大福 りす の 隠れ家

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辰刻の雫 ~蒼い月~  第6回

2021年10月29日 22時29分48秒 | 小説
辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~  第6回




ゴトゴトという音が聞こえその次に足音が聞こえた。 そして戸の向こうで人の声がする。
マツリの居る隣の戸の鍵を開ける音に続いてキーッと開く音とともに、それぞれに角灯を持った男が二人入ってきた。 男たちが奥まで歩くと角灯でリツソを照らす。

「まだ寝てやがる」

「薬が効きすぎたか?」

「十五って聞いてたからな。 その分量を飲ませたんだから、効き過ぎたんだろうな」

「どう見ても十五の歳の身体じゃねーしな。 それより、このまま目を覚まさないってことは、ねーだろうな」

「明日には覚めるだろうよ」

「本当だろうな。 このまま死なれたら俺たちが殺される」

「おやっさんが庇ってくれるさ」

「おい、城家主って呼べ。 それに、その城家主にだよ。 下手を打ったってな」

「・・・有り得なくないか」

「有り得るんだよ」

「とにかく明日まで待とうさ。 それで目を覚まさなかったら、気つけの薬草でも煎じて飲ませて・・・炙って煙を吸わせればいいだろう」

目を覚まさなければ飲むことが出来ないと途中で気付いたようだ。

「それよりマツリが一度来て帰ったらしいが、新顔が無かったかと訊いていたらしい。 まだリツソのことを知らないってことか?」

「今日は見張番から夕刻前にどっかの領土に飛んだと聞いたから、その足でこっちまで飛んできたんだろうさ。 今頃は宮でリツソの話を聞いているかもしれねーな。 またいつ現れるか分かりゃしねえ」

「それじゃあ、あんまりここを照らしているのも良くねーか」

角灯を掲げ上の窓を見上げる。

(見張番? 地下と通じている者がいるということか?)

東西南北の領土に行くときには岩山の上の洞から入るが、その岩山には見張番が何人も居て不埒な者を出入りさせないために目を光らせている。 その見張り番に地下と通じている者がいると言うのか。

戸の締められる音に続いて鍵をかける音がした。 だがマツリはまだそのままじっとしている。
ゴトゴトという音が聞こえた。

暫くするとキョウゲンの声が耳に入る。

「完全に行きました」

戸を探すために残りの壁を照らそうとすると、探すまでもなくマツリの背後にあった。 軽く押してみたが、外から鍵がかけられているようで開く様子がない。 どの道隣りの戸にも鍵が掛けられているのだ、この部屋から出ても同じこと。

「さて、この板を破るか上から行くか」

リツソが向こうに居ることは分かった。
懐から光石を出し薄い板を指で弾く。 どちらも可能だが、上から行くとリツソをこちらに持ってくるに少々労をきたさなければいけないし、板を破ると音が出てしまう。

「そう言えば下の声が聞こえないか」

「私の耳には三人の声が聞こえますが、先ほどの男たちが出て行った時に、この部屋の先で何やら重い感じの閉まる音がしました」

マツリも聞いたゴトゴトという音のことだ。
屋根裏に上がってくるということは、跳ね上げの階段なのだろう。 跳ね上げの階段まで作っている、いい加減には作っていないだろう。 少々の音は漏れないということか。

「では破るか」

己の身を潜らせるには最低二枚は破らなければいけない。 それも一枚につき二か所。 さすがに堂々と四回も音を出すのは憚(はばか)られる。

先程目にしていた雑多なものが置かれている所に戻ると、なにかが巻かれている布を手に取る。 そのなにかは、木の一本彫りで狼の形をした置物が入っていた。

「誰から巻き上げたのやら」

布の長さを見て納得すると元の位置に戻る。 布は正方形であった。 それを二つに畳む。 そこそこの厚さがあるが、親指ほどの隙間に押し込んで板の間を通すことが出来る。

「カルネラ」

「ぴっ!」

「この板を破るためにこの布を木の間に通す。 向こうに行って布を引っ張りこの板を包むように、こちら側の隙間から通せ。 分かるか?」

これはキョウゲンが嘴(くちばし)を使ってするより、カルネラが手で行う方が早いであろう。

「きゅーい・・・」

「分からぬか」

「私がついて行きます。 カルネラ、向こうに行くぞ」

羽ばたくと上の隙間から隣の部屋に入る。 その後をカルネラが追う。

マツリが二つに畳んだ布を親指ほどの隙間に押し込む。 端が向こうに出た。 それをキョウゲンが嘴で捕らえると引っ張る。

「カルネラ、これを引っ張れ」

「ヒッパレ? カルネラ?」

「そうだ。 私と同じことをしろ」

カルネラが小さい手で布を掴むと足を突っ張って布を引っ張る。 ある程度引っ張ることが出来た。

「よし、次は持っているその端をここに入れろ」

「きゅい?」

マツリが指示を出すが、それが分からないようだ。
キョウゲンが嘴で布を咥えると、板を巻くようにしてもう一方の隙間に入れる真似をする。 嘴では到底入れられない。

「カルネラ、デキル」

「よし、キョウゲンに代わってカルネラがしろ。 今キョウゲンが入れようとしていたところから入れるんだ」

布の角から入れろと言っている。
カルネラがキョウゲンから布を受け取る。

「ここだ。 ここから入れろ」

キョウゲンが布の端を嘴でつつく。

「ココ、イレル?」

「そうだ。 その角をここに押し込め」

押し込めなどという言葉は知らないが、取り敢えず持っている布の角を隙間に入れるように小さい手で、うんしょ、うんしょと頑張る。
布の先がマツリの方に出てきた。

「よし、いいぞ。 こちらから引っ張る。 どいていろ」

「カルネラ、下がれ」

「ニゲル?」

「離れるということだ」

マツリが布の端を掴むと布を引っ張る。 次に両方から布を上に引っ張り、膝の高さくらいまで持ち上げると布を合わせ板を包むようにする。 そこに拳を打った。 バキッと布に吸収された鈍い音がした。

「ぴ!」

カルネラの声が上がった。

今度はマツリ一人で出来る。 今度は布を下にさげ、布が落ちてこないようにすると板の上を持ち一気にこちら側に倒した。 またもや鈍い音が鳴り木が一枚剥がれた。
これを隣の木にも施し、マツリの身体がぎりぎり通れる隙間が出来た。

光石を先に向こうに入れると、身を床に付けて隙間を通る。 通りきると立ち上がり、男たちが角灯で照らしていた辺りに光石をかざす。

すると麻袋から顔だけを出し、首元で袋の紐が括られているリツソが目に入った。 男たちが言っていたようにその目は閉じられている。
紐をほどくと麻袋からリツソを出し鼓動を確かめる。 心臓は打っている。

「ふむ、これでは目立つか」

マツリの衣装は黒で闇に溶け込む。 キョウゲンにあっても薄い灰色の顔から始まって、段々と羽先と尾にいくほどに黒い色をしている。 これも闇に溶け込む。 共に銀髪と薄い灰色は厳しい所があるが、それでもリツソが今着ている黄緑の水干の明るい色よりは随分とましだ。

もう一度リツソを麻袋の中に頭までスッポリと入れると紐を綴じた。
麻袋を板の穴近くに置き、もう一度マツリが身を床に付けて穴を通る。 通りきると袋を引っ張り、麻袋ごとリツソをこちら側に移動させた。

「さて、どうやってあの窓に上がるか」

取り残されないように、慌ててカルネラがリツソの入っている麻袋に上る。

雑多な物の方に歩いて行ったが、足場になりそうな役に立つものはありそうにない。
一人であれば跳びも出来るが、たとえ軽いと言ってもリツソを抱えては無理があるだろう。

「ふむ・・・目先を変えるか」

そう言うと雑多な物の中から、縄を一本手に取った。 その縄で麻袋を縛る。 カルネラが飛び逃げる。

そして到底足場には出来ない雑多な物をわざと不安定に窓の下近くに積み重ね、その脇に細く丸い鉄の棒、これは溶かして何かにするつもりなのだろう。 それが戸を開けた時に不安定に置いたものが突かれて崩れるように置いた。

「キョウゲン頼む」

「御意」

キョウゲンが縄の先を足で掴むとそのまま窓から飛び出た。 縄の長さは充分にある。 手を伸ばして光石で窓の場所と高さ大きさをはかる。

少し後ろに下がって助走をつけて床を蹴り上げた。 あくまでも軽く。 片手にはまだ光石を持っている。 窓の枠が照らされる。 もう一方の手で窓枠を持つとすぐに光石を懐に入れ、両手で窓枠を持ち勢いのまま懸垂で上がるとそのまま窓を抜けた。

キョウゲンから縄を受け取るとゆっくりとその縄を引き上げ、麻袋を腕に抱える。 もれなくカルネラが付いてきている。 縄を解くと開け放してある窓の下をくぐらせて両方から部屋の中に垂らした。

「あとは降りるか」

「マツリ様、私だけで裏の方に飛んで行き、そこで身体を大きくしてこちらに飛んで参ります。 そうすれば羽音が立ちません。 こちら側では目立ってしまうかもしれませんので、裏側の屋根にお移りください」

キョウゲンは羽音を立たせないようにというが、基本キョウゲンは、フクロウは羽音をほとんど立てない。 かなり慎重になっているのだろう。
そしてキョウゲンの言うそれは、漆黒の中飛んでくるキョウゲンに跳び乗らなければいけないということだ。
マツリが両の眉を上げた。

「出来ると思うか? 俺には全くキョウゲンが見えん」

「風の音でお分かりになるでしょう。 一応、嘴を三度鳴らします。 三度目に蹴り上げて頂ければよろしいかと」

「リツソは?」

「屋根の一番高い所に置いてください。 マツリ様を乗せた後に掴みます」

「分かった」

キョウゲンがマツリの肩の上に乗る。 マツリが脇に麻袋を抱えると屈んで屋根を確認しながら上っていく。 キョウゲンが羽を広げてマツリの銀髪を隠す。

「あと三歩で一番高い所です」

二歩進むと片手で出っ張りを確認する。

「リツソ様はここに」

マツリが麻袋を降ろすと落ちないようにでっぱりの上に置く。

「カルネラ、マツリ様の懐に入れ」

リツソの入っている麻袋の上に立っていたカルネラ。 このままでは飛んだ途端に落ちるかもしれない。

「きゅーい・・・」

「これから飛ぶ。 落ちてもいいのか?」

「オチル、イヤ。 イタイ」

何度か木の枝で惰眠をむさぼっている時に、木から落ちたことがある。

「では、少なくともマツリ様の肩に乗れ」

しぶしぶカルネラが恐~い兄上の肩に乗った。

「マツリ様はこのまま屋根を斜めに降りてくださればと。 ある程度マツリ様とリツソ様の距離をとりたいので」

「分かった」

しゃがんだ手で屋根を確かめながら斜めに降りる。

「この辺りでよろしいかと。 マツリ様の左方向から飛んで参ります」

「承知した。 それでは頼む」

「御意」

マツリが僅かな重みを感じる肩に手を伸ばす。

「ぴっ!」

「声を出すな。 懐に入っておれ」

カルネラを掴むと、すでに光石が入っている己の懐にカルネラを入れた。

マツリが目を閉じる。 キョウゲンの風を切る音を聞くために。 しばし待つと左手から風を切る音が聞こえてきた。

(来たか)

キョウゲンのカチカチと規則的な音が聞こえる。 そして三度目のカチという音が、いつも蹴り上げている風を切る音よりタイミングが早かったが、己よりキョウゲンを信じて蹴り上げた。

マツリを乗せたキョウゲンがリツソの入った麻袋を掴み、岩壁ぎりぎりまで上昇し、ここでやっと羽を動かした。

「お見事で御座います」

「風を見切れなかった。 キョウゲンの嘴の音が無かったら遅れていただろう」

「羽を動かさないよう、いつもより勢いをつけておりましたのでそうなったのでございましょう」

「それを見越して嘴で音を鳴らすと言ったのか」

「音に反応していただき、至極恭悦に御座います」

「今回はキョウゲンの一人舞台だな。 リツソに頭を下げさせなくては」

そう言うとキョウゲンの身体に身を伏せる。 上にある岩の壁面を背にぎりぎりにキョウゲンが飛びそのまま地下を抜けた。
キョウゲンの身に伏せていたマツリの目からは、上を飛ぶキョウゲンに誰も気付いたようには見えなかった。

地下の洞を抜けるとマツリが身体を起こす。

「リツソはどうだ?」

先ほどまでは無難に城家主の元から去ることしか頭になかったが、リツソの具合が気になる。

「動かれた気配は御座いません」

「・・・そうか」

城家主の手下が言っていたことが気になる。 身体に見合う以上の薬を飲ませたと。
キョウゲンが夜の空に舞い上がり宮を目指して羽を動かした。


宮の庭に降り立ったマツリとキョウゲン。 キョウゲンは大きい姿のまま片足を上げている。

マツリがキョウゲンの足から麻袋を受け取る。 再びキョウゲンが飛び立ち、クルリと縦に回転するとその身を小さくしてマツリの肩に乗った。

宮内を探していた者からマツリが帰ってきたことを聞いた四方が大階段を降りてきた。 いつもならこの刻限には居ない下足番が慌てて草履を出す。

「どうだった!?」

「囚われておりました」

抱えていた麻袋を下すと紐を解きその中からリツソの顔を出した。

「身体に見合わない薬湯を飲まされたようです。 解毒が必要かと」

「すぐに薬草師を!」

四方が振り返り、四方の後を追ってきた若干顔色を戻した側付きに、声を荒げるように言った。
側付きは休むようにと言われていたはずだったがリツソが居なくなったのだ、少し体を休めてからまた出てきたのだろう。

