大福 りす の 隠れ家

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辰刻の雫 ~蒼い月~  第192回

2023年08月14日 21時13分37秒 | 小説
『辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~』 目次


『辰刻の雫 ~蒼い月~』 第1回から第190回までの目次は以下の 『辰刻の雫 ~蒼い月~』リンクページ からお願いいたします。


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辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~  第192回



≪触れよ≫

そう言われてもどの杉か分からない。 どの杉も立派だ。 あの時のように一本大木が目立っているものではない。

≪すべては吾(わ)ら≫

そう言えば東の領土の大木が言っていた。
≪吾らは地に根を生やし、地で繋がっておる≫ ≪吾らは地で繋がっておる≫ ≪地のあるところ、吾らは繋がっておる≫ と。
あたりをキョロキョロと見る。 一本の杉に目がとまった。 樹皮のデコボコが他の杉より大きい。 その杉の前に行くと裾を括りつけていたスカートを解き、パンパンと皺を伸ばす。 礼儀のつもりだ。
そしてそっと手を触れる。 東の領土の大木の時と同じように奥底から脈打つものを感じる。

≪然(さ)に。 吾が呼んでおった≫

ギザギザした声ではない。 いや、声と言っていいのだろうか、頭の中に響き話しかけられているようだ。

≪久しい。 遠きにそちの声は聞いておった。 だが今そちの声はよう聞こえる。 実(げ)に久しい≫

“遠きに” というのは東の領土での紫揺の声だろう。 そして “久しい” というのは、きっと初代紫のこと。 初代紫が本領に居た頃、本領での初代紫の声を近くで聞いていたのかもしれない。 そして東の領土に行っても。
東の領土の大木が言っていた ≪そちの声は、ふたつめ。 懐かしや≫ と。

≪お呼び頂きありがとうございます≫

紫揺が言うと、五拍ほど遅れて頭の中に響いてきた。

≪吾らはこの地で人間の為すことを耳にしておった≫

≪はい≫

≪切られた吾らは人間の役となろう≫

そうだった。 杉にも命があり息をして育っているのだった。 それを無暗に切っていた。 改めて知り愕然としかけた。

≪役となると申した≫

愕然としかけた心が動く。 無駄にしちゃいけないんだ、と。

≪そちが渡ってきた流れ≫

流れ・・・。 川のことだろうか。

≪そこより吾らの居るこの地に入ってこぬよう、伝え申せ≫

ああ、伝言を伝えるために呼ばれたのか。

≪吾が呼ばわぬ限り、流れより来せれし人間は居らん。 だがそう伝え申せ≫

≪承りました。 必ず伝え申します≫

深い呼吸を三度ほどした。 杉からは何も伝わってこない。 だが奥底から脈打っているものはまだ感じている。
更に二呼吸。

≪吾らは地に根付いておる≫

≪はい≫

手を離さなくて良かった。 続きがあるようだった。

≪地のことは良く知っておる≫

≪はい≫

≪地にそちらの力が紛れ込んでも、それが紛いないものでない限り地は飛ばん≫

どういう意味だろうか。

≪飛ぶのは紛れ込んだ力のみ≫

・・・分からない。

≪そちの問いに答えた≫

問に? どういうことだろう。 何も訊いていないのに。

≪地のこと、知る限り答えよう。 いつでも吾らに聞きに来るが良い≫

≪有難うございます≫

脈打つものが消えた。 そっと手を離す。 ギザギザとした声は聞こえない。 引き留められることが無いということは話が終わったということだろう。
杉に向かい深く一礼をすると踵を返す。

「きっとマツリが心配してる」

さすがに重々しい声を聞かされたその杉の前でスカートの裾をたくし上げて括るなどということは出来ない。
前の方の裾を膝辺りまで上げると走り出す。 シダに滑りながらも何度か振り返って、先ほどの杉が見えなくなったのを確認すると足を止め、来た時と同じように後ろは尻の少し下までの長さにして裾を前で括る。 両手が自由になると勢いよく走り出した。 先ほどまでと違う本気走りである。
水気に光る岩を避け、杉の間を走り抜ける。

