私の主張・ひとりの日本人として

新聞やテレビの報道で特に偏向マスコミや反日日本人などに憤慨することが多くなり、暇な時に思いつくまま書き綴ったブログです。

谷あいの水田を埋め立てた造成地であれば

2018年09月13日 21時18分39秒 | 未分類

北海道地震、液状化に怒る住民 「なぜこんな場所に住宅地を許可した!」

2018/09/10

 北海道地震で被災した札幌市清田区の住宅街は、液状化した場所としなかった場所の明暗がはっきりと出た。市の応急危険判定で「倒壊の恐れあり」とされた家は、かつて谷あいの水田を埋め立てた造成地だった。

 かつて谷あいの水田を埋め立てた造成地だった

 専門家は「谷を埋めた場所と倒壊エリアが一致する」と指摘した。さらに、家屋の沈下方向は谷底に向かい引きずられる角度で傾いていた。住民たちは「自分たちでは予知できない。そういう情報があれば教えてほしかった」「買うときは知らされなかった。なぜ、ここを住宅地として許可したのか」と疑問をぶつける。

 自治体は危険度マップを示すだけで「補強した家屋でさえ液状化に耐えられなかった」(阿部悦子リポーター)という。

 司会の小倉智昭「家は壊れてもローンは残る。地震保険は保険料が高いうえに、査定が厳しい」
(J-CASTテレビウォッチ)

(引用終了)


 私が住んでいる神奈川県は、大正12年9月1日に発生した相模湾を震源とする関東大震災の後は、甚大な被害を伴う大きな地震は起きていない。だからと言って、これからも起きないとは言えないので、それが明日なのか、それとも一週間後かも知れないとして、その備えを怠ってはならないと思っている。

 地震の予知の研究が今でも行われているのか、いないのか承知していないが、確か、何年か前に「予知は出来ない」との研究結果が出たことがあると記憶している。そうは言っても、地震の前には前兆現象があるかも知れないので、普段と異なる現象が表れたならば、地震があるかも知れないと、心構えをしておくことが必要であろう。

 私の身内で、東日本大震災の前であったか、後であったか忘れたが、わが家かから歩いて20分ほどに所にある中古住宅を購入する計画があるとして、その物件を見に行ったことがある。周辺は住宅地で、高い建物もなく、日当たりも良さそうで、近くに大きな川もないので水害の心配もないことから、一時購入に前向きになったことがある。

 だが、私が「高い買い物なのだから、いくら物件は良いとしても、その土地がかって何であったのか調べてから決めた方が良いのでは」と助言し、私も近所の年寄りに、その物件がある周辺のことを尋ねたところ、かっては田んぼが広がっていたとのことで、また近くにある神社の境内にある石碑には、関東大震災の際に、液状化して大きな被害を出していると書かれていると話してくれたので、その物件の購入計画はお流れとなってしまった。

 東日本大震災でも各地で液状化による影響で建物が傾くなどの被害があったが、かって液状化した所であれば、いくら良い物件であっても購入しない方が良いであろう。6日に発生した北海道地震でも、液状化による被害が発生しているが、J-CASTテレビウォッチによれば、同地震で被災した札幌市清田区の住宅街は、液状化した場所としなかった場所の明暗がはっきりと出たそうであり、市の応急危険判定で「倒壊の恐れあり」とされた家は、かつて谷あいの水田を埋め立てた造成地だったとのことである、

 液状化しによって家屋が傾くなどの被害を受けた住民たちは「自分たちでは予知できない。そういう情報があれば教えてほしかった」「買うときは知らされなかった。なぜ、ここを住宅地として許可したのか」と疑問をぶつけているそうだが、住宅地として造成されている土地がかって何であったのか調べなかったのかと言いたくなる。

 谷あいの水田を埋め立てた造成地であることが判っても購入する方もいるだろうし、その場合は液状化防止のための対策をする必要があるのは言うまでもないが、それでも安全とは思えない。かっては水田であっても、今では住宅地になっている所は全国いたる所にあるし、札幌市清田区の造成地が特異とは思えない。

 また山間の造成地となれば、山を削った切り土の部分と、その土を山と山の間の谷を埋め立てた盛り土の部分がある訳である。だが、造成が完成すれば、どの辺が切り土か盛り土か判らくなるので、昔から、その付近に住んでいる地元の方に聞くしかない訳で、それを聞いて、切り土によって造成されている土地を選択すべきで、間違って盛り土の造成地を選択し、何の対策もしないまま家を建ててしまうと、今回のような液状化によって傾くなどの被害が生ずるのは当然と言えるだろう。

 自業自得と言ったら言い過ぎかも知れないが、前述したように、その土地がかって何であったのか調べなかったのは自己責任で、私ならば、かつて谷あいの水田の埋め立てた造成地と判れば、補強工事をしても液状化は防げないとして、購入することは有り得ない。ちなみに、今住んでいる家の周辺は、昔は畑で、古い家も多く、大きな自然の川もないし、水田用の用水路はあるものも、標高差は10メートル以上あるので水害の心配もないと思っている。不動産の購入に際しては、慎重であるべきで、被害があってから、いくら騒いでも遅いと言わざるを得ない。
(2018/09/13)


英語表示のみで十分とするJR東海の主張が正しい

2014年03月27日 21時12分26秒 | 未分類

大動脈抱えるJR東海 中・韓国語対応 進まず 

2014/03/23 

 日本を訪れるアジア圏の旅行者が増える中、JR東日本や大手私鉄では、鉄道の駅名や乗り場などの案内表示を中国語や韓国語で示す取り組みが広がる。しかし、日本の大動脈の東海道新幹線を運行するJR東海は英語表示のみ。国土交通省は二〇〇九年、英語以外での表示の必要性を指摘したが、JR東海は「(複数の外国語を使うと表示の)文字が小さくなる」と反論し、駅での案内表示のあり方に一石を投じている。 (木村留美) 

 駅などでの外国語サービスのあり方について国交省は〇六年「『おもてなし』の観点から英語以外の外国語でも情報提供を行うことがさらに望ましい」とのガイドラインを提示した。 

 輸送サービスなどの状況に関して調べるJR東海に対する〇九年の業務監査でも「他社の駅施設では中国語や韓国語などの表記があるが、JR東海はない」と指摘。「来訪外国人の約七割がアジア圏からで外国人を意識した表記について検討が必要」とした。 

  これに対しJR東海は「国際的共通語の英語をできるだけ大きな字で記すのが基本」と主張。多言語表示は「限られたスペースの中で文字が小さくなり、見づらくなるおそれがある」と反論していた。 

 現在はキャリーバッグの扱いや緊急ドアを引っぱらないよう呼び掛ける注意書きについては英語以外でも表示。一部の券売機では多言語対応も始めたが「高齢社会に配慮し日本語を大きな文字で表記している。英語以外の外国語も表記すれば文字が小さくなり読みにくくなる」とし「対応は現状で十分」と主張する。 

 東洋大の飯嶋好彦教授(国際観光学)は「駅や電車内での対応が難しいなら、新幹線車内の座席に置くパンフレットに中国語や韓国語での乗り換え情報などを入れるといった工夫は必要では」と指摘している。
(東京新聞) 

(引用終了) 


 5年位前までは、この程世界文化遺産に登録された富士山方面に友人たちと良く行く機会があったが、最近は畑仕事が忙しくなったことや、車も軽トラックに変えたことから、富士山方面に限らず、日帰り旅行すらほとんど行かなくなってしまった。それでも「たまには一緒に」と誘われることがあるが、年をとったせいか遊びに出かけることがおっくうになり、それより畑の草むしりをしていた方が余程楽しいし、健康にも良いだろうから、適当な理由を言って、断るようにしている。 

 日帰り旅行すらほとんど行かなくなったのには別の理由があり、それは観光地など見かける簡体中国語・ハングル表記の案内板が気分を害するからであり、景観を害するだけでなく、この辺にも支那人や朝鮮人が来るのかと思うとゾッとしてしまうし、そのような案内板を富士山の近くにある温泉施設で見かけた時には絶対に一緒には入浴出来ない民族なので、今まで何度か行ったことがある温泉施設だったが、それ以来避けるようになった。 

 日本における外国人の国籍別犯罪率で1位ないし2位に位置するのが支那と韓国であり、そのような国の観光客だとしても日本国民は歓迎したくないし、親切にする必要はないと思っており、世界から嫌われている支那人、朝鮮人なのだから、なるべく自国から出ない方が良いし、出る場合は支那人は朝鮮に、朝鮮人は支那に行けば良いのであり、お互いに世界の嫌われ者同士で、気心は通じるのではあるまいか。 

 東京新聞によれば、国土交通省が2006年に「『おもてなし』の観点から英語以外の外国語でも情報提供を行うことがさらに望ましい」とのガイドラインを提示したことを受けて、JR東日本や大手私鉄では、鉄道の駅名や乗り場などの案内表示を、英語の他に簡体中国語・ハングル表記するところが増えているそうだが、日本の大動脈の東海道新幹線を運行するJR東海は「(複数の外国語を使うと表示の)文字が小さくなる」と反論し、英語表示のみで十分だとしている。これは新幹線を支那に売らなかったJR東海の主張が100%正しいし、全面的に支持したい。  

 どの国であっても案内表示は自国語が基本であって、併記するならば英語だけで充分あり、案内板の大きさがそのままで、新たに簡体中国語・ハングル表記まで加えるとなれば、JR東海が指摘するまでもなく、すべての文字が小さくなるし、そのため日本国内にある案内表示が日本国民にとって見づらくなっているのは本末転倒もはなはだしく、このような表記が支那人、朝鮮人に対する「おもてなし」だとしても、日本国民への「おもてなし」を忘れたガイドラインだと言えるだろう。  

