ハラカルラ 第6回
「ど、どうなってるんだよ・・・」
呆気にとられるがここでじっとしているわけにはいかない。 ドアを開けようとインナーハンドルを引くがドアが開けられない。 シートを移動して反対も試してみるがこちらも開けられない。
「くそっ! チャイルドロックかよ!」
チャイルドロックがかかっていれば、内からは開けられず外からしか開けられない。
「前から出るしかないのか」
子供ならまだしも、自分の身体の大きさを考えるとかなり無理があるが、今はそれしか方法がない。
フロントシートに右半身を滑り込ませた時、カチャリとリアのドアが開けられた。
「え?」
水無瀬がまるでカエルのような姿勢でドアを見る。
「しっ」
合わせの襟を着た見たこともない中年男が口の前で人差し指を立てている。
「助ける。 このまま奴らに見つからないように逃げる。 早く」
早くと言われても、このカエル状態は簡単には解除できない。 とは言え、このままあちこちぶつけながらフロントシートに落ちて、最悪にもクラクションを鳴らしてしまうようなことになるより、今の状態になったのを巻き戻す方が無難に済む。
上げていた足を引っかかりながらもフロントシートのヘッドレストから外し肩頭と、天井にぶつけながら潜らせる。
フロントシートから身を開放すると、僅かに開けられたドアから身を潜らせる。 ドアを開けたことによってルームライトが点いたが、誰もそれに気が付いていないようだ。
「車の陰に隠れながら移動する」
「あ・・・あの」
「今は逃げることだけを考えろ。 いいか、声は出すな、俺の後に続け」
男が身を屈めながら先を行く。
ついて行っていいのだろうか。
男が振り返り早く来いというように欧米風に腕を振る。
今は車に戻るかこの男について行くか、それとも自力で逃げるしかない。 三つに一つ。
車に戻ったとして車に居た奴らの手口はもう見た、経験した。 自力で逃げると言ってもここがどこか全く分からない。 ましてや街灯も見当たらないこの夜陰。 ならば・・・。
(為せば成る。 って、どう成るのかなぁ・・・)
男の後についた。
屈んだまま車の陰に隠れて移動していると、男が急に水無瀬の胸を押した。 タイヤに縫い付けられる。
「なっ!」
今度は口を押さえられた。
「くそっ! あのガキ!」
この声は・・・挨拶を返してきたサングラスをかけた男の声。
「あの馬鹿ヤローが、どうしてこっちに誘導するんだ」
水無瀬の口を押さえている男が憎々し気に小声で漏らす。
「テンメー、どこのモンだ!」
サングラスをかけた男であり、挨拶返しの男が叫びながら水無瀬たちの前を走って行く。 何故か顔にはカオナシに似た面を着けている。
状況を把握したと思ったのか口から手が離される。
「こんな時に自己紹介なんてする奴いないだろ」
それにどこの者か知っているだろう。 喧嘩上等のノリで言ったのだろうが、もっと他に適切な言葉取りがあっただろうに。
若い男の声だ。 首を捻って挨拶返しの男の後を追って見てみると、その先に車のライトに照らされた・・・。
―――キツネ。
(なっ!!)
