 今日で玻璃が相関図を手にして丁度二十日になる。 玻璃が相関図を手にする寸前の連絡では、確実に分かっている人数は二十七人とのことだった。 二十日の間にどれだけ増えただろうか。

時計を見ると例の時間まであと十五分ある。 事前に潤璃には連絡を入れていて、ネットワークの力が発端となり潤璃の方でも人数が増えてきているということであったが、今のところ個々で動いていることが多く、まだ整理ができていないと書かれていた。 今から訊こうとしている玻璃が把握している人数と同じ人間がダブっているかもしれないが、少なくとも玻璃の言う人数が村の中での最低人数ということになる。

「名簿なんて作ってられないし」

それにそんなものは必要ない。 せいぜい “正” という文字を書いていき人数が分かればいいだけのこと。 名簿など作って万が一にも漏れてしまっては目も当てられない。
手の中で弄(もてあそ)んでいたスマホが鳴った。 画面を見ると玻璃である。 例の時間より少し早めの連絡である。

「もしもし」

『そこそこ増えた。 六十三人』

村人の二十歳以上の総勢が三百人オーバー。 その内の六十三人。 おおまかなところで300分の60と考えて20%。 五人に一人。

「かなり増えましたね」

前回の9%未満、十一人から十二人に一人の割合だったことから考えると格段に伸びた。

「それは前回と同じで確実な人数ということですよね?」

『そうだ、水面下で分かっていない人数が居るかもしれんし、居ないかもしれん』

「確実な方々の年齢層はどんなものですか?」

『若いのが多い。 だが以前も今も含めて村からの援助で大学に行っていたり研究職についてるような輩は省く』

“輩” 心の底からハラカルラを白門の在り方から開放したいと考えているからこそ出た言葉なのだろう。

「村の総勢が三百オーバーだということでしたが、お年寄りの割合は?」

『うーん、七分の一ってとこか』

総勢三百人としておおよそ四十三人、総勢三百五十人として五十人。 朱門を見ているとそこの辺りの年代の意見が重要視されている。 そしてその年代は昔気質(むかしかたぎ)で考えているだろう、その昔気質というのは今の白門の在り方であって初代白門の守り人が居た頃ではない。 七分の一、五十人前後は動かせないということになる。

「さっき仰った若いのとは、二十代と考えていいでしょうか」

『それもあるが三、四十代までを含む』

色んな意味で粋がいい頃であるが粋だけでは足りない。 なによりも抑えが欲しい。

「五、六十代はいかがですか? 若しくは七十代まで広げて」

『七十代は居ないな。 六十代も居なくはないが少ない、えーっと・・・ー、二、三、うん三人か。 五十代が九人であとが若いのだ』

総勢から見ておおよそ3~4%。 抑えが弱い。 粋で乗り切るしかないのか。

「最後に、その若い方々は六十代以上に意見が出来るでしょうか?」

「今までだったら出来なかったがな。 まぁ、今までが今までだけにその場にならなきゃわからんが、期待の範囲ってとこか」

「分かりました。 そろそろ大々的に動くかもしれませんので、今はここまでに止めておいてください。 玻璃さんに何かあっては困りますので」

充分とは言えないが、それでも最初の時を考えると大きな収穫である。 これ以上増えるかどうかも分からないのに、漏れるという危険をおかすほうが結果的にマイナスになる可能性の方が高い。

初めて名で呼ばれた、それも下の名で。 この電話相手が潤璃と連絡を取り合っているのは知っている、だから弟の潤璃と呼び分けるために下の名で呼んだのだろうが、苗字であっても名を呼ばれたことで曖昧にしていたことが気になってきた。

『若い声だがアンタいったい誰なんだ』

「その内にお会いします」

通話を切ると潤璃に連絡を入れた。 玻璃が連絡の取れる時間は潤璃から聞いて知っているが、潤璃はサラリーマンのましてや部長職である。 いつ連絡可能なのかは分からなく、水無瀬からはいつもラインを入れている。

ラインには玻璃から聞いた人数を入れ、最低でもこの人数で勝負に出たいと書いた。 水無瀬の分かる範囲では、実質この人数に村を出たネットワークに入っている人数が入る。 ネットワークの人間が少人数でも村を出ているのだ、村の中に居る者たちより意見が出来るはずだが、そうなると日程の難しさが出てくるのは否めない。
既読はすぐにはつかなかったが珍しいことではない。

「残業かな」


翌日朝起きると潤璃からラインが入っていた。 時間を見ると午前二時過ぎであった。 先日も急遽出張が入ったと言っていたが、いざ事を起こそうとなった時に潤璃は動けるのだろうか。

ラインには潤璃達の方もまとめに入っているということで、少し時間が欲しいと書かれていた。 そしてネットワークに入っていなかった白門を出た人間とも接触を図っているということも書かれていた。 昨日、人数が増えてきたと書かれていたのはこの人数のことなのかもしれない。
そこからボロが出なければと思うが、村を出たのだからその可能性は低いはず。 潤璃とてそこには神経を尖らせているはずである。 それに白門を出た人が多いに越したことは無い。

「まぁ、なにもかも一ノ瀬さんがしてるとは限らないけど」

そう思うと昨日は残業ではなく、ネットワークの人たちと話していて着信音に気づかなかったのかもしれない。

「おい水無瀬―、朝飯」

時間を見るとかなりの時間が流れていた。 気付かない間に考え込んでしまっていたようだ。 とにかく次のステップに行くには潤璃からの連絡を待つしかない。

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ハラカルラ 第62回

2024年05月13日 20時39分13秒 | 小説
『ハラカルラ 目次


『ハラカルラ』 第1回から第60回までの目次は以下の 『ハラカルラ』リンクページ からお願いいたします。


     『ハラカルラ』 リンクページ




                                  



ハラカルラ    第62回




何かが聞こえた
何の音だろう
顔を巡らせる
キラキラと光るモノが見える
あの音は何処から聞こえてきたのだろうか
キラキラからだろうか
それともずっと続く広いどこかからだろうか
悲しい声が聞こえる



『悲しい声』 一歳の子供には言葉としての理解は出来ず、悲しい声としかわからなかった。
それでも感情が伝わってきていた。


―――悲しい

―――痛い

と。



六日が経った。 今日からは朱門が見張りに着く。

穴にいる間、烏たちとは出来るだけハラカルラの言葉で話すようにしていた。 烏が日本語で何かを言ってくればハラカルラの言葉で返し、言いたいことや質問があればハラカルラの言葉を使った。 水無瀬のそんな様子に烏も気付いたのだろう、それからは烏もハラカルラの言葉で話すようになった。

「英語もこれくらい習得できていれば成績も変わったのになぁ」

語学は不得意である。 決してそれだけが理由と言うわけではないが、それも理由の一つとして数字が好きになったのかもしれない。 好きになった理由など考えたことは無い。

「はー、今日も一日よく働いた」

自分が言った言葉の最後に汗マークを付けたいくらいである。 それに働いたと言っても一銭にもなっていないが。

「うん?」

ふと思い出した、黒門のおじさんが言っていた台詞。 『衣食住に困ることは無い』 そう言っていた。 黒門に居た時のことを思い出すと、守り人としてハラカルラに足を運んでいれば金銭的な心配はいらないということなのだろうか。

「ライの言うシステムってのが黒門と同じことなのか?」

だが水無瀬は決して朱門の守り人になるとは公言していない。 そのシステムがあったとしても甘えてばかりではいけない。

「就活なぁ・・・。 あ、そうだ、その前に卒論」

大学に行った時にゼミの教授と話したが、経済学部はさほど卒論に厳しいわけではなく、文字数も決められていないと言っていた。 だからと言ってA4一枚では眉間に皺を寄せられるだろうとも言い、大体一万から二万文字くらいが良いところだろうということだった。 そして提出さえすれば卒業は出来る、だが逆に言えば提出しなければ卒業は見送りとなる、ということで『優秀賞が欲しければ内容はしっかりとさせ、二万文字だな』 とも言われた。

優秀賞などほしくはない。 だが書かなければ、そして提出しなければ卒業が見送りとなってしまう。 テーマは既に考えているし、アパートから村に来る時に資料とパソコンを持ってきている。 卒業した先輩から譲り受けたパソコンで『動きが重くなってきたから買い替える』 と言っていたが、少々重いくらいで十分に使える。
パソコンに向かって一時間ほどが経過したとき、夕飯だとライに呼ばれた。 その後に風呂に入り再びパソコンに向かおうとした時、着信音が鳴った。

「ん?」

潤璃からのラインであった。 開けてみるとかなりの長文である。 目がイッてしまうかもしれない。 こんな時はパソコン画面のメールの方がどれだけ見やすいか、と思ってしまう。

読み進めていくと、ネットワークを結んでいる全員が潤璃の話に首を縦に振ったということで、繊細な話と言っていただけにそこのところが詳しく書かれていた。
全員が首を縦に振ったところで潤璃の兄に連絡を取り、村の様子を聞くと潤璃が居た時よりもかなり偏って固執し、蛮行にも走っていると聞かされたと言う。

