大福 りす の 隠れ家

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辰刻の雫 ~蒼い月~  第191回

2023年08月11日 21時26分33秒 | 小説
『辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~』 目次


『辰刻の雫 ~蒼い月~』 第1回から第190回までの目次は以下の 『辰刻の雫 ~蒼い月~』リンクページ からお願いいたします。


     『辰刻の雫 ~蒼い月~』 リンクページ




                                  




辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~  第191回



武官が走り寄って来る。

「や、やはり紫さま、どうして・・・。 あ、や、お怪我をされましたでしょうか!」

良いことを言ってくれた。 そういうことにしよう。

「ちょっと足を挫いちゃって」

「すぐに山を下り、治療をさせて頂きます!」

「あ・・・お気遣いなく」

「万が一のことがあっては!」

良いことではなかったようだ。 面倒臭いことになった。

「ホントに大丈夫ですから」

半笑いのマツリが紫揺を下ろす。 目的の三人が目の先にいる、これ以上歩く必要は無い。

「ここにかけていろ」

切られた杉の木のあと。 まるで丁度良い椅子のようになっている。
マツリが歩を進め目的の三人に近寄る。
杉山の男に声をかけているのが見てとれる。

「ふーん、あんな風にコミュニケーションをとるんだ」

まだ諦めきれない武官。 座った紫揺の前に後ろ向けに屈みこんだ。

「失礼とは重々に分かっておりますが負ぶります、どうぞ治療をさせて下さいませ!」

そんな事をすればマツリは天祐の時の比ではなくなるだろう。

「ホントにもう大丈夫です」

ほら、と言ってケンケンをしてみせる。 しっかり両足共に。

「あ? え?」

「マツリが大袈裟なだけです」

マツリのせいにしておこう。 うん、マツリが悪いのだから。 ちょっと足が見えたくらいで何なのか。 こっちは太腿の上の上まで見せてきていたんだ。 って、今そこまで見せろって言われたらかなり抵抗はあるが。
紫揺が考えている前で呆気に取られていた武官。 言われてみればそうだ。 紫揺の逸話を聞かされていた。 その紫揺が足を挫くなどということは無いはず。

「しっ! 失礼をいたしました!」

「ご心配を有難う御座います」

一応礼は言っておこう。 ニッコリを添えて。
そう言えば自分・・・いつからか結構悪魔になってきてるな。 地下の時にも四方に対して本気丸出しモードをとらなかったような気がする。 したたかになってきたのだろうか。 それともこういうのを世渡り上手と言うのだろうか。

マツリが三人を連れてきた。

「初めまして、紫と言います」

男達が間の抜けた顔をする。 御内儀様になる方だと聞いている。 その御内儀様になる方から挨拶? どういうことだ?
男達が紫揺とマツリを何度も交互に見る。

「紫から話があるそうだ」

会える? とは聞いたが話とは言っていない。 もっと持っていき方を考えて欲しかった。 だが伊達に東の領土で民に声をかけているわけではない。 それなりに人と話すことが出来る様にはなっているつもりだ。

「お仕事中にすみません」

「あ・・・いい、え・・・」

「杉を切るってどうですか? 私も少し前に聞いたのですが難しそうですね」

「はぁ、まあ」

マツリが武官に元の位置に着くように言い、マツリ自身も少し距離を取った。 紫揺には紫揺のやり方があるだろうし、三人は呆気に取られている、暴れて紫揺に傷を負わすことなどないだろう。

「ご自分からここを希望されたんですよね? どうしてですか?」

「いやぁ・・・最初はスッキリするからだったけど・・・なぁ?」

「ああ」

「でも・・・うるさいんだよな」

「うるさい? 何がですか?」

相手はマツリでも武官でもない、何も知らない御内儀様になろうとしているだけの女人。 遠い存在ではあるが・・・宮の女人に何を考えられようか。

「ああしろ、こうしろって」

「それは・・・経験豊かな方の助言ではないのですか?」

マツリから木を倒すにも方向があると聞いた。 言われてみればそうだ、無暗やたらと木を倒していいものではない。
紫揺と男達三人の声は決して大きくはなく、杉山の男たちが話を聞こうと耳をそばだてている。 その男たちに『経験豊かな方の助言』 という紫揺の言葉が耳に入った。

