大福 りす の 隠れ家

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虚空の辰刻(とき)  第125回

2020年02月29日 01時31分14秒 | 小説
『虚空の辰刻(とき)』 目次


『虚空の辰刻(とき)』 第1回から第120回までの目次は以下の 『虚空の辰刻(とき)』リンクページ からお願いいたします。


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- 虚空の辰刻(とき)-  第125回



東の領土が先にその場所を見つけ、その様子を見ていた北の領土が同じように北の領土側にも洞を見つけた。
その後、北の領土の者が東の領土に入ったことが本領に知られ、当時の領主や関係していた者たちが狼の牙にかかったが、洞のことは本領が知ることなく、狼の牙にかからなかった者たちの中で洞のことは口伝えにされていた。 北の領土直系ではなかった新たな領主がその話を聞いた。 新たな領主は洞の向こうにいるであろうムラサキを探す為、この洞の向こうにある日本を探ることにした。

それはずっと無言だったまだ歳浅いショウワが、ムラサキが洞の向こうに居ると言ったからであった。 ムラサキのことに関しては、ショウワの言うことには間違いはない、そう古の力を持つ者から聞いていた。 その古の力を持つ者は数年後に亡くなった。

誰も知らない北の領土の古の力を持つ者の事情があった。

当時の古の力を持つ者は男であった。 有り得ない話だ。 古の力を持つ者は女でなければいけないのに。 だが北の領土ではそれさえ問われることは無かった。

男である北の領土の古の力を持つ者の後を継いだのがショウワであった。 だがショウワが古の力を持つ者というのは亡くなった古の力を持つ者が伏せさせていた。

『時が来ればお前が古の力を持つ者と声高に言おう』

そう言い残していた。 声高に言う前に、その時が来ることなく亡くなった。

北の領土の民が怪しみながらも洞窟の中を歩きこの島に出て、この日本を知ったということだった。
また東の領土も然りであったが、此の地に出る場所は随分と違っていたし、互いにそれが何処なのかを知らない。

「ああ、そうだな。 前領主は此処に住むためにこの屋敷を建てた。 北の領土になど住むつもりは無かっただろう。 だが前領主夫妻は突然亡くなった。 ビャク茸の話を領主は聞いているようか?」

此の地を気に入った前領主は、此の地での海外旅行中に事故に巻き込まれて亡くなった。 それを此の地をあまり好まなかった妻でありムロイの母親が、北の領土で訃報を聞き、後を追うように亡くなってしまった。

両親ともに高齢の時に生まれたムロイに兄弟はなく、此の地を気に入っていた父親に六歳の頃から此の地での教育を受けさせられ、全寮制に入らされていた。

長期休みの時には母に会いたくてこの屋敷に帰ってきたが、迎えに来ていた母はすぐにムロイを連れて北の領土に帰っていた。

ムロイにとって母と共に居られるのは良かったが、日本と比べると北の領土の不備なところは歓迎できるものではなかった。
電気もなければ電車も店も学も何もない。 あまりにも日本と違っていた。 ムロイは母の好む自然を好まなかった。 だが幼い時から母と引きはなされ、やっとの長期休みの時には母と一緒に居たかった。 ムロイの北の領土の記憶はそんなものだった。

だが北の領土に居る時に怪我をすれば、彼の地にはない薬を塗ってもらった。 彼の地であれば消毒をして絆創膏で終っただろう。 彼の地では味わえないものも食べた。 山菜の新鮮な味を知った。 でも自分の知る味とかけ離れていた。 その味は忘れていない。 そんなムロイが二十歳を少し過ぎた時に、父親の後を継いで東の領主となった。

「そこまでは知り得ません。 ですが知っていたとしてもムロイは何も考えないでしょう」

「領主は・・・前領主と同じくこの地での金を得て、この地に住みたいと思っているからか?」

「・・・はい」

「ムラサキ様に北の領土を任せて?」

「前領主がどうお考えだったのかは分かりませんが、少なくともムロイは、思いたくはありませんがそう思っているでしょう」

「だがシユラ様はあの状態だ」

「はい。 ムロイはシユラ様に苛立たれていると思います」

「・・・ニョゼ」

「はい」

「私は北に帰る」

「え?」

「領主を迎えに行くわけではない。 領主を説得して皆で北に帰ろうと、そしてムラサキ様のことを諦めて頂こうと話そうと思う」

「・・・」

「反対か?」

「いいえ、決して。 わたくしも連れて行って欲しいくらいです。 ですがシユラ様お一人を置いては。 セノギもまだ今の状態では身体に無理を強いてしまいます」

「ああ、今すぐには無理だろうが、あと少しどうにかなれば一人で歩けるようになるだろう。 ニョゼはシユラ様が心配ならば、シユラ様がこの屋敷に居られる間は付いてさしあげればいい。 それからのことはその時だ。 シユラ様が何をどう選ばれるか。 ・・・まぁ、どう選ばれるかは分かっているがな」

ニョゼが寂しい笑みを零した。



セキと土産の話をし、病院に予約を入れたセノギが抜糸を終え、屋敷に帰ってきたかと思うとすぐにショウワの部屋を訪ねた。

「もう、良いようじゃな」

窓の外を見ていたショウワが、ソファーに座るように促すと自分もソファーに向かって歩き出した。

「ショウワ様? お顔のお色が優れないようですが、どうされました?」

「そうか? ケミにもうるさく言われておるが大したことは無い。 それより何用じゃ?」

「はい」

ムロイのことはショウワから聞いている。
ショウワの顔色を気にしながらも、今日、北の領土に帰ってムロイの様子を見て話が出来るようならば、と話し出した。

「これから北の領土に戻り此の地に居る者みなで北に帰ることは出来ないかと、伺いを立てようかと思っております」

言いにくい話だけに、一気に声にした。
ショウワに驚いた様子は見られない。

「それはどういうことじゃ」

「此処を引き上げ北の領土に帰るということです」

「わしは別段此処を気に入っておるわけではない。 だからと言って北の領土も気に入っておるわけで―――ック!」

急にこめかみを押さえるような仕草をした。

「ショウワ様?」

ソファーから立ち上がると、斜め前に座っているショウワの横に膝をつき顔を覗き込んだ。

「いかがなさいました!?」

すぐに返事は無かったが、矢継ぎ早に聞くわけにもいかず返事を待つしかなかった。 ほんの五分ほどの時が長く感じられた。

「・・・ああ、もう何ともないわい。 驚かせて悪かったの」

「頭痛ですか?」

「ああ、ここのところ時々起こるようになってきてな」

ここのところではない。 随分と前から起こっている。

「一度、医者に診てもらいましょう。 明日にでもニョゼを伴って病院にかかって下さい。 往診など甘いことを言っていては長引くかもしれません」

「もう、老いぼれじゃ。 診てもろうても変わらん」

「そんなことは御座いません。 私がお供出来ないのは残念ですが、必ずニョゼとお行き下さい」

セノギの言うことを耳に残しながらも話の筋を戻す。

「わしの事は気にせずともよい。 ああ、そうじゃった。 此処を引き上げるのにわしは何とも思っておらん。 セノギの思うことをムロイに言うがいい。 ムロイが何というかは分からんが、わしはムロイにもセノギにも付かん。 好きなようにしろ。 じゃが、ムラサキ様は・・・」

次の言葉を待ったが、ショウワから言葉が繋がらなかった。

(・・・どうしてじゃ、どうして言葉が出ん)

「ショウワ様?」

「・・・あ、ああ。 そう、ムラサキ様は・・・」

また止まった。 セノギが首を傾げた後に「よろしいでしょうか」 と問い、ショウワが頷くと自分の存意を話した。

「ムラサキ様のことですが、ムラサキ様は北のお人ではありません。 東でお生まれになるはずだったお方です。 これ以上、ムラサキ様に北の犠牲になっていただくわけにはいきません」

「犠牲・・・と?」

「はい。 ムラサキ様は北にはご縁のないお方。 私たちの先祖がムラサキ様の在るべき場所を奪ってしまった。 今ここで先祖のしたことに私たちが終止符を打たなくて誰が打つでしょう」

ショウワがゆっくりと首を傾げた。

「先祖のしたこととか、犠牲とはどういう意味じゃ?」

「え?」


「では、失礼いたします」

パタリとドアを閉めたセノギ。
ショウワは、先祖の愚行を全く知らなかった。 それどころか紫揺が本来東の領土の人間だということも。
北の領土の重鎮だと言われているのに。

「どういうことだ・・・」


セノギの話を聞き、放心したようにソファーの背もたれにもたれている。

「どうして・・・わしが知らんのじゃ」

ショウワには両親は居なかった。 古の力を持つ先代と暮らしていた。 その先代からは何も聞いていない筈だ。 忘れているのか? そんな大切なことを? 
下瞼がピクピクピクと痙攣をおこす。 顔から血の気が引いていくようだ。 また頭痛が襲ってきた。

「ック・・・」

顔を歪めて両手で頭を覆う。 五分経っても十分経ってもその姿に変化がない。 見かねたケミが人型をとり、部屋の隅に置かれていたコップに水差しから水を入れるとショウワに近寄る。

「ショウワ様、丸薬にございます」

片手に丸薬、もう片手にコップを持った手を差し出した。

「ああ、悪いの・・・」

痛みがあるのだろう、皺のある顔に更に皺を寄せて言う。
この丸薬はケミが頭痛を感じた時に飲むと良く効くからと、何度かショウワに差し出していた。
十分ほど経つとやっとショウワが顔を上げた。

「お呼びもされませんのに、差し出がましく出て来てしまい、申し訳ありません」

「そんなことは無い。 ああ、痛みが引いていくわい」

「セノギが言っていましたように、一度診てもらわれてはいかがですか? お顔のお色が日に日に悪くなられています」

「・・・そうじゃな、この年と言ってもこう痛うてはかなわん」

ソファーの背もたれにもたれると痛みを我慢して体力を使ったからなのか、初めて聞いた話のショックが体力を奪ってしまったのか、丸薬に痛みも疲れも忘れたのか、ウトウトとしだした。
ケミが椅子に掛けられてあった膝掛をショウワに掛けると、巾着から丸薬をもう一つ出して目の前に掲げた。

「良く効くものだ。 その土地で生まれ育った物が身体に一番良いということか」

この丸薬は以前、例の若い薬草師に作ってもらったものだった。


セノギが部屋に戻るとすぐに着替えニョゼを呼び、セキへの土産を託すとショウワのことを言い医者に連れて行くよう頼んだ。

「承知いたしました」

ニョゼの堅苦しい返事に一瞬微笑みながら 「気負うことは無い。 では、頼む」 と返した。
ニョゼを部屋に残しセノギが部屋を出て行った。

ムロイもセッカもセノギも居なくなった。 誰が五色をまとめるのか・・・。
気が重い。
それに紫揺がこれから意図せずにも、何かをするかもしれない。 いや、してしまうかもしれない。 そんな時なのに紫揺だけに付いてはいられない。 それが何より悲しい。

ムロイが此処に帰って来るまでセノギを止めればよかったのだろうか。 ・・・だがそうなれば、セノギの説得に応じなかったムロイがすぐに次の仕事を言って紫揺と別れることになるだろう。 それにそうなるといつまで経っても自分は北に帰ることが出来ない。

「なにが正解なのか・・・」

きっと正解などあるはずはない。 この北の領土にとっては。 いや・・・今セノギがやろうとしていることが北の領土にとっての正解なのかもしれない。

紫揺は北の領土の人間ではないのだから、北の領土の事に当てはめること自体がおかしいのではないか。 だが紫揺のムラサキとしての力を分かっているのは、多少なりとも知っているのは自分。
紫揺が破壊をしようとも花を咲かせようとも、これから未知のことをしようとも、それを知っているのは自分。 紫揺を守ることが出来るのは自分しかない。

―――否。

ニョゼはそこのところが心に沁みていなかった。
ただただ、北の領土の人間ではない紫揺に添おうと思っていた。 守ろうと思っていた。 ましてや、屈託ない紫揺の性格も後押しした。

「・・・あ」

紫揺が北の領土の人間ではないことを改めて知った。 いや、改めて思い浮かんだ。 セノギから聞かされていたのに。
紫揺を守るのなら、守りたいのなら、紫揺を此処から出すことがなによりではないのか。

「シユラ様・・・」

そう言えば紫揺も同じようなことを言っていた。

『前にも言いましたけど、自分に言い聞かせる為にも、もう一度ハッキリ言います。 私、ニョゼさんとずっと居たい。 でもムラサキからの思いがあるんでしょうね、ニョゼさんは北に帰らなければいけない。 何故ならニョゼさんは北の人間だから。 分かっていてもニョゼさんと居たい。 だって私、この世に肉親もなにも居ないんです。 ニョゼさんを大切なお姉さんと思っています。 だからニョゼさんと別れたくない。 でもそれが、私の我儘だと分かっています。 ニョゼさんにはお父さんもお母さんもいらっしゃいます。 ニョゼさんがご両親にお会いしたいということを誰よりも分かっているつもりです。 だから』

ニョゼの眉間から皺が消えた。

「わたくしは何と愚かな人間だったのでしょう・・・」


「ニョゼさん、お早うございます!」

「お早う御座います。 今日はわたくしの焼いたパンとスープでございます。 シユラ様のお口に合えばいいのですが」

そう言いながらワゴンから次々とテーブルに出す。

「あれ? このサラダって?」

「はい、わたくしがお野菜を選びました」

「やっぱりスゴイ。 ニョゼさん、私の好きな野菜を知ってくれてる」

「有難うございます。 ですがそれはわたくしがシユラ様に付いているからでしょう。 コックはお食べになっている時のシユラ様のお顔の表情を見ませんから」

それにどれだけお腹がいっぱいになっていようとも、出来るだけ残さないようにしているのを知っている。
少なくとも一度箸をつけた皿の中の物は残したことなどない。 たとえ苦手な物が入っていても。

