大福 りす の 隠れ家

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辰刻の雫 ~蒼い月~  第154回

2023年03月31日 21時07分53秒 | 小説
『辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~』 目次


『辰刻の雫 ~蒼い月~』 第1回から第150回までの目次は以下の 『辰刻の雫 ~蒼い月~』リンクページ からお願いいたします。


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辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~  第154回



屋舎を出た杠。 事が動いた以上は一日でも早く男達を動かしたい。 マツリが京也に言いに行った翌日に京也が動かしてくれたのだから、それを無駄にするわけにはいかない。 それに出来ればまだ武官たちが居る間に試運転を行ないたい。

マツリの元に歩き出した杠に真後ろからドン! と何かがぶつかってきた。 たたらを踏んだ、ように見せかける。 足音が迫ってきていたのは分かっていた。
毎度毎度、同じ手を使うのはどうだろうか。 そう思いながら振り返ると芯直が居た。 完全にすっ転んでいる。 本気でぶつかって来たようだ。

「これ、前を見て走りなさい」

白々しく手を出し立たせてやると、しっかりと掌に文を入れられた。

「ごめんなさい」

しおらしく言うそれは本物だろう。 芯直憧れの杠に本気でぶつかってしまったのだから。
杠が膝を折り、パンパンと衣に付いた砂を払ってやりながら誰にも聞こえないように低い声で言う。

「この手は終わりだ。 他の手を考えるよう」

芯直の身体がビクンと一本の棒になって跳ね上がりそうになった。

「はい、砂は落ちましたか。 気を付けて行きなさい」

先程と全く違う声音で言う。 声音だけではない、別人かと思う程だ。 先程の杠は芯直の憧れていた杠ではなかった。 だが、そのギャップに・・・憧れ度増幅。

「はい! 考えておきます!!」

・・・大声で・・・違うだろう、その返事。 まぁ、不自然ではないが・・・いや、不自然か。
成り立ったか、成り立たなかったか分からない会話である。
杠がこめかみを押さえることをぐっとこらえている間に芯直は走っていなくなった。 芯直の後を追うように絨礼が走って行く。
芯直は考えておくと言った、次には違う手で来るだろう。 こめかみを押さえる間にもマツリの元に足を動かさねば。 それに文を見なくては。
掌の中の文を落とさぬようそっと握りしめた。

巡回をしているマツリをやっと捉まえることが出来た。 すぐに巴央が男達を引き連れて杉山から来た話をする。

「ふむ・・・。 ではその者たちの所に行こうか。 文官所には話をつけておる」

あとは自警の群としての名前の登録をしなければいけない。 それだけを残していた。

「お早い」

「杠ほどではない」

互いに目を合わすとフッと口角を上げる。

「そうで御座いました、マツリ様。 民から嘆願が来ておりまして」

わざとらしく言うと芯直に握らされた文を広げる。

『弟に会ってしまいました。 ひよこぴょこ この地での ぴょこ 動きが制限されます。 みぴょこ 他の地の指示を ぴょこ お願い致します。 沙柊』

マツリと杠がすっとぼけたように目を合わせる。
暫しの沈黙。

「は?」

先に声を発したのはマツリだった。

「あんー!?」

続いて杠。
いけない、いけない。 この文に騙されてはいけない。 弟と会ったことは事実だろうが・・・それだけで終わらせるものではない。
ぴょこ?

「・・・杠、沙柊のことは頼んだ」

「・・・御、意」

御意・・・と言うには勇気がいった。 弟と会ってしまったのは分かるが、ちょいちょい可笑しな語彙(ごい)が入っている
・・・壊れているのか? あの湛然不動だった享沙が。

「屋舎に行く」

「はい」

道先案内人として杠がマツリの前を歩くが案内人は要らない程、六都の地理はマツリの頭に入っている。 だがこれも形式だろう。 六都の民の目を欺くための。

「自警の群に名を登録する時には私ではなく、帆坂殿かと」

「ああ、帆坂には言っておる」

マツリと杠の会話を民が聞く。 普通なら官吏の会話は伏せたいものだ。 ましてや官吏同士の会話でなく官吏とマツリの話だ。

「では? これから十数人の登録があっても良いということで御座いますか?」

「ああ。 十数人どころか何十人を欲しいか」

杠の言葉にマツリが面白げに口の端を上げた。

「違えることなく、使えるか?」

愚問だった。
耳打ちに耳打ちで応える。

「力山のお墨が付いております」

力山のお墨が付いていようといまいと、マツリにとってそれが決定打になることは無い。 だが杠が力山のお墨付きと言った。 それは決定打になる。

「そうか」

屋舎の前に来た。

「お入りください。 待っております」

屋舎の中で改めてその気があるのかをマツリが確認した。
そしてその後、巴央を含む十三人の男達が文官所で登録を済ませ腕章を手に受けた。 全てはマツリが用意をしていた。
男達が戸惑いながらも腕章を腕につける。 腕章には『六都 自警の群』 と書かれている。

「官吏から聞いたであろうが、権利というものを一つ与える。 捕縛または防衛の時にのみ手を出すことを許す。 あくまでも殴る蹴るということではない。 過剰な防衛も許されん。 そのような時にはたとえ自警の群といえど、即刻、武官に取り押さえられる。 ここは六都、我が言うより己(おの)らの方がよく分かっていようが、己らが正当と思っていても、そうしたとしても、偽証する者もいよう、武官文官に疑いの目を向けられぬよう心しておくよう」

マツリの言いたいことはマツリが言ったように自分たちが良く分かっている。 だが・・・まだ昼だというのに、こんな腕章をつけてこれからどうすればいいのか?
マツリが一通り見まわすと文官所長の部屋に入って行った。 部屋の戸を閉めた杠が男達の元にやって来た。

「全てマツリ様の手配の元、今日、これから皆さんには自警の群としての権利が発生いたしました。 お話ししていましたように、夜には巡回をしていただきます。 そして屋舎の仕事の時や・・・仕事全般ですね、その時にも腕章をつけておいてください。 いつでも自警の群として動けるように。 あ、あくまでも腕章のない時には権利は発生いたしませんので、腕章をつけるのをお忘れにならないよう」

「ってことは、なにか? 巡回じゃねーときでも何かあったら取っ捕まえていいってことか?」

「もちろんです。 何をするか分からない輩です夜とは限らないでしょう」

今までの自分たちを振り返ると全くそうだと納得がいく。 それに仕事をしている時に腕章をつけていれば、自警の群はこの仕事をしている者たちだと分かるだろう。 屋舎に学び舎に簡単に手をかけないだろう。 この筋肉を見れば。

「先ほども言いましたがあくまでも自警です。 その分の給金が出ることはありません。 そこはお忘れなく。 そして給金が出ないにもかかわらず、してはならないことがあります」

全員がなんだ? という目をしている。

「腕章をつけている間は酒を吞んではいけません。 腕章を取り酒を吞み、また腕章をつけるということも禁止です。 一口でも酒を呑んだらその日は腕章を付けないで下さい。 呑んでいるのに腕章をつけていれば武官の捕縛対象です」

酒癖の悪い六都のゴロツキを見ていれば、どうしてそういうことを言うのかは分かる。 だが・・・。

「ちょっと待ってくれ、少しくらいならいいだろう? それにオレは酒に強い」

「いいえ、一滴たりとも」

男に向かって言うと今度は全員を見まわした。

「酒を吞んだことで一人でも自警の群の者が武官に捕縛されましたら、自警の群の名に傷を与えることになります。 そうなると脅し・・・コホン、威圧も何もなくなります。 そしてそれが重なると自警の群の解散を言い渡されます。 ご自身も、互いも心しておいてください」

互いに注意を与えよという事。
酒に強いと言った男が口を歪めたが、それ以上は何も言わなかった。

「それからですね、先ほど申しました箪笥ですが、こちらの文官の家の箪笥を見せていただくことが出来ました。 どなたが見に行かれますか?」

どなた、に全員が手を上げた。 そしてゾロゾロと文官の後について文官所を出ると帆坂の家に向かう。
初めてまともに箪笥を見た男たち。
箪笥自体を前に出して裏を見たり、抽斗を出したり中の衣を出して中を見たりと、存分に見ることが出来た。
そして後片付けもきちんとする。 箪笥を元の位置に置き直し、出した衣もきちんと畳み直していた。 そこには帆坂が驚いたような顔をしていた。 そして弟の台を作ってくれた者を杠に教えてもらい、丁寧に礼を言っていた。

帆坂の家を出て屋舎に戻ってきた男達。 置いてある木に座ると腕につけた腕章を緩んだ口元で見ている。

「なんか・・・これって。 いいっつーか・・・」

「・・・照れるよな」

腕章をムニムニと触りながら言っている。

「まっ、これからはこれを付けてる以上は、ここと学び舎を守ろうや」

將基が立ち上がり全員を見まわして言う。

「さ、仕事だ」

「おーさ。 あの箪笥ってーのは作り甲斐がありそうだな」

帆坂の話では箪笥にも色々な大きさがあるらしい。 抽斗の数もそれぞれだという。 先に杠から聞いた限りでは、先方はまだそこのところの注文を出していないということだ。

『試しに色んな大きさを作られてはどうですか?』

と言うことを帆坂から提案された。

「にしても、あの官吏と帆坂ってーの? なかなかだな」

その声に気付いた何人かが頷いている。

「そうだな」

「官吏様があんな話し方しねーぜ」

「クッソえらそーにしてるだけかと思ったけど・・・そうでもない奴もいるもんだな」

「それがなー、聞いたところによると官所で何人か捕まったらしい」

「ああ、オレも聞いた。 文官、つってたかな? 所長もらしいって」

「都司もらしいな」

「都司も? いつ?」

「いつだったか・・・とにかくマツリが来てからだ」

「なんでだ?」

「いや、そこまでは知らねーけど、宮都送りになったってっから、そのへんの悪さじゃねーだろう」

男達が目を合わせる。

「まっ、どうでもいいことだがな」

官吏が捕まり所長と都司まで捕まった。 そして今まで放ったらかしにされていた学び舎を建て替え、杉を切り物を作り給金まで手にしている。
今までとは違う生活を始めている。 朝に起きるということは、朝露を見るということがこれほど気持ちのいいものとは知らなかった。 働いて夜はぐっすり眠れる。 苛々することなど無くなった。 物を作る楽しみが出来た。 大切と思える物が出来た。
どうして前はあれ程うっぷんが堪っていたのだろうか。 そんな風に思っているのは自分だけではないはずだ。
なにかが変わるのかもしれない。 そんな気持ちの入った返事であった。

昼餉を終えると杠が屋舎に入ってきた。 護身と捕縛の練習をする、学び舎に集合するように、というものであった。
即席で武官に護身と捕縛を教えられた自警の群が夜になり巡回を始めた。

自警の群が出来たことを武官長には伝えた。 今日の交代の時間に伝えられるだろう。 だが今巡回に回っている武官に言うことは無かった。 武官たちはあちこちを巡回している。 自警の群の存在を知っているのだから、六都にも自警の群が出来たのか程度で受け止めるだろう。


こと。
戸の閉まる音がした。 わざと音を立てたのだろう、驚かせないよう聞こえる程度に。

「弟とは・・・初耳でしたね」

すっと部屋の中に入ってきた。
マツリは享沙を誘った時に弟のことは聞いていたが、当時、地下から紫揺に助け出されて間なしの杠が知ることは無かった。

「俤・・・」

「なにをそんなに死人のような顔をしなくてはならないのですか?」

笑んでみせると座卓の上に酒瓶を乗せ湯呑を勝手に出してきて酒を注ぐ。

「六都の出とは聞いていましたが、ここら辺りだったんですか?」

「いいえ、ですからまさか会うなんて思ってもいませんでした。 ・・・生きてるとも」

杠が片眉をピクリと上げる。

「俺は十三の歳に家を出ました。 その時弟は十の歳。 あんな親に育てられてまともに生きているとは・・・」

見捨てたも同じ。 だが己と同じように考えて生きていてくれていた。

「会う資格はありませんし、最初に守るべき者が居るかと・・・あの方に訊かれました。 否と答えました。 弟に・・・会うつもりもありません。 弟に何かあっても守りもしません。 ですが弟に知られてしまいました、行動が制限されてしまいます。 他の地で動けることはありませんか?」

杠が頬を緩める。 壊れてはいなかったようだ。

「良い心がけですね。 ですがあの方が仰った守るべき者というのは、食わせねばならない者、離れることが出来ない者、そんな意味です。 他の者たちにも肉親はいます。 そこまで頑なにならなくて宜しいですよ。 ですがたしかに行動は制限されてしまいます。 その尻の痛みを取ってから他所に移ってもらいましょうか」

「・・・え?」

「あの歩き方ではどこへも移動できないでしょう」

いつ見られたのだろうか。 酒も呑んでいないというのに顔を真っ赤にする。

「分からないことが・・・一つ窺っても宜しいでしょうか」

「はい」

杠が懐から享沙の書いた文を出すと広げた。

「この “ぴょこ” というのは何でしょうか?」

「・・・」

全く・・・こんな事を書いた記憶が無い。 だが・・・心当たりはある。

「あ・・・。 無意識に書いていたようです」

杠が湯呑に口をつけながら首を傾げる。

「その、弟は・・・昔からヒヨコが好きで・・・」

「は?」

「俺たちのいた所では、たまにヒヨコ釣の行商が来てたんです。 金なんてありません。 いつも見ているだけでしたが・・・弟は行商人が居る間、ずっと座り込んでヒヨコを見てたんです。 ある日、呆れた行商人が弟に一羽くれたんです。 最初は良かったんです。 でも弟は・・・段々と姿を変えていくヒヨコを見て泣いて・・・。 弟はヒヨコが好きだったんです。 なのにヒヨコがヒヨコでなくなっていく・・・」

やっぱり壊れているのだろうか・・・。

「それでも可愛がっていました。 泣きながらでも・・・。 ですが鶏になりきったと思ったら、親に絞められて・・・」

夕餉の膳にでものったのだろう。

「弟は・・・弟自身がヒヨコのように可愛らしくて・・・」

「わ、わ、分かりました」

これ以上喋らせると、プスプスという音がして穴という穴から煙が出てきそうだ。

「落ち着いて、ささ、呑んでください」

勧められグッと一息に煽ると口から火を吐くようにして、そのままドテンと後ろに転がってしまった。

「あれ? 呑めなかったのか?」



ぽふ。
此之葉が固まった。
紫揺が此之葉の前に座り、やにわに此之葉の胸に手を当てたからである。

「やっぱり・・・」

紫揺の声が此之葉を甦らせる。

「な・・・なにが、で、ございますか・・・」

ぽふ。

「ひっ」

紫揺の手が移動し、もう一方の胸に当てられる。

「こっちも・・・」

「で、ですから・・・なにがで・・・」

手を自分の膝の上に収めるとチロリと此之葉を睨む。
胸を触られて何故、睨まれなければならないのか。

「あの・・・?」

次の手を阻止しようとしてか、両手で胸をガードしている。

「・・・絶対、大きくなりましたよね。 おムネ」

断崖絶壁女が言う。
Aカップ仲間だったはずなのに。

「え・・・? そ、そうでしょうか?」

此之葉も此之葉なりに悩んではいた。 独唱から教えを乞うている時、紫揺を探している時には微塵にも思ったことが無かったが、阿秀とのことがあってから気にしだした。 悩みだした。
此之葉も紫揺と変わらないくらいに何も知らなかった。 だが葉月が此之葉と阿秀のことを知ってから、紫揺と同じように此之葉にも性教育をした。
本来なら独唱がしなければいけない事であったが、独唱も師匠から聞かされていなかった。 なによりも最優先は紫揺を探すことだったのだから。 それにその時にはまだ独唱は幼子だった。 そしてその独唱は誰とも結ばれていない。 教えなければならない事すら知らなければ教える材料も持っていなかった。

「どうやって大きくなったんですか?」

絶対Bの域に入っている。

「え? ・・・どうやってと言われましても・・・。 自然、と?」

「自然? 自然って何ですか? 息吸ってたら大きくなるんですか?」

ちょいギレ。

「そういうわけでは・・・。 ですが心当たりがなく」

「何か特別なものを飲んでるとか食べてるとか」

「いいえ、紫さまと同じ膳をここで食べているだけで御座います」

「サプリとか飲んでません?」

飲んでいるのなら分けて欲しい。

「さぷり?」

その時、襖がパンと開いた。 ガザンだ。 続いて葉月が入ってくる。

「サプリっていうのは、言ってみれば薬草のこと。 胸が大きくなる薬草を食べたり薬湯を飲んでいないかって紫さまは訊いてるの」

此之葉に睨まれる。

「あ・・・訊かれてるの、で御座ります」

チョイおかしい。

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辰刻の雫 ~蒼い月~  第153回

2023年03月27日 21時02分22秒 | 小説
『辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~』 目次


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辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~  第153回



杠が歩を出した。 その杠の後ろから巴央がついてくる。
屋舎に入ると十二人の男達に目を這わせ穏やかな声を舌に乗せる。

「早朝より杉山からお疲れで御座いました。 杉の木材の売れ行きも良く、皆さんの作られた物も手にとってはお買い上げいただいております。 ああ、薪も。 薪は見事に均等にされていると大変喜ばれております」

薪などとどうでもいいこと。 材木材料になりそうにないものを割っただけなのだから。 だが・・・どうでもいいと思っていた薪を喜んでいると? 均等にしているのが?