一瞬驚いたが、よく見るとキツネの面を着けた細身の身体がそこにあった。 隣にいる男がまるで忍び装束のような服装に対し、こちらは何かの上に尻の下までの合わせ襟を着て、下半身はピッタリとしたズボンのようである。
「うーん、おじさん動き悪いね」
「なんだとー!!」
「競争!」
踵を返して走って行く。
「クソガキがー!!」
すぐさまそれを追って走る挨拶返しの男。
「あの馬鹿が、簡単に声を晒すんじゃないっての・・・」
どうやら再々馬鹿と言われているキツネの面を付けた細身の男は、今目の前に居るこの男の仲間のようだ。
男が水無瀬に振り返る。
「行こうか」
どこかでカンだろうか、キャンだろうか、そんな音がしている。 それは今までに聞いたことの無い音。
男に誘導され水無瀬が車の後部座席に潜り込むと男が助手席に乗り込んだ。 運転席には既に一人座っている。
騒ぎの中からかなり離れている。 隠してあった車のようだがエンジンをかければすぐにバレるだろう。
「ぶっ飛ばす。 捕まっていろよ」
エンジンをかければバレるだろうの話ではなかった。 エンジンをかけた途端の急発進で、思いっきりキキーという音をたてた。
「誠司!」
名前を呼ばれ誠司が車の中の確認に走る。
「い・・・」
目を大きく開けた誠司が振り返って大声を出す。
「居ない!」
「なんだとー!!」
「逃げた! 追えー!!」
「追わせるかよ!」
追えー! 行かせるか! 正反対の声が混じり合う。
追おうと車のドアに手をかけた途端、カンという音をたて、手の甲を刺すものが飛んでくる。 車に向かおうと走る足元にグサグサと飛びモノが飛んできて地に刺さる。 手刀の落とし合い、剣戟の音も止まない。
その中で一台の車が水無瀬たちが乗った車を追って走り出した。
カン、カンといくつもの音がタイヤを狙うが、それが分かっていたかのように蛇行運転で狙いを外させ走り去っていく。
「どれも外したか・・・」
手に持っていた弓を下ろすと、木の上から見える状況を見渡す。 これ以上の車を追わせるわけにはいかない。 まずはこの位置から可能な限りの車のタイヤを狙って射る。
「追手がかかったようだな」
「え?」
荒い運転に助手席のヘッドレストにしがみ付いたまま後ろを振り返ると、車のライトが上下しながら追ってきている。
「免許持ってるか?」
「あ、はい。 車もバイクも普通免許を持ってます」
「バイクの普通免許?」
「あ、昔で言うところの中免です」
「へー、今は中免って言わないのか。 オートマ限定か? 今はそんなのがあるらしいって聞いたことがあるが」
「車もバイクもオートマ限定ってのは確かにありますが、俺が持ってるのはどっちもミッションです」
なんだ、この緊迫した空間でこの会話は。
「ならこの車も運転できるな」
「はい?」
「行こうか」
助手席の男が運転席に向かって言うと、予告も無く急ブレーキがかけられた。
「ぐえっ」
思いっきりヘッドレストに顔を埋め込ませる。
運転席の男が何かを持って躍り出る。
「ナビは設定してある。 このままナビに従って走らせろ。 車は下りたらそのままにしておけばいい、鍵も差したままにしておけ。 早く移動しろ!」
今まで話していた男がそう言い残すと、同じように何かを持って運転席にいた男を追うように車を出て行った。
水無瀬がすぐに車を降りて運転席に乗り込む。
「ゲッ・・・うそだろ」
ミッション・・・それもコラム。
確かに数秒前にオートマではなくミッションの免許を持っていると言った。 だが教習所の車はコラムではかったし、何よりミッションなんて教習所以来運転なんかしたことがない。
「この時代に何でミッションなんだよ! ましてやコラムって!!」
コラムのチェンジ方向など知らない。
シフトレバーを覗き込むとシフトチェンジの方向が書かれている。 クラッチを踏んでカラ状態にし、書かれている方向にシフトレバーを入れ替えてみる。
「こっちにローでこっちにセコ、サードでトップにバック」
手に感覚を覚えさせるために何度も入れ替える。
「よし、あとはエンストさえしなけりゃなんとかなる」
後方から走ってくる車に二方向からフロントガラスを目がけて懐から出したものを投げた。 フロントガラスに蜘蛛の巣のようなひび割れが走る。
「うわ!」
ハンドルを大きく切り木にぶち当たった。 メリメリと音をたてて木が倒れていくと同時に、車の中からカオナシに似た面を着けた、こちらも忍び装束のような服を着た二人が手に獲物を持って躍り出てくる。 その姿の前にキツネの面を付けた男二人が対峙する。 こちらも手に獲物を握っている。
その後方では・・・。
プスン。
「あーん、またエンスト」
殆ど半泣きである。 半クラから上手く繋げられない。
キツネ面の男一人が目だけで振り返るが、まだ車は発進しそうにない。 何度も何度も車が揺れているだけである。
「くっそ、もうちょいふかし気味にしたら・・・」
キキーと音をたてての急発進。
「ギャーー!」
思わずブレーキを踏んで・・・プスン。
「あ・・・クラッチ・・・」
クラッチを踏んでいなかった。 なのでエンスト。
「何やってんだ・・・」
プスンと聞こえる度にエンジンをかけ直している。 このままでは車がイカレてしまい逃がすどころではなくなってしまうが、この場を離れるわけにはいかない。
キツネ面の男が前に現れた二人に集中する。 相手も構えている。 それぞれが手に鎖鎌と忍刀(しのびがたな)を持っている、懐には飛び道具が入っているだろう。 その飛び道具でタイヤを狙われては逃がすことが出来なくなる。 どうしてもここで阻止しなければ。
ジリジリと互いが間合いを詰めていく。
間合いを掴んだと判断したのか、カオナシに似た面を着けた一人の男が高く跳び上がり懐から獲物を投げつけ、同時にもう一人がキツネ面の男を目がけて向かってきた。
キツネ面の男達もそれぞれの相手を瞬時に見極め、一人は投げつけてきたものを手に持っていた忍刀で落とし、すぐに相手に向かって走り出す。
もう一人のキツネ面の男が走って来た男に対峙しようとしかけた時、男が鎖鎌の分銅を投げてきた。 屈んで分銅をかわしたその瞬間、ヒュッと空気を切る音がした。
目の前の男が分銅を投げたと同時に、車のリアタイヤ目がけて既に手に持っていたモノを投げたのだった。
(しまった!)