 それにしても英語以外の外国語の案内表記に、なぜ犯罪率が高い支那朝鮮の言語が使われているのであろうか。これは支那朝鮮の犯罪者の道標となり、犯行を容易にさせるだけである。東京新聞はJR東海の簡体中国語・ハングル表記が進んでいないことをおかしいとしているが、むしろ見づらくなっている案内表示が増えていることをおかしいと言うべきでないか、  

 今や多くの外国に旅行に行く日本人が増えたが、どの国に行っても日本人のために日本語が併記された案内表示がないことを東京新聞はどう思っているのか。親日国だと言われている台湾でさえ私が旅行中に見た限りでは英語だけであり、日本だけが、支那朝鮮に配慮する形で、簡体中国語・ハングル表記が行われているのは異常なことである。  

 公明党創価学会が国交相のポストを握っているとなれば、非常に分かり易いガイドラインであり、支那朝鮮だけに優しく、配慮することが党是であり学会是のようで、高齢化社会が進む日本で、表示の文字が小さくなれば、困るのは日本人であるとの意識はないようだ。 

 簡体中国語・ハングル表記が必要なのは「◯◯してはならない」との注意書きだけで十分であり、これは日本人を不愉快にさせないことや、マナーの何たるかも知らない支那朝鮮人のためであって、だから、これこそ本当のおもてなしの心であり、JR東海ではキャリーバッグの扱いや緊急ドアを引っぱらないよう呼び掛ける注意書きについては英語以外でも表示しているそうだが、さすがJR東海であり、国交省の愚かなガイドラインなど無視すれば良いし、他の鉄道会社も見習った方が良いだろう。
(2014/03/27)


「反日・韓国」「親日・台湾」の比較

2011年12月31日 09時54分59秒 | 未分類
「反日・韓国」「親日・台湾」の比較
     
1 韓国 1,000年にわたる中華への恭順。中華から搾取され続けた半島朝貢国としての規定;金、銀、牛、馬、特産品、貢女、臣官など
台湾 先住民は、マレー、ポリネシア系で、17世紀に入って中国本土から男性のみ流民として台湾(化外の地)へ渡る。
2 韓国 事大主義と属国根性(小中華を自負する)が染みついた民族性。
国民を絞るだけ絞った李朝の悪政。権力闘争と腐敗の朝鮮半島
3 台湾 1683年、清国領土となる(福建省台湾府)
1885年、清国は台湾を台湾省に昇格
4 韓国 日清戦争後、1895年「下関条約」で清国から独立
台湾 日清戦争後、1895年「下関条約」で清国から日本の領土となる。初代総督着任。日本政府は「内地の延長主義」で統治開始。
(参考)日露戦争(1904~1905年)
5 台湾 台湾近代化の基礎を築いた日本統治時代
1899年から、道路、鉄道、水道、台北の下水道、港湾などのインフラ整備を開始。その年の投資額は、日本国家予算の1/5(4,000万円)であった。
6 韓国 1904年に日韓条約(第1次)締結
1905年日本はソウルに統監府を設立
1909年10月26日、初代韓国統監である伊藤博文(初代首相)はハルビン駅で朝鮮人の安重根(あんじゅうこん)に暗殺される。
7 台湾 日本統治の10年後(1905年)、内地(日本政府)の経済援助なしの自給地となる
8 韓国 1910年、「日韓併合条約」に基づき日本となる。
朝鮮総督府を設置。日本政府は「内地の延長主義」で統治開始。 「植民地」という言葉は、戦後になって出てきたと言われている。
9 韓国 飢餓の国を近代農業国に変身させた日本の農業政策。科学的土地測量により耕作地倍増。不毛の地を開拓。農業技術と農民精神の改革
10 韓国 米穀倍増によって飢餓の国を救った
1910年・約1,000万石、1933年・1,900万石
台湾 砂糖の生産量 1900年・3万トン、1940年代・160万トン。1960年代まで台湾経済を支え続けた。
11 韓国 食料事情の向上により人口急増。 1906年・980万人、1938年・2,400万人、
12 韓国 漢語崇拝を絶ちハングルを広めた日本
13 韓国 朝鮮人からの要求で創氏改名制度(申告制度)が出来、5年間で80%以上の人が日本名を名乗った。
台湾 創氏改名制度は許可制で許可を得られたのは者は約1%前後
14 韓国 就学率 小学校 1910年・無いに等しい、1944年61%
台湾 就学率 小学校 1910年・不明、1945年92%
1919年、教育令施行(教育機関の充実)師範学校、工業高校、商業高校、農林学校などの開校
1920年烏山頭ダム着工
1918年から、インフラ整備の総仕上げ。南北縦貫道路、鉄道・交通の充実、水力発電開発
15 韓国 1924年、帝国大学令に基づき6番目の京城帝国大学を開校
台湾 1928年、帝国大学令に基づき7番目の台北帝国大学を開校
16 韓国 近代化のインフラを創出した日本の投資。山野の緑化政策、河川大事業による水田倍増(1910年・85万町歩、1928年・162万町歩)、鉄道総延長 6,632km、 道路 15,200km、港湾修築 61カ所、水道、学校、病院、電力開発、塩田開発、砂防治水、鉱物開発、電信電話設備
17 韓国 財政予算 1910年・4,600万円、1945年・31億円
日本中央政府からの補填、36年間、15~20%/年
18 韓国 日本兵3,000名の募集に25万人が殺到
台湾 1943年、日本兵1,000名の募集に40万人が殺到(第1次)
19 台湾 1942年烏山頭ダム完成(烏山嶺の隧道3078m、嘉南大ショウと呼ばれる水路の総延長16,000km)。嘉南平野が緑の大地となり、台湾最大の穀倉地帯が誕生した。
20 日本 アメリカから1941年11月26日、運命のハルノート(下記)を
叩きつけられ、大東亜戦争へ突入した。
①満州国を含む支那大陸、及び仏印から軍隊、警察の全面撤退
②大陸に於ける総ての権益の放棄
③三国同盟の廃棄
21 韓国 従軍慰安婦は業者(キーセン置屋)と一緒に戦地へ行き、一財産を作った(公娼制度により守られた)。
1947年、遊郭制度を解体させた「公娼制度廃止令」 は、単に遊郭制度を解体するためだけの法令であった。
1961年、積極的に売買春行為を防止し、廃止しようという意図を持った法律は、法律第771号として公布した「淪落行為防止法」であった。
22 韓国 韓国の「七奪」は実は「七恩」
 「七奪」とは、「主権」、「国王」、「人命」、「国語」、「姓氏」、「土地」、「資産」の事。これらの実態を見る限りにおいては、「七恩」では?
23 台湾 1943年「カイロ宣言」(米英中)。国際条約の調印はなかった。
24 韓国 1945年、終戦。
台湾 1945年、終戦。台湾、中華民国に接収される。
25 台湾 1947年「二・二八事件」勃発.。中華民国政府によって知識人など数万人が惨殺される。
26 韓国 1948年 大韓民国樹立
台湾 1949年、蒋介石は内戦に敗れ、中華民国政府は台湾へ疎開し、台北を臨時首都とすることを宣言。「二つの中国」の歴史の幕が開いた。一党独裁体制で戒厳令が施行される。大陸に成立した中華人民共和国は、台湾を領地とした。
27 韓国 朝鮮戦争(1950~53年)の勃発は、1950年アチソン国務長官(米)が「朝鮮半島はアメリカの防衛ラインの外にある」と発言したことが引き金となって、ロシアと金日成に仕掛けられた戦争であった。
28 日本 1951年「サンフランシスコ講和条約」締結。この条約では、「日本は台湾などの領有権を一方的に放棄」した。
29 台湾 1952年「日華平和条約」を締結。日本政府に対する日本統治時代の賠償は放棄した 
30 韓国 1965年「日韓基本条約」調印、日本は5億ドルを供与。
無償3億ドル、有償2億ドルの計5億ドル、(他に民間借款5億ドル)当時の韓国の外貨保有高は2億ドル以下。「漢江の奇跡」:韓国政府は1976年に「請求権資金白書」として発行。その使い道は、製鉄所、高速道路、ダム、地下鉄、干拓、学校病院、電力、通信、港湾などあらゆるインフラに投資された。
朴正煕大統領は、国土復興・高度経済成長が推進した事から、「国民を抑圧した独裁者」から「優れた政治指導者・愛国者」へと評価が変わつた。
31 台湾 1971年 中華人民共和国の国連加盟により、中華民国、国連脱退
32 台湾 1972年「日中共同声明」に際し、「日華平和条約」は終了した。1975年、インドネシアのジャングルの中で32年間任務遂行していた「中村輝夫一等兵」(高砂族出身・名:スニヨン)を発見、台湾へ帰国。「最後の皇軍兵士」(小野田少尉より後)と呼ばれた。
33 台湾 1987年 戒厳令解除される。1988年 蒋経国総統の死去にともない、副総統の李登輝(台湾人)が総統に就任。
34 台湾 1996年 李登輝、直接選挙の初の総統に就任
35 韓国 日韓国交正常化以降の40年間は民間支援で大きく発展。鉄鋼、造船、自動車、半導体、電機、食品、流通、ファッション、アニメ、出版など、日本の協力・支援はあらゆるところに見られる。
36 韓国 人口 4,614万人(at2000年)
台湾  〃 2,268万人(at2004年)。台湾出身者 85%、大陸出身者 13%
(参考)中国 〃 12~15億人(統計できていない)
37 韓国 国民1人当たりの名目GDP 12,631ドル(at2003年)
台湾    〃 12,531ドル(at2003年)
(参考)中国   〃    1,083ドル(at2003年)
38 韓国 外貨準備高 1,990億ドル(at2004年)
台湾    〃 2,417億ドル(at2004年)
39 韓国 日本からのODA 6,455億円(2003年迄の累計)
台湾    〃 621億円(2003年迄の累計)
40 台湾 各地に建った銅像
台湾近代化の父「後藤新平」。嘉南平野を誕生させた「八田與一」。台北に乗馬姿の銅像・蒋介石があるが首から下は児玉第4代総督。
41 韓国 現在、日本の韓流ブームで、いわゆる『日流』を期待する声も出ておりますが、韓国と日本がようやく向かい合うようになったのではないかと思います。
台湾 現在、台湾は空前の「日本ブーム」。親日家多数(愛日家もいる).日本のテレビドラマやアニメ、歌謡曲が絶大な人気を誇っているとのこと。日本好きの人を指す「哈日族(ハーリーズ)」などの俗語も生まれ、その影響力は非常に大きいといわれている。

