私の主張・ひとりの日本人として

新聞やテレビの報道で特に偏向マスコミや反日日本人などに憤慨することが多くなり、暇な時に思いつくまま書き綴ったブログです。

米軍ヘリが民間空港に着陸すると事件なのか

2004年03月10日 23時11分29秒 | 偏向マスコミ
 朝日新聞は、「米軍ヘリ6機が民間空港に着陸 沖縄県の自粛要請守らず」との見出しで「沖縄県伊良部町の下地島空港に9日午後、フィリピンでの軍事演習から沖縄に戻る途中の米海兵隊のCH53大型輸送ヘリ6機と、KC130空中給油機1機が給油目的で着陸した。」と報道した。

 朝日が報道するからには何か問題があったのかと良く読んで見ると、沖縄県が米軍に対し、同空港の緊急時以外の使用自粛を求めていたことに反したからだそうで、同空港には、「地元住民や労組員ら約20人が集まり、『民間空港を軍事利用するな』『米軍は出ていけ』などと声を上げ、抗議した。」とのことであるからして、たった一人の反戦運動でも報道する朝日のことだから、20人も反対派が集まったなら大きな問題だと報道しない訳がない。

 しかし、記事を良く読むと、米海兵隊は「ヘリに空中給油機能がなく、フィリピン国内は天候が悪くて着陸できないため、下地島空港の使用はやむを得ない」と説明したと書かれており、もし米海兵隊が沖縄県の空港の使用自粛を厳格に守っていたら、燃料がなくなったヘリは海などに不時着しなくてならない。すると朝日の見出しは「沖縄県の自粛要請守らず」ではなく「沖縄県の自粛要請は、給油目的での緊急性がある着陸で、守ろうにも守れなかった」とすべきではないでしょうか。

 県はヘリを艦船での輸送などを求めたと言うが、給油すれば飛行できる訳だし、ヘリに空中給油機能がなく、フィリピン国内が天候悪化で着陸できないとあれば、帰投途中に一番都合が良い下地島空港に着陸し、日本側が燃料を供給しなければ、空中給油機を呼んだ方が良いだろう。

 朝日には、このように、たった20人の反対派が来て騒いだと言う事件でもないことを敢えて大きく報道するのであるが、米軍のこととなると、事故があり米軍人だけが死傷した場合は事実だけを報道し、哀悼の意を表さず、もし日本人に被害があれば凄まじい批判を加える。また朝日は米軍のヘリが天候悪化や機体故障などで、基地以外の例えば学校のグランドや河川敷などに不時着すれば、その学校関係者や、地元自治体などが抗議をしたと報道することがあるが、墜落事故にならないように不時着するのであるからして、そんな抗議をする人は天候悪化や機体故障でも基地まで飛行し、途中で絶対に不時着してはならないと言う訳であろうか。

 沖縄県は緊急時以外の下地島空港の使用自粛を求めていたと言うのであるから、天候悪化で予定していたフィリピン国内に着陸出来ず、仕方なく下地島空港に着陸したのであるからこれは緊急性があったと言えるであろう。朝日はまた「海兵隊は米軍の民間空港利用を認めている日米地位協定を盾に着陸を強行した。」と書いているが、これではまるで海兵隊が何か犯罪行為をしたかのようで、海兵隊のヘリなどは日米地位協定により日本にある民間空港を利用出来ることになっていることに従い着陸したのあり、こんな書き方をする朝日は日米地位協定どころか日米安保も認めていないことを自供しているようなものである。
(2004/03/10) 

この記事は「今日のコラム」
「米軍ヘリが民間空港に着陸すると事件なのか」
としてHPに掲載されていたものです。


掲示板 2004年3月分過去ログ (2725~2750)

2004年03月10日 13時41分21秒 | 掲示板過去ログ2004年分

2750.こんにちは     
名前:204    日付:3月10日(水) 13時41分
何故こんな時間に書き込みにこれるのかと言えば今日は午前中で終わりだったからです、明日は代休です。
夕雲様
いえいえ私こそ一般の方のご意見をお聞きできて嬉しいです。
さてF2に関しては、仰られるようにF4及びF1の後継機として考えています。
日本単独開発という面では、技術力より政治問題が大きな鍵です有名な話しだと思いますがF2は元々日本単独開発の予定でしたがアメリカの横やりにより無理矢理F16がベースになりました、
ここで日本から得た複合素材の技術をはじめ多くの技術がFA22に役に立ったと思います。
レーダーの妨害の話しですが現在の戦闘形態において戦闘機のみの戦いはまずあり得ませんのでそれにおいては、戦闘機の仕事ではないです。
私も米軍との訓練でレーダー妨害をされたことがありますがレーダーが真っ黄色になりましたすぐにレーダーの周波数を変えるのですがすると相手は、またそれに合わせ妨害をします。その繰り返しですまさにいたちごっこです。
強力な破壊力を持つ爆弾も必要かも知れませんがやはりGPS頼みの誘導爆弾も不可欠なのです。
教師の卵様
ロシアは他の反日国家と違い開発力があるのが気になるところです。
また日本から遙か離れたムルマンスクから日本にミサイル攻撃も可能ですから。
新型の90式空対空誘導爆弾(AAM-3)ですが感度が非常に高くなっていますまたミサイル自体の運動性能も上がっています。ただ本当に飛んできたミサイルを撃墜できるか分かりません。
正面から撃つことは、サイドワインダーでも出来ます、翼に生じる空気中の温度差を感知することで熱線追尾ミサイルを正面から発射することが出来るのです。
実際に訓練で向かってくる標的にサイドワインダー発射する訓練は、おこなわれています。
今は訓練では、サイドワインダーに置き換わっていますが何故かスクランブルには使われていません。
また性能が上がったらコストも上がってしまいました。発射するには、武装選択スイッチでヒートミサイルを選択するのですがその後シュートキュー(発射可能を示すマーク)が表示されるまでの時間つまりロックオンするまでの時間が短くなったのは実感できます。


2749.政府が中国人へのビザ発給基準を緩和     
名前:IT土方    日付:3月10日(水) 12時49分
NIKKEI NETより
> 政府は9日、中国人のビジネスマンや観光旅行者が来日する場合に必要な
> 査証(ビザ)発給の基準を緩和する方針を固めた。
> 日中間の情報技術(IT)分野での取引増大を受け、職歴が短くても
> IT技術者であればビザ取得を容易にする。
> 日本を訪れる修学旅行生のビザ発行手数料を免除、一般の団体観光旅行に
> ついてもビザを申請できる対象地域を拡大する。4月以降、順次実施する。
http://www.nikkei.co.jp/news/main/20040310AT1E0900U09032004.html

ますますかの国による犯罪者輸出が激化しそうですね。
緩和も結構ですが、政府にはまず締めるべきところを締めよと言いたいです。


2748.観光立国、移民について     
名前:夕雲    日付:3月10日(水) 9時59分
みなさまおはようございます。

小泉首相みずから登場しての観光日本のPRは先進国としてあまりに日本を訪れる観光客が少ないことへの苛立ちか、本気で外国人旅行者を誘致したいのか、本音はどこにあるのでしょうか。
まず外国人イクオル犯罪者のイメージがある日本は今のままでは観光客誘致は難しいと思います。
犯罪者は治安のゆるいところを狙って世界中から集まるのは世の中の道理です、高額品を扱う店の犯罪対策や個人の家の犯罪対策は少しづつ改善はされているけれどまだ欧米各国に比べて甘さが目立ちます。
郊外のATM機に多額の現金が入っている事実、金庫は火事には強いが
持ち去り犯罪は予想していなかったとする隙があり、はんこ万能主義で
コンピューターの発達を想定していないなど行政の怠慢ともいえる多くの隙が結果的には弱い個人を直撃したのも事実です。
預 金通帳の盗難によるはんこ偽造事件は多くの犠牲を出しながらまだ郵政公社の通帳ははんこと住所氏名が麗々しく書かれたままで一旦ことあればまた個人の泣き 寝入りになる危険をはらんでいます今の世の中身分証明書ともいえる運転免許書は10分もあれば偽造が可能なことはもう皆が解っています、一事が万事行政の 指導が遅れていることが結果的には多くの個人犠牲者をだし、日本は甘いという犯罪者天国を作り上げた面も否定はできないのです。

これからの国際化社会に真剣に立ち向かおうとするのなら、まず行政と国民の意識の国際化を図るべきだと思います。
例えば新幹線のチケットは英語表記はありません、成田からの特急電車にしてもチケットは全部日本語表記です、これでは観光客誘致を叫んでも始めて日本を訪れる外国人に対して親切だとはいえないと思います。

今後人口の減少と国庫収入の減少によりどこかで移民を考えるか、あるいは外国人がいやなら、国のサイズを小さくした運営も考えないとあと何年かすると行き詰ってしまうでしょう。
少子高齢化は防ぎようがありません、先進的な豊かな生活になれて個人の生活を謳歌する風潮は止めてとまるものではありません。
女性の社会進出と少子化は一体のものです、一方では先進国としての女性の重要職責の割合が先進国の判断基準にもなっている昨今はこの流れを逆流させるわけにはいきません、女性は家庭で子供を産めなどと反対の方向に誘導するなどはもはやできないことだと思います。
医学の発達と個人の健康志向によりこれからも高齢化はどんどん進み介護の人手も必ずどこかで限界になります、やすい外国人の手を借りるか
どこかで高齢者を切り捨てるか、選択値は多くありません。

子供ができず、高齢化が進み、若者は働かず、これでは国の収入源は枯渇します、一方で防衛論議も盛んですが、先立つものは質の良い若者と
潤沢な資金それに被せて愛国の教育ですが、日本は人手とお金が足りなくなるでしょう。

観光誘致に端を発した議論も、将来外国人にどう向き合うか、そろそろ
方 向を打ち出さないと成るようになるでは、なにもならないと思います、外国人はいやだ、入れないで純潔を守ろうという意見も良いと思います、ただそのときは 国のサイズは必然的に小ぶりにまとめるしかないと思いますが、早めに国民的な意見を纏めないととっさの間にはあわないのではないかと危惧します。


2746.TANK様     
名前:ego    日付:3月10日(水) 0時33分
初めまして。
あなたのご意見を拝見させていただき、あなたは、共産主義思想をお持ちのようですね。”私は最後まで日本を信じ続けます”とはどういう意味でしょうか。
日本政府ですか?
小泉首相を信じる事はできませんか?

おっしゃっていることが解かりません。
全く筋が通っていないように見受けられますが。

宜しくお願い致します。


2745.日本の治安     
名前:ego    日付:3月10日(水) 0時23分
日本の治安は、世界一良いと思います。
世界全部知っているわけではありませんが、
ある一部を除いて、日本ほど安心できる国は無いと思っています。

すでに今でもこれは大きなセールスポイントになると思いますが。
forest様 台湾と比べてどうでしょうか。
犯罪を体験された訳ではないでしょうから、難しいと思いますが
雰囲気で、いかがでしょうか。


2744.訂正です。     
名前:TANK    日付:3月10日(水) 0時22分
http://www5.plala.or.jp/kabusiki/index.html


2743.アングロサクソンの侵略、収奪、小泉首相の評価     
名前:TANK    日付:3月10日(水) 0時19分
掲示板初投稿です。私は数年前までは親米でしたが、ADSLの常時接続に
した事によって色んなサイトを閲覧していく内に東京裁判史観、自虐史観、GHQ、日教組の洗脳から解けました。あと小林よしのりのゴ-マニズム宣言の戦争論3の影響もありますがアングロサクソンの侵略、収奪
、虐殺の歴史を知っていくうちに素直には親米にはとてもなれません。
しかし今の日本の現状を考えれば日米同盟は重要だと思います。
周りが南北朝鮮、支那、ロシアなどの反日国家の脅威もあります。
日本がアメリカに頼らず独自で国防を維持できれば一番いいのですが
現状ではアメリカ軍に頼っているのが現状ですね。
それにはアメリカ押し付け憲法を廃止して日本人独自の憲法を作成する事、そして教育基本法の改正ですね。今、警察官のウラ金問題が騒がれていますが、これも戦後民主主義教育が生んだ結果ですね。
結局、国旗、国歌を軽蔑して日本人として誇りを失わせる教育が、
公務員の汚職、犯罪を生む結果になったと思います。
成人式の醜態ぶり、検挙率の低下、年々悪化する治安など、本当にこの国はどうなってしまうのか行く末が心配です。

