私の主張・ひとりの日本人として

新聞やテレビの報道で特に偏向マスコミや反日日本人などに憤慨することが多くなり、暇な時に思いつくまま書き綴ったブログです。

映画「明日への遺言」を鑑賞して

2008年03月08日 23時37分13秒 | 書評・映画評

 自 宅から車で10分位の所にあるシネコンで、映画「明日への遺言」を鑑賞したが、平日の昼間にも関わらず、客席は半分ほど埋まっており、関心の高さを伺わせ た。この映画はかっての戦争中に、東海軍司令官であった岡田資陸軍中将が無差別爆撃をしたB29爆撃機の搭乗員38人を処刑した責任を問われて、戦後、B 級戦犯として横浜の連合軍軍事裁判所で絞首刑の判決を受けたことを描くものである。

 全編のほとんどが法廷場面という地味な映画だが、最近は感動出来る映画が少ないだけに、関心が高いのであろう。責任逃ればかりしている昨今の政治家や企業 のトップとは異なり、部下に責任が及ばないように、すべての責任をとり、絞首刑の判決を受けても動じることなる「本望である」と裁判を傍聴していた妻子に 語り掛けたのは、勝者が敗者を裁くという不当な裁判であったとしても、最後まで軍人として、また日本人としての誇りを失うことなく、また国際法に違反した 無差別爆撃を行った搭乗員を処刑したことは正当性があったと主張することが出来たことと「これで部下に責任が及ぶことはない」との安堵感のようなもので あったかも知れない。

 かっての戦争が日本の敗戦で終わったことから「日本が悪かったから負けたのだ」との認識を持っている人には是非とも、この映画「明日への遺言」を鑑賞して 欲しいものであり、いわゆるA級戦犯とされた者が東京裁判で事後法によって裁かれて絞首刑の判決を受けたことや、また、いわゆるB、C級戦犯として絞首刑 された者の中には人違いであったものや証拠すらなかったにも関わらず、岡田資中将のように、堂々と13階段を上った者がいることを知って欲しいからであっ て、決して勝者の裁きの不当性を訴えた映画ではないからである。

 裁判が不当なものであったとしても、裁きは裁きとして受け入れ、司令官としてすべての責任を引き受けた岡田資中将に、今日失われつつある日本人としての品 格を見いだすことが出来るであろうし、岡田資中将が遺した「明日への遺言」とは行ったことが正しいと思うのであれば、その信念を曲げず、もし責任を問われ る事態になったならば最高責任者はそれを回避することなく、すべての責任を引き受けるべきであることを私達日本人に訴えている訳であり、久しぶりに感涙に むせぶ映画を鑑賞することが出来たことで、この映画に製作に携わった多くの方々に感謝したい。
(2008/03/08)

写真:映画「明日への遺言」の公式サイトから

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必見!「俺は、君のためにこそ死ににいく」

2007年04月27日 18時42分47秒 | 書評・映画評
   5月12日から全国東映系で「俺は、君のためにこそ死ににいく」がロードショー公開される。あの戦争の末期に多くの若者が神風特別攻撃隊員として散華しているが、鹿児島県の知覧町には当時、特攻隊の基地があった。この映画は、その基地の近くにあり、軍の指定食堂になっていた「富屋食堂」を経営していた鳥濱トメさんと若き特攻隊員との交流を描くものである。

 公開前にあれこれとこの映画の論評を加えることは気が引けるが、出撃すれば二度と生きて帰って来れない特攻隊であり、「死んでこい」との命令の限界を明らかに超えている状況が現実にあったことを考えると今の価値観からすれば、考えられないことかも知れない。今でも論議されているが、敵艦へ体当たり攻撃を行えば確実に戦死することが分かっているのであるから、散華していった多くの若者達はそれを命令されて仕方なく行ったのか。あるいは志願によって行われたものかと言うことである。

 戦争は悲惨なものだが、何でも過去の日本は悪かったと考える者は特攻隊は命令によって行われたとしか考えられないと思っているであろうし、だから特攻隊員は犬死にであり、それを命令した者の責任は極めて大きく捉えていたとしても何ら不思議ではない。

 だが、この映画の題名のように、両親や幼い兄弟、お世話になった方々などが空襲によって被害に遭わないように、命を引き替えに敵艦を1隻でも多く撃沈すれば良いと考え、敢えて特攻隊を志願をした者もいたのではないかと思っている。

 私の叔父は約10年前に亡くなっているが、戦争中に特攻隊を志願し、茨城県霞ヶ浦にあった予科練に入隊したが、昭和20年8月下旬に出撃命令を受けていたものの、その前に終戦になったことから生き残った訳であり、生前、志願であることを強調していた覚えがある。

 今思えば、叔父に当時の心境など詳しく聞いておけば良かったのだが、男2人女4人の計6人兄弟の長男として生まれた叔父として、志願をしてまで両親や兄弟を守りたかったのではないかと思っている。

 私の母と叔母は予科練に入隊中の叔父に面会に行ったことがあると聞いたことがあるが、生きて会えるのは最後になるかもしれなかった訳であり、そこで、どのような言葉が交わされてのかもう聞くことも出来ない。

 他紙は分からないが4月24日の産経新聞に映画「俺は、君のためにこそ死ににいく」の全面広告が掲載された。女優の岸恵子が鳥濱トメさん役を演じており、「富屋食堂」前で空を眺めている姿と「1945年、知覧──無残にも美しい、青春があった。彼らを、心で抱きしめた女性がいた。」と書かれた見出し部分が、この映画が何を伝えようとしているのかを知らしめてくれる。

 広告にはこの映画の試写会を鑑賞した方の感想が掲載されており、その一つ一つを読んでいるとこみ上げてくるものがあった。映画の広告を見ていて、こんな感情を抱いたことは今まで一度もない。宣伝する訳ではないが、日本人ならば必見の映画ではなかろうか。

 多くの若者が祖国日本と守らなくてはならない人達がいるからと特攻隊を志願して散華していった歴史を忘れてはならない。また、今日の暮らしはあの戦争の時代に必死になって生きていた人達や、そして死んでいった人達が築き上げたものであることをことを深く認識しなければ日本人として恥ずかしいことであろう。
(2007/04/27)

この記事は「今日のコラム」
「必見!「俺は、君のためにこそ死ににいく」」
としてHPに掲載されていたものです。

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韓国では忘れ去られた「あなたを忘れない」

2007年02月02日 22時27分05秒 | 書評・映画評
   日韓友好のためと銘打って制作された映画「あなたを忘れない」は、韓国内では何故か関心がなく公開される予定もないとのことだが、日韓合作映画であるにも関わらず、公開されるのは日本だけとは不可解の何者でもない。

 では何のために日韓合作映画として製作されたのか疑問であり、この映画の監督は在日韓国人らしいが、祖国でも公開されることを望んで監督を引き受けたのか、あるいは別の意図があったのか不明だが、であるから、とても日本映画と言えるものではなく、また韓国内での公開がないならば韓国映画でもないからして、在日韓国人が日本と日本人を貶めるために企画した単なる反日映画に過ぎないと言えるであろう。にも関わらず文化庁が3.000万円もの補助金を出していると言うのだから笑い話では済まされない。

