大福 りす の 隠れ家

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ハラカルラ 第32回

2024年01月29日 21時17分53秒 | 小説
『ハラカルラ 目次


『ハラカルラ』 第1回から第30回までの目次は以下の 『ハラカルラ』リンクページ からお願いいたします。


     『ハラカルラ』 リンクページ




                                  



ハラカルラ    第32回




なにか間違えたことを言っただろうか。

「朱の守り人は今もだがもう長く来ておらん。 最後に見た時が・・・おい、いくつだったかのぉ?」

「ああ、ある日突然来なくなったな。 そうさな・・・七十の歳を越したくらいだったか、あれからもう六十年近く経つのではないか?」

そうであれば生きていて百三十歳くらい。 きっと生きていないだろう。

「光霊は来なかったんですか?」

「言っておっただろう、光霊は与えられてその後二度の異変のあとに消滅すると」

「朱の守り人が来なくなった頃・・・その数年前か、光霊を与えたのちの二度目の異変があった」

だから亡くなっても光霊は烏の元に来なかった。 だが光霊の問題だけではない。 突然来なくなったと烏は言った、どういうことだ。

(まさか・・・攫われて・・・)

幽閉された? いや、幽閉されては跡を探すことが出来ない。 跡を探すことだけを強いられたということか?
そうであるのならば、どんな最期を迎えたのだろうか。

(あ・・・)

もしかして朱門は・・・朱門も俺と同じことを考えた? 元をただせば矢島は朱門の筋だったと長は言っていた。 だからせめて矢島の身体を引き取りに行った?
いや、それだけでは片付けられない。 どうして住民票が朱門の村にあったのか。 住民票の転出転入の移動は委任状さえあれば代理人でも出来る。 やってはいけないことだが、その委任状とて勝手に書くことが出来ないわけではない。
朱門が矢島にことわりなく住民票を移動させた?

(いや、待て)

あの時、長の言ったことを思い出せ。 ・・・なんと言っていた? 今にして思えば気になることを言っていたはずだ。

(くそ、怒り心頭すぎた・・・)

思い出そうとするが、長の謝る言葉とライのあの表情しか思い出せない。

「なーにを一人百面相をしておるのか。 ほれ、さっさと手伝え。 まずは二枚貝を見ておけ」

それでなくても記憶を辿れないというのに茶々を入れてくれる。

「あの、さっき黒と青が話をする必要も無いだろうって仰ったとき、矢島さんもって言いましたよね? 矢島さんもそんなことには触れなかったって」

文句を言われないように、二枚貝に向き合いながら言う。
水無瀬が言われたことをしようとしていることに納得をしたのか、黒烏が水無瀬の問に答える。

「ああ言った。 まぁ、昔の黒はかなり青のことを言っておったが、それも長く黒の守り人が来んようになってからはそういうこともなくなった。 矢島もその先代も青のことには触れんかった。 気にして触れんかったという風ではなかったし、青が気にしているだけと言っていいだろう」

青が黒を気にしているのは当たり前と言えば当たり前だろう。 青は加害者になるのだから。 年月が解決してくれればいいが、黒の、千住の言っていたことを思い出すとそう簡単にはいかないのは明らか。
そこから考えるに黒もまた青を気にしている。
矢島もその先代も黒としての守り人であるという自覚があったのならば、青を気にしていていい筈。 それなのに烏はそうではないという。

(どういうことだ・・・)

矢島もその先代も黒の守り人ではあったが、朱の人間だと腹に決めていた?

(いや、待て俺)

長が自分たちは朱門の人間だと言った時に、矢島の先々代が攫われたと長から聞いた。 だがそれを聞くまでは、当たり前に長たちを黒門の人間だと思っていたし、矢島にしてもそうだ。 最初っから黒門の人間だと思っていた。 だから何の疑問も持たなかった。
だがこうして細かい話になると辻褄が合わないことが出てくる。 疑問が出てくる。
矢島もその先代も、先々代が攫われたということを知っていたのだろうか。 自分たちは朱門の筋だということを知っていたのだろうか。 そうだとすれば、誰がそのことを言ったのだろうか。 先々代にそんなことを言わせる隙を黒門が作るわけがない。

(あ・・・)

長の言っていたこと・・・。

『あるがままを見て選んでほしかった』

その前に・・・強制、長はそう言っていた。

『水無瀬君にも強制はしたくなかった』

水無瀬君にも “にも” と言っていた。

(その前に何を言っていた・・・)

考えるが思い出せない。

「鳴海、手が動いておらんではないか」

「あ、はい」

烏の機嫌を損ねるのは得策ではない、戻ってから考えよう。


「あ“あ”― 疲れたー」

ハラカルラに居て疲れるということは無いが、そう言いたくなるのは人の世界に居て身についてしまった口癖なのだろうか。 だがあれやこれやとやらされたことには違いない。 黒烏など、昨日留守にしていたことなど思いっきり棚に上げてこき使ってくれたのだから。

「ん?」

ピロティから穴を抜け、首をポキポキとならしながら机を目の前にした時だ、引き出しに何かが挟まっているのが目に留まった。
来た時には気付かなかった。
机に近づいていき挟まっていた物を目にする。 それは手に取らずとも何かはすぐに分かった。

「どうして・・・」

キャラクターの描かれたジッパー付きの袋を引き出しから抜き、その引き出しを開ける。 引き出しの中には丸裸になったUSBスティックがある。 ジッパー付きの袋に入れたはずのUSBスティックが。
USBスティックを手に取る。 これがどんな機能を持っているのかは知らない。 だがあの煉炭が手を加えたに違いないことは分かる。 だからここにあるのだろうから。
USBスティックのキャップを外す。 スイッチらしきものはない。 無線機ではないようだが、一応USBスティックに向かって「あーあー」 と言ってみる。 やはり応答はない。

「応答があったとしてどうしようってんだ、俺は」

聞こえてきた声が煉炭なら、元気にしてるか、などと訊けるが、それ以外の声ならどうするつもりだったのか。 ライの声が聞こえてきたら謝るつもりだったのか、あの時は言い過ぎたとでも言って。

「馬鹿らしい」

それぞれを引き出しに入れかけ、その手を止めた。 少し考え、引き出しに入っていたメモとペンを手に取る。 USBスティックとメモを袋に入れ、しっかりとジッパーを合わせポケットに突っ込む。

「俺が見たと分かればそれでいいんだろうからな」

少なくとも二度はここに来ている。 ここから無くなっていれば次に来た時に分かるだろうが、それ以上に証明しよう。
煉炭がやって来たのか、ワハハおじさんが来たのか、長がかんでいるのかいないのか、全く分からないがこれで納得するだろう。

穴を抜けると下に黒門の人間たちが立っているのが見える。 車こそないが、お抱えの送り迎えだとかSPとかと考えれば有名人とかリッチマンになった気分にもなるだろうが、到底そうは考えられない。 単なる囚われの身。 お抱えやSPどころか看取だ、獄卒だ。
着地をした時にポケットに手を入れた。

今日も水無瀬の後姿をナギとワハハおじさんが見送った。 ナギがスイッチを入れる。

「うん?」

「どうした?」

「少し動いたようですが今は動いていません」

「どういうことだ?」

「周り、大丈夫ですか?」

例の男は居ないかということだ。 ワハハおじさんがもう一度あたりを見回す。

「居なさそうだ」

「ちょっと動きます」

ナギの後ろにワハハおじさんが続く。
両手で機械を持ったまま青く点滅している方に向かう。 歩を進めるうち、そこが黒の穴の真下であるということが分かった。
眉を寄せたナギが機械をワハハおじさんに預けると、膝を折って下に落ちていた物を拾い上げる。 それはキャラクターの描かれたジッパー付きの袋であった。
目の高さまで上げる。 中にUSBスティック以外の何かが入っているのが分かる。

「メモ?」

ワハハおじさんが後ろから覗き込んでくる。

「それが、あれか?」

指示代名詞しかない質問、 だが何を言っているのかは分かる。

「はい」

「えらく小さいんだな。 下りてきた時に落としちまったってことか?」

「そうとは言い切れないようです」

「え?」

「取り敢えず戻りましょう」


「なんでよー、これ」

「なんでこうなるんだよー」

ナギとワハハおじさんが煉炭の工作室にやって来ていた。
椅子に座っている煉炭が、いっちょ前に腕を組んで口を尖らせている。 それもワハハおじさんという煉炭の父ちゃんの居る前で。 だがしかし、文句を言っている相手はナギであって、決して父ちゃんにではない。

「だから、水無瀬が返してきた。 中に入っていたそのメモは煉炭宛て。 そう言っただろう。 で、USBスティックに何か変わったところは無いか?」

ハラカルラを出てすぐに袋からUSBスティックとメモを出した。 メモには 『煉炭、元気でいろよ』 とだけ書かれていて、USBスティックに何か変化があったかどうかは煉炭にしか分からない。

「大体こんな短いお手紙ってある?」

「いや、それは水無瀬が書いたもので、私が知ったことではない」

「どうして水無瀬は持っていかなかったんだよー」

「だから、それも私が知るわけないだろう。 で、USBスティックはどうなんだ」

煉がUSBスティックを手に取り炭が覗き込む。

「変わんないね」

「一緒だね」

「何かを変えるにも、あそこには道具がなかったもんね」

「うん、それにそんな技術も水無瀬にはなかったもんね」

「技術もだけど知恵も知識も無いもんね」

「知恵があったら持って出てるはずだもんね」

そして二人が声を揃えて「やっぱり水無瀬はおバカだ」 と言う。
本当にこの二人の話題には上がりたくないと、ナギが顔を歪めながら二人の話を止める。

「まだ文句があるんなら父ちゃんに言うんだな」

「煉炭、まだあるか」

父ちゃんの一声で煉炭の口が互いの手でふさがれ、同時に首を左右に何度も振っている。 これで大人しくなった。
煉炭の確認により、水無瀬はUSBスティックに何も手を加えていないということは分かった。

「どうしますか?」

「うーむ・・・」

煉炭の父ちゃんであるワハハおじさんが腕を組む。

「まず考えられることは、二つってところか」

ナギが改めてワハハおじさんを見ると、ワハハおじさんが右手の人差し指を立て「まず一つ」 と言い始めた。
一つ目は、水無瀬がこれを追跡機と認識していない。
そして次に中指も立て「二つ目」 と続ける。
これが煉炭の手元にあったことを水無瀬は知っている。 それが穴にある机の中にあった。 その意味は村からのことか、煉炭二人からのことか、また、これが文字の無いメッセージなのか、煉炭が手を加えた何かなのか。 水無瀬自身がどう解釈したのかは分からないが、いずれにしても受け取らないという意思表示なのだろう、と言って手を下ろした。

「ナギから見て他にあるか?」

「今は思い当たりません」

ナギが首を振る。 そのふとした表情があの日見たライに似ているとワハハおじさんが小さく溜息をつき「さて・・・どうするか・・・」 と続けた。
受け取らないということは、水無瀬は全面的に拒否をしたということ。 それはこれ以上何かをするということは無理強いをするということになる。

「ねー、父ちゃん」

煉炭が声を合わせて父ちゃんの隣にやって来た。

「水無瀬にお手紙書く」

「いいでしょ?」

ワハハおじさんがナギをちらりと見る。 書く書かないの是非は置いておいても穴に持って入るのはナギだ。 ワハハおじさんに入る気はない。

「再々あの穴に入りたくない」

朱の穴ならまだしも、他の門の穴になど誰が入りたいと思うだろうか。

「えー、なんでー、お手紙置くくらいいいでしょー」

「書くのは煉と炭なんだからー」

ワハハおじさんが文句を言っている煉炭の頭の上に手を乗せる。

「ってことだ」

「えー、父ちゃーん」

「配達人がいなけりゃ手紙は届かない。 それより煉炭は水無瀬君に戻って来て欲しいってことか?」

「うん」 二人合わせて言うと今度はそれぞれに言う。

「水無瀬はおバカだけど優しいもん」

「知恵もないけど、煉炭の話を聞いてくれるもん」

この二人、一度は貶(けな)さないと気が済まないのか、と思いながらナギが聞いているが、この二人は水無瀬のことをよく見ていたんだな、とも思った。 きっと水無瀬はライやナギと話している時と同じように、この二人に向き合っていたのだろう。 小さな子が話しているだけだと右から左に流すことは無かったのだろう。
そんな水無瀬がライに言ったことを思うと、自分達はどれだけ水無瀬を傷つけてしまったのか、どれだけライも傷ついたのか。

「そうか。 まぁ、方法が無いわけじゃないがな」

「え? どういうことですか?」

「完全にとは言い切れないがな、チャレンジしてみてもいいかもしれない。 それで上手くいったとしても再度断られたら諦めよう。 ライはどうしてる?」

あの日、ライと長が戻って来て水無瀬がどういう返事をしたのかを村の皆に話した。 ライの表情が沈んでいたのには誰もが気付いていた。
皆が解散したそのあとナギと両親が長に呼ばれ、水無瀬とライの話がどういったものだったのかを詳しく聞かされた。 水無瀬を一泊預かっていたということで、ワハハおじさんもその後に長から聞いた。

「まだ」

ライはあの日から部屋にこもったままで一歩も出てくる様子はない。

「そうか」

「ねーねー父ちゃん」

「お手紙書いてもいいの?」

「手紙は無理だな、水無瀬君と同じくらいのメモ。 それだったら父ちゃんが預かる。 だが成功するとは限らない。 それでもいいか?」

「うん!」

元気良く二人が答えるが、絶対に文句を言うと思っていたナギが意外な顔をした。 ついさっき『大体こんな短いお手紙ってある?』 とのたまっていたのに。 それともメモと言われればそれで納得できたのだろうか。

(いや、そんなことはないだろう。 私も最初に水無瀬の書いたものをメモと言った)

「じゃ、父ちゃんと約束だ」

「なに?」 キョトンとした同じ顔で二人が声を合わせる。

「上手くいって水無瀬君が戻ってきたら、水無瀬君を水無瀬と呼び捨てにするのはやめろ。 それとバカと言うのもだ」

「えー!」

どれだけ水無瀬を馬鹿にしたいのだろうか。


同床異夢にあたるのだろうか・・・。
畳の上に寝ころんでいる水無瀬が考えている。
“同床” 同じ立場にありながら。 そこまではそうだろう。 “異夢” だが考え方や目的とするものが違う、または考えや目的が異なる。 そこはどうなのだろうか。

「考え方は違うだろうな、多分。 けど目的は同じ、のはず。 どっちも単にハラカルラを守りたい、ってんだから」

仲良くやっていけばいいのに、と思うのは余所者だからだろうか。 だが余所者と言うだけなら守り人も余所者。 歴代の守り人たちはどう思ってきていたのだろうか。

「ああ、そう言えば、烏が青とどんな話をしたのかを訊くの忘れてた」

水無瀬が毎日来ているから青は顔を出さないのだろうか。 そんな話をしていたのだろうか。
ポケットをポンと叩く。

「気付いたかな・・・」

上から降りて着地をした時にポケットの中のものを下に落とした。 黒門の人間に気付かれないように。

「明日・・・確認だな」

まだあそこに落ちたままなのなら回収しなくては。

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ハラカルラ 第31回

2024年01月26日 21時01分26秒 | 小説
『ハラカルラ 目次


『ハラカルラ』 第1回から第30回までの目次は以下の 『ハラカルラ』リンクページ からお願いいたします。


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ハラカルラ    第31回




「ったく、ナギもうちの煉炭も・・・」

ワハハおじさんに出来ることは、身を隠しながら目を皿にして辺りを見張ることだけであった。

ナギが水から顔を出した。 目の前に机が見える。 坂を上がって行き引き出しを見る。 引き出しに袋は挟まっていない。 そっと引き出しを開けるとジッパー付きの袋が中に納まっている。 その上から触ってみると中にUSBスティックが入っているのが手の感触から伝わってくる。

水無瀬はジッパー付きの袋に気付いて引き出しを開けた。 引き出しの中にUSBスティックがあるのに気付いた。 そしてそのUSBスティックをジッパー付きの袋にしまった。 ここまでは煉炭の考えた通りだということ。 だがそれを持ち帰らなかった。

ナギがジッパー付きの袋からUSBスティックを出すと引き出しの中に入れ、ジッパー付きの袋を引き出しに再び挟んだ。 煉炭が最初にしたと同じ様に。

「煉炭ではないが、これで気付かなかったら水無瀬は馬鹿だ」

自分が口にした言葉が頭の中に留まる。 あの双子、煉炭の気持ちが分かったようでどこか薄ら寒い気がする。
この穴は朱の穴ではない。 煉炭と来た時もそうだったが、勝手に黒の穴に入り込んでまるで空き巣にでも入ったような気分である。 さっさと出て行かなくては。

「ったく、黒か。 水無瀬が戻って間もないというのに」

とはいえ、今は黒烏がいない。
片方の羽の先で嘴(くちばし)の根元の横をポリポリと掻く。

「たまには吾が行ってやってもいいか」

水鏡から羽を下ろしかけようとしたが、水がざわつき始めた。
またかい、と思った白烏だが、その犯人が水無瀬だとは露とも思っていない。
「それにしても」 ここのところ容易に水鏡から離れられない。

「あー! うっとうしい!」

「おい、大声を出すんじゃない」

「いい加減、離せよ!」

今日もカオナシの面を付けた男達に腕をがっしりと取られている。 取られている腕を動かそうとするが容易に動かせない。
朱門の長と話をしたというのにまだ面を付けているということは、長との話を完全には信用しきっていないということの表れだろうか。

「お前も守り人だろう、ここで何をしてはいけないか分かってるだろうがっ」

「ああ、分かってるよ、だから離せってんだよ」

腕を取られていることをいいことに、足を浮かせその足もバタつかせる。 決してこの歳の男がするに見栄えのいいものではないが、それでも動かせない腕の代わりに動かせることが出来るのは足だけである。 それと口。

