『虚空の辰刻(とき)』 目次
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- 虚空の辰刻(とき)- 第178回
「久しいな。 かけるがよい」
立つときもそうだったが、座る時にもニョゼの手を借りている。
「この者は?」
「ニョゼと申します。 辺境にずっといた者でございまして、マツリ様にはご存じではおられないかと」
マツリがニョゼを見るとニョゼが辞儀をして茶を淹れに台所に入った。
何でもこなすニョゼである。 子供の頃に一度入っただけの領主の家ではあるが、最初に女たちにアレコレと教えてもらっただけで、彼の地と全く違う台所の中の何もかもを覚え、使いこなすことができた。
「そうか。 今日は領主の見舞いか?」
ニョゼに何かを隠そうとする様子は見られなかった。 今は敢えてニョゼの何かを疑うまでもないだろう。
ショウワの立場からして普通に考えるなら、もっと早くに見舞いに来るはずであろうが、領主の状態もある。 それにショウワの状態も。
「それもございますが・・・。 セッカから話を聞きました」
「で? そのセッカは?」
「どうしても外せず、代わりにこの老体が参じました」
「ショウワだけが? それは可笑しい」
“ショウワが?” ではない “ショウワだけが” である。
「・・・」
頭を垂れる。
沈黙の時が流れる中、ニョゼが茶を出した。 静かに置いたにもかかわらず、湯呑を置く音がいやに大きく響く。
ニョゼがそのまま台所に身を引いた。
ショウワの口が動くのを待つ。 これが若い者なら、すぐに怒鳴りつけていただろうが、相手はマツリの父である四方より歳が上である。 それどころか祖父とそう変わらないだろう。 敬う気持ちは持っている。
ニョゼの淹れた茶を一口飲む。
(ふむ・・・美味いな)
これまで何度も祭の時に来ては茶を出されていたが、その茶とは比べ物にならない。 領主の家の茶より美味しくない茶を出すはずはない筈だが、と考える。 何故なら、祭の折には直接ではないが、本領をどんなふうに迎え入れるか、北と西の領土が他の領土に張合っている節が見えるからだ。 決して本領は比べてなどいないのだが。
だから祭の時には北の領土で一番美味い茶葉で淹れているはずだがと考える。
マツリが茶葉のことを考えている間に、ショウワが腹を決めたようだ。
「マツリ様がお探しの娘ですが・・・」
眉を上げたマツリがコトリと湯呑を置いた。
「・・・セッカがここに連れてくる前に居なくなったということでございます」
「居なくなった?」
「はい」
マツリが何かを問う前に言わなければ、問われてからでは遅いと息を大きく吸って続けた。
「娘がいつどこでどうやって・・・深夜のことでございましたので知る者はおりません。 セッカが辺境に居る娘のところに行きました時には居りましたそうで。 翌朝に領主の家に連れて行こうと思っていたそうですが、朝には既に居なくなっていたということでございます。 深夜に居なくなったということでございましょう」
屋敷のことは言えない。 あくまでも辺境にいたことにせねば。
マツリがまだ聞く姿勢をといていない。
「セッカがそう申しておりました」
「・・・それだけか?」
「然に」
「ショウワ、その名にかけてそう言えるのか?」
その名にと来られたか。 だがそれはそうであろう。 この北の領土の者は知らないが、本領はショウワが ”古の力を持つ者” と知っているのだから。
「さ・・・」
“然に” と言いかけた。 だが・・・。
「どうした」
「いえ、何も。 然に」
(ショウワ・・・その名にかけて・・・。 なんじゃ? ・・・くっ)
マツリの言葉に引っかかった。 それを疑問に思った途端、頭痛が走った。
「この北の領土のどこに隠れられるというのか?」
「全くもって分かりませぬ」
痛みは引かないが、顔に出すわけにはいかない。
「意地でもしらを切りとおすということか」
「マツリ様。 本当にどこにも居りません。 セッカもマツリ様との約諾があるからとあちらこちらを探しておりました。 セッカもこの老いぼれも、娘を隠してなどおりません」
「では、どうして娘がいなくならなければいけない」
「娘の考えていることが、この老いぼれに分かるものではございません」
