大福 りす の 隠れ家

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辰刻の雫 ~蒼い月~  第150回

2023年03月17日 21時07分41秒 | 小説
『辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~』 目次


『辰刻の雫 ~蒼い月~』 第1回から第140回までの目次は以下の 『辰刻の雫 ~蒼い月~』リンクページ からお願いいたします。


     『辰刻の雫 ~蒼い月~』 リンクページ




                                  




辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~  第150回



紫揺の家まで行くとガザンが玄関の外で伏せをしていた。 出入りする者たちから「どいて」と何度言われても知らん顔をしていたが、マツリの顔を見ると立ち上がり、開け放たれていた玄関の戸を潜った。 隅に置いてある濡れた手拭いで足の裏をシャッシャと拭くと紫揺の部屋に向かって歩きだした。 そのあとをマツリが歩いていく。

「あ、ガザン、やっとどいてくれたの?」

青菜が台所から出てくると、見たこともない男がガザンの後ろに立っているではないか。 祭のときにマツリが来ていたと言っても、民がマツリの顔を見ることなどない。 どちらかと言えば、辺境の民の方がマツリを見かけている。
銀髪に長身痩躯、美しい顔に見たこともない衣。

「・・・あ」

一瞬にして言い伝えられている話が頭を過った。
“見たこともない衣を着た男達が紫さまを攫いに来た” と。
見たこともない衣どころか、その髪の色も顔立ちも見たことがない。 叫びかけたが、ガザンがこの男を先導して歩いているように見える。 それにガザンが吠えないのなら・・・。 青菜が固まったままマツリの後姿を見送った。

「おっ、ガザンがやっと動いたか」

誰もが振り向くと、開け放されたお付きたちの部屋の前をマツリが歩いて行く。

「え? マツリ様?」

ガザンがそのまま歩いていき大きな手で紫揺の部屋の襖を開ける。 驚いたマツリがすぐに後ろを向くと、マツリの後を追い覗き込んでいたお付きたちと目が合った。 いっ! と声を上げたお付きたち。 まさか振り返るなどと思ってもいなかったのだから。 そして一匹二匹とゴキブリが引っ込んでいく。

「あ、ガザンやっと動いたんだ」

部屋の中から紫揺の声がする。

「マツリだ、入ってよいか」

「え?」

紫揺が思わず漏らした声に、襖に振り返った此之葉が驚いた顔をした。

「マツリ様・・・」

後姿のマツリが立っている。

「よいかと問うておる」

此之葉が紫揺を見る。

「いいよ」

マツリが振り返り紫揺の部屋の中に入る。 もう此之葉はマツリと紫揺の関係を知っている。 部屋の中にも部屋の外にも座していてはいけない。

「すぐに茶をお持ちいたします」

そう言って部屋を出た。
台所に行こうとすると、丁度塔弥が玄関に入ってきた。

「あ、此之葉、今日はマツリ様がおられる。 辺境は明日からになった」

長靴を忙しそうに脱ぐと、そのままお付きの部屋に入って行った。 辺境の延期を告げる為である。

「今日の辺境行きは明日からにしてもらうよう秋我に言った。 よかろう?」

「勝手に・・・」

来るなら来ると連絡くらいすればよいものを、と思うが、ここには電話もなければポストも何もない。 ましてや本領とこの東の領土では行き交う者が居ないのだからポストがあっても手紙は届かない。
紫揺の横に伏せたガザンの背中を撫でてやる。

「東の領土は過ごしやすいか。 本領は今、暑い盛りだ」

胡坐をかいて後ろに手をつきながら窓の外を見ている。 その目を紫揺に戻す。

「久しいな」

ドキリとする。 でもそんな顔を見せたくない。

「お祭の時に呼ばなかったからじゃない」

「民と祭を楽しんでいるのか、我と会いたくないのかかと思ってな」

それ以前に本来は紫揺の方がマツリを迎えねばいけないのだが。

「あれの具合はどうだ?」

あれといった目の先を追うと額の煌輪と大きな紫水晶がある。

「あれから二回ほど紫赫(しかく)が耀いた。 で、初代紫さまに導いてもらった」

「どのような状況で」

えっとぉー、と考えているのが話の隙間と思った此之葉が「失礼をいたします」と言って入ってきた。

「一回目が辺境に行った時。 長雨で地盤が緩んでるみたいだって聞いたから行ってみたの。 そしたら上から土砂と一緒に民たちが落ちてきて、その時」

一瞬何が起きたのか分からなかった。 轟音と共に数人が落ちてきてすぐに土砂にのまれたのだから。 どうしていいか分からず一瞬にして気が上がってしまった。 その途端、紫赫が額の煌輪から現れた。 そしてその紫赫が一筋を照らした。

