多くの国民は民主党の無能ぶりにもはや呆れて果てているであろうが、党所属議員が街頭演説などをすれば、「詐欺師」「嘘つき」「解散しろ」などと罵声を浴びられているようで、政権を担当することは簡単ではないことが分かっであろうから、早く解散して楽になった方が良いのではなかろうか。
偏向マスコミは民主党政権が誕生する前までは、常に政権政党を批判するのが使命だと言っていた気がするが、ところが民主党政権になってからは、誕生させるために持ち上げる報道放送を繰り返したことからなのか、批判を手控えるようになり、大きく報道すべきことでも敢えて無視しているようが気がしてならない。
民主党政権が続く限り、誰が総理になろうと、日本は衰退する一方であろうし、その証左に民主党の代表に選出され総理になった鳩山、菅、野田の三氏でさえ、あの程度の頭であるからで、だから、他の民主党議員の程度はそれ以下なのは間違いない。また、ほとんどの議員は何らかの問題を抱えているようで、それも偏向マスコミの暖かい支援を受けてほとんど報道されないようである。
政権公約を守らない民主党から逃げ出す人も出始めたようで、離党届を提出した9人の名前を見ても、どんな顔をしているかも分からないが、離党した後に新党を結成したとしても、元民主党は消えないからして、国民の目が厳しく光っていることを覚悟しておいた方が良いだろう。
民主党が野党時代にやっていたことは自民党批判だけだったことが、政権与党になって分かったと言えるし、政権交代を叫びながら、もし政権を担当するとなれば、しなければならない勉強すらもしていなかったようで、大臣になった者でさえ、勉強しておらず、素人だと公言し、それを恥とも思わないのだから話にならない。
野田政権は3月までではないかとの話が出ているが、次期衆院選で、民主党が全滅しないためには一日でも早く退陣した方が良いし、ポスト野田もありえない。政権のたらい回しなどもってのほかである。おそらく民主党は次期衆院選で勝てないであろうが、だからと言って与党の内に売国法案を強引に成立させようとするなど愚かなことはするなと言いたい。
(2011/12/31)
近代史100年の日本:
「東アジアの植民地、500年を解放した大東亜戦争」
「本当の被害者は日本人であった」
(渡部昇一氏、谷沢永一氏、黄文雄氏、蔡コンサン氏の著書などから引用)
この資料はサイトを訪問されたHN愛知県匿名様から提供されたものです。
この記事は「各種資料集」としてHPに掲載されていたものです。
台湾前総統の李登輝氏が十二月二十四日慶応義塾大学の大学祭「三田祭」での講演を想定した原稿の全文は次の通り。原文は李登輝氏が執筆した旧漢字かな遣いの日本語だった。
経済新人会の森本代表、三田祭幹事会の皆様、ご来賓の皆様、こんにちは! ただ今ご紹介を受けました李登輝です。
この度、三田祭開催を前にして、金美齢女史と経済新人会の森本代表、河野先生が十月十五日にわざわざ台湾にいらっしゃいました。そして私に三田祭、経済新人会主催の講演で「日本精神」について話して貰(もら)えないかと招聘(しょうへい)状をいただきました。私はこれは難しい題目だなあと知りながら、しかし、即座によいでしょうと返答しました。これにはいろんな理由があります。
一つは三田祭幹事会の皆さんが若き学生であり、そして日本精神について知りたいということは、日本の現状と将来について、考えに考えたあげく、この問題を私に求めたものと思います。こんな立派な若者が日本にたくさんいることを知り、すっかり私の心を打つものがありました。
第二に私は、かつて日本の植民地・台湾で生まれ、かなり日本および日本についての教育を受け、最近はまた、新渡戸稲造氏の武士道、すなわち日本人の精神について、その解題(分析)を書き、日本精神についてかなり考える機会を与えられました。
いま、私たちの住む人類社会は未曾有の危機に直面しています。地球規模の大戦や骨肉相食(は)む血みどろの内戦や紛争の二十世紀が終わり、平和や繁栄の時代が到来したと安堵(あんど)したのも束(つか)の間、世界ではますます不穏が続き、二〇〇一年の九月十一日にニューヨークやワシントンを多発的に襲った未曾有のテロ事件が発生しました。
まさに、人類社会自体が危機竿頭(かんとう)の大状況に直面しているときだけに、世界有数の経済大国であり、平和主義である「日本および日本人」に対する国際社会の期待と希望は、ますます大きくなると断言せざるを得ません。
数千年にわたり積み重ねてきた「日本文化」の輝かしい歴史と伝統が、六十億人の人類全体に対する強力な指導国家としての資質と実力を明確に示しており、世界の人々から篤(あつ)い尊敬と信頼を集めているからです。
“日本精神”は絶対不可欠な精神的指針
この指導国家の資質と実力とは何でしょう。
これこそは日本人が最も誇りと思うべき古今東西を通じて誤らぬ普遍的価値である日本精神でしょう。人類社会がいま直面している恐るべき危機状態を乗り切っていくために、絶対必要不可欠な精神的指針なのではないでしょうか。
しかるに、まことに残念なことに一九四五年以後の日本において、このような代え難い日本精神の特有な指導理念や道徳規範が全否定されました。日本の過去はすべて間違っていたという「自己否定」な行為へと暴走して行ったので
す。
日本の過去には政治、教育や文化の面で誤った指導が有ったかもしれませんが、また、素晴らしい面もたくさんあったと私はいまだに信じて疑わないだけに、こんな完全な「自己否定」傾向がいまだに日本社会の根底部分に渦巻いており、事あるごとに、日本および日本人としての誇りを奪い自信を喪失させずにおかないことに心を痛めるものの一人であります。これらが、私をして三田祭講演の招聘状を即座に承諾させた理由でもあります。
皆様に日本精神は何ぞやと、抽象論を掲げて説明するだけの実力を私は持っておりません。(司馬遼太郎の著書「台湾紀行」に“老台北”として登場する実業家の)蔡焜燦(さいこんさん)さんの書かれました「台湾人と日本精神」みたいな立派な本をもって説明することもできません。私としては日本の若い皆さんに、私が知っている具体的な人物や、その人の業績を説明し、これが日本精神の表れです、普遍的価値ですと説明した方が、皆さんにもわかりやすく、また、日本人としての誇りと偉大さを皆で習っていけると考えるものでありま
す。
台湾の水利事業に尽くした故八田與一氏
台湾で最も愛される日本人の一人、八田與一(はったよいち)について説明しましょう。
八田與一といっても、日本では誰もピンとこないでしょうが、台湾では嘉義台南平野十五万町歩(一町歩はおよそ一ヘクタール)の農地と六十万人の農民から神のごとく祭られ、銅像が立てられ、ご夫妻の墓が造られ、毎年の命日は農民によりお祭りが行われています。彼が作った烏山頭(うざんとう)ダムとともに永遠に台湾の人民から慕われ、その功績が称(たた)えられるでしょう。
八田與一氏は一八八六年に石川県金沢市に生まれ、第四高等学校を経て一九一〇年に東大の土木工学科を卒業しました。卒業後まもなく台湾総督府土木局に勤め始めてから、五十六歳で亡くなるまで、ほぼ全生涯を台湾で過ごし、台湾のために尽くしました。
一八九五年に日本の領土になったころ、台湾は人口約三百万人、社会の治安が乱れ、アヘンの風習、マラリアやコレラなどの伝染病などの原因で、きわめて近代化の遅れた土地であり、歴代三代の台湾総督は抗日ゲリラ討伐に明け暮れた時代でありました。第四代の児玉(源太郎)総督が民政長官の後藤新平氏を伴って赴任した一八九八年ごろに、台湾の日本による開発が初めて大いに発展しました。
八田與一氏が台湾に赴任するのは、後藤新平時代が終了した一九〇六年以降のことです。後藤新平時代に台湾の近代化が大いに進んだとはいえ、以前があまりに遅れていたこともあり、八田氏が精力を傾けることになる河川水利事業や土地改革はまだまだ極めて遅れていました。
台湾に赴任してまもなく、台北の南方、桃園台地を灌漑(かんがい)する農業水路の桃園大[土川](たいしゅう)の調査設計を行い一九一六年に着工、一九二一年に完成しましたが、灌漑面積は三万五千町歩でありました。これが今日の石門ダムの前身であります。
