『ハラカルラ』 目次
『ハラカルラ』 第1回から第40回までの目次は以下の 『ハラカルラ』リンクページ からお願いいたします。
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農地沿いの道路にワハハおじさんが車を停止させると三人が車を降りた。 続いていた二台目の助手席からもおっさんが降り、後部座席からは長と雄哉が車を降りる。 他の車からも三人が降りてきて運転手が町中のパーキングに車を走らせて行く。 この道路にはバスも走っているだろうから、交通の妨げをするわけにはいかない。
「ここか」
山を見ている長の隣に立ったキリが説明をする。
「あの山の中腹です。 裾の村が煩そうなんで車では入りずらいんです。 少々歩かねばなりませんが」
「ああ、かまわん。 まだ大爺の歳にはなってないからな」
山の手前に見える農地にはまだ稲の苗も見えない。 あと少しすれば農地に水が入れられ代掻(しろか)きが始まる。 そしてようやく田植えが始まる。
畦をぞろぞろと歩いて行き山の裾までやってくると、しっかりと裾の村の者に止められた。
「何の用ね」
腰の曲がった婆(ばあ)である。
「大人数でお騒がせして申し訳ありません。 上の村に用がありまして」
やんわりとした口調で長が言う。
「上の村かね」
「はい、少しこちらの村を横切らせていただけますでしょうか」
こちらの村と言っても村に境界線などないし、その上この村の家々はずっと奥の方にある。 どちらかと言えば、この婆がここで大きな顔をしている方がおかしい。
「上の村に何用かね」
「ええ、先日偶然にあちらの村の方とお話をする機会がございまして、私どもの村でも作物を作っておりますもので、一度畑を見に来ないかと誘っていただきまして」
これは練炭からの情報である。 地図アプリで上空から見ると開けたところに畑があるということであった。
「こんなに大人数でか」
「ええ、申し訳ありません。 それぞれに得意分野がございまして」
キリが僅かに首を傾げる。 前回キリがこの村に入りかけた時にこの村の者に止められた。 そして今回も。 偶然だろうかとは思うが、まるで見張りのように誰かが入って来るのを見ているようだ。 それにこの村に用はないと言っているのに足止めをする。 どうしてだろうか。 この村は黒門の村と関係があるのだろうか。 そうであればいま長が言ったことは失敗となってしまう。 最初に来た時にもっと探りを入れておけばよかったと今更ながら後悔をしてしまう。
「あんたの足じゃ登れんね」
「そうですか、ご忠告有難うございます。 ではゆっくりと歩きます」
婆が長の後ろに居るおっさんたちに目を這わす。
「一人だけどうして若い」
おっさんたちに混じっている雄哉のことである。
「ええ、若い者に後学をと思いまして」
おっさんたちがじりじりとしてきた。 もし上から黒門の者が降りてくれば何もかもがぶち壊しとなる。 おっさん一人が足を出しかけた時、若い者と言われた雄哉が口を開いた。
「お婆さん、僕、農学部なんです。 色んな農地を見て回るのが好きで。 出来ればお婆さんの村にも畑があるのなら見させていただきたいんですけど、どうですか?」
長に倣って雄哉らしからぬ丁寧な言葉使いである。 そして子供に向けるときの無邪気な笑顔を忘れていない。
雄哉の申し出に婆の表情がどこか変わった。
「村に畑などない。 待っとれ」
婆が足止めをしているのに気づいて様子を見ていた村の男に車を一台持って来いと言っている。
「いいえ、そのようなお手間は―――」
「あんただけ乗れ。 山の途中で何かあってもこっちが困る。 あとの者は歩け」
こっちが困る? どういう意味だろうか。 何かあってもというのは、長が倒れるなりなんなりしてこの村に頼られても困るということか、若しくは救急車を呼ばなければならないようなことが起きるのが困るということだろうか。 そうであれば救急車さえ入れたくないということだろうか。
