大福 りす の 隠れ家

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辰刻の雫 ~蒼い月~  第41回

2022年02月28日 22時43分20秒 | 小説
『辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~』 目次


『辰刻の雫 ~蒼い月~』 第1回から第30回までの目次は以下の 『辰刻の雫 ~蒼い月~』リンクページ からお願いいたします。


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辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~  第41回



波葉が先を歩いて布を上げる。 四方が上げられた布の下を屈んで歩く。
そこは気を失った紫揺が寝かされていた場所であった。
奥の寝台に見慣れない男が座っている。
四方が遅れてやって来た分、医者に治療を施してもらうことが出来ていた。

共時が四方に気付いて立ち上がろうとしたが、足がよろめいて立ち上がることが出来なかった。

マツリならここで「よい」と言うだろうが四方は無言だ。 無言で共時に近づく。
共時の前にはここまで共時を連れてきた見張番が付いている。 二人の見張番が頭を下げる。

「マツリが何を申しておった」

共時を見据えて四方が言う。

四方に怯みながらも共時が己の知ることを言った。

「俤が?」

四方が声を発する。

マツリの狗(いぬ)と思っていたが、マツリだけではなく四方まで俤のことを知っていた。 ということは俤は宮の狗だったということだろうか。 訝りながらも「はい」と答える。

共時の返事に、そうか、そういうことかと納得する。 マツリは俤を救おうと地下に入ったのか。 だが、どうして紫揺まで。 四方が口の中で言うと共時の代わりに見張番が答えた。 しっかりとマツリと紫揺の口論を。
それを聞いた四方がこめかみを片手で押さえる。 二人の口論は充分に想像ができる。

話し終えるとマツリから指示をされていた通り、共時がマツリからの伝言を口にする。

何があっても動かぬように、と。



屋根裏部屋に優しく入れられた紫揺。 だがしっかりと戸に鍵が掛けられた音は聞こえた。

カルネラが紫揺の服の中から這い出てきた。 プハーっと息を吐く。 紫揺の腹は肉座布団というクッションもなく、居心地が悪かったようだ。 するすると紫揺の肩に上る。

「ごめんね」

紫揺がカルネラの頭を撫でる。

「ゴメンネ?」

「カルネラちゃんに無理を強いたから。 恐かったでしょ? だからゴメン」

「ゴメン?」

分からないと言った具合に何度もカルネラが首を振る。

「シユラ、ゴメン。 リツソ?」

リツソにゴメンを教えたことが蘇る。 カルネラはそのことを言っているのだろう。

「うん。 そのゴメン。 カルネラちゃん、恐かったでしょ?」

紫揺がとんでもない動きをする度にカルネラは何度も悲鳴を上げていた。 『ピー』 と。 紫揺はそれを聞いていた。

カルネラが思い出したのか、背筋の毛が逆立った。

男が暗闇は恐いだろうと言って角灯を置いていっていた。
紫揺が顔を上げて天窓を見る。 陽の光は僅かだが入ってきている。 角灯が無くても暗闇という程ではない。

「あの人優しいのかもしれない」

だからと言って自分の正体を明かすような愚行は起こさない。

(ここではマツリ以外信用できない)

部屋を見回す。 ここには何もない。 板で仕切られ隣にもう一部屋あるのが分かる。 薄明りの中、板と板の間から隣の部屋を覗く。 部屋の隅に何かが見える。
まさか人が居るのだろうかと角灯を持ってきて目を凝らして見てみたが、それは人ではなく物が置かれているだけのようだった。

ふと足元を見ると板が二枚分だけ継ぎ足されている。

カルネラがスルスルと紫揺の肩から下りた。

「カルネラちゃん?」

「リツソ、ネル」

リツソが麻袋の中で寝かされていた場所をぐるぐると走る。
紫揺が小首をかしげる。

カルネラが紫揺の足元まで戻ってきた。
「カルネラ、イイコ」 と言って、キョウゲンのしたことを真似た動作をして「リツソ、デル」 と言った。

紫揺は知らないがマツリが破った板のあとは継ぎ足しという形で修理されていた。

「そっか、カルネラちゃんはここでいい仔したんだ」

全く意味が分からないが紫揺がしゃがんでカルネラの頭を撫でてやる。
と、カルネラが板をするすると上った。 紫揺が見上げる。 そこに人が通れるくらいの空間がある。 そこを潜って板の向こうに下りたカルネラ。

「アニウエ」

カルネラの口からリツソの名前が出るということは、リツソは此処に攫われ監禁されていたのかもしれない。
リツソ自身が地下に攫われたと言っていた。
そしてカルネラの言う兄上とはマツリの事。 マツリは隣の部屋からリツソを助けたのだろうか。

「そっか。 リツソ君はジョウヤヌシに攫われたんだ」

そして変な名前と継ぎ足した。

「シユラ、カルネラ、イイコ?」

「うん、いい仔だよ」

カルネラが板の隙間に頭をくっ付ける。 頭を撫でてと言っているのであろう。

「カルネラちゃんはいい仔。 よく出来ました」

板の間からカルネラの頭を撫でてやる。

「ヨク、デマキ、シタ?」

「うん。 よく出来ました。 上手に出来たねってこと」

「カルネラ、ヨク、デキマ、シタ!」

ひっくり返っていた言葉はなおったようだが、区切りがおかしい。

気が済んだのか、カルネラが物が雑多に置かれている方に歩き出した。

紫揺がわざと捕まったのはとにかく屋敷に侵入する為だったが、その後のことを具体的に考えているわけではなかった。
角灯を元の位置に戻すとその横、部屋の真ん中に戻り大の字に寝そべった。 久しぶりに思いっきり動けて嬉しかったが少々久しぶり過ぎた。 身体を休めたい。

「さて、マツリが来るのを待つか、自分で動くか・・・」

何度か目を瞬かせる。

「でも今はまだ動かない方がいいか」

何人もの男たちが屋敷をウロウロとしていた。 この部屋をどんな形で出られたとしてもすぐに見つかるだろう。
それにあの跳ね上げの階段がくせものだ。 あれが閉まっていては下に降りることが出来ない。 紫揺が歩いている時に男たち三人がかりであの階段を下していたのを見た。

「マメに上げ下げしてるんだろうな」

それにいかにも重そうだ。

紫揺の言うように城家主に散々言われていた手下たちはマメに上げ下ろしをしていたが、共時が忍び込んだ時、地下の者から巻き上げたものをまとめて屋根裏に放り込み、跳ね上げ階段を上げるのを忘れていた。
それをチャンスと共時が屋根裏を確認することが出来たのだった。

ゴロンと横に寝返る。 部屋と廊下の間にも上部に僅かな隙間がある、何かが必要な時にはカルネラをあそこから出すことが出来るな、などと考えていたら板間に付けていた耳から何か聞こえた。

「うん?」

何かが聞こえる。 更に耳を押し付ける。

「おい、すぐに戻ってくるから上げとくなって言ってただろーが」

盆を持った男が跳ね上げ階段の下に居た三人の男に言った。

「でも万が一ってことが」

「うっせーんだよ。 さっさと下げろや。 戸には鍵をかけてある。 あんな餓鬼に万が一も何もあるわけねーだろーが」

「何ザワついてんだよ」

盆を持っていた男が振り返る。

「なんでもねーよ」

「へぇー、飯か。 あの餓鬼にか?」

盆を覗き込んだ男がその目でジロリと見上げる。 この男が最初に紫揺の腕を掴んでいた。 紫揺が痛そうに顔を歪めていたのに気付いて掴まれている腕を見ると、わざと捻じり上げるように掴んでいた。 それを見たこの盆を持つ男がこの男から紫揺を取り上げた。

「うっせーんだよ」

「餓鬼の扱いに慣れてんのか? 手なんか繋いでよー。 それとも何か? そっちの趣味でもあんのか?」

「いちいち、うるせーって言ってんだろがっ!」

跳ね上げの階段が下ろされた。 階段を下した男から角灯を受け取る。
盆と角灯を持った男が階段を上っていくと、あの男もついてくる。

「あの餓鬼に何か用か?」

階段で足を止めて振り返る。

「別に」

盆を持った男が訝し気な目を送ると続けて階段を上りだす。

角灯を下に降ろすと腰にさげていた鍵で戸を開ける。 蝶番がキーッと音をたてた。
紫揺が角灯の明かりの届かない部屋の隅に座っていた。 角灯は男が置いていた位置から動いていない。 それを確認した男。 部屋の中に足を入れる。 もう一人の男が続いて中に入ってきた。

「そんな暗い所に居てねーで、明るい所に来な」

角灯の横に盆を降ろして紫揺を呼んだ。
紫揺が後ろから入ってきた男を見上げる。

(あっ! アイツ!)

腕にまだ痣が残っているのではないかと思えるほど、紫揺の腕を捻じるように強く握っていたあの男。 今も腕に痛みが残っている。

(痣が残ってたらどうしてくれるのよ!)

此之葉がどれだけ泣くだろうか。

「ケッ、いっちょ前に睨んでやがる」

盆を置いた男が屈んでいる姿勢からその男を斜に見上げる。

「城家主が傷を入れんなって言ってたのを聞いてたんだろうな」

「見えねーとこなら分かるもんか」

男が一歩を出す。

「やめろや」

持っていた角灯を置いて、しゃがんでいた体勢から立ち上がり男に対峙した。

「邪魔すんじゃねーよ!」

男が拳を上げた時、隣の部屋からガシャンという音が聞こえた。 男二人が隣りの部屋に目をやる。 

紫揺も四つん這いになって境となっている板の間から隣の部屋を覗き込む。 カルネラは隣の部屋に行ったきりだ。 カルネラが見つかるかもしれない。

拳を下した男がその手で相手の男の腰にぶら下げてあった鍵のついている輪っかを抜き取り、角灯を一つ持つと隣の部屋に向かった。 盆を置いた男もその後に続く。

紫揺の目にカルネラが走って部屋の境の空間に上ってきたのが見えた。 ホッと胸を撫で下ろした。
カルネラも見つかってはいけないとどこかで分かっているのだろう。 そこでじっとしている。

鍵を開ける音がしたかと思うとバンと勢いよく戸が開けられた。
角灯を照らして部屋の中を歩く男達。 誰も見当たらない。 雑多に物が置かれている所を照らすと崩れている。 元々整理されて置かれていたわけではないし、その上リツソが脱走した時にそれまでより適当に端に寄せたというだけの置き方だ。

「おめーが大声を出したから、崩れたんじゃねーか?」

嘲るような視線を男に投げると隣の部屋に戻って行く。

その後ろ姿を追う男。 ケッ! と言い、雑多に置かれていた何かを蹴ると部屋を出た。 バン! とひときわ大きな音をさせて戸を閉め、隣の部屋に戻ってきた。

紫揺の居る部屋の戸は開けっ放しにされていた。 だが紫揺は逃げなかった。 この部屋から出てもすぐに捕まることは分かっている。

だが男たちはそう考えなかった。
盆を置いた男は紫揺は城家主から待っていろと言われたのだ、それに嬉しそうに応えていた。 逃げる必要など無いと考えているのだろうと思い、もう一人の男は、紫揺は睨みこそすれ逃げる根性が無いか、そこまで頭が回らないのかと思っている。

「ほら、こっちに来て飯を食いな」

男が胡坐をかいて紫揺を呼ぶ。
わざと紫揺が動かない。

「テメーが邪魔なんだよ、出て行けやー!」

まだ戸際に立っている男に言う。

「チッ!」

舌打ちをした男が出て行こうとする。

「角灯と鍵は置いて行けや、テメーが勝手についてきたんだろうが」

角灯は投げるわけにはいかない。 自分の足元に置き鍵の輪は思いっきり下に投げつけた。 そして腹立たし気にドンドンと足音を大きくならして廊下を歩き、跳ね上げの階段を降りて行った。

その音をじっと聞いていた紫揺。

「ほら、こっちに来いって。 晩飯はまた持ってきてやるけど、それがいつになるか分からねーからな。 今のうちに食っとけ」

晩にも来るのか。 それでは行動時間が限られる。 だが文句を言っても始まらない。 とにかく男の言う通りだ。 腹が減っては戦は出来ぬだ。 それに走り回った、喉を潤したい。
立ち上がり男の置いた盆の前に座る。

「おっとその前に。 じっとしてな」

そう言うと腰から手拭いを出し片手で紫揺の頬を固定すると、もう一方の頬に付いていた泥を拭きとった。
手拭いは濡れていた。

(泥を拭くためにわざわざ濡らしてきてくれたんだ)

「さ、きれいになった。 食いな」

一番に吸い物に手を伸ばす。

「喉が渇いてたか」

優しい微笑みで紫揺が啜るところを見ている。 紫揺も上目遣いに男を見ている。

「そんなに警戒しなくていい」

椀を口から外した紫揺が首を振る。

「なんだ、警戒してるんじゃないってのか?」

紫揺が頷く。

「じゃ、どうして・・・ああ、そんなことはいいやな。 ゆっくり食いな」

紫揺が口の利けないのを思い出して理由を聞かなかったようだ。
男が己の腕を枕にゴロンと寝転ぶ。

(子供にやさしいってことはこの人にも子供が居るのかなぁ)

見た目は三十歳くらいだろうか、子供が居てもおかしくない。 それにしても子供がいるならその子はどうしているのだろうか。 地下に子供はいないとマツリから聞いている。 一人でこの地下に来たのなら子供を置いてきたということだろうか。

コトリと小さな音をたて椀を盆に置くと箸をすすめた。

男が紫揺の食べ終わった盆を手に「よく食えたな」と頭を撫でて出て行った。
頭を撫でられたのなんて何年ぶりだろう。 記憶にもない。

(あの人から見て、私は何歳に見えてるんだろうか)

いや、と思うとブンブンブンと頭を振る。 今はそれどころじゃなかったのだった。
カルネラがやっと降りてきて紫揺の肩に乗った。

「カルネラちゃんいい仔だったね。 ちゃんとじっとしてたね」

カルネラの頭を撫でてやる。

「シユラ?」 と言って、紫揺の頬を触る。

「泥が落ちてるでしょ? 拭いてくれたの」

「ドロ、オチテル、ク、レタノ?」

「うん。 おっとその前にじっとしてな、だって」

「オット、ソマエ、ジットシナテ?」

「違うよ、おっとその前にじっとしてな、だよ」

「オット、ソノマエ・・・ジット・・・」

「じっとしてな」

「ジットシテナ?」

「うん、そう。 なんか、かっこいいよね」

「カッコ、イイヨネ?」

うん、と言いながらカルネラを見ていた紫揺、その視線を隣の部屋に移した。

隣りの部屋の鍵はかけ忘れていたはず。 バンと戸を閉めた後に鍵をかける音はしなかった。
そしてあの男の歩幅がどれくらいかは分からないが、七歩あるいて階段を降りて行った。
部屋を出て男の歩幅で七歩。 そんなに長くはない廊下だったか。
連れてこられた時にはこの部屋に入るなどとは分からなかったから、もう一つ距離感が掴めていなかった。

(とにかく、夕飯までは誰も入ってこないはず)

現状 “はず” ほど怖いものは無いが、このままここに居ても何も始まらない。
夕飯までに動くか夕飯後に動くか。

(今から夕飯までに動く方が危険が多いか)

その夕飯もいつ持って来るかは分からないが今すぐでないことは確かだ。

角灯は持って出られないが剛度が持たせてくれた物がある。 とにかく廊下の状況を見よう。 隠れるところがあればそれに越したことは無い。 下見は必要だろう。

立ち上がり隣の部屋との境の板の前に立った。 板の左右の隙間に両手の指を滑り込ませ板を揺すってみる。 マツリの親指ほどの隙間だ。 紫揺の指なら余裕で入る。

(いけるだろう)

両手の指の力で板を持つと板に足を置き器用に板を登っていく。 上まで上るとマツリでも潜れると判断できた隙間だ、紫揺には余裕である。

隙間の中で身体の方向を変えて足から跳び下りる。 トン、と軽い音をたてて着地をする。 紫揺には簡単なことである。

「シユラ・・・リス?」

紫揺の肩の上でカルネラが何度も首を傾げながら紫揺に訊いてくる。

「違うよ」

笑いながら懐から剛度が持たせてくれた光石を取り出す。
光石がポワッと光った。 小さいが為そんなに遠くまで灯りが届くわけではないがそれでも充分だ。

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辰刻の雫 ~蒼い月~  第40回

2022年02月25日 22時58分55秒 | 小説
『辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~』 目次


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辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~  第40回



(マツリ、どうやって俤さんを助け出すんだろうか・・・)

距離をあける為にゆっくりと足を動かす。

(ん? 私どうしてここに居るんだ?)

俤を助けたいということはちゃんと覚えている。 まだ俗に言われる健忘症の年齢ではない。 そういうことではない。

(マツリが俤さんの心配をしてるのが分かったから・・・)

シキの部屋でマツリの役に立ちたいと思ったことも覚えている。
いや、そうじゃない。 それに俤がいたからどうこうではない。 どうしてマツリの役に立ちたいと思ったのか。
紫揺がブンブンと頭を振る。

(どうでもいい。 今は俤さんを助けるだけ)

「坊、可愛いじゃないか」

いつの間にか男が紫揺の横に立っていた。

(コイツ、坊とはどういう意味よ)

無性に腹が立った。

「俺と一緒に来いや」

(コイツ・・・えっと、なんて言ったっけ、ロリコン? 坊と言ったけど、それにあてはまるのかな?)