『蛮行というのは水無瀬君のことだろうな』 と書かれていたが、どうだろうか。 黒門とやり合った時のことではなかろうか。 ナギに聞いた限りでは戦斧として斧を振り回していたというのだから。
だがこの潤璃の書きようでは、潤璃の兄であり誠の父である一ノ瀬兄も村こそ出てはいないが、白門の在り方に疑問を持っているのではないだろうか。 誠もそれらしいことを言っていたし、潤璃が今も連絡を取り合っているということは、兄だから、兄弟だからということだけではなく、同じ考えをしているからなのだろう。

村の中にこちら側の人間が居るということはかなりのメリットがあるが、そこまで協力してくれるだろうか。 潤璃と全く同じ考えを持っていればその可能性は高いだろうが、疑問を持っているだけで協力を得られるだろうか。

「訊くしかないか」

すぐに返信を送った。 『今お時間大丈夫でしょうか。 出来れば直接お訊きしたいことがあります。』
最近の若者はライン等で句読点を入れないというが、相手は若者ではなく、ましてや部長職である。 しっかりと句点を入れる。
着信音が鳴った。 それはラインの着信音ではなく電話の着信音で、画面には潤璃の名前が示されている。 すぐに電話に出る。

「水無瀬です」

両手にアイスココアを二つ持ったライが階段を上がってきた。 夕飯の席で水無瀬が卒論を書いていくと言っていたからである。 体の疲れに甘いものはいいのだから、頭の疲れにも甘いものがいいだろうと持ってきたのだが、水無瀬の居る和室から話し声がする。

「へぇー、珍し」

水無瀬が電話で誰かと話しているところはあまり聞いたことがない。 車中でライが潤璃に連絡をするようにと言った時くらいである。

「二杯くらいアッという間」

器用に足を上げドアレバーを下ろしドアを開ける。 一人でアイスココアを二杯飲むようである。

「そうですか」

最初はラインの話に触れ礼を言うと本題に入った。
潤璃の話では一ノ瀬兄は跡取りということで村を出るに出られないということであり、決して進んで村に残っているわけではないということらしい。

「お兄さんにお伺いしたいことがあるんですが、僕が連絡をしても宜しいでしょうか」

『私の仲介では不足のようだね』

「いいえ! 決してそんなことではありません」

『冗談だよ』

焦らせないでほしい。 それに部長職が冗談を言っていいのだろうか。 ましてや渋い声で言われると到底冗談には聞こえない。
潤璃から携帯番号を教えられ、一ノ瀬兄にも水無瀬の携帯番号を言っておくと言ってもらえた。

『名前は出さないけど、この番号からかかってきたら必ず出るようにと言っておくよ』

そして電話を入れるならと、時間まで教えてくれた。 村の者と話している時や家の者が居る時に下手な会話が出来ないからということらしい。 きっと潤璃もその時間を狙っていつもかけているのだろう。

「有難うございます。 明日かけてみます」

まだその時間はきていないが、今日は潤璃がその時間に水無瀬のことで電話をするはずである。 そしてその時に明日水無瀬が話しやすくなるように布石を打ってくれるだろう。

頭を切り替えて卒論に向かい合っていると「水無瀬、いいか」と、ライの声がした。 夜の間に三杯目となるライのアイスココアと水無瀬の分のアイスココアを持っていた。


「お早うございますぅー」

あいさつの後に欠伸が出た。

「相変わらず腑抜けだの」

「昨夜は学校のことに追われて殆ど寝てないんですっ」

「ん? 学校とな? 鳴海にそんなものは必要なかろう」

きっと心の中でハラカルラに居ればいいのだからと思っているのだろう。 ハラカルラに学歴は関係ないし、穴で水を宥めていればいいだけとも思っているのだろう。 ちなみにこういう時の会話は日本語である。 ハラカルラには人を責めたりバカにしたりする言葉はない。 勿論学校という概念もないのだからそんな単語もない。

心鏡に指先を置いた。 水無瀬の水の宥め方は白烏にはまだ追いつけないが、かなり早くなってきていた。

「ほぉー、なかなかだの」

「かなり吾に近くなってきておるな」

「歴代最速じゃな」

「そうなんですか?」

白烏に頭をはたかれた。 どうしてだ。

「吾に近くなったと言っただろうが、そんな者がそこらに転がっているはずなかろうが」

「すみません・・・」

白烏のプライドを傷つけたということだろうか。

黒烏が紡水を見ている。 ある程度心鏡の水を宥めると二枚貝に移る。 質の悪いものは入っていないようである。 もう一つの二枚貝に目を移す。

「あ、終貝です」

勿論こういう時にはハラカルラの言葉で話している。

「吾は行かんぞ。 オマエが行ってこい」

「オマエは烏使いが荒いのぉ」

場所を特定するのに黒烏が二枚貝を覗き込んできた。 水無瀬が場所を譲り黒烏に代わって紡水を見る。

「・・・遠いのぉ」

かなり行きたくないようである。

毎日が同じことの繰り返し。 だが飽きるということが無いのが不思議である。


「よっ、お疲れ」

「あれ? パトロール?」

今朝そんなことを言っていただろうか。 どちらかと言えば農作業の話をしていたと思うが。

「違う違う。 今朝の話を覚えてないってことだな」

「寝不足でうつらってなってたかも」

「それだから迎えに来るって言っただろ」

「あ・・・」

そう言えば、水の中に居るのだから寝不足も解消するだろうが、山の中は足元が危ないから迎えに来ると言っていたか。

「思い出した。 さんきゅ」

アパートのベランダから放り投げられたことは忘れていないが、ライは時に過保護である。 そういえば夕べもココアを持って来てくれたのだった。

「久しぶりだな、こうして歩くの」

何年も何か月も空いたわけではないが、ライの言うようにそんな気がする。 二人で村までの道をくだらない話をしながら歩き、久しぶりに獅子の居る場所で足を止めた。 やはり水無瀬が獅子の鼻をグリグリとする。

「朱門のみんな白門の見張りのことなんか言ってる?」

「んー、俺とナギは明日がお初だけど、特に何も聞いてないな」

「問題は起きてなさそうか?」

「今のところ聞いてない。 黒門もそうだろ」

何かあったとすれば、朱門が見張りに立つときに黒門の誰かが白門の門近くに来るはずである。 朱門も黒門も互いの連絡先は知らせていない。

「黒門そろそろ飽きてきてないかなぁ。 朱門も?」

最後に付けた『朱門も?』 という疑問符付きは小さな声で言った。

「そんなことないだろ。 少なくとも朱門はな」

昨日の電話の会話はきっと白門に関することのはず。 水無瀬が頑張ってくれているのだ、飽きていても飽きているとは言えないし、朱門の誰もが白門を止めたいと思っている。 だが思っているだけで自分たちに出来ることは見張るということだけで、水無瀬のように自ら動けていない。

「こっちのことは水無瀬が気にすることは無い。 卒論、ちょっとは進んだか?」

「亀の歩みほど」

「それはご愁傷様」

獅子の鼻から手を下ろし、その場を後にしているとカンという音が聞こえてきた。

「ナギか」

「ここんとこサボり気味だったって再開」

「真面目だな」

「・・・俺が早気なんて起こさなけりゃ、練習する必要もなかったのにな」

水無瀬が眉をクイっと上げる。 どういう意味だろうか。

「嫁に行くのに弓なんて必要ないだろ」

嫁・・・そうか、そうだった。 ナギも嫁に行くのだった。 だがこの村の誰かに嫁げば今のままでいいのではないのだろうか。 ライはナギをこの村から出したい、若しくは出してもいいと思っているのだろうか。

ライから早気のことは今まで一度も聞いたことは無かった。 水無瀬がライの早気のことを知っているのはナギから聞いたからだった。 ライ自らが何の関係もない水無瀬に早気のことを口にしたということは、踏ん切りがついてきた、乗り切れてきたということなのだろうか。 それともそんな迷いなど、はなからなく、単に今までが言うような流れになっていなかっただけなのだろうか。

「どうだろ。 一射絶命だろ? それを練習してるだけじゃないのか?」

「よく覚えてんな」

「ナギらしいと思ってさ」


夕飯と風呂以外はパソコンの前に座っていた。 スマホにはアラームをかけている。 そのアラームが鳴った。 一ノ瀬兄に電話をかける時間である。 潤璃から聞いた電話番号は既にスマホの連絡先に登録している。 一ノ瀬玻璃(いちのせはり)と登録されている名をタップし、受話器のマークもタップする。
三コールで呼び出し音が止まった。