振り返ることが出来ない、次にいつ分銅か鎌が飛んでくるか分からない。
後ろで何度もプスンプスンと聞こえていた音が軽快なエンジンの回る音に変わった。
「おしっ、発進!」
今までそこにあったリアタイヤが回転してゆっくりと前進していく。 飛び道具がリアタイヤに刺さることなく夜陰に飲み込まれていく。
アクセルを踏み込みスピードを上げると、もう一度クラッチを踏みシフトをセカンドに入れ替え、クラッチから足の重みを引くと緩めていたアクセルを踏み込む。 更にスピードが上がる。
「おっしゃー、これでエンストとおさらばだ」
ローさえ乗り越えれば何とかなる。
対峙していたカオナシに似た面を着けた男たちが足を後ろに引いていく。 水無瀬が居なくなってしまったのだ、ここで戦うことが無駄と判断したのだろう。
ある程度離れると向きを変えて走り出した。
キツネ面の男二人も構えを解く。
「発進に時間がかかったな」
「まぁな、慣れてない車だったらそうなるだろう」
車によって半クラの状態は違う。 アクセルとクラッチの繋がる位置は車によって多少違うということである。 慣れていなければエンストは致し方のないこと。
「あの二人が元の場所に戻るまで迎えは来そうにない、か」
あのカオナシに似た面を着けた二人が戻れば、水無瀬を追うことが出来なかったと分かる。 そうなれば互いが引いていくことになる。 その時に連絡が入るだろう。
「時間がかかりそうだな」
ここまでかなり車を走らせた。 たとえ鍛えていると言えども人の足、そこそこかかるだろう。
「まぁ、それまでゆっくりしようや」
「たー、何だよこの道」
この道と言われても単なる山道である。
「いつの間にこんなとこまで来てたんだよー、どこの山ン中なんだよー」
運転になれていない、その上での山道。 泣きたくなる。
「もう、死んだ・・・」
靴は履いていなかった。 汚れた靴下を脱ぐとそこいらに投げる。
なんとかナビの案内のままアパートに戻ることが出来た。 今は寒いも何も感じる事さえ出来ない状態だ。
部屋の中で大の字になって寝転がるが、こたつが邪魔である。
車にはナビどころかETCもついていて、ましてやカードまで差されていた。 お蔭で高速料金を気にすることなく走ることが出来た。 なにせ部屋の中から連れ去られたのだ、金など持っていなかったのだから。
高速を降り一般道路に入ると嫌でも信号が出て来る。 赤信号で止まる度に何度かエンストを起こしたが、それでも最後にはあの車にも慣れた。 余裕綽々(よゆうしゃくしゃく)で、急発進も半クラでの徐行も出来るようになっていた。
『車は下りたらそのままにしておけばいい、鍵も差したままにしておけ』 と言っていたが、どこに停めればいいのか分からず一応アパートの前に停めている。
行き先、言ってみればアパートの場所がナビに入れてあったのだ、下手にパーキングなどに停めてしまっては探さなくてはならなくなるだろう。
「って、やっぱパーキングに停めに行くか?」
駐禁を取られるかもしれない。
だがキーを差したままにしておくようにと言われた。 パーキングでそんなことをしていれば即行車ごと盗まれてしまう。
それにETCカードも差したままである。 車にキーを差したままなのだからドアロックもかけていない。 コラムの車なんて今ごろ盗まないかもしれないが、それでもカードや部品取りが簡単に出来てしまう。 取られるようなステキなオーディオは無かったが。
「・・・にしても」
あの連れ去った連中もそうだが、逃がしてくれた連中もこの部屋の場所を知っていた。 知らない人間が自分の部屋の場所を知っているというのは、気持ちのいいものではない。 とはいえ、簡単に引っ越しなど出来るものではなく、それ以前にこんな安アパートがそう簡単に見つかるとは思えない。
「あ、そうだ」
