大福 りす の 隠れ家

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辰刻の雫 ~蒼い月~  第64回

2022年05月20日 22時53分53秒 | 小説
『辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~』 目次


『辰刻の雫 ~蒼い月~』 第1回から第60回までの目次は以下の 『辰刻の雫 ~蒼い月~』リンクページ からお願いいたします。


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辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~  第64回



「それは違うわ」

杠がゆっくりと顔を上げる。

「マツリは側付きも従者も持たないわ。 どれだけ父上が勧めても。 でも杠にだけはマツリの手となり足となり動くことを承知したわ。 マツリも本当のところはそういう者が必要だったのでしょう。 マツリの動く範囲を考えれば一人では大変なこと。 でも誰にもマツリの考えを話す気にはならなかったみたい。 杠以外には」

「・・・」

己以外には?

「マツリにとって杠は特別なの。 マツリの考えや、やろうとしていることを言える相手なの。 そして杠はそれに応えているわ」

シキが婉然と微笑んで続ける。

「だから甘んじているなどということは無いの。 杠が甘んじていると感じるのならばマツリも同じ。 マツリが何よりも気にしていた地下を杠に預けたのですから。 今回のことも杠がいなければこれほど早く事が動かなかったでしょうし、リツソのことも今までもそうよ」

「今回のことは己が捕まっただけで御座います。 紫揺の功績だけで御座います」

紫揺・・・紫の功績と言われれば、シキの頬が緩む。

「マツリの近くに居てもらえるかしら?」

独り思案したいと思っていた。 何を思案するかも分からないのに。 だが、ささくれが落ちたような気がする。

「マツリ様に何もかもお話していただきます」

己のことをどうして陰から見ていたのか。 どうして己を手足として使ってくれたのか。 どうして己とは初対面のような顔をしていたのか。

「それで杠が納得すればマツリの片腕となってもらえるのかしら?」

「お話し次第で」

シキに目を合わせていた杠。 その目を蒼穹に向けた。
マツリが話すことに己が心を寄せられるだろうか。
・・・きっと寄せられる。
マツリの言葉を待ちたい。 己を受け入れてくれる言葉を。

「マツリは言葉が足りないわ」

「存じております」

マツリには失礼な話だが。

シキがホッと胸を撫で下した。



「いい加減、ムカつくんだけど」

紫揺が何度意味が分からないと言ってもマツリは無言で歩を進めていた。
今は既に洞を抜け東の領土の山の中だ。

前を歩くマツリの横を走った。 大きな岩を二つトントンと跳ぶと、高い木の枝に手を伸ばし蹴上がりで上がると、そのまま中抜きをして枝に座った。
これはこの木を見た時からしたかった事だったが、今はそんな理由でしたのではない。

マツリが紫揺を見上げる。 手を伸ばそうとも届かない高さだ。

「何をしておる」

「ムカつく。 何の説明もない」

「説明とは」

ついでに “むかつく” とは?

「マツリが言ったことの説明」

『お前の目星の中に俺を入れておけ』 ましてや『俺以外は入れるな』 そう言ったことの説明。

「そのままだ」

「なに? 全く意味分んない。 マツリは関係ないでしょ?」

「関係がない?」

「私の伴侶を探すのに本領は関係ないじゃない。 どれだけ本領に遠い親戚が居てもそれは本領の話しなんだから」

「血縁・・・親戚も何もない。 関係ない」

「だったら何で急に言ったの? 納得できない。 あ、地下に関係?」

今の紫揺の認識ではマツリと紫揺の関係は、地下か若しくは杠で繋がれているようだ。

「地下って楽しいもんね。 そういうことか。 うん、地下のことだったらいつでも呼んで。 すぐに行くから。 マツリが迎えにさえ来てくれれば即行地下に行けるし、わざわざ伴侶にならなくてもいいじゃない」

上を見上げていたマツリが顔を下した。 大きく溜息をつく。

「なにそれ」

溜息が気に食わなかったらしい。

「いま本領は忙しい最中(さなか)だ。 いつまでもこうしておるわけにはいかん。 下りてこい」

地下で捕らえた者のこともある、明日から動かねばならないこともある。
それに帖地の目は見たが他の者の目は見ていない。 シキが視れば容易いだろうが、四方がお役御免となったシキを使うはずはない。

