大福 りす の 隠れ家

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孤火の森 第9回

2024年07月22日 21時00分20秒 | 小説
孤火の森(こびのもり)  第9回




「さっき言ってただろ、お頭を置いてここを離れたって」

「ああ」

「天幕まで行ってたんだ。 そこで兵たちの話を聞いた。 明日森が襲われる」

「・・・」

タンパクは黙ってしまったがお頭が目を剥いた。 それに気付かず若頭が話を進める。

「前に長たちが集まってそのことを話した」

「・・・聞いてる」

「それじゃあ、なにを言いたいか分かるだろう」

今でこそ遠回りをしている兵だが、森を制圧すれば一番の近道を通って森と街を行き来する。 それは石の群れの領域を兵が歩くということ。 今お頭の群れが兵たちが通るたびに姿を隠している生活と同じことを、終わりの分からない日々送らなければいけないということ。

「夜が明けたら動くようだ。 小さな森だそうだな、制圧に一日もかからないだろう」

制圧が終われば沢山の兵がこの辺りを歩くということ。 もし制圧すれば、気が高揚している兵たちは岩穴を覗くかもしれない。 覗くだけでは終わらない。 いや、制圧できなかった時にも何があるか分からない。
万が一を考えて一旦群れで岩穴を出ておくのが最善だ。 それともこの領域を諦めて移動をするのなら早々に動かなければいけないということ。

「その話、本当だろうな」

「ふん、疑うんなら勝手にしな、俺は同じ山の民として忠告はした」

「おい若造、とっとと戻ってセキエイに話してきな。 後になってコイツが嘘をついてたってんなら、おれんとこに来りゃいい。 何度でも頭を下げてやるよ。 だがセキエイに言っときな、礼は要らないってな」

タンパクが口を歪め踵を返した。 他の男たちがそれに続く。

「今の話」

振り返りながらお頭が言う。

「どういうこった?」

お頭の問いに若頭が天幕で聞き耳を立て聞いてきたことを話す。

森を制圧したあと兵たちはまず女王が産み落とした御子と共に逃げた者を探す。 それには女王の髪の毛を使う。 女王の髪の毛が逃げた者を見つけられれば、その者の前で御子と同じ年頃の子供を一人ずつ傷つけていく。 それもいたぶるように。

兵たちには誰が御子かが分からないが、見つけた者は知っているのだから、御子が傷つけられるのを黙って見ていられないだろう、ということだった。
その時、小隊隊長から声が上がった。
その者に限らずとも、御子の存在は森の民の誰もが知っているだろう、それならばその者を探す必要はない、森の民ならだれでも良い筈だと。
だがジャジャムが首を振った。 若頭にはそこまで見えていなかったが。

ジャジャムによると、森の民であるのならばどの子も我が子と同じと考えるかもしれない。 確かに御子を違う目で見てはいるだろうが、言ってみれば爪一枚を剥がした時の反応で判断するには難しいところがある、ということだった。 それにその者が御子の正体を話していない可能性も高いと。
だがその者は仲間である森の民を見殺しにして逃げた者、ましてや女王までも。 御子だけは守るはず、その者の反応であれば簡単に見分けがつく。

淡々と話していたジャジャムだったが、心の中はどろどろとしたものが渦を巻いていた。 それなのに聞いている小隊隊長たちは目に喜びを潜めていた。
そんなことをせずとも最初から女王の髪を使って御子を探せばそれでいい話なのに、セイナカルは御子を隠していたその者に恨みがある、長引かせた恨みを果たしたいということであった。

「けっ、とんでもねぇ奴らだ。 旦那、どうする?」

若頭の話を聞き終えたお頭が急にそんなことを言い出した。

「お頭?」

旦那とは? どうするとは? どこか頭でも打ったのだろうか。
すると一瞬にしてお頭がもたれていた岩の近くで砂塵が舞ったと思うと、そのまま縦に長い渦を作り今度はゆっくりと砂塵がひいていく。 その中に男の姿があった。 白く長いローブに付いている頭巾を深くかぶっている。
若頭がお頭を守ろうと足を動かそうとした途端、お頭がそれを止めた。

「探し人だよ」

「え?」

それではこの目の前に居るのが森の民ということなのか。
男が頭巾を下ろした。
若頭と同じように長い髪の毛を三つ編みにしている、だが色が違う。 三つ編みからもれている横の白銀の色をした髪がサラリと頬の上に落ちてきた。
噂で聞いていた森の民の白銀の髪色。 それは噂以上に美しい。

「・・・」

初めて見る森の民。 透き通るような肌の色。 透き通ったブルートパーズ色の瞳。

「この者は?」

「うちの群れのモンだ、疑う相手じゃねぇ。 今の話しもな。 旦那には黙っとけって言われてたけどよ、こいつにだけは双子の話も何もかも話してる」

「話したのか」

「悪いとは思ったけどよ、おれに万が一のことがあってからじゃ双子も旦那たちも困るだろう。 って、まぁな、旦那のさっきの話からじゃ、おれの代わりにこいつが来ても会えなかったようだがな」

二呼吸おいて男が口を開いた。

「お前のあとは追える、先に行っててくれ」

「はいよ」

おい、行くぜ、と言ってお頭が歩きだした。
吸い込まれそうな髪の色に放心しかけた若頭だったが、お頭の声に間一髪で留まりお頭の後を追った。

足を急がせながらも若頭が居ない間にあったことをお頭が話し出すと、お頭がもたれていた岩が目印だったらしいということであった。

「あの岩が?」

「だろ、おれもそう言ったよ」

だが森の民が言うには、あそこに辿り着くと誰もが一旦腰を下ろしたがる。 そこによい具合の背もたれがあれば疲れた体をもたれさすだろう、ということだった。

「いや・・・それのどこが目印だと?」

「だろ、おれもそう言ったよ」

ほんの少し前にもお頭の口から同じ言葉を聞いた。 山の民は考えることが似ているのか、それとも森の民以外はどこの民でも同じことを考えるのだろうか。

「あの岩なぁ、作りもんだったよ」

「え?」

「いや、おれもいまだに信じられねーんだがな」

全身で岩にもたれようとした、するとあの岩に飲み込まれてしまった。 身体全身が岩の中に入ってしまった。
森の民の呪で作った岩であったらしい。 もたれられるのだから、幻術ではないということだったが、詳しくは話してもらえなかった。

「まっ、呪のことなんて説明されても分かんねーがよ」

そして岩の中は、と言うより、岩の下は大きな空間になっていた。 岩から落ちてきたお頭をまるで空気の塊のような物が受け、お頭の身体はニ度三度撥ねあがった。 そしてその塊からズルズルと滑り落ちたという。

「もう何が何だかだったぜ」

ズルズルと落ちて尻もちを着いた前にあの森の民が立っていた。 そこで『徴があったぜ』 と一言いったという。

「そんな状態でよく知らせる言葉が出たもんですぜ。 オレならまず呆気に取られて口が開けっぱなしだ」

「伊達にオメーの倍を生きてきちゃねーからな」

お頭があの岩にもたれればすぐに分かるということだった。 他の者がもたれても知らぬで終わらせればいいことだと。 簡単なことだ、と言っていた。

「分かりやすい目印だ、って言いやがった。 どこがだってんだ」

お頭が空間を見回すと色んなものが置かれていた。 ここで生活をしていたのだろうか。

『あんた、あの時からずっとここに一人でいたのか?』

『そうだ』

十年以上も一人で・・・。
思いもしなかった。 てっきりどこかの森に入っているのかと思っていた。 こんなことならあの時この男を引き留めて岩穴の一番奥にでも入っておけと言っておけばよかった。 いや、それは出来ない事だ。 群れの奴らは森の民を受け入れないだろう。
ヤマネコがポポに話して聞かせたように、誰もが森の民のことを同じように思っている。 関わるべきではないと。

『ここは・・・あんたが来る前からあったのか?』

生活道具以外にも色んなビンや瓶(かめ)が置かれている。

『いや』

『それじゃあ、あんたがこの穴を掘ったのか?』

『そうだ、呪でな』

呪で穴まで掘れるのかと思っていたお頭の前で森の民が椅子に座った。 お頭の質問に答えようということなのだろう。
この男が特別友好的なのか、お頭に対してだけなのか、それとも森の民のことを誰もが勘違いしているのか。

『その色んな道具はどうしたんだ?』

『徴が来るまでには時がある。 少なくとも・・・八年はあるだろう。 その間にお前がここに来ることはない。 穴を掘り終えてすぐに揃えだした』

『揃えだしたって、その目と髪の色じゃあ、市にも行けないだろう』

『森の民に譲ってもらえれば一番良かったのだが、どこの森も兵が見張っていたからな。 譲ってもらうのを諦めて市に行ったが、市に行く時には染めた』

呪を使えば良かったのだが、どこにどんな呪師が居て見破られるか分からない。 染めるなどということはしたくなかったが、危ない橋を渡る方がよほど敬遠すべきことだった。 目はフードを深くかぶり隠していたが、市に行く度、街の呪師にまともな力がないことを知りそれからは呪で髪の色を変えていた。

『金は?』

『なんとでもなる』

どうなんとでもなるのだろうか。

『飯はどうしたんだ?』

『森の民の呪がある』

どんな呪だ・・・。

『あんた・・・初めて会った時より若く見えんだけど?』

それにブブとポポを渡された時よりも若く見える。 あの時ですら、初めて会った時と変わらなく見えた。 話からするに逃げてきたということで、目の下にはクマがあり頬もこけていたから今よりも老けた感じには見えてはいたが。

お頭が初めてこの男を見たのはお頭が十三歳の時だった。 あれから既に四十年以上が経っている。 いや、どちらかといえば五十年に近い。 あの時、この男は三十を越したくらいだったはず。 そう考えると今は八十手前の歳でなくてはならない。
森の民というのはある程度の歳を過ぎると若返るのだろうか。
森の民のことは知らないことが多すぎる。

『お前が初めて会ったのは、わたしの父だ』

『・・・え?』

男が声なく笑った。

『よく似ているとずっと言われてきた』

『・・・騙されたってことかい』

どうしてそんな単純なことに騙されたのだろう、自分に呆れてものが言えない。

『騙してなどいない。 この顔を覚えているかと訊いただけだ』

いろいろと頭の中で考えて損をした気分だ。
だが、それならばどういうことだろうか。 初めて会った時の男と今目の前にいる男が別人だというのならば。

『ちょ、ちょっと待ってくれよ、それじゃあどうしておれのことを、おれの居場所もだ、なんで知ってたんだ』

その時の少年お頭は群れも作っていなかった、それどころか居所を定めてもいなかった。 だから有り得ない話だが、万が一にも住処としている岩屋の位置をこの男の父親に聞いていたとしても、どの岩穴か分からなかったはず。 それにあの時の言いようは、何を問うことなく父親から聞いていた相手がお頭と分かっていた。

『お前がどこに居ようが森の民はお前のことを知っている』

あの時、あの男に印でも付けられたのだろうか。 お頭が顔を歪める。

『気持ちわりぃ』

尻もちを着いたまま話をしていたが、ようやく立ち上がろうとした時、腰の痛みを思い出した。
思わず顔を歪めると、森の民が立ち上がりお頭の横に片膝を折った。

「で、ありとあらゆるところを治してくれたってこった」

ビンや瓶の中にはありとあらゆる薬が入れられていた。 それに腰と挫いた足首には呪がかけられた。
薬を塗られた傷口はじわじわとだが、それでも普通に考えると信じられない早さで塞がっていった。

「森の民の薬と呪ってのはすごいもんだぜ」

ポンポンと腰を叩いてみせる。

「呪ってのがいつまで持つかは分かりませんが、とにかく治って良かったですぜ」

お頭がジロリと若頭を見る。

「やっとかい」

やっと治って良かったと言ったのか。



お頭と若頭が去ると森の民は襲われる森に向かわず岩の中に入っていた。
椅子に腰かけると目を瞑り精神を集中させるように二度深く呼吸をする。 次に意識を穴の中から出し森に向かわせる。
森とここの距離ならば動物を使わなくとも意識が届く。 それにこの方法が一番早く確実である。
意識の触手が森の中に入り、森の民であるこの森の主(ぬし)に届いた。

床(とこ)に横になり目を閉じていた主が薄っすらと目を開ける。

『誰ぞ』

口を動かすと白髭が揺れる。

『サイネム・ローダル・ライダルード』

お頭と話していた森の民の名である。
森の主が床から体を起こした。 サイネム・ローダル・ライダルードと言われれば王女に何かあったとしか思えない。

『王女に何か?!』

『いいえ、そちらは順調です。 山の民から聞いた話があります』

『山の民から?』

そこで兵のことを話した。

『もうすでに随分と前から森の中に足を踏み入れ、森の中の様子も知っているようです』

サイネムにとって経験済みの話である。 これだけを助言としか出来ないがそれは大きなことである。

『・・・』

『一気に入り民の住処を潰しに来ます』

そして何を目的にしているのかを話した。 その方法も。

『女王の髪を・・・なんということを・・・』

女王が殺されたということは無かったはず。 自害ももちろん、女王はそんなことをしない。 命ある限り森を守る。 命の灯火を最後まで森に向け灯火が消えた。
その女王の髪を切ったなどと。
それに何と残酷なことをしようとしているのか。

『わたしたちの森のようになってほしくはありません』

『この森はわれらが守る。 山の民に礼を言っておいて下され』

『一人とて傷つくことの無いよう森に願っております』

そう言い残すと触手が離れていった。

『女王にかけて』

森の主が床から足を下ろした。

息をふうっと吐いた森の民であるサイネム。 まだ目を瞑ったまま深く息を二度繰り返すとゆっくりと瞼を上げる。

あの森のことは森の主に任せるしかない。 応援を呼ぶも呼ばぬも主次第。
サイネムに手を貸してくれとは言わなかった。 それはサイネムが王女のことで動いているのを知っているからだろう。

ゆっくり立ち上がると岩の外に出た。 辺りはまだ暗闇、誰の目があるわけではない。 それにローブ姿を見られたところで困ることはない。 だが髪の毛を見られてしまうと何があるか分からない。 頭巾を深く被ると一度目を閉じ呪を唱え、お頭のあとを追った。

お頭の後を追うのは簡単だった。 岩にもたれかかった者がお頭かどうかわかるのと同じ原理である。
身軽に追っていくサイネムの頭に若頭が言っていたことが蘇る。

若頭は『女王の髪の毛を使う』 と言っていた。 それは女王の髪の毛に呪をかけるということ。
あまり表情を動かさないサイネムの頬が僅かに歪んだ。


あの時、双子を生み終えた女王に呼ばれすぐに産屋に入った。 丸三日かかったお産で女王は衰弱していた。

『ピアンサ、よく頑張りましたね』

後産を終えていた女王の服は整えられ、女たちが産湯を済ませた双子を抱いていた。
女王であるアリシア・シーリン・ピアンサが薄っすらと微笑んだ。 こんなことを話している時ではないことは分かっている。

『ライダルード』

苦しいお産で何度も口呼吸をしていたのだろう、女王の声は枯れていた。

ライダルード、それは森の民の中で女王と女王のローダル、そして双子として生まれたシーリンだけが呼ぶことが出来るサイネムの真名(まな)。 サイネム・ローダル・ライダルード。
そしてシーリンとは王女と女王に付けられる名。 女王の真名であるピアンサと呼べるのは、ローダルと同じく女王と女王のローダル、そして双子として生まれたローダルだけが呼ぶことが出来る。

『うん? なんですか?』

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孤火の森 第8回

2024年07月19日 21時21分44秒 | 小説
孤火の森(こびのもり)  第8回




若頭が目を眇めた。
走っていた足を止め、岩の陰に隠れながら徐々に足を進めていく。

「やっぱり・・・」

天幕であった。
篝火がある。 歩哨(ほしょう)らしき姿が見えるがそれだけでは無い。 何人もの兵の姿がある。

「何をしている・・・」

こんな夜ならば歩哨だけが外にいるはず。 あとの者は眠りについている時間であるはず。

若頭の経験から森を襲うのであれば朝のはず。 経験と言ってもたったの一回だけだが、あの時には朝から騒ぎを耳にした。 夜襲ではなかった。
きっと森の民より夜目が利かない街の民、というのが大きかったのだろう。 場所は森の中だ、森の民は朝であれ昼であれ夜であれ目を瞑ってでも戦えただろう。 それを思うと街の民である兵に有利な朝を選んだのだろう。
そこから考えるに夜襲をかけるはずはない。 それなのにどうしてこんな夜に兵が起きているのだろうか。

篝火を持つ手があちこちから走りだした。
若頭が視線を動かす。 篝火が踊っているように動き回っているのが遠くても視認できる、と思った途端、耳に蹄の音が聞こえた。

「誰かを待っていたのか」

だがその誰かが乗っているだろう馬の蹄の音が多すぎる。 こんな夜遅くに天幕にやってくるのなら、連絡係の一人か二人だろうにそれ以上の蹄の音。
州兵が森を襲おうが何をしようが、山の民である若頭には関係のないことである。 だが・・・。

「ちっ」

お頭から聞かされた話がある。
森はブブとポポの故郷だ。 あの森だけが故郷ではない、と。

お頭には大きな借りがある。 あの時お頭と知り合わなければ、今の群れには居なかった。 今の群れに居なかったということは、ポポとブブのことを知ることは無く、無駄にどこをどう彷徨ったかも分からない。

若頭が足を前に進めていると、ようやく兵たちが待っていた人物が現れたようだ。 兵たちの歓声が聞こえる。
離れた所に居た兵も、兵の誰もがそちらに向かって走っていく。 歩哨さえも。
背を向けている兵たちの後ろを若頭が一気に走りだす。
兵隊長! 兵たちが兵隊長を呼んでいる。

「我らが一番よ!」

更に歓声が上がった。
満足するかのように口の端を上げた兵隊長。 前に居並ぶ騒ぎ出した兵たちを右から左に見るとジャジャムと呪師を前に招いた。
一人二人と兵の歓声が止んでいく。

「明日、出陣とセイナカル様から言いつかった」

兵隊長の声に負けじと再度歓声が上がる。

(出陣?)

