大福 りす の 隠れ家

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辰刻の雫 ~蒼い月~  第145回

2023年02月27日 20時33分13秒 | 小説
『辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~』 目次


『辰刻の雫 ~蒼い月~』 第1回から第140回までの目次は以下の 『辰刻の雫 ~蒼い月~』リンクページ からお願いいたします。


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辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~  第145回



「百足は後身した後はどうするのですか?」

四方によると、百足は後身すると次代の育成に当たるというが、全員が全員ではないという。 百足たちの暮らす集落でゆっくりとする者もいるという。

「後身した者を・・・見た目も気も優しげな者を三人ほど借りられませんか?」

四方が眉根を寄せる。 どういうことだと言っているのだろう。 当たり前だ、そんなことを唐突に言われて疑問に思わない者などいないだろう。

「六都で童や童女に道義を教えて欲しいのです。 六都から給金が出ます。 集落でゆっくりしているだけでは金は入ってこないのでしょう?」

「集落は衣食住と宮都がみておる、金の心配はない」

百足たちの中には嫁をもらっている者もいる。 そうそう会えるわけではないが、その者たちの援助もしてやらねばならない。 百足自身に給金というものは払っていなく必要経費を手に持たせている。 その分、集落に戻ると何の心配もなく暮らせるということになっている。

「六都の文官に合格を押される者がどうしても三人欲しいんです。 他の都から六都に来るはずもありませんし、六都にそのような者も居りません。 お願い致します」

長卓に手をつくと、ガバリと頭を下げた。
その姿を目にしながら魚の煮つけを口に入れる。

「・・・父上?」

下げたままの格好で頭だけを少し上げて四方を上目遣いに見ると、素知らぬ顔で咀嚼しているではないか。

「軽い頭になったものよな」

嫌味の一つも言いたくなる。 本領領主の跡継ぎがこのようなことで頭を下げるとは。
マツリが口を歪めながら姿勢を戻すが引く気はない。

「童が恐がらないような面立ちと話し方、宜しくお願い致します」

後は聞かないと言った風に白飯をどんどん口の中に入れる。

「武官はいつ返してくれる」

思わぬ問いに、あっ、と閃くところがあった。 白飯をゴクリと飲み込む。

「強面で体格のいい百足を四人揃えていただけるのでしたら、武官四人はお返し出来ます」

四方がジロリとマツリを睨んだが、素知らぬ顔で味噌和えに手を伸ばしている。

「シキの所には行かんのか」

「昼餉のあと行こうと思っております」

「もう初の歳を迎えておる。 それまで一度も見に行かなかったとは・・・何たる叔父であろうかのう」

「こういう時です、仕方がありません」

「贅沢なことよな」

四方は一人っ子である。 澪引の兄の子だけが甥姪になるが、血の繋がった甥は可愛いだろうに。
それからは互いに無言で料理を口に運んだ。

マツリが立ち上がり茶を二人分淹れる。

「姉上の所に行った後、東の領土に行きます」

四方の前に湯呑を置く。

「そのような時があるのか」

とっとと六都に戻らなくてもいいのか。 それに東の領土といえば・・・。

「東の領主に話しに行きます」

「まだそのようなことを言っておるのか」

「父上、申し上げたはずです」

四方が湯呑に手を伸ばす。

「それと、紫を奥と迎えた後は宮に向かえず、紫には東の領土に居てもらいま―――」

一瞬にして顔中が茶だらけになった。

「・・・父上」

立ち上がり手巾を手に取ると、一枚をまだむせている四方に渡す。

「これで二度目で御座いますが・・・」

顔と濡れた胸元を手巾で拭いていると、ゴホゴホ言いながら四方が言い返す。

「マ、マツリが・・・ごほ、驚くような事、ごほごほ・・・ばかり言う、ごほ、からであろう、ごほごほごほ」

「だからと言って・・・」

「そ、それに今何と申した、ごほほ」

「紫を東の領土からは取り上げないと申しました」

「そっ、その様なことがまかり通るとでも思っておるのか」

「紫が宮に居ても何もすることは御座いません」

「女官たちを見ておらんでどうする」

「それは母上がして下さるでしょう」

たしかにそうである。 本領領主の奥になってすることと言えば、女官たちを見ておくということだけである。 澪引もそうである。 澪引だけでなく歴代の奥がそうであった。 本領領主の血の繋がりのことも分からないし、あり方さえも分からない。 仕事すら分からない。 そういう立場である。

「わしが退いた後は澪引もおらん事になる。 そうなればどうするつもりだ」

「まだまだ父上は退かれませんでしょう。 それまでには紫も宮に来るようには致します」

「どういうことだ」

「御承諾いただけますでしょうか。 御承諾いただけないようでしたら、リツソに継がされても我は全く以って宜しいですが?」

リツソと聞かされて四方の顔が歪む。 それにこれは殆ど脅しではないか。
冷たくなのか、天の助けなのか、始業前の太鼓の音が響いた。 四方は執務に就かなければいけない。
四方が立ち上がると思いついたことを言い添える。

「百足の件ですが、父上の推薦状があれば六都の文官も文句を言わないと思います。 そちらの方も宜しくお願い致します」

「いいように使いおって・・・。 天祐(てんゆう)の制裁を受けるがいいわ」

背中を見せると執務室に向かったが、マツリには最後に言った意味が分からなかった。 だが気にするようなことではないだろう。
リツソのことでは散々いいように使われてきた。 今までのことを思うとこれくらい大したことではないだろうとマツリは思うが、四方にはマツリを使ったという気はさらさらない。

立ち上がり自室に向かって歩いていると三回呼び止められた。
いったいどうしたということだろうとは思うが、仕方なく受け取り新しい他出着に着替えるとキョウゲンに跳び乗った。

シキの邸につくとキョウゲンから跳び下り外套についていた雪を払う。

「シキ様! マツリ様がお見えで御座います」

シキの従者が襖の向こうで昌耶を通さず叫んだ。
シキと昌耶が目を合わす。 するとすぐにマツリの声が聞こえた。

「マツリで御座います」

「まぁ、マツリ? 入って」

従者が襖を開けると襖の奥から暖かな空気が流れてきた。 宮都でも雪が続いているのだろう、風邪などひかせることのないようしっかりと部屋を暖めているようだ。
シキの目に映った襖の向こうには久方ぶりに見る弟が立っていた。
シキは息子である天祐(てんゆう)を遊ばせてやっているところで、天佑の笑い声は襖の外にも漏れ聞こえていた。
その天祐が固まっている。

「若? どうされました?」

昌耶が声をかけた途端、天祐が泣きだした。

「どうも、嫌われたようですか」

「一度も来ないからよ」

シキが天祐を抱き上げあやしてやるが全く泣き止まない。
どれ、と言ってマツリがシキから天祐を抱き上げる。 目線が一気に高くなった天祐が驚きに泣き声を止めた。 くるりとひっくり返されると、先ほど見た知らない男の顔が目の前に現れたではないか。 火が点いたように再び泣き出してしまった。

「そんなに泣くでない。 男であろうが」

宥めすかしたり、身体を揺すってみたり、高い高いをしたりするが、一向に泣き止む気配がない。

「まぁまぁ、若、マツリ様がお困りで御座います。 ほれ、昌耶に来られませ」

昌耶が手を出すと飛び込むように昌耶に身を投げしがみ付く。 諦めたマツリが天祐から手を放した。

「久方ぶりで御座います、ゆるりとされますのでしょう?」

天祐の大泣きの間から昌耶が訊いてくる。
問をかけられた昌耶を見てからシキを見て答える。

「いえ、今日はあまり」

「あら、そうなの? まさかすぐに六都に戻るの?」

六都の事を知っているのか。 波葉はかなり情報を漏らしているようだ。

「戻りますが・・・その前に寄るところも御座いますので」

シキと昌耶が目を合わせる。
その昌耶が話の邪魔になるだろうと、泣き叫んでいる天祐を抱いて部屋を出て行く。 そのまま廊下を歩いて何度か曲がると、履き物を履きある一角にひょいっと顔を出す。

「あら、もう初めていたの?」

「もちろんに御座います。 千夜様達に負けてはおられませんのでっ」

マツリが三つの包みを持っていた。 それを見逃すことは無い。

「それはそうね。 でもマツリ様はあまり居られないということです」

「え・・・それでは大急ぎで」

「ええ、そうね。 ですが誰か茶をお出しして」

昌耶の腕にはグズグズ言っている天祐がいる。 昌耶が茶の用意をすることが出来ないということだ。

天祐の泣き声が去って行った。

「波葉様以外の男の方は駄目みたいなの」

シキが言う。 さっきは一度も来ないからと言っておいて、どういうことだ。

「父上もあんな風に泣かれて、いつも肩を落としてお帰りになられるわ」

四方が言っていた『天祐の制裁』とはこの事だったのかとは思ったが、マツリはそれほどショックではない。

「男が苦手なややは多くいると聞きますので、あまりお気になさらない方が宜しいでしょう」

そうなのかしら、と言いながら、片手の掌を頬に当てて、ほぅ、っとため息をつく。 子を産んだというのに美しさは全く変わっていない。 相変わらず美しい。

「病にもかからず?」

「ええ、元気にいてくれているわ」

「それが何よりで御座いましょう。 あれだけの声が出れば、すくすくと育ちましょう」

「でもね・・・少しのことですぐ泣いてしまって」

「男の方がよく泣くものです」

「あら、マツリが泣いたのを見た記憶はあまりないのだけれど?」

「我はそうだったかもしれませんが、リツソはよく泣きましたでしょう、少しのことでも」

我が弟と言えどリツソと同じようになるのかと思うとゾッとする。 要らないことを言ってくれる。

失礼をいたします、と襖の外から声をかけられ茶を持った従者が入ってきた。 楚々と茶を置くとすぐに部屋から出て行く。
それからも天祐の話、澪引には懐いているのに、四方がどれだけあやしても泣き叫ぶだけの天祐。 四方がどれだけ肩を落としているかの話などをひとしきりした。
そして話が尽きた頃にシキが六都の話を切り出してきた。

「長く六都に出向いているそうね」

「はい」

「まだ落ち着かないの?」

「分かっただけの膿は出しましたがまだまだ出てくるかもしれません・・・まだまだでしょうか」

そこで学び舎を建てたというと帆坂の話をしだした。

「まぁ、そのようなお方が?」

「ええ、帆坂の兄弟ならば天祐も泣かないかもしれません」

「あら、ご兄弟も?」

「ええ、帆坂の弟になりますが、童にも好かれ馬にも大層好かれたようで」

あの覇気のなかった馬の目が生き生きとし、いつの間にか上げていた頭もずっと上げたまま歩いている。

「ああ、それと・・・」

杉山で台を作った男たちのことを話した。

我が弟は離れた所で色々とやっているようだ。 単に領土を見て回っていた時と大きく違った事をしているようだ。 地下が落ち着いてきたのが大きな理由なのだろうか。 だがこのまま六都の話で終始するつもりはない。
そうなの、と婉然な笑みを送りそう言うと

「六都に戻る前に紫に会いに行くのよね?」

「どうして急にそのような・・・」

「いつぶりなのかしら?」

少々険しい顔を向けられる。

「あ、えっと・・・。 かなりになります、か。 先年の四の月が最後かと」

信じられないという顔をシキがした。

シキが紫揺のことは全て波葉から聞いているだろうことは分かっている。 マツリが紫揺に心を寄せていることも知っているはずだ。 そしてあのことも・・・。 だからシキがそんな反応をしたのだろう。 隠し立てしても今更である。

「今日、紫の所に行きますが東の領主に紫のことを言うつもりです、我の奥にしたいと。  東の領主には紫が倒れて機を逃しておりましたが、今日こそはと思っておりますし、父上にはその前に言っております」

「え? 父上はご存知だったと言うの?」

マツリが四方に紫揺のことを言っていたのは澪引から聞いていた。 だが今のマツリの言いようでは時期が合わないのではないだろうか。

「はい」

「紫が倒れたということは・・・父上にはいつ言ったの?」

「いつで御座いましたでしょうか・・・。 紫が倒れて宮に連れ帰った時が御座いましょう? あの日に東の領主に言うつもりで御座いましたので、その時には既に父上に言っておりましたが」

そう思えばいつ言ったのだろうか、とぼそぼそと口の中で言っている。
シキの目が半眼になった。

(母上にご報告だわ)

そんな早くにマツリがそこまで考えていたなどと知りもしなかった。 それなのに四方は知っていたなどと。 それを澪引にもシキにも言っていなかったなどと、許せるものではない。

四方が地獄の針山に立つ日が近い。

四方をどう料理するのか今は二の次、現実に戻る。

「紫は何と言っているの?」

「・・・紫が姉上にも話したで御座いましょう、紫の父御と母御のことを」

どうしてこの話の流れで紫揺の両親の話が出てくるのだろう。

「ええ、でもマツリにも言ったわね? 紫のせいではないと。 それを紫に言ったと」

マツリが頷く。

「姉上が言って下さっていても、紫の思いは変わっていないようでした」

「・・・そんなこと、あの時、紫は頷いてくれたわ」

マツリが首を振る。

「深く・・・深く傷を負っているようです。 紫は・・・想い人と幸せになってはいけないと、想い合っている父御と母御を切り離したのだからと、そう言いました」

そして泣いて泣き、泣き疲れて寝てしまった。
シキが繊手で顔を覆う。

「我とは一緒にいたくないと」

「紫・・・」

シキの繊手の向こうでは顔色を変えているのだろうか、それとも目に涙をためているのだろうか。

「姉上? 紫の言ったことは光明です」

え? っとシキが繊手から顔を上げる。
どうして? 紫が・・・紫揺が苦しんでいるというのに。
目に溜まったものが窓から差し込む陽の光を反射した。


マツリがシキの邸から出る時に包みを渡された。

(またか・・・)

キョウゲンに跳び乗る。

「なぁ、この包みは何を意味していると思う?」

「・・・繁殖相手の取り合いかと」

思いもかけなければ不気味な返事。
四つの包みを目の前にかざす。
時は夕刻になり、いつしか雪が止んでいた。


キョウゲンから跳び下りたマツリ。 東の領土では、これから東の領土なりの冬を迎えるがため誰も外に出ていない。 したがってマツリを迎える姿もない。 だがそれこそが重畳。 大袈裟にしたくない。
紫揺の家に足を向ける。

紫揺の家にはお付きという者たちが居ることは知っている。 そのお付きの中に塔弥が居ることも知っている。 そして紫揺の横にはいつも ”古の力を持つ者” 此之葉が居ることも。 紫揺自身が時折、辺境に出向いているということも知っている。
今この時、紫揺が辺境に行っていれば家には居ないだろう。
だが・・・紫揺の気を感じている、近くにいる。 それは東の領土という大きな括りではなく、今マツリが歩を進めている先に居る。 紫揺の家に。

「マ! マツリ様!」

声を上げたのは此之葉だった。
紫揺が固まる。

「此之葉、悪いが座を外してもらえるか」

だがその目は紫揺を見ている。
マツリだ、入ってよいか、と言われ此之葉が襖を開けたのだった。
紫揺が身じろぐ。

「・・・ですが」

「我は紫に話がある。 座を外すよう」

此之葉が紫揺を見る。 見られたとて紫揺に逃げ場はない。 だが此之葉を巻き込むわけにはいかない。

「此之葉さん、ごめんなさい。 えっと・・・ちょっとの間、マツリと話をするから、それまで・・・」

諦めたように此之葉が部屋を出て襖の前に座した。

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辰刻の雫 ~蒼い月~  第144回

2023年02月24日 20時38分06秒 | 小説
『辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~』 目次


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辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~  第144回



