『辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~』 目次
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辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~ 第154回
屋舎を出た杠。 事が動いた以上は一日でも早く男達を動かしたい。 マツリが京也に言いに行った翌日に京也が動かしてくれたのだから、それを無駄にするわけにはいかない。 それに出来ればまだ武官たちが居る間に試運転を行ないたい。
マツリの元に歩き出した杠に真後ろからドン! と何かがぶつかってきた。 たたらを踏んだ、ように見せかける。 足音が迫ってきていたのは分かっていた。
毎度毎度、同じ手を使うのはどうだろうか。 そう思いながら振り返ると芯直が居た。 完全にすっ転んでいる。 本気でぶつかって来たようだ。
「これ、前を見て走りなさい」
白々しく手を出し立たせてやると、しっかりと掌に文を入れられた。
「ごめんなさい」
しおらしく言うそれは本物だろう。 芯直憧れの杠に本気でぶつかってしまったのだから。
杠が膝を折り、パンパンと衣に付いた砂を払ってやりながら誰にも聞こえないように低い声で言う。
「この手は終わりだ。 他の手を考えるよう」
芯直の身体がビクンと一本の棒になって跳ね上がりそうになった。
「はい、砂は落ちましたか。 気を付けて行きなさい」
先程と全く違う声音で言う。 声音だけではない、別人かと思う程だ。 先程の杠は芯直の憧れていた杠ではなかった。 だが、そのギャップに・・・憧れ度増幅。
「はい! 考えておきます!!」
・・・大声で・・・違うだろう、その返事。 まぁ、不自然ではないが・・・いや、不自然か。
成り立ったか、成り立たなかったか分からない会話である。
杠がこめかみを押さえることをぐっとこらえている間に芯直は走っていなくなった。 芯直の後を追うように絨礼が走って行く。
芯直は考えておくと言った、次には違う手で来るだろう。 こめかみを押さえる間にもマツリの元に足を動かさねば。 それに文を見なくては。
掌の中の文を落とさぬようそっと握りしめた。
巡回をしているマツリをやっと捉まえることが出来た。 すぐに巴央が男達を引き連れて杉山から来た話をする。
「ふむ・・・。 ではその者たちの所に行こうか。 文官所には話をつけておる」
あとは自警の群としての名前の登録をしなければいけない。 それだけを残していた。
「お早い」
「杠ほどではない」
互いに目を合わすとフッと口角を上げる。
「そうで御座いました、マツリ様。 民から嘆願が来ておりまして」
わざとらしく言うと芯直に握らされた文を広げる。
『弟に会ってしまいました。 ひよこぴょこ この地での ぴょこ 動きが制限されます。 みぴょこ 他の地の指示を ぴょこ お願い致します。 沙柊』
マツリと杠がすっとぼけたように目を合わせる。
暫しの沈黙。
「は?」
先に声を発したのはマツリだった。
「あんー!?」
続いて杠。
いけない、いけない。 この文に騙されてはいけない。 弟と会ったことは事実だろうが・・・それだけで終わらせるものではない。
ぴょこ?
「・・・杠、沙柊のことは頼んだ」
「・・・御、意」
御意・・・と言うには勇気がいった。 弟と会ってしまったのは分かるが、ちょいちょい可笑しな語彙(ごい)が入っている
・・・壊れているのか? あの湛然不動だった享沙が。
「屋舎に行く」
「はい」
道先案内人として杠がマツリの前を歩くが案内人は要らない程、六都の地理はマツリの頭に入っている。 だがこれも形式だろう。 六都の民の目を欺くための。
「自警の群に名を登録する時には私ではなく、帆坂殿かと」
「ああ、帆坂には言っておる」
マツリと杠の会話を民が聞く。 普通なら官吏の会話は伏せたいものだ。 ましてや官吏同士の会話でなく官吏とマツリの話だ。
「では? これから十数人の登録があっても良いということで御座いますか?」
「ああ。 十数人どころか何十人を欲しいか」
杠の言葉にマツリが面白げに口の端を上げた。
「違えることなく、使えるか?」
愚問だった。
耳打ちに耳打ちで応える。
「力山のお墨が付いております」
力山のお墨が付いていようといまいと、マツリにとってそれが決定打になることは無い。 だが杠が力山のお墨付きと言った。 それは決定打になる。
「そうか」
屋舎の前に来た。
「お入りください。 待っております」
屋舎の中で改めてその気があるのかをマツリが確認した。
そしてその後、巴央を含む十三人の男達が文官所で登録を済ませ腕章を手に受けた。 全てはマツリが用意をしていた。
男達が戸惑いながらも腕章を腕につける。 腕章には『六都 自警の群』 と書かれている。
「官吏から聞いたであろうが、権利というものを一つ与える。 捕縛または防衛の時にのみ手を出すことを許す。 あくまでも殴る蹴るということではない。 過剰な防衛も許されん。 そのような時にはたとえ自警の群といえど、即刻、武官に取り押さえられる。 ここは六都、我が言うより己(おの)らの方がよく分かっていようが、己らが正当と思っていても、そうしたとしても、偽証する者もいよう、武官文官に疑いの目を向けられぬよう心しておくよう」
マツリの言いたいことはマツリが言ったように自分たちが良く分かっている。 だが・・・まだ昼だというのに、こんな腕章をつけてこれからどうすればいいのか?
