『---映ゆ---』 目次
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寒い季節とは言え、昼間は風もなく陽がよくさしていたから随分と暖かかった。 だが夜にはその暖かさが一転して身震いするほどの寒さが身体の温もりをさらう。
小屋の中では2つの油皿の上で小さな灯が揺らめいている。
「来ていただいて有難うございます」
「・・・」 目を合わせることなく、前を見据えている。
「不要な言葉は要らないようですね。 では、本筋を言います」 薄暗い中でドンダダの表情を見逃すまいと、その顔を見る。
「ドンダダの父様にどんな想いがあったのかは、我が知り得ることではありません。 ですが―――」 ここまで言うとドンダダが口を開いた。
「トデナミのことを言いたいのか」 ドンダダの表情はピクリとも動かない。
「承知したと言ったはずだ」
“才ある者を敬い、その言葉は絶対のものと肝に銘じる” と言ったシノハの言葉。
「はい、その言葉しかと聞きました。 ですが、今まで父様の想いを引き継いでこられたその思いを、我との戦いであっさりと引くことが出来るのですか?」
油皿の僅かな明かりがドンダダの顔を揺らす。 目の先を落とすと静かに語った。
「我が父からずっと聞かされていた話を、そんなに簡単に捨てられるわけがなかろう・・・とでも言おうか?」 目を半分伏せシノハを見やる。
静かに次の言葉を待っていると、フッと短く鼻から息を出すとその目をシノハから外した。
「我が父は祖からのものを守ろうと必死だった。 祖からの怒りを買う、そればかり言っておった。 長になれなかった父がどれほど悔しがったか」 顔を僅かに横に向けた。
「今の長が村長になったとき我は20の歳だった。 婆様のことは重々知っていた。 婆様が我が村に来ることになったのは、その祖のあり方のせいではなかったのか、と」
ドンダダの言葉にシノハが僅かに眉間に皺をよせ小首を傾げた。
そして長から聞いた話を思い出す。
『最後の“才ある者” 才ある婆様が息を引き取った。 地の怒りを買ったのが原因だと聞いている。 そして才ある女子が生まれなかった』
(地の怒りはそんなに簡単に買わない・・・長い時を重ねてのこと) 思いながらも、もう一つの事、タム婆から聞いた、どこかは分からないが互いに影響を及ぼしている所がある。 ということも頭をかすめた。
「20の歳にもなればわかる。 ・・・いや、その前から分かっていた。 祖のあり方は地の怒りを買うだけだと。 そして婆様を翻弄させたのは祖からの教えではなかったのか。 それに・・・」 大きく息を吸うと静かに吐き出した。
「我が父は・・・祖からのものを守ろうというのはもちろんあった。 それは嘘ではない。だが、単に長というものになりたかっただけなのだ」
シノハがより一層、眉を寄せる。 ドンダダの心がどこを見ているのか、シノハには計り知れない。
「我が父のことをこんな風に言うのは憚られるが・・・傍若無人な父だった」 シノハが息をのんだ。
「父は最後の最後まで我に長になれと言っていた。 父が目指した長になれと。 父は我に夢を託した。 父が目指した長・・・その一つが“才ある者” 今の婆様に父の子を産んでもらうことだった」
思いもしない言葉に驚き、無意識にシノハの両の手がグッと握られた。
「婆様の二人目の男に選ばれ、才ある女子が生まれ、皆から崇められる。 ずっと才ある女子が生まれなかったのだからな。 そして村の中で一番大きな家に住むつもりだった・・・らしい」
「だから? だからトデナミを?」 話はまだある、平静を装おうと必死に声を押し殺して問うた。
狭い小屋のどこを見ているのか。 虚空を見ているのか、茫洋とした光のない眼差しをし、静かな小屋の中はドンダダの息さえ聞こえない。
外では冷たい風が吹き木戸を揺らす。 木々の葉擦れの音がざわめく。
つと、ドンダダの瞳が光を戻し動いた。 その瞳がゆるりとシノハを見る。
「お前のお蔭で荷が下りた」 シノハが眉を顰めた。
「ドンダダ?」
「苦しかった。 何もかもが」 上を向いて静かに息を吐く。
(そうか・・・。 そういうことだったのか) やっとドンダダから目を外すと、下を向いた。
(でも我に聞かれたから答えたのだろうが・・・もしかするとドンダダがここへ来たのは、言葉を吐きたかったからなのだろうか・・・今更村の皆に言えない言葉を)
「トデナミのことは何の心配もいらん」 声色を変え言うと顔を戻し足を組みなおした。
