- 映ゆ - ~Shou~ 第3回
授与所の窓口に立つと、宮司と父親らしい男性が押し問答している横に立ち
「ちょっと、よろしいですか?」 と二人の間に入った。
「あ、これはすみません。 なにか?」 宮司が父親に声をかけると、男性は軽く頭を下げてサッと身をよけた。
「そのお守り」 男性の手の中にあるお守りを見て言葉を続けた。
「6つ・・・ですか?」
「え?」 男性が答える間もなく、父親がその内の2つを手に取り、宮司に向き直り言った。
「この2つを下さい」 宮司も男性も呆気にとられた顔をしている。
「おいくらですか?」 そのやり取りの後ろで、母親と母親に手を引かれた渉が歩み寄り“しょう”と呼ばれていた女の子の母親に声をかけた。
「こんにちは」
「あ、はい、こんにちは」
“しょう”と呼ばれていた女の子は、ふてくされて母親の肩に頬を預け、今はじっとしている。
「あれ、私の夫なんです」 ニコリと笑うと、女の子の母親は驚いたように慌てた。
「あ、あの、お守りは我が家で頂きますので」
「しょうちゃん、って仰るんですね。 うちの子も渉っていうんです。 何かのご縁と思って、2つだけ我が家に分けて頂けませんか?」 その様子を見ていた宮司が、両家の親を見渡した。
「これは、珍しい出会いですな。 休日ならまだしも、平日に当社にお越しいただいたことでも珍しいですのに、ご家庭のお子達のお名前が同じとは。 お守りが導いてくださったのでしょうかな?
そうであったなら是非、この出会いに私も参加させていただけませんか?」 皆が首を傾げると、宮司は父親と男性の前に手を差し出した。
「お守りを・・・」 その言葉に促され二人とも宮司の手にお守りを乗せた。
受け取ったお守りを横に置くと、新しいお守りを1つずつ袋に入れ、二人の男性に差し出した。
「落ちた方のお守りが貴方がたを呼んで下さったのでしょうから、本当はそちらをお授けしたらよいのでしょうけど、やはり一度土がつきましたのでね、神社からお授けするわけにはいきませんから」 そう言うと二人の目を順に見て「どうぞ、お納め下さい」 と言った。
「あ、いや・・・」 男性がここまで言うと、渉の父親が口を切った。
「有難く頂きませんか? 神主様のお立場もおありでしょうから。 では、こちらのお守りを頂きます。 おいくらでしょうか?」 父親の顔を見て宮司が笑みを返した。
「私も参加させていただきたいと、先ほど申しましたでしょう?」 え? という顔をした渉の父親を見て宮司が言葉を続けた。
「どうぞ。 ご縁を繋いだ当社のお守りでございます」 簡単に言うと初穂料はいらないと言っているのだ。
「それは・・・」 渉の父親が、どうしようかと一瞬迷ったが素直に受け取った。
「それでは、有難く頂きます。 有難うございます」
お守りを受け取った渉の父親の姿を見て、どうしたものかと男性が考えている後ろで、渉の母親が女の子の母親を微笑みで促した。
その笑みにコクリと頷き、男性の横に歩み寄るとそっと言った。
「アナタ、甘えさせていただきましょう」 その途端、抱いていた“しょう”がまたお守りに手を出そうとした。
「あ! しょうちゃん!! ダメ!!」 渉がちょっと嫌な顔をした。
この時を切っ掛けに家族での付き合いが始まったが、結局“しょう”と呼ばれていた女の子はしょう子ではなく“翔(しょう)”という名前と分った。
そして二家庭でこの神社へも時折訪れるようになり、階段を上がってすぐ右手にある宮司の家に上がらせてもらう事もあった。
付き合いを重ねるうちに子供同士での呼び名に渉が困っていたとき、ふと母親と話していたことを思い出した。
「渉ちゃんの渉っていう字は、読み方を変えると“ワタル”って読めるのよ」 と、母親が言っていた。 だから
「ねぇ、翔ちゃんのママ、渉は“しょう”って読む他に“ワタル”って読めるんだって。 翔ちゃんはどうなの?」 屈託のない質問だったが、翔の母親はとても喜んだ。
「渉ちゃん、あのね、翔ちゃんは本当は生まれる前は男の子のつもりだったの」
あれ? お名前のことを聞いているのに・・・と思いながら首を傾げると、翔の母親はそのしぐさに微笑みかけて話を進めた。