「マツリが言っていたのがこれか」

「そう思われます。 地下の者は・・・地下を牛耳っている城家主と呼ばれる者が地下だけでは飽き足らなくなってきたようだと、俤から聞いておりました。 以前から地下から何度か出入りをしているようだとも。 今回、リツソと交換に本領を己で治めようとでも思ったのでしょう」

城家主のことと、地下で噂をされているリツソのことをバラバラにではあるが、俤から聞いていたし、四方にもそう報告をしていた。 その手段にリツソが狙われるかもしれないと。

「・・・地下を法で治めねばならんか」

「それは難しいことでありましょう」

この本領で生きることが出来なくなった者が地下に逃げ込んでいる。 その場を無くすというのは容易なことではない。

「今の城家主と呼ばせている者がやっかいです」

今の城家主は四十代後半。 丁度マツリが四方から地下を受け継いだ頃に、身体の具合を悪くした父親から地下を受け継いだと聞いている。

城家主の父親はおやっさんと呼ばれ上手く地下を治めていた。 それは本領としては有難いことであった。 だが今の城家主と呼ばせている者はそれだけでは飽き足らなかったようだった。

「手を入れるなら、城家主を潰すしかありません」

城家主は具合を悪くした父親が亡くなった途端、幅を利かせてきたと聞いている。 ずっと野心を抑えてきたのだろう。

「潰した後に新たな者を地下の頭にさせるしかありません」

それは簡単なことではない。

「リツソ!」

澪引が裸足で駆け寄ってきた。 マツリの手に乗っているリツソの頬を両手に包む。

「リツソ! リツソ!」

「母上、薬草で眠らされているだけです。 大事は御座いません」

男たちの会話を聞いていたのだから言い切れないが、今は澪引に感情を抑えてもらわなくては困る。 男たちの会話をそのまま伝えると澪引は卒倒するだろうし、これ以上リツソの名を呼ばれても困る。

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辰刻の雫 ~蒼い月~  第5回

2021年10月25日 22時06分40秒 | 小説
辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~  第5回




「・・・はい。 可能性として地下に牢屋があると聞きましたが、どこにあるのかは分かりません。 そちらか、屋敷には屋根裏という部屋があるらしいです。 どちらかが怪しいかと」

「承知した」

懐から革袋を出すとそれを俤に渡し踵を返して路地から出て行った。
革袋には金が入っている。 この地下で生きるには必要だ。 一礼した俤がそれを懐に入れると路地を更に奥に入って行った。

暗くても慣れた路地。 何度か曲がると路地を出ることが出来るところまで来た。 歩いて行くと、ふと座り込んでいる男が俤の目に入った。

「チッ・・・」

思わず舌打ちが出る。
見慣れない顔だ。

「新顔か?」

男に声を掛ける。 顔を上げ俤を見た男は三十の歳にもなっていないだろう。

「文句があるのか? ここは誰でも入ってこられるんじゃないのか」

「文句なんてない。 ただ・・・」

俤が男をじっと見た。 男が怯んだような目をする。
こういう時の俤の目はその容姿から想像できないほど座っている。

「やり直せるうちにやり直せ。 ここは最後の最後だ」

ついさっきマツリから貰った革袋に手を入れると、男に穴銀貨を五枚手に握らせた。

「・・・え?」

「これだけじゃあ何をするにも足りないだろうがここから出ろ」

この地下で穴銀貨五枚というと、安い酒をしこたま呑むことが出来るが、地下から出るとそうはいかない。 せいぜい十日ほど細々と食べていける程度だ。

「なにを・・・」

「さっきも言っただろう。 ここは最後の最後だ。 ここからから出てやり直せ」

そう言い置くとその場を後にした。 目立つことはしたくなかったが、地下に堕ちる人間を増やしたくないこともあったし、人数が増えることでマツリにかかる負担を防ぎたかった。

俤は新顔を見つけるとこうして持っている金を渡していた。
それが己の危険に繋がると分かっていても。


俤と別れたマツリ。
もしリツソが攫われていたのであれば、これ以上己の姿は見られないに越したことは無い。 地下の者から見えない広い所に戻り、改めてキョウゲンの背に乗って出直すのが一番いいだろう。

先ほど賭け事をしている男に姿も見られたことだ、そこから伝え聞いて俤もあの路地に来たのだろうから。 地下の者たちの噂話は早い。 一旦ここを出るふりをするのが得策だろう。

「ふむ・・・」

一言漏らすと来た道を戻っていく。 その姿をわざと見せるかのように。
男達が横目でマツリを見ているのが分かる。 声さえかけてくる者もいるが「賭け事も酒もほどほどにしろ」と言うだけで足は元来た方に向いている。

薄明りの中、緩やかな坂を上りキョウゲンから跳び下りた広い所に出た。

「どうだ? 誰かいるように見えるか?」

キョウゲンがマツリの肩の上で360度見まわす。

「見あたりませんが岩の陰にでも隠れていては分かりません。 飛んでよろしいでしょうか」

上から見るということだ。

「そうだな、そうしてくれ。 俺は出る方に向かう」

万が一を考えて洞を抜けるふりをする。

「御意」

キョウゲンがマツリの肩から飛び立った。 上空を旋回し始めるとマツリが歩を出す。

上空といっても空があるわけではない。 あくまでも地下なのだから。 そしてその上空には光石の明るさが届いていない。 キョウゲンが旋回している姿を誰が見ることも出来はしない。
薄暗い中、マツリが歩を進めているとキョウゲンが舞い降りてきた。

「二人別れて岩陰にひそんでおります」

マツリが舌打ちをする。

「分かれていなければ良かったものを」

「一人は私にお任せくだされば」

「手荒なことは控えてくれよ」

「御意」

そう言うとマツリの肩から飛び立ち縦に回るとその身体を大きくした。 マツリが跳び乗る。 

そのまま洞を抜けると思った二人がキョウゲンから目を離す。 と、一人目が隠れている岩まで一気に飛ぶとマツリが跳び下り、キョウゲンがそのまま二人目の隠れている岩まで、まるで獲物を見つけた時の速さで飛んだ。

マツリがキョウゲンから跳び下り着地したのは男の真後ろであった。 着地と同時に男の首根っこに手刀を入れた。 男が崩れる。
獲物を見つけたキョウゲンは、その大きさのまま男の背中を足で押さえつけている。 男は何が起きたのか分からず、喘ごうとしたが息が出来なくなり気を失った。
男二人はマツリとキョウゲンにやられたとは思いもしない事であろう。

再び飛び立ったキョウゲンにマツリが跳び乗る。

「ぎりぎり上を飛んでくれ」

そう言うといつもの座り方からキョウゲンの身体に身を伏せる。

「御意」

地下の上空、岩の壁面を背にぎりぎりに飛ぶ。 時折空気穴か換気口のように自然に開いた穴があるが今は夜、 陽が射していることもないし、月明かりがかなり斜めになっているのだろう、上空を飛ぶキョウゲンの影はどこにも落ちることは無かった。

キョウゲンはぎりぎりに飛ぶことに集中しているであろうから、マツリがキョウゲンの身体の上から下を見ていたが、キョウゲンに気付いて動くものは居なかったはずだ。

城家主といわれる者の屋敷まで飛んできた。

地下の者は、良くてもその昔に建てられていたボロボロの長屋のようなところに住んでいるというのに、城家主の屋敷は二階建ての立派な建物で塀の中には広い庭もある。 屋敷内かこの広い庭のどこかに地下に通ずる道があり、そこに牢屋があってもおかしくない。

「どう致しましょう」

屋敷の上ギリギリに旋回しながらキョウゲンが問う。 上空は真っ暗だ。 キョウゲンの羽根の色は闇に紛れる。 下から見られても何も目に出来ないだろう。

屋敷の門前と門の中には篝火が立ち、門前には二人の手下が立っているのが見える。 屋敷内の庭にも所々に篝火が立ち、いくつもの松明が揺れながら移動している。 それに屋敷の塀の外の周りを見回っている者もいるようで松明が動いている。

「いつもはこんなに物々しくない。 となると、リツソが攫われた可能性が大きいか」

二つの松明が一組となった四組が塀の外の周りを見回っている。 その松明の動きを見ていると死角があった。

「裏側に回り、見回りの者たちが居ない時を見計らって飛んでもらおうか」

四組がそれぞれ横と正面に移動した時に裏が死角となっている。 歩いている内にズレが生じてきたのだろう。

「裏側のどこかに身を隠せる場所はあるか?」

暗くてマツリの目には見えない。

「・・・ありました」

目当ての場所はかなり離れている。 そのうえ上空を飛んだまま目当ての場所を大分と過ぎ、誰にも見られない暗闇に身を溶けさすと、今度は地を這うような低空飛行で目当ての大きな岩の後ろに足を着いた。 前屈みになりマツリが落ちないようにしている。
しばしその状態で待つ。

右から手下の者が歩いてきた。 ゆっくりと松明をあちこちにかざしながら左に歩いて行く。

「あの者たちが屋敷の横に入ったらすぐに飛んでくれ」

上空から見ていた時に、こうしてあちこちに松明をかざしている者達と次に歩いて来る者たちとの間にずれが出て死角が出来ていた。 他の者たちは松明を前に持っているだけだった。

「御意」

獲物を狙う目でキョウゲンがじっと前を見ている。

左右に揺れていた松明が視界から消えた。
すぐさまキョウゲンが飛んだ。 羽音を隠すためにここ迄離れた所で隠れていたのだ。 勢いは充分に出る。 低空から流れるように塀の高さに上がると、マツリが一瞬にして辺りを確認し跳び下りた。 キョウゲンが縦に回って身体を小さくしマツリの肩に乗る。

塀の外では見張りが回っていたが、塀の内では回っていないことを上空から確認していたし、庭に動く松明が移動していたのは表側だけで裏側には松明の火は見えなかった。

「地下に牢屋、屋根裏に部屋か」

上を見上げる。

屋敷の中にも見張りが立っているだろう。 それに屋敷の中がどうなっているのかが全く分からない。

「上空から見ておりました時、屋根に窓のようなものが付いておりました」

まずは地下にある牢屋に侵入しようと思っていた。 庭のどこかにあればあれだけ見張が立っているのだ、探すことは出来ない。 だから可能性のある屋敷内に入ろうと思っていた。 だがマツリでは見えないところをキョウゲンが見ていたようだ。

「そうか。 では屋根裏とやらを先に見てみるか」

屋根の形は表と裏に面をなしている。

上りやすそうなところを見つけてすぐに上り始める。 キョウゲンが顔を後ろに向かせると後方からの目に控え片方の翼を広げる。 万が一にも見つからないように、目立つマツリの銀髪を隠す。

でっぱりのある壁面には丁度良い足場となるものがあり、いとも簡単に屋根に上ったが、ここまでは窓から洩れる灯りで目先を見ることが出来た。 だが屋根の上に上がってしまっては何一つ見えない。

「窓はどこだ?」

屋根に立ち上がったマツリの銀髪を覆っていた翼を下げる。 裏側の屋根の上は漆黒の闇である。 たとえ目立つ銀髪といえど、照らす明かりが無くてはその銀髪さえも目にすることが出来ない。

「表側になります」

このまま屋根を上って行かなければならないということだ。 足元で傾斜を探りながら屋根を上っていく。 屋敷が大きいせいだろうか、傾斜は思ったほど急ではない。

「あと三歩で一番上になります。 でっぱりがあるのでご注意下さい」

見えないところで出っ張りがあっては困る。 仕方なくしゃがんで手で確認する。 そのまま手を着いて一番上を跨いだ。 門の内と外の篝火が目に入る。 尻を落とすと立膝で座る。
先ほどの裏側と違ってぼんやりとは足元が見えるが、はっきり見えるものではない。

「窓は左右にございますが左の方が近くになり、少しですが跳ね上げられております」

「同じ部屋の窓とは限らんか。 ではそちらから」

「このまま左に移動を」

手をでっぱりに添わせてしゃがんだまま移動する。 マツリも己の銀髪を気にしているのだろう。 勢いを上げてメラメラと音をさせながら燃えている篝火の僅かな灯りに照らされるかもしれない。 正面を向いたままで極力銀髪を正面に向けないようにしている。

「あと少し」

ゆっくりと移動していく。

「この辺りでよろしいかと。 あとは下へ」

しゃがんだまま屋根に手を添わせ下っていく。 段々と幾つもの庭の篝火も見えてきた。

「表ばかり厳重にして裏はがら空きということか」

「人の目では裏には回ることは出来ないからでしょう」

たしかにあの暗さの中に立つことなど無理だろう。 光石か松明でもあればいいだろうが、そんなものを持ってしまうとすぐに見つかってしまう。
多少なりとも部屋の窓からの明かりの漏れがあると言っても、高い塀によって明かりを遮られている。 明かりを求めて塀の中に行くことは困難であろう。 それにもしかしたら裏側には罠がしかけてあったかもしれない。

「あと三歩で窓が左手に当たります」

二歩あるくと手を動かす。 窓枠に手が当たった。 ゆっくりともう一歩出しながら、ぼんやりと見える窓枠を手で確認する。 己の身体が十分に入る大きさだ。 あとは窓がどんな風に開いているかだ。

「下側から跳ね上げられております。 短い支え棒が立ててあります」

窓枠の上側に手を添わせ、跳ね上げられている窓に添って手を這わせる。 跳ね上げられた窓の端までくると窓を掴んだ。 もう一方の手で窓枠の下方向を横にそっと指を這わせる。 軽く何かが当たった。

