大福 りす の 隠れ家

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辰刻の雫 ~蒼い月~  第93回

2022年08月29日 21時03分08秒 | 小説
『辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~』 目次


『辰刻の雫 ~蒼い月~』 第1回から第90回までの目次は以下の 『辰刻の雫 ~蒼い月~』リンクページ からお願いいたします。


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辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~  第93回



昼餉時には民に呼ばれ、まるでピクニックのように皆で屋外で食べた。

「紫ちゃま、ガザンは?」

母の膝に居た幼子が訊いた。

「え? ガザンを知ってるの?」

幼子が頷き、母親が説明をする。

「時々とも言えない程ですけどこの辺りまで何度か。 最初はみんな恐がっていたんですけど、ガザンの噂は耳にしていましたので。 それで男がガザンの前に出ましたら、ガザンに臭いを嗅がれただけで終って。 それからはこの辺りの全員がガザンの前に出ました。 噂のガザンの合格の印を押してもらわなくてはと。 するとどうしてか子供たちがガザンを気に入りまして。 ガザンが来るたびに子供たちがガザンに付いて歩くようになりました」

こんな所にまでガザンは来ていたのか、それも何度か。

「そうだったんですか。 ここまで来ているとは知りませんでした」

そこまで言って幼子に目を合わせる。

「ごめんね、今日ガザンは一緒じゃないの」

一瞬目を丸くした幼子だが、紫揺に声を掛けられて喜んでいる。

「ガザンは紫さまのことが心配なんでしょう。 ガザンがあちこち見回っているのを誰もが知っていますから」

「だったら、今日もついて来てくれればよかったのに」

「お転婆に預けたんでしょう」

すかさず塔弥の言葉が入った。

「預けるって・・・」

そのお転婆は長い綱を木に引っ掛けられてはいるが、結構自由にして砂浴びなどをしている。

他の馬は時々誰かが乗って運動をさせたりしているが、お転婆だけは紫揺でなければならない。 万が一、紫揺が長くここを空けるということにでもなれば、塔弥か阿秀がなんとかするだろうが、紫揺が居る以上は塔弥も阿秀も避けて通っている。

陽が沈む前に厩に戻ってきた。 無事今日一日が終わった。 今日、紫揺をお転婆で出すことにはかなりの勇気がいったが成功に終わったようだった。
お転婆も特に走り回るということは無かったが、久しぶりの外ということで満足したようだ。 紫揺がお転婆の手入れが終わるころには夕餉の刻となっていた。


川の清流に足をつけると、しっとりとかいた汗が流される。 それが気持ちの良い季節となってきた。 東の領土の短い夏が始まろうとしていた。

数日前に降った雨が、川の水嵩を多少深くはしていたが濁りなく流れている。 木々の葉は深緑に染まり、瑞々しさが葉を生き生きとさせている。


「あんたー!!」

悲鳴にも似た女の声が頭上から聞こえた。
紫揺とお付きが上を見上げる。


今日は久しぶりの遠出だった。 遠出だというのに珍しくガザンが付いてきていた。 紫揺はもちろんお転婆に騎乗してのことだ。
一番近くの辺境近くまで足を向けている途中で、広い滝壺で休憩を取っていた時のことだった。

紫揺たちが見上げた滝の上、水が落ちてきている横から人影が落ちてきていた。
長靴を脱いで下穿きを膝までたくし上げ、川に足を着けていた紫揺も、川の水を手ですくっていたお付きたちの目も大きく開いた。

見上げた時には普通のスピードで見えていたが、誰もが目を見開いてからは、影がゆっくりと落ちてくるように見えた。

「落ちてくる!」

誰が言ったのだろうか、途端スピードが戻った。
落ちてくる影が男だと分かる。 手足をバタつかせている。

落ちる前なら、自分達が上にいたなら、手を伸ばして助けられたかもしれない。 だが今は助けようがない。
全員が目を逸らそうとした時、落ちてくる人影に向かって紫色の一筋の光が発せられた。
光は落ちてくる男を捉えると包むようにして広がり、男を包み込むとゆっくりと地に下ろした。 男が地に身体を着けると輝くように紫の光が消えた。