『気を抑えよ』

初代紫の声が脳に響いた。
初代紫の声は威厳があり厳しさも持っているが、その声が落ち着かせてもくれる。 上がってきていた気を落ち着かせる。

『紫赫を信ぜ。 紫赫の元に民がおる。 民の元に行け』

「で、紫赫の先に民が居るからって、お付きの人たちに掘ってもらったら怪我した人もいたけどみんな助かった」

一つの作文の朗読が終わる前に此之葉はもう出て行っていた。 長い作文に飽きたガザンも伸びを一つしてから出て行き、開けっ放しの襖をマツリが閉めた。 早い話、マツリが下座に座っているということで本領では有り得ない事である。
そして襖の向こうに此之葉が座していないということでもあった。

「二回目も辺境。 熊が集落まで下りてきてたみたいで探したらすぐに見つかって、って言うか、殆ど至近距離から出てきて、えっと・・・カジャじゃなくて・・・」

「香山猫」

「あ、そうそう、香山猫の時みたいに導いて下さった」

ふーっと、深い息を吐く。 長い説明だったが、最初の時より幾分とましになったようだ。 後ろ手をついていたが、前に持ってきて前屈みになると茶を飲んだ。

「その力は本来、紫にも備わっておる」

「ん?」

「初代紫も紫も生まれながらにしてその力を持っておる。 初代紫がおった時は、今のように平静ではなかったからな、毎日そのようなことが起きてその力を確実に手にしたのだろうが、今の東の領土ではそういうことが再々あるものではない。 そう簡単に使えるようにはならんだろうが、一回一回を胸に置き何度も噛み締めるよう。 まずは気を上げることをするのではない。 冷静でいるよう」

「あ・・・はい」

授業を受けているようだ。

冷静などと紫には無理な話かもしれんが。 と口の中で言ったのは聞こえていなかったようだ。

「杠に今日一日帰って来るなと言われておる」

「え?」

「宮にも戻るなとも言われた」

「じゃ、昼餉と夕餉、ここで食べていく?」

「ああ、そうさせてもらおう。 だが一日ここにずっといるのもなぁ・・・。 どこか良い所はないか」

紫揺ではないがマツリも部屋の中にじっとしているのはあまり好きではない。 四方から執務を引き継がなくてはならないというのが気を遠くさせる。
こういうところもシキの言うよく似ているところなのかもしれない。

「あ、じゃあ、馬で泉に行く? 結構あそこ好きだし」

「紫の好んでおるところなら我も見たい」

「あ・・・うん」

どうしてこういうことを平気で言うのだろうか。 聞かされる方の身にもなって欲しい。
立ち上がり額の煌輪を手にして額に乗せる。 いつも此之葉がやってくれているように髪の毛を金細工の下から取りふわりとのせる。
立ち上がったマツリが紫揺の前まで歩いて来ると腰をかがめる。

「よく似合っておる。 だが」

褒められて顔を赤くする間もなく、マツリが両手を出して額の煌輪を紫揺の頭から外した。

「何度見ても精緻に作られておるな」

金細工の部分を見ている。 一周をぐるりと見ると絹で出来た座布団の上に戻した。

「我と居る時は要らん」

「え? なんで?」

出掛ける時は必ず額の煌輪をするようにと言っていたのはマツリではないか。

「我が紫を守るのでな。 紫は己を守ることをせんでよい」

額の煌輪は紫揺の出過ぎる紫としての力を抑えるもの。 換言すれば紫揺の身を守っているもの。 その紫揺をマツリが守るという。
この男は本当に・・・好き勝手を言ってくれる。 どんな顔をして聞いていればいいのか。 だがどんな顔を・・・と思った時にはいつもすぐに次がある。
マツリの腕が紫揺の腰に伸びた。 ふわりと持ち上げられる。