あと小泉首相ですが、彼は日本の国益よりアメリカの国益の為に政策しているとしか思えません。彼の構造改革はアメリカ型の弱肉強食の論理にしようとしているだけです。ほんの数%の勝ち組と90%以上の負け組の
ような社会は日本にとって望ましくありません。
日本人は江戸時代から、お互いに助け合ってきた農耕民族です。
阪神大震災のボランテイア活動、ロシアタンカ-重油流失事故の日本海沿岸に漂着したボランテイアによる重油除去作業など見ればわかる事です。アメリカでは800万人ほどの勝ち組が周りを塀で囲んだ町を作り
貧乏人を寄せ付けません。まさに異常なまでの拝金主義です。
それに貧困層は3000万人以上がいて飢えで苦しんでいます。
小泉、竹中コンビは多くの人を苦しめ、多くの自殺者を出したまさに戦犯だと思います。このまま彼に総理大臣を続けさせるのは日本経済の破滅です。以下のサイト一度、アクセスしてみてください。
すごく参考になるサイトです。http://www5.plala.or.jp/kabusiki/indek.html
あと、小泉首相自身、東京裁判史観に洗脳されたリベラル左翼です。
彼は去年の終戦記念日に大東亜戦争の戦死者遺族の前で、
侵略戦争をしたんだと発言したり、ブッシュ大統領の前で大東亜戦争で
日本の軍国主義からアメリカが解放してくれて感謝していますと
言ったそうです。私はさすがにこれには腹が立ちました。
あまりにも歴史に無知すぎるのも腹が立ちますが、まだまだ多くの日本人が小泉首相のように東京裁判史観からの洗脳から目覚めていないのが
現状だと思います。
私は右翼でも左翼でもありません。日本が好きですし、日本人として誇りに思っています。国歌、国旗にも誇りに思っています。
今でも反日活動を続ける極左連中には腹が立ちますし軽蔑しています。
まさにマルクスレ-ニン主義に洗脳された狂信者ですね。
今後の日本の行く末が心配ですが、私は最後まで日本を信じ続けます。


2742.外国人の日本旅行は、、、。     
名前:ego    日付:3月10日(水) 0時13分
権兵衛様
下記の玉大きい 氏の書いた事はまったく 的を得ていないと思います。
私の友人でノモンハン出身の中国人がいますが、中国で パスポートを取るのに半端じゃないお金と労力が要ったそうです。
中国では誰も彼もが、簡単にパスポートを取れる日本と大違いだという事をお知らせ致します。
また、中国の物価では 人口の10%あるいはその半分も日本に観光などできるわけが無い!物価が違います。まして地方なんぞは、一般人はパスポートは取れず
ましてや日本に遊びに行くなんて事は考えもしてませんよ。

なぜ日本人はいろいろな国で歓迎されるのか。
答えは簡単。おみあげ慣習と日本は物価が世界一高いので、外国の物は安いと感じて
ばんばん お金を使い、ぼったくられても気付きもしないで、喜んで”安い”と思って お金を使う。
アングロサクソン支配国では日本人観光客は特にぼられてわかっても文句も言えないのがほとんどでしょう。
おとなしくて、お金はばら撒く、騙しても文句言わない なんて 最高の客(鴨?)ですよね!
これは、日本が物価が高い為、外国に行くと何でも安く感じるからです。
しかし、それとは逆に 外国人からすれば、日本は何でも高いから、行きずらいんです。
本当に外国観光客を呼びたいならば、為替レートを変えるか、物価を安くするしかない。

確かに中国人観光客は 金を使いますよ!
ただし、それは ある一部の特権階級の団体です。
恐らく、ここで書かれている北京など3大都市の人間だけではなかろうか。
日本外務省のビザ政策は 的を得ていると、実感してます。


2741.追加     
名前:権兵衛    日付:3月9日(火) 23時41分
酸いも辛いも:
「観光立国宣言」の二重基準
http://www.mainichi.co.jp/news/flash/keizai/20040307k0000m020072000c.html

来日外国人による犯罪
http://www.npa.go.jp/toukei/keiji6/13-1-2.pdf


2740.治安再生を優先?それとも外国人誘致優先?     
名前:権兵衛    日付:3月9日(火) 23時32分
毎日新聞3月6日
酸いも辛いも:「観光立国宣言」の二重基準 玉置和宏

日本の ツーリズム(観光)だって馬鹿にしたものではない。たかが物見遊山というが、十返舎一九の書いた旅ものの大作「東海道中膝(ひざ)栗毛」は江戸後期の大ベ ストセラーだった。芭蕉が歩いた「奥の細道」は旅が文学世界で大きな役割を果たしていたことを示している。俳諧も元をただせば、弥次喜多道中と同じ「滑稽 (こっけい)」につながるのである。

だがこの国のツーリズムにもし問題がありとすればそれは厳格な排外主義に毒されていることだろう。観 光ビザ行政の多年の弊害である。世界2位の経済大国だが訪日外客数は世界38位。この国を真の先進国とは言いにくいだろう。小泉純一郎首相が国会で「観光 立国」宣言を行って大方の喝さいを浴びたのは昨年1月のことだった。現在日本人が海外へ行く観光客に比べ4分の1でしかない外国人旅行客を2倍以上に増や そうというのだ。建国以来の壮挙であり「開国宣言」とまで評価された。

だがそれから1年余で早くも大きな障壁にぶつかっている。それは中国人にビザ(査証)をなかなか渡さないことにある。先日小泉首相は十数カ国の駐日大使を呼んでその観光客誘致の秘策を聞いた。その時中国大使が即座に「ビザさえ出せばいくらでも来ますよ」と言ったそうだ。
日 本がいま観光の団体客を認めているのは北京など三つの大都市(地域)住民に限っている。約1億2000万人だけだ。13億人のうち約10%しか日本観光の 資格はない。こういう地域制限をしているのは世界で日本のほかは一つの小国だけである。いくら首相が「お出でください」と愛想を振りまいても、肝心のビザ を出さなければ来ることは出来ない。「誘致と拒否」の二重基準(ダブルスタンダード))が日本国の観光政策なのである。嗚呼。

中国人の団 体観光客の不法滞在は0.4~0.5%程度という。かつて日本から欧米諸国へ流出した人々のことを考えればそれだけで問題にするのも何か変だ。知の領域の 達人であるドイツ人のマックス・ウエーバーがもし100年前に米国とイタリアに旅していなければ「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」はその姿 が変わっていただろう。自由な旅は学問と人類の未来に関わることだってある。

いま中国との政府間交渉で4省庁の意見は対立している。これ までの3都市(地域)を拡大して1市4州(2億人)に広げたいと考えているのが国土交通省である。これに待ったをかけているのが外務・法務・警察の3省庁 で直行便の行っている3都市(2000万人)に限ろうとしている。漢書のもじりではないが「多々ますます損す」という態度のようだ。この程度の決断を小泉 首相が渋っているなら最初から「観光立国」などと大段平を広げるべきではない。中国側の交渉団は恐らくこの日本政府の分裂を笑っているだろう。あと30年 経ったら逆転するぞと。

==この玉置某は現在、日本における外国人犯罪の中で、中国人による凶悪犯罪が断トツに多いことを知らないのでしょうか?去年、福岡で一家4人が中国人留学生に惨殺された事をもうお忘れなのでしょうか?
外国人、特に中国人による凶悪犯罪が急増している現状を踏まえて
中国人へのビザ(査証)発給基準を強化するのは当たり前の話だと思います。正直、この玉置某は現状を余りに知らなさ過ぎます。ま、知っていたとしても、中国様には何一つ批判・文句が言えない人なのかもしれませんが・・・・

話がずれてしまいましたが、日本にもっと多くの外国の人が来て欲しいのは言うまでもありません。ただ、彼等が安心して観光できるような環境作り、即ち治安再生を最優先すべきだと思います。
本格的な「観光立国」のPRは、それからでも遅くはないと思います。


2739.ららぽーとさまへ     
名前:夕雲    日付:3月9日(火) 18時37分
>蒋介石について

私はちょっと別の角度から見ているのですが、
問題は「南京」へとつながる日中戦争をどう見るかと言うことでしょうが、いろいろな資料にも明らかなように当時の中国は統一国家とはいえない状態で、国民軍と共産軍との内戦状態プラス混乱に乗じて欧米列強
の介入などで乱れに乱れていたようでした。
盧溝橋に始まった日中の戦争は歴史に明らかなごとく日本側に中国をどうこうしようという意識は無く、日本という当時の大国が自らの面子上
中国が自らの非を詫び、日本側に謝罪を入れてくることを目的とした
懲罰の意味が強い出兵でした。
日本側の仮想敵国はあくまでソ連であり、その証拠に盧溝橋のすぐ後に日本軍はノモンハンでソ連軍とぶっつかっています。
すなわち、日本軍には中国と事を構えたり、内陸に侵略したり、そのような考えはまったく無かったといっていいと思います。

日本は大国としての面子で出兵したが、意に反して蒋介石がなかなか音を上げない、そのうち、日本の勢力拡大を危惧する欧米列強が蒋介石の後押しをはじめ、武器の供給を開始するのです。
その筆頭にいた列強はアメリカでしたが、これに元気付けられた蒋介石軍は反日の呼号の下徹底抗戦を叫び始めたのです。

日 本軍の不幸は、望まぬ戦争にずるずる引きずられて、何の目的もないまま、早く謝れ、早く謝れ蒋介石と、それだけ願いながらでずるずると大変な戦争から抜け 出せず、遂には10万に及ぶ戦死者を出す羽目になっていくのです、私が蒋介石を見ているのはこの角度です、ですから、日本を不幸の始まりに誘い込んだ張本 人という偏見を交えた見方をしています。


2738.日本はなぜ反日国家に囲まれるのでしょう     
名前:夕雲    日付:3月9日(火) 17時36分
現在の日本の中に芽生えてきた愛国の流れと、日本を取り巻く捏造歴史の不合理な包囲網に対して少しづつだが何かがおかしいと感じてきたのは私だけではないと思います。
反日の筆頭国中国があるときこのようなことを言ったことがあります、
「中国の方から何か言い出したことはない、あなた方日本が騒ぐから抗議をしているのだ」と、話半分としても確かに日本の左翼系学者、マスコミと歴史を正しく認識しない半端な政治家が日本のほうから火の手をあげて自らの国を追い詰めているような気もします。

とりわけ朝日新聞の罪は大きくいわゆる進歩的文化人を擁して反日史観を広め反日的な日本人を育てそれがさらに反日史観を大きくするというはっきり言って売国奴が大きな割合で国のオピニオンリーダーになっているのが戦後から一貫した日本の社会だと思います。
第一次教科書事件は仕掛けたのは進歩的ジャーナリズム、進歩的文化人といわれる人々でした、「文部省が侵略を進出と書き直させた」という「誤報」をいっせいに取り上げ、それに中国、韓国の反日が呼応したのが実情でした。
その後も日本の売国的な発信は後を絶たず、宮沢内閣の河野洋平官房長官が韓国の従軍慰安婦問題について調べもせずに「強制連行はあった」と発言し自らの国を自らが叩くというマゾの国に落ちていくのです。

ま だ記憶に新しいのは平成5年の日本新党による新政権で細川首相は記者会見の折大東亜戦争の認識について問われて「私自身は侵略戦争であった、間違った戦争 であったと認識しております」と戦後歴代の首相として始めて日本は侵略戦争を行ったと認め、その後同年8月の所信表明演説ではあろうことか「わが国は侵略 国家」だと演説をしたのです。

一国の首相が自らの国を侵略国家であると断定して細川さんは日本をどこへ導こうとしたのでしょうか。
その後の平成7年の村山内閣で日本は自虐のピークを迎えます、終戦50年目に当たる8月15日には官邸で記者会見をし「大東亜戦争は侵略戦争」と断定をしアジア諸国に向かって平身低頭して謝罪を行います。
その後も自虐の行進はとどまるところを知らず、橋本内閣では元従軍慰安婦にあて謝罪の手紙をだしアジア諸国に対する深い反省と哀悼の意を表しました。