『もしもし』

さすが兄弟である、潤璃と同じく渋い声だ。 いや、潤璃とはまた違った渋さだけに圧を感じる。

「突然のお電話で失礼します。 弟さんから聞かれているとは思いますが、名乗れないことを御容赦ください」

玻璃は水無瀬の声を知らないはずである。

『承知している。 大体のことは昨夜潤璃から聞いた』

やはり潤璃は単に電話番号を言うだけではなく、布石を打ってくれていたようだ。

「お時間が限られていると思いますので失礼とは思いますが、用件だけを申し上げます」

水無瀬が言ったのは、白門の村の中に玻璃や潤璃と同じ考えの者が居るのかどうかということであった。 少し間をおいてから返ってきた答えは “いる” ということである。 そこでおおよそでいいのでどれくらいの人数なのかと訊くと、そこまでは分からないということであった。 だが玻璃の言葉は続いていた。

『潤璃の話からすると、それを確認したいのか?』

「はい、出来れば。 決して無理のない範疇で、ですが」

今の動きを白門にどっぷりと浸かっている者には知られたくない。 その村の中で探りを入れるということは簡単なことではなく、ましてや漏れる可能性が大である。 漏れてしまっては水無瀬の計画は丸つぶれになってしまい、玻璃は跡取りということで居たくもない村に居るのだ。 今まで我慢してきたであろうことを流させたくはない。

「先ほど居る、と仰って下さった方と一ノ瀬さんだけでも十分なのですが、多いに越したことは無いという程度と考えてくださって結構です」

『分かった、俺も立場を悪くしたくないからな』

「重々承知しています」

『何か分かったらこちらから連絡する』

「はい、期待せずに待っていますので、くれぐれも無理のないようお願いいたします」

玻璃が言った『いる』は、誠の話からすると誠の母親であり玻璃の奥さんのことかもしれない。 出来れば別家庭に居てほしいものだが、そう簡単にいく話ではないことは分かっている。
通話を切ると、どっと疲れが出てきた。

「あの渋い声は重みがありすぎだろ」

長く話したわけではないのに、あの声の重圧は凄すぎる。 頭の中を卒論の方に軌道修正出来ない。

「今日は諦めるか」

こういうことの繰り返しで卒論ギリギリ提出とか、間に合わなかったという結果を招いてしまうのである。


翌日夜、またもや潤璃からラインが入ってきた。
ネットワークの一員である数人が、実家や兄弟姉妹に連絡を入れたということであった。 一瞬、下手を打ったのでは、と血の気が引きかけたが、連絡を入れた相手だれもが以前から今の白門の在り方に小さな声ではあるが異論を唱えている相手だったらしく、その異論は村を出た者にしか言っていないということであり、また聞いた者はネットワークの中でも互いにそれを黙っていたという。

漏れるような心配はなかったようで、潤璃からはこれから繋がりを作っていくと書かれていた。
村の中と外との繋がり、村の中での繋がりを作るということだろう。 それならば玻璃との話も繋げられる。 すぐに返信を書き込み、昨日の玻璃との会話の内容を送った。

七日が経った。 もう六月に入っている。 田植えの終わった山の裾野の田んぼではカエルの合唱が毎日聞こえていることだろう。
パソコンの前に座っているとラインの着信音が鳴った。 スマホを見てみるとGO2からである。

「後藤君?」

ラインの画面を開くと、木更彩音が何年かぶりに白門の村にやって来たと書かれていた。 そして何か話すことがあれば伝えるが、ということである。
木更彩音のことは潤璃に任せているが、潤璃のことは伏せたくて後藤智一には伝えていない。 ただ情報をもらったのに放置するわけにもいかず、後藤智一には信用出来るある人に一任したと知らせていた。

「気になるんだろうな」

きっと後藤智一も一ノ瀬誠も互いが水無瀬に情報を流した相手の名は言っていないはず。 潤璃のネットワークの話からも、漏らすということは白門の村ではアンチ扱いになっているはず。
だがどうして木更彩音は動いたのだろうか。 潤璃からの連絡はない、木更彩音が独断で動いたということだろうか。

「それとも・・・」

―――裏切り

そうであったのならばとんでもないことである。

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ハラカルラ 第61回

2024年05月10日 20時51分10秒 | 小説
『ハラカルラ 目次


『ハラカルラ』 第1回から第60回までの目次は以下の 『ハラカルラ』リンクページ からお願いいたします。


     『ハラカルラ』 リンクページ




                                  



ハラカルラ    第61回




潤璃の話を静かに聞いた水無瀬。 村という中に生まれたわけではなく、村での生活という事をよくは知らないが、それでも青門以外の三門で数日暮らした。 それとなくではあるが、門を持つ村の存在の在り方は分かったつもりでいると言い、潤璃の行動を肯定する言葉を続ける。

「村の在り方に意見をするということは、簡単ではないということは理解しているつもりです」

潤璃が小さな声で「有難う」と言った。

「いいえ、こちらこそお話を聞かせてもらえて感謝をしています。 それでと言っては何ですが、一ノ瀬さんと同じお考えをお持ちの方をご存じありませんか?」

「・・・そういう人間を集めるってことかな?」

「はい。 僕は白門の村の人間ではありません。 村外の人間一人が何か言おうとも通じないでしょう。 僕が百人いてやっと村の方一人分になるかならないか程度です。 ですから出来るならば村の方々が立ち上がっていただけると嬉しいんですけど。 決して強要をするものではありません」

今は朱門と黒門の協力を得て白門の動きを止めているが、それまでに白門はハラカルラの生き物たちを手にし研究を重ねてきている。 いつまで朱門黒門の協力を仰げるかは分からない、そうなれば白門はまた同じことを繰り返す。 一刻も早く白門を止めたい、それには内側から変えることが必要だと続けた。

「黒門? さっき黒門に拘束されていたと言っていたはずだが」

潤璃の返事の間が無くなってきた。 それに今の返事から、朱門と黒門の長が白門を訪ねてきたことは聞かされていないようである。

「はい。 黒門も黒門で門の在り方がありまして」

それは決して悪い在り方ではないのだが、結果として拘束という形になってしまっていた。 そこを譲る気はないが、拘束されている間に黒門がハラカルラのことをどれだけ想っているかということを聞かされていた。 あってはならない形をとっていたとしても、黒門とて白門のしていることを聞けば止めたいと思うはず。 そこで朱門の長から話を持っていってもらい協力を仰いだと話した。

「あくまでも僕はいま表面には出ていません。 いま出ると話がややこしくなりそうなので」

黒門の拘束中に白門に攫われ、その白門からは自らの足で逃げ出した。 そんな状態で姿を現してしまっては、また争いごとが起きてしまうかもしれないからだと話す。

「白門がまた拘束すると? 情けない話だが有り得なくはないか」

あの村はそういう村だ、と小声で続けたが、水無瀬がミニチュア獅子のことを話し拘束は避けられるようになったと言うと、驚いた顔をしている。

「ご存知かどうかわかりませんが、白門にいらっしゃる広瀬さんという方が大学の先輩なんですけど、大学で僕に近寄ってきた時、獅子にやられていました」

驚きの顔が上書きされている。 その潤璃を置いて水無瀬がそれにと、そういう意味では少し前までは姿を隠していたが、今は違う意味で表面に出ないようにしていると言う。 水面下で白門の人間と接触をしたいからだと。

上書きをされていた潤璃の顔が戻っていく。

「そういうことか、分かった。 うん、水無瀬君の名は私も伏せておく。 それにしても烏は・・・いや、あの大きな獅子を作ったくらいなのだから出来なくはないのだろうが」

潤璃が “うん” と言った。 かなり打ち解けたようである。

「その烏から聞いたことがあります。 ハラカルラは泣いてでも人間側が変わるのを待っていると」

虚を突かれたように息を飲み目を大きく開けている。 きっと今夜は表情筋が筋肉痛を起こすだろう。
三秒、いや五秒が経っただろうか、潤璃が大きく息を吐いた。

「ネットワークとまではいかないし、村を出た者たち全員ではないが連絡を取り合っている。 声をかけてみるよ」

少なくとも潤璃は立ち上がるに必要な要素を持っているということ。 立ち上がり切れるかどうかはこれからの流れで変わるかもしれない。

「有難うございます」

「いや、礼を言わなくてはならないのはこちらの方だ。 水無瀬君はどこの村の出身でもないのだろう?」

「はい、ですが縁があったんでしょうね、縁が無ければハラカルラに繋がらないと烏がよく言いますから」

自分の口から出た “縁” という言葉。 それが数瞬頭の中を支配する。

「連絡先を教えてもらえる?」

勿論ですと言い、スマホを操作しながら潤璃に問いかける。

「そのネットワークに木更彩音(きさらあやね)さんという方はいらっしゃいますか?」

「彩音?」

下の名で呼び合っているのか。 やはり近い年齢なのだろうか、少なくとも小学校は一緒に登校していたのだろうか、今も付き合いがあるということなのだろうか。

「僕が村を出た方の連絡先を知りえたのは、現段階で一ノ瀬さんと木更さんだけです」

潤璃の兄が彩音の連絡先を知っているはずはない。 やはり水無瀬は潤璃のことを兄から聞いたのではないということか。 それとも潤璃のことと彩音のことはそれぞれ別の人間から聞いたのだろうか。

(犯人捜しは必要ないか)