つまらないことを考えている紫揺に男の手が伸びた。
紫揺が側方宙返りをしてその手から逃れる。

「へぇー、大したもんだ。 元気な坊だ。 気に入った」

(気に入られてたまるか)

再度伸びてきた手から紫揺が逃れる。

(どんくさい男。 だから地下に落ちたんじゃないの?)

チラッとマツリを見る。 マツリは歩を進めている。 キョウゲンは首を捻りこちらを向いている。

(遅れを取りたくない。 こんなやつ相手になんかしてらんない)

再度伸びてきた男の手を膝を曲げ腰を低くしてかわして走り出す。

「待て!」

男の声が後ろから聞こえるが、そんなことに構ってはいられない。

(こんな男に追いつかれる謂(いわ)れはない)

紫揺がぶっちぎる。
男が周りから囃し立てられている声が聞こえる。

「どうだ?」

「逃げられたようです」

「そうか。 ・・・なかなかのようだな」

「なかなかでは終わりません。 たいしたものです」

マツリがキョウゲンを見た。 キョウゲンの言(げん)がおかしい。 いつもなら “そのようで” と言うくらいだ。 マツリの言を否定するようなことは言わない筈だ。

「キョウゲン? どうした?」

問われたキョウゲン、意味が分からない。

「どうしたとは? どういうことで御座いましょうか?」

「あ? ああ。 何でもない」

どうしてキョウゲンが紫揺のことを、このとんでもないことをしでかしている紫揺のことを、たいしたものというのか。
それにキョウゲンなら己の心中を分かってくれているはず。 それなのにどうして。

詰まってしまったマツリとの距離をもう一度あけた紫揺。

(アイツ、坊って言った)

マツリからは、紫揺が女だと分かるとどうなるか、そう聞いていた。

(マツリの馬鹿! 男でも女でも関係ないじゃない!)

マツリ情報に腹立たしく思いながらマツリの後をゆっくりと追うが、女と分かられてはこれくらいでは済まなかっただろう、ということまで紫揺の頭は考えられなかった。
と、手首を握られた。
紫揺がハッと顔を上げる。
男が嫌な顔を見せる。

(ウッザ、コイツ、ただじゃおかない)

紫揺が片足で地を蹴り上げる。 次に男の腹に足をボッコンと入れ、蹴り上げた足で男の後頭部を打った。 

ピー! 懐で笛が鳴ったようだ。

男が紫揺の手を離しよろめいた。 身体を捻って着地した紫揺。

(弱っ!)

驚くほど簡単に男が倒れた。

(だからー、そんなんだから、地下に落ちちゃうんでしょ。 もっと頑張りなさいよ)

溜息をついた紫揺がマツリの後を追う。

その間にマツリはマツリで地下の者から声を掛けられたり、マツリから声を掛けたりしている。

「どうだ?」

「お見事でした」

「いや、そうではなく・・・」

いったいキョウゲンはどうしたのだろう。

「一旦離れましたが追ってきております」

マツリが安堵の息を吐く。 キョウゲンにも紫揺に対してもだ。

「見逃すことが無いよう」

「御意」

マツリに返事をしたキョウゲン。 カルネラにはいい修行になるかとも思っている。

角を何度か曲がりあと一つ曲がると先に城家主の屋敷が見える。 人が居るという意味では地下の一番奥になる。
そこでマツリが足を止めた。 辺りを見る。 城家主の手下(てか)が居るかどうか確かめている。 とはいえ、マツリも全ての城家主の手下を知っているわけではない。

今は上空・・・上空と言っても地下だ。 その地下なりの上空にはいくつもの穴が開いている。 空気孔や換気口と言ってもいいし、陽の光が入る穴と言ってもいい。 その陽の光が僅かに斜めに入ってきている。 昼餉時を越したということが分かる。

「明るすぎるな」

物事を起こすには。

「夜まで待たれますか?」

マツリが顎に手をやる。 今までも上空には穴があった。 明るいことは分かっていたが気が逸っていた。 いざ行動を起こそうとなると陽が邪魔になることに気付いた。
夜まで待って俤がどうかなってからでは遅い。 それとも、もう遅いかもしれない。

「これは、マツリ様」

マツリが振り返るとそこに居たのは城家主であった。

「噂は地下にも届いております。 弟君が行方知れずになっていたと・・・。 見つかったようで何よりですが、弟君についておられなくて宜しいのですか?」

しらじらしい・・・。

「ああ、元気にしておる、案ずることではない」

「それは何よりで。 で? 今日はどういったことでお目見えで?」

やはりリツソのことがあったこんな時に地下に入ったことを疑われている。

「いつものように地下を見て回っておる」

「左様で。 ですがお元気と言われましても弟君についておられなくて宜しいのでしょうか? 姉君が嫁がれましたのに。 マツリ様も行方知れずになっていた弟君がご心配でしょうに」

マツリがどうして地下に来たかを探っているのが見え見えだ。
攫ったリツソが居なくなった。 そしてそのリツソが宮に戻った。 その足跡が今も全く分からない城家主なのだから。

「宮内のことだ、地下が案ずることは無い」

地下に居て地上のことをよく知っているな、と嫌味の一つも言いたかったがそれは喉の奥で飲み込んだ。
俤が入手した情報、地下の者が本領に出て来ているということを知っていることを城家主に気(け)取らせないようにしなければいけない。

“宮内のことだ” と言われた城家主がいかっていた肩を下した。 このマツリは地下がリツソを攫ったと知っていない、そう判じた。
手下からはリツソが何も知らないと聞いてはいたが、不安を蹴ることは出来なかった。 だがここで一蹴することができた。

「単に、いつも通りの見回りと?」

「ああ、そうだ」

「ご心配なく、地下は安泰しております」

「地下が安泰? 笑わせることを言う」

「それは、それは。 どういう意味で御座いましょうか?」

「地下に安泰など無いと言っておる」

飄々と言う城家主をマツリが睨みつける。

「それはマツリ様が地下のことを何もご存じないからでしょう。 先代から地下は安泰しております。 ただ、地下に流れてくる新参者を落ち着かせることは大変ですが。 まあ、それも城家主の役目と思っております」

マツリが顔を歪めたくなったが今はそれが出来ない。

「そう、そう。 坊が迷い込みまして」

「坊?」

まさか紫揺ではないだろうか、一瞬顔色を変えかけたが抑える。 マツリが見てきた紫揺の逃げ方、それにキョウゲンの報告からも紫揺が捕まるわけなどない筈。

「はい。 珍しいことで。 以前マツリ様が探されていた子ではないと思うのですが」

そう言うと城家主が肩越しに顎をしゃくった。
後ろから出てきたのは男に手を繋がれた坊。

坊、紫揺であった。

マツリが息を飲む。

幼年の子なら今の紫揺のように手を繋がれている程度だろう。 だがいくら子供に見えると言っても紫揺が幼年の子には到底見えない。 それなのに羽交い絞めにされているわけではない。

「どうでしょう? マツリ様の探されていた子でしょうか? 違いますでしょうか?」

違うだろう。 あの時は子を探していると言っていたが、明らかにリツソを探している振りをしていたのだから。 振りとは知らずとも、リツソを探していたのを知っていて訊いてきている。

「いいや。 背丈が違うな」

どうするか・・・。

「そうですか。 きっと父か母を探している間に迷い込んだのでしょう。 それともこの地下に居るのかもしれません。 まぁこの地下で女子は居ませんので、母は居ませんでしょうが、この子の父を探してみます。 それで見つからなければこの子を連れてご報告に参じます」

さも地下が安泰し事が簡単に進むように言う。
そんな気がないのはマツリも分かりきっている。 よくも白々しく言えるものだ。

そう考える中、マツリが紫揺から目を離せない。 その紫揺は何故か余裕を見せている。 それに紫揺の肩にカルネラがいない。 いや、そう言えばいつからだろう、歩いている時から肩には居なかった。

「だが、このような坊を・・・」

「坊と言っても・・・。 よく見積もってもうすぐに十五の歳を迎えるでしょう。 子でもなくなります。 それにこの歳です、父母のことをしっかりと覚えていますでしょうし、ご心配なさいますな。 地下で徹底的にこの子の父を探します故。 それで見つからなければ必ずお知らせしますので」

紫揺がマツリから目を離した。 半笑いの紫揺が。

―――どういうことだ。

「・・・では頼む。 くれぐれも見つからなければ、宮に申し出るよう」

「承りました」

城家主が慇懃に頭を下げる。
それが真実ではないことを知っている。

マツリが踵を返す。

(どうしてだ・・・)

最終の危険と言う意味で声を上げろと言った。 だが紫揺は声を上げなかった。 それどころかマツリを見て余裕さえ見せた。 ましてや半笑いも。

ここまで来てしまってはあとには引き返せない。
ここに来るまでに地下の者に散々見られている。 一旦、地下を出るふりをして夜を待つしかない。

(クソッ!)


「坊、この地下に何をしに来た?」

不思議そうな顔で部屋中を見回していた紫揺に城家主が問う。

ここは城家主の屋敷の中。 そして城家主が手下を集める時に使う広い部屋である。
趣味が良いのか悪いのか分からない絵画や、繊細な模様が入っている壺、足元には上等そうな毛足の長い絨毯が敷かれている。 頭上の光石はかなり大きなもので、部屋の隅々まで明る過ぎるくらい照らしている。

紫揺が口をパクパクさせながら身振り手振りで答える。
城家主が得心した。 口が利けないのか、と。

「おとぅ(父)か、おかぁ(母)を探しに来たか?」

こくこくと紫揺が首を縦に振る。
さっきのマツリと城家主との会話が無ければ、どうにも答えられなかっただろう。 理由など用意もしていなかったのだから。

「口が利けねーのは不便だな」

だからこそ、父母を頼ったのか。 それとも捨てられたのか。 そんなことはどうでもいい。 置いてやってもいいとは思っていたがこの餓鬼は間違いなく売れる、その筋に。 見た目に十分だ。 いや、上玉だ。

「坊、俺がお前のおとぅとおかぁを探してやる。 その間、待てるか?」

嬉しそうな顔をした紫揺が何度も首を縦に振った。
演技派だ。

「いい子だ」

城家主が顎をしゃくった。 紫揺を一室へ入れろということだ。

「どこに?」

手下が問う。

「屋根裏でいいだろう」

それを聞いた紫揺が心の中で舌打ちをした。

「分かってんだろうが、傷を入れんじゃねーぞ」

売りものにならなくなる。 若しくは値が落ちてしまう。

頷いた男が紫揺の横に立ち「坊、こっちだ」と紫揺の手を引く。 ここまで紫揺の手を引いていた男だ。
城家主に恨みがましい視線を送りたかった紫揺だが、手を取った男に満面笑みで応える。

部屋を出て廊下を歩く。

「・・・坊」

男が紫揺に寂しい目を送ってくる。 この先を知らないであろう紫揺に。

坊と呼ばれ視線を送ってこられた紫揺、ここは大人しくしておくが最上だろう。 プラス笑み。

ニコリと応える紫揺に耐えられなくなり男が目を逸らした。
この坊は口が利けないだけじゃなく、少々知能が遅れているのかもしれない。 それだけに何も知らない、分からないのであろう。 これから売られるということに考えが及ばないのであろう。

手を引き屋根裏に続く二階の階段を上がって行く。
大人しくついて行く紫揺。 それにしても気になることがある。

(坊・・・って。 やっぱ私って男の子としか見られないんだろうか・・・)

下を見る。
断崖絶壁を。

せっかく百藻の女房が大きな服なら胸を誤魔化すことが出来るとは言ってくれたが、あまり必要がなさそうだ。

その断崖絶壁の下はポッコリと膨らんでいる。 だがそれは紫揺のせいではない。
でもよく考えるとそれは幼児体形に見えるのかもしれない。

(いや、幼児じゃないし)

本来の年齢もそうだが仮の年齢もだ。

ポッコリとした下腹がごそごそと動く。
繋がれている反対の手で腹を撫でた。 ごそごそが落ち着く。

「ん? 腹が減ってるのか?」

驚いて男を見上げた。 どう返事をしようか。 迷いを見せた紫揺。

「餓鬼が遠慮なんかするもんじゃねーよ。 一人じゃろくに飯も食えなかったんだろ」

一応、笑っておこう。

紫揺の笑みを見て男が口の端を上げた。
いくらか進むと三人がかりで跳ね上げの階段を下しているのが見えた。

(マツリ、どう思ったかな・・・)



紫揺とマツリが顔を合わす前。 マツリが最後の角を曲がる直前に、紫揺の後ろから声が聞こえた。
“城家主” と。
その後すぐに男に腕を掴まれた。

『餓鬼がどうして?』

城家主と関係が無ければそのまま逃げるつもりだった。 だがその前に “城家主” と聞こえたのだから足を動かすわけにはいかない。
紫揺の腕を掴んだ男の後ろから声が掛かった。

『餓鬼か?』

『城家主、そのようで』

(ジョウヤヌシね。 こいつか、コイツがジョウヤヌシって言うのか)

紫揺が城家主を振り仰いだ。

そこには短髪に濃い髭を生やし、出っ腹で着流しにした綿で出来た白黒黄色の縦縞の着物に似た作りの衣に、これまた黒い羽織のようなものを着た城家主と呼ばれた者が立っていた。

『ほぉー、十五の歳にはならんか。 坊か』

いやらしい目を紫揺に向けて『売れるな』 と小さな声でそう言った。

(はっ!? 十五の歳にはならない?)

十五と言えばアバウト中学三年生。
むかっ腹が立つ。

(高校一年にも満たないってか! こっちは二十三歳だよ! とっくに、高校卒業してるしっ! 成人式越してるし! コイツ、完全に目が腐ってるのか? 腐っててもなんでも、今言ったことを後悔させてやるからなっ)

心の中で城家主に悪態をついたが、その前にたとえ男の子の服を着ているといっても、年齢ではなく女として “坊” と呼ばれたことへの反感は無いのだろうか。

マツリの心配など他所に紫揺の内なるボルテージは上がっていた。 それ故のマツリへの笑みだった。
連れられて歩いていると、そこいらに居る者たちが城家主を見てみな頭を下げている。

(ふーん、みんな手下かなぁ?)

等と考えながら歩いているとさっきから気にはなっていたが、とうとう摑まれていた腕の痛みに顔を歪めた。



鐘の後に太鼓が鳴った。 就業を知らせる太鼓の音である。
その時になりようやっと医者部屋に四方が姿を見せた。

「義父上」

四方を迎えたのは波葉。

「遅くなった。 男は?」

抜けるに抜けられなかったのだろう。 今は四方の側付き以外は信用できないと聞いている。 そして特に官吏には、と。 それは重々分かっている。

「奥におります」

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辰刻の雫 ~蒼い月~  第39回

2022年02月21日 22時24分25秒 | 小説
『辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~』 目次


『辰刻の雫 ~蒼い月~』 第1回から第30回までの目次は以下の 『辰刻の雫 ~蒼い月~』リンクページ からお願いいたします。


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辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~  第39回



マツリの声が聞こえた。

「地下に童・・・子は入って来ん。 今のお前はどこからどう見ても子にしか見えん。 いつ何があるか分からん。 女人だと分かれば何をされるか分からん。 それでも地下に入るか」

童というのは小さな男の子。 宮の言葉であることは知っている。

「当たり前。 でなきゃ、ここに来た意味がない」

子供にしか見えないと言われたところに突っかかりたかったが、今そんなことをしている時ではないのは充分に分かっているし、剛度の孫の服を着ているのだ、子供に見えて当たり前だろうとも思うし、逆にそう見えなければ何に見えるのかと問いたい。
などと頭の隅に考えた紫揺だが、もし同じ姿をシキがしても女人にしか見えず、到底子供には見えないであろう。

「そうか」

マツリが何歩か歩くと湿ったところに手を突っ込んだ。 何をしているのかと思えば、戻って来て急に顔や服に泥を塗られた。

「わ! 借り物なのに!」

女なら普通、服ではなく顔の方を気にするだろう、と言いたいのを抑えてマツリが説明をする。

「地下に入るにはそれなりに本領で何かあったからだ。 洗いたての物を着ていてどうする」

本領で何かあった、とは言っても地下も本領である。 マツリの言う本領と言うのはあくまでも地上でということ。

マツリの言いように、そういうことか、と納得する。 だが事前に言ってくれてもよさそうなものだ。

紫揺の肩に止まっていたカルネラにジロリと視線を移す。 

「カルネラは・・・そのままで良い、か。 だが目を付けられそうになったら我の懐に入れる」

「きゅうーい」

小さくなって紫揺の頬にしがみ付くがマツリに何か言われた、としか分かっていないのだろう。
マツリが今までに何か言う度に何を言われたのを分っていたのではなく、何かを言われたとしか分かっていなかったのかもしれないのだった。

「カルネラは城家主の屋敷までの道のりを知らん。 とにかく真っ直ぐに歩け。 曲がる所に来れば俺が先を歩く。 お前は距離を置いて俺の後ろを間違いなくついて来い。 いいか、中に入れば路地があるが路地の近くは歩くな。 いつ手が伸びてきて路地に引き込まれるか分からん。 俺が前になった時にはキョウゲンに始終後ろを見させるが俺はぎりぎりまで助けはせん。 だがどうしてもという時には大声を出せ。 それ以外は出来るだけ声を出すな。 一応お前の声は女のものだ。 分かったな」