「そっか。 そうですよね。 コックさんの作ってくれるサラダも美味しいけど、時々苦手なお野菜が入ってるのはそれが当たり前ですよね。 でもニョゼさん、私がサラダを食べる時の表情も見てるんですか?」

「悪い癖です。 申し訳ありません」

「ん・・・まあ。 でも、私と居る時くらい肩の力を抜いてください」

「有難うござます。 癖を治すのは容易ではありませんが、お言葉に甘えてその様に努力いたします」

「努力って言うのもどうかと思うけど・・・。 うん、そうしてください。 私はニョゼさんのことをお姉さんと思っているんですから」

紫揺が拳を口に当てププっと笑った。

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虚空の辰刻(とき)  第124回

2020年02月24日 22時33分43秒 | 小説
『虚空の辰刻(とき)』 目次


『虚空の辰刻(とき)』 第1回から第120回までの目次は以下の 『虚空の辰刻(とき)』リンクページ からお願いいたします。


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- 虚空の辰刻(とき)-  第124回



どういうことだ。
セノギが眉根を寄せてニョゼを見た。

「シユラ様からお話を伺っている内に、わたくしは北に帰りたかったんだと・・・そんなことは思ったこともなかった筈なのに、心の内でそう思っていたことを知りました」

「・・・北にか」

ニョゼから目を外すと何処を見ているのかそのまま口を閉じた。

「セノギ?」

「ああ、悪い。 そうだな・・・。 ちょっと頭の中を整理したい。 明日、続きを話さないか?」

「お疲れなのに長々と済みません。 ベッドで横になられた方がよろしいですわ。 お手伝いいたします。 シユラ様からセノギに付くように言われていますから、何なりとお申し付けください」

「私にそのような言い方は止めてくれないか。 普通に話してくれ。 だが、手は貸してもらいたい」

そう言うと、立たせてもらいたいと腕を上げた。


翌日、セノギが夕飯を食べ終わり、ニョゼが食器を片付けている時「昨日の話だが」 と切り出した。
ニョゼの手が一瞬止まったが「はい」 と返事をすると、手早く食器をワゴンに置き椅子に腰かけた。

「実は―――」

言いにくそうに話し始めた。

セノギがそれを初めて感じたのは、ホテルを出る日だったという。 ニョゼは新しい仕事に、紫揺は睡眠薬を飲まされ屋敷に向かわされた日。 ニョゼと紫揺が分かれた日である。
いや、正確に言うとホテルで紫揺が初めて力を出した時に 『力とは持つものではありませんね』 無意識にそう言った時が始まりだったのかもしれない。

領土を守らなければならない。 それにはムラサキ様が必要だ。 そこに尽きる。 それは何十年も前から当たり前に誰もが思ってきたことだった。

だがそこに疑問がわいた。 どうして領土がムラサキ様なくしては成り立たないのか・・・。 ムラサキ様は紫揺は北の人間ではない・・・。 それなのにどうして紫揺に頼らなくてはならないのか。 もしかしたら北の歪んだ何かがあるのではないか。 そう思ったという。
それから何度も考えた。 北の考え方には何かほつれたものがあるのではないかと、考えるようになったと。

「何かほつれたもの? それはいったい?」

「いや、分からない。 だがそれ以外考えられなかった。 今もそうだ」

とセノギが言う。

何十年も前に起こした北の領土のした事。 時の領主が東の領土の五色様を攫いに行った。 まずそこからしておかしい。 どうしてそんなことをしたのか。
時の領主は五色の力が弱ってきているからだと言っていた、だがそれは北の領土の中で解決をしなければいけない事なのではないのか。 それに何よりも、本領の完全統治下から東西南北が独立するにあたって、何よりも禁遏(きんあつ)されていたのは他の領土を踏むなということだ。 それを当時、簡単に破ってしまっていた。 有り得ない事だ。 どこかがおかしいんだ、と。

ずっとニョゼの目を見て話していたがテーブルに両肘をつき、手を組むとそこに額を乗せ伏し目がちにした。
ニョゼは顔色を変えることなく聞いていたが、セノギにとって思いもしない質問が返ってきた。

「時の領主が東の領土の五色様を攫いに行った? それは本当ですか?」

「え? ・・・知らなかったのか?」

今しがた伏せたばかりの顔を上げた。 狼の牙にかかった凄惨な話を言い伝えられていて、領土ではだれもが知っていることなのに。

「前領主からもムロイからも聞いておりません」

「だがこれは北の領土の誰もが知って・・・、そうか・・・」

よく考えればニョゼは幼い頃に北の領土を出ていたのだった。 幼い子に親が凄惨な話をするはずがない。

「前領主が言っていないのならば知るはずはないか」

そう言うと伝え聞いていた話を詳しく話した。

ある日突然、時の領主がその親族、そして仕えていた者達を連れ、数隻の舟で東の領土に向かったという。 舟は浜辺に付けられ東の領土に乗り込んだ。
以前から五色の力が弱ってきているのではないかと、領土の人間たちが言っていた。

それは何故か。

領土の山の中で急に小さな火が上がり、それが大火災を引き起こした時があった。 それを知らされた五色が迅速にその火を止めることが出来なかったことがあった。

領土の人間にしてみれば、五色なら、五人揃えば簡単に止められるはずの山火事だったという。
それに山の中が乾燥していれば木がこすれ合い火が出たかもしれないが、北の領土の山の中はいつも湿気っている。 自然発火ということは有り得ない事であった。

そして火だけではなく雨が続いたこともあった。 この領土はあまり雨に困ることは無いのに、何日も豪雨が続き田畑が水浸しになった。 言うまでもなく田畑の作物は全滅し、それだけでは治まらないというように、備蓄しておいた小屋にも水が入り食糧難が起こったこともあった。 民たちの家にも水が浸入してきて生活自体さえ危ぶまれた。

この領土に何か凶事があるのではないかと、民たちが不安になったということであった。 そしてその不安は五色に向けられたという。

「民の不安を何とか抑えようとは思ったらしいが、何の手立てもなかったそうだ。 それどころか五色様方は全く気にもされなかったらしい。 だから時の領主さえ、五色様方に不安を感じたのだろうな」

東の領土に乗り込んだ北の領土の人間は身を隠しながら五色を探した。 そして幾人かの添い人と共にいた五色を見つけた。

後先が無いかのように北の領土の人間が五色に襲い掛かった。 添い人たちの手によって何人かが止められたが、まさかこんなことになろうとは思っていなかった東の領土の人数は乗り込んだ北の領土の人数より少ない。 北の領土全員を止めることが出来なかった。 そして追いかけられた東の領土の五色が北の領土との境目となる崖から落ちた。

その時、五色は十の歳だった。

ニョゼの頭の中でその映像が浮かんだ。

幾人かの北の領土の人間に時の東の領土の五色が追いかけられ、そして崖から落ちた。 僅か十の歳で。
ニョゼの顔が青ざめていた。

「まだ幼い五色様を・・・」

どれだけ怖かっただろう。

ニョゼの声を聞いたセノギが続ける。

「ああ、だがあの洞・・・領土に繋がる洞があるだろう」

幼い時にたった一度だけ潜った洞だったが鮮明に覚えている。
暗く湿気た薄気味の悪い洞だった。 怖くて前領主の手をぎゅっと握った覚えがある。

「東の領土にも同じように洞がある。 どういう具合でそうなったのかは分からないが、落ちた東の領土の五色様はその洞に入られたようだ。 そしてこの日本で暮らされたようだ」

「それでは五色様がご無事だったということ?」

「そうだ。 だからシユラ様がいらっしゃる。 シユラ様は当時の五色様のお孫様にあたられる」

北の領土は東の領土と違って紫揺のことを事細かには調べていない。 だがセノギは紫揺の血筋のことは調べていた。 それに紫揺がムラサキはお婆様だと言っていた。

複雑な気持ちでセノギの話を聞く。
僅か十歳の五色が助かったのには胸を撫で下ろすが、東の領土の崖から落ちて僅か十歳の子が右も左もわからず、どれだけの辛苦を味わったのだろうか。 ましてや領土と日本は全く違うのだから。 それは幼い時に領土を出たニョゼが領土と日本の違い、世界との違いを身を持って分かっている。

「今の領主の血筋は時の領主の遠縁にあたる血筋だ。 時の領主と同じく東の領土の五色様を攫いに行った血の濃い親戚や、仕えていた者は東の領土を踏んだということで本領からヒオオカミを差し向けられ殺された」

「そんなことが・・・」

「そうか・・・ニョゼはこのことを全く知らなかったか。 だからシユラ様の話をしたときに何か得ない顔をしていたのか」

「・・・はい。 ムロイからシユラ様にお付きするようにと言われた時、シユラ様は訳あって日本に住む五色のお力を持つ方と聞きました。 ですがまだお力はお持ちでなく、お力を持たれた時にはムラサキ様と仰り、北の領土に戻られると聞きました。 ですが北の事を何も知らないと言われたときには、何がどうなっているのかと思いました。 でも後になってセノギからシユラ様は北のお人ではないと聞いて何かあるかとは思っていましたが」

ニョゼは根本的な五色のシステムを何も知らない。 幼い時に北の領土を出たのだから。

「悪かった。 説明不足だったな」

そんなことは無いとニョゼが頭を振ると話を元に戻した。

「当時に何かがあった。 それがほつれた切っ掛けだとセノギは考えているのですね?」

「・・・ああ。 だが具体的にそれが何なのかが分からない」

自分の考えが最後まで行きつかないことをもどかし気に、肘をつき組んだ両手で額を軽く二度打った。

「例えば・・・当時の領主が狂ってしまっていた?」

突拍子もなく何を言うのかと声も出ずセノギが顔を上げた。 ニョゼとムロイの目が合う。 何を言っているのかと、ニョゼに目で問う。

「何代か前に東の領土の五色様を攫ったことは知りませんでしたが、どこかで聞いたことがあるんです。 わたくしの知る範囲ですから、きっと前領主から聞かされたのだと思います」

「前領主? 記憶が薄いのならば、その時にはニョゼはまだ子供だったのだろう? そんな子供に前領主が何を話したと言うんだ?」

「はい・・・」

ニョゼが記憶のページをめくる。 此の地に初めて来た夜、幼いニョゼが堪えきれず目をこすりたくなった時間になったというのに、前領主は酒を吞みながら戯言のように話していた。 日々の生活で忘れていた。 その時の映像が鮮明に浮かんだ。

「はい。 わたくしが子供だから話せたのだと思います」

「それは?」

「わたくしが此の地にこれからもずっと居ることを前提に話しておられました」

『茸とは恐いものだ。 迂闊に食べると大変なことになる。 ニョゼはこれから此処に居るから心配は無いがな』 と、話しの始まりはそうだったと言う。

普通の子ならば、そんな記憶は何気なく残っていても子細には残っていなかっただろう。 だが前領主がニョゼの持つ才気や明敏さを見抜いただけあって、たとえ小さな子供だったといえどニョゼは記憶していた。

「茸?」

「はい」

そして前領主は続けたと言う。
自分たちは本領から独立した時の本筋の直系の領主ではなく、中心からかけ離れた所に住んでいた本筋の領主の遠縁の者である。 本筋の領主と近しい者はビャク茸を食べて途絶えたと。

「ビャク茸!?」

「はい」

ビャク茸とは、北の領土にだけ生える茸。 北の領土には他にも人を凶暴にしたり狂わせたり、反対に気持ちよくさせたりと脳を侵す茸があるが、ビャク茸は中心といわれる所にだけ生えている。

そのビャク茸は人を欲望のままに動かすといい、一部の茸のように一度食べたからといって常習的になることは無く、食べてから一日二日で元に戻る。 だがその一日二日の間は目つきが変わり、欲望のあまりよだれを垂らしたりと人間性に欠ける姿になるという。 そして獣のようになってしまっていてもその間の記憶は残っているという。 下手に記憶が残っているが為、一度解放された欲望は、茸の影響から解放されても開き直ったようにその思いを遂げようとする。

「当時の領主がビャク茸を食べたというのか?」

「真実は分かりません、ですがそう聞きました」

「北の領土に居てビャク茸には絶対に手を出さないはずだ。 それが何故?」

他の茸とは全く違う姿をしている。 間違って食べることなどないはず。

「絶対に手を出すなと、ビャク茸のことを声高に言い始めたのはこのことがあってからだそうだと聞きました」

面白おかし気に酒杯を傾けながら先代領主が言っていた。

「・・・当時の領主が、全員かがビャク茸に脳を侵されたということか?」

もし食べたのであれば、疑う余地などない。 ビャク茸は間違いなく脳を侵すのだから。

「侵されていたかどうかまでは聞いていませんが、ビャク茸の話を聞きました」

ニョゼの言うことに疑いを持つ気はない。 それにニョゼは耳にしたことだけを言っている。 自分の感情や考えを入れているわけではない。

欲望を満たす茸。 それを食べ凄惨なことがあった。 それだけで十分だ。 時の領主もその周りにいる者も同じことを満たそうとしたということ。
誰もが時の五色に不安を感じていたということだろう。 だからと言って認められることとそうでないことがある。