近代史100年の日本:
「東アジアの植民地、500年を解放した大東亜戦争」
「本当の被害者は日本人であった」

(渡部昇一氏、谷沢永一氏、黄文雄氏、蔡コンサン氏の著書などから引用)

この資料はサイトを訪問されたHN愛知県匿名様から提供されたものです。

      この記事は「各種資料集」としてHPに掲載されていたものです。




【李登輝氏の慶応大学講演原稿】「日本人の精神」

2011年12月31日 09時23分17秒 | 未分類
   【李登輝氏の慶応大学講演原稿】「日本人の精神」
 月刊「正論」2003年2月号


 台湾前総統の李登輝氏が十二月二十四日慶応義塾大学の大学祭「三田祭」での講演を想定した原稿の全文は次の通り。原文は李登輝氏が執筆した旧漢字かな遣いの日本語だった。

 経済新人会の森本代表、三田祭幹事会の皆様、ご来賓の皆様、こんにちは! ただ今ご紹介を受けました李登輝です。

 この度、三田祭開催を前にして、金美齢女史と経済新人会の森本代表、河野先生が十月十五日にわざわざ台湾にいらっしゃいました。そして私に三田祭、経済新人会主催の講演で「日本精神」について話して貰(もら)えないかと招聘(しょうへい)状をいただきました。私はこれは難しい題目だなあと知りながら、しかし、即座によいでしょうと返答しました。これにはいろんな理由があります。

 一つは三田祭幹事会の皆さんが若き学生であり、そして日本精神について知りたいということは、日本の現状と将来について、考えに考えたあげく、この問題を私に求めたものと思います。こんな立派な若者が日本にたくさんいることを知り、すっかり私の心を打つものがありました。

 第二に私は、かつて日本の植民地・台湾で生まれ、かなり日本および日本についての教育を受け、最近はまた、新渡戸稲造氏の武士道、すなわち日本人の精神について、その解題(分析)を書き、日本精神についてかなり考える機会を与えられました。

 いま、私たちの住む人類社会は未曾有の危機に直面しています。地球規模の大戦や骨肉相食(は)む血みどろの内戦や紛争の二十世紀が終わり、平和や繁栄の時代が到来したと安堵(あんど)したのも束(つか)の間、世界ではますます不穏が続き、二〇〇一年の九月十一日にニューヨークやワシントンを多発的に襲った未曾有のテロ事件が発生しました。

 まさに、人類社会自体が危機竿頭(かんとう)の大状況に直面しているときだけに、世界有数の経済大国であり、平和主義である「日本および日本人」に対する国際社会の期待と希望は、ますます大きくなると断言せざるを得ません。
数千年にわたり積み重ねてきた「日本文化」の輝かしい歴史と伝統が、六十億人の人類全体に対する強力な指導国家としての資質と実力を明確に示しており、世界の人々から篤(あつ)い尊敬と信頼を集めているからです。


“日本精神”は絶対不可欠な精神的指針


 この指導国家の資質と実力とは何でしょう。

 これこそは日本人が最も誇りと思うべき古今東西を通じて誤らぬ普遍的価値である日本精神でしょう。人類社会がいま直面している恐るべき危機状態を乗り切っていくために、絶対必要不可欠な精神的指針なのではないでしょうか。

 しかるに、まことに残念なことに一九四五年以後の日本において、このような代え難い日本精神の特有な指導理念や道徳規範が全否定されました。日本の過去はすべて間違っていたという「自己否定」な行為へと暴走して行ったので
す。

 日本の過去には政治、教育や文化の面で誤った指導が有ったかもしれませんが、また、素晴らしい面もたくさんあったと私はいまだに信じて疑わないだけに、こんな完全な「自己否定」傾向がいまだに日本社会の根底部分に渦巻いており、事あるごとに、日本および日本人としての誇りを奪い自信を喪失させずにおかないことに心を痛めるものの一人であります。これらが、私をして三田祭講演の招聘状を即座に承諾させた理由でもあります。

 皆様に日本精神は何ぞやと、抽象論を掲げて説明するだけの実力を私は持っておりません。(司馬遼太郎の著書「台湾紀行」に“老台北”として登場する実業家の)蔡焜燦(さいこんさん)さんの書かれました「台湾人と日本精神」みたいな立派な本をもって説明することもできません。私としては日本の若い皆さんに、私が知っている具体的な人物や、その人の業績を説明し、これが日本精神の表れです、普遍的価値ですと説明した方が、皆さんにもわかりやすく、また、日本人としての誇りと偉大さを皆で習っていけると考えるものでありま
す。


台湾の水利事業に尽くした故八田與一氏


 台湾で最も愛される日本人の一人、八田與一(はったよいち)について説明しましょう。

 八田與一といっても、日本では誰もピンとこないでしょうが、台湾では嘉義台南平野十五万町歩(一町歩はおよそ一ヘクタール)の農地と六十万人の農民から神のごとく祭られ、銅像が立てられ、ご夫妻の墓が造られ、毎年の命日は農民によりお祭りが行われています。彼が作った烏山頭(うざんとう)ダムとともに永遠に台湾の人民から慕われ、その功績が称(たた)えられるでしょう。

 八田與一氏は一八八六年に石川県金沢市に生まれ、第四高等学校を経て一九一〇年に東大の土木工学科を卒業しました。卒業後まもなく台湾総督府土木局に勤め始めてから、五十六歳で亡くなるまで、ほぼ全生涯を台湾で過ごし、台湾のために尽くしました。

 一八九五年に日本の領土になったころ、台湾は人口約三百万人、社会の治安が乱れ、アヘンの風習、マラリアやコレラなどの伝染病などの原因で、きわめて近代化の遅れた土地であり、歴代三代の台湾総督は抗日ゲリラ討伐に明け暮れた時代でありました。第四代の児玉(源太郎)総督が民政長官の後藤新平氏を伴って赴任した一八九八年ごろに、台湾の日本による開発が初めて大いに発展しました。

 八田與一氏が台湾に赴任するのは、後藤新平時代が終了した一九〇六年以降のことです。後藤新平時代に台湾の近代化が大いに進んだとはいえ、以前があまりに遅れていたこともあり、八田氏が精力を傾けることになる河川水利事業や土地改革はまだまだ極めて遅れていました。

 台湾に赴任してまもなく、台北の南方、桃園台地を灌漑(かんがい)する農業水路の桃園大[土川](たいしゅう)の調査設計を行い一九一六年に着工、一九二一年に完成しましたが、灌漑面積は三万五千町歩でありました。これが今日の石門ダムの前身であります。

 この工事の途中から旧台南州嘉南大[土川]水利組合が設立され、八田氏は総督府を退職して組合に入り、十年間をその水源である烏山頭貯水池事務所長として、工事実施に携わりました。嘉南平野十五万町歩を灌漑するために、北に濁水渓幹線、南に烏山頭ダム幹線の二大幹線を築造し、曽文渓からの取水隧道(しゅすいずいどう)によってダムに一億六千万トンの貯水を行ったものであり、土堰堤(どえんてい)築造工法としてセミハイドロリックフィル(反射水式)工法が採用されました。

 この工事の完成によってほとんど不毛のこの地域十五万町歩に毎年八万三千トンの米と甘蔗(かんしゃ)=サトウキビ=その他の雑作が収穫されるようになりました。

 その時分では東洋一の灌漑土木工事として、十年の歳月と(当時のお金で)五千四百万円の予算で一九三〇年にこの事業を完成したときの八田氏はなんと、四十四歳の若さでありました。嘉南大[土川]の完成は世界の土木界に驚嘆と称賛の声を上げさせ、「嘉南大[土川]の父」として六十万の農民から畏敬(いけい)の念に満ちた言葉で称えられました。

 八田與一氏への恩を忘れないようにしたのは何でしょうか? 古川勝三氏の著作からの引用ですが、八田與一があの若さでこの偉大な仕事を通じて台湾に残したものが三つあると思います。

 ひとつは嘉南大[土川]。不毛の大地といわれた嘉南平野を台湾最大の穀倉地帯に変えた嘉南大[土川]を抜きにして八田氏は語れません。二つ目は八田氏の独創的な物事に対する考え方です。今日の日本人が持ち得なかった実行力と独創性には目を見張るものがあります。三つ目は八田氏の生き方や思想は、我らに日本的なものを教えてくれます。

 これら諸点について具体的な諸事実を並べて話しましょう。

 一、まず嘉南大[土川]の特徴についてみましょう。(1)灌漑面積は十五万町歩、水源は濁水渓系統五万二千町歩、烏山頭系九万八千町歩。灌漑方式は三年輪作給水法(2)烏山頭ダムの規模、堰堤長千二百七十三メートル、高さ五十六メートル、給水量一億五千万トン、土堰堤はセミハイドロリックフィル工法採用(3)水路の規模、給水路一万キロ、排水路六千キロ、防水護岸堤防二百二十八キロ。

 このような巨大な土木工事をわずか三十二歳で設計に取りかかり、三十四歳で現場監督として指揮をした八田氏の才能には頭が下がります。戦後の日本における近代農業用水事業の象徴である愛知用水の十倍を超える事業なんだと考えれば、うなずけるものと思います。そして烏山頭は東洋唯一の湿地式堰堤であり、アメリカ土木学会は特に「八田ダム」と命名し、学会誌上で世界に紹介したものです。

