大福 りす の 隠れ家

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辰刻の雫 ~蒼い月~  第49回

2022年03月28日 22時12分31秒 | 小説
『辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~』 目次


『辰刻の雫 ~蒼い月~』 第1回から第40回までの目次は以下の 『辰刻の雫 ~蒼い月~』リンクページ からお願いいたします。


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辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~  第49回



翌日まだ黎明を迎えていない。 宮もまだ動いていない。 コケコッコーすら聞けない時刻。

卓を前に肩にカルネラを乗せ椅子に座っている紫揺が何度も欠伸を噛み殺している。
湯から上がるとシキからあれやこれやと訊かれ殆ど寝ていない。
挙句、湯殿では “最高か” と “庭の世話か” からマシンガン並みの涙をずっと受けていた。
「ごめんなさい」 と言うと、その一言にも過剰なくらい反応して涙していた。

青たんくらい何でもないのに、と思いながらも手首をさする。
いま紫揺の居るそこは四方の自室だった。
卓を囲う椅子四つ。 今その椅子全てが座されている。 四方、マツリ、紫揺、杠である。


四方の自室に入る少し前、着替えを済ませた紫揺を見て杠が驚いた顔をしていた。

「き・・・昨日の?」

「そうです。 昨日は有難うございました」

杠も着替えている。 宮から借りたもので袴姿だ。 昨日とはうって違い見ちがえる。

「よくお似合いですね」

見ちがえた杠にうっかり敬語になってしまった。

「借り物だから」

初めて穿いた袴。 照れ臭そうに杠が言う。

「私も借り物」

「それでも良く似合っている。 昨日とは別人のようだ。 坊には程遠い」

既に紫揺の年齢は聞いているからそう思えるのかもしれないが。

「シキ様の見立てがいいからでしょう」

四方の自室の前で招集をかけられていた二人が話している。 その声が四方の耳に届いた。

「来たようだな」

「はい」

「マツリはまだか。 よい、入れてくれ」

「はい」

リツソの時もそうだったが、今も四方の側付きがずっと四方に付いている。 問題が起きれば四方が寝ない限りその側を離れない。 今現在も顔色が悪いがそれでもこんな刻限から付いている。

四方は杠と話を終え、一旦、自室に戻って仮眠をとっていた。 マツリと杠にしてもそうであった。
側付きは黎明前に集まることを知っていたので、そのまま四方の自室の前に端座しているつもりだったが、いつまで経っても顔色が戻らない側付きを四方が一旦部屋に戻していた。

『下知(げじ)だ』

何度も首を振っていたが、最後にそう言われ逆らうわけにはいかない。 ほんの僅かの仮眠をとったが芯から寝られたものではなかった。

側付きが襖戸を開けて四方の自室に二人を入れる。

杠は随分と四方への緊張が解けている。 四方の纏う雰囲気がどこかマツリと似ているからかもしれない。

一方、紫揺は緊張もへったくれも何もない。 敵は、四方は、東の領主に対してエラソーに言った奴なのだから。 だが今回はお願い事がある。 四方を睨むわけにはいかない。 杠が四方に挨拶の口上を述べている横で欠伸を噛み殺したのが精一杯の礼儀であった。

「早々で悪いが、この時を逃すと人の耳があるのでな」

杠に言うと紫揺にも視線を送ってきた。 眠たいが取り敢えずニッコリと笑っておこう。

マツリが入ってきて全員が揃った。


マツリより遅れてやって来た紫揺を見守るシキは離れた所で端座をしている。
シキが同席とは言わないが、同じ空間に座するということに四方が難色を示したが

『あら、父上。 今回もわたくしに紫のことをお隠しになさろうと考えられましたわよね』 と言われてしまった。

波葉は四方とシキの間に挟まれ、抱えたい頭を振り切り四方を選んだ。 だがその時にはそれがどれだけの時間を有するかは誰にも分からなかった。

紫揺が東に帰ることになりマツリと宮を出た。
澪引と茶を飲みながら母と娘の話をしたその後に、波葉との邸に帰ろうとした時 “庭の世話か” からプチ情報を受けた。

『波葉様が深刻なお顔をされて執務房に入られました』 と。

そして見事執務室から出てきた現場を押さえたということであった。
波葉的にはここで捕まったということで言い訳はしっかりと出来た。 まず第一に四方に知らせなければいけなかったからだと。 決してシキに言わないつもりではなかったと、嘘でも言い切った。

誰が一番胸のつかえを下せたかと言うと波葉であった。

そんなことがあり、しぶしぶ許可をした。


「問う順は難しいが」

全員が座すると、そう言ったのは四方だ。

「杠からは話を聞いた」

そう言うと紫揺を見た。

四方の声に杠が頭を下げる。 違う意味でマツリも。
四方との話中に中座をし、戻ってきた時にはもう四方は居なかった。 四方の側付きだけがいて黎明前に話を聞くと伝えられた。

丁度その時に杠は共時を確認していた。 間違いなく共時であった。

どうして無茶なことをしたのかと訊くと、杠を救いたかった者もいたがそれは止めた。 負け戦に出させるわけにはいかなかったから。 だから一人で忍び込んだ。 言ったはずだ、お前は息子によく似ていると。 共時がそう言った。
そして地下から出されたのではなく、己の足で地下を出たと聞いた。 その理由も。 かなり言いにくそうにしていたが。


「紫、地下で何を見てきた」

四方の側付きが誰にも聞こえないようにゴクリと唾を飲む。 五色が地下に入った。 己すらも入ったことの無い地下に。 紫揺はどんな話をするのだろうか。

四方はもちろんの事、マツリも側付きのことをもう疑ってはいない。 襖戸内に座らせている。

紫揺が一度カルネラに目を合わせる。 カルネラが嬉しそうに「シユラ、スキー」 と言っている。
カルネラはこの話をするために、紫揺が頼んでこの場に連れて来てもらっていた。

「カルネラちゃん、私が言い洩らしていたら教えてね」

「シユラ、イイモラス、オシエテネ。 リツソ、オシッコモラス。 オベンキョウ。 カルネラ、デキルコ、イイコ。 シユラスキ」

杠が下を向いて笑いを噛み殺し、四方とマツリは最低だという顔をし、シキは呆れて溜息をもらしている。
でも、とシキが思う。 カルネラの言葉数の多さに驚くところがある。

紫揺がカルネラの頭を撫でカルネラが目を細める。
カルネラの頭を撫でながら、目を四方に向け話し出す。

「少しでも早くお伝えしたいことがあります」

「ハヤクオツタエ、アリマス」

目を細めていたカルネラが紫揺の声を復唱する。

「まだよ」 と言って、紫揺が指を口元にやり、右から左に動かす。

「お口、チャック」

「オクチ、チャック」

復唱したカルネラが心得たとばかりに静かになる。

「うん。 ゴメンね。 ちょっとの間、お話しないでね」

カルネラのことは終わったようだ。 四方が頷く。
それを見た紫揺が四方を見て再び話し出す。

「ジョウヤヌシの家?」

家と言い切っていいのだろうか。 地下まであったし広かった。

「屋敷だ」

すかさずマツリが言う。

「じゃ、その屋敷。 地下は一階と二階がありました。 杠さんは地下二階に一人で牢屋に入れられていましたが、地下一階には八つの牢屋があって、その内の六つに人が入っていました。 先に四方様にお願いがあります。 その方々をお救い願えるよう、お願いしたいんです」

「先を進めよ」

その中に入っている者が地下の者なら四方の範囲ではない。
百足五人は捕まっている。 情報を持ったまま。 情報は気になるところだが、百足を救うという話にはならない。

何故か紫揺が杠を見た。 マツリの片方の眉が僅かにピクリと動く。

紫揺の様子を見ていたシキ。 気になり立ち上がる。
襖戸の方を見て「椅子をこちらに」 と、四方の側付きに言った。 この部屋に居る従者は四方の側付き一人。 話が話だけに昌耶は襖戸の外に出ている。 もちろん “最高か” も “庭の世話か” も。

シキの示した場所は四方の斜め後ろだった。 そこから見えないのは四方の顔だけで、四方の正面に座る紫揺とその横の辺(へん)に座るマツリ、横顔になってしまうがマツリの正面に杠の顔を見ることが出来る。

側付きが椅子を用意するとまた元の位置に戻る。
シキが椅子に座る。

杠が紫揺に頷いてみせる。 お願いを聞いてもらえなかったと、一瞬口をぎゅっと結んだ紫揺だったが続けて話す。

「その内の二つには “デカーム” と言った人達がいらっしゃいました。 これはもういいですね」

四方が頷く。

「デカームゥ」

カルネラがまたツボにはまりだした。

「カルネラちゃん」

人差し指を口に当てる。
カルネラが小さなオテテで口を塞ぐと小さな声で何度も言っている。 耳元で言われ、少々耳障りであるが話を続ける。

「あとは四家族です。 その内の二家族のご兄弟が官吏です」

「なに!?」

思わず四方が声を上げた。
デカームゥと何度も言っていたカルネラが「ぴぃ!」 と声を上げ、紫揺にしがみ付いてくる。
マツリも驚いた目をしたが、言われてみれば考えられないことではない。

紫揺の顔にカルネラの手がまわされている。 話しにくい。 カルネラの手を解き掌に乗せるとその手を卓の上に置く。

「一人目の官吏はジョウチさんという人です」

四方とマツリが目を合わせる。

「弟さんご家族・・・ご夫婦と小さな子もいました。 いきなり攫われて訳が分からないと仰っておられました」

マツリが唇を噛む。

「二人目はシロキさんと仰って、妹さんご夫婦が捕まっていました。 妹さんのお名前は・・・えっと」

口元に手をやる。

「シロキ、オトウト。 イッショにオボエテネ。 シロキ、イモウト、サネ」

「あ、そうだ。 サネさんです」

カルネラの頭を何度も撫でてやる。

「カルネラが最初に言った弟と言うのは」

四方が問う。

「呼んだ人が兄って言ってましたから、てっきり弟さんだと思ってカルネラちゃんに憶えてもらったら義理の弟さんだということでした」

一つ頷くと「続けよ」 と言う。

「どれくらい閉じ込められているのかを訊いたんですけど、ずっと暗闇で時の感覚がないそうですが、かなりなるとは仰っておられました。 この方たちが一番に攫われたようです」

四方が頷く。

「次は厨で働いていらっしゃるトキワさんと言う方です。 ご夫婦が捕まっておられて、その娘さんがトキワさんです」

「シユラ、ヨクデキマシタ」

カルネラに褒めてもらった。 カルネラはこれも覚えていたようだ。
紫揺の腕を伝って肩からスルスルと頭に上がり「イイコ、イイコ」 と紫揺の頭を撫でている。

「ありがとう」

「ムスメのトキワ。 カルネラ、オボエテネ」

昨日した復唱をしながら紫揺の肩に降りてきた。

「最後の方は、お歳を召していらっしゃいました。 光石の明かりが奥まで届かなくて、私からは隠れるようにされていらっしゃったんですけど、デカームと仰った方がその方が口を割らないから、暴力を受けているようなことを仰って、様子を見て欲しいと言われたんです。 デカームと言った人も何度もその方に話しかけてくれて、やっと私の前に出て来てくれたんですけど・・・」

紫揺の言葉が止まった。
四方とて地下の様子は知っている、次に話されることの予想がつかなくもない。 紫揺が話し難い内容だということを。

四方が杠を見て顎をしゃくる。 己に代わって先の話を促せということだ。
夕べ、四方と二人である程度の時間話した。 その中で四方からは『マツリになったつもりで話をせよ』 と言われたが、そう簡単に話せるものではなかった。 だが四方がそう考えてくれているということは有難いことであった。 そして今も変わらず同じ考えでいてくれているようだ。

「酷かったのか?」

四方だけではない杠とて想像がつく。 言いづらいのであろう。 紫揺の様子に杠が訊く。

「うん・・・」

紫揺が頷く。

紫揺の話を聞いて、そんなに多くの者たちが地下に連れ去られてきていたのに、己は何も気づかなかった。

「申し訳御座いません。 連れ去られてきていたことに己は何も気づきませんでした」

紫揺にほんの少しでも間をおかそう。 それに己が情報を得なければならなかったことに詫びも入れなければならない。
己を使っているマツリに言うべきなのはわかっているが、ここには四方がいる。 四方に向かって頭を下げる。

「万が一を考えて地下の者にすら気付かぬようにしたのであろう。 リツソのことを考えると眠らせて運んだのかもしれん・・・地下の者が眠っている間にでも。 よいか、杠は百足ではない。 マツリから言われたことだけを探り、まずは己の身を案じるのが先。 このようなことは百足が気付かなければならん事」

四方の言葉に再度頭を下げる。

「紫、続きを」

四方に促されるが、まだ口ごもっている。

「アイツ等は年寄でもなんでも関係ない」

頭を下げ終わった杠が紫揺に口添えする。

「・・・うん。 デカームって教えてくれた人も痣や傷だらけだったし、指も変な風に曲がってた」

「シユラのせいではない。 四方様に続きを」

「うん・・・」

ヤバイ、ヤバイ。 この雰囲気は何だ。 シキがマツリを見る。 マツリの前に座っているのは杠、マツリは杠を見ることなく前だけを見ていたが、放つ雰囲気は尋常なものではない。

「父上・・・」

シキがそっと四方を呼ぶ。
四方は今、紫揺の言っていた百足の話を聞いて心を痛めていた時だ。

百足は使い捨て。 そう考えて当たり前とは分かっている。 誰よりも百足自身がそう考えている、そう教えられてきている。 だが・・・助けることは出来なくとも、受けたであろう痛み、そして次には殺されるだろうという覚悟、いくら教育を受けている百足とはいえそれは恐怖でもあるはず。

「なんだ」

「マツリの様子がおかしいのですけれど」

四方がマツリを見る。 たしかに異常を感じる。

「昨日、湯殿でマツリが赤髪になりかけました」

驚いた四方がシキを見る。

「昨日はなんとか治まりましたが、ご注意くださいませ」

もう一度マツリを見てからシキに頷いてみせる。

「紫、続けよ。 マツリしかと聞いておけ」

マツリが右に座る四方にチラリと視線を動かした。 返事はない。

シキが以前にもこのようなことがあったのを思い出した。 されたのは四方ではなく、シキ自身であったが。

リツソが紫揺に会いたくて朝餉の席を立とうとした時だ。 紫揺はまだ食事中だとマツリに止められた。 だがこちらの朝餉が終わったというのに、いつまで経ってもマツリの許しが出ない。 見かねたシキが『許してやってちょうだいな』 と言ったシキに対してチラッとシキを見ただけだった。

(マツリったら、父上にまで、なんてことを・・・)

四方に促されるが、その時の姿を思い出してしまっているのか、紫揺が辛そうな顔をしているだけだ。

「シユラ、報告は必要だ」

四方を待たせるわけにはいかない。
上目遣いに杠を見る紫揺に頷いてみせる。 一度下を見た紫揺が意を決っし口を開ける。

「前に出て来てくれましたけど、官吏では無いというだけで話してくれようとしなかったので、デカームの人が上手く言ってくれて、やっと話してくれました」

デカームの人と言う代名詞はどうなのだろうか。

「立場は言えないけど、息子さんでビノウさんと仰ると」

杠を除く誰もが紫揺を凝視した。

「自分のことはいいから、それより皆さんのことをお頼み申しますって仰って、痛む身体で頭を深く下げられて・・・」

その姿に心を痛めたのか、悲しそうに下を向いてしまった。

「それだけか? 他に何か言ってはなかったか?」

杠の問に「うん」 と答えると、杠が紫揺に手を伸ばし背中をさすってやる。

「尾能(びのう)」

四方の声が響くが、紫揺が言ったのをカルネラのように復唱したわけではない。

「母御は」

なんのことかと紫揺と杠が四方を見るが、その目は紫揺を見ることなくまっすぐ前を見ている。

襖戸内に端座していた四方の側付きが悪い顔色を更に悪くして立ち上がった。

「数日前より行方が知れていないと・・・」

紫揺と杠が側付きを見て驚きに目を瞠る。

「誰から聞いた」

「母のところを訪ねた兄からで御座います」

「それでここのところ顔色が悪かったのか」

マツリがリツソを城家主の屋敷から助け出した日には、それまでに悪かった顔色がより一層悪く見え、四方が一度戻らせたほどだった。 だが、リツソが居ないことを気にして少し休むとすぐに戻って来ていた。
それからも休むことなく、顔色を悪くしながらも四方に付いていた。
官吏はそれぞれ宮の外の家に帰るが、従者も下働きも宮の中で生活をしている。 兄からの報告を待つしかなかったのだろう。