セノギが頭を巡らせるのと同じように、ニョゼもセノギの言葉を反芻している。

先ほどのセノギの話からして、途絶えたというのはヒオオカミ達に喉笛を噛まれたということ。 見たわけではないし、想像もできないが、思わず顔を歪めた。

セノギが組んだ手を握りしめ叩くように何度も額に当てる。

「セノギ、その様なことは止めてください」

「あ、ああ。 悪い」

自分がそんなことをしていた自覚など無かった。 ニョゼに言われ手を止めた。

「まさか、ビャク茸とはな・・・」

時の領主がビャク茸を知らずに食べて暴走したのか。

「わたくしも、まさかそのような形で東の領土の時の五色様を攫おうとしたなどと・・・」

「ああどこかで愚昧にもほどがあると思っていたが、ビャク茸によって何も分からなくなっていたのであれば責めることが出来んか」

だがそうだろうか。 ニョゼを疑っているのではないが、多くの者が欲望のままに動いて統率がとれたのだろうか。 否、それは無理な話だろう。
時の領主はビャク茸を食べず、食べさせた者たちを引き連れて東の領土に入った。 事前に北の領土の五色の力が衰えてきたことを話し、東の五色を北の領土に迎えればどうかと煽り、決行の日に全員にビャク茸を食べさせたということは無いだろうか。 もちろん時の領主は食べていない、そうすれば統率することが出来るだろう。

セノギが首を振った。
今更なにを考えても過去は変えられない。

「わたくしのお話を信じて頂けますか?」

ニョゼは誇張も自分の思いも考えも言っていない。 聞かされたままを言っているだけだ。 それを疑う相手ではない。

「ああ勿論だ。 そしてその話を前領主が知っていたということは、代々その話は領主に伝わっているということだ。 それなのに、その上で今の領主も同じようにムラサキ様・・・シユラ様を迎えようとしている。 それこそビャク茸を食べたわけではないのに」

「それは・・・此の地を知ってしまったからでしょう」

ムラサキが崖から落ちた時に東の領土の者達だけではなく、狂った北の地の者も崖をつたい降り、時の五色のムラサキを探した。

ビャク茸の効き目はもうなくなっていたというのに、一度煽られた心は元に戻らなかったのだろう。

北と東の領土の境となる崖は1キロメートルほど離れていたが、崖の下は水嵩のない谷で結ばれていた。 そこには細い川が流れているだけで、殆ど枯れていると言ってもいいほどであった。
その時に見つけたのが崖壁の途中にあった此の地につながる洞だった。

紫揺が初めて北の領土に入る時、洞窟を歩いて階段を上がる前に見た先、木の枝か何かが邪魔をしていて、陽の光がまばらに洞窟に入ってきていた、まさにそこであった。
そして東の領土にも同じく、向いの崖壁の途中にこの地につながる洞があった。 ムラサキが落ちた崖には、東と北の領土の境にある崖壁の途中、東の領土側の崖壁に口を開ける洞があった。

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虚空の辰刻(とき)  第123回

2020年02月21日 22時51分10秒 | 小説
『虚空の辰刻(とき)』 目次


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- 虚空の辰刻(とき)-  第123回



「それなら・・・私もしたことがあります」

「ふーん、いつ?」

「高校時代にです」

「え? 自転車? 電車通学だったよね? それにクラブの休みは簡単に無かった筈だよね?」

「どうして知ってるんですか?」

眉を顰めて小首を傾げる。

「あ・・・。 そ、それは・・・」

「それは?」

「それは・・・みんな知ってるよ」

「みんな?」

「そ、そう。 紫揺ちゃんのいたクラブは正月三が日以外休みがないって。 それに紫揺ちゃんの・・・」

「・・・私の?」

「ああ、もう! ハッキリ言うよ。 紫揺ちゃんに振られた同級生がいるし、情報通の奴もいた。 紫揺ちゃんの登校ルートも聞いてた。 その登校ルートに他の学校の奴が合わせていたってことも聞いてた」

「え? どうして先輩が聞くんですか?」

「聞くって・・・その時の流れで耳に入ったりするし、付き合いで話もするから」

「そうなんだ・・・」

そうなんだ、で終わらせられてしまうのか? ハッキリ言ったのに。

「だからっ! その情報では紫揺ちゃんが自転車をこいでた情報が無かったんだけどっ!」

「わ、甘い情報ですね」

「あ・・・どういうこと?」

「私、二駅分自転車こいでました」

「え?」

「その方が、定期代が安くなるから」

「・・・ちょっと待って」

その頃の話を訊きたいとは思うが、今は今だ。 どうしてそこまで倹約していた生活なのに、此処に居るのか? それが分からない。 前に訊きかけたが答えをもらえるまでには至っていなかった。

「何をどう訊いていいのか分からないけど・・・それに前に、言いたくないって言ってたけど、答えられる範囲でいいから教えてくれる? 紫揺ちゃんはどうしてここに居るの?」

「自転車をこいでた話からそこですか?」

「あ、いや、悪い」

「いえ、謝ってもらわなくていいです。 でもそこは言えません。 私にも未だに納得できる理由が分からないですから」

攫われたなどと簡単に言えないし、攫われた理由があることも分かっている。 でもそれはあまりに複雑すぎる。 簡単に人に言えないし、この複雑さが尚も複雑になる気配を感じている。

「そうなんだ。 でも、それでいいの?」

「良くないからここを出たいんです」

「だよね。 でも、それを伸ばしたいってことだよね?」

「・・・はい」

「う・・・ん。 俺には分からないことがあり過ぎるけど、まぁ、紫揺ちゃんの言うとおりにするよ。 それに俺の思うインサイダーはその程度だから気にしないで」

真実は全然その程度ではないが。

「あ、そうでした。 信号無視の話でした」

「いや、それはいいよ。 紫揺ちゃんのタイミングで言ってくれればいいから。 ま、でも急に今日と言われては困るけどね」

「はい、それは分かっています」



「ねぇ、ガザン? ニョゼさんのことをどう思う?」

紫揺の知っている限り、ガザンとニョゼは一度会っている。 知らない時にも会っているかもしれないが、それは多分ないだろう。
何故なら、紫揺が花を咲かせた時にガザンが徹底的にニョゼの匂いを嗅いだからだ。 その時のニョゼの態度が顔を引きつらせながら、片方の掌でもう一方の掌を握り口元で合わせ、ピクリとでも動けば噛まれると思っているようで微動だにしなかったからだ。

「ブフッ」 と、ガザンが鼻から息を吐いた。 相手にもしないということのようだ。

「そうなの? ・・・ってことは、ガザンはニョゼさんに敵対心を持ってないってこと?」

訊くが何も答えてはくれない。 でもそれが答えだ。

「ガザン・・・。 セキちゃんとニョゼさんを守ってくれる?」

ガザンの黒目が動いた。 紫揺をジッと見る。

「守ってくれる?」

「ブフ―」 と呆れたような息を吐くと、紫揺のいない方に顔を向け、そのまま前足に顎を置いた。

分かりきっていることに、何をたわけたことを言っているのだと言っているかのように。 だがそれはセキとニョゼに対してではない。
でも人間にそれは伝わらない。 そしてガザンにとって厳しい次が待っている。

「ねぇ! ガザン! 守ってくれるの!? こっち向いてよ!」

グギッとガザンの頭をこちらに向かすと、至近距離で目を合わせた。

「守ってくれる? セキちゃんとニョゼさんのこと」

ガザン曰く。 「近すぎるだろう」 その表現が目を逸らすことになった。

「ガザン! ちゃんとこっちを見て! 守ってくれる?」

ガザン曰く。 「いや、だから・・・オレが守るのは」 ちらっと眼を合わせると大きく溜息を吐いた。

「やだ、それ。 なに? 私に呆れたって言ってるの?」

大きな遠回りだが、多分通じたようだ。


翌日、紫揺の部屋に朝食を持ってきたニョゼ。

「今日はコックの焼いたパンでございます」

「え? どうしてですか?」

「わたくしは素人です。 連日素人の焼くパンをシユラ様にお出しすることは・・・」

そう言いながらワゴンから皿を次々に出す。

そんなことないです! ニョゼさんの焼くパンが食べたい! そう言いたかったが口を閉じた。
今はそんな我儘を言ってニョゼとの別れを・・・ニョゼがどう思うか知れないが、思い上がっているならばそれでもいい。 ニョゼは自分と別れたくないと思っているだろう。 自分はそれ以上に思っている。 それでもニョゼと別れようとしている。 そんな時に下手な我儘言葉を言う必要などは無い。

「ニョゼさん?」

「はい」

皿を出す手を止め、両手を前に合わせて紫揺に向く。

「あ、手を止めてもらう程の事じゃないですから、どうぞお願いします。 って、私それくらい自分でします」

席を立ちかけるとニョゼが慌てて止めた。

「これはわたくしの仕事です。 わたくしから仕事を取らないでくださいませ」 冗談交じりに言うと 「では、お話をお聞きしながら」 と手を動かし始めた。

「はい・・・。 あの、ニョゼさん?」

「はい」

「ニョゼさんはこれからどうするんですか?」

「これからと申されますと?」

「ムロイさんが帰ってくる様子もないし。 その、ニョゼさんのいうお仕事をどうするんですか?」

一瞬、ニョゼの手が止まったが、最後の皿を置くとワゴンを引き紫揺の横に膝をついた。

「あ、椅子に座って下さい。 それにこんなに食べられません。 一緒に食べませんか?」

「わたくしはもう戴きましたので」

嘘と分かる。 でも、嘘でしょ? とは言えない。

「じゃ、せめて椅子に座って下さい」

紫揺の言いたいことは分かる。 膝をつかれては話がしずらいのだろう。 分かってはいるが、ムラサキと呼ばれる紫揺と同じ目の高さに座るなど、簡単に出来るものではない。
以前、紫揺が部屋の中を壊した時には致し方なく椅子には座った。 あの時はその方がいいのだろうと思ってのことだった。

だが今、紫揺は同じ目の高さになりたがっている。

「では、失礼いたします」

そう言うと腹を据えたように紫揺の正面に座った。

「セノギと話しました」

「セノギさんと?」

「はい。 シユラ様のご助言を受けてセノギと話しました」

「え? 助言って?」

「北の領土のお話しをしました」

「え・・・?」

そんなこと言いましたっけ? そう訊きたかったが、余りにも欠け過ぎる記憶、そう簡単に訊けない。

「あの・・・それで?」

「セノギは・・・北の領土に帰りたいようです。 セノギ自身、まだハッキリとは言い切れないようですが」

「で? ニョゼさんは?」

「わたくしは・・・シユラ様に言っていただいたことが身に染みております」

「え?」

何を言ったんだろう? 一切記憶にない。 次にどう質問していいのだろうか。
そう逡巡する紫揺を置いてニョゼが話した。

「シユラ様が言って下さった、両親に会いたいというのは・・・きっとわたくしの心の声だとおもいます」

徐々に記憶が蘇ってくる。 遠くに聞こえていた波のように。

『私の思い上がりなら笑ってもらってもいいです。 でも、ニョゼさんが私のことを想って下さっているのは、私のことを妹のように思って下さっているからではないのですか? それと同時にご両親にお会いしたい・・・うううん、ご両親と過ごしたい、ずっと一緒に居たいと思っているんじゃないんですか?』 そう言ったことを思い出した。

どうしてそんなことを言ったのかは分からない。 でもあの時、確信があった。 それに

『ニョゼさんに気に留めてもらって嬉しい。 でも、ニョゼさんを自由にしてあげたい。 私の傍に居てもらうのは嬉しいけど、居て欲しいけど、それはニョゼさんの自由を括ることになってしまう』

そうも言ったことを思い出した。 どうしてそう思ったのか、そう言ったのか全く分からないし、そんな大切なことを言ったのを忘れていた事にも自分自身で驚く。

そう言えば思い出すことがある。 あの時、どうしてそんなことを自分が口にしてしまったかとうろたえた時、ニョゼが言った。

『シユラ様はお優しい。 ですがムラサキ様はお優しさも厳しさも持っておいでと聞いております。 ムラサキ様のお心が目覚められたのではないでしょうか?』

そう言っていた。
それは・・・これもムラサキの力なのか?
ニョゼとの先を考えようと思っていたが、既にそこで言っていた?
ニョゼを自由にしたいと。 ニョゼに居て欲しいけどそれはニョゼの自由を括る事、奪うことになると。

気を改めよう。 甘えてばかりではいけない。 自分はムラサキではないが、ムラサキの血があるのかもしれないが、自分は紫揺。 自分自身で考える。 甘えてばかりじゃいけない。 それがニョゼにとって一番であろう。

こんな時ムラサキだったらどう言うのだろうか、そう思ったら頭の片隅がボウっとした。 何だろうと思いながら紫揺なりの言葉を紡ぐ。

「セノギさんの具合はどうですか?」

「随分と良くなりました」

「北の領土に帰られそうですか? その、ムロイさんを見に行くとかって」

「長時間、馬に乗るにはまだ難しいでしょうか」

「そうなんだ・・・。 ニョゼさんは馬に乗れるんですか?」

「はい。 米国に居る時に馬術を習いましたので」

「わぁ、ホントに何でもできるんだ」

「ですが磨かれた馬に乗っていましたので、北の領土の馬に乗れるかどうかは・・・」

「ニョゼさん?」

「はい?」

「セノギさんと一緒に一度北の領土に帰りませんか? セノギさんは馬車でどうですか?」

「え?」

「あ、ごめんなさい。 此処から追い出そうとしてるわけじゃないんです。 でも・・・どうしてだろ。 急に頭の片隅がボゥッとして・・・。 その、ニョゼさんが以前に言って下さったムラサキの力が目覚めたって・・・。 それを感じようと思ったら、ムラサキの気に添おうと思ったらボゥッとしちゃって、勝手なことを言っちゃいました・・・。 私、まだまだ駄目だぁ・・・」

