大福 りす の 隠れ家

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--- 映ゆ ---  第98回

2017年07月31日 23時58分25秒 | 小説
『---映ゆ---』 目次



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- 映ゆ -  ~Shou / Shou & Shinoha / Shinoha~  第98回




「え?」 デスクから顔を上げた。

「なに? どうしたの?」 隣に座る樹乃が言う。

「あ、ごめん。 何でもない」 樹乃が頭を傾げながら、再びキーボードを打ちはじめた。

(なに? シノハさんに何かあった?) 激しく打つ鼓動が鳴りやまない。

(シノハさんの声が聞こえた気がした・・・そんなことあるわけないのに)

「渉?」 動かない渉に顔を戻した樹乃が渉を呼ぶが、ピクリとも動かない。

「渉!」 声を押さえて呼ぶと肩を揺する。

「え? あ・・・」 樹乃を見る渉の顔が真っ青だ。

「ちょっと、渉どうしたの? 真っ青よ」

「・・・分からない」 呆然と答える。

「分からないって、何のことを言ってるの・・・。 渉、おかしいよ。 ・・・早退する?」

「・・・」 どこを見るとなく一点を見ている。

「おかしいよ、早退しな」 渉の様子に尋常ではないことをさとった。

渉の脇を抱えると、腑抜けになったクソジジイに早退の旨を告げ、ロッカーまで渉を連れて出た。

「大丈夫? 一人で帰れる? 家に連絡入れようか?」 着替えを手伝いながら樹乃が言うが、それにも答えない。

「渉! どうしちゃったのよ、しっかりして!」 肩を揺する。

「あ・・・うん・・・。 大丈夫」 

「大丈夫じゃないしっ! 家に連絡入れようか?」

「うううん。 一人で帰れる」 

変わらず顔色は悪いが、それでも受け答えが出来ている。

「本当に?」 樹乃が渉の顔を覗き込む。

「うん。 ・・・もしかして、明日休むかも」

「分かった。 その時には私からクソジジイに言っておくから」

「・・・うん。 ありがと。 じゃね」 ふらりと身体を揺らせロッカーを出た。

「あんなに元気だったのに、急にどうしちゃったの・・・」


電車に揺られる。 

(シノハさん・・・シノハさんどうかしちゃったの?・・・そうじゃないの? 私がどうかしちゃったの?) 俯いて顔に両手を被せる。

(シノハさんに逢いたい・・・) 今にも涙が出てきそうな思いを押さえると、顔を上げ席を立った。


神社への駅を降りるとバス停に行きかけたが、平日の日中はバスの運行が少ないことを思い出した。

「バスよりタクシーで行こう」 バス停に行きかけた足を止め、タクシー乗り場に向かう。

「あれ? あの子、たしか奏和と一緒にいた・・・なんて言ったっけ? へぇー、スーツなんて着るんだな」 バス停に行きかけた渉がタクシー乗場に向かっていく姿を、順也が目で追った。

すぐに来たタクシーに乗り込むと、神社から少し離れた所で降りた。

「平日だから神社に入ったら目立っちゃうな・・・」 神社の下まで歩き、ソロっと階段の上を覗き込んだ。

「小父さんも小母さんもいるのかなぁ・・・」 階段の端をゆっくりと歩く。

階段を上がりきり、鳥居に身を隠しながら前を見ると閑散とした境内が目に入った。

「やっぱり平日は誰も来ないのかなぁ・・・目立っちゃう」 自分の着ている紺のスーツを見た。

「グレーのスーツを着てくればよかった。 そしたら保護色になったかも知れないのに」 神社の砂利と一体化になれると思ったようだが、少々無理がありそうだ。 

と、その時、宮司の家の玄関が開く音がした。 思わず鳥居に身を隠す。

「じゃ、お父さんお願いしますね。 遅くなりますから夕飯は食べておいてくださいね」 玄関の戸を閉めると足早に鳥居を抜け、隠れている渉に気付かず雅子が階段を下りて行った。

「小母さん今日は遅くなるんだ。 小父さんは家の中か・・・」 階段を下りて駐車場に向かった雅子を見送ると一気に山に入る入り口まで走った。

「良かった、小父さんが出てこなくて・・・」 後ろを振り返り呟くと、足早に山の中を歩く。

「シノハさんに何かあった? ・・・うううん、そんなことはない。 きっと私の考えすぎ」 磐座までに心が逸る。

磐座の前に着くといつものように手を合わせ、まずは磐座に感謝の念を伝える。 そして

「シノハさんに逢いたい」 そう告げると、言葉に出すより一層シノハに逢いたい気持ちが広がる。


サラサラと川の流れる音が聞こえた。 目を開ける。 いつもなら目の前にシノハが居るか、シノハの声で振り返るのに目の前にシノハが居ない、シノハが呼ぶ声もしない。

「シノハさん・・・」 不安がよぎる。 

川を見渡すと川に向かってシノハが背を丸くして座っている姿が見えた。

(シノハさん!) 一瞬心が躍ったが、すぐに不安で胸がいっぱいになった。

「シノハさん・・・」 丸まったシノハの後姿を暫く見ていたが、そっと歩を進めた。

岩陰に居たアシリとロイハノは、シノハばかりを見ていて渉が現れたことには気づかなかったが、シノハへ歩み寄る渉にやっと気付いた。

「ロイハノ、あの衣を着た者は?」

「私も初めて見た・・・」

「シノハさん・・・」 渉の声に驚いたようにシノハが振り返った。

「ショウ様!」 思わず立ち上がる。

ロイハノに緊張が走る。

(シノハ、お願い・・・)

「シノハさんどうしたの? 目が真っ赤」 

泣いて泣いて泣きつくした。

「あ、何でもありません。 ・・・ちょっと目が痛くてこすってしまいました」

「大丈夫? お医者さんに行かなくちゃ」 

逢いたい渉が目の前にいる。 今は何も考えたくない。

「我が村は薬草の村。 いくらでも薬草があります。 これくらいなら緩い薬草で治ります」 シノハの笑顔に安堵を覚える。

「そうなんだ。 薬草かぁ・・・漢方薬みたいなものね。 じゃ、大丈夫なのね」 渉の微笑みに我が身が吸い込まれそうになったが、すぐに渉が表情を変えた。

「さっきまでね、会社に居たの。 仕事をしてたの。 そしたらシノハさんの声が聞こえた気がして・・・シノハさんに何かあったような気がして・・・」 眉尻を下げてシノハを見上げる。

「ショウ様・・・」 安心して下さい、と頬を撫でてあげたい。 でも出来ない。

「ショウ様が我のことを考えて下さったのは我の喜びです」 どこか寂し気な笑顔に渉の眉尻が下がったままだ。

(ショウ様が我の声を聞いてくださった・・・) 喜びと悲しみが交差する。

「シノハさんどうかしたの?」

「え? 何でもありません。 ショウ様、今日は川の水が澄んでいます。 座って共に川の流れを見ませんか?」 シノハの笑みに渉がコクリと答える。

いつもほどの嵩がなく落ち着いた流れの中、沢山の水鳥がプカプカと浮いている。 
対岸から小動物が岩を伝ってこちら側にやってきている。 そこへコロコロコロと鳴きながら青い小さな鳥が飛んできた。 
渉が鳥に目をやる。 目の下に赤く丸い模様がある。 まるで頬紅を塗っているようだ。
鳥が川の中にある岩におりると、ピョンピョンと撥ねて歩き、小さな青い尾羽を広げ赤いくちばしで川の水を飲んだ。

「綺麗な青色・・・あの鳥は?」 

初めて見る鳥だ。 小さくて可愛らしいが、水を飲むときには小さくはあるがクジャクのように後ろの羽を広げている。

「ジョウビキといいます」

「綺麗なのに可愛らしい」 ジョウビキに目を引かれる。

「姿に見合わず気が強いのですが」

「そうなの?」 シノハを見た。

「はい。 馴らそうとしてもなかなか馴れてくれません」

「野生の鳥なんだもの、そう簡単に馴れないでしょう?」

「ははは、そうでもないですよ。 オロンガの鳥達はあまり人を警戒していないので、すぐに馴れるところがあるんです」

「へぇー、そうなんだ」

「他の村は鳥を狩るので、鳥も警戒をしているようですが」

「オロンガでは狩をしないの?」

「はい。 オロンガでは肉を食べませんから。 あ、と言っても他の村に行って肉を出されれば食べます」

「そうなんだ。 基本的にはベジタリアンなんだ」

「座りましょう」 腰につけていた布を下に敷いた。

「ありがとう」 渉が腰を下ろすとその横にシノハが座った。

見守っているロイハノの心臓がはち切れそうになる。

「今日は少しはゆっくりできるのですか?」

「うん」 渉がシノハの目を見て答える。

「オロンガの川に魚はいるの?」

「はい、います。 沢山の種類の魚がいますよ。 あ、ほら、今ハネました」 シノハが先を指さすが、渉はシノハの顔をずっと見ている。

「ショウ様?」

「シノハさん、何か隠してる?」 

心の的をつかれたが表情には出せない。 渉の問いに笑みを返す。

「いえ、なにも隠し事などはありません。 時にはこうしてショウ様とゆっくり話をしてみたいと思っていました」

「そういうことじゃなくて・・・」

「ショウ様、我はショウ様と共に居たいと思っているだけです。 それ以外には何もありません」 もう泣きつくしたはずなのに、喉の奥が締め付けられてくる。

「シノハさん・・・」 渉の眼差しに心が砕けそうになるのを堪える。

「ショウ様、先程仕事をしていたと?」

「あ、うん・・・投げ出してきちゃった」 ペロッと舌を出す。

「あ・・・あはは。 良かったのですか?」 シノハの顔に僅かに寂しさがなくなったような気がした。

「うん。 たまにはいいの」

「ショウ様はどんな仕事をされているのですか?」 渉の言葉に両の眉を上げながら聞く。

「事務」

「ジム? それはどういったことをするのですか?」

「あ、そっか・・・オロンガには・・・ここにはそんな仕事がないのか・・・うーん、なんて言ったらいいのかなぁ?」

「織物や籠を編んだりはしないのですか?」

「織物? 編む?」

「はい」

「ムリ、絶対に無理」 あまりの拒否のしように、シノハが握った手を口に当てクックと笑いだした。

「あ・・・シノハさん、笑っちゃうの?」 そう言いながらも、芯から出たシノハの笑い顔に渉も微笑むことが出来た。

「もしかして・・・ショウ様は不器用なのですか?」 笑いを押さえながら聞いた。

「・・・ハッキリ言わないで」

「我はけっこう器用なのですよ。 我の器用さをショウ様にお分けしたい」 いつもいつも優しい目。

「そうなんだ。 シノハさんって器用なんだ。 ・・・そっか、まだまだシノハさんのことを知らない。 もっとシノハさんを知りたい」 渉の言葉にシノハが目を細めて言う。

「ショウ様に何かお作りしたい・・・何か欲しいものはないですか?」

「え? ほしいもの? なに? ストラップとか?」

「それはどういったものですか?」

「あ、そっか・・・。 うーん・・・」 頭を捻る。

「うん。 シノハさんが思うものならなんでもいい。 シノハさんが思うものが欲しい」 渉の言葉に両の口の端を上げシノハが頷いた。

渉とシノハは陽が落ちる寸前まで、初めて長い時を過ごした。

「そろそろ暗くなっちゃうね。 ここには街頭もないからシノハさんも帰らなくっちゃね」

「ショウ様・・・」

「シノハさん明日は?」

「明日も来て下さるのですか?」 シノハの目の中が輝いた。

「来られるように頑張る」

「はい。 お待ちしています」

「泊まれないもんね。 パパとママが心配しちゃう」 言ったかと思うと、渉の姿が歪み、そして下に敷いていた布だけが残った。

「ショウ様・・・」 渉の残像を目で追うと、立てていた膝の間に顔を入れた。 枯れたはずの涙が次から次に落ちた。

「あの様に去るのか・・・」 初めて見た光景に驚き、ロイハノが一人ごちると、時に飽きていたアシリが振り向いた。

「どうした?」

「・・・なんでもありません。 村に帰りましょう」


ロイハノがセナ婆の元に帰ると見たままを伝えた。

「そうか。 それではその娘は何も知らんようじゃな。 シノハはその娘に何も伝えない気でいるか・・・」 大きく息を吐いた。

「じゃが、それでは済まん。 いつかは娘の手を取るじゃろう」

「ですが、婆様」 ロイハノが初めてセナ婆に反する言葉を投げた。

「女子(にょご)ではないとは見えましたが、娘でもないように見えました」 ロイハノはシノハがオロンガの女と同じ道を歩もうとしているのを認めたくなかった。

「それは有り得ん。 シノハと同じ年のはずじゃ」

「・・・オロンガの女の話とは、違うのではないでしょうか」

「ロイハノ・・・お前がオロンガの女の話にシノハを置きたくないのは分かる。 じゃが、心しろ。 お前は“才ある者” このオロンガを背負わなければならんのじゃ。 シノハを特別な目で見るな」