「申し訳ございません」

「いつの話だ」

「兄から聞いたのはリツソ様が宮から見えなくなられた五日前と。 もしや、母がリツソ様のことに関与して―――」

「それは無い。 リツソが攫われたのは東の領土の祭の日を狙っていた。 我が領土を空けるのを狙っていただけだ」

最後まで尾能に言わせまいとマツリが言葉を被せたが、それに反応したのは紫揺である。

「え? 東の領土が迷惑をかけたってこと?」

「ちがう」

紫揺の質問にたった一言で答える。

「紫、このことにもリツソのことにも東の領土に関係はない。 気に病む必要はない」

四方が一言で終わらせたマツリを代弁するように言う。

杠がそうだったと、頭を下げる。 紫揺は東の領土の五色、紫だと聞いていたのだった。

「兄からはそれ以降連絡があったか」

「何度か御座いましたが、見つからないとだけで御座います」

「官吏の弟さんが言っていたように、ビノウさんの母上も意味も分からず急に攫われたと思います。 周りも気付かないほど急に。 お兄さんもまさか地下に囚われているなんて思いもしなかったんじゃないですか?」

紫揺が四方を見て言うと、今度は立ち上がり振り返ると尾能を見て言う。

「母上は、毅然としていらっしゃいました。 何も口を割らないって、デカームの人が言ってたほどです。 あの、その、ごめんなさい」

尾能本人に母親の痛みの様子を聞かせてしまった。 謝ることしか出来ない。 後悔しても始まらない。

紫揺がどうして謝ったのか寸の間、四方は分からなかった。

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辰刻の雫 ~蒼い月~  第48回

2022年03月25日 22時41分27秒 | 小説
『辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~』 目次


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辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~  第48回



紫揺の足が止まった。 振り返る。

「いま何と言った」

どうして食い付くのかと思いながら「デカーム」 ともう一度言う。

四方が回廊の勾欄によろけるように両手をついた。

「父上!」

マツリが大階段を駆け上ると、シキも四方の様子にマツリの後に続く。

「それを・・・どこで聞いた」

「ジョウヤヌシの地下の牢屋」

紫揺が眉間に皺を寄せ首を傾げる。

「他に聞いたことは」

「宮の中でデカームと人に聞こえるように言って欲しいって。 それと、五人って言ってました」

四方が両手をついたまま頭を垂れた。

「マツリは会ったのか」

「いいえ、残念ながら。 杠を屋敷から出してきたのは紫です。 我は屋敷にも入っておりません。 それより父上どうされました」

四方が頭を上げ紫揺を見る。

「それはわし宛だ。 もう言わんでよい」

「四方様宛?」

紫揺が怪訝な目をするが、あの時のことをよく考えると牢屋の中にいた男は話し方が堂々としていたし、立ち姿もピンと背筋が通っていた。 民といわれる者とは違った。

四方ほどの立場の人間だ、マツリとて俤という手足となる者が居るのだ。 地下に密偵をおいていてもおかしくはないだろう、地下に限らずとも。

密偵であれば四方に伝えろとは言えないだろう。 だから人に聞こえるように言って欲しいと言ったのかもしれない。 その内に四方の耳に入るだろうと。

「分かりました」

あちこちで言おうとは思っていたが、まさか四方は関係ないだろうとは思いながらも、二度と四方に会うことが無いのだろうから一応言っておこうと思ったのが、正鵠を射ていたようだ。 まさかのど真ん中、大アタリ。
牢屋の鍵はハズレばっかりだったというのに。

「あと、牢屋に居る他の人から言伝を聞いてます。 マツリにでも言っときましょうか?」

マツリではなくシキと言いたいがシキはもう嫁いだ身。 シキに頼むわけにはいかない。 軽く言ったように聞こえるだろうが、決して軽くない内容。 だが “マツリにお願いしておきます” などとは言いたくもない。

“マツリにでも言っときましょうか”。 “最高か” と “庭の世話か” が何とも言えない顔をし、シキと昌耶が額に手をやる。

四方も渋い顔をしている。 どうしてマツリ様と呼べないのか。 それも “言っときましょうか” などと。
さっきのゴングが鳴る前のことを思い出す。 それに見張番からも聞いた舌戦。 地下に居る間にそれなりのことがあったのかと思うと、マツリもマツリだからと諦めに近い心境になってしまう。

「紫には訊かんとならんことがあるようだ。 ゆっくり休んでその後マツリと共に聞こう」

「四方様がですか?」

どういう意味だ。

「いかんか」

「いいえ。 じゃ、明日? お話します」

まさかそんな展開になるとは思ってもいなかった。 相変わらず四方が好きなわけではないが、マツリを通して頼もうと思っていたことが直接頼める。 マツリに頼み事などしたくはないのだから丁度いいと言えば丁度いい。

今度こそ紫揺が走った。
その後を “最高か” と “庭の世話か” が「お待ちくださいませー」 と言いながら追って行った。

「シキ様、お房にお戻りいたして衣裳を替えましょう」

昌耶がシキの衣装に砂が付いている所を示す。

「あら」


半分ほど飲んだ湯呑を置くと盆を前にマツリが話し出した。

ここに来るまでに四方から紫揺の言った “デカーム” の説明は聞いた。
“デカーム” とは四方の手足となって動いている、百足(むかで)を逆から言う暗号の一つ、隠語であると聞いた。
それでは “デカム” になる。 それなら “カ” と “ム” の間の伸ばすための “―” は、要らないのではないかと思えるが、捕まっただけならば “デカム”。 捕まったことにより四方に伝えきれていない情報がある時には “デカーム” と言うのだということだった。

そして紫揺の言った五人と言うのは、地下に居た百足全員だということ。 よって情報を伝える術を持っていないということであった。

「先ほども申しましたが我は屋敷の中には入っておりません。 ですから屋敷のことは申せませんが、杠から聞いたことがあります。 官吏のことを金で釣られたと言っては可哀想、そう情報を得ていたようです」

「どういうことだ」

「探れなかった様です。 それと城家主の後釜を見つけたと」

四方の目が光った。 城家主の後釜さえ見つかれば今の城家主を潰すことが出来る。

「共時からの話は聞いて頂けましたか?」

やっと箸を手に取る。

「え? ああ」

後釜の話しからどうして共時の話になるのか。

「どんな手応えで御座いました?」

「手応えなぁ・・・」

腕を組む。

マツリは四方の様子を見ながら箸をすすめている。
マツリは二十六歳。 育ち盛りが終わったとは言え、早朝に朝餉を食べただけで今はもう月が出ている時だ。 もう十二時間どころか、それ以上何も食べていなかった。

と、そこにバタバタと走ってくる音がした。
四方の側付きが顔色の悪い眉を寄せて襖戸を開ける。

「これ、このような刻限に何を走っておる」

「シキ様はおられましょうか!」

マツリが食事をとっていることは分かっていた。 さっき四方も言っていたし、自分たちが用意をするように厨に言ったのだから。
紫揺のことを心配していたシキがマツリに紫揺のことを尋ねているのではないかと、その食事室にやって来た。

息を弾ませた丹和歌の声だとマツリが気付いた。
側付きが口を開けると同時に「入れるよう」 と、四方の許可も取らずに側付きの背中に言う。

側付きが「入れ」 と丹和歌を食事室に入れる。 てっきりシキが居ると思い入ってきた丹和歌だったが、そこにシキの姿が無い。

「何かあったのか」

シキに丹和歌とくれば、それは紫揺に繋がる。

今にも泣きそうな丹和歌が「シキ様はどちらに・・・」 と問い返す。

「何があったのかと訊いておる」

「・・・紫さまの・・・紫さまのお身体に・・・」

マツリがバンと卓に両手をついて立ち上がった。

「身体に何があった!」

「痣が・・・」

とうとう顔を覆って泣き崩れてしまった。

一瞬にして顔色を変えたマツリが走って食事室を出た。

「マツリ!」

四方が呼ぶが、既にマツリは走り去ってしまっている。

「シキは房に戻っておる」

側付きに言う。
顔色の悪い側付きが心得たとばかりにすぐに出て行く。

「ったく、マツリは。 女人の湯殿に入るつもりか」

聞いてはいないマツリに吐くが、四方も気が気ではない。 紫揺は東の領土の五色なのだから。 その紫揺が本領に居る間に痣を付けたなどと。 ましてや危険と分かっている地下に入らせたのも本領だ。
本領の面子が丸つぶれになる。

「痣はどこに付いておった」

泣き崩れる丹和歌に問う。

「お腕・・・お腕で御座います。 ゆ、指のあとが・・・しっかりと」

腕を掴まれたということだろうか。 それなら幾分かましか。 もし腹や背などを蹴られた痕であるなら大事だ。

「他には?」

「まだ。 まだ全てをお脱ぎになって・・・おられませんでしたので・・・。 ですがあの様に痕がお付きになって・・・どれほどお痛い目に遭われたか。 細いお腕が・・・」

そこまで言うとまた泣き崩れた。

四方が解いていた腕をもう一度組んだ。


客用の湯殿目指して回廊を走るマツリ。

宮で働く者や下働きが入る風呂を湯所と言い、それは大衆浴場のようになっている。 宮の者や客が入るのは湯殿と言い、三,四人が余裕で入れるスペースに一人で入る。
湯所、湯殿と言葉の使い分けをしている。

杠は湯所に案内されたが紫揺はあくまでも宮の客人。 湯殿になる。

「傷など無いと言っておったのに!」

着替えていてはこんなに早く走れなかっただろうが、今は他出着のままである。 狩衣よりよほど走れる。

客用の湯殿まで来たマツリ。
木で出来た戸を勢いよく開ける。 そして次に見える女人用の湯殿の戸も開けた。 戸を開けた時に中が見えないように、少し離れた戸の前には見事に精緻を凝らせた彫り物のある衝立が立ててある。 その横を抜けて中に入る。
そこには紫揺の足元で泣き崩れている “最高か” と世和歌がいた。

「紫!」

マツリの声が響いた。
顔を上げる紫揺。

「げっ! なんでここに居るのよ」

かろうじて最後の一枚は脱いでいなかったし、まだ下穿きも穿いている。 だがその最後の一枚が言ってみればノースリーブ。
マツリがズカズカと中に入ってくる。

「痣がどこにある!」

「何でそんなに怒られなくちゃいけないのよ」

「どこだと訊いておる!」

紫揺の腕を掴んでこちらを向かせようとすると「イタ・・・」 と小さく紫揺が言った。 まだ骨にまで残る痛みが残っている。

マツリが手を離して紫揺の腕を見た。 くっきりと掴まれた跡が残っている。
今度は紫揺の手首を取り水平に上げた。 腕には指の一本一本まで分かる痕が残っている。
食事室を出た時には蒼白だったマツリの顔が憤怒に近くなる。

「他には!」

「だから声が大きいし、なんで怒られなきゃなんないのよ」

“最高か” と世和歌がやっとマツリに気付き驚きに目を瞬かせている。

「他には無いかと訊いておる!」

「無いって。 地下でも言ったでしょ」

「お前は無いと言っておったが、こうしてあるではないか!」

「マツリが骨を折られたかって訊いたから無いって言ったし、傷が無いかって訊いたから無いって言ったんじゃない」

“最高か” と世和歌にとってマツリがここに居られては困る。 ここは女人の湯殿なのだから。 だが今は到底口を挟めそうにない。 とにかく三人が紫揺の足元から離れた。

「ではこれはなんだ!」

「青たん。 傷でも骨を折られたわけでもない」

紫揺の言う内容に “最高か” と世和歌が気絶しそうになる。

「何故あの時に言わなかった!」

「ずっと服・・・衣装を着てたもん。 脱いで確認なんかしなかったから私も知らなかったし」

衝立からシキが現れて手で口を覆った。 ずっと先からマツリの怒声が聞こえていたから、もしやとは思っていたが、こうして女人の湯殿にいるマツリを見るとは思いもしなかった。

「これは掴まれた跡だろう! お前はあの時、掴みかけられたから横をすり抜けた、逃げたと言っておったではないか!」

「うん、そう。 掴ませなかったし。 アイツ、サイテーだし。 触られたくもないし」

「触られる!?」

紫揺の最後の言葉にマツリの髪の毛を括っていた平紐がするりと解けた。 そして髪の毛が裾からゆっくりと上がってくる。

「マツリ! 落ち着きなさい!」

シキが中に入って紫揺を抱きしめた。

「紫の手をお放しなさい!」

「触られるじゃなくて、触られたくもないって言ったの! 考えただけで気持ち悪い」

「当たり前だ!!」

上がっていくマツリの銀髪が徐々に赤くなってくる。

「マツリ! 頭を冷やしなさい!」

このままマツリの髪の毛が逆立って赤くなってしまえば何も残らなくなる。 物も人も。

「痛いんだけど」

「当たり前だ! こんな痣など作りおって!!」

「マツリ!!」

「手首が痛いんだけど」

マツリが睨み据えていた紫揺の目から、己が掴んでいる紫揺の手を見る。 己が掴んでいる手首、そこから見える紫揺の手の甲から指からパンパンに膨れている。 針でつつけば今にも破裂しそうだ。
マツリが目を見開いた。 思わず手を離すと紫揺の手首には赤くマツリの指のあとが付いている。

「意味分んないんだけど。 人のことを無視しておいてソッポ向いて話しておいて、これって何?」

「・・・お前は東の五色だ。 本領が東の五色に痣を作らせたなど、許されるものではない」

「ふーん、そうなんだ」

自分のことを五色扱いしてるんだ。
だったらもっと大事にしろよ! 無視とか目を合わせないとか止めろよ! 言いたいけど言えない。 マツリの中での五色の扱いが分からないから。

湯殿でピシャンと水滴の滴る音がした。
暫くは誰も口から何も発することは無かった。

マツリの髪の毛が沈んでいく。 それとともに赤みも引いていく。
シキがホッと息を吐く。

遅れてやって来た昌耶とシキの従者。 いったい、シキの従者なのか昌耶の従者なのか分からない。
決してシキの走るのが早いわけではない。 走ると言っても早歩き程度。 そのシキから昌耶が遅れを取った時には昌耶につくようにとシキから従者たちに言われていた。

「紫、痛くない?」

紫揺の手を取って手首を撫でてやる。
血流が止まっていて急に流れたからだろう、指先がジンジンする。

「これくらいなんともないです。 こっちも」

ついでと言うように、喜作につけられた痣のことを言う。
実際、部活時代は、青たんだらけだったのだから。

「これは・・・どうして出来たの?」

「ジョウヤヌシの手下? に掴まれたんです。 そのまま逃げても良かったんですけど、ジョウヤヌシの家? に潜り込もうと思ってそのまま掴ませておいたんです。 そしたらなんか・・・嫌がらせみたいに段々と捻るみたいに強く握ってきて」

「こんなに細い腕を・・・」

シキが痣を撫でる。
紫揺が顔を上げてマツリを見る。

「それに気付いてウドウさんが上手く言って私の手を握ってくれたの」

「ウドウ?」

「杠さんも言ってたでしょ? 共時さんを慕って幅を利かせてきてるって人の話。 マツリだってジョウヤヌシと話してた時、私がウドウさんと手を繋いでたのを見たでしょ?」

紫揺が手を繋がれている場面を思い出した。
宇藤の顔を思い出したのではない。 宇藤に手を握られている紫揺。 手を繋いでいる場面。 マツリの頭の中で段々とズームされ繋がれている手だけがアップになってくる。

マツリがプイと横を向いた。

「さっき俺がその痣のことに気付かず握った時、痛いと言っていたが」

「結構長い間キツク握られてたから。 まだ骨まで痛い感じかな」

「骨!?」

横を向いていた顔を紫揺に向ける。

「マツリ、落ち着きなさい。 分かっているわね、さっき赤髪になりかけていたのを」

一度口を歪めたマツリ。 「申し訳ありません」 と言い、口を横に引いた。

「他に痛むところはない?」

ありません。 全然元気です」

「紫・・・」

紫揺の名を口にするとその紫揺の頭に手をやり抱きしめる。
そして何故か昌耶が涙した。


食事室で四方と杠が向かい合っている。

「マツリからは一つ二つ聞いた」

「マツリ様はどちらに?」

キョロキョロとすることもなく堂々としてみせてはいるが、本領領主である四方と二人で向き合うなど耐えられるものではない。

「色々あってな。 まだ戻って来ておらん」

「そうで御座いますか」

食べかけの食事がマツリのものだと分かる。 マツリが出てしまっていては仕方がない。 腹を据えるしかない。 だてに他の都(と)や地下で鍛えていたわけではないつもりだ。

「官吏が金で釣られたと思うことは哀れだということは聞いたが、その後に城家主の後釜の話を聞いた。 どういうことだ」

官吏の話を杠は調べ切れていないとマツリから聞いている。

「内々で、亀裂が生じております。 城家主のやり方・・・と言いましょうか、城家主自身についていけないと思っている者が増えてきております。 それと同時に共時という者がおりますが、共時を慕っている者が増えてきております」

「その共時を後釜にということか?」

「はい」

(だからマツリは、共時と話してどんな手応えかと訊いてきたのか)

