大福 りす の 隠れ家

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辰刻の雫 ~蒼い月~  第137回

2023年01月30日 22時07分28秒 | 小説
『辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~』 目次


『辰刻の雫 ~蒼い月~』 第1回から第130回までの目次は以下の 『辰刻の雫 ~蒼い月~』リンクページ からお願いいたします。


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辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~  第137回



「紫がどんなに我を嫌っていようとも、想っておらなくともな」

「だっ、だれも想ってないなんて言ってないっ」

「では? 想っているということか?」

「そっ、そんなこと言ってないっ」

「そうか、 ではなんと、などとはもう訊かん。 我は決めたのでな。 紫に嫌われていようがどうであろうがな」

「嫌いだなんて言ってない」

マツリの様子が、話す声音(こわね)が違ってきた。

「そうか。 茶を一杯貰おう、それから本領に戻る。 葉月、悪いが茶を淹れてくれるか。 紫も喉が渇いたであろう」

一瞬飛び上がりかけた二人。 襖に耳をくっ付けていたことがバレていたようだ。 塔弥の顔を睨んで腹立ちまぎれに立ち上がると「ただいま」と返事をしながら、塔弥の頭をもう一度ペチンと叩いて台所に向かった。
もしこれをマツリが見ていたら、拳よりましだろう、まず音が違う、と言っただろう。

「シキ様・・・ややは?」

唐突に紫揺がシキの話をする。 だがそれを否定することなくマツリが答える。

「元気なややらしい」

元気ということは男の子だろう。 お腹もよく蹴っていた。
だが、・・・らしい? それはどういうことだ。

「見に行ってないの?」

「ああ」

「どうして?」

「今日は久しぶりに宮に戻ってきたが、姉上の所に行く時が無かった。 先の刻の祭の時にも宮に戻ってはいたが、それも致し方なくだ」

「どこかに行ってるの?」

シキのところにも行っていないのに東の領土に来た?

「ああ、少々長引く。 あまり来られないと言っておったであろう」

「じゃ・・・今日は・・・」

「我が来ると言ったから来た。 ここに来る前のことで思いのほか時が取られてこんな刻限になってしまったが。 紫の返事を聞きたかった、それだけでやって来た。 まぁ、ちゃんとは聞かせてもらえなかったがな」

胡坐ではあったが背筋を伸ばして座っていたマツリが手を後ろに置いて姿勢を崩す。

「このあと、またどこかに行くの? その、宮に戻らないの?」

「ああ。 あまり目を離したくない」

「それなのに来た、んだ」

マツリの片眉が上がる。

「言ったであろう、我が言ったから来たと。 安心するがいい、これ以上は何も言わん。 茶を飲んだら戻る」

「・・・前にも言った」

なにを? という顔を返す。

「シキ様に会いに行ってくれって・・・安心しろって。 マツリは顔を出さないって」

そのことか。

「ああ、言った」

確かに今もあの時も言った。 それがなんなのだろうか。

「・・・安心なんか。 出来るは・・・」

紫揺の言葉が止まったが、再び口を開いた時には違う言葉から始まった。

「・・・だから」

襖の向こうで葉月が様子を伺っているのが分かる。 茶を出す機をうかがっているのだろう。 喉が渇いた。 茶を飲みたいが今は紫揺を待つしかない。

「どうしてなんにも言わないの」

何故だろう、聞き手に回っているだけなのにマツリが睨まれる。

「紫の言いたいことを聞いているだけだ。 俺は俺の言いたいことをもう言ったのだからな」

「だから・・・マツリの言いたいことって、マツリが嫌われてるとか想われてないとか。 そんなこと言ってない。 えっと、もしかして前には言ってたかもしれないけど・・・」

「葉月、茶を」

再度紫揺がマツリを睨む。 どうして聞いていると言いながらその態度なのか。

驚いた葉月だったが、そっと襖を開けると座卓の上に新しい湯呑を置く。 お替わりが出来るように盆の上に茶器も置いている。
葉月が下がるより早くマツリが一気に飲み干す。 すぐに葉月がお替わりを淹れていると、対抗するかのように紫揺も一気に飲み干す。
どうしてこんなことで張り合うのかと溜息をつきたいのを我慢して紫揺の分も淹れる。

「俺が愚かだった時にはそのようなことを聞いた記憶は・・・ある、か」

なんと言っていたか・・・とポソリと言う。
先に使っていた湯呑を下げた葉月が襖を閉める。

「だから・・・その時は。 私も悪かった。 私も考えが浅かったし感情的になり過ぎてた」

マツリが湯呑を手にすると一口飲む。

「その、マツリが居なかったら初代紫さまとお話しも出来なかっただろうし、五色のことも・・・紫の力の事もマツリが教えてくれた。 それに・・・私が熱を出した時、マツリ居たよね?」