「・・・ですが、婆様。 シノハは幼子の頃より婆様の言葉を聞いております。 シノハに限って・・・」

「オロンガの女の語りは寂しく悲しい。 その中にシノハを置きたくない気持ちはよく分かる。 じゃが、天はシノハを選んだのじゃ」

「ですが!・・・」

「ロイハノ、心を静めろ」

「婆様・・・なぜ天はシノハを選んだのでしょうか」 泣きごとのように言う。

「ロイハノ、天を恨むでない。 天から見ればシノハも誰も同じじゃ。 じゃがその中でシノハが選ばれたんじゃ。 いや、シノハが天に申し出たのかもしれん。 シノハが後退するか進むのか・・・天はシノハに進むことを願っておるじゃろう」

「婆様・・・」 ロイハノの目に涙が浮かぶ。

「シノハが天に顔を向けられるように、我らがシノハに添おう」

「・・・はい」


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--- 映ゆ ---  第97回

2017年07月27日 22時12分10秒 | 小説
『---映ゆ---』 目次



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- 映ゆ -  ~Shinoha~  第97回




「シノハ、婆様がお呼びだ」 トワハが川横に座るシノハを呼びに来た。

「え? 婆様が?」

「ああ。 しっかり怒られてこい」 

ここの所まともに働かず、川で水汲みばかりしているシノハのことを、トワハがセナ婆に言いつけた。
シノハがトンデン村から帰って、トワハの悪態を父親に言われたことへの意趣返し。

シノハが頭を下げる。 渉がいつ来るか分からない。 この場を離れたくないが、セナ婆に呼ばれているとなると、行かないわけにはいかない。 
それに、トンデン村から帰ってきてセナ婆に聞かなければならないことがあったのに、すぐにゴンドュー村に行った。 聞く機会を逃してしまっていた。 オロンガからいなくなった女の話を。

なのにセナ婆に聞く前に渉と逢って話した。 己は3度渉の所に行っていたんだ。 そして誰にも会っていないと思っていたのに、最初に渉と出逢っていた。 タム婆から聞いた話を思うと、どうしてもセナ婆に聞く勇気が持てなかった。 聞いてしまっては何もかもが終わってしまいそうな気がした。 
重い腰を上げ、毎日暇そうにしているラワンの背に乗るとセナ婆の元に向かった。


「婆様、シノハです」 セナ婆の住む家の前で声をかける。 オロンガの家は石で出来ている。

木戸が開くと、中からセナ婆の後を継ぐ“才ある者” が出てきた。 身を外に出し、すぐに木戸を閉めるとシノハに声をかけた。

「シノハ、婆様がご心配をされています。 よくよく、そのご心配を取ってさしあげるように」 

言われ頷くと、“才ある者” が再び戸を開けシノハを中に入れると続いて入り、閉めた木戸の前に立った。

「婆様、ご心配をかけ申し訳ありません」 中に入るとすぐ片膝をつき、椅子に座り両の手を杖の上に置いているセナ婆に頭を垂れた。

「ゴンドュー村から帰ってきて落ち着いたと思ったら、様子がおかしかったのう」

「いえ、そのようなことは」

「ずっと川に行っておるらしいのう」

「はい・・・その、これからはちゃんと働きます」

「そんなことを言っておるのではない」

「婆様・・・」

「いつ問う気でおるのじゃ?」

「え?」

「わしに答えられんとでも思っておるのか?」

「・・・」

「口を噤んでどうする」

「・・・はい」

と、その時、外から“才ある者”を呼ぶ声がした。 “才ある者”がいったん外に出て話すと、また家の中に入ってきた。

「婆様、チドウシャが薬草を取っているときに、足を滑らせて落ちたそうです。 今、運ばれてきたそうなので見てまいります」

「ああ、頼む」

“才ある者” が出て行くのを見送ると、セナ婆が話を続けた。

「姉様は何と言っておられた?」

「あ・・・」

「何も考えることはない。 姉様の仰ったことを話してみろ」

「はい。 ・・・オロンガで居なくなった女の話をして下さいました」

思いもしなかったシノハの言葉に驚いた。

「なぜ? 何故、そんな話をされたんじゃ?」 杖の上に置いていた両手に力が入り、前のめりになる。

シノハが覚悟を決めて話し出した。

トンデン村に行く途中に知らないところに居たこと。 そしてそこでラワンと束の間過ごしたこと。 タム婆が目を覚ます前に僅かの時ではあるが、また同じ場所に行っていた。 それをタム婆に話すと、オロンガで居なくなった女の話をしてくれたと。

「そうか・・・」

「婆様はオロンガの話だから全部は知らないと仰っていました。 ですから、オロンガに帰ってセナ婆様にお伺いすると言っていたのですが・・・」

「どうして問わなかった?」

「それは・・・」

「話の続きがあるということか?」

「・・・はい」

シノハの返事にセナ婆が静かに目を閉じた。

「シノハ」 呼びかけるとそっと目を開ける。

「姉様がどれだけ話されたのかは分からんが、わしがシュマ婆様から聞いた語りを聞かせよう」

「え?」

「姉様は最後まで語っておられなかったのだろう?」

「はい」 シノハが答え、セナ婆が語り始めようとした時“才ある者” が帰ってきた。 セナ婆とシノハの話が一旦きれる。

「どうじゃった?」

「大したことはなかったようです。 傷薬を塗るだけで治まります」

「そうか」 言うと、シノハに視線を戻し、語りを始めた。


最初はタム婆と同じ語りだった。 タム婆が

『一に出会い 
呼び呼ばれ 
糸が触れあい 
名で結ぶ』 

と語っていたところが、詠うよに聞かせてくれたのが違っていた程度だった。 そしてタム婆がこの言葉を考えながら言った理解が少し違っていた。

(オロンガの女の語り? どうしてセナ婆様はシノハに聞かせるのかしら) 木戸の前に立つ“才ある者” が静かにセナ婆の話に耳を傾けた。

セナ婆は続けた。

「女はいつも首から赤い玉を下げておった。 オロンガでは見ない赤い玉。 5の時を迎えた女はその赤い玉のことを『呼び笛を受ける玉』 と言っていた」

(呼び笛?) シノハの中にあの澄んだ音が浮かんだ。

(だが、我は赤い玉など持っていない・・・)

「どうして女はそのことを周りに言ったか。 女は赤い玉に導かれ3度そこへ行ったそうじゃが、それからはそこへは行けなくなったそうじゃ。 行け
なくなったのに、さも嬉しそうに話す。 それは代わりに相手の男がオロンガへ来たからじゃ」

シノハが大きく目を見開いてセナ婆を見た。

「来たと言っても誰にもわからない。 誰も知らない衣を着た男」

セナ婆の語りの男と女は今のシノハと渉が入れ替わっただけの語りだった。 シノハの思いが止まっている間もセナ婆の語りは続く。 そのセナ婆の語りに耳を傾けようとするが、まるでセナ婆の声が、どこかから耳障りな音が聞こえてくるように感じられる。 それでも耳を傾けなければ。 が、語りが進むにつれ、シノハの顔から表情がなくなっていく。

「・・・呼び合うということはそういうことじゃ」

「そんな・・・」 セナ婆の語りに呆然とする。

「ああ、そうじゃ」 セナ婆が深く頷きシノハを見る。

「そうしてオロンガの女が居なくなった」 シノハの濃い茶色の瞳が揺れた。

「心当たりがあるようじゃな」 問われるが、セナ婆の言葉がシノハの耳に届かない。

(まさか・・・シノハが?!) “才ある者” が目を見開いた。

(どうしてそんなことが・・・。 どうしてショウ様と我にそんなことが降りかかってくるんだ。 我は・・・我どうすればいいんだ。
ショウ様とずっと共に居たい。 それだけを願っているのに、それが間違ったことなのか・・・そう思うことがショウ様を失ってしまうことなのか。 共に居るのに、共に居られないということなのか。 どうしてだ! ショウ様と居られればそれでいいだけなのに! どうしてそれが叶わない!) 涙さえ出ない。 ただただ、渉を想う。

「シノハ?」 セナ婆がシノハに呼びかけるが、シノハがそれに答えない。

「シノハ、心を落ち着かせろ」 セナ婆の声がシノハの心に届かない。

戸際に立っていた“才ある者” がシノハに歩み寄った。

「シノハ、しっかりとなさい」 言うが、シノハの焦点があっていない。

「シノハ!」

“才ある者” の声が遠くに聞こえた。 と、肩を揺さぶられた。

「シノハ!」

ハッと顔を上げた。 “才ある者” の手がシノハの肩にある。 焦点が戻り、目の前のセナ婆と目が合った。

「シノハ・・・」 セナ婆が苦し気な顔をした。

「なぜ・・・シノハが・・・」 

セナ婆が思う程ではないかもしれないが、それでも可愛いシノハ。 いや、シノハでなくとも、セナ婆の生ある間に、昔語りが目の前に突き出されるとは思ってもいなかった。 こんなに苦しい語りはない。

「セナ婆様・・・」

「シノハ・・・心を強く持て。 シノハがこのオロンガから―――」 話すセナ婆の言葉をシノハが遮った。

「我は・・・我は!」

「シノハ! 落ち着け!」 

セナ婆の目で言われた“才ある者” が今にも飛び出しそうなシノハの肩を押さえた。

「我は!」 拳を握りしめ、血の気を失った唇が小刻みに震える。 

頭を下げたと思った途端“才ある者” の手を振り切って立ち上がると、そのまま飛び出した。

「シノハ!」 “才ある者” が呼ぶが、シノハの足が止まることはなかった。

「婆様、いかがいたしましょう」 開け放たれた戸からシノハの背を見送った“才ある者” がセナ婆の元に戻り問うた。

「ふぅむ・・・」 目を瞑り頭を下げるとその皺をより一層深くする。

「悲しいが・・・シノハは“オロンガの女” と同じであろう。 そうである以上、わしらには何も出来ん。 シノハを思いとどまらせることを言う以外は・・・。 じゃが、誰が何を言おうともすべてを決めるのはシノハじゃ」 ゆるりと顔を上げると“才ある者” を見た。

「ロイハノ」 “才ある者” を呼んだ。

「はい」

「女がいつ来るかは分からんが、トワハの話からすると、シノハはいつも川に居るようじゃ。 いつも川で逢っておったのじゃろう。 シノハは川でしか逢えんと思っているようじゃ・・・」 ロイハノが頷く。

「シノハを失うわけにはいかん。 シノハは川に向かったはずじゃ。 シノハは思い考えるじゃろう。 暫くは陰から見ておいてくれるか。 ・・・そうじゃな・・・川まで女の足では大変じゃ。 アシリに言ってズークを引いてもらえ」

「はい」 アシリはロイハノが“才ある女子(にょご)” となるまで共に過ごしたロイハノの兄である。


セナ婆の家を出て村の中を突き抜ける。

(ショウ様! ショウ様! ショウ様!)