四方が得心する。

「共時とは話した」

杠が目を見開いた。

「身体を痛めておる故、宮で預かっておる」

マツリからは共時が己を助けるために城家主の屋敷に忍び込んだと聞いていた。 身体はかなりやられていたとは聞いたが、その共時を宮に連れて来ていたのか?
そんなことがあるはずはない、地下に居る者を。 それもその時には己が共時のことをどう考えているのかマツリは知らなかったのだから。

それとも・・・共時が地下から出ていた? たしか紫揺が共時を見つけたと言っていた。 そこは外だったということだろうか。
いずれにせよ、いま四方は預かっていると言った。 大体、共時が己を助けるために屋敷に忍び込んだこと自体がおかしい。 腑に落ちない。 本人かどうかを確かめることが必要だ。

「具合はどうなのでしょうか?」

「医者が言うに痣は数え切れんぐらいあるそうだ。 酷いのは頭の打撲と右足の骨にひびが入っておるということだ」

何かを考えるように杠が数瞬目を瞑った。

「共時が言うに、杠以外の者が囚われているということだが?」

「はい、己が城家主の屋敷に入りましたのは、四方様の手足となっている者が捕らわれたと聞いたからで御座います」

四方が眉を上げる。 百足を助けようとしてくれたのか。

「その者たちのことは紫から聞いた」

「そうで御座いますか。 それではそれ以外には承知しておりません」

四方の話しから紫揺は杠を助ける前に百足と接触していたのか、と分かった。

「そうか。 共時も詳しくは知らないようだった」

「その男、己の知っている共時かどうかを確かめても宜しいでしょうか」

尤もなことだ。 四方が頷いた。

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辰刻の雫 ~蒼い月~  第47回

2022年03月22日 20時57分41秒 | 小説
『辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~』 目次


『辰刻の雫 ~蒼い月~』 第1回から第40回までの目次は以下の 『辰刻の雫 ~蒼い月~』リンクページ からお願いいたします。


     『辰刻の雫 ~蒼い月~』 リンクページ




                                  




辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~  第47回



地下を出るとマツリと二頭の馬が待っていた。 馬の首の下には大きな光石が付けられているが、馬の目を刺激しないように工夫がされている。
先にマツリがキョウゲンに乗って地下を出ると剛度の家に行き馬を用意させていた。
剛度が申し出た見張番を二人つかせるというのはマツリが断った。

マツリの足元には紫揺の長靴と袋が置いてある。 袋には紫揺の着替えが入っているのだろう。
そして辺りには粉々に砕けた謎の石の数々。

ここに来た時にこんなに砕けた石があっただろうかと首を捻る紫揺だが、その真実は紫揺の知るところではなかった。

「もう東に戻れる時ではない。 一旦宮に戻る」

御尤も。 だが東というからには紫揺に言っているのに紫揺を見て言っていない。 真っ直ぐに前を向いているだけだ。
そのマツリの様子に紫揺が口を歪め、俤が首を傾げている。

「俤さん」

呼ばれ俤が紫揺を見る。

「長靴に履き替えたいんでカルネラちゃんを持っててもらえますか?」

紫揺の両手の中でぐっすりと寝ているカルネラ。
俤が頷き手を出そうとしかけた時、マツリの手が伸びてきてカルネラを掴んだ。 そのカルネラを己の懐に入れる。 無言で。

「マツリ様?」

「さっさと馬に乗れ」


キョウゲンの下を光石を付けた二頭の馬が並走している。 いや、僅かに俤の馬の方が先を走っている。 何気に行く先を誘導しているのだろう。
マツリの背には袋が襷がけに括られている。 俤が持ちますと言ったがそれを撥ね退けた。

「マツリ様・・・」

落ち着いて下さい。 そう言いたかったが、言える空気ではない。

「なんだ」

「いえ、失礼をいたしました」

マツリが二頭の馬から目を外してキョウゲンの後頭部を見る。

「言いたいことがあるなら、はっきりと言え」

「・・・ずっと苛立たれておられるようなので」

マツリが大きく息を吐き、キョウゲンの後頭部から二頭の馬に視線を戻した。

決してノロノロと走っているわけではない。 見張番と走っている時より早いほどだ。 しっかりと早めの駆歩(かけあし)で走っている。
下から聞こえてくる蹄の音に混じって、時々楽しそうな声も聞こえてくるし、紫揺も俤も時折互いに目をやっている。

「気のせいだ」

キョウゲンの目の前であれだけの石を投げつけ粉々にしておいてよくも言えたものだ。

見張番と走っていた時には紫揺はときおり上を見ていたが今は一度も見ていない。
マツリの態度に怒っているのもあるが、俤と話していて楽しいというところもあるのだろう。

月がキョウゲンの影を降ろしているのに、二頭の馬に括り付けられている光石がそれを遮る。


とうとう宮の塀が見えてきた。 塀に沿って走って行くと門の前で馬を降りる。
紫揺の顔を見た外門番が大きく目を見開いた。

(なんだ?)

俤が眉根を寄せる。

「門番、門を開けよ」

上空からマツリの声が降ってきた。
門番が慌てて振り仰ぐ。
内門番が横木を外す。 門が開けられ小汚い紫揺と俤が馬を曳いて入ってきた。

「紫さま!」

内門番が慌てて紫揺の持っている手綱を手にする。

「むらさき様?」 “様” 付け?

「どうしてその様なお姿で・・・」

「諸事情ありまして」

ニコッと笑い返すが、まさか門番が自分の顔を憶えているとは思いもしなかった。

「ですが・・・」

「気にしないで下さい。 お仕事ご苦労様です」

そう言うと俤を見て促すようにして歩き出す。
もう一人の門番が俤の持つ手綱を預かり、もう一人が走った。

「お前一体・・・誰なんだ?」

「うん、と。 ここではリツソ君とカルネラちゃん以外からは紫って呼ばれてる。 ってか、もう私のことを紫揺って呼んでくれるのは、リツソ君とカルネラちゃんくらい」

「そういう意味じゃなくて」

「ねぇ、ここでも俤さん? それとも杠(ゆずりは)さん?」

「宮に入ったことなどない。 マツリ様がお呼びになる方だ」

俤がマツリの手足になりたいと、毎日門前に来ていたことはこの道中で聞いた。 地下でも馬の上でも色々話した。

既にキョウゲンから跳び下りていたマツリは腕を組んで大階段の前に立っている。

「マツリ、機嫌悪そう」

光石に照らされているマツリ。

「ああ。 今日のマツリ様はいつものマツリ様ではないな。 初めて見る」

「そう? 私はしょっちゅう見てる。 だから俤さんが・・・。 じゃないな」

なんだ? と言う目で俤が紫揺を見る。

「マツリなら杠さんって呼ぶな」

「え?」

「間違いないと思う」

二人が足を止め目を合わせる。

「マツリ!」

四方の声が響いた。 門番が四方の側付きに報告をしてきたのだ。 紫揺が帰ってきたらすぐに報告するようにと言われていた。 そしてまだ顔色の悪い側付きが四方に報告するとシキにも報告に走った。 シキが四方の側付きに言っていたのだ。

『寝ずに待っています。 必ずや報告を』 と。
思いあぐねいた挙句、波葉はシキに紫揺のことを話していた。

四方の声に振り返ったマツリ。 大階段の上に四方が立っている。 響いた四方の声に紫揺と俤も四方を見たが、すぐに互いに顔を戻していた。

「紫は!?」

「無事です」

「何処におる!?」

「あちらに」

マツリが顔を巡らせると紫揺と俤が歩を止めていた。 その上、朧気だが目を合わせているように見える。

「怪我は!?」

「・・・至って元気にしております」

マツリが顔を歪める。

「父上!」

シキが走って来た。 もれなくついてくる “最高か” と “庭の世話か”。 まだ見えていないが、ずっと後ろに走っているつもりの昌耶。

「紫は!?」

「無事だそうだ」

ホッと胸を撫で下ろしたシキが四方の横に立ちその目先を追った。 紫揺が見えるが隣に居る男と見つめ合いながら話している。 すぐにマツリを見た。
その横を「御前を失礼いたします」 と言って “最高か” と “庭の世話か” が急ぎ足に大階段を降りて行く。

「珍しいですね。 こんな時間・・・刻限まで四方様がマツリを待ってるなんて」

「え? ・・・四方様?」

俤は単なる民だ。 四方が本領領主ということは知っているが、四方の顔など見たこともない。

「お前は四方様も知っているのか?」

「うん。 あ、そうだ。 だから俤・・・杠さんがマツリのことを気骨があって温情の深い人って言うのが信じられない。 まぁ、無くはないんだろうけど。 でもマツリって今日だけじゃなくて、いっつも怒ってるもん」

それとも杠の言うように温情があるから、杠のことを今でも思っているのだろうか。

紫揺の話し方が随分と崩れている。
俤に杠なのかと聞いたら、何故知っていると訊き返された。 杠ならマツリの話しから、自分より年下だということは分かっている。 一つだけだが。 だから「です、ます」 をやめた。

こんな時間に下足番はいない。 “最高か” と “庭の世話か” が、自分たちで履き物を用意して紫揺に走り寄る。

「紫さま!」

紫揺が杠から目を離す。

「よくぞご無事で・・・」

“最高か” と “庭の世話か” が紫揺の手を取ってむせび泣いている。

「あ・・・心配かけてごめんなさい」

「ごめんなさいなどと・・・」

「お手がこんなに汚れてしまわれて・・・」

「シキ様がご心配をされておられます」

「え? シキ様は帰られたんじゃないんですか?」

「紫さまのことをお知りになって、それはそれはご心配をされて宮に留まっておられます」

シキにも地下に行ったことがバレていたのか。 ということは四方もそれがあって出てきたということか。

「階段上でお待ちで御座います」

“最高か” と “庭の世話か” から目を外す。

「杠さん行こう」

紫揺が杠を見上げたのを見て “最高か” と “庭の世話か” が初めて杠に気付いた。 杠は “最高か” と “庭の世話か” に気圧されて身を引いていた。

「こちらは?」

「杠さんです。 地下で助けてもらいました」

「まあ!」 四人が声を合わせた。

「私たちの紫さまをお助け下さいまして、誠にありがとうございます」

四人が深く頭を下げる。

「いいえ、助けてもらったのは己の方です」

民の間の娘たちとは違う煌びやかな衣装を着けた美しい女人四人もから頭を下げられて戸惑ってしまう。

「ご謙遜を。 紫さまは嘘など仰いませんわ」

「ええ、そうで御座います」

「ささ、シキ様がお待ちになっておられます」

癖で紫揺の裾を持とうと後ろに回った “最高か” だが持つ裾がそこになかった。

「やっとこっちに来るか」

マツリから紫揺が怪我でもしていると聞かされていればこんな所で待ってはいないが、マツリの言うように何ともなさそうだ。

「ええ、そのようですわね」

シキも立場的に階段上で待っていなければならない。

紫揺の具合も気になるしマツリの眉間も気になる。 だが、こちらにやって来る紫揺を見ているとすぐにでも駆け寄り抱きしめたい衝動にかられる。

大階段の近くにやって来ると光石に照らされて紫揺の姿が露わになった。

我慢限界。

「紫!」

大階段を降りていくシキ。

「シキ様・・・」

シキの従者と共に遅れてやって来ていた昌耶が止めようとしたが、シキの気持ちが分からなくもない。
シキに続いて昌耶も大階段を降りた。

“最高か” と “庭の世話か” が身を引く。

「シキ様」

「紫・・・よく無事で」

ホロリと目から大粒の涙が落ちる。

「ご心配をおかけしました」

「こちらに来て」

シキが両手を差し出す。

その腕の中に紫揺が入るとシキが抱きしめた。

「シキ様、泥が付いてしまいます」

泥と言ってももう乾いているが。

紫揺が何を言おうとも、シキの手は緩むことは無い。 “最高か” と “庭の世話か” がその姿を見てまたむせび泣いている。

(この方がシキ様・・・)

あまりの美しさに声が出ない杠。

「マツリ」

大階段の上から声が響いた。

「はい」

「まずは食べながら報告を聞こう。 用意はさせておる」

そして杠を見た。

「俤か?」

シキに見とれていた杠が深く頭を下げる。

「よく無事に戻って来てくれた」

更に頭を下げる。

「父上、こちらでは俤ではなく杠と」

杠が下げている目を大きく開いた。 紫揺の言っていた通りだ。

「杠か・・・。 杠からの報告は聞いたのか?」

「大まかには」

「杠、食は?」

「あちらで出されました」

頭は下げたままだ。

「ではマツリの報告を聞いている間に湯浴みをしておくよう」

側付きにチラッと目をやる。
杠を湯所(ゆどころ)に案内するため、側付きが大階段を降りる。

「紫」

大階段の上から声が降ってきた。
シキが抱きしめていた手の力を抜く。 紫揺がシキからそっと離れる。

「結果がこうしてあるから良かったものの、何かあったらどうするつもりだった。 紫は東の領土を背負っているということを忘れたか」

側付きの後ろを歩こうと、一歩出した杠が振り返った。

「いかがした?」

東の領土を背負っている?

「あの、紫とは?」

四方の側付きを見る。

「お呼び捨てをしてはならん。 紫さまは東の領土の五色様だ」

「え・・・」

「四方様の前に出ねばならん。 四方様をお待たせできん。 行くぞ」

呆気にとられたまま杠が四方の側付きに続いた。

「忘れていません。 でも・・・マツリが気にしていた杠さんが殺されるかもしれないってわかったら。 ・・・じっとなんてしてられませんし、知らん顔して東になんて帰られません。 それに私が失敗することなんてありませんから」

自信過剰と思われてもいい。 でもこういう場合は、失敗なんてしないと堂々と答えた方がいい。

問罪に近いことを言われたというのに、それに意ともせず答えている。 昌耶と “最高か” と “庭の世話か” が、ハラハラとして聞いている。

マツリが眉根を寄せる。 さっきマツリは、俤のことを杠と呼ぶように四方に言った。 だが今の話しようでは紫揺は杠の名前を既に知っていたような言い方だ。
そんな話も杠としたのだろうか。

「それでは紫はマツリの為に地下に入ったというの?」

「え?」

と言ったのは紫揺。 マツリと昌也と “最高か” と “庭の世話か” が目を大きく開けて、問うた相手、シキを見た。

「えっと・・・。 役に立ちたいと思いました。 だってカルネラちゃんに頼むほどだったんですから」

「役に立ちたい? マツリの?」

シキをはじめ、さっきまで泣いていた者たちが泣いていたのを忘れたかのように目を輝かせ口元に手をやっている。

「はい」

「お前・・・」

紫揺がマツリを見る。

「お前って言うなって言ってるでしょ。 前にも言ったけど、食べさせてもらってるだけなのは気になってたし彩楓さんや皆さんに聞いた。 私が倒れている間にマツリが気にかけてくれてたって。 だから・・・お返し」

そうだったっけ? 自分の中で疑問は残るが、そうとしか考えられない。

女達の手が残念そうに下がる。

「・・・そうか。 だからと言って今回のことは父上の仰られるように短慮が過ぎる。 我にも止めきれなかった責はあるが、紫は東の領土を背負っていよう」

「ふーん」

「なんだ」

「やっとこっちを見て話すんだ」

マツリが顔を歪めた。

―――始まる。

四方が思った。

だがシキはマツリがもう声を荒げないことを知っている。 そして紫揺が言っているのは、マツリとの会話で紫揺を見ないで話していたということだろう。
紫揺がそれを指摘したということは紫揺も気にしていたということだ。 シキ的に見てもあれはヨロシクない。 このまま話させていては、マツリが声こそ荒げはしないだろうが、またあれが始まるかもしれない。

「父上、紫に湯浴みをさせてきますわ」

あちこち泥だらけ、と紫揺を見ながら付け加える。

「あ、ああ。 そうだな」

マツリと紫揺の罵詈雑言など聞きたくない。 一応ではあるが、本領領主として言わなければならないことは言った。

「さ、紫行きましょう」

シキが一緒に階段を上がろうとする仕草を見せる。

「回廊に泥が落ちちゃいますから下から行きます。 場所は分かってますから」

「紫?」

「お掃除の人が困りますから」

そう言うと踵を返して「デカームー」 と言って走り出した。

四方の目が大きく開いた。

「待て!」

四方の声が響き渡る。

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辰刻の雫 ~蒼い月~  第46回

2022年03月18日 21時53分01秒 | 小説
『辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~』 目次


『辰刻の雫 ~蒼い月~』 第1回から第40回までの目次は以下の 『辰刻の雫 ~蒼い月~』リンクページ からお願いいたします。


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辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~  第46回



「マツリ様?」

俤が問うが、まるでそれが耳に入っていないように後ろを振り返ったままのマツリ。

「カルネラはどうした」

「ここ」

そう言って自分の腹を指さす。
肩に居たカルネラがマツリを怖がって紫揺の腹の中に隠れてしまっていたのだ。
マツリの顔が鬼のようになるのが分かった。

「マツリ?」

「カルネラ出てこい」

紫揺の腹の中で「ピー」と聞こえた。
カルネラは己の言葉が分からないかもしれなかったのだ、それを思い出した。 今鳴いたのも言われてる意味が分かって鳴いたのではなく、マツリの声が間近に聞こえたからだろう。

「カルネラちゃんに用事?」

「出てこさせろ」

「カルネラちゃん、出ておいで。 怖くないから」

そう言って腹の中にいるカルネラを服の上から優しく撫でてやる。
それでも出てこないカルネラ。
マツリが紫揺を睨む。

(はっ!? どうして私が睨まれなくっちゃいけないわけ?)