マツリが一通り見まわすと文官所長の部屋に入って行った。 部屋の戸を閉めた杠が男達の元にやって来た。
「全てマツリ様の手配の元、今日、これから皆さんには自警の群としての権利が発生いたしました。 お話ししていましたように、夜には巡回をしていただきます。 そして屋舎の仕事の時や・・・仕事全般ですね、その時にも腕章をつけておいてください。 いつでも自警の群として動けるように。 あ、あくまでも腕章のない時には権利は発生いたしませんので、腕章をつけるのをお忘れにならないよう」
「ってことは、なにか? 巡回じゃねーときでも何かあったら取っ捕まえていいってことか?」
「もちろんです。 何をするか分からない輩です夜とは限らないでしょう」
今までの自分たちを振り返ると全くそうだと納得がいく。 それに仕事をしている時に腕章をつけていれば、自警の群はこの仕事をしている者たちだと分かるだろう。 屋舎に学び舎に簡単に手をかけないだろう。 この筋肉を見れば。
「先ほども言いましたがあくまでも自警です。 その分の給金が出ることはありません。 そこはお忘れなく。 そして給金が出ないにもかかわらず、してはならないことがあります」
全員がなんだ? という目をしている。
「腕章をつけている間は酒を吞んではいけません。 腕章を取り酒を吞み、また腕章をつけるということも禁止です。 一口でも酒を呑んだらその日は腕章を付けないで下さい。 呑んでいるのに腕章をつけていれば武官の捕縛対象です」
酒癖の悪い六都のゴロツキを見ていれば、どうしてそういうことを言うのかは分かる。 だが・・・。
「ちょっと待ってくれ、少しくらいならいいだろう? それにオレは酒に強い」
「いいえ、一滴たりとも」
男に向かって言うと今度は全員を見まわした。
「酒を吞んだことで一人でも自警の群の者が武官に捕縛されましたら、自警の群の名に傷を与えることになります。 そうなると脅し・・・コホン、威圧も何もなくなります。 そしてそれが重なると自警の群の解散を言い渡されます。 ご自身も、互いも心しておいてください」
互いに注意を与えよという事。
酒に強いと言った男が口を歪めたが、それ以上は何も言わなかった。
「それからですね、先ほど申しました箪笥ですが、こちらの文官の家の箪笥を見せていただくことが出来ました。 どなたが見に行かれますか?」
どなた、に全員が手を上げた。 そしてゾロゾロと文官の後について文官所を出ると帆坂の家に向かう。
初めてまともに箪笥を見た男たち。
箪笥自体を前に出して裏を見たり、抽斗を出したり中の衣を出して中を見たりと、存分に見ることが出来た。
そして後片付けもきちんとする。 箪笥を元の位置に置き直し、出した衣もきちんと畳み直していた。 そこには帆坂が驚いたような顔をしていた。 そして弟の台を作ってくれた者を杠に教えてもらい、丁寧に礼を言っていた。
帆坂の家を出て屋舎に戻ってきた男達。 置いてある木に座ると腕につけた腕章を緩んだ口元で見ている。
「なんか・・・これって。 いいっつーか・・・」
「・・・照れるよな」
腕章をムニムニと触りながら言っている。
「まっ、これからはこれを付けてる以上は、ここと学び舎を守ろうや」
將基が立ち上がり全員を見まわして言う。
「さ、仕事だ」
「おーさ。 あの箪笥ってーのは作り甲斐がありそうだな」
帆坂の話では箪笥にも色々な大きさがあるらしい。 抽斗の数もそれぞれだという。 先に杠から聞いた限りでは、先方はまだそこのところの注文を出していないということだ。
『試しに色んな大きさを作られてはどうですか?』
と言うことを帆坂から提案された。
「にしても、あの官吏と帆坂ってーの? なかなかだな」
その声に気付いた何人かが頷いている。
「そうだな」
「官吏様があんな話し方しねーぜ」
「クッソえらそーにしてるだけかと思ったけど・・・そうでもない奴もいるもんだな」
「それがなー、聞いたところによると官所で何人か捕まったらしい」
「ああ、オレも聞いた。 文官、つってたかな? 所長もらしいって」
「都司もらしいな」
「都司も? いつ?」