 6年前のJR新大久保駅での痛ましい事故の記憶は新しいが、韓国人留学生、李秀賢(イ・スヒョン)さんと日本人カメラマンの関根史郎さんが、酒に酔って線路上に転落して男性を助けようとして、進行して来た電車にはねられ3人とも死亡したものである。当時のマスコミは何故か韓国人留学生の李さんに焦点を当てて報道しており、関根さんはほとんど無視されていることに目を付けた韓国当局や在日韓国人が、勇気ある行動をとった韓国人の李さんを善人として扱い、片や日本人は傍観しているだけの悪人であったとの話をでっち上げ、本にしたり映像化すれば、日本と日本人を貶める事が出来るとの考えたとしても何ら不思議ではない。

 だが「韓国人は善」「日本人は悪」とのいつものように分かりやすい映画となっているにも関わらず韓国では関心が低いと言うのはなぜだろうか。要するに韓国人が留学先の日本で、日本人を救助しようとして命を落とすなどと言ったことは何ら美談でもなく、「日本人などどうなろうと知ったことではない。余計なことをして命を落とすとは」との思いがあるのではなかろうか。

 今まで韓国でヒットした映画がどのような内容であったか調べれば分かることだ。日本に核兵器が撃ち込まれたり、沈没したり、日本人が沢山死ぬような映画でなければダメなのである。そのように日本と日本人の不幸を手を叩いて喜ぶようなもが受け入れられるのであって、犠牲になる覚悟で日本人を助けようとしたことは、いわゆる「親日行為」と見なされてしまいかねないからして、関心がないのは当然かも知れない。だが、この映画が李さんだけが助かり、関根さんと転落した男性の2人は亡くなったとの設定であれば韓国では受け入れられるのではなかろうか。

 ところで李さんのご遺族は韓国内ではどのような見方をされているのであろうか。憎き日本人を助けようとしたことは善行でもなく、親日派との烙印を押され、不利益な扱いをされているのではないかと心配している。中央日報によれば、1月26日に行われた試写会の会場に「韓国のマスコミや映画関係者は見当たらなかった。」と報じているが、このような事実からして、韓国では李さんの英雄的行為など既に忘れ去られていると言えるだろう。日本人を助けようとした者ではなく、伊藤博文を殺害した安重根のようなテロリストが、いつまでも英雄とよばれているような国と友好関係を築こうと努力しても無理のような気がしてならない。
(2007/02/02) 

この記事は「今日のコラム」
「韓国では忘れ去られた「あなたを忘れない」」
としてHPに掲載されていたものです。

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韓流に嵌る女性は「亡国のイージス」を観よ

2005年07月06日 22時02分18秒 | 書評・映画評
 7月30日から公開される映画「亡国のイージス」は海上、航空自衛隊の全面協力によって製作されたとのことで、今年は「ローレライ」「戦国自衛隊1549」と続き、普段はあまり映画館に足を運ぶことがないが、久しぶりに鑑賞して見たくなる話題作が目白押しである。

 「戦国自衛隊1549」は陸上自衛隊の全面協力で製作され、静岡県小山町のある富士学校・富士駐屯地などで撮影が行われたようで、今年は7月17日に開催される富士学校祭に今まで何度も行っているので、映画を観ていて撮影場所も分かった。

 自衛隊が映画の撮影に協力することは、良いことであり、すでに「ゴジラ」や「ガメラ」などの空想科学映画には自衛隊が登場していたが、これはあくまでも空想映画であり、それもたいがい自衛隊が怪獣を攻撃するも反撃を受けて大被害を受けて退散するというものである。ゴジラ映画の中には自衛隊が、まったく登場せず、空想の軍隊のようなものが出てくるだけのものがあるが、何となく迫力がなく、やはり、怪獣映画などには自衛隊の登場は欠かせないと感じた。

 さて福井晴敏氏の「亡国のイージス」の原作本は持っているが、まだ読んでおらず、映画を鑑賞してから、その場面を思い出しながら読みたいと思っている。海上、航空自衛隊の全面協力によって製作され、イージス艦、F-2支援戦闘機、艦載ヘリなどが登場するそうだが、かっての空想科学映画のように模型やCGではなく、すべて実写による本物であるからして、凄い迫力のある映像になっているものと期待している。

 産経新聞の7月5日号に、この「亡国のイージス」の「鑑賞にススメ」を不肖・宮嶋で知られるフリーカメラマンの宮嶋茂樹氏が書いている。宮嶋氏は自衛隊にとって初めてのPKO活動となったカンボジアでの施設大隊の実情を著した「ああ、堂々の自衛隊」の著者として知られているが、自衛隊の正しい姿を伝えていると思うし、この本を読んで、自衛隊員達の立派さに感動した覚えがある。

 宮嶋氏は「亡国のイージス」について「…ヨン様みたいに甘い言葉をささやくやつは一人も出てこないが、若い女性にぜひ観ていただきたい。そして男の本当の優しさと強さを学習していただき、将来の伴侶を選ぶ参考にしてほしい」とまず書き、冬のソナタの「ペ」を「甘い言葉をささやくやつ」と断じて、そんな男に何時までも夢中になっていないで男らしい男を選べとして、韓流を暗に批判し、韓国人男性と結婚を考えているを若い女性に「甘い言葉に騙されるな」とでも言いたいのあろう。まことに痛快である。

 さらに「…もし観終わった後で『しょうもない』とつぶやいたご婦人には入場料を返してもいい。まあ、それは冗談として、そんな婦女子はとっとと「冬ソナ」の舞台に地にでも出かけ二度と帰ってこなくても結構。口先だけの平和主義や左巻きの教条主義者の方々も同様だ。劇中に出てくる〝ヨンファンの国〟にでも再教育されにいってください。」と書いているが、これは自衛隊への取材を続けるうち、いかに国の守りが大事であり、そんな甘いものではないと実感したからであろう。

 このことは「冬ソナ」にいつまでも嵌っている女性達や、憲法第9条を守っていれさえすれば平和が巡ってくるような幻想に毎日うなされているような連中に対し、いつか訪れるかもしれない国家的危機に対して、どうすれば良いのか答えて欲しと問うているのである。自衛隊員達が流した汗や訓練が無駄になることが平和の証であるが、もしもの時のために敵と戦い、日本と国民を守るために死ぬ覚悟を持っている男達がいることを、平和を享受する国民はこの映画「亡国のイージス」を観て認識することが必要であろう。

 宮嶋氏は私と同じ韓流に嫌悪感を持っていたようだ。その韓国が13000トンの強襲揚陸艦を進水させるとのことで、艦名がなんと「独島艦」とか。どこまで日本国民をいらだたせるのか。他の艦名にしたらどうか。韓国は同艦を3隻保有する計画だそうだが、次ぎは「対馬艦」かも知れない。まったく「ふざけるな韓国!」と大声を出したくなる。
(2005/07/06) 

