大福 りす の 隠れ家

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虚空の辰刻(とき)  第55回

2019年06月28日 10時34分49秒 | 小説
『虚空の辰刻(とき)』 目次


『虚空の辰刻(とき)』 第1回から第50回までの目次は以下の 『虚空の辰刻(とき)』リンクページ からお願いいたします。


     『虚空の辰刻(とき)』 リンクページ




                                        



- 虚空の辰刻(とき)-  第55回



「友達?」

「うん。 高校時代までは友達がいたんだけどね、今は居ないの」

紫揺の言っている意味が分からないが、分かる。 友達が居ないということを言っている、と。 だが、リツソにしてみればカルネラは友達ではなく供である。

「シユラは供が欲しいのか?」

「供? あ、そうか。 リツソ君にとってカルネラちゃんは供だもんね。 でもね、もし私にカルネラちゃんみたいに可愛い供がついてくれたら、供じゃなくて友達になってもらいたい」

「友達?」

「うん。 友達」

友達という言葉は知っているが、リツソの生活の中で友達などという言葉は存在しない。 父上、母上、姉上、兄上以外は自分より下なのだから。 同等の者などいないのだから。

「友達・・・友達とはそんなにいいものか?」

「うん。 一緒にいて楽しいし大切。 ある意味、財産」

「財産?」

「うん、自分がしてきたこと、やってきたことの宝物」

「と! 友達とはそんなにすごいモノなのか!?」

リツソの今のところの宝物の一番は蛇の抜け殻である。 それはそれは上手く抜けていた。

「そうよ」

高校時代や中学までの友達の顔が次々に浮かぶ。 誰にも何も言わずにここに居る。 それ以前に、父母が亡くなってからは誰にも連絡を取っていない。 父母を無くしたあの時の事が蘇る。

自分が両親を殺した。

両親を殺した自分には誰もいないんだ。 自分から友達の元を去ったのだと。 だが、あの時の自分はそうすることしか出来なかった。 いやそうではない。 何も考えられなかった結果が、友達との縁を断ってしまったんだ。

でも、それを悔いたりはしない。 悔いると何もかもが崩れ落ちてしまいそうになるから。 母の声さえ忘れてしまいそうになるから。

「シユラ?」

いつしかリツソが紫揺の顔を覗き込んでいた。

「あ、ゴメン、なんでもない」

「シユラ、友達に会いたいのか?」

「うん・・・そうね」 どこか寂しさを隠した笑顔をリツソに送る。

「シユラ・・・我が―――」

我が紫揺の寂しさを埋めてやる、そう言いたかったが言えなくなってしまった。 今まで見たこともない紫揺の顔を見てしまったから。

「ワレ、カルネラ」 紫揺の肩の上で急にカルネラが言い出した。

「カルネラちゃん!」

思わず肩に乗っているカルネラを見て紫揺が言うと、リツソもカルネラを見た。

「うん、よーく知ってるよ。 カルネラちゃんよね」

「ワレ、カルネラ・・・アニウエ・・・コワイ」

「コラ! カルネラ! それを言うんじゃないと言っただろう!」

慌てて言うリツソを見て、いつもリツソが言っているのだろうと察しがつく。 心で相好を崩し辺りを見渡す。

「そう言えば、今日兄上は来てないの?」

「兄上はお忙しいそうだ」

兄上と言って気付く。 その兄上はいったい何歳なのだろうかと。 もしこれからあの兄上が来た時に、兄上の名前を言わなければ、何を言われるか分からない。 だって 『さっき、俺は名乗ったつもりだが?』 と言われたのだから。 もし後にでも会った時に 『兄上』 と言っては何を言われるか分からない。

「ね、兄上って何歳?」

何歳とはどういう意味だろうか、それでも紫揺が知っている言葉を訊き返すのは、伴侶としていただけない。

「え? どうしてそんなことを聞くんだ?」
そして何故だか一瞬にして不安がよぎった。

「ほら、あの時、兄上名乗ってたでしょ? リツソ君、私が呼び捨てをするのを好きじゃないって知ってるよね? だから、私より年上だったらマツリさんだし、年下だったらマツリ君だし」

紫揺の言葉を聞いてリツソの不安など吹っ飛んでしまった。 それどころか腹を抱えて哄笑する。

「え? どうしたの?」

ハクロが気色ばむと 「入るぞ」 と言い、笑いが納まらないリツソの腰辺りを咥え、部屋の中に入った。 一度入った部屋である、躊躇なく入る。 リツソは咥えられながらもまだ悶絶するように笑っている。 

「昨日お前がシグロから何を聞いたかは知らないが、我らが人の前に姿を現すのは魔釣が決まったときだけだ。 むやみやたらと人の前に姿を見せるわけにはいかない」 リツソを口から下ろしたハクロが言う。

どうして部屋の中に入ってきたのかが分かった。 リツソの声に誰かが気付いてやって来ては、姿を見られてしまうという事だと。 コクリと頷きすぐに窓を閉めると悶絶するリツソを見て懇願のように言う。

「リツソ君、お願いだから笑うのを止めて。 この狼が―――」

「ハクロだ」

すぐさま名を名乗った。 狼と言われるのは心外であるようだ。

「あ・・・えっと、ハクロ・・・ちゃん?」 

どう見ても自分より身体は大きいであろうが、年齢を考えると自分よりは年下であるはず、と考えた。 話し方から、多分雄だろうとは思うが、万が一にもメスであるのに “ハクロ君” と言っては失礼この上ないと考えての結果であった。

それを聞いたリツソがまたもや転げまわって腹を抱える。 笑い過ぎて息が吸えず、笑う声すら出ない有様である。

当の“ちゃん” 呼ばわりされたハクロは、片方の口角がヒクついている。 それに気付かず紫揺が続ける。

「リツソ君、ハクロちゃんに迷惑がかかるから―――」

「ハクロだ!」 とうとうハクロが怒鳴った。

驚いた紫揺が、一瞬息を飲む。 ハクロの怒鳴りと共に、唸り声も聞こえてくる。

「ハクロ!」

一人と一匹の間に先程まで腹を抱えていた、と言うか、事の起こりの張本人が立ちはだかった。

「シユラに何かしてみろ、どうなるかわかっているんだろうな!」

“どうなるか” ハクロが一瞬考える。 出た答えは一つ。 マツリに告げ口をするのであろう。 仕方なく牙を収め、リツソを見て言う。

「リツソ様、お静かに願います」

「さっき怒鳴ったのはハクロだ!」

苦虫を噛みつぶしたような顔を作ると、今度は紫揺を見て言った。

「我はハクロ。 ただそれだけだ」 眼光鋭く睨みつける。

「わ、分かった」

やはり狼は恐ろしいと心底思った。

「あ、そう言えば・・・ハクロ・・・に訊きたいことがあるの」

呼び捨てにして怒られないかと内心では心臓から口から出そうな思いだ。 あ、いや、間違えた。 心臓が口から出そうな思いだ。

「・・・なんだ」

紫揺を斜(はす)に見る。

ハクロの返事に紫揺がホッと胸を撫で下ろすが、そうならない若干一名がいる。

「シユラ? 何故我に訊かぬ? それに我はシユラに教えたいことがあると言っただろう。 我に訊けば何でも教えてやる」 

「うん、でもヒオオカミのことを訊きたいから」

「ヒオオカミ? ・・・人間たちが我らのことをそう呼んでいるな」

「そ、それは我が前にシユラに教えてやった!」

「うん、ありがとね。 リツソ君が教えてくれたから、ハクロに訊きたいことがあるの」

「そ、そうか。 我が教えてやったことが参考になったのか」

リツソにコクリと頷くとハクロを見て訊いた。

「ヒオオカミはヒトウカを見るとすぐに牙を立てるって聞いたんだけど? ヒオオカミの好物がヒトウカだって」

紫揺が話している途中からハクロが呆れた目をしていた。

「人間どもの無知だ」

「じゃ、好物じゃないのね?」

「当たり前だ」

「それじゃあ、人間をオモチャにするっていうのは? 昔、ヒオオカミが人間をオモチャにして牙を立てたって言うのは?」

「・・・」

「返事が出来ないの?」

「玩具になどしておらん」

「でも、人を噛んだって言うのは本当なのね?」

「ここの領土の者でない者に、それを話す必要はない」

「・・・わかった」

オモチャになどしていないけれど、噛んだことは噛んだんだのだと分かる。 それが 『魔釣』 だったのかどうかまでは分からないが。 紫揺が目線を落とす。

「シユラ? もういいのか?」

紫揺にすり寄って来て顔を覗き見る。

「うん。 ちょっと気になってたから。 でも、ハクロに教えてもらってスッキリした」

簡単に何度もハクロと言われることに、ハクロが歯噛みをしているが、紫揺は気付いていない。

「それでは! それでは我が教えてやることがある」

「あ、言ってたよね。 なに?」

「シユラが問うておったここが何処かという事だ」

久しぶりに大きく反れた胸である。

「よいか、我の居る本領は東西南北の領土を統治し、東西南北の領土はその本領の元にある。 ここ北の領土は四つの領土の内の一つである」

腕を後ろに組み、胸を反らしたまま顎をツンと上げそのまま続ける。

「そして各々の領土の民の中には、他の領土のことを知らない民もいる。 とくに、南と東の領土の民が知らぬ。 北ほどに生活の営みが苦しくないからである。 他に目を向ける必要がないのであろうな。 だからして、シユラは南か東の領土の民かもしれぬ、ということだ」

己に陶酔しかけた時、異を唱える紫揺の声が聞こえた。

「それはどうかな」

「ど、どういうことだ?」

思わず顎を引き、反り返っていた胸の裏面である背中が丸くなる。

「本領とか、東西南北の領土とかって聞いたことがない」

「だからそれは、シユラが南か東の領土の民だからだろう」

「違う、ちがうの。 そうね、例えば、狼たちの声が聞こえたり、ましてや狼たちと平気に話せたり、鳥が大きくなって人を乗せて空を飛んだり、カルネラちゃんが話せたり・・・そんなこと日本では考えられない」

敢えて、セイハたちのことは言わなかった。

「え? えっと・・・み、南と東には行ったことはないけど、南と東は・・・きっとそうなんじゃないのかなぁ・・・。 その、シユラが言う通りなんじゃないのかなぁ」

反っていた胸など遠い話。 尻すぼみになっていく。

「そうかもしれないね」

そんなこととは微塵も思っていないが、リツソのことを思って返す。

「私が知らなさすぎるのかもしれない」

「そ、そうに決まってる。 だって、兄上をどう呼ぶかで迷うくらいなのだからな」

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虚空の辰刻(とき)  第54回

2019年06月24日 22時10分30秒 | 小説
『虚空の辰刻(とき)』 目次


『虚空の辰刻(とき)』 第1回から第50回までの目次は以下の 『虚空の辰刻(とき)』リンクページ からお願いいたします。


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- 虚空の辰刻(とき)-  第54回


「知りたいこと? ああ、そう言えば昨日そんなことを言っておったな。 あの娘がここが何処か知りたいと。 ここが何処なのか俺にあの娘に教えてやってくれ、と言っておったか」

