政府は、今国会に有事法制関連三法案を提出し、今国会での成立を図るようである。有事法制は昭和50年代のはじめより、防衛庁によって研究がなされていたが、25年以上も経っているのに、我が国は外敵の侵入という緊急事態に対応する際の法整備がいまだに行われていないという戦慄すべき状態が続いていた。
独立国であれば、このような法整備を平時に行っておき、緊急事態に備えることは当然であり、このような法律がないまま、わが国は自衛隊を保持しているという奇妙が状態であった。
なぜ奇妙かというと、外敵の侵入から国民を守るという任務のある自衛隊が、そのような事態の際に、どのように行動するか、また国民は、その時は何をしなければならないのか、あるいは何をしてはならないのかを、あらかじめ取り決めた有事法制がない国が、とても独立国家と言えないからである。
あの戦争が終わり、50年以上も経過し平和が続くと、穏やかな毎日の生活が当たり前になり、これからも何事もないだろうと誰もが思うようになっても不思議ではない。しかし、そんな穏やかな日々が続いていたわが国でも、いつかは恐れていた外敵の侵入という事態がこないとも限らない。
この有事法制に反対する連中は、左傾マスコミや進歩的文化人、社民党、共産党などである。私はそのような連中が、この法律に反対することに特に驚いていない。彼らの考えは、まず一つに我が国は平和憲法があるので大丈夫だという空想的平和主義があり、また国民の基本的人権は絶対的なもので、いかなる事態になろうと侵害してはならないと思っているからである。また自分達の存在感を示すために彼らのいう国家権力(左翼用語であって、普通の国民は使ってはいけないが)と対決し、常に批判の対象にしたいからだ。
であるから、彼らのいう国家権力の象徴である自衛隊が、侵略という事態に至っても国民の自由や権利を侵害し行動することは許せないと考えており、だから基本的人権を制限することになるというこのような法律に反対するのは当然で、自衛隊は今後も永遠に、その活動が国民から感謝されてはいけないと思っている訳である。
有事の際に、我々国民はどうしなければならないのか事前に認識をしておかなければ、自衛隊の行動は制約されてしまうであろう。普通の国民であれば、自由や権利が多少制限されたとしても、私達を守ってくれる自衛隊の行動が容易になるように協力するのは当然であると考える。
有事法制に反対する人に、一々反論するのも疲れるが、有事でも普通の市民生活が優先されると考えていて、「そんな法律は、私には関係ない」と言って、車を運転して、仕事や買い物に出かけたり、自宅で静かに過ごせると思っているのであろうか。それとも出動した自衛隊の車列を妨害する行動に出るのか。
また、与党の国会議員の中で、その必要性は認めつつ、まだ時期が早いとか、言っている人もいるが、すでに25年も研究を続けているのに、まだそんなことを言っているのは奇妙としか言いようがない。この法律が成立すると困ることでもあるのかと勘ぐりたくなる。
今まで自衛隊は、このような法がないまま良くやってきたと思う。自衛隊員に名誉とその任務に誇りを与え、国民の支持と信頼を得るための法整備が一日も早くなされることを私は望んでいる。
(2002/04/29)
この記事は「私の主張」第107号
「有事法制と自衛隊が感謝されることを嫌う左翼」
~自衛隊員に名誉と任務に誇りを与え、国民の支持と信頼を得るために~
としてHPに掲載されていたものです。