呆気に取られているお付きたち。 そっと地に下ろされた男も何があったか分からない顔をしている。
頭上では男の女房だろう、女が身を乗り出して固まっていた。
その中で大きな声が響いた。

「紫さま!!」

塔弥の声であった。

ゆっくりと首をそらして後ろに倒れてゆく。 倒れゆく紫揺を腕に抱いたのは近くにいた阿秀であった。


溜息をつきながらあと少しで夕刻という空を見上げた塔弥。 その目にこちらに向かってくるキョウゲンの姿が映った。

「くそっ、どうしてこんな時に」

一瞬にして声に出してしまったが、こんな時だから良かったのかもしれない。 全くどうなっているのかが分からないのだから。
領主の家に走った。

すぐに秋我がマツリを迎えに出る。 マツリがいつも降りる緑が広がる草の上に降り立った。

「マツリ様、如何されましたでしょうか」

「ああ、四の月の満の月、紫の誕生の祭はどうだった?」

まさか開口一番そんなことを訊かれるとは思いもしなかったし、まずこのタイミングでマツリが来るとも思ってもいなかった。 領主である父親と口裏合わせをする間もなかった。

「ええ・・・民が紫さまのお姿を見て喜んでおりました」

「二十三の歳の祭だったな」

「・・・はい」

秋我の歯切れの悪さにチラリと視線を送ったが、特に何を言うこともなかった。

「領主に話があるのだが」

何の話かと思う一方でホッと胸を撫で下ろす。 領主との話であれば紫揺のことは関係ないだろう。 今マツリが紫揺の話をしたのは時候の挨拶のようなものだろう。 紫揺のことで何を問われることもないだろう。

「はい、今は家には居りませんでしたので、呼びに行っているところです。 どうぞ我が家に腰を下ろして下さい」

「ふむ、邪魔をさせてもらう。 耶緒の具合はどうだ? あれから調子は良いか?」

「はい、ご心配をお掛け致しました。 あれはいったい何だったのだろうと思う程に落ち着いております」

紫揺の話しから遠ざかり更に胸を撫で下ろす。

領主の家に入りいつも紫揺たちが話している席に着いたマツリ。 領主はまだ戻って来ていないようだ。
マツリの斜め前に座り、明るい所でマツリの顔を見た秋我。

「マツリ様、お顔の色が優れられておられないようですが?」

奥から耶緒が盆に茶を乗せて入ってきてマツリの前に置く。

「ああ、暫く本領が忙しくてな。 だがもう落ち着いた」

考えればリツソが攫われたことから始まった。 紫揺を地下に入れ杠を助け出した後に色んなことが判明した。
咎人を捕らえたり、その後は立ち合いが続き、攫われた者たちが売られた後を探したり、滞っていた四方の仕事の手伝いと怒涛のような日々だった。 だが疲れはもう取れたつもりであったが、まだ見た目に残っていたのだろうか。

「耶緒、息災のようだな」

見ると遠慮がちに腹が膨らんでいる。

「ご心配をありがとう存じます」

「大切な身体故、無理をすることの無きよう」

「はい」

微笑み、辞儀をすると奥に入って行った。

「領主にお話ということですが、何か御座いましたでしょうか」

「・・・ああ、まぁな」

今度はマツリの歯切れが悪い。 そんな時に領主が家に入って来た。

「お待たせいたしまして申し訳御座いません」

「いや、急に来たのは我の方。 気にすることはない」

領主がマツリの前の席に着いたが走って来たのだろう。 少々息が上がっている。 奥から耶緒が出て来て領主の前にも茶を置く。
マツリが茶に口をつける。 そうしなければ領主が茶を飲むことが出来ないからだ。

