大福 りす の 隠れ家

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辰刻の雫 ~蒼い月~  第89回

2022年08月15日 22時18分11秒 | 小説
『辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~』 目次


『辰刻の雫 ~蒼い月~』 第1回から第80回までの目次は以下の 『辰刻の雫 ~蒼い月~』リンクページ からお願いいたします。


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辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~  第89回



口を尖らせ、そのまま振り返り葉月を見る。

「ここは、この領土とか本領は、女の人のどこかにチューをしたら・・・結婚しなくちゃいけないの?」

マツリからチューのことをここでどう言うのか聞いていた、忘れたわけではないが、ちょっと重い気がして口にするのを憚った。
塔弥が全く何が何だか分からない顔をしている。 葉月は笑いを噛み殺しているのだろう、肩を揺らせている。

「葉月ちゃんっ!」

意を決したというのに、葉月が笑っているのは明らかだ。

塔弥が葉月を見る。

「葉月?」

塔弥に問われた葉月が肩を揺らしながら言う。

「チューが結納代わりと思ったの? あ、じゃなくて、思われたのですか?」

「葉月、ちゅーとは?」

「接吻のこと」

塔弥を見てサラリと言うとまた紫揺を見る。
サラリと言われた塔弥が一瞬にして顔を朱に染め俯いてしまった。

「結納か・・・婚約指輪替わり?」

「結納もなければ婚約というものも、言葉もここにはありません。 指輪はありますけどね。 だけど婚約指輪と言う言葉も概念もありません」

「こ、婚約とは?」

未だ顔を朱色にしている塔弥が訊く。

「うーんと・・・。 今の私と塔弥のような関係の期間。 想い人同士が婚姻するまでの期間って言えばいいかな。 それを約束するように男が女に指輪を送るの。 それが婚約指輪。 まっ、結納も形を変えた似たようなもの」

ここには金というものが存在しない。 その結納金で嫁入り道具をそろえるなどという説明も要らないだろう。

「そ・・・そうか」

口の中で何かモグモグと言っていたが、こんな所で止まってしまってどうする。 紫揺も話す様子がない。 己から話さなくては。

「どうして・・・せ、せ・・・接、吻など・・・と?」

葉月はよくこんな言葉をサラリと言ったものだ、と引きかけていた朱がまた顔に広がる。

「口と口じゃなくても接吻って言うの?」

これまた気軽に紫揺が口にしてくれる。 塔弥が葉月を見る。 説明してくれというように。

「そうですねぇ・・・」

人差し指を口に当てると眼球を上に上げる。

「日本みたいに、って言うか、外国みたいに人前でチュッチュ、チュッチュしませんから、ここでは。 外国って挨拶代わりにキスをするでしょ? それは日本ではありえないけど、ここではもっと有り得ません。 だからって言うんじゃないですけど、一括りにして接吻って言います。 敢えて分けて考えないって言うのかなぁ・・・」

紫揺に対しての葉月の説明で、キスもチューと同じく接吻のことだと塔弥が理解した。

「じゃ、葉月ちゃんと塔弥さんみたいに、お互い好きって言い合ってるならともかく、言い合ってもいなければ単なる・・・知り合い同士って言えばいいのかな、そんな人が相手の人にチューするってことは無いの?」

どうしてここで、接吻の話しで己と葉月のことが出てくるのだ、それも “ともかく” とはどういう意味だ・・・。 塔弥の顔にさした朱は全く引く様子を見せない。

「うーん・・・、難しいなぁ」

葉月が腕を組む。

「なんて言えばいいかなぁ・・・」

「ってことは、有り得るってわけ?」

腕を組んだまま葉月が紫揺を見る。

「私がさっき言ったのは基本的な所です。 男が女に告白をして女がそれを受けた時に、男が頬なり額なりにキスをすることはあります。 でも少ないかな? そうだなぁ・・・分かりやすく言うと・・・相手が嫌と思っていない限りは梁湶ならキスをするだろうし、あとは・・・野夜はどうだろかな? ま、取り敢えず醍十と塔弥みたいなのはしません。 あ、阿秀もするか」

「え?」

二人の声が重なった。
この部屋には三人しかいないのだから、声を出したのが誰かははっきりしているが、塔弥は “塔弥みたいなの” と言われて声が出てしまったのだ。
そして紫揺はオマケのように簡単に付けられた名前、その人物が?