 しかし嘉南大[土川]が完成しても、それですべてが終わったというわけにはいきません。ハードウエアは完成しましたが、それを維持管理し有機的に活用するためのソフトウエアが大切です。農民はその大地を使って農作物を作り、生産力を上げなければ嘉南大[土川]は生きたものになりません。農民への技術指導が連日、組合の手によって繰り返されました。その甲斐あって三年目には成果が顕著になってきました。かくして不毛の地、嘉南平野は台湾の穀倉地帯に変貎(へんぼう)を遂げたのです。

 その成果には(1)農民が被る洪水、干魃(かんばつ)、塩害の三重苦が解消したこと(2)三年輪作給水法によって全農民の稲作技術が向上したこと(3)買い手のない不毛の大地が給水によって地価が二倍、三倍の上昇を招き、全体では九千五百四十万円もの価値を生んだ。この金額は当時の全工事費を上回る金額であった(4)農民の生活はこれによって一変し、新しい家の増築や子供の教育費に回す余裕がでてきた―ことがあげられます。

 二、次は八田氏の独創的なものの考え方を述べなければなりません。以上述べた嘉南大[土川]の巨大な工事に対して、当時として常識はずれの独創的方法が採用されました。

 その一つはセミハイドロリックフィル工法の採用です。この方法は東洋では誰もてがけたことがなく、アメリカでさえもこのような大きな規模の工事では採用されていなかった。この工法を採用したのには、それなりの理由がありました。

 まず地震です。この地帯は断層があちこちに発生しており、地震強度は六度以上もあります。この工法は粘土による中心羽金層を堰堤の中心に造り、浸透水を遮断して堰堤に決壊を防ぐアースダム方式です。この工法を遂行するには、三百万トンの大量の土砂と中心羽金層を造る微細な粘土を必要としますが、この地域ではこれを供給する場所がありました。

 この未経験の工法を採用するに当たり、徹底的な机上の研究とアメリカ視察を行いました。そして、この工法の採用と設計が間違いでない確信を持って工事にとりかかったのです。またコンクリートコアの高さと余水吐をめぐって、セミハイドロリックフィルダムの権威者ジャスチンと大論争しますが、自説を譲らず、設計どおりに構築しました。七十年経過した今日でも、堰堤は一億トン以上の水を堰(せき)とめて、八田ダムの正確性を証明しています。

 二つ目は大型土木機械の使用です。労働力のあまっている時代としては常識はずれでした。大型機械の使用については組合や当時の請負業者が反対していました。購入予算は四百万円に達し、堰堤工事と烏山頭隧道工事費の二十五%にあたります。

 八田氏の意見は、これだけの堰堤を人力で造っていては十年どころか二十年かかってもできない。工期の遅れは十五万町歩の土地が不毛の土地のまま眠ることになる。高い機械で工期が短縮できれば、それだけ早く金を生む。結果的には安い買い物になる―というものでした。この考え方は当時としては偉大な見識と英断と見なければいけないでしょう。これら大型土木機械はその後の基隆港の建設と台湾開発に非常な威力を発揮しました。

 三つ目は烏山頭職員宿舎の建設です。「よい仕事は安心して働ける環境から生まれる」という信念のもとに、職員用宿舎二百戸の住宅をはじめ、病院、学校、大浴場を造るとともに、娯楽の設備、弓道場、テニスコートといった設備まで建設しました。

 それ以外にまたソフトウエアにも気を配り、芝居一座を呼び寄せたり、映画の上映、お祭りなど、従業員だけでなく家族のことも頭に入れて町づくりをしています。工事は人間が行うのであり、その人間を大切にすることが工事も成功させるという思想が、八田氏の考えでした。

 四つ目は三年輪作給水法の導入です。十五万町歩のすべての土地に、同時に給水することは、一億五千万トンの貯水量を誇るとはいえ、烏山頭ダムと濁水渓からの取水量だけでは、物理的に不可能でした。ならば当然その給水面積を縮小せざるを得ないと考えるのが普通ですが、八田氏の考えは違っていました。土木工事の技術者はダムや水路を造りさえすれば、それで終わりであると八田氏は考えなかったのです。

 ダムや水路は農民のために造るのであれば、十五万町歩を耕す農民にあまねく水の恩恵を与え、生産が共に増え、生活の向上ができて初めて工事の成功であると考えていました。

 そのためには、十五万町歩の土地に住むすべての農民が水の恩恵を受ける必要がある。そしてそのためには、すべての土地を五十町歩ずつ区画し、百五十町歩にまとめて一区域にして、水稲(すいとう)、甘蔗、雑穀と三年輪作栽培で、水稲は給水、甘蔗は種植期だけ給水、雑穀は給水なしという形で、一年ごとに順次栽培する方法を取りました。給水路には水門がつけられ五十町歩一単位として灌漑してきたのです。


危機時代を乗り切る指針


 最後に、雄大にして独創的工事を完成させた八田與一とはどんな人だったのか、そこに焦点を当てて考えてみましょう。

 八田與一氏は技術者として抜群に優れていたばかりでなく、人間としても優れていました。肩書や人種、民族の違いによって差別しなかったのです。天性ともいえるかもしれませんが、これを育(はぐく)んだ金沢という土地、いや日本という国でなければ、かかる精神がなかったと思います。

 嘉南大[土川]の工事では十年間に百三十四人もの人が犠牲になりました。嘉南大[土川]完成後に殉工碑が建てられ、百三十四人の名前が台湾人、日本人の区別なく刻まれていました。

 関東大震災の影響で予算が大幅に削られ、従業員を退職させる必要に迫られたことがありました。その時、八田氏は幹部のいう「優秀な者を退職させると工事に支障がでるので退職させないでほしい」という言葉に対し、「大きな工事では優秀な少数の者より、平凡の多数の者が仕事をなす。優秀なものは再就職が簡単にできるが、そうでない者は失業してしまい、生活できなくなるではないか」といって優秀な者から解雇しています。

 八田氏の人間性をあらわす言葉でしょう。八田氏の部下思いや、先輩や上司を大事にすることでは、数え切れないほどエピソードがあります。

 八田氏は一九四二年三月、陸軍からの南方開発派遣要求として招聘されます。その年の五月七日、一四、〇〇〇トンの大型客船「大洋丸」に乗ってフィリピンへ向かう途中、アメリカ潜水艦の魚雷攻撃に遭い、大洋丸が沈没。八田氏もこのため遭難しました。享年五十六歳でした。妻の八田外代樹(とよき)は三年後、戦争に敗れた日本人が一人残らず(台湾から)去らねばならなくなったときに、烏山頭ダムの放水口に身を投じて八田氏の後を追いました。御年四十六歳でした。

 私の畏友、司馬遼太郎氏は『台湾紀行』で、八田氏について、そのスケールの大きさをつぶさに語りつくしています。

 私は八田與一によって表現される日本精神を述べなければなりません。何が日本精神であるか。八田氏の持つ多面的な一生の事績を要約することによって明瞭(めいりょう)になります。

 第一のものは、日本を数千年の長きにわたって根幹からしっかりと支えてきたのは、そのような気高い形而(けいじ)上的価値観や道徳観だったのではないでしょうか。国家百年の大計に基づいて清貧に甘んじながら未来を背負って立つべき世代に対して、「人間いかに生きるべきか」という哲学や理念を八田氏は教えてくれたと思います。「公に奉ずる」精神こそが日本および日本人本来の精神的価値観である、といわなければなりません。

 第二は伝統と進歩という一見相反するかのように見える二つの概念を如何(いか)にアウフヘーベン(止揚)すべきかを考えてみます。現在の若者はあまりにも物資的な面に傾いているため、皮相的進歩にばかり目を奪われてしまい、その大前提となる精神的な伝統や文化の重みが見えなくなってしまうのです。

 前述した八田氏の嘉南大[土川]工事の進展過程では、絶えず伝統的なものと進歩を適当に調整しつつ工事を進めています。三年輪作灌漑を施工した例でも述べたように、新しい方法が取られても、農民を思いやる心の中には伝統的な価値観、「公議」すなわち「ソーシャル・ジャスティス」には些(いささ)かも変わるところがありません。まさに永遠の真理であり、絶対的に消え去るようなことはないものです。日本精神という本質に、この公議があればこそ国民的支柱になれるのです。

 第三は、八田氏夫妻が今でも台湾の人々によって尊敬され、大事にされる理由に、義を重んじ、まことを持って率先垂範、実践躬行(きゅうこう)する日本的精神が脈々と存在しているからです。日本精神の良さは口先だけじゃなくて実際に行う、真心をもって行うというところにこそあるのだ、ということを忘れてはなりません。

 いまや、人類社会は好むと好まざるとにかかわらず、「グローバライゼーション」の時代に突入しており、こんな大状況のなかで、ますます「私はなにものであるか?」というアイデンティティーが重要なファクターになってきます。この意味において日本精神という道徳体系はますます絶対不可欠な土台になってくると思うのです。

 そしてこのように歩いてきた皆さんの偉大な先輩、八田與一氏のような方々をもう一度思いだし、勉強し、学び、われわれの生活の中に取り入れましょう。

 これをもって今日の講演を終わらせてもらいます。ありがとうございました。

[土川]=坪の平を川に

この記事は「各種資料集」としてHPに掲載されていたものです。


【講演録】李登輝理念とはなにか

2011年12月31日 08時33分08秒 | 未分類
日本李登輝友の会 神奈川県支部設立記念講演会


 2006年2月19日


    「台湾の声」編集長 日本李登輝友の会常務理事 林 建良

 神奈川県支部の皆さん、こんにちは

 今日の私のテーマは「李登輝理念とはなにか」石川支部長のご挨拶で提起された四点、徹底的に追及する姿勢、その行動力、死を恐れず頑張る気概、優しさ。これは正に李登輝前総統の描写としてこの上のないものと思います。