ショウワは娘のことに対して何も隠している様子はない。 いや “何も” と言ってしまえば語弊があるだろう。
「居なくなったということは本当のようだが・・・何を隠しておる」
「隠すなど、その様なことは御座いませんが・・・あの娘が東の領土の者とはこの老いぼれが知り得なかった事を悔やんでおりますだけで」
事実、セノギから聞かされるまで知らなかった。
「それがショウワの目の奥の陰りとでもいうのか?」
「一番に気付かねばならなかったことでございます。 この様な身体になってしまいましたなら、そんな事さえも気付きませんで。 情けない限りでございます」
頭痛が酷くなってくる。
影からの話では、領主はマツリに紫揺が東の領土のムラサキと知っていたとは口にしていないと聞いていたが、きっとシキには視られている。 領主一人を悪者にする気ではないが、少なくともこの場をなんとか治めなければならない。
もうムラサキはここにも屋敷にも居ないのだから、これでなんとか治まれば屋敷のことに触れなくて済む。 あと少し、あと少しの辛抱で終る。
「どこかから来て、どこかに行ってしまった。 そう言い切るのだな」
「然に・・・」
そう言うと顔を隠すようにショウワが下を向いた。
マツリが訝しげに見る。
「どうした」
「・・・いえ、なんということも・・・」
台所で二人の会話を聞いていたニョゼがショウワに駆け寄った。 ショウワが顔を歪めて痛みに耐えているのが分かる。
「すぐに丸薬をお持ちします」
ニョゼが水と丸薬を持ってきて、ショウワに飲ます。 それをじっと見ていたマツリ。 どうやら芝居ではなさそうだ。
「横になればよい」
マツリが立ち上がり部屋を出て行く。
ニョゼが慌てて見送りに来た。
「よい。 ショウワも歳だ、見ておいてやれ。 ああそれと・・・」
そう言うと肩越しに振り返った。
「茶を馳走になった。 今まで北で飲んだ茶の中で一番美味かった」
静かに領主の家から出て行った。 ニョゼが下げていた頭を上げるとすぐにショウワに駆け寄り、そのまま横にならせた。
「機を違(たが)えたか」
どこに匿っていたのか訊こうとしていた矢先だった。
「マツリ様」
呼ばれ横を見ると、先ほど領主を訪ねた時には留守だった薬草師が幾つかの薬草を持って立っていた。 マツリが口角を上げる。
「領主の具合を上手く見ておるようだな」
薬草師が深く辞儀をする。
「有難うございます。 領主の様子が落ち着いてこられたのも、マツリ様のお蔭でございます」
「ショウジの目や手がいいからだろう」
「いえ、そのようなことは。 ですが・・・師匠につくことは、やめようかと思います」
セッカの使いでやってきた者から話を聞き領主の家に来た時、領主の周りに置いてあった薬草はとんでもないものだった。
「その方がよい」
「あのままではこの領土は、領主を失うことになっていたかもしれません。 なんと礼を申し上げればいいか」
「礼など要らぬ。 ショウジの努力が手にしたものだ。 領主のことが治まれば、ショウジの薬草を求めてくる者が増えることになるだろう。 薬草をたんと準備しておけよ」
「あ・・・そのようなことは」
「考えていないと言ってどうする。 ショウジの合わせる薬草で助かる民が居るのだぞ。 薬草師としてそれが一番なのではないのか?」
「ですが・・・そうなると師匠が・・・」
この領土の中心の薬草師はショウジとその師匠だけ。 ショウジの方の薬草に人が集まれば、師匠の調合した薬草を求める者が減るということだ。
「今までの徳があれば誰も見放しはせん。 それに・・・」
「はい?」
「そうなるとリョウの両親も安心だろう」
リョウとはショウジの想い人だ。 ショウジとリョウのことを話した当時七歳違いのリョウは十六歳。 この領土でも本領でも決して結婚が早い歳ではない。
「はっ!?」
まさかここでリョウの名前が出るとは思わなかった。
「それとも、もう誰かに嫁いだか?」
「いえ! いえ、まだ・・・」
「ではショウジの選んだ娘だ。 嫁に迎えるといい」
「あ・・・」
今にも口から泡を吹きそうになっている。 リョウのことを話す予定ではなかったのだから。
「またあの時のように話がしたいものだな」
初めはちょっと屈折したが。