「阿秀さんが?! 有り得ないんだけど。 全然わかりやすくない」

あの堅物の朴念仁がどうして。

「ああ、朴念仁ぽくしてますからね。 でも阿秀って女の扱いが上手いらしいんですよ。 梁湶以上だって梁湶が言ってましたし、私にも結構・・・うーんどう言えばいいかな、まぁ、他の男たちと違ってスマートに接してくれるって言うのかな」

一瞬にして紫揺の顔色が変わった。
そんな男に此之葉をけしかけさせてしまった。

「紫さま、どうかしたの?」

「あ、いや・・・。 まさか阿秀さんがそんなだって。 その知らなかったから・・・」

「ああ、そういうこと。 安心して。 あくまでも日本でってことだから。 梁湶曰く、必要に迫られてってことらしいから。 この領土ではまともに女と口を利いたのを見たことないくらい。 どうしてでしょうね、別に朴念仁を演じなくてもいいのに」

え? どういうことだ?

阿秀が言っていたことを思い出す。

『此之葉は “古の力を持つ者” です。 何の才もない私などと』

そうか・・・。 阿秀はずっと此之葉のことが好きだったんだ。 だから領土の女と話すことがなかったんだ。

最初はセノギモドキと思って毛嫌いしていた阿秀だが、話してみると優しいし、細かな所によく気がついてくれていた。 連れ帰ったガザンのフードにしても、よく気付いて用意してくれたものだと思う。

それによく思い出してみるとセノギは実直、謹直、誠実そんな言葉が良く似合う。 セキもセノギのことが好きだと言っていた。 きっとセノギはセキと話す時に目の高さを合わせていたのだろう。
だが阿秀はそんなことをしないだろうし、今まで見たこともない。

阿秀と二人だけで日本で行動した時、一緒に飛行機やタクシーに乗った。 気遣いはしてもらっていた、その事に文句を言うつもりも何もないし、それどころかあの時に阿秀を見直したほどだった。

阿秀は飛行機以外ではずっと片手にスマホを持っていた。 その時の受け答えを思い出すと、とても柔らかな言いようだった。 セノギにはない柔らかさだった。 言い方を悪くすれば相手を好きにさせることが出来る話し方、ついウッカリ相手が惚れてしまう話し方。

そんな阿秀なのだ、此之葉のことを一途に想っていたのなら、他の女に優しくしたり口をきいたりしないだろう。 あの優しさは、話し方は惚れられるだろう、阿秀自身がその事に気付いていたのかもしれない。

紫揺が領主の家で此之葉と話すようにとお膳立てをしなかったら、阿秀はどうしていたのだろうか。

それによく考えると阿秀の所作はスマートだし、それこそ醍十や塔弥のように言葉も詰まらすということがなくスムーズだ。 さっき葉月が言ったように阿秀は女の扱いに慣れているのかもしれない。
そう思うと、あの日あの純な此之葉を上手くリードしてくれたのかもしれない。 もしかして葉月の言うように此之葉の頬に口付けたかもしれない。

あの時のトウオウのように。

セノギがニョゼと結婚をしたと聞いたが、きっとセノギはニョゼにプロポーズをしたときに、ニョゼの返事を聞いて「有難う」と言っただけのような気がする。

セノギと阿秀は全く違う。

先ほど阿秀のことを “そんな男” と思ったことを粉砕し安堵の溜息を吐いた。

「だから有り得なくはないんですけど。 やっぱり少ないでしょうね。 辺境なんかに行くとまずないでしょうけどね」

遠くから葉月の声が耳に入って来た。
そうだった、今は阿秀の話しでも此之葉の話しでもなかったのだった。

「あ、そ、そうなんだ」

「こんな返事じゃ、紫さまの疑問に答えられていません?」

「あ・・・そんなことないけど・・・」

「少しでも納得してもらえてたらいいんだけど。 私のことは気にしないで塔弥と話して下さい。 分からないことがあったらいつでも訊いてくれたらいいから。 おっと、いいですから」