カルネラを睨めというわけではないが、なぜ自分が睨まれなければいけないのか。

「衣裳を全部脱げとは言わん。 だがカルネラを出せるところまで脱げ」

「マツリ様、それは・・・」

たとえ少年の服を着ていると言えど、紫揺が少女だということは分かっている。 さっき抱え込んだ時にそれが何となくと分かった。 きっとマツリもそのことは知っているだろうに、その言いようは少女に対してあまりに酷い。

紫揺がマツリを睨み返しながらカルネラに声を掛ける。

「カルネラちゃん、出て来てもらわないと私困る」

「シユラ、コマル?」

くぐもった声が腹の内から聞こえる。

「うん。 出て来てほしいな」

紫揺の腹の辺りで服がもぞもぞと動き、それが段々と上に上がってくる。 懐からカルネラが顔を出した。
プハー、と息を吐く。 やはり紫揺の腹の中の居心地は悪いらしい。

「カルネラ、イイコ。 ナンでもデキル。 イッタらワカルコ。 シユラダイジ。 コマルダメ。 シユラスキ」

「うん。 私もカルネラちゃんが好き。 出て来てくれてありがとね」

「コマル、ナイ?」

「うん」

カルネラが鈍い野生の勘で視線を感じたのだろうか。 後ろを振り向いた。 するとそこに恐~いマツリの目があった。

「ピィ!」

総毛だった後にまた紫揺の懐に潜り込もうとしかけたカルネラをマツリが掴んだ。

「カルネラ」

今にも握り潰されんばかりだ。

「返してよ」

カルネラを見ていた目で紫揺を睨む。 睨まれて怯むような紫揺ではない。

「カルネラちゃんはリツソ君の供なんだからね。 マツリの供じゃない。 返してよ」

「お前の供でもない」

「リツソ君の供をマツリが勝手に掴むのはいいって言うの?」

「屁理屈を並べるな。 供のことは宮を納める者だけの話だ」

「でもその供が誰を選ぶかは自由でしょ。 供に選ぶ権利はあるでしょ」

「シユラァー・・・」

マツリに掴まれているカルネラが紫揺を見て情けない声で呼ぶ。
眉間に皺を寄せていたマツリだが、更に皺を寄せ手に握るカルネラを見た。

「ピィ・・・」

睨まれたカルネラ、紫揺の名前を呼ぶことすら出来なくなってしまった。

「肩にいろ。 腹に入るな」

そう言うと紫揺の肩にカルネラを戻したが、カルネラがすぐさま懐に入ろうとする。

「カルネラちゃん、一緒に歩こう。 カルネラちゃんと私と」

「イッショ? アルコウ? カルネラとシユラ?」

「うん、そう。 一緒。 同じ時を持とう。 同じものを見ようよ。 肩に居て」

「イッショ・・・オナジ? オナジトキ? オナジモノをミル?」

「そう。 中に入っちゃったら見えないからね」

「カルネライイコ! シユラとミル! シユラスキ! シユライッショ!」

「よく出来ました」

胸元のカルネラの頭を撫でてやる。
懐に入りかけていたカルネラが紫揺の肩に上る。

「ヨクデキマシター!」

嬉しそうにカルネラが言う。

その一人と一匹の様子を刺すような目で見ていた一人。 それを見ていた一人。 その最後の一人が首を傾げる。

(マツリ様?)

「行くぞ」

マツリが歩を進めた。

城家主の屋敷の塀沿いに歩きながら、マツリが俤と最後の接触をした後のことを話しだした。

「悪かった、リツソが見つかったことを告げられなかった」

「いいえ、そのようなことは。 リツソ様が宮に帰られたことは噂で聞きましたので。 それより見張番のことですが、申し訳ありません、まだつかめておりません」

「ああ、それはもうよい。 こちらで分かった」

「それは・・・申し訳御座いませんでした」

手を煩わせてしまったと俤が頭を下げる。

「いや、見張番のことはそう簡単に分からなかったであろう。 こちらも偶然が重なって分かったことだ。 それより一つ伝えられなかったというのは何だ?」

気付いてもらえていたんだと口元が綻(ほころ)ぶ。 それにいつものマツリより幾分か砕けているように感じる。
俤と顔を合わせた時、開口一番に『俤、無事だったか』 だった。 心配をしてくれていた、それだけでも嬉しかったというのに、無事を確認して気が緩んできたということだろうかと驕(おご)った考えを持ってしまう。 それが思い上がりであろうと、また嬉しい。
マツリに話すよう促され、この場で話すのはやぶさかではないが、それでも紫揺の存在が気になる。

「宜しいのでしょうか?」

そう言って僅かに目を動かす。 紫揺を指しているのだ。

「ああ、構わん」

紫揺とマツリの関係が全く分からない。 だが話は進めなくてはいけない。 マツリが言えと言うなら、この “私” が居ても話してもいいのだろう。

「官吏のことを金で釣られたと言っては可哀想、そう聞きました」

「どういうことだ」

官吏という言葉に紫揺が眉を上げる。 だが今はマツリと話したくない。

「分かりません」

「誰から聞いた」

ずっと知らない男だった。 だがその後に酒をおごってもらった奴にあの男の名前を聞いた。 それに紫揺も言っていた。

「共時です」

「共時?」

「はい」

マツリが口元に手をやる。

「共時が己が捕まったとマツリ様と・・・後ろにいるのに言ったことは聞きました」

「共時とはどういう者だ」

「聞いた限りでは、マツリ様が城家主の後釜を考えていらっしゃるに相当しますかと」

どうしても気になって、あのあと共時のことも調べた。

「聞いた限りか、では俤はよく知らないということか。 だが共時は俤を助けるに今の城家主に対抗できる者の数は無いと言っておった」

「共時が己を助ける?」

「俤のことを思って屋敷に忍び込んだらしいが、見つかって・・・かなりやられておった。 屋敷の中にいる共時を慕っている者に逃がしてもらったらしい」

最初は首を振っていた俤だが最後には頷いた。

「はい、それは確かです。 今はまだ城家主に付いている手下ほどは集まっていませんが、城家主が無理に付かせているのとは違い、共時にはすすんで人が付いています。 それに共時を慕っている者がいますが、それが徐々に幅を利かせています」

「それって、もしかしてウドウってひと?」

後ろから声が聞こえた。 マツリと俤が後ろを振り返る。 紫揺の目はマツリではなく俤を見ている。

「どうして知っている・・・」

俤が紫揺に言う。

「ほら、言ったでしょ? 結構苦労してここまで来たって。 罠じゃないって」

言われ思い出し眉を撥ね上げた俤。 反対に眉を顰めるマツリ。

「宇藤と話したのか?」

俤が問う。

「うーん、話したと言えば話しました。 ウドウさん優しかったし。 でも何を考えているのか分からなかった。 わたし自身が地下の様子が分からなかったからなんだろうけど。 だけど俤さんの話しからすると、有り得なくもないかな?」

「紫」

マツリの声が低く響いた。
紫揺がマツリを見る。

「苦労をしたとはどういうことだ」

「まぁ、色々あるわよ。 ジョウヤヌシに捕まるまでも色々あったし」

「捕まったのか。 ではあの時どうして笑んでおった」

城家主に声を掛けられ、紫揺を見た時のことを思い出す。

「わざと捕まったからに決まってるでしょ。 余裕の微笑みよ。 それをマツリに伝えたつもりだったけど、分からなかった?」

「・・・お前」

どこかで分かってはいた。 だが、どれほど心配したか。

「まあ、その後も色々あったけどね。 キサってヤツはサイテーだった」

「喜作!?」

問い返したのは俤だ。 だがそれを退けるように言ったのはマツリ。

「最低とは、どういうことだ」

「私の身体の、外から見えないところに傷を入れるとか、ろっ骨を折るとか。 ホンット許せないヤツ。 一度目はウドウって人が止めてくれたけど」

マツリが光石を取りこぼして紫揺に向き合った。 おもわず俤が光石を拾う。

「マツリ?」

紫揺を上から下まで見たマツリ。

「傷? 傷を入れられたのか!? 折られたのか!」

「声、大きすぎるし」

マツリの肩の上でずっと黙っていたキョウゲンも「マツリ様、お声が」と小声で進言しているが、同時に首を何度も傾げている。

「そんなことを問うておらん! 傷を入れられたのか! 折られたのか!」

マツリの顔が蒼白になっている。

「そんなヘマを私がするわけないし。 それに折られてたら跳んだりできないし。 何考えてんの?」

「・・・」

マツリが腰を曲げ手を膝につき「・・・そうか」とこぼす。

「言ったじゃない。 足手まといにならないって。 まぁ、最初は迷惑かけたけど」

「傷は?」

腰を伸ばしたマツリが訊く。

「は?」

「傷は入れらていないのか」

「だから言ったでしょ、そんなヘマしないって。 アイツが掴みかけたから横をすり抜けて逃げた、何にもない」

マツリが安堵の表情を見せる。

「餓鬼が逃げた、それがその時なのか?」

すぐに俤が問う。

「そう」

当たり前に答える紫揺。

「マツリ様」

紫揺を見ていた俤がマツリを見る。

「宇藤は共時の為に動いています」

「どういうことだ」

紫揺から目を外したマツリ。

「まだまだ、城家主と比べて盛栄はつきませんが、地下の後釜は共時しかないと思います」

それを聞いた紫揺。 宇藤に心当たりがなくもない。 その宇藤が慕っている共時なら。 その共時の心意気も聞いている。

「私も賛成」



足を進める二人、肩に止まって足を進めない一匹。 その影が地下を動く。
紫揺の肩でウツラウツラと始めたカルネラ。 今にも落ちそうだ。 紫揺がカルネラの身体を両手で持つ。 持っていた光石は懐にしまっている。 今は地下にある光石で足元を照らされながら俤と歩いている。

地下の者達があちらこちらでくだを巻いたり、地べたに座り込んだりしている。 俤が居るからだろうか、来た時のように紫揺に絡んでくるものは少なかったし、絡んできても俤がそれをかわしていた。

マツリは何故か俤と紫揺に刺すような視線を送ってから、自分がこの時に歩いているのを見つかるわけにはいかないと、キョウゲンに乗って先に地下を出ていた。

「マツリ様とどういう関係なんだ?」

「難しいですね」

「どうして隠す?」 

マツリと対等に話しているのに名も告げなければ関係も言わないとは、どういうことだ。

「出来ればはっきり言いたいです。 でも私の立場とマツリの立場があります」

「だから言えないと?」

「はい」

「では、一つだけに答えて欲しい」

「はい?」

「お前の名はシユラなのか、ムラサキなのか?」

カルネラが紫揺のことをシユラと呼んでいた。 一度先に問うていたが、教えてはもらえなかった。 だがマツリとの会話でマツリが紫揺のことを紫と呼んでいた。 俤はそれを聞き逃さなかった。

「・・・紫揺であり紫でもあります」

気のせいだろうか、紫揺に悲し気な顔が見えた。

「シユラであり、ムラサキでもあるか・・・。 悲しいのか? 己の名が」

「そんなわけないです」

―――悲しいのか? 名をもらったことが。
―――悲しいのか? 名を知らされたことが。

「そうか。 俺は俤という名をマツリ様から頂いた」

己は嬉しかった。

「え?」

「俺の名は俤でもあり、もう一つでもある。 お前もそうか?」

お前もマツリから名をもらってマツリの手足となって働いているのか? だがマツリが無理強いするようなことは無いはず。 それなのにどうして悲し気な顔をする?

「違います。 私の名前にマツリは関係していません」

俤が眉を上げる。
それではどういう事だろう。 名が二つあり、どちらでもあるとは。

「誰に名付けられた?」

「紫揺は・・・多分、祖母。 紫は決まっていた名前」

「意味が分からんな」

そう言うが、マツリは関係していないようだと納得をする。

「分かってもらわなくてもいい」

「敢えて訊くが、子ではなく女か?」

紫揺は大人びた返事をしている。 それに、地下牢に閉じ込められていた時にも的確に話していた。

「女?」

子供ではないし女のつもりだけれど、それが何歳を指しているのか分からない。

「大人の女ということだ。 十五の歳以上か?」

“十五の歳以上か?” 坊と呼ばれていた時のことを思うと喜びたいところだが、十五歳以上で大人扱いされるのか? まだ中学生ではないか。 それに成人式は二十歳ではないか。
驚いた顔を俤に向ける。

「ああ、あまりにしっかりと受け答えをするから、子では無いと思ったんだ。 違ったようだな」

チガウクありません。 二十三です。 ここの十五歳以上の規定より八年も長く生きてますし、日本でいうところの成人式から、三年オーバーです。

「十五とか、そんなんじゃない」

「ああ、悪かった」

「二十三だし」

「は?」

「二十三の歳」

「あ“あ”――!?」

俤より一つ上であった。



「よう、俤。 城家主に捕まったって聞いたけど? そうじゃなかったのか?」

「そう聞いたのなら、策を持って助けに来たんだろーなー?」

「行くわけねーだろ」

「とか言いながら、助けに来るよな」

「行かねー」

「お前の根性見たからな」

「どうとでも見ろよ。 で? その餓鬼は何だ?」

「餓鬼は餓鬼だ」

「そっちに走ったか?」

「馬鹿言ってんじゃねーよ」

「どうだろうかなー」

男が下卑な笑みを残して呑屋に姿を消した。 姿を消さないでくれ、と願う俤。 紫揺から二十三歳と聞かされてからは、ギクシャクとしているのだから。 それは俤だけであるが。

「あの人は、どういう人ですか?」

「単なる地下の住人」

「ウドウさんともキサとも関係のない人ですか?」

喜作には “さん” が付いていない。 付ける気など無い。

「ああ」

「俤さん?」

俤に何かを感じた。

「なんだ?」

「私のことを何と思っていますか?」

「お前のことはよく分からない。 自分から名も言わないんだからな。 だけどマツリ様がお前をかってんだろ?」

紫揺が微妙に笑む。

「なんだよ」

「どうでしょうか」

「どういう意味だ?」

「あの部屋で助けてもらって有難うございました」

俤が紫揺を抱えていた部屋。

「俤さんに引っ張ってもらわなかったら完全に見つかってました」

「俺を牢から出してくれたのはお前だ」

プイッと横を向くがあの時のことを思い出す。 知らなかったとはいえ、二十三の歳にもなる女を己は赤子のように抱えていたと。

「怪我、あんまりしてないんですね」

殴られただろうあとは見えるが共時とは比べ物にならない。

「地下に潜る前にはマツリ様から体術や色々と教えてもらっていたからな」

やっぱり単なる情報屋ではないのか。

「マツリからは情報屋さんって聞いていますけど。 違いますよね、どういう関係ですか?」

「マツリ様に情報を流しているから情報屋に違いない」

「単なる情報屋さんじゃないですよね? マツリが俤さんのことを異常なくらい心配していたんですけど?」

「そりゃ、嬉しいな」

心底そう思っているのだろう。 くすぐった気に頬を緩め下を向いた。

「俺はマツリ様の手足になりたいと思っているだけだ」

「どうして? そこまで思われるマツリとは思えないんですけど」

俤が紫揺を見る。

「お前がマツリ様のことをどう考えているかは知らないが、あの方は気骨があり温情の深い方だ」

(権高で癇性の間違いじゃないの?)

