大福 りす の 隠れ家

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虚空の辰刻(とき)  第117回

2020年01月31日 20時18分21秒 | 小説
『虚空の辰刻(とき)』 目次


『虚空の辰刻(とき)』 第1回から第110回までの目次は以下の 『虚空の辰刻(とき)』リンクページ からお願いいたします。


     『虚空の辰刻(とき)』 リンクページ




                                      



- 虚空の辰刻(とき)-  第117回



ザァァァー。
頭上高くから引力に逆らうことなく大量の水が落ちてくる。
その下には頭からそれを受けるマツリの姿がある。

どれ程の時が過ぎただろうか。 脱ぎ捨てられた狩衣(かりぎぬ)に似た衣の脇にキョウゲンが居る。

「少しは落ち着かれたか・・・」

マツリの気を受け取る。
丸い目を閉じた。

あの時、ロセイから聞いた話。
マツリの先導で北の領主にシキが会いに行った日。

『ロセイ、ここで待っていてちょうだい』 シキがそう言い、キョウゲンもロセイと共に主を待っていた時ロセイが唐突に言った。

『シキ様は波葉(なみは)様と夫婦(めおと)になられる』

滅多にない供同士の情報交換であった。

『・・・そうか』

『マツリ様をどうする?』

ロセイがそういう訊き方をするという事は、マツリの気持ちをシキが分かっているという事だ。

『・・・』

『シキ様はマツリ様のことを案じておられる』

『・・・シキ様はマツリ様のことをどうお考えなのか』

『マツリ様がシキ様のことを大切に想っておられることには、これ程ない嬉しさを感じておられる。 だが波葉様への想いは別だ』

―――別?
別とはどういうことだ? そう訊きたかった。 だが訊けなかった。
キョウゲンはマツリと感応している。 マツリの知らない想いはキョウゲンも知らない。 だが随分と前にマツリから新しい感情が流れてきていた。 しかし残念ながら当のマツリには自覚が無いため、真っ当に整理された感情をキョウゲンが受けることが出来なかったからだ。

『どうした?』

『いや・・・。 今はマツリ様のお気持ちが錯綜しておられる。 マツリ様が整理のつかない状態だ。 そこにシキ様のことが加われば―――』

『目にも当てられないという事か?』

『そうなるやもしれん』

『・・・では、シキ様の言を少しでも長く留めておかれるよう計らう』

『頼む』

そんな会話があったが、とうとうその日が来てしまった。 ロセイが少しでも留めておいてくれた話であったが、結局マツリに何も言えなかった。 言えるはずはなかった。 キョウゲンの知識や感情はマツリから得るもの。 マツリの持つシキへの想いが分かり過ぎた。 それに整理されることなく新しく流れてきていた感情。
キョウゲンにこの先の案は無い。 どうしたものかと首を右に左に何度も360度近く動かすことしか出来なかった。

滝に打たれマツリの心が無になる。 無になるには大層な時が必要となっていた。 シキのことを考えると、そうそう簡単に無になどなれるはずがない。
ずっと、姉上姉上と頭の中で繰り返していた。
美しい姉上。 美しくなくとも、ただただシキはマツリの敬い慕う人であり、守りたい人であった。 誰よりもシキのことを想っていた。
なのに。
姉上が波葉に心を寄せていた? いや、それは何も知らないリツソの言葉だ。 姉上から何を聞いたわけではない。

(俺は・・・俺は何を言ってるんだ・・・)

あの時
『すぐという事ではないの。 北の領土のことが落ち着いて』
その先の言葉を遮った。
『なにをっ!? 何を仰っているのですか!?』
と。

この時にどこかで何かを分かっていた。 だが分かりたくなかった。

だから
『そんなことは訊いておりません! 婚姻とはどういうことですか!?』 そう言った。 そう言う以外になかったから。

なのにリツソが
『兄上、姉上は波葉の奥になりたいと思っておられるのです。 波葉も然りです。 それくらい分かるでしょう?』
そんなことを言った。 リツソの言に腹立てたのに
『リツソったら・・・』 姉上が言った。

(姉上が認めたということだ! 何故! 何時! 何処で! どうして! 姉上と波葉が!)

頭上から落ちる勢いのある水に打たれながら、繰り返しそればかりを考えていた。 だが、滝の持つ力なのか、段々と心を落ち着かせていった。
立位から座位に変えた。

空を見上げる。 陽は天頂を越して随分と傾いてきている。

「随分と長く、ああしておられることになる」

いくら何でもこれ以上は、と思うが、大きくなって、まさか己が主を足で掴むわけにはいかない。

「誰かを呼ぶ以外なさそうか・・・」

と、その時、マツリの身体が揺れた。

「マツリ様・・・?」

立ち上がり一旦顔を上げたかと思うと、顔を下げゆっくりと歩いて来る。
身体はもちろんの事、長い銀色の髪がびっしょりと濡れている。
滝から出てくる前に顔を上げ、その銀の髪を全て後ろに流していたが、下を向いて歩いてきたからだろう、後ろの髪より短い横の髪は落ちてきている。

小袖姿のまま滝に打たれていたマツリが脱いでいた狩衣(かりぎぬ)に手を出そうとした時、横に手拭いが置かれているのが目に入った。 ついでに乾いた小袖も置かれてあった。

「取ってきてくれたのか?」

「はい」

マツリの問いにキョウゲンが応える。
いつものマツリには戻りきっていないが、半日前のマツリより随分と落ち着いた様子だ。

小袖を脱ぐと手拭いで身体を拭く。 一旦手拭いを絞って次に髪を拭く。
乾いた小袖に手を通すといつものように手際よく次々と着ていく。 側仕えなど要らないのがよく分かる。 最後に房の付いた黄緑の丸紐で高い位置に髪の毛を結んだ。

「着替えて北の領土に行く」

北の領土に限らず、領土を回る時には小袖も狩衣も着ない。 皮の上衣と筒履きの下衣に着替える。 マツリだけでなくシキも然りだ。 オマケに言うとリツソもその服を着たことが一度だけある。

「まともにお食事をとっておられません」

見てはいないが、時を考えるに朝食も殆どとっていないだろう。

「半日以上も滝に打たれ、お疲れもあります」

マツリが滝を振り返る。
父上と姉上の会話。 あの時の意味がようやく分かった。

『お前は、お前のことを考えろ』

東の領土からシキが帰ってきた時、報告を聞き終わると父である四方がシキにそう言った。
マツリはシキがお役御免とさせられたかと思った。 シキが視え過ぎるから、これ以上は無理をさせないようにかと。 四方もシキが視え過ぎると言っていたのだから。

だがあの時のシキは顔色一つ変えていなかった。 シキよりマツリの方が顔面蒼白になり、手は震えてしまっていた程だ。
シキがお役御免など有り得ない。 お役御免となる時は使い物にならなくなったという事だ。 決してそんなことは無い。 現にあの後、シキに北の領主を視てもらったのだから。 それであの娘が紫だということが分かったのだから。

だが・・・己は何と浅はかだったのだろうか。
父上はこのことを言っていたのか。

それに翌朝の食事の席でもだ。 澪引がシキの他出を案じていた。 他出ばかりしているシキに、波葉とのことが気になっていたということだ。
目を瞑る。 先程まで見えていた落ちていく大量の水は目の前から無くなった。 あるのはゴウゴウという水音だけ。
ゆっくりと目を開け、顔を戻す。

「北の領主の具合を見に行く」

「・・・御意」

もう何を言っても無駄と諦めた。


洞窟を抜け北の領土の滝の裏に出る。 大きくなったキョウゲンが身体を斜めにしてカーブし、滝にあたらないように飛ぶ。 片膝を曲げ、もう一方の足をだらりと下ろしているマツリが身体の重心を変える。

抜けてきた洞窟は本領と北の領土を繋いではいるが、洞窟の先に本領が在ったり、北の領土が在るわけではない。 いや、在るのだが。

いってみればこの洞窟は異空間を通っている。 本領も東西南北の領土も同じ空間にあるが、簡単に行ける距離ではない。 従ってどの領土に行こうとも、どの領土から戻って来ようとも洞窟を通る。 本領から洞窟の中に入ると途中から四方向に分かれた洞があるが、それは僅かな距離。 そんな僅かな距離で広い領土の四方向に行けるはずはない。

「ホゥホゥ」 とキョウゲンが啼く。

北の領土は本領より暗くなるのが早い。 月こそまだ出ていないが人々は家の中に入っている。 家の中では囲炉裏に火を入れ飯を囲み角灯を灯している。 電気が通っているのは領主の家だけである。

この時刻になるとオオカミ達が民の家に耳を傾け民の会話を聞いている。 そのオオカミたちが声のした方を見た。 意味の分からないマヌケ三匹もつられてその方向を見る。 ついでに言うと、マヌケ三匹はそれぞれバラバラにされ、年長者二匹に挟まれて里に下りてきている。 ハクロの提案だった。

『そんなこと最初にしてるさ。 だがね、いいのか悪いのか、マヌケは三匹とも足が速い。 他の奴らと走っていられないって言うしさ、他の奴らは奴らで、足手まといだって言うんだから、マヌケを組ますしかなかったんだよ』

『だが、それでも一向にいいようにはならなかったのだから、オレのいいようにさせてくれ』

『アンタが責任をとるならね』

そんな会話でその方法と決まった。 今のところ誰からも何の苦情もきていない。

「どうした? フクロウの声なんて珍しくも無いのに」

年長の二匹が山の方を向いている姿にマヌケ一号が声を掛ける。

「静かにしろ」

年長の一匹が声を抑えて言う。

「だから! さっさと教えてくれれば―――」

「馬鹿かお前は!」

もう一匹も声を殺して言う。
オオカミ達の声はどれも人間からしてみれば言葉ではなく、単なる獣の唸り声にしか聞こえない。

カタカタと頭上で蔀窓(しとみまど)が開いた。

年長二匹が慌てて窓の下に入り込み木の壁に身を付ける。 その二匹が目を合わす。 マヌケ一号が居ない。 辺りを見回す。 窓から洩れる薄い明かりが井戸の上を照らしている。 その明かりの下で素知らぬ顔をしたマヌケ一号が、井戸を覗き込もうと今にも井戸の端に手を掛けようとしていた。 二匹の目が大きく見開かれ顔が青ざめていく。 毛は茶色だが。

「ねぇ、父さんってば、飯が出来たってば!」

「あ、ああそうか」

その声がしたと思ったら、カタカタと蔀窓を閉める音がした。

「何か聞こえた気がしたけど、気のせいだったみたいだな」

中からそんな声が聞こえてきた。
年長二匹が腰が抜けたように、その場にへたりこんだ。
ちなみに二号三号も似たようなことをしていた。

キョウゲンの声に呼応するシグロの声が聞こえた。 かなり遠くから聞こえてくる。 声のした方に進行方向を向ける。
いくらか飛ぶともう一度啼いてみる。 暫くするとシグロの声が聞こえた。 近い。 木々のあけている所に立っているだろう。

すこし薄暗い中、白銀の毛を持つハクロなら何とかなるかもしれないが、黄金の毛を持つシグロを探すのはマツリなら困難であろうが、キョウゲンにはそれが可能だ。

キョウゲンが目を凝らす。

「居りました」

一言いうと滑空していく。
ビュッと唸りが聞こえてきそうなほどの速さ。
マツリの足が地についた。

「マツリ様、どうなされました?」

「領主の具合を見にな。 どこに居るか知っておるか?」

「領主の家に帰っております」

「という事は、薬師が運んだということか」

あのままあの場で診ていてもよかったが、不安なら馬車で運んでも差し支えないと言った覚えがある。 そうすれば医者にも診てもらえるからと。

「具合は?」

「民が言うには、医者がずっと付いているようです。 それ以外は特に。 我らはマツリ様からの仰せがない限り、領主の家には聞き耳を立てませんので」

「そうだったな」

「如何為されます」

「ああ、領主が家に帰っているのならば、案内は要らんが・・・。 薬師はどうしておる?」

「薬師でございましたら、今は医者と共に付いておるようです」

「そうか。 それならばよい」

「はい。 北の一番の薬師と言われておりますから」

「一番? それはどういうことだ」

あの薬師はまだそんなことを言われる歳ではないはず。

「どういうことと言われましても・・・。 北の一番の薬師としか言いようがありません」

「それは若い薬師か? ずっと最初から領主を見ていた薬師か?」

「いえ。 そうではなく、若い薬師の・・・師匠とか申しておりました」

「あの若い薬師ではない?」

「その者なら領主を家まで運び、座を北の一番の薬師に譲り家に戻りました」

「譲った?」

「はい。 中心に帰ってきた時に医者が待っておりまして、その後に北の一番の薬師が現れ、入れ替わりに退いたようです」

「そうか」

曲げた人差し指を何度も下唇にこすりつけると唐突に話し出した。

「娘はどうした? 見つかったか?」

「申し訳ありません。 未だに・・・」

四方八方に足を向けているが一向に見つからない。

「ふむ・・・」

瞼を半分伏せ一度離れていた人差し指がまた下唇を捉えた。

「そうだな・・・」

シキでさえ、紫揺の居所が分からないと言っていた。 霞がかかったようだと。 それにこれだけオオカミ達が探して見つからないという。

―――そう言えば。

『本領でその娘をお探しされればいい! どうぞご自由にこの領土をお探しください。 領主として何の文句も言いません』

領主がそう言っていた。 隠していることにかなりの自信があるということだろう。
だがシキの霞がかかったようだというのが一番気になるが・・・。
瞼を上げシグロを見る。

「娘を探すのを一旦止めてくれ」

「は?」

「姉上にさえお分かりになられないようだ」

「シキ様にも?」

「もう少し何かが分かり次第、また頼むやもしれんが、今はここまでとしておいてくれ。 苦労だった」

「はい・・・」

では、というと領主の家に案内は要らないが、と前おいて

「悪いが若い薬師の家に案内してもらえるか」

「・・・御意」

薬師に何用かと訝りながらも駆けだした。

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虚空の辰刻(とき)  第116回

2020年01月27日 21時28分35秒 | 小説
『虚空の辰刻(とき)』 目次


『虚空の辰刻(とき)』 第1回から第110回までの目次は以下の 『虚空の辰刻(とき)』リンクページ からお願いいたします。


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- 虚空の辰刻(とき)-  第116回



そう言えば初めてあった時、ホタルのお尻より大きな光が見えたのだった。 ましてやホタルの光と違う色が。 思い起こせば零れる窓の明かりに紫煙さえ見えていた。

「あ・・・そうなんですね」

今度は春樹の頭がガクンと落ちる。 春樹の気持ちは1000%紫揺に伝わっていないようだ。
心が砕け散り、それでも微塵の欠片を拾う。

「ねぇ、紫揺ちゃんはどうしてここに来るの?」

「ガザンに会いに来てます」

微塵の欠片が手の中で粉となり指の間から落ちて無くなった。

「・・・そうなんだ」

「先輩、タバコを吸うんですね」

「うん。 内緒でね」

「内緒?」

「此処ではタバコを吸わないように言われてるから」

そう言われればムロイもセノギもタバコを吸わない。 いや、吸うかもしれないが見たことは無い。

「部屋で吸うと臭いが付くだろ?」

父親の十郎は煙草を吸わなかったが、シノ機会ではタバコを吸う者が多かった。 だから臭いと言われれば納得が出来る。

「そうですね」

ね、押し付けがましい言い方になっちゃうけど、紫揺ちゃんは船のことで俺に相談してるよね。 なのになんで何日も此処に来なかったの? と言いたいが、そんな一人よがりなことは言えない。 一人よがりどころか、交換条件の恐喝に近い。 なによりも言いたいことは心に置いておくとしても、紫揺は春樹の心など全く分かっていないようだ。
心が打ちひしがれるが、声を改める。