そう言うと頭を項垂れた。

紫揺の中で、紫の目覚めと紫揺自身の想い、考えがなかなか一致しない。 これがずっと東の領土に居れば、迷いが生じれば導く者が居て、こんなことにはならなかった。 だが紫揺はそれを知らない。 ニョセも然りである。

「そんなことは御座いません。 わたくしをムラサキ様の目で見て下さったのでしょう。 この身に有難く思います」

ムラサキの目と言われたのは心外ともいえず、心寂しい。 ムラサキの目はシユラの目ではないのだから。
紫揺がそう思ったのを知ってか知らずか、ニョゼが続けた。

「でもこうしてシユラ様の言葉で語って下さるのは、何よりも代えがたい嬉しさがございます」

「え?」

「シユラ様のお言葉から、今すぐではありませんがいつかはセノギと領土に帰ります」

「領土に帰って・・・どうするんですか?」

領土に帰ったら、ニョゼは二度と此処には戻って来ないだろう。 その感覚はムラサキから受けているし、紫揺自身も分かっている。 だが紫揺としての我が儘が出る。

「セノギはここを引き上げるのが良いと考えているようです」

「え?」

「そしてわたくしにも領土に帰るのが良いと思っているようです」

「・・・そうなんだ」

寂しそうに俯いた。

「シユラ様?」

「あの、あの! 御免なさい! 今の私ってニョゼさんにとっても我が儘を言ってますよね? 言ってなくても・・・言ってるけど、思っているのはバレてますよね」

支離滅裂だ。

「シユラ様・・・」

「前にも言いましたけど、自分に言い聞かせる為にも、もう一度ハッキリ言います。 私、ニョゼさんとずっと居たい。 でもニョゼさんは北の領土に帰らなければいけない。 ニョゼさんは北の領土の人間だから。 私は北の領土に行きたくない。 分かっていてもニョゼさんと居たいと思う。 だって、私、この世に肉親も誰も居ないんですもん。 ニョゼさんを大切なお姉さんと思っています。 だからニョゼさんと別れたくない。 でもそれは私の我儘だと分かっています。 ニョゼさんにはお父さんもお母さんもいらっしゃいます。 ニョゼさんがご両親にお会いしたいということを誰よりも分かっているつもりです。 だから・・・」

「シユラ様・・・」

「・・・だから、大切なニョゼさんに幸せになってもらいたい。 ニョゼさんを北の領土に送り・・・たいです」


紫揺が破壊を行った日に遡る。

紫揺に強く言われ、ニョゼがセノギに付くことになった。 そのニョゼがセノギの部屋を訪ねた。

「セノギ、横になっていなくてもいいのですか?」

椅子に腰かけていたセノギに尋ねた。 顔色は少し前に会った時よりも悪くなっている。

「ああ、これでも此処に帰って来たころに比べると随分よくなったからな。 それよりシユラ様は?」

ニョゼにも椅子に腰かけるよう目で促した。

「ムラサキ様としての目覚めがあられるように思います」

言い終わると椅子を引き、ゆっくりと腰をかけた。

「力の加減を分かっていただかなくてはなぁ」

「はい。 あのようなことが何度もあっては・・・」

そう言うといったん言葉を切り続けた。

「力と関係するかどうかは分かりませんが、シユラ様ご自身にムラサキ様の目覚めがあるように見受けられました」

「どういうことだ?」

「ムラサキ様の血がどのようなものかは、わたくしの知るところではありませんが、明らかにわたくしの知っているシユラ様ではない所が見受けられたということです」

「具体的には?」

「わたくし自身さえ気付かなかった、わたくしの心の思いを見抜かれました」

「え!?」

「ムラサキ様にはそのようなお力があるのですか?」

「いや、それは私にも分からない。 五色のお力は春夏秋冬と季節の循環であり、東西南北と中央の力でもある。 我が北の五色様方は基本はお一人づつがその力を持っておられるが、そのお力をお一人で持っておられるムラサキ様には、もしかして相互作用のお力も持っていらっしゃるのかもしれない」

五色の力がそんな風になっているとは知らなかった。 幼い時に北の領土を出て、領土のことは何も知らない。 五色とは十五の歳を過ぎてこの屋敷で初めて会ったが、ムロイからは五色だと聞いて、ある程度のことは聞いたが、五色のシステムのことは聞かなかった。
ニョゼが首を振った。

「セノギ・・・わたくし、シユラ様に北に帰るように言われました」

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虚空の辰刻(とき)  第122回

2020年02月17日 22時05分41秒 | 小説
『虚空の辰刻(とき)』 目次


『虚空の辰刻(とき)』 第1回から第120回までの目次は以下の 『虚空の辰刻(とき)』リンクページ からお願いいたします。


     『虚空の辰刻(とき)』 リンクページ




                                      



- 虚空の辰刻(とき)-  第122回



マツリの肩から飛び立ったキョウゲンが大きく縦に回転すると、その姿を大きく変えた。

マツリを乗せたキョウゲンが飛んで行く姿を見送ったセッカが戸を閉めた。 戸に背を預けると次を考える。

若い薬草師が此処に来るまでに、今居る医者と年老いた薬草師にこの場を去ってもらわなければいけない。 若い薬草師が師と仰いでいる年老いた薬草師、その若い薬草師の居る前で此処を去れというには複雑なところがある。

「若い薬草師も今後やりにくくなるでしょうし、あの薬草師も面子をつぶされることになりますわね・・・」

若い薬草師が来るまでは、今居る医者と年老いた薬草師に頼ろうと思っていたが、頼るに値しないであろう。 そのような者を置いていても何の意味もない。 若い薬草師が来るその前に去ってもらおう。 薬草師と医者が控えている部屋へ足を向けた。

「は!? 去れとはどういうことですか!? 何故に、我らに領主を診せないわけでございますか?」

医者が言った。

「去れと言っているわけではございません。 一時、引いて下さいと言っているのです」

「たとえ五色(ごしき)のセッカ様といえど、身を悪くされているのは領主ですぞ。 領主の身を案じておられるのならば、我らに身を引けなどと言えるはずは御座いません」

今度は年老いた薬草師が言った。
セッカなりに気を使って言うっているというのに。 この年寄二人の言いようにイラッとしたセッカ。

「そうですわね。 ではハッキリと申しますわ」

「どうぞ、何なりと」

そう返答するのを耳にすることすら、腹立たしい。

「わたくしが、領主と会った時にはこれ程に悪くはありませんでした。 あなた方が来てからというもの、領主の容体が悪くなっているのはどういうことかしら?」

「そんなことは御座いません! ここにきてお顔の腫れも随分と引いておられます」

「それは自然なことではないの? それも以前と比べると、僅かに引いているだけでしょう」

「そのようなことは!」

「医者、薬草師、わたくしが領主の婚姻約者と知っておいでね?」

「・・・はい」

「今すぐ此処から出て行って下さらないかしら」

「このまま領主を放ってはおけません!」

「放って置く気などありません。 ですが、あなた達にはこの場を去っていただきたい。 これ以上何かを言うと、目覚めた領主がわたくしからの話を聞いた時に、医者と薬草師の免を取り上げるでしょう」

医者と薬草師が目を合わせた。

「どちらを取るもあなた方の自由ですわ」


医者と薬草師の背を見送ったセッカ。

「嫌な役どころですこと」

そう言うと領主の眠る部屋の方を見た。
一つ息を吐くと、まだ残っている使用人と呼ばれる女にすぐに馬を用意するように言った。 その後すぐに領土を見回る時の服に着替え、領主の部屋に向かった。

戸の開く音に気付いた領主、ムロイ。 頭を横にすると、赤い皮の服を着たセッカが目に入った。

「ろうした?」

どうした、と訊いている。

「覚えておいでかしら? 最初に見ていた薬草師のことを。 老いた薬草師の弟子になった若い薬草師の事ですわ」

「あ・・・あぁ。 ひってひる」

知っている。 そう言った。

そうだろう。 祭の折、マツリに若い薬草師を紹介したのはムロイなのだから。 そしてその若い薬草師が当初ムロイを診ていた。 だがムロイはセッカの言った『老いた薬草師の弟子になった若い薬草師』 のことは覚えている、そう言っただけだった。 決して己が診てもらっていたことを覚えていたわけではなかった。

そうではなく、この怪我を負ってそれからのことを覚えているかとセッカが問うと、記憶が曖昧で覚えていないとムロイが言う。
腫れのことも、言葉がおかしくなってきていることもあるが、それもおかしい。 若い薬草師がまだ診ていた時、ムロイがしっかりと目覚め若い薬草師のことを言っていたのだから。 

「わたくしが感じますに、ムロイは段々と悪くなっていますわ。 あの老いた薬草師が間違った薬草をムロイに飲ませているのでしょう。 それしか考えられません。 それを見過ごしていた医者も信用なりません。 ですからあの二人を帰し、若い薬草師に迎えを出しました。 よろしいですわね?」

今までにないセッカのあまりの強硬に驚いたムロイが大きく目を開けた。

「マツリ様が仰るに、若い薬草師であればムロイの身体も良きようにゆくだろうということですわ」

「マツリ様うぁ?」

マツリ様が、と言っている。

「マツリ様はムロイの具合をご心配されております。 そして・・・シユラ様のことも」

「!」

「シユラ様はわたくしがお連れして参ります」

「・・・」

「宜しいですわね?」

ムロイが半分瞼を閉じた。

「今からシユラ様を迎えに参りますわ。 それまで大人しく―――」

ムロイの左手がセッカの頬を覆った。 驚いたセッカが改めてムロイを見ると、一筋の涙がムロイの目から落ちた。


ムロイの家に着く前まで、馬車の中で横になっていただけ。 ムロイの側に付いていたセッカ。
まだ、年老いた薬草師が付く前、若い薬草師の時だった。

『薬湯は飲みにくいでしょう? 此処は彼の地と違って、医薬は発達していませんし、ムロイの身体の当て木も彼の地のギプスと大違いですわね』

皮肉かな、セッカはセノギとトウオウのことで直近に二度も病院に行っている。 そこで見たギプスは当て木と違って確かなものであった。

『ですが・・・、彼の地には無いものが此処に有りますわ』

『・・・ああ』

『あら? お分かりですの?』

『なんだろうな、この地には懐かしさがある。 当て木もそうだ。 こうして当てられて初めて感じた。 当て木から温かいものを感じる。 彼の地のギプスでは感じられんだっただろうな。 当ててくれたあの薬草師の気が感じられるようだ』

『あら、意外なことを仰いますのね』

『・・・そうだな。 意外かもしれん。 ・・・ただ疲れただけなのかもしれん。 だが今は木の温かみに触れていたい』

『まぁ!』

『そんなに驚くな。 俺も・・・もう歳だ。 疲れが出ている。 先代からのことは・・・』

『・・・なんとお考えなのかしら?』

『・・・シキ様に言われた』

『シキ様に会われたのですか!?』

『ああ。 隠し通せなかった。 あの子狐のことは知られてしまった。 だがシキ様は俺を責めるではなく、どうして五色(ごしき)を信じないのかと言われた。 五色の力は民が愛することで力となると仰った。 俺は五色の力が衰えてきていると言った。 先代から聞いていた話だからな。 それに・・・俺も感じていたから』

『わたくしに対してもでしょうか?』

セッカとて五色としての矜持がある。

『いや、お前にはそう思ってはいない』

『そうですか、それならばよろしいのですけど。 これからどうなさるおつもりなのかしら?』

矜持は守られたようだ、

『分からん。 父の・・・先代からの、それより前からの夢がある』

『ムラサキを迎えるということですわね』

『ああ』

『それで宜しいの?』

『・・・』

『「わたくしは、ムロイの考えに添いますわ。 ですがそれが半端なものであれば、添うことを考えますけれど』

『・・・彼の地の飯は旨い。 この地の飯は彼の地と比べると食えたものではない。 電気もそうだ。 彼の地では明るく暮らせる。 だが・・・彼の地にはゆとりがない。 このように倒れて初めてそれを知った』

『・・・そうですか』

その先に何かあるだろうが、今は病床の身、これだけ話すにも相当の体力がいったはずだ。


どこか遠くの記憶でセッカとそんな会話をしたことを思い出した。

「・・・たろむ」

頼むである。

「では、マツリ様の仰る薬草師が来るまで、大人しくしていて下さいませね」

右手をムロイの左手に添え、軽く微笑むとムロイの手を頬から外させると踵を返した。
ムロイの部屋を出ると使用人の女が玄関で待っていた。

「馬の用意が出来たのかしら?」

「はい」

「早く出来たのね」

若い薬草師に馬を走らせるように言われた時に、馬番が余分に用意していたようだ。
玄関の外に待つ馬に跨る。

「領主のことを頼みますわね」

見送る使用人の女に言うと女達が頭を垂れた。 それを見ると馬の腹に踵を入れ疾駆させた。



波の音が遠くに聞こえる。 一室の灯りを点けただけの窓越しの外、そこで壁を背にして体育座りをしている二人。 ある年齢ならば“いやぁ~ん” “ドキドキじゃない” と声高に言うだろうシチュエーション。 だが残念なことにそのある年齢ではなかった。