「教えて欲しいとは言っていません! 我がシユラに教えます!」

そう言われれば途中で言葉を切ったな、と思い出す。

そうか、ではお前が教えてやれ。 と、いつもならそう言って終わるだろう。 だが、リツソがどういう説明をするのだろうか。 多分リツソには出来ないだろう。 協力をしてやってもいいかと考えているからには、教えてやろうか。

「それで? 何と言う?」

「え?・・・」

「ここは本領であって、東西南北の領土を統治している。 東西南北の領土はこの本領の元にある。 北の領土は四つの領土の内の一つ。 各々の領土の民の中には、他の領土のことを知らない民もいる。 とくに、南と東の領土の民が知らぬ。 北ほどに生活の営みが苦しくないからな。 他に目を向ける必要がないのだろう。 という事をか?」 

「あ、あ。 はい。 それを教えてやろうと思っております」

「だが、迷子と言っておったな・・・キュウシュウとか二ホンとかとも。 いったいどこから来たのか・・・」

これはリツソに対して言っているのではない。

「シユラはハッキリとキュウシュウと言っておりました」

「ああ、そんなことを言っておったな」

「そんなことではなく、そう言っておりました」

マツリの片眉がはねた。



「では、行ってまいります」

月夜に照らされリツソを乗せたハクロが己が主、マツリに言う。

「ああ、頼む」 そう言い残して、マツリがその場から離れた。

リツソの袖から出てきたカルネラが、肩の上にとまる。

今日シグロは居ない。 茶の狼と共に北の領土にいる。 
そのシグロ曰く

「ゆっくり出来ていいねぇ」 だ。

だからハクロが言い返した。

「では、代ろうか?」 と。

「御免だよ」 シグロが怖気だち身震いして応えた。


ハクロの走る背の上でリツソが問う。

「なぁ、ハクロ」

「はい?」

「兄上、おかしくないか?」

「はい?」

「・・・何でもない」

その時には気づかなかったが、こうして考えるとおかしなところが幾つかある。 例えば、いつものマツリなら首根っこをつまみ上げると 「この大馬鹿者が!」 と言って空高くブン投げるはずなのに、昨日はそんなことをしなかった。

いつもならブン投げられたリツソをマツリの肩の上で見送ったキョウゲンが、マツリの肩から羽ばたき、リツソに合わせて身体を大きくし空に舞い、宙に飛んでいるでリツソを鷲掴みにして四方の元へ連れて行くのだが、昨日は空に投げられなかった。

首根っこをつまみ上げたまま四方の元に連れて行かれた。 それに昨日はマツリの他出に同道させてくれた。 ましてや今日など、マツリがいないのに、リツソ一人を他出させている。 いったいマツリに何があったのだろうか、とリツソが考える。

ハクロにしては、走りながらリツソが何を言わんとしたのかを考えたが、全くもって分からない。

その時。

「アニウエ・・・・」 カルネラが初めていう言葉を言った。

「これ、カルネラ。 兄上ではなくてマツリ様―――」 言いかけて一旦口を閉じた。 そして続ける。

「カルネラは我と同じに兄上で良い」

「アニウエ・・・コワイ」

「カルネラ!」

思わず怒鳴ってしまったが、そう言えば日頃己が言っている言葉だと思い出した。 カルネラは己の独り言を、ずっと聞いていたのかと、改めて教えられた。 どこか心に隙間風が吹いた。 反省だ、今までの己を正さねば。 それに、紫揺にも言われた。 勉強と経験だと。

リツソが下がっていた顔を上げた。

「カルネラ・・・今度はシユラという言葉を覚えてくれ。 いいか、シユラだ。 シ・ユ・ラ」

カルネラがキョトンとしている。

ハクロが目を眇めたが、瞬時にしてその目を開放した。 全くもって関わり合いたくないのだから、考える必要などないと。


大階段を上り回廊を歩くマツリ。 今はもう月が出ている時だ。 だが月が出ているとはいえ、普通なら灯りがないと歩くことに二の足を踏んでしまう。 だが宮とご隠居の屋敷であるリツソのジジ様の屋敷では、それに不自由することはない。

歩く先でボゥッと光石が点灯するからである。 それはまるで自動点灯のように灯りをもたらす。
回廊を何度か曲がると自室に戻ったマツリ。 自室でも光石が点灯する。

「キュウシュウ、二ホン・・・」

部屋にある本の背表紙に人差し指を這わが、それらしいものが書かれたような本が見当たらない。 自然と眉根が寄る。

「これは、父上にお訊きせねばわからないか・・・」

本の背表紙を追っていた指が止まる。

紫揺自身のことを視られるのは、姉上であるシキだけだろう。 だが、土地のこととなれば、マツリがあまり知らない南と東の領土を見ているシキにも分かるだろうが、シキ以上に長年見てきた父上である四方の方が詳しいだろう。

もしシキが南と東の領土内で気になる村なりがあれば、食事の席で四方に訊くはずだ。 だが今までにキュウシュウも二ホンという土地の名も村の名も聞いたことがない。

マツリに北と西の領土、シキに南と東の領土を任せてからは、四方はその領土から手を引いている。 だからして、北と西の領土のことをマツリは詳しく分かるが、残りの南と東の領土のことはあまり知らない。

南と東の領土にはそれぞれ年に一度、祭が行われる時に行くが、領土内の詳しいことは知らない。 南か東の領土にキュウシュウや、二ホンという村か何かがあるのだろうか、と考える。

マツリとシキ、そしてリツソの父上であるの二つ名を持つシホウ。 『四方』 は、東西南北の四つの領土を統治下に治める任にある名であって、各領土に足を運ぶのはマツリとシキであっても、現在も四つの領土を治めているのは四方である。

そして二つ名のもう一つの名である『死法』と言う名はもう使っていない。 それは全て 『魔釣』 に任せたからである。

「姉上がお帰りになるまで待っていていいものだろうか・・・」 

先であろうが後であろうが、シキにお任せすると考えていたが、先に四方に訊いた方が、事が滞ることなく速やかに進むのではなかろうかと考える。 だが、

「・・・にしてもヤツ等に蹴られたくはないわな」

何故かハクロやシグロではなく、リツソと紫揺の顔が浮かんだ。


「シユラ―!」

ハクロから跳び下りたリツソが、掃き出しの窓をバンバンと叩く。

「リ、リツソ様! お静かに!」

ハクロが声を殺して言うが、リツソに通じない。

「シユラー! シユラ―!」

大声で怒鳴る。 と言ってもまだ声変わりもしていない子供の声だ。 辺りに深く響く声ではない。

「リツソ様! ―――」

ハクロが声を荒げかけた時、リツソがハクロを振り返った。

「ハクロ・・・シユラが居ない・・・」

「え?」

リツソの後ろに控えていたが、一歩二歩と前に進み出ると、ガラス越しに部屋の中を見た。

「・・・いませんね」

「シユラ・・・」 リツソが半ベソをかきかけた。

ここで大泣きをされてはどうにもいかない。 でも、己が主からは 『リツソをあの娘の所に届けてくれ』 と言われている。 ここで大泣きをされる前に咥えて走り去ることなどできない。 ハクロの全身の毛が輝ける白銀から、生気を無くした白になりかける。

と、その時、真正面に見える戸が開いた。 開けられた戸の向こうに紫揺の姿が見える。 そしてどこか蒸気立っているように見えた。

「あ! シユラ!」

ドンドンと窓を叩く。

「リツソ様! お静かに!」

諫言(かんげん)するが全く聞いていない。 だが救われたのは紫揺がすぐにリツソを見止めたからだ。

「リツソ君!」

走り寄って掃き出しの窓を開け、腰を屈めると膝に手を当てる。。

「シユラ!」

ああ、殆どロミオとジュリエットの世界だ。 だがハクロもリツソもそれを知らない。 紫揺に至っても、まさか自分がジュリエットなどとは思ってもいない。

「昨日も夜遅かったのに、今日も大丈夫なの?」

「うん! 兄上がハクロを呼んでくれたから、どうってことない!」

紫揺が居ないと思った途端、泣きそうになるほど寂しかった、悲しかったのだ。 そのすぐ後に紫揺を見られて嬉しい。

「そっか。 じゃ、父上様にも心配をかけないのね?」

「うん! 兄上が父上に話して―――」

ここまで言って兄上におんぶに抱っこだと気づく。 伴侶たるものそれではいけない。 いけないし、そんなことを奥に聞かせてはいけない。

「そんなことはどうでもいいんだ。 我はシユラに教えたいことがあって来た」

オレではなく我。 紫揺がそれに気付いたが、ここはスルーしよう。

「なに?」

「えっと、ここが―――」 ここまで言ってリツソが一度口を閉じた。

「どうしたの?」

「シユラ、今ここに居なかった。 何処に行ってたんだ?」

「え?」

「我が来た時、シユラはここに居なかった。 何処に行ってたんだ?」

「え? えっと、お風呂に入ってたんだけど?」

知らない言葉を言われ首を傾げる。 そして改めて紫揺を見る。 蒸気立ってしている。 それに髪の毛も濡れている。

「湯浴みか?」

「ユアミ? なにそれ?」

言いながらも、漢字を考える。 取り合えず、『ユアミ』 のユは『湯』 だろう。 水浴びを考えた時、『ユアミ』 の『ア』 は『浴』 だろう。 だから、湯を浴びたという事を言っているのだろうと思いみる。

「あ、そうそう。 身体が温まって気持ちよかった」

もしかしてリツソは立派なストーカーになれるかもしれない。 それとも、初恋のなせる業なのだろうか。

「なに? どうしたの?」

問われリツソ以外の男子であったなら、己の浅はかさに自嘲するであろう。 だがそれは普通の男子ならばの話である。 残念ながら普通の男子でないリツソ、立派にストーカーが出来るであろうリツソである。

「そうか! 湯浴みであったか!」

自嘲など遠い話。 思いっきり破顔する。 そして

「えっと、今日はシユラに教えたいことがあって来た」

うん、さっき聞いた、と言ってしまっては可愛そうか、と思っていると、リツソの肩に居たカルネラが、しゃがもうとした紫揺の肩に跳び乗ってきた。

「こら! カルネラ!」

思わずリツソが言うが、カルネラは意に介さない。 それに紫揺が嬉しそうにカルネラを迎える。

「カルネラちゃん、来てくれるの?」
紫揺の目が輝く。

「シユラ?」

「うん?」 リツソに言葉を向けるが、目はカルネラを見ている。

「シユラはカルネラが好きか?」

「うん、だってこんなに可愛いんだもん」

カルネラを見て言うと次にリツソに目を転じた。

「カルネラちゃんって本当に可愛い。 リツソ君が羨ましい。 私もこんなに可愛い友達が欲しい」

リツソにはカルネラがいる。 セキにはガザンがいる。 自分には・・・。

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虚空の辰刻(とき)  第53回

2019年06月21日 22時58分36秒 | 小説
『虚空の辰刻(とき)』 目次


『虚空の辰刻(とき)』 第1回から第50回までの目次は以下の 『虚空の辰刻(とき)』リンクページ からお願いいたします。


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- 虚空の辰刻(とき)-  第53回


「リツソ君?」 そっと声を掛けるが起きる気配がない。

身体を揺すってみたがそれでも全く起きない。 どうしたものかと考える。 とにかく、窓の外にはあの二匹の狼が居る。 リツソに起きてもらわねば、あの狼が引いてくれないだろう。 では、と立ち上がりテーブルを掃き出しの窓に近づけると、その上に上がってソロっと窓を開けた。 早い話、テーブルの上に逃げたのだが、相手は狼、何の役にも立たないが、せめてもの足掻きである。