「俺はマツリ様が居なけりゃ・・・もうおっ死(ち)んでた」

「え?」

「マツリ様に助けてもらった。 餓鬼の頃の話だけどな」

紫揺の頭の中で心当たりのあるマツリとの会話が流れた。 映像付きで。 あの淋しそうに悔しそうにしていたマツリの顔が目の前に現れる。

「もしかして・・・俤さんのもう一つの名って・・・杠(ゆずりは)?」

俤が驚いた顔を紫揺に見せた。

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辰刻の雫 ~蒼い月~  第45回

2022年03月14日 22時09分17秒 | 小説
『辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~』 目次


『辰刻の雫 ~蒼い月~』 第1回から第40回までの目次は以下の 『辰刻の雫 ~蒼い月~』リンクページ からお願いいたします。


     『辰刻の雫 ~蒼い月~』 リンクページ




                                  




辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~  第45回



意外だった。 情報屋と聞いていたから、もっとオジサンかお爺さんを想像していた。

それにしても、けっこうイケメンである。 その上、今は厳しい目をしているが、そうでなければ紫揺好みの優しい顔立ち。 黒い髪の前髪は目の上あたりで、横の毛は耳が隠れる程度でそのまま襟足迄ある後ろの髪に続いている。

「あなたが俤さん? あ、ここは言わなくていいよ」

カルネラに俤と覚えてもらってはマツリが困るだろう。
カルネラが首を何度も傾げる。

青年が頷き、続けて「お前は」と訊いてきた。

紫揺がショルダーを置くとその中から鍵の付いた輪っかを取り出し、手早く手拭いを解く。 そして一つずつを鍵穴にさす。 作業の一連の間に口を開く。 だが俤の質問の答えにはなっていない。

「マツリが心配しています」

「え?」

「アニウエ、が、シンパイ、シテマイス」

紫揺の肩の上に目をやった。 赤茶のリス、腹が白、黒い飾毛。 言葉を上手く話せない。 マツリから聞いていた通りのリスが居る。

「・・・カルネラ?」

紫揺が一瞬視線を上げる。

「カルネラちゃんのことを知ってるんですね。 マツリから聞いたんですか?」

「ワレ、カルネラ」

どうしてだか胸を張っている。

「罠ではないのか?」

「罠?」

「ワナ?」

「俺を罠に嵌めようとしてるんじゃないのか?」

「冗談じゃないです。 結構苦労してここまで来たんですよ。 それが罠なはずないじゃないですか」 

結構苦労、じゃなくて楽しんでいたと思うが、と、お付き達なら言うだろう。

「地下の途中でマツリと分かれました。 マツリは私がここに捕まったと思っていると思います。 俤さんと一緒に私も助けに来るはずです。 あ、俤さんがここに捕まっていることは共時さんから聞きました。 共時さんが倒れている所を偶然私が見つけて、その時マツリも一緒に居ましたから駆け付けたということです」

時間を無駄に使いたくなかった。 罠と思っているのなら特にこの作業の間に説明だけはしておかないと、と俤に喋る隙間を与えなかった。 おかげでカルネラの小さーな脳みそはプチパニックを起こしている。

ガチャ。 手応えのある音がした。

五つの鍵の五番目でやっと開いた。 くじ運は絶対に悪いのだろう。 紫揺が口を歪める。
戸を引くと鈍い音をたてて開いた。 あまり音を立てたくない。 俤が出られるほどに開ける。

「早く出てください」

どこか訝った目をしていたがカルネラが居ることで開き直ったのだろう、身を滑らせて出てくる。

カルネラが本物かどうかは分からないが、喋るリスなどそうそう居るはずがない。 ここはこの相手を信用して動いてみるのも一つかもしれない。

脱走したのを一秒でも早く知られたくない。 鍵を返しに行く気はないが戸をきちんと閉めて鍵をかけておく。

「ここは他に誰かいますか?」

ショルダーを包み直して身体にフィットするように袈裟がけをする。

「俺だけだ」

紫揺がニヤリと笑って鍵の付いた輪っかごと手拭いで包むとそれを牢屋の中に投げた。 鈍い音が鳴ったが、湿った手拭いが反響音を吸い取ってくれている。

これくらい仕返しをしてやらねば気が済まない。 いや、まだ済んでなどいない。 あのゲス男。 他の男が喜作(きさ)と言っていた男。

足を進めながら気になることを訊く。 事前にカルネラには口元に人差し指をたててみせている。

「ちょっと前に何か食べました?」

カルネラが小声で紫揺の言うことを復唱している。

「ああ」

「いつもその後に、誰かここに人が来たりしますか?」

「いいや」

「今この家の中の人が何をしてるか知っていますか? 大体でいいです。 ここから見つからないで出たいという意味で訊いています」

「それぞれの部屋に戻って博打でもしているはずだ。 だが時には部屋から出てくることがあるみたいだ。 俺はそれで捕まった」

俤に振り返る。

「忍び込んだんですか?」

「ああ、助けたい奴らがいたが反対に捕まっちまったってことだ」

あの五人のことだろうか、それとも官吏の家族のことだろうか。

「少なくともこの階段は安心して上がれるということですね」

誰も来ないのならば。

「ああ」

紫揺が光石を持っている。 今は紫揺に先を歩いてもらわねばならないが、階段を上がると光石は必要ではない、先を歩こうと思っている。

「お前はいったい誰なんだ?」

マツリのことを呼び捨てしている少年か、いや少女か。 自分のことを “私” と言っている。 だがこの歳で自分のことを “私” というのも可笑しな話だ。

「マツリに訊いて下さい」

信用してもいいのだろうか。 もしそうならば、己と同じような立場の者なのだろうか。 だがあのマツリが何人も手となり足となる者を作るはずなどないはず。

「カルネラちゃん、外に出る道は分かる?」

カルネラが首を何度も傾げる。 それはそうだ。 来た時には袋に入れられていたし、帰る時にはあの恐~いマツリの懐に入れられていたのだから。

「それなら俺が分かる」

「じゃ、その行き方を私に教えて下さい。 先にカルネラちゃんに偵察してもらいますから」

「え?」

「道先案内人、カルネラちゃんは優秀ですから」

最後に曲がる所、踊り場まで来た。 あとは角灯の明かりがある。 光石を懐にしまう。

「この階段を上がってどちら側に行くんですか?」

「左だ。 途中右手に部屋がある。 そこには誰も居ないはずだ。 その部屋の窓から出るが、見回りが回ってくるしそこは屋敷の裏側だ。 外に出てから表まで回らなければいけない」

己一人なら入ってきた時の方法で塀を上れるが、この “私” という者には無理だ。

「分かりました」

そう言うと肩に居るカルネラに話しかける。

「カルネラちゃん、左に曲がるから誰も居ないか見て来てくれる?」

「ヒダリにマガル?」

「こっち」

階段の先を指さし、それを左に向ける。

「ヒダリにマガル。 アンナイ。 シユラ、カクレル」

「そう。 よく覚えてたね。 その先のどこかの部屋に入るね」

カルネラの頭を撫でてやる。

「ヘヤにハイル。 カルネラ、イッタらワカルコ、スゴイ、シユラスキ」

そう言うと紫揺の肩をするすると降り、残りの階段を上り最後の一段を残して壁を上り始めた。 天井近くまで上って左を覗き込み右も見る。

「リョウ」

紫揺に向かって言った。

「行きましょう」

紫揺が階段を上がる。 それに俤が続く。
左に曲がると俤が先を早足に歩いた。 走って足音は立てられない。
どの部屋かは俤しか知らない。 カルネラはその先を走っては戸の前で止まって振り返るのを繰り返している。

所々で角灯が消えかかっている。 さっきの男たちが言っていたのはこの事か、と納得をした。 燃料を無駄に使わないようにしているのだろう。

幾つかの戸を走って過ぎると俤が指をさす。

「今カルネラが居る所の部屋だ」

紫揺が手を振ってカルネラを止めようとするが、止められることなど知らないカルネラがキョトンとしている。
俤と紫揺がカルネラの元までやって来た。

「ヘヤにハイル?」

紫揺が頷く。 カルネラが紫揺の肩に上ってくる。
俤が戸に耳を付ける。 誰も居ないはずだが、あくまでも “はず” である。 物音も人の声もしない。 

俤がそっと戸を開けた時、バンと、どこかの戸が勢いよく開けられ男が飛び出てきた。 その後に聞こえてくる怒声。
ギリギリのところで部屋の中に入った俤と紫揺。

「隠れろ」

いつ誰が入って来るか分からないからなのか、見回りが回ってくるからなのだろうか。 とにかく身を隠さなければいけないようだ。 この部屋には光石がない。 窓から僅かに入って来る月明かりを頼りに隠れ場所を探す。

「こっちだ」

隠れろと言われキョロキョロとしていた紫揺の手を引っ張り、紫揺を抱え込むようにして物陰に座り込んだ。

俤が座り込んだのは壁に取り付けられていない棚である。 手で抱えて動かせるくらいの棚だからその時々で動かしているのかもしれない。 実際に今も壁にくっ付けているわけではなく、壁との間に隙間がある。
窓を正面にしてその棚の側面に座り込んだが抱えて動かせるくらいの棚だ、奥行きがそんなにあるわけではない。 かろうじて俤の身体が隠れるくらいだ。

「カルネラちゃん、お口チャックね」

チャックをする仕草を真似るカルネラ。 真似るだけで訊き返さないということは覚えているに違いない。

戸が開けられた。 角灯を持っているようで部屋全体に灯りが灯る。 俤の腕の中で紫揺が首を巡らす。 と、窓の外に男の横顔が見えた。 見回りだ。

紫揺の身体にまわされている俤の腕を指で突つき、顎を上げて上にある俤の顔を見る。 入ってきた男の気配に集中していた俤が “うん?” とした顔を見せる。 紫揺が窓の外を指さす。 俤の顔が引きつり、紫揺を抱えていた片手を外して座り込んだまま手を着くと、ゆっくりと背にしている棚に九十度回りこむ。 今ここで新たに誰かが入ってくればすぐに見つかってしまうかもしれない。
壁と棚の隙間に無理をして入り込んだが、窓の向こうの見回りの男がこちらを向くと見つかるかもしれない。

「よー」

男の声が聞こえた。 部屋に居る男だ。 俤の身体がビクンとなったのを紫揺が全身で感じる。

男が角灯を持ったまま窓に近づきガラリと窓を開ける。

「よー」

もう一度男が声を掛けた。 窓の外に声を掛けていたようだ。 更に俤が身体一つ分移動する。 まるで紫揺は胸に抱えた大きなぬいぐるみのようだ。

「今日はオメーが見回りか」

「今日も明日もだ。 やってらんねーぜ」

窓の向こうの男はこちら側の男が丁度邪魔になって部屋の中は見えないようだ。

「明日も?」

「城家主の機嫌が悪くてな。 こっちはとばっちりよ」

「ああ、餓鬼が逃げたってやつか?」

俤がまさかと思って下を見る。 その気配に気付いた紫揺が上を見て自分の鼻を指さし、にっこり笑う。
こんなことで判断をしていいのかどうか迷うところだが・・・腕の中に居る “私” を信用してもよさそうだ。

「ってーか、喜作に対してよ」

「どういうことでー?」

「喜作の態度が気に入らねーみてーだ。 ありゃ、下手すりゃ切られるかもしんねーな」

「そりゃ、楽しみだ」

「ハッ、オメーもどっち付かずなヤローだ」

「ほっとけ」

「で? オメーはそんなとこで何やってんだ」

「その喜作に酒を持って来いって怒鳴られたんだよ」

酒の棚は俤と紫揺が居る方と対面にある。 この男は話し終えると右を振り返るはずだ。 まずこちらを見ないだろう。 左を振り返られたら見つかるかもしれないが、その時にはやり合うしかないかと俤が頭を巡らせる。

「ケッ、相変わらず勝手を言ってやがるぜ。 まぁ、せいぜいお前も喜作に苦労しな」

「馬鹿やろうが」

ピシャンと窓を閉めた。 外の男が笑っている声が聞こえる。

「こっちの気も知らねーでやがる」

見回りの男の笑い声が遠のいていく。
ブツブツ言いながら右に振り返り酒の棚に角灯を掲げ、一本の瓶を手に部屋から出て行った。

俤が脱力して紫揺から一旦手を離したが、あまりにも狭い。 紫揺を抱えて元の位置に戻る。
紫揺が立ち上がろうとしたのを俤が止めた。

「あの酒が気に食わなければすぐに戻ってくるかもしれない。 次の見回りが過ぎてから出る。 それに他のヤツも酒を取りに来る可能性もある、暫くこのままで居ろ」

己一人なら素早く動けるが、紫揺が一緒だと手間取るだろう。 余裕を見て抜け出したい。
しばし待ったが男が戻ってくる様子はなかった。

「あのお酒で良かったみたいですね」

「ああ、だがまだいつ誰が入って来るか分からないからな」

今は紫揺を抱えていない。 足の間に座らせて、膝を曲げた己のその膝の上に、腕を置いている。

「お前はシユラという名か?」

紫揺が上を見上げる。 俤が紫揺を見下ろしている。

カルネラが “シユラ” と言っていたのだから気付いても当然だ。 だが、今の自分は紫揺であって紫揺でない。

「私のことはマツリに訊いて下さい」

「どうして己の名を己で明かせない?」

「まっ、色々事情があって」

と、窓の外から光石の灯りがほんのり目の端に映った。 同時に刺すような視線。
顔を上げて俤を見ていた紫揺がゆっくりと首を動かす。

「・・・マツリ」

え? っと、顔を上げた俤が窓の外を見た。
射貫くような目でそこにマツリが立っていた。

「マツリ様」

俤が立ち上がろうとしたが足の間に紫揺が居る。 先に紫揺に立ってもらわなければ立つに立てない。
紫揺が立ち上がると俤もすぐに立ち上がった。 俤が窓の所までいき、そっと窓を開けた。

「マツリ様」

「俤、無事だったか」

「ご心配をお掛けしました」

「見回りが回る前にここを抜ける」

「はい」

俤が振り向き、後ろにやって来ていた紫揺を見るが、その様子を見ているはずのマツリから何も言われない。 この “私” のことをマツリが知っているということだ。 もう疑う必要もないだろう。 その紫揺を抱き上げようとする。

「要らない。 自分で窓くらい跳べるから俤さん先に出て」

「外に降りるとここより高い」

「俤、構わん。 先にお前が出てこい」

マツリに言われてしまえば仕方がない。
俤が窓に足をかけて外に飛び出た。 続いて紫揺が窓に跳び乗り窓を蹴ろうとした時、マツリの手が伸びてきた。

「へ?」

そのまま抱きかかえられて地面に下ろされた。

「これくらい何ともないのに」

紫揺が不平を漏らすがマツリは完全に無視をしている。

「この塀を登る。 ついてこい」

塀の高さはそこそこある。 たとえマツリが蹴り上げて手を伸ばして跳び上がっても届く高さではない。 僅かでも足場になるようなところがあれば上れるかもしれないが、それも見当たらない。

マツリのあとに紫揺が続き、殿(しんがり)は俤。 その俤が何度も後ろを振り返り見回りを警戒する。
部屋の窓から光石の明かりが漏れている。 足元は充分に見ることが出来る。 窓があるごとに屈んで通り過ぎる。

塀の角まで来ると色んなものが積み重ねられているのがぼんやりと見える。 見回りもこんな角まで見ないのだろう。
よく考えるとこの屋敷は始末が悪かった。 整理整頓が出来ていなかったのだ。 足場になる物ぐらいそこらに放り投げていたのだろう。

「マツリが作ったの?」

「行くぞ」

(かー、無視ですか!?)

紫揺が言ったように、この足場は見回りの合間を縫ってマツリが作っていた。 紫揺と俤を屋敷の外に出すに為にはこの塀を乗り越えなくてはならないのだから。 その為に少々時をとってしまっていた。

マツリに続いて紫揺も足場を上がり塀を跳ぼうとすると、いつ懐から出したのか、一度仕舞っていた光石を持つマツリが立っていた。 有難い、着地位置が見える。 なのに塀を蹴ると着地前に後ろからマツリの手が伸びてきて紫揺を受け取った。

眉を寄せて後ろのマツリを見上げるが、目を合わせようともしない。 ストンと下ろされる。

続いて俤も跳んできた。

「外の見回りは今はないようだ」

マツリが歩き出す。

「え? 以前はあったんですか?」

「ああ、リツソが攫われた時には中の見回りが無くて外の見回りがあった」

俤がマツリの半歩後ろを歩く。 その後ろを紫揺が歩いている。 もう屋敷を出たのだ、急ぐ必要も誰を気にする必要もない。

紫揺がおもむろに懐から光石を出す。

マツリの後ろに光石の灯りがともった。 思わず振り向いたマツリ。 紫揺のその手に光石が握られているのを目にした。
どうして紫揺が光石を持っているのだろうか。 光石はそうそう持てるものではないはずなのに。
と、もう一つ気付いたことがある。 紫揺の肩にいたはずのカルネラが居ない。 マツリが歩を止める。

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辰刻の雫 ~蒼い月~  第44回

2022年03月11日 22時34分26秒 | 小説
『辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~』 目次


『辰刻の雫 ~蒼い月~』 第1回から第40回までの目次は以下の 『辰刻の雫 ~蒼い月~』リンクページ からお願いいたします。


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辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~  第44回



「どうして子供がここに居るんですか? 地下に子供はいないと聞いています」

紫揺の話し方に何かを感じたのか、若い男が前に出てきた。 それでもはっきりと見える所までは出てこない。

「あなたは?」

「えっと・・・身分を明かすのは難しいです」

こんな所で東の領土の五色です、とは言えない。

“身分” という言葉を使ったことに、地下の者ではないのだろうかと、男が訝りながらも光石の中でハッキリと見える距離まで近づいてきた。

男が自分に応えてくれたと、笑顔で男を迎える。

「身分を明かすのは難しいですけど、本当に怪しい者じゃありません」

暗闇の中に他の人がいたということでカルネラが安心したのか、復唱を再始動し始めた。

「ミブン、シケド、アヤシ、アリマセン」

紫揺の口真似をかなり長く言えたと肩の上で喜んでいる。

男が今迄に気付かなかったのか、紫揺の肩を見た。

「リス・・・リスが喋る?」

一番手前の牢屋。 先ほど朧げにしか見えなかった影がゆらりと立ち上がった。

「あ、この仔は特別です。 それより、あなた達はどうしてここに?」

男が一度頭を下げた後、決心したようにゆっくりと話し出す。

「一家で攫われました」

父親のリスと言ったのを聞いた子供が奥から這い出てきた。 その後ろを母親だろう女がついてくる。

「どうして?」

「いきなりです。 わけも分かりません」

「あなた達を誰か探していないんですか?」

「兄が探しているかもしれませんが、まさか地下だとは考えていないと思います」

「お兄さんはどこにいらっしゃるんですか? 可能ならばお知らせします」

「宮都です。 ・・・宮で、官吏をしています」

何故か申し訳なさげに頭を下げる。

宮都のことは剛度から教えてもらって知っている。 だがそんなことより、この男は兄が官吏をしていると言った。

―――官吏の家族が攫われた?