両の眉を上げて見せると、もう一口飲む。

「塔弥さんも誰も教えてくれないけど・・・。 絶対に居たよね。 無理矢理、薬草を飲ませたよね?」

「薬草は草だ。 草を飲ませてどうする。 俺が飲ませたのは本領の薬湯だ。 東の領土の薬湯では熱が下がらなかったそうだから、本領の薬湯を持ってきた。 本領の薬湯の呑ませ方を此之葉は知らん。 だから俺が飲ませた。 塔弥に口止めしたのは俺だ。 あんな時だったからな」

あんな時。
紫揺が首筋に手を置く。

(分かりやすい・・・)

あんな時、と言ったのを正しく理解したようだ。

「・・・マツリのこと嫌いじゃない」

マツリが茶を飲み干す。
紫揺がお替わりを淹れる。 茶を飲んだら帰ると言っていたのだから。

「安心しろって・・・そんなこと言われて。 本領に行って澪引さまが迎えてくれたけど・・・。 マツリ、居なかったじゃない」

居ないから安心しろと言った。

「今だってそうじゃない。 どうして話の途中なのにお茶を飲んだら帰るって言うの」

紫揺が口を噤んでしまったからだろう。 だから手法を変えただけの話。

「・・・どうして」

もう喉は潤った。

「どうして・・・どうして。 ・・・どうして蛇は脱皮するの」

塔弥と葉月が呆れたように口を開ける。 どうして? どうしてとこっちが訊きたい。 どうして今その話なのか? 蛇の脱皮なのか? いや、脱皮でなくとも違うだろう。
だがマツリは何ともない顔をしている。 それどころか淡々と答える。

「人で言うところの身体の皮はゆっくりと伸びていく。 だが蛇はそうではない。 皮が一気に剥がれ落ちそれを繰り返し徐々に大きくなっていく」

それくらい知ってる。 だがそれを足掛かりに次を言いたい。

「じゃあ、どうして亀は脱皮しないの」

「亀も脱皮をしておる。 甲羅の甲板が剥がれ落ちる。 頭や手足も鱗だから脱皮をしておる。 痒そうにしているのを何度か見たことがある」

「え? 脱皮するんだ」

元飼育委員、知らなかった。 いや、気付かなかったのか。 甲羅の脱皮、見たかった。
実際は池の中に脱皮後の甲羅がプカプカと浮いていたが、それが甲羅だとは気づいていなかった。

「じゃ、どうして太鼓の音が鳴るの」

「太鼓を叩くことによって張られた皮が振動する。 それが周囲の空気を動かし、その密度に粗雑や精密であるものを作り出す。 それが周りを伝わり耳の中を振動させ音となる」

意外な答えが返ってきた。

「もっと詳しくか?」

思わず首を振る。

紫揺が太鼓などと言ったのは、今日が紫揺の誕生の祭だったからだろう。 そこで太鼓が鳴っていた。 何か理由があって訊いたわけではないだろう。
そう思いながら湯呑に口をつけ、一口にもならない僅かな量だけを飲む。

「どうして訊いたことに答えるの」

「訊かれたからだ。 知っておれば答える。 知らなければ知らんと言う」

杠が言っていた。 紫揺の知らないことを教えてくれる人、なんでも答えてくれる人と。

「シキ様に会いに本領に行った時・・・マツリがいなくて寂し・・・かった。 杠もいなかったし」

おまけを付けられてしまった。

「杠も忙しくしておる」

「・・・そこじゃない」

「ちゃんと聞いておる」

マツリがいなくて寂しかったと。

「なんでだか、マツリが居なかったら寂しいと思った。 マツリのことは嫌いじゃないし、それに何でも教えてくれる、それをよく知ってる。 葉月ちゃんにも色々言われて気付いた事もあるし。 悔しいけどまだ教えて欲しいこともある」

どうして悔しいと付けるのか。

「これが今の私の気持ち。 だから、ちゃんと言ったから、やめて。 ・・・マツリとは一緒にいられない。 お願いだから実力行使とか・・・やめて」

どうしてそこまで拒まれるのか。

残っていた茶を飲み干すと「美味かった」と言って湯呑を置いた。 マツリが帰るということだ。
実力行使をやめて欲しいと言ったことに返事を貰えていない。
マツリが腰を上げかけたのを止めるためになのか、ここまで吐露した心の内が緩んだのか俯いた紫揺が口を開く。 それは紫揺にとって一番大切なこと。

