大福 りす の 隠れ家

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辰刻の雫 ~蒼い月~  第188回

2023年07月31日 21時18分11秒 | 小説
『辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~』 目次


『辰刻の雫 ~蒼い月~』 第1回から第180回までの目次は以下の 『辰刻の雫 ~蒼い月~』リンクページ からお願いいたします。


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辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~  第188回



「紫さま、本領はいかがでしたか? やはり宮を出られたのですか?」

「はい、マツリとはすれ違いだったけど、楽しかったです」

「え? 一緒に居られたのではないのですか?」

「一緒に居たのは・・・どれくらいだっけ?」

「ゆるりとしたのは、今日と・・・あとは時を合算して一日はないか」

「え!? 何日も本領に行ってらしたのに、それだけですか?」

「はい、行った途端すれ違いだったから」

「本領でお忙しくされておられるのですか?」

「ああ、それもあって母上と姉上が待っておられんということでな、準備を進めていくということになった。 我も紫も蚊帳の外だ」

「御方様と仰いますと・・・御方様はリツソ様と、と仰っておられましたが・・・」

「最初は我もそう聞いておった。 だがいつからかは知らんが姉上と一緒に我に紫をと考えておられたようだ」

「そうで御座いましたか」

声に出しては言えないが、罵倒の仕合さえなく、どのみち輿入れをするのなら、リツソよりマツリの方が随分といい。

「悪いが我がそうそうこちらに来ることは相成らん。 今回は紫が長く本領に居たのに、僅かの時しかゆるりと出来なかった。 再々とは言わんが紫を本領に寄こしてはくれまいか」

「承知いたしました。 お蔭さまで東の領土は落ち着いております。 一回りされた後にまた本領に行かれましょう」

婚姻の儀のあとも別々に暮らしてしまうのだ。 東の領土の民の為に。 可能な限りの時を二人で過ごさせたい。
領主とて恋愛を知らないわけではない、もう亡くなってしまった妻との時を思い出す。

「領土が落ち着いているということは良いことだ。 領主が上手くまとめておるからだろう」

「紫さまのご存在が大きいですし、本領のように広くはありませんので」

「まぁ、本領は広すぎるか」

音夜がコクリコクリと始めた。

「可愛いのぉ。 そろそろ眠いか?」

音夜を抱きなおすと立ち上がり、一つ二つ背中を叩いてやってから耶緒に返す。

「では、紫を送り届けた」

「有難く存じます」

紫揺が見送りに立とうとすると、マツリが「よい、報告があるだろう」と言ったが、領主が送りに行けと言わんばかりに、手を仰ぐようにして動かしている。

「送る」

領主の手の動きを読んで紫揺がマツリの後に続く。

「宮に戻るの?」

「いや、六都に行く」

杠が寝不足から目の下にクマを作っているのはマツリから聞いている。

「杠によく言っといてね、しっかり寝てって」

誰のせいだとは言っていない。 それに紫揺のせいではない。 武官たちが勝手に毎夜毎夜何度も何度も呪詛のような願い事をしているだけなのだから。 それにあの部屋に己が戻ればそれもなくなるだろう。

「ああ、伝えておく」

マツリを送り終えた紫揺が振り返ると阿秀が居た。

「マツリ様からのお話で大体わかったということですが、紫さまから何か仰られることがありましたら領主の家に、無ければお疲れでしょうから家に戻られるようにということです」

「はい、まあ、報告って程のこともありませんし・・・」

高妃のことも決起のことも東の領土には関係の無いこと。

「ではこのまま家に戻りましょう。 此之葉が待っております」

此之葉はまたおムネが大きくなったのだろうか。 阿秀が踵を返したところで、あの時おムネがドキドキしたことを思い出し、おムネにタッチしてみる。
ペタン。
・・・。
葉月の言っていたように、一回だけでは変化はないようだ。



マツリが宿にやってくると、己の泊まっていた部屋の近くまで来て足を止めた。
二人の武官が手を合わせドアに向かって・・・お願い事なる低い声で呪詛のように言葉を吐いている。

「どうか、どうか、子取り鬼が紫さまを返して下さいますよう」
「どうか、どうか、紫さまが子取り鬼に食われていませんよう」

そして二人で合唱するように

「お願いで御座いますぅぅーーー」

縋るような二人の合唱は不気味なモノがあった。
誰が子取り鬼だ。
それにしても・・・登場しにくい。
踵を返すとまだかろうじて開いている食処に下りる。 そう言えば夕餉を食べていなかった。

(紫に大きくなれないと言われるか・・・)

「残っているものでよい、それと・・・麦酒はあるか?」

「麦酒はよく冷えて御座いますが、かけ飯くらいしか残っておりません、それで宜しいでしょうか?」

「ああ、構わん」

すぐに出されたかけ飯には鯛の身が乗っていた。 所謂(いわゆる)鯛の出汁のきいた茶漬けのような物である。

「珍しい、海魚か」

六都で海魚は滅多にある物ではない。

「はい、今日はたまたまで御座います」

よく冷えた麦酒も卓に置く。

「ここのところ武官殿がよく来られますので飽きることなく色んなものを仕入れるようにいたしまして」

紫揺効果だろうか。

「どうぞ、ごゆっくり」

武官がよく出入りする関係であろうが、六都の者にしては物腰が丁寧である。

麦酒を煽っていると二階の階段から先程の武官達が下りてきた。 何気に見ていたが目があってしまった。
いっ! と一声上げると礼をとりそのまま去って行く。
それにしても毎晩毎晩あんなものを聞かされていては杠も眠れないだろう。

よく冷えていた麦酒を置き、かけ飯をかっ食らう。 自覚は無かったが、こうして口に運ぶとかなり腹が空いていたようだ。 それに出汁がよくきいていて美味い。 あっという間に食べてしまった。

「悪いがかけ飯、もう一杯できるか?」

隅に立っていた先程の給仕に言ったところで、丁度入り口から入ってきた武官二人がマツリを見た。
うわっ! と声を上げ礼をとると回れ右をして戻って行った。
噂が広がるまでは誰なとが足を運んでくるかもしれない。 あの呪詛の中で寝なくてはいけないのか・・・。

「お気に入って頂けましたでしょうか」

給仕がお替わりを持ってきた。

「ああ、美味い」

「有難うございます」

「杠は戻ってきたようか?」

ここの宿には現在、杠と宮都からの硯職人しか泊まっていないはずだ。 ましてや杠は長い、杠のことは分かっている。

「いえ、まだお見掛け・・・ああ、戻って来られたようです」

入り口を振り返ると丁度杠が入ってきたところだった。 マツリに気付いた杠がすぐにマツリの元にやって来る。

「お帰りなさいませ」

「夕餉は?」

「まだで・・・」

すぐに給仕を見ると給仕が頷いた。

「酒か麦酒はどう致しましょう」

卓を見ると珍しくマツリが麦酒を呑んでいる。

「ああ、では麦酒で」

マツリの前に座ると給仕が頷き奥に入って行った。

「こんな刻限まで何かあったのか?」

「いいえ、何ということは御座いません。 官別所が例の咎人で満杯になっておりますので、新たな咎人を入れる場所を探していただけで御座います」

新たな咎人・・・。

「どのような咎だ」

「暴れたりと、いつものようなもので御座います」

良かった、岩石の山の事や杉山のことではなかったようだ。
そこに、かけ飯と麦酒が卓に置かれた。

「あと一杯分のかけ飯が残っております」

給仕の言った意味が分からなかったが、かけ飯を口に入れると何と美味いことか。 思わずお替わりを頼んだ。

「例のあの者たちを咎にかけんといかんか」

だがまだどの都も咎の言い渡しはしていない。 それどころか、まだ柴咲も呉甚も手にかけていた都を回りきれていない。 良くてようやく二都が動き出したところだろう。

「今更の話で御座いますが、六都は今までまともに咎人を収容しなかったようです」

今回のことで武官達からそんな話を聞いたという。
いくら武官が捕まえたとしてもあとの事は文官長か都司の仕事となっていたが、咎人はすぐに放免にされていたという。

「かなり憤って話しておりました」

それはそうだろう、捕まえてきたのに放免にされるのだから。
百二十七名が溢れ返っている、今までの六都の咎人は百人や二百人ではないだろう。 そういうことだから収容する場所も少なかったということか。

「そういうことか。 で? 場所は見つかったのか?」

これまではそれまでの咎人を武官所に移動させ、それ相応な場所に押し込んでいると聞いていたが限界がきたのだろう。

「いいえ、適する所は御座いませんでした。 今のままでは新たに建てるしかないかと」

他の都がどうするか分からない現状で百二十七名に咎を下すとすれば、殆どの者が悔しいかな口頭で終るだろう。 その後に官別所が空になる。 新しく官別所を建てるのは無駄にしかならない。

官別所は簡単に建てることは出来ない。 宮都の工部から出てきてもらうことになる。 材料も杉だけでは収まらない。 これ以上、宮都に借金を作りたくない。 だがそれを避けるためには早々に咎を言い渡すこと、早い話、口頭で反省を促すだけのことをしなくてはならなくなる。 だが反省などとこの六都にはない。 それなりに肉体労働をしてもらわなければ困る。 たとえ二日三日であろうが。

二日三日であれば、なんとか官別所のやりくりが出来るだろう。 だがそれは他の都との足並みを乱すことになるかもしれない。 他の都が口頭で終らなければそれでいいのだが。
どうしたものか・・・。

「新しく建てるのは考えものだな」

そうですね、と返事をする杠も分かっているようだ。
残っていたお替わりのかけ飯をかっ込むと腕を組んだ。 ・・・食べ過ぎたようだ。 腹がいっぱい過ぎて頭が回らない。
前を見ると杠もお替わりに手を出した。 きっと杠も同じ状態になるだろう。

マツリが食べ終わるまでに、数組の武官たちが回れ右をしていた気配を感じていた。

「子取り鬼だが」

杠が喉を詰めかけた。 四方のようにマツリの顔にばら撒くことは無かったが、かなり咳き込んでいる。

「大丈夫か?」

「は、ぶっ、は、い・・・」

ゴホゴホと咳をしながらマツリに問い返す。

「それが、どう致しました・・・ごほごほ」

「我の泊まる部屋の前で武官が子取り鬼が紫を返して下さいますようとか、紫が子取り鬼に食われていませんよう、などと言っておった。 どういうことだ」

杠の目の下のクマを見てマツリに詰められ、夜な夜な武官が呪詛のような願い事しているという話はした。 だがマツリが武官達に子取り鬼扱いされていることは言っていなかった。
子取り鬼の正体はマツリ様です、などと言えるものでは無い。

「いや・・・それは・・・。 なんで御座いましょうか? 聞いたことは御座いません。 マツリ様の聞き違いとか?」

「いや、しかりと聞いた」

(武官の馬鹿が、どうしてマツリ様の居る時に紫揺の名を出して言うのか)

「己は聞いたことが御座いませんので・・・」

明日にでも確認いたします、などとは言えたものではない。

「し、紫揺とはどうで御座いましたか?」

話を逸らすしかない。 紫揺のように単純に乗ってくることはないだろうが、それでも徐々に。

「紫か・・・それが母上と姉上が・・・」

乗ってきた。 マサカのマだ。 マツリには有り得ないと思いながら話を聞いていると、六都のことが疎かに考えられているようで、マツリはそこを懸念しているようだ。

「父上にまで早々に婚姻の儀を挙げるようにと言われた」

「婚姻の儀までどれ程の準備期間がいるのでしょうか?」

己も乗ってしまったと思いながらも大切な事。 六都のことにしても紫揺のことにしても。

「我には分からん。 姉上の時には全く関知しなかったのでな」

「硯の岩石の山をどうされますか?」

杠も事を動かさないように考えたようだ。

「杠から見てどうだ」

杠がフゥーっと大きく息を吐く。

「今日、金河から聞いたのですが杉山で面倒が起きているようです」

「面倒?」

「岩石の山に通う者たちが通うことを忌(い)とんでいると」

「・・・宿所を建てるということか」

まだ数日だ、それほどまでに問題にはなっていないだろう。 だが見過ごすことは出来ない。

「岩石の山に行きたいと思う者がどれ程に居るのか」

「全員ではありませんが、岩石の山の方だけに行きたいという者が四分の一というところでしょうか。 決めかねている者が四分の二ほど、残りは杉山だけを選んでいます」

「その四分の三の者たちが忌とんでいると?」

「いいえ、四分の一、岩石の山の方にだけと思っている者たちだけです」

「宮都からの硯職人はその者たちの手を何と言っておる」

「まぁ・・・まだまだというところですが、それでもやっていけば上物は先のこととして安価なものは作れなくは無いだろうと」

「杉のように切るだけではいかんからな・・・」

「問題が起きる前に建ててしまえばどうでしょうか」

「ああ・・・やる気があるのであればそれが一番でもあることだしな。 建てるにあたり杉の調整は杠に任せる」

予約が入っている杉もある。 それを無視してこれから建てる岩山の宿所に回すわけにはいかない。

「承知いたしました」

「明日は七都と八都に行ってくる。 二都も回るかもしれん」

「はい」

お替わりを食べ終えた杠に苦しそうにしている様子は無かった。 背丈も身体の幅もそんなに変わらないのに、やはり五つの年齢差は大きいのだろうか。


七都では二百八十九名、八都では三百十二名、二都で二百三十七名の咎人が捕まったということであった。
それぞれの都司は一度にこれだけの咎人は初めてということで、やはり口頭で終わらせるということを臭わせていた。
『宮に乗り込むという意味も分からなかった者も多いようです、祭気分だったのでしょう』 ということであった。

捕えた人数はすぐに四方の元に届いているはず。 四方はこの人数を聞いてどう考えているのだろうか。 すぐに宮都に飛んだ。

「今のところ分かっているだけで八百三十八名、六都を合わせると九百六十五名。 たとえ十年以上かけてゆっくりと動いていたとはいえ、これだけの民に気付かんかったとは百足も・・・」

四方が溜息を吐きたい気持ちは分かるが、訊きたいのはそこではない。

「各都ともに咎を合わせなくてはいけませんか?」

「それはそうだろう」

「ニ七八都はよく知らなかった者には口頭で終わらせるようです。 六都の者に口頭で反省を促し、その後無罪放免はあとあとにひびいてくるのですが」

「六都か・・・」

「他の都の者は六都のことなど気にしますまい」

「六都だからこそ、六都の民が何か言うだろう。 こんな噂はすぐに広まる」

「宮都にしてもそうですが、まだ分らない都のこともあります。 どれだけの人数が出てくるかは分かりませんが、それこそ何かよく知らなかった者には、二・・・いや、三日の労役咎、それを父上から言ってはいただけませんか」

「そのような者が一つの都に三百人でも出てみろ、その者たちに何人の武官が付くことになると思う」

「六都の民ではないのですから、何とかなりましょう?」

「馬鹿を言うな、それに祭気分だった者もいるそうではないか。 そのような者に労役咎など与えられん」

「宮を潰されるところでしたのに・・・」

「だからこそ余計にだ。 逆撫でして同じようなことを画策されては、それこそどうにもいかん。 ん? いや、待て」

「はい?」

「六都は他の都と違って飾り石を手にしたことで捕まえたのであろう?」

「・・・あ」

すっかり忘れていた。

「・・・決起という言葉に踊らされておったか」

「・・・はい、そのようで」

「何をぼぉーっとしておるか。 とっとと婚姻の儀を挙げんからそういうことになる」

数日前の言いようとはえらい違いだ。
だが何を言われても、解決の出口を見つけた。 それこそ明日からとっとと咎を下していける。
あのやり方がこんな所で役に立つとは思ってもみなかった。

「決起のことをどれだけ分かっていたかで咎が違ってくるだろうが、それは各都で多少のばらつきが出るであろう。 何も知らなかった者に労役は与えられんが、どれだけ分かっておったのかは都司の判断次第ということになる」

飾り石の窃盗に関してはマツリの判断でよい。 だがその後、呉甚と柴咲が六都に回って来た時には決起のことで再度捕らえ、他の都とある程度の足並みは必要ではあるが、何も知らなかった者を除き、都司不在の六都ではマツリの判断で咎を言い渡して良いということであった。

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辰刻の雫 ~蒼い月~  第187回

2023年07月28日 21時18分34秒 | 小説
『辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~』 目次


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辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~  第187回



紫揺が宮を出る前にもう一度、医者部屋を訪ね男達を視た。 何の変化も視られなかった。 男達に異常が無いことを告げ、その後、客間で着替えている時になりようやく澪引とシキが訪ねてきた。

「どれだけマツリが六都のことを言っても、婚姻の儀に関することは進めていきますからね、東の領土に戻ったら領主によくよくお話して頂戴ね」

「私も頃合いを見て東に飛ぶわ」

「え? あの、シキ様はもう・・・その」

何と言っていいのだろうか。

「ふふ、本領領主のお手伝いで飛ぶわけではないわ。 それはもうお役御免になったけど、マツリの姉としてなら飛んでもいいのよ」

「そうなんだ。 でも無理をしないで下さい。 その、あの時みたいに」

天祐が腹に入っていた時のように。
第二子がいつ腹に入っていてもおかしくはないのだから。

「そうで御座います。 あの時は心の臓が止まるかと思いました」

紫揺が昌耶に抱かれている天祐に手を伸ばし天祐を腕に抱く。

「あの時はごめんね、お腹でびっくりしたでしょう?」

何のことかと天祐が紫揺を見上げている。 そのキョトンとした顔が愛らしい。 音夜とはまた別の可愛らしさがある。

「うふふー、可愛いー」

ギュッと抱きしめると、天祐も喜んで紫揺に抱きついてきた。

「あら、天祐は紫が気に入ったようね」

そのようで、と昌耶が言いかけた時「マツリ様に御座います」 と声がかかった。 すっと襖が開けられると、一気にマツリの顔が鬼の形相になった。
スタスタスタと入ってくると、紫揺の首に手を回している天祐の後ろ衿を、リツソの時のように掴み上げる。

「わっ! マツリ何するの!?」

掴み上げられ猫のように手足がブラブラとなっている天祐。 天祐の目に下から紫揺が手を伸ばしているのが見える。 紫揺に抱きつこうと手を伸ばすがそれを阻止するかのようにクルリと向きを変えられ、そこにマツリの顔があった。 すると一気に火が点いたように泣きだしたがその泣き声より大きくマツリの声が響く。