「お持ち帰りになられる時に均等にされていれば、積みやすいと仰られております。 ああ、それと・・・」

マツリが頼んだ台を作った者がここに居るかと訊くと、二人の男が目を合わせた。

「オレらだけど・・・」

怪訝な目を送ってくる。

「あなた達ですか。 マツリ様が杉山に行かれた時、礼を言われたかったそうですが、お二人にお会いできなかったということで私から礼を言います」

「礼って・・・」

本人の前で言ったことは無いが、マツリのことをマツリマツリと呼び捨てにはしているが、本領の時期領主ということくらいは知っている。 武官にも叱責されているのだし。 いや、それが無くても知っている。 そのマツリが礼を言おうとしていた? それに今、礼を言った男は官吏だ。
この官吏が話し出してずっと気にはなっていた。 官吏が民に話す話し方ではない。 ましてや官吏が民を労ったり礼を言うなどということは考えられない。

「ええ、重宝しております。 出来ればあと二つ欲しいとさえ言っておられました」

ニコリと笑顔を添える。

「あ・・・不便な所はないって?」

「今のところは」

「ん、そうか、分かった。 すぐにあと二つ作る」

「有難うございます。 使わせてもらっている者も礼を言いたいそうなので、学び舎に来た時に―――」

「礼なんていらねーさ」

言った男が恥ずかしそうに鼻の下をこすっている。 もう一人の男も頭を掻きながら明後日を見ている。
杠が笑顔のまま頷くと見張りの話をしだした。

「先ほど金河から聞きましたが、見張を立てたいということですが?」

男達が目を合わせ、一人の男が巴央をチラッと見て口を開いた。 この男がこの集団の頭的存在なのだろうか。

「金河が?」

「ええ、皆さんが屋舎に入られた時、新しい注文が入ってきていましたので、最後尾にいた金河を止めましたら、その様な話をききまして。 ああ、新しい注文は箪笥は作れないかということで、金河は分からないということでしたが、いかがですか?」

「ああ、そういうことか」

「何か?」

この男は巴央のことを何か怪しんでいるのだろうか。

「いや・・・。 箪笥は・・・どうだ?」

他の男達に問いかけるが誰もが頭を左右に振る。 その様子に頭らしき男が杠に答える。

「官吏さん、あんたたちは箪笥って物を持ってるかもしんねーけど、オレたちはチラッと見たことがあるだけだ。 本物を知らねーから作りようがない」

「そういうことですか、承知いたしました。 それなりに考えましょう。 その上で作れるかどうかをお訊きいたします。 あ、そうでした、見張りのことでした、皆さんもお考えに?」

頭と思われる男を見てから他の男達を見まわすと誰もが頷いている。

「まぁ、六都は物騒ですし、ここには皆さんの作られた物もあることですから、盗られたらとご心配でしょうが、今まで何もなかったのですから特に見張などという者は必要ないかと」

頭と思われる男がピクリと眉を動かす。 それを目の端に止めた杠が続ける。

「此処は酒処から離れてもいますから心配ないでしょう」

「学び舎も酒処から離れている、それでも燃やされたんだ。 それに盗られるんじゃねー、ここも焼かれたらどうする」

さも初めて聞かされたように杠が驚いてみせる。

「ああ・・・有り得なくはないですか・・・」

杠の言う『有り得なくはない』 それは男達にとって焼き印のように押された。

「では此処だけを? 屋舎だけに見張を立てると? では学び舎はどうされますか? 学び舎は既に一度・・・。 ああ、学び舎はよろしいのですか?」

「馬鹿言ってんじゃねー!!」

頭と思しき者もだが、男達が吠えた。
吠えるだけ吠えさせてから困ったような顔を作った杠が口を開く。

「ですがこれから武官が引いていきますので」

「え?」

頭と思しき者も男達も思わず同時に口から出た。

「宮都から来ていた武官がこれから徐々に元に帰ります。 六都に居た武官だけでは、今ほどにはならないので・・・学び舎までの巡回は出来ないかと」

武官がうじゃうじゃ居たのにもかかわらず学び舎は燃やされた。 いや、的確に言うと燃やされたのではなく焦がされた。 もーっと的確に言うと、わざと焦がさせた。

「ど、どういうこった!?」

「言ったことそのままです。 屋舎を見張ると仰られますが・・・どうでしょうか。 見張っているだけでは、あの様な者たちは何をするか分かりませんし、見張りの付いた屋舎の近くにある学び舎は敬遠されたとしても、他の学び舎ががら空きになりますし・・・」

杠の言いたいことは分かる、ちょっと前までの自分達だったのだから。 ムカつくことがあったら、ちょっとの隙をついて火を点けるくらいする、壊しもする、盗みにも入る、痛めつけることもする。
見張が付いていない学び舎・・・。 自分達にとって今は大切な学び舎だ。 だが学び舎を建てるに従事していなかったらどうだっただろうか。 単にうざったい建物でしかなかっただろう。

「うーん、そうですね・・・」

皆さんがそれ程に仰られるのであれば・・・と、吠えた男たちの気持ちを汲むように、白々しく小声で言いながら顎に手を当て考えているふりを見せる。
巴央にしてみればフリなのか本当に考えているのかが分からない。 だがあの杠だ。 もう話の先は作っているだろう。 と、何気に思った。

「では武官の代わりに皆さんが巡回されますか?」

「え?」

最初は頭らしき男を見てから、その次に全員を見渡した。

「見張に立つと言っても、学び舎にしろ屋舎にしろ、立っているだけでは裏側から燃やされてしまうかもしれません。 最初は小さな火でいいんですから、火を点けて逃げる時くらいあるでしょう。 それなら根本から、というのはどうでしょうか?」

「根本?」

「はい、守りではなく攻めとでも言いましょうか。 皆さんの目で脅す・・・おっと、官吏が言ってはいけない言葉でした。 そうですねぇ・・・これからは私の独り言です」

と前置きして話し出す。
少なくとも今自分の前に居る十二人は杉山に行きだした時とは別人のように筋肉がついている。 きっと残っている者たちもそうなのだろう、と。

「ついているどころか、隆起していらっしゃる」

と、持ち上げて言うがそれは真実。
男達が腕を上げ己の腕の筋肉を見ている。
その姿で歩くだけで脅しを振りまくことが出来る。 自分たちが作った学び舎や屋舎に手を出してみろ、どうなるか分かっているのだろうな、と。
だがそれだけでは十分ではない。
十分ではないという言葉に男達の表情はそれぞれだ。

「ここからは私の独り言ではなくご提案なのですが、自警の群をご存知ですか?」

誰も首を縦に振らない。

「他の都で見かけるのですが、武官だけに頼らず己ら自らが巡回をして取り締まる。 それが自警の群です。 あくまでも自警ですので給金などは出ませんが。 それでも取り締まるということなので、自警の群にはある程度の権利が与えられます」

「権利?」

ずっと黙って聞いていた頭と思わしき男が訊き返してきた。
頷いた杠が続ける。
ひったくりを捕まえようとした時、喧嘩を止めようとした時、子攫いを見つけた時、他の時でもそうだが、その時に相手を殴ってしまったりしては、殴ってしまった方である自警の群の方も暴力に問われることがある。 それを回避するための権利。 必要であれば手を出していい権利だと。

「ですが明らかに必要以上と思われれば、それは暴力とみなされます。 みなすのは官吏です。 自警の群の皆さんがその時のことをどう言おうと通らない時があります。 どんな事情があろうとも、過ぎた暴力を官吏としては認めるわけにはいきませんので」

「それが権利ってか?」

「はい」

「他には?」

「都によって状況が違いますので色々です。 ですがこれだけはどこの都にも共通しています。 六都では今までに自警の群が無かったのですから、もし自警の群を作られるのでしたら、他の権利というのはこれから様子を見ながらになるかと。 ですが権利というものは必要以上に作ることは致しません。 私が見た限りでは六都にはそれ以外の権利は必要ないかと。 あくまでも今の六都でのことですが」

六都が変われば権利も変わるということ。

「・・・そんなに、そんなに他の都と六都は違うのか?」

一人の男が訊く。

「ええ、違いますね。 例えばですが、ある都の一つの権利にこういうものがあります。 一人でいる幼子には積極的に話しかけ、必要であると判断したならば、その幼子を抱き上げても良い、と」

「なんだそれ?」

この六都では幼子が一人で歩いているのは当たり前であるがその都は違う。

「幼子が一人で歩いているというのは、親とはぐれたということになります。 はぐれた幼子を抱き上げ、官所に連れて行ってもいいということです。 この都は子攫いが時折目につく都ですので、こういう権利が与えられています。 自警の群はその権利があるので、子攫いと疑われることなく子を抱き上げることが出来ます。 ですが自警の群から一人でも子攫いの者と手を組んでは、この権利はすぐに剥奪されます」

杠の話は権利というものを是としているのに否もあると言う。 そんな話の持っていきようだ。 過ぎてはいけないということ。 それを暗に言っている。

「だがよー、その子攫いの権利ってのもそうだけど、どうやって自警の群って見分けんだ? 知らないヤツからしたら子攫いも自警の群も同じだろう?」

「都それぞれですが、自警の群には決まった衣があったり、印をつけたりしています」

「衣? 印?」

衣というのは日本で言うスタッフジャンバーやネームの入ったTシャツであったり、印というのは腕に腕章をつけたり、襷をかけるということである。

「それを着たり・・・付けたりしてたら、権利ってもんが使えるってことか?」

「自警の群を作ればそうなります。 そうなればこれから色んなことを鑑みて作らなければいけませんが、学び舎はマツリ様が希望されたことです」

杠が男達を見渡す。

「皆さんとマツリ様が同じ考えをお持ちなら、私からマツリ様に進言をいたします」

次期本領領主であるマツリと同じ考え? この六都で育っていない人間なら “おこがましい” と思っただろう。 だがここは六都。

「時期本領領主が何を考えてんだか知らないが―――」

「この六都の安寧を願っておられます」

男に最後まで言わせず杠が言った。 そして続ける。

「子が大らかに子らしく生きること。 親となれば子を大切にすること。 親とならなくとも次世により良く生きてもらうように伝えること。 己の生に恥じることがあっては次世にも子にも伝えれられません」

男達が顔を下げた。 己らはそこまで考えていなかった。 いや、考える必要もなかった。 学び舎と屋舎を守られればそれで良かったのだから。
・・・だが。

「面白れー」

頭と思しき男が言った。

「テメーら、出来るか? 昔の悪さを忘れられるか?」

男達がだれ一人残すことなく・・・不気味な笑みを表した。

―――潰す。

学び舎と屋舎に手を出そうとした者は。 潰す。
だからその相手を探しに巡回をする。 巡回なんて言葉は体のいい看板。 本命は潰す相手を見つける。

「昔の悪さ? そんなものは厠に出し尽くしたさ。 オレの建てたあの柱を一本でも燃やされてたまるか」

「厠かい。 ま、どんだけ臭かったんだろうかはお前のあとに入った奴に同情するよ。 オレは梁だ。 あの立派な梁を入れたんだ、燃やさせるかい!」

それぞれに、それぞれのことを口にして盛り上がっている。
それを横目に頭と思しき男が杠に問う。

「その自警の群ってのを・・・」

この先何と言っていいのだろうか。
集めるなのか、何なのか・・・。

「マツリ様がお作りになれば参加されますか?」

・・・作る、だったのか。

「今からかい? アイツら・・・結構目が血走ってるんだけどな」

「僭越ながら、私がこのお話を提案いたしました。 ご協力はさせていただきます。 今すぐにでもマツリ様に上申致しましょう。 皆さん明日にも、いえ、今日にも何かあってはとお考えなのでしょう?」

あくまでも恩を売る言い方をする。

「あ、ああ。 そうみたいだな」

男達の姿を横目で見ている。

「今からすぐにマツリ様に上申して、その後すぐにとは簡単にはいきません。 権利というものを与えられるのですから、それなりに時は要ります。 ですがマツリ様と同じことを考えておられるのでしたら、マツリ様も直ぐに動かれるでしょう」

杠が改めて男を見る。

「あなたはどうお考えなのですか?」

頭と思しき男。 巴央を除いたこの十二人の中でこの男が実権・・・いや、信頼を得ているのだろうか。
その男に疑いをかけれられているかもしれない巴央・・・。 なにをやった?
男が鼻から息を吐いた。

「訊くか? 当たりめーだろ、燃やされも盗みもされたくねーわな」

「そうですか。 承知いたしました」

杠が居なくなった屋舎。 頭と思しき男が巴央に声をかけた。

「金河、お前なんで最後尾を歩いてた」

「え? 別に理由なんて無いけど?」

「嘘をつけ、力山に言われたんじゃねーのか」

「へ?」

どうしてここで力山である京也の名前が出てくるんだ。

「いや? 言われてねーけど?」

「お前と力山・・・六都の者じゃねーよな?」

「あ、そういうこと? 力山はどうか知らねーけど、オレは六都の端っこには居たんだけどよ、三十都(みそと)との境。 そっから中心に来たけど・・・。 へぇー、力山って六都じゃなかったのかよ」

頭と思しき男が表情を変えた。

「三十都との境?」

「ああ、境つっても殆ど三十都風だな。 境だからよ、殆ど山と川。 おっと(父)も、おっか(母)もおっ死んだから、中心に出てきた」

この辺りの話は事前に杠から聞かされている。 ある程度三十都で使う代名詞や風景、風習なども。

「で? 力山はどこから来たって?」

「知らねーよ」

そうか、コイツは三十都との境の出か・・・。
父母を呼ぶ呼び方も六都の端の者が呼ぶ呼び方だった。

―――宮都の出じゃなかったのか。

「なんだよ、六都の出かどうかで何かあるのか? オレ、金が欲しいだけなんだけどよ?」

「いや、なんでもない・・・」

己は疑われている・・・。

―――何に?

頭と思しき男。 將基(しょうぎ)に何を疑われているのだろうか。 もう都司の時のような下手は踏んでいないはず。 いや、踏んでいない。
將基は最初にどうして最後尾を歩いていたかと訊いた。 そこから話が始まった。 そう思うと、男達を前に杠が迂遠に巴央とどうして見張のことを話したかという切っ掛けを話していた。 それは巴央が最後尾にいたから。
フッと巴央が笑った。 喉の奥で。
杠の話の持っていきようが今にして分かった。 巴央が疑われないよう疑いの萌芽を摘み取っていてくれたのだと。

(そっか・・・)

巴央がニヤッと笑う。

「なんでー、気持ちの悪りぃ」

「いや?」

この男・・・。 何でもないかもしれない。 だが・・・。 杠は間違っていても何かを探すということに異を唱えない。

(では、遊ばせてもらおうか)

この男が誰なのか。

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辰刻の雫 ~蒼い月~  第152回

2023年03月24日 20時48分46秒 | 小説
『辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~』 目次


『辰刻の雫 ~蒼い月~』 第1回から第150回までの目次は以下の 『辰刻の雫 ~蒼い月~』リンクページ からお願いいたします。


     『辰刻の雫 ~蒼い月~』 リンクページ




                                  




辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~  第152回



翌日、杉山に、よく言えば無償労働、普通に言えば労役、見たままを言えば連行されていく者たちの横を歩きながら武官に話しかけた。 話しかけたマツリも話しかけられた武官も互いの顔は見ていない。 目は咎人を見ている。

「少しは働けるようになったか」

六都でろくでもない生活を送っていたのだ、最初は杉山に来ただけで力を使い果たし、斧さえふるうことが出来なかった。 そしてすぐに戻る、そんな状態だったが少しは体力がついただろう。

「はい、二辰刻(四時間)は働けております」

「ふむ、己らの昼飯代くらいは稼げておるか」

労役があるとはいえ咎人を長い間、拘禁している。 己の飯代くらいは稼いでもらわねば。 六都官別所は食事付きの屋根のある宿ではない。

「それと・・・杉山から六都の中心に来ている者たちだがあれらはどんな具合だ」

「どんなと申されますと?」

「武官から見て真面目に・・・道義を心得たように見えるか」

「道義を心得たかと言われましたらなんとも。 ですが当初と比べれば雲泥の差でしょうか」

「そうか・・・」

男達を見ていると杉山での伐採が面白いのか、杉山に近づくにつれ首を回したり肩を回したりしている。 叩いても切っても誰にも文句を言われないのだからさぞ面白いのだろう。
初日にもマツリは一緒に徒歩で来ていたが、その時とは打って変わって足取りがいい。 かなり体力がついたようだ、これなら二辰刻くらいは働けるだろう。

杉山に到着すると上からどんどんと武官たちが下りてきて、男達に別の腰縄と足縄を付ける。 それは男たち全員に繋がって付けていた縄よりも一人一人の間が長い一本の縄である。 次に今まで付けていた腰縄と手と足に付けていた縄を解く。 足の縄も腰縄と同じで互いに繋がっていて、腰縄と足縄の二重での逃走防止である。 ちなみに一人ずつの間の長さはそこそこある。 離れた木に斧をふるうに邪魔にはならないようにである。

杉山に着いてすぐに、袈裟懸けにしていた握り飯の入った布をそれぞれが地面に下ろした。 昼飯にあたる握り飯だが、それは六都官別所が用意をしている。 ここで働く者たちと同じものは食べさせられない。 働く者たちは食事代を給金から天引きされているのだから。 そして時間もずらしている。 着いたらすぐに食べてひと休憩終わったころに、杉山の男たちの昼餉が始まる。

武官の代表がマツリに挨拶をしに来た。

「お疲れ様に御座います。 ですがわざわざ徒歩で来られなくても宜しいでしょうに」

挨拶をし終えた武官がそう言う。

「知るということも必要なこと故な」

「咎人のことなどお考えにならなくても宜しいでしょう」

武官がポロリと苦言を呈したが、マツリにとってはそれだけではなかった。 武官たちの立場になって歩くということもしていた。 マツリが簡単にキョウゲンに乗って飛んで来たり、馬で走って来ては士気にかかわらないとは言えないのだから。

「杉山の中の様子を見たいが、よいか」

「ご案内いたします」

武官のあとを歩いて杉山の中に入って行った。
威勢のいい声が上がり斧で木を打つ音が響いている。

「まずは間伐をしております。 生え放題でしたので、良い木はそのまま木材に、不足と思われた木は薪や物作りに回しております」

確かに生育の良くなさそうな杉がある。

「働き手はどうだ、問題などおこしておらんか」

「はい、それは全くで御座います。 最初の頃はいざこざも御座いましたが、今では・・・言わずとも分かるとでも言いましょうか、杉を下まで運ぶのにも誰が言うともなく運び出しております。 誰かが怪我をすればすぐに近くにいる者が動きます。 全体的に見て六都に居たあの者たちとは思えないくらいで御座います。 職務放棄では御座いませんが、咎人以外は我らが居なくとも正常に動くのではないでしょうか」

ふむ、と言ったマツリが少し考えるような様子を見せてから口を開く。

「杉山に居た者たちが入れ替わり中心に戻っておろう、その者たちで六都での自警の群を作ろうかと思っているのだが、それはどうだ」

「自警の群・・・で、御座いますか・・・」

「まだそれは無理なようか」

「中心に戻ると甘い声もありましょうし、酒を吞んでどう変わるかが分かりませんので」

酒と言われれば致し方ないところがある。 攻撃的になる者もいよう。 だが自警で回る時には呑まなければいいこと。 なにより吞んではならない。

「汗を流して働いた手に金を持っていても、甘い声に乗せられるかもしれないということか」

「確かに此処で働く者たちは汗を流して働くことを誇りに思うようになってきました。 ですが金はあればあるほどいいと考えるのが普通で御座いましょう。 それもこの六都で育ったのですから」

植え付いた、植え付けられた性格を根こそぎ変えるのは容易ではないということ。

「・・・そうか」

甘い考えだっただろうか。 だがいつまでもいま学び舎で道義を教えられている子たちが大人になるまで待ってはいられない。

(え・・・)

最初はそのつもりだったのにどういうことだ。 己は何を思ったのか。

(・・・焦っておるか)

頭の片隅に紫揺が浮かんだ。 いや、いつも浮かんでいる。 だからこそ無意識に焦ってしまっているのか。 己のやらねばならぬことの天秤のもう一方に紫揺を置くなどと。 ましてやそちらに重きを置くなどと。

(不甲斐ない・・・)

