大福 りす の 隠れ家

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辰刻の雫 ~蒼い月~  第96回

2022年09月09日 21時50分08秒 | 小説
『辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~』 目次


『辰刻の雫 ~蒼い月~』 第1回から第90回までの目次は以下の 『辰刻の雫 ~蒼い月~』リンクページ からお願いいたします。


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辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~  第96回



光石に照らされた闇の中、羽音が聞こえた。
襖が自動ドアのように開くと、キョウゲンが部屋に入ってきた。
すかさず回廊に座っていた丹和歌と世和歌が襖を閉める。

紫揺の状態から、そしてマツリの状態から、彩楓と紅香二人では乗り切れないと思った。 それに二人で紫揺を見ているのは抜けがけをしているようで、後ろ髪を引かれる思いだったからである。
呼ばれた丹和歌と世和歌も、これからが勝負、これを逃しては! と言わんばかりの笑みを携えてマツリの部屋に来てくれた。
もちろん、彩楓と紅香、丹和歌と世和歌の上司には通してきたと。
その二人が来た時には、マツリを見て引きつらせたままの顔で固まってしまっていたが。

キョウゲンの羽音に、卓に突っ伏していたマツリが顔を上げた。 キョウゲンが止まり木に止まろうとしていた羽根の向きを変え、マツリが突っ伏していた座卓の上に降り立った。 急に向きを変えたがため、滑った不細工な着地となったが、そんなことはどうでもいい。

「マツリ様・・・如何なされました」

「あ、まぁ・・・ちょっとな」

マツリが左の頬をさすると痛さに顔を歪める。
肉体的な痛みだったのか、精神的な痛みだったのか・・・。

「ちょっとでは御座いません。 何が御座いましたか」

基本、供は主に付いていなければならない。 それでも今回は例外扱いになる。 例外扱いの間に、供が居ない間に主に変化があった。 いくら例外といっても、供として主を守れなかった事に違いはない。

キョウゲンの言いたいことは分かっている。 と言うか、言われる前から言われるだろうと分かっていた。 こんなことは前代未聞なのだから。

「いや・・・案ずるな。 これはこれで・・・進展の兆しだ。 それよりあの石はどこまで運んだ」

キョウゲンが言うに、領土の端に近いところまで運んだという。 かなりとばしたのだろう。 羽のいたるところに無理を感じさせる。

「無理をするなと言ったではないか」

「何を仰せられます。 マツリ様の想いで御座いましょう」

「だがそこまで・・・。 ・・・キョウゲン、あまりにも安全の帯を長く引いてないか?」

「マツリ様の教えで御座います」

マツリが頭を落とした。 斬首ではない。 だがそれに近いほどに。

「キョウゲンはそこまで考えなくてよい。 だが今回のことは良くやってくれた」

「紫さまに何かありましたでしょうか?」

あの大きな紫水晶を遠ざけたのに。

「あの紫水晶の力は想像以上だ。 やっと紫からあの石の力が抜けたようだが、今まだ怪しい」

「それがその頬の痣の理由で御座いますか?」

キョウゲンに隠していても、いつまでも食いついてくるだろう。

「・・・ああ。 見事に殴られた」

「あの時の・・・平手ではなく?」

以前マツリは紫揺に平手でビンタを食らっている。 それを思うと “殴る” というのが無いわけではなかろうが、平手で叩かれたビンタの時のように、マツリはそれを受けとめたということだろうか。

「拳だ」

言うと溜息を吐いた。

「というわけだ。 キョウゲンが案ずるようなことがあったわけではない」

受け止めているようだ。 “御意” とも言えず、何とも返事のしようがない。

突っ伏していたが為か、いつの間にか水で冷やした手巾が座卓に落ちてしまっていた。 手に取ると桶の水でもう一度冷やして頬に当てる。

「ったく、身体はフラフラなのに・・・」

忌々しげな台詞と相反する表情である。 それもそうだろう。 マツリを見て『誰?』 と言っていたのだから、相好も崩れてくる。 “誰” ではなくなったのだから。

怒ってもいい、罵られてもいいと思っていたところにコレだ。 ある意味己が忘れられたのではない証ではあるが、なかなか素直には受け取れないところもある。

マツリの個人的な思いはさて置き、マツリの話に傾ける耳を持っていなくとも、紫揺にはすぐにでも紫水晶の話をしなければならない。 遠くに離した紫水晶だが、万が一にも紫水晶が力を広げてきては、何も知らない紫揺はまた同じ目に遭ってしまう。