この工事の途中から旧台南州嘉南大[土川]水利組合が設立され、八田氏は総督府を退職して組合に入り、十年間をその水源である烏山頭貯水池事務所長として、工事実施に携わりました。嘉南平野十五万町歩を灌漑するために、北に濁水渓幹線、南に烏山頭ダム幹線の二大幹線を築造し、曽文渓からの取水隧道(しゅすいずいどう)によってダムに一億六千万トンの貯水を行ったものであり、土堰堤(どえんてい)築造工法としてセミハイドロリックフィル(反射水式)工法が採用されました。
この工事の完成によってほとんど不毛のこの地域十五万町歩に毎年八万三千トンの米と甘蔗(かんしゃ)=サトウキビ=その他の雑作が収穫されるようになりました。
その時分では東洋一の灌漑土木工事として、十年の歳月と(当時のお金で)五千四百万円の予算で一九三〇年にこの事業を完成したときの八田氏はなんと、四十四歳の若さでありました。嘉南大[土川]の完成は世界の土木界に驚嘆と称賛の声を上げさせ、「嘉南大[土川]の父」として六十万の農民から畏敬(いけい)の念に満ちた言葉で称えられました。
八田與一氏への恩を忘れないようにしたのは何でしょうか? 古川勝三氏の著作からの引用ですが、八田與一があの若さでこの偉大な仕事を通じて台湾に残したものが三つあると思います。
ひとつは嘉南大[土川]。不毛の大地といわれた嘉南平野を台湾最大の穀倉地帯に変えた嘉南大[土川]を抜きにして八田氏は語れません。二つ目は八田氏の独創的な物事に対する考え方です。今日の日本人が持ち得なかった実行力と独創性には目を見張るものがあります。三つ目は八田氏の生き方や思想は、我らに日本的なものを教えてくれます。
これら諸点について具体的な諸事実を並べて話しましょう。
一、まず嘉南大[土川]の特徴についてみましょう。(1)灌漑面積は十五万町歩、水源は濁水渓系統五万二千町歩、烏山頭系九万八千町歩。灌漑方式は三年輪作給水法(2)烏山頭ダムの規模、堰堤長千二百七十三メートル、高さ五十六メートル、給水量一億五千万トン、土堰堤はセミハイドロリックフィル工法採用(3)水路の規模、給水路一万キロ、排水路六千キロ、防水護岸堤防二百二十八キロ。
このような巨大な土木工事をわずか三十二歳で設計に取りかかり、三十四歳で現場監督として指揮をした八田氏の才能には頭が下がります。戦後の日本における近代農業用水事業の象徴である愛知用水の十倍を超える事業なんだと考えれば、うなずけるものと思います。そして烏山頭は東洋唯一の湿地式堰堤であり、アメリカ土木学会は特に「八田ダム」と命名し、学会誌上で世界に紹介したものです。
しかし嘉南大[土川]が完成しても、それですべてが終わったというわけにはいきません。ハードウエアは完成しましたが、それを維持管理し有機的に活用するためのソフトウエアが大切です。農民はその大地を使って農作物を作り、生産力を上げなければ嘉南大[土川]は生きたものになりません。農民への技術指導が連日、組合の手によって繰り返されました。その甲斐あって三年目には成果が顕著になってきました。かくして不毛の地、嘉南平野は台湾の穀倉地帯に変貎(へんぼう)を遂げたのです。
その成果には(1)農民が被る洪水、干魃(かんばつ)、塩害の三重苦が解消したこと(2)三年輪作給水法によって全農民の稲作技術が向上したこと(3)買い手のない不毛の大地が給水によって地価が二倍、三倍の上昇を招き、全体では九千五百四十万円もの価値を生んだ。この金額は当時の全工事費を上回る金額であった(4)農民の生活はこれによって一変し、新しい家の増築や子供の教育費に回す余裕がでてきた―ことがあげられます。
二、次は八田氏の独創的なものの考え方を述べなければなりません。以上述べた嘉南大[土川]の巨大な工事に対して、当時として常識はずれの独創的方法が採用されました。
その一つはセミハイドロリックフィル工法の採用です。この方法は東洋では誰もてがけたことがなく、アメリカでさえもこのような大きな規模の工事では採用されていなかった。この工法を採用したのには、それなりの理由がありました。
まず地震です。この地帯は断層があちこちに発生しており、地震強度は六度以上もあります。この工法は粘土による中心羽金層を堰堤の中心に造り、浸透水を遮断して堰堤に決壊を防ぐアースダム方式です。この工法を遂行するには、三百万トンの大量の土砂と中心羽金層を造る微細な粘土を必要としますが、この地域ではこれを供給する場所がありました。
この未経験の工法を採用するに当たり、徹底的な机上の研究とアメリカ視察を行いました。そして、この工法の採用と設計が間違いでない確信を持って工事にとりかかったのです。またコンクリートコアの高さと余水吐をめぐって、セミハイドロリックフィルダムの権威者ジャスチンと大論争しますが、自説を譲らず、設計どおりに構築しました。七十年経過した今日でも、堰堤は一億トン以上の水を堰(せき)とめて、八田ダムの正確性を証明しています。
二つ目は大型土木機械の使用です。労働力のあまっている時代としては常識はずれでした。大型機械の使用については組合や当時の請負業者が反対していました。購入予算は四百万円に達し、堰堤工事と烏山頭隧道工事費の二十五%にあたります。
八田氏の意見は、これだけの堰堤を人力で造っていては十年どころか二十年かかってもできない。工期の遅れは十五万町歩の土地が不毛の土地のまま眠ることになる。高い機械で工期が短縮できれば、それだけ早く金を生む。結果的には安い買い物になる―というものでした。この考え方は当時としては偉大な見識と英断と見なければいけないでしょう。これら大型土木機械はその後の基隆港の建設と台湾開発に非常な威力を発揮しました。
三つ目は烏山頭職員宿舎の建設です。「よい仕事は安心して働ける環境から生まれる」という信念のもとに、職員用宿舎二百戸の住宅をはじめ、病院、学校、大浴場を造るとともに、娯楽の設備、弓道場、テニスコートといった設備まで建設しました。
それ以外にまたソフトウエアにも気を配り、芝居一座を呼び寄せたり、映画の上映、お祭りなど、従業員だけでなく家族のことも頭に入れて町づくりをしています。工事は人間が行うのであり、その人間を大切にすることが工事も成功させるという思想が、八田氏の考えでした。
四つ目は三年輪作給水法の導入です。十五万町歩のすべての土地に、同時に給水することは、一億五千万トンの貯水量を誇るとはいえ、烏山頭ダムと濁水渓からの取水量だけでは、物理的に不可能でした。ならば当然その給水面積を縮小せざるを得ないと考えるのが普通ですが、八田氏の考えは違っていました。土木工事の技術者はダムや水路を造りさえすれば、それで終わりであると八田氏は考えなかったのです。
ダムや水路は農民のために造るのであれば、十五万町歩を耕す農民にあまねく水の恩恵を与え、生産が共に増え、生活の向上ができて初めて工事の成功であると考えていました。
そのためには、十五万町歩の土地に住むすべての農民が水の恩恵を受ける必要がある。そしてそのためには、すべての土地を五十町歩ずつ区画し、百五十町歩にまとめて一区域にして、水稲(すいとう)、甘蔗、雑穀と三年輪作栽培で、水稲は給水、甘蔗は種植期だけ給水、雑穀は給水なしという形で、一年ごとに順次栽培する方法を取りました。給水路には水門がつけられ五十町歩一単位として灌漑してきたのです。
危機時代を乗り切る指針
最後に、雄大にして独創的工事を完成させた八田與一とはどんな人だったのか、そこに焦点を当てて考えてみましょう。
八田與一氏は技術者として抜群に優れていたばかりでなく、人間としても優れていました。肩書や人種、民族の違いによって差別しなかったのです。天性ともいえるかもしれませんが、これを育(はぐく)んだ金沢という土地、いや日本という国でなければ、かかる精神がなかったと思います。
嘉南大[土川]の工事では十年間に百三十四人もの人が犠牲になりました。嘉南大[土川]完成後に殉工碑が建てられ、百三十四人の名前が台湾人、日本人の区別なく刻まれていました。