「天祐、覚えておけ! 紫に指一本触れるな!」

シキが脱力し澪引が眉尻を下げ、昌耶が慌てて天祐に手を伸ばすとマツリの魔の手から引っぺがし天祐を抱いて客間を走って出て行く。 天祐をあまり泣かせてはいけない。 せっかく引っ込んだ出べそがまた出てきてしまう。

「マツリ・・・相手は天祐よ? 指一本などと」

天祐の泣き声が遠ざかっていく。

「抱かれているだけならまだしも、手を回していたではありませんか」

「・・・それほど紫を誰にも触れさせたくないのなら、六都六都と言っている場合ではないでしょうに」

「紫も六都のことを気にかけております。 我が六都のことを放っていては紫も気に病みましょう」

何故だか何度も頷いてみせる紫揺。
こんなところもよく似ている。 こういうところは似なくていいのに。

「では、紫を送って行きます」

何を持っているのか、背中に袈裟懸けの荷物をしょっている。
仕方が無いと言った顔でシキが紫揺に向き直った。

「気を付けて帰ってね」

「はい」

菓子をひと包み渡された。

「四方様にはわたくしからよく言っておくわ」

四方に挨拶を申し出たが宮内にいないということだった。 柴咲たちはまだ戻って来ていない。 高妃のことで忙しくしているのかもしれない。

「はい、宜しくお願いします。 澪引様、シキ様、お世話になりました」

「またいつでもいらっしゃい」

澪引からも菓子をひと包み頂いた。
ニコリとして応えると、マツリに背中を押されて客間を出る。

あったことが無かったかのように、見事に修繕された大階段を降り、大門まで来ると門番が天馬を曳いてきた。 見張番は帰したようだが、天馬はそのままだったようだ。
客間を出る時に、良かった抱っこはされなかったと思ったが、しっかりと天馬に二人乗りで乗らされた。
だがよく考えてみると、そうしなければマツリが六都に戻る時が遅くなってしまうからだろう。
以前のマツリならともかく、今のマツリが紫揺一人を馬で走らせマツリ自身はキョウゲンで飛ぶということをするわけはない。 二人乗りをしなければマツリは他の馬に乗るということ。 天馬は見張番の馬であるのだから岩山に返せばいい。 だが宮から乗った馬は宮に戻さなければいけない。 紫揺を送り届けた後はキョウゲンに乗って戻る方が馬を駆らせるよりずっと早い。

“最高か” と “庭の世話か” が、お荷物になりますが、と言って菓子の袋を渡した。
“菓子の禍乱” は終わったのではなかったのか。 紫揺とマツリならずとも、門番たちもそんな目で見ていた。 その門番に晒しを巻いている者はいなかった。 傷を負った者には、四方が休みを取らせているのかもしれない。

「またすぐにおいでくださいませ」

「そう心がけます。 お世話になりました」

「お気をつけて」

大門を出て、門が閉められるまで四人に見送られた。
その後は、岩山に着くまでに馬上でマツリが何度も後ろから抱きしめてきた。
そういうものなのだろうか。

「不思議だ、紫は抱きしめても抱き上げても、女人らしい反応はせんのだな」

女人らしい反応・・・どんなものなのだろうか。

「べつに、慣れてるから」

前にも言っていた。 そのくせ接吻では泣いて。 日本という所でどんな生活をしていたのだろうか。

「ね、もし婚姻の儀が六都で大変な時だったらどうするの?」

「今のまま上手くいけば新しいことはせんでおく。 それなら大儀も無いだろう」

「えっと、ひ・・・飛於伊だったっけ? いつ任せるの?」

飛於伊のことは築山で詳しく聞いた。 兄であり、杠の下についている享沙の過去のことも。 その享沙は紫揺が床下に潜ったり、木を上ったところを見ていたと六都で紫揺に言っていた。 その話から紫揺は外から見て何も出来ていないことを聞かされた。

「ね、あの時マツリの邪魔しちゃった?」

「そのようなことは無い」

だが、気配を感じることが出来んようだな、などと言われてしまっていた。

「ごめん」

再度、そのようなことは無い、と言って紫揺を抱きしめる。

「六都、どう?」

「まだ分からん。 まずは硯の方がどうなるかだ。 それで働き先が足りなければ、婚姻の儀を済ませた後に新しいことをせねばならん。 そうなると飛於伊には任せたくないがな」

見た目に幼い。 民ならずとも官吏も簡単に言うことを聞かないかもしれない。 その為にも嫌われ役を持たせたくない。
そんなことをマツリが言った。 そうなんだ、マツリはそんなことを考えていたんだ。

「マツリ?」

「ん?」

「・・・マツリの役に立ちたい」

「紫は紫だ」


「わぁ、なーんか、いい雰囲気で天馬が戻って来ましたぜ」

何のことかと剛度が岩山の下を覗いた。 目の先にマツリと紫揺の二人乗りが見える。 噂とは早いもので、もう見張番たちも全員、紫揺がマツリの御内儀様になる方だということを知っている。
剛度はマツリが紫揺に心を惹かれているのではないかとは思っていたが、まさかこんなに早く御内儀様の話になるとは思ってもいなかった。

「よくお似合いじゃないか」

「あの紫さまの手綱を持たれるのは、マツリ様しかおられないか」

「東の領土には居らんのか?」

「さぁ、どうだかな。 いいじゃねーか、お似合いなんだしよ」

上から見られているとも知らず、天馬を岩山まで軽く走らせる。 岩山に上ってきた時には、見張番全員が出ていたことに少し驚いた顔を見せた。

「なんだ? 何かあったのか?」

「いえいえ、それよりもうお帰りで?」

「ああ、今回も借りたそうだな」

背中にしょっていた袈裟懸けごと剛度に渡す。 上質な絹の風呂敷、その中に貸した服が入っているのは分かっている。

「毎度毎度有難うございます、女房が喜びまさぁ」

民には簡単に絹の風呂敷など手に入らない。

「天馬を有難うございました」

「紫さま、天馬をあれほど走らせたのは紫さまくらいです」

「え? そうなんですか?」

「瑞樹も百藻も朝番でしたから今はいませんが、かなりの落ち込みようで」

剛度がクックッと喉で笑っていると、周りに居た見張番たちも笑いを噛み殺している。

「また何かやったのか」

「えっと―――」

紫揺が言いかけた時、剛度が止めに入った。

「ご内密に」

マツリが訝しんだ目をしたが大体想像はつく。 剛度を責めるわけにはいかない事なのだろう。

「行くぞ」

「じゃ、有難うございました」

ペコリとしたいところだが、散々止められている。 軽く顎を引くようにしただけである。

剛度たちに見送られ岩山を上がっていく。 先に歩くマツリの肩には顔だけこちらを向いているキョウゲンが居る。
本当にフクロウの首はよく回るものだ。 首の筋をおかしくしないのだろうか。 そう思えば百足もあの数の足をよく器用に動かすものだ。 分からなくなってこんがらがってしまわないのだろうか。

「何をしておる」

いつの間にか上まで上がってきていたようだ。 それなのに左手を岩に添わせて、まだぐるりと歩こうとしていた。

「あ、うん」

洞に入るといつものようにキョウゲンが飛び立った。
薄暗い中の洞を二人で歩く。 以前マツリに真後ろを歩くなと言われたことは覚えている。 マツリの斜め後ろを歩く。 と、マツリの足が止まった。

「ん? なに?」

振り向いたマツリが正面から紫揺を抱き上げた。

「なに!?」

「まだ抱きしめ足らん」

「はぁ!?」

「次はいつ来る」

「いつって・・・そうそうは・・・」

「婚姻の儀まで来ん気か」

「それは・・・分かんない」

「我と会いたいとは思わんのか」

「いや・・・思わなくは無いけど・・・東の領土を見ていたいから」

だったらマツリから来いよ、なんてことは今のマツリの様子を見ていて言えるものではないのは分かっている。 今も六都のことが気になっているだろうに。

「そうか・・・。 では・・・じっとしておれ」

「ん?」

マツリの唇が紫揺の唇に重なった。
そっと唇が離される。

「・・・」

じっと見られている。 どんな顔をすればいいんだ。 こっち見んなって言えばいいのだろうか。

「殴られはせんようだな」

「・・・うん」

根に持っていたのか。

もう一度重ねられた。 今度は長かった。
なんだろう・・・。 このおムネのドキドキは。 これってまさか葉月の言っていたおムネ増殖中なのだろうか。
おムネ増殖・・・犬のようにいくつもおっぱいを持ってどうする気だ。

洞を抜けるとキョウゲンが枝にとまっていた。 そのキョウゲンがマツリの肩に飛んでくる。 ついさっきまで紫揺が手を乗せていたマツリの肩に。

「居りました」

「そうか」

「何が?」

「東の領土のお付きの者たちだ。 毎日来ていたのであろうな」

「え・・・」

「五色は想われてこそ、その力を有する。 紫の力は生まれ持ってのものが大きいだろうが、それでも民やお付きの者たちが紫のことを想っておることもなくは無いだろう」

「毎日、迎えに来てくれてたんだ・・・」

「我からすればあまり嬉しくはないがな」

「どうしてよ」

「紫を奥に迎えるに気が引ける」

「・・・」

そう考えるのは尤もかもしれない。
マツリが両の眉を上げる。

「なに?」

「我が言ったことを聞いて、では我の奥にならんとは言わんか?」

「マツリが・・・東の領土に居ていいって言ってくれたから」

「あくまでも次代の紫が紫として目覚めるまでだ、忘れてはおらんだろうな?」

「ちゃんと覚えてる」

山を下りきるとお付きたちに混じってガザンが居た。

「ガザン!」

久しぶりのヘッドロック。 ヘッドロックされながらも、ガザンが紫揺の持つ匂いをふんふんと鼻を鳴らしながら臭っている。

「お帰りなさいませ」

阿秀が近寄って紫揺に声をかけると、紫揺が立ち上がって阿秀に応える。

「ただ今帰りました。 毎日来てくれてたんですか?」

「最初の内は全員ではありませんでした、交代で」

見渡すと今は全員いる。

「ご迷惑をかけちゃいました」

「そのような事は」

塔弥がお転婆を曳いてきた。

「お転婆、久しぶり」

お転婆の首をポンポンと叩いてやる。

「阿秀と言ったか」

「はい」

「東の領主は家に居るか」

「はい」

「では紫、先に行っておる」

「うん、すぐに行くから」

マツリが馬から離れると、キョウゲンが肩から飛び立ち、縦に一回りしている間にその姿を大きく変え、マツリがキョウゲンの背中に跳び乗る。

「領主にお話ですか?」

「はい」

婚姻の儀のことで、なんて言い足すとビックリするのだろう。

馬を走らせ厩の前に来たが、とうにマツリは着いている。 塔弥にお転婆を任せると阿秀と共に領主の家に向かう。
既に話を終えていたのか、マツリがゆっくりと茶を飲んでいる。 ましてや音夜を膝に乗せて。

「音夜、マツリのことが何ともないんだ」

「ああ、天祐とは全く違う。 大人しいものだ」

「紫さま・・・」

ガタリと音をたて、領主が椅子から立ちあがった。 隣に座っていた秋我も同時に立ち上がっている。

「あ、長い間すみませんでした。 ただ今帰りました」

「お帰りなさいませ。 今しがたマツリ様からお聞きしたのですが・・・」

「まだいつになるかは分からんとは言っておる。 整い次第だと」

「そうなので御座いますか?」

「はい・・・なんか急にそんな話になっちゃって」

「婚姻の儀を終わられても、この領土に居て下さるということも?」

婚姻の儀? 阿秀が驚いた顔をした。 まさか、マツリと紫揺の話があってから、まともに会ってはいないのに。 本領に行っている間にそんな話になっていたのか?

「はい。 マツリ、四方様もいいって言ってくれたんでしょ?」

「ああ。 まあ、あまりいい顔はなさっておらんがな」

「それはそうで御座いましょう。 御内儀様が宮に居られないなどと」

「だがそうしなければ、紫が諾と言ってくれんのでな」

「紫さま・・・」

「お婆様と約束しましたから。 東の領土の民も誰もかもを置いて宮に行くなんてこと、考えられませんから」

領主が深く深く頭を下げる。

「わっ、領主さん! どうしたんですか!?」

「紫さまは日本でお生まれになり日本で育たれました。 それなのにこれほどに民のことを考えて下さる。 一番お幸せを感じられるときに、マツリ様と別に暮らすことを選ばれ・・・東の領土領主として、ただただ申し訳なさと有難さだけで御座います」

秋我も同じように頭を下げている。

「分かりました、分かりました。 だから頭を上げて下さい」

そこに耶緒が紫揺の茶を運んできた。 今この場に阿秀の茶は必要ではない。

「紫さまもお義父さんもお座りになられてはどうですか?」

柔らかい声が周りを優しく包み込む。
マツリの横に紫揺の茶を置き、領主側の末席に阿秀が座る。

「マツリ様、そろそろ音夜を・・・」

「いや、叶うのならまだ膝におらせたい。 構わんだろう?」

「宜しいのでしょうか」

「音夜も構わんだろう?」

クルリと回すと脇に手を入れ高く上げてやる。 音夜が嬉しそうにきゃっきゃと声を上げる。

「ほんに可愛いものよ」

「天祐とえらく扱いが違うのね」

「あれは天祐が悪い」

「まだ懐かれませんか?」

領主に続いて椅子に座った秋我が言う。

「今日も大泣きをされた」

「あれはマツリが悪いんじゃない」

「ああせずとも泣いておったわ」

音夜を下ろすともう一度膝の上に乗せる。
マツリが天祐に何かしたらしいが音夜にはしないだろう。 そんな目をかすかに送っている秋我であった。

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辰刻の雫 ~蒼い月~  第186回

2023年07月24日 21時05分06秒 | 小説
『辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~』 目次


『辰刻の雫 ~蒼い月~』 第1回から第180回までの目次は以下の 『辰刻の雫 ~蒼い月~』リンクページ からお願いいたします。


     『辰刻の雫 ~蒼い月~』 リンクページ




                                  




辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~  第186回



アッシー君と化したマツリが回廊を歩く。 何故だか昨日と違ってすれ違う誰もが微笑んで回廊の端に寄っている。
回廊を歩いているとマツリに先を譲るのは当たり前だ。 誰もが端により頭を下げる図は何度も見た。 だが今は・・・違う。 頭は下げているが・・・その顔が微笑んでいる。

「マツリ? 何かおかしくない?」

「おかしいのは紫の顔色だ」

「そうかな? それ程でもないと思うけど」

「それ程? そう言うだけで十分だ、自覚があるということではないか。 どれだけ無理を重ねた」

「ちゃんと休憩は入れてたって」

マツリの歩みが止まる。

「紫・・・」

「なに?」

「お前はもっと己のことを考えろ」

「考えてるし・・・」

だから休憩もちゃんと入れたのだから。

「民に添うが五色。 だがそれは五色の身体あってのこと、分かっておるか」

倒れたくもなければ、知らないうちに寝たくもなくて休憩を入れた。 だが言われてみれば、直接的に五色としてどうこうとは考えていなかった。

「・・・今度、お前って言ったら今度こそアンタって言うから」

お姫様抱っこをされている姿で言っても、迫力に欠けるのは確かである。
マツリの歩みが再開する。

「六都に行ってきた」

まだ夜が明ける前にキョウゲンに乗って。

「え?」

四方の手伝いをしていたのではなかったのか?

「杠と・・・紫は京也を知らんか。 上手く動かしてくれているようだ」

出来れば杉山には必ず歩いて行きたかったが、今回はそうもいかない。 杉山にもキョウゲンで飛んだ。

「キョウヤ?」

「力山ともいうがな」

絨礼から色んな話を聞いた。 だが京也の話は聞かなかった。 でも二つの名があるということは、マツリの下・・・杠の下で働いている者であることは分かる。

「杠が動いてくれておる。 明日までは宮に居れる」

「明日?」

紫揺は今日東の領土に帰るつもりだ。 マツリにはキョウゲンが居る。 どれだけ遅くなってもキョウゲンで今日中に六都に飛んで行けるはず。 それなのにどうして。

「あの者たちを置いて東の領土に帰るつもりか?」

「え?」

「具合が悪くなったら言えと言っておっただろう。 それなのにすぐに東の領土に帰るのか?」

「あ・・・」

「秋我は来ておらん。 お付きの者たちも羽を伸ばしておろう」

最後に付け加えられた言葉に紫揺が白眼視をおくったが、マツリの言いたいことは分からなくもない。 決して自分が悪いとは思っていないが。

「門番さん達に何もなかったら、明日・・・明日の夕刻前に本領を出る。 それで東の領土に帰る」

「それが良かろう」

マツリがどんどんと回廊を歩く。 他の者の目を気にすることなく。

「マツリ?」

「なんだ」

「えっと、これってあんまり宜しくないと思うんだけど?」

マツリの威厳を下げるだけではないのか? 元よりマツリに威厳があったのかは知らないが。

「これ、とは何だ」

「抱っこ」

紫揺から即答が返ってきた。 マツリが鼻から息を吐く。

「紫は我の奥になる。 その紫を我が抱えてどこが悪い」

相変わらず恥ずかしくなるようなことをはっきりと言ってくれる。

「・・・分かった。 いい」

すれ違う人達が自分と同じように諦めの気分で見てくれることを願うばかりだ。
だがそれには無理があるだろうことに紫揺は気付いていない。 紫揺がどう思っているのかは、誰も知らないのだから。

二人の会話を聞いていた “最高か” と “庭の世話か”。 今日東の領土に戻ると思っていたのが一日延びた。
マツリと紫揺をくっ付けねばならないことはもう必要ない。 それにシキの従者から誰かの菓子が紫揺の気持ちを動かしたわけでは無いと聞いた。 それは少しショックだったが、そこを探る必要もなくなった。
今日一日しっかりべったりと紫揺にくっ付くつもりだ。 だがマツリが居ればマツリに取られてしまう。 出来ればマツリが居なければいいのに・・・などと考えてしまうのは不謹慎だろうか。


柴咲と呉甚を乗せた馬車が七都から八都に入り、今は八都を出て二都に向かっている。
七都ではすでに取り押さえが始まっていて、八都では末端までの調べが始まろうとしていた。 これから順に各都で始まっていくが、六都のような人数ではない。 一人も取りこぼしなく出来るかどうかは、各都の武官の腕にかかっている。