この記事は「今日のコラム」
「韓流に嵌る女性は「亡国のイージス」を観よ」
としてHPに掲載されていたものです。

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山際澄夫著「朝日新聞が中国を驕らせる」を読んで

2005年03月13日 22時58分12秒 | 書評・映画評
~反日反米反戦なら何でもありの朝日新聞批判の集大成~  

 「拉致の海流・個人も国も売った政治とメディア」「安倍晋三物語」などの著者として知られているジャーナリストの山際澄夫氏が、このほど日新報道から「朝日新聞が中国を驕らせる」とのNHKの番組改変問題で「政治家の圧力で番組が改変された」と報じた朝日新聞を痛烈に批判する本を出版された。

 山際氏はこの本の中で、朝日がメディアとして「不偏不党、公正中正」を装い、あたかも良識ある報道を行って来たかのように日本人を洗脳して来た実態を明らかにしており、その例として朝日は「平和と人権」がいかに大事であるかのように主張するが、支那(中国)や北朝鮮という共産党独裁国家の人権問題には無関心であり、北朝鮮により拉致された日本人被害者の救出にも冷淡であるとしている。

 しかし朝日は、日朝国交正常化の実現に向けた動きだけには熱心であり、拉致事件は「その障害となっている」との驚くべきことを社説に掲げたことなどの例からしても、必死になって日本を叩き、貶めることに熱心になっているだけの「日本と日本人の運命がどうなっても知らない」との恐るべき思想に凝り固まった反日メディアであると言われる所以である。

 日本を叩き、貶めることなら何でもありの朝日は、その力を借りるのは常に支那や韓国である。特に支那に媚びる姿勢は理解を超え、人民日報を読んでいるのか朝日を読んでいるのか区別がつかないほど酷似した記事を掲げており、「支那様のためには何でもいたします」と言う訳であろうか。これでは朝日の幹部連中が支那にご機嫌伺いに出向けば「朝日新聞の報道を嬉しく思う」などと言われているのでなかろうか。そんな朝日の報道姿勢に、支那が「日本の良識あるメディアが我々の主張と立場を理解しているのだから」として、驕り、傲慢な態度をわが国に示すようになってしまったのではないであろうか。

 山際氏はこの本の中で朝日新聞の記者の害毒を経験したとして、冷戦が終わり湾岸戦争が勃発した時に、総理官邸で行われた記者会見で、海部総理(当時)に朝日新聞の記者が、出来の悪い子を叱り付けるような口調で「自衛隊を海外に出していいのか」と追及したという。しかし、海部総理は言い訳をするだけで反論しなかったので、山際氏は「逆の立場から質問したい。自衛隊を派遣しなくても本当に日本の名誉は守れるのか」と質問したものの、総理はまたもやしどろもどろであったと書いている。

 要するに朝日新聞の賛成することはやってはならず、反対することは推進すべきあることは歴史の教訓として政治家なら分かっていなければならなかったのであるが、海部総理は結局は自衛隊を派遣せず、膨大な戦費を払わされ、世界の笑い者になったのは皆さんご承知の通りである。そして湾岸戦争が終わり、やっと海上自衛隊の掃海艇が派遣され、ようやく日本の貢献が国際社会から認知されたことから、海部総理を叱り付けた朝日新聞の記者に「朝日の方針に反して、自衛隊を派遣して良かった。各国から大変感謝された」と嫌味の一つでも言いたくなる。

 「朝日新聞が中国を驕らせる」が出版されたのは、NHKの番組改変問題を報じた朝日新聞の「安倍、中川両氏が、放送前にNHK幹部を呼びつけ番組改変させた」との記事の内容を巡り、関係者がことごとく否定しているにも関わらず、「記事の内容に自信を持っている」と抗弁するだけで、その根拠も示さず、黙り込んでしまった朝日新聞とは、今日までどのような報道姿勢をとってきたかの検証結果を明らかにすることが必要であると山際氏は考えたのであろう。

 政治まで左右されかねない朝日新聞の影響力はだいぶ衰退したとはいえ、まだまだ大きいことからして、山際氏が「朝日的な言論を打ち破らなければ日本が真の独立国家になることはないと確信した。」と断じるように、日本を呪い、同盟国である米国のやることなす事すべてに反発し、偽善の平和主義を唱え、支那に媚びる姿勢をとり続ける朝日新聞の影響力がまったくなくなるまで良識ある国民はしっかりとそれを認識した上で啓蒙を促して欲しいと思う。

 本書は序章「虚報の歴史」でNHKの番組改変問題を扱い、「第1章・強盗の論理にこびる」、「第2章・日の丸・君が代・靖国を憎悪」「、第3章・拉致事件で国を売る」、「第4章『反米』の遺伝子」、「第5章・呪われた平和主義」、「第6章・身勝手な国連好き」、「第7章・反自民、民主党に魅入る」からなっているが、非常に読みやすく、「朝日新聞は日本の報道機関ではない」との認識を持つことであろう。

 「第1章・強盗の論理にこびる」の中で朝日新聞がいかに支那を驕らせいるのか検証されているが、アジア杯での反日暴動は「もともと悪いのは日本だ」として民度が低くマナーを失した支那人を日本が批判することをたしなめ、わが国の領土である尖閣諸島を占有しようとして、領土問題など何もない所に敢えて波風を立てて譲歩を誘う支那の強盗の手口まで配慮して、日本政府の防衛努力を牽制する記事を書くなどしていることから、山際氏は「まさに売国的な新聞というしかない」と痛烈に批判している。

 「第4章『反米』の遺伝子」の中では朝日新聞の反米感情は根深く、冷戦中はソ連、支那、北朝鮮に軸足を置き、日米安保条約の改訂に反対してきたとし、その反面、支那、北朝鮮の脅威が迫っていても、どう対処するか何ら答えず、ただ同盟国である米国と日本を批判するだけであるとし、「戦争放棄をした憲法があるから日本の安全は大丈夫」と叫ぶだけの空想的平和主義をとってきただけではなかったのかと断じているのは痛快である。

 山際氏はあとがきの中で「終戦から60年、世界は確実に変化しているのにこうした特定のイデオロギー、感受性を持ったメディアがいまだに巨大な部数を持ち、政府や政党、それに教育の世界などに大きな力を持っていることをどう考えたらいいのだろうか」とし、「私は日本のマスコミの最大の偽善のひとつは、不偏不党を掲げ、客観報道を装いながら、実際には自分の都合のいいように世論の巧みに誘導することだと考えている」と述べているが、まったくその通りである。「世論は新聞が作るものだ。新聞によって世論操作ができる」との思い上がりが朝日新聞にはあると言う訳である。