ゆっくりと開けられる窓を見ていた二匹。 勿論、浅はかな考えを持つ紫揺の姿も見ている。 窓が半分開けられたところで止まった。

「早く入ってほしいんだけど・・・」

呟くように言うと、それを聞いたのかどうか、白銀の狼が一歩足を踏み入れた。

「ヒェェェー・・・」 狼を驚かさないように小さな声で叫ぶ。

「早く行きなよ」 ハクロの後ろで目を顰めたシグロが言う。

「分かってる」 そろりそろりと前足を踏み入れながら、紫揺に威嚇の目を送る。

「じれったいね!」 言うとクルリと向きを変え、後ろ足でハクロの尻を蹴り上げた。

身体が一瞬宙に浮き、ゴロゴロと転がる。 思わずギャン! と言いかけたが、なんとか堪えた。 部屋の真ん中まで転がったハクロが、素早く立ち上がりシグロを睨みつける。

「シグロ! 何をする!」

「さっさとリツソ様をお迎えしろって言ってんだよ」
言いながらも己はまだ足の一本も部屋には入っていない。

「あ・・・あの、リツソ君はそこの部屋で寝てるから」 恐々ながらも和室を指さす。

ハクロが指さされた方に歩いて行く。

そう言えばと、シグロが紫揺を見た。

「アンタ、アタシたちの言葉が分かるのかい?」

「・・・ワカル」 ぎこちなく答える。

「アタシたちの言葉は本領の一部の人間にしか分からないはずだよ。 どうしてアンタにアタシたちの言葉が分かるんだい?」 

シグロは睨んでいるつもりはないが、紫揺にしてみればこの上なく恐ろしい目に見える。 それはそうだろう、だって相手は狼なのだから。 それも普通より随分と大きい。

「そ、それは私にも分からない。 でも、最初にあなたたちが来た時、最初は分からなかったけど、徐々に言葉が聞こえだした」

「最初にアタシたちが来た時?」

「えっと・・・あなたが私のことは本領っていう所に知らせるべきだとか何とか言った少し前から」

シグロが大きく息を吐いた。 そういうことを言った。 間違いなくその時から分かっているようだ。

「分かった。 とにかくアンタはアタシたちの言葉が完全に分かってるってことだ」

コクリと紫揺が頷く。

「それでっていう訳じゃないけど、安心しな。 アタシらはアンタをどうこうしようとは思っちゃいない」

「本領っていう所でそう決まったの?」

「違う。 さっきマツリ様がアンタを見て判断を下された」

「どういうこと?」

「アンタがこの領土に厄災をもたらさないと視られた」

「も、もちろんそんなことはしないわ!」

「で? アンタは迷子と言っていたが、マツリ様の名を聞いて驚かなかったのかい?」

「マツリっていう名前で?」

どうして名前で驚かなくてはいけないのか? 紫揺が眉を顰める。

「マツリ様は二つ名」
言うと、紫揺がマツリのことを呼び捨てにしたのに対して眇めていた目を戻した。

ああ、リツソが言っていたな、と思い出した。 15歳になれば二つ名をもらえると。

「二つ名って?」

「マツリ様は祭の時に姿を現す『祭さま』 であり、魔を釣る『魔釣さま』 でもある。 誰もが知っていることなんだが?」

「・・・知らない」

全くもって意味さえ分からない。 いや、意味は分かるが・・・意味が分からない。

祭なら分かるが、魔釣って・・・。 と頭の中をフル回転に動かす。 そうか、と、どこか納得をする。
リツソが最初に言っていた、釣られればいい、というのはそういう事だったのかと腑に落ちるが、腑に落ちて納得出来る出来ないの話ではない。

「それって、魔釣の魔ってなに?」 黄金の狼に問う。

「この領土に厄災をもたらす者」 黄金の狼の眼が光る。

「じゃ、・・・じゃ、私じゃないわ」 頭(かぶり)を大きく振る。

だが、と考える。 魔は今の説明で分かった。 でもそれを釣るってどういうこと? 釣る? 釣るって? でも確かに “釣る” の意味は分かる。
魔を釣る人・・・。 深く一考した。 結果、そんな恐ろしい人間に『うるさい』 と言ってしまっていた・・・。

「あ、あの、ちなみに魔釣ってどういうことを・・・」

「マツリ様が、魔釣と判断されれば、我らが噛み殺して終わりだ。 最悪はマツリ様自身が手を下される。 だがそうなると、その周りは影も形もなくなるよ。 これは滅多にないことだがね」

ゾッとする話をいとも簡単に言ってくれる。

「じゃ・・・じゃあ、私は、その、あなた達に噛まれる心配はしなくていいのね?」 だって、厄災をもたらさないのだから。

「今のところはね。 だが今後、アンタが厄災をもたらすようであれば、マツリ様がアンタを魔釣、アタシらが一噛みにする」

と、その時、どうしても起きないリツソを仕方なく咥えて、和室からハクロが戻ってきた。

「ククク、そのままで行くかい?」 シグロが喉で笑う。

「仕方ないだろう」

どれだけ揺すろうとも、鼻先で突こうとも起きなかったのだから。

二匹の会話を聞いた紫揺。

「待って、それじゃあ、あんまりだわ」 と、テーブルを跳び下りかけてシグロを見た。

「こっちの狼も噛まない?」

「ああ、マツリ様の決定はアタシらの掟でもあるからね」

「じゃ」 と言って今度こそテーブルから跳び降りた。 シグロと長く話したからなのか、シグロの言葉には安心できるものがあった。 そして「リツソ君を下してて」 と、付け加えた。

ハクロが怪訝な目をシグロに送ると 「あの娘の言うことを聞きな」 と、一言返した。

足早に和室に行った紫揺が押入れを開けると、シーツの替えと紐を持って戻ってきた。 そのシーツの中にリツソを入れ紐を巻くと、手早く不細工なおんぶ紐を作り、ハクロに近寄った。

「絶対に噛まないでよ」

念を押すが、先程シグロと散々話した。 狼たちの考え方が分かったつもりだ。

「マツリ様に逆らってお前をどうこうしては、今度はこちらに明日が無くなる」 ハクロが応える。

「じゃ、じっとしてて」

手早くおんぶ紐を使ってリツソをハクロの背中に縛り付けた。

「ギャーハハハー!」
その姿を見たシグロが大笑いをしている。

「ヒィ、ヒィ。 アンタ、背守りの次はおんぶ紐かい!?」

「ゴメン、確かに不細工だけど、こっちの方がリツソ君も風邪をひかないし、安全だと思うの。 今日もクシャミをしてたから」

紫揺と部屋の中で話している時に、何度かクシャミをしていた。

するとおんぶ紐の中からモゾモゾとカルネラが出てきた。

「あら? カルネラちゃんは括らなくて大丈夫ね?」

「ワレ、カルネラ」

カルネラの返事に紫揺が温容に答えると、シグロを見て言う。

「それじゃ、これ以上遅くなるとどんどん冷えてくるから」

「行くよ」 

シグロがなんとか笑いを抑えながら走り出した。 それに続く背にリツソを負って、どこか肩を落としているハクロであった。


「ほえ?」 寝室で目覚めたリツソ。

「へれ? はれ?」 見慣れた布団をつまんでみる。

「いつまで寝ているつもりだ」 

声の主の方に目を転じると、開けられた襖縁に背中を預け、腕を組んでいるマツリが居た。

「あ・・・兄上」

まだ完全に頭が覚醒していない。 枕元にはカルネラが丸くなって、今もなお寝ている。

「あ、えっと・・・」 寝ぼけている頭を巡らす。

昨夜のことが徐々に頭の中で鮮明によみがえってきた。
紫揺の元に行った。 紫揺と話した。 兄上が紫揺ばかり見ていた、だから・・・。 何を言っただろう。 思い出せない。 でも兄上に睨まれて

(・・・えっと、どうなったっけ)

でも紫揺が言ったことは思い出せる。 
たくさん経験して勉強して、色んなことを学んでいくんじゃない、と言っていた。 そうすれば兄上に勝てるんじゃないかと。

頭で覚える勉強もあるし、相手の心を慮(おもんばか)るのも一つの勉強と。 誰がどう考えているとか、相手を気遣うってことにもなると。 それと経験。 何でも経験してみないと分からないでしょ? そう言っていた。

「勉強・・・」

リツソの一言に、マツリが怪訝に小首を傾げる。

リツソの頭の中は、マツリには分からない。

ずっと逃げてきた勉学、逃げているだけでは駄目なんだ。 グッと拳を握った。 が、分からないことがある。

「あの、我はどうしてここに・・・?」

「ハクロの背に乗って帰ってきた」 

マツリの一言を聞いたリツソが眉尻を上げながら問い返す。

「ハクロの?」

「ああ、ハクロが情けない顔をしておった」

「ハクロが?」 全く心当たりがない。


シグロが先頭を切ってこの本領の宮に帰って来た時、門番はシグロとハクロを見かけるとすぐに門を開けた。 余りにスンナリと門を開けられたので拍子抜けしたほどだったが、門番にあれ程笑われるとは思っていなかった。 ハクロの肩がより一層落ちたほどであった。

門番がすぐに門を開けたのは、マツリが事前に門番に言っていたからであったのだが、ハクロの姿までは言っていなかった。 まず、こんなハクロの姿を知る由もなかったのだから。

そして当のマツリは、大階段の下に座って待っていた。 そこにリツソを背負ったハクロの姿が目に入った。

「・・・ハクロ、なんだそれは?」

「あの娘がこれで寒くないだろうと、眠ってしまわれたリツソ様を、ハクロに括り付けました」 肩を落としているハクロに変わって、笑いを堪えながらシグロが言う。

「そうか」

ハクロの身体からおんぶ紐をほどき、リツソをつまみ上げた。

「それにしても、上手く考えたものだな」

「ハクロは咥えて帰るつもりでしたが」

「ふむ。 咥えて帰るよりこちらの方が随分と良いだろう。 世話をかけたな。 で、悪いのだが―――」

マツリが情けない顔をしているハクロに頼みごとを言い出した。

だが、シグロもハクロもこれ以上リツソに関わりたくない。

「お言葉を返すようですが―――」

「では返すな」

マツリに一言いわれて、二匹が尻尾を股に挟んだ。


「そのハクロが今晩来るが、お前行くか?」

「へっ?」

「北の領土にお前が行くか、と尋ねておる」 

紫揺に会いに行くか? などとは言わない。 ある種の人間にそんな言い方をしては、その矜持に関わると『恋心』 に書いてあったのだから。

「え? 兄上も北の領土に行かれるのですか?」

「俺には行く用はない。 それより他の事の方が忙しい」

「では? シユラは魔釣られないのですね!?」

「昨日そう言ったはずだが?」

「行きます! 行きます!」

言ってから、余りにガッツイテしまったことに気付いた。

「あ、えっと。 シユラが知りたいことがあるって言っていたから、それを教えてやりに行きます」

間違えなく『恋心』 に書かれていたある種の人間だな、と、マツリの口の端が上がった。

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虚空の辰刻(とき)  第52回

2019年06月17日 22時24分50秒 | 小説
『虚空の辰刻(とき)』 目次


『虚空の辰刻(とき)』 第1回から第50回までの目次は以下の 『虚空の辰刻(とき)』リンクページ からお願いいたします。


     『虚空の辰刻(とき)』 リンクページ




                                        