「紫揺ちゃん?」

「はい」

「紫揺ちゃん言ってたよね。 此処から出たいって」

「はい」

「あの時の紫揺ちゃんと今の紫揺ちゃんが全然違うんだけど?」

「え?」

「えって、気付いてない?」

「え? そんなことありません。 此処から出たいと思っています。 でも今はちょっと事情が変わってきて」

「ふーん・・・」

「なんですか?」

「あれ程、此処から出たいと言ってたのに、事情が変わったからって―――」

「先輩! ゴメンナサイ!」

春樹の言葉を最後まで言わせなかった。

「いや、謝られても」

「その時になれば、一番に先輩に頼ると思います。 でも今は・・・事情が・・・」

「・・・分かったよ」

此処に紫揺が来るのはガザンに会いたかっただけの事。 そのついでに自分が居た。 それだけの事。 そして此処から出たい紫揺の手助けをするだけに、過去の友達に連絡をしただけの事。

「先輩?」

「ガザンだっけ? 呼んでるよ。 行ってあげれば?」

友達になり得なかったガザンの唸り声が聞こえた。


「俺は、何なんだろう」

紫揺の後姿を見送った春樹が、窓の下にしゃがみ込んだまま呟くように言う。
紫揺にとって春樹は何なんだろう。 プカリと紫煙を吐く。
さっき自分を言い聞かしたが、到底納得できない。 いや、したくない。
自分は土佐犬のガザンに劣るのか? いや、そんな筈はない。

「紫揺ちゃんがガザンのことをどう思うとも・・・ガザンは此処から紫揺ちゃんを出せないんだからな。 第一、外と繋がろうにも敵はスマホさえ持ってないんだから」

俺は持っている。 いま手の中には無いが部屋に戻ればある。

「仮にガザンがスマホを持っていたとしても・・・爪じゃタップ出来ない・・・ん? 肉球で出来るのか?」

ギュッと眉をしかめた。
しかめること八秒。 勝ち誇ったようにフッと息を吐く。

「タップできたとして・・・スマホを持てない」

掴むことなどできない。
ニヤリと笑う。
勝った!
ガッツポーズを作った握り拳に視線がいく。

「・・・」

自己満足している自分が悲しい。
―――哀れな男の愚劣な言い訳だろうか。
握り拳が落ちた。



「こ! 婚礼の儀―――!?」

いつもは冷静沈着なマツリが四方に対して大声を放った。
家族揃った朝食の席での話であった。
最初にその言葉を発したマツリの父、四方がうるさいと言わんばかりの目をマツリに送り、母親である澪引(みおひ)は驚いた目をマツリに向け、マツリの姉である当のシキははにかんでいる。 そして

「兄上、何を驚かれておいでですか」

弟のリツソは冷ややかな目をマツリに送ってくる。

「当たり前ではございませんか。 と言うより、遅いくらいでしょう」

箸で芋をつまむと口に放り込んだ。
我が弟を睨みつけると次に四方に目を転じた。

「姉上の婚姻などとは! 何も聞いておりません!」

「声を荒立てるな」

うるさいという目をもう一度マツリに送った。
そこにリツソが割って入った。

「聞いていなくとも分かるでしょう」

モグモグと芋を噛みながらゴクリと喉に通した。

「お前っ! 知っていたのかっ!? 聞いていたのかっ!!」

我が弟を睨みつけると次に四方を睨みつけた。 さも、己だけに話さなかったのかという目だ。

「我は何も聞いておりません! どういうことですか!!」

「兄上・・・」

ほとほと呆れたという様(さま)でマツリを見た。

「なんだ!!」

四方から目を移した勢いで髪の毛が勢いよく踊る。
リツソが人差し指を己の耳に差しながら言う。

「何も聞かずとも、姉上を見ていればわかるでしょう」

「はっ!?」

「波葉(なみは)と居る時の姉上です」

シキがポッと頬を桜色に染めた。

「な! 波葉!!?」

「我は何も聞いておりませんが、姉上と波葉が一緒に居る所を見ると明らかでしょう」

「あぁ!? 明らかとは何かっ!!」

とうとうマツリの前で情けない、という意を込めた大きな息を吐いた。

「姉上は波葉が好きということです」

「はぁぁぁーーー!?」

「マツリ・・・いい加減に声を静めろ」

四方の言葉など完全に無視をしてリツソに詰め寄る。

「お前っ!! 何をたわけたことを言っておるのかっ!」

リツソが更にギュッと人差し指を耳に差し込む。

「マツリ・・・」

シキの小さな声がマツリの耳に入った。

「姉上?」

リツソに向けていた今にも怒髪しそうな面(おもて)を変えて隣に座るシキを見る。

「すぐという事ではないの。 北の領土のことが落ち着いて―――」

「なにをっ!? 何を仰っているのですか!?」

「だから今は北の領土のことで―――」

「そんなことは訊いておりません! 婚姻とはどういうことですか!?」

随分と声を抑えて言っているが、いつものシキと話す声音ではない。

「兄上、姉上は波葉の奥になりたいと思っておられるのです。 波葉も然りです。 それくらい分かるでしょう?」

「リツソったら・・・」

更に頬を染めるシキがそれを隠すように両掌で頬を押さえた。

「・・・姉上」

そんなシキの仕草に微笑んだ澪引の横で、コホンと咳ばらいをすると四方がマツリとリツソを見て言った。

「此度の北の領土のこと、東の領土を含むことが落ち着いたなら、シキと波葉の婚礼の儀を執り行う」

澪引とシキが目を合わせる。 シキが嬉しそうに笑みをこぼす。

バン! 箸を叩きつけるように卓に置く音が大きく響いた。

「先に下がらせていただきます」

そう言ったマツリがその場をたった。

「あーあ、兄上はいつまで経っても・・・」

リツソが大人びた口調で言う。


朝食の場を辞したマツリが回廊を踏み壊すようにドンドンと大きな音を立てながら歩く。

「マツリ様いかがなされました?」

誰もがマツリに声を掛ける。

「マツリ様?」

マツリの異様な雰囲気に下男も庭師も小首を傾げる。
いつものマツリなら笑顔こそないが、声を掛けられればそれに応えていた。 だが今はただ前を見てドンドンと音を立てながら歩いているだけである。
誰もが今のマツリの態度に目を見合わせた。

バン! と部屋の襖を閉めた。
昨晩、飛びまわっていたが為、疲れて巣で寝ていたキョウゲンが大きく丸い目を開けた。

「マツリ様・・・?」

そう言った途端、マツリが卓にゴン! と拳を入れた。

「マツリ様!」

羽ばたこうと思った瞬間、マツリの感情がキョウゲンに流れてきた。

「・・・マツリ様」 羽を収める。

「婚姻などとは聞いておらん!」

もう一度卓に拳を入れる。 卓が真っ二つに割れた。 一枚板の檜の卓が割れた。

「何故だ! どうしてだ!!」

「・・・マツリ様」


「マツリにも困ったものだ」

四方が歎息を吐く。
マツリがシキにこれ以上ない感情を持っていることは、誰もが分かっていた。
澪引が四方を見る。 シキもそれに倣う。

「何を仰いますか?」

チョイチョイ口を挟んでいたリツソが声を発した。

「兄上は姉上のことを我が者と思っているのです。 放っておけばよろしいでしょう」

「え?」

声を出したのはシキであった。 だが、リツソのそれに異を唱えたのは四方である。

「リツソ、それは違う。 シキを惑わすようなことを言うでない」

「ですが父上! 兄上は―――」

「マツリはその様なことを思っておらん! 口を慎め!」

四方に雷を落とされ恐々にリツソが口を閉じた。 マツリからは何度も雷を落とされていたが、四方から雷を落とされたのは久方ぶりのことであった。

「四方様」

穏やかな声が響いた。

「マツリも時を置けばわかりましょう。 マツリがどれ程シキを見ていたかは誰もが知るところです。 でも・・・」

とリツソを見た。

「リツソ? リツソが言うようなことはありませんよ。 マツリはシキのことを我が者などとは思っていません。 マツリは・・・」

「兄上が? 何なのですか?」

「敬慕です。 分かるかしら? マツリはシキを敬い大切に慕っているのです。 それ程にシキのことを想っているのです」

「はっ!? あの様な態度の兄上がでございすか?」

「それ程にシキのことを想い、安じているという事です」

シキが澪引を見た。 マツリが己のことを大切に想い慕ってくれていることは分かっていた。 澪引がリツソの問いに答えている。 今は静観していよう。

「それは心外です。 我も姉上のことは大切に思っております。 だからして波葉との婚姻を喜ばしく思っているのです。 なのに兄上のあの態度はどういう事でしょうか!?」

「リツソ、想いの表し方は人それぞれなのですよ」

「は? では兄上はあまりにも稚拙でありますな」

「リツソ! 己(おの)が兄を侮辱する言いようをするではない!」

四方が軽~い雷を落とした。


マツリがシキのことを姉としてこの上なく慕い、敬慕の想いでいるのは誰もが知るところだ。
だが、ちょーっと慕い過ぎていた。
だから波葉と婚約などという話を聞かされて、マツリとシキを繋ぐ糸が切られると思った。 細い糸。 それが切れないように、いつもいつも大切に手を添えていた。

シキにはいつも微笑んでいて欲しかった。 東の領土から帰ってくる度、シキの悲し気な顔を見るのが辛かった。 でもいつもシキの隣に居たかった。
なのに・・・
その場を誰かに・・・波葉に取られるかもしれない。

「俺は・・・」

「マツリ様、お心をお静め下さい」

「・・・!」

一人だと思っていたところにキョウゲンの声が聞こえ、驚き周りを見渡すといつの間にか己の部屋に居た。 己の部屋に入ったことさえ記憶にない。

「キョウゲン・・・」

「分かっておいででしょう?」

いつまでもシキにくっついてはいられないという事を。

「・・・」

「背にお乗りください」

マツリのことを何もかも知っているキョウゲンからの進言であった。

「・・・」

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虚空の辰刻(とき)  第115回

2020年01月24日 22時00分27秒 | 小説
『虚空の辰刻(とき)』 目次


『虚空の辰刻(とき)』 第1回から第110回までの目次は以下の 『虚空の辰刻(とき)』リンクページ からお願いいたします。


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- 虚空の辰刻(とき)-  第115回



朝食を運んできたのはニョゼであった。 いつもの男ではない。

「お早うございます」

「お早うございます。 ね、ニョゼさん見て」

そう言って髪の毛を触ると一回転した。

「撥ねてないでしょ?」

ホテルに居たころ、毎朝ニョゼが撥ねた髪を抑えるように櫛を入れてくれていた、

「まぁ、上手く櫛を入れられたんですね」

「そうじゃないと思う。 ニョゼさんの切り方だと思う」

「そんなことは・・・」

婉然と微笑むと運んできた物をテーブルに並べる。

「髪型もお洒落にしてくれた」

そう言うと、ほんの一つまみほど他の毛より少し長い横の髪を持った。 カットをされている最中からそれを気に入っていて何度も触っていた。

今までのシユラのヘアースタイルは単なるショートカットだった。 田舎の美容室で切ってもらっていたのを、なんとかニョゼに心を開いた頃にホテルに呼んだ美容師がそのまま真似て切っていただけであった。 何故なら、美容師がスタイルを変えましょうか? と訊くと紫揺が首を振っていたのだから。

「お気に入って下さって嬉しく思います。 どうぞ」

そう言うと椅子を引き紫揺を座らせる。

「わたくしがお作りしました。 お口に合うとよろしいのですが」

少し不安げながらもその表情さえも妍麗(けんれい)である。 紫揺などノミのような存在にさえ感じる。

「フレンチトースト?」

「はい、蜂蜜を加えております」

目の前に並べられたのは、フレンチトースト、サラダ、スープであった。

「えっと、もしかしてパン作りから?」

ニョゼなら半端なことはしない筈。

「はい。 コックのようにうまくは焼けませんが」

ウソデショ? という目をしてテーブルに並べられたものをもう一度見た。 何もかもできるニョゼとは分かっていたが、料理も出来るというのか?
サラダなどは手が凝っている。 紫揺のことをよくわかっているのだろう。 決して子ども扱いをしているわけではないが、星型の人参や飾り切りのキュウリ。 どうやったのか、ハートの形のゆで卵。 その他キレイな形諸々。 多分、スープなどは何かの味がするコクの有るものだろう。 だが朝から濃い味ではない筈。 アッサリの中にコクが入っているのだろう。

「ホテルに居た時には、ニョゼさんのお料理を食べたことは無いですよね?」

「はい。 お料理はホテルの方で出して頂いていましたので。 お茶だけはわたくしが」

「うん、ニョゼさんの淹れてくれるお茶は美味しかった。 でも、どうしてですか? ここにもコックさんが居るのにニョゼさんの手料理が?」

「手料理などと仰っていただけるほどの物ではございません。 シユラ様、冷めます前に」

「あ、はい」

ナイフなど要らないように切り分けられていた。 フォークで一欠けらを刺すと口に運んだ。

「甘い・・・」

「申し訳ありません。 甘すぎましたでしょうか?」

紫揺が首を振る。

「違う・・・」

口に広がる甘さ。 クロワッサンを食べた時にその甘さが美味しかったが、それとは違う甘さがある。 ニョゼは蜂蜜と言っていたがその甘さかどうかは分からない。

「暖かい甘さ」

春先の陽の光の中でポカポカとする暖かさ。

「はい?」

柳眉を上げる。

「ニョゼさんの淹れてくれるお茶と似た味です」

「お茶と?」

お茶とフレンチトーストが似た味? 理解しようとするが、紫揺の特殊頭脳のコンピューターには辿り着けない。

「とっても美味しいです」

「お口にあいましたでしょうか」 

「はい、トースト自体もスゴク美味しい」

茶もフレンチトーストも美味しいという事かとホッと胸を撫で下ろす。

「有難うございます。 少しでもシユラ様のお心のお力になれればと。 わたくしに出来ることはこれくらいの事ですので」

「そんなことないです。 ニョゼさんは何でもできるし・・・あ」

次のフレンチトーストの欠片にフォークを刺そうとした時に気付いた。

「それってもしかして夕べ言ってた、ニョゼさんが出来ることは何でもお手伝いしてくれるってことと繋がっているんですか?」

『でも、どうしてですか? ここにもコックさんが居るのに、ニョゼさんの手料理が?』 先ほど紫揺がニョゼに対して訊ねたことに自分自身で答えた。

「はい。 このようなことしか出来ませんが」

そんなことない。 こんなに美味しいトーストを焼いてくれたのに、自分なんてパンを焼くことさえ出来ないし、こんなに美味しいフレンチトーストなんて作れない。 そんな発想さえない。 そう言いたかった。 でも言えなかった。 夕べニョゼは明日から始めようと言っていた。 ニョゼは既に一歩を出していたんだ。 なのに自分は何もしていない。

