大福 りす の 隠れ家

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ハラカルラ 第14回

2023年11月27日 20時51分55秒 | 小説
『ハラカルラ 目次


『ハラカルラ』 第1回から第10回までの目次は以下の 『ハラカルラ』リンクページ からお願いいたします。


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ハラカルラ    第14回




「矢島との間にあったことは聞いた。 矢島の書いたものも見た。 それを水無瀬君に伝えるが、いいかね?」

長が水無瀬の持っていた紙を卓の上に広げる。

「いいかね・・・とは、どういう意味でしょうか?」

何が書かれてあるのかは気になるところだが、聞いた以上は責任を取ってずっとここに居ろということなのだろうか。 そうであるのならば聞かなくていい、聞きたくない。

「まず、言葉の意味が分からないだろう。 あとにこちらの言葉に変えて言うが、それでも分からないだろう」

分からないことを今から言う、という意味の 『いいかね』 だったということか。
ここまできて駄々をこねても始まらないし、分からなくとも書かれていることは気になっていたのだ、水無瀬が頷く。

「書かれていたのは・・・」

聞いてもはっきりと聞き取れない発音で長が言葉を紡いでいく。 発していくではない、紡いでいる。 そんな風に聞こえる発音だった。
長の口が閉じられる。

「そう書かれていた。 そしてこちらの言葉に変えると」

『扉を開けよ、閉めるでない 誰が為(たがため)のものか 扉を放て、作るでない』

「こういう風に言っている」

水無瀬が僅かに首を傾げる。 最初に長が言ったように、こちらの言葉に変えてもらっても意味が分からない。 一つ一つの言葉が分からないのではなく、全体の意味の流れが分からないのでもない。 だが何かが分からない。 その何かが何なのか。

「この言葉は矢島たちに引き継がれていてな、これにはまだ続きがあるのだが矢島は敢えてここまでにしたんだろう」

「どうしてですか?」

「万が一を考えて誰にも知られたくなかった、というところだろうかな」

「誰にも・・・」

ライが 『向こうには矢島的人間が居ない』 と言っていた。 ということは、この続きは向こうであるおじさん団体は知らないということになる。 いま長が言った誰にも知られたくなかったというのは、おじさん団体のことだろうか。
だとすれば、ナギはあの文字が読めないと言っていた。 きっとライも読めないのだろう。 読めないのは若いからだろうか。 おじさん団体もあの文字や意味を読み解くことが出来ないとしても、出来る誰か、お爺さんかお婆さんが居るということだろうか。
ライの言っていた確執とはいったい何なのだろうか。

水無瀬の呟きに長が頷いてみせた。

「それと・・・最後の三文字なのだが」

「はい」

最後の三文字。 そう言われれば色々と書かれている中で最後にポツンと三文字だけ行を空けて書いてある。 その文字のことだろうか。

「これは今言った中には含まれない。 うー・・・っと、これは・・・」

長が考えているようだが、知らない、若しくは思い出せないのだろうか。

「たしか・・・最後の文字は意味としては印(いん)だったと思うが、その前の文字は・・・」

「いん?」

「ああ、印(しるし)ということだ。 その前の文字が・・・ああ、そうだ」

そう言った長がまた聞き取れない言葉を口にした。

「それはどういう意味ですか?」

「こちらの言葉で言うならば “矢島、印” この二文字で矢島を表しているということになる。 日本風に言えば最初の二文字が矢島を表し、そこに判子を押したということになるのかもしれない」

木戸が開きワハハおじさんが入ってきた。 長の茶を持ってきたようだ。 長の前に茶を置くとすぐにまた出ていった。
もうぬるくなった茶を水無瀬が飲む。

「ライとナギがそこそこ話したようだが重要なことは何も言ってはない。 聞いてもらえるか?」

「ライとナギにも訊きましたが、聞いたとして俺はどうすればいいんですか?」

「水無瀬君のしたいようにすればいい」

「本当に?」

「ああ、破約などせん。 ああ、そうか、これすら口約束か。 信用してもらう他ないということになるか」

聞いても聞かなくても今のこの状態は変わらない。 逃げられないし、逃げられたとしても次にはおじさん団体が待っているだけ。

「では・・・そこのところは信用させてもらいます」

そこのところか、と顔をほころばせて長が言い、次に顔を改める。

「昔昔の話になる」

お爺さんは山に芝刈りに、お婆さんは川に洗濯に・・・という話ではなかった。

この村の先祖はずっと昔からここに住んでいた。 ある日、幼い兄妹が居なくなった。 村の者たちで探していたが、兄妹は何日も見つからなかった。 そしてようやく見つかったのが一年近くも経ってからのことだという。

「一人だけが村に戻って来た。 兄の方がな」

戻って来た兄は痩せ衰えていることもなく、着ているものも汚れていなかった。 妹はどうしたのかと母親が訊くと、聞き取れない言葉で場所を言った。
何度も何度も訊き返したが何と言っているのか分からない。 そこで母親はそこに連れて行くようにと言った。 すると戻って来た兄が首を横に振り連れてはいけないと言う。 ただ、心配することの無いようにと伝えたかっただけだと。
半狂乱になりかけた母親を村人たちが落ち着かせ兄に向き直った時、兄の姿はそこにはなかった。

姿がなかった・・・。 水無瀬の背筋にぞっと寒気が走った。 あの時、矢島と会った時もそうだった。 矢島の姿が消えていた。

それから三十年ほどが経った頃、傷だらけで服もボロボロになった兄が急に村人の前に現れた。 成長はしていたが顔に面影がある。 それに兄妹のことは誰もがずっと気にかけていた、すぐに誰かは分かった。 何人もの村人が駆け寄り介抱したが、残念にも数日後息を引き取ってしまった。
だが兄は言い残していた。 ある場所とあることを。 そして助けて欲しいと。

村人たちは互いに頷き合い、兄妹の両親は村人に兄の介抱を頼み、一部の村人と兄の言い残した場所に向かった。
その場所は村の奥の山の中にあった。 何でもない木々の中でこれほど奥に村人は入ったことがなかった。 木々の間を歩いて行くと段々と風景が変わっていく。 だがそれにすぐ気づく者はいなかった。
ずっと歩いて行くと次第に木々がなくなり辺り一面が水の中となっていた。

(え・・・)

魚が泳ぎ藻が水に揺れ刺胞動物が漂っている。 水の中なのに息が出来る。 誰もが呆気にとられた。 だが兄妹の両親だけはその様子に目もくれずどんどんと足を進めて行った。 そして大きく隆起した岩を上り穴を見つけると岩の中に入った。
その中に妹が居ると兄から聞いていたからである。
穴の中を歩き水の中から顔を出すと妹が倒れていた。 両親は水から出るとすぐに駆け寄り我が子を抱きしめた。
我が子の目が薄っすらと開かれた。
そして、ここを守って欲しい、そう言ったという。 懐から何か書かれたものを出し、お願い、と一言いい残して息を引き取った。
その紙には、この世にはこの世であってこの世でないものが存在すると書かれていた。

「最初のこの世というのは人が生きているこの世界、あとの二つのこの世というのは、この世界と交差するようにあるもう一つの世界。 水の中の世界がある、とイメージすればわかりやすいだろう」

「それは・・・平行世界とか水平世界とか・・・違うな。 ああ、パラレルワールド的なことですか?」

「そのような難しいことは分からない。 交差するもう一つの世界としか言いようがない」

紙には妹の跡を継ぐ者の事も書かれていた。
兄妹は水の世界を守っていた。 だがこの兄妹以外にも守っていた者が居る。 それは他の村の者だったが、兄妹はその村の者たちに襲われた。 兄がそう言い残していた。

両親は我が子の復讐も考えたが、兄妹はそんなことを一言も遺してはいかなかった。 血を飲む思いで我が子の思いを引き継いだ。

「どうして襲われたのか、その理由は未だに知れない。 それからは跡を継ぐ者が絶えることなく続き水の世界を守っている。 この村の者はその補佐をし、水の世界を荒す者に警告を促している」

「村の人達で補佐を?」

「そうだ。 跡を継いでいる者たちの補佐という形で」

「それが・・・その跡を継いでいるのが矢島さん、だった」

水無瀬は気付いている。 その絶え間なく続いている跡を継ぐ者が自分だということを。 だがそれを口にしたくはない。

「そうだ」

「矢島さんが亡くなったのは、その昔昔の兄妹を襲った相手に関係があるんですか?」

長が首を左右に振る。
矢島と昔々の話は関係がなかったようである。

「矢島は・・・そうだな、居なくなって一年ちょっと経つか。 急に居なくなった」

何故か長の言葉が止まった。
そして息を替えるように続きを話し出す。

「そうだなぁ、一昨年の終わりごろから見かけなくなったか」

一昨年の終わり。 ということは昨年の一月頭からと考えて、水無瀬と接触する二カ月ちょっと前くらいになる。

「理由は分からないんですか?」

また長が首を振る。

「何も分からない。 あっちの世界で何かあったのか、こっちで何か思い立つことがあったのか」

「ネットニュースで最初は身元不明と出てましたけど、両親兄弟とかご親戚とかに何かあったとか」

またもや長が首を振る。

「矢島は天涯孤独の身でな。 まぁ、そういうところから警察もあっさりこちらに身を渡してくれたんだろう。 一応、この村に住んでいたということは住民票から分かることだ。 この山を下りたところの駐在も顔確認に来て矢島だと証言してくれた。 それに矢島が持っていた写真にナギも写っていたからな、そのナギが矢島の遺体と対面して泣き崩れた」

「そうなんですか・・・」

あのナギが泣き崩れた・・・少々驚きである。

「水無瀬君もあの世界を見ただろうが、芯の奥までは見ることは出来ないはずだ」

「芯の奥?」

やっと長が首を縦に振る。

「矢島もそうだが代々がその場に足を運んでいる」

「あ・・・そこが、妹の倒れていたところ?」

「そこは入口になる。 芯の奥には託された者しか入ることが出来ないからな」

ああ、そう言えば、両親はそこまで行ったと聞いたのだった。 それにライが言っていた深部というのがそこなのだろう。

「水無瀬君の見えるあの世界自体を荒されても困るが、あそこならこの村の者でなんとか対処できるが、芯の奥となると入られる者が限られている、村の者ではどうにもならん」

あ・・・なんか話の風向きが怪しくなってきた。

「それじゃあ、その芯の奥ってところに他に入れる人が居るってことですよね?」

長が渋い顔を作って頷く。

「跡を継ぐ者は一人とは限らんのでな」

おお! いい方に風向きが変わってきたか?

「じゃ、その人の探し方は? 何なら俺も協力しますよ?」

水無瀬の心の内の声が聞こえたのか、長がじろりと水無瀬を見てから答える。

「矢島以外の他の跡を継いだ者が既に探し出して確保している可能性が無きにしも非ず。 それに簡単に探せるものではない」

「あ、そういうことで・・・」

「だがそれだけではない。 この村の跡を継ぐ者から選ばれた者は邪心を持ってはいない」

「邪心って・・・あの、俺色々持ってますけど?」

守銭奴ではないが金に頓着しているところはあるし、雄哉に先を越されないように彼女を作ろうともしている。 それにサラリーマンとして昇進も願っている。

「多分、水無瀬君が考える程度は誰しもが持っているだろう。 邪心とはそうではない。 例えば・・・水の世界を利用しよう、とか」

「え!?」

思いもしなかったことを言われ思わず声に出てしまったが、どうしてそんなことを考えるんだ、という疑問が頭の中を回る。

「どうしてそんなことを考えるのかと思っただろう、それが邪心が無いということだ」

「いや・・・この世でって言うか、自分の居る場所に居ればいいんじゃないかな、と。 たしかにあの、水の世界ですか、あそこは美しくて時の刻みを感じないって言うか、穏やかには居られますけど、それだけじゃ・・・ね?」

今までこんな風に言葉にしたことは無かった。 どちらかといえば、どうにかしてくれよ、という感覚があったという方が正解だが、こうして落ち着いて話を聞き、水の世界のことを自分だけではなく他の人も知っているのだという安心感から、こんな風な言葉になったのかもしれない。 それに敢えて言葉にせずとも、どこかでそう感じていたから今言葉になったのだろう。

「刺激がないか」

「まぁ、そんな感じです」

「水無瀬君はまだ見ているだけの状態で、完全に入ったことがないから分からないだろうが、あそこに行くと・・・多分だが、あの水に触れると色んなことがある。 例えば傷が治ったり不調が治ったりだな。 だから水と簡単に言っていいものかどうかと、いうところもあるんだがな」

「傷が治るんですか?」

「ああ、今頃向こうの何人かがあそこに行って傷を治しているだろう。 まぁ、こっちもだがな」

「どんな傷でも?」

剣戟が聞こえていた。 それにクナイも矢も飛んできていた。 クナイにしろ矢にしろ身体に刺さりでもすれば、その場所によっては命取りになる。

「ああ。 傷によっては時間がかかるがな。 単なるひっかき傷であれば、十分もあれば治る。 だからと言って即効性のある薬と一緒にしては困るがな」

長が頷いて含み笑いを向けてきた。

「どうだ? そう聞いてあの世界の水を持ち出しこっちで売るか?」

思わず水無瀬が首を振った。 左右にブンブンと音がしそうなほどに。

「とんでもないです。 そんなことをしてあの場を壊したくないし、あそこはあそこ、こっちはこっちです」

どうしてこんな風に言えるのだろうか。
さっきもそうだった、今まで言葉にしなかった言葉がつっかえることもなくスラスラと出てくる。

「壊すというのは穢すということか?」

「はい、そうです。 あそこはそういうところです」

理由なんていらない。 あそこがそういうところであることは間違いない。
長が納得するように何度も頷く。
やはり矢島が選んだ青年だ、と口にしたいが今はまだ控えておこう。

「あの、話が戻ってしまいますけど、先ほど矢島さんが亡くなられたのは、昔昔の兄妹を襲った相手は関係ないと仰っていましたが、それはどうして分かるんですか?」

「関係ないとは言っていないはずだが?」

そうだった、首を振っただけであった。

「あ、そうでした。 すみません思い込んでしまってたようです」

「正直だな、そんなところで謝らんでいい。 煉炭の見本にしたいもんだ」

(レンタン・・・そう言えばワハハおじさんが言っていたな、俺に謝らせないといけないと。 それにしても珍しい名前だな。 まぁ、レンタルよりマシだろうが)

「はっきりと言わなかったこっちが悪い。 兄妹を襲った相手は水の世界から居なくなったということだ。 水によってどこかに飛ばされたらしい。 それ以降、何十年もして、跡を継ぐ者がやって来たということだが、その時と違って大人しいもんでな」

水無瀬の頭に新たな疑問が浮かんだ。

「あの、そこって俺を攫おうとしているところではないんですか?」

「いや違う。 水無瀬君を必要としているのは跡を継ぐ者を失くした村だ。 水の世界には・・・」

水の世界には四か所から入ることが出来る。 最初に入ったのがこの村。 それからのちに順々と三か所から入ってきた。

「四か所から・・・」

ということは、敵が三団体いるかもしれないということ。 いま長が言った一団体を抜いても二団体。

「入る入り口を門と考え、黒青朱白の門と、四か所の言いわけをしている。 それはどこも同じように言いわけをしている。 相手を指す時に、朱門青門などと言うこともある。 兄妹を襲ったのは青門の者たち。 水無瀬君を襲ったのは・・・朱門の者たち」

長が言いにくそうに言う。 他の門の悪口を言うようで嫌なのだろうか。

「跡を継ぐ者を失くしたっていうのは、何があったんですか?」

「矢島で例えると分かりやすい、矢島が水無瀬君を探したことと同じだ。 矢島がどれだけ探しても水無瀬君を見つけることが出来なかったら、跡を継ぐ者を失くしたことになる」

「でも俺以外にも居るんですよね?」

「たしかにそうだが、矢島の目に水無瀬君が止まったということは、矢島が水無瀬君を認めたということ。 さっきの話ではないが、水の世界を利用しようと考えるような輩を矢島は認めない。 そして水を見ることが出来る者が他に居なくもないが、その程度では芯の奥に入ることは出来ない。 それを見極めることが出来るのが矢島であり、跡を継ぐ者でもある」

だから朱門には見極める者が居ない。 朱門は何代も前に矢島的存在を失くした。 だから他の門に頼るほかなかったが、白門は全く姿を現さない、青門は黒門の兄妹に手を掛けた、だから何を考えるか分からない。 そこで選ばれたのが黒門だった。 だが黒門はそれを拒んだ。

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ハラカルラ 第13回

2023年11月24日 21時31分35秒 | 小説
『ハラカルラ 目次


『ハラカルラ』 第1回から第10回までの目次は以下の 『ハラカルラ』リンクページ からお願いいたします。


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ハラカルラ    第13回




ライが水無瀬を戻している間にナギが連絡を取っていた。

『そうか、やはり彼で間違いないということだな』

「はい。 とは言っても長に見てもらわなければ分かりませんが」

矢島が書いたことは書いただろうし、矢島がこんな風に書いたものを無暗に渡すはずがない。
『頼む』 と言ってたそうだが気になるのはその内容である。
水無瀬には後継者と言ったがその確証があったわけではない。 たしかにこの書かれたものは大きく決定的なものとなるが、矢島が何を考えていたのか分からない。