- 虚空の辰刻(とき)-  第52回



「リツソ様は今はご成長の途中かと・・・」

この言葉で合っているのだろうかと、戸惑いながら黄金の狼が言う。 現状がストップするだけでは不十分。 主の・・・マツリの怒りがまたいつ再燃するかもしれない。 マツリの怒りを鎮めなくては。

「・・・お前たちは今は繁殖期ではないな」
言った途端、ストップしていた逆立った髪の毛が収まっていき、赤みも引いていく。

マツリの質問の真意がわからないが、取り敢えず返事をする。

「勿論です」

白銀黄金の狼が目を合わすが、マツリの髪の毛が収まっていくのを目にすると、安堵という風呂にドボンと浸る。

「マツリ様、繁殖期はまだ少し先ですが?」 マツリの肩の上でキョウゲンも言う。

「繁殖期があるお前たちには分からないだろうな」
フッと口の端に笑みを含むと、更に髪の毛が収まりサラリと背に落ちた。

髪を束ねていた解けた紐はキョウゲンが嘴(くちばし)で取っていた。 その紐をマツリが手で取ると、己の髪の毛を首の後ろに束ねた。

マツリの知識、感情、何もかもがキョウゲンと感応する。 そのキョウゲンが繁殖期だけの括りの発言をした。 それは、フクロウにも狼にも繁殖期がある。 人間には繁殖期というものはない。 それを知らないキョウゲン。 何故ならマツリからそれを感応していないからである。 早い話、リツソは初恋をしている。 初恋どころか、頭の中は既に結ばれてさえいる。 だがマツリは初恋などというものは未だしたことがない。 よって、マツリに感応するキョウゲンは繁殖期以外の恋というものを知らない。 

白銀黄金の狼たちから聞いた話から、リツソが恋をしていると分かった。 それも初恋だろうと。 まだ恋をしたこともないマツリがなぜリツソの行動を恋と分かっのか。

幼い頃より日々勉学に励んでいたマツリ。 だがどうしても己の一番不得意とする分野が存在してしまう。 教えを乞おうとした父上である四方から本を勧められた。 『恋心』 という本であった。

「まるで・・・リツソの姉のようだな」

「リツソ様の姉上様?」 白銀黄金の狼が互いを見やる。

「リツソ様の姉上様はシキ様お一人ですが?」 キョウゲンが首を傾げて言う。

「姉上ではない。 姉だ」 

キョウゲンの首が左右に何度も傾く。

「あの娘のことは姉上でなければ、分からないな」 

白銀黄金の狼が頷く。 ただ、軽く頷いた方が良いのか、深く頷いた方が良いのかが分からない。 軽く頷くと、しかと返事をしていないようだし、深く頷くと先程マツリが言ったように、マツリでは不十分と言っているように思われる。 結果、是とも非とも言えないような中途半端な頷きになってしまった。

「キョウゲン行くぞ」

マツリの肩の上からキョウゲンが空に向かって飛び立つと、クルリと縦に回る。 その間に肩に乗るほど小さかったフクロウが大きな姿となり、マツリめがけて滑空してくる。

「リツソのいいようにしてやってくれ。 それから送り届けてくれ」

そう言い残し地を蹴ると、大きな姿に変わったフクロウの背に跳び乗り、片足を垂れもう片足は膝を曲げて座った。

「ふん・・・」
まるで自分自身に冷笑を送るように鼻から息を吐いた。

「恋路を邪魔する奴はオオカミに蹴られろ、か」
眼下に見える二匹を目の端に入れた。

「アイツ等に蹴られれば骨が折れてしまうな」

四方から手渡された『恋心』 の一節であった。

「父上への報告は姉上が帰られた時で良いか・・・」
それまではリツソの好きなようにさせてやろうか、それとも協力してやってもいいか、などと一考する。

「マツリ様・・・」

足元から声がする。

「なんだ?」

「先程はマツリ様にあるまじきお言葉でした」

「何という?」

「マツリ様とシキ様は同じではありません。 よって、比べられる相互いではありません。 ご存じのはずですか?」

「ああ」

「あれ程に、お怒りを持たれることもなかったはずです。 どうされました?」
それに、と付け加えたかった。 マツリが苛立っているのが感じられたからだが、それは言わないことにした。

「いや・・・。 ・・・そうだな」 歯切れが悪い。

マツリの下でキョウゲンがそれ以上の口を閉ざした。


月明かりに照らされ帰っていくフクロウの影を見送ると、白銀黄金の狼が一度部屋の中を見て、身を隠すように木の中に隠れいつもの所に並んで伏せた。

「マツリ様も変わられたな」 黄金の狼、シグロが言う。

「マツリ様も?」 隣に伏せていた白銀の狼、ハクロが驚いてシグロを見る。

たしかに先程のマツリは今までになかったことであった。 マツリの怒りはあの程度で出るはずはなかったし、その上マツリが怒りを鎮めるなどという事は今までに見たことが無かった。 そして帰っていく前に言った言葉。 リツソに対してそんなことを言うとは信じられない驚きであった。 だがマツリ様も、というのはどういうことだ?

シグロがチラリとハクロを見てまた前を見た。 前に見えるのは部屋の中の明かりの下で、リツソが落ち着いたのか、紫揺と話をしている。

「さっき、お前は『リツソ様は今はご成長の途中かと』 と言ったが、そういうことか?」

「ああ、思い出してごらんよ。 今までならすぐに大泣きするところを、堪えておられた時があっただろう? それにあの娘にチビと呼ばれても、リツソ様が名を名乗っておられただろう? そしてさっきはマツリ様に逆らわれた。 何よりここに来るのに本領を歩いてこられた」

「そう言われれば・・・」

「だが・・・」 

「なんだ?」

「どうして急にマツリ様が、繁殖期のことを言われたのかが分からない」

「ああ、俺もそうだ。 それにあの程度のことで、お怒りになるなどとは、今までに無かったこと・・・」

二匹が静かに前を見てから、その太い前足に顎を乗せた。


「リツソ君、偉かったね。 ちゃんと自分の言葉で話してたね」

「・・・」

「兄上って恐すぎるね」

「・・・」

「リツソ君?」

「オ・・・オレは・・・」

「なあに?」

「・・・兄上に負けてしまった」

「それは・・・。 だって、相手は半端なく恐い兄上なんだもん。 それに、歳も違い過ぎるわ。 ねっ、リツソ君はこれからなんだもん。 これからたくさん経験して勉強して、色んなことを学んでいくんじゃない? 兄上に勝てるのはそれからよ」

「ベンキョウ?」

「うん、そう。 言葉を憶えたり、字を書いたり、計算したり」

「勉学のことか?」

「勉学? あ、うん。 そう」

「勉強・・・か?」 そんなものからはずっと逃げてきた。

「そう。 色んな勉強と経験。 頭で覚える勉強もあるし、相手の心を慮(おもんばか)るのも一つの勉強よ。 誰がどう考えているとか、相手を気遣うってことにもなるのかな? それと経験。 何でも経験してみないと分からないでしょ?」

そこまで言って思い出したことがあった。

「私も今日初めて経験したわ」

「なにを?」

「あのね、昨日リツソ君が言ってたことが分からなかったの」

「オレ、何か分からないことを言ったか?」

「うん。 これは私の経験不足だったわ。 経験って言っていいのかどうかわからないけど、まさに百聞は一見に如かずだったわ」

「なんのことだ?」

「昨日、リツソ君言ってたじゃない? 兄上も姉上も供が鳥だから空を飛べるって。 あの話ね、全然意味が分からなかったの。 でも今日見て初めて意味が分かったわ。 あのフクロウ、あんなに大きくなって飛ぶのね」

「うん。 姉上のサギもそうだ」 自分の話を分かってくれたのかと嬉しくなる。

「キュイ・・・」

マツリを見止めてから、リツソの水干の袖に隠れていたカルネラが出て来て肩に上がってきた。

「まぁ、カルネラちゃん! カワイイ。 初めまして」

カルネラがキョトンとしたまま小首を傾げる。 その姿に紫揺の笑みがこぼれる。

「カルネラ、シユラだ」

一つ二つと小首を傾げるとキューイと言って「ワレ、カルネラ」 と続けた。

紫揺が驚いた。

「カルネラちゃん話せるの?」

「うん・・・でも少しだけ。 オレが悪いんだ。 オレがカルネラを遠ざけてたから」

「どうして?」

「言ってただろ? カルネラは空を飛べないって。 だから、そんな供は要らないって思ってた」

「思ってた?」 過去形であることに確認を取った。

「うん。 でも今は違う。 シユラに教えてもらったから。 カルネラは地も走れるし、木にも登れる、木々の間を器用に移動できる。 そうだろ? シユラそう言っただろ?」

「うん、言った」

自分の言ったことを、ちゃんと分かってくれたんだと思うと、嬉しくなる。 あの時、頭を振り絞って考えてよかったと思う。

リツソはリツソで、大好きな『うん』 を聞けて顔が明るくなる。

「だから・・・これからはカルネラとずっと一緒にいるんだ。 そしたらカルネラだって言葉を覚えていくから」

「そうね。 沢山話せるようになるといいわね。 それにこんなに可愛いんだもん。 いつも肩に乗せてあげて」

「シユラはカルネラを気に入ったか?」

「もちろんよ。 フクロウよりカルネラちゃんの方がよっぽど可愛い」

フクロウであるキョウゲンに怒りはないが、あのマツリと名乗ったリツソの兄上には腹立ちさがある。 よって、キョウゲンよりカルネラの方が可愛い。 それを差し引いても実際にカルネラの方がずっと可愛い。