「シユラ様、少しづつ始めましょう」

そう言うとワゴンから小さな一輪挿しをテーブルに置いた。

「お花・・・?」

「はい。 何というお花かは分かりませんが北側に咲いておりました」

それは名も無い花。 いや、名はあるのだろう。 だが、花屋では見ない花。 小さく透明な入れ物に入った小さな小さな菫(すみれ)の原種に似た薄紫の花だった。



「くっそ、ジッとしてられないのかよ」

双眼鏡を覗く野夜の手が怒りに震えている。
双眼鏡には海岸沿いをウロウロとするドーベルマンの姿がうつっている。

「いったい何頭いるんだよ!」

双眼鏡を外して目視しようとするが、それは双眼鏡に失礼な話であり、不可能この上ないことである。
無駄な肉の無い黒光りする身体が何頭も右に左に動き、一頭が木立の中に消えたと思うとまた数頭が出てくる。 数を数えたいが双眼鏡の奥に見える犬に名札など付けられない。

「野夜、もう休め」

ずっと双眼鏡を覗いていた野夜に湖彩(こさい)が言う。

「俺が変わる」

今度は若冲(じゃくちゅう)。

「野夜、目先を変えるのも一案だ」

涼やかな目で梁湶(りょうせん)が言う。

「目先を変える?」

若冲に双眼鏡を渡しながら梁湶に訊ねた。

「他の手もあるかもしれないってことだ」

「島の四方の内の三方をあのバカ犬達が闊歩しているんだぞ。 それに残った一方は肉食の獅子だ。 そこに何の手があるって言うんだ?」

「だから、目先を変えれば何かがあるかもしれないってことだ。 それに獅子だけではない犬も肉を食う」

御尤も。 それだけに手の出しようがないのだから。

「その何かとはなんだ? あの犬たちや獅子を巻いてあの島に上がれる何かとは何だ!」

「焦るなよ。 焦ったとて事は変わらない」

「ああ、永遠にな」

侮蔑の視線を送ると双眼鏡ではなく己の目で遠い島を見る。

「野夜・・・」

再度、梁湶が野夜に声を掛ける。

「なんだ」

振り返りもしない。 変わらず島を見ている。

「紫さまは我が領土に帰って下さる」

「・・・」

どこをどう見てそんな風にが見えるのか、言えるのか。 今もいつ、紫揺がまた北の領土に行くかもしれない。 北の領土に行かれては取り戻すことが出来ないかもしれないのに! そう言いたかった。
領主が本領に申し出れば取り戻すことは出来るだろう。 だがそれを是としない領主。 紫揺が北の領土を選んだとなればそれに従うつもりでいる。 東の領土には民の求める紫は居なくなる。

「そうであればいいな」

出た言葉は違う言葉ではあったが、つっけんどんとした冷たいものだった。 

「野夜、お前は阿秀ではない」

「・・・どういう意味だ」

「俺たちは阿秀の指示に動く。 まぁ、それに甘んじてはいけないことは分かっている。 自らも動かないといけないことはな。 だがお前は先走り過ぎている」

「は!? 先走っている!? どういう事だ!」

「焦るな。 焦ったとて現状は変わらない」

「何を悠長なことを! 紫さまが北に行かれたら、後も先もないのは分かっているだろう!」

「俺たちの紫さまを信じられないのか? 東の領土の紫さまは北の領土にホイホイと行かれると思っているのか?」

「・・・」

「俺たちは紫さまを知らない。 伝え聞いているだけだ。 だが、紫さまは北の領土から帰って来られた。 それを信じられないのか?」

「・・・紫さまが微笑むだけで民が幸せになる」

正しくは『紫さまが微笑まれれば民が微笑み、悼みを抱かれれば民が心沈む』 である。 それは東の領土で過ごしていた紫揺の祖母の事であった。

「そうだ」

代々そう伝えられてきている。 そう書かれている。 紫揺の祖母である紫のことを。

紫と呼ばれる紫揺的には気の重い言い伝えであるのは間違いないだろう。 だがそうとは一蹴できないことも確かだ。 何故なら、紫揺が心から歓心すると花が咲くのだから。
だが 『だが』 の二重奏になってしまうが、紫揺のそれは祖母の紫のそれには程遠いものである。
だが 『だが』 の三重奏。 それは紫揺の祖母の紫の事であって、決して紫揺の事ではない。

梁湶は後に頭を抱かえ野夜に謝るか、野夜が安堵の溜息を吐くか、紫揺が紫として立派に心するか、それは今は誰にも分からない。
分からないということ、それは誰もが分かっていることだが、東の領土の人間、特にお付きと呼ばれる人間は紫揺の祖母のような紫が目の先の島に居ると思っている。

「紫さまは我らの元に帰って来て下さる」

梁湶は言い切る。 それはなんの予知能力もない梁湶に何かが見えているのか、希望なのか。
希望だ。 誰もが分かっている。

「・・・そうだな」

そうかも知れないとは言わなかった。

二人の会話を聞いていた湖彩が遠い海面を見た。 若冲は一瞬、双眼鏡を下した。



「何故?」

そう訊き返した。

「どうしてケミではなくお前なのだ、と訊いておるのだ」

領主の家を見張っていたゼンの元にケミではなくダンがやってきた。

「ケミに言われたからだ」

その返事にケミが何を考えているのかが分かった。 己と話したくないのだと。

「ショウワ様のことも気付けんそのような者が残ってどうする、などと言われた」

「ショウワ様?」

「ケミが言うにお顔の色が悪いらしい」

「らしい?」

「吾には分からなかった・・・というか、言われても分からん。 だが今までにない剣幕で言われた。 ああ、そう言えば、これだから男は、等とも言っておったな」

「具合を悪くされている様子はないのか?」

「至っていつものショウワ様だ。 吾から見ればだがな」

首をすくめる。

「それで? 領主の具合はどうだ?」

枝の上から領主の家を見る。
いつも立つ木の枝に二人が立っている。 領主の家の正面でもなく裏でもない。 領主の家は正面を除く三方が木々に囲まれている。 とはいえ、隣接しているわけではない。 ほどほどに離れてその間に数本の木々が植わっている。 正面の庭には喬木が数本あるが、民の目がある、昼間からそこには立てない。 よって今二人が居るのは、領主の家の横に林立する喬木の枝に立っていた。

「意識は完全に回復したようだが骨を折っている。 動くことがままならんようだ」

「では・・・ここはお前だけで十分か?」

「ああ、と言いたいところだが」

「なんだ?」

「いつマツリ様が来られるか分からん」

「マツリ様は領主に 『待つ』 と言っておられたのだろう?」

「・・・それだけで済まぬことがあるやもしれん」

「何を考えておるのか・・・ではここを二人で見るのだな?」

ゼンが頷いた。

「まあ、ショウワ様の事はケミに任せておこうか。 吾は役立たずの男らしいからな」

「気が立っていたか?」

「頭ごなしだ」

ダンの言いようにフッと喉の奥で笑うと 「中の様子を見てくる」 と言い、姿を消しかけたのをダンが止めた。

「様子を知る為にも吾が行く。 それと、あとは任せておけ」

ゼンが怪訝な目を送る。

「あのケミの相手をしていたのだ・・・あ、ああ、いや。 言い変えよう。 ずっと領主を見ていたのだから少しは休め。 クマが出来ておる」

クマが出来ていたとは自覚に無かった。 目の下に指を這わす。
だがこのクマは領主のせいではない。 ダンが言いかけたようにケミの相手をしたからでもない。 己の思いを幾度も反芻して頭痛に見舞われていたからだ。 ケミのことを考えなかったという訳ではないが。 訳ではないどころか、半分はケミの事だったように思う。

「そうか?」

ダンの言いようからするに、ケミは屋敷に戻ってもかなり気が立っていたのだろう。 そんなに触れられたくないのか・・・。 だが、触れないではすまされない。

「ああ。 休め。 我らは不死身ではないのだからな」



「やあ、紫揺ちゃん」

屋敷の四階の窓の明かりを確認してから、いつもタバコを吸う場所に戻りつつ、後ろを振り返った時に月明かりに照らされながら歩いて来る紫揺の影を見止めていた声だった。 携帯灰皿で吸ったばかりのタバコをもみ消した。

「先輩!」

まさか居るとは思わなかった。
頼みの綱の春樹の友達の父親は旅行を延長したと聞いていた。 だからそれからの進展は無いと思っていた。

「何か進展があったんですか?」

何日も待たされてそれか。 春樹が少々落ち込みかけた。

「いや、無い。 旅行を楽しんでるみたいだよ」

「じゃ、どうして?」

どうしてここに居るのかと訊いた。
春樹の肩がドンと落ちた。

「・・・タバコを吸いに」

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虚空の辰刻(とき)  第114回

2020年01月20日 21時58分47秒 | 小説
『虚空の辰刻(とき)』 目次


『虚空の辰刻(とき)』 第1回から第110回までの目次は以下の 『虚空の辰刻(とき)』リンクページ からお願いいたします。


     『虚空の辰刻(とき)』 リンクページ




                                      



- 虚空の辰刻(とき)-  第114回



「シユラ様、破壊などとお考えになされませんように。 ただ、シユラ様のお身体の安全を考えて、感情を知り力を抑えることを知っていただければと思います」

「感情を知って力を抑える?」

「出過ぎた言でありますことは承知しております」

「そんなことない。 なに? 私って淋しさを感じたら電気系統をおかしくするんですか?」

「シユラ様、感情を抑えられますように。 お心を庭に向けて頂けますか?」

「庭?」

「はい。 今日、沢山のお花を咲かせて下さいました」

花畑のようになった庭。
あの時ニョゼに抱きついた。 感情の全部を恥ずかしげもなく出した。 でもそれは正直な感情だ。

「ニョゼがどれ程うれしく思いましたことか」

「・・・うん」

ニョゼという響きが脳髄に響く。

「シユラ様、シユラ様の想いはとても大きくあらせられます」

「え?」

「わたくしなどが、心で思ったとて何某かはおきません。 ですがシユラ様のお心は形になって現れます。 それがムラサキ様のお力です。 シユラ様はシユラ様です。 ニョゼは分かっております。 ですがシユラ様にはムラサキ様の血が通っておいでです。 ムラサキ様のお力をシユラ様にご理解していただけなければ、シユラ様がいつお怪我をされるか分かりません。 ニョゼはシユラ様がお怪我をされることだけは避けたいと思っております。 我が身に変えてもシユラ様をお守りしたいと思っております」

「・・・ニョゼさん」

「ですが、わたくしに出来ることなど知れております」

「・・・そんなことない。 イッパイ教えてくれまし・・・」

言った途端、思い当たることがあった。
そうか。 さっき風呂場で腰が抜けるようにニョゼが座り込んだのがそうなのか。
だがそこは正しくも誤解が大きい。
紫揺は電気系統のことを思ったが、ニョゼは湯船に沈む紫揺に息がないのかと、心がはち切れんばかりになっていたのだ。

「ゴメンナサイ。 私が湯船に潜ってたからニョゼさん慌てたんですよね?」

「シユラ様、その様なことはお考えになられませんように」

ニョゼの言いたかったことは、力を知ってほしいという事であったが、紫揺が頓珍漢珍の返事をしてくる。 それは紫揺ならではと思う。 それが暖かいものだと。

「私って・・・起伏が激しいんでしょうか?」

「そのようなことは御座いません。 シユラ様は歳相応のお気持ちをお持ちです」

「でも破壊したり、ちょっと寂しいと思っただけで電気を消してしまったり・・・」

破壊はもちろんあったが花を咲かせたことを言わない。 その後にあった今の電気のことを言う。 紫揺は幸せを心にとどめられないのかもしれない。

「シユラ様、お花を咲かされた時のことを思い出してくださいませ」

それは己、ニョゼが関わっただけに恥ずかしくて言い淀みたいが、今はそんなことを言っている場合ではない。

「シユラ様はお幸せに満ちておられるのですよ。 淋しいなどということは御座いません」

「え?」

風呂場で思った。 ニョゼか此処に居ないことが寂しかった。 それを否定された。

「だって・・・」

そんな稚拙なことは言えない。 でもそれは捨てきれないもの。

「シユラ様はお幸せなのです」

「・・・」

ニョゼの目を見て少し考えるような様子を見せてから、うな垂れる。
そんなことはないと言いたかった。 わけも分からず此処に連れてこられて此処に縛られて。
でもそのお蔭でこうしてニョゼと知り合うことが出来たのは事実だ。 分かっている。 それにもし此処に来なければ、あのままシノ機械で働いて・・・。 暗い顔をして働いていただけだろう。 両親に対して罪の意識だけを持って毎日暮らしていただけだろう。

でも今は違う。 両親は自分を見守ってくれていると思っている。 ホテルで聞いた声は間違いなく母親の声だった。 両親に心配をかけないように、恥ずかしくないように生きていこうと心に誓った。 そう、リツソにもそう言った。

前を向いて歩こうと、目の前のことに対峙していこうと、あの北の領土で心に決めたはずだった。

「・・・そうかもしれません」

「何もかもがお幸せとは言いかねますが」

「え?」

うな垂れていた顔を上げると、真っ直ぐにニョゼを見た。

「お帰りになられたいお気持ちは重々察しております」

どう返事をしていいのだろうか、困惑の視線だけを送る。

「ですがどこに行かれても、お力はシユラ様の中にございます。 ですからお力を抑え・・・お力の加減を知っていただかなければ、ずっと危険が付きまとってしまいます」

先程は力を抑えると言ったが、紫揺の頭の構成力を考えると抑えると言ってしまえば、封印に近いことでまとめるかもしれないと思い言い直した。 だがそのチョイスが良いのかどうかは自信がない。 紫揺の頭の構成力はニョゼにとっては未踏の地であるのだから。