『彼の移動だが・・・』

「はい、はい。 はい、分りました。 ではそのように」

通話を終え、窓の外を見るとライが水無瀬の尻を支えている。

「水無瀬ぇ、このヘッピリ尻どうにかなんないのかよー」

「そんなこと言われても」

来た時以上にこの高さが怖くなってしまっていた。 何故なら、よく見るとこちら側の柵の下部分が錆びて朽ちかけていた。 それも変に体重移動をすると、このまま柵と供に落ちてしまう可能性が高いほどの錆のつきかたであった。

そりゃ、腰も引けるだろう。

来た時に揺れるなぁとは思っていたが、それは柵が細いからだと思っていた。 だがそうではなかったというわけである。

「どんくさい・・・」

ナギが窓から出て柵をひと蹴りすると、ベランダの間にある境の壁と水無瀬をひとっ跳びに乗り越えた。
柵が揺れる。 叫ぼうとする水無瀬の口をナギが押さえる。

「大声を出すな、表にまで聞こえる」

「揺らすからだろうがぁ・・・」

訴える声に力がない。

「手をこっちに伸ばせ」

女性の手をこんな形で握るとは、と思ったのも束の間。 柵の様子を感じながらゆっくりと手を伸ばすと、むんずと二の腕を摑まれ、挙句にとんでもないことを聞かされた。

「ライ、投げろ」

「よっしゃー」

「は?」

身体が浮いて、足が柵の外に出て・・・。
・・・ベランダに引き込まれた。
ちゃんと足の裏で着地をした水無瀬は声を出す間もなかった。

「里と連絡を取った。 今晩、向こうが動く前に動く」

「・・・ふぁい」

きっと今の俺の口からは魂が出ていってることだろう。

ライとナギの手を借り部屋に戻ったが、盗聴器というのが気になる。
盗聴器という物のことをよく知っているわけではないが、壊されたり場所を移動したりすれば受信側でそれなりに分かるのではないだろうか。
そうだとすれば、また設置をしに来る可能性があるかもしれない。 水無瀬の居ない間に忍び入っていてもおかしくない。 ライの話からするとライたち団体も勝手に部屋に入ったようなのだから。

部屋の中を見回し見慣れない物がないかをチェックする。 二股や三股コンセントの盗聴器もあると聞いたことがあるが、この部屋には元々そんなものはない。 一応コンセント全てを確認するが、どこにもそんなものは差さっていない。

玄関と台所もチェックをしてふと思い出した。 ライが言っていたではないか、盗聴器は全員に仕掛けられたはずだと。 その盗聴器を仕掛けられた全員にそれらしい話はなかった、水無瀬一人が絞られることを言ったと。 その前には 『そこで盗聴器の出番』 と言っていた。 それに部屋を見張られているとも言っていた。
ということは、盗聴器があるに越したことは無いだろうが、本来必要とされている案件は解決されているということになる。 不本意だが。

取り越し苦労だったようだ。
こたつに足を突っ込んで・・・暖かくない。

「あ、コンセントさすの忘れ・・・」

あ、これか。 きっとこんな風に独り言を言ってたんだ。 それを盗聴器を通して聞かれていた。
誰かが居る時にもこんな風に独り言を口にしていたことがあるのだろうか。 そうだとすれば気味の悪いお兄さんではないか。
おっさんとは言いたくないし、まだその年齢ではない。

コンセントをさしてこたつの上に置いてあるスマホに手を伸ばした。 着信ランプが点滅している。
電話の着信相手を見るとやはり雄哉だった。
スマホに “着拒かい!” と叫んでいる姿が目に浮かぶ。

「雄哉、俺は雄哉を守りたいだけなんだ」

気取って言ってみた。


丁度ラーメンを食べ終えた時、窓をノックする音がした。 水無瀬が顔を巡らせるとライが立っている。
クレセント錠を開錠し窓を開ける。

「暗・・・」

明かりを漏らしたくなくて電気をつける気にはなれなかったが、食べる時には多少の明かりが欲しくなってくる。 だからベッドのある奥の部屋に引っ込んで襖を閉め、スマホのライトを点けていた。

「部屋が暗いの? 水無瀬が暗いの?」

「部屋に決まってんだろ」

何処をどう見てその質問になるのか。

「そっ。 じゃ、行こうか。 あ、靴忘れんなよ」

「忘れんなよって・・・もしかしてここから?」

「裏側は見張られていない。 向こうも負傷者が多く出て人員不足なんだろうな。 ま、こっちも現在人員不足だけど」

「え・・・それで逃げられるのか?」

「逃げるわけじゃない、里に行く、だ。 それにこっちの人員不足は矢島の追悼だし、怪我人がいるわけじゃない。 まぁ、全くいないわけじゃないけど。 何人か応援に来てるからそうビビるな」

「ライ、早くしろ」

いつから居たのだろうか、ナギがライの後ろに立っていた。

「ほれ、行くぞ」 と指さされたのは、ベランダの柵に掛けてあった縄梯子だった。
ライの居た部屋とは反対隣のベランダ近くに掛けてある。 やはりあの錆は危ないようである。

靴を取ってきてボディバッグを肩に掛け、ライのサポートの元で恐る恐る柵を乗り越え縄梯子に足を掛ける。
人生普通に生きていて、ましてや自衛隊にもレスキュー隊にもなるつもりのない、何でもないサラリーマンになろうとしている人生に縄梯子など金輪際、登場しないだろう。

一段一段縄梯子を降りていると、ヒュッと風が吹いた。
え? と思った時にはナギが下に居た。

跳んだのか? 跳び下りたのか?
ようやく降りると縄梯子がライの手によって回収されていく。 そしてライが跳び下りてきた。

やはりナギは跳び下りていたのか・・・。 あの風は、俺の横をかすめていった風だったのか。 そうであるなら危ないじゃないか。 もっと離れてくれても良かったのではないか?

「こっちだ」

ナギが先頭を行き、そのあとに水無瀬が続く。 ライは後ろを気にしながら水無瀬の後に続いている。
この辺りはもちろん水無瀬も知っている。 このまま行くと踏切に出てその先の道が細くなっている。 車同士がすれ違うどころか、普通サイズの車一台が精一杯の道である。 宅配のトラックも通れなければ、線路に斜めに伸びている道だけに見通しが悪いため、車が睨み合いをしているのを水無瀬は何度か見たことがある。

「げっ!」

踏切を渡ると斜めに伸びる細い道に車が停まっていた。 完全に通せんぼの世界である。 こんな夜にここを通る車はそうないだろうが。

「乗れ」

ナギが言うがドアさえまともに開けられない巾しか空いていない。 運転席の後ろの細く開けたドアからなんとか身体を滑り込ませる。 何故かナギとライが走って行く。

「よっ、また逢ったな」

え? と思ってルームミラーを見ると、運転席の顔が水無瀬を見ている。 助けてくれた時に免許の話をした男性であった。

「あ、その節は」

エンジンをかけ踏切に尻を向けた車が動き出す。

「コラム、運転しにくかっただろ」

コラムとは言ってくれるがシフトはクラッチさえ踏めば入る。 迂遠に言ってくれているが完全に水無瀬のエンスト祭りを見ていたということである。

「はい・・・その、ミッションは教習所以来でしたんで」

コラムどころの話ではない。 こういう時は正直に言った方がいい、二度目ということが無きにしも非ずなのだから。

「ああ、そうだったのか。 悪いことをしたな」

ワハハと笑うが、よくこの細い道を笑いながら運転できるものだ。 少しでもハンドルがブレればブロック塀にぶつかるか擦るかしてしまうというのに。
ゆっくりと走っていた車が広い通りに出た。 ライとナギが居る。

「様子は」

運転席の窓を開けワハハと笑っていたおじさんが訊いた。

「見当たらないってさ。 俺たちも見かけなかった」

「それは重畳」

ワハハおじさんが窓を閉めアクセルを踏み込んだ。

「あの、ライたちは乗らないんですか?」

「ああ、あの二人はバイク。 ほら、水無瀬君も乗っただろ」

水無瀬君と言われ一瞬ドキリとしたが、ライが言っていた身元調査情報は共有しているのだろう。 だがそれよりももっと引っかかる言葉があった。
あの憎っくきチョッパーか。

「バイク、どこに停めてあるんですか?」

よく考えればアパートの駐輪場にバイクなど無かったし、あの時ナギはバイクに乗って去って行った。

「あのバイクはライが手を加えて加えて育てたバイクだからな、ちゃんとしたバイク置き場に置いてある。 二十四時間駐輪場の係りがいるとこで、見回りもしょっちゅうしてるとこだ。 イタズラも持っていきもされないとこだな」

「ナギのバイクじゃなかったんだ」

「うーん、まぁ一応ライのバイクだけど、二人ともそこまで深く考えてないだろう」

水無瀬の独り言にワハハおじさんが答えた。
やはり独り言が口から出ているみたいだ。 気持ち悪がられる内容だけは口にしないよう気を付けなければ。

「行き先、訊いてもいいですか?」

「俺らの里、それだけじゃ不満か?」

言う気がないようである。

「聞いた話じゃ、里に来る気はなさそうなんだろ? 悪いがその相手に場所を明かすことはしたくなくてな」

「あ、じゃ、いいです」

ワハハおじさんがミラー越しに水無瀬を見たのが分かった。 水無瀬が気持ちを軟化させるとでも思ったのだろうか。

「行き先を誤魔化す気はないがもうこんな時間だ、気にしないで寝てていいぞ」

「はい」

今日は、というか、もう零時を過ぎているから昨日になる。 昼前まで寝ていたのだ、今でようやく十二時間経ったというところだ。 眠気などありはしない。
窓の外をぼんやりと眺めていると国道に出た。 このまま走って行くとインターチェンジがある。
ワハハおじさんのスマホの着信音が鳴った。

「おう」

『今のところ怪しい車はないな、乗るか?』

相手の声が水無瀬にも聞こえる。 ハンズフリーのスピーカータイプを使っているようである。

「そうだな、乗るか」

『前に出る』

「頼む」

水無瀬がぼんやりと見ていた右車線から車が追い抜いて行き、ウインカーを出してこの車の前に車線を変更してきた。
あの車が今の話し相手が乗っている車か。 ライは人員不足だと言っていたが、いったい何人、若しくは何台の車がこの車の周りを見張っているのだろうか。
後ろをちらりと見る。 あの車もそうなのだろうか。 一応、ナンバーを覚えておこう。 覚えたとして何の変わりがあるわけではないが。

“乗る” というのは高速に乗るということだったらしく、ワハハおじさんの運転するこの車が前の車に続いてゲートをくぐった。
高速に乗ってしまっては風景も何もあったものではない。 エンジンの振動を感じながらヘッドレストに頭をあずけた。


ガタガタと身体が左右に揺れる振動で目が覚めた。 いつの間にか寝ていたようだ。
首を振って窓越しに左右の外を見ると木々がうっそうと茂っている。 前を見ると陽の光が射しこんでいるのが見える。
六時間以上この車の中で寝ていたということになる。 前日にも山ほど寝ていたというのに。

(育ち盛りかよ、どんだけ寝るんだ、俺)

水無瀬の様子に気付いたワハハおじさんがチラリとルームミラーを見た。

「おっ、目が覚めたか。 悪いな、ガタガタ道で」

水無瀬の身体は左右に揺れ背中は後ろに張り付いている。 それは坂道を上っているということ。

「もう着くから我慢してくれな」

それはおじさんの団体に見つからず追われることもなく、移動できたということになる。 ライの言っていた向こう、おじさんの団体に負傷者が多く人員不足というのは本当だったようだ。
前を見ると左右に揺れながら一台の車が走っている。 後ろを振り返ると後ろにも一台。 いや、その後ろにも一台走っている。
合計四台で移動していたのか。
ふと思い出してもう一度後ろを見た。 ナンバーを確認する。 覚えたナンバーではなかった。

(なにやってんだ、俺は・・・)

まるで子供の一人遊びじゃないか。 前に向き直ってシートに身体をあずけた。
左右を木々に囲まれたガタガタ道を上がり切ると開けたところに出た。 そこには整列という言葉を知らない何軒もの家が無造作に建っていた。 もちろんアスファルトなど敷かれていない。
家と同じで無造作に停められた車から降りた水無瀬がワハハおじさんの先導の元、一軒の家の前に立った。

目の前に木の戸がある。 木の戸。 ウッド調とかそういうものではない。 木の戸。
ワハハおじさんがその戸を開けると、二、三メートルほどの奥行きを持った土間が左右に続き、左側はこの建物の左辺に続いている。 二辺に土間が続いているということである。 それ以外のスペースは土間より随分と高くなっている、フローリングというよりは板間。 その板間は十五畳ほどのスペース。 中央には大きな座卓が置かれている。
水無瀬が来ることが分かっていたからか、常日頃からそうなのか、ガスストーブがたかれている。 かなり威力があるようで家の中全体が十分に暖まっている。

(ここは・・・公民館か?)

いま水無瀬の住むアパートのある地域には見られないが、実家地域には公民館があった。 公民館はちょっとした畳の続き間もあって、そこでは月に何度かお華やお茶、着物を着ての踊りなどを教えていた。
水無瀬は公民館かと思ったがまさにここは村の集会場である、呼び名こそ違うが似たようなものであった。

「入ってくれ」

水無瀬が土間に足を入れた。

「他の者が長を呼びに行っている」

ワハハおじさんが戸を閉め、土間から一段高くなっている石の上で靴を脱ぐと板間に上がった。 水無瀬もそれについて板間に上がると「崩していいからな」と座布団を勧められ、遠慮なくその上で胡坐をかいた。

「俺は水無瀬君の名を知っている。 だから俺も名乗るのは当然だとは思うが、あとがあるかないか分からない状態ではな」

普通ならたとえ一時と言えども名前は名乗り合うものだろう、だが秘密のありそうな村。 あとが無いのなら名乗っても無駄、若しくは避けたいということだろう。 そう考えるとライの言った “安心・安全・信用第一” と言ったのはまんざら嘘でもなさそうである。

木戸が開いて女性が入ってきた。 その手には盆が乗っている。
女性が板間まで近づくとワハハおじさんが立ち上がり盆を受け取る。 盆には湯気が立った湯呑が載っている。
女性が水無瀬を見た。 軽く頭を下げて女性に応える。

「長からの話を聞いて、考えを変えてもらえると嬉しいんやけど」

「おい、それは長に任せればいい。 それに水無瀬君には水無瀬君の生活がある。 それより煉炭は」

「父ちゃんが戻ってきたからって、どこかに行ったわ。 隠れてんやないかね」

「探して連れて来てくれ。 水無瀬君に謝らせなきゃならん」

(俺に? いったいなにを謝ってもらうんだ?)

女性が頷き出て行った。

「あの、いったい何を?」

ワハハおじさんが盆を置くと水無瀬と自分の前に湯呑を置く。

「気になるだろうがそれは本人たちに言わせる。 ケジメってもんがあるからな、それまで待ってくれ」

(ケジメって・・・)

裏社会でもなかろうに。

ワハハおじさんが何を話すでもなく茶を飲んでいる。

(もしかして俺を見張ってる? いや、それは考え過ぎだろう)

ここがどこかも分からなければ、高速を走り、下りてきてからは寝ていたから何処をどう走ったのかは分からないが坂を上ってきた。 木々が茂っていたことを考えると山道を登って来たということになる。 そんな状態でどこに逃げることも出来ないのだから。
時間を持て余してやることと言えば茶を飲むくらいである。 ワハハおじさんと同じように茶を口に含む。

少し経った頃、木戸が開いて一人の老人が入ってきた、とは言ってもまだ初老に見える。
ワハハおじさんが立ち上がり座っていた座布団を他の座布団と換えると、空になった湯呑を持って板間を降りていく。 そしてそのまま木戸から出ていった。

(もしかしてこのお爺さんが長って人か?)