「いつだったか・・・とにかくマツリが来てからだ」
「なんでだ?」
「いや、そこまでは知らねーけど、宮都送りになったってっから、そのへんの悪さじゃねーだろう」
男達が目を合わせる。
「まっ、どうでもいいことだがな」
官吏が捕まり所長と都司まで捕まった。 そして今まで放ったらかしにされていた学び舎を建て替え、杉を切り物を作り給金まで手にしている。
今までとは違う生活を始めている。 朝に起きるということは、朝露を見るということがこれほど気持ちのいいものとは知らなかった。 働いて夜はぐっすり眠れる。 苛々することなど無くなった。 物を作る楽しみが出来た。 大切と思える物が出来た。
どうして前はあれ程うっぷんが堪っていたのだろうか。 そんな風に思っているのは自分だけではないはずだ。
なにかが変わるのかもしれない。 そんな気持ちの入った返事であった。
昼餉を終えると杠が屋舎に入ってきた。 護身と捕縛の練習をする、学び舎に集合するように、というものであった。
即席で武官に護身と捕縛を教えられた自警の群が夜になり巡回を始めた。
自警の群が出来たことを武官長には伝えた。 今日の交代の時間に伝えられるだろう。 だが今巡回に回っている武官に言うことは無かった。 武官たちはあちこちを巡回している。 自警の群の存在を知っているのだから、六都にも自警の群が出来たのか程度で受け止めるだろう。
こと。
戸の閉まる音がした。 わざと音を立てたのだろう、驚かせないよう聞こえる程度に。
「弟とは・・・初耳でしたね」
すっと部屋の中に入ってきた。
マツリは享沙を誘った時に弟のことは聞いていたが、当時、地下から紫揺に助け出されて間なしの杠が知ることは無かった。
「俤・・・」
「なにをそんなに死人のような顔をしなくてはならないのですか?」
笑んでみせると座卓の上に酒瓶を乗せ湯呑を勝手に出してきて酒を注ぐ。
「六都の出とは聞いていましたが、ここら辺りだったんですか?」
「いいえ、ですからまさか会うなんて思ってもいませんでした。 ・・・生きてるとも」
杠が片眉をピクリと上げる。
「俺は十三の歳に家を出ました。 その時弟は十の歳。 あんな親に育てられてまともに生きているとは・・・」
見捨てたも同じ。 だが己と同じように考えて生きていてくれていた。
「会う資格はありませんし、最初に守るべき者が居るかと・・・あの方に訊かれました。 否と答えました。 弟に・・・会うつもりもありません。 弟に何かあっても守りもしません。 ですが弟に知られてしまいました、行動が制限されてしまいます。 他の地で動けることはありませんか?」
杠が頬を緩める。 壊れてはいなかったようだ。
「良い心がけですね。 ですがあの方が仰った守るべき者というのは、食わせねばならない者、離れることが出来ない者、そんな意味です。 他の者たちにも肉親はいます。 そこまで頑なにならなくて宜しいですよ。 ですがたしかに行動は制限されてしまいます。 その尻の痛みを取ってから他所に移ってもらいましょうか」
「・・・え?」
「あの歩き方ではどこへも移動できないでしょう」
いつ見られたのだろうか。 酒も呑んでいないというのに顔を真っ赤にする。
「分からないことが・・・一つ窺っても宜しいでしょうか」
「はい」
杠が懐から享沙の書いた文を出すと広げた。
「この “ぴょこ” というのは何でしょうか?」
「・・・」
全く・・・こんな事を書いた記憶が無い。 だが・・・心当たりはある。
「あ・・・。 無意識に書いていたようです」
杠が湯呑に口をつけながら首を傾げる。
「その、弟は・・・昔からヒヨコが好きで・・・」
「は?」
「俺たちのいた所では、たまにヒヨコ釣の行商が来てたんです。 金なんてありません。 いつも見ているだけでしたが・・・弟は行商人が居る間、ずっと座り込んでヒヨコを見てたんです。 ある日、呆れた行商人が弟に一羽くれたんです。 最初は良かったんです。 でも弟は・・・段々と姿を変えていくヒヨコを見て泣いて・・・。 弟はヒヨコが好きだったんです。 なのにヒヨコがヒヨコでなくなっていく・・・」
やっぱり壊れているのだろうか・・・。