「でっかい図体の男が周り固めてんだから、それでいいだろうが」

腕をとっていた両横の男がどうするという風に周りの男に目を動かす。

「逃げないだろうな」

先頭を歩いていた男が水無瀬に近寄って来た。 ハラカルラで周りを固めている男達も、部屋の周りを固めている男達も、どういう順番で持ちまわっているのかは知らないが毎日違っている。 何度か見た顔はあるが、あの誠司という青年と同じ時に居たおじさんはまだ一度も見ていない。

「逃げると思うんなら周りを固めるだけでいいだろが」

「早く動くことは禁じられている」

それは水無瀬が逃げた時にそれを止めようとして、早く動くことが出来ないということ。

「俺がこれだけ暴れても烏が水を宥めてるんだ、そうなってもすぐに烏が宥めることくらい分かるだろうが」

もう一度水無瀬が腕を振ろうとしたがビクともしない。 足を蹴り上げもう一度足を動かそうとする。

「分った、暴れるな」

「だったらとっとと離せよ」

足をつけ、両腕を振る。

「離してやれ」

「いいのかよ」

「万が一ってこともあるだろ」

まだ両腕を取っている二人が言う。

「仕方ないだろう、これ以上暴れられても困る。 大声もな」

「だが矢島の時のことがある」

そう言った男を腕を離すようにと言った男が睨む。

「黙ってろ」

もしかして矢島は男たちの目の前からこのハラカルラを出たのだろうか。

(矢島さんならそれが出来るはずだ)

「おい、このハラカルラで嘘をつけばすぐに分かることは知ってるな」

「ああ」

「逃げないと約束できるか」

「逃げてどこに行くってんだよ、すぐにあんたらが捕まえに来るんだろうが。 大学にも行かせてもらえないらしいしなっ!」

これは本心だ。 水がざわつくはずなどない。

「行きたいのは学校か?」

「当たり前だろうが! 目の前に卒業がぶら下がってんだよ! 今までどれだけ頑張ってきたと思ってんだ!」

「分った、分かったから大声を出すな。 おい、離してやれって」

「責任は取れよ」

「俺たちは知らないからな」

二人の男が水無瀬の腕を離す。 その男達を一顧だにせず腕をさすりながら水無瀬が歩き出す。 互いに目を合わせた男たちもそれに続く形となったが、少しずつ歩を早め最初のフォーメーションを取っていくが、先頭を歩いていた男だけが水無瀬の横に付いた。 責任を押し付けられ警戒心が上がっているのだろう。

朱門の村から黒の穴までは距離があった。 それに目印らしい目印もなかったのだから、道を覚えるのに時がかかったが、それと比べると黒門から黒の穴までそれほどの距離はない。 もう道も覚えているつもりだ。

「おい、そっちじゃない」

曲がろうとした水無瀬に隣を歩く男が言った。 まだうろ覚えだったようである。 似たような岩がありすぎると思うのはいいわけだろうか。
それにしても、と思う。 この男は今までの男達より話しやすいかもしれない。

「なあ」

水無瀬の落ち着いた声に男が水無瀬を見た。 その水無瀬と目が合う。

「なんだ」

「セイジってのが居るだろ?」

「ああ、知ってるのか?」

男が顔を戻し水無瀬も前を向く。

「見かけないんだけど?」

「誠司たちは外されてるからな」

「外されてる?」

それに “たち” ということは、誠司と一緒に居たおじさんもということだろうか。 それ以外にも居るかもしれない。

「まぁ、言い方は悪いがお前ももう分かっているだろうし、はっきり言って見張りということからだ」

「なんで?」

「村には村の考え方がある」

やはり黒も村だったのか。

「俺が会いたいって言ったら?」

「叶わないだろうな」

「ふーん、何を警戒してるのやら」

男がちらりと水無瀬を見たのが目の端に映った。
“警戒” という言葉に反応したのだろう。 いったい誠司に何があるのだろうかとは思うが、今までの誠司の様子から考えると、仏心を出すかもしれないとでも思っているのだろうか。

「会って何をしようと思ってるんだ」

「いや? 会うってのは例えばの話で、俺が知ってる唯一の名前がセイジってだけ」

「そう、か。 そう言えばだれも名乗っていないか」

「セイジってのに名乗られたわけじゃないけどな、呼ばれたのを聞いて知ってる程度。 あ、もう一人知ってるけど、そっちは話すのもムカつくし顔も見たくない。 出来ればそっちを外して欲しい」

男が鼻で笑った。 多分、サングラス男からでも聞いたのだろう。

「まぁ、お前が落ち着けば順に名乗っていくだろうよ、ちなみに俺は千住(せんじゅう)。 漢数字の千に住む。 お前が聞いたという誠司は誠(まこと)に司(つかさ)。 水無瀬鳴海ってのは名乗らなくても知っている」

「それはどうも」

準備体操はこのくらいでいいだろうか。

「矢島さんは全員の名前を知ってた?」

この千住という男は完全に水無瀬よりも年上である。 サングラス男と同じくらいで三十過ぎか、若く見えたとしても四十には手が届いていないだろう、といったところである。 だが敬語を使う気はない。

「どうして」

質問を質問で返された。 ましてや疑問符がついていない、まだ準備体操が足りなかっただろうか。

「長代理ってのが来て、矢島さんはハラカルラに行ってただけみたいなことを言ってたから交流がなかったのかなって。 こうして話すことも」

「ああ・・・無口、って感じだったな、いや、寡黙か」

無口、それ以上に寡黙。 ということは水無瀬と会った時に話した一方的だった言葉は、矢島にしては珍しいということだったのだろうか。 それほどに切羽詰まっていた。
黒に追われていた、だがよく考えれば捕まってもいいのではないか。 跡を見つけたと言えばそれでいい話なのだから。 黒に居たくないのであれば矢島ならその後逃げることも出来ただろう。 ではいったい何に切羽詰まっていたのか・・・。 それともそれは水無瀬の思い違いなのか。

「じゃ、誰とも話をしなかった・・・」

「少なくとも俺は聞いたことは無いな。 というか、守り人ってそうなんじゃないのか?」

「へ?」

思わず千住を見ると千住もこちらを見ていた。

「矢島の先代も同じようなものだったと聞いているが?」

「へー、そうなんだ」

守り人とはそういうものなのかもしれない。 “守り人” という響きからして寡黙という感じがしないでもない。

「んじゃ、やっぱ、俺じゃないんじゃないかな」

顔を戻した水無瀬に千住が小さく笑ったのが分かる。

「時代の流れだろう」

この千住という男、気安そうに思えるがそれでも見張りという立場に居る。 誠司たちのように外されているわけではない。 ある意味要注意人物かもしれない。

「ふーん・・・。 とは言っても矢島さんも退屈だっただろうな。 穴に入れば別だろうけどハラカルラの往復だけの生活。 合間にテレビを見るくらいだろ? それとも他に何かしてたとか?」

「どうして」

必ず質問を質問で返してくる。

「俺はこの数日、退屈で仕方がない。 それを矢島さんは何年も・・・それとも何十年? どれだけ守り人をしていたかの年数はよく知らないけどずっとだろ? 俺なら耐えられない」

「寡黙であれってことなんじゃないのか?」

期待していた答えを返してもらえなかった。 矢島はいったいハラカルラに行く以外、何をしていたのか。

(くそっ)

「誘導尋問はそれくらいでいいか」

心臓が撥ねそうになった。 だがそれを顔に出すわけにはいかない。 言葉にも。

「誘導って、それも尋問ってあるわけない。 どっちかってったら、こっちがそうされてる位置に居る」

「それは考え過ぎだ」

チラリと千住を見るが前だけを向いている。

「何も訊こうとは思っていない、まぁ、必要であるものは訊くがな。 だが基本、守り人であればそれだけでいい。 俺たちはハラカルラを守りたいだけだ」

「飯を運んで来てくれてるおばさんもそう言ってたけど。 それなら色の区別なんて必要ないんじゃないかな」

「みんなでオテテを繋いでか? 反吐が出る」

昔昔の青門のことを言っているのだろうか。 烏から聞いた話を思うとそう思っても仕方がないだろう。 だが烏が言っていた、あの時の異変はどこかが狂っていたのかもしれないのだと。 その事を黒門の誰もが知らないのだろうか。

「昔昔の青門のことを言ってるのなら烏から聞いたけど、それにはそれなりの理由があったってことだけど?」

「理由などで納得できるものか」

今の返事から話しは聞いていたようだが、この話になるとかなり感情的になってくるようである。 質問返しもない。

あの時の水無瀬は自分は黒門に居る人間だと思っていた。 だが烏から昔昔の話を聞かされ、異変の異常だっということに何の異論も感じなかった。 水無瀬と千住たちの違いは、生まれた時から黒門か否かということ。

(そこが大きいのかな)

それほどにハラカルラを守ることにプライドを持っているのか。
矢島のことを訊こうとしていたことには既に気付かれている。 これ以上簡単には訊けないだろうし、長代理の言っていたようにハラカルラの往復だけだったようで、今のところは頭の中に特筆するようなこともなさそうである。

「とにかく俺は矢島さんともその先代やらとも違う。 千住さんの言う守り人たる寡黙でなんてのもしていられない。 体力発散場所を作って欲しい」

「一応は伝えておく」

長代理にだろう。


「くそっ」

結局何も訊きだせなかった。 与えられた部屋の中でゴロンと寝転がる。
千住に言ったように逃げられたとしてもすぐに追ってくるだろう。 実家ももう知られているはずだし、アパートにも戻れるはずはない。 雄哉を巻き込むわけにもいかないし、どこに行くアテがあるわけでもない。
それに財布もなければスマホもない、移動することもままならない。 ハラカルラにダイブできたとしても後がないというわけである。
このままでは卒業にはまだ可能性は残っているが、新卒での就職は壊滅的だ。

「今までの俺の努力返せってんだ」

こんなことになると分かっていたのなら、雄哉のようにもっとキャンパスライフを楽しめばよかった。

「雄哉、心配してるだろうな」

そうであって欲しい。
スマホの電源は落としたまま。 実家に戻っていると思ったままだから、あまりに戻らなければその内実家に連絡を取るはず。 そこで戻っていないと聞いて・・・。 心配をしてほしい。

「もう信じられんの、雄哉だけなんだからなー」

翌日、千住は居なかった。 だが伝えていたのだろう、水無瀬の腕を取られることは無かった。

「おお、毎日ご苦労だの」

昨日留守だった黒烏がまるで留守をしていたことなどなかったように言う。

「昨日はどこにお出掛けでしたかぁ」

そのおかげでこちらがどれ程忙しかったか。

「ああ、青とな」

「え?」

想定外の答え。

「なにを驚くことがある。 鳴海とばかり話しておるのではない」

「え、いや・・・青の守り人とは会ったことがないから。 ってか、ここに居て誰かに会ったことがないから」

「見かけたといっておったではないか」

「いや、だから見かけただけで話したことは無いし」

「話をする必要も無かろう。 特に黒と青はな」

「それって・・・矢島さんがそう言ってたんですか?」

「いんや? 矢島はそんなことには触れんかった。 青が言っておるだけじゃわい」

「そうなんだ。 青はまだ気にしてんだ」

「ま、そんなところだろうて」

「青にも昔の話をしたってことですか?」

「青に限らず初代にあった出来事は皆にしておる。 肝に銘じてもらわなければならんからな。 代々の守り人がそれを次代に聞かせるが、代が切れた時、鳴海のような状態にあった時には我らが聞かせる」

それでは黒門が朱門の守り人を攫った時はどうだったのだろうか。 いや、それ以前だ、どうして今まで気付かなかったのか。 ある日突然、朱門の守り人が黒の穴から入って来たのではないのか? 烏はそれをどう捉えていたのだろうか。

「黒の守り人が長く切れてたのに、ある日突然、朱の守り人が黒の穴から入って来た。 それってどう思ったんですか?」

「はあ?」

黒烏がそう声を上げ、白烏が冷たい視線を送ってきた。

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ハラカルラ 第30回

2024年01月22日 21時18分01秒 | 小説
『ハラカルラ 目次


『ハラカルラ』 第1回から第20回までの目次は以下の 『ハラカルラ』リンクページ からお願いいたします。


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ハラカルラ    第30回




ライたちのことを考えるとまた腹が立ってくるに違いない。 いま烏と話していて少しは気が紛れた。 別のことを考えよう。

「別のことってなぁ・・・」

頭に何か思い浮かべようとするが、すぐにさっきのライの顔が思い浮かぶ。 キツネ面の下の表情は目だけで想像がつく。

(ちょっとキツかったかな)

いや、何を言ってるんだ、騙していたのは向こうの方で・・・。

「あー、また考えてる・・・」

烏は一年前と言っていた。 二十年前は無理としても一年前なら記憶が抜けているところがあるかもしれないが、それでもいくらかは思い出せる。 そちらに考えをシフトしよう。

「一年前っていったら・・・」

すぐに矢島とのことが思い出された。

「あー、なんでここに結びつくんだよ」

ごろりと横を向く、机の方に。

「ん?」

机の引き出しに何か挟まっている。
初めてここに来た時に引き出しを開けた。 それ以降、机には触れていない。 ということは、その時に何かを挟んでしまって気付かなかったのだろうか。 でも挟まるような物はなかったはず。

起き上がり机に近づき前に座り込む。
引き出しに挟まっていたのは小さなジッパー付きの袋。 引き出しにはジッパー付きの袋などなかったはず。
袋を手に持ち引っ張る。

「これって・・・」

袋に描かれているこのキャラクターは、煉炭が持っていたジッパー付きの袋と同じもの。
引き出しを引っ張ると見覚えのあるものが入っていた。

「え? なんでUSBスティック?」

それにこの白いUSBスティックは水無瀬の部屋にあったもので、煉炭が回収し盗聴器としてはもう使えないようにしたと言っていた。 どうしてそんなものがここにあるのか。

「煉炭がこんなに遠くまで来るはずないし・・・」

奥の方まで行ったことはないと言っていた。 あくまでも傷を治すだけに入っていたと。
それによく考えると、ここの黒の穴を知っているのはライとナギだけのはず。 ナギはライに教えられたのだろうが、そのライは水無瀬が魚に連れられてここに来た時に後をつけてきたから知ったのだろう。 今から思うとそれらしい言い方をライはしていた。

あくまでもここは黒の穴。 朱の人間が知っている穴ではないはず。 ということはライかナギがここに置いたのだろうか。
手の中で何度か放り投げて最後に高く放り上げると、横からキャッチする。

「もう会うこともないよな」

煉炭には。
それに誰がここに置いたなどと今はもう考える必要などない。
ジッパー付きの袋に入れるとしっかりと閉じる。 キャラクターに阻まれて中のUSBスティックがはっきりと見えなくなったが、じっと見て溜息をもらす。

「可愛かったよな」

袋の上からUSBスティックを親指でなぞる。

「あの二人はそのままだったんだよな」

あの双子が何もかも知っていて水無瀬を騙していたとは思えない。

「あ・・・また考えてる」

ガクリと肩を落とし、ジッパー付きの袋に入れたUSBスティックを引き出しにしまった。


「あー、駄目じゃ駄目じゃ、もっと静かに羽の先を振れる程度に」

羽などないわ。 と心の中で水無瀬が突っ込む。
結局穴を潜って烏の居るところに来た。 そして今、二枚貝の指南を受けている。
黒烏が羽の先をほんの少し二枚貝に触れる。

「ほれ、こうして優しく」

羽と指では優しさが違うだろう、とは思ったが、よく考えるとダウンのような水鳥の優しい羽が烏にあるわけではなかった。

「優しく、ね」

水鏡よりよほど優しくしなければいけない。 この黒烏、いい加減なように見えて結構繊細だったのだろうか。
指をそっと二枚貝に触れる。

「おお、そうそう。 もう少し力を抜いて・・・そう、それそれ」

何となく分かったような分からないような。

「今はなにも起こってないようであるからこれで良しとして、それを何かの合間に必ずする。 こまめにな」

最後にチラッとつけられたのが気になる。 どれくらいの間隔でやればいいのか。

「よし、次」

「え? まだあるんですか?」

「あるに決まっておろう、あっちが水鏡ばかりやっておるのだから」

「なんだと?」

「さ、こっち」

ガン無視のようだ。

「この貝は」

いま目の前にあるこの二枚貝で死んでしまった貝のありかを見つけるということだった。 小さなものはある程度ハラカルラの水で徐々になくなっていくということだったが、大きなものには時間がかかってしまう。 それをハラカルラは不浄とは思わないが、あまりにも時がかかりすぎ、放っておくには忍びないということであった。

「死んでしまったものを不浄とは思わないんですか? 穢れとか」

少なくとも日本では “忌む” と考えられている。 水無瀬自身は爺ちゃんと婆ちゃんが亡くなった時にそんな風には考えなかったが、それは肉親だったから。 見たこともない他人や犬や猫だったら・・・忌むだろう。

「ハラカルラに生きていたものたちに、どうしてそんなことを思うものか」

「そうなんだ」

肉親的考えなのだろうか。

「この貝にもエッセンスをかけたんですか?」

「そう」

その点から考えると、やはりこの烏は悪魔なのかもしれない。

「あたたー」

白烏の声である。

「うん? 大きいか?」

「ああ、行ってくる。 水無瀬、ここを頼む」

大きなざわつきが出たようである。

「ああ、ではこちらはまた今度でいい」

黒烏にも言われ水鏡の前に膝を着いた。


「よう、お疲れだったな」

穴から出ると下に黒門の男たちが待っていた。
大体の方向は分かっている。 無視をして長たちの居る朱門の方向に背を向け歩いて行く。
「無視かよ」 そんな声が聞こえたがそれでも歩いて行く。 相手になどしない。

岩の後ろで影が動いた。 両手になにか大きなものを持っている。 そしてそれは袋にくるまれ濡れないようにしている。 そのスイッチを入れる。

『衛星と繋がってるわけじゃないからね』
『ハラカルラに衛星はないからね』
『それに水の抵抗もあるからね』
『だから・・・五百メートルいけるかなぁ?』
『ギリギリだよね、だから五百メートル空けない方がいいよね?』
『だよね。 それとハラカルラでの電池の減り具合が分からないんだよね』
『うんうん。 だから無駄に電池を使わないでね。 普通でもこっちは電池食うから』
『それとぉ』