「は、はい。 それまでには良き薬草師になっていますよう勉強を重ねます」
「リツソに聞かせたい・・・」
うっかり本心が出てしまった。
「は?」
「いや、なんでもない。 朗報を期待しておる」
そう言うとキョウゲンの背に跳んだ。
「マツリ様・・・」
深く頭を下げ見送った。
「さて、どうしたものか」
姉であるシキのことを考えると、ムラサキを逃したのは痛恨だ。 だがあの娘がムラサキとはいまだに信じられない。 あんなクソ生意気な娘が東の領土が呼ぶ紫などとは。
あのクソ生意気な娘をこれ以上どうやって探せばいいのか。 ショウワは嘘を言っていない。 あのクソ生意気なバカはどこに消えたのだろうか。
(姉上のお気も知らず、勝手なことをして腹立たしい)
今も母上の澪引の枕元に付いているであろうシキのことを思う。
「マツリ様、お気をお静めになられますよう」
キョウゲンが言う。
「わ、分かっておる」
「あの娘が紫であるとすれば、狼たちと会話が出来ることに納得できます」
キョウゲンが言っているのは、マツリが狼たちから初めて紫揺の報告を受けた時のことだ。 狼たちの報告の内容から 『その者がお前たちの話を聞いたと思わないか?』 マツリはそう言った。 敢えて深く考えることなく。
だがシグロは自分たちの話を聞くことができるのは本領の人間だけだと言っていた。
それに間違いはない。 それに本領の人間が全員聞けるわけではない。 ほんの一部の人間だけに限られている。
そこまで考えていなかった。 ただ話の流れから娘が狼たちの話を聞いたと思っただけだった。
「・・・」
失念していた。
五色の力を持つ者は元をたどれば本領の人間である。 本領で生まれ育っていなくとも、五色の力の中にその力はある。
「あの娘が紫であるということの一つの証明か・・・」
「代わりに申しましょうか?」
「ん? なにをだ?」
「あのクソ生意気な娘は紫だったのか、と」
全面的に紫と認めたくない。 あのクソ生意気な娘が本領から出向いた祖を持つ娘とも思いたくないし、シキが身体を壊してまで慰めていた東の領土の民が探す紫とも認めたくないと思っていた。 認めたくないから言い切るのではなく、一つの証明と言ったのだが、良いのか悪いのか、そこにすかさずキョウゲンが明言してくれた。
だが、狼たちの言葉が分かるのは真実だ。 後に狼たちからそんな話を聞いた。 それにシキに視誤りがあるとは思っていない。
「お認めになられた方がお楽になられるかと」
「キョウゲンには敵(かな)わない」
「恐れ入ります」
「さて・・・姉上に何と言おうか・・・」
四方にはもちろん報告をするが、紫が居なくなったと知って落胆するであろうシキにはどう言えばいいか分からない。
こんな時に限ってキョウゲンは一言も発しない。
ショウワの家にゼン、ダン、ケミが居る。 一部屋に車座となって話している。 ゼンの後ろには戸があり斜め左にはケミ、斜め右にダンがそれぞれ藁蓋(わろうだ)に座っている。
まずはケミからムラサキが居なくなったと報告を受けた。
「吾の手落ちだ」
「だがショウワ様からは言われておらなんだのだろう」
ムロイがいないのだから、紫揺のことは特に見なくていいと言われていた。
「そうだが・・・。 ショウワ様はもう追えんと仰っておられた」
そう言われて思い出したことがある。 ショウワの顔色が悪いと聞かされていたのだった。
「ショウワ様はあれからどうしておられる?」
ショウワの顔色の悪さに気付かなく、ケミに『これだから男は』 と言われたダンがケミに尋ねた。
「向こうでセノギに言われ、ニョゼが伴って病院に行かれた。 言っておくが、セノギはすぐにショウワ様のお顔のお色が悪いと気付いたぞ」
ぎろりとダンを睨んだ。
「セノギは男ではないかもしれん、ということか」
『これだから男は』 と言われたダンが逆なでするような冗談を言う。
そこにゼンが入った
「やめろ。 それで?」
ダンからゆっくりと目を離すとゼンに目を合わせる。
「頭痛と寝不足を起こされておったようだ。 薬をもらわれてきたが、あまりよさそうでは無いな。 セッカ様がこちらの薬草師が作った丸薬を持っていたのでそれを何度かおのみになっていた。 今は長旅のお疲れがみえる」
「ニョゼが一緒だと吾等は身を出せんな」