 ところで、今日の私のテーマに入る前に、一つの事件を紹介したいと思います。それは我々台湾人が経験した一九四七年の二二八事件、蒋介石による台湾人の大虐殺に比べれば微々たるものですが、このことは私個人は心が引き裂かれる思いで日本の地から見守っている事件です。それは、副支部長もつい一昨日現地へ行かれた、高砂義勇隊慰霊碑の撤去事件です。皆さんも産経新聞などでご存知のことと思います。

 二月八日、李登輝前総統も出席されての、慰霊碑設立の除幕式と慰霊祭が催行されましたが、二月十七日、中国時報、台湾の中の中国人グループ最大の新聞ですが、これと連合報が一面で報道したのです。それは「これはなんだ!?日本の『日の丸』が掲げられ、慰霊碑には日本語で書かれた文章が! けしからん、撤去せよ」というものでした。これは、このこと自体に中国人の心、台湾人の心、日本人の心が顕著に現れているのではないかと思います。当時の祖国・日本のために命を落とした人間は、中国人にすれば裏切り者で、中国人の思想では、例え死んでも裏切り者は墓を暴き死者をムチ打ちするのです。この中に今の台湾・中国・日本の現状の縮図を見るような事件と思います。彼ら中国人は、台湾人の心、日本人の心も彼らの意のままにしたいのです。これが中国人のやり方なのです。

 二二八事件で多くの台湾人が中国人に殺されたが、亡くなった人間の慰霊すら許さないこのような民族・国が今、日本の教科書や靖国神社に口を出し、台湾の存在そのものを脅かしているのです。亡くなった人間の霊を慰めることすら許さない

 なぜこの話から始めたかと言うと、李登輝前総統はこの三つの民族・文化そして心を知り尽くしているからです。そこで石川支部長の提起された四点とは、切り口を変えて四点提起します。

 日本李登輝友の会の中に掲げた理念、また機関紙の名前にもなっている「日台共栄」が一つ目、二つ目は真実、三つ目は誠実、四つ目は国造りです。私の理解している李登輝前総統の理念を皆さんと考えていきたいと思います。

 日台共栄は正に李登輝前総統が日本人に会うたびに言う言葉ですが、もう一つ、必ずもう一つ言います。それは「日本に強くなってほしい」です。この言葉にはどういう意味があるか?日本をこよなく愛している、ということは事実ですが、別の意図があります。彼は二十二歳まで日本人だった、民族的には台湾人だが。要は人間の存在は法的身分、文化的身分、民族的身分により構成されます。私は法的にも、文化的にも民族的にも台湾人だが、私の二人の子供は日本で生まれました。法的・民族的には台湾人だが、文化的には日本人と同じなのです。李登輝前総統は当時一番奔放でバンカラ的な台北高校から、一番自由な京都帝国大学に進学、一年二ヶ月在学の後、十九歳で学徒出陣し、結果二十二歳まで日本人だった。つまり彼の人格形成期は全て日本だった。また彼は下宿生活で志願して便所掃除をした。中学のときに剣道初段になった。日本の文武両道の真髄に近いといえます。最近李登輝前総統は日本の文化・精神には「深み」があるとよく言います。そして、日台共栄の理念として、日本がアジアのリーダーになってしかるべき、と言います。それは日本人が勤勉だから、日本製品の品質がいいから、経済力があるから、といった理由ではなく、日本には優れたモラルがあるからこそリーダーになってしかるべきだと彼は考え、常にそういっているのです。

 李登輝前総統とは同じテーブルで食事をしたり彼のスピーチの席で司会をするだけだったのですが、今年一月十六日に亡くなった杏林大学教授の伊藤潔先生が私を李登輝さんの自宅へ黄文雄先生と一緒に連れて行ってくれました。これは二度目、最初のときは台湾まで行ったのですが、李登輝前総統が肺炎で入院してしまったため会えなかった。今回伊藤先生は人工透析をしていたりしていて体の状態はかなり悪かったようで、私が話をしているときは休んでおられました。私が李登輝前総統と話をするのは始めてではないのですが、深い話をするのは始めてでした。

 当時私は生意気で、自分の持論を伝えました。私は全てを投げ打って、全てが無になってもいいという「諦観」に近い覚悟がなければ国造りなど不可能だといいました。

 李登輝前総統はウンウンとうなづき、話終わると、こういわれました。林建良、国を思う前に死を見つめなさい、と。自分の死と直面すべき、と。彼は祖母が亡くなって初めて死を考えるようになった。一つ上の兄がフィリピンで亡くなったということが彼には大きな衝撃でした。兄は自ら殿軍を志願して、銃弾を数十発受けて亡くなった。そして私に「まず死を考えなさい。国家天下を論ずる前に、これを見つめられない人間に国を考えることはできない。そこから出発しなさい」と。

 それから、かれはまだ出版されていない「武士道解題」原稿を自ら言及しました。彼の著書は多数あるが、渾身の力作は「武士道解題」です。日本を元気づけるために書き下ろした彼の気持ちをその日に強く感じました。初めての対談は何時間に及んだか覚えていません。結論から言うと、そのとき彼が言ったこと、日本精神の原点は、彼の在任十二年中、いかんなく発揮されたのではないかと思います。

 だから、李登輝理念の第一歩は日台共栄で、日本人の素晴らしい精神、美しい心、そしてフニャフニャしている戦後世代の現象ではなく、美しさを維持しながら強靭な部分がある。世界のなかで日本人のこの部分を理解して、師として、先生として学ぼうとしているのは他でもない台湾人、台湾人にみにその姿勢があるのです。学びたい、それはそう思っている者、学ぼうとしている者、その存在を是非もう一度実現させたいのです。

 だから彼は「アジアの知略」の中に、中嶋嶺雄先生との対談の中でひとつの提案をしています。それは、日本と台湾で共同通貨を作ろう、日本が主導権を持って、と言うものです。それは当然でしょう?日本の経済力、制度管理から見れば、そしてモラルから見れば。通貨が同じであれば、当然人の往来を自由にし、いろいろな書類を共通に認め合う。結果限りなく一国に近い形になる。元々同じ国だったのだから、別々になっても本当に共同体と言えるのは、日本と中国や朝鮮では決してない、台湾なのです。一番近い台湾を見ないで、なにが東アジア共同体なのか。私はそう思います。

 二つ目は真実です。

 李登輝前総統は退任してから(二〇〇一年四月)初めて日本を訪問しました。ご存知のように、倉敷で心臓の治療を受けたり、京都や大阪に泊まりました。大阪では帝国ホテルに宿泊し、出るときに一枚の色紙を書きました、恐らく今でも帝国ホテルに飾ってあると思いますが、

 そのときの言葉が「真実自然」、李登輝理念です。私は台湾人政治家を数多く知っています、仲のいい政治家、悪い政治家もいますが、殆どの政治家は自分をできるだけ大きく見せようとする、私はこんなに偉いんだ、誰々を知っている、これだけ予算を取ってきた等々。まぁ、気持は分かりますが、ありのままの政治家は少ない。この中には李登輝前総統に会った人もいると思いますが、彼は決して飾ったりせず、えらぶることもなく、ありのまま真実を追求し、行動するのです。一個人であれば、ただ尊敬できる一つの要素ですが、政治家の理念ともなれば個人のフィロソフィーではない、トップであれば、それはドクトリンになり、天下国家に影響を与えるほどのものになります。

 真実とはどういうものか。戦後の日本は真実を見つめてきたか。台湾を中国の一部と見做している日本の姿勢は真実を見ているとはほど遠いと思います。

 戦後の日本は、ある人は私に言います、一九七二年までは国交があり、大使館もありましたよね、今は中国にとられてしまったけれど、と。私に言わせれば、本当に国交はあったのでしょうか。一九七二年以前、日本は二二八事件で台湾人、特にエリートや学生を虐殺した蒋介石を、全中国を代表しているという虚構を承認していましたが、これをもって国交があったのか、私にはその覚えはありません。では一九七二年以降はどうなったか。台湾を侵略しようとし、台湾を中国の一部という主張を理解し尊重している。言ってみれば、隣のヤクザが私の家を指して「その家はオレのものだ、そこの女(私の妻)もオレの女だ、全ての財産もオレのものだ」といい、一方の隣の日本さんはそれを理解し尊重すると。ところがその日本さんとは昔同じ家族だった。その元家族がヤクザさんの言い分を理解尊重する。これが真実といえるのか、日本人は真実から目をそらしているのか。

 私が日本へ来てから一番感心したのは、日本料理と中華料理の違いです。中華料理はいろいろいじったり腐らせたりして、殆ど原型を留めないのに対し、日本料理の特徴は、素材を活かし鮮度で勝負すべく、心をこめて出す。真実そのまま、ありのままの味をいかすのです。なのに日本は一九七二年以前は蒋介石の全中国を代表しているというウソに加担し、それ以降は台湾を侵略しようとしている中国の言い分を理解尊重している。戦後の日本は一貫して、台湾人の敵の側に立ってきたのです、かつて自分が統治していた同胞の苦しみ、苦悩を理解しようともせず、それどころか我々を敵の側に押し付けている。もっとも李登輝前総統は私のような無教養な人間ではないのでここまでは言わないが、真実自然という言葉だけ残したのです。

 三番目は誠実です。

 真実と誠実は基本的には一緒なのです。真実は客観的に存在を見つめるもの、誠実はそれに沿って行動する、自分にウソをつかないという態度、それが誠実ではないでしょうか。同じ「アジアの知略」の中の中嶋嶺雄さんとの対談の中で彼が言った言葉ですが、中国人と日本人はどこが違うのか、それは簡単です、ウソをつく民族とウソをつかない民族ですと述べている。日本人は「ウソツキ」といわれたら顔が赤くなり、昔ならば刀を抜いてしまう。本当にウソをつき、見破られたらとても恥ずかしい、死んでしまいたいぐらい。中国人は日常的にウソをついているから、「ウソツキ」といわれてもヘラヘラしているし、見破られても新たにウソをつく、それだけのことです。ところが今の日本は、自国の学生に学校の教科書で台湾は中国に領有されている、無理矢理我々をウソツキ中国の領土にするというウソを自分の子供達に教育しているのです。これが誠実な姿勢といえるでしょうか。