一応お前の声は女のものだ、そこまで言われたのに先ほどまでとは打って変わったようにコクリと元気なく頷くだけの紫揺。

「どうした、今なら引き返せる。 怖いのなら―――」

「違う。 この時点で十分マツリの足手まといになっているって思っただけ。 足手まといにならないって言ったのに、ごめん」

マツリの両の眉が上がった。 恐がってはいないということと、リツソにゴメンを教えるだけのことはあったのか、と。
だがすぐにその眉を下げ踵を返す。

「行くぞ」

少し離れた所に見える岩山。 そこに地下に通じる洞がある。
地下の入り口に向かってマツリが歩き出した。



共時を馬に乗せて戻ってきた見張番の二人。 門番にどうしたのか尋ねられ、マツリからの用を仰せつかった旨、門を開けるようにと申し入れた。

二人乗りの内の一人は知らない顔だし怪我もしている。 怪しむところだが、マツリがこの男のことで用を頼んだのだろう。 よく見知った見張番だ、それについさっきマツリと共に出て行ったところだ。 そう怪しむところではないだろう。

「マツリ様の御用にて、見張番入門、門を開けえ」

外門番の声に内門番の声が復唱される。
門番の声に下馬をしていた見張番の二人が胸を撫で下ろした。

門番の中でもろくでもない者が居る。 ろくでもないと言っていいのか融通が利かないと言っていいのかは分からないが・・・いや、やはりろくでもない者だろう。 その者たちにあたっていれば門は潜れなかった可能性が高かった。 そうなるとマツリから言われた波葉とのことも何もあったものではなかった。

ちなみにその門番の筆頭が、北の領土の狼であるハクロが腹立てていた門番である。

門の中に入る時には共時は百藻の肩を借りていた。
二頭の馬の手綱を持っていた瑞樹がマツリからの伝言があるからと、内門の門番に波葉を呼んでもらうよう頼む。 番宿で待っていると付け加えて。
内門番が共時に不審な目を向けながらも宮内に足を向ける。

厩に馬を入れると先に歩いていた百藻に追いついて瑞樹が番宿の戸を開け、二人がかりで共時を畳に上げた。

暫くすると波葉が番宿に入ってきた。

入り口の木戸を開けるとその一辺には土間がある。 その正面に膝の高さほどに高くなったところに八畳分の畳が敷かれている。
目の前の畳に座る三人の男。 その内の一人が傷を負っているのは一目で分かる。

「何があった?」

いつも穏やかな波葉だが剣呑な目を見張番に向ける。 瑞樹が畳を降りて履き物を履くと入口に立つ波葉を通り過ぎ、一度木戸を開け外の様子を見た。 再び木戸を閉めると波葉の斜め後ろに立つ。

「マツリ様から御内密にあの男を四方様にお会いさせるよう、波葉様に御取り計らい下さるようにと」

外を確認したにもかかわらず、念を入れて誰にも聞かれないようにと耳打ちをする。

「お前たちの顔は見知っている。 それに門番もよく知っているからお前たちとあの男を通したのだろうから。 だがそう簡単に四方様にお目通りをさせるわけにはいかない」

暗に怪我をしている男に信用ならないと言っているのもあるが、たとえ四方直轄の見張番と言えど、今見張番が言ったことが本当にマツリからの伝言であるのかどうか、疑う、とまでは言わないが、断じかねるということである。

内密にと言われたのだ、波葉も声を抑えている。

瑞樹が百藻に目を合わせた。 百藻が顎をしゃくる。 あの時に聞こえてきたマツリと紫揺の話をしろということだ。

「誰かに聞かれても困りますので奥に」

波葉を入口から奥の畳のある所に誘導する。 窓のない所に波葉を座らせると、マツリと紫揺の会話をかいつまんで話した。

「なんだって!? それではマツリ様と紫さまが地下に行かれたというのか!?」

「声を抑えて下さいませ。 あの男とマツリ様の話は聞けませんでしたが、それが重要なことかもしれません。 ですから御内密に四方様にお会いできるようにお計らい願いたい。 そう波葉様にお伝えするように俺たちは言われました。 それがマツリ様からの伝言です」

この伝言を生かそうがその手で握り潰そうが波葉の勝手だと見張番の目が言っている。 己らは波葉にこのことを伝えるのが役目なのだから。 その役目はここで終わりだと。

「四方様にお伺いを立てる。 四方様のご判断を待っているよう。 だが少なくとも、その状態で四方様の前に出るのは憚られる。 少なくとも血は拭いておくよう。 腫れている所も冷やしておく方が良いだろう」

「四方様には見張番の百藻からだとお伝え願えれば」

念を押すように瑞樹が言う。
たとえ自分たちの仕事はここまでだと言ってもそこで投げ出せるものではない。 見張番と領主筋には代々の信用、信頼からなる繋がりというものがある。

「承知した」

波葉の応(いら)えに瑞樹が頭を下げるのを返事とする。
波葉がすぐに畳から降りると番宿を出て行った。

「おい、オレかい」

波葉を見送っていた瑞樹の背に百藻の声がかかる。

「四方様にはオレより百藻の方が信用があるからな」

信用とは言ったが、それは長年という意味である。
瑞樹はまだ若いが、百藻は四方がまだ領主になる前、供と共に各領土を回っていた頃から居た見張番である。
岩山まで飛んできて見張番と顔を合わせることなく洞を潜るマツリとは違い、四足の供と共に各領土を回っていた四方である。 その昔、岩山で何度も話をしていた仲であることは瑞樹も聞き知っている。

番宿から出た波葉が眉根を寄せながら足早に歩く。 瑞樹から説明を受けたと言っても詳しい話ではなかった。 いや、詳しく言われたとしても納得の出来るものではない。

(どうして紫さまが地下などに・・・)

その事が頭を一周した時に新たなことに気付いた。 足を止め全身が硬直したと思ったら、頭が項垂れた。

本領に紫揺が来たというだけのことを四方に止められシキに伝えなかったのだ。 今回ももちろん四方に止められるだろう。
だがあれ程に怒っていたシキからこれからは何でも言うようにと言われたところだ。 だがだが、紫揺が地下に入ったなどと、四方に止められずとも言えるものではない。

人目も憚らず頭を抱え込んでしゃがみ込みたい気分であったが、足を進めなくてはならない事は分かっている。

(・・・どうしてこうなる・・・)

あの男と四方がどんな話をするかは分からないが、地下がかかわっているのだ。 会うか会わないか、また、会うとすればすぐになのか時を置いてなのか、それは四方が判断するところ。
己の為さなければならない事は、地下がかかわるだけに一刻も早く伝えなければならないということだ。
泣きたい気持ちを抑えて前を見る。

宮の庭を歩き己の仕事部屋に一番近い小階段から回廊に上がる。 仕事部屋に入るとすぐに筆を手に持った。 書いた紙を懐に入れると今度は四方の執務室に向かう。

官吏である文官の仕事部屋は本来この宮内ではないが、四方が執務室を宮内に設けた時に文官用の仕事部屋も設けた。 四方が携わる仕事はここで文官が精査してから四方の執務室に持って行かれる。

執務室の外では四方の従者がずらりと座っている。 その末端に座る従者に四方との面会を申し入れる。 末端の従者が立ち上がり、その事を襖の一番近くに座っていた従者に告げる。 従者が襖を開けていつも四方に付いている、未だ顔色を悪くしている側付きにその事を伝えた。

側付きが波葉の訪問を伝えると四方が書類に目を走らせながら頷く。
四方の斜め前に机を置き座っている文官二人がチラリと側付きを見た。 この忙しい時に、という目なのかどうかは分からないが、側付きは視線を感じても知らぬふりをする。
その側付きが襖を開け頷いてみせる。

「どうぞお入りください」

襖を大きく開ける。
執務室に入った波葉。

「義父上」 と一言う。

波葉の呼び方に四方が書類から目を離した。

「あ、申し訳ありません。 四方様、少し宜しいでしょうか」

四方が何かを察した。 立ち上がり丸卓に座るよう波葉に目顔を送る。

良かった、分かってもらえた、と、波葉がホッと安堵の息を吐いた。 単に 『四方様』 というだけでは、四方の座っている卓に足を向けなければならない。 そうなれば四方の斜め前に座っている上司である文官二人に話を聞かれてしまう。

四方が座った時にその背を文官に向ける位置になるよう、その正面につく。
四方は身体が大きい。 それに比べて波葉は華奢だ。 四方の手元や表情、口の動きを見られる顔を完全に隠せる身体を持ってはいない。

四方が波葉の立つ前に座る。 それから遅れて波葉も座る。 文官から見れば波葉の身体はスッポリと四方に隠れている。

懐に手を入れると先ほど書いた紙を四方の前に置いた。
そこに急ぎ書かれていたのは

『マツリ様と紫さまが地下に入 マツリ様の指示のもと、内密に男を四方様に会わせるようと 男は番宿に』

ということであった。

一瞬にして四方が顔色を変える。

「義父上、シキ様が」

ここまで文官に聞こえるように言った。 あとは声を静めるように言う。

「見張番、百藻からの伝言とその見張番が連れて来た男です。 如何いたしましょう」

四方が腕を組む。
波葉には俤のことはもちろん、地下と繋がっている見張番のこともまだ何も言っていない。 今見張番に対しては疑うところが多い、だがこの話し、百藻からであれば信用に値する。

朝餉のあと見張番とマツリが紫揺を東の領土に送ったはずだ、その見張番が百藻ということだったのだろう。 その途中で何かあったということか。
それにしても、現状地下のことはまだ何も分かっていない。 地下と繋がっている見張番のことは分かったが、次に文官の方から進めるつもりだったのに、どうして。

「その男というのは?」

前屈みになった四方が声を抑えて訊く。

「見たこともない男です。 身体も顔も傷だらけです」

「傷?」

「はい、殴られたようなあとが幾つも」

いったいどういう男だ・・・。 とは思うが直截を下す。

「見張番に手伝わせその男を医者房に連れて行くよう。 遅れて行く」

リツソのことで医者は信用が出来ると分かっている。 それに四方が番宿に行くことなどと目立って仕方がない。 だが医者部屋なら何とか誤魔化しがきく。

「承知いたしました」

波葉が席を立つ。 四方は腕を組んだままだ。

執務室を出て行く波葉をチラッと見た文官。 夫婦の問題で四方の手を止めるな、と思ったのかどうか。



もう既に昼前になっている。 地下の男たちがどこで寝ているのかは紫揺の知ったところではないが、最初は所々に居た男達だが、その人数が増えてきている。
その男達からここにくるまでに何度かイヤな声を投げられていた。

「餓鬼が来るんじゃねーよ! うっとうしい」
「おっ父を探しに来たかー?」
「あー、乳臭せー臭いがする」
「餓鬼んちょがなに悪さをしてきたー?」

そんな言葉の後に必ず下卑た笑いが聞こえた。

その後にも。

「売れるか?」

「そこそこか」

その声の後に紫揺の前に立ちはだかった男。
頬に泥を付けた紫揺が睨み返す。

「けっ、生意気な。 こっちに来な」

男が紫揺の手を取ろうとした時、紫揺がするりとその手から抜けた。 走ってしまってはマツリからはぐれるかもしれない。 逃げることは出来ない。

「おい、大人しくしねーか」

もう一人の男が加勢に来た。

「そうだぜ、痛い目に遭いたくなかったらな」

二人の男に挟まれた。

マツリがいつ走り出そうかと、それでも己が疑われることなく歩かねばならないと思いながら、かなり距離を置いて気付かぬ振りをして紫揺を見ている。

「マツリ様・・・」

「まだだ」

前後から男たちの手が伸びてきた。 身を翻してその手から逃れる。

(そうだ、離れないようにしなければいんだ)

前方に走っていけないわけじゃない、だが万が一にもはぐれてしまうのはごめんだ。 紫揺が進行方向の右に走った。 誰が作ったのかこの地下に路地に入るための木で出来た塀が立っている。

ここは日本でいうところの、片側三車線ぐらいある広い通りだ。 地下で通りと言っていいのかどうかだが。
もう少し進めば段々と狭くなり、地下なりの店も見えてくるし、店に入らずそこいらに座り込んで博打をしたり、酒に足をとられている者も出てくる。
時間的に言ってこれからゾロゾロと出てくるだろう。

「ちっ、すばしっこい餓鬼が」

だが紫揺の向かった先には塀があるだけだ。 そうそう簡単には逃げられないだろう。 男二人が余裕で紫揺のあとを歩いた。
その時にはすでに塀に辿り着いていた紫揺。 ある一点を除いたところの塀を手で押して確かめている。 そして残されたある一点を軽く押す。

「うん、いける」

確かめた塀からある程度の距離を引き返し男たちを迎える。

「へぇー、観念したか? そうだよ。 そうやって大人しくしてりゃいいんだよ」

すると紫揺が急に後ろを向いて男達にお尻を突き出し、その自分のお尻を叩いた。 おまけに振り向いた顔でアッカンベーをしてやる。

アッカンベーがこの本領で通じるのかどうかは分からないが。 もちろんお尻ペンペンも。 この二つが通じたのかどうかは分からないが、馬鹿にされたことは何気に分かるだろう。
男二人が足を止めた。

「あんの餓鬼!」

通じたようだ。

男二人が走り出した。 ギリギリまで待つ紫揺。 男が手を伸ばしたその寸前で塀に向かって走り出す。
男達は勢いづいて追ってくる。 目の前は塀だ。 左右どちらに逃げようとも、こっちは大人、向こうは餓鬼。 すぐに捕まえることが出来るとたかを括っている。

紫揺があと少しで塀という所まで来た。
男が手を伸ばせば紫揺を捕まえられる。 男が手を伸ばそうとした。 その途端、紫揺が塀をかけ上った。

「え?」 と思った男二人だが、勢いづいている足はそう簡単には止まらない。 だが、止まれなくても塀に手を着けばいいこと。

塀をかけ上った紫揺が最後の踏み切りを必要以上の力を入れて蹴った。 そしてそのまま後ろに宙返りをする。 いわゆる前方抱え込み後方宙返り。

ピー! と懐で聞こえたのは気のせいだろうか。

紫揺の最後の蹴りで腐りかけていた塀が僅かに傾いたが、それに気付かない男二人。 紫揺が目の前から居なくなったのはもちろんだが、勢いづいて走ってきた足はとまらない。 男達が手をついた途端、塀と共に路地に倒れ込んだ。
塀の向こうには別の男たちが居た。 この男二人のお蔭で塀の下敷きになるところだった。

「テメー! なにしやがんだー!」

倒れ込んできた男たちを足蹴にすると喧嘩が始まった。

この時すでに紫揺は塀から離れ素知らぬ顔をして歩き始めていた。

「マツリ様・・・」

「・・・今は・・・何も考えたくない」

波葉と同じように、しゃがみ込んで何も考えず頭を抱えたい気分なのだろう。

その後にも声が聞こえてきたり手が伸びてきたりはしたが、いとも簡単にすり抜けていた。

座り込んでいる者が多いのが味方となった。
一度紫揺を逃してしつこく追って来る者はいなかった。 一度逃しただけでも恥なのに、再度逃げられたら笑い者になってしまうからだった。

前を歩いていた紫揺をマツリが抜いた。

(ここから道が変わるのか。 マツリを見失ったら最後になっちゃう)

北の領土で言っていた偽の迷子ではなく本当の迷子になってしまう。 それもこんな所で。
マツリの背中を見る。

(あれ? マツリの背中ってこんなに広かったっけ?)