最初に比べ随分と馬に慣れた様子の世洲。 心身ともに疲れたのか、馬の首にもたれかかっている。 そう思えばいつの間に馬の首が上がってきていたのだろうか。

「このまま家まで帰るよう」

出来ることらこれからのことを考えて、官所の厩に戻してから家まで歩かせたいが、今日のところは疲れているだろう。

「はい?」

声がひっくり返った。
馬の首から姿勢を立て直すと続ける。

「家並みの中を歩かせるのですか?」

練習した学び舎の周りには何もない。 広い原っぱにぽつんと建っているのだから。

「馬を動かすよう」

言い終えると先を歩く。 世洲の家であり帆坂の家を知らないが、官吏たちの家が何処に集まっているのかは知っている。
置いていかれては馬から下りることも出来ない。 慌てて世洲が馬の腹を蹴った。
遅い歩みと思っていた馬だがさすがに四足である。 日頃の世洲より早く歩いているし、人が走ればこの馬より早いが、それなりな人並みの歩調である。
暫く無言で歩いていたマツリが口を開いた。

「この馬で移動し、学び舎を三か所まわれるか」

帆坂が保証していたように、この世洲は子供たちの心を変えてくれるかもしれない。 先ほどの学び舎の前で見ていた様子がそれを物語っている。

「え・・・」

「この馬は官所の馬。 無償で貸し出してもらえることは確約済み。 飼葉賃などの心配もいらん。 毎日、官所の厩に行ってこの馬に乗り学び舎を移動する。 その後、官所の厩に返す。 馬番がおるから厩の中の心配はない。 だがそこからは歩いて帰らねばならん。 三か所をまわれれば賃仕事などではなく給金となるだろう。 どうだ」

世洲にとっては夢のような話である。

「やってみんか」

「え?」

「世洲には今までやって来たことに対しての信用がある。 給金仕事に変えられよう。 いつまでも賃仕事をしておっては一人でやっていけまい」

「マツリ様・・・」

「どれほど出るかは文官の元で決められるが、今より良いことは分かっておる。 一ケ所から三か所になるのだから当たり前なのだがな。 どうだ」

マツリが言った時には家の前に着いていた。
コクリと頷き「有難うございます」と言った世洲。

「厩番にはこの馬を借りることは言っておる。 官吏にもな。 いつでも借りればよい。 まずはこの馬に慣れるのが一番だ」

帆坂はまだ帰っていなかったが近所の者に台を借り、世洲を下ろすとマツリが官所の厩に馬を返した。
厩番には、明日より世洲という者が馬を借りに来る、ということを忘れずに言い添えている。
世洲の足は膝から下が思うように動かないということであるから、騎乗と下馬には台が必要となってくる。

「あれだけ慕われているのだから、学び舎では子たちが台を用意するだろう。 厩では厩番がそれなりの物を用意をするであろうし・・・」

それなら世洲が乗り降りする学び舎と、ついでならそれなりの台ではなく厩にも世洲に合った台を用意すればいいこと。 できれば人の手を借りずに一人で乗り降りできる台。

「明日は・・・」

大工仕事か、と思いかけたがその材料がない。

「・・・杉山に行くか」

材料は杉山にしかない。


宮都では大店に咎が下された。 訴状からも悪質である。 ましてや人死にがある。 店主には一生の労役。
番頭と手代は同じ穴の狢だった。 ましてや人死ににその手を染めていた。 他の罪状にも関与していた番頭と手代にも咎が下される。

「て、店主に言われればっ!」

「道理を言い返せないというか? ずっとそういう身でいたか? 真はどこにある」

「それは、六都以外の考えでありましょう!?」

「六都も宮都もない。 人として考えぬか」

「それが道理といわれるか、真と言われるか、それは何ぞ!? そんなものは六都にはない! 怖気(おぞけ)が走る!」

一本筋の通った反省のなさ、店主と同じく労役の咎が下った。 だが主犯である無期の店主とは違い有期の労役とされた。 その有期は労役態度次第ということである。
このような者を六都に戻してしまうと、今マツリがしようとしていることに弊害が出るだろうと四方が考え、刑部にしてはこのような者を六都に戻してまた何やらされては堪ったものでは無い、有期と言ってもかなりの年数になるだろう。


「端木はないか?」

雪の降る中、馬で杉山までやって来たマツリが、雪を踏みしめながら薪を持って宿所の前を歩いていた一人の男を止めて訊いた。 それは食事当番の男である。

「端木?」

男にしてみれば今まで気軽に六都で生きてきていた。 それなのにこのマツリが現れてからおかしくなった。 とは言ってもマツリは本領領主の跡継ぎ。 簡単に手は出せない。 それにそのような立場の者が武官も連れず簡単に己に声をかけるなどと。

「足場となる台を作りたい、その為の端木が欲しい」

男が眉を上げる。

「台?」

「おい、何をして・・・マツ・・・」

宿所の戸を開けて出てきた男が途中で口を止めた。
食事当番は一人ではない。 何人ものむさ苦しい男たちの腹を満足させねばならないのだから、一人では到底追いつかない。

「端木がないかって、台を作りたいんだとよ」

「台?」

この宿所には武官の目がない。 最初こそ見張の武官がいたが、今は全員杉山で見張っている。

「・・・武官も居ねーしな」

男が杉山を仰ぎ見る。 武官の下りてくる姿は見えない。
男が口の端を上げ目が鈍く輝いた。


「・・・器用なものだな」

己が作るよりよっぽど上手いだろう。

ほんの数刻前。

『台ってどんな?』

『馬に乗るための台だ、高めに作りたい。 それを二つ』

物知り顔に頷いた男。

『武官の目もねーや、ちょっくら抜けるぜ』

そう言って走り出した。 戻ってきた時には端木を抱えてきていた。 雪を蹴散らすと端木を置き、道具を持ってきて台を作り出したのだった。

『足が思うように動かねーんだったら、この方が乗りやすいだろからな』

男が数段の階段を作っている。
マツリが用意した台に上がる時には、動かない膝を手で持ち上げていた。 マツリがそれを助けたほどだった。
そしてその男の横には、最初に声をかけた男も座り込んでもう一つを作っている。

「器用って・・・オレらは学び舎を建てたんだぜ? これくらい屁でもねーわ」

マツリの口角が上がる。 学び舎を建てたことがこの男達にとっての誇りとなり自信となっている。 それはこの男達に限ったことではないだろう。

「ああそうだったな。 童・・・子たちが喜んでおった」

一瞬暗い目をした男。

「・・・燃やされたんだってな」

男が言うともう一人の男の手が止まった。

「木が焦げた、燃えるまではいっておらん。 それに子たちが懸命に焦げ跡を磨いた」

「え?」

「誰に言われたわけではない、子たちが考え行った。 子たちにとっては大切な学び舎なのでな」

そうかい、と言った後、口を綻(ほころ)ばせた男達が雪をかぶりながら、無言になり手を動かした。
仕上がった台をマツリの乗ってきた馬にこれまた器用に括り付ける。

「壊れるこたーねーけど、万が一壊れたら作り直す、変えて欲しいとこがあったら作り変える。 いつでも来てくれ」

「物作りが楽しいか」

「え? ・・・楽しい?」

思いもよらないことを言われ、男たちの時が一瞬止まったようだ。

「あ・・・そうか。 そうだな」

「ああ、楽しいと言われたらそうかもしれねー、か」

男二人が目を合わせる。

「気が付かなかった」

「そう、だな」

切った杉を木材としてだけ売るのではなく、家具を作らせてもいいかもしれない。 溜まった力を出させて発散させクタクタにさせて、暴れる力を残させることなく寝させる。 それが終わりを告げているのだろうか。
男達がマツリを見送ることなく宿所に戻って行った。 遅れを取り戻すべく夕餉の準備を始めるのだろう。

「今日の夕餉は一品足りんかもしれんな」

マツリが思うが、あの男たちが作る物はそんな上品なものではない。

マツリが去ってから暫くして杉山で仕事を終えた男たちが続々と戻って来た。

「けっ、お前らの当番の時にはいつもこれだな」

「もっと他に作れねーのかよ」

男達の自作の長卓の上には色んな野菜を煮込んだ大鍋と飯釜がドンと置かれていた。

「いや、そんなことよりよー」

まるで日本の給食当番のように、一人が椀に野菜の煮込みを入れ、もう一人が出された茶碗に飯を盛りだす。

「今日マツリが来て―――」

「マツリ様だ」

男達を見張っていた武官の一人から叱責が飛んだ。
言いかけていた男がチッと舌打ちをすると、話を続けた。
すると面白いことに、翌日から夕餉を食べ終えると端木を使って男たちが色んなものを作り始めた。
京也と巴央がそれを見て目を合わせ笑いを堪える。 武官にしてはとっとと寝て欲しいのに、と眉根を寄せている。
新米の九人は余力が残っておらず、食べ終わるとすぐに寝入っていた。

そして三日後。
世洲が馬に乗り、三か所をまわることとなった。
男二人が作った台は最初にマツリが作ろうと考えていたものよりよほど大きく重く、子供たちが簡単に持てるものではない。 まさか世洲がそんなに早く実行にうつすとは思ってもいず、台の一つは厩に、もう一つはずっと教えていた学び舎に置くつもりで二つしか作ってきていない。
だがマツリの杞憂も子供たちが飛ばしてくれた。 子供たちが雪の降る中、重そうにしながらも、馬の後について台を運んでいるのだから。

杠がマツリの部屋にいる。 一段落ついたところで久しぶりに酒を酌み交わしていた。

「教える者ですか・・・」

「ああ、この六都には居らんだろう。 他から来てもらうにもこの六都に来るような粋狂な者も居らんだろうし」

今、小さな子供たちを教えているのは帆坂兄弟で六棟。 建てた学び舎は十二棟。 残りの六棟が遊んでいるわけではない。 十二棟とも十の歳以上の子供たちが武官に徹底的にやられている。

あてはないか? という目を酒の入った湯呑を口にしながら送る。
腕を組んで考えるが、そんなあてなどどこにもいない

「・・・百足はその身を引いたらどうするのですか?」

腕を開いて湯呑を口にする。

「百足?」

思いもしなかった案である。
ふむ、そう言って今度はマツリが腕を組んだ。

「百足のことは何も知らんが・・・良い案かもしれん」

「宮都に戻られて四方様にお伺いをして、そのまま東の領土に飛ばれれば如何ですか? 一旦は落ち着きました。 今を逃すとまた何があるか分かりません」

腕を組んだままチラリと杠を見る。

「そんなに気になるか?」

「当たり前です。 いつまでも我が妹を放っておかれるのでしたら、己が紫揺に合う新しい男を探します」

「そのような者はおらん」

湯呑を口にする。
子供のようなマツリにクッと喉で笑うと手酌で酒を湯呑に入れた。

「明日は降らねば良いのですが」

酒瓶を置くとクイっと湯呑の中の酒を吞んだ。


お帰りなさいませ、回廊を歩くマツリにあちらこちらから声が飛ぶ。 その中でマツリの姿を見た女官たちがバタバタと走り去ると、自分達の陣営に戻って行った。
厨ではマツリが戻ってきたと聞いて、大慌てでマツリの昼餉の用意を始めだしている。

部屋に戻るとキョウゲンが止まり木に飛び移り、長く飛んだ羽を休めている。 雪で道が悪くなっている、よって馬ではなくキョウゲンで戻って来ていた。
雪で濡れた頭巾付きの外套と他出着を脱ぎ若葉色の狩衣に着替える。 平紐を解くと濡れた銀髪を手拭いで拭き、丸紐を持つと高く結い上げる。
出来ることなら湯につかって冷えた身体を温めたいが、こんな刻限に湯の用意などしていないだろう。

夕べ杠が『降らねば良いのですが』と言っていたが、残念ながらこの連日降っていた雪は止むことは無かった。
四方はまだ仕事をしている。 すぐに太鼓が鳴るだろうが、先に澪引に挨拶をする為に部屋を出る。
澪引に挨拶が終わり、少しの雑談をしている時に、時を告げる鐘の後に太鼓の音がドンドンドンと鳴った。 これから昼餉の休憩に入る太鼓の音である。

「四方様とゆっくり昼餉を食べていらっしゃい」

澪引が何を言わんとしているのかが分かった千夜が、従者に耳打ちをするとすぐに従者が立ち上がって足早に去って行った。
朝早くに六都を出たがすぐに宮都に入らなかった。 執務中の四方が出てくることは無いだろうと思ったからだ。 まずは放ったらかしになっていた本領の中を飛んでから宮に戻ってきていた。

「どんどんと送ってきてくれるな」

箸を持った手を小鉢に伸ばしながら四方が言う。 罪人を送って来ていることを言っているのだろう。
きっとこういう話になるだろうと、澪引が気を利かせてリツソと自室で昼餉をとっている。 四方は四方で人払いをしている。

「あの折には助かりました」

番頭と手代を早々にしょっ引いてくれたことだ。

「まぁ、こちらにも税が入ってくるのだから、入りやすくしたまでのこと」

やはり税として取ったか。 借金返済には充ててくれないようだ。

「おかげで忙しいことこの上ないわ。 まだ六都は機能せんか?」

都司や文官所長を置けばいい話だが、まだ人選までに至っていないし、その立場の者を置くとマツリがやりにくい。

「細かいところでの咎人はこちらで引っ切り無しに咎を言い渡しております。 ですが大事にはもう少し宮都を頼らせてください」

六都で出来ないことを宮都に頼る。 それは四方に頼るということになる。 頼るとは、四方の仕事が増えるということになる。

「マツリの言っておった郡司、やはり金を取っておった」

柳技のいた辺境の郡司である。 柳技を金で売ろうとしていた。

「父上にしては遅い仕事で御座いますね」

随分と前の話である。

「次から次へと送ってきて何を言っておるか。 武官も借りたままで、こっちがどれ程忙しくしていると思っておるのか」

「調べたのは百足で御座いましょう?」

出した箸を止めてムッとした顔を見せるがそのまま箸を動かす。

「証拠は百足が掴んできたが、後釜の郡司を探したり郡司の咎があったり、こっちも動かねばならんのだからな」

「で? どういう咎を?」

「人身売買にあたると刑部が判断をした。 よって労役その後に焼き印」

納得するようにマツリが頷く。
一口二口おかずに手を伸ばしてから口を開く。

「今日おうかがいしたいのは、その百足のことなのですが」

人払いがされていると言えど声を静めて言う。
四方の手が止まった。

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辰刻の雫 ~蒼い月~  第143回

2023年02月20日 21時06分57秒 | 小説
『辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~』 目次


『辰刻の雫 ~蒼い月~』 第1回から第140回までの目次は以下の 『辰刻の雫 ~蒼い月~』リンクページ からお願いいたします。


     『辰刻の雫 ~蒼い月~』 リンクページ




                                  




辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~  第143回



「帳簿はあまり得意でない。 簡潔に頼む」

「承知いたしました」

長卓に置いていかれた一冊を手に取ると、自分の置いた十三冊の中からも裏と表の帳簿を一冊ずつ手に取った。 それぞれの頁を繰る。

「ああ、ここが分かりやすいかと」

そう言って二冊それぞれに、左右の人指し指を這わせる。

「ここから・・・ここ。 数字が違ってきていますでしょう?」

そう言って次は “内訳” と書かれたところを指でなぞった。
んん? マツリが先程までと違った意味で眉を寄せる。

「この頁だけでおおよそ・・・金貨二十枚分はあるかと」

マツリにも分かった。 たった一頁で金貨二十枚分の違い。 それが照らし合わせると少なくとも五冊ある。 杠が持ち出してきた裏帳簿七冊がこの六冊の表帳簿に書かれている期間に則するのだろう。 裏帳簿の方が一冊多いということは、それだけ誤魔化していることが多いということ。

「これを年間でまとめた報告書が、この年に当たります」

依庚が持って来た年間報告書である。 いわゆる決算書。

「売上げを誤魔化していたということか?」

頷いた杠だったが、すぐに口を開く。

「それだけでは御座いません。 仕入れ先を脅していたようです」

この大店は主に酒を扱っている。 呑み屋の殆どがここに買いに来ているし、ふらりと買いに来る者もいる。 そして他に雑貨やつまみになる物なども置いているが、それが安価ということでこれもよく売れている。
その仕入れ先はこの六都ではなく、他の都だという。