「おいシノハ! 婆様にしっかりと―――」 薬草小屋に向かおうとしていたトワハが、シノハの姿を見て大声で言いかけたが、シノハが耳もかさずトワハの横を走り去った。

「おい! なんだよ! 兄の言葉が聞けないって言うのかー!」 走り去るシノハの背に向かって言うが、シノハには何も聞こえていない。

薬草を持った男たちが様子のおかしいシノハの姿に眉を顰める。 小さな子供たちが走り去るシノハを見てキョトンとしている。 鶏がビックリして羽をばたつかせ逃げ回り、犬が耳を伏せシノハに道を譲る。

(ショウ様・・・ショウ様・・・) 目の前に見える村の様子が陽炎のように揺らいで見える。

山の中腹にある村を駆け抜けると一気に山を下り、そこここにある岩を飛び越え川に出た。
息が乱れたまま川の横に立つ。

(ショウ様・・・) 爪が掌に刺さるほど握りしめた拳が小刻みに震える。。

日増しに募る想いは感じていた。 渉のことを想うと他のことは何も考えられなかった。 ただただ、渉の笑顔を見ていたい。 渉の喜ぶ顔を見ていたい。 いつもずっと渉と居たい。 渉の声を聞きたい。 渉のコロコロと変わる表情を見ていたい。 隣に座って渉の存在を感じたい。 小指を合わせあった。 渉のその小さな手を取りたい。 それが畏れ多くて出来なかった。 
なのに、なのに、畏れ多いだけではなかった。

「どうして、どうして! なぜ、寄り添うことも出来ないんだ!」 歯を食いしばる。 その歯の上で唇が震える。

頭の髄を叩かれる。 耳鳴りがする。 目の前が真っ赤に染まる。

「ワアァァァー!」 雄叫びを上げるとその場に崩れ落ち慟哭に崩れ落ちた。。

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--- 映ゆ ---  第96回

2017年07月24日 22時47分57秒 | 小説
『---映ゆ---』 目次



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- 映ゆ -  ~Shou~  第96回





渉の目にはもう明るくなった山の中、磐座が映っていた。

「・・・シノハさん」 シノハの前ではケロッとして話していたが、そんなに簡単に割り切れるものではない。

磐座をじっと見る。

「私もずっと一緒に居たい」 目に涙が溢れてくる。

「渉、いるか?」 奏和の声がした。 慌てて涙を拭きとる。

「奏ちゃん! どうしたの?」 水の流れの向こうで振り返り、奏和の声がする方を覗き込んだ。

「あ、やっぱり心配で見に来た。 けど、何ともなさそうだな」 渉の方に歩み寄ってくる。

「う、うん。 お化けは出なかったよ」

「だろうな」 眉を上げると切り株に座り渉を見た。

「どうだ? ゆっくりと出来たか?」

「え? うん。 まぁ」

「なんだよ。 俺の登場が早すぎたのか?」

「そんなんじゃい。 それに心配してくれたんだもん」 昨日の朝、鍋をカーンと鳴らしたことを少し後悔した。

「まぁな・・・。 お化けや天狗は出ないだろうけど、一番怖いのは人間だからな」

「人間?」 水の流れをピョンと跳んで跨ぐともう一つの切り株、奏和の背中側に座った。

「この山に怪しい人間が居るとは思わないけど、一応な」 奏和が180度回転して渉に向き合う。

「けっこう陽が昇ってきたな」 木々の間から射す陽の光が朝露を照らす。

「今日は暖かくなりそうだね」 身体を捻り奏和の目の先を同じように見た。

「いい天気だな」

「うん」

暫く二人でその光景を見ている。

(翔・・・後悔なんてしてないって言ってたけど、本当にあれでよかったんだろうか・・・) 
事務所に乗り込み、モデルから完全に身を引かせた。 そして今は身をひそめさせている。 その自分の行いが正解だったのだろうか。

(シノハさんの所もお天気が良かった。 いま、同じように陽の光を見てるかな・・・)

顔を落とした奏和が話し出した。

「渉はここに来る・・・」

「えっ!」 思わず大きな声が出た。

「な、なんだよ。 そんなに大きな声を出して」

「あ、何でもない。 私がここに来るとナニ?」 

「渉は小さい時からここに来るのが好きみたいだけど、翔にもそんな所があるか知らないか?」

「カケル?」 バレてたのではなかったと、胸を撫で下ろした。

「ああ」

「カケルが好きな場所・・・」 眉を顰めて考える。

「そう言われれば知らない」 情けない顔をする。

「おい、そんな顔するなよ。 そうか、知らないか・・・」 渉を透かしてその後ろにある木々を見て小さく溜息を吐いた。

「なに? そんな所があったら奏ちゃんがカケルを連れて行ってくれるの?」

「ああ。 翔もクサってくるだろうからな」

「じゃ、美術の杜なんてどう?」

「あの屋外のか?」

「うん。 オブジェがいっぱいあるトコロ。 ずっと家の中なんだから外の空気も吸えるし、カケルが好きそう」

「あ・・・だけどな、屋外じゃない方がいいんだ」

「そっかー・・・お天気で左右されるもんね」 腕を組み空を見る。 少し考え閃いたとき、奏和を見たつもりが奏和の後ろ、磐座が目に入った。

(あ・・・) 磐座までの風景が歪んで見える。
(そっか・・・そうだったんだ) 以前にも磐座までの風景が歪むのを2度見た。 
(シノハさんの所からさっき帰ってきた。 だから風景が歪んで見えるのかも。 時空のナントカっていうやつなのかしら。 あ、じゃ、あの時、磐座の前に立った時に歪んで見えたあの時が、シノハさんが来てた時だったんだ。 それにしてもタイミングがズレるんだ) 奏和を忘れ考え込む。

普段あまり見ることのない渉の真顔。 その顔で磐座を見つめるのを見て奏和が不審に思い振り返った。

「え?」 一瞬だが歪みを見た。 陽炎のような歪み。 だがそれはすぐにおさまった。

「な、渉。 今おかしくなかったか?」 後ろを振り返ったまま渉に尋ねた。

「え? なにが?」 しまったと顔がヒクつく。

「今・・・」 小首を傾げ少しの間をおくとまた話し出した。

「・・・気のせいか」 言うと渉に向き合った。

「ねっ・・・絵画展なんてどう?」 何も聞かれたくない、奏和が言葉を発する前に話の筋を元に戻す。

「絵画展?」

「うん。 アマチュアのなんだけどね。 えっと・・・いつだったっけかな。 会社の友達がそんなことをよく知ってるの。 聞いておこうか?」

「絵画展か・・・いいんだけど、人が多いんだろうな」

「そんなに大それた絵画展じゃないの。 アマチュアだからね。 それに友達が言ってたけど、平日は人は少ないって。 だから会社を休んでいくって言ってたし、駐車場があって車で行けるから楽だって。 まぁ、平日に行くとなると奏ちゃんは学校を休まなくちゃいけないけど」

「ああ、それはいいんだ。 そっか、絵画展か」

「うん。 カケル好きだと思うよ」

「俺はチンプンカンプンだけどな」 渉を見てクイと片方の口の端を上げた。


後日、渉からメールが入った。 再来週末から4日間あるらしい。 そして要らないことも書いてあった。

《車で行くの? だったら絵画展が終わったら、そのままドライブをしてあげて。 奏ちゃんと二人だけの空間だったら誰に見られることもないでしょ?》 と。

「渉は・・・何をどれだけ分かってるんだよ・・・」 知っていて、日頃すっ呆けているだけなのか、単なるボケなのか判断がつかない。

「渉・・・お前の何だかわからないけど、そんな頭が俺にも欲しいよ」 机の上に置いたバンド練習のスケジュールを書いてある紙を見た。


渉の母親、真名とリビングで過ごしている時、置きっぱなしにしていた渉のスマホが鳴った。

「あれ? 翼君だ」 着メロから翼と分かる。

「早く出てあげなさい」 真名から促され、うん、と答えるとすぐにスマホを手に取った。

「翼君?」

「そーでーす。 神社に居る時、ガン無視された翼でーす」

神社での早朝、奏和と渉の二人が山の中で話していたことを言っている。
奏和と渉にしてみれば過ごしたではなく、話していたのだけれど、翼にとっては過ごしたとなってしまうようだ。

「まだ言ってるの?」

「あー! そんなこと言う? 俺的には朝の日の出を清々しく渉ちゃんと奏兄ちゃんが迎えたと思ってんだけど?」

「バカじゃない?」 渉の言葉を聞いて真名が口を出した。

「渉ちゃん、何を言ってるの!」 翼が何を言ってるのかは分からないが、渉が言った言葉 『バカじゃない?』 それに真名が反応した。

「ママ、いいの。 翼君がバカなことを言ってるだけだから」 小声で言うが翼に筒抜けだ。

「俺、バカじゃないし」

「バカだよ」

「渉ちゃん・・・」 嘆いたが気を取り直して続けた。

「奏兄ちゃんが姉ちゃんを連れ出してくれたよ」

「うん、そうみたいだね」

「知ってたの?」

「カケルからメールをもらった。 色んな絵を見られたって」

「そっか・・・姉ちゃんからメールがあったんだ」

「うん。 言ってるでしょ? カケルのことは奏ちゃんに任せればいいって」

「そうだよね。 渉ちゃんはいつもそう言うよね」

「そっ。 ちょっと悔しいけど、奏ちゃんに任せればいいよ。 奏ちゃんに協力出来ることを協力すればそれでいいんだよ」

「そっか。 姉ちゃんのことは俺が心配しなくていいんだ」

「うん、そうだよ」 言うとちょっと考えた。

「・・・翼君?」

「なに?」

「・・・もしかしてシスコン?」

「あり得ないしっ!」


涼しい風から寒さを感じる風へと変わり、所々で木の葉が黄色くなり、虫の声も聞こえなくなってきていた。

「寒っぶ!」 駅を降りて歩いていると一瞬吹いた風に樹乃が背中を丸めて歩いていた。

「おっはよ!」 樹乃の背中をポンと叩く。

「おはよう。 寒いのに元気ね」 意気揚々と横に立つ渉を見た。

「樹乃一人歳とったんじゃない? お婆さんみたいな歩き方してるよ」

昨日、こっそりと神社へ行きシノハと逢った。 シノハの眼差し、シノハの声、シノハと共に過ごした時が、心満たされる時が、今も忘れられない。

「あれ? もしかして?」

「なに?」

「成就した?」

「なにが?」

「辛い恋」

「あるわけないって言ってるでしょ。 ほら、身体を温めよう。 早歩きっ!」 樹乃の腕を取って足早に歩き出すと躓いて、樹乃の腕にしがみついてしまった。


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--- 映ゆ ---  第95回

2017年07月20日 22時34分54秒 | 小説
『---映ゆ---』 目次



『---映ゆ---』 第1回から第90回までの目次は以下の 『---映ゆ---』リンクページからお願いいたします。

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- 映ゆ -  ~Shou & Shinoha~  第95回




川の流れる音が耳に入った。 陽の光が身体を包み暖かく感じる。 ソロっと目を開ける。 目の前に昨日見ていた服が目に入った。

「ショウ様!」

見上げると目の前にシノハが居た。

「シノハさん!」

「来てくださった」 

喜びとも笑みとも安堵とも何ともいえない顔をしている。 だがその中で僅かに違う感情がある。 昨日渉が現れた時もそうだった。 目の前が歪んだと思ったら突然に渉が現れた。 そんなことは今までに経験がない。 そんなことがあるのかと驚きの思いがある。 だが、げんに渉が目の前に現れた。 常のシノハならそれがどうしてなのか突き詰めようとするだろう。 だが、渉が現れることに関しては、それよりも大きな感情があり過ぎる。

「ここで? ずっと?」 ここで自分をずっと待っていてくれたのだろうか?