これがわが日本国の姿です、その後は便乗謝罪の人物が次々に登場し、ある人は韓国へ、ある人は中国へ、各地で土下座をして謝罪を繰り返して歩いたのです。

もともと根拠のない蜃気楼のようなストーリーに対して我も我もと謝罪を始めたのです、もはや、このような状態で中国が何か言う、韓国が叱る、誰も反発の気概すらなくしつけられた犬のように、隣国がわめく、すぐ土下座をするという悲しい習性が出来上がってしまったのです。

小泉内閣になってやっと自虐の流れに変化が出てきました、このような掲示板ができたのも良いことです。
根拠のない日本悪者説は断固として糾さねばなりません、それこそ東京裁判にまで遡り法的無効性を訴え、A級戦犯とされた方々の名誉を回復しなければなりません、名誉の回復ができれば靖国問題は同時解決です、日教組の牛耳る自虐史観の教科書は改めるべきです、朝日新聞は
国を売る言論で800万部の大勢力になりました、一人ひとりの日本人が間違っていると声を上げることが大切です。


2737.204様     
名前:教師の卵    日付:3月9日(火) 17時26分
レスありがとうございます!教師か自衛官か悩んだ私は現役の自衛官の方の声を聞くことができ、喜んでおります。

空母の件ですが基地としての考え方をお持ちなのですね。なるほど確かに移動できる基地としては有用かもしれません。それに目に見える抑止となり安全保障上多大な効果があるでしょう。しかしやはり予算ですね。今の状況では不可能でしょう。自民以外が反対するのは必至です。


ロ シアの脅威について私は海上自衛隊が大好きな小僧ですので空の方は疎いのですが雑誌では航空戦略機の稼動は大幅減とありました。海上の方も何隻かのミサイ ル巡洋艦しか稼動しないそうです。しかし原子力潜水艦は何隻かの行動が確認されており津軽海峡を通っているそうです。現在の脅威についてはさほど差し迫っ たものはないと思っているのですが・・・しかし核を持った航空機、戦略ミサイル搭載原子力潜水艦は一機、一隻でも充分脅威でありこれらの行動を押さえ込む ためにも自衛隊の装備のさらなる充実は必要であると思っています。

最後に質問があるのですが空自に新しく配備された?AAMは非常に優秀 で正面からでも撃て、相手が発射してきたミサイルでも撃ち落す事が能力的に可能と聞いた事があるのですが本当ですか?AAMサイドワインダーの後継とあり ました。うろ覚えなのでこれが正しい情報なのか分かりませんがお答えいただければ幸いです。


2736.「興亜観音」について(1)     
名前:forest(管理人)    日付:3月9日(火) 17時10分
管理人のforestです。私も正会員になっておりますが「興亜観音を守る会ご入会のお勧め」のパンフレットには、なかなか良いことが書いてあり、ご訪問の皆様にも参考になると思いますので、その全文を掲載します。
サイトのトップページに「興亜観音」へのリンクを張ってありますが、その会報に掲載されております論文も素晴らしいものばかりですから是非お読み下さい。
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興亜観音を守る会ご入会のお勧め

合 掌。昭和十五年、松井石根大将が、興亜観音をおつくりになったのは、支那事変初期の、同大将麾下の戦没者二万三千百四柱と、敵方の中華民国の戦没者とを、 全く同様に併せて供養することがその目的でした。その根本には、松井大将の部下戦没者に対しては勿論、中国人民に対する深い愛情があると同時に、両国民間 の恨み、憎しみを遠ざけて、東亜永遠の平和を念ずる強烈な意志が伺えます。
*         *
昭和二十年八月、我國が敗戦を迎えた 峙、昭和天皇は「この戦さの動機は決して問違っていなかった事。但し敵国の圧倒的な武力により、このまま続ければ我國は滅亡して人類の文明は破却して了ふ から、國民の忠誠心は良くわかるが、止むを得ず和を講じた事。そして戦没者、被害者を思ふと心がはり裂けそうな事。今後は道義を重んじて、世界の進運に遅 れてはならない事」等を、詔書で仰せられております。更に軽挙妄動を戒められ、つらいであろうが、太平を開く為、一緒に我慢しようとも仰せられました。我 國民はこの詔書通り実行して参りました。

そして国際情勢、國民の勤勉と相侯って、現在では世界に誇る経済大国を作り上げ、世界の最長寿国 になりました。日本の今日あるのは、本当に天皇陛下、即ち皇室のおかげであります。他国の君主(歴史上)は、概ね人民からの収奪を事としておりますので、 時が来れば消滅するのは当然です。独り我國の皇室のみは、全國民即ち、八百萬の神々の頂点に立たせられた。我が國民の総意基づいて、数千年かけて磨き上げ られた「宝の中の宝」であり、我國の文化、伝統、倫理、道徳の根源なのです。君民一体なのです。

この様に考えますと、若し将来、皇室が無くなる時が来るとすれば、それは即ち我日本が滅亡する時です。敗戦のすぐ後、昭和天皇は御一身を賭して敵将(マッカーサー米国元帥)と対し、本当の君主としての神聖さにより、同元帥をして心から賛嘆措く能はざらしめました。

私 共は深い感動を以て今尚思ひ出しておりよす。戦後の一時期、一部の敵国人は、昭和天皇を国際軍事裁判にかけよと主張致しましたが、マッカーサー米国元帥は それを容れず、その代わりに二十八名の日本人をA級戦争犯罪人として裁き、その内七名の方々を処刑することにより、それらの国の人を宥めました。松井大将 も、世紀の大欺瞞である南京大虐殺と云う理由で刑に服されました。その時お亡くなりになった七名の方々は、昭和天皇の御身代りになったと申して良いでせ う。この方々の御遣骨の一部が紆余曲析の末、この興亜観音の境内に丁重に葬られております。七士の碑がそれです。
(下へ続く)


2735.「興亜観音」について(2)     
名前:forest(管理人)    日付:3月9日(火) 17時8分
(上から続く)
松井大将は、興亜観音で彼我の怨念を柔げようとしました。昭和天皇は終戦の詔書で 「忍び難きを忍べよ」と仰せられました。この両者には、共に平和を心の底から痛切に希望すると云ふ点で全く軌を一にするものです。本当にこの世に世界平和 が到来する為には、世界中の人々が心の内の怨念を取除き、心を浄化せねばなりません。この様な事は簡単に出来ることではありません。けれども、怨念を消去 することは出来なくても、我慢することは出来る筈です。

千里の道も一歩からと申します。先づ我が身に就て考えて見ましょう。人間は誰で も、自分を欺いた、憎んでも憎んでも憎み足りない人間、要するに殺してやり度い程の人間の一人や二人持っているのが普通です。忘れろと云っても無理。許す ことも出来ません。と云って有形力を以て斗う事は、今の世の中では法に触れます。出来る事は我慢することだけです。昭和天皇の仰せられた『堪え難ぎを堪 え、忍ぴ難ぎを忍ぶ』と云ふ事は、この世に平和を保つ大前提なのです。

幸、この世の中には『時間』と云ふものがあります。時問をかける事 によって、かつての敵とも少しずつ理解が相互に進み、僧しみも薄らいで参ります。この時間ともう一つ怨念を沈静化する為、有効な手段は自分自身の心の修業 です。その為に人は神社佛閣に参詣し、心を浄めるのです。興亜観音に祀られた戦没者を思ふ時、即ち、敵味方、勝者敗者に聞係なく、すべての戦没者の霊魂を 畏敬し、弔う時、心は自ら敬虔となり、現在自ら抱えている怨念は、自ら矮小化され、漸次縮小するでせう。又、中国の兵士は多く、心ならずも戦はされ、心な らずも戦没し、弔う人も郷党も無い人が多かったのです。之等の無名の兵士を考える時、松井大将は切々たる惻隠の情にかられたのでせう。敵国の兵士を弔ふ事 は、平和願望の原点であります。興亜観音は眞剣に平和を願望しております。このように考えて参りますと、興亜観音のかけがえの無い重要さがわかって参りま す。

貴殿が興亜観音に参詣されました事は、日中双方の戦没者に対する慰霊と云う、純枠な日本人の心の現れであります。更に何等かの形で、世の為人の為に役に立ち度いと云ふ、貴い願望をお持ちであろうと拝察致します。
興亜観音を守り続けることは、平和を心の底から愛する正常な日本人の心を守り続けることであります。何卒「興亜観音を守る会」に御入会されまして御協力を腸ります様心から御願申上げます。

合掌


2734.アングロサクソン     
名前:犬神    日付:3月9日(火) 14時6分
管理人様こちらこそ宜しくお願い致します。
>ららぽーと様、2693拝見致しました。アングロサク ソンの研究熱心さは日本もある程度見習うべきものなのかも知れませんね。日米戦においては日本語に堪能な将校を多数養成し各地に派遣し捕虜となったわが将 兵より細部まで勉強し、日本がバブル期には日本自動車メーカー工場を米国国内に誘致し日本製造業の強さの秘訣を盗んだ。
敵を知り己を知れば百戦危 うからずというが振り返って我日本にはそのようなシンクタンク又は保守論陣で気概を持たれる諸氏がどのくらいおられるのだろうか。アングロサクソン一辺倒 の岡崎久彦氏はTVなどで拝見いたしますが私個人の意見と致しましては多大に違和感があります。
偏向マスコミは玄海灘韓国船当て逃げ事件同様にバ ブル崩壊要因を報道せず日本一国が悪者に仕立てましたがソロモンブラザーズ等米系証券の仕掛けがあったことは明らかです。米国は他にも半導体技術を韓国に 無償提供し価格を暴落させたりスーパー301条をちらつかせたりしたが日本製造業の強さを転覆するまでには至らなかった。しかし執念の研究の成果?で金融 というアリの穴のようなアキレス腱を発見し砂の器のような崩壊のしかたは皆様のご存知の通りです。
アングロサクソン帝国にこのままついて行くしか道は無いのでしょうか。米国属国を離脱するとは、かつて通った道ゆえ危険なのでしょうか。偏向マスコミに惑わされることなく考えてみたいと思います。


2733.Re;こういう非常識な川柳を載せる朝日はやはりおかし過ぎる     
名前:ceO    日付:3月9日(火) 9時28分
3月7日の朝日川柳。
ブルーリボン運動、黄色いハンカチ運動を支持している人は”右翼・軍国主義 者”とでも云わんばかりです。作者の思惑はどうあれ、掲載した朝日新聞の意図はそうなのだと思います。世相を反映させた川柳というのものには確かにユーモ アを利かせる「毒」が少しばかり入っているものですが、これは度を超えています。人の気持ちを蹂躙するものです。

朝日新聞は日頃から弱者の側に理解を示す態度をとり、ともすれば犯罪加害者すら弱者扱いしてその「権利」やら「人権」を訴えていますが、ごくありふれた人情も斟酌できない新聞社が、紙面で「高邁な理想」を掲げたところで、それは空虚な妄言に過ぎません。
かつてのクオリティペーパーも語るに落ちたもので、先に権兵衛さんが仰ったように、最早「品性下劣」な新聞でしかありません。そのうち(今では?)安手のタブロイドと並び称されるでしょう。


2732.No.2726 訂正     
名前:夕雲    日付:3月9日(火) 9時27分
204 さまへ

私が書き込みました下段のNo.2726 にて
F15の後継としてのF16と書きましたが、
正しくはF4の後継機としてのF16のことでしょうか?
とう意味で書きました。
素人なので間違いが多いと思いますが、お許しください。


2731.山川さん。管理人のforestです。     
名前:forest(管理人)    日付:3月9日(火) 9時3分
>山川さん
管理人のforestです。山川さんの最初の投稿が品位がなかったと私が感じた訳ではありません。
>申し訳ありません。
と 書かれますと、私が失礼なことを書いてしまったのかと誤解されたのかと思ってしまいます。そうではありません。私の真意は、サヨクや偏向マスコミには徹底 的な批判をして頂くのが、この掲示板の趣旨であり、投稿者同志で罵声が飛び交うようなことでは困るということで、お互いの批判反論は大いにやって頂いてか まいません。しかし、私たちはサヨクなど反日日本人などを叩く同志ですから、その点から品位を保って頂くことをお願いしている訳です。ご理解のほどよろし くお願い申し上げます。


2730.こういう非常識な川柳を載せる朝日はやはりおかし過ぎる     
名前:権兵衛    日付:3月9日(火) 6時37分
7日付 朝日川柳
青リボン黄色いハンカチ赤い紙(北九州市 S.A 大伴閑人選)