「他の都であれば脅されたと官所に訴えに行けば済む話ではないか、六都ではないのだから」

少し前のこの六都でそんなことをしていれば、より一層脅されるかもしれなかったが。 それも都司から。

「それが、己が六都の者と分かっていような、などと言い添えていたようで」

呆れたようにマツリが息を吐いた。

「決して仕入れに対して金を支払わないわけでは御座いません。 値切っているだけなので、それに関しては咎が下るかどうかは刑部の裁量次第ですが、仕入れ額を誤魔化しております」

まだ包みに残っていた仕入れ台帳を二冊ひろげて分かりやすい所を指で示した。
一冊には値切った額、そしてもう一冊には仕入れをした事にしている値切る前の額が書かれている。

「これは・・・破格に値切っているということか」

再度杠が頷く。

「証人になると言っておるのか?」

「はい。 全てにあたったわけでは御座いませんが、己のあたった者たちは諾と。 それと・・・人死にが出ております」

マツリの目が険しくなる。

「値切りに諾と言わなかった、ということか?」

杠が首を振った。

「そのような者もいるかもしれませんが、己があたったのは廻り船屋で御座います」

廻り船屋、それは廻船屋(かいせんや)である。

この大店は自馬車を持ってはいるが、酒を樽で仕入れるには馬車を使うより、船を使った方が早く安上がりになるところがある。 船で川を下り近くの船着き場で自馬車に乗せる。 それは特に珍しいことではない。 特に重いもの、木材などを運ぶのにも船を使う。

「廻り船屋との間で賃金問題が出たようで、脅しに水夫(かこ)を川に沈めたと」

「廻り船屋はどうして黙っておる」

「娘を沈ませたくないだろう、と言われたようです」

マツリが顔を歪める。

「それからはあの大店に言われるままの賃金で船を出しているそうで、ちょっと揺さぶりましたらすぐに泣きついてきました」

マツリが頷く。
あくまでも賃金は払っている。 そこを抜け道としているのだろうが、そんなことで見過ごす気など無い。

「帳簿で確実な・・・あ、いや、それは宮都に任せよう。 おおよその誤差がどれほどあるか調べておいてくれ」

仕入れも売り上げも誤魔化して官所に出していたのだ。 納めなければならない税も随分と狂ってきているだろう。

「こちらに」

数枚の紙を長卓に置いた。
杠のことだ、おおよそではなく確実な数字を上げているのだろう。 一枚ずつの紙を見て何度も口を歪める。

「まさに店が潰れるな」

誤魔化していた分を全て払わせる。 紙を長卓に置く。

「被害を被った者たちは訴えそうか?」

「誰か一人が立ち上がるか、あの大店が捕まるかしなければ、という感じですか」

「では、こちらの税逃れの方でまずは捕らえる、ということだな」

「一度に出来ずお手間を取らせます」

杠が太腿に手を置くと頭を下げた。

「その様なことは止めてくれというに」

上げた顔が相好を崩す。

「これらを持ってこれから宮都に行きたいと思いますが、一応ご許可を」

含み笑いをしている。
この分官所に置いてある報告書と、ちょろまかしてきた帳簿を持って出る許可が欲しいと言っているのだ。 大店からは簡単に盗んできたというのに。

「許可する」

マツリが呆れたように口にする。

「固すぎるだろう。 依庚には俺から言っておく」

「宜しくお願い致します」

宮都に戻り刑部から令状を出してもらう。 余罪はその後だ。
杠のことだ、その時に被害を被っていた者たちのことを話し、余罪も迅速に動けるようにするだろう。

「では頼む」

杠が出た後に湯呑を下げに来た依庚には報告書を杠に持って出させたことを言い、もう一杯茶を飲むと止める依庚を押し切って文官所を出た。 低い空からさっきまで降っていなかった粉雪がちらついていた。


数日後、宮都から税逃れの令状を携えた武官がやって来た。 大店では大わらわとなっていた。
店主以外、番頭と手代もひっ捕らえられたということであった。 そしてそのまた数日後、被害を被ったものから訴状が提出されたいうことであった。
同時に追徴税、重加算税などで文官が大店に入り込んだ。 店主以下、店の金を動かせる者が居なくなったからである。
これは四方の差し金かもしれない。 ここに杠は絡んでいないだろう。 こうすることは尤もなことなのだが、四方は取れるものは搾り取ると考えているはずだ。

「これを宮都に入る税ではなく、今までの借りに充てて欲しいものだ」

立ち合いという立場で、大店からありとあらゆるものを持ち去っていく官吏たちを見ながら、何気にあくどいことをポツリとつぶやく。 四方とどっこいどっこいかもしれない。

「この土地も建物も六都のものになりそうですな」

いつの間に居たのか、依庚が斜め後ろに立っていた。
金は勿論だが、物を徴収して金に換える。 その合計で足りねば土地も建物も没収される。

「かなりの額になるようであったからな。 それと宮都に収める他は六都都庫に入るのだから都庫がかなり潤うか?」

「かなり・・・とは難しいところではありますが、なにか?」

「今、学び舎に帆坂が足を運んでおるが、全ての学び舎に運べておるわけではない。 全ての学び舎に教える者を置きたい。 将来的には帆坂も身を引けるように。 あくまでも文官なのだからな」

「たしか帆坂殿の弟にはそんなに払ってはおりませなんだと。 それを考えるに可能かとは思いますが、同じ賃料ではまず、誰も来ませんでしょうな」

マツリが驚いた顔をした。 結局いくら払っているのかを聞いていない。

「そんなに低いのか?」

「帆坂殿が仰るに、それでも弟からすれば十分と。 私も最初はどうかと思いましたが、考えて下さいませ、帆坂殿は三か所をまわっておられます。 その上、文官の仕事もしておいでです。 それを思うに、単純にして帆坂殿の三分の一でも多いほどで御座います」

仕事量ということか。

「食ってはいけるのだろうな?」

あまりの驚きに心配になってしまう。

「帆坂殿と一緒に居られる以上は家賃が発生しませんので、なんとかいけるでしょう」

ということは、一人では暮らせないということ。

「こちらに来る前は親と住んでいたと聞きました」

足が悪いだけで職人にもなれなければ、一人で暮らすことも出来ない。 なんとかならないかとは思うが、これは帆坂の弟だけの話ではない。 あちらこちらにそういう者は居るだろう。

「相場の賃料では都庫から出んか?」

うーん、と唸りだした。
やはり難しいようである。
だが税を納めていないとか、横領をしているとかの咎人を捕まえに来たわけではない。 この六都でこれからを担う者の道義心を育てに来たのだ。 金一つで躓きたくない。

「十一人もの雇はちょっと・・・」

学び舎は十二棟建てたところからその数字が出てきたのだろう。

「あ、いや。 十一人も要らん」

「と仰いますと?」

帆坂が一人で三か所回っているのだ。 言ってみれば四人いればいい。 一日中、一ケ所で子供たちを座らせて教えるわけではないのだから。 その上で帆坂の弟がいる。

「おお、そういうことですか」

ポンと手を打った。

「そうだな・・・官所の厩から大人しい馬を一頭借りられんか。 出来れば無償で」

「大人しいと言いましょうか、年老いた馬ならおるようですが」

もう早馬にも使えなければ武官への貸し出しにも使えない。 本領でも各領土でも殺処分ということは念頭にない。 それだけに穀潰しとなっているのだが。
ふむ、と顎に手をやると数舜考えるそぶりを見せ口を開く。

「三人、三人であればいけるか?」

「そうですね、三人なら・・・相場というのを詳しく調べてからはっきりいたしますが、まずいけると思います」

「馬も借りられるな? 飼葉代は払わんぞ」

「ええ、どうぞ。 厩番が喜ぶでしょう。 年老いていると言えど、何日かに一度は散歩に出さねばいけませんので」

目途が立った。
あとは武官をいつまでもあんな風には使えない。 どうしたものか、と考えだそうとした時に「今日のところはこれくらいかと」と、声がかかった。
立ち合いをしていたというのに、すっかり忘れて何も見ず話し込んでしまっていた。

「あ・・・そうか。 ん? 今日のところは?」

「引き上げたものを金に換えましても、まだまだとどきませんでしょう。 また明日、金になりそうなものを引き揚げに来ます。 立ち合い宜しくお願い致します」

「ああ、そうか・・・」

明日もか・・・。
退屈な・・・。

ゾロゾロと引き上げていく官吏を見ていると依庚が話しかけてきた。

「ときにマツリ様、その教える者という者のおあてはあるのですか?」

それがあったのならば帆坂の弟に頼ることもなかった。

「この六都には居りませんでしょうし、簡単に六都に来ようと思う者もおりませんでしょう」

痛恨だ。 そうだった。 ここは他の都ではなかったのだった。
それにしてもこの依庚は、いつもとんでもないことを軽く口にしてくれる。 腕を組んで眉をしかめる。

「おあてが御座いましたらお知らせくださいませ。 どんな者でも良いとは官所として言えませんので。 では失礼を」

とんでもないことを軽く口にするどころか、釘を刺されてしまった。
誰かいないかと考えながら大店をあとにして官所の厩に向かうと、京也ではなく初めて見る厩番であった。 話を聞くと京也の前任だったそうだが、あまりの連日の腹下しで厩番が出来でなくなってしまっていたと言う。

「腹の具合が治まったのはいいんですが、なかなか次の働き先が見つからない時に、官所から声をかけられまして助かりました。 杠殿と仰いましたか、一生の恩義です」

何かあるな、と考えたのはマツリの勘繰り過ぎだろうか。

「官吏に大人しい馬が居るかと訊いたら、年老いた馬なら居ると聞いたが」

「ええ、三頭ほどおります」

「男を乗せて歩くことは出来るか」

「ええ、充分に。 走るのは勘弁願いたいんですが」

「乗せて歩ければ充分。 乗る者が御せないのだが、大人しいか」

「ええ、そりゃあもう、三頭とも。 その内の一頭は元々、暴れることもしなければ、どっちかって言えば、武官を乗せたり早馬を嫌がっていた程で」

「そうか、ではその馬をいま借りたい。 上手く乗れるようであればその後も。 文官には言っておる」

「連れてきます。 少々お待ちを」

厩の奥から連れてこられたのは、見るからに年を取った馬だった。

「十七の歳になります」

到底そうは見えない。 下手をすれば二十の歳をゆうに越えていそうだった。 それに十七の歳であったのなら、まだ武官を乗せて六都内くらいなら軽く走られるのではないか。 さっき、嫌がっていたと言っていたが、そういう問題ではないだろうに。

「この歳ならまだ働けるとお思いでしょうが、覇気がないと言いましょうか・・・」

たしかにそうだ。 覇気がない。
手綱をマツリに渡す。
厩の前から曳いてみたが首はずっと下がったままだった。 左右に振られるよりいいだろう。 そして暴れることもなく曳かれるままに歩いている。 曳く手は重たくもない。
途中で乗ってみたが感想はただ一言。
重い。
己ならお断りだが、御せない者が乗るにはこれで十分だろう。
まだ居るだろうかと思いながら、そのまま学び舎に向かった。

子供たちに囲まれて帆坂の弟である世洲(せしゅう)が出てきた。 なかなかの人気者らしい。 マツリが最初に思っていたことは杞憂に終わっていたようだ。

「はい、それでは、家に戻ってお手伝いをしてきてください。 また明日いらっしゃいね」

マツリに気付いたのか世洲が子供たちを帰そうとしたが、その子供の一人が世洲に話しかけてきた。

「明日も菓子がある?」

「そうそう毎日買っていたら、私の財布から何もなくなりますよ」

「じゃあ、明日、世洲の分をオレが持ってきてやる」

「持ってきてやる、ではないでしょう?」

「えっと・・・持ってきてあげます」

「そう。 よく覚えましたね。 でもそれはどこから持ってくるのですか?」

「あ・・・えっと・・・それは」

「私に持ってきてくれるっていう気持ちだけで嬉しいですよ。 来杜(らいと)が母さんに用意してもらったものであれば、来杜が有難くいただきましょう。 そうでないものは? どうでした?」

「と・・・盗るのは良くない」

「そう。 よく覚えてくれましたね」

ガシガシと頭を撫でてやる。

「オレ・・・働いて・・・世洲に菓子を買う」

「おお、それは待ち遠しいですね。 では一緒に沢山勉学しましょうね」

うん! と言って他の子供たちと走って帰って行った。

子供たちを見送った世洲が馬上のマツリに辞儀をする。
歩みの遅い馬で世洲の方に歩きだす。 腹を蹴ろうが足で締めようが、歩調は変わることがない。 マツリにとってはイライラする馬である。
やっとのことで世洲の近くまで来た。

「馬とはお珍しい」

「馬に乗った経験は」

馬から跳び下りたマツリが訊く。

「とんでも御座いません。 一度もありません」

「足が悪いということだが、馬に跨がることは出来るか」

股関節が悪いのなら考えものだ。

「悪いのは膝から下ですので・・・どういう事でしょうか?」

馬を目の前にして馬に跨ることが出来るかとは。

「この馬に乗って移動せんか」

「は?」

有無を言わさずその辺にあった台の替わりになる物を持ってきて世洲を馬に乗せる。 何が何か分からず目を白黒させている。

「この馬は腹が立つほど大人しい、それに遅すぎる、走ることもせん。 手綱には従順だ。 安心せよ」

逆にどれだけ足を使おうともスピードを出さない。

「紫なら馬を下りて自分で走り出すわ」

それどころかもしかして馬を背負って走るかもしれない。 不可能だろうが。

「え? むらさき?」

「ああ、何でもない」

つい思っていたことが口に出たようだ。
キョウゲンで飛んでいる時、その下で紫揺が馬を走らせていた。 その姿を見ていた時、二度も紫揺が襲歩で走り出した。 あの時のことを思い出していた。
一度目はリツソのことで本領に向かっていた時、二度目は共時を見つけた時。

(紫・・・)

あの状態であまりにも長い間、放ったままでいる。 だが六都に関わった時にこういうこともあるかとは思っていた。
それでも・・・。

「マ、マツリ様?」

放っておかれていた世洲が涙ながらにマツリを呼んだ。

「あ、ああ悪い。 軽く足で腹を蹴ってみよ。 動く方の足で良い」

既に実験済みだ。 腹を蹴られても歩調を変えないが動き始めはする。 それも片足でも。 どういう調教をされたのか至って分からない。
それからは馬の乗り方の稽古となった。

武官に教えられるゴンタクレどもが学び舎にやって来た時、冷やかすことを言ったが、マツリのひと睨みでその口を閉じた。 何人に睨みを据えたか。 目が疲れてきたほどだ。
走ってやって来た武官が何事かという目で見ていたが、それからはゴンタクレが何かを言う度に拳骨を落としていた。 今日の武官は厳しいようだ。

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辰刻の雫 ~蒼い月~  第142回

2023年02月17日 20時26分02秒 | 小説
『辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~』 目次


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辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~  第142回



「名は知らねーな。 知ってるのは気前が良くてベッピンだってことくらいだ」

「そうなんだ。 じゃ、はい。 ごちそうさま」

絨礼が穴銀貨を一枚渡す。

「おっ、穴銀貨できたか」

芯直も絨礼のよこから穴銀貨を渡しながら言う。

「釣り、間違えないでくれよ。 オレらの小遣いになるんだから」

「おお、景気がいいねぇー。 ほらよ、釣りだ」

ジャラジャラといわせて釣りの銅貨を渡す。

「ね、朧、弦月にお土産買って帰ろうよ」

「うん、上手い饅頭を買ってやろう。 おじさん、ごっそさん!」

店主に言うと二人で走って出て行った。

「まっ、姉さんが気に入るのも分かるか」

この六都には珍しい坊だ。 二人が食べていた皿を引き上げた。

饅頭を買い長屋に戻った二人。 柳技が退屈そうに待っていた。

「弦月、はい土産」

饅頭を柳技の前に置く。 絨礼が茶の用意を始める。

「朧が選んだんだ、きっと美味しいよ」

享沙の持ってきた薬草がよく効いたのか、今はどこにも腫れを残していなく痣が消えるのを待つ状態だ。

「朧がえらんだんだったら間違いないか。 ありがとよ、一緒に食おう」

二人が目を合わせる。 たった今、混味を食べてきたところだ。

「お土産だから、弦月が食べてよ」

「一人でこんなに食べられるかよ、な、一緒に食おう」

「じゃ、オレはこれ」

色んな種類を買って帰って来ていた一つに芯直が手を伸ばした。

「わー、オレは無理だぁ。 朧よく食べられるね」

「饅頭は入るところが違うからな」

「なんだ? どういうことだ?」

そう訊かれてたった今、混味を食べてきたところだと言った。

「そういうことか。 朧ってホントに饅頭が好きだな」

呆れたように朧を見た。

「二人でゆっくり食べてて。 オレ、先に書いておく」

享沙への報告だ。 夜まで待っていれば享沙が訊きに来ることは分かっているが、少しでも早く知らせたい。 要点をついて書き始める。
ようやく書き終えた時には芯直も饅頭に満足していたらしい。