関東大震災の影響で予算が大幅に削られ、従業員を退職させる必要に迫られたことがありました。その時、八田氏は幹部のいう「優秀な者を退職させると工事に支障がでるので退職させないでほしい」という言葉に対し、「大きな工事では優秀な少数の者より、平凡の多数の者が仕事をなす。優秀なものは再就職が簡単にできるが、そうでない者は失業してしまい、生活できなくなるではないか」といって優秀な者から解雇しています。
八田氏の人間性をあらわす言葉でしょう。八田氏の部下思いや、先輩や上司を大事にすることでは、数え切れないほどエピソードがあります。
八田氏は一九四二年三月、陸軍からの南方開発派遣要求として招聘されます。その年の五月七日、一四、〇〇〇トンの大型客船「大洋丸」に乗ってフィリピンへ向かう途中、アメリカ潜水艦の魚雷攻撃に遭い、大洋丸が沈没。八田氏もこのため遭難しました。享年五十六歳でした。妻の八田外代樹(とよき)は三年後、戦争に敗れた日本人が一人残らず(台湾から)去らねばならなくなったときに、烏山頭ダムの放水口に身を投じて八田氏の後を追いました。御年四十六歳でした。
私の畏友、司馬遼太郎氏は『台湾紀行』で、八田氏について、そのスケールの大きさをつぶさに語りつくしています。
私は八田與一によって表現される日本精神を述べなければなりません。何が日本精神であるか。八田氏の持つ多面的な一生の事績を要約することによって明瞭(めいりょう)になります。
第一のものは、日本を数千年の長きにわたって根幹からしっかりと支えてきたのは、そのような気高い形而(けいじ)上的価値観や道徳観だったのではないでしょうか。国家百年の大計に基づいて清貧に甘んじながら未来を背負って立つべき世代に対して、「人間いかに生きるべきか」という哲学や理念を八田氏は教えてくれたと思います。「公に奉ずる」精神こそが日本および日本人本来の精神的価値観である、といわなければなりません。
第二は伝統と進歩という一見相反するかのように見える二つの概念を如何(いか)にアウフヘーベン(止揚)すべきかを考えてみます。現在の若者はあまりにも物資的な面に傾いているため、皮相的進歩にばかり目を奪われてしまい、その大前提となる精神的な伝統や文化の重みが見えなくなってしまうのです。
前述した八田氏の嘉南大[土川]工事の進展過程では、絶えず伝統的なものと進歩を適当に調整しつつ工事を進めています。三年輪作灌漑を施工した例でも述べたように、新しい方法が取られても、農民を思いやる心の中には伝統的な価値観、「公議」すなわち「ソーシャル・ジャスティス」には些(いささ)かも変わるところがありません。まさに永遠の真理であり、絶対的に消え去るようなことはないものです。日本精神という本質に、この公議があればこそ国民的支柱になれるのです。
第三は、八田氏夫妻が今でも台湾の人々によって尊敬され、大事にされる理由に、義を重んじ、まことを持って率先垂範、実践躬行(きゅうこう)する日本的精神が脈々と存在しているからです。日本精神の良さは口先だけじゃなくて実際に行う、真心をもって行うというところにこそあるのだ、ということを忘れてはなりません。
いまや、人類社会は好むと好まざるとにかかわらず、「グローバライゼーション」の時代に突入しており、こんな大状況のなかで、ますます「私はなにものであるか?」というアイデンティティーが重要なファクターになってきます。この意味において日本精神という道徳体系はますます絶対不可欠な土台になってくると思うのです。
そしてこのように歩いてきた皆さんの偉大な先輩、八田與一氏のような方々をもう一度思いだし、勉強し、学び、われわれの生活の中に取り入れましょう。
これをもって今日の講演を終わらせてもらいます。ありがとうございました。
[土川]=坪の平を川に
この記事は「各種資料集」としてHPに掲載されていたものです。
2006年2月19日
「台湾の声」編集長 日本李登輝友の会常務理事 林 建良
神奈川県支部の皆さん、こんにちは
今日の私のテーマは「李登輝理念とはなにか」石川支部長のご挨拶で提起された四点、徹底的に追及する姿勢、その行動力、死を恐れず頑張る気概、優しさ。これは正に李登輝前総統の描写としてこの上のないものと思います。
ところで、今日の私のテーマに入る前に、一つの事件を紹介したいと思います。それは我々台湾人が経験した一九四七年の二二八事件、蒋介石による台湾人の大虐殺に比べれば微々たるものですが、このことは私個人は心が引き裂かれる思いで日本の地から見守っている事件です。それは、副支部長もつい一昨日現地へ行かれた、高砂義勇隊慰霊碑の撤去事件です。皆さんも産経新聞などでご存知のことと思います。
二月八日、李登輝前総統も出席されての、慰霊碑設立の除幕式と慰霊祭が催行されましたが、二月十七日、中国時報、台湾の中の中国人グループ最大の新聞ですが、これと連合報が一面で報道したのです。それは「これはなんだ!?日本の『日の丸』が掲げられ、慰霊碑には日本語で書かれた文章が! けしからん、撤去せよ」というものでした。これは、このこと自体に中国人の心、台湾人の心、日本人の心が顕著に現れているのではないかと思います。当時の祖国・日本のために命を落とした人間は、中国人にすれば裏切り者で、中国人の思想では、例え死んでも裏切り者は墓を暴き死者をムチ打ちするのです。この中に今の台湾・中国・日本の現状の縮図を見るような事件と思います。彼ら中国人は、台湾人の心、日本人の心も彼らの意のままにしたいのです。これが中国人のやり方なのです。
二二八事件で多くの台湾人が中国人に殺されたが、亡くなった人間の慰霊すら許さないこのような民族・国が今、日本の教科書や靖国神社に口を出し、台湾の存在そのものを脅かしているのです。亡くなった人間の霊を慰めることすら許さない
なぜこの話から始めたかと言うと、李登輝前総統はこの三つの民族・文化そして心を知り尽くしているからです。そこで石川支部長の提起された四点とは、切り口を変えて四点提起します。
日本李登輝友の会の中に掲げた理念、また機関紙の名前にもなっている「日台共栄」が一つ目、二つ目は真実、三つ目は誠実、四つ目は国造りです。私の理解している李登輝前総統の理念を皆さんと考えていきたいと思います。
日台共栄は正に李登輝前総統が日本人に会うたびに言う言葉ですが、もう一つ、必ずもう一つ言います。それは「日本に強くなってほしい」です。この言葉にはどういう意味があるか?日本をこよなく愛している、ということは事実ですが、別の意図があります。彼は二十二歳まで日本人だった、民族的には台湾人だが。要は人間の存在は法的身分、文化的身分、民族的身分により構成されます。私は法的にも、文化的にも民族的にも台湾人だが、私の二人の子供は日本で生まれました。法的・民族的には台湾人だが、文化的には日本人と同じなのです。李登輝前総統は当時一番奔放でバンカラ的な台北高校から、一番自由な京都帝国大学に進学、一年二ヶ月在学の後、十九歳で学徒出陣し、結果二十二歳まで日本人だった。つまり彼の人格形成期は全て日本だった。また彼は下宿生活で志願して便所掃除をした。中学のときに剣道初段になった。日本の文武両道の真髄に近いといえます。最近李登輝前総統は日本の文化・精神には「深み」があるとよく言います。そして、日台共栄の理念として、日本がアジアのリーダーになってしかるべき、と言います。それは日本人が勤勉だから、日本製品の品質がいいから、経済力があるから、といった理由ではなく、日本には優れたモラルがあるからこそリーダーになってしかるべきだと彼は考え、常にそういっているのです。
李登輝前総統とは同じテーブルで食事をしたり彼のスピーチの席で司会をするだけだったのですが、今年一月十六日に亡くなった杏林大学教授の伊藤潔先生が私を李登輝さんの自宅へ黄文雄先生と一緒に連れて行ってくれました。これは二度目、最初のときは台湾まで行ったのですが、李登輝前総統が肺炎で入院してしまったため会えなかった。今回伊藤先生は人工透析をしていたりしていて体の状態はかなり悪かったようで、私が話をしているときは休んでおられました。私が李登輝前総統と話をするのは始めてではないのですが、深い話をするのは始めてでした。
当時私は生意気で、自分の持論を伝えました。私は全てを投げ打って、全てが無になってもいいという「諦観」に近い覚悟がなければ国造りなど不可能だといいました。