 送っていただいた本書に山際氏の自記筆の手紙が添えられおり「安倍晋三、中川昭一という憂国の政治家を捏造記事によって嵌めるまでに堕した朝日新聞の報道を断罪するものです。朝日的な言論をうち破らなければ日本の戦後は終わりません」と書かれてあったが、朝日新聞が国民から信頼を完全に失墜し、購読者が激減して、ほとんどメディアとしての影響力がなくなるまで、憂国のジャーナリストと呼称しても差し支えない山際澄夫氏と共に、日本と日本人を貶めるに存在する朝日新聞の批判を続けたいと思う。

 本書は、懲りることなく何度も捏造記事を掲げる朝日新聞を嫌いになって、すでに購読していない人は「朝日を読んでなくて良かった」と思うであろうし、騙されて、いまだに購読している人はすぐに購読を中止したくなる「反日反米反戦なら何でもありの朝日新聞批判の集大成」と言えるであろう。
(2005/03/13)  

この記事は「私の主張」第235号
  山際澄夫著「朝日新聞が中国を驕らせる」を読んで
~反日反米反戦なら何でもありの朝日新聞批判の集大成 ~
としてHPに掲載されていたものです。

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山際澄夫著「安倍晋三物語」を読んで

2003年09月05日 22時42分24秒 | 書評・映画評
~拉致を安全保障問題としてとらえた国難に強い安倍晋三氏~

 恐るべきテロ犯罪国家である北朝鮮の脅威から「このままでは日本は危ない」という意識がわき起こり、戦後の日本にとって、以前では論議することすらタブー視され、長年の間放置されてきたと言っても過言ではない有事法制がやっと成立したことからして、ようやく国民の間に国家安全保障問題を真剣に考える時期が来たと言って良いであろう。

 国家とは国民の命を守り、また国民は自国に誇りを持つ事は当然のことであるのに、敗戦の後遺症からなのか、国家とは何か。主権とは何か。国益とは何か。国家の尊厳とは何か。と言ったことについて国民は真剣に考えて来なかった。「敗戦国のくせに」とか「過去の植民地政策による侵略を忘れたのか」と近隣の反日国から言われると、ひたすら謝罪外交を続け、援助というお金を贈呈し、波風が立つことを押さえて来た。

 特に北朝鮮に対する姿勢は「日本は果たして国家なのか」と言わざるを得ない態度を続けてきたとは全く情けない。政治家や外務省官僚の口から「北朝鮮を刺激してはいけない」という言葉を何度聞いたか分からない。東京裁判史観をいまだにずるずると引きずり、日本は謝罪していれば何事も丸く収まるとしているのである。であるから、祖国である日本に誇りを持つ意識もない者が国家国民を真剣に守ろうとは思わないのは当然すぎるほど当然である。

 今の日本は、北朝鮮により多くの同胞が拉致誘拐され、国家の主権が侵害され国民の命が守れない状態となっている。北朝鮮による拉致事件が明らかになった後でさえも、拉致被害者の奪還に真剣に取り組まず、「拉致問題は日朝間の障害だ」とか「植民地政策や強制連行の過去もあるのに、拉致被害者を返せとは言えない」と言った恐るべき発言をする人もいるとは驚きの何者でもない。

 山際澄夫氏の「拉致の海流」は、北朝鮮に拉致された同胞をあえて救おうとしなかった人々を徹底的に批判している名著である。政治家や外務官僚、マスコミが真剣に取り組んでいたならば、昨年(平成14年)9月17日に全国民が慟哭した酷い結果には至らなかったと思う。

 私は「拉致の海流」を読んで何度も涙をとめることが出来なかった。何の罪のない若者がある日突然に北朝鮮に拉致され、救出を待っているのに、これを見殺していたばかりか、その北朝鮮を賛美し、援助し、何ら拉致被害者の救出に取り組まず無視してきた人がいかに多かったかことに怒りを覚えた。山際氏が「こんな同胞を見殺したふざけた話があるか」と「拉致の海流」を著したことは同じ日本人として北朝鮮による拉致事件を検証しておくことは国民を守れなかった日本の安全保障はこれで良いのかという警鐘であると言えるのである。

 しかし、そのような情けない政治家ばかりではなかった。安倍晋三官房副長官という祖父が岸信介、父が安倍晋太郎という政治家の家で育った政治家が、外交のトップでありながら、あてにならない外務大臣や、外務省をしり目に毅然として北朝鮮外交を繰り広げていることに国民は大きな期待と尊敬のまなざしを向けている。

 その山際氏が、拉致問題を真剣に取り組み、国難に強い救国の男として安倍氏に注目し、長州三代目風雲児「信念を貫く政治家」として「安倍晋三物語」を書き下ろしたことは他の政治家にはないものを見い出したからであろう。安倍氏が拉致問題に取り組まなかったならば、いや、もし安倍氏が生まれて来なかったならば、いまだに戦後の贖罪史観を引きずっていたまま拉致問題は何ら進展しなかったのではなかろうか。

 今の政治家の中で吉田松陰、高杉晋作などと同じ日本民族の独立と尊厳を守るという気概を持つ人はいるであろうか。松陰、晋作らと同じ長州出身の安倍氏は、拉致問題は日本の安全保障に関わる問題としてとらえ、「国民を守れずして何が国家だ。国家とは国民を守るものではないのか」とし、日本はテロ国家である北朝鮮と対決するには、対話だけでは何ら解決しないとして、日米同盟の重要性を認識しているからこそ米軍によるイラク攻撃を支持し、米国の圧倒的な軍事力を背景に北朝鮮には「対話と圧力」が必要とした日米共通の認識を打ち出し、小泉総理に進言したのであろう。

 「安倍晋三物語」を読んで、このような日本の独立と尊厳を守ることが政治家の役目ととらえた人がもっと早く出ていたら、拉致問題はとっくに解決していたかも知れない。安倍氏は、拉致被害者を返さず、また日本を恫喝する北朝鮮から国民の生命や財産を守るのは国家でしかないとして、そのためには憲法改正と集団的自衛権の行使が目標であると考えていることは間違いないであろう。政治家は命がけで日本を守る使命があるのであり、このような時代に現れた安倍氏は、まさに現代の救世主と言ったら言い過ぎであろうか。

 「安倍晋三という政治家がいて良かった。もし、他の多くの政治家と同じように、安倍氏も拉致問題に無関心であったら、昨年10月の拉致被害者5名の帰国は実現しなかった」と思っている。日本の政治家は一体誰のために働いて歳費を貰っているのか。日本と日本国民を守るためではないか。そのためには命を掛ける気概が必要なのは当然であろう。

 今日、拉致被害者の家族から、一番信頼を得ているのは政治家では安倍氏であると言われることに他の政治家はどのような感想を持っているのであろうか。「安倍氏ははしゃぎ過ぎだ」「北朝鮮や朝鮮総連からの報復が怖いからな」などと考えていたり、また未だに贖罪史観のままではとても国家国民を真剣に守っていく意識も気概もない政治家と言えるだろう。