「それでも可愛がっていました。 泣きながらでも・・・。 ですが鶏になりきったと思ったら、親に絞められて・・・」
夕餉の膳にでものったのだろう。
「弟は・・・弟自身がヒヨコのように可愛らしくて・・・」
「わ、わ、分かりました」
これ以上喋らせると、プスプスという音がして穴という穴から煙が出てきそうだ。
「落ち着いて、ささ、呑んでください」
勧められグッと一息に煽ると口から火を吐くようにして、そのままドテンと後ろに転がってしまった。
「あれ? 呑めなかったのか?」
ぽふ。
此之葉が固まった。
紫揺が此之葉の前に座り、やにわに此之葉の胸に手を当てたからである。
「やっぱり・・・」
紫揺の声が此之葉を甦らせる。
「な・・・なにが、で、ございますか・・・」
ぽふ。
「ひっ」
紫揺の手が移動し、もう一方の胸に当てられる。
「こっちも・・・」
「で、ですから・・・なにがで・・・」
手を自分の膝の上に収めるとチロリと此之葉を睨む。
胸を触られて何故、睨まれなければならないのか。
「あの・・・?」
次の手を阻止しようとしてか、両手で胸をガードしている。
「・・・絶対、大きくなりましたよね。 おムネ」
断崖絶壁女が言う。
Aカップ仲間だったはずなのに。
「え・・・? そ、そうでしょうか?」
此之葉も此之葉なりに悩んではいた。 独唱から教えを乞うている時、紫揺を探している時には微塵にも思ったことが無かったが、阿秀とのことがあってから気にしだした。 悩みだした。
此之葉も紫揺と変わらないくらいに何も知らなかった。 だが葉月が此之葉と阿秀のことを知ってから、紫揺と同じように此之葉にも性教育をした。
本来なら独唱がしなければいけない事であったが、独唱も師匠から聞かされていなかった。 なによりも最優先は紫揺を探すことだったのだから。 それにその時にはまだ独唱は幼子だった。 そしてその独唱は誰とも結ばれていない。 教えなければならない事すら知らなければ教える材料も持っていなかった。
「どうやって大きくなったんですか?」
絶対Bの域に入っている。
「え? ・・・どうやってと言われましても・・・。 自然、と?」
「自然? 自然って何ですか? 息吸ってたら大きくなるんですか?」
ちょいギレ。
「そういうわけでは・・・。 ですが心当たりがなく」
「何か特別なものを飲んでるとか食べてるとか」
「いいえ、紫さまと同じ膳をここで食べているだけで御座います」
「サプリとか飲んでません?」
飲んでいるのなら分けて欲しい。
「さぷり?」
その時、襖がパンと開いた。 ガザンだ。 続いて葉月が入ってくる。
「サプリっていうのは、言ってみれば薬草のこと。 胸が大きくなる薬草を食べたり薬湯を飲んでいないかって紫さまは訊いてるの」
此之葉に睨まれる。
「あ・・・訊かれてるの、で御座ります」
チョイおかしい。
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辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~ 第154回
屋舎を出た杠。 事が動いた以上は一日でも早く男達を動かしたい。 マツリが京也に言いに行った翌日に京也が動かしてくれたのだから、それを無駄にするわけにはいかない。 それに出来ればまだ武官たちが居る間に試運転を行ないたい。
マツリの元に歩き出した杠に真後ろからドン! と何かがぶつかってきた。 たたらを踏んだ、ように見せかける。 足音が迫ってきていたのは分かっていた。
毎度毎度、同じ手を使うのはどうだろうか。 そう思いながら振り返ると芯直が居た。 完全にすっ転んでいる。 本気でぶつかって来たようだ。
「これ、前を見て走りなさい」
白々しく手を出し立たせてやると、しっかりと掌に文を入れられた。
「ごめんなさい」
しおらしく言うそれは本物だろう。 芯直憧れの杠に本気でぶつかってしまったのだから。
杠が膝を折り、パンパンと衣に付いた砂を払ってやりながら誰にも聞こえないように低い声で言う。
「この手は終わりだ。 他の手を考えるよう」