「お気遣い有難うございます」

そう言って領主がごくごくと一気に飲み干した。 すぐに替わりの茶を耶緒が用意する。

「申し訳御座いません。 このような歳になりますと少々走っただけで息が上がってしまいまして。 若い頃には想像も出来ませんでした」

「いや、走らせたのは我だ気にせずともよい」

領主が頭を下げる。

「して? 今日はどのようなことで?」

「ああ・・・」

目を宙にやるマツリ。 ゆっくりとその目を下ろしてくると大きく息を吐く。
どうしたことかと領主が秋我を見たが、秋我も首を振るしかない。

「紫のことだが」

領主がグッと喉を閉め、秋我が唇に力を入れる。
二人の表情になにか異なるものを感じた。

「どうした?」

「あ、いえ・・・その、紫さまのことで何か・・・」

マツリが眉間に皺を寄せた。 己の気を集中させ探し物をする。

(・・・おかしい、紫の気が弱い)

どうして気付かなかったのか。

「紫に何かあったか。 いや・・・倒れておる、か・・・」

一瞬、顔を歪めた領主が諦めたように話し出す。
一昨日の出来事を。

「紫の光?」

「はい。 紫さまの額にあった紫水晶からです」

その紫水晶は紫揺の為に作られた額の煌輪と呼ばれるもので、飾り石職人が最初に手にしたときより、紫揺が一目見た時から輝きを増しているらしいと説明をした。

「その後に紫さまが倒れられまして・・・」

「そのまま起きてこないということか?」

「はい・・・」

「一昨日か・・・どこか異変は? 熱は」

「いつもの眠られている紫さまで御座います。 変わったところなど見受けられないとのことで、お熱も御座いません」

領主の返事を聞いて分かった。 今まで紫揺に付いていたのだろう、少しの時を惜しんで。 言い変えればそれほどに紫揺の状態が分からないのだろう。

「此之葉はなんと?」

「此之葉も全く分からないようです。 此之葉が師である独唱様と唱和様にも訊ねましたが、お二方とも分からないと」

「ふむ・・・」

マツリが指を曲げ顎に添え目を瞑る。 今まで読んできた五色についての本の頁をめくる。

「・・・心当たりがなくもない」

「え?」

マツリが腰を上げた。

「紫を本領に連れ帰る」

「マツリ様!」

「気に病むことは無い。 東の領土から紫を取り上げるのではない。 一旦本領に連れ帰るが、紫が落ち着けば東の領土に帰す。 ・・・紫は」

そこでマツリの口が止まった。

「マツリ様?」

大きく息を吐いたマツリ。

「・・・余りにも力が強いようだ。 東の領土の初代五色に匹敵するかもしれん。 だが初代は自覚があった。 何もかも分かっておった。 しかし今代の紫は違う」

マツリの言わんとしていることは分かる。 紫揺は未だに領土のイロハさえ分かっていない。 それは仕方のないことだ。 この領土で生まれ育っていないのだから。 この領土で生まれ育っていれば、幼少の頃から紫としての色んなことを肌で感じ ”古の力を持つ者” お付きの者、そして民から声を聞く。 それが紫としての勉強になり自覚ともなる。 だが紫揺にはそれが無かった。

「このまま東に置いてはおけん。 何が起きるか分からん。 一旦、紫を本領で引き取るだけのこと、案ずることは無い」

紫である五色の故郷は本領なのだから、五色の力を知りつくしているのは本領。

それでなくてもこの東の領土では、先の紫が突然いなくなった。 紫揺に紫の力を指南出来る者などいない。 “古の力を持つ者” の独唱や唱和の師なら言えたかもしれないが、師にはそれを伝え聞かす時がなかった。 独唱も唱和も幼過ぎた。 それに当時は襲われた先の紫の気を追うことを、唱和より更に歳浅い独唱に教えるので精いっぱいだった。