そうは思ったが京也に男達のことを訊いておくのは不甲斐なかろうがなんだろうが、それが第一の目的。 武官を四方に返さなくてはいけないのだから。

「手間をかけた。 あとの事は頼む」

武官が頭を下げるとマツリの先を歩きだそうとした。 道案内をするつもりなのだろう。

「よい。 これ以上邪魔をする気はないのでな」

武官を置いてさっさと山を下りて行った。

宿所の影から京也が僅かに姿を見せた。 マツリが来たのだ、それなりに用があるのだろうと踏んでのことだ。
京也の元に足を進める。 もちろん人の目を忍んで。

「如何なさいました?」

そこで早口に自警の群のことを説明した。

「武官ではいけないのですか?」

そんな質問にも応えた。 武官を返すからだと。 今は六都の中に武官がうじゃうじゃ居るがそれを撤退させる、だからそのあとの事だと。
マツリが何を言いたいのかが分かった。 京也が口の端を上げる。

「やりようかと」

意味深な言葉を発した京也。

「やりよう?」

「その話し、お進めください。 それにオレと金河が頭にならなくとも宜しいでしょう。 金河に話しておきます」

その “やりよう” に京也が何か手を打つのだろう。

「承知した」


享沙が難しい顔をして柳技たちの長屋に来た。
長屋に来る前、と言うか長屋に逃げ入る前、ギクシャクする足取りで歩いていると、偶然・・・本当に偶然、弟と再会した。 まさかあんな所で弟と再会するなどと思ってもみなかった。

『・・・兄さん?』

路地ですれ違った男から声をかけられ無意識に振り返った。 声に覚えなどない、人間違えだろう。
だがそこには己が家を出た時と変わらない弟の顔があった。 もう十何年も前に出た家だったのに。 顔は変わっていない、だが声は声変りをしていた。 ・・・だから気付かなかった。

『人違いだろう』

享沙が家を出た時には享沙自身は既に声変りは終わりかけていた。 弟と違って体格もよく声変りは誰よりも早かった。 それに精悍になったと言っても顔の基本は変わっていない。

『そんなことない、兄さんだよね?』

享沙が踵を返した。

『待って! 兄さん!』

享沙の衣の裾をつかむ。

『俺、俺、六都を出てたんだ。 でも兄さんに逢えるのは六都だろうと思って戻って来てて・・・』

『・・・父さんと母さんは』

問う権利などない、それは分かっている。

『死んだよ。 ・・・自業自得ってやつ』

享沙が十三歳で家を出た時にこの弟は十歳だった。 享沙は両親に何度も盗みをやめてくれと言っていたが両親はやめなかった。 そして享沙が家を出た。 六都を出た。

『父さんと母さんが盗みに入った家で見つかって・・・ボコボコにされて道に放り投げられてて・・・医者に行く金なんて無くて・・・そのまま、逝ったよ。 父さんと母さんが死んで・・・家の中の物全部盗られた。 俺、力無かったから。 だから兄さんの後を追おうとしたけど何も分からなかった。 でも六都を出て勉学が必要なことが分かった、あっちこっちで教えてもらった』

『そうか』

自分と同じようなことをしたのか。

『俺、六都に戻って働いてる。 父さんや母さんがしたことなんてしてない。 ね、兄さん、帰ってきたんだろ? 一緒に住もう?』

まだ歳浅い弟を置いて勝手に家を出たというのに、この弟は責めることをすることさえなく一緒に住もうなどという。 自分にはそんな風に声をかけてもらえる資格などないというのに。
それに今はマツリの元で、杠の元で働いている。 マツリは最初に言った『守るべき者はおるか』 と。 『おりません』 と即答した。 もしあの時『いる』 と言えば、マツリから誘いの言葉は無かっただろう。 今更 “守る者が出来ました” などとは言えない。 それに言うつもりもない。
享沙が弟の手を撥ねて走った。 ギクシャクする身体で。 そして柳技たちの居る長屋に逃げて来た。

「うん? なんだか沙柊の尻から薬草の匂いがするけど?」

ドキリとした享沙。 あまりのことに薬草のことなどすっかり忘れていた。

「き、気のせいだ」

杠のようにあっという間に姿を消せるようになりたくて毎晩練習しているが、全く思うように出来ない。
一度、杠に訊きはした。 すると「鍛練ですね」と軽く返されてしまっていた。 それはそうだろう。 ご尤もだろう。 頭に塩を振って出来ることではないだろう。
温かい助言のお蔭で時折、薬草を磨り潰したものを塗っていたが、この連日、大木から見事に落ちてあまりの痛さにべったりと尻に塗っていた。

「きょ、今日からは、たんと新しい字を教えるからな」

痛みを堪えてはいるが硯を取りに歩く姿がギクシャクしている。 

(杠に弟に会ったことを報告せねば・・・)

やっとそう考えることが出来た。 上がっていた肩を下ろせることが出来た。
硯と筆一式を手にしておかしな歩き方で戻ってきた享沙。

「沙柊? おかしいよ? どこか痛いの?」

柳技と芯直が見ている。 そして絨礼が声をかけてきた。
享沙は痛いところを隠しているつもりだった。 だがそれを見事に見られたようだ。 それが尻もちの結果であっても。

「痛いのは・・・心だろ。 沙柊? 何かあった?」

柳技が訊く。
驚いた。 柳技がそんなことを言うなんて。

「いいだろ・・・。 もう沙柊はわかってるんだから」

芯直だった。

「な?、 分かってるよな?」

朧(おぼろ)である芯直は何も知らない。 だけれども享沙の目を見ればわかる。 何となく・・・。 何かあった、心にくる何かが。 だけれどもそれを心で解決したはずだと。
享沙が微笑む。
弟と会ってしまった、この六都から身を引くしかない。

「たんと宿題を出す。 全て覚えるように」

山ほどの漢字をつらつらと書きだした。
絨礼と芯直が身を凍らせる。

「うわ、どんだけ書くの?」

柳技も知らない漢字を次々と書いていった。

「わわ、オレも覚えなくっちゃだ!」

書かれた文字。

『失敗をして犬が尾を股に挟んだ』『人が見ていても己ではないと嘘を言う輩』『登る大木に尻痛し』『逃げ時の注意』『待つは待つ。 人を待つ。 木の松ではない』『松ならば松竹梅』 『竹の皮に包まれた握り飯は美味しい』『梅より団子』などなど。

全く以って意味不明な金言格言にもならないことを書き出した。 だがしっかりと漢字にルビをふっている。

「“嘘” ・・・この字の形、難しすぎる・・・」

「そんなことないよ、淡月。 書き順を知ったら書けるよ、多分だけど」

次々と書く享沙。

『どうして逢ったのだろう』『偶然にも程がある』『変わって無さすぎ』『御免』『良かった生きていてくれた』などなど。

その手元をじっと見ている柳技と芯直。
絨礼も手元を見てはいたが、次々と書かれるお題が・・・オカシイ。

『御免』とは? ルビが “ごめん” とふられているが、それは “ごめん下さい” なのか “ごめんなさい” なのか、それともどちらでもあるのか。 それにアレはなんだ? 『御免』の後に『良かった生きていてくれた』
なんだそりゃ?

「えっと・・・これって、もしかして優しいやつ当たり?」

素直な絨礼が言ってはいけないことを言う。

「淡月、それを言っちゃいけない。 沙柊にも色々とあるんだろうから」

柳技の言ったことに芯直も頷く。

「あ・・・沙柊になにかあったの?」

「オレたちの出来ることは沙柊から出される勉学をするだけだ。 オレたちが沙柊から出される勉学に応えられれば沙柊が喜ぶ」

「あ・・・うん、そうだね」

今のところどんな設問にも最下位の絨礼である。
があれこれと言っている間にも享沙が筆を動かしている。

『立身出世』『親は父母』『童よ大志を抱け』『狼なんぞに尻を蹴られてなるものか』などなど。

はっきり言って意味不明。
画数も何もあったものじゃない。
ルビはふられているが『りっしんしゅっせ』とは、いかなるものや。 それにどうして狼に尻を蹴られなければいけないのか。

「えっと・・・淡月?」

絨礼が顔を上げると柳技が絨礼を見ていた。

「なに?」

「ちょーっと、享沙がおかしくなってるみたいだから・・・えっと、意味が分からなかったらオレに訊いて」

「どういうこと?」

「字の説明は出来るから、全部じゃないけど。 それでも出来るから。 訊いてくれたらいいよ。 って、享沙・・・いつまで書くんだよ」

『心たり』『金銀銅』『銅でもあれば、同ではないし胴でもない道はどうした』『小石が転んだ』『ひよこぴょこぴょこみぴょこぴょこ』ツラツラツラ。

「全部平仮名って・・・。 享沙が完全に壊れたみたいだから・・・享沙が書いてくれたお手本だけを・・・ああ、怪しいのはとばして・・・その、覚えよう」


翌日朝、巴央が十二人の男を引き連れて杉山からやって来た。 朝と言っても早朝ではない。 その早朝に杉山を出てきたのである。

鍛え上げられた肉体は隆起している。 通い慣れたこともあって歩くのも早いのでこの刻限に着いたのだろう。 そして眠そうでもなければ、かったるそうにもしていない。 そう思うと朝早くに起きて働くということが身に付いたのだろう。 生活も人並みになってきたようだ。
男達が材木の置かれている屋舎に入って行ったのを見届けると、巴央がすっと身を隠して杠のところに足を向けた。

「アイツらは力山の折紙つきです」

「力山はいったい何を? “やりよう” と言っていたと聞きましたが?」

訊かれすぐに声が出せない、肩を震わせて巴央が笑う。
巴央が言うには、夕餉のあと皆が何某かを作っている時、燃やされた学び舎のことを京也が話し出したと言う。

『昨日、学び舎が燃やされた夢を見てよぉ』 と。

『けっ! なんて夢を見んだよ、縁起でもねー』

『・・・いや、有り得るかもしんねーか』

数人の男たちが手を止めた。 互いに目を合わせる者、どこを見るともなく見ている者、反応はそれぞれだった。

『万が一にもこれ以上やられてたまるかい!』

『ったりめーだ』

『学び舎もだがよー・・・屋舎に万一のことなんてねーよな?』

その一言に今まで手を動かしていた者たちの手も止まった。
自分達で杉を切り木材を運び入れ、そして色んなものも作っている。 それをまた自分達で建てた六都の中心の屋舎まで運んでいる。 屋舎は言ってみれば自分たちが作った自分たちの宝物入れだ。

『・・・見張に・・・立つか?』

最初に夢を見たと言っただけで、それ以降、京也は何も言っていない。

「ってな具合で。 で、今回は力山のお眼鏡に叶った者たちだけを連れてきたってわけだけど、オレから見てもかなり固いところだと思いますよ。 あとは俤の腕の見せ所ってやつになりますか? それにアイツらが杉山に帰ってそれなりな話をしたら、他のヤツたちにも火が点くと思います」

巴央の言うところの『俤の腕の見せ所』 と言うのは、男達は『見張に立つか』 と言っていたと巴央が言っていた。 それを自警の群にどう変えるかということだ。

「力山はそこまでしてくれなかったということです、か」

「あんまり俤の手柄を取っちゃマズイと思ったんでしょう」

言いながら笑っている。 なかなかの挑戦状を頂いた。 それ程ヒマにしているように見られているのだろうか。

「取り敢えずこのまま一緒に屋舎に入りましょうや。 オレが屋舎に入らなかったことを疑われても困ります。 今の話をオレから聞いたってことで話して下さい」

見張を立てるということを巴央から聞いたということで、そこから話を進めてくれということである。 話をどう変えるかという、考える時をくれないということだ。
信用されているのか過大評価なのか、試されているのか・・・。
杠が横目で巴央を見ると僅かに口の端が上がったように見えた。

―――試しているな。

巴央の話し方は随分と変わった。 それは下三十都のことがあってからだ。 だが・・・確証が欲しいのだろうか。

―――杠の下につくということの。

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辰刻の雫 ~蒼い月~  第151回

2023年03月20日 21時05分44秒 | 小説
『辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~』 目次


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辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~  第151回



「我と紫の子だ、女子(にょご)さえ生まれれば必ず次代紫が生まれるはず。 次代紫が紫として自覚すれば本領に来てほしい」

「え? だって、この間はそんなこと言ってなかった」

「紫は民を守る紫として東の領土に居たいのだろう、その役は次代紫が引き継ぐ。 言い換えればその邪魔をしてはならん」

「邪魔なんてしない」

「紫は・・・今代紫はあの事情の中、東の領土が待ちに待った紫。 単になかなか生まれてこなかった紫ではない。 民はずっとお前を慕うだろう、次代紫がいてそちらを見る者もいるだろうが一人でもお前を見させてはならん。 それは次代紫の邪魔となる。 分かるか?」

「・・・もっと優しい言い方ないの?」

膝の中に顔をうずめてしまった。

「分かりやすかろう。 それに我も永久に紫と一緒に居れんというのは願い下げだ」

「・・・言いたいことは分かった」

素直になったものだ。 以前は杠が猿回し並みに上手く調教したと思っていたが、そうでもないらしい。 こちらの出方で変わるようだ。
マツリが立ちあがり、ひょいっと膝に顔を埋めている紫揺をそのまま抱き上げた。 そしてそのまま胡坐をかく。 紫揺はマツリの胡坐の上に座る形となった。

「肉のない尻だ。 ずっと岩の上に座っておれば尻も痛かろう」

「悪かったわね・・・」

肉座布団のある者が聞けば羨ましい話である。
先輩の話では筋肉が落ちていってぜい肉になるという話だったが、その気配が全くないと思っていた紫揺だったが、それはそうだろう、あれだけ暴れていれば筋肉の落ちる暇もない。

「もう一つは?」

「話したくはないのだが・・・」

「イヤな話?」

「・・・ああ。 出来れば寸前まで話したくはなかったが、それでは遅すぎるかもしれん」

後ろに手をついていたマツリの手が紫揺を包み込んだ。

「なに? これをしようと思って座らせたの?」

「馬鹿を言うな」

背中を丸めたマツリの頬が紫揺の頬にあたる。

「・・・トウオウが身罷(みまか)った」

「え・・・」

身罷った。 古文だっただろうか、現代文? それとも日本史だっただろうか。 その言葉を先生から説明された。 だから知っている。 でも・・・覚え間違いかも知れない。

「身罷ったって・・・な・・・亡くなったって、こと?」

「そうだ。 紫が・・・額の煌輪で倒れた時があったであろう。 長く宮に居た時。 あの後、紫が東の領土に戻って暫くしてからだ」

「・・・」

「ニホンに居る時に分かっていたそうだ。 だがトウオウは誰にも言わなかった」

「・・・背中の傷が原因」

「いや、その時に調べて分かったということだ。 白の力を持つ者に時折生まれる血の病がある。 我らは血脈と呼んでおる」

「アマフウさんは・・・」

「最初はただ泣き暮れておった。 だが落ち着いてからは本領から送った白の力を持つ者にずっと寄り添ってくれておる。 まだ童女なのでな」

「・・・もう二年も前・・・」

「トウオウもその童女と顔を合わせておる。 気に入ったようだった。 そのすぐ後に身罷った」

マツリの回している腕の衣装にポトリと染みが出来た。 これがリツソなら鼻汁の危険性があるが紫揺はそうではない。
マツリの衣装の染み、それは悼むもの。
紫揺が静かに泣いている。 マツリは紫揺を抱きしめることしか出来なかった。

マツリと紫揺が婚姻の儀を上げる時には、北の領土から五色達も来ることになる。 その時にトウオウが居なく、新たに白の力を持つ羽音に会うことになる。
突然婚姻の儀の席で聞かされても、寸前で聞かされても頭の中は混乱するだろう。

『シユラ様。 諦めようよ。 オレたちの運命としようよ』

お転婆の手綱を預かった塔弥。 紫揺の様子がおかしい。

「何か御座いましたか?」

「なんでもない」

「・・・すぐに昼餉をお持ちします」

「ああ、悪いな」

座卓の上に置かれた昼餉。 膳を持ってきた此之葉も眉をひそめた。

『案ずることはない。 少々・・・辛い話を聞かせた』

『辛、い?』

『此之葉は北の領土のことを少し知っていよう』

紫揺からまだ洞を潰す前に此之葉と共に北の領土の “影” と呼ばれる者たちの術を解きに行っていたと聞いている。

『北の領土の五色、トウオウという者がおるが、知っておるか』

『いいえ』

『そうか・・・。 紫はトウオウが気に入っておったようでな、トウオウも紫によくしてくれておったようだ。 そのトウオウが先先年に身罷った。 紫もいずれ知ること。 それで先ほど聞かせた。 今日は夜まで我が居るがそれ以降は頼む』

『・・・承知いたしました』


「さっ、紫食べようぞ」

紫揺が首を振る。

「それでは我の膝の上で食べさせてやろうか?」

紫揺が箸を持つ。

「そうか、残念だ」

半分笑いながら言い、箸を動かす。

「・・・ごめん」

「なにが」

「せっかく来てくれたのに辛気臭くて」

マツリが手を止める。

「人を悼むということは大切なこと。 だがいつまでもそれではいかんということを心しておくよう。 紫の周りにはまだまだ沢山の民がおるのだからな」

うん、と返事をするとゆっくりと箸を動かした。
昼餉のあとも沈んていたようだったが、それでもマツリがせっかく来てくれたのだ。 外に出る気にはなれなかったが、それなりに話をした。

「え? 木と話せた?」

「うん、まだ若い木は話せないんだって。 なんか・・・初代紫さま以来みたい。 それで、こう・・・香山猫のことを教えてくれた」

「紫はその力も持っておったか」

「あ? ビックリしないの? っていうか、疑わないの?」

「過去に何人かの、一人で五色を持つ者にそういうことがあったと書に書かれておる。 だがはるか昔のことだ」

本当に紫揺の力は計り知れない。

「いつでも訊きに来たらいいって言ってくれたけど、何でもかんでも訊こうとは思わない。 まあ、山のことは分からないからその時には訊きに行くだろうけど」

「ああ、考えるということは必要だからな。 だが我と紫の間にはどんなややが出来るのか、空恐ろしくなってきたわ」

日本人が考えるのならスーパーサイヤ人だろうか。

「はは、女の子ならシキ様か澪引様に似るといいな。 可愛いだろうなぁ」

女の子というのは童女のことだろう。

「ああ、母上に似ても姉上に似ても美しくなるだろう。 だが我は紫に似て欲しい」

だから、そういうことを簡単に聞かせないで欲しい。 咄嗟にどういう顔をしていいか分からない。

「男の子なら・・・見た目リツソ君に似ると可愛いかな」

「・・・やめてくれ」

マツリの頭の中でリツソがウジャウジャ湧いて出て走り回った。

他愛もない話ではあったが、少なくともマツリの前では笑うことが出来たようだった。
夕餉も食べ終え、紫揺の東の領土での話や、紫揺が訊いてくる地下や六都、杠の話をひとしきり話すと紫揺に見送られマツリが帰って行った。
部屋を出る前に『よいか、あまり悲しむのではないぞ』 と見送りに立った紫揺の前で腰を曲げて言った。 涙が溢れてきた。 せっかくマツリが帰るまで我慢しようと思っていたのに。
手を伸ばしてマツリの首にしがみ付いた。 足がふわりと浮く。 マツリが抱きしめていた。

