大福 りす の 隠れ家

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辰刻の雫 ~蒼い月~  第60回

2022年05月06日 21時52分08秒 | 小説
『辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~』 目次


『辰刻の雫 ~蒼い月~』 第1回から第50回までの目次は以下の 『辰刻の雫 ~蒼い月~』リンクページ からお願いいたします。


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辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~  第60回



「マツリ! どこに尾能さんの母上が居るの?」

何度も回廊を曲がり、回廊を降りるとずっと歩き、見たこともない宮の中にある門を二つ抜け全く知らない所まで来た。 今迄に来たことの無い場所だ。 目の先に武官たちが居る。

この宮という所はどれほど広いのだろうか、と紫揺が思ったが、ここは宮の中には違いないがマツリたちが暮らす宮内ではなく、武官舎(ぶかんしゃ)がある敷地内である。

マツリが振り返ると目の前に紫揺が居るではないか。

「どうしてお前がここに居る!」

ずっとマツリの後ろをついて来ていたがマツリは全く気付かなかった。
頭の中は先程、杠に言われたことで一杯であったのだから、紫揺が何度呼ぼうともそれにも気付きもしなかった。

先ほどの波葉のあの変わりよう。 普段大人しい波葉が睨む目を持ち声さえ荒げてもいた。
杠はその波葉のここを、声を荒げた波葉のことを『己がシキ様とお話していたのがお気に障られたようです』 そう言った。
己が声を荒げるのは・・・。
そんなことばかり考えていた。

「尾能さんの母上が気になるからに決まってるでしょ」

「その様なことは武官に任せておけ」

「ウッザ」

「何と申した」

「ウザイって言ったのよ! もういい! マツリに訊かない!」

そう言うとマツリを通り越して武官に向かって走り出した。 すぐに「あ、ああぁぁ―――」 と、紫揺の後ろで声がする。
“最高か” が武官の波にもまれ消えて行く。

その二人の気配が消えたことに気付き、地にすってしまった後ろの裾をたくし上げ、いったん止めた足で再び走り出す。

手の空いていそうな武官一人を見つけ尾能の母親のことを訊いた。 訊かれた武官が戸惑った様子を見せている。
武官は紫揺のことを知らないのだから当然である。 ましてや紫揺が今回のことで功労を得ているなど知らない。
だがそれを差し引いても武官舎の敷地内に宮内の者がいる。 それも宮で上級を示す衣装を着ている者に訊かれては戸惑いを隠すことなど出来ない。

「だから、尾能さんの母上はどこにいらっしゃるんですか?」

「そのようなことは・・・御方(おんかた)様がお知りになるようなことでは御座いませぬ故・・・」

「オンカタってなに? そんなのどうでもいい。 尾能さんの母上! どこにいらっしゃるんですかっ!」

「地下に囚われていた者はどの馬車におる」

紫揺の背後から声がした。 紫揺が振り向くと後ろにマツリが立っていた。

「あ、あちらの二つの馬車で御座います」

紫揺のことは知らないが、マツリのことはもちろん知っている武官が離れた所に止まった馬車を指す。
マツリが歩き出す。 遅れて紫揺も歩きだした。
こんな時、杠なら「行こう」と紫揺に声を掛けるだろう。 だがそんな声が聞こえない。

屈強な身体をした武官が何人も行きかっている。
野太い声。 喚く声。 晒し布(さらしぬの)をしているが、そこから血が滲んでいる何人もの武官。 鉄のような血の臭い。 馬が地をかく音。 鎧のあたる音。

(杠・・・)

たった一言なのに。

「む、紫さまー」 と未だに “最高か” が武官の波に揉まれている。

・・・杠がコイシイ。

馬車から人が降りてくる。 その誰にも見覚えがある。 だが、もう一つの馬車からは見覚えのない者がおりてきた。 そして最後に見覚えのある顔が尾能の母親の手を取って降りてきた。
またもやマツリを抜いて紫揺が走った。

「尾能さんの母上!」

尾能の母の手を取っている百足が振り返った。 足元を見ていた尾能の母が顔を上げる。

「あ・・・あなたは」

尾能の母が目を大きく開けた。
衣裳や印象は全く違うが光石に照らされた紫揺の顔を忘れてはいない。
百足も同じく目を開き驚きを隠せない。 あの小汚い服を着ていた紫揺が地位のある衣裳を着ているのだから。