マツリは華奢だ。 その筈だ。 それなのにどうしてこんなに背中が大きいのだろう。 それにふと見ると意外に肩巾がある。

「うん?」

キョウゲンが後ろを振り向いている。

(そっか。 あれぐらいの肩巾が無いとキョウゲンも安定して止まれないか)

マツリから距離をあけろと言われていたことを思い出す。 足を止めた。 周りを見たいがマツリから目を離すことをしたくない。 いつどこで曲がるかも分からないのだから、迷子になりたくないのだから。

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辰刻の雫 ~蒼い月~  第38回

2022年02月18日 22時43分09秒 | 小説
『辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~』 目次


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辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~  第38回



マツリが共時に一言二言いうと走り出した。

「キョウゲン行くぞ」

キョウゲンが羽ばたく。 ここは木々が邪魔でキョウゲンが縦に回れないし、大きくなったキョウゲンが木々の中を潜るのにも無理がある。

見張番とすれ違いざまに共時を宮に連れて行くように言い、波葉を挟んで内密に四方に会わせるようにとも言った。
波葉なら領主を義父に持つ領主直轄の見張番と話していても不審に思われないし、見張番も波葉になら接触しやすいだろう。 この見張番二人は剛度のお墨付きでもあるし、マツリが魔釣の目でも見た相手である。 信用があるから頼むことが出来る。

林立する木々から出ると、マツリがキョウゲンに跳び乗った。


岩山の端に見張り番の服を着た一人の男が立っていた。 てっきりこちらに向かってくるものだと思っていたのに、方向を変え下降すると再度岩山と違う方向に飛んで行くキョウゲンを見送っていた。
「チッ」
舌打ちをして端に背を向けた。


「あの馬鹿が・・・」

キョウゲンが何度も瞬きをする。 眩しいからではない。 なにか今までに知らなかったものがスッと流れてきたからだ。
紫揺が地下に行くと言っているのだ、馬鹿とは言いながらもその心配からだろうか・・・。 キョウゲンが考えるがそれだけでもないような気がする。

「如何なさいますか?」

「あの馬鹿は止めても聞かんだろう」

それこそわざと大声で俤の名を呼びまくるとでも言いかねない。

「とんだじゃじゃ馬だ」

マツリが顔を歪める。

「あの衣装で地下に入りますと身ぐるみ剥がされましょう」

「あ・・・ああ、そうだな」

気がつかなかった。

キョウゲンの下を紫揺が馬を走らせている。 時々上を仰ぎ見ている紫揺。

「バッカじゃない。 真上を飛ぶなっていうのよ、分かりにくいったらないっ!」

林立する木々から出た後は道案内なら先を飛べと言いたいらしい。

「剛度の家に行けばそれなりの衣装があるかもしれんな」

何人もの孫がいるくらいだ。

「御意」

キョウゲンが紫揺の走らせる馬の上空斜め前を飛んできた。

「あれ? 聞こえたのかな? フクロウって耳が良かったっけ?」

飼育小屋にはフクロウは居なかった。 フクロウの生態など、せいぜい夜行性ということしか知らない。

「夜の行動だから暗闇での目はいいはずだけど。 うーん、そう考えると耳もいいのかなぁ。 小さな音を聞き分けられないと獲物を探せないだろうし」

紫揺がフクロウの生態を考えている間にも馬は足を早めている。

ちなみにフクロウの聴覚は発達しており、種類によっては左右の耳の大きさや位置が違い立体的に音を認識することが出来る。

林立する木々を抜けたあと何もないところを走っていたが今度は先に家が見えだした。
こんな所に地下と呼ばれるところがあるのだろうか、と疑いの目を上空に向ける。 と、キョウゲンが下降してきたのが見えた。
紫揺の走らせる馬と並ぶ。

「馬を止めよ」

「は!? 連れて行かないっていうの!」

「違う。 いいから一旦馬を止めよ」

紫揺が口を歪めると馬を止めた。
マツリが跳び下りる。 その肩にキョウゲンが乗った。

「どういうこと!」

「大声を出すな。 俺がここに居るのをあまり知られたくない。 いいかよく聞け」

と説明を始めた。

これから先はキョウゲンだけが紫揺の道案内をし剛度の家に向かう。 そこで剛度の女房に男の衣装に着替えさせてもらえということだった。 女房はキョウゲンを見ただけでマツリが関係していると分かるはずだと。

「どうしてそんなことをしなくちゃいけないのよ」

「地下にそのような衣装で入るとすぐに剥がされる」

皮で出来た筒ズボンにサラサラの上衣。 ハッキリ言って絹で出来ている。
そういうことかと、紫揺が納得する。

「どうして男の服?」

「地下の者がお前を女と知ったら何をするか想像くらい出来るだろう」

「・・・」

―――コイツ、そんなことを考える奴だったのか。
そんなことというのを具体的には知らないが、ろくでもない事なのは漠然と知っている。

「私が着替えている間に一人で地下に行こうなんて考えてないでしょうね」

そんなことをしたら俤の名を大声で呼んでやる、そう言って脅しておいても損はないだろう。 紫揺が口を開きかけた時、先にマツリが言う。

「そんなことをすればお前は俤の名を大声で呼ぶとでも言うだろう」

当たりだ。 何故当たったのだろうか。 紫揺が口をひん曲げる。

「一刻を争う。 早く行け」

キョウゲンがマツリの肩から鞍の前に飛び移った。 紫揺の肩に止まってしまえばキョウゲンが目立ってしまうし、なによりマツリの肩巾ほどもない。 いかにも止まりにくそうだ。
キョウゲンが百八十度首を捻ってこのまま真っ直ぐに走らせるようにと言う。

宮を出てくる前の会話があったからこそ、こうすることが出来た。
ロセイが紫揺に問われ返事をしていた。 それを思うと事前にキョウゲンと紫揺の会話が成り立つかもしれないと知っていなければ、キョウゲンが紫揺に言われたことに返事をしているのを聞いた時点で時が止まっていたかもしれない。

紫揺が馬の横腹を蹴った。 自分がノロノロしていてその間に俤に何かあってはと心が逸る。 自分がこんな我儘を言わなければ、もうマツリ一人で地下に行けていたかもしれないのだから。
我儘では終わらせない。 必ず俤を救う。 マツリがあれ程顔色を変えていた相手なのだから。

家々からは人が出入りしているのが目に入る。
どこかの畑から取ってきたのか、それともどこかにある市場から買ってきたのか、野菜を竹籠に入れて運んでいる女。 家の修理か、戸に木槌をあてている男。 外で遊んでいた子供たちが紫揺の走らす馬があげた砂埃を手で払う。 それが遊びのように、きゃあきゃあ言いながら楽しんでいる。

キョウゲンが何度も顔を後ろに捻じって方向やスピードの指示を出す。

「キョウゲンはそれ以上小さくなれないの?」

「これが本来の私の大きさです。 マツリ様の為に大きくはなれますが本来の大きさより小さくはなれません」

「そうなんだ」

マツリがあまりここに居るのを知られたくないと言っていた。 それではキョウゲンも同じだろうと考え、小さくなれるのなら懐にでも入れようと思っていたが無理なようだ。
もとより、そんなことをすると紫揺が言えばキョウゲンは飛んで逃げるだろうが。

「左前に見える家、戸が開いているのが剛度の家です」

左前に見える数軒の木造の家で戸が開いているのは一軒しかない。 紫揺が頷き、馬の足を緩めて開いている戸の前まで馬を歩かせる。 馬から跳び下り手綱を持ったまま開いている戸を覗き込んだ。 すると中から子供の声が聞こえる。

覗き込んだ家はすぐに正面に向かって長細い土間が見え、そこにはきちんと揃えられた履物がある。 子供の履物が三足と大人の履物が二足。

土間は玄関の戸と同じ大きさくらいの幅があり、その向こうには暖簾のような物がかかっている。 台所になっているようだ。 左に上がり口と部屋があり、そのまま奥の部屋に続いているのだろう。

「すみません、剛度さん、いらっしゃいますか?」

パタパタと走ってくる音がする。 左手の部屋から土間に男の子が跳び下りてきた。 五、六歳だろうか。
この子のお兄ちゃんの服を借りるのか。 それじゃあせいぜい十歳か十一歳くらいではないか。 自分はその倍以上生きているというのに。

祖母の先代である先代紫の服を借りた時は、先代紫が十一歳の時の服だったが、今は十一歳の服では無理だ。 と、考える紫揺だが、他から見てこの二年程でそんなに変わったようには見えない。

「これ、十基(じゅうき)、裸足で下りるんじゃないってば」

追ってきた女が履き物をはき少年を抱き上げ紫揺の方を見た。 見たこともない衣装を身に付けている。

「どちらさんで?」

その声に羽音もさせず、すっとキョウゲンが家の中に飛んできて土間に置いてあった背の低い棚の上に乗った。

「あれ? マツリ様の・・・」

特徴のある羽色を持つキョウゲンに目をやると、その目を紫揺に戻す。

「突然にすみません。 お願いがあってきました」

そこまで言うと部屋の奥から声が聞こえた。

「マツリ様がいらしたのか?」

女の声が聞こえたのだろう、奥の部屋から出て来て正面に見えるキョウゲンを見るとてっきりマツリが来たと思った剛度が、左の部屋から顔を出した。

「あ!」

見知った見張番の顔がそこにあった。

「こりゃ、紫さま、どうなさいました」

土間を下りると紫揺が手綱を持っているのが目に入った。 紫揺から手綱を受け取ると家の外に立ててある手綱かけに手綱をかける。 見張番の家には手綱かけが必ずある。
手綱をかけ、外から戻ってきた剛度が紫揺に問う。 たとえキョウゲンと一緒だったと言っても東の五色が一人で本領の中を歩くのは考えられない。

「で? どうなさいました?」

偶然にも今日剛度は夕陽の番だった。

キョウゲンを知っている女房に言ってもいいが、どこか疑われても困る。 そう思うと自分のことを知ってくれている者がいてくれてラッキーである。

「突然で申し訳ありませんが、急ぎお願いがあります」

そう言うと、マツリから言われたことを剛度に聞かせた。

「マツリが離れた所で待ってます。 急なことですみません、急いでもらえないでしょうか」

「おい、聞いただろ。 紫さまに着られるくらいの衣を用意しな」

剛度が女房に言う。
女房が十基を下すと走って部屋の奥に消えていった。

それにしても。 いま紫揺はマツリと言った。 マツリ様ではなく。 それに今回紫揺が本領に来た時にはマツリがずっと付いていた。 他の領土の五色に対してもだが、今までそんなことは一度も無かった。 どういう関係なのだろうか。

「もしかして地下に入るんですか?」

どういう関係かは分からないが、五色である以上、疑う相手ではない。

「え?」

「ああ、言わなくてもいいです。 安心してください。 マツリ様から地下の話は聞いております。 ただ、もし地下で危ない目に遭いそうになったら、共時ってのを頼って下さい。 アイツなら何とかしてくれます」

「キョウジ、さん?」

「はい。 まぁ、地下に落ちてはしまいましたけど、面倒見がいいって言うか根が悪い奴じゃないんで」

「キョウジって言う名は、本領には多いんですか?」

「共時ってのは、共の時って書くんですけど、本領で考えるとまぁ、違う字もあったりしてそう珍しくはありませんがこの宮都では珍しいですかね」

「ミヤト?」

「ええ、宮のあるここら辺りを宮都と言います」

東南と南に岩山を置き、南と東を除く宮都の周りに一都(ひと)二都(ふと)三都(みと)四都(よと)とある。 またその周りに五都(いつと)から八都(やと)まであり、それが続いて六重になっていて、その先が辺境になっている。 そして辺境も含めて本領と言う。

「宮都もそうですが地下に居る者では共時ってのは、そうそう居るもんじゃないと思いますがね」

剛度の言う共時が気になる。 もしさっきの男と同一人物なのならば、怪我のことを伝えなければいけないのではないのだろうか。
そこで共時と名乗る男の風貌を剛度に尋ねた。

「え? そりゃ共時に違いない。 っち、間の悪い。 地下から出てきやがったんですか」

「すごい怪我をされてました。 私の前後を走って下さっていた見張番さんが共時さんを運んでくれているはずです」

そうマツリに言い置いたのだから間違いないだろう。

「共時が怪我を?」

地下で何か下手を踏んだのだろうか。

俤を助けるためにとは言えない。 マツリが剛度にどこまで言っているのかが分からないのだから。

「百藻たちはどこに共時を運ぶって言ってました?」

「あ、すみません。 マツリに共時さんのことを見張番さんに頼むように言っただけですから何処とは・・・」

そこに女房の声が入ってきた。

「アンタ、用意が出来たよ。 これくらいのがいいだろう」

「こちらこそ。 要らんことを訊きました」

そう言うと後ろを振り返って部屋に入ってきた女房を見る。 その女房が孫の服を広げて見せている。

「ちっと、大きくないか?」

「大きいくらいの方がいいのさ。 ほら、胸も誤魔化せるしさ」

紫揺が断崖絶壁に手を当てた。 その心配は要らないような気がするが、絶壁女子としてそう言ってもらえるのは嬉しい。

「紫さまって、仰いましたか。 どうぞ上がって下さい。 奥の部屋で着替えなさって下さいまし」

「有難うございます。 お邪魔します」

奥の部屋の中に入って行った二人を見送る剛度。 顔を土間に戻すと紫揺の長靴を見て小首を傾げる。

「この長靴じゃすぐに剥ぎ取られるか」

土間に下り似たサイズの履き物を探す。 汚して帰って来る孫の履き物の替えならいくらでもある。
探しながら考える。 それにしても話が見えない。 百藻たちが紫揺の前後を走っていたのなら岩山に向かっていたはずだ。 それなのにどうして地下なのか。 それにさっきも考えたがマツリと紫揺の関係が分からない。
棚に止まるキョウゲンを見たが教えてくれるはずもないだろう。


「剛度!」

マツリが驚いた目を向ける。

「地下に行かれるんでしょう?」

喋ったのかという目を紫揺に向ける。

「紫さまは何も言っておられません。 ですが五色様にこのような衣を着せるということはそれしかないでしょう」

暗にあんな話の後なのだからと、ニヤリと剛度が笑う。

「マツリ、共時さんは?」

「宮に連れて行かせた」

それがどうしたという目を紫揺に向ける。
すると何故か剛度が頷いた。

「剛度さんと共時さんは知り合いだって」

「え?」

「地下で何かあったら共時さんを頼るようにって言ってくれたから、共時さんの怪我のことを話した」

「そうか、知らなかった」

「いやぁ、酒場での顔見知りってくらいで深い付き合いじゃないんですけどね、共時のことはあとで百藻に訊きます。 それより急いでおられるんでしょう、地下迄お供します。 馬を地下の外に放っておくわけにはいきませんのでな」

そうか、とマツリが溜飲を下げた。 よく考えるとこの馬は見張番の馬だったのだ。 地下の外に繋いでおいても誰に持って行かれるか分かったものではない。

「悪いな」

「これくらい知れたもんです」

キョウゲンが紫揺の乗る鞍から飛び上がり縦に円を描く。 マツリが地を蹴った。

「それじゃあ、行きましょうか、俺が後ろを走ります。 紫さまはキョウゲンを追われて下さい」

紫揺が頷き馬の横腹を蹴った。

少し走るとすぐに剛度が紫揺に感心した。

「こりゃこりゃ、うちの番に欲しいな」

初めて紫揺が来た時には馬に乗れなかった。 それから二年も経っていない。
紫揺を前に座らせた見張番の瑞樹(みずき)からは、紫揺が馬に乗れるようになりたいそうだ、ということを聞いていたし、その後にやって来た時には百藻からも紫揺の走りの良さは聞いていたが、ここまでとは思ってもいなかった。

馬を走らせる専門家から見ても紫揺の走りはいいらしい。 阿秀の功績だろうか。

「なかなかに早く走らせておりますが如何いたしましょう」

紫揺のスピードに合わせてキョウゲンが飛んでいるが、このまま走れば地下に着くまでに馬がばてるかもしれない。

「地下がどこにあるか分からんだけに走らせればそれで良いと思っているようだな」

下を見ると紫揺も丁度こちらを見上げてきた。
マツリの胸がドクンと撥ねる。

(なんだ!?)

心臓が大きく、そして早鐘のように脈打つ。 全く治まる様子がない。 胸に何かが刺さった時にはすぐに収まるのに。
ギュッと胸元を掴む。

キョウゲンが何度も瞬きをする。


馬から下りた紫揺と剛度。 剛度が袈裟懸けにしていた袋から履き物を出した。

「汚いですけどこちらにお履き替え下さい。 その長靴ではすぐに剥がされますんで」

洗ってはあるようだが長年履いていた汚れが蓄積されている。

「あ、有難うございます」

慌てて長靴を脱ごうとした時に足元が悪かったからか、紫揺がよろめいた。 すぐに剛度が紫揺を支え脱ぎ終えた長靴は剛度が預かり袋の中に入れた。

そのやり取りを見ているマツリ。

「懐の中の物は落としていませんな?」

「はい」

剛度の目が紫揺からマツリに移された。

「今日中に出てこられますんで?」

マツリを見て言っているというのにマツリからの返事がない。 斜め下に目を向け紫揺の姿を見ているようだが、その目に紫揺が映っているようにも見えない。

「マツリ様?」

剛度の様子に気付いた紫揺がマツリを見る。

「マツリ? どうしたの?」

そう言っても返事がない。 紫揺がマツリの目の前で手を横に振る。

「マツリ、しっかりしてよ!」

「マツリ様」

耳元でキョウゲンの声が聞こえた。

「え?」

「如何されました?」

あれ? と紫揺が思う。 主と供は共鳴しているのではないのか? マツリのことなら何でもキョウゲンは分かるのではないのか? マツリがキョウゲンを知る以上に。 そうシキから聞いている。

「ああ、なんでもない」

そう言うと剛度に向き直る。

「わざわざ悪かったな」

「明るい内に出てこられますんで?」

言葉を変えて再度訊く。

「出来ればそうしたいが、どうなるかは分からん」

「では一旦馬を連れて帰ります。 夜になるようでしたら光石も要りましょうし、お帰りの時にはまたお知らせください」

「ああ、今日は夕陽の番だな」

「はい、陽が落ちるまでは岩山に居ます。 その後は家に。 明日も夕陽の番です。 万が一のために百藻と瑞樹には言っておきます。 宜しいですか?」

百藻と瑞樹は紫揺の前後を走っていた者だ。 共時を宮に連れて行けば見張番に戻ってくる。
剛度はこの二人に信用を置いているようだ。
マツリが頷く。

「再々悪いな」

「これくらいでそんなことを言わないで下さい。 それじゃ、くれぐれもお気をつけて。 紫さまも十分お気を付けください」

「はい。 有難うございました」

剛度が馬に跨るともう一頭の手綱も持って走り出した。

「わ、すごい」

今度はあれの練習をしよう、と緊張感のない紫揺が考える。



「うん? どうした? 阿秀」

「あ、いえ。 何か背中に悪寒を感じたんですが・・・気のせいでしょう」

「そうか? 気のせいならいいが、紫さまの居られない内に体調を整えておけよ」

「はい」

「おい、なんか今、寒気がしなかったか?」

「した」

即答したのは塔弥であった。

他の者も我が身を抱えるようにし、怖気(おぞけ)に耐えている様子だ。

東の領土では急に得体のしれない寒気がお付き達だけに蔓延したようであった。

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辰刻の雫 ~蒼い月~  第37回

2022年02月14日 22時09分22秒 | 小説
『辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~』 目次