車が一台走って来た、軽トラである。 運転手の他には一人しか乗れない。 もしこの村が黒門と関係しているのならば、長一人を車には乗せたくないが、車を追って走る姿を見られるわけにもいかない。
だがそれは杞憂だった。 おっさんたちを先に歩かせるとその後ろに車が付き、歩く歩調に合わせて車が動いている。
「完全に見張られてるな」
「何をそんなに隠したいものがあるのか」
「閉鎖的な村ってだけかもしれんがな」
「探ってみるのも面白そうだ」
「爺たちに大喝くらうぞ」
「それより見たか?」
「ああ、チラッとだけどな」
「俺も見た、どうやって確認ができるか、確認が必要かってとこだな。 それにしてもさっきの戸田君のパスはナイスだったな」
「ああ、完全に話の流れが変わったな」
おっさんたちが話していく中、雄哉が後退していく。 そして「もう駄目だぁー」 と一言残し足を止めた。
「おいおい、戸田君」
「なんだ、もうギブか? 負ぶってやろうか?」
「あぁ、気にしないでください」
軽トラがだんだんと近づいてくる。
車の中で長が白々しく運転手に聞かせる。
「あらら、雄哉にはきつかったか。 大学で研究をしているだけでしてね、農作業をしているわけではないので体力がないようです」
村の者同士で苗字を呼び合うのはおかしいということで、村の者の前では戸田君とは言わず下の名前を出すと事前に決めている。
運転席の窓がコンコンとノックをされる。 いつの間にか雄哉が運転席の横に立っていた。 仕方がないという具合に運転手が窓を下げる。
「荷台に乗せてもらえませんか? もう歩けない」
顔を渋らせた運転手だが、雄哉をここに置いていくわけにはいかない。 「乗れ」と一言言った。
「やった、有難うございます」
その様子を見ていたおっさんたち。 こういう運びになるのなら雄哉に一言いっておけばよかったと後悔している。 だがそんなおっさんたちの思いは雄哉に届いていなく、涼しい顔をして荷台に乗り込んでいる。
中腹まで上がって来た。 先に家々が見える。 軽トラが止まると長と雄哉が降りてきた。 長が丁寧に礼を言っている姿が見える。
「長もなかなかの狸だな」
軽トラが完全に去っていくのを見送ると、それぞれがズボンに挟んでいた面を出し顔に着けた。 生憎と雄哉の面はないが雄哉に面は必要ではない。
「行こうか」
キツネ面を着けた男たちがゾロゾロと村の中に入って行く。 それに気づいた黒門の者たち。 一瞬あっけに取られていたが、ぼうっとしている時ではない。 一人が大声を出して村人を呼び、一人が朱門の者の前までやって来て立ちはだかる。 だが立ちはだかっているこの者は朱門との戦いに参加していないのだろう、面を着けていない。
「何ねあんたら! 妙ちくりんな面を着けよって! あんたら誰かね!」
戦いに参加していないと言っても面を見ればこちらが朱門と分かっているはず。 シラを切り通すつもりだろうか。 そうなってくると話が長引いてしまう。 だが一つ分かったことがある。 裾の村が黒門と繋がっていたとするならば既に連絡が入っていたはず。 だがそんな様子は欠片も見られない。
「黒門の」
「え・・・」
「争いに来たわけではない。 こちらは朱門、そちらの長に会いたい。 取り次いでもらえるか」
「なっ、何のことかね!」
「要らん時間を取りたくない、水無瀬君のことではなくハラカルラのことで話がある」
「ハラ・・・」
そこへ後ろからこちらも面を着けていない女性がやって来た。
「ちぃおばさん、こんな妙ちくりんな人間を村の中に入れるわけにはいかん。 すぐに男衆が来る、それまではこれ以上中に入れんようにしよう」
「あ、ああ」
朱門の誰もが息を吐きたくなるのをぐっと堪えている。
「えっとー、お姉さま方」
交渉していた長の後ろから雄哉が一歩を出した。
「は?」
なかなかに可愛らしい顔をしているではないか、と思った時に気づいた。 キツネ面を着けていない。