若頭の足が一瞬止まった。 長たちとの話が思い出される。 州兵たちは森を攻めようとしている。
出陣とは聞こえがいいが、それは森を襲いに行くということではないのか。 それも明日。

ここで引き返してもいい。 お頭の言っていた森の民に会ってこのことを話せばいいのだから。 だがやって来た内の二人は明らかに兵ではない。 では誰なのか、何をしに来たのか。 陰に隠れながら若頭が足を進める。

兵隊長が歓声を押さえるように両の手を上げると、波が引くように歓声が静まっていく。

「こちらはジャジャム殿とセイナカル様直々の呪師」

兵は顔こそ知らないがジャジャムの名を知っているし、呪師と言われれば何をする者なのかを知っている。 それもセイナカル直々の呪師ということ。
これらから何が起ころうとしているのか、兵たちの腹の底からマグマが吹き上がりそうになっている。 それも一等最初だ。 どこの兵も出し抜いた一番だ。
それは兵だけではなく兵隊長の腹の中にもあることだった。 それも兵隊長の腹の中は兵以上であるだろう。

「小隊隊長、我が天幕に。 早朝、小隊隊長から説明があるそれまであとの者は体を休めておけ」

セイナカルが言ったことは長い話ではない、単純な話である。 その説明はあっという間に終わるだろう。
だがどこからどう攻めるかは、現場を目にした小隊長から聞かねばならない。 いや、それはもう聞いていた。 ジャジャムと呪師から見て、それでいけるかということの確認をしなければならない。
兵隊長に続いてジャジャムと呪師が一番大きな天幕に入った。 遅れて小隊隊長たちが入ってくる。

椅子に腰かけたのは兵隊長とジャジャム。 薄布で顔を隠している呪師はジャジャムの後ろに立ち、小隊隊長らも卓を挟んで立っている。

「まず、セイナカル様から言いつかったことは・・・」

そう話し始めて次にどこから攻めるか、どう攻めるかの話に移った。

若頭が踵を返す。
歩哨はいるものの、他の兵たちはみな天幕の中に入っている。 その天幕からは上気した声が上がっている。 少々物音をたててしまっても見つかることは無いだろう。 篝火にさえ姿を捉えられなければそれでいい。

(クズどもが)

天幕の外で聞いた話は到底人間のやることとは思えない。 同じ人間と思いたくない。
自分達だって獣を殺し贓物を取り出し皮を剥ぎ肉を削ぐ。 同じ獣から見れば、親を殺された獣の子供や子を殺された獣の親から見れば、自分達だって残酷非道のクズかもしれない。
だがそれは生きていくためだ。
山の民も、それが獣でなく魚介であっても海の民も川の民もどこの民も食べる以上には獣も魚介も殺さない。

篝火の範疇から十分に出た。 兵には月明かりくらいでは姿を捉えられないだろう。 あとは一気に走るだけである。
走って走ってお頭が座っていた、もたれていた岩まで戻って来た。
だがそこにお頭の姿がない。

「お頭・・・?」

ここで間違いない筈だ。
身体ごと三百六十度辺りを見回す。 だがどこにもお頭の姿が見えない。
上を見て月の位置を確認する。
月の位置からするとそこそこ天幕に居たようだったが、だからといって待てない時間では無かったはず。 それもあの腰と足の状態。
それにここにはまずまず獣は居ないはず。

「まさか兵に・・・」

いや、もし兵に襲われたのならばここにお頭の身体がない筈はない。 お頭の身体は横たわっているはずだ。 息もなく、だが。
では、どこかの民に?
有り得なくない話だが、どこの民もこんな時間に歩いていないだろう。 歩いているとすれば何年か前の自分のような者か、はぐれ民くらいのものだろう。
はぐれ民がお頭を襲うはずはない。 お頭も若頭ももう竹筒の中に水がなかった。 水をくれと言われても差し出す水はない。 もし水がないと聞き気が立ったとしても、そうであるならば兵と同じにお頭の身体はここにあるはず。

「お頭」

離れているとは言え天幕がある。 小声で何度もお頭を呼ぶがお頭からの返事がない。

「くそ!」

ブブとポポのことを思って長居し過ぎた、己を呪うしかない。 だが呪っていてもお頭を見つけることなど出来ない。 握った拳を震わすと顔を上げもう一度暗闇に目を向けたその時、ジャリっと土を踏む音が後ろからした。

お頭なら声をかけるはず、咄嗟に振り返り腰を落として構える。
月明かりに照らされたそこには知っている男の顔があった。 顔だけではない名も知っている。 だがここには居ないはず。

「誰かと思えば」

相手もこちらを探っていたようである。

「おい、いいぞ。 怪しい奴じゃない」

男が声をかけると後ろからゾロゾロと数人の若い男たちが出て来た。 その男達を背に男が若頭に問う。

「こんな所で何をしている」

「それはこっちの台詞だ。 どうしてここにアカツチがいる」

アカツチは若頭がお頭に変わって初めて長の集まりに行った時、他の群れの長についてきていてその顔も名前も覚えていた。 てっきり次期長かと思っていたが、それから姿を見ることは無かった。 だがその群れはこんな所にはない。

アカツチと呼ばれた男が鼻から息を吐いた。

「懐かしい名前だな」

若頭が眉を上げる。

「群れを出たのか」

「まぁ、な」

そうであるのならばこの男がここに居てもおかしくはない。

「ここに居た男を知らないか」

今度はアカツチが眉を上げた。 それは知らないということだ。

「男を探しているのか?」

「ああ、一緒に来た長だ」

「長? どうして長の集まりに来ない長がこんな所に来るんだ。 それにお前もだ。 お前たちの群れがここに来る必要はないだろう。 まさか・・・」

群れ荒しか、と問う前に若頭が首を振った。

「人を探しているうちにここまで来てしまっただけだ。 お頭・・・長が怪我をしてしまって動けなくなったから、オレ一人で探して戻って来てみれば長が居なくなっていた」

「探しに行った?」

「ああ」

「どこまで」

アカツチは兵のこと、天幕のことを知っているのだろうか。 それにこの辺りは丁度群れと群れの境目になるはず、どこの群れの山になるのだろうか。 ここも天幕のある所もアカツチの居る群れの領域になるのだろうか。

「長を置いてだ、そんなに足を伸ばしていない。 それより長を探したい、もういいだろう」

「お前のことを知らないわけではないが、こんな時間にこんな所に居てはな」

「どういうことだ」

「一度群れまで来てもらおう」

若頭が形相を変えた。

「長が居なくなったんだ! 長を探したいと言ってるだろが!」

一瞬ハッとした。 大声を出してしまった。 まさか天幕まで聞こえているとは思わないが、万が一のことがある。
若頭の表情に眉根を寄せたアカツチだったが、いま若頭はそれどころではない。

とんだことになってしまった。
目的の男を探すどころか、お頭が居なくなり、天幕で話されていた話まで聞いてしまった。 一刻も早くお頭を見つけなくてはいけないというのに、どこかの群れになど行っていられるものか。

「・・・なんかおかしいなぁ」

「なにがだ」

今度は声を荒げていない。 低く深く声を発した。
それにアカツチの言うことは尤もだ。 自分がアカツチの立場なら同じことを言うだろう。

「タンパク、充分に怪しい。 引きずってでも―――」

後ろからアカツチに寄ってきた男が言った。

「タンパク?」

タンパクと呼ばれたアカツチが肩越しに振り返っていた顔を戻して若頭を見る。

「ああ、今はタンパクだ」

「ってことは・・・ここは石の群れの領域か」

石の群れは石の名を付ける群れである。

「それがどうした」

「戻って長に訊きな。 うちの長・・・お頭のことをよく知っている」

「おかしら?」

「石の群れの長はセキエイだろう」

ずっと昔、お頭にアナグマのことを訊いてきたのが、まだ長になっていなかったセキエイだった。 アナグマはお頭の群れに入る前にはこの石の群れに居た。
胡乱な目つきをしたタンパクだが、思い当たることがあった。

「ああそうか、いつだったか長の集まりがあったな。 その時にでもうちの長と話したか」

若頭が長代理で群れの集まりに出ていることは知っている。 群れの集まりなどそうそうあるものではないが、つい最近あったところである。 だから名前を知っているのか、そう言いたげだったが、若頭が言っているのはそんなことではない。

「石の群れの長はうちの長、お頭に感謝していた。 そのお頭を探してんだ。 これ以上邪魔すんな」

お頭とは長のことか。

「おい、タンパクどうする」

若い男たちが集まって来たが、それを無視するように踵を返し若頭が歩きだした。
歩き出したはいいが、どこをどう探せばいいのだろうか。

(お頭・・・いったいどこに)

後ろから数人が走っていく足音が聞こえる。 何人かが群れに戻って行ったのだろう。 そして残っている男達が自分を監視しているのだろう。 その中にタンパクが居るのかどうかは、後ろを向いてしまった若頭には分からない。 その若頭がふと思い立った。

(なんてこった)

あまりに慌てていたのだろう、焦っていたのだろう。 山の民が獣を追うための基本を忘れていたなんて。
若頭が踵を返してお頭のもたれていた岩に戻って来た。
残っていた男たちが不審な顔をしたが、若頭には男達の表情など窺う気などない。

お頭がもたれていた岩の前に片膝を着く。
お頭が足を滑らせながら座った跡が残っている。 だが立ち上がった足跡が見られない。

(どういうこった・・・)

立ち上がった後がないのにここに居ない・・・。 持ち上げられたということか。 いや、それなら持ち上げた者の足跡があるはずだ。 だがそんな足跡などない。

(うん? なんだ?)

岩の下を覗き込んだ。

(あれはお頭の竹筒?)

手を伸ばして竹筒を取ろうとした時、それが引っ込んだ。

(・・・!)

「もうちっと上手く追い返してくれると思ったのによぉ」

声が上から降ってきた。

「オメーもまだまだだな」

顔を上げるとお頭が岩に腕を置き、反対側から覗き込むようにもたれかかっている。

「お・・・頭」

いつの間に。 この辺りにお頭の姿など無かったはずだ。 いや、それよりどうしてお頭が今取ろうとしていた竹筒を手に持っているのか。 岩にはそれなりの厚みがある。 反対側から竹筒を取れるはずなどないし空間などもない、まず反対側と繋がっていないはずだ。 いやいや、もし取れたとしても、身体を痛めているお頭では竹筒を掴んでから今の体勢をとるまでにはあまりにも早すぎる。 痛めていなくともだが。

お頭の声に残っていた者達が若頭から目を離し、岩に腕をついているお頭を見た。

「え・・・」

若頭が戻ってくる前にこの辺りは見ていた。 人っ子一人居なかったはずだ。

若頭が立ち上がりお頭を見るとお頭もついていた腕で岩を押し腰を伸ばした。

「あ・・・」

そんなことをしてしまっては腰によくない、いや、それ以前だ。 腰の痛みからそんなことは出来ないはずだ。
ニマっと笑ったお頭が竹筒を持っていない方の掌を見せる。

「え?」

あったはずの傷がない。

「足だってよぉ」

岩をまわって若頭の方に歩いて来たが、その姿にびっこを引く様子は見られない。

「ど・・・どうして」

「どうしてってか? 元気になったようで良かったですぜ、って先に言えねぇのかよ」

「おい!」

タンパクの声だ。
お頭と若頭が振り返る。

「若造がなんでぇ」

舐められないように言うが、あくまでもここはお頭の群れの領域ではない。 もし石の群れの領域であるのならば、たとえ相手が若造でもタンパクの方に理(ことわり)がある。

「戻ってセキエイに言っときな、邪魔したなってな」

タンパクを睨みつけて言うと「行くぜ」 と言って歩き出した。
お頭が足を向けたのは戻って行く方向である。

「え? お頭?」

「会った」

「え?」

「だから、オメーが居ない間に会ったんだよ」

「そ、それじゃあ・・・」

「ああ、もう用は済んだ、あとは戻るだけだ」

「勝手なことを言ってもらっちゃあ、困るんだけどよ」

タンパクが腕を組んで前を塞ぐ。

「別にオメーたちの領域を荒したわけじゃあるめー、何を言われる筋合いはねーよ」

タンパクの方に理があるとはいえ、たとえ石の群れの領域であったとしても、通りかかっただけならば何を問われることは無い。
あくまでも人間だ、獣たちのようにテリトリーに入ったというだけで、喧嘩をすることも無いのだから。
するとタンパクではなく、他の男達から声が上がった。

「怪しいもんだ」

「ああそうだ、さっきまで居なかったはずだ、それなのに急に現れるってぇのはどういうことだ」

「それに怪我をしてるって、そっちのやつが言ってたじゃないか」

お頭が面倒臭そうに頭をぼりぼりと掻く。
怪しいと言われれば間違いなくそうなのだから。 お頭自身、最初は信じられなかったのだから。

「タンパク」

お頭の後ろから若頭がタンパクに声をかけた。 お頭を見ていた目が若頭に移る。

「この先に森があるのか」

たとえ夜目が利くといっても、森のある方向も知らなければずっと先を見ることなど出来ない。

タンパクが眉を寄せる。

「兵の天幕が張られていることを知ってるか」

天幕があった方を指さす。 さされた方向をちらりと見ると僅かに首を振り「そっちはおれたちの領域じゃない」 と答えた。

「では森は」

「・・・ある」

言いにくそうに答えた “ある” それはタンパクたちの領域にあるということ。

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孤火の森 第7回

2024年07月15日 20時54分20秒 | 小説
孤火の森(こびのもり)  第7回




男が両手に抱えていた赤子をお頭に差し出した。

『我が森の御子だ』

『森の御子?』

『女王になるべき御子、そして女王を支えるべく為に生まれた御子』

『森の御子って・・・どっちかが森の女王になる御子ってことか?』

生まれたての子だ、顔だけではどちらが女なのかは分からない。

『そうだ』

『双子・・・ってことか』

男がお頭の手の中に双子を置いた。

『おい、いったいなんだっていうんだ』

受け取る気など無かったが、手の中に収められればつい抱えてしまう。

『女王に息がなくなった』

『え・・・』

『森は眠りに入った』

『眠り・・・』

『仮死状態のようなものだ』

『そんな・・・いったい、どうして』

『女王の御子を育ててくれ』

あの時、この男は女王の口添えがあったと言っていた。 だがその前にこの男は少年お頭をここで死なせるには戸惑いがあると言っていた。 もしかしてこの男は道に迷っただけの少年お頭を逃がすよう、女王に進言してくれていたのかもしれない。

『他の・・・他の森の民はどうしたんだ』

『あの森で生き残ったのはわたしと御子だけ』

『生き残った?』

どういうことだ。 そう思った時、気付いたことがあった。 州兵がウロウロしていたことを。
森が、森の民が州兵に襲われたということか? だがそうだとしても森の民に何かあっただなんてそんなことなど有り得ない、森の民が一人を残して殺されたなんて。 森の民の呪力は身をもって知っている。

『どうして・・・。 誰がそんなことを』

『お前たちの呼び方で、女州王』

『女州王? それじゃあ、州兵ってことか? どういうこった? あんたたちの力があれば州兵なんて相手にもならないだろう』

『州兵だけだったらな』

『意味が・・・分かんねぇ』

『とにかく、お前は女王に生かされた。 御子を頼む。 王女が女王としての準備に入るまで』

『女王としての準備?』

『準備をしなければならない兆(きざ)しが始まればわたしを呼んでくれ。 それまでは身を隠している』

身を隠しているって、口の中でそう言ったお頭を無視して男が説明を始めた。

まず、今の状態で双子には呪(じゅ)がかかっている。 呪者ももちろんのこと、女州王もその呪に阻まれ双子を探し出せないということだった。 だから安心するようにと。
その呪は王女が女王の準備に入れば解くということだった、いや、解かなければならないということだった。
誰にもこの事は話すなと念を押された。 そして森の民に姿を見せないように、とも。
女王としての準備に入ったときに万が一にも襲われてしまっては、王女は無防備なまま殺されてしまう。 その王女を守るために双子の片割れの存在があるとも聞かされた。

女王としての準備というものがどんなものかは聞かされなかったが、その前段階、準備を始めなくてはならない兆し、時がくると徴(しるし)があるということだった。
その徴が初潮であるということだった。
森で安泰に暮らしていれば、徴がくればその夜すぐにでも女王の準備に入るということだった。
その準備は森の中でしか出来ないと言っていた。 それもあの制圧された森で。

男は最後に双子の名の最初の一言だけを言い、その言葉を先頭に付けその後は出来るだけ短くした名をつけるようにと言うと、立ち上がりその場から消えた。
あの時のお頭が小さかっただけではなかったようだった。 やはり男は随分と背が高かった。

お頭とて、今まで何もしなかったわけではない。 その準備とやらに間に合うよう森に向かって地道に穴を掘っていた。 だがそれは気の遠くなるような長さを掘らなくてはならなく、ヤマネコからそろそろだと聞いてからは、群れの中が闇に静まりかえると岩屋を抜け焦りを感じながら掘り続けていた。
それが為にこんな腰になってしまった。

双子を渡された時にはあまりのことに何も考えられなかったが、冷静になって考えてみると女王にもあの男にも借りがある。
いや、女王はどうだろうか。 もしかして女王はこの事態を予見していたのかもしれない。 それは考え過ぎか、そうであるのならばもっと選ぶべき違う道があったはず。
だがこの事態の予見とまではいかなくとも、いずれお頭が必要になってくるということが分かっていたのかもしれない。 森の女王ならそんな力もあっただろう。 だからあの時、自分を逃がしたのかもしれない。
あの男が進言したかどうかの確証があるわけではない、進言しなくとも女王は自分を逃がしていたかもしれない。

いずれにしても今の自分があるのは女王とあの男のお蔭だ。 仲間たちと暮らせているのも女王とあの男のお蔭。
群れなど作る気はなかった。 一匹狼で生きていくつもりだった。 だが自分のことを慕ってついてきてくれる者たちがいた。 それは一匹狼でいようと思っていた凝り固まった自分の心を溶かしてくれた。
だからどうしても恩義は返さなくてはと思っている。

とにかく今すぐにやらなければいけない事はあの男に連絡を付けることだ。 その場所はあれからのち、またしても夜にやって来た時に聞かされていた。
今日ブブに初潮があった。 いくら腰が痛くともあの男に知らせなければならない。

「何を言ってんだかね、アタシが居なくてもお頭が簡単に死ぬもんかい」

「ああ、お頭は川の水だけを飲んでも生きてるに違いないし、出ない自分の乳を吸わしてでも双子を生かしてたぜ」

布を持ち上げて若頭が戻って来た。 両手には練られた薬草が入った器を持っている。

「おれを何だと思ってやがる。 それにたとえあの双子でも出ない乳で育つわけねーだろが」

お頭が薬草を塗り直せと顎をしゃくると、若頭がこれ見よがしな溜息をついてお頭の横に座り、既に塗っていた薬草を拭うと、痛み取りの薬草を塗り始める。

「お頭、いったい何をしようとしてんだい?」

お頭の代理は若頭が十分に出来るはずだ。 それなのに腰の痛みをおしてまでいったい何をしようとしているのか。

「オメーには・・・あの二人が世話になった。 それは充分に分かってる。 だがな。 分かってくれや」

「なんだい、世話になっただなんて言い方。 まるで今生の別れみたいな言い方をしないどくれ、縁起でもない」

「ああ、そうだな悪かった。 悪いついでにブブを見ててやってくれ。 それとポポだが・・・どうしてる?」

「アナグマが見てんじゃないのかね、アンタら助兵衛と違って訳が分かってないみたいだったからね」

助兵衛・・・。 分かってくれや、とだけ言ったお頭に少々意趣返しをしたようである。

「それにしても動揺が酷そうだったね」

あの男から双子の王女のことはそれなりに聞いたが、片割れのことは王女を守るためと聞かされただけで特に何も聞かなかった。
ブブとポポ、双子というところもあるだろうが、森の民の御子として自分たちの知らない何かがあるのだろうか。 それとも単なる純なのだろうか。

「そうかい・・・」

少し考えた様子を見せたお頭だったがすぐに煙管を手に取った。 するとその手をヤマネコに弾かれた。

「寝ころんで吸うんじゃないよ」

へいへい、と、煙管を置くと若頭に支えられてゆっくりと上体を起こし座った。 薬草を塗り終え、予定を変更してあとは晒を巻くだけである。

「悪りいが、アナグマと手分けしてブブとポポから目を離さないでいてくれ」

あの男は準備が始まれば呪を解くと言っていた。 まだ徴の段階だ。 何があるわけではないだろうが目を離したくない。

「それと今日はこれで終わりだ。 飯を食ったあとは暗くなるまで誰か州兵の見張に立たせておいてくれ。 それ以外は誰も穴から出すな。 おれとコイツはちょっと出かける」

「・・・分かったよ」

出掛けると言っても立てるのかい? と訊きたかったがこのお頭のことだ、あとのことなど考えず根性で立つのだろう、歩くのだろう。
そこまでしていったいどこに行くというのか。
アナグマは知っているのだろうか。 いや・・・アナグマが知っていれば、アナグマの肩を借りただろう。 若頭よりアナグマの方が体格があるのだから。 肩を貸すどころか長い距離でも担いで歩けるだろう。

ヤマネコが出て行くのを見送ると、淡々と晒を巻いていた若頭が最後に晒が解けてこないように晒の端を巻いた晒の中に入れ込んだ。

「歩けるんですかい?」

「歩けなきゃ、這ってでも行くまでよ」

若頭には何もかも話している。
自分に万が一のことがあったらと思うと誰かに頼むしかなかった。
それは借りを返すどうのという話ではなくなるが、あの双子を元に戻してやらねばならないのだから。