「それが支え棒です。 マツリ様の拳ほどの大きさで手で握れる四角の形をしたものです」

ゆっくりとその棒を掴む。 窓を少し上げると支え棒を引き抜く。

「この窓は屋根まで開きそうか?」

「分かりかねます」

「上げてみるしかないか」

そっと窓を上げていく。 なんの引っかかりもなく上がり、窓を全開できた。 その間にキョウゲンがマツリの肩から下り窓から部屋の中を見渡している。

「誰も居りませ・・・少々お待ちを」

キョウゲンが耳をそばだてている。 何度か顔を右に左に向ける。

「カルネラの声がいたします」

「カルネラの?」

マツリが顔を入れて覗くが、やはり真っ暗で何も見ることが出来ない。

「・・・おりました」

そう言うと羽音をさせないように窓に滑り入り、キョロキョロとしているカルネラの上まで飛ぶと 「カルネラ、声を出すのではないぞ」 そう言ってカルネラの身体を掴んだ。
カルネラを足に掴んだまま窓から飛び出したキョウゲンがマツリの座っている足の上にカルネラを落とす。

「きゅーい」

マツリの手がカルネラを掴み反対の手に落とす。 はっきりと見えはしないがカルネラに間違いない。

「カルネラ」

「ピッ!」

何も見えない中に、こわ~いマツリの声が耳に入ってきた。

「騒ぐのではない。 リツソは?」

「・・・」

「しかと返事をしろ。 リツソ様は何処におられる」

キョウゲンが言う。

「・・・アッチ。 マド」

もう一つの窓の方に居るのだと理解できる。

「ここと向こうは繋がっておるのか」

恐い兄上の声がまた聞こえた。

「マド、アッチ」

「カルネラ、しかと答えよ。 リツソ様のおられる場所とここは繋がっているのか?」

「ツナガル? ナニ?」

マツリが顔をしかめる。

「カルネラはリツソ様と一緒に居たのだろう。 どうやってこっちに来た?」

「カルネラ・・・。 ウエ、ノボル」

「そこはマツリ様にも通れるか?」

「アニウエ?」

カルネラが首を何度も傾げるが、残念ながらマツリには見えない。

「分からないようです」

「あちらの窓は跳ね上げられているか?」

「いいえ。 閉まっております」

「取っ手などついてはいないか?」

「その様なものは見えません」

今触った窓の構造からは、外から開けるには無理があるだろう。

「では・・・こちらから入ってみよう。 下まではどれほどの高さがある?」

「マツリ様のお背の高さの倍ほどかと」

「足元は?」

「真下には何も御座いません」

「いけるな」

そう言うと窓に身体を躍らせた。
感覚は間違いなく狂っておらず、音をたてることもなく着地をした。 キョウゲンが追って飛んで入ってきた。 マツリが手に握っていたカルネラを肩に乗せると衣の中に手を入れ、巾着から拳ほどの小さな光石を出す。
辺り一面を照らすほどにはならないが、少なくとも目先が見える。

照らされた中でカルネラが自分の立つ横にマツリの顔を見て震え出した。 反対の肩にキョウゲンが止まる。

辺りを歩き照らしてみると地下の者から取り上げたのか、賭け事で手に入れたのか、雑多なものが置かれている。 そしてそれを括ったり覆ったりしていたのか縄や布が散乱している。

「ん?」

部屋の隅に大きな木箱が六つも並んで置かれている。 一つの蓋を開けてみると隠し金だろうか、金貨が入っていた。 残りの四つも確認するが銀貨と銅貨が入っていた。 地下の者から巻き上げたのだろうか、銀貨と銅貨は有り得るだろうが、それにしては金貨が多すぎる。 最後の一つには金細工で出来たものや、飾り石で出来た宝飾品が入っていた。

蓋を戻すともう一方の窓があった方に歩いて行く。 空間を仕切っていたのは両端を除いて、マツリの掌を広げた時の親指から小指までの幅をもつ薄い板だけであった。 左右の両端は他の板と比べて分厚く幅がある。

上下に横柱を入れて親指ほどの隙間を持ちながら、縦に何枚も板を打ちつけてある。 上部は屋根が三角なだけに、横柱の上に隙間があった。 カルネラはそこから抜けてきたのだろう。 華奢なマツリの身体でも通れそうだ。

上の柱は元々だろうが、薄い板は素人手で作った仕切りの板の壁ということは明らかだ。

「誰か来ます」

すぐに光石を持ったまま戸の近くの幅のある端の板に身を隠し光石を懐に入れた。 光石は覆われると光を放たない。

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辰刻の雫 ~蒼い月~  第4回

2021年10月22日 21時58分42秒 | 小説
辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~  第4回




領主が椅子から立ち上がる。 紫揺はマツリを見ることなく自分の目線の前を見ている。

領主と秋我に見送られたマツリ。 どこかの木に止まっていたキョウゲンが飛んできてマツリが地を蹴った。

「ふーん、自分が私の前に居るのは良くないって分かってんだ」

振り返りキョウゲンに跳び乗るところを見る。

「紫さま・・・」

「ね、マツリって言わなかったでしょ? 約束は守りますって」

「・・・紫さま」

紫揺の言いようにリツソの呼び方のことが頭から離れてしまった。

「でも・・・。 リツソ君も一緒に来ると思ってたのにな」

秋我が呼びに来た時にはてっきりリツソも一緒だと思った。

「え?」

「まだカルネラちゃんに乗れないってことか・・・」

北の領土であればヒオオカミのハクロやシグロの背に乗ってやって来ることが出来るが、この東の領土にはリツソにとってそんなに都合のいい獣は居ない。

「紫さま・・・」

リツソと会いたかったのだろうかと此之葉が思う。
だが当の紫揺はそういう考えで言ったのではない。

まだカルネラに乗れないということは、カルネラとの共鳴もしっかり出来ていないのだろう。 ということは、先程のマツリの言いように当てはめてもリツソの向上は見られないということだろう。 そう考えて言ったものであった。

領主と秋我が戻ってきた。

「うん? 此之葉どうした?」

此之葉が肩を落としている。

「あれ? 此之葉さんどうしたの?」

「いいえ、何でもありません。 茶を淹れて参ります」

領主に言われずとも秋我が此之葉の後につく。

「紫さま、お疲れになりましたでしょう。 どうぞお座りください」

ずっと櫓の下で民と踊っていたのだ。
領主に着座を促され先ほどまでマツリがかけていた椅子の隣に座る。

無難に会話をしていたが、やはり紫揺はマツリのことを敵対意識から外していないのかと、マツリも紫揺も互いに我慢をしているのだろうかと領主が思う。

「民との踊りはいかがでしたか?」

領主も椅子に掛けながら紫揺に訊いた。

「楽しかったです、 やっぱり身体を動かすのって楽しいです」

祭の間においては単に踊っていたことを指しているのだろうが、その言葉には色んな意味が含まれているとお付き達は理解している。

―――身体を動かす。

紫揺は単純に言ってくれるが紫揺のそれは普通ではない。

既に塔弥も何度も目にし、経験した紫揺のトンデモ。
塔弥と阿秀以下六人が聞くと、この程度で抑えてくれれば何の文句も心で唱えないと言うだろう。 いや、最近の塔弥は口に出している。

阿秀がなかなか苦言を呈さないので最初はお前が言え、という目を醍十以外の五人から送られてくるのだから。 まあ最近ではそんな目を送られてこられる前に塔弥が口に出してはいるが。 紫揺のトンデモは酷すぎるのだから。
五色はサルではないし、それに怪我の一つも困る。 民の目もある。

「紫さまにおかれては、こちらに帰って来て下さってからは並々ならぬ努力をして頂いて」

そこまで言うと領主が頭を下げた。

「え? 領主さん、やめてください」

「紫さまが民と話すのが不得手だと此之葉から聞いておりました。 それなのに毎日民とお話をして下さって」

まだ領主の頭は上がっていない。

「とにかく、頭を上げてください」

領主がゆっくりと頭を上げる。

「もう! 領主さん、頭は下げないでください。 たしかに私はまだここのことをよく分ってはいません」

領土史や歴代の “紫さまの書” を読んでもそれは民との触れ合いが書かれているものではなかった。
たしかに人見知りもあるし、自分のことを期待する民との接触を出来るだけ避けていた数か月だったが、徐々に話していくと段々と慣れてきた。

祖母と自分を区切った。 自分は祖母のようにはなり得ないのだから。 そして何代もの紫と名を残す者も名が同じと言っても自分ではないのだから。 自分は自分の道を模索するしかないのだから。

「皆さんに教えてもらっているんです」

この地の農業や工芸のことを。 そして家族の成り立ちやあり方を。

「彼の地とこの領土はあまりにも違いすぎますでしょう」

「領主さん、日本のことは言わないでください。 戻りたいと思っても、もう戻れないんですから」

「お戻りになられたいのですか?」

紫揺が笑みを向ける。

「そんなはずありません」

と、その時ガザンの遠吠えが響いた。

「あれ? どうしたのかな?」

土佐犬のガザンと共に入った東の領土。 ガザンは最初、外飼いではなく紫揺の家の中を闊歩していた。

最初は紫揺の家に出入りする誰もが恐がったが、その誰もがガザンは紫揺の為に居ると分かり皆が認めた。 そしてガザンも紫揺の為に皆が居ると分かり皆を認めた。
一人づつ臭いを嗅がれた時には全員が硬直状態にはなったが、この関門を通らなければ紫揺に付けないと知るとそれも我慢が出来た。

今では勝手に外に出て行って、領土の民が誰もガザンを認め、ガザンも領土の民を認めていたし、他の動物たちともガザンは上手くやっているようだ、と言おうか、自由に領土内を歩いている猫も犬もガザンに一目を置いているらしい。

「ちょっと見てきます」

紫揺が足早に家に戻ると玄関に座っていたガザンが紫揺の足元に絡みついた。

「なに? どうしたの?」

しゃがんでガザンの顔を撫でてやる。 途端、ガザンのベロンベロン攻撃が始まった。

「わっ、どうしたの!?」

久しいベロンベロン攻撃であった。



「キョウゲン」

「はい・・・」

まただ。 何故、マツリの心が読めなかった、伝わってこなかった。

「そろそろ地下の者が動くであろう」

「・・・然に」

キョウゲンが即答しないとはおかしい。

「どうした?」

「いえ」

「急いでくれ」

今までになく祭の座を早く辞してきた。 祭の場につく前にはある程度領土の中を飛んだが、それほど長くは宮を空けてはいない筈だが気になる。

「御意」

シキの長きにわたる婚姻の儀が終わった。 それから二ヵ月間、地下の者がいつリツソに手を出すかマツリが目を配っていたがその様子が見られなかった。

もう一度地下の様子を見て廻りたかったが、本領領主である四方から各領主に礼を言うようにと仰せつかり日を分けて飛んだ。 その時にも地下からの動きはなかった。

そして三月、東の領土においては祭がある時期であった。 だから前日の夕刻に南の領土に姿を現し領土を見て回り、北と西の領土にはその前日の夕刻に飛んでいた。 北では狼たちからの報告で不穏なものは無いということであった。

そして最後の東の領土だけは祭と合わせて飛ぶため、夕刻より早めに出て先に領土を回っていた。 領土は落ち着いており辺境からも民が祭に集まっていた。

すでに月明かりは出ている。
宮に戻ったマツリが回廊を歩きながらリツソを呼ぶ。

「リツソ様で御座いますか? 今日はとんとお見掛け致しませんが」

こんなに遅くまで仕事をしていたのだろうか、偶然前を歩いてきた文官が言う。

「リツソを見なかったか」

渡殿の下を歩いていた職人に訊くが職人は首を横に振るだけであった。
そんな時、リツソに勉強を教えている初老の男がマツリに走り寄ってきた。

「夕刻よりリツソ様が見えません」

今日は夕刻前にやっと捕まえてそのまま勉学を進めるつもりだったのにまた逃げられ、その後にも見つけることが出来なかった、と付け足した。

「お爺様のところには?」

「四方様が馬を走らされましたが門の番が言うに、ご隠居様のところにも行っておられないようです」

「ハクロかシグロがここに来たか?」

「北のオオカミが来たとは聞いておりません」

リツソが紫揺に会いたくて一人宮を出たと考えられるが、リツソは東の領土を知らない。 それ故に迷子になっている可能性もあるが、地下の者が関係しているとも考えられる。
先にどこに動くか。 どちらに絞るか