先にケミからニョゼが同行していると聞いていたゼンが言う。
「ああ、だがニョゼのことだ、疎漏なくするだろう」
「ハンの具合はどうなった?」
「最初に比べると大分良くはなってきておるが、膝がまだ思うようには動かんし、ヒトウカのあたりがまだまだ残っておる。 あまり食をとりたがらないとカミが言っておったのが気になるところだが。 ショウワ様はハンもこちらに来さそうと思われのだが、吾とカミが肩を貸せば動くことができると言ったのだがな・・・」
ケミが苦い顔を作る。
「食をとりたがらない?」
ダンが訊き返した。
「吾とダンならまだしもお前たちでは無理な話だな」
「ショウワ様に同じようなことを言われた」
「おい」
訊き返したことに答えてもらえないどころか、ゼンとケミとで違う話を進めているのはどういうことだ。
「まだ動けんから、カミが残ったということか」
「ああ、身の回りのことがあるからな」
「おい」
「だがどうしてまだまともに動けないハンまでここに連れて来ようとなさった? ハンの具合は報告していたのだろう?」
「ああ。 だが、なんとか領土の入り口までは無理かと言われたので、肩を貸せばと答えた。 あとはお前たち二人にまかそうと思われたのだろう」
「おい! いい加減にしろ。 お前たち二人だけで話を進めているのではないわ!」
思わずケミとゼンが互いに見合う。 そういえばダンがいたのだった。
「・・・お前が話に入ってこないからだろう」
「言ったわ! ハンが食をとりたがらないのかと!」
「聞こえなんだな。 ゼン聞こえたか?」
ゼンが首をかしげる。
「そうだ、これからは言い変えようか?」
「なんと?」
「これだから男は、ではなく、これだからダンは、とな」
どういうことだ、人の話を全く聞かず。
「勝手に言っておけ! 吾はもう寝る!」
簾(す)を撥ね上げて出て行ってしまったが、言った通り奥の男たちの寝間に行ったのだろう。
揺れている簾を見ている二人の目。 先程までは互いに饒舌に会話をしていたというのに、急に黙り込んだ。
先に動いたのはゼン。 目先を下に変え顔を下ろした。 それを横目でケミが見た。
「頭痛はどうなった」
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- 虚空の辰刻(とき)- 第178回
「久しいな。 かけるがよい」
立つときもそうだったが、座る時にもニョゼの手を借りている。
「この者は?」
「ニョゼと申します。 辺境にずっといた者でございまして、マツリ様にはご存じではおられないかと」
マツリがニョゼを見るとニョゼが辞儀をして茶を淹れに台所に入った。
何でもこなすニョゼである。 子供の頃に一度入っただけの領主の家ではあるが、最初に女たちにアレコレと教えてもらっただけで、彼の地と全く違う台所の中の何もかもを覚え、使いこなすことができた。
「そうか。 今日は領主の見舞いか?」
ニョゼに何かを隠そうとする様子は見られなかった。 今は敢えてニョゼの何かを疑うまでもないだろう。
ショウワの立場からして普通に考えるなら、もっと早くに見舞いに来るはずであろうが、領主の状態もある。 それにショウワの状態も。
「それもございますが・・・。 セッカから話を聞きました」
「で? そのセッカは?」
「どうしても外せず、代わりにこの老体が参じました」
「ショウワだけが? それは可笑しい」
“ショウワが?” ではない “ショウワだけが” である。
「・・・」
頭を垂れる。
沈黙の時が流れる中、ニョゼが茶を出した。 静かに置いたにもかかわらず、湯呑を置く音がいやに大きく響く。
ニョゼがそのまま台所に身を引いた。
ショウワの口が動くのを待つ。 これが若い者なら、すぐに怒鳴りつけていただろうが、相手はマツリの父である四方より歳が上である。 それどころか祖父とそう変わらないだろう。 敬う気持ちは持っている。
ニョゼの淹れた茶を一口飲む。
(ふむ・・・美味いな)
これまで何度も祭の時に来ては茶を出されていたが、その茶とは比べ物にならない。 領主の家の茶より美味しくない茶を出すはずはない筈だが、と考える。 何故なら、祭の折には直接ではないが、本領をどんなふうに迎え入れるか、北と西の領土が他の領土に張合っている節が見えるからだ。 決して本領は比べてなどいないのだが。