老人が板間に上がって来て、さっきまでワハハおじさんが座っていたところに座った。

「水無瀬君だな?」

「はい」

「役所的にはこの村の村長とはなっているが、長の魁水山海(かいみさんかい)。 暫くは村から出られんでな、わざわざ出向いてもらって礼を言う」

「あ、聞いてます。 忌服の間出られないそうで・・・その、お悔やみを申し上げます」

水無瀬の下げた頭に長も同じように頭を下げた。

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ハラカルラ 第12回

2023年11月20日 21時25分41秒 | 小説
『ハラカルラ 目次


『ハラカルラ』 第1回から第10回までの目次は以下の 『ハラカルラ』リンクページ からお願いいたします。


     『ハラカルラ』 リンクページ




                                  



ハラカルラ    第12回




ライがティッシュを鼻に詰めると、そのまま鼻声で話し始める。

「水無瀬が、あ、水無瀬でいいだろ?」

もういい、どうでも。 「ああ」 とだけ答える。

「こっちもライとナギでいいから」

「ああ」

だがもう関わるつもりはない。 今日限りだ。

「水無瀬がもし、矢島と接触していたのなら、って前提なんだけどな。 向こうもこっちも」

「なら、俺に訊くよりその矢島って人に訊けばいいだろ」

「その矢島が死んだ」

まさかそんな答が返ってくるとは思ってもみなかった。

「・・・それは、ご愁傷さまで」

「だから訊くことは出来なくなった。 何もかも」

何もかも? どういう意味だ。

「それで、もし水無瀬が矢島と会っていたなら、いや、会っていたはずなんだ。 俺たちは矢島の足跡を追った。 矢島は何人かと接触をしていてその中に水無瀬が居た。 そして追っていたのは俺たちだけじゃなかった」

それはおじさんの団体のことだろう。

「それじゃあ、他の人も俺と同じ目に遭ってるってことか?」

「いいや、水無瀬だけだ」

「なんでだよ」

「向こうが水無瀬一人に絞ったみたいだ。 様子も見ていただろうが盗聴器、あれは全員に仕掛けられたはずだ」

そんな簡単に人の家に盗聴器を仕掛けるか? そう思うがライの話が事実ならば、少なくとも俺の部屋には盗聴器があったわけで。 とにかく今は黙ってライの主張を聞いてみよう。

「あの光景を見て簡単に誰かに話すか? 多分、話さないだろう、自分自身信じられなかっただろうからな。 だから一人になった時、特に夜だな、そんな時に特に信用できる親友にでも連絡、電話を入れて話す。 ラインやメールみたいに文字では伝えきれないところがあるしな。 そこで盗聴器の出番。
まぁ、悶々と悩んで一人で抱えてしまうかもしれない。 盗聴器が全てを明かしてくれるわけではないけど、それでも可能性として高い。 あれは普通の人間なら一人で抱えきれないからな。 狂いだす者も居る」

「え?」

狂いだすどころか慣れてきたと思っていたのに、何故か自分の思いが覆されたような気がする。 だが最初の頃を思い出すと、そうなっても不思議ではないのだろうか。

「盗聴器が仕掛けられた誰もに、それらしい話は聞かれなかった。 もう分かるだろう? 水無瀬一人が絞られることを言った。 水ってな」

「・・・」

俺は顔を下げた。 きっと言ったんだろう。 気が付かない間に口から出ていたんだろう。 もしかして魚とか、目が合ったとか、他にも色んなことを言った・・・呟いたのかもしれない。
矢島という人が死んだと聞かされて少々勢いが欠けてきたのだろうか。
会ったことがあるはずだと言われても俺に記憶なんてない。 でも赤の他人であっても生死を分つ状態、いや、分けてしまったと聞いては食って掛かれないし、ちょっとはその矢島って人の何かの役に立てればとも思う。 それが俺に出来る供養だと。


『いいかい、人は亡くなる。 いつかはな』

人というのは生まれた時から平等に与えられたものがある。 それが死。 誰もが死に向かって日々歩いている。 生きるということはその間に何をするのかということ。
その何かの一つに、亡くなった者を想うということがある。
悲しむのも悼むのも悪いことではない、だからと言って取って付けたものは必要なことでもなければ、他人にも自分にも強制するものでもない。 嘘の涙など要らん。 涙は勝手に出て来るもの、胸が締め付けられる想いも勝手にそうなるもの。
勝手に出てくるものがなければ故人を想う。 生前の笑顔でも会話でもいい。 それは想った者の心の整理に繋がる。 そして何より故人への供養に繋がる。

爺ちゃんが死んだとき沢山の大人たちが涙する中で、涙が出ない俺に婆ちゃんはそう言った。

爺ちゃんはまだ現役で働いていた。 だから大人たちがいっぱい居た。 盛大な葬式だった。
爺ちゃんは私立高校の教師だった。 あの時の俺が知ることは無かったが、俺が大人だと思っていた中に、卒業生も在校生も沢山いたのだろう。 在校生は制服を着ていただろうが、制服かどうかを見分ける余裕などなかった。 俺より背の高い人はみんな大人に見えていた。

大人たちが涙する中で俺が戸惑っていたのを、小学校の教師だった婆ちゃんは察してくれたんだろう。 小学五年生の俺は戸惑っていたという自覚すらなかったが。

婆ちゃんの話を聞いて俺は爺ちゃんの顔を思い出した、声を思い出した。 爺ちゃんが遊んでくれたことも、連れて行ってくれた場所も思い出した。
そしたら自然に涙が出てきた。
ああ、供養というのはこういうことを言うのか。
まだ供養という言葉の意味もはっきりと分からなかった俺だけど、俺と爺ちゃんが繋がったような気がした。 爺ちゃんが俺に笑ってくれたような気がした。

当時の俺には婆ちゃんが言った、人は死に向かって歩いているというのは衝撃的な話しだったが、婆ちゃんの教えは今も心に残っている。
でも俺はこの矢島って人のことを知らないし、役に立てる何かも持ってもいない。 あるとしたら見たまましかない。

「確かに・・・表現は難しいけど、水の中に入ったって言うか・・・いや、入ってないって言うか。 目には映るんだよ、魚や水の中のものが。 魚なんて俺を見て笑ってるようにさえ見える。 でも服も濡れないし息も出来る。 それになにより、俺の周りにある現実世界の物質って言えばわかるか? スマホや机、戸や襖、他も全部、部屋の中にある物全部。 それは見えないのに実在する」

「・・・そっか」

「俺の知り得ることはこれだけ。 他に何もない」

口を噤んでいたナギが口を開く。

「充分だろう」

「・・・充分って?」

「初期の矢島にもそう見えていた」

「そうなんだ。 その矢島って人は何をしてたんだ?」

「里(さと)・・・私たちの住んでいる村だな。 そこで・・・そうだな、分かりやすく言えば警備をしいた」

村って、どんだけ田舎だよ。

「警備? 村で?」

「矢島にしか見えないからな」

「あ・・・今俺が言った光景?」

「正しくはその深部ってところか」

「あ、ちょっと待って。 その深部ってのは知らないけど、向こうの団体さんの中に一人、水が見えるって人が居たけど。 矢島さん以外にも見える人が居るんじゃないのか?」

「それは多分・・・水が見えるだけだろう。 水以外にも見えるって言ってたか?」

「あ・・・」

そんな風には聞いていない。 首を左右に振る。

「その程度なら他にも居る。 多分・・・矢島が接触した他の者たちがそうだったんだろう。 錯覚か病院に行くほどでもない目の病気か、その程度で終わっているはずだ」

どこかで聞いた話だ・・・。

「でも・・・警備をしてたって。 少なくとも俺は見えるだけで何にも出来ないんだけど? それにいつ見えるか分からない」

「里ではそこに入ることが出来る入口がある。 そこは水無瀬が言っていたような現実世界の物質とかそういうものは存在しない」

「ちなみにそこには俺たちも入ることが出来る。 そして息も出来る。 矢島のしていたことを、ナギは分かりやすく警備と言ったけどもっと複雑だな」

分かったような分からないような・・・。

「矢島が亡くなった以上、俺たちには矢島の後継者が必要なわけだ。 だけどそれが水無瀬という決定的なものがない。 たとえ今の話があってもだ」

「それはどーも」

歓迎する。

「それじゃ、どうして向こうは俺を追ってくるわけ?」

問題はここだ。

「向こうには矢島的人間が居ない。 だから少なくとも矢島に近い存在の人間を探している」

「あー、えっとー、分かるような分からないような・・・」

「向こうの里にも入口がある」

「あ、そうなんだ。 じゃ、きょう―――」

「協力は出来ない。 長い確執がある」

「なんの?」

「そこは俺らみたいな者からは言えない。 こういうことは長が話すべき相手に話すことだからな」

まぁ、分からなくもない。 そういうものだろう。

「まぁ、取り敢えずそれなりに分かった。 俺だってどうして追われてるのか分からなくて困ってたし、どういう団体さんなのかも分からなかったから、ちょっとは分かって良かったよ。 それに水のことも」

海ではなかったことも分かった。
ライが 『あれは普通の人間なら、一人で抱えきれないからな』 と言っていた。 まさにそれに近いものがあった。 だからと言って雄哉に話す気にはなれなかったが。
もう冷めたココアを一気に飲んで腰を上げた。 口の中が甘い。

「向こうの事情も分かったけど向こうに行く気はない。 でもいつまでもライたちに守ってもらうわけにはいかないだろ。 何かいい案があったらいつでも教えて欲しい」

「ああ」

「んじゃ」

「ほい」

窓に向かって足を出した時、思いついたことがあった。 顔だけで振り返って訊ねる。

「その矢島って人いつ亡くなったの?」

会っていたかもしれないんだ、想いを馳せさせる材料は何もないが、せめて手の一つでも合わそう。

「ちょっと前。 ああ、水無瀬、花咲警察署に行っただろ。 あの日に身体を引き取りに行った」

は? 身体を引き取りに?

「事故だったのか?」

想像もしていなかった。 まさかだった。

「報道では・・・ダムに身を投げたってことになってる」

はい!? 俺は身体全身をライに向けた。 それだけではなく、思いっきりライの横に座り込んだ。

「あの男の人か!? ネットニュースに出てた!」

「どのネットニュースか知んないけど、ダムに身を投げたって出てたんならきっとそうだろう」

「水無瀬、どうした」

「俺・・・その人に会った」

「やっぱり会ってたか」

「あの日、水無瀬も花咲警察署に行ったな? ニュースでは身元不明とはなっていたが、顔写真が出ていたはずだ。 花咲警察署には何をしに行った」

「・・・その人、矢島さんのご家族に会えないかと思って。 でも一足違いで会えなかった」

「まぁ、そのご家族というのが私や長で家族ではないのだがな。 で? 家族に会ってどうしようと思ってたんだ」

「訊きたいことがあった」

「なにを」

いつの間にか落としていた視線を上げ、訊いてきたナギではなくライを見た。

「部屋の中に・・・こたつの近くにボディバッグがある。 それを取ってきてくれないか?」

とてもじゃないが女性を俺不在の部屋に入れる気にはなれないし、ナギに言ってもどうせライに行かせるだろう。
ライとナギが目を合わせたのを見た。 何かあると踏んだのだろう。

「お任せあれ」

腰を上げたライはすぐに戻って来た。 俺だったらきっとまだこちら側のベランダの柵にしがみ付いていただろう。
手渡されたボディバッグのポケットから例の紙を出す。 くしゃくしゃの皺がそのまま残っている。 それを手でひろげてミニテーブルの上に置いた。

「矢島さんからこれを頼むと言って渡された」

「え!?」 二人の声が重なった。

「でも何が書かれてるか分からなくて、それでご家族なら何か知ってるかと思って。 会えたら訊ねようと思って花咲警察署に行った」

「こ・・・これって・・・」

「ああ、間違いなく矢島の書いたもの」

「なんて書いてあるのか分かるか?」

「この文字を見たことはあるが私たちには読むことは出来ない。 読めて意を解することが出来るのは矢島と長だけ」

「長・・・」

さっきも長と言っていた。

「村長と言った方が分かりやすいか?」

あ、村長なんだ。

「矢島が頼むと言って渡したってことは・・・」

「ああ、矢島は水無瀬を選んだということになる」

「決定的なものがあったってことか」

それはさっき言っていた後継者ということか? いや、勝手に選ばないでくれ。 ああ、でも選んだのはもう亡くなった方で・・・亡くなった方に鞭打つようなことは言いたくないし・・・けど、後継者なんて有り得ない。

「あ・・・じゃ、これ、お返ししますので。 ではサヨウナラ」

何が書かれてあったのかは気になるところだが、それを優先してしまうとややこしいことになりそうだ。 いや、なること決定だ。 ここはそそくさと身を引くに限る。

「一人で向こうにいけるか?」

嫌な言葉が水無瀬の背中を打った。 振り返るとライが笑っている。 完全に何かを含んでいる笑いだ。

「手を貸す代わりに長に会ってくれ」

「断る」

「おっ、はっきり拒否。 有言実行だねぇ。 んじゃ、一人で行く? それとも見張られてる玄関から行く? あ、カギ閉めてるよな? そのカギは部屋の中だよな? ってことは、いや~ん、お部屋に入れな~い」

「おちょくってんのかよ」

「いや? 正直に現実を言っただけ」

「ライ、黙ってろ。 水無瀬、一度でいい、長に会って話を聞いてもらえないか」

「え?」

一度でいいのか?

「長は、長の役目として今も矢島についている。 今日が通夜で明日が葬儀だ。 葬儀は午前中に終わる。 そのあと会ってもらえないか。 水無瀬に出向いてもらわなくてはならないが」

「会って話を聞いて、こっちに戻ってきてもいいってことか?」

「もちろんだ」

おじさんの団体のことを思うとにわかに信じられない。 まぁ、おじさんの団体は何一つ話さなかったことを思うと、この二人はそこそこ話してくれた。 違いはあるが、だからと言ってどこまで信用できるか?

「そっちから会いに来てはくれないのか?」

「悪いが忌服の間、長は出られない」

「それじゃ、それが明けてから」

「水無瀬ぇ、何を疑ってんの?」

「疑ってなんか・・・」

「それじゃ何? 一度は長と話をしてもいいって言い方をしといて・・・いや、そうじゃないな。 こっちに戻ってきてもいいってことか、って言ったよな。 そこか?」

「・・・」

「ははーん、向こうは帰さない的なことを言ったのか。 安心しろ、こっちは安心・安全・信用第一、嘘はつかない」

たしかに接し方はおじさんの団体とこっちでは全く違う、嘘はないかもしれない。 だが今ライの言ったことは詐欺師の常套句ではないのか?

「長から話を聞いて水無瀬が納得できなければそれだけのことだ。 止めもしないし泣き落としもしない。 矢島の跡を継げる者を私たちで探すまでのこと」

矢島が選んだのは水無瀬、どこで誰を探しても水無瀬には劣るだろうが。

「そっ。 で、向こうにはもう水無瀬を追わないように長が交渉するだろうよ」

そうでなければ水無瀬を取られてしまうことになる。 そうなればこれから先も同じことの繰り返しになってしまう。

「それで・・・。 それで戻って来て・・・」

交渉が決裂してしまえば・・・明らかな決裂でなくとも、おじさん団体が成立したような顔をして話を終わらせればキツネ面団体から見放されることになる。 そうなればおじさんの団体の方に連れ去られる。 どっちみち同じこと、か。

「なに?」

なんか選択肢が可笑しな方向に行っている気がする。
バイトを増やして就活をして大企業に入る。 そこで昇進していくのではなかったのか。 その為に選んだ経済学部。 数字を見るのは好きで動かすことも好きだ。 巡る考え、そこに時間を費やし考えることも好きだ。
そう、それが唯一の俺の選択肢ではないか。
ネガティブなことばかり考えていても仕方がない。 長という村長の交渉が上手く成立し元の生活に戻る。 いや、戻るんじゃなくて進む。 俺が敷いたレールの上を歩く、前に進んで行く。

「いや、何でもない」

こいつら二人に賭けてみるのもいいかもしれない。

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ハラカルラ 目次

2023年11月17日 21時32分50秒 | ハラカルラ リンクページ
『ハラカルラ』 目次




第 1回第  2回第 3回第 4回第 5回第 6回第 7回第 8回第 9回第 10回
第11回第12回第13回第14回第15回第16回第17回第18回第19回第20回
第21回第22回第23回第24回第25回第26回第27回第28回第29回第30回
第31回第32回第33回第34回第35回第36回第37回第38回第39回第40回
第41回第42回第43回第44回第45回第46回第47回第48回第49回第50回
第51回第52回第53回第54回第55回第56回第57回第58回第59回第60回
第61回第62回第63回第64回第65回第66回第67回第68回第69回第70回
第71回第72 最終回

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ハラカルラ 第11回

2023年11月17日 21時31分47秒 | 小説
ハラカルラ    第11回




開錠した手を下ろすがキツネ面は窓を開けようとしない。 水無瀬がどう出るか窺っているのだろうか。
水無瀬が自ら窓を開ける。

「かなり疑心暗鬼になってるな」

窓を開けるとキツネ面が喋った。

(放っとけ、そうならない方がおかしいだろう)

「表は見張られている」

「え?」

「見張られていただけじゃない、盗聴もされていた」

思わず振り返って部屋を見る。

「今はもう盗聴器はない。 安心しろ」

「なっ・・・」

“な” の次に何を言おうとしていたのだろう、次の言葉が出てこない。

「話がある。 隣りの部屋に来てくれ」

「え・・・」

「あくまでもこっちからな」

プラスティックキツネ面が何ということもなくベランダを移動した。

(うそだろ? 俺にそんなことが出来るはずがないだろ!)

隣と水無瀬のベランダには高い壁のしきりがある。

(え? いや待て、今なんて言った? 隣りの部屋?)

