写真:東日本大震災の自衛隊の炊きだの光景(何度も見ている写真だが、こちらまで涙があふれてくる)
平成23年(2011年)3月11日に発生した東日本大震災から今年(令和3年・2021年)で10年が経過した。この地震による死者は1万5899人、行方不明者は2526人(3月1日現在)にもなるとのことで、今でも東北地方の沿岸を襲った大津波の映像を鮮明に覚えており、もし、震源が深くて津波がなければ、これほどの死者と行方不明者を出すこともなかったであろう。
「天災は忘れた頃にやってくる」とは物理学者であり防災学者でもある寺田寅彦が残した警句であり、だから、東日本大震災の規模から大津波が来る可能性が高いとして、すぐに高台などに避難していれば犠牲者は遥かに少なかったであろうし、もし津波が来ても「たいしたことはない」と避難しなかった方は、東北地方が過去に何度も津波に襲われて大きな被害を出している歴史を忘れてしまったのであろうか。
日本は災害の多い国であり、そのような現場には自衛隊が災害派遣要請を受けて迅速に活動を開始しているが、東日本大震災では東北各県の知事による要請はまさに即であったし、自衛隊としても地震の規模から大きな被害が予想されるとして、同じく即活動を開始していることから、津波に流されたり、建物の屋上などに孤立していた1万人以上を救出したそうである。
阪神大震災では、貝原兵庫県知事(当時)が自衛隊に災害派遣要請をしたのは地震発生から4時間後であったことから、助かる命も助からなかった訳だが、その要請も貝原知事からではなく、自衛隊側から防災担当の係長に対して「この電話をもって派遣要請と受け止めて良いか」と話したことから、それを貝原知事に伝えたにすぎず、だから貝原知事自身が派遣要請したのではなく、事後承認であった。
ジャーナリストの池上彰氏はあるテレビ番組で「貝原知事はすぐにでも要請したかったが、電話が通じず、ようやく8時に通じたがすぐに切れてしまった。10時になって再び通じたので要請した」と語っていたが、地震直後の別な番組で貝原知事と防災担当の係長が語っていた前述した自衛隊側とのやり取りとは明らかに異なるし、そうなると池上氏は嘘を付いていることになる訳で、おそらく自分で調べないで、渡された台本通りに話しているからであろう。
池上氏は他にも嘘を付いており、東日本大震災で最初に駆けつけたのは韓国の救助隊とか言っているが、実際は台湾の救助隊が先に行動を開始したものの、それを足止めしたのは民主党政権であり、要するに韓国を優先した訳で、では、その韓国の救助隊はどこの被災地で、どのような活動をしたのか何ら報道されていないのに池上氏は知らない訳はないからである。
韓国の救助隊は被災地に着いたものの、連れてきた救助犬が逃げ出したことで、その捜索を行っている最中に姿がなくなり、1週間後に新潟県の温泉地で湯治をしていることがバレて韓国に逃げ帰ってしまったそうで、だから何もせず、日本に遊びにきただけの救助隊だった訳で、まったく恥ずかしい話ではないか。
韓国に関することで心温まる話はないが、東日本大震災では米軍が行った「トモダチ作戦」と呼称された支援活動が世界最大であった。その作戦に従事した米軍兵士が感銘したのは、何もかも失われた被災地で、日本人は整然と列を作って支援物資を受け取り、そして分け合っているからで、他の国では奪い合いが起こるのは普通だそうだが、日本人だけは違っていたのであり、民度の違いや高さを知って改めて日本を好きになった米軍兵士が増えたことであろう。
また東日本大震災の際に、台湾から250億円を超える義援金が寄せられたことは日本人は永遠に記憶にとどめる必要があり、義援金らしいものを集めながら、日本に送らず、他の用途に使ってしまった韓国と異なり、台湾の人々は「困ったときはお互い様」を実践してくれたことは何ともありがたいことではないか。
当然ながら、多くの日本人は、もし台湾で困ったことがあれば助けて恩返しをしたいと思っていたであろうから、3月1日から支那が台湾産のパイナップルを禁輸措置したことで、行き場を失ったパイナップルが日本で爆売れしているのはささやかな恩返しと言っても良いし、韓国は無視すれば良いが、台湾への恩返しはこれかも続けて行きたいものである。
(2021/03/13)