「ね、もうこんなに遅くなっちゃったけど・・・」

外を見るとオオカミの姿もマツリの姿もない。

「あれ? 誰もいない? ちょっと見てくるね。 リツソ君はここに居て」
今はあのマツリにリツソを会わせたくない。

掃き出しの窓を開けてキョロキョロするが、やはり誰の姿も見当たらない。 あのマツリが忌々しく出て来てもおかしくないはずなのに。

「行こうか」

シグロが声を掛けると同時に、ハクロが立ち上がった。

辺りに十分警戒の目を送って紫揺の見えるところまで出た。 勿論、狼を恐がっている紫揺が部屋の中に入り窓を閉めた。

「リツソ様はどうなっておられるんだ?」 二匹の狼が窓の所まで来る。

顔をひきつらせた紫揺が部屋の中を振り返るが、そこにリツソの姿が無かった。

「え?」 慌ててリツソを探す。
と、意外な所にリツソが居た。 畳の部屋に敷かれている布団で丸くなって寝ていたのだ。

「あ・・・疲れたんだ・・・」

子供がこんな遅くまで起きていれば、疲れも出るだろう。

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虚空の辰刻(とき)  第51回

2019年06月14日 22時25分08秒 | 小説
『虚空の辰刻(とき)』 目次


『虚空の辰刻(とき)』 第1回から第50回までの目次は以下の 『虚空の辰刻(とき)』リンクページ からお願いいたします。


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- 虚空の辰刻(とき)-  第51回



何があったのか理解できず、息さえ出来ずにいる紫揺。

「シユラ、大丈夫か? ほら、ちゃんと息を吸え」

リツソがしゃがんでいる紫揺の後ろに回り込んで背中をさすってやる。
そのリツソの声が遠くに聞こえ、なんとかヒュッと音を立てて息を吸う。

「ほら、今度は吐いて、次はゆっくりと吸ってゆっくりと吐け・・・ほら、息をして」

小さな手が心配そうに紫揺の背中を何度もさする。

「シユラ、恐れることはない」
手を止めて今度は紫揺の前に立った。

リツソが気遣って言うが、それでもこのシチュエーション・・・無理だろう。 人が鳥に乗ってやって来ただなんて。
だが、何とか息ができるようにはなった。

青年が一歩二歩と近づき、リツソの後ろに立つと看取したのか口を開いた。

「我はマツリ。 娘、何処から来た」

青年は最初に見たリツソのような服を着ていた。 ただ、その色は黒だ。 そしてリツソは短靴のようであったが、こちらは長靴のようである。

「兄上、娘ではなくて、シユラ」

「あ・・・兄上?」 出しにくい声で問いかける。

「そう。 オレの兄上。 ね、兄上、シユラは釣るような人じゃないでしょ?」

紫揺が無事息をしだしたのを見てとると、後ろに立つマツリを振り返った。

「確かにな。 だが、ここの領土の者でない者が、どうしてここに居るのかをハッキリとさせねばならん」

この北の領土の目の色をしていない。 明らかに北の領土の者ではない。

「だから、シユラは迷子なんだって」

リツソがいつもの話しかたと違う。 これもそうなのか? この娘のせいなのか? とマツリが目を眇めた。

「迷子などで、この領土に来られるはずはないのだが」

「だって、シユラがそう言ってるんだってば。 そう、シユラはここが何処か知りたいんだ」

「ここが何処かもわからないのか」

「兄上、ここが何処なのかシユラに教えて・・・」

まで言って言葉を止めた。 紫揺の困りごとを解決するのも、紫揺に何か教えてやるのも、全て伴侶である自分の役目なのだから。

「あ! 兄上、いい。 オレがあとでシユラに教えてやるから」
とは言っても、どう説明していいかは、まだ誰にも教えてもらっていない。

「何処から来たかくらいは分かるだろう」

先程からリツソが何を言ってもマツリがリツソを見ない。 ずっとシユラを見たままだ。 それが気に食わない。
それもそうだろう。 マツリは全て紫揺に質問しているのだから。 それに気付いていないリツソ。

「兄上、どうして我と話すとき我を見ない!」

(オレから我に変わったか・・・。 それに、疑問とは言え命令口調か? ふーん・・・)

軽く一瞥するとまた紫揺を見た。

無視をされたと思った。 伴侶たるもの、奥の前で誰かに無視されるとは、生き恥もいいところだ。 この上ない恥辱である。

「なんとか言ったらどうだ!」 拳を握りしめて言う。

これに慌てたのは紫揺だ。 息が出来るようになった後は、この二人の会話を聞いていたが、受け答えをするまでには回復していなかった。 だがリツソの態度があまりにも今までと違い過ぎる。 それに、あれほど恐いと言っていた兄上に対して、この口のききよう。 一つ大きく息を吸い大きく吐く。 そして

「リツソ君、有難う。 ちゃんと息が出来るようになった」 

紫揺の声に慌ててリツソが振り返り、憂慮わしげに尋ねる。

「シユラ、本当に大丈夫なのか?」

「うん」

リツソお気に入りの紫揺の 『うん』 に、リツソの顔がほころぶ。 それに応えるように笑顔を送ると立ち上がった。

「リツソ君の言うように私は迷子。 ここが何処なのかもわからない。 どこから来たっていうのは・・・」 

どこの括りで言おうか。 市? 町名? でも、先程まで考えていたことを思うと、市や町名では相手に伝わらないだろう。 そう、もしここが北海道なら、北海道の人に全然違う土地の市や町名を言ったところで、分かってもらえるはずがない。 ならば

「九州」

これなら分かるだろう。

「キュウシュウ?」

マツリが初めて聞いた言葉のように、眉をしかめ聞き返してきた。

(え!? 嘘でしょ!? いくらなんでも九州なら分かるでしょうよ・・・。 地理バカ?)

「シユラはキュウシュウという所から来たのか?」

リツソが問うが、紫揺の返事を待つことなくマツリが問う。

「そこはどこにある」

リツソがカッチーンときた。

「そ、そこはって・・・。 日本よ。 日本の中の九州よ」

これ以上どう説明しろというのか。

「兄上! シユラはちゃんと答えているだろう! 兄上の知らない所もあるんだ!」

マツリがやっとリツソを直視した。

「お前は黙っていろ」

睥睨する目が恐ろしいが、リツソもこのまま黙っているわけにはいかない。 何と言ってもここにシユラが居るのだから。 伴侶たるもの、誰かに黙されてたまるものか、それも奥の前で。 リツソが口を開きかけたが、それより先に紫揺が口を開いた。

「リツソ君の言う通りだわ。 私がここが何処なのか分からないのと同じように、兄上・・・アナタにも知らない所があるはずよ」

言いながらも、そんなことはないだろうと思う。 この日本で、九州を知らない人間が居るなんて有り得ない。

リツソが満面の笑みを作って紫揺を見る。 だって紫揺が自分の言ったことを認めてくれたのだから。
だがマツリは二人の考えていることなど全く考えていない。 今、アナタと言われたことに引っかかっている。

「さっき、我は名乗ったつもりだが」

そう言われて改めてマジマジとマツリを見る。

瞳の色は懐かしい黒色。 だが、染めているのだろうか、髪の毛は銀色である。 その肩甲骨の下まであろう銀髪の毛を、無造作に黒の平紐で首の後ろに括り、空を飛んで風に煽られたからであろうか、横の毛がその紐から数本落ちている。 身長は170センチ強か。 そして服装は、最初にリツソを見た時と同じような格好をしている。 1センチ程の幅に鞣した皮の紐を黒に染め、丸襟のベストのような形に編んであり、その下には横にスリットの入った膝丈より少し上の黒い皮の上衣、下は上衣と同じく皮の筒ズボンである。 足元は長靴。

紫揺の知るところではないが、この姿は本領から他出するときの服装であった。 本来ならまだ他出を許されていないリツソには不必要な服装であったが、ご隠居がいつでも他出できるようにとリツソに持たせておいたものをあの日初めて着たのであった。

だが今、服装なんてどうでもいい。 “マツリ君” なのか“マツリさん” なのかを見極めようとしていた。 早い話、年下なのか年上なのか。 だが、まったくもって分からない。

「・・・マツリ、と聞いたわ」

「そう。 お前の名はシユラと聞いているが」

「そう。 シユラ」

「ではシユラ、我に知らない所があると言うのか」

これまたリツソがカッチーンときた。 シユラと呼ぶのは自分だけだ。

「兄上! シユラのことをシユラと呼ぶのは―――」

まで言って口が開いたまま止まってしまった。

炯炯たる眼光を向けられたからだ。 眉目秀麗であるマツリだが、それだけに氷のように冷たくオソロシイ。

「チビが、黙っていろ」

声音静かに言う。 それがまたオソロシイ。 伴侶たるものの矜持さえ忘れてしまう。

リツソがピクリとも動かなければ、反論する様子もない。 訝しく思った紫揺がリツソに声を掛ける。

「リツソ君?」 

返事がない。 リツソの肩にそっと手を当ててこちらを向かせる。 素直に従ったリツソが、紫揺の胸あたりに顔を伏せしがみついて来る。

「どうしたの?」

紫揺とリツソの姿を見て、そして今までのリツソの態度に対してマツリが吐く。

「お前はまだその程度だ。 己を知ること―――」 

「黙りなさい」

両方の眉を寄せリツソを見ながら、リツソの頭を撫でてやりながら紫揺が言った。

白銀黄金の狼のアゴが外れかける。 キョウゲンにおいては、マツリの肩の上から落ちかけた。

「お・・・お前、今何と言った」

今にも歯をギリギリと鳴らしかねない様子だ。

「黙りなさいって言ったのよ。 早い話うるさいって言ったのよ。 これだけ頑張ってるのに、そんな子になんてことを言うのよ。 アナタ・・・マツリって言ったっけ、アナタの弟でしょ!? これだけ頑張っている自分の弟をどうして認めないの!? リツソ君の兄上なんでしょ、頑張ってるリツソ君を馬鹿にするようなことをどうして言うの!?」

マツリを睨み据えて言うとリツソに目を移した。

「ほら、リツソ君おいで」

リツソを部屋の中に招き入れ、硝子戸を閉めた。

白銀黄金の狼が、リツソを置いてこの場から逃げようかという目で、互いに見合わせたが

「ハクロ! シグロ!」 

マツリの髪の毛を結んでいた紐がスルリと解け、髪の毛が毛先から逆立ってくる。 そしてその銀髪が徐々に赤くなってきている。

「は、はい!」

逃げ遅れてしまった二匹が慌てて返事をするが、到底この場にいたくない。 巻き添えはゴメンだ。

「あの娘はどういう感覚を持っているんだ!」

「そ・・・それは」

白銀黄金の狼が目を合わせる。 そして口を切ったのは白銀の狼ハクロである。 何かを言わなければ巻き添えを食らうだけだ。

「そ、それは・・・我らよりマツリ様の方がご存知かと」

黄金の狼が頷く。

「なんだと?」

マツリの眼光が光り二匹を睨み据える。

「俺の眼がくすんでいるとでもいうのか!」

さらに毛が逆立ち赤くなっていく。

「そ、そんなことは申しておりません。 ここはシキ様に任せられた方がよろ―――」

「バカを言うんじゃないよ!」

すぐに黄金の狼が止めたが、時すでに遅し。

「なんだと!? 俺では不十分というのか!!」

「そ、そんなことはございません! ただ・・・リツソ様をご覧ください」

黄金の狼が視線を部屋の中のリツソへ向けた。

怒りが収まらないマツリではあったが、何故か黄金の狼の視線につられてしまった。
部屋の中には静かに涙を流しているリツソが居る。 いつものように大声を上げて泣きじゃくり、鼻を垂らしているわけではない。 そのリツソの頭や身体を撫でてやる紫揺の姿がある。 その間に涙も拭いてやっている。

「リツソ様はきっと、あの娘に心を開かれております」 

真実そうなのかどうかは分からないが、黄金の狼がとにかく巻き添えを食いたくない一心で言葉を探す。 それが的を射ようが、真実でなかろうがどうでもいいこと。 とにかく一度拾った命であるのだから、それを守りたい。 思わぬ事故になど巻き込まれたくない。

