マルグリット・アルノー。フランス王妃と同じイニシャルを持つ少女は下町の花売り。花を買った客に、硬貨ではなく偽物のブリキを掴まされたことを知った彼女は、客を追いかけ、国王の従兄弟オルレアン公の城に乗り込む。そこにいたのは王妃マリー・アントワネットだった。助けてくれと王妃に嘆願するマルグリット。だが王妃は、マルグリットの頭にシャンパンをかけ、笑い物にするのだった。生活に困ったマルグリットは娼婦になる。しかし娼婦を嫌う王妃は娼館撤廃の命令を出す。浪費をとがめる財務大臣さえ罷免した王妃は、娼館経営者を見せしめに公開の鞭打ち刑に処するのだった。マルグリットが働く娼館の女将は鞭打ち刑で命を落とす。数々の出来事に王妃への恨みを募らせたマルグリットはかつての教師アニエスの制止を振り切り、革命運動に身を投じる。
一方、国王さえ言いなりにさせる王妃は、若い愛人フェルゼンの前では一人の女性であった。敵国の宮廷での息苦しい生活の中、フェルゼンとの愛は、束の間、彼女を自由にさせるのだった。しかしフェルゼンはアメリカ独立戦争へ参戦し、フランスでは「首飾り事件」が起こる。アントワネットの力は司法に及ばず、ロアン大司教は無罪となる。これがフランス王家の権力を揺るがすきっかけとなった。
バスティーユ事件を経て、パリへ幽閉される国王一家。国王は処刑され、子供達を残し、一人ならば脱出できると、逃亡をすすめるフェルゼンだが、アントワネットはフランスに残り、裁判を受け、ギロチンに掛けられる。
曲はさすがに良い。んんと、でも。話の焦点がちょっとボケ気味のような。革命を描きたいのか、アントワネットという人物を描きたいのか、正義の名の下に人を傷つけてはいけないと説きたいのか。それぞれ描きたいんだろうけど、うまく融合していない。遠藤周作の小説をミュージカルに、ってあたりに、そもそも無理がありそうだ。ミュージカル化という料理法がいまひとつうまくないので、せっかくの曲も、話と密着していない気がする。素敵な曲はたくさんあるんだけどねえ。場面転換のコミカルな曲とかがうまく作用していない。
でさ。やっぱ「アレ」と比べちゃうのよ。「アレ」は原作も素晴らしかったけど、こうして同じネタを扱ったミュージカルを見ると、ああ、料理の仕方も上手かったなあ、と。ここで盛り上げるべきだろう!ってポイントが、まったく盛り上がらないんだよねえ。「行こーーーーーうっ!」とかさ。いやね。「アレ」と比べちゃいけないのはわかっているんだけどね。でもね。
あとね。美術もちょっとショボい。そりゃ、VISAが冠でついてないから、衣装の豪華さは「アレ」に負けちゃうのは仕方がないけどね。でも、豪華なフランス宮廷を表すのが電飾、っていうより電球だけ、ってのは無かろうよ!いまどきの街頭のイルミネーションの方がよっぽど豪華、と思っちゃうくらい、ショボいんだよ。せめて色を使おうよ。
本当にねえ。出演者は熱いんだけどねえ。作品的にはうまく盛り上がれないような。U田+寺瀧の良さを再認識した次第です。12月に見たら、キャトルのビデオ半額セールで最近の星組の「アレ」を買ったに違いない。
なんていうかね。翻訳物のミュージカルばかりだったから、ここはひとつ、オリジナルのミュージカルを作ってみましょう、ってコトだったとは思うんだけど。で、エリザの関係で、オーストリアのお二人を確保できたのでしょうが。なんでまた「MA」なのか?アントワネットの話なら、世界に通用すると思ったのでしょうか。それでも、いまさらな遠藤周作よ。好きな作家だけどさ。「今」「ミュージカル化」するのにふさわしい作品かと言えばねえ。。。それにさ。やっぱさ。世界に出す前に、日本で「アレ」と比べられちゃうワケじゃないですか。勝算有りと思ったのかしら。でも、、、、ねえ。。。。。。。。
気になった点が2つ。アントワネットを「妃殿下」ってさ。王妃は「殿下」じゃないでしょう。原作もこうだっけ?でも、そうだとしても直すべきじゃないかなあ。もうひとつはさ。「ラ・セーヌの星」の時は思わなかったんだけどさ。オーストリア皇帝(女帝の配偶者)の隠し子が、なんでフランスにいるのだろうか。しかも、妻とラブラブな皇帝の。ま、いまさらなんだけどさ。せっかく歌でこのネタを使ったのに、ストーリーにはうまく反映されていなかったなあ。