「こちらの方々は朱門ってところの方々ですけど俺は違います。 だから俺だけでも長に会わせてもらえませんか?」
「戸田君!」 という朱門の声と、面を着けていないちぃおばさんと言われた声が重なる。 「な、何を―――」
言うとるか、まで言えなかった。 後ろから声がかかったからである。
「隠し立てしても無駄なようだな」
カオナシの面を着けているが、水無瀬がこの声を聞くとすぐに誰か分かっただろう。 憎きサングラス男だと。
「黒門の、長に話がある」
「そちらは?」
「朱門長」
「たとえそちらが長といっても、生憎とそう簡単にこちらの長に会わせるわけにはいかない」
ぞろぞろとカオナシの面を着けた男たちがサングラス男の後ろに現れてきた。 その最後方に並んだ男が何かに気づいたようだ。
「水無瀬君の話は既に終わっている、水無瀬君のことで来たわけではない。 ハラカルラのことで話がある」
水無瀬のことが既に終わっているというのは、ハラカルラで話したことを言っているのだろう。 朱門は黒門が水無瀬を手放してしまったことをまだ知らないということになる。
「ハラカルラのことで?」
「決してそちらにとって不利な話ではない」
「どうしてここが分かった」
「水無瀬君を探している時には色々と調べたものでな。 無駄な時間を取りたくない。 そちらがこちらの話を聞かないと言うのならば、こちらだけでハラカルラを守っていくだけだが?」
「ハラカルラを守る?」
黒門はハラカルラを守りたいだけ、水無瀬に膳を運んできていた女性も千住と名乗った男も言っていたと聞いている。 その矜持をくすぐる。
「何を馬鹿なことを。 ハラカルラを守るのは最初の守り人であった黒門のすること」
「ではどうして今もハラカルラが荒らされておる」
「荒らされて?」
面の下で男たちの顔色が変わる。 後ろの方で黒門の男たちがざわめきだした。
「何を証拠に」
「残念ながら証拠はない。 逆に言えばそんなものを持っていればこちらが荒らしていることになる。 証人は居るがな」
「そんな話を信じ―――」
そこまで言ったときに後ろから声がかかった。
「待て」
後ろに控えていた黒門の男たちが左右に割れていくと、その中央から車椅子姿で現れた爺。 まるでモーゼでも出てきたようである。
「争う気はないということか」
「話をしに来ただけのこと」
「・・・それではついて来てもらおう」
「長! 朱門の言うことなどを信じるのですか!」
長は退院してきていたようである。 もし長がまだ入院をしたままなら長代理が出てきただろうが、水無瀬と長代理の話からしてこの場合どう判断したのかは分からない。
「ハラカルラのことだ、どこの門であろうと関係はない」
そしてジロリと朱門の長を睨む。
「嘘でまかせなら許さんがな」
連れて行かれたところは、朱門と同じく村人が集まってここで話し合いでもするのだろう、集会場である。 朱門と同じく時には首脳会談という宴もあるのかもしれない。
朱門と違うところは土間がないというところくらいだろうか、広さもさほど変わらなく全面和室になっている。
朱門の男たちが面を着けたまま長の後ろに座り、朱門の男たちを取り囲むように黒門の男たちも面を着けたまま座っている。
圧倒的に黒門の方の人数が多い。 黒門の長も朱門の長と同じように争う気がないことを示すために、朱門と同じだけの人数にしようとしたのだが朱門の長がそれを断った。 一人でも多くに聞いてもらいたいからだと言って。 そしてそれは朱門側も争う気などさらさらないということを示してもいる。
中央に置かれている長卓を挟んで長同士が座り、朱門の長の横にはニコニコとした顔の雄哉が座っている。
「先に聞くが、どうしてその青年は面を着けていない」
「彼に関してはあとで説明をするが、少なくとも朱門の人間ではないということ」
「門以外の人間に話を聞かせる? ましてやハラカルラという言葉も聞かせて、何を考えておる」