李登輝前総統はウンウンとうなづき、話終わると、こういわれました。林建良、国を思う前に死を見つめなさい、と。自分の死と直面すべき、と。彼は祖母が亡くなって初めて死を考えるようになった。一つ上の兄がフィリピンで亡くなったということが彼には大きな衝撃でした。兄は自ら殿軍を志願して、銃弾を数十発受けて亡くなった。そして私に「まず死を考えなさい。国家天下を論ずる前に、これを見つめられない人間に国を考えることはできない。そこから出発しなさい」と。
それから、かれはまだ出版されていない「武士道解題」原稿を自ら言及しました。彼の著書は多数あるが、渾身の力作は「武士道解題」です。日本を元気づけるために書き下ろした彼の気持ちをその日に強く感じました。初めての対談は何時間に及んだか覚えていません。結論から言うと、そのとき彼が言ったこと、日本精神の原点は、彼の在任十二年中、いかんなく発揮されたのではないかと思います。
だから、李登輝理念の第一歩は日台共栄で、日本人の素晴らしい精神、美しい心、そしてフニャフニャしている戦後世代の現象ではなく、美しさを維持しながら強靭な部分がある。世界のなかで日本人のこの部分を理解して、師として、先生として学ぼうとしているのは他でもない台湾人、台湾人にみにその姿勢があるのです。学びたい、それはそう思っている者、学ぼうとしている者、その存在を是非もう一度実現させたいのです。
だから彼は「アジアの知略」の中に、中嶋嶺雄先生との対談の中でひとつの提案をしています。それは、日本と台湾で共同通貨を作ろう、日本が主導権を持って、と言うものです。それは当然でしょう?日本の経済力、制度管理から見れば、そしてモラルから見れば。通貨が同じであれば、当然人の往来を自由にし、いろいろな書類を共通に認め合う。結果限りなく一国に近い形になる。元々同じ国だったのだから、別々になっても本当に共同体と言えるのは、日本と中国や朝鮮では決してない、台湾なのです。一番近い台湾を見ないで、なにが東アジア共同体なのか。私はそう思います。
二つ目は真実です。
李登輝前総統は退任してから(二〇〇一年四月)初めて日本を訪問しました。ご存知のように、倉敷で心臓の治療を受けたり、京都や大阪に泊まりました。大阪では帝国ホテルに宿泊し、出るときに一枚の色紙を書きました、恐らく今でも帝国ホテルに飾ってあると思いますが、
そのときの言葉が「真実自然」、李登輝理念です。私は台湾人政治家を数多く知っています、仲のいい政治家、悪い政治家もいますが、殆どの政治家は自分をできるだけ大きく見せようとする、私はこんなに偉いんだ、誰々を知っている、これだけ予算を取ってきた等々。まぁ、気持は分かりますが、ありのままの政治家は少ない。この中には李登輝前総統に会った人もいると思いますが、彼は決して飾ったりせず、えらぶることもなく、ありのまま真実を追求し、行動するのです。一個人であれば、ただ尊敬できる一つの要素ですが、政治家の理念ともなれば個人のフィロソフィーではない、トップであれば、それはドクトリンになり、天下国家に影響を与えるほどのものになります。
真実とはどういうものか。戦後の日本は真実を見つめてきたか。台湾を中国の一部と見做している日本の姿勢は真実を見ているとはほど遠いと思います。
戦後の日本は、ある人は私に言います、一九七二年までは国交があり、大使館もありましたよね、今は中国にとられてしまったけれど、と。私に言わせれば、本当に国交はあったのでしょうか。一九七二年以前、日本は二二八事件で台湾人、特にエリートや学生を虐殺した蒋介石を、全中国を代表しているという虚構を承認していましたが、これをもって国交があったのか、私にはその覚えはありません。では一九七二年以降はどうなったか。台湾を侵略しようとし、台湾を中国の一部という主張を理解し尊重している。言ってみれば、隣のヤクザが私の家を指して「その家はオレのものだ、そこの女(私の妻)もオレの女だ、全ての財産もオレのものだ」といい、一方の隣の日本さんはそれを理解し尊重すると。ところがその日本さんとは昔同じ家族だった。その元家族がヤクザさんの言い分を理解尊重する。これが真実といえるのか、日本人は真実から目をそらしているのか。
私が日本へ来てから一番感心したのは、日本料理と中華料理の違いです。中華料理はいろいろいじったり腐らせたりして、殆ど原型を留めないのに対し、日本料理の特徴は、素材を活かし鮮度で勝負すべく、心をこめて出す。真実そのまま、ありのままの味をいかすのです。なのに日本は一九七二年以前は蒋介石の全中国を代表しているというウソに加担し、それ以降は台湾を侵略しようとしている中国の言い分を理解尊重している。戦後の日本は一貫して、台湾人の敵の側に立ってきたのです、かつて自分が統治していた同胞の苦しみ、苦悩を理解しようともせず、それどころか我々を敵の側に押し付けている。もっとも李登輝前総統は私のような無教養な人間ではないのでここまでは言わないが、真実自然という言葉だけ残したのです。
三番目は誠実です。
真実と誠実は基本的には一緒なのです。真実は客観的に存在を見つめるもの、誠実はそれに沿って行動する、自分にウソをつかないという態度、それが誠実ではないでしょうか。同じ「アジアの知略」の中の中嶋嶺雄さんとの対談の中で彼が言った言葉ですが、中国人と日本人はどこが違うのか、それは簡単です、ウソをつく民族とウソをつかない民族ですと述べている。日本人は「ウソツキ」といわれたら顔が赤くなり、昔ならば刀を抜いてしまう。本当にウソをつき、見破られたらとても恥ずかしい、死んでしまいたいぐらい。中国人は日常的にウソをついているから、「ウソツキ」といわれてもヘラヘラしているし、見破られても新たにウソをつく、それだけのことです。ところが今の日本は、自国の学生に学校の教科書で台湾は中国に領有されている、無理矢理我々をウソツキ中国の領土にするというウソを自分の子供達に教育しているのです。これが誠実な姿勢といえるでしょうか。
李登輝さんはこの誠実という理念を、例えば李登輝学校へ行くと、口がすっぱくなるぐらい言います。また彼は教養あり品のいい人ですから、今の日本が不誠実になったとは言いません。
私は日本で長く生活しているので、少なくとも戦後日本については李登輝さんに負けないぐらい認識を持っています。もっとも李登輝さんが生活していた戦前の日本を体験することはできなかったのですが、日本にはサムライ精神があると聞いて日本に来ました。日本にはなく台湾にある「日本精神」という言葉、日本人は言いません、台湾生まれの言葉ですが、私はそれに憧れてその本場に来ました。それをこの目で確認しようとして、今も捜していますが。それはそれほど貴重なのです。
戦後の日本は誠実なのか?最近の日本は私が言うまでもなく、耐震偽装問題、ホリエモン現象・・・日本人の一番奥の部分、恥の文化はどこへいったのでしょう。李登輝さんは八十三歳になり、丸くなった。日本人を褒めて褒めて褒めつくすのですが。そのような、元々ある理念を何故捨ててしまったのか。それでも分からない日本人もいるから、私が解説するのです、そのような貴重な部分をなぜ捨ててしまったのか、と。
四番目、そして一番重要なこと、国造り。
李登輝前総統は国を造りたい。その国造りは台湾だけでなく、日本もそうなのです。戦後の日本は七年間、主権を失っていて、一九五二年のサンフランシスコ条約が発効して主権を回復しました。そこで主権を回復したなら、自分の手で憲法を作り、自分の作ったルールを守ることで初めて主権国家といえるのではないでしょうか。日本人の使っている憲法の元は人様に作ってもらっているのです、それも一週間で。
台湾も同じです、一九四九年に台湾に逃げ込んできた蒋介石が持ち込んだ憲法なのです。この憲法の中には、中華人民共和国はある、モンゴル共和国もある、だが台湾はない。今使っているのは台湾だけ、冗談じゃない。我が家の戸籍に、他人の名前があり、私の名前だけない。このような憲法を使っている国が主権独立国家といえるでしょうか。おまけに今の名前はリパブリックオブチャイナ、シナ共和国です、シナという名前が入っている。今私の住んでいる家の表札は林建良ではなく毛沢東のなっている。これは私の家だ、と一生懸命言っても、戸籍を見ると林建良の名前はない。だから新しい戸籍を作ろうとすると、かつて祖国であった日本は「現状を変えてはいけない」と。大きなお世話だ、これを偽善といわずして何でしょう、こんな日本を尊敬できますか。