若頭に後を頼むしかなかった。 お頭としてせねばならないことを差し置いて穴を掘りに行っていたのだから、若頭の協力なくしては成り立たなかった。
ただ、万が一にも自分に何かあった時、その時には自分の顔ではない若頭が動いたとて、あの男が信用するかどうかは分からなかったが。

「ま、オメーの肩は借りてーがな」

お頭が若頭の肩に手を回した。



大隊長がセイナカルの後ろに控えている。 その後ろには視線と頭こそ下げているが、一番に森の中の地図を持ってきた兵隊長が両の口の端を上げて立っている。
セイナカルの手には大隊長から渡された地図がのっている。 その地図をじっと見ていた口が動いた

「この森だけか」

「はい。 ですが順次上がってきましょう」

「小さい森だの」

兵隊長の上がっていた口の端が僅かにひくつき大隊長が顔を下げた。

「それだけに簡単に森の中を探れなかったようです」

セイナカルが目でジャジャムを呼ぶと、離れた斜め後ろに控えていたジャジャムが大隊長の横に付く。

「呪師は」

「控えさせております」

「髪に呪は」

「今もかけて御座います」

女王が御子を産んだ時に同じ場所に居た者を覚えているかと髪に問うと、覚えているような反応があった。
更に、子を託した相手を覚えているかと問うと大きな反応があった。

十年以上も経っているというのに、託した相手などをよく覚えているものだという思いで歎息を吐いたが、そうでなければ困るのだから歎息の次には嘲弄(ちょうろう)が口の端に上がった。

「順を違えるではないぞ」

あれだけ探して取りこぼしを見つけられなかったのだ、森の中に居るに違いない。
セイナカルは森には向かわない。 手順だけを言い渡していた。

「はい」

安易に森の民に手をかけるなと言われている。 いや、正しく言うと気をなくさすなと言われている。 取りこぼした者の気がなくなってしまえば髪の反応が見られなくなるかもしれないからだ。

まずは森の民を押さえる。 次に押さえた者の中から髪に取りこぼした者を探させる。 そして森の女王の御子の年頃の子を、その者の前に連れて出て傷を付けていく。
森の民を、女王の亡骸を置いて逃げたような者だ、同じ森の民の子といえど御子以外の子を傷つけても、せいぜいそれなりの反応で終るだろう。 だがそれが女王の子であったのなら・・・御子であったのなら。

『狂いよるだろう』

たとえ爪一枚でも剥がせば。 いや、頬の傷一つでも。 それとも刃を向けただけでも。
セイナカルがくつくつと嗤(わら)い、それが女王の子、御子ということだ、そう言った。

ではその森に取りこぼしの者が居なければどうするのか。

『好きにせえ』

森の民を逃がそうが、手にかけようがどうでもいいということ。 そしてその後も、ということ。
兵にそんなことを言ってしまえば、手にかける方を選ぶだろう。 長い間かけて調べた苦労を報わせるために。

そして森の民のいる森には、街の民から見ると金銀財宝があると昔から言われていた。
森の民の森に入って生きて戻って来た者など居ないのに、何を根拠にと思っていたが、それは制圧した森に入った時に証明された。
絹の生地、輝く宝石、緻密な作りの金細工。 民が簡単に目にすることなど出来ない物が溢れるほどにあった。
あの時には全てをこの城に運んだが、今回は兵で分けてもいいということであった。

「明日の朝」

それだけ言い残してセイナカルがバルコニーに向かった。

明日の朝に城を出発するのではない。 森に入るということである。 今はもう月が出てきている。 すぐにでも城を出なくてはいけない。


一塊になっている天幕に向かって馬が走ってやってきた。 兵が馬から跳び下りると一番立派な天幕に足を向けた。

「なんだと!」

他の森を探っていた隊が地図を描き終え城に報告に行ったということだった。
その報はここだけではなく、あちこちの隊にもたらされていた。
遅れを取るわけにはいかない。 どこの兵隊長の顔にも焦りが浮かんだ。



月明かりの下を一塊になった二人の男が歩いていた。

「お頭、本当にここで合ってるんですかい?」

いくつもの山の民の群れの領域を越えて来た。 山の民同士である、見咎められることなどはなかったが、見つかればそれなりの視線を向けてこられていた。 途中、川の民の領域にも入ったが、胡乱な視線を向けられただけで誰何も何もなかったとは言っても、いつ足を止められるか分からなかった。

途中、薬草がよく効いてきてお頭一人で歩けはしたが、そこで無理をしたのがいけなかったのだろう。 近道を取ろうと崖を登った。 落ちることこそなかったものの、何度も足を踏み外し、その時に足首を捻ってしまっていた。

崖を登り終えた後は若頭の肩を借りて足を引きずっての歩行であった。 挙句に薬草の効き目が薄らいできているし、崖を登ってきた時の傷があちこちに見える。
まさに満身創痍である。

「ああ、合ってるはずだ」

「はず?」

ここまで来て “はず” とは。

若頭が月明かりに目を凝らす。 山の民は遠目も夜目もよく利く。
辺りには森もなければ林もない。 林があれば林の民が居るかもしれないからややこしいだけではあるが。
目の前のここは木が全くないとは言わないが、森の民が住むにはあまりにも木が少なすぎる。 どちらかといえば岩の方が圧倒的に多い。

「目印がある筈なんだがなぁ」

「目印? どんな?」

「・・・知らねぇ」

「・・・」

「見りゃ分かるって言ってたんだがよ、オメー、分かるか?」

「・・・」

森の民が言う目印など分かるはずがない。 それに小さな目印ならたとえ夜目が利くといっても捉えにくいだろう。 にくいどころか見落とすこと間違いなしである。
とにかくお頭がここだというのならそうなのだろう。

「お頭、一旦腰を下ろしましょうや」

歩き続けてきた。 もう薬草の効き目も何もないはず。 このまま緊張を続けていれば痛みも少しは忘れられるかもしれないが、体に無理を強いたくはない。

「ああ、そうだな。 オメーも疲れただろう、悪かったな」

お頭の声を聞きながらどこか腰の落ち着けるところはないかと探している。 岩があるといっても歪である、とうてい安定して腰など下ろせやしなく、枯葉が落ちていればそれを敷物代わりに座れるがそれすらもない。

「悪かったなんて、まだ終わってやしませんぜ」

そう言った途端、お、っと言って指をさした。

「あの岩にもたれて座りましょうや」

岩は背もたれにするにあまり凸凹がないし、腰を下ろす下には土がある。 軽い休憩ならまだしも、座り込んでしまうと身体を甘えさせ、あとが余計と辛くなるかもしれないが、硬い岩の上に座るよりいくらか腰にいいだろう。
足を進めて若頭が指さしたところにお頭を下ろすと、口を歪めながら岩に軽くもたれかかった。

声こそ出さないがかなり腰が痛いのだろう。

若頭の腰に括り付けてあった二つの内の一つの竹筒をお頭に渡すと、崖を登った時につけた傷だらけの掌で受け取った。 その手で水を飲むのを確認するともう一つに若頭が口を付けた。

「帰りはちょっと道を変えて、あの川の民に見つからないように水を汲まなきゃな」

もうこれで水はなくなった。

お頭に頷いてみせるともう一度あたりを見回す。 今度は少し遠くに目を這わせる。

「ん?」

「なんでぃ、目印か?」

「いえ、ここで待ってて下せぃ」

言い残すとすぐに走り始めた。

「けっ、まだまだ若いってか。 見せつけてくれるねぇ」

お頭に肩を貸しずっと歩いて来たというのに、ましてや足を挫いてからはこの身を預ける重さが増しただろうにまだ走れる余裕があるとは。
こちとら腰も痛けりゃ、もう元気な方の足も動かない。

まだ痛みはあるが腰が少しは落ち着いたようだ。 軽くもたれていただけだ、深くもたれようと肩も岩にもたれかせ、続いて後頭部も岩にあてる。 なめらかな岩だ、当たって痛いところなどない。
途端、お頭の口から声が出た。

「うわぁー!」

こんな所で大声など張り上げる気はなかったが、ついうっかり声が出てしまった。 それでも大声を出さないように抑えていたからか、夜陰の鳥の声も響いていない夜空に、走って行った若頭の耳に聞こえることは無かった。

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孤火の森 第6回

2024年07月12日 20時50分57秒 | 小説
孤火の森(こびのもり)  第6回




小さい時にブブが 『ブブもあれ欲しい!』 と、ポポの股を指さしては何度も言っていた。
お頭は 『今度山の中で見つけたら持って帰ってブブに付けてやる』 と言っていたが、今はもうお頭の言っていたことが冗談だと分かっている。

「女になったって・・・」

どういうことだ、とは訊けなかった。
ブブの小さな背中が震えている。

(ブブ・・・)

ブブの背中ってこんなに小さかったのか? こんなに頼りなかったのか?

「籠を片付けてきな。 ああ、アタシのも一緒にな」

「・・・ブブ」

どうしてもっと心の底から仲良く出来なかったのか、どうしてもっとブブのことを分かろうとしなかったのか。

「ほら、さっさと行きな」

サビネコに肩を持たれて方向を百八十度変えられた、ポンと尻を叩かれた。 でも動くことが出来ない。

「何やってんだよ! 男だろが! しっかりしな!」

今度は思いっきり尻を叩かれ、よろよろと歩きだした。

―――ブブが・・・ブブじゃなくなった。

山から戻って来たのを迎え入れる為に、岩屋から出て来ていたアナグマが三人の様子を目を眇めて見聞きしていた。
あの日、サビネコと話した日からまだ少し腹を気にしながらも二日後にお頭の元に行った。

『お頭、そろそろポポとブブの穴を別にした方がいいんじゃないか?』

『何でぇ、ポポが何か言ったのかよ』

『いや、ポポもブブも何も言ってない。 けど、双子と言っても男と女だろう? そろそろ二人の違いも出てきてる。 いや、そろそろどころか精神的なところでかなり違いが出てきてる。 少なくともポポは男達の穴に入れればどうだ?』

お頭が煙管を深く吸うと肺の中から大量の煙を吐く。

『あの二人はギリギリまで・・・いや、おれたちの知る間はずっと一緒にしておく』

『おれたちの知る間?』

どう言う意味だ。

お頭が片方の口角を上げた。

『おれたちの知らない事が多いからな』

“おれたちの知らない事” それはどう言う意味だ。
勝手にお頭について来た者達の過去をお頭も誰も詮索をしない。 お頭自身に対してもそうだが、お頭が拾ってきた子に対してもだ。 ましてやポポとブブは生まれてすぐにお頭の腕の中にいた。 事情も何も知らないでお頭が拾ってきたのであれば、生まれたばかりの子の事を知らないと言われればそうなのかもしれないが、どこかおかしい。

『お頭?』

お頭が真髄何を言いたいかは分からない。 だが自分が言ったことを認めないと言ったことだけは分かる。

『悪りーな、おめーはポポとブブをよく見てくれてる。 これからもそれは頼みたい。 だがよぅ、今はここまでにしてくれねーか?』

お頭は何を隠しているのだろうか。 ポポとブブの出生の何かを知っているのだろうか。

アナグマ・・・それは生まれた時の名ではない。 ヤマネコにしてもサビネコにしても、他の仲間たちにしてもそうだ。
群れは群れ特有の名前をつける。 それがその群れの一員という表し方でもある。

お頭は群れなど作る気はないと言い、生まれた時のままの名で良いと言ったが、お頭について来た者達はお頭に新たな名前をつけてもらいたがった。 それはどこの群れにでもあることだ。 生まれ育った群れを出たということは、その過去を捨てたいということである。

アナグマも例には漏れず、アナグマが生まれ育った石の群れではアナグマの名前はリンケイだった。

『お頭、一つだけ訊かせてくれ』

『答えられるんなら答えるがよ』

『ポポとブブ・・・この群れの名じゃないよな?』

それはずっと前から思っていたことだ。 それにポポ自身もそれを口にしていた。 まだ二人が幼かった時、ポポに訊かれた。

『アナグマ? どうしてオレはポポなんだ? ブブもそうだ。 この群れの名じゃないよな?』

『そんな顔をしてるからじゃないのか?』

その時にはそう答えた。

『どんな顔だよ』

ポポが言ったが、納得はしていなかっただろう。
だがポポがお頭に訊くこともなく、ブブも気付いてはいただろうがアナグマに訊いてくることも無かった。
アナグマの問にお頭が答えた。

『・・・答えられねーな』


ポポの足取りがあまりにも重い。
双子の片割れに初潮が起きたくらいでこんな風になるものだろうか。 お頭の言っていた 『おれたちの知らない事が多いからな』 その一つがこれなのだろうか。 それはいったい何なのだろうか。
アナグマが岩屋から歩いて出てくると、置き去りにされていた籠を二つ手に取る。

「ポポ」

顎で蔵にしている岩屋に入るように促した。


「なんて顔してんだい」

サビネコがザブンと音をたててブブの横に腰を下ろしてブブの頭に掌を置く。

「だって・・・」

「アタシもブブも女に生まれたんだ」

下を向いていたブブがサビネコを見たのに対して両の眉を上げて応え、頭の上に置いていた手でクシャクシャとブブの頭を撫でてやる。

「男達が髭を剃るだろう?」

「え? うん・・・」

失敗したと、時々顎から血を流しているのを何度も見たことがある。

「男達もな、男になると髭を毎日剃らなくちゃいけない」

山の民の間では若い者が髭をたくわえるのは認められない。 若いどころか、お頭の歳に至っても少々の無精髭くらいは認められるが、まだ髭を伸ばしていい年齢にはなっていない。

「男達は毎日のことだ」

サビネコの言いたいことが分からない。 どういうことだという目を送る。

サビネコが声なく笑った。

「女は毎日じゃない」

月のもの。 それはおおよそ二十八日の内、おおよそ七日間だけのもの。
おおよそ、それは人によって、その時の体調によって違うとヤマネコから聞いていた。

「ま、髭を剃るのと違って腹は痛いし、何も食べたくなくなったり、頭痛もあるし、動けなくなったりするけどな」

ああ、吐き気もあるか、と付け足して続ける。

「ブブだけじゃない、女はみんなそうだ」

「サビネコも?」

「当たり前だろう、アタシも一応女なんだからな」

「今も?」

「ぶっ叩くよ」

この年齢にして、もう上がったと言われるのは女としてどうだ。

「ヤマネコからちゃんと教えてもらったんだろ?」

「うん・・・」

「正常な身体の成長だよ」

「そう、なのかな」

「疑ってどうすんだよ、ブブは間違いなく女だってことだろう? とにかく冷やすのは良くない、出るよ」

サビネコに腕を摑まれ立ち上がった。

―――自分の場所はここではない。

そう思ったことは月のものと関係があるのだろうか。


アナグマに連れられて岩屋の蔵に入って行ったポポの様子がおかしかったのを見て、ヤマネコがブブの様子を見に来ていた。
最近のブブの身体の様子から、そろそろ月のものが来ると踏んでいたが、サビネコとブブの様子から見てブブに月のものが来たのだと分かった。

「アタシが居なくてもサビネコが居てくれるかね」

着替えもそうだが、精神的なところでもサビネコが見てくれるだろう。 それでは今自分がしなくてはならないことをするとしようか。
ヤマネコが踵を返して岩屋に入って行くと同時に、ブブとサビネコが川の水を汲んで女たちの岩屋に向かって歩き出した。

「お頭、いいかい?」

お頭の部屋にある布越しに声がかかった。

「ヤマネコか、いいぞ」

布をめくり上げてヤマネコが部屋に入ると、お頭が服をたくし上げうつ伏せ状態で伏せていた。

「なに、やってんだい・・・」

お頭の横には若頭が居て、お頭の腰に薬草を塗りその上から布を貼ろうとしていた。

「ちっとな・・・」

「なんだい、年寄りが無理でもしたのかい?」

「ちっ、まだ年寄扱いされる歳じゃねーよ」

「六十三にもなってよく言うよ」

「まだ髭も伸ばせねー青二才だってんだよ。 それより何だ、用があったんだろうが」

「ああ。 あんたら助平のお待ちかねがやっときたよ」

どうして男が女の初潮を気にするのか。 何故だか理由を言ってはもらえなかったが、再三お頭と若頭からブブの様子を訊かれていた。 そしてつい先日には 『そろそろじゃないかい?』 と答えると、始まればすぐに知らせてくれと言われていた。

若頭が手を止め顔を上げ、お頭が手を着いて上体を上げた。

「あぐっ!」

お頭が再び俯けに倒れ込んた。

「何やってんだい」

呆れた声を出してお頭に近寄ると、剥がれ落ちた布を手に取りもう一度お頭の腰に貼り付けた。 若頭は一瞬にして顔色をなくしている。

「い・・・いつだ」

「ついさっきみたいだね」

「お頭・・・」

顔色をなくしていた若頭がようやくといった具合にお頭を呼んだが、その声に張りがない。

「くっそ、こんな時によー!」

どうしてこんな時に腰を痛めてしまったのか。

「おい、薬草、暫くの間でいい、痛み取りの薬草を持ってきてくれ」

「お頭・・・それは無茶をし過ぎですぜ」

痛みを取るということはお頭自ら動こうと思っているに違いない。 だが今はまず安静にしておかねば痛みを取ったとしても足は思うように動かせないだろう。

「そうだよ、痛み取りの薬草って・・・その歳でそんなものを使うなんて無茶言うんじゃないよ」

「無茶も何も分かって言ってんだよ。 おい、とっとと、取って来な」

若頭が青い顔をしたまましぶしぶ立ち上がって部屋を出て行った。
若頭を見送ったヤマネコ。 いったいどういうことだ、お頭が歳を押してまで、腰の具合の悪さを押してまで何をしようとしているのか。

「お頭、いったい何だってんだい、ブブのことと関係があるのかい?」

単にブブに初潮がきたというだけなのに、いったいどういうことだ。

「ヤマネコ・・・オメーには感謝してる」

「なんだよ、いったい」

「ブブとポポに乳を飲ませてくれた。 オメーが居なきゃ、今ブブとポポは居ねーよ」

ブブとポポがお頭の手の中にやってくる一月ほど前だった。 豪雨の中を赤子を抱いて彷徨っているヤマネコを見つけた。 その時のヤマネコは殆ど放心状態だった。

「なんだよ・・・熱でも出たのかい」

なかなか出来なかった子がようやく生まれた。 それなのに半年も経たないうちに死んでしまった。 我が子の亡骸を抱え群れを出たようだったが、その時の記憶は今も無い。 どうして群れを出たかの理由も群れのことも、どこをどう歩いたのかも覚えていなかった。
だが、お頭が献身的にヤマネコを支えてくれた。 長い間雨に打たれていたのだろう、高熱を出してしまった体を看病し、痩せ細っていた我が子を山の民の掟に従って葬ってくれた。

お頭からはどこの群れに居たのか探してやるからと、何度も群れに戻るように言われたが戻る気にはなれなかった。 どうして群れを出たのかを思い出せないという不安もあったが、何よりお頭の元に居たいと思ったからだ。 何の縁も無い、ましてや初めて見た時には息の無かった我が子をそっとヤマネコの手から抱き上げ掟に従って葬ってくれた。 それが何より心の底に響いた。
もし亭主や群れの者が探しに来ても戻るつもりはなかった。 結局誰も探しには来なかったが。
そんな時だった。

毎日張ってくる乳の痛みに負けて絞っていた乳がまた張ってきて仕方がなかったある早朝、お頭がポポとブブに乳をやって欲しいと言ってきた。
子を失った悲しみに毎日ただただ泣きぬれていただけで、この群れの誰のことも覚えてはいなかったが、それでも初めて見る子だった、それは分かった。
生まれたての子じゃないか。
無意識に笑んでいたことを覚えている。
張っていた乳が、我が子が飲むはずだった乳が、顔も知らない誰かの子の命の水となる。 嬉しかった。 我が子に誇れる母になった気持だった。