「さっきも言った、その話はあとにする」
ハラカルラを守るという黒門側の姿勢は聞かせた。 黒門の長が腕を組む。
「歴代から初めてのこういう場だが、時候の挨拶など取っ払って話す」
「無論」
門も名前も出さないが、まずは白門の水見のことから話した。
「その守り人は研究者であったらしく、ハラカルラの魚の研究をしていたそうだ」
「研究とはどういうことだ」
「詳しいことは分からんが、少なくともハラカルラの魚を持ち帰っていたということになる」
黒門の男たちからざわめきが聞こえる。
そしてその後、白門が何をしようとしているのかを話した。 ハラカルラの魚でエキスを抽出するつもりだと。 面で顔色が見えないし、どういう表情をしているのかも分からないがかなり動揺していることだろう。
「それは大量生産ということになる。 そうなればハラカルラの魚たちは・・・皆まで言わずとも分かるだろうて。 そして魚だけではない、藻も持ち帰っているようだから甲殻類も持ち帰っている可能性が高い」
「それを・・・そんなことを信じろと?」
信じているはずだ、だがまるでカタストロフィでも起こしたようなそんな話をそう簡単に受け入れられないのだろうし、朱門に良いように扱われているかもしれないという疑念も残っているのだろう。
「彼なんだが」
朱門の長が雄哉の方に軽く顔を向けると長に代わって雄哉が話し出す。
「戸田雄哉っていいます。 ヨロシクです。 えっとー、昨日烏と会ってきましたし水の宥め方も習ってきました」
思いもしないことであった。 まさかこの青年が守り人だったとは。
「宥め方・・・ということは奥まで入れるということか」
「ばっちり」
烏の力を借りたなどとは言えない。
黒門の長が朱門の長を睨む。
「朱門はもう新しい守り人を見つけたということか」
それを見せつけに来たのか。
「新しい守り人というところは合っている。 だが朱門の、ではない」
「どこの門というのか」
すると黒門の長の言うことを止めるかのように雄哉が口を開く。
「水無瀬、ここに居ないでしょ」
面の下では虚を突かれたような顔をしている。
笑顔の下に憤りを隠したまま雄哉が続ける。
「水無瀬を白門からそろ~っと逃がしたのは俺。 あくまでも秘密裏にね」
ざわめきが起き、それが一層大きくなる中、更に雄哉が続ける。
雄哉を守り人として探し出したのは水無瀬。 その水無瀬が雄哉を朱門に連れて行ったはいいが、水無瀬が急に居なくなった。 最近ようやく完全に開眼をし終えたところで、水無瀬が居るときには烏たちの居るところまでは入れなかったと。 だがそれは水無瀬と雄哉が考えたストーリーである。
「で、では水無瀬は今朱門に居るということか」
「うーん、朱門には居ない。 途中ではぐれたからどっかでプラプラしてんじゃないかな? でも俺が戻ってきてるのに水無瀬が戻ってきてないってことは、朱門に戻る気がないのかもしれないし。 ま、分かんないけど」
黒門が水無瀬にこだわっているわけではないことを知っているが、まだここでは水無瀬の存在は隠し通す。
「ということは、この村に帰ってくるということがあり得るということか?」
「あー、それは無い無い。 水無瀬と一緒に渓流を下って逃げてた時、黒門のこと怒りまくってたからな。 殴られたとかアパートに盗聴器が仕掛けられてたとか、追いかけまくられるはアパートに不法侵入されるはってさ。 そうそう、アパートの窓を壊したんだって? 弁償しろって怒ってた。 心当たりあるでしょ?」
数人の男が顔を歪めている。
これは雄哉なりの水無瀬が受けた事への意趣返しでもあったが、黒門のしたことを指摘することでこれからの自分の身を守るためでもあり、水無瀬と接触をしたという証言でもある。
「戸田君、そのあたりでいいだろう。 この戸田君が証人だ、白門のやりようを水無瀬君から聞いたということだ」
「とんでもないことを考えてたから驚きだよ」
「守り人がハラカルラのことで嘘をつくと思うか?」