本領の ”古の力を持つ者” の長老に文が届いた。
文を広げ読み進めるうち、長老の枝のような指が震えていくのが見てとれる。

「湯葉(ゆば)様? 如何なさいましたか?」

読み終えた文を、声をかけてきた者に差し出した。 読んでみろということである。
文には高妃のことが詳しく書かれてあった。 そして紫揺が施したことも。

「力を失くしたとて五色として生まれた。 わしは引き取ろうと思うが、そなたはどう考える」

何のことかとすぐ文に目を落とす。
そこには高妃の持つ五色の力を、東の領土の五色が引き出したと書かれていた。
・・・力を引き出す、そんなことが出来るのか?
そして力を失くした高妃を預かってはくれぬかと。
差出人は四方だった。

「東の領土の五色はかなりの力を持っておるようだの」

「そのようで・・・」

「どうじゃ? 預かったとてわしはそうそう動けん。 そなたに頼むことになるが」

「湯葉様のお考えのままに。 筆を持って参ります」


“最高か” と “庭の世話か” が考えた不謹慎を澪引とシキも考えていたようだ。 だがマツリを客間から追い出してしまうのはあまりに不憫である。
結果、襖内は千夜に任せることとなり、マツリが紫揺の寝台に座り、澪引とシキと紫揺が卓を囲んで、その周りに “最高か” と “庭の世話か” が居る形となった。 卓の上には菓子がずらりと並んでいる。

マツリとしては客間から追い出されることは無かったが、これでは紫揺と話も出来ない。 目の前であれやこれやと楽し気に話をしている七人・・・。 紫揺の顔色は随分と良くなってきていた。 昼餉の前に薬湯を飲ませたのがよく効いたのだろう。

杠によると、京也の話では現段階で杉山の方がいいと言う者と、岩石の山の方に行ってみたいと言う者とに分かれているということであった。
マツリとしては杉山には出来るだけ咎人を送りたい。 だからと言って今の杉山に居る者たちが全員岩石の山に行かれては、指導する者が居なくなり困ることは確かだし、杉を使って上手く物を作る手を持つ者も残しておきたい。

(これからどれだけ咎人が出るかにかかってくるか)

咎人が出るという前提で杉山の人数を空けすぎてしまうのも考えものだ。 それに咎人は最初は役に立たない。 行って帰る往復だけでクタクタになっているのだから。

(人数の調整は京也に任せるか)

そう思うと四方の使う百足とは全く違う動きをしてくれる。 京也のしていることは当初、杠の下につかせる者を集めている時には頭に無かった事だ。

(京也が居なかったらどうなっていたことか・・・)

寝台にごろんと横になる。
此度のことで六都では百二十七名の咎人が出た。 それらの者は今まで捕えてきた咎人とは全く違う。 もやしのような身体の者もいれば女、子供もいる。 杉山は無理だろう。 もちろん岩石の山も。
それに他の都と罪科を合わせなくてはいけない。 とは言え、捕らえた都によってある程度罪科が軽減されるかもしれない。 六都が一番人数が少ないということだ。 もし一気に二百人以上の咎人が出てしまえば、そこの都は罪科を軽くするかもしれない。 実際もし六都で二百人以上の咎人が出てしまえば、労役先もそんなに無い。 軽くする以外に無いだろう。

それに四方も言っていたが、意味が分からず付いて行った者もいるようだ。 そのような者も常なら数日の労役になるが、もしかして口頭での反省を促すだけになるかもしれない。 それだけでも十分な恥となる。 だが六都の者は口頭での反省など恥とも思っていない。 どちらかと言えば上手くいったと舌をぺろりと出してお終いだ。

(要らぬことをしてくれおって)

「え? それでは紫は泳げるの?」

シキの声が耳に入ってきた。 紫揺と見たあの泉を思い出す。 あの泉を見ながらトウオウの話をした。 紫揺が静かに泣いていた。

(思えば・・・何度紫が泣くところを見ただろうか)

会った回数はほんの僅か。 その中で半分近くは泣いていたのではないだろうか。

(いや、それほどでもないか・・・)

どちらかと言えば怒っていた方が多い。 そう思うと穏やかに一緒に居られたのはほんの僅かだ。
今も本当なら二人で話していられるはずだった。 ・・・なのに、これだ。
首を捻って七人の姿を目に入れる。
こんな所で転がっていても仕方がない。 起き上がると寝台から下りた。

「あら? マツリどうしたの?」

「父上の所に行って参ります」

「まぁ、それじゃあ、昌耶に天祐を連れてきてって言っておいて」

マツリが居たから天祐を連れてこられなかったということか。 完全に邪魔者だったようだ。

「・・・承知しました」

何故だろう・・・宮に自分の居所が無いような気がする。 気のせいだろうか。
そう言えばリツソはどうしているのだろうか。
お帰りはこちら、と言われたように襖が無言ですっと開いた。

夕餉の刻となり澪引とシキが客間を出て行った。
“最高か” と “庭の世話か” もそれなりに話したいことはあったが、澪引とシキが引き出した話でも十分楽しめた。
夕餉と湯浴みが終わり、紫揺を寝台に入れると客間を辞した四人。

それにしても、婚姻の儀はいつになるのだろうか。 澪引とシキはしきりに言っていたが、紫揺はあくまでもマツリの思うようにと言っていた。
マツリと紫揺の様子を見ていると、結構言いたい放題の紫揺だが、こういうところはマツリを立てるのだと改めて知ることになった。

「一日でも早く、マツリ様とご一緒になられたいとは思われないのかしら?」

「紫さまだけではなく、マツリ様もそうよ。 六都のことは気になられるでしょうけど、早く紫さまに輿入れしてほしいと思われないのかしら」

「そこよ、そこ。 聞き洩らさなかったでしょうね?」

「婚姻の儀を終えられても、紫さまが本領に来られないってことよね?」

「ええ、東の領土で五色様をお産みになってお一人立ちされるまで、東の領土に居られるって仰ってたわよね?」

「ええ、そう聞いたわ」

四人が同時に肩を落として大きく息を吐く。

「私たちいつまでお待ちすればいいのかしら」

「そう言えば姉さん、紅香のお話しをちゃんと聞いたの?」

丹和歌が言っても真剣に耳を傾けてもらえなかった。 だから紅香に頼んだのだが。

「だって、お付き合いをすれば婚姻して宮を出なくちゃならなくなるじゃない。 そうなると紫さまにお付き出来なくなるわ」

「世和歌、だから言ったじゃない。 お付き合いだけよ。 お・付・き・合・い。 世の勉学よ」

「今日は色んな意味での車座ね・・・」

今宵、世和歌がコッテリ絞られるかどうか。 ニッコリと微笑んでいる夜空の月しか知らないのかもしれない。

朝餉を終わらせた紫揺が医者部屋を訪ねた。
門番一人と下男が粥を食べ、一人の門番がしっかりとした朝餉を食べていた。
入ってきた紫揺を見ると、三人とも立ち上がり深く深く頭を下げた。

「どうぞ、頭を上げて下さい」

「医者様に聞きました。 紫さまが居られなければオレたちずっと目が覚めなかったって。 オレみたいな下男に・・・あ、有難うございました」

「門番さんは門を守り、下男さんはお掃除や色んなことをして下さってるんです。 私の方が毎日お世話になっています」

そんな、と男三人が口の中で言い首を振る。

「お食事中申し訳ないのですが、少しお話しをうかがってもいいですか?」

立ち上がっていた男達を座らせると、どうして目覚めなかったのか、そこに五色の力が加わっているからかもしれないと説明したうえで、どこか具合の悪いところは無いかと訊いた。
男達は五色の力と言われても分からない。 ただ夢を見ることなく寝ていて、どこも痛くないと首を振るだけだった。

「そうですか。 具合の悪いところが無いに越したことはありませんが、ちょっと視せて頂きます。 じっとしているだけでいいので」

紫揺が目を瞑ったかと思うと、再び開いた時には綺麗な紫の瞳をしていた。
男達がどうしたものかと身じろぎをしたが、医者がじっとするようにと声をかけた。
紫揺が一人ずつの頭を紫の目で視る。 再び目を閉じ開いた時には黒の瞳に戻っていた。

「私の目から視て変わったところは視られませんが、今日の夕刻前までは宮に居ます。 少しでも具合の悪いところがあればすぐに言ってください」

紫揺が五色の力が何か作用してはいないかと気にかけているのを医者は分かっている。 だから本来なら目覚めた時点で家に帰すのだが、こうして残らせている。 医者にしても男達と同じで五色の力と言われても分からないのだから。

紫揺は医者も薬草師も目覚めさせることが出来なかったリツソを目覚めさせている。 リツソの時には過剰な薬湯を飲まされていた。 それを五色の力で目覚めさせた。
五色の力とは医術の追いつかぬ遥か彼方にあるのだろう。

医者部屋の戸が少々乱暴に開けられた。

「やはりここにおったか。 我が迎えに行くまでウロウロするのではないわ」

昨日は澪引とシキに取られた。 今日こそは取られまい。

「これからか」

「ううん、終わった。 今のところ大丈夫みたい」

“我が迎えに行くまで” とはどういう料簡だ。 そうならば昨日は朝から一緒に居なければいけなかっただろう。 それなのに六都に飛んでいただろう。 それに、その後にもシキと澪引に預けただろう。
などとは紫揺は考えない。

紫揺を見ていた顔を医者に移す。

「昼餉までは築山に居る。 何かあればそこに来るよう。 夕刻前になれば紫を東の領土に帰す」

「承知いたしました」

ヒョイと持ち上げられた。

「わっ、マツリ、朝、朝だからっ、まだ疲れも何もしてないからっ!」

「黙ってじっとしておれ」

“最高か” と “庭の世話” がクスリと笑う。 マツリにどこかに行って欲しいとは考えてはいるが、マツリの気持ちが分からなくもない。 自分たちも澪引とシキの居ない所、湯殿で紫揺に付いてまわった。 湯殿に浸かる紫揺を一人占めならず四人占めにしていたのだから。

紫揺を抱きかかえたマツリが医者部屋を出て行った。 呆気にとられた男達。 何が起きたのだろう、という顔をしている。

「食べ終えた者から順に火傷の状態を診る」

医者の声に我を戻した。

マツリの腕の中で暴れていた紫揺だったが、医者部屋を出ると回廊を掃除していた下男や女官たちとすれ違う。 その下男や女官たちが頬を緩めてマツリに先を譲っている。 暴れることが恥ずかしくなり大人しくはしたが、どうして歩かせてもらえないのか。 疲れてもしていないのに。

「マツリ? 私よりマツリの方がしんどいと思うよ?」

六都のことも考えなければいけないし、高妃のことも決起のこともある。 六都以外のことも四方に丸投げは出来ないだろう。

「紫がそう考えるのならば、尚更であろう」

「・・・意味分かんないけど、そう思うのなら下ろしてもらいたいんだけど?」

「我は紫を抱いていたい」

コイツ・・・なんなんだ。
しんどければ寝ればいいだろう。 どうして体力を使う。 それにいつもながら恥ずかしいことをどうして平気で言うのか。

「とにかく下ろして」

「築山に行けば下ろす。 それまでは紫は我のものだ。 母上にも姉上にも渡さん」

コイツ・・・ぶっ壊れてる。

「マツリ、あのね―――」

「昨日聞いてきた六都の話を聞きたくないか?」

「あ、聞きたい」

簡単に釣れる。

結局築山まで下ろしてもらうことが出来なかったが、道々六都のことを聞き、築山に着いても六都の話を聞き続けた。
マツリが築山と言っていた。 すぐに “最高か” と “庭の世話か” が別れて行動をとっていた。 今では築山の卓に菓子と茶が置かれている。

「硯、出来そう?」

「簡単にはいかぬようだな。 まだ宮都から出向いた硯職人が教えているらしい。 基本、硯というものに縁が無かった者たちだから余計だろう」

杠が言うには都庫の金を使って道具を買ったとも言っていた。

「あ、そっか。 読み書きをしてこなかったんだ」

そうだ、と言うとマツリが呆れたように溜息を吐く。

「なに?」

「従者や女官たちが、菓子で紫を釣ろうとしていた意味がよく分かるわ」

見事な食べっぷりだ。

「お菓子で釣る? なんのこと?」

そこで “菓子の禍乱” の説明をした。

「・・・」

「我も知らなかったがな、あの菓子はそういう意味だったらしい」

「・・・だから・・・誰のお菓子が一番美味しかったかを訊いていたってこと?」

「そのようだな」

「それって完全に飴玉につられる子供扱いじゃない」

よく分かっているようだ。
結局、昼餉までは誰にも邪魔されずに築山で過ごせた。 というか、その後、夕刻前になっても澪引とシキはやって来なかった。

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辰刻の雫 ~蒼い月~  第185回

2023年07月21日 21時19分06秒 | 小説
『辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~』 目次


『辰刻の雫 ~蒼い月~』 第1回から第180回までの目次は以下の 『辰刻の雫 ~蒼い月~』リンクページ からお願いいたします。


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辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~  第185回



“色なき風” 花やかな色や艶が無い。 中国の陰陽五行説により秋の色は白。 そこからきていると習った。

足元には緑一面が広がっている。 もう秋だというのに足首までのびのびと背を伸ばしている。
目の前には緑と空色しかない中に一人ぽつんと立っていた。 色なき風に髪を揺られる。 下を向き左の掌を見た。 掌には半透明とまではいかないが、黄色く丸い物が握られている。

(なんだろう、いつ手にしたんだろう)

顔の高さまで上げる。
すると黄色く丸い物の中に少女の姿が見える。

(あ・・・コウキ)

黄色く丸い物の中に高妃が見えたのに、その向こうに高妃が居る、そう感じた。 そっと手を下げる。
高妃が緑の草を踏みしめ、こちらに向かって歩いてくる。 あの時と違ってしっかりとした足取り。 手に晒しも巻いていない。
紫揺の目の前までやって来た高妃。 相変わらず目には力が無い。 すっと手を出すと、紫揺が手にしていた黄色く丸い物を握り潰した。 黄色く丸い物が霞となって霧散する。

(コウキ・・・)

横を向くとどこか遠くを見るような目をしている。 その高妃の姿が黄色く丸い物と同じように霞となって消えた。

「・・・紫」

遠くにマツリの声が聞こえる。
どこから?
振り返ろうとした時、身体が揺れた。

「紫」

目を開けると寝台の上で横になっていた。

「・・・あれ?」

「あれ、ではない。 やはり相当に疲れておったのだろう」

「え? 何があったの?」

マツリが大きな溜息を吐いてみせる。

「我が医者房から運んでる最中に・・・寝た」

「・・・」

なんてことだ・・・。 完全に幼児ではないか。

「夕餉は食べられるか?」

「・・・うん」

「お椅子で宜しい御座いましょうか?」

「ああ、もうふらつきはせんだろう」

心得たとばかりに彩楓と丹和歌が用意を始める。 いつの間にか交代したようだ。

「あ・・・マツリは? 昼餉も食べてなかった」

「紫が湯殿にでも行っている時に食べる」

その時だけは一緒に居られないのだから。

「六都に戻ってもいいよ? 心配でしょ? 見張番さんに連れて帰ってもらうから」

まだ瑞樹たちは居るだろう。

「見張番は早々に引かせておる。 それに房に戻る前に寝てしまうような紫を置いて六都に行けるはずがなかろう」

「う・・・それはちょっとした不覚であって・・・」

そう言えば座りながら寝た時もあったか・・・。

「明日には東の領土に送って行けよう。 今六都に戻っても違いは無い」

「・・・うん」

用意が出来たと声がかかる。
紫揺の食べている正面にマツリが座る。

「夢を見た」

マツリが頷く。

「コウキが出てきて私の持っていた黄色くて丸い物を握り潰した」

「黄色くて丸い物?」

「うん、ちょっとだけ透けてるって言うか・・・どうして持ってたのか分からないんだけど」

彩楓と丹和歌が目を合わせる。 マツリも気付いているようだ。

「我が領土では己の力は己の手にしていると言われておる。 それは決して見えない物なのだがな」

マツリが言うには、それは生まれた時から手に持っているという。 人それぞれに力があり、それに値する色を持っていて形は大体が丸いということだった。

「え・・・じゃあ、私の持ってた力が黄色で・・・コウキに潰されたってこと?」

マツリが首を振る。

「そうではない。 決して目に見えるものでは無いと言っただろう。 それに夢だ、夢占(ゆめうら)は女人の方が得意だろう。 どうだ?」

部屋の隅に控えていた彩楓と丹和歌を見た。
互いに目を合わせ頷き合うと少し進み出て口を開く。

「よく言われておりますのは、握り潰された時、それは助言となると言われております。 紫さまがお手に持っておられたものにお心当たりが御座いませんようでしたなら、お手に持っておられていた物は紫さまのお力では御座いません」

隣で丹和歌が頷いている。

「じゃ、私が手に持っていたのは何なんですか?」

「望みごと、難事(なんごと)、疑問と言われております」

望みごと、難事、疑問。 今の自分には難事などない、と思う。 希望は・・・いっぱいある、ありすぎて困るほど。 東の領土の安寧、民の幸せ、此之葉や葉月のこともそうだし、おムネのことも・・・。 握り潰されたことが助言だとしても、おムネを握り潰されたようで受け入れたくない。 それに今直近にあるのは疑問。 高妃の力のこと。
手に持っていたのは・・・黄色く丸い物。 黄色。 今の自分の疑問は高妃の黄色の力。 高妃の力が門番たちにどんな作用を及ぼしたのか。 それを高妃に握り潰された。 それは助言だと彩楓が言う。

「コウキの黄色の力は気にしなくてもいいってこと?」

「どう理解するのかは分からんが、あくまでも夢占だ」

夢、それは自分の願望でもある。

「そっか、私がそう望んでたんだろうな」

前屈みになっていたマツリが椅子の背もたれに背を預ける。

「まったく、夢にまで見るものか?」

「・・・コウキ、どうなるの?」

「父上は五色の力を持っていれば “古の力を持つ者” に預けようと思われていたようだ。 だが力を失くしたのならば ”古の力を持つ者” がどう考えるか分からん。 もし ”古の力を持つ者” に断られたのなら、力を失くした五色を民と考えると刑部との話になるが情状の余地はあるだろう。 刑部と父上がどうご判断されるかだな」