ラインに互いを追加する。

連絡をした相手が水無瀬に手を貸す、いや、白門の人間として水無瀬の後ろ、若しくは前に立つと言えば、新たに作るグループトークに入ってきてもらうようにし、水無瀬が姿を出していいと思える時が来たら潤璃からグループトークに招待すると言いながらスマホを置き続ける。

「彩音はネットワークに居ないけど私から連絡しておくよ」

「あ、有難うございます。 助かります」

「私のようにいつまでも疑いの目を向けられるのはこりごりだろうからね」

「そんなことは・・・」

当たらずも遠からず、である。
別れ際になりやっと、と言っていいのだろうか潤璃が名刺を差し出してきた。

「お偉いんですね」

名刺には “部長” と書かれていた。


ライの運転する車の中である。

「はぁー、疲れた。 ってか、最後の最後にどっと疲れた」

部長職と話していたのかと思うと、自分の人間性が見られていたような気分になってしまった。 それにあの社名。

「でもまぁ、木更さんの手間が省けたことは大きいか」

この疲れは何度も経験したくないものである。

「おっと」

「うん?」

「いや、高校生ズに連絡を入れなくちゃ」

大人達が動き出してくれるかもしれないのだ、高校生が無理をして白門に睨まれるようなことがあってはならない。 そこのところを説明したうえで当分動かないでいてもらう、と水無瀬が言う。
ハンドルを握りながらチラリと水無瀬を見て頬を緩めたライ。

「練炭が水無瀬に会えるのはまだ先だな」

「ん? ごめ、なに?」

水無瀬は指先に集中している。 高校生が傷つかないように言葉を選びながら打っているのだろう。

「何でもない」



「おお、鳴海やっと来たか」

「お早うございますぅー」

「何じゃその腑抜けは」

昨夜は朱門の村に着いてからどっと疲れが出た。 駆け引きが必要な会話はもうしたくない。 やはり数字遊びの方がどれだけ楽か。 雄哉にこれを言うと、会話ほど楽しいものはないだろう、と言うだろうが。

「人間界で動こうと思うと疲れるんですよ。 あ、獅子、有難うございました。 動いてくれましたから俺も動きやすかったです」

「だろうて、だろうて。 わしのすることに抜かりはないからの」

矢島に言われていたことが抜けていたではないか。
そして今日も指を動かしながら口と頭も動かされた。 ハラカルラの言葉の練習である。

「うん?」

ハラカルラと烏がハラカルラの言葉で言った時だった。

「え? おかしいですよね、それって」

「何がじゃ」

水無瀬が最初に来た時、烏は『お前たちの世でいう世界というものをハラカルラと言う。 正しくはそうではないが、お前たちの耳に分かる、口で言える言葉で表すならばそうなる』 そう言っていたが違うではないか。

「分かるように言い直すとハラカルラではなく “はーぅわぁーあーうーぅわぁー” ってなりませんか?」

一つ一つを区切ることなく、ゆっくりと流れるように口から出す言葉。 紡ぐように発音してしまってはハラカルラの言葉になってしまう。 それになによりハラカルラの言葉には舌の動きがなく “らりるれろ” などと発する言葉はない。

「当たり前じゃろうて」

「はい?」

「わしがエッセントを加えんはずが無かろうて」

それを言うならエッセンスだ、何度心の中でこの種類の突っみを入れなければならないのか。

「どういう意味ですか?」

「ここまで言って気付かんとはなぁ、情けない」

「すみません・・・」

情けないとまで言うのならば、十分に納得できる説明をのたまってくれるのだろうな。

烏曰く、まず “ラ” という言葉。 それはラの音。 人間が生まれて産声を上げるその音が少々のズレはあるものの、音階でいうラの音であるという。

「人間の始まりの音を組み込んだ」

ハラカルラの言葉の中のどこにラがあるというのか。 組み込んだではなく捩じ込んだの間違えではないか。

一般にラの音を “ラ” と発音するのはイタリアやフランスであって世界共通ではない。 “ラ” の音である音名は日本なら “イ” となり “A(エィ又はアー)” としている国もある。

現代日本では音名を “ラ” と発音してドレミ唱法を用いているが、それは明治の末ごろからの話であり、それまではヒフミ唱法が用いられていた。

『お前たちの世でいう』 と烏がいうのは “ラ” と発音するところ、又は国だけに限られるということになってくる。 そうなれば日本として考えた時、烏は明治末以降に “ラ” をハラカルラの名前に用いたということになってくるが、そうではなくイタリアやフランスで使われている音名を用いたということなのだろうか。 だがいつハラカルラと名付けたのかは分からないが、音名が出来るずっと以前からハラカルラと呼んでいたはずである。

(まぁ、烏相手なんだから、そこのところはグレーでいいか)

突っ込んで聞くとウザがられるだけである。 そして今度はこっちがウザくなる。 負の連鎖になるだけである。
以前、烏たちが言っていた鳩やタコ、猿やナントカのナントカなどが仕切っている所では違う発音になっているのかもしれない。
そしてあとは以前に聞いた紡水の時の台詞と同じであった。

「語呂がいいだろ」

なにが『お前たちの耳に分かる、口で言える言葉で表すならば』だ。 “違う発音になっているかもしれない” ではなく、絶対に鳩やタコ、猿やナントカのナントカが仕切っている所では全く違う言葉で呼ばれているはずだ。
だがあの時に黒烏の周りで水はざわつかなかった。 嘘ではないということになるが、首を傾げたくなるほどの違いである。 とは言え、先ほど水無瀬が口にした言葉では会話がしにくいのは確かである。

「鳴海、手が止まっておる」

「・・・はい」

黒烏、お前もな。


翌日も同じようにハラカルラの言葉を習いながら指を動かしていた。
穴から戻ってくるとラインに着信が入っていた。

「一ノ瀬さんだ」

潤璃からは木更彩音と話したと書かれていた。 その木更は水無瀬の役に立ちたいと言い、白門を自分たちの手で変えたいとも言っていたそうである。 ネットワークの方はお互いの考えを分かってはいるが、繊細な話になるからと一斉に連絡するのではなく、一人一人と繋がって話を進めていくと書かれていた。
時間がかかるかもしれないが、それが一番の安全策と思える。

夕飯の席で潤璃からの連絡の話をし「僥倖に巡り合えたかもしれない」と水無瀬が言うと、ライが横目で水無瀬を見ながら「僥倖じゃないだろ」と言い白飯を口に入れた。

「なんでだよ」

不吉なことを言ったライが白飯を嚙み砕き飲み込む。

「水無瀬の努力の賜物だろ」

「え?」

「言えてるわね」

「そんな、おばさんまで」

「こんな時に謙遜なんていらないのよ」

「そうそ、こういう時はナギみたいに偉そばってりゃいいんだよ」

テーブルの下から大きな音が聞こえ、水無瀬の横でライが悶絶している。

「確かにライの言う通り。 水無瀬のような発想は少なくともこの朱門にはなかったし、それに元白門の一ノ瀬っての? その人たちにもなかったはず。 だから今まで放ったらかし状態だったんだろうからね」

「うん、これからは一ノ瀬さんたちが動いてくれると思う。 だから言ってみれば俺は火付け役だったってとこだろ」

そしてそれにと続ける。 上手く潤璃を紹介してくれたのは高校生一ノ瀬であって、その高校生一ノ瀬を見つけたのは朱門であり水無瀬自身は何も動いていないという。

「ったく、謙遜もそこまでいくと嫌味に聞こえるわ」

「なんでだよ」

「水無瀬に言われるまでこっちは気づかなかったんだから」

茸一郎と稲也が見聞きしていたことは朱門の誰もが知っていた。 だが話はそこから次へとは繋がらなかった。

「もう、あなたたちは。 少しは仲良くできないのかしら」


自分の部屋と言っていいのだろうか、水無瀬が与えられた部屋で一ノ瀬の名刺を手にしている。
株式会社Odd Number 開発部部長 一ノ瀬 潤璃

肩書はどうでもいい。 気になるのは社名である。 株式会社Odd Numberこれは教授からランクを上げて勧められた内の一つの企業であった。 そして教授自身の一番推しでもあった。
一ノ瀬が居るからとコネを使おうとか、反対に希望するに躊躇するといったようなことは無いが、それでも気になるではないか。

「偶然って怖いな」

こんな偶然があっていいものだろうか。 よく偶然ではなくそれは必然である、と言うが、それならばこれはどう考えればよいのだろうか。 コネとして使うのか、使わなくとも知り合った人がいるという安心感を持てばいいのか、それとも躊躇すべきなのか。

「躊躇してその後どうする」

―――ハラカルラを選ぶのか

頭ではなく腹の底から聞こえてきたような感じがする。
だがこのまま無料宿泊の無銭飲食は続けられない。 今回いちおう封筒に五万円を入れて『食費代です』とライの母親に渡そうとしたのだが『きゃー、やだー、そんなの要らないー』 と言われてしまい、背中をバンバンと叩かれてしまった。 ましてやライにまで『ここはそういうシステムじゃないから』と言われた。 システムとは何だと思ったが、どう考えても働かなくてはならないのは必須である。