「どこに居ても・・・?」

「はい」

どうして気付かなかったのか。 脱走に成功したところであの破壊のようなことが起きたら、突然花畑が目の前に広がったら・・・。 それに会社に戻ったときにどうするのか。 機械が並ぶ会社。 その電気系統に異常を起こしてしまうかもしれない。 どんな言い訳も通用しない。
此処では何があってもこの異常な現象自体を問いただされることは無い。 知らずそれに甘えていたのかもしれない。

「・・・それは。 困ります」

ニョゼは危険が付きまとうと言ったが、紫揺はニョゼの言う事からズレて返事をした。 だがそんなことはニョゼには分かっている。

「少しずつ、少しずつ。 感情が現象に現れないよう、シユラ様のお力を知り、加減を覚えていきましょう。 ニョゼも出来ることは何でもお手伝いいたします」

ニョゼにもトウオウにも何度も言われたことなのに、今更にして喉を通って腹に落ちた。

コクリと頷く紫揺であった。

「では、今日はもうお休みになられますか?」

「はい・・・」

「そんなに気を落とされずに。 明日からゆっくりと始めましょう」

ニョゼに手を取ってもらいベッドに入る。

「では、ゆっくりとお休みくださいませ」

電気を消して歩き去る気配を感じる。 パタンとドアが閉められた。

「・・・どうしよう」

帰った時のことを思う。 家の中を破壊してしまうかもしれない。 それで怪我をしても自業自得だ、それは仕方がない。 でもこんな状態では会社にも行けないし、買い物一つ出るのにも不安を感じる。
風呂の中で淋しいと思った。 そう考える自分が情けないと思った。 それだけで点いていた電気が消えてしまうなんて。

もし偶然に友達と会ったりしたら、嬉しくなってその辺に花を咲かせてしまったら。
考えただけでもゾッとする。 白い目で見られるのだろうか。 後ろ指を指されるのだろうか。

「あ、ダメ。 不安になったりしたらまた電気がおかしくなるかもしれない」

少し離れた所にあるニョゼが点けていったベッドサイドライトに首をまわす。 大丈夫だ。 緩く照らす灯りは点いたままだ。

「・・・ん?」

小首を傾げて眉根を寄せる。

「何か忘れてるような気がするけど・・・」


「紫揺ちゃん、来ないのかなぁ・・・」

壁にもたれてボォーっと夜空を眺める。



「―――そうか、分かった。 ああ、それと醍十をそちらに戻す」

まともに食事も摂らず不規則な生活を続けていた阿秀だが、領主をそれに付き合わすわけにはいかない。 よって此之葉のことを醍十に頼んでいたが、領主と共に此之葉の生活をみていけばいい。 それに領主への細かい気遣いは此之葉にしか出来ないのだから、そこに醍十がウロウロしていると領主も気が休まらないだろう、と考えての事であった。

スマホを耳から外した。

「という分けだ。 明日から船に戻ってくれ」

醍十がチラリと此之葉を見た。

「此之葉のことは心配する必要はない」

此之葉が醍十を見て阿秀の声に頷く。

「しっかり飯を食えよ」

眉根を寄せて此之葉に言う。

「そうだな、醍十と一緒に居ることが多くなってから、此之葉の頬がふっくらしたようだな」

阿秀に言われ、此之葉が両手で頬を覆う。

此処は船着き場に一番近いホテルの一室。 とは言っても港に行こうとすれば車が必要になる。 台風を避けて避けて在来線などを使ってやっとやって来た。

阿秀が領主に向き直った。

「で? どうだと?」

「船の一往復を目にしたそうですが、やはり簡単には島に上がれないようです」

「逆に言えば、それだけ厳戒であれば間違いなく北の居る島という事だな」

「獅子は会ったことがないからよく分からんが、残りは犬だろう? 鼻先にワサビを溶かしたスプレーでもかければ大人しくなるんじゃないのか?」

「それが、警護というか・・・どちらかと言えば凶暴に躾けられているそうだ。 スプレーをかけようとした手を噛み千切られるのがおちだ。 それに一匹じゃない。 他の犬が吠えだしたら調教師が感づくだろう。 その調教師には服従している場面が見られたそうだが、それでも船が出る時にはわざわざ船まで車で来ていたそうだからな」

「その調教師が居ても北の者を噛むってことか?」

「その危険性があるんだろうな。 船が出る時には犬は一つ所に集められるそうで、鍵もかけられているようだ。 その上でまだ車を使うという事は、人の気配で思わぬことをするかもしれないという事だろう」

「その調教師バカじゃないのか?」

「さぁ、それは私の知る範囲ではない」

醍十に向けていた視線を領主に移す。

「野夜が言うにはその時が狙い目だというんですが・・・島の中がどうなっているのかも分からない状態では簡単に踏み込ませられません」

「中にも何かあるかもしれないという事か・・・」

「外堀を固めているので案外中には危険性がないのかもしれませんが、島の大きさから考えますと、たとえ小さいと言えど数人暮らすだけには大きすぎます」

阿秀の言葉を引き継いで領主が言う。

「だがわしらのように、この地の者と島を同じくしているようではない」

阿秀が首肯すると続ける。

「醍十が見ていたことから考えますと、この地の者は島に入れていないようですし、この地の者はあんなやり方についていけないでしょう」

醍十が見たというのは、此之葉と共に船着き場で紫揺を見た時だ。 船に乗り込んでいたのは数人のグレーの瞳の者だけで黒い瞳、いわゆるこの地の者は船に乗らず、暫く見送ってはいたがその場で解散したようだった。

阿秀の懸念は尤もだが、まさか島の中にホテルのような屋敷を建て、プールや馬場、テニスコート、それに使用人まで置きその住居まであるとは思ってもいない。

阿秀たち東の領土の人間は、他に住む島の人間と同じく質素な平屋の木造の家に住んでいる。 今の東の領主の祖父がこの地に足を踏み入れ、当時築何十年という古家を購入し、後々それに少々手を入れたくらいのものである。 だが住んでいるというと語弊がある。 そこに居を構えているだけ。 こうして紫揺のことがあった時すぐに出やすいように居るだけで、基本は東の領土に居るのだから。

「だがいつまでも島の周りをウロウロしていては怪しまれる。 早急に何か講ぜんと」

「私もそこを考えていましたが、野夜が上手くやっているようです。 それに北の領土の人間はあまり海の方は気にかけていないようです。 船が出入りする時だけ気にすればいいようです」

「高い双眼鏡を買いやがったからな」

阿秀が苦笑いをする。

「それは仕方がない」

「金は足りてるのか?」

事情を知らなかった領主が尋ねる。

「今のところは。 ですが足りなくなりましたらいつでも私が此の地で働きに出ます」

領主の祖父の代でこの地を見つけた。 まずは屋敷の有る島だったが、そこに紫揺の祖母である紫は居なかった。             
何か手掛かりは無いかと島民と話していると、紫らしき情報を聞くことが出来た。 紫は本土に行ったと。
そこから本土に目を向けたが働かなくては金がない。 それに東の領土とこの地はあまりに違い過ぎる。 この地を知ることも必要だった。 よって時のお付きと呼ばれる者達が本土に向けられ、働きながら金を貯めこの地を知るという役を仰せつかった。 その中に野夜たちの曾祖父や領主の父親もいた。 それを束ねていたのが少し年上の阿秀の曾祖父だった。

そして代々それは息子に引き継がれている。 引き継いでいないのは今の領主と独唱に付く塔弥だけだった。 他の者はいつでも紫揺を探しに出られるようにこの地の移り変わりを知る為、金を稼ぐためにこの地で何年か暮らしていた。

「そんなことの無いようにせねばな」

領主としてはこの地で働かせたくない。

「なぁ、此之葉」

ソファーの端に座っていた此之葉が醍十を見る。

「此之葉の力で犬を黙らせられないかぁ?」

「・・・」

目を何度も瞬かせているのが返事だ。

「残念だがそれは出来んな」

此之葉に代わって領主が言葉にした。

「ふーん、そうなのかぁ」

「出来なくはないであろうがな」

「あ! ではその手で進めませんか?」

「おい、醍十。 先に出来ないと仰っただろう」

「でも出来なくはないって、今領主が言ったじゃないですか」

「だが、出来ない。 一匹にかかりっきりでいられるわけじゃないんだぞ。 他の犬もいる。 吠えられてはすぐにバレるだろう。 それにその一匹にもお前がさっき言ったスプレーと同じで、近づかなくては出来ない事だ。 此之葉の腕なら骨ごと一噛みで終わりだ」

思わず此之葉が腕を抱え込んだ。

先ほど頬を覆ったこともそうだが、何事にも動じないはずの此之葉の様子を見て阿秀が小首を傾げた。

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虚空の辰刻(とき)  第113回

2020年01月17日 21時50分53秒 | 小説
『虚空の辰刻(とき)』 目次


『虚空の辰刻(とき)』 第1回から第110回までの目次は以下の 『虚空の辰刻(とき)』リンクページ からお願いいたします。


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- 虚空の辰刻(とき)-  第113回



「もういいよ」

アマフウを残し、トウオウの部屋から退いてきたセノギがセキを見て言う。

「セイハ様はもういらっしゃいませんか?」

「うん。 ガザンの所に行くといいよ」

セノギを疑っているわけではないが、ヒョイとセノギの後ろから顔を出すと安心したようにセノギを見上げる。

「有難うございました」

「いいえ、どういたしまして」

小さな子相手だからといって、決してバカにして言っているのではない。 ただ、いつものことだが、小さいのにしっかりしていると感心している。

「セノギさん」

丸い目が言葉と同時にセノギに問いかけてくる。

領土では“さん” 付けなどない。 だがセキだけはセノギに“さん” を付けて呼んでいる。 以前、まだセキがこの歳になるずっと前のことである。 セキはここから出たことがない、いったい屋敷の外はどうなっているのだろうかと、屋敷を出入りするセノギに屋敷の外のことを訊いたことがあった。

すると屋敷の外のことは話せないけれど、と前置きをして人差し指を一本だけ立てて見せた。
『でもせっかくセキが訊いてきたのだから、一つだけ』 そう言って“さん” 付けのことを教えてくれた。
屋敷の外では名前に“さん” を付ける風習があると聞いた。 それは敬う相手や年上の相手に付けるものなのだということであった。

それを聞いてからセキは、敬意をもってセノギに“さん” を付けて呼んでいる。

「うん? なんだい?」

「身体、もう大丈夫なんですか?」

「ああ。 心配かけたね。 もう何ともないよ」

手には包帯が巻かれている。 こけた時に手を着いて深く傷が入ってしまっていた。 セノギの返事を聞いて自然と視線が包帯に移る。

「手ももう少ししたら治るから心配いらないよ」

そう言えばニョゼから聞かされていた。 早々に抜糸に行かなければいけないのだった。 予約を入れないと。

「近く出掛けるから、何か美味しそうなものをお土産に買ってくるね。 どんなものがいい?」

今まで立って話していたが、しゃがんでセキの高さに合わせる。

「えっと・・・。 前にお土産で頂いたチョコレートが美味しかった・・・」

催促しているようで言いにくいのか、尻すぼみに言う。 しっかりしているとはいえ、やはり子供。 欲しいものがあれば言ってしまう。 だがそれも相手がセノギだからだろう。

「分かった。 じゃ、買って帰ってくるね。 ほら、ガザンがシユラ様を困らせているよ」

セノギが芝生に目を移すとセキもそれに従って目先を移した。

「わっ! ガザン!」

慌てて紫揺の元に走り出した。

走り去るセキの後姿から目を外すと立ち上がる。 先程の紫揺の起こした現象は初めて見た。 紫揺の足元から色とりどりのポピーのような花が咲き始め、それがどんどん色んな色を持って広がっていった。 息が止まるかと思うほど驚いた。

セキは花が咲いたのを見たのは今日が初めてではないと言っていたが、これほどシキタク鮮やかに広い範囲で見たのは初めてだと言っていた。 ちゃっかり、紫揺がウダから聞いてきたシキタクという言葉を使っていた。

「色沢か。 懐かしい言葉だ」

北の領土の子守歌。

~尖山の向こうにはー、色沢鮮やか花乱れ~

尖山とは今の今まで北の領土を囲む山々の事かと思っていた。 だが

「その山とは、人の心の中にある山の事だろうか」

セキ達を見る。
ガザンがニョゼの周りをウロウロしながら、何度もニョゼの匂いを嗅いでいる。 吠える様子はなさそうだ。 そのガザンのリードを引っ張るセキ。 紫揺はガザンの身体を抑え込もうと必死だ。 だがガザンは二人の力にビクともしていない様子。 そして嗅がれているニョゼはといえば、顔を引きつらせながら片方の掌でもう一方の掌を握り口元で合わせている。 ピクリとでも動けば噛まれると思っているようで微動だにしていない。

「私が行っては余計にこじらせるだけか・・・」

目の先で二人の女性と女の子が困っている、しかも相手は土佐犬だというのにどうしてだか笑みがこぼれる。


古参が目を剥いて叫んだ。

「トウオウ様! またお部屋を抜け出されて!」

ちょっと目を離したすきに部屋から居なくなっていた。 セノギが部屋を訪ねて来て、その後いくらもしない内にアマフウもやってきた。 三人で少し話すとセノギが部屋から出て行った。
その後を追うように中座をし、セノギに身体はもういいのか? と念を押しながら少し一緒に歩いた。 その後、お付きの男の部屋に戻り、トイレに行って戻ってきたら部屋がもぬけの空だった。 トウオウの傷を案じているアマフウが連れ出したとは思えない。 ではどこに?