我々は単に自分のことを自分で決めたいだけなのです、林建良の家に林建良の表札を掲げることのどこが悪いのでしょう。隣のヤクザ様が怒るからだめだ、という人を尊敬できますか?それでも我々はやります。
ヤクザ様がいくら強大でも、いかにかつての祖国がフニャフニャになったとしても「やるんだ」というのが李登輝精神なのです。この精神についていこう、というのが日本李登輝友の会なのです。だから先ほど石川支部長が言われました、ただただ親睦、親睦はいいんですよ、やっていけないとはいいません、そのもっと深いところにある、単に李登輝さんのファンクラブではない、李登輝さんの人柄が好きというだけではない、我々が大切にしようとしているのは李登輝理念なのです。理念とは、フィロソフィー、ドクトリン、信条なのです。この国をなん
とかしたい、日本と台湾、この二つの李登輝さんの祖国、文化的祖国は日本、今生活しているのは台湾。それが李登輝理念についていく我々なのです。国造りは極めて大切なのです。
この会は一人ひとりが李登輝理念を広げる、そして彼のモットーは実践、行動すること。いくら立派な理念でも、頭の中に大切に保存するだけでは意味がない、理念は行動が必要なのです。この行動、実践力が正に日本人の気概になるものです。
かくすればかくなることと知りながら、やむにやまれぬ大和魂
これが李登輝理念の一番奥、真髄ではないでしょうか。
本日はご静聴ありがとうございました。
この記事は「各種資料集」としてHPに掲載されていたものです。
未明搬入「やり方汚い」=反対派100人、守衛室前で怒号-沖縄
「やり方が汚い」。米軍普天間飛行場の辺野古移設の前提となる環境影響評価書が未明に運び込まれた沖縄県庁には、28日午前6時すぎから反対派が集まり始めた。評価書が届けられた1階守衛室前の廊下は、「怒」と書かれた紙を手にした反対派約100人が抗議の声を上げた。
守衛室の警備員によると、防衛省沖縄防衛局の職員数人が段ボール箱計16箱を守衛室に運び込んだのは午前4時すぎ。10分ほど前には、同局職員から「これから書類を預けに行く」と電話があった。警備員は県の担当者に確認した上で、預かったという。
県庁前で車を止め、評価書が持ち込まれないか警戒していた市民団体幹部の山城博治さん(59)は仮眠中だったが、物音で目を覚まして搬入に気付いた。白いワゴン車に乗った同局職員の1人に「何をしにきた、評価書か」と問い詰めたが、返答はなかったという。「沖縄防衛局長は反対する沖縄県民をよそ目に沖縄を犯した」と厳しく批判した。
ニュースで評価書提出を知り、県庁に来たという那覇市の男性(74)は「やり方が汚い。ますます反対運動が強くなる」と非難した。
普天間飛行場の地元、宜野湾市喜友名に住む我如古淳さん(48)は小学校野球チームの監督。練習する子どもたちの真上をヘリが飛び、「もし墜落したらどうやって避難させるか常に考えている」という。国の評価書提出の方法に「一方的」とあきれた。
移設先とされる名護市辺野古の無職宮城清子さん(86)は沖縄戦でひめゆり学徒として従軍した。「無理やり評価書を提出するなんて、信じられない。戦争を生む新しい基地の建設には、生きている限り反対し続ける」と憤った。
(2011/12/28-11:37 時事通信)
(引用終了)
わが家の近くでも、いわゆる耕作放棄地が増えてきたが、綺麗な田や畑などが放棄されて2年も経つと荒地になり、冬になったことから枯れた草に火でも付いたら危ないし、耕作出来なくなったのはそれなりの理由があるとしても、地主としての責任も放棄しているのは困ったものである。
私の知り合いで、自宅から車で行けば3時間ほどかかる場所に相続で貰ったという土地を持っている方がおられるが、土地と言っても、使い道のない荒地で、まったくの放棄状態だそうである。また相続で貰った自分の土地なのに一度も現地に行ったこともなく、だから何かに使う予定もないとなれば、誰かに貸して土地代でも貰っていた方が良いと言う訳だが、誰も借り手がないとなれば放棄するしかないと言っていた。
自分の持っている土地が使い道のない荒れ地であったとなれば、それを米軍や自衛隊の訓練場などの一部として貸すことが出来て、軍用地料が入ればこんな嬉しいことはないであろうが、その土地を国から返還すると言われては地料が入らなくなるので困ると返還に反対するのであるまいか。
沖縄から聞こえるのは基地負担軽減を要求する声だけだが、その中で、注目されているのは米軍普天間飛行場の辺野古への移設問題である。だが負担軽減を要求しておきながら、沖縄県としては、あくまでも県外移設を要求し、移設に反対すると言う奇妙な状況を呈しているが、抑止力を維持するために県外移設など不可能であるにも関わらず、それに拘るのは、出来もしない県外移設を要求し、また辺野古への移設反対を叫んでいる連中と歩調を合わしているように思えてならない。
報道によれば、米軍普天間飛行場の辺野古移設の前提となる環境影響評価書が28日の午前4時すぎに、防衛省沖縄防衛局の職員数人によって沖縄県庁に運び込まれたそうで、午前6時すぎからは「怒」と書かれた紙を手にした反対派が集まり始めたとのことで、那覇市の男性(74)は「やり方が汚い。ますます反対運動が強くなる」と非難したそうである。
昼間には沖縄県庁に入る配達業者の車を停止させ、積載物を検査するなどして搬入を阻止した反対派は威力業務妨害に該当するであろうが、その妨害を避けるための午前4時すぎの搬入を「やり方が汚い」はないだろう。
反対派と称する活動家を、驚くことに庁舎内まで入れて、かえって騒ぎを大きくしている沖縄県だが、本来ならばこのような妨害行為が起こらないように、県としてあらかじめ警察と警備方針を打ち合わせておくのは当然だが、それをせず、反対派を排除しなかったとなれば、県も反対派とグルだと思われても仕方ないであろう。
沖縄県が来年度予算案で3千億円弱の振興費を受け取ることになったのも、このような反対派が騒いでくれるおかげであり、今回の午前4時すぎの評価書の搬入も、振興費増額を要求する理由にするかも知れない。また沖縄県には基地関連で、毎年膨大な税金は投入されているとなれば、それ群がる連中がいるであろうし、だから、基地のない自治体からも基地交付金が要求されている訳で、基地反対を叫べば叫ぶほど振興費や交付金などが増えるとなれば、沖縄県はまさに「ゆすり・たかりの名人」ではないか。そうでないと言うならば、それを受け取らず、基地反対を叫んで欲しいものである。
それにしても、普天間飛行場の移設問題をここまでこじらせた張本人である民主党の鳩山元総理は、だんまりを決め込んでいるようだが、環境影響評価書の沖縄県への提出も、防衛省沖縄防衛局に任したとなれば、当然ながら騒ぎになり、批判の矛先は防衛省に向かうであろうから、だから仲間の反対派と称するサヨク活動家に依頼して騒ぎを起こさせ、民主党への批判が向かないようにしたとか思えず、民主党が責任転嫁の常習犯であるのは間違いないようだ。
(2011/12/29)
偏向マスコミにより、一昨年(2009年)衆院選の際に、政権交代が国民の願いであるかのような報道放送が行われたことは、誰もが認めるところであり、決して自民党を一方的に叩いたり、民主党だけを持ち上げることもなく、報道放送は不偏不党かつ公正中正であったと胸を張って言えるとは思えない。
その偏向マスコミによって、多くの国民は騙され政権交代が行われてしまった訳だが、実現不可能な政権公約をならべて国民を騙した民主党に怒っている方は多く、それは当然だが、それと同時に民主党がダメな政党であることを知りながら、持ち上げた偏向マスコミへの怒りもある訳で、そうなると、一昨年の衆院選での政権交代は、偏向マスコミの信用失墜につながる良い機会になったと言えるだろろ。