三日、四日と経った。 毎日指先を動かしながらハラカルラの言葉や発音の仕方を教わっていたが、急に白烏が「鳴海はハラカルラの言葉をどこかで聞いたことがあるのか?」 と訊いてきた。

「ありませんけど、どうしてですか?」

白烏が黒烏を見る。 見られた黒烏がゴホンとわざとらしく咳払いをしている。

「アヤツが言いたいのは、鳴海の覚えが早いということだ」

「え?」

「オマエ、今回は楽が出来たな」

ハラカルラの言葉を教えるのは疲れる。 よって二羽が順番に教えているということであって、今回はたまたま黒烏の順番であったということである。

「次は雄哉といったところか。 オマエお気に入りなのだから丁度いいではないか。 まだまだ先の話だろうがな」

白烏は雄哉の力量を知っているからなのか、雄哉に対してなのに珍しく大きな息を吐いている。

「あー、考えただけで疲れるわ」

「そう、なんですか?」

どうしてだろう、一言いっただけなのに黒烏に羽で頭をはたかれた。

「鳴海は何も分かっとらん」

「そうでしょうか」

「前にも言っただろうて、水を宥めるのには時がかかって当たり前、鳴海のように早く出来るものはおらん。 その上、言葉の習得も早い。 もっと自覚を持たんか」

「そんなものでしょうかね」

もう一発はたかれた。

もしかしたら一歳の頃、ハラカルラの異変を感じた時、大きな音を聞いた時にハラカルラの声を聞いたのだろうか。 子供の頭は柔軟だ、知らずその声が頭に刻まれていたのかもしれない。

(うん? どうしてそう思う?)

だがそう考えると、朱門の長や初めて黒烏と会った時にハラカルラの言葉を聞かされたが全く聞き取れなかった。 どういうことだろうか。

―――悲しい

(え?)

―――痛い

(なんだ? このネガティブ連語は)

どちらもハラカルラの言葉。 だがこんなネガティブワードなど烏からは教わっていない。

「あ!!」

「大声を出すな!」

またしても頭をはたかれた。

「鳴海は本当に守り人の自覚が―――」

「思い出しました」

黒烏にハラカルラの言葉を習いだしたのをきっかけに、あの時に聞いた言葉が蘇ってきたのだ。 小さな子供の柔軟な脳みそに刻まれていたのだ。

「わしが話している途中に。 で? 何を思い出したとな?」

「初めてハラカルラの異変を感じた時にハラカルラの声を聞きました」

はぁ? と烏二羽が目を丸くしている。

ハラカルラの言った言葉で “悲しい” “痛い” と発音する。
烏はそんな言葉を水無瀬に教えていない、だが確かにそれは間違った発音ではないし、水無瀬がその言葉を日本語に訳したが間違っていない、合っている。

「驚いたな」

白烏が言うと黒烏も頷いている。

「鳴海にもっと自覚があればのぉ」

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ハラカルラ 第60回

2024年05月06日 20時25分55秒 | 小説
『ハラカルラ 目次


『ハラカルラ』 第1回から第50回までの目次は以下の 『ハラカルラ』リンクページ からお願いいたします。


     『ハラカルラ』 リンクページ




                                  



ハラカルラ    第60回




「おう、お疲れ」

水無瀬をアパートまで送った稲也と茸一郎が村に戻ってきた。

「どんなだった?」

声をかけてきたライにファミレスで耳にしてきたことを話す。

「白門小僧たちは最初こそ警戒してたけどな、その内にイイ感じになってきた雰囲気あり」

「水無瀬君の “当然を実行に移そう” ってのが響いたのかもな」

「それとその前に言ってた、小僧たちは特別なことを言ってない、当然なことを言ってるだけってのに溜飲が下がった思いだったんだろうな」

「そうか。 白門の在り方からすると自分たちがそう考えてしまうことに、落ち着かなさを感じてたのかもしれないな」

「そうかもな。 ライには俺らから言っておくって水無瀬君に言ってあるから連絡はないはずだ。 取り敢えず長に報告してくる」

「ああ、さんきゅ」


稲也達にアパートに車で送ってもらった水無瀬がゴロリと寝ころび考える。
今日から朱門が白門の見張りに付くはず。 もう見張りを始めてから二十日を越しているということになる。 一か月そこら見張られていても白門はどうともないだろうが、朱門黒門にとっては大きく時間を割かれていることになる。
白門の高校生‘Sからの連絡を待つしかないと分かってはいるが、数か月ということは避けたい。 だからと言ってせっつくわけにもいかない。 何か他に動きようがないだろうか。

「ああそうだ、先生が出してくれたのに目を通さなきゃ」

そんな気にはなれないが、それでも目を通さなければ。 雄哉おススメでは家庭が持てないらしいし、教授が出してきたのは雄哉が出してきたものよりランクアップをしている。 細かいところまで読み込まなければ。

翌日、教授の元に向かった。 昨日読み込んでみて “ここなら” というところが見つかり、卒業生の意見などを含めて詳しく話を聞くためであった。

そして翌々日、アパートに戻って来て一週間が経つ。 そろそろ朱門の村に戻ろうか、それなら一度雄哉に声をかけてからと思いスマホを手にしたときラインの着信音が鳴った。
見てみると『いっちー』と表示されている。

「一ノ瀬君だ」

タップをしラインの画面を開く。
『父の弟です』と始まり住所と名前、連絡先が書かれてあり、今でも兄弟で連絡は取り合っているが、弟の方は村に足を運んでいなく、父以外とは連絡を取っていない様子だと書かれていた。
住所を地図アプリで調べると白門の村のある市の隣の市であった。 乗り換えがあるが今日にでも電車で行けなくはない、そう思った時に気づいた。

「ああ、仕事中じゃん」

どんな仕事をしているかまでは書かれていなかったが、自営業であれば時間を問わず会えるだろうが、サラリーマンであるならばご出勤タイムである。
一ノ瀬に返信を入れ取り敢えず夜まで待つことにし、今度は雄哉にラインで連絡を入れる。

『そろそろ朱門に戻ろうと思う。 そっちはどうだ? 上手くいってるか?』

いつもならすぐに返事が返ってくるのに既読さえつかない。 まだ授業の始まる時間ではないのに。

(雄哉に・・・なにかあったのか?)

いや、雄哉には朱門の誰かが付いているはず。 だがそれでも気になる。

『雄哉、どうした』 『おい、返事をくれ』 『今電車に乗ってる時間だろ』 『雄哉!』
全く既読が付かない。 ライに連絡していま雄哉に付いている誰かに連絡を取ってもらって、などと考えているときに一気に既読が付いた。

「あ・・・」

途端、電話が鳴った。 雄哉からである。 すぐに通話をタップする。

『もしもーし、水無ちゃん。 ちょっとは俺の気持ちが分かったか。 それにもう電車は降りてる』

「雄、哉」

『言っとくが俺はもっと長い間心配してたんだからな。 何日も!』

まだ根に持っていたようである。

「悪かったって。 雄哉の気持ちがよくわかったよ」

『で? そろそろ戻るのか?』

大学までの道を歩いているのだろう、バックに聞きなれた音がする。

「一週間ハラカルラに行ってないからな、獅子まで作ってもらったのにこれ以上放っておくのもなって」

『そっかー、俺は当分無理っぽい』

「いや、いいよ。 あっちのことは気にしなくていい。 雄哉はいま雄哉がしなければならないことをして。 三笠木教授も気にしてたぞ」

『ああ、就職室で会ったんだってな』

「雄哉、自分のパンフを探す時間もないらしいな、それなのに俺のパンフを探してくれて」

『わぁー、先生要らないことを言って』

「とにかくまたいつでも連絡をくれ」

『OK、水無ちゃんの声聞いたらパワーが出た。 水無ちゃんトリオンで今日も一日頑張るわ』

だからそれは何なんだ。

一昨日、稲也達に送ってもらったばかりだというのに、今日迎えに来てくれというのは悪いと思いながらもライに連絡を入れると「気にすんな」という返事が返ってきて、夕方になりライ自らが迎えに来た。 二人だけで車に乗るのは初めてである。 それにライと言えば車ではなくバイクのイメージなのだが、後ろにはナギしか乗せたくないのかもしれない。 要らないことは聞かないでおこうと一ノ瀬からのラインの話をした。

「脈ありっぽいな」

水無瀬もそう思う。 それに村を出ているのだからそれなりに話してくれそうな気がする。

「白門の隣の市ってことは・・・。 とにかく今連絡入れてみて」

「え? 今?」

「営業とかだったら出るだろし、会社内でも最近は私用の電話はよくしてるっぽいからな」

「そうなのか?」

「ドラマだけどな」

ドラマ・・・真実はどうなのだろうか。
出ても出なくてもいいという気で電話をかけてみる。 三コール、四コール、五コール目が終わった時。

『どちら様でしょうか』

出ても出なくてもとは思っていたが、まさか本当に出るとは思ってもいなかった。 営業なのだろうか、それともドラマの話は現実の話につながっているのか、はたまた自営業か。