部屋を飛び出そうとした時、そのドアが開いた。 若いトウオウ付きだ。

「トウオウ様が居られない!」

「え?」 キョトンとしている。

「どこに行かれたか知っているか!? と聞いておるのだ!」

「あの・・・。 今日は病院に行く日ですので外でお待ちです」

「は?」

「車の中でお待ちです。 それでお呼びしてくるようにと・・・」

待てど暮らせどやって来ない爺を呼びに来たということであった。

「・・・あ」

失念していた。 そうだった。 今日は抜糸に行くのだった。 朝から言っていたのにすっかり忘れてしまっていた。

「耄碌(もうろく)してきたか・・・」

「はい?」

罪のない問い返しが返ってきた。


「爺のやつ! 何やってんだよ!」

後部座席に座って一人イライラしているトウオウ。 その窓がノックされた。

「あれ? アマフウ」

窓を開ける。

「なに? どうした?」

「くくく、セイハの顔ったら見ものだったわよ」

窓から見ていた時、セイハの姿がチラッと見えていた。 気になってセノギが出て行ったすぐ後にアマフウも部屋を出て回廊に潜んでいるセイハの姿を見ていたのだ。

「へぇー、シユラ様か?」

「ええ。 今回は大したものだったわ」

「それは残念。 見たかったな。 で、本人的にはどんな様子だった?」

「勝手にそうなったって感じね」

「たぁー、またかよ」

「でも今回はニョゼが一緒だったから、何かしらのアドバイスをしているはずよ」

「へ? ニョゼが一緒だったのか?」

「ええ。 ニョゼをアノコ付きにしたわ。 これで当分はアノコも動かない筈だし、動きにくくなったはずよ。 誰かさんの爺が要らないことを言ってくれたみたいだから、いつアノコが動くか分かったものじゃないからね」

後ろから走ってくる音がする。 振り返ると走っているつもりだろう爺が、それなりに走ってきている。 その後を若いトウオウ付きが早足で歩いている。

「あら、噂をすればナントカね。 じゃ、大人しく抜糸されてきなさいね。 暴れるんじゃないわよ」

「んなことするかい。 すぐに帰ってくる」


ポチャン。
久しぶりの湯船。 ニョゼに髪の毛を切ってもらって、そのまま風呂場に連れてこられた。 風呂の用意もニョゼがしたものだ。

シャンプーをすると洗いやすかった。 タオルで拭く。 これまた簡単に拭きあがる。 とは言えタオルドライだけでは済まないが、ドライヤーが随分と楽に終えるだろう。

チャポン、チャポン。
湯船の中の湯で遊ぶ。
チャポン、チャポン。

「・・・淋しい」

独り湯が。 とはいえ、まさかニョゼと一緒に入ってほしいなどと言えたものではない。

「ニョゼさんが目の前に居ないだけでこんなに淋しいなんて」

紫揺の髪の毛を切った後の片付けが終わり、紫揺の着替えを出そうとした時、何か異変を感じた。

「え? なにかしら・・・」

辺りを見回すが何も変わった様子はない。 と、部屋の電気が一瞬消え、すぐに点いた。 先ほど感じた異変は部屋の中を背にしていたときに、同じようなことが起きたのかもしれない。

「接触が上手くいってないのかしら」

部屋の中を覗き込み見上げて言うと、着替えを手にクローゼットを出た。
洗面所のドアを開ける。 その奥が風呂場になっている。 と、風呂場の電気が点いていない。 勿論この洗面所の電気も消えている。
パチンとスイッチを押すが電気の点く様子がない。 パチンパチンと繰り返すが風呂場も洗面所の電気も点かない。 すぐに壁に取り付けてあった懐中電灯を手にしスイッチを入れる。

「シユラ様?」

風呂場に向かって呼んでも返事がない。

「失礼いたします」

風呂場の戸を開け中を照らす。 洗い場に紫揺の姿がない。 浴槽を照らす。 ニョゼが目にしたのは、紫揺の身体が頭が何もかもが浴槽に沈んでいる姿である。

「シユラ様!!」 

懐中電灯を放り投げ浴槽の中の紫揺の肩を掴んだ。

「わっ!!」

突然浴槽から紫揺の顔が出てきた。

チカチカと何度か明暗を繰り返すと、風呂場にも洗面所にも電気が点いた。
急に肩を掴まれて驚いた紫揺が浴槽の横でフリーズしているニョゼを見た。

「わ、ニョゼさんだったの。 ビックリした」

「な・・・何をしておいででしたのでしょうか・・・」

表情筋が動いていないように見える。

「あ、えっと。 潜ってたの」

「潜って・・・?」

ヘナヘナとその場に沈み込んでいく。

「ど! どうしたのニョゼさん!」

「・・・シユラ様、コンディショナーの後に潜られたのですか?」

いや、そんなことはどうでもいい。 だが余りの安堵にそんな言葉しか出てこない。

「あ、そう言われれば。 もう一度するね」

自分を落ち着かせるために、フゥっと息を吐いたニョゼがしゃがみ直す。

「次に入浴される時にはシャンプーの前に頭皮マッサージをいたしましょうか?」

「わ! 気持ちよさそう」

「では、お着替えを籠に入れておきましたから、着替え終わられましたらお呼び下さい。 ドライヤーをお手伝いいたしますので」

「うん」

そうだった。 ホテルに居る時にはいつもニョゼがしてくれていたのだった。 自分でするといつもどこかが撥ねていたけど、とっても上手に髪の毛を梳いてくれる。

風呂場から洗面所を抜けてヨロヨロとニョゼが歩く。 額に手をやり今にもどうにかなりそうだ。

「腕白坊主って、このことかしら・・・」

まだ子供を産んだことはないし、伴侶が居るわけでもないが、己の手の中に輝ける腕白坊主が居るような気がした。

「ああ、そんなことは無いわ。 シユラ様を腕白坊主などと・・・」

己の考えに叱責する。

「分かっておられないだけの事」

ヨロけた身体を椅子に預けると、つと顔を上げた。

「分かっていただかなくては」

そうでないと紫揺が壊れてしまう。


「冷たいお茶でよろしいですか?」

湯上りのイッパイ。 ビールならず冷えすぎていない飲み頃のお茶。

「はい」

そっと出される冷茶用の湯呑。
この屋敷に来て身の回りの事は自分でしていた。 風呂の湯を張るのも着替えを用意するのも、喉が渇いた時に茶を淹れるのも。
人に淹れてもらった茶は美味しい。 特にニョゼの淹れる茶は格別だ

「美味しい」

「有難うございます」

ニョゼが相好を崩す。
ニョゼに対して殿様然としている気はない。 だが・・・このままニョゼに甘えていていいのだろうか。 思案しながらも美味い茶を啜る。

「シユラ様? よろしいでしょうか?」

「はい?」

クリっと黒い瞳をニョゼに向ける。

「先程・・・シユラ様が湯船にお浸かりになっておられた時のことですが」

「あ、もしかして潜っていた時ですか?」

「はい。 その時にお風呂と洗面所の電気が消えました。 この部屋の電気も一瞬ですが消えました」

「え?」

「お心当たりは御座いませんでしょうか?」

「・・・あ」

「何かございますか?」

「・・・」

心当たりがハッキリとある。 風呂に浸かっている時にニョゼが居なくて淋しく思った。 そんな自分を情けなく思うと涙が出た。 だからその涙を出なかったことにしようと、湯の中に顔を入れた。 湯の中であれば涙など流れてこないのだから。

「電気が消えたんですか?」

「はい。 接触不良かもしれませんが・・・」

ニョゼが言いたいことは分かる。 一つ所なら接触不良も考えられるだろう。 だが先ほどのニョゼの話では三か所で異常が起きたらしいのだから。

「・・・私のせいかもしれません」

「シユラ様?」

「お風呂に入って・・・色んなことを考えました」

ニョゼに此処、風呂場に一緒に居てもらいたかったと思ったなどとは余りに稚拙で言えない。

「それは?」

「・・・淋しさを覚えました」

それは正直なことだ。

「シユラ様・・・」

紫揺の力は寂しさからも出るのか。 力がどんどんと膨らんできているかもしれない。 それに紫揺が追いついていないのかもしれない。 紫揺の座る椅子の横で膝を折った。

「シユラ様、感情のコントロールをいたしましょう」

「え?」

「感情は意とせず出ます。 ですがシユラ様におかれては、それが電気系統にも自然にも現れる様で御座います」

「破壊にもですか・・・?」

思わなかったことを紫揺が言った。 だがそれも射ているであろう。

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虚空の辰刻(とき)  第112回

2020年01月13日 22時13分06秒 | 小説
『虚空の辰刻(とき)』 目次


『虚空の辰刻(とき)』 第1回から第110回までの目次は以下の 『虚空の辰刻(とき)』リンクページ からお願いいたします。


     『虚空の辰刻(とき)』 リンクページ




                                      



- 虚空の辰刻(とき)-  第112回



やっと那覇空港から飛行機が飛んだ。
小松空港までの直行便は飛ばなかったが、阿秀の指示通り福岡空港行きの便に乗った。 そしてそこで待つようにと阿秀から連絡があった。

今尚、ノロノロと中国地方で大きな勢力をひけらかしている台風。 小松空港近くのホテルで待っていた筈の阿秀は領主が飛行機に乗る前に関西圏に入っていた。 その後は台風の隙間を縫って移動した。 新大阪で新幹線を下りると在来線に乗り換えたりと、ベタベタな移動となった。

「領主!」

「阿秀・・・」

領主に疲れの色が目に見えて分かる。 屋敷からの出発のこと、そして那覇で足止めを食ったこと、挙句に領主にとって異国と言ってもいいこの土地に一人長く居たのだから、疲れが出て当然だろう。

「お疲れのようですね。 どこかで休憩を入れて―――」

「いや、一分一秒でも早く紫さまの元に行く」

「・・・はい。 ですが台風がまだ先に居ますので乗り換えが多くなります。 大変な行程となりますが」

台風を避け、在来線やタクシーを使うつもりだ。

「かまわん」

領主の健康も気になるところだが、ここで是が非でも身体を休むように進言したとて、精神が落ち着かないだろう。 肉体も大事だが今の領主には寸分の差で精神の安定を取るに限るであろう。 それによって肉体も落ち着くかもしれない。 移動や乗り換えに肉体を使うが、それを乗り越えれば電車やタクシーに乗って座っているだけで、自分の足で走るわけではないのだから。

「では博多駅に向かいます。 タクシー乗り場に」

領主の先を歩く阿秀。
さて、これからどう移動すればいいか。 台風の機嫌次第だが、台風が過ぎるのを待っているわけにはいかない。 眉間に皺を寄せた時、後ろから声が掛かった。

「阿秀」

「はい」

声の主の領主に足を止め振り返る。

「顔色が悪いが大丈夫か?」

「何ともありません。 それより領主のお疲れの方が気になります」

「わしは何ともない」

「お疲れをお感じになられた時にはすぐにお知らせください」

そう言って再び歩を出した。



「塔弥」

屋敷の廊下を歩いている時に葉月に声を掛けられた。

「なんだ?」

「独唱様はどんな具合?」

塔弥に独唱のことを頼むと言われたあの日から二日後、塔弥が空港から帰ってきてからは独唱にはずっと塔弥が付いている。

「今は寝ておられる」

だから安心して厠(かわや)に立ったのだ。

「塔弥・・・。 もっと自分のことを大切にして」

とうとう言ってしまった。 この屋敷でも東の地でも独唱に添い、洞穴の中では片膝をついて微動だにしない姿勢で独唱を見守っていたことを知っている。

「何を言うのか?」

年下の葉月に向かって睥睨する。

「だって、独唱様はもう紫さまを見つけられたんでしょ?」

塔弥の視線が葉月から外れることは無い。 二拍も三拍も置いて塔弥が口を開いた。

「葉月は葉月のすることをすればいい。 俺は俺のすることをする。 それだけだ」

そう言うと独唱のいる部屋に足を向け歩きだした。

「塔弥!」

呼ばれても塔弥の歩は止まらない。
塔弥と独唱、二人が何かを抱えていることを感じてはいるが、心の底の思いを葉月は知らない。

「塔弥・・・どうして」

どうしてそこまで一人で頑張るのか。 どうして頼ってくれないのか。 そう言いたかったが声には出せなかった。



ゆっくりと揺れガタガタという音だけが聞こえる。 その他に音は耳に入ってこない。 それはある意味、静寂を示すことなのだろう。 そんな中で微睡んでいた。 その静寂に一本の筋を入れ、その中からゆっくりと指先で開かれていくような声がした。

「着きましてよ」

セッカの声だ。 左手を包まれているのを感じる。 なんだろう。 瞼をゆっくりと開ける。

「お目覚めかしら?」

目の前にセッカが居る。 どうしてだ?

「家に着きましたわよ。 医者が待っております。 これから家に移動しますけど、少々の揺れで痛い思いをするかもしれません。 そこはお許しくださいませね」

家に移動? ではここは何処なのか?

「ああ」

了解したと無意識に声が出る。

薬師によって骨折による高熱はさほど出なかったが、ずっと続いた微熱。 それに前後不覚とは言わないが、ムロイ自身が取った行動に精神も肉体も限界を超えていた。 何が何やら分からない。
途端、板戸ごと身体が持ち上がった。 先ほどの心地よい揺れと比べて大きく身体が左右に揺れる。
いや、あの揺れを心地よいと思っていたのは慣れかもしれない。 痛い箇所が揺れによって痛みはしていたが、慣れというか麻痺していたのかもしれない。

「クゥ!」

右半身に痛みを感じ思わず声が出た。

「申し訳ありません。 少しの辛抱を・・・」

誰の声だ? どこかで聞いた声ではあるが思い出せない。 若い男の声だという事しか分からない。

(副作用のない薬草はいいけれど、やっぱりギプスは彼の地の方が上かしら?)
運ばれるムロイに添ってセッカが心の中で呟いたが、やはりそうであるようだ。 渋面を作るムロイに思わず声をかけた。

「すぐに家に入ります。 それまで辛抱くださいませね」

板に乗せられたムロイが二人の男に運ばれていく。



「よっ、はっ、とっ」

緑豊かな芝生に向けて指をさす。

「もぉー・・・」

隣で座るガザンがキョトンとして見ている。

「てぃ! てい!」

手首を上下に動かし尚も芝生を指さす。
とうとう諦めたかのか、手を下すと腕を頭の後ろに組みゴロンと転がった。 その転がった人物、紫揺に添ってガザンが伏せる。 ようやく静かになるようだ。

『オレたちは体と心を繋げなければ何も出来ない。 でもシユラ様は心ひとつ、思い一つで出来るんだ。 花を咲かすことにオレ達みたいに手を動かす必要はないだろう? 心で何かを思っただけで花を咲かせられるんだ』

トウオウにそう言われたし、ニョゼにも同じことを言われた。 紫揺自身も思い返せばそうだろうと思うが、いざとなってはどうしても手を動かしたくなる。
片手を頭の後ろから抜いて、ゴロンと隣に伏せているガザンに向き合った。