黄金の狼は『心を開かれている』 と言った。 だが、そうとは違う考えがマツリにある。
二人の様子を暫く見ていると、マツリの逆立っていた髪の毛と、赤く染まりかけた髪の毛がストップする。

白銀黄金の狼がゴクリと唾を飲んだ。

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虚空の辰刻(とき)  第50回

2019年06月10日 20時28分14秒 | 小説
『虚空の辰刻(とき)』 目次


『虚空の辰刻(とき)』 第1回から第40回までの目次は以下の 『虚空の辰刻(とき)』リンクページ からお願いいたします。


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- 虚空の辰刻(とき)-  第50回



確かにこの青年の言う通りだった。

紫揺が初めて狼たちを見た時、その会話が徐々に聞こえてきた。 普通の人なら唸りとしか聞こえないはずの声を徐々に鮮明に聞き取っていた。

初めて見た時は余りの大きさもあるが、初めて見る狼に恐れをなした。 それも1匹や2匹ではない、沢山の狼。 沢山でなくとも1匹でも十分に怖い。 だから身体が固まった。 だがその狼たちが最初は唸りだけしか上げなかったのに、その内にその唸りの言葉が分かるようになった。 それが何よりの驚きだった。

狼たちの会話が聞こえる。 そこで全く頭まで固まってしまって、コキコキコキとまるでからくり人形のように小刻みにしか身体を動かすことが出来なかった。

だからリツソが本領から来たと聞いて驚いたのだ。 何故ならあの時、黄金の狼が白銀の狼に紫揺のことは『まずは本領に知らせるべきだろう?』 と言っていたからだ。 白銀の狼もその返事に『本領に知らせる』 と言っていた。

その前に『屠る』 という言葉も聞こえていた。 だからその本領とやらで紫揺の何かが決まったのか、屠られるのか、まるで裁判で刑の宣告を待っている気持ちになっていた。



数刻前、ハクロの頭に乗ったカルネラがリツソの元に来た。 

「おお、カルネラ」

白銀の狼の頭にリツソが腕を出す。 その腕を伝ってカルネラがリツソの肩まで上がる。

「ハクロ、苦労であった」

その一言にハクロが踵を返した。 勿論、主である青年とシグロの居たところに戻るためである。
それを見送ったリツソ。

「カルネラ、父上の居られない所に我を案内してくれ」

キューイ、と返事をするが、カルネラなりに迷いがある。
何故ならばカルネラの主はリツソである。 カルネラはリツソの供であるのだから、リツソの言葉が一番である。 その主であるリツソが父上の居ない所に案内せよという。 だが、先程とーってもこわ~いリツソの兄上に言われたようだった。 兄上が何を言っているのかは分からなかったが、シグロが言っていた。 己が午睡を楽しんでいた木の元にリツソを案内するようにと。

カルネラがとってもとっても小さい脳を動かした。 僅かしかない脳みそを絞る。 と閃いた。
己が午睡を楽しんでいた木の元に、リツソの父上が居なければそれでいいのだと。

「カルネラ、イク」

そうカルネラが言うと、リツソの肩から跳び下り走り出した。

「カルネラ?」

いつものカルネラと全く違う後姿を見送ったリツソ。

小さい足で地を走ったカルネラが、塀を上ると午睡を楽しんでいた木の元についた。 辺りをキョロキョロしても、リツソの父上である四方は居ない。

リョウ(良)! と叫び、再度リツソの元に踵を返した。

リツソの元に戻ったカルネラが、リツソを木の元に誘導する。 壁を上れないリツソが大門ではなく、小門を潜る。 その道々リツソがカルネラに問う。

「カルネラ? どうしたのだ?」

「ナニ?」

「ナニって・・・。 いつものカルネラじゃない」

「ワレ、カルネラ」

「そっ、そうであるな。 カルネラであるな・・・」

何かがピンとこないリツソであった。
カルネラに誘導され、木の元に隠れた・・・つもりのリツソ。

「なぁ。カルネラ。 何かあったのか?」

どうしても納得できない。

「ナイ」

「我がカルネラを置き過ぎたことは分かっておる。 だから正直に言ってくれ。 何があったのだ?」

「ナイ」

今までカルネラを疎んじていたところがあったのは確かだ。 供として毎日連れていなかった。 だって、空を飛べないのだから。

だけどそうじゃなかった。

紫揺に言われた言葉は、ちゃんと頭の引き出しに大事にしまってある。 いつでも何度でも見られるよう鍵はかけていない。

紫揺の言葉。 『確かに空を飛べるよね、鳥なんだから。 でもサギもフクロウも地を走れないじゃない? 木に止まることは出来ても、リスみたいに素早い動きで木に登れなければ、木々の間を器用に移動することも出来ないじゃない?』

そうだった。 言われて初めて気づいた。 飛ぶだけが能じゃないんだと。 カルネラは我が供、もっとカルネラと共に居なくちゃいけないと。 でなければ、カルネラは言葉も覚えなければ、確かな主と供としての関係さえも築けないと。 そんなことを考えていた時、首根っこをつまみ上げられた。 足が宙に浮く。

「何をする! 我を誰と心得ておるかっ! 無礼極まりないっ!」

つまみ上げた者がクイと手首を返した。

「ヒッ! ・・・あ、兄上・・・」

リツソの目の前に兄上が居る。 それもとってもこわ~い目をして。

「禿び(ちび)、また何かやらかしたようだな」 

蛇に睨まれた蛙とはこのことだろうか。

「い・・・イエ、その様なことは。 我はこうしてカルネラと―――」

その蛙がゴクリと唾を飲み込むと、息を吹き返したように手をバタバタさせて訴えようとするが、最後まで聞いてもらえない。

「ずっと共に居れば、カルネラがもう少し話せるはずだが」

「そっ! それは―――」

炯眼(けいがん) を向けられピタリと手の動きが止まった。

「それは何だ」 

更に炯炯たる両眼に射られる。

「・・・」

「言えないか。 そうだな。 カルネラを見ていれば分かる」

「・・・兄上、カルネラが悪いのではありません」

「では何と」

「我が・・・」

「禿びが?」

「・・・我が悪うございました」

青年が驚いた。 このチビが、あ、いや、この我が弟のリツソが、己が悪いなどと認めることは今までなかったのだから。

「リツソが悪いというのか」

「・・・はい。 我がカルネラを遠ざけておりました。 だからして、カルネラがまだちゃんと話せないのです。 ですが、心改めました!」 

「改めた?」

この弟が心改めるはずなどない。 先程自分が驚いたのは一瞬にしてこの弟にしてやられたのかもしれない。 何か新しい策を持ってきたのだろうか。 騙されることなどはないが、リツソからは人を騙そうという気配を感じない。 だが、余りに日頃正直でないこの弟が、さも正直に話すのを訝しんで見る。

「はい! カルネラともっとイッパイ話をします。 カルネラは、地を走れるし、木々の間を器用に移動して木に止まることも出来るのですから」

青年にしてみれば当たり前に分かっていることであるが、リツソがそれに気付いたというのが・・・いや違う。 今までそれに気付いていなかったのかという方が驚きであった。

「どうしてそれを思い立った」 

「・・・それは」

リツソが口淀んでそれ以上を言わない。

すぐに青年には何かあったのだと分かった。 それは黄金の狼から聞いた話に繋がる。

「リツソ、俺は今晩お前の呼ぶシユラという者の所に行く」

「え?」

どうして他出から帰って間がない兄上がシユラのことを知っているのだ? 疑問は出るが、今はそれどころではない。

「ま、まさか! 釣るつもりじゃ・・・」

「釣るもなにも、俺はまだその者を見ていないのだからな。 まぁ、釣らなければならないような者ではなさそうだが」

「勿論! モチロン、モチロン! シユラはその様な者ではない!」

「今晩、お前も一緒に行くか」

「は、はい! 行きます!」

リツソの顔がパァっと明るくなった。 それだけで全てが分かった兄上であった。

「では、お前はシグロの背に乗っていけ。 いいか、分かっているとは思うが、行くのは月が出てからだ。 ウロウロしていると置いて行く」

「お、大人しく! 大人しくしております! ずっと、じーっとしております!」

「よし、ではその前に俺と一緒にこい」

「どこへ?」

「俺は他出の報告に、お前は父上に己のしでかしたことの謝罪にだ」

「兄上! 兄上! それは―――」

リツソの訴えなど知ったことではない。 首根っこを持ったまま回廊に上がっていった。 ちなみにカルネラは、首根っこを持たれたリツソの肩にはとまりにくいし、こわ~い兄上が居る。 すぐにリツソの袖内に入っていた。


一旦、北の領土に帰って来たハクロが、身体をブルブルと震わせた。 陽に照らされキラキラとした飛沫が飛ぶ。

「サッパリしたかい?」

「ああ」

「まるで背守りみたいだったよ」 鼻で笑いながら言う。

「早くそれを言え」

背守りと言えといったのではない。 背の汚れのことを早く言えといったのである。

「アタシだって、いつその背守りを付けられるか分からなかったんだから、アンタの心配をしている暇なんてなかったさ」

「背守りなどと言うな。 人間の子ではあるまいし」 鼻白みながら言い返した。



今日も家の周りを散歩しただけで、ずっと部屋に籠っていた紫揺。 常の紫揺ならそんなことはない。 これだけ自然に囲まれているのだ。 アスファルトであれば、膝や腰を痛めるところだが、地道なのだから宙返りをしたりして楽しめる。 それに裏には木々がある。 木に登ったり、道具を借りて自家製アスレチックでも作りたいところだが、如何せん、今の自分の立場が分からない。 気楽に居られるはずがない。

夕飯を終えたあと夜のストレッチを終え、掃き出しの窓の内側に座り、月明かりを見ていた。 
今日は雲一つなく綺麗な月が見える。 その月の周りに沢山の星が輝いてもいる。

「綺麗な空」
言いながら首を傾げる。

「これだけ綺麗な空と月が見られるなんて、それもあんないっぱいの星も。 これって簡単に見られないはず。 もしかして、ここって・・・北海道?」

思ったが、残念ながら北海道には行ったことがない。 北海道でどれだけ綺麗な空と月、数多の星が見られるのかを目にしたことはなかった。

「北の領土・・・屋敷からあの洞窟を通ってここに来た。 屋敷では波の音が聞こえてた。 どこの海なのか分からないけど。 屋敷も寒かったことは寒かったけど、ここほどじゃなかった。 普通の冬の寒さだった。 でも、ここと屋敷を結ぶ道は歩いて通った洞窟だけ。 なら、どうしてこんなに寒さが違うの? ・・・えっと、頭がこんがらがってきた。 とにかくここは北海道? 北海道って大きいから、北の領土と言われる所があるのかな」

頭をこんがらがせながらも、それなりに自分の居る場所を把握しようとして考えるが、北海道以外でてこない。
と、その時、月明かりに照らされて大きな何かの影が映った。

「へっ!?」

思わず腰を上げ月空を注視しする。 途端、

「シユラ!」

今度は真正面から声がした。 視線を真正面に変えると、そこにはリツソが黄金の狼の背に跨って走って来ていた。 リツソが黄金の狼の背から跳び下りると、黄金の狼は後ろにいた白銀の狼と共に数歩後ろに下がった。