そこは紫揺の口を出すところではない。 分かっている。

「五色に生まれてなかったら、こんなことにならなかったんだろな」

可愛らしい顔をしていた。 普通に生活していればモテただろう。 それにプックリとした・・・おムネもあった。

「高妃のことは父上がご判断される。 今は力がなくなったとはいえ五色であったことには違いない。 悪いようにはされん」

「・・・うん」

襖の外から声がかかった。 その声は昌耶である。

「姉上が来られたみたいだな」

丹和歌が出るとそこにはシキと天祐を抱いた昌耶が座っていた。

「今いいかしら?」

「夕餉の途中でいらっしゃいますが、宜しいでしょうか」

「わたくしは、よろしくてよ」

どうぞ、と言って襖を大きく開ける。 相手はシキだ、紫揺の許可など必要ないことは分かっている。

「シキ様」

「身体の具合はどう? 紫をマツリが抱えていたって聞いたのだけれど」

その様子を何度も聞かされた。 医者部屋に入ったり、最後には紫揺が力なくしていたと。

「寝ていただけで御座います」

「え?」

「知らない間に寝ちゃったみたいです」

「ま・・・」

思わず笑い出してしまった。

「て・・・天祐と同じね」

「シキ様・・・それは・・・」

「まったくだ」

紫揺がマツリをジロリと睨むが、当の本人は昌耶の手に抱かれている天祐を見ていた。 その視線を追った紫揺。

「抱っこしていいですか?」

「ええ」

昌耶から天祐を受け取る。 天祐が不思議そうな顔をしている。 初めて見る顔だからだろう。

「こんにちは、紫です。 いくつになったのかな?」

天祐が一生懸命指を動かして二本の指を立てようとするが、上手くいかないようだ。

「二の歳ね?」

ニパっと天祐が笑った。

「我の時とは大きな違いだな」

ビクリと肩を震わせた天祐がマツリを見た。 途端、顔をくしゃくしゃにしだす。

「ああ、これはこれは、若、さあさ、こちらに」

少し抱っこしただけなのに昌耶に取り上げられた。 何故だ・・・。 と思ったが、昌耶が出て言った途端、天祐の大泣きが聞こえた。

「女人以外駄目なの。 困ってしまっているのよ」

ああそういうことか。 マツリが居たからか。

「紫、食べながらでよいからしかりと食べよ」

「ええ、気にしないでちょうだい。 もう少しすれば母上もいらっしゃるはずよ」

「澪引様が?」

「母上もご心配していらしたから。 でも寝ていただけと分かると安心されるわ」

「どうしてもっと目立たないように運んでくれなかったのよ」

マツリを睨み据えて言うが、八つ当たりでしかないのは明らかである。
澪引が来るのであれば早く食べ終えてしまいたい。 さっさかと食べ始める。

「父上が早く婚姻の儀をするようにと仰ったそうね」

「はい、ですが・・・今は。 それに東の領主にも話を詰めておりませんので」

悠長なことを言ってくれる。

「父上が仰った以上は、早々にお進めなさいな。 紫を送って行った時に東の領主にお話なさい」

「そう、ですね」

その時、澪引がやって来た。
澪引もシキと同じように、しっかりと笑ってくれた。

「何ともなくてよかったわ」

なんとかギリアウトで食べ終えた紫揺。
それからは紫揺とマツリの婚姻の儀の話から、二人がどんな風に過ごしていたのかを話した。

「え? では二人だけでゆっくりということは、あまり無かったということ?」

東の領土で泉に行ったことはあったが、あの時、トウオウの話を聞いてかなり気分が暗くなった。 ゆっくりというのには程遠かった。

「六都では殆どすれ違いだったし、六都から宮に戻ってきた時が一番長かったかな?」

マツリを見て言うとマツリも頷いた。

「そうだな、まぁ、最後があんな風だったがな」

宮が高姫に襲われた。
それは澪引もシキも知っている。 二人が目を合わせて息を吐く。

「紫・・・寂しいわね」

澪引も分からなくはない。 四方が通ってくれたといっても、簡単に来られるわけではなかったのだから。

「そうでもないです。 六都でも楽しかったし、東の領土では五色としてのことがありますから」

東の領土に戻ってはマツリのことを考える暇など無いと言っているのだろうか。

「母上、紫は己で楽しみを見つけることが出来ます。 まあ、東の領土のお付きの者は大変でしょうが」

「そんなことないし」

マツリの言いように、すかさず紫揺が突っ込む。

「ねぇ、紫? 紫は婚姻の儀のことをどう考えていて?」

「どう、と仰いますと?」

「一刻も早くとは思っていないの?」

婚姻の儀、日本で言うところの結婚式。 それが七日間続く。 七日間のことを置いておいても、婚約をしたら女子は普通、結婚式を夢見るだろう。 だが。

「うーん、よく分からないです」

「母上、紫は紫でこう、マツリはマツリで六都のことがあると言いますし、二人に任せておけばいつになるか分かりませんわ」

「いや、姉上それは。 六都のことは外せません」

「マツリ、婚姻の儀は今日決めて明日からというわけにはいかないのよ。 長い準備期間が必要なの、それは分かっているでしょう?」

「あ、はい、ですが今は六都の先が見えません」

「見えてから準備していてはいつになるか分からないわ。 今から準備しても長くかかるのよ。 母上とわたくしに任せてくれないかしら?」

「ですが―――」

「いざとなれば杠が居るでしょう?」

「杠一人に任せるわけには―――」

「紫はどう? いいかしら?」

「あ・・・えっと、マツリの言うように・・・」

「では決まりね」

全然決まりではない。

「我は何も言っておりませんが・・・」

言わせてもらっておりませんが。

「では母上そろそろ」

「ええ、そうね」

そそくさと客間を出て行った。 小さな嵐が巻き起こったようだった。
マツリが肘をついて頭を抱える。

「六都のこと・・・上手くいくといいね」

それまでには決起の咎人のことは解決しているだろう。

翌朝、朝餉を終わらせるとマツリを待たずに医者部屋に向かった。
昨日の門番はすっかり良くなったようで、手前の部屋で粥を食べていた。
医者から聞いたのだろう、何度も何度も紫揺に頭を下げた。 どこも具合の悪いところが無いと聞き、ホッと胸を撫で下ろす。

「良くなられてよかったです。 あとのお二人を視てきます」

彩楓が布を上げ、その布を潜るとまだ眠っている二人を見た。 医者が紫揺に付く。
一人に近づき紫の目で視る。 昨日と変わらない。 自力でどうこうすることが出来ないようだ。
紫揺が座るかどうかは分からないが、椅子は用意してある。
“最高か” と “庭の世話か” が隅に立つ。 もう夜中の紫揺を見なくてよくなったのだ。 夕べは四人とも女官の部屋に戻って寝た。

昨日のペースでいけば、休憩を入れても昼餉頃には終われるだろう。 高妃の黄の力の影響は無かったようだが、それはゆっくりしたからかもしれない。 万が一がある、焦らずゆっくりとしよう。
門番の頭に手を近づけた。

一刻(三十分)ごとに休憩を入れる。 昨日の様子から分かっていた紅香たちが茶の用意をしていた。 休憩ごとに茶を淹れる。
お腹がじゃぼじゃぼになりそうなものだが集中しているからだろう、喉が渇いて仕方がない。 毎回美味しく茶を頂いた。

三度目の手を離した。 昨日の門番はこのくらいに反応が見られたが、この門番はまだピクリともしない。 頭の霞は殆ど無くなったというのに。
医者に様子を見てもらったが変りは無いという。
高妃の黄の力が何か作用したのだろうか。

この門番は医者に任せて最後の男に目を移す。 男は門番ではなく下男。
門番は自分の責任上、高妃を止めようとしただろうが、下男であれば逃げればよかったのに、高妃を止めようとしてこんなことになったのか。
自分がもっと早く着いていれば、こんなことにはならなかったのに。

紫の目で視てみるとこちらも昨日と変わりは無かった。
下男の頭にそっと手を添わす。 今回も一刻おきに休憩は入れる。 これは必ず守りたい。 でなければ昨日のように知らない間に寝てしまうかもしれないのだから。
三度目に手を添わせている途中に下男の瞼がピクピクと動いた。 目の前に置いている “時の刻み” があと少しで一刻が終わるのを告げる。 それまでゆっくりと霞を出していく。 殆どの霞が出た。 次にはすべて出し切れるだろう。

疲れた体を椅子に座らせると門番の口から呻き声が聞こえた。 顔を上げて見てみると、医者が瞳孔の開きを見ている。

「反応が大きくありました」

助かってくれる。
医者が下男の方に回り込む。

「こちらの方も瞳孔が動きました」

医者が顔を上げて紫揺を見ると相好を崩した。

丹和歌から茶を受け取る。 今すぐにでも開始したいが、ここで焦って自分が倒れてしまってはどうにもならない。 さすがに二日続けては厳しいと身体が言っている。 大きく深呼吸をして自分を落ち着かせる。
茶を一口飲んだ時、布が上がりマツリが入ってきた。 そのまま紫揺の前まで歩いてくると紫揺の両頬に手を当て顔を上げさせる。

「顔色が良くない」

「ちゃんと休憩をとってる。 それにあと少し」

今まで何をしていたのかは知らないが、紫揺のように寝ていたわけではあるまい。 宮にいるからと紫揺にかかりっきりでいられるはずはない。 四方の手伝いでもしていたのだろうか。

出されていた茶をグイッと飲むと湯呑をマツリに渡す。 もう目の前の “時の刻み” をひっくり返す必要はない。 残っている霞を出すのに一刻も要らない。
下男の頭に手を持っていき、ゆっくりと残りの霞を出す。 途中で下男の目がゆっくりと開いたが、自分に何が起きているのか分からないのだろう。 ただ火傷の痛みから呻き声だけを上げていた。
全ての霞を出してから、ようやく紫揺が声をかけた。

「腕に火傷を負われています。 腕に痛みがあるでしょうが、他に具合の悪いところはありませんか?」

下男が首を振る。

「お医者様に診て頂きますね」

既に紫揺の対面に回っていた医者に頷いてみせると、呻き声を漏らした下男の脈を取り出した。

まだ目の覚めない門番を紫の目で視てみると、紫揺が手を止めた時より僅かだが霞が消えている。

(自力で出したんだ・・・)

すぐに手を添えると残りの霞を出す。
まだはっきりとしない門番が顔を歪めながら瞼をゆっくりと上げた。 そこで下男と同じことを訊いた。

「腕以外は・・・何ともありません」

「そうですか、早く火傷が治るといいです。 どこか具合の悪いところが出たらすぐに教えてください」

「は、い・・・え? む、紫さま! グッ・・・」

今初めて紫揺と気付いたようだ。

「無理をしないで下さい。 ゆっくり養生してください」

「は、い・・・」

まさか紫である紫揺にこんな風に声をかけられるなどと思いもしなかった。 腕の痛みなど忘れて呆気に取られている。

「よいか?」

「うん」

ふわりと体が浮いた。 昨日と同じだ。

「何ともないって」

「そんな顔色をして、どこが何ともないと言うか」

彩楓が布を上げると、丹和歌と世和歌が茶の用意を乗せた盆を持ち、紅香が椅子を片付ける。 互いに確認を取っていたのではないのに、その動きには全く無駄が無かった。

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辰刻の雫 ~蒼い月~  第184回

2023年07月18日 21時08分55秒 | 小説
『辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~』 目次


『辰刻の雫 ~蒼い月~』 第1回から第180回までの目次は以下の 『辰刻の雫 ~蒼い月~』リンクページ からお願いいたします。


     『辰刻の雫 ~蒼い月~』 リンクページ




                                  




辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~  第184回



ゆっくりと下半身を視る。 一ケ所以外どこにも異常が無かった。 異常というか、気になるものが視えたのは・・・頭の中だけ。

「お布団をかけてあげてください」

そう言い残すと場所を移動して残りの二人も同じようにして視る。 医者はあくまでも布団を剥ぎその後布団をかけるという単純な助手役に終わっていた。
三人目を視終ると、一人目の寝台の横に置かれていた椅子に腰かける。

「三人はちょっと疲れたかな」

三人と言っても、休憩を入れたとしても朝から高妃を入れて四人だ。 紫の目で四人も視れば疲れるだろう。

「無理をする必要はない」

後頭部にマツリの声が降り注ぐ。

「うん。 誰にも身体の異常は視られなかった。 でも三人とも頭の中にだけは気になるところがあるから、ちょっと考えたいことがある」

「頭、で御座いますか?」

閃光は腕に受けていたはずだ。 だから両腕に火傷を負っているのだから。

「はい、単なる閃光ではなかった様です」

「紫が言っておった力が巻き込まれたということか」

「それ以外考えられないんだけど、そこのところを深く考えたいし思い込みに囚われずに他の可能性も考えたい。 休憩がてら」

「では一度房を出られてはいかがで御座いましょうか。 単純に目の前を変えることも必要で御座いましょう」

医者の言うことは尤もだ。

「そうしよう、紫」

「・・・うん」

そう言った途端、身体が浮いた。

「え・・・」

一瞬またふらついたのかと思った。 だがそうではなくマツリに抱え上げられていた。

「ちょ、マツリ!」

いわゆるお姫様抱っこである。 けっしてパンダ抱っこではない。

「大きな声を出すな。 疲れておるのだ、歩かせるわけにはいかん」

「歩くくらいなんともないって!」

「声を抑えろ。 朝もたんまりと歩いた。 静かにしておれ」

紅香が慌てて布を上げる。 屈んで布の下を潜るとそのまま医者部屋を出て行く。

「どこ行くのよ、下ろしてよ!」

医者部屋の近くであるからまだ誰も歩いていないが、どこへ行くというのか。 医者部屋から離れてしまうと人目がある。
手足をばたつかせて口でも下ろせと抗議するが、マツリの腕が下ろされることは無い。

「暴れたり大声を出せば余計疲れるであろうが。 静かにしておれ」

「だったら下ろしてよっ!」

「我に手伝えるのはこれくらいのものだ。 手伝わせるくらいさせよ」

「・・・あ」

そんな風に考えていたのか。

既に時折、人の目があったが、それでも人気のないところを選んで歩いているようだ。 小階段を降りると、固まっている下足番に変わって世和歌がすぐにマツリの履き物を用意する。 紅香が紫揺用の履き物を持って二人でマツリの後ろを歩く。
いったいどこに行くのだろうと思っていたら太鼓橋を渡った。 この先には築山に東屋がある。 そこに向かうのだろう。 世和歌が紅香に頷いてみせる。 茶の用意をしてくるということだ。
東屋に座らせられた紫揺。 すぐに紅香が履き物を足元に置き下がる。

「あ、ここって」

「姉上と話しておったところだ」

そうだ、ここで五色の話を聞いたのだった。 五色の力の事を教えてくれた。 シキから教えてもらわねば力の事を何も理解できなかった。 まるで・・・原点に還ったようだ。
シキは困った五色の話もしてくれた。 紫揺もそれにあてはまると。 当たり前と言えば当たり前だ。 北の領土で散々力のことを言われたが、全く意味が分からなかったのだから。 北の領土でシキのように教えてくれていれば話は違っていたかもしれない。

高妃・・・高妃も同じかもしれない。 高妃に付いていた女は ”古の力を持つ者” ではなかった。 それくらい紫揺にも分かる。
高妃は紫揺と同じように、誰にも力の事を教わらなかったのかもしれない。 それでも力の事を知っている者が居たのだろう。 だから紫揺ほど酷くは無かったのだろう、自分の思いで力を出すことが出来ていたのだから。

もし自分が力の存在を知っていてそれを出すことが出来たとして・・・力の詳しいことを知らなかったら・・・。
目を瞑って考える。 自分の体の中を視ることは出来ないが、高妃の身体の中を思い浮かべる。 力を取り上げる前に視た五色(ごしょく)の色を。
高妃の持つ力の色の渦は黒と青が比較的大きかった。

「黒と青・・・。 黒は水、青は雷と風で破壊をもたらす・・・閃光は青の力・・・」

紫揺が一人でブツブツと言っているが、マツリには何を言っているのかは分かる。 今はそっとしておいた方が良さそうだ。

一番小さかった渦はたしか黄色だった。 黄色は山や地。 土や砂を動かすことが出来る。 高妃が力を出していたのは宮の庭。 そこには土や砂があった。

「もし黄色の渦が混じってしまっていたら・・・」

青の力に引き込まれて黄の力がでたとしたら、閃光の中に砂が入ったのかもしれない。 閃光に砂が混じったらどうなる? 閃光は言ってみれば単なる小さな雷。 そこに砂がくっ付くだけ・・・。 火傷をしたところに砂がくっ付くだけ。

「駄目だぁ・・・分からない」

天を仰いで目を開ける。 暑い盛りはとっくに終わった。 気持ちのいい空に糸のような雲が引いている。 上空では風が吹いているのだろうか。

(確か・・・金風、だったっけ。 秋の季語って。 色なき風とかってのもあったっけ・・・)

「焦ることは無い。 茶でも飲んで一息入れればどうか?」

マツリの声に顔を下ろすと、いつの間にか茶が置かれていた。 湯呑ではなくカップである。 この本領でカップのことを何というのかは知らないが、このカップに入っているのだとしたらハーブティーだろう。
一口飲むと爽やかな味がした。 いつもながら感心する。 紫揺の状態に合わせて色んな茶を淹れてくれる。

「美味しい」

「そうか」

もう一口飲むとカップを置く。

「ね、どうしてかは理由が分からないの。 でも一度紫の力を使ってみてもいい?」

“もう一度” とは言わなかった。 紫の目で視る以外のことを言っているのだろう。 だがそれは紫揺の身体に負担を与えるということ。

さっきも額の煌輪は何の反応も見せなかった。 高妃がやったことへの犠牲者が居る。 初代紫はその責を負うといっていた。 でもその責を負うのは “われら” と言っていた。
“われら” は初代紫と紫揺のこと。 それでいて初代紫から何も反応が無いということは、高妃の時と同じに紫揺の力で出来るということ。 それは紫の力以外にない。

「無理はしない。 倒れる気はないもん」

マツリが腕を組む。 暫く目を瞑り眉根を寄せていたが、とうとう大きな息を吐いた。

「止めても無駄なのだろう」

「うん」

どうして元気よく返事をするのか。

「無理をせん、約束できるか」

「うん」

“うん” 民の童か・・・。 別の意味での息を吐いた。

茶を全て飲むと再度医者部屋に向かった。 しっかり抱っこをされてしまったが、今回は最初から大声も出さなければ暴れもしない。 マツリがマツリなりに手を携えてくれていることが分かったから。