それは偶然なのか狙ってなのか。

「私は宮の中に入ることが出来ます」

驚いた顔をして男が顔を上げた。

それをじっと耳をそばだてて聞いている者がいる。 先程立ち上がった影・・・男だ。

「お兄さんのお名前を聞かせてください」

「帖地・・・帖地と言います」

「ジョウチさん。 分かりました。 必ず伝えます」

喜び終えたカルネラがまたしても復唱を始める。

「ジョウチ、ワカ、ツタマエス・・・ンン?」

小さなオテテの指をこめかみ辺りに立て、何かが違うと気付いたようだ。

「暗いけど怖くなんかないよ。 一人じゃないからね」

牢屋から手を入れて子供の頭を撫でてやる。 苦手だった子供相手も東の領土でかなり磨かれた。
カルネラが紫揺の肩から腕を伝って紫揺と同じように男の子の頭を撫でてやる。

「コクワナンカナイヒョー、ジャナイカラネ」

“こわく” が “コクワ” になり “ないよ” の “よ” と “一人” の “ひ” が一緒になって “ヒョー” になったようだ。

男の子がニコリと笑う。 母親が久しぶりに見た息子の笑顔だったのか、男の子を抱きしめた。

「もし!」

向かいの牢屋二つから声が掛かった。 光石で照らしながら歩くと手が伸びていた。
まずは正面の牢屋に足を向ける。

「うちも、うちも官吏です、宮で官吏をしております。 隣りもうちも攫われてきました」

また官吏・・・。 偶然で済まされるだろうか・・・。
隣りというのは、同時に声が掛かった隣りの牢屋ということだろう。 もし隣も官吏ならば完全に官吏を狙ってのことではないだろうか。

紫揺が深く頷く。

「義兄(あに)の名は白木(しろき)です」

「シロキさん。 あなたもその方の弟さんですね」

「シロキ、オトート、デスネ」

「いいえ、うちの女房の兄です」

そういうと奥から女が出てきた。

「沙禰(さね)と言います」

「カルネラちゃん、弟じゃなくて妹さんだって。 サネさんだって。 一緒にしっかり覚えておいてね」

耳をそばだてていた男が驚いて目を見開いた。

「シロキ、イモート・・・サネ?」

「そう」

カルネラの頭を撫でてやる。

「ここにはいつから?」

「ココニハイツカラ?」

長い言葉をちゃんと言えたことに紫揺の肩の上で喜んでいる。

「ずっと暗闇で時の感覚がありませんが、かなりなります。 うちが一番に攫われてきました」

深く頷くと沙禰に目を合わせる。

「お辛いでしょうが、今少し我慢をして下さい」

自分の名前も言えなかった沙禰が泣きそうな顔で頷く。
堪えきれない不安に襲われているのだろう。

「ガマン?」

我慢の意味は分かっているようだ。 きっとリツソが、我慢は嫌いじゃ、とでも言っているのかもしれない。

「うん、少しの間だけ」

必ず伝えますと言い、隣の牢屋に向かって歩く。
隣りの牢屋の向こうでは中年の夫婦が頭を下げて待っていた。

「頭を上げてください」

「アタマ、アゲルクダサイ」

夫婦がゆるりと頭を上げる。

「ご心配されている方がおられますか? お伝えすることしか出来ないかもしれません。 良ければお聞かせ願えますか?」

長すぎる。 復唱が難しい。

「娘が・・・」

母親が口を開いたが、そこで止まってしまった。

娘? 官吏の中に女の人が居るのだろうか。

「娘さんですね。 どちらにおられる方でしょう」

「ムスメ、オラルレ。 ドチラ、オレラルタカ。 デネス」

ンンン? とカルネラが首を捻じった。 どこか順番を間違えたような気がする。

「宮で下働きをしております」

今度は父親が口を開いた。

官吏ではないようだ。 では官吏というのは偶然だったのだろうか。 それにしても全員が宮の内にいる人間ではないか。

下働きの者なら紫揺も顔を見たことがあるかもしれない。

「もしかすると、どこかですれ違っているかもしれません。 お名前を教えて頂けますか?」

「オナマエヲオシエティ、タダ、ケマスカ」

頭を絞ったが、またもや区切りがおかしい。

「厨で働いております、常盤(ときわ)と申します」

「いつも美味しい食事を作って下さっている方々のお一人ですね。 娘さんのトキワさん。 分かりました」

夫婦が再び頭を下げた。 娘の名前を憶えてもらったのもあるが、美味しい食事と言ってくれたことに対してもだった。
そしてそれは、紫揺が宮で食事をしているということにも繋がる。

「オイシイ? ウマイ? カルネラスキ」

「違うよ。 娘さんのトキワさん。 カルネラちゃんしっかり覚えてね」

一人で覚えられる自信がない。

「ムスメのトキワ。 カルネラ、オボエテネ」

「すぐにとは難しいでしょうけど、必ず助けに来るよう宮に言っておきます。 それまで我慢してください。 みなさんも」

この言葉は牢屋に居る者全員が聞いている。
宮が絡んでいるかもしれない。 三組の話を聞いて兄弟に知らせる程度では終わらないと思ったからだ。

「ガマンシテテテクダサイ」

“テ” が多い。

紫揺が深く頭を下げて踵を返したその時、最初に光石を照らした牢屋から声が掛かった。

「待ってくれ」

声のした方を紫揺が光石で照らす。
ガタイのいい髭もじゃの男だった。 その後ろにもまだ誰か座っているようだ。

髭もじゃの男の顔には痣や傷が出来ていて、牢屋の格子柵を掴む指の形もおかしい。 服にも血が染み込んでいるあとが見える。 だが背中や足腰は何ともないのだろうか、背筋がしゃんと伸びている。

「あんた、さっきリスって―――」

リスそしてカルネラと言っていた。
そこまで言って男が大きく目を開けた。 見覚えのあるリスが紫揺の肩に止まっている。 間違いない。

「そのリスがどうしてアンタの肩に止まっている」

「ちょっと訳ありで」

「ワケアリデ」

「あなたは? あなたも官吏のご家族か何かですか?」

「俺は違う。 だが・・・」

紫揺が次の言葉を待つ。

「・・・デカームと」

「デカーム? デカーム、ですか?」

「デカームゥー」

スンゴク楽しそうに言う。 何度も繰り返し言って、かなり喜んでいる。 紫揺の肩の上で腹を抱えたり、手足をバタバタして喜ぶ。 完全にツボったようだ。
暴れ過ぎて紫揺の肩から背中にコロコロと転がってしまった。 慌てて服にしがみ付き紫揺の肩までスルスル上がったが、まだツボに嵌まっているようで何度も小さな声で言っては喜んでいる。

「誰に伝えればいいですか?」

「誰にも伝えなくていい。 ただ、宮の中で・・・デカームと人に聞こえるように言って欲しい」

また、宮。 やはり何かあるのだろうか。 それにしても奇妙な要請だ。 だが断る理由などない。

「分かりました」

そう言うと後ろを覗き込んだ。

「何人いらっしゃるんですか?」

男が振り返り、また紫揺を見た。 何故か情けない顔をしている。

「ここに二人、向かいに三人。 合計五人だ」

「分かりました。 言いふらせばいいんですね」

「ワカーリィー」

デカームとごっちゃになったようだ。

「よろしく頼む」

紫揺が頷いてその場を後にしようとした時。

「それと、隣」

男が右横を向き、また紫揺を見た。

「様子を見てやってくれないか。 絶対に口を割らないってんで、痛めつけられたようだ」

痛めつけられた? それではこの男の傷もそうなのだろうか。
頷いた紫揺が隣に足を進める。
光石をかざすが光が届かない。 じっと目を凝らすと、うっすらと座り込んでいる小さな影が見えるだけだ。

「今のお話を聞かれていましたよね? お隣の方が心配されています。 前に出て来て頂けないでしょうか。 私は決してあなたをどうこうなどと考えていません」

「安心して話した方がいい。 宮の者に間違いない。 それは俺が保証する」

隣りから男の声が届いた。

保証する? どういうことだろう。 男の方を見た紫揺が顔を戻す。

「お願いします。 お話を聞かせてください」

影がゆらりと揺れ立ち上がった。 打たれた身体が痛いのか足を引きずっているし、かなりゆっくりとしか歩けないようだ。
光石に照らされた顔を見て紫揺が驚いた。

「大丈夫ですか!?」

年老いた顔だった。 その顔にいくつもの痣が出来ている。 細い手足が折られている様子はないが、肩を押さえている手の甲も肌の色を失っている。

「・・・なんとか」

細い女性の声、その声を出すのですら辛そうだ。 だが、だからと言って放ってはおけない。 訊くことを聞かねば。

「無理をさせてすみません。 お一人ですか?」

奥を覗き込むが何も見えない。

「安心していい。 本当に俺が保証する、宮の者だ」

再度男が口を添える。

「ご家族が宮にいらっしゃるんですか? 官吏ですか?」

「・・・」

「お願いします。 教えてください」

「・・・官吏ではありません」

官吏じゃなかった。 どこかでホッと胸を撫で下ろすが、そんなことでおさまる話ではない。 この歳で囚われの身となって家族がどれほど心配をしていることか。

先ほど宮に言うとは言ったが、知らせることの人間が居るのならば知らせるに越したことは無い。 先の三組とて同じ。
日本なら誘拐と分かれば警察は動いてくれるし、万が一にも東の領土でそんなことがあれば自(みずか)ら動く。 だがここは日本ではないし、東の領土でもない。 宮に言ったところでどうしてもらえるかは分からない。

「では何をしていらっしゃる方ですか? ご心配をされていると思います。 探されていると思います」

一人目が言っていた。 いきなり攫われてきたと。 きっとこのお婆さんもある日突然攫われてきたはず。 家族の心痛を思うとこちらまで心が痛くなってくる。

「・・・」

「この・・・坊か? いつまでもここに居られるわけじゃない。 コイツも危険と背中合わせだ。 さっさと言わないとコイツも捕まる。 そうなれば他の者の願いが叶わない」

隣りからの援護射撃に、思わず心の中で手を合わせる。

「・・・立場は申し上げられません。 ですが尾能(びのう)と申します。 息子で御座います」

未だにデカームに嵌まっているカルネラをツンツンと指でつつくと 「ビノウさん。 息子さん」 と声に出して言う。 カルネラにも覚えてもらわないと自信がない。

「ビノウ、ムスコ」

我に返ったカルネラが復唱する。
“さん” の意味が分かっているのだろう。 紫揺が “さん” を付けていても全て省いている。
カルネラの頭を撫でてやる。

「私のことはいいです。 それより皆さんのことをお頼み申します」

身体が痛いだろうに、他の者のために腰を折っている。

「承知しました。 出来るだけ早く助けに来られるよう尽くします。 お身体が痛いのに無理をさせてすみませんでした」

そして隣でまだ格子柵を握っている男に「大丈夫ですとは言い難いですけど・・・」と隣の様子を伝えると、この牢屋は今の者達で全員なのかと尋ねた。 光石でかざしてもよく見えないのだから。 八つある牢屋の内、残り二つには誰も居ないのだろうかと。

「あとの二つは空いている。 いま話したので全員だ」

そう聞くと頷いてみせ、今度こそ踵を返した。

「カルネラちゃんが言ってたイッパイ、イタっていうのは、あの人達の事?」

「イッパイ、イタ。 シユラミタ」

間違いないようだ。

「他にどこかに誰かいた?」

「ホカドニコカニ、ダレ、カイタ?」

首を傾げる。

誰も書いていないし掻いてもいないが心当たりはなさそうだ。

「そっか。 わかった。 ありがと」

「ソッカ、ワカッタ、アリガト、シユラスキ」

笑んでカルネラの頭を撫でてやる。
今のが無駄な時間とは言わないが、目的は俤を救う事。 急がねば。 先程の階段まで足を早める。

その姿を見送った男が格子柵を掴んだまま頭を下げ、伸ばしていた背筋を丸める。 背中も腰も痣だらけであるし、肋骨にはひびが入っているかもしれない、背中を丸めるとなお痛い。 その男の後ろから声がかかる。

「言ってよかったのか?」

「五人が五人とも捕まったんだ。 恥っさらしもいいとこだが放ってはおけまい」

「っんとに、恥っさらしもいいとこだ」

向かいの牢屋に座る三人が身体を小さくしている。

「カルネラちゃん、続きの階段はどこにあるか知ってる?」

「ツヅキ? カイダン?」

「そう、もう一つ階段がない?」

降りてきた階段を指さす。

「カイダン、アッチ」

カルネラが短い手を横に出した。 どうも暗い中を歩きたくないようだ。 紫揺の肩から下りそうにない。
指さされた方に歩き出す。 すると降りてきた階段の後ろ側に下りの階段が現れた。
その階段を降りて行く。

今度は曲がることがない、直線の階段のようだ。 階段を降りる。 短い階段であったからなのか、その天井の低さに合わせた階段であったからなのだろうか、この階の天井は先程と比べて随分と低い。

階段を降り切ると先程と同じように広い空間がひろがっているようだ。 奥に歩いて行くとやはり牢屋があった。

「俤さん、いらっしゃいますか」

「イラッサイ、スカ」

“いらっしゃい” とは言いにくいようだ。

明かりも無ければ何もない地下二階の空間。 小声で言っても響き渡る。

「誰だ」

奥の牢屋から声が聞こえた。
光石を手に足早に歩く。

「どこにいらっしゃいますか? 手前まで出て来て下さい」

「ドコ、イラッサ? テマエ、デキテ、クダサイ」

一つ一つの牢屋を照らすが奥までハッキリと見えない。 無駄な時間だ。
人の動く気配がした。 いま照らしている牢屋ではない。

「・・・一番奥」

足早に奥の牢屋に行く。 光石で照らすと格子柵の向こうには、マツリより若気な青年が立っていた。

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辰刻の雫 ~蒼い月~  第43回

2022年03月07日 20時14分32秒 | 小説
『辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~』 目次


『辰刻の雫 ~蒼い月~』 第1回から第40回までの目次は以下の 『辰刻の雫 ~蒼い月~』リンクページ からお願いいたします。


     『辰刻の雫 ~蒼い月~』 リンクページ




                                  




辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~  第43回



紫揺があれやこれやと考えている間に男達が部屋から出て行った。
暫く待ちそっと天袋の戸を開けて出てきた。
何もない和室の中で隠れられる唯一の押入れ、その上にある天袋であった。

部屋の外の喧騒は大分と止んでいる。
紫揺である “餓鬼” を探さなくていいと言った宇藤の言葉が陰に隠れながら伝染したのかもしれない。 そう思うと宇藤には目に見えない力があるのだろうか。

だが宇藤が何を考えているのかは分からない。 男達が共時を逃がしたのは宇藤ではないかと言っていたが、もしそうであってもそこに何か策略があるのかもしれない。
簡単に此処の人間は信用できない。