(組みなおした? まだ話があるのか、それとも俺の話を聞こうと思っているのか・・・)
「お前も胡坐をかけ」 軽く言った。
一応ドンダダは目上だ。 目上に対する座り方でいたが、今は座り方で話を取られたくないと思い、小さく頷くと胡坐をかいた。
「長の右腕になれと言ったな」
「はい」
「長は承知か?」
「我からは長ではなくタム婆様に話しました」
「婆様が承知されたのか?」
「はい」
シノハの返事に横を見ると顎を撫で、何かを考えているような様子を見せると、その手を置きシノハを見た。
「我が長を殴っていてもか?」
「そんな噂があるようですが、それはあり得ませんから」 ドンダダの片眉がクイと上がった。
「ドンダダではありませんから」 重ねて言う。
「何故そう言い切れる」
「その話は後で・・・先に我の問いに答えてもらいたい」 ドンダダが腕を組んだ。
「どうしてゴンデュー村がドンデンの馬を連れてきたことを長に言わなかったのですか?」
「どういうことだ」 眉根を寄せる。
「ゴンデュー村がトンデンの馬を連れてきたことは知っていますね?」
「ああ、ファブアが受け取ったからな。 我もすぐに呼ばれた。 だが、何かあったとき誰もあれだけの数の馬を押さえられん。 我が馬にかかり、すぐガガンリに長へ報告するように言っておいたが?」
「・・・そういうことか」 思わず額に手をやった。
「なんだ?」
「その・・・いつもなら、ファブアに言うと思うんですが、どうしてガガンリだったんですか?」
「ファブアか・・・何か誤解をしているようだな。 まぁ、いい。 そうだな・・・あの時は・・・」 思い出そうとして口元に手をやり首をひねる。
「ああ、寄ってきた者が手綱を取ったが、ガガンリだけが馬の手綱を取っていなかったから頼んだんだ」
(その時から既に動いていたということか・・・)
「ガガンリのことは後で話します。 それより、ファブアのことで我が誤解していると?」
どうしてガガンリのことを話すのか? と一瞬怪訝な目をしたが、シノハの問いに答えた。
「ファブアは我が父の、妹の子だ」
思いもしなかったことに目を大きく開けた。 だが、そんなシノハの表情を気にかけず、ドンダダが目を細め静かにファブアを思いやるように言葉を続けた。
「アイツも・・・我が父に翻弄された・・・」 昔を思い出したのか大きく息をつく。
「さっき言ったな、我が父がタム婆様の二人目の男になるつもりだったと」
聞きたくない話・・・だが、聞かなくては。
シノハがコクリと頷いた。
「それは・・・一人目の男は屈強なる男だった。 我が父は体を鍛えていて身体には自信があったが、そのとき父はまだ20の歳になっていなかった。 一人目から外されても仕方のないこと。 だが、二人目の時には20の歳を越していた。 その時すでに我が母と夫婦であったがな。 だが婆様の相手として選ばれるに、夫婦であろうがなんであろうが関係のないものであった。
それなのに我が父は選ばれなかった。 選ばれたのは、その時にはまだ20の歳になっていなかった、やがてファブアの父となる男だった」
長の話を思い出す。 一人目との間に出来た女子に才が現れなかった。 それは男が悪かったのだろうと。 そして二人目の男は村で一番頭の切れる男だったと・・・。
「我が父からすれば、のちにそんな男と身を結んだ妹が許せなかった。 難癖をつけてはずっと二人を責め続けた。 ファブアの父は我が父の責めに耐えかねていた。 我もまだ歳浅かったが、そんな我にさえ憫然(びんぜん)な姿は見てとれていた。 そして・・・ファブアを産み落とした後、心を害った父の妹を連れて森の奥の沼に消えた」 一旦言葉を切ると、目を落とした。
「ファブアがトビノイの葉を必ず炙れと言うのは、己の父と母を飲み込んだ沼から採った葉だ、弔いたい思いなのか、精霊が助けてくれなかったという悔しい思いを葉にあたっているのか・・・一度聞いたが答えなかった。 だから我の知るところではないがな」 父の妹のことを思い出しているのか、ファブアのことを思っているのか。
「我には息子どころか・・・」 目を閉じる。
ドンダダの様子が普通でないことを感じた。
「ドンダダ?」
「ああ・・・」 言うと薄く目を開けたが再びその瞼を閉じた。
どれだけの時が流れただろうか。
時が長かったのか、思いのほか短かったのか・・・。 静寂を破り発したドンダダの言葉が、思いもよらない言葉だった。
「トデナミに・・・」
(え? トデナミ?)
