ローマ教皇 日本に「難民の受け入れを」
2019/11/25
ミサに先立ち、フランシスコ教皇は都内の教会で難民留学生らと対話するイベントに出席し、日本がもっと難民を受け入れるよう呼び掛けました。
フランシスコ教皇:「特にお願いしたいのは、友情の手を広げてひどくつらい目に遭って、皆さんの国に避難して来た人々を受け入れることです」
若者ら約900人が集まった「青年の集い」には難民申請者のほか、難民留学生も招待されました。フランシスコ教皇は難民や在留資格のない外国人などに対して日本が厳しい対応を取っていると指摘し、より寛容な政策で難民らを受け入れるよう訴えました。また、いじめや差別の経験で苦しんだフィリピンから移住した青年らの話に耳を傾けました。教皇はいじめる側こそが弱い人間だと述べ、勇気を持って立ち上がり、いじめを止めることがもっとも有効な対策だと語り掛けました。
(テレビ朝日NEWS)
(引用終了)
日本は世界唯一の被爆国として、国際社会に核廃絶を訴える権利があるとする反核平和運動と称するものが行われているが、奇妙なことに実際に核兵器を保有している国には何も言わずに、その矛先は核を保有していない日本に向けられており、例えば「核兵器禁止条約」に参加しないことへの批判などだが、日本が再び被爆国にならないためにはどうしたら良いのかとの観点からの運動とは思えない。
核廃絶が実際に可能かと言えば、その検証が出来ないことから不可能に近いと言って良いであろうし、仮に核廃絶が進んで、世界で一国だけが核保有国として残れば、その国に世界が支配されてしまうからである。かってオウム真理教が、死刑になった麻原教祖の予言を的中させるために、山梨県上九一色村(当時)のオウムの施設で、東京都民全員の致死量に匹敵するサリン70トンを製造しようとしたものの、一部は成功し、松本及び地下鉄サリン両事件で使用されたが、その後に捜査当局の施設への捜索によって阻止されサリン70トンは完成しなかった。もし完成していれば、オウムによって日本どころか世界が支配されていたことは間違いなく、だから核も同じだと言えるだろう。
正しいことをしていると言いながら、核兵器を保有している国には何も言わない反核平和運動は偽善であり、来日したフランシスコ教皇も24日、被爆地である長崎を訪れて「核兵器廃棄にすべての人と国が参加しなければならない」と反核メッセージを発表しそうだが、明らかに場所を間違えており、日本の隣にある核保有国に行って訴えたらどうか。
テレビ朝日NEWSによれば、そのフランシスコ教皇が都内の教会で難民留学生らと対話するイベントに出席し、日本がもっと難民を受け入れるよう呼び掛けたとのことである。難民の受け入れを日本に要求するのであれば、まず先にバチカンで受け入れることが先であり、それをやらずして、他の国に可哀想な難民を助けるべきと言うのは偽善であり、まさに他人事と言えるだろう。
自分の国を捨ててまで他国に難民として入り込み、その国に助けを求めるのは、他人のカネで楽して暮らすためであり、自分の国を良くしようともしない連中が、難民となっても、受け入れてくれた国を良くする考えはないのに、フランシスコ教皇は難民を受け入れない日本が悪いような言い方であり、難民を出している国の方を問題にすべきではないか。
日本は既に在日朝鮮人と言う自称難民がおり、脱税を得意とし、生活保護を受けている者も多いなど、日本に住まわせて貰っていることに何ら感謝しない連中であり、それでも日本は耐えている訳で、だから難民を受け入れに関しては日本は世界に先駆けているのである。フランシスコ教皇は既に日本には在日がいることを知らないようで、これ以上の受け入れは治安悪化を招くし、また財政が圧迫される恐れがあるだろう。
他にも死刑制度の廃止を訴えるなど内政干渉と思われる政治的な発言が多く、日本に何しに来たのかと言われているようであり、まさに偽善者と言う他はない。キリスト教の教義を世界のすべての国の人々に押し付けることなど不可能だし、日本には日本独自の文化や価値観があるにも関わらず、何の理解もせず来日したようで、これではキリスト教徒以外の日本国民の反感を買っただけで、今回の日本訪問は何の意味もなかったと言えるだろう。
(2019/11/28)