ベランダ用のスリッパを履き、手すりにしがみ付き壁越しに隣のベランダを見ると、さっきの男が掃き出しの窓から部屋に入って行くところが目に入った。

(どういうことだ。 あの引っ越しの日からプラスティックキツネ面が住んでいたのか? それともここの住人に借りたということか?)

「あ・・・」

思い出した。
あの黒のライダースーツを着ていた女性。 馬の尻尾のような髪の毛。
あの髪の毛、引越してきたあの日に見かけたのだった。 ドアが閉まったところだったが、一瞬、黒くストレートの長い髪の毛の束が踊るのを見たのだった。

「ここに住んでいた・・・」

偶然引越してきたなんて有り得ないだろう。 前に住んでいた男を強制的に出したのだろうか。
キツネ面の男が掃き出しの窓から顔、ではなくプラスティックキツネ面をのぞかせてきた。

「もしかしてそこ、渡れない? 手、貸そうか?」

そう言いながらプラスティックキツネ面を取った。

「え・・・」

どうしてここに居る。


水無瀬が座っている。 水無瀬の部屋と同じ間取りをした部屋に。

結局プラスティックキツネ面の男の手を借りて移動したのだが、よく考えるとあの時とんでもないことを考えていたと思う。
サングラスの男との初めましての時だ。 サングラスの男は 『お初』 と言っていたか。
あの時、傘を投げてベランダから跳び下りようと考えた。 俺も運動音痴ではない、それなりに着地が出来るだろうつもりだ、などと考えて。
結局、ベランダまで行きつけなかったが、もしベランダに行くことが出来たとしていても、跳び下りる勇気はひしゃげてしまっていたのではなかっただろうか。
さっき手を貸してもらっていても怖かったのだから。

ベランダに移動してすぐプラスティックキツネ面の男が言ったのは、どうしてキツネ面を付けて水無瀬の部屋を訪れたのかいうことだった。

『ほら、何度か会ったことがあるって分かるだろ? さすがにベランダからだからな、安心してもらおうと思って』

結局プラスティックキツネ面はキツネ面と同じ団体だということで、会ったというか、逃がしてもらったということだが、キツネ面を見たからと言って安心など出来はしない。 あのカオナシに似た面だったら、即行逃げていただろうが。

部屋を見渡す。 水無瀬の部屋も大概家具は少ないがこの部屋はそれ以上に少ない。
いま水無瀬が座っている前にミニテーブルがあり、他に電気ストーブとキャスター付きのハンガーラックに沢山の服がかかっているだけ。 そのハンガーには女性ものは無い。
あの女性はここで暮らしていたのではなく、単に引越しの手伝いに来ていただけだったということか。

台所で水無瀬の茶を用意していただろうキツネ面の男が、手に二つカップを持って戻って来た。

「どーぞ」

出されたものは茶ではなくココアだった。 思わず凝視する。

「ん? 甘いの苦手?」

そんな質問に答える気はない。 そっぽを向いた。

「毒なんて入れてないけど?」

目だけを動かして相手を見る。

「ホントホント」

あら、やだぁ~奥様、的な手の動きをしてみせている。
このまま黙っていても何が解決できるわけではないし、色んな疑問が無いわけではない。 だから最初に一番簡単に納得出来るだろう疑問を二人称に乗せた。

「話があんだろ? お客さん」

そう、今目の前に居るのは、数日前から深夜に見かけていたバイト先の客で、いつもキンキラの派手なスタジャンにニットキャップを被っていた、年齢的にどこかの学生かフリーターで、深夜から朝にかけてのバイトに行くのだろうと思っていた客だ。
いつもお握りと茶を買っていくから、バイトの前に腹ごしらえをしているのかと思って、コンビニバイトを心の中でお勧めすらしていた。 そのスタジャンがハンガーにかかっているのが何故か胸くそ悪い。

「あははー、俺のこと覚えてたんだ」

ふざけて言うコイツに 『いらっしゃいませー』 『有難う御座いました』 と言っていた自分が腹立たしい。

玄関の鍵を開けドアを開ける音がした。
続いて硝子戸が開く。

あの髪の毛・・・今は括ってはいないが、あの女性だ。 あの女性が立ったまま水無瀬を凝視している。 一度目は髪の毛しか見ていなかったし、二度目はこちらを向いたと言ってもキツネ面を着けていた。 顔を見たことはなかったが間違いない。 それに想像通りの綺麗な女性だ。
だが、どういうことだ。 チャイムも鳴らさず入って来たということは。 いいやそれだけではない、鍵を開けていた。 ということは、この部屋の鍵を持っているということ。 それって、同棲してるってことなのか?

「ライ、どうして水無瀬が居る」

(はい? 呼び捨て?)

それにどうして俺の名前を知っているんだ? バイト先では名札を付けてはいる。 そこから俺の名前を知って、スタジャン客がこの女性に話していたのか?

(なんかそれもムカつくなー)

それに思っていた声より随分と低いし、凝視する目つきが鋭い。 綺麗だが姐御、という感じだ。 想像と違った。

「お誘いしたから」

「誘った?」

ようやく水無瀬から視線が外された。

「積極的に聞き出せって言ってただろ?」

「・・・積極的すぎるだろうが。 少しは考えろ、部屋も、ましてや顔まで晒して」

「ナギだって晒してる」

「まさか居るなどと思わなかったからだ」

(なんだ、この二人の会話は・・・。 それに女性の話し方・・・)

水無瀬の理想が瓦解していく。

「疲れた」

「ココア飲む?」

「飲む」 とナギが答えるとライが腰を上げ、開けっ放しの玄関側の硝子戸を閉め、台所側の硝子戸を開けると台所に消えた。
ナギが上着を脱いで押入れを開ける。 押し入れにもハンガーラックがあり、こっちはナギが使っているようだ。

(やっぱ、同棲・・・?)

ナギがどっかりと水無瀬の向かい側に座った。 胡坐を組んでいる。 そこだけは理想から離れて欲しくなかった、正座にしてほしかった。

「ライ、この面はどうした」

閉められた硝子戸を睨みつけながら言っている。

「あー・・・えっと、面が壊れちゃってさ。 ほら、前回の山の中の時。 ちょっとおちょくったら怒っちゃって、それで競争してる最中にクナイが飛んできて・・・その代用品」

「お前・・・」

面を付けていた、その面に飛び道具を当てられ壊れた。 顔の心配をするのは尤もだろう。

「あの面がどれほど大切な物かは分かっているだろう!」

心配していたのは顔ではなく面の方だったらしい。

「だから・・・今修理中。 それは短い間の代用」

女性が長い髪をかき上げ大きな嘆息を吐いた。 そして水無瀬の方を見る。

「単刀直入に訊く」

水無瀬が僅かに首を捻った。 拒否したのではなく、何を訊かれるかと思ったからである。

「見えるのか?」

(またか、またこの話か)

だが・・・まぁ、そうだろう。 そうだろうし、他にまだ何かあっても困るだけだ。

「何が?」

台所でライの手が止まったことなど水無瀬は知らない。

「水。 水の中」

「それが見えたとしてどうなんだ? それにどうしてそんなことを訊く?」

「追われてるのはそれが理由だって分かってるだろう、こっちはどうでも良かったんだが風向きが変わった」

「あんたたちの風向きなんて俺の知った事じゃない」

「まぁ、そう言うなよ」

ライがカップを片手に戻って来た。 座っていた場所を取られたからだろう、置いてあったカップを取り、持っていたカップをナギの前に置くと水無瀬の斜め前に座る。

「そのプラスティック面、結構いいだろ? 昨日、水無瀬を追ってる時に見つけたんだ」

「馬鹿か」

ナギから一言返されたライがヘラっと笑って今度は水無瀬を見る。

「まずは、そのお客さんね」

ワンテンポもツーテンポも遅れて水無瀬の言った二人称に答えるようだ。

「今聞いたように俺らはどうでも良かったんだ、だからといって放ってはおけない、向こうが第三者を巻き込もうとするのは防ぎたかった。 まぁ、完全に第三者とは言い切れないんだけどな」

どういう意味だよ、と訊きたかったが今は黙して聞くだけにとどめておく。

「で、助け・・・って言うか、逃がしてたわけ。 ただ逃がすにも助けるにも、対象の行動が分からなければこっちも簡単に動けない。 簡単な身元調査をさせてもらった。 大学三年生であること、バイト先、出身校、実家の住所、そしてここの住所、その他ちょっと諸々。
俺が客として時々コンビニに行ってたのは、客に紛れて向こうが来てないかどうかを見る為だった。 俺は向こうの連中の顔を知らない、向こうも面を着けてるからな。 で、店の外で張ってても分からない時があるってんで、他の客の様子を見に行っていた。 ある程度近づけば、雰囲気で向こうかどうか多少分かるからな。 お客さんの件はこれでOK?」

「ここにはどうやって入った」

「あー、日頃の行い? 近場で場所を探してたら、引っ越し業者が見積もりを取りに来たのを見てさ、即行大家に問い合わせたわけ。 そしたら次に入る人はまだ決まってないってことだったから入った。 他に質問は?」

「ずっと俺を見張ってたのか」

「見張ってたっつーか、守ってたって言って欲しいんだけど?」

「カラオケでもファミレスでも他でも見かけたけど、そこでも守ってたっていうのか?」

「あ? え? バレてた?」

ナギがジロリとライを睨む。

「ライ、まともにつけることも出来ないのか」

つけるって・・・完全に見張ってるって言ってるようなものじゃないか。

「あーいやぁ、服変えてたからバレるとは思って無くて~」

たしかにバイト先の客として来ていた時とは違う雰囲気の服は着ていた、それは認めよう。 だが。

「蛍光色のパーカーとか、フリフリのブラウスなんて着てたら目立つわ」

それに違うものとはいえ、いつもニットキャップを被っていた。 被っていなかったのはサービスエリアの時だけだった。 だからあの時に髪の毛が長かったのだと知った。 単に長いだけではなく、半分から下を刈り上げているという珍しい髪形で、ニットキャップを被っている時にはニットキャップの中に収めていたのだろう。 サービスエリアの時もそうだったが、ニットキャップを被っていない今も半分から上は括られている。

「フリフリのブラウス?」

「あ、借りた」

「ライお前!」

「うわ、待て! 殴んなよ! これは経費削減の一環だからな!」

女性がスタジャン客の胸ぐらを掴み、もう一方の手が上げられる。

「ちゃんと影から見張っていればそれで済んだ話だろ!」

完全に見張ってたって言ったよな。

プルプルと怒りに震えている女性の上げた拳を見ながら水無瀬が溜息を吐いた。

「さっき言ってた盗聴器ってのは?」

今にも殴りそうな、殴られそうな二人がこっちを見る。 もうこの女性への夢の理想は無かったことにしよう。

「ああ、部屋に置いてあったろ、白のUSBスティック」

スタジャン客の胸ぐらを掴んでいた女性の手が離される。
スタジャン客、俺に感謝しろ。 って、え? 今なんて言った? USBスティックだと?

「本棚の上にあったとかって聞いたけど?」

勝手に部屋に入ったってのか? だが今の話ようでは少なくともこのスタジャン客ではなさそうだし、多分この女性でもないだろう。 それにしてもあのUSBスティックが?

「誰かに貰ったのか? ならそいつが向こうの人間っていう可能性が高いんだけど?」

「いや・・・いつの間にか玄関に落ちてた」

「そっか・・・玄関か。 じゃ、一瞬のスキを狙って入れられたんだろな」

「入れられた?」

「投げ入れるくらい簡単な芸当だからな」

もしかしてあの時か? 玄関のドアに何か当たったような音がした。 いや、それ以外でも考えられる。 いま、スタジャン客は簡単な芸当だと言った。 そうならば、俺が部屋を出入りした時にでも投げ入れられたのかもしれない。
ああ、もういい。 いつ入れられたのなんて今更だ。

隣りの部屋で、早い話、水無瀬の部屋でスマホの着信音が鳴っているのが聞こえてきた。 電話の着信音だ。

「電話、出なくていいのか? 何なら取ってきてやるけど?」

ああ、そうか。 何故このスタジャン客が絶妙なタイミングで窓をノックしたのか。 雄哉からの着信音が聞こえて、きっと俺の声も聞こえたんだ。 夕べのことを考えると物音もしなかったのだから、それまで俺が寝ていたのが分かっていたのだろう。 
おじさんの団体とは違って気は使ってくれているようだ。

「いや、いい」

どうせ雄哉だろう。
もう何もかも、どうでもよくなってきた。

「で? そっちの話しってのは? さっき言ってた風向きが変わったってことと関係があるわけ?」

聞くだけ聞いて部屋に戻ろう。 そして新しいバイト探しと就活。 ああ、深夜のコンビニバイトも復帰しよ。 おじさんの団体のことはキツネ面に任せて、風向きが変わったとか何とかはそっちの勝手で俺の知らない事なんだから。 水のことはちょっと引っかかるけど、最初よりかは大分慣れてきた。

「順を追って話したいんだが、まずは水が見えるかどうか。 水の中の様子が見えるかどうか。 先にそれを聞きたい」

スタジャン客が言うと、水無瀬の返事を待たずに女性が口を開いた。 まるで水無瀬の揚げ足をとるかのように。

「さっき、それが見えたとしてどうなんだ、と言ったな、それは見えるということだな?」

「どうしてそうなるんだよ」

「普通、何も知らなければ何のことかと訊き返すはずだ」

「おじさんの団体・・・あんたたちの言う向こうか? そっちにも言われたからな」

「さっきの話ではないが向こうは盗聴器で聞いていた。 それらしいことを誰かに言ったか、呟いたかしたのではないのか?」

呟いた・・・。 そうか。 そういうことが有り得るのか。 誰かに言ったということは無い。 ということは独り言を言ったのだろうか。
考えるつもりはなかったが、つい考えに耽(ふけ)ってしまった水無瀬に女性の声が続く。

「それとも魚と話したか?」

「話せるわけないだろ! 目を合わせて笑ってくるだ・・・」

言っちまった・・・。

「そうか」

射たりという目をして口角を上げられた。

「なにも隠さなくてもいいだろ? ありのままを言ってくれた方が話は早いし、こちらの出方も決まる」

「だからっ、それはそっちの勝手だろ! 俺には関係のない話だ!」

「矢島という男を知ってるか?」

無視かよ。

「知らない」

「どっちの意味の知らないだ? 答える気のない知らないか、矢島を知らないか。 だが矢島とは会ったことがあるはずなんだが?」

「客の顔は覚えてる方だけど名前まで知らないし、その名前自体知ってる人間の中には居ない。 それに俺は気のない時にははっきりと拒否る。 話す気はないとか、断るってな」

「それははっきりしていてありがたい」

何だよその言い方。 完全に上から目線かよ。

「矢島は名乗らなかったんだろうか」

女性がスタジャン客を見て問うようにして言っている。

「そうなのかもな・・・うーんなんでだろう。 決定打がなかったのかなぁ」

「俺はその矢島って人を知らない。 でもあんたたち、さっき順を追って話すと言ったよな?」

「あ、そう言えば自己紹介がまだだったな」

「は?」

やっとスマホの着信音が止んだ。
雄哉、しつこすぎるだろ、そんなに彼女を紹介したいのかよ。

「あんたたちって言ったから。 それにこっちはそっちのことを知ってるのに不公平感満載だろ?」

ないと言えば嘘になるけど今それが必要か?

「俺は “雷(かみなり)” って書いてライ。 こっちは、いもう―――」

え? スタジャン客? 鈍い音と共にライと名乗った男が居なくなった。 その代わりに顔があったそこに拳がある。 こっちに指を向けて握られている。 その拳を辿っていくとあの女性に辿り着いた。 早い話、拳の持ち主はあの女性。 ということは。 もしかしてと下を見ると、ライが鼻を押さえ仰向けに倒れている。

「双子だ。 ちなみに先に生まれたのは私」

もしかして妹と言われたくなかったのか?

「今は先に生まれた方が兄姉(けいし)になるというのに、爺たちがまだ昔を引きずっている」

似ているとは思っていたが双子だったのか。 女性の方がライより俺より歳上だと思っていたが。
そう言えば聞いたことがある。 昔の双子は先に生まれた方が弟妹(ていまい)になると。 きっと戸籍上、妹として出されたのだろう。 それにしてもさっきもそうだったが、この女性(ひと)は手が早く出るようだ。

痛ってーんだよ、と言ってライが起き上がってきた。
鼻声で言っているが、ティッシュで鼻血を止めたらどうだ? 少なくとも拭いた方がいいと思うが?