「承知した」

足を一歩踏み出した時、思いつくことがあった。

「ああ、それと」

辞儀をしかけた初老の男が頭を止める。

「カルネラは?」

「はて、そう言われれば見当たりません」

「勉学の時にはいつもカルネラはどうしておる」

「午前ですと時折リツソ様のお房にいるようですが、午後には午睡を楽しんでいるようで見かけることは御座いません。 休憩を入れた夕刻にはお房に居たり居なかったりと」

「そうか。 承知した」

初老の男に答えると父親である四方の自室に向かう。 初老の男が辞儀でマツリを見送った。

「父上」

銀色の短髪、威風堂々とした四方が顔を上げる。

「マツリか。 入れ」

部屋に入るといつも居る側付きが居ない。 四方が硬い顔をしている。

「お側付きはどうされました?」

「ああ、最近顔色が悪いのでな、今日はもう戻らせた」

「そうですか」

あの側付きが顔色を悪くしているとは珍しいことだ。 小さな頃から知っているが今まで一度もそんなことは無かったというのに。

「リツソが見当たりませんが」

東の領土の報告の前に言うと固い顔をした四方が「うむ」 と一言いって先を続ける。

「宮の中は探したが見当たらん。 また宮を出たのかもしれんと今は宮の外を探しておるが未だに見当たらん」

リツソに勉学を教えている初老の男からリツソが居ないと聞いて今も探しているのだろう。

「地下の者が考えられるか?」

「充分に」

シキの婚姻の儀から地下の者がリツソを狙ってくるかもしれない、それはリツソが攫われるかもしれないということを四方に進言していた。

「宮の者にはこのままリツソを探させる」

地下ではないところを探させるということだ。 地下には簡単に入れない。 道に入って行けないということではない。 精神的にということである。

「カルネラは見当たりませんでしたか?」

「カルネラともども居なくなったようだ」

「そうですか。 では地下を探りに行って参ります」

「頼む」

一旦、部屋に戻り用意していた革袋を手にするとそれを懐に入れ、下足番がマツリの部屋の横に必ず用意している磨き上げられた長靴を履く。 勾欄を蹴り上げキョウゲンに跳び乗った。

薄い灰色の顔から始まって段々と羽先と尾にいくほどに黒い色をしたフクロウが本領の空を飛び、岩山の麓にある地下に続く洞を潜る。

洞の左右の入口は大きくなったキョウゲンの翼で少し余裕がある程度であるが、入ってしまえば段々と左右に広くなっていく。
暗い洞に入ると所々に置かれた小さな光石が岩の上で点灯しているが、小さな光石なだけに辺りを煌々と照らすほどではない。

充分に広い所になりキョウゲンの背からマツリが跳び下りた。 洞の天井ギリギリに大きく縦に輪を描いてその間に身体を小さくしたキョウゲンがマツリの肩に乗る。
首元で括られた平紐から数本のマツリの銀髪が零れ落ちている。

ここはまだ地下の者が行きかう場所ではない。 ずっと目の先を見ると光石の下で酒におぼれている者や禁止されている薬草を乾燥させ砕いて紙に巻いて吸っている者たちの影が朧(おぼろ)に揺れて見える。

キョウゲンを肩に乗せ、長く緩い下り坂に足を踏み入れた。
下り坂が終わる頃には左右に広くなっていて塀さえ見える。 地下の天となる岩の天井は見上げてもすぐそこにはなく高い所にある。 換気口のように空いている所々にある穴からは星さえ見える。 まるで一つの町のようである。

そのまま歩いて行くと、右に左に座り込んでいる男たちを見て回る。 賭け事をしている四人の男たちの一人が顔を上げた。

「これはこれは、マツリ様。 このような所に何をしに?」

「たまに回っておる。 それより新顔はおらんか?」

「さあて、見かけませんなぁ」

「そうか。 賭け事で身を滅ぼすのではないぞ」

そう言うとその場を立ち去った。

「滅んだからここに居るんだって話だってんだっ」

薄い木で出来た札(ふだ)を一枚投げつけるように出した。

「税で身を立てているヤツに言われたくないってもんだ」

出されていた札の上に自分の札を投げつけその二枚を手に取る。

「けっ、持ってたのかよ」

「負け逃げすんじゃねーぜ」

「まあ、オレたちゃ税なんて払ってないがな」

四人の男たちが顔を見合わせるとこ馬鹿にするように鼻で笑い、去って行ったマツリの姿を見ようとしたがその姿はもうどこにも見当たらなかった。

塀に囲まれた細い路地に身を入れ入って来た方に身を返したマツリ。 その奥から白い手が伸びてきて腕を掴まれた。

「マツリ様・・・」

同時に小声でマツリを呼ぶ。

「俤(おもかげ)か」

肩越しに後ろを見る。

「今日は奴らが頻繁に動き回っております。 もう少し奥に」

マツリが身体の向きを変え奥に進む。 マツリの後方には後退する俤が目を光らせている。 奥には光石がない。 マツリが向きを変えたことで奥の薄暗い中にはマツリたちには見えない者をキョウゲンが目を光らせることが出来る。
ある程度進むと後退をしていた俤が足を止めた。

「何かあったのか」

リツソのことを問う前に地下の者達が頻繁に動き回っているという理由を訊く。

「昼過ぎからバタバタと動きが活発になりました。 外とここを出たり入ったりしているようでした。 夕刻過ぎには一抱えの袋を担いで奴のところに入って行きました」

「城家主か」

この地下を仕切っている元締め。 手下(てか)の者に自分のことを城家主と呼べと言っている。

「はい。 それからというものは外との出入りは少なくなりましたが、その分地下のあちこちを歩き回っております」

「リツソが見当たらん」

「え?」

「その担いでいた袋にリツソが入っていたと考えられるか?」

まさかと思いながらも見たままをマツリに聞かせる。

「袋が動くことはありませんでした。 声も聞こえませんでしたが、気を失っておられたのなら考えられるかもしれません。 肩に担いで、まるで粉でも入っているように前後に垂れておりました」

「それがリツソであれば、多分カルネラも一緒だと思う」

「カルネラとは?」

「リツソの供であるリスだ。 赤茶色に腹が白、耳に黒い飾毛を持っておる。 まだ言葉を上手く話せないが、その様なリスを見かけたら捕まえてくれ」

「畏まりました。 それと随分前と最近に城家主の手下に褒美が渡されました。 その内容はまだ掴みきれていません」

「そうか」

リツソのこととは関係がなさそうだ。

「申し訳ありません」

随分と前だと言うのにまだ何も掴みきれていない。

「焦らずともよい。 よいか、絶対に踏み込み過ぎるな。 お前の身に危険が及んではどうにもならん。 今から城家主の元に向かう。 このままこの辺りを探っていてくれ」

「お一人で? それは危険です」

「リツソが攫われたと決まったわけではない。 武官も誰も寄こすわけにはいかん」

「では己だけでもついて参ります」

「万が一にもお前の面が割れてはこれからが困る」

マツリはお付きも配下も持たないが、この青年だけは自らマツリの手足になりたいと、手下として使ってほしいと言ってきた。

何度も断ったが引く様子を見せなく毎日通ってくる始末だった。
疑う相手ではない事は分かっていた。 だが念のため魔釣の目で見ると、瞳の中に禍(まが)つものなどなく、それどころかマツリや領土に対して陰の一つも視えなかった。
よって己の目と耳として使い色んなところを回らせた。 そして今は地下を見張らせている。

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辰刻の雫 ~蒼い月~  第3回

2021年10月18日 22時01分40秒 | 小説
辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~  第3回




この一年で紫揺はお付きたちの指導の下、馬に乗れるようになっていた。
最初は阿秀が教えていた。 何故なら怪我をさせてはどうするのか、と全員がソッポを向いたからであったが、五色である紫揺の頼みごとを断るわけにはいかない。 しぶしぶ阿秀が教えていたが、余りの上達ぶりに全員が指導に乗り出していた。

シキの婚礼の儀を見終え本領から東の領土に戻る。 騎乗用に着替えを終えた紫揺と領主はそれぞれが馬に乗り、此之葉は前回と同じく後ろに見張番の男が乗って二人乗りの状態で宮を出ると本領と領土を結ぶ岩山を上り、馬を見張番に返した。

前後を固めていた見張番が、領主に荷物を渡すとそのままさらに徒歩で岩山を上って洞まで戻る。
その洞に入ると本領と各領土を繋ぐ四つの洞に分かれているが、それは不思議な空間を通ることになる。 本領と各領土は洞を歩いて着けるほど距離は短くはないのに、各領土に戻ることが出来るのだから。

洞を抜けるとまた徒歩で東の領土の山を下り、その後は待っていた二台の馬車の一台に紫揺と此之葉が乗り込み、もう一台には領主とそれぞれが渡された祝いの品を乗せ家に戻った。

品と言っても各領土は徒歩で山を下りねばならないことは分かっている。 重い物を持たせるわけにはいかない。 本領でのみ採れる数種類の茶葉であったり、衣に香り付けするための香であったりと、とにかく軽いものであったがどれも一級品である。 唯一重い物があったがそれは上質な絹の反物であった。


「盛大でしたね」

「まだあと三日も続くんですよねー、シキ様も大変だぁ」

夕飯の席である。 紫揺の家でいつものように、此之葉と二人で食事をとっている。

「最後の二日は馬車行列と聞きました・・・。 その、紫さまはその様なことは・・・」

「え? もしかしてまだリツソ君のことを疑ってるんですか?」

「・・・もし本領から言い切られてしまいますと、領主は断ることが出来ません」

「リツソ君だってこれから色んな人と知り合っていくんですから、そのうち歳のあった女の子と恋をしますよ」

あっさりという紫揺。 よくよくリツソのことを知っているようだ。
今まで訊くことはなかったし、紫揺は東の領土を選んだのだ、訊く必要もないと思っていたが、紫揺は知る筈のないマツリとリツソのことを知っている。 それはどうしてなのだろうか。

「紫さまは本領に行かれる前からマツリ様とリツソ様のことをご存知でした。 それはどうしてですか?」

始めて此之葉が紫揺からマツリの名を聞いたのは、日本の紫揺の家でやっと紫揺が領主と会うことに諾と言った日、領主と話していた時だった。

「北の領土にいる時に、領土の者以外が居るってことで、リツソ君が見に来たの。 その何日か後にマツリも来たんだけど。 その時のマツリの態度が気に喰わない事ったらなかったです。 あー、思い出しただけでも腹が立ってくる」

本領の宮であった時のことも思い出してきたのか声に怒りがこもってくる。

「あ、それ以上思い出されなくて宜しいですので。 それでリツソ様とは?」

本領でマツリと紫揺の罵倒の仕合は実際に聞いていたし、見てもいた。 あの時のことを思い出されてはやっかいである。
サラリと紫揺の感情を流した此之葉はこの一年で随分と紫揺をかわすことが出来る様になっていた。

「うん。 あれから何度会ったかなぁ? けっこう頻繁に北の領土に来てました。 で、一度昼間に来たから学校をサボっちゃいけないって言ったほどです。 あの時は本領も北の領土も何も分かっていませんでしたから」

てっきりあまりの寒さから、北海道かどこかかと思っていたくらいなのだから。

此之葉が難しい顔をする。

「どうしました?」

「それがどうして紫さまがリツソ様の許嫁などというお話になるのでしょうか」

「うーん、シキ様が仰るには『マツリに言わせるとリツソの初恋のようですから』 ってことらしいですし、シキ様は私のことを義妹にしたいと仰るし、澪引様は義娘として歓迎って仰るし」

「え? では澪引様だけが考えておられるのではなくて、リツソ様が紫さまのことを想っておられるのですか?」

「らしいです。 でも今日も澪引様についてこなかったから、そろそろ熱も冷めてきてるんじゃないかな」

「少なくとも今日リツソ様が抜けられるということは出来なかったと思います。 澪引様ですら、あの短い時しか抜けられなかったのですから」

そう言い終え溜息を洩らした此之葉をちらりと見る紫揺。

「大丈夫ですって。 リツソ君はまだまだ小さな男の子なんですから」

「ですがもう十五の歳におなりになりました。 十五になれば許嫁ももらえますし、婚姻も出来なくはありません。 十七にでもなれば十分に婚姻が出来ます」

そう言われれば南の領土の五色も早い歳に結婚をしていたのだった。 ここは日本と結婚の年齢感覚が違うのか。

「大丈夫ですって。 それより此之葉さんは?」

「はい?」

「結婚・・・婚姻しないんですか?」

此之葉が顔を赤くして下を向いてしまった。
此之葉の想い人は分かっている。 そして相思相愛だろう。 だがその相手がけっこうな堅物だ。 なかなかプロポーズをしそうにない。 もういい歳だというのに。

この領土では料理が出来なくては嫁に出ることは出来ないらしい。
昨年までずっと紫揺を探すためだけに、洞に座り続けた師匠について教えを乞うていた此之葉だ。 料理など出来るはずはない。

だが、半年前くらいから、女たちについて料理を教えてもらっている。 此之葉は結婚をしたいのだろうか。 それとも女のたしなみと考えているだけなのだろうか。



「よう」

振り向くと随分と前に二人がかりでヨイショし持ち上げた城家主の手下の者がいた。

「よう、あんときは、ごっそさん」

「嘘って分かってても、あれだけ煽(おだ)てられりゃーな」

「嘘じゃないって言っただろーが」

「もうその手にゃ乗らないぜ」

「それは残念」

「諦めの早い奴だな」

「城家主んところに居ないでこんな所をブラブラしてていいのかよ、誰かに見つかったらチクられんじゃないのか?」

「城家主は今上機嫌だからな、少々のことで難癖付けてこねーわな」

「城家主が上機嫌っちゃー、気味が悪いな」

「じゃ、別の奴を誘うか」

「なんだよ、それ」

「おこぼれを貰った」

革袋をチラつかせる。

「おっ、それを早く言ってくれよ。 いくらでも付き合うぜ」



本領でのことが落ち着いたのだろうか、二か月ほどした夕刻にマツリがやって来た。

基本マツリは夜に飛ぶ。 供のキョウゲンがフクロウだからである。 だからといって夜に見回っていると民の様子が見られない。 それに北の領土と違ってこの東の領土にはヒオオカミのように日々、民を見ているものがいない。 従って領土の様子を見るに夕刻前に飛んできて、ある程度領土を一回りし終えたのだろう。