「あ、あれからは村に帰りましたが、居てもたってもいられず日が出るとすぐにここで待っていました」 シノハの言葉に渉の心が満ちる。

シノハが改めて渉の姿を目に映す。

「衣が違うのですね」 一歩後ずさって渉の全身を見た。

「え? あ。 気に入らない?」 Gパンに秋物のセーター。 今までの巫女姿ではない。

「いえ、そんなことはありません。 どんな衣であってもショウ様です」

渉がはにかむようにシノハを見る。 そうだったんだ。 巫女衣装は関係なかったんだ。 自分がシノハと逢いたいと願うと逢いにこられたんだ。 ただそれだけだったんだ。

「どうしたらここに来られるのか分かったような気がする」

ワープしたんだとよくよく分かった。 信じられないけど、ワープしたんだ。 だから、目を瞑っただけでここに来られるんだ。 どうして自分にそんな力がついたのかは分からない。 でも、げんにこうしてやってくることが出来る。 あれこれ考える必要なんてない。

「そうなのですか!?」 驚いた顔に喜びが見える。

「でも、そんなにちょくちょくは来られないと思う。 次に来られるのもずっと先になると思う」 そうそう神社に来ることなんて出来ない。

そう、願うだけでは来られないんだ。 今までもシノハに逢いたいと願っていたのに来られなかった。 何故ならそれは磐座の前で願っていたのではなかったからだ。 願う場所は磐座の前でなければワープは出来ないんだ。 

「ずっと先・・・?」

「うん。 それに今だってあんまり長くは居られない」

「え?」

「あんまり向こうを空けると、こっちに来られなくなるかもしれないんだもん」 

堂々と「ワープしてきまーす」 なんてことを誰にも言えない。 いや、渉なら言える。 言えるが、それが真実だと知ったら止められるかもしれない。 神社に来られなくなるかもしれない。 神社に来られなくなったら、ここに来る手段を失ってしまう。

「はい。 ショウ様の・・・ショウ様の事情もおありでしょう。 ですが、我はずっと渉様と共に居たい。 それだけは忘れないでください」

シノハが己の言ったことに驚いた。 どうして、相手の負担になるようなことを平気に言ってしまったのだろうか。 どうして? でもその考えは簡単に打ち消された。 渉と共に居たいのだから。 ただそれだけなのだから。

「うん」 嬉しい。 言うと目の前で拳を作り小指だけを立ててみせた。

「それは?」

「指切りげんまん」

「それはなんでしょうか?」

「約束ってこと。 シノハさんも小指を出して」 言われ、渉と同じようにした。

そのシノハの小指に渉が小指を重ねた。

ドクン。
途端、体の中で何かが大きく波打った。

驚いた渉とシノハが同時に目を合わせた。

(なに・・・) 大きく目を開けた渉の口から洩れかけたが、声にならない。
(えっ・・・) シノハも大きく目を見開き渉を見る。

何かが身体中に小さなざわめきを立てて巡る。 それに沿って血管の中で血が波を立てているかのように、勢いよく身体中を回る。

ドクン、ドクン。

痛いわけではない、 名を呼び合った時のように鷲掴みにされたようなわけではない。
見つめ合ったそのまま動くことが出来ずただじっとしている。

ドクン、ドクン、ドクン。

どうしてだろうか不思議なことに、いつ終わるか分からないこの感覚に不安を覚えることがない。 そこに渉がいるからだろうか、そこにシノハが居るからだろうか。 いや、違う。 それだけではない何かがあるような気がする。

暫くすると身体の中で波打つものがおさまっていくのを感じた。 力が抜けするりと小指が解けあった。

シノハが長い息を吐いた。

「ショウ様、大丈夫ですか?」 背筋を伸ばすには身体がだるい。 腰を曲げ、手を膝に当てると渉の顔を覗き込んだ。

「え? あ、うん。 ・・・今のはなんだったの・・・シノハさんも?」 力なくだらりと手が下がっている。

「はい。 体の中が揺れたというか・・・血がざわめいたと言うか・・・」

「私も・・・」 

「どこか具合の悪いところはありませんか?」

やはり渉も同じ感覚を感じていたのか、などとは考えなかった。 そんなことを改めて思うことがなかった。

「うん、大丈夫。 シノハさんは? どこも何ともない?」 

己のことを心配する言葉を渉から聞き嬉しい。

「はい。 我は何ともありません」 優しい優しい笑顔。 渉がその笑顔に笑顔で答える。

「良かった。 でもこんなことは初めて」

「我もです」 言うと自分の腕を交互にさすると腰を伸ばした。

「そうだ」 と、小指を重ね合わせていたことを思い出した。 両方の手首をブルンブルンと何度か振り続けて言う。

「忘れちゃ大変。 指切りげんまん」 さっきと同じように小指を立てて見せた。

渉は切り替えが早い。 そのペースに難なく乗るシノハ。 シノハを知る他の者が見たら驚くであろう。

「はい」 シノハも同じようにすると、渉がシノハの小指に合わせ、小指を曲げシノハの小指に回した。
シノハが眉を上げながら同じようにする。

「小さい手ですね」

「シノハさんは綺麗な指をしているのね」

「もっとゴツゴツにならなくてはいけないのですが」

「そんなことない」 言うと手を上下に振り「指切りげんまん嘘ついたら針千本飲~ます。 指切った」 離したくない小指を離した。

「面白いですね」

「ふふ、これで約束したよ。 シノハさんが私とずっと一緒に居たいと思ってることを絶対に忘れない」

「ショウ様」 シノハの笑顔が渉を包み込む。

「ね、それでお願い。 次にいつここへ来られるか分からないけど、それまでに渉って呼べるようにしてほしいの」

「ショウ様、それは・・・」

「ムリ?」

「・・・はい」

「そっか・・・様なんて付けられるとどこかヨソヨソしい気がするのになぁ」

「そんなことはございません。 我はショウ様にお付きしたいとは言っておりません。 ショウ様と共に居たいのですから」 慌ててシノハが言う。

「うん。 そうだよね」 何度も言われるその言葉に心が満たされる。

「帰り方が分からないけど・・・もうそろそろ帰らなくっちゃ」

「もうですか?」 シノハの眉尻が下がる。

「これからもシノハさんと逢うために今は帰らなくっちゃ」 1分1秒を惜しんでシノハの顔を目に映す。

「奏ちゃんに変に思われちゃうから」 奏和が自分の叫び声が聞こえないか、山に耳を澄ましている姿が浮かぶ。

目の前のシノハが歪むとシノハの声が遠くに聞こえた。

「ショウ様・・・」

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--- 映ゆ ---  第94回

2017年07月17日 22時24分39秒 | 小説
『---映ゆ---』 目次



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- 映ゆ -  ~Shou~  第94回




「え? シノハさん!?」 慌てて顔を上げると目の前にシノハが居ない。 磐座が見えるだけ。

「・・・シノハさん」 目を見開き呆然とする。

木々の影が長く伸びている。 葉擦れの音がする。 風に髪が揺れる。 息がしにくい。

「どうして・・・」 喉が腫れたように感じて空気が入ってこない。 頬を静かに涙がつたった。


「渉ちゃんどうしたの?」 二日酔いから解放された翼が、夕飯を目の前にして今日は居ないカケルの席に座り斜め前に座る渉を見た。

「ん? 何でもないよ」 翼に勘繰られたくない。

翼はシノハのことを知っている。 シノハの存在を信じてはいないが。
本当ならずっと磐座の前に居たかった。 そしたらまたシノハの元に行けるかもしれないのだから。 でも、一晩明かすことは出来ない。 涙を納め、流れる冷たい水で目を冷やして帰ってきた。

「どう? 存分に磐座に居たみたいだけど、疲れは取れた?」 雅子が渉の前に着いた。

雅子の言葉を聞いて翼が箸を置いた。

「渉ちゃん、また磐座の所に行ってたの?」

「はい」 と雅子を見て答えると次に翼に答えた。

「うん・・・だって朝行ってなかったから」 翼と目を合わせまいと、箸を手に取りおかずに目を這わせた。

「ふーん」 翼が渉をジッと見る。 その視線に気付かない振りをして、渉がエビフライをひとつ箸でつまんだ。

「あのね、翼君は知らないだろうけど、ここに来たら渉ちゃんは一日に何度も磐座に行くのよ」

「それっていつから?」 雅子に質問をするがまだ目は渉を見ている。

「小さい頃からよ」

「え? そうなの?」 思わず雅子を見たが、すぐ渉にその視線を戻した。

「困ったもんでな。 翔と二人で居なくなったと思ったら必ず磐座の所でおやつを食べてててな。 何度叱ったか分からん。 なぁ、渉ちゃん」

「はい・・・小父さんに何度も叱られました。 磐座の前でおやつを食べるんじゃなーい!ってちゃんと覚えてます」 小さくなって答える。

「姉ちゃんと一緒に? じゃ、渉ちゃん一人だけでは行くことはなかったの?」

「行ってたぞ。 俺は何度も迎えに行かされたからな。 なぁ、渉」

「奏ちゃんのことは記憶にない」 まだこちらを見ている翼から顔を隠そうと、味噌汁を啜る。

「お前・・・ついこの間までそうだったじゃないか。 しらばっくれんじゃないよ」

「ついこの間って、何年前の話よ」

「覚えてんじゃん」

「あ、いい、いい。 そっか、今日に限ったことじゃないんだ」 思い過ごしか、とやっと渉から目をはなした。

「そうよ。 いつものことよ。 翼君も早くご飯を食べなさい」

(良かった、バレなかった。 にしても、シノハさんのことを信じてないのに、どうして磐座のことを気にするんだろう) 上目づかいにチラッと翼を見た。

「なぁ、翼。 翔は毎日どうしてるんだ?」 宮司が聞く。

「姉ちゃんですか? そうだなぁ・・・家事全般ってところかな。 母ちゃんよりうるさいからギブ寸前。 小父さん早く引き取ってくださいよ」

「引き取るって・・・」 思わず口から味噌汁を吐きそうになった口元を指で拭った。

「でも、あんな姉ちゃんだけど、家事のことなら渉ちゃんよりずっと役に立ちますよ」

「翼君どういう意味よ」 渉が口を尖らせる。

「お前の胸に手を当てればよく分かるんじゃないの?」 渉の隣に座る奏和が言う。

「ふん!」 思い当たる節が多すぎる。

「渉ちゃんは渉ちゃんよ。 渉ちゃんが居てくれるだけで、心がフワフワして疲れも取れちゃうんだから」

「あ、それ言えてる」 瞬時に翼が同意した。

「それにしても、翔ちゃんってじっとしてられない性質なのに、家事だけじゃ退屈でしょうね」 翔の日頃を知っている雅子が言う。

「渉ならずっとボォーっとしてられるけどな」 また奏和が要らないことを言うから、渉が奏和の受け皿に入っていたいくつかのおかずを箸でグチャグチャに混ぜた。

「っか! お前どんだけガキみたいなことすんだよ!」

「奏和が要らないことを言うからだ。 そうだな・・・そろそろ翔にも帰ってきてほしいなぁ。 実家に帰ってどれだけ経つかな」 

「3か月くらいでしょうかね」 雅子が言うと翼が驚いた目をした。

「え? たったそれだけだった? もう1年以上も小言を言われてる気分だったのに」

「お前どんだけ翔を怒らせてんだよ」

「姉ちゃんが細かすぎるんだよ」

「翔ちゃんは出掛けたりしないの?」

「うん、ずっと家の中に居ます。 そう言えばご飯は作るけど買い物にも行かないなぁ・・・」

「それじゃあ、ストレスが溜まるだろ」 宮司が心配気に翼に言う。

「そうか、その発散が俺に向けられてるのかも」

翼の話を聞いてカケルを外に出してやりたいと思ったが、まだ3か月かと奏和が苦い顔をした。


翌日明け方。
奏和に見送られ渉がソロっと宮司の家を出た。 やっと明けだした時間、まだ少し暗さが残っているが、歩きなれた山の中は少々暗くても難なく歩ける。

「シノハさんに会えるかなぁ」


夕べ一人布団の中で考えた。

「澄んだ音って言ってた。 私もそれを聞いた覚えがある」 そして長い間頭を巡らせた。

「あ、そうだ!」 無意識に身体が跳ね起きた。

「磐座にロープが引かれてなくて奏ちゃんを探そうとした時だ! ・・・え? その時にシノハさんが来てたの? 聞こえてたのはほんの僅かな時間だったけど、私の後ろにシノハさんが居たの? ・・・悔しい。 どうして気付かなかったんだろう」 シノハがタム婆の小屋で夢うつつの状態であった時だ。