「紫揺ちゃん、親父さんがそろそろ帰って来るって」

「え? 先輩のお友達の? もっと長く海外に居られるんじゃなかったんですか?」

「それがね、夫婦喧嘩だって」

「え?」

「お袋さんが贅沢三昧を言ったようでね、最初は付き合ってた親父さんだったんだけど肝に据えかねたらしいよ」

「それで・・・帰国ですか? せっかくの旅行なのに」

「そうみたいだね。 どう? 紫揺ちゃんまだここを出たくないんだよね? 親父さんには数日後には何時でも言える状況になったけど?」

「・・・あと・・・三日以上頂きたいです」

三日などとは何の脈略もなく適当であった。

「いや、そんなに焦らなくていいよ。 親父さんも帰ってきたら、一日二日の予定の具合があるだろうし、親父さんからは船を出してもらえる約束はもらってるから」

「はい・・・」

そう返答したがニョゼと別れ難い。
セキには思いを言った。 セキはそれを分かってくれた。 だがニョゼには何も言っていない。

「ニョゼさんは・・」 心の声が出た。

「え? なに?」

「あ、いえ、何でもありません」

自分に焦った。 心の声が出るほどにニョゼのことを想っているのかと。
だがニョゼは紫揺のことを分かっているだろう。 紫揺がどう考えているか知っているだろう。 脱走のことは置いといて。 そんな我儘な考えが浮かんだ。

「どうする? 俺と親父さん的には何時でもいいけど?」

「もう少し・・・もう少し待って下さい」

「だから、焦らなくっていいって」

「先輩・・・?」

「親父さん、お袋さんのことでは腹立ててるけど、紫揺ちゃんのことは別物だと思ってるらしいから」

どういう事かという目を送る紫揺。

「親父さんから連絡があった時に友達が紫揺ちゃんのことを話したんだって。 船を出すことに快諾だったって言うからね。 友達が言うには是非ともって感じだったらしいよ」

「お友達にくれぐれもお礼を言っておいてください。 ・・・なのに、私がハッキリしなくてすみません」

「いや、だからそれは気にしなくてもいいって」

はい、とは言えず嫌な沈黙が続く・・・。

「あ、あのさ、雲渡(うんど)ってヤツ知ってる?」

「ウンド? ・・・」 

小首を傾げる仕草で知らないことが分かる。

「あ、知らないか」

「誰ですか?」

「此処では俺の先輩にあたるヤツなんだけど、専門学校で同級生だったヤツなんだ」

春樹の先輩というと、此処での仕事の事だろう。 そう言われても仕事のことは何も知らない。 セノギの用意してくれる服も食事もその仕事に支えられているのだろう。 今更にして、此処に居る自分がぬるま湯に浸かっていることを思い知る。 

「あ、ついでに言うと船を出してくれるって友達もその専門学校だったんだ」

「そうなんですか。 それで、その人がどうかしたんですか?」

「オカシな動きしてんだよな」

「おかしな動き?」

「インサイダーって知ってる?」

「いんさいだー? ・・・いえ、知りません」

「違法なことなんだよ。 それをしているかもしれない」

「え!?」

「証拠も何もないけどね。 それにハッキリと分からないから、何とも言えないけどね」

「キノラさんに言ったんですか?」

仕事のこととなるとキノラになるだろう。

「うううん、言ってない。 証拠がないからね。 ハッキリとしたことが分かれば言えるけど、そんな暇もないから」

紫揺には分からない世界だ。

「これからどうするんですか?」

「探る気は無いよ。 雲渡の成績はいいから、何か言うと俺が雲渡の成績にイチャモンつけたって思われてもイヤだし」

「でも、違法なんですよね?」

「かもしれないってこと。 雲渡ほど俺は出来てないからね。 雲渡なら、インサイダーでなくてもその力を持ってるかもしれないしさ」

言いながら自分で情けなくなった。 雲渡のことは黙っていればいいことなのに、雲渡のことで会話を続けようとした自分が情けない。

「でも、先輩は怪しんでるんですよね」

「いや、ゴメン。 この話は無かった事に、聞かなかったことにしてもらえない?」

「でも! この屋敷から犯罪者が出るんですよね?」

この屋敷がどうなろうと知ったことではないが、関わった以上気になる。

「いや、それ程でもないから。 犯罪者なんて大きく考えなくてもいいから」

聞かなかったことにしてほしいのだから、そう思って欲しい。

「・・・そうなんですか?」

「うん。 ちょっとした交通違反程度だから」

そうじゃない。

「赤信号なのに、小さな交差点だからと自転車で走ると同じですか?」

身に覚えがある。

「そ、その程度」

全然違う。

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虚空の辰刻(とき)  第121回

2020年02月14日 22時42分26秒 | 小説
『虚空の辰刻(とき)』 目次


『虚空の辰刻(とき)』 第1回から第120回までの目次は以下の 『虚空の辰刻(とき)』リンクページ からお願いいたします。


     『虚空の辰刻(とき)』 リンクページ




                                      



- 虚空の辰刻(とき)-  第121回



師の顔を見て少し考える様子を見せた。

「そうだな・・・。 この状態では今日の勉学は無理であろうな」

せっかく進めてきた勉学が出来ないということをマツリが言っている。 それは見て分からないわけではないだろうが残念に思ったのだろう、師が残念そうな顔をした。

「ただ・・・」

「はい?」

「リツソが脱走せぬよう、見張りだけは頼む」

「だ! 脱走でございますか!?」

これは大役だ。 リツソのすばしっこさは誰もが知っている。

「不安であるなら、誰か他の者も付けてもよい」

「他の者と仰られましても・・・」

誰もが嫌がるのは目に見えている。 眉尻を下げて尚且つ頭を下げる。

「・・・そうだな、これは父上にも一端があるか・・・。 このままリツソを房に連れて行ってくれ。 すぐに父上の側付きを行かせる」

「有難うございます」

ホッと安堵した顔を見せると、いつも通り恭(うやうや)しく頭を下げる。
マツリがリツソを下すと逃げられないよう、すぐに初老の男性である師がリツソの手を握った。

「それと」

「はい」

「リツソの勉学だが、どれくらい進んでおる」

リツソが大声で泣いていたが故、互いに声を張って話していたが、ここにきてリツソの泣き声が小さくなった。
泣いていても、シユラのことを想っていても、要らぬことは考えるし、こと、自分のことで何かを評価されるとなると、聞き耳がたつ。 その為には泣き声が大きくては聞くことも出来ないからだ。

「はい、それはもう、頑張っておられまして、答えが20くらいまでの足し算と、引き算は苦手でおいでですが、それでも15からの引き算はほぼ間違いなく引けるようになられましたし、三画の漢字が沢山書けるようになっておいでです」

それはそれは、誇らしげに言う。
初老の男性である勉学の師の言葉を聞いたリツソの声が安心して大声に戻る。
そして初老の男性の返事を聞いたマツリは肩がドンと下がった。 キョウゲンが乗っていれば、完全に落ちただろう。

「・・・先を見て考えるなど、まだまだ先の話か・・・」

「は? 何と仰せられましたか?」

「いや、何でもない。 では頼む」

リツソを完全に預けるとまずは朝食の席に戻り、事の顛末を四方に報告し、すぐに誰か側付きをリツソの部屋に向けるよう頼まなければいけない。

「ブホッ! だ! 脱走!?」

四方が飲みかけていた茶を今にも噴き出しかねない口調で言う。

「逃げられてはまた探すのに一苦労ですから」

四方が慌てて手を打った。
食事の時には側仕えはついていない。 戸の向こうで待っている。 そして家族五人が揃った食事の席には、給仕さえも付いていない。 滅多にないことなので、仕える者達が斟酌して身を引いている。
戸の向こうから声が掛かった。

「お呼びでございますか?」

「入れ」

スッと戸が開けられた。 袴を穿いた側付きが入ってきた。 袴と言っても日本の袴ほど糊がピシッときいたように硬くはない。

「誰か一人・・・いや、三人、リツソの房に行き、リツソが逃げぬよう今すぐ見張りにいかせ・・・いや、五人だ」

「五人にございますか?」

誰を選別しようかと迷う。

「リツソにつくだけでなく、戸にも窓の外にも見張りをたてるよう。 今すぐに」

「承知いたしました」

側付きが頭を下げると部屋を出て襖を閉めた。
事の次第を見送ったマツリが椅子から立ち上がろうとするのを、マツリの手の甲にシキが手を乗せ止めた。

「姉上?」

「マツリ、昨日はまともに食べていないわ。 今日も途中よ。 ちゃんと食べて」

マツリの席の前には、手が付けられていない小鉢が幾つもある。

「キョウゲンみたいなことを仰るのですね」

言いながらも椅子に腰を下ろす。

「まぁ、キョウゲンにそんな心配をさせているの?」

「昨日させてしまったようです」

マツリが何を言っているのか分かる。 それをハッキリと言っている。 何も隠し事は無いのだろう。

「マツリ?」

「はい」

「マツリのことを心から想っているわ」

「え?」

「今もこの先もずっと。 マツリと私の糸はずっと続きます」

「姉上・・・」

「お願い、糸を切らないでね」

懇願するように言った。

「・・・姉上」



「離せー! 離せ―!!」

リツソに何度言われたことか。 繋いでいる手を離せという。

「リツソ様! 房に戻るまでは離せません!」

初老の男性こと、リツソの勉学の師が汗を流しながらリツソの手を握っている。

(こんなことなら、マツリ様に房までついて来てもらえばよかった) そんなことを心に思った時、袴を穿いた五人の四方の側付きが足早にやってきた。

「ありがたや」



「具合はどうだ?」

マツリが北の領土に入り、そのまま領主の家に向かった。 キョウゲンから跳び下りるとキョウゲンを残し、北の領主であるムロイの家に入った。 迎えたのはセッカであった。

「こ、このあいさまです」

この有様と言いたかったのだろう。 腫れた顔がまだ引かず喋りにくそうにしている。

「話せるか?」

曖昧に顔を動かす。

「紫をどこへやった」

「・・・」

「答えられんか」

「・・・」

「お前たち北の領土は何十年も紫を隠していた。 今の紫は先の紫の曾孫か、孫にあたるのではないか、その間お前たちは紫を隠していたということか」

「そのようなことは御座いません!」

声を荒立てたのは、マツリの後ろに立っていたセッカであった。

その姿は領土にやって来た時の赤い革製の服ではなく、家の中で過ごすように上は木綿で出来たボタンのないブラウスのような物の上に二枚の布地を巻き付けており、下はくるぶしまである厚手の木綿の巻スカートを穿いている。

マツリが振り向く。 同時にムロイがセッカに叱責を飛ばした。

「ひうな!」

腹の底から言うなと言っている。
マツリが再びムロイを見た。

「言うなとは、どういうことか。 何を隠しておる」

「・・・」

無言ではあるが、何かを画策していることが分かる。

「北の領主、諦めよ。 これ以上、北を陥れるのではない」

「それは・・・ろういうころれすか」

それはどういうことですか、そう言っている。

「領主、いや・・・」

そう言うと振り返りセッカを見た。

「今いる医者も薬草師も捨てよ。 最初から見ていた薬草師を此処に置け」

ムロイの様子が著しくおかしくなってきている。 顔の腫れから喋りにくいのではない。 舌が回っていない。 それは薬草師が間違った薬草を出しているからだろう。 それを是とした医者もおかしい。

セッカも段々と悪くなっていくムロイを見ていて疑問に思っていた。

「最初から見ていた薬草師とは、如何なる者で御座いしょうか?」

「今の薬草師を師と仰でいる若い薬草師だ」

「・・・ああ」

と口の中で一言漏らす。 領主の家に着いた時に家で待ち構えていた薬草師を“師匠” と呼んでいた。 そしてその薬草師にムロイの説明を受けた。 あの若い薬草師が最初からずっとムロイを診ていてくれたのか。

「すぐに」

毅然とした返事が返ってきて、今日はここ迄かと身を引いた。 そのつもりだった。

「領主、よく考えておけ。 お前たち北の領土がしてきたことを」

そう言い残して領主の部屋を出た。 その時にはセッカは居なかった。 誰が先を歩いて出口まで案内せずとも宮のように広くはない。 一度入った家、戻る為に足を運ぶ方向は分かっている。 玄関の戸に手を掛けようとした時、後ろから声が掛かった。

「マツリ様」

「お前は先程の・・・」

軽く肩越しに見るとそこにセッカが居た。

「セッカに御座います」

北の領土の祭の時には顔を合わせている。 名も知っている。

「薬草師を呼んだのか?」

「はい。 すぐに早馬を走らせました」

領主の家に待機していた女にそう命じた。

「あの薬草師であれば領主の容体も良きようにゆくであろう」

「ご才気に感謝いたします」

「で? 何故に我の名を呼んだ」

「・・・ムラサキ様・・の事にございます」

改めて身体ごとセッカに向いた。

「五色(ごしき)のセッカ。 祭で会っておるな」

両の瞳が赤色の五色。

「はい」

「紫のことを知っておるのか」

東の領土が探している紫のことを。

「はい」

「今どこに居るのかもか」

「その場所はお教えできませんが知っております」

「その者を今すぐここに連れてこられるか」

「それは・・・。 余りに遠う御座います。 時を頂ければここに連れてこられます」

「遠い?」

マツリが眉をしかめた。 単純に遠いでは治められないはず。 シキのことを考える。 遠いだけでシキが視られないはずはない。

「そこは何処か」

「・・・」

「答えられぬと言うか」

「すぐに馬を走らせ、数日後にムラサキ様を此処にお連れしてまいります」

「数日後とは」

「わたくし自身、数日かけて馬で走らせなければなりません。 その後にも、ムラサキ様は馬に乗られません。 馬車で走っておりますと、今すぐとは・・・いえ、数日後と言いましても、それなりの日がかかります」

「五色の内の一色のお前が領主を差し置いてどうしてそれまで言うのか」

「わたくしは・・・領主の婚姻約者に御座います」

マツリがピクリと眉を動かした。

「領主のことを考えますに・・・。 このままではいけないように思いました」

マツリは無言でセッカの話を聞いた。

セッカ曰く、
こうなってしまった今の領主には領主なりの考えがある。 それは東の領土に足を踏み入れた代から水面下にムラサキの事を受け継ぎ、ずっと翻弄されていたのかもしれない。 先代も自分もそうであるかもしれないと言った。
その翻弄の中でムラサキを見つけたと。