「お医者様から男の子って聞いていて、生まれる前にお名前を決めたのね。 “翔”って書いて“カケル”って読むつもりだったの」
「え? カケル?」
「そう、カケル。 でも女の子にカケルって可笑しいでしょ? だから“しょう”って読むようにしたの。 天高く翔(か)けて行ってほしかったの。 だから漢字を変える気はなかったからね」 聞いた渉、詳しいことは分からなかったが、とにかくカケルという名を聞いた。
「ふーん・・・じゃあ、翔ちゃんのことを、カケルちゃんって呼んでいい?」 それを聞いて渉の母親、真名(まな)が驚いて言い正した。
「渉ちゃん、ダメよ。 お名前はとっても大切なんだから、翔ちゃんのパパとママが決めたお名前で呼ばないと」 するとそれに返事をしたのが、さっきまで渉と話していた翔の母親、希美(きみ)だった。
「真名さん、渉ちゃんにはカケルって呼んでもらえないかなぁ? ねぇ、アナタ、いい切掛けだわ」 え? と驚いた顔をしたのは一番に翔であったが、声を出したのは真名だ。
「え? でも、希美さん翔ちゃんは翔ちゃんじゃない?」 その真名の返事に答えたのは翔の父親であった。
「そうだな。 渉ちゃんだけにはカケルで呼んでもらおうか?」 うん、と希美が頷き、真名に話した。
「真名さん、あのね、翔が女の子でも本当はこの人・・・主人はカケルって呼びたいの。 主人ね、幼い時から苦労してきたの。 だから子供には翼をもって天高く自由に翔(か)けて欲しいっていう思いがすごく大きいの。 だから渉ちゃんだけにはカケルって呼んでもらえないかしら?」
「え?」 どうしようという真名の顔を見て、渉の父親が頷いて翔に尋ねた。
「翔ちゃんはどうなんだい?」
「翔はずっとカケルって言って欲しかった。 カケルっていう方がいい」 真名と渉の父親にとって、思いもしない返事が返ってきた。
「どうして?」 おもわず真名が聞いた。
「カッコイイもん」 真名と父親が顔を合わすと、苦笑いにも似た笑いをこぼした。
翔は両親から名前の由来を聞いていて・・・いや、聞かなくても“しょう”と“カケル”どっちがいい? と聞かれれば、“カケル”と呼んで欲しかっただろう。
「それじゃあ、今日から・・・これから渉がカケルちゃんって呼んでいいかい?」
「うん」 目を輝かせて返事をした。
その会話を聞いて
「ねぇ、じゃあ渉はワタルなの?」 真名と父親ならず、希美と父親も顔を見合わせた。 すると渉の父親が白状するかのような顔を真名に向けると、真名が頷いた。
「渉ちゃん、実はね、渉ちゃんも翔ちゃんと同じだったんだ」 驚いて聞いたのは渉は勿論だったが、誰よりも希美だった。
「同じって?」 その質問を聞いて真名が答えた。
「うちも同じなの。 生まれる前に男の子って聞かされてて、生まれる前に決めていた名前なの。 渉と書いて“ワタル”って読んでね。 水のある所を歩いて渉(わたる)っていう意味で付けたの。 翔ちゃんは空、うちは水ね。
ほら、川の向こう、水の流れの向こうって違う世界があるじゃない? 川って国境になってたり、川を隔てた向こうって文化も違ったりするじゃない? 色んな世界を見て欲しくてね、自分の足でしっかりとその流れを渉(わた)って欲しかったの。
で、さすがに女の子にワタルはね、ってことになったんだけど、この字がどうしても離せなくなっちゃって・・・女の子でもこの字でいこうって話になってね、“アユミ”とか“アユム”って読もうかって話してたんだけど、どれもしっくりこなくて、結局女の子っぽくないけど、一番気に入った“しょう”って読むようにしたの」
「へぇー・・・そんな偶然ってあるんだぁー」 希美が真名の顔から目が離せない。
その会話を聞いていたカケルが、希美を見て言った。
「ねぇ、ねぇ。 じゃあ、渉ちゃんはワタルちゃんでいいの?」 カケルの聞いた声に、渉がすぐに答えた。
「やだ! ワタルなんて男みたいな名前はヤ! 渉(しょう)じゃないとイヤ!」 その声にすぐに答えたのは希美だ。
「そうよね。 渉ちゃんは渉ちゃんよね。 翔、今まで通り渉ちゃんって呼んで」
「うん、分かった」
今は出会いから20年足らずの時が流れていた。