そしてもう一つ思い出した。

「そうだ! カケルが言ってた。 カケルと初めてあった日に磐笛奉納があったって・・・あの幼い日、同じ日にシノハさんとも会ってる。 それとカケルからそれを聞いた日。 あの日にも磐笛奉納があった。 あの時は長かったような気がする。 その時にきっとシノハさんが山の水を飲んだんだわ・・・」 目を瞑って考える。

「シノハさんがここに来たのは、磐笛と関係があるんだ・・・。 ・・・じゃ、私はどうして行けたの? それにシノハさんは3度とも磐座の所だった。 私はトンデン村とオロンガ村、全然別の所」 目がさえて眠れない。

「お水でも飲もう・・・」 台所に行き、ソロっと水を飲んでいると足音が聞こえた。

「なんだ、渉か」 渉が振り返ると、声とともにそこに奏和の姿があった。

「あれ? 奏ちゃんどうしたの?」 互いに小声で喋る。

「物音がするから泥棒かと思った」

「あ、ごめん。 起こしちゃった?」

「いや、眠れなくて起きてた」

「カケルのことを考えてた?」 意表を突かれた。

「お前って・・・」 言うと奏和も同じようにコップを持ち水を飲みだした。

「カケルのことは奏ちゃんに任せておけばいいんだよね?」

いつもそうだった。
滅多に泣かない幼いカケルが泣いた時、渉がどれ程声を掛け、泣き止まそうとしても泣き止まない。 そんな時、奏和の一言でカケルが泣き止む。 奏和の一声はカケルの周りのすべてを見てのことである。 幼い頃の渉にはそんな真似はできない。 それに奏和は広く周りを見て判断が出来る少年であった。 そして幼なかったカケルと言えども、その奏和の判断に耳を傾けることができるカケルであった。 
泣いていないにしても、幼い頃を含めて反抗期のきつかったカケルが意地を張っていたときにも、誰よりもカケルの言いたいことを分かっていたのは奏和であった。

「なんだよそれ。 って、昔っから、渉の頭の中は俺には理解できないな」

多々反抗期があり過ぎたカケルと比べ、渉に反抗期があったわけではない。 優しすぎるほどの両親に育てられ、素直過ぎるほどに育った渉である。 誰もがカケルほどに手を焼いたわけではない。 磐座の所でおやつを食べて宮司に怒られたことを除いては。

「どういう意味よ」

「褒めてんだよ。 ・・・それに翔のことは俺がちゃんとする。 まぁ、ストレスは溜まってるかもしれないけど、あと少し我慢しろって渉からも言っといて」

「うん」 

静かな時が流れた。

「私、眠れそうにないんだけど」

「俺にそんなこと言うなよ」

「外に出ていい?」

「こんな時間にか? まだ夜が明けかけたところだぞ」

「どうせもう少ししたら小父さんも起きて来るでしょ? たまには早い時間に山の空気を吸いに行きたい」

「お化けが出たらどうすんだ?」

「プッ、非科学的」 強がってはみたが奏和にはバレバレである。

「ついてってやろうか?」

「要らない。 山の中は一人で居たい」

「まっ、もう少ししたら完全に明けるもんな。 行ってきな。 俺も眠れそうにないから何かあったら大きな声を出せば飛んでってやるから」

「うん」 

部屋に帰ると大急ぎで着替た。


木々に遮られ山の中はまだはっきりと足元が見えないが慣れた道。 目を瞑っても歩ける。 磐座の前に着くといつもの通り手を合わせた。 続いて何度も願った言葉を口に仕掛けた。

「トンデン村へ・・・あっと、トンデン村じゃなかったんだった」 気を取り直して磐座に向かい合い、一度手を解くともう一度手を合わせ目を瞑った。

「オロンガ村へ行かせてくだ・・・」 言いかけた。

「ちがう。 そうじゃない」 目を見開き、昨日のことを思い出す。

「そうだ、どこかへ行かせてくださいじゃないんだ。 あの時、シノハさんに逢いたいと思ったんだ。 シノハさんに逢いたいだけって思ったんだ」 磐座をもう一度見た。

「磐座さん、磐座さん。 私はシノハさんに逢いたいです。 お願いします、シノハさんに逢わせてください。 シノハさんに逢いたい!」 手を合わせ目をギュッと瞑ると、心の中でひたすらシノハに逢いたいと願った。


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--- 映ゆ ---  第93回

2017年07月13日 22時20分27秒 | 小説
『---映ゆ---』 目次



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- 映ゆ -  ~Shou & Shinoha~  第93回




《シノハ! この寒い時にどこでそんな草を取ってきたんだ!?》
 
幼き頃のことを思い出す。 

(そうだ。 トワハに言われた・・・) シノハが目をむくのが分かった。

「思い出した?」 シノハに問う渉を見た。

「幼い頃・・・そうだ。 寒かったのに急に暑くなって、目の前が葉いっぱいに・・・」 渉を見て言ってはいるが、その目に渉は映っていない。

「そう、そう。 その時に私と会ったのを覚えていない?」 私を想いだして。

「あの時の・・・」 シノハの目が大きく見開かれ、その目に渉が映った。

「うん、そう。 そして私はそこからやって来たの」 シノハが喜んでくれると思った。 なのに、まだ難しい顔をしている。

「我は・・・」 顔を下げた。

「どうしたの?」

「そこへ3度行っていたのか・・・」 タム婆の話を思い出した。

タム婆から聞いたことを思い出す。


「一に出会い
呼び呼ばれ
糸が触れあい
名で結ぶ」

言い終わって納得するかのように呟いたタム婆。

「オロンガには5度目が始まりと言う語りがあるじゃろう」 シノハが頷く。

「まさしくその女も5度目が始まりじゃったんじゃ」 

「始まり? なんのですか?」

「居なくなることへのじゃ」

タム婆の話はそう始まった。

一に出会いは、最初の出会いのこと。
呼び呼ばれは、二度目三度目のこと。
四度目に糸が触れあった。 何の糸かは分からないが縁(えにし)のことだろう。
縁を結んだのは名。 名で結んだことにより始まった、と。

そう、シノハと渉は確かに名を呼び合った。 あの時の心臓をギュッと鷲掴みにされた感覚は忘れていない。
シノハは3度渉の所に行っていた。 そして4度目に渉がトンデンに来て名を呼び合った。 頭が色んな過去を追う。

あの時、タム婆がきかせてくれた時には

「ですが・・・我は最初、ラワンとそこに居ましたが、他に誰とも出会っておりません。 それに・・・婆様にもう一度あの水を飲んでいただきたくて、あの場所に行きたいとは思っていましたが、呼んだり、呼ばれたりしたわけではありません・・・」 

初めてと思っていたあの場所に行ったときのことを話した。 が、そうではなかった。 あの時が2度目だったんだ。
聞いておきながら、タム婆に逆らっているようで困り顔になったあの時には、幼少の頃既に渉と会っていたなどとは思いもしなかった、記憶にもなかった。 それに呼びもしなければ呼ばれもしていないはずなのだから、と思っていた。
だが、今考えると『呼び呼ばれ』 というのは、そういう意味ではなかったのではないのだろうか。
あの時には己がそんな風に言ったから話が続かなかった。 たしかに、タム婆もその話の詳しいことを知らなかったこともあったが、それでもあの時、オロンガに帰ってセナ婆に聞いてみると言っていたが、余りにも忙しすぎてすっかり忘れてしまっていた。

「3度?」 下を向いているシノハが呟く言葉を拾った。

渉を置いて思惟に没頭しかけたシノハが、ゆっくり顔を上げると渉の問いに答えた。

「はい。 トンデン村に向う途中とトンデン村に居るときにです」 いうとしゃがみ込んでしまった。

「来てたの?」 渉が驚いてシノハに合わせてしゃがむ。

「はい。 ショウ様とお逢いする前、トンデン村に居るときはほんの僅かでしたが、村に向う途中ではとても美味しい水を頂きました」 渉の顔を見る。

「ああ、山のお水ね。 ねっ、どうやって来たの?」

「それが、気付くとそこに居りました」 頭を傾げる。

「ああ、そうだ。 2度とも澄んだ音が聞こえていた・・・」 独り言の様に言う。

「澄んだ音?」

「はい」

「澄んだ音・・・」

「ショウ様?」

「私もどこかで・・・聞いた」 考える。

思案顔の渉の横でシノハもまた考える。
そうだ、この澄んだ音のことはタム婆からは聞いていない、と。 だから、己も渉も居なくなることなどないはず。 タム婆の話と、己と渉の話は違うはず。 そう、きっと。


遠くからラワンが走ってくる音がした。

「あ、ラワン」 シノハが立ち上がり、まだずっと先を走ってくるラワンを見ると、その視線の先を渉も立ち上がって見た。

「え?」 立派な角を持った大きな動物がこちらに向かって走ってくる。

「我のズークです」 今までと違った表情で渉に向かい合う。 渉にラワンを会わせたい。

「ズーク?」

「はい。 ラワンといいます。 我が水を汲んでいる間に走って遊んでいました。 そろそろ汲み終えたと思って戻ってきたのでしょう」

いつもならシノハの横につくはずのラワンが、シノハから少し離れた所で止まった。

「どうした?」 

すると、口を上に上げてゥオーンゥオーンと大きな声で啼きだした。

「ラワン?」

ゥオーンゥオーン、ずっと啼き続ける。

「ラワンどうしたんだ?!」 血相を変えラワンに駆け寄ったシノハに顔をこすり付けて声が小さくなったものの、まだ啼いている。

「どうした? 何をそんなに悲しむんだ」 シノハが首を優しく撫でる。

ラワンの声が段々小さくなっていき、やっと落ち着きを戻した。

「ラワン・・・いったいどうしたんだ」 

「私のことが恐いのかしら」 少し離れているから大きな声で話す。

「ショウ様、決してそんなことはありません。 何かを悲しんでいたみたいです」

「悲しい?」

「はい。 でも、こんな啼き方は初めてです」

「初めてきいた啼き方なのに悲しんでるって分かるの?」

「はい。 ラワンのことは分かります」

「ふーん」 ちょっと近寄ってラワンをまじまじと見る。

「ズークって鹿?」

「鹿ではありません」

「立派な角があるのに?」 美しく捻じれた角。

「はい」

「まるでおとぎ話の中にいるみたい。 こんなに大きな動物と触れ合うなんて」

「ショウ様のところにズークはいませんか?」

「いるのかなぁ? いても野生じゃないのかなぁ? 人に馴れる大きな動物って馬くらいじゃないのかなぁ?」

「そうですか。 我が村に馬はおりませんが、他の村には馬がいます」

「触ってもいい?」

「はい、もちろんです」

渉が一歩踏み出すとラワンがシノハの手から離れ後ずさった。

「ラワン?」

「やっぱり私のことが恐いのかしら」

「いったいどうしたんだ?」 ラワンの元に寄る。

「ラワン、ショウ様は我の大切な方だ。 ラワンにもショウ様と・・・」 そこまで言うとラワンが走り出した。

「ラワン!」 ラワンの後姿を目で追う。

「嫌われちゃったみたい」 渉もラワンを目で追っている。

「申し訳ありません」 向き直ったシノハが渉に言う。

「うううん、いいの。 でも大丈夫? ちゃんと戻ってくる?」

「はい。 ご心配には及びません」

シノハの返事を聞いて渉が微笑むと、互いの目を見て無言の時が流れた。 その無言の時を終わらせたのは渉であった。

「さっき、私の事を大切な人って言ってくれた?」 真っ直ぐにシノハの目を見る。

「はい」 嬉しい返事。

「どうして?」

「我は・・・いつからでしょうか」 渉を見ているが渉のその先を見ているような目で語り始めた。

「我には誰かがいると思っていました」 そう言うと渉に焦点が合った。

「その誰かがショウ様ではないかと」

「私?」

「はい。 畏れ多くもそんな事を考えておりました」

「それで逢いたいって思ったの?」

「違います。 お逢いしたいと思ったのは、ただただ、もう一度お逢いしたかった。 その想いの中でこのことを思い出したのです」

「・・・」 渉の返事がない。

「己の身分も考えず、畏れ多いことを申しました。 お許しください」

「うううん、そうじゃないの」

「ショウ様?」

「私、ずっと考えてたの。 なんでこの世なのかな、なんで私なのかなって」

「はい」 相槌を打つ。

「私のいる世はもしかしたら、私のいるべき世じゃないんじゃないのかなって。 それに私が私じゃないような気がしたの。 息を抜いたら自分が居ない気がしてた」

「居ない?」

「うん。 息を吐くの。 そしたらそこに自分が居ないの。 身体はちゃんとあるの。 心も考えも。 でも、その身体に自分が居ない気がしてたの。 そう思う時点で自分はその身体に存在するんだろうけど。 だから気のせいかもしれないんだけど。 でも、自分の身体の中に自分が居ないと感じても全然恐くなかったの。 それが・・・当たり前って言うか、当然のことの様に感じてたの。 でもその先が分からなかった」