二人が長屋を出て享沙を探すがどこにも見当たらない。
どうしようか、と絨礼が言いかけた時、前からマツリと杠が歩いてきた。

「オレが先に走るね」

「おし。 ただ、腹が重たいから早く走らないでくれよな」

「食べ過ぎなんだよ」

そう言うと絨礼が走り出した。 すぐに芯直が追いかける。 マツリと杠が目を合わせた。 このままぶつかってきては白々しいだろう。 どうするつもりなのだろうか。
と、間に人影が入ってきた。

「これこれ、走っては危な・・・あれ? 坊らは」

間に入ってきたのは今から学び舎に行こうとしていた帆坂だった。

「あ・・・」

絨礼が足を止めると後ろから走ってきていた芯直が「とっと、と」と言ってたたらを踏んだ。 もう少しでぶち当たるところだった。

「兄さんはどうだ? 身体が動くようになったか?」

これはヤバイ。 まだ動けていないことにしておくようにと、享沙から聞いている。 だがここでまだ動けていないというと様子を見に来るかもしれない。 柳技から心配性らしいと聞いていたのだから。

「あ、あの時はありがとうございました。 えっと・・・兄ちゃんは・・・」

帆坂は絨礼を見ている。 芯直が救いを求めるように杠を見た。
足を止めていた杠が笑いを堪えながらマツリに軽く頭を下げると歩き出す。

「如何なさいましたか? 帆坂殿」

「ああ、これは杠殿。 あ、マツリ様も」

帆坂が振り向いて杠の後ろにいるマツリに辞儀をすると杠に目を戻す。

「ほら、せんだって武官に捕まったものが居ましたでしょう? 二人。 あの者たちがやったのはこの坊たちの兄でして」

帆坂が二人を見る。

「兄さんの具合は? 三人暮らしなんでしょ? なんだったら私が様子を見に行こうか?」

二人の顔が引きつった。 その顔を見ているだけでも面白い。 まだ上手く嘘をつくということが出来ないようだ。

「ああ、そうなんですか。 坊たち、兄さんの具合はどうだ?」

杠にまでも訊かれてしまった。 どうしたらいいのだろうか。 二人が目を合わせる。 その様子が兄の容態はかなり悪そうだという風に見える。

「あまり良くないようなら私が見に行くが?」

「いいえ、何を仰います、杠殿。 私が最後まで面倒を見ます」

「そう仰られても・・・そろそろ学び舎の刻限になるのではないですか?」

「あ! ああ、いけない。 子たちを待たせてしまうところでした」

「ええ、お気になさらず。 私が様子を見てきます」

「あ・・・それでは宜しくお願い致します」

パタパタと帆坂が走って行った。 その姿を絨礼と芯直が見送ると「沙柊が見つからないから」そう言ってスッと杠に文を渡し、帆坂と反対方向に走って行った。

マツリが隣りにやって来て文を受け取ると、スッと懐に入れた。 そして数歩あるくと、学び舎を指さしながらわざとらしく先ほどの文を懐から取り出す。
まるで学び舎のことが書かれているようなふりをして。
文を広げ書かれている文字を目にする。

「こ、これはなかなかに・・・難解だな・・・。 まず一文字一文字の読解からか・・・」

『九人のおとこすぎ山にいきそう 一人はいくって あしたかんどころにもうしこみ ほかのおとこはかんがえ中』

今回は前回よりずっと長かった。 初めて見たわけではない杠にしても眉根を寄せる。

『九人の男杉山に行きそう 一人は行くって 明日官所に申し込み 他の男は考え中』

ここまでやっと読解できた。

「文にこれだけ疲れたのは初めてだ・・・」

思わずマツリが漏らす。

『■■■五人のおと ここわい にげるため すぎ山にはぶかんがいるてだしができない つかまるとかねがもらえない かねをもらってちんをかえすことができる』

少々、一文字一文字に慣れたのか、文字が分かるようになってきた。 あとは文章。

「この塗りつぶしてあるのは何だ?」

「多分、最初に五人を “ごにん” と仮名で書いたのでしょう」

「ここわい、とは?」

「五人の男、恐い、でしょう」

「可笑しなところに間を入れて・・・」

「書いている内に手がずれていったのでしょう」

マツリが杠を見る。

「よく分かるものだな」

「沙柊の読解能力に頭が下がります」

これを毎日見ていて杠に報告していたのだから。 それも当時はもっと酷かっただろう。

『五人の男 怖い 逃げる為 杉山には武官が居る 手出しが出来ない 捕まると金がもらえない 金を貰って賃を返すことが出来る』

「きっとこう書いているのでしょう」

「賃を返すとは?」

「長屋か何かの賃料か、何かの借りている金を返すことでしょう」

「ふむ、あの五人に捕まる前に杉山に逃げ込むということか」

「行かせますか?」

杉山に。
多くて九人のややこしい者たちを。

うーん、と言いながらマツリが腕を組む。 宿所が出来てから何度か徒歩で行ってはいる。 まだ小さな言い合いが上がってはいるようだが、今まで共に学び舎を建て、宿所を建てたのだ。 ようやくまとまりかけてきたところだ。
先に一人ひっ捕らえたものは、今も徒歩で杉山に通わせている。 武官からの報告では杉山に上がっても、ほんの僅かの時しか働けず帰って来ているということだった。
柳技を足蹴にした者と火付けで捕らえた者たちはまだ牢の中に入れてある。

『杉山に近づけば近づくほど雪が酷いですから、あんなヒョロっこい者にはきついでしょう。 まず、杉山に着けるかどうかも分かりません』

そう武官に言われていたからである。
それに一人の武官に何人もの監視をさせられない。
この六都の中心にも時々雪が降るようになってきていた。 通わせるのはそろそろ無理があるかもしれない。

「一度・・・いや、今から力山に様子を訊いてくる」

「承知しました。 では万が一、明日までに申し込みに来たとしても保留という扱いで宜しいでしょうか?」

「そうしてくれ」

杠はその旨を受け付けの文官に話す為、文官所に戻り、マツリは宿に戻ってキョウゲンに跳び乗った。 久しぶりであった。


「力山」

木を担いで先に下りていた巴央が同じように木を担いで山を下りてきていた京也にすれ違いざま声をかけ顎をしゃくった。
木々の間からマツリの姿が見える。 京也が確認したことが分かったのか、マツリがすっと身を隠した。

「お忍びのようだな」

何度か来ていた時には堂々と誰もの前に姿を現していた。

「あとを頼む」

「安心して長話ししてこいや」

片方の口の端を上げると木を担いだまま山を下りて行った。 定位置に木を下ろすとマツリが身を隠した方に歩きだす。
次に木を担いで下りてくる者の足止めを巴央がしているはずだ。 姿は見られないだろう。

「こちらだ」

マツリの声がする。 さっき見た所より更に奥に隠れているようだ。

「ちょっとややこしい者をこちらに入れたらどんな具合だ」

姿が見えないままマツリの声が問う。

「何人ですか?」

「少なくて一人、多くて九人」

「それって学び舎を焼いたやつですか?」

マツリが眉をひそめた。

「徒歩で来ているヤツから聞きました。 みんな怒りたくっています」

マツリの考えていた一つの得が得られたようだ。

「それは良い傾向だ。 だがそいつらとは違う。 そいつらは先走った者らだ。 今は牢に入れておる。 言っておるのはその仲間内だった者だ。 頭になっている者から逃げようと・・・ここに逃げ込もうとしている者だ」

「ああ、頭になっているというのは、俤が闇討ちしたという奴らですね」

「そうだ、そろそろ息を吹き返すだろう。 それを恐れておるようだ。 言われるままになると咎が下ることになるのが分かっておるようだ」

「そんな奴らだったら任せて下さい。 可愛がってやります」

「頼もしいな。 では頼む」

足早にその場を離れていくとキョウゲンに跳び乗った。

「こんなことは百足には出来ないか・・・」

百足にも利点がある。 マツリが足を運ばなくとも、百足に事を伝えることが出来ただろう。 だが百足は表には出てこない。 杠の下に付かせている者たちには百足とは違う利点があることを再認識した。

翌日、九人の申し込みがあった。
京也の返事が早かったため、保留ということは撤回されていた。
受付文官が書類の承認欄に文官の名前を書き込み詳しいことを話す。 とは言っても短いものだった。

「賃金から食代を引く。 布団と湯呑と茶碗と箸は用意するように。 辞めたくなれば再度ここにきて申し込みの撤回をするよう」

九人の男たちが雪降る中、背に荷物を背たろうて六都の中心をあとにした。
その姿を目で追っていたマツリ。

「あの五人をどうにかせねばいかんか・・・」

頭となっている杠曰くの横柄な五人組。

それから数日が経った。
すでに十二の月が終わり一の月に入っていた。 四の月から一度も宮に戻ることなく、ずっと六都に居ることになってしまっていた。
宮都からの文官たちは続々と出てきた今までの文官の汚職の証拠と、マツリからの書簡を手にして既に引き上げている。
マツリからの書簡は四方宛で、まだ武官を借りたい、当面夏まではということであった。

「己の近況報告も無しか・・・」

ちょっとしたボヤキも出てしまう。
目の前で足をブラブラさせながら朝餉を食べている我が次男。 未だ力のかげりも見せず、背も伸びず、それを気にすることもなく連日師から逃げ回っている

「四方様どうかなさいまして?」

「ああ、いや、何でもない」

何でもないはずなどない。
マツリの言うように、万が一にでもこの次男であるリツソが本領領主を継がねばいけなくなったらと思うとゾッとする。
マツリに聞かされて紫揺とのことは反対しなかったが、まず紫揺にその気が無ければ成立しない事。 そうなればマツリはどうするつもりだろうか。 それでも紫揺以外を奥として迎える気が無く、本領領主の跡を継がないというのだろうか。
それにそれに、まず有り得ないだろう、あの二人が婚姻などと。 いったいマツリに何があったのだろうか。
溜息を吐いた四方を横目で見た澪引であった。


「種が見つかりました」

六都内を見回っていたマツリの隣りに立った杠が言う。
マツリが眉を上げた。 ここのところ杠がちょくちょくいなくなっていた。 日がな一日と言う時もあった。 そして夜になれば部屋を出ていたことも知っている。

「奴の大店を潰せます」

探していた証拠を見つけた。 大店を潰せば愚息も潰せる。 その周りに侍っている者たちも。
五人の愚息たちは身体の調子は戻したものの、あまりの寒さに悪さをしに外には出てこなかった。
ただ、店主の愚息からの伝言を、大店で働く父親から伝えられているのだろう、四人の愚息たちが大店に入って行くのを何度も見かけた。 大店の奥はこの店主の家となっている。 暖かくなってからの画策をしていたのかもしれない。

「此処では何ですので、文官所で」

辺りを見まわした杠。 寒さにゴロツキが見当たらない。 せいぜい、まだ寒さを意ともしないゴンタクレがウロウロしているくらい。 十六歳前後であろうか。
帆坂からの提案で十歳から十四歳までの者も学び舎に通わすことにしたが、十五歳以上となると大人扱いだ。 学び舎で学ばせることが出来ない。 だがこの六都ではその歳になっても働く者はあまり見られない。
さっき杠は “種” と言ったが、まさしくこの者たちも別の意味での “種” である。 このままゴロツキになっていくのは明白。

「あの者たちも考えねばならんな」

帆坂は家から一番近い学び舎を弟に任せ、自分は毎日三か所をまわっている。 弟の足が不自由なく動くのであれば、弟にも三か所ほど回って欲しいがそれがままならない。
帆坂と弟が回れない学び舎は、武官が十歳以上の子たちを引きずってきて道義を叩きこんでいる。 だがその地域にもまだ小さな子がいる。 まだまだ考えなくてはいけないことが山積している。

「あまり肩をお張りになりませんよう。 どこにでも取りこぼしはおります」

六都だけにゴロツキがいるわけではない。 杠が言うのを聞いて、そうだな、と言ってマツリが歩き出した。
文官所に入るとすぐに温かい茶が出された。 外で冷え切った身体に染み渡る。

「お二人とも・・・武官ではありませんでしょう、マツリ様におかれましては風邪などお召になられましたらどう宮都に言っていいかも分かりません」

茶を出した文官が何を言いたいのかは分かっているが、マツリの身体はそれほど柔ではない。 それは杠においてもである。

「杠はどうか分からんが、我は寒い中いつもキョウゲンで飛んでおったからな。 空は地ほど暖かくないものだ。 それに常に風がある。 地に立っている方がどれほど暖かいか」

言われてみればそうだった。

「確かにそうで御座いましょうが、充分にお気を付けくださいませ」

この文官は今回沢山の六都文官がひっ捕らえられ、その為に宮都から異動でやって来た内の一人の文官である。 ずっと六都に居る文官に比べれば何度かマツリを見かけていて挨拶も交わしている。

「依庚(えこう)殿、早速ですがあれをお願い出来ますでしょうか」

杠は一度この分官所で働いていたのだから、何が何処にあるかは知っている。 だが今は異動命令が出されたことでこの文官所からは退いている。 勝手に触るわけにはいかない。
はいはい、と返事を二度して文官所長の部屋を出て行った依庚。
いま六都には都司も文官所長も不在。 マツリがその代理である。 代理でなくとも都司と文官所長が不在であれば、本領領主の息子ということで六都では頂点にある。

五冊の年間報告書を手に携え依庚が戻ってきた。 それを文官所長の卓に置くのではなく、二人がかけている長卓にどさりと置いた。
あまり書類が得意でないマツリが眉をしかめる。

「これでよろしかったでしょうか?」

「はい、有難う御座います」

少し前まで依庚の同僚であった宮都の文官が各店の年間報告書を洗いざらい見ていた。 おかしな点がたくさん見つかったことだろう、それを宮都に報告し今ごろは検討がなされているだろう。
本来ならこの六都で精査してからなのだが、今の六都では不十分ということで写しを取り宮都に持ち帰っている。

いま杠はこの六都の文官ではないが、宮都からのマツリ付の文官としてやって来ている。 宮都の官舎ではないから帯門標は付けていないが、最初にマツリからマツリ付でやって来たと紹介をされた。 杠が書類を見たとて、六都文官所として何ら追求しなければいけないことは無い。

「では御用があればお呼び下さい」

依庚が部屋から出て行った。

杠がこの部屋に持ち入っていた包みを開ける。 そこには帳簿らしき物が入っていた。
もう一度マツリが眉をしかめた。

「こちらがあの大店の売り上げの帳簿と裏帳簿です」

包みから一冊ずつを出す。 帳簿が六冊、裏帳簿が七冊、合計十三冊。

「え? 持ち出したのか?」

十三冊も、そんな事をすればすぐにバレてしまう。 即座に動かなければいけない。

「ご安心を。 偽物を置いておきましたので」

今まだ書き込み中のものは本物をそのまま置いてきて、持ち出してきたのは過去のものでそうそう見るものではないという。

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辰刻の雫 ~蒼い月~  第141回

2023年02月13日 21時10分00秒 | 小説
『辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~』 目次


『辰刻の雫 ~蒼い月~』 第1回から第140回までの目次は以下の 『辰刻の雫 ~蒼い月~』リンクページ からお願いいたします。


     『辰刻の雫 ~蒼い月~』 リンクページ




                                  




辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~  第141回



「有難うございました。 あの、オレ帰ります」

「まだ動かない方がいい」

「そうですよ? 私が代わりに家にお知らせに行きますから、ね?」

「弟二人だけだから。 こんな刻限に弟二人だけに出来ないから」

身を起こすと上半身や額にあった手巾が落ちた。
帆坂とその弟が目を合わせる。

「兄さん、送って行ってやってくれる?」

己の足では送り届けるに時がかかってしまう。

帆坂が眉尻を下げる。 弟が居ると言われれば仕方がないが、こんな体の状態で動かしてもいいものなのだろうか。
帆坂の弟の助けで座ったままの柳技が衣に袖を通す。

「心配しないでも殴られ慣れてるみたいですよ、守る所は守っている。 大丈夫でしょう」

帆坂の心配を見透かしたように弟が言う。 だがそれに驚いたのは柳技だった。

「あの・・・もしかして・・・」

柳技が何を言おうとしているのか分かる。

「こんな足だからな、いやと言う程からかわれた」

からかわれただけじゃないだろう。 殴られ蹴られていたのだろう。 だが今はそうでもないようだ。 “からかわれた” と言ったのだから、過去形なのだから。
どこかでホッとする己を感じる。 慣れているといっても、身体の痛みが慣れるわけじゃない。 それに心の痛みも。
帆坂の弟が柳技が立ち上がるために手を貸す。

「じゃ、兄さん後は頼みます」

はいはい、と言って帆坂が柳技を支える。
そこ・・・痛いトコ。

長屋近くまで送ってもらっていると「弦月!」と言う声がした。

「淡月! こっち! 弦月が居た!」

やはり探しに出ていたようだ。

「おやおや、子がこんな刻限まで。 かなり心配をしていたのでしょうね」

絨礼と芯直が走ってきたが、柳技の姿を見て驚きを隠せない。

「弦月! どうしたの!?」

陰で一つの影が身を隠した。

「ゴロツキに蹴られましたが心配はないようですよ。 どうです? 歩いてきて吐き気はありませんか?」

「はい、何ともないです。 あの、有難うございました」

絨礼と芯直も頭を下げる。

「有難うございました。 あとはオレらで連れて帰ります」

ササっと柳技の両横に付いて支える。

「そお? 大丈夫?」

「あの長屋ですから」

指さされた長屋はすぐそこにある。 ここから見送ればいいか。

「じゃあ、気を付けてね」

絨礼と芯直がもう一度頭を下げると柳技を支えながら歩きだした。

「はぁ・・・。 兄弟かぁ」

長い間、里帰りをしていない。 大きくなったであろう末弟に会いに行ってもいいか。
長屋に入るのを見届けた帆坂が踵を返した。

その帆坂が姿を消すのを見届けて陰から享沙が出てきた。 辺りを見まわし誰も居ないことを確認すると長屋に向けて歩を出した。

玄関の戸が速いテンポで二度叩かれ、一拍おいてゆっくりと三度叩かれた。 合図だ。
芯直が玄関を下りて鍵を開ける。

「弦月の具合は?」

「あ、弦月、動いちゃ駄目」

奥から絨礼の声が聞こえる。

「上がるぞ」

すぐに部屋に入ってきた。
上半身の衣を脱いでいたその身体には痣がいっぱいできている。

「どうした?」

「すいません・・・深追いするなって言われてたのに・・・」

「まず状況を話してくれ」

享沙と交代したあとの事を話し出した。 そして二人の内一人が歩きだし、その後を追ったことも。

「それで気が付いたら、さっきの官吏の家で介抱されてて・・・」

「そうか。 まあ、身体は痛いだろうが他にどこも何ともないか?」

柳技が申し訳なさげに頷く。

「多分・・・疑われていたんだろう、二人が揃って居る時から。 それで一人が動いた。 その後を弦月が追えば確実ということになる」

「あ! それで男が急に止まったのか」

口をひん曲げると続けて言う。

「それじゃあ、あの時追わなかったら、塀に立ってるヤツにずっと付いてたら?」

「疑いのままで終るだろうがアイツ等の考えることだ、難癖をつけてきたかもしれない。 だがまあ、まず疑われたというところ、だな」

まだまだだということだ。

「弦月に二人を頼んだこと自体が俺の失敗だ。 悪かった」

なんとも受け難い謝罪である。

「官吏にも顔を覚えられただろう。 身体のことだけじゃなく当分家を出ない方がいい」

しぶしぶ柳技が頷く。

「薬草を持ってくる。 淡月、朧、二人で腫れている所に塗ってやってくれ」

二人が頷く。
薬草を取りに行き戻ると出てきた芯直に渡し、すぐに杠の元に行く。
手渡された薬草は既にすり潰してあり瓶の中に入れられていた。 芯直が小首を傾げる。 どうしてこんなものを享沙が常備していたのだろうかと。

杠にはいったん戻って三人の様子を見てくると言い残していた。 杠は今も絨礼と芯直が見ていた男の家に貼り付いていた。

「弦月がやられました」

杠の眉が寄せられる。

「俺の失敗です。 今日アイツら二人、武官に捕らえられた時にやられていたのが弦月です」

アイツらで通じる。 享沙が見ていた二人のことだ。

「具合は?」

「殴り蹴りされたようですが急所は外れているようです。 腫れに効く薬草を渡しておきました。 助けたのがマツリ様に付いていた官吏のようで、介抱をしてもらい顔を覚えられたでしょうから、当分は出ないようにと言っておきました」

「承知しました」

マツリに伝えてそれなりの咎を言い渡してもらおう。 それなりの咎。 柳技に手を出したのだ、無償労働。

「どうですか?」

「動きはありませんが・・・」

享沙は早速、今日集まると聞いていた。 そして決起を起こそうとしていた男たちが目障りだと言っていた学び舎を燃やそうと。 杠にやられた男たちの先手を打つつもりらしい。
享沙から聞いた話はすぐに杠がマツリに知らせていた。

前を向いていた杠がトンと、享沙の身体を軽く指で叩いた。 紫揺から学んだことだ。 一人ではないのだから合図を送ることが必要と。
享沙が杠を見ようとした時にはもうその杠は居ない。

(相変わらず早い・・・)

物陰に身体を隠す。

暗闇から数人の若い男たちが辺りをキョロキョロしながらやって来た。 何人かが手に包みを持っている。

(四、五、六・・・。 あとの二人の内、一人はあの家から出てくるか。 ではあと一人・・・)

享沙が心の中で人数の確認をする。
男達の一人が家の門を潜って中に入って行った。 家の中にいる男を呼びに行ったのだろう。

「こんな刻からどこに行くんだい!」

「うっせーんだよ!」

「お前! また馬鹿なことを考えてんじゃないだろうね!」

「黙れっつってんだろ!!」

家の中から罵り合いが聞こえる。

「いいのか? おっ母の乳吸ってなくて」

「てめぇー、殴られたいのか!?」

「おっと、恐えー怖えー。 一人はまだだが他のもんは集まってる」

二人が連れ立って門から出てきた。

「どうする? まだ来ねぇ」

あと一人が。

「びびっちまったんだろうよ。 放っておけ。 行くぜ」

せっかく建てた学び舎に付け火をされては困る。 だから闇から数人に手をかけるかどうか迷った。 付け火は重罪だからだ。 泳がせて重罪の荷を負わせるほうが得策かもしれない。 罪を負わせるに未遂にすることは出来ない、付け火をしてもらわなくては困るが少々心が痛むところだ。
杠がマツリに報告に行った時にこの話をしていた。

『ふむ・・・どちらもどちらか・・・』

かなり迷って学び舎に付け火をさせることを選んだ。 だがボヤで終わらせるつもりだと。

『せっかく建てたものをみすみす燃やされてはたまらん』

まだ材料費も宮都に返せていないのに。
それにと、付け火をさせた方が重罪という事もあるが、他に二点得るものがあるだろう、 と付け加えて言っていた。

『どこの学び舎と言っておった?』

『気分次第でしょうが、一番近い学び舎ではないでしょうか。 それにあの四人が見ていたので』

壁にもたれかかり腕を組んで学び舎を見ていた四人の男達。 記憶に新しい。
その四人の先手を取ろうとしたのだから。

『承知した。 沙柊と共に見張に付いてくれ。 手を出す必要はない。 違う学び舎になりそうならすぐに報告を』

マツリからそう受けていた。
杠と享沙が分かれて男達の後ろを気配を消して追う。 万が一にも二手に分かれられた時のことを考慮してのことだ。
男達が向かっているのは間違いなく杠が言っていた学び舎の方角だ。 二手に分かれる様子が見られない。

(七人がかりで一つの学び舎か・・・肝の小さい奴らだ)

小さく溜息を吐く。
享沙にしてみれば一人欠けてしまったが最初は八人の予定だった。 少なくとも四人づつに分かれて二つの学び舎を燃やすかと思っていたのだが、当てが外れた。

(まあ、その方が被害が少なくて済むが)

男達が学び舎の前まで来た。 二手に分かれていた杠と享沙が足を止める。
手に包みを持っていた男たちが座り込むと包みを広げ、中の物を持って三か所に散らばった。 その三か所でカチカチカチと連打の音がする。 その間に他の者がぼろ布を学び舎の木に沿って積み上げる。

一ケ所で火打石から撥ねた小さな火が手に持っていた油を染み込ませたぼろ布に移った。 ぼろ布から火が上がる。 ニヤリと笑った男が積み上げたぼろ布にそれを放る。 ぼうぼうとぼろ布が燃え上がる。
他の二か所でも同じように積み上げたぼろ布に火を上げたぼろ布を放り込んだ。 二か所でも火が上がった。

木の焦げる臭いが辺りに充満する。 男達が声をたてないように腹を抱えて笑っている。 その姿が火の明かりに映りまるで踊っているようだ。
そこに大きな声が響く。

「捕らえろ!」

え? っと思って男たちが振り返ると、身を潜めていた武官があちこちから躍り出てきた。
顔をひきつらせた七人の男たちがてんでバラバラに逃げ出す。 それを武官が追う。 マツリが用意してあった桶を手に取り火にかけていく。
三か所目は少々遅れてしまってマツリの背以上に木が焦げてしまった。

遅れてやって来た一人が武官に押さえられる仲間を後目にそそくさと逃げて行く。 「堪ったもんじゃねー、やってられるか」 と吐きながら。
武官がマツリの所にやって来た。

「八人と聞いておりましたがここに来たのは七人かと。 七人全員取り押さえました」

マツリが武官の後ろにいる杠をチラリと見た。
武官の声は大きい。 杠にも聞こえただろう。
杠が大きく頷いてみせる。

「一人は来なかったようだな。 七人で良し、連れて行け。 桶を持って帰るよう」

官所の桶である。 備品を使い捨てにするわけにはいかない。

「アイツが漏らしたのか!」

来なかった一人に罪がなすりつけられた。 黒山羊で近すぎるところに座っていた享沙に疑いはもたれなかったようだ。

宿に戻ったマツリに柳技のことを話した。
マツリも杠と同じようにまずは柳技の身体を心配した。 そして続ける。

「帆坂が言っておった者どもだな、承知した。 当分、弦月を外に出さぬよう。 医者に掛かり、身体が動けぬようになってしまう程だったということにする」

かなりの咎にするようだ。

翌朝には付け火の噂が広まった。
子供たちが学び舎を見に来た。 燃えて無くなりはしていなかったが、綺麗だった学び舎に煤がついている。 子供たちの反応はそれぞれだった。
拳を握る子、泣き出す子、喚き散らす子、煤を払おうと手を真っ黒にしている子。
しばらくすると拳を握っていたり、泣いていたり、喚き散らしていた子が煤を払おうと先にしていた子に混じって手を真っ黒にした。
マツリの得るものがあると考えた一つがこれであった。

自分達の大切なものを壊されるとどんな気持ちになるか。 何をして何をしてはならないか。 それを分からせる。
子供たちは最初、学び舎を見た時に新しく建てられた学び舎に目を奪われていた。 それを大切に思うだろう。

もう一つは建てた者たちがどう思うかだ。 だが建てた者たちはいま杉山に居る。 すぐにではないが、戻ってきた時にそれなりに思うところがあるだろう。

「どういうこった、次々と・・・」

仲間内で三人の者たちがひっ捕らえられた。 ひっ捕らえられた中に知らない奴が四人混じっていたとも聞いた。 それに言い出しっぺの五人が襲われていた。 その五人は未だに起き上がれないと聞く。
集まった残りの九人が目を合わせる。

「手を引いた方がいいんじゃねーか?」

「ああ、聞くところによると労役が待ってるらしい」

「だけど、あの五人が床から上がってきたら何を言い出すか・・・」

「ああ、何を言い出すか分からねー」

「でもよ、逃げるとこなんてねーぜ?」

「家だって知られてる。 アイツらのこった、何をするか分からねー」

「オレは長屋だ。 長屋にまで押しかけてこられたら、他のもんから出されちまう」

「オレだって同じだ、それに・・・」

付け火で遅れてやって来て一人捕まらなかった男。 その男に視線が集中する。

「付け火に誘われてた。 けどあの時、遅れて行ったんだ。 その、すぐに出られなかったから。 でもオレが武官に漏らしたわけじゃねー。 だけど捕まった奴らはオレが漏らしたと思ってる」

捕まった一人が大声でこの男が漏らしたかのように言っていたのを聞いた。
それを聞いた全員が男を横目に見る。

「信じてくれよ! オレは漏らしちゃない!」

「・・・そんなことはどうでもいい。 これからのことだ」

全員が沈黙した。 あの五人が嫌がらせを始めたら考えただけで嫌になる。 長屋に限らず誰もがそうだ。 家族からも追い出されるかもしれない。 そうなると寝るところも飯もなくなる。

「一つだけなら逃げ場はある」

全員の目が集まる。

「杉山」

働くということだ。

「労役だったら金になりゃしねー。 ここにいてアイツらに見つかることを思えば、まだ金になる方がいいと思わねーか? 武官が見張ってっから、アイツらに手出しは出来ねーしよー、それにお前、長屋に賃を払わなくっちゃいけねーんだろ」

いつもはどこからか掠(かす)め取っていた。

「キツイって聞いたぞ」

「ああ、オレもそう聞いた」

「宿所が出来たらしい。 それからは随分と楽になったと聞いたが・・・そうだな。 オレはアイツらに見つかってその上労役を食うくらいなら行く。 アイツらだってそうそう長く床に居ないだろう。 明日、官所に行って申し込む。 お前らは好きなようにしな」

男が立ち上がると「おら、餓鬼が邪魔だ」と二人で混味を食べながら手遊びをしていた餓鬼と言われた絨礼と芯直を足で蹴散らすと “昼処” の黒山羊を出て行った。
昼餉の時だけに開けているメニューは混味だけの黒山羊。 今日は享沙に混味代を持たせてもらっていた。

『いいか、もう少ししたら九人くらいの男たちが黒山羊に来る。 混味を食べながら話を聞いてくるように』と、穴銀貨を一枚ずつもらった。

『お釣りは?』

『小遣いだ』

二人が目を輝かせて黒山羊に走った。

「よっ、今日は姉さんは来ねえみたいだな」

店主が話しかけてきた。 もうそろそろ “昼処” を閉めるのだろう。 これから夕方になるまで閉店だ。

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辰刻の雫 ~蒼い月~  第140回

2023年02月10日 20時19分06秒 | 小説
『辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~』 目次


『辰刻の雫 ~蒼い月~』 第1回から第130回までの目次は以下の 『辰刻の雫 ~蒼い月~』リンクページ からお願いいたします。


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辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~  第140回



「あそこの壁にもたれかかっている者たちです」

壁にもたれかかり腕を組んで学び舎を見ている男が四人。
決起すると聞いたのは十七人、そして今目の前にいる四人の前に六人を教えられた。 現段階で十人の顔を覚えた。 
杠が闇討ちをした五人は未だに動けないらしい。 その五人はおいておこう。 あとは二人。