そう言って塔弥の方を指さす。
え? と思うと、いつの間にか塔弥に背を向け葉月に向かい合っていた。

「あ・・・ごめん。 いつの間に後ろ向いちゃったんだろ」

言いながら向きを変える。
さっきから何だ、といった目でガザンが紫揺を見る。

「いえ、お気になさらず」

口にしながら思い出したことがあった。 そう言えばガザン・・・。
塔弥がガザンのことを考えている間、紫揺も頭を悩ませていた。

結納でも婚約指輪の代わりでもなかった。 ではどうしてあんなことを。 何のために。 分けの分からないことをしたマツリのことをどう言えばいいのだろう。

ポクポクポクポク・・・。

まるで木魚の音でもしそうなくらい、何とも言えない時が流れる。

その空気を切ったのは紫揺ではなく塔弥だった。

「あの、質問しても宜しいでしょうか」

「はいっ! なんでも!」

助かる。 何でも訊いて欲しい。 自分からはどうにも上手く言えないし、話が逸れればそれに越したことは無い。

「紫さまが本領から戻ってらしたとき、ガザンがマツリ様のにおいを嗅いだだけで吠えませんでした」

紫揺が病み上がりのときに考えていたことを口にした。

自分の名を出されガザンの耳がピクリと動く。

「え?」

マツリと聞かされてドキッとしたが、あの時はあんなことがあったすぐ後だったから、ガザンがどうしていたのかなど目に入っていなかったし、入っていたとしても記憶にない。

「え? そうだったっけ? 覚えてない」

「覚えておられないのであれば、それはそれでいいんですけど、あとでお付き達で話してたんです」

基本ガザンは紫揺に害をなす者以外には吠えないし、かかってもいかない。 だが最初に警戒の目はかなり向ける。

「ガザンにとってマツリ様が東の領土の者でないとか、時期本領領主などとは関係の無いことです」

「うん」

何を言いたいのだろか。

「ですが紫さまに害をなす者でないにしても、紫さまが是とされない方に対してなのに、ガザンは警戒すらもしなかった」

「・・・」

「その、勝手にマツリ様のことを紫さまが是とされないと言ってしまっていますが、此之葉から聞くに、紫さまとマツリ様はお顔を合わせられると、その、言い争いをなさるとか。 それから考えると、あの時のガザンの様子が腑に落ちないのですが、お心当たりは御座いませんでしょうか?」

「その時のことを憶えてないけど、塔弥さんがそう言うんだからガザンは吠えなかったんでしょうし、警戒もしなかったんでしょう。 でもそれがどうしてかは分からない」

あの時は許せないと思っていた程なのに。

「ガザン・・・守ってくれないの?」

ガザンの口元の肉を引っ張る。 不愉快そうにガザンが半目を開けたがまたすぐに閉じた。

紫揺のこの言いようでは全く心当たりがないのだろう。 叶うことならマツリが紫揺を視ている時のガザンの様子を言って考えてもらいたいが、それはマツリから止められている。

「ガザンは紫さまが心開かれている者を感じ取っています」

阿秀からは紫揺が心開いた者だけに、ガザンは許しを持っていると聞いていた。 それがお転婆と己だけと。

紫揺が頷く。

「感じ取り許しています」

「許す?」

「阿秀が言っていたのですが、ガザンの目にかなったのはお転婆と己だということです。 そしてお転婆と己を許していると。 その、ガザンは他の者が言っても聞かないことを、己が言うと聞いてくれます。 それが許すということではないでしょうか」