「言ってみりゃー・・・」

オメーがポポとブブの母ちゃんみたいなもんだ、お頭として、いや、もしかして乳を出せない男としてなのだろうか、ポポとブブに乳を飲ませたヤマネコが母ちゃんのようなものだと言いたかったが、ヤマネコには我が子がいる。 生きていなくともヤマネコの子はその子一人だ。 ヤマネコは今もその子を想っているだろう。 ヤマネコはその子だけの母親。

「ブブとポポの命の恩人だ」

「どうだかね・・・」

「それとおれの、な」

「は?」

お頭に乳をやった覚えなどない。

「オメーが居なきゃ、おれは・・・あの二人を抱きかかえて死んでたさ」

今はもうブブもポポも十三歳になっている。 十三年前、いや、二人の歳から正確に言うと、もう十四年近く前になる。 思いがけないことがあった。
思いがけないこと・・・だがそれは辿って行くと三十七年も前に結びつくことだった。

十四年近く前、有無を言わせない・・・言うことすらできない出来事だった。

岩屋のお頭の部屋に一人の男が突然入ってきた。 お頭は寝ていたがすぐに気配に気付いて身を起こした。
見たことのある顔だった、透き通るほどに美しく白い肌を持つ顔。 だがその顔がやつれている。 だから正確に言うと見たことのある容貌の面影のある男だった。 記憶にある白銀の髪、透き通ったブルートパーズの色をした瞳。 その男の両手に二人の赤子が抱かれていた。

『な・・・』

何だ!? どうしてだ!? そう言いたかったが、昼であれば誰なとが岩屋の前に居るが今は夜中だ。 岩屋には州兵のように歩兵が立っているわけでもなければ、誰が守りを固めているわけではない。
誰の誰何も受けることなくお頭の部屋まで入ることが出来たのは当たり前のことだった。 そしてこの男、森の民にとって岩屋のどの部屋がお頭の部屋と分かることも当たり前のことだったのだろう。

『わたしの顔を覚えているか』

目の下にはクマがあり頬はゲッソリとこけていたが覚えている。
お頭が頷いた。
忘れるわけがない。

三十七年前、十三歳の頃に群れの方針に納得がいかず群れを出た。 一人彷徨っているといつの間にか誤って森の中に入っていたようだった。
最初は幻覚を見せられ何が何か分からなくなった。 そんな時にこの男が現れた。

『何をしに来た』

透き通るような白い顔をしていた。 病的ではなく美しいとさえ思える白さだった。 まだ当時のお頭が子供だったからだろう、随分と背が高く思えた。
当時少年だったお頭が首を振る。

『お前のような子供を惑わし終わらせるにはこちらも戸惑うところがある』

『終わらせる・・・?』

『ずっと歩く。 お前のような子供は力尽き果ては死ぬだろう』

少年お頭の肝が上がった。 死ぬ気など毛頭ない。

『迷っただけだ! その! ここは森の民の森か!? 森に入るつもりなんてなかった!』

いつの間に森になど入ってしまったのだろうか。 それより群れから出て何日経っていたのだろうか。
森がざわめいた。
それを肌で感じた少年お頭。

『え・・・』

辺りを見回すが何も見えない、何も変わったことはない。
少年お頭に対峙していた男が片手を上げた。

『女王のお口添えだ』

森のざわめきが徐々に静かになっていく。

『森から出るか』

『女王、って・・・?』

『森から出るかと訊いている』

少年お頭が頷いた。

だがあれは三十七年も前のこと。 この男はあの時すでに三十の歳を越していたはずだ。 それなのに今目の前に現れたこの男は三十の歳くらいにしか見えない。

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孤火の森 第5回

2024年07月08日 20時40分46秒 | 小説
孤火の森(こびのもり)  第5回



今までにたった一つ制圧された森がある。 その森の一番近くに住んでいるのがお頭たちの群れである。 自然と長たちの目が若頭に向く。

森が制圧された時、若頭はまだ十五の歳だった。 丁度その頃にお頭と知り合いそのままお頭に付いたのだが、その後お頭から目をかけられた。 当時の若頭は単なる大人と子供の狭間にいる不安定な時期の存在ではなく、冷静に物事を見ることが出来ていたのをお頭が見抜いたのだった。

若頭が長たちに頷くと、自分たちの過去の生活を説明する。

『州兵が制圧を始めようとした時には、まだ俺はあの辺りのことをよく知らず細かい所の記憶が曖昧なんですけど、制圧には何年も要したようです』

若頭の覚えている限りでは、制圧前、森に行くには遠回りになるというのに、毎回若頭たちの塒(ねぐら)である岩屋の近くを通り、食料を何度も運んでいるのを見かけた。 その時は分からなかったが、今考えるに森の民に見つからないよう遠回りをしていたと思われるということであった。

怪我人が運ばれる様子は見ていなく、ただその時には州兵の気が立っているだろうということで、お頭から身を隠すようにと言われていた。
制圧後すぐは何人もの怪我人が最短の道から運ばれたようだったが、その様子を見ることはなく、その後は特に何があったということはない。
森を制圧したのだから何をするにも、それこそ食料を運ぶにも最短の道を使っていたのだろうと思われるということであった。

制圧後は州兵が森の中に居るだけで若頭たちの居る山の中を歩くことはないが、危険と思われるのは、今は何もなくとも制圧後、街から森に向かうに最短の道に塒(ねぐら)があるようだったら考えものだということを示唆した。

長たちが腕を組んだ。
一括りに長たちと言っても、若頭のように若い者が代理でやってきている所もある。 だが集まった中で一番若いのが若頭であった。

『では考え方を変えると、いま州兵が姿を見せている所は制圧後そこを通らないということか』

『十分に考えられます』

『待て、だからと言ってこれから何年も州兵が現れる度に身を隠すというわけにはいかん』

どこの山の民も州兵に逆らうことなど考えていない。 いや山の民に限らず誰もがそう考えている。
州兵は州王の手足なのだから、州兵に逆らうということは州王に逆らうということ。 そんなことをしてしまえば生きてはいられない。 ましてや自分一人ならともかく、仲間たちにもその手が伸びることは分かっている。

『ご尤もです』

『なにか案はないのか?』

申しわけないという顔で若頭が首を振り、それより、と口を開いた。

『州兵がなぜ森に入ろうとしているのかはご存じではありませんか? 制圧と言っても何か理由があるはずです。 俺たちの住む山に近い森が狙われたのは、そこに森の民の女王が居たからだと聞いています』

森の女王がいる森はどこよりも大きな森であったが、他と比べると森の民の人数はあまり多くはなかった。

『ああ・・・あの時、森の女王が殺されたんだってな』

『あの時は森の女王を殺すのが目的だったか・・・』

『もう十年以上も前に森の女王は殺された・・・。 では何を今更、森を制圧しようとしているのか・・・』

長たちが思い立つことを話していくが、だれも州兵が森を制圧する理由を知らないようである。

『まず第一に、どうして州王は森の女王を殺したのでしょうか、どなたかご存じありませんか?』

長たちが互いに目を合わせたが誰も知る者はなかった。

『森の民は森の民だからな・・・』

山の民と話すことも無ければどこかで会うこともない。
今のように山の民同士での話し合いがあるように、森の民の中でもそのような事が無くはないだろうが、森を出て移動をするにも他の民の目に映らないように移動をしているだろう。

『それに州王が何を考えているのか、そんなことを知る者などおらん』

『市に出た時に街の民が何か話しているのを聞いたということは? そんな話はありませんでしたか?』

僅かに首を傾げた長がいた。

『何か聞かれましたか?』

『いや・・・聞いた連中も何のことだか分からないと言っていたからな、どうとも言えんが』

そう前置いて長が話し出した。
街の民の間では女州王がこの州の実権を握っているということだった。

『それで?』

隣に座っていた長が訊いたが、あとは何を言っていたのか分からなかったということだ、と言って首を振るだけだった。

『女州王か・・・』

顎に手をあてて空(くう)を見た別の長。 皆の視線がその長に寄る。

『何か知ってるのか?』

『いや、だが・・・たしか女州王は街の民の前に姿を現さないと聞いたことがある』

『そう言やぁ・・・そんな話を聞いたことがあるな、だがよ、それとこの話と関係があるのか?』

眉を上げて問われたことに応えると、ないな、と添えた。
結局、案は出されなかったが、何をどう捻っても案など出ないであろう。 州王に逆らうことなど出来ないのだから。


「ってことで、どこの山の民も息を殺して州兵が行き過ぎるのを待ってるってこった。 おれたちだけじゃねー、そう思えばちったー気も晴れるだろう」

お頭が目の前にいる仲間たちを見回すが、そんなことで誰も納得できるものでは無い。

「森の民たちは州王に狙われてるって知ってるのか?」

「さあな」

「州兵に逆らえるのは森の民だけだろ、それなら州兵に狙われてるかもしれないって森の民に知らせてやればどうだ?」

「どうやって森の民と会うんでぇ」

「・・・そうか」

それに会えたところで戻って来られるとは限らないし、森の民が何をどう判断するかも分からない。
森の民はあまりにも孤立している。

「とにかく今は遣り過ごす以外にねー。 飯を炊く以外は火を使うんじゃねー、いいか絶対に州兵に見つかるんじゃねーぞ。 奴らはおれ等のことを何とも思っちゃいねーんだからな」

機嫌が悪ければ街の民さえ切って捨てる輩だ。

「話は終わりだ、戻ってそれぞれよくよく言いきかせときな」

ゾロゾロと立ち上がった中にアナグマがいた。

「アナグマ」

若頭が呼ぶとアナグマが振り返った。

「石の群れの長がアナグマのことを心配してた。 元気にしてるって言っておいた」

石の群れとはアナグマが生まれ育った所である。 その頃はアナグマという名ではなかったが。
まだお頭が長の集まりに行っている時、石の群れの長にくっついてきていた若い者がアナグマの行方を捜して長たちに訊いて回っていた。 そこで若い者が訊いてきたのがアナグマだと分かった。 そこでお頭がアナグマを預かっていると、その若い者に言ったのが始まりだった。

「長が?」

「代替わりをしたそうだ、今の長はセキエイって名だった」

「へぇ・・・セキエイが長になったのか」

セキエイとはアナグマを探していた若い者のこと。 アナグマとは小さい頃からよく遊んだ。 だが同じ女を好きになりアナグマが身を引いて石の群れを出た。

長たちが集まるというのは滅多にないことである。 そうそう情報が入ってくるわけではない。 未だにセキエイは気にかけてくれているのか。

「そうか・・・、ああ、ありがとよ」

口元に懐かしさを含ませた笑みを僅かに見せるとお頭の部屋を出て行った。
お頭の元に集まってきている仲間たちにはそれぞれの理由がある。 まぁ、どこの群れに居てもそうなのだろうが。

二人の様子を見ていたお頭が煙管に火を点けた。 ふかした煙を口から吐くと何か考えるように視線を下に向ける。

「お頭・・・」

振り返った若頭にはお頭が何を考えているのかが分かる。

「ヤマネコはまだ何も言ってねーか?」

「はい・・・」

「まだかよ・・・何を悠長にしてやがるんだ」

「好きで悠長にしているわけじゃねーでしょう」

「分かってるよ」

スパスパと煙管にあてた口から煙を吐き出した。


ポポとブブの居る部屋の布が撥ね上げられた。

「あ、アナグマ。 どうだった? お頭の話って」

「特にかわり映えはないな。 だがここだけじゃなく、どこの山にも州兵が入ってるらしい」

「え?」

「あちこちの森を狙ってるらしい。 どこから見られてるか分かったもんじゃない。 いいか、飯を炊く以外は煙を上げんなってことだ」

「ちぇ、じゃあ当分、刺身か」

肉も魚も焼けないということだ。

「当分がいつまで続くか分からんがな」

「木の実だってあるさ」

ブブがポポに言ったということは、仲直りが出来たということだろうか。
川でポポの言っていたことが分からなくもないが、最近のポポはイライラし過ぎな所がある。

(反抗期か・・・。 いや、ポポがイライラしているのはブブに対してだけか)

そう思うと反抗期とは言い難い。 二人の間だけということになる。
双子とは言え、そろそろ違いが出てきた。
実際今までは声だけではどちらが話しているのか聞き分けられなかったが、今ではどちらの声か分かるようになってきた。 ポポは声変りが始まり、それにポポが言ったようにここのところ体格の差も目に見えて現れてきていた。

「木の実かぁ。 木の実も刺身も腹の足しになんねーなぁ」

「ポポは食い過ぎなんだよ。 アナグマみたいな腹になるぞ」

「・・・」

飛び火だ・・・。 どうしてこの二人の会話に巻き込まれなくてはいけない。

(だが、まぁ、二人の険悪気配は歓迎できるものでは無いからな)

誰もが親や兄姉のつもりで二人を見ているのだから。
またすぐにすれ違うことが出来るだろうが、一時でも二人の仲が戻ったのならそれでいい。

「ポポは土でも食ってろ」

「がっ! なんだよそれ!」

「とにかく、外にいる時には周りに気を配っておけよ、遊びに行くことも禁止だ」

「行かねーよ」

もう二人で・・・今までのようにブブとは遊べない。 ブブが変わってしまったから。
ブブがちらりとポポを見たがポポに異を唱えることは無かった。
二人の様子を見て何気に分かったアナグマが布を撥ね上げ部屋を出て行った。

ポポとブブ、それぞれに感じたり考えたりしていることがあるだろうが、何よりも二人がすれ違ってきているのは、ポポに肉体の成長があるのに対して、ブブには精神的な成長があるということだ。 それもそのどちらも顕著に現れてきている。

岩屋はアリの巣のように隧道で繋がっていて、暗い隧道には所々に松明が置かれている。 自然に出来ていた岩屋もあるが、仲間が増えていくにしたがって手を加えた岩屋もある。
部屋に戻ろうと隧道を歩いていたアナグマがふと足を止めた。 三呼吸ほど止まっていたが踵を返してお頭の部屋に向かった。

「アナグマ?」

後ろから声がかかった。 振り向かずとも声で誰か分かる。

「なんだ?」

「ポポとブブの所に行ったんだろ?」

「ああ」

「二人・・・どうだった?」

ここ数日二人の仲が険悪だった。 それを気にしているのだろう。
アナグマが振り向くとそこにサビネコが立っていた。

「見えないところでギクシャクはしてるけどな、それでもお互いに気を使っているようだ」

「そうか」

「気になるんなら行ってみればいい、今は気を使うこともない」

「うん・・・。 お頭の所に行くのか?」

「ああ」

「今ヤマネコが呼ばれてったぞ」

「え? ああ、そうか」

それなら時をずらした方がいいか。 出直そう。
踵を返しサビネコの横を通った時、足が止まった。

「サビネコ・・・」

「なんだ?」

「おれ・・・腹が出てるか?」

自分の腹を触ってみる。
訝し気な目を向けたサビネコだったが、何かを思い出したのかふと目尻に笑みが浮かんだ。

「アナグマの歳なら出てない方じゃないか? 親父なんてもっと出てた」

「サビネコの親父って何歳だよ」

サビネコは十七、八歳だ、その親父ということは今、四十過ぎといったところだろう。 そうなるとサビネコがここに来た時には、まだ三十代半ばくらいだったと思われる。 その歳でそんなに腹が出ていたと言うのか?

「今は・・・六十を過ぎたくらいだろうな」

「え?」

「群れを出た時にはアナグマと変わらないくらいだった。 馬鹿ほど兄弟がいたからな、それの末っ子だ」

どうして元居た山の民の群れから出て来たのかは互いに詮索することは無く、どこの群れにいたのかすら問うことも無かった。 ましてや家族構成など訊くことも無かった。

「そう、か」

「なんだよ、腹が気になるのか?」

「気にしてはなかったが、気にしなくてはならんのかと、な・・・」

「なんだよそれ・・・あ? ああそっか、あんまり腹が出たら細い隧道を通れなくなるからか」

「・・・」

言われて初めて気が付いた。
細い隧道は何かあったの時の逃走経路となっている。
万が一にも州兵に追われて一人隧道に残されるのはごめんだ。 当分、米は控え目にしておこう。

「気にすることは無いだろう? そんな腹、出てるうちに入らないさ」

何か真剣に考えこんでいる様子のアナグマにサビネコが優しく言う。
サビネコの父親の歳からすると、自分はサビネコの父親でもおかしくない歳。 年齢から考えると娘とも言えるサビネコに慰められた。 それに “出てるうちに入らない” それは出ているということ。

(お頭のところは日を改めよう・・・)

特に急ぐ話ではない。 どちらかといえば今は色んな意味で立ち直る時が欲しい。

「・・・そうか」

一言残すとその場をあとにした。



州兵に注意しながらもなんとか無難に毎日の生活を送ることが出来、街の中ではまだ残暑が残っているだろうが、山の中では残暑など遠い話で暑い夏を完全に終わろうとしていた。
ポポとブブはどこかギクシャクしたところを残しながらも、何とか二人の仲は均衡を保っていた。

今日は数人で薬草と同じく市で売るための蔦を採りに山の奥に入っていた。 背に負った籠一杯に採ってきても薬草ほどの金にはならないが、今の時期が一番伸びていて、蔦として売るに好まれる柔らかく長いものが採ることが出来る。 薬草ほどにならないと言っても放っておけるものでは無く大切な収入源である。

山の奥から戻って来たポポの目にブブの姿が映った。
てっきり部屋で休んでいると思っていたのに、そのブブが川に座り込んでいる。
腹が痛いからと言って一緒に行かなかったのに、いったい何をしているのか。 それでなくても特に最近は腹の具合がよくないと言っていたし、腹が痛いのらどうして冷やすようなことをしているのか。
遠目にブブの姿を目にしたポポが不機嫌に眉をしかめる。 背に負っていた籠を足元に下ろすと川に向かって歩き出した。
その後ろ姿をポポと一緒に戻って来ていたサビネコが追いかける。

「ブブ」

ポポの声に気付いたブブが我に返った。
川の中に入ってきたのは覚えている。 川に入って座り込んで・・・それから、悔しくて悔しくて、そればかりだった。 もうポポとは違う人間になったような気がした。 だから悔しくて・・・。 それなのに心の中で何か違うものが芽生え始めた。

芽生え始めた・・・いや、思い返すとそれは今日に始まった事じゃない、心の隅にあったような・・・いつからだったのだろうか。
いつからかも分からなければ、芽生え始めた事、それが何なのかも分からない。 悔しいのに芽生え始めたものが何か分からなくて戸惑ってしまう。 いったい自分の中に何が芽生えたのか。
分からない。
だが、ただ一つ漠然としたものがある。

―――自分の場所はここではない。

どうしてそんなことを思うのか、ここではないというのならば、どこに居るべきというのか。

「来るな!」

バシャバシャと川の水を蹴ってポポが近づいてきていた。
振り返らずとも声だけでポポと分かっていた。

ポポが口を歪める。 せっかく互いにどこか我慢し合い、互いを譲り合い何とか仲良くやってきたのに、どうしてそんなことを言うのか。 蔦を採りながらどれだけブブの心配をしていたと思うのか。 それなのに腹が痛いと言いながら川になんて浸かって。

(オレにも我慢の限界があるってんだ)

ブブの後姿を睨みつけた時、ふと目の片隅に気になる物が映った。

(え?)

まさか、と思い目を動かし凝視してみる。
・・・間違いない。
川の水に赤い筋が漂っている。 それがブブの身体から流れてきている。
血!?