掃き出しの窓を開けてしゃがんでリツソを迎えてやる。 と、その肩にリスがとまっているのを見止めた。

「あ! カルネラちゃ―――」

まで言うと、月明かりが無くなり一瞬あたりが暗くなった。

「え?」

上を見上げる。 するとリツソの後ろ上空に、大きな鳥が舞い降りてきて、その背から見たこともない銀髪の青年が跳び下りてきた。

大きな鳥は地に足をつけることなく、クルリと縦に一回転すると、その間に身体が小さくなり、フクロウの姿になった。 薄い灰色の顔から始まって、段々と羽先と尾にいくほどに黒い色をしたフクロウが青年の肩にとまった。

知らず青年の息が止まった。

「マツリ様?」

肩に止まったキョウゲンが我が主の名を呼ぶ。 主からの返事がない。 首を捻って主の顔を覗き込みもう一度名を呼んだ。

「マツリ様?」

「え? あ、ああ」

「如何なさいました?」

「何でもない」

そう言うと、青年が紫揺に慧眼を向けた。

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虚空の辰刻(とき)  第49回

2019年06月07日 20時44分31秒 | 小説
『虚空の辰刻(とき)』 目次


『虚空の辰刻(とき)』 第1回から第40回までの目次は以下の 『虚空の辰刻(とき)』リンクページ からお願いいたします。


     『虚空の辰刻(とき)』 リンクページ




                                        



- 虚空の辰刻(とき)-  第49回



白銀黄金の狼は本領に向かった。

本領の宮近くまで来ると、リツソが降りると言い出す。

「お前たちと居ると目立つからな」

という事であった。 そしてカルネラを見つけてここに呼ぶようにと言いつけられた。
早い話、父上である四方に見つかりたくないといったことである。

宮の中、目立たぬように回廊の下を歩いてカルネラを探す白銀黄金の狼。 ・・・リスを探す狼。 図としては有り得ない。

「どこかの木に登っているという事だったね」

「ああ」

「ここにどれだけの木があるか、分かっておられないようだね」 大きな歎息を吐く。

「だが早く見つけなければ、我らがあまり宮をウロウロするのは宜しくないだろう」

「ああ、分かってるよ。 分かっているけど、これじゃあどうにも見つけられな―――」 黄金の狼の声が途中で止まった。

「おい」

黄金の狼が白銀の狼に顎をしゃくって方向を示す。 その先には二匹の主が歩いていた。


銀色の髪の毛を高い位置で括り上げ、青を主体にした直衣(のうし) のような姿で回廊を闊歩する青年。 だが、日本の生地のように固く分厚くなく、糊で固めてもいないし、直衣ほど野暮ったくもない。 充分に動きやすい。 ちなみにリツソの水干もそうである。

青年の肩には薄い灰色の顔から始まって、段々と羽先と尾にいくほどに黒い色をしたフクロウが乗っている。

「お帰りなさいませ」

屋敷の中の者達がその姿に声を掛ける。

その声に混じって聞き覚えのある声があった。 足を止め回廊から下を見ると、そこには北の領土に居るはずの従者が居るではないか。
眉を顰める。

「北に何かあったのか?」

「ご報告をさせて頂きたく、時を頂けませんでしょうか」 白銀の狼が言う。

「これから父上に他出の報告に行かねばならんが」

「出過ぎたことでございますが、今ご領主はご隠居様とお話か、リツソ様を探されているかと思います」

「またリツソが何かしでかしたのか!?」

白銀黄金の狼が一度顔を見合わせ、主を見るとコクリと頷いた。

「リツソ様は今、屋敷の外に居られます。 我らにカルネラを探し、連れてくるようにと言いつかっております」

「カルネラを使って父上から逃げようとする魂胆か」 とまで言うと 「キョウゲン」 と肩に乗るフクロウの名を呼ぶ。 「御意」 と言ってフクロウが飛び立った。

「さて、話を聞こうか」
ヒラリと回廊を跳び下り膝を使って屈伸すると、白銀黄金の狼の前に立った。

白銀黄金の狼は詳しく話し出そうとしたが、すぐにキョウゲンがカルネラを足に握り戻って来た。

その姿は、まるでフクロウがリスの獲物を捕まえたかのような図であった。 カルネラは何が起きたか分からず、赤茶色の身体の脇を捕まえられながら、黒い耳の飾り毛を風に揺らし手足とフサフサの黒い尻尾を垂れボォーっとしている。

青年が掌を上に向けカルネラを受け取る。 カルネラを手放したキョウゲンは小さく回転して、青年の肩にとまった。

「カルネラ」

掌の上でキョトンとしたカルネラが声のする方を見た。 途端 「ピィ!」 と、まるでコスズメのような声を上げ硬直する。 

木の枝で午睡を楽しんでいたのに、急に身体が持ち上げられた。 ボォッとした頭で目を開けると、何故だか午睡をしていた枝が遠くなっていき、挙句、着地したのがとってもこわ~い青年の掌の上なのだから、慄然(りつぜん) と硬直してもおかしな話ではない。 いや、真っ当な話だ。 もしかしたら、リツソよりカルネラの方が常道性があるかもしれない。

「お前はリツソの供でありながら、何故リツソの元に居ないのか」

キューイ・・・と一声上げて目線を逸らせ下を見、腹の白い部分が隠れる。

「何故リツソの元に居ないのかと聞いておる」

それはそれは、落ち着いた恐ろしい声だ。 カルネラの背筋が凍り、総毛が逆立つ。

「今からハクロがお前をリツソの元に連れてゆく。 リツソが何を言うかは分かっておる。 リツソに何を言われても、お前は先程まで居た木の下にリツソを案内せよ」

「・・・」

「話が分からぬのか、返事が出来ぬのかどちらだ」

供とはその主の知識や想いに応じて感応し成長する。 キョウゲンが何も言われずとも、カルネラを探しに飛び立ったのも、キョウゲンがこの青年に感応していたからである。 青年の考えは言わずとも分かる。

カルネラからの返事はない。 言い換えればリツソとの関係がまだ持てていないのかもしれない。 それとも、リツソがこの程度なのか。

白銀黄金の狼が呆れてカルネラを見る。 そして言葉を発したのが黄金の狼、シグロだった。

「カルネラ、我らは話がある。 その間にお前のすることをしな。 今からハクロがお前をリツソ様の所に連れて行く。 その後、リツソ様をお前が先程まで居た木の下に案内せよ。 分かるか?」

カルネラがコクリと頷いた。

「では、ハクロの背に乗ってリツソ様の元に行け」

言われ、とってもこわ~い兄上がハクロの背にカルネラを乗せようとしたが、手を止め眉を顰めた。 そしてハクロの頭の上にカルネラを乗せた。

ハクロは何故、カルネラを頭の上に乗せたのかが分からない。 思わず両の目で己の頭の上を見た。

「ハクロ、水浴びでもせよ。 あまりに汚れすぎている」

リツソの涙とヨダレと鼻水で汚れ固まってしまった毛並みのことを言っているのだとすぐに分かった。 そう言えばリツソに汚されてからは、この主である青年に会った後は明日の朝日が見られないと気落ちして過ごしてきた。 背の汚れをすっかり忘れていた。

だが、今にしても主に今までのことを何も報告できていない。 

そうだな、明日になる前に身綺麗にしておかねばな、と思った時、明日の朝陽を見ることが出来ないのに、これはせめてもの白銀の毛を持つ矜持の足掻きだろうか、とハクロが心に思った。 そんな己に嘲弄を覚える。

「あとは任せたぞ」 そう言い残したハクロが走り出した。

ハクロを見送った青年が、黄金の狼のシグロを見るともなく小さく呟いた。

「カルネラがあの程度では、リツソもまだまだのようだな」

青年が言ったが、それに異を唱えた黄金の狼である。

「それが・・・」

と、話し出したのが、リツソが北の領土に行ったという事であった。 誰のところに行ったのか、それも四方の許可も得ず。 そしてそのリツソを北の領土まで運んだのは己らだということも。 どうしてそういう運びになったのかの理由も。

三度、北の領土に運んだという事も、切っ掛けとなった紫揺の存在も勿論話した。 この頃には白銀の狼、ハクロもリツソの元から戻って一緒に話をしていた。 そして北の領土であちらこちらに火や水が噴きだしていたことも。

「―――以上であります」

白銀黄金の狼が話し終えるまで、青年は一言も口を挟まなかった。

「そうか。 火はどれくらいのものだ?」

「今はまだほんのわずかな火ですが、範囲は広いようです」

「五色に消せるか?」

「はい。 充分に」

「ではまだ、心配はいらぬな。 だが、怠ることなく注視しておいてくれ」

「はい」

「その者が北の領土の者でないのは確かなのだな」
紫揺のことである。

「はい」

「何処から来たと」

「その者は迷子と言っておりました」
狼は耳が良い。 リツソにそう言っていたのを聞いていた。

「迷子か・・・」 潜考するが思い当たらない。

沈思黙考している己の主に畏れながらも尋ねる。

「我らは・・・ハクロと我が糾問され、その罪に処されることは相応かと思います。 ですが―――」 他の狼たちを守りたい、と言いかけたが、青年が最後まで言わせなかった。

「なぜお前たちが処されるのか」

「我らはリツソ様を勝手に北の領土にお連れしました。 それも三度も」

ハクロが言うと、シグロも隣で頷いている。

「二度目はお前たちが北に連れ出したのではなかろう。 リツソが勝手に北の領土に入ったのだろう」

言われ、確かにと思う。 リツソが北の領土に入ったところで泣きべそをかいていたところを茶の狼が見つけ、その報告を聞き慌てて走り出したのだから。 だが、その後に紫揺の所に連れて行ったのも確かな事実。