「突然申し訳ありません、水無瀬と申しますが一ノ瀬さんの携帯で間違い無いでしょうか」

『・・・はい』

渋めの声が水無瀬を誰だと疑っているように間が置かれた。

「守り人、と言えば分かっていただけますでしょうか」

『え・・・』

「少しお話を伺いたいのですが、ご都合のいいお時間はありませんか?」

『お電話で?』

この訊き方は話すということを了承したということ。 それに “お電話” と言った。 会社勤めの可能性が高い。

「どちらでも。 ですが出来ればお互いの目を見て話すのが一番かと」

ほんの少しの機微も見逃したくない。
今はまだ勤務中ということで、夜にアポイントを取り付け通話を切った。

「ナビ設定してくれる?」

このまま待ち合わせ場所まで乗せてくれるようである。 車のナビを設定する。
待ち合わせ場所に着くまでに一本のラインが入ってきた。 『GO2』 と示されている。 “後藤” から “ゴトー” そこから “ゴトゥー” をもじったと聞いている。

「後藤君だ」

こちらは母方の歳の離れた従姉らしく、母方も白門の出だという。

「従姉ってことは女性だから結婚して村を出たとしても、まぁ不思議ではないな」

ライの言うとおりである。 だが先ほどのサラリーマン一ノ瀬は堅い印象があった。 それは声が渋いからそう思っただけなのかもしれないが、もし声だけではなく本人も堅ければ何かを訊きだすに容易ではない。 そう思うとこちらの女性の方が訊きやすいかもしれない。 あくまでも白門の在り方をどう理解しているかで違ってくるが。
こちらも名前と住所、連絡先が書かれている。 地図アプリで場所を検索する。

「ん?」

「どした?」

市こそ違うが、サラリーマン一ノ瀬の自宅最寄駅から後藤従姉の自宅最寄駅は三つ離れているだけであった。

「お互い市の端っこに居るってことか。 ってか、その辺りが元白門のコロニーだったりしてな」

そんな美味しい話は簡単に転がっていないだろうが、後藤から見て歳の離れたということは、この二人の年齢はある程度近いのかもしれない。 どこかで偶然会って話していても可笑しくはない。 ただ村を出た理由でそれも左右されるが。

サラリーマン一ノ瀬の自宅最寄り駅である待ち合わせ付近に着いたものの、一ノ瀬との待ち合わせにはまだ二時間ある。 一旦ファミレスに入って時間をつぶしてから待ち合わせの喫茶店に向かった。 ライは水無瀬に遅れること二分で「いらっしゃいませ」という声に招かれ店内に入ったが、水無瀬一人が入り口の見える席に座っている。 それは一ノ瀬はまだ来ていないということ。 水無瀬の後ろのテーブルにつき、背中を合わせるようにして座る。

「いらっしゃいませ」

ライの席に水が運ばれてきた。

「アイスココアとミックスサンド」

(だからなんでだよっ!)

背中に聞こえる声に突っ込みたくなる。
水無瀬の前に「お待たせしました」とコーヒーが置かれ、そのウエイトレスが二、三歩歩いた時に同じ声で「いらっしゃいませ」と聞こえた。
入り口を見てみると、スーツを着た四十を越えているだろう男性が店内に目を這わせている。 高校生一ノ瀬の年齢からしてその叔父にあたる年齢である。
水無瀬が立ち上がるとスーツ男が水無瀬を見止め近寄ってきた。

「水無瀬君?」

身体はがっちりとしていて身長もそこそこある。 元ラガーマンと言われても納得できるような体格である。

「はい、水無瀬鳴海と申します。 ご足労有難うございます」

一ノ瀬がコーヒーを注文すると席に座った。

「一ノ瀬潤璃(じゅんり)です」

フルネームは高校生一ノ瀬である誠からのラインで知っていたが、渋系の声でその名を聞かされると何とも可愛いらしい名前に聞こえる。 だが水無瀬がフルネームを言わなければ一ノ瀬も下の名前を名乗らなかったはず、それを思うと打てば響いてくれる可能性が無きにしも非ず。

「守り人というのは?」

声は殺している。
やはり門のある村の出だけあって守り人というフレーズは気になるようだ。

「僕のことです。 いま表面(おもてめん)はどこの門にも属していなくフリーの状態ですが、実際には朱門のお世話になっています」

社会人相手であるのだからというところもあり、お堅そうな相手でもある。 一人称を変えている。

「表面って。 それにフリーの守り人なんて聞いたことがない」

「はい、烏にもいろいろ言われていますが、烏もそこのところは理解してくれています」

「烏が・・・」

「僕には色々と降りかかったことがありまして。 今日は白門のことでお伺いしたいことがあります」

「・・・」

口を閉ざされた。 このまま噤まれてしまうだろうか。

「水無瀬君はどうして私の携帯番号を知っていたのかい?」

話を逸らされてしまった。 だがこのことは聞かれるだろうとは思っていた。 親戚付き合いもあるだろうから、誠のことは言わないでおきたかったが、潤璃には誤魔化しが利かなさそうである。 避けては通れないようだが誤魔化す以外の手がなくはない。

「ご本人に名前を出す許可をもらっていませんので、そこはご容赦願えませんか?」

こういう時は正直に言った方がいい。

「お待たせしました」

ウエイトレスが潤璃の前にコーヒーを置く。

「義理堅いようだ」

その返事は正直に言ったことをどう受け止めたということなのだろうか。 頭が回らないと判断したのか、一種の誉め言葉なのか。
潤璃は水無瀬が話した後、二呼吸ほど間を置いてから口を開いている。 それはまだ信用されていないということ。
置かれたコーヒーに手を伸ばしカップに唇を付ける。 唇からカップが離されるのを待ってから水無瀬が話し出す。

「僕はつい先日まで白門の村に拘束されていました」

一ノ瀬の目が水無瀬を見てカップをソーサーに置いた。 その視線はチラリと手元を見た以外は外されていない。

「この意味お分かりになりますよね。 僕は水見さんとは血縁でも何でもありませんが、下手に見込まれたようです」

そこで白門が何をしようとしているのかを知り、白門から逃げ出したと説明をした。 そして間違いなく自分には水見並み、又はそれ以上の力があることを最近になり烏から聞いたと話す。
潤璃とて村の出身である、水見の話は知っている。

「最近?」

「はい、さっき申し上げましたが色々降りかかったことがあったというのは、白門に拘束される前は黒門に拘束されていました。 ですから烏に会ったのはその前のほんの数回でしたので、そんな話もしていませんでした。 まずあっちの世界も守り人というのも知らなかったくらいでしたから」

「信じられないな・・・」

そんな人間が水見並み、又はそれ以上とは。

「あ、何よりも信じていただくのが最初ですので、白門のどなたかについ最近まで水無瀬という守り人が拘束されていたかどうかの確認をしていただければ」

潤璃が水無瀬を止めるように軽く手を振る。

「そういう意味じゃなくて。 いや、悪い。 水無瀬君を疑って言ったわけじゃない」

水無瀬にそこまで力があるのかと驚いたことが言葉に出てしまっただけだと言い、名前こそ聞いていなかったが、つい最近まで白門が守り人を拘束していたという話は聞いていたと言う。 それも黒門から奪ってきたらしいと。
目の前にいる水無瀬という青年が言っていることは、潤璃が兄から耳にしたことと同じで疑う余地はないが、それだけでこの青年の話に口を開いていいことにはならない。

「それで? 私に何を訊きたいと?」

第一関門が突破出来た様である。 下手な小細工は無しでこのまま波に乗る。

「率直にお伺いします。 一ノ瀬さんはどうして村を出られたんですか?」

潤璃がほんの僅かに首をひねる。 意外な質問だったということだろうか。

「それを聞いてどうするつもりなのかな?」

「隠し立てなしで申し上げると、僕は白門のしていることを止めたいと思っています。 いや、思っているということだけで止まりたくはないのでこうして動いています」

だが門には門の在り方があり、白門の守り人でもなければフリー状態である水無瀬が一方的に押し付けることは出来ない。 白門の村の中の人々がどう考えているのかは拘束されている間に聞かされたが、村を出た人間が村の考え、門の在り方をどう考えているのかを教えてほしいと続けた。

「察するに・・・私の携帯番号を教えたのは兄かな?」

“察するに” 今の水無瀬の話から察するにということになる。 潤璃の携帯番号を教えたということは高校生の浅知恵とは違い、潤璃とのパイプ役を請け負ったということになる。 それは潤璃の兄であり誠の父でもある、潤璃と同じ考えの持ち主ということが濃厚だと考えられる。