日本をダメにしている最大の元凶は偏向マスコミであるとの認識を持っているが、それに加えて在日朝鮮人も同様であり、日本と日本人を貶めるためには何でもやっていることに国民は危機感を持たなければならない。そして、今では偏向マスコミを在日朝鮮人が支配しているのではとの様相を呈しているとなれば、日本が住みやすい良い国になる訳はなく、加えて売国政党である民主党が政権政党となれば、尚更日本は衰退する一方である。
3月に起こった東日本大震災では民度の高さを示して世界を驚かせたが、そのような国民性からして日本人を敵にしたら恐ろしいとの認識を持ったかも知れない。普段は温厚である筈の日本国民でも、日本をダメにしている元凶は偏向マスコミであることが分かれば怒りの声を上げ、震え上がらせ、そして叩き潰すことを真剣に考えるようになるのは当然であろうし、それは偏向マスコミが今や日本国民の敵とも言える存在になっているからである。
youtubeに、12月23日放送のフジテレビ「FNNスーパーニュース」の 生中継中に「フジテレビ偏向報道やめろ」等シュプレヒコールをあげながら抗議活動する者の動画がアップされている。ただ韓流ドラマを放送しているだけではなく、フジテレビが叩かれる理由として、あらゆる番組で韓国の宣伝をし、その反面、日本と日本人を侮辱し、貶めているからであり、 敵国である韓国のプロパガンダを垂れ流し、日本国民を洗脳しようとしているフジテレビは偏向マスコミの中でも今やトップクラスの日本国民の敵となったと言えるだろう。
フジテレビとして生中継中に「偏向報道やめろ」などと突然抗議された場合の対策を考えなければならなくなった訳だが、生中継中となれば編集も出来ないし、また周辺で見学している人々の中の誰が抗議するのかも分からないとなれば、それを防ぐ方法はないと言って良く、また声による抗議ではなく、横断幕やプラカードなどを出す方法もある訳で、これはフジテレビでなくとも他局の生中継中でも起こるかも知れない。
日本人が朝鮮人を嫌うのは理由があるからで、いくらフジテレビをはじめとする偏向マスコミが必死になって韓流ブームを煽って、一昨年の衆院選で政権交代を実現させた実績があるから、再び国民を騙すことが出来ると思っているとしたら大きな勘違いだと言えるだろう。
(2011/12/27)
沖縄知事 アセス提出を容認
沖縄県の仲井真弘多知事は24日、政府が米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古への移設に向けた環境影響評価(アセスメント)の評価書を年内に提出することについて「行政手続きだから、関連法令にのっとってやる」と述べ、提出する自体は容認する考えを示した。仲井真氏は評価書を受けとった後、90日以内に知事意見を提出する。
政府は同日、平成24年度予算案で沖縄振興費を23年度当初予算から27.6%増の2937億円とし、沖縄県独自の一括交付金制度も新説、うち1575億円を充てた。
県側から3千億規模の振興費を求められ、概算要求額から500億円上積みし、ほぼ満額回答することで辺野古移設に柔軟姿勢を引き出したい考え。仲井真氏は「よくやってくれた」と評価したが、振興費と辺野古移設は無関係との立場を重ねて強調した。
(2011/12/25 産経新聞 ネット上にはソースなし)
(引用終了)
私の住む神奈川県にも在日米軍の横須賀、厚木、座間などの基地があるが、偏向マスコミによれば、在日米軍基地の78%が沖縄に集中しているとして、沖縄における基地反対運動はその負担を減らす要求だとして、沖縄県民に同情的な報道を繰り返している。
この沖縄に集中しているとする78%という在日米軍基地の比率について、以前から疑問に思っていたが、どのような方法で計算したのか調べたところ、本土にある在日米軍専用施設だけを計算に入れ、自衛隊と在日米軍が共同使用している基地は除外しているそうであり、であるから、あたかも沖縄に集中しているかのような嘘を偏向マスコミは今日まで垂れ流してきた訳である。
自衛隊と在日米軍が共同使用している基地を除外しなければ、沖縄にある米軍基地の比率は約24%になるそうで、そうなると沖縄以外にある米軍基地の方がはるかに多いことになる訳だが、なぜか基地反対運動の多くが沖縄で行われて、それが注目されているのは不思議でならない。
米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設も反対運動が続いていることから、未だに進んでいないが、報道によれば沖縄県の仲井真弘多知事は24日、政府が環境影響評価(アセスメント)の評価書を年内に提出することについて「行政手続きだから、関連法令にのっとってやる」と述べ、提出する自体は容認する考えを示したそうである。
提出されたしても、仲井真知事は移設が可能となる意見を出すとは思えないし、「政府が提出したいと言うなら、提出すれば良いだろう。」と言った態度で、国の安全保障などまったく眼中にはなく、いかに国からカネを引くことしか考えていないようだ。
その沖縄県が3千億規模の振興費を要求していると報じられていたが、政府は同日、平成24年度予算案で沖縄振興費を23年度当初予算から27.6%増の2937億円とし、沖縄県独自の一括交付金制度も新設、うち1575億円を充てたとのことで、仲井真氏は「よくやってくれた」と評価したが、振興費と辺野古移設は無関係との立場を重ねて強調したとのことである。
「よくやってくれた」とは感謝の言葉とは思えず、支那人が日本からのODAについて「評価する」と言っているのと同じであり、この新設された沖縄県独自の一括交付金1575億円とは使い道を限定しないものであれば、まさに沖縄特権と言っても過言ではなかろうか。
沖縄県が3千億円弱の振興費を受け取ることになっても、普天間飛行場の辺野古への移設は無関係となれば、何のための振興費なのか疑問であり、これが基地反対運動のための本土から来るプロ市民の旅費や日当などに流れているとしたら、政府は税金を使って基地反対運動させている訳で、まさに笑い話の何者でもない。
(2011/12/25)
F15滑走路逸脱 民間専用空港への道探れ
2011年12月21日
那覇空港の軍民共用の危険性がまたしても浮き彫りにされた。中国機の領空侵犯事案に対応するため緊急発進しようとした航空自衛隊那覇基地所属のF15戦闘機1機が滑走路を逸脱して停止したのである。
そのせいで那覇空港は約1時間半にわたって発着ができなくなり、国内外6航空会社の少なくとも62便5903人以上が影響を受けた。一部の民間機は米軍嘉手納飛行場や鹿児島空港、宮崎空港、宮古空港などに一時的に着陸している。乗客を缶詰めにしたまま到着が8時間近く遅れた便もあった。
不可解なのは、離陸寸前だった空自機と着陸しようとした民間機の衝突を回避するため、管制官が両機に離着陸中止を指示したことが発端になっている点だ。着陸する民間機がいるのに、なぜ空自機が滑走路に入ったのか。
合点がいかないが、那覇空港では同様の離着陸中止指示は珍しくないという。那覇空港で綱渡り的な運用が続いているのは異常事態であり、抜本的な改善策を講じるべきだ。
何らかのミスが重なって、2機が同時に離陸と着陸を試みる事態にでもなれば、大惨事に直結しかねない。
空自機が滑走路を離脱した原因としては、操縦士がブレーキをかけずエンジン自体を停止させたため機体がコントロールできなくなった可能性が指摘されている。
防衛省、国土交通省は、管制業務の在り方を含め原因を徹底的に調査し、再発防止策を公表してもらいたい。
沖縄の玄関口である那覇空港は年間1420万人余(2010年度)の乗降客を擁する国内屈指の過密空港だ。複数の滑走路がある大阪国際空港(伊丹)、関西国際空港よりも乗降客が多い。年間着陸回数は6万5千回で自衛隊機の1万回が加わる。その混雑ぶりは群を抜いている。
離島県の沖縄では、県外や先島などとの移動を航空交通に頼るしかない。安全運航の確保は沖縄県民にとって死活問題だ。
那覇空港の軍民共用は、沖縄を行き来する全ての人に脅威を与えている。もはや自衛隊と民間機の共用は限界点に達している。
政府は那覇空港の滑走路増設と並行し、民間専用化の道筋を真剣に模索すべきだ。
(琉球新報)
(引用終了)