「・・・」
「そこで提案なのだが」
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ハラカルラ 第49回
農地沿いの道路にワハハおじさんが車を停止させると三人が車を降りた。 続いていた二台目の助手席からもおっさんが降り、後部座席からは長と雄哉が車を降りる。 他の車からも三人が降りてきて運転手が町中のパーキングに車を走らせて行く。 この道路にはバスも走っているだろうから、交通の妨げをするわけにはいかない。
「ここか」
山を見ている長の隣に立ったキリが説明をする。
「あの山の中腹です。 裾の村が煩そうなんで車では入りずらいんです。 少々歩かねばなりませんが」
「ああ、かまわん。 まだ大爺の歳にはなってないからな」
山の手前に見える農地にはまだ稲の苗も見えない。 あと少しすれば農地に水が入れられ代掻(しろか)きが始まる。 そしてようやく田植えが始まる。
畦をぞろぞろと歩いて行き山の裾までやってくると、しっかりと裾の村の者に止められた。
「何の用ね」
腰の曲がった婆(ばあ)である。
「大人数でお騒がせして申し訳ありません。 上の村に用がありまして」
やんわりとした口調で長が言う。
「上の村かね」
「はい、少しこちらの村を横切らせていただけますでしょうか」
こちらの村と言っても村に境界線などないし、その上この村の家々はずっと奥の方にある。 どちらかと言えば、この婆がここで大きな顔をしている方がおかしい。
「上の村に何用かね」
「ええ、先日偶然にあちらの村の方とお話をする機会がございまして、私どもの村でも作物を作っておりますもので、一度畑を見に来ないかと誘っていただきまして」
これは練炭からの情報である。 地図アプリで上空から見ると開けたところに畑があるということであった。
「こんなに大人数でか」
「ええ、申し訳ありません。 それぞれに得意分野がございまして」
キリが僅かに首を傾げる。 前回キリがこの村に入りかけた時にこの村の者に止められた。 そして今回も。 偶然だろうかとは思うが、まるで見張りのように誰かが入って来るのを見ているようだ。 それにこの村に用はないと言っているのに足止めをする。 どうしてだろうか。 この村は黒門の村と関係があるのだろうか。 そうであればいま長が言ったことは失敗となってしまう。 最初に来た時にもっと探りを入れておけばよかったと今更ながら後悔をしてしまう。
「あんたの足じゃ登れんね」
「そうですか、ご忠告有難うございます。 ではゆっくりと歩きます」
婆が長の後ろに居るおっさんたちに目を這わす。
「一人だけどうして若い」
おっさんたちに混じっている雄哉のことである。
「ええ、若い者に後学をと思いまして」
おっさんたちがじりじりとしてきた。 もし上から黒門の者が降りてくれば何もかもがぶち壊しとなる。 おっさん一人が足を出しかけた時、若い者と言われた雄哉が口を開いた。
「お婆さん、僕、農学部なんです。 色んな農地を見て回るのが好きで。 出来ればお婆さんの村にも畑があるのなら見させていただきたいんですけど、どうですか?」
長に倣って雄哉らしからぬ丁寧な言葉使いである。 そして子供に向けるときの無邪気な笑顔を忘れていない。
雄哉の申し出に婆の表情がどこか変わった。
「村に畑などない。 待っとれ」
婆が足止めをしているのに気づいて様子を見ていた村の男に車を一台持って来いと言っている。
「いいえ、そのようなお手間は―――」
「あんただけ乗れ。 山の途中で何かあってもこっちが困る。 あとの者は歩け」
こっちが困る? どういう意味だろうか。 何かあってもというのは、長が倒れるなりなんなりしてこの村に頼られても困るということか、若しくは救急車を呼ばなければならないようなことが起きるのが困るということだろうか。 そうであれば救急車さえ入れたくないということだろうか。