口うるさい双子だった。
ナギの横にはワハハおじさんが居る。
水無瀬たちが歩いて行くのを見送って顔を戻す。

「どうだ?」

「反応は・・・止まったままです。 持って出なかったようです」

青く点滅しているそれが止まったままである。

「くそ」

長の承諾は得ていない。 それ以前に話してもいない。 だがおっさん全員と若い者全員の意見が一致した。 それだけでは無く、家を守っている者たち全員も首を縦に振った。 その三団体の総意であった。

「こっちは諦めてあとをつけますか?」

ワハハおじさんが顎を撫でる。

「いや・・・万が一がある。 見つかってしまえば長の言ったことが嘘になってしまう」

そうなれば確執が余計と捻じれてしまい、見つかってしまっては何もかもが泡となって消えてしまう可能性が高い。

「今日は戻ろう。 矢島は詰めてここに来ていた、それを思うと水無瀬君も詰めて来るだろ・・・」

途中で言葉を止めたワハハおじさんがナギの肩を抱き、隠れるように少し移動をした。
あれ、と言うようにワハハおじさんが顎をしゃくり先を指す。 指し示された方に目をやると、水無瀬たちが歩いて行った方をじっと見ている後姿の男がいる。
眉をしかめさせたナギが小首を捻じる。

「誰でしょうか」

「さあな。 水無瀬君か黒門のどちらかを見ている青門か白門のどちらかか、それとも黒門の人間が一歩引いてあたりを見張っているか、どっちだと思う?」

「どちらか・・・判断しかねます」

「黒門が青門か白門と揉めているなんてことは無いかなぁ」

「どうでしょう。 ですがその方が歓迎です、これ以上水無瀬をかき回して欲しくありませんから」

「ま、そうだな」


黒門の村に戻って来ると、長の代理と名乗る爺が夕食後に訪ねて来た。 最初に遅くなったと言っていたが、水無瀬が落ち着くのを待っていたというところだろう。

「長は今入院中でな、代理で勘弁してくれ」

座卓を挟んで座って言っているが、水無瀬は壁にもたれ座卓にはついていない。 片足を投げ出しもう一方を立膝にし、ソッポを向いている。 長代理から見ると水無瀬の顔が横顔に見える。

「無理矢理君を連れてきた事は申し訳ないと思っている。 だが君は間違いなく矢島の跡。 矢島はずっと黒門に居た、君が黒門に来るのにどんな間違いがあろうか」

(間違いだらけだろうが)

「わしら黒門はハラカルラの初代守り人という・・・ああ、ハラカルラや守り人の話は聞いているだろうか?」

目だけでチラリと長代理を見た水無瀬が小さく頷く。
返事をしたくて頷いてみせたのではない。 朱門の長の言い分は聞いた、それの裏付けを取るわけではないが、何がどこまで真実なのか、この黒門はどこをどう自分たちのいいように言うのか、それを見極めたかった。 そして暴力的なこの黒門がどういうカラーをしているのかも。 その為にも見聞きした全てを馬鹿正直に言うつもりはない。
頷いた水無瀬に長代理が頷き返す。

「黒門はどこよりもハラカルラを守ろうと思っている。 初代の意思を継ぐ、それは悠久の昔から守り継がれてきたもの。 君を無理矢理連れて来てしまったのも、朱門が手を出してきた事に若い者が焦りを覚えてしまった」

よく言う、朱門が姿を現す前にアパートに押し入ってきたではないか。
それともその時には隣に住んでいたのがライたち朱門と気付いていたのか? 仮にそうだったとしても、あのサングラス男の挨拶返しには焦りとかそういうものは感じなかった。

「矢島のことは知っているか?」

水無瀬が真っ直ぐに前を向いたまま頷く。

「矢島が君に会ったということだが、矢島から黒門に来るように言われなかったか?」

「言われませんでした」

やっと口を開いた水無瀬に長代理がどこかホッとしたような表情を出した。 水無瀬がそれに気付き、いけ好かないとは思ったが、必要なことは口にしなくてはならないと思っている。 でなければ必要なことが訊けないのだから。 だが言葉は最低限に絞る気でいる。

「矢島とはどんな話を?」

「特には」

「全く何も言わなかったわけではないだろう、何か一言でもあったのではないか?」

『君だ! やっと見つけた、これを頼む!』  『あとを頼む』

「見つけた・・・って、それだけです。 でもその意味も何も分かりませんでしたけど。 そちらが矢島さんを追っていたんじゃないんですか? 矢島さんは追われているようで急いでました。 だから会話も何も出来ませんでした」

「そう、か」

「どうして矢島さんを追っていたんですか」

「追っていたというのはどうだろうか。 矢島が帰ってこなくなった、だから探していたという方が正しい」

「でも矢島さんは逃げていた」

「ああ、ここを出て行ったのだから何某かがあったのだろう。 何か理由があってここを出て行った・・・のかもしれないが、その様な心当たりはこちらにはない。 必然的にこちらが追う形と見えてしまっても仕方がないとは思うが、決して無暗に追いかけまわしていたわけではない」

水無瀬自身が追われていたことを思うと、簡単にその台詞を信用する気にはなれない。

「そうですか。 矢島さんは毎日ここで何をしてたんですか」

「一日中ハラカルラに居るんだ、休む以外にはなかった。 まぁ、たまにはテレビでも見てゆっくりしていただろうが」

(どういうことだ。 誰も矢島さんと関わらなかったということか? それに一日中ハラカルラに?)

水無瀬も烏の所に行けば一日があっという間に終わり、結局一日中居たということになっていたわけだからそれが分からなくもないが、それが毎日、三百六十五日ということなのだろうか。

「矢島さんはお亡くなりになりましたよね、ニュースで見ました。 ご遺体はこちらに戻ってきたんですか? それともご実家かどこかに?」

よく考えると、矢島は朱ではなく黒の、ここの門の守り人だった。 それなのにどうしてここが矢島の遺体を引き取りに来なかった? どうして朱が引き取りに行ったんだ?

「獅子のことは?」

「知ってます。 黒門の初代のこと、ハラカルラのこと、獅子のこと、矢島さんのこと、全て烏から聞きました」

ほとんど烏から聞いたことだが、これ以外のことでも下手に朱門から聞いたとは言わない方がいいだろう。

「そうか、烏からか」

少し考えるような様子を見せた。
きっと朱門から聞いたのではないと知り、安心しているところがあるのだろう。 それは隠したいところがあるということ。 それが矢島の先々代を攫ったことだけなのか、他にもあるのか。

「烏が獅子を走らせたが、間に合わなかったと獅子から聞いた。 その後、獅子から場所を聞き、矢島の身体を引き上げようとしたのだが、第一発見者に先に発見されてしまった。 事故か事件か、矢島は自死だったが、そこのところが警察ではっきりされるまで下手にこちらから動くことが出来ない。 ここに矢島の肉親は居ない、簡単に引き取れる立場の者が居ないということだ。 矢島との関係性を訊かれてもハラカルラのことは言えない。 自死とはっきりしていない時に疑われても困る。 ニュースで流れてすぐに行ったのだが、誰かが既に引き取ったとのことだった」

「誰か?」

「教えてはもらえなかったが、親兄弟は居ないと聞いていたから親戚か何かだろう」

親戚? 長は矢島は天涯孤独だと言っていた。 どちらが真実なんだ。
それに住民票・・・矢島の住民票は長のところ、朱門の村にあった。 だから朱門が矢島の身体を引き取れたと聞いた。 ・・・それはどういうことなのだろうか。

「矢島のことは残念だった。 だがその矢島が君を跡に選んだ」

「俺は矢島さんに選ばれたとは思っていませんけど。 見つけたっていうのは何を見つけたか分からないままですから」

「だが烏が君を認めたのだろう?」

「さぁ、どうでしょうか」

「認めたんだよ。 烏が認めていない人間にハラカルラの話をするはずはないからな」

「そこのところは俺には分かりません。 ただ俺はアパートに戻りたいだけなんですけど?」

長代理が横に首を振る。

「悪いが君にはここに居てもらう」

「以前・・・名前は聞いてませんけど、大学には行かせてくれるって言ってくれていました。 ちゃんと卒業できるように計らうって聞きましたけど。 そこのところはどうなんですか」

「・・・君次第と言ったところか」

「俺?」

「矢島のように逃げられては困る」

“出て行った” ではなく、はっきりと “逃げた” と言ったが、この長代理に言った自覚は無かっただろう。 ついうっかり出た言葉。 それは真実ということ。

「そうですか」

二つの意味での返事であるが、この長代理はそれに気付いていない。

「君にはここで黒門の守り人として居てもらいたい」

「俺にその気がないと言えば?」

「それは認められない」

「・・・そうですか。 仰りたいことは分かりました。 他に用がなければ終わって下さい。 今日は疲れましたから」

「そうだったな、ご苦労さんだった。 不便があれば何でも言ってくれ、すぐに用意をさせる」

そう言い残して長代理が部屋を出て行った。


そして翌日、翌々日と腕を取られ周りを固められ黒の穴に向かい、そして黒の村に帰ることを繰り返した。
その様子を岩陰からじっと見ていたナギとワハハおじさん。 今日も水無瀬の背中を見送るだけに終わってしまった。

「どうだ?」

青い点滅は今日もじっとしたまま。 ワハハおじさんに首を振ることしか出来ないナギである。

「そうか・・・」

水無瀬は煉炭たちが置いていったことに気付いていないのだろうか。
水無瀬の後ろ姿が見えなくなっていく。

「もう待ってられません、つけましょう」

ナギが一歩を出すがワハハおじさんが腕をとって止める。

「言っただろう」

それは駄目だと。

「ですが」

「それに最初の日のこともある」

それはナギとて分かっている。 この二日間、初日に見た男に注意しながらここに隠れている。 男の正体が分からない以上、こちらが見つかるわけにはいかない。

「仮につけたとして、そちらに集中するあまりあの時の男に見つかってしまって何かあっても困る」

あの男が一体どこの門の者か分かっていない。 もし黒門の者なら長がした約束を破棄したことになる。 だがあの初日以降あの男の姿は見かけていない。

「・・・では一つ、許可して頂きたいことがあります」

ワハハおじさんが、何だ? という具合に両の眉を上げた。

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ハラカルラ 第29回

2024年01月19日 21時16分40秒 | 小説
『ハラカルラ 目次


『ハラカルラ』 第1回から第20回までの目次は以下の 『ハラカルラ』リンクページ からお願いいたします。


     『ハラカルラ』 リンクページ




                                  



ハラカルラ    第29回




ナギと練炭の二人が戻ってくるとまだ口論は続いていた。 もう深夜を過ぎあと何時間かで明け方近くになろうとしているのに。
人垣を押しのけてナギが中に入って行く。 その後ろを煉炭がついて行こうとして首根っこを取られた。

「あんたたち、こんな所で何してん? 寝てるんやなかったんか?」

「ひぇ・・・」

「母ちゃん・・・」

ナギがワハハおじさんの横に立つ。

「煉炭がしたことがあります、長たちに話していいですか」

真っ直ぐに前を向き長を見ながら言っているが、その声は横に立つワハハおじさんにしか聞こえていない。

「煉炭が?」

腕を組んだまま、こちらもまた長や爺に顔を向けている。

「水無瀬との約束を果たしたと言えば聞こえがいいでしょうか」

「水無瀬君と?」

思わずワハハおじさんがナギを見た。

「ですから、聞こえがいいということです」

ナギはまだ前だけを見ている。 その横顔をじっと見たワハハおじさんが言い合っている合間に声を挟む。

「長、ナギから話があるそうです」

長に言うと今度は後ろを向いて大きな声で呼ぶ。

「煉炭! 居るなら来い!」

「ひぇぇぇ・・・」

母ちゃんに首根っこを取られたまま、完全に怒っている父ちゃんの元に連れられて行く。

「ナギ、話とは」

「たった今、穴から・・・黒の穴から戻ってきました」

「まさか、水無瀬君がいたのか?」

そう問う長の横で一人の爺が言う。

「ナギ、長の招集を聞いておらんかったのか」

まずは長に目を合わせ「居ませんでした」 と言うと、次に爺を見て「聞いていました」 と言って続ける。

「ここで皆が話している途中で場を外し行ってきました」

ざわめきが走る。 こうして議論することを除けば長の言葉は絶対である。
長が手を上げてざわめきを鎮める。

「それで?」

「煉炭が作った追跡機を置いてきました」

「追跡機?」

「水無瀬にしか分からないようにと煉炭が置きました」

「れ、煉炭が穴に入ったということか?!」

「煉炭、前においで」

ナギの両端に付いた煉炭。 父ちゃんではなくて良かったとホッとしている。

「長、勝手にしてゴメンなさい」

「ナギは悪くない。 意地悪なだけ」

ナギの拳骨が頭頂部に入る。

「痛ったーい」

この様子では多分ナギは脅しに近いことをされたのだろう、爺たちが互いを見る。

「追跡機の説明だけすればいい」

煉炭によると、水にさえ浸からなければ追跡が出来るということであった。 袋からは出してあるが、それくらい誰もが知っている事、きっと水無瀬は袋に入れて向こうに戻って行く。 そこで追跡が出来るということだが、持って出なければ水無瀬はバカだという。
ただ小型なだけにあまり距離が離れてしまっては受信は出来ないということだった。

「そういうことらしいです。 ですから水無瀬に話す前に追跡し、向こうの場所を知り、襲撃をかけるもよし、逃がすもよし」

だが長が首を振る。

「長・・・」

「さっきも言った、水無瀬君が穴に行く、それが何を示すのかがわかるだろう。 誰が何と言おうとも、もう決めたことだ」

「えー!」 と煉炭が声を上げるが、その声はおっさんたちの「長!」 という声に消されてしまった。


「ねぇ炭、上手くやってくれると思、う?」

布団の上で目をこすりながら煉が言う。

「ちゃんと説明したか、ら・・・」

煉炭の二人が落ちた。


煉炭が仕掛けた翌翌日。
左右からカオナシの面を着けた男達に両腕をがっしりと取られた水無瀬が黒門の村の中を歩いている。 その水無瀬が逃げられないようにだろう、周りを七人の男たちが固めている。

(男に腕なんて絡まされたくないっての)

怒りながらもふと前を見るとお獅子が居るではないか。

(このお獅子が矢島さんを引き上げてくれたのか)

どうしてだろうか礼を言いたくなったが今の状態でそういうわけにもいかず、誰にも分からないように僅かに頭を下げた。

ハラカルラに入ってからは何度か足をばたつかせてみたが、やはり白烏はやることが早い。 水は殆どざわつくことなく落ち着いていった。
何をしても白烏に阻まれてしまう。 水をざわつかせることは諦めて今はあたりを頭に入れようと、見たことのある所はないかと目を凝らしている。

「あそこだ」

あそこというのは、朱の穴ということだろう。
ライの村から黒の穴に行くまではもっと歩いたが、それと比べると、朱門と朱の穴はかなり近いようである。

(ん?)

見覚えのある岩。

「あの上の方に穴がある」

(え? どういうことだ?)

水無瀬がそう思った時だった。 その岩の影から見覚えのある面を着けた人物が出てきた。

(あ・・・)

「待ってもらおう」

カオナシの面は離れていた所からも見えていた。 長もライもやはりか、という思いであった。

「長・・・」

長が面を着けたところなど見たことは無かったが、服装と声、体格からそれが長と分かる。
先頭を歩いていた男が声を漏らした水無瀬を一度見てから長と呼ばれた者に向き合う。

「これはこれは、長御自身(おさおんみずから)のお出ましとは」

狐の面を見てどこの者かは分かる。

長の影からライも出てきた。 相変わらずプラスティックの面である。

「ライ・・・」

助けに来てくれたような様子ではないし、そんな覇気も感じられない。

「こちらは、わしとこの者の二人だけ」

「それはそれは。 それで?」

「水無瀬君と話をさせて欲しい」

「話し? 御冗談を」

嘲るような息を吐き、一旦横を向いてもう一度長を見る。

「朱門が黒門の守り人にどんな話があると?」

(え?)

長を見ていた水無瀬が長と話している後姿の男の背中に目を転じる。

(え? 今・・・いま、なんて言った?)