航空自衛隊は、国籍不明の航空機が防空識別圏に進入する様子があった場合、パイロットを要撃機の操縦席に座らせ、いつでも発進出来るような態勢を取り、不明機が防空識別圏に進入した時点で、スクランブルと言われている緊急発進指令を出している。これは対領空侵犯措置のためであって、当然ながら24時間態勢で行われている。
防空識別圏は領空の外側に余裕をもって設定されていることから、ほとんどが領空侵犯には至っていないが、それは、要撃機のパイロットが、日本の領空に接近しているとして警告しているからで、故意に侵犯するつもりがなければ、ほとんど警告に従っているからであろう。
国籍不明機と言っても、日本にとって敵国の航空機とは限らず、フライト・プラン提出していない民間機や米軍機であったりするそうだが、それでもスクランブルしなければ確認出来ない訳で、また発進が1秒でも遅れると、日本の領空に不明機が数百メートル接近することになることから、特に軍民共用の場合には2機編隊で行われているスクランブル機の離陸を優先させる必要があるのは言うまでもない。
あの琉球新報の記事であるからして、自衛隊を叩くことは通常のことであり、いつもいつも呆れているが、今回は航空自衛隊が行っているスクランブルに関して、あまりにも無知と言える記事を掲載しているからである。それは「着陸する民間機がいるのに、なぜ空自機が滑走路に入ったのか」などと書いているのがその証左だと言えるだろう。
それは那覇空港において、対領空侵犯措置のために緊急発進しようとした航空自衛隊那覇基地所属のF15戦闘機1機が滑走路を逸脱して停止したと言う事案であり、これは管制官が着陸しようとする民間機があるからとして、すでに滑走中の空自機に離陸中止を指示したのが原因であって、2機編隊のうち、1番機を離陸させておきながら、2番機に離陸中止を指示したのは何故か。これを指示した管制官はスクランブルが2機編隊で行われていることを知らないのかと言いたい。
そもそもスクランブルのために離陸する2機の空自機がいるにも関わらず、なぜ管制官は民間機に着陸態勢に入るように指示したのか不可解であり、スクランブル発進はどんな場合でも最優先であり、これは軍民共用空港でも同じではないのか。
琉球新報の記事を読むと、空自機がとんでもない事故を起こしたかのようなであり、これも那覇空港が軍民共用であるのが原因だと言いたいのであろう。そして、「もはや自衛隊と民間機の共用は限界点に達している。政府は那覇空港の滑走路増設と並行し、民間専用化の道筋を真剣に模索すべきだ。」とのたまうが、では自衛隊はどこへ行くのか。それを書かずして、那覇空港を民間専用化にすべきだと書いても説得力はない。
滑走路増設となると軍民共用空港が続くことになるかも知れず、それでは基地反対を掲げる琉球新報としては面白くないであろうし、だから民間専用空港とすべきだとしている訳だが、那覇空港が軍民共用で危険だと言うのであれば、那覇空港は自衛隊専用にし、民間専用空港は他に場所に建設すれば良いのではなかろうか。
なにせ沖縄だから、何でも基地反対なのであろうから、民間専用空港となれば反対する者はほとんどいないではなかろうか。今回の事案はスクランブル発進を妨げた管制官の指示に誤りがあり、F15戦闘機1機が滑走路を逸脱して停止するとの事態を招いたもので、空自が責められる理由はまったくない。
(2011/12/23)
陰では正恩氏を「ガキ」…泣くふりしないと連行
【ソウル=中川孝之、前田泰広】金正日総書記の死去発表後の北朝鮮内部の様子が20日、ソウルの脱北者らに伝えられた情報で明らかになってきた。
厳冬の中、食糧難にあえぐ住民の様子について、「心底悲しんだ金日成主席逝去時と異なる雰囲気だ」との指摘が出ている。金日成主席よりカリスマ性において劣る金総書記と比べても、実績や住民への浸透度が乏しい金正恩氏の新体制は今後、人心掌握で多くの困難に直面すると予想される。
韓国の脱北者団体「自由北韓運動連合」の朴相学代表は読売新聞の取材に、北部・両江道の住民と19日、電話で話したと明らかにした。この住民は「19日は朝10時頃から、総書記死去のうわさが広まっていた。公開処刑や餓死は金総書記の時代になってひどくなった。正直言って、やっと死んでくれたと思う。国営テレビで悲しむ住民らが映っているが、あれは大半が演技だ」と語ったという。住民らが陰で金正恩氏を「ガキ」と呼んでいることも明かした。
他の韓国の脱北者団体の関係者によると、国境地帯に住む30代の露天商は「(外出禁止令が)恐ろしかったが、19日も午後に1時間ほど隠れて食糧を売った。表では(少なくとも)泣くふりをしないと連行されるから、皆泣いているが、本当は泣いていない者もいる」と携帯電話で伝えた。この関係者は「建国の父である金日成主席が死去した時は、みな地べたに座り込んで慟哭したものだ。庶民の心に以前では考えられない変化が起きたようだ」と話す。
脱北者らの話では、北朝鮮の住民らは19日午前、理由を知らされないまま地区の集会所や学校などに集められ、金総書記死去を伝える「特別放送」を聞いた。
(2011年12月20日14時32分 読売新聞)
(引用終了)
わが家の近所に、15年ほど前に前の居住者が家を売却したため、その後に引越してきた変わった家族がいるが、道ですれ違っても挨拶はしないし、自治会にも入っていないばかりか、ゴミの出し方を巡ってトラブルを起こしたり、庭の植木や草が道路にはみ出していても、それを除去する訳でもなく、車の通行にも支障にもなっている。
そのような家族であるから、近所では付き合う者はおらず、いわゆる村八分の状態なのだが、近所に迷惑を掛け秩序を乱すために住んでいるような家族となれば村八分はやむを得ないのではなかろうか。10年ほど前の話だが、その家族の一人が亡くなったものの、葬式をするのかどうかも分からず、自治会にも入っていないことから、何か言って来ない限り無視することになり、近所では誰も弔問に行った者はいなかったようである。
亡くなればすべを許されるとの思想が日本には残っており、だから十種類の付き合いの内の一つである葬式は村八分の対象には入っていないのだが、それでも相手によっては亡くなったからとしても許されないと葬式までも絶交する時代になったかも知れない。
ところで北朝鮮の金正日総書記が死去したことに関して、藤村修官房長官は21日午後の記者会見で、日本政府として弔意を示す考えはないとの認識を表明したそうだが、これについては様々な意見があろう。それは、かっての戦争中に米国のルーズベルト大統領が死去した際に、日本政府として哀悼の意を表明しているからである。だが金総書記の場合は、多くの日本人の拉致誘拐を指揮した極悪非道な張本人であるからして、冥福を祈る気持ちはないとしても、弔意を示すふりをするだけでも良いのではあるまいか。
報道によれば北朝鮮の北部・両江道の住民が「公開処刑や餓死は金総書記の時代になってひどくなった。正直言って、やっと死んでくれたと思う。国営テレビで悲しむ住民らが映っているが、あれは大半が演技だ」と語ったという。また住民らが陰で金正恩氏を「ガキ」と呼んでいることも明かしたとのことである。
テレビでは大袈裟に嘆き悲しむ北朝鮮の住民の姿を紹介しているが、公開処刑が行われていたり、食料難で餓死者まで出ているとなれば、金総書記の死去を嘆き悲しむは不可解であり、であるから、多くの住民は泣くふりをしているだけであろうし、そのふりをしなければならない所では、そのふりをして、その必要がない所では、死去を喜んでいるかも知れない。
金総書記の後継者である金正恩氏が「ガキ」と呼ばれているのは、いまだ28歳であるからで、それでも昨年9月、人民軍大将の称号を与えられ、党中央軍事委副委員長に就任しているそうだが、28歳で人民軍大将はないだろう。 おそらく、権力闘争や後継者問題は激化して、韓国に対し軍事行動を起こすことも考えられるし、そうなれば朝鮮半島が大動乱に陥る恐れがあると言えるだろう。
日本としては対北朝鮮経済制裁を実施中だが、戦乱となれば日本にも被害を及ぼす恐れがあることから、朝鮮半島のことだとしても無視することは出来ないからして今から対策を考えておく必要があり、今は民主党政権で大いに不安だが特に為政者としては相当な覚悟を持っておいた方が良いであろう。
(2011/12/21)