「出来るわけないよねー」

ガザンは素知らぬ顔をして今にも寝そうにうつらうつらしている。

屋敷にはどの階も部屋からだけではなく、いま紫揺が居る西側を見られるように廊下から奥まったところに窓がある。 その窓の一つ、一階の窓で人影が動いた。 

「アマフウ様?」

「あら、ニョゼ。 セノギの具合はどう?」

振り返り窓を背に尋ねる。

今日アマフウは珍しくリクルートスーツを着ている。 いつになく大人しい服装に思わず声を掛けてしまった。

「今日から起きるようです。 今一緒にシユラ様のお部屋を点検に行きましたが、足取りもしっかりしておりました。 今はトウオウ様のお見舞いに行っております」

「セノギの事だから無理をしてるんじゃないの?」

「多少はあるかもしれませんが、わたくしからみてももう何の心配もないかと。 シユラ様のご様子はいかがですか?」

アマフウの肩越しに窓を見る。

「ああ・・・。 何してんだか、芝生に寝転がってるわよ」

首を捻るとガザンに手をまわしている紫揺が見えた。

「まぁ、この陽が強い時に」

日焼け止めなど塗っていない筈。 お辞儀をしてこの場を退こうとしかけた時、アマフウが話しかけた。

「ニョゼ、仕事はどうするの?」

「領主の指示がありませんと・・・」

動くに動けない。 そう言おうとしたが、本音は動きたくない。 途中で言葉が止まってしまう。

「そう・・・。 まぁ、いつも忙しすぎるからたまにはゆっくりすればいいわよね。 ああ、そう言えばアノコには誰も付いていないんだから、ニョゼが付けば?」

「はい? セノギはシユラ様に誰も付けないでいたのでしょうか?」

「全くって程じゃないけど完全な付き人は居ないわ。 アノコが断ったそうよ。 でもニョゼなら了解するんじゃない? ホテルでもニョゼが付いていたんでしょ?」

「はい」

「じゃ、そうなさい。 セノギの顔を見がてらセノギには私から言っておくわ」

そう言うと大階段の方に歩き出した。
ニョゼがお辞儀をする。
歩きながらアマフウが不気味な笑みを作っている。 後姿を送っているニョゼには見ることが叶わなかった。

隠れるようにある小さな階段に足を運んだニョゼ。 アマフウに遅れながらも階段を上る。 四階まで上がり、女性部屋に入るとポーチではなく化粧品箱を開いた。 そこには未使用の物が入っている。

「シユラ様」

離れた所から声を掛ける。 夕べガザンの吠える声が何度も聞こえていた。 まだ気が立っているかもしれないと思うと必要以上に離れた所からの声かけであった。

陽に当たりポワポワとしてきたのであろう、ウッカリ寝てしまっていたようだ。 ガザンなどニョゼの気配すら感じないのかハッキリと寝息を立てている。

「あ・・・」

ガザンに回していた手を解いて起き上がり、キョロキョロとすると離れた所にニョゼを見つけた。

「ニョゼさん!」

ガザンを置いてすぐにニョゼに駆け寄る。

「ガザン・・・あのままでも大丈夫ですか?」

一匹だけにしていていいのかという事だ。

「完全に寝てるみたいだから」

「そうですか。 シユラ様、日焼け止めなどは塗られておられますか?」

「産まれてこの方、塗ったことないです」

「まぁ!」 目を丸くすると 「じっとしていて下さいませ」 と言い、手に持っていた日焼け止めのクリームを紫揺の顔に塗りだした。

「シユラ様はきれいなお肌をしておられますが、日焼けをしてしまいますと後になって出てきますから、これからは外に出られるときにはこれを塗って下さいませ。 今日からお部屋が使えますので、シユラ様のお部屋に置いておきます」

塗り終えた手を下すと紫揺の目を見て続ける。

「お邪魔でございませんでしたら、今日からシユラ様にお付き添いさせて頂いて宜しいでしょうか?」

「え? セノギさんは?」

「もう一人でも大丈夫かと」

「そうなんですか!?」

「お邪魔であれば―――」

「邪魔だなんて! 一緒に居てくれるんですか!?」

ニョゼがコクリと頷く。

「嬉しい!!」

ニョゼに抱きついた。

「まぁシユラ様」

ニョゼの胸元に紫揺の後頭部が見える。 そっとその髪を撫でる。

「随分と髪の毛が伸びられましたね。 わたくしで良ければお切り致しましょうか?」

「え? ニョゼさん出来るの?」

「プロではありませんが多少は。 わたくしの髪は自分で切っておりますし、此処に帰ってきた時には、アマフウ様とトウオウ様そして領土の者の髪を切ることがございます」

「わー、本当に何でもできるんだ。 うん、切ってほしい。 お願いします!」

ガザンが目を開けた。 鼻先に紫揺の足元から広がってきた何かが当たってこそばゆくなったからだ。

「ヴワン!」

迷惑だと言わんばかりに首を振り一吠えするとゆっくりと立ち上がる。

「あ! ガザンが起き・・・」

ニョゼに回していた手を解き振り返った。 同時にニョゼが俯けていた顔を上げる。

「シユラ様・・・」

芝生があったところに色とりどりの花が咲いている。

「・・・今、お幸せを感じておられますか?」

一瞬驚いたがそこで止まってはいけない。 紫揺に冷静になってもらわなくては。

「あ・・・」

今までこれほどまでに広く鮮やかなものは見たことがない。 それに今まではすぐに枯れていたのに、枯れるどころか褪せてもこない。

「シユラ様? 今のご自分のお気持ちを覚えてくださいませ」

「・・・ニョゼさんが一緒に居てくれるって、髪の毛を切ってくれるって。 だから嬉しくて」

「言葉ではございません。 シユラ様のお気持ちです」

紫揺がゆっくりとニョゼに振り返る。

「わたくしのことを思って下さって、これほどのお花を咲かせて下さって、きっとシユラ様よりわたくしの方が嬉しく思っています。 わたくしにその力がないのが残念でなりません」

もう一度後ろを振り返る。 ガザンがノッシノッシとこちらに向かって歩いてきている。 色鮮やかな花を踏んで。
花を踏んで・・・。
花を踏んで!?

「キャー、ガザン! お花を踏んじゃダメー」

一気に辺り一面に咲いていた花の色が褪せていき、その姿を消した。


「チッ」

舌打ちをすると回廊から姿を消した。

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虚空の辰刻(とき)  第111回

2020年01月10日 22時12分57秒 | 小説
『虚空の辰刻(とき)』 目次


『虚空の辰刻(とき)』 第1回から第110回までの目次は以下の 『虚空の辰刻(とき)』リンクページ からお願いいたします。


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- 虚空の辰刻(とき)-  第111回



紫揺と紫。 阿秀にとっては同一人物のはずだが、此之葉にとっては違う人物・・・ではなく、紫揺の中に紫がある様な言い方をしている。 それも一般人には理解しがたい気として。

醍十がキョトンとした目をしている。 だが阿秀は少なくとも醍十より、領主を除く他の者より古の力を持つ者の“力” を分かっている。 古の力を持つ者を祖に持ち、阿秀自身も僅かだがその力があるのだから。

「それで、どうなった?」

「今は紫さまの気が沈まれましたように思います」

阿秀が沈思黙考しようとした時、明かるい声が間に入った。

「此之葉、何を言っているのか意味が分からんのだが? そうか、この時間だからな。 腹が減っているんだろう」

阿秀が整理しきれない間(ま)を醍十が天然か本気かで埋める。

「阿秀、此之葉に飯を食わせに行く。 いいだろ?」

真実、天然のようだ。

「あ、ああ・・・頼む」

「此之葉、飯を食ったら頭が回転するかもしれんぞ」

此処に野夜が居れば、それは此之葉の事でなくお前の事だろうと言うだろう。

「え?」

「コンビニ弁当はやめにして美味いものを食いに行こう。 ここは海沿いだから美味いものが沢山あるはずだからな」

此之葉の手を取ることなく歩を出しドアを開けた醍十。

「ほら、此之葉」

ドアを開けた醍十が振り返り此之葉を呼ぶ。
戸惑った目で此之葉が醍十を見てから阿秀を見る。

「行っておいで」

阿秀に促されたと思った途端、踵を返した醍十に腕を掴まれた。

「歩けないほど腹が減ってるんなら、抱っこしてやろうか?」

此之葉が悲壮な顔をしている。

古の力を持つ者にそんなことを言うのはこの男だけだろう。 ましてや本気のようだ。
それに先程、領主がすぐに来られないと知った時に見せた憂慮の顔、紫揺がまた北の領土に入ってしまうかもしれないと懸念していたのに。 それはどこに行ったのだろうか。
疲れた顔をしていた阿秀が思わず笑いを殺すように喉の奥で笑った。



「ねぇ、聞いていいかな?」

「はい?」

今晩も春樹と会っていた。 一室からの明かりが零れる窓際の壁にもたれ、二人して体操座りをしている。

「紫揺ちゃんはどうしてここに居るの?」

「・・・あ、それは」

顔を俯ける。 攫われてきたなんて言えないし、そう言いたくもない。 北の領土を見てからは何となく事情が分かってきたから。 とはいえ、北の領土にも此処にも居たくないことには変わりない。

「言えない?」

春樹の中で紫揺の立場をアレコレとを考えてみたが、どうしても分からない。

「すみません。 図々しくお願いをしておいて何も言わないなんて」

「・・・」

「言わないことで協力を願えないのでしたら―――」

「そんなこと言ってないよ」

紫揺の言葉を遮って春樹が言う。

「ゴメン、言いたくない事ってあるよな。 俺に出来ることはするよ。 でもさっきも言ったけど、親父さんなかなか帰って来ないみたいだけど、それでもいい?」

退職前に有給消化をしている春樹の友達の父親。 ヨーロッパ周遊をしても余る有給に足を伸ばしたらしい。

「それは全然。 それにお友達のお父さんが帰って来られても、伸ばしてほしいというかもしれませんから」

セノギのこともニョゼのことも気にかかる。 それに何よりトウオウのことが。
春樹が瞼を閉じた。 何かを考えようとしたのだろうが、今の紫揺の置かれている状況に春樹の考えなど到底発想に無いだろう。

「俺は・・・」

「はい?」

「どうしたらいいんだろうか・・・」

「え?」


紫揺と別れて・・・と言うか、話の途中に犬の唸り声が聞こえてきた。

「ガザン、大丈夫。 すぐ行くね」

犬の唸り声がした方に向かって紫揺が言い、そして春樹を振り返り続けた。

「あの・・・ガザンが呼んでるので」

そう言って紫揺が立ち上がったときには犬の唸り声はおさまっていた。

「紫揺ちゃんの言ってた土佐犬だよね?」

「はい」

「その土佐犬、紫揺ちゃんのことをよく分かってるよね」

「え? どういう意味ですか?」

ガザンが紫揺のことを分かっているのは疑いようのないこと。 だがガザンに気持ちを伝えることが出来るのはセキだけ。

「ほら、紫揺ちゃんが声を掛けただけですぐに唸りを止めるしさ。 俺も実家で犬を飼ってたけど、犬って何でも分かってるよね。 不思議なくらい」

「え?」

「そのガザンっていう土佐犬、紫揺ちゃんのことを守ってない?」

「・・・どうして?」

どうしてそんなことを言うのか? そう問うた。

「俺から紫揺ちゃんを守っているように思えるから」

そして続けて言う。

「俺が紫揺ちゃんにとって危険人物じゃないって誤解を解くために、その土佐犬に挨拶させてもらえる?」

いや、やめてください。 ガザンは誰をも、人間を敵対視していますから。 そう言いたかったが、実家で犬を飼っていたと言った。 犬飼いの経験に甘んじているのだろう。 そんな人間ほど、そんなことを言っても引かないだろう。

「土佐犬ですよ?」

今時の手に乗る愛玩ペットではないことを強調する。

「うん。 分かってる」

紫揺がどうして此処に居るのかも分からない、教えてももらえない。 それなら知っていることだけでも紫揺と分ちあいたい。

「私が夜な夜なウロウロしているのを、誰にも知られたくないんです。 ガザンが吠えたらなだめることなくすぐに帰りますけど、それでもいいですか?」

そう質問されて勿論、春樹が頷いた。

結果、懐中電灯を持つ紫揺の誘導の元にガザンと顔をあわせた春樹だったが、途端ガザンに吠えまくられた。
すぐさま紫揺がその場から居なくなった。

アチコチの部屋の電気が点き、窓から明かりが零れる。 身を低くした春樹が慌ててその場を去ったが、勢いよく階段を上がろうと一歩目で三段目に足を置き、もう一方の足を蹴り上げかけた時、点けておいた部屋の電気を消し忘れていたことに気付き、足を止め方向を変えた。 すると一瞬だったが、横目に小さな女の子が走っていく姿が見えた。

「え?」

一瞬の間逡巡したが、すぐに部屋の明かりを消しに行くとソロっと歩き出した。
ガザンの吠える声はもう聞こえない。 まだアチコチの部屋の電気が点いている。 足元は良く見える。 窓に自分が映り込まないように屈んで壁沿いに歩く。
と、呼ぶような甘えるような 「くぅ~ん」 という声が聞こえた。

「ガザンどうしたの? 何かあった?」

幼い声が聞こえる。 先程の女の子だろう。 時間が時間だけに声を殺してガザンに近寄っていく様子が見える。

「ふぅーん・・・」

ガザンと呼ばれる土佐犬は紫揺にも懐いているが、この少女にも懐いているという事か。 だが紫揺に対してとは随分と違う印象を受ける。
紫揺には鉄の壁となって守っているように思えるが、今のガザンの甘えた声からはガザン自身が少女に甘えているように思える。 自分と別れて紫揺がガザンの方に歩いて行く姿を見ていたが、ガザンが今のように甘えた声を出したことなど一度も聞いたことがない。

「試してみようか・・・」

と、その時、二階だろうか三階だろうか、とにかく上の方の一つの窓が開く音がした。 一瞬にして亀のように首を引っ込める。

「セキ、ガザンがどうかしたのか?」

途端、ガザンの唸り声が聞こえる。

「何ともない。 父さん、ガザンがまた吠えるから」

唸り声が大きくなる。

「まぁ、何ともなきゃいいけどな」

そしてとうとうガザンが吠えだした。 父親が首をすくめると窓を閉めた。

「ガザン、吠えちゃダメ」

窓に向かって吠えているガザンの首に腕をまわし、今にも窓に飛びつきそうなガザンの身体を止めている。

「バフ・・・」

止められても何度か吠えてから、最後は吠えにならない吠えで声が止んだ。

ガザンが唸ると紫揺は姿を見せずとも『大丈夫』 という声だけでガザンを黙らせる。 だがこの少女は紫揺ほどにガザンを黙らせる力がないのだろうか。 それとも唸るのと吠えるのとでは止めるのに時間の取られ方が違うのだろうか。

実家の犬は恐がりですぐに尻尾を股に挟んで吠えることすらなかったから、そこのところはよく分からない。

「ふーん・・・『大丈夫』 か」

顎に手をやると一瞬考えたが、少女が伏せをしたガザンに寄り添ってその場に座り込む姿を目にすると方向を変え、元来た道を辿りだした。

「また吠えたらあの子に迷惑がかかるもんな」

それに試したいことは試す必要がなくなった。 此処に自分が居るのをガザンは臭いで分かっているはずだ。 なのに唸らない。 もしかしてそれは少女が横に居るからかもしれないが、少なくとも唸った時には紫揺がガザンに声を掛けているし、それよりなにより犬なのだ、離れていても臭いで紫揺が居ることは分かっているだろうし、耳の良い犬が紫揺の話し声が聞こえない筈はない。 少女のように横にこそ居ないものの、紫揺の存在は分かっていたはずだ。
ということは、やはりあの唸り声は紫揺を守っているのだろう。 自分と長く話している自分に威嚇を送ってきているのだろう。 もしそうなら