「こっちは双子の片割れ。 風が “凪ぐ” と書いてナギ。 珍しい二卵性だけどな」

二卵性が珍しいのか? まず双子が珍しいだろう。

「見苦しい、拭け」

ナギがボックスティッシュを投げた。 ミニテーブルの下に置いてあったようだ。

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ハラカルラ 第10回

2023年11月13日 21時26分44秒 | 小説
ハラカルラ    第10回




水無瀬だってクナイくらい知っている。 現物を見たことは無いがアニメで見た。 そのクナイが転がっている。

さっきの音はクナイがアスファルトに弾けた音?
足音が耳に響いた。 顔を上げて見ると数人の男が水無瀬を目がけて走って来ている。

「入って来た方に走れ! 入口を出た看板の後ろにバイクが隠してある、それに乗っていけ!」

「え?」

振り向いた。 どこから聞こえてきた声だ、誰の姿もない。

「早く!」

逃がそうとしているのだろうか。 ということはキツネ面の仲間ということなのだろうか。 それともまた違う団体か。

(どうすればいいんだよ・・・)

入口くらい迄なら走れることは走れる。 どうする・・・。 俺はどうすればいい。
下げていた顔に誰かの足元が見え顔を上げる。 カオナシに似た面をつけた男が目の前に立っている。

「逃げられると困るんだよな」

この声はサングラスの男だろう。 その男が水無瀬の腹に拳を打ち込もうとした時、カンと、またあの音がしてアスファルトに矢が刺さった。

(矢!? なんで?!)

「くそ、あいつら!」

サングラスの男が矢が放たれた方向を見、場所を特定しようとしているようだ。 そしてもう一人が水無瀬の腕を取ろうとした時、またヒュッと軽く風を切る音がした。
男が「うっ」 と自分の腕を抱える。
その一瞬を逃さず水無瀬が走った、もう迷ってなんかいられない。

水無瀬は気付かなかったが、水無瀬の後方ではかなり色んなものが飛んでいた。 どこから飛んでくるのか分からず、ましてや腕や足に刺さるものもある。 水無瀬を追いたくても簡単に追える状態ではなかったが、何度か飛んでくるとその方向と位置が分かるようになってきた。

「居た! あの上!」
「あそこの影だ!」
「あの木だ!」
「あっちにも!」

何人もが指さす。

「見つかったか」

仕方があるまい、水無瀬を逃がすためにいくつも打ち込み足止めをしなければならなかったのだから。
隠れていたキツネ面を着けた四人の男が躍り出て水無瀬のあとを追って走る。 出入り口近くにいけば人の目は完全にない、忍刀が使える。
向こうはこっちが四人と思い込んでいるだろう、ライとナギが見つからないように移動していく。

「うそん」

言われたように入り口を出て看板の後ろに回り込んだ。 たしかにそこにはバイクがあった、二輪だ。 間違いない。 目をこすって見てみても、目の前には確かに大型ではないバイクがある。 普通二輪がある。 プレートナンバーは白く緑の線で囲われてはいなく、二輪の普通免許を持っていれば乗ることが出来るバイクである。
だが・・・。

「なんでスクーターじゃないんだよー!」

持っている免許は、取った免許はオートマではなくミッションだ。 だからスクーターでなくとも乗れることは乗れるが、いや、免許の問題ではない。
教習所で普通自動二輪免許を取ってからは、いわゆるミッションペーパードライバーである。 従ってエンストを起こすのは確実であり、完全なる自信がある。
それに。

「なんでチョッパーなんだよぉぉぉ」

チョッパーハンドルであった。
遠い昔、一度友達の自転車を借りた。 その時の自転車のハンドルがチョッパーだった。 ずっとママチャリのハンドルで乗っていたから、思ったようにハンドルが操れなかった。 変に左右にハンドルがブレてしまっていた。 大きくブレるのを抑えてもプルプルと小刻みに動いてしまっていたのを覚えている。
自転車ですらそうだったのだ、バイクともなればそれにスピードがついてくるし、なによりペダルではなく、手でスロットルを回してでのアクセル。 チョッパーのスロットルなど回したことは無い。

チョッパーということを抜いて、スロットルを回すというだけならスクーターもそれは一緒である。 スクーターなら知り合いのものを借りて何度か乗ったことがある。 だが・・・いま目の前にあるバイクはクラッチ付き。 スクーターにはクラッチなどついていない
クラッチが繋がったと思った途端、急発進をするかもしれない。 その時にハンドルがぶれたりしたら、そのハンドルがチョッパー・・・。 考えただけで怖気(おぞけ)が立つ。

「あいつ、何やってんだ!」

いつバイクが走って出て来るかとチラチラと見るが一向にその様子がない。 エンジンをかけた音すら聞こえてこない。

「くっ、限界か・・・」

キィンと音をたてて相手の忍刀を受ける。 あちこちでその音がしている。 何人かの足をクナイで刺し動けなくさせたが、それでもまだ向こうの方が人数が多い。 十五人そこらではなかったようである。

「抜けた! 抑えろ!」

「任せろってな、その為に俺がここに居る」

ヒュッと軽く風を切る音がしたと同時に、走っていた男の足に十センチほどの矢が刺さった。

「つっ!」

矢の先には即効性のある痺れ薬が塗られている。

「抜けた!」

「またかよ」

圧倒的に不利なのは分かっているが文句が出てしまう。
水無瀬がバイクで逃げない限りこの戦いは続く。 そして続けばキツネ面側が敗れるのは明白。 その時がすぐそこまで近づいている。

「と、とにかく」

バイクに跨る。

「えっと・・・右手のスロットルがアクセルでレバーがブレーキ、左手のレバーがクラッチで、左足がギアのチェンジペダルで、右足が・・・右足が・・・あぁ、なんだったっけぇ・・・」

後輪ブレーキである右足の役目を思い出せないが、アクセルと水無瀬の覚えている前輪ブレーキとクラッチとギア、これだけが分かってれば発進と停止は出来る。 急ブレーキをかけるとかなり危ないが。

キーは刺さったまま。 キーを回すとエンジンがかかった。

「ニュートラルがローとセコの間で・・・いまニュートラルの状態で、だから、ローは下だったよな。 で、セコ、サードとあとは順に上げていく。 だったよな?! 俺?!」

左手でクラッチを握り、足先でチェンジペダルを下げる。 右手のアクセルスロットルを軽くひねり、左手で握りこんでいたクラッチレバーをゆっくりと離していく。

プスン。

エンスト。

「もー、やだー!!」

車ほどではなかったが数回エンストを繰り返し、やっと発進することが出来た。
車と違って身体を守ってくれるボディがない。 風を切るという慣れないこともあり、スピードを出すことが怖く、四十キロちょっとを出すのが精一杯で、三速まで入れることしか出来なかった。

よろよろとチョッパーハンドルで運転していると、すぐに何台かの車とすれ違った。 それが応援の車とは知らず水無瀬は運転に集中していたが、特徴のあるバイクである。

「あれって、ライのバイクだよな・・・」
「なんだ? あのおぼれてる感」
「ハンドルプルプル、酔っ払い状態じゃないか」
「補助輪付けなくていいのか?」
「あの状態でこけないのが奇跡だろ、ある意味天才じゃないのか」

車に乗る全員が振り返っていた。

クタクタになった水無瀬が部屋に戻って来た。 疲労困憊である。
気を失っていたのはそんなに長くはなかったようで、以前のように山の中を走るということは無かった。 道路標識に出る地名は全て知っていて道路標識に従って走る、それだけでアパートに戻ることが出来た。

「もう二度とバイクなんて乗んない」

教習所ではそんなに怖さを感じなかったのに、やはり実際の道路は教習所とは違う。 知り合いのスクーターを借りて乗ったと言っても、住宅街をトロトロと走った程度で幹線道路など走ったことは無かった。

「あ・・・」

今気が付いた。 今も車で逃げた時も。

「免許不携帯」

あんな運転をしていてパトカーに遭遇しなくて良かったとつくづく思った。 だが幸運にも過ぎた事、これからのことを考えなくては。

「・・・どうしよう」

大の字になって寝ころんだまま蛍光灯を見つめる。

「そうだな、まずは」

重い身体でゆっくりと立ち上がると電気の紐を引っ張った。 部屋の中が暗転する。

「居留守を使うに限る」

これだけ連続して連れて行かれかけたのだ、またすぐにやってくるかもしれない。
ドシンと尻をつく。 下の階にひびいただろう、明日文句を言われるかもしれない。 いや、一度くらいで言われないだろうか。

暖まってきたこたつにモゾモゾと入り寝ころぶと、消耗した体力のなさを感じる。 薄手のジャンパーで出たのも大きな原因だった。 こんな時間にバイクに乗るなどと考えもしていなかったのだから。 身体を強張らせてバイクに乗っていたと言っても、それなりのスピードを出していれば身体も冷える。

ここで寝てはいけないと思いながらも、ベッドに移動する体力も気力も残っていない。 そのままウトウトとしてしまった。
ふと気づいてスマホで時間の確認をすると一時間が経っていた。

「寝ちゃってたか・・・」

身体に寒気は覚えていない。 鼻風邪は引かなかったようである。

「こんなこと、いつまでもやってられない」

だがどうしろというのだ、自分から何かをしているわけではない。 逃げているだけ。

「逃げてるだけ・・・」

そうだ、逃げてる。 逃げるのをやめればいい。

「ってことは連れて行かれるわけで・・・」

それは固く断る。

「いや、一度だけなら・・・」

ああ、一度だけが無かったのだった。 永久にだった。 はっきり永久にと聞いたわけではないが。

「ったく、どうしろってんだよ!」

駄目だ、前にも考えたがやはりループするだけで何の解決策も出てこない。
と、バイクのエンジンの音がした。
乗り終えたバイクをどうしろということは聞いていなかった。 だが逃がしてくれたことから、きっとキツネ面の仲間だろうと判断して・・・というか、これ以上団体さんを増やしたくなく、それ以外考えたくなくて車の時と同じようにキーを差したままアパートの前に停めておいた。

車はさほど目立つものではなかった。 外車でもなければ国産高級車でも人気車でもなかった。 なんせ、コラムだった。 かなり古かったから乗り取られるという心配より、路駐を取られるという方が気になっていたが、あのバイクは違う。

バイクのことはよく知らないがそれでも目立つバイクだ。 キーを差したままなのだから、動かせる奴が乗れば簡単に持っていかれてしまう。
思わず外廊下に躍り出る。

「あ・・・」

長い黒髪。

バイクに跨った、キツネ面をつけた黒いライダースーツを着た女性がこちらを向くと、軽く手を上げ前を向いた。 水無瀬から見れば後ろ姿となった。 キツネ面を取る様子が見える。 そしてミラーに掛けてあったメットを被るとそのまま走り去っていった。 エンストをすることなく。

「やっぱ・・・」

キツネ面の仲間だったのか。

「って、てか、お・・・女の人のバイクだったのか!?」

乗り方が堂に入っていた。 自分の乗っていた時の姿を思い浮かべると悲しくなってくる。

「ん? あれ? あの髪の毛の感じ・・・どっかで見たような」

あの馬の尻尾を思い出させるような感じ。
いや、それより。

「えー! あの人のメットをおれは被ったのか!?」

臭い頭皮臭をつけなかっただろうかと思う水無瀬だが、単にナギが面倒くさがってミラーにかけてあったライのヘルメットを被っただけである。


「水無瀬の部屋から何も聞こえてこない」

盗聴器がなくなったのだ、聞こえてこなくて当然のことである。

「戻ってないってことか?」

「あ、待て。 ・・・反応がない」

「え? ・・・見てくる」


部屋に戻った水無瀬。 玄関に上がる前にパンパンと足の裏を払う。 廊下に付けられている外灯で台所には多少の明かりはある、部屋の電気は消したままにしておこう。
台所に行きコーヒーを作る。 電気ポットからカップに湯を注ぐと、暗くとも歩き慣れた部屋に入りこたつに足を突っ込んだ。

「俺・・・こんなことしてていいのかなぁ・・・」

もっと切羽詰まった行動をしてなくてはいけないのではないだろうか。

「あー・・・、んー・・・、そだなぁ・・・」

個室。 個室で人の目がある所。 そしてお安い所。
スマホでネットカフェやカプセルホテルの料金を見るが、連日となるとやはりそれなりになってしまう。 それにこの状態がいつまで続くのか全く想像が出来ないのだから、簡単に散財するわけにはいかない。

当初の予定では講義を全て終わらせ、バイトを増やして金を貯め、それと並行して就活をし、早々に内定をもらうつもりだった。 それなのにこの状況、予定というものは簡単に遂行できるものではないらしい。


「裏も表も電気は点いてないな」

『まだ戻ってきてないのか?』

「いや、それは分からんが、いつもなら居れば電気は点いているはずだ」

『そのまま見張ってるか?』

手の痺れはまだわずかに残っているが、それでも足を手裏剣やクナイで刺されたわけではない。 いつもは運転席に座っているこの通話相手の男は、脹脛(ふくらはぎ)を刺され運転席に座ることが出来なくなっている。 痛みを堪えてアクセルくらいは踏めるだろうが、走って水無瀬を追うことは出来ない。 いつも居るあとの二人もいない状態である。

「そうする」

水無瀬におじさんと呼ばれた男がスマホをポケットに入れ、表側の物陰に隠れるとタバコに火をつけた。 紫煙をふっと吐き出すと、少し前のこととその前のことを頭に浮かべる。
一体向こうは何を考えているのだろう。 水無瀬を逃がすだけ逃がして接触しようとはしていない。

「まぁ、接触されちゃ困るんだがな」

矢島の死体が上がったと報道された。 向こうもその報道を見たはずだ。 となると誰にかは分からないが、矢島が何かを残していたか言い残していたか。 水無瀬に関することを。 でなければ向こうが水無瀬のことを知っているはずがない。 だがそう考えると接触をして来ないのはおかしい。

「何を考えてやがる・・・」

それとも・・・。

「水無瀬じゃない?」

自分達は矢島を追っていた。 その矢島が接触した人間をしらみつぶしに当たった。 その中で水無瀬が、水無瀬だけが “見えた” 。 そして矢島が最後に接触したのが水無瀬だった。

「水無瀬が見たのは間違いないはず・・・。 だが・・・水無瀬以上に見える者が居たかもしれない?」

自分たち四人は水無瀬の担当になった。 他の接触者には他の者があたった。 その探りが甘かったのだろうか。 矢島が最後に接触をしたのは水無瀬だった。 水無瀬以前に接触した者に “見える” 者が居たのならば水無瀬に接触するはずがない。

「・・・カモフラージュ?」

水無瀬はカモフラージュだったのか? では水無瀬の前に接触していた者の可能性が高い? ・・・いや、そんなことを言っていればキリがない。

「くそっ!」

矢島を逃がしてしまったことが悔やまれる。


結局どこかに行くこともなくベッドにもぐりこみ朝を迎えた。 朝と言うか、もう昼前である。 ましてや自ら目を覚ましたのではなく、こたつの上に置いていたスマホの着信音が目覚まし代わりとなっていた。

『水無ちゃーん、何してんのー? 今日ヒマ~? ヒマだよね~、バイトも休んじゃってるしぃ』

「・・・なんだよ」

どうして雄哉はいつもテンションが高いのだろうか。 悩みというものは無いのだろうか。 ってか、単位が危ないんだから悩め。

『ね、紹介したい人が居るんだけどぉ~』

紹介したい人? そう言えば 『お近付きになりたい人と・・・うふふ、ハート、って感じでさ』 と言っていた。 その女性のことだろう。

「上手くいったのかよ」

『えへへ~』

気持ち悪い。

『ね、今日もヒマだろ?』

“も” って言うな。 連日忙しすぎるくらい忙しいしクタクタなんだよ。

「気分が乗らない。 じゃな」

通話を切った。 スマホの向こうでがなり立てていることだろう。 だが万が一のことがある、雄哉を巻き込むわけにはいかない。

―――コン。

「え?」

思わず振り返りベッドのある部屋との境の襖を見た。 襖は閉められている、その先を見ることは出来ない。

―――コンコン。

窓を叩く音。

いや、どちらかと言えばノック。

―――コンコン。

誰かがベランダに居る。
あの時の嫌なことを思い出すが、それならば勝手に入ってくるはず。
顔を戻して玄関との境の硝子戸をじっと見る。
そっと立ち上がり硝子戸を開けドアスコープを覗いた。 誰も居ない。 あくまでも見える範囲では。 振り返り襖を見る。 靴下の底を払って部屋に戻るとそっと襖を開ける。

「え・・・」

窓の向こうにニット帽を被ったキツネ面の男が立っていた。 おじさん体形ではなく細身である。
キツネ面の男が、よ、というように片手を上げた。

「なん、で?」

次に紙とテープを使って応急処置をしていた部分を指さしている。
開けろということだろう。
おじさん団体と比べると礼儀はあるようだが、あくまでもそこは水無瀬の部屋のベランダである、不法侵入だろう。 とはいえ、ベランダは専有部分ではなく共有部分だが。
だがそんなことより、どうしてこのキツネ面はプラスチックの面なのだろうか。 祭か何かで買ったのだろうか。

キツネ面は何度か見た。 初めて見たのは車のライトに照らされたキツネ面だった。 あの時は驚いた。 まるで生きているかのような、引き込まれるような面だった。
ということは、この面は水無瀬を逃がしてくれたキツネ面団体ではないということだろうか。