「領主は今、北の領土の良さを実感しております。 領主が口に出して言ったわけではございませんが、先代からの受け継ぎは無かった事にしたいと思って・・・いえ、今はまだ迷っているところでしょうか。 ですが天秤は傾いていると思います」

「そうか・・・分かった。 お前たちはよくよく心が通じ合っているのだな」

「わたくしの一人よがりかもしれません」

その言葉がどこか寂し気に聞こえたが、マツリには心に添う言葉を掛けられないし、先を急ぐ。

「セッカ。 お前の言いたいことは分かった。 紫のことはお前の言うように。 だが言っておくが一日も早く」

セッカの目に領主に見たような怪しげな光は見えない。 もちろん禍々しいものも。 セッカの言うことを信じよう。
本領に帰って甘いと言われるかもしれないが、今のセッカの話しようでは紫揺の居る場所を教える気など無いようだ。 セッカから無理矢理に場所を聞きだすわけにはいかない。 本領としてそこまで足を踏み入れる権利はない。

「感謝いたします。 わたくしの出来うる限りを尽くします」

そう言って頭(こうべ)を垂れた。



ゼンとダンが互いに見合う。
マツリが来たのだ。 己らが影となって話を聞くことなど出来なかった。 そんなことをすればすぐにマツリに知られてしまう。 家にさえ、庭にさえも入ることが出来なかった。

「マツリ様が来られたことをご報告するか?」 ダンが言う。

「どうご報告する? 来られたが何も聞けませんでしたとでも?」



領主の家を出たマツリの肩にキョウゲンが乗って来た。

「如何なさいます?」

「ふむ・・・」

右手の人差し指の関節を曲げると口に当てた。
考えているのは宮から出てくる前に四方から言われたことである。 北の領主の具合次第で、もう一度シキに領主と話をさせるということであった。

「今は・・・。 あのセッカという者に任せてみようか・・・」

今のムロイではまともに話など出来ない。
万が一、セッカが紫を連れてこられなかったとしても、五色が逃げ隠れするはずはない。 それに、セッカが紫であるシユラの居所を知っているというのだから、紫の居所を掴むには領主だけに限られたことではないようだ。

「一旦、戻る」

「御意」

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虚空の辰刻(とき)  第120回

2020年02月10日 21時53分56秒 | 小説
『虚空の辰刻(とき)』 目次


『虚空の辰刻(とき)』 第1回から第110回までの目次は以下の 『虚空の辰刻(とき)』リンクページ からお願いいたします。


     『虚空の辰刻(とき)』 リンクページ




                                      



- 虚空の辰刻(とき)-  第120回



ゆるりとした時が流れる。 ショウジがおもむろに立ち上がると角灯に油を注いだ。

『して、マツリ様は想い人とはどうしておられるのですか?』

『だから、そのような者はおらん』

『では、先ほどどうしてお顔を赤くされたのでしょう?』

どこかおかしい。 同じ歳の者同士で話そうと言ったのに、それならばこういう話になっても良い筈なのに。 頑なに居ないと言っているのが腑に落ちない。

『・・・それは。 ・・・俺にも分からん』

眉を顰めて首を傾げる。

『もしや? 想い人と意識をされておられない?』

油を注ぎ終った手を止め、目を丸くしている。

『・・・え?』

どういう意味だと言わんばかりに、何とも間抜けな顔をショウジに向ける。

あたたた、と、額に手をやると、どうしたものかと考える。 火を点けていいのか、マツリに気付かせることが良いのか悪いのか、もとより本領においてその様なことをされては困るのか。 そうであったとしても、今ここで話が無かった事には出来ない。 同じ歳の者同士としての会話なのだから。 それをマツリが欲し、己もそう欲したのだから。

――― マツリ様は恋をしておいでです。 初めての時にはそうと気づかないこともあります故 ―――。
そう言いたかったが本領のことが分からない。 迂遠な言葉でしのぐしかなかった。

『・・・マツリ様。 マツリ様のおられる周りをもう一度よく見て下さいませ』

『どういうことだ?』

まさか、そんな返答がくるとは思いもしなかった。

『その・・・マツリ様の、まわりに・・・マツリ様の、その・・・お気になるお方がいらっしゃるかと』

『気になる?』

『はい』

『それはどうすれば分かるのだ?』

とことん純だ・・・。 純すぎる・・・。 こめかみを人差し指でグリグリと押す。

『その方を見ると・・・心が。 ・・・そう、心がはねます』

『心がはねる?』

疑問を投げかけられた。 今までに心がはねなかったということか。 他の言葉を考える。

『そうですね。 他の言い方では、胸に何かが刺さったような思いをします』

『刺さった?』

そんな覚えなどない。 だが

『・・・あ』

『お心当たりが?』

『姉上が祝言を上げるようだ。 その話を聞いた時には・・・』

グッと歯を噛みしめたのをショウジは見逃さなかった。

『マツリ様?』

そう声を掛けると椅子に座り、握り締められたマツリの手を取った。
ショウジの行動にマツリは一顧だにしない。

『マツリ様。 シキ様がご祝言を上げられるのは、この上なくお目出度いことであります。 でもマツリ様はそれを良しとなさらないのですか?』

マツリの想い人はシキだったのか、これは難しい。

『・・・何も聞いておらなかった。 リツソが言うには当たり前に分かるらしいが・・・』

滝に打たれる前ならば、これ程穏やかに話せなかっただろう。

『リツソ様とは弟君にあられますね。 リツソ様は恋に利発でおられるようですね』

『リツソも恋をしているからな』

あの小生意気な娘に。 その娘が東の領土で何十年も探している紫とは未だに思えないが。

『そうなのですか! 恋はいいものです』

『そうなのか?』

『色んな想いや感情を教えてくれます。 ですが・・・』

シキに恋をしてはいけないと言うに言えない。

『シキ様のご祝言はお目出度いこと。 ・・・シキ様の弟君として祝福をされるのが、何よりもシキ様のお幸せだと思います』

『姉上のお幸せ?』

『はい。 マツリ様がシキ様を想っておられるのならば、シキ様のお幸せを一番にお考えになるのがシキ様のお幸せかと。 強いてはそれがマツリ様のお幸せに繋がるかと』

『・・・そうか。 そのようなものなのか・・・』

ショウジから目を離して土間を見た。
己の怒りをぶつけたことを反芻する。 いや、その時には怒りをぶつけたなどとは思っていなかった。 何も聞いていなかったのに、急に婚礼の儀などと言われ、何が何か分からなくなった。 シキからも祝言の話どころか、波葉(なみは)の話も聞いていなかった。

だが思い起こせば、宮の庭を二人で歩いている所を何度か見た。 だから単に波葉と話しているだけと思っていた。 シキは東の領土で沢山の民と話している。 それと同じだと思っていた。
でも、違った。
それをリツソに指摘された。
リツソに指摘されたことなど、今はどうでもいい。 己が何も気づいていなかったということに、腹立たしさを持った。

『俺は・・・姉上のことを何も分かってなかったのか・・・』

『マツリ様、そのようなことは』

その時にキョウゲンの声が聞こえた。



「マツリ?」

朝食の席で、マツリがまるで刺身を醤油につけるように焼き魚を湯呑につけた。

「・・・あ」

「どうしたの?」

四方と澪引が姉弟の動向を見ている。 ついでに言うと、リツソは元気に食べながら見ていない振りをして四方と澪引よりずっと観察をしている。

「・・・姉上」

「なぁに?」

「先だっては不躾なことを言って申し訳ありませんでした」

リツソの箸が止まる。 四方と澪引が目を合わせる。

「不躾?」

「波葉との御婚姻、御目出とうございます」

「まぁ! いやだわ。 マツリったら急に・・・」

ポッと頬を染める。
姉上の頬が赤くなった? ショウジの時と同じように。 それ程に波葉のことを想っているのか。
今は自分が赤くなったと聞かされたことなど頭の隅にもない。

コホンとわざとらしい咳払いをした四方。

「ま、まぁ、マツリがそう言ってくれれば、シキも安心して婚礼の儀にのぞめるだろう」

「父上まで・・・。 もう、朝からよして下さい。 それにマツリ、まだ婚姻はしておりませんよ」

「まぁ、シキ、なんてことを言うの」

「母上、人の心などはどう動くかなど分かりません」

「ちょっと待ってちょうだい。 それはシキに何かがあると言ってるの? それとも波葉に?」

リツソの耳がどんどん大きくなる。

「何かがあるとは申しておりません。 人の心は何時、虚ろになるか分かりませんから」

いわゆるマリッジブルー絶好調のようだ。

「シキ、深く物を考えるのではありません。 心のままにいなさい」

「そうだぞ。 波葉はシキのことを心から想っておるのだから」

領主の娘を、それも第一子を嫁に貰い受けたいという波葉。 決して領主筋ではない単なる文官。 それは半端な覚悟で言えるものではない。 それをシキの父上であり、本領領主である四方に申し出たのだから。
波葉の血筋は問えるものではない。 それ以前だ。 だが四方から見ても、申し分のない心根の持ち主であった。

代々の血筋を考えての婚姻など目の端にも置いていない四方。 その四方自身も血筋を全く無視して澪引を奥に迎えた。 有難くも父親である今のご隠居か澪引を気に入って難なく奥に迎えることが出来た。

その波葉とは随時話をしている。 その話からシキの側付きである昌耶(しょうや)に、忙しくしているシキを止めて波葉と会わすように下知さえしていた。

「ええ・・・分かっています。 マツリ?」

「はい」

「有難う」

この上なく幸せな顔をマツリに向ける。 その顔を見て己の不躾を一蹴してくれたのかと安堵した。

「兄上はそれでいいのですか?」

思わない所から声が出た。

「は!?」

隣に座るチビッコイ弟を見た。

「兄上は姉上のことを、心より想っていたのにそれでいいのですか?」

「何を言っているのか?」

「姉上を波葉に取られてもいいのですか? と訊いております」

シキも然り、四方と澪引も目を丸くした。

「姉上が・・・ここから居なくなっていいと申しておられるのですか?」

「は? お前は姉上と波葉のことを見ていればわかると言っておったな?」

「はい。 姉上も波葉も好き合っている、それは分かっておりました」

「では、それでいいのではないのか?」

「はっ!? なにを仰います? 兄上はそれでいのですか?」

「意味が分からん」

「姉上が他の男の元に行くのですよ!?」

「お前・・・もしかして、あの娘のことを言っておるのか?」

「あの娘ではありません! シユラです!」

「ああ、そのシユラが、いつどこで誰かの元に行くかもしれないと思っているというわけか」

「シ! シユラは我と夫婦(めおと)になります! 他の誰の元にも行きません!」

「そうか」

「そうかではございません! 兄上はシユラを探していると仰いました。 シユラはまだ見つからないのですか!?」

「リツソ、ごめんなさい。 私から視ても分からないの」

思わぬ方向から答えが返って来た。 マツリを挟んでシキとリツソが座っている。 マツリの隣から覗き込むようにシキが言った。

「姉上が視て下さったのですか?」

「ええ。 父上からリツソが迷子の娘に心を寄せていることを聞いたわ。 でもどうしても視えないの」

「姉上に視えない?」

「ええ。 リツソが娘に心を寄せているそれ以外に・・・、シユラと呼ばれる娘は私の、東の領土がずっと探していた紫なの」

「え?」

「お前の言うところのシユラは、姉上が心傷めておられる東の領土の紫だということだ」

「はへ?」

リツソの反応を後にしてマツリが四方に向いた。

「北の領土の狼たちには散々探させました。 ですが姉上さえも分からないのであれば、狼たちにも探し当てることは出来ないと思い、娘を探させることを止めさせました」

「狼からのそれなりの報告は?」

「見つからない、それだけです」

「そうか」

眉間に皺を寄せると箸を置き腕を組んだ。

「兄上? なにを申しておられるのですか?」

「だから・・・、あの娘が今も見つかっていないということだ」

「ハクロとシグロの怠慢ですか!?」

「そのようなことは無い」

どうしてもっと先を見て何某かを訊けないのか。 横目で見ると続けて言った。

「リツソ、勉学はどうしておる」

「なんですか、急に。 励んでおりますとも」

「そうか」

もっと厳しくするように師に言わねばならんか、とリツソから目を離した。

「父上、シユラをどうするのですか?」

藁をもすがる様な目でシホウを見た。

「見つけて東に帰す」

リツソが目を大きく見開いた。 それと同時にこの場に座する女二人の声が重なった。

「四方様!」 「父上!」 二人が目を合わせると澪引が続けて言う。

「もう少し違う言い方がありましょう?」

「こういうことは、はっきりと言った方がリツソの為だ」

ウッ、ウッ・・・と小さな声が聞こえる。
シキが席を立ちマツリの後ろを通ってリツソの元に屈む。

「リツソ泣かなくていいのよ。 東に連れて行く前にリツソに逢わせて頂けるよう、わたくしからも父上にお願いしますから。 ね? 泣かないで」

そっと袖で涙を拭いてやる。

「ビッ、ビッ・・・ヴワァーン!」

とうとう大泣きしてしまった。
シキとマツリが目を合わせる。 マツリが困ったものだと言いたげに苦い顔を見せる。

「マツリ、悪いが・・・」

四方がマツリに顎をしゃくってみせる。 連れて出てくれということだ。
マツリが席を立つと 「姉上、失礼いたします」 と、屈んでリツソの涙を拭いてやっていたシキに声を掛け、リツソの後襟を持って部屋から出て行った。
後襟をつかまれても反抗することなく、身体をダラリとして大口を開けて泣いているだけであった。