「はい」 深く深く相槌を打つ。

そのシノハの目が、声が、心が、渉の心を打つ。

「それが、初めてシノハさんと逢って、もう一度シノハさんと逢えると全てが分かると思ったの」

「お分かりになりましたか?」 目を細めて聞く。

「分からない。 まだ分からないの。 でも、もう分からなくてもいい。 シノハさんに逢えればそれでいい」

「ショウ様・・・」 渉の言葉が嬉しい。

「笑っちゃう。 初めてシノハさんと逢う前にはその先が分からなくて仕事を忙しくしたの。 ずっと走ってたの。 そしたら忘れられるような気がして」

「走って?」

「うん、シノハさんと逢う前ね。 少しの間だけどずっと走ってた」 

(我は走らされた。 トンデン村に行く道で盗賊に追われて・・・ああ、我ではなく走ったのはラワンだったが) 思いながらタム婆が言っていた事を思い出した。

≪覚えておけよ。 目に見えるだけが全てではないぞ。
天や地だけがどこかと繋がっているわけではないぞ。 すべてのものが繋がっておるんじゃぞ。 わしもシノハもどこかで誰かと繋がっておる。 シノハが笑えば誰かが笑う。 泣けば泣く。 身体を大切にしなければ誰かを痛めることになるぞ≫ と。 

(そのことなのか? いや、違う気がする。 どこかが違う。 己とショウ様は何かが違う)

難しい顔をして考え込んでいるシノハ。

「シノハさんどうしたの?」

「あ、申し訳ありません。 何でもございません」

渉はこれだけ逢いたかったのに、ずっとずっと逢いたかったのにシノハは話すたび何か考え込む。 自分ほどシノハは自分と逢いとは思っていなかったのだろうか。

「シノハさん・・・本当に私と逢いたかった?」 悲しい目をして問う渉にシノハが驚いて答えた。

「勿論でございます」

「じゃ、どうして難しい顔をして考え込むの?」

「それは・・・」

「言い淀むんだ」

「・・・ショウ様とお逢いしたい。 その言葉に嘘はございません。 ずっとショウ様と共に居たい・・・そんな大それたことも思っております」

「ずっと?」

「はい」 シノハの言葉が嬉しいが、どこか合点がいかない。

「じゃ、今どうして考え込んでたの?」

「ショウ様・・・」 申し訳ない目で渉を見る。

「いいの。 何も気にしないでシノハさんが考えたことを言って」 だって納得したい。

「・・・はい」 少し考えてからシノハが話し出した。

「ショウ様が走っておられた。 きっとその時、我も走っておりました・・・実際には我ではなくラワンが走っていたのですが・・・。 “才ある婆様” から聞きました。 誰もがそうであるように、我が笑うと誰かが笑う。 我が泣くと誰かが泣くと。 その誰かがショウ様なのかと・・・でも」 そこまで言うと渉が言葉を重ねた。

「そうなのかも知れないけど、それだけじゃないと思う」

「ショウ様?」

「あ、ごめんなさい。 そんな風に思ったの」 言う渉に同じ想いを持ってくれたのだと嬉しさと安堵が心に満ちる。

「“才ある婆様” の仰ることには間違いはないのですが、我とショウ様はどこか違うと我も思ったのです」

「そうなの?」

「はい、それを考えておりました」

「そうだったんだ」 一つ考えて言葉をつないだ。

「その“才ある婆様” って何でも知ってるんだね」

「はい」 タム婆を知らない渉からそんな風に言われて、両の口の端が上がる。

渉がふとカケルを思い出した。 

(カケルが笑うと誰が笑うんだろう・・・) 伏し目がちに顔を下げた途端、シノハの叫び声が聞こえた。

「ショウ様!・・・」


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--- 映ゆ ---  第92回

2017年07月10日 21時48分03秒 | 小説
『---映ゆ---』 目次



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- 映ゆ -  ~Shou & Shinoha~  第92回




「精霊・・・」 聞き覚えのあるその声に振向く。

濃い茶色の瞳がこちらを見ている。
渉の顔が喜びに満ちる。

「精霊じゃないってば」 シノハと逢えた。 やっと逢えた。 シノハと逢えただけで心が満ちる。

「・・・あ」 顔を上げた時に渉が居た。 今、目の前に渉が居る。 ずっと想っていた渉が居る。

「ショウ・・・さま」 その言葉に渉の眉が上がった。

「覚えてくれてたんだ・・・。 様なんていらない。 渉でいいよ」 目の前に急に現れた渉に時が止まりそうになったが、渉の軽い話し方に我に返った。

そう、トンデン村であった時に渉がシノハにタメで話した。 渉にとってそれは驚くべきことであった。 初めてあった人に敬語も使わないだなんて。 勝手にタメで喋っている自分に驚いていた。 そして今日も。

「いえ・・・それは」 

「どうして?」

「二つ名で呼ぶ名は“才ある者” の名。 そのようにお呼びすることなど出来ません」 シノハの言葉に小首を傾げる。

「前も言ってたよね。 サイアルモノとかって。 私、そんなの知らないし。 だから渉でいい」 

「“才ある者” を知らないと言われましても・・・」 困ってしまうが、目の前にいる渉に見入ってしまう。
渉が居る。 急に現れた渉にどうしていいのか分からなくなりそうな己を落ち着かせる。

「あ、挨拶もせず失礼を致しました」 片膝をつき、右手で額、顎と触れ握り拳を左胸に置いた。

「それって挨拶だったんだ」 じゃ、と言うと気を付けをして「こんにちは」 と言い頭を下げた。

「これが私達の挨拶です」 ニッコリと笑う渉を見てシノハが目を丸くしている。

「シノハさんが私の名前を覚えていてくれて嬉しい」 隠し切れない、いや、隠すこともなく満面の笑みをシノハに送る。

「我の名を覚えてくださっていたのですか?」 己の名を呼ばれ驚き、思わず左胸に当てていた手を、膝に置き握り締めた。

「はい。 もちろんです」 続けて言いたかった。 ずっと逢いたかったんだもん、と。

「我は・・・我はずっとショウ様にお逢いしたかったのです。 ショウ様のお名を忘れるなどということはありません」 

今度は渉が目を丸くしたのを見てシノハが慌てて続ける。

「申し訳ありません。 その、一度お会いしたからと言って思い上がったこととは分かっています。 ですが、どうしてもお逢いしたかった」 真っ直ぐに渉を見る。

「私に逢いたかった?」

「ずっとショウ様のことを想っておりました」

シノハから送られる真っ直ぐな目を渉が受け取る。 すると目から大きな粒が次から次へと頬を伝った。

「・・・ショウ様!」 思わず立ち上がり、渉の目の前までいくともう一度片膝をついた。

「申し訳ありません、我が不躾に―――」 シノハが言いかけると渉が言葉を被せた。

「私も逢いたかった」

「え?」 思いもよらない言葉。

「ずっとずっと逢いたかった。 でもどうしたらシノハさんに逢えるのか分からなかった」 流れる涙を子供の様に手で拭きとる。

「ショウ様・・・」

「ごめんなさい。 泣くつもりなんてなかったのに」 

「謝らないで下さい」 下を向き涙を拭いている渉を片膝をついてずっと見ている。

「何度も何度もトンデン村に行きたいってお願いしてたの」 渉の声にシノハの笑がこぼれた。

「そうですか。 それでは逢えなかったでしょう」 涙を拭き終えた渉がシノハを見る。

「どうして?」

「ここはトンデン村ではありません。 我が村、オロンガです」

「オロンガ・・・村?」

「はい」 渉の声を聞き、顔を間近に見てシノハの心が満ちていく。

「それじゃ・・・どうして来られたんだろ」

「我にも分かりませんが、我もずっとショウ様にお逢いしたいと想ってはおりましたが、今日は水汲みをしていてずっとショウ様の事を考えておりました。 それが関係あるのでしょうか?」 

シノハの足元には蓋の付いた大きな桶が4つある。 他の者はもう帰って行ったが、シノハは何度もラワンと往復して水を運んでいた。

「ずっと私の事を考えてくれていたの?」

「はい」

「どうして?」

「どうしてと言われましても。 ただただ、ショウ様にお逢いしたかった。 目を瞑れば瞼の裏にショウ様の姿が浮かんでいました」 

想いのそのままを言うシノハ。 その言葉に渉も照れることなく笑みを返す。

「ありがとう。 嬉しい」 渉の笑顔がシノハの喜びとなる。

「ショウ様はどこからいらしたのですか?」 

そんなことはどうでも良かった。 顔を見ていられれば良かった。 渉がここに居てくれればそれで良かった。 同じ時に居られれば良かった。 だが、声も聞きたい。 話もしたい。 話す度コロコロと変わる表情も見ていたい。

「えっと・・・日本」 どこから言えばいいのかを考えて、一番大きな括りで言ってみた。

「ニッポン?」

「知らない?」 一番大きな括りで言ったのに。

「聞いたことがありません。 ニッポン村ですか?」

「村じゃない」 どう言おう。

「もしかして・・・都のどこかですか?」

「都? ・・・都じゃない・・・そっか・・・本当にどこかにワープしたんだ」 シノハから目をはなすと、辺りを見回した。

ずっと続く山の上に高く澄んだ空が見える。 その空に猛禽類が飛ぶ姿が映える。 そして山の合間に大きな川が流れ、対岸は高く土がありその上に喬木が所狭しと真っ直ぐ上に伸び、小さな鳥が枝の間を飛び交っている。 その喬木の下では小動物の走る姿が時折見える。 きっと水嵩が引いたときにはこちらへも来るのだろう。
河川敷に咲く草花、まだ蕾が多いが、ポツポツと色鮮やかな花が咲いている。 だが、どれも見たことのない花。

「こんな景色見たことないもん」 

田舎や、山の渓谷の風景といわれればそうなのかもしれないが、でも違う。 渓谷の岩壁が朱色、河原の石や岩が真っ黒であったり、黄色や青であったりと見慣れない色をしている。
そう考えたとき思い出したことがあった。 しかめっ面で周りを見ていた渉の顔がパッと明るくなった。
普通の人間なら、急にこんな景色が目の前に現れると今自分のいる所をはっきりとさせたいと思うだろう。 だが、一つのことに囚われる渉ではない。 それに目の前にはシノハがいる。

「そうだ。 シノハさん覚えてない? えっと・・・私が4歳の時だったかな」 話す渉を優しい笑顔で包み込むように見ている。

「あ、シノハさんって今いくつ?」

「23の年です」

「え? 私と同じ?」

「同じなのですか?」 驚き、改めて渉を見る。 

「じゃ、シノハさんも4歳の時だわ。 その時に私と逢ったでしょ?」

「ショウ様と?」 4歳といわれて一瞬ピンとこなかったが、4の年だろうとすぐに分かった。

同じ23の年といわれた驚きも冷めていないのに、幼子の時に会っていたと言われ、何をどう考えていいのか分からなくなってきた。

「ぜったいあの子はシノハさんだもん。 ほら、山の中。 磐座の横にシノハさん立ってたでしょ?」

「イワクラ?」 頭を傾げる。

「うん。 大きな石・・・って言うか、岩。 それで私がそこに入っちゃいけないんだよ、って言ったの。 そこは神様が座る椅子だよって」 思い出して、と願いを込めて言うが、シノハの表情にはそれが見当たらない。