誰もが思わず振り返ったり足を止めたりしていた。 マツリは素知らぬ顔で歩いていたが、紫揺は恥ずかしいことこの上なかった。
「あはは」と笑って誤魔化したつもりだったが、あっという間にこの噂が広まったのは言うまでもない。

「え? マツリが紫を?」

噂を聞いた従者が昌耶に伝え、昌耶がシキに伝えた。

「はい、そのまま医者房に向かわれたそうです」

「紫に何かあったのかしら!?」

襖外からまた声がした。

「お方様に御座います」

すぐに襖が開けられ澪引が入ってきた。 何故か千夜も入ってきて襖内に座る。

「シキ、紫がマツリに抱えられて医者房に入ったそうなの!」

「ええ、わたくしも今聞きました。 紫に何かあったので御座いましょうか」

「すぐに見にやらせます」

天祐を抱いている昌耶が言ったが、それを千夜が止めた。

「もうこちらで見に行っております」

昌耶と千夜の視線がぶつかる。
シキと澪引の視線が合い、互いに小さな息を吐く。
菓子では決着がつかなかった。 戦いの目的は違う方へと流れて行っているようだ。

澪引の従者が医者部屋を訪ねたが誰も居ない。

「どなたか居られませんか?」

あの声は・・・紅香と世和歌が眉間に皺をよせ目を合わせる。 すぐに紅香が布を上げ奥の部屋から出た。 立っていたのはやはりあの従者。 酒菓子を食べさせたと偉そうに言っていた、澪引の従者。

「お静かに願います。 こちらに」

言いたいことは山ほどあるし、偉そうに言い返したい。 その為には医者部屋を出なければならない。
部屋を出ると戸を閉める。

「何用で御座いましょうか」

高飛車に言う。
澪引の従者は同じ口調で言い返したい気持ちはあるが、残念ながらこちらは教えてもらわねばならない立場。 ぐっと腹で堪える。

「紫さまが、マツリ様が紫さまをお抱えになられてこちらに来られたようなので、お方様がご心配をされております」

「そうで御座いましたか。 お方様にお伝えくださいませ。 マツリ様がお抱えになられたのは、マツリ様が紫さまを大切にされているだけですと。 紫さまに何かが、ということでは御座いませんと。 ですが今は・・・ああ、それは宜しいですわ。 お方様にそうお伝えくださいませ」

「・・・ですが今は?」

「口が滑りましたわね。 それはお気になさらず、お方様にお伝えくださいませ。 ああ、そうでしたわ、今紫さまは集中されておられます。 お邪魔になりますので中には入られませんよう。 では」

目を細め口角を上げた顔を見せられた。 そして医者部屋に戻ると、入ってくるなと言わんばかりに戸を閉められた。

「くっ! 悔しー!!」

女の戦いはいつまでも続くのであった。

一人目の門番の横に付いた紫揺。 一番最初にもう一度紫の目で頭を視る。
先程と変わらず、頭の前方に黄土色と緑色を合わせたような靄のような物が視える。 だがこの視え方は紫揺特有のものだと知っている、思っている。 これをどう判断するのか、理解していくのか、それは積み重ねて知るしかない。
そうだった、マツリが体調を視る時にはどんな風に視えているのかを訊こうと思って忘れていた。

北の領土の影と呼ばれていた者もリツソの時も、五色の力は関係していなかった。 だから単純にそれを外に出しただけだったが、今回も同じでいいのであろうか。 下手なことをして五色の力が何か作用するのだろうか。
迷いはある。

(でも・・・耶緒さんの時にも迷いがあった)

あの時はどうしても理解できなかった。 それでもやってみた。

(様子を見ながら少しずつ・・・それしかない)

有難くも耶緒の時のように腹に子をなし、ましてや行き場のない内臓ではない。 リツソの時にしたように頭頂から出すことが出来るだろう。
手を門番の頭に添える。

ゆっくりとゆっくりとそして少量ずつ頭頂から霞のような物を出す。 一刻(三十分)が経った。 手を頭から外す。
霞はほんの少し薄くなっただけだ。 今のところ歪んだ五色の力が影響しているような様子は見られない。

「お医者様、身体の具合を診て頂けますか?」

「承知いたしました」

医者が脈をとったりしている間に椅子に座る。 ずっと立ちっぱなしだった。 逆に椅子から立ち上がったマツリが膝をついて紫揺の顔色を見る。

「無理をしておらんか?」

「うん、私は大丈夫。 かなりゆっくりしたんだけど、どうかな、門番さんの身体に異常をきたしてないかな」

心配げな顔で医者の後姿を目に映す。 そして思い出した。

「ね、マツリが身体の状態を視る時って、どんな風に視えるの?」

「視るとは言うが殆ど視えることは無い。 掌に感じると言った方がいいだろう」

「殆ど? じゃ、視える時は?」

「稀に視える時はあるがかなり重症の時だ。 そうだな・・・その箇所に熱を帯びていれば赤く視える、冷えていれば青黒く視える、その程度だ。 掌に感じる方が大きい」

「どんな風に感じるの?」

「単純に言うと、痺れたように感じたり鈍痛を感じたり、色んな痛みや熱や冷えも感じる。 それがどういう意味を成しているのかは・・・場数か」

やはり経験を積まなければ分からないということか。

「そうなんだ」

と、そこに医者の言葉が入ってきた。 異常は見られないと。 そして良き変化も見られないと。
ではここまでは五色の力の影響が全くないのだろう。

もう一人を今の倍の速さで同じようにした。 医者に診てもらうと最初の一人と同じ返事をしてきた。
対象者には無理は無かったようだ、残りの一人も同じようにする。
休憩を挟みながら同じことを繰り返し、ようやく霞が半分ほどまで薄れてきた時、一人目の門番の指がピクピクと動いた。
紫揺が手を下ろす。

「門番さん、聞こえますか?」

紫揺の様子に門番に変化があったのだと、後ろに控えていた医者が回りこんで紫揺の正面に駆け寄った。
脈を取り心臓の音を聞く。 何の変化もない。 小さな光石が付いた棒を手に持つと、門番の瞼を上げ光石を目に近づける。 光石は黒い布で覆われている。 それをさっと外すと、驚いたように光石が光る。
今までも反応が無かったわけではないが、瞳孔に大きな反応があった。

「目に反応が見られます。 それ以外に変化は御座いません」

鈍いが良い兆候ということだ。

「もう少し続けてみます」

再度紫揺が門番の頭に手を添える。
無理のないようにゆっくりとゆっくりと。
更に二刻(一時間)が流れた。
霞は殆どなくなった。
門番の口から呻き声が上がった。

「門番さん?」

門番の瞼がそっと上がる。 門番の声を開き取ることは出来なかったが、それでも瞼が上がった。

「む・・・紫さま・・・」

「良かった、どこか具合の悪いところはありませんか?」

そう言われて初めて腕の痛みに気付いた。

「う・・・腕が・・・」

「痛いですよね、火傷を負われています。 他にはありませんか? 頭はどうですか?」

「ぼう、っとはしていますが・・・痛み、などはありません」

声が枯れている。 何か飲ましてやりたいが、その判断は医者に任せた方がいいだろう。

「あと少し我慢してください。 それからお医者様に診てもらいますね。 目を閉じていて下さい」

一刻足らずで残っている霞をすべて出した。

「私にできることは終わりました。 あとをお願いします」

医者を見て言い終わるや、すぐにマツリに抱えられた。 もう殆ど幼児扱いでなかろうか。 いや、パンダ抱きをされないだけマシであろうか。
紫揺を抱えたまま待っていると、医者からどこにも異常は無いと聞かされた。

「では後は頼む」

「え? マツリ? まだ二人残ってる」

「無理はせんと約束しただろう。 今日はこれまでだ」

「今日はって、それじゃいつまで経っても東の領土に戻れないじゃない」

「もう暮れておる」

「え?」

部屋を見ると光石が輝いている。 窓の外に目を転じると、薄っすらと闇がかかろうとしている。

「あ・・・いつの間に」

「今日はゆっくりと休め」

紫揺を抱えたまま回廊を歩いた。

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辰刻の雫 ~蒼い月~  第183回

2023年07月14日 21時31分23秒 | 小説
『辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~』 目次


『辰刻の雫 ~蒼い月~』 第1回から第180回までの目次は以下の 『辰刻の雫 ~蒼い月~』リンクページ からお願いいたします。


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辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~  第183回



宮の回廊を何度も曲がって歩き、小階段を降りると履き物を履く。 後ろを歩いていた紅香と世和歌がすぐに紫揺の衣装の裾を持つ。 そのまま歩いて門を潜る。 それからも歩きもう二度門を潜る。
大きな建物の出入り口に武官が四人立っている。

「ここで待っておれ」

建物の前でマツリに言われ紫揺が建物を見上げる。
こんな所に高妃がいるのかと。
高妃は “宮” と言っていた。 ここが宮となるのかどうかは分からないが、それでもマツリたちの居る宮とはかけ離れたところにあるし、建物が随分と違う。
マツリに呼ばれ中に入って行くと左右にいくつもの部屋があった。

「たんと歩いた、疲れてはおらんか?」

「うん、ここは?」

「捕らえた者で負傷しておる者が入っておる」

そういう建物だったのか。 そして高妃がここに居る。
高妃が捕らえられたということは分からないではない。 あんなことをしたのだから。 負傷者さえ出したのだから。
だが・・・今マツリは言った、ここは負傷している者が入っていると。 高妃を負傷させたのは自分だ。 その責任はきちんと取りたい。

一つの部屋の前に武官が二人立っていた。 マツリを見るとさっと戸を開け中の確認をし、マツリと紫揺を中に入れると、一人の武官が戸口の内に立った。
部屋には寝台に高妃が座り、紫揺にとって見知らぬ女がその横に椅子を置き座っている。
振り返った女が椅子から立ち上がると深く頭を下げた。

「こんにちは」

寝台に近寄りながら紫揺が声をかける。 女にではない、高妃にである。
足の上に布団が掛けられ、その上に重ねられた高妃の手を見ると片手に晒が巻かれている。

「ごめんね、火傷しちゃったね」

高妃がゆっくりと紫揺の方に首を回す。

「紫って言うんだけど、覚えてる?」

女が首を傾げる。 覚えてる、とはどういうことだろうか。

「むら、さ、き?」

うん、と言いながら手前の、晒の巻かれていない手を取る。 マツリが女の座っていた椅子に紫揺を座らせる。

女はマツリがどういう立場の人物なのかは知っている。 そのマツリが己が座らず目の前の女人を座らせた。 見るからに高貴な衣装をまとっている。 そして額には見たこともないものを着けている。 いったい誰なのか。

「少しの間こうさせてね」

高妃の手を両手で包むと目を閉じる。
確認はしたかったが、いったいどうやって力を引き上げられたのかを視ていいのか分からなかった。 なにか初代紫からの助言があるかと、額の煌輪を着けてきたが初代紫からの声が響いてこない。

(ということは・・・自分で考えればできるということ?)

初代紫が言っていた。 『黄の力、其は天位の力。 天位の力にて頭上より五色の力を出させよ』 と。

(黄の力だろうか・・・)

だが黄の力などあの時に使った以外は、子供たちと遊んでいる時に砂を飛ばして遊んでいたくらいにしか使ったことが無い。

(それに確かあの時・・・)

最初は紫の力を使っていたような気がする。 紫の力で高妃の持つ力を集めたような気がする。 黄の力を使ったのは最後だったような気がする。 そして最後の最後は紫の力だった。

(そうだ、天位の力にて頭上より、そう言われたから、最後に使ったんだ。 力を集めたのは紫の力だった。 五色の力は理解、どう理解するかで変わる。 ・・・そう考えたんだっけ)

紫の力は癒す力と理解し考えていた。 だが初代紫から “わらわの大事子” と呼ばれる。 それは紫の力を引き継いだということ。
五色のどの力にも五色の力を視たりまとめたりするような力は無い。 だったら紫の力しかない。 その紫の力の理解の仕方を変えたのだった。
癒す時のように高妃の身体を視た。 だが癒すために視たのではない。 すると高妃の身体の中に渦を巻く五色(ごしょく)が視えた。 あれが五色の力に違いない。 そして視えた体の中にある五色の力を渦に逆らわぬよう巻き上げ、最後は黄の力で頭上から出させたのだった。

(紫の目で五色の力が視えたんだった)

伏せていた瞼を上げる。 瞼の下から紫の瞳が現れた。

「お布団をめくって下さい」

包んでいた高妃の手をそっと離して立ち上がる。
女がどうしたものかとマツリを見たが、マツリは顎をしゃくっただけである。
恐る恐るという風に紫揺の横に立つと、高妃の手を片手で取り布団をめくっていく。 めくり終わって紫揺の横顔を見てみると、瞳が紫色になっていた。 それは見たこともないような美しい紫色であった。 思わず息を飲む。
呉甚に言われ、高妃が力を出す時に瞳の色が変わるのは何度か見ていた。 だが紫の瞳など見たことは無かった。 とても美しい紫の瞳。

(あの時に視えたような渦が視えない)

高妃の身体には大きさの違いこそあれ、小さな渦を巻く五色(ごしょく)の色が視えていた。 だが今はどこを視てもその渦が視えない。
頭の先から足の先まで、手の指の先まで。 取り残していてはどうなるか分からない。 欠片の一つも残っていないかを視る。
時がかかっている。 マツリが心配になって紫揺の顔を覗き込む。 紫色の紫揺の瞳がゆっくりと動いている。

(紫の力を使ったか・・・)

紫の力を使うと、その疲れなのか反動なのか、また違うことがあるのか、だがそれが大きく紫揺の体力を奪うことは分かっている。 体力だけなのかどうかも分からない。 だから紫の力は使って欲しくなかったが・・・。

紫揺の瞳が閉じられた。 そして大きく息を吸い、ゆっくりと吐く。
再びゆっくりと紫揺の目が開かれた。 その瞳は黒に戻っている。

「うわぁ!」

目の前にマツリが居たことに、声だけでなく手まで付けて驚いてくれる。 初めて覗き込んでいたマツリに気付いたようだ。
女と武官が驚いて見ている。
椅子に座り込み、びっくりしたぁー、びっくりしたぁー、等とまだ言っている。 マツリの立場が無いではないか。
コホンと白々しく咳払いをすると、元の位置、紫揺の後ろに戻った。
高妃が首を傾げる。

「あ、ごめん。 びっくりしたよね」

椅子から腰を上げると足に布団をかけてやる。

「火傷、早く治るといいね」

マツリに振り返ると頷いてみせる。 視終ったということだ。

「お邪魔しました」

女に声をかけるとマツリが紫揺を先に歩かせる。 万が一を考えてマツリが後ろを守るということだろう。 なんだか背中がこそばゆい。
戸口に立っていた武官が戸を開ける。
建物を出ると待っていた紅香と世和歌がすぐに裾を持った。 そしてようやく紫揺が口を開く。

「五色の力は残って無かった」

「そうか。 紫の力を使ったのだろう、疲れていないか」

「うん、視るだけだったから何ともない」

「悪かったな、本領の五色では分かりきらない」

「視るだけだから何ともないって」

それにそれが自分の責任の取り方だ。

「ね、門番さん達は?」

「案ずることは無い」

「ってことは、まだ気が付いてないってことだ」

「・・・」

「連れてって」

「紫が気にすることではない。 本領の医者が診ておる」

「ふーん、お医者さんが五色の力を診られるとでも言うの?」

「火傷などを負っておる。 医者が診ればわかること。 それに父上がそう判断された」

「コウキの五色の力にはすごくばらつきがあった」

五色(ごしょく)の渦は小さかったものの、それでも大小の差があった。

「・・・」

五色の力のばらつき・・・そんなものが視えていたのか。

「よくは分かんないけど、正しく力を使えていなかったら、大きな力の方に小さな力が巻き込まれていったかもしれない。 力、渦巻いてたし」

日本の言葉は理解できない。 それは仕方がないとは思っている。 今の紫揺の使った言葉は何一つ分からないわけではない。 だが・・・理解に苦しむ。
頭の中で五色の力の事が書かれていた書の頁を素早く繰るが、そのような事が書かれた頁が見当たらない。

「・・・それはそれだ。 医者に任せておけばよい」

紫揺の歩みが止まる。

「紫さま?」

裾を持っていた紅香が声をかけるが、今のマツリと紫揺の会話は聞いていた。 紫揺がどう考えているのかは分かっている。

「そっか、お医者さんか・・・」

人差し指を下唇の下に置くと思い出したことがあった。
猩々朱鷺(しょうじょうとき)を見ようと松に登った時、掌に怪我をした。 翌日、医者部屋に連れて行かれた。

「お医者さんの部屋・・・房に行けばいいのか」

マツリがこめかみに手をやる。
勝手に行かれては困る。 この紫揺のことだ、目を離したすきにでも行くだろう。 いや目を離さずとも。
丁度紫揺が一歩を出しかけた時だった。 両腕はしっかりと走る態勢になっている。 すぐにその紫揺を抱きとめる。 一瞬にして世和歌が顔を真っ赤にした。

「勝手をするのではない」

「し・・・してない」

ほぼほぼ現場を押さえられたというのにシラを切る。

「ここからどうやって宮内に戻るのかを分かっておるのか」

医者部屋は宮内にある。 ここまで来るのに複雑に歩いて幾つかの門を潜ってきていた。 ひどい方向音痴ではないが、ボォーッとしてマツリのあとを歩いてきていた。 道など覚えていない。
紫揺が振り返ると紅香と顔を真っ赤にしている世和歌が首を振る。