芯直の身体がビクンと一本の棒になって跳ね上がりそうになった。
「はい、砂は落ちましたか。 気を付けて行きなさい」
先程と全く違う声音で言う。 声音だけではない、別人かと思う程だ。 先程の杠は芯直の憧れていた杠ではなかった。 だが、そのギャップに・・・憧れ度増幅。
「はい! 考えておきます!!」
・・・大声で・・・違うだろう、その返事。 まぁ、不自然ではないが・・・いや、不自然か。
成り立ったか、成り立たなかったか分からない会話である。
杠がこめかみを押さえることをぐっとこらえている間に芯直は走っていなくなった。 芯直の後を追うように絨礼が走って行く。
芯直は考えておくと言った、次には違う手で来るだろう。 こめかみを押さえる間にもマツリの元に足を動かさねば。 それに文を見なくては。
掌の中の文を落とさぬようそっと握りしめた。
巡回をしているマツリをやっと捉まえることが出来た。 すぐに巴央が男達を引き連れて杉山から来た話をする。
「ふむ・・・。 ではその者たちの所に行こうか。 文官所には話をつけておる」
あとは自警の群としての名前の登録をしなければいけない。 それだけを残していた。
「お早い」
「杠ほどではない」
互いに目を合わすとフッと口角を上げる。
「そうで御座いました、マツリ様。 民から嘆願が来ておりまして」
わざとらしく言うと芯直に握らされた文を広げる。
『弟に会ってしまいました。 ひよこぴょこ この地での ぴょこ 動きが制限されます。 みぴょこ 他の地の指示を ぴょこ お願い致します。 沙柊』
マツリと杠がすっとぼけたように目を合わせる。
暫しの沈黙。
「は?」
先に声を発したのはマツリだった。
「あんー!?」
続いて杠。
いけない、いけない。 この文に騙されてはいけない。 弟と会ったことは事実だろうが・・・それだけで終わらせるものではない。
ぴょこ?
「・・・杠、沙柊のことは頼んだ」
「・・・御、意」
御意・・・と言うには勇気がいった。 弟と会ってしまったのは分かるが、ちょいちょい可笑しな語彙(ごい)が入っている
・・・壊れているのか? あの湛然不動だった享沙が。
「屋舎に行く」
「はい」
道先案内人として杠がマツリの前を歩くが案内人は要らない程、六都の地理はマツリの頭に入っている。 だがこれも形式だろう。 六都の民の目を欺くための。
「自警の群に名を登録する時には私ではなく、帆坂殿かと」
「ああ、帆坂には言っておる」
マツリと杠の会話を民が聞く。 普通なら官吏の会話は伏せたいものだ。 ましてや官吏同士の会話でなく官吏とマツリの話だ。
「では? これから十数人の登録があっても良いということで御座いますか?」
「ああ。 十数人どころか何十人を欲しいか」
杠の言葉にマツリが面白げに口の端を上げた。
「違えることなく、使えるか?」
愚問だった。
耳打ちに耳打ちで応える。
「力山のお墨が付いております」
力山のお墨が付いていようといまいと、マツリにとってそれが決定打になることは無い。 だが杠が力山のお墨付きと言った。 それは決定打になる。
「そうか」
屋舎の前に来た。
「お入りください。 待っております」
屋舎の中で改めてその気があるのかをマツリが確認した。
そしてその後、巴央を含む十三人の男達が文官所で登録を済ませ腕章を手に受けた。 全てはマツリが用意をしていた。
男達が戸惑いながらも腕章を腕につける。 腕章には『六都 自警の群』 と書かれている。
「官吏から聞いたであろうが、権利というものを一つ与える。 捕縛または防衛の時にのみ手を出すことを許す。 あくまでも殴る蹴るということではない。 過剰な防衛も許されん。 そのような時にはたとえ自警の群といえど、即刻、武官に取り押さえられる。 ここは六都、我が言うより己(おの)らの方がよく分かっていようが、己らが正当と思っていても、そうしたとしても、偽証する者もいよう、武官文官に疑いの目を向けられぬよう心しておくよう」
マツリの言いたいことはマツリが言ったように自分たちが良く分かっている。 だが・・・まだ昼だというのに、こんな腕章をつけてこれからどうすればいいのか?