「ブブ! 怪我したのか!?」

ついさっきまで思っていた恨みごとなどなかったように川の水を蹴ってブブに近づこうとした時、後ろから腕を引かれた。

「ポポは戻ってな」

サビネコだった。

「ブブが怪我をしてるんだ!」

それなのにどこに戻れと言うのか。

「怪我じゃない」

「サビネコ! どこに目を付けてんだ!」

目の前の川の流れに血が見えるだろう。 ブブの体から血が流れているだろう。

「ブブは女になっただけだ。 怪我じゃない」

「・・・え?」

どういうことだ。 ブブは生まれた時から女だ。 それなのに何を今更。

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孤火の森 第4回

2024年07月05日 20時37分04秒 | 小説
孤火の森(こびのもり)  第4回




従者たちがいつ怒りを買うかと怯えながら、撒き散らされた葡萄酒を拭き金杯を片付けている。
新しい葡萄酒を用意するのは側仕えに任せたいが、今この部屋に側仕えが居ない。 置き方が悪いとでも言われ怒りを買うだろうかと思いながら、震える手で新しい金杯に葡萄酒を入れ恐る恐るセイナカルの前に置く。

(森の民たちに新しく女王を擁立しようとする動きは見られない)

どこの森にも簡単に中に入ることなど出来ない。 それどころか簡単に近づく事さえ出来ない。 遠目からではあるが、各森に配置している州兵からは他の森の民が入ったとも、森から出たとも報告はない。

森の民がどうやって連絡を取り合っているのかは分からないが、女王の居たあの森を制圧したあの日、森の中をどれだけ探しても御子を探すことは出来なかった。
他の森に逃げたのかとすぐに御子の気を探すために他の森に出向いたが、どこの森に行っても女王が死んだことを森の民は知っていて嘆き悲しんでいた。 だからこそあの時は森に近づき御子の気を探すことが出来た。

兵に森を見張らせたのはその後すぐから。

セイナカルたちは馬で移動していた。 万が一にも制圧したあの森の民が逃げていたとしても、どれだけ走っても馬より早く移動できるわけがない。 では何故、他の森の民たちは女王が死んだことを知っていたのか。

なにか森の民特有の連絡方法があるのかもしれない。 その方法を使って女王が死んだことを知った。 そして同じくその方法を使っているから、森の民が集まる様子が見られないのかもしれない。

セイナカルが何か考え事をしているようだ。 金杯を置いた女が押し殺していた息を少し吐くとそっと下がった。

(それは、あの女が産んだ次期女王が今も生きているという証)

だから何年経っても御子を探している。 森の民たちが動かないということは、生まれてきた御子が死んでいないということ。

(生まれてすぐに・・・どこにやった)

お産を終えてすぐの森の女王に呪などかけられるはずがない、そんな力など残っていないはず。

(誰がかけたのか・・・)

奇襲をかけた時、森の中に居た森の民たちは一人残らず州兵の手にかかったはずだ、いや、一人残らず州兵の手にかかった。
だが生まれた御子が居なかったということは、少なくとも一人は御子を抱いてあの森を出たということ。 産後の森の女王も仲間の森の民すら見殺しにして。 その者が呪をかけたのだろうか。 ではその者は今どこにいるのか。 その者も探してはいる、だが一向に見つからない。

(同じ民を見殺したか・・・。 それともわらわに勝つとでも思っていたのか)

州兵を森から追い出したあとに御子を連れて舞い戻ってくるつもりだったのか。 だが州兵が森を制圧した。
まさか制圧されるとは思っていなかったその者は、御子を連れてどこかの森に身を潜めた、一番有り得る可能性だった。 だがどこにも御子は居なかった。 他の民の居るところに森の民は居られない。 森以外どこにも隠れることは出来ない。

あらゆる森に細かな気を探した。 だがあの時、どこの森にも気は見つからなかった。
ジャジャムにしてもそうだ。 セイナカル自身が諦めた後はあの髪の毛を使ってあらゆる森を探したが見つからなかった。
だがそれは、セイナカルもジャジャムも御子を追ってのこと。 御子を抱えて逃げた者を追ったわけではない。
その後にその者を探しだした。

万が一にも森以外のところに身を潜めたとしても、森の中でなければ森の民はどこに居てもすぐに分かる。 森の民だけが持つ髪色を持っているのだから。 それは白銀の髪色。
ではどこに隠れていたのだろうか。 そして今もどこに隠れているのだろうか。

目を遠くにやろうと顔を動かした時、左の顔にかかっている長い自分の髪の毛が目に入った。
両親と同じ金色の髪。

(忌々(いまいま)しい・・・)

森の民、森の女王。

金杯に手を動かそうとした時、ドアが開いてジャジャムが入ってきた。 バルコニーまで足早に歩いて来ると恭しく頭を下げる。

「遅くなりまして申し訳御座いません。 お呼びで御座いましょうか」

既に手にしていた金杯を口に付け、一口飲むと夜陰に輝く月を見る。

「まだ見つからんのか」

「申し訳御座いません」

「よい。 あの呪師は・・・もう捨ておけ」

「・・・」

頭を下げたまま唇を噛んだ。 またこの州から一人の呪師が居なくなる。

「あの時、少なくとも一人は取りこぼしておろう」

あの時、それは女王の居る森に奇襲をかけた時。 セイナカルには、あの時のことしか頭に無いのは分かっている。

「はい。 生まれてすぐの子が歩けるとは思えませんので」

ふっ、とセイナカルが笑った。
そう言われればそうだ。 だが森の民のこと、何があるか分からない。

「森の民のこと・・・生まれてすぐに歩けるかもしれんか。 歩けなくとも這うことが出来たかもしれんな」

誰に言われなくとも本能で危険を察知できたかもしれない。 そうなればさっき思った御子を抱えて逃げた者、取りこぼしの者が居るとは限らない。 だがそれはたとえ森の民といえど、荒唐無稽な話し。

「街の中に紛れている様子はないということだな」

取りこぼしの者とあの時の生まれたばかりの御子が。
もし取りこぼしの者が男なら、いや、男と限った事ではない、それどころか女がいるはずだ。 乳が出なければ御子を育てることなど出来ないのだから。 だからどちらかといえば、取りこぼしの者は女である可能性が高い。 だがそれは一人ならば、という話。

もし取りこぼしの者が乳の出る女であるのならば、その者が乳をやりながら一人で山の中でも街の中でも暮らせるとは思えない。 乳を出すには女自身も充分に栄養を摂らなければならない。 すると取りこぼしの者は他にもいた可能性が大きい。 それは森に入らず山の中であれば狩りの出来る男、こちらの思惑の裏をかいて山を下り海に出たのかもしれない。 そうなれば漁の出来る男。

だがそうなってくると山の民や海の民との兼ね合いが出てくる。 森の民が勝手に山の民の居る山に入って狩りなど出来るはずがない、それに森の民だ、海のことなど全く知らない素人が海の民に隠れて漁など出来るはずもない。

だから隠れるのなら過疎の村であろうと今まで過疎の村を回らせていたが、その州兵を戻らせ重点的に街の中に配備した。 取りこぼした者や御子がどこかに潜伏していないかを探す為に。
万が一にも髪の毛を染めていたのなら州兵には簡単に見分けがつかない。 だが少しでも怪しいと思えばすぐに水を浴びせろと言っている。

「はい、今のところは、と報告を聞いております」

「では・・・街はもうよい」

どういうことだ、と下げた頭のまま首を捻じった。 その様子を目の端に捕らえる。 今も女王の髪の毛から追えないということは、まだ呪をかけているかもしれない。

(だが御子に対しそんなに長く呪をかけるはずが・・・。 いや・・・それが思い込みというものか。 森の民の呪を知らぬのだからな)

最初と同じ失敗を繰り返す気など毛頭無い。

「他の森に隠れているかもしれん。 他の森を探す」

「と、仰せられますと・・・」

今、セイナカルは “街はもうよい” と言った。 その答えは一つしかない。
セイナカルがジャジャムを睥睨(へいげい)する。

「兵を森に」

ジャジャムが唇を噛んだ。
森の中を探すと言っても簡単なことではない。 それをセイナカルも知っているというのに。
また兵士の数が減っていく・・・。
反問も献言も許されない。 下げた頭を更に下げて部屋を辞した。

翌日から各兵隊長の元、州兵が各森を目指して山の中に足を踏み入れた。
山の中に入ったといっても、すぐに森の中に入ることが出来るわけではなく、近づく事すら容易ではない。

ようやく近づけたとしても、まずは森の中の様子を見極めなくてはならない。 だが森の民相手にそれが簡単にいくものでは無く、その先は更に簡単なものでは無い。 森の民に幻覚を見せられては、目の前に見えるものが真実であるのかどうかも分からない。 兵たちが互いに切り合うことも避けられない。

セイナカルからの命を受け、州兵があちこちの森に向けて動き出し一月ほどが経った頃、どこの持ち場でも、今まで遠目に見ていた森との距離がようやく半分まで近寄ることが出来た。
まるで亀の歩みのような進み具合だったが、各兵隊長も己の麾下(きか)を一人でも減らしたくないと考えている。

兵隊長になった以上は一人でも多くの麾下を持ち、大師団を持ち大隊長になりたいと思うのは否定される夢ではない。
だがあまりに時を重ねていてはセイナカルの怒りに触れることも分かっている。 二つを天秤にかけ、どちらかに大きく傾くことなく事を進めていくか、それが各兵隊長の胸の内一つにあった。

更に一月が経ち森との距離がまた半分に縮まった。
ここからは今まで以上に時をかけなくてはすぐに森の民に見つかってしまう。

更に二カ月を要してようやく森の中に足を踏み入れることが出来た。
今ごろ街中は暑さでうだっているだろうが、山の中は陽にさえあたらなければさほども暑く感じない。 ましてやこれから森の中に入る、森の中はさぞ涼しいだろうがどこまでそれを感じることが出来ることか。 暑さからの汗ではなく、緊張の汗が出るばかりではなかろうか。
足を忍ばせゆっくりと森の中に入って行く。

ここまではどこの森でも同じような歩みだっただろう。 だがこれからが各森でとられる時間が違ってくる。
まずは森の中がどんな地形になっているのかを確認しなければならない。 それが各森の地形で大きく違ってくる。 それがとられる時間の違いとなる。 森に地下があったりしては殆どお手上げだろう。
森の民の住処はそれからである。 森の民に気付かれないよう小隊に分かれ地道に地図を描いていく。



ポポが川で水浴びをしているのを見かけた。
これが街中なら気持ちの良い水浴びだっただろうが、山の中ではまだ少し涼しさが残っている。 何もしていない時であれば山の中の川水を被れば肌寒さを感じるだろうが、働いた後であれば気持ちよく水浴びも出来るだろう。

「なんだよ、ポポの奴、声もかけないで一人で」

最近ポポの様子がおかしい。 今日だって朝早くから一人で部屋を出て行ってしまっていた。
気持ちよさそうに頭から水を被り水浴びをしているということは、ブブの知らないところで働いていたということ。
ブブが河川敷を走るとザバザバと川に入って行く。 その音に気付いてポポが振り返ると、ブブが服を着たまま川に座り込んだところだった。

「何やってんだよ」

「水浴びついでの洗濯」

ブブが着たままの服の裾を白々しく揉みしだく。
ポポがブブから目を逸らせる。

「ちょっとは考えろよ」

あの時、ブブが森に行かないと言った日、ポポにも一人で行くなと言った日。 あの時のブブの様子は今までと違っていた。 州兵に涙を見せてしまったことが原因とは考えられなかった。
ブブの違っていた様子を意識しないようにはしていたが、あの日を境に徐々にブブの様子が違ってきていた。
一人考え込む様子があったり話していても上の空の時があった。 話をしていてもポポが思った返事が返ってこない時もあった。
それはポポにとって寂しさを覚える時だったが、ポポ自身も自分自身が今までと違ってきたことを感じていた。

―――ブブとは距離をとる方がいい。

ずっと離れることなく一緒に居た。 確かめる必要のない同じ考え同じ行動同じ思い。 まるで分身のようだったのに。

「何を」

川に座り込んでいたブブがポポを睨み据える。 声もかけずにポポは勝手に部屋を出て行き、挙句に水浴びをしていたのだ、それなのにこっちに向かって何を考えろと言うのか。
いつからだろう、一緒に寝ていた寝床で起きた時にも飯を食う時にも目を合わせてくれなくなっていた。

ポポが 「いい」 と言って背を見せる。

ブブの怒りは心頭だ。 拳で水を叩く、バシャンと水の音が鳴った。
ポポが肩越しにブブを見る。

「ポポ、何が言いたい! 何を考えろって言ってんだ!」

ポポの近くで同じ様に水浴びをしていたいたアナグマが耳をひくつかせた。

「ポポ」

アナグマが何を言おうとしているのかがポポには分かった。
馬の蹄の音がする。 また州兵が近くまで来ているようである。

「ちっ、なんで何回もこんな山の奥にまで・・・」

「お頭に知らせろ、ブブはわしが連れて行く」

怒り心頭のブブには馬の蹄の音は聞こえていない。 それにポポに今のブブは任せられない。
一瞬躊躇したポポ。 ブブとポポは一対なのだから。 だが今のブブの状態は分かっている。 今自分が何を言ってもブブは聞く耳を持たないだろう。

「うん、ブブを頼む」

アナグマに言い残すとポポがザっと川から上がり山を駆けだした。
その姿を見たブブ。

「ポポ! 話しの途中―――」

アナグマに口を押さえられた。

「州兵だ」

アナグマの声が耳元で聞こえた。

「声を出すな」

ブブが頷く。

「行くぞ」

アナグマとブブが川をあとにしてそっと走り出した。


岩屋のお頭の部屋に数人の仲間たちが集まっていた。 他の仲間たちはそれぞれの部屋に戻っている。

「全員戻ってきたか?」

お頭の仲間たちはかなり大所帯になっていた。 だからと言って一人たりとも見捨てることは無い。 拾った子供以外は誰もがお頭についていきたいと言い仲間に入ってきたのだから、拾った子供ももちろんだが、そんな仲間を好き勝手にする州兵の目に晒すことなどしない。

「はい」

答えたのは若頭。

「お頭、いったい州兵はどうなってんだ? 何をしたいんだ?」

もうこの山の中で何度も州兵を見かけている。

「どうも、森に入ろうとしているようだな」

「え?」

ここから一番近い森はもう十年以上も前に州兵が制圧している。 ここを通らなければいけない森など他にはもうない筈だ。

「森って、どこの」

「何処かは分からねぇ。 だが、ここを通って・・・遠回りをしてるんだろうな、少しでも森の民に気付かれねぇようにな」

お頭に続いて若頭が言う。

「今日もそうだが、時々見かける州兵は食料を運んでいるだろう。 森から離れたどこかに天幕でも張っているんだろうな」

仲間たちが眉をしかめる。

「森に入って何をしようとしてんだ? あの森みたいに制圧をしようとしてるのか?」

「そこまでは分からねぇ。 だが・・・こっちはいい迷惑をこうむってるってこった」

州兵が通るたびにこうして岩屋に戻って来なくてはいけない。 その上、この岩屋が見つかってしまってはここを追い出され、州兵にいいように使われるかもしれない。 いや、追い出されるならまだましだ。

「いいか、奴らは気が立ってる。 何をするか分からねぇ。 問題を起こす以前の話だ、見つかるんじゃねぇ、いいな」

それはこそこそと生きていかなくてはならないということ。 我らは山の民だというのに、山の中でこそこそと生きるなどと・・・。
口を歪める者、唇を噛む者、お頭の目線から逃げる者、それぞれの反応を見せる。

「オメーらの言いたいことは分かってるよ」

お頭が若頭に顎をしゃくってみせる。 若頭から話せということである。

「山の民の長(おさ)たちと集まって話をしてきた」

ここ、お頭がまとめる山の民はお頭のことをお頭と呼ぶが、普通は山の民をまとめている者を長と呼ぶ。 このお頭は長と呼ばれることを嫌がったため、お頭と呼ぶようになったが最初はそれすら嫌がっていた。

若頭の話したことに誰もが、え? という顔を見せた。
若頭の顔を何日も見なかったが、てっきりいつものことだと思っていた。 歳に勝てなくなってきたお頭の代わりに山の様子を見て回っていたのだと思っていた。

「どこの山でも州兵を見かけるようだ。 その州兵の目指しているのは森、それは確かなようだ」

長たちの口から上がったのは、森を制圧しようとしているのかもしれない、という事であった。

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孤火の森 第3回

2024年07月01日 20時29分31秒 | 小説
孤火の森(こびのもり)  第3回




「ブブが堪(こら)えたんだ、短気を起こすんじゃない、応えてやりな」

「・・・分かってるよ」

不貞腐れた顔でポポが答える。
この時のことはここで終わりにすればいいのだろうが、市に座ってまだ間がない。 まだまだここに座って薬草を売らなければいけない。 そうなると再び州兵に問われるかもしれない。

「兵が森って言ってたけど? 何か心当たりがあるかい?」

「・・・無くは、ない」

でもそれは一年も前の事。 最初に顔を見られたかもしれない。 それにブブが何度か振り返ってはいた。 その時に顔を見られたのだろうか。 でも、それでも一年以上前だ。 未だにそのことを根に持っているというのだろうか。
それにしても・・・ヤマネコがこうして訊いてくるということは、お頭も若頭もあの時のことを仲間たちに言っていなかったのか。

ポポが一年前のことをポツポツと話しだすと、ヤマネコが腕を組んでポポを見下ろした。

「お頭から散々言われていたのに森に行ったのかい」

口を歪めたポポがゆっくりと頷く。
どうして一年も経ってからまた同じことを言われなくてはならないのか。

「最後に行ったのは一年も前だ。 お頭にも若頭にも怒られた。 だからもう行ってない」

「当たり前だ」

ポポの言いようにヤマネコがすぐに答えた。

ポポが顔を上げる。 お頭にも若頭にも何度も訊いたが答えてもらえなかったことを、ヤマネコなら教えてくれるかもしれない。

「ね、どうして森に行っちゃいけないんだ?」

ヤマネコが眉根を寄せながらも答える。

「森の民は森に住む、山の民は山に住む、海の民は海に住む、川の民は川に住む、街の民は街に住む」

「・・・そんなこと分かってるよ。 でも森は山の中にあるじゃないか、だったら見に行くくらいいじゃないか」

ヤマネコが組んでいた腕を解いてポポの背に合わせるようにして腰を折った。

「民は混ざり合っちゃあいけないんだ」

混ざり合う。 それは他の民と徒党を組んではいけないということ。

「それは知ってるよ、でも見に行くだけだろ? それくらいいいだろ?」

混ざり合ってはいけない、だからお頭も山の民以外の子供を拾わないし仲間にも入れない。 山の民は他の民と違って黒い髪の毛をしている。 それが目印だが、州を跨いであちこちから寄せ集まっている街の民は色んな髪の色をしている。 その中には黒い髪をしている街の民もいる。 そこはお頭の鼻で利き分けているが、まず街の民が山の中をウロウロしていることなどない。

ヤマネコが首を振りながら頭を垂れた。

「ポポ」

「なんだよ」

一つ二つ呼吸をしてからヤマネコが顔を上げる。

「森の民だけはいけない」

「だけ?」

「ああ、海の民でも川の民でも、この街の民でもいい。 ポポが一緒に居たいと思ったのならお頭も許してくれるだろう。 だが森の民だけは駄目だ」

連れ合いが出来ればどちらかの連れ合いの群れに入ればいい。 その時には他の民だからと言って入れてもらえないことは無い。 そこのところには大きく口が開かれている。 そうしたところも暗黙の決まり事であるが、自分の居た群れとの縁が切られてしまうのは痛いところである。

「一緒に居たいって?」

ブブ以外の誰と一緒に居たいと思うのかと言いたいのだろう。

「ああそうか、まだポポには早いか」

「なんだよ。 それにどうして森の民だけは駄目なんだ?」

答えるには話しが複雑になる。 山に帰ってから話してやる、今はそう言ってしまえばいいのだろうがポポは納得をしないだろう。 癇癪(かんしゃく)を起してしまうかもしれない。 そうなれば州兵に目を付けられてしまう。