「黒門の、ここはハラカルラ。 争いごとなど言いたくない。 話をさせてくれるだけでいい」

(黒門の・・・? それってどういう意味だ? 村が、長たちが、ライたちが、黒門なのではなかったのか? どうして朱門の男を見て黒門と言ってるんだ? ・・・いや、その前にあの男は何と言っていた、朱門が黒門の守り人に・・・って)

それにこの岩の上には・・・黒の穴がある。
戸惑う目を長にライにと向ける。
長は男だけを見ている。 そして・・・水無瀬の表情を見たライが顔を逸らした。

「話をさせてもらった上で、水無瀬君が黒門を選ぶのなら朱門は二度と黒門に手を出さない。 朱門長としてこのハラカルラで誓う」

(朱門長として・・・って・・・)

男が振り返った。 他の男達に目顔でどうすると訊いているようだ。

「まぁ、嘘はないだろう。 水がじっとしているからな」

周りを固めていた一人が言う。
水無瀬の腕をとっている二人を置いて七人が寄る。 このハラカルラで走って逃げるようなことは出来ない。 その辺りが分かってのことだろう。

「ライ・・・なに言ってんの? どういうこと?」

水無瀬の声が細い。 ライまで届いているだろうか。 そのライは下を向いただけだった。 ライから目を外して長を見る。

「長・・・?」

長がようやく水無瀬を見る。

「すまなかった」

「すまなかったって・・・」

「水無瀬君は黒門の守り人、そして我々は黒門ではなく朱門」

「朱門って・・・朱門って、俺を追いかけてきてたって、この人たちが朱門だって・・・」

「嘘をついていてすまなかった。 いいわけをするわけではない、だが話を聞いて欲しい」

「話し・・・話って・・・聞いてました。 ちゃんと、ずっと聞いて―――」

そこに黒門の男の声が入った。 今この二人の話を聞いた限り水無瀬は朱門を選ばないと踏んでのことである。

「朱門長」

長が男を見る。

「ハラカルラを出ても約束を違えることは無いな」

「もちろん」

「あまり長々とは困る。 手短に」

「礼を言う」

水無瀬が長のところまで連れて来られた。 そして取られていた腕が放された。 男たちは少し離れてはいるが周りを固めている。

「今までのことは謝る。 すまなかった」

「・・・そんなんじゃ・・・分かりません」

「そうだな。 聞いてほしい」

長たちは朱門。 水無瀬に言ったように、その昔に守り人を失った。 だがその理由は違った。

「矢島の先々代、それが朱門の守り人だった。 その守り人がずっと守り人を失くしていた黒門に攫われた。 黒門は・・・。 水無瀬君に言っていた朱門の事情、それは黒門のこと。 わしが話した黒門というのは朱門のこと、朱門というのが黒門のこと」

朱門ではなく、黒門が遥か昔に守り人を失っていた、跡を継ぐ者を失くしていた。 だから朱門の守り人を攫った。 そして矢島の代まで黒門の守り人としていた。

「嘘を言っていたのは謝る」

「どうして・・・どうして最初にそう言ってくれなかったんですか」

「水無瀬君は矢島との繋がりから、わしらのところに来てくれた。 その矢島は辿れば朱門となるが、それでも黒門の守り人として先代に選ばれた。 本来ならば朱門の守り人とは言え、今は黒門の守り人になっている。 その守り人にわしらは強制をしたくなかった。 矢島にもその先代にも強制はしなかった。 水無瀬君にも強制はしたくなかった。 被害者面をした話をしたくなかった・・・あるがままを見て選んでほしかった」

「選ぶって・・・」

嘘ばかり。 アイツに嘘をつかれていた、それだけじゃなく長にも嘘をつかれていた、ライにも。

「わしらの村を、村のみんなを見て、朱門にいる皆の在り方を見て欲しかった。 その上で納得して来て欲しいと思っていた」

「今俺が朱門を選ぶっていったらどうするんですか」

「黒門に納得してもらう。 水無瀬君を連れて戻る」

「じゃあ、黒門を選ぶって言えば」

「それは・・・黒門との約束は守らなければならんと思っている」

「俺、一度でも守り人になるって言いましたか、長に」

俺は嘘などついた覚えはない。

「・・・いいや、聞いてはない」

長がゆっくりと首を振る。

「あるがままって・・・」

吐き出すように言い、少し間をおいて続ける。

「お話しはそれだけですか」

「ああ」

長を見ていた目線をライに変える。

「ライももちろん知ってたんだよな」

水無瀬を見ていたライが頷く。

「ナギも、おばさんもおじさんも。 家族総出で俺を騙してたってわけか」

ライが唇を噛む。
ライから目を外した水無瀬が長を睨み据える。

「みんなで騙してたってわけですか。 村のみんなで」

水無瀬の感情に、水無瀬の周りで水が何度もざわつき始めていたが、その度にこの事情を知らない白烏に宥められ落ち着いている。

「すまない」

長の話しこそ、とぎれとぎれでしか聞こえなかったが、水無瀬の声はよく聞こえた。 話を聞いていた黒門の男たちが目配せをし、嘲弄(ちょうろう)するかの如く口の端を上げている。

「何度も謝ってもらわなくても結構です」

謝るくらいならどうして嘘をつく。
ライに目を転じる。

「盗聴器もこっちだったのかよ」

「違う! そんなことはしてない、煉炭が見つけるまで誰も知らなかった」

ライから目を外し横を見る。

「首脳会議・・・」

「え・・・?」

ゆっくりともう一度ライを見据える。

「首脳会議で俺をどう騙そうかって話してたってわけかよ。 俺が村にのこのことやって来て・・・早速そんな話をしてたってわけかよ」

「そんなことするはずないじゃないか、水無―――」

ライの言葉に水無瀬が被せる。

「嘘をつかれてたとは言え、おばさんには世話になった、それは事実だ」

言いたいことはもっとある。 でももう話したくない。

「事実って、そんな言い方」

「そんな言い方も何もそれが事実だろ、それだけが」

「それだけなんかじゃない! 色々話したじゃな―――」

またもや水無瀬が被せる。

「その礼は、おばさんに伝えておいてくれ」

「水無瀬、それって・・・」

「じゃあな」

足元を蹴って上に上がって行く。

「水無瀬!」

「ほほー、もう穴のことは知っていたのか」

「これはこれは、今日まで世話になったようだな、守り人としても」

「説明の手間が省けた、こちらも礼を言わねばならんかなぁ?」

他の男達を見まわして言うが、そんな気はさらさらない顔をしている。 もとより長はまだしも、ライがそんなことを言われれば怒りは沸点に達するだろう。

「朱門の、約束は守ってもらう」

「ああ、もちろんだ」

「調子に乗んなよ、この先、水無瀬がそっちを選ぶとは限らないからな」

「負け犬の遠吠えか? 吠える前に言わなくちゃいけないことがあるだろう、戻って母ちゃんに言伝ろよ、うちの守り人が言ってたことをな、若造」

「くっ・・・」

「ライ、ここではいかん。 戻るぞ」

「長年の付き合いにこれで終止符を打てる、互いにな。 これで楽になったじゃないか」

「ライ、行くぞ」

穴を抜け、水から出た水無瀬。 そこにごろりと仰向けに寝ころぶ。 でこぼことした岩が背骨に当たって痛い。
長の言っていたことがまだ信じられない、信じられないのに嘘をつかれていたという怒りが込み上げてくる。

「くそぉ・・・」

あのライの家での団らんも何もかもが嘘だったのか、騙されていたのか。
長の話を真剣に聞いた、村は黒門だと言っていた長の話に耳を傾けた。 その時のことが断片的に思い出される。 怒りがこみ上げてきそうになった時、気付いた。

「あ・・・いや・・・」

長は自分たちのことを一言も黒門だとは言っていなかったのではないだろうか。 長にも烏にも色の話をされて烏に黒と言われた。 だからてっきり・・・村を黒門だと思い込んでいたんじゃなかっただろうか。
だがそれが何だという。 朱門であったのに、まるで朱門ではないような言い方をしていた。 誤魔化して騙していただけだ。

「なにがあるがままだ」


「うん? 黒か・・・ああ、鳴海か」

「そのようだな、何をぐずぐずしておるのか」

「こっちはさっきから忙しい。 どこの人間だ、水をざわつかせてばかりしおって。 さっさと呼んで来い」

黒烏が白烏を横目で見たが、白烏がずっと羽を動かしているのを見ている。 忙しいというのは本当のことだと分かっている。

「手のかかる奴め」


穴から羽音が聞こえてきた。

(烏か・・・)

カシャっと、机に下りた音が聞こえる。

「こりゃ、鳴海、なにを怠惰な格好をしておるのか」

「悪かったね」

「なんじゃー? その態度は」

ごろりと横を向いて烏に背を向ける。

「おい、無視かい」

「・・・今日はここに居る」

「はぁ? 何を言うておるか、忙しい、さっさと手伝いに来んか」

「・・・遠慮します」

「お前たち人間がこの辺りで水をざわつかせておるのだろうが、早よ来んか」

この辺り? ということは心当たりがなくもない。

「ああ、それならもう落ち着いた」

「うん? 何を言っておるのか?」

「それ俺だから」

「がー、守り人たるものが水をざわつかせたというのかっ」

「だからここで反省しておく。 はい、サヨウナラ。 お帰りはあちら」

「鳴海っ、お前は守り人としての自覚がないのかっ」

さすがは烏だ。 水無瀬と違って烏としての自覚がある。 言葉のチョイスは荒立てているようだが声は荒立てていない。

「ない」

勝手にそっちが・・・黒や朱や烏が守り人と言っているだけではないか。 承知した覚えなどない。

「鳴海、お前に自覚があろうとなかろうと―――」

「だから、ない」

烏の溜息が聞こえたような気がする。
その烏が落ち着いた声で言う。

「鳴海、この一年とその二十年前のことを思い出せ」

何を急に言い出すのか。 二十年前など一歳ではないか。 一歳の頃を誰が覚えているというのか。

「今日はもういい」

言われなくても行く気などない。
烏の羽音が聞こえてそれが遠くなっていく。 ごろりと元の仰向けに戻る。

(あ・・・腹の痛み)

いつなくなっていたのだろうか。

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ハラカルラ 第28回

2024年01月15日 21時05分19秒 | 小説
『ハラカルラ 目次


『ハラカルラ』 第1回から第20回までの目次は以下の 『ハラカルラ』リンクページ からお願いいたします。


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ハラカルラ    第28回




顔を元の位置、腕に顎を乗せる。 先に見える木々や山々に目を転じる。 木々は山々は、水無瀬に何も言ってこない。 それでもいい。 それがあるべき姿なのだから。

(力を抜いて・・・)

脱力して肩の力を抜く。 あるがままだけを見る。

(あ・・・)

水無瀬の目にハラカルラが見える。 重なって見えていた木々も山も徐々に見えなくなっていく。
魚たちが泳いでいる。 藻が水にたゆたっている。

(そうだった、気を抜いたり力を抜いたりしてボォッとした時に見えてたんだった)

よく見ると水無瀬のアパートで見ていた風景と少し違う。 岩が違うと言っていいだろうか。
村から黒の穴に行く時は岩を目印にしていた。 戻る時も然り。 岩とてそれぞれに特徴がある。
ここは初めて見る風景である。

(そうか、重なっているところが見えるってことか)

そんな分り切ったことをどうして今まで気付かなかったのだろうか。

(入れるか?)

矢島のように。
どうすればいいかは分からない。 それでも・・・。
ハラカルラをじっと見る。 力を抜いて一点に集中する。 その一点は岩でも貝でもない。 なにかを意識するのではない、ただ一点、どこかの一点。 すると鼻から額から、引っ張られていくような感じがしてきた。

「茶だけでも飲まんね?」

襖が開けられた。


毎日、と言ってもここに来てまだ三日目だが、ずっと部屋の中に居るのにはもう飽きてきた。
ハラカルラに入ることが失敗に終わった昨日。 あれから何度かチャレンジしてみたが、あの鼻と額が引っ張られるような感覚があれから一度もない。

(ハラカルラに入る・・・ダイブするって意気込み過ぎてんだろな)

もっと気楽にすれば何とかなるのかもしれないが、それでも知らず気が焦ってしまうようである。
サングラス男は三、四日と言っていたが、今日あたり穴に行くというのだろうか。

(落ち着いたらって言ってたよな)

三、四日もすれば水無瀬が落ち着くとでも思っているのだろうか。

(誰が落ち着くかよ)

立ち上がり内障子を開け続いて窓を開ける。 冷たい空気が流れて来る。 そう感じることが出来てどこか心が落ち着く。
今日も窓の外には見張が立っている。

(まるで牢獄じゃないか)

こんな状態でどう落ち着けというのか。

「うん? ・・・え?」

見覚えのある横顔。
その横顔が水無瀬の声に振り向く。

「よっ、お久」

男が手を上げる。

「なん、で・・・なんで?」

「なんでって、なんだよ」

「・・・なんで、お前がここに居る、の・・・?」

「久しぶりなのにご挨拶だな、水無瀬っち」

「いや! だから、どうしてお前がここに居るんだよ!」

「どうしてって、俺の里だからだよ」

「はぁ!?」

「ああ、バイトのことは気にしなくていいからな。 俺が辞めるときに水無瀬っちも辞めるって言っといてやったから」

「おまっ! なに勝手なこと!」

「水無瀬っちはもうバイトなんてしなくていいんだよ、ここで守り人をするんだからさ」

窓のサンを握る拳がわななく。
何を勝手なことを。

「お前・・・いつからだよ」

「いつからって、なに笑わせるようなこと言ってんの? 水無瀬っちがコンビニでバイトしてたから俺がバイトに入った、それくらい分かるだろうよ。 簡単に言っちゃえば水無瀬っちの見張りだな」

「見張りって、どういうことだよ」

「まぁ、色々だな。 水無瀬っちに何か変化がないかとか、あっちが近づいて来ないかとか?」

ライが客として時々コンビニに来ていたのは、客に紛れて向こうが来てないかどうかを見る為だったと言っていた。 互いに面を付けていて顔を知らないからだと。 店の外で見張っていても分からない時があるから、店内に入り他の客の様子を見、ある程度近づけば雰囲気で向こうかどうかが多少分かると言っていた。
だがどうだ、これは。 全然気づいてなかったということじゃないか。 客としてこいつに対面し、レジまで通していたというのに。

(何が雰囲気で分かるだ、ライの馬鹿ヤロウ。 いや、それともコイツがその雰囲気とかを出していなかったのか? 店員ということに余裕をぶちかましてたってのか)

そうならそれで腹が立つ。

「・・・迷子の犬探してたってのは嘘か」

警察署に迷子犬の届けを出しに来たと言っていた。 そしてその日にまた襲われた。

「言っただろ?」

「・・・なにを」

「犬を見つけたって」

水無瀬が眉をひそめる。 確かにそんな台詞は聞いた。 どのタイミングで聞いただろうか。

「忘れちゃった? ほら、俺ちょくちょくスマホで連絡とってただろ?」

思い出した。 犬を見つけたと言っていたのはサンタルチー屋を出てからだ。 その前からスマホをしょっちゅう見ていた。

「水無瀬っちを見失ったって連絡が入ってさ、あちこち探して見つからないから足を伸ばそうとしたら、偶然駅で水無瀬っちを見かけた。 つけてみると警察署に入って行くだろ? で、俺もそれなりの理由をつけて水無瀬っちに見つけさせたってわけ」

「見つけさせた?」

「俺から声かけても白々しく思われるかもしれないからな」

「お前・・・」

「で、すぐにこっちに連絡をつけてたってわけ。 すぐに来てくれってな。 だから言っただろ? ようやく俺たちを見つけた、じゃなくて、水無瀬っちを見つけた。 犬を見つけたってな」

「・・・俺は犬扱いだったってことかよ」

「そう、知り合いの犬」

そう言えばこいつの最後の言葉がそうだった。 『知り合いの犬。 ってことで、ここでサラバ』 それっきり会っていない。

「まぁ、水無瀬っちがこっちに来なけりゃ、まだバイトはしてたけどな。 こっちに来たって連絡が入ったからバイトを辞めてきた。 もう見張の必要もなければ、俺がここの人間だって水無瀬っちにバレても何てことなくなったから」

「何てことなくなったって何だよ」

「だって水無瀬っちはずっとここに居るんだから俺の素性がバレてもいいわけだろ?」

これ以上コイツと話していると胸くそが悪くなるだけだ。
バチンと大きな音をたてて窓を閉めた。 もちろん続いて内障子も勢いよく閉める。

「くそっ!」

まんまと騙されてたってわけだ。

「おい、逆撫でするんじゃねーよ」

サングラス男の声が聞こえる。

「そろそろ落ち着いて穴に行けると思ってたとこなのによー」

(誰が行くもんか!)


一週間ハラカルラで水無瀬を探したが一向に見つからない。 そんな中、長から招集がかかった。 集会場の中にも溢れて入れない若い者も、家を預かる者以外の村人が集まっている。

「長」

水無瀬を探し回っていたおっさんたちが土間に押し寄せている。 その中の一人のおっさんが代表して長の前に出た。 畳の間に座る長の左右後方には爺たちが座っている。 大爺たちは既に眠りの中である。
長と呼ばれたがそれに答えることなく腕を組んだままの長が目を瞑る。

「長!」

長の様子に不穏を感じたおっさんが思わず声を荒立ててしまった。
ゆっくりと長の目が開かれる。

「大爺も、全員で話した」

全員というのは控えている爺たちのこと。
おっさんたちが息を飲む。 その後ろで中に入れない若い者たちが耳を傾けている。

「今回で終わる」

開かれた長の口からとんでもないことを告げられた。

「なっ!」

おっさんたちからも当然のこと、若い者たちの間からもざわめきが立った。 その中から先ほどとは違うおっさんが声を荒げる。

「終わるということはどういうことですか!」

「確執を終える」

「それはっ!」

長がゆっくりと首肯し続ける。

「この門の守り人の筋を絶やすということ」

「どうして!」

「そうだ! どうして譲らなければならない!」

ライたち若い者たちも言いたいことはある。 だがおっさんたちがそれを代弁してくれている。 若い者たちは口を噤んだまま、おっさんたちと長の会話を聞いている。
家庭で母親業をしていた母親たちが話し合いがもたれていると聞いたのだろう、若い者たちの周りを囲み始めた。

「これ以上の争いをハラカルラは望まない」

「長、今回で終わるというのは、どういう意味ですか」

ワハハおじさんが一歩を出して言う。 心中は分からないが他のおっさん達に比べるとかなり冷静であるように見える。

「これだけ探しても水無瀬君が見つからない。 それがどういうことか、もう皆見当はついているんじゃないのか?」

探し回っていた、ずっとずっと探し回っていた。 だが見つからなかった。

「水無瀬君はきっと向こうに連れて行かれたんだろう」

「長・・・」

「まさかハラカルラで連れて行かれるとは思ってもみなかったが、それは言い訳にしかない、守り切れなかったこちらの落度でしかないということ」

「ですが、長―――」

長が首を振る。 それ以上言うなということである。

「いつかは分からんが、水無瀬君は向こうの穴に連れて行かれるだろう、それがどういう意味を示すのかは皆わかるだろう」

この村全員で嘘をついていたということが水無瀬に知られるということ。
誰もが俯く中、一人のおっさんが口を開く。

「穴で・・・待ち伏せるということですか」

長が頷く。

「ハラカルラを荒したくはない、出来れば避けたいところだが、わしらの分かる場所はそこしかない」

「そこでどうするんですか」

「向こうもハラカルラでは争うことはしないだろう、水無瀬君との話の時間をもらう。 あとは水無瀬君が決めること」

「水無瀬君があっちを選んだら・・・」

「この二週間ほど水無瀬君はわしらを見てくれた。 その上であちらを取るのならば、こちらはこれまでということ。 あとは皆も知っているだろう、守り人初代の兄妹の両親がしたように一から探す」