マツリとリツソを見送った澪引からシホウが非難の目を向けられる。

「あの声には・・・なぁ・・・」

「そういうことではございません」

ご隠居の次になるとは思うが、誰よりもリツソを可愛がっているのは分かっている。 だが珍しくも四方に対してプイと横を向いた。
リツソの声が段々と遠ざかるのが耳に入る。

「父上・・・」

「なんだ」

「どうして紫の居所が分からないのかが、解せません」

「霞がかかったようだと言っておったな?」

「はい」

「ふむ・・・。 わしにはシキような力があるわけではないから、示唆することさえも出来ん・・・が、今日マツリが北の領主の所に行くそうだ。 その具合を見て良いようなら、もう一度会ってみるか?」

「是非とも。 紫が視られなくとも、話をするだけでも何かが視えるやもしれません」

「話か・・・話が出来るかどうかは分からんが、その旨マツリに伝えておこう」

「はい」


リツソの後襟を持って回廊を歩くマツリ。 リツソは未だに大声で泣いている。 マツリが一人で回廊を歩いている時には誰もがマツリに挨拶の声を掛けるが、リツソの泣き声を聞いては誰も何も言わない。 マツリに道を開けるだけである。 だが一人だけ声を掛けてきた。

「これは、リツソ様いかが為されました?」

リツソに勉強を教えている初老の男性だ。
これからリツソの部屋に行き、勉学の準備をしようと思っていたのだろう。 手にいっぱいの手本を持っている。
声を掛けれられても、ただ泣いているだけのリツソ。

「如何なされました?」

今度はマツリに訊いてきた。

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虚空の辰刻(とき)  第119回

2020年02月07日 22時19分24秒 | 小説
『虚空の辰刻(とき)』 目次


『虚空の辰刻(とき)』 第1回から第110回までの目次は以下の 『虚空の辰刻(とき)』リンクページ からお願いいたします。


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- 虚空の辰刻(とき)-  第119回



一度、師匠が自分から見た判断と違った調合をした薬を患者に渡していた。

『師匠、それでいいのでしょうか? 己の勉強不足です。 あとで教えて頂けますか?』 そう言った。

途端、師匠が激昂し激しく罵られた。

が、のちに井戸端で聞いた話では、師匠がその薬草を渡した相手に 「間違ってしまった」 と違う薬を持ってきたという話であった。 井戸端では薬を取り替えるなんて有り得ないと話していた。

見せてもらい味を確認すると、それは己が思っていた薬草の調合した薬であった。 それからは無意識に違う目を持って手元を見るようになった。

「・・・そうかもしれません。 いえ、きっとそうです。 無意識でした」

「薬草師といえど、歳には勝てぬということだ」

「・・・」

「いつまでも若くはおれん」

「それは・・・」

どんな意図があって仰っておられるのですか? と訊きたかったが訊けなかった。 そして訊くこともなく答えは簡単に返ってきた。

「だからショウジが言う『私などに』 ということは無い。 何度も言うがショウジはいい薬草師だ。 目も実行力もある。 安心してショウジは嫁を迎えるのが良いのではないのか? そして子を為せばショウジの子に薬草師の手を伝えられる。 ショウジのした努力を子に伝えられるのではないか?」

「マツリ様・・・」

「想い人はおらんのか?」

「あ・・・え?」

話しが一気に飛躍しすぎる。      

「おるのだな?」

「や・・・そ、それは」

顔がどんどん熱くなってくるのを感じる。

「ショウジ? 大丈夫か?」

「あ、や・・・。 その」

「具合が悪いか?」

「い、いえ、その様なことは御座いません」

「そうか・・・」

では話を続けると言った。 ショウジの身に気を添いながら。

「どのような娘かは知らんが、ショウジが想う娘なら間違いないのではないか? 田畑を耕せずとも、ショウジの背を見てくれるのではないのか?」

「私の・・・背?」

真っ赤な顔をして問い返す。

「ああ。 ショウジが誰かのために薬を煎じていれば、誰かのために薬草を育てていれば、田畑を耕せとは言わんだろう。 ショウジと同じ喜びを感じたいと思うであろう」

「・・・」

「違うか? そのような娘を想っているのではないのか?」

「・・・とても優しい娘です」

「そうか」

「誰彼となく、手を差し伸べている娘です」

「そうだろうな」

ショウジの想い人なのだから。

「でも・・・」

「うん?」

「私は23の歳になります」

「おお、やはり俺と同じだったか。 で? それがどうした?」

「リョウは16です」

想い人の名はリョウと言うのだとマツリは頭に入れた。

「16なら嫁と迎えてもいい歳だろう」

マツリとしては考えられない早さだが、北の領土の民において大抵は二十歳までに嫁に出ている。

「・・・七の歳も違うのです」

「は? そんなところで止まっているのか?」

「七の歳です! 七の歳も違うのです! それに駆け出しの薬草師です。 リョウを幸せになど出来ません」

「ふむ・・・。 七の歳の差でそれ程考えるのか・・・。 俺には分からん。 それに言っておく。 駆け出しの薬草師かもしれんが、ショウジはこれから北の領土の一番の薬草師になるのだから、駆け出しも何もそんなことは関係ない。 ただ、どうして七の歳の差をそんなに気にするのか?」

「じゅ・・・16歳からしてみれば・・・」

「してみれば?」

「私など・・・」

「ショウジなど?」

「・・・オジサンです」

「・・・それは、俺にオジサンだと言っているのか?」

同い年のマツリにも言えることだ。 だがマツリはあるがままを言っただけ。 何の嫌味も込めていない。 むしろその後に冗談の一つでも言われれば、ショウジとてそれに応えただろう。 勿論、イヤミなく。
だが残念なことに聞く相手はそんなことなど知らない。

「めっ! 滅相もありません!!」

「たしかに俺もショウジも、もう嫁を貰っていてもいい歳だ。 子がいても不思議ではない。 それどころか、同じ歳の者にはもう子がい―――」

マツリの言の途中を切って、椅子から転げるように座り込んでショウジが言う。

「り、聊爾(りょうじ)をお許しください!」

土間に座り込み深く頭を下げる。 いわゆる土下座。
マツリが眉間に皺を寄せる。

「・・・同じ歳の者同士として話したいと俺は言った。 それを聞いてくれたな?」

「はい!」

未だ土下座状態だ。

「・・・」

北の領土でこの薬草師ならばと思ったが、やはり無理なのか。 間諜にしようなどと思ったわけではない。 ただ単に、言葉通りに思っただけである。

「よい。 許す許さないなどは無い。 俺は帰る」

「・・・」

頭を土間にすりつける様に下げる。

「ショウジとは話が出来ると思った」

(え? ・・・) 心の中で呟いた。

「俺の思い違いのようだったな」

「・・・」

「邪魔をした」

マツリが腰を上げた。

「勉学に励め。 それがお前の思う道なのだからな」

ずっとショウジと言われていたのに、今、お前と言われた。 ここに境界線を張られたのか。 いや待て。 師匠の話をしていた時にも『お前』 と言われていた。

・・・そうか。 マツリ様はケジメをつけておられるのか。

「・・・マツリ様」

喉の奥から声が出た。

今にも戸に手をかけようとしていたマツリの動作が止まった。

「なんだ」

手を止めただけで振り向きもしない。

「マツリ様には想い人がおられますか?」

ショウジにしては未だに頭を下げたままだった。

「はっ!?」

思わず身体ごと振り向くと、端座のまま向きを変えたショウジと目が合った。

「マツリ様には想い人がおられるのでございますか?」

「そっ、そのような者はっ!」

見る見るうちに顔が真っ赤になっていく。

―――熱い。 なんだこれは!?

「マツリ様・・・」

笑ってはいけないと今にも崩れそうになる顔を何とか押しとどめたが、プッと口から息が漏れてしまった。

「な! なにを笑っておるのか! そのような者は俺には居らん!」

更なるマツリの口上に、とうとうクックックッと押し殺した笑いを漏らさないように、手の甲で口を押えながら立ち上がったが、充分に声は漏れている。 マツリは腕を組み口をへの字に曲げている。

「先程は失礼いたしました。 マツリ様、もう少しお話いたしませんか?」

コホンと咳払いするとそう言ったが、己が顔を赤くした時にはマツリは笑わなかった。 なのに己はついウッカリ笑ってしまった。 マツリの反応が余りに・・・正直だったから。 己もマツリと話がしたい。

「話?」

「同じ歳の者同士のお話です」

マツリが愁眉を開けた。

「ショウジがまだ起きていていいのなら」

「こんなに貴重な時はそうそう御座いません。 是非とも」

言いながら、先ほどまで座っていた座布団に手を向けた。
ショウジが撥ねてしまった椅子を直して座り、マツリと向き合いながら話した。


北の領土に暖かさが運ばれてくるのは本領より随分と遅い。 夏を迎えている本領は花々が咲き乱れ、木々の指先には緑が溢れどんどんと背を高くしている。

だが此処北の領土は、同じ夏だというのにやっと春を迎えたような気候だ。 北の領土の夏は短い。 これから満月を迎え、次の満月の頃にやっと穏やかな夏を迎え、次の満月には晩秋のようになる。

外では優しい風が吹いている。 少し前までの凍てつく風ではない。 その風に乗って緑の香りが運ばれてくる。


「ホゥホゥ」

キョウゲンの呼ぶ声が聞こえた。
話し込んでいた顔を上げたマツリを見て、ショウジがどうしたことか? という視線を送ってくる。

「そろそろ行かねばならんようだ」

「ああ、そう言えば随分話し込んでしまいました」

「明日の仕事に差しさわりはないか?」

「難などございません。 それより大変楽しゅうございました。 こんなに誰かと話したのは久方ぶりでございました」

「そうか」

「それより、マツリ様はこれから本領に帰られるのでしょう? その、シキ様と・・・」

「姉上のことは・・・考える。 姉上とのことには礼を言う」

「いえ、礼などと・・・。 お話が過ぎました。 お疲れでございましょう?」

「俺はキョウゲンの背に乗っているだけだからな。 楽なものだ。 では、長々と邪魔をし・・・いや、楽しかった」

どこかはにかんだ笑顔を送ってみせた。

結局、遅くなりすぎてこの日は領主の家に向かわず本領に戻った。 ショウジとの話の中でもそのことは話していた。


「随分とお楽しかったようでございますね」

薬草師の家に向かった時とマツリの雰囲気が少し違う感じがする。

「ああ、まぁな。 ショウジがあれ程、俺を迎えてくれるとは思っていなかった」

そう。 想像していた。 同じ歳の者同士としての会話を。 だがそれはまだ、どこかマツリが上であった。 それは致し方ない。 ショウジから見ればマツリは本領領主の跡継ぎなのだから。 それにマツリにしても、マツリが生まれてこの方、同等の者など一人もいなかったのだから。

それなのに最初を除くと話していくに、ショウジはマツリの痛いところを突いてきた。 それは悪気なく、マツリに分からせる為。 それがよくよく分かった。
同じ歳の者、でも着眼点は違う。 だからお互いにそれを示唆する。 いや、明示しあった。

『姉上には申し訳ないことをした』

ショウジから色々と聞かされた。 マツリからはリョウのことを聞かせた。 それは互いに欠けていたことだった。 それを互いが言い、互いが己が血肉として聞いた。
マツリもショウジも違う形で・・・馬鹿正直過ぎたということだ。


「左様で」

「領主のところには明日行く」

「承知いたしました」

「続けて北の領土に付き合わせて悪いな」

「とんでもございません」

さて、シキ様にどのように仰るのだろうか、その時に己は肩にとまっていてもよいのだろうかと、思案を巡らせたキョウゲンだった。


『マツリ様の想い人とはどのようなお方ですか?』

『そのような者はおらんと言っておる』

『そうなのですか? 失礼ながら想い人のお話をしました折、マツリ様はお顔を赤くなされましたが?』

『赤く?』

『はい』

『あ・・・熱くはなったが赤くなどしておらん』

『お顔が熱くなったということは、お顔が赤くなったのです。 ・・・私もそうです。 マツリ様から想い人が居ないかと聞かれた時、顔が熱く・・・』

思わず下を向いてくすぐったいような表情を浮かべる。

『え? 熱くなったのか? ・・・確かにショウジの顔が赤くなったのは見たが・・・。 熱があったわけではないのか?』

そうか。 そう言われれば納得がいく。 あの時、何よりも先に『大丈夫か』 と訊かれた。 マツリはショウジの顔が赤くなったことに、具合を悪くし、急に熱を発したのかと思ったようだった。

『マツリ様・・・我らは不器用なのでしょうか』

『どういうことだ?』

『己が想い人に想いを告げられない。 マツリ様から言っていただけたことは肝に銘じております。 ですが、簡単にリョウに嫁になってくれとは言えません』

『やはり歳の違いということか?』

『それはもちろんです。 ですが他にも・・・リョウが私のことをどう考えているか分からないからです』

『だがショウジが想っているのだろう? それだけでいいのではないのか?』

『マツリ様の想い人もそう考えておいででしょうか?』

『・・・え?』

『マツリ様の想い人はマツリ様に想われている、それだけに応えてくれるのでしょうか?』

『・・・それは』

ショウジはマツリの想い人が誰なのかを知らない。 マツリも然り。 己に想い人などいないと考えているのだから。 でもショウジから詰問に近い質問を受けて、不意に一人の顔が浮かんだ。

『だが・・・ショウジのことを好かんと思う娘がおるだろうか? 俺がその娘なら喜ばしく思うと思うのだがなぁ』

『は? ははは、それは光栄ですが、私のことを好かんと思う娘は五万とおりましょう。 娘に限らずとも』

『そうか?』

『人の感じ方は人それぞれです。 私のことを陰気だと思っている者もおりましょうし、少なくとも私と正反対の男を好む娘であれば、私など目の端にも映らないでしょう。 こんな非力な腕では頼りになりませんからね』