「森の民は・・・特別って言っていいのかねぇ、あたしらには分からないことが多すぎるんだよ。 簡単に言っちまうとあたしらとは違う。 州兵じゃないけどね、関わってしまうと・・・なんて言ったらいいのかね、不思議世界って言えばいいのかね」

「不思議世界?」

「あたしもよくは知らないんだけどね、そんな風に言われてるよ。 考えてみな、州兵が何を考えてこれだけ市を歩きまわっているか、あたしらはそんなことを知らない。 でも州兵の姿を見ることは出来るし話すこともできる。 あくどいことを考えてるんだろうと想像さえ出来る。 だけどね、森の民はその姿を見ることも何を考えているのかも森の民以外は分からないらしい」

「え? 姿を見るのも出来ない?」

そんな筈はない、ポポもブブも遠目ではあったが森の民を見た。

「普通にしている分には見えるらしいがね」

「どういうこと?」

「姿を消せるらしい」

「え・・・」

「だから下手に関わると何が起きるか分からないってことだよ。 森の中に入っちまっちゃあ右も左も分からなくなる」

「方向が分からなくなるってことか?」

子供だと言ってもポポとて山の民である。 方向の大切さはよくよく分かっている。

「方向が分からなくなる以前の話だ、森の民に幻覚を見せられるらしい。 森から出られなくなってそこでこと切れる。 森の民がどうしてそんなことをするのかは分からない。 何を考えているかは森の民しか知らないってことだ」

「・・・」

「分ったかい、もう森になんか行くんじゃないよ」


ポポとブブの居る部屋の中で松明に照らされた二つの影が揺れている。 いつもならその影はくっついて一つに見えるのに今日は二つに分かれている。

「・・・ポポ、その、今日は悪かった」

膝を抱え顔を埋めていたブブが口を開いた。
市からの帰りにヤマネコに色々聞かされたことがあったのもあるが、自分が悪いことをしたという自覚もあった。

「謝ることなんてない。 ブブはよく我慢した。 それなのにオレがブブの気持ちを考えないで声かけたから・・・オレの方こそ悪かった」

ポポの返事にブブが首を振る。

「悔しくて八つ当たりをしただけだ・・・。 ポポの方こそ謝ることなんてない」

「・・・そっか」

これ以上言っても終わることは無いだろう。 目先を変えよう。

「じゃ、オレもブブも謝らない。 な、今日ヤマネコから聞いたんだ」

「なにを?」

ポポの考えを理解したブブが膝頭から顔を上げる。

「森の民のこと」

「森の民のこと?」



「え? それじゃあ、森の民のことをポポに言ったのか?」

「ああ。 あの二人、森に行ったんだってね、聞いてたんだろ?」

「まぁ、そうだが・・・」

「あれ? 森の民のことを話しちゃいけなかったかね」

今日の市であった騒ぎの報告に、ヤマネコがお頭の部屋で事の顛末を話し終えようとしていた時だった。

「いや、いけねーってわけじゃあ・・・」

お頭が腕を組む。

「なにかい? お頭は何か理由があって、あの二人に森の民のことを話さないでいたのかい?」

「・・・まぁ、な」

「なんだい、はっきりしないね。 だけどあの二人は森に行ったんだろう? どんな理由があろうと二度と森に行かすわけにはいかないだろう」

「それはそうなんだけどな」

「だったら、聞かしておく方が良いと思うがね」

「まぁ、そうさな・・・。 で? ブブの方はどうだ?」

聞いてしまったのなら仕方がない、今更聞かなかったことになど出来ない。 それより二人のことだ。

「今頃ポポと謝り合いでもしてるんじゃないかね」

「そうかい」

お頭が腕を解くと、乾燥させ粉末にした葉を煙管に詰めながら州兵の様子を訊いた。

「ああ、いったい何を考えているんだか、帰りにもあちこちで見かけたよ」

だがあの一件以外にポポもブブも目を付けられることは無かったと続けて話した。

「州兵がどうしてあれだけウロウロしてるのか、お頭は知ってるのかい?」

手元の小さな火から煙管に火を移すと肺の奥まで煙を吸い、次に口からも鼻からも白い煙を勢いよく吐き出す。

「・・・見当はついてる」

だがそれをヤマネコに話すことは無かった。



「え? 森の民ってそんな?」

ポポから森の民の話を聞いたブブが大きく目を見開いた。
ブブから大きな目で見られたポポが神妙な顔をして頷く。

「じゃ・・・今まで森の民に会わなかったことが・・・」

もう一度ポポが頷く。

「森を見ただけで、森の民に会わずに帰ったことが良かったってことだろうな」

もし森に行った時、森の民と目が合っていればどうなっていたか分からない。

「でもどうして森の民はそんなことをするんだろう」

「ヤマネコが知らないって言ってたんだから、誰も知らないんじゃないか?」

ブブが顔を俯けて考える様子を見せる。
元の元気なブブに戻って欲しい。 ポポが悪戯な目をしてブブを見ながら言う。

「探りに行くか?」

森の民の元に。
すぐに返事はなかった。

「ブブ?」

二呼吸ほどおいてブブが首を振る。

「いや、やめておこう」

「え? なんで?」

「市の行きもそうだったけど、市の中にも帰りにも州兵を見ただろ」

尋常ではない人数を。

「そりゃそうだけど森は山の中だろう。 州兵は関係ないだろ? な、行こうぜ」

一年前のように目を輝かせて前屈みになってブブを見る。
一年前のブブなら同じ目をしてポポの話に乗っただろう。 だがもう一度ブブが首を振る。

「万が一があるよ。 あの森、州兵が居た森があるだろ、あの森みたいに次にどこかの森を州兵が狙ってたら、遠巻きに森を見てるはずだ」

森に行った時にはそんなこととは知らなかった。

「その時はまた石灰弾を投げるさ」

その時に孤火が居てくれると楽だな、そう言いながら頭の後ろで手を組んだが、その姿を見てもブブがまた首を振る。

「お頭やヤマネコ・・・それに他の山の民に迷惑がかかるような事をしちゃいけない」

「え? なに言ってんだよ、オレとブブがそんなドジを踏むわけないじゃないか」

「ドジは踏まないよ、でも駄目だ」

「ブブ・・・」

ポポの頭の後ろで組まれていた手が下がる。

「一人で行くなんてことはしないでくれよな」

ポポが何を考えているか、それは誰よりブブが分かっている。

唇を噛んだポポ。 だがそれ以上ブブに何かを言うことは無かった。 市であったこと、それは初めての喧嘩だった。 だからせっかく仲直りできた、元に戻ったのだからそれを無駄にはしたくなかった。

分ったよ、ポポが言おうとした時、ブブが腹に手を添え顔を俯かせた。 眉間に皺を寄せている。

「え? ブブ? どうした?」

「ん・・・何でもない」

「何でもなくないだろ、どうしたんだよ。 腹が痛いのか? それなら薬草を貰ってくる」

立ち上がりかけたポポをブブが止める。

「大丈夫、ちょっと・・・気持ちが悪いだけだ」

「気持ちって・・・。 腹だろう? 腹に気持ちも何もあるもんか、下痢か?」

「・・・それっぽい」

「なにそのへんのもの拾って食ってんだよ! おら! 立って! 出すもん出しに行くぞ!」

ポポが腕を取って立たせようとしてくれるが、出るものはないような気がする。 ただ今までにない感覚で腹の具合が悪いだけだった。



月が森とバルコニーを照らしている。

バルコニーには夜風が冷たく肌寒い風が吹いているというのに、窓は一年前と同じように全開にされている。 そしてそのバルコニーには一年前と同じように女州主が座っていた。 いや、一年前に限らず、この女州王は毎夜このバルコニーに出ている。

女州王。 州王であった両親の一粒種として生まれこの州を治めている。 伴侶はいるが我が州の森のことと州兵のことだけには口出しを許していなく、州交に重きを置かせている。

「セイナカル様、そろそろお身体がお冷えになるかと」

女州王、セイナカルにはまだ御子が居ない。 暑い時にも寒い時にもこうして毎夜バルコニーに出る。 暑い時にはまだしも、寒い時にバルコニーに出て身体を冷やしては御子に恵まれる可能性が薄くなっていくだろう。 ましてやもうすぐ三十七の歳になるのだから。

セイナカルが進言をした側仕えの女を一度斜に見て視線を戻した。

「呪師はどうしておる」

この側仕えは長くセイナカルについている。 セイナカルの気持ちの限界が近づいていることには気付いている。

「ジャジャム殿と髪を辿ってはおられますが・・・」

「まだ、ということか」

側仕えが口を開くことなく深く一礼をする。

呪師を変えて一年が経った。 いや、もう一年以上を過ぎた。
あれから二十年以上が過ぎた。

―――もう追えないのだろうか。

初動の己の失態は認めている。 だが。

―――追えないなどということは認めない。

(この州にはもっと力の有る呪師は居ないのか。 それなら他州から調達してきてもいいが・・・)

そうなると他州との間で軋轢が生まれる可能性がなくもない。
伴侶がもっと上手く他州と州交を取っていればいいものを、伴侶はそれを是としない。
セイナカルと伴侶との考え方の違いである。 セイナカルの言う州交とは抑え込めばいい、ただそれだけだが、それに対して伴侶はそれを是としない。 調和を持って、などと甘いことを言っている。

テーブルに置かれた金杯を手に取り、中にある赤い葡萄酒を金杯の中で回す。

あの時、追えなかったこともあるが、まず第一に奇襲が失敗だった。
森の女王であるあの女が御子を生む前にあの森を襲う予定だった。 あの女に御子など産ませる気など毛頭なかった。
何年もかかってやっと森の中、あの女の住まう域に入ることが出来た。 その時にあの女が身籠っていることを知った。 この手で腹を割いてでも産ませるつもりなど無かった。
それなのに、やっと奇襲にまでこぎつけたというのに、寸前で森の民に幻覚を見せられ奇襲に遅れを取ってしまった。
その遅れが追わなければならない結果に繋がってしまった。

(どうしてあの時、追えなかった)

あの女の髪の毛に頼らずとも残っていた気で追えるはずだった。 気は充分に残っていたのだから。 それに気だけではない、生まれ落ちた時の胎盤もまだ暖かく残っていた。 あの胎盤の中で育っていたのだからすぐに追えるはずだった。 あの女、森の女王、その腹から生まれたばかりの御子を。

(何がいけなかった、何かを見落としていたのか)

もう片方の指で金杯の縁をなぞる。
その指がふと止まった。

(・・・まさか呪(じゅ)をかけたか?)

今までその思いに気付かなかった。 いや、正確に言えば頭の片隅に無くはなかった。 だが生まれたての我が子に呪をかけるなどということを、森の女王が許すわけなどないと考えていた。

(呪・・・森の民にしか知り得ない呪があったのだろうか・・・)

広い意味で言えば街の民であるセイナカルには、特に呪に優れている森の民の呪など知り得ない。 それに呪は主に呪(のろ)うことの為に使い、守るための呪などない、頭っからそう思い込んでいた。 事実、街の民の呪はそういうものだ。

(いや、あったのだろうかではない。 あった。 それ以外ありえない)

口を歪め金杯を持つ手が震える。
どうして今ごろになってそんなことに気付いたのか、どうしてあの時気付かなかったのか。

金杯をバルコニーに投げつける。 大きな音がして赤い葡萄酒が辺りにまき散る。
側仕えが咄嗟に首をすくませ、瞳だけを動かしセイナカルを見ると、歯を軋ませ目を怒りに燃え立たせている。 だが息を殺しじっと見ていると徐々にその表情が変わってきたのが見て取れた。
徐々に口角が上がっていき、目を細めていったのだった。
側仕えの背筋に嫌なものが走った。

「ジャジャムを」

「はい・・・」

側仕えが控えていた従者たちに、投げられた物の片づけをするようにと目顔を送ると部屋を出て行った。

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孤火の森 第2回

2024年06月28日 20時53分43秒 | 小説
孤火の森(こびのもり)  第2回




精緻な金細工が置かれた豪奢な部屋、高い天井には弧を描いた何枚もの絹の布が、まだ肌寒い季節だというのに全開にされた窓から入る風に揺れている。
バルコニーに置かれたテーブルに金杯がコトリと置かれた。

「それで? 逃がしたと言うのか?」

絹で出来た衣装に身を包み、左の瞼の目尻辺りでカーブを作って前髪を下ろし、そのまま高く括った金色の長い髪の毛には髪飾りが揺れ、露(あらわ)にされた耳には大きな金細工の耳環(じかん)が揺れている。

「はっ、ですが、森に入る手前で見つけまして」

すでに背中にも額にも大量の汗が流れている。

「森に入らなければいいとでも言うのか?」

「そ、それは・・・」

「よい、下がれ」

「はっ・・・」

命が繋がった。
子供二人如きにこの命を取られては、何のために今までやってきたか分かったものではない。

「だが、二度はないと思え」

「はっ」

二度と失敗は許されない。
武装をした巨躯を持つ兵隊長が胸元に腕をあて敬礼をすると、大きな扉が左右に開かれ部屋を出て行った。

「ジャジャムを」

金杯に手を伸ばし、明るければバルコニーから遠くに見えるだろう森に目を移す。
側仕えの女が一礼をし、そっと部屋から出て行くとすぐに戻ってきた。 ジャジャムと呼ばれた男は扉の側で控えていた。 痩身初老のジャジャムが側仕えを抜いてバルコニーまでやって来た。

「お呼びで御座いましょうか」

恭(うやうや)しく頭を下げたジャジャムは、目の前に居るこの城の女主(おんなあるじ)が幼い頃から付いている女主の側付きである。
女主(おんなあるじ)であるセイナカルが低頭する男、ジャジャムを僅かに横目に見た。

「どうなっておる」

「それが・・・まだ何も・・・」

「・・・何も、とな?」

ジャジャムが尚一層頭を下げる。
女から切った髪の毛を頼りに呪を使い、何年もある人物を探している。 だが一向に気配さえ見つけることが出来ないでいた。
セイナカルが金杯に口を付け一口飲むと大きく息を吐き金杯をテーブルに戻した。 左手にあった金の腕輪がカツンカツンと音をたてる。

「わらわは何年待てばいいと言うのか?」

「申し訳御座いません・・・」

音をたてた腕輪を一度二度と右手の人差し指で回すと、ジャジャムに視線を送る。

「呪師(じゅし)を変えるが良いだろうな」

「・・・はい」

ジャジャムの返事にセイナカルが眉をしかめる。

「まさか・・・髪を失くしたということは無いのだろうな」

ジャジャムのはっきりとしない返事に引っかかり、まさかと思って訊いた。
髪の毛を失くしてしまえば、百人千人の呪師を呼んでも無駄ということになる。 髪の毛は細い糸である。 それは分かっている。 それでも、たとえ細い糸でも失くしたとなれば糸が切れたということになる。 手立てはもうその糸しか残っていないというのに。

「それは御座いません」

どれだけ呪師を変えようとも、もう不可能に近い。 あまりにも時が経ちすぎた。 最初から髪を頼りにすればここまで長引くことは無かった。

「ふっ、わらわを愚弄しておろう」

「決して、決してそのような事は御座いません」

「お前の考えておることなど手に取るようにわかるわ」

「決して・・・」

頭を下げながら首を左右に振るジャジャムを目の端に捕らえながら森であったことを訊く。

「今日、あの森に子供が近付いてきたらしいが?」

「はい、聞いております」

「ゼライアではなかったのか?」

ゼライア、それは探している者の名前。 もしその者ならば、ずっと髪の毛で追っていた呪師にもジャジャムにも分かったはずである。

「髪には何の反応もございませんでした」

「・・・そうか」

細い糸、それはゼライアの母親の髪の毛であった。 その髪の毛に呪をかけている。 この城と森の距離である、我が子の気配を見つければそれなりの反応を示したはず。 だが何の反応も見せなかったということは、探している者、ゼライアでは無かったのだろう。

「よい、下がれ。 呪師は変えるよう」

ジャジャムが背に冷たい汗をかきながら再度恭しく頭を下げ部屋を出て行った。

あの時、ジャジャムは進言をした。 その時セイナカルの手には、セイナカル自身によって切った白銀に光る短い毛の束が握られていた。 長さにしてセイナカルの掌より少し長いくらいであった。
その白銀に光る髪の毛の持ち主である森の女王は産屋を出て森の中で倒れていた。 短くざんばらになった髪の毛で、すでに息はなかった。

『今すぐに呪師にこの髪の想いを追わせれば――――』

『要らぬ』

『ですが』

『わらわの力を侮るか?』

『滅相も御座いません』

わらわ、この城の女主であり、この州の女州王にその力はあった、あったはず、呪師に頼ることなくすぐにでも後を追えたはず。 事実、ゼライアという名前も周りに残っていた母親の口から出た名前を女州王が拾ったのであったのだから。
だが・・・名前まで知り得たというのに、あの時あとを追えなかった。 その後にもどれだけ探しても探しきれなかった。 それが何故だかは分からなかった、未だにその理由も原因も分からない。

(不運な力・・・と言えばいいのだろうか)

女州王に力さえなければこんなことにならなかったというのに。
背の後ろで扉が閉められると大きく息を吐いた。 これで何人目の呪師だろうか、この州から呪師が居なくなるのではないだろうか。



若頭の心配をよそにポポとブブは大人しく日々を過ごしていた。 大人たちが知らない間に二人でどこかに出かけるということはほぼなくなっていた。

「ちったー、大人しくなったか」

岩屋から出てお頭と若頭が並んで仲間と夕飯の用意をしているポポとブブを見ている。

「もうすぐ十二歳になる、それに新しくチビが出来るのにそんなんでどうするって、アナグマが言いきかせたようです」

この群れに赤ちゃんが生まれてくるということである。

双子は 「川に行ってくる」 と誰かに告げると飯のおかずの川魚を捕ってきたり、女達と一緒に街の市で売れるものを山に採りに行ったりとしていた。
まだまだ面白がって髪を括る形を変えたりしては仲間たちをおちょくってはいたが、お頭から “行くな” “するな” と言われたことは守っていた。

だが双子にすればアナグマに年齢のことや、生まれてくる赤ちゃんのことを言われたのもあるが、若頭らに言われたことが相当に効いていたようである。
双子はここから出されるとどこにも行けるところが無いのだから。 それにここから出されてしまっては、生まれた時から一緒に居る仲間たちと離れることになるのだから。
ポポとブブは仲間たちのことを仲間と思っているが、仲間たちは・・・きっとポポとブブの庇護者と思っているであろう、それは分かっている。 いつも守ってくれた。 なにより仲間内では一番年下のポポとブブであったのだから。



双子が大人しくなって一年が経った。
生まれた赤ちゃんはイタチと名付けられた男の子で双子はよく子守をしていた。

「ほら、イタチ、立てるだろ」

イタチは運動能力の発達が遅いようでいまだに立てないでいる。 ブブの両手がイタチの脇を取って立たせるが、少し力を抜くとすぐにヘナヘナと膝を折っていく。 何故か代わりに両手をバタバタと動かして喜んでいるが。

「あー・・・やっぱ、まだ無理かぁ」

「立つって意味が分かってないんじゃないのか?」

立てなくて喜んでいるのだから。

「ま、イワネコも焦ることは無いって言ってたからいいんだろうけどな」

イワネコとはイタチの母親である。 授乳が落ち着いてからは他の女たちと同じように働いている。 それが為にポポとブブの二人は子守役となることが多かった。

「な、それより明日、街に連れて行ってくれるって言ってたよな?」

「うん、久しぶりだな。 イタチ、明日は遊んでやれないからな」

イタチの脇を抱えると高い高いをしてやった。



この頃から街中は勿論だが、時折山の麓まで州兵を見かけるようになってきていた。
三人の女達と薬草を売りに街中の市にやってきたポポとブブ。

「なんか・・・兵が多くないか?」

市のあちらこちらに州兵が見え、市にやってくるまでも何人もの州兵たちとすれ違っていた。

「何かあるのかなぁ。 なぁ、ヤマネコ何か聞いてるか?」

ヤマネコは四十ほどの歳を経た、女たちを束ねている女衆の言わば女衆頭である。

「さあ、どうだかね。 いずれにしろ大人しくしてな、関わるんじゃないよ」

州兵になど関わるとろくなことは無い。 二人の女達が州兵を気にしながら市の端に筵(むしろ)を広げて乾燥させた薬草を並べていく。
一人はポポとブブに一番歳の近いサビネコ。 もう一人はお頭に言わすとヤマネコの次に口の達者な二十五前後の歳のチャトラ。