「今までのことが、呆気ない終りということですか」

感情を殺したようにワハハおじさんが言うが、他のおっさんたちは納得できてはいない。 ワハハおじさんとて納得しているわけではない。

「長! 爺たちも! 長年の、長年してきた事を、そんなに呆気なく終わらせられるんですか!」

「爺! 俺たちよりも長く戦って来たじゃありませんか! それなのに終われるんですか!」

「終われるはずなどないでしょう!」

「まぁ待て」

一人の爺が口を開いた。 おっさんたちの口が閉じられる。

「長もわしらも、簡単に終わらせたいと思っておると思うか?」

「だからっ!」

おっさんが言おうとしかけたのを爺が手で止める。 おっさんの口が止まる。

「お前らのあとの・・・若いもんのことも考えろ」

ライたち若い者が声を上げようとする。 だがそれも手で制した爺が続ける。

「これから生まれてくるもんもおる。 お前たちの下にこれから何人も生まれてくる。 よう考えてみい、村を出て行った者も居るだろう、駐在のように時には手を貸してくれる者も居るが、振り向きもせんもんもおるではないか」

一番外側に移動していたナギの服がクイクイと引っ張られた。
見てみると煉炭が口の前に人差し指を立て、今度はナギの手を両方から引っ張る。

「え・・・あんたたち」

煉炭が振り返り、手を繋いでいないもう一方の手でもう一度口の前に人差し指を立てる。 母親たちに顔を向けると誰もナギの様子に気付いていない。
片手が離されたと思ったら今度は尻を押された。 まだ繋がれているもう一方の手が引っ張られる。

「もう、あんたたち、いったいなんだっての!」

煉炭に引っ張られ連れて来られたのは獅子の居るところだった。 獅子は見回りでもしているのか今は居ない。

「ナギって穴の場所知ってるんだよね?」

「ナギとライが穴の場所を知ってるんだよね?」

双子が敢えてナギとライと言った。 そうであるのなら、水無瀬が行っていた穴の場所ということになる。

「え・・・まぁ、そうだけど。 それがなに」

「連れてって」

「そこに炭と煉を連れてって」

「はぁ!? あんたたち、もう寝てなきゃいけない時間でしょうが」

「そんな話してない」

「連れてってって言ってるの」

「ダーメ、こんな時間にあんたたちを連れ出すなんてとんでもない」

ワハハおじさんは怒ると怖いのを知っているし、常識的に考えて連れてはいけない。 ましてやあの穴に。 ましてやこの双子を。

「炭と煉は父ちゃんの背中を見て育った」

「ナギだってそうだろ」

「いや、だったらあんたたち、訓練サボってんじゃない」

「うっ・・・」 煉炭の声が合わさる。

「ナギは意地悪だ」

「ライより意地悪だ」

そして二人が再び口を合わせる。 「もうナギには頼まな、いーだ」 思いっきり歯をむき出して “いーだ” をすると、急に二人で駆けだした。

「え? ちょっ、あんたたち!」

手を出すが、思いもしない行動に出られたのだ、咄嗟に二人を捕まえることなど出来ない。

「もー! こんな時になんだっての!」

こんな所で二人を見失ってはどうなるか分からない。 二人はまだハラカルラに入ってすぐのところにしか行ったことが無いはず。 歩き回られて迷子になどさせられない。 すぐに二人の後を追う。
ようやく二人の首根っこを捕まえられたときには、もうハラカルラに入っていた。

「ナギが教えてくれないと暴れるよ?」

「そしたらお水が泣くよ?」

この双子は本当に質が悪い。 よほど自分とライの方が大人しい、と言わんばかりにナギが溜息を吐く。

「いったい何がしたいの」

「遠いんでしょ?」

「歩こ、歩こ」

「歩こうって―――」

「大きな声出しちゃダメ」

「歩きながら教えてあげる」

「もう・・・」

二人の手には小型の懐中電灯が握られている。 多分二人の手の大きさに合わせて自分たちで作ったのだろう。 小型であっても充分に先を照らしている。


この数日、煉炭は水無瀬からもらい受けた盗聴器の部品を使って何かを作ろうとしていた。 水無瀬はいいことに使う物を作る時に使うようにと言っていた、だから少々迷った。

『いいこと、分かる? 炭?』

『分かんない。 煉は?』

『分かんない』

『じゃ、どうする?』

『んーと・・・んーっと・・・』

『いいことって難しいね』

『うん』

自己申告では、日頃からいいことをしているということではなかっただろうか。

『赤ちゃんの・・・オモチャは?』

『あ、それなら、遠くにいても赤ちゃんの声が聞こえるようにしたオモチャは?』

『それがいい!』

盗聴器の内部をそっくり使うようである。 やはり “いいこと” にはどういったことがあるのだろうかということに発想が飛ばなかったようである。
そして水無瀬が居なくなったと聞いた。


子供というのは、どうしてこんなに話が長いのだろうか。 要点をついて話して欲しいと、仕方なく二人が話すことに耳を傾けながら歩いている。

「でね、作ったの」

「灰と煉、頑張ったの」

なにに頑張ったのか、慣れない良いことを考えるのに頑張ったのか、そう思いながらナギが訊く。

「で? 結局なにを作ったんだ」

「じゃーん」

「これ」

じゃーんと言った掌には、ジッパー付きの袋に入った小さな物がのっている。 これと言った方の指がそれを指している。

「なんだ? それ?」

ジッパー付きの袋にはキャラクターが描かれている。 それが邪魔で中に何が入っているのか分からない。

「水無瀬から貰ったUSBスティックの外側を使った」

「水無瀬の為のいいことに使う」

「そう、とーってもいいこと」 

「中身は追跡機」

「え・・・」

懐中電灯を一つ借り、二人を後ろに従えて穴を潜っていく。 後では二人が並んで一つの懐中電灯を持ち、ゆっくりとついて来ている。
坂を上がるナギの後ろを二人がキョロキョロとしながらついて行く。

「机?」

「机だね」

「上に置いとくと・・・」

「水無瀬の部屋の時みたいにすぐに分かるけど・・・」

「うん、向こうがここまでついて来てたらすぐにバレるね」

なにせこのUSBスティックは向こうが仕掛けたものなのだから。

「だったら、お手紙も置いておけないね」

「うん、そうだね。 引き出しに入れておく?」

「うん、そうしよ。 で、これを引き出しに挟んでおいたら・・・」

キャラクターが描かれていたジッパー付きの袋からUSBスティックを取り出すと、USBスティックを引き出しの中に入れジッパー付きの袋を引き出しに挟む。

「これで気付かなかったら水無瀬はおバカ」

「だよね、水無瀬この袋知ってるもんね」

袋が手紙代わりとなるだろう。

この二人の話題には上りたくないと思いながらナギが急かす。

「ほら、もういいだろ。 長居は出来ない」


「まーた、黒か」

「こんな遅くに・・・ほれ、今度はさっさと行け」

「たまには、お前が行けばいいだろうが」

「吾の仕事ではない」

「いつそんな分業が決まった。 あ・・・」

「ほれ、もう遅い。 去って行ったではないか」

「守り人以外の誰がちょくちょく出入りしておるのか」

「だからさっさと見に行けばよいのだろうが」

「だからたまにはお前が見に行け」

烏たちのつまらぬ言い合いはしばらく続くのであった。

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ハラカルラ 第27回

2024年01月12日 21時06分51秒 | 小説
『ハラカルラ 目次


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ハラカルラ    第27回




「今回は俺がいましたが、その前の三度目の時にはここはどうしていたんですか?」

「向こうで鳴海がしていたことが目に入ったように、水が落ち着いていくのが見えておったからな、誰なとが宥めておったのだろう」

「でも烏さんたちの居ない間にここで誰も見かけませんでしたけど」

「入って来ようとした時に鳴海が居ったからだろう」

「守り人のやる気も昔と比べて薄れてきておるしな。 来んかったのかもしれんし、それは分からん」

白烏が水鏡に羽を伸ばしくるくると回しながら言った。

「まぁ矢島はようやってくれておったからな。 多分以前は全て矢島だろうて」

矢島の名前が出た。 矢島の方に話を持っていける。 白烏の方に歩いて行く。

「あの、こちらの烏さんには以前訊いたことがあるんですけど、思い当たらないということで、矢島さんはここで水を宥める以外に何かされていたということは無かったですか?」

白烏の横にしゃがみこんで訊く。

「何か?」

「えっと・・・調べものとか、誰かと話していたとか」

「知らんなぁ」

水鏡をじっと見ている。 さっきのざわつきをもう治めたようだ。 早い。

「そうですか・・・。 水見さんと矢島さんのご関係はご存知ですか?」

白烏の邪魔をしてはなんだと立ち上がり、黒烏の方に移動をして訊く。

「さあ?」

「矢島さんをどう呼ぶかという時に、そんな話にはならなかったんですか?」

「なにも?」

この黒烏、段々と答えるのが億劫になってきたようだ。 だが水がざわつかないということは、嘘ではないのだろう。
次の質問をする。

「では次に」

黒烏が「まだあるのか」 と言ったが、それを無視して続ける。

「一昨日、誰かの後姿を見たんですけど。 この穴の右隣りの穴。 あそこはどこの穴ですか?」

「右? 右であれば青」

黒は青ともう和解しているはず。

「青・・・。 よく来るんですか?」

「来ることは来るが、よく来るというわけでは無い」

「何をしに来たのかは想像つきます?」

「まぁ、宥めに来たのならばここで宥めておろうな。 それ以外はわしらの知るところではない。 もういいだろう、やりすぎの褒美だ」

機嫌を損ねてしまっては今後にかかわる。 少し機嫌を取ろう。

「リッパな烏さんたちの他に烏さんが居るんですか?」

「ん? 居るか?」

黒烏が白烏に問う。

「烏は吾らだけだろう」

「え? では・・・」

ライが烏たちは日本担当と言っていた。 では他の所はどうなっているのだろうか。

「隣は鳩で反対の隣がタコ、上が猿で下がナントカのナントカと言っておったか。 他にも居るが?」

ナントカのナントカ・・・竜宮の遣いじゃないだろうな。
それにしてもどういうことだ? 機嫌を損ねないために訊いただけだというのに、結構衝撃だ。

「えっと・・・どうして皆さん違うんですか?」

「あー、それぞれ扱いやすい形をしているというわけだろうな」

扱いやすい形? それはどういうことだろうか。

「これは仮の姿でしかないからな」

まさか仮の姿と言われるとは思ってもみなかった。

「そんなことを訊いてきたのは鳴海くらいだわい。 やはり鳴海は変わっておるなぁ。 まっ、今日はいい、一日ゆっくりとしておれ。 わしらもやることがあって教える暇もないからの」

仮の姿、仮の姿。 ・・・では本当の姿ってのはどんなのなんだ。 水水水・・・水といえば、水の龍? 水龍とか? 大きすぎる身体を小さくしたとか? それとも蛇? 手が無いから翼のあるものにしたとか?
なんにしても敬語を使っておいてよかった。

「あ・・・じゃ、戻ります」

穴を潜り、よろよろと歩きながら帰途を辿る。
結局矢島に関することは何も分からなかった。

「ん?」

チラリと誰かの姿が目に入った。 だがすっと岩の影に入って見えなくなってしまった。

「ん?」

どこかで見たことがあるような体形、雰囲気。

「巡回に行く村の誰かかな」

気にすることはないかと歩いて行く。 ちょうど水無瀬が岩と岩の間に入った時。

「いっ!」

腕を締め上げられた。

「元気にしてたようだな。 まさかここに居たとはなぁ、勝手にあっちに行かれちゃ困るんだよ」

カオナシの面を着けていてもこの男には覚えがある。 この声はサングラス男。 サングラスを外していてもこの厭味ったらしい言い方、声は忘れていない。

「おっと、暴れんなよ。 暴れたらどうなるかくらい、もう知ってるだろう」

水無瀬が辺りを見る。 だがどこにもキツネ面が居ない。 どうしよう、と思った時に思いつたことがあった。
『問題があれば水がおかしな流れをして場所を特定できるが』 と長が言っていたではないか。 水をざわつかせるのには気が引けるが特定してもらうには仕方がない。
上に蹴り上げ両足をバタバタとさせる。 締め上げられている腕が痛い。

「おい!」

サングラス男も色々知っているのだろう、かなり声を抑えている。
水がざわつき始めた、と思ったのも一瞬。 すぐに治まっていく。

(くそっ、白烏が宥めてんだ・・・)

こうなれば声を、と思ったが読まれたのだろう、すぐに口を押さえられた。 サングラス男一人ではなかったようだ。

「烏がすぐに反応するな」

「では遠慮なく」

口を押さえていた男が水無瀬の正面に回ってきた。

「うぐ・・・」

口を押さえられたまま腹に一発入れられた。


目が覚めたのは・・・。

(ここは、どこだ?)

ライの家ではない。

(いったい・・・)

起き上がろうとして腹が痛んだ。

「痛って・・・」

思わず片手で上半身を支え、もう一方の手で腹を押さえた。 身体を支えた片手が布団に触れたのが分かる。
この痛み・・・思い出した。 口を押さえた男に一発入れられたのだった。

「無茶苦茶しやがる」

ハラカルラであんなことをするなんて。


「長、水無瀬が戻って来ない!」

長の家にライが飛んで入ってきた。

「なんだと?」

「いつもならもう戻ってるはずなんだ」

「まさか・・・」

「今ハラカルラにナギとおっさんたちが探しに出てる。 ナギなら・・・黒の穴に入るはずだ」


「ここが・・・」

ナギが黒の穴に入っていた。 水から顔を出すと座卓が見える。 足元を見ると坂のようになって上がれるようになっている。 そっと足を踏み出し徐々に身体が水から出る。 辺りを見回すがやはり水無瀬は居ない。 横に穴があいているのが目に入る。 そっと足を忍ばせ穴に近づいて行く。 穴の端を持とうとしてそこに見えない壁があるのに気付く。

「え?」

親指以外は岩に触れている。 だが穴の縁に触れようとした親指が見えない壁に当たって、曲がることなくまっすぐに伸びている。 まるでペタンと掌を広げて着いたような形になってしまう。

「ここが・・・」

守り人しか入ることが出来ない入口。
ナギにしてもライにしてもその二人だけではない、若い者は穴に入ったことなど無い。 おっさんたちにしてもそうだ、その必要が無かった。 ただ、大爺の中の数人は若かりし頃に入ったことはある。
もう一度あたりを見回す。 単なる岩穴。
水無瀬は居ない。 長居はしたくない。 踵を返し水の中に戻った。


「んー?」

「去ったようだな」

「黒の誰かが来ておったのかのぉ」

「お前がさっさと行かんからだ」

「わしだって忙しいわい」


「よぉ、お目覚めか」

襖を開けて入ってきたのはサングラス男。 もうサングラスをしていなくとも、この男の顔は覚えた。
布団から出て壁にもたれ片膝を立てそこに肘を置きその手に顎を置いていた水無瀬がジロリとサングラス男を睨む。

「そんな顔すんなよ」

サングラス男の後ろから女性が現れた。 手に料理を載せた盆を持っている。
「お口に合うといいんやけど」 そう言って部屋の中にあった座卓の上に置く。

「もう遅い、晩飯でも食って、そうだな三、四日ゆっくりしろや」

三、四日後から何だよ、と訊きたかったが、この男の顔を見ていると訊く気も失せる。

「あそこに居たってことはあっちにいたんだろ? あっちに何を吹き込まれたか、どれだけ吹き込まれたかは知らんが落ち着いたら穴に入ってもらう」

(朱の穴に? どうして俺が朱の穴に入らなくちゃいけないんだ、ほざいてんじゃないっての!)