「我は父の想いを継いでトデナミに我の子を産んでもらおうと思っていた。 それは察しているな?」 シノハが頷く。
「それは畏れ多いことだ。 そんなことをしたくはなかった。 だが、父の想いを遂げるにはどうしてもせねばならない。 その為には少しでも非礼を慎みたかった。 父のように、嫁をもった上でトデナミに我の子を産んでもらおうとは思わなかった。
我には息子どころか嫁もおらん。 ・・・ファブアは我が父の妹の子。 アイツは父から疎まれていた。 アイツの母親のように心を害わすことなどないよう、我が母と大切に育てた」
「・・・ファブアが可愛いということですか?」
「ああ・・・あんなファブアだが我にとっては可愛い・・・。 我ながら情けないがな・・・」
「だから・・・ファブアを好き勝手にさせたということですか?」
「我も父の想いを遂げたかったこともあるが、それを利用して我が言いもしないことを言ったかのようにファブアが言っていたのは知っていた」
「どうしてそれを止めなかったのですか?」
「この地に血のつながった者がたった一人・・・それが己より随分年若い者だったら、甘くなると思わんか?」
「たった一人の血の繋がり・・・我にはわかりません」
「そうか。 まぁ、分かってくれとは言わん」
後ろに手をつくと顔を上げ大きく息を吐いた。 ふと、森の中でシノハに負けた後、ファブアに肘鉄をくらわしたのを思い出した。
(ああ・・・初めてファブアに手を出した・・・) 大切に育ててきたのに、男として勝負に負けたことが抑えられない怒りから手を出してしまった。
(・・・情けない)
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- 映ゆ - ~Shinoha~ 第71回
寒い季節とは言え、昼間は風もなく陽がよくさしていたから随分と暖かかった。 だが夜にはその暖かさが一転して身震いするほどの寒さが身体の温もりをさらう。
小屋の中では2つの油皿の上で小さな灯が揺らめいている。
「来ていただいて有難うございます」
「・・・」 目を合わせることなく、前を見据えている。
「不要な言葉は要らないようですね。 では、本筋を言います」 薄暗い中でドンダダの表情を見逃すまいと、その顔を見る。
「ドンダダの父様にどんな想いがあったのかは、我が知り得ることではありません。 ですが―――」 ここまで言うとドンダダが口を開いた。
「トデナミのことを言いたいのか」 ドンダダの表情はピクリとも動かない。
「承知したと言ったはずだ」
“才ある者を敬い、その言葉は絶対のものと肝に銘じる” と言ったシノハの言葉。
「はい、その言葉しかと聞きました。 ですが、今まで父様の想いを引き継いでこられたその思いを、我との戦いであっさりと引くことが出来るのですか?」
油皿の僅かな明かりがドンダダの顔を揺らす。 目の先を落とすと静かに語った。
「我が父からずっと聞かされていた話を、そんなに簡単に捨てられるわけがなかろう・・・とでも言おうか?」 目を半分伏せシノハを見やる。
静かに次の言葉を待っていると、フッと短く鼻から息を出すとその目をシノハから外した。
「我が父は祖からのものを守ろうと必死だった。 祖からの怒りを買う、そればかり言っておった。 長になれなかった父がどれほど悔しがったか」 顔を僅かに横に向けた。
「今の長が村長になったとき我は20の歳だった。 婆様のことは重々知っていた。 婆様が我が村に来ることになったのは、その祖のあり方のせいではなかったのか、と」
ドンダダの言葉にシノハが僅かに眉間に皺をよせ小首を傾げた。
そして長から聞いた話を思い出す。
『最後の“才ある者” 才ある婆様が息を引き取った。 地の怒りを買ったのが原因だと聞いている。 そして才ある女子が生まれなかった』
(地の怒りはそんなに簡単に買わない・・・長い時を重ねてのこと) 思いながらも、もう一つの事、タム婆から聞いた、どこかは分からないが互いに影響を及ぼしている所がある。 ということも頭をかすめた。