(どうする・・・)

コンコンと、またノックをされた。
“逃げてるだけ” “逃げるのをやめればいいんだ”

(逃げてばかりじゃいけない、か・・・)

キツネ面を睨みながらゆっくりとクレセント錠を開錠する。

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ハラカルラ 第9回

2023年11月10日 21時19分55秒 | 小説
ハラカルラ    第9回




通勤による車の渋滞は丁度緩和されたところなのだろう、特に巻き込まれることもなく進んで行く。

間に挟んでいた車が何台か入れ替わった中、水無瀬の乗った車が左にウインカーを出した。 幹線道路から外れていくつもりだ。 これでついて行けば完全に怪しまれることになってしまう。
こちらに気付いて試しているのか、それとも目的地に向かっているのか。

「左に曲がった」

身体を横に倒して後ろから見ていたナギが言う。

「いけるか?」

「可能な限り」

ヘルメットを外すと手探りでメットホルダーに掛ける。
車が曲がり切ったところで端に寄せながらブレーキをゆっくりとかける。 スピードが緩むとナギが飛び降りた。 何度か横回転しながら立ち上がる。
後続車が驚いて急ブレーキを踏んだが、ナギは素知らぬ顔で走り去って行き、ライの運転するバイクがスピードを上げた。 後続車との間が空いていく。

「ブレーキを踏んだか」

ということは相手の応援ではなかったのだろう。 応援であればナギが飛び降りることくらい想像がついていたはず。 それに奴らはこんな時にブレーキなど踏まない。
次の信号で左折をして止まる。

「怪しいと思ったが、気のせいだったか」

「真っすぐ行ったようだな」

ドアミラーで後ろを確認した助手席の男が言う。

「カモフラージュかもしれんがな。 それとさっきのようにとばすなよ、事故りでもしたらややこしいだけだ」

更に左折をする。 バスや大型のトラックがかろうじて普通車とすれ違える二車線の道ではあるが、飛び出しがあってもおかしくはない道である。

「わかってる。 あの時だけだ」

それにもし追ってきているのならばスピードを上げず確認をした方がいい。

三人での行動で水無瀬を入れてこの車には四人が乗っている。
後部座席に座る男の着信音が鳴った。 画面には “誠司” と出ている。

「どうした」

『こちら、着きました。 応援に向かいますか?』

「いや、いい。 こっちも向かっている。 そうだな・・・あと、十五分かニ十分くらいで着くだろう。 今のところつけられている気配はない」

『分かりました』

(十五分かニ十分くらい、か。 一体どこに連れて行く気だよ。 うう、腹痛てー)

車中の声で気が付いていた。 まだ気付かぬ振りをしていたのだが、いったいどこに向かっているのだろうか。

(つけられている気配、って言ってたよな。 ・・・あのキツネのお面の奴らってことか?)

それならばあのキツネ面たちはいったい何をしたいのだろうか。 単にこの男たちの邪魔をしているだけなのだろうか。

「幹線道路に戻るつもりか」

左折を繰り返し元に戻るつもりなのだろう。 やはり怪しまれていたか。
走りながらスマホを操作する。

『ほい』

「左折三度、道を戻るつもりのようだ」

『了―解』

細い道に入るとナギがいるだろう場所に向かってバイクを走らせる。


「動き的に・・・見つかったか?」

ナギとライのスマホをGPSで追っていたが画面の動きがおかしい。

「見つかった? 捕まったのか?」

後部座席から画面をのぞき込んでくる。

「いや、ライと別れたようだ。 多分危うくなってナギがバイクを降りたんだろう」

「走って追ってるってことか?」

「そのよう・・・うん? ライと合流するようだな」

「追尾開始か。 あいつらが離されちゃもう追えなくなるからな、なにがなんでも頑張ってもらわんと」

「煉炭が持って帰ってきた土産からするに、水無瀬君である色がかなり濃いらしいからな」

「よく教育してあるから役に立つもんだ」

「ほっとけ。 ったくあいつら、戻ったらシメてやる」

煉炭の怖い父ちゃんである。 母ちゃんは絞ってもらうと言っていたが、どうやら煉炭はシメられるらしい。


「お待た」

バイクのエンジン音と共にライがやって来た。 ナギがさっきまで座っていたタンデムシートに飛び乗る。 メットを被りスマホを操作しながらライに指示を出す。

「前の道路に戻った。 左折」

「はいよー」

『どうした』

「怪しまれたようです」

『誤魔化せたか』

「はい、ですがこれ以上は近づけなく巻かれるかもしれません」

『あと十分、十五分ほどで追いつく』

「分りました。 車のナンバーは “ら○✕〇✕” 白のカローラ。 水無瀬が乗っています。 他の車は今のところ見当たりません」

『分かった』

「他の色にしてほしかったなぁー、バリバリド派手なメタリックゴールドとか虹色カラーとか。 せめてツートンとか目立つようにしてもらわないとなぁ。 白って、右見ても左見ても白じゃんか」

離れてしまうと白のセダンという目分けしかつかない。 一昔前に比べると色んな色の車が走るようにはなったものの、まだまだ白の車は多い。

「あと十分、十五分ほどかかるらしい」

「十分以上持たせるのかぁ、キツイなぁ」

極力、車線を変えないように走る。 車線を変えた時にバックミラーないし、ドアミラーに映り込んでは困るからだが、トラックが前に入ってきた時には全く前が見えなくなった。 どこにも右左折していませんようにと祈りながら、隣の車線に大型車がやって来るのを待ち、やってきた大型車の陰に隠れて車線をかえ、そのまま右車線を走った。 ナギが左に身体を傾けて前方を見る。 左車線に白のカローラが見える。

「確認」

「おしっ」

このままこの大型車の陰に隠れているか、さっきのトラックはもう抜いた、左車線に戻るか。

「左車線がゆっくりしてきた。 このままだと抜いてしまう」

「えー、なんでだよー」

「左にウィンカー」

「左折かよ」

運転手は今、前方と左後ろばかりを気にしているはずである。 一瞬右のドアミラーに映り込んでも気が付くまい。
少々強引に左車線に入り込む。 クラクションはならされなかった。 多分、ナギが後ろの車に手を上げたからだろう。
道路を逸れて行った白のカローラがライの目にも映った。 信号のない脇道に入ったようだ。

「確かこの辺りって、サービスエリアがあったよな」

闇雲に追っていたわけではない、道路標識は目にしていた。 ここがどの辺りかは分かっている。

「それが?」

ライがスピードを緩めゆっくりと脇道に入り、ライトがルームミラーに映らないよう横向けに止める。 脇道に入ってくる後続車はない。 ライトが目立つ。 そのライトが一つ目、一つ目はさっき怪しまれた二輪。 距離を詰めることが出来ない。 バイクを止め前を走る車のテールランプを目で追う。

「外から入れるサービスエリア」

「え?」

「高速には入れないけど施設には入れるように車を乗り入れられる。 今車が一台だけということは、そこで応援が待っているのかもしれない。 水無瀬をそこで別の車、高速に入れる側の車に乗り換えさせるかも。 サービスエリアに入ったらその可能性大」

「サービスエリアの名は!?」

カーブをしていくテールランプが見えなくなった。 クラッチを握りスロットルを全開にし、チェンジペダルを踵でローに叩き落とす。

「呉花SA」

ウィリーを起こしてバイクが走る。
ナギがすぐに連絡を取る。

『か、手の込んだことを』

「まだSAには入っていませんから推量の域ですが」

『分かった、とにかくこっちは間もなくそっちに追いつく』

「はい」

「ほほぅ~、呉花SAに間違いなさそう」

一気に走ったスピードを緩め離れて見ていると、そちらに続く道へとハンドルを切ったのが分かった。


「おい、坊主、起きろ」

坊主って誰のことだよっ、と思いながらもどうしようかと逡巡する。

「水無瀬くん、そろそろ車を降りる。 起きてくれないか」

あのおじさんの声だ。 車を降りる? 着いたということか?

「起きなきゃ、担いで行くけどな」

ゆっくりと瞼を上げる。 「うう・・・」 と腹を押さえて白々しく言ってやる。

「おー、悪い悪い。 痛かったか?」

上目づかいで助手席の男を睨んでやる。 横顔が笑っている。

「素直についてくればそんなことにならなかったんだよ。 なぁー?」

僅かに後ろを振り返る様子を見せたが、最後に付けた “なぁー?” は多分、水無瀬の横に座る男、おじさんに言っているのだろう。 確かにおじさんは手荒なことはしたくないと言っていた。 そしてそれを断ったのは水無瀬自身なのだが。
だが誰がこんな事になると想像できた? 一生を生きていてこんな目に遭う人間がそうそう居るだろうか。 居てもほんの一握りだろう。 いや一つまみか?

「痛いだろうが車が停まったら歩いてもらう」

“なぁー?” と言われたのを完全に無視しているようだ。

「逃げ出そうとしても無駄ってことはわかるよな? 周りは固めるからな。 で、車を乗り換える」

車を乗り換える? まだ目的地ではないのか? 一体どのくらい気を失っていたのだろうか、それさえ分かればある程度の距離感が掴めるだろうに。 今更だが気を失っていたことが悔やまれる。

「どうしてこんなことを」

「だから・・・言ったじゃないか。 着いたら説明する」

「どうして今じゃいけないんですかっ。 う・・・」

腹に力を入れると鈍痛がする。 腹を抱えるが胃も腸も破れてないよな?

「大丈夫か? まぁ、そう力むな」


止まっては発進を繰り返していると、後ろからライトが光った。

「来たみたいだな」

ライが振り返って言う。
助手席の窓から手が上げられライたちを抜いて行く。 すぐにナギに連絡が入った。

『前を走っている車だな?』

「はい」

『ゆっくりと追ってこい』

「はい」

「このままサービスエリアに入ったらバイクすぐにバレるな」

特徴的なバイクである。

水無瀬を乗せた車が呉花SAの施設に入ることが出来る駐車場に入って行く。 駐車場に車を停めると運転席にいた男が車を降り左右を見渡している。
駐車場はそこそこ大きく、こんな時間なのに結構な車の台数である。
スマホを取り出すと相手を呼び出した。

「今入った、何処に居る」

『じっとしていろ、こっちから行く』

「分った」

水無瀬の移動の妨げにならないようにだろうか、それとも極力人に見られないようにだろうか、車は建物から離れた場所の端に停められた。 後と右側に他の車が停まっている。 後ろの車の列が一番建物から離れていることになる。

車を停める時に後ろの車の中がチラッと見えた。 運転席で男性がパンを片手にスマホを操作していた。
その男性を見た時に大声で助けを呼べば助けてくれるだろうかとは思ったが、頼れそうなマッチョではなかった。

一台のハッチバックが入ってきて停める所を探しているのだろう、ゆっくりと徐行している。 かなり年期の入った車である。
所々に木が植えられている。 そこそこの大きさで枝振りもいい。 真夏には良い木陰になるだろう。 きっとその時季にはその場所に車を停める取り合いになるのだろう。

コンコンと水無瀬の座る側の窓を叩かれたと同時におじさん側のドアが開けられた。 おじさんが降りていくのを見てから窓を見る。 すると誠司と呼ばれていた青年が腰を屈めてこちらを見ていた。 両方の手を合わせ口パクで “ごめん” と言っている。
謝るような事は最初からするな、と心の中で叫んでおく。

外ではおじさんたちが何か話している。 車を乗り換えると言っていたが、その車が離れたところに停まっていて、移動するにもこの車の近くに空いたスペースがないとか、若しくは、思った以上に人が居て水無瀬の移動に危機感を覚えているのだろうか。

「ん? あれ?」

窓の外を見ていると覚えのある顔が歩いている。 今日は革ジャンを着ている。 雄哉たちと行ったカラオケ店で見た時ともまた服装の感じが違うが、間違いないだろう。

「へぇ、髪・・・長かったんだ。 ここんとこちょくちょく見かけるよなぁ、こんな所で何してんだろ」

あちこちで見かけてはいたが、いつも帽子を被っていて髪の長いことには全く気付かなかった。


「十五人か・・・」

「多いな、こっちは六人だってのに」

六人とは、車に四人とライとナギの二人。

「ああ、だがまだ居るかもしれん」

車を降りてきているとは限らない。

「分が悪いな」

それに関係のない車や人が多い。 こんな所でひと暴れでもすればすぐに通報されてしまう。

「だがここを逃すと追いようがない」

ナギの言っていたことが実行されれば向こうは高速に入る。 ここに居るのだ、間違いなくそうするだろう。

「ああ、ここで決めよう。 向こうも目立つことはしたくないだろうしな。 他の者はまだか?」

「二手に分かれさせた。 こっちに来るのと、高速から入ってくるのと。 まだヒマがかかるだろう」

「待ってはおられんか」

「まぁ、スタートを決めるのは向こうだがな」

何の予告もなく車のバックドアが開けられた。 振り向くとナギが車に乗せていた獲物を取り出そうとしている。

「ライは位置に着きました」

「そうか」

「向こうは少なくて十五人、まだ居るかもしれん。 目立たず、関係のない者に気付かれず、心しろ」

「はい」

車を降りた四人もそれぞれに動く。 人の目がある、手刀の落とし合いは完全に出来なく刀の打ち合いも出来ないが、それでも忍刀は背に忍ばせている。 飛び道具ももちろんである。

おじさんが車に戻って来た。 誠司が踵を返して他の男達について行く。

「悪いが、あと少しこのまま待つ」

どうしてなのか訊こうかとも思ったが、その理由を聞いてどうなるわけではない。 返事をすることもなく窓の外を眺めていた。
二十分も経っただろうか、どんどんと車が退(ひ)いていく。

「ここは一般道から入ることの出来るサービスエリアでな、だがこの駐車場からは高速には入れない。 言ってみれば地域の人間がここの施設を利用するわけだ、その駐車場」

どこの駐車場かとは思っていたが、そういう駐車場があるのか。 だがそれを説明して何が言いたいのだろうか。

「今日は特産品市が開かれていたらしい。 それでこれだけ人が多かったんだろう。 もう市も閉めてお開きになった。 これからみんな帰っていく」

そういうことか・・・。 それでこのまま待つと言ったのか。

それから十分、二十分も経つと、あれほどあった車が殆ど居なくなった。 ポツンポツンと停まっているだけである。
窓の外から数人の男たちが歩いて来るのが見て取れる。
後部座席の両方のドアが外から開けられる。 おじさんが車を降りた。

「降りろ」

水無瀬側のドアを開けたサングラスの男が言う。
サングラスの向こうにある目は見えないが、それでもサングラスを睨み返して車から降りた。

「痛い目に遭いたくなかったら大人しく歩いてもらおう。 一言でも発したらすぐにもう一発ぶち込む」

返事などしてやるもんか。
そうか、万が一にも俺が騒ぎ出したらと考えて人が退くのを待っていたのか。 まぁ、たしかに騒ぐことは考えた。
車を降りた水無瀬を六人の男が取り囲んだ。 ましてや二人が両側から水無瀬の腕に自分の腕を絡めてきた。 ガッツリと腕を取られている。
これでは完全に逃げるに逃げられない。 大声を出したとしても、隠されているようになっている水無瀬に気が付いてくれる人が居るかどうかも分からないし、すぐにまた一発入れられて黙らされるだけなのだろう。

―――カン。

聞き覚えのある音がした。

「居たか、気をつけろ!」

全員が手に持っていたカオナシの面を着ける。
そして水無瀬の腕をとっていた男が腕を引っ張る。

「走れ!」

どうして俺が協力しなければいけない。 何なら脱力でもしてやろうか、そうなれば俺をズルズルと引っ張っていくか?
鈍い音が幾つかしたと思ったら、次にヒュッと軽く風を切る音が聞こえた。

「あう!」

前を歩いていた男が足を抱えるようにしてうずくまった。 それとほぼ同時に水無瀬の腕をとっていた男二人が、水無瀬の腕を放して腕を抱える。 振り返ると後ろを歩いていた男達も足を抱えてうずくまっている。

一体何が起きたんだ、だが迷っている場合ではない。 走らなければ、逃げなければ。 だがどっちに行けばいい、施設に逃げ込んで助けを求める? それとも来た方に戻る? となれば道路を走って逃げるのか? いや、それは無理だろう。 ほんの少し前に息を荒げた自分を知っている。 ということは、施設に逃げ込むしかない。
水無瀬が施設の方に身体を向け数歩走った時だった。 足元で何かが弾ける音がした。

「え・・・これって・・・」

―――クナイ。

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ハラカルラ 第8回

2023年11月06日 21時18分01秒 | 小説
ハラカルラ    第8回




水無瀬が近づいて行く。

「よー、こんなとこで何してんの?」

「あれー? 水無瀬っち?」

だから水無瀬さんと呼べ。
バイト先の敬語を知らないやつである。

「やっぱ、ハワイじゃなかったんだ」

「だから違うって言っただろ。 何してんだよこんなとこで」

「迷子犬の届け出」

「犬? 犬なんて飼ってたのか? って、届け出って、あそこ落とし物の係りじゃねーの?」

「犬は物扱い。 で? 水無瀬っちは何でこんなとこに居んの?」

「あ、うん、ちょっとな。 でも空振りに終わった」

「ふーん。 ね、俺、昼食べそこなったんだけど水無瀬っちは?」

「俺もまだ」

「なんか食べに行かねー?」

幕の内弁当を買おうとは思っていた。 だが食べに出るとなるとそれ以上になる可能性はあるが、こいつをボディーガードにしても良いのではなかろうか。 ボディーガードになるかどうかは分からないが、誰かがいれば簡単に手を出してこないだろうし、日頃の俺への失礼をその身体で払ってもらっても罰は当たらないだろう。

「そうだな」

たしか駅前にファミレスがあったか。 ファミレスならそんなに高くもない。


「ライ」

振り向くといつの間にだったのかナギが立っていた。

「早いな」

「ついさっきまで長とここにいたからな」

「長と? どういうこと?」

「矢島の身体を引き取りに来ていた」

「ここ、に?」

「ああ」

水無瀬がここにやって来たのは偶然なのか?