「我はなんと言いましたか?」

「驚いた目をして何も言わないで立っていただけだったと思う」

渉から目を離し、横を向くと眉間にシワを寄せて思い出そうと考える。 

「それとね・・・巾着」 

「キンチャク?」 再び渉を見た。

「うん」 今も腰からぶら下がっている巾着を指差した。

「あ、ああこれですか。 そうです、これは幼子の頃から下げていました」

「何が入ってるの?」 巾着を腰から外すと、中のものを取り出し渉に見せた。

「石です。 ある日空から降ってきたのです」 誰にも見せたことのない石。

「空から?」 

「はい。 今思うと大きな鳥が落としたのかもしれません。 ですが、このような石は見たことがなかったので、その時はとても不思議に思ってそれ以来ずっと腰につけているのです」 

渉にとっては見慣れた石だったが、この河原では真っ黒であったり、朱や青の石しか見えない。 多分、河原以外もそんな色の石しかないのであろう。

「そうなんだ。 シノハさんの宝物なんだ」 シノハがニコリと笑うと石を巾着にしまった。

「他に何かありませんか?」

「うーんと・・・シノハさんが草を握ってたような・・・」 人差し指を口に当て記憶をたどる。

「草・・・」

「うん。 カニを探してたから・・・そうだ。 夏よ。 夏だから草がイッパイ生えていてその草をとったんだと思う」

「・・・」 拳の指を口に当て首を捻り考える。

「えっと・・・夏なのに、シノハさん分厚い服を着てた。 あ、そう言えばトンデン村で会った時、寒くないはずなのにとっても寒かった」

「服とは、衣のことでしたね。 そう、あの時、ショウ様はクシャミをされておられました」 あの時の事を思い出し笑みがこぼれる。

「うん。 あれ?・・・もしかしたら、ここと季節が逆なのかなぁ?」 川の横に生えるまだ蕾を持った花を見た。

「ね、あそこのお花これから咲くの?」 渉の目先をシノハも見る。

「はい。 オロンガは水が豊富ですから、これからは色とりどりの花が沢山咲きます」 花を見てから渉を見る。 考え込んでいる時に渉を見なかった。 その時が惜しいと言わんばかりに。

「そっか。 やっぱり逆なんだ」 花を見ている渉が一人ごちる。

「ショウ様?」

小さなことだが分かった。 今にして納得が出来た。 一人ごちている渉を見ていたシノハを正面に見る。

「私の所はこれから寒くなってお花が咲かなくなるの。 きっとここと季節が逆だと思うの。 あの時は私の所は夏で暑かった。 だとしたら、あの時のシノハさんが分厚い服を着てても分からなくもない」 

「そういう衣を着ていたなら草などないはず。 それなのに草を手に持って・・・あ・・・」 段々と遠い遠い昔の記憶が呼び戻されてきた。


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--- 映ゆ ---  第91回

2017年07月06日 22時28分28秒 | 小説
『---映ゆ---』 目次



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- 映ゆ -  ~Shou~  第91回





朝食を済ませた渉。

「小母さん、境内の掃除に行ってくるね」

「あら、そんなこといいわよ」

「手水舎はどうしていいか分からないから出来ないけど、境内くらい出来るから。 じゃ、行ってきまーす」

きっとカケルが神社に来ていないことを気にして、少しでもカケルに代わって役に立とうと思っているのだろうと分かる。 でも、カケルはカケル、渉は渉。 それを誰よりも十分に分かっている雅子。 だから一言が漏れる。

「渉ちゃんったら、気にしなくていいのに」 


カケルが随分と長い間来ていない。 雅子の思うように、それを気にして少しでも役に立ちたかった箒を持つ渉。

「小母さん、疲れてたみたい・・・やっぱりカケルが来ると来ないで全然違うのかなぁ」 とは言ってもこの連休の間、雅子に代わって料理をする勇気など全くない。

「・・・巫女。 授与所に座るくらいなら出来なくもないけど・・・でも、この前みたいなことがあったらなぁ・・・」

「渉ちゃん」 少し離れた所から宮司が渉を呼んだ。

「あ、小父さん」 宮司が歩み寄ってくる。

「渉ちゃん・・・悪いんだけど、授与所に座ってもらえないかな? 今日は出掛ける用もないから、出来るだけ小父さんも見てるから」

「え? 小母さんの具合が悪いんですか?」

「・・・そういう訳じゃないんだけどな。 まぁ、でも小母さんにも休みが必要かなって。 それに翔が来なくなってからは、変な奴らも来なくなったから安心していいから」 

(いっつも小母さん走り回ってる上に、カケルが居ないんだもんね。 休みも必要よね)

「はい。 小父さんが居てくれるのなら安心して授与所に座っています」

「有難う」 要らぬ言葉は付けない。

境内の掃除を済ませると雅子に着替えさせてもらったが、雅子は案じ顔を隠せない。

「渉ちゃん、本当に大丈夫?」

「やだ、小母さん。 前はちょっとしくじっちゃったし、カケルほどは出来ないけど、今度は大丈夫よ。 小母さんこそ今日はゆっくりしてて」

「渉ちゃん・・・」

「じゃ、行って来まーす」

「有難う・・・」 雅子の言葉が渉に届いたのかどうかは分からない。

「小父さんはもう来ないって言ってたけど、前の色んな毛をした奴らが来たら・・・ああ、弱気になっちゃいけない。 今度こそ追い返してやる」 肝を据わらせて授与所に座ったが、午前中は欠伸が出るほどヒマだった。

「たいくつー、人が多いのもいやだけど、これも退屈過ぎ」 痺れが切れかけてきていた足を解いた。

結局、午前中色んな毛の色をした少年達は来なかった。

「仕事がこれくらい退屈だったらいいのに」 

言うと会社でのことを思い出した。 余りにも忙しすぎるし、気にくわないことがいっぱいある。 あのクソジジィのことも、総務のことも。 それに机に座ってただ事務をしたいだけなのに、お使いなんてサイテイ。 他の部署から言わすと、息抜きが出来ていい、なんて言われるけどそんなものじゃない。
そんなことを考えている自分の頭の中に気付き、思わず頭をプルプルと振る。 と、授与所に座るカケルの姿を思い描いた。

「カケル、こんな日もあったんだ。 カケルはこの退屈をどうやって凌いでたのかなぁ」 言った途端、目の前の木が目に入った。

「あ、木にゴミが付いてる」 前回立ち上がろうとしてこけている。 今度はこけないように慎重に立ち上がった。

「そっか・・・カケルはこうして辺りを見回してゴミも取ってたんだ」 授与所から出ると、木に引っ掛かっていたコンビニの袋を取った。

「風で煽られてきたのかなぁ。 朝はなかったもん。 それにしても神社でコンビニ袋って・・・そう言えば、山の掃除をしたときにコンビニ袋がいくつかあったかな。 精神が歪んでる、山にゴミを残すなんて」 無意識に片方の眉が歪む。

「渉ちゃん? どうした?」

宮司が渉に声をかけてきた。 思わず渉が振り向いた。

「何でもありません。 ゴミが木に引っ掛かっていたから」 手に持っていたコンビニ袋を宮司に見せる。

「ああ、有難う。 そっか、最近はゴミが多くてね」

「小父さん、今は参拝者は居ないようです。 私なら大丈夫ですから、小母さんの様子を見てきてあげてください」

「小母さんか? 今日は渉ちゃんのお陰でゆっくり出来たからいいんじゃないのかな。 それに、もう少ししたら小母さんの雷が奏和と翼に落ちるから、それが小母さんの元気の元になるんじゃないのかなぁ」

「え?」 渉の目が丸くなった。


「奏和! 起きなさい!! 何時だと思ってるの! 翼君も!」 奏和の部屋に寝る二人の掛け布団を剥ぎ取った。

「痛ってー・・・母さん・・・」

「ったー・・・小母さん・・・静かにして」

敷布団の上で悶絶する二人。

「もう! 若い男二人が情けないったら。 起きて台所に来なさい!」 言うと、すぐに玄関を出て授与所に向った。

「渉ちゃん、有難うね、お陰でゆっくり出来たわ。 お昼ご飯食べてきて。 お酒臭い二人が居るかもしれないけど」

「はい。 あ、そっか。 小父さんの言ってたことが分かった」

「なに?」

「奏ちゃんに雷・・・じゃなくて、奏ちゃんを起こすのが小母さんの元気の元だって」

「まっ、そんな事を言ってたの?」

「奏ちゃんもいつまで経っても小母さんの子供だもんね。 じゃ、食べたらまたすぐに来ます」

「ゆっくりしてくるといいわよ」 奏和がいつまで経っても雅子の子供だといった渉の発想に、渉らしいと思いながらも笑いを噛みしめて見送った。


玄関を開けて台所に入ると二人はまだ居なかった。

「起きてないのかなぁ?」

テーブルを見ると宮司と渉の昼ごはんが置いてあった。 それとうつ伏せにされた味噌汁の椀が二つ。

「あれ? 小父さんもまだ?」

ガラガラ。 玄関の開いた音がした。 玄関を覗くと宮司が草履を脱いでいた。

「おっ、渉ちゃんの出迎えか?」

「小父さんお昼ご飯まだだったの?」

「ああ、渉ちゃんと一緒に食べようと思ってな」 自分が昼ごはんを食べている間に何かあってはと思い、渉と一緒に食べる事にしていた。

「じゃ、ご飯入れるね」 

ご飯は上手によそうことが出来た。 少々てんこ盛りではあるが。

「あ、ワカメじゃないんだ」 シジミの味噌汁であった。 宮司はワカメの洗礼を受けなくてすんだようだ。

「有難う。 じゃ、いただこうか」 言った途端、廊下で大きな音がした。

「なに?」 渉が廊下のほうを見て、座ろうと椅子を引いた手が止まった。

宮司が持ちかけた箸を置いてすぐに廊下に出ると、奏和と翼がもつれ合ってこけているのが目に入った。

「お前たちは・・・」 これでもかという嘆息を吐く宮司の横から渉が覗き込んだ。

「あらら・・・」

「痛、って・・・翼どけよ」

「奏兄ちゃん動かないでよ・・・ッテ!」

「コラー!! いつまでも何をやってるんだー!」 奏和と翼が頭を抱えた。

「渉ちゃん、放っておこう。 ほら、昼ご飯食べよう」

「あーあ、翼君お気の毒に」 眉を上げて言うと今度は奏和を見て「ザマミロ~」 と小声で言った。

椅子に座って宮司と一緒に食べていると、廊下から聞こえる引きずるような音や、呻き声が段々近くなってきた。
少しすると奏和と翼が揃って台所に顔を出した。

「お・・・早うございます」 奏和が言うと後ろで翼が顔をしかめた。

「もう昼だ!」 二人が大きく顔をしかめる。

ドロドロと二人が椅子に座ると、渉が席を立ち味噌汁を入れはじめた。 蓋を開けるときにわざと蓋とお玉をぶつけてカーンと大きな音をならせた。

「うぐぐ・・・」 二人が頭を抱える。

「あ、ごめんねー」 言いながらほくそ笑む。


昼ご飯を済ませると二人を置いて宮司と共に境内に出た。

「少し人が増えたね。 昼から忙しくなるかもしれないな。 時々、小父さんも横に座るからね」

「はい、大丈夫です。 最初の時はちょっとテンパッちゃったけど、少しは慣れました」

午後からも腹を据えて座ったが、思ったほど忙しくはならなかった。
授与所を閉める時間になると雅子がやって来た。

「渉ちゃん有難う。 お疲れ様、もう閉めるから家に帰ってて。 あ、家中お酒臭くなってるから窓をあちこち開けてるの。 着替える時は窓を閉めてね」 着ることは出来ないが、脱ぐことは一人で出来る。 と言っても、脱いだ後の畳み方は知らないが。