「分かんないかも・・・」

二人を道ずれに迷子になるところだったかもしれない。
マツリが大きく息を吐く。

「・・・大人しくしておれ。 昼餉を食べてから連れて行く」

「え?」

「先ほど紫の力を使った。 身体を休めてからだ」

「何ともないんだけど?」

マツリが紫揺の肩を持ち、己の身体を紫揺から離し腰を屈め目の高さを合わす。

「紫はまだ己の身体に無理を強(し)くきらいがある。 倒れてしまえばそれで東の領土に戻れなくなる。 それでも良いのか?」

一日でも東の領土に戻るのが遅れるのは歓迎しがたい。 今日、東の領土に戻るつもりなのだから。

「・・・ちゃんと連れて行ってくれるの?」

「紫の・・・力を使わないと約束すれば」

「それって無理じゃない。 紫の目が無いと何も視られないもん」

「紫が見舞うだけで良い」

紫揺が口をひん曲げる。

「マツリ! 役に立たないお見舞いなんて必要ない。 私は紫、五色よ。 東の領土も本領も関係ない! 民の為に力を使う、それだけ!」

紅香と世和歌の裾を持つ指が震える。
紫揺は・・・紫さまは・・・これほどに五色様として生きているのだと。
だがそういう紫揺を誰もが受け入れられるはずもない。

「我の為に生きようとはせんのか!」

マツリの怒声に行き交う武官が振り返る。

「え・・・」

マツリが一度大きく息を吐く。
どうして大きな声を出してしまったのか。

「我の為に居ようとはせんのか」

「そんなことない」

「紫の力を出して何度倒れたと思っておる、その度に我が・・・」

女々しい。 女々しすぎる。 これ以上は言えない。 それに己がどう思ったではない。 紫揺の身体が心配なだけだ。

「紫の力を使ったからって死なないよ? 加減の知らない時には倒れちゃったけど。 あ、今回は初代紫さまに言われちゃったからだけど。 でも今は力の事は分かってるつもり。 マツリ・・・心配し過ぎ」

「・・・昼餉を食べてからだ。 それまでは体を休めよ。 無理をしなければ夕刻に東の領土に送って行ける」

紫揺の肩から手を離すと歩き出す。

複雑だ、この関係。
複雑にしているのは紫揺だろうか・・・。 だがそれは五色としての紫揺があるから。 マツリもそれを理解しているようだ。 だがだが簡単にはいかないのだろう。 『我の為に生きようとはせんのか!』 マツリがそう言ったのだから。

紅香が考える。

(紫さまは五色として生きていかれれるのか、それともマツリ様の奥として生きていかれるのか・・・)

真っ赤になっていた顔が今は真っ青になっている世和歌を一瞥した。 今日は四人で車座になれるだろうか。


天祐を遊ばせていたシキが、ほぅ、っと息を吐いた。

「如何なさいました?」

「せっかく紫に会えると思っていたのに・・・」

一度しか会えていない。 それもリツソの後を追って。

「シキ様、何度もお伺いしようと思っておりしたが」

「あら、昌耶なぁに?」

「紫さまがマツリ様の御内儀様になられると仰ったようで」

「ええ、わたくしも聞いて嬉しかったわ」

「誰からの菓子が功を奏したとお聞きになられましたか?」

昌耶と千夜の争いは知っている。 今となっては女官たちも入っているとのこと。 それが『菓子の禍乱』 と呼ばれていることも。
シキが首を振る。

「菓子ではないわ。 マツリが紫に・・・紫のことを分かろうとしたの。 紫は色んなことを抱えているわ。 マツリが紫のことを分かろうとすることで、紫もマツリのことを分かったみたいよ。 マツリが紫のことを分かろうとしていることで、紫にマツリの想いが届いたのでしょう」

「では? 菓子では無いと?」

シキがニコリと微笑む。 昌耶たちが事あるごとに菓子を作っていたのは知っている。

「ええ、御免なさいね」

同じ時、同じことを澪引の周りでも問われていた。

「御免なさいね、千夜・・・菓子ではないの」

言いにくそうに澪引が答えていた。


昼餉を残さず食べた。
ゲプ、と出そうなものを飲み込む。

「ちゃんと全部食べたよ」

呆れるようにマツリが相好を崩す。

「そうだな」

「マツリは食べないの?」

客間に持って来られたのは紫揺の昼餉だけだった。

「あとで食べる」

「言ったじゃない、不規則は大きくなれないよって」

紅香と世和歌が思わず吹き出しそうになった。

「紫より随分と大きいつもりだが?」

「ま、そうだけど・・・」

既に門番たちの所に行きたそうに目がそわそわとしている。
休憩も要らないのか。 ・・・仕方がない。

「行くぞ」

マツリが腰を上げた。 紫揺の目はもう門番たちに向いている。 会わさないわけにはいかないだろう。

医者部屋の布を医者が上げると、マツリが屈んで入り続いて紫揺が入る。 部屋には寝台があり、そこに見慣れた二人の門番と下足番一人が臥していた。 三人ともに晒が巻かれていたが、身体中というわけではない。 胸元を見るとゆっくりと上下している。 顔には苦悶の表情が見えない。 まるで静かに眠っているように見える。
晒が巻かれているのは両腕だけである。 なのにどうして目覚めないのか。

遅れて布を上げて入ってきた紅香と世和歌が部屋の隅に並んで立つ。
この部屋はリツソを気付かせたあと、紫揺が横たわっていた。 マツリが初めて紫揺の身体の状態を視た部屋でもある。 あの時は布団を薄物と取り換えるように言われ、慌てて探したものだ。

「一度も目が覚めていないんですか?」

「はい」

「今見るからには苦しそうではないですが、苦しんでいる様子は見られましたか?」

「いいえ、私が見ている限りではそのような様子は見られておりません」

それは見ていない時に苦しんでいるかもしれないということでもある。

「横に付いて一人づつを視てみてもいいですか?」

医者がマツリを見る。 マツリはそれに頷くだけだった。

「ですがマツリ様、リツソ様の時のように薬草の煙こそありませんが、紫さまに何かありましたら・・・」

「止めても聞かぬ。 だからここまで来たのだからな」

「お医者様、大丈夫です。 あの時のように無理はしませんから。 視てもいいですか?」

「よいか?」

マツリにまで言われてしまった。 “よいか” と訊かれて断ることが出来ようものか。

「くれぐれもご無理をなされませんように」

部屋の隅に居た紅香と世和歌がすぐに動く。 まずはマツリに、次に紫揺に、そして最後は医者に、座るための椅子をさっと用意した。
「有難うございます」と言ったものの、紫揺に座る様子はない。 マツリは気にせず座ったが、紫揺が座っていないのに医者が座ることなど出来ないのであろう。 マツリより目の位置が高くなることを嫌ってか、マツリから離れた所に立った。

紫揺が真上から門番の頭を視る。 左右の腕も指先まで視て胸元から腹に下りる。 そこからは布団が掛けられてある。

「お医者様、お布団をめくって頂けますか?」

医者がすぐに布団をめくる。 どこか安堵している感がある。 手伝いの一つでも出来るからと思ったのだろう。
どこまでめくればいいのだろうかと、紫揺の顔をチラリと見ると瞳が紫色になっている。 初めて見た紫色の瞳。 驚いたのと同時に、その美しい色に魅入られそうになる。

「足先まで視たいので、お布団を剥いじゃってください」

瞳と違った声音と話し方。 医者がハッとして布団を剥いだ。

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辰刻の雫 ~蒼い月~  第182回

2023年07月10日 21時03分13秒 | 小説
『辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~』 目次


『辰刻の雫 ~蒼い月~』 第1回から第180回までの目次は以下の 『辰刻の雫 ~蒼い月~』リンクページ からお願いいたします。


     『辰刻の雫 ~蒼い月~』 リンクページ




                                  




辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~  第182回



マツリではなく、早馬が着いたと屋舎の様子を見ていた杠の元に文が持って来られた。
紫揺を東の領土に送り届け、呉甚と柴咲の話を聞いてすぐに六都に戻ってくるはずだった。 そのマツリが日が明けたにもかかわらずなかなか戻って来なかった。 そして早馬での文。 杠に早馬の文がくるのは四方かマツリ以外にない。

何があった?

すぐに文を広げるとマツリからであった。
呉甚と柴咲のことにも触れられていたが、宮であったことが書かれていた。 そして紫揺が倒れたとも。 熱が出て夜半には熱が下がりだしたが、今だにふらつきが残っていると。 だから六都に戻れないと。

「紫揺・・・」

硯の岩石の山のことが気になっているのだろう、そこにも触れられていた。 上手く進むようなら進めておいてくれ、と。 そして応援の武官三十名を出来るだけ早く向かわすとも。
マツリが気にかけていた岩石の山は硯職人に指導を受け、杉山の者たちは面白がった。 今までのように力任せに斧を振るのと違って、層に沿って力を加えるだけで簡単に板状に割れる岩石。 まだその岩石をどう成形していくかまでは、幼子が泥遊びをしているような状態だが、それでも楽し気にやっている。
ただ早急に道具を手に入れなければならない。 いつまでも硯職人が持って来た道具を借りているわけにはいかないし、ましてや一人分しかない。 職人自身の物は使わせてもらえない。 職人なのだから自分の道具は他の者に触らせないのは当前だろう。 今回のことで予備として持ってきていた一組だけである。

マツリが進めていくようにと書いてきた。 すぐに何処から買えばいいかを硯職人に教えてもらい、依庚に手配と都庫から金を出すように頼み込む。 まずはそこから始めなくてはならない。

現在は杉山から毎日、六都の中心である屋舎に杉を運びに来る者と、岩石の山に向かう者、杉山に残り木を切っている者とに分かれている。
マツリが心配するようなことは無かった。
文を畳むと懐に入れる。

享沙の弟である飛於伊が都司の話を受けると言ってきた。 飛於伊自身どう考えていたかは分からないが、もしその気が無いと言っていたのなら、享沙が説得してくれたのだろう。
だがマツリが居なければこの話しを動かすことは出来ない。

マツリ自身、飛於伊を都司においても当分見習いのような形にすると言っていた。 何も分からない飛於伊に任せるわけにはいかないのは当然だが、強硬な手段を飛於伊にさせるわけにはいかないからだとも。
落ち着きを見せてから飛於伊に全て譲ると言っていた。 その時にはマツリは六都を退く。
そこのところの話は、飛於伊が諾と言ってきた時に説明をしておいた。
だが飛於伊にしても文屋を辞めるにあたり、いつから都司見習いとして働くかの目安が必要だろう。
宮のことも、まだふらつきがあるとは言え、紫揺のこともそんなに長くはかからないだろうが・・・。

「一度声をかけておく方がいいか」

腹を割って話すのもいいか。 今晩酒でも呑みなが、ら。

「ん? 呑めるのか?」

享沙があの状態だった。 飛於伊ももしかして・・・火を吐くようにぶっ倒れるのだろうか。
取り敢えず文官所に先に寄り、依庚に都庫から出してもらえるよう頼み込まなくてはならない。


「よう、金河、食当番か」

「ああ、昨日中心で仕入れてきたからな、期待しとけ」

「仕入れてきたって・・・どうせ豆腐や野菜だろう。 あー、肉が食いて―」

「どっさりとはいかねーが、期待しとけや」

「え? あるのか? 肉が?」

「ブツブツ言ってねーで、杉を運んでこいや」

「オラ―! 金河―! さっさと米洗えや!」

「わっ、力山・・・お前、もう一人が力山だって早く言えや!」

逃げるように杉山に走って行った。
今では力山である京也が誰が杉山に残り、岩石の山に行き、六都の中心に行くかを決めている。 決して京也から言い出したことではないが、自然とそうなっていった。 多少は京也の、よく言えば渋い顔が手伝ったのかもしれないが。
確かに最初は、六都の中心に行く者と行ってはならない者をそっと選別をしてはいたが、その目に狂いの無いことは誰にも分かっていた。 京也の目に頼る。 そうすれば問題は起きない。

自警の群を作ったことも大きな切っ掛けにはなっている。 己たちの作った物を守りたい。 そのためには問題を起こすわけにはいかない。 それに仲間があんな風に縄に繋がれて咎を受けるなんて考えたくもない。
そう思うようになってきていた。 そしてそう思えることが男達の大きな変化でもあった。

「こき使いやがって」

大きな桶に米がたんまりと入っている。 川から取った水でザッザと音を鳴らせて洗う。

「誰がこき使ってるって?」

「分かってんなら訊くなや」

「マツリ様はいつ戻って来られるって?」

「早ければ昨日中、遅くてももう戻ってんじゃないか? 紫さまを送りに行っただけだろう」

「岩石の山をどこまで進めていいのか・・・俤は何か言ってなかったか?」

「特には? 何だ、何かあるのか?」

「オレとしては咎人を杉山に。 それで徐々に最初に居た奴らで硯の方を作りたいっていう奴らを完全に岩石の山に移したいんだが」

「ん? それって岩石の山にも宿所を作るってことか?」

「ああ。 毎日通うのも無駄な時を取るだけだろう。 それにその内、誰かが言い出すだろうからな。 誰かが言い出す前にマツリ様からの命だという方が、受ける印象も違うだろう」

「まあそうだが、焦るこたーねーだろ。 まだ二日三日じゃねーか? ああ、そう言えば、六都官別所が満杯だって話だ、また通いの咎人が増えるんじゃねーか?」

「満杯?」

「ああ、通ってきている咎人が場所を移されたらしい。 奴ら言ってなかったか?」

「紫さまを襲いかけた間抜けたちか? 来るだけ来て話す体力もない。 可愛がってやる時もない。 ・・・そうか、中心で何かあったか。 マツリ様も忙しいということか。 その中で紫さまを送りに行かれたとはな」

「マツリ様はどうか知んねーけど、武官様達にゃ、紫さまの人気は絶大らしいぜ。 毎日、紫さまが寝泊まりしていた宿の部屋の前にやって来ちゃ、手を合わせてブツブツ言ってるらしい」

「ブツブツ?」

「紫さま紫さま、早く戻って来て下さい、ってな、巡回の途中に寄ってんだろな、昼間だけならまだしも夜中に言われちゃ呪詛に聞こえるって、隣の部屋で寝てる俤がクマを作ってた」

「そりゃ災難だな」

「よっと、これでいいだろう。 あとは米を炊いて」

ニヤリと巴央が笑うと、その顔に京也が呆れたように言う。

「手が抜けていいことだ」

「上手いぜ、黒山羊の混味は」

数日前に店主に何十人分も持ち帰りたいと言った。 店主は持ち帰りなどさせたことが無く、かなり渋った顔をしたが、杉山で働く自警の群の為だと承知した。
鍋釜に何十人分も入れて昨日馬車に積んで持ち帰っていた。 傷まぬよう、昨日の夜と今日の朝昼と火は通してあった。 薪はいくらでもある。
米を炊いて黒山羊の店主から買った混味をぶっかければ、それで今日の夕餉が出来上がる。

(紫さまか・・・一度目通りをしたいものだ)

「力山! 手伝え!」

分割して洗った米を釜に入れ持ち上げようとしている。

「あ、ああ」


暗い。 暗いけど・・・ああ、目を開けても暗い。 ん? んっと、目を開けられたのかな? 気のせいかな? でも薄っすらと天井が見える。 ああ、常夜灯の光石か。

「紫さま?」

聞き慣れた声がする。

「あ・・・?」

「お気付きで御座いますか?」

彩楓の声だ。
パチリと瞼を上げる。

「彩楓、さん・・・」

「まぁ、わたくしの名を呼んでくださって嬉しゅうございます」

「あ・・・」

ガバッと上体を立てようとしたが、すぐにふらついた。 その身体を彩楓に支えられた。

「まだご無理をされてはいけません」

無理? どういうことだ? 彩楓の腕を握る。

「門番さんたちは!? 門番さん達が倒れて・・・」

いや・・・この話は既に聞いたはず。

「紫さま? 茶を飲みませんか?」

分からない、何が起きていたのか。

「あ・・・」

混乱する頭を整理しなければ。

「丹和歌が美味しい茶をお淹れいたします」

すぐに茶を淹れる音が聞こえた。

「えっと・・・寝てたんですか? 私」

「はい、ですが今は何もお考えになられませんよう。 さ、茶を飲んでくださいませ」

すっと横から茶が差し出される。
手を出した紫揺の手を覆うように丹和歌が手を添える。 そっと口にあて飲むと、柔らかい薄っすらと甘さのある茶だった。

「美味しい」

丹和歌が微笑むと「ゆっくりで宜しいのでこの一杯はお飲みくださいませ」と言い、湯呑をしっかりと持っている紫揺の手を感じ、そっと手を離した。
ゆっくりとと言われたのにもかかわらず、喉が渇いていたのだろう、一気に飲み干した。

「お替わりもらってもいいですか?」

丹和歌がコクリと頷いて茶を淹れる。 お替わりの茶は言われたようにゆっくりと飲み始める。

「腹は減っておられませんか?」

腹に片手をあてる。 どうなのだろう、分からない。

「今は・・・いいです」

食べては欲しいが、無理に食べさせる方が悪いだろう。

「昨晩はずっとマツリ様が付いて下さっていたので、今は寝て頂いております」

何のことだろう。 マツリがずっと付いていた?