マツリが一通り見まわすと文官所長の部屋に入って行った。 部屋の戸を閉めた杠が男達の元にやって来た。
「全てマツリ様の手配の元、今日、これから皆さんには自警の群としての権利が発生いたしました。 お話ししていましたように、夜には巡回をしていただきます。 そして屋舎の仕事の時や・・・仕事全般ですね、その時にも腕章をつけておいてください。 いつでも自警の群として動けるように。 あ、あくまでも腕章のない時には権利は発生いたしませんので、腕章をつけるのをお忘れにならないよう」
「ってことは、なにか? 巡回じゃねーときでも何かあったら取っ捕まえていいってことか?」
「もちろんです。 何をするか分からない輩です夜とは限らないでしょう」
今までの自分たちを振り返ると全くそうだと納得がいく。 それに仕事をしている時に腕章をつけていれば、自警の群はこの仕事をしている者たちだと分かるだろう。 屋舎に学び舎に簡単に手をかけないだろう。 この筋肉を見れば。
「先ほども言いましたがあくまでも自警です。 その分の給金が出ることはありません。 そこはお忘れなく。 そして給金が出ないにもかかわらず、してはならないことがあります」
全員がなんだ? という目をしている。
「腕章をつけている間は酒を吞んではいけません。 腕章を取り酒を吞み、また腕章をつけるということも禁止です。 一口でも酒を呑んだらその日は腕章を付けないで下さい。 呑んでいるのに腕章をつけていれば武官の捕縛対象です」
酒癖の悪い六都のゴロツキを見ていれば、どうしてそういうことを言うのかは分かる。 だが・・・。
「ちょっと待ってくれ、少しくらいならいいだろう? それにオレは酒に強い」
「いいえ、一滴たりとも」
男に向かって言うと今度は全員を見まわした。
「酒を吞んだことで一人でも自警の群の者が武官に捕縛されましたら、自警の群の名に傷を与えることになります。 そうなると脅し・・・コホン、威圧も何もなくなります。 そしてそれが重なると自警の群の解散を言い渡されます。 ご自身も、互いも心しておいてください」
互いに注意を与えよという事。
酒に強いと言った男が口を歪めたが、それ以上は何も言わなかった。
「それからですね、先ほど申しました箪笥ですが、こちらの文官の家の箪笥を見せていただくことが出来ました。 どなたが見に行かれますか?」
どなた、に全員が手を上げた。 そしてゾロゾロと文官の後について文官所を出ると帆坂の家に向かう。
初めてまともに箪笥を見た男たち。
箪笥自体を前に出して裏を見たり、抽斗を出したり中の衣を出して中を見たりと、存分に見ることが出来た。
そして後片付けもきちんとする。 箪笥を元の位置に置き直し、出した衣もきちんと畳み直していた。 そこには帆坂が驚いたような顔をしていた。 そして弟の台を作ってくれた者を杠に教えてもらい、丁寧に礼を言っていた。
帆坂の家を出て屋舎に戻ってきた男達。 置いてある木に座ると腕につけた腕章を緩んだ口元で見ている。
「なんか・・・これって。 いいっつーか・・・」
「・・・照れるよな」
腕章をムニムニと触りながら言っている。
「まっ、これからはこれを付けてる以上は、ここと学び舎を守ろうや」
將基が立ち上がり全員を見まわして言う。
「さ、仕事だ」
「おーさ。 あの箪笥ってーのは作り甲斐がありそうだな」
帆坂の話では箪笥にも色々な大きさがあるらしい。 抽斗の数もそれぞれだという。 先に杠から聞いた限りでは、先方はまだそこのところの注文を出していないということだ。
『試しに色んな大きさを作られてはどうですか?』
と言うことを帆坂から提案された。
「にしても、あの官吏と帆坂ってーの? なかなかだな」