【選者の評】しず心なく。

ブルーリボン・黄色いハンカチ運動を支援しているようだと
そのうちに赤い紙が来ますよ、とでも言いたいのでしょうか?
拉致被害者のご家族、自衛隊員、そして彼らをサポートする人々の心を
平然と踏みにじった作者は論外中の論外ですが、このような川柳とは
言えない品性下劣な代物を選出した大伴某も論外中の論外ですね。
矢張り朝日は、ブルーリボン・黄色いハンカチ運動に対して否定的なスタンスを取っていることがこの品性下劣な川柳から垣間見えました。


2729.ありがとうございます     
名前:K.N    日付:3月9日(火) 1時52分

forest 様

中国共産党軍についてのレスありがとうございました。

ららぽーと 様

>それが証拠に通州事件において多数の邦人を虐殺しています。
私は蒋介石を毛頭かばうつもりはないのですが、通州事件は
き東政権の宋哲元指揮下の第29軍通州保安部隊の共産系将校・
兵士らが起こしたのではないでしょうか(知ったかぶりして
申し訳ありません)
それと戦後の左翼基地外学者たちは邦人といっても半数は
朝鮮半島系日本人だったと言い逃れをしているようですが


2728.有り難う御座います。     
名前:山川    日付:3月9日(火) 0時49分
以後品位ある表現・言葉づかいを心がけてまいります。申し訳ありません。


2727.犬神さん、山川さん。管理人のforestです     
名前:forest(管理人)    日付:3月9日(火) 0時32分
こちらこそ初めまして、よろしくお願い致します。最近は急に投稿が多くなり、管理人として、サイトの更新や ログの保存作業もありますので、なかなかレスが出来ず皆様にはご迷惑をおかけしている状況です。では簡単ですが、この掲示板が品位を保って運営出来ますよ うに今後ともご協力をお願い致します。


2726.蒋介石について     
名前:forest(管理人)    日付:3月9日(火) 0時10分
>夕雲さん
管理人のforestです。先月台湾を訪問し、蒋介石の大きな銅像がある紀念堂や 故宮博物館などを見学すると、やはり凄い権力を持っていた人だと思いました。確かに蒋介石は日本に対し賠償を請求しなかったし、また日本軍人などを無事に 帰国させていることから良い評価をする人もいることでしょう。

しかし、夕雲さんの投稿にもありますように、蒋介石が国際法違反である「便衣兵」での戦闘を展開し日本軍を悩まし、これでは民間人を誤って撃つことがあるのは当然です。

私 は南京大虐殺は支那の作り話であると思っていますが、蒋介石の戦法が国際法違反の便衣兵であれば、松井大将に南京戦における戦死者の全責任を押しつけるこ とは出来ない訳です。そうなると、蒋介石は日本に対し賠償を請求しなかった。また日本軍人などを無事に帰国させなどと言っても、それは「便衣兵」の戦法が 国際法違反であることを承知していながら戦っていた責任をうまく免れるためであったのでしょうか。
やはり蒋介石は日本にとって恩人でもなく戦後の日本悪者説の原因を作った人と理解してよろしいでしょうか。

>ららぽーとさん

私 が「蒋介石については、様々な評価がありますが、やはり良い評価をすることは間違いでしょうか。台湾には蒋介石の紀念堂がありますが、巨大な建築物で驚き ました。」と書いたのは「蒋介石に良い評価をする人がいますが、果たして正しいのかどうか」と言うことです。私は決して良い評価をしている訳でなく、あれ ほどの巨大な紀念堂がある権力者ですから、独裁者として様々な評価があるのではないかということを言いたかったのです。少し書き方が良くなかったようです ね。


2725.204 さまへ     
名前:夕雲    日付:3月9日(火) 0時9分
こんばんは、レス有難うございました。

さすがに現役の空自パイロットですね、実体験の書き込みが私などの知識とはぜんぜん違うグレードでぐんぐん迫ってきます。

素人の戯言をお許しくださるなら、少し質問があります。

まずF2のことをおっしゃっていましたが、これはF15の後継としてのF16の改良型のことを言われているのでしょうか。
一度見たことがありますが、F15はスマートな空の貴婦人の印象でしたがF16はなんだか兵装が物々しい感じでこれはごっついなという印象を受けました。
次 期支援戦闘機としてのF2は結局精密誘導爆弾の導入が目玉だと思いますが、これは米軍のGPS、全地球測位システムが鍵を握る、いわばアメリカ頼りの兵器 になりますが、日本独自ではやっぱり無理なのですか? また、このJDAMは従来の赤外線誘導爆弾に比べて高空から携行型地対空ミサイルが届かない位置か ら爆弾を投下できるなど利点はありますが、相手の地上レーダーを探知、妨害する能力はないと思いますがもしも北朝鮮や韓国、中国とことを構える場合には地 対空ミサイル基地を突破して攻撃することができなければあまり意味はないと考えますがいかがでしょうか。

ゲリラ戦や潜入した特殊部隊に対 抗するには誘導爆弾はピンポイント攻撃が可能でありますので、ある意味での有効性は否定しませんが、日本が必要としているのは万が一の場合の対中国戦、対 韓国、北朝鮮との戦闘です、相手はゲリラではなく正規軍ですが、ピンポンと誘導弾よりは全面的な破壊兵器が必要になるような気がしますが、それはやはり素 人考えでしょうか?
私は日本の危機はゲリラではなく中韓の正規軍相手の戦争だと思います、その場合はピンポイントなど必要はないのではありませんか。

それから、このシステム自体はそれほどお金がかかるものでもないと思われますが、もしも米軍のGPSが提供を遮断された場合は無力になると思いますが、それはいかがでしょうか。
もっとも米軍との協力関係が少しでも崩れることはわが国の防衛システム全体が崩れると覚悟するなら話はわかりますが。

すみません、興味本位の質問で、見当はずれなところがあればお許しください。


ありのままの台湾紀行(前編)

2004年03月10日 00時30分40秒 | 台湾関連

~日本人を歓迎する親日の国と言われているが~

はじめに

 約50年にも及ぶ日本の統治があるのにも関わらず台湾はなぜ親日なのか。統治されたのだから日本を恨んでいるのではないか。同じく併合され統治されていた朝鮮は、北朝鮮と韓国に分断されているが、今では凄まじい反日国家になっているのに、台湾の人からは日本を恨む声が聞こえてこないばかりか、日本精神の元で台湾の発展に尽くした日本人の偉業をいまでも高く評価しているといいます。それは本当なのか。ならば日本人が台湾を訪問し、日本人と分かれば歓迎し、親切にしてくれるのではないか。私は、以前からそんな思いを持っており、いつかは台湾に行ってみたいと考えていました。

 マスコミが伝える情報ほど当てにはならず、テレビの旅番組では、美しい所しか写さないし、何を食べてもタレントが「美味しい」を連発するのは本当なのか。やはり自分の目で見て、味わい、現地の人と話をしないと分かりません。そんなことから、ツアーのおきまりのコースを回るだけではなく、台湾の普通の市民が住む町を歩き、また食べている場所で食事をしてみたかったのです。

 さて、台湾への旅を申し込もうと、自宅から車で5分位の所にある大きなデパート内に入っているJTBと言う旅行会社に行く。最初は希望している1月19日から3泊4日と申し込もうとしたのですが、1月22日が台湾では旧正月とのことで、予約出来ないと言われ、仕方なく2月2日から同じく3泊4日ではと言うと、すぐパソコンを操作して、予約は大丈夫とのことで、申込書を書く。海外旅行なので、勿論パスパート持参である。成田発が午前10時45分とのことで集合が2時間前の8時45分でしたので、我が家から歩いて行ける駅からの朝1番の電車に乗車しても無理なので、成田のホテルに前泊することにする。また旅行保険にも加入したので、旅行費用の他に約1万円の出費になってしまった。


2月1日(日)出発前日の成田前泊

 成田のホテルには、夕方まで着けば良いのですが、少し早めのお昼過ぎに自宅を出る。成田までの交通機関は電車やバスなど色々ありますが、我が家からだとJRが一番便利なので「快速エアーポート成田」を利用することにする。途中の新橋で少し遅い昼食をとり、さらに東京で買い物をしていたので成田第2ターミナルに到着したのは午後4時30分過ぎになってしまった。ターミナル入り口では検問が行われており、パスポートを提示する。しかし、所持品検査も身体検査もなく、これでテロを防げるのであろうか。

 まず夕食にしようと、うろうろするが、どの店も庶民的な価格ではない。でも仕方ない。やっとトンカツの店で、その日のオススメ品である厚切りトンカツを注文する。これが厚切りか思うものでしたが、味は良かった。

 宿泊予定のホテルへは送迎バスがあるそうで、第2ターミナル乗り場で午後6時10分発のバスを待っていると、大型のデラックスバスが来たので乗り込む。車体外部にも内部にもホテルしか行きませんと書かれたプレートがありましたので、間違って乗る人がいるのか。あるいはホテルに泊まっているふりをして利用している人がいるのでしょうか。宿泊先は「マロウドインターナショナルホテル成田」で、チェックイン後にさっそく1階の大浴場とサウナに行く。ホテルの部屋に付いている風呂は日本人にはどうも合わない。大きな浴槽で足を伸ばして入浴するのは何とも気持ちが良い。

 成田にあるホテルなどで浴場入り口には各国の言葉で注意事項が書いてあるが、その中で「パンツを履いたまま入浴しないで下さい」が目に付いた。でも私が出ようとすると、アラブの国の人だと思うが、パンツを履いたまま入ってきた。汚れたパンツを履いたままではたまらない。湯が汚れてしまう。混浴ではあるまいし、汚いパンツくらい脱げと言いたくなった。このホテルにはプール、ジムもあり、滞在中に無料で利用できるそうです。各国航空会社の美人客室乗務員に宿泊先として利用されておりますので、そんな方とお友達になれるかも知れません。 客室のベットはシングルながら幅が142センチあるとのことで、大きな体の私にも十分な広さである。なぜか枕は2個あったが、そんなことはどうでも良い。早めに休む。


2月2日(月)成田から台北へ

 やはり、興奮しているのか午前6時には目が覚めた。天気予報では、お昼ころから雨が降りだすとのことで、カーテンを開けて、外を見ると、どんよりとした曇り空である。ずっと良い天気が続いていただけに、何で出発日に天気が悪くなるとは普段の心がけが良くないのかと思う。でも仕方ない。相手は自然であり人間の力ではどうすることも出来ない。

 空港までの無料バスがホテル前から出ているので、乗り込む。大型バスだか、乗客は私を入れて5,6人である。朝のラッシュ時間帯であるので、付近の道路はやや渋滞してるが、それでも何とか空港の入り口のゲートに着く。ゲートでは検問が実施されているとのことで、パスポートの準備をする。警備員が乗り込んで来て、パスポートの検査をされるが、ずいぶん簡単である。これではテロリストを阻止出来るのかと心配になってくる。どうも日本は島国のせいか、空港は国境であるという意識が低い。もっと厳重な警戒をすべきであり、それで文句を言う人に限って、何か事があると真っ先に警戒の杜撰さを言うのである。そこが日本人のいけないところかも知れない。

 ホテルで朝食をとらなかったので、ターミナルビルにあるレストランでも入ろうと思ったが、なかなか庶民的なものがない。朝から何でこんな高いのかと思うものが多い。エー仕方ないと、マックに入る。ざわざわして落ち着かないし、また高くて落ちそうな椅子で、次々と人が入ってくるので、せわしない朝食でした。

 チェックインは午前8時45分からとのことで、時間までターミナルビル内をぶらぶらする。また椅子に座って各国航空会社の美人客室乗務員がさっそうと歩いている姿を見るのも成田空港ならでの楽しみである。あまりじろじろ見ると不審者と思われるので、ほどほどにした。

 午前8時45分丁度にJTBの団体カウンターでチェックインし、搭乗券と帰りの航空券を受け取る。搭乗機は午前10時45分出発のエアーニッポンEL2103便である。
セキュリティ検査を受け、続いて出国審査を受けて、搭乗口に向かう。以前は書いていた出入国カードは書かなくなったようである。その代わりだろうかパスポートの写真が貼付してあるページの部分をスキャナーで読みとっていたので、それで出入国の管理をしているのであろう。