「マツリ様」

キョウゲンから跳び降りたマツリに秋我が駆け寄る。

「久しいな」

「此度はシキ様のご婚姻、御目出とう御座います」

マツリが頷いて応える。

「ある程度飛んできたが、領土は落ち着いているようだな」

「はい。 中心では日々紫さまが民に声を掛けて下さり、領土に慣れられた頃には辺境まで行かれて民にお顔を見せて下さっておりますので」

マツリと紫揺の仲の悪さはこの目で見てこの耳で聞いていたが、報告をしないわけにはいかない。

「本領の方ももう落ち着かれたのですか?」

シキの婚姻の儀の後の落ち着きと訊いている。

「ああ、落ち着いた。 領主に足労をかけた。 礼を言いたいが領主は?」

「家に居ります。 どうぞこちらに」

二人の様子を偶然見ていた塔弥が領主の家に走り、ほぼ紫揺が東の領土に来たと同じ頃から同居している秋我の嫁である耶緒(やお)に言いに行き、その足で紫揺の家に向かった。

「は? マツリが?」

「本領も落ち着かれたのでしょう。 そろそろ領土廻りを始められたようです」

「あの、紫さま、マツリ様とお呼び下さいませ」

お願い致します、と此之葉が頭を下げる。

「会いに行かなければいいんですよね? 領主さんとの間で用は終わるんでしょう?」

本領にいた時のあのマツリの気の抜ける対応を思い出す。 別にケンカをしたいわけではないが、あれ程ケンカ腰にしていたのに、太鼓橋に腰かけている時に気の抜けるような態度であった。 その後、リツソの部屋にいた時も。

「そういう訳には・・・」

だが紫揺の言った通り、マツリは領主に礼を言うと早々に立ち去ったということであった。



十二月も半ばを過ぎると、温暖な東の領土といえど外に出ると寒さを感じる。
ベンチコートが恋しいとまでにはいかないが、ジャージが恋しい。 寒い季節には足首まであると言えどスカートであるが為、足元がスースーして堪らない。

馬に乗る時にはズボンを穿くが、今日は領土の中を歩き回り、女や子供たちに声を掛ける。

「歩いてる内に暖かくなってくるだろな」

身体を温める為にも目いっぱい歩き回ろうと心に誓う。

一月二月と過ぎ、東の領土の短い冬が終わった。 それでも雪が降るほどには寒くないし、寒風など数えるほどであった。

三月に入り暖かいとまでは言えないが、過ごしやすい季節になった。
朝の食事のおり、此之葉からこの月の満月の日に祭があると聞かされた。 領土史を読んでいて祭のことは知っていたし、昨年経験しているがついうっかり忘れていた。

「あ、春のお祭ですね」

東西南北の各領土には春夏秋冬を合わせ考え、それぞれ自分たちの領土の季節に祭を行う。

東の領土は春にあたるので三月に祭を行う。 そしてその時に本領を招く。 今まではシキとマツリを招いていたが、シキが本領の仕事を退いたので、今年からはマツリだけを招くということになる。

「今年はどんな風にするんですか?」

「毎年同じです。 特に変わったことなどありません。 民が喜んでいる姿をマツリ様に見て頂くだけです」

櫓(やぐら)を立ててその上で音楽を奏で、民が櫓の周りで踊るということである。

「じゃ、去年と同じようにしていればいいんですね」

とは言っても去年はシキが居たし、基本この東の領土を見ていたのはシキだ。 マツリと話すことなど無かった。 だが今年はそうはいくまい。

「お願い致しますから、そのおりにはマツリ様とお呼び下さい」

またもや頭を下げられてしまった。

「話しませんから安心してください」

決して “マツリ様” と呼ぶことに同意しない。

「紫さま・・・」

「せいぜい、領主さんの横で頷いておきます」

この月、紫揺は23歳になるが、強情さは丸くなっていないようだ。
先(せん)の紫もそうだったが、紫揺も春の祭りのある三月生まれであるから、紫の誕生祝は翌月の満月の日とされていた。
二カ月続けての祭である。



そしてとうとう今晩が満月という日がやって来た。
前日には櫓が立てられていて楽器の練習が始まっている。

領主の家では秋我の嫁である耶緒がマツリにどんな茶を用意しようかと迷っている。

「本領の茶は上手かったからなぁ。 あれに勝る茶はこの領土には無いわなぁ」

「昨年もそんなことを仰っていただけで・・・うっ」

「大丈夫か?」

「え・・・ええ。 病気ではありませんもの」

茶葉の香りが胃をついたようだ。 初めての妊娠で今は悪阻(つわり)に襲われている。

「無理をしなくていい。 此之葉を呼んでこよう」

「年に一度のことですから、すべきことは・・・」

別の茶葉の香りがまたもや胃に充満してきたようだ。 鼻と口を押えて座り込む。

「ほら、無理をするんじゃない。 少しゆっくり寝ておいで」

耶緒の腕を取ると立ち上がらせ、寝室に向かった。


夜になり祭が始まった。 東の領土では月明かりの下で踊ることを何よりも好んだ。 よって来月の紫揺の誕生の祝いも満月の下で行われる。

櫓に上がった者達が音楽を奏で櫓の下で民たちが踊る。 辺境から来ている者もいる。 かなりの人数となっている。 その民たちは本領から誰が来ているかなど気にもしていない。

「昨年に続いて賑わっておるな」

独り言のように言うと、櫓から離れた所で卓が用意されている椅子に腰かける。
その姿は一センチ程の幅に鞣した皮の紐を黒に染め、丸襟のベストのような形に編んであり、その下には横にスリットの入った膝丈より少し上の絹の黒い上衣、下は上衣と同じ絹の筒ズボンでその下に長靴(ちょうか)を履いている。 

「やはり紫さまが帰って来て下さったのが大きいかと」

領主が同じように椅子に腰をかけ、それに続いて秋我も腰かけた。

「一昨年まではこんな風に民が喜んではおらなかったし、これ程の民もいなかったか・・・」

「はい、辺境からも集まってきておりますので」

「それほどに紫の存在が大きいということか」

領主に話しかけるでもなくまるで独り言のように言っているが、それを聞いた領主が両方の眉毛を上げた。
領主も此之葉や秋我と同じく、マツリと紫揺の仲の悪さを知っている。 よって紫揺のことを言うのを憚(はばか)りながらであったが、存外マツリが平気な顔をして紫揺の話をしている。

その紫揺は領主の隣に居ない。 民と一緒に櫓の下で踊っている。 五色としてマツリを迎えねばならないというのに。
だが、ここでまた二人にケンカをされては困ると、領主が櫓の下で民と一緒に踊っているという紫揺を止めなかった。

領主が秋我に目顔を向けた。 秋我が頷き席を立つ。
すれ違いに此之葉が茶を持ってきた。

「うん? 秋我の奥・・・耶緒といったか、どうした?」

昨年は耶緒を紹介され、此之葉に代わって耶緒が茶を淹れていた。

「申し訳ありません。 耶緒は今、悪阻でして、どうも特に茶の臭いに敏感になっているようで、茶葉を選んでいる時に具合を悪くしまして・・・」

此之葉に代わって返事をしたのは領主である。

「おお、それは目出度い。 領主も楽しみであろう」

秋我には弟が居るとは聞いているが、秋我は領主の長男である。 生まれてくれば領主の初孫にあたるはずだ。

「ええ。 ですが長いあいだ子に恵まれませんでしたから、生まれてくれば私以上に秋我が喜ぶでしょう」

「長い間とは? たしか秋我は我より十の歳上だったか。 十の年の間くらい出来なかったということに?」

今年36になるはずだ。 今のマツリの歳で結婚していれば十年も出来なかったということになる。 マツリが心の中で考えていると領主の声がした。

「16の年の間、恵まれませんでした」

「え?」

思いもしない年数だ。

「秋我は二十の歳で、耶緒は十五の歳で婚姻しました」

「じゅう・・・ご」

決して早すぎるわけではないが、己を考えると十五の歳で身を固めるとは考えられない。 男と女では違うのかもしれないが、それにしても秋我の二十の歳というのも考えられない。

「では身体を大事にしてもらわなければならんな」

「ええ、ここに秋我の母親か弟の連れ合いでもいればよかったのですが」

秋我の母親、言い変えれば領主の嫁が亡くなっていることは知っていたが、どうしてここに秋我の弟の嫁の話が出てくるのか?

「もしや?」

「ええ、弟の方にはもうおりまして。 三度の出産を経験しておりますから、頼りになったことと思います」

先ほどまではてっきり初孫が生まれてくると思っていたが、そうでは無かったようだ。

「シキ様は早々にご懐妊されると良いですな」

「そうなれば我は叔父になるというわけか」

下を向いてクスリと笑う。

「シキ様だけではなくマツリ様もそろそろ?」

「その様なことは遠いであろうな」

そう言うと前に置かれた茶を一口飲んだ。

「リツソ様の許嫁を考えておられるのに?」

「え?」

「先日シキ様の祝いのおり、お方様から紫さまをリツソ様の許嫁にと申されまして」

ご存じなかったのですか? と付け足して問う。

「ああ、そういうことか。 母上が言ったのは知らぬが、紫がリツソの想い人であることは知っておる。 母上はリツソのことを可愛がっておられるゆえ、リツソのことを想って仰ったのであろう。 軽く受け流してよいのではないか?」

「リツソ様が紫さまに?」

「領主さん、その話は・・・」

秋我に付き添われて紫揺がやって来た。 領主が振り返る。

「紫か。 姉上の婚礼の儀には足労であった」

背中を見せたままマツリが言う。

「こちらこそ、手厚い接待を有難うございました」

背中のマツリにほぼ棒読みで返す。

「リツソのことはどうするつもりだ」

「どう、とは?」

「母上の申し出を受けるのか」

「澪引様にはちゃんと返事をしました。 本領に帰って澪引様に訊いて下さい。 それにさっき、領主さんに受け流して下さいって言ってましたよね」

此之葉がハラハラして会話を聞いているが、どうにか “言ってたわよね” ではなく “言ってましたよね” と、ギリギリアウトではあるが、それでも完全アウトでないことに胸を撫で下ろす。

「言った。 だが今は紫の気持ちを訊いただけだが。 そうか、母上に返事をしているのならそれで良い」

「澪引様はリツソ君がこの一年・・・一の年で変わったって仰ってたけど、そうなんですか」

リツソのことをリツソ君と呼ばないように、リツソ様と呼ぶようにというのを言い漏らしていた、と此之葉が額に手をやる。

「母上が?」

領主を見ると領主が頷いてみせている。

「母上がそう仰ったのであれば、母上にはそう見えるのであろう」

その返事で十分に内容がわかる。

「領主さん、もういいですか?」

「ああ、紫はまだここに居るとよい。 我が去ろう。 領主、祭を楽しませてもらった。 秋我、耶緒を大切にな」

そう言い残すと椅子から立ち上がり、紫揺の横を過ぎて歩き出した。

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辰刻の雫 ~蒼い月~  第2回

2021年10月15日 21時09分36秒 | 小説
辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~  第2回




「紫さま」

「あ、彩楓(さいか)さん、紅香(こうか)さん」

一年以上を過ぎたにもかかわらず、名を呼ばれた彩楓と紅香。 紫揺の頭の中で略して “最高か” が満面の笑みで紫揺を見、その後に互いに目を見合わせ頷いた。 タッグは健在のようだ。

「東の領主様、此之葉様もこちらに」

そう言って “最高か” が人波を分けて宮の庭を横切り、他から見えない所に行くと、小さな階段下で下足番が履き物を用意して待っていた。 履物を履き替えると小さな階段を上がり回廊を何度か曲がって、一室に紫揺と領主と此之葉を招き入れた。

「ここは?」

領主が “最高か” に問う。

「澪引(みおひ)様が来られます」

領主が問うたのに、何故か紫揺を見て答える “最高か”。

「澪引様が?」

言ったのは紫揺だ。

領主は領土に何某かがあれば本領に来るが、その時には本領領主である四方としか会わない。 ミオヒ様とはいったい誰のことだろうか。

「すぐにいらっしゃることは叶いませんが、それまでこちらでお寛ぎ下さいませ」

これまた紫揺の頭の中で略されている “庭の世話か” である、丹和歌(にわか)と世和歌(せわか)姉妹がしずしずと茶と菓子を持ってきた。 それぞれの前に茶と菓子の器を置く。
“庭の世話か” は世和歌の方が姉であるが、この略では丹和歌が先にきている。 それは先に紫揺に接していたのが丹和歌であったからである。

まだ三日祝いの行事が残っているというのに、どうして澪引が東の領主に会いに来るのだろうと紫揺が首をひねる。

「紫さま、ミオヒ様とは?」

「本領領主の奥様です」

今度は領主が少し首をひねった。

領主も此之葉も葉月やお付き達のように日本の言葉を熟知しているわけではない。 領主の様子に言葉のチョイスを間違ったと気付き他の言葉を探す。

「えーっと、シキ様のお母上です」

これは間違いない。

「え? お方様!?」

そう言われればと、遥か彼方に沈んでいた澪引の名前を思い出した。

(お方様って言うんだ・・・)

澪引は初めて紫揺と会った時に『澪引よ。 よろしくね』 と言った。 そう聞かされてからは、紫揺は澪引のことを澪引様と呼んでいたし、澪引の側付きもそれを聞いていた。 だからして紫揺にはお方様とは言わず、澪引様と言っていたし、それを聞いていた他の者たちもそれに倣っていた。 よって紫揺は澪引がお方様と呼ばれているとは露ほども知らなかった。