まあ、とにかくですね。こちらに予備知識があるからわかるけど、そうではないと流れが掴みにくいかも。私としてはねえ。原案もオーストリアの人に作って欲しかったわ。現在のヨーロッパの多くの国の源となった階級闘争を、その原因となった女性について、その女性の母国で王制を拒絶した現代のオーストリアの人がどう斬り込むか、そちらには興味があるんだけどね。
涼風さんは、前半は、なーーーんか違う、って気が拭えなかったんだけど、後半は素晴らしかった。我が儘な権力者から、王妃として凛として散っていく。そこと対比させるために一幕はああだったんだなあ、と。まあ、かなり理性の部分で解釈だけど。しかし、若いよ。井上くんと並んでも違和感がないよ。思ったよりは華やかじゃなかったな。ちょっと衣装負け?井上くんは一途な恋人。単独で見れば良いとは思うんだけどね。ついね。わたる君の方が・・・とか思っちゃうんだよねえ。アントワネット生誕何周年かに絡めたせいだとは思うけど、なにも東宝と宝塚で、こんなに接近して上演しなくてもいいのにねえ。笹本ちゃんは大迫力。だけど、アントワネットに優しくなる辺りが不明かな。同じ歌を歌った=姉妹、だからなのか、革命は正しいばかりじゃないことに気が付いたのか。演出的にも足りないんだけどさ。祐ちゃんのカリオストロと山路さんのボーマルシェが進行役。2つに分けた意味はあんまりないような。王位を狙うオルレアン公は高嶋兄。演技はルキーニだけど歌は上手くなった。従兄弟を追い落とすために民衆を利用したはずが、王位そのものを無くす結果になる、ってのを、もっと掘り下げてもいいのかもなあ。禅ちゃんのルイは可愛かったよ。台詞は可愛いのに、歌になると大人の男性になっちゃう。ギャップが惜しい。土居さんの歌は素晴らしい。歴史がどう変わろうと、人を傷つけてはいけないと説く姿は、東宝系じゃないこともあり、いい意味で浮いていた。
来年の凱旋公演は多少キャストが変わるみたいね。私は見ないでしょう。2001年の「アレ」には、とてつもない拒否反応が出たのになあ。これを見ると「アレ」を素晴らしいと思っちゃう。「ミュージカルを作る」って、難しいのね。せっかく人気役者を集めたというのに、客席がずっと寒々しくて。曲は素晴らしいのに、歌い手もいいのに、曲が終わっても拍手がまばら。タイミング的に難しいから、ではなく、んん~拍手はちょっと・・・みたいな。「ペテン師と詐欺師」の時の奥菜さんの歌よりテンションが低い客席でしたよ。
一方、国王さえ言いなりにさせる王妃は、若い愛人フェルゼンの前では一人の女性であった。敵国の宮廷での息苦しい生活の中、フェルゼンとの愛は、束の間、彼女を自由にさせるのだった。しかしフェルゼンはアメリカ独立戦争へ参戦し、フランスでは「首飾り事件」が起こる。アントワネットの力は司法に及ばず、ロアン大司教は無罪となる。これがフランス王家の権力を揺るがすきっかけとなった。
バスティーユ事件を経て、パリへ幽閉される国王一家。国王は処刑され、子供達を残し、一人ならば脱出できると、逃亡をすすめるフェルゼンだが、アントワネットはフランスに残り、裁判を受け、ギロチンに掛けられる。
曲はさすがに良い。んんと、でも。話の焦点がちょっとボケ気味のような。革命を描きたいのか、アントワネットという人物を描きたいのか、正義の名の下に人を傷つけてはいけないと説きたいのか。それぞれ描きたいんだろうけど、うまく融合していない。遠藤周作の小説をミュージカルに、ってあたりに、そもそも無理がありそうだ。ミュージカル化という料理法がいまひとつうまくないので、せっかくの曲も、話と密着していない気がする。素敵な曲はたくさんあるんだけどねえ。場面転換のコミカルな曲とかがうまく作用していない。
でさ。やっぱ「アレ」と比べちゃうのよ。「アレ」は原作も素晴らしかったけど、こうして同じネタを扱ったミュージカルを見ると、ああ、料理の仕方も上手かったなあ、と。ここで盛り上げるべきだろう!ってポイントが、まったく盛り上がらないんだよねえ。「行こーーーーーうっ!」とかさ。いやね。「アレ」と比べちゃいけないのはわかっているんだけどね。でもね。