ヤマネコは州兵に目を付けられないよう州兵の動きを見ている。 その州兵は二人一組になって市の中を歩き、時折、情報交換なのか数人が集まって話をしている様子が見てとれる。 その中で歩いていた州兵の一人がもう一人に声をかけ、こちらに向かって歩いて来た。

ちっ、と心の中で舌打ちをしたヤマネコ。

「ポポブブ、なんにもやらかすんじゃないよ、耳が聞こえない振りでもしときな」

こちらに向かって歩いて来る髭をたくわえた州兵に背中を見せたヤマネコが、ポポとブブの肩を押して筵に座らせた。

ポポとブブにしてはどうしてこれだけ州兵がウロウロしているのか知りたかったが、ヤマネコに迷惑をかけるわけにはいかないし、相手は州兵だ、迷惑で終わらないかもしれない。 仕方なく二人で下を向いて胡坐をかいた。 州兵を見てしまうと睨んでしまいそうだからであった。 一年前のあの事は今でもしっかりと覚えているのだから。

「山の民の薬草か」

二人が下を向いて少し経った時であった。 カチャカチャと鞘のあたる音がし、上から男の声が降ってきた。 目先を少しだけ上げると長靴が見える。 州兵の長靴だ。

「そうだよ、よく効く薬草ばかりだ。 傷に効くのもあるよ、どうだい一束」

ヤマネコが言った。 筵を敷き薬草を並べた終わったサビネコとチャトラはここには居なかった。 ヤマネコに目顔を送られ、何かあった時に動けるようにとこの場所から離れている。


州兵が下を向いているポポとブブを見る。

「この二人は商売っ気がないのか?」

売り込もうともしなければ下を向いているだけだ。

「耳が聞こえなくてね、今日は街を見せてやろうと連れてきたけど、人の多さに驚いてるんだろうさ」

「へぇ・・・」

言ったかと思うと、すぐに座り込んで下を向いていたブブの顎に手をあて顔を上げさせた。
ポポが動きかけたが、そのポポの尻を州兵から見えないようにヤマネコが押さえた。

「・・・どっかで見たな」

睨み返したい気持ちを抑えて口を一文字にし、目を逸らせたブブの顔が見ようによっては怯えているようにも見える。

ヤマネコがしまったと思った。 この二人をどこかで見られていたのかもしれない。 だが今までに何度か市に来ていたが、ポポもブブも州兵の目に留まるような事は何もしていなかったはず。 市に入った時に頭の片隅に二人の姿が残っていたのか、それとも別のところでなのか。

「おい」

もう一人の州兵がブブの顎に手をあてている州兵を呼んでいる。
ヤマネコが呼びながら歩み寄ってきた州兵を見る。 この州兵の言うことによってはヤマネコが一言いうつもりでいた。 だがそれは州兵を馬鹿にしたと難癖をつけられ捕らえられても仕方のない一言であった。

「なんだ」

返事をしながらもまだブブを見ている。

「油を売ってる暇はない」

州兵にされるがままのブブがとうとう悔しさに目に涙を浮かべた。

「ふん、気のせいか」

悔しさの涙を怖がっている涙と勘違いをした州兵。 ブブの顎を弾くようにして手を外すと立ち上がった。
ブブの顔が勢いよく横に振られた。

「あの時のガキかと思ったが、こんなしみったれじゃあ森に来る勇気なんて無かったろうな」

「まだあの時のことを言ってるのか」

呆れたようにもう一人の若い州兵が言う。 以前ならこの髭をたくわえた州兵相手にこんな口の利き方は出来なかった。
若い州兵は噂で聞いていた。
この髭をたくわえた州兵は森に入ろうとしたガキ二人を捕らえ損ね、森隊長として兵隊長からかなりの竹刀打ちを喰らい挙句に街回りに降格されたと。
だがもう一年も経っている。 仮に今更その時のガキを捕まえたとて、どんな傷も塞がるものではない。 反対に古傷を再びこじ開けることになるだけではないのか。

「お前には分からねーよ」

州兵が歩を出すと二人で立ち去って行った。
州兵が遠くになり目の前から居なくなった。

「ブブ!」

思わずポポがブブを呼んでその肩に両手を置いた。 だが。

「構うな!」

ブブが目から溢れ出るモノを宙に撒き散らせ、ポポの手をはじき顔をそむける。

「ブブ・・・」

「あっちへ行け!」

「ブブ・・・なんで・・」

どうしてそんなことを言うのか、いつも一緒じゃなかったのか。 ブブに悔しさがあってそれを誰よりも分かっているのはこのオレだけなのに。

「ポポ」

ヤマネコが呼ぶ。
何がどうなったか分からないポポが振り仰ぐと、そこにヤマネコの慈愛に満ちた顔がある。

「今はブブを一人にしてあげな」

ブブを一人? そんなことは有り得ない。

「なんでっ!」

いつもポポとブブは一緒だった。 それなのにブブを一人になどさせられない。

「サビネコが戻って来た。 ブブはサビネコに任せな」

ヤマネコに目顔を送られこの場から居なくなっていたが、事が落ち着いたのだろうと戻って来たようだ。 チャトラはまだあたりに目を配っている。

ポポがヤマネコを睨みつける。
どれだけ睨まれようと頭や若頭と同じく、いやそれ以上にヤマネコに揺らぐ心などない。 ポポとブブを育てたという自負がある。 怯むことも嘲ることもない。

「いっちょ前に睨んでるんじゃないよ」

ポポの頭頂部にゴン! と拳を落とすとそのままポポを抱き上げ筵から居なくなった。

涙が止まらないブブ。

―――悔しい、悔しい。

思わずポポの手を弾いたほどに悔しい。 どうして、どうしてあんな屈辱をあじあわなければいけなかったのか。
言い返せばそれで良かった、そしたらこんな風に泣くことなんてなかった。 だがそれをしてはならないということは分かっている。

「よく我慢したね」

頭を撫でられ思わず顔を上げた。 そこにサビネコの顔がある。
サビネコは十七歳、ブブたちと一番近い歳。

「サビネコ・・・」

「泣きたい時には泣きな」

サビネコがブブの頭を抱える。

「あんな奴ら相手にする価値もないんだからね」

ブブがまだ溢れるものと共にサビネコの腕の中で何度も頷いた。


「離せよ! ヤマネコ!」

ポポがヤマネコの腕の中で暴れていると、ようやくヤマネコの腕から解放された。
だが片方の腕は取られている。

「ポポ、いいかい? 問題を起こすんじゃない」

「分ってるよ!」

「どうだかね、ブブが我慢をしたのを分かってるのかね」

「分かってる! ブブの横に居るだけ―――」

「それが問題を起こす起因となるんだろうが」

ブブが泣いたのだ、その姿を見て横に居るだけでは済まないだろう。 あのブブを泣かせた相手を追いかけて食って掛かるだろう。

「・・・」

言い返さないということは、食って掛かるつもりだったらしい。

もしあの時、ブブではなくポポの顎を上げられていたならポポはどうだっただろうか。
いつも全く同じ一言一句変わらないことを言い、同じ動きを見せていた双子のことだ、同じ反応をしたかもしれない。 だが今日のことは今までにないシチュエーションであった。 ポポはブブと違う反応を見せたかもしれない。 いや、見せただろう。 ここ最近の二人を見ているとその可能性は大きい。 きっとポポならさっきヤマネコを睨んだように州兵を睨んでいただろう。

「いいかい? 山の民が市で、街中で、問題を起こしちゃいけない」

下手に問題を起こすと市から放り出されてしまう。 それは他の山の民の群れにまで及んでしまう。 自分達だけでは済まない。
自分たちとて市での収入がなくなれば困ることが多々ある。 一人粗食に生きる為にだけ食べるのならば、山の中にあるものだけで暮らしていける。 だがそうではない。 一人ではない、生きるためにだけ生きているのではない。 仲間たちと時を分ち合うために生きている。 共に笑い、共に泣き、共に踊り、共に生きる。
そうなれば鍋がいる、米がいる、衣がいる、短刀がいる、山で摂れる食料だけでは済まないものが多々ある。

「・・・分かってる」

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孤火の森 第1回

2024年06月24日 20時55分02秒 | 小説
孤火の森(こびのもり)  第1回




下生えの草がそよ吹く風に身体を預けゆらゆらと揺れている。
深く息を吸えば少し冷たいが、その分ゆらゆらと揺れている爽やかな緑に満ちた空気が口腔一杯に広がることだろう。
そこは山の中の広い草原、どこまで走ってもずっと緑が続いていくようにさえ感じる穏やかで豊かな草原である。
草原から四方を見渡すと遠くに連山が見える。 それだけ山に囲まれた草原。 その中で昔は草原の奥に大きな森が泰然としていた。 だが今その森は森とは言えない姿をしている。


白い月が顔を出してきた。 いくらかすると月夜の刻となる。

広い草原の中、一ケ所を除くと全く同じ姿をした二つの小さな影が下生えの草を蹴って走っている。
右前の衿合わせの裾は尻をすっぽりと隠し帯の代わりに縄を巻き、その下には膝下迄の筒の下衣を穿いている。 足元はわらじが簡単に脱げないように工夫されている。

「ポポ、まだ追ってくる」

チラリと後ろを振り返った片方の影が言った。
追っ手は馬に乗っている、すぐに追いつかれることは火を見るより明らかである。

「しつこい奴ら」

ポポと呼ばれた一つの影が走りながら懐に手を入れた。 懐に入っているのは粉状の石炭を三重に包んだ物である。 それを懐から出す。 その袋は外側の一重目を簡単に結び紐から引き抜けるように工夫をされている。

「そんなのを持ってきてたのか?」

これは仲間の大人たちが猟に出る時に万が一を考えて懐に入れるもので、大小さまざまな大きさがある。 最も大きな包みはクマ狩りに出る時に懐に入れて出ている。

「万が一があるからな。 野孤(やこ)は居ないか?」

「だから! 野孤って言うなって! そんなことを耳にしたら孤火(こび)が怒って出てこないだろ!」

孤火、それは野孤のように尻尾に小さな炎を持ち怯えて群れを成している狐とは違う。 人間から見て感覚的に野良の狐ではなく、尻尾に立派な炎を持ち己が決めた主(あるじ)に付くと言われその矜持は高い。 主に付くまでは野良ではあるが、その矜持の高さから野良とは別と考えられ、立派な狐火(きつねび)をもつ狐の総称である。

「分ってるよ! ちぇ、走りながらはやりたくないんだけどな」

簡単とは言え、袋を包んでいる内側の三重目を引き抜くに失敗すれば手の中で爆発してしまう。 ましてや今日持ってきたものは大きいものである。
三重目を引き抜くと二重目の包みは落ちると簡単に破れ、尚且つその衝撃で静電気が発生しやすい仕組みになっている。 静電気が発生するとそれが着火源となり、中にある粉状の石炭が爆発する。 いわゆる粉塵爆発である。 懐に入れている間はそれを避けるために一重目と三重目の包みがある。

ポポが一番の外側、一重目を取り払った。 そして三重目の包みをそっと引き抜こうとした時、ポポと一緒に走っていたブブの横で草原の草が踊った。

「ポポ待て!」

包みに集中するあまり足の運びが遅くなっていたポポに踵を返す。
馬に乗り剣を腰に佩(は)き雄叫びを上げている追っ手がどんどん近づいてくる。

「こんな時に待てるか!」

「孤火だ!」

訊き返す間もない。 咄嗟に結び紐を解き二重になったままの袋を後方に投げつけた。 勢いよく投げられた包みが石炭を散らせながら、すぐそこまでやってきた追っ手の前で広がる。

「孤火、頼む!」

ブブが石灰弾の方を見て叫ぶと、草原の中から薄茶色の孤火が顔を出し、高く跳躍するとその立派な尾を振る。 尾に点いていた炎から粉火が飛び、ポポの投げた石炭が爆発を起こした。
怒号絶叫の中、馬のいななき、馬上から人の落ちる音が聞こえる。
それを確認した二人が再度草原を走り出す。

草原を抜け、岩を跳び、走り、山道を下っていく。
息を上げ、後ろを振り向くともう追っ手が追ってくる様子はない。 ポポの投げた一発で何とかしのげたようである。
二人が足を止め膝に手を着いた。

「なんだよ、あいつら!」

息を上げながらも怒りに任せて怒鳴る。 いったい誰に追われていたのかが分からなければ、どうして追われたのかも分からないのだから。

「なんで追われなくちゃなんないんだよ!」

怒り任せに怒鳴るポポを尻目に、足元にやって来た孤火にまるで背丈を合わすかのように座り込み、肩を上下させながら孤火の背中に礼を言うように撫でてやる。

「なんでって、入っちゃいけないって言われてた森に入ろうとしかけたからだろう」

「うっ・・・」

「ポポも孤火にちゃんと礼を言えよ」

「わ、分かってるよ!」

背中を撫でられている孤火に向かうと 「孤火、さっきは助かった」 そう言ったのだが、孤火はちらりとポポを見ただけである。

「ちぇっ、なんで孤火はブブにしか懐かないんだよ」

今日だけではない。 二人でふらふらと歩いていると孤火が寄っては来るが、ポポのことをちらりと見るだけでブブには身体を摺り寄せる。
はたから見て背も顔も、まだ声変りをしていない声も、それこそ指の一本まで全く同じなのに。 ただ一つ違うのは、ポポは黒い髪の毛を襟足の下で一つに括り小鳥の尻尾のようになっている。 対してブブは黒い髪の毛を後頭部で一つに括っている。
これは仲間から二人が見分けられるようにとしていることだが、髪の毛の長さも同じこの二人は時々括り方を交換し仲間をおちょくる時がある。
それ程に似ている二人なのに、孤火にはどちらがブブか分かるようであった。

「孤火に見る目があるからだろ。 それより、もう月が出た。 どうする? お頭になんて言おうか」

常から月が出る前に戻って来いと言われているのに。 それに森には入るなと口が酸っぱくなるほど言われているのに。
ポポが口を歪めて腕を組む。

「嘘ついてもすぐにバレるからなぁ・・・」

どうしてかあのお頭は勘がいい。 それに若頭も。

孤火の背を撫でていた手を止め「今日は助かった、もういいよ」と孤火に言うと立ち上がり尻に着いた砂を落とすにパンパンと叩くと、まるでその音が合図になったように孤火が坂を上って帰って行った。

「オレらの嘘は見切られてるからな。 嘘をついて怒られるより怒られても・・・正直に言うしかないな」



岩屋の中のお頭の部屋(穴)で正座をしているポポとブブ。
岩屋の外では何人ものざわめきが聞こえ金物の音も聞こえてくる。 あと少しで晩飯が始まる。

「で?」

細身で白髪交じりの六十五に手が届きそうなお頭が言う。

で? と言われても。 ちゃんと正直に言った。 これ以上何を言えと言うのか。 下を向いているポポとブブが目を合わせる。

「どうして森に入った」

それは言っていなかった。

「えっと・・・」

ポポが口淀んで止まってしまう。

「行くなと言われたから行きたくなったか」

「・・・お頭」

言い淀んでいるポポを置いてブブが上目遣いにお頭を見ながら口を開いた。

「なんでぃ」

お頭に睨まれた気がして肝が上がるが、どうしても訊きたいことがある。

「その・・・、馬に乗った奴らに追いかけられた」

「それはさっき聞いた」

ブブが一つ頷くと目を下に向け続けて言う。

「あいつらって、いったい誰なんだ?」

「オメーらが知る必要はない、と言いたいがな」

え? っという顔をして二人が顔を上げる。
目の前には腕を組み睨みを利かせているお頭が座っている。 その目が二人を順に見る。

「あいつらはあの森を見張ってる州兵だ」

「州の?」

「兵?」

「分かったか、分かったらもう二度とあの森に行くんじゃねぇ、いいな」

行きたいと思っていても兵と聞けばもう二度と行きたいとは思わない。 お頭の言うように州兵であるのならば、これ以上なにを訊くことも必要ない。
だがポポとブブにすれば、分ったか、と言われても到底納得のいくものでは無い事柄があった。

「待って、お頭。 兵って、州兵って・・・兵の鎧(よろい)なんてつけてなかった」

「そうだよ、オレらと変わんない格好をしてた」

「目くらましだよ」

その声はお頭の口からではなかった。 後ろから声がした。
二人が振り返ると布を持ち上げて二十代後半の頬に傷のある男が入ってきた。 長髪が好みなのだろう、他の仲間たちと違って背の後ろに三つ編みを垂らし、獣を追っている時に怪我でもしたのだろうか、左の肩に近い腕の付け根にはただれた跡がある。 顔の造形は男前なのだが、そういった傷跡がモノを言うのか、滅多に笑うことがなく笑ってもニヤリとする程度で、内から出るものがあるのか風貌がどことなく恐い。

「晩飯の用意が出来ました」

「そうか」

お頭が腰を上げると男に顎をしゃくる。 あとはお前から言っておけということである。
ポポもブブも今日の晩飯にはありつけないと分かっている。 何度も喰らったお仕置きだ。
お頭とすれ違った男がその場に座り片方の口の端を上げるとやはりニヤリと笑う。

「若頭、どう言う意味だ? 目くらましって」

同じ顔をして同じ姿勢で身体を振り向かせた双子の二人。

「そういう意味だよ」

「そういう意味って・・・そんなんじゃ分かんないだろ」

「あの森は州が密かに手にしてんだよ」

「密かに?」

「ああそうだ。 いつ兵に殺(や)られても誰にも分かりゃしない。 だからお頭もあれほど入るなってお前たちに言ってたんだ」

二人を順に見据えてから「何度もな」と付け足し、二人が口を歪めたところで続けて言う。

「お前たちが今までに散々やってきたことと、あの森に入ることは全然違うってことだ」

若頭の言う散々、それは流れの激しい川に入るなと言われていたのに、二人でどちらが対岸まで泳ぎ着けるかと競争をし流れに押し流されたり、崖から飛び下りるなと言われていたのに、大きな布を広げて四辺の角を持ち崖から飛び下りたり、その度に大人の仲間に助けられていた。

「いいか、今日お前たちが捕まっていても、お前たちに何かあっても、俺たちにそれを知る術はない」

「でも・・・でもなんで密かになんだ? 州なら堂々としてたらいいだろう?」

「州つっても色々あるんだよ、言えないこともな」

「それをお頭も若頭も知ってるのか? その言えないってことってのを」

「知るわけねーだろが」

ポポとブブ、交互に訊いてきてくれる。 目を瞑って聞いているとどっちが喋ったのか分かりゃしない。 いや、一人が喋っているとしか思えない。

「あの森には森の民が居ないのか?」

若頭が二人から目を外し大きく息を吐いた。 まだ話を続けたいと言うのか。
だがそれに答えたのは双子の片割れだった。

「居ないから州の兵が居るんじゃないのか?」

「なんで森に森の民が居ないんだよ、それっておかしいだろ」

「そりゃそうだけど・・・まぁ、どこの森にも森の民が居たしな」

自分達は山の民だ。 だから山に住んでいる。 森には森の民が住んでいるはずだ。 実際にどこの森にも森の民が住んでいた。 それを知っている。 この目で見てきたのだから。