「マツリしか・・・」

「ナニ?」

紫揺が口をきいたので “オチク、チャック” が解除されたと判断したのだろう、肩に止まるカルネラが紫揺を見た。

「何でもないよ。 もうちょっと外が落ち着いたら案内お願いね」

「アンナイ! カルネラ、アンナイ! シッテル!」

紫揺が口元に人差し指を立てると、カルネラも小さなオテテを口に当てる。

「カルネラ、アンナイ、シッテル」

小声で言う。 学習能力は消えていなかったようだ。 おまけにジェスチャーも頭に入っていたとは。 紫揺が微笑む。

「いい仔ね。 もうちょっとしたらお願いね」

「オネガイネ」

カルネラが紫揺の言葉を復唱する。



夕時が既に過ぎ去っていた。
キョウゲンの言うように夕時後すぐに飛んでも城家主の屋敷には忍び込めない。 この時まで我慢をした。

「キョウゲン」

「御意」

キョウゲンが羽ばたき縦に回った。 マツリが地を蹴る。



紫揺が戸に耳を当て部屋の外の様子を窺う。 誰も居ないようだ。 肩に乗っていたカルネラが下りる。

「カルネラ、アンナイ。 シユラ、カクレル」

随分と前に言っていたことを覚えていたようだ。

「うん、そう。 見つかりたくないから。 私が隠れられるところを通りながら案内してくれる?」

「カルネラ、イイコ。 アンナイ。 シユラがカクレル」

ついさっきは  ”シユラ、カクレル” と言っていたカルネラ。
そのカルネラに “が” が入った。 助詞が。 “シユラがカクレル” と。

「カルネラちゃん、すごい!」

「カルネラ、スゴイ?」

「うん。 とってもお勉強してる」

「オベンキョ? ベンガク?」

「うん、そう。 カルネラちゃんは言ったらわかる仔」

「イッタラ、ワカルコ? カルネラ? ベンガク?」

紫揺が頬を緩めてしゃがむ。

「うん、そう。 カルネラちゃんはとってもいい仔。 勉学も出来る仔。 なんでも言ったら何でもわかる仔」

そう言うとカルネラの頭を撫でる。

「カルネラ、ベンガクデキルコ! ナンデモワ、カルコ!」

紫揺が口元に人差し指を立てる。

「カルネラ、イイコ。 ナンデモデキルコ」

小声で言うと、紫揺が笑顔で応える。

「それじゃあ、カルネラちゃん、案内してもらえる?」

自作ショルダーを締め直した。

「アンナイ、スキ。 シユラ、スキ」

屋敷の中の怒号は随分と前に治まっていた。 日常に戻ったのだろうか、今この階はシンとしている。
紫揺がそっと戸を開けるとカルネラが走った、その後を追う。

紫揺が屋根裏まで来た時と違う階段をカルネラが走り降りる。 その後を追って階下に降りる。
二階から一階に降りたはいいが地下牢に行かねばならない。

マツリと共時の話しは朧気(おぼろげ)に聞いていた。 この屋敷の中の地下に行く順を。
だがカルネラが走る所は共時から聞いていたものと随分違う。 共時は忍び込みやすい所から説明をしていたがカルネラは屋根裏部屋からの案内だ、出発点が違う。 紫揺の朧気ではあるが頭の中の地図がグダグダになってしまった。

周りを気にしながら走っていたカルネラが足を止めUターンしてきた。

「シユラ、カクレル」

誰か来たのだ。 カルネラが廊下を戻っていく。 紫揺も踵を返しそれに続く。 廊下に置かれていた角灯の乗った物置台の陰に入ったカルネラ。 紫揺も続いて身を屈める。 ギリギリ身を潜め隠れられるが、ここを通り過ぎられても後ろから誰かが来ても完全に見つかってしまう。

誰かの足音。 同時に男の声が聞こえる。

(こっちにこないで)

目を瞑って祈るしかない。

「やっと終わりか」

うーんと、男が伸びをする。

「ああ。 地下の面倒なんてイチイチ見てらんねーっつうんだよ」

「飯なんざ毎日やらなくてもいいのによー。 っとに、俺たちゃ給仕じゃねーってんだ」

食器の音となにやら他の音がする。
紫揺の居る所に来る前に戸を開けた気配がした。

(良かった・・・)

開けられた戸を閉める様子はない。 食器を置く音が聞こえる。 そしてもう一つの何かの音。

「洗っとくか?」

「明日のヤツがやるだろーよ。 置いとけ」

戸を閉める様子がなかったとはいえ、部屋の中での会話まで聞こえる。 紫揺の隠れているところに一番近い部屋に入ったのだろうか。

「明日ってーと、宇藤に懐いてるヤツらじゃねーか。 また喧嘩になるんじゃねーか?」

「そん時は、そん時だろ」

「俺は嫌だね」

そう言って食器を洗い出した。

「肝っ玉の小ぃせーヤツだな」

「喧嘩が嫌だって言ってんじゃねーよ。 喜作とつるんでるって思われたくねーだけだ」

チッと舌打ちしたもう一人が仕方なく手伝う。 男が洗ったものを手拭いで拭いていく。 吸水性は無い。 すぐにビショビショになってしまうが絞っては使っている。 故に、完全に拭けているわけではない。

「その喜作、餓鬼を逃がしたってな」

この男たちが地下の者に食事を運んでいる時に起きたことだ。 若い者が走り回っているのは見たがあまり事情はよく知らない。

「城家主には水尾たちが逃がしたって言ったらしいけどな」

手拭いを絞っていた手が止まった。

「けどな? けど、なんだってんだ」

「怪しいもんだ」

食器を洗い終えた男が手拭いを取り上げてギュッと絞ると自分の手を拭いた。



城家主が水尾と呼ばれる男を呼んだ。 そこに他の二人と宇藤もついてきた。

「なんでー、宇藤も一緒に逃がしちまったのかよ」

「まさか。 そんなヘマはしませんぜ」

「じゃあ消えな。 俺が呼んだのは餓鬼を逃がした奴だ。 オメーに用はねー」

「それじゃあ、こいつらも用無しですぜ」

「どういうこった」

「おい、城家主に説明しろや」

水尾が頷く。

自分たちが跳ね上げ階段の下に居ると喜作がやって来て階段を下せと言った。 言われるままに階段を下し角灯を渡した。 屋根裏に行くのも地下に行くのも最低でも二人体制と決まっている。 喜作の後に水尾が続こうと思ったらそれを断られたという。 頭ごなしに。
それからいくらも経たないうちに餓鬼が逃げたと喜作が階段を降りてきた。 その時に三人ともが階段に背を向けていたから水尾たちが逃がしたと言われた、と言った。

階段に背を向けていたことを言いたくはなかったが、宇藤からそこも城家主に言えと言われ渋々それを言った。

「ほざいてんじゃねーだろーな」

キセルに火を点ける。
水尾が怯みかけた時、宇藤が口を添える。

「城家主、喜作は俺と一緒に上がった時に傷は見えねーところだったらいいって言ってやした。 実際、その時には手を出しかけたのは止めやしたが」

城家主が顔を歪める。

「水尾たちをついてこさせなかったのは、餓鬼をやるつもりだったんじゃねーですか」

「本当だろうな」

もしそんなことをしていては売り値が下がってしまう。 それに今後に関わる。

「城家主に嘘を言ってどうするんでさー」

「喜作を呼びな」

城家主の後ろについていた男が部屋を出た。

やって来た喜作に紫揺を逃がしたことは反故としたが、城家主としても手下の手前それだけでは終わらせられないし今後のこともある。

「テメー、餓鬼に傷を入れようとしたのか」

この部屋の中でその事を知っているのは宇藤だけだ。 喜作が顔を横にして宇藤を睨みつけた。 それだけで宇藤の言っていたことが本当だと分かる。
前を向いて立っていた宇藤の口元が嘲るように動く。

「てめぇ・・・」

喜作が身体全体を宇藤に向ける。

「どっちを向いてやがる!」

城家主の声が飛ぶ。
口を歪め、ふてぶてしい態度で城家主の方を向いた喜作。

「テメー、俺を舐めてんじゃねーぞ」

宇藤の下瞼が上がった。

結局、紫揺探しは煙となって消えた。 いつまでも紫揺を探していては喜作の面子に関わるからだろう。 それに紫揺は棚ぼたのようなものだった。 労して手に入れた坊ではなかったのだから、失ってもなんということは無いというところだろう。



食器を拭き終わった男たち。 部屋から出て、後に出てきた男が戸を閉めようとした時、先に出ていた男が「なんだあれ」 と言った。 戸を閉めた男が顎で示された方に目を移す。
角灯の置かれている物置台の下に布が見える。

男達の声が紫揺の方を向いているのが分かる。 紫揺がそっと目を動かすと服の裾が僅かに物置台から飛び出していた。
別の男たちの声が聞こえた後に、いちど置物台から顔を出した時に出てしまっていたのだろう。

その男たちの声と言うのは、城家主に言われ喜作を呼びに来た男たちの声だったことは紫揺の知るところではなかったが。

(しまった・・・)

だが今から引っ張るわけにもいかない。

「放っておけ。 面倒臭せー。 それより角灯が消える。 行くぜ」

(角灯が消える? どういう意味?)

戸を閉めた男が先に歩き出し、紫揺の服の裾を見ながらもう一人の男が続いた。
足音が去って行き、どこかの戸を開けたのだろう、戸の閉まる音がした。

(心臓が止まるかと思った)

殺していた息を大きく吐く。

「カルネラちゃん、寄りたい所がある」

「ヨリタイ?」

「うん、さっきの男の人達が入った部屋」

「ウン、サッキ、ヘヤ」

男達が食器を洗っている時にも一度顔を出してどこの部屋かの確認をしている。 紫揺が立ち上がる。
すぐに走って戸を開ける。 中に誰も居ないことは分かっている。 あの二人の声しか聞こえなかったのだから。

戸を閉めると消えかけていた光石が再び点灯した。 廊下には所々に角灯が吊るされたり、置かれたりしているが、和室といいこの部屋といい、各部屋には光石が設置されているようだ。
この光石があるお陰で明りに不便は無いが、誰かが来た時に隠れてもその前に光石からも隠れていなくては紫揺がここに居たことを示すものでもある。 ある意味厄介だ。

「台所」

「ダイド、ロコ」

区切りはおかしいし少しひっくり返ってしまっているが、紫揺の言葉を復唱するのが楽しいらしい。
壁にかけられていた物を見る。

「やっぱり。 あの音はこれだったんだ」

「オトハ、コレ、ダッ、ンダ」

長いセンテンスの完全復唱にはまだ少々難があるようだがカルネラは喜んでいる。

「でも、どれだろ」

「ドレダロ・・・デモ」

壁には四つの大きな輪っかが掛けられ、その輪っかに鍵がぶら下がっていた。

男達は “地下の面倒” “給仕” と言っていた。 そして鍵の重なり合う音がしていた。 そうなればここのある鍵のどれかは地下に行くに必要な鍵なのだろう。 そして牢屋の鍵なのだろう。

全部持っていくには無理がある。 四つの大きな金属の輪っかにはそれぞれ一個から八個の鍵がぶら下がっている。 鍵のこすれ合う音を出しては自分が見つかってしまうだけだ。

「うん?」

「ウン?」

目を細めてよく見る。 大きな輪っかに何かが彫られてある。

そこには “チカ” と彫られているものが二つと “ウラ” と彫られているものが一つと “ヤネ” と彫られているものが一つあった。

“ヤネ” と彫られているものには鍵が二つぶら下がっている。 “ヤネ” は “屋根” ということだろう。 屋根裏には二つ部屋があったのだから、これは間違いなく屋根裏部屋の鍵だ。

“ウラ” と彫られているのがどこの鍵なのかは分からないが、俤は地下に閉じ込められている。 では “チカ” と彫られた二つの輪っか。 これが “地下” のことだろう。

“チカ” と彫られた横にそれぞれ、/(スラッシュ)が一本のものと//二本のものがある。 単純にこれは地下一階、地下二階という意味だろうか。 逡巡している間はない。

天袋で聞いていた時 『あんな一番下に押し込められて』 と男が言っていた。
迷わず “チカ//” を手に取った。 鍵が五つ付いている。 五つもついているのならば、牢屋に通じる戸を開ける為の鍵と牢屋の鍵なのだろう。 そう思うと単純に牢屋は四つもあるのだろうか。

放り投げられていた手拭いを持つと上手い具合に濡れている。 鍵が密着しやすいし消音になる。 一つ一つ鍵の間に手拭いを挟んでいき、大きな輪っかから動かないように固定する。 そしてそれを身体から外したショルダーに入れる。
他に入っているものもズレて音をたてないようにしっかりと包んで身体に密着させるようにもう一度袈裟がけにする。
万が一この鍵じゃなくてもこの中にあるものを使ってどうにかするつもりだ。

「OK、寄り道終わり。 あとはカルネラちゃんお願いね」

「オケー、ヨリオ、ワリ、オネガイネ。 シズカニネ。 カルネラ、アンナイ」

紫揺が小声で言っているので静かにするということは覚えているようだ。
言葉数の増えてきたカルネラ。 紫揺がカルネラの頭を撫でた。

戸にへばりついて外の音を確認する。 人の声も無ければ気配もなさそうだ。 そっと戸を開ける。
戸の下からカルネラが走り出す。 紫揺があとを追う。

今が何時か全く分からない。 もともと本領や各領土には時計というものがなさそうだが、それでも人が寝る時間かまだ起きてる時間かくらいは知りたい。

地下の食事を引き上げてきたことを思うとそれは夕飯なのだろうが、夕飯をとる時間が何時くらいなのかも分からない。

カルネラがするすると壁に上り天井まで行くとヒョイと左を覗いた。 先程カルネラがUターンしてきた場所の先だ。
また降りてくると紫揺を振り返る。

「リョウ(良)」

小声で言って左に曲がる。 紫揺が後に続くとそこは細い階段になっていた。

(地下に続く階段?)

地下に見張などいないのだろうか。 とにかくカルネラを追って階段を降りる。
曲がった踊り場まで来ると先が真っ暗だった。 廊下の角灯の明かりが届かないからだ。

真っ暗ということは見張などいないのだろう。 懐から光石を出して足元を照らす。 するとそこにカルネラがいた。 カルネラも暗すぎて動けなくなったのだろう。
という事はカルネラが以前ここに来た時には明るかったのだろうか? それとも、ここに入る男のあとをついてきたのかもしれない。 先ほどのように上に上ってついて行けば簡単に見つかることもないだろう。

(あ、さっき上に上ったのはその時の学習があったからなのかな)

カルネラがスルスルと紫揺の肩に上ってきた。

光石をかざしながら階段を降りていく。 最後の段を降り終えるとそこには広い空間があるようだった。 奥の方で幾人かの人の気配がする。 子供がしくしくと泣いている声も聞こえてくる。

紫揺が眉根を寄せながら声のする方に歩いて行く。
不用心かもしれない。 言ってみれば地下で悪さをして捕まった者達の気配なのかもしれないのだから。 でも地下に子供はいないと聞いている。 子供の泣き声がするのがおかしい。 足を進める。
光石を照らしてもその範囲は知れている。

その光石に照らされて頑丈な木で作られただろう格子の柵が見えた。 その格子の柵を追って上を照らしていくと天井まで繋がっている。

(牢屋の柵?)