『辰刻の雫 ~蒼い月~』 第1回から第30回までの目次は以下の 『辰刻の雫 ~蒼い月~』リンクページ からお願いいたします。


     『辰刻の雫 ~蒼い月~』 リンクページ




                                  




辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~  第37回



「あれでどうかしら?」

「少しは考えて下さるはずよ」

「でも完全にマツリ様のことをリツソ様の兄上だって仰ったし、東の領土の五色様として・・・」

「ええ、東の領土でいい人がいればって仰っていたわ」

「やはり五色様としての任を考えておられるのかしら」

「それが紫さまらしいのだけど。 それこそ私たちがお慕いした紫さまなのだけれど」

「ええ、腰を揉むこともお忘れになっておられなかったわ」

「でも、恋にはお疎いのかしら」

四人が肩を落とす。

「恋を鯉って仰るくらいだものねー」 素晴らしく決まったカルテットであった。



前後を見慣れた見張番に挟まれ馬を走らせる紫揺。

「遅い・・・ってか、遅すぎる」

無駄に長いと言っては怒られるだろうか、だがその宮の壁沿いや森の中の馬道をゆっくりと走るのは頷けなくもないし、壁沿いは退屈ではあったが、森の中ではゆっくり走ることで日々違いを見せる木々、その空間、鳥の鳴き声、森を見て耳を澄ませて堪能出来た。
だが今は森を抜け、何もないだだっ広いだけの砂地が続く広袤(こうぼう)。
とはいえ、阿秀にしたように勝手に走るわけにはいかない。
東の領土にいち早く帰りたいという理由ではなく、単にスピードが楽しめないだけだ。

「楽しくない・・・」

上空を見ると蒼穹の中にキョウゲンが黒々と見える。

「辛いだろうな」

自分は楽しくないと思った。 だがそれは贅沢な話であった。 夜行性のキョウゲンがこの明るい蒼穹の中を飛んでいるのだ。 紫揺に合わせて。
マツリがキョウゲンのことを見下すなと言っていた。 見下してなどいなかったがキョウゲンはマツリの供。 親しく感じたことは無かった。 だが今はキョウゲンに対して申し訳ないという思いがある。

「シユラ?」

紫揺の肩の上のカルネラが紫揺に問いかけてきた。

「うん? なに?」

車の運転とは違う、よそ見をしていても馬が真っ直ぐに走ってくれる。 紫揺が自分の左肩に乗るカルネラを見る。

「カルネラ、シユラ、スキ。 ダイジ」

「そうなんだ。 嬉しい。 私もカルネラちゃんが好きよ。 とっても大事よ」

飼育係をしていた小学生の時にリスも見ていたがそのリスが肩に乗ることなど無かった。 初めて自分の肩に乗ってくれたリスがカルネラだ。
左肩に乗っているカルネラを見ていた目を前に向けようと顔を動かした時、なにかが動くのが目に入った。

「え?」

今は森を抜け、離れた左右に見える、右手に岩山、左手に木々しかないだだっ広い所。 その離れた木々が林立している中、そこで何かが倒れたように見えた。

(人?)

まさか何もなさそうなあんな所に人がいるなどとは思えないがそれでも・・・。 後ろを振り返り大きく声を掛ける。

「待っていてください」

紫揺が足を使い左手で手綱を引く。 そして左に見える木々の林立している中に襲歩で向かった。
後ろを走っていた百藻が前を走る見張番に紫揺が道を逸れたことを大声で伝え、二頭が紫揺の後を追った。
上空ではキョウゲンが紫揺の後を追っている。

「勝手なことをしおって」

勿論キョウゲンが言ったわけではない。

木々の中に入った紫揺。 倒れたように見えたモノをずっと目で追っていたのは間違いなく人であった。 馬から跳び下りる。

「大丈夫ですか!」

それは男であった。 顔に痣を作り、足が痛むのだろうか片足に手を添えている。

「う、ぐ・・・ここ、は・・・」

この場所がどこなのか分かっていないようだ。
だが答える紫揺もはっきりとここが何処なのかを知らない。 詳しい説明は出来ないが、知っている本領という言葉と目に見えるものだけは伝えられる。

「本領です。 もう少し行けば岩山が見えます」

「・・・岩、山?」

男が顔を顰めた。 道を誤ったようだ。 だからここに来るまでに誰にも会わなかったのか。 殴られた頭が方向感覚をおかしくしたのか長く地下に居すぎたのか。 だが岩山と言われれば宮都の中にまだ居るようだ。

宮都の人間に会えば誰彼構わず聞くつもりであった言葉を吐く。

「アンタ・・・俤(おもかげ)って、知らないか」

「え? 俤さん?」

紫揺が目を大きく開いたのはもちろんのことである。

「俤さんに何かあったんですか!?」

この男の姿を見れば俤に何かあったとしか思えない。
その時マツリがキョウゲンから飛び下りてくる音がした。

「お前、勝手なことをするのではない!」

後ろからマツリの声が聞こえた。

「この人、俤さんのことを知ってるみたい!」

振り返りマツリに叫ぶ。

マツリが眉根を寄せ紫揺と男に近寄ってきた。
マツリが男に訊く。

「俤のことを知っておるのか」

どこかで見覚えがある顔だ。 俤と言うくらいなら地下の者でしかないだろう。 地下を回っている時に見た顔か。

「マ、マツリ、様?!」

男が驚いてマツリを見上げた。

「俤になにかあったのか」

「ど、どうしてマツリ様が俤のことを・・・」

「俤に何かあったのかと訊いておる」

二頭の馬が遅れてやって来た。 マツリが追っているのを見て馬の足を緩めていたのだった。 マツリが片手を上げて見張番を止める。 手綱を引いてその場に止まった。

男がせわしなく目を左右に動かしている。

「落ち着いて下さい。 俤さんのお話をマツリに聞かせてもらえますか?」

紫揺が男の手を取ってやる。

マツリの肩に乗るキョウゲンが何度も首を左右に振る。

「大丈夫ですから」

男が紫揺を見上げる。

「あ・・・」

一言漏らした。

「どうしました?」

「赤茶の、ネズミ・・・」

紫揺が男の目線を追う。 そこには、自分の肩の上には赤茶色のカルネラがいる。 だがネズミと言われてそれをリスとは言い変えないで紫揺が問う。

「この仔がどうかしましたか?」

「・・・俤が探していた・・・ネズミ」

紫揺がマツリを見上げる。

マツリが俤との会話を思い出す。 リツソが攫われた時に俤に言ったことを。 あの時はカルネラも共に居なくなっていた。
カルネラとは? 問われた俤に言った。

『リツソの供であるリスだ。 赤茶色に腹が白、黒い飾毛を持っている。 まだ言葉を上手く話せんが、万が一にもそのようなリスを見かけたら捕まえてくれ』

そう言った。 俤はリスとは言わず、わざとネズミと言ったのだろう。

(俤はリツソが見つかったと聞くまでカルネラを探していたのだろうか)

この男、疑うことは無いだろう。 普段の己なら飛んでいる。 こんな所で倒れていても気付くはずなどない。 誰かが仕掛けてきたとは思えない。 だとしたら俤に何かあったのは真実でしかない。

「何があった!」

男が肩を竦めながら心の内で呟く。

―――俤が・・・マツリの狗(いぬ)だった?

「マツリ! そんな訊き方はないでしょ!」

ごめんなさい、と紫揺が謝って男に問う。

「俤さんに何かありましたか?」

「あ・・・」

そうだ、俤がマツリの狗だろうが何だろうが今は関係ない。 自分に思うところがあってここまで来たのだ。 マツリであろうが誰であろうが・・・。

紫揺とマツリを交互に見る。

「マツリのことなら気にしないで下さい。 私に俤さんのことを聞かせてもらえますか?」

俤のことは情報屋と聞いていたが今のマツリの反応を見ていると、単なる情報屋ではなさそうだ。

「地下のことを、知ってるか」

「行ったことはありませんが噂にだけ」

いやいや、マツリから聞いた話と “最高か” と “庭の世話か” からしか聞いていない。 それもその四人は小耳にはさんだという程度だ。
マツリが地下に関わると生きては帰れないという言い方をしていたが、そこはあまり信用していない。

さっさと俤のことを話せとマツリが口を挟もうと開きかけたが、今は紫揺に預けるのがいいかと不承ながらも僅かに開いた口を閉じた。

「俤さんに何かあったのでしょうか?」

「・・・城家主に、捕まった」

目を大きく開けたのはマツリだ。

「ジョウヤヌシ?」

紫揺が初めて聞く言葉。 それは地下といわれるところの言葉なのだろうかと紫揺がマツリを振り返る。 マツリが頷く。 マツリは知っているということだ。

「俤さんが捕まった? ジョウヤヌシに?」

男が頷き倒れ込みたい体を叱咤して続ける。

「それを聞いて屋敷に忍び込んだが助けることが出来なかった」

紫揺がもう一度マツリを振り返る。 マツリが心痛な面持ちでいるのが見えた。

「この傷は俤さんを助けようとしてできた傷ですか?」

「思っただけじゃあ、何の意味もねーや。 助けられなかった。 単なる傷だ」

「そんなことは無いです。 俤さんを想って下さったんですから。 捕まった俤さんが今どこに居るかご存知ですか?」

「城家主の屋敷の地下。 地下牢に違いない」

もう一度紫揺がマツリを見た。 マツリが頷く。

「あなたのお名前は何と仰います?」

「え?」

「これからマツリとお話していただきます。 お名前は?」

「共時(きょうじ)・・・」

「では、キョウジさん。 もう少し詳しくマツリに話して下さい」

共時がマツリを見上げた。


「そうか。 では、俤はその地下牢のどこかに居るのだな」

共時の話しでは地下は屋根裏と違って広く牢は数があり、ましてや地下一階と二階があるという。
共時とマツリの間で話が成り立ち、更に共時が城家主の屋敷の間取りも説明した。

「はい、屋根裏には居やせんで。 移動させられてなければ地下しかありませんや。 すぐに助けてやってください」

この共時は忍び込んだとき先に屋根裏を見たと言った。 そこから地下牢に行こうとした途中で見つかってしまったということであった。

「・・・だが、なぜお前は地下から出てきた」

見つかって城家主の屋敷から逃げてきたのは分かるが、どうして地下から出て来たのか。 再び城家主に見つからない為だけでは無かろう、俤のことを知らないかと訊いていたのだから。

「俤を助けたかっただけ。 けど助けられなかった。 俺に出来ることは・・・俤の亡骸を救ってやることだけ・・・いや、亡骸は救えないのは分かってる。 ただ・・・知ってもらうために・・・知らせるために」

俤がマツリの狗だったとしてもその気持ちは今も変わらない。

「え?」

そう言ったのは紫揺だ。

「城家主に捕まっては利用できないヤツは殺される。 俤は利用できないヤツです」

マツリが目を据えて話を聞く。

「俤は数日後には殺されるでしょう。 いや、もう殺されているかもしれねぇ。 ・・・それを伝えたかった。 俤を想っているヤツが居るはずだから、それを伝えたかった」

「・・・どうしてだ」

「俺が城家主の屋敷から出た後ですが俤の行動はちょくちょく見張られてた。 新顔に金をやっては地下から出そうとしてやしたから。 そんな心根のあるヤツが、俤が簡単に地下に落ちて来るはずはありませんや」

そう思っていた。 まさかマツリの狗だとは思っていなかった。

「どういうことだ」

「俤は・・・そりゃ、何かあって落ちたかもしれやせん、逃げてきたのかもしれやせん。 地下に。 ですがこの本領に何かを残してきた。 その希望が新顔に向けられたんじゃないかって」

「お前がそう思ったのか」

「俺だけじゃねー・・・ありやせん。 俤から金をもらってたヤツらはみんなそう思ってます」

「お前は屋敷に忍び込んでそれだけやられたのに、どうやって逃げてきた」

「城家主の屋敷の中には俺を慕ってくれているヤツがいます。 そいつが逃がしてくれやした」

「そいつは、それに俤から金をもらってた奴らも俤を助けようとしなかったのか」

「俺が一声かけりゃあ、集まったでしょう。 俤のことを知らせてくれた奴もそう言ってやした。 だがアイツらを巻き込むわけにはいかねーんです。 巻き込んでやられるだけで。 それじゃあ結局俤も救えない。 人数が違う。 それに城家主についてるヤツ等は殺すことを何とも思っちゃない。 こっちは躊躇するヤツばっかりで」

マツリが目を眇めた。 そのマツリの耳に声が飛んできた。

「マツリ、俤さんを救いに行くわよ」

場所をマツリに譲り、後ろに立っていた紫揺の声だ。
マツリが紫揺に振り向く。

「俤さんは生きてる。 助けに行く。 そうでしょ?」

「お前・・・」

「私についてくるなって言わないわよね。 キョウジさんを見つけたのは私なんだから。 それがいやなら私がキョウジさんに地下の場所を聞いて私一人で俤さんを助けに行く。 どう?」

「・・・お前、今、地下の話を聞いただろう。 それにこの共時の姿を見ろ」

「それが何なの? 同じでしょう」

同じとはどういうことかと、共時が紫揺を見上げる。

「身体が痛いのは嫌いだけど心に痛いことはもっと嫌。 キョウジさんと一緒」

「・・・お前」

「何度もお前って言うんじゃないわよ。 それともアンタって呼ばれたいの? 行くわよ、地下に。 キョウジさんのことは、見張番さんに頼んでよ」

「お前が地下に行ってどうこうなるものではない!」

「私を甘く見ないでほしいわ!」

「は?」

「逃げる時には逃げられる。 マツリの足手まといにはならない」

そう言うとマツリの肩に止まるキョウゲンを見た。

「キョウゲン、地下に案内してもらえる?」

「マツリ様・・・」

マツリの肩に止まるキョウゲンがこぼす。
俤がどうなっているのか、俤を死なすことなど出来ない。 時がない。 だからと言って紫揺が必要ではない。

「お前は見張番と東に帰るがいい。 送って行けなかった事はあとに東の領主に詫びる」

「は!? なにそれ?」

「時を争う。 俤のことがある、送っては行けぬ。 見張番と岩山まで戻ってくれ」

「それってバッカもエベレスト!」

「は?」

「若しくはチョモランマ!」

「お前、なにを言っておる?」

「私も行くって言ってるのよ。 さっさとキョウゲンに乗りなさいよ」

「お前・・・」

「マツリがキョウゲンに乗らないのなら、地下への道案内をしてくれないのなら、この岩山の間をあちこち走り回る。 見張番さんも馬もくたびれても走り回る」

マツリが何か言おうとした時、その前を取られた。

「カルネラ、シッテル」

「え?」

「シユラ? カルネラ、シッテル」

紫揺とマツリが目を合わせる。

「カルネラちゃん知ってるの?」

「リツソ・・・リツソ、イタ。 リツソ、ネル。 カルネラ、ハシル。 イッパイ、イタ」

カルネラが言っているのは城家主の屋敷の中のことだろう。 あくまでも屋敷までの道のりではない。 だが、最後の “イッパイ、イタ” は何だろう。 城家主の手下のことなのだろうか。 共時が人数が違うと言っていた。 そんなに手下が居るのだろうか。 簡単に俤を出すことは出来ないのであろうか。

「・・・カルネラちゃん、案内できる?」

「アナイ?」

「屋敷の中を教えてくれる?」

「カルネラ、デキル! カルネラ、イイコ! シユラ、スキ! アナイ!」

紫揺がマツリを見る。

「城家主の屋敷の中は今聞いた。 カルネラの案内は要らん」

紫揺が何の表情もなくマツリの言いたいことを聞いた。

「そっ、じゃ、マツリなんてもう要らない」

マツリが紫揺を睨む。 そのマツリを睨み返した目を横にずらす。

「キョウゲン、キョウゲンに勇気があるなら今すぐ地下への道案内をして」

困ったようにキョウゲンが首を左右に動かす。

「キョウゲンはマツリの根性なしに共鳴してないんでしょ」

「マツリ様に根性がないとは。 そのようなことは御座いません」

マツリが驚いた。 キョウゲンが紫揺に返答している。

「そう、分かった。 もういい。 適当に走る。 キョウジさんのことは、見張番さんに頼んでよ」

そう言うと馬に跳び乗り共時が背を向けている方に馬を走らせた。 背を向けているということはそちらから歩いてきたのだろうから。

「あ! 馬鹿! 待て!」

マツリが呼ぶが呼ばれて止まるような紫揺ではない。 そんな柔な紫揺なら阿秀も塔弥も苦労はしない。


『お天気がいいので辺境に行ってきます。 道は覚えたつもりだから一人で大丈夫です』

と、突然に言い、お転婆で走り出すは、辺境に行くと乗馬用の下穿きがあるのをいいことに辺境の子供たちと木登りや岩飛び遊びをする。 それはそれは、お付きの者の苦労は絶えなかった。