車が一台走って来た、軽トラである。 運転手の他には一人しか乗れない。 もしこの村が黒門と関係しているのならば、長一人を車には乗せたくないが、車を追って走る姿を見られるわけにもいかない。
だがそれは杞憂だった。 おっさんたちを先に歩かせるとその後ろに車が付き、歩く歩調に合わせて車が動いている。
「完全に見張られてるな」
「何をそんなに隠したいものがあるのか」
「閉鎖的な村ってだけかもしれんがな」
「探ってみるのも面白そうだ」
「爺たちに大喝くらうぞ」
「それより見たか?」
「ああ、チラッとだけどな」
「俺も見た、どうやって確認ができるか、確認が必要かってとこだな。 それにしてもさっきの戸田君のパスはナイスだったな」
「ああ、完全に話の流れが変わったな」
おっさんたちが話していく中、雄哉が後退していく。 そして「もう駄目だぁー」 と一言残し足を止めた。
「おいおい、戸田君」
「なんだ、もうギブか? 負ぶってやろうか?」
「あぁ、気にしないでください」
軽トラがだんだんと近づいてくる。
車の中で長が白々しく運転手に聞かせる。
「あらら、雄哉にはきつかったか。 大学で研究をしているだけでしてね、農作業をしているわけではないので体力がないようです」
村の者同士で苗字を呼び合うのはおかしいということで、村の者の前では戸田君とは言わず下の名前を出すと事前に決めている。
運転席の窓がコンコンとノックをされる。 いつの間にか雄哉が運転席の横に立っていた。 仕方がないという具合に運転手が窓を下げる。
「荷台に乗せてもらえませんか? もう歩けない」
顔を渋らせた運転手だが、雄哉をここに置いていくわけにはいかない。 「乗れ」と一言言った。
「やった、有難うございます」
その様子を見ていたおっさんたち。 こういう運びになるのなら雄哉に一言いっておけばよかったと後悔している。 だがそんなおっさんたちの思いは雄哉に届いていなく、涼しい顔をして荷台に乗り込んでいる。
中腹まで上がって来た。 先に家々が見える。 軽トラが止まると長と雄哉が降りてきた。 長が丁寧に礼を言っている姿が見える。
「長もなかなかの狸だな」
軽トラが完全に去っていくのを見送ると、それぞれがズボンに挟んでいた面を出し顔に着けた。 生憎と雄哉の面はないが雄哉に面は必要ではない。
「行こうか」
キツネ面を着けた男たちがゾロゾロと村の中に入って行く。 それに気づいた黒門の者たち。 一瞬あっけに取られていたが、ぼうっとしている時ではない。 一人が大声を出して村人を呼び、一人が朱門の者の前までやって来て立ちはだかる。 だが立ちはだかっているこの者は朱門との戦いに参加していないのだろう、面を着けていない。
「何ねあんたら! 妙ちくりんな面を着けよって! あんたら誰かね!」
戦いに参加していないと言っても面を見ればこちらが朱門と分かっているはず。 シラを切り通すつもりだろうか。 そうなってくると話が長引いてしまう。 だが一つ分かったことがある。 裾の村が黒門と繋がっていたとするならば既に連絡が入っていたはず。 だがそんな様子は欠片も見られない。
「黒門の」
「え・・・」
「争いに来たわけではない。 こちらは朱門、そちらの長に会いたい。 取り次いでもらえるか」
「なっ、何のことかね!」
「要らん時間を取りたくない、水無瀬君のことではなくハラカルラのことで話がある」
「ハラ・・・」
そこへ後ろからこちらも面を着けていない女性がやって来た。
「ちぃおばさん、こんな妙ちくりんな人間を村の中に入れるわけにはいかん。 すぐに男衆が来る、それまではこれ以上中に入れんようにしよう」
「あ、ああ」
朱門の誰もが息を吐きたくなるのをぐっと堪えている。
「えっとー、お姉さま方」
交渉していた長の後ろから雄哉が一歩を出した。
「は?」
なかなかに可愛らしい顔をしているではないか、と思った時に気づいた。 キツネ面を着けていない。