「木を倒すことは危険が伴います。 倒した方にも周りにいる方にも。 それを教えて下さったのではないのですか?」

「そ、それはそうだが・・・」

同じ様に咎で杉山に通っていた者がとんでもないことをして、杉の下敷きになりかけたことがあった。
あまり責める言い方をしてはいけない。 北の領土に居た女たちのようになられては聞く耳を持ってくれなくなる、話が出来なくなる。

「最初はスッキリするからと仰いましたが、今はどうですか?」

ニッコリを添えて先程の話は責めたものでは無いと示す。

「最初は良かった。 斧を振るって斧で蹴倒しても誰にも文句を言われないんだから。 そんなこと他でやっちゃあ、すぐに武官に捕まる。 だから、気持ちよかった。 でもどれだけ斧を振るっても倒れない杉もあるし、方向が違うと言われる、面白くも何ともない」

「では何が面白いのですか?」

「・・・え?」

紫揺が口角を上げた。 これは心から。

「面白いということを考えて下さい。 何が面白いか、それは大切なことです」

この小さな女人は何を言っているのだろうか?
男達が海を知っていたならば大海に身を投じ、己は仰向けにプカプカと浮いているだけの存在と知るだろうが、哀しいかな男達はきっと大海を知らないだろう。 うつ伏せになり息を止めているだけ。

「斧を振るっても・・・」

男が口を噤んだ。 暫し待つ。

「それが欲しいわけじゃない」

ようやっと男が言った。 他の二人も頷いている。

「欲しいわけ? すみません、よく分かりません。 えっと・・・では何が欲しいんですか?」

よく分からないが、もしかして男達にとって欲しいと面白いは同義語なのかもしれない。

「木を・・・杉をブッ叩いてスッキリしてた。 それだけだったのに、色んなことを言われる。 腹立つだろ? ああ、御内儀様には分からないか」

「ん? 分からなくもないですよ? 裾をめくっただけで色々言われますから」

思わぬことを言われ男達が「裾?」と復唱してから笑った。

「御内儀様・・・だよな?」

「今はまだ違いますけど将来的にそうみたいです。 将来の内儀としての自覚は乏しいみたいですけど、それなりに頑張っているつもりです」

「え? そうみたい?」

「訳が分かっていないので。 でも教えられたことは身に付けるよう頑張っているつもりです。 私、本領の人間ではないので、御内儀様という言葉にも慣れ親しんでいませんし、宮というところも分かってはいません。 教えていただいて身に付けるようにしています」

本当ならこの世界の人間ではないので、だ。 日本で生まれ育ったのだから。 良くて東の領土の人間。 だがそんな事は言えない。

男達が口を開けたままで止まった。 男達にも想像の出来ない宮の生活。 それを何も知らない本領に生きてこなかった紫揺が教えてもらい身に付けるようにしていると言う。 ましてや・・・女人の衣を着ているが、ほぼほぼ女人として見えない紫揺が。
そういえばそうだ、紫揺のこの見た目。 マツリの趣味は幼子趣味なのだろうか。

「木を・・・杉をブッ叩いてはスッキリとしなくなったのですか? 色んなことを言われるから?」

ああ、そういう話だった。 それにしても御内儀様が “ブッ叩いて” などと言うものだろうか。

「いや・・・そうじゃないかも」

「それは?」

男達が目を合わし、己らの心の中を整理する。
紫揺はいつまでも待つ。 その為に来たのだから。

「ち・・・力まかせにして最初はスッキリとした・・・けど」

初めて口を開いた男だった。

「はい」

質問をしない。 相槌を打つだけ。

「・・・けど。 うっぷんがはらせるのに・・・色々言われて」

「はい」

「オレ・・・うっぷんは無くなった。 せいせいした。 それなのに色々言われて・・・」

「そうですか。 溜まったものを出すことが出来て良かったです。 それなのに色々言われてはまたうっぷんが溜まりますよね。 それで、せいせいしたあとは何がしたいですか?」

「え?」

「杉山では・・・杉で色々作ったりしているとも聞きました。 それはどうですか?」

「手・・・手先が器用じゃない」

「釘を打ったり・・・ギコギコって木を切るのは?」

鋸(のこぎり)という言葉があるのかが分からなかった。 だからギコギコ。

「釘を打つだけだったらいいけど・・・作るのは最初っから最後まで自分でやるもんだ。 オレたちは考えることも出来やしねーし」

「じゃあ・・・こことは違う所で硯を作っているのは知っていますか?」

「・・・知らねー」

ここまで三人の男たちが交互に話していた。 そして今、他の二人も首を縦に振る。
紫揺がマツリに目を合わせる。
少し離れた所に居るといってもいつでも紫揺を守れる距離を保っている。 会話もずっと聞いていた。