その声に気付いた何人かが頷いている。
「そうだな」
「官吏様があんな話し方しねーぜ」
「クッソえらそーにしてるだけかと思ったけど・・・そうでもない奴もいるもんだな」
「それがなー、聞いたところによると官所で何人か捕まったらしい」
「ああ、オレも聞いた。 文官、つってたかな? 所長もらしいって」
「都司もらしいな」
「都司も? いつ?」
「いつだったか・・・とにかくマツリが来てからだ」
「なんでだ?」
「いや、そこまでは知らねーけど、宮都送りになったってっから、そのへんの悪さじゃねーだろう」
男達が目を合わせる。
「まっ、どうでもいいことだがな」
官吏が捕まり所長と都司まで捕まった。 そして今まで放ったらかしにされていた学び舎を建て替え、杉を切り物を作り給金まで手にしている。
今までとは違う生活を始めている。 朝に起きるということは、朝露を見るということがこれほど気持ちのいいものとは知らなかった。 働いて夜はぐっすり眠れる。 苛々することなど無くなった。 物を作る楽しみが出来た。 大切と思える物が出来た。
どうして前はあれ程うっぷんが堪っていたのだろうか。 そんな風に思っているのは自分だけではないはずだ。
なにかが変わるのかもしれない。 そんな気持ちの入った返事であった。
昼餉を終えると杠が屋舎に入ってきた。 護身と捕縛の練習をする、学び舎に集合するように、というものであった。
即席で武官に護身と捕縛を教えられた自警の群が夜になり巡回を始めた。
自警の群が出来たことを武官長には伝えた。 今日の交代の時間に伝えられるだろう。 だが今巡回に回っている武官に言うことは無かった。 武官たちはあちこちを巡回している。 自警の群の存在を知っているのだから、六都にも自警の群が出来たのか程度で受け止めるだろう。
こと。
戸の閉まる音がした。 わざと音を立てたのだろう、驚かせないよう聞こえる程度に。
「弟とは・・・初耳でしたね」
すっと部屋の中に入ってきた。
マツリは享沙を誘った時に弟のことは聞いていたが、当時、地下から紫揺に助け出されて間なしの杠が知ることは無かった。
「俤・・・」
「なにをそんなに死人のような顔をしなくてはならないのですか?」
笑んでみせると座卓の上に酒瓶を乗せ湯呑を勝手に出してきて酒を注ぐ。
「六都の出とは聞いていましたが、ここら辺りだったんですか?」
「いいえ、ですからまさか会うなんて思ってもいませんでした。 ・・・生きてるとも」
杠が片眉をピクリと上げる。
「俺は十三の歳に家を出ました。 その時弟は十の歳。 あんな親に育てられてまともに生きているとは・・・」
見捨てたも同じ。 だが己と同じように考えて生きていてくれていた。
「会う資格はありませんし、最初に守るべき者が居るかと・・・あの方に訊かれました。 否と答えました。 弟に・・・会うつもりもありません。 弟に何かあっても守りもしません。 ですが弟に知られてしまいました、行動が制限されてしまいます。 他の地で動けることはありませんか?」
杠が頬を緩める。 壊れてはいなかったようだ。
「良い心がけですね。 ですがあの方が仰った守るべき者というのは、食わせねばならない者、離れることが出来ない者、そんな意味です。 他の者たちにも肉親はいます。 そこまで頑なにならなくて宜しいですよ。 ですがたしかに行動は制限されてしまいます。 その尻の痛みを取ってから他所に移ってもらいましょうか」
「・・・え?」
「あの歩き方ではどこへも移動できないでしょう」
いつ見られたのだろうか。 酒も呑んでいないというのに顔を真っ赤にする。
「分からないことが・・・一つ窺っても宜しいでしょうか」
「はい」