「どうしてお方様が・・・」

「どうしてでしょうかね?」

目を向けられても紫揺も分からない。

「このお菓子、美味しそうですね」

目の前に置かれた練り菓子を一つつまんだ。

お方様と聞いて此之葉が身を固くしている。 ここに以前、此之葉と紫揺と共に本領で行動を共にした領主の長男である秋我(しゅうが)が居れば、その変化に気付けたかもしれないが、生憎と澪引に会うことをそんなに重大に思っていない紫揺に此之葉を気遣うことは出来なかった。

その秋我は弟と二手に分かれ、辺境に住みずっと辺境を見ていた。 民たちは何十年も経つというのに、先(せん)の紫が見つからない事にずっと肩を落としていた。 辺境の民とてそうであった。 その辺境の民たちを長くシキが励ましていた。
婚礼を済ませたシキがもう東の領土に来ることは無いのだから、最後に秋我から礼を言わせるために連れてきたかったのだが、何人も行くと宮に世話をかけることになると、まだ東の領主にある己だけが来ていた。

「紫さま、お方様とご面識が?」

「はい」

いともあっさりと答えてくれる。

驚いている顔の領主に言葉を足す。

「以前本領に来た時に、澪引様と会ってお話をしました」

その内容はあまり言えない。 リツソの許嫁の話しとはとても言えない。

「ん?」

あの時の話の続きだろうか。 リツソの許嫁の話の。 いや、それは無いだろう。 あの時は澪引もシキにつられてかテンションが上がっていただけだろう。

「これ美味しいですよ」

驚いている領主に練り菓子を勧めながら、もう一つ口に入れる。

「あれ?」

やっと気づいた、どこか様子のおかしい此之葉が目に入った。

「此之葉さんどうしたんですか?」

この一年と少し、紫揺と共に行動してきた此之葉。 その此之葉が頭を下げ、手をきつく握り膝に置いている。

「わわわわわ・・・わ、わわわた、わた、わたしは・・・」

澪引がお方様と聞いた此之葉が壊れているようだ。

「こ、此之葉さん! どうしたんですか!?」

「みみみ・・・みお、澪引・・・様・・・みお・・・オカタ・・・オカタサ、マ」

本領領主は東の領主より若いことは以前に会って知っている。 我が領土の領主のように、年齢を重ねた穏やかさを感じることは無かった。 重厚とも感じられる威厳、そして低く響く声。 その奥方となるお方様を想像しただけで身体に緊張がほとばしる。

「此之葉さん、しっかりして。 澪引様は人間だから」

そういう事じゃないだろう。

「澪引様はとても可愛らしい方だから」

「・・・」

「最初にシキ様の妹様かと思ったほどに可愛らしい方ですよ。 とっても可憐な方です」

あの四方の嫁とは思えない、と言いかけた時に襖が開いた。

「え?」

「まぁ、そんな風に見て下さっていたの?」

襖の向こうに婉然なる女性、澪引が姿を現した。

「澪引様」

紫揺が言うと、領主と此之葉が椅子から立ち上がり頭(こうべ)を垂れた。

「改まらなくて宜しいわ。 四方様もいらっしゃいませんので」

澪引は祝いの席と衣装をかえていた。 重々しくない本領の衣装である。
淡い桃色で着物と同じく前合わせをし紅色の帯を巻き、その上に差し色を緑にした桃色に合わせた数枚の袿(うちぎ)を着ているが、紫揺の着ているものと同じで、日本の着物とは少し違う。 着ているものが着物に比べて随分と生地が薄い絹であり、帯も半巾帯より細い。 そして何より、帯の下は裾広がりになって、後ろはまるでドレスのように裾を引きずっている。

「東の領主、シキに言祝ぎを有難う」

椅子に座ると領主を見て言った。
見下げることなど出来ない。 その姿に合わせ領主たちも椅子に座る。

「東の領主、丹我に御座います。 此度はシキ様のご婚姻、誠におめでとう御座います」

「ありがとう。 足労を感謝いたします」

東の領主が頭を下げると、次に此之葉を見る。

「こ、此之葉に御座います」

「紫が世話になっているわね」

紫揺は東の領土の人間ではあるが、元を辿れば本領にいた人間だ。 遥か彼方の先祖という意味で。
東西南北の領土が本領から独立する時に、本領から五色(ごしき)たちが配された。 それぞれの領土は、五色を選ぶことが出来た。

北の領土はそれぞれが一色(いっしょく)だけを持つ五人の五色。
西の領土は北と同じく一色だけを持つ五人の五色。
そして先程の南の領土は異なる双眸を持つ二人と一色を持つ者の三人。
東の領土はたった一人で五色(ごしょく)を持つ五色。 そしてその名は代々紫と名付けられている。
それぞれの目の色がそれぞれの力を表している。

青が春、雷、風を操る
赤が夏、火、を操る
黄が中央、山、土、を操る
白が秋、天、沢、を操る
黒が冬、水、を操る

白の瞳などあり得ないので、白の力を持つ者は先程のメイワのように薄い黄色をしている。

一人で五色を持つ者は、日頃は黒い瞳であるし、黒の力を使うにはその瞳で良いのだが、他の色の力を使う時には黒を背後にその色が瞳に出る。 よって他の五色より濃い色、濃い力が出ることになる。 そして、赤と青の異(い)なる双眸を持つことも出来、その力が莫大であるほどに双眸が紫になる。 特にこの紫の力はその色を持った者によって力の現れ方が違うという。

以前、紫揺はその力でヒトウカの冷えから北の領土の “影” と呼ばれる者を助けたことがある。 紫揺の持つ紫の力は治癒の力となって現れていた。 まだまともに力というものを知っていなかった時なのに。

「あのご事情の中、紫さまは民に添って下さっています」

あの事情。 それは先程セノギが頭を下げた事にも繋がる。

紫揺はほんの一年数か月前まで自分は日本人だと思って暮らしていた。 だが、北の領土の者に攫われたのが始まりで、祖母の紫が東の領土で十歳になったその日まで暮らしていたことを知った。 紆余曲折がありながらも、その後日本を離れ東の領土で暮らすことを決めた。 領土と日本を繋いでいた洞が潰され、もう日本に戻ることは出来ない。

本領にしろ東西南北の領土にしろ、日本どころかこの地球にそんな領土が存在するのだろうかと疑える異世界のような場所であった。

「そう、領土の為よくしているのね、紫」

今度は紫揺に目線をかえた。

「いいえ、まだまだです。 それより澪引様、まだお席を外せないのではないですか?」

「ええ、そうですけれど四方様がお相手をしているでしょう。 それより、東の領主・・・丹我?」

「はい」

領主が返答する。

「折り入ってご相談があるのですが」

「ご相談とは・・・」

本領領主のお方様から相談されるようなことは何も思いあたらない。

「此度はシキの婚姻の儀が執り行われました」

「然に」

「シキはこれから本領領主四方様の手伝いとしての手を持ちません。 シキが見ていた東と南の領土にはこれからはマツリが見ることになります」

本領から独立した東西南北の領土だが、災いを持たらす者がいないかは、本領が見て回っている。 それは本領領主の娘であるシキと、北と西の領土を見ていた長男であるマツリの役目であった。
この時まではシキとマツリで二手に分かれて見ていたが、これからはマツリだけが見ることになる。

「然に」

「これからはマツリをお願いいたしますね」

「マツリ様にはお世話になります」

コクリと澪引が頷いて言葉を続ける。

「リツソをご存知ね?」

四方と澪引の末子であり、マツリのすぐ下の弟である。

「はい」

「やっと十五の歳になりました。」

「二つ名のお歳、御目出とう御座います」

「そうなの。 でも四方様からまだ二つ名を考えてもらえておりませんの。 でももう十五の歳になりましたから、紫をリツソの許嫁として先にはこの本領に迎えたいのですが」

「は?」

領主が膝に置いていた手を思わず卓に置き、此之葉は目を見開いている。 紫揺はがっくりと肩を落とした。

「澪引様、そのお話はあの時だけのことで・・・」

「あら、わたくしもシキも本気よ」

「あの時とは? 紫さま、もうそんなお話をされていたのですか?」

「先ほど言いました澪引様と初めてお会いした時に、そんな話になったんですけど」

ここまで領主に向かって言うと、次には澪引に視線をかえた。

「リツソ君は弟のようなものです。 その、言いにくいんですけど・・・そんなことは考えられなく・・・」

「今のリツソではそうでしょう。 否めません。 ですが、この一年でリツソも大層変わりました。 あと数年で他出も出来るほどになり、マツリの片腕にもなれましょう。 ね、考えてもらえない?」

領主も、と言って領主を見る。

「紫さまにおかれてはあの忌まわしいことから数十年待ち、やっと領土に帰ってきていただきました。 民が望んだ紫さまで御座います」

直接的に澪引の質問の答えにはなっていないがこれ以上は言えない。

「今すぐにではないわ」

領主が困っているのが分かる。 澪引も分かっているのだろうが、そうそう紫揺が本領に来るわけではないし領主にしてもそうだ。 澪引はこの機会を逃したくないのだろう。 これを解決するのは自分しかいないだろう。

「分かりました」

「紫さま!」

領主が声に出し、此之葉が無言で紫揺を見た。

「澪引様、ではあと一年・・・一の年待ちます。 それでリツソ君が私から見て頼れる人になっていればその時には真剣に考えます。 ですからまだ許嫁というのもやめておきませんか?」

「まぁ、考えて下さるのね」

「あくまでも、一の年の後にリツソ君がどうなっているかに関わります」

「ええ、ええ。 勉学、鍛練の日々を過ごさせますわ」

「あ、そんなに頑張らなくても・・・」

「いいえ。 紫を私の義娘にするんですもの。 それにシキもですわ。 シキがどれほど紫を義妹として迎えていたがっているか」

「あ・・・」

そうだった、あの時の話ではリツソの嫁探しではなく、紫揺を家族に入れるにはどうするかという話だったと思い出す。

そう言われればと、此之葉が一年と数か月前を思い浮かべた。
本領のこの宮で幾日か過ごしていた時、此之葉と秋我には客間が充てられていたが、紫揺には客間が充てられていなかった。 シキが紫揺と一緒に寝起きするといい、紫揺はシキの部屋で過ごしていたのだった。

そっと襖が開くと、襖際に立っていた澪引の側付きに何かが伝えられた。 その側付きが澪引に近寄り一つお辞儀をする。

「あら、もう時がなくなってしまったみたい。 では一の年の後を楽しみにしているわ。 東の領主、お手間をとらせてしまって御免なさいね。 夕の宴にはいらっしゃるのでしょう?」

「残念ですが我々はここまでで」

「そう、残念ですわ」

お方様、お急ぎくださいと側付きが小声で言う。 それを聞いた澪引が「遠路を有難う。 道中お気を付けてお帰りになってね」と言い残し部屋を出て行った。

紫揺と領主、此之葉が立ち上がり澪引を見送る。

「紫さま・・・」

隣に居る紫揺を見て領主が言った。

「ああでも言わないと終わらないと思って」

「では?」

「リツソ君がどれだけ変わっても、七つも下です。 頼り甲斐を感じることは無いです」

此之葉が安心した顔を見せ、領主がホッと息をつく。


「聞いた?」

「もちろん」

四人が同時に襖から耳を離した。

「紫さまが来てくださるのは嬉しいけど」

「お相手があのリツソ様ではねぇ」

「お気の毒だわぁ」

四人が声を合わせた。

先ほど澪引はリツソがこの一年で大層変わったと言ったが、少なくともこの四人から見てさほども変わっていないように見える。 いや、確実に変わっていない。

「澪引様はリツソ様にお甘いから」

「一の年の前とお変わりないわよね」

「ええ、まだ二つ名をもらってもおられないし」

「マツリ様の片腕などとは」

「ほど遠いわぁ」

また四人が声を合わせた。

この四人の会話から、澪引がこの部屋にいる時から襖に耳をくっ付けていたのが分かる。

澪引とシキにもそうだが、リツソはこの四人の期待にも応えられそうにない。

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辰刻の雫 ~蒼い月~  第1回

2021年10月11日 22時52分23秒 | 小説
辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~  第1回




時は夕暮れ時。 誰かが空を見上げると巨大なフクロウが空を飛んでいるのが見えただろう。 だがここは山の中。 こんな時間に空を見上げる者など居なかった。

「おととー! おかかー!!」

眼下には木々の帳(とばり)が見える。 その合間から聞こえるザァーザァーと流れる川の流れの音の間から僅かに子供の声が聞こえた。

「聞こえたか?」

巨大なフクロウの背からまだ声変りをしていない少年の声がした。

「はい」

巨大なフクロウが少年に答えた。
少年の目ではどこから声がしたのかは確認できない。

「どこに居るか分かるか?」

雀の尻尾のように、肩まである銀髪を首より少し高い所で一つにまとめ括っている少年が、自分より随分と身体の大きなフクロウの背の上で言った。

「しばしお待ちを」

フクロウが木々の合間から見える岩場、川の流れる辺りを見回した。 そこには居ないようだ。 フクロウには分かっていた、ここではないと。 だが一応見ただけであった。
声の聞こえた方向に移動する。 それは僅かの異動であった。 そこは木々の帳がポッカリと開いた所であった。 眼下には川の流れがある。

「居りました」

目当ての子供・・・少年の近くまで滑空すると、銀髪の少年にもその姿が見えフクロウから跳び下りた。 すぐさまフクロウが縦に一回転をし、身体を小さくすると少年の肩に乗る。
見つけた少年は五歳くらいであろうか、空から跳び下りてきた銀髪の少年にも気づかず川の縁の岩場にしがみ付きながら、川下に目をやり叫び続けている。