だから祭の時には北の領土で一番美味い茶葉で淹れているはずだがと考える。
マツリが茶葉のことを考えている間に、ショウワが腹を決めたようだ。
「マツリ様がお探しの娘ですが・・・」
眉を上げたマツリがコトリと湯呑を置いた。
「・・・セッカがここに連れてくる前に居なくなったということでございます」
「居なくなった?」
「はい」
マツリが何かを問う前に言わなければ、問われてからでは遅いと息を大きく吸って続けた。
「娘がいつどこでどうやって・・・深夜のことでございましたので知る者はおりません。 セッカが辺境に居る娘のところに行きました時には居りましたそうで。 翌朝に領主の家に連れて行こうと思っていたそうですが、朝には既に居なくなっていたということでございます。 深夜に居なくなったということでございましょう」
屋敷のことは言えない。 あくまでも辺境にいたことにせねば。
マツリがまだ聞く姿勢をといていない。
「セッカがそう申しておりました」
「・・・それだけか?」
「然に」
「ショウワ、その名にかけてそう言えるのか?」
その名にと来られたか。 だがそれはそうであろう。 この北の領土の者は知らないが、本領はショウワが ”古の力を持つ者” と知っているのだから。
「さ・・・」
“然に” と言いかけた。 だが・・・。
「どうした」
「いえ、何も。 然に」
(ショウワ・・・その名にかけて・・・。 なんじゃ? ・・・くっ)
マツリの言葉に引っかかった。 それを疑問に思った途端、頭痛が走った。
「この北の領土のどこに隠れられるというのか?」
「全くもって分かりませぬ」
痛みは引かないが、顔に出すわけにはいかない。
「意地でもしらを切りとおすということか」
「マツリ様。 本当にどこにも居りません。 セッカもマツリ様との約諾があるからとあちらこちらを探しておりました。 セッカもこの老いぼれも、娘を隠してなどおりません」
「では、どうして娘がいなくならなければいけない」
「娘の考えていることが、この老いぼれに分かるものではございません」
ショウワは娘のことに対して何も隠している様子はない。 いや “何も” と言ってしまえば語弊があるだろう。
「居なくなったということは本当のようだが・・・何を隠しておる」
「隠すなど、その様なことは御座いませんが・・・あの娘が東の領土の者とはこの老いぼれが知り得なかった事を悔やんでおりますだけで」
事実、セノギから聞かされるまで知らなかった。
「それがショウワの目の奥の陰りとでもいうのか?」
「一番に気付かねばならなかったことでございます。 この様な身体になってしまいましたなら、そんな事さえも気付きませんで。 情けない限りでございます」
頭痛が酷くなってくる。
影からの話では、領主はマツリに紫揺が東の領土のムラサキと知っていたとは口にしていないと聞いていたが、きっとシキには視られている。 領主一人を悪者にする気ではないが、少なくともこの場をなんとか治めなければならない。
もうムラサキはここにも屋敷にも居ないのだから、これでなんとか治まれば屋敷のことに触れなくて済む。 あと少し、あと少しの辛抱で終る。
「どこかから来て、どこかに行ってしまった。 そう言い切るのだな」
「然に・・・」
そう言うと顔を隠すようにショウワが下を向いた。
マツリが訝しげに見る。
「どうした」
「・・・いえ、なんということも・・・」
台所で二人の会話を聞いていたニョゼがショウワに駆け寄った。 ショウワが顔を歪めて痛みに耐えているのが分かる。
「すぐに丸薬をお持ちします」
ニョゼが水と丸薬を持ってきて、ショウワに飲ます。 それをじっと見ていたマツリ。 どうやら芝居ではなさそうだ。
「横になればよい」
マツリが立ち上がり部屋を出て行く。
ニョゼが慌てて見送りに来た。
「よい。 ショウワも歳だ、見ておいてやれ。 ああそれと・・・」
そう言うと肩越しに振り返った。
「茶を馳走になった。 今まで北で飲んだ茶の中で一番美味かった」
静かに領主の家から出て行った。 ニョゼが下げていた頭を上げるとすぐにショウワに駆け寄り、そのまま横にならせた。
「機を違(たが)えたか」
どこに匿っていたのか訊こうとしていた矢先だった。