「わたしらはなぁ、初代からの意を継いでハラカルラを守りたい。 ただそれだけを思ってるんね」

盆を置いた女性が正座をして水無瀬に向き合う。

「わたしらの門を・・・ハラカルラを頼みます」

女性が手を着いて頭を下げる。
女性の態度に煩いとも、勝手なことを言うなとも言えず水無瀬が横を向く。

「言っておくが、ここからは出ない方がいい。 ああ、出られないと言った方が正解か。 まぁ、テレビでも見てゆっくりしとけや」

たしかにこの部屋にはテレビがあるが、こんな時に見る気になどなれるものではない。
サングラス男と女性が部屋から出て行った。

内障子が開けられている窓の外は暗がりとなっている。

「街灯が無い?」

今になって気付いた。 まるでライたちの村のようである。
痛む腹を押さえ窓を開け顔を覗かせようとして、窓の左右に男が立っているのに気付いた。 サングラス男が出られないと言ったのはこういうことか。 襖の向こうにも誰かが立っているのかもしれない。 窓と内障子を閉め、腹を押さえながら元の位置に戻る。

それにしても腹が痛い。 痛さで測るというのもなんだが、今までのことを思うと腹に入れられてからそんなに長く気を失っていなかったのか、それとも今まではサングラス男に入れられていたが今回は違う男。 あの男が手加減しなかったのか。

「時計くらい置いとけよ」

スマホも何もない。 時間が全く分からない。

「あ、テレビをつけると分かるのか」

テレビに時間が出るように設定すればそれだけでいい話である。

「ライたち心配してるだろうな」

チラリと座卓を見る。 美味しそうな天婦羅がのっている。 だが昨日ライの家で天婦羅を食べたばかり。 六日か七日に一度は揚げ物だった。 『煮物ばっかりじゃ飽きるものねぇ』 とライの母親が言っていた。

「そう言やぁ、二週間くらいライん家に泊ってたんだよな」

宿泊代無料で。

腹が痛いし食欲もないが、あの女性がせっかく作ってくれた。
『ハラカルラを守りたい。 ただそれだけを思って』 『わたしらの門を・・・ハラカルラを頼みます』
殊勝にそんなことを言われても・・・。

「守りたいんだったら自分らで跡を探せよ」

黒門を頼るなよ。

「あ、待て?」

あの女性はハラカルラと言った。 ライも長もハラカルラとは一言も言っていない。 水の世界と言っていた。

「なんでだ?」

その門その門で呼び方が違うのだろうか。 だが烏はハラカルラと教えてくれた。 ここの朱門の人間の言う方が正解だ。

「いや・・・それを正解と呼ぶだろうか」

捉え方は人それぞれ。 水無瀬のことを水無瀬と呼ぼうが鳴海と呼ぼうが、それは同じ人間を指している。
水無瀬が息を吐いて思考を入れ替える。

「さて・・・どうしようか」

ライたちはここの場所を知らないだろう。 知っていれば今までのライとの会話でそれらしいことを言っていたはずだ、だがそんなことは聞かなかった。
どうしようかと思っても腹が痛くて走るに走れない、それ以前に歩くにも腹を抱えなければいけない。

「あ・・・そういえば」

ハラカルラに入ると傷が治ると言っていた。 腹の痛みは外傷ではないがそれでも治るのだろうか、痛みを取ってくれるのだろうか。
そして烏が言っていた。 矢島が入口を使わずとも、自らハラカルラに入ることが出来ると。 だがそれには精神力がいると言っていたし、不浄を持ち込むことになるから早々に出ろとも言われた。
ハラカルラに自力で入る、水無瀬にそんなことが出来るだろうか。 だが出来るとしても方法が分からない。

「くそっ」


夜零時近くになりハラカルラを歩き回っていた全員が戻って来た。 ハラカルラにも夜は存在する。 防水の懐中電灯を持って歩きまわっていたが、これ以上ハラカルラの夜を荒してはならないと長から命令が下ったのだった。

「水無瀬君が迷っている可能性が高い。 明日も探そう」

おっさんが言うと、今日のところは全員が解散をした。


「よう、昨日は食わなかったんだってな」

腹が痛くて食えるか。

「朝飯は食べろよ」

腹は減ってるよ。 でも痛いんだよ。
サングラス男がソッポを向いている水無瀬の手の位置に気付く。

「ああ、腹が痛かったか。 あいつは俺より手加減がないからな」

お前は手加減してたのかよ。 膝まで入れてきただろが。 それとも膝は手じゃないって言いたいのか、手加減じゃなく足加減って言いたいのか。

「まぁ、一晩寝たんだ、少しくらいは腹に入るだろ?」

水無瀬がサングラス男を睨む。

「あんたには何一つ悪いと思わないけど、あのおばさんには悪いと思う。 残すのは悪いからいらない」

言葉に力を入れ過ぎた。 腹に響く。

「やっと口を利いたと思えばそれか」

「利きたくもないシチュエーション作ってるのはそっちだろ」

サングラス男が軽く肘を折り両手を軽く上げるという、オーバーアクションを見せて出て行った。

「ったく」

閉められた襖を睨みつける。
もう外は充分に明るい。 閉めていた内障子と窓を開ける。 冷たい空気が一気に入ってきた。
あ、っと気付いた。 エアコンがかけられていた。 今の今まで全く気付かなかった。

「怒り心頭だったんだな」

小さく漏らすと左右を見る。 やはり見張が立っている。 水無瀬の腹に拳を入れてきた男でもなさそうだし、誠司とかいう青年でもなければ、その時に一緒に居たおじさんでもない。
ライの村も村としては割と人が多かったが、ここも多いのだろうか。 それ以前に村なのだろうか。
目の前に広がる風景は、ここが山の中だということを表すように、ずっと先に木々が茂っている。

最近は合併をして村という文字がなくなってきていると聞くが、それでも住所的に村という文字がなくなったとしても、ここは・・・村だろう。
それがライたちの村のように坂を上ってこなければいけない程、山の中腹にあるのかどうかは分からないが、周りに見える山々からするときっと中腹だろう。
水無瀬が窓のサンに腕を置きその上に顎をのせ、外をボォッと眺めていても見張たちは何も言ってこない。

(無視かい)

まぁ、話しかけて来られては気分を害するだけだ。 それに朱の穴がどこにあるのかは知らないが、ハラカルラの中は・・・少なくとも黒の穴に近ければ道が分からないわけではない。 その時に逃げることが出来る。

(ライたちは朱の穴の場所を知ってるのかな)

知っていれば助けに来てくれるはず。
顔を下げ腕に置いていた顎から額にかえる。 瞼を閉じると大きく息を吐く。

(考えても何も変わらない)

考えるだけ無意味、怒りだっていてばかりでは空気の温かさにも気付かない、ここがどこだかわからない以上、今はなるようにしかならない。
俯けた顔の中で瞼を開く。

(今は体力の温存)

それだけに集中しよう。 その内に腹の痛みも消えるだろう。

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ハラカルラ 第26回

2024年01月08日 21時04分29秒 | 小説
『ハラカルラ 目次


『ハラカルラ』 第1回から第20回までの目次は以下の 『ハラカルラ』リンクページ からお願いいたします。


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ハラカルラ    第26回




「そんなことって、兄心だろうが」

まだ頭頂部を押さえ涙目になって言うが、それは禁句だろと思う水無瀬がこの兄妹喧嘩に口を出すつもりはない。
ナギが踵を返し台所に戻って行った。 まだ腹を立てているのだろう、盆をテーブルに投げた音が聞こえ、その盆がグワングワンと回っている音が聞こえる。

「大丈夫か?」

水無瀬がまだ突っ伏しているライを覗き込む。

「絶対タンコブできる」

「冷やした方がいいな」

水無瀬が立ち上がろうとした時、不気味な音がした。
ジョキンと。
え? っと思ったのも一瞬。 ライの後ろにナギが立っていて片手にハサミ、もう一方には切られたライの毛の束が握られている。

「ええー!?」

ライも感覚か音で察しがついたのだろう。 頭頂部を押さえていた手を髪の毛に移動させ、その髪の毛を辿っていく。

「うわー!」

首の付け根あたりで切られているのを確認できたようだ。

「明日その見苦しい髪を散髪してこい」

そう言い残して台所に行き、切ったライの髪の毛を生ごみ入れのゴミ箱に入れると冷蔵庫を開けた。

「と、取り敢えず冷やそうな」

何をどう使っていのかが分からない。 仕方なく台拭きを水で濡らすとライの頭頂部に当てた。
台拭きを水で濡らす時に見えた、ナギが冷蔵庫から出したアイスココアをコップに入れていたのが。 そのナギはもうここには居ない。

「長年かけてずっと伸ばしてきてたってのに、サイアクじゃないかよー」

小学校の頃からナギに合わせてずっと伸ばしてきていたということであった。 だが一度、今と同じように切られたことがあったらしい。
その時の理由は今とは違ったということで、中学の時に “女みたいな髪の毛してんじゃない” と言われたという。
だがそのあともまた伸ばしたということだった。 影武者であろうとすることがバレたわけではない、というのが理由だったという。

兄だなんて琴線に触れることを言うからだろ、とは思うが、この話を振ったのは水無瀬である。 責任を感じなくもないし、琴線に触れなくともナギは同じことをしていたかもしれない。 『女扱いは必要ない』 そう言っていたのだから。
半泣きのライに「うん、うん」 と返事をしながら、結局ライとはその後すぐに解散をした。


翌日水無瀬が起きてくるとライの母親が 「水無瀬君見た? ライの髪の毛。 笑っちゃうー」 と言って水無瀬の肩をバンバン叩いてきた。
そのライはもう朝食を済ませ今は訓練しているらしい。

「訓練すると気が晴れるんだって。 昔からそうよ。 それにまだ散髪屋は開いてないからね」

散髪屋の開く時間になると散髪屋に行くのだろう。 その散髪屋は里に下りなくてはならないということだった。
では今日はどうしようか。 一人でハラカルラに行ってもいいのだろうか。 取り敢えず長に今日もハラカルラに行くと言いに行った時にでも訊けばいいか。

「お忙しいところ申し訳ありません」

言葉が丁寧になるのは、昨日のことを見ていたからかもしれない。
その水無瀬の隣を歩いているのはナギ。 やはりまだ道をしっかりと覚えていないということで、道案内をつけられた、つけてくれた。

「これはお役目だ、水無瀬の気にすることではない」

ライなら ”これはお役目” と言ったことに対して ”あ、気にするなよ” と付くが、ナギにはそれが付かない。

「向こうに入ったら時間が分からないし、感覚もいい加減になるから気にしないで練習に戻ってくれたらいい。 早く終わったら俺の方が待ってるから」

一人で戻るという勇気はまだ持ち合わせていない。 水の中の岩を目印にしようかと昨日は岩を見ていたが、どれも同じように見えてしまってまだ見分けがつかない。

「ああ、水無瀬もこっちのことは気にするな」

そう言うナギと別れてピロティに来た。 誰の姿もない。 大きな穴に身を潜らせる。 やはり誰も居ない。 烏も居ない。
あの日、黒烏が居たあたり周辺を見るが、水鏡と同じようなものが二つしかなく、見慣れない二枚貝、それも中身のない二枚貝、多分こちらも中身は無いだろう巻貝。 その大きな二つがあり、周りにも似たような小さなものがあるだけである。

「うーん、特にってのが無いなぁ」

黒烏は何を見て入ってきたと言ったのだろうか。
まだ何も知らない水無瀬に何かが分かるはずはないかと諦め、烏を待ちながら水でも宥めようと水鏡の前に腰を下ろした。
結局、昨日と同じで目がイカレそうと思うまで水を宥めていた。 ハラカルラに居れば目などイカレないのだが、どうしても思ってしまう。
今日も烏たちは戻って来ないのだろうか。

穴から出るとナギが居た。

「ごめん、遅くなった」

「気にするな」

もたれていた岩を背で押すと歩を出す。 水無瀬がそれに続く。

「もしかして・・・ずっと待っててくれてたりなんかして?」

「気にするなと言った」

「あー・・・うん、んじゃ、ありがとう」

ナギに横目で見られた。 半眼で。 コワイ。
結局無言で長の家まで来た。 ライの時のように獅子のところで足を止めることも無かった。 だからといって無言に開き直ってしまえば、気づまりを感じることは無かった。
長には烏に会えなかったことだけを報告した。

ライの家に戻ってみるとサッパリした髪型のライが居た。

「おっ、そっちの方がいいじゃん」

「そか?」

アシンメトリー、散髪屋にしては気の利いたカットである。

「へへ、初めて美容院なる所に行って来た」

そういうことか。

そして翌日からはまたライが付いてくれたが、今日と同じ日々が五日続いた。
画面を下にして置いていたスマホを手に取ると、着信ランプが点滅していた。 スマホを開いてみると電話の着信が56、ラインの着信が63と示している。 うつ伏せ状態にしていたが為、着信に全く気付かなかった。 それにしても着信が多すぎる。

「え? なんでだ?」

今までにこれほどの着信を受けたことはない。
まずは電話の着信履歴を見てみるとすべて雄哉だった。 留守録にも入っていたので、最初と最後だけを聞くと 『着拒反対』 『連絡くれよー』 と入っていた。 大事な用はなさそうである。
次にラインを見るとやはりすべて雄哉だった。 雄哉のアイコンをタップする。
時々文字が入っているが、大半は怒りか泣きのスタンプ。 文字は、お返事頂戴とか、水無ちゃーん、とかいうものだった。

「ったく、どんだけヒマなんだよ」

まるでストーカー並ではないか。

「そんなに彼女を見せたいんなら写真でも送ってこいっての」

雄哉の方に既読がついたはずだ、一応返事をしておこう。 雄哉は水無瀬が実家に戻っていると思っているはず。
『親孝行中につきお忙しいのでご連絡できません』 アッカンベーのスタンプと供に送ってやる。
これを見た雄哉がすぐに連絡を入れてくるはず。 電源ボタンを長押しして完全に電源を落とす。 これで電話は諦めるだろう。 ここに居てスマホを触ることなどないのだから電源を落としたとて何も変わらない。


「烏、戻って来ないなぁ」

穴から出てライと歩いている。

「一人でずっと居て退屈してないわけ?」

「あー・・・なんか、水見てたら、ってか、水のざわつき始めを見てたら、なんとかして宥めなきゃって思って、宥め終わったらほっとして・・・年少さんの保父さんになった気分? ま、大したことは出来てないけど。 それでも烏が居ない間はやらなきゃなぁーって。 この日本で誰かが水を困らせてるわけだし。 同じ日本国民として責任感じるしな」

「へぇー」

「ライの方が退屈だろ? 悪いな」

「忍耐の訓練って感じ? って、その訓練ならナギで十分習得できてるはずなんだけどなぁー、神はまだ俺に試練を与える」

「ホンット、悪い」

「冗談だってば。 待つことには慣れてるよ。 あっちが仕掛けてくるまでこっちは待つだけだったからな」

「それなぁ・・・。 朱門、諦めそうにないの?」

ライが両の眉を上げる。

「うーん・・・どうなんだろ」

「まっ、朱門の考えてることがライに分かるわけないか」

ははは、と笑ってライが頭の後ろに手を組んだ。 この姿勢をライはよくする。

「なぁ、ライ」

「うん?」

「もし俺が朱門に捕まったとしたら―――」

ライが組んでいた手を下ろし視線を正面に戻す。

「縁起の悪いこと言うなよ」

「いや、万が一のことがあるだろ? サインを決めておかないか?」

「サイン?」

サインなどと、まるで笑い話であるがそれを考えるのは楽しい。 二人がああだこうだと言いながら歩いて行く。


そして翌日からは、もう道は分かったということで水無瀬一人で穴に向かった。
長は道中に朱門が居ないかと気にはしていたが、今までにキツネ面を付けた人間以外と遭遇しなかったと言って水無瀬が貫いた。 あまりにもライに悪いと思ったからである。
そしてその日も烏たちは戻って来なかった。

「いったい何してんだよ」

これではアパートに戻れない。 だが諦めてアパートに戻ったところで、矢島のことが気になって結局考えてしまってばかりになるだろう。 それならば烏が戻ってくるまで待つ方を選んだほうがまだマシだ。

翌日、黒の穴から顔を出すと、誰かが穴に戻って行くのが見えた。 ここに来てから初めて誰かを見た。 その穴は大きな穴ではなく小さな穴の方。 朱か青か白か。 どの色がどの穴かは烏から聞いてはいなかった。
穴からすぐに出てピロティを走り、誰かが消えていった穴に顔を突っ込もうとして、思いっきり激突した。 そうだった、出てきた穴にしか入れなかったのだった。

「痛ってー・・・」

額と鼻の頭がへちゃげてしまったのではないかと思えるほどの痛さ。 顔をさすりながらもこんなことをしている場合じゃないと、穴に向かって大声を出す。

「あの! 今ここに入って行った人! 戻って来てもらえませんか!」

耳を澄ますが返事は聞こえない。 それどころか水がざわつき始めた。

「わ、やば」

思わず水の方に手を出しそっと回して落ち着かせる。 宥める。 何度か回していると水がゆっくりと揺蕩(たゆた)い始めた。
騒ぎを起こさせないで良かったと、胸を撫で下ろしながらよろよろと大きな穴に歩いて行く。

「まだ、か」

烏の姿は今日もなかった。

ようやく烏が戻って来たのはその二日後だった。
水無瀬が顔を出すと 「おお、ようやってくれておったようだの」 とデカイ態度で黒烏が言った。

「お帰りなさいませ。 どこでどんな旅をしたらこんなに遅くなるんでしょーか」

「見たぞ、鳴海が宥めておった水。 なかなかに早く対応できるようになったみたいじゃな」

「温泉にでも浸かってらっしゃったんでしょーか」

「いやー、久しぶりに岩を出るのも時には良いものじゃ」

噛み合わない会話。 黒烏は水無瀬が嫌味を言っているのを分かって、わざとそんな返事をしているのが見え見えだ。

「なーにが、岩を出るのもだ、吾(わ)はもうご免だからな、それならば次からはお前一人で行け」

「なーにを言うか、鳴海への返事というだけであろうが」

烏二羽が口喧嘩もどきをしている。 さすがに水のことを考えてだろう、大声、口論とまではいかない。
言いたい嫌味は山ほどあるがやっと戻って来たのだ、訊きたいことがある。 それを優先しなければ。

「お留守番のご褒美もらえますよね?」

下手な言い方をするとすぐに付け込まれる。 先にこっちが優勢だということを示さなければ。

「褒美とな? ガキんちょか」

ピロティもフルネームもまともに覚えていない烏のくせして、ガキんちょという言葉は完璧とは何と腹立つことか。

「ド素人がっ、毎日っ、連日っ、長い間っ、やってたんですからね」

「まぁ、ド素人と言われればそうかのぅ」

ホンット腹立つ烏。

「その欲しい褒美とは何ぞや? ほれ、言うてみぃ」

絶対にどっか馬鹿にして言ってるだろ。

「質問全てに答えて欲しい」

これで質問オーバーにはならない。

「ほー、まぁ、一応聞こうか」

上手い言い方をする。 答えなくとも嘘にはならないということか。

「まず、入って来たというのは何のことですか」

「うーん・・・」

黒烏が考える様子を見せる。 言いたくないことなのだろうか。

「面倒臭いのぉ」

言いたくないことではなかったようだ。 単に面倒臭いだけ・・・。 人の質問に答えるのが面倒臭いとは、それも正面切って言うとは、ホンットホンット、腹立つ烏。

「ご褒美」

烏がじろりと水無瀬を見る。 そしてこれ見よがしに溜息を吐いた。

「ま、ついでか。 こっちに来い」 そう言って黒烏がゆっくりピョンピョンと跳ねながら、水無瀬が烏たちの居ない間に一度見ていた所に向かう。

「これは終貝(おわりがい)と言ってな、抜け殻。 ハラカルラにも命の終わりがある。 この二枚貝はかなりの長命だった。 お前たちの世で言うところの・・・妖怪?」

言葉が間違っていないか問う目を送ってきているが、何を言いたいのかが分からないのだから言いようがない。 取り敢えず頷いておく。

「それに近いほどの長命」

水無瀬が頷いたからだろうか、どっかエラソばっている。

「それだけに抜け殻となった貝には力がある。 よって、わしがその力にエッセントを加えた」

「それを言うならエッセンス」

横目で睨まれた。

「雫を垂らした」

負けん気が強い烏だ。

「そうして見えるようになったのが・・・」

黒烏が羽の先をほんの少し二枚貝に触れる。 すると貝の中の水が揺れてきた。

「今は何もないからこうして水が揺れるだけだが、質(たち)の悪いものが入って来るとその姿を映す。 そしてこちら側はその場所が分かるようになっておる」

こちら側というのはもう一方の貝。 二枚貝の片割れの方である。
この貝を見た時にそんなことが出来るとは想像も出来なかった。 やはり使い方が分かっていないと、見たところで何も分からないということだ。 それにこれにしても獅子にしても烏たちのオリジナルだ、分かれという方に無理がある。