「紫と話す時はこの方が楽か」

「ちょっ! 下ろしてよ!」

窓の外に誰か通ったらどうするつもりだ。
マツリの片手が紫揺の背中に回った。 そっくり返っていた紫揺を抱きしめる。

「久しいな・・・」

マツリの頬が紫揺の頬にあたる。 サラリとした銀髪が目に映る。

「・・・さっき言ったし」

マツリの肩を握っていた手をちょっとだけ動かした。

窓の下にすぐに隠れたゴキブリ二匹。

「・・・生で見るとけっこう刺激的だな」

「・・・生って。 生じゃなくて何で見たんだよ」


「塔弥さん、マツリと泉まで行ってくる。 馬貸してもらえる?」

厩の前に居た塔弥を捕まえて言う。

「あ・・・では己の馬で宜しいでしょうか? 他の馬ではお転婆についていけませんので」

「おてんば?」

「紫さまの愛馬です」

「ああ、聞いておったか。 そうだな、先にそのお転婆とやらを出してきてくれ」

馬車の中でガザンのことを聞いた時にお転婆の名前も出ていた。

「あ、じゃ、私が出してくる」

厩に入る姿を見送ると、厩の一番手前に仔馬が二頭いるのが目に入った。

「葉月と言ったか。 此之葉とは対照的なようだな」

思わぬ名前を聞いて心臓が撥ね上がりそうになる。

「マツリ様の御前でご無礼を・・・」

「いいや、あれくらい言う者の方が紫には良かろう。 此之葉では手に余るであろうからな。 我も久方ぶりに本領の五色と会ったのだが・・・まだ童女であるがな、しかりとしておった。 紫に会ってからは本来の五色という者を忘れておったわ」

塔弥がなんとも言えない顔を引きつらせながらマツリに笑みを返す。

「我は紫に次代の紫を産ませる」

「え・・・」

「次代の紫がこの東の領土を見られるようになれば紫を本領に連れ戻す。 よいな」

よいな、と言われても紫揺本人でもなければ領主でもない。

「紫さまはご存知で?」

「いや、まだ言っておらん。 我が子を、我と紫の子、次代の紫を此之葉に育ててもらわねばならん。 此之葉は今代の紫には手をやいただろうが、次代の紫にはよくしてくれよう。 良い五色・・・紫を育てて欲しい」

「マツリ様・・・」

マツリは我が子と離れることを覚悟しているのか。 いや、会いには来られる。 だがずっと一緒に居られるわけではない。
代々の紫がそうだったように、紫が紫として自立をしてしまえば親子などという絆以上に民のことを考えなくてはならない。 いや、敢えて考えるのではなく自然と考える。 その時に今代の紫となる。
言ってみればそれまでは一緒に居られるはずなのに、その時さえずっと一緒にいられない。 その道を選ぶというのだろうか。

紫揺がお転婆を曳いてやって来た。

「マツリ様、ご注意ください。 紫さま以外には噛みついてきますので」

「ほぅー、なかなかに目付きが厳しいか」

マツリがお転婆から目を離さない。 お転婆もマツリから目を離していない。 僅かに目を動かすがマツリの背丈を計っているようだ。
マツリとお転婆の睨み合いが続いたがお転婆がそっと目を外した。

「紫、手綱を」

「え、だって」

「手綱」

マツリはまだ目を離していない。 チラチラとお転婆がマツリを見ている。
出された手にお転婆の手綱を乗せる。

「離れていろ」

塔弥が紫揺の手を引いて離れていく。

一瞬にしてマツリがお転婆に乗った。 背に乗った重みが紫揺でもなければ塔弥でもない。 お転婆が棹立ちになり、今度は後ろ脚で何度も空を蹴り上げる。
走り出そうとするお転婆の手綱を引いて止める。 今度は何度も前足を上げ上体を小刻みに上げてドンドンと音を鳴らす。