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辰刻の雫 ~蒼い月~  第36回

2022年02月11日 22時29分43秒 | 小説
『辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~』 目次


『辰刻の雫 ~蒼い月~』 第1回から第30回までの目次は以下の 『辰刻の雫 ~蒼い月~』リンクページ からお願いいたします。


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辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~  第36回



紫揺の肩から下りてきていたカルネラが紫揺の掌の中で仰向けになっている。 背だけではなく手も小さな掌には収まりきらない尻が落ちている。 そしてもう一方の手の人差し指はカルネラの胸の辺りで動いている。 トロリンとしているカルネラ。

「ロセイに話しかけてみてくれる?」

「え・・・」

「何を訊いてもいいわ」

指が止まり一度頭を下げた紫揺。

「じゃ、一度だけ」

困り顔で応える。
これは絶対に引くに引けないのだろう。 それならさっさと終わらせよう。

「ロセイ、ロセイの主の想い人はだれ?」

澪引が吹き出しそうになった。 ロセイの主はだれ、で止めておけばいいのにと。

ロセイがシキを見る。
ロセイの口が硬い嘴ではなく、柔らかい人のような唇をしていたならば波打っていたかもしれない。

「どうしたの?」

ロセイの様子がおかしいと気付いたシキ。

「お答えしても宜しいでしょうか?」

「では、紫になら問われれば答えるということね。 それがどんな内容であれ」

さっきロセイは言っていた。 シキの身体に危険があるようならばマツリや四方に問われれば答えると。 だが今、紫揺が問うたのは重大な問いではない。

「お答えしなくてはならないような、したいような・・・そんな気になります」

シキとマツリが目を合わせる。

「どういうことかしら」

「紫の力というわけではない様で御座います」

マツリが紫揺の瞳の色を見たが紫にも赤と青の異(い)なる双眸にもなっていないし、他の色の力も使っていないようだ。 紫揺の瞳はいつも通り黒である。

「波葉様で御座います」

耐えきれなくなったロセイが紫揺に言った。 腹の底が収まったようにロセイが長い首を曲げる。
ロセイがこうなのだ。 キョウゲンで試すまでもない。

カルネラは気軽に紫揺に答えるが、気軽にというところではリツソが出来ていなかったからかもしれないが、答えるというところではロセイもキョウゲンも同じだろう。
だが他に違うところがある。
先ほどロセイは『供は主の言(げん)以外は、聞こえていても耳にせずもの』 と言っていたが、カルネラはシキが問うてもその話が、言葉が分からないといった様子だった。

「カルネラはマツリの言うことは分かるの?」

シキに問われ片手を顔にあて過去を振り返る。

「今までにカルネラに何を言ってきたか・・・」

他出から帰って来た時、シグロとハクロに止められた。 リツソがカルネラを使って四方から逃げようとしていると聞いた。
あの時にはキョウゲンにカルネラを探しに行かせカルネラに話をしたが、結局マツリが言うことは分からなかった様だった。 ハクロだったかシグロだったか、どちらかがカルネラに言って話が通じた。

城家主の屋敷から逃げ出した時には最初は分からなかったようだが、キョウゲンがマツリの言ったことに口を添えた後から分かったようだ。 板を割る時にはキョウゲンが見本を見せていたし、マツリが指をさして動きを見せていたところもある。 言葉が分かったとは言い切れない。

「最初にカルネラを呼ぶときには呼ばれていることは分かっているようですが・・・そう言えばあまり通じているとは考えられません」

他には・・・。 紫揺からの手紙でリツソが大泣きをしたときのこともあった。 あの時カルネラにリツソの口を塞げと言ったが・・・。 結局は己の手ぶりで分かったように思える。
いや、それ以前のことが考えられる。

「リツソが我のことを怖がっておりますので、カルネラも我のことを怖がっているでしょう。 そう思えば我が最初にカルネラを呼んで反応するのは呼ばれているのが分かっているのではなく、声に恐がっていただけかもしれません」

「じゃあ、一度でいいから何か一つ優しく訊いてみて」

「は?」

「何でもいいわ」

「そう言われましても」

優しくと言われても。

「早く。 もう完全に寝ちゃうわ」

カルネラが紫揺の掌の中で大の字になっている。 紫揺がカルネラを起こそうとほっぺをツンツンするが、その指にカルネラが手を伸ばし絡まってくるだけで起きようとする気配がない。
マツリが眉を顰める。

「カルネラ」

声音静かにマツリが言う。

「きゅーい」

口から小さな声が出たが目は開いていない。

「カルネラ、起きろ」

紫揺に絡めていた手が落ちた。 完全に寝たようだ。

「カルネラ!」

「ピー!!」

指の一本一本も広げてまさに大の字になり、耳の飾り気も尻尾の毛も総毛だった。
ここにリツソが居れば耳に指を突っ込んだだろう。

シキが溜息をつく。 優しくと言ったのにこれでは恐がらせているだけだ。
カルネラがすぐ目の前にあった紫揺の人差し指にしがみ付いた。

「大丈夫、マツリは怒ってないから」

カルネラの身体が小刻みに震えているのが指に伝わってくる。 もう一方の手でカルネラの頭や身体を撫でてやる。

「ね、今からマツリがカルネラちゃんに何か訊くの。 それにちゃんと答えられる?」

「きゅーい・・・」

「ほら、恐がらなくていいから。 マツリを見なくてもいいから」

カルネラを自分の方に向けてやる。

「カルネラ」

こわ~い兄上の声が聞こえた。

「ぴっ」

カルネラの身体が強張る。
呼んだものの、何を訊こうかと一瞬考えたが何も浮かばない。

「お前の主の名は」

芸のないことを言ってしまったが、カルネラには単純な問が無難であろう。
カルネラが紫揺を見る。 紫揺が微笑んでカルネラに頷いてみせる。

「・・・シユラァ」

「マツリに答えてあげて」

カルネラが急に紫揺の腕を走った。 そして何故だ。 両手両足を広げて紫揺のペッタンコのお胸にへばりついた。

「シユラァ・・・」

マツリが大きく息を吐く。

「リツソそのものか」

これでは何もわからない。 だが、たとえカルネラがどうであれ、ロセイが言ったことであれ、それはたいしたことではない。 紫揺のような人間がゴロゴロしていては困るがそうそう居るわけではないだろうし、まず供は例外を除いて主と時を共にしている。
紫揺のような人間が悪意を持って何かを訊きだそうとしてもそこには主が居るだろう。 このことはそんなに問題ではない。

と、そこまで考えて今更ながらに気付いた事があった。

地下に入って俤の様子を見てくる、そんなことをカルネラに言っていたが、カルネラに語彙が少なくて通じなかったのではなかったのか。 マツリの言葉を聞くことが出来なかったのかと。
無駄なことをしていたようだった。

「このような事はそうそうには無いと言えましょう。 それとカルネラが姉上や我の言葉を理解しないのは、まだしかりとリツソとの繋がりが出来ていないからなのではないでしょうか。 この事はあまり気にせずとも宜しいかと」

俤のことは後で何か策を講じるとして、その為にも先にしなければいけないことがある。

「それでは姉上、そろそろ紫を東に戻します」

「茶房で父上は何と仰っていたの?」

少しでも長く時をとろうとしているのがありありと分かる。

「姉上、紫を東に戻します。 宜しいですね」

「マツリはいいの?」

「何を仰っておられるのですか」

大きく溜息を吐くと紫揺を見た。

「送ってゆく。 衣を替えてくるよう」

マツリも着替えねばならない。 椅子から立ち上がる。

シキと澪引とは名残惜しい。 今度いつ会えるか分からないのだから。 それとも会えないかもしれない。 それに俤のことも気になるが自分は東の領土の人間。 マツリが飛んできた時にその後どうなったのか、助けは要らないかと訊くしかない。

紫揺が立ち上がった。

「紫・・・」

シキが眉尻を下げて立ち上がった紫揺を見た。 澪引もまた紫揺を見ている。

「長くお世話になりました。 澪引様もシキ様もいつまでもお元気で。 リツソ君には会わずに帰ります。 それと・・・。 シキ様の仰っていらした五色のせねばならない事、領主さんに迷惑をかけないようによく考えておきます」

「・・・紫」

紫揺の言葉を背に聞きながらマツリの足が一瞬止まる。

(五色のせねばならないことを、よく考えておく? どういう意味だ)

本領に来るまでの道々、紫揺には力の話をしていた。 それ以外のことがあるというのか。 シキは五色のどんな話をしたのだろうか。

「いつでも来てね。 用がある無しに関わらずよ」

「有難うございます」

「紫、息災でね」

「澪引様もお身体をお大事に」

胸にしがみ付いているカルネラを宥めて卓に座らせると机から一歩離れて深くお辞儀をした。 もう異音は絶対に鳴らさない。

昌耶が開けたくない襖を開け手をついて紫揺を送る。 昌耶も紫揺を気に入っているのだから。 最初の時には紫揺の衣裳のはり合いをシキとした程なのだから。

部屋を出た紫揺。 “最高か” と “庭の世話か” の前まで来ると「着替えます」 と一言いってそのまま歩いた。
四人が顔を見合わせる。 今日東の領土に帰ることは分かっていたのだから、着替えるのは紫揺がやって来た時に着ていた衣装にということだ。
四人が四人とも眉尻を垂れて立ち上がった。

マツリもキョウゲンと共にシキの部屋を出て行った。

「結局、マツリと紫が寄り添うことは無かったわね」

「まだこの数日で御座いますもの。 わたくし、諦めておりませんわ」

「でも紫が本領に来ることはもう無いのでしょう?」

「はい。 どうしてもそこが難点で御座います。 マツリが東の領土に飛んだ時に紫と会って、紫のことを想っていると分かってくれればよいのですが」

「え? それはなぁに? マツリが、そうなの?」

シキの目が輝いて口の端が上がる。

「はい、朝餉の席でマツリが言っておりましたでしょう、呑み過ぎたと。 見張番の祝いの席で呑んだこともありましょうが、その後に波葉様とも呑んで」

澪引が卓に手を着き前屈みになって聞いているが、少し前の澪引からは考えられない姿勢である。 こんな姿勢がとれなくはなかったが、あとに咳が出たり体の不調が出るかもしれないと思うと安易にとれる姿勢ではなかった。
それにまだ紫揺が居る時、紫揺が『ロセイの主の想い人はだれ?』 と訊いた時があったが、その質問に澪引が吹き出しそうになっていた。 その様な反応は今までに無かったことである。 

「波葉様が仰るにはマツリは紫のことを想っていると。 ただマツリはそれに気付いていなかったので波葉様がマツリの疑問を全て解いたそうです」

まぁ、と言いながら澪引が桜の花びらのような唇に両手を当てる。

「ですが表面的には認めなかったということらしいですわ。 ですが心の中のどこかでは分かっているということでした。 ですからまだマツリ自身が整理できていない状態、そう言っておられましたわ」

澪引の目が輝いた。 そして頷き合う二人。 まるで “最高か” か “庭の世話か” のように。
そしてその “最高か” と “庭の世話か” のことを伝えた。

「味方が増えましたわね」

「はい。 必ずやマツリの奥には紫を」

リツソのことを完全に諦めた澪引。
もう一度頷きあった二人であった。


いつもならテキパキと手を動かして着替えを手伝う四人の手が、ユルユルと動いている。

「えっと・・・あの? どうかしましたか? 元気がないようですけど」

「紫さまが帰られるのですから」

「元気もなくなります」

「元気どころか悲しみしか御座いません」

「今泣いてもよろしゅう御座いますか?」

「あ、それは止めてください。 私も悲しくなりますから」

「え? では紫さまも私たちとお別れするのを悲しいと思って下さるのですか?」

「もちろんです。 お世話になりっぱなしなだけだから、大きな声じゃ言えませんけど」

「いくらでも! いくらでも大きな声で仰ってくださいませ!」

「ええ、ええ。 それをお聞きするだけでうれしゅう御座います」

「その様に思って下さっておられたとは思いもしませんでした」

「私、皆さんのことが好きです。 何にも知らない私の相手をして下さったり、こうやってお着替えを手伝って下さったり。 でも何もお返しが出来ていません。 そうだ、腰を揉むって言ってたのにそれさえしてません。 ごめんなさい」

紫揺の言葉に四人がそれぞれに胸の前で手をギュッと握っていたが、紫揺の最後の言葉を聞いてその手を離した。

「ごめんなさいなどと・・・」 美しい悲しみのカルテット。

またユルユルと四人の手が動きだす。

帯さえ解いてもらえればあとは紐を解いて脱ぐだけだから紫揺にも出来るが、どうもこの本領では一人ではさせてもらえない様なのだ。
最後の一枚がハラリと肩から落ちた。

「東の領土の服は・・・衣、衣裳は自分で着られますから」

服と一つ言うだけで日本の言葉、領土の言葉、宮の言葉と無駄に何度も言い換える。
四人が視線を落とし座り込むと脱いだ一枚一枚をたたみ始める。
手際よく服を着て行く紫揺。 上衣は薄い青、下衣は濃い青。 上衣の合わせの着方も心得ている。 皺を入れずにえんじ色の帯をいつもより一周多くまわし最後に帯を括る。 長靴は下足番が用意をしているはず。
着替え終わった紫揺を見る四人。

「紫さま、くれぐれも道中お気をつけて」

四人が手を着いて頭を垂れる。

「はい。 心配しないで下さい。 ずっとマツリがついてくれていますから」

四人の眉がピンと撥ねあがった。

「紫さま? 少し宜しいでしょうか?」

「はい、何でも」

四人が無言で無動作で互いの意見を一致させる。

「マツリ様とご一緒に帰られるということは、マツリ様とお話をされるのでしょうか?」

「はい。 フクロウに乗って上空からって所もありますからずっとじゃありませんけど、来た時にはそれなりに話し・・・あ、じゃなくて五色のことを教えてもらっていました」

「五色様のことだけで御座いますか?」

「はい」

「他にはなにも?」

何が言いたいのだろうか。 取り敢えず紫揺が頷く。

「マツリ様と恋のお話などされませんのでしょうか?」

「鯉ですか? 太鼓橋の下の?」

四人が一瞬固まりそのまま砕けそうになったが、そんなことをしている時など無い。

「いいえ、そちらの鯉ではなく、想い人のお話で御座います」

「想い人? マツリにそんな人がいるんですか?」

「あ・・・、いいえそういうわけではなく」

とことんボケてくれる。 時は無いのだ、これは直球しかない。 そう考えたのは四人が四人ともだろう。

「マツリ様と紫さまのことで御座います」

「へ?」

「私たちは紫さまにマツリ様の奥になって頂きたいと思っております」

言った本人以外、残りの三人が何度も頷いている。

「紫さまはマツリ様のことをいかが思っていらっしゃいますか?」

「いかがって言われても・・・。 マツリはリツソ君の兄上としか。 それに私は東の領土の五色ですから、東の領土の誰かと・・・、その、いい人が見つかればですけど」

四人が打ちひしがれたように頭を垂れた。

「あ、その、ご期待に応えられなくてすみません。 その内あんなマツリでもきっといい奥が見つかりますよ。 えっと、皆さんのことは本当に好きです。 お世話になりました。 いつまでもお元気で」

打ちひしがれている四人を置いて逃げるように襖を開けて飛び出すと、そこにはキョウゲンを肩に乗せ勾欄にもたれている着替えた姿のマツリが待っていた。

(ゲッ! いつから居たんだ)

まさかついウッカリ言った “あんなマツリ” 宣言を聞かれただろうか?