「方向合ってるかな・・・」

目印になるようなものなど無かった。 だが来た時と同じように足が勝手に動いている。

「もしかして・・・木々が導いてくれてるのかな・・・」

日本に居た頃の自分なら木々が導いてくれてるとか、木に触れて木と話が出来るなどと聞いたらどう思っただろうか。
頭から否定しただろうか、それとも相手を心配しただろうか、白眼視を送っただろうか。
頭の中で色々考えていても身体は嬉々と動く。

水気のなくなった岩には手を着いて跳び越す、足元が悪ければ左右に跳ぶ。 これは導かれているからというものではない。 紫揺の持っている身体能力。 身体もさることながら、目で見て距離感が掴める、どれだけの力で跳べばいいなどとも。 頭で考える必要などない。 今誰かが紫揺の顔を見ると、その顔が笑んでいるのを見るだろう。

目の前から杉も雑木も無くなり川までやって来た。 きっとあの杉が言っていた “流れ” 。
ふと見てみるとマツリが川を渡ろうとしてUターンをしている。 それを何度も何度も繰り返している。 首を傾げまた何度も。 その内に足で水を撥ね川石を蹴り出し、走って渡ろうとしているがまたUターンをしている。
いったい何をしているのだろうか。 来た時に上った足場のあるデコボコの所に行くと、上ってきた時の巻き戻しのように今度はガマガエル姿で下りる。

川を挟んだマツリの前方に出て「マツリ!」と呼ぶが、マツリは同じことを繰り返しているだけである。

「見えてない・・・?」

そして聞こえていない?

履き物を脱ぎ川を渡る。 巾のある川を殆ど渡ってくるとマツリがようやく紫揺に気付いた。

「・・・!」

目の前に紫揺が急に現れた驚きで一瞬固まっていたが、すぐに紫揺を抱きしめる。

「紫!」

紫揺の足が浮く。

「どこに行っておった!」

紫揺の気配は感じていた。 間違いなくこの川の向こうから感じるのに川の向こうに行けなかった。 真っ直ぐに歩いているのにいつの間にか元の位置に戻ってしまう。

「く、苦し・・・イタイ」

肺を圧し潰されそうだし背骨をへし折られそうだ。
紫揺の喘ぎにようやく気付いたマツリ。 力を緩めるが紫揺を下ろすことは無い。

「どこに行っておった」

先程の心配を前面に出していた声と違い、いくらか落ち着きを取り戻している。

「話すから、それに聞いてもらわなくちゃいけないから。 武官さんも心配してるかもしれないから、とにかく戻ろう」

しぶしぶマツリが紫揺を下ろすが、そこは川を渡り切ったところ。 紫揺が履き物を履く。 マツリの足元を見ると、脱ぐ暇(いとま)も惜しんだのか、履物がびしょびしょに濡れている。
マツリもまた紫揺の足を見ている。 まだスカートはたくし上げたままだ。
あっ、と気付いて結び目を解いてスカートを下ろすと、それはボロボロの雑巾のようになっていた。 それによく見るとスカートだけではなかった。

「・・・あ」

紫揺がスカートを見下ろしていると、マツリが膝を着きスカートをたくし上げた。

「な! 何すんのよ!!」

切り傷だらけの足が目に映る。 スカートを押さえようと伸ばしてきた紫揺の腕。 そこにもたくさんの切り傷がある。 その紫揺の腕をとる。

「足にも腕にも・・・こんなに傷が」

スケベオヤジっぽい目で足を見ていたのではなかったのか。 よくよく考えれば色気のある足では無かった。
チョイ悔しい。

「走ってたから、木の枝や葉っぱで切っちゃったみたい」

「どんな枝や葉で切ったか分からぬのだろう。 戻ってすぐに薬草を塗る」

毒を持っている葉などであれば大変なことになる。 特に毒と言われるものを持っていなくとも、かぶれを引き起こす樹液や葉汁もある。
立ち上がると二人で壁面を上がった。 そして歩こうとしかけた紫揺をマツリが抱き上げる。