「動きはどうだ?」

「頭になっている者を己がやりましたから今はまだ動きはありませんが、あの様な者たちはいつ火が点くかは分かりません」

マツリが頷くとあとの二人の所へ行くのを促した。
言ってみればこの時に武官を連れていれば二度手間にならないのだが、杠が武官と行動を共にしているところをあまり見られたくない。 杠は単なるマツリ付の官吏の立場としてここに居るのだから。 それに武官がいればこんな話もできない。
それにしても十七人の内の十二人一人ずつに武官をつけるわけにもいかない。 宮都から武官を借りていると言えど、それぞれに動いているのだから。
四方に言って百足を借りれば良かった、などと今にして思うがあとの祭である。 今から宮都に飛んでいる間に何かあってはどうにもならない。

「淡月と朧は何か言ってきているか?」

「悪たれに日々腹を立てているようですが、これと言うようなことは無いようです。 ・・・動かしますか?」

「ああ。 何人もの武官をアイツらに割けられん」

「弦月は?」

「そのままで。 この事以外の周りを見ているように」

杠が頷きそして続ける。

「沙柊はこれから行く二人についています」

マツリの眉が上がった。 どうして、と訊いている。

「己が手をかけた五人は今回のことを言い出した者たちです。 沙柊がついている二人はその五人に反感を持っている者たちです」

「決起する前からの内輪もめか」

「あの五人がかなり横暴なようで」

マツリの眉が寄せられる。

「その五人とやらはこの六都で地位ある者か?」

「地位・・・とまではいきませんが、一人が大店の愚息です。 あとの四人の父親がそこで働いています」

「大店?」

「はい。 どれだけ裏で動いていることやら」

どれだけ、と言った杠だが、そこのところは調べ初めているのだろう。
ふと腑に落ちた。 数日前に杠が言っていたこと。 紫揺に会いに行かないかと言ったことに。 これからはその大店の悪事を暴くことになるのだろう、だからあの時が機と考えたのだろう。

「宮でよく書類を見ておったな」

六都のことをチラリと言っていた。
杠が前を見たまま軽く頭を下げる。

―――いつの間に

いつの間に杠は・・・。

「杠・・・」

驚いて杠が振り返った。 マツリの声音がいつもと違っていたからだ。

「マツリ様?」

杠はいつの間に一人先を歩いていたのか。

「どうなさいました?」

「あ、ああ、悪い。 何でもない」

置いて行かれたようだった。 杠一人が階段を上がっているように感じた。
杠はずっとマツリと離れていた、離れてマツリの欲しい情報を集めていた。 だが今は先を読んで動いている。
今までもそうだったのかもしれない。 マツリが知らなかっただけなのかもしれない。 こうして一緒にいるようになって初めて気付いたのかもしれない。 置いて行かれるように感じたのは今更なのかもしれない。
杠は今までの杠ではなくなっていた。 官吏としての杠になっていた。 杠は確実に成長している。

(見習わねばならんな)

紫揺のことでぐちぐちと考えていては取り残されてしまう。

マツリが二人を確認すると、十二人の内の二人にはそのまま享沙がついた。 そして絨礼と芯直は二人一組で一人の男に、武官の三人が九人の男達に目を光らせることとなった。


「沙柊が一人で二人だろ? 武官が九人を三人でだから・・・一人が三人だろ?」

すっと割り算が出来るようになった。 享沙である沙柊が柳技と絨礼、芯直を夜だけ見ていると言えど、しっかりと勉強を教えるために宿題を出している。
柳技たちが帰ってくると玄関に紙が入れてある。 それが宿題であり、添削して戻ってきた前回に出された宿題もある。 ひらがなを読めるようになったから出来ることであった。

「オレたち二人で一人って・・・」

「だって、オレたちこんなじゃない? いつどこで難癖付けられるかも分からないんだし」

まだ子供だということもあるし、二人とも実年齢よりもずっと背が低い。

「・・・分かってるけど。 悔しくないか?」

絨礼が芯直を見て微笑む。

「下手を踏む方が悔しいより怖いよ?」

自分がヘマをすれば家族がどうなったか分からない。
絨礼がどんな思いで生活をしていたかは聞いていた。 己より心の呪縛があったということを。

「絨礼・・・」

「だから、淡月だってば。 ね、オレたちはまだ子だから。 ああ、朧は柳技みたいに動けるね。 オレと違って勇気があるもんね。 でも、オレについててもらえない?」

「絨ら・・・淡月」

淡月と呼ばれた絨礼が窓の外を見た。

「広い空だね」


「捕らえろ」

マツリの声が響いた。
武官が見ていた男が驚いて少女から手を離した。 男は使いに出た少女を捕まえて売ろうとしていた。

「なっ! なんだよ!」

マツリの声に踵を返し逃げ出そうとした男の前に武官が立ちはだかり簡単に捕らえる。
これで一人。
この男は人身売買、その前に誘拐という咎がある。 充分な罪だ。 咎は労役。 杉山に長い間無償で働かせることが出来る。

今は十二の月が終わろうとしている。 
少し前に宿所が建っていて、以前から働いている者たちは既に宿所で寝泊まりをしていたが、この男は当分徒歩で通わせる。 雪の中を歩くには往復だけで終るかもしれないが。
宿所では当番制で食事係を担っていた。 食事代は相応に賃金から天引きされている。 その食事をこの男の口に入れさせるわけにはいかない。 それにいま落ち着いている宿所で問題を起こされても困る。

この数日前、ややこしい時に、と思いながらも数日前に北の領土の祭を見に行っていた。 抜け殻のようになっていた爺が息を吹き返し、トウオウの家に羽音を住まわせ、身の回りの世話役と教育係として同居しているようだが『トウオウ様のようにご注意を差し上げるところが無く、寂しい限りです』と、どこか可笑しなことを言っていた。
かわらずアマフウが羽音を可愛がっているようで、ずっと手を繋いで微笑みを羽音に注いでいる姿は美しいものであった。

残りの武官が見ていた男を遠目に見ていた杠に元気な子供が後ろからぶつかってきた。

「ワッ!」

子供が声を上げて転んだ。
杠が振り向くと二人であるはずなのに一人しか居ない。

「大丈夫か?」

子供に手を差し伸べて立たせてやる。
ごめんなさい、と言うと子供は走ってどこかに行ってしまった。
手に持たされた紙を誰にも分からないように見る。

『くろ山ぎ あたらしい中ま あつめてる』

黒山羊で懇親会らしい。

“山” と “中” という漢字が書けるようになったらしい。 だがこの場合、下手に “山” を漢字で入れられるより “くろやぎ” と全てひらがなで書いてくれる方が読みやすい。 それに仲間の “中” が間違っている。
頑張っているのだと思うと微笑ましくなるが顔を引き締める。

「いつまで経っても・・・」

吐き捨てるように言うと歩を出した。
マツリが何処に居るか分からない、そのまま黒山羊に向かう。 絨礼はあのまま黒山羊まで走って戻るだろうが、その間、芯直一人で黒山羊に残っているということだ。
呑み屋に子供二人置くのも何があるか分からないというのに、一人だけで置いておけば少なくとも必ず絡まれるだろう。 官吏が走ると何かあったと見られてしまう。 走ることは出来ないが目立たぬように足を早める。

「らっしゃい!」

まるで夕餉の混味を食べに来たように黒山羊の中に入った。 目を走らせると苦笑の中に息を吐いた。

どうして杠が笑っているのか分からないまま、匙を手にした芯直が目で男達を示す。 頷くこともなく男たちの近くに腰をかけた。 あと少ししたら混んでくるだろうが今はまだ空席が多い。

混味も食べ終え今は杠も居る。 もう自分たちはここに居なくていいだろう。 分かれるのは名残惜しいが。

「お姉さん、ありがとう。 ご馳走様でした」

「いいえ、どういたしまして。 本当に可愛らしい坊たちね」

「二度も混味を食べさせてもらって・・・何かお返ししなきゃな、淡月」

絨礼が頷く。

「坊が何を気にしてるの。 元気に混味を食べる坊たちを見ているだけで幸せよ」

肘をついて組んだ手の甲に顎を乗せていた女が両手を分けると二人の頭を撫でる。

「さ、これからは性質の悪いのが来るわ。 お帰り」

「うん・・・」

二人が名残惜しそうに席を立つと女が微笑みで送ってやる。 まだ一緒に歩いて送ってやらねばならない時ではないだろう。
それより、とチラリと杠を見た。 弁当はもう作らなくていいと聞いた日から、杠は女の所に戻ってこなくなった。 座卓の上には質の良い巾着に金貨が数枚入っていた銭入れが置かれていた。 いつの間に置いていったのやら。 だが急に居なくなるのも、それもいつものことだった。
ちょっと気に入らないことがあって憂さ晴らしに黒山羊に入って来たら偶然あの坊を見つけた。

『あら? 今日は一人?』

芯直に声をかけた。
こんな所に坊一人で座っていては何があるか分からない。 店主を見ると気にしてはいたようだったが、女が芯直に声をかけた途端、安心するように中に入っていった。
芯直が言うにはついさっきまで二人だったと。 でも一人に用事をしてもらいに行って今は待っているだけだという

『淡月は優しすぎるから、ここで何をされるか分からないから淡月に行ってもらったんだ。 オレだったら相手を蹴り上げるから平気だし』

『まぁ、元気な坊ね。 混味をおごらせてくれるかしら?』

『あ・・・。 あ、じゃあ、淡月が戻ってきてから』

もう一度杠を見ようと思ったが、あまり見ていては杠の邪魔をするだけかと、店主に酒を頼む。

「あれ、すきっ腹に酒かい?」

「なぁに? 混味を食べろって言うの?」

店主がニヤリと笑う。 しっかりと商売っ気を出してくる。

「さっきの坊たちの分で儲かったでしょ。 お・さ・け」

諦めたのか「あいよー」と言って杯にたっぷりと酒を入れた。

今はまだ官吏の働いている時間だ、杠は酒を吞むわけにはいかない。 かなりゆっくりと混味を食べている。
官所で働いている者がこんな風に就業中に食をとるなどと言語道断だが、杠や武官たちのように外に出ていては、官所で働いている者たちのように定刻に食など摂れない。 現に杠も混味を注文するときに店主に言っていた。

『昼餉をとれなかったのでな。 やっと今だ』

『そりゃ、ご苦労なこった』と店主も気を利かせたのだろう、大盛りを持ってきていた。

この黒山羊が流行っているのは混味が美味しいだけではなく、店主のこういう心意気もあってのことだろう。 六都の全員が全員ろくでもないわけではない。

「ったく、いつ戻ってきてたのかしら」

クイっと呑んだ酒杯を口から外すと唇が当たっていたところを指でなぞる。

「らっしゃい!」

段々と混んできた。 喧騒で会話が聞こえなくなってきている。

「兄さん、相席頼んまさー」

耳をそばだてていた杠が顔を上げる。 店主の声はそばだてていた方から聞こえてきた。

「あー!?」

男が辺りを見た。 もう満席になっている。

「ちっ、仕方ねーか。 こっちの話に首突っ込むんじゃねーぞ」

立っていた男に言う。

「悪いねー、兄さんこっちに掛けてくれ。 混味でいいね?」

兄さんと言われた享沙が頷いたが心の中で舌打ちをしている。 あまりにも近すぎる。
享沙が思っていることは杠にも通じている。 芯直たちが享沙に言ったのか、柳技から回ったのかは分からないがタッチ交代というところだろう。
だがここですぐに立つと享沙がここに座らされる。 ここではあまりの喧騒に話が聞き取りにくい。

「それにしても・・・」

大盛りはなかなか減らないものだ。

二人が長屋に戻ってくると添削したものが玄関に置かれていた。 算術である。 そして新しい漢字が書かれた紙も置かれている。
その中の一つに『仲まと川に石をひろいに行く』と書かれたものがあった。 漢字の上にルビがふられている。

「あ・・・」

「どした?」

「・・・俤に漢字を間違えて書いた」

一つお勉強になったようだ。 これで “仲” と言う漢字の使いどころを忘れないだろう。 失敗こそ成功への道となる。

享沙が黒山羊に向かい二人の男から目を離しているその間、柳技に二人の男のことを頼んでおいた。 かなり無理があるとは分かっていたが。

『無理をするな。 深追いも』

『分かってるって』

柳技が見張っているとき一人の男がどこかに行ってしまった。 どっちを追うか躊躇ったが、塀にもたれているだけの残っている男に動きはない。 行ってしまった男の後を追う。 距離をあけることを忘れない。
男が立ち止まった。 どういうことだ、と目を顰めさせた時だった。 首に腕が回ってきてグイッと締め上げられる。

「餓鬼、何をしてやがる」

締め上げてきたのは塀にもたれていた男。

(しまった、気付かれてた)

男が腕を上げていく。 柳技の足が徐々に地から離れていく。 首が痛い、息が出来ない。 知らず涙が出てくる。
巴央と京也は杉山に行って宿所に泊まっている。 享沙と杠は黒山羊に居る。 絨礼と芯直は既に長屋に戻っているだろう。 助けに来てくれるあてがない。

「うぐ、ぐ・・・」

「下ろせや。 うっぷんが堪ってんだ」

締め上げていた男が片方の口端を上げて笑うと柳技を下ろす。 もう一人の男が柳技の肩を持ち、もう一方の腕を柳技の腹に入れる為、思いっきり後ろに引いた。

「うぐっ・・・」 

腕だからまだましだ。 郡司には足で蹴られていた。 だから耐えられる。 それよりバレてしまったことの方がよほど心を痛める。 深追いはするなと享沙に言われていたのに。
うずくまると二人からあちこちを蹴られた。 頭と腹だけは守らなくてはと、両腕で頭を覆って丸くなった。 意識が遠くなっていく、蹴られる音が遠のいていく。

ひたりと額に冷たいものがあたった。 うっすらと目を開ける。

「ああ、気が付きましたか!」

顔を覗いてきた男に見覚えがある。

「遅くなってすみません。 貴方を目にしたときにすぐに飛びこめばよかったんですけど、私じゃ勝てないと思ったもので武官を呼びに行きました。 その間に酷くやられてしまったようで・・・。 吐き気などありませんか?」

(・・・ああ、そうだ。 いつもマツリ様の横にいた官吏だ)

自分の身体を感じると横向きに寝かされていたようだ。

「大、丈夫です」

身体を上げようとすると、押さえられた。
うっ、と声が漏れる。

(そこ、痛い所だから)

「ああ、無理をしないで。 まだ休んでいなさい。 それより家の方で心配しているでしょう、連絡をしてきます。 どこに住んでいるのですか?」

「兄さん、痛がってるよ。 手を放してあげれば?」

足を引きづりながら桶を持った男が入ってきた。

「殴られたりしたところを冷やしているから、じっとして」

言われて身体を見てみれば衣をはがされ、あちこちに濡れた手巾が置かれている。

「額なんぞ蹴られてないのに、心配が過ぎるよ。 熱を出しているわけじゃないのに」

兄さんと言った男が官吏をチラリと見ると「だってねぇ」と官吏が眉尻を下げて柳技を見てくる。

「上手く頭を庇ったな、上等上等」

横向きに寝かせると柳技の身体に置かれていた手巾を一枚ずつ剥がし、桶に入れた冷たい水を含ませてギュッと絞る。 そしてまた元の位置に置く。

(この男は・・・殴られ慣れているのだろうか。 それとも以前に殴られていたのだろうか)

「さ、それで家はどこだ? もう陽はとっぷりと暮れている。 坊主だったらとっくに寝ている刻限だ。 家の者が心配をしているだろう」

「あ・・・」

絨礼と芯直が心配をしているはずだ。 享沙に言うかもしれないが、その享沙も戻っているかどうかわからない。 二人がこんな刻限に家を出て柳技を探そうとしていたら今度はあの二人に何があるか分からない。

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辰刻の雫 ~蒼い月~  第139回

2023年02月06日 20時06分44秒 | 小説
『辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~』 目次


『辰刻の雫 ~蒼い月~』 第1回から第130回までの目次は以下の 『辰刻の雫 ~蒼い月~』リンクページ からお願いいたします。


     『辰刻の雫 ~蒼い月~』 リンクページ




                                  




辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~  第139回



お付きたちは夜な夜な部屋を出る塔弥を監視していた。 塔弥と言うか、塔弥と葉月をである。
あの時、マツリが来ていた時は・・・塔弥が葉月の涙を拭いた時はもう夜も遅かった。 起きていられず野夜だけは寝ていたが、他の者たちはその様子を見ていた。 そして戸をそっと閉めた。
塔弥が葉月に・・・お付き曰くのクッサイ言葉を言ったあとに、お付きたちが塔弥を囲んで尋問まがいなことをしなかったのは己たちの矜持があったからである。
一番年下の塔弥に先を越されたなどと認めたくもない。 それなのに二度目は葉月の涙を拭き、そして三度目の今日だ。

「順があるだろ!」

口より先に頬なり額だろう、と言っている。

「俺に言うなよ!」

「いーや、そんな事より、塔弥がどうしてそんな強行に出た」

今日の間諜となっていた悠蓮と湖彩が睨まれる。

「いや・・・小声だったから話までは聞けなかった」

「塔弥のヤロウ・・・締め上げてやる」

「野夜、それは葉月の逆襲を受けるだけじゃないのかぁ?」

野夜ならず、お付きの誰もが葉月のプロレスの技に一目置いている。
野夜をヤッたときのそれは、それはそれは見事だったのだから。 それに技はまだあると言っていた。


本領では秋の虫が鳴いている。 各領土でいま同じように感じているのは西の領土だけである。 東の領土では短い夏を終わらせ春を思わせる気候である。 この後に短い秋と冬がやってくる。

「久しぶりに辺境に行きましょうか。 秋我さんと耶緒さんが居たところに」

「そうですね、秋我も耶緒も喜びますでしょう」

紫揺の心の内を知っている塔弥が答える。
あれからマツリのことは聞けていない。 襖に耳を付けていたなどとも言えないのだから。
紫揺にしてもそうだ。 今をもってもマツリとの間であったことは微塵も見せていない。

「では、用意をしてきます」

「うん、着替えたらお転婆の所に行くから」

塔弥が笑顔を向けたがそれは寂しい笑顔。 それに気付いているのは葉月と紫揺だけ。
紫揺は塔弥も葉月もマツリのことに気付いているとは知らない。 それでも塔弥の寂しい笑顔には気付いていた。 







だからこそ、その塔弥にいつもの無邪気な紫揺の顔が「じゃ、数日戻ってこられないって――」

「領主には言っておきます」

紫揺が言い終わる前に塔弥が声を重ねた。

「うん。 ありがと」

耶緒の両親に音夜の話を聞かせよう。
自分の出来ることをする、ただそれだけ。



「たー! キツイっ」

毎日毎日、杉山まで行ってその後の労働。 そしてまた徒歩で戻ってくる。 さすがの京也でもキツイようだ。

「お疲れのようですね」

誰も居ないはずの長屋なのにどこからともなく声が聞こえ、疲れた体ですら跳び上がりそうになった。
すっと陰から杠が姿を見せる。

「俤・・・おどかすなよ」

相変わらずどうやったらそれだけ気配を消せるのか。

「さすがの力山も音を上げますか?」

片手に酒瓶を持って上がり框を上がり座卓の前に座った。 そして横に置かれている盆から伏せられた湯呑を二つ取ると、とくとくと音を鳴らせて酒を湯呑に注ぐ。

「俺に覚えがあるのはこっちだからな。 足じゃねぇ」

相変わらずの太い腕を見せると、もう片方の手でパンパンと叩いてみせる。

「やはり杉山まではキツイですか?」

力山の前に湯呑を置くと一気に吞み干した。 「かっ、沁みる」と顔を歪ませて言いながらも湯呑を杠の前に出してくる。 もう一杯ということだろう。
とくとくと注いでやる。 後は手酌で勝手にやってくれと言わんばかりに酒瓶を京也の前に置いた。

「ああ。 山に行ったモンは全員、飯も食わずに寝てるだろうさ」

今度は少しだけ口に含みゆっくりと喉に通す。

「今のところ不穏な動きはないな。 だが、あくまでも今のところだ。 これ以上となるとキツイからな・・・働きに金が合わねーっていうやつも出てくるかもしれん」

辞めるか何人かが固まって暴動を起こすか。 どちらも受け入れがたい。

「そろそろ宿所を建てた方がいいということか・・・」

口の中で独り言(ご)ちるように言う。

「ああ。 それにこれからどんどん寒くなってくる」

怠け者の六都の者たちが寒い中、仕事をする為に家の外に出るとは限らない。

「宿所のことは承知しました。 人数的にどうですか? まだ増えてもいけそうですか?」

男達が荒れださないように京也が先頭に立ちまとめ役になっている。

「杉は山ほどある、それにまだ切った木はあっちに置いたままだ。 どっちかってーと、木を運ぶやつが欲しいくらいだ。 増やせるのか?」

そうなると賃金の問題がでてくる。

「さほどではないですが。 最近、暴れる輩がまた出てきましたので、武官にひっ捕らえさせておられます。 その者たちをまわそうかと仰っておられて」

誰が、とは言わない。

「ああ、そういうことか。 いいんじゃねーか?」

それならさほどの金の問題もないだろう。 正規に働いているものより賃金は安いはずだ。 それとも咎という名の無償労働かもしれない。

「まっ、見張りの武官さまが一番疲れるだろうがな」

杠が含み笑いを見せると己の湯呑に入れた酒を一気に吞み干した。

「では、あとも頼みます」

すっと立ち上がり何事もなかったように出て行ったが、外に人の気配がなくなったところで出て行ったのだろう。

「ちっ、一気に呑んでも顔色ひとつも変えやしない」

湯呑に入っている酒をチビチビと口に含ませた。

絨礼と芯直が学び舎に入った。 悪態をつく子として入ったのではなく、ちょっと落ち着きのない風を演じて入っている。
今までのように井戸端で気に入られる素直な子を演じてしまえばここでは潰されるかもしれないし、悪態をつくようであれば武官から目を付けられてしまう。 事前に杠からそう聞かされている。

今、絨礼と芯直、そして柳技を見ているのは享沙である。 見ていると言っても夜だけだが。
柳技と共に働いていた巴央が杉山に行くことになった。 学び舎が全て建ち終ったからである。 その為、巴央が少しでも杉山に近い長屋に移った。 そして柳技はとてもじゃないが杉山に毎日通い労働することは出来ない。
享沙と同じように影を移動しながら、不穏分子がいないか耳をそばだてていた。

そして杉山では伐採した杉を使って宿所が建てられ始めた。
学び舎を建ててきた男達にとっては慣れたものだったし、己らが寝泊まりする所だ、自然と力が入る。 入り過ぎて意見の相違が出るところもあったが、それを上手く京也が丸めていた。

「へっ、お前らこの宿所にえらくご執心じゃねーか。 なんだぁ? 帰るとこがねーのかよ、長屋をおん出されたか? ここを定宿にするつもりか?」

「う、うっせーんだよ!」

「ま、熱くなんじゃねーよ。 この宿所が出来りゃ、楽になるんだからな。 そうなりゃ、金にも納得がいけるってぇもんじゃねーか?」

徒歩でここまで来るのがどれ程しんどいかを知っている者にしか言えないことだった。

「やめようと思ってたんだけどな、あんな金じゃあ割に合わねーしよー、だが宿所が出来りゃあ話は別だ」

言い合っていた者たちが互いに目を合わせる。

「アンタもそう思ってたのか?」

「当たりめーだろ。 毎日クタクタだ。 だがこの宿所が建ってくれりゃあ話は別だ。 結構いい稼ぎになるしよ」

「あ、ああ。 そうだな」

「それに槌でブッ叩くってのも気が晴れらー」

「お、おお。 斧で木を切るのもな」

賃金への不服を治め、何をどうすれば堪ったものを発散できるのかを遠回しに気づかせる。
京也は丸める以上の働きをみせていた。


「なんだよ、今日のアイツ!」

学び舎を三度目に移動した時だった。
結局、絨礼と芯直の二人で一緒に移動することになった。
今日も武官は道義のことを説いていた。 その時突然に立ち上がった者がいた。

『うっせ、無理やり連れて来てそれか?』

武官が眉根を寄せた。 今まで見ていた武官ならすぐに座卓を叩き問答無用にしていたが、今日の武官はそうではなかった。 それを甘くみられたのだろう。

「無難に過ごせたんだから、それでいいんじゃないの?」

『では? 物を盗ってお前は平気か? お前が汗水たらして得たものを盗られても平気か? お前の時が取られても平気か?』

『盗られる方が馬鹿なんだよ』

『ではお前は馬鹿ということだ』

『なっ! どういうことだ!』

取り巻きたちもいきり立ったが相手は大人の武官、簡単に手が出せるものではない。

『今、本官とお前は話している。 それは本官がお前の時を取っているということだ』 

「アイツ・・・絨礼のこと馬鹿にしてただろ!」

『へっ、双子だって? 似てねー。 お前、腹違いじゃないのか? 下賤の生まれだろ』

下賤・・・。 売られてきた童女が後に孕んだ子。

「それに足蹴にされただろ!」

助けようとした時には既に蹴られていた。

「芯ちょ・・・朧、オレは淡月だよ?」

「そっ! そんな事はどうでもいい!」

「うん。 ありがとう。 どうでもよくないけど」

「明日、明日、アイツを―――」

「朧、いけないよ。 オレたちが何をしなくっちゃ、しちゃいけないのか、分かってるよね?」

「淡月・・・」

淡月と呼ばれた絨礼がニコリと笑う。

「オレたちはムムム様の元に動くんだろ? そう約束しただろ?」

だから感情に押し流されてはいけないだろ?
ムムム様とはマツリのことである。 マツリの名は簡単には出せない。
芯直が顔を歪める。

「ほら、今日の報告を書こう、って、誰に見てもらえるわけじゃないけどね」

事細かなことを毎日書いている。 日本的に言えば日記である。
絨礼の “さ” と “ち” はこの時には正されていた。 “ま” と “は” と “ほ” も。
ガラガラガラと、玄関の戸が開いた。

「あ! 柳技・・・弦月が帰ってきた!」

二人が玄関に走った。 走るほどもない距離だが。
すると玄関に暗い顔をした柳技が立っていた。

『沙柊・・・』

『ああ、俺も聞いた。 俤には俺から言っておく』


「決起すると?」

「はい」

杉山に行った者たちはこの六都の権力ある者とは言えなかった。 権力があると言われるからには給金などどうでもいいこと。 金をまき散らし食いたいものを食えばいいだけの話。 そしてそれに侍(はべ)っている者が居る。

「一人一人が誰か分かりますか?」

「はい」

「教えてください。 個々に潰します、ついてきて下さい」

個々がどこにいるかを教えろということだ。 杠が腰を上げた。

「潰すって、どうやって・・・」

腰を上げた杠を見上げる。

「腕を折るもよし、足を折るもよし。 警告です」

享沙が息を飲む。

「沙柊・・・。 貴方にだから言えるんです」



此之葉が退いたあと、毎日部屋の窓から夜空を見上げていた。
―――来てほしくない。
それなのに期待するように夜空を見上げる。
馬鹿だ。
紫揺が目を閉じ息を吐いた。 そっと内障子を閉める。
次にマツリが来れば何と言えばいいのか・・・。
―――来ないでほしい。

迂闊にも言ってしまった。
父と母のことを。 自分が両親を殺したということを。
絹の座布団に座している “額の煌輪” を見ると、その横にある大きな紫水晶に手を添える。

「初代紫さま、初代紫さまは伴侶のことをどう考えられましたか」

初代紫からの応答はない。
当たり前だろう。 初代紫はそんなことを石に込めたのではないのだから。 初代紫は強大な紫の力を引き継ぐ次世の紫に力に翻弄されないように石を授けたのだから。

(寂しくなんかない・・・)



『五人・・・ですか』

『今晩の所は一部だけですが』

全員で十七人だと享沙から聞いていたうちの五人。

「沙柊は納得できなかったということか?」

骨を折ると言って立ち上がった杠に享沙が異を唱えた。

『それはあまりにも!』

享沙がどうしても譲らず、仕方なく腹や背に拳を入れる程度の闇討ちに終わった。 享沙が納得してくれねば、その先の者たちが何処の者かもわからないからだ。

「まぁ、今はそれくらい思えるが良いか。 それであとの者はどうするつもりだ?」

「明日の具合を見て決めようかと」

杠とて闇討ちをしたいわけではない。
ふむ、と言ってマツリが顎に手を当てる。

「杠は決起の方に目を光らせながら沙柊から全員の顔を教えてもらっておいてくれ。 そのあと俺に教えてくれ。 武官に取り締まらせる」

武官に目を光らさせ、些細なことでもひっ捕らえるということだ。 その後に杉山にでも行かそうと考える。 徹底的に疲れさせる。
京也が言っていたように見張りの武官が一番疲れることになるだろう。

「承知いたしました」

マツリの前に置かれていた空になった湯呑に茶を注ぎながら「お伺いしてもよろしいでしょうか」と尋ねる。
マツリが眉を上げて、なんだ? と応える。

「少しでも落ち着けばと思っており、お訊き出来ませんでしたし、今また新たな問題が出てきております。 いつになってもお伺い出来そうにありませんので。 こんな時ですが」

「なんだ?」

今度は声に出して問う。

「あまりに長い時をこちらで過ごされておられます。 東の領土に行かれなくて宜しいのですか?」

四の月の満の日に行ったきりだ。 もう今は十二の月に入っている。

「一日くらいどうにでもなります。 どうしてもお気になられるのなら夜にでも飛ばれれば如何ですか?」

夜は夜とて問題があるが、吞み逃げやいざこざが殆どで武官が見まわっている。 マツリの出る幕はない。
マツリとて気にならないわけではなかった。 あんな風に東の領土から戻ってきたのだから。

「キョウゲンも退屈でしょうし」

この六都にきてからまともに飛んだのは東の領土に行った二回と、南の領土と西の領土の祭に行った二回くらい。 それと宮と秀亜群の往復。 あとは夜になり獲物を探しに出て行くくらいだ。
杉山を見に行くにもキョウゲンで飛ばず、馬にも乗らず徒歩で見に行っている。 時間の無駄とは分かっているが、簡単に飛んで行ったり馬で走って行くのを男たちが目にしてささくれを引っ剥がすことは避けたかったからだ。

六都のことを始めようと思った時に今動いていいものかという懸念はあった。 紫揺とのことが中途半端な時だったからだ。 だが六都のことは長くかかる。 今始めなくては四方が領主を退いてしまっては手を付けられなくなってしまう。 だから動いた。

杠にしてみてもこんな時に言いたくはなかった。 だがいつまで経っても問題は治まりそうにない。 マツリが紫揺のことを気にしていても、簡単に六都を離れることは無いだろう。 その背中を押せるのは己だけだと思っている。

「・・・そうだな。 その決起とやらを潰してから考える」

それはそうだろう。 今この時に目は離したくないだろう。 だがこの六都は次から次に問題が出てくる。 そんなことを言っていてはいつまで経っても紫揺の所には行けない。

「夜にだけでも行かれませんか?」

「ああ、今はやめておく」

「・・・承知いたしました」

『好きな人と・・・一緒に幸せになっちゃいけない。 私はそれをお父さんとお母さんから取り上げたんだから』
思い出すかのようにマツリの耳朶に紫揺の声が響いた。

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辰刻の雫 ~蒼い月~  第138回

2023年02月03日 21時08分00秒 | 小説
『辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~』 目次


『辰刻の雫 ~蒼い月~』 第1回から第130回までの目次は以下の 『辰刻の雫 ~蒼い月~』リンクページ からお願いいたします。


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辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~  第138回



「お帰りなさいませ」

もうとっぷりと夜が更けているというのに、マツリの宿の部屋の前に杠が座していた。

「こんな刻限になっているというのに」

一度六都を出て戻って来てからは杠もマツリと同じ宿で隣の部屋に泊まっている。 杠の出現に例の文官は諦めたようである。
マツリと杠は同じように行動していたが、たまに杠がどこかに行くことがあった。 そんな時には殆ど杠の戻ってくる方が遅かったのだが、稀にマツリの方が遅くなった時にはいつもこうして待っている。