 李登輝さんはこの誠実という理念を、例えば李登輝学校へ行くと、口がすっぱくなるぐらい言います。また彼は教養あり品のいい人ですから、今の日本が不誠実になったとは言いません。

 私は日本で長く生活しているので、少なくとも戦後日本については李登輝さんに負けないぐらい認識を持っています。もっとも李登輝さんが生活していた戦前の日本を体験することはできなかったのですが、日本にはサムライ精神があると聞いて日本に来ました。日本にはなく台湾にある「日本精神」という言葉、日本人は言いません、台湾生まれの言葉ですが、私はそれに憧れてその本場に来ました。それをこの目で確認しようとして、今も捜していますが。それはそれほど貴重なのです。

 戦後の日本は誠実なのか?最近の日本は私が言うまでもなく、耐震偽装問題、ホリエモン現象・・・日本人の一番奥の部分、恥の文化はどこへいったのでしょう。李登輝さんは八十三歳になり、丸くなった。日本人を褒めて褒めて褒めつくすのですが。そのような、元々ある理念を何故捨ててしまったのか。それでも分からない日本人もいるから、私が解説するのです、そのような貴重な部分をなぜ捨ててしまったのか、と。

 四番目、そして一番重要なこと、国造り。

 李登輝前総統は国を造りたい。その国造りは台湾だけでなく、日本もそうなのです。戦後の日本は七年間、主権を失っていて、一九五二年のサンフランシスコ条約が発効して主権を回復しました。そこで主権を回復したなら、自分の手で憲法を作り、自分の作ったルールを守ることで初めて主権国家といえるのではないでしょうか。日本人の使っている憲法の元は人様に作ってもらっているのです、それも一週間で。

 台湾も同じです、一九四九年に台湾に逃げ込んできた蒋介石が持ち込んだ憲法なのです。この憲法の中には、中華人民共和国はある、モンゴル共和国もある、だが台湾はない。今使っているのは台湾だけ、冗談じゃない。我が家の戸籍に、他人の名前があり、私の名前だけない。このような憲法を使っている国が主権独立国家といえるでしょうか。おまけに今の名前はリパブリックオブチャイナ、シナ共和国です、シナという名前が入っている。今私の住んでいる家の表札は林建良ではなく毛沢東のなっている。これは私の家だ、と一生懸命言っても、戸籍を見ると林建良の名前はない。だから新しい戸籍を作ろうとすると、かつて祖国であった日本は「現状を変えてはいけない」と。大きなお世話だ、これを偽善といわずして何でしょう、こんな日本を尊敬できますか。

 我々は単に自分のことを自分で決めたいだけなのです、林建良の家に林建良の表札を掲げることのどこが悪いのでしょう。隣のヤクザ様が怒るからだめだ、という人を尊敬できますか?それでも我々はやります。

 ヤクザ様がいくら強大でも、いかにかつての祖国がフニャフニャになったとしても「やるんだ」というのが李登輝精神なのです。この精神についていこう、というのが日本李登輝友の会なのです。だから先ほど石川支部長が言われました、ただただ親睦、親睦はいいんですよ、やっていけないとはいいません、そのもっと深いところにある、単に李登輝さんのファンクラブではない、李登輝さんの人柄が好きというだけではない、我々が大切にしようとしているのは李登輝理念なのです。理念とは、フィロソフィー、ドクトリン、信条なのです。この国をなん
とかしたい、日本と台湾、この二つの李登輝さんの祖国、文化的祖国は日本、今生活しているのは台湾。それが李登輝理念についていく我々なのです。国造りは極めて大切なのです。

 この会は一人ひとりが李登輝理念を広げる、そして彼のモットーは実践、行動すること。いくら立派な理念でも、頭の中に大切に保存するだけでは意味がない、理念は行動が必要なのです。この行動、実践力が正に日本人の気概になるものです。


 かくすればかくなることと知りながら、やむにやまれぬ大和魂

これが李登輝理念の一番奥、真髄ではないでしょうか。
 
 本日はご静聴ありがとうございました。


この記事は「各種資料集」としてHPに掲載されていたものです。


当ブログご愛読の皆様へ ブログの再開について

2011年10月20日 18時33分24秒 | 未分類
   この度は、私の不注意により、肩と腰の骨を折る怪我をし、その治療のために、約1カ月の入院生活を余儀なくされ、その間にブログの更新が出来なくなり、皆様には大変ご迷惑をお掛けしましたことを深くお詫び申し上げます。
 
 多くの方からお見舞いのコメントをいただいたことから、1日でも早く退院したいとの気持ちを強く持ってリハビリに専念してまいりました。そして主治医も驚く回復をしたことから、20日に退院する事が出来ました。これも皆様からの励ましのおかげだと深く感謝しております。
 
 退院したとはいえ、腰にはコルセットを装着していなければならず、思うような動きは出来ませんが、パソコンの前の座ることは何とか出来ます。
 
 入院中の最初の3週間はベットの上で安静にしているだけで、自分では何も出来ないとなると、食事、着替え、排泄などすべて看護師のお世話にならざるを得ず、それでも嫌な顔を見せない看護師の方には感謝の気持ちで一杯で、それが仕事とはいえ尊いものを感じました。
 
 ベットの上で1日横になっていると考えることは退院してからのことで、今まで生き方で良かったのか。こうすれば、人様は喜んでくれるのではないか。そのようなことばかり考えて毎日を過ごしておりました。今回の入院は人とはかくあるべきだとの考えを巡らす良い機会になったことは間違いありません。
 
 以上のような状況で、当ブログも体調を考慮しつつ再開することに致します。以前のような更新頻度とはならないかも知れませんが、皆様のご期待に応えて頑張りたいと思っておりますので、今後ともご愛読のほどよろしくお願い申し上げます。
 
 2011/10/20                                      
                                                                                             forest(管理人)

いわゆる地震雲であるかどうか分かりませんが

2011年03月16日 20時12分38秒 | 未分類

 地震の予知は出来ないそうですが、起きる前に様々な動物が逃げ出したり、おかしな鳴き声をするなどの現象が見られるそうです。また空にも、いつもと違う雲が出ると言われており、掲載した写真は3月15日の午後4時16分ころ、夕陽が箱根山に落ちる前に神奈川県西部で撮影したもので、太陽と重なるようにまっすぐ伸びた雲があります。  

 その雲の先は、同じ日の午後10時31分に震度6強を観測した静岡県東部の方向となります。この雲がいわゆる地震雲であるかどうか分かりませんが、今後起きるかもしれない地震の前兆現象の参考として皆様に公開いたします。
(2011/03/16)





花を見て気分を害する人はいないが

2010年05月21日 23時48分30秒 | 未分類

 「トッテスミマセンデシタ」病床の妻に花を…そして謝罪のメモ/横須賀

2010年5月21日

「ダマッテハナオトッテスミマセンデシタ」―。育てている花を誰かに切り取られていた横須賀市の男性方で19日、過ちを謝罪するメモが見つかった。バラの枝に添えられたメモには、病床にあった妻に見せようと花を摘んでしまったこと、その妻が亡くなったことが記されていた。

 横須賀市大津町の山川潔さん(76)は30年以上、自宅の裏庭や土手でバラやアジサイ、梅などの花々を育てている。花が摘まれているのに気付いたのは昨夏だった。ハサミなどで丁寧に切り取った跡があった。四季折々に咲く花が、同じようにわずかずつ摘まれていった。

 取られるのは毎回1輪ほど。声を掛けてもらい、花を譲ろう。山川さんは今月10日ごろにバラの枝に添え書きを結んだ。

 「花が、ほしい方は申し出て下さい」

 掲示から約10日後の19日、メモが上から張られていた。

 「ツマガガンノタメ ボクニワハナオイッポンモカッテアゲルコトモデキナカッタノデ ダマッテハナオトッテスミマセンデシタ ツマガナクナリマシタ ホントウニスミマセンデシタ」

 縦20センチ、横4センチほどの薄色の紙に、黒いボールペンの手書きで80字ほどがつづられていた。

 「きっと闘病中の奥さんのためにきれいな一輪の花を贈りたかったのでは」

 山川さんは新たな添え書きを書くつもりだ。「どこの誰だかは分からないけれど、ぜひ奥さんの墓前に花を供えてほしい」。花瓶にピンク色のバラを入れ、通りに面した自宅の裏の土手に置く予定という。

 メモを残した人物がバラを持っていってくれるのを待っている。
(神奈川新聞)

(引用終了)



 もう40年ほど前の話だが、大雪が降って道路が通行止めとなったことから、多くの車が動くことが出来なくなり、運転手は車の中で一晩缶詰状態になったことがあった。いつ通行止めが解除なるか分からないとして、車を離れることは出来ないとなれば買い物にも行けず、また近くに商店もないとなれば、空腹のまま通行止めが解除になるまで車内で待つことを余儀なくされた訳である。

 すると40代位の女性が、お盆の上におにぎりを沢山のせて、空腹に耐えているであろう運転手に配っているのを見たので、私が「自治会で炊き出しでもしたのですか?」と尋ねると、その女性は「私の子どもが、一人旅をした時に、見ず知らずの方に大変お世話になり、いつか、そのご恩返しをしたいと思っていました。雪で車を動かすことが出来ない運転手さんがお腹を空かしていると思い、家でおにぎりを作ったのです」と話したことから、私は「なかなか出来ないことですね」と話し感動した覚えがある。

 世間には、このような思いがけない善意に感動する出来事は沢山あるだろうが、お互いに助けたり、助けられたり、また素直に「ありがとう」と言えるような世の中であって欲しいもので、「人」という字の意味は人間一人では生きていけず、支えあってこそ「人」であるからであろう。