「20の歳にもなればわかる。 ・・・いや、その前から分かっていた。 祖のあり方は地の怒りを買うだけだと。 そして婆様を翻弄させたのは祖からの教えではなかったのか。 それに・・・」 大きく息を吸うと静かに吐き出した。
「我が父は・・・祖からのものを守ろうというのはもちろんあった。 それは嘘ではない。だが、単に長というものになりたかっただけなのだ」
シノハがより一層、眉を寄せる。 ドンダダの心がどこを見ているのか、シノハには計り知れない。
「我が父のことをこんな風に言うのは憚られるが・・・傍若無人な父だった」 シノハが息をのんだ。
「父は最後の最後まで我に長になれと言っていた。 父が目指した長になれと。 父は我に夢を託した。 父が目指した長・・・その一つが“才ある者” 今の婆様に父の子を産んでもらうことだった」
思いもしない言葉に驚き、無意識にシノハの両の手がグッと握られた。
「婆様の二人目の男に選ばれ、才ある女子が生まれ、皆から崇められる。 ずっと才ある女子が生まれなかったのだからな。 そして村の中で一番大きな家に住むつもりだった・・・らしい」
「だから? だからトデナミを?」 話はまだある、平静を装おうと必死に声を押し殺して問うた。
狭い小屋のどこを見ているのか。 虚空を見ているのか、茫洋とした光のない眼差しをし、静かな小屋の中はドンダダの息さえ聞こえない。
外では冷たい風が吹き木戸を揺らす。 木々の葉擦れの音がざわめく。
つと、ドンダダの瞳が光を戻し動いた。 その瞳がゆるりとシノハを見る。
「お前のお蔭で荷が下りた」 シノハが眉を顰めた。
「ドンダダ?」
「苦しかった。 何もかもが」 上を向いて静かに息を吐く。
(そうか・・・。 そういうことだったのか) やっとドンダダから目を外すと、下を向いた。
(でも我に聞かれたから答えたのだろうが・・・もしかするとドンダダがここへ来たのは、言葉を吐きたかったからなのだろうか・・・今更村の皆に言えない言葉を)
「トデナミのことは何の心配もいらん」 声色を変え言うと顔を戻し足を組みなおした。
(組みなおした? まだ話があるのか、それとも俺の話を聞こうと思っているのか・・・)
「お前も胡坐をかけ」 軽く言った。
一応ドンダダは目上だ。 目上に対する座り方でいたが、今は座り方で話を取られたくないと思い、小さく頷くと胡坐をかいた。
「長の右腕になれと言ったな」
「はい」
「長は承知か?」
「我からは長ではなくタム婆様に話しました」
「婆様が承知されたのか?」
「はい」
シノハの返事に横を見ると顎を撫で、何かを考えているような様子を見せると、その手を置きシノハを見た。
「我が長を殴っていてもか?」
「そんな噂があるようですが、それはあり得ませんから」 ドンダダの片眉がクイと上がった。
「ドンダダではありませんから」 重ねて言う。
「何故そう言い切れる」
「その話は後で・・・先に我の問いに答えてもらいたい」 ドンダダが腕を組んだ。
「どうしてゴンデュー村がドンデンの馬を連れてきたことを長に言わなかったのですか?」
「どういうことだ」 眉根を寄せる。
「ゴンデュー村がトンデンの馬を連れてきたことは知っていますね?」
「ああ、ファブアが受け取ったからな。 我もすぐに呼ばれた。 だが、何かあったとき誰もあれだけの数の馬を押さえられん。 我が馬にかかり、すぐガガンリに長へ報告するように言っておいたが?」
「・・・そういうことか」 思わず額に手をやった。
「なんだ?」
「その・・・いつもなら、ファブアに言うと思うんですが、どうしてガガンリだったんですか?」
「ファブアか・・・何か誤解をしているようだな。 まぁ、いい。 そうだな・・・あの時は・・・」 思い出そうとして口元に手をやり首をひねる。
「ああ、寄ってきた者が手綱を取ったが、ガガンリだけが馬の手綱を取っていなかったから頼んだんだ」
(その時から既に動いていたということか・・・)
「ガガンリのことは後で話します。 それより、ファブアのことで我が誤解していると?」
どうしてガガンリのことを話すのか? と一瞬怪訝な目をしたが、シノハの問いに答えた。