 午前10時20分から搭乗開始とのことで、椅子に座ってしばらく待つ。台湾では生水は飲めないとのことでしたので、ミネラル飲料を買う。まもなく搭乗開始のアナウンスがあり、ぞろぞろと搭乗口に向かう。エバー航空と共同運行便とのことでしたが、機体はエアーニッポンで、客室乗務員は全員日本人のようでありほっとする。当然エコノミー席だが、何度乗っても飛行機の座席は狭い。窓際であったので窓から景色は見えるが、今日は天気が良くないので、雲しか見えないであろう。

 午前10時45分予定通り離陸する。ベルト着用サインが消え、おしぼり、飲み物、機内食と次々と各種サービスがあり快適である。窓から外を眺めても雲と青空だけでまったくつまらない。結局、台湾に到着するまで見えたのは雲と青空だけでした。機内で、台湾の出入境カードと新型肺炎(SARS)関するアンケートを書く。英語と正字との併用だか意味は何となく英語の方が分かる。

 台北中正国際空港(中正国際機場)へは午後1時28分(日本時間午後2時28分)に着く。時差は台湾の方が1時間遅いので時計を1時間戻す。大きな空港ではあるが、成田より駐機している航空機や、人も少ない感じだ。

 新型肺炎(SARS)の検査があるとのことで、体温を計る計器の前を通過しようとすると呼び止められる。どうも熱があるようだとのことで耳の中に体温計を差し差し込まれ検査される。熱などないが台湾に着いて興奮していたのか。若い女性の係員から「大丈夫?」と言われる。台湾で聞いた最初の日本語でした。 入国審査は当然に台湾人と外国人は別ですが、すんなり通過する。質問もなかった。税関に申告するものもないので、そのままゲートを出る。

 ゲートを出た所に申し込んだ旅行会社JTBの札を持っているガイドさんが待っているとのことでしたので、見ると沢山のガイドさんが手に旅行会社の名前が書かれた紙を持っている。すると40歳位の男性のガイドさんがJTBの札を持っていたので声を掛けると名前を呼ばれたので「そうです」と答えると、先に故宮博物館の見学のための受付があるとのことで、そのカウンターで、名前、国名、パスポートナンバーを書く書類があり、パスポートを提示すると入場引換券をくれた。

 次に両替をしなければならないので、空港内の中國國際商業銀行中正機場分行の窓口に行く。ガイドさんが「3泊4日なら2万円で十分です」と言うので、2万円でを出すと当日のRateは0.306とのことでしたので6120元となり手数料は20元でしたので、1000元札6枚、100元札1枚に両替しました。書類に署名をするだけで誠に簡単である。

 ターミナルビルを出ると迎えの車が止まっており、今日は私1人とのことで、車はなんとボルボという大きな外車でした。その後部シートに座り、さっそく宿泊先のホテルに向かう。空港からすぐ高速道路に入る。車内でガイドさんから「台湾では水道から直接水を飲んでは行けない。ミネラルウォーターを買って飲んで下さい。ホテルで荷物を部屋まで運んでくれるベルボーイに50元程度のチップをやって下さい。」などの注意事項を聞く。

 ガイドさんは当然ながら日本語を話していたが、何となくたどたどしく。道路は片側4車線で広い。ガイドさんは通過する町の名前を教えてくれたり、日本から輸出した工事中の新幹線の高架橋を示し、「これが来年完成します。台北から高雄まで約90分で行けます。便利になります」と喜んでいました。台湾では道路は右側通行で、車は当然左ハンドルです。雨がかなり降っていますが、スピードを出すので心配になってきたが、でもボルボだから大丈夫か。途中に通行料金所があったが、料金の徴収係りは若い女性であった。ガイドさんは「ここで働いているのは全部若い女性ばかりです」と言っていた。排気ガス除けだろうか大きなマスクをしていました。

 高速道路を降り、台北市内の一般道路に入ると、車が多い。また日本と違いバイクに乗った人が多く、車の間をぬうようにばんばん走っていて実に危ない。また雨がかなり降っているのですが、気にしていないようである。ガイドさんに尋ねたところ、台湾では車が高く、なかなか買えないので、庶民はバイクを生活の足にしているそうです。そう言えば道路沿いには日本なら何処にでもある中古車展示場が台湾滞在中に一度も見なかった気がします。

 午後3時旅行中の宿泊先になっている。S大飯店(Sホテル)に着く。このホテルを宿泊先に決めたそのホテルはBグレードながら日本語が上手なスタッフが多いとのことで、それで申し込んだのです。

 チェックインの手続きはガイドさんがやってくれたので、パスポートだけ提示するだけでOKである。カード式の沢山穴が開いた鍵とホテルの名刺、朝食券3枚を受領する。ガイドさんから荷物を部屋まで運んでくれるベルボーイにチップをやる習慣があると聞いていたが、あいにく財布には100元札しかないので、フロントの女性従業員に50元との両替を頼む。滞在中、日本人なのかどうか分からないが、この女性従業員が話す日本語が一番上手だった。ここでガイドさんから「帰国の日は午後0時に迎えに来ます。明日(3日)の観光コースのガイドは別の人が来ます」と言われ別れる。そして50歳位のベルボーイの案内で客室に案内される。

 すると成田で泊まったホテルと同じ部屋番号である。偶然なのか。何なのか。JTBの手配でそうなったのか不思議である。このベルボーイも日本語が旨い。部屋の説明をしてくれたが成田のホテルの2倍はある広さだ。1人部屋なのにダブルベットであり、これは成田と同じである。ここで50元のチップを渡す。

 さて、時刻はまだ午後3時である。外は雨だがさっそく出掛けることにする。まさか荷物が詰まっている大きなザックを背負い出掛ける訳けには行きませんから、小さめのザックを持ってきたので、貴重品や必要な物を移し替えて、それを背負う。 まずフロントで1000元を100元札5枚と50元硬貨10個に両替する。先ほどの日本語が一番上手だった女性従業員でしたので、簡単に両替が出来ました。

 地図を見るとホテルの近くに民權西路という新交通システム(MRT)の駅があることが分かったので歩いて行くことにする。道路脇には歩道がありアーケードとなっていて雨には濡れないが、歩道上にはバイクが止まっていたり、また自動車修理屋の前では、自動車を歩道上にドンと止めてタイヤ交換などやっており実に歩きにくい。また歩道も15センチの段差がある部分があり、暗かったり、酔っぱらっていたらつまずいて転んでしまうだろう。段差ありとの表示もなく、車椅子なら絶対に通行不能である。


約3分で民權西路という新交通システムの駅に着く。新交通システム(MRT)とは捷運(ジュエユン)と呼ばれており、駅の入り口には「民權西路站」の大きな看板がある。「站」とは日本語の駅のことです。日本ではよく見られるテッシュペーパーを配っている人はいない。構内に入ると、セブンイレブンが(左画像)あったが看板は日本と同じでした。

 さて切符を買わなければと思い、券売機の所に行くも、どう購入するか分からない。再度ガイドブックを読み購入方法を確認する。
その方法は
1、最初に目的地までの運賃を確認する。
2、その金額ボタンを押す。
3、硬貨を入れる。
4、切符とおつりが出て来る。
では挑戦ということで、とりあえず「淡水」まで行って見ようと思い運賃表を見ると45元とのことで、45元のボタンを押してから、50元硬貨を投入しするとテレカ見たいなカード式の切符と5元のおつりが出て来た。私の記憶では「淡水」までは40元だと思いましたが、後で書いたメモには45元と書いてありますので、どちらが正しいか自信がありません。

 改札口は日本と同じ自動改札であり、切符を投入口に入れ、回転式バーがあるので、それを押しながら入場するが、切符を取り忘れそうになる。民權西路站は淡水と新店を結ぶ淡新線のほぼ中間にあり地下駅であり、エスカレーターで下ると、プラットホームである。エスカレーターは日本では急ぐ人のために左に寄るが台湾では右である。しかし、どうしてもいつものように左に寄ってしまう。またスピードがあり日本と比べるとかなり速く感じます。それと日本と違い水平区間が長いので、慣れるまでは要注意です。

 プラットホームのことは「月台(ユエタイ)」」と言い。一つのプラットホームの両側に線路があれば「第1月台」「第2月台」と言うわけです。いわゆる日本で言う1番線、2番線である。MRTは右側通行であり、日本の鉄道とは逆である。線路幅は日本より広い標準軌である。站(駅)にはMRTの路線図や各駅周辺の観光スポットが記載された無料のパンフレットが置かれており、日本語版もあるので活用すると便利です。

 すぐ淡水行きの電車が来たので、乗り込む。発車して次の中山站の手前で地下から地上に出る。それも高架なので、付近の風景がよく見える。この淡新線を走るMRTの車内は広く、車両の座席は、進行方向、垂直、 平行が入り混じった千鳥状の配置になっている。ドアの上には、電光掲示板で次の停車駅が表示されるし、どちら側のドアが開くかも表示されるので安心である。

 雨が降っており、どんよりとした空で、やや薄暗いが、窓から異国の流れる風景を眺める。日本に似た町並みですが、雑然としている感じがありました。道路のいたるところに車がとまっており、これでは車の駐車を巡るトラブルが多いのではないかと思いました。


35分位で淡水站(左画像)に到着する。站(駅)は高架になっており、エスカレーターで降り、改札口に切符を投入し、回転式バーを押して外にでる。この街は淡水河の河口にあり歴史がある古い街並みがあるところだそうで、また夕陽が綺麗で有名とのことです。しかし残念ながらこの雨では夕陽を見ることは出来ない。雨はそれほど降っていないが、傘は差した方が良い位の降り方でしたが傘を差している人は歩いている人の半分位の感じだ。

 站(駅)から淡水河までは100メートル位だ。河岸には対岸に行く「渡し船」があり、満員の乗船客を乗せてちょうど出て行くところでした。河岸沿いの遊歩道には様々な店が軒を並べており、声を掛けられるが言葉が分からないので、そのまま通過しようとしたが、フランクフルト見たいな食べ物が美味しそうであったので食べたくなり、人差し指と中指でVサインをし2本注文する。言葉が分からなくても何とかなるものだ。確か1本10元か20元だったと記憶しています。近くにあったベンチに座り、小雨に煙る淡水河を眺めながら食べる。確かに美味しかった。
また「日式」と書いた看板のある店を覗いてみたら、今川焼きと雪見大福だった。「日式」とは「日本式」と言うことでしょう。

 河岸沿いの遊歩道から外れ、両側に様々な店が並ぶ狭い道を歩くと、まあ人が多い、脇見をしているとぶつかりそうである。食べ物屋が多く、どの店も人が入っていないということはなく繁盛しているようである。また按摩と書かれた看板があったので、覗いて見ると椅子が並べられ、白衣を着た按摩士が客の肩や腕を揉んでいる姿が見える。それが道路から丸見えである。台湾には、按摩などマッサージの店が多いようである。

 さて、夕食を何処かで食べなければならないが、何も高級な店ではなく、街中にある普通の食堂に入ろうと探したところ「全自助餐」と書かれた看板のある店があったので、ガイドブックによると確かバイキング形式の食堂とのことでしたので、勇気を出して入る。店内に入ると、入り口にトレーがあるので、それを持つと、黙って紙製の器にご飯を盛って乗せてくれる。その後に様々なおかずが並んでいるので、好きな物を選択して指で示すと、それを皿に盛ってトレーの乗せてくれた。バイキングだと自分で好きなだけ盛ることは出来るが、「全自助餐」とはそうではないようだ。言葉が通じれば大盛りを頼むことが出来るのか。あるいは、そんなことは出来ず、決まった量しか皿に乗せられないので分からないが、紙製の皿が小さいので、おかずを乗せる量は決められているかも知れません。4品ほどのおかずをトレーに乗せ、奥のレジに行き会計となる。これで85元とは安い。

 台湾滞在中の夕食は全部町中にある「全自助餐」でしたが、3回とも100元以下であり、ガイドが「3泊4日では2万円を両替すれば十分です」と言ったのは本当だと思いました。日本で、夕食を100元(約300円)で食べることはまず無理でしょう。