 山際澄夫氏は政治家とは国難に強くなければいけないして、拉致問題を安全保障問題としてとらえて活躍する安倍晋三氏を例にして「安倍晋三物語」を著した訳であり、このことは、拉致問題を日朝国交回復の障害としてとらえ、その問題の解決に冷淡であった日朝議員連盟所属議員やメディアなどに猛省を促したものと言えるであろうし、また、名著「拉致の海流」の続編と言っても差し支えないであろう。
(2003/09/05)  

この記事は「私の主張」第183号
  山際澄夫著「安倍晋三物語」を読んで
~拉致を安全保障問題としてとらえた国難に強い安倍晋三氏~
としてHPに掲載されていたものです。

   
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山際澄夫著の「拉致の海流」を読んで

2003年02月13日 16時53分01秒 | 書評・映画評

~北朝鮮を擁護した万死に値する反日日本人を痛烈に批判~  

 荒波とテトラポットが写った写真がカバーになっている山際澄夫著の「拉致の海流」を読んでみた。その写真は2002年11月15日に笛吹二郎氏が撮影したもので、11月15日とは、北朝鮮により、わずか13歳の横田めぐみさんが拉致された日であって、写真の新潟県寄居浜は、めぐみさんが拉致された海岸である。11月15日の日本海と言えば波がかなり高いだろう。その荒海の中、北朝鮮に向かう小さな工作船の船倉に40時間以上も閉じこめられ、「お母さん、お母さん」と叫んで、出入り口や壁をひっかき、北朝鮮に着いたら手の爪が剥がれそうになって血だらけだったいう。こんな非道なことが許されるであろうか。

 悪魔のテロ国家北朝鮮による拉致事件のことが、次第に明らかになるにつれ、昨年9月17日の小泉総理の北朝鮮訪問の前と後では、日本国民の中に主権とは何か。国を守る。国民を守るとは何かということについての考えが劇的に変化したことであろう。国民の心が一つとなり北朝鮮による罪なき同胞の拉致という蛮行を断じて許してはならず、また拉致被害者の家族がみせた北朝鮮とわが国を信じることなく、断固とした揺るぎない行動がようやく国を動かしたのだと言うことを忘れてはならない。

 国は拉致被害者を救えなかった。救う努力をしないばかりか拉致問題が、日朝国交正常化交渉の障害になると驚くべき放言をした官僚がいたり、政治家は北に米を贈呈し、また北を訪問しては、金独裁政権を礼讃した。マスコミ、学者、進歩的文化人は、北を擁護し、拉致問題をあえて無視し、北が「拉致はでっち上げだ」と言うがまま、それを信用し同胞を見捨てるという信じられない行動をとって拉致被害者の家族を冷淡に扱ってきたのである。

 拉致被害者に何の責任があると言うのか。その家族の陳情や要請をなぜ無視したのか。個人も国も売った政治とメディアとの副題がついた「拉致の海流」は、拉致被害者の救出に国をメディアも動こうとしなかった責任を徹底的に検証し、わが国のあり方を問うている。

 昨年10月20日の新聞各紙に掲載された「何故私たち皆が、自分たちの共同社会の出来事として、この人々の不在をもっと強く意識し続けることが出来なかったかとの思いを消すことはできません。今回の帰国者と家族との再会を喜びに思うにつけ、今回帰ることのできなかった人々の家族の気持ちは察するにあまりあり、その一入の淋しさを思います。」との美智子皇后陛下の異例とも言える談話を読んで、国やメディアが本気でこの問題に取り組んでいたら、あるいは拉致被害者は助かったのではないかと思わざるを得ないのである。美智子皇后陛下のこの談話を初めて読んだ時、涙が滂沱として流れ落ち、天皇皇后両陛下にご心痛をおかけし、拉致問題の解決に毅然と対応せず、国民を救おうとしなかった祖国日本の不甲斐なさに「こんなことが許されるのか」とさらに怒りを覚えた。

 この拉致の海流は、ベストセラーになり、全国の読者から感動や怒りの手紙が出版社に届いているという。政治家、エセ文化人、左翼マスコミを批判する方や、著者の怒り、鋭い観察力が出ていて感動したと言われる方、涙が出てしまった方など様々であり、私も読んでいて何度か涙が頬を伝わった。今まで、政治家、左翼マスコミなどに「反論したいことや、文句があるか。言い分ならいつでも聞いてやるぞ」とも言える程に徹底的に批判したこのような本が出たことがあるだろうか。

 この本は、様々な資料に基づき、拉致事件の解決を妨害し、日本国民より北朝鮮を礼讃し援助した個人も国も売ったA級戦犯リストとして、メディア、政党、組合、政治家、官僚、学者、文化人などを実名で取り上げ、日本を貶め、反日的言論を繰り返し、あえて同胞を救おうとしなかった不作為を追求している。北朝鮮を朝鮮民主主義人民共和国と呼び、北朝鮮に民主主義があるかのような幻想を振りまき、国民を飢餓に陥れ、批判を絶対許さない独裁政権であるのに、それを擁護してきた結果が、拉致被害者8人の死亡とはあまりにも酷いと言わざるを得ない。また、他にも拉致被害者いる疑いがあるのに北朝鮮は何も答えず、10月 15日に帰国した拉致被害者5人の家族の帰国は実現していない。そればかりか北朝鮮は別人の遺骨を返還したり、死亡診断書の偽造をしたり、あまりにも日本をバカにしている。

 この本の中で万死に値するA級戦犯リストとなったメディアは廃業か報道、放送責任者の辞職。政党、組合は解散。政治家、官僚は辞職して永久に公民権の停止。学者、文化人はペンを折ってそれぞれ責任をとって貰いたい。少し過激すぎる責任の取り方かも知れないが、その位の責任が十分あり、この拉致事件の被害者とその家族の無念さを思うに付け、この本の著者である山際澄夫氏が、気迫を込めて書き綴り突きつけたわが国のあり方に私達は応え、わが国が毅然として主権と国家、国民を守る気概を持つことが北朝鮮の地で果て、わが国の不作為によって犠牲となった同胞におくる鎮魂歌となるであろう。
(2003/02/13) 

この記事は「私の主張」第160号
  山際澄夫著の「拉致の海流」を読んで
~北朝鮮を擁護した万死に値する反日日本人を痛烈に批判~
としてHPに掲載されていたものです。

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畠奈津子著「拉致の悲劇」を読んで

2002年12月23日 23時54分50秒 | 書評・映画評
~主権国家として拉致問題の解決を国民に問う本~

 評判になっているという畠奈津子著「拉致の悲劇」を3軒ほど本屋をまわりやっと見つけ、早速読んでみた。この本は24歳という若き女性漫画家が書いた、北朝鮮による日本人拉致事件の恐怖の実態を描き、拉致事件を無視してきた政府、外務省や偏向マスコミ、北朝鮮に媚び売った政治家を徹底的に批判しており、まことに痛快で、漫画とはいえ、いま国民の関心を集めている拉致事件のことがわかり易く描かれていることから、是非お勧めしたい本である。