「いいえ、違います」

「それは義理堅さからかな?」」

嘘を言っているのだろう、という言葉が隠されている。

「本当です。 一ノ瀬さんのお兄さんとは、拘束されている間にお会いしたこともないはずです。 僕に接触してきたのは大学生若しくは大学院生でしたから」

「その誰かから聞いたと?」

なかなか話を進ませてもらえない。

「いいえ、それも違いますが、一ノ瀬さんにとってそれが重要ですか? そうでしたら今すぐ名前を出していいかどうかを問い合わせますが」

わざと “問い合わせる” という言葉を使った。 “訊いてみる” と言ってしまっては、同年代若しくは年下が色濃く含まれることになってしまうからである。
潤璃が先程と同じように軽く手を振る。 だが今回は笑みが含まれている。

「いや、悪かったね。 その必要はない」

リラックスしたかのような仕草でカップを手にし一口含むと続けて言う。

「水無瀬君の口の堅さは分かったよ」

決して水無瀬の口の堅さだけを計っていたのではないだろうが、ある程度の信用は置かれたということだろう。
カップをソーサーに戻して続ける。

「私が村を出た理由は・・・」

水無瀬も知っているだろう白門のしていることに賛同できないからだと言う。 だからと言って声を上げることすらなく村を後にしたことは、今の水無瀬を見ていて情けないことだったと続けた。

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ハラカルラ 第59回

2024年05月03日 20時29分45秒 | 小説
『ハラカルラ 目次


『ハラカルラ』 第1回から第50回までの目次は以下の 『ハラカルラ』リンクページ からお願いいたします。


     『ハラカルラ』 リンクページ




                                  



ハラカルラ    第59回




以前、白門は一枚岩ではなかったとライから聞いた。 そこのところを詳しく訊いてみると、くすぐってみると動く可能性があるのではないかと思えた。
ただそこはかなりセンシティブな箇所である。 一言を間違えてしまっては完全にこちらに耳を傾けてくれなくなるだろう。 相手は多感な時期の高校生というだけに耳を傾けないどころか、バリケード並みを張られてしまう可能性があるが、反対に言えばくすぐりようで自己確立に舵を切らせることが出来る可能性も捨てきれない。

「そういうことか、分かった。 で、頼みたいんだけど」

僅かではあるが、今できることはライから聞いた話の可能性にかけるしかない。

「んー、分かった。 長に訊いてからまた連絡する。 夜になるけどいいか?」

「OK、頼むな」

朝から農作業を手伝っているのか、これからハラカルラのパトロールをするのだろう。 白門の見張りは今、黒門のはずである。 スマホをタップし通話を切る。

「さて、今日はどうしようか」

ライに頼んだことで少し気が楽になってきた。 大学に行こうか。


就職室に入り色んなパンフレットを見る。 パソコンの前にも座ったが、コレというところが見つからない。 コレというのは心動かされるところということである。 確かに給料のいいところはあるし福利厚生もイイ感じのところはあるのだが、どうしてだろうか心が動かされない。
脇に置いた雄哉がピックアップしてくれたパンフレットを見る。 そして雄哉おススメのアウトプットをしたもの。

「先生に訊いてみるか」

立ち上がり就職委員である教授の部屋に向かった。
パンフレットと雄哉おススメを見せると、教授からはどれもいいのではないかと言われ、その中でもいくつかをピックアップしてくれた。

「君の希望する時間拘束がないということを考えるとここしかないけどね」

ここというのは雄哉おススメである。

「初めて聞く形態ですけど、ここって怪しいところではないんですか?」

「ああ、そんなことはないよ。 時間をフリーに使いたいって学生はここを選んでいるね。 でも収入的には期待できない。 君が収入を考えているのなら他のところをお勧めする。 サラリーマンになるってことは時間拘束があるってことになるけどね」

そして教授が言うには、独り身の間はいいが水無瀬もいつかは家庭を持つだろう、その時に雄哉おススメで働いていては、生活が苦しくなるだろうということを言われた。 そして水無瀬の成績から見るともう少しランクを上げてもいいだろうということで、何枚かをアウトプットしてくれた。


夜になりライから連絡があった。 長の許可は取れたということで、明日、茸一郎と稲也が早々に動くということであった。


早朝、白門の村の山が見える道路に二台の車が停まっている。 それぞれの運転席におっさんが座り、助手席には茸一郎と稲也が座っている。

「顔で判別は出来んだろう、どうする気だ」

あの時、白門の村を下見に行った時は暗くて顔など見えなかった。 だが声は聞いた。

「声で判別できます」

そして稲也の乗る車でも同じような会話がされている。

「ぼんやりとですが顔は見えました」

茸一郎と稲也がじっと白門のある村の山を見ている。 あの時、白門の村に忍び込んだ時、茸一郎は藻が入ったバットを持つ青年二人が高校生だというのを聞いていた。 今日は平日、必ず学校に行くはずである。
この辺りの地図を調べると高校は三校あったが、どこもそこそこ離れていて徒歩圏内ではなく自転車かバスに乗っていくはずである。 となれば早い時間に村を出るはず。 車内で三十分が過ぎた頃、茸一郎と稲也が同時に言った。

「出ます」

畦を三台の自転車が走って来た。 ヘルメットを被りリュックを背負って大きな声で話しながら自転車をこいでいる。

「公立の方か」

私立であればリュックではなく制鞄であるはず。 三校のうちの一校が公立高校で一番近くにあった。

茸一郎が車に手をつき後ろを向く。 後方から稲也が歩いて来ている。 公立高校であるのならば稲也が乗っていた車の方にはやって来ない。
畦をどんどんと走って来た自転車がもうそこまで来ている。 畦を通り越した稲也が白々しくUターンをする。 畦から三台の自転車が出てきて左折をする。 稲也がそっと顔を確認する。 茸一郎が耳を澄ましているが、澄ませるまでもなく高校生たちの声は大きい。

『違うな』 稲也から茸一郎にラインが入ってきた。 『押忍』 というキャラクターに “押忍” という大きな文字が入った押忍スタンプを稲也に返しておく。

車に戻った二人がまたもや山の方をじっと見る。
五分ほどが経った頃、またもや自転車が四台出てきた。 さっきと同じようにリュックを背負っている。
茸一郎と稲也が先程と同じ行動をとったが、結果も先程と同じだった。 同じことを何度か繰り返している内に、制鞄を持った高校生が何人も歩いて来た。 ネットで制服は確認していて、この制服は一番遠くにある高校で完全にバス通学になる。 稲也はそのまま助手席に座り、今度は茸一郎が稲也の方に歩て行く。 バス停は稲也側にある。

稲也がシートを少し倒し、車の中から顔の確認をする態勢に入る。 茸一郎は畦を越してゆっくりと歩き出す。 走って来た賑やかな高校生たちが茸一郎を抜いてバス停に走って行った。 賑やかすぎて誰がどの声という声の聞き分けは出来なかったが、覚えのある声は無かった。

『居ないな』という稲也のラインに茸一郎が返す。 ずっと続けている『押忍』スタンプ。 押忍キャラクターが長方形の壁のようなものを押していてそれを横から見ているアングル。 大きな文字で “押忍” と書かれた下には “押す” と書かれている。 そのうちに酢のものでも食べている押忍キャラクターに “お酢” と書かれているものが出てくるかもしれない。

「バスがもう来るな」

『車が目立つか、動かすか?』

おっさんたちはラインではなく電話での会話である。

『これも違うな』 稲也からである。 茸一郎が『押忍』のスタンプを返す。 泣きの『押忍』キャラクターのスタンプに “押忍” と大きく書かれている文字の下に小さく “雄泣き” と書かれている。

「じゃ、どこか一周してすぐに戻って来て下さい」

一人二人ならまだしも、稲也はじっと顔を見なくてはならないのだから、出来れば車の中から確認をしたい。
稲也が車を降りる。 さっき見ていた高校生たちの方を見ると互いをつつき合ったり、大声を出して笑っている。

「若・・・」

高校生など、とうに終えた稲也には早朝からそんな元気はない。
車が出ると間もなくバスがやって来た。 そしてそれから二分ほどで車が戻って来た。 丁度その時にまたもや制鞄を持った高校生六人が、二人一組で縦列になり畦を歩いて来た。 先ほどと違う制服である。 自転車に乗っていないということは、この高校生たちはさっきの高校生たちとは行き先が反対になるバス停に行くはずである。 そしてこの高校には普通科もあるが、特進科があり優秀な大学への進学率の高い学校であった。

先程と同じように稲也が助手席から六人の顔を確認する態勢に入る。 茸一郎が畦を通り過ぎる。 さっきのように一人ずつの声が聞き分けられない状態は避けたい。 高校生たちが道路に出てきたくらいでUターンをする。 だがその六人はただ歩いているだけで何も話さなく、さっきのような賑やかさが微塵もない。

(どうする)

稲也に頼るか。 だが稲也とて暗がりで見ただけである、茸一郎の確認も欲しがるだろう。

前から歩いてくる六人。 ふと不自然なことに気づいた。 後ろの二人が前の四人から少し離れて歩いている。
二人、四人と過ぎる。 そして残りの二人とすれ違うほんの数瞬前に、ポケットに入れていた手を出し、その時にわざとらしく見えないように鍵の付いた『押忍』キャラチャームを落とした。
「あ」「あ」 二人の声が合わされたが、合わされたことにより分からなくなり、ましてや言葉として短すぎる。