「長をほっぽって来て良かったのかよ」

「葬儀屋の顔をしたおっさんたちの運転で帰った」

「あ、そういうこと」

「水無瀬は」

「中に入ってる」

「何をしに」

「そこまで知るかよ。 おっとー」

水無瀬が出てきた。

「あー、やっぱり」

「あれは水無瀬のバイト先の奴じゃないのか?」

「ああ、水無瀬に遅れて入って行った」

「偶然か?」

「知らねーよ。 バイクは?」

「駅前に停めてある」

行動の起点は駅前だったようだ。
多分大人しい顔をして長にくっついて行って泣いてでも見せたのだろう。 そんな奴がバイクになど乗っていては信用性にでも欠けると思ったのか、ライダースーツから着替えまでしている。 細かいことだ。

二手に分かれ周りを気にしながら水無瀬たちをつけたが、ここまでに怪しい影は見えなかった。
バスを降りた水無瀬たちがファミレスに入った。 駅前のファミレスだけに駐車場はない。

「あー・・・奥に入っちまった」

窓際ならここから見張ることが出来たのに。

「どうする?」

『外に居る。 ライは入ってこい。 あ、それと爺さんから水無瀬が見えるのかどうか、積極的に聞き出せということだ』

「了―解」

とはいっても、このシチュエーションでは訊くことは出来ないが。

ファミレスに入って行ったライを見届けると、辺りをもう一度見まわし怪しい者が居ないかを見ると、踵を返してコインロッカーに向かった。


「ねー、良かったのかなぁ?」

「うーん、でも仕方なかったしぃ」

親から再々、早く戻って来いと連絡があった。 そしてライが金をどこに隠しているかは簡単に想像がついた。

「父ちゃん怒ったら怖いもんね」

「うん。 それにライがお金をくれなかったのが悪いんだから」

「だよね」

「だよだよ」

「お土産もあるしね」

「ふふ、宝箱みたいだね」

「だね、ふふふ」

電車に揺られる小さな手には同じように小さな箱が乗っている。
同じ顔をした可愛らしい双子がにこやかに笑い合っている。 前の座席に座るお婆さんが、あまりの微笑ましさに思わずつられて笑みを零していた。


「ふぁ、腹いっぱい」

「よく食うよなー」

「育ち盛り」

「とっくに過ぎてんだろが」

「ね、今日これから予定ある?」

「いや、別にないけど・・・」

こいつがいれば簡単に手を出してこないとは思うが、たとえこいつを犠牲にして逃げられたとしても、それはそれで後味が悪い。 さっきまではボディーガードになどと考えていたが、段々と陽が斜めに傾いてくると人間は気が弱くなってくるのだろうか。

「んじゃ付き合ってくんない? ゲーセン」

「ゲーセン?」

ゲーセンなどと大声を上げて助けを求めても誰にも聞こえないところは御免こうむりたい。 それにあんな所ではいつ誰に連れ去られるか分かったものではない。

「断る」

「わっ、冷た。 んじゃ、第二候補、レンタルショップ」

「CDか?」

「それもあるけどブルーレイも」

ブルーレイ? こいつ、金持ってんだ。

「水無瀬っちも何か借りる?」

「どこのレンタル?」

「サンタルチー屋。 チェーン店でここら辺りにもあったはず」

「俺、サンタルチー屋の会員じゃないし」

「うーん? 俺の会員証で借りればいいし、おごるよ」

最寄りのサンタルチー屋を探しているのだろう、スマホを操作している。

「あ、あった。 徒歩・・・二十分ってとこかな」

「駅前じゃないんだ」

おごってもらう気はないが、そうだな、気晴らしにジャケットを見て回るのもいいか。 そう遅くさえ・・・いや、待てよ。 一人にならなければそれでいいのか。 こいつ一人にこだわらなくとも人目があればいい話である。 それなら簡単に手は出せないはず。 木を隠すのなら森の中。 ちょっと違うか。

「そうだな、行ってみるか」

「おし、腹ごなし腹ごなし」

お前は食べ過ぎなんだよ。


『出る』

「分かった」

会計を済ませ外に出るとラインの着信音が鳴った。

「ん?」

水無瀬がポケットからスマホを取り出そうとすると「あ、俺のライン。 ちょっと待ってて」 と、ラインを操作し始めた。 水無瀬と同じ着信音だったようだ。

「ほい、お待た」

“お待たせしました” だ。

こいつが言っていた通り、二十分ほどでサンタルチー屋に着いた。 夕方にさしかかっていたからか、客は制服を着た学生が目立つ。 頃良い客数ではないか。 それに制服なら間違いなく中高生だ、あの団体さんでないのは確かで安心して見て回れる。
ただ、帰りが考えものである。 駅の賑やかさから離れた方向に歩いたのだから、それなりの時間を見計らって帰らねば。

「水無瀬っち、何借りる?」

「うーん、適当に見て回る。 目当てがあるんだろ? そっち行ってていいぞ」

「そう? じゃ、借りるの決まったら持って来いよ、おごるから」

「へいへい」

“持って来てください” だろ。 あ? おごってもらうんだから “持って来い” でもいいのか? いやいや、俺は年上だしおごってもらう気もさらさらない。
後姿を見ているとスマホを取り出した様子が見て取れる。 ファミレスを出た時に着信があった、ラインでもしているのだろう、忙しい奴だ。

「はぁー、それにしても長い間音楽なんて聞いてないなぁ。 映画も見てないし」

ついでにテレビも殆ど点けていない。 今どきの流行り曲などサビ意外知らない。

「爺さんかよ・・・」

CDを一枚ずつ取ってジャケットを見る。 絵であったり写真であったり、雰囲気を醸し出していたり、ふざけていたり。 ジャケットで売り上げが左右されると聞いたことがあるが、こうして見ていると分からなくもない。

昔聞いていた曲のCDが目に入った。 手に取るがこんなジャケットだったっけ? と記憶に薄い。 レンタルではそこまで思い入れてジャケットを見なかったのだろう。
移動してDVDの棚を見て回る。 一度見た映画をもう一度見たい派ではないが、これから家に引きこもらなければならないかもしれないと考えると、DVDを借りておくのも一つかもしれない。

「明日にでも借りに行くか」

自分が会員になっているレンタル店に。

「プレーヤー・・・壊れてないよな」

長く使っていない。

「くそ、まるでヒッキーじゃないかよ」

何のために講義を詰めて出席したのか。

「水無瀬っち、決まった?」

「ん? ああ、いい。 特にってのもなかったし」

「そう? やっぱここ狭いから品揃えが少ないよな」

上げた手に何も持っていない。

「借りないのか?」

「借りたいの全部借りられてたし他に良さそうなものもなかった」

そうなのか。 全部借りられてたってことは、それは多くの人が借りに来たということ。 ということは、こいつは流行りというものが分かっているのか。 なんか腹立つ。

「どっか寄る?」

「いや、今日はもう帰るわ」

「そう?」

外に出ると・・・暗かった。

「ええ?」

「なにビックリしてんの?」

「いや・・・いつの間に。 って、俺らそんなに長くここに居たか?」

「結構居たね。 あんなのは見て回ってるとすぐに時間が経つからな」

「うそん・・・」

「予定ないって言ってただろ? なんか不都合?」

「いや、そういうわけじゃ・・・。 とにかく帰ろう、駅に行くんだろ?」

「あー、うん」

「なにそれ」

見放すなよ。 意地でもせめて駅まではついて来させるからな。

サンタルチー屋を出て街灯の少ない中、とぼとぼと二人で歩いているとラインの着信音が鳴った。

「あ、俺」

スマホを手に持つと操作をし始める。
間違いなくこいつの着信音だったようだ。 こいつは俺の着信音と同じということに気付いていないようだ。 まぁ、俺も今日知ったばかりだが。

「犬を見つけたって」

「へ?」

スマホをポケットに入れた姿が目に入る。 返信し終えたのだろう。

「ああ、そう言えば、迷子犬の届け出とかって言ってたっけ。 見つかったのか、良かったじゃん。 お前んちの犬?」

犬のことでラインのやり取りをしていたのか。 敬語は使えないし失礼な奴だが心根は優しいのかもしれない。

「知り合いの犬。 ってことで、ここでサラバ」

「はぁ!?」

止める間もなく駅に行く道から外れ走って行った。

「おいおいおいおい・・・嘘だろぉ・・・」

心根が優しいというのは撤回しよう。
辺りを見ると人っ子一人居ない。 それにこの街灯の少なさ。 決して前が見えないわけではないが、それでも心細い時には不安になる暗さ。 サンタルチー屋を出た時より一層暗くなっている気がする。

「走るか・・・」

そんなに複雑な道順ではなかった、道は覚えている。
走っていると時折車とすれ違う。 一瞬ドキッとするが、どの車も素知らぬ顔で通り過ぎて行く。
来る時には歩いて二十分ほどだった、走れば遅くとも十分で着くはず。 十分走ればそれでいい。

「・・・って」

足が止まった。 膝に手をついて息を上げる。
もう高校生じゃないんだ、マラソン大会も体育の授業も離れて久しい。

「こんなに体力落ちてたのかよ・・・」

それに間抜けなことに全速力で走った。 百メートルならおおよそ十二秒ほどで走れただろうが、百メートルではないのだ。 色んな意味で自分が情けない。 その上、これからヒッキーになろうとしているなんて。

「よー、お疲れだな」

え? 顔を上げるとこの暗がりの中、サングラスをかけたあの男が立っている。

「ぐふっ」

腹を打たれた。

エンジンの音が聞こえた気がした。 またこのまま車に放り込まれるのだろうか。

「奴ら」

『了解ぃ~』

バイクが来るまで走り去っていく車の後を自らの足で追うが、相手は機械、離されてしまう。 車が左折をした。 見失ってはどうにもならない。

「ナギ!」

前方にバイクが止まった。 ちょうど車が左折をした四つ辻だ。

「前方の車」

バイクの後ろに跨る。 すでにライダースーツに着替えている。

「了―解」

タンデムシートに収まりながら、インカムのついたメットを被りすぐに連絡を取る。

『どうした』

「たった今、車に乗せられました。 追っています」

『GPSで追う』

「はい」

「おいおい、信号無視かよ」

小さな交差点ではあるが、まだ塾通いの小学生が歩いているかもしれない時刻だというのに。

「応援が来るまでは大人しくした方がいい。 見失わない程度に」

「難しい注文だな」

前方の車は真っ直ぐに走っている。 こちらが追手と気付いていないのか。
停止線手前で止まりかけたが信号が青になった。 クラッチを握りニュートラルにしていたギアを上げる。


「二度目か・・・」

爺たちの元に連絡が入った。

「やはり水無瀬という青年に何某かの確証があるのでしょうな」

「それも昨日の今日、焦っているということか。 かなりこちらを気にしているということになろうか」

「まさか昨日あんなことになるとは思ってもいなかったのだろうて」

「で? 矢島はやはり何も持っていなかったような?」

「警察でも服を検めただろうが、やはりそれらしいものを持っていなかったということ」

「まぁ、我らとは違うからなぁ、隠し持つということはせんだろうて」

そこに木戸が開いた。

「煉と炭が戻りました」

入ってきたのは煉と炭の母親である。

「そうか」

「土産があると言うとるんですが」

「土産?」

「煉炭、入り」

「はーい」 というと、やはり二人そろって頭を下げ「ただ今戻りました」 とハモる。

「土産とはなんぞ?」

「怒りませんか?」

「怒るのなら、ライ」

爺たちが目を合わせる。 ライのこともよく分かっているが、この双子のこともよく分かっている。

「怒らん。 上がってこい」

双子が目を合わせて笑み合い土間から板間に上がる。 爺たちの前に座ると手の中の箱を前に出した。

「これが?」

これが何かは知っている。 この双子が作った妨害電波入りの箱である。 二人とも機械いじりが好きで訓練よりもそちらに精を出している。

「水無瀬の部屋で見つけた盗聴器」

「と、盗聴器!?」

他の者が手を伸ばし箱を開ける。 タオルハンカチに包まれたものを箱から出すと中から白い物体が出てきた。

「・・・こんなものが?」

「うん、USBスティック型盗聴器」

「まだ手を加えてないから機能は残ったまま」

「でもここまで来たら何も聞かれないけど。 ねっ」

「ねっ」

「待て、どうやって持ってきた」

「あ・・・だからぁ」

「それはぁ・・・」

「忍び込んだということか」

「な! なんちゅうことを! あんたら! 何を勝手なことをしたんかね!」

ああ、そうだった。 母ちゃんとは怒らないという約束をしていなかったのだった。

「父ちゃんが戻って来たら、こってりと絞ってもらうからね!」

母ちゃんと約束をしていたとしても、結局は父ちゃんに怒られるのか・・・。 怖い。

「まぁ、待て」

「向こうが仕掛けたということか」

「ならば・・・向こうの誰かに言わずとも、見たという独り言なり、誰かと話したことを聞いたかもしれんということか」

「その色が濃かろうな」

「長は?」

「まだ矢島についとります」

煉炭の母親が頭を下げながら応える。

「そうか・・・。 少々この話が遅れたとて何が変わるわけでもなかろう」

矢島のような立場にある人間を悼むのは長の役目である。

「煉炭、でかした」

指示以外のことをしたのは褒められたことではないが、褒めて伸ばせということもある。 細かいところは両親に任せ、爺の立場であるこちらからは褒めるが良いだろう。

「褒められた!」

「すごいすごい!」

「母ちゃん、父ちゃんも褒めてくれる?」

「くれるよね?」

煉と炭が振り返って訊くが、思った通りの答えは返ってこなかった。

「それはそれ! こってりと絞ってもらうのは変わらんからね!」

「えーーー・・・」 二人の声が重なった。


距離を置いて走っていると間もなく幹線道路に出た。 奴らの車との間に目隠しをするようにワゴン車を一台挟む。

「気付かれてないか?」

「ああ、多分な。 ここまで来るに気付かれていたら、もっと無謀な運転をしてただろうよ」

このライ。 方向感覚に優れていると言っていいのか、単なる当てずっぽうがいつも偶然に当たるだけと言っていいのかは分からないが、こいつと居ると任せることが出来る。
今だってそうだ、行き先もこの地域の道も知らないというのに、車からバイクの姿を隠すために細かな道を使ってショートカットをしたりしていた。 袋小路になっていたら、思ったところに出られなかったら、などとは考えないようで迷いなくバイクを走らせていた。

(それとも単なる野生の勘か?)