「お身体の具合は?」

「え、ええ。 なんとか」

全く何ともなくはないが初めて紫揺が見た時より傷もなにも増えていないだろう。 あちこちに巻かれた晒し布が痛々しいが。

「良かった」

「あの、貴方様は」

小さな老女だ。 傷だらけの、見えないところにも痛みを負っているはずだ。 それなのに凛としている。

「尾能さんの母上。 ご無事で何よりです」

そう言うと踵を返した。 今すぐ杠の元に行きたい。 杠に会いたい。

後の裾を持ったまま地を蹴り走る。 うろ覚えの門を一つ潜った。

ドン!

尻もちをついた紫揺が顔を上げると、文官が前にたたらを踏んで振り返ってきた。 どうも後姿の文官にぶつかったようだ。

「申し訳御座いません」

文官がすぐにしゃがんで紫揺の様子を見るが位の高い衣装を着ている。 簡単に手を添えて立たすわけにもいかない。

「あの・・・宜しければお手を・・・」

紫揺を覗き込んできた顔の一部には印象に残るものがあった。

「いいえ、こちらこそゴメンなさい」

手を借りることなく立ち上がりパンパンと衣裳をはたくと、後ろの裾を持って走り出した。

「お・・・お待ちくださいませー」

文官の横を “最高か” が息を弾ませヨロヨロと走り過ぎていく。

「なんだ?」

キョトンとした文官が三人の走り去る姿を見送った。

もう一つ門を潜ると見覚えのある小階段を上がり、何度も回廊を曲がって先程まで居た部屋の前に来た。

冷静であれば、よくも迷わずに戻って来られたものだ、と思っただろう。 それとも一種の火事場の馬鹿力だろうか。 杠に会いたいが為に帰巣本能といっていいだろうか、そんな野生の勘が働いたのだろうか。

襖戸は閉められている。
顔を下げ瞼を閉じる。
一つ二つ三つ四つ五つ・・・。
大きく深呼吸を一つ。

手を伸ばし襖戸を開ける。
そこに杠が居るのだろうか。 もう誰も居ないのだろうか。

「紫揺?」

杠の声が聞こえた。 ゆっくりと顔を上げる。

「どうした?」

杠がこちらを向いて立っている。

「杠・・・」

「何かあったか?」

「杠・・・」

「どうした?」

「杠!」

走り出した紫揺。
ドン! と杠にしがみ付く。

「どうした?」

杠の手が紫揺の体を覆う。

「・・・」

「そうか、何も言わなくてもいい」

“最高か” が、ひぃーひぃー言いながら戻って来てその場に倒れ込むように座り込んだ。

「ど、どうしたの!?」

「紫さまが・・・紫さまについて行くのが・・・」

息を切れ切れにしながら言う。
“庭の世話か” がピンときた。
紫揺がちょこまかと走ったのだろう。 裾を持つ身としては、ついて行くのに必死だ。

「ご苦労様。 それより紫さまはどうされたの?」

肩で息をしながら、え? とした顔を上げ “庭の世話か” を見ると、眉を寄せている。 その視線を紫揺に移すと紫揺が杠の腕の中にいるではないか。

“最高か” が互いに目を合わせるが心当たりはない。 二人が首を振る。

やっと息を整え座り直した “最高か” が、外であったことを説明するが、その中には紫揺が杠の胸に飛び込まなければならないことはどこにも見当たらない。

「いつも通りね」

「ええ」

最初は襖内で横に並んで座っていたが、声を押し殺して話すが故、いつの間にか車座になってしまっていた。

「引っかかるとすれば、馬車に向かってマツリ様が歩き出された時くらいかしら」

「何かあったの?」

「チラリとしか見えなかったけど、紫さまがお寂しいお顔をなさったの」

「紫さまが?」

「・・・そういうこと。 よく分かりましたわ」

え? 顔を上げるとそこにシキがしゃがんでいた。

「シ、シキ様!」

「シキ様、このような所にお座り下さいませんよう」

思わず言った昌耶だったが、その昌耶も四人の話に耳を傾けていて全く気がつかなかった。

昌耶に言われようがシキが考えに耽(ふけ)る。
四方の言葉を思い出す。 杠は口にしなければならないことも心得ていると言っていた。 紫の衣装を褒めていたと。
マツリの言葉が足りないのは知っている。 紫揺もそれは分かっているだろう。 だが杠と出会って言葉に安らぎを覚えたのかもしれない。