「おととー! おかか―!!」

「お父とお母が落ちたのか?」

少年に近寄ると声を掛けた。

自分以外の声がしたと思ったら、己の横に長靴が見えた。 驚いて顔を上げ振り仰ぐとそこに自分より随分背の高い少年がいた。

「おとととおかかを助けて!」

少年が銀髪の少年の足にしがみついた。 五歳ほどの少年から見ればたとえ九歳の少年とて大きく見える。
少年の声は枯れていた。 かなり長く叫んでいたのだろう。

「この先は滝になっておる」

「え・・・」

「もう少し安全な所に移動をしておれ。 ここはお前がいつ落ちてもおかしくない。 そこで待っておれ」

そこまで言うと足場のいい所に移動し「キョウゲン」 と一言いう。 キョウゲンと呼ばれたフクロウが肩から飛び立つ。 縦に一回転しその身を大きくすると、銀髪の少年目がけて滑空をしてくる。 銀髪の少年が地を蹴るとキョウゲンの背中にいとも簡単に跳び乗った。

「滝壺でよろしいですか?」

声が枯れるほどに叫んでいたのだ、既に滝に落ちているだろう。

「ああ、そこで見つからなければ川を下ってくれ」

「御意」

滝壺まで飛んだキョウゲンの背の上から見渡すが、陽は既に山の向こうに姿を隠そうとしていた。 銀髪の少年の目にはそれらしい身体を簡単に見つけることが出来ない。

「キョウゲンの目に見えたら教えてくれ」

人間とは比べ物にならない夜目の利くフクロウ。

「御意」

何度か滝壺の周辺を飛んでみたが、岩場に引っかかっている様子も、未だに落ちてくる川の水に弄ばれている様子も見られない。

「川下に行ってもよろしいでしょうか」

「頼む」

いくらか下り、流れが緩やかになったところで川辺に一人の女、もう少し下った川の中の岩に男が引っ掛かっているのが見えた。

「おりました」

キョウゲンが下降すると、少年にもその姿が見てとれた。

「あの二人に間違いありませんでしょう」

「その様だな」

キョウゲンから跳び降りた銀髪の少年が二人の息を確かめたが、事切れていた。

再び少年の居る所に戻った銀髪の少年。 声を枯らしていた少年は言われた通りに安全な所に移動し立膝の中に顔をうずめていたが、川石を踏みしめる音に顔を上げた。

「お父とお母は川下におった。 息はしておらん」

「え・・・」

「今からお前を連れて行く。 立ち上がり騒がずじっとしておれ」

そう言うと再びキョウゲンに跳び乗り、銀髪の少年を乗せたキョウゲンが空中で一度輪を描くと、まるで獲物を掴むかのようにその足で少年を掴んだ。
両親が息をしていないと聞かされた少年は、自分に何が起こっているのかも分からないままにその身体を宙に躍らせた。

(おとととおかか、が・・・。 息を、していない?・・・)

先ほどのところにキョウゲンが飛んでくると、銀髪の少年が跳び降りた。 キョウゲンが片足を上げて地に下り少年を降ろすが、少年の膝が砕けるように身を落としかけたのを銀髪の少年が支えた。

「お父とお母に別れを告げるがよい」

目の先には仰向けになっている己の母親が横たわっている。

「お・・・おかか?」

母親に一歩二歩と近づき、走り出した。

「おかか! おかか!」

川の水が顔の傷から出ている血を時折洗い流している。 衣はあちこちが破け、そこにも傷が見られる。 そして異様に曲がった膝。

「おかか! 返事して! おかか!」

少年がザバザバと川に入り、母親の身体を揺らす。

「おかか! おかか!」

「あまり揺すってやるな。 お父はあちらにおる。 あそこ迄はお前は行けん。 この場でお父とお母に別れを告げよ」

顔を上げ銀髪の少年の目線を追う。 川中に岩があり、そこに父親が引っ掛かっている。 いや、岩に上半身を引き上げられていた。

「おとと・・・、おとと・・・」

少年がそのまま川の中を走り出そうとしたのを、銀髪の少年が手を引いて止めた。

「お前も流されてしまうぞ」

「おとと! おとと―!」

離せと言わんばかりに銀髪の少年の手を剥がそうとするが、しょせん五歳くらいの少年の力では銀髪の少年の手は離れない。
ひとしきり暴れた少年だったが、とうとう銀髪の少年に大声を出され正気に戻った。

「お前が死んでどうする! お父とお母の分も生きろ!」

少年が銀髪の少年を見上げる。

「オレが・・・オレが。 オレがおとととおかかを殺した・・・。 オレが殺したー!」

銀髪の少年の眉が撥ねた。 殺したというのならば咎がある。 たとえ歳浅い少年といえど見逃すことは出来ない。 だが今の様子では殺したのでは無いだろうとは思うが、勝手に己の判断を下すわけにはいかない。

川の中に座り込んだ少年が、川の水を拳で打ちながら何度も何度も言い続けている。

「オレだ! オレのせいでおとととおかかが死んだー! オレが殺したーーー!!」

何度も何度もそう叫ぶ少年。 そしてとうとう少年の枯れていた声が出なくなった。 叫び続け喉を傷めたのは明らかだった。

体力も尽きてきたのだろうか、川の中に身を沈めていく。 このままうつ伏せで身を沈めるとこの少年も死んでしまう。
この少年が本当に両親を殺したのであれば咎を受けるのであるから、いま川の中に身を沈める方が楽なのだろうし、そうでなかったとしてもあれ程に叫んでいたのだ、何か事情があるのだろう。 これから罪の意識を感じながら生きていくことの方がこの少年には血を吐く思いであろうと銀髪の少年が考えるが、それでも見過ごすわけにはいかない。

銀髪の少年が声の出なくなってしまった少年の手を引いて河原に上げる。

「何があった」

「・・・」

声は枯れてしまったが、未だ枯れることなく流れる涙で頬を濡らし、精魂尽き果てたように河原に横たわってしまったままだ。
辺りはもう暗くなっている。 月明かりだけが頼りとなってしまった。

「お前もこのままここで野たれ死ぬか」

「・・・」

「俺はマツリ。 名は何と申す」

「・・・杠(ゆずりは)」

声にならない声で答えた。

泣き疲れたのか、少年は一言自分の名を残すとうつらうつらとしていった。
マツリが立ち上がりキョウゲンの背に乗った。

そして翌朝、都司(とつかさ)が早駆でやってきた武官から話を聞き、郡司(ぐんじ)がすぐに若い者を連れて少年の元にやって来て少年を保護し、川に眠る両親を埋葬した。



少年と両親は川に魚を捕りに来ていた。 少年は河原で待っているように言われていたのに、陽の光を浴びてキラキラと光る魚の影を追ってしまった。 そして川に落ちた。 運悪く深みで尚且つ流れの速い所に。

流されていく我が子に気付いた母親が川の中に入り、手を伸ばして助けようとしたが、指先が触れただけで、寸手のところで少年の手を取ることが出来なかった。 母親がそのまま強い流れの中に入り深みに足を入れ流されてしまった。

父親はこの先に滝があるのを知っていた。 なんとか先に流されていた少年を途中にあった岩に上がらせると、次に母親を助けようとしたが、父親も流れに身をとられてそのまま流されてしまった。

咎を問う内容ではなかった。

「養い親を探すかどこかで童(わらわ)として働いていくか、あとは郡司に任せる。 苦労であった」

父親である本領領主の四方からそう伝えられた。



覆面をした男が夜空を見上げた。 そろそろ城家主(じょうやぬし)の手下(てか)が出てくるはずだ。
家を潰された。 歴史ある家を。 そして民草以下にされた。
初代本領領主の家系。 連綿と続くその家系を潰された。

『其の権限を削ぐ』

『何故に!』

『其の血筋・・・領主の座を狙っておろう。 その筋、争いを起こすだけにある』

領主になるのは祖母のはずだったのに。



薄暗い中また視線を感じる。
振り向く。 目が合う。 また目を逸らされた。

疑われているのだろうか・・・。 
だが・・・今日こそは。 歩を出す。

「よう、なんかいい話はあるか?」

後ろから肩を叩かれた。
振り向くと知った顔があった。 もう一度前を見たが、もうあの男は消えていた。

「うん? なんか気になることでもあるのか?」

肩に手を乗せた男が俤(おもかげ)の見た先を見る。

「いいや」

俤が男に向き合う。

「こっちこそ訊きたいぜ。 酒を呑む金もない」

巾着を掲げて見せる。 振ると寂しい音が鳴っただけであった。

「ってことは、あの話を知らないらしいな。 オレに付き合えよ」

「金になる話か?」

「酒になる話だ」

「なんだよ、それ」

「城家主の手下に酒をねだるのさ」

「アイツらが酒をおごるとでも?」

「随分と前だがな、城家主から褒美の金をもらったヤツがいる」

「褒美?」

「そいつにおごらせる」

片方の口の端を上げてニヤリと笑った。

「なんの褒美だ?」

「そんなこたー知ったこっちゃねーよ」

「随分と前なら、もう金も残ってねーだろうよ」

「それがチビチビ使ってまだ懐が温かいらしい」

城家主の手下らしい、と嘲笑うかのように鼻から息を吐いた。

「怪しい話だ」

「乗るのか乗らねーのか、どっちだ」

「絶対に飲めんだろうな、目の前にぶら下げてハイ、終わりってことはねーだろうな」

「だから、そいつを二人がかりでおだてんだよ。 呑むためだったらなんとでも言えるだろうが」
「そういうことか。 乗った」



秋晴れの満月の日を中心として、シキと波葉の婚姻の儀が五日間かけて盛大に行われる。 最初の二日間が宮内で行われ、祝いにやって来た一人一人からの祝いの言葉を受ける。 中日の満月の日には闇に浮かぶ月明かりの中、月の雫と言われる水をいただき、早朝には祭壇のようなものがしつらわれている建物に入り、初代領主への婚姻の誓いという儀式が執り行われる。 午後には陵墓に足を運び報告という形をとる。
それは全て本領領主の血を引いたシキが決められた口上を述べ、決められた所作を行う。

そして残りの二日間は本領の中心である宮のある都、宮都内を馬車で二人の姿を民にお披露目するというものであった。

最初の二日間、何度か変わるシキの姿は金銀の刺繍の入った美しい衣装から、地模様が入っていたりと色とりどりの衣装に身をまとい、艶のある黒髪に髪飾りもシャラリと音が鳴りそうなものから、冠のような物と目の保養となった。 もちろん何を身に付けても、その衣装も飾り石も精緻な金銀の髪飾りも、シキの美しさには勝てなかったが。

壇上にはシキの斜め後ろに、何十年と見過ごされていた本領の手落ちの為に、最後の最後に主のシキと共に “主と供” の禁を破り大役を果たしたロセイが居る。 そのロセイは、婚礼の儀が終わったシキが完全に本領のことからお役御免となると同時に、ロセイもお役御免となる。

宮での婚姻の儀には親戚の他、多くの関係者と東西南北各領土の領主も出席し、シキが回っていた東と南の領土からは五色も出席していた。 また、五色に付いている古の力の有る者も同席していた。

北の領土の領主は出席できないためと、代理が出席していたようだと小耳にはさんだ。

「ニョゼさんかなぁ・・・」

北の領土のニョゼのことは日本にいてまだ領土のことも知らなかった時、まだ紫揺と名乗っていた時に知り合い、まるで姉のように慕っていた相手である。
そのニョゼとある日急に別れることになった。 北の領土の手から逃れる為であった。
別れの時、手紙だけを残すことは出来たが、代理がニョゼであるのならば逢いたい。
だが大勢いるどこを見て回ってもニョゼの姿は見つからなかった。

東と南の領土を回っていたシキであるから、東の五色である紫揺と、古の力を持つ者の此之葉はもちろんのこと、南の領土の五色と古の力を持つ者も出席をしている。

南の領土の五色は、二色の異(い)なる双眸を持つ二人と一色の双眸を持つ者の三人。
一人は異なる双眸を持つ、青と赤の瞳を持つシャダンという名の者。 もう一人も異なる双眸を持つ、黄と黒の瞳を持つメイワという名の者。 三人目はメイワより濃い黄の双眸を持つジェイカという名の者であった。

衣裳はスッポリと被る、言ってみればワンピースであったが、襟ぐりがかなり開いたもので、それぞれ色も違い少しずつデザインも違う。
南の領土と本領では気温が違うと分かっていたのか、肩に羽織る物、絹で出来たブランケットのような物を掛けていた。
三人とも肌は浅黒く健康的であった。

初めて顔を合わせた紫揺であったが、三人とも明るく紫揺より少し歳上だけということもあってか、気が合った。

「え? 皆さんご結婚されてるんですか?」

「けっこん?」

三人が首を傾げる。

「あ、婚礼?」

ああ、といった様子で三人が頷く。 領土の違いで言葉が少し違うのだろうと納得をしたようだが、そうではなかった。
すでに一年と数か月を東の領土で過ごしていたが、それでも日本の言葉がついうっかり出たり、東の領土の言葉が分からない時があった。
チョイスする言葉が分からない時には、葉月や塔弥以外のお付きが教えてくれていたが、ついうっかりは避けようがない。

東の領土の衣装を着た紫揺。 紫揺にしてみれば先(せん)の紫である祖母と同じ考えで、祖母の前の代の紫の衣を着ようと思っていたが、祖母の前の先代紫は紫揺よりずっと身体が大きかったようで、今の紫揺と同じ歳に着ていた衣はどれも大きく、今の紫揺の背丈に見合った物はどれも子供が着る衣であった。 したがって紫揺の衣は新しく作られた。 今日紫揺が着ている衣裳もその内の一枚である。
シキの婚礼祝いに出席する為の衣装である。 それは本領の衣とよく似てはいたが、本領のように裾を引きずるものでは無い。