『我の前で涙を我慢することなどない。 今日はよう頑張った』

トウオウのことを知っているのはマツリだけ。 平べったい胸にマツリの逞しい胸が当たる。 それだけで、抱きしめてくれただけで、この悼みを分ちあえてもらえる気がした。



「お帰りなさいませ」

「ほんに・・・律儀な」

思わずため息が出そうになる。
何度言ってもマツリが戻ってくるのを部屋の前で座して待っている。

「今日の報告も御座いましょう」

「我のか?」

「六都のことで御座います」

即答で返した。
どうして人の恋路の話を報告として聞くために部屋の前で座していなければならないのか。
杠がはっきりと溜息を吐く。 そしてその後で「よろしかったようで」と付け足した。


月明かりの下、大木の下で影が動いている。
ダン、と踏み込む音が静かに響き、続いてダッ、ダッっと大木を足だけで上る音。 そしてドンと尻もちで落ちてきた音。
その音が夜陰に響いた。

「ウ、グググ・・・」

こんな夜に大きな声は出せないということもあるが、それ以上に尻もちをついてはその声すら出せない。
尻もちからワンテンポ遅れて元の位置に戻った内臓が落ち着くと、痛みを堪えて立ち上がる。

「どうして出来ないんだ・・・」

呻き声と共に己に呪詛の言葉を吐いた。


残暑が厳しい季節に入った。

「やっと猛暑が終わったと思ったのに、この暑さは・・・」

陽が照って肌が焼かれそうになるという感覚は終わったが、それでもジリジリと暑い。 今日一日が終わり、宿に戻ってマツリと杠がマツリの部屋で話していた。

「ええ、暑すぎますか」

とっとと寒くなってくれれば六都のゴロツキも大人しくなるだろうに、まだ暑いときている。
だが昨年に比べると雲泥の差を感じる。 その数が明らかに減っている。

「小さなことまでもしょっ引いていますから。 杉山通いの刑が効いたので御座いましょう」

咎人にとって冬に雪山まで往復させられるのも地獄だろうが、夏場は汗もかき体力を奪われ冬よりキツイかもしれない。 それを最低でも、食べ逃げでも五日間は杉山に通わせている。 それに凝りて一度杉山に通わされた者は、二度と同じことを踏まなくなってきていた。 だが中には二度踏む者、三度踏む者がいる。 同じ咎で杉山に通わされると日数が増やされる。 やっと懲りてきたのだろう。

「徐々に武官を引き揚げさせるか」

四方に武官を返さなくてはいけない。 常日頃、四方はこの六都に宮都からの武官の応援を出してはいるが、これほど長逗留させたことはない。 宮都では武官の見回りが減ってさぞ問題が起きていることだろう。

それに学び舎を建てた者たちは未だに杉山と六都の中心を行ったり来たりして、木を運んだり物を作ったりしている。 今ではその者たちに見張はついていない。 その者たちの姿を見て働く者も出だしたり、その者たちが喧嘩を押さえることもあったりとしていた。
そして咎を受け杉山に通ううち、何人かが咎が終わっても物作りに嵌まった者たちもいる。

六都の人口に対してはまだまだ少ない人数だが、それでも自分達から動こうとする者たちが出てきた。
特に学び舎を建てた者たちは、自分達が大切にしているものを壊される悔しさ、悲しさを知った。 そして何より、学び舎を作ったことを誇りに思っている。 それを杉山から中心に戻ってきてからも心に抱いている。
それは学び舎だけではないこと、自分達が作った物だけでもない事を心のどこかで感じたのだろう。 他の者たちが作った物も、丹精込めたものも己らの誇りと同じと考えられるようになっていた。 そして大切に扱うようになってきていた。
これも道義の一つである。

「ですがこの暑さが終わりますと、寒さの前に過ごしやすくなる時が来ますが?」

そうなればゴロツキがまた暴れ出すだろうし、盗みも多くなるだろう。

「ふむ。 では武官を返す前に自警の群(ぐん)を作らせるか」

「自警の群、で御座いますか?」

それは他の都でちょくちょく見られる。 不当に殴ることなどは認めてはいないが、取り押さえるにあたり、暴れた相手に致し方なく、という権限を持っているいわゆるパトロール隊というところである。

「ああ、この頃では杉山に行っていた者たちが喧嘩を押さえているということを耳にした」

「ですが滅多やたらに権限を与えるのも考えもので御座います」

ここは六都なのだから。

「まぁ、大きな賭けとなるだろうが、いつまでも武官を借りているわけにはいかん。 力山を筆頭に立て、出来れば金河も。 それで二つの自警の群が動かせれば随分と違ってくるだろう」

「もしや、どこかで百足に見張らせようなどと考えておられるのですか?」

好々爺と強面の男たちということだ。

「我が襲われた時があっただろう? あの時の百足は楽しそうだったぞ? いくら退いたと言っても身に付いたものはそうそう忘れられないのだろう」

特に好々爺三人は武官をおちょくってかなり面白がっていた。
もし杉山の者たちが目先に狂わされ過ちを犯しそうになれば、あの好々爺三人はどれほど目を輝かせるだろう。
杠が片手で顔を覆った。

「応援を依頼するということですか?」

そうであるならば、四方の許可を得なければならない。
だがマツリの返事はそうではなかった。

「いや。 そのようなことはせん」

どういうことかと目で問う。
マツリ曰く。 これからこういうことをしようと思う。 よって、民に教えているような護身の術を杉山の者たちに教えて欲しいというだけで、少なくともあの好々爺たちは目を輝かせるはずだと。 そして色んな意味でお楽しみの場面に出くわすことが出来る様に足を運ぶはずだと。

「・・・そういうことで御座いますか」

「だがまずは、最近の杉山に居た男たちの様子を力山に訊かねばならんか。 力山はまだ杉山か?」

「はい。 金河は時折こちらに来ておりますが力山はずっと杉山におります」

マツリの眉が僅かに動く。

「杉山で何かがあったということか?」

「いいえ、毎日通って来る者たちを見ているようで御座います」

その者たちがいつ脱走するか、それは武官が見ている。 京也が見ているのは、毎日通っている者たちがどれだけ変わってきたかだろう。
力山である京也はマツリと出会った時に言っていた。

『幼いころから親父からずっと言われてきていました。 真っ直ぐに目を見ろって。 相手の目を見られなければお前に嘘があるって』

それを聞いてマツリが京也に声をかけた。
京也は採石場で暴れた者を捕らえようとした武官に協力をした。 当時、享沙も然りであった。

「ということは・・・」

マツリが顎に手をやる。

「はい。 それだけではなく、言いたくは御座いませんが、こちらに戻ってくる者たちは力山の目にかなった者たちで御座います」

マツリがニマリと口の端を上げる。

「言いたくはないなどと、ハッキリ言えばよかろう」

「言えばマツリ様が無理を押されましょう・・・」

「なに? それでは杠は力山の目を信用しておらんということか?」

杠がこれでもかというくらいの溜息を吐いた。

「それとこれとは別で御座います」

京也を信用していないわけではない、だが京也とて万能ではない。 人は何が切っ掛けでどう変わるか分からない、いつ戻るか分からない。
それに京也は今マツリが欲している所に合格の印を押したわけではない。 京也はあくまでも物を作れるというところと、作る者の矜持、それを他の者に向けられる心根を持つということに重点を置いて、六都の中心と杉山を行き来させているのだから。
そして巴央はその様子を見に時々中心に戻ってきていた。 ずっと戻っていても良かったのだが、杉山と中心とを他の者と徒歩で同道し、会話の中から良からぬことを考えていないかを探っている。 それは杠からの指示であった。

「父上にも杠にも押すのが我の仕事なのでな」

「・・・マツリ様」

アッケラカンと言うマツリに頭痛がしそうだが、どこかでそういうことも必要だということは分かっている。

「多々貸しのある父上とは違って杠には借りが多すぎるのでな、ゴリ押しはせん。 まあ、とにかく一度、力山と話をしてくる」

もしも杠が反対してもゴリ押しするのだろうが、その判断も必要だ。 分かっている。 六都には何よりも今、他人による守(も)りが必要。 だがいつまでもそうしてはいられない。 そこにマツリが一石を投じたのだから賭けであっても進むしかない。
己のようにあちらこちらを槌(つち)で叩いてから進んでいては、時がかかり過ぎることは分かっている。
杠が顔を下げた。 そう返すことしか出来なかった。

「で? あれはどうなった?」

あれ・・・都司の話だ。
杠が渋面を作る。

「なんだ? あの者以降、見つかっておらんのか?」

二十七の歳で今は文屋で番頭まがいのことをしている幼顔の者以降。

「・・・はい」

何度溜息を吐けばいいのだろう。 ここでも大きく溜息を吐いた。

「誰もかしこも本人なり、親や伴侶や兄弟なりが何某かをしておりますので」

「・・・ろくでもないな」

「はい・・・」

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辰刻の雫 ~蒼い月~  第150回

2023年03月17日 21時07分41秒 | 小説
『辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~』 目次


『辰刻の雫 ~蒼い月~』 第1回から第140回までの目次は以下の 『辰刻の雫 ~蒼い月~』リンクページ からお願いいたします。


     『辰刻の雫 ~蒼い月~』 リンクページ




                                  




辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~  第150回



紫揺の家まで行くとガザンが玄関の外で伏せをしていた。 出入りする者たちから「どいて」と何度言われても知らん顔をしていたが、マツリの顔を見ると立ち上がり、開け放たれていた玄関の戸を潜った。 隅に置いてある濡れた手拭いで足の裏をシャッシャと拭くと紫揺の部屋に向かって歩きだした。 そのあとをマツリが歩いていく。

「あ、ガザン、やっとどいてくれたの?」

青菜が台所から出てくると、見たこともない男がガザンの後ろに立っているではないか。 祭のときにマツリが来ていたと言っても、民がマツリの顔を見ることなどない。 どちらかと言えば、辺境の民の方がマツリを見かけている。
銀髪に長身痩躯、美しい顔に見たこともない衣。

「・・・あ」

一瞬にして言い伝えられている話が頭を過った。
“見たこともない衣を着た男達が紫さまを攫いに来た” と。
見たこともない衣どころか、その髪の色も顔立ちも見たことがない。 叫びかけたが、ガザンがこの男を先導して歩いているように見える。 それにガザンが吠えないのなら・・・。 青菜が固まったままマツリの後姿を見送った。

「おっ、ガザンがやっと動いたか」

誰もが振り向くと、開け放されたお付きたちの部屋の前をマツリが歩いて行く。

「え? マツリ様?」

ガザンがそのまま歩いていき大きな手で紫揺の部屋の襖を開ける。 驚いたマツリがすぐに後ろを向くと、マツリの後を追い覗き込んでいたお付きたちと目が合った。 いっ! と声を上げたお付きたち。 まさか振り返るなどと思ってもいなかったのだから。 そして一匹二匹とゴキブリが引っ込んでいく。

「あ、ガザンやっと動いたんだ」

部屋の中から紫揺の声がする。

「マツリだ、入ってよいか」

「え?」

紫揺が思わず漏らした声に、襖に振り返った此之葉が驚いた顔をした。

「マツリ様・・・」

後姿のマツリが立っている。

「よいかと問うておる」

此之葉が紫揺を見る。

「いいよ」

マツリが振り返り紫揺の部屋の中に入る。 もう此之葉はマツリと紫揺の関係を知っている。 部屋の中にも部屋の外にも座していてはいけない。

「すぐに茶をお持ちいたします」

そう言って部屋を出た。
台所に行こうとすると、丁度塔弥が玄関に入ってきた。

「あ、此之葉、今日はマツリ様がおられる。 辺境は明日からになった」

長靴を忙しそうに脱ぐと、そのままお付きの部屋に入って行った。 辺境の延期を告げる為である。

「今日の辺境行きは明日からにしてもらうよう秋我に言った。 よかろう?」

「勝手に・・・」

来るなら来ると連絡くらいすればよいものを、と思うが、ここには電話もなければポストも何もない。 ましてや本領とこの東の領土では行き交う者が居ないのだからポストがあっても手紙は届かない。
紫揺の横に伏せたガザンの背中を撫でてやる。

「東の領土は過ごしやすいか。 本領は今、暑い盛りだ」

胡坐をかいて後ろに手をつきながら窓の外を見ている。 その目を紫揺に戻す。

「久しいな」

ドキリとする。 でもそんな顔を見せたくない。

「お祭の時に呼ばなかったからじゃない」

「民と祭を楽しんでいるのか、我と会いたくないのかかと思ってな」

それ以前に本来は紫揺の方がマツリを迎えねばいけないのだが。

「あれの具合はどうだ?」

あれといった目の先を追うと額の煌輪と大きな紫水晶がある。

「あれから二回ほど紫赫(しかく)が耀いた。 で、初代紫さまに導いてもらった」

「どのような状況で」

えっとぉー、と考えているのが話の隙間と思った此之葉が「失礼をいたします」と言って入ってきた。

「一回目が辺境に行った時。 長雨で地盤が緩んでるみたいだって聞いたから行ってみたの。 そしたら上から土砂と一緒に民たちが落ちてきて、その時」

一瞬何が起きたのか分からなかった。 轟音と共に数人が落ちてきてすぐに土砂にのまれたのだから。 どうしていいか分からず一瞬にして気が上がってしまった。 その途端、紫赫が額の煌輪から現れた。 そしてその紫赫が一筋を照らした。

『気を抑えよ』

初代紫の声が脳に響いた。
初代紫の声は威厳があり厳しさも持っているが、その声が落ち着かせてもくれる。 上がってきていた気を落ち着かせる。

『紫赫を信ぜ。 紫赫の元に民がおる。 民の元に行け』

「で、紫赫の先に民が居るからって、お付きの人たちに掘ってもらったら怪我した人もいたけどみんな助かった」

一つの作文の朗読が終わる前に此之葉はもう出て行っていた。 長い作文に飽きたガザンも伸びを一つしてから出て行き、開けっ放しの襖をマツリが閉めた。 早い話、マツリが下座に座っているということで本領では有り得ない事である。
そして襖の向こうに此之葉が座していないということでもあった。

「二回目も辺境。 熊が集落まで下りてきてたみたいで探したらすぐに見つかって、って言うか、殆ど至近距離から出てきて、えっと・・・カジャじゃなくて・・・」

「香山猫」

「あ、そうそう、香山猫の時みたいに導いて下さった」

ふーっと、深い息を吐く。 長い説明だったが、最初の時より幾分とましになったようだ。 後ろ手をついていたが、前に持ってきて前屈みになると茶を飲んだ。

「その力は本来、紫にも備わっておる」

「ん?」

「初代紫も紫も生まれながらにしてその力を持っておる。 初代紫がおった時は、今のように平静ではなかったからな、毎日そのようなことが起きてその力を確実に手にしたのだろうが、今の東の領土ではそういうことが再々あるものではない。 そう簡単に使えるようにはならんだろうが、一回一回を胸に置き何度も噛み締めるよう。 まずは気を上げることをするのではない。 冷静でいるよう」

「あ・・・はい」

授業を受けているようだ。

冷静などと紫には無理な話かもしれんが。 と口の中で言ったのは聞こえていなかったようだ。

「杠に今日一日帰って来るなと言われておる」

「え?」

「宮にも戻るなとも言われた」

「じゃ、昼餉と夕餉、ここで食べていく?」

「ああ、そうさせてもらおう。 だが一日ここにずっといるのもなぁ・・・。 どこか良い所はないか」

紫揺ではないがマツリも部屋の中にじっとしているのはあまり好きではない。 四方から執務を引き継がなくてはならないというのが気を遠くさせる。
こういうところもシキの言うよく似ているところなのかもしれない。

「あ、じゃあ、馬で泉に行く? 結構あそこ好きだし」

「紫の好んでおるところなら我も見たい」

「あ・・・うん」

どうしてこういうことを平気で言うのだろうか。 聞かされる方の身にもなって欲しい。
立ち上がり額の煌輪を手にして額に乗せる。 いつも此之葉がやってくれているように髪の毛を金細工の下から取りふわりとのせる。
立ち上がったマツリが紫揺の前まで歩いて来ると腰をかがめる。

「よく似合っておる。 だが」

褒められて顔を赤くする間もなく、マツリが両手を出して額の煌輪を紫揺の頭から外した。

「何度見ても精緻に作られておるな」

金細工の部分を見ている。 一周をぐるりと見ると絹で出来た座布団の上に戻した。

「我と居る時は要らん」

「え? なんで?」

出掛ける時は必ず額の煌輪をするようにと言っていたのはマツリではないか。

「我が紫を守るのでな。 紫は己を守ることをせんでよい」

額の煌輪は紫揺の出過ぎる紫としての力を抑えるもの。 換言すれば紫揺の身を守っているもの。 その紫揺をマツリが守るという。
この男は本当に・・・好き勝手を言ってくれる。 どんな顔をして聞いていればいいのか。 だがどんな顔を・・・と思った時にはいつもすぐに次がある。
マツリの腕が紫揺の腰に伸びた。 ふわりと持ち上げられる。

「紫と話す時はこの方が楽か」

「ちょっ! 下ろしてよ!」

窓の外に誰か通ったらどうするつもりだ。
マツリの片手が紫揺の背中に回った。 そっくり返っていた紫揺を抱きしめる。

「久しいな・・・」

マツリの頬が紫揺の頬にあたる。 サラリとした銀髪が目に映る。

「・・・さっき言ったし」

マツリの肩を握っていた手をちょっとだけ動かした。

窓の下にすぐに隠れたゴキブリ二匹。

「・・・生で見るとけっこう刺激的だな」

「・・・生って。 生じゃなくて何で見たんだよ」


「塔弥さん、マツリと泉まで行ってくる。 馬貸してもらえる?」

厩の前に居た塔弥を捕まえて言う。

「あ・・・では己の馬で宜しいでしょうか? 他の馬ではお転婆についていけませんので」

「おてんば?」

「紫さまの愛馬です」

「ああ、聞いておったか。 そうだな、先にそのお転婆とやらを出してきてくれ」

馬車の中でガザンのことを聞いた時にお転婆の名前も出ていた。

「あ、じゃ、私が出してくる」

厩に入る姿を見送ると、厩の一番手前に仔馬が二頭いるのが目に入った。

「葉月と言ったか。 此之葉とは対照的なようだな」

思わぬ名前を聞いて心臓が撥ね上がりそうになる。

「マツリ様の御前でご無礼を・・・」

「いいや、あれくらい言う者の方が紫には良かろう。 此之葉では手に余るであろうからな。 我も久方ぶりに本領の五色と会ったのだが・・・まだ童女であるがな、しかりとしておった。 紫に会ってからは本来の五色という者を忘れておったわ」