むくりと上半身を起き上がらせ後ろに身体を捻じる。 ベッドのある部屋との境の襖は開けられたままである。
「ん? 割られてはいない?」
ベランダに通じる掃き出しの窓を割って入ってきたのかと思ったが・・・いや、そう言えばあの時、窓を割るような音は聞こえなかった。 何か物音がした程度だった。 それから掃き出しの窓を開ける音がしたのだった。
身体を捻じって立ち上がり、ベッドのある部屋に進むと掃き出しの窓の前に立つ。
「あ・・・」
今居た部屋からこぼれてくる明かりでも状態を十分に見て取れる。 窓の鍵、クレセント錠の周辺の部分のガラスが丸く小さく切られている。
「ここから手を突っ込んで窓の鍵を開けたってことか・・・」
チャイムを鳴らして玄関の方に誘い出したすきに、ガラスを切っていたということか。
それにしてもここは二階だ。 どうやって上がってきたのか。
「まぁ、上がれなくはないだろうけど」
あちこちに手足をかければ上がってはこられるだろうが・・・。
厚みのある紙を探してガムテープを手に持つ。 紙をガラスに当てペタペタとガムテープを貼っていく。 一応の修理ではあるが、少なくともここを出ていく前にはちゃんとガラス屋に来てもらわなければいけないだろう。
「くそっ、修理代請求すんぞ」
何処にしていいかは分からないが。
立ち上がってしまっては、キーを差しっぱなしの路駐の車が気になる。 ピッと音をたててガムテープを切り、そのガムテープを所定の位置に戻すと玄関に向かう。
裸足の足にサンダルを履く。 ドアスコープを覗き耳を澄ませ外の様子を窺うとチェーンを外し鍵を開ける。 そっとドアノブを回す。 顔を出し左右を見ても誰も居ない。 正面に見える道路を見下ろす。
「あ!」
後姿の男が丁度車に手をかけたところだった。
玄関を走り出て廊下の手すりにしがみ付くと、時間も考えずに叫んだ。
「おいっ! 勝手に―――」
水無瀬の声に気付いたのか、男が振り返り片手を上げた。
「え・・・」
男はキツネ面を付けていた。
そのまま車に乗り込むとエンジンをかけ去って行った。
「なん・・・なんなんだよ・・・」
何も言わず車を回収して、あのお面の男たちはいったい何をしたいのか。
「でもまぁ、車は返せた」
これで路駐の心配がなくなった。
身体の向きを変えると隣の部屋の台所の窓が目に入った。 電気がついている様子は見えない。
「まだ戻ってないのか」
手すりに身体をもたれかせ自分の部屋の台所の窓を見る。 窓から薄く部屋の明かりが漏れている。 台所の電気が点いていなくとも部屋の明かりが窓から漏れて見える。
もう一度隣の部屋の台所の窓に目を転じる。
「いや、もう戻ってきて奥の部屋に居るとか」
玄関に通じる部屋の電気が消えていて、奥の部屋の襖が閉まっていれば台所の窓から漏れてくる明かりはない。
「待てよ」
また自分の部屋の台所の窓を見る。
「ってことは、俺が家にいるか居ないか、寝ているか、全部バレバレってことじゃないかよ」
今までそんなことは考えもしなかったが、こんな状況に嵌まってしまうとそんなことを考えてしまう。
「ストーカーに怯える女子の気分じゃないか」
ストーカーどころではない。 相手は一人ではなかった、団体さんだった。 それに予告されていた通り手荒な真似を簡単にしてきた。
―――どうすればいいのか。
ビジネスホテルどころかカプセルホテルに泊まる金などない。 一泊ならまだしも何日かかるかも分からない状態だ。
あの手荒な真似を身に受けてしまっては、実家を巻き込むわけにはいかないと強く思うし、雄哉も巻き込めない。 雄哉の部屋に転がり込むことも出来ないし、これからは送り迎えも固辞しなくては。
「警察に頼むにも・・・」
証拠も何もない、あるのは汚れた靴下だけ。 頭がイカレているか、良くても単なる被害妄想と言われるだけだろう。
手すりから身を外すと部屋の中に入って行った。