 さて、夕食を済ませたのでホテルに戻ることにする。淡水站から民權西路站まで再びMRTで戻りホテルの部屋に入る。休むにはまだ早いので、再び民權西路站付近の散策に出たところ、帰宅するというホテルの従業員と一緒になる。日本語が上手で「お茶を飲みに行きましょう」と言うので付き合うことにする。台湾の人は夕飯の後に、お茶を飲みに行くことが多いとのことで、名前は忘れたが、1軒のお茶屋に入る。その女主人が色々なお茶を入れてくれて、いやにサービスが良いなと思ったら、何とか高いお茶を売りつけようとする魂胆がありありでした。しかたなく。ウーロン茶を2袋買う。一袋400元である。日本では1200 円という訳だが高いのか安いのか。
他の店で、種類は違いますがウーロン茶を190元で買えましたので、やはり高い物を売りつけられたのか。それが高級なウーロン茶なのか。パッケージを見ても分かりません。

 雨の中11時頃ホテルに戻る。水道水は飲めないので洗面所には無料のミネラルウォーターが2本置いてあるので、テレビを見ながらそれを飲んだりしていたが、言葉が分からないのでつまらない。その後風呂に入り、午前0時を少し回った所で休む。ホテルの風呂では、入った気がしない。やはり日本人は温泉に限る。


2月3日(火)観光コース日

 朝、ホテルの窓から外を眺めるとまた雨である。ついていない。朝食は2階のレストランでとのことで、朝食券を持ってエレベーターに乗る。最近のホテルの朝食はいわゆるバイキング形式が多いが、このホテルもそのようである。エレベーターを出た所に「自助式精美早餐」と書かれている看板があり、その下には「請駕臨二樓架中餐廳」書かれている。また日本語で「朝食は二階のレストランへどうぞ」との表示があり親切である。

 大体は中華料理を中心としたバイキング形式だが、日本人なら、たくあん、納豆、みそ汁、卵、海苔というような朝食を期待したが、それはなかった。野菜やレタス、ミニトマト、キュウリなどで、ハム、べーコン、蒸かした饅頭、鳥の唐揚げ、オムレツ、お粥、スープ、バナナ、スイカ、パンは5種類、コーヒー、ミルク、ジュース、ヤクルト、豆乳、紅茶などで、味はまずまずでした。

 台湾滞在中、すべて自由行動にしようと思ったが、フリープランでも観光プランでも旅行代金が同じとのことでしたので、追加料金がなければ参加して見ようと思い、また昼食も出るとのことで、2日目の今日3日は台北市内観光に参加することにしました。

 朝食を済ませた後、午前8時30分に車が迎えに来るとのことで1階のロビーで待つ。昨日と違う50歳くらいの痩せた男性ガイドさんがマイクロバスでやってくる。なんとなく頼りない人だったが、バスに乗り込む。今日は7人で回るとのことで、先に他のホテルに泊まっている人を乗せるとのことで、走りだす。今日もあいにくの雨である。マイクロバスは25人乗りのようですが、新しくなく、シートも堅い。名前は忘れたが他の大きなホテルで6人を乗せて7人で観光に出る。その6人は70歳位の老夫婦と、20歳位の若い女性2人と40歳位と25歳位の男性である。老夫婦以外は、同じグループのようである。もちろん全員日本人でした。


最初は龍山寺に向かう。台湾最古の古刹だという。まだ午前中で、雨も降っているのに人が多い。極彩色に彩られた純中国式の絢爛な建物(左画像)で思わず「これは凄い」と声を出してしまう。屋根や柱には精巧な彫刻が施されており、これは必見である。ガイドが長さ40センチの棒のようなお線香を一人7本づつ持ってきたので、これに火をつけて、祀られている神々のお堂の前に設置してある大きなお線香立てに投げ込むように立てる。日本のお線香のようにすぐ折れてしまうものではなく、棒というか竹ひごにお線香が巻き付けてある感じですから、投げ込んでも折れたりしません。たかがお線香ですが、国が違えばお線香の形式も違うのは当然でしょう。

 すると70歳から80歳のお年の老女が「日本の方ですか」と話掛けて来た。私が「そうです」と答えると、その老女は懐かしそうに「以前、新宿に住んでいたのです」と言うので、私が「新宿も変わりましたよ」と答えたのです。その老女は龍山寺で何か仕事をしている人のようで、それ以上の話は出来ませんでしたが、日本の統治を経験した方でしょうか。ガイドから「お土産です」と言って赤い糸が入った袋を貰いました。どうりで若い女性が境内に沢山いた訳が分かりました。


 雨の中、再びマイクロバスに乗る。次は「中正紀念堂」である。お祭りがあるのか、日本で言えば「ねぶた」のような猿などの人形が道路沿いに設置された台の上に並んでいる。夜は電灯がついて綺麗であろう。なんのお祭りかは分からなかった。「中正紀念堂」は蒋介石総統を記念して作られたものであるそうで、台湾の象徴的な存在である。「大きいな」と思わず声を出したくなる巨大建築物である(上左画像)。内部には蒋総統の肖像画、使っていた車、服などが展示され、椅子に座った銅像も巨大である。ちょうど衛兵(上中央画像)の交代が行われており、一糸乱れぬ動作は、人間とは思えず、機械仕掛けの人形のようである。また蒋総統の執務室が再現されており、椅子に座った蒋総統の人形(上右画像)は実に良くできており、まるで生きているように見えました。どうでも良いことですが、この「中正紀念堂」でトイレに入ったが男子トイレでも仕切りがあったので、隣の人のものをのぞく人がいるのでしょうか。

 ふたたびマイクロバスに乗り、今度はレストランで昼食をとるとのことで、ビルの10階にあるためエレベーターに乗る。そのエレベーターは5人も乗れば満員になってしまうものでした。10階のボタンを押し、ドアは閉まったももの、少しショックがあり、電灯が消えてしまった。これはこのまま閉じこめられてしまうのかと思ったが、すぐ電灯が付いて、動き出した。ああヒヤッとした。10階の部屋には人数分の席が準備されており、さっそく料理が運ばれてきた。どんな物が出てきたが、もう記憶にないが、蒸かし饅頭、春巻き、焼き飯、スープだけ覚えている。昼食ですから特別豪華ではないが、台湾滞在中に、このようなレストランで食事をしたのは最初で最後でした。  


昼食後、今度は「忠烈祠」(左画像)に向かう。戦争で命を落とした英霊を祀ってある壮麗な中国宮殿様式の建築物であり、赤く塗られた柱が美しい。ゴミ一つ落ちておらず、市内のごちゃごちゃしているとことは違い、別世界のようである。ここでも衛兵の交代が行われており、小銃を器用に操る様は「中正紀念堂」と同じ機械仕掛けの人形のようでした。記念撮影可能とのとことで、横に立ってガイドさんに撮ってもらう。


 衛兵の交代は1時間ごとのようですが、台の上で小銃(右画像)持って1時間も直立不動の姿勢をとり、その間はまばたきもしないとは、大変は精神力であろう。台湾では軍人の中から、厳しい試験を経なければ衛兵にはなれないそうで、そのほとんどが脱落してしまうそうです。ですから、衛兵はエリート中のエリートと言う訳です。一緒に観光ツアーをしていた若い女性が、他の衛兵と並んで写真を何枚も撮っていたが、いい男ばかり揃えた衛兵でしょうから当然のことでしょう。


次は、有名な「故宮博物館」(左画像)に行く。少し坂道を登ったところにある、ここも巨大な建築物である。中国大陸に興亡した歴代王朝の歴史文物を展示してあるそうである。昨日中正国際空港(中正国際機場)でもらった入場引換券に名前とパスポートナンバーを書き、それと引き替えに入場券を貰う。入場料はガイドが手続きしたのが直接払わなかったが、ガイドブックによれば100元(300円)のようである。ガイドが案内で、回ったが、どれもこれも、日本でいう国宝級の収蔵品である。3000年前のものとか。そんな物がいくらでもあるのです。とても1,2時間で回れるものではありません。じっくり見るには半日あるいは1日はかかることでしょう。

 当然に時間もないので物足りない見学であったが仕方ない。ふたたびマイクロバスに乗り込む。するとガイドが「台湾式マッサージはいかがですか」と言って割引券のようなものをくれた。マッサージと言うと変な期待をする方がおられるそうですが、真面目なものであるそうで、最近疲れていますし、マッサージは久しぶりですのでお願いすることにする。すると、ガイドがさっそく手配してくれて、そのままウィンザー理容院(温莎堡視廳理容名店)という店ところにマイクロバスで向かう。

 台湾では理容院と書いてあるのがマッサージ店のようである。店の人はややたどたどしいが日本語を話しましたので、安心しました。色々コースがあるようで、120分の全身マッサージを頼む。2000元(6000円)とのことで、日本よりはかなり安い。若くもない女性に3畳間位の個室に案内される。浴衣に着替えて仰向けに寝ていると、蒸したタオルを沢山持って来て、頭や首などい当てマッサージが始まる。

 すると「足のマッサージはいかが」「顔は…」「爪切りは…」「耳掃除は…」と次から次へ違う女性が声を掛けてくる。全身マッサージと言うから全部含むと思ったが別料金とのこと、全部やったら4000元を超えてしまうので断る。オイルなども使い、頭から足先までマッサージをしたり叩いたりしてくれたが、「痛い」と言うと、「体で悪いとこあるよ」と言われてしまったが、年も年だし、頭以外にも悪い所くらいどこかあるだろう。最初は仰向けであったが、今度はうつ伏せになり、足の裏や背中に乗りグリグリ、ゴリゴリやられたが、少し痛いが我慢した。  

 最近朝起きると右腕が痛く、腕が後ろに回らなくなっていたのですが、マッサージを終えて、右腕を廻すと何となく痛みが和らいだ感じがした。2時間もマッサージを受けたのですから、少しは効果がなければ、何のために2000元も出したか分からない。この店では2000元以上の客には、帰りはホテルまで車で送迎付きとのことで、高級車に乗りホテルに帰る。時刻は午後6時30分頃か。

 さて夕食をどうするか。またホテルではなく外で食べようと再び出掛ける。民權西路站の道路をはさんで反対側にある全自助餐に入る。昨日淡水で入った店より大きかったがおかずにはいまいちでしたが、90元(270円)で夕食を済ますことが出来ました。

 夕食後、ホテルにすぐ帰らず、また民權西路站からMRTに乗り、台北車站(台北駅)までに行く。運賃は20元でした。MRTの台北車站は鉄道の台北車站のすぐ南側にあり、もちろん地下駅である。雨なのでアーケードのある所を選んで歩く。ぶらぶらと散策しながらパン1個20元、高菜入り蒸しパン10元を食べる。日本と同じような繁華街であるが、日本ならどこにでもあるようなアダルトな店は1軒もない。

 CDショップでは日本の歌が海賊版として堂々と売られていました。漫画は確認しませんでしたが、女性誌などは、日本の物とそっくりな表紙です。また台湾では物を買っても消費税のようなものはなく。10元と書いてあれば10元払えばOKです。コンビニも多くありましたが、袋はくれませんので、沢山買う時は袋を用意しておく必要があります。それを知らず最初は困ってしまいました。これは台湾政府のゴミ減量政策によるものだそうです。

 交通マナーは前に比べれば良くなったそうですが、それでも目茶目茶で、横断歩道を渡っていても、止まってくれませんし、信号もあまり守りませんので、日本では当然に止まってくれそうでも突っ込んできますので台湾訪問を計画されている方は気を付けて下さい。

 台北車站付近には地下街があり、60歳位のご夫婦らしい方が経営する、日本で言う甘味の店がありましたので、あんみつみたいなものを注文して食べて見る。甘味はあまりなかったが、美味しかった。私が「美味しかった。ごちそうさま」ともちろん日本語で言うとニコニコしていましたので分かったようです。

 再び台北車站からMRTに乗り民權西路站に戻る。夕方のラッシュ時間なので車内は混雑しており、降りる人が先なのにドンドン乗って来る。ですから降りる駅に近づいたら、ドアのそばにいる方が良いと思います。日本では禁止されている電車内の携帯電話は、ばんばん使っている状態で、携帯の使用を禁止する車内放送をしているのか分からないが、車内の表示には飲食禁止の表示はありましたが携帯の使用禁止はありませんでした。  