「塔弥!」

たまたま見かけた阿秀が塔弥に走り寄ってきた。

「どうしてマツリ様がお転婆に!」

「それが・・・」

「お転婆に乗りたいんでしょうね」

え? と言って振り向いたのは阿秀。

「ですが、万が一お怪我でもされては!」

「マツリが自分で乗ったんだもん、自業自得じゃないんですか?」

「いえ、そういう話では!」

「あ・・・」

塔弥の声に、え? っと思って阿秀がマツリとお転婆に振り返った。
諦めたのか息を切らせたお転婆が暴れることなくマツリを乗せている。

「この鐙(あぶみ)だ、振り落とされるかと思うたわ」

鐙を自分の長さに調節しながらブツブツと言っている。 腹帯を締め直すと片方の鐙から足を抜いた。

「紫、こちらに」

え? という顔をするともう一度、こちらにと言い、次に塔弥に向かって言う。

「塔弥の馬を借りる必要が無くなった」

そういうことかと紫揺が合点する。 鐙に片足を入れると手を取ったマツリが上手く引き上げそのままマツリの前に騎乗した。

「泉に行ってきます。 あ、マツリの昼餉と夕餉をお願いします」

「では少々紫を借りる」

マツリがお転婆を歩かる。

「阿秀、ついて行かなくても?」

「マツリ様がいらっしゃる。 いいだろう」

それに借りると言っていた。 ついて行く必要が無いということだ。

最初は歩かせていたが家並みがなくなると速歩にして、紫揺のナビを受けながら泉までやって来た。

「なかなかに良い所だな。 抜けてきた林も良かった」

マツリが先に降り紫揺を降りさせる。 素直にその手に身体を預けた。 マツリが手綱を曳いているがお転婆が噛みに行くようなことは無い。

「いったいどうやったの?」

お転婆の世話をしている塔弥でさえ、ガザンが居なければいつ噛まれるかも分からないのに。

「何かをしたわけではない。 馬を御することも鍛練の中にあったのでな。 まっ、我の方が上だということは教えたつもりだが」

どこか括りつけられるところはないかと、泉の周りに生えている木の方に歩きだす。

「鍛練・・・鍛練っていったら、リツソ君どうなってるの?」

「まだ自覚がないようだ。 師から逃げておるし、先年には我の居ぬ間にハクロを捕まえて昼日中、宮都の中を乗り回しておったようだ」

「・・・え?」

あの大きな狼のハクロを? 人前で乗り回していた? いくらなんでも無茶をする。

「あのままでは北の領土の狼をまわすことが出来なかった。 ったく」

「え? シグロは?」

ずっと前を向いていたマツリが紫揺に振り向く。

「仔を産みに本領に戻ってきておったらしい。 先年の五の月くらいには生まれていよう」

「えー!?」

「ちなみにハクロの仔だ」

そうだろう、そりゃそうだろう。 ハクロ以外いないであろう。

「わぁー、小っちゃい狼見たかったな」

「紫がもっと早く素直になっておれば見られただろうな」

木々の方に目を移しながら言う。

―――聞こえなかったことしにしよう。

少々お転婆は自由に出来ないが、それでも手綱を引っ掛けられる枝を見つけた。 そこに手綱を引っ掛けていると紫揺が先に歩いていく。 大きな岩に向かって歩いているようだ。
マツリを置いてさっさと岩のある所に来るとその上に上った。 この岩の上でガザンの背中で泣いたのだった。
だがそれも今は思い出。

「もしかしてこの泉で泳いで熱が出たのか?」

マツリが隣りに座ってきた。
よく覚えていやがる・・・。 こんな時、記憶のいい人は敬遠したい。 消しゴムで脳の中に残っている記憶を消したい気分だ。

「綺麗な水だから泳いでいて気持ちがいい。 本領には? えっと、宮都にはこんなところあるの?」

「宮都にはない」

「じゃ、マツリは泳げないの?」

「不得意。 溺れはせん程度だ」

「へぇー、万能じゃないんだ」

「なんでも出来る者などおらんだろう。 帳簿も不得意。 杠に頼りっぱなしだ」

「そうなんだ。 杠って数字が得意なの?」

「ちらっと見ただけで流れが分かるようだな。 我にはさっぱりだ」

「杠・・・元気にしてる?」

「ああ。 杠に会いたければ紫が本領に来ればよい。 宮からの連絡があればすぐにでも杠を宮に向かわす」

「まだ宮に戻ってないの?」

「もともと長くかかるのは分かっておった。 だが今を外すと次が無いと思ってな」

紫揺の方をチラリと見て続けて言う。

「躊躇(ちゅうちょ)はした」

紫揺が何のことかと眉を上げる。

「この事に手をかけてしまえば、紫とのことがどうなるか分からなかったからな。 実際、各領土さえまともに回れていない。 本領の中もだ。 せいぜい各領土の祭に顔が出せるだけ。 その間に紫がろくでもない男を領主の前に連れてくるかもしれんのだからな、今日も杠が出してくれねば会いに来ることもなかっただろう」

杠が出してくれたのか・・・。

「よく言うよ、あんなことしておいて」

あんなこと、具体的にその事に触れてまた話をややこしくしたくない。

「塔弥と葉月には世話になったようだな」

「あ、うん。 今から思うと葉月ちゃん頑張ってくれた。 塔弥さんも」

「杠と塔弥と葉月が居なければこうして話すこともなかったか」

「うん、そうかも」

立てていた膝に顎を置く。

「話が二つある」

「ん? なに?」

まずはさっき塔弥に言ったことを話す。

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