 農家の方は勿論だが、家庭菜園で野菜や花などを栽培している方であっても、丹精して育てているものが盗まれるほど悔しいことはないだろう。家庭菜園でも作りすぎてしまい、食べきれないと思っていても、ご近所や知り合いなどに差し上げるならば良いのだが、声を掛けてくれれば譲っても良いからとして、無断では持って行かないで欲しいと思っている方も多いであろう。

 報道によれば、30年以上、自宅の裏庭や土手でバラやアジサイ、梅などの花々を育てている横須賀市大津町の山川潔さん方で、声を掛けないまま、病床にあった妻に見せるため花を摘んでいたことを謝罪するメモが見つかり、それには妻が亡くなったことが記されていたとのことである。

 花がわずかずつ摘まれていることを知った山川さんは「花が、ほしい方は申し出て下さい」と掲示し、約10日後の19日にメモが上から張られていたそうで、山川さんは「きっと闘病中の奥さんのためにきれいな一輪の花を贈りたかったのでは」と話しているそうである。

 妻の治療費を払うために、花一本も買ってあげることが出来なかったのであろうが、近所の畑を借りて、少しばかりの野菜と花を栽培している私として、山川さんと同じ立場になった場合に、病床にあった妻に見せるため花を摘んでいたとなれば、無断では持って行かれたとしても、盗まれたとの意識はないし、むしろ、私が栽培している花で癒され、また、お役にたてて嬉しいと思うだろう。

 世間には家の周りに沢山の花を植えている方があり、それが家の中から見えないとしても、外を通る方の心が癒され、気分を害することはないだろう。花や美しい音楽を愛する人に悪い人はいないと言われており、それを愛する優しい気持ちが人々の心を温かくし、人として生きる素晴らしさに感動することが世の中を明るくしていくのではあるまいか。
(2010/05/21)

  写真:カタカナでつづられた謝罪のメモ


子ども手当に関する外国人と称する方のコメント紹介

2010年04月10日 23時18分56秒 | 未分類

 昨年の9月3日に書きました

子ども手当で在日外国人は本国に豪邸を建てるかも

に関して、読者の皆様から多くのコメントを頂きましたが、在日外国人が本国に残してある子どもにまで手当が支給されることから、国によっては子どもが3人いれば、年間支給額が年収の15年分にもなったり、大学教授の月給とほぼ同額であることなどが明らかになっており、タイトルが少し衝撃的かも知れないと思っていたのですが、まさにタイトル通りになる恐れがあると言えるでしょう。

 頂いたコメントの中で、投稿者名が「外国人」と称する方のコメントは読者の皆様を不愉快にさせると判断して一時保留保としていました。この投稿者が本当に外国人であるかどうか分かりませんが、このコメントのような考えの外国人にまで子ども手当を支給する必要があるのか、読者の皆様のご意見を伺いたく、敢えて紹介することにします。

(以下「外国人」と称する方のコメント)

みんなコメントをみると、日本人の島国の個性をはっきりとわかってきた。あんなにケチっぽいお金で誰か豪邸を建てることができるか?!ミルク代にも足りないのよ。日本人の血税って、図図しいに言うね!一生懸命に日本で働いている外国人も税金をたくさん払って、そして母国に帰るときに、何も戻してくれないんだよ。そういうことをお前ら、知ってるかよ。ただ、治安が悪くなるとか、子供手当ての支給とか、いつも外国人のせいにする。この国、この日本はだめになるのは本当に外国人のせいなのかを聞きたいのよ!あんなたたちはせっかくに選挙権を持って、自分の権利はちゃんと行使すればいいんじゃないのか!!お前ら、外国人に悪口を言う権利がないんだよ。いつかお前らのおかげで、この国を滅ぼすぞ!!

(以上)

 在日外国人の子どもにまで支給されるにも関わらず「あんなにケチっぽいお金」と言っており、感謝の気持ちもなく、「ミルク代にも足りないのよ」と言うならば敢えて貰う必要はないだろうが、それでも貰えるものなら何でも貰うつもりだろう。

 外国人が母国に帰る時に払った税金を戻せと言っているが、税金とは行政サービスを受けるための対価であって、母国に帰る外国人に払い戻すなど聞いたことないし、払い戻していれば行政サービスをタダで受けていたことになる。

 他にも色々言っているが、反論するもアホらしく、このコメントをされた方が外国人ならば、国籍は大体想像つくが、参政権を付与すれば、日本がどのようになってしまうか、このコメントを読んだだけでも分かるし、であるから絶対に付与してはならず、日本は日本人の国であり、外国人がのさばるような国にしてはならないと思っている。
(2010/04/10)


明けましておめでとうございます

2010年01月01日 15時24分32秒 | 未分類



 明けましておめでとうございます。本年も昨年同様に拙ブログをご愛読頂きますよう宜しくお願い申し上げます。

 昨年は国民の多くが自民党を下野させる選択し、政権交代がなされて鳩山民主党政権が誕生しましたが、その選択が間違っていたのでないかと、自問自答されている方も多いのではないでしょうか。偏向マスコミが鳩山総理や小沢幹事長の金銭を巡る問題を深く追求しないのは、密約でもあるのでないかとの疑いを禁じ得ません。民主党政権となってから景気対策をまったく行わないために鳩山不況と言われるようになったおかげで、政権交代を実現させた立役者である偏向マスコミが倒産の危機に瀕しているとは、まさに自業自得だと言えるでしょう。

 本年夏には参院選が行われ、もし民主党が過半数を得るようなことになれば、売国法案が次々に成立し、日本は特亜国の支配する国となることでしょうし、民主党が昨年の衆院選で掲げていた「国民の生活が第一」の「国民」とは「日本国民」でないことは、掲げる政策を見れば分かることです。

 民主党政権がこれからも続いたら、日本が日本でなくなることを深く認識すべきであり、そのためには偏向マスコミによる洗脳工作に惑わされることなく、有権者であれば、マスコミは事実を伝えていないとして、それを信用することなく、様々な情報を自分から探して判断する必要があるでしょう。

 私も年をとりましたので、今年は、どの位の頻度で拙ブログの更新が出来るかどうかわかりませんが、国益に反するだけでなく、国力を衰退させようとする民主党政権と、そのような政権が続くように加担する偏向マスコミや反日勢力への批判を止める訳には行きませんし、また信用出来ない特亜国への警戒を怠らないことが大事であることは言うまでもありません。

 掲載しました富士山の写真は昨年の10月に撮影したものですが、日本の象徴である富士山を近くで眺めておりますと、日本は本当に良い国だと認識を新たにします。天皇陛下を戴き、世界最古の歴史がある日本を守るのは日本人だけであり、特亜国の支配下にならないように今後も出来ることは小さくとも努力して行きたいと思っております。

平成22年元旦

管理人 forest


本年も特亜諸国と朝日の批判から始まる

2006年01月01日 15時08分42秒 | 未分類
   明けましておめでとうございます。旧年中は皆様に支えられサイトを維持管理出来ましたことを深く感謝致しております。本年もよろしくお願い申し上げます。

 昨年は以前にも増して特亜諸国からの日本叩きが凄まじく、また国内においては、このような「やっかいな隣人達」を批判する本が出版され多くの読者の支持を集めていた。今までのように特亜諸国に媚びる政治家の影響力は低くなって来ており、その反面、大変良い傾向として特亜諸国にはっきりものを言う政治家らが国民の支持を集めるようになってきた。

 「世界の工場」ならぬ「世界最大のゴミ出し国家」として素晴らしい発展を続ける支那は、小泉総理の靖国参拝が首脳会談や友好関係を阻害していると執拗に「日本は言う事を聞け」と迫り、両国間の様々な懸案の責任は日本にあるとして共産党独裁政権を如何に維持するかが目的であるにも関わらず、様々な不満を抱える支那人民の目を日本に向けさせている。だが、支那全土で繰り返される農民暴動などが各地に波及し、また外国資本の撤退、環境破壊などの影響から支那の未来は決して明るくないであろう。

 昨年は「日韓友情年」であったそうだが、友情は深まることはなく、偏向マスコミが盛んに「空前の韓流ブーム」と煽っていたが、多くの国民は冷めた目で見ており、そうでなければ「嫌韓流」の本がベストセラーになったりはしないと思う。捏造と偽造を繰り返し、どれが本物か偽物かの区別がつかなくなっている韓国は、同じようなことしている支那や北朝鮮に傾斜し、国内は赤化寸前でピンク色に染まっている。そのような韓国が東アジアのバランサーになると言っても、その資格も、国家としての品格も備えておらず、「冗談は大統領の顔だけにして欲しい」と言いたくなる。

 北朝鮮は世界最大の反日国家であり、また最大の悪魔のテロ国家である。自国民を数百万人も餓死させながら、何の罪の意識がない独裁者は、その地位を維持するために、理由もなく自国民の人権を侵害し、他国を恐喝して援助を引き出すための手段として核開発を継続している。日本人拉致問題も何ら進展せず、日本側と交渉するそぶりはしているものの、「拉致問題は解決済みである」との姿勢は崩さず、これでは日本としては、いくら北朝鮮が国交正常化と経済援助を求めても無理である。

   昨年末には拉致実行犯二人が特定され、国際手配されることになったことから、拉致問題の解決とは拉致被害者が帰国したら良いのではなく、その実行犯の引き渡しと、日本国内の拉致した者の送り出し組織の解明と、被害者とその家族への補償などが実施されない限り正常化などあり得ないと思う。

 日本国内においても特亜諸国の意向に反応して、日本の過去の戦争のことばかりを追及し、「戦争で迷惑を掛けたのだから」として、特亜諸国に軸足をおいて、その利益のために行動し、日本の衰退を望んでいるかのような発言も見受けられる。

 特亜諸国だけに軸足をおく朝日新聞的な論調を排除しなければならないが、昨年1月に朝日が報じた「NHK番組改変問題」は捏造の疑いが十分なのに、いまだに真相を語らず惚けており、この問題を注視していた国民の記憶から消し去ろうとしている。