「一度硯の山に行ってもらってもいい?」

あそこなら今、誰もが同じようなレベルなはず。 やり方さえ教えてもらえば、それを素直にさえ聞いてもらえれば何とかなるかもしれない。
マツリが近寄って来る。

「岩石の山のことは皆で話していたと思うが聞かなかったのか」

「話なんてしねえ」

話はあったのだろうが耳を傾けなかったということか。 京也も無理に引っ張り込もうとはしなかったか。 ・・・この三人は杉山から離す方がいいのかもしれない。

「けどオレたち、手先が器用じゃねーから物を作るなんてこと出来やしねぇ」

「ここではどんな風に作るかは知りませんが、私の知るやり方では岩石を落としたあとはヤスリと砥石と彫るための刃物を使います。 たしかに不器用では出来ないかもしれませんが、やり方さえ教えてもらえば黙々と一人で出来ると思います」

マツリが驚いた顔を見せた。 どうしてそんなことを知っているのか。

「ち、小っせーのに、そんなことをどうして知ってんだ?」

マツリと同じ疑問を男が持ったようだが、男の言いように残りの二人が驚いた顔をして声を発する。

「オイ!」

「御内儀様だ!」

そう言われればそうだった。 見た目は小さいけど話口調はしっかりとしていた。 御内儀様だった。 姿形に惑わされてしまった。

「あ! すんませんっ」

「背が高くないのは事実ですから」

決して低いとは言わない。

「いい?」

マツリを見て言う。 本当なら「マツリ? いい?」と言いたかったが、澪引は四方のことを四方様と言っている。 紫揺も本来ならマツリ様と言わなければいけないのだろう。 特に民の前だ、マツリをないがしろにするようなことは言えない。 だが今更マツリ様とは呼びたくない。 よって短縮した。

「試してみるのも一つであろう、だがそれでやりたくないようなら中心に戻す、それで良いか」

男達が互いに目をやり頷く。
とことん杉山は嫌なようだ。

「それと先程の我の内儀になろうとしている紫に言った言葉。 不敬罪にあたろう」

「え?!」

「紫どうする」

「事実だから。 そんなの要らない」

すんません、すんません、と男が何度も頭を下げる。 もう二度と杉山通いは嫌だ。
もういいですからと、男が頭を下げるのを止めると話を続ける。

「明日・・・杠に一度ここに来てもらってから出る?」

今日の昼餉頃には杠が紫揺を迎えに来ることになってはいるが杠も紫揺も馬である。 徒歩でどれくらいかかるか紫揺は知らない。

「いや、杉山から岩石の山に通っている者たちがおる。 明日、その者たちと共に岩石の山に行くが良いだろう。 今日は最後まで杉山で働くよう。 言っておくが、硯の方はものになるまで給金は無い、ものになっても賃仕事になろう」

いま岩石の山に居る者はそれを承知で岩石の山に行っている。 金より自分たちが何をしたいのかを見つけた何よりもの証。
杉山でもまだまだ使いものになってはいないこの三人。 給金は他の者より随分と安い。

武官に明日朝、岩石の山に向かう者たちの中にこの三人を入れるように言うと、三人を元の仕事に戻した。

男三人が元の場所に戻りながら考える。
紫とは御内儀様とは・・・体は小さいが、背は低いが、女人には見えないが、内面がしっかりしているようだ。 もし高飛車な宮の女人なら不敬罪に処されただろう。 だが宮の者では無いと、この本領の者でもないと言っていた。 そして頑張っていると。
マツリの趣味は見た目ではなさそうだ。

「まだ時があるがどうする」

山の中を歩いてみたいが裾をめくるなと言われる。

「やっぱり剛度さんに借りてくればよかった」

木に座りながら膝の辺りを摘み上げてヒラヒラとさせる。

「たくし上げるな」

それでなくても宮では足首さえ見せないのに、この民の女人の衣装は足首がしっかりと見えている。
いったい日本でどんな教育を受けてきたのか、再々そう思うマツリだが、もしそれを問うてレオタードの説明をされれば顎が外れるどころか白目を剥いて倒れるかもしれない。 紫揺は着たことは無いがビキニなど言語道断だろう。