「その質の悪いものとは色々だが、今回は南の方向から鳴海たちの世で言うツバメ?」

黒烏が水無瀬を見た。 合っているかということだ。 水無瀬が頷く。

「そのツバメが入ってきた」

「入ってきたって・・・どうやって?」

「ハラカルラは水だから水からは入りやすいと思うだろうが、そうでもない。 空からも入りやすい」

「入り口が空にあるっていうことですか?」

「いや、地には入り口が必要だが、水や空には入り口が必要なわけではないし、まず入口はない。 ただ、稀に入って来ることがある。 綻びがあるとは言わんし、穴があるとも言わん、ただ重なり合っているところに稀にだが歪(ゆがみ)みとでも言うか、歪(ひずみ)とでも言うか・・・そんなものが出来ることがある。 運悪くそこに鳥や魚が突っ込んで来ることがあるというわけだ」

その歪みやひずみといったものは、やはり人間が影響を及ぼしているということらしい。 烏たちの居る穴でそれを見つけるとすぐに元に戻すということだったが、一瞬をついて入って来られることがあるということであった。
黒烏と共に白烏も一緒に出ていた。 その白烏が黒烏に続いて言う。

「大きいものが入って来るとなかなか抑えるに時がかかるが、今回のように小さいのも時がかかる。 捕まえようと思ってもなかなか捕まえられんからな。 捕まえ、歪を見つけ元に戻し、空のものは急に水に入って暴れまわっておるからな、水を宥める」

それで日がかかったということである。

「ツバメはまだ良い、厳密に言うと質の悪いものの中には入らん。 質の悪いものは海のもの。 水に驚くことはないが、ハラカルラの魚を食い荒らしてくるからな」

「まぁ、人間が起こすものより迷惑度は絶対的に少ないがな」

水鏡を覗き込みながら白烏が付け足す。

「それは・・・申しわけ御座いません」

人間代表で謝っておこう。

「ということは、大体どれくらいの間隔で入って来るんですか?」

「滅多にない。 ただ今回は続いたか。 この三年ほどで四度になる」

「三年に四度・・・」

「だが滅多にないこと。 十年あいたり、異変から異変の間なかったり。 決まったものではないからな」

「今回の前はいつ頃でしたか?」

「一年以上は空いたか」

入ってきたのが何かは分かった。 人間でなかったことにホッと胸を撫で下ろすが、烏は今回は一年以上空いたと言った。 三年に四度もこんなに長くここを空けていたのなら、矢島が誰かと三度も、それも連日会っていたかもしれないということが考えられる。

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ハラカルラ 第25回

2024年01月05日 21時12分13秒 | 小説
『ハラカルラ 目次


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ハラカルラ    第25回




今日も布団が敷かれていた。 朝起きた時、勝手に押入れを開けるのは失礼かと思い部屋の隅に畳んでおいたが、その布団が敷かれていた。 エアコンもつけられている。
昨日と同じようにリモコンと枕をどけると、布団の上にゴロンと寝転ぶ。

「俺は烏に何を訊こうと思ってんだ?」

矢島のことだということは決まっている。 だが矢島の何を訊こうと思っているのか。 烏は水見という人のことを、どこの門の人間かということを覚えていなかった。

「言ったのは白烏だけど多分黒烏もそうだろうし」

水見がどこの者か黒烏に訊いたが質問オーバーと言われた。 水がざわつくなどと言っていたが、あれはきっと記憶が薄いからそう言ったのだろう。 知らないとは言いたくない烏だ、あの烏なら有り得る。

「水見って人のことは、分かんないってことかぁ」

分かったのは、記憶が薄いということはかなり前の人間、あそこまで入っていたのだから、かなり前の守り人ということになる。 それだけであった。
ごろりと横を向く。

「入ってきた、ってのは何だ?」

ライは日本地図を楕円に丸く囲ったその範囲を、烏たちが見ていると言っていた。 そして門の人間が歩いてるのはこの周辺何十キロ離れた所だとも。 だとしたら他の所、隣接するところから人間が入って来たということだろうか。 だがハラカルラは人間を区別などしていないはず。 区別しているとしたら烏たちだ。 それぞれを色分けしているのだから。

「あの時黒烏は何をしていた?」

何を見ていた?

もし水無瀬の見ていた水鏡と同じようなものを見ていたのならば、ハラカルラがざわつき水鏡にそれが映っただろう。 だがハラカルラは誰であろうと受け入れているはず、入ってきただけでざわつくことなどないはず。

「多分だけど・・・」

黒烏は 『入ってきた』 と言っていた。

「他に何かあるのかなぁ」

水鏡ではなく何かを察知するナニカ。
明日行って何を見ていたか見てみてもいいが、水鏡と同じで使い方が分からなければ、それがどんな働きをするのかは分からない。

「それに・・・」

今までにも今日の烏たちのように、何日も出ていた日があったのならば、烏たちが知らない間に矢島が誰かと会っていたとしても烏たちはそれを知らない。
白烏は 『またか』 と言っていた。 何度も、若しくは少なくとも一度はあそこを空けていたことになる。

部屋に掛けてある時計を見ると十一時前を指している。
この家は、というか、ワハハおじさんのところもそうだったが寝るのが早い。 朝早くから働いているからだろう。
夕べは特別だったらしく、夜遅くまで続いた首脳会議の会議場で全員が潰れたらしい。 そしてそのまま朝を迎えたということだった。 それなのにライの父親は水無瀬が起きてくる前に戻ってきて既に朝食を済ませていた。 それはライの父親に限らず全員だったという。 朝の早起きという習慣は凄い力を持っているようだ。

ライが言うには、完全自給自足とまではいかないらしいが、村で協力し合いながら農耕で暮らしているということらしく、作ったものを道の駅で売ったりと金に換えているということもあるということだった。
ハラカルラには交代制で入っているらしく、守り人が村を出る時に付く者も交代制だったらしい。

よっと、と言って水無瀬が身体を起こす。 寝ころんでいても色んなことを考えてしまって眠れそうにない。

「ハラカルラか・・・」

ライと話している時、途中で止まった言葉。
『なんか・・・水の世界って・・・』
ずっと変わらない、そう続けようとしたが、その言葉はあまりにも単純な気がして止まってしまった。

ハラカルラはずっと変わっていない。 それは進化が無いということではなく、進化する必要が無いということ。 ハラカルラは自然でいて究極なのではないだろうか。
そこを人間が荒らしている。 たとえ間接的だと言っても、そんなことになっていることなど知らなかったと言っても言い訳にならない。 争いを起こし、人を泣かせ、傷つけ、騙し、利用し、そんなことをしてもいいわけがないのだから。

「あー!!」

頭をガシガシと掻く。 考えがあっちに飛んだりこっちに飛んだりしてまとまらなく、疑問も解決されない。

「水でも飲むか」

やはりエアコンは乾燥する。
実家に居る時にはそんなことを感じたことは無かったが、エアコンと離れて長い。 喉が贅沢を出来ないようである。

襖を開けると今日はライの部屋の戸が開くことはなかった。
階段を降りていき、台所の硝子戸を開けようとして硝子戸の向こうがボォッと明るいのに気付いた。

「テレビ?」

台所も居間も電気はついていない。 そっと硝子戸を開けると後姿を見せていたライが振り返ってきた。

「どした?」

「うん、水」

ライが腰を上げる。

「だからそんなしょぼいこと言うなって」

こっちに向かって歩いて来ると台所の電気を点ける。 冷蔵庫を開けているが、それを気にすることなく何を見ているのだろうとテレビを見てみると、バイクレースの映像が映し出されていた。
リアルタイムで放送されているのか、録画なのか、それこそブルーレイなのかは分からないが、音量はミュートにしてあるようで音は聞こえない。 こたつの上にはコップと煎餅の袋が置かれている。

「ほい」

テーブルに置かれたのはアイスココア。 ちゃんとストロー付き。

(だからなんで夜な夜なココアなんだよ)

もしかしてこたつの上のコップもココアなのだろうか。 煎餅にココア・・・。 どんな味がするのか。

「さんきゅ。 テレビ見てたんだ」

「水無瀬も見る?」

「いや、いい」

バイクレースの面白さが分からない。

「もしかして眠れないのか?」

「うん。 なんか、色々考えてもどうにもなんないんだけどな、意図せず頭の中をグルグルと色んなことがな」

「だから考えすぎんなって・・・って、意図せずか」

「そ、だから困ったもんなんだ。 レースいいのか?」

「ああ、結果は知ってるし、もう終わるだ・・・ほら、終わった」

テレビではチェッカーフラッグが振られている。

「SNSって考えもんだよな、見る前に結果が分かってしまう。 それじゃ見なきゃいいって思ってるだろ。 それが見ちゃうんだよなー」

「応援してるレーサーとか居るの?」

「ん-、特に居ない」

「んじゃ、結果が分かっててもいいわけだよな?」

「見てる時のドキドキ感がいいんだよ。 結果が分かってたらドキドキ半減だろ?」

「まっ、そうか」

「眠れないんだったら、開き直ってテレビでも見るか?」

「そうしようかな」

コップを持ってこたつに座った。 足を入れると温かい。 エアコンは点けられているが、設定温度を下げているようだ。 節約をしているのだろうか。

(あ、部屋のエアコン点けっぱ)

だが水無瀬があの和室に居ればエアコンは点けたままだ。 それにライも寝なくてはいけないだろうし、長くテレビを見るわけではないだろう。

「ん」 と言ってライが煎餅の袋をこちらに押してきた。
煎餅はしょうゆ味のようである。 醤油味の煎餅とココア、昨日のポテトチップスの塩味とココア。 ライの味覚が分からない。

「あ、いいわ」

「そう? なに見る?」

ライがリモコンのスイッチでチャンネルを変えていく。

「んー、何でもいい。 ライの見たいので。 そういえばライってバイク大型免許じゃないのか?」

レースも見るくらいなら大型免許に憧れているだろうという、普通免許しか持っていない水無瀬が思う。 少なくとも水無瀬も大型を取っておけばよかった、などと思うことがあったりしたのだから。 とは言え、結局は持ち腐れになっていたことは明らかである。

「ん? 大型だけど?」

どうしてだ? それならば大型を乗ればいいのに。

「え、じゃなんで250なの?」

「あー、400CC超えると車検かかるからな」

車検代の節約ということらしい。

「面倒くさいだろ?」

節約ではなく面倒くさいということであった。 そのライの指が止まる。

「特にないかなぁっと。 ん、お笑いでいいか」

リモコンのスイッチを押す手が止まり、画面ではモノボケが披露されている。
スプーンを二つ持って目に当て「ウルトラマン」
フライパンを持ち、思いっきり振りながらジャンプをして「エア・ケイ」

「かはー、あんなんじゃ空振りだろ」

確かに、運動神経は悪そうだ。

赤い手袋の指先の方を頭の上に置いて「とさか」
黒い星の形をしたものを片目に当て舌を出し、中指を立てて「ガハー」
多分、アニメや洋画の筋骨隆々のチンピラ悪役を演じているのだろう。 黒い星の形をしたものは、目の周りの刺青か何かのつもりで。

(ん?)

そうだ、思い出したことがあった。

「なぁ、ライたちって忍者系?」

星の形をしたものを見て手裏剣を思い出した。 手裏剣を見たわけではないがクナイを見た。 クナイは忍者が持つもの。

「忍者って・・・。どうせ頭の中で “忍者ハットリくん” とか “仮面の忍者赤影” とかを頭に浮かべてんだろ」

古っ。 どうせ言うなら “くノ一ツバキ” とか “BORUTO” とかって言えないのか? 百歩譲って “NARUTO” だろ。 って、水戸黄門だったか。

「どうせ言うなら忍びと言え」

心の声が聞こえたのか “どうせ言うなら” 返しをされてしまった。

「んじゃ・・・忍び、なのか?」

「違う」

違うのかよ、なら言わせんなよ。

「でもクナイとか投げてただろ? それにナギから聞いた。 ライは吹矢を吹いてるって。 忍者・・・忍びって吹矢も吹くだろ」

「単なる道具」

「忍びとは関係ない、忍び系でもないってことか?」

「忍刀は持ってるけどな、でもそれも道具」

忍刀は武士が持つ刀より短く携帯に便利になっている。 そして反りが少なく、目立たないように艶消しをされている。 他にも鍔が大きく、そこを踏み台に出来るようにはなっているが、そんなものを使わずとも脚力で十分補える。 訓練は積み重ねられている。

「いや、充分忍者・・・忍びだろ」

「忍びの血は一滴も入ってない。 ほら、朱との争いの中で自然とこうなった。 朱もそうだけどな」

「ナギの弓も?」

「そ、昔はもっと小さな弓だったけど、そんなんじゃ、タイヤを射れない、だから段々と今風になった。 それもあって今では弓で人は狙わないけどな。 人殺しが目的じゃないから」

「クナイは?」

「あー、使う使う。 あれにやられると悶絶だな。 だから極力、足に掠らせるようにはしてるけどな。 でもクナイって忍者が使うイメージがあるけどそうでもない。 穴を掘ったり、包丁代わりにしたり、時には長い持ち手に付けて槍みたいにして使ってたからな」

「え? そうなの?」

「他にも色々使える。 たしか・・・ “苦” が “無い” か。 それでクナイ。 苦労のいらない道具」

思いもしなかった。

「まぁ、苦が無いで、苦しませずに逝かせるってのも聞いたことがあるけど」

それはキツイ。

「ライって、色々知ってんだな」

なんだか自分の父親になったような気分だ。 母親は噛み砕いて父親と話していたが、それとは少し違う形と言えども、それでも父親も自分も知らない言葉や知らないことが多すぎる。 何のための勉強だったのだろうかと思ってしまう。

「そりゃ、俺が話すんだから俺の知ってることだろ。 逆に水無瀬の生活内のことでは俺の知らないことがいっぱいあるだろ?」

「さぁ、どうかな」

「俺は経済の話をされてもチンプンカンプン」

そうだった。 俺のことは調べがついているのだから、経済学部ということを知っていてもおかしくない。

「まぁ、一応、勉強したからな」

「だからそういう違いだろ。 ま、俺の場合は特別な勉強っていうより、そういう環境にあったってことだけどな。 水無瀬の勉強に当たるところは訓練かな」

「訓練?」

「そ、訓練。 俺は結構好きだったからいいけど、煉炭は何とかしてサボろうとしてる」

「だったって? 過去形?」

「小さい時は強制。 基本作りがいるからな。 今は自主制」

「学校はどうしてたんだ?」

「行ってたよ。 これがまたキツイけどな。 自力で山を下りて登って帰って来る。 足腰が強くなるって寸法。 まぁ、この前の煉炭みたいに、命じられて学校を休む時もあるけどな。 あいつら褒められたご褒美っつって、翌日も学校を休ませろって爺たちに交渉したらしい。 どんだけサボりたいんだか」

「ああ、機械をいじりたいみたいだな、色々見せてもらった」

「まぁ、今回もそうだけど役に立つ物も作ってるから、新種ってことで爺たちも認めて、ってか、諦めてるみたいだけど」

「新種って?」

「ああ、煉炭の家ってのは代々、この村で使う煉炭を作ってたんだ。 大体なにかしら村の役に立つ何かを作ってた、農業と並行してな。 面作りの創樹爺のところも、昔は木工細工で皿とか作ってたし。 ま、煉炭も今は使わないし皿も陶器だけどな」

人差し指でエアコンを指している。 それは時代に乗って変わってきているということ。

「ライん家は?」

「オレん家は怪しい雨乞い」

「怪しいって・・・」

「だって、今の科学で考えて雨乞いなんて有り得ないだろ」

だが雨乞いをしようとするならば、何の力もなければ誰も認めない。 それなりの能力があったと考えて間違いないだろう。 ナギの言うライの野生の勘がその名残なのかもしれない。

「まぁそうだけど。 それじゃあ、この村の人たちはみんな村の役に立ってた仕事に関するところから名前を付けてるのか?」

練炭を作っていた家系だから名前は練と炭。 雨乞いの家系のライたちは雷と凪。 それだけを考えると命名の仕方がそうなってくるのではないだろうか。

「いや、そんなことはないけど、本家はわりとそれを意識してるかな、でも必ずってことじゃないし、分家はまず考えてないけど、こっちも必ずってことじゃないな。 うちは分家だけど雨乞い関係の名前にされたしな」

百パーセントではないが名前はその家を表しているということがあるということ。
表すと言えば・・・。

「そうなんだ。 で? ライってなんでそんな髪型してんの?」

初めて見た時より随分と刈り上げ部分が伸びてきていると言えど、半分から下を刈り上げ、今日も半分から上は括られている。 その括られている髪の毛は長い。

「ん? ああ、後ろから見たらナギに見えるだろ?」

そう言って首を捻じり、後頭部を見せる。
男女の違いこそあれナギもライも細身。 身長もそんなに変わらない。 じっくり見るとやはりライの方に筋肉が目立つし肩幅もある。 身長も全く同じというわけではないが、暗がりでは見間違えることがあるかもしれない。

「あー、見えなくはないな」

後姿で髪の毛が長く細身だったら、誰でもナギに見えるだろう。
顔を元に戻したライが続ける。

「ナギって家ん中じゃ髪の毛下ろしてるか、団子か、下の方で括ってるけど、あっちとやり合う時には必ず上の方で括ってる」

今のライのように。

「もしナギに何かあったら、俺がナギの影武者を務められるってこと。 逃げる姿を見せるってわけだな、その間にナギが逃げられるだろ?」

「え? それって、ライが囮になるってこと? おじさんに言われたのか?」

「親父がそんなこと言うはずがない。 俺の考―――」

ゴン、という大きな音にライの言葉が消された。 いや、きっと最後まで言えなかったのだろう。 さっきまでライの顔があった位置に丸い木の重たそうな盆がある。 そしてライがこたつに突っ伏している。

「痛ったー!」

突っ伏しているライが頭頂部を押さえている。

水無瀬が木の盆から生えている手を辿っていくと、その木の盆を持っていたのはナギであった。 早い話、ライの頭頂部は木で出来た重そうな盆で殴られたということで、その木の盆を持っていたのがナギ。
改めてナギを目視しなくとも、この家でそんなことをするのはナギ以外居ない。 せいぜい “いやーん、そんなことないわよー” と、ついうっかり盆を振り回し、それに当たってしまうという、偶発的であって決して計画的ではない加害者は一名いるが。

「ライ、お前そんなことを考えてたのか」

いつの間に入ってきていたのだろうか。

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ハラカルラ 第24回

2024年01月01日 22時13分15秒 | 小説
『ハラカルラ 目次


『ハラカルラ』 第1回から第20回までの目次は以下の 『ハラカルラ』リンクページ からお願いいたします。


     『ハラカルラ』 リンクページ




                                  



ハラカルラ    第24回




水見という人間の居た門がどこの門だったのか分かれば、何某かのヒントになったのかもしれない。

「なぁ、長が水の世界を荒す者に警告を促してるって言ってたけど、ライたちの村の人が荒らすようなことはしないよな、だったら誰に警告してるんだ?」

前を向いていたライが少し顔を下げて口角を上げた。

(ん? なんだ?)

顔を上げたライが言う。

「村から入ってすぐに居るのは俺らの村の者。 俺らは足を伸ばす。 遠くに村の者以外が居るって聞いてるからな。 早い話、朱、青、白の人間。 その色を聞くと思うところも出てくるけど、どこまで何に関わっているのかは知らない」

ライが水無瀬を見る。

「日本地図があるだろ?」

「うん」

「この水の世界は日本列島とクロスしてる」

「え?」

烏からは “重なる” と聞き、長からは “クロス” と聞いて、てっきり、漠然と地球を思い浮かべていた。 地球全てが重なっている、クロスしていると。 だから海外、外国も含めてハラカルラとクロスしていると思っていた。

「あくまでも、此処の水の世界って話」

「悪い、意味分かんない」

「水の世界は・・・なんて言ったらいいのかな。 ・・・単純に言ったら、この地球上にある。 海も陸も含めて」

では、水無瀬の思っていたことは間違っていなかったということになる。

「この世の陸に人間が住んでいるからといって、水の世界にその境界線はない。 海も含まれている」

ライの説明に水無瀬が頷く。

「日本地図を・・・単純な言い方をすると、日本地図を丸く楕円に囲った範囲、その日本列島、そこを担当してるのが黒烏と白烏。 あ、沖縄方面は除いてね、烏たちに日本列島とか国土っていうのは関係ないから。 その黒烏と白烏のお膝元に居るのが矢島的存在」

「え・・・」

その “え・・・” は、理解したという “え・・・” だが、では他にも烏が居るのか? という疑問は残っている。

「日本横断って簡単に出来ないだろ? 徒歩で。 ん-と、水戸黄門で言うと、黄門さまが烏、格さん助さんが矢島的存在、で俺らは平民。 日本を平和にしようと思っている黄門さまについている格さん助さんの手助けになろうと思っても、日本を横断する黄門さまご一行にはついて行けないわけ。 だから可能な限り少しでも足を伸ばして手助けをしてる。 この説明で分かる?」

(黄門さまとは例えが古すぎだろ。 それに格さん助さんって、よくスラッと出てきたな。 まぁ、聞いて知ってる俺も俺なんだけど)

ここで、格さん助さんって? と質問しなくてよかったのは祖父母のお蔭である。

「あー、えっと・・・。 早い話・・・この水の世界をめっちゃくちゃ歩いてるってこと? それこそ何百キロと」

「正解」

「嘘だろ!?」

「何百キロは無理だけどな。 それにこの周辺何十キロ離れた所だろうな、門の人間が歩いてるのは」

「他の門もそんなことしてんの?」

「さぁ、どうだろ。 そういうのとは会ったことは無いな。 でももしかして、大人しくしてるなってスルーしてるのが、それかもしれないし、言い切れないな」

「そんな遠くに行く時もキツネのお面付けてるのか?」

「一応な」

「相手ビックリするだろ」

「昔からだから慣れてんじゃない? 言ってみれば見回りの制服って感じでとらえてんじゃないかな」

そう言うライの顔には、今日もプラスティックの面が付けられている。 木の面と違って光に照らされた水の揺らめき具合で時々キラキラと光って見える。 きめ細やかな肌の綺麗な狐さんといったところだ。

それからもやはりライからは、跡を継ぐ者に関する何かを訊いてくることは無かった。 無言で歩くこともあったし、他愛無い話をすることもあり、ハラカルラから出るともう辺りは薄暗くなりかけていた。

「うわっ、ホントに長く待たせてたんだな。 退屈だっただろうし、悪い、腹減ってるだろ」

ライが両眉を上げて水無瀬を見る。

「水無瀬、腹減ってる?」

「え?」

自分の腹を触ってみる。 そう言われれば減っていない。 早い時間に朝食を食べただけだというのに。

「・・・減って、ない」

ライが顔を正面に戻す。

「水の世界に居ると不思議なんだよな、腹が減らない」

兄妹の兄は最初に村に戻って来た時、居なくなって一年近くも経っていた。 だが兄は痩せ衰えていることもなく、着ているものも汚れていなかった。 長は水無瀬に兄妹の話を聞かせた時そう言っていた。

よく考えれば、ハラカルラに食べ物などないはず。
魚や貝を捕りでもすればそれは捕食とみなされ、ハラカルラの水はざわつくはず。 ハラカルラは争いを認めないと烏が言っていた。 
それに机のあったところに、火を焚くようなところは無かった。

「ああ、だから昔昔の兄妹は痩せ衰えていなかったのか」

それに水は怪我も治してくれると長が言っていた。 もし妹が水に浸かっていれば、死を迎えることは無かったのかもしれない。 それとも動けなかったのか。
兄は傷だらけで服もボロボロになって急に村人の前に現れた。 少しでも早く助けを乞おうと、一瞬にしてハラカルラを出たのだろう。 その時にはまだ青の人間たちが黒の穴の中に居たのかもしれない。 居なければ兄は動けない妹を水に浸けていたはず。

兄が水の中を歩いていれば兄自身の軽い傷は癒えていたはず、深い傷であったのなら少しはましになっていたはず。 服にどんな影響をもたらせるのかは知らないが、服もそれなりになっていたのかもしれない。

「なんか・・・水の世界って・・・」

途中で口が止まってしまった水無瀬を横目で見たライ。 だが何も問うことは無かった。

今日も獅子のところで足が止まった。
また水無瀬が獅子の鼻をグリグリとしている。

「それ、何がしたいの?」

さすがにこういう質問はするようだ。

「あー・・・鼻が動くかなって」

「今は石のフリだから動かないだろ」

「感じてはいるのかなぁ?」

「耳も聞こえてるし目も見えてる。 だから少なくとも何をされてるかは分かってる」

「え?」

「見えたり聞こえたりしなきゃ、ここを守れないだろ」

「あ、そっか」

いけないことをしていたような気がしてそろりと手を下ろした。

「砂とか被ってないけど、これ、拭いてんの? あ、お獅子」

「うん、毎日な。 やっぱそのへんはちゃんとな。 水無瀬は獅子でいいよ」

夜な夜な毛づくろいをしているのではなかったようだ。

「もしかして名前とかあんの?」

敬愛を持っていないであろう烏に名前を付けていたくらいだ。 獅子にも名前をつけているだろう。

「阿吽の阿が、阿と獅子の獅と書いて阿獅(あし)、阿吽の吽が同じ書き方で吽獅(ごうし)」

「ごうし? 吽獅(うんし)じゃないの?」

「うんしって牛みたいに聞こえて、別の生き物になる」

「ん?」

牛(うし)。

「あ、そういうことか」

「そして一文字違いで大違い」

「え?」

「うんこ」

水無瀬が笑いかけた時、遠くでカン、という音が聞こえた。

「ナギ、今日も練習してるんだな」

「変なとこ真面目なんだよな」

水無瀬からの返事がない。 ライが水無瀬を見ると弦音を聞こうと耳を澄ましているようだ。

「ナギの練習見る?」

「え? 邪魔になるだろ?」

「人に見られたくらいで邪魔って考えてたら、一射絶命もなにもあったもんじゃないよ。 行こ、こっち」

ライの案内した道は・・・道ではなく、道から外れていた。 いわゆる獣道のようなところを歩いたが、ライ曰く近道だということだった。
下りになる、何度か足を滑らせて尻もちを着きかけたが、すぐにライが腕をとって支えてくれ難を逃れてやって来たのは、丁度ナギと的の間くらいの場所。 前方右手に的が見え、左手にナギが居る。
木が伐採されていてその中に的がある。 その正面にナギが立ち、今まさに弓を引いている。

「別に息止めなくていい」

気付かない間に息を止めていたようだ。

カン。

ライは長の所に行くということで、水無瀬のことは伝えておくから、ここでゆっくりしていればいいと言い残し、的の方に歩いて行いくとナギが矢を射ると的に射られていた矢を全部抜いてナギの元に持っていき、そのまま歩いて行った。
ナギはライのことも水無瀬のことも眼中にないように淡々と弓を引いている。


「そうか、水の宥め方を」

「断り切れなかったって言ってた」

「水無瀬君らしいか」

「それと・・・」

ライの家に数泊したいということを水無瀬が言っていたと伝えた。 烏に訊きたいことがあるが、当の烏がいつ戻ってくるか分からないからだと。

「烏に何を?」

「水無瀬自身も分かんないみたい」

「ほぉー。 いったいなんなのだろうかな。 ああ、水無瀬君には説明してくれたか?」

朝、水無瀬とライが長のところに来た時、先に水無瀬を出した長が水無瀬が何か訊けばライの知る限りを全て水無瀬に言うようにと言っていた。 あくまでも禁止ワードは言わないようにと付け加えて。
もし長がこれを言わなければ今まで通り水無瀬が何かを訊いてきても、答えるべきではない、言うべきではない、教えるべきではない、と思えば “うーん、分かんねぇな” と答えていた。

「うーん、大したことは言ってない。 ってか、そんな質問もなかった。 せいぜい、ここのハラカルラのこと、烏が見ている範囲を言ったくらいかな。 俺も何でも知ってるわけじゃないし。 それにしても長がついうっかり言ってしまいそうになった気持ちが分からないでもないな。 俺も何度かそうなりかけた。 長みたいにギリセーフの声には出してないけどな」

『その家に代々、水の世界のことが残されていれば、あ・・・』 と、言った時のことを言っている。 “あ” で止まったのは 『朱』 と言いかけていたのだった。
長がジロリとひと睨みする。

「今朝言っておったが穴のことは何か訊かれなかったか?」

これも水無瀬を先に出して昨日の報告としてライが長に話したことだった。 本来なら昨日話さなくてはいけなかったが水無瀬がいて話せなかった。

「特に何も。 何の疑いもなく受け止めてるみたい。 にしても、魚の案内でってのが何ともなぁ」

「ああ、そんなことは聞いたことはないが、矢島が認めた水無瀬君だ、矢島に近い力があるのかもしれん」

「かもね。 とは言ってもこれって疲れるよなぁ・・・。 ああ、でもひとつ面白いことがあった」

「ん? 面白いとは?」

「水無瀬、この村の人間のことを良いように捉えてるって感じだった」

「それは?」

警告して回っているという時の話である。 水無瀬は 『ライたちの村の人が荒らすようなことはしないよな、だったら誰に警告してるんだ?』 そう言った。

「ほぉー、そういうことか」

まだ今日で三日目だというのに。

「まっ、ほとんど俺を見てるからだろうけどね」

「好きに言っていればいい。 そうか。 それは僥倖(ぎょうこう)な。 では、水無瀬君をしばらく頼めるか?」

「お任せあれ」

「くれぐれも口は滑らすなよ」

「長じゃないからね」


ライが居なくなって少ししてから辺りが明るくなった。 明るくなったと言っても陽の光ほど眩しいわけではなく、LED的明るさでもない。
思いがけない明かるさに水無瀬が光源の元の木々を見ると、木々に吊るされていた電球が点灯していた。 電球があるとは気付かなかった。
もう暗くなってきていた。 ライがスイッチを入れたのかもしれない。
明かりが点いたからといってもナギは何も変わらない。 水無瀬から見れば淡々と矢を射ているだけである。

ナギが矢を放つ度、水無瀬がその音に耳を傾ける。
ナギが弓を下ろした。 それは何度か見ていた。 弓を下ろし射た矢を抜きに行っていた。
矢を抜いたナギが水無瀬の前を通り過ぎようとした時、足を止め水無瀬を見た。

「あ・・・邪魔?」

半眼で見られたが怒っている様子ではない。

「水無瀬も弓を引くのか?」

「引いた事なんてない。 弓とか矢なんて初めて見た。 あ、矢はサービスエリアで見たけど。 ・・・あの音、弦音って言うんだろ? ライに教えてもらった。 弦音、いいな。 それが聞きたくて連れて来てもらったけど、射るところと一緒に聞く方がもっといいな」

でも何度か聞いてるうちに目を閉じていた。 音だけを聞いていたいと思ったのかもしれない。

「弦音は弓具の良し悪しに左右される。 それに加えて射手の精神。 いい音がしない時があっただろ」

「あー、ちょっと違う音はしてたけど、違うな、ってくらいで気になるって程じゃなかったなぁ」

「その時は精神が集中できていない時。 しているつもりなんだがな、音に表れる」

ナギが顎をしゃくった。 行くぞ、ということらしい。 練習は終わったようだ。

「ふーん、そうなんだ。 ライが弓道を歩んでるわけじゃないって言ってたけど、どう違うの?」

「弓道を学んだことが無いから知らんが、まず礼に始まって礼に終わるだろ、そういうことはない。 色んなルールもない、言ってみれば堅苦しいルールだな、まぁ、それも礼なのだろうが。 私たちは単に射るだけだ。 だから袴も履いていない」

ナギはGパン姿である。

「私たちってことはナギの他には?」

「今は私だけだな。 父親が教えてくれたが今は射ていない」

「ライは?」

「ライは・・・以前」

ナギの歯切れが悪い。 どうしたのだろうか。

「今は吹矢を吹いている」

「ふ、吹矢ぁ!?」

ナギが水無瀬を見る。

「山でもサービスエリアでも見なかったか? 特にサービスエリア。 水無瀬を囲っていた向こうが腕を抱えていただろう」

その時のことを思い出す。 そう言えば足や手を抱えていた。

「ライが即効性のある痺れ薬を塗った矢を吹いていた。 単純な矢だけであれば邪魔は出来ないからな」

「痺れ薬って・・・」

「昔からこの山で取れる葉を使っている。 後遺症は出ないし、科学的な薬剤も使っていない。 百パーセント国産、混ざり物無しのヴィーガン」

「ヴィーガンって・・・」

こんなところでヴィーガン使うか?
ナギが立っていた場所まで来ると弓がけを外し、弓と矢をケースにしまい、弓のケースを肩にしょい矢のケースを手に持った。

「そっち、矢、持とうか?」

弓は他人が持ってはいけないような気がする。
「女扱いは必要ない」 ナギが歩き始めると「さいで」 と言った水無瀬がナギの横に付き同じ歩調で歩く。

「吹矢もライ一人?」

「いや、何人もいる」

「んじゃ、ライも弓のままでいれば良かったのに。 ナギ一人じゃ大変だろ? 車のタイヤを打つって聞いたけど」

「射る、だ」

あ、そうだった。

「ライは・・・早気をおこした」

「はやけ?」

水無瀬の祖母はよく園芸をしていた。 陽射しの強い日が続くと地植えの葉を見て “あ、葉焼けをおこした” と、茶色く枯れてしまった葉を見てよく言っていたが、今は園芸の話ではないことは分かっている。

「早い気と書いて早気。 自分の意思に反して矢を早く離してしまう」

「へー、そんなのがあるんだ」

それならずっと矢を持ったまま弓を引くだけの練習をすれば治るんじゃないかと思うが、きっとそんな簡単なものではないのだろう。 そんな簡単なものならライは治しているはずだ。

「早気を起こすとなかなか治らない、 何年もかかってようやく治ったという者もいる。 ライは・・・暫くは、一ヵ月ほどか、治そうとしていたが、何かがあって踏ん切りをつけたのか、ライのことだ、面倒臭くなったのか、すぐに吹矢に転向した」

「そうなんだ・・・」

ライからはそんな話は聞かなかった。 言いたくないことだったのだろうか。

「結果的にライには吹矢の方が合っていたのかもしれない。 かなりの距離があって的が小さくとも的中率はほぼ百パーセント」

どこからライが吹矢を吹いていたのかを水無瀬は知らないが、腕に命中させていた。 相手は水無瀬の腕に自分の腕を絡めてきていた、少しでも狂えば水無瀬の心臓に当たるかもしれない位置に腕はあった。

あ? 待て? 今なんて言った? ”ほぼ” と言わなかったか? 少しでもズレていれば、俺の腕か心臓に当たってたかもしれないってことか?

「やめてくれよぉ・・・」

水無瀬が小声で言った。 そんな危険な賭けをしないでくれよぉ、と言わんばかりに。

ナギが木に取り付けられている、まるで小鳥の小屋のようなものを開ける。 中にスイッチがある。 それを下げるとパチンと音がして電球の明かりが消えた。

「街灯なんぞないから足元に気を付けろ」

月明かりの中に、先に、家々の明かりが見える。

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