「それはリツソに言われ、否応なくであったのであろう」

「で、ですか!」

「なにも気に揉むことはない。 リツソのことは父上も俺も分かっておる。 お前たちのせいではない」

「それとこれとは・・・」

ハクロとシグロがどうしたものかと目を合わせる。

「お前たちはよくやってくれた。 子細を父上に言わずともよい。 具申しても父上も同じことを仰るだろう」

白銀黄金の狼が僅かに安堵の色を示した。 その色を見た青年が白銀黄金の狼に一言いった。

「手間をかけたな」 と。

そして

「それにしてもその者は、狼たちが困っているのさえ、リツソは分かってない。 確かにそう言ったのだな」

「はい」 

「それはおかしい」

「は? 何故でございましょう?」

「ではなにか、お前たちは胡坐でもかいて腕組みをし、眉間に皺でも寄せて困り顔を作っていたのか?」

「は?」 二匹が素っ頓狂な声を出した。

「そんな事はしていないであろう。 普通なら、狼を見ただけで恐がるものだ。 それもお前たちのような大きな身体の狼だ。 その狼が困っているとまで考えられると思うか」

「・・・そう言われれば」

二匹が顔を合わせ、今、主に何か話し漏らしたことがあるだろうか、と考える。

「その者がお前たちの話を聞いたと思わんか」

「わ! 我らの話を聞いたと!?」 二匹が同時に言った。

「その者はリツソに、父上に心配をかけてしまう。 とも言っておったのであろう。 どうしてそんなことを言ったのか」

「そ・・・それは。 ・・・リツソ様が最初にご領主のことをお話されたからだと・・・」

「普通、あんなチビが夜遅く一人でいたなら、母上に心配をかけてしまうと言うのではないか? だがお前たちはその時、父上がご心配をなさると言っておった」

「た、確かに。 で、ですが、お言葉を返すようですが、我らの言葉を聞き取れる人間など、この本領以外に考えられません」

「まぁ、そう考えるのが道理だろう。 このことは姉上に頼むのが一番いいかとは思うが、姉上はまだ暫く帰ってこられない。 とにかく今晩、俺が行ってみよう」

二匹の狼は主の言ったことが、まだ信じられないという顔をしている。

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虚空の辰刻(とき)  第48回

2019年06月03日 22時05分16秒 | 小説
『虚空の辰刻(とき)』 目次


『虚空の辰刻(とき)』 第1回から第40回までの目次は以下の 『虚空の辰刻(とき)』リンクページ からお願いいたします。


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- 虚空の辰刻(とき)-  第48回



「まだ帰られていないようだ」
白銀の狼ハクロが、後ろに待つ黄金の狼のシグロに言う。

白銀黄金の狼の主へ、懺悔を含めての報告をしなければならない。

「今日帰ってこられるというのは間違いないんだね?」

シグロがハクロに並ぶ。

「ああ、そう聞いた。 だが、予定であるからどう変わるかは分からん」

「それじゃあ・・・アタシは北に帰るよ。 アンタはここで待つってのはどうだい?」

「まぁな・・・あの者が何か厄災をもたらすことはなさそうだが・・・」

「だろ? アタシもそう思うよ。 だからアンタはここで待つ。 アタシは北の領土に帰ったら一匹此処に来させるよ。 帰って来られればソイツを伝令にしてくれればいい。 すぐにアタシも来るからさ」

白銀黄金の狼の主が話を聞いてどう判断するかは分からない。 だが、それを恐れる気などない。 すべて真っ向から受け止める気でいる。 明日の朝日は見られなくとも、それが正しい判断だと思っている。

シグロの言いたいことは分かる。

「ああ・・・では―――」

までハクロが言うと、聞きたくもなければ関わりたくもない声が背後から聞こえた。

「おや、お前たちこのところよく来るな」

瞬時にしてハクロとシグロが、魔物の声でも聴いたかのように目を合わせた。
これは空耳だ。 絶対にありえないのだから、あってほしくはないのだから。 二匹それぞれが己にそう言い聞かす。 だから、取り敢えずこの場から去ろう。 聞こえないふりをして、振り返らないで前に歩こうと一歩を出した二匹。

「おい、何処に行くんだ?」

やはり現実の声が聞こえ、二匹の足が止まった。

「我はシユラのところに行く」

白銀黄金の狼がまた目を合わせた。 ソロリと二匹が振り返る。 と、白銀の狼より先に黄金の狼が口を開いた。

「それは、それは。 昨日、シユラという娘に歩いて行ったことを話されておられましたな。 それでは今日も歩かれるのでしょう? 我らは―――」

「シグロの背に乗っていく」

黄金の狼の全身が粟立った。

「い、いや、お待ちください。 あの娘はリツソ様が歩いてこられたことに共感されておりました。 それなのに我が身の背に乗るとは―――」

「時が無いのでな。 シグロの背に乗ってシユラの元に行く」

「そ、それでは! あの娘が気落ちするのでは!?」

「シユラに知らせたいことがある。 それにもっと話したいこともある。 時が惜しい。 我が歩いて行けば、ほんの数刻しか話せぬ。 だからシグロの背に乗ってゆく」

「・・・ですが」

「兄上に会いに来たのだろう? でも兄上はまだ帰ってこられておらん。 お前たちヒマであろう?」

「ヒ・・・ヒマなどという事はございま―――」

「我を北の領土に送り届けよ」

白銀黄金の狼の頭も肩も尻尾も何もかもが下がった。 これを厄災と呼ばずして何と呼ぶ。


「シユラー!」
離れの掃き出しの窓をドンドンと叩く。

白銀黄金の狼がまだ明るいうちから騒がしくするリツソに驚きの総毛を立て、木々の間から躍り出てリツソの横についた。

「リツソ様! お静かに! 我らがここに居ることが領土の人間に分かりますと不穏に思います」

「ちょっとくらい良いではないか」 口を尖らせる。

ストレッチをしていた紫揺が窓を叩く音に気づき外を見ると、リツソも勿論見えたが、その両脇に大きなあの狼が居るのも目に映った。 すぐに窓を開ける勇気がない。 そろりと窓に近づく。 窓越しにリツソの目の前にしゃがむ。 リツソの顔を見ると笑みがこぼれた。 その笑みにリツソがはにかむ。

紫揺の様子に狼たちが二歩三歩と下がる。

おや? と紫揺が気付いた。 この大きな狼たちは紫揺が恐れているのを分かっているのだろうか、だから後ろに下がったのだろうか、と。
ガラリと窓を開けた。

「今日は早いのね」 

「昨日のように遅くなると皆に心配をかけるでな」

また言葉が戻っていると思ったが、そう威張ったものでもない。 ここは突っ込まないでおこう。

「今日はシユラに教えたいことがあって来た」

「え?」

「ほら、昨日訊いておっただろう? ハクロとシグロがヒオオカミというものかどうかという事を」

「うん」
紫揺の目が大きく開いた。



夕べジジ様の所で遅い夕飯を食べている時に、しかとジジ様に訊いたのである。

「ねぇ、ジジ様?」

「なんじゃ?」

リツソが美味しそうに夕飯を食べるのを、満足気にずっと見ていたその時であった。

「北の領土では、ハクロとシグロのことをヒオオカミと呼んでいるのですか?」

「おお! もうそんな勉学をしようと思っているのか!? なんと勤勉なことじゃ!」

「違っていればお恥ずかしいだけです。 違うのですか?」 殊勝にコトリと箸を置く。

「そんなことはない。 確かに北ではヒオオカミと呼んでおる。 ハクロ、シグロに関わらず、他の従者の狼のこともそう呼んでおる。 リツソには先見の識があるのか、千里眼を持っておるのか、ジジは嬉しいぞ」

という訳であった。



「ハクロもシグロも他の狼たちも、兄上の従者の狼のことをヒオオカミって呼んでるらしい」

紫揺の 「うん」 という言葉につられ、つい正直言葉になっていた。

「・・・やっぱりそうなんだ」

「シユラはどうしてそんなことを知りたいのか?」

「え?」

今は既に木々の中に隠れてしまっている二匹が居るであろう方向を見る。

「ヒオオカミって怖いって聞いたから。 でもリツソ君と一緒に居る時はそんな風ではなさそうだし」

人間をオモチャにすると聞いたとは正直に言えない。

「ふーん・・・。 兄上の従者だからなぁ・・・北の者にとっては怖いかもしれないのかな」

「あ、やっぱりそうなんだ」

「でも、オレと居る時は安心していいぞ。 兄上の従者とは言え、オレの命令も絶対だから」

言われれば納得がいく。

「リツソ君の兄上って恐いの?」

「半端ない」

「え・・・そんなに恐いの?」

「父上も恐いけど、父上はジジ様に逆らえない。 ジジ様はオレの言うことを何でも聞いてくれる。 兄上は父上に進言するけど・・・姉上に逆らえない」

訊きたいことが的を射ない返事で返って来た。 それに“父上” ではなく“父上様” と言っていなかっただろうか。

「えっと・・・兄上は怖いけど、姉上に逆らえないってことは、姉上が一番怖いの?」

「そんなことはない。 姉上はお優しい。 母上も・・・」
ここまで言って気付いた。 紫揺には両親も姉兄もいないことを。

「あ・・・」

「ん? どうかした?」

「・・・何でもない」

「急にどうしたの?」

「今日は帰る。 シユラに兄上の従者が、ここではヒオオカミと呼ばれていることを教えたかっただけだから」

「そうなんだ。 ありがとね」

「え・・・シユラはオレが帰ってもいいのか?」
帰ると言ったことをアッサリと認められるのは寂しい。

「だって、恐い兄上が待ってるんでしょ?」

「兄上はまだ出かけておられる。 兄上に怒られることなどない」

「そうなんだ。 えっと・・・さっき帰るって言ったよね?」

「言った」

「何かがあるわけだから、帰るって言ったんじゃないの?」

「そうではあるが、そうではない」

紫揺が頭を抱える。

「シユラは・・・シユラには父上も母上も姉兄も居ないと言っていたな?」

「うん」

紫揺の 『うん』 という言葉の響きがリツソにとって、とても心地よいものを感じさせる。

「誰かがシユラを見ているはず、とも言っていたな?」

「うん、そう。 だって、そう考えて生きていかなくちゃ、その人に恥をかくような生き方をしちゃだめでしょ?」

「そんなものなのか?」

「そうよ」

ずっと見ていてくれているであろう両親に恥じぬ生き方をしなくては。 でも今は、今の自分の居場所が分からなくなってきた。

「・・・あのね、それでも弱音が出ちゃうの」

「弱音?」

「そう、誰も何も教えてくれないの」 

こんな小さな少年に嘆きごとを言って、どうなるのかとは思った。 なのに口から出てしまった。 きっと少年だからこそ言えたのだろう。 心の奥底を。

「え?」

「私、何も分からないの」

「そう言えば、迷子って言ってたな」

「うん。 ここが何処なのか、私が誰なのかさえ分からなくなってきてるの」

自分が誰かという事は分かっている。 自分は藤滝紫揺なのだから。 でも、さんざんムラサキ様と呼ばれた。 セイハに言われたこと、アマフウがしたことや何もかもが分からない。

「シユラはシユラだ。 でも、シユラは困っているのか?」

「・・・うん。 余りにも分からないことが多すぎるから。 あ、ごめん。 泣き言を言っちゃった」

リツソの両眉がクイっと上がった。

「それがシユラの困っていることなのだな!?」

「え?」

「シユラにとってここが何処なのか分かれば、困りごとが少しでもなくなるのだな?」 

それ以上に言葉を添えたかった。 紫揺が自分自信が誰だかわからないと言っていた。 それは簡単なことだ。 『シユラは我の奥である』 そう言えばいいのだから。 でもそれはこれからのお楽しみである。 紫揺の困りごとを解決してからの最後のお楽しみである。

「ここは北の領土である。 それは知っておるのだな?」

さきほどから 『だな』 と言う言葉尻が気にはなったが、何とかスルーする。

「知ってる。 そう聞いてるから。 でも、そんな話じゃないの。 ・・・なんて言えばいいのかなぁ」

「シユラが考えずともよい。 我がそれを解決してみせる!」

大きく胸を張ってふんぞり返る。

「へっ!?」

「シユラは何の心配をせずともよい。 また来る。 朗報を持ってくるからな」 

言い切ると踵を返した。 その様子に白銀黄金の狼がすぐさま走り寄って、リツソを背に乗せるとそのまま走り去った。

アッという間の出来事であった。


「奥の困りごとを解いてやるのは、伴侶の仕事である」

黄金の狼の背の上でリツソが一人ごちた。

初恋は既に実を結び、契りを立てたようだった。

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