塔弥がなんとも言えない顔を引きつらせながらマツリに笑みを返す。

「我は紫に次代の紫を産ませる」

「え・・・」

「次代の紫がこの東の領土を見られるようになれば紫を本領に連れ戻す。 よいな」

よいな、と言われても紫揺本人でもなければ領主でもない。

「紫さまはご存知で?」

「いや、まだ言っておらん。 我が子を、我と紫の子、次代の紫を此之葉に育ててもらわねばならん。 此之葉は今代の紫には手をやいただろうが、次代の紫にはよくしてくれよう。 良い五色・・・紫を育てて欲しい」

「マツリ様・・・」

マツリは我が子と離れることを覚悟しているのか。 いや、会いには来られる。 だがずっと一緒に居られるわけではない。
代々の紫がそうだったように、紫が紫として自立をしてしまえば親子などという絆以上に民のことを考えなくてはならない。 いや、敢えて考えるのではなく自然と考える。 その時に今代の紫となる。
言ってみればそれまでは一緒に居られるはずなのに、その時さえずっと一緒にいられない。 その道を選ぶというのだろうか。

紫揺がお転婆を曳いてやって来た。

「マツリ様、ご注意ください。 紫さま以外には噛みついてきますので」

「ほぅー、なかなかに目付きが厳しいか」

マツリがお転婆から目を離さない。 お転婆もマツリから目を離していない。 僅かに目を動かすがマツリの背丈を計っているようだ。
マツリとお転婆の睨み合いが続いたがお転婆がそっと目を外した。

「紫、手綱を」

「え、だって」

「手綱」

マツリはまだ目を離していない。 チラチラとお転婆がマツリを見ている。
出された手にお転婆の手綱を乗せる。

「離れていろ」

塔弥が紫揺の手を引いて離れていく。

一瞬にしてマツリがお転婆に乗った。 背に乗った重みが紫揺でもなければ塔弥でもない。 お転婆が棹立ちになり、今度は後ろ脚で何度も空を蹴り上げる。
走り出そうとするお転婆の手綱を引いて止める。 今度は何度も前足を上げ上体を小刻みに上げてドンドンと音を鳴らす。

「塔弥!」

たまたま見かけた阿秀が塔弥に走り寄ってきた。

「どうしてマツリ様がお転婆に!」

「それが・・・」

「お転婆に乗りたいんでしょうね」

え? と言って振り向いたのは阿秀。

「ですが、万が一お怪我でもされては!」

「マツリが自分で乗ったんだもん、自業自得じゃないんですか?」

「いえ、そういう話では!」

「あ・・・」

塔弥の声に、え? っと思って阿秀がマツリとお転婆に振り返った。
諦めたのか息を切らせたお転婆が暴れることなくマツリを乗せている。

「この鐙(あぶみ)だ、振り落とされるかと思うたわ」

鐙を自分の長さに調節しながらブツブツと言っている。 腹帯を締め直すと片方の鐙から足を抜いた。

「紫、こちらに」

え? という顔をするともう一度、こちらにと言い、次に塔弥に向かって言う。

「塔弥の馬を借りる必要が無くなった」

そういうことかと紫揺が合点する。 鐙に片足を入れると手を取ったマツリが上手く引き上げそのままマツリの前に騎乗した。

「泉に行ってきます。 あ、マツリの昼餉と夕餉をお願いします」

「では少々紫を借りる」

マツリがお転婆を歩かる。

「阿秀、ついて行かなくても?」

「マツリ様がいらっしゃる。 いいだろう」

それに借りると言っていた。 ついて行く必要が無いということだ。

最初は歩かせていたが家並みがなくなると速歩にして、紫揺のナビを受けながら泉までやって来た。

「なかなかに良い所だな。 抜けてきた林も良かった」

マツリが先に降り紫揺を降りさせる。 素直にその手に身体を預けた。 マツリが手綱を曳いているがお転婆が噛みに行くようなことは無い。

「いったいどうやったの?」

お転婆の世話をしている塔弥でさえ、ガザンが居なければいつ噛まれるかも分からないのに。

「何かをしたわけではない。 馬を御することも鍛練の中にあったのでな。 まっ、我の方が上だということは教えたつもりだが」

どこか括りつけられるところはないかと、泉の周りに生えている木の方に歩きだす。

「鍛練・・・鍛練っていったら、リツソ君どうなってるの?」

「まだ自覚がないようだ。 師から逃げておるし、先年には我の居ぬ間にハクロを捕まえて昼日中、宮都の中を乗り回しておったようだ」

「・・・え?」

あの大きな狼のハクロを? 人前で乗り回していた? いくらなんでも無茶をする。

「あのままでは北の領土の狼をまわすことが出来なかった。 ったく」

「え? シグロは?」

ずっと前を向いていたマツリが紫揺に振り向く。

「仔を産みに本領に戻ってきておったらしい。 先年の五の月くらいには生まれていよう」

「えー!?」

「ちなみにハクロの仔だ」

そうだろう、そりゃそうだろう。 ハクロ以外いないであろう。

「わぁー、小っちゃい狼見たかったな」

「紫がもっと早く素直になっておれば見られただろうな」

木々の方に目を移しながら言う。

―――聞こえなかったことしにしよう。

少々お転婆は自由に出来ないが、それでも手綱を引っ掛けられる枝を見つけた。 そこに手綱を引っ掛けていると紫揺が先に歩いていく。 大きな岩に向かって歩いているようだ。
マツリを置いてさっさと岩のある所に来るとその上に上った。 この岩の上でガザンの背中で泣いたのだった。
だがそれも今は思い出。

「もしかしてこの泉で泳いで熱が出たのか?」

マツリが隣りに座ってきた。
よく覚えていやがる・・・。 こんな時、記憶のいい人は敬遠したい。 消しゴムで脳の中に残っている記憶を消したい気分だ。

「綺麗な水だから泳いでいて気持ちがいい。 本領には? えっと、宮都にはこんなところあるの?」

「宮都にはない」

「じゃ、マツリは泳げないの?」

「不得意。 溺れはせん程度だ」

「へぇー、万能じゃないんだ」

「なんでも出来る者などおらんだろう。 帳簿も不得意。 杠に頼りっぱなしだ」

「そうなんだ。 杠って数字が得意なの?」

「ちらっと見ただけで流れが分かるようだな。 我にはさっぱりだ」

「杠・・・元気にしてる?」

「ああ。 杠に会いたければ紫が本領に来ればよい。 宮からの連絡があればすぐにでも杠を宮に向かわす」

「まだ宮に戻ってないの?」

「もともと長くかかるのは分かっておった。 だが今を外すと次が無いと思ってな」

紫揺の方をチラリと見て続けて言う。

「躊躇(ちゅうちょ)はした」

紫揺が何のことかと眉を上げる。

「この事に手をかけてしまえば、紫とのことがどうなるか分からなかったからな。 実際、各領土さえまともに回れていない。 本領の中もだ。 せいぜい各領土の祭に顔が出せるだけ。 その間に紫がろくでもない男を領主の前に連れてくるかもしれんのだからな、今日も杠が出してくれねば会いに来ることもなかっただろう」

杠が出してくれたのか・・・。

「よく言うよ、あんなことしておいて」

あんなこと、具体的にその事に触れてまた話をややこしくしたくない。

「塔弥と葉月には世話になったようだな」

「あ、うん。 今から思うと葉月ちゃん頑張ってくれた。 塔弥さんも」

「杠と塔弥と葉月が居なければこうして話すこともなかったか」

「うん、そうかも」

立てていた膝に顎を置く。

「話が二つある」

「ん? なに?」

まずはさっき塔弥に言ったことを話す。

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辰刻の雫 ~蒼い月~  第149回

2023年03月13日 21時23分40秒 | 小説
『辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~』 目次


『辰刻の雫 ~蒼い月~』 第1回から第140回までの目次は以下の 『辰刻の雫 ~蒼い月~』リンクページ からお願いいたします。


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辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~  第149回



黒山羊を出たマツリと杠。
とにかくいったん落ち着いたと杠が大きく息を吐く。

「今、十六人おりましたか」

「ああ」

享沙は『人数が集まってきたのであと少し人数を集めてからにするということです。 今のところ十四人』 と言っていた。
ということは享沙が調べた時より少なくとも二人増えている。 今日にも夜襲があるかもしれないし、まだこの先かもしれない。 ましてやその時には更に人数が増えているかもしれない。

「当分どこか他の宿にお泊りになって下さい」

この進言が無駄だと知りつつも言う。

「断る」

やっぱり。

「宿に被害が出れば、それこそ都庫から出さねばなりません」

マツリがじろりと杠を見る。

「あまり依庚と話さないでくれるか?」

マツリが何を言いたいのかは分かるが、今はそんな話ではない。 マツリの身を案じているのだから。 その上に己が加勢できないジレンマもあるというのに。

「マツリ様、ここに来てマツリ様に何か御座いますと先に進めません」

「分かっておる」

かなりの人数で来る様だ。 だがいつ来るか分からない夜襲に毎夜武官に己の宿を警護させるわけにはいかない。 何人もの武官が必要になってくる。 それに何より警護などしていては捕らえることが出来ない。
手を出させ捕えて散々辛苦を味あわせ、二度と立ち上がれないようにしなければ。

「百足の長屋に案内してくれ」

百足が四人そしてマツリ。 五人もいればゴロツキの十六人くらい何ともないだろう。 その中に証人として武官を一人入れればいい。 百足のことだ、武官に気取られず何とでもするだろう。

「それはそれは」

好々爺が恵比須顔で応えた。
マツリは好々爺ではなく強面の方を望んでいた。 杠もそちらの長屋に案内したのだが、強面の男がニヤリと笑って、そういう話なら好々爺の長屋に行ってくれと言ったのだった。

「いつ来るか分からないのでしたらお困りでしょう。 我らにお任せください」

我らと言うのは強面の四人のことだろうとマツリが思う。 この好々爺は百足七人のまとめ役になっているのだろう。
好々爺は杠を単なる文官だと思っているが、杠はこの好々爺も先にあった男も百足だと知っている。 このことは百足に知られたくないということで、話を聞かないように長屋の外で待っている。 それに好々爺もマツリだけを部屋の中に入れている。

「度々の願い、申し訳ない」

「お気になさらず。 われら七人でお守り申し上げます」

にこにこと緊迫感のない返事で送り出された。
七人・・・。 強面四人だけではなく、好々爺三人も入っている様だ。
その夜から強面の四人は勿論のこと、好々爺の三人も息を吹き返したように昔の姿に戻っていた。

そして二日後。
好々爺の耳に闇に紛れる息が聞こえた。 その姿を確認し、手の中にあった夜泣き鳥の鳴き声そっくりな笛を吹いた。 普通の人が聞けば夜泣き鳥のさえずりだが、聞くものが聞けば敵襲来の合図。

黒山羊でマツリが確認したのは十六人と聞いていたがそれから三人増えている。 その三人を含めすでに十九人の顔は覚えている。 学び舎で教えながら以前の百足のように動いていた。
マツリは百足からではなく享沙から三人増えたと聞いている。 百足は何人増えようとマツリに報告する気はない。 報告したとて何が変わるわけではない、すべてを落とす、ただそれだけで増えようが増えまいが結果は同じなのだから。

マツリの部屋の前に待機していた百足が部屋の戸を叩くと、部屋の中で動いた気配がする。 そして戸越に「来ました」と言うと、部屋の中から「承知した」と返ってきた。
隣りの部屋では床の中で杠が聞き耳を立てていた。 百足が居る以上、杠は動くことが出来ない。 百足に頼るしかなかった。

百足は武官のいる位置は分かっている。 武官に分からないように仕留めなくてはいけないし、その上でマツリを襲わせなくてはいけない。
マツリを襲わせる前に手を出してしまっては元も子もない。
マツリが宿泊しているのは宿屋の二階。 一階は食事処となっている。 この食事処でいつも食をとっている。
素人の十九人は一斉にマツリの部屋に入るだろう。 これが一階だったらもう少し頭を捻ってくれて百足もやりやすかったが、相手は素人、致し方ない。

武官に証人となってもらわなくてはならない。 その為にはある程度の灯りも必要になってくる。 部屋の中で襲われ明りを付けると百足に手出しが出来ない。 そこで百足から夜襲がやって来たら外に出るようにと言われていた。 夜襲をかけてきた者たちに分かるよう目立つようにと。

『承知した』 と言ってから纏めてあった何本もの縄を持ち、部屋を出て階段を駆け下りると外に出る。 そして武官の目に入るところまで行く。 宿屋の店先に照らされている光石で十分見えるだろう。
群青色の皮衣を来た武官がどういうことだと目を丸くしていると、間なしに影から男達が出てきた。
武官にしては思いもよらない人数だった。 マツリからは不審な動きがある、暫く宿の警護を頼むと言われていただけなのだから。 応援を呼びに行く間もない。

「何者だ」

マツリが静かに言う。

「しゃらくせーだよ」

すぐに武官が躍り出てきた。

「へぇー、武官様に護衛をしてもらってたのか。 だが? この人数に勝てるか? たった一人の武官様で?」

男達がマツリと武官を囲むようにして輪になった。

「ほぅー、十九人か。 よくも集めたものだ」

人数を武官に聞こえるように言う。 武官は人数など確かめている余裕などないだろう。 だがこの後を考えると人数の確認が大切になってくる。

「短い間でこの人数だ。 もっと待ちゃー、何十人にもなる。 てめーのしてることをみんなウザがってんだよ」

「みんな? みんなではなかろう。 お前たちろくでもない奴だけであろう」

「テ、テメー!! 好き勝手ほざけるのも今だけだ! おい! やれや!」

そう言った男がマツリに襲い掛かる。 その男の腹に武官が足を入れ飛ばすが、次々とかかってくる。 武官が男達ともつれ合っている時、マツリが一人を昏倒させ捕縛した。 その後ろで「ウグ」「ガッ」などと声が上がっている。
ようやく百足のご登場のようだ。
武官に襲い掛かっていた者たちも、百足が簡単に男達を引き剥がし地に伏せさせた。 その男達をマツリが手際よく捕縛していく。

武官が一人を縄に掛けると好々爺が面白がって「ほい、ほい」と言って腕を固めていた男を次から次に武官に投げかける。
武官は息をつく間もなく、ましてや投げかけられたとは知らず、かかってきた男たちに肘や足を入れ昏倒させていく。

男達は何が起きたのか分からなくなってしまったが、とにかく形勢が悪いことだけは分かる。 どうして十九人もいてたった二人に次々とやられてしまうのか。
残っていた者たちが逃げ出した。 光石の灯りが届かない所で「ギャッ」っと声が上がる。

合計十九人の咎人が出た。
マツリが襲われたのだ、これは宮都に持って行くことだと文官武官から言われたが、マツリにはサラサラそんな気はない。

「武官がよくやってくれた。 我に指一本触れさせておらん、六都内で終わらせる」

マツリに言い切られてしまった。
そんな状態である、武官長総ざらえで咎の言い渡しを聞きに来ていた。
そんな中、証人となった青翼軍(せいよくぐん)の武官は

「なにか、ほい、ほい、という楽しそうな声が聞こえておりました」

などとと証言席でとぼけたことを言って、咎の言い渡しの後に青翼軍武官長から拳骨を落とされていた。

五人を除く十四人の者、この者たちは性質が悪いだろう。 咎を言い渡された者が縄に繋がれて杉山に行く姿を晒されているのもかかわらず、あの五人に乗ったのだから。
この者たちは徹底的にやる。 年単位での杉山への労役。

「それとも焼き印か刺青が欲しいか? ならば宮都へ送ってやるが?」

縄で縛られた十九人を目の前にして言う。
乃之螺がマツリを蹴ろうとした時に、マツリの立場である者を蹴ろうとしただけで相当の咎になると四方が言っていた。
いまその効力を借りている。

「お、お前・・・成功するって言ったな!! 咎にはならないって!」

「テメーらが仕留めなかったからだろうが!! 何人かかってたんだよっ! それでこれか!!」

わざと十九人を一斉に並べ咎を言い渡す。 そうすれば互いを罵るだろう、こういう者たちはそうだ。 そして罵れば矛先が変わる。

「お前! お前のせいでこうなったんだろが!」

「オレのせい? 馬鹿を言うな! 乗ってきたのはテメーらだろ。 ろくな働きもしないでコレだ! テメーら分かってんだろーだな!!」

何を分かれというのだろうか。 暫く自由に話させた、罵らせた。 例の五人に増悪を持ってもらわなければ困る。
そしてその五人は杉山で潰されるだろう。
この五人が学び舎に火を放つと最初に提案したのだから。


「何処で息を吹き返したのやら・・・」

親の脛ばかり齧っていたのだ、大店を潰せば愚息も大人しくなるだろうと思っていた杠が言う。

「それが六都だろう」

明日から杉山に向かう列が更に長くなる。
先に杉山に通わさせていた者たちは、もう反抗する体力も残していないが、新たなこの十九人は縄で繋いでいても、杉山に着くまでに何某かするかもしれない。

「武官四人では厳しいか」

一日往復させるだけで身体がクタクタになるのは分かっている。 翌日には節々が痛み、筋肉痛に喘ぎ、瞬発力さえ失くす。 逃げようにも身体がついてこないのは、今までの咎人で実証済みだ。 全員が全員とは限らないだろうが、鍛えている者などこの六都にはいない。 だが此処を出てすぐは動ける。

「あの十九人には明日だけ別に五人付かせよう。 明日は我も付く」

それで監視が六人増える。

「承知いたしました」

早朝、長い列が出来た。 個々に後ろ手に縛られ、更に腰に巻かれている縄は前を歩く男の腰に巻かれ後ろの男に繋がっている。 十九人の腰が一本の縄で繋がれている。
他の列はまた違う塊となって先を歩いている。
足元に目をやると、右足左足もそれぞれ腰の縄のように繋がれている。 一人でも走って逃げようものならすぐにこけるだろう。 全員が息を合わせて走れば別だが、まず無理な話である。
武官に肩を押されてもダラダラと歩く姿が段々と民の目に晒されていく。