「答えになって無いんだけど」

「・・・下りてきたら、お前の言う納得ができる」

紫揺が眉を上げる。 どういう意味だろうか。

「じゃ、そこどいて。 下りるから」

マツリが一歩後ずさる。

紫揺が眉を顰める。
もっと下がって欲しいということなのだが、マツリが一歩分しか空けなかった。
ふん、いいだろう、鼻先をかすめて完璧に下りてやろうではないか。

軽く膝から下をあふると腕の力も手伝って枝から跳び、着地を完璧に・・・。 着地を・・・。
足がぶら下がっている。 長靴の下に地がない。
そう思ったのは一瞬。

城家主の屋敷の塀を跳び下りた時、あの時と同じだ。 腹の辺りに後ろから腕をまわされマツリに抱えられている。
だがあの時はすぐに降ろしていた。

「だからー、これくらいの高さ何ともないって」

せっかくずっと上りたかった木から跳び下りたのに。 台無しだ。
と、側頭部に息がかかった。

「ん?」

振り向こうとした。

「じっとしていろ」

マツリの声が側頭部のちょっと上から聞こえる。

「結構この体勢しんどいんだけど」

パンダが飼育員に後ろから抱っこされている図だ。
マツリの辟易したような溜息が聞こえる。

「領土の者も本領の者も女人が抱えられたり、親でもなければ兄弟でもない者の腕の内に入るなどということは簡単にすることではない。 ましてや女人は己が気を許した者にしかさせない。 お前はどうして平気だ」

紫揺が倒れた時にマツリが紫揺に手を添わせたり顔を見せたりということに “最高か” と “庭の世話か” が戸惑いを見せたのは尤もであった。
兄弟でもない者の腕の内、それは宮で杠に抱きついたことを言っているのだろう。 そして抱えられるというのは、今この時の事とエトセトラだろう。 東の者にも抱っこされたと話していたのだから。

器械体操で補助されたり、空中での姿勢を教えられるとき、監督やコーチから抱えられるのは当然だ。 そんなものには慣れっこだ。
だがそんな理由を話そうと思うと、器械体操とは、から説明しなくてはならない。

面倒臭い。

「日本に居る時、沢山抱っこしてもらったから何とも思ってない。 下ろしてよ」

―――持ち上げられた。

「上げるんじゃなくて、下ろしてってば!」

キョウゲンの羽ばたく音が聞こえたと思ったら、マツリの銀髪が左の目の端に入ってきた。

「なに」

眉間に皺を寄せ不機嫌に言うと、僅かに右に顔を傾けるようにして左に首を捻じろうとした。
マツリの銀髪がはっきりと目に映る。

首に柔らかい感触。

「は?」

ゆっくりと感触が離れる。

耳元でマツリの声がする。

「まだ接吻はせん。 だがもうお前は俺の許嫁だ」

ストンと地に足が着いた。

首に感じた柔らかい感触・・・あれはマツリの唇。
左手で首を押さえる。

どうしてそんなことをされなくてはいけない。 どうしてマツリの許嫁にならなくてはいけない。
下りてくれば納得すると言っていた。 それがこれだというのか。

許嫁って・・・なに。

許嫁は知っている。 でも分からない。 杠に訊かなかった。 教えてもらっていない。
違う。 もう杠はいない。 自分は東の領土に帰るんだから。

目が熱い。

「紫、お前は誰にも渡さん」

―――何が納得だ、納得など出来るはずがない。

「お前って言うなっ!」

左手を下すと紫揺が振り返った。
勢い良く振り返ったせいで、目に溜まっていたものがキラリと輝いて横に飛ぶ。

バチン。

腕を真っ直ぐに伸ばした紫揺の掌がマツリの頬を打った。

紫揺がマツリを睨むがマツリは打たれても睨まれても平気な顔をしている。 決して睨み返してなどいない。 むしろ口の端が上がっている。

マツリを睨む目からポロリと水が落ちる。

「納得なんかしない」

紫揺が踵を返すと走り出した。

「待て! 走るな!」

マツリが追うが紫揺の足の速さは常人の女人のものではない。 それにここは整備されていない山道。 石が転がっていれば足元も悪い。 手を着いて大きな岩の上に上がるといとも簡単にピョンピョンと跳び、来た時のルートをかなりショートカットしている。