杠はそれこそ目の中に入れても痛くないほど紫揺を妹として迎えている。 あの二人の雰囲気を思い出すとそれは間違いない。
それは想いもあるだろうが、想いだけでは足りないものがある。

―――言葉

シキが立ち上がり杠と紫揺の元による。
いいかしら? と杠に目で問うと杠が頷く。

「紫?」

「紫揺、シキ様がご心配をされている」

杠にしがみ付いたまま顔を横に向ける。 そこにシキの姿が目に入った。

「どうしたの?」

紫揺が首を振る。

「何も無いわけじゃないでしょう? こうして杠の内にいるのだから」

そうだった。 もう東に帰るんだ。 もう杠と会えないんだ。 甘えた事なんて考えてられないんだ。
それに東には頼れるお付きたちがいる。 あれやこれやと面倒を見てくれている。

「ごめん・・・」

そう言うと杠の体から離れた。

「紫?」

「ご心配かけてすみません。 何でもないです。 急に・・・その、急に杠に逢いたくなって」

杠が紫揺の頭を撫でながら「お会いできたか?」と問う。 きっとシキもそれを問いたかっただろう、紫揺が心を寄せている事なのだから。 だが今の紫揺を見て問うて良いのかどうかを迷っているようだった。

「うん。 傷は増えてなかったと思う」

「そうか。 良かった。 すぐに尾能殿にも報せがいくだろう」

杠が応えるのを聞いて、きっとマツリなら “そうか” で終わるだろうとシキが思う。 紫揺を安心させるよう、尾能に知らせがいくとまでは言わないだろう。

こんな時なのに、ふと波葉ならどう言うだろうかと考えてしまった。 振り返ると波葉が椅子に座って様子を見ている。 波葉は今の話を聞いていたはず。
波葉の隣に立つと問いをかけた。

「え? 私ですか?」

「ええ、波葉様なら何と仰いますか?」

今の杠を己に置き換え、紫をシキに置き換えた図を頭に浮かべる。

『尾能の母上のお傷は増えておりませんでした』

『それはよう御座いました。 尾能殿も心配しておられましょう。 すぐに私がお報せに・・・』

いや、せっかくのシキとの時を失いたくない。 そうとなると・・・

『それはよう御座いました。 紫さまからのご報告で尾能殿も心配しておられましょう。 四方様がすぐに報せを走らせられることで御座いましょう。 ご安心ください』

うん、コレしかない。 と、そのままを言う。

波葉から聞くと本当にそうだろうかと、波葉の言葉をシキが疑う。 先に杠が言っていたのを聞いたからではないだろうか。 などと。
だがそんなことを考えても詮無いこと。 どうして訊いてしまったのだろうか。

・・・え? と気付くことがあった。
杠の言葉は人の心に・・・心の底に知らず入ってくるのだろうか。

マツリの言葉の少なさはマツリ自身が思考し完結させている。 それを聞いた側はマツリの言葉に補足を入れ考えなければいけない。
つくづく杠が恋敵でなかったことに感謝しなければいけない。

「紫揺? 紫揺は俺に逢いたくなったのではないな。 それはきっと寂しかったんだ」

杠の声が聞こえた。
顔を向けると紫揺と杠が向かい合っている。 紫揺の肩には杠の手が乗っている。 腰を曲げ僅かに傾けた杠の顔。

(寂しかった?)