だが当の紫揺がまだ微睡んでいる。 これだけ人の頬に痣を残すほどの拳を入れておいて、である。
内襖の向こうから声がする。 “最高か” の声だ。

「如何で御座いますか?」

「まだ霞がかかったようで御座いますか?」

マツリのように殴られるかもしれない、などと恐れをなしていない。 しっかりと紫揺を覗き込んでいる。

「・・・あ」

「ご無理をされませんように」

「ええ、まだ起き上がられるにはお身体が揺れましょう」

先の二回を考えると、既にマツリが襖を開けているはずが今回はまだ開ける様子がない。 紫揺の拳を恐れているのだろうかと、チラリと思ったが杠との鍛練を見ている。 そんなことがあるはずもなかろうと “最高か” が思い直す。 口にしなくとも互いに目を合わせただけで意思疎通が図れる強固なタッグだ。
ということは、このまま会話を続け紫揺の様子を聞かせるのが、いま一番必要とされているのだろう。
“最高か” が頷き合う。

「ここは・・・」

「宮に御座います」

マツリの房と言ってしまって、マツリという名詞を聞いて紫揺がどんな暴挙に出るか分からない。 ゆっくりゆっくりと。

「・・・彩楓さん・・・紅香さん・・・」

「はい、彩楓に御座います」

「紅香に御座います。 回廊には丹和歌と世和歌もおりまして御座います」

「丹和歌さん、と・・・世話歌さんも・・・」

本当に此処は本領なのか、宮なのか。

「・・・どうして」

どうして自分は本領に居るのだ?

