除夜の鐘って、うるさい? 札幌の大覚寺、苦情受け中止 市内寺院「伝統行事」継続が大半
2019/12/27
大みそかの夜の除夜の鐘について、市民からの「うるさい」という苦情で、札幌市内の寺院が今年初めて中止を決めた。除夜の鐘の中止は全国的に増えているが、市内では「大切な伝統行事。やめないで」という声から続ける寺院が大半。社会の寛容さが失われつつあると心配する声もある。
1907年(明治40年)建立の大覚寺(東区北10東11)は今年、除夜の鐘の中止を決断。寺院前に中止を知らせる看板を立て周知している。今春からは朝6時に突いていた鐘もやめた。荒木道宗住職(47)は「数年前から数十件、匿名の苦情が届いていた。継続を望む声も同じくらいあったがやむを得ない」と話す。
(以下略、全文はソースで。北海道新聞)
(引用終了)
これは聞いた話しだが、ある香料会社が製造工場を新たに建設する計画を立てて土地を物色し、付近に人家はなく、田や畑が広がっているだけの適地があったことからそこに工場を建てたそうだ。何年かしてから周囲に人家が建ち始めたところ、付近の住民と称する者から、工場から出る甘酸っぱい匂いが我慢出来ないとして「なんとかしろ」と苦情が出始めたそうである。
香料を製造する工場だから、匂いが出るのは当然で、だから付近に人家がない場所に工場を建てた訳であり、それを承知で引っ越して来たのに「苦情を言われましても」とその香料会社は反論したとのことだが、確かに、その工場がある前の道路を車で通ると甘酸っぱい匂いがするので、人によっては不快に感じるかも知れないが、なぜ事前調査もせずに、その工場の近くに家を作ったのであろうか。
世間にはこの香料会社と同様な話しが良くあるようで、例えば、付近に空港があるのに引っ越して来て、「飛行機の騒音が酷いので何とかせよ」と訴訟を起こした例がある。また保育園から聞こえる園児たちの声がうるさいとの苦情や、農村地域に家を建てて、もみ殻を焼く煙が我慢出来ないから燃やすなと苦情を言う例など、人間は一人で生きている訳ではないのに、自分の気に入らないことは何でも苦情を言って止めさせることが良いと思っているようである。
北海道新聞によれば、札幌市内にある1907年(明治40年)建立の大覚寺が、12月31日の大みそかの夜の除夜の鐘について、市民からの「うるさい」という苦情で、今年初めて中止を決めたそうであり、同寺の荒木道宗住職(47)は「数年前から数十件、匿名の苦情が届いていた。継続を望む声も同じくらいあったがやむを得ない」と話していると報じられている。
除夜の鐘がうるさいと思うような者は心の病気にかかっているとしか思えず、苦情を入れているのは匿名となれば、一人なのか、あるいは何人もいるのか分からないが、匿名での苦情は卑怯と言うべきで、まず名前を名乗るのが礼儀だと思うし、大覚寺としても、匿名での苦情は受け付けないと拒否し、除夜の鐘を中止すべきではなかった。
大みそかの夜には除夜の鐘が付きものだし、数年前までは苦情はなかったとなれば、最近引っ越してきた新住民と思われるが、大みそかの夜の風物詩になっているのを知らない新住民となれば、日本人かどうか分からない。札幌市内に住んでいる者ならば、寒さが厳しい大みそかの夜は寒冷地仕様になっている窓を閉めている筈で、また雪が積もっていれば音が吸収されて、除夜の鐘程度の音は、我慢出来ない騒音とまでは言えないだろ。
大覚寺に苦情を言っているのは匿名のため日本人か、それとも外国人かは不明だが、大みそかの夜は除夜の鐘を聞きながら一年を振り返る風習が日本にあり、その伝統行事が今日まで続けられてきた歴史に重みを無視してはならず、だから少数意見に合わせて止める必要はないし、除夜の鐘を騒音と捉える寂しいと言うか、可哀相な人たちがなぜか世間にいることを憂うものである。
(2019/12/31)
写真:今年から除夜の鐘の中止を決めた大覚寺の鐘