祝いの席に合うように明るい桜色をした衣は日本の着物と同じように前合わせをし、紫揺の象徴である紫色の帯を巻き、紫だけが持つと言われる紫珠を帯に垂らしている。 着ているものは日本の着物に比べて随分と生地が薄い絹であり、帯も半巾帯の更に半分ほど。 そして何より、帯の下は裾広がりになっていてその裾は膝を隠している所で終っている。

「私が一番遅かったわ。 21の歳の時だったから」

メイワが言う。

「21の歳で遅いんですか?」

「私は19の歳の時。 シャダンは18・・・だったかしら?」

ジェイカが言うと、シャダンが頷く。

この南の領土の三人が着る衣裳も、ある意味、紫揺と同じような物であった。 本領のように裾を引きずらなく膝を隠す長さ。 合わせではなくスッポリと被る形ではあるが、裾の長さという意味では、東と南の領土の着る衣裳はさほど変わりはないようだ。
三人とももう結婚をしているからなのか、落ち着いた色合いである。

「・・・どうしてそんなに早く?」

「あら、シキ様が遅すぎるのよ」

この時シキは26歳であった。

「26の歳で遅すぎる?」

「ムラサキはいくつ?」

メイワが問う。

「22の歳です」

「え・・・」

三人の目が紫揺に釘付けになり「うっそ!?」 と続けた。

「シャダンの二つ下?」

「もっと下だと思ってた」

当のシャダンが言う。

「じゃ、婚姻は?」

婚姻? と思ったが、婚姻届けと言うのがすぐに頭に浮かんだ。 それにさっき自分自身も言っていた。

「してません・・・」

「許嫁は?」

「いません・・・」

「どうして!?」

どうしてと言われても、つい一年数か月ほど前に東の領土の人間になったところですから、とも言えないし、日本でも22歳で結婚している者はいるだろう。 とは言っても、22歳でまだ結婚をしていなくても「どうして」 とは訊かれないだろう。

「どうしてでしょうか・・・」

そうとしか言えない。

「東の領土に想えるような人がいないのかしら?」

いえ、最近やっと力のコントロールが出来るようになって、力での迷惑をかけることなく辺境にまで足を伸ばせるようになっただけで、男を漁る暇などありませんでした。 なんてことをとも言えないし、そんな気も毛頭ない。

「いえ・・・まだそんな気になれなくて」

「そうなの? ・・・うーん、でも、跡のことも考えなくちゃ」

「あと?」

「早く婚姻して残さなくっちゃ。 私たちにはその命もあるからね」

「シャダンはもう二人なして、一人目が五色よ」

「私はまだ恵まれてないけど、メイワもすでに一人産んでるわ。 残念ながら五色じゃないから、あと数人産んでみないといけないしね」

ああ、そういうことか、と納得する。 そうか。 五色が生まれなくとも、あとに繋ぐために子供を産まなくてはいけないのか。

「本領には五色が何人もいるから、本領の五色はそんなことを考えないでしょうけど、私たちはね・・・。 お気軽には出来ないのよ。 領主や古の力を持つ者から何も言われない?」

「今のところは」

「ふーん、そうなのね」

目を移すと東の領主と南の領主が互いにお辞儀をしあってこちらに歩いて来るのが見えた。 互いに後ろには古の力を持つ者が付いている。 南の古の力を持つ者は40代だろうか。 此之葉より随分と年上だ。

(此之葉さん、気疲れしただろうな)

東と南の五色が打ち解け合っているのを見て、互いの古の力を持つ者が五色から身を引いて領主の後についていたというわけだ。

「そろそろ帰ろうか」

南の領主が言う。
こちらも五色と同じくサラリとした生地に、スッポリと上から被る形の衣装を着て、その上に袖部分は肘までの長さのある、膝丈までの裾の長い上着を着ている。 下穿きも涼し気な筒ズボンである。
東の領主とそんなに歳がかわらないであろう。 温厚そうな見た目である。

「え? もうお帰りになるんですか?」

もう少し南の五色と話していたい気もする。 思わず紫揺が南の領主に訊いた。

「シキ様にお目通りもしましたので。 我が五色達も連れ合いや子のことが気になりましょう」

「あら、領主。 領土のことが気になると言って下さらなければ」

「そうですわ。 私たちが領土のことを放っているみたいに聞こえます」

ジェイカとメイワが言う。

「そうだったな。 いや、うちの五色は口が達者で、やられっぱなしです」

南の領主が東の領主に言う。

「いやいや。 ハキハキとされていて、領土も安泰ですな」

「東の五色様はこれからが楽しみですな」

紫揺の歳を知らない南の領主が言ったものだから、南の五色がそれぞれに笑いを堪えている。

「では、次にいつお会いできるかは分かりませんが」

「南の領土の安泰を祈しております」
「東の領土の安泰を祈しております」

では、と言って南の領主が五色と古の力を持つ者を率いて、この日の祝いの終わった場を後にした。
そんな時

「シユラ様!」

声が聞こえた。

自分のことを紫ではなく、紫揺と呼ぶのは? 紫揺が振り返る。 すると人の波の中からセノギが走ってきていた。

「セノギさん!」

領主と此之葉が一歩を引く。

「セノギさんがどうして?」

「領主代理で御座います」

ムロイがまだ万全ではないのであろう、代理でやって来たのはニョゼではなくセノギであったようだ。 だがそんなことなどどうでもいい。 元よりムロイに良い気持ちを抱いていなかったのだから。 とにかくセノギと会えたのだ。 訊きたいことは山ほどある。
ムロイのことなどどうでもいいが、一応大人として訊いてみる。

「ムロイさんは快方に?」

「はい」

此之葉は日本にある北の領土の屋敷のある島でセノギを見ている。 セノギの顔を此之葉は知っていたが、領主は知らない。

話の流れからこのセノギという男は北の者だと分かる。 紫揺も耳にしていたが、北の領土は領主代理が来ていると東の領主も聞いていた。 一歩引いた領主が紫揺を守る態勢に入ろうとした。

「ご安心ください」

セノギを知っている此之葉が領主に言ったが、それを聞いたセノギが領主に向かい合った。

「東の領主で御座いますか?」

領主が頷く。

「北の領主代理の者で御座います。 北の領主は身体を悪くしており、参じることが出来ませんでした」

そこで一度礼をするように、だが己は代理、相手は領主、軽い礼では終われない。 90度に腰を折った。
頭を下げたまま続ける。

「東の領主、北の領土が東の領土にお掛けしましたことは、私などが頭を下げたとて拭われるものでは御座いません。 ですが北の領土がしたことを衷心よりお詫び申し上げます」

セノギが領主に向かって低く長く頭を下げる。

この男は決して領主ではない。 だが民であろうと、この何十年もの間に北の領土の者から謝罪など聞くことは無かった。

領主が一歩足を引いた音を聞いたセノギがゆっくりと頭を上げる。

領主が “気になさらないで下さい” や “終わったことです” または “謝罪を受け取りました” 等とは簡単には言えない。
だが一歩引くことで、暗にセノギの言葉を受けとめたと示したのだ。

二人の様子を見ていた紫揺が、会話が終わったとみてセノギに質問を始めた。

「影の皆さんはどうなりました?」

セノギがもう一度領主を見て、再び頭を下げると紫揺の問いに答える。

「皆それぞれに郷に帰りました」

帰ってくれたんだと安堵する。

「セキちゃんは?」

「屋敷に居る時とは比べ物にならないくらい、生き生きとしております」

「ガザンが居ないのに?」

「・・・無理はしているかもしれません。 ですが、当時はよく似た歳の子と遊んでいました。 屋敷では見られなかった姿です。 今では背が伸びて少し大人びてきました」

「そうなんだ」

元気にやってくれているんだ。

「ニョゼさんは?」

「ニョゼは・・・」

セノギの歯切れが悪い。

「なに? ニョゼさんに何かあったんですか?」

セノギが頬を染める。

「私の妻になってくれました」

「は?」

思いもしなかった返事が返ってきた。

「えっと・・・それって、セノギさんとニョゼさんが結婚したってことですか?」

「・・・はい」

歳の差があり過ぎるだろう! とは突っ込んで言えない。

「おめでとうございます」

「有難とう御座います」

更に頬を染めたセノギ。

歳が離れていても、よく考えればセノギとニョゼはお似合いだ

「トウオウさんの傷は・・・怪我はどうなりました?」

「その様なご心配はご無用です。 お元気にしておられます」

「そうなんだ、良かった」

「セキかニョゼにご伝言がありましたらお伝えいたしますが?」

いつまで尾を引いていても会えぬ相手。
紫揺が首を振る。
紫揺が此処に居ると聞けば、ガザンも東の領土に入ったとセキは分かるだろう。 それにニョゼはセノギの奥さんになったのだ。 セキの信頼するセノギの奥さんに。

「いいです。 みんなが幸せに暮らしているんですから、それだけでいいです」

紫揺の言いたいことが分かった。 セノギが頷く。

「セッカ様をお待たせしておりますので。 では、お元気で」

セノギがもう一度領主に頭を下げると踵を返した。

まだまだ人がごった返している中、そこへすかさずシキの従者である紫揺心の中で命名の “最高か” がやって来た。

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辰刻の雫 ~蒼い月~  第零回

2021年10月08日 23時16分50秒 | 小説
辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~  第零回



辰刻の雫 ~蒼い月~ 第零回では前章のご説明をいたします。




前章 『虚空の深刻』 あらすじ


本領領土、本領領主は東西南北の四つの領土を治めている。

各領土と本領はその昔には行き来があったが、各領土が本領からの独立を要求した。
その時に各領土の人間は互いの領土に踏み込まぬこと、各領土の自治その他は各領主に任せるとし、本領は各領土の領主が治めきれない人心の乱れ、厄災が無い限り口を出すことをしないと決定し、各領土には五色(ごしき)と呼ばれる本領生まれの五つの力を有する者達をその領土の民として本領が配し、各領土の自然災害から守ることにした。 その力の別は目の色に現れていた。

だがいつ人心が乱れるかもしれない、厄災があるかもしれない。 それを見るために本領領主の子供が不定期にではあるが各領土を見て回ることを承諾させた。

それから永年を経た時、東の領土の五色が土足で東の領土に入ってきた北の領土の領主や民によって襲われた。
代々続いてきた北の領土の五色に力がなくなってきた、一人で五色の力を操る東の領土の力ある五色が欲しかったからだということであった。

北の領土の一人づつが単色を持つ五人の五色と違い、東の領土の五色は一人だけである。 一人で五色(ごしょく)の力を持っていた。

東の領土の五色は襲われた時に崖から落ちてしまった。 その身体はどれだけ崖の下を探しても見つからなかった。
だが五色は生きていた。 落ちていく五色を追ったお付きと呼ばれる者が五色を受けとめ、崖の途中にあいていた洞に何とか入り込むことが出来ていた。 その洞は異空間を繋ぐ洞であった。

東の領土の五色とお付きはその洞で日本人に助けられ、日本で暮らすことになったが、孫の代で北と東の領土の者に見つけられ紆余曲折があったが、祖父母は産まれる前に亡くなっていて、その上、高校卒業時に両親を事故で亡くしていた天涯孤独であった五色の孫はきっと生まれるはずであった東の領土に戻った。

東の領土での名を “紫” という。

“紫” と呼ばれる日本で生まれ育った紫揺(しゆら)は、生まれ持った身体能力を遺憾無く発揮していた。



人物紹介

藤滝紫揺     葵高校器械体操部在籍
邑岬春樹     葵高校、紫揺の二年先輩
杢木誠也     邑岬春樹の専門学校時代のクラスメイト



北の領土

領主       ムロイ
重鎮とされる   ショウワ
五色       セッカ、キノラ、トウオウ、アマフウ、セイハ
日本を知る民   セノギ(ムロイの秘書のような事をしている)
日本に暮らす民  ニョゼ(幼少の頃に日本で教育を受け、日本で暮らし働いていた)
日本に暮らす民  セキ(北の領土の日本の屋敷で生活している。 ガザンの飼い主)
土佐犬      ガザン(元は領主のムロイに飼われていた)
本領からの諜報狼 ハクロ、シグロ、他に茶の狼
影と呼ばれる者  ゼン・ダン・ハン・カミ・ケミ






東の領土

五色       紫(五色に受け継がれる名前)
領主       丹我(たんが)
領主の長男    秋我(しゅうが)
古の力を持つ者  独唱(唱和の妹)
古の力を持つ者  此之葉(独唱の弟子)
お付き      梁湶・若冲・醍十・悠蓮・湖彩・野夜(全員が日本を知っている)
お付き      塔弥(先々代塔弥は曾祖伯父であり紫である紫揺の祖父でもある)
日本を知る民   葉月(古の力を持つ者、此之葉の妹)






本領

領主       シホウ ≪四方≫ ≪死法≫
領主の妻(お方様)澪引(みおひ)
長女       シキ  ≪四季≫ ≪視気≫
長男       マツリ ≪祭≫ ≪魔釣≫
二男       リツソ (二つ名はまだ無く幼名)
シキの供     ロセイ(サギ)
マツリの供    キョウゲン(フクロウ)
リツソの供    カルネラ(リス)




注:ちらちらと汚い画面になりますが、容量を落としたために発生したためであり、ご覧の皆様の画面異常ではありません。



それでは次回より 辰刻の雫(ときのしずく) ~蒼い月~ のお話しを始めたいと思います。

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