死因は急性心筋梗塞 現地指導に向かう列車内で
2011.12.19 12:21
【ソウル支局】朝鮮中央通信は19日、北朝鮮の最高指導者、金正日総書記が17日、現地指導に向かう列車の中で急性心筋梗塞(こうそく)で死去したと報じた。
(産経新聞)
(引用終了)
日本国民にとって北朝鮮の金正日総書記とは、多くの同胞の拉致誘拐を指示した極悪人であるとの認識を持っているであろうし、何と言われようとも、こいつだけは許さないとして、叶うことなら死刑にしたいと思っているのではあるまいか。
どのような極悪人であろうが、必ずお迎えがきて、地獄に落ちることになる訳だが、金総書記もようやく日本国民の怒りが通じたのか、地獄からのお迎えがきたようで、報道によれば、17日、現地指導に向かう列車の中で急性心筋梗塞(こうそく)で死去したそうである。
北朝鮮の発表なので、全面的に信用出来ないが、暗殺された疑いもあるだろうし、最高指導者ともなれば健康管理には特に気を付けており、それを担当する側近もいたであろうが、突然の死去は不可解の何者でもない。
金総書記の冥福を祈る気持ちにはなれないが、北朝鮮はどのように変化し、日本へ及ぼす影響の方が心配である。特に後継者とされる三男の金正恩氏が権力基盤を固めることができるかどうかであり、まだ28歳の若さとなれば、いくら「偉大なる後継者」と表現したとしても、国内をまとめるには無理があり、北朝鮮が不安定化するのは間違いないし、長男・金正男氏のほうが後継者にふさわしいとの見方があれば尚更である。
日本としては朝鮮半島有事や北朝鮮体制崩壊も念頭におく必要があり、また脱北者は受け入れず、すべて韓国に移送すべきで、日本定住を許してはならない。韓国は慰安婦のことで、日本を糾弾する暇もなくなったであろうが、後は同じ朝鮮民族として仲良くやって欲しいものだ。それにしても、金日成死去の時も同様だが、最高指導者が亡くなれば隣国が臨戦態勢で警戒しなければならない国は北朝鮮以外にはないだろう。
(2011/12/19)
慰安婦は平行線=大統領「障害」、決着済みと首相-未来志向で一致・日韓首脳
野田佳彦首相は18日、京都市の京都迎賓館で韓国の李明博大統領と約1時間会談した。大統領は旧日本軍の従軍慰安婦問題について「両国関係の障害」と指摘、「優先的に解決する真摯(しんし)な勇気を持たなければならない」と、政府間協議を迫った。首相は「わが国の法的立場は決まっている。決着済みだ」と強調、議論は平行線に終わった。未来志向の関係構築に努めることでは一致した。
李大統領が日本の首相との会談で、元慰安婦の請求権問題に具体的に言及したのは初めて。
日本政府は、1965年の日韓基本条約に伴う協定で、慰安婦問題は決着済みとの立場。ただ、村山内閣は95年に財団法人「女性のためのアジア平和国民基金」を設立、元慰安婦への「償い金」支払いなどに当たっていた。首相はこうした経緯を念頭に「これからも人道的見地から知恵を絞っていきたい」と伝え、理解を求めた。
首相は、ソウルの日本大使館前に元慰安婦を象徴する少女像が設置されたことに言及し、「誠に残念だ」として早期撤去を要請。しかし、韓国側の説明によると、大統領は「日本政府がもう少し(慰安婦問題に)関心を示せば起こらなかった。誠意ある措置がなければ第2、第3の像が建つ」と、撤去に応じない考えを示した。
首相は、竹島(韓国名・独島)の領有権問題を念頭に「日本側が提起している困難な問題がある」とも指摘。一方で、こうした懸案が「日韓関係に悪影響を及ぼさないよう、ともに大局的見地から努力したい」と未来志向の関係構築に重ねて意欲を示し、大統領も同意した。
首相は、2004年以降中断している日韓経済連携協定(EPA)交渉の早期再開を提起。大統領は「経済の前に歴史の懸案がある」とかわした。両首脳は第3期の日韓共同歴史研究開始で合意。首相は日本統治時代に朝鮮半島から動員された民間徴用者の遺骨を返還する方針を伝えた。
大統領の来日は、今年5月の日中韓首脳会談に出席して以来。「シャトル外交」としては09年6月以来となった。(2011/12/18-14:14)
(時事通信)
(引用終了)
日本は隣国である韓国との付き合い方に常に悩まされており、いくら誠意を示しても、また友好的な態度をとったとしても、とればとるほど日韓関係は悪化しているのが現状であり、また、いくら援助をしても、さらには譲歩や謝罪を繰り返したからとしても、まったく無意味であって、韓国は永遠に日本に頭を下げさせ、カネを引くことしか眼中にない国であり、世界に韓国の友好国はないとなれば、日本だけ無理に付き合うこともなく、韓国との国交が断絶したとしても日本が失うものはないだろう。
韓国だけではないが、同じく厄介な国と言われている支那との関係が良好であったのは、小泉内閣の時であると思っているが、それは小泉総理(当時)が在任中に靖国神社を参拝していたからであり、支那から何を言われようとも、断固として参拝を継続していたのは隣国だからこそ敢えて嫌がることをして、牽制する方が、良い意味での友好関係の発展につながるからである。
人間同士の付き合い方も同様だが、相手を良く見てから、どの程度の付き合い方にするのか。それとも縁を切ることまで考えておいて、それを変えていくことが大事であり、何度も騙され、裏切られているのであれば、まともな人間 では思えないのだから、無理して付き合いこともないし、体にも良くないであろう。
日本にとって不幸なのは韓国が隣国であることで、お互いに引越しも出来ないし、「ユスリ・タカリ」の常習犯として日本が常に被害にあっているのであり、解決済みの問題であるにも関わらず、それを蒸し返し、何度も謝罪と賠償を要求しており、だから韓国という国がある限り、日本は永遠に「ユスリ・タカリ」の被害者となり続けるのである。
その韓国が、いわゆる元慰安婦の請求権問題というありもしない問題を持ち出してきており、ソウルの日本大使館前には元慰安婦を象徴する少女像が設置 されるなど、反日なら何でもする国との印象を世界に与えているが、親日罪という事後法まで作っても、それを恥とは思わない異常な反日国家であることを何となく韓流ドラマを見ている一部の日本国民は認識した方が良いだろう。
報道によれば、野田総理は18日、京都市の京都迎賓館で韓国の李明博大統領と会談したそうだが、その際に野田総理は、少女像が設置されたことに言及し、「誠に残念だ」として早期撤去を要請したところ、韓国側の説明によると、大統領は「日本政府がもう少し(慰安婦問題に)関心を示せば起こらなかった。誠意ある措置がなければ第2、第3の像が建つ」と、撤去に応じない考えを示したとのことである。
誠意ある措置とは、いわゆるカネの要求なのであろうが、まるでヤクザが「誠意をみせろ」と恐喝しているも同然で、これが元慰安婦への補償要求であるならば、日韓基本条約で個人も含めてすべて完全かつ最終的に解決している訳であり、もし元慰安婦への補償が必要であるならば韓国政府が行えば良いことで、日本政府が、日韓基本条約を無視して補償したとしたら、際限ない補償要求が出され、自称慰安婦が次から次と現れてくるであろう。
慰安婦を言っても報酬を得ていたのだから売春婦であることは間違いないが、そのような売春婦を称える銅像を建てるような国は世界広しと言えど韓国くらいであろう。日本を貶め、元慰安婦への補償を要求するのであれば銅像を何体でも気の済むまで建てれば良いだろうし、他にも、慰安婦記念館、ソウルにある韓国の国宝第1号に指定されている南大門のような慰安婦門、アメリカの自由の女神像のような巨大な慰安婦像、高さ数百メートルに達する慰安婦記念塔なども建てたらどうか。また、慰安婦を称えるものとして身につけるものや家庭用品を開発し、韓国民に購入を呼びかけたらどうか。
韓国は日本とどのような関係でありたいと思っているのであろうか。今回の件を含んで、日本との友好など考えていないことは確かで、大統領までも、ヤクザのように「誠意をみせろ」などと言うのだから間違いないし、日本国民を憤慨させることであれば何でもするようだ。韓国は日本との国交を断絶したいのであろうか。そうであれば、一日でも早い方が良いのではなかろうか。
(2011/12/18)