杠が懐から享沙の書いた文を出すと広げた。
「この “ぴょこ” というのは何でしょうか?」
「・・・」
全く・・・こんな事を書いた記憶が無い。 だが・・・心当たりはある。
「あ・・・。 無意識に書いていたようです」
杠が湯呑に口をつけながら首を傾げる。
「その、弟は・・・昔からヒヨコが好きで・・・」
「は?」
「俺たちのいた所では、たまにヒヨコ釣の行商が来てたんです。 金なんてありません。 いつも見ているだけでしたが・・・弟は行商人が居る間、ずっと座り込んでヒヨコを見てたんです。 ある日、呆れた行商人が弟に一羽くれたんです。 最初は良かったんです。 でも弟は・・・段々と姿を変えていくヒヨコを見て泣いて・・・。 弟はヒヨコが好きだったんです。 なのにヒヨコがヒヨコでなくなっていく・・・」
やっぱり壊れているのだろうか・・・。
「それでも可愛がっていました。 泣きながらでも・・・。 ですが鶏になりきったと思ったら、親に絞められて・・・」
夕餉の膳にでものったのだろう。
「弟は・・・弟自身がヒヨコのように可愛らしくて・・・」
「わ、わ、分かりました」
これ以上喋らせると、プスプスという音がして穴という穴から煙が出てきそうだ。
「落ち着いて、ささ、呑んでください」
勧められグッと一息に煽ると口から火を吐くようにして、そのままドテンと後ろに転がってしまった。
「あれ? 呑めなかったのか?」
ぽふ。
此之葉が固まった。
紫揺が此之葉の前に座り、やにわに此之葉の胸に手を当てたからである。
「やっぱり・・・」
紫揺の声が此之葉を甦らせる。
「な・・・なにが、で、ございますか・・・」
ぽふ。
「ひっ」
紫揺の手が移動し、もう一方の胸に当てられる。
「こっちも・・・」
「で、ですから・・・なにがで・・・」
手を自分の膝の上に収めるとチロリと此之葉を睨む。
胸を触られて何故、睨まれなければならないのか。
「あの・・・?」
次の手を阻止しようとしてか、両手で胸をガードしている。
「・・・絶対、大きくなりましたよね。 おムネ」
断崖絶壁女が言う。
Aカップ仲間だったはずなのに。
「え・・・? そ、そうでしょうか?」
此之葉も此之葉なりに悩んではいた。 独唱から教えを乞うている時、紫揺を探している時には微塵にも思ったことが無かったが、阿秀とのことがあってから気にしだした。 悩みだした。
此之葉も紫揺と変わらないくらいに何も知らなかった。 だが葉月が此之葉と阿秀のことを知ってから、紫揺と同じように此之葉にも性教育をした。
本来なら独唱がしなければいけない事であったが、独唱も師匠から聞かされていなかった。 なによりも最優先は紫揺を探すことだったのだから。 それにその時にはまだ独唱は幼子だった。 そしてその独唱は誰とも結ばれていない。 教えなければならない事すら知らなければ教える材料も持っていなかった。
「どうやって大きくなったんですか?」
絶対Bの域に入っている。
「え? ・・・どうやってと言われましても・・・。 自然、と?」
「自然? 自然って何ですか? 息吸ってたら大きくなるんですか?」
ちょいギレ。
「そういうわけでは・・・。 ですが心当たりがなく」
「何か特別なものを飲んでるとか食べてるとか」
「いいえ、紫さまと同じ膳をここで食べているだけで御座います」
「サプリとか飲んでません?」
飲んでいるのなら分けて欲しい。
「さぷり?」
その時、襖がパンと開いた。 ガザンだ。 続いて葉月が入ってくる。
「サプリっていうのは、言ってみれば薬草のこと。 胸が大きくなる薬草を食べたり薬湯を飲んでいないかって紫さまは訊いてるの」
此之葉に睨まれる。
「あ・・・訊かれてるの、で御座ります」
チョイおかしい。