今度は光石を左右に振ってみる。 何本もの柵が顔の幅ほどにあけて格子状にある。
テレビで見たことがある。 これは間違いなく牢屋。
牢屋に着くまでに鍵が必要な戸など存在しなかったようだ。

一番手前の牢屋の前で足を止める。 小さな光石では奥まで十分に照らすことが出来ない。 牢屋の奥に誰かが座っているのは朧げに分かるが、はっきりとまで見えない。

奥まで歩いて行くと左右に四つずつ牢屋が並んでいたのを確認できた。 “チカ/” と彫られた輪っかには鍵が八個付いていた。 間違いなく “チカ/” と彫られた輪っかは地下一階のことだったのだろう。

先ほどの朧げにしか分からなかったと同じ列、一番奥の子供の泣く声がしている牢屋に光石をかざす。
子供が大きな声で泣きそうになったのを誰かがその口を手で覆ったのか、子供の声がくぐもった。

「驚かせてごめんなさい。 泣かなくてもいいよ」

紫揺が光石を自分の顔に持ってきて怪しい者じゃないと示そうとしたが、中からは「ヒッ!」という、大人の声が聞こえた。

(しまった・・・)

そう、紫揺がやったのは、お化けだぞ~、と言うように下から顔を照らしたのだった。

「あ、ゴメンなさい。 どう照らせばいいかな。 とにかく怪しいものではありません」

男の子供の服を着て落ち着いた口調で話す女の声。 これを怪しいと言わずして、何を怪しいと言えばいいのか。

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辰刻の雫 ~蒼い月~  第42回

2022年03月04日 22時02分32秒 | 小説
『辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~』 目次


『辰刻の雫 ~蒼い月~』 第1回から第40回までの目次は以下の 『辰刻の雫 ~蒼い月~』リンクページ からお願いいたします。


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辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~  第42回



戸の取っ手に手をかけると取っ手が簡単に回った。 やはり鍵をかけ忘れている。

この屋根裏に上がってくるには跳ね上げの階段を下さなくてはいけない。 いま誰かと鉢合わせなどないことは分かっている。

何の躊躇もなく戸を開ける。 いざという時の為に戸は開け放しておく。 万が一跳ね上げの階段が動き出しても、誰かが上がってくる前に元の部屋に戻れる自信はある。

光石をあちこちにかざして廊下の状態を見ながら歩く。
足元に跳ね上げの階段が現れた。 ここまでに隠れられるようなところは無かった。

跳ね上げの階段の横を歩いて奥に進む。 下す階段の一番端に来ると隙間の空いた二本の角材が寝かされてあった。 蹴ってみる。 動く様子がない。 固定されているようだ。 その角材を跨いで歩を進める。 そこそこ進める。

(ここまで来たら角灯の灯りは届かないよね)

ちょっと距離はあるがいざとなればここに隠れられる。
そう思って振り向くともう一方の階段横に向かって歩き出した。 と、そこには何のためにか、下ろされる跳ね上げ階段にかからない一番端に頑丈な板が立てられてあった。 立てられてあると言っても大きな板では無い。 紫揺が丸くなって隠れられる程度のものだ。
その延長上に先程跨いだ角材がある。 角材でこの板を挟んで立てていたようだ。

(万が一にも、階段がずれてしまわない様にかな)

しゃがんで立てられてある板に光石をかざす。
板の縦の部分には割れた後があった。 下を照らしてみると角材の間に板の残骸がある。
最初はこの板がずっと角材の間を走っていたのだろう。 だが何かがあった。 紫揺の思うように階段がずれてしまったのかもしれない。 その時に角材に挟まれて立ててあったこの板が割れたのだろう。
そしてそのまま放置しているのだろう。

(ずさんだな)

さっきの隣の部屋の雑多な物にしてもそうだ。 この屋敷は整理整頓、修理が出来ないようだ。

その板をヒョイと跳び越えて廊下に戻っていく。 隣りの部屋の戸を過ぎ、その奥も見てみようと思ったが廊下はすぐに行止まりとなっていた。

隣りの部屋に戻った紫揺。 雑多な物を見て回った。 縄や布が散乱している。 そして陶器や木彫りの物、絵師が描いただろう・・・春画。
紫揺が眉間に皺を入れる。

(どこでもこういうのがあるんだ)

電車の座席や網棚、駅のホームでもそうだった。 そして都会とは言えない紫揺の住む家の周りにある田畑の畦や道の隅に捨てられていた雑誌や新聞の挿絵と同類。
クシャりと捻って潰した。

それから隅に置かれていた木箱を開けた。
そこには六つの木箱に金貨や銀貨、銅貨が入っていて、一つの箱には金細工で出来たものや飾り石で出来た宝飾品が入っていた。
マツリが見たものと同じである。

その横に何かに使えそうなものがあった。 使うチャンスがあるかどうかは分からないが。 それらを放り投げられていた布でくるみ、更に大きな正方形の布を見つけ、布でくるんだものをその中心に入れ、それを三角に折りクルクルと巻くと袈裟懸けのショルダーに出来るようにした。

ハクロにおんぶ紐を作ったくらいだし、苦手とする針と糸を使うわけではない。 これくらい造作もない。 袈裟懸けショルダーを雑多に置かれていた物の一員として目立たないように置く。

見るものは見た。 再度部屋の境の木を登って本来居なくてはならない部屋に戻ってきた。 カルネラが紫揺の肩の上で何度も首を傾げているのが目の端に入っていた。

「リスじゃないよ」

笑いながらカルネラに言った。

とにかくあの男が夕飯を運んでくるまでは誰も入ってこないだろう。 あの男が入って来るのが目覚まし代わりになる。 寝過ごすこともないだろう。 夜に動けるようにひと眠りしよう。

(私が逃げたのがあの人のせいになるのは気が引けるな・・・)

ゴロンと隅に転がった。



「いったい何を考えてるんだ!」

地下への入り口から少し離れた所で苛立たし気に右に左に歩くマツリ。
さっさと地下から出て宮に戻って四方に報告すればよかったのだろうが、紫揺を置いてここを離れるなどとそんなことは到底できない。 それに武官を出すことも。
紫揺は誘拐されたわけではない。 城家主に言わせると保護しているようなものだ。
それに今このタイミングで武官など出したくない。

結局かなり地下を歩き回った。 己が地下に居る間は城家主も下手に紫揺には手を出さないように言っているだろうと思ってのことだった。

あと少しすれば夕刻になる。 リツソを取り戻した時のようにキョウゲンが上空の壁ギリギリを飛べば城家主の屋敷まで飛んで行ける。
陽が落ちないと空気孔とも明り取りともいえる、上空にある穴を横切ってはキョウゲンの影が地下に落ちてしまう。 そうなればマツリが飛んでいることが地下の者に分かってしまう。
かといって陽が落ちた後に誰も上を見ないとは限らないが。

「夕刻すぐに城家主の屋敷に行かれてもまだ賑やかでしょう。 忍び込むことも簡単にはいきません」

「分かってる!」

「紫さまのご様子では急いて案じられることも無いかと」

マツリがそこらに転がっている石を手に持って下に打ち付けるように投げた。

「マツリ様・・・」

初めて見るマツリの様子だった。



ギギギギー、跳ね上げの階段を下げる音で目が覚めた。

「あれ?」

紫揺の身体の上には布団が掛けられてあった。

「あ・・・」

あの男が掛けてくれたのだろうか。 夕飯まで誰も来ないと思っていた、いつやって来ていたのだろうか、全く気付かなかった。
女とバレなかっただろうか。
それにカルネラは?

自分のお腹をポンポンと触るがカルネラが居ない。
辺りを探す。
階段が下げられてゆく。 「カルネラちゃん?」 小声で呼ぶ。
すると隣の部屋の雑多に置かれた物の中から「カルネラ、イイコ」 とカルネラの声がした。
布団を撥ね退け隣との境にある板に走る。

「誰か来るからじっとしてて」

階段を上がってくる音がする。 振り返って布団のある場所に戻った。
ガチャガチャと鍵を開ける音。 戸の軋んだ音とともにあの男が顔を出した。
紫揺の顔が歪む。

「へッ、飯の次は布団か」

男が中に入って来る。

(コイツが何かしたら堂々と逃げてやる)

跳ね上げ階段も下がっているままなのだから。

「餓鬼なんて見てるだけでうっとーしいんだよ」

(そっちの勝手をコッチに押し付けるな)

それに紫揺は餓鬼ではない。

戸を閉めて男がにじり寄ってくる。 

紫揺の眉がピクリと動いた。 逃げる時に戸を開けなくてはならない。 それはロスタイムに繋がる。
ゆっくりと少しでも戸から距離のある方に移動する。

「城家主が何を言おうと見えないところならどうでもいいんだからな。 ここに来る前に付いてた傷だって思うだろうさ」

確かに城家主はまだ紫揺の身体を検めていない。 まあ、そんなことをされていては女とチョンバレだが。

隣りの部屋からカルネラがじっと見ている。

隅には行けない。 逃げるには不利だ。 逃げる距離をはかって壁伝いに隅に行く手前で足を止める。

男が紫揺の目の前まで来た。
男にすればそれ以上動けないようにだろう、紫揺の進行方向であった隅に向かっていた方向の壁に足を上げた。
ドン!
男が壁に足を上げた音、紫揺を怖がらせるようにわざと音をたてたと分かる。

(コイツ、救いようのないゲス。 これが本当に子供だったらどれだけ怖い思いをするか、分かってんのかっ!)

子供でなくともこの場面で怯まない紫揺があり得ないのだが。
だが男が足を上げている方向は戸と反対方向である。 紫揺にしてみればラッキーこの上ない。
それに

(こいつは右利きだった)

もう一人の心優しいだろう男を殴ろうとしかけた時にしろ、その男から鍵を取り上げた時にしろ、全て右手だった。

(なら、まずきっと足も右利きのはず)

上げている足が右足、軸足は左足である。 利き足の有無にかかわらず紫揺の動きを止めるだけに進行方向の足を上げた。 それが右足。
軸足が利き足でないのならば、咄嗟に動いた時に身体がぶれるはず。 逃げる紫揺に手を出そうとしても後れを取るはず。 少しでもぶれを誘導するように低い位置で逃げれば最悪尻もちでもつくかもしれない。

「なんだよその目は。 生意気な餓鬼」

先ほどまでの嘲弄の目に怒りが見えた。

「今日は傷は一つだ。 それと、あばらの骨一本折ってやるよ」

男が手を紫揺に伸ばしてきたところを身を屈めて足の上がってない脇からすり抜け、そのまま戸に向かって走ると素早く戸を開けそして乱暴に閉めた。

何処へ行くか、自分の姿を隠すために。

懐から光石を出すと、すぐに見つけておいた板まで走り身を屈め、光石を懐にしまう。

男が戸を開けて出てきた。 左右を見ることなく階段を下りていく。 急いでいるようには見えない、どこか余裕が見える。

「おい! 餓鬼が逃げて来ただろ!」

叫んでる声が聞こえる。 またこちらに戻ってくるかもしれない。 耳を澄まして下の様子を覗う。
たむろっていた男三人が振り返る。

「え? 餓鬼は・・・」

三人が顔を上に向ける。

(良かった。 やっぱり誰かいたんだ)

一瞬だがここに隠れようか階段を降りようか迷ってのことだった。

男にどこか見えた余裕は、階段を駆け下りてもこの三人に捕まっているだろうと思っていたからのようだ。

「あーん! 逃げたんだよ! てめーら、いま階段に尻を向けてやがったなー! てめーらの責任だ! 餓鬼を今すぐ探し出せ!」

「は、はい!」

足音から男達が走って行く様子が分かる。

(責任転嫁もいいとこ。 サイテー男)

「糞餓鬼が!」

男の足音が遠のいていくのが分かる。

そっと歩き出すと隣の部屋の戸を開けカルネラを呼ぶ、同時に作っておいたショルダーを袈裟懸けになるようにし身体にフィットさせるように括った。
隠れていたカルネラが出てきて紫揺の肩に乗る。

「カルネラちゃん、ちゃんとじっとしてたね。 いい仔だったね」

カルネラの頭を撫でてやる。

「カルネラ、イイコ」

「そうだね、いい仔」

戸に向かって歩を進める。 戸を閉めながらも耳を澄ましている。
この階段が下がっている内に下りなければならないことは分かっている。 だが焦って捕まっては元も子もない。

身を屈めながら階段を一段ずつ下りていると、カルネラが紫揺の肩から下りて階段を降りだした。
一瞬驚いた紫揺だったがカルネラの毛はほぼではあるが保護色になっている。

「リョウ(良)! シユラ、リョウ!」

カルネラが呼ぶ。 誰も居ないということだろう。 これは絶好の相方ではないか。 だが声が大きい。 今は階下やあちこちで男たちの怒声が聞こえているからいいものの、これからのことを考えると声のボリュームは下げてもらわなくては困る。
滑るように階段を降りるとしゃがんでカルネラに「見つかるから声は静かにね」 と言った。

「シズ、カニネ?」

「うん。 えっと・・・小さな声」

小声で言うと、それとともに人差し指を口の前に立てる。
すると「リョウ」 と小さな声が返ってきた。 通じたようだ。

「地下のある所知ってる? 地下の部屋」

「チカ? ノヘヤ?」

「うん。 ずーっと下の部屋」

指で下を指す。

「カルネラ、シッテル」

これまた小さな声だ。 学習能力があるようだ。

「そこを教えて欲しいの」

「オシ、エテホシイノ?」

「うん。 私が隠れられるようにそこに連れて行ってくれる?」

「シユラ、カクレル?」

隠れるの意味は分かっている。 “逃げる” と同じリツソの常套句だ。

「見つかったら困るから」

“見つかる” もリツソの常套句。 ・・・いや、専売特許と言ってもいい。

「シユラ、コマル? カルネラ、イイコ。 シユラ、スキ。 オシ、エテホシノイ」

長すぎたようだ、最後がひっくり返ってしまった。

「ありがと。 私もカルネラちゃんが好きよ」

なんとも緊迫感の無いことだ。

男達の足音がする。 階下から上がってきたようだ。
紫揺が立ち上がりキョロキョロと隠れるところを探す。

「シユラ、カクレル」

リツソの師からリツソを何度隠れさせていたことか。

『師が来る! どこか隠れるところは無いか!?』

リツソが何度も言っていた。

紫揺がカルネラを見るとカルネラが走り出した。 だがその方向は男たちが走って来る方向。
一瞬足が動かなかったが屋根裏へと続く階段の向こうには何もない。 進むしかない。

カルネラがすぐに止まって横を向いた。 そしてそこをカリカリとする。 そこには戸があった。 取手を回し戸を引くと簡単に開いた。 そっと戸を閉め中を見る。 部屋の中の光石が点灯した。 和室になっていて誰も居ないのはいいが困ったことに何もない。
すぐにここも探しに来るだろう。

光石のことを考えると少しでも早く身を隠さなくては、誰も居ないはずの部屋の光石が点灯しているのは可笑しな話になる。 早い話、紫揺がここに逃げ込んだのがバレバレになるということだ。

男達の走る足音が戸の前を通り過ぎたのが聞こえる。 怒声と共に数人が跳ね上げの階段を上がっていく音も聞こえる。 それをBGMに紫揺が身体を動かした。

光石がまだ点灯している中、またもやカルネラが何度も首を傾げている。

「ふふ、リスじゃないよ」

紫揺が笑いながら小声で言う。

「カルネラちゃん、暫くお口チャックね」

そう言って口をチャックするような仕草を見せ、きつく口を閉じる。

「シラバク? オクチ・・・チャク?」

「うん、お口、チャック」

もう一度同じ仕草を見せる。

「オクチ、チャック」

紫揺の仕草を真似た。
紫揺がカルネラの頭を撫でてやる。

光石が消灯した。

それから暫くして戸が開けられたのだろう、数人の男の声が大きく聞こえる。
光石が点灯する。 それを見定めた男。

「何があった?」

(あ、あの人の声)

紫揺の手を繋いでいた、飯を運んでくれた男の声。

「何どころじゃないですぜ!」

「勝手に屋根裏に上がっておいて餓鬼が逃げたって」

「それが俺たちのせいだって言うんだから。 なんとか言って下さいよ、宇藤(うどう)」

男三人が思いのまま喋っている。

(あの人、ウドウって言うんだ)

この部屋で隠れられる場所、押し入れに目をやった一人の男。 その男が襖に近づき襖を開ける。 だがそこには一組の布団が置かれているだけだった。
男が天袋を見上げる。

「おい、探さなくていい」

天袋を見上げた男も残った二人の男も宇藤をみる。

「どういうことですか」

天袋を見上げていた男が宇藤の元に寄ってくる。

「わからねーか?」

宇藤と呼ばれた男が片方の口の端を上げる。

「お前らの言いたいことは分かった。 餓鬼が逃げたのはお前らのせいじゃねー。 それは俺が城家主に言ってやる。 喜作(きさ)はそれで城家主に・・・そうだな、殺されはしねーか」

「まあ、気に入られてますんで」

「だが、疵瑕(しか)は残るだろう」

宇藤の言いたいことが分かったのか、男三人がニヤリと笑う。

「喜作を潰す絶好ってことですか?」

「まあな」

「宇藤、何を考えてるんですか?」

「なにも」

「そんなことは無いでしょう?」

「何を言いたいでー」

「共時を逃がしたのは宇藤でしょう?」

(え・・・)

共時が言っていた。 城家主の屋敷の中には共時を慕っている者がいると。 そいつが共時を逃がしたと。

「馬鹿なことを」

「宇藤、俺たちを信じてくだせーや」

宇藤が男を見る。

「喜作には俺たち、ついて行けねーんです」

「この地下に来て何をほざいてんだ」

「俺たちは・・・俤に―――」

「その名は出すんじゃねー!」

「ですが! 俤が地下に!」

(生きてるんだ!)

紫揺が光明を得た。

「出すなと言ってんだろーが!」

「あんな一番下に押し込められて、俤をこのままにしておくんですか!」

宇藤に睨まれながらも男が言う。

「テメーの保身を考えろや。 俤が何を言っていたかよく考えろ」

「こんな時に共時が居てくれれば・・・」

ポツリと男が言った。
宇藤がその男を睨む。

「俤もそうだ、共時の名も出すな!」

宇藤と言われるこの男、他の男が言っていたように共時を逃がしたのだろうか。 あの時に共時から逃がしてくれた男の名前を聞いておくのだった。 だが後悔をしても始まらない。

「とにかく餓鬼を探す必要はねー。 探すふりだけをしておけ。 まずはヤツを貶(おとし)める」

「ちゃんと城家主に言ってもらえるんですか? 俺たちのせいじゃないって」

「ああ。 それがヤツを貶めることになるんだからな」

(この宇藤って人、何を考えてるんだろう?)

地位的なものがあるようだが、その序列が分からない。

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