 今年も特亜諸国の妄言と、朝日新聞の論調を批判し続けなければいけないとは困ったものだが、日本の行く末を思うと何も批判せず、また発言せずにはいられない。批判からは何も生まれないと言う方がいるが、では沈黙していることで良いのかと問いたい。特亜諸国も朝日新聞もどうにもならないやっかいな相手だが、それでも妄言や捏造、偏向には批判を欠かせないであろう。それにしてもネットの普及によって様々な情報が入ってくるとは良い時代になったものだ。本年も特亜諸国と朝日の批判から始まってしまった。
(2006/01/01) 

この記事は「今日のコラム」
「本年も特亜諸国と朝日の批判から始まる」
としてHPに掲載されていたものです。


皆様、今年1年間ありがとうございました

2004年12月31日 22時22分52秒 | 未分類
 今年も残り少なくなってまいりました。本年も様々な出来事がありましたが 、イラクに自衛隊を派遣し、国際社会から大きな評価を受けたこと。参院選で の共産党、社民党の歴史的な惨敗。イラクでのアホ3+2の人質事件で、サヨ クやプロ市民が見せた醜態から、その実態が明らかになったこと。内政干渉や 原潜の領海侵犯などから支那との友好がいかに幻想であることが分かったこと 。台湾の李登輝氏へ査証が出されて来日が実現したことなどがあげられるでし ょう。

 サイトも掲示板も毎日約1千人のアクセスがあり本当に感謝に絶えません。 原則として毎日更新しており、激励メールを頂いたり、掲示板への書き込みを 読んでいると、本当に皆様は祖国日本を憂い、どうすれば誇りある日本となり えるか真剣に考えている思いが伝わってきて、サイトや掲示板を続けてこれた のは、このような皆様のおかげであると深く感謝しています。

 お正月は、久しぶりにゆっくりする予定ですが、テレビはろくな番組しか放 送しないでしょうから、スカパーで日本文化チャンネル桜でも見るか、本でも 読んでいたいと思います。

 では明日からは平成17年です。来年は憲法改正案が自民党から出されるそ うですが、平和憲法と言われたものを守ってきたもののその平和が守れないよ うな憲法では困ります。憲法改正の国民投票が実施される時にはなんとしても 改正されるように頑張りましょう。それでは、皆様良いお年をお迎え下さい。
(2004/12/31) 

この記事は「今日のコラム」
「皆様、今年1年間ありがとうございました」
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H2Aの打ち上げ失敗は破壊活動ではないのか

2003年11月30日 19時41分33秒 | 未分類
  11月29日に鹿児島県南種子町の種子島宇宙センターから打ち上げられた情報収集衛星(偵察衛星)2機を載せた国産ロケット「H2A」6号機は「第1段ロケットに取り付けられた大型固体補助ロケット(SRB)2本のうち1本を分離できなかったため、ロケット全体が約11分後に地上からの指令で爆破された」とのことである。文部科学相の諮問機関である宇宙開発委員会の井口雅一委員長は「この間、地に落ちた(日本のロケット技術への)信頼を回復するべく懸命にはい上がってきた。この失敗からまた、死にもの狂いではい上がりたい」と会見で述べたという。不都合が発見されて打ち上げが数度も延期されてきただけに今回の打ち上げ失敗は誠に残念なことであり、宇宙航空研究開発機構は今回の失敗の原因を徹底的に究明して頂きたいと思っている。

 今回のH2Aの打ち上げ失敗で、北朝鮮の情報収集に大きな支障が出ることは否めないが、既に打ち上げられている1号機だけでは「地球上の任意の地点を2日に1回しか撮影出来ない」と言う。しかし、そのことをわざわざ発表することではあるまい。これでは、「日本の情報収集衛星は2日に1回しか回って来ないので、それが来ない日なら見つからない」と思われてしまうだろう。手の内を明かすようなことを言うべきではない。

 今回の打ち上げ失敗を一番喜んでいるのは支那と北朝鮮だろう。支那の国営通信・新華社は「日本のロケットの信望に重苦しい打撃となった」と報じたとのことであるが、日本からのODAとロシアからの技術で有人宇宙飛行に成功した支那は「失敗したか。ざまあ見ろ」と今頃笑っているだろう。支那の年間の宇宙予算は約1兆円であると言われており、日本の同予算約2000億円と比べればはるかに多いが、そんな支那にほぼ同額のODAをくれてやるのは何とも納得出来る話ではありません。

 また政府は平成17年度までにH2Aの製造・打ち上げを三菱重工業に移管して、完全民営化することを決めているそうだが、機密保持は大丈夫であろうか。支那や北朝鮮の工作員が三菱重工業に入り込んで技術を盗み、また敢えて不良部品を製造して納入したり、打ち上げが失敗するような破壊活動をすることも予想出来ない話ではありません。スパイ防止法のない国ですし、そのような諜報活動への防衛が甘い国であるから、気を付けなければならないだろう。今回のH2Aの打ち上げ失敗も固体補助ロケット(SRB)2本のうち1本を分離できなかったという、かって経験したことがない想定外のトラブルであるがゆえに、その原因が破壊活動ではなかったのか十分な調査が必要であろう。
(2003/11/30)

この記事は「今日のコラム」
H2Aの打ち上げ失敗は破壊活動ではないのか
としてHPに掲載されていたものです。


反米保守派は左翼に転向したのか

2003年03月23日 22時51分24秒 | 未分類
  米国のニューヨーク貿易センタービルにハイジャックされた旅客機が突入するという、いわゆる9.11同時テロの後、そのテロ組織掃討のためアフガニスタンを攻撃した米国を非難する人が、いわゆる保守派と称する人々の中からも湧き上がった。そのような人々が今回の米英軍のイラク攻撃にも反対し、反米反戦運動を繰り広げているケースもあるようである。

 以前から反米反戦運動を繰り返していた左翼の輩は、同じ仲間が増えたと喜んでいることであろう。今日、日本各地では、イラクへの米英軍の武力攻撃に反対するデモ(少数だが)が行われており、マスコミは、もっと参加者が増えるように盛んに煽って米国の戦争に反対するようにし向けているが、なかなか成果は上がっていないようである。

 イラクへの米軍を中心とする武力行使も、ただ「戦争が嫌いだ」「市民が被害にあうのは可哀想だ」との考えで反戦反米運動をすることは、サダムフセイン独裁体制を存続させることだと気づいていないのだ。

 小泉総理は、イラク問題で日本の国益と日米同盟の重要性を考え、米国支持すると明言している。戦争より平和が良いに決まっているが、では、ヒットラー、フセイン、金正日などの独裁者に対し、宥和政策だけではその要求を呑まされるだけである。要求に屈することで平和が保たれればそれで良いのであろうか。イギリスのチエンバレン首相の台頭するナチスドイツのヒットラーへの宥和政策が、あの第2次世界大戦を招いたことは歴史的事実である。

 であるから、ブッシュ大統領から「悪の枢軸」と名指しされたイラクや北朝鮮を、このまま放置することは、世界的な戦争に至らないまでも、大量破壊兵器を持ったテロリストが世界中に拡散するという事態を招きかねない。「戦争より平和が良い。市民を犠牲にするな。アメリカの武力行使反対」と言って、反米反戦運動を繰り広げている人々は、独裁者サダムフセインが率いるイラクが核や大量破壊兵器を保有することを容認しているのと同じである。

 「戦争は多くの人が死ぬので反対だ」「正義の戦争などない」と言って、戦争と名がつけば、どのような戦争であっても反対しようというのであろうか。どのような戦争であっても反対という考えが保守派と称する人々の一部からも出ていることは残念であり、なぜ反米・反戦になったか理解に苦しむところだが、イラクの次には悪の枢軸北朝鮮が控えていることを忘れて欲しくなく、そのような反米反戦を唱える保守派論者は、北朝鮮の脅威から日本単独では国を守れないことにどう対処しようとするのか。

 そのようなことは考えていない発言であったとしたら、もう彼らは自らを保守派と称して欲しくないし、すでに左翼に転向したと思わざるを得ない。であるから、日本の国益と日米同盟の重要性を考え、米国を支持する親米保守派を批判することは許し難いと言わざるを得ない。
(2003/03/23) 

この記事は「今日のコラム」
「反米保守派は左翼に転向したのか」
としてHPに掲載されていたものです。


堂々と胸を張れるような国に

2003年01月02日 21時57分26秒 | 未分類
  読者の皆様、あけましておめでとうございます。本年も当サイト「私の主張・ひとりの日本人として」を昨年同様よろしくお願い申し上げます。今年は、3月ころより、諸般の事情により暇になりますので、今日のコラム、私の主張などの掲載を増やそうと思っています。晴れた時は畑を耕し、雨の時は読書をしたり、また新聞をじっくり読んで、左翼や偏向マスコミ等への私なりの批判を書きたいと思っており、それが私の使命のようになってきたような気が致します。

 今年は、北朝鮮をめぐり、かなり緊迫した事態になることが予想されますが、そのような事態が来るとは多くの日本人は思っていなかったでしょう。昭和20年の終戦以来、日本は戦争などの国家の存亡に関わる事態を想定せず、そんなことはあり得ないとした極めて憂うべき体制になっています。もし、戦乱になった場合の国民の役目、義務など何ら決められていませんし、あらゆる事態に対応して訓練をしている自衛隊に対して反対し、また妨害する左翼の活動もいまだに衰えてはいません。

 誤った左翼思想から、1人でも多くの方が離脱され、日本人としての誇りを取り戻し、国家主権がいかに大事かを意識され、生まれこの国を愛する心を持つことに、この私の主張の拙い文が、少しでも、お役に立ちたいと思っております。これからの日本が、自由と民主主義を守る事をことに共通の価値観を持つ国と協力し、国際社会において、堂々と胸を張れるような国になることを期待しつつ年頭のご挨拶を兼ねたコラムと致します。
(2003/01/02)

この記事は「今日のコラム」
「堂々と胸を張れるような国に」
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