「よー、捕まらねーって言ってたんじゃねーのかー」

「うっせーんだよ!」

「口を開くな!」

武官の叱責が飛ぶ。

「ああなっちゃお終いだね、情けない。 お前も要らないことすんじゃないよ」

隣りに立つ息子に冷たい目を送る。 だがそう考えるのはまだ真っ当な親だろう。

「あの山まで行くんだろ? オレにゃ無理だ」

「引きずってでも行かされるらしいぞ」

「ああ、それから木を切り倒してってことらしい」

「馬鹿をやるだけ阿保らしいってか」

「ああ、アイツらも長いらしい」

「あの火付けと同じくらいか?」

「そこまでいくかどうかは分かんねーけどよ」

「丁度いいじゃねーか、アイツらウザかったんだしよ」

「言えてるな」


小さなイザコザがまだ絶え間なくある。 武官に引っ捕らえられた者が、おおよそ五日から十日前後、杉山に通わされる程度だがそれでも人の入れ替わりが激しい。

「しつこい奴らだ」

気候が穏やかだった時はよかったが、雨が降り続くようになり、ようやく雨も上がったかと思えば、今度は炎天下。
入れ替わりやってくる者もそうだが、杉山に通いつめ体力や筋肉がついてきたといえど、陽の陽射しに倒れられては困る。
文官総出で作った笠がよく役に立っている。


黒山羊で麦酒を口にしている。 この暑い時にはよく冷えた麦酒が旨い。

「東の領土の祭以降、お会いしておられませんでしょう、そろそろ東に行かれてはどうですか?」

「うん? 祭の時には会っておらん」

「は?」

「紫が来なかったのでな」

「会いに行かれなかったのですか?」

「その時、会いたくなかったから来なかったのだろうしな」

「・・・マツリ様」

杠が肘をついて額を掌で覆った。 どうして女心を分からない。

「明日朝から東の領土に飛んでください。 我が妹を愚弄する気ですか・・・」

「愚弄? 馬鹿を言うな」

「宜しいですね! 明日朝からです、夜まで戻って来ないで下さいませ! ああ、あちらで夕餉もとってきて下さいませ!」

「ふむ・・・。 そうだな、改めて父上に会わせるも良いか」

杠の気が萎えそうになる。 だがそこを押して奮い立たせる、どうも言わねば分からないようだ。

「いいえ! 宮にも寄らず、本領内も飛ばず、東の領土で一日をお過ごしください! 宜しいですね!」

そして翌朝、まるでシッシッと追い立てられるように宿を出された。

「どう思う?」

キョウゲンの背の上でマツリが問う。

「求愛行動をされましたら、あとは詰めねばなりませんでしょう。 その様なことを言っておるのではないでしょうか」

それはマツリから流れてこなくても本能で知っている。

「求愛行動・・・って・・・」

マツリがつきたい溜息を我慢した。 キョウゲンは本気で言っているのだから。
だが・・・キョウゲンの言う通りかもしれない。
『マツリは寂しくないの』 と訊いてきた。 宮に来てマツリが居なくて寂しかったと言っていた。

「寂しくさせておったのかもしれんか」

岩山の洞を潜った。


「ん?」

厩に水を運んでいた塔弥が顔を上げた。 キョウゲンが飛んできている。 すぐに領主の家に走る。
いつものところに降り立ったマツリ。 すでに秋我が待っていた。

「このような朝早くに如何されました?」

「ああ、今日は気にしないでくれ。 放り出されただけだ」

「は?」

「紫は」

「あ、このあと辺境に行かれると・・・」

一日遅かったら会えなかったということである。

「辺境か・・・一日伸ばしてもらってもよいか。 それとも何か急ぎのことがあってか」

「いいえ、その様なことではありませんが・・・あの?」

紫揺が居ることは分かった。 マツリが足を動かす。

「ああ、紫とは祭の時に会えなかったから来た。 今は簡単に本領を出られないのでな」

ちょっと言い訳してみる。
領主に紫揺とのことを言いに行った時、秋我もいて話を聞いている。 お付きと呼ばれる者たちも知っているだろう。 紫揺との関係がどうのこうのと、今日がどうのこうのと説明しなくても分かるだろう。
とは言っても、まずは領主の家に顔を出さなくては。

「領主は」

「あ、それが腰を痛めまして、今は臥せっております」

「大事はないのか」

「それは何とも御座いません」

音夜を抱き上げようとした時にグギッと激しい音がしたのだったが、領主の面目が潰れそうである。 それは黙っておいた。

「我が顔を出してもよさそうか」

「大事は無いのですが、首一つ動かせない状態でございまして失礼があるかと思います。 私からよくよく伝えておきます」

「そうか。 では紫の所に行く、場所は分かっておる案内は要らん。 勝手をして悪いが今日の辺境行きは明日にしてくれ」

「承知いたしました」

六都だけでなく本領全ては陽射しが強いというのに、この東の領土は今も春のような気候である。

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辰刻の雫 ~蒼い月~  第148回

2023年03月10日 20時19分09秒 | 小説
『辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~』 目次


『辰刻の雫 ~蒼い月~』 第1回から第140回までの目次は以下の 『辰刻の雫 ~蒼い月~』リンクページ からお願いいたします。


     『辰刻の雫 ~蒼い月~』 リンクページ




                                  




辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~  第148回



「秋我、音夜はどんな具合だ」

前回東の領土に来る前に、初めてシキの子である甥に会いに行ったが泣かれてどうにもならなかったと話していたあとに、そんな風に訊かれた。

「連れて来ても宜しいでしょうか?」

「ああ、是非とも」

茶を出し後ろに控えていた耶緒が頷くと家に戻り音夜を連れてきた。
耶緒に抱かれてやって来た音夜は耶緒によく似ている。

「これはまた玉のように輝いておるな」

マツリが手を出すと天祐と違ってすぐにその手の中に入ってくる。

「ははは、良い子だ。 うん、柔らかいな」

天祐の肉はもう少し硬かったせいか、音夜に比べて重さもドンときたように感じる。

「童と童女でこれほど違うのだな」

しばらくは我の膝の上におるか? と言いながら膝に座らせている。 大人しい子なのだろう、むずがることなくじっとして目の先から聞こえる笛や太鼓に耳を傾けている様だ。
しばらく音夜を膝に乗せたまま子育ての話や、領土の話をしていたが音夜がウトウトしだした。 耶緒に音夜を返すとマツリも立ち上がり「良い祭だった」 と言い残すとキョウゲンに跳び乗った。
紫揺に会わずに飛び去って行ってしまった。 紫揺にしても知らない顔をして民と踊っている。
領主にしてもお付きにしても、あの話は本当だったのだろうかと顔を見合わせるしかない。

(マツリ・・・帰った)

満月の下にキョウゲンの影をチラリと見た。

(寂しいとか言っておきながら・・・会いにも来なかった)

『ほぅー、そんなに我に会いたかったか』 どこからか声が聞こえたような気がする。

「うるさい!」

紫揺の声に前で踊っていた民が振り返る。

「うわっ!」

後ろでは紫揺が手刀を繰り広げていた。 昨年に続いてお付きたちが紫揺を抑え此之葉を振り返っていた。
己らがお付きする代で “紫さまご乱心” はどうしても書いて欲しくない。



百足たちが開く体術に柳技と絨礼、そして芯直が参加していた。

「いいか、一緒に教えてもらっている者たちの顔をよく覚えておくんだ。 それとしっかりと体術も身に付けるよう」

百足が教えたことが発端で大事があっては困る、杠からの指示を享沙が伝えた。 体術は一か所でしか行われていない。 散らばらなくてはならない危険もない。
百足は杠の下で働いている者たちのことを知らない。 また柳技たちも百足のことを知らされていない。


「どうだった?」

「なかなかに難しいですか」

次の都司の目星をつけに杠が動いていたが、なかなか見つからないようだ。

「何某かしておりますので」

今すぐ代わるというわけではないし、今はまだマツリが権力を握っていたい。 目星だけをつけておくということである。

「ほんとうに・・・この六都はスッと生きている者はおらんのか」

それこそ気概として黒山羊の店主でもいいのだが、釣銭の計算は出来ても生憎と読み書きが不十分だ。 宮都との間で文をかわさなくてはいけないのだから読み書きは必須になってくる。 それにそうなると黒山羊をやめなくてはいけない。 店主はそれを選ばないだろう。

「少々の学のある者は悪さを考えるようです」

以前から言われているように、都司にはある程度の学がある者にしかなれない。

「育った環境だな」

いま道義を教えている子たち全員がその道義どうりに生きていくとは限らない。 だがそれでもその子たちに子が生まれる頃には少しは違ってくるだろう。
それを支える為にも都司は選ばなくてはいけない。 妥協など許されない。

「急いではおらん、曇りのない者を探してくれ。 それと杉山で切り倒した木をそろそろ運ぼうと思うのだがここには馬の曳く荷台はあるか?」

随分と前に京也から言われていたが雪の中を運ぶのには危険が多すぎた。 だがそろそろいいだろう。

「二台御座います」

出来ればこの日から杉山で切られた木を運びたいと思っていた。
咎人の七人は未だに通いである。 やはり杉山にいる者たちから白眼視されている様だ。
その咎人を追い抜き武官が操る元、二頭引きの馬四頭が荷台を運んで行った。

「ふむ、荷台を動かす者も育てんといかんか」

それにそろそろ四人の武官を宮都に返さなくては四方も堪忍袋の緒を切るだろう。 それでなくとも、それ以上の武官を借りているのだから。
だがこれから温かくなってきてウジが湧いて出るかと思ったら、簡単に全員の武官を返すことが出来ない。 返したくない。


四の月も終わろうとしていたころ、杠が官所に戻ってきた。

「おお、長い間お疲れで御座いました。 そういうことは私たちの仕事だというのに申し訳御座いません」

馬に乗れない帆坂が言う。 帆坂でなくとも文官は馬に乗れない。 文のやり取りをしている間には馬に乗れる杠が動いた方がいくらか早い。

「いいえ、マツリ様からの命で御座いますので。 こちらが一覧で御座います」

これから杉山からの杉を売る顧客となる一覧表である。

「こんなに?」

せいぜい三軒か四軒くらいだと思っていたのに二十軒以上ある。 相手は一軒を除くと全て個人の木造関係。 除いた一軒は宮都工部だった。

「今だけでこちら、これだけで御座います」

別の紙を出すとそれは仮注文書だった。

「取引値は木を見てからということですが、まあ、信用できる相手かと。 五の月に入りましたら見に来られると言っておられました」

「しょ、承知いたしました」

杉が売れた収入は六都都庫に入る。 そこから宮都に借金を返済していき、給金を出していかねばならない。 値切られないようにしなければ。
大役である。 よって気の良い帆坂には無理だろう。

いくらかの杉を運んできた時に何人かの杉山の者たちも戻ってきていた。 荷台から杉を下ろす為でもあるが、運んできた杉を使って杉を置いておく屋舎を建てる為にであった。
杉山ではかなりの取り合いがあったらしい。 誰も木を切るだけではなく物を作りたい様だった。 それも大きくなればなるほど造り甲斐があるというもの。
この頃には武官から手ほどきを受けた数人が荷台を引く馬を操っていた。 どれも人選は裏で京也が動いていたのだが、それに気づく者はいなかった。

マツリが思っていたように暖かくなりウジが出始め、あちこちで捕り物が始まった。 暴れる者、破壊する者、物取り、食い逃げ呑み逃げ、夜には喧嘩、酔って店内で暴れ物を壊す者、などなど。 次から次に捕らえて全員すぐに杉山送り。 もちろん徒歩で。 疲れさせなくてはどうにもいかないし、ただで飯を食わせる気もない。
内容によっては数日で終る者もいるが、二度とあの杉山までは行きたくないと思うのか、縄で繋がれ晒目に遭わされるのが嫌なのか、再犯はほとんど見られなかった。
毎日縄で繋がれた長い列が出来ていた。 武官を四人交代制で見張につかせていた。 それを補うようにマツリ自身も毎日巡回に出ていて、捕縛すら武官を呼ぶことなく自分でしていた。
今のところ百足が体術を教えている者たちが捕まることは無かった。


「売れておりますねー」

伐採した時期が良かったようで、木材として良い値で杉がどんどん売れていった。 それと同時に、男たちの思惑があったのかどうか、建てた屋舎の入り口に男たちが作った物が置かれている。 杉を買いに来た者たちがそれに目を止め、ちょこちょこと買っていた。 ましてや注文が入るようにもなってきている。
「椅子を四脚欲しいのだが」「長卓はないか?」「ちょっとした置物を作って欲しいのだが?」「長梯子は出来んか?」などと。

買いに来るのは木を扱う者たちなのだから自分達で作れば良いのではないかと思うが、そう簡単ではないらしい。
長卓などは平板に足を付けるくらいならするが、趣が欲しい、ということらしい。 誰に教えられたわけでもないが、手先の器用な者が彫り物をしている。 職人が作るとそれだけ高くなるが、ここでは素人が感性で作っているのだ。 頃合いの値で手に入るということらしい。
文官立ち合いの元、そういう注文を杉山の男たちが聞いて、得意な者が杉山や屋舎で作っているという報告が文官から上がってきていた。

「ふむ、それでは今までのように一律の給金とはいかんか」

その時の話をしながら杠と六都内を巡回している。 捕縛があれば杠は武官ではない官吏らしく一歩引いて全てマツリに預ける形をとっている。 影で腕に任せて動いていることは気取られたくない。 マツリもそれを分かっている。

「文官が忙しくなるでしょう」

個々に何を仕上げ、どれだけの値で売れ、何分を給金に入れるか。 今まで不必要だった計算をして給金に入れなくてはいけなくなる。

「端木で出来上がる物もあると思えば、都庫が潤うのだからそれで良かろう」

文官が忙しくなっても、その分の文官の給金を払うわけではないし、売れれば都庫が潤うのだ。

「例の者、一人は目星がつきました」

都司の件である。

「曇るところは無いのだな?」

「一点だけ。 兄の行方が分かっておりませんが、少なくともこの六都で何かをしでかしたという歴は御座いませんので宜しいかと。 ですが若干若いのでどうかと。 二十七の歳で御座います。 今は文屋で番頭まがいのことをしております」

「二十七の歳? 我と同じ頃か」

マツリ自身、自分が若輩者だと分かっている。 あの百足たちを見ているとつくづく思わされる。 そんな若輩者が都司になったとて、六都の民は簡単にいうことを聞かないだろう。 民どころか官吏さえ。 今マツリが咎を出したり官吏に命令できるのは、本領領主という後ろ盾があるからだ、マツリ自身それをよくわかっている。

「番頭まがいとは?」

「大店では御座いませんので番頭という立場さえ御座いません。 店主に代わって帳簿を付けたり仕入れをしたりしております」

「店主は何をしておるのか」

「初めこそよく働いていたようですが、この男が来てから店を預け遊び惚けているようで」

「ではその者が居なくなっても、店主さえその気を戻せば店は回るということだな?」

都司に引き抜いて店が潰れてしまってはシャレにもならない。 それに応えて、はい、と杠が頷く。

「見るからに・・・その歳に見えるのか?」

少なくとも見た目は必要である。 見た目があと五の歳ほど老けて見えていればいいのだが。

「その歳より・・・若く見えるかもしれません」

思惑と反対だったようだ。

「見た目だけで相手にされぬかもしれんということか・・・。 肝は」

「据わってはおりますがそれが幼顔ですので、外からはなかなか見えにくいかと・・・」

「幼顔?」

歳も歳だというのに。

「・・・杠」

マツリが半眼になって横目で杠を見る。

「・・・はい、探し直します」

「かなり嫌気がさしてきておるようだの」

「嫌気では御座いません。 ですがこの六都で読み書き算術が出来まっとうな者を探すのは・・・六都の中に落とした針一本を探すようなもの」

「その者の父は? その者が真っ当なら父もそうであろう?」

「これが父母共にろくでもありませんでして。 ですがもう亡くなっております」

生きていればアウトだが亡くなっているのならセーフ。

「よくそんな中で育って真っ当になったものだな」

「それだけ肝が据わっているのですが・・・いかんせん顔が・・・」

―――幼顔。

マツリには痛い言葉である。 美しいだけの顔は迫力に欠ける。 リツソなどはその中に冷たさを見て怖がるところはあるが、それはマツリより年下だからだろう。 それが故、乃之螺の時には、強面の武官を連れてこなくてはならなくなったのだから。

前から享沙が歩いてきた。 すれ違いざま「夜襲にご注意を」と言って通り過ぎて行った。

「今晩、沙柊と接触します。 今日の終わりに官所に戻られた後は黒山羊に行って下さい」

「夜襲など何でもないが?」

「御冗談でもおやめください。 委細を聞いて参ります。 それまで黒山羊に」

場は違うが、どこか紫揺とお付きの会話に似ているのは気のせいだろうか。

文官所からマツリが出て行くと杠もすぐに文官所を出た。 途端、杠の横からドンとぶつかって尻もちをついたのは芯直。
憧れの杠にぶつかったのだ「ちゃんと前向いて歩けよー」などと憎まれ口など叩くことは無い。 それに杠は前を向いていた。 横からぶつかってきたのは芯直なのだから、前を向いていないのは芯直ということになる。 それでも相手が巴央なら憎まれ口を叩いただろう。

「えへ・・・」

「大丈夫か?」

立たせてやる時に手の中に文を入れられた。 一瞬、また難問を解かなくてはならないかと思ってしまった己を戒める。

「うん、ありがとう」

殊勝にもそう言って走り去って行った。 あとから絨礼が走り抜けていく。
素知らぬ振りをして歩き出し誰の目もない所に入ると手渡された文を広げる。

『れいの五人が まつりさまをねらっている 人ずうふえるかも 家でさしゅう松』

吹き出しそうになった口を堪えて文を懐に入れる。

「さて、家とはどちらの家だろうか」

享沙の長屋か芯直たちの長屋か。 逡巡は長くはかからなかった。

これから夕餉と言う刻だ、長屋ではあちこちから声が聞こえてきていた。 誰もが家の中に入った隙にそっと戸を開ける。 鍵は閉められていない。 こちらで間違いがなかったようだ。
僅かな隙間から身を滑らす。 奥からぼそぼそと声が聞こえる。 享沙の声だ。
上がり框に上がるとそのまま奥の部屋に入って行く。
三人が享沙に習っている姿が目に入った。

「あ、俤」

声を殺して絨礼が言うと全員が振り向いた。 すぐに享沙の横に座り話を聞く。

「あの五人か?」

潰した大店の。
享沙が頷く。

「今のマツリ様のやりように腹を立てている者たちが寄ってきました。 最初は五人で今晩辺りと考えていたようですが、人数が集まってきたのであと少し人数を集めてからにするということです。 今のところ十四人。 今、黒山羊に集まっていると思います」

「黒山羊に?」

険しくなった杠の顔を見て「はい」と応えるだけの享沙。

「承知した」

懐から芯直から手渡された文を出し、享沙に渡すとすぐに部屋を出て行く。 『松』を『待つ』に教え直してもらわねばいけない。
マツリのことだ滅多なことは無いだろうが、それでも相手は十四人。 夜襲にしてくれれば身を隠しながらでも己が手を貸せるが、黒山羊に集まっている時にマツリを見て熱(いき)り立たれては、と考えると知らぬ間に走ってしまう。