「はーい、その前にこの格好のまま磐座の所に行っていいですか?」

「ああ、今日はまだ磐座には行ってないのね。 いいわよ。 気の済むまでいってらっしゃいな。 でも、誰かとすれ違ったら巫女らしくね」

やった! 心の中で叫んだ。 巫女姿ならトンデン村に行けるかもしれない。
裾を汚さないように、袴を持ち上げ山の中を歩く。

「うーん、いい空気」 目を瞑って顔を上げると山の空気をたくさん肺に入れる。

充分身体中に山の酸素を入れると、辺りをキョロキョロするが、誰かが居る気配がない。

「今日は誰も山に上がってきてないのかなぁ? まっ、その方がいいけど」 

山を楽しみたいがいつ誰がくるか分からない。 足早に磐座の元に向った。
磐座の前、その前を流れる小さな流れを跨ぐ前にキョロキョロと辺りを見る。

「よし、誰も居ない」 大きく袴を上げると流れを跨いだ。

磐座に向き合った。 二礼二拍手をして「有難うございます」 そして一拝。 いつも通りにすると、磐座をじっと見た。

「磐座さん、磐座さん。 今日は巫女の姿で来ました」 両手を開いて巫女衣装を強調する。

「トンデン村に行かせてください」 手を合わせいつも通りにお願いをした。

ギュッと目をつぶり暫くじっと待った。 そしてソロっと目を開ける。 目の前には磐座がある。 やはり何も起きていない。

「巫女衣装でも駄目・・・」 頭がガクンと下を向いた。

「なんでだろ。 どうしてだろ。 トンデン村にどうやったら行けるんだろ」 緋袴が目に入る。

「ママの言うとおり、まだご縁がないのかなぁ・・・」 大きく息を吐く。

「シノハさんに逢いたいのに」 緋袴が滲みかけた。

「シノハさんに逢いたいだけなのに」 目から落ちてくるものを落とさないように、下げていた顔を上げた。

「え?」 

目の前に磐座がない。 それどころか目の前には大きな水かさのある川が流れていた。

「え?」

目の先を見ると、トンデン村とは全然違う澄明な空に川。
川は幅広で、渉のいる側は広い河川敷が川上に向って徐々に狭くはなっている様だが、それでも長く続いていろんな色をした拳半分ほどの小石が足元に広がっている。 その端は岩壁となっていて、時々岩の間から木がそそり立っている。 対岸には崖がなく、肥えた土なのか、喬木が生い茂ってそのまま地が徐々に高くなっている。
どこからどう見ても渓谷であった。

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--- 映ゆ ---  第90回

2017年07月03日 23時09分39秒 | 小説
『---映ゆ---』 目次



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- 映ゆ -  ~Shou~  第90回




連休に入った。
翼から連絡があり、神社に向かうため渉と翼が駅に居る。

「やっぱりカケルは来ないんだ」

「うん。 誘ったんだけどね」 下を向く渉を見ると続けて言った。

「ねぇ渉ちゃん、明るく行こうよ。 せっかく奏兄ちゃんとドンチャンするんだからさ」

「うん。 あの時の仕返しをしてやるから気合は入ってるよ」

あの時、奏和の演奏する頭の中にガンガンなるドラムの音を聞いた時、挙句にギターやヴォーカルのマイクを通した文化祭の雑爆音ことを言っている。

「仕返しって・・・あの時いっぱいチケット貰ってけっこう美味しい目をしたじゃん」

「酔い潰してやる」 二日酔いで頭を抱えている奏和の姿を思い浮かべる。

「こわっ・・・」

電車を降り、駅を出るとそろそろ待ち合わせの時間になる。

「奏兄ちゃんに連絡してみる」 翼がスマホを持ち奏和に電話をかけた。

「奏兄ちゃん? え? もう来てるの? うん、うん。 ああ、あった。 分かった、今から行くよ」 スマホをポケットに入れた。

「渉ちゃん、あそこの居酒屋にいるんだって」 指差されたのは奏和が前に順也と来た事のある居酒屋だった。

「ふーん・・・オッサンみたいなお店」

「渉ちゃん・・・徹底的に奏兄ちゃんにケンカ売ってるよね」

「そんなことない。 ほら、行こう」


「いらっしゃいませー」 店員の声に奏和が入り口をみて手を上げた。
前と同じく、カウンターではなく細かく仕切られた座敷に上がっている。 渉と翼がその座敷に上がり、二人並んで座った。

「なに呑む?」 奏和の前には既にジョッキが置かれていた。

「取り敢えずビール。 渉ちゃんもそれでいい?」

「うん」

「生中ふたつー」 奏和が大声で注文を入れた。

「奏兄ちゃん、毎週神社に来てるんだって?」

「ああ、一応な」 カケルへ神社に来ないように言った以上、それなりに責任を感じている。

「なんで姉ちゃん急に家に帰ってきたんだろ」

「まぁ、色々あるさ。 暫くは放っておいてやれよ」

つきだしと共にジョッキが運ばれてきた。 三人で乾杯をすると今日の本題、文化祭の話となった。

「俺、奏兄ちゃんがあんな風にドラムを叩いてたなんて知らなかったよ。 もうビックリ」

「ア・タ・シ・もー」 スンゴク嫌味に言う。

「渉、生音を聞きに来てたんだろ? いい加減、機嫌直せよ」

「別に機嫌が悪いわけじゃないもん。 ホッケが食べたい」

「渉ちゃん、オッサンみたいって言いながら、大概ホッケもオッサンだけど?」

「まぁ、いいじゃん。 それで機嫌が直るんならさ。 はい、はい。 渉はホッケね。 翼は?」

「うーん、じゃ、ポテトとピザ」

「子供かよっ。 ホッケとポテトそれとピザ、1つづつ、お願いしますー」 カウンターに居る店員に言うと顔を戻した。

「姉ちゃんも感心してたよ」 つきだしの切り干し大根を箸に取った。

「翔が?」 思いもしない言葉だった。

「うん。 あんな奏兄ちゃん初めて見たって」

「だよねー。 いーっつもヘラヘラしてるだけだもんねー」

「これ、渉ちゃん!」

「いい、いい。 放っておいたらそのうち機嫌も直るさ」

「うん、まぁ・・・奏兄ちゃんがいいなら。 で、奏兄ちゃんは音楽やっていくの?」

「まぁなぁ・・・」

「なに? 迷ってるの?」

「ちょっと前まではこんな事なかったのになぁ・・・」

「どうしたのさ」

「いやさ、前まではどんな事をしても、バンドで成功させたいなんて思ってたんだけどさ」 クイっとビールを呑んだ。

「うん、それで?」 翼も同じようにジョッキを傾ける。

渉が二人が話すたび、横の翼を見たり前の奏和を見たり顔を動かしている。

「色々感じることがあるんだよ」 ジェネレーションギャップもそうだが、あの時、文化祭のステージ上からカケルを見止めた一瞬にミスった事も大きな原因だった。

「色々ってなに?」

「まぁな、前に比べて集中力も切れるしさ、俺も歳を取ったのかなってさ。 生中ひとつー」 話の最後に店員に言う。

ジョッキを両手で持ち、チビチビとやっていた渉が(少なくとも2杯目~) と奏和を見ている。

「姉ちゃんから聞いたけど、途中でミスったんだって?」

「ああ。 あんな場所でミスるなんて初めてだよ」 刺身を口に入れた。

(食べてないで呑みなさいよ) 渉がじっと奏和を見る。

「ふーん、ステージだからミスったの?」

「んな分けない。 俺って緊張しないタイプだし」

「ああ、そう言えば俺、あの時思ったんだよね」 

「うん? なに?」 運ばれてきたビールをすぐに一口呑んだ。

(チマチマ呑んでんじゃないわよ。 グビグビ呑みなさいよ)

「っと、その前に」 言うと、目の前に座る渉に目を遣った。

「渉、さっきから何?」

「な・・・何って?」

「なにをガン見してくれてんの?」

「してない」 プイと横を向くと、丁度ホッケとポテトとピザが運ばれてきた。

「あ、ホッケー」 前に置かれるとすぐに箸で突きだした。

「まぁ、大人しく食べてたらいいけど。 で? 翼が何を思ったって?」

「うん、奏兄ちゃんって興奮しないのかなって」 ホッケを突いている渉を見ながら言う。

「興奮?」

「ほら、あの時、演奏が終わって間もないのに、俺達のところにいつも通りに来たじゃん。 普通だったらあの歓声の中だよ、興奮覚めやらぬってなりそうなものなのに」 ピザを一枚手に持った。

「ああ、そういうことか。 わりといつもあんな感じかな。 そう言えばメンバーは興奮してるな」 自分も若い頃は些細なことにでも感情の起伏があったな、とここでまたメンバーとの差を再認識してしまいビールをあおった。

「ふーん。 そうなんだ」

「翼、ビール呑んじゃえよ。 日本酒飲もうぜ」

(そうだ、そうだ。 呑んじゃえ呑んじゃえ。 チャンポンしちゃえ)

翼が一気にジョッキを飲み干すと、二人で日本酒を飲み始めた。

「そうだ、お前たちの噂が持ちきりでさ」 クイっと日本酒を口に入れた。 すかさず渉が酌をする。

「おっ、なんんだよ」 さっきまでの態度と違う渉を見た。

「文句あるの?」

「いえ、有難うございます」 不思議がりながらもまた呑むと、またもや渉が注いだ。

「お前たちって?」 こちらも同じく日本酒を呑むと、お猪口を振って渉に見せる。

「翼君はあんまり呑んじゃだめだよ」 でないと銚子の酒がすぐに無くなってしまう。

「なんでだよー。 注いでよー」 仕方ないという感じでしぶしぶ渉が注いだ。

「翔と翼。 お前ら姉弟」 二人を見ながら奏和が話を進めた。

「え? 俺と渉ちゃんのお似合いカップルじゃなくて?」 渉が呆れて徳利を置くと、翼が頼んだもう冷めた最後のピザの一枚を手に取った。

「ああ、渉のことはお前たちにくっ付いてたお子様とか、コバンザメって言われてるよ」

「ぶー、なによそれ!」 ピザを口に入れようとした手が止まった。

「言っとくけど、俺が言ったんじゃないからな」 これ以上渉を怒らせないように念を押した。

「奏兄ちゃんの学校の人たちって見る目がないな。 ねー、渉ちゃん」 渉を見るが完全にブータレて、一気にピザを一枚口に入れてしまい喋ることの出来ない状態だ。

「なに言ってんだよ。 お前たち二人にまた会わせろって、あちこちから突かれてんだぜ」

「なんで? 俺らが奏兄ちゃんと知り合いって、バンドのメンバー以外誰も知らないはずじゃん」

「メンバーがあっちこっちに言いまくったんだよ。 翔と話したのは自分達だけだって」

「ああ、姉ちゃんね。 まっ、姉ちゃんの顔の良さは分からなくもないからな」

「お前だってだよ」 お猪口に残ってた酒を一気に呑むと、手酌をしかけて空になっているのが分かった。 「日本酒お替りー」


「明日が楽しみだなぁー。 奏ちゃん、あの時の私の頭の痛みを思い知るがいい」 言うとビールをチビチビ呑みながら、もう一度二人を見遣った。

「さーて、どうしようかな?」 

渉の目の前で二人が完全に潰れている。 奏和も翼も話が段々と盛り上がると、日本酒から焼酎に切り替えて何杯も呑んでいた。

「小父さんに電話して迎えに来てもらおうかな」 翼の食べ残しの、もう冷めたポテトを口に入れると二人の会話を思い出していた。

「カケルは神職の道に行くのかなぁ・・・」 

二人の最後の会話がそれであったが、ヨッパライの二人はマトモな事を言っていなかった。

「いらっしゃいませー」 客が入ってきて、渉たちの座る座敷を通り過ぎようとしたとき「あれ?」 と聞こえた。

渉が顔を上げると一人の男が奏和の顔を覗き込んでいる。

「わっ、やっぱり奏和」

「あ・・・たしか奏ちゃんのお友達。 前に奏ちゃんを神社まで運んできてくれましたよね」

「ピンポーン。 って、やっベー、イヤなところを見ちゃったなー」


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