人が落としたものを拾い上げ声をかける、若しくは声だけをかける、そのどちらでもいい。 「あ」と言ったのだから落としたことは認識しているはず。 認識していても見なかったこととするような人種ではないことを祈る。

「あ、あの、落ちましたよ」

―――この声だ。

車に乗り込むと稲也から電話が入ってきた。

『多分だと思うけど、最後列の二人だったんじゃないかな』

やはり稲也だけでは確定は出来なかったようである。

「二人かどうかは分からないけど、一人は確実。 あの時の声だった」

『そうか。 そう言えば、なんかクッサい芝居してたよな』

「うるさいわい」

あの高校には特進科と普通科がある。 先に歩いていた四人はその特進科なのだろう、そして最後尾の二人が普通科。 あの時バットを持っていた二人が言っていた台詞を思い出した『難しいことは分からんけど、頭のいい人間が考えるだろうよ』 そう言っていた。
長の話では白門はいい大学に行かせる、研究をさせる、そういう類のことを言っていたという。 白門の村では頭のいい人間が優遇されているのかもしれなく、それと反対の立場にある人間は身を狭くしているのかもしれないと思い、前を歩く四人から少し間隔を置いて最後尾を歩く二人に絞ってクッサい芝居をしたということであった。

「暁高校で決まりだな」

その日、ライから水無瀬に連絡が入った。


翌日。 暁高校。

授業を終え二人で話しながら校門をくぐり、少し歩くと誰かが目の前に立ち塞がった。 互いに横を見て話していた高校生二人が足を止め前を見る。

「あ・・・」

思わず二人の口が開く。

「ふーん、その様子じゃ俺が誰か知ってるみたいだな」

水無瀬にしてみれば見覚えのない顔である。

「ちょっと話したいんだけど付き合ってくれない?」

二人が顔を合わす。

「時間は取らせない。 それとも君たちが藻を獲った時に話していた内容を白門の誰かに言おうか?」

「え・・・」

「ちょっと歩いた先にあるファミレスに行こう」

水無瀬が踵を返して歩き出す。 どうしようかという目を互いに向けている高校生。 だがここで逃げてしまっては、あの時話していた内容を村の者に話されてしまう。 互いに頷き水無瀬の後ろを歩いた。
高校生は必ず後ろをついてくるはず、水無瀬は振り返ることなく前だけを見ている。 そして高校生の後ろには茸一郎と稲也が付いて来ている。

ファミレスに入り席に座った。

「必要はないみたいだけど改めて。 水無瀬と言います」

「あ、はい」

「二人の名前は?」

どうしようという目を互いに向けている。

「名乗られたら名乗るものだよ、教わらなかった?」

「・・・一ノ瀬」

「後藤」

「一ノ瀬君と後藤君ね」

これが大人なら、いや、余裕があれば、どうして自分たちが話していたことを知っているのかと訊いただろう。 あの時水無瀬は一室に拘束されていた、それもモニターで監視もされていた。 この二人もそのモニターで監視をしていたこともある。 外で話していた二人の会話を水無瀬は聞ける状態には無かった。

「さっきは嫌なことを言ってごめんよ。 君たちに付いて来てほしかっただけで白門の誰かにチクる気はないから安心して」

あくまでも “チクる” であって “言う” ではない。

二人が緊張していた表情筋を弛緩させる。 いや、上がっていた肩が下りた、顔だけではなく体全体も緩んでいったようだ。

外から様子を見ていた茸一郎と稲也がファミレスに入ってきて席に着く。 茸一郎は顔を見られている、万が一を考えて高校生二人のすぐ後方の席に着いた。

「アイスココア二つ」

注文をする稲也の声が聞こえた。

(なんでココアなんだよっ)

朱門は全員ココア派なのか?

水無瀬達の前に飲み物が置かれる。 水無瀬はアイスコーヒー、高校生二人はコーラ。

「バスの時間もあるだろうから、単刀直入に言う」

水無瀬が二人を交互に見ながら話しだした。 それは二人が言っていた話である。
『難しいことは分からんけど、頭のいい人間が考えるだろうよ。 でもこの役は二度とごめんだな』
『言えてる。 こういうことだけは高校生に任せるんだからな、後味悪すぎ』
水無瀬が重きを置いて訊いたのは “この役は二度とごめん” “後味悪すぎ” という二点だった。

「二度とごめん、後味が悪い、具体的にどういう気持ちなのか聞かせてくれる?」

「それは・・・なぁ」

一ノ瀬が後藤を見て言うと後藤も頷いているが、頷くだけではなくしっかりと言葉にしてほしい。

「どういうこと?」

「・・・水無瀬さんも守り人なら分かるでしょ、ハラカルラのものを持って出るなんてことしたくないですよ」

一ノ瀬がここまで言ったのだから続きは話してほしいという目を後藤に送る。

「俺らは怪我なんてそんなにしないけど、運動部に入ってるやつとかは怪我もするし、農作業中の怪我だってある。 それをハラカルラに治してもらってるのに、ハラカルラの嫌がるようなことなんてしたくないって思って当然じゃないですか」

「ああ、当然だ。 君たちの言っていることは特別ではない、後藤君の言うように当然のことを言ってるだけ。 聞かせてくれて有難う」

高校生二人がやっと笑顔を見せコーラを口に含んだ。 水無瀬もコーヒーを一口啜り間を置いて続ける。

「そういう風に考えているのは一ノ瀬君と後藤君だけ?」

「誰ともこんな話をしたことはないから分かりません」

「あの後味の悪さはないんです、だから心の中で思っている奴はいると思うけど、聞いたことはありません」

「うん、俺らは学校が一緒だからそんな話もするけど、な。 でも俺たちはみんながそう思っていてほしいとは思ってます」

互いに、どうする? といった目配せも、次はお前が言えという目顔もない。 どうやら打ち解けてくれたようである。

「感覚的でいいから教えてくれる?」

この二人は高校生、言ってみれば親からも年寄りたちからも白門はこうあるべし、と教えられてきたはず。 それなのに教えられてきたことと違う感覚を持っている。 他の高校生たちもそうなのか、親世代はどうなのか。

「うちも誠・・・一ノ瀬ん家の親も村の方針に従うようにっていうことはそれほど言わなかった。 もし親がそんな考えだったら特進に行かされてたと思う」

一ノ瀬のフルネームは一ノ瀬誠というようである。

「え? それだけ出来るんだ」

特進に入るには簡単なことではないことは知っている。 ましてや私立の進学校である。 この二人は成績優秀だということなのだろうか。

「学校選びは親と相談じゃなくて、村に言われたから仕方なく暁を選んだけど、二人ともわざと特進を落ちる点にして普通科に入ったから。 親も普通科でいいって言ってくれたし」

「俺ん家も。 ハラカルラの生き物たちの研究なんてさせられるの嫌だし」

点数を操作できるとは、どれだけ賢いのか。
それにしても白門でのハラカルラのことがなければ、この二人は特進科に入り良い大学を出ていたのだろう。 その大学が公立であれば授業料の負担は少ない。 そうなれば村に頼らずとも親の金で通わすことが出来たはず。 いや、その前に高校を選べたはずだ。 この二人なら私立高校の暁でなくとも公立高校からでも公立の大学に行くことが出来たのかもしれない。

研究をさせられたくなく、これからの白門のすることに加担したくなく、たとえ自ら普通科を選んだと言ってもこの二人の道は白門によって曲げられた。 白門の在り方に人生を左右されてしまった。

「二人の親以外は? その年代とか」

分かるか? といった具合に二人が目を合わせるが、どちらもはっきりと分からないようである。

「多分だけど・・・私立と公立に行ってる高校生の親たちはその可能性はあるかもしれません。 あくまでも暁の特進以外」

「うん、可能性としてあるかな。 その親と高校生。 ただ全員とは言い難いですけど」

「可能性が高い親、高校生に限らなくともその子供。 それとなく訊いてはもらえない?」

「え? どうして・・・」

さすがにその勇気は出ないだろう。 だからと言って水無瀬もここで引けない。 二人の背中を言葉で押す。

「いい? さっき言っただろう、君たちが思っていることは当然のことなんだ。 その当然を実行に移そう。 無理はしなくていい、君たちが絶対だと思える範囲でいい。 君達にも親御さんにも迷惑はかけられないから。 それと分かる範囲でいいから村を出た人の住所を教えてほしい」

村を出るには各々理由があっただろう、全員が全員と言い切ることは出来ないが、白門のやり方に賛成をしているのであれば、参加をしたいのであれば村を出ることなどなかったはず。

最後にもう一度「可能性の高い人が見つからなかったらそれでいいから、絶対に無理はしないで」と言い、水無瀬と二人それぞれ別のラインを作り解散となった。 それぞれ別のラインにしたのは、よく分かりあっている二人といえど、情報を漏らすのである、そんなラインは互いに見られたくないだろうと考えてのことであった。

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