 内容はすべて実名で描かれており、北朝鮮に騙されて米を支援し、その結果何の成果も進展もなかった間抜けな政治家であった加藤紘一、野中広務、河野洋平の三氏のことや、不法入国した金正日総書記の長男の金正男を追いだすことを承認した小泉総理と田中真紀子前外相のことなどを痛烈に批判している。また逆に、拉致問題に熱心に取り組んでいた安倍晋三議員が間抜けな米支援推進派議員に怒りの声を浴びせたことなども描いている。

 マスコミ批判も凄まじいもので、金正日総書記が拉致を認め、拉致被害者が帰国してからはマスコミは手のひらを返すように拉致問題を取り上げているものの、この本の中では「NHKが、世論を代表する朝日新聞が20年以上も黙っていたんじゃないの」と手厳しい批判をしている。また、今まで多くの方が一生懸命街頭署名活動をして拉致問題を訴えてきたのに、「拉致は疑惑でしかない」と北朝鮮のスポークスマンみたいなことを言ってきた左翼政治家への批判も忘れてはいない。

 このように、日本人拉致問題を取り上げず放置してきた元凶はマスコミと左翼政治家にあり、それは今でも変わらず北朝鮮のことを必ず「朝鮮民主主義人民共和国」と言い直すことは、北朝鮮が民主主義の国であると日本国民を洗脳しており、「悪に屈しない!正義の報道!天下の公器!」などと言ってもマスコミは北朝鮮のメディアだと断じている。

 この本には、「日朝交渉の気概を問う」との副題が付いているが、日本は主権国家としてこの問題を解決する気があるかも問いている。昭和53年7月に中東のレバノンで女性4名が北朝鮮に拉致された事件があり、うち2人はベオグラードのクウェート大使館に何とか逃げ込み保護されたが、この2人の話から自国民が拉致されている事実を知ったレバノン政府は、北朝鮮に対し「2人のレバノン人女性を帰国させろ。断るなら、あらゆる手段を使ってわが国の国民を奪還する」と強硬に申し入れ、その奪還に成功している。それが主権国家、独立国として当然であり、国民を守るのが国家であって、それにひきかえ、同胞を見殺しにしてきたわが国は、国家の体をなしていないのである。

 自国民が拉致されていることが分かったならば、主権国家、独立国として軍事力の行使を選択肢に含んだ拉致被害者の奪還をすべきではないであろうか。また、その位の気概がないとあの国とは交渉など出来るはずはない。

 本の中に書かれているが、そのような気概のない政治家が、自衛隊に対して拉致被害者の奪還作戦を命ずることはないであろうと言っており、持っていながら使えない武力を使わずして拉致被害者を奪還するには次の4点を提案している。

 1、北朝鮮に米を支援しない。
 2、在日朝鮮人の出入国を制限する。
 3、麻薬などの密輸の温床になっている万景峰号の出入国を認めない
 4、朝鮮総連からの北朝鮮への送金を禁止し、破綻した朝銀への公的資金を投入しない。

の4点で、これを実行するだけで、拉致被害者を奪還することが出来るのではとしている。

 この本の著者は、まえがきの中で、「日本政府をはじめ、警察庁や海上保安庁そして国民を守ってくれるはずの自衛隊の幹部の方々には、拉致された御家族の方々の心中を察して頂き、1日も早い立派な主権国家としての解決を図って欲しいと念願しています」と言っており、また本の最後の方では「フリーパスの万景峰号の積み荷は自衛隊を動員して完全チェックすべきである」「日本人を拉致する事は日本国家の主権侵害!防衛出動をせねばならない事件である!」とも書いている。

 若い女性であるこの本の著者が、誰も言わないこれだけの事が書いたことは、平和ボケし、事なかれ主義を貫いてきたわが国の政治体制に警鐘を鳴らしており、同胞を守れない、救い出せない国が果たして主権国家であるのかとして、その元凶は憲法とは言えない占領基本法にあることを知って貰いたいと訴えている。本当に、たかが漫画、されど漫画である。

 戦後、左翼イデオロギーを吹聴して主権国家としての日本の足下をすくい歪めてきた偏向マスコミが、拉致問題の解決を妨害して来た責任も大きい。この「拉致の悲劇」は、主権国家として、これからの日本が国家国民を守るとは何か、その気概を問う必読の書である。
(2002/12/23)           

この記事は「私の主張」第154号
 畠奈津子著「拉致の悲劇」を読んで
~主権国家として拉致問題の解決を国民に問う本~
としてHPに掲載されていたものです。

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もう3回も見た映画「宣戦布告」

2002年10月25日 23時05分29秒 | 書評・映画評
  やはり良い映画が何度見ても良い。今上映されている明日にでも起こりうる有事法制なき日本の危機を描くリアル・シュミレーション映画「宣戦布告」も私が見た映画の内のベストテンに入る面白さである。もう3回見ているが、そのたびに感動していまう。映画のような事態が現実に起きたとき、政府、自衛隊、警察などは 果たして適切に対応で出来るであろうか。実際はもっと悲惨な状況になることを危惧している。力のなさ。あっても使えない法の不備などで、危機に際しては超法規的な行動を取らざるを得ないであろう。有事とは、法が想定していない事態だと思う。この映画は国家国民を守るとは何か深く考えさせられる。要必見の映画である。
(2002/10/25)

この記事は「今日のコラム」
もう3回も見た映画「宣戦布告」
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映画「宣戦布告」を鑑賞して

2002年10月07日 22時41分55秒 | 書評・映画評

~明日にでも起こりうる有事法制なき日本の危機~  

 10月5日から、有事法制なき日本の危機を描いたリアル・シュミレーション映画「宣戦布告」が公開された。この映画は麻生幾著の同名の小説を映画化したもので、私はその小説を読んでいるが、フィクションとは思えない、リアルさと緊迫感があり、繰り返して読んでしまい、是非、この小説を映画化して貰いたいと思っていた。それが今回、石侍露堂監督により3年の歳月をかけて映画化されたことは大変嬉しい事である。

 映画は、国籍不明の潜水艦が原発銀座である敦賀半島の海岸で座礁し、北朝鮮の武装工作員が上陸し、姿を消したことから始まる。通報を受けた福井県警は機動隊を出動させ、潜水艦の内部を調査すると、数丁の銃器と銃殺された乗組員の死体が発見され、その他の遺留品から北朝鮮の潜水艦であることが明らかになる。映画では北東人民共和国となっているが、北朝鮮であることは誰が見ても分かるだろう。まもなく付近の検索によって潜水艦の乗組員と思われる男1人が確保されるが、その供述から、侵入したのは、軍事組織である偵察局所属の11名で、ロケット砲、重機関銃、手榴弾などで武装していることが判明した。