 また日本でいうシルバーシートになる「博愛座」と書かれて席があるが、健康な人はそこに座ってはいけないことは当然です。MRTの構内や電車内では飲食、喫煙は禁止であり、ガムも飴もダメとのこと。その点は日本より厳しいマナーを要求されますでのこれから台湾訪問を計画されている方はご留意下さい。民權西路站でMRTを降り、ホテルに戻る。ああ疲れた。浅くて肩まで入れない風呂に入る。明日は1日フリー日である。さて何処へ行くか。お休みなさい。

(ありのままの台湾紀行後編に続く)


ありのままの台湾紀行(後編)

2004年03月10日 00時25分40秒 | 台湾関連

2月4日(水)フリー日

 昨日はガイド付きの観光コースで台北市内を回ったが、今日はフリー日である。朝食を食べながら何処へ行くか思案する。しかし今日も雨だ。このままでは台湾滞在中はずっと雨に降られそうだ。朝食後、MRTの民權西路站に向かう。ガイドブックにMRT一日乗り放題の切符が係員がいる窓口で150元で買えると書いてあるが、言葉が分からないのでガイドブックの一日乗車券(一日票)の部分を示すと理解してくれたようで、テレカ見たいなカード式の切符を出してくれた。その場で切符に名前を書けばOKである。  

 この一日乗車券は切符の投入口がある普通の自動改札口ではなく、一日票との表示のある扉を開ける専用出入り口から入るので煩わしいが仕方ない。普通の切符と違い磁気カードではないため自動改札は使用出来ないようである。でも磁気カードとは異なり手元に残るので、記念になりました。


 最初は民權西路站を通る淡新線と相互乗り入れしている中和線で南勢角站へ向かう。しかしずっと地下を走り景色は何も見えなかった。南勢角站はごちゃごちゃした町である。バイクが倒れたままになっていたり、編み笠みたいな物を被り手に箒を持って雨にも関わらず掃除をしている人(左画像)が5,6人おりましたので、このような人がいなければ町はゴミだらけになってしまうでしょう。付近にある「全家便利商店」(右上画像)はコンビニのファミリーマートのことであり、また「麥當勞」はマクドナルドの店(右下画像)でした。看板のデザインは同じですからすぐ分かります。

 再び南勢角站から古亭站まで戻り今度は淡新線で新店站まで行く。ずっと地下で景色は見えず。新店站はすぐそばに川が流れており、小さな2人乗りのボートが沢山繋がれていた。川沿いには土産物屋が並んでいるが雨なので人の姿はない。この雨ではさすがにボートに乗っている人はいなかった。川を渡る大きな吊り橋あり、橋の上から雨に煙る川の眺めが良い。吊り橋を渡ると、肉屋の前に止まっていた車から中年の男が籠に入れて持って来た鶏の足を掴んで肉屋の前に置かれた籠の中に移し替えていたが、その籠の横には皮を剥かれた鶏が吊されていたので、これから皮を剥ぐ鶏だろう。

 新店站付近には老婆が野菜などを売り売る露店が多い。カメラを示して写真を撮らせて下さいとジェスチャーをしたが、一人の老婆はニコニコして撮らせてくれたが、もう一人は困るという仕草をしたので諦めた。

  台湾では5、6階建て位のマンションのような住宅が多いが、上階でも窓に鉄格子(左画像)が入っているが、初日に空港まで迎えにきたガイドさんの話では泥棒除けとのことでした。ということは屋上からロープを使い窓から侵入する泥棒がいるという訳である。

  新店站から台北車站まで戻り、台北市内に残る旧日本の遺産建物を巡ることにする。相変わらず雨が降っており、おまけに傘をさしていることから地図を見るのも大変である。最初は台北市役所であったという行政院を見る。出入り口には憲兵が厳重な警備している。写真を撮ろうとしたが、そんな雰囲気ではありませんでした。その前は大きな交差点となっており、反対側には台北州庁舎であった監察院(右画像)がある。どちらも今の日本には、こんな立派な建物は残っていないだろう。

  次は台北帝国大学付属病院であった台大病院(左画像)である。煉瓦造りの重厚な建物であり、マラリアやコレラと言った熱帯病の世界的な研究機関であったとのことで、雨にもかかわらず通院患者であろうか人が一杯である。よく見るとマスクをしている人が多く、これは新型肺炎(SARS)ではないかと心配になり、内部の見学はやめた。病院のすぐ前はMRTの站がある。台大病院の前は総督官邸であった台北賓館がある。

 道路を横断したところが、二二八公園である。この公園は台湾にとって戦後最大の悲劇となった二二八事件の記念碑や、台湾総統府博物館であった国立台湾博物館などがあるところである。博物館は残念ながら休館日でした。
 さて、ここで両替に挑戦してみようと総統府のとなり台湾銀行に入る。この銀行も旧日本の遺産である。入り口には警備員が拳銃付けて立っている。さあ、言葉分からない。案内人にガイドブックの両替のページを指示したところ、担当の窓口に案内してくれた。そこで申請書名前。国籍、宿泊ホテル名、パスポートナンバーを書く。そして、すぐ前の窓口に出したところ、どうも違うと言っているようで、紙に27と書いたので27番の窓口へ行く。そこで1万円を両替したが 3062元となった。窓口の行員は1万円を透かして見ていたので偽札かどうかの確認をしていた。それからパスポートを提示して両替を完了した。日本で言えば日本銀行の本店で両替したと同じで、自分で言うのも何だが度胸があるなあ。

  台湾銀行横の道路を渡ると台湾総督府であった総統府(右画像)の大きな建物がそびえている。憲兵が警備しており、気を付けの姿勢である。道路との境には柵などないが、歩行者が少しでも敷地に入ると憲兵が警笛を鳴らしていた。敷地内に警察の白バイとパトカーがおり、偉い人が出てきてリムジンに乗り込み、その先導で走り去ったが総統であろうか。
 台北の中心にそびえるように立つこの総統府は、日本統治時代の1919年(大正8年)3月に竣工以来、すでに85年の歳月を経ている訳だが、その威容は今日でも全く色褪せていないようである。中央に高塔を抱く煉瓦造りの建物は美しく、建築学的な視点でも特筆されており、しかも、竣工時にはこのような大型で高層の建築物はなかったであろうから、天を突くようなこの建物は、市内のどこからでも確認できたことであろう。平日の午前中には公開しているそうですが、すでに午後になっているので残念ながら見学は出来ませんでした。

  さて、昼食は食べていないし、どこかの食堂にでも入ろうかと思いながらぶらぶらと歩いて台北站(駅)方向に向かう(左画像)。狭い歩道にも関わらず、また露店が沢山出ていることもあり、実に歩きにくい。これでは通行方法を巡るトラブルなどあるのではないかと思うが幸いそんな場面には出会うことはなかった。

 今度はMRTではなく従来からの鉄道に乗って見ようと思い台北車站(台北駅)に入る。構内にあったコンビニで昼食用のパンとジュースを買う。日本の3分の1位の価格である。台北車站は中国宮殿様式の壮麗な地上4階、地下6階ある大規模建築であり、1階に切符売り場があるが東京駅などのように多くの人がせわしなく構内を歩いているという姿はなく、切符売り場も行列が出来ているなどの様子はありませんでした。朝夕の通勤通学時間帯でなかったのですいていたのかも知れません。

 台湾の列車の種類は日本の特急列車になる「自強号(ツーチャンハォ)」、設備は自強号と変わらないが車両がやや古い「呂光号(チークヮンハォ)」、日本で言う急行列車だが車両が古い「復興号(フーシンハォ)」、それと「電車」と言うのがあるが、これは車両が日本でいう電車ではなく一つの列車の種別であり、近郊に行く列車が電車と表示されているようである。もう一つ「普快」と言うのがあるそうですが、これは電車よりさらに下位の列車の種類のようですが、詳しいことは分かりません。 このように台湾では列車種別ごとに運賃が異なる方式を採用している訳であり、その運賃は日本に比べて格段に安いことから、「この運賃で本当に大丈夫かな。経営がなりたつのか」と心配になるほどの運賃でした。

 あまり遠くに行けないので基隆まで行って見ることにする。時刻表を見ると、すぐ基隆行きの電車があるのようですから、まず切符の券売機で、基隆までの料金を確認し、硬貨を投入し、最初に一張(張とは切符の枚数のことです)と表示のあるボタンを押し、次に列車種別である「電車」の表示のあるボタンを押し列車種別を決定し、次に全票(大人の意味です) のボタンを押す。そうすると投入した硬貨の範囲で行くことが出来る行き先の駅名のランプが全部点灯し表示されるので、行き先の基隆というボタンを押すと車票(切符)とおつりが出て来た。MRTのようにテレカのようなものではなく、日本と同じ大きさの硬券ではない切符でした。

 エスカレーターを降りると改札口があり、自動改札機ではなく駅係員がおり、鋏を入れてもらい入場する方式である。台湾では改札口と出口が分かれいるようで、月台(プラットホーム)に入るのは改札口、月台から出るのは出口と言う訳です。出口で使用済の車票(切符)を渡すのは日本と同じとのことです。

 ここで車票(切符)を券売機で買う時の方法をおさらいしておきましょう。まず
1. 一張 / 二張 / 三張 / 四張のボタンで枚数を決定。
2. 自強 / 呂光 / 復興 / 電車 / 普快から列車種別を決定。
3. 全票(大人) / 孩童(子供) / 老障(老人) / 成人去回(大人往復) / 孩童去回(子供往復) から決定。
4. 行先を選択(行先はボタンに書いてある)
です。どの時点でコインを投入するか忘れてしまったが、列車種別を決定した後だったか先だったか。ともかく券売機にボタンを押す順番の番号表示があるのでわかります。

 台北車站(台北駅)の月台(プラットホーム)はエスカレーターを降りたところにあり4本の月台がある。その1本の月台の左右に線路がありますので、一つの月台はA、Bと区分表示されています。ですから台北車站には1A、1B、2A、2B、3A、3B、4A、4Bの日本でいう1番線から8番線まである訳です。

 1A、1B、2A、2Bの月台は新竹、台中、高雄方面であり、3A、3B、4A、4Bの月台は基隆、花連、台東方面である。大きな表示があるので間違えることはないでしょう。また時刻表にも乗車する列車の月台が表示されているので、乗車前に確認しておけば大丈夫です。従来からの鉄道の月台は以上のように一つの月台をA,Bと表現しているがMRTの方はの月台は日本と同じ、月台の面をそれぞれ「第1月台」「第2月台」と称しているようです。

 基隆行きの電車を待っていると、隣の月台に高雄行きの復興号が入って来た。日本ではほとんど見られなくなった機関車が客車を引くもので、旅情が感じられる。こんな客車で時間を掛けて台湾をのんびりと旅をしたら良いだろうなあと思いました。まもなく基隆行きの電車が入線して来た。車体は日本の山の手線と同じような電車で横向きの長い椅子が対面して左右にあるもので、これでは旅情など感じられない。

  台北車站を発車した電車は、MRTとは違い左側通行であり、線路幅も日本と同じ狭軌である。次の松山車站(松山駅)を過ぎるころまでは地下を走るのでつまらないが、まもなく地上に出る。電車のスピードは遅い。もっと速度を出さないかとイライラしてしまう。私の感じでは60キロ位ではないか。それに各駅停車なのでなおさら感じる。約30分でやっと基隆車站(基隆駅)(右画像)に着く。

 駅前広場に先は港であり、大型の貨物船が停泊している。基隆は台湾を代表する国際貿易港であるそうであり、また1年のうち3分の2は雨が降る街と言われており、当日も雨でした。ここから石垣島までのフェリーも出ているそうです。

 基隆車站に着いてすぐ、トイレに行きたくなった。切符売り場を外に出た所にあったので飛び込む。便器は日本と同じ和式であるが、トイレットペーパーもなく、そのフォルダーらしいものもないのです。ポケットを探るとテッシュペーパーがあったので、仕方ないのでそれで尻を拭けば良いかなと思ったが、トイレに流すとパイプが詰まってしまうのではないかと心配したのです。しゃがんだ時に横に、ポリバケツが置いてあったので、中を見ると、糞らしいものが付いた紙が入っているので、どうも尻を拭いた紙をそこに入れるようになっているようで、私も尻を拭いた後のテッシュペーパーをトイレに流さず、そのポリバケツ入れました。  