「ファブアは我が父の、妹の子だ」
思いもしなかったことに目を大きく開けた。 だが、そんなシノハの表情を気にかけず、ドンダダが目を細め静かにファブアを思いやるように言葉を続けた。
「アイツも・・・我が父に翻弄された・・・」 昔を思い出したのか大きく息をつく。
「さっき言ったな、我が父がタム婆様の二人目の男になるつもりだったと」
聞きたくない話・・・だが、聞かなくては。
シノハがコクリと頷いた。
「それは・・・一人目の男は屈強なる男だった。 我が父は体を鍛えていて身体には自信があったが、そのとき父はまだ20の歳になっていなかった。 一人目から外されても仕方のないこと。 だが、二人目の時には20の歳を越していた。 その時すでに我が母と夫婦であったがな。 だが婆様の相手として選ばれるに、夫婦であろうがなんであろうが関係のないものであった。
それなのに我が父は選ばれなかった。 選ばれたのは、その時にはまだ20の歳になっていなかった、やがてファブアの父となる男だった」
長の話を思い出す。 一人目との間に出来た女子に才が現れなかった。 それは男が悪かったのだろうと。 そして二人目の男は村で一番頭の切れる男だったと・・・。
「我が父からすれば、のちにそんな男と身を結んだ妹が許せなかった。 難癖をつけてはずっと二人を責め続けた。 ファブアの父は我が父の責めに耐えかねていた。 我もまだ歳浅かったが、そんな我にさえ憫然(びんぜん)な姿は見てとれていた。 そして・・・ファブアを産み落とした後、心を害った父の妹を連れて森の奥の沼に消えた」 一旦言葉を切ると、目を落とした。
「ファブアがトビノイの葉を必ず炙れと言うのは、己の父と母を飲み込んだ沼から採った葉だ、弔いたい思いなのか、精霊が助けてくれなかったという悔しい思いを葉にあたっているのか・・・一度聞いたが答えなかった。 だから我の知るところではないがな」 父の妹のことを思い出しているのか、ファブアのことを思っているのか。
「我には息子どころか・・・」 目を閉じる。
ドンダダの様子が普通でないことを感じた。
「ドンダダ?」
「ああ・・・」 言うと薄く目を開けたが再びその瞼を閉じた。
どれだけの時が流れただろうか。
時が長かったのか、思いのほか短かったのか・・・。 静寂を破り発したドンダダの言葉が、思いもよらない言葉だった。
「トデナミに・・・」
(え? トデナミ?)
「我は父の想いを継いでトデナミに我の子を産んでもらおうと思っていた。 それは察しているな?」 シノハが頷く。
「それは畏れ多いことだ。 そんなことをしたくはなかった。 だが、父の想いを遂げるにはどうしてもせねばならない。 その為には少しでも非礼を慎みたかった。 父のように、嫁をもった上でトデナミに我の子を産んでもらおうとは思わなかった。
我には息子どころか嫁もおらん。 ・・・ファブアは我が父の妹の子。 アイツは父から疎まれていた。 アイツの母親のように心を害わすことなどないよう、我が母と大切に育てた」
「・・・ファブアが可愛いということですか?」
「ああ・・・あんなファブアだが我にとっては可愛い・・・。 我ながら情けないがな・・・」
「だから・・・ファブアを好き勝手にさせたということですか?」
「我も父の想いを遂げたかったこともあるが、それを利用して我が言いもしないことを言ったかのようにファブアが言っていたのは知っていた」
「どうしてそれを止めなかったのですか?」
「この地に血のつながった者がたった一人・・・それが己より随分年若い者だったら、甘くなると思わんか?」
「たった一人の血の繋がり・・・我にはわかりません」
「そうか。 まぁ、分かってくれとは言わん」
後ろに手をつくと顔を上げ大きく息を吐いた。 ふと、森の中でシノハに負けた後、ファブアに肘鉄をくらわしたのを思い出した。
(ああ・・・初めてファブアに手を出した・・・) 大切に育ててきたのに、男として勝負に負けたことが抑えられない怒りから手を出してしまった。
(・・・情けない)