 警察庁長官は、侵入したのは特殊部隊の可能性があるとして、防衛庁の協力が必要との意見を出すが、政府は、「自衛隊出動は時期尚早」として、警察の特殊部隊SAT投入した。SAT隊員からの「敵・工作員は発見次第射殺せよと命令を出してもらわないと、隊員の安全が確保出来ない」との意見具申から、福井県警本部長から射殺命令が発令され、SATの作戦行動が開始される。しかし、諸橋総理(古谷一行)は、“上陸ゲリラに射殺命令”という新聞のスクープ記事を見て、射殺命令の撤回を現地対策本部に向けて発した。まさにその命令が、SAT隊員に届いた時、山中に潜んでいる武装工作員を発見し、自動小銃の照準を合わせていた時であった。その瞬間、射殺命令解除が悲劇を呼び、武装工作員がSAT隊員に向けてロケット砲を発射し、隊員は両足を吹き飛ばされて、小隊長の腕の中で、胸のポケットに入れていた、愛妻と幼い我が子の写真を見ながら殉職する。

 警察はSAT部隊の撤退を命じ、総理に自衛隊の出動を要請した。「しかし、自衛隊を動かせば、北に『宣戦布告』したことになる」との外務大臣の意見や有事法制がないため、自衛隊を出動させても十分な活動ができないとの意見など、様々な意見が交わされていたが、日本国憲法の解釈や関係省庁の縄張り、野党の反対などもありなかなか結論は出ない。そこへ、民宿を営む夫婦の射殺死体が発見されたとのニュースが入る。それでも、自衛隊を出動させるか否かの決断を迷う総理は、内閣情報調査室長(夏八木 勲)に意見を求めると「自衛隊の最高指揮官は、総理あなただと言うことだ。決定するのはあなたしかいないと言うことだ。それがイエスであれノーであれ、私はその決定に従います」と言うと、総理はひとりで官邸執務室に籠もり悩むことになる。原作では、妻から「どうせ行くも地獄、帰るも地獄でしょ。だったら前に進むしかないじゃないですか」と言われたことが自衛隊を出動させる決断になっており、思わずニヤリとさせられる。

 閣議で自衛隊に治安出動命令を発することが決定されるが、総理は、こちらからの先制攻撃はしないという姿勢は崩さなかった。

治安出動命令を受けた自衛隊は、作戦計画を作成するが、原作(下巻44ページ)には

治安出動の関する作戦計画
作戦暗号「はぎ」
1 陸上自衛隊 

* 出動部隊 三個普通科連隊、後方支援連隊、戦車など1個師団、中部方面航空隊 関西地区弾薬補給所、自衛隊阪神病院
* 出動隊員 普通科部隊隊員を始め、医官と看護婦など支援要員を含めた6千2百名
* 出動車両 九六式装甲車十五台や八七式偵察警戒車を始めとする千二百台
* 航空部隊 第五対戦車ヘリコプター隊十機を含めたヘリコプター八十機

2 海上自衛隊 

* 出動隊員 海上自衛隊隊員二千五百名
* 出動部隊 護衛艦十四隻 潜水艦四隻
* 舞鶴地方隊 第二護衛隊の護衛艦3隻 第三一護衛隊の護衛艦3隻
* 自衛艦隊 第三護衛隊群第三護衛隊、第七護衛隊及び第六三護衛隊の護衛艦8隻
* 潜水艦隊 第一潜水隊群の第一潜水隊と第五潜水隊四隻
* 航空部隊 哨戒機Pー3C

 と書かれている。この映画が自衛隊の協力をまったく得られなかったとのことで、もし自衛隊の協力が得られたならば、この出動場面が一番迫力がある見せ場になったことであろう。  

 SAT隊員に代わり出動した陸上自衛隊の普通科連隊の小銃小隊は、敦賀半島の山中で武装工作員の検索を行っていたが、武器の使用が制限されている中、トンネル内で武装工作員と遭遇し、無線で応戦の許可を問うも、上官からの返答がなく、応戦しないまま自衛隊員たちは次々と倒れ戦死する。  

 陸上自衛隊普通科連隊の連隊指揮所では連隊長と防衛庁・防衛局員が武器の使用を巡って対立し、防衛局員は作戦の一時停止を進言し、総理官邸の危機管理センターでも、武器の使用を巡る法令の解釈について不毛な議論をしていたが、その間にも現場では、自衛隊員たちが次々と倒れていく。普通科連隊の連隊長は、多くの部下が戦死しているのに、決断しない政府や法令の解釈を無視して、ついに各隊員に小銃及び手榴弾の使用を許可し、対戦車ヘリコプター・コブラの出動命令を出す。炭焼小屋に潜んでいた武装工作員は、対戦車ヘリコプターのバルカン砲で殲滅される。大量の火薬を使ったそのシーンは圧巻である。

 そのころ、自衛隊の出動は「宣戦布告」になるとの外務大臣の進言が現実となり、北朝鮮は核ミサイル発射体勢に入り、アメリカ太平洋艦隊が出動し、韓国は戒厳令を布告、支那はデフコンをレベル1として、ミサイル駆逐艦とフリゲート艦を出動。フィリピン、カンボジア、ベトナムなど各国が戦闘態勢をとる。しかし、突然、北朝鮮は核ミサイル発射体勢を解除する。それは、北朝鮮の工作員に「アメリカが北の首脳部を爆撃する」というニセ情報を内閣情報調査室が流した事からであり事態は沈静化する。

 日本武道館で行われた追悼式で、新聞記者から、「たった1隻の潜水艦で、アジア全体が緊迫し、首相が辞任するまでに追い込まれるなど、この国は異常だと思いませんか」と問われた諸橋総理は、「この国が異常だと思っているのは、君だけじゃない」と話して映画は終わる。 

 以上がこの映画のあらすじだが、あとは北朝鮮の工作員に対する警視庁公安部との息詰まる対決なども描かれている。

 映画が終り、タイトルバックが流れ出しても、ほぼ満員の館内は静かで、席を立つ人もなく、おそらく、多くの方は、この映画のようなことが、現実に起こりうることであり、その時に果たして政府や、この日本が対応できるかどうか考えさせられたのではないかと思う。

 SAT隊員が武装工作員が発射したロケット砲の直撃を受け両足を吹き飛ばされて、小隊長の腕の中で、胸のポケットに入れていた、愛妻と幼い我が子の写真を見ながら殉職する場面や、総理が自衛隊の出動を決断する場面、テント内に安置されていた武装工作員の遺体を自衛隊員が敬礼をした後に運び出す場面などに思わずジーンとし、涙を流してしまった。有事法制がなく、いやあったとしても、映画のように警察官、自衛隊員に多数の犠牲者が出ることを、覚悟しておかなければなるまい。

 石侍露堂監督は有事法制について「日本が独立国家として成り立つために、有事法制は必要です。現在、国会で論議されている法案の内容は十分なものではないと思っています。反対する人たちは、個人の自由や財産が制限されると言ったりしていますが、攻めてくる敵が自由や財産を保障してくれると本当に思っているんでしょうか?『国』を守るとか『愛国心』というと、偏った見方に捉える傾向にありますが、国や社会の共同体に一員として、所属するコミニュティ-に対して奉仕するのは当然のことでしょう。今の日本で『国のために犠牲になる』なんて言えば、白い目で見られてしまいますが、ボランティアという言葉が『志願兵』から来た言葉だということを良く吟味してみると、国が犠牲を強いるのではなく、国(共同体)のために、自ら進んで犠牲となる国民を持つ国家は幸せだということになるのではないでしょうか」とインタビュ-に答えている。