あとね。美術もちょっとショボい。そりゃ、VISAが冠でついてないから、衣装の豪華さは「アレ」に負けちゃうのは仕方がないけどね。でも、豪華なフランス宮廷を表すのが電飾、っていうより電球だけ、ってのは無かろうよ!いまどきの街頭のイルミネーションの方がよっぽど豪華、と思っちゃうくらい、ショボいんだよ。せめて色を使おうよ。
本当にねえ。出演者は熱いんだけどねえ。作品的にはうまく盛り上がれないような。U田+寺瀧の良さを再認識した次第です。12月に見たら、キャトルのビデオ半額セールで最近の星組の「アレ」を買ったに違いない。
なんていうかね。翻訳物のミュージカルばかりだったから、ここはひとつ、オリジナルのミュージカルを作ってみましょう、ってコトだったとは思うんだけど。で、エリザの関係で、オーストリアのお二人を確保できたのでしょうが。なんでまた「MA」なのか?アントワネットの話なら、世界に通用すると思ったのでしょうか。それでも、いまさらな遠藤周作よ。好きな作家だけどさ。「今」「ミュージカル化」するのにふさわしい作品かと言えばねえ。。。それにさ。やっぱさ。世界に出す前に、日本で「アレ」と比べられちゃうワケじゃないですか。勝算有りと思ったのかしら。でも、、、、ねえ。。。。。。。。
気になった点が2つ。アントワネットを「妃殿下」ってさ。王妃は「殿下」じゃないでしょう。原作もこうだっけ?でも、そうだとしても直すべきじゃないかなあ。もうひとつはさ。「ラ・セーヌの星」の時は思わなかったんだけどさ。オーストリア皇帝(女帝の配偶者)の隠し子が、なんでフランスにいるのだろうか。しかも、妻とラブラブな皇帝の。ま、いまさらなんだけどさ。せっかく歌でこのネタを使ったのに、ストーリーにはうまく反映されていなかったなあ。
まあ、とにかくですね。こちらに予備知識があるからわかるけど、そうではないと流れが掴みにくいかも。私としてはねえ。原案もオーストリアの人に作って欲しかったわ。現在のヨーロッパの多くの国の源となった階級闘争を、その原因となった女性について、その女性の母国で王制を拒絶した現代のオーストリアの人がどう斬り込むか、そちらには興味があるんだけどね。
涼風さんは、前半は、なーーーんか違う、って気が拭えなかったんだけど、後半は素晴らしかった。我が儘な権力者から、王妃として凛として散っていく。そこと対比させるために一幕はああだったんだなあ、と。まあ、かなり理性の部分で解釈だけど。しかし、若いよ。井上くんと並んでも違和感がないよ。思ったよりは華やかじゃなかったな。ちょっと衣装負け?井上くんは一途な恋人。単独で見れば良いとは思うんだけどね。ついね。わたる君の方が・・・とか思っちゃうんだよねえ。アントワネット生誕何周年かに絡めたせいだとは思うけど、なにも東宝と宝塚で、こんなに接近して上演しなくてもいいのにねえ。笹本ちゃんは大迫力。だけど、アントワネットに優しくなる辺りが不明かな。同じ歌を歌った=姉妹、だからなのか、革命は正しいばかりじゃないことに気が付いたのか。演出的にも足りないんだけどさ。祐ちゃんのカリオストロと山路さんのボーマルシェが進行役。2つに分けた意味はあんまりないような。王位を狙うオルレアン公は高嶋兄。演技はルキーニだけど歌は上手くなった。従兄弟を追い落とすために民衆を利用したはずが、王位そのものを無くす結果になる、ってのを、もっと掘り下げてもいいのかもなあ。禅ちゃんのルイは可愛かったよ。台詞は可愛いのに、歌になると大人の男性になっちゃう。ギャップが惜しい。土居さんの歌は素晴らしい。歴史がどう変わろうと、人を傷つけてはいけないと説く姿は、東宝系じゃないこともあり、いい意味で浮いていた。
来年の凱旋公演は多少キャストが変わるみたいね。私は見ないでしょう。2001年の「アレ」には、とてつもない拒否反応が出たのになあ。これを見ると「アレ」を素晴らしいと思っちゃう。「ミュージカルを作る」って、難しいのね。せっかく人気役者を集めたというのに、客席がずっと寒々しくて。曲は素晴らしいのに、歌い手もいいのに、曲が終わっても拍手がまばら。タイミング的に難しいから、ではなく、んん~拍手はちょっと・・・みたいな。「ペテン師と詐欺師」の時の奥菜さんの歌よりテンションが低い客席でしたよ。