「えっと・・・」

思い出せないのだろう。 紫揺の頭を動かさせるより、聞かせる方がいいだろう。
宮に戻って来て高姫とのことから始まって、熱を出し倒れたこと、翌昼に熱も下がり気が付いたが、食をとっている時にリツソがやって来てマツリとのことを話した。 そしてシキに礼を言った時に再び倒れてしまったと言う。
話を聞きながら飲み終えた湯呑を丹和歌が受け取る。

「門番のことを気にされておりましたが、マツリ様からそのような心配はいらないと伺っております」

彩楓がゆっくりと話したので、そのシーンシーンを思い出すことが出来た。

「ふらつきはいかがですか?」

訊かれ、ずっと彩楓が支えてくれていたことに気付いた。

「あ、有難うございます。 大丈夫です」

今の彩楓の話から、夜が明ければ宮に戻って来て三日目になるということだ。 東の領土が気になる。

「東の領土から秋我さんは来ていませんか?」

その話もマツリから聞いている。 紫揺が東の領土を気にしているだろう、秋我のことを訊いてきたならば来ていないと答えるようにと。 実際来ていないのだから。

「来られておりません」

良かった。 東の領土に問題は起きていないようだ。
だがよく考えると、紫揺が東の領土に居る時にそうそう問題があったわけではない。

「もう少しすれば暁闇(あかつきやみ)になりましょう。 あと少しゆるりと」

紫揺を促してそっと床に横たわらせる。
ゆるりと、と言われて目を瞑るが寝られそうにもない。 きっと馬鹿ほど寝たのだろう。 薄っすらと目を開ける。

(そう言えば、あの子・・・どうなったんだろう)

それに門番たちのことを心配しなくてもいいとマツリが言っていたと・・・。

(怪しい・・・)

何かあるに違いない。
他に何か気にしなくてはいけないことがあっただろうか。 思い出そうとするが、深く考えようとすると吐き気とまではいかないが、頭がグラグラする。

(まだ本調子じゃないか・・・)

何があるにしてもきっと力を使わなくてはいけない場面があるだろう。 ここは大人しく身体を休める方がいいのだろう。 ゆっくりと瞼を閉じた。
薄明りの中、紫揺の様子を見ていた彩楓と丹和歌。 頷き合うとそっと寝台から離れる。

紅香と世和歌は女官の部屋で今頃は寝ているはず。 丹和歌に言われても誰かとお付き合いをしようとしなかった世和歌がたっぷりと紅香に説教をされて。
その為、いつもと違うペアが組まれていた。

朝餉を終えたマツリが客間に行くと、襖外に紅香と世和歌が座っていた。 マツリを見止めた紅香がそっと襖を開け中に入る。 再び出てくると襖を閉め「まだお休みで御座います」と言い、続ける。

「暁闇前に一度目覚められ、昨日あったことを忘れられているご様子でしたので、ご説明をしたそうです。 やはり門番のことを気にされていたようで、マツリ様からの言伝を伝えたということです」

「食は摂ったようか」

「いいえ、茶を二杯飲まれただけで御座います」

「朝餉を頼んで持ってきてやってくれ」

「承知いたしました」

マツリがそっと襖を開けた。 紫揺が寝ていようが構わない、今更だ。 着替えの途中でなければそれでいい。
彩楓と丹和歌が頭を下げマツリを迎え入れる。 こちらも最初と違って慣れたものである。
紫揺を起こさない為だろう、窓の蔀は閉じられたままだった。 薄暗い中、紫揺の寝ている寝台まで行く。
もう熱は下がった、額の上に手拭いはのっていない。 その額にそっと触れる。
眠りが浅くなってきていたのだろう、ゆっくりと紫揺の目が開いた。

「ああ悪い、起こしてしまったか」

「・・・マツリ?」

「具合はどうだ」

寝台の横に膝をつく。

「あ・・・寝ちゃったんだ」

どれだけ寝るんだ。 成長盛りか・・・背も伸びないのに。 おムネも大きくならないのに。 落ち込みそうになる。

「ふらつきは無いか?」

上体を起こす紫揺の背に手を回し手伝ってやる。

「うん、大丈夫っぽい」

振り返り、茶を淹れてやってくれと言い、向き直ると、今紅香が朝餉を頼みに行っているとも言った。

「コウキ・・・どうなった?」

マツリも様子は見に言った。 女が付いていたが、四方の言うように焦点がずれているようでボゥッとしていただけであった。

「紫によって力を失くしたのかどうかは我には分からんが、力を出す様子は見受けられん。 会ってみてもボゥッとしているだけ。 あまりよい状況下で育ったようではないらしい」

「そうなんだ」

決起のことは知っている。 だがどうして決起を起こそうとしたのかは知らない。 それらしいことを耳に挟んだのは床の下で聞いた “本来なるべきだった六代目本領領主の直系” というワードだけ。

本領は初代から五色が領主となっていたが、六代目かで五色ではなく、まとめる力のある者が領主となったとシキから聞いていた。 そして今の五色は辺境に行き民を自然や厄災から守っているとも聞いていた。

高妃はあまりよい状況下で育ったようでは無いとマツリが言った。 五色として生活をしていなかったのだろう。
もしかして直系というのが高妃だったのだろうか。
そうだったのなら、ましてや五色としての力を失くしてしまった高妃のことを考えるのは、紫揺の役目ではない。 口を出してもいけない事。 だが力を取り上げられたかどうかの確認はしなくてはならない。

丹和歌から受け取っていた茶を何度かに分けて飲み、湯呑を丹和歌に返す。

「力の確認をしたいんだけど」

「ああ、悪いが頼む。 本領の五色達には分からんだろうから」

紫揺にしか分からないだろう。
寝台を下りかけた紫揺をマツリが止めた。

「朝餉を食べてから、その上で紫の身体が万全かを確かめてからだ」

「もう何ともない」

「少なくとも朝餉を残さず食べたら、だ」

あとはマツリが見るから休んできてくれと、彩楓と丹和歌を引き上げさせた。 それからは紅香が朝餉を持ってくるまで、紫揺をもう一度ゆっくりと休ませた。

「腐った魚の目になりそうなんだけど」

訳の分からないことを言われたが、多分、日本での表現の一つなのだろう。

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辰刻の雫 ~蒼い月~  第181回

2023年07月06日 22時03分04秒 | 小説
『辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~』 目次


『辰刻の雫 ~蒼い月~』 第1回から第180回までの目次は以下の 『辰刻の雫 ~蒼い月~』リンクページ からお願いいたします。


     『辰刻の雫 ~蒼い月~』 リンクページ




                                  




辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~  第181回



悲しい顔で紫揺が笑った。

「シユラ?」

「リツソ君が居てくれたからマツリと会えた。 リツソ君のお姉さんになってもいい?」

どういうことだ。 シキの従者と千夜が大きく目を見開いた。

「・・・シユラ?」

「ずっとずっと、リツソ君のお姉さんでいる。 シキ様にはかなわないけど、それでもリツソ君のお姉さんになってもいい? 頑張るから」

紫揺には兄弟も姉妹もいない。 それを知っている。 “頑張るから” 知らないことを頑張るから・・・己の為に。
リツソの目に涙がたまり、すぐにポロポロと流れ落ちる。
そんな事に頑張ってほしくない。 己の奥になって欲しい。 今にも紫揺を連れてこの場を立ち去りたい。 それなのに・・・。
“頑張るから”
リツソが立ち上がった。

「シ、シユラは・・・シユラは我のものだ! 兄上にも誰にも渡さん!」

そう言い切ると脱兎の如く部屋を出て行った。 マツリが追えば、手を伸ばせば止めることは出来た。 だがそうしなかった。 リツソに一人で考える時を置こうと思った。

「騒がせたな、ゆるりとせよ」

もう見えなくなっていたリツソのあとを目で追っていた紫揺がマツリに目を移す。

「・・・マツリ」

「紫が気に病むことはない」

澪引とシキがどうしたものかと互いに目を合わせている。

「母上、姉上、リツソはリツソなりに考えるでしょう。 もう童ではありません」

そうだった。 もうすこしすれば十八の歳になるのだった。 まだ二つ名は貰っていないが。


マツリが澪引とリツソ、そして宮のことを聞いてやってきていたシキを前に紫揺とのことを話した。
千夜も澪引の従者もシキの従者も襖外に居る。

『まあ! そうなの? 紫が受けてくれたの?』

澪引が目を輝かせて言った。

『はい。 まだまだ六都のことがありますが、父上からは紫の歳を考えるようにと言われました』

『紫が受けてくれたことは嬉しいわ。 ね、六都はまだ落ち着かないの?』

シキも六都のことを知らないわけではない。 だが四方が言うように歳を考えなくてはいけない。 シキ自身、二十六の歳で婚姻の儀を挙げた。 すぐに天祐を身ごもったわけではないし、年が明ければ三十の歳になる。 まだ第二子を身ごもっていない。

『先刻、紫が良い岩石の山を見つけまして、今度はそちらの方を動かしていきたいと思っております』

『新たに六都を動かしてからでは、マツリが動けなくなるのではないの? 父上ではないけれど、紫の歳を考えてちょうだいな。 それにマツリだってもう二十八の歳でしょ? 父上のその頃には、わたくしもマツリも生まれていたわ』

『ええ、そうよ。 それに早く紫を義娘と呼びたいわ』

マツリと澪引、シキの間でどんどんと話が進んでいく。 最初は何事か頭の中が回らなかった。 だが話が進むにつれ、黙って聞いてなどいられなくなった。

『・・・兄上』

きたか・・・。

『お前の紫への想いは知っておる』

『知っていて・・・知っていて! どうして我からシユラを取るのですか!』

『紫が我を選んだ』

『シユラが我以外を選ぶはずがない!』

『そうだな。 確かに最初はそうだった』

『・・・最初?』

『紫には我を分かってもらうよう、我は紫のことを分かるよう話をした。 紫は我を分かってくれた。 我も然り』

『リツソ? 紫はマツリを選んだの。 ね、紫のことを想っているのなら、紫の思うようにさせてあげましょう?』

『ええ、母上の言う通りよ。 リツソにはリツソのことを想ってくれる女人が居るはずよ。 他出出来る様になれば知り合うことが出来るわ』

『シ、シユラ以外・・・シユラ以外は・・・我の奥にならない!! 我にはシユラしかいない!』

『リツソ、そんなことを言わないで、ね?』

『母上! 兄上でなくとも、シユラを我の奥にすれば義娘と呼べましょう! 姉上! 父上が我の歳にはまだ姉上も兄上も居なかった! そうでは無いのですか!』

『リツソ、そういうことだけじゃないわ』

『みなで・・・どうしてみなで、我からシユラを取ろうとするのですか!』

椅子から下りると走って部屋を出て行った。

『紫の元に行ったのでしょう。 まだ紫は全快ではありません。 我が止めてきます』


いつの間に我が子たちはこんなに大きくなったのだろう。 澪引がほぅ、っと息をつく。

「そうね、リツソには難しいかもしれないけれど」

澪引が考えを入れ替えたように、シキも紫揺に目を転じる。

「紫、マツリの言う通りよ。 リツソのことはリツソ自身が解決しなければいけないわ。 紫はマツリとのことを考えて、ね?」

「どうかしら? 少しはふらつきが取れて?」

澪引がついさっきまでリツソの座っていた紫揺の正面に座る。

「朝よりましになりました」

紫揺の様子は見て知っている。 “最高か” と “庭の世話か” は違うことを聞いて欲しいという目をしているが、澪引にもシキにもそれは通じなかった。
シキが澪引からほんの少し後ろにずれて座し、マツリは紫揺が横たわっていた寝台に腰を下ろした。 澪引とシキより高い位置に座ることになるが少々離れている。 良いだろう。

「紫に大事が無くて良かったわ。 今回のことは本領で済ませなければならなかったこと。 紫は今はまだ東の領土の五色。 身を挺して宮を守ってくれたことに心から感謝をしているわ。 有難う。 父上からもお言葉があると思うわ」

シキの言葉に紫揺が首を振る。

「そうじゃありません」

「どういうことかしら?」

「東の領土の初代紫さまが仰ったんです。 我らの祖と同じ血を引く者、って。 そして五色の力により民に禍つを与うる者、我が祖の責はわれらが負わねばならぬ、って。 それからどうすればいいかを教えてくださいました。 引き出した五色の力は初代紫さまの石に預かるって。 だから私がせねばいけなかったことです」

五色の力・・・。 それは五色にしか分からない。 澪引は勿論のこと、シキもマツリも書を読んで分かっているつもりだが、書にかかれていない事や実際に見ること、身体にどれだけの影響があるか、そんなことは分からない。

「あの時に初代紫と話していたのか?」

あの局面で。

「うん、紫赫が出た時に紫さまの声が響いてきた。 黄の力を使うようにって言われたけど、どうしていいのか分からなかった」

振り返ってマツリに言うと、正面に座るシキに転じる。

「シキ様が教えて下さったことを思い返してやってみました。 上手くできたかどうかは分かりませんけど、紫赫が耀いたから出来てるとは思うんです。 確認はしなくちゃいけないと思っていますが、でもあの時止めることが出来たのは、シキ様が教えて下さったからです。 五色としてお礼を言わなくちゃならないのは私の方です」

匙を置き、少し後ろにずれると手を着いて頭を下げる。

「シキ様が教えて下さったから、五色としての責を果たせました。 有難うございます」

「・・・まあ、紫・・・」

五色とは・・・五色とはこういうものなのだろうか。 どの菓子に釣られたのか訊きたいとばかり思っていた己らを恥じた。 ・・・今もなお訊きたいが。

「む? 紫さま?」

紫揺の頭が上がってこない。
頭を下げたままの状態でそのままコテンと横に転がった。

「む! 紫さま!!」

マツリが寝台から腰を上げ、誰もが驚愕の目で紫揺の元に行こうとした時、紫揺の声がした。

「・・・天地、が・・・左、右が・・・」

頭を下げて方向を失ったらしい。 まだふらつきが取れていないのだろう。

その頃、やっと一室に四方を見つけたリツソ。

「父上!」

「聞こえておる、声が大きい」

「シユラを兄上のっ! ・・・兄上の奥にと、お考えなのですか!!」

ややこしい話を持って来られた。 澪引とシキに話すようにとは言ったが、リツソにも話したのか。

「・・・そうだ」

「どうしてで御座います! シユラは我の奥になる者に御座います!」

尾能が一瞬頬を緩めて話に入ってきた。

「四方様、宜しいで御座いましょうか」

「あ? ああ、頼む」

リツソは苦手だ。 可愛くはある。 だが澪引と二人で甘やかしてしまった。 こんな時はいつもマツリに頼んでいたが、そのマツリは今ここに居ないし、リツソが敵視しているのはそのマツリだ。 マツリの代わりに尾能が話してくれるのならそれでいい。

「父上!」

「リツソ様、あちらに」

「我は父上と話すんだっ!」

「四方様はいま、お忙しくされております。 今は宮の大事で御座います。 たとえリツソ様といえどもそれを邪魔してはなりません。 お話は私が伺いましょう。 必ず四方様にお伝えいたします。 さ、こちらに」

宮の大事と言われ、側付き如きに邪魔をしてはならないと言われ、それでは己が何も知らないと思われるではないか。 口をひん曲げて尾能の後に続き部屋を出て行く。

「そろそろ涼しくなってきました、東屋でお話をお聞きいたしましょうか。 広い所に出ますと心も豊かになりましょう」

「我はいつも心豊かだ!」

「それはそれは、失礼をいたしました」

履き物を履き庭に出ると東屋に向かって歩き出す。 そこここで植木職人やら、下男が高妃の放った閃光の後始末をしている。 その姿を目に収めるとリツソに話しかけた。

「あの時は大変で御座いました」

尾能が言うが、その時のことをリツソは見ていない。

「紫さまが居られなければどうなっていたでしょうか」

尾能が話ながら歩いていると東屋までやって来た。 リツソに座るように促し、その後で尾能も座った。 ニコリと一度相好を崩すとリツソに話しかける。

「リツソ様の想い、私は誰よりも分かるつもりで御座います」

一目惚れだった。 想いを告げることは無かったが譲ることは出来た。 相手が誰を想っているか分かったから。

「どういう意味だ」

「私もリツソ様と同じ思いをいたしました」

「え? どういうことだ? 尾能に奥はおらんだろう?」

「はい。 残念ながらその女人は他の方を選ばれましたので。 私は応援する側に回りました」

女人を諦めて応援に回った? なんと情けない。

「その女人がそう言ったのか? 尾能より他の者が好きだと」

尾能が首を振る。

「見ていればわかります。 そこに私が何かを言えばその女人が苦しむだけ。 想っている女人を苦しめたくは御座いません」

「苦しめる?」

紫揺が悲しい顔で笑った。

「想っていればこそ、女人の幸せを願いたいもの。 そう思われませんか?」

己が言えばいう程、紫揺が悲しい顔をするのだろうか。 悲しい顔で笑うのだろうか。

「それに・・・女人が選ばれたお相手は、私よりずっと女人をお守りできる方。 私などお相手の方ほども女人をお守りできません」

「守る?」

「はい。 武術に長け、知恵もお持ち。 賊に入られれば私などすぐにやられてしまいます。 ですがお相手の方は最後まで女人をお守りできるお力をお持ち」

「そ、それは・・・」

マツリほど体術など出来ない。 まずまず、鍛練などしていないのだから。 それに勉学も。

「女人をお守りできないのであれば、心を苦しめるだけではなく、身体も苦しめてしまうことになりかねません」

己が箪笥に挟まっている時に紫揺が倒れた。 マツリが地に倒れる前の紫揺を抱えたと聞いた。 あの時マツリが居なければ、反り返って倒れていった紫揺は頭を打っていたかもしれないとも聞いた。

「リツソ様はまだまだこれからで御座います。 鍛練と勉学をされれば他出も出来ましょう。 女人と知り合うことも多くなります。 ・・・紫さまだけでは御座いません」

「だが尾能は・・・その女人を忘れられないから奥をもらわないのだろう?」

ゆっくりと尾能が首を振る。

「女人は幸せにしております。 それだけで私の幸せで御座います。 それに四方様にお仕えすると心に誓ったからで御座います。 ずっと四方様をお支えしたいと思っておりますので」

「父上を支えるから奥が要らないと言うのか?」

「居ればこれほどに四方様にお仕え出来ません。 その意味でも・・・女人に感謝しております」

「わ・・・分からぬことがあるのだな」

尾能が微笑む。

「色々と経験なさいませ。 リツソ様は宮の中だけで狭う御座います。 こうして房を出て外で話すように、宮を出て他出もされて色んな民と話し、そして女人と知り合われませ」

色んな経験・・・。 それは紫揺から言われた抽斗にちゃんと入っている。

「宮を出ると色んなことがあるのか?」

「はい、御座います。 まあ、いいことばかりでは御座いませんが、それも経験というもので御座います。 それは・・・奥をもらおうとするには大切なことでも御座います」

「大切? 奥をもらうのに?」

「はい、色んな者と話し、何を考えているか見聞きする。 千差万別、誰も同じことを考えてはおりません。 ですがそれこそ、お相手の女人のお気持ちを察するということに繋がりましょう」

「・・・兄上は・・・幼き頃から他出されておった」

「比べるものでは御座いません。 リツソ様はリツソ様。 いつでも私がお話をお聞きいたしましょう」

リツソから目を離すと薄く白い雲の流れる空を見上げた。
懐かしい。 あの日もこんな空だった。
心優しい面差しで兄の後ろで控えめに立っていた。 初めて見た澪引は可憐だった。


紫揺を寝台に寝かせた。 結局半分も食べられていなかった。 頭がグラグラするのだろう、目をぎゅっと瞑り眉間に皺を寄せていた。

「リツソが来たが?」

「面倒なのでリツソにも話しました」

「面倒などと・・・」

「父上に申されたくは御座いませんが?」

語尾を上げるな。

「・・・」

「リツソはどういたしました?」

「・・・尾能が連れて出た」

マツリが半眼で四方を見る。 面倒がったようだ。

「紫と少し話が出来ました」

東の領土の初代紫が言ったという。 あの者を我らの祖と同じ血を引く者と、そして五色の力により民に禍つを与うる者、我が祖の責はわれらが負わねばならぬ、と。

「どういうことだ」

「姉上が宮のことだったというのに紫が手を携えた、それに礼を言われました。 その時に紫が言ったんです。 今回のことは本領や東の領土としてではなく五色としてのこと、ということでしょう。 引き出した五色の力は初代紫の石に預かると。 だから紫がせねばいけなかったこと、そう言っておりました。 初代紫は黄の力を使うようにと言っただけで、五色の力を引き出す方法が分からなかったそうですが、姉上が紫に教えたことが参考になったようで、五色として姉上に礼を言っておりました」