「えっと・・・だから?」

だから、マツリが紫揺の身体を診ていた時に、ガザンの手を動かしてもガザンが唸らなかったのではないか・・・。 言いたいのに言えない。 これでは質問をまとめられない。

「その・・・、マツリ様も許されているのではないかと・・・」

言葉尻が萎んでいく。 何の説得力もない。
ガザンが唸ったり吠えたりしなかったのは、紫揺に害をもたらす者ではないと言うだけで、許しているわけではないのだから。

「マツリに心開いた覚えなんてないけど」

ないだろうか。 いや、無くはない。 マツリの持つ力と紫の力が似通っていると思った時、その力のことを教えて欲しいと思ったことがある。
耶緒の時でもそうだ。 本領に居た時にどうして力の使い方をマツリに訊かなかったのかと後悔した。
それが心開いたというのかどうかは分からないが・・・。

(うん?)

まだ何かあったような気がする。 何だっただろう。

「そうですか・・・」

塔弥からはこれ以上何も言えない。 それに話してくれるという約束があっただろう。 さぁ、話して下さい、とも言えない。
それを感じ取ったのか、葉月が紫揺に話しかけた。

「紫さま、ちょっといい?」

塔弥との話だと言うのに。
だがこのままでは紫揺はこれ以上何も言わないであろう。

「うん、なに?」

「さっきのキスの話。 どうしてあんな質問をしたの? ですか?」

「あ・・・えっと。 ここの・・・本領とこの領土のルールを知りたくて」

「ルール? どうしてルールなんて知る必要があるんですか? それもキスの」

「・・・その、チューって、ここではどんな風に考えられているのかなって」

「ふーん。 じゃ、質問を変えますね。 紫さまは誰にキスをされたんですか?」

紫揺が虚を突かれた顔をして、塔弥が何のことかと思いながらも驚いた顔をした。

「だ、誰って! そんなっ!」

「あ、じゃあ訂正。 紫さまは誰にキスをしたんですか?」

「すっ! するわけないしっ!」

「じゃ、されたんですね?」

紫揺が下を向いてしまった。

あとは任せたと伝えようとして、葉月がチラリと塔弥を見ると塔弥が真っ青になっている。
たかがキスくらいで・・・。 二人に大きなため息を送った。



此之葉が眉を顰めた。 この数日前から何かを感じる。 ふるふる、と。

「いったい何なのかしら・・・」



明日が満月。
明日、月が顔を出せば紫揺の誕生を祝う祭がある。

飾り石職人と金細工師が、仕上がったものを持って朝から紫揺の部屋を訪ねて来ていた。

首輪や腕輪と違ってきちっとしたサイズが必要である。 葉月が紐に印を入れていて職人に渡していたが微調整が必要である。 一度微調整に来ていたが、今日は誕生の祝いのしるしとして持って来たのである。

「お気に入って下さればいいのですが」

微調整の時には紫揺に見えないようにしていたので、紫揺には感覚しかなかった。

『痛くはないですか?』

『大丈夫です』

そんな会話しかなかった。

蓋を開け恭しく差し出された木箱の中には、絹で作った座布団の上にサークレットが鎮座している。
五ミリほどの幅に繊細な金細工が施され、その先端に紫水晶が煌いている。

繊細な金細工は、風が吹くとしなやかに揺れるように静かな穏やかな時を思わせ、その中に包まれるように紫水晶が身を置いているようだ。 だがその紫水晶は包まれていることに静謐さを感じさせるだけではなく、その身の気高さを表すように輝かせてもいる。 触れてはいけないような、こんなに小さいのにまるで高嶺に咲く花のように。

紫揺が目を瞠った。

「・・・これ」

「お気に召されましたでしょうか? どうぞ、お手に取ってみて下さい」

ゆっくりと紫揺が手を伸ばす。 指先に金細工が触れた。 少しでも力を入れれば壊れそうなほど巧緻(こうち)な金細工。 そっと金細工に触れる。

金細工師がゴクリと喉を鳴らす。

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