「・・・私は・・・お父さんとお母さんを殺したから」

葉月と塔弥が驚いて目を見合わせた。
マツリが一度目を伏せ、ゆっくりと開ける。

「そのようなことはない」

頭を下げていた紫揺が首を振るが、詳しい話はシキから聞いている。

「殺した。 ・・・だから・・・領土のみんなと一緒にいる以外に幸せになっちゃ、いけない」

そんなことを考えていたのか。

「姉上と話したことをよく思い出せ。 そうではなかろう」

シキは紫揺から話を聞いてコンコンと言いきかせた。

『責めるのではないのですよ。 紫のせいではないではないでのすから。 その様に思っていては、紫の父上も母上も悲しまれます』

紫揺が首を振る。

「・・・好きな人と・・・一緒に幸せになっちゃいけない。 私はそれをお父さんとお母さんから取り上げたんだから」

もしかして杠もそう考えているのだろうか。 だから女房をとらないと言っていたのだろうか。

「紫の父上と母上がそんな風に思っておられるというのか? 紫の幸せを願われていると思わんのか?」

あの日、あの幼い日に杠が叫んでいた時のことを思い出す。 紫揺も杠もあの時と同じように今も心の中で叫んでいるのだろうか。

「・・・」

「父上と母上の願いを叶えんか?」

「そんなのは・・・偽善」

「では父上と母上が紫と共に過ごした時、紫を憎むことを仰られたか?」

「そんなことない!」

大切にしてもらっていた。 母親である早季は紫揺の怪我一つに心配をし、父親である十郎は紫揺の自由を尊重してくれた。

「・・・そんなことない。 お父さんとお母さんは・・・大切にしてくれた」

紫揺に考えさせるようにマツリが間を置く。
そして言う。

「大切に思う者に、幸せになってもらいたいと思うだろうと言うのは偽善か?」

紫揺が膝を抱える。

「我が紫の父上と母上の想いを継いで紫を幸せにする。 紫の父上と母上が居なくなられた今、紫を幸せに出来るのは我だけ、そう思わんか?」

他に居るか? マツリが問うている。

「マツリが・・・お父さんとお母さんの何を知ってるって言うの!」

「紫を想われていたと知っておる」

こんな紫揺だ。 どれほど心配をしていただろうか。

「その!・・・その! お父さんとお母さんを私が殺した!」

「そのようなことは無い」

「私が殺した! お父さんとお母さんを私が殺した! 私は!・・・誰かと幸せになっちゃいけない!」

抱えていた足に顔をうずめる。
空気の動く感覚があった、そしてふわっと包まれた。

―――なにに?

「殺めるというのは最初に心に刃(やいば)を持つこと。 それを形に変えて命を奪うこと」

紫揺が首を振る。 心に刃など持ったことなどない。

「避けられなかったこと。 馬車同士がぶつかったのがどうして紫のせいとなる。 父上と母上を想い物見遊山に招いただけであろう」

塔弥と葉月の今にも張り裂けそうになっていた心臓がゆっくりと落ち着いていく。
そういうことだったのか。

マツリは今、馬車同士と言ったが、きっと紫揺がわかりやすいように言っただけなのだろう。 馬車同士がぶつかって人が死ぬことなど、あの日本ではまずない。 日本で馬車に乗れるのはテーマパークや乗馬体験が出来るところ、他にもあるかもしれないが、どこにせよ安全には万全を期しているはず。
そして物見遊山と言った。 きっと馬車ではなく電車か車かバス。 紫揺の日本での生活はお付きたちから聞いている、それを考えるときっとバス。 バスツアーだったのだろう。 招いたということは、紫揺がプレゼントしたのだろう。 そこで事故に遭った。
知らなかった。 そんなことがあったなどと。 紫揺が心を痛めていたなどと。

葉月が自分を責める。 知らなかったでは済まない。 自分が紫揺に言ってきたことは紫揺を責めていただけなのだろうか。
葉月の目からポロリと涙が落ちた。

「葉月・・・」

「・・・塔弥は知ってたの」

塔弥が首を振る。

「亡くなっておられたとしか聞いていなかった」

葉月が目を伏せた。 まだ瞼に残っていた涙が先に落ちていった道筋を追う。 塔弥が手を伸ばして葉月の頬を覆うと親指で拭いてやる。

「塔弥・・・」

塔弥のもう一本の手が伸ばされた。 両手で頬を包む。

「葉月はよくしてくれている。 葉月が泣くことはない」

そっと一部屋の戸が閉められた。

シキの手ではない手に抱きしめられた。 シキのように優しくはない。 柔らかくもない。 でも・・・ずっと大きい。

「父上と母上はお幸せだった。 違うか? お幸せだったのに今の紫を見て心配をしておられんか?」

『―――守っているから。 見ているから。 ―――ね、紫揺ちゃん』

涙がどんどんと溢れてくる。
泣いて泣いて泣きつくしたはずなのに。

「紫・・・其方が幸せにならんでどうする」

丸くなっている紫揺を抱きかかると立ち上がった。
驚いた紫揺が抱えていた足から手を離しマツリを見上げる。

「民の為にも・・・と言わなければいけないだろうが・・・。 今の我は広量にはなれん。 我の為に幸せになって欲しい。 我が幸せにする」

紫揺の目からとめどなく涙が溢れる。

「お父さん・・・お母さん・・・」

マツリの胸に顔をうずめて声を上げて泣いた。

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