「・・・あの紫が?」

「父上・・・」

「まあ、少しはましになったということか」

マツリが嫌がらせのように息を吐く。

「高妃という者はどうですか?」

「焦点が定まらんな。 だが今にしてではなさそうだ。 五色であれば ”古の力を持つ者” に任せようかと思っていたが・・・どうなんだ? 紫ははっきりと力を引き出せたといっておったか?」

「紫赫が耀いたから出来ているとは思うと、確認をしなければいけないとは言っておりましたが、今の状態ではまだ無理でしょう。 それに女官たちから聞きましたら、倒れていた門番たちのことも気にかけていたようです」

「・・・そうか」

「まだ目覚めていない者が?」

「ああ、三人」

三人・・・。 この事を知ると紫揺は紫の力を使うかもしれない。 今の紫揺にそれはさせたくない。

「火傷が酷いのですか?」

「目覚めない程に酷いという程のことでもない。 医者も何故だか分からんと言っておる」

医者で分からぬのなら、マツリの力で身体の状態を視ても同じこと。 なにか五色の力が加わったのだろうか。

「紫を・・・今の紫に力を使わせたくはありません」

「どういうことか?」

「辺境に居る五色を呼んでいただけますか」

四方の眉がピクリと動く。

「たしかに、紫は東の領土の者だ。 だからとて? この本領に居る五色が紫の目を持たんのは知っておろう」

倒れた者を視られるのは、紫揺の持つ紫の力、その目。 その力は紫揺が構築したもの。 単色の目では視ることは出来ない。 そしてこの本領に紫の目を持つ者はいない。

「父上!」

「早まって考えるな。 誰も紫を使うなどと言っておらん」

「・・では?」

「紫は今はまだ東の領土の五色。 紫には頼らん。 この本領で出来る限りのことをする。 本領の医者と薬草師で。 それで目覚めることがなければ・・・その時だ」

紫揺がこんなことを聞けば、身を滅ぼしてでも目覚めていない者に紫の目を向けるのは明白。

(紫・・・)

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辰刻の雫 ~蒼い月~  第180回

2023年07月03日 21時02分18秒 | 小説
『辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~』 目次


『辰刻の雫 ~蒼い月~』 第1回から第170回までの目次は以下の 『辰刻の雫 ~蒼い月~』リンクページ からお願いいたします。


     『辰刻の雫 ~蒼い月~』 リンクページ




                                  




辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~  第180回



身体の汗を拭き着替えが終わった。 だからと言って汗が止まったわけではない。 これから何度もこの繰り返しをしなければいけない。
マツリが紫揺の身体を支え座らせると、口に湯呑をあてる。

「紫、ゆっくりでよい」

マツリが紫揺に白湯を飲ませている。 その姿を見られることが嬉しい。 いや、紫揺の身体は案じている。 だがこの二人が寄り添っている姿を見られることが・・・。

「マツリ様はほんに紫さまをご心配されて・・・」

「ええ、マツリ様がどれほど紫さまのことを想っておられるか」

「これで紫さまがマツリ様に心を許されるといいのだけれど」

「さっき・・・うるさいって仰ってらしたわよね・・・」

「それは・・・気を許されているから? ・・・かしら?」

「拳でマツリ様の頬を・・・あれはどうなったのかしら?」

「分かりませんわね。 でも紫さまがマツリ様に逢いに来られたのでしょう?」

「ややこしいですわね・・・。 シキ様も何も仰らないし」

あれやこれやブツブツと四人の言っていることが、決して大きな声ではないがしっかりとマツリの耳に入ってくる。

(母上と姉上にさっさと話した方が良さそうか・・・)

「ねぇ、リツソ様はどうしていらっしゃるの?」

「そう言えば・・・あの騒ぎの中ではお見掛けしなかったわ」

「あのリツソ様が?」

問題事大好きなリツソが?

「師から逃げられていたのかしら。 隠れていらっしゃって出てこられなくなられたとか?」

どこかに挟まってしまったとか?

(有り得るな。 それにしても・・・。 リツソにも言わんといかんか)

マツリより先に紫揺に心を寄せたのはリツソだ。 言ってみればマツリが横恋慕をしたことになる。

(面倒臭い・・・)

澪引とシキに言う時にリツソにも同席させよう。 そうすれば一度で済むし、リツソが何か言おうとすれば澪引とシキが止めてくれるだろう。

「よし、よく飲んだ」

根気よく紫揺に湯呑一杯分の白湯を飲ませた。
まだまだ顔を真っ赤にしている。 吐く息が熱い。


武官に連れられて来た女が横たわる高妃の寝台横に膝をついた。

「高妃様・・・」

火傷を負った右手には晒が巻かれている。

「こ、このお傷は?」

「宮で大層暴れてくれた、止めるに致し方なかった。 安心をしろ、医者には診せた」

四方に代わって付いていた武官が答えると、声に気付いたのか、高妃が薄っすらと目を開けた。

「高妃様」

「み、や」

愛らしい朱唇から声が漏れる。

「ええ、ええ、宮に御座います。 もう何も・・・なにも、ご心配なさらず・・・」

「ちか、ら。 見、せる?」

「・・・その必要はもう、御座いません。 もう・・・何もかも、終わりました」

「おそ、ら」

「おそら? お空、で御座いますか?」

「見た」

「そうで御座いましたか。 どうで御座いましたか?」

「大、きい」

「ええ、ええ、とても。 見られてよう御座いました」

その後、女が言うには、高妃の声はつい先日初めて聞いたということだった。 女は高妃が生まれた時から付いていたが、半地下の部屋の中でずっと暮らし、何不自由させていなかったという。 ただ、高妃が空を見たかったのだということを、初めて知ったという。

高妃が捕まる前にある程度のことは聞いていた。
高妃が四の歳になった頃、五色の力を見せたと。 だがいつも目は虚ろだった。 言えば意味が分かるようであった。 力を維持させるために時折、呉甚が力を使わせていた。
自分から動くことは無かったが、家から居なくなる前、初めて一人で部屋から出たことがあり、呉甚が部屋に鍵をかけるようにと言ったが、高妃が鍵をかける音を嫌がり、部屋から出ない約束をしたが、次には家から居なくなってしまった。
何が切っ掛けでそうなったかは分からない、そう言っていた。

高妃の情報は薄かった。 だが何の不自由なくとも、幸せな生活をしていなかったことは分かる。 感情というものを持ち合わせなかったのだから。 呉甚たちの野望に付き合わされた被害者であろう。

深夜近くにもなると紫揺の熱が徐々に下がってきた。 かなり体力を消耗したようで、一回り小さく見えるような気がする。

「これ以上小さくなってどうする・・・」

“最高か” と “庭の世話か” が、紫揺の汗を拭き着替えをさせる以外は、マツリがずっと付いて紫揺の額の手拭いを変えたり、顔を触ったり頭を撫でたりしていた。
時折「うざ・・・」と聞こえる紫揺の声。 東の領土の言葉なのだろうか、なんと言っているのだろうかと、四人が首を捻ることもあった。

「これからはそんなに汗も出んだろう。 苦労をかけた、休むがよい」

「・・・マツリ様は?」

「一晩くらい何ということは無い」

「六都から戻って来られたお疲れも御座いましょう」

「ええ、そうですわ。 わたくしたちにお任せくださいま・・・」

丹和歌が世和歌の脇腹を肘でつついた。

「それではお願い致します。 姉さん、彩楓も紅香も、ここはマツリ様にお願い致しましょう」

丹和歌がさっと立ち上がる。
丹和歌の言いたいことが分かった。 彩楓と紅香も丹和歌に続いて立ち上がる。

「ほら、世和歌も。 行きましょう」

「え・・・でも」

「お早くお立ちなさいな」

彩楓に促され立ち上がると、サッと四人が部屋から居なくなった。 部屋を出ると回廊に四方の従者が座している。

「お熱が下がってこられました。 あとはマツリ様がみられるとのことで御座います」

「承知した」

そそくさとその場をあとにすると、世和歌が口を開く。

「いいの? マツリ様もお疲れだというのに」

「姉さん・・・」

丹和歌が大きなため息をつく。

「あら、世和歌はまだ男の方を知らないの? あれほど言ったのに」

「・・・え?」

「今頃、マツリ様は口付けをされているかもしれないわぁ」

両手を握りしめ、胸の辺りに持ってくる。

「え!?」

「ええ、あんなに紫さまを大切にされて」

何故か、己の身体を抱きしめている。

「ずっと触れて・・・撫でていらしたものね」

両手で頬を覆う。

「私たちが居ればお邪魔だってことよ」

握り締めていた両手を離すと、しなるように世和歌の肩に身体を寄せる。

「で、でも! 紫さまはまだマツリ様のことを―――」

「だから紫さまが寝ていらしている時が、でしょ? 姉さん、分かって無さ過ぎよ。 だからお付き合いをしなくっちゃって、何度も言ったでしょ?」

夜の闇の中で光石に照らされた四人の女官たち。 妄想は限りなく続くのであった。

翌日の昼前にはまだ少しふらつくものの、自力で体を起こせるようになった。 その時には宮のことを聞いて既にシキが宮にやって来ていた。
厨で紫揺用に柔らかな食を作らせ、マツリの指示で椅子に座るのではなく座卓で食べさせるようにした。 両横と後ろに紅香と “庭の世話か” が座り、万が一に控えている。 そして斜め前に彩楓が座り、紫揺に身体の様子を訊いている。

「如何で御座いますか?」

「まだちょっとふらつくみたいですけど・・・大丈夫、と思います」

紫揺の返事を聞いて紅香がそっと紫揺に匙を持たせる。

「急がずお食べ下さいませ」

「あの、マツリから聞きました。 またご迷惑をかけちゃったみたいで。 すみません」

「まぁ! そのような事は御座いません」

他の三人が何度も頷く。

「わたくしたちは紫さまのお傍に居させていただくだけで嬉しいのですから。 お熱がお下がりしてよう御座いました。 さ、何もお気にせずお食べ下さい」

紅香がそっと紫揺に手を添えて匙を動かすように促す。
目の前に置かれた料理に匙を動かしながら、気になっていたことを口にする。

「昨日のこと、見てました?」

「はい」

「女の子・・・えっと、私とバトル・・・向かい合ってた女人? どうなったか聞いていますか?」

「手の火傷は軽いものだと聞きました。 目は覚めたようですが、あとの事は・・・」

「やっぱり火傷しちゃったか・・・」

最初に比べると徐々に閃光の力が弱まってきたように思えたが、やはり火傷をしたのか。

「痛いだろうな・・・」

「紫さまがお考えになることでは御座いません」

「ええ、あの時紫さまが止めて下さらなかったら、四方様がどうなられていたか分かりませんもの」

「・・・倒れていた門番さん達はどうなりました?」

門番だけではない。 下足番や下働きの者たちも倒れていた。

「目が覚めた者もいるそうですが、まだ覚めていない者もいると朝には聞きましたが、いまはどうか」

(目が覚めないって・・・あの子、いったいどの力を使ったんだろうか・・・)

「食べ終わったら、門番さん達の様子を見に行くことが出来そうですか?」

「・・・まだ紫さまご自身が」

まともに歩けないだろう。

言われてみればそうだ。 まだ頭がすっきりはっきりとはしていないし身体もだるい。 こんな状態で紫の力を使ってしまえばまた倒れるかもしれない。

「そう・・・ですね」

「ええ、今は紫さまのお身体をお考え下さいま―――」

バンと音をたてて襖が開いた。 何事かと全員が衝立の向こうに目をやると、リツソが衝立の横から現れた。

「シユラ!!」

一度止まって紫揺の名を呼ぶと突進してきた。 が、彩楓が素早く立ち上がり身を挺してリツソを止めた。

「リツソ様、紫さまはお身体が十分では御座いません」

紅香と “庭の世話か” が、チッと舌打ちをしたいのを我慢している。

「わ、分かっておる!」

昨日の騒ぎは知っている。 あの時はそこに紫揺が居たなどとは知らなかったが。
師から逃げている時、塗籠に逃げ込んだ。 塗籠に逃げ込むのは何度目かだ。 男が塗籠などを気にするはずがないのに何度か師に見つかっている。 だから置いてあった箪笥と箪笥の間に入り込んで・・・動けなくなった、抜けられなくなった。
すぐに騒ぎが起きたが、騒ぎの最中(さなか)のこと、大声を出して助けを呼んでも誰も助けに来てはくれなかった。
声も枯れ果てようとしたときに、偶然、塗籠の裏を通っていた下男が気付き、それを聞いた四方の従者に助けられた。

窓のない塗籠の中は真っ暗、塗籠の中だけではなく、もう外も暗闇になっていただろう。 何度呼んでも誰も来ない。 とうとう怖くなった。 
下男が「塗籠から掠れた声で、こ~わ~い~、こ~わ~い~と、物の怪の声がする」と四方の従者に言ってきたのはリツソには秘密である。

リツソが紫揺の正面にペタンと座る。 座高が紫揺とそんなに変わらなくなっている。

「久しぶりね。 背が伸びたのね」

それにふっくらとしていた頬が少し取れているようにも見える。

「・・・」

「どうしたの? あ、カルネラちゃんは?」

「・・・兄上に、呼ばれた。 だから・・・カルネラは木に逃げた」

それで別行動になったのか。 相変わらずカルネラがマツリを逃げるということは、リツソも同じようなものなのだろう。

「マツリがリツソ君を呼んだの?」

コクリとリツソが首肯する。

「紫さま、冷めてしまいます。 冷めたものはお身体に宜しく御座いません。 お手を動かして下さいませ」

「あ、はい」

厨の者が特別に作ってくれたのだ、有難く頂かなければ。

「どうしてマツリがリツソ君を呼んだのかな?」

匙を動かし口に入れる。 柔らかく作られている、咀嚼を必要以上にすることもない。
リツソが黙っている。 その間に何度か匙から口に入れる。

「シユラ・・・」

「ん? なに?」

「あ、兄上と・・・」

兄上と? マツリ様と? どういうことだ、リツソは何を言おうとしているのか。
“最高か” と “庭の世話か” の目が光る。 紅香が彩楓に頷いてみせる。

「リツソ様? 如何なされました。 マツリ様が何か仰いましたか?」

彩楓を見ることもなくジッと紫揺を見ているリツソ。

「リツソ君? どうしたの?」

「・・・」

「マツリが何か言った? リツソ君に酷いことを言った?」

「・・・言った。 兄上は・・・」

何度か口を開け閉めしたが、とうとうリツソの口が閉ざされた。

「なに? 何を言ったの? 酷いことを言ったのなら―――」

「兄上の奥になるのか!?」

「へ?」

「シ! シユラは兄上の奥になると、兄上にそう言ったのか!?」

「あー・・・。 うん」

は? どういうことだ? いつ? どんな時に? いや、そうでは無い。 どうして・・・ああ、そうじゃない、拳でマツリを殴り・・・ああ、あれから時は流れている。 あの後、マツリが紫揺に付いていたことを知っている。 あの時だろうか。 いや、そんな風な雰囲気ではなかった。
“最高か” と “庭の世話か” が頭をフルに動かすが心当たりがない。

「む、紫さま! 何時何処でそのようなお話に!?」

見事に一言一句違わない四重奏が紫揺の耳に聞こえた。

「え?」

「わ! 我が訊いておる! 黙れ!」

四人に向かって言うと紫揺に向き直る。

「本当か? シユラは兄上に言ったのか? 兄上の奥になると」

「・・・うん」

“最高か” と “庭の世話か” の目が輝く。
だが・・・誰の菓子でそう思わせたのか。

「どうして? どうして!? 兄上の奥になど! シユラは我の奥になる! そうだろ!?」

「リツソ君・・・」

「今すぐ! 今すぐ兄上の所に一緒に行こう! シユラは我の奥になるのだから。 な、兄上に間違っていたと言おう!」

「リツソ君」

「ほれ、飯などあとで食べれば良い。 一緒に―――」

開け放たれていた襖の向こうから声がした。 その声の主が衝立の後ろから入って来る。

「リツソ」

リツソが声の主に振り向く。 そして相手を睨み据える。

「今の紫は身体が十分ではない。 己が我を通すのではない」

「それは! それは兄上でしょう! シユラがこんな時に・・・こんな時に、嘘を言ってシユラを我から取ろうとしてる!」

「リツソ君・・・そうじゃない」

「シユラ! シユラは兄上に騙されてるだけだ! 我と、シユラは我と一緒にずっといるんだ! シユラの伴侶は我だけだ!」

シユラが首を振る。

「リツソ君、ごめん」

「シユラ?」

「マツリに居てもらいたいの」

初めてそんなことを聞いた。 マツリが驚いた顔で紫揺を見る。

(・・・どうしてそれを我に言わん)

マツリが聞いたのは『いつからこんなにマツリのことを好きになってたんだろ』 と言ったこと。 そしてその後に『腹立つ』 と付いていたというのに。
そしてマツリだけではなく “最高か” と “庭の世話か” が大きく目を見開いている。

「シユラ! 目を覚ませ! シユラには我しか居らん!」

マツリに遅れてシキが走ってきた。
昌耶は天祐を見ている。 いつもならシキの従者は昌耶に合わせているため、シキのすぐ後を追えなかったが、今日はちゃんとシキのあとを追えている。

「リツソ、何をしているの!」

そして澪引も千夜に手を引かれて遅れてやってきた。 

「リツソ・・・」

マツリが澪引とシキとリツソに紫揺のことを話した。 リツソが顔色を変えた。 それに気付いた澪引とシキがリツソを説得しようとしていたが、それを振り切ってリツソが走って部屋を出て行った。

「母上・・・姉上。 嘘で御座いましょう?」

「今は紫を静かにしてやってちょうだい? ね?」

「リツソ? さあ、一緒に参りましょう? ゆっくりとお話をいたしましょう、ね?」

澪引がリツソの肩に手を置くとリツソが紫揺を見る。 すがるように、違うと言ってくれというように。

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