「マツリ様」
呼ばれ横を見ると、先ほど領主を訪ねた時には留守だった薬草師が幾つかの薬草を持って立っていた。 マツリが口角を上げる。
「領主の具合を上手く見ておるようだな」
薬草師が深く辞儀をする。
「有難うございます。 領主の様子が落ち着いてこられたのも、マツリ様のお蔭でございます」
「ショウジの目や手がいいからだろう」
「いえ、そのようなことは。 ですが・・・師匠につくことは、やめようかと思います」
セッカの使いでやってきた者から話を聞き領主の家に来た時、領主の周りに置いてあった薬草はとんでもないものだった。
「その方がよい」
「あのままではこの領土は、領主を失うことになっていたかもしれません。 なんと礼を申し上げればいいか」
「礼など要らぬ。 ショウジの努力が手にしたものだ。 領主のことが治まれば、ショウジの薬草を求めてくる者が増えることになるだろう。 薬草をたんと準備しておけよ」
「あ・・・そのようなことは」
「考えていないと言ってどうする。 ショウジの合わせる薬草で助かる民が居るのだぞ。 薬草師としてそれが一番なのではないのか?」
「ですが・・・そうなると師匠が・・・」
この領土の中心の薬草師はショウジとその師匠だけ。 ショウジの方の薬草に人が集まれば、師匠の調合した薬草を求める者が減るということだ。
「今までの徳があれば誰も見放しはせん。 それに・・・」
「はい?」
「そうなるとリョウの両親も安心だろう」
リョウとはショウジの想い人だ。 ショウジとリョウのことを話した当時七歳違いのリョウは十六歳。 この領土でも本領でも決して結婚が早い歳ではない。
「はっ!?」
まさかここでリョウの名前が出るとは思わなかった。
「それとも、もう誰かに嫁いだか?」
「いえ! いえ、まだ・・・」
「ではショウジの選んだ娘だ。 嫁に迎えるといい」
「あ・・・」
今にも口から泡を吹きそうになっている。 リョウのことを話す予定ではなかったのだから。
「またあの時のように話がしたいものだな」
初めはちょっと屈折したが。
「は、はい。 それまでには良き薬草師になっていますよう勉強を重ねます」
「リツソに聞かせたい・・・」
うっかり本心が出てしまった。
「は?」
「いや、なんでもない。 朗報を期待しておる」
そう言うとキョウゲンの背に跳んだ。
「マツリ様・・・」
深く頭を下げ見送った。
「さて、どうしたものか」
姉であるシキのことを考えると、ムラサキを逃したのは痛恨だ。 だがあの娘がムラサキとはいまだに信じられない。 あんなクソ生意気な娘が東の領土が呼ぶ紫などとは。
あのクソ生意気な娘をこれ以上どうやって探せばいいのか。 ショウワは嘘を言っていない。 あのクソ生意気なバカはどこに消えたのだろうか。
(姉上のお気も知らず、勝手なことをして腹立たしい)
今も母上の澪引の枕元に付いているであろうシキのことを思う。
「マツリ様、お気をお静めになられますよう」
キョウゲンが言う。
「わ、分かっておる」
「あの娘が紫であるとすれば、狼たちと会話が出来ることに納得できます」
キョウゲンが言っているのは、マツリが狼たちから初めて紫揺の報告を受けた時のことだ。 狼たちの報告の内容から 『その者がお前たちの話を聞いたと思わないか?』 マツリはそう言った。 敢えて深く考えることなく。
だがシグロは自分たちの話を聞くことができるのは本領の人間だけだと言っていた。
それに間違いはない。 それに本領の人間が全員聞けるわけではない。 ほんの一部の人間だけに限られている。
そこまで考えていなかった。 ただ話の流れから娘が狼たちの話を聞いたと思っただけだった。
「・・・」
失念していた。
五色の力を持つ者は元をたどれば本領の人間である。 本領で生まれ育っていなくとも、五色の力の中にその力はある。
「あの娘が紫であるということの一つの証明か・・・」
「代わりに申しましょうか?」
「ん? なにをだ?」
「あのクソ生意気な娘は紫だったのか、と」
全面的に紫と認めたくない。 あのクソ生意気な娘が本領から出向いた祖を持つ娘とも思いたくないし、シキが身体を壊してまで慰めていた東の領土の民が探す紫とも認めたくないと思っていた。 認めたくないから言い切るのではなく、一つの証明と言ったのだが、良いのか悪いのか、そこにすかさずキョウゲンが明言してくれた。