「らっしゃい」

汗みずくで店の中に入ってきた杠だったが、店内を見まわす前に店主の声でいくらか心地が落ち着いた。 争いごとなく店が回っているということだ。
改めて店内を見まわす。 奴らが居る。 そして有難くも離れた所にマツリが座っている。
奴らがマツリに気付いていないはずはない。 奴らから離れた所に座るマツリだが、生憎と店の奥で奴らに背を見せている。
卓ではなく厨房に続く腰高の壁に平板を設えたところの一番端に座っていた。 吹っかけられては店内で暴れてしまうことになるし、隅に居てはまず逃げ場がない。 武官ではない杠が人の目のあるところで手を貸すことも出来ない。

「兄さん、相席でいいかね?」

「あ、悪いが椅子だけを」

店主が空いている席から椅子を持ってくるとそれを受け取ってマツリの横に置く。 もちろん狭くなる。 マツリが少しづれたが殆どくっ付いている状態である。

「混味でいいかね?」

マツリの手元を見ると殆ど食べ終わりかけだ。

「いや、酒をくれ」

「うちのは旨いのに」

「よく知っているさ。 走ってきたから、そうだな、麦酒をくれ」

「あいよー」

杠は官吏の衣装のまま、誰が見てもマツリと杠が知り合いなのは丸分かりである。 隠すこともないし、まるで仕事の話をしているように見せることもできる。

「奴らか?」

マツリは気付いていたようだ、例の五人の顔も知らないのに。

「ほい、良く冷えてるぜ」

腰高の壁の向こうから店主が麦酒を置いた。

「ああ、有難う」

杠が一口吞み「うん、旨い、良く冷えてる」それを聞くと機嫌よさそうに店主が奥に入って行った。
その様子を見送った杠がすかさず享沙から聞いてきたことを話す。

「十四人か・・・一斉にかかって来られてはどうにもいかんな」

「まず店内は困ります、己に加勢は出来ません。 それに少なくとも奴ら五人は壊したものの弁償は出来ません。 マツリ様が襲われたと言ってもマツリ様に知らぬふりは出来ないでしょう」

弁償の全額がマツリにかかってくると言っているのだ。
マツリが眉を上げる。

「なんだか依庚と話しているようだな」

杠が麦酒を吞み干す。 マツリももう食べ終わっている。

「とにかく出ます」

「尻尾を巻くようだな」

立ち上がった杠が肩で息を吐く。

「出ていただきます。 店主、ここに置いておく。 釣りは要らん」

マツリの分と二人分の代金を置いた。

「あいよー」

杠の様子を見ていた男達。 汗みずくでやって来てなにやら急いでいる様子だ。 下手をすると武官でも来るのだろうかとボソボソ話している。
武官は二交代制で、この時間あたりから朝の武官たちが夜の武官たちと交代になる。 それを懸念したのかもしれない。
下手な懸念が助け舟となった。

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辰刻の雫 ~蒼い月~  第147回

2023年03月06日 20時08分55秒 | 小説
『辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~』 目次


『辰刻の雫 ~蒼い月~』 第1回から第140回までの目次は以下の 『辰刻の雫 ~蒼い月~』リンクページ からお願いいたします。


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辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~  第147回



酒を一口入れると、どういう形で亡くなったかを話した。

「紫は父御と母御を殺したのは己だと言って己は誰かと幸せになってはいけない、そう言っておった」

マツリが杠の表情を確かめる。

「心に刃を持っていたならそうかもしれん。 だが紫はそうではない。 だから殺してなどいない、我はそう言った」

硬い表情をした杠が視線を下げる。

「杠もそう思わんか?」

静かな時が流れる。 杠から返事が返って来ない。

―――訊こう。

「六都のことが終わったらと言っておったが・・・。 杠も紫と同じように思っておるのか?」

一旦口を引き結んだと思ったら湯呑の酒を一気に飲み干す。 そして手酌ですぐに注ぐ。

「だから奥をとらんというのか?」

まるで呑むことで是と言っているようにまた一気に飲み干した。 そしてまた注ぐ。 まるで次の返事の用意をするかのように。

「言っておったではないか。 父御も母御も杠を助けるた―――」

「紫揺とは! 紫揺とは違います・・・。 己は己の軽率さでお父とお母を死に追いやった」

―――やはりそうだったか。

「だから紫と同じように考えるか。 己が誰かと幸せになってはいけないと」

また一気に吞み干した杠がそのまま湯呑を握りしめる。

「父御も母御も杠を助けるために川の流れに入った。 そして父御が杠を助けただろう。 そう言っておったであろう。 父御と母御から貰った大切な命、それを大切に出来んでどうする。 今の杠のように生まれた子に父似である、母似である、と考えさせてやらんか?」

「・・・」

「紫は乗り越えた。 杠も乗り越えてくれ。 我からの頼みだ」

マツリが酒を注いでやる。


ほどなくして好々爺が三人と厳めしい顔をして働き盛りが終わったがまだまだ現役として働けるような男が四人、四方からの推薦状を持って六都官所にやって来た。
百足に関しては四方の仕事は早いようだ。 いや、もしかしてマツリに言われたことを気にしていたのかもしれない。 『父上にしては遅い仕事で御座いますね』 柳技がいた郡司のことでの話であった。

「四方様から?」

推薦状を検める。 間違いなく四方の印が入っているし、マツリからこういう者たちが来るかもしれないと事前に聞いている。

「すぐにマツリ様をお呼びしてくる。 待っておれ」

そう言い置いて文官が出て行くとマツリより先に戻ってきたのは帆坂だった。 丁度、三つ目の学び舎での教えを終わったところで官所に戻ってきた時に、今出て行った文官から話を聞いたのだった。

「ああ、あなた方ですね。 ここはちょっと狭いので皆さんこちらに」

文官所長の部屋へと入れる。 マツリの許可を得ていないがマツリがいればこうしただろう。 早いか遅いかの違いだけであるし、部屋には長椅子もある。 全員が座ることが出来る。

「私は帆坂と申します。 いま小さな子たちに道義を教えております。 十の歳以上の子たちには武官が教えております。 その歳になりますと少々口もたちますし手や足も出てきますので。 ご存知でしょうが、この六都ではまともに子たちが育ちません。 それをマツリ様が変えられようとされてこのようなことをしておりますが、四方様からの推薦状を持って来られたということ、四方様からはご説明がありましたでしょうか?」

好々爺の一人が頷きながら口を開いた。

「そのようにお聞きしております」

好々爺らしく緩く頭を下げる。

「物騒な六都で生活をしなければいけませんが、それでもよろしいでしょうか?」

「なあに、どれだけ暴れられようと我らから見ればどれも小童(こわっぱ)。 知れております」

厳めしい顔つきの男が言った。 この男からすれば己より年下は全て小童なのだろう。

「そうですか。 四方様からのご推薦とあれば道義も心得ていらっしゃることでしょうし、何の心配も―――」

まで帆坂が言うと、開けられたままの戸からマツリが入ってきた。
七人で二つの長椅子に腰かけていて帆坂が立っていた。 文官所長の椅子に座り七人を見渡すとマツリの注文通りの顔が並んでいる。 好々爺もまだまだ現役で行けるのだろうが、その覇気を完全に消している。

「ああ、マツリ様、四方様からの―――」

「推薦状があったのだから文官からの文句はないであろう」

「文句などと・・・」

「依庚(えこう)は言いたげだったが?」

その釘を刺してくれた依庚、三人だったら都庫から給金が出ると言っていた。 最初はそのつもりだったが、四方と話していて思わぬ伏兵を見つけてしまった。
七人でもいけるか、と聞いたところ、かなり渋った目をしていたが『いつまでも武官をあんな風に使うわけにはいかん。 それにあの武官たちは宮都の武官』 と言うと、しぶしぶ了解した。
七人に増えてしまったが、依庚が金管理をしている間は都庫は安全だろう。

「外は寒い。 遠路来てくれた皆に茶を出してくれ」

はい、と返事をすると今度は戸を閉めて出て行った。
マツリが全員を見渡す。

「無理を頼んだ」

「いえいえ、そろそろ退屈になってきておりましたから」

好々爺の一人が答える。

「強面を揃えるようと聞かされて、己が村長から指名された時には魂消ましたが」

「何を言っておる、充分じゃないか」

「お主もな」

強面四人がそれぞれに言っているが、誰をとってもまだ現役でいけるはず。

「退いたところか?」

「いいえ、そこそこ経ちます。 若い頃ほどは動けませんので」

「ま・・・それはそうであろうが」

マツリも若い頃のように無理もきかなくなってきていれば、疲れが取れるのにも時がかかる。 百足ともなれば陰で動かなければいけないのだから、少しでも体を重く感じる時があればその時が退き時なのかもしれない。

「下手を踏むのが一番まずいので」

地下での百足を思い出す。 どんなに拷問をかけられようが四方のことは言わないだろうし、もちろん百足の存在も言わなかっただろうが、百足の在り方からするとその存在が見られることほどマズいものは無い。

「それぞれは見知らぬ者同士、四方様のところで初めて顔を合わせたということにしております」

「承知した」

「先ほどの帆坂殿と申されましたか。 あのお方は・・・何と言いましょうか」

己らは民であり帆坂は官吏だ。 マツリを呼びに行くと先に出て行った文官のような態度が当たり前。 それに対して帆坂はそうではなかった。 丁寧な言葉使いで説明をしていた。 それに『ここは狭いので』 と言ったが、完全に好々爺を座らせる為だということが分かった、と好々爺の一人が言うのを聞いてマツリが頷いた。

「帆坂はそういう者です。 今は帆坂と帆坂の弟が幼子たちを見ておりますが、帆坂には退いてもらって文官の仕事に戻ってもらいます。 弟は官吏ではありませんが、帆坂とよく似て心根の優しい者です。 子たちもよく懐いております」

随分と年上になる好々爺に “おる” ではなく “ます” と話す。
好々爺たちが互いを見て、うんうん、と何度か頷いている。

「帆坂殿の道義を聞きたいのですが? 弟御の道義も」

「ああ、それなら我らも。 武官殿の様子を見聞きしたいものです」

さっき帆坂が言っていた言葉が気にかかる。 口達者もあるが手や足も出ると言っていた。 それをどういう形で武官が抑えているのかを知りたい。
マツリが眉を上げる。 さすがに百足だと思った。

―――根から探る。

そこに帆坂が茶を盆にのせて入ってきた。 まずはマツリの前に茶を置き、座っている一人づつの前に茶を置く。
官吏が民に。
有り得ない事である。
だがそれを意に介さず手を動かしている。

「それでは明日、帆坂と弟の道義を見てもらおう。 武官はそれぞれだが・・・四手に分かれて見るか」

帆坂が居る、いつもの言葉に戻す。
強面の四人が頷いた。

「長屋でよいな、こちらで確保しておく」

「有難う存じます」

代表して好々爺が頭を下げた。


武官を四人、宮都に返さなければいけない。 だが少し、もう少し借りよう。 四方からの催促がないのだから。

「牢に入れている二人の咎人を杉山に通わせる。 ついてくれ」

柳技をボコボコにした二人。 今はまだ杉山には雪が降り積もっている。 今が一番ひどいだろう。 牢を出てからは雪の積もりはさほどでもないが寒さが堪えるだろう。

武官は四人いるがさすがの武官でも連日ではきついはず。 二人づつの一日交代制にして一日目はマツリも同行した。
二人は杉山に辿り着くだけで息が上がり足も動かない状態。 それを武官が無理矢理に立たせて手に斧を持たせる。 振り上げる力などは残っていない。 一本の木も倒さず、その状態でまた歩いて牢に帰る。
それが五日続いた。

「よう、金河」

今日は汁物と二品あるおかずを前に、夕餉の白飯を口に入れた巴央に隣に座る男が囁いた。

「なんだ」

「通ってきてる奴らだけどな」

巴央が男を見る。

「ここに泊まらせねーか?」

「アイツ等は咎でここに来てんだ、給金もねー。 オレらの給金で食わせる筋合いなんてねーだろー」

「アイツ等が懐を温めてたのを取りゃいい話じゃねーか」

巴央が眉間に皺を寄せる。

「何を考えてる」

「いや・・・息絶え絶えになってるアイツ等を見てるのもなんだしよー」

「それなりのことをしたからだろ」

男が巴央を横目に見た。

「お前って冷たいのな」

「悪かったな」

咎人が連れてこられると、どのような罪状だったのかを最初に武官から聞かされる。 さすがに武官も柳技の名を出すことは無いがマツリから聞いていた。

『かなりやられておったらしい。 柳技でなければどうなっておったか分からん。 加減を知らぬ、目を離さないでくれ』と。
アイツ等は柳技を痛めつけたのだ。 報復だ、あの二人を痛めつける。 徹底的に。 だがこの報告は京也にしなくてはいけない。 胸糞悪い話だが。

「ああ、オレも聞いた。 そいつとは違う奴からな」

巴央が顔を歪める。

「金河、オレも弦月の仕返しはしたい。 アイツ等の身体を痛めつけたい。 身体だけではない、心身ともにだ。 徹底邸に潰し落としたい。 だがそれはオレらの我儘だ」

巴央が下げていた顔を上げる。

「今を乗り越えねば弦月はずっと誰かに殴られる。 弦月だけじゃない。 淡月も朧も」

「なんのこった?」

「六都を変えねばならん、力のないものは六都に喰われる。 喰うだけだった六都だ、その六都に住むヤツが情けをかけた。 これは良い方に傾いてきたってことだろう?」

マツリが望んでいたことだろう。
巴央が更に顔を歪めた。

翌日の朝餉後、見張りをしている武官の目がある中、京也が全員に話した。 通いの二人に懐を温めていた金があるのなら、それを飯代として文官所に収めさせ、この宿所に泊めないかと、そんな声が上がっているがどうだ? と。

「懐を温めてるもんなんてねーだろ」

「ああ、宵の金なんて持たねーよ」

「じゃあ、この話は無かった事でいいな」

「そんなこと言ってねーだろが、出世払いだ」

「ああ、咎が終わったら給金が出るだろう。 そっから差っ引きゃいい」

「あいつらが働くと思うか?」

「縛ってでも働かせるさ。 逃がしゃしねー」

「ああ、出世払いを逃がすもんか。 こっちに皺が寄せられる」

口も内容も悪いが、あの二人のことを思ってのことだ。 この男達も通うしんどさを知っている。 だがそれでもあの時には雪など無かった。 今の方がよほど体力がいるだろう。

「お優しいこって。 反対は?」

京也が見まわすが反対の声は上がりそうもない。

「ってこって武官殿、オレたちの考えはこうだって文官所にそう伝えてくれ」

新人の九人はそっぽを向いている。 まだ他人の心配が出来るほど体力はついていない。 どちらかと言えばこんな話をする間にも寝ていたいと考えるが、ぼおっとする頭の片隅でつくづく咎人にならなくて良かったと考えていた。

その後、咎人を連れてきた武官と、京也が話しかけた武官が話をしている姿が見られた。
翌日には雪の中を布団を背負って武官に見張られながら、二人の咎人が牢を出て行った。
咎人を見送ったマツリと杠。

「良い傾向で御座います」

「ああ、この輪が大きくなってくれるとよいのだが」


好々爺三人と強面の四人がすでに動き出していた。
好々爺の三人はその歳からにじみ出る優しさと笑顔で子供たちに慕われた。 強面の四人は、武官顔負けの威圧で一言の反論も言わせず抑え込んでいる。 それが意外な所でその威圧に憧れる子供も出だした。 そして面白い展開も出てきた。

「体術を?」

巡回をしていたマツリの元に強面の百足の一人がやって来た。

「はい、我ら四人が呑み屋で絡まれているヤツを助けましたら、是非とも教えて欲しいということで、それを聞いた他の者たちも」

「・・・そやつらは体術を如何様に使おうとしておるのか」

「護身以外は使わないと言っておりますし、護身以外は教えません。 とは言ってもひとりでに、そこから先に進んでいってはしまうでしょうが」

護身とは言え、力をつけ身体を柔軟にさせるのだ。 いつでも攻撃に転ずることが出来る。

「まぁ、我らの目を信じて下さい。 滅多なヤツには教えません」

そういうことか。
学び舎は空いている時間が多い。 一日に幼子と十歳以上の子を教える二回しか使われないのだから。

「では許可しよう。 だがくれぐれも相手を選ぶよう頼む」

「お任せください」

去って行く百足の後姿を見ると何やら楽しんでいるような気がする。 まだ好々爺たちと違って体力が有り余っているのだろう。
あとは火付けの咎人をどうするか。 簡単に杉山には送れないと思っていた。 杉山にいる連中が何をするか分からなかったからだが、いつまでもただ飯を食わしておく謂れなどない。
四人の武官がいるうちにということもあるし、今の雪の状態での方が咎人も逃げられないだろう。 七人という人数を考えると、縄で全員を繋いで縛れば簡単に逃げられまい。 それに初日だけでクタクタになるはず。

前回と同じように初日はマツリと武官二人で見張りあとは交代制で十分か。 先の二人の様子から杉山に居る時間も少ない。 杉山の連中が手出しできる間もないだろう。 あったとして見張の武官の目から隠れて数回蹴られる程度だろうし、それくらいの仕返しくらいさせてやろう。

「そう言えば、あれから咎人が出んな。 ・・・いやまた暖かくなってきたらウジのように出てくるか・・・」

気が遠くなる。
明日から咎人を杉山に向かわせる為、官所に足を向けた。


三の月の満の月がやってきた。
夕刻前、東の領土の祭に飛び立った。 東の領土を飛び回りいつもの所に降り立つ。
マツリがやって来たというのに紫揺は現れなかった。

「すぐにお呼びしてまいります」

「かまわん。 祭を楽しませてやってくれ」

どうしたものかと秋我が領主を見るが領主が首を縦に振った。
その領主、未だにマツリと紫揺が婚姻するなどと信じられなかった。

あの時マツリだけが領主の家に来てそう言った。 マツリの一方的な想いだろうかと、あとで紫揺に訊ねてみると紫揺も頷いていた。
そしてマツリからは宮に向かえるのではなく、紫揺は東の領土に居る、安心するようにと言われていた。 それにも紫揺は頷いていた。
翌日、領主がお付きたちにマツリから聞かされた話を言うと此之葉が塔弥を見た。

