私の主張・ひとりの日本人として

新聞やテレビの報道で特に偏向マスコミや反日日本人などに憤慨することが多くなり、暇な時に思いつくまま書き綴ったブログです。

ソ連軍の侵略で起きた中国残留日本人孤児

2004年03月08日 23時06分17秒 | 偏向マスコミ
  2月24日から一時帰国していた中国残留日本人孤児10人が3月8日午前、成田空港から中国に向かって出国した。今回で何回目になる一時帰国であろうか。当然のように年々身元が判明する人が少なくなり、今回は一人の身元が判明しただけであり、2人がDNA鑑定待ちとのことである。

 マスコミは、中国残留日本人孤児が、なぜ旧満州(中国東北部)だけで起きた悲劇なのか報道せず、日本に永住帰国した8割近い約1900人の中国残留日本人孤児が帰還措置の遅れや、苦しい生活から日本政府に生活保障や損害賠償を求め訴訟をするとのことなどを報道している。今回一時帰国したものの肉親が名乗り出なかったが「14日間とても楽しかった。肉親は見つからなかったが、自分は日本人なので、一日も早く永住帰国したいと思う」と希望を語っている人もいるそうだが、本当に日本人なら日本に永住帰国したいのは当然であろう。しかし「自分は日本人なので、一日も早く永住帰国したい」と言われだけで政府はどうするのか。

 今回身元が判明しなかったが、残留孤児の于慶雲さん=推定年齢(58)は、昭和20年年8月9日、旧満州(中国東北部)の東安省鶏寧県滴道駅付近のトウモロコシ畑で、母親と思われる女性の遺体の傍らで泣いているところを中国人に保護され、当時は生後2カ月だったと言うが、昭和20年年8月9日と言えば、ソ連軍が当時有効であった日ソ不可侵条約を一方的に破棄し、満州に怒濤の如く侵入して来た日であり、その混乱の中、于さんの母親はソ連軍に殺されたのではなかろうか。ソ連軍は満州に残さざるを得なかった現在の貨幣価値で数兆円にもなる日本の資源や遺産をことごとく持ち去り、満州にいた多くの日本軍人や軍属などを国際法を無視してシベリアに抑留して大きな犠牲者を出したが、何の補償も謝罪もしていない。

 中国残留日本人孤児はソ連軍が侵入して来た地域だけで起きていることを日本人は絶対に忘れてはならない。今年は日露開戦100周年記念の年だが、日露戦争に負けた怨みをはらすかの如く、昭和20年年8月9日、満州に怒濤の如く侵入し、残虐行為を繰り返したことはまさに「悪魔の侵略」であり、ソ連軍が去った後のことは「悪魔の爪跡」と言われるような凄まじい強奪が行われたのである。

 日本の周辺には、凄まじい軍拡をしている支那、「悪魔の侵略」の歴史を持つロシア、同じく「悪魔のテロ国家北朝鮮」があり、韓国は同じ朝鮮人であるのか北朝鮮寄りの姿勢を示していることから友好国ではない。日本としては、本当のところもっと遠くに引っ越しをしたいが、それは出来ない。であるからして日本の安全保障を考えると、果たして今のままで良いのかと憂うこの頃である。
(2004/03/08) 

この記事は「今日のコラム」
「ソ連軍の侵略で起きた中国残留日本人孤児」
としてHPに掲載されていたものです。