マツリが歩き出すと秋我がその後を追う。
既に紫揺の家には行っている。 どこが紫揺の家かは分かっている。 秋我の先導など必要ない。

「入ってよいか」

紫揺の部屋の前で声を掛ける。
此之葉が大きく目を開けた。 マツリの声だ。 マツリが来たとは聞いていたが、まさかここにマツリが来るとは思ってもいなかった。

「あ・・・」

きっとマツリが来たと聞いた領主が、何もかもをマツリに話したのだろう。
此之葉が戸を開けるとそこに間違いなくマツリが立っていた。

戸を開けられ、大股に歩き紫揺の寝かされている布団の横に片膝をつく。

「薬湯を飲ませたか?」

「いいえ、お目覚めになられませんので、お飲みいただくことが出来ておりません」

「そうか・・・。 ふむ、それで良い」

マツリが紫揺から目を離した。 紫揺の枕元にはサークレット、額の煌輪が絹の座布団の上に置かれている。

「これか・・・」

領主が言っていたもの。 無造作にそれを手にする。 そして見る。 その輝きを視る。
マツリの目は魔釣と身体の状態を視るだけの目ではない。 力を視るということも出来る。

「この石は紫と共鳴できるようだな」

「え・・・?」

ふとマツリが視線を上げる。

「あの紫水晶は?」

以前来た時には無かったはずだ。 大きな紫水晶が絹のお座部の上に座っている。 紫揺が花冠を置いていた所に置かれている。

「飾り石職人が採掘しました。 あの石を紫さまの飾りにと職人が思ったのですが、紫さまは削ることを厭われてここに置かれました」

「・・・そうか」

この石が削られなくて良かった。 この石が削られてしまっていれば、取り返しがつかなかっただろう。

この石は紫揺の・・・紫の為にある石。

初代紫が後の紫の為に力を宿した石。 紫揺はそれをどこか肌で感じたのだろうか。
初代紫の力が想像以上だということを思い知らされる。 五色の、一人で一色を持つ者、この東の領土での初代紫は、その強大な力に苦悩があったのかもしれない。

紫揺の顔を見る。 血色が悪いようには見えない。 領主が言ったように、ただすやすやと眠っているようだ。

「領主には申した。 紫を本領で預かる」

此之葉が何かを言いかけたが、それを畳み込むようにマツリが言う。

「案ずるな。 紫が落ち着けば東に戻す。 これらも預かる。 良いな」

これらとは額の煌輪と大きな紫水晶。
石も額の煌輪も持っていくことに否と言う気はないが、紫揺の身は・・・。

「紫さまにお仕えするのはこの私です」

「では明日にでも此之葉も本領に来るがよい。 本領が拒むものではない。 だがそうそう早くに紫は返せんだろう。 紫がいないこの領土を、力のある者が空けるというのには感心せんがな」

此之葉の言い分も分かる。 “古の力を持つ者” として尤もなのだから。 だが紫揺を預かっている間に東の領土に何かあれば、いや、何かある前に異変を感じられるのは此之葉だ。 事前に何か手を打つことが出来るかもしれない。
東の領土は長い間安定をしている。 万が一などとは考えられない程に。 だが災害はいつ起こるか分からない。

「これは精緻な故、何かに包んだ方が良かろうな」

言われてしまった此之葉が額の煌輪を手巾で包んだ。 勿論大きな紫水晶も。

「秋我、書くものを借りたいのだが」

「すぐにご用意いたします」

マツリが何やら書き終えると片手に持ち、手巾に包まれた額の輝輪と大きな紫水晶を懐に入れた。
布団を剥ぐと紫揺は夜衣のままだ。

「マツリ様!」

思わず秋我が叫んだ。

「紫を包むものを」

此之葉の手から薄い布が渡された。 薄い布にはしたくなかった。 だが季節を考えると厚物にしては紫揺が茹ってしまう。
渡された布で紫揺を包むと抱きかかえる。

「東の領土から紫を取り上げる気はない。 だが今の紫をこのまま置いておくと、東の領土にも紫にも良いことは起きん。 良いことどころか、紫が良いと思ってしたことが、紫自身を徐々に潰していくことになりかねん」

「・・・え?」

「それほどに紫の力は強い。 この力を抑えることを教える。 五色の郷の責として」

「マツリ様・・・」

マツリが紫揺を抱えて家を出ると、領主が頭を下げて待っていた。

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