マツリは自分の足元と紫揺の背を見ながらになり遅れを取り始めた。

キョウゲンが止まっていた枝から飛び立ち、そのまま真っ直ぐ前に飛んで行くと紫揺の横を飛んだ。

「紫さま、危のうございます。 一度お止まり下さい」

キョウゲンの声とともに遠くにお転婆の啼く声が聞こえた。 前方への推進方向を斜め上に変えるよう岩を跳ぶと片足づつ着地し、そのまま走り出すのではなく足を止めた。

もしかしてずっと前から聞こえていたのかもしれない。 キョウゲンの声で葉擦れの音や川の流れる音が耳に入って来た。

ポケットに手を突っ込む。 手巾を取り出すと涙を拭く。

下ではお転婆をつれたお付きの者達が待っているのだろう。 いつ戻ってくるか分からない紫揺を毎日毎日待っていたのかもしれない。
涙顔など見せられない。 大きく深呼吸する。 気持ちを整えて涙を引かす。
後ろにマツリが立っているのが分かる。

「馬の声が聞こえた。 下でお付きの人たちが待ってくれてる。 だからもういい」

「東の者に手渡すまでは戻らん。 とにかくこんな所で走るな」

手巾でぎゅっと目を押す。
大丈夫。 もう涙は出てこない。
歩を出し歩き始めた。

枝に止まっていたキョウゲンがマツリの肩に移動する。

歩いているのはマツリに言われたからじゃない。 鏡がないから分からないが、目から水が出ると大抵は白目が赤くなっている。 それを少しでも治すように、時間稼ぎのために歩いているだけだ。
無言で山を下りる。

馬の嘶(いなな)きと蹄の音が聞こえる。
ずっと待っているのだから馬を走らせているのだろう。

お転婆は誰が連れて来てくれたのだろうか。 お転婆は大人しく連れられていたのだろうか。
ガザンは毎日何をしていたのだろうか。
此之葉の料理の腕は上がったのだろうか。

震える口元が緩む。

東に帰ってくれば東のことを考えている。
杠のこともマツリのことも考えていない。
だからそれでいい。
自分は東の人間なのだから。


山を下りると東のお付きと呼ばれる者たちに紫揺を渡したマツリ。 すぐに本領に戻らなくてはならない。 それ故、東の領主へは後日顔を出すと伝えてもらうことにした。
何故かその間、見たこともない犬がマツリの匂いを嗅いでいた。 東の者が止めないのでそのままにはしておいたが、東の者たちが意外そうな顔をしていたのは目に留まっていた。

紫揺はすぐに愛馬お転婆に乗っていた。

あとで聞いた話によると、紫揺が本領に向かった日、誰がお転婆を連れ帰るかという話になりシブシブ阿秀がお転婆を連れ帰ったらしい。 そして翌日お転婆をやっとのことで厩から出し、誰がお転婆を山まで連れて行くかという話になった時、ガザンがお転婆に近寄ってきて、何故かお転婆とガザンが意気投合したらしく、山と厩の往復はガザンがお転婆の横を走って暴走させないように誘導していたということであった。