「夕餉は摂られましたか?」

「ああ、宮で食べた」

「では己はこれで」

マツリの部屋の戸を開けるとマツリが部屋に入り、杠が閉めかけた戸に背中を向けたままマツリの口が開く。

「いつかゆっくりと話をしたい」

杠の手が止まる。

「いつでも」

「六都のことが落ち着いた時に」

「承知いたしました」

パタンと戸が閉められた。



「で? マツリ様は何と仰っておられたと?」

胃の辺りをさすりながら領主が問う。

「いえ・・・特には」

葉月を連れてくればよかったと今更後悔しても遅い。
マツリが来たことを塔弥は言うつもりはなかったのだが、阿秀が報告したようだった。 ただ、此之葉には知られたくないと言い添えてくれていた。
塔弥から此之葉にマツリが来ていることを知られたくないと聞かされていたのだから、それも尤もだし、お付きとしてマツリが来たことの報告を領主にするのも尤もである。

「お怒りにはなっておられなかったか?」

「え? その様なことは全く」

領主と秋我が顔を見合わせる。

「その、塔弥、言いにくいんだが、訊かれたんだ。 紫さまに」

塔弥が首を傾げる。

「拳で殴られたらどう思うかと。 その前にも平手で叩いてと。 紫さまと本領に行く前に訊ねられた」

平手のことも拳のことも紫揺から聞いている。 だがその理由は言えない。 秋我が聞いてしまったのならば仕方がない。 すっとぼけるに限る。 それも何の心配もないという言い方で。

「ああ、その事ですか」

いともあっさりと当たり前のように応える塔弥。 なかなかの面の皮である。 葉月に頼る必要はないかもしれない。

え? と領主と秋我が声を揃えた。

「ええ、紫さまがマツリ様に拳を上げられたようです」

「・・・やはり。 いたたた・・・」

領主が前屈みになって胃をさすっている。

「え? でもそのことでマツリ様はお怒りになっておられませんが? 夢うつつと言うか・・・紫さまも記憶のないままだったそうで」

これは事実だ。 だが平手のことはどう言おう。 このまま安心して忘れてくれるといいのだが。

「痣が残るほどとも言っておられたが?」

「はい。 紫さまも言っておられました。 その痣を見て初めて知られたと。 それでお謝りになられたそうです」

「え? 謝られたのか?」

「いくらなんでも、あの紫さまでも、あ、いえ。 はい、しかと謝られたと。 マツリ様もそれを受けられたと」

「・・・ということは、先の平手のことも含めてマツリ様は紫さまからの謝罪を受けられたということか?」

忘れてはくれなかったが、纏めて考えてくれたようだ。

「はい」

領主が呆気にとられた顔をしている。

「父さん・・・もっと早くに塔弥に聞いておけばよかったですか・・・」

領主が長卓に突っ伏した。
あまりの安堵からか、これ以上マツリが来たことを訊かれることは無かった。



あちらこちらで学び舎が建ち始めた。
まずは幼い時からの教育が一番と考えている。 この学び舎で徹底的に道義を教え込む。 親の背を見て同じことをさせないために。
既に五歳から十歳までの子供の一覧は作らせていた。 住んでいるところの一番近くの学び舎に通わせる。 親が簡単に子供を家から出すかどうかは分からないが、少々脅してでも出させるつもりだ。

宮都からの応援の武官も戻ってきている。 まずは目の前に建っている学び舎から始める。
マツリと武官が一軒一軒回って二十人を超えた子供たちを集め学び舎の中に入れた。
新しい建物に目を奪われた子供達が、目を輝かせて学び舎の中を見て回っていた。 それはマツリにとっては計算外だった。

「いかがいたしましょう」

「ふむ・・・。 まあ、今日は気の済むまで見させるか。 それで気を引けたらそれに越したことは無い」

と、一日目はこれで終った。
そして二日目には家の前で子供たちが待っていた。 子供が学び舎に行くことを良しとしない親はここにはいなかったようだ。 どちらかと言えば居なくなって煩(うるさ)い声から解放されて清々しているようであった。

この日から長卓の前に座り、以前マツリにくっついていた文官が道義を教えることとなった。
この文官、子供を相手に興味を引くように上手く話す。 後ろで聞いていたマツリも「へぇー、意外だったか」 と漏らしたほどだった。
大人の接待は不得意でも子供の接待はよく出来る様である。

「それでは明日からはお迎えにはいきません。 自分たちでこちらに来るように。 よろしいですね。 それと今日は良いものがあります。 毎日とはいきませんが、時々このようなものもありますからね」

そう言うと、部屋を出て行く子供たち一人ずつに菓子を持たせた。 まさに飴と鞭で動かそうと思っていたが今のところ鞭は必要がないようだ。

「上手いものだな」

「あ? そうで御座いますか? 恐縮で御座います。 その、私の下には妹や弟が沢山居りますので、それが功を奏したのでしょうか」

「一番上か?」

「はい。 母が十五の歳の時に私を生んでおりますので、末弟が今はまだ九の歳で御座います」

「え・・・」

「まぁ、下にいくほど数度しか会ったことが御座いませんが」

「帆坂はいくつになるのか?」

帆坂とはこの文官の名前である。

「二十九の歳になります」

「に・・・末弟とは二十も歳が離れておるのか・・・」

十五で初産を経験したというのも驚きだったが二十の歳の差の弟・・・。 息子と言ってもいいのではないだろうか・・・。

この帆坂。 日を追うにつれ紙芝居も作り出した。 そしてその話口調がまた子供の興味を引くような抑揚あるものであった。
そしてまた、子供の数が増えていっている現象も出てきた。 子供たちは一人も休むことなく毎日来ている。
出欠をとってもらうのも嬉しいらしい。 帆坂が必ず一言添えるからだろう。

飴と鞭で動かそうとしていたが、それだけでは上手く動かなかったかもしれない。 他の学び舎を始動させるにあたって、帆坂のような者を探さなくてはならなくなってしまった。

「ああ、それでは弟を呼びましょうか?」

「え?」

「給金が出るようでしたら、ということですが」

これ以上、宮都に借りを作りたくはない。 学び舎に通うに金を取るわけにもいかない。 そんな事をすれば完全に親が子供を出さない。 子供を無理に通わせて金を取るのか、と当然言われるだろうし。
うーむ・・・。 マツリが腕を組んで考え込む。

「そんなに悩まれるほどは要りません。 私もここの官吏です。 金の流れは分かっております。 弟は・・・気はいいのですが足が悪いのです。 それで仕事の口が限られておりまして。 いくらにもならない仕事にしか就けませんで。 私のような文官でもずっと座っているわけにはいきませんし」

座ったままの仕事は女がするだろう。 手先の職人でもない限り基本男は力仕事に就いている。

「職人になろうとは思わなかったのか?」

「なれれば良かったのですが、生憎とそういう機会にめぐり合いませんでした」

「自ら飛び込んではいかなかったのか?」

「職人と言うのは頑固でして融通など利かせてくれません。 まずは下っ端からです」

「ああ・・・」

そういうことか。 まずは使い走りからということか。

「弟は使えると思いますが?」

どうしたものかとマツリが再度悩む。 仮に一人はなんとか出来てもそれで終わることではない。 まだ学び舎はあるし子供たちもまだまだ居る。

「マツリ様、官吏が子供たちを教える以外はどうしても金が要ります。 今居る六都の文官に子たちを教えられる者はいないでしょう」

それはそうだが・・・。 こんな所で迷うとは思ってもみなかった。 武官なり文官なり手の空いているものに・・・手を空けさせてやらせるつもりだった。

「官吏と同じも要りません。 いえ、半分も要りません。 半分でも弟にすれば大きな金で御座います。 それくらいなら都庫から出るでしょう」

(半分でも大きな金・・・。 足が悪いだけでそうなってしまうのか)

「あとは・・・歳の大きな子には武官などはどうでしょうか?」

「え?」

最初に武官に教えさそうと思っていたのを反対したのはこの帆坂だ。
マツリがそう思っているのを見透かしたような顔で帆坂が続ける。

「この歳の頃の子に武官は考えものですが、もう少し大きな子も範疇に入れられればいかがでしょうか?」

帆坂が言うには、十歳以上はもう手がつけられない状態にある子が多い。 その辺も正していけばどうかというものであった。 武官からの威圧で抑えれば何とかなるだろうと。
十歳といえばもう家の用事を手伝える歳になっている。 それこそ親が離さないだろう。 マツリが考えていたのはもっと幼少の者を対象にしていただけであった。

「親の手伝いと言ってもまともな親ならそれで良いのですが、どこどこの店のあれを盗ってこい、そんなことを言う親です。 それこそ武官の手で親から引きはがして学び舎に通わせれば良いのではないでしょうか。 もちろん、子が来たくないと言っても引きずってでも」

優しい口調と笑顔でえらいことを言ってくれる。
結局、帆坂の案を試してみようということになった。
弟への給金は文官所の都庫を預かる文官と相談の上となり、足の悪い弟には帆坂が書いた文を持って馬車を出すことになった。

帆坂の案はすぐに実行に移した。 まずは強面の武官が素行の悪い子たちをひっ捕らえてきて物の道理を説いて聞かせた。 勿論たまにはバンと卓を叩きながら。
帆坂は一日に三か所の学び舎を回り精力的に子供たちと接した。 やって来た弟も気のよさそうな顔をしていた。 確かに走ることは出来ないようで歩くにも足を引きづっている。
子供というのは時に悪魔にもなる。 特にこの六都ではその可能性が高い。

「足のことで傷つくことを言われるやもしれんが」

「今更で御座います」

簡単に返されてしまった。 そして帆坂からは学び舎の方はこれから自分と弟と武官で見ていく、何かあればすぐに報告をすると言われた。 早い話、学び舎が次々と建ち、あぶれてきた男たちが居るということを言っているのである。
マツリもそれは気になっていた。 巴央からその報告を受けていたからだ。
次は男達だ。

マツリにまとわりつくことがなくなった帆坂であるから、代わりに杠がずっと付くようになっていた。

「力山からの報告はどうだ?」

「まだ宮都からの文官が居りますので、今のところ文官所にはなにも起こってはいないようです」

厩番であるから文官所の中の細かいことは分からないが、今はまだ宮都からの文官が入っている不穏なことはないだろう。 どちらかと言えば文官所の外の方が不用心となっている。 そこに京也がいるのだから間違いはないだろう。

「淡月と朧は」

「ひっ捕らえられた者が多かったからでしょう、互いに疑心暗鬼になっているようで、あまり家から出てこないということです」

井戸端が無いということだ。 同じ所に住む文官たちが捕らえられたのだから。

「では・・・淡月と朧をそれぞれ別の学び舎に・・・いや、それはまだ無理だろうか」

まだ二人一組でないといけないだろうか。 三つ上の柳技も他人の振りをしているとはいえ、今は巴央と行動を共にしているくらいだ。

「そうですね、周りは手に負えない子が多いでしょうから。 慣れてから別にするか、二人で点々と移動させる方が宜しいかと」

「ではその様に。 明日からは力山を頭に杉の山に向かう」

厩番が居なくなるというのは気にもなるが今は致し方ない。 その分、享沙に動いてもらうしかない。 杠もそう考えているだろう。 それに力山である京也ならやさぐれ者を引っ張って行ける。

「承知しました」

すぐに踵を返した。 京也の前任の厩番はもう働き先を見つけているだろうか。 そうでないのなら、元に戻ってもらわなければ夢見が悪い。



木箱の上で膝を抱え夜空を見上げている。 もう日課になっていると言ってもいい。
あの時、塔弥が葉月の涙を拭いた。 あれからは少し葉月が丸くなった。
葉月にしてみればまだまだ合格のラインには遠いが、それでも塔弥の性格を考えると上出来かとあの程度でも譲ることにした。
結局両手で頬の涙を拭いてくれただけだったが。

「マツリ様こないね・・・」

「ああ」

葉月の隣に座る塔弥が頷く。

あの日、紫揺の泣く声が聞こえなくなり暫くすると部屋の中から葉月が呼ばれた。
葉月が入ってみると、抱きかかえられたマツリの腕の中で泣き疲れたのだろう、紫揺が眠ってしまっていた。
紫揺の泣く声はお付きたちの部屋まで届かなかった様でお付きたちからは何も訊かれていない。 そして塔弥も葉月も気付いていないが、この二人の関係も未だに言及されていない。

「・・・知らなかった。 紫さまがあんなに苦しんでいらっしゃったなんて」

「俺もだ。 誰もそうだ」

この事をお付きたちにも分かってもらわなければいけないが、それを言うにはどうしてそれを知ったのかを言わなければいけない。
到底言えるものではない。 マツリが領主に紫揺のことを言うまでは。

「葉月・・・傷つけたな」

葉月が塔弥を見る。

「俺が葉月に頼まなければ葉月が知ることは無かった」

塔弥は前だけを見ている。
葉月が顔を戻す。

「・・・傷なんかついてない。 ついてるけど。 でもこれは塔弥のせいじゃない。 それに私が居なかったらどうなってたと思う?」

「え・・・」

塔弥が葉月を見たと同時に葉月も塔弥を見た。

「紫さまは想い人を逃すところだった。 そうじゃない?」

紫揺がマツリのことを想っていると、よくよく分からせたのは葉月だ。 葉月が居なくともマツリが推し進めたかもしれないし、紫揺も遅ればせながら気づいたかもしれない。 でもその時には遅かった、ということになっていたかもしれなかった。 紫揺が男漁りをすると言っていたのだから。

「そうだな」

塔弥が僅かな笑みを見せると二人でもう一度夜空を見上げる。

「紫さまも頑張って下さってる」

まるで何も無かったかのように日々暮らしている。 以前のように憂いなど見せていない。

「マツリ様、仰っておられたね。 東の領土から紫さまを取り上げないって」

「ああ」

「どういうことだろうね」

「ああ」

葉月の眉がピクピクと動く。

「塔弥、なに? その気のない返事」

塔弥を睨みつける葉月を一度見ると前を見る。

「・・・気が無いわけじゃない。 俺だって紫さまのことを考えている。 でも・・・」

「でも、なに?」

「紫さまのことはマツリ様が来て下さらなければ、どうにもならない」

紫揺自身にもそうだが、塔弥は領主やお付きたちに言っていない事を未だに言うことが出来ていない。
阿秀にしてもそうだ。 あの日、何があったのかを訊いてこない。 以前、此之葉ではなく葉月に紫揺と話させる、そう言ったのを含んで分かってくれているのだろうが。

「でも・・・葉月のことは。 葉月が傷ついているんじゃないかってことは・・・」

「だから、それはさっき言ったじゃない」

塔弥が首を項垂れる。

「なに? 巻き込んじゃったとかそんな風に思ってるの?」

心外だ。
だったら・・・

「ご褒美ちょうだい」

褒美? 突然にどう言う意味だ? 塔弥が顔を上げて葉月を見る。

「さっき言ったよね。 私が紫さまの想い人を逃させなかったって」

塔弥が頷く。

「そのご褒美」

そう言って左の頬を人差し指で二度ツンツンとする。

「で、塔弥が私のことを巻き込んじゃったとか、そんな風に思って悪いと思ってるんなら心外。 それを謝って」

今度は右の頬をさっきと同じように二度ツンツンとした。
葉月が何を言っているのか・・・分かった。

「葉月・・・」

「どっち?」

夜空を雲が流れて行く。 上空では風があるようだ。

塔弥の右手が伸びて葉月の左頬を覆った。

右か・・・謝るのか・・・。 でも、それでも塔弥にしては上等ではないか。 頬に口付けるのだから。 催促しなければいけないというのは女子として少々悲しいが。
右の頬に・・・。
え・・・。
唇が離れた。

「どっちもだから」

「塔弥・・・」

夜の闇の中で二つの影が蠢いた。 その影が足音を消して足早に部屋に戻っていく。

「あ―――!?」

「どういうことだよ!」

「いや、だから、塔弥が葉月にキスした」

「どこに!」

「だから! 口に決まってんだろ!」

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