そう言うと、袖を上げて腕を見せた。
マツリは華奢に見えてしっかりと筋肉が付いているが、ショウジには筋肉の盛り上がりなど見えず確かに細い腕。 筋肉の欠片が少しあるだけだ。 だが繊細な指で薬草を調合することが出来る。

『ショウジが選んだ娘なのだろう? ショウジの目に狂いはない筈だ。 さっきも言っておったではないか、誰彼となく手を差し伸べる娘だと。 その娘なら、ショウジのことをよく見ているはずだと思うのだが?』

『そうだといいのですが』

寂しさを含んだ目をしながらも口元が優しく笑う。 リョウのことを思い出しているのだろうか。

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虚空の辰刻(とき)  第118回

2020年02月04日 23時28分04秒 | 小説
『虚空の辰刻(とき)』 目次


『虚空の辰刻(とき)』 第1回から第110回までの目次は以下の 『虚空の辰刻(とき)』リンクページ からお願いいたします。


     『虚空の辰刻(とき)』 リンクページ




                                      



- 虚空の辰刻(とき)-  第118回



シグロに案内されてやって来たのは、木で出来た小さな家であった。 硝子のはめ込まれていない明り取りの窓は小さく、陽がある時にもさほど家の中は明るくないだろう。 だが北の領土の中心の外れにあるような家はどこもこんな風である。

明り取りの窓を大きくすれば陽が入り家の中が少しでも温かくなるだろうが、それ以上に寒風を嫌うからである。

周りにはポツンポツンと同じような家が建っていて、その近くには木々が何本か立っている。 家から少し離れると田畑が目立つ。

「・・・っな!」

起きておるか? と外から声を掛けられ、はい、お待ちください、と戸を開けた薬草師が驚いて目を見開いた。

「っな、とは?」

目の前に立っているマツリが言う。 肩にキョウゲンはとまっていない。 近くの木の枝にとまっているのであろう。

「あっ、いいえ!」

「寝てはおらなかったようだな」

「は! はい」

「入っても良いか」

「こ、こんなあばら家に・・・」

「入って良いかどうかを訊いておる」

マツリにとっては、入っていいかと訊くだけでこの上なく上等だが、そんなことを薬草師は知らない。

「き、汚いですが、ど、どうぞ」

薬草師が大きく戸を引くとマツリを迎え入れた、 この時点で快く迎えられたかどうかは、おいておこう。

ズカズカではなく、ズカッと家に入ったマツリ。 家の中を見まわすとまず目の前に土間があり、奥の片隅に米を炊く釜が置かれていて中央には囲炉裏がある。 その囲炉裏には小さな火が灯っている。

その他は薬草師ならではなのか、薬草とそれに使う器がいくつもあった。 そして七輪が目に入った。 薬草を煎じる時に使うのだろう。 灯りは角灯でとっているようだ。 土間の左隣には寝るための畳間があった。 たったそれだけの家だった。

「一人か」

「は、はい。 親は早くに亡くなりました」

僅かに俯いてマツリの質問に答える。

「兄弟は」

「居りません」

「嫁は」

「まさか! 私などに・・・」

「どうして薬草師になろうと思った」

マツリから次々と出される問いに答える。 言い淀むことなく、問い返すことなく精一杯答える。

「両親を救えなかったからです」

「病で身罷(みまか)ったということか」

「はい」

この頃には薬草師もマツリが来た驚きに囚われることなく話していた。 そうは言ってもどうしてマツリが来たのかの疑問は残っているし、矢継ぎ早に質問される意味も分からない。

「もう寝ていて良い時だが?」

北の領土の夜は早い。

「は、はい。 あの、薬草の勉学をしておりました」

「勉学?」

「はい。 薬草師歴伝を参考に、何をどう掛け合わせれば飲みにくくないのか、何が何に特効になるのか、またその薬草をどう栽培すれば良いのか等です」

もっと言いたかった。 決して口巧者(くちごうしゃ)ではないし、どちらかと言えば口下手な方だ。 だが薬草の話になるとついつい、長広舌になってしまう。 でも今は長くなってはマツリに失礼かと思いそこで切った。

薬草師から言われてもう一度土間を見ると、台に角灯が置かれ、その横に椅子にしていたのだろう、台より少し高い椅子もどきがあり、その椅子もどきに歴伝が置かれてあった。 ついさっきまでその椅子もどきに座り歴伝を読んでいたのだろう。

「そうか」

薬草師の文言に対してマツリの返事は短かった。
もっと早くに話を切らなけばいけなかったのかと、薬草師が頭を下げた。 その時

「お前はいい薬草師だ。 あの老いぼれよりずっとな」

「え?」

驚いて顔を上げるとマツリと目が合った。 こんな至近距離で本領次期領主と目を合わせるなどとは思ってもみなかったことだ。

「お前から、あの老いぼれには進言出来んか」

珍しくも柔らかい笑みを薬草師に送る。 だが自他共にその意識はない。 いや薬草師にその余裕がない。

「あ・・・あの、そんな」

「自信を持て。 お前はいい薬草師だ。 残念だが、本領に生る薬草と北の領土に生る薬草とは随分と違う。 同じなら本領の薬草師の何某かの伝書をお前に渡せられるのにな」

「え?」

「腰を掛けても良いか?」

「も、勿論に御座います」

慌てて畳の間に上がると寂れた座布団を持ってきて畳間の端に置き、角灯の載っている台を畳間に近づける。
寂れた座布団に座し、土間に足を預けたマツリが言う。

「まだ起きていても良いか」

この台詞が茶の狼に向けられたハクロのものであったなら、すぐさまシグロが

『アンタそれ、力にまかせた脅しじゃないのかい?』 そう言っただろう。

「も、勿論に御座います」

「名は何という」

「ショウジと言います」

「ショウジか・・・」 

常なら北の領土の祭では領主と五色と会うだけだが、時折、民の為になる者、例えば医者の卵になった者や薬草師になった者が紹介される。 このショウジという薬草師も初めて会った祭の日に紹介された時には、新しく若い薬草師、としてしか紹介されなかった。

ショウジの目を見ていたマツリが一瞬目を離すとまた戻ってきた。

「俺はマツリ」

「・・・存じております」

「いや、そうでは無い」

「・・・あの」

困惑の目をマツリに向ける。
マツリの片眉がピクリと動いた。

「同じ立場になって話そうと思っているのだが?」

「はい?・・・」

「ショウジには親も兄弟もないと聞いた。 だが俺には父上も母上も姉上も居て下さる」

ついでに言えば歳の離れた弟のリツソもいるがそこは割愛しよう。

「身の周りの環境は大きく違うかもしれんが、同じ立場にはなれんか?」

「あの・・・仰る意味が分かりかねます・・・」

そう言うのが精一杯だった。 それ以上もそれ以下も何も言えない。

「そうか。 説明不足か・・・」

いつもシキに言われていた
『マツリは言葉不足よ。 気持ちがあるのなら、もっと相手に分かるように言わなければいけないわ』 と。

「ふ・・・む」

曲げた人差し指を唇に添わせる。
薬草師は次に何を言われるか腰構えている。 だが、それは恐怖ではない。

「そうだな。 ショウジはいい薬草師だ。 それは俺が保証する。 だが」

薬草師として再度褒めてもらった。 一瞬喜んだが、その後すぐに『だが』 と付け加えられた。 緊張が走る。

「俺の言いたいことを分かってもらわれないのは、薬草師の力ではないか・・・」

「は?」

「ショウジは薬草師として何も言うところはない。 だが、俺が言いたいのは似た歳の者同士としての話だ」

「は、い・・・」

「立場など関係なく似た歳の者同士の話をしたい」

「え・・・」

思いもしなかったことを言われた。 構えていた緊張が無意識に砕ける。

――― 腰砕け。

まさにそのものだった。

「え? ショウジ、大丈夫か?」

土間で今にも溶けて無くなりそうになっているショウジの両腕を掴んだ。

「・・・うあぁ?」

訳も分からなくショウジの口から意味のない言葉が漏れた。
寂れた座布団から腰を浮かすと、細身の体躯を持つマツリなのに軽々とショウジを引っ張り上げる。

「おい、どうした?」

ショウジの膝が伸び、ゆっくりとマツリが力を抜いていく。
ショウジの膝はしっかりと立っている。 もちろん腰も。 もう溶けるようなことは無いだろう。 ソロリと手を離す。

「俺とは話が出来ないか・・・」

悪かったと言うと、立ち上がりそのまま歩を出しかけた。 すると

「わ! 私でよろしいのですか!?」

この場にそぐわない大声でショウジが言った。 言った本人も自分の声の大きさに驚いている。

「いいのか?」

ショウジを見る。

「私のようなものでよろしければ! お話を!」

さっき驚いたにもかかわらず、尚も大声である。

「いや・・・そんなに頑張ってもらわなくても良い」

ショウジから寂れた座布団に目を移す。

「腰を掛けても良いか?」

再度同じ質問をする。

「どうぞ! ・・・あ、いえ。 どうぞお掛けになって下さい」

大声で三文字言った後に、改めるように音量を下げ続けて言った。 このまま立ったままではマツリを見下すことになる。 先ほどまでもそうであったが、そんなことを考える余裕すらなかった。 だがマツリの隣に座る勇気などない。

マツリが腰かける。

「椅子に腰かければどうだ?」

ショウジが歴伝の乗っている椅子もどきに目を流すと、すぐに「はい」 と言って歴伝を畳の上に置き、椅子もどきを引っ張てきて腰を掛けた。 椅子もどきでは無く椅子のようだった。

そして沈黙が続く。

ショウジからは何も言えない。 マツリの言葉を待つ。
マツリは腰を折られ、話をするに話し出せない。

更に沈黙。

「あ・・・あの」

耐えられず沈黙を破ったのはショウジであった。

「マツリ様のお話とは何でございましょうか」

・・・そんな風に訊かれては話しずらい。

「いや、その・・・。 別にこれといっては、無いのだが・・・。 ショウジと話がしたいと思っただけだ。 お前の腕は俺が保証するということと・・・」

詰まった。

「そう言っていただけるのは、これ以上に無い幸せであります。 そして?」

次には? と訊いている。 詰まった先のことは何なのかと。

「・・・ショウジはどうして嫁を貰わんのだ?」

思いもよらない質問であった。 今にも顎が外れそうだったが、外れそうになる顎を押しとどめて、先ほど『まさか! 私などに・・・』 そう言っていたことを頭の中で反芻した。

「はい?」

どうして再度に渡り嫁の話なのだろうか。

「もう嫁を貰ってもよい歳であろう? 遅いくらいだ」

年齢的なことか。

「それは、先ほども申し上げましたが私などには嫁を貰えません」

「どうしてだ? ショウジの言う『私などに』 の意味が分からんが?」

「私はまだ駆け出しの薬草師です。 これからは今まで以上の勉学しか御座いません。 田畑を耕す時など惜しく学びたいだけです。 そんな私に嫁など迎えられません」

「父御は薬草師だったのか?」

「いいえ。 父が薬草師であれば教わってもっと早くに薬草師になれたでしょう」

「独学か?」

老いぼれの師匠にはついているのだろうが、殆どが独学であろう。

「はい。 遅い出だしではございますが、それでも誰かを救いたいと思いました」

「先程も言ったが、お前は良い薬草師だ。 ・・・いや、そうだな。 医者にも向いているだろう」

「め! 滅相も御座いません!」

本領、東西南北の領土では薬草師は医者の格下である。 本領においては医者の資格を取るに色々と面倒臭いことはあるが、東西南北の領土ではさほど難しいものではない。

「薬草師が骨折の当て木などできるものではない」

骨折していたムロイに対して適切な当て木を出来ていたことを言っている。

「鼻の事には気付きませんでした」

「ああ、それは致し方ない。 顔中腫れておったのだからな。 だが、普通の薬草師ならそこまで見ん。 ただ薬草を合わせるだけだ。 お前は薬草師の枠を超えて人を救おうとした」

「出過ぎたことでした」

「そう言うか? そう言って終わらせるのか? だから領主を診る場を譲ったのか?」

「え?」

「お前が領主のことを最後まで診るべきだったのではないのか?」

「・・・ですが」

「ああ、言いたいことは分かる。 分かっているつもりだ。 あの老いぼれに任せたくはないだろうが、そう言わざるを得ない。 仕方のないことだ」

年功序列ではないが、幼年の者が身を引くことは分かっている。

「だが、老いぼれが間違ってしまっては、お前の救った命の灯火が消えることを頭に置いておけ」

置いておけ、と言ってしまってから言い直した。

「置いておくようにするといいのではないか? ああ、領主のことはその様なことは無いから、安心するといい。 この先のことを言っている」

「マツリ様・・・?」

「なんだ」

「師匠が・・・間違えをおこすかもしれないと、仰っているのですか?」

「・・・ああ。 お前の師匠だったな。 悪いが、十分にあり得る」

北の領土を回っている時に、医者や薬草師とは時々顔を合わせている。 ついでに産婆とも。
ショウジの呼ぶ師匠は、もう耄碌(もうろく)が過ぎすぎている。 多分、薬草師どころか、己の日常生活もままならないのではないかと思えるほどだ。 あくまでもマツリから見れば、だが。

「ですが、師匠はまだまだ現役で皆に薬草を煎じております。 私から見るに間違いはなく」

「お前から見るに間違いなく? その言葉の意味が分かっているのか?」

「え?」

「それはお前があの老いぼれに間違いがないか、手元を見ているということはないのか?」

「・・・あ」

そうだ。 そう言われればそうかもしれない

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