 この方法で良かったかどうかに分かりませんが、ガイドブックにも書かれていませんので、その後、私の糞が付いたテッシュペーパーがどうなってしまったか分かりません。尻を拭いた後の紙をポリバケツに入れるのが正解なら、沢山人が入った後でしたら糞の臭いでたまりませんね。しかし後でJTBからもらったガイドブックを良く見たら、トイレの汚水を流す管が細くて詰まってしまうので、尻を拭いた後の紙を流さずポリバケツに入れるトイレもあると書いてありましたので私のやったことは正しかったようです。

  雨が降っているのに道ばたで70歳位の老婆が、日本の今川焼きに似たものを売っている。3個20元とか。あまり売れていないようなので3個買って食べる。台湾では、このように年寄りが道ばたで露店を出している姿を多く見かける。広場の港の所に回転寿司があった。形式は日本と同じようである。看板は「迴轉壽司」とSUSHI EXPRESS(左画像)であり、何となく意味は分かるでしょう。

 再び、基隆車站から台北車站まで戻る。それからMRTでまだ乗っていないところの乗るために、今度は昆陽行の板南線に乗る。しかし、昆陽までは全部地下で、景色が見えない。昆陽で引き返し、忠孝復興站で木柵線に乗り換える。木柵線は板南線と違い、高架式の最初に開通したゴムタイヤを履いた新交通システム(MRT)だそうであり、よって台北市内の風景を眺めるのは最適である。最初は動物園站まで行き、すぐに引き返し、中山國中站まで乗り、忠孝復興站で再び乗り換えて板南線に乗り、昨日行っているが龍山寺にまた向かう。板南線は龍山寺の先の新浦まで伸びているが、現在延長工事が行われているそうです。しかし、昆陽と龍山寺の間は全部地下で景色が見えない。

 台北を訪れてMRTに乗車するなら淡新線の圓山站から淡水までと木柵線の全線が良いでしょう。他の路線は景色が見えない地下を通っていますからつまらないです。

  龍山寺站を出る。相変わらず雨が降っている。ここには小さな占い店が軒を連ねており、どの店も占い師とお客が2人位しか入れない広さである。ここには女性占い師が多いようである。台湾で最古の寺院である龍山寺は、昨日来た時より人が多い。それも昨日は午前中であったせいもありますが、若い女性が目立つ。長さ40センチ位のお線香を両手で持って頭の上に上げて、何かを祈っている(左画像)。また台の上には、果物やお菓子類がお供物として沢山乗っている。この大量なお供物を後でどうするのか心配になる量です。すでに暗くなっているので、境内はイルミネーションに飾られて綺麗である(下画像)。台北を訪れる機会がある人は、この龍山寺の見学を欠かしてはならないと思いました。なぜ若い女性が目立つのか、昨日ガイドから、赤い糸が入った龍山寺の名入りの袋を貰ったが、この龍山寺が縁結びのお寺として有名であるからでしょう。




 龍山寺站から板南線で再び台北車站の戻り、再び淡新線に乗り換えて、民權西路站まで戻る。夕食がまだでしたので、昨日入った同じ全自助餐の店で済ませる。90元でした。安い。

 ホテルに戻り、荷物を置いた後、再び出掛ける。台湾の最後の夜であるので、いかがわしいことを考えている訳ではありませんが、町中をもっと見たいと思いMRTの木柵線に乗った時に一番にぎやかであると感じた忠孝復興站付近に行って見ることにする。雨の中ですが、「うわー」と声を出したくなる位に人が多い。忠孝復興站の前には大きな太平洋そごうデパートがあり、裏道に入れば、どの街でも見られるような安価で食事が出来る店や屋台が沢山ある。本当に台湾では、どの街を歩いても良く食べている人が多い。これが雨でなければもっと凄い人出ではないかと思う。

 付近散策後に忠孝復興站に戻り、台北車站で淡新線に乗り換え民權西路站まで戻り、ホテルに帰る。いや雨の中良く歩いた。これで寒かったら、そんな気分にはなれないだろう。ホテルの風呂は、日本の温泉や家庭風呂のように肩まで入るのが難しい。これでは風呂に入った気分にはなれないし、やはり日本人は旅に来たら大きな風呂で温泉でなければと思った。MRTの新北役站の近くには温泉があるそうで、行けば良かったかな。でももう時間がない。残念だ。今日歩いたことをレポート用紙にメモし、午後11時30分寝る。このホテルのベットは成田のホテルより寝心地が良かった。


2月5日(木)帰国日
 さあ、台湾最後の日となりました。昨日は少し歩き回りすぎたので、疲れていたせいか。7時30分頃に目覚める。さっそく、自助式精美早餐に向かう。メニューは、少し変化があるようである。今日はパンの他にお粥を食べる。これが美味しい。

  午後0時にガイドが迎えにくることになっているので、それまで、ホテル周辺の散策にでる。今日も雨である。台湾滞在中、これで4日間雨に降られた訳である。ホテル近くの民權西路站のそばの十字路交差点には屋根付きの横断歩道橋がある。角には台湾銀行があるが、この警備員も腰に拳銃を付けている。横断歩道橋の上から眺めると、車よりバイクが多い感じだ(左画像)。日本にはないと思いますが、バイクが赤信号で止まっている時の専用のラインで囲まれた場所(右画像)が、それが普通の車の停止位置より前にあり、そこに沢山のバイクが青信号になるのを待っており、青信号で、走り出す瞬間は壮観です。日本のゲンチャリ暴走族のようでした。

 朝の通勤時間帯ですが、横断歩道橋の上にしゃがみ込んでいる老人がおり、前に茶碗のような物を置いているので、物乞いのようである。後でガイドさんに聞いたら、台湾は60歳定年だそうですが、年金というものはないそうで、だから、街を歩く年寄りが屋台で商売をしていたり、日本でいう朝市のようなことをして現金収入を得ているのでしょう。台湾に滞在中に、物乞いをしている人を3人見ましたが、60歳になればまず年金を受給される日本は良い国であると思いました。

  散策していたら、北市警察局分局の建物(左画像)がありました。日本統治時代の古い建物のようです。前にはパトカーが4台位止まっていました。台湾のパトカーは緊急時は赤灯と青灯の両方を点灯させているようです。その付近には「朝代戯院」という看板がある建物があったが、いわゆる映画館である。ラストサムライの看板がありましたが、台湾では「未代武士」とのタイトルが付いていました。

 次に農安街の朝光市場に行って見ました。まだ午前中ですが、すでに開いている店があり、食べ物屋であれば必ず2,3人の客が入っている。裏通りという感じですが、お客がくるのかと心配になってしまう。
  
  台湾では女性の整形が流行しているか分からないが看板らしいのがあったの写真(右画像)に撮ったが、術前と術後20天の顔があまりにも違うので驚いた。またその近くに「福客多商店」との看板のある店(左画像)もあったが、これもコンビニだろう。また「収費停車場。毎小時60元」の看板(右下画像)があったが有料駐車場であろうか。付近の道路は駐車車両で一杯でしたが、「収費停車場」はがらがらでした。

 さあ、今日も雨だったがホテルに戻ろう。観光客が行かない所を散策したので、変な目で見られたこともあったが、カメラを片手にふらふらしているのだから仕方がない。観光客と分かり、日本人と知ったら声を掛けてくると思ったが、そのようなことは、龍山寺で1回あっただけである。台湾は本当に親日の国なのか。駅や買い物中に声を掛けられて「日本人です」と答えても、特に親しげに話す人にも会いませんでしたし、日本統治を受けた時代の年寄りでも同じです。たまたま、そんな人に会わなかったのか。あるいは他の理由かいまだに分かりません。

 さて荷物をまとめ、チェックアウトを済ませて、ロビーでガイドさんが来るのを待っていると午後0時5分前に姿を現す。今度の車はベンツである。ガイドは今日の帰国を担当するのは私一人だけだと言う。それにベンツでは贅沢である。

 中正国際空港(中正国際機場)に向かい。高速道路を行く。雨が強い。途中交通事故があり、トラックと乗用車が衝突して大破していた。ガイドは「飛ばし過ぎてスリップしたのでしょう」という。台湾に着いた時と同じガイドさんでしたが、日本語は何とか理解出来るようですが発音がややおかしい。東京国際空港の正しい発音の仕方を教えて欲しいと言われた。ガイドさんも色々苦労が多いようである。

 中正国際空港には午後1時頃に着く。エヤーニッポンのチェックインカウンターに行き、航空券の引換券を示し搭乗券を受け取る。このEL2104便はエバー航空と共同運行なのですが、機体はエヤーニッポンのものである。
 また両替をしなければならないので中國國際商業銀行中正機場分行の窓口に行く。当日のRateは0.3176のこと財布から台湾元を出して日本の円に両替する。署名するだけで簡単である。出境審査の所でガイドさんと握手して別れる。

 出境審査はパスポート、来る時に書いた出入境カード、搭乗券を出す。特に質問はない。税関手荷物検査とハイジャック防止のX線の検査を受けて搭乗ゲートに向かう。台湾の硬貨の元が少し残っているので、これで昼食を食べようとうろうろしていたら「ラーメン」と書かれた日本で良く見かける旗があった。さっそく150元で、台湾最後の食事をとる。旨い。さすがに台湾である。台湾で食べた最初で最後のラーメンでした。出発時刻は14時55分発でしたので、しばらく滑走路を離着陸する航空機を眺めていた。天気は雨が上がったが曇り空である。

 しばらくすると成田からのエヤーニッポン機が着陸し、搭乗ゲートに横付けになった。帰国する航空機が来てほっとする。14時20分まもなく搭乗のアナウンスがあり、機内に入る。ほぼ満席である。
予定通り離陸し、成田には18時38分に到着しました。帰りもほとんど雲ばかりで地上は見えなかった。


台湾紀行の感想

 台湾紀行を終え、日本は良い国だとの認識を新たにしました。特にガイドさんから台湾では60歳定年であり、年金などないとの話を聞き、その後はどうして生活をするのか。病気になったらどうなるかなど、それに引き替え日本は何と幸福なのでしょうか。物価は日本の3分の1ないし5分の1と思いますが、年寄りが雨の降る中、路傍に座って物乞いしている姿は哀れなものです。

 日本ではよく見かける青いビニールシートで囲われて生活しているホームレスのような人は見かけませんでしたが、年寄りが路傍にで少しでも現金収入を得ようと、露店を細々とやっているのも良く見かけました。日本でいう朝市のような感じなのですが、これも何だか哀れさを感じさせました。また年寄りだけでなく若い女性が路傍でアクセサリーなどを販売している姿もありました。

 若者の服装は、日本の方が個性を通り過ぎてだらしない感じで、台湾の若者で、「何という服装しているのか」とか「なんという着方しているのか」という人には一度も会いませんでした。

 風紀については、繁華街に行けば必ずあるようなアダルトグッツを売る店や風俗産業は滞在中は一度も見かけませんでした。その点は日本の方が乱れている感じがします。人口密度が高いからと思いますが、どこを歩いても人が多く、また倒産してシャッターが長期間閉まったままの店は1軒も見ることはなく、日本では良く見かける落書きなどありませんでした。

 台湾は急速に発展している国であるとの印象で、非常に活気がある感じです。私の台湾訪問の目的である「台湾は親日国なのか」についてですが、わずか3泊4日の滞在でしたので、それだけで判断は出来ませんが、そんな印象はあまりありませんでした。現地のガイド、ホテルの人、観光客相手の店の人などは、日本人でもどこの国に人でも親切なのは当然でしょうが、普通の市民に「私は日本人です」と言っても、急に愛想が良くなったとか、親切にしてくれたとか。そんなことは一度もありませんでした。「日本人?ああ、そうなの」という感じです。支那や韓国では罵声を浴びせられることがあるそうですが、私が観光客もめったに行かない所に行ったせいか、あるいは人相が悪いせいか、変な目つきで見られたこともありました。

 やはり日本人ですから、文化も習慣も異なる外国は疲れます。食べ物は何を食べても美味しことは良かったです。また女性であまり太っている人を見かけませんでしたので、この点についてガイドさんが「台湾では食事の後に色々なお茶を飲んでいます。だから太っている人が少ないのでしょう」と言っていました。

 メディアが流す旅番組は良いことしか伝えませんが、私は台湾の印象をありのままに書いて見ました。長くなってしまいましたが、読者の方からのご感想をお待ち申し上げます。 以上。
(2004/03/10)  

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