シープドッグならず、ホースドッグのようだ、と紫揺は思ったが、お付きの者達は違った。

「似た者同士気が合うのかなぁ?」

この口調は醍十。

「一匹と一頭と一人か?」

「いや、気が合うというよりは、一頭と一人を一匹が守りをしているという感じだろう」

「一頭と一人は完全に同じ性格だからな」

「あれは・・・どうにかならんか?」

「この領土で一頭を抑えられるのは、一匹と一人。 一匹を抑えられるのは一人。 一人を抑えられるのは・・・」

全員が塔弥を見た。

「無理」

塔弥が言った途端、醍十と塔弥以外の頭に拳骨が落ちた。 主犯および実行犯、阿秀からのものだ。
いつの間に部屋に入ってきていたのだろうか。

痛ッテー、という五声の輪唱が決まった。

「“一人” とか “あれ” とか、お呼びの仕方を考えろ」

誰も “一人” と “あれ” が紫揺のことだとは言っていない。


久しぶりのお転婆の乗り心地に満足し、厩に戻ると手入れをしかけた紫揺の手を阿秀が止めた。

「あとは塔弥がいたします。 領主がお待ちです」

お転婆は塔弥に対しては他の者に比べると大人しく手入れをさせていたらしい。 とは言え、気を緩めるといつ噛みついてくるか分からないし、蹴られるかも分からない。

「ガザン、頼む」

塔弥が言うと心得たとばかりにガザンがお転婆の横に付く。

紫揺が両眉を上げた。 自分の居ない間に塔弥とガザン、お転婆の図式が出来上がっていたようだ。
安心して塔弥とガザンに預けるかと歩を出す。 後ろを阿秀が歩く。

「ガザンはかなり頭がいいですね」

阿秀が言う。

ガザンを褒めてもらって悪い気はしないし、それどころか嬉しい。

「塔弥以外の者が言っても聞きませんが」

「え?」

阿秀に振り返る。

「他の者が言っても知らんぷりです」

阿秀越しに塔弥を見る。 それに倣うかのように阿秀も振り返ったが、すぐに前を見て「行きましょう」 と、まだ塔弥を見ている紫揺に声を掛けた。

領主の家に入るとすぐに領主が迎え出てきた。 かなり心配していたようだ。

「ご無事で・・・」

「あ、ゴメンなさい。 心配をかけるつもりはなかったんですけど」

勝手に心配をしていただけだと、領主が首を振る。
領主の後ろには我秋が立っている。 口の端を上げ、お帰りなさいませと言うように頭(こうべ)を垂れた。

「お疲れで御座いましょう。 茶を淹れて参ります。 どうぞ中へ」

まだ安堵の表情だけの領主の後ろで秋我が言うと、やっと我に戻ったのか、領主も頷き「どうぞ」と誘(いざな)った。

長卓につくとすぐに領主が口を開いた。

「紫さまのお力の事は分かりましたでしょうか」

「かなり分かりました」

実践してきたのだから。

「他には?」

「え?」

紫の力を知りたいと言って本領に向かった紫揺だが、それが取って付けたものだと分かっている。
本来の理由があるはず。

紫揺の前にコトリと湯呑が置かれた。 秋我が茶を淹れてくれたのだろう。

「耶緒(やお)さんは?」

「まだ気分を悪くしておりまして」

悪阻(つわり)が酷いようだ。

「大丈夫なんですか?」

「本人は病気ではないからと言っておりますが、紫さまに茶も出せず申し訳ありません」

「そんなことはないです。 気にしないで下さい」

秋我に言うと、領主を見た。

「どなたか出産経験のある方に耶緒さんに付いて頂いてはどうですか?」

秋我と耶緒は秋我が見ていた辺境の地で知り合ったと聞いている。 耶緒の両親は辺境に居る。 領主の妻であり秋我の母はとうに亡くなっている。 出産経験のある弟夫婦の義妹は夫婦ともども辺境に住み領土を見回っている。 この家で男二人だけでは不安だろう。

領主が秋我を見る。

「お前から見てどうだ?」

「悪阻がどういうものかは分かりませんが。 かなり顔色を悪くしておりましたが今は少しましになったと思います」

料理も出来ない状態で女達が代わる代わる食事の用意をしに来ているという。

「領主さん、強い女の人って妊娠出産を病気と考えません。 無理をしてでも動こうとしたりします」

辺境でそんなところを沢山見た。

「耶緒さん、最初に無理をし過ぎたってことは無いですか?」

たしかに秋我が止めるまで病気ではないからと動いていた。 「そうかもしれません」と秋我が頷く。

「絶対に誰かに付いてもらった方がいいです」

秋我夫婦はずっと辺境で暮らしていた。
だが領主もそろそろ歳だからと、紫揺が見つかったのを機に領主としてのお役を教えるため秋我夫婦をここに呼んだ。 それは紫揺が東の領土に来て間なしのことだった。 だから紫揺と耶緒は似た時にここに来ている。

耶緒がここで暮らすようになってまだ二年経っていない。 十六年かかって三十一歳で慣れない土地での初めての妊娠。 不安は山のようにあるだろう。

「今はどんな感じですか?」

「はい。 大分、落ち着いております」

「私が会っても大丈夫そうですか?」

顔色がマシになり落ち着いているのなら心配はないようだが一度視ておきたい。 視られるかどうかは分からないが。
でも手を握るくらいは出来る。 それだけでも全然違うはずだ。

「もちろんですが・・・」

秋我がどうしたものかと領主を見る。

紫揺に妊娠出産の経験が無いのは明らかだが、女同士にしか分からないことがあるのかもしれない。
領主が頷いてみせ紫揺に言う。

「紫さま、今はお疲れで御座いましょう。 明日にでも」

紫揺は言うが早いか、するが早いかという人間だ。 この短期間でそれがよくよく分かった。 今 “是” とだけ答えるとすぐに耶緒に会いに行くだろう。 だから明日と言った。

「えっと・・・本領に行っていた報告はこれで終わりでいいんですよね? ちゃんと紫の力が分かった・・・とまではまだハッキリ言えませんが・・・」

『これ以降、限界を超えるような使い方をするんじゃない。 己の力を分かっていくよう』

マツリに言われたことが頭をかすめる。
そしておまけでついほんの前のことも。

紫揺が口を一文字にしている。 話は途中なのに。

「紫さま?」

領主が紫揺の名を呼ぶ。

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