「戻ってきた武官殿の喧騒も耳に入っただろう。 不安にもなる」

尾能の母親が気になると言って出て行ったが、今聞いた紫揺の説明でまさか武官の中に入って行ったとは思いもしなかった。
地下でのことを考えると十分にあり得るが、宮での紫揺を見ていたらそこまで想像が膨らまなかった。

「違う。 地下の人の中にいても全然不安もなかったし、寂しくもなかった」

「あの時は気が張っていただろう。 でも今はそうじゃない。 戻って来た武官殿を見てはマツリ様に頼りたくもなるだろう。 何でもいいから一言いって欲しいと思うのは当たり前だ。 だけどマツリ様にはお立場がある。 分かってるだろう?」

きっとマツリが紫揺の不安を払拭させるようなことを何も言わなかったのだろう。 簡単に想像できる。

「でも・・・」

「赤子の様だぞ」

でも、と言いながら下げた顔を再び上げる。
優しい顔が目が、紫揺の目を捕らえている。
地下からの帰り、ずっとこうして話してきた。 一つを訊けば二つも三つも答えてくれる。 紫揺を否定しない言い方をして分からせてくれる。
心が詰まる。
心許なく杠の名を一度呼ぶと、またしがみ付いた。

「・・・紫揺」

紫揺が何を言いたいか、いや、言いたいではない、思っているかは分かっている。 そっと手をまわし、諭すように言う。

「紫揺、紫揺の心の奥底で何を、誰を一番―――」

「マツリ様・・・」

その声に杠が顔を上げると襖戸口にマツリが立っていた。

同時にシキと波葉も振り返っている。 マズい所を見られた、二人がそんな目をしている。 二人だけではない、紫揺と杠を除くここに居る誰もが同じことを考えている。

「行かれますか?」

焦る様子も見せず杠がマツリに問う。
マツリが頷く。

「紫揺、また逢える。 きっと」

紫揺にだけ聞こえるように言った。
紫揺が顔を上げる。

「マツリ様が来られた。 気を付けて帰れよ」

杠から離れて後ろを振り向くとそこにマツリが居た。

“最高か” と “庭の世話か” がススッと紫揺の前に来て「お召し替えを」と言い、四人が付くと紫揺が部屋を出て行った。
部屋を出た所まで杠がついて行き、紫揺を見送ると未だに立ったままのマツリの背中に言う。

「兄と妹の今生の別れです」

紫揺にはまた逢えると言ったのに、マツリには今生の別れと言う。
マツリが顔を下げる。

「仲のいい兄妹だな」

「シキ様とマツリ様ほどでは御座いません」

マツリが振り返り何かを言うより先に杠が口を開く。

「地下に戻ります」

先程まで紫揺に向けていた顔付きとは一転している。

「地下はいい」

「え?」

「杠は共時に顔を見られておる」

・・・迂闊だった。 言われるまで気がつかなかった。 己が宮にいるなど有り得ないのだから。

「地下には再度新しい百足を入れると父上が仰っておられた。 今回の大掃除でそちらからの情報で間に合うだろう」

「迂闊で御座いました。 申し訳御座いません。 それではどちらに」

「父上からの褒美を受けんか?」

どうしてここで褒美の話になるのか?

「それは・・・」

「宮仕えだ」

シキと波葉が目を合わす。 いったいどういうことだろう、という目をしている。

「何を仰るかと思えば・・・。 己は料理など出来ませんし厨に入ることも出来ません。 下足番か掃除番でしょう。 ですがそれではマツリ様にお仕えすることにはなりません。 己はマツリ様にお仕えしたく、手足となりたいので御座います」

下足番か掃除番。 これが杠でなければ紫揺のことで腹を立て貶めたいのかと思うかもしれないが、杠はそんな風には考えない。 マツリがそんな人間ではないということを知っている。

「いやそうではない。 官吏としてだ」

「ご冗談を。 己は学も無ければ何の資格も持って御座いません」

「その資格が褒美だ。 父上は是非にと仰っておられるが?」

紫揺が走り去った後、武官たちから報告を聞き、状況を見ていた四方に付くとその時、四方に言われた。 マツリに異論はない。

「マツリ様・・・己は次に何処へ行けば宜しいでしょう」

「褒美を受けぬということか?」

「己はマツリ様の手足となることを望んでおります」

「では、父上の褒美を受けるということだな」

杠が僅かに首を傾げる。

「宮仕えにも色々ある。 父上が仰っておられるのは官吏となり俺の片腕にということだ。 俺もそれを望んでいる」

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