『塔弥、マツリ様が塔弥に謝っておられたけど、どういうこと?』

此之葉が言うと全員が塔弥を見た。 そこで塔弥の知っていることを全て話した。

『そんなに前から・・・』

阿秀が顔の半分を掌で覆い、領主にしても秋我にしても紫揺がどうしてマツリを殴ったのかを知って、何とも言えない顔をしていた。

『マツリ様が領主に何も言われておられないのに、俺から言うわけにはいきませんでしたから。 その、お付きとしてしてはいけないことをしました。 すみませんでした』

紫揺のことは何でも共有しなければいけないのだから。

塔弥がマツリと話した切っ掛け、それは額の煌輪であった。 額の煌輪から紫赫が出た、その時の詳しい事をマツリが聞くために、唯一最初からの目撃者である塔弥を馬車に入れたことから始まっている。
塔弥は紫揺のことをよく分かっている、紫揺が塔弥に心を開いているとは誰もが知っていることだった。
塔弥が唯一の目撃者というのも偶然ではなく塔弥だからだったのだろう。 塔弥が居なければ誰も見ていなかっただろう。 そうなれば紫揺の様子が分からなかったかもしれない。
塔弥がお付きの立場としてのことで謝ったが、誰もそれを責める気にはなれなかった。 もちろん此之葉ですらも。

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辰刻の雫 ~蒼い月~  第146回

2023年03月03日 20時50分29秒 | 小説
『辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~』 目次


『辰刻の雫 ~蒼い月~』 第1回から第140回までの目次は以下の 『辰刻の雫 ~蒼い月~』リンクページ からお願いいたします。


     『辰刻の雫 ~蒼い月~』 リンクページ




                                  




辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~  第146回



閉められた襖を見ていた紫揺が睨みつけるようにマツリに視線を転じる。

「なんなのよ」

来てほしくなかったのに、どうして来たのか。
挑戦的に紫揺が言う。 その言葉を受けながら座卓を挟んで紫揺の前に座り、その上に四つの包みを置いた。

「母上の従者、元姉上の従者、彩楓たち、姉上の従者。 またみんな菓子だろう。 夕餉前だ、明日にでも食べればよい。 先刻の菓子の味はどうだったかと訊かれたが?」

「う・・・うん、みんな美味しかった。 そっか、お遣いに来たんだ」

挑戦的な態度はどこへやら、いそいそと袋を開けだし始める。 途端、甘い香りが漂う。

「順位をつけろと言われたが?」

紫揺が菓子を一つ取り出して口に入れる。
夕餉前だと言ったのに、明日食べればいいと言ったのを聞いていなかったのか、とマツリの眉が寄せられる。
美味しそうに食べながら考える様子を見せたかと思うと、ゴクリと飲み込む。

「・・・みんなが一番。 甲乙なんて付けられない。 どれも美味しかった」

また袋の中に手を入れようとしかけたのをマツリが咎めるような目で見るが、そんな事など気にする様子も見せずもう一つを袋の中から出すと口に入れる。 その姿を見てマツリが袋を取り上げ解いてあった紐で袋を括った。

「なにするのよ。 お菓子も受け取ったし、甲乙つけられないって言ったでしょ。 お遣いはもう終わりでしょ。 帰って」

どうして菓子を持ってくるため、順位を聞くためにわざわざキョウゲンを飛ばしてまでここに来ると思うのか。
マツリの呆れたような目に紫揺が反感を覚える。

「なによ」

「ほう、我の腕の中で眠ったことを忘れたか?」

胸糞悪いことを言ってくれる。 迂闊にもいつしか眠ったようだったが、その前を忘れてはいない。 マツリもそのことを言っているのだろう。
何か月も前の話なのに、しつこく覚えているものだ。

「言ったけど・・・」

両親のことを言ったけど、思わず言ってしまったけど。

「マツリには関係のない話だから」

マツリが両の眉を上げる。

「では? 紫が我に向けて言った、想い人と一緒に幸せになってはいけない、と言ったのはどういうことか?」

それは両親のこと。 想い合っていた両親の想いを切ったのは自分だから。 両親を殺したのは自分だから。 そんな自分が誰かと一緒に、好きな人と一緒に暮らすことなんて許されない。
だから言った。 マツリとは一緒にいられない。 お願いだから実力行使とかやめて、と。
あの時、熱くなりすぎていたようだ。 要らないことを言ってしまった。 どう言い返したらいいのだろうか。

「我のことを想っておるから、我と一緒には居れんと言ったのだろう?」

「う、自惚れないでよっ」

マツリが笑み頬杖をついた。 大体いつもは背筋を伸ばして話しているのに珍しいことだ。

「今から領主に紫を我の奥にすると言いに行く」

「なっ! 勝手にそんなこと!」

「勝手ではない。 だから先に紫の所に来たのではないか。 それで? 紫はどちらを選ぶ。 我の奥になっても東の領土に居るのか、本領でずっと我の隣にいるのか」

「だからっ! だから言ったじゃない! 実力行使とか止めてって! それにマツリとは一緒にいられないって!」

葉月のように襖に耳をくっ付けているわけではないが、紫揺の大声は襖の向こうに座る此之葉にも聞こえてきた。
喧嘩が始まるかもしれない。 それに今の紫揺の言った言葉の意味はどういうことだろうか。 塔弥なら何か知っているかもしれないが座を外すことなど出来ない。

「ずっとそうやって己を誤魔化すのか? 想いもしていない相手を領主の前に差し出すのか?」

「想いもしていないなんて、どうしてマツリに分かるのよ!」

「当たり前だ。 お前の考えは透けて見えると言ったであろう」

慌てて頭を手で覆う。

「そういうことではないと言ったであろうが・・・」

ほとんど溜息交じりに言っている。

「わ、分かってるわよ」

本当に分かっているのだろうか、まだ見られまいとその手を下ろしていない。

「紫が我以外の誰を想う」

「だからっ! それが自惚れって言ってるの!」

「・・・いい加減押し倒すぞ」

頬杖から顔を横に向け、ぼそりと聞こえた言葉がなにやら剣呑に聞こえたが、はっきりと聞くことが出来なかった。

「え?」

「まぁ、いい。 そうか、分かった。 では本領の力を使うまで」

立ち上がったマツリを紫揺が止める。

「待ちなさいよ!」

本領の力、それは実力行使ということ。 襖から出させる気はない。 領主の所に行かせるわけにはいかない、襖の前に立ちはだかる。

「待ったら? 何がどう変わる?」

精神的にも肉体的にも見下されてるのが腹立つ。 だからと言って腰を曲げて目の高さを合わせるようにされたくない。 そんなことをされたら精神的に負けるだろう。
顔を上げマツリを睨み据えていたが、ふっと顔を前に向けた。 マツリの鳩尾(みぞおち)辺りがそこにある。

「・・・マツリに、マツリの身長にあった人を探せばいいでしょ。 必要以上に背が低い私を選ばなくてもいいじゃない」

「ああ、そうだな」

マツリが一瞬屈むと手を伸ばし紫揺の腰に巻き付けた。 次の瞬間には紫揺の足がふわりと浮いた。

「だがこうすれば同じ高さになる」

「なっ!」

手のやり場に困ると考えた時には、ついうっかり既にマツリの肩あたりを握っていた。

「他には」

「・・・もっと落ち着いてて綺麗で身体のふっくらした人がいいんでしょ」

マツリが言ったことをしっかりと覚えているようだ。 気にしていたのだろうか。

「良いとは言っておらん。 紫がそうではないと言っただけだ」

真っ直ぐに目を合わせるマツリ。 自分から視線をそらせたくない。 そんな事をしたら負けを認めてしまいそうだから。 なのにもうこれ以上は見ていられない。 顔を俯けた。

「マツリ・・・本領の領主になるんでしょ、もっと澪引様やシキ様みたいにちゃんとした人見つけなさいよ」

「紫はちゃんとしていないと言うのか?」

「欄干に座るし木にも上りたい。 そんなこと本領領主の奥がしていいことじゃないでしょ」

「よく分かっておるな。 だがしたければこの東の領土ですればよい」

お付きたちが聞いていたら、千切れるほどに首を左右に振っただろう。

「しつこい人は嫌い」

「ああ、我もだ。 しつこいのは性質が悪い。 だが紫が我を嫌いになどなるものか」

「髪の毛なんて伸ばす気はない」

ちょいちょい、マツリが言ったことを挟んでくる。 やはりかなり気にしていたのだろうか。 それとも・・・。

「我の言ったことをよく覚えておるのだな」

「・・・」

「髪など伸ばさずともよい。 紫が伸ばさぬ分、我が伸ばしておる」

目先を変えるとマツリの銀髪が目の中に映る。 綺麗な一本一本が絹糸のような銀髪。 一度マツリが寝ている間に三つ編みをしたが、スルスルと手から落ちて編みにくかった。

「歌なんて歌ってやんない」

どうやら佳人の意味が分からなく、とうとう本領では歌手を “歌う人” と言うのだと理解したらしい。 “歌人” だと。

「いや・・・歌ってもらわなくてもよいが?」

急に何を言い出すのだろうか。 己はそれらしいことを言っただろうか。
マツリが考える一方で紫揺も頭を巡らせている。
何のことだ? という返事を聞いて失敗したと思った。

(あ、歌手じゃなくて・・・。 歌っていうのは歌うんじゃなくて、俳句が何かだったのかな? あ、じゃなくて和歌だったっけ)

日本の平安の時代を考えると歌は和歌に乗せている。 ふとそれが頭に浮かんだ。
一人百面相をしている紫揺の顔をしばらく見ていたマツリ。
しばしの沈黙が流れた。 その沈黙を先に破ったのはマツリ。 紫揺ほど頭の中はゴチャゴチャしていないのだから。 ましてや頓珍漢に。

「紫、我に心を預けんか?」

百面相が止まった。 マツリの顔を見ないように喉元を見て半分目を伏せている。

「・・・」

「寂しいと言っておったな。 民と分かれるのが。 我は紫に悲しさも寂しさも覚えさせる気はない。 紫が我の奥にならないというなら、リツソに父上の跡を頼むつもりだった。 父上にもそう伝えておる。 我は紫以外の者を奥にする気はないのだからな。 そうなると我には跡がないのだから」

驚いてマツリを見た。 マツリはそこまで腹を決めていたのか? 本領領主の長男なのに。
それにあのリツソが本領を継ぐなどと・・・。

「だが紫が我の奥になってくれるのなら我は本領を継ぐ。 紫は東の領土に居ればよい。 だが我は本領を空けるわけにはいかん」

婿養子ではなく別居のようだ。

「時を作って東の領土に来る。 紫も時が許すのなら本領に来る」

「・・・」

「だがそれも叶うか叶わないかは分からん。 一番に肝要なことが抜けておる。 紫が我のことをどう想っておるかだ」

まだ聞いていない。 本領の力など使うつもりはない。 その必要などないのだから。

「もう一度訊く。 我に心を預けんか? その心、我は大切にする」

「・・・嫌いじゃないって言った」

「聞いた。 だがその程度で婚姻は出来ん」

「マツリが居なくて寂しいって言った」

「あの時は母上だけしか居られなかったからかもしれん」

「・・・なんでそんな意地悪言うの」

「虐めたつもりはない。 では何と言えばよい」

紫揺が頭を下げる。

「・・・マツリ、は、寂しくないの」

別居が。

「寂しいに決まっておる。 今も、今までもそうだ」

「・・・四方様に逆らうことにもなる」

「我は紫が手に持ちたいものを取り上げる気など無い。 それだけだ」

「・・・ここに居ていいの? 宮に行かなくていいの?」

自分が。

「父上が何と仰ろうと押し通す」

「・・・杠が、私が疑問に思ったことをなんでも答えてくれる人、教えてくれる人って言ってた」

「ああ」

本領からの帰りの洞で紫揺から聞かされている。

「マツリはいっつも答えてくれる。 教えてくれる。 力の事も亀のことも」

「杠の目には、かなっているということか」

紫揺が首を振る。
どういうことかとマツリが首を傾げる。

「・・・いつからだろ。 いつからこんなにマツリのことを好きになってたんだろ。 ・・・腹立つ」

どうして腹を立てねばいけないのか・・・。
だが今そんなことはどうでもいい。 今、紫揺は好きと言った。 本領でも他の領土でも幼子が使う言葉で “想っている” ということを言ったのだ。

「・・・誰かと幸せになってもいいの・・・?」

マツリは言った。 殺すというのは心に刃(やいば)を持つこと。 それを別の形に変えて命を絶つことと。
自分は両親に刃を向けたことなどない。 持ったこともない。

「誰かではない、我だ」

紫揺が僅かに頷いた。
片手を紫揺の背中に回す。 そして抱き寄せた。
耳元でマツリが言う。

「我の奥になってくれるか?」

「・・・うん」

宙ぶらりんになっている足。 まるで大きなぬいぐるみを抱きかかえているようだった。


領主たちに見送られてマツリが飛び去って行った。
領主がまだ呆然としている。
『今すぐということではない』 とマツリは言っていたが、明日でも百年先でも有り得ないだろう。 どこをどうしたら、あの二人が結びつくのか。

領主の家に行く前、紫揺の部屋から出てきたマツリが座していた塔弥の姿を捉えた。
此之葉が外に座しているのを塔弥が見かけたからだった。 どうして此之葉が外に座しているのか、その理由は一つしか考えられない。 葉月を呼ぼうかとも考えたが、沈んだ顔の此之葉のことを考えると呼べるものではなかった。 ただ己も座することしか出来なかった。

『塔弥、長い間すまなかったな』

何のことだろうかと、此之葉が塔弥を見ている。

『今から領主に言ってくる』

『有難うございます』

そう言って手をついて額が床にあたるほどに頭を下げた。
馬車の中で東の領土から紫揺を取り上げることは無いとマツリは言っていた。 矛盾は己が一人で感じているだけ。 マツリには矛盾などないはず。



酒杯がチンと音を鳴らした。 酒杯と言っても湯呑。 湯呑での祝杯だ。

「これで己も落ち着きました」

クイっと祝杯を飲み干して手酌で注ぐ。 かなり機嫌がよさそうだ。

「どうして杠が落ち着かねばならん」

「これでも一日も早くマツリ様を紫揺の元に行っていただくため四苦八苦していたのですよ?」

湯呑を口に当て、ん? という声と目を杠に送ってきた。

「あの大店の愚息を黙らすにはどうしたらいいか、とか」

「なんだ? 大店の悪事を暴くために調べていたのではないのか?」

「いえいえ。 まずはあの愚息を黙らせようと画策しておりましたら、あの様な駒がでてきたということでして」

マツリも一気に飲むと杠がすぐに酒を注ぐ。
杠のことだ、文官所に居る間に色んな報告書を見て頭に入れていたのだろう。 愚息のことが無くても文官所から出て店の様子を見ただけで駒を見つけただろう。
六都のことが終われば杠とゆっくり話したいと言っていた。 それは紫揺が言っていた両親のことと同じ話をするつもりだった。
心に刃も何も持っていなかったのに自分を責め続けていた紫揺。 杠もそうなのではないか。 それを訊くつもりだった。 だったと言っても過去形ではない、今でも思っている。

「マツリ様? どうかされましたか?」

だが六都のことがいつ終わるのだろうか。 今訊いてもいいのだろうか。

「あの女人だが・・・あの者はどうするつもりだ?」

「どうすると言われましても、特には」

「あの様な者が他にも居る・・・と言っておったな?」

「はい・・・。 どうされました?」

いや、今はやめておこう。

「あれ程の女人が何人も杠の周りにいるのかと思ってな、杠は女人の容姿にこだわるようだな」

はっきり言って面食い、ナイスバディ好みだな、と言っている。

「ははは、何を仰られるのかと思ったら。 それはそうでしょう、出るところは出て絞るところは絞られている。 容貌も美しい方が良いでしょう。 まぁ、第一は口が堅いことですが」

「・・・悪かったな。 あんなで」

拭きやすい胸で。

「紫揺は別です」

クイっとまた一気に呑むのを見ていたマツリが今度は注いでやる。

「あー、でもそうか・・・」

そうかそうか、と言って頬を緩め目尻を下げながら何度も頷いている。 まるで本当の兄ように妹の幸せをかみしめている様だ。
杠は紫揺が同じような立場にあったことを知っているのだろうか。 知っているからこそ、紫揺がマツリと一緒になるというのを喜んでいるのだろうか。 いや、それ以前に日本に居たことも知っているのだろうか。
もし今、杠に訊いて紫揺が日本に居たことを言っていなかったら、誤魔化しようがない。 この事は紫揺に訊く方がいいだろう。

「そんなに嬉しいか?」

「ええ、我が大切な妹が己の信ずる方の奥となるのです。 これ以上の幸せは御座いません」

「信ずる方とは・・・尻がむず痒いな」

「何を仰います、己の忠心は今までもこれからもマツリ様にのみ」

「それは有難いことだが、何度も言うが、我は杠に幸せになってもらいたい、それを忘れないでくれよ」

マツリが言うのを聞き口の端を上げると、クイっと一息に吞んだ。
いつも思うことだが杠はどれだけ呑めるのだろうか。 いつもどれ程呑んでも酔う素振りが無いし、翌朝も何事もなかったようにしている。

「杠はどれ程呑めるのだ?」

杠の湯呑に注いでやる。

「さぁ・・・どれ程でしょうか。 ですが酒に呑まれたことは無いでしょうか」

「何処で鍛えたんだ?」

十五の歳にマツリのところにやって来た。 それまでにあの里親の元で呑んでいるはずなどないだろうし、マツリのところにやって来てからは勉学と鍛練をしていた。 そしてその後はあちこちに出向いていた。 酒など鍛える間などなかったはず。

「鍛えたつもりはありません。 ・・・生まれつきでしょうか」

ああ、と納得がいった。

「羨ましいことだ」

「マツリ様は?」

「父上に似れば杠を羨むことは無かったのだがな、どうも我は何もかも母上に似たようだ。 最初など匂いだけで酔っておった。 お蔭で父上に鍛えられた。 あれは鍛練より苦しかったか・・・」

杠が面白そうに笑っている。 生まれつき呑める者からすれば笑える話なのだろうか。

「父上はお婆様に似たらしくよくお呑みになる、お爺様は呑めないのだがな。 ふむ、我が家系は男は母上に似るのかも知れんのかな。 リツソも呑めそうにないが・・・あ、あれは見た目は父上に似ておるか」

「見た目ですとシキ様とマツリ様がお方様に似ておられますか。 ああ、でもお目は四方様に似ておられますか」

澪引の丸い目はリツソ一人が似たようだ。 そしてシキとマツリは目だけは四方に似たようである。 それがあってか、紫揺からは澪引がシキの妹のように見えるのかもしれない。

「ああそうだな、目だけは父上に似たか」

そのようで、と言いながら軽く頷くと続ける。

「リツソ様は・・・吞みはされましょうが呑まれるやもしれませんでしょうか」

「その姿が目に浮かぶわ」

クックっと喉の奥で笑って湯呑に口をつける。

「我はおとと(父)か、おかか(母)のどちらの血を引いたのでしょうか」

どこを見ることなく、まだ幼子が父と母を呼ぶ言い方をしてポツリと言った。 あの日と同じ呼び方で。

「・・・杠」

宙を見ていたような目をマツリに戻した。

「紫の父御と母御が亡くなっておられるのを知っておるか?」

え? と言った杠の目が険しくなった。

―――知らなかったか。

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