「なかなかやってくれるな」

壁伝いに歩いていた腰を伸ばすと丁度、三階の一室を残して部屋の明かりが消えた。 その一室はさっき父親が明けた窓。 少しでもセキに足元を見やすくさせるために点けているのだろう。
その明かりを最後に見て、建物の中に入り部屋に足を運ぶ。

「俺だって出来ることはするさ」

だが、その出来ることは友達の父親に船を出してもらう算段をするだけ。 今はそれしかない。
さっき紫揺と話していた時、ついうっかり口にしてしまった迷い。

『俺は・・・どうしたらいいんだろうか・・・』

それは紫揺を此処から出した後のことを言っていた。

紫揺の話からは、誰にも分からないようにここを出ようとしている。 ということは、紫揺を出したことがバレて此処を追い出されるかもしれない。 こんな給料のいい所はそうそう見つからないだろう。 だがそのことで此処を出されたなら諦めをつけるしかないし、そうなると逆に此処に括られることは無いのだ、紫揺に会いに行くことが出来る。
もしバレなかったとして、このまま高級が続くし何より好きな仕事だ。 だが紫揺が此処を出てしまっては、そうそう簡単には紫揺と会うことが出来なくなる。

どちらも蹴り難い、選び難い。

「クッソ、俺ってこんなに優柔不断だったのかよ」

時間が時間だ。 バン! と自室のドアを閉めたい衝動を押し殺してそっとドアを閉めた。


部屋に戻った紫揺。 とは言ってもムロイの仕事部屋である。 自室なら木を上って枝から窓に向かい飛び込み前転をしなければならないが、一階にあるムロイの仕事部屋は鍵を開けていた窓を開ければそこから入ればすむことである。 自室に帰るより数段早く戻って来られる。

「ガザン、どうしたんだろ」

一旦止んだはずのガザンの声が大きく聞こえてくる。
気になる。
窓の傍でウロウロしているとそのガザンの声が止んだ。 と、紫揺の足も止まる。

「セキちゃんが見てくれてるのかな」

暫く耳を澄ますが何も聞こえてこない。 ホッと胸を撫で下ろして窓を閉めるとシャワー室に向かった。 ガザンが吠えたことによって全速力で此処まで走って来た。 その汗を流したい。
ふぅー、っと息を吐く。
濡れた髪をバスタオルで拭きながらソファーに座る。

「髪、大分伸びたな・・・」

タオルドライだけでは乾かなくなった。

ホテルに居た時はニョゼが部屋に美容師を呼んでくれたが、屋敷に来てからは髪の毛など切っていない。

「どれくらいになるかな・・・五か月くらいかな」

あと数日で七月になる。 十一月になれば攫われてから一年になる。

「明日また、トウオウさんのところを訪ねなきゃいけないかな」

『シユラ様は自分の力を知り、使い方を知る』 それは力を試せという事。
そして『最初は花を咲かせることから始めたらどうだ?』 とも言われた。 何故なら 『誰にも迷惑をかけないだろうからな』 と。

紫揺は感情がそのまま具現化するといい、また破壊でも起こさない為に言ったのだろう。 それはニョゼからも言われていた。 とは言え、ニョゼはもっと優しい言葉を選んで言ってくれていたが。
だがその忠告さえも虚しく何もしていない。

嘘でもトウオウの元に行く前に何かを試してみようか。

ニョゼに聞かれて 『嬉しい時に・・・嬉しく思った時にお花が咲いた・・・』 そう答えた。

「ふん」

何か得心したように一人首肯する。

「嬉しく思うか・・・」

そして部屋を見渡した。

「えっと・・・本と文房具以外何にもないけど」

花を咲かす種もなさそうだ。
一つ腕を組む。 が、何にも頭に出てこない。 口を尖らせ顔を左右に振る。

「・・・明日にしよ」

トウオウの元を訪れる前に庭で試してみよう。 
当たるも八卦、当たらぬも八卦の域である。

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虚空の辰刻(とき)  第110回

2020年01月06日 22時11分43秒 | 小説
『虚空の辰刻(とき)』 目次


『虚空の辰刻(とき)』 第1回から第100回までの目次は以下の 『虚空の辰刻(とき)』リンクページ からお願いいたします。


     『虚空の辰刻(とき)』 リンクページ




                                      



- 虚空の辰刻(とき)-  第110回



あの時言った。
『あの・・・私、自分に出来ることがあれば何でもします』

それなのに話をはぐらかすようにトウオウが言った。 だけど
『へぇ・・・んじゃ、この傷を消してくれる?』

そう言われた時には何も返答できなかった。
『自分に出来ることがあれば』 などとはへりくだった言いようなのかもしれないが、聞きようでは高圧的な言い方だったのかもしれない。
実際、謝りたい紫揺を置いてトウオウがそう言ったのだから。

『・・・え』
『出来ないだろ? 出来ないことを言うんじゃないよ』

たしかに 『自分に出来ること』 と言った。 『何でもする』 とは言っていないが、嘘か本気か、では古参を黙らせろなどと言われたが、それも出来るはずがない。 やれと言われて出来ない事ではないが、やれるはずがないのは明白だろう。

トウオウの異なる双眸が今をもって、念を押すかのように紫揺と目が合った。 気がした。

「トウオウさん・・・」

紫揺の考えの中で、トウオウはこう言えばよかった筈。
“背中の傷に紫揺が責任を負いたければオレの言うことをきけ。 自分の力を知れ” と、そういう交換条件でも良かったはずだ。
だが、トウオウはそんなことを一言も言わなかった。
それどころか。 傷の事は自分の選んだことなどと言っていた。

「やめて欲しいんだけど・・・」

そんな言葉が出た。
借りは作りたくない。
でも、今の状況でそんなことは言ってられない。

「どうしたらいいんだろうか・・・」

何度も逡巡しては自分を言いきかすのに、また考えてしまっている。
大きく溜息を吐く。

「トウオウさんが女子だった・・・」

思い出すと北の領土でアマフウと一緒にお風呂に入ったのも頷ける。 あの時は恋人同士だと思っていたし赤面しかけたが、なにより同時に聞いたムロイとセッカが婚約していたという方に驚き、セイハの言う『婚前混浴』 という言葉に驚いてしまって、トウオウとアマフウのことを訊くこともなかった。

窓の外を見る。 月が上がっている時間。

「なる様にしかならないかな・・・」

脱出できるとも限らないのだから。
窓を開けると身を踊らせた。


夜な夜なガザンに会いに行く。 ガザンを利用しているようで離れるまではガザンに謝りたいという気持ちもあるが、それ以上にガザンの身体の暖かみに触れると心が落ち着くからだ。

謝るのはセキに対してもそうであるが、セキとは言葉で通じ合えた。 だがガザンに通じ合えるのはセキだけ。 どれだけ紫揺が思おうとガザンに伝えられない。 それを歯がゆく思うが、ガザンの暖かさに触れるとそれさえも忘れられるほど心穏やかになれる。

「あ、そう言えば・・・」

春樹のことを思い出した。 ガザンの次に脱出に貢献してくれる人間なのにすっかり忘れていた。
『明日も此処だよね』 そう言っていた。 船を出してくれる話が展開する可能性があるのだろうか。

「わっ! 先輩、待たせたかな」 思わず回廊を走る。



丁度、休憩に入った時だった。 馬車を降りようとした薬師が、薄目を開けたムロイに気付いた。

「領主! お気が戻られましたか!?」

骨折からの発熱も口に運んだ薬湯でなんとか治まっていた。

「・・・?」

マツリの言うところの疲れから寝ている、と発熱からの混濁から今回はやっと、はっきりと意識が戻ったようだ。

「セッカ様をお呼びします」

「セッカ?」

馬を駆ってかけつけたセッカが先ほど馬車に追いついていた。
ムロイは単に領土に残っていると思っていたのに、馬を駆っていた時に目の前を走る馬車。 訝しんで馬車を止めた。
するとそこにムロイが横たわっていると聞いた。 驚いたセッカが馬車から下りて来た薬師の説明を聞いた。

「ご心配をされております」

「セッカが?」

薬師が首肯するとすぐにセッカを呼びに行った。

「まぁ・・・!」

ムロイの姿を見て第一声がそれだった。
セッカに止められた馬車であったが、まだ目覚めていないムロイの姿を見せるには酷だろうと、薬師はその時にムロイの説明をしただけで姿を見させなかったのである。

「フッ、それ程可笑しいか?」

顔を動かそうとして痛みが走る。
薬師がセッカを呼びに行っている間に己の姿を見た。 腕にも足にも固定するように木が添えてある。 そして見ることは出来ないが顔の中心にも違和感があるし、顔中に晒(さらし)がまかれているのを感じる。

「イヤですわ、可笑しいなどと。 さぞ痛いでしょうね」

ムロイの姿を見れば誰もがそう思うだろう。
セッカがムロイの枕元に膝を着いた。

「痛いかどうかも今は分からない」

「え?」

「痛すぎて分からないのか、薬師の薬草で分からなくなっているのか」

「痛みすぎて分からなくなっているようには、お見受けしませんわ」

「そうか。 では、薬師が良くやってくれたのかもしれんな」

「薬師・・・。 そうですわね。 薬師が調合する薬草はいいものかもしれませんわね。 あちらの副作用があるような薬と違って」

見た目はギプスより随分と粗雑な添え木を使っているが、痛みを感じないのであればそれは彼の地(日本)での医療と匹敵するのではないかと思われる。 ましてや副作用のない調合。 今まで後進と思えるこの地を疎んじていたが、薬師の力を改めて知った。

「心配をかけたようだな」

「当たり前ですわ」

少し拗ねたように言う。

「そう言うな。 ・・・相談がある」

「え?」

ムロイの口からそんなことを今までに聞いたことがない。

「それは今すぐでなければいけませんの?」

「いや・・・」

マツリは『待つ』 と言ってくれていた。
マツリに甘えたくは無いが、今どれだけ話そうとも、この身体で紫揺を連れて行くことなどできない。

「では、身体の具合が戻ってからではいかがかしら? あまり話しますと鼻の骨が歪んでくっ付きますわよ」

「え? ・・・っつ!」

「あら、ご存じありませんでしたの? 鼻の骨も折れているそうですわよ。 お喋りは余りなさいません方がよろしくてよ」

言い終わるとそっとムロイの左手をとると両手で包み込んだ。

そう言われれば、薬師から鼻の骨が折れていると聞かされたことを思い出した。

セッカを婚約者に選んだのはそろそろ跡継ぎを考えないと、と思ったのが最初だった。 セッカでなくても誰でも良かったが、あの屋敷を知る者、彼の地である日本を含む海外を知る者でないと、最初から説明するには時間がかかり過ぎるし、説明したものの受け入れられなくては元も子もない。 我が母親のように。

では、屋敷も彼の地も知る者といえば五色とニョゼしかいない。 アマフウ、トウオウ、セイハ、ニョゼなどはムロイから見ればまだ子供。 残るのはセッカとキノラ。

キノラは仕事の上でよく働いてくれる良いパートナーであるとは思うが、ぶつかり合うこともある。 無論どんなにぶつかっても、領主という職権乱用と言われればそれまでだが、最後にはムロイの言う方になる。 そんな間柄で夫婦になれば職権乱用も使いづらい。 結局、消去法でセッカを選んだのだが間違ってはいなかったようだ。

セッカの手の暖かさを感じる。
馬鹿ほど寝たはずなのに深い眠りに落ちていくのが分かる。



塔弥に説き伏せられ領主は一旦屋敷へ戻るということになったが、塔弥はそのまま空港に残った。 その二日後、ようやく明日、空の便が動くと聞いた。
やっと居座った台風が去り、定期便の時刻から随分と遅れてだが飛行機が出ることになった。 塔弥からの連絡で領主がすぐに屋敷を出た。

空港で塔弥に会い、阿秀に連絡をすると眉根を寄せた。

『今から那覇空港まで飛び、それから小松空港に飛ぶには直行便はないと思います。 那覇空港に着かれたころにご連絡いたします』

そう言って電話が終わった。

前回同様、那覇空港までは分かるが、本土の地をよく知らない領主に代わって阿秀がチケットの手配をするようだ。

「塔弥、疲れただろう。 悪かったな」

疲れもあるだろうし、あの風雨の中を走って来ていたのだ。 今は濡れていた服は乾いているが、塔弥の体力あっての事だろう、風邪を引いた様子も無ければ声さえ掠れていない。

「いえ、私が言い出したことですから」

領主を説き伏せるための手段だったのだから、領主の謝罪を受けてもいい筈なのにそれを受けることをしない。

「独唱様がお身体を起こしておられる。 添うてもらえるか?」

「え? お身体の具合は・・・?」

「随分とよくなられたようだ」

「葉月が良くしてくれたからでしょう」

何を言っても頑固なほどの謙虚の持ち主。 今すぐにでも独唱の具合を確かめたいだろうに、領主を見送ろうとしているのがありありと分かる。

「わしは車だ。 塔弥は歩いて帰らねばならん。 さすがの塔弥も車より早くは走れんだろう? 一刻でも早く独唱様に付いてくれ」

「葉月が付いております」

「こう言っては何だが、独唱様のことは葉月は此之葉ほど出来んぞ。 それに此之葉も塔弥ほどに出来ん。 独唱様の我儘にお仕えできるのは塔弥くらいだ。 分かっているだろう」

「我儘などと決して」

「頼む。 独唱様の元に付いてくれ」

「・・・分かりました」

「では、留守の間、独唱様を頼む」

領主が身をひるがえすと、塔弥の去る足音が聞こえた。

「塔弥・・・未だ行方不明の曾祖叔父のことが・・・」 そこまで言うと頭を振った。

塔弥の頑固さは曾祖叔父のことがあるからだと領主は思っている。 塔弥は曾祖叔父に会ったことは無いが、伝え聞いて曾祖叔父の存在を知っている。

「・・・独唱様も同じか」

独唱と塔弥の絆に誰も入ることが出来ないのは尤もなことだと思う。


那覇空港に着いた領主が、阿秀からの連絡を受けて呆然自失となった。

前回は穏やかに消えた台風だったが、今回は領主の進行方向と同じに進んでいて、ましてや勢力を上げているらしい。 尚且つ、ゆっくりと進んでいるという事である。

『空港近くにホテルを取りました』


「阿秀・・・」

スマホを切った阿秀に醍十が不安げに問う。

「何を言っても始まらない。 相手は自然なんだからな」

「でも、紫さまがまた北に行ってしまわれては・・・」

「取り越し苦労はやめろ。 今あることに専念するしかない」

スマホをテーブルに置くと醍十に向き直った。

「今の問題は・・・」

「容易に島に上がれないということ」

「そうだ。 領主が来られるまでにそこを解決せねばならん」

野夜からの連絡では、島の周りに吠えたくる数頭の犬と、現段階で確認できている獅子が一頭いると報告があった。

『あれだけ吠えられれば容易に島に上がることも出来ませんし、かなり凶暴なようです』

双眼鏡で見ていた時、偶然にも船が一隻入ってきてその時にかなり威嚇する声が響いたということであった。

『凶暴?』

『そのように躾けられていると思います。 それに―――』

と、野夜が続けたのは、桟橋は犬の居る方にしか無いという事であった。

『獅子は?』

『見るからに恰幅のいい獅子を一頭確認しました。 獅子だけに近寄ることも出来ず、何頭いるかの確認は容易には出来かねると思います。 島の四分の三は常に犬が闊歩しています』