マツリがクルリと方向を変え歩き出す。
ついて来いということだろう。 マツリの後ろを歩く。 何度か回廊を曲がって大階段の上にやって来た。 その時、回廊を走るカルネラの姿が見えた。

「え? カルネラちゃん?」

「シユラー!」

紫揺の足からスルスルと肩に上ってきた。

「カルネラちゃん、今から帰るの。 元気でいてね。 リツソ君にお勉強頑張ってって言っておいてね」

紫揺の肩から下りそうにないカルネラ。 仕方なくカルネラを手に抱き下に降ろす。 するとまたカルネラが上ってきて紫揺の肩に止まる。

「カルネラちゃん、リツソ君の所に行っておいで」

もう一度カルネラを下すが同じことの繰り返しで終った。

「カルネラ、リツソの所に戻っていろ」

「ほら、またマツリに怒られるよ」

もう一度下したが、また上ってきた。
大きく息を吐いたマツリ。

「行くぞ」

マツリが大階段を降りて行く。
カルネラを連れて行っても良いということだろうか。

「カルネラちゃんも一緒でいいの?」

「勝手にさせろ」

「私なら大丈夫で御座いますが」

この天気のいい中、少しでもキョウゲンを出したくないと思っているマツリ。 少しでも陽が高くなる前にと思っている。
キョウゲンはそれに気付いているが紫揺は気付いていないようだ。

「フクロ・・・キョウゲン? キョウゲンが何?」

大階段を降りると既に下足番がマツリと紫揺の長靴を並べていた。

「何でもない」

並んで長靴を履くが、紫揺はマツリと違って階段に腰を下ろして履いている。

「あ、そうか。 キョウゲンは夜行性なんだ」

どうしてそんなことに気付かなかったのか。 空を見上げる。 雲一つない蒼穹。

「私なら平気だから暗くなってからでもいいけど?」

「暗い山の中を歩くというのか」

「あ・・・」

それは恐い。
長靴を履き終えた紫揺が立ち上がり顔を上げるとキョウゲンを見て言う。

「無理させてゴメンね」

キョウゲンの大きく丸い目が何度も瞬く。

「具合が悪くなったら言ってね。 マツリなんかに遠慮しなくていいから」

マツリがキョウゲン越しに紫揺を睨みつけるような視線を送ってきた。

(しまった、マツリなんかって言っちゃった・・・)

ついウッカリ心の声が出てしまったようだ。

「・・・マツリ様?」

またマツリが見えない。 マツリが何を考えているのかが分からない。
マツリが歩き出す。
心に正直な紫揺が肩にカルネラを乗せながら、前を歩くマツリにペロッと舌を出して後に続く。

(良かった、無視してくれて)

門前では見慣れた二人の見張番と共に三頭の馬が待ち構えていた。

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辰刻の雫 ~蒼い月~  第35回

2022年02月07日 22時00分46秒 | 小説
『辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~』 目次


『辰刻の雫 ~蒼い月~』 第1回から第30回までの目次は以下の 『辰刻の雫 ~蒼い月~』リンクページ からお願いいたします。


     『辰刻の雫 ~蒼い月~』 リンクページ




                                  




辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~  第35回



シキの部屋には澪引も来ていた。 リツソを間違いなく勉学の師に預けてきたと言う。

「また逃げ出さなければ良いのですが」

澪引が眉尻を垂れて言うが、シキ同様その姿も面差しも美しい。

「頑張っているんですね、リツソ君」

「紫が今日東に戻るのだからどうしても一緒に居ると言っていたの。 でもね」

シキに視線を送る。

「ええ、リツソに邪魔をされては困りますわ」

「リツソ君が邪魔を?」

「ええ、リツソが居ると紫はリツソのことを気にするでしょう?」

「そんなことは無いと思いますけど・・・」

と言った途端、部屋の外で叫び声が重なった。
眉間に皺を寄せた昌耶が襖を僅かに開ける。
と、またしてもその隙間から毛玉が走って入って来た。

「ひえ!」

昌耶がまたしても仰け反った。

「シユラ!」

カルネラが椅子に座る紫揺の足元から、スルスルと肩の上まで上がってくる。

「カルネラちゃん、おはよう」

人差し指の指先でカルネラの顎の下をさする。 俗にいう犬猫扱い。

「心の臓が幾つあっても足りのうございます」

両手を心臓の辺りに添えて今にも心臓が止まりそうな顔をして昌耶が呟く。

「すみません」

なぜか謝る紫揺。

紫揺のせいでは無いと昌耶が首を振るが、昌耶の年齢を考えると真実この登場の仕方は心臓が止まるかもしれない。

「リツソ君と一緒にお勉強しなくていいの?」

「オベ・・・ン、キョ?」

「えっと、勉学」

そうだ、ここではお勉強とは言わないんだったと思い出す。

「ワレ、カルネラ。 アニウエ、コワイ。 アネウエ、ヤサシイ」

胸を張って言う。 こんな所はリツソそっくりだ。
勉強から話が逸れてしまったように聞こえるが、これはリツソから得たもの。 カルネラにしてみればこう言うことが勉強の一つと表出しているのかもしれない。

「そっか。 シキ様はお優しいもんね」

シキが口角を上げて微笑む。 そのシキを温かい目で見ている澪引と目が合った。

「ねぇ、カルネラ? 母上のことは?」

カルネラがキョトンとした目をする。
紫揺の人差し指が止まる。

(え? 駄目でしょ! ここで止まったら駄目でしょ! それじゃあリツソ君が澪引様のことをカルネラちゃんに何も聞かせなかったことになるじゃない)

それに気付いたのか澪引が寂しげな表情になっていく。

(ヤッバ、これって完全におかしな雰囲気になっちゃう)

今日帰るというのにこんな終わり方はご免だ。

「カルネラちゃん?」

「シユラ!」

キョトンとしてシキを見ていた顔を嬉しそうに紫揺に向ける。

「リツソ君は澪引様のことを何か言っていた?」

頼む、それなりに答えて、と祈りながら訊く。

「ミオ、ヒ、マサ?」

“マサ” ではない、“サマ”。 いや、今そんなことはどうでもいい、失敗した。 リツソは澪引様とは言わない、母上というのだった。

「リツソ君の母上」

「ハハウエ?」

「うん、そう」

「ハハウエ、スキ。 ダイジ。 シユラ、ダイスキ」

比較級でこられた。 どういう顔をしていいのだろうか。
そっと肩に止まるカルネラから目を外すとシキが笑いを堪えているのが見えた。 澪引に目を移すと頬に手を当てている。
禍は無かったようだ。

「まぁ、リツソったら」

「母上、リツソは母上のことを大切に想っているようですわ。 好きは紫の次のようですけど」

本領で “好き” という言葉は十五に満たない者が使う言葉だ。 十五になれば “想い” や “想い人” という言葉に変わる。

「リツソはまだ言葉の使い方も分かっていないようですわね」

いやいや、そうでもない。 リツソの中では紫揺は想い人の上の奥になっているのだから。

(良かったー)

悪い雰囲気で帰ることがなくなった。
この場を丸く収めてくれたカルネラを褒めるようにカルネラの頭を人差し指で撫でてやる。

「カルネラちゃん、いい仔ね」

「カルネラ、イイコ」

「うん、いい仔。 嬉しいよ」

シキが首を傾げカルネラを呼ぶ。

「カルネラ?」

「カルネラ、イイコ。 シユラ、ウレシ!」

おかしい。 カルネラの反応がおかしい。

「カルネラの主はだれ?」

声がした方、シキを見たカルネラが首を傾げる。

「紫、同じことを訊いてちょうだいな」

カルネラを見たまま紫揺に言う。
シキが何を言いたいのかが分からない。 カルネラと同じように首を傾げながらも紫揺が訊いた。

「カルネラちゃんの主が誰かな?」 

「リツソ!」

嬉しそうに答えるカルネラ。

「カルネラ、リツソの兄上はだれ?」

またもシキがカルネラを見ながら問う。 カルネラが首を傾げる。
そしてシキが先程と同じことを紫揺に言った。

「カルネラちゃん、リツソ君の兄上は誰かな?」

「アニウエー!」

たしかにそうだ。 リツソはマツリのことをマツリとは言わない。

「カルネラ、これが最後。 カルネラの好きなものは何?」

またもやカルネラが首を傾げる。 シキに言われずとも紫揺が間をおいて同じことを訊く。

「カルネラちゃんの好きなものは何かな?」

「ウマイ。 オナカイッパイ。 シユラ、ダイスキ!」

とても幸せそうに答える。

「ありがとう」

紫揺が人差し指を動かす。

シキが納得したように前屈みになっていた姿勢を正した。 だがいつになく難しい顔をしている。

「シキ様?」 「シキ?」

紫揺と澪引が同時に呼ぶがそれに応えることなくシキが昌耶を見る。

「ロセイを呼んできてもらえるかしら」

シキと共にロセイはお役御免とはなっていたが、だからと言ってシキから離れることは無い。 今回もついて来ている。
そのロセイは紫揺が居なければシキの自室に一緒に居るが、紫揺が居る時には座を外し、別の部屋に巣を置いている。 いや、ロセイが気を利かせているのが分かっているので巣を移しているのは従者であるが。

昌耶が手を着き襖から出て行った。

「シキ、いったいどうしたの?」

「まだハッキリとは分かりません。 ロセイが教えてくれるかもしれません」

そう言ったシキが紫揺を見る。

「紫? カルネラに何かを感じる?」

「え?」

「カルネラに限らずロセイやキョウゲンにも」

「カルネラちゃんは可愛いと思います。 ロセイは綺麗だし。 フクロウは・・・」

「フクロウではない、キョウゲンだ」

澪引とシキ、紫揺が声の発する方を向いた。

「マツリ・・・」

紫揺が喉の奥で言った。

昌耶が居なくなり、シキの従者が外からマツリが来たことを言っていたが、それが聞こえていなかったようだ。

「あら、マツリ。 今すぐ紫を帰すのはやめてちょうだいね。 確認したいことがあるの」

「我もそれをお聞きしたいものです」

既にシキと紫揺のやり取りは聞いていた。

「マツリ、お座りなさいな」

澪引が勧める。 頷き椅子を引いたマツリがチラリと紫揺を見た。
シキの眉が上がる。

「それでキョウゲンは」

真っ直ぐに前を向いているマツリ。 紫揺を見ていないがその問いが紫揺に向けられているのは分かる。

「・・・」

まさかこのタイミングでマツリが来るとは思ってもいなかった。
無言の紫揺にマツリがチロリと視線を流す。

「キョウゲンは・・・」

紫揺が大きく息を吐いた。

「正直に言っていい?」

「ああ」

「初めてキョウゲンを見た時・・・」

「我がお前の前に現れた時か」

またお前と言った。 紫揺の頬がピキリと上がる。 だが我慢。 今からやり返してやるのだから。

「そう。 その時。 思いっきりびっくりした。 人を乗せるフクロウなんて」

「キョウゲンだ」

「分かってるわよ。 ハクロにも名前を言われたし、名前を言わないといけないことは」

「それで」

「その後にカルネラちゃんを見た。 会った。 フクロウよりとっても可愛かった」

「キョウゲンだ」

「そう、そのキョウゲンと比べ物にならないくらいカルネラちゃんは可愛かった」

「キョウゲンがその様に言われる筋合いなどない筈だ」

誰がキョウゲンとカルネラを比べてキョウゲンのことをどう思うかと訊いたというのか。 シキは何かを感じないかと訊いただけではないか。

「ええ、そう。 マツリの供がキョウゲンだからそう思った」

「どういうことだ」

「マツリよりリツソ君の方がずっと可愛いってこと。 大切だってこと」

可愛いで止めていればいいものを大切とまで言った。
マツリの眉が撥ねる。

「お前が誰をどう思おうが我の知ったことではない。 だがキョウゲンのことを蔑(さげす)むように言うではない」

「蔑んでなんてない」

澪引がハラハラしてマツリと紫揺の会話を聞いている。 シキはロセイを待ちながらも二人の会話のどこかに何かが無いかと探っている。

「キョウゲンはキョウゲンでしょう」

「そう考えていない筈だ」

「は? 何を言いたいのか分からない」

「比べるという事をするな。 ましてやお前はリツソの供であるカルネラとキョウゲンを比べた。 俺とリツソを考えながら。 それは言い換えればキョウゲンだけを見ていない事になる」

たしかにそうである。 そういうつもりで言った。

「それのどこが悪いの? だってそうでしょ? カルネラちゃんは可愛い。 マツリは可愛くない!」

供と主を一緒にするとは。 さすがのシキもこめかみを押さえる。

「俺のことをどう言おうがお前の勝手だ。 だがキョウゲンのことは別だ。 キョウゲンをカルネラのように可愛いなどと思って欲しいとは言わん、思ってもおらん、だがキョウゲンの存在を蔑むように言うな」

「そんなこと言ってない!」

シキが気付いた。 マツリは声を荒げていない。 あの時のように。
こめかみを押さえていた手を下げマツリを見る。
昨日とは全く違う様子を見せている。 話の内容で昨日と違っているのかもしれないが、そうでないかもしれない。 波葉から男同士の話をしたと聞いている。 そこで何かが変わったのだろうか。

カシャカシャカシャと足音が聞こえてきた。 嘴(くちばし)で襖が開けられる。 ロセイである。

「お呼びでござますか?」

ロセイの後に入ってきた昌耶が襖を閉める。 ロセイを呼びに行ったのは昌耶のようだ。
マツリと紫揺の言い合いが止まる。

「訊きたいことがあるの」

「なんなりと」

「わたくし以外の者からなにか問われたら答える?」

「その様なことはまず御座いません。 稀に供同士で問をかけ、答えることは御座います。 ですがそれも有るか無いかで御座います」

ロセイは一度キョウゲンと話している。 それは波葉のことがあった時であった。

「リツソの供・・・カルネラがわたくしの問いには答えないけれど、紫の問いには答えるの。 それはどういうことか分かる?」

供とは、人の言葉を解することが出来、特に供を持った者の言葉には、それに答えることが出来ることは知っている。 だが簡単に答えないことも知っているし、主以外の問に答えることを望んでいないことも知っている。
シキに問われ、ロセイに眉があったのなら思いっきり顰めていただろう。

「・・・分かりかねます」

紫と言われてすぐに分かることはある。 シキのことは何でも分かっているのだから。 シキが義妹として紫揺を迎えたいと思っていることも、紫揺のことをどう思っているのかも。

「ですが、供は主の言(げん)以外は、聞こえていても耳にせずもの」

ロセイが紫揺の肩に乗ってナデナデされ今にも溶けそうになっているカルネラを見た。 もう一度ロセイが無い眉を顰める。

突然に轟く声がした。
ロセイも勿論、澪引もシキも紫揺も驚き、紫揺の肩に乗っていたカルネラなどは首をすくめた。
そして襖越しのシキの従者も、末端に座る “最高か” と “庭の世話か” が大きく目を開いた。
マツリが一声叫んだのだ。
「キョウゲン!」 と。

シキの自室からマツリの自室は近くない。 それにキョウゲンは眠りの中、それなのにマツリの声を聞いて羽ばたいた。
マツリの声を聞いた “最高か” がすぐに襖の外から昌耶に声を掛け襖が開け放たれた。 紫揺のこともそうだが “最高か” も “庭の世話か” も、もうマツリのことは心得ている。

開けられていた襖からキョウゲンが現れマツリの肩に乗った。

「何か御座いましたでしょうか?」

マツリの疑問を感じ取ったようだ。

「寝ている所を悪いな」

夜行性であるキョウゲン、この時は熟睡の中だったはず。

「いいえ、その様なことはご配慮なく」

「キョウゲンが俺以外の者から疑問を呈せられればキョウゲンは答えるか」

「その様なことはまず御座いません」

「そうか。 それでは姉上から問われたらどうだ」

「シキ様で御座いましたらその内容によりお答えいたしますかと」

「ロセイは? もしマツリや父上、そうリツソからも何か問われたらどう?」

「マツリ様と四方様で御座いましたらキョウゲンと同じで御座います。 シキ様の御身に関わるような事でしたらお答えいたしましょう。 ですがリツソ様にはお答えしかねます」

マツリがロセイを見ていた目をキョウゲンに移す。

「ロセイと同じで御座います」

シキとマツリが目を合わせる。 シキが何か言おうとした前にキョウゲンが口を開く。

「マツリ様?」

「なんだ」

マツリは今、シキと同じことしか考えていない。

「いえ、申し訳けご座居ません。 何でも御座いません」

シキの眉が上がる。 キョウゲンはマツリの何かの変化に気付いたのだ。 だがそれが確立されていないからキョウゲンは分かりかねているのだ。 これは供を持つ者にしか分からないだろう。

「姉上、カルネラは・・・」

シキが眉を下げるとマツリに向き合う。

「カルネラは・・・紫の言うことだけはきくみたいね」

マツリが顔をしかめようとするタイミングでシキが紫揺を見る。

「それとも紫にその力があるのかしら」

「え?」

言ってることが分かりませんが? と言いたい紫揺。
だが流れから話の筋は分かる。 でもそれは有り得ない。 供とか主とかっていう以前にリスと何かがあるなどと。
だが確かに先程カルネラは自分の質問に答えてくれた。 それは隠しようのない事実だし、カルネラとの会話は今回だけではない。 ほんの数回しか会ったことが無いのに。 とはいえ、そんな力があるとは到底思えない。

「そんな力なんてありません」

紫揺はそう言うが紫揺自身が紫揺を分かっていない。 そしてマツリもシキも。 決して紫の力だけが紫揺の力ではないことを。

北の領土の仔ヒトウカがどうして紫揺に会いたいと思ったのか、どうして紫揺にもう一度抱きしめて欲しいと思ったのか。 どうしてガザンがあれ程に紫揺のことを想っているのか、守ろうとしているのか。
それは紫揺自身が生まれ持っていた心。 紫揺の持つ心は人だけに向けられる心ではない。 
そして紫の力、その心が紫の力に繋がっている。 慈愛の力に。
それを動物たちは感じ取ることが出来ていたのだ。

だがそれだけが理由ではない。 そのもう一つの理由は紫揺もマツリもシキも知らない。 四方とて知ることではない。

知っているのは月だけであろうか。

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辰刻の雫 ~蒼い月~  第34回

2022年02月04日 21時35分17秒 | 小説
『辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~』 目次


『辰刻の雫 ~蒼い月~』 第1回から第30回までの目次は以下の 『辰刻の雫 ~蒼い月~』リンクページ からお願いいたします。


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辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~  第34回