「こちらの方々は朱門ってところの方々ですけど俺は違います。 だから俺だけでも長に会わせてもらえませんか?」
「戸田君!」 という朱門の声と、面を着けていないちぃおばさんと言われた声が重なる。 「な、何を―――」
言うとるか、まで言えなかった。 後ろから声がかかったからである。
「隠し立てしても無駄なようだな」
カオナシの面を着けているが、水無瀬がこの声を聞くとすぐに誰か分かっただろう。 憎きサングラス男だと。
「黒門の、長に話がある」
「そちらは?」
「朱門長」
「たとえそちらが長といっても、生憎とそう簡単にこちらの長に会わせるわけにはいかない」
ぞろぞろとカオナシの面を着けた男たちがサングラス男の後ろに現れてきた。 その最後方に並んだ男が何かに気づいたようだ。
「水無瀬君の話は既に終わっている、水無瀬君のことで来たわけではない。 ハラカルラのことで話がある」
水無瀬のことが既に終わっているというのは、ハラカルラで話したことを言っているのだろう。 朱門は黒門が水無瀬を手放してしまったことをまだ知らないということになる。
「ハラカルラのことで?」
「決してそちらにとって不利な話ではない」
「どうしてここが分かった」
「水無瀬君を探している時には色々と調べたものでな。 無駄な時間を取りたくない。 そちらがこちらの話を聞かないと言うのならば、こちらだけでハラカルラを守っていくだけだが?」
「ハラカルラを守る?」
黒門はハラカルラを守りたいだけ、水無瀬に膳を運んできていた女性も千住と名乗った男も言っていたと聞いている。 その矜持をくすぐる。
「何を馬鹿なことを。 ハラカルラを守るのは最初の守り人であった黒門のすること」
「ではどうして今もハラカルラが荒らされておる」
「荒らされて?」
面の下で男たちの顔色が変わる。 後ろの方で黒門の男たちがざわめきだした。
「何を証拠に」
「残念ながら証拠はない。 逆に言えばそんなものを持っていればこちらが荒らしていることになる。 証人は居るがな」
「そんな話を信じ―――」
そこまで言ったときに後ろから声がかかった。
「待て」
後ろに控えていた黒門の男たちが左右に割れていくと、その中央から車椅子姿で現れた爺。 まるでモーゼでも出てきたようである。
「争う気はないということか」
「話をしに来ただけのこと」
「・・・それではついて来てもらおう」
「長! 朱門の言うことなどを信じるのですか!」
長は退院してきていたようである。 もし長がまだ入院をしたままなら長代理が出てきただろうが、水無瀬と長代理の話からしてこの場合どう判断したのかは分からない。
「ハラカルラのことだ、どこの門であろうと関係はない」
そしてジロリと朱門の長を睨む。
「嘘でまかせなら許さんがな」
連れて行かれたところは、朱門と同じく村人が集まってここで話し合いでもするのだろう、集会場である。 朱門と同じく時には首脳会談という宴もあるのかもしれない。
朱門と違うところは土間がないというところくらいだろうか、広さもさほど変わらなく全面和室になっている。
朱門の男たちが面を着けたまま長の後ろに座り、朱門の男たちを取り囲むように黒門の男たちも面を着けたまま座っている。
圧倒的に黒門の方の人数が多い。 黒門の長も朱門の長と同じように争う気がないことを示すために、朱門と同じだけの人数にしようとしたのだが朱門の長がそれを断った。 一人でも多くに聞いてもらいたいからだと言って。 そしてそれは朱門側も争う気などさらさらないということを示してもいる。
中央に置かれている長卓を挟んで長同士が座り、朱門の長の横にはニコニコとした顔の雄哉が座っている。
「先に聞くが、どうしてその青年は面を着けていない」
「彼に関してはあとで説明をするが、少なくとも朱門の人間ではないということ」
「門以外の人間に話を聞かせる? ましてやハラカルラという言葉も聞かせて、何を考えておる」
「さっきも言った、その話はあとにする」