『残りの四分の一が獅子か・・・』

『はい』

『・・・獅子の居る方に船はつけられるか?』

『岩礁が多く近くまでとなるとかなり無理があります。 船をつけるには犬がいる方が容易いかと』

「北もやってくれるな」

そう言うと醍十の横に座っている此之葉に目を移した。

「此之葉、領主を迎えるには少々時間が必要だ。 自分の部屋に戻って休むといい」

ここは小松空港にほど近いホテルの一室。
返事のない此之葉を阿秀が見遣る。

「どうした?」

「・・・此処に来て何か違和感を持ちました」

「それはどういうことだ?」

距離的に北の領土の者の土地に近くなってきたのが、此之葉に何かを示したのだろうか。

「これは紫さまの気でしょうか・・・」

紫の気と言われてしまっては阿秀には何も分からない。 勿論、醍十にも。

「何か感じるのか?」

分からないままにも、古(いにしえ)の力を持つ此之葉にそう問うしかない。

「どこかで気を感じていましたが、これはもしかすると紫さまの気かもしれません。 とても薄いので言い切るには自信がないのですが」

「どういうことだ?」

「これが紫さまの気であられるなら、紫揺さまの中で紫揺さまの気を置いて紫さまの気が大きくなっておいでのようです。 ですが途切れ途切れで把握しかねていましたし、紫揺さまの気は感じませんし・・・」

紫揺のことはずっと紫さまと言っていたのだ、此之葉が紫揺さまと言って一瞬誰だろうと思ったが、紫揺さまとは紫さまの事だとすぐに頭の整理がついた。

「紫さまに何か変化があったという事か?」

「具体的には分かりませんが、紫揺さまの中で紫さまの気が大きくなられたのではないかと、感じています」

同じことを繰り返して言う。 それ以外の説明のしようがないのだから。

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虚空の辰刻(とき)  第109回

2020年01月03日 22時06分27秒 | 小説
『虚空の辰刻(とき)』 目次


『虚空の辰刻(とき)』 第1回から第100回までの目次は以下の 『虚空の辰刻(とき)』リンクページ からお願いいたします。


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- 虚空の辰刻(とき)-  第109回



北の領土に行って初めてまともにトウオウの目を見た時の、あの優しいトウオウの目。 あの時と同じ目が今、目の前にある。
そして口元には先程とは違った笑みをたたえている。

「出来ることって・・・」

「分かってるだろ?」

「それは・・・トウオウさんの身体には関係のないことです」

「関係なくないんだけどな」

「私の出来ることをしたとて、トウオウさんの傷が治るはずありませんから。 それに・・・出来ませんから」

「ああー、メンドクセー! だから女って―――」

「トウオウ様!」

我慢しきれず、とうとう古参が口をはさんだ。

「お言葉を選んでくださいませ」

「・・・はいよ」

上がりかけた気が古参によって鎮められ、軽い返事を返す。
その返事に古参が半眼になるが、そんなことは意としない。

「オレの傷は治せないし、爺も黙らせられないんだろ? だからそれで終り。 それにシユラ様の責任じゃないから。 オレが勝手にやったことってのを、頭においてくれなきゃ困る」

紫揺が口を挟みかけたのをトウオウが目で制し続ける。

「シユラ様は出来るんだよ。 ってか、出来ることをやるんだよ。 やってみて力の加減を覚えるんだ」

「だって!」

「だって? その先はなんだろうね」

「出来るはずないです! どうして! そんなことを言うんですか!?」

こんなはずじゃなかった。 トウオウの身体が心配で来ただけなのに、こんなことを言いにトウオウの元を訪ねたはずじゃなかったのに。

「うん、いいね。ThreeDじゃないけど、3Dだね」

「え?」

「だって、どうして、でも。 どれもDだろ?」

「それって・・・男の人が嫌う3Dですよね」

どこか不貞腐れて言う。

「無言より随分マシだよ」

「・・・やめてください」

一気に冷めた。
紫揺の感情が沈下したのを見止めたトウオウが言う。

「オレのことを心配してきてくれたんだろ?」

「はい。 心配だし私の責任でトウオウさんが―――」

「さっき言ったよね、責任? じゃ、どうやってシユラ様が元の身体に戻してくれるの?」

そう問うと、一つ間をおいて続けて言った。

「出来ないことを言うんじゃないって言ったよね? それにこれはオレの勝手でやったことって言ったよね」

「はい・・・」

「うん、それでいいんだよ」

「・・・」

「オレの勝手でやった事なんだから、オレの身体はオレが診る。 オレの身体をこうしたのはオレだからな。 だからシユラ様は関係ない」

古参の口元がヒクヒクと動く。 それを見ていた若いトウオウ付きがほぼ呆れた表情をみせるが、トウオウも紫揺も気付いていない。
若いトウオウ付きが紫揺を椅子に座らせようと、ずっと椅子を持っていたが、話に入る隙が出来ない。 椅子を持ったまま古参の顔を見ているしかなかった。

「そんなことっ!」

「何度も同じ話を繰り返させんなよ。 オレはオレの考えを以ってあの時シユラ様と話してああなった」

「だからと言って!」

「だから何? オレはオレの信念に背かなかっただけだ。 後悔なんかない。 なにか? シユラ様は自分のやったことに後悔をするのか?」

「それは・・・」

「それは、何?」

「・・・あの時、自分が何かをするなんて分からなかったし・・・」

「それはあの時の話だろう? 今シユラ様が此処に来てるのは、何もかも分かってなんだろ?」

「・・・何気なくは」

無言でいたかったが、トウオウがそれを嫌う、何かを言わなければ。 そして出た答えがそれであった。

「ふーん・・・。 何気なくね。 心配してきてくれたのは分かった。 で? 他に? 何かある?」

「・・・あ」

「あ、じゃないよ。 なに?」

「・・・トウオウさんの身体の具合だけが心配で。 それに自分に出来ることがあればって・・・」

「うん、言ってたよね。 念を押して言う。 オレはどうってことないよ。 爺がうるさいだけ。 それに―――」

「トウオウ様」

トウオウの言うことに被せてとうとう、古参が声を掛けた。

「なに?」

「これ以上はお身体の具合がございます」

「どうってことないって。 大袈裟なんだよ」

「シユラ様、申し訳ありませんが」

古参がトウオウから紫揺に目を転じ、深くお辞儀をした。

「爺! 勝手にシユラ様とオレを剥がすなよ!」

古参に言われ、立ち上がろうとした紫揺が止まった。

「トウオウ様、何度も言っておりますが、オレ等というお言葉はお控えください」

古参はトウオウの身体の心配もあるが、何より連呼される『オレ』 が気にくわなかったようだ。

古参の言いように紫揺が背筋をゾッとさせた。 トウオウが『私』 もしくは『わたくし』 などと言うかと思うと笑うより寒気がする。

「分かりましたよっ! だからオレ・・・じゃなくて、自分は何ともないから、もう少しシユラ様と話させてくれ」

そっか『自分』 という手があったか。 紫揺の背筋がホッと安心する。

「お身体のことをお考え下さい」

「なんてことないよ」

「トウオウ様!」

「なんてことない!」

若いトウオウ付きが大きく歎息を吐いた。
トウオウと古参。 この二人は顔を合わせる度にこの調子だ。

『オレ等と! わたくしと仰ってください!』
『そんなもん言えるか!』
『そんなもんではありません! そのようなことです! それに言えるか、ではございません! 言えません、でございます!』
『言葉なんてどうでもいいんだよ! 伝わればいいんだよ!』
『トウオウ様はやっとお生まれになった、五色様でございます! もう少しお淑やかに!』
『やってらんねー』
『トウオウ様!』

何度こんな会話を聞いたことか。

「あ、あの! ごめんなさい。 本当に。 トウオウさんの傷を無かったものに出来なくて」 深く頭を下げる。

「シユラ様どっち向いて言ってんの?」

紫揺は古参に頭を下げていた。

「爺はオレの親でも何でもないからっ」

「また! オレ等と!」

完全に紫揺の存在を無視してトウオウに言う。

「爺、分かったって。 そうだな、北の領土に帰ったらちょっとは改めるからさ、此処に居る間はちょっとの言葉くらい見逃してくれないか?」

「ちょっとではございません。 それに見逃すなどと・・・。 空音でございましょうか?」

「そこまで言うか?」

「今までのトウオウ様のことを思いますに、真実ではないかと?」

「あ、あの!」

「なんだよ!」 「なんだ!」 トウオウと古参の声が重なり、声の元である若いトウオウ付きを睨みつける。

「今はシユラ様がご訪問をされておいでで・・・」

言ったものの、二人に睨まれ尻すぼみになるしかない。 椅子を持った手の力も抜ける。

「あ、そうだった。 爺、ぜんぜん何ともないからいいだろ? シユラ様と話がしたいんだ」

「お元気であらせられますことは、何よりでございますが―――」

お身体の具合がと言いたかったが、トウオウがそれを言わせなかった。

「何よりだろ? だからちょっと外してくれ」

「外すなどと! 何を仰られますかっ!」

爺の心配は幼少のころからだ。 今この状態でそれを全面的に退けるのはやや心が引けるが、今は紫揺との時間を持ちたい。

「分かった、分かった。 んじゃ、仰向けに寝るよ?」

「は?」

「オレが仰向けに寝るようなことになったのは爺のせい。 それで傷跡が残ったのも爺のせい。 どう?」

「それは、ほぼほぼ、恐喝でございますね?」

「人聞きの悪い」

「トウオウさん・・・」

二人の間に紫揺が入るが、呆れてそれ以上何も言えない。 それにトウオウは自分と話をしようとしてくれているのだ。

「爺、ちゃんとうつ伏せてるから、安心して。 んじゃ、シユラ様話そうか」

古参に向けていた視線を紫揺に移すと、諦めた顔をした古参が渋々部屋から出て行った。
「くれぐれもご無理をなさいませんように」 と念を押して。
若いトウオウ付きが紫揺に椅子を差し出すと慌てて後を追う。

二人の後を追っていた視線をトウオウに戻す。 トウオウと目が合った。
オッドアイ、異(い)なる双眸が揺れている。

「本当に痛くないですか?」

紫揺にとっては白紙に戻った状態だ。

「だから、背中は何ともないって」

「あの・・・本当にごめんなさい。 ごめんなさいで済まないことも分かってます」

「だから、やめろって。 何回も言わすな。 それにオレ、そういう事って・・・」

トウオウが口を閉じ紫揺を凝視した。

「え? なんですか・・・」

うつ伏せていた身体を立てると、紫揺の顔に自分の顔を近づけた。

「ウザったいんだよ」

低い声で言う。 続けて 「無言と一緒でな」

「・・・」

言葉が出ない程の威圧を感じる。
トウオウが顔を離し、ゆるりとベッドに座る。

数秒の空間。 まるで一人北極に残されたような凍てつく寒さを覚える。

そんな紫揺を放っておいて、何もなかったかのようにトウオウが口を開く。

「さて、本筋を話そうか」

言いながら椅子に座るよう顎をしゃくる。

一転して柔和な眼差しを紫揺に送る。

「本筋・・・」

先程のトウオウとの違いに戸惑いつつも椅子に腰かけ耳を傾ける。

「さっきシユラ様も言ってただろ? 『自分に出来ることがあれば』 って」

「・・・はい」

「まぁ、それに乗るってんじゃないけど。 ソレはソレ、コレはコレってことでシユラ様に出来ることがある。 オレの言いたいことは一つだけだ」

「はい・・・?」

「シユラ様は自分の力を知り使い方を知る」

「え?」

「え? じゃないって。 何度も言ってるだろ。 まぁ、言葉こそ違うかもしれないけどな」

「破壊の・・・使い方?」

「あはは、破壊したって認めたね。 でも、あの時ソコソコ説明したよね? 覚えてる? シユラ様は破壊だけの力を持ってるんじゃないよ。 シユラ様は使い方の前に知らなくちゃいけないことがある」

「使い方の前に知らなくちゃいけないことが?」

「そう。 使い方の前に知ってもらわなくちゃならない。 シユラ様の気持ちがそのまま現象として現れるって、肝に銘じてもらわなくっちゃいけない。 そしてそれが複雑だという事もな」

「複雑?」

「それともオレが複雑と思ってしまうのは、シユラ様があまりに単純なのだからかもしれない」

「どっちですか?」

「ああ、そうだな。 それはきっと、シユラ様の性格が歪んでるからだろうな」

「は!?」

「言ったろ? シユラ様、アマフウと似てるって」

「はぁーーー!?」

紫揺の考える無駄な責任感。 トウオウの考えにとってそれは無駄以上の無駄である。 だが無駄以上の無駄というマイナスが掛け合わされて、プラスとなり、全くの単なる無駄が邪魔をする有害な無為になってしまっていた。 その無為が有意の邪魔をする。

だが今この瞬間、紫揺は無駄な責任感をやっと全き無為にし、思考の隅に押しやったようだ。

「ひねくれもの同士気が合うんじゃないか?」

嫌な笑みを口元に見せる。
思考の隅にあるものを完全に体外に出してもらおう。

アマフウより随分と操作しやすい。 軽くハンドルを切るだけで済む。 可愛いものだ。
アマフウはこんなことで何かのしこりを体外・・・心の外には出してはくれない。 それは心の傷が大きいからだろうが。

トウオウの笑に紫揺が反駁の口を開けるが、軽くトウオウにいなされてしまった。


結局トウオウからは
『オレたちは体と心を繋げなければ何も出来ないけど、シユラ様は心ひとつ、想い一つで出来るんだ。 感情が具現化する』 と、あの時に言われたことと同じことを言われたが、忘れている所も思い出させてくれた。

結局トウオウもニョゼも同じことを言っていた。
ただトウオウからは、くれぐれも感情的になるなと言われた。 『アマフウと同じだと言われたくなかったらな』 と付け加えられて。

そして最初は花を咲かせることから始めたらどうかとも言われた。 それにも付け加えられたことがあった。
『誰にも迷惑をかけないだろうからな』 悪戯な目で見られたが、誰かに迷惑をかけるとまた紫揺が落ち込むと思ったのだろう。

「トウオウさん、ズルイ」

シャワーから出た部屋の中で、ジャージ姿の紫揺が椅子に座り一人ごちた。

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