「どのような枝や葉で切ったか分からん、単なる切り傷とも限らん。 毒を持っておれば動かさぬ方がよい」

口を開きかけた紫揺に有無を言う隙を与えずマツリが言った。
マツリの言うことは分かった。 仕方なく抱かれたまま一度閉じた口を再び開く。

「杉に呼ばれたの」

「杉?」

「東の領土でもそうだったけど、呼ばれると走って呼んでる木の所まで行っちゃうの。 足が勝手に走っちゃうっていうか。 自分でもよく分からないんだけど」

「それでこの傷か」

うん、と答えてから続ける。

「その時の話しをするけど、その前に教えて。 どうしてマツリは川を渡って来なかったの?」

マツリにしてはそれは “どうして川を渡って助けに来てくれなかったの” に聞こえた。

「渡りたかった。 紫の気を川の向こうに感じておった。 渡って紫の所に行けるはずだった。 それなのに・・・渡れなかった」

気は追えていた。 間違いなく川の向こうから紫揺の気を感じていた。

気? そんなものを感じていたのか・・・。 知らなかった。

「杉の言っていた場所かどうかを知りたいの、詳しく言って」

責められているのではなかったようだ、己の思い違いか。 そう考えると紫揺は迂遠に言うことは無い、言いたいことがあればはっきりと言うのだった。 納得すると説明を始める。
前を向いて真っ直ぐに歩いているのに、気が付くと元の位置に戻っている。 そして紫揺の姿など見えもしなかったのに突然に紫揺が現れたと言い、紫揺の声など一切聞こえなかったとも言う。

間違いない、杉の言っていた “流れ” とはあの川のことだ。
それは ≪吾が呼ばわぬ限り、流れより来せれし人間は居らん≫ そういうことなのだろう。

「そっか、分かった」

そう言うと杉から聞かされたことを話した。
≪切られた吾らは人間の役に立とう≫
≪そこより吾の居るこの地には入ってこぬよう、伝え申せ≫

「杉が? 杉がそう申したのか?」

「うん。 それで言われて気が付いたの。 杉にも命があって息をして育ってる。 それを無暗に無駄に切っちゃいけないって、無駄にしちゃいけないって。 ・・・間違ってる?」

どうしてだろう、あの時宿で杠が紫揺の頭を撫でていた気持ちが分かるような気がする。 接吻でも抱擁でもない不思議な気持ちだ。
抱き上げていたマツリの片手が紫揺の頭に伸び、その頭を撫でてやる。

「間違ってなどいない」

杉山の者は杉を無駄にはしていない、粗末にも扱っていない。 だが改めて言うことは必要なことだろう。 杉が言ったのだから、紫揺が聞いてきたのだから。

「あの川の向こうには入らぬようにということだな」

「うん。 でもマツリみたいに入ることが出来ないらしいけど、それでもちゃんと言っておくようにって」

「承知した。 だがどうして紫は入ることが出来た?」

「杉に呼ばれたら入ることが出来るみたい」

そういうことか。
六都の者がこの山に入ってこなかったのは、その昔にあの川で不思議な体験をし不気味に思ったのかもしれない、それで足が遠のいたのかもしれない。

「不思議なことがあるものだ」

不思議な事・・・。

「ね、マツリ。 他にも杉が言ってたことがあるの。 それは私個人に対しての問いに答えたって杉が言うんだけど、私何も訊いてなかったのに」

そして杉が言っていたことをマツリに聞かせた。
≪地にそちらの力が紛れ込んでも、それが紛いないものでない限り地は飛ばん≫
≪飛ぶのは紛れ込んだ力のみ≫
≪そちの問いに答えた≫

「意味が分からないの」

マツリが一瞬考えた様子を見せたが、すぐに口角を上げる。

「そういうことか・・・」

「なに?」

「杉は・・・東の領土の大木にしても紫のことは何でも知っているということか」

「あ、うん。 大木が言ってた。 地に足をつけている者の声が聞こえるって」

そうか、と言ってマツリが続ける。

「高妃のことではないのか?」

「え?」

「高妃に閃光を浴びせられ気が覚めなかった者たち三人の事。 紫は高妃の中にある力を見て、黄の力が小さく大きな青の力に引き込まれたと考え、宮にあった砂があの者たちに飛んだと考えたが、あの者たちに砂は付いていなかった」

紫揺が一人ブツブツ言っていたことはマツリには分かっていた。

単に黄の力が青の力に引き込まれて飛んだとしても ≪地にそちらの力が紛れ込んでも、それが紛いないものでない限り地は飛ばん≫
引き込まれた力は “紛いないもの” ではない。 “紛いあるもの” だ。 青の力に引き込まれた黄の力。 純粋な黄の力ではない。
だから地は飛ばない。