ハラカルラを守るという黒門側の姿勢は聞かせた。 黒門の長が腕を組む。
「歴代から初めてのこういう場だが、時候の挨拶など取っ払って話す」
「無論」
門も名前も出さないが、まずは白門の水見のことから話した。
「その守り人は研究者であったらしく、ハラカルラの魚の研究をしていたそうだ」
「研究とはどういうことだ」
「詳しいことは分からんが、少なくともハラカルラの魚を持ち帰っていたということになる」
黒門の男たちからざわめきが聞こえる。
そしてその後、白門が何をしようとしているのかを話した。 ハラカルラの魚でエキスを抽出するつもりだと。 面で顔色が見えないし、どういう表情をしているのかも分からないがかなり動揺していることだろう。
「それは大量生産ということになる。 そうなればハラカルラの魚たちは・・・皆まで言わずとも分かるだろうて。 そして魚だけではない、藻も持ち帰っているようだから甲殻類も持ち帰っている可能性が高い」
「それを・・・そんなことを信じろと?」
信じているはずだ、だがまるでカタストロフィでも起こしたようなそんな話をそう簡単に受け入れられないのだろうし、朱門に良いように扱われているかもしれないという疑念も残っているのだろう。
「彼なんだが」
朱門の長が雄哉の方に軽く顔を向けると長に代わって雄哉が話し出す。
「戸田雄哉っていいます。 ヨロシクです。 えっとー、昨日烏と会ってきましたし水の宥め方も習ってきました」
思いもしないことであった。 まさかこの青年が守り人だったとは。
「宥め方・・・ということは奥まで入れるということか」
「ばっちり」
烏の力を借りたなどとは言えない。
黒門の長が朱門の長を睨む。
「朱門はもう新しい守り人を見つけたということか」
それを見せつけに来たのか。
「新しい守り人というところは合っている。 だが朱門の、ではない」
「どこの門というのか」
すると黒門の長の言うことを止めるかのように雄哉が口を開く。
「水無瀬、ここに居ないでしょ」
面の下では虚を突かれたような顔をしている。
笑顔の下に憤りを隠したまま雄哉が続ける。
「水無瀬を白門からそろ~っと逃がしたのは俺。 あくまでも秘密裏にね」
ざわめきが起き、それが一層大きくなる中、更に雄哉が続ける。
雄哉を守り人として探し出したのは水無瀬。 その水無瀬が雄哉を朱門に連れて行ったはいいが、水無瀬が急に居なくなった。 最近ようやく完全に開眼をし終えたところで、水無瀬が居るときには烏たちの居るところまでは入れなかったと。 だがそれは水無瀬と雄哉が考えたストーリーである。
「で、では水無瀬は今朱門に居るということか」
「うーん、朱門には居ない。 途中ではぐれたからどっかでプラプラしてんじゃないかな? でも俺が戻ってきてるのに水無瀬が戻ってきてないってことは、朱門に戻る気がないのかもしれないし。 ま、分かんないけど」
黒門が水無瀬にこだわっているわけではないことを知っているが、まだここでは水無瀬の存在は隠し通す。
「ということは、この村に帰ってくるということがあり得るということか?」
「あー、それは無い無い。 水無瀬と一緒に渓流を下って逃げてた時、黒門のこと怒りまくってたからな。 殴られたとかアパートに盗聴器が仕掛けられてたとか、追いかけまくられるはアパートに不法侵入されるはってさ。 そうそう、アパートの窓を壊したんだって? 弁償しろって怒ってた。 心当たりあるでしょ?」
数人の男が顔を歪めている。
これは雄哉なりの水無瀬が受けた事への意趣返しでもあったが、黒門のしたことを指摘することでこれからの自分の身を守るためでもあり、水無瀬と接触をしたという証言でもある。
「戸田君、そのあたりでいいだろう。 この戸田君が証人だ、白門のやりようを水無瀬君から聞いたということだ」
「とんでもないことを考えてたから驚きだよ」
「守り人がハラカルラのことで嘘をつくと思うか?」
「・・・」
「そこで提案なのだが」