 有事法制に反対する人は、この映画を是非観賞して欲しい。たかが映画とは思えないリアルさで有事法制なき日本の危機を描いているからであり、それでも、この法制に反対するのは、攻めてくる敵は自由や財産を保障してくれると思っているのであろう。この映画と同じことが隣国の韓国で起きており、その時も多くの韓国軍の兵士が戦死していることは記憶に新しい。

 この映画を作成するにあたり、自衛隊の協力が不可欠であったが、石侍露堂監督の話によると、「政治に影響が出る」「防衛庁事務次官がスパイであるとの設定」「自衛隊員が死ぬのは良くない」等の理由から得られなかったとのことである。自衛隊は、このあまりもリアルな映画の製作に協力して、マスコミや世論の批判が怖かったのであろうか。自衛隊が製作に協力していれば、さらなるリアルさと、迫力ある映像で迫る日本の危機が描かれたことであろう。残念でたまらない。

 北朝鮮の金正日総書記は9月17日の日朝首脳会談の席上で、武装工作船による工作活動はやめると言っているが信用できないし、今後も、この映画のような潜水艦による工作活動は続けるであろうことが予想される。

 久しぶりに感動する良い映画を見た。石侍露堂監督始めスタッフの皆さんありがとう。また出演した皆さんありがとう。そして、なるべく早くDVDディスクを発売して頂きたい思う。
(2002/10/07)

この記事は「私の主張」第145号
「映画『宣戦布告』を鑑賞して」
~明日にでも起こりうる有事法制なき日本の危機~
としてHPに掲載されていたものです。

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映画「突入せよ!あさま山荘事件」を鑑賞して

2002年05月25日 20時30分52秒 | 書評・映画評
~治安の礎となられた殉職者を悼む~

   5月11日から公開されている、佐々淳行著の「連合赤軍あさま山荘事件」を原作にした原田眞人監督、役所広司主演の映画「突入せよ!あさま山荘事件」を観賞してきた。最初は、酪農家の納屋を検索中の警察官が、中に潜んでいた連合赤軍を発見して銃撃戦となるシ-ンで始まり、最後は殉職した警察官の葬儀の場面で終わった。

 約2時間ほどの長い映画だが、まず連合赤軍という極左暴力集団がなぜ生まれ、どのような組織で、どのような反社会的な活動をしていたのか、まったく描かれておらず、警察庁、警視庁と長野県警との縄張り争いを面白おかしく描いていることが中心となっており、殉職した警察官の葬儀の場面は、佐々氏の回想シーンで数秒間出て来るだけである。

 これでは、なぜ警察は2名の殉職者や多くの負傷者出しながら、10日以上もかけて無名の主婦を救出したのか分からないし、殉職者の遺族の方、また、すでに退職されておられる方が多いと思うが、当時の機動隊員や関係者の方々がこの映画を鑑賞しても、極左暴力集団に命を掛けて立ち向かったことへの誇りをうち砕くような流れになっていることである。  

 この映画を作った目的は、このような事件が30年前にあったことを多くの方に知って欲しかったからであろうが、それならば、その時代の背景や、このような極左暴力集団に同調した論調を繰りかえしていたマスコミ、またその後、発覚した仲間へのせい惨なリンチ事件などにも触れておく必要があり、そうすれば、さらに良い映画になったであろう。

 山荘への突入が決まった時、人質になっている妻の安否を心配し泣き崩れる山荘管理人に機動隊員が「俺が助けてやるから」と話す場面や、命を落とすかもしれないのに「俺が行かなければ、誰が行く」と自ら志願して突入する機動隊員がいたり、佐々氏から「指揮官標示を外せ」との指示を受けながら「士気にかかわります。このままでやります。死ぬなら私が一番先ですね」と言って現場に赴き、狙い撃ちをされ、殉職してしまう警視庁の機動隊長などの場面では思わず涙がこみあげて来る。

 当時の時代考証、警察の装備や、無線交信の方法、突入シーンなどは違和感はなく、良く再現されていると思う。また、映画を見た方はお気づきになったと思うが、この映画の原作者の佐々淳行氏が、一瞬だけ顔を出す場面がある。この映画を鑑賞された小泉首相が、同席した佐々氏に殉職者の慰霊祭への参列を約束したとのことであり、どこの国でも国のため、社会のために殉じた人を最大限の敬意をもってお慰めすることは当然であると思う。

 映画「突入せよ!あさま山荘事件」が、治安の礎となられた殉職者の御霊を慰め、今日、平和を享受する私たちが鎮魂を込めておくるようなものになっておらず、警察内部のごたごたを中心に描いた単なる娯楽映画になってしまっていることは残念でたまらない。
(2002/05/25)  

この記事は「私の主張」第115号
「 映画『突入せよ!あさま山荘事件』を鑑賞して」
~治安の礎となられた殉職者を悼む~
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映画「鉄道員」を鑑賞して

2002年03月31日 20時55分00秒 | 書評・映画評
 高倉健主演の映画「鉄道員」を鑑賞してきた。映画が終わり、出演者名とスタッフ等の名前のタイトルが始まっても、席を立つ人はなかった。爽やかな感動につつまれた場内は、話しをする人もおらず、場内が明るくなって、外に出た後、すぐトイレに行ったが、私の横にいた60歳位の男の人は、風邪のひいているのか、しきりに鼻をすすってした。 

 映画のストーリーは鉄道員として定年をまもなく迎える主人公に、奇跡が起きるという物語で、 一言でいうと「こんな良い話しがあるのか」ということである。幼い時に亡くなった娘が成長し、その姿を主人公に見せに来るという物語で、そんなことはあり得ないと言えば、確かにそうだが、その奇跡の後にすぐ主人公が駅のホーム倒れて殉職してしまう訳で、その死の寸前に見た夢がこの奇跡であったのではないかと思った訳である。

 広末涼子が扮する、亡くなった雪子という名の娘が成長し、高校生の制服姿で現れ、駅で仕事をしている主人公のところに会いに来て、食事を作り、その味付けが亡くなった主人公の妻の味付けと同じであったことから、その娘が亡くなった雪子であると気づくのである。広末涼子の清楚なセイラー服姿や、「お父さん、ありがとう」には泣かせる。
(1999/05) 

この記事は「私の主張」第98号
「 映画『鉄道員』を鑑賞して 」
としてHPに掲載されていたものです。
なお、かなり前に書いたものであるため、作成日の記録が見
つからず、作成年月のみの記載となります。またアーカイブ
として作成年で登録するとエラーとなるため暫定的に2002年
3月に作成したものとして登録しています。また、この記事
以前のものも同様です。

         
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