勝手に話し出した双子の会話を聞いて若頭の眉がピクンと動いた。

「お前ら・・・他の森にも行ったのか」

この山から一番近いのが今日この二人が行った森であった。 だが近いと言ってもすぐ近くにあるわけではない。 ましてや他の森となると危険な場所もあれば、獣が居る場所を横切らなければいけないこともある。 そしてそれだけでは無い、他の民のテリトリーにも知らず足を入れていたかもしれない。

二人が一瞬固まり勢いよく首を左右に振る。
正直な嘘と丸分かりである。
ゴン、ゴンと鈍い音が二つ鳴った途端、二人が頭頂部を押さえて悶絶しだした。

「森には行くなと言ってあっただろうが!」

今日二人が行った森ほどには行くなとは言わなかったが、それでもどこの森にも行くなと言っていた。

「座れ!」と怒鳴られ、まだ頭頂部を押さえている涙目の二人が胡坐をかいて座る。

「いいか、今度どこかの森に行ってみろ、この群れから出すからな」

若頭の低い声が頭頂部に疼く。
あまりの痛さに声も出ないのか何度も頷いていたが、この二人は何をしでかすか分からない。 それに、もうそろそろ放ってはおけない年齢になってきた。

(お頭に相談か・・・)

双子にすればここから出されてはどこにも行くところがない。 お頭に拾われて親もいなければ双子の片割れ以外、肉親もいない。

ここの連中はみな似たようなものだった。 お頭に拾われたり、勝手にお頭について来た者達の集団、群れであったがそれは全て山の民であった。 山の民であるお頭に他の民はつかないし、お頭とて山の民以外は受け付けない。 例外がなくはないが、それはどこの民の中にもある暗黙の決まり事である。

初めて若頭に本気で怒られた。 大人たちに助けられてはいつも呆れて笑っていただけの若頭なのに。

「穴に戻ってろ」

二人が頭を抱えたまますごすごとお頭の部屋を出て行く。
見張など必要ない、この二人が今日これ以上何をするではないということは分かっている。 それはお頭に怒られた時のいつものことである。 腹を空かせて穿(うが)たれた二人の岩屋の寝床に寝るだけである。



部屋(穴)の中でパチパチと火のはぜる音がする。 その火に照らされゆらゆらとお頭と若頭の影が踊っている。

「まだだ」

「ですけど、あの二人はいつ何をしでかすかわかりませんぜ」

二人が他の森にも行っていたと話していた。 どこからもそれらしいことが何も聞こえてこないということは、森の民に見つかったわけでは無いのだろうが、これからもそうとは限らない。 それなのにどうして。

「まだおれの聞いた時期じゃねー」

「けど、何かあってからじゃあ」

お頭がちらりと若頭を見る。

「ああ、それが二番目に怖い。 だが一番怖いのは時期を誤まるこった。 そうさな、檻に入れとくわけにもいかねーし・・・」

「ですから、それこそ檻に入れてでもあそこに移動させればそれなりに―――」

「場所が変わったくらいで、あの二人にそれなりなんてもんがあるわけねーだろ。 ったく、そろそろだとは思うんだが、どうしたもんかい」

「そろそろ? どこをどう見て。 まだ前兆も見えませんぜ?」

「分ってるよ! かぁー、とっととくりゃいいのによー」

「だから場所を移動して・・・って、でも穴はまだ掘れてないか。 今こられちゃあ、にっちもさっちもいかなくなる、か」

お頭は毎日こっそりと穴を掘りに出かけている。 その間の群れのことは若頭が見ているが、夜になって仲間が寝静まると再びお頭が穴掘りに出かける時には若頭も手伝っている。

「テメーはどっちを言いたいんでぇ」

「まぁ・・・まずは穴ですか」

「だろうが。 とにかくあの二人を当分大人しくさせな」

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ハラカルラ 第72 最終回

2024年06月17日 20時19分18秒 | 小説
『ハラカルラ 目次


『ハラカルラ』 第1回から第72 最終回までの目次は以下の 『ハラカルラ』リンクページ からお願いいたします。


     『ハラカルラ』 リンクページ




                                  



ハラカルラ    第72 最終回




「では今日からよろしくです、黒門の皆さん。 で、俺は黒門の守り人になったんだから、守り人として黒門の皆さんに言わせてもらいます」

黒門の誰もが何のことだという顔をしている。

「青門と仲良くしてください。 コレが二つ目の話しです」

高崎が驚いた顔をしている。

「水無ちゃ・・・水無瀬もそうだし、青門の守り人もそうですけど、守り人は門同士の争いを良しとはしていません。 いま白門に守り人は居ませんからこれは守り人の総意です」

(戸田君・・・)

「戸田は昔の話を聞かなかったのか」

思わずプラスティック面が下を向く。

「聞いてますよ、守り人になれば一番に聞かされるんだから。 でもそれって同じ過ちをおこさないようにっていう戒めであって、ハラカルラを大事に思う烏の気持ちからのもの。 決して青門を責めるものではない。 それに・・・」

黒門が青門に圧をかける、それはざわつきとなって表れる。 それでなくても忙しいのに忙しくなる原因を作らないでほしいと言い、黒門はハラカルラを大事に思っているのだろう、そのハラカルラの中で青門の人間に圧をかけるようなことをするのはどうなのか、と雄哉が問う。

「昔を塗り替えることは出来ない」

「ああ、事実は事実」

カオナシの面の下でそれぞれに言っている。

「だから? だから何だってんですか。 青門に圧をかけて追い回して昔の黒門の兄妹が戻ってくるとでも言いたいんですか。 違うでしょう、黒門はもう昔の兄妹の事なんて考えていない、盾にしてるだけ。 単なる苛ついた時のはけ口にしているだけでしょう」

「なっ! 何を言うか!」

「黒門の守り人がそんなことを言ってどうする!」

「まず守り人として現状注意。 大声を出さないでください、それでなくても烏は忙しいんだから」

カオナシの面の下で誰もが口をひん曲げている。

「今ここで約束してほしい。 二度と青門に変な手を出さないって。 そして村に戻ったらこのことを長に伝えて黒門の総意としてもらう。 でなければ守り人全員、ハラカルラを訪れない」

「全員って・・・」

さっきも雄哉が言っていたが、烏だけでは到底水を抑えきれないことは分かっている。

この話の持っていき方は水無瀬から聞いた。 黒門は歪んではいるがハラカルラのことを想っている、だからそこを突けば簡単に揺れると。

「あ、言っとくけど俺はちゃんと約束は守るよ、あくまでも黒門の守り人となる。 だけど守り人として守り人の総意が重いってのは分かるでしょ?」

黒門の誰もが黙る中、一人が歩を出してきた。 雄哉に向って何かを言うのかと思えたが、その身を振り返らせる。

「ハラカルラのことで守り人の言うことは長の言葉より重い」

水無瀬の時には無理強いをしたが、あれは異例なことである。

「それにいくら戸田が黒門の守り人といっても、ハラカルラを訪れなくてはまた守り人を失ったことと同じだ」

ここに水無瀬が居ればこの声の主が誰か分かっただろう、水無瀬がおじさんと言っていた相手なのだから。

“守り人を失う” その言葉は黒門にとっては大きなことである。

「俺は黒門の人間として、黒門の守り人の言うことを飲む」

このおじさんは今までに一度も青門に圧をかけたりしていない、簡単に約束が出来る。 それにさっき雄哉が言ったように、圧をかけている連中は苛ついた時のはけ口に青門をいたぶっているだけだということも知っている。

「俺も」

雄哉にはおじさんの声に覚えはないが、この声には聞き覚えがある。 誠司だ。

(ふーん・・・)

「生意気を言うようですが、青門に圧をかけている姿は見られたものじゃないと思います」

「誠司! お前、なんてことを言うんだ!」

雄哉が口の前に人差し指を立てる。 声を荒げたカオナシ面の下から舌打ちが聞こえた。

「だって・・・戸田君が言ったように完全にはけ口にしてるだけじゃないですか。 それって大人としてどうなんでしょうか。 自分の子供に見せられますか?」

水無瀬からはこの誠司は大人しいと聞いていたが、何の何のなかなか言うではないか。

(水無ちゃんに報告だぁ)

少し面白くなって心の中でそう思うが、この短時間で雄哉は子供であるのならば嫌気も差さないが、大人であるのに建設的な話が出来ないことに嫌気がさしてきていた。 この何倍もの時間をかけて水無瀬は白門と話をしたのかと思うと気が遠くなりそうである。

「どうするんだ、少なくともここに居る全員が納得しなければ守り人を失うことになる」



「で? 結局?」

ライの家の水無瀬の居る部屋である。

「不承不承って感じで承諾した。 高崎さんも納得して頷いてくれた。 それと高崎さんに持ってきてもらった面の効果もあったな」

水無瀬からこの話を聞かされたあと、すぐに高崎に連絡を入れた。 青門の誰かが黒門の面を持っているはず、それをこの日持ってきてほしいと言っていたのである。 そんなことを知らなかった高崎が村でその話をしたときに、カオナシの面が出されたのには驚いたそうであった。

穴でその面を高崎から受け取り、雄哉が腰に挟んで持っていた面を黒門に差し出した。

『青門の人が拾ってくれてたんだって。 青門の守り人さんから預かってきた。 誰のかは知らないけど大事な物なんだから失くしちゃダメでしょ』 と言って渡したのだった。

「かぁー、取り敢えず何もかも落ち着いたか」

頭の後に両手を当てるとゴロリと転がる。 卒論を書きながら、烏のところに通いながら、いつも心の隅にあったことがこれで何もかも落ち着いた。

「高崎さんがくれぐれも水無ちゃんに礼を言っといてって」

「ん、まぁこれで青門も黒門も落ち着いてくれたらいいんだけどな」

高崎を見ていると心が締め付けられるようだったのだから。

「上手くいくっしょ。 帰りに高崎さんが言ってたけど、歴代の守り人で守り人同士がこんなに話すなんてことは無かったんじゃないかなって。 俺もそう思う。 まずは守り人同士が上手くいかなきゃな」

「そうだな。 そう思うと白門の守り人が居ないのが気になるなぁ」

「それは要らない心配だろが。 何でもかんでも背負(しょ)いこむなよ」

言ってみれば青門と黒門のことは水無瀬には関係のないこと、それなのに背負いこんだ。 だがそれはこれから黒門の守り人となる雄哉のためであり、高崎のためでもあることは分かっている。 そして守り人としてであることも。 でもこれ以上はもういいだろう。

「まぁ、な」

「で? 進路は決まった?」

「ああ、それな。 決まったわけじゃないけど雄哉に話しておかなきゃだな」

「うん?」

そこで高崎おススメの株式会社Odd Numberである開発部部長、一ノ瀬潤璃が今回の白門の件で助力を得た相手だと話した。

「うわ、なにその縁」

「縁? えー、縁なのかぁ?」

やはり偶然ではなく必然なのだろうか。


『やだぁー、なに遠慮してるのよぉー』

ライの母親にバンバンと背中を叩かれた雄哉が、ライの家で夕飯を食べると護衛となる三人に送られて帰って行った。 白門のことは落ち着きを見せたとはいえ、まだ雄哉のことは放っておけないと長が決めたのである。

そして今日もライの父親であるモヤはキリの家で夕飯を食べているということで、ライ曰く、兄弟水入らずということではあったが、それはとんでもない水入らずであった。

「だから言ってんだろ、ナギはナギで自分で探させる」

「こっちこそ言ってんだろ、お前、父親なんだからナギの性格が分かってんだろ、あれについてこられる男なんかいないだろうが」

「兄弟揃って毎日毎日同じことをよく言い合えるもんだわ」

呆れたようにキリの嫁さんが言い、卓にアテを置く。

「それにナギのあの顔だぞ、伯父としてナギには男前をつけたいって思うだろ」

「だからって何で泉水なんだ」

「俺の抑えが利くからに決まってんだろ、それにナギの年ごろと合う男前ってのは泉水だけだろ」

キリはどうしてもナギと泉水をくっつけたいらしい。

「モヤさん、諦めんか? こん人は言い出したら聞かんで」

「絹代までそんなことを」

本来なら義理の姉にあたるのだから絹代さん、若しくは絹代姉さんとでも呼ばなければいけないが、小さな頃から絹代と呼んでいた。 急に変えられるものでもなく絹代自身も気にしていない。

「うちには子供がおらんから力(りき)が入るんだわ」

今日も大きな溜息をつくモヤであった。



翌日、ようやく練炭が水無瀬と会わせてもらった。

「わーい、水無瀬だ水無瀬だ」

二人が喜んでハモリながら水無瀬の周りをぐるぐると回っている。

「こら、お前ら、水無瀬さんと呼べと言っただろうが」

「言ってない」

怖い父ちゃんが言うが、父ちゃんは『水無瀬君を水無瀬と呼び捨てにするのはやめろ。 それとバカと言うのもだ』と言っただけである。

「呼び捨てが駄目って言っただけ」

腕を組んだ父ちゃんが考える。 そんな気がする。

「なら今日から水無瀬さんと―――」

「ねぇ、水無瀬の名前は何て言うの?」

「下の名前」

「鳴る海って書いて鳴海だけど?」

「んじゃ、鳴海」

「今日から水無瀬は鳴海」

「だからお前ら呼び捨ては駄目だって言ってるだろうが!」

いや、それ以前にどうしてお兄さんと呼べって教えてくれないのか? と思うが・・・もう今更どうでもいいか。

「いえ、いいです。 それで」

練炭が水無瀬にうちに泊まりに来いと言ったが卒論のことがある。 そっち方面の勉強をしていかなくてはならなく、練炭と遊んでいる暇などない。 丁寧にお断りをした上で練炭のジップ付き袋とメモがとても役に立ったのだ、この日一日は二人の相手をして過ごした。



一か月が経った。 潤璃からの連絡で白門は落ち着きを見せているということで、雄哉からの連絡では高崎から連絡があり、黒門が何かをしてくる様子はないということであった。 その連絡を聞いてようやく水無瀬が落ち着くことが出来た。 卒論の方はかなり進んでいるが、落ち着けたのだ、次は就活を考えなくては。

「もう一度アパートに戻って教授に相談をしようかな」

だがもう八月も半ば。 遅いだろうか。 頭をよぎっているのは株式会社Odd Number。 決して潤璃が居るからではなく、雄哉が言っていたように調べたところかなり水無瀬の理想に近いからである。 だが守り人としてどうなのだろうか。 それを考えると雄哉おススメが一番理想になってくる。

「でも」

水無瀬は決して朱門の守り人になるとは言っていない。

「俺・・・どうしてこんなにのんびりしてるんだろ」

入社試験の日程もあるというのに。
『一緒に村に戻ろうって言った』 ライが言っていた。 水無瀬がそう言っていたと。



秋となり稲刈りが終わり今は田んぼに藁が干されている。 朱門の山の中では随分と前から秋の虫の音が毎晩聞こえてきていた。

黒門との確執が無くなったということで鍛錬の必要がなくなったというのに、高校生からライたち二十代と三十五歳ほどまではまだ自主鍛錬を積んでいる。 それ以上になると『三十五を越してみろ、全然違うからな』という常套句を使ってくるが『バカヤロ、それを言うなら四十からだ』『甘いな、四十くらいで言うな』などと醜い年齢争いをしている。



「内定もらって良かったな」

ピロティである。 雄哉は黒の穴から入ってきていた。

「まぁな。 雄哉も無事教育実習が終わってほっこりだな」

「おお、可愛かったなぁ、小学生」

“戸田先生” 始めて呼ばれた時には照れたとラインに書かれてはいたが、一か月間の教育実習はかなり楽しかったようで、それなりにしなくてはならないことがあるだろうに毎日ラインが入ってきていた。

「で? 黒門はどんな感じ?」

「週一に関してはやっぱりいい顔してないな。 大学卒業したら村に来ればいいとかって言ってるな」

「それって取りようによれば在学中は目を瞑るってこと?」

「だろな。 で、これから週に一、二回は来られるようになった」

日曜のみか土日の連日ということなのだろう。 今日は土曜日、雄哉は昨夜の内に黒門に迎えに来てもらっていたはず、となればどこに泊まったのだろうかと思って訊くと、水無瀬が泊まっていた家だということだった。

「大分落ち着いたのか? 大学の方」

「まぁな、休み返上までとはいかなくなった。 これからは卒論にかかる。 水無ちゃんはもう提出したんだよな?」

「ああ、提出さえすればいいってことだから卒業は出来るな」

「いいなぁ、俺なんて一講義も落とせない。 風邪もひけない」

自業自得とまでは言わないが、それは仕方のないことである。

「あ、そうだ、一ノ瀬さんなんだけど」

「うん」

雄哉は会ったことは無いが高崎からも聞いているし、今回白門のことで助力をもらっていたと水無瀬からも聞いている。

「プロポーズを受けてもらったって」

「え?」

潤璃は村のことがあってどうしても踏ん切りをつけることが出来なかった。 だが今回のことがあってようやく自分の選ぶ道に進むことが出来たということであった。
お相手は木更彩音。 彩音は潤璃が村に居る時から恋心を抱いていた。 だから高校を卒業するとすぐに潤璃を追いかける様に村を出た。 潤璃に教わり奨学金で大学を卒業し、Odd Number に入社したということだった。
噂の色恋ごとというのは真実であったというわけである。

「うわぁー、じゃあその木更さんって人、めっちゃ待たされたんだなー」

木更彩音の歳がいくつかまでは聞いていないが、かなりの年月を待っていただろう。

「こりゃあ、いつまで話しておるか。 さっさと来んか」

水無瀬と雄哉が顔を合わせた。 二人でゆっくりと話が出来るのはこのピロティだけである。

「はーい。 よし、今日こそ見るぞ!」

気合は十分のようである。
そして「よし、明日こそ見るぞ!」と言って帰って行った。

その日の夜、またドッペルゲンガーかと思わせる夢を見た。 以前見た夢と同じようにドッペルゲンガーが静かな視線を送ってきている。 ただ静かなだけの視線。 そしてまた同じように背中を向けて歩き出した。
ホーストコピー。 アイデンティティを持った自己像。 そう思った時にこれが夢であることを認識した。

(君はどんな自我を持っている)

後をつけようとして目が覚めた。 その夢が忘れられないが二度と見ることは無かった。



除日を迎えようとする十二月も中旬になった。 雄哉はこの頃にやっと水鏡に映るざわつきが見えだしたと張り切っているが、まだ宥められるには遠そうである。

水無瀬がじっとスマホを見ている。

「やっぱ、そうだよな」

あの夢を見てからずっと考えていた。 あれはドッペルゲンガーでもホーストコピーでもない。 自分の深層心理なのだと。 あの視線が語っていた、水無瀬がどうしたいのかを、何を選んでいるのかを。 その方向に向かっていない自分を静かに見つめていた。 そしてようやく決心がついた。
登録している番号をタップする。


「おっ、これからか?」

雑巾とバケツ、それに脚立が置かれている。 今日はライがお獅子拭き拭き当番であるようだ。 奥に鎮座しているお狐様もそうなのだろう。

「うん」

カンという音が聞こえた。 その音はここに来るまでも聞こえていた。

「ナギ、弓が好きなんだな」

もう必要がないというのに練習をしている。

「みたいだな。 それかまだ一射絶命を追ってるかってとこかな。 あいつ頑固だから」

頑固と言われれば納得がいくが、そうだな、なんて言ってしまったことがバレれば後でどんな目に遭うか分かったものではない。 取り敢えず笑顔で応えておく。

「んじゃ、行ってくる」

朝食を食べているときに連絡したいところがあるからと、今日は遅めに出ると言っていた。

「ご苦労さん」

「ライもな」



『お早うございます。 Odd Numberで御座います』

『お早うございます。 内定通知をいただいた水無瀬と申します。 採用担当人事部の荒木さんをお願いいたします』



「久しぶりに今日穴まで迎えに行く」

「うん、一緒に村に戻ろう」

そして朱門の守り人になると長に言おう。

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