≪飛ぶのは紛れ込んだ力のみ≫

「それって・・・頭の中に見えていた霞のような物は・・・紛れ込んじゃった黄の力っていうこと?」

「そのようだな」

事は終わっていた。 紫揺が三人の頭の中に視えていた霞は出した。 そして三人とも目覚め、何ともない様子だった。
結果として杉が教えてくれたことへの理解が合っているとすれば、早々に紫揺が施して正解だったということになる。 あのまま五色の力を何の力のない者の頭部に残していてはどうなっていたか分からない。

「高妃の黄の力が、黄土色と緑色を合わせたような靄のように視えただなんて」

高妃の身体の中に視えていた時にはちゃんとした黄色だったのに。 まだまだ理解がついて行かない。

「事後とはなるが、分かって良かったではないか」

「・・・うん」

確かにこれからの向学の参考になる。 リツソの時には眠らせる薬湯を飲んだことによるものだとは分かっていたが、結局、耶緒の時のことは分からずじまいなのだから。

話している内に相当歩いた。

武官達の元に戻ると、居なくなった紫揺がマツリに抱えられているのも勿論のこと、衣は破けスカートの中に隠された足は見えないが腕は切り傷だらけ。 武官達の間で大騒ぎとなり、杉山の者たちにしても自分たちの山で御内儀様である紫が怪我をして戻ってきたのだ、あちこちでテンヤワンヤとなった。
追い立てられるように宿所に行くと武官たちだけならず、杉山の者たちも薬草を出してきた。

「このまま薬草を貼る方がいい!」

「すり潰したものの方がいい!」

症状に合わせて違ってくる。 そう言った声があちこちで言い合っているのを無視し、前に置かれたすり潰した薬草を選別してマツリが紫揺の腕に塗りだした。

「あ・・・」

何処からか声が漏れたのが聞こえた。
たとえ御内儀様であろうともマツリが、次期領主がその手当てをするなどと。
煩(うるさ)かったあたりがシーンとする。

「あと少しすれば杠が来る、杠に宿まで送り届けてもらう。 薬草を貼っていては動きにくかろう」

紫揺が口を開きかけたが、それより先に武官が叫んだ。

「な、何を仰います! これほどの傷があられるというのに! 今からすぐに中心に馬車を取りに行きます!」

「あー! 武官さん、待って待って、待って下さい!」

「はい?」

武官に向けていた目をマツリに向ける。

「どういうこと? 杠が来たら硯の山に連れて行ってもらうはずだったでしょ? 行くよ、硯の山に」

武官と杉山の者が立ち眩みを起こしそうになる。

「何とない葉や木であったのならばそれで良い。 だが言ったであろう、毒を持っているかもしれんと。 紫は毒を持つ葉や木に当たったのかどうかが分からんのであろう」

「ま、まぁ・・・そうだけど」

いつ傷をつけたのかも記憶が無いのだから。

「杉山はあまり毒性を持つ雑木は無いが全く無いとは言い切れん。 だが葉には毒性を持つものが多々ある。 紫が一番よく分かっていよう、あそこに生える葉を誰も知らぬことを」

「あ・・・」

あの川を境に呼ばれなければ入ることは出来ない。 ということは、どんな葉が生えているのか誰にも分からないということ。

「単なる葉かもしれん。 だが毒性を持っておれば何が起きるか分からん」

何の話だ。 御内儀様しか知らない葉ということか? それもその葉に毒性があるかどうかを誰も知らない? ・・・意味が分からない。
マツリが手早くすり潰した薬草を両腕に塗り晒を巻いていく。

「足にも腕以上の傷があるのだが?」

どこを見ることなくマツリが言ったが、武官たちや杉山の者たちが何のことかと思った。 だがそれは一瞬で終わった。

「・・・!」

マツリの言った意味が分かった武官と杉山の者たちが数人慌ててこけながら宿所を出て行く。
戸がピシャリと閉められた。

「傷のあるところまで裾を上げよ」

足首の上にすり潰した薬草を塗りながらマツリが言う。 東の領土から履いてきていた長靴ならよかったのだが、生憎と宮で用意された短靴であった。 だが最初に勧められた宮の履き物であったなら、足の甲から傷が入っていたであっただろう。

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