結局、紫揺は木に座ったままで、マツリが時折見回りに回るだけということになった。 見回りから戻って来ても他の者の耳目がある、二人の甘い時間とは程遠いものであった。
マツリが何度目かの見回りに回っている時、ふと何かに気付いた。 それは前にもあった感覚。

―――呼ばれている。

香山猫のことを教えてくれた大木。 あの大木が呼んでいたと同じような感覚。 まだギザギザとした声は聞こえていない。 距離があるのかもしれない。

「マツリ・・・」

マツリの姿を探すがどこにも見えない。 座っていた木から立ち上がる。

「武官さん!」

大声を出した紫揺に驚いた武官が走り寄ってきた。

「何か?」

「マツリが戻って来たら、あっちに行くって言っておいてください」

後ろを指さすがその先はまだ誰も入ったことのない所だ。

「お一人で? 危険で御座います」

「用が終われば戻って来ます」

「用などと、あ! 紫さま!」

紫揺が前の裾をたくし上げて走り出した。 武官もすぐに追おうとしたが、二人一緒に姿を消しては騒ぎになるだけだ。
すでに男達は登っていってしまっているし、他の武官も先に居る。 踵を返し走り出す。 最初に見かけた武官に今のことを伝えようとした時、丁度マツリが下りてきた。

「マツリ様! こちらに!」

武官が元に戻りながら今のことを伝える。 マツリも武官のあとに続き走り出した。
紫揺が座っていた木のところまで来ると「あちらに!」 と紫揺が走って行った方向を指さす。

「紫のことは我が追う。 杉山の者たちを見ておれ」

言い残すと紫揺の気配を追った。

(どこ・・・どこから呼んでるの)

そうは思うが、無意識下でどこから呼ばれているのは分かっているのだろう。 迷うことなく立ち並ぶ杉の間を足が勝手に動いている。 あの時のように。
手はスカートを持っている。 とてつもなく走りにくい。 一旦止まって両横の裾を持ちあげると後ろは尻の少し下までの長さにして裾を前で括った。 こうしてしまえば手を使える。

止まった足を再び動かす。 最初は上りだったが今では下りとなっている。 動きやすさに勢いが出過ぎないようジグザグに下りて行く。 と、目の先の地がなくなっている。
目の先の下には幅があり底にある川石が見える、深さの無い川が見える。 その川に行くには河川敷に降りなければいけないがかなりの段差がある。 段差は跳び下りられなくもない高さだが、着地地点の足場が悪すぎる。 拳くらいの石がゴロゴロしている。
嘘ではなく本格的に足を捻るかもしれない。 息を切らせながら辺りを見回す。 左に行けば壁面に足場になりそうなところがあった。

「あそこからなら下りられるかもしれない」

すぐに左側に走り出し、目的の場所を覗き込むとデコボコとした壁面。 思ったように充分に足場になる。
万が一にも失敗して足を激しく挫いてしまっては戻れなくなるかもしれない。 とっとと跳びたい衝動を抑えて壁面にしがみ付くように下りる。
川の傍まで行くと履き物を脱ぎ川を渡る。 再度履き物を履きそのまま対岸を走ると先ほどと同じように壁面がある。 デコボコとしたところを探してよじ登る。 後ろから見ていると正にガマガエルが壁面を上っているようだ。

登りきると先程のように杉が立ち並んでいる。 その間を走り上る。
走っているとマツリたちと一緒に居た杉山の様相とは違ってきた。 大きな岩があったり雑木が見えだし、足元には多種多様な雑草が生えてきている。
大きな岩は避けて走るが、低木の雑木の枝や鋭い葉に衣を引っ掛け手や足を切られる。 シダに足を取られて滑りそうになる。 それでも動く足は止まらない。
いつの間にか辺りはかなり湿っぽくなっていた。 山が吸い込んだ雨だろう、足元にも水気があり岩も水で光っているように見える。

マツリたちと居た所の杉は男達が両手を広げるとまわせる程度の太さだった。 だが今目の前にある何本もの杉はとてもじゃないが、一人の男が腕を回したとて到底とどかない太さ。 それに男たちが居た所の杉はスッと立っていたのに、目の前にある杉々はドシンとしていて樹皮が顔に見えなくもない。

紫揺の足が止まった。 ハァハァと息を上げている。

≪よう来た≫

ギザギザとした声が聞こえた。 この声の主が誰かは知っている。

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