「まずは茶を飲まれませんか? お支えいたします」

紅香が紫揺の背に手をまわす。 彩楓が部屋の隅に置いてあった茶器から茶をカップに入れる。

「紫さまがお好きな茶に御座います」

胸元に出され香りが鼻腔をくすぐった。 甘く優しい香り。

そっと手を出しカップを持つ。 その手を覆うように彩楓が手を添えた。 両手でカップを持つとゆっくりと口に近づける。 ゆるりと彩楓の手が離れる。

「・・・おいしい」

「よう御座いました」

喉が渇いていたのも手伝ってか、すぐにカップの中の日本で言うところのハーブティを飲み干した。
ほぅ、と息を吐いた紫揺。

「お身体の具合はいかがで御座いますか?」

「え?」

「ずっとお倒れになられたままで御座いました。 どこか具合の悪い所が御座いましたり、まだ霞がかかったようで御座いましょうか?」

黒目だけを上に向ける。 多分この様子から、自分の頭の中を見ているのだろう。 霞と言われ、頭の中に霞があるかどうかを。

「大丈夫な気がします」

「お一人でお座りになられそうで御座いましょうか?」

言われて気付いた。 紅香が身体を支えてくれていた。

「あ・・・、有難うございます大丈夫です」

紅香が微笑んでゆっくりと手を離していく。

「お手のお指は動かされましょうか?」

紫揺がグッパとしてみせる。
彩楓が微笑むと「他のお身体も動かされましょうか?」と訊くので、紫揺も不安になりあちこちを動かしてみる。

「痺れなど御座いませんか?」

「はい。 至って元気です」

彩楓と紅香が目を合わせ、良かった、と言いながら安堵の息を吐いた。

「あの、どうしてここに居るんですか? それにここって・・・」

以前こうして布団の中で目を覚ました部屋。 それも遠くない日に。

「東の領土で気を失われておられた紫さまが宮に来られました」

「来たって・・・」

全く記憶にない。 気を失っていたのだから、記憶にないのも当たり前なのかもしれないが、いや、そういう問題じゃない。

「来たって、どうやってですか?」

東の領土から本領、ましてや宮に来るまでは簡単なことではない。

“最高か” が目を合わせた。

「我が運んできた」

襖が開けられた。
“最高か” が身を引く。

一瞬呆気にとられた紫揺だったが、すぐに立っているマツリをねめつけた。
紫揺のその目を見ただけで正気に戻ったと分かる。

「立てるか」

マツリがこの先何をしようとしたのか分かった “最高か” が襖から出て、隅に置かれていたものを卓に置く。
既にキョウゲンは止まり木にとまっている。

「東の領土で倒れてからほぼ四日間何も食べておらん。 まずは食せ」

マツリのエラソーな言いように腹が立つが、それに対して言い返す口などない。 喋りたくなど無いのだから。

空気を読んだ “最高か”。

「紫さま、こちらにご用意しております。 さ、お手を」

紫揺に立ち上がるよう促し、万が一にもふらつかないよう両方から紫揺を支える。
マツリが顔を出したのだ。 マツリの名を憚ることもなかろう。

紫揺を回廊側の襖を背に座卓の前に座らせると、役割分担は自然に出来ている。 紅香が次々と蓋を開けていき、彩楓が紫揺の斜め後ろに座すると説明を始めた。

「マツリ様が東の領土に出向かれました時、すでに紫さまはお倒れになられておられました。 東の領土では紫さまをお気付かせられなかったご様子で、マツリ様がこの本領まで紫さまをお連れになられました」

紫揺が眉を顰める。

「キョウゲンには乗っておらん」

襖の桟に背をもたれかせ腕を組んでいるマツリが言う。 その目は真っ直ぐに前を向いているだけで、紫揺の方を見てはいない。

だが以前のようにわざと紫揺を見ていないのではなく、紫揺に気を使っているのが “最高か” にはありありと分かる。

「さ、お召し上がりください」

「厨の者に柔らかいものを作らせました。 ゆっくりと」

“ごゆるりと” ではない。 まるで小さな子に言い聞かせるように “ゆっくりと”。

「紫が我のことをどう思っていようが今は関係ない。 横に置いておけ。 我が今から話すことをしかと耳に入れよ」

マツリは今も立ったまま、襖の桟にもたれ真っ直ぐに前を向いている。
『我のことをどう思っていようが』 シキから紫揺とマツリの話は聞いている。 それが何を指すのかは分かっている。
紅香が紫揺に箸を持たせると彩楓と共に部屋を出た。 これから話されることは自分たちの聞く話ではないという事は、紫揺が最初に意識を戻した時、マツリが言いかけていたことから分かる。

まだ喉が渇いている。 見覚えのある冷めない食器。
汁物に手を出しかけて手に箸を持たされたことを思い出した。 汁物の具から食べる。

横目に紫揺を見るとマツリが続ける。

「耳に入れなければ、紫の破滅に繋がり、強いては東の領土の民にも害が及ぶ」

民と言われて紫揺の手がピクンと動く。

「良くて紫が潰れるか、それより前に民に厄災が降りかかるか」

ゆっくりと紫揺がマツリを見る。

マツリが瞼を閉じる。

「・・・民に厄災?」

閉じた瞼をゆっくりと上げる。

「まだ頭で考えるな。 それほどには回復していないであろう、混乱を起こすだけだ。 聞くだけで良い」

ガタン!
紫揺が立ち上がったと同時に食器が大きな音をたてた。
紫揺の身体がふわりと揺れる。

襖の桟を背で蹴ると、すぐにマツリが紫揺を支え「誰か」と襖の外の者を呼ぶ。

“庭の世話か” がすぐに入ってきた。 音が聞こえた時から襖に体を寄せていた、行動は早い。
卓の上でひっくり返っている汁椀を持ち、こぼれてしまった汁を手巾で拭く。

「すぐに新しいものをお持ちいたします」

「ああ、よい。 この刻だ。 もう厨に誰もおらんだろう。 汁物の代わりに茶を淹れてやってくれ」

「畏まりました」

これが畳なら畳に沁みてしまっていただろうが板張りの床である。 こぼれた汁を拭き、敷いていた濡れた座布団を換えるだけでいい。

マツリと “庭の世話か” の声が耳に入ってきた。 紫揺が体幹を戻す。 だが支えているマツリの手には少々無理をしているように感じる、まだ手は離せない。

「お召替えはいかがいたしましょう」

ふと下を見ると紫揺の夜衣の裾が濡れている。

「・・・あとで良い」

裾が濡れている程度だ。 急がずともいいだろう。

世和歌が新しい手巾で濡れている部分を軽く叩いて拭きあげている間に、丹和歌が茶を淹れ “庭の世話か” が部屋を出た。

「大人しく食せ」

ゆっくりと紫揺を座らせようとしたのだが時折紫揺が揺れる。 やはりまだ一人で座っていられないかもしれないと、一度紫揺を持ち上げてから座らせる。

「とにかく考えるな。 聞くだけだ。 良いか」

紫揺を座らせたマツリの目に、紫揺の頭頂部が頷いたように見えた。

「まずは、紫はどこまで覚えておる。 滝に落ちてくる男を見たな?」

女の悲鳴が聞こえて声のする方を見たら、男が落ちてきそうになっていた。 いや、もう落ちてきていた。
思い出した。 映像が頭の中で再生される。 目を見開いた。
助けなくっちゃ、こんな所でこんなことをしている時じゃな・・・い。 尻すぼみに頭の中で言葉が消える。
ほぼ四日も眠っていたと聞いた。 それに此処はあの場所ではない。 ・・・もう遅い。
コクリと頭頂部が頷くとギュッと目を瞑る。

「その後のことは覚えておるか」

頭頂部を中心に顔が左右に振れる。

「光が出たことは? 光が男を包んだことは?」

頭頂部が斜めに動いた。 首を傾げているのだろう。

男を目にした後の記憶が一切ないということか、とマツリが考える。

ふと見ると紫揺が何も食べていない。 湯呑にも口を付けていない。 仕方なくマツリが紫揺に箸を持たせてやる。 まるで二人羽織のように。
先程一度紫揺を持ち上げて座らせたが、それはマツリのかいた胡坐の上に、紫揺の尻を置いて座らた状態である。 胡坐の中にスッポリと入った尻は安定良く座っている。

「食しながら聞け」

マツリ自身、どうしてこうなったのかと、情けなくなってきている。 揺れる紫揺を座らせるに他に方法があっただろうにと、何の考えも浮かばなかった己に口を歪め、紫揺に箸を持たせると後ろに手をついた。

「塔弥から聞いた。 男を見上げていた紫の額の煌輪なるものから、紫に光るものが出て男を包み込んだと。 男は光によってゆるりと地に下りた。 光はその後弾けるようになくなった。 そのあとに紫が倒れた」

「・・・じゃ」

「ん? なんだ?」

「男の人は・・・?」

「助かった。 紫によってなのか、額の煌輪なるものによってなのか、そのことは今はよい。 いずれにせよ男は助かった。 礼を言うより先に紫のことを案じておったらしい」

「良かった・・・」

「安堵したのなら食せ」

持たされた箸をゆっくりと動かす。

マツリの足の上に尻を置き、その前に軽く足を曲げて座っている自覚があるのだろうかと、まるで幼子の座り方、女人にあるべき姿では無いと訝しむが、今はこの流れを止めない方が最善だろうと話を進める。

「紫の部屋にあった紫水晶を覚えておるか」

紫揺が動かしかけた箸を止め考えるようにしている。 まだハッキリとしていない部分があるようだ。
思い出したのかコクリと首肯する後頭部が見えた。

「あれは・・・。 難しいかもしれんがよく聞け」

あの紫水晶は紫の為にある石である。 初代紫が後の紫の為に息を吹きかけた石である。 そして現れるべくして現れた。 初代紫にはその力に苦悩があったのかもしれない。 それが故、後の紫の為に石を残したのだろう。 石に息吹を吹き込めるほどに、初代紫には力があった。
そんな風にマツリが静かにゆっくりと間を持ちながら話した。

「初代紫に苦悩? 後の紫の為にって・・・現れるべくしてって・・・それって、私のこと・・・?」

「良いか、今は考えるな。 まだ先に進まねばならん。 紫が知らなければ、先ほども言った、何が起きるか分からん。 民のことを思うのであれば考えず我の話を聞け」

紫揺の頭がうな垂れるが、それでも聞く姿勢はあるのだろう。 うな垂れた後、僅かに頷いた。

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