だが、狼たちの言葉が分かるのは真実だ。 後に狼たちからそんな話を聞いた。 それにシキに視誤りがあるとは思っていない。
「お認めになられた方がお楽になられるかと」
「キョウゲンには敵(かな)わない」
「恐れ入ります」
「さて・・・姉上に何と言おうか・・・」
四方にはもちろん報告をするが、紫が居なくなったと知って落胆するであろうシキにはどう言えばいいか分からない。
こんな時に限ってキョウゲンは一言も発しない。
ショウワの家にゼン、ダン、ケミが居る。 一部屋に車座となって話している。 ゼンの後ろには戸があり斜め左にはケミ、斜め右にダンがそれぞれ藁蓋(わろうだ)に座っている。
まずはケミからムラサキが居なくなったと報告を受けた。
「吾の手落ちだ」
「だがショウワ様からは言われておらなんだのだろう」
ムロイがいないのだから、紫揺のことは特に見なくていいと言われていた。
「そうだが・・・。 ショウワ様はもう追えんと仰っておられた」
そう言われて思い出したことがある。 ショウワの顔色が悪いと聞かされていたのだった。
「ショウワ様はあれからどうしておられる?」
ショウワの顔色の悪さに気付かなく、ケミに『これだから男は』 と言われたダンがケミに尋ねた。
「向こうでセノギに言われ、ニョゼが伴って病院に行かれた。 言っておくが、セノギはすぐにショウワ様のお顔のお色が悪いと気付いたぞ」
ぎろりとダンを睨んだ。
「セノギは男ではないかもしれん、ということか」
『これだから男は』 と言われたダンが逆なでするような冗談を言う。
そこにゼンが入った
「やめろ。 それで?」
ダンからゆっくりと目を離すとゼンに目を合わせる。
「頭痛と寝不足を起こされておったようだ。 薬をもらわれてきたが、あまりよさそうでは無いな。 セッカ様がこちらの薬草師が作った丸薬を持っていたのでそれを何度かおのみになっていた。 今は長旅のお疲れがみえる」
「ニョゼが一緒だと吾等は身を出せんな」
先にケミからニョゼが同行していると聞いていたゼンが言う。
「ああ、だがニョゼのことだ、疎漏なくするだろう」
「ハンの具合はどうなった?」
「最初に比べると大分良くはなってきておるが、膝がまだ思うようには動かんし、ヒトウカのあたりがまだまだ残っておる。 あまり食をとりたがらないとカミが言っておったのが気になるところだが。 ショウワ様はハンもこちらに来さそうと思われのだが、吾とカミが肩を貸せば動くことができると言ったのだがな・・・」
ケミが苦い顔を作る。
「食をとりたがらない?」
ダンが訊き返した。
「吾とダンならまだしもお前たちでは無理な話だな」
「ショウワ様に同じようなことを言われた」
「おい」
訊き返したことに答えてもらえないどころか、ゼンとケミとで違う話を進めているのはどういうことだ。
「まだ動けんから、カミが残ったということか」
「ああ、身の回りのことがあるからな」
「おい」
「だがどうしてまだまともに動けないハンまでここに連れて来ようとなさった? ハンの具合は報告していたのだろう?」
「ああ。 だが、なんとか領土の入り口までは無理かと言われたので、肩を貸せばと答えた。 あとはお前たち二人にまかそうと思われたのだろう」
「おい! いい加減にしろ。 お前たち二人だけで話を進めているのではないわ!」
思わずケミとゼンが互いに見合う。 そういえばダンがいたのだった。
「・・・お前が話に入ってこないからだろう」
「言ったわ! ハンが食をとりたがらないのかと!」
「聞こえなんだな。 ゼン聞こえたか?」
ゼンが首をかしげる。
「そうだ、これからは言い変えようか?」
「なんと?」
「これだから男は、ではなく、これだからダンは、とな」
どういうことだ、人の話を全く聞かず。
「勝手に言っておけ! 吾はもう寝る!」
簾(す)を撥ね上げて出て行ってしまったが、言った通り奥の男たちの寝間に行ったのだろう。
揺れている簾を見ている二人の目。 先程までは互いに饒舌に会話をしていたというのに、急に黙り込んだ。
先に動いたのはゼン。 目先を下に変え顔を下ろした。 それを横目でケミが見た。
「頭痛はどうなった」