木などを上る姿は野猿のようであるのだから。

「水無瀬の様子はどんなだった?」

「腹に一発」

「へ? 一発で撃沈?」

「庇うわけではないが、それまで走っていたというところもあるのかもしれないが、まぁ、反撃は無かった」

「ひ弱だこと。 んー、あいつら高速に乗らないのかな?」

「昨日とは別ルートにするか、別の所に行くつもりか、というところだろう」

「車も一台だけって・・・何考えてんだろ」

「こちらの気付かぬ間に応援が付くかもな」

相手の車がどんなものかは知らないし、こっちは車ではなく二輪である、相手の応援の中にも二輪があるかもしれない。

「こっちの応援は?」

「まだ」

「まっ、そんなに早く来るわけないか。 けど相手の応援がどれか分かんねえ以上、いつまでも持たないぞ?」

一般道路でそうそう同じ道を長く走る車両はないだろう。
マークをしている車からバイクを隠して走行することはある程度できるが、それ以外の車、応援の車がどれか分からない以上は隠すことも出来ない。 ましてや隠れる為に使った車両が応援の車であれば間抜けもいいところである。
今のところ相手は車一台の様子、それならばと行動に出たとしても、こんな幹線道路で問題を起こすことなど出来ない。

「野猿の勘はないのか?」

「え? なんて?」

「いや、何でもない」

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ハラカルラ 第7回

2023年11月03日 21時28分52秒 | 小説
ハラカルラ    第7回




「どうして連絡がなかった」

後ろと横には何人もの爺(じい)が座り、そして中年以降の男たちが囲うように土間に立っている。 その中、目の前には一人が背を丸め胡坐をかき、もう一人が背筋を伸ばし端座している。 それぞれの傍らにはキツネの面が置かれているが、片方は面が負傷しているようでテープで貼り付けてある。 だがそのテープからは簡単に剥がれ落ちるだろう。

「あ、えと・・・、ちょいバイクが故障しちゃって・・・」

「単車が故障したとて、敵に攫われたと連絡くらいは出来ただろう」

「いやー・・・それがぁ・・・」

言いにくくはしているが、水無瀬が敵に攫われたことにさほど責任を感じていないのか、小さくなることもなく胡坐の中でヘラッとしている。 そんな中、隣で端座していたもう一人が口を開く。

「申し訳ありませんでした。 簡潔に言いますと、このバカの・・・コイツのバイクのライトが急に消えたと。 夜であった上、無灯火のまま走れないということで、予備に置いていたヒューズを持ってきて欲しいと連絡がありました。 そこで場を外してしまいました。 私の失態です」

「場を外したがため、彼が襲われたことに気付かなかったということか」

「はい、申し訳ありません」

爺が口ではなく今度は目を動かし、目の前でヘラヘラしている青年を睨む。

「アハハ~・・・すみません。 時間が時間でどこも開いてなくて」

「アハハで済むことか、っとにお前は」

「はい、ちゃんと整備しておきます」

「そんなことを言っているのではないわ!」

「長(おさ)の言う通りだ、今回は偶然にも奴らの動きを察知したから良かったものの、下手をすれば水無瀬君が連れて行かれるところだった」

「そうなればどんなことになっていたか、分からんわけでは無かろう」

「はーい・・・」

「はーいって、お前は・・・。 もういい、今は煉(れん)と炭(たん)が見ている。 交代してこい、持ち場に戻れ。 長、宜しいでしょうか」

煉と炭を駆り出したということは、かなり人員不足のようである。
頷いた長を見た二人が立ち上がると残っていた者で車座に形を変えた。

「彼、水無瀬君で間違いないということか?」

「いや・・・まだ分からんが、少なくとも向こうは何人かの候補の内の一人だとは思っているようだな」

「候補か・・・矢島が接触した内の一人、ということか」

「だろうな」

こちらもその線で探っている。 矢島さえ見つかれば、こんな回りくどいことをする必要はなかったのに。
ある日突然矢島が消えた。 別部隊が足跡を追いその矢島を探しているが、未だに見つかっていない。 ただ、接触があった者が数人いたということが分かった。 今回のことはその数人の様子を見ている最中のことであった。

「だが・・・候補程度ならあのような手に出るか?」

「うむ・・・かなり絞り込んでのことか、それとも・・・」

「うむ、もう水無瀬という青年に絞り込んだということか・・・」

「その絞り込みはどうやってのことでしょうか」

「うむ、そこまでは分からんがのぅ・・・」

「うむ、どうせろくな手を使ってのことでは無かろうのぅ」

同じ顔をした爺二人が同じような仕草で応えると、次に別の同じ顔をした爺三人が言う。

「ふむ、それとも・・・」

「ふむ、水無瀬という青年が誰かに見たと言ったか・・・」

「ふむ、それを直接聞いたか間接的に聞いたのかもしれんか」

「見たんでしょうか・・・」

「ふーむ、それは分からん」

「さてさて、で? 長、これからどうしようかのぉ?」

「ううむ・・・」

水無瀬に見えるのかどうかはわからないが今の話からするにその色は濃い。 だがそれは向こうの判断の中でというところが大きい。
こちらとしては、矢島が接触したという相手、というところ止まりである。 他に数人と接触をしていたようだが、そちらを見張っている別部隊からは特にという知らせはない。

「矢島を見つけることが何よりも先決だが、矢島に何かあってからでは遅い。 接触のあった者たちに積極的に探りを入れるよう、見張っている者たちに伝えよ」


二日後のことであった。

「獅子たちは、まだ何も言ってきておらんな?」

「はい」

「烏の元には戻っていないということか」

まさか、という顔で男たちの顔が硬直した。
烏の元に戻る、それは死に直面していることを意味している。

「だが自死であれば、烏の元に戻るにもヒマがかかる」

事故、傷害事件等であれば肉体の内にあった光霊(ひかりたま)がすぐに烏の元に戻ってくる。 光霊が戻ってきた事で死に直面していると分かる。 烏はすぐに獅子に報せ、獅子が肉体の救出に向かうが、自死であれば光霊が烏の元に戻ってくるのがかなり遅れる。 それは自死であるから。 自死である以上、助けを求めていなく、また烏たちの居る世界が自死を認めていないからでもある。 そうなれば肉体の救出は遅れ本当の死を迎えることになる。

「爺!」 叫びながらバンと木戸が開けられたかと思うと、若い男が膝を着いて飛び込んできた。

「どうした!?」

「し、獅子たちが走りました!」

「なんだと!」

「烏からは、自死・・・と聞いたようです」

一刻を争うということだ。

「なんということか!!」


矢島の身体はダム湖に繋がっている川に沈んでいた。
もう手遅れだった。
烏の元で光霊がその輝きを失っていった。


「矢島が見つかったってな」

「ああ、今朝のニュースで言ってたな。 多分、川上にあるダムに自ら落ちたんだろうって」

「靴が揃えてあったたらしいな」

「それで自殺ってことになった、か」

矢島は自殺などしない、揃えたのは矢島ではないだろうことは分かっている。 だがそう考えると、どうしてあっちはそんなことをしたのだろうか。

「浅瀬まで引き上げられてたらしいけど・・・お獅子が引き上げてくれたんだろうな」

「そうだろうな」

「いま長たちが向かっているらしい」


「くっそ、結局寝られなかった」

身体はあれほど疲れていたのに脳内がスパークしてしまっていたのか、目を瞑っても頭の中がふつふつと煮えたぎっているようで今はもう昼前である。
いつ何時(なんどき)襲われるか分からない。 襲った相手から言わせると夕べは失敗に終わったのだ、即やり直しということはないだろうから寝られる一番のチャンスだったというのに。
今からでも遅くない、暗くなる前に寝ればいいだろうが、まだ頭の中が煮えたぎっているままである。

「どうすりゃいいんだよ・・・」

頭をかかえたところで名案など浮かばない。 自分の身を守るためにどうすればいいのか。

「いや・・・待てぇ・・・」

大学は卒業させると言っていた。

「それなら・・・」

話を聞いてみてもいいんじゃないのか?

「いやいや」

何を考えてる、戻って来られる保証などどこにもない。 それどころか一度来てみないかと言われたが 『一度? 一度で済むはずは無さそうなんですけど?』 そう言ったではないか。 それにその返事が 『そうだな・・・』 だったではないか。

「もっと根本的なこと」

“見える” と言っていた。 そして “水” とも。
それに分かり合っている者同士で暮らせばいいと、他の人には分かってもらえないからと。

「トリガーはアレってことだ」

どうしてあんなものが見えたのか、どうして水無瀬に見えたのを知っているのか。 誰にも言っていない、雄哉にさえまだ言っていないというのに。

「俺自身わけわかんないんだから」

スマホを手に取る。 水というワードで何かヒントになるようなものはないだろうか。

「ん?」

画面に映った気になる記事をタップする。

「え!?」

そこには写真があった。

「こ、これって・・・」

『君だ! やっと見つけた、これを頼む!』
この写真の人物はそう言ってあの紙を渡してきた、少し田舎臭さを感じた中年男性ではないのか?
写真を大きくしていくが、あの時は咄嗟のことだった。 顔の特徴など覚えていないし、元がデジタルの写真ではないようで大きくしていくと段々とぼやけてくる。 だが写真から田舎のおじさんっぽさが漂っている。
記事を読んでいくと、ダムに飛び込んだと考えられると書かれていた。

「すごい勇気・・・」

身元の分かるものは携帯していなかったようで、現在身元不明となっているらしく、この写真は唯一携帯していた物で何人かと一緒に写っていたものらしい。
もしあの時のおじさんなら・・・
『あとを頼む』 そう言っていた。 あとを頼まれた。

「いや、返事してないし」

だがこんな結果を見てしまっては多少なりとも責任を感じなくはない。 あの紙を誰かに渡して欲しいということだったのだろうか。 簡単に読めるものではなかったのだから、単純な遺言等ではないだろうが、手渡す相手が居たのだろうか。 それならばその人の名前くらい教えて欲しかったものだ、そう思った時、その前に付けられていた言葉があったことを思い出す。

『君だ! やっと見つけた、これを頼む』

「俺の知っている誰かってことか?」

でもあの時の切羽詰まった顔。 来た方を見て・・・。

「来た方を見て?」

そうだ、誰かに追われているようだったのだ。

「一緒、じゃん・・・」

つい数時間前に水無瀬も経験した。 水無瀬の場合は車だったが。

「え? ええーーー!!」

「だっ! ほんっと、うるさい奴だ」

スピーカーのボリュームを絞る。
あの紙は・・・不幸の手紙ということだったのだろうか。 いやいや、それは古臭い言い方だ。

「チェーンメール・・・」

メールではないが今どきならこの言葉だろう。
ボリュームを絞ったが為、着信音は聞こえなかったがどうもメールを受けたようだ。

「チェーンメールってか。 ろくでもない友達しかいねーのかよ」

盗聴というのは正確さに欠けるのかもしれない。

どこの警察署か確認し地図アプリで場所を確認する。 そこは今から出ても充分明るい内に戻って来られる場所であった。 スマホを置くとダウンジャケットに袖を通す。

「んー? 昼間にこれは暑くなるか」

ボリュームを絞り過ぎたようだ、何をしているのかが分からない。 ボリュームを上げる。
電車とバスを乗り継がなければいけないし、バスを降りてからもそこそこ歩かなければいけない。 そして今日は風もなく快晴である。

現在ではまだ身元不明となっているということである、行方不明の届けがまだ出ていないということだろう。 だが顔写真が出ている、家族が気付いて警察に来ることも考えられる。 もしそうなら、もし家族に会えることが出来るのなら、何かを知っているかもしれない。 何かを聞くことが出来るかもしれないし、あの紙に書かれている文字らしきものを読むことが出来るかもしれない。 そうなれば誰に渡せばいいのかが分かるかもしれない。

ダウンジャケットのポケットから例の紙を出し、ボディバッグのポケットに入れかけUSBスティックの存在を思い出した。 USBスティックを取り出し顔の前にかざす。

「あー、忘れてた」

殆どマイクの前で喋っているようなものだ。 大音声となって車内に水無瀬の声が響く。

「ぐわっ! 馬鹿が!!」

またもやボリュームを絞る。

USBスティックを本棚の上に置き、ダウンジャケットを脱ぐと薄手のジャンパーに手を通す。 水無瀬曰くの不幸の手紙はボディバッグのポケットに入れ、カンカンカンと鉄筋階段の音を高く上げ階段を駆け下りて行った。

「え? 外に出たか?」

鉄筋階段の音が遠くに聞こえた。 その前に戸を閉めるような音も聞こえた。
昨日のことがあった為、いつどこで敵が見ているか分からないということで、今日、水無瀬の周辺には誰も張っていなかった。 その上、走るのに長けている誠司は今日は別行動となっている。
助手席から飛び出たサングラスをかけた男が走る。


「ねー、煉、やっぱ気になる」

「だよねー、炭」

同じ顔をした二人が顔を見合わせ、そして同時に顔を横に向ける。 まるで鏡に映った一人を見ているようである。

「ねー、いいでしょう?」 二人がハモる。

「好きにすれば? けど爺さんたちに怒られても責任は持たないからな。 煉炭が勝手にやった、俺は知らない。 ってかお前たち、まだ迎えが来ないのかよ。 あー・・・また落ちた」

キツネの面を修理しようとするが、接着剤を使ってくっつけても、少しの衝撃を与えると左顎の部分がポロリとまた割れ落ちてしまう。
あの時、競争なんて言わなければよかった。

「だって電車賃ないんだもん」

「ないんだもん」

「え? 迎えが来るんじゃないのか?」

「忙しいから電車とバスで帰って来いって」

「電車賃はもらえって」

「もらえって、誰に」

二人の人差し指がこちらを指さす。

「はぁー!? なんでだよ!」

「ってか、追わなくていいの?」

「いいの? 走ってっちゃったよ?」

「え?」

キツネ面に集中していてついうっかりだった。

「やば」

ドタバタと後を追って行ったのを見送った煉と炭。 互いが針金を見せ合う。

「どっちが開ける?」

「じゃんけん」

「じゃんけんはずっと相こになるよ?」

「んじゃ、あみだくじ」

「そうしよう」


カチャリと音がした。

「開いた?」

見張に立っていた練が訊く。

「うん、ちょろい鍵。 いい?」

「うん、誰も見てない」

そっとドアを開けると炭が滑るように中に入って行く。 練も後ろじさりながらドアの中に消えて行くと音をたてないようにドアを閉める。

サングラスをかけた男が水無瀬のアパートまでやって来たが、ここまでに水無瀬とはすれ違わなかった。

「くそっ、どっちに行った」


『さて』

『さてさて』

『どこかなぁー?』

『どこだろうねぇー?』

楽しそうに、ある種の手話で会話を楽しんでいる。

『絶対にあるよね』

『うん、ピーピーが言ってたもん』

『ピーピー持ってきた?』

ポケットからそれを出すと、口の形で 『じゃーん』 と言ったのが分かる。

『ピーピー使う?』

『使ったらすぐに見つかって面白くないしぃ』

部屋の中を見回すが、最近の盗聴器は一目でそれと分かるものではないという事は知っている。

『ピーピーが鳴ったってことは』

『まずこっち側だね』

『それでこの辺りで・・・ん? これなに?』

二人が本棚の上を覗き込むと白い小さな物体がある。

『USBスティック?』

『うーん、それの形をした盗聴器もあったよね』

『あった』

『んじゃ、これかな?』

『試してみる?』

頷くと、ピーピーと命名された盗聴発見器の発見時のサインを音ではなく、電気点灯に切り替えスイッチを入れる。 途端、手の中で電気が点滅する。 USBスティックに近づけると、点滅から完全な点灯に変わった、

『決まりだね』

『早すぎたね』

『探検できなかったね』

声なく笑う二人だが手元はちゃんと動いている。

『そっとそっと』

『静かに静かに』

今も盗聴器に耳を傾けているかもしれないのだから。
持っていたキャラクターが描かれたタオルハンカチ二枚に包み込むと、更に妨害電波を発する物が入っている小さな箱にしまい込む。
互いに口元に人差し指を立てながらクスクスと笑っている。


「警察?」

キツネ面を置いたまま水無瀬の後を追って来たはいいが警察署の前に着いた。

「警察に助力を求めるつもりか?」

それならそれでいいがSPが付くわけでもないだろうに。 良くて巡回の道に入れるくらいだろうが、それなら地元の警察署か交番に頼むはず。 どうして離れた地域の警察署に来たのだろうか。
当の水無瀬は何かを考えるようにしていたが踏ん切りをつけたのか、歩を出し数段の階段を上がって行った。
水無瀬の姿を見送りあたりを見回すが不審な人物は見当たらない。 

「余裕ブッコキってか?」

敵は水無瀬を見張っていなかったのだろうか。 昼間は放っておいてまた夜にでも事を起こそうとしているのだろうか。
数人が警察署に出入りしているが、その中の誰が怪しいとまでは区別はつかない。 だがここで問題を起こすことは無いだろう。
スマホの振動が伝わった。 ポケットからスマホを出すとナギと表示されている。

「なに?」

『どこ』

「警察署の前」

『どこの』

「花咲警察署」

『花咲警察って。 すぐに行く』

切られた。
ほとんど溜息交じりで答えられた。 なぜ溜息を入れられなければいけないのか。 それに花咲警察署と聞いてすぐに此処と分かったようだ。 なぜだ。

「あれ? あれって・・・」

目の前を知った顔が歩いて行く。


「え? それじゃあ・・・」

「ああ、連れて帰られたよ」

「あの、どこのどなたかは?」

「君、ご遺体の知り合い?」

「あ、いえ、そういうわけじゃ」

「悪いけど教えることは出来ないねー」

「・・・ですよね」

遅かったようだ。
待合のベンチに座る。 電車とバスを乗り継いでここまで来たというのに収穫は無しとなってしまった。 遺体を引き取りに来た家族に会えたとしても収穫があったかどうかは分からないが。

「食料買い込んで帰るか」

醤油味に塩味、とんこつ味。 いや、ラーメンばかりもなんだ、今日は贅沢に幕の内弁当でも買おうか。 金が全く無いわけではないのだから。
ベンチから尻を上げ前を向くと少し太っている見知った後姿が目に入った。 カウンター越しに何かを書いている様子だ。

「うん?」

だがこんな所に居るはずはない。
書き終わったのか、こちらに身体を向けた。

「あ、やっぱり」

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