「紫が起きたようですわ」

「そのようで」

波葉が椅子を立つ。 シキの寝間着姿ならともかく、紫揺の寝間着姿を見るわけにはいかない。

「波葉様、有難うございます」

え? と椅子を納めた波葉がシキを見た。

「わたくしは、マツリと紫を結びたいと思っております」

「シキ様・・・」

どこかで分かっていたつもりだが、それはそう簡単なものではない。

「紫が宮を出ましたなら邸に戻ります。 その折にはわたくしをお許しください」

「何を仰いますか!」

シキを許す許さないなどと。

「波葉様が父上の言をわたくしより尊重されたのは・・・」

シキの言葉が止まった。 滅多にあることではない。

「シキ様?」

何かあったのだろうか。

「そういう波葉様をわたくしはお慕いしております」

「え?」

「ですが、これからはお話しください。 波葉様お一人でお悩みになられませんよう」

確かに、四方から口止めされた時に悩んだ。 そして悩みあぐねき、シキが紫揺のことを想っている。 シキに紫揺のことを伝えねばと思った。 だが結果としてシキの悲しむ顔を見たくなかった、それが後押しして官吏としての四方の言うことを選んだ。
シキは何もかもお見通しということだ。

「シキ様・・・」

婉然に微笑んだシキ。 そのシキが身を翻して奥の襖に向かった。

「紫? 起きたの?」

シキが紫揺に声を掛けるのを聞いて波葉が身を引く。 反対に昌耶と従者がシキの部屋に入ってきた。

今回のいざこざは、紫揺が切っ掛けとして起こったことであったがまだまだ新婚である、互いへの思いやりからの心のすれ違いがあっても致し方がない。
一つ二つと山を乗り越えて絆を深めていく。 “恋心” がそう言っていた。


朝餉の席、シキがチラリとマツリに目をやる。

「マツリ? 紫をいつ東に帰すの?」

一つおいて隣りに座っているマツリがシキに答える。

「今日のいつでも。 紫も東のことが気になっていましょう。 こちらの都合で今日まで居てもらいました。 朝餉の後でもよろしいかと」

夕べの波葉との話を思い出す。
波葉はことごとく、マツリの感情が紫揺への恋心と解いた。 波葉の言うそれは確かに “恋心” の書に添ったものだったし、波葉自信の経験談でもあった。 それに波葉が紐解くと言ったように、マツリが疑問を呈するとそれに的確に答えた。 波葉の言いたいことは分かる。 だがそれに己は則さない・・・はずだ。

『マツリ様、そう想うことが・・・』

『いいえ義兄上、義兄上の仰るように、我は紫のことを気にかけているようです。 ですがそれは、姉上とリツソのことがあるからでしょう』

『ご姉弟様のことで気にかけられておられるのでしたら刺さるような物は御座いませんし、お顔が赤くなることも御座いません。 それに薬草師とトウオウ様への思いも』

マツリが口をへの字にして腕を組む。

『紫さまがリツソ様の許嫁になっても良いとお考えですか?』

『それは・・・』

『私でしたら、たとえ我が弟がシキ様を想っていても弟に譲るようなことは致しません』

これには説得力があった。 こう言っては波葉には悪いが、波葉の立場から考えてシキを己の奥にしたいなどと考えるだけでも畏れ多いこと。 それなのに四方に堂々とシキを己の奥にしたいと言ったのだから。

『いいえ、そういうことでは。 ただ紫は東の五色です。 姉上から東の紫のことは聞いておられましょう。 東の領土は紫を離しませんし、紫もそう考えているでしょう』

『では、紫さまが本領の者だとしたらどうで御座いますか?』

『それは・・・仮の話などは』

(あの時どうしてはっきりと・・・。 はっきりと何だ・・・)

マツリの眼球が一点を見つめる。 その様子をリツソがじっと見ている。

(ああ、そうだ。 はっきりと良いと、リツソの許嫁になっても良いと・・・)

胸に痛みが走った。 刺されたような痛み。

(また・・・)

目をギュッと瞑りその痛みに耐える。 続く痛みではない。 一瞬だけの痛みだ。
ほう、と息を吐き箸を置く。

「茶をもらえるか」

給仕がすぐに茶の用意をする。

「あら、もういいの?」

澪引がマツリの前にある皿にまだ沢山残っているおかずを見て言う。

「はい、昨日は呑み過ぎたようです」


朝餉を食べだしてからすぐに “最高か” と “庭の世話か” がマツリの話をしだした。 紫揺が倒れている時にマツリがどれほど紫揺のことを気にしていたとか、マツリの部屋まではマツリが紫揺を抱きかかえて移動してきたなどなど。
いつになくマツリの話しばかりであった。 朝餉が終わり四人が膳の片付けを始め、やっと口が黙った時に思い出したことがあった。

コトリと前に茶を置いた紅香の顔を見て尋ねる。

「ここだけのお話を訊いていいですか?」

「ええ、ええ、いくらでもお訊きくださいませ」

「マツリの言ってた地下って何処にあるんですか?」

マツリは地下の地の字も口に出すなと言っていたが “最高か” は事情を知っている。 “最高か” に訊くくらいはいいだろう。

「地下、で御座いますか・・・」

言いたくないのだろうか、紅香が僅かに眉を顰める。

「申し訳御座いません。 私は童女の頃から宮に居りましたので宮の外のことはあまり存じなく」

「じゃ、彩楓さんなら知ってるかな?」

「いいえ、彩楓も世話歌も丹和歌も私と同じで童女の頃から宮住まいで御座います。 まさか紫さま、地下に行こうなどとお考えなのでは御座いませんでしょう?」

「マツリから地下が恐い所って聞きました。 だからそんな勇気はありません。 でもほら、俤って人のことが気になって。 カルネラちゃんに頼むくらいでしょ? マツリ急いでるんじゃないかなぁって思って」

マツリは俤の名前も出すなと言っていたが、その俤の名前も “最高か” から聞いていたのだからここで言っても大丈夫だろう。

「マツリ様の為に、で御座いますか?」

彩香の目が光ったように見えたのは気のせいだろうか。

「あ、えっと。 二度とリツソ君を攫われたくないから」

「その俤という者からお話をお聞きしますと、二度とリツソ様が危ない目に遭われないのでしょうか?」

「あ・・・それは」

マツリは同じ地下の話しでもリツソと俤からの情報は別なことだと言っていた。

「それは?」

いつの間にか、二つの目だったものが八つの目になって紫揺を見つめ、一つの口から話されていたものが、四つの口から疑問を向けられた。

「・・・ない、らしいです」

しょぼんと答えると、かくりと頭を下げる。

「まあ! では、マツリ様の為に紫さまが手を携えようとお考えなのですね!」

「あ、いえ、そんな大袈裟なことじゃなくて・・・」

「ですが、地下に行くのは大層危のう御座います」

「ええ、私たちも時折流れてくるお話を聞くだけですが」

「ええ、ええ、ですから地下に行くようなことはされませんよう」

「紫さまがマツリ様のことをお考え下さっておられるということが何より一番で御座います」

最後は誰が言ったんだろう、なにかおかしな言葉だ。 紫揺が後ろを振り向くと何かいい方法はないかしら、と四人が紫揺を放って座り込んで円陣を組み作戦会議に入っていた。
正面に向き直り、出されていた茶をすする。 相変わらず美味しい。
それにしても今日の四人の話しには力がこもっていたな、と紫揺の後ろで額をつき合わせて丸くなっている四人をもう一度チラッと見た。


今朝、“最高か” と “庭の世話か” がシキの部屋で紫揺の朝の着替えを手伝っている時、先に着替え終わったシキが “最高か” を呼んだ。
“最高か” は紫揺とマツリを結び付けようと思っているはずだ。 それを確かめるために。 そしてそうならば互いに協力をしようというために。

『シキ様、私たちだけでは御座いません。 今、紫さまのお着替えをお手伝いしております世和歌と丹和歌もそうで御座います』

『まぁ、見方が増えましたわね』

『ですがお方様はリツソ様の許嫁とお考えなのでは?』

澪引に逆らってもいいのだろうか、という戸惑いを見せるがとっくに紫揺にマツリ情報を入れている。

『母上もリツソのことはよくよくお分かりになられましたわ。 そしてわたくしが、マツリの奥には紫をと考えていることもご存知よ。 安心して』

そして紫揺にはマツリの話をどんどんしてちょうだい、と頼んでいた。



「クソッ!」

共時(きょうじ)が血の混じった唾を吐いた。 頭がグラグラとするし顔に青あざがいくつも出来、身体も打たれ足を引きづっている。
誰にも見つからないようにここまで出てきた。 自分を慕ってくれている者に見つかるとその者たちが報復するかもしれないからだ。 返り討ちになどあわせたくない。

「けっ、久しぶりのお天とさんでぇ」

長い間暗闇にいた身には眩しすぎる。

たった一つだけ情報を手にした。 宮都の出だと。 これが他の都や辺境と遠いところであったのならこの状態で行けたものではないが、宮都であるならば行ける。 地下は宮都にあるのだから。 だが宮都と言っても広い。 宮都のどこの出なのかまでは分からなかった。

「何が何でも、アイツのことを知らせなきゃあな」

情けないがそんなことしか出来ない。 痛む足を引きずりながら歩いた。



「マツリ、朝餉のあと茶房に」

自室ではないようだ。 今は澪引とのことがあるから茶室で落ち着きたいのかもしれない。
はい、と言いながら頷く。
まずは昨日の報告を聞くためだろう。 そして例の文官が誰か分かったのかもしれない。 帖地のこともどうなったのかを訊きたい。

なんのことだろうかと波葉がシキに目を向けるとシキが微笑み軽く頷いた。 気にすることは無いということだ。
四方とマツリのこのやり取りがどういうものなのかを澪引も勿論、当事者であったシキも知っている。


マツリの前に茶が置かれた。
昨日は呑み過ぎた。 いくらでも水分を欲している。 茶のあとの茶ではあるが簡単に飲むことが出来た。

「で? 昨日はどうだった」

「はい。 剛度が上手く謀ってくれまして見張番全員を揃えてくれた上、我の前に立たせてくれました。 剛度の言っていた通り四人でした」

「新しい者二人と技座(ぎざ)と高弦(こうげん)か」

「技座と高弦にはしっかりと禍つものが視えました。 新しい者は蕩尽(とうじん)と小路(こうじ)と言います」

蕩尽は三十歳をゆうに越えていて、今まで官吏の手伝いをしていた。 官吏の下で働く使い走り、早馬や雑用をしていたということであった。
早馬と言っても、武官たちがしているようなことではない。 些細なことで訴えて来た者に、文官が書いた文を持って馬を走らせる程度である。

「蕩尽の禍つものはあまり大きくはありませんでした」

四方が片眉を上げる。

「先にも見ていた小路は三十の歳前後で四都の官所(かんどころ)で馬番をしていたそうです。 こちらは今回も間違いなく禍つものはしっかりと」

「ということは、以前言っておったキョウゲンが聞いたという話、諍いが起こっている話だが?」

「はい、蕩尽を辞めさそうと思っているのではないでしょうか」

そうか、というと腕組みをした。

「我が見た文官は分かりましたか?」

リツソが見つかった後に地下にでも報告しに行ったのだろう、地下に馬を走らせていた文官。
通常で考えると工部の者以外文官は馬には乗ることが出来ないはずである。 だがそこに例外が無くはない。 出身地で幼い頃より馬に親しんでいればその限りではない。 とは言え、馬に親しむような環境にある者が官吏になれることはそうそうあることではない。

「ああ、マツリが言っていた特徴からすると、あの者ではないかという者がいた。 文官の下の位置に居る、使い走りくらいのものだ。 乃之螺(ののら)と言う」

「蕩尽に毛が生えたようなものですか」

それにしても乃之螺とは、百藻のお相手の稀蘭蘭(きらら)のような名だ。 と、夕べのことを思い出す。

「違いは官吏の資格を持っておる程度だがあまり変わらんだろうな。 それこそ蕩尽たちのような者にどこかに行けと言うくらいのものだろう」

マツリが頷く。

「ああ。 それと気になるのが帖地だが」

マツリが視た限り禍つものが視えなかった、と報告している。

「あの見張番を立てたのは間違いなく帖地だ。 なのに何故か」

マツリからの報告でもう一度見直したが、やはり新しい見張番を立てたのは帖地だった。 それも四方の許可なく。

「帖地が誰かに嵌められたということは御座いませんか?」

難しそうな顔をして組んでいた片手を外して顎を撫でる。

「こう言っては何だが、帖地は人から恨まれるような者ではない。 最初に見張番のことで帖地と分かった時にはわし自身の目を疑ったほどだ」

マツリが大きく息を吐く。

「帖地に訊きますか?」

「・・・吐かんだろう。 いや、それより、吐かん時にはまずいものが残る。 それにマツリに視えんかったということは帖地ではないかもしれん」

誰かが勝手に帖地の名前を利用した可能性も捨てきれないが、しっかりと帖地からの書類に書かれていたのだ、だからその可能性は薄い。

「或いは人質をとられている」

腕を組み直していた四方が天井を仰ぎ大きく息を吐いた。

「百足が居ないことが痛いな」

四方の子飼い。 いわゆる間諜や密偵というところである。
五つを数えるほど目を瞑っていたが、ゆっくり瞼を上げると正面に座るマツリを見る。

「俤が心配だな」

マツリが頷く。

俤は百足ではない。 百足なら捕まっても仕方が無いと思える。 それを含め百足の仕事なのだから。 だが俤は違う。

マツリがどれ程俤のことを思っているのかを四方は知っている。 そして俤がどのような青年であるのかも。
それにマツリには言っていないが、マツリが俤を手足として使いたいと言ってくる前、門前払いをされてはいたが、俤がマツリを訪ねてきだした時には念を入れて俤の身辺は調べ尽くしていた。
いずれマツリが俤を使うであろうことは想像に難くなかったからだ。 いくら身ぎれいであろうことを知っていたとしても、知らないところで何があったかは分からない。 簡単に手足として使うわけにはいかないのだから。

「何の証拠もなく武官を地下に送るわけにはいかんし・・・。 何か方法がないものか」

武官は見るからに屈強だ。 地下にも屈強な者がいるだろう。 変装をさせて送り込ませてもいいが、それが地下に漏れる可能性がある。 こんな時の為の百足でもあったが今は連絡が取れていない。
地下と本領は微妙な位置にある。

「散っている百足を集められては?」

四方は俤のことが心配だとは言ったが、百足のことが気にかかっているはずである。 捕まっていればそれはそれでそれまでと思うことが出来るはずだが、どうにも解せなく思っているはずである。 未だに連絡がないという事は全員が捕まっている、若しくはもう命がないという事が考えられる。 だが全員が全員という事は有り得ないと思っているはずだ。 百足はそう教育を受けているのだから。

「今は六都(むと)に重きを置いて一度六都に集結し、その後、それに関する所に散らばっておる」

技座と蕩尽の嫁が六都出身かもしれない。 それを探ってもいるのだろうが、それだけではないだろう。 六都に重きを置いているということは、それなりのことが六都で起ころうとしているのかもしれない。

百足と言っても数多くいるわけではない。 本領は宮のある宮都と宮都の後方である南側と東側を除く周りに一都(ひと)から四都(よと)まであり、またその周りに都がある。 それは宮を中心に六重になっている。 今はそのあちらこちらに散らばっているのだろう。

宮都を見ていた百足をこの宮都から出して六都に向かわせていたということは、宮都の荒れがまた増えるだろう。 そして四方の仕事が増える。 四方としては一日も早く百足に戻って来てもらいたいはずだ。

「我がリツソを出してきた時のように城家主の屋敷に潜り込んでみましょうか」

「地下に牢があると言っておったな」

リツソを助けに行った時、リツソは屋根裏部屋に居た。 そしてその隣の屋根裏部屋には誰もいなかった。 誰かが捕らえられていたとするならば地下の牢屋しかない。

「はい」

「城家主の屋敷の中がどうなっているのか分かっておるのか?」

「残念ながら」

「地下の牢の数や大きさは?」

マツリが首を振る。

「・・・それは無謀というものだ」

カルネラがもう少ししっかりとしていてくれたら、と思ってしまう。 カルネラならどこにでも忍び込めるのに。

ドーン、ドーン、太鼓が二度鳴った。 始業を知らせる予備太鼓だ。 あとで時を知らせる鐘の後に太鼓が三度鳴り始業太鼓の音となる。

「焦って下手を踏むことの方がまずい。 とにかく乃之螺から何か訊きだせるよう、こちらで動いておく」

四方が立ち上がりながら言う。
マツリが頭を軽く下げた。

四方が乃之螺に何か話す前にマツリが見たのが乃之螺であるかどうかを確認をしたい。 蕩尽は乃之螺の下で働いていたのだろうか、などと考えるがとうてい蕩尽に訊けるはずもない。
さっさと紫揺を送って確認に行かなければ。 さて、どんな方法で文官の居る所まで行こうか、と頭を巡らせながら立ち上がった。

茶室を出るとシキの部屋に足を向ける。 今日東に帰るということが分かっているのだからきっとシキの部屋に居るはずだ。 朝餉の席でシキもいつ紫揺を帰すのかと訊いていたくらいなのだから。
足を進める中、回廊で一番初めに会った女官を止め茶室を片付けておくように言う。 マツリに声をかけられ一瞬固まった女官が頭を下げて茶室に向かった。

回廊から空を見た。 よく晴れている。